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2024年4月20日、朝日新聞テレビ欄・テレビ朝日の「博士ちゃん」で、「昭和アイドル㊙2択Q明菜、奈保子、芳恵!!」と紹介されていました。テレビ欄で河合奈保子さんの文字を見るのは久しぶりで、何度も眺めては幸せな気持ちになりました。(1980年代の頃は、奈保子さんの文字は新聞によく載っていたと思います)博士ちゃんの番組では、河合奈保子さんのキャッチフレーズ「ほほえみさわやかカナリーガール」の紹介がありました。ーーーーーーー↓ 河合奈保子さんの紹介。↓ 河合奈保子さんのキャッチフレーズ「ほほえみさわやかカナリーガール」。奈保子さんのデビューシングル「大きな森の小さなお家」。ーーーーーーーーーー↓ 朝日新聞朝刊 2024年4月20日。↓ テレビ欄。↓ テレビ朝日 「博士ちゃん」。↓ 奈保子さんの名前を新聞でみると、衝撃を受けるし、やはり嬉しくて仕方がない!
2024.04.23
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2024年4月12日の朝日新聞朝刊の広告欄を見ていると、「週刊ポスト(2024年4月12日発行:4月26日号)」で、「柏原芳恵 春だから 8ページ保存版 発掘&撮り下ろし/小学館」とありました。柏原芳恵さんの記事ならば、河合奈保子さんに触れる部分があるのではと想像し、休みの日に本屋に行きました。本屋では雑誌にビニールがカバーしてあり、中が見えないのですが、絶対に記載があると信じて購入しました。家に帰り、早速ページをめくると、柏原芳恵さんと河合奈保子さんに関する記事がありました。一部を紹介します。P14~15オーディション番組『スター誕生!』でグランドチャンピオンに輝いた柏原は、1980年6月に『No.1』でデビュー。松田聖子、河合奈保子、岩崎良美など同期の中で最も年齢が低かった。「『ヤンヤン歌うスタジオ』のコントの打ち合わせ中に少し話すくらいでした。電話番号の交換も許されなかったし、極端に言えば私語禁止でした。中学3年生で芸能界に入ったので、事務所が大事に育てようとしてくれたんですね。スタッフとしか話せないカゴの鳥でした(笑)。ですから、同じ大阪出身の河合奈保子さんと一緒の取材で、記者さんに『お互いなんて呼んでいるんですか』と聞かれて一瞬戸惑いました。目が合って、私が『なおなお』と言ったら、『よしよし』と返してくれました」。1981年、カバー曲『ハロー・グッバイ』でスターへの階段を駆け上がった。ーーーーーーーーーーーーーーーーー↓「週刊ポスト(2024年4月12日発行:4月26日号)小学館」↓「春だから 柏原芳恵 版発掘&撮り下ろし」↓ 柏原芳恵 春風に歌を乗せ↓ p14ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 2024年4月12日 朝日新聞朝刊。↓ 週刊ポストの広告。↓「柏原芳恵 春だから 8ページ保存版 発掘&撮り下ろし」。
2024.04.22
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谷村新司さんの歌「スーパースター ~MY SUPER STAR~」ですが、1982年5月に発売され、私はラジオの音源をテープに録音して、何度も繰り返して聴きました。スーパースターを応援するファンの心情が、しっとりしたメロディラインとともに表現され、とても心に残ります。「テレビからほほえみかける貴方を追いかけて街から街へ」「貴方の歌に涙流して貴方の歌に夢を託して」「卒業すればやがて私も会社に勤めて母を助けるいつまでも子供じゃないと自分に言い聞かせたわ」「スーパースター 私の輝いた季節はスーパースター 貴方の歌とともに 過ぎた」私はこの曲を聴きながら、主人公の女性が某歌手のファンになり、応援していた歌だと想像していました。ところが、ラジオ番組で谷村新司さんが「スーパースター」は誰をイメージして作った曲ですかという質問に、「王貞治選手です」と答えたのでビックリした記憶があります。(私の高校時代の記憶のため、もし勘違いがあれば申し訳ありません)スーパースターの王選手を考えながら、それを歌手に置き換えて作られた曲かもしれません。ーーーーーーーーーーーーーーー私のスーパースターというと、当然ながら河合奈保子さんです。辛く嫌な事があっても、奈保子さんの笑顔に本当に助けられました。その笑顔を拝見するだけで幸せな気持ちになりました。奈保子さんがデビューした1980年6月から今日まで34年経ちますが、奈保子さんの曲を聴かなかった日は無いくらい聴いてきました。奈保子さんのそれぞれの曲が、私の青春時代の出来事とリンクしていて、歌を聴けばその頃の事を鮮明に思い出すことが出来ます。ーーーーーーーーーーーーーーーー↓谷村新司さん「スーパースター ~MY SUPER STAR~」1982年5月発売。↓ 谷村新司さん。↓ 河合奈保子さん。↓ よく笑う奈保子さん。奈保子さんの笑顔を見ると、幸せな気持ちになれる。↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。↓ 谷村新司さんと河合奈保子さん。↓ ばんばひろふみさんと河合奈保子さん。
2024.04.16
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんが楽しいトークをしました。その最終分として、谷村さんが正座で足が痺れて歩けなくなった辺りを紹介します。ばんばさんがみかんを剥いでいる時、谷村さんが「ばんばん(ばんばさんのニックネーム)がね、(みかんを)一気に口にいれますよ!最後の芸してくれますから。ほらやるよー」と言い、ばんばさんも大きなみかんを口に入れました。「ワーッ、すごい」と笑いながら驚く奈保子さん。谷村さんが続けて「10円玉を二つ鼻の穴に入れる」と言うと、「はいらへん!」とばんばさんが否定していました。ばんばさんが「初詣に行こう」と提案し、谷村さんが「八坂さんか、上賀茂神社かね」と言った後、「上賀茂神社でばんばん結婚式したんですよ。馬乘って」と言うと、ばんばさんが「おれ、白馬童子か!」と笑い、谷村さんも「古いなあ!」と笑い、「おれ、風小僧か」と言うと、ばんばさんも「風小僧のおじさん!」と叫び、「つぶたれ周作」と掛け合いが続きました。(注)「風小僧」、「白馬童子」は、1958年~1960年に流行った時代劇番組。谷村さんが「馬鹿な事言ってないで、じゃあ奈保子ちゃん、行こうか」と言って立とうとするも、正座で足が痺れてしまい立てません。奈保子さんが「先輩、何を(しているんでしょうか)」と言おうとして、谷村さんの姿を見て笑いが止まりません。谷村さんが「やかましいわ、アイテテテテッ、足が!」と言うので、ばんばさんも爆笑しました。ばんばさんが自分の顔に指をさして「痺れ京へ上がれ」というおまじないをするように言いますが、谷村さんは自分の額に「肉と書くとええ」と言い、「キン肉マン」とばんばさんが突っ込みました。奈保子さんも「足の裏をこうやって曲げたら」と提案するも、谷村さんは「やかましい、今触ってはいかん」と痺れを我慢します。ばんばさんが「今トントンしたら?つんつんと」と続けます。谷村さんは覚悟を決め、「ちょっとね、河合、行こう!」と言って、四つん這いのまま進み始めました。奈保子さんが「先輩、みっともないです。お願いします」と笑うと、谷村さんが「お前は立てるのか」と聞きました。奈保子さんはすっと立ちました。片足だけ上げた状態の谷村さんに、ばんばさんが「忠臣蔵みたい。はよう立ちいや」と突っ込み、谷村さんは「やかましいなあ!」と言います。奈保子さんは「谷村先輩、行きます」と廊下に進もうとするとき、ばんばさんが谷村さんの足を触ろうとすると、「触ったらいかん!触ったら!」と谷村さんが大声で叫びました。ーーーーーーーーーーー↓ みかんの皮を剥くばんばひろふみさん。↓「ばんばん(ばんばさんのニックネーム)がね、(みかんを)一気に口にいれますよ!最後の芸してくれますから。ほらやるよー」という谷村新司さん。↓ 大きいみかんを口にいれるばんばさん。↓「ワーッ、すごい」と笑いながら驚く奈保子さん。↓「10円玉を二つ鼻の穴に入れる」とばんばさんに言う谷村さん。↓「はいらへん!」と否定するばんばさん。↓ばんばさんが「初詣に行こう」と提案し、谷村さんが「八坂さんか、上賀茂神社かね」と言った。↓「上賀茂神社でばんばん結婚式したんですよ。馬乘って」と谷村さんが話す。↓ばんばさんが「おれ、白馬童子か!」と笑う。↓谷村さんが「(白馬童子は)古いなあ!」と笑った。↓谷村さんが「おれ、風小僧か」(白馬童子の前に放送された作品)と言うと、ばんばさんも「風小僧のおじさん!」と叫び、「つぶたれ周作」と掛け合いが続きました。↓谷村さんが「馬鹿な事言ってないで、じゃあ奈保子ちゃん、行こうか」と言って立とうとするも、正座で足が痺れてしまい立てない。↓奈保子さんが「先輩、何を(しているんでしょうか)」と言おうとして笑う。↓谷村さんが「やかましいわ、アイテテテテッ、足が!」と言うので、ばんばさんも爆笑した。↓ばんばさんが自分の顔に指をさして「痺れ京へ上がれ」というおまじないをするように言った。↓「痺れ京へ上がれ」と言うばんばさん。↓谷村さんは自分の額に「肉と書くとええ」と言い、「キン肉マン」とばんばさんが突っ込んだ。↓奈保子さんが「足の裏をこうやって曲げたら」と提案する。↓谷村さんは「やかましい、今触ってはいかん」と言った。↓ばんばさんが「今トントンしたら?つんつんと」と言った。↓谷村さんは覚悟を決め、「ちょっとね、河合、行こう!」と言って、四つん這いのまま進み始めた。↓奈保子さんが「先輩、みっともないです。お願いします」と笑う。↓谷村さんが「お前は立てるのか」と聞いた。↓ 立ち上がる奈保子さん。↓片足だけ上げた状態の谷村さん。↓ばんばさんが「忠臣蔵みたい。はよう立ちいや」と突っ込んだ。↓笑う奈保子さん。↓ばんばさんが谷村さんの足を触ろうとすると、「触ったらいかん!触ったら!」と谷村さんが大声で叫んた。
2024.04.05
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1986年正月の番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんが楽しいトークをしました。番組の途中で、3人でニール・セダカ(NEIL SEDAKA)の有名な「カレンダーガール (CALENDER GIRL)」を歌うことになり、奈保子さんは紺の着物から白い着物に着かえました。楽しそうに歌う3人の姿を見ると、本当に幸せな気持ちになります。歌い終わり、再び奈保子さんは紺の着物に着かえます。3人でこたつを囲みながら「カレンダーガール、(歌って)楽しかったね!」と話しました。谷村さんが「奈保子ちゃんが、ぱっと(着物を)着替えて」と言うと、ばんばさんが「大江美智子さんみたいね」と続け、谷村さんが「古い!」と突っ込みます。奈保子さんが「誰なんですか?」と聞き返すと、ばんばさんが「大江美智子さん知らん?」と驚いていました。ばんばさんが「今は誰かな?猿之助さん」と言い、谷村さんが「今は浅香光代さんじゃないですか」と言うとばんばさんにバカウケでした。ばんばさんが「最近、早変わりする人いないね。(奈保子さんは)ステージで早変わりしないの」と聞くと、奈保子さんが「私やります!」と言ったので、「現代は河合奈保子だ!」とばんばさんが言うと、「現代の大江美智子」と谷村さんも続けます。奈保子さんが「そんなに大した事ではないですけど、バーッと、割と」と帯を動かす仕草をすると、谷村さんがすかさず「パーッと脱ぎすぎたりしてしまう事はないの?」と聞き、奈保子さんは「ないです」と苦笑いでした。ーーーーーーーーーー↓ 「カレンダーガール」を歌う谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーー↓ 3人でこたつを囲みながら「カレンダーガール、(歌って)楽しかったね!」と話した。↓ばんばさんが「最近、早変わりする人いないね。(奈保子さんは)ステージで早変わりしないの」と聞く。↓ 奈保子さんが「私やります!」と言った↓「現代は河合奈保子だ!」とばんばさんが言うと、「現代の大江美智子」と谷村さんも続けた。↓「そんなに大した事ではないですけど、バーッと、割と」と奈保子さんが説明する。↓谷村さんがすかさず「パーッと脱ぎすぎたりしてしまう事はないの?」と聞き、「ないです」と苦笑いの奈保子さん。
2024.04.04
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんがトークをしました。正月の俳句を作って、紹介することになりました。ばんばさんが皆に色紙を渡し、「いまからね、一句読みましょう」と言いました。谷村さんと奈保子さんが「一句?」と聞き、ばんばさんが「俳句」と言い直しましたが、谷村さんは一句(いっく)を「ワン・ナインというやつです」と言って奈保子さんを笑わせていました。ばんばさんが「何でもええから正月をネタに読むってのはどう?」と言うと、谷村さんが「ちょっと待って下さい。お屠蘇を飲んでから」と景気付けをしました。「なおこちゃん、俳句とかやったことある?」とばんばさんが聞くと、「いやあ、無いです。全然違うんですけど、百人一首なら家で、家族でしていました」と答えました。ばんばさんが「みやびだねえ。坊主めくりとかやってんじゃないの」と突っ込むと、奈保子さんは「そうです。言わなくてもいいじゃないですか」と苦笑いでした。(注)ちなみに河合奈保子さんが百人一首の中で一番好きな歌は、「いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重ににほいぬるかな」(伊勢大輔)です。ばんばさんが「それでは発表しましょうか」と言って、ご自身の俳句を紹介しました。「凧あげて 風が吹かずに 音(ね)をあげた (撫酔)」谷村さんが「これは素晴らしい作品」と、奈保子さんと一緒に拍手をしていました。次は河合奈保子さんの番です。谷村さんが「しょうもないものを書いたんやろ」と聞き、奈保子さんが「しょうもないものを書きました」と答えて色紙を見せました。「正月に 月に降る雪 見てみたい 奈保子」ばんばさんと谷村さんが苦笑いしたので、奈保子さんが「こけないでください!」と言いました。「自分の世界があるよね、やっぱり」とばんばさんが言い、谷村さんが「アーティストよね、やっぱり」と褒めます。ところが奈保子さんが「実はこれ、新曲のタイトルで」と言ったので、「アーッ、プロモーション! えらいなあ」と谷村さん、ばんばさんが驚きのリアクションをしました。(注)1985年12月12日に発売された、河合奈保子さんの23枚目のシングル曲は、「THROUGH THE WINDOW (スルー・ザ・ウィンドウ)~月に降る雪~」です。最後は谷村さんです。河合奈保子さんに「先輩!」と励まされ、谷村さんも「じゃあ、先輩(から)」と言って色紙を見せました。「春の酔い 過ぎて危なし お屠蘇かな 素椿」奈保子さんが「いいですね」と言い、ばんばさんも「いいじゃないですか、素椿(そちん)さん!」と続きます。谷村さんが奈保子さんに、「素椿(そちん)というのは、谷村さんの俳号なんです。本当は違う字なんですけど、今日は綺麗に」と言いました。するとばんばさんも、色紙の裏に書いてある「撫酔」という俳号を見せて、「ぼくは撫酔(ぶすい)」と言いました。谷村さんが「ばんばさんは撫酔(ぶすい)といいます。酔って撫でるという字です。私の方は素(もと)の椿(つばき)と書きます」と説明しました。谷村さんの本当の俳号は「素珍(そちん)」だろうと推測しますし、ばんばさんも「無粋」という言葉をもじって撫酔(ぶすい)にしたと思います。ところが、奈保子さんはこの軽い下ネタに気が付かず、反応がなかったので、テーマが切り替わりました。ーーーーーーーーーーーー↓ ばんばさんが皆に色紙を渡し、「いまからね、一句読みましょう」と言った。↓ 筆ペンを受けとる谷村さん。↓ 何を書こうか考える奈保子さん。↓「なおこちゃん、俳句とかやったことある?」とばんばさんが聞く。↓「いやあ、無いです。全然違うんですけど、百人一首なら家で、家族でしていました」と答えた。↓ ばんばさんが「みやびだねえ。坊主めくりとかやってんじゃないの」と突っ込む。↓「そうです。言わなくてもいいじゃないですか」と苦笑いの奈保子さん、↓ばんばさんの俳句。「凧あげて 風が吹かずに 音(ね)をあげた (撫酔)」↓「これは素晴らしい作品」と谷村さん。↓ 次は奈保子さんの番になる。↓ 谷村さんが「しょうもないものを書いたんやろ」と言った。↓ 奈保子さんが「しょうもないものを書きました」と答えて色紙を見せた。↓「正月に 月に降る雪 見てみたい 奈保子」↓ ばんばさんと谷村さんが苦笑いしたので、奈保子さんが「こけないでください!」と言った。↓「自分の世界があるよね、やっぱり」とばんばさんが言い、谷村さんが「アーティストよね、やっぱり」と褒めた。↓ 奈保子さんが「実はこれ、新曲のタイトルで」と言った。↓ プロモーションだったことに驚く谷村さん。↓ プロモーションだったことに驚くばんばさん。↓ 谷村さんの番。↓「春の酔い 過ぎて危なし お屠蘇かな 素椿(そちん)」↓ 奈保子さんが「いいですね」と言った。↓ 谷村さんが俳号の「素椿(そちん)」について説明する。↓ 谷村さんが奈保子さんに、「素椿(そちん)というのは、谷村さんの俳号なんです。本当は違う字なんですけど、今日は綺麗に」と言った。(本来は素珍:そちんではないかと思う)↓「ぼくは撫酔(ぶすい)」と、ばんばさんが色紙の裏を見せて言った。谷村さんが「ばんばさんは撫酔(ぶすい)といいます。酔って撫でるという字です。私の方は素(もと)の椿(つばき)と書きます」と説明した。しかし、軽い下ネタについて奈保子さんの反応が無かったので、話題を変えた。
