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5月10日で49歳になりました。地震後の2ヶ月で大きな気づきを頂きました。 それは、苦しみの果てに頂いた境地でもありました。 僕がセミナーに出かけ様々なテクニックなどを学んでも、やはりなかなか症状が改善されない患者さまもおられます。どんなテクニックも100%はない。 患者さんの症状が改善しないとき、僕の心は「自分は責められるのではないか」「治せないのは自分が未熟だからではないか」などなど、心穏やかではいられないのです。治療家であれば誰でも、多少はそんな気持ちを感じるのではないでしょうか? その自分の恐怖から逃れたいから、さらなるテクニックを求めてセミナーへ出かけて行く。しかし、いつまで経ってもこれでよしとはならないのです。 たくさんの患者さまを自分のオリジナルテクニックで診られ、セミナーなどにはあまり行かれていなくても結果を出されたくさんの来院がある先生がおられますが、そんな先生たちに対して「そんな先生でももちろんなかなか改善しない方もおられるだろうに、セミナーなどに出かけないで不安はないのだろか?」と不思議に思っておりました。 そんな話をすると、「それは自分が治すというおごりがあるからで、治すのは患者さん自身で患者さんが自分の体に悪いことをしているからそれを改めないと結局治らないし、先生の所為ではないから」などと言われるが、頭で知っていても、どうもしっくり来ないし、やはり患者さんが改善しないと「自分が不安になる」ということの繰り返しでした。 そんな不安は、口に出さなくても必ず表情や言葉のトーン、オーラなどから発せられ、患者さんの伝わるものだ。 それが、患者さんの「治らないのでは」という不安を呼び起こし、さらに治りを遅らせているかもしれない。などと考えだすと、しまいには「自分は治療家に向いていないのではないか」とかなりのネガティブモードに突入。 たぶんそれは誰も気づいていないと思いますが。 そこへもってきて、今回の震災に原発事故と世の中が暗くなることが続き、自営業である自分は先行きの不安でネガティブ全開へと入って行きました。 原発事故の放射能の問題も情報が入り乱れ、どれが本当なのか、なにを信じていいのかなど疑心暗鬼や怒り、不安が心を占めていきました。 そんななかいくつかの出来事が自分に続き、はっと気づいたのが、「この自分の内側にある、不安、怒り、疑心暗鬼などの心が問題」と気づいたのです。というか気づかせて頂けたという感じです。 治療も同じで、自分が心身共ベストパフォーマンスで、不安・怒り・疑い、、などのネガティヴなものを遠ざけ、こころ穏やかに、大いなる存在とともにあるという感覚で、触れたなら、患者さまの内なるものに共振し、自然に自動的に治癒力が発動する。 自分がベストパフォーマンスでベストを尽くせば「すぐではなくても、必ずよくなる」ということを確信できたのです。 つまり、まず初めに見るべきは、患者さまの症状でなく、自分の内側であったり体調であるということです。 その上で、患者さまがよくなることを信じることであり、最後に症状を取るための技術なんではないか思えてきました。 今までは、順序が逆で、幹を見ずに枝ばかりだったと思います。 この震災や原発問題のなどの国難に対する真の解決も同じではないかと思うのです。様々な情報を知ることは大切ですが、その結果、自分に不安、怒り、猜疑心、諦めなどが心を占めると、世の中が益々悪くなって行く様に思えるのです。まず、見るべきは己の心に巣くう内なる地獄。 心にあるものが、具現するのです。 この世界は、天が作った天工物と、人間が作った人工物しかありません。 人間には創造主と同じ力が与えられています。 しかし、初めに心にあるものしか生まれてこないと思うのです。 そんな気づきを頂いて、ついに覚醒したと喜んでおりましたら、神様が最後に、すぐに忘れる僕のために御しるし与えてくださいました。 誕生日の前日、朝シャワーを浴びているときに、突然血痰が出たのです。 その日は夕方くらいまで、血痰が続きました。 もしや、肺がん?わし死ぬんか?など不安がどんどん出てきました。 しかし、不思議なもので患者さんを診ているときは、全く不安もなく、そのこと自体も忘れているのですが、自宅に帰り家族を見ていると不安が出てきます。毎日当たり前の生活でつい感謝を忘れがちですが、もしこれでガンであと数年とかあと数ヶ月なんて宣告されたらと想像すると、やはり後悔が出てきます。 10日の誕生日の昼から近所の病院でCT検査を受けてきました。 で、今日結果を聞きに行ってきました。 その結果、原因は見当たらないということでした。 喀痰検査の結果はまだですが、えらいこっちゃということはないようです。 ほっとしました。 しかし、そんな状況でも大切なことは、心を穏やかに保ち、神様と繋がる感覚を保てれば、きっと不安もなく、意味あることと感じられるようになると思います。
2011/05/11
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おみくじで「大吉」を引きました!ここを訪れる方に「福」がもたらされますように。。。
2010/01/04
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10月31日~1日東京新橋にて、ICAK認定 Dr.Diamond M.D.のセミナーに出席してきます。Dr.Diamond M.D.は精神科医であり、AKを学んだ最初の医者で、筋肉テストのフローレンス・ ケンダルから学んだ唯一のアプライドキネシオロジストです。精神面へのAKからのアプローチを学べるようで、とても楽しみです。11月2日および3日は、東京方面でのクライアントの治療を致します。久しぶりの東京で、1日の夜は高校時代の同期と夜、食事の約束をしています。以前の上京では、この楽天ブログで知り合った方たちとの会食もよくさせて頂きました。今回3日のお仕事もブログを通じて知り合った方がコーディネートしてくださいました。ご縁に感謝します。今度はどんなご縁を頂くか本当に楽しみです。
2009/10/28
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2009年3月9日、中国政府系の情報ポータルサイト・中国網(チャイナ・ネット)は、米国の著名な心理学者、Raymond A.Moody博士が臨死体験者150人の証言を基にまとめた「臨死体験」を紹介した。 博士はほとんどの人が似たような体験をしていることに着目。そこで、臨死状態から生還までの過程を14の項目にまとめた。以下はその内容。 【その他の写真】 1、自分の死の宣告が聞こえる 2、これまで経験したことがないような穏やかで愉快な感覚に包まれる 3、不思議な声が聞こえる。中には美しいメロディーという人も 4、突然暗いトンネルの中に引っ張られる 5、魂が肉体から離脱し、外部から自分の身体を観察する 6、懸命に自らの苦境を他人に訴えるが、誰にも聞こえない 7、時間の感覚がなくなる 8、視覚や聴覚が非常に敏感になる 9、強烈な孤独感に襲われる 10、周囲に様々な“人”が現れる 11、「光の存在」と出会う 12、自分の一生が走馬灯のように映し出される 13、先に進むことを遮られる 14、蘇生する 記事によると、死の直前には自分の一生に対する評価が下される。その判定基準はどれだけ出世したかや金儲けできたかではなく、「一生のうち自分がどれだけ愛やぬくもりを他人と共有できたか」になるという。(翻訳・編集/NN)2009年03月10日20時14分 / 提供:Record China 以前、カイロの学校で一教科を教えていた頃、生徒の中に臨死体験をしたという人がいた。その人は、僕よりいくつか年上で、歯科技工士をされていて、噛み合わせと姿勢について興味を持ち入学したとのことでした。すでに、家庭を持ち、家族の反対もあったが、臨死体験を通して、生きている時間を大切に、そして死の瞬間に後悔したくないとの思いで入学を決めたと言っていた。その人によると、2、これまで経験したことがないような穏やかで愉快な感覚に包まれる・5、魂が肉体から離脱し、外部から自分の身体を観察する。を体験されたそうです。 ずいぶん前にNHKでも立花隆さんが「臨死」について取材をした番組を放送してた。その中でも、世界のあらゆる地域の死の淵から戻られた人は共通した経験をしていて、それら臨死体験のスイッチはどうも側頭葉の溝にあり、癲癇の研究者が局部麻酔をし、患者が意識がある状態で脳のあらゆる部分に微弱電流を通し、今どんな状態かを質問するという実験で、側頭葉の溝の部分(シュビレス溝?)に電流を通した時に、臨死体験者が経験する内容を話したとのことだった。 もし、側頭葉にそのようなスイッチがあるとして、死の瞬間になんのために、これから死ぬという人が音楽を聞いたり、お花畑を見たりする必要があるのだろうか?それは、肉体と魂を切り離すスイッチなのかもしれない。
2009/03/11
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新年あけましておめでとうございます。皆様にとって幸多き1年でありますようにお祈り致します。本年もよろしくお願いいたします。
2009/01/04
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先日、Somatic Education の西岡 寛さんのからだの勉強会に参加してきた。テーマはリンパマッサージ。最近リンパケアにはまっている。(そんなことはどうでもいい)そこで大きな気づきがあった。それは、「クライアントと一体になる感覚」である。いままでの自分に一番欠けてたもの、それはこの一体感かも知れないと気づかせて頂いた。今までひとりよがりの施術だったかもしれないと感じさせていただいた。寛先生恐るべし!寛先生のフェルデンクライス学習会、しばらく通うことにしよう。
2008/10/21
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今日も幼い子供の命が奪われた。5歳の保育園に通う女の子だ。3日前にも小学1年生の男の子が尊い命を奪われた。子を持つ親としてこのようなニュースを耳にするとなんとも悲しく、いたたまれない気持ちになる。ほかにも農薬の入ったいわゆる事故米を流通させて利益を得ていた会社があった。事故米の中に入っている毒薬「メタミドホス」「アフラトキシンB1」これらを摂取すると肝臓ガンになる確率が高いらしい。ここ10年から20年の間に日本の肝臓ガンの死亡率が3倍から4倍に増え続けているそうだ。簡単に結びつけることは危険だとは思うが、関係ないともいえないかもしれない。そのほかにも、産地偽装、耐震偽装など、人をだましても自分の利益になればよいという考え。人の命を簡単に奪ったり、儲けのためなら手段はなんでもよい。もっといえば、自分は汗を流さず利益があればよいという考え。この世はいよいよ末世なのかもしれない。こんな現実の世の中にあって自分にできることはなんだろうかと切実に思う。
2008/09/21
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国民健康保険に市府民税に国民年金にNHK受信料に金を払えの大合唱特に国民健康保険、なんでそんなに高いんや 金のなる木がほしい。宝くじ当たれ買ってないけど で、金ないついでにおいしい焼肉をやけくそ気味に食べたど~ ここはかなりいい肉を食べれる。おすすめ店でおま。
2008/06/15
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カイロプラクティックオフィスのホームページを楽天で作ってみました。健康情報などもUPの予定(予定は未定(笑))です。
2008/04/23
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2008年3月5日AKの創始者Dr. George J Goodheart Jrが急逝されました。AK(アプライドキネシオロジー)は、からだの機能障害をみつけて評価するために「筋肉テスト」を使って行う診断治療システムです。健康は、構造、化学(栄養)、精神の「健康の三要素」から成ります。この「健康の三要素」が等しく釣り合わなければ人は、不健康になるわけです。アプライド・キネシオロジーの原則は、正確に「健康の三要素」を分析し、評価して、そして「健康の三要素」構造、化学(栄養)、精神の調和を回復することです。1964年ドクター・ジョージ・グッドハートJr.D.C.(米国ミシガン州のカイロプラクター)が、「姿勢の歪曲の原因が 弱い筋肉と関係している」と最初に発表した時からアプライド・キネシオロジーの歴史は、はじまりました。(ICAK-JP HPより)タッチフォーヘルス、Oリングテスト、NAET は、AKではありませんが、筋力テストを用いて、診断、治療を行う点はAKから来ています。他にも様々なキネシオロジーが発表されていますが、その始まりはDr. George J Goodheart Jrの研究からだと思います。個人的にはノーベル賞ものの功績ではないかと思っています。今はただ、謹んでDr. Goodheart のご冥福を祈りたいと思います。
2008/03/11
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日本ライフセービング協会のCPR(心肺蘇生法)講習会に参加してきました。それによると、心停止3分経過で50%が亡くなるというデータがあるそうですが、日本では救急車が到着するまでの平均時間が6分30秒だそうです。最近はタクシー代わりに救急車を呼ぶような人がいるために、時間がかかってしまうようです。救急車が到着するまでに、身近な人が心肺蘇生法を行えば、命が救える可能性がたかまるので、家族や友人などの身近な人を守るためにも、知っておくといいですよ。基本は1分間に100回のスピードで、左右の乳頭を結ぶ線の真ん中の骨=胸骨を4~5センチ沈む強さで圧迫をする。30回に2回の割で人工呼吸をする。という感じです。また最近、駅やホテルなどでも見かけるようになったAED、電気ショックを自動で与える機械の使い方も教わりました。これは機械が手順を話してくれるので、比較的簡単でしたが、機械の種類もいくつかあるようなので、やはり経験しておかないとあわてると思います。詳しくはぜひどこかのCPR講習を受けてください。日本赤十字社日本救急蘇生普及協会などでもやってますよ。
2008/03/01
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幸せの世界最強の法則 「欲しかったら先に与える」 自分がされてて嬉しいことを相手にしてあげる豊かになりたかったら、周りの人の豊かさに貢献する。 やさしくして欲しかったら、人にやさしく接してみる。 褒められたかったら、人のいいところを見つけて褒めてみる。 笑顔が欲しかったら、まず自分が笑顔になる。 それと「足ることを知る心」「足りないことに目を向けて、して頂いたことを忘れてないか」「すでに多くを頂いていないか」 足ることを知り、感謝を忘れず、自分がして欲しいことをまずこちらからしてあげれば、幸せになれないはずがない。これ世界最強の法則。
2008/01/31
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与えられてばかりいると、子供は、批判を極度に嫌う気ままな子に育つ 口やかましく育つと、子供は、自主性のない子になる 関心を寄せずにいると、子供の心は、抜け殻となり気合のない無気力な子に育つ けなされて育つと、子供は、心の狭い反抗的な子になる とげとげした家庭で育つと、子供は、心に余裕のないキレやすい子になる 不安な気持ちで育てると、子供は、心を閉ざし怯える子になる 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子供は、ナルシストで卑屈な子になる 子供を馬鹿にすると、本当に馬鹿だと信じ込み努力しない子になる 親が他人を羨んでばかりいると、子供は、依存体質の強い主体性のない子になる 叱りつけてばかりいると、子供は、恨み深く攻撃的な子になる 否定されて育つ子は、不安が日常化するためそれを常識と錯覚し、脅迫を誘導する子になる 励ましてあげれば、子供は、自信を持つようになる 広い心で接すれば、キレる子にならない 褒めてあげれば、子供は、明るい子に育つ 愛してあげれば、子供は、人を愛することを学ぶ 認めてあげれば、子供は、自分を好きになる 見つめてあげれば、子供は、頑張り屋になる 分かち合うことを教えれば、子供は、思いやりを学ぶ 親が正直であれば、子供は、正直であることの大切さを知る 子供に公平であれば、子供は、正義感のある子に育つ やさしく、思いやりをもって育てれば、子供は、やさしい子に育つ 守ってあげれば、子供は、強い子に育つ なごやかな家庭の空気の中で育てば、子供は、この世はいいところだと思えるようになる いづれも、親に関わる問題であり、元を遡れば夫婦、男女に起因する by ドロシー・ロー・ノルト
2008/01/31
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作者は不明。アメリカのある病院の壁に、1人のベトナム戦争の帰還兵が 書きつけたものとも言われている「グリフィンの祈り」という詩を紹介します。 「グリフィンの祈り」 大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、 謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった 偉大なことができるように健康を求めたのに、 より良きことをするようにと、病気をたまわった 幸せになろうと、富を求めたのに、 賢明であるようにと、貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、 得意にならないようにと、失敗を授かった 人生を享受しようとしてあらゆるものを求めたのに、 あらゆることを喜べるようにと、命を授かった 求めたものはひとつとして、与えられなかったが、 願いはすべて聞きとどけられた 神の意にそわぬ者であるにも関わらず、 心の中の言い表せない祈りは、すべて叶えられた 私はもっとも豊かに祝福されたのだ
2007/12/18
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7月14日より16日までICAKベーシック100時間コースSession2で東京前日13日に上京し、夕方まで浦安在住の患者さん数名を治療。夜から同窓生と銀座三州屋にて食事。14日のお昼から勉強です。 ・呼吸を利用したアジャストメント ・持続性サブラクセーション ・前方胸椎サブラクセーション ・骨盤カテゴリー ・尾骨終糸挙上テクニック ・ ・ ・ などなど、今回も内容の濃いこと。。 14日夜にはブログで知り合ったオーストラリア在住の女医さんで、エネルギーヒーリングをされる虹のわ。。さん、倍音を使った音楽療法をされる天音。さんたちと会食。すごいエネルギーを感じるひとときだった。
2007/07/16
