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2024年05月31日
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【神と愛】
8.愛の姿そのものが神の子そのものの姿であるー①
あなた方の姿を見て、真の神の子とはどういうものか。神のお姿というのはどういうものかということを――、地上に降りた光の天使の姿から、人々は神の臨在を、実在を知るのです。わたくしが、あの時代に神の言葉を伝えた、その生き様を見て、人々が神というものを感じたように。
近年なら、マザー・テレサという方が、ただただ与えきった貧民の中にわたし(キリスト)の姿を見ると言った、その姿をもって、神の愛というものをその行為で伝えられた。マザー・テレサとその一門のシスター方、ブラザー方の姿を見て、「ああ、やはり神はおられるのだ」と、多くの人々は感じたはずなのです。
神の子とは、究極的には愛の通路として、神の光の通路として、おのが神性を光輝かせた者の姿を、愛の化身と呼ぶのです。愛の姿、愛の化身が神の子そのものの姿です。
先ほどの質問にもありましたね。愛の究極の姿は何か。わたくしたちは神ではありません。神の子です。地上に降り立った光の天使ならば、愛そのものが何であるかということ――。
天上界の神より、天上界の意思をもって、神意の代行者として、自らを愛の通路とし、地上における神の臨在を、自らの器と個性を通して、精一杯に表現した、その姿を神の使者と言い、神の子と言うのです。究極的にはそこを言うのです。
わたくしたちもすべて同じです。
九次元、八次元、七次元――、すべて同じなのです。
上に行けば行くほど、自分の意識の中の、愛として懐に抱えるものの度合いが違ってくるだけのことなのです。七次元からは、自らの悟りだけではなく、他者を愛するということに尽きてきます。他者を愛することは、自らの人生をもって他者を愛することによる、奉仕の姿になる。
奉仕は苦しいことではありません。簡単なことなのです。自らの中にある愛、神の子としての部分を、家族、兄弟たちを愛するために、分かち合うだけのことなのです。その姿を奉仕と言うのです。
自分のためだけに愛を使おうと思っても、愛は循環しなくては流れていきません。
すべてが神の子である、すべてが兄弟、隣人であるのですから――。自分の肉親だけを愛しているうちはまだまだなのです。
血がつながっていようと、つながっていまいと――、たとえば、地球の裏側で泣いている子どもたちがいます。飢えの中で、涙をいっぱいためて、水がない、ミルクがないと言って、戦乱の中で逃げ惑っている親、その親ともはぐれて、ひとりぼっちで生きている子どもたちがいます。
その子たちを、別の国に生きているから、自分たちとは違う環境にいるから、ましてや、自分と血がつながらない、我が子でないからといって、彼らの悲しみを、彼らの苦しみを我が苦しみとしないようであっては、愛の子とは言えないのです。
アモール(イエス・キリスト)
『宇宙時代の神の子たちへ』より





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最終更新日  2024年05月31日 07時05分02秒
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