2024.04.03
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1986年正月に、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんのトーク番組がありました。奈保子さんがお屠蘇を注ぐ部分を紹介します。河合奈保子さんがばんばさんに「(お屠蘇を)どんどん飲まれてください」と言うと、谷村さんが「そういう時はお注ぎするのよ」と奈保子さんに酒器を渡しながら「(ばんばさんに)どんどん飲ませて」と言いました。奈保子さんは谷村さんに「そうですね。すみません、先輩。なってないです。後輩はきちっとしなくては」と話すと、谷村さんが「しゃべってんと、早く入れなはれ」と注意します。ばんばさんが谷村さんの大阪弁を面白がり、奈保子さんの酒を杯で受けながら「入れなはれ」と真似て言うと、奈保子さんも笑ってしまい、酒器を持つ手が震えてしまいました。ばんばさんが谷村さんに「えらい大阪弁やな」と振ると、谷村さんは「一応ね、東京で仕事してるから。ねっ、河合、東京弁になるのよね。でもアカンのよね。関西に帰ってくると大阪弁になる」と話しました。ばんばさんが「奈保子ちゃんはあんまり大阪弁でえへんね」と聞き、奈保子さんは「こういう所ではでないんですけどね」と話すと、ばんばさんは「こういう所って、ここは僕の家ですよ。京都の」と言い、皆が「ここは京都!」と口を揃えます。奈保子さんが「やっぱり大阪に帰ったりすると、(大阪弁が)でてまいりますね」と言うと、ばんばさんと谷村さんが「『でてまいりますね。』ええなあ」と話していました。ーーーーーーーーーー↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。 河合奈保子さんがばんばさんに「(お屠蘇を)どんどん飲まれてください」と言うと、谷村さんが「そういう時はお注ぎするのよ」と奈保子さんに酒器を渡しながら「(ばんばさんに)どんどん飲ませて」と言った。↓ 河合奈保子さん。↓ 奈保子さんは谷村さんに「そうですね。すみません、先輩。なってないです」と言った。↓「後輩はきちっとしなくては」。↓ 谷村さんが「しゃべってんと、早く入れなはれ」と奈保子さんに言った。↓ ばんばさんが谷村さんの「入れなはれ」という言葉に反応し、「入れなはれ」と言った。↓ 奈保子さんも反応して、笑ってしまい、酒器を持つ手が震えた。↓ ばんばさんと奈保子さんが笑い続ける。↓ ばんばさんが谷村さんに「えらい大阪弁やな」と振る。↓「一応ね、東京で仕事してるから」↓「ねっ、河合、東京弁になるのよね。でもアカンのよね。関西に帰ってくると大阪弁になる」↓ 「そうですね」と答える奈保子さん。笑いが続いている。↓ ばんばさんが「奈保子ちゃんはあんまり大阪弁でえへんね」と聞いた。↓「こういう所ではでないんですけどね」↓ ばんばさんは「こういう所って、ここは僕の家ですよ。京都の」と言い、皆が「ここは京都!」と口を揃えます。↓ 笑う奈保子さん。奈保子さんが「やっぱり大阪に帰ったりすると、(大阪弁が)でてまいりますね」と言う。↓ ばんばさんと谷村さんが「『でてまいりますね。』ええなあ」と話した。↓ また笑う奈保子さん。
2024.04.02
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1986年の正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんのトーク番組がありました。お雑煮の中に不思議な食材が入っていたという事で、盛り上がりました。ーーーーーばんばさんが奈保子さんにお雑煮を勧めるとき、「奈保子ちゃんは大阪(出身)でしょう。大阪は白みそを使うんですか」と聞くと、「うちは醤油味で食べるときもあります。私は大阪育ちなんですけど、両親が新潟なんですよ。だからお雑煮でも、ゴボウとか大根とか色々な物を煮て」と奈保子さんが話しました。ばんばさんが「チンペイ(谷村さんのあだ名)のとこのお雑煮は」と聞くと、「うちは白みそ」と答えました。「だいたい、僕ら白みそと聞くとビックリするところがあるね、エーッみたいな」とのばんばさんの話に、谷村さんが「関西独特やからね。白みそは。ちょっと甘いね」と言いました。お雑煮を食べながら、谷村さんが「珍しいね、ベーコンが入っているよ、いや、違うか。これはカツオ?」と言いました。奈保子さんが「イカ?じゃないですよね」と言うと、ばんばさんも食べながら「これはイカ、スルメ?」と話しました。谷村さんはそれを食べながら、「これはカツオ。削り節で削ったカツオなので、削り鰹です」と言いました。ばんばさんも「削り鰹、美味しいね」と言って味わいました。谷村さんが「削り鰹」と断言したので、3人とも「削り鰹」と分かっていたはずなのに、それを食べていた奈保子さんが急に「何なんでしょうかね、これ」と言ったので、谷村さんとばんばさんが「削り鰹ゆうてるねん!」と奈保子さんに突っ込み、奈保子さんが大笑いしました。「聞いてへん!人の話を」と谷村さんから言われ、奈保子さんが「すみません、先輩」と答えました。谷村さんが「食べるのに熱中してて?」と言い、「そうです」と言う奈保子さんですが、「美味しい」と言いながら、笑いのツボに入ったのか、奈保子さんが再び笑い始め、笑いをこらえるのに必死でした。谷村さんが「香港で美味しいと言うのは、ホウメイ。字は忘れましたけどね」と話すと、ばんばさんが「北京で美味しいというのは、ハオツー。とってもハオツー」と言うと、谷村さんがすかさず「ハオツー(ハウス)バーモントカレー」というのがありましたよね」と言うので、「奈保子さんは笑いながら「うまいですね」と褒めていました。「お酒も飲ますと面白いんですよ、谷村は」と谷村さんが言います。ばんばさんが「もうだいぶ違うでしょ。ノリが」と言い、谷村さんも自分で「もう『昴』とか『群青』を歌っているイメージ無いでしょ」と話します。奈保子さんが「谷村さんとばんばさんが、2人集まってお話するととても楽しいです」と言うと、2人は笑顔で喜んで、奈保子さんに「どんどん食べてね」とおせち、お屠蘇をを勧めていました。(注)上記で谷村さんが中国語で「ホウメイ」と言われたのは『好味』で、ばんばさんの「ハオツー」は『好吃』です。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。↓ ばんばさんが「奈保子ちゃんは大阪(出身)でしょう。大阪は白みそを使うんですか」と聞いた。↓「うちは醤油味で食べるときもあります」と答えた。↓ 「私は大阪育ちなんですけど、両親が新潟なんですよ」↓ 「だからお雑煮でも、ゴボウとか大根とか色々な物を煮て」↓ばんばさんが「チンペイ(谷村さんのあだ名)のとこのお雑煮は」と聞くと、「うちは白みそ」と答えた。「だいたい、僕ら白みそと聞くとビックリするところがあるね、エーッみたいな」とのばんばさんの話に、谷村さんが「関西独特やからね。白みそは。ちょっと甘いね」と言った。↓ お雑煮を食べようとするばんばさん。↓ 「珍しいね、ベーコンが入っているよ」と谷村さん。↓ 「いや、違うか。これはカツオ?」↓ 「イカ?じゃないですよね」と奈保子さん。↓ 「これはイカ、スルメ?」とばんばさん。↓ 「あーっ、美味しい」↓「これはカツオ。削り節で削ったカツオなので、削り鰹です」と谷村さんが断言した。ばんばさんも「削り鰹、美味しいね」と言った。↓ 3人とも「美味しい」と言って削り鰹を食べる。↓奈保子さんが急に「何なんでしょうかね、これ」と言った。↓ 谷村さんとばんばさんが「削り鰹ゆうてるねん!」と奈保子さんに突っ込んた。↓ 大笑いの奈保子さん。↓ 笑いが止まらなくなった奈保子さん。↓「香港で美味しいと言うのは、ホウメイ」と谷村さん。↓ 「字は忘れましたけどね」↓「北京で美味しいというのは、ハオツー。とってもハオツー」とばんばさん。↓2人のうんちくを楽しそうに聞く奈保子さん。↓ばんばさんが「北京で美味しいというのは、ハオツー。とってもハオツー」と言い、谷村さんがすかさず「ハオツー(ハウス)バーモントカレー」というのがありましたよね」と言ったので笑う奈保子さん。↓谷村さんの「ハオツー(ハウス)バーモントカレー」のギャグに反応するばんばさん。
2024.04.01
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんの新春トーク番組がありました。谷村新司さんが「邦楽一家」である話が出たので紹介します。ばんばさんが谷村さんに「チンペイはね、和風なんでしょ」と言います。チンペイは谷村さんのあだ名です。「うち、和風なんです」と谷村さんが答えます。ばんばさんが「邦楽の世界ですよね、音楽に目覚めたのが」と振ると、谷村さんが、「うちの家が、全員邦楽なんですよ。父が北、母が南」と、邦楽と方角をもじって言った後に「しょうもないことを言っております。失礼しました」と言うと、ばんばさんと奈保子さんは苦笑いでした。谷村さんはあらためて邦楽一家であった話をしました。「母が長唄のお三味線をやってまして、姉が地唄舞(じうたまい)、義理の兄が文楽の人形遣い、そして父が遊び人という」と最後にオチが入ります。ばんばさんが「全部揃ってますね」と笑います。谷村さんが「奈保子ちゃんのところは、お父さんかお母さんが音楽をやってはったということは」と聞くと、「いや、まったくやってないです。でも両親とも歌は好きです」と奈保子さんが答えました。谷村さんは「奈保子ちゃんだけね、いつ会っても健康的で、キラキラしてて、このままずっといい具合に歳とっていくと、昭和の新しい原節子になるんじゃないかと思うね」と奈保子さんを褒めていました。ーーーーーーーーー↓ 谷村新司さん。↓ 谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さん。↓ ばんばひろふみさん。↓ お酒が入り、暑くなって袖をめくる谷村さん。ばんばさんから「邦楽の世界ですよね、音楽に目覚めたのが」と振られる。↓ 「うちの家が、全員邦楽なんですよ」↓ 「父が北」↓ 「母が南」と、邦楽と方角をもじって言った↓ 谷村さんが「母が南」と言うとき、ばんばさんも合わせて「南」と言った。↓ 苦笑いのばんばさんと奈保子さん。↓ 笑う河合奈保子さん。↓ 谷村さんがあらためて邦楽一家であった話をした。「母が長唄のお三味線をやってまして」↓「姉が地唄舞(じうたまい)」↓「義理の兄が文楽の人形遣い」↓「そして父が遊び人」と言って、オチをつけた。↓ ばんばさんが「全部揃ってますね」と笑った。↓ 谷村さんが「奈保子ちゃんのところは、お父さんかお母さんが音楽をやってはったということは」と聞く。↓「いや、まったくやってないです。でも両親とも歌は好きです」と奈保子さん。↓ 谷村さんは「奈保子ちゃんだけね、いつ会っても健康的で、キラキラしてて、このままずっといい具合に歳とっていくと、昭和の新しい原節子になるんじゃないかと思うね」と奈保子さんを褒めた。恥ずかしがる奈保子さん。
2024.03.31
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんの楽しい会話が進みました。ばんばさんが「奈保子ちゃん、今日はすごく良い着物」と褒め、谷村さんも「いいね」と続くと、奈保子さんが「ありがとうございます」とお礼を言いました。ばんばさんの「配色がすごくきれいね」という言葉に、奈保子さんが「良かった」と嬉しそうでした。谷村さんが「もう祇園出れるよ」と話すと、ばんばさんが「なんやそれ」と突っ込みました。ばんばさんが奈保子さんに、いつ頃音楽が好きになったかを聞きました。奈保子さんは「小さい頃から音楽が好きで、家に古いオルガンがあったんですけど、それを幼稚園の頃から遊びで弾いていたりして。段々ピアノが欲しくなり、小学校の時にピアノを買ってもらって、それからですね。暇さえあれば歌を歌って、とにかく好きだった」と話しました。ーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 谷村新司さん。奈保子さんの着物をじっくり眺める。↓ ばんばひろふみさん。奈保子さんの着物をじっくり眺める。↓ 2人から着物を褒められ、喜ぶ奈保子さん。↓ 小さい頃、オルガンやピアノを弾いて、歌を歌っていたと話す奈保子さん。
2024.03.30
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1986年の正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんがトークをしました。話の中で、河合奈保子さんが16歳でデビューしたばかりの時に、TBS近くの喫茶店アマンド前で、谷村さんが奈保子さんと初めて会った話がありました。下記に記します。河合奈保子さんが「谷村先輩!」と言うと、谷村さんは「(奈保子さんは)後輩なんですけれど」と言い、奈保子さんに対して「TBSの前、覚えてる?」と聞きました。奈保子さんがすぐに「覚えてます。私が16の時」と答えると、すかさず谷村さんが「(奈保子さんが)16の時で、ぼくが丁度19の時ですよ」と言います。奈保子さんは「エッ?」と年齢に驚くも、ばんばさんが「黙って聞いてれば・・・」とサバを読んだ年齢に笑っていました。谷村さんは「あの時、TBS前のアマンドという喫茶店の前で(奈保子さん)と会った。その時(奈保子さん)はデビューしたてで、その時『河合奈保子です』って言って、眼に星がキラキラキラっていう感じで、『可愛い声ねー』なんて俺は言ってたけど、今はもう22だもんね」と言いました。奈保子さんはその話に照れて、「なんだか暑くなってきた」と言うと、谷村さんは「暑かったら脱いで」と奈保子さんに声を掛けましたが、ばんばさんが「(自分が)脱ぎましょうかね」と服を脱ぎ始めたので、思わず谷村さんが「お前が脱いだら・・・」と言って笑っていました。ーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 谷村新司さん。↓ 谷村さんは奈保子さんに対して「TBSの前、覚えてる?」と聞いた。↓ 奈保子さんがすぐに「覚えてます。私が16の時」と言った。↓ 谷村さんが「(奈保子さんが)16の時で、ぼくが丁度19の時ですよ」と言った。↓ 奈保子さんは「エッ?」と年齢に驚く。↓ ばんばさんが「黙って聞いてれば・・・」とサバを読んだ年齢に笑っていた。↓「あの時、TBS前のアマンドという喫茶店の前で(奈保子さん)と会った」↓ その時(奈保子さん)はデビューしたてで、その時『河合奈保子です』って言って、↓ 眼に星がキラキラキラっていう感じで、↓ 谷村さんが、眼に星が輝く様子を手で表現していた。↓ 『可愛い声ねー』なんて俺は言ってたけど、今はもう22だもんね」↓照れて「なんだか暑くなってきた」と言う奈保子さん。↓ 谷村さんは「暑かったら脱いで」と奈保子さんに声を掛けた。↓ 苦笑いする奈保子さん。↓ ばんばさんが「(自分が)脱ぎましょうかね」と服を脱ぎ始めた↓ 思わず谷村さんが「お前が脱いだら・・・」と言って笑っていた。