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アプライド・キネシオロジーとは、からだの機能障害をみつけて評価するために「筋肉テスト」を使って行う治療システムです。 健康は、構造、化学(栄養)、精神の「健康の三要素」から成ります。この「健康の三要素」が等しく釣り合わなければ人は、不健康になるわけです。 アプライド・キネシオロジーの原則は、正確に「健康の三要素」を分析し、評価して、そして「健康の三要素」構造、化学(栄養)、精神の調和を回復することです。 1964年ドクター・ジョージ・グッドハートJr.D.C.(米国ミシガン州のカイロプラクター)が、「姿勢の歪曲の原因が 弱い筋肉と関係している」と最初に発表した時からアプライド・キネシオロジーの歴史は、はじまりました。ICAKジャパンHPより アプライド・キネシオロジー(AK)より派生したキネシオロジーはいまや100を超えるとも言われています。 OリングテストやタッチフォヘルスなどもAKより派生したキネシオロジーの一種です。 その大元のAKを創始したのは、カイロプラクターであるジョージ・グッドハートJr.D.Cで、グッドハート先生の創立したICAK(International College of Applied Kinesiology)の主催するベーシックAK100時間コースが今年から来年へとかけて、日本で約5年ぶりに開催されます。その受講資格も厳しく、海外では、医師、歯科医師、カイロプラクター、オステオパスのみで、カイロプラクティックが法制化されていない日本では、国際基準のカイロプラクティック学位保持者か国際基準のカイロプラクティック大学学生3年生以上のみが参加可となっております。 そのベーシック100時間コースにエントリーしました。 5月4~6日の3日間Session1が行われる東京へ行きます。前日3日より上京し、東京のクライアント数名を治療させていただく予定で、滞在費の足しになるので、ありがたいなあと感謝しております。 来年無事認定試験に合格できれば、アプライドキネシオロジスト(アプライドキネシオロジードクター)となることができます。このようなセミナーに参加できるのもようになったのも、国際基準のカイロプラクティック学位を取得できたからで、感慨深いものがあります。 Session1のプログラムの概要が送られてきましたが、かなりの量で、今から気が引き締まる思いです。 なんとしても習得したいと思います。
2007/05/01
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各地でキャンセル待ち続出の人気ブリリアント・ヴォイスメーカー、声磨き師の天音先生の声のワークショップを、大阪府和泉市の高野山真言宗法華寺の本堂にて開催して頂きました。 朝11時に新大阪へ天音。先生をお迎えにあがりましたが、天音。さんは携帯電話をお持ちでありません。11時台前半の新大阪着の新幹線で来られ、到着後に僕の携帯にどこにおられるか連絡を頂く予定になっておりました。僕は、中央出口付近でまだ時間が少しあったので、本を読んでおりました。ふと、顔をあげると、天音。さんがこちらへ歩いて来られるのが見えました。なんとなく、電話なしでお会いできる予感がしてたのですが、案の定つながっていることを確認するできごとでした。 その後、僕の行きつけのパスタ屋さん(その名もでんぷんや)で、昼食をとり、さっそく法華寺へと向かいました。 午後2時よりワークショップスタートです。参加人数は10名で、個人指導も入れて頂き、内容の濃いワークにしていただけたのではないかと思います。 まず、センタリングを意識して、チャクラを使った倍音発声を体験しました。自分の変化は自分ではわかりにくいですが、他の方の変化はよくわかりました。声が通り、響きの幅が広がるように感じました。天音。先生が身体内のパイプを大きくするように、イメージ誘導してくださると、皆さんの声が変わってくるのは驚きでした。始めは恥しい感じと、最近声を出していないので、自分でどんな声なのかわからなかったのですが、だんだんと自分を解放して天地や参加者の方々と繋がるのが感じられました。その後、アヴェマリアを歌う頃に、なぜかこみ上げるものを感じ、実は涙を抑えるのが大変でした。 僕自身、天音。さんとは数年前より知り合いになり、数回食事を共にさせていただきましたが、ワークショップ参加は初めてで、とてもすばらしい体験させていただきました。ありがとうございます。 ワークショップ終了後は、お寺さんで、参加者と天音。先生を挟んで、お鍋を食べながら、歓談し、気がつけば9時をまわっておりました。そして、22日開催される、ワークショップ主催者のくらら@ロゼさんの待つ天満まで、天音。さんをお送りしたのが、10時でした。くらら@ロゼさんも待ちくたびれたことでしょう、どうもすみません(笑)。 大阪で第2回、第3回が開催される予定です。
2007/04/23
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各地でキャンセル待ち続出の人気ブリリアント・ヴォイスメーカー、声磨き師の天音先生の声のワークショップを、大阪府和泉市の高野山真言宗法華寺の本堂にて開催します。お寺の本堂という霊的な場所でワークショップはまたとない機会です。ぜひ、ご参加ください! 日時:4月21日土曜日 午後2時~5時 場所:高野山真言宗法華寺 和泉市浦田町338 http://map.yahoo.co.jp/pl?el=135.28.06.010&nl=34.27.10.264 泉北高速和泉中央駅より徒歩20分 駐車場もあります。 内容:1、センタリング、 2、チャクラ発声、マンダラ、 3、マントラ、&マンダラ、 4、カッチーニ「アヴェマリア」歌唱、 参加費:4000円 定 員:20名 講師:川瀬 裕康 氏 音楽療法歴、20年。 日本音楽療法学会、正会員 古神道修行歴、30年。 オイリュトミー4年経験。 ~天音。先生よりメッセージ~ あなたの声の内に、あなたの造り主の息吹を感じましょう! 「声磨きは、魂磨き!」 自分自身のあり方と声に自信と確信を持つワークショップです。 ベーシックコースでは、センタリングを基礎に、チャクラを使った倍音発声で身体内のパイプを通し、自分を解放して天地と繋がるのがテーマです。 皆さんと一緒に発声して自分を解放し、内面にエネルギーが注がれるのを体験します。 コツを掴むと何時でも出来ます。 【お申し込み方法】 N までメッセージを送るからメールでお願いします。 ・名前 ・住所(市町村までで結構です) ・メールアドレス ・携帯番号 ・携帯アドレス をお知らせ下さい。 定員になり次第締め切らせて頂きます。
2007/04/06
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11日は岡山までアプライドキネシオロジー(AK)のセミナーへ行ってきました。内容は・高血圧クラニアルマニュピレーション(グラベラクラニアルフォルト、ネイゾスフィノイドクラニアルフォルト、あとひとつ名前忘れたどの本にも載っていないテクニック)、脊柱治療、腎臓と副腎、心臓、栄養・テンポラルタップ・クロエカルシンクロナイゼーション・ストレスレセプター・舌骨筋とその機能・足関節/足機能障害(途中まで)といった内容でした。(濃い過ぎてついていけない)その後PM6時から倉敷市芸文館で押尾コータローコンサート COLOR of LIFEへ行ってきました。生で初めてコータローの演奏を見てきました。鳥肌もんです一日で二つの大きな出来事があると、2日経ったような感じがしました。
2007/02/12
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87歳になられるご婦人が先日、「最近、細川〇子や江原なんとかという人の番組が多いなあ、あんなんいちいち他人に聞かなわからへんのかいな、最近の人は」とおっしゃった。 僕自身、あの手の番組が嫌いでほとんど見ないのだが、なぜ嫌いなのかあまり考えたこともなかったので、考えてみた。(たいそうな) 世の中スピリチャルブーム。ネットでもリーディングしてあげますというものも見かけることが多くなってきました。 僕自身、大いなる存在(神といってもよい)や見えない世界を信じています。大いなる存在に対して祈るほかないような場面も人生の中では幾度も訪れることもありますし、そのようなときは、すがりたい気持ちも人情としてわかります。 一方、人間は自発的、主体的にあらゆる現実に対して関わっていくことにより、問題を解決し、世界に光をもたらすことの出来る存在であります。 苦しみは常に心のあり方によると思いますが、事態に対して、反応的に感じてしまうことで苦しみが増すように感じます。 例えば、仕事をさせられている、~しなくてはならない、生まれつき、〇〇でないとだめ・・・などは反応的な感じ方で、原因は自分の外にあると思うことで責任を転換し、事態に対して「自分は無力である」と言っていることになるし、苦しい。 これに対して、自発的、主体的に関わる人は、自分の原則(公正、誠実、正直、勇気・・・)に基づいて、事態に対して関わり、自分の責任としてとらえます。また、自分の力が及ばない変ることのできない事は受け入れ、変えることのできることにエネルギーを集中させて現実を創造していくことができる。 先ほどの例えでいうなら、仕事をさせられている→仕事をする、~しなくてはならない→そうすることを自分が選択した、生まれつき→他のやり方が選択できる、〇〇でないとだめ→〇〇のほうがいいと思う、となる。 野口整体創始者野口晴哉先生は、 「めしが食えなければ餓死するが、食わなければ断食して丈夫になる」 これは、まさに自発的に生きれば、苦しみは苦しみでなくなるし、反応的に生きれば苦しみに変わることを説いた言葉であると思います。 さて、細木〇子や江原なんとかが嫌いな理由が見えてきたぞ。 自分の人生をどうしたらいいですかなんてことを人に聞くことは、反応的人生であり、依存的であり、自分の人生でないのだ。さらに、反応的人生は苦しみは増すことになる。なぜなら、主体的に事態に向かい合わず、何かに依存すれば、「自分は無力」ということを益々刻印し、事態は解決することがないから。 「どんな問題もその人に起こる問題は、最終的にはその人にしか解決することはできない」その問題の解決はその人にこそ必要であるからまさに神からのプレゼントにほかならない。 自分の大切な人生で、なにを感じ、なにを体験し、なにを世界に発していくのか。 それぞれが、変えられないものを受け入れる心の広さと、自分の周りや自分に起こる問題に対して、自発的、主体的に関わり、事態を好転させ、解決していくことが、人間の使命であり、人が神の子である証ではないだろうか。 受け入れざる得ない現実に対して、神を信じ、神のなされるままにということは尊いが、どんなことにでも神のなされるままにと、依存的で無責任になってはいけない。 チャネリングやリーディングが出来る人に頼ることも、それを行うことも、その人の依存心を引き出し、人生の道行きでの様々な気づきの妨げにならないようにしなければ、たとえそれが正確なリーディングであっても罪であると思う。
