星とカワセミ好きのブログ

2020.10.13
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カテゴリ: 国内旅行(関西)
2015年6月26日、滋賀県大津市を散歩し、1891(明治24)年の「大津事件」の現場に行きました。
「此附近露國皇太子遭難之地(このふきんろこくこうたいしそうなんのち)」という碑が建っています。

1891年5月、ロシアのニコライ皇太子は、シベリア鉄道の建設委員長としてウラジオストクで行われる起工式出席の途中に、プライベートな観光旅行で来日しました。
5月11日、琵琶湖遊覧後に京都へ向かう途中、滋賀県大津市内で警備をしていた津田三蔵(つださんぞう)巡査によって切り付けられ負傷したのがこの現場です。

第一次松方内閣はロシアとの関係悪化を苦慮し、犯人に対して日本の皇族に対する大逆罪を適用して死刑にするよう裁判所に圧力をかけました。しかし、ニコライ皇太子は日本の皇族ではないので、法を曲げて大逆罪を適用することはできないとして、大審院長の児島惟謙(こじまこれかた)は政府に反対し、津田を適法の無期従刑(むきとけい)に処させ、司法権の独立を守りました。

同月、ロシアはシベリア鉄道を起工し、東方政策が進展します。ニコライ皇太子は1896年5月に戴冠式を行い、ロシア皇帝ニコライ2世となりますが、ロマノフ朝最後の皇帝となります。

1904年には日露戦争が始まりました。1905年には旅順要塞を陥落させ、奉天会戦で辛勝し、5月の日本海海戦では、日本の連合艦隊がヨーロッパから回航してきたロシアのバルチック艦隊を全滅させました。1905年9月にアメリカのポーツマスで日本全権小村寿太郎と、ロシア全権ヴィッテが講和条約(ポーツマス条約)に調印しました。




↑ 1891(明治24)年の「大津事件」の現場。
「此附近露國皇太子遭難之地(このふきんろこくこうたいしそうなんのち)」という碑。


↑ プレート。


↑ 道の角に碑とプレートがある。


↑ 大津市のロシア皇太子遭難地の碑の場所。大津祭曳山展示館の近く。



↑ クロニック世界全史/講談社。
妻と結婚するときに、妻に頼んで買ってもらった本。高価だった。


p882。 1891年の記事。



↑ ロシア皇太子ニコライが大津の街路で遭難。犯人は大逆罪適用で悶着。



↑ 皇太子ニコライの写真。






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↑ 詳説日本史 改訂版/山川出版社。


↑ p264。大津事件の記載がある。







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最終更新日  2020.10.21 08:25:48
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