2024.03.29
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさん、河合奈保子さんが楽しい会話をしました。ばんばさんが奈保子さんに年齢を聞き、奈保子さんが「22歳です」と答えました。谷村さんが奈保子さんにお屠蘇を注ぎながら、「浮いた噂は?」と話を向けますが、ばんばさんが「奈保子ちゃん、浮いた噂は無いとちゃう?」と言い、奈保子さんも「そうですね、よく言われますが、もういいじゃないですか」と笑いながら話を逸らそうとします。谷村さんが「河合は男性の影が見えない」、「マリヤ様みたい」と言うと、ばんばさんが「(奈保子さんは)めちゃくちゃ綺麗になったよね」と言い、谷村さんも「綺麗になったよね~」と相槌を打ちました。ばんばがさんが「歳行く毎に綺麗になるよね」と話すと、谷村さんが「(毎年綺麗になっていくので)もう50(歳)くらいが楽しみだよね」と言ったので、奈保子さんが笑っていました。ーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 谷村新司さん。↓ ばんばひろふみさん。↓ 谷村さんが奈保子さんにお屠蘇を勧めて、男性の影を聞き出そうとした。↓ 「いいじゃありませんか」と言って、話を変えようとする奈保子さん。↓ばんばがさんが奈保子さんに「歳行く毎に綺麗になるよね」と話す。↓ 谷村さんが「(毎年綺麗になっていくので)もう50(歳)くらいが楽しみだよね」と言った。↓ 笑う奈保子さん。
2024.03.28
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1986年正月番組で、谷村新司さん、ばんばひろふみさんの所に河合奈保子さんが新年挨拶をした後、楽しい会話をしながら、3人でお屠蘇を飲みました。河合奈保子さんの姿が見えると、谷村さん、ばんばさんともに「待ってたんですわ」と言って部屋に迎え入れます。。奈保子さんは「新年あけましておめでとうございます」と挨拶をします。奈保子さんの姿を見て、2人とも「綺麗ね~!」「綺麗だー!」と口々に言います。奈保子さんは照れていました。ばんばさんが奈保子さんに「奈保子ちゃんはお酒飲めるんでしょ」と聞くと、谷村さんが「飲みます!河合は強いです!」と代わりに答えました。奈保子さんが「少しならば」と言うと、谷村さんが「今日は飲もうね!」と話し、3人で「明けましておめでとうございます」と言いながらお屠蘇を飲みました。ーーーーーー↓ ばんばひろふみさん、谷村新司さんの部屋に、河合奈保子さんが来た。「待ってました!」と喜ぶ二人。↓ 新年の挨拶をする河合奈保子さん。↓ 河合奈保子さんの姿を見て、「綺麗だ」と褒める2人。↓ ばんばひろふみさん。↓ 谷村新司さんと河合奈保子さん。↓ 谷村さんからお屠蘇を頂く奈保子さん。↓ 谷村新司さん。↓ 3人でお屠蘇を飲む。
2024.03.27
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タワーレコードで「昭和女性アイドルと言えば?」というアンケートがあり、私は迷うことなく「河合奈保子さん」に投票しました。2024年2月28日、タワーレコードから投票結果が配信され、結果は下記の通りでした。ーーーーーーーーーーーーーーー1.松田聖子さん2.中森明菜さん3.山口百恵さん4.キャンディーズ5.河合奈保子さん6.ピンク・レディー7.小泉今日子さん8.中山美穂さん9.天地真理さん10.南沙織さん11.石野真子さん12.おニャン子クラブ13.岡田有希子さん14.菊池桃子さん15.南野陽子さん16.麻丘めぐみさん17.斉藤由貴さん18.石川ひとみさん19.桜田淳子さん20.太田裕美さん21.岩崎宏美さん22.早見優さん23.榊原郁恵さん24.アグネス・チャンさん24.松本伊代さん24.柏原芳恵さん27.少女隊28.薬師丸ひろ子さん29.Wink29.荻野目洋子さん29.河合その子さん29.原田知世さん29・大場久美子さん29.本田美奈子さん29.木之内みどりさん36.うしろゆびさされ隊36.浅香唯さん36.堀ちえみさん39.伊藤つかささん39.岡崎友紀さん39.岡田奈々さん39.岩崎良美さんーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さんは第5位でした。根強い奈保子さんファンが多くおられるということで、とても嬉しく思いました。↓ 河合奈保子さん 5位。
2024.03.17
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1983年11月10日、ザ・ベストテン300回記念放送がありました。長崎・松山市営サッカー場のメイン会場で久米宏さんが司会を行い、オランダ坂、思案橋、稲佐山などが中継地点となりました。河合奈保子さんはUNバランスが第10位となり、オランダ坂で歌う姿が中継されました。活水女子大学の守衛室近くのオランダ坂で、奈保子さんと新婚さん5カップルが話をした後、奈保子さんは雨に濡れた石畳をゆっくり歩きながら、UNバランスを歌いました。オランダ坂の下では、多くの方々が奈保子さんの姿を見ていました。奈保子さんは歌い終わると、すぐにバスに乗り込みました。河合奈保子さんファンの方なら、長崎のオランダ坂を歩くと、ザ・ベストテンで奈保子さんが歌った姿を思い出すのではないかと思います。↓ 「今週第10位 UNバランスです」と紹介を受けた河合奈保子さん。↓ オランダ坂の奈保子さん。UNバランスを歌い始めた。↓ 5組の新婚カップルの皆さん。↓ オランダ坂(活水女子大学・守衛室近く)。↓ 奈保子さんがオランダ坂をゆっくり下って行く。↓ UNバランスを歌う奈保子さん。↓ オランダ坂の下で、奈保子さんを見る人々。↓ 奈保子さん、UNバランスの決めポーズ。ーーーーーーーーーー↓ 歌い終わり、久米宏さんが「ありがとうございました」と言い、奈保子さんも「どうもありがとうございました」と答えた。↓ 久米さんが「奈保子さん、バスに乗って下さい」と言った。↓「はい」と元気に返事をする奈保子さん。↓ 久米さんが「今日は歌い終わったら、それぞれバスに乗っていただきまして、そのバスが全員をピックアップしてこの会場になだれ込んでくるという、こういう仕組みになっています」と話した。↓ 久米さんが「オランダ坂、石畳が濡れておりましたが、雨は上がったようでございます。段々天気は良くなるでしょう」と言った。↓「奈保子ちゃん、乘って下さいね。こっちへ来てくださいね。皆さんをお迎えして」と久米さんが続けて話した。↓ バスに乗る奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーーー↓ ザ・ベストテン 第300回記念番組 長崎での放送 1983年11月10日河合奈保子さん 第10位 UNバランス。↓ ザ・ベストテン/山田修爾/新潮文庫/新潮社ーーーーーーーーーーーーーー2023年10月15日撮影。↓ オランダ坂の活水女子大学守衛室。↓ 河合奈保子さんが歌いながら歩いたオランダ坂。
2024.02.25
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1984年3月、TBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーで、河合奈保子さんだけが知っているクイズとして、「毎年節分の日に、吉とされる日に、吉とされる方向を向いて、一家全員がある物を無言で食べるのだが、その食べ物は何でしょうか」という質問が出ました。河合奈保子さんの答えは「太巻(恵方巻)」でした。クイズに出るくらいなので、この頃は関東では恵方巻は知られていなかったことが分かります。番組で河合奈保子さんは、新曲の「微風のメロディ」を歌いました。なお、「奈保子しんぶん Vol.20 昭和59年(1984年)2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」のスケジュール欄を見ると、1984年3月8日(木)にTBS「ザ・ヒットステージ」とあり、この日に収録されたのではないかと思います。ーーーーーーーーーーーー↓ 1984年3月1日発売、河合奈保子さんの新曲「微風のメロディ」↓「奈保子しんぶん Vol.20 昭和59年(1984年)2月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」↓ 1984年 春のコンサートツアー(河合奈保子さん)↓ 河合奈保子さん スケジュール欄。↓ 1984年3月8日(木)にTBS「ザ・ヒットステージ」とあり、この日に収録されたのではないかと思う。
2024.02.09
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1984年3月のTBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーで、司会の小堺一機さんが、河合奈保子さんだけが知っている「太巻(恵方巻)」について、回答者にクイズを出しました。回答者は石川秀美さん、高田みづえさん、田中好子さん、松居直美さんです。河合奈保子さんだけが知っているクイズは、「毎年節分の日に、吉とされる方向を向いて、一家全員である物を無言で食べるそうです。その食べ物は何でしょうか」という質問です。「これは分かんないなー」などと言いながら、回答者が紙に回答を書きます。石川秀美さんの答えは「おすし」、高田みづえさんは「トマト」、田中好子さんは「おせんべい」、松居直美さんは「おいなり様」でした。小堺さんが「いったい何を食べるのでしょうか? 奈保子さん、お答えを教えてください」と言うと、奈保子さんは「太巻」と書いた紙を出しました。奈保子さんは「お寿司で、中身は玉子とかんぴょうが入ってて、一本をそのまま吉の方向に向いて、ずっと一本食べ終わるまで、声出しちゃいけないんです」と話しました。小堺さんが「ちょっと待ってください。切ったのを食べるんじゃなくて、巻いたそのままを一家全員で(ここで小堺さんが、太巻きをだまってモグモグと食べるふりをした)食べるんですか?」と言うと、会場では驚きと笑い声が出てきました。小堺さんは「どうして無言なんですか?」と聞くと、奈保子さんは「(喋ると)福が逃げるというか、だから無言じゃないといけないんです。お茶を飲んでも構わないから、喋っちゃいけないんです」と言い、「途中で声を掛けられると最悪です」と答えました。小堺さんが「(食べるときに)お茶ちょうだいって言ったらダメなんですか?」と聞き、奈保子さんが笑いながら「ダメです」と言うと、小堺さんは「初めて聞きました」と驚いていました。奈保子は「大阪ではちゃんと商店街で、その時期になると(太巻が)売っているんです」と付け加えました。大阪が発祥の「太巻(恵方巻)」ですが、1984年頃は、関東では全然知られていない風習で、その後徐々に関東でも広がってきたと思います。今では逆に、豆を投げるのではなく、恵方巻を食べるばかりになりました。ーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さん。↓ 小堺一機さん。↓「毎年節分の日に、吉とされる方向を向いて、一家全員である物を無言で食べるそうです。その食べ物は何でしょうか」という質問に答える、奈保子さん以外の皆さん。↓ 石川秀美さんの答えは「おすし」。↓ 高田みづえさんは「トマト」。↓ 田中好子さんは「おせんべい」。↓ 松居直美さんは「おいなり様」。↓小堺さんが「いったい何を食べるのでしょうか? 奈保子さん、お答えを教えてください」と言う。↓ 奈保子さんは「太巻」と書いた紙を出した。↓ 小堺さんが、黙って太巻を食べるマネをしている。↓ 奈保子さんが太巻(恵方巻)の説明をしていく。
2024.02.08
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1984年3月のTBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーで、司会の小堺一機(こさかいかずき)さんが、河合奈保子さんだけが知っている「恵方巻:太巻」について、回答者にクイズを出しました。河合奈保子さん以外の、石川秀美さん、高田みづえさん、田中好子さん、松居直美さんの4人が考えます。小堺一機さんは次のように、河合奈保子さんだけが知っているクイズを出しました。「毎年節分の日に、吉とされる方角を向いて、一家全員である物を無言で食べるそうです。変ってますね。初めて聞きました。さて、その食べ物とは何でしょうか。大阪に昔から伝わる厄除けでございまして、食べるのは豆ではございません。豆じゃない事だけ教えます。さあどうぞ」「河合奈保子さんの家で毎年節分の日に一家全員で無言で食べるものは?」というテロップが出ます。ーーーーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子さん。1984年3月のTBS歌番組「ザ・ヒットステージ」の「私だけが知っている」コーナーにて。↓ 司会の小堺一機さんが、河合奈保子さんだけが知っているクイズを説明した。↓ 小堺さんのクイズを聞く奈保子さん。↓ 小堺さんが回答者に回答を促す。↓「河合奈保子さんの家で毎年節分の日に一家全員で無言で食べるものは?」というテロップ。
2024.02.07
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河合奈保子さんは1986年10月5日、NHKの『レッツゴーヤング』リハーサル中に舞台のセリ穴から転落し、第一腰椎圧迫骨折で入院しました。その闘病生活などを河合奈保子さんが記した本「わたぼうし翔んだ」が、1983年5月20日に発売されました。その中で「恵方巻」について記載があるので紹介します。「わたぼうし翔んだ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」(p75~77:恵方とイワシの頭)節分の日に”豆まき”をして、年の数だけ豆を食べるのは、日本中どこも同じだと思います。でも、大阪にいた時は、その他に巻寿司も食べたんです。”無病息災”で暮らせるように・・・。恵方(えほう)(陰陽道で、その年の干支にもとづいて、年徳神(としとくじん)のある方向を吉の方向として定めたもの)に向かって、願い事を念じながら、巻寿司を一本丸ごと食べるんです。食事中は、いっさいしゃべってはいけません。お茶を飲みながら、ただ一心にモグモグと口を動かすのだけれど、それは一種異様な雰囲気で、あまり格好のいいものではありません。家族4人が、巻寿司を手に持って、うつむきかげんで食べてる姿 ー 想像するだけでもくらーくなりそうでしょう?最後のほうは、やっている自分でもおかしくなって、グフッグフッとのどをつまらせながら、笑いをこらえるのが大変なんです。でも、これは、関西地方に昔からあった風習らしいので、皆さんのお家でも、やっているかもしれませんね。大阪では、節分の日になると、その年の恵方の方角が新聞に出るし、お寿司屋さんでは、それ用の巻寿司が売られ始めます。ちょうど太巻きとノリ巻の中間の太さのもので、中には、ほうれん草にかんぴょう、高野豆腐が入っているそうです。わが家では、見た目もキレイなように、遠足風のものを作ってもらいます。ほうれん草にかんぴょう、薄焼き玉子にピンク色のでんぶを入れて・・・。でも巻寿司になったのは、15年ほど前からで、お寿司屋さんとノリ屋さんのインボーだ、なんて声もあります。昔は恵方に向かって、一心に念じごとをしながら、塩ぼしにしたイワシを丸かじりしたそうです。イワシは、安くて栄養のある庶民の食べ物だったそうで”質素に暮らす”ということを意味したそうです。また、イキがよくてピチピチしているところから”元気に暮らせるように”との願いも込められたそうです。そして、そのイワシは、夏の間に食べた枝豆のカラをほしたもので焼いたとか。これは”倹約”を意味したのでしょうね。現在では巻寿司に変わってしまったものの、イワシも食卓へ登場します。でも、わが家では、おとうさん以外は好まないし、焼いたあとの臭いが強烈なので、省略します。(換気扇をつけても、ダメみたい)食べたあとのイワシの骨は、頭をヒイラギナンテンの枝にさして玄関につるしておきます。鬼が来ないようにとの魔よけだったのでしょう。ドラキュラのニンニクと同じですね。(この説明は、おとうさんや親戚のおばあちゃんに教えてもらいました。もしかしたら、チョッピリ違う所があるかもしれません)この風習を信じる人は、日本中どこへ行こうと続けるようです。たまたま節分の日に、東京で、イワシの頭をつけたドアを見たことがあります。「アッ、隠れ大阪だ!」うれしくなったのは、いうまでもありません。病院での約束通り、節分の日になると、みんなで巻寿司を食べました。今年は、帰りが遅かったので、一人で食べました。夜中に食べると太るなあと思いつつ、南南東の方向を向いて。(今年の恵方は、南南東の方角でした)マネージャーの佐藤さんは、吹き出しそうな顔をして見ているだけ。おかあさんがいくら勧めても、食べようとしません。あとになって、そのわけがようやくわかりました。他の人に、こんなふうに話していたんですよ、まったくもう。「奈保子の家では、節分の日に、みんなで巻寿司を食べるんですよ。白装束に身をかためて、額には白い三角の布をつけて・・・。開け放した窓から、お月様に向かって、ただモクモクと食べるだけなんですが、一心に念じながら食べている姿が実にいい。もう、おごそかなもんでした。見ていて、胸をうたれましたね。ボクですか? ええ、ああいうのは、ちょって遠慮させてもらいましたけれど・・・」ーーーーーーーーーーーーーーー「わたぼうし翔んだ/河合奈保子/1983年5月20日初版発行/ワニブックス」↓ 河合奈保子さん。