2007/02/10
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今朝、TVを見ていると風水で開運みたいな内容があって、その風水の先生マダム・ホーさん、どっか見たことあるなぁ~と思いながら数分間見ておりました。その風水の内容よりこの人はどっかで会ったことあるなということに気をとらわれて、内容はさっぱり覚えてないのですが、思い出しました。なんとその方は・・・!1991年5月に、僕がロスのクリーブランドカイロプラクティックカレッジへ解剖実習へ行ったときに、通訳をしてくださった方でした。その方はアメリカへ単身渡り、作業療法士の資格をとり、華僑の方と結婚して、通訳をされていると当時おっしゃっていました。さっそく、「マダム・ホー」で検索するとマダムホー公式サイト・フライングスター風水,紫微斗数,東洋占術で鑑定を行うマダム・ホー。「愛情」「健康」「お金」のバランスのとれたライフスタイルを提唱。を発見!プロフールを見ると確かに、あの通訳さんでした。当時、お礼のお手紙まで下さった礼儀正しい方でした。
2007/01/08
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昨年の10月9日より行ってきました、持続の行もいつしか挫折し、自らの心も日々ころころと変わり、日記を書く意欲もなく、「もしやこれは軽い心の病か?!」という状態になりました。その間、天音。さんより電話を頂き、チャクラ発声を教えていただき、丹田を意識したり、自らの心に深くたずねたり、師の言葉に触れたりするうちに、少しずつ自分を取り戻しつつあります。 治療がうまく行けば「よ~しやった」と「快」ほうへ心は動き、うまく行かなければ「だめだ」と「苦」のほうへ落ち込み、心はダッチロールを繰り返している。だから人は「快」を求めて努力もするのだが、「快」も「苦」もどちらの心も六道輪廻、本当の幸せはないのです。 では、本当の幸せとはどんなものか。それは中道ということですが、中道とは「快」と「苦」の中間というわけではありません。「快」と「苦」を超えた世界。それは「愛」と「慈悲」、「陰徳のこころ」の世界で、神のこころなのです。 僕が、苦しんでいた心は「快」でも「苦」でもどちらに行っても、自分から見た世界観、自分を中心とした世界観であり、極端にいえば「良い結果が出なければ患者さんからどう思われるか」という自己保身の心が原因で苦しみを作っていたということに気づかせていただきました。 「不動心を養いたい、外なる世界にどんなことが起きようと、内なるこころは、いつも静かでありたい」そんな願いから、持続の行を行っていましたが、これもいつものごとく、いつのまにやら中断しておりました。続けるためには、やはり毎日、日記などに記載することが必要と思います。本日より、新たにスタートします。 不動心とは、外に壁を作るのではなく、ただ一つ本当に大切なものだけを願い続ける心であるということを、わが師高橋佳子先生よりご教示頂きました。 あれもこれもでなく、必要でないものを捨て、本当に必要なものがわかれば、不動心はおのずと作られる。 僕にとって本当に大切こと。それは、「快・苦」を超え、自らの内に、愛と慈悲と陰徳のこころ、神の心を少しでも養い、自分の身口意を通して、神のこころを感じて頂けるような人間になりたい。自分の指先から愛と慈悲が伝わるような治療ができれば、これが僕の望みです。 その高みに向けて、この一年を刻んで行けますように。 本年もどうぞよろしく御願いいたします。
2007/01/01
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先日喉がおかしくなり、声が出にくかった日、市販ののど飴など買ってなめていたが、一向によくならず困っていたら、患者さんがプロポリスキャンディをくれました。そのプロポリスキャンディをなめ始めてしばらくすると、声が出始めました。患者さんによると、口内炎やのどの痛みなどにほんとによく効くとのことでした。以前から林原のプロポリスはいいと知っていましたが、今回身をもって体験したので、早速注文しました。急に冷えてきて、風邪をひく方が増えていますね。お身体に気をつけてください。★税抜3000円以上で送料無料★プロフィーラ プロポリスキャンディ 150g
2006/11/09
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訓練艦隊に属する二隻の戦艦が、悪天候の中、軍事演習のため数日間にわたり航海を続けていた。私は先頭を行く戦艦ブリッジで夕暮れを迎えた。視界が悪く断片的に霧がかかっていたため、艦長もブリッジに残り、状況を見守っていた。 暗くなってから間もなく、ブリッジの見張りが次のように報告した。 「艦首の右舷側の進路に光が見えます」 「停止しているのか、船尾の方向に動いているのか」と艦長。 見張りの答えは「停止しています、艦長」 つまり、その船はこちらの進路上にあり、衝突の危険があるということだった。 艦長は信号手に命じた。 「その船に対し、信号を出せ。衝突の危険があるため、二〇度進路を変更せよ、と」 相手からの信号が返ってきた。 「そちらのほうが二〇度進路を変えるよう助言する」 艦長は再び命令した。 「信号を送れ。私は艦長だ。二〇度進路を変えるように」 すると、 「こちらは二等航海士だ。そちらの方こそ二〇度進路を変えるように命令する」と返事が返ってきた。 艦長は怒り出し、 「信号を送れ!こちらは戦艦だ。二〇度進路を変えろ」と叫んだ! 点滅する光の信号が返ってきた。 「こちらは灯台である」 我々は進路を変えた。 「7つの習慣」スティーブン・R・コヴィー著より この話を読んで僕が感じたことは、「自分に起こる出来事は灯台である」ということです。自分に軸足をおいて考えると、理不尽極まりないことが起きてきます。しかし、出来事を灯台だとすれば、こちらがどのような感情に見舞われようとも、出来事事態に変化は起きないのです。軸足が出来事側に移し、それを受容する心のキャパを広げることができるなら、新しい現実を創造することができます。しかし、自分に軸足をおいて、物事を見ている限り、何の変化も起こらない。 そんなことを感じさせて頂きました。 「7つの習慣」はずいぶん前に友人にすすめられて、古本屋で見つけて数年前に買っていましたが、読む機会がなかったのですが、僕のカイロの先生がアメリカの大学で必修で読んだ本と聞き、最近読み始めました。またはじめのほうですが、とてもすばらしい本という印象です。すでにお読みの方も多いでしょうね。まだの方はぜひどうぞ。
2006/10/27
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僕は、オウム真理教事件で有名なジャーナリスト江川紹子さんが好きです。それは、彼女は物事の本質を鋭く見抜きながらも、その事件に関わった人に対しても、理解しようと努めておられるように感じるからです。 以前、彼女のHPで誤字に気づき、メールしたことがあるのですが、その対応は早く、お礼のメールを頂き、すぐに訂正されておりました。スタッフの方が対応されているのかなあと思いましたが、文面からご本人のように感じました。「スタッフにしろご本人にしろ、さすがだな」と感心いたしました。 その彼女のHPの「社会のこといろいろ」というページはおすすめです。 http://www.egawashoko.com/c006/ 最新の10月19日の「フェアでない」というコラムでは、民間確認検査機関「イーホームズ」の藤田東吾社長の判決のことを書かれていました。偽装を告発した藤田氏のおかげで、耐震偽装が世の中に明らかになったことを僕たちは忘れてはいけないと思わせていただきました。 http://www.egawashoko.com/c006/000197.html 本当のこと、正しいことをした人が生かされない世の中は違うと思います。 江川紹子ジャーナル http://www.egawashoko.com/
2006/10/25
