星とカワセミ好きのブログ

2023.09.09
XML
カテゴリ: 美術 / Art
2023年4月から、NHK連続テレビ小説「らんまん」で、日本の植物学者・牧野富太郎博士の生涯がドラマとして紹介されています。あいみょんが主題歌「愛の花」を歌っています。

2016年9月25日、私は東京都練馬区の「牧野記念庭園」に行ったので、写真を紹介します。

昭和33年(1958年)1月18日に、牧野博士は逝去されましたが、東京都は博士の住居跡を「牧野記念庭園」として保存するという意志を、博士の没後わずか3カ月足らずという短期間で表明したそうです。

牧野記念庭園に行くと、石碑に牧野博士の有名な「花在ればこそ 吾れも在り」という言葉がありました。記念館では、牧野博士の業績が分かる資料が展示されていました。

大泉学園駅から歩いて牧野記念庭園まで行きました。大泉学園駅には、銀河鉄道999のメーテル像もあります。

ーーーーーーーーー

【東京都練馬区立 牧野記念庭園】 (2016年9月25日の写真)
↓ 牧野富太郎博士の胸像。


↓ 牧野記念庭園入口。


↓ 庭園内。


↓ 曼珠沙華。






↓ 「花在ればこそ 吾れも在り  牧野富太郎」。


↓ 練馬区立牧野記念庭園の紹介。



↓ 富太郎命名植物
明治22(1889)年、日本で初めての命名植物となった「ヤマトグサ」をはじめ、新種、新品種を含め富太郎による命名植物は1500種類を数えます。富太郎による命名植物は野生植物だけでなく、野菜や花卉なども含まれ、私たちの身近にある植物全てが富太郎の研究対象となっていました。
富太郎が「日本の植物分類学の父」と言えるのは、その数だけでなく対象の幅広いことにもよります。



↓ 全国踏査地図。
富太郎は、沖縄を除く日本の全ての都道府県で植物採集を行いました。採集した植物は、夜を徹してその日のうちに自分で押し葉にしています。長い採集の旅に出た富太郎の自宅には、最終先から大量の押し葉が送られ、届いた押し葉を乾燥させるのが家族の役目でした。富太郎は植物採集に日本のみならず、当時日本の領土であった台湾と満州にも出向いています。こうして生涯で採集された植物標本は約40万枚にもなります。


↓ 牧野富太郎博士のパネルと記念撮影。


↓ 牧野富太郎博士。





↓ 記念館の中。


↓ 牧野日本植物図鑑。












↓ 大泉学園駅。


↓ 大泉学園駅と牧野記念庭園の位置。


↓ 銀河鉄道999のメーテル。


↓ メーテル。


↓ 松本零士氏のサイン(2009年3月8日)有り。





↓ メーテル像。


↓ 鉄腕アトム像。








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2023.09.27 12:24:59
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: