星とカワセミ好きのブログ

2018.08.17
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2018年8月14日、山口県光市にある伊藤公資料館に、長女と行きました。

伊藤博文は1841年にこの地で生まれ、9歳まで過ごしました。その後に萩に行き、吉田松陰の松下村塾で学びます。23歳でイギリスに留学し、30歳で財政制度調査のためアメリカに出張、31歳で岩倉使節団の特命全権副使として欧米を回ります。42歳で憲法制度調査のためヨーロッパに行ったり、45歳で特派全権大使として清国で天津条約に調印します。
そして45歳(1885年)12月に、初代内閣総理大臣となります。合計4回、伊藤内閣を組閣しています。57歳でイギリス女王即位60年祝賀会参列でイギリスを訪問したり、61歳でアメリカでエール大学の名誉博士となります。65歳で初代韓国総監となり、69歳のとき満州視察の途中、10月26日にハルビン駅で狙撃され死去します。
資料館は伊藤博文の遺品や、神奈川県大磯の別荘「滄浪閣」で使用していた家具などが展示されています。妻の梅子宛てに送った手紙が4通展示されており、妻が文字を勉強するレベルに合わせ、手紙もレベルが上がっているのが分かります。シアターでは20分の映像が流れ、伊藤博文の事を知ることができます。
昭和38年(1963年)に発行された肖像入り旧千円札の第一号券が展示されています。

伊藤博文の生家や、伊藤博文自身が基本設計をした旧伊藤博文邸を見ました。ハルビンでの死去のため、本人はこの家の完成を見ることはできませんでした。

資料館の情報ファイルを見ると、知らなかった話が書いてありました。
伊藤博文が渋沢栄一に対して、徳川慶喜の思い出を語った逸話が残っているそうです。
ハルビンでの死去の数年前の事、伊藤博文が新橋から横浜へ行く列車に乗ると、徳川慶喜と偶然会いました。伊藤博文が、「慶喜公が大政奉還を断行したのは突然で、思い切った態度であったが、当時誰がその処置を進言したのか」と尋ねると、「私は、私の信ずるところに従って、何人の知恵も借りず、断固として決心した」とあり、その時の考えも資料に書いてあります。
資料館に行かれたら、ぜひ読んでください。



↑ 山口県光市 伊藤公資料館の看板。 光市の地図。


↑ 光市内の伊藤公記念公園の場所。


↑ 伊藤公記念公園。


↑ 手前が旧伊藤博文邸で、後ろが伊藤公資料館。


↑ 伊藤博文公像。


↑ 伊藤博文公。


↑ 伊藤博文公 略歴。



↑ 旧1,000円札。


↑ 伊藤公資料館。



↑ 伊藤博文公の生家。




↑ 産湯の井戸。


↑ 旧伊藤博文邸(県指定有形文化財)














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最終更新日  2018.08.17 07:13:56
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