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人は未来を創ることが出来ます。 それは、日常の出来事の<感じ方(受信)>と<行為(発信)>により創造しています。 「なぜ、いつもこうなるのか」 たとえ望まぬ現実でも、この受信と発信がかかわっています。 この受信と発信が歪んでいれば、歪んだ現実しか生まれません。しかし、自分の受信と発信はまさにそれが自分で、あまりにも自然でなんら疑うことはないのです。 自分の心の動きやくせを客観的見れると(診断)、治療することが可能となります。しかし、それがわからないと同じ現実しか生まれないのです。 以下に紹介する自己診断チャートはその自分の心の鋳型を知るツールです。ぜひ、やってみてください。 *当てはまると思うものは○で、A・B・C・Dのそれぞれの数をチェックしてください。深く考えず少しでもあると思ったら○をつけてください。 1.人から苦言を呈され、それが理不尽であると感じると、怒ったり開き直ったりするくせがある。・・・B 2.自分の人生は「それなりのものである」と胸を張れる。・・・A 3.なにかあるとすぐに落ち込んでしまう。・・・C 4.問題がないことが重要であり、無風であることが平和である。・・・D 5.自分の人生を振り返ると、失意の念にさいなまれる。・・C 6.自分がやりたいようにやりたい。・・・A 7.父や母に対して許せない想いがある。・・・B 8.自分の人生を振り返って、「とりあえず平和な人生だった」と思う。・・・D 9.自分は「やり手」であると思う。・・・A 10.人から「ボーッとしている」と言われることがある。・・・D 11.すぐに理不尽な気持ち(被害者意識)に襲われる。・・B 12.「人から何か言われるのではないか」といつもビクビクしている。・・・C 13.「自分は温厚な性格である」と思っている。・・・D 14.失敗することが怖いので、逃げてしまうことが多い。・・・C 15.自分の立場が上がったり、世間に認められたりすることに、強い手応えと充実を感じてきた。・・・A 16.「どうせ人間には表と裏がある」という気持ちが強い。・・・B 17.人から「怖い」とよく言われる。・・・B 18.「自分にさせてくれればもっとできるのに」とよく思う。・・・A 19.「一生懸命ならば、できないことも仕方がない」と思う。・・・C 20.人から嫌われることが嫌なので、率直に意見することができない。・・・D 21.人に負けるのは絶対に嫌である。・・・A 22.人生を振り返ってどうしても許せない人がいる。・・・B 23.いつも自分を守ってくれる人がいた。・・・D 24.「自分はどうしようもない」と自己否定してしまう。・・・C 25.「どうせできない。自分なんか」と、最初から諦めてしまうことが多い。・・・C 26.なにか実現することよりも、皆が「和気あいあいとして楽しいこと」が重要である。・・・D 27.歴史上の人物(英雄、天才、奇人・・・・)にあこがれる。・・・A 28.「怒り」がたやすく態度に現れてしまう。・・・B 29.いつも自分中心でないと気持ち悪い。・・・A 30.「屈しないことが強いことである」と思う。・・・B 31.「自分にはそれほど強いとらわれがない」と思っている。・・・D 32.「迷惑をかけるくらいなら、何もしない方がマシである」と思う。・・・C ◎:7~8 より強い傾向 ○:5~6 強い傾向 △:3~4 弱い傾向 結果はいかがでしたか? Aが多かった方 「人間関係や事態に対して支配的。頑張るけれど知らない間に孤立する。はじめはよくても途中からうまくゆかなくなる。周りがついてこない。一人だけ浮き上がる」といった自己過信に基づく「自信家」の傾向を抱えている。何より特徴的な「受信」は、自分の都合のいいように事態を解釈していまう「歪曲」の受信。たとえば、うまく行かない事態が起こっても「このくらいのことは起こるものだ」とあるがままでなく歪曲して捉えるクセがあります。「発信」は「まかしとけ」「自分の言ったとおりすればいい」といった独尊的、支配的な関わりをするので、その結果「孤立」や「無理」な状況を生み人間関係は硬直化し、不満が増大します。 これを超えるために、「自分はできる」「自分は正しい」「自分はわかっている」といった思い込みを離れて、いかに他人の声に耳を傾けることができるか。「ほんとうにこれでよいのか」と物事をすすめる前にストップをかけることが重要である。 Bが多かった人 何よりも世界や人に対する不信感を基としているということが特徴です。そのために、「いつも不満がある。いらいらしている。周りが緊張している。人間関係が対立する」といった「被害者」の傾向を抱えている。特徴的な「受信」は、何か問題が生じると「なんで私が・・・。」と「拒絶」する。また、人の不足がよく目につき、「あそこが足りない」「ここが足りない」と「批判」で受け止めたり、「そんなこといったって・・」と「不満」で受け止めます。「発信」は、他人のせい、事態のせい、運命のせい・・というように事態に対して責め、「私は正しい」と「頑固」になり、「正論」で相手の足りないところを叩きます。またふてくされて、周囲に対して攻撃的な波動を出す「荒れ」の発信をするので、周りの人は緊張し、何も言えない「硬直」した関係や「対立」を生み、周りとの関係を「破壊」します。 これを超えるために、出来事に対する自分の感じ方(受信)が「わかってくれない」「受け入れてもらえない」といった被害者意識が常に自分の前提となっていることを知ることが第一歩です。そして「批判」に対して「共感」するこころ。相手の足らないところを見出すのではなく、素晴らしい点や長所を見出すように心がける。また「不満」を抱いて責める前に自分はどうであったかと内を省みる「内省」が必要となります。 「発信」は裁く正しさを盾とせず、なぜそうなったか、相手を責める前に愛を持って聞き語る。相手を変えようとするのでなく、まず自分から相手に対して献身を始めることなどがある。 Cが多かった人 「すぐに断念してしまう。自分に自信がない。どうしても前向きになれない。人生に疲れている」といった自己否定を基とした「卑下者」の傾向を抱えている。特徴的な「受信」は、仕事に障害が生じたり、人間関係がこじれるなどが起きると、不安を大きく募らせ、「怖い」「ああなったらどうしよう、こうなったらどうしよう」と「恐怖」で受け止めたり「もう駄目だ」「もう終わりだ」と「否定」的な受け止めをしたり、「何もできない私なんか駄目」「もう放っておいて」と「卑屈」な想いで受け止めます。「発信」は増幅された不安が土台にあるため、事態に対して後ろ向きなって逃げ、できないと決め付け「愚痴」をこぼしがちになります。そのため、自分だけでなく周りのエネルギーも吸収され、場が沈滞し、徒労感、不信感が強まる。 これを超えるために、まず「恐怖」の実態を掴み、不安を拡大するのではなく、「一体自分が恐れていることは何なのか、目を開いて恐怖の正体をよく見ること」。すると案外過去のイメージに引きずられているだけだったりする。また「できない」「無理」といった否定的な想いが出てきたら、「できるできないではなく、とにかく引き受けてやってみよう」と肯定的に受け止める。「一生懸命やるだけやってみよう」という素直な受信に変革してゆくのです。「発信」は愚痴を断ち、懸命に関わるように努めてみることです。 Dが多かった人 これが多かった人は、「よい人なんだけれど・・・頼りにならない、あてにできない」という印象を与えています。 他人や世界が自分を受け入れてくれているという楽観的で安穏とした前提が立つために、「失敗」という現実がやってきても、「まあいいか、何とかなるさ。誰かがきっとやってくれる」と事態をぼんやりと「鈍感」に受け止める「幸福者」の傾向を抱えている。また、「大丈夫」「こんなもんじゃないかな」「安心、安心」「ここで、一休み」と「満足」する。また、「誰かが守ってくれるだろう」と「依存」で受け止めます。「発信」は、切実感がないために、問題を後回しにし「面倒くさい」と「怠惰」、相手との軋轢を起こさないために「曖昧」に発信する。また、人に依存し「従うから何とかしてほしい」というような「契約」的な関わりを結びます。その結果、問題を先送りにするので、気づいたときには手遅れという状況を生み、場は「停滞」し、低水準で、井の中の蛙となります。癒着した人間関係を結び、身内だけの結束をつくりがちです。 これを超えるために、「こんなもんでしょう」「よかったよかった」「大丈夫」と安心する「満足」の受信に対して、ほんとうにこれでよかったのかどうかよく振り返り、足りなかった点や不備、未熟を深く見つめる。それ以上考えなかったり「寄らば大樹の陰」と外に依存の相手を求め、どんどん流されてゆく甘えの心に対しては、「もともと自分は何をしたかったのか」と動機を問いかける「回帰」の心を育むことが必要です。 いかがでしたか?詳しくお知りになりたい方は、「新しい力」高橋佳子著をお読みください。 PS:僕はたびたび高橋佳子先生のご著書を紹介しておりますが、この方は多くの魂を導くマスターであると思っています。その理由として、自立の道を説いておられること。そのための具体的な方法を示しておられること。その方法を生きた人が人生の変革を体験され証明されていること。決してそれを強要したり、そうしなければ不幸になるといった縛りがないことなどです。
2006/10/21
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持続の行を設定して昨日まで継続しております。ただ、当初、「治療関係の本を最低30分読む」という行は、忙しく時間がない時は無理なことが判明しましたので、除外しました。それ以外の行を毎日行っています。一日2回、朝と夜に「一日の始まりに」と「一日の終わりに」の祈りの時間を持つことは、命を削って人生のときを歩んでいる実感があり、「今日一日精一杯生きよう」「今日は精一杯生きれたでしょうか」という気持ちになれるので、僕にとって、流されて生きる一日と主体的に生きる一日の違いがありとても充実してよかったと思っています。2006.10.9~ 10月17日(火)晴れ ・朝起きたら、祈りに始まる(9) ・スクワット(30回)健全な心は健全な肉体から (9) ・食器を洗う (9) ・就寝まえに祈り (9)