2024.02.06
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河合奈保子さんのコンサート映像の中で、私のベスト3を紹介します。ーーーーーーーーーーーーー1)太陽の下のストレンジャー (1984年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎2)デビュー Fly Me To Love (1985年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷲巣詩郎3)涙のハリウッド (1986年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄ーーーーーーーーーーーーーこれらのコンサート映像は、河合奈保子さんの歌声の素晴らしさ、躍動感がビッチリと詰まっており、私にとって文句なしのベスト3です。1)の「太陽の下のストレンジャー」ですが、この時の奈保子さんの衣装が一番大好きです。高原の避暑地のお嬢さんという感じで、白いスカートが揺れます。この曲は八神純子さんが作曲されており、奈保子さんと純子さんファンの私にとっては、たまらない一曲で、アメリカンテイストのシティ・ポップです。2)の「デビュー Fly Me To Love 」は、奈保子さんのオリコン1位曲です。とても伸びやかで聞きやすい歌です。作曲家・林哲司さんのメロディラインが好きで、特に林哲司さんが菊池桃子さんに提供された曲はよく聴いていました。この「デビュー」のシングルレコードですが、両面A面として片面に、映画「ルパン三世/バビロンの黄金伝説」主題歌「MANHATTAN JOKE : マンハッタン・ジョーク」(作詞:秋元康、作曲・編曲:大野雄二)があります。当時は映画館で、奈保子さんの主題歌と奈保子さんの声優ぶりを楽しみました。3)の「涙のハリウッド」も、林哲司さんが作曲されており、繰り返し何度も聴きたくなる曲です。1986年7月24日のバースデーコンサートでは、奈保子さんは「デビュー」と「涙のハリウッド」を連続して歌いました。CDの飾りがついた赤い衣装が、とても目を引きました。舞台上を歩き回っても、息が切れずに高音が伸びやかな奈保子さんは、本当に素晴らしい!ーーーーーーーーーーーーーーーー1)太陽の下のストレンジャー (1984年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎ーーーーーーーーーーーーーーーー2)デビュー Fly Me To Love (1985年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:鷲巣詩郎ーーーーーーーーーーーー3)涙のハリウッド (1986年7月24日 よみうりランドイースト) 作詞:売野雅勇、作曲:林哲司、編曲:萩田光雄
2024.01.29
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東京・神田神保町にある「タクト」ですが、昭和歌謡に関する商品が多くあり、神保町に行くときは必ず立ち寄ります。店内はとても整理整頓されており、気持ちのよい空間です。以前は、店内の2階に上がる階段左側に、とても目立つ河合奈保子さんのサイパン水着大型ポスターがあり、見るのが楽しみでした。その後、そのポスターが売られ、今は階段の右側に河合奈保子さんの「ハーフ・シャドウ」の大型ポスターが飾ってありますし、階段を上がった場所の壁に、河合奈保子さんがテニスラケットを持った姿や、バースデーパーティーの姿の小さな写真が貼ってあります。2020年頃、タクトの2階にある商品棚の上部に、河合奈保子さんのDVD商品がズラリと並べられており、河合奈保子さんのファンの方のメッセージカードが付いていました。奈保子さんのDVDのそれぞれに、ビデオを見た感想が詳しく書かれています。筆跡から、若い女性の河合奈保子さんファンだと想像するのですが、メッセージを読んでいると、河合奈保子さんに対する熱い気持ちが伝わってきます。いつもタクトに行っては、何度も何度もメッセージを読んでいました。仕事で嫌なことがあっても、そのメッセージを読んで、元気を頂いていました。本当にありがとうございました。その時拝見したメッセージカードを、紹介させていただきます。ーーーーーーーーーー↓ 神保町タクト。(2024年1月)↓ 神保町タクト 2階にある河合奈保子さんの商品棚。↓ NAOKO ETERNAL SONGS メッセージカード。↓ 私が持っている河合奈保子さんのアルバム「ハーフ・シャドウ」。「タクト」の階段に「ハーフ・シャドウ」の大型ポスターが飾ってある。ーーーーーーーーーーーー↓ 2020年3月 タクト。↓ 以前、タクトの階段入口に掲示されていた、河合奈保子さんのサイパン水着ポスター。(添付写真は私が持っている物)↓ 河合奈保子さんのDVDに、奈保子さんファンのメッセージカードが貼ってあった。ーーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子さんファンの方のメッセージカード。今年2020年は河合奈保子さん★★祝 デビュー40周年★★そして7月24日は奈保子さんのお誕生日です。♥ーーーーーーーーーーーーーーーーーーBRILLIANT Lady Naoko in Concert /河合奈保子1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール/日本コロムビアBRILLIANT Lady Naoko in Concert○2部構成になっていて、1部は中島みゆきさんからカーペンターズ、シブがき隊など、様々なジャンルの歌をカバー。○(わたし)イチオシはOPの「AIN'T NO MOUNTAIN HIGH ENOUGH」! 赤いドレスに身を包んだお姫様のような奈保子さんが、心を込めて力強く歌う姿を見ていると、自然に涙が溢れます...○セット(小物)や衣装もとっても凝っていて、とにかくカワイイ♥♥○2部のラストに特典映像として入っている「愛は二人の腕の中で」は、奈保子さんとファンの息の合った掛け合いで、まさに会場がひとつになっているのがわかります!ーーーーーーーーーーーー愛のコンサート /河合奈保子1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール/日本コロムビア愛のコンサート○1部と2部に分かれていて、1部はしっとりとしたバラードがメイン。2部は奈保子さんらしい元気なステージ! はたちを迎えた奈保子さんの大人な一面、元気な一面、ひとつで2つの奈保子さんを楽しめる♥♥○奈保子さんのお父さん、お母さん、妹さん、そして奈保子さん自身の在り方や想いが、奈保子さん自らの口から語られ、曲につながっていきます。○(わたし)イチオシは、作詞作曲・松山千春さんの「空ー翼を広げて」奈保子さんの熱唱に胸が熱くなること間違いなし!!ーーーーーーーーSUMMERA SPECIAL in EAST '84/河合奈保子1984年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビアSUMMERA SPECIAL in EAST '84/河合奈保子○怒濤の挑発ソング4連発!!こんなに激しい曲を立て続けに歌っても、息が切れない奈保子さんは流石!○(わたし)イチオシは髙橋伸明さんとデュエットした。奈保子さん海外収録第1弾、「DAYDREAM COAST」の中の2曲♥♥○デビューして5年を迎えた奈保子さんが、涙をこらえながらバースデーケーキのロウソクを吹き消すシーンは、見ているこちらも涙が溢れてしまいます...○声を震わせながら歌うファンへのメッセージソング「DEAR MY FRIENDS」でフィナーレをしめくくります。ーーーーーーーーーーNAOKO EAST '85 ~感電するゾ 暑い夏~/河合奈保子1985年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビアNAOKO EAST '85 ~感電するゾ 暑い夏~/河合奈保子○(わたし)的にOPのかっこよさNo.1 !舞台袖で出番を待つ奈保子さんがカッコイイ♥♥○84年イーストに引き続き、髙橋伸明さんのデュエット「君は綺麗なままで」(とんがりコーンのCMソングでした)は、2人の歌唱力がとにかくものすごいパワーで、聴くと元気がでます! この曲では奈保子さんはハモリのパートを担当しています。確かな歌唱力を持つ奈保子さんだからこそ出来たことだと思います!!○フィナーレは奈保子さん作詞作曲の「夢かさねて」。全ての人達に向けて、感謝の気持ちを込めて歌う奈保子さん... 奈保子さんのファンで良かったと思える1曲です。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーNAOKO '86 STARDUST PARADISE in EAST/河合奈保子1986年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビアNAOKO '86 STARDUST PARADISE in EAST/河合奈保子○OPからシモンズを叩く、かっこよすぎる奈保子さん登場! スティックも投げちゃいます!○前半は「Oldies Hits Medley」と題しているだけあり、洋楽のカバーがメイン。サングラスをかけたり、オールバックをしたファンキーな奈保子さんが見れます♥♥○「星になるまで~NIGHT AFTE NIGHT~」から奈保子さんが着用している真っ赤な衣装が、奈保子さんの美しい肌をより一層引き立てていて、個人的にとても好きな衣装です♥○ラストのハーフムーン・セレナーデは、先ほどまでの個性的な衣装はうってかわり、純白のドレスに身を包んだ奈保子さんは女神そのもの...ーーーーーーーーーーーーーー月夜宮殿~ムーンライト・パレス~/河合奈保子1987年7月24日 よみうりランドイースト/日本コロムビア月夜宮殿~ムーンライト・パレス~○ラブレターの「好きです」コール♥♥皆もぜひ一緒にさけびましょう!○「想い出のコニーズ・アイランド」から自作曲連発! アイドル河合奈保子からアーティスト河合奈保子への華麗なる変貌を見ることができます。○毎度おなじみ(?)いつの間にかなくなっているイヤリング。そのくらいパワフルなパフォーマンス!どこでイヤリングがとんで行くのか、よ~く見てみよう。○一番のみどころ(?)麦茶タイム!ファンの「イッキコール」に応えてくれる奈保子さん♥♥○この日のために奈保子さんが作った曲「My song for you」。一回きりの披露!ファンに向けられた一曲は必聴です!ーーーーーーーーーーーNAOKO THANKSGIVING PARTY /河合奈保子1988年7月24日 よみうりランド オープンシアターEAST/日本コロムビアNAOKO THANKSGIVING PARTY○OPはハッピーバースデーの曲とともに花束を持った奈保子さんが現れ、「もう歳はとりません」宣言(笑)○(わたし)的見どころは、Part 3 収録の「月になるまで~NIGHT AFTER NIGHT~」。最後のスキャットは鳥肌モノ! 奈保子さんの歌唱力は本物です!○最後のパートの見どころは、やはりコンサートのフィナーレでもあるハーフムーン・セレナーデ。最後のイーストバースデーコンサートということもあり、涙をこらえて話す奈保子さん...最初から声を震わせながら歌う奈保子さんですが、だんだんと力強くなり圧巻の熱唱!まさにイーストバースデーコンサートの集大成と言える歌唱です!ーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて/河合奈保子2016年発売/日本コロムビア河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて○どれを買おうか迷っちゃう方にオススメ♥♥BRILLIANT から愛のコンサートイースト、’84~’88のシーンがダイジェストで入っています!ーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子プレミアムコレクション/NHK 紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc/河合奈保子2017年発売 NHKエンタープライズ/日本コロムビア河合奈保子プレミアムコレクション/NHK 紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc○河合奈保子さんが出演した紅白歌合戦、レッツゴーヤングをはじめとしたNHKの歌番組を見る事ができます。○ヤングボーイから始まり、どんどん立派な歌手に成長していく姿を再確認できます。○(わたし)いちおしはアイドルオンステージでのメドレー。 31歳の奈保子さんが歌うスマイル・フォー・ミーやエスカレーション…最高です!!本当に良い意味で変わらない人なんだと実感できます。ーーーーーーーーーーーーーーーNAOKO ETERNAL SONGS /TBS/河合奈保子DISC 1 Naoko in ザ・ベストテン IDISC 2 Naoko in ザ・ベストテン IIDISC 3 Naoko in 8時だョ!全員集合DISC 4 Naoko on TV2020年発売 TBS /日本コロムビアNAOKO ETERNAL SONGS○ファン待望! 永遠の歌姫 河合奈保子さんのデビュー40周年を記念して、TBSに残る歌唱映像を厳選したDVD BOX 『NAOKO ETERNAL SONGS』がリリース。 『ザ・ベストテン』『8時だョ!全員集合』『たのきん全力投球!』などTBSの名物番組の中から、全27曲/放送113回分の映像が収録されています! お家で楽しく鑑賞しましょう。ーーーーーーーーーーーーーーー
2024.01.28
