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ララニャン@ あらら あらあらビニールシートが大好きみたい。…

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2024年05月09日
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【戦いと知恵の女神として】②~天上界との通信を前提とした文化圏~



私自身は、弟のアポロンが、もっとしっかりしてくれて、父のあとを取って、しっかりと戦に出て指揮を取ってくれるのであったのなら、自分自らが出てこようとはしなかったと思うのです。
ですが、私の弟は、どちらかというと武術を嫌がりましたし、戦で血生臭いことがありますと、まあ、私に言わすと多少、現実逃避みたいなところがありまして、王家のあと取りであるにもかかわらず、そういうものを嫌がり、竪琴や詩やそういうものに、どちらかというと自分の世界に引きこもって、その世界の中で、自分自らが逃避するような形の中で、神との対話というのを続けるような、そういうタイプの物静かな、でも、優しい気持ちな、そういう弟でした。

ですから、あのままでゼウス神が、父が倒れてしまった後に、もし、私が出て行かなければ、あの時代はあっという間に他の国に占領されてしまうというーー、マケドニアという国が追っていて、いつもギリシャの平和というものは、戦の中における、お互いの微妙な均衡のバランスの中においての繁栄発展でしたから、ちょっとでも弱い後ろ姿を見せますと、あっという間に植民地化されて、属国になって、私の愛する国民たちが奴隷として連れていかれて行ってしまうというような、そういう時代だったのです。

ですから、私は、父が負傷し、弟が立たないということを見たときに、私が自ら出ていって、「これから全軍、私が取り仕切ります」と、「だから、みんな私を助けて、ぜひ命がけで戦っていただきたい」、ということを申し上げて、全軍を取りまとめて馬に乗ったのです。そのような実情があります。

そして、今で言う、アテナイ市と呼ばれている、その私の名前が付いたという、その地域ですね、ギリシャの地方です。その周辺の地域なのですけれども、その地域を守り、私の保護のもとにその国は安定した、学問においても、文化においても、ひじょうに最高度の文化圏というものを、その時代につくったという事実があるのだと思います。

ギリシャの文化については、ヘラ様がこの間、申し上げていらっしゃいましたし、アポロン様もおっしゃられておられましたので、私があまり重なるようなことは申し上げませんが、やはり、デルフォイの神託などにおかれますように、そして、ゼウス神やヘラ神が、あの当時、神様からの、天上界からの通信というものを受けながら、ヘルメス神やオフェリアス神に対してのご指導を受けながら、やはり、地上の新たな文化をつくるための、そういう体制づくりのために頑張っておられたという、ちゃんと天上界との通信というものを前提とした文化圏でございました。

ですから、人びとはみんな神の子であるということを、神に創造された、素晴らしい自由意志を持った存在であるということを、みんなが喜び、謳歌し、それを表現していたのがギリシャの時代だったのです。ですから、明るく屈託なく、そして色とりどりに芸術も咲き誇ったのだと思います。

アテナ『生きているギリシャの神々』





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最終更新日  2024年05月09日 07時00分17秒
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