2006/10/18
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アコースティックギタリスト、押尾コータローのベストアルバム「Blue sky」を買いました。限定版でDVDもついてます。今までライブのDVDも素晴らしいかったですが、今回PV(プロモーションビデオ)ばかり収録したDVDで演奏中の指の動きがよくわかり、改めて驚愕のテクニックであることを思い知らされて、鳥肌もんです。これはおすすめです。
2006/10/17
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何かを願うとイデアの世界(あの世)では、すぐに実現しますが、こちらの世界に降りてくるまで時間がかかります。 そして、人間だけが願ったものを創る力が与えられています。 この世界は、神が創った天工のものと人が創った人工のものしかありません。人が神の子である証拠でしょう。 しかし、イデアの次元の願いが、この世界で形となる前に、願いがコロコロ変わると、エネルギーが分散してしまい成就しなくなります。 また、願いが変わっていることが自覚できないこともあります。あるとき願っていたことを、時と場が変われば願いも変わっている。あのときの自分を今の自分が裏切っている。 さらに、夢はデカイが、そのために今日、何かしたのかと問われると何もしていない。具体的に行動することがなく、願っただけで成就することはあり得ません。 また、手っ取り早く、わずかな努力で得られるというような類のものは、人気が出やすいが、永続的に続くことはありません。春に種まきをせず、夏に遊びほけて、秋に収穫することなどあり得ないのです。日々努力を積み重ねるというプロセスこそが真の成功への道である。 何かを成就するためには「願い」を持ち、それを変えず、具体的に努力を続ける以外にないのです。 僕はと言えば、このように理屈はわかっていても、なかなか具体的に行動をしているかといえば、まだまだできていません。 もっと主体的に時間を有効に使いたいのですが、すぐに怠けてしまいます。そこで、本日より「持続の行」を行います。 これは、自分のできることを継続的に続けることによって、心を鍛え、自信をつけると共に、具体的になにかを実現していくことが可能となります。ルールは、余りにも困難で達成しにくいことではなく、継続しやすいものを続ける。継続に失敗したら、また翌日から始める。・朝起きたら、祈りに始まる・スクワット(30回)健全な心は健全な肉体から ・治療関係の読みかけの本を読む(最低30分) (1冊すべて読み終わるまで次の本は読まない) ・食器を洗う ・就寝まえに祈り・継続失敗で三日晩酌なし 参考サイト
2006/10/09
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人間の成長の段階として、「してもらう幸せ」、「できる幸せ」、「してあげる幸せ」とあるようです。 誰しも赤子として生まれ、自分ではなにもできない状態で、誰かに世話して頂かないと生きていけない。そのときは「してもらう幸せ」 やがて成長し自分でできることが増え、自信がつく「できる幸せ」この段階はギブアンドテイクで、何かしてもらったら、してあげるという段階。 さらに境地が高まると「してあげる幸せ」になります。 それも、ギブアンドテイクでなく、快苦や利害を超え、どんな人にも自分ができることをして差し上げられる境地。 人の肉体は年月と共に成長し、やがて衰えていきます。 しかし、心は鍛錬しないと50になっても60になっても「してもらう幸せ」の次元に止まることもあるようです。 「誰々がしてくれない」「会社が~してくれない」など「くれない」「もらえない」は「してもらう幸せ」の次元だそうです。 また「できる幸せも」「してもらう幸せ」よりはマシですが、ともすれば「あれもこれもできる」と言う次元で「集めることにご執心」いつまで経っても、「してあげる幸せ」次元に行かない場合があるようです。 僕自身、「してもらう幸せ」~「できる幸せ」次元で、早く「してあげる幸せ」の次元へ行きたいと願っています。
2006/10/06
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本日は息子と娘の小学校の運動会です。あいにくの曇り空。外を見ているとあの白いすずめを発見!あわてて外へ出てかろうじて写真を撮りました。これで4度目の再会です。元気でいてくれてよかった。他のすずめにはそんなこと思わんのにナア。白いだけでお前は得やナ(笑)
2006/10/01
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他人と交わした約束は比較的守れますが、自分でやろう決めた事が流されて後回しになったり、結局三日坊主なったり、人の目がなければ怠惰に傾く。自分への約束が守れるようになりたい。
2006/09/29
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三重県名張市の赤目四十八滝へ行ってきました。 マイナスイオンを浴びながら、最後の巌窟滝まで行きました。 帰りはかなり足にきましたが、自然の氣を頂いて明日から、またがんばれそうです。小学2年の娘も5年の息子もずいぶん強くなったと感心しました。 http://www.akame48taki.jp/index.html
2006/09/24
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日記の更新を毎日のように続けておられる方は、「えらいなあ~」といつも感心します。僕の場合、一つのことを持続的に続けることが苦手で、それはあまりに自然となっていた感覚なんですが、「なんでも7割できればよい」という感覚があることに気づかせて頂きました。どんなことでも、極めて行こうとすれば、最後のほうへ近づくほど、壁や試練が大きくなってきます。つまり、7割くらいは誰でも行けるのです。7割できればよいという感覚は、実は、その試練や壁、またできない自分を見るのが嫌なので、ごく自然に「この程度できればいいやろう」としていたことに気づかせて頂きました。言い換えれば、試練や壁に弱いということになります。その感覚を超えていくために、毎日持続的になにかを行うとか、一つのことを始めたら、そのことが完結するまで続けると言ったことがよいようです。考えてみれば僕の場合、子供のころよりこのような傾向があり、何一つこれは誰にも負けないといった極めた感覚がありません。大人になった今でも、読みかけ(7割以下)の本がたくさんあります。しかし、今回このような気づきを頂いたので、毎日持続的に行う、一つを完結させて輪に結ぶといったことを意識して行きたいと思いました。何度も楽天日記をやめようかなと思ったこともありますが、改めて過去の日記を読んでみると、その時々の気づきやたくさんのコメントを頂き、またコメントにより引き出され、「ありがたいなあ」と感謝しています。これからも持続の行として、その時々の気づきを綴って行きたいと思います。
2006/09/22
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カイロプラクティックとは、脊柱を中心とした筋骨格系の障害と、それが及ぼす健康全般への影響を診断・治療・予防する専門職で、サブラクセーションを対象にした関節のアジャストメント、またはマニュピレーションを含む徒手テクニックを特徴とし、このコンセプトと原理は、カイロプラクティックと他のヘルスケアー業との違いを明確にするものである。 カイロプラクティックとは、疾病は正常な神経機能を失う事によって起こるとして、主に脊柱などの身体構造に対し特殊な矯正法や徒手操作を行なう治療体系である。(Merriam Webster's Collegiate Dictionary, 10th Edition) ☆カイロプラクティックの現状 世界カイロプラクティック連合(WFC)は、85ヵ国のカイロプラクティック協会からなり、WFCは1997年より世界保健機関(WHO)の非政府組織(NGO)として、WHOと正式な関係を結んでおります。 日本においては日本カイロプラクターズ協会(JAC)がWFC(世界カイロプラクティック連合)日本代表団体として活動しています。カイロプラクティックは現在およそ40の国、地域で法制化されています。このようにカイロプラクティックは、国連のWHO(世界保健機関)では鍼灸とならび認められている国際的ヘルスケアなのです。しかしわが国では残念ながら法制化に至っておりません。一刻も早い制度化・法整備を望んでいます。 WHO発行の「カイロプラクティックの基礎教育と安全性に関するガイドライン」も2005年11月に完成しまし。 その中で、 1)正式なカイロプラクティック教育は全日4年制4200時間以上の教育(うち臨床実習1000時間)。 2)ただし、医師、歯科医師、理学療法士等の医療有資格者は一部単位が認められ全日2~3年制2200時間以上の教育(うち臨床実習1000時間以上)でも正式に認められる。 3)正式な教育ではないが期限付きの教育(CSC等)においては、医師や他の医療有資格者を対象とした場合、2~3年制1800時間以上の全日もしくはパート教育(うち1000時間以上の臨床実習)が最低必要である。 *ただし、受講条件あり。 4)正式な教育ではないが期限付きの教育(CSC等)においては、3)以外の自称「カイロプラクター」を対象とした場合、2500時間以上の全日もしくはパート教育(うち1000時間以上の臨床実習)が最低必要である。 *ただし、受講条件あり。 とあり、例え医師であってもカイロプラクティックを行うのであれば、一定時間以上の教育が必要とされているのです。 日本では、自称カイロプラクターが1万人もいると言われる中、DCやB.C.Sc.などの学位保有者は僅か400名ほどしかいないのが現実です。(2006年) 国際基準の大学教育の学位保持カイロプラクターは、カイロプラクティックに適応する症状か、あるいは他の専門家に紹介するべき症状かを判断できるよう教育されています。そのために、バイタルチェック(血圧・脈拍・体温・呼吸数)・問診・理学検査・神経学検査・筋骨格姿勢検査及びカイロプラクティック検査を行い、施術を行います。 施術に対する説明や今後の計画、施術後の身体の反応、家庭でのアドバイスなどを行います。 カイロプラクティックが医療といえるのは、こうした検査のシステムがあり、仮説/診断、施術が行われるからです。整体やオイルマッサージ、リフレクソロジーなどとの決定的な違いはこのようなところあるといえるのではないでしょうか。医療である以上、どこに原因があるのかを探ることなく施術することはできません。 なんら検査をしないで行うものは治療とは言えないのです。 カイロプラクターをお探しの方は、学位保持者をお探しになられることをお勧めいたします。日本の学位保持者リストは http://www.jac-chiro.org/G_B004.htm