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2024年1月19日に新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎歌舞伎横丁ステージで「J-DIG PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催されました。デューク・トモノ氏がDJをされ、河合奈保子さんのコンサート映像が、会場の大型画面いっぱいに映し出されました。以前からDVDで見てきた映像なので、とても懐かしかったです。私の手元にある河合奈保子さんのDVDを紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ 私の手元にある河合奈保子さんのDVDです。↓ PURE MOMENTS NAOKO KAWAI DVD COLECTION/日本コロムビアピュア・モーメント 河合奈保子DVD コレクション/日本コロムビア。ーーーーーーーーーー↓ ピュア・モーメント ディスク1 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーー↓ ピュア・モーメント ディスク2 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ ピュア・モーメント ディスク3 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー↓ BRILLIANT Lady Naoko in COncert /河合奈保子1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ 愛のコンサート /河合奈保子1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ SUMMER SPECUAL in EAST'84 /河合奈保子1984年7月24日 よみうりランド・イースト他 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ NAOKO EAST'85 感電するゾ 熱い夏 /河合奈保子1985年7月24日 よみうりランド・イースト他 /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ NAOKO '86 STARDUST PARADISE in EAST /河合奈保子1986年7月24日 よみうりランド・イースト /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ 月夜宮殿 ムーンライト・パレス /河合奈保子1987年7月24日 よみうりランド・イースト /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ NAOKO THANKSGIVING PARTY /河合奈保子1988年7月24日 よみうりランド・オープンシアター・イースト /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子ライブ・ベスト けんかをやめて /河合奈保子/日本コロムビアーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子 プレミアムコレクション NHK紅白歌合戦&レッツゴーヤング etc/NHKエンタープアイズ/日本コロムビアーーーーーーーーーーーーNAOKO ETERNAL SONGS TBS /日本コロムビアDISC 1 Naoko in ザ・ベストテン IDISC 2 Naoko in ザ・ベストテン IIDISC 3 Naoko in 8時だョ!全員集合DISC 4 Naoko on TV----------------------
2024.01.27
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2024年1月19日に新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎歌舞伎横丁ステージで「J-DIG PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催されましたが、DJをされたデューク・トモノ氏が、その時のVDJコンサートの映像をユーチューブで配信されています。最初は「間もなくスタート」となっていますが、7分前後から、奈保子さんの映像がスタートします。奈保子さんの歌23曲が続きます。河合奈保子さんに興味がある方は、是非見ていただければと思います。https://www.youtube.com/watch?v=kBufRtTjiiI
2024.01.26
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎町タワー・歌舞伎hall歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.a 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。ステージで流れた23曲を順番に紹介してきましたが、最後の23~23の写真を掲示します。22)「ラブレター」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)23)「My song for you」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)コンサートの映像を23曲続けて見ましたが、ステージ上を激しく動き回って歌っても、息切れすることなく伸びやかな歌声をキープしていたのが印象的でした。歌やファンに対する奈保子さんの誠実さが充分に伝わってきます。奈保子さんの笑顔を見ると、自分の青春時代を思い出します。23曲目の「My song for you」は、奈保子さんが作詞・作曲された歌ですが、歌詞の最後は次の言葉がリフレインされます。奈保子さんは本当に歌が好きなのだなと感じます。メロディーは 命からつぶやきは 心からあふれだす 歌はみんな私の子供たちーーーーーーーーーーーーー22)「ラブレター」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー23)「My song for you」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)コンサート終了。ーーーーーーーーーーー↓ JR新宿駅。
2024.01.25
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、19~21です。19)「涙のハリウッド」*「NAOKO'86 STADUST PARADICE in EAST」(1986年7月24日 よみうりランド・イースト)20)「スマイル・フォー・ミー」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)21)「デビュー Fly Me To Love」*「NAOKO EAST'85」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー19)「涙のハリウッド」*「NAOKO'86 STADUST PARADICE in EAST」(1986年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー20)「スマイル・フォー・ミー」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーー21)「デビュー Fly Me To Love」*「NAOKO EAST'85」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)
2024.01.24
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、14~18です。14)「Habour Light Memories」*「NAOKO THANSGIVING PARTY](1988年7月24日 よみうりランド・イースト)15)「エスカレーション」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)16)「コントロール」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)17)「唇のプライバシー」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)18)「UNバランス」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーー14)「Habour Light Memories」*「NAOKO THANSGIVING PARTY](1988年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーー15)「エスカレーション」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー16)「コントロール」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー17)「唇のプライバシー」*「SUMMER SPECIAL in EAST '84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー18)「UNバランス」*「愛のコンサート」(1983年10月10日 東京・芝・郵便貯金ホール)続く。
2024.01.23
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJデューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、9~13です。9)「太陽の下のストレンジャー」*「SUMME SPECIAL in EAST'84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)10)「黒髪にアマリリス」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)11)「けんかをやめて」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)12)「17才」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)13)「GT天国」*「NAOKO THANKSGIVING PARTY」(1988年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーー9)「太陽の下のストレンジャー」*「SUMME SPECIAL in EAST'84」(1984年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーー10)「黒髪にアマリリス」*「月夜宮殿 ムーンライト・パレス」(1987年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー11)「けんかをやめて」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーーーーー12)「17才」*「BILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーー13)「GT天国」*「NAOKO THANKSGIVING PARTY」(1988年7月24日 よみうりランド・イースト)続く。
2024.01.22
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJ デューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。前回に続き、4~8です。4)「ムーンライト・キッス」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)5)「ヤング・ボーイ」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)6)「愛してます」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)7)「MANHATTAN JOKE」*「NAOKO EAST'85 感電するゾ熱い夏」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)8)「ジェラス・トレイン」*「NAOKO EAST'85 感電するゾ熱い夏」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー4)「ムーンライト・キッス」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー5)「ヤング・ボーイ」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーー6)「愛してます」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」(1982年10月17日 東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーー7)「MANHATTAN JOKE」*「NAOKO EAST'85 感電するゾ熱い夏」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーー8)「ジェラス・トレイン」*「NAOKO EAST'85 感電するゾ熱い夏」(1985年7月24日 よみうりランド・イースト)続く。
2024.01.21
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2024年1月19日(金)21時から、新宿の東急歌舞伎タワー・歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージで、「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催され、見に行きました。DJ デューク・トモノ氏がアレンジされています。紹介された河合奈保子さんの歌23曲を、順番にブログで紹介します。最初は1~3まで。1)「大きな森の小さなお家」*「NAOKO THANKSGIVING PARTY」より。(1988年7月24日・よみうりランド・イースト)2)「大きな森の小さなお家」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」より。(1982年10月17日・東京・芝・郵便貯金ホール)3)「夏のヒロイン」*「NAOKO EAST'85 感電するゾ熱い夏」より。(1985年7月24日・よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーー↓ 歌舞伎hall 歌舞伎横丁ステージの様子。河合奈保子さんの映像。↓ DJ デューク・トモノ氏。↓ 河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーー21時になり、「河合奈保子ナイト」が始まった。1)「大きな森の小さなお家」*「NAOKO THANKSGIVING PARTY」より。(1988年7月24日・よみうりランド・イースト)ーーーーーーーーーーーーーーーー2)「大きな森の小さなお家」*「BRILLIANT Lady Naoko in Concert」より。(1982年10月17日・東京・芝・郵便貯金ホール)ーーーーーーーーーーーーーー3)「夏のヒロイン」*「NAOKO EAST'85 感電するゾ熱い夏」より。(1985年7月24日・よみうりランド・イースト)
2024.01.20
