星とカワセミ好きのブログ

2023.02.12
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カテゴリ: 星 / Stars
手元にある「月刊天文ガイド 2013年11月号」の切り抜きですが、「藤井旭が見に行く白河天体観測所物語」の記事があります。

記事の見出しには「すっきり店じまい宣言 白河天体観測所の『ああ楽しかった』の50年」とあります。
白河天体観測所を閉めることになり、50年の歴史を振り返り、藤井旭さんが記事を書かれています。
冒頭は次のように始まります。

われらが敬愛する村山定男先生が亡くなりました。89歳でした。
長年天文界で公私にわたって大活躍されてきたことはよくご存じの通りですが、私的な面では、白河天体観測所の創立のメンバーのお一人として心から天文ライフをエンジョイされていたことも、またよくご存じのことでしょう。白河天体観測所の所長犬はチロで、これは”永久欠番”扱いとしてずっと変わることはありませんでしたから、村山先生が代表というわけのものでもありませんでしたが、創立メンバー5人の間では初めにある”決めごと”がありました。5人のうちで天界と下界の比率が3:2になったとき、観測所は店じまいにしよう」というものでした。村山先生が天界に昇られた今、創立メンバーの比率は村山先生と小山ヒサ子先生、そして横浜の長井保さんお天界組が3人、下界組は埼玉の髙橋實さんと私めの2人で、その3:2になってしまったのでした。それにチロを加えれば4:2となって、下界組にもはや勢いはありません。
で、髙橋さんと相談、創立時の”決めごと”どおり「あっさり、すっきり店じまい」すべきとの結論になりました。もちろんそれには東日本大震災と福島原発からの放射線被爆という、思ってもみない大事件に引き込まれ後押しされてという特殊事情もあってのことですが、人の活躍できる一生分に近い50年もの歳月を思いっきり楽しませてくれた白河天体観測所の幕引きを突然ながらここで宣言できるとは、なんたる幸せ、「めでたし、めでたし」といったところではありませんか。そこで、今回は白河天体観測所でのなんともにぎやかなメンバーたちの大活躍の足跡を振り返って「想い出のアルバム」風にまとめ、紹介して見る事にしました。

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記事の中には、「東日本大震災の激震と原発の放射線被爆」として、状況が次のように紹介されていました。

これは(村山定男先生が)亡くなる半年前の事、慈恵医大に入院中の村山先生を見舞った時の会話です。
「・・・あの大震災(2011年3月11日)から2年、やっぱり白河天体観測所の復旧はムリなんだろうか・・・」
「はっきりいってダメだと思います。望遠鏡類は烈震による機械部分の損傷が大きく、建物は震度7の激震とその後も続く強い余震に耐えられず、旧暗室などは崩壊、さらに地盤が那須の火災灰地で弱く、一種の液状化現象で全体が上下左右に傾いてしまいましたから・・・。解体もやむをえんでしょう・・・」
「コンクリート打ちなど、我われ素人の手でやったしろものだからねえ・・・」
「それにもっと致命的だったのは、福島原発からの放射線をたっぷり浴びてしまったことです。放射線測定の専門家の品川征志さんによれば、線量は周辺の町よりずっと高く、除染の研究家の川上勇さんによれば、山の中なので除染作業は困難。ざっと30年は待たなくちゃダメでしょうとのことでした・・・」
「30年もねえ・・・。観測所のメンバーたちが歳をとって、いずれは”店じまい”というのは想定内のことだけど、大震災と放射能のダブルパンチを喰らうとは、さすが想定外のことで参ったなあ・・・」
「観測所の周辺は放射性物質がふりかけのように降りそそいたといわれてますから・・・。でも、まあ50年近くイタズラ者やコソ泥、野生生物の進入など小さなできごとがときおりあったとはいえ、人身事故のようなものはまったくなく楽しめたのは、実によかったと思っています・・・」
「うん、うん、実にそうだねえ・・・。まもなく天界と下界のメンバーの比率が3:2、チロを含めると4:2になるだろうから、キミに余力のあるうちに設立時の”決めごと”どおりにしてもらうのがいいかな・・・。なんか妙な遺言みたいだけど・・・。アッハハハハ・・・」

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「月刊天文ガイド 2013年11月号」P82
「すっきり店じまい宣言 白河天体観測所の『ああ楽しかった』の50年」
(藤井旭さんの記事)



↓ 那須連峰と白河天体観測所



↓ 白河天体観測所とチロ天文台のステッカー。
白河天体観測所と、オーストラリアのチロ天文台のシンボルマーク。




↓ 村山定男先生(1924~2013)
火星の超大接近で話題になった2003年、オーストラリアのチロ天文台で生涯最後の火星スケッチを終えて大満足の笑顔です。




↓ 東日本大震災の惨状
2011年3月11日午後2時46分に起こった大地震で、白河天体観測所は復旧が困難なほどの大きなダメージを受けてしまいました。


↓解体された60cmチロ望遠鏡
大地震による損傷と福島原発の爆発からの大量の放射線を浴び、解体のやむなきに至りました。

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ふくらむ夢
1968年の夏から、いよいよ白河天体観測所の工事が始まり、創立メンバーたちもみんな若く、夢の実現の始まりに元気いっぱいでした。



↓初期の観測所の姿
森の中にたたずむ小さな天文台でしたが、当時の天文ファンたちの憧れをつのらせました。


↓ 白河天体観測所雪景色
深い雪にとざされた観測所周辺をパトロール中のチロです。



↓ 白河天体観測所の全景
右側の増築部分屋上にもさまざまな機材が設置され、コンパクトながらより充実した観測所となりました。


↓ チロの星まつり「星空への招待」会場で
毎年夏休み、全国の天文ファンたちが集まって手作り星まつりを楽しみ、代表チロの歓迎のごあいさつが大好評でした。その後会場だった福島県磐梯吾妻スカイライン山頂には浄土平天文台がオープンしました。

↓84cmチロ望遠鏡完成
星空への招待会場で、参加天文ファンたち総がかりで組み立て上げられました。




↓富士山麓を行くチロ望遠鏡
最近世界遺産に登録されて話題の富士山麓でのハレー彗星観望会にも出かけました。
移動台車は運輸省からの特別許可をもらったものです。


↓ ハレー彗星観望会のステッカー
チロ望遠鏡でハレー彗星を見た人たちに、その証明用として手渡され大喜びされました。


↓60cmチロ望遠鏡
84cmのチロ大口径樹の移動はちょっとたいへん。そこで、ひとまわりコンパクトな60cm移動用チロ望遠鏡がのちに手作りされました。観測所のメンバーたちにも体力の問題がでてきたせいもありますが・・・《熊本城の観望会場で)



↓オーストラリアにチロ天文台設立(1995年)
オーストラリアの星仲間たちと意気投合、白河天体観測所とは赤道をはさんだ南天観測所の夢が実現しました。これは月夜の番に写したチロ天文台の2つのドーム上をめぐる星の南極の日周運動の様子です。


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「月刊天文ガイド 2013年11月号」の切り抜き。


P82~83


↓P84~85


↓P86~87


↓P88~89



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白河天体観測所の事が記載されてある本

↓「白河天体観測所 日本中に星の美しさとを伝えた、藤井旭と星仲間たちの天文台/藤井旭/誠文堂新光社」



↓「ふじい旭の新星座絵図/藤井旭/誠文堂新光社」



↓「すばらしき星空の饗宴/藤井旭X三田誠広/誠文堂新光社」



↓「星になったチロ 犬の天文台長/藤井旭/ポプラ社」





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最終更新日  2023.02.20 08:46:25
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