2006/09/17
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長男とテレビを見ていたら、岩崎恭子さんが出ていた。息子に「この人は14歳でオリンピックに出て、平泳ぎで金メダルを取った人や」「何でもええから世界1になってみたいなぁ」と話したら、息子が「パパが世界1のことあるでぇ」と言ったので、「なに?」と聞いたら、「僕が世界1パパを好きなこと」と言ってくれました。未熟な親なのに。。。ありがとう
2006/09/01
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「四無量心」とは、四つの計り知れない心、「慈」=包む心、相手の痛みを受け止めて、慈しみ、相手の心に安らぎを与える心。「悲」=癒す心、悲しみ苦しんでいる相手と共に悲しみ合う心。「喜」=喜ぶ心、相手と共に喜び合う心。「捨」=自律する心、人間関係に癒着し依存する心を断ち、自戒する心のことであり、一切の偏見と執着をすてて、もの・ことに偏りなく平等に接する心。この四無量心を起こす基本は、四つの心を常に心に念じ、瞑想することにあるそうです。例えば、「慈」の心を念じるとき、親がわが子に注ぐ無償の愛、自分のことを脇においてでも、わが子の幸せを祈る心。その心を自分が出会う人たちに重ね、すべての生命をわが子として受け止める。次に「悲」の心を念じるとき、自分の周りで苦しんでいる人を思い浮かべ、その痛みに同調し、どれほどその人が苦しみ、つらい思いを抱いているかを想うこと。そして、次第に多くの人の苦しみを受け止めてゆく。次に「喜」の心を念じることは、他人の幸せや成功を心から喜ぶことで、人間は他人の幸せをわが喜びとすることがなかなかできません。そのために、自分の中の嫉妬心や比較競争の心を克服しなければならない。最後に「捨」の心、自律する心(平等心)を念じるために、自分にとって好悪の両極にある二人を想い、その二人に等しい気持ち、同じ重さを感じられるように念じてゆく。四無量心を起こし生きることは難しいですが、本来、人間の生まれてきた目的がこれではないかと思います。生まれ育ち、生まれた国、仕事や環境が違っていても、もしいつも四無量心を起こし、生きることができれば、これほど幸せなことはないように思います。そのように生きるために、あらゆる菩薩がその道の始まりに抱くとされる「四弘誓願(しぐせいがん)」という誓願があります。衆生無辺誓願度(衆生は無辺なれども、誓って度せんことを願う)煩悩無尽誓願断(煩悩は無尽なれども、誓って断じることを願う)法門無量誓願学(法門は無量なれども、誓って学ばんことを願う)仏道無常誓願成(仏道は無上なれども、ちかって成せんことを願う)助けを必要としている衆生は限りないけれども、私は心に誓って、彼らを救うことを願う。自らの煩悩は尽きることがないけれど、私は心に誓って、それらを断じる努力をする。仏の教えは限りないけれども、私は心に誓って、これらの教えを学ぶことを願う。仏道は果てしない道のりだけれども、私は心に誓って、仏道成就を願う。
2006/09/01
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毎日のように、親を殺した事件だの、リンチ殺人だの、幼児殺害事件だのと、殺伐したニュースばかりが流れる。そんなニュースを毎日のように聞くと、「この世の中はどうなってしまったんだ」とか「周りは怖い人間ばかり」といった思い込みが刷り込まれる。実際に同じような事件が誘発されているように感じます。しかし、実際にはまじめにコツコツと働きがんばっている人間のほうがはるかに多いと思う。先日もよく聞くラジオ番組で、あるテーマでリスナーから話を募集し(テーマはなんだったか忘れましたが)、32歳の男性が、小学校3年生と幼稚園の子供を朝4時に起きて世話してから仕事に行き、寝るのは午前1時をまわるそうで、毎日3時間そこそこの睡眠で起きれないが、子供が午前4時に起こしてくれるそうで、その子供さんは夢で亡くなったお母さんが「起きなさい」と起こしてくれるといって、目覚まし時計もなしで起きるそうです。その奥さんは38歳で病気で亡くなられたそうです。ラジオではこんな話も流れますがテレビを見ていると気分が悪くなります。先日も「慈悲の瞑想」をご紹介しましたが、自らの心を優しく、思いやりのある状態に戻すために、瞑想や祈りはとても有効だと思います。今日は、わが人生の師高橋佳子先生の「新 祈りのみち」をご紹介したいと思います。「祈りのみち」というご著書の改訂版で、項目、ページ数も2倍になり発刊されました。・怒りが湧き上がるとき・不満を募らせるとき・自信が持てないとき・孤独感・寂しさに襲われたとき・嫉妬を感じるとき などその時々の心情にあわせた祈りが書かれています。僕は個人的にどれほど「祈りのみち」で心の静けさを取り戻し救われたことかわかりません。そして、たとえばイライラとしているときに、「苛立つとき」という項目を読んでもスッキリしなかったのが、「不安と恐怖を抱くとき」を読んでス~と落ち着いたりと、苛立ちが恐怖と不安から来ていたことに気づかせて頂いたりと、自分でもわからなかった自分を発見したりできます。こんな時代だからこそ、一日のわずかな時間でも振り返りと祈り・瞑想の時間を持ち、心を穏やかに保っていたいと思います。
2006/07/03
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瞑想の実践書を探していて、とてもわかりやすいヴィパッサナー瞑想の実践書ブッダの瞑想法ヴィパッサナー瞑想の理論と実践 地橋秀雄著 春秋社を見つけました。 その中から慈悲の瞑想のやり方というすばらしいくだりを本文よりご紹介します。慈悲の瞑想を実践するのはとても簡単です。これは概念を瞑想対象に使用するサマタ系の瞑想なので、慈悲の言葉を唱えるだけで瞑想が始まっているのです。言葉の意味に集中できたほうが効果的ですが、あまり気にする必要はありません。言葉が頭に浮かべば、必ず心に何らかの反応が起きます。つまり、心が影響を受けて変わるのです。試しに今、「殺人・争い・ケンカ」という言葉を浮かべてみてください。次に「優しさ・安らぎ・幸せに」と呟いてみてください。どうでしょうか。次の瞬間、心に起きた反応が違うのではないでしょうか。一度意識に上ったものは、必ず次の心に影響を及ぼします。ですから、イライラ・モードの時であれ、ちっとも実感がこもらない時であっても、慈悲の瞑想をやろうと思い、言葉を唱えるだけで、必ず心は影響を受けて、その方向に変わっていきます。繰り返されれば繰り返されるほど脳細胞のネットワークが強化されますので、慈悲の心がいつの間にか形成されていくのです。私が幸せでありますように私の苦しみがなくなりますように私の願うことがかなえられますように私に悟りの光があらわれますように私の親しい人々が幸せでありますように私の親しい人々の悩み苦しみがなくなりますように私の親しい人々の願うことがかなえられますように私の親しい人々に悟りの光があらわれますように生きとし生けるものが幸せでありますように生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように生きとし生けるものの願うことがかなえられますように生きとし生けるものに悟りの光があらわれますように私がきらいな人々も幸せでありますように私がきらいな人々の悩み苦しみがなくなりますように私のきらいな人々も願うことがかなえられますように私がきらいな人々にも悟りの光があらわれますように私をきらっている人々も幸せでありますように私をきらっている人々の悩み苦しみがなくなりますように私をきらっている人々も願うことがかなえられますように私をきらっている人々にも悟りの光があらわれますようにすべての衆生が幸せでありますようにすべての衆生が幸せでありますようにすべての衆生が幸せでありますように
2006/06/25
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今年、引退を表明している新庄剛選手(日本ハム)の甲子園での最後の勇姿を見に行ってきました。友人から突然電話があり「チケットあるから行く?」と言ってくれました。その友人も突然頂いたそうですが、行けないので僕に譲ってくれました。しかも、イエローシートというベンチの上のシートです。息子とふたりで2年ぶりに見に行き、金本選手のホームランも見れたし言う事なしです。試合は5対2で阪神が勝ちました。新庄はやはり花があるなぁと思いました。小学生のような文書になってしまいました(笑) おわり