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2024年1月19日(金)21時から、東京・新宿歌舞伎hall 歌舞伎横丁内ステージで「J-DIGS PRESENTS 昭和歌謡VDJ NIGHT Vol.1 河合奈保子ナイト」が開催決定となり、見に行きました。日本コロムビア株式会社のサイトに次の案内がありました。「2024/01/19(金)新宿歌舞伎hall 歌舞伎横丁内ステージ21:00~新宿歌舞伎hall木曜日のレギュラーでJ-POP、歌謡曲中心のプレイで高い人気を誇るDJデューク・トモノ氏によるVDJ(Video DJ)SETを披露。河合奈保子の楽曲だけではなく、当時のライブも一緒に見ながら楽しめるVDJイベントとなっています。ぜひご来場して、体感してみて下さい」妻には数日前に、金曜日夜は歌舞伎町に行くと伝え、当日朝も会社に行く前にLINEで「河合奈保子ナイト」の紹介文を送りました。会社では仕事が全然終わらず、19時30分を過ぎた頃、仕事を残して新宿に移動することにしました。(結局、日曜日に出社して仕事を続けました)新宿駅から東急歌舞伎タワーの新宿歌舞伎hallまでの様子を写真に撮ったので、少し紹介します。映像ではありますが、河合奈保子さんに会えると思うと、歩きながら心が弾みました。新宿歌舞伎hall内の大型スクリーン全てに河合奈保子さんが映っており、圧巻でした。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 日本コロムビア株式会社のサイト「河合奈保子さんの紹介ページ」2024/01/19(金) 新宿歌舞伎hall 歌舞伎横丁内ステージ 21:00~「河合奈保子ナイト」の紹介。↓ 2024年1月19日6時59分、会社に行くとき「河合奈保子ナイト」情報を妻にLINEで送った。↓JR新宿駅を出た所。 最初はタワーレコード新宿店に寄ろうと思ったが、時間に余裕が無いので、歌舞伎町hallに進んだ。↓JR新宿駅。↓ 東宝新宿ビル。↓ ゴジラヘッドが見える。↓ ゴジラヘッド。↓ 新宿・東急歌舞伎タワー。↓ 新宿東宝ビル。↓ ゴジラ。↓ 東急歌舞伎タワー。↓ 東急歌舞伎タワーの入り口。↓ 新宿歌舞伎hall 歌舞伎横丁。↓ 歌舞伎横丁のスクリーン全てに、河合奈保子さんが映る。圧巻。↓ 河合奈保子さん。↓ DJデューク・トモノ氏(画面左側)続く。
2024.01.19
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2024年1月4日、有名な写真家の篠山紀信さんが亡くなられました。雑誌「GORO」の表紙ですが、篠山紀信さんが長年撮影されていました。手元にある河合奈保子さんの表紙の切り抜きを紹介します。(これ以外にもあるかもしれませんが、私は持っていません)表紙を並べて見るだけでも、奈保子さんの表情が徐々に大人の女性になっていくのが分かります。笑顔がとても良いです。松田聖子さんの表紙が1枚あったので、ブログの最後に紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーーーー1)昭和55年(1985年)11月13日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーーー2)昭和56年(1986年)1月8日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーーーー3)昭和57年(1982年)3月25日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーー4)昭和58年(1983年)4月14日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーーーー5)昭和60年(1985年)2月28日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーー6)昭和60年(1985年)8月8日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーー7)昭和61年(1986年)2月13日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーーー8)昭和61年(1986年)8月14日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーーーーーー9)昭和62年(1987年)6月25日号 「GORO」河合奈保子さん表紙。ーーーーーーーーーーーーーーー昭和55年(1985年)10月9日号 松田聖子さん。
2024.01.18
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2024年1月4日、有名な写真家の篠山紀信さんが亡くなられました。雑誌「GORO」に、篠山紀信さんが河合奈保子さんを撮影した写真が掲載されており、前回ブログに続いて2回目の紹介です。河合奈保子さんの「愛してます」発売の少し前の記事なので、1980年11月頃の撮影でないかと思います。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 河合奈保子・17歳 愛してます。 撮影/篠山紀信。
2024.01.17
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有名な写真家の篠山紀信さんが、2024年1月4日に亡くなられました。83歳でした。雑誌「GORO」の表紙や記事で、篠山紀信さんが河合奈保子さんを撮影されています。手元にある切り抜きファイルから、紹介します。ーーーーーーーーーーーーーーー河合奈保子「光がくる」 撮影:篠山紀信
2024.01.16
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友人のА・Yさんから、河合奈保子さんの写真をメールでいただきました。奥様が撮影した写真だそうで、奈保子さんの背景に「中国放送」(RCC)とあります。この写真を見て、いつ頃の写真かを想像してみました。肩まで伸びる髪型と手の振付を見ると、多分奈保子さんが「ラブレター」を歌っているのではないかと思います。歌で「好きです 言えないけど」を2回繰り返す部分があり、その2回目で、手の甲を前面向けるので、その瞬間ではないでしょうか。奈保子さんは1981年10月にステージから落ちて、「第一腰椎圧迫骨折」で入院されます。その後退院され、復帰後の歌は「ラブレター」でした。そうなると、写真の時期は、1982年前半になります。「奈保子しんぶん Vol.7/昭和57年(1982年)3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」を見ると、1982年3月の奈保子さんのスケジュール欄で、3月26日(金)に「広島サイン会」とあるので、その時の写真の可能性があります。(私の想像ですので、間違っていたらご容赦下さい)友人のA・Yさんとは、高校2年の時に同じクラスになり、知り合いました。3年の修学旅行で上高地、美ヶ原、富士山5合目にも行きました。その後「修学旅行をもう一度」という事で、名古屋、松本、美ヶ原へ一緒に遊びに行きました。社会人になった後、A・Yさんが出張で広島から東京に来ることが時々ありました。A・Yさんは日比谷公園の「日比谷屋外音楽堂」で会合があるという事で、私も会社の昼休みに音楽堂に行ってはA・Yさんと立ち話をしました。日比谷公園に行くと、その頃のことが思い出されます。「日比谷屋外音楽堂」というと、河合奈保子さんがコンサートを行った事があります。1981年夏のコンサートについて、雑誌の切り抜きと「ときめきのメッセージ 河合奈保子写真集/ワニブックス/1981年10月15日初版発行/撮影:黒坂了司」の写真があるので、一部を紹介します。ーーーーーーーーーーーーー↓ 友人のА・Yさんから頂いた河合奈保子さんの写真。奥様が撮影した写真だそうで、奈保子さんの背景に「中国放送」(RCC)とあります。ーーーーーーーーーー↓「奈保子しんぶん Vol.7/昭和57年(1982年)3月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」↓ 1982年3月~4月 奈保子さんスケジュール。↓ 1982年3月26日(金)広島サイン会。ーーーーーーーーーーーーーー↓ 1981年夏のコンサート記事のファイル。河合奈保子さん、柏原よしえさん、松田聖子さん。↓ 河合奈保子さん(日比谷屋外音楽堂)↓ 柏原よしえさん(サンフラワー号船上)↓松田聖子さん(東京・中野サンプラザ)ーーーーーーーーーーーー↓ 観客6000人、奈保子はじめてのビッグ・イベント!ーーーーーーーーーーーー↓「ときめきのメッセージ 河合奈保子写真集/ワニブックス/1981年10月15日初版発行/撮影:黒坂了司」↓ 日比谷屋外音楽堂での、河合奈保子さんのコンサート風景。↓ 日比谷屋外音楽堂での、河合奈保子さんのリハーサル風景。
2024.01.15
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田舎の母が部屋を断捨離中、行方不明となっていた私の高校時代の写真を見つけました。写真をチェックしていると、私が撮影した河合奈保子さんの写真以外に、知り合いの方から頂いた河合奈保子さんの写真がでてきたので、紹介します。広島市内の中心地である基町に、広島そごうがあります。1974年(昭和49年)10月10日に開店しました。私が小学生の時、家から広島そごうまで片道4キロ以上ありましたが、自転車で遊びに行っていました。広島そごうの本屋で本を買ったり、「めがねの田中」で顕微鏡や天体望遠鏡を見ては、パンフレットを持って帰っていました。今回紹介する写真ですが、知り合いから頂いたもので、「広島そごう開店8周年」として、広島そごうで河合奈保子さんが歌っている写真です。広島そごう開店8周年というパネルがあるので、この写真は1982年10月10日に撮られたことが分かります。「奈保子しんぶん Vol.10 昭和57年(1982年)9月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」を見ると、河合奈保子さんのスケジュール表が掲載されており、1982年10月10日(日)は「広島サイン会」とあります。奈保子さんは「けんかをやめて」を歌われていたのかなと想像します。ーーーーーーーーー↓ 知り合いの方から頂いた河合奈保子さんの写真。1982年10月10日(日)、広島そごう開店8周年開場にて。↓「祝 広島そごう開店8周年」のパネルが見える。↓ 田舎で母親が見つけた、私の高校時代の写真。ーーーーーーーーーーー↓「奈保子しんぶん Vol.10 昭和57年(1982年)9月発行/芸映プロダクション・芸映友の会河合奈保子FC編集部」を見ると、河合奈保子さんのスケジュール表が掲載されており、1982年10月10日(日)は「広島サイン会」とある。。↓ 「夜のヒットスタジオ」で大尊敬の岩崎宏美さんと。「今度の新曲(けんかをやめて)いいわねー」と言われて大感激していました。↓ ちょっと目が疲れてきちゃった。近視の奈保子は人一倍目に気を使っているのです。リハーサルの合間に、ちょっとマッサージ。↓ 小道具のにんじんをさわって、「なーんだ発泡スチロールかー」と奈保子。「でもにんじんの色と同じですねー。うまいなー」と感心することしきり。↓ 19才だけど、まだまだあどけない奈保子はセーラー服がとってもお似合い。これは奈保子にせがまれてスナップしました。青春のいい記念にしたいのかも・・・!?↓ 『けんかをやめて』大ヒット!発売前の前評判どうり今ヒットチャート上昇中。
2024.01.14
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私が2018年5月4日付ブログ「河合奈保子さんを初めて撮った写真」で、高校時代に撮影した奈保子さんの写真が2枚だけ残っていた事を紹介しました。https://plaza.rakuten.co.jp/nebulae/diary/201805040000/河合奈保子さんの写真は大人気で、欲しいという人には渡していました。高校3年の文化祭で、私が高校時代に撮ってきた河合奈保子さんの写真をファイルに入れて展示していたのですが、文化祭終了時に見るとファイルがありませんでした。誰かが持って帰ったのだと思います。その時は、ネガフィルムを焼き増ししたら良いだろうと安易に考えていました。ところが、焼き増しせずに歳を重ねてしまい、50代になって田舎の母にネガフィルムを確認すると、断捨離で全て処分したと返事が返ってきたので、呆然となりました。胸にポッカリ穴が空いたような気持でした。その後、本のしおり代わりに挟んでいた奈保子さんの写真が2枚出てきたので、2018年5月4日付ブログで紹介しました。2023年後半、母親が田舎の倉庫を断捨離しているとき、思わぬ場所から私の古い写真がでてきたと連絡がありました。年末に帰省して確認すると、長年行方不明になっていた修学旅行の写真ファイルがでてきました。そしてその写真ファイルの最後のページに、3枚ほど河合奈保子さんの写真が入っていました。3枚の写真が出て来て嬉しさがこみ上げると同時に、私が撮影した写真としては、これ以上はもう出てこないなというさみしさも感じました。私が撮った河合奈保子さんの写真3枚を、追加として紹介します。私の高校時代のど真ん中には、河合奈保子さんがいました。奈保子さんの笑顔と歌がなかったら、本当につまらない学生生活だったと思います。ーーーーーーーーーーーーー追加写真3枚紹介。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー田舎で母親が見つけた、私の高校時代の写真。ーーーーーーーーーーーーーー私の2018年5月4日付ブログ「河合奈保子さんを初めて撮った写真」で紹介した写真ーーーーーーーーーーーー
2024.01.13
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2024年1月8日、テレビ東京の「3秒聴けば誰でもわかる名曲ベスト100」を見ました。河合奈保子さんは紹介されるだろうと考えて、テレビの前でスタートから番組を見ていました。西城秀樹さんの映像の後、河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」の映像が出てきたので、記録として写真を撮りました。一部を紹介します。テレビで河合奈保子さんの笑顔が映るというのが重要です。若い頃、河合奈保子さんが出演されるのではと思って、テレビにかじりついていた時代を思い出し、胸が熱くなります。↓ 2024年1月8日 朝日新聞朝刊より。
2024.01.12
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「昭和40年男/2024年2月号/アナログで再生する俺たちの音楽/ヘリテージ」が発売されました。P15に、「アイドルポケットカード」として、河合奈保子さんの「INVITATION」のカード紹介写真が掲載されていたので、店で購入し、家でじっくり読みました。「アイドルポケットカード」ですが、「80年代の(特に女性)アイドルのシングルレコードには小さなカード、ポケットカードやはがき、ステッカーが封入されていた。詳細の情報は少なく、意識的に収集していた人も少なかったため現在はプレミアがついている」と説明があります。P61には「想い出のオリジナルカセットづくり」として「ラジカセや携帯音楽プレーヤーの普及でカセットが必需品となったあの頃。俺たちは世界に一つだけのカセットづくりに勤しんでいた」とあります。学生時代は、AM、FM、レコード、そしてマイクに自分のギター演奏などを入れたりして、沢山カセットテープ作りました。今はデジタル世界ですから、昔のように手間暇かけて音を保存する必要は無いかもしれませんが、当時カセットテープに掛けた手間が、とても楽しかったと思います。ーーーーーーーー↓「昭和40年男/2024年2月号/アナログで再生する俺たちの音楽/ヘリテージ」P15 「アイドルポケットカード」。↓ 河合奈保子さんの「INVITATION」のカード。P61 「想い出のオリジナルカセットづくり」。
2024.01.11
