星とカワセミ好きのブログ

2021.03.07
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2020年11月22日、京王よみうりランド駅から読売ジャイアンツ球場に行く途中、山道に入って小沢城跡へ行きました。

小沢城址にある掲示板「小沢城址 (平成19年12月吉日 小沢城址里山の会 多摩区まちづくり推進協議会)」を見ると、城の歴史が詳しく書いてあり、とても勉強になります。

小沢城は、鎌倉時代、北の防衛線として作られた山城だそうです。近くは多摩川が流れ、天然の要塞として、府中方面を見渡せる拠点でした。

城主は稲毛重成(いなげしげなり)で源頼朝(みなもとのよりとも)の重臣でした。妻は源頼朝の妻・政子の妹の綾子です。愛妻家だったそうですが、妻の綾子が亡くなると出家し、城を長男の小沢重政(おざわしげまさ)に譲り、4キロ南にある桝形城(ますがたじょう)に移りました。
桝形城跡は小田急線向ヶ丘遊園駅近くの生田緑地にあります。近くには藤子・F・不二雄ミュージアムや川崎市立日本民家園があり、見に行ったことがあります。

小沢城の近くは、鎌倉街道が通る交通の要衝で、鎌倉時代から戦国時代にかけてたびたび合戦の舞台となったそうです。下記の合戦が紹介されていました。

① 鎌倉時代末の元弘3年(1333年)、新田義貞(にったよしさだ)の軍勢と北条高時(ほうじょうたかとき)の幕府軍が小沢城近くの分倍河原(ぶばいがわら:府中市)で合戦をしました。「太平記」には、多摩川の防衛線を破られた幕府軍は新田義貞によって滅ぼされた事が記されています。

②南北朝時代には、足利陣営の分裂により観応2年(1351年)、足利尊氏(あしかがたかうじ)の弟・直義(ただよし)の軍勢が立てこもる小沢城を、足利尊氏の子・義詮(よしあきら)の命を受けた関東の武士・高麗経澄(こまつねずみ)が攻め落としました。

③戦国時代の永世元年(1504年)には、扇谷上杉朝良(おうぎがやつうえすぎもとよし)を助けるため、北条早雲(ほうじょうそううん)の軍勢が山内上杉顕定(やまうちうえすぎあきさだ)の軍を打ち破りました。

④享禄3年(1530年)には、小沢城の争奪戦があり、城近くの小沢原で北条氏綱(ほうじょううじつな)の子・氏康(うじやす)と武蔵最大の勢力を持つ上杉朝興(うえすぎともおき)との大きな戦いがあり、若干16歳で初陣した北条氏康方の勝利が「小田原記」に記されています。

この小沢城址には、空堀、土塁、物見櫓、館、馬場、井戸跡などの遺構が残っています。江戸時代には富士山信仰の場として利用されました。小沢城址の峰沿いには、文化3年の祠や、万延元年の富士登山33度大願成就の記念碑があります。




↑ 小沢城の位置。
京王よみうりランド駅と京王稲田堤駅の間にある。多摩川の近く。



↑ ジャイアンツ球場に行く途中から小沢城址に進んだ。


↑ よみうりV通りの途中に、小沢城址に行く多摩自然遊歩道入口がある。


↑ 多摩自然遊歩道を進む。





↑ 天神坂。


↑ 祠。





↑ 小沢城址。


↑ 小沢城址。


↑ 小沢城址の自然遊歩道。



↑ 小沢城址の石碑。


↑ 小沢城址にある掲示板「小沢城址 (平成19年12月吉日 小沢城址里山の会 多摩区まちづくり推進協議会)」。大変詳しい説明が記載されており、勉強になった。



↑ 富士登山の記念碑。


↑ 大きな碑は昔の冨士講(富士山信仰の講社)の33回登山記念碑で、明治9年(1876年)に建立された。


↑ 小さな碑は、さらに古く万延元年(1860年)に建立された。















↑ 物見台。
鎌倉時代から南北朝、室町、戦国時代に至る約380年にわたり、敵を見張っていた場所。当時は江戸から秩父方面まで関八州が広く見渡せた。





↑ 古井戸の跡。
小沢城の古井戸の跡で、台地の下にあった館の生活用水として使った。
昔は深い穴だったが、危険であるため付近にあった「つぶて石(城の防御投石用の石」などで埋めたと言い伝えられている。






↑ 浅間山。


↑ 浅間山と浅間神社。



↑ 浅間神社は富士山信仰の神社だが、碑には「武州橘樹郡菅村 世話人惣村中 文化三寅年」とある。















↑ 屋号の物語。
ここから先方に見える家は、昔から屋号が「鷹の巣(たかのす)」と伝えられている。由来は徳川将軍家が明和10年(1729年)頃から稲毛領の村々をお鷹狩場として、度々鷹狩が行われた。
一行が当地に宿泊したとき、お鷹匠役人の定宿になっていたので「鷹の巣」と屋号がつけられた。












↑ 記念撮影。





↑ 稲田(菅)探照灯基地跡。
多摩区の丘陵地帯には、太平洋戦争の末期まで、米軍の空襲に備え数か所の探照灯基地があった。
探照灯は高い空を飛ぶB29爆撃機を照射し、高射砲と連携して攻撃するための物。
この付近の窪地にも防空隊の探照灯基地があり、兵舎、電源車、探照灯、調音機などが設置されていた。















↑ 下りた所。





↑ 京王稲田堤駅まで歩いて行く。








↑ 天宿橋。


↑ 三沢川。








↑ 京王稲田堤駅が見えてきた。


↑ 京王稲田堤駅。






















↑ 京王稲田堤駅。





↑ 調布駅まで乗車する。








↑ 多摩川を越える。





↑ 京王閣競輪場。


↑ 調布駅。





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最終更新日  2021.03.21 08:05:25
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