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5月の週末、京都駅経由で大津駅に降り立ったのはいつもの東海道、弥次喜多(夫と私)2人だけではなくほかに3人の道連れがいた。娘達と長女の夫。
最後を一緒に歩いてくれると言うのだが、どうだか。ちゃっかり泊まりの京都ホテルは「ウエスティン都ホテルのデラックスルーム」が良いとか、ホテルのコンシェルジュで聞いて夕食はおばんざいの食べられる美味しい店がいいとか。品川からの新幹線代、ホテル代5人分は結構出費で有った。
おまけに京都間じかになって「荷物は京都駅のロッカーに入れておけばいいわよね」と娘が言う。見れば下げた布袋に宿泊用品一式。その夫はと見ればなんとこれから歩くというのにボストンバックを下げている。「ウェスティン都ホテルは東海道上に有るでしょ。京都駅は出ない」
「えー!」ということでリュックサックを背負って来た私と夫が5人分の荷物をリュックに入れて背負うことになってしまった。
ポーチ1つで身軽に歩く娘達+その夫。なんかおかしい。
「 おおさか まで行ったら、リュック背負うの代わってよね。」私が言う。
「大坂でいいの?じゃあ、京都より向こうだから背負わなくいいんだ」
次女は地図に弱い。しめしめ。
旧東海道大津宿。前回から間が空いてしまったので、しょっぱなから道を間違える。東海道にやっと復帰したと思ったら、「私達、琵琶湖を見たことがないよね」というじゃないか。私と夫は前回、ブログ友達の ringo さんに連れて行ってもらって見たが、しょうがないからとりあえず大きく道を逸れて琵琶湖へ。
ringoさんに教えてもらった東海道上に有るうなぎやさん、「かねよ」に寄りたい人が若干1名。鰻を奢ってもらえるなら是非寄りたい人が3名。かねよには普通に歩いても11時の開店前には着いてしまう。
そこで琵琶湖から琵琶湖疏水を見学がてら三井寺見物をし時間を稼ぐ。
人数が多いとどうしてこうもちゃッちゃっと事が進まないのだろうかと嘆きながら東海道に復帰した頃は寄り道し過ぎて12時を過ぎていた。
蝉丸神社通過。神社の参道の途中に電車の踏切がある。面白いが神社には寄り道しない。鰻まっしぐら。
「逢坂に着いたよ」次女に声を掛ける。
「えー!」
「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」百人一首は小さい時から家族でやっていたので次女も知っていた。しかし、それがどこにあるかとなると、私も知ったのはつい最近だった。「残念でしたね。ここは おおさか ですから、約束ですからね」
また、蝉丸神社。
国道をそれ旧東海道の脇道に入るとすぐに「かねよ」が有った。うーんどうなのかな、鰻より卵焼きが大きい。どうせ諏訪の「古畑」と鰻の大きさ厚さを比べてしまい、味の結論は決まっているので、私はうな丼を注文しておいた。それに人よりカロリーを密かに抑える。
鰻を食べて歩き出すと、また、蝉丸神社。だんだん大きく立派になる神社。
そこからは旧東海道は山科に入る。
「天智天皇陵が近くにあるけど寄る?」「うん、もちろん」全員一致で返って来た。寄り道しないわけないか。
陵の入り口は東海道上に有った。そこからずっとひっそりした参道を奥へ進むと陵。東海道は暑いのに緑生い茂る参道は涼しく、小鳥の声があちこちから聞こえて来た。天智天皇といえば奈良と思い浮かべるがそうだった、大津近江の宮だった。習った歴史と地理がついて来ない。歴史だってきちんと地理を抑えなければどうして物事がそうなったか、どうして物事が起こったか分からない。
陵を過ぎると大きく横道にそれ住宅地の中の細い道を進みやがて山道に入って行く。昔の面影は残っていない。
もうすぐだ。もうすぐ京都。この坂を越えるときっと京都の町が見える。私には京都の匂いと町の喧騒が聞こえるもの。そして、フィナーレを迎えるのだ。
そのあたりに来ると、リュックサックを背負った人々がたくさん居た。しかし、どの人も東海道の旅人ではない。私達と違う雰囲気を嗅ぎ取る。彼らは京都の歴史探訪の人たちなのだ。東海道の旅人とは違う。
私は自然と足が速まるのを感じた。三条大橋はどうやって私達を迎えてくれるだろうか。
このカーブを曲がると何度も来たことのある京都、蹴上げが見えるはず。
10分後、私達は蹴上げにあるウエスティン都ホテルにチェックインしてホテルのカフェでウェルカムドリンクを飲んで、ホテルオリジナルケーキを食べていた。
いやあ、まだ、東海道は終わってないんですけれどね。ちょっと休憩。チェックインして荷物を置き、再出発。
休んだことでちょっと気の抜けたサイダーのようになってしまったモチベーション。持続させねば。
三条大橋はもうすぐそこ。
そしてラストは非常にあっけなくやって来た。
夕暮れ時の三条大橋にはイベントで集う若者がぎっしり。Vサインして東海道完歩写真を撮るのも気恥ずかしい。人々は私達が東京から500Km歩いて来たのなど何もしらず通り過ぎていく。橋の上で感慨にふける静けさもない。皆、流れていく。
「横断幕持ってこなくて良かった。恥ずかしいものね。」長女が嘯いた。
道行く人に橋の上で家族写真を撮ってもらい、私達はそそくさと三条大橋を後にした。
昔の旅人だってこんなものさね。
橋の袂の弥次喜多がそう言っていた。
東海道五十三次の旅パート1
完
うん?パート1?
思い興せば私が日本橋を出発したのは2年2ヶ月前。その時は1人旅。夫がボディーガードとして参加したのは箱根の関を超えるところから。夫はその区間歩いてないのだ。
そういうことです 。
先週の土曜日、私と夫と次女は東京日本橋に立っていた。
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