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「歌謡曲 meets シティ・ポップの時代/鈴木ダイスケ/シンコー・ミュージック・エンターテイメント/2023年12月6日発行」ですが、表紙に江口寿史さんのイラストがあり、早速購入して読むと、下記部分に河合奈保子さんが紹介されていました。ーーーーーーーーーーーー(1)p41 「太陽の下のストレンジャー/作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎」一部を紹介します。近年のシティ・ポップ・ブームで松原みき、泰葉に続いて八神純子の「黄昏のBAY CITY」(1983年作品)が注目されている。ちょうどこの時期の八神が楽曲提供していたのが河合奈保子だった。アルバムにはシングル曲が一切収録されていないが、その分トータリティは高く、純粋に彼女のヴォーカルを堪能できる一枚になっている。特に本楽曲は打ち込みのデジタル・ポップとブラック。ミュージックの融合ぶりが見事な出来で、途中のラップ導入も含め先鋭的。伸びやかな河合の歌声とのマッチングも実に心地よい仕上がりだ。ちなみにこの時期の八神は前年末に「黄昏のBAY CITY」収録のアルバム『FULL MOON』を発表後、所属していたレーベルを離れており、『FULL MOON』で表現されていた方向性がより研ぎ澄まされスタイリッシュになった印象もなくはない。~ 河合奈保子は本作以外にデヴィッド・フォスターのプロデュースによる全曲LA(ロサンゼルス)録音の『Daydream Coast : デイドリーム・コースト』を初め1980年代中盤以降、質の高い作品を何作も残しており、徐々に制作にも参加。歌手活動後半はほぼ全曲を自身で作曲している。竹内まりやという前例はあるものの、筒美京平、八神純子、来生(きすぎ)姉弟、と日本で名うでのクリエーター、ミュージシャンと絡んでいくことで音楽的に成長した稀有な事例ではないだろうか。1986年には自作曲でシングル、アルバムともに制作することが増えていき、1990年の『ブックエンド』まで全曲の作曲を担当したアルバムを5枚リリースしている。引退前に発表された『engagement :エンゲージメント』のみ自作曲は収録曲の半分のみだが、岸正之、MAYUMI、中崎英也らの提供楽曲を見事に歌いこなしている。2006年、実に久し振りの作品をリリースしているが、今の彼女の歌声を聞きたいファンは決して少なくないはずだ。ーーーーーーーーーーー(2)p126~127 作・編曲家・林哲司さんのインタビュー。林哲司さんが河合奈保子さんに作曲した「デビュー」、「ラヴェンダー・リップス」について、林哲司さんと鈴木ダイスケさんのインタビュー記載があり、一部を紹介します。(鈴木)林さんの曲がシングルになるアイドルを見ていると、たとえば河合奈保子さんの「デビュー」を聴いた時に、ひと皮むけさせたい歌手に難易度の高い曲をトライさせるという役割で使われたりもしていたのかなと思っていました。(林)もしかしたらそうだったかもしれない。でも自分から意識してそういう風に取り組んだのは、松本伊代さんだけですね。彼女の場合は、アイドル時代とはっきり変えたいという制作側の意図があったから、それまで(筒美)京平さんがやられていた頃の世界とは一線を画すような作り方でいいんだっていう、はっきりとしたコンセプトがあって、たとえば河合奈保子さんの作品でも「デビュー」の頃はやっぱりアイドルに近づけてるんです。でも「ラヴェンダー・リップス」あたりになると、完全に自分のエッセンスで作っています。河合奈保子という歌手には歌唱力があるんで、アイドル歌手として、自分のポップスにあてはめるっていう図式はあるかもしれない。ーーーーーーーーーーーーー↓「歌謡曲 meets シティ・ポップの時代/鈴木ダイスケ/シンコー・ミュージック・エンターテイメント/2023年12月6日発行」表紙に江口寿史さんのイラスト。(1)p41 河合奈保子さんの曲「太陽の下のストレンジャー」の紹介がある。「太陽の下のストレンジャー/作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎」*1984年6月に発売された河合奈保子さんのアルバム「Summer Delicasy:サマー・デリカシー」の1曲目が「太陽の下のストレンジャー」。八神純子さんが作曲され、歌の間奏部分は、純子さんの配偶者・ジョン・スタンレーさんがラップを吹き込んでいる。私は大学に入学した頃に購入したアルバムで、テープに落として、ウォークマンで毎日聴いていた。この歳になっても、この曲はパソコンのスタートアップに設定しており、毎日、聴かない日はないくらい大好きな曲。今朝も起きてから、すでに20回以上聴いた。↓ 河合奈保子さんのアルバム「Summer Delicasy:サマー・デリカシー」の1曲目が「太陽の下のストレンジャー」。1984年6月1日発売。「太陽の下のストレンジャー/作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎」ーーーーーーーーーーーーー↓ 八神純子さんのアルバム「FULL MOON:フルムーン」の3曲目が「黄昏のBAY CITY :たそがれのベイシティ 」。ーーーーーー↓ 八神純子 ベスト・オブ・ミー。↓「黄昏のBAY CITY :たそがれのベイシティ 」が収録されている。ーーーーーーーーーー(2)p126~127 作・編曲家・林哲司さんのインタビューより。↓「デビュー Fly Me To Love /売野雅勇作詞、林哲司作曲、鷲巣詩郎編曲、河合奈保子歌/1985年6月発売」ーーーーーーーーーーーーー↓「ラヴェンダー・リップス/売野雅勇作詞、林哲司作曲、萩田光雄編曲、河合奈保子歌/1985年10月発売」
2023.12.09
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「レコードコレクターズ増刊 CITY POP BEST100 シティ・ポップの名曲 1983→1989/ミュージックマガジン/レコードコレクターズ2023年11月増刊号/2023年11月20日発行」ですが、河合奈保子さんのレコードが紹介されています。P238:Summer Delicacy(サマーデリカシー)P254:けんかをやめてSummer Delicacyは、A面が八神純子さん、B面が来生たかおさんの提供アルバムです。「けんかをやめて」は、竹内まりやさんの提供曲です。両方ともよく聴きますが、私は河合奈保子さんと八神純子さんの大ファンなので、「Summer Delicacy」は絶対に外せない青春ソングです。P238にある、大久達朗さんの「Summer Delicacy(サマーデリカシー)」のコメントを紹介します。八神純子、来生たかおの提供曲を鷲巣詩郎と大村雅朗がアレンジした、西海岸フュージョン色の濃い1984年作。当時のファンにとってはバラディアーとしての魅力と情緒感が共に溢れる後半のミッド~メロウ路線(=来生提供曲)のほうが馴染み深いだろう。しかしシティ・ポップ感を強く感じるのはアルバム前半の八神純子楽曲群のほう。デジタル・ファンクに英語ラップを絡ませた「太陽の下のストレンジャー」や、ファンカラティーナ「夏の日の恋」での洋楽オリエンディットな編曲はまさに80年代の香り。本作以降、歌手本人の音楽的嗜好を強く反映し、同年8月にはジェフ・ボーカロ、マイケル・ランドゥ、ディヴィッド・フォスター等が参加したⅬA録音作の『Daydeam Coast』も発表した。(大久)ーーーーーーーーーーーーー↓「レコードコレクターズ増刊 CITY POP BEST100 シティ・ポップの名曲 1983→1989/ミュージックマガジン/レコードコレクターズ2023年11月増刊号/2023年11月20日発行」↓ 河合奈保子さん。p238、p254。↓ 河合奈保子さん。p238、p254。ーーーーーーーーーーー↓「Summer Delicacy(サマーデリカシー)」河合奈保子さんのアルバム。コロムビア/1984年6月1日発売。↓「Summer Delicacy(サマーデリカシー)」A面。(1)「太陽の下のストレンジャー /作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎」(2)「街角 /作詞・作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎」(3)「夏の日の恋 /作詞:三浦徳子、作曲:八神純子、編曲:大村雅朗」(4)「My Boy /作詞・作曲:八神純子、編曲:大村雅朗」(5)「幻の夏 /作詞:売野雅勇、作曲:八神純子、編曲:鷲巣詩郎」↓「Summer Delicacy(サマーデリカシー)」B面。(6)「メビウスのためいき /作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」(7)「気をつけて夏 /作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」(8)「潮風の約束 /作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」(9)「疑問符 /作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」(10)「涼しい影 /作詞:来生えつこ、作曲:来生たかお、編曲:大村雅朗」ーーーーーーーーーーーー↓ 1984年7月24日のバースデーコンサートで、「Summer Delicacy(サマーデリカシー)」1曲目に収録されている「太陽の下のストレンジャー」を歌う河合奈保子さん。ーーーーーーーーーーーーー↓「けんかをやめて」(作詞・作曲:竹内まりや、編曲:清水信之、歌:河合奈保子)
2023.12.08
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「テレ東60祭! ミュージックフェスティバル2023 一生聞きたい!昭和平成令和ヒット曲100連発」が、2023年11月15日(水)17時30分から、4時間半にわたり放送されました。テレビ東京60周年を記念した特別番組で、ヒット曲100連発とあります。河合奈保子さんは絶対紹介されると考え、仕事を残したまま、大至急で家に帰りました。思った通り、河合奈保子さんの「スマイル・フォー・ミー」を歌う映像が流れ、幸せな時間を過ごす事ができました。奈保子さんの伸びやかな歌声と、満面の笑顔を見るだけで、心が満たされます。テレ東の100連発歌番組では、必ず河合奈保子さんが入るという信頼感、安心感があり、本当に感謝しています。これからも、河合奈保子さんの紹介を宜しくお願いします。ーーーーーーーーーーーー↓「伝説アイドル」お宝映像でメドレー!*3人のうち右側は、河合奈保子さん。顔が隠してあっても一瞬で分かる。1)キャンディーズ。2)松田聖子さん。3)河合奈保子さん。
2023.12.02
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1983年に創刊された雑誌「Ⅿomoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜きがたくさんあり、河合奈保子さんの北海道での出来事について記載があるページを紹介していきたいと思います。その(4)です。(4)1985年8月の河合奈保子さん。(北海道部分は太字)8月10日、松本文化会館コンサート。2回公演で日帰り。12日は秋田で握手会。同じく日帰り。という具合に、相変わらずのスケジュールをこなし、その合間、11日は、10月3日に発売になる『ラヴェンダー・リップス』のレコーディングもしちゃった。ラヴェンダーといえば、北海道は富良野が有名! その北海道へツアー。15日は久しぶりのお休みをとった。16日は函館でコンサート。コンサートの開演までにはかなり時間があったので、早速、函館見物に。函館山から市内を一望し、立待岬や中華会館を見てまわった。それにしても、こうやって時間があれば見学に出て行くって、ホント奈保子ちゃんらしい。どこに行っても、ホテルと会場の行き来だけで、どの町も同じ・・・って人が多いんだけど・・・ネ。17日は札幌で握手会。旭川まで移動して一泊。18日は士別でコンサート。そしてコンサートのお世話をしてくれた人から、なんとゆでたとうもろこしを100本!差し入れがあった。「取りたてのとうもろこしで、私、大好物だから、2~3本も食べちゃった。おいしかったァ」毛ガニもいっしょにドサッといただいたそうで、そちらの方もみんなで”おいしい、おいしい”とかじりついたとか。19日は、取材を兼ねて、奈保子ちゃんが前から行きたがっていた富良野へ。本当は一面に咲きほこるラヴェンダーを見たかったのだけど、ラヴェンダーの季節は7月末まで。「遅咲きの花が少し咲いていただけで、ちょっと残念でしたね。でも、ラヴェンダーの香りの匂い袋や、絵はがきを買ってきたんですよ」ラヴェンダー畑の真ん中で、『ラヴェンダー・リップス』歌う奈保子ちゃん。いつかきっと見てみたい。東京に戻って21日、『夜のヒットスタジオデラックス』で、髙橋伸明さんと『君は綺麗なままで』をデュエット。テレビではこれが最後ってことだけど、是非もう一度歌って、ていう意見がたくさん寄せられているようだ。果たしてどうなるかは、未定だ。聴けなかった人へ。もう知っていると思うけど、とんがりコーンのCMで流れてるのが『君は綺麗なままで』。NAO & NOBUのNAOは奈保子ちゃんのこと。NOBUは髙橋さんのこと。もちろんシングルも発売になっている。23日はつくば・EXPO’85でコンサート。コンサートの前に、電力館の見学もした。この日のステージが、夏のツアーの最後ということになった。「毎年ツアーをやってきて、最初のころは必死でしたけど、このごろやっと、自分でも楽しみながらできるようになりました。観客のみなさんも一緒に楽しんでくれるっていうのが、とてもうれしいですね」27日、28日にテレビ、ラジオの仕事をして、29日、いよいよロスに向けて成田を出発。帰国は9月20日。ロスからニューヨーク、8000キロを車で横断するというから、おみやげ話が楽しみだね。↓ 河合奈保子さん。↓「Ⅿomoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜き。
2023.09.05
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1983年に創刊された雑誌「Momoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜きがたくさんあり、河合奈保子さんの北海道での出来事について記載があるページを紹介していきたいと思います。*記事の前半に、河合奈保子さんが10曲全部を作曲してできたLPについて記載がありますが、これは1986年10月に発売されたアルバム「Scarlet :スカーレット』です。* 河合奈保子さんの作曲活動が評価され、1986年に河合奈保子さんは「日本作曲家協会」の会員になりました。最年少で、アイドル歌手出身としては初めてです。その(3)です。(3)1986年6月~8月の河合奈保子さん。(北海道部分は太字)(1986年)6月22日チューリップ、23日阿川泰子と久しぶりにコンサートに行ってきた奈保子ちゃん。ガラッと違ったタイプのステージを連続して見ただけに、色々と勉強になったようだ。「阿川泰子さんのコンサートって初めて見たんだけど、とってもオシャレなステージなの。大人の上品さを感じさせる、独特な世界を持っている人ね」これからの奈保子ちゃんのテーマとなる”大人の歌手”というステージに、すっかり感心させられていた。その大人の歌手への第一歩ともいうべきステップが、10月に発売される予定のLP作り。全曲彼女自身の作曲によるもので構成されているが、そのレコーディングが25日から30日まで、神奈川県の観音崎にあるマリン・スタジオに合宿して行われた。午後の2時頃から夜中の12時までびっちりとスタジオにかん詰めになって吹き込みに没頭したが、他の仕事は一切入れないでレコーディングに専念しただけに、今は成し遂げた充実感に表情は満ちあふれている。今回のLPは売野雅勇さんのプロデュースによるもので、様々なキャラクターづけされた10人の女性が1曲1曲の主人公というコンセプトがある。「一人一人の女性が、性格から血液型、家族構成、仕事と決め細かく説明されていて、そしてこの曲は朝の歌、これは夜の歌という具合に、1曲ずつに物語があるのね。だからイメージがすぐに湧くからとっても歌いやすかった」朝起きて目の前の静かな海を見に行ったり、潮騒を聞きながらまどろんだり、申し分のない環境でLP作りに全力投球。10月に発売される日を楽しみに待とう。7月4日から大阪、名古屋、高山、苅谷と地方へ行ってきた。高山では雨に降られたが、古い町並みが続く市内を車で通りながらチョッピリ観光気分も。「雨にけむる高山もいいものよ」なんて言ってたけど、負け惜しみかな。11日から2泊3日で今度は北海道へ。1度は実現させたいといっていた幼なじみのОちゃんと、二人だけの旅行を楽しみに行ってきた。取材もあったが、プライベートを優先にということで大いにフリーな気分を味わう。「Оとは本当になんでも話し合える親友だから、話してもつきない事がいっぱい。夜なんかほとんど寝ないで話し込んじゃった」親友との変わらぬ友情をあたためた。14日からよみうりランド・イーストのコンサート・リハーサルがスタートした。今年で4回目になるイーストのステージ。毎年1年の総決算ともいうべき意気込みで、本人もスタッフもこのコンサートに賭けているだけに演出が年々大がかりになっていく。と同時に24日は奈保子ちゃんの誕生日でもある。23歳の心境は?「無理に背のびしないで、自然に変わっていけばいいんじゃないかなあ」と話しているが、まわりのスタッフ、テレビ、ラジオ、記者諸氏は”彼女はデビューしてから全然変わらない”というのが共通の言葉。うん、たしかにそうだ。スタッフへの接し方はデビュー以来いつも謙虚で礼儀正しい。奈保子スマイルが人気あるのがうなずける。8月5日には横須賀文化会館でコンサート。今年の夏のステージはこの2か所で終わり。あとはヨーロッパへLP用のプロモーションビデオを撮りに行ってしまう。ノルウェーをはじめ北ヨーロッパをロケするというので、奈保子ちゃんは大いに楽しみにしている。↓河合奈保子さん。↓「Momoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜き。
2023.09.04
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1983年に創刊された雑誌「Momoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜きがあり、河合奈保子さんの北海道での出来事について記載があるページを紹介していきたいと思います。その(2)です。2)1984年8月~9月の河合奈保子さん。(北海道部分は太字)8月5日、名古屋城の野外コンサート。どこも暑かったけど、名古屋もとにかく暑かった。どんなに暑かったかっていうと、こうもりが飛び出すくらい!ホントにあの黒いこうもりが飛んできたんだ。奈保子ちゃんは夢中でわからなかったけど、後で聞いてギョッ!。8日の朝、大阪から帰って、10日まで正真正銘の夏休み。だから、久し振りに片づけしたり、家での~んびり過ごした。10日は「インディージョーンズ」を見に行った。奈保子ちゃんにとって大ヒットで、2時間もアッという間。さすがスピルバーグでした。8月11日からは九州ツアー。11日は大分、12日は福岡、13日は佐世保と、連日ステージをこなしてきた。九州では、福岡で食べたキャベツがおいしかったとか。別にキャベツを食べに行ったんじゃないんだよ。焼き鳥屋さんで出てくる、ちぎったキャベツ。おかわり自由で、特製のタレをつけて食べるんだけど、これがサイコーだったのだ。九州のあとは北海道。8月16日の稚内と、17日の名寄。ここで間違いがおこった。名寄といえば北のはずれ。街の中を走る車もホテルも、クーラーなんか必要ないからついていない、ほどの土地柄。ところが、異常な暑さはここにもやってきていた。ほとんど東京と同じ暑さ。忠告を守って、冬物をどっさり持っていった奈保子ちゃん。得意の笑顔もどこへやら。ステージのあい間に、北のはずれの丘に登り、宗谷岬を眺め、あの『南極物語』のタロ、ジロに対面してきたのが、せめてものなぐさめになったかナ?18日は仙台の青葉城でのコンサート。特設の野外ステージで、初めての試み。そのせいか、思わぬハプニング。青葉城といえば森の中のお城。森の中から蚊や虫の大軍が飛んできたから大あわて。途中で大量の殺虫剤をまきながらなんとか・・・。ところで、サマー・コンサートの疲れが出たのか、9月6日に急性気管支炎のため入院。でも4日間の入院で元気回復後、秋の音楽祭へ向けてスパート。↓河合奈保子さん。↓「Momoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜き。
2023.09.03
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1983年に創刊された雑誌「Momoko」(学習研究社)「IDOL放送局」コーナーの切り抜きがたくさんあり、河合奈保子さんの北海道での出来事について記載があるページを紹介していきたいと思います。その(1)です。1)1984年6月~1984年8月の河合奈保子さん。(北海道部分は太字)(1984年)6月28日の厚生年金ホールで、全国40カ所のコンサートツアーの幕を閉じた。反応が心配された北海道、23日の北見、24日の釧路も、総立ちの大盛況で、ほんとヨカッタ!おつかれさま。で、40カ所もまわってしまう力がどこから出てくるのか?それは、あの素直な性格と旺盛な食欲からなのだと思う。北見では、地元の業者の人が、カニをビックリするくらいたくさん持ってきてくれた。ちょっと時期はずれだったのが残念だけど、それでもじゅうぶんおいしい。それを、植木ばさみを使ってバキバキ割って食べた。奈保子ちゃんはじめスタッフ一同、いやになるほど食べたとか。(ゴックン)それだけでは終わらない。次の釧路でも、じゃがいものおだんごのけんちん汁(これが安くてたっぷりでおいしくて、サイコーだって)、ほっけ、アスパラ、とうもろこし、やきとり・・・etc。その上、いくらやカニのお土産もどっさりいただいて。これらが奈保子ちゃんの活力となって夏のコンサート”サマースペシャル’84”も大成功まちがいナシ!6月27日には水泳大会に参加。(大磯)ロングビーチマラソンでは(松本)伊代ちゃんと組んで、(石川)秀美ちゃん、(堀)ちえみちゃんチームにちゃっかり引っぱってもらって4位。特別賞でバックのセットを獲得してしまった。7月3日。MBSのヤンタンの初日。毎週火曜日の10時から1時までの生番組をレギュラーでやってるんだ。7月12日から21日まで、合歓(ねむ)の郷で、(石川)秀美ちゃんと合同のコンサート合宿。”サマースペシャル84”は、7月24日のよみうりランドオープンシアター・イーストを皮切りに、8月2日の宇都宮まで14か所。屋外が、イーストをはじめ、29日の大阪城、8月5日の名古屋城、同18日の青葉城の4か所。8月28日には、ロスでのLP『DAYDEAM COAST :デイドリームコースト』が、9月1日には、作詞・売野雅勇のニューシングル『唇のプライバシー』が出る。↓ 河合奈保子さん。「Momoko」の「IDOL放送局」切り抜き。
2023.09.02
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「奈保子しんぶん Vol.31 昭和60年(1985年)9月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」に、河合奈保子さんが北海道・富良野を訪れた印象や、自分で撮影した富良野の風景写真が掲載されていました。少し紹介します。Q)最近嬉しかったことを教えてください。A)やっぱり雑誌の取材で、念願の北海道・富良野へ行けたことがいちばん嬉しかったー!でも8月に行ったので、時期がはずれて花が咲いてなかったことが残念でしたけれど。7月の半ばから下旬がいちばんいいんですってね。7月最後の日曜日に行なわれるラベンダー祭りが終わると、いっせいに刈り取っちゃうんです。だから行ったときはラベンダーは見れなかったけれど、あぶら菜や黄色い花が咲いててきれいでした。なだらかな丘がずーっと続く風景もすばらしかった。あれはなかなか見れないもんじゃないかなって思いました。夜は星がきれいで、車に乗っていながらも、なんと流れ星を2つも見れたんです! 小さい星までもくっきりとたくさん浮かんでいて、「うわーっ、さすが北海道だなー!」って感動してたら、地方の方が、これでも今日は、見れないほうです、ておっしゃって・・・。そのとき、いかに東京って星が見えない所かとういうことを実感しました。夢に見ていた富良野・・・。思ったとおりの場所でした・・・。次に行くときは、お友達とワイワイしながら行きたいです。↓「奈保子しんぶん Vol.31 昭和60年(1985年)9月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」↓富良野で写真を撮る奈保子さん。↓ 奈保子さんが撮影した富良野の風景。↓「奈保子しんぶん Vol.31 昭和60年(1985年)9月発行/芸映プロダクション・芸映友の会・河合奈保子FC編集部」↓ 富良野の記事がある。↓ 河合奈保子さん。
2023.09.01
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1984年6月21日、「スタードッキリ㊙(まるひ)報告」で、河合奈保子さんのドッキリが紹介されました。北海道・札幌市でのドッキリでしたが、番組でVTRが紹介された後、奈保子さんは17枚目の新曲「コントロール」を歌いました。「コントロール」は作詞:売野雅勇さん、作曲:八神純子さんで、1984年6月1日にリリースされました。メロディラインが八神純子テイストで、奈保子さんの歌声と振付、そして黒い衣装がピッタリです。私は八神純子さんと河合奈保子さんの大ファンで、先日も八神純子さんのコンサートに行きました。サイン会で純子さんに「純子さんと奈保子さんのファンで、純子さんが奈保子さんに提供した歌を聴いています」というと、純子さんがすぐに「コントロール」と笑顔で言われました。シングル曲「コントロール」のB面は、八神純子さんの「夏の日の恋」で、奈保子さんが歌っています。シングルと同時にアルバム「Summer Delocacy (サマーデリカシー」が発売され、A面5曲は全て純子さんの提供曲で、「太陽の下のストレンジャー」「街角」「夏の日の恋」「My Boy」「幻の夏」と続きます。純子さんと奈保子さんが融合したようなゴキゲンな曲です。↓ 「コントロール」を番組で歌う奈保子さん。↓ ドッキリの再現シーン。 奈保子さんが涙を流し続けた。
2023.08.31
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1984年6月21日、「スタードッキリ㊙(まるひ)報告」があり、河合奈保子さんのドッキリが紹介されました。河合奈保子さん 北海道でのドッキリ(5)です。河合奈保子さんが北海道・札幌の宮の森ガーデンでジンギスカン料理を食べていると、ファンの集いに参加した怪しい男性が、奈保子さんにプレゼントした子羊をさばくので食べようと言い出しました。先ほどまで「メリー」と呼んで触っていた羊が肉にされるという事で、「いいです!」と何度も奈保子さんが止めさせようとしました。奥の調理部屋では、子羊につけていたリボンを肉の皿に付け替えて、奈保子さんの前に持っていきました。謎の男が、肉がぴくぴくしているとか言い、奈保子さんは涙が止まりませんでした。結局、松岡レポーターが「ドッキリ」を宣言し、「大成功」となりました。↓ 可愛いと触っていた羊が急遽さばかれることになり、驚く奈保子さん。↓ 店の奥で、羊のリボンを肉の皿に付け替える。↓ 「丁度良い肉だな。まだ骨がついているな」と生々しく言う謎の男。↓ 謎の男性が「肉がまだ動いている」と言った。↓ ショックで何もいう事ができない奈保子さん。↓ 涙ぐむ奈保子さん。↓ とめどなく涙がこぼれる奈保子さん。↓ その後、松岡レポーター登場。↓ ドッキリに気が付く奈保子さん。↓ ドッキリ大成功。
2023.08.30
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1984年6月21日。「スタードッキリ㊙(まるひ)報告」があり、河合奈保子さんのドッキリが紹介されました。河合奈保子さん 北海道でのドッキリ(4)です。河合奈保子さんは北海道・札幌・東急百貨店の「ファンの集い」を行った後、宮の森ガーデンで食事をしました。食事でジンギスカン料理を食べている時、怪しい男性が日本コロムビアの方の紹介という事で、奈保子さんのテーブルに座りました。その男性は「ファンの集い」で大きな箱を奈保子さんにプレゼントしたと話したので、奈保子さんはその事を思い出しました。男性は、箱の中には自分の牧場で育てた子羊を入れていたと言い、スタッフの方と一緒に、箱の中に入っていた子羊を持ってきました。奈保子さんは子羊の名前(メリー)と呼びながら、持って帰ろうか迷っていましたが、やはり東京の自宅には犬がいるので、羊は持って帰れないと奈保子さんが言うと、男性が子羊をおろして、肉にして食べようと提案しました。ビックリした奈保子さんは、「いいです!いいです!」と言って何度も断ろうとしました。↓ 北海道・札幌 宮の森ガーデンで、ジンギスカン料理を食べる河合奈保子さん。先ほどの男が登場。↓ 男性は、日本コロムビアの方の紹介で来たと挨拶した。↓ 挨拶をしながらもジャガイモをむさぼる奈保子さん。↓ ジャガイモを食べる奈保子さん。↓ 「肉をもっと食べてくださいよ。ここは僕のサインで全部できますから」と気前の良いことを言う謎の男性。↓ どんどん食べる奈保子さん。↓「さっき私が会場に行っていたの、わかりましたか? 大きなプレゼントを持っていった」と謎の男性が言った。↓「ああっ、どうも」と言って、やっと男性が会場の客だと分かった奈保子さん。奈保子さんが「あの大きな箱の中身は?」と聞いた。↓ 男性は「奈保子ちゃんが動物が好きだという事で、うちの牧場にいた羊を箱に入れた」と言った。↓ 「ええっ! 中身は羊なんですか?」と驚く奈保子さん。↓ 「羊は好きか」と聞かれ、「好きです」と答える奈保子さん。↓ プレゼントの羊を持ってくるため、スタッフの方と謎の男性が席を空けた。男性の素性を不審がる奈保子さん。↓「奈保子ちゃんに持って帰ってもらおうと思った」と言って羊を持って来た怪しい男性。↓ 可愛い子羊。↓ 羊にお手をさせる奈保子さん。↓「メリー」と名を呼ぶ、動物好きの奈保子さん。↓ 「奈保子ちゃんのレコードも、びっちり集めているんですよね」と自分を売り込む謎の男。↓ 男性が「新曲の『コントロール』。それからその前の『ロックンルージュ』とかね」と言ったが、「『ロックンルージュ』は聖子ちゃん」と奈保子さんが訂正した。↓ 「家に犬がいるんですよ。(羊は)どうしようかな」と悩む奈保子さん。↓「(うちに)来る? メリー」と羊に声をかけた奈保子さん。↓男性が「羊を食っちゃうかい?」と言った。↓ 男性が店の人を読んで「羊をおろしてよ」と言った。↓「いいです! いいです!」と言って、必死に止めようとする奈保子さん。↓「大丈夫ですよ!」と必死の奈保子さん。
2023.08.29
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1984年6月21日、「スターどっきり㊙(まるひ)報告」があり、河合奈保子さんのドッキリが紹介されました。河合奈保子さん 北海道でのドッキリ(3)です。河合奈保子さんは北海道・札幌の東急百貨店屋上での「ファンの集い」終了後、宮の森ガーデンで食事をしました。お腹が空いていた奈保子さんは、ジンギスカン料理を夢中で食べます。奈保子さんはいつも自然体で、そこが魅力なのだろうと思います。↓ 宮の森ガーデンでジンギスカン料理を食べる奈保子さん。
2023.08.28
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