2006/06/19
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島田洋七さんの「佐賀のがばいばぁちゃん」原作を読んで、無性に映画を見たくなって、家族で今日見に行きました。泣けました。島田洋七さんの温かさがあふれた作品です。おすすめです。
2006/06/18
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昨年の11月にWHO(世界保健機関)から、カイロプラクターになるための教育基準と禁忌症を明らかにした「カイロプラクティック基礎教育と安全に関するWHOガイドライン(WHO Guidelines on Basic Education and Safety)が発刊された。それによると、カイロプラクティックは正規なカイロプラクターによって行われるべきで、その教育は国際カイロプラクティック教育審議会(CCEI)の基準をモデルにし、カイロを行うなら医師でも最低2200時間の教育課程(そのうち1000時間は臨床実習)が必要であるとした。日本政府も加盟する、健康に関する世界最高の政策決定機関・WHOが決めた「カイロガイドライン」の影響は大きい。カイロプラクティックが日本において正規なカイロプラクターによって行われ、正式に認められる日が近いことを願う。 日本で唯一CCE国際公認(海外認定)のカイロプラクティック専門大学RIMT大学日本校
2006/06/03
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例年、この時期に潮干狩りに行きます。 今年は、貝に毒が検出され、先日やっと解禁になりました。 今年は、去年も行った和歌浦片男波海岸へ行くことにしました。片男波は去年初めて潮干狩りに行ったのですが、天然のアサリに、ハマグリも取れるのです。 例年はビールを飲むために、電車を利用するのですが、片男波は、電車とバスを乗り継ぎ、しかもかなり歩かなければならないので、今年は車で行くことにしました。 妻は朝の5時半に起きて、弁当を作ってくれました。 7時半ごろ自宅を出て、9時には到着しました。 駐車場の入り口についたそのとき、「本日、潮干狩り中止」の張り紙が。。。なんと、今日は潮が引かないそうで、潮干狩りが出来ないとのこと。妻や子供は「ちゃんと調べてないの~」と非難ゴーゴーです。仕方がないので、急遽予定を変更して、和歌山マリーナシティの海釣り公園へ行き、竿をレンタルして釣りを楽しみました。成果はいわしが7匹、小あじが1匹で、今日は皆釣れていませんでした。 お天気に恵まれ、潮風に吹かれて、氣の充電をしてきました。 今年はキャンプも復活しようと思った一日でした。
2006/05/21
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日刊N探検家として名を馳せたN氏の半生が、このたび映画化されることとなった。ストーリーはN氏の幼年期から、現在の栄光に至るまでの軌跡をたどっており、まさにN氏の集大成といった感じだ。注目すべきは内容だけではない。その出演者達にも注目が集まっている。リアリティを出すために、出演者のほとんどがN氏の身内であるという。幼少期のN氏を演じるのは、なんと長男の新太郎くん(6才)、青年期のN氏には19人兄弟の上から16番目の栄太郎さん(20才)というから、楽しみである。なお、上映は今夏の予定。この夏一番の熱い興奮を提供してくれそうだ。日刊あなたhttp://www.p-apple.net/anata/
2006/05/17
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T.raphael.のrunaさまより、卒業のお祝いにARTをプレゼントしていただきました。日記で紹介する前にさっそく、ちんぬくさんより、掲示板で「素敵な写真ですね」とコメントを頂きました。runaさん、いつもありがとうございます。タイトルは「緑の胎内」です。
2006/04/03
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RIMT大学の学位授与式を終え、過ぎた日々を想い、すこしセンチメンタルな気分です。 後の謝恩会の途中で、数名で抜け出し、大江戸温泉 へ行きました。お風呂に入ると疲れとともになんとも言えぬ心地よい脱力感を感じました。 「このまま時間が止まってほしい」そんな時間でした。 大江戸温泉では好きなデザインの浴衣を選び、お風呂上りは浴衣姿で、飲食できます。ちょっとした旅行に来たような気分でした。ゆりかもめの終電の時間があったので、11時ごろ出て、新橋の居酒屋で2時半ごろまで飲みながら語り合いました。 翌日は、リンク仲間の天音。さん、こころさん、peaceさん、☆kyoko☆さんと卒業を祝うオフ会を開催していただきました。 天音。さん、こころさん、peaceさん、とは楽天日記で知り合い、大学の講義で上京した数回、リアルにお会いさせていただきました。☆kyoko☆さんとは今回が初めて出会いでした。 大学で得た仲間も、関東在住のリンク仲間さんたちも、思い切って大学へ入学したからこそ出会えたご縁でもあります。なにものにも換えがたい財産です。ありがとうございます。 そして、天音。さん、こころさん、peaceさん、☆kyoko☆さんより卒業記念にクリスタルクォーツを頂きました。これも一生の宝物にいたします。ありがとうございます。
2006/03/25
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先日、ある会社の経営者の方と話をしていて心に残った話。 「夢とは、眠っている中で、経験しているように感じる現象とか、はかないことと国語辞典に書いてある。ドリームとは叶うもの、実現できるものという意味なんやそうです。 世の中には「夢」を語る人はいっぱいいますが、実現できる人は少ない。実現するには、具体的に何年か先にどうなりたいかを明確にイメージして、そこから逆算して、今何をするべきかを考え、行動する。未来の希望のために、今日はひとつでも何かしたかが大事である。」 「例えば映画を2時間結末まで見て、巻き戻して再生しても、同じストーリーになる。途中で、困難や試練があって最後に至る。それと一緒で、自分の考える結末まで一旦やってみるべきなんやけど、途中で人からいろいろ言われたり、試練や壁があると、方向を変えたり、あきらめたりするから実現しないんです。」 なるほどな~と感服しました。 未来の希望のために今日何をするか、ローマは一日にしてならずです。
2006/03/05
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姓名判断
2006/02/26
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それは、呼吸をするということ。 毎朝起きて、会社に出かけること。 「行ってきます」と言えば、「行ってらっしゃい」と返ってくる声があるということ。 上司から認められ、やった!と歓声を上げること。 子供の成長に、歓びを感じること。 親しい友との別れに涙を流すこと。 失敗するたびに、もう駄目だと落胆すること。 頑張っても人から認められず、孤独を噛みしめること。 風のそよぎに春の息吹を感じること。 夏の太陽の光に、ぬくもりを感じること。 秋の夕焼けに、ふるさとを思うこと。 病の床に伏せること。 自由のきかなくなった体に、死を予感すること。自分にとって都合がよいとか悪いとか、うまくいったとか失敗したとか、人から認められたとか、そうした快苦や善悪といった価値の次元を超えて、人生に生起するすべての出会いと出来事が、当たり前のように思える日常の何気ないやり取りも含めてすべての瞬間が、等しく大切に、かけがえなく、いとおしく思える感覚こそ、魂がもともとこの地上界での生活に抱いている感覚なのです。願わくば、私たちが日々、そのような魂の本質に立ち還って、聖なる一日一日を過ごすことができますように。どうしても果たしたかった願いを果たし、どうしても結び合いたかった絆を取り戻し、人生の最後、「本当に生まれてきてよかった」とすべてに感謝して旅立つことができるように、心を尽くして祈りを捧げたいと思います。 「あなたが生まれてきた理由」 高橋佳子著より
2006/02/22
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先日より、N(エヌ)と改名しました。N エヌとはNatural(自然),Navigation(航海),Need(必要),New(新しい),Nerve(神経)のNです。このページを開設以来「ナトゥーラ」というハンドルネームだったので、そのままのほうがなじみのある方は、ナトゥーラと呼んでくださって結構です。もともと、トップページを頻繁に変えたりしておりましたが、現在のページは気に入っているので、このあたりで名前を変えてみようかと思いついた次第。先日、ちんぬくさんより「O型ですか?」と質問されました。O型は熱しやすいけど、飽きっぽいところがあるそうなんです。まったくのO型です(笑)以前、患者さんに同じ治療をするのが余り好きでないので、ちょっとづつ変えていると「先生浮気性でしょう。」といわれたこともあります。たいしたレパートリーがあるわけでもないのですけど。。。
2006/01/26
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