イベント・ショー 0
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12月13日、ダナン最終日になって、やっと気温も上がり、きれいな青空が広がった。ホテルのチェックアウトは午前中だったけれど、飛行機が夜中出発だったので、夜の7時ごろまで部屋の使用時間を延長した。この費用は6000円ぐらいだったかな?朝食に、今度はチキンフォーを頼んで、作ってもらった目玉焼きに、パクチーをのせて、ニャチャンでも作ってもらったけれど、これは美味しい。ちょっと休憩してから、せっかくいいお天気なので、水着に着替えてプールへ。インフィニティープールの方は、中国人の観光客が多かったので、人の少ないバーカウンターのあるプールへ。レベルルーム専用プールも、このプールも水深は、130~140㎝とかなり深い。以前は160cmだった私の身長は、骨が悪くなってくるにつれてだんだん縮んでいってるようで、床に足を付けたらアップアップした感じで、水中歩行ができない。少し泳いでは、壁面につかまり、また泳いでは、バーカウンターの椅子に座りと、のんびりプールを楽しむ感じじゃなかった。デッキチェアーで休憩しながら、プールバーにベトナムコーヒーを注文して、ちょっと一息。プールを楽しんだ後シャワーを浴びて、ラウンジでお昼を食べてからは、部屋のベッドに寝ながらまったり。5時ごろには、荷物をまとめてチェックアウトしに行った。空港へは、9時ごろにタクシーをお願いして、レベルルーム専用のフロントで、ジュースなどを飲みながら休憩していた。そこで目に留まったのが、このフットスパ。15分で5ドル。時間はたっぷりあるし、1時間頼むことにした。スパの人が2人来てくれて、丁寧にふくらはぎなどのマッサージをしてくれた。夕食は、ホテルの食堂で。写真で、幕の内みたいなお弁当だなあと思って頼んだのがこれ。お刺身に天ぷら、味噌汁、そしてプルコギにキムチと、珍しい和韓折衷。9時ごろに、タクシーで空港へ。前日ホイアンへ行ったのと同じ運転手さんだった。窓からのダナンの明かり。空港で、お土産を買って、出発までカフェオレを飲みながら休憩。パスポートと比べてみてもわかる通り、このカップは直径20ぐらいあって、とっても飲みごたえがあった。帰りの飛行機も、横に3人3人。座席の周りは、すごく混んでいたけれど、途中トイレに立った隣の人が帰ってこない。自分もトイレに行ってわかったけれど、私たちの前後4列ぐらいの他はガラガラ。0時30分発、関空7時着の夜行便なので、3人掛けの椅子に寝転んでいる人がいっぱいいた。HISで固めて座席を確保していたのかな?私も別の席で寝ようかなと思っていたら、電気がついて朝食の準備が始まった。関空へついて、車を駐車場に置いていたので、Tさんを送っていって、8時前には家に着いた。関空に近いから、電車やバスで国内旅行に行くよりずっと楽なんだろうな。Tさんと、今度は乾季のダナンへ行きたいねと、残ったベトナムドンを両替せずに帰ってきた。730000ドン、日本円にして3650円ぐらい。このお金を持って、再びベトナムへ行けるのはいつになるのかなあ。
2020.08.03
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12月12日のダナン3日目。この日も天気が悪かった。この日の朝食で、まず頼んだのは、ポークのフォー。それから、おかゆも少し。ピータンと魚醤を少し入れたら、アジアンテイスト。やっぱり、ベトナム料理って好きだなあ。朝食後、9時ごろからスパへ。気持ちよくなって戻ってきたけれど、昨日と同じようにゴロゴロしていてはちょっともったいないので、フロントへ行ってホイアンへ行く方法を聞くことにした。ホイアンは、ダナンから30kmぐらいのところにあり、古い町並みが残っていて、世界文化遺産に登録されている。16世紀ごろには、国際貿易港として繁栄していて、ポルトガル、オランダ、中国、そして江戸時代の日本とも朱印船貿易など行われていたので、日本人街もあるそうだ。ランタン祭りが有名で、ネットにはこんな写真がいっぱい出てくる。ホテルからは9000ドン(450円)でシャトルバスが出ていたけれど、半日タクシーをチャーターすることもできると言う。多分5000円くらいだったと思う。タクシーは、8人ぐらい乗れるようなミニバンで、12時ごろに出発。Tさんが、ポケトークを使って、「まだ昼食を食べていません。ホイアンに行く前に、食べるところに連れて行ってください。」と言うと、ベトナム語で運転手に伝え、運転手もスマホに何か言うと、「海鮮料理は好きですか?」と日本語で答えてくれる。「はい、好きです。」「では海鮮料理の店に行きましょう」「この駐車場で待ちますから、食べてきてください。」と、意思疎通ができて、ポケトークって優れもの。連れて行ってくれたお店は、外のいけすに蟹やエビなどもいっぱいだったけれど、ホイアンへまだこれから行くのに、ゆっくり食べてはいられないから、海鮮焼きそば(ミーゴレン)と海鮮チャーハン(ナシゴレン)を注文して、二人でシェア。どちらもすごく美味しくて、時間があったらゆっくりエビやカニも食べたかったなあと思った。駐車場に行ったら、待っててくれて、そこからホイアンに向けて出発。途中でレストランに寄ったのかと思ったら、全く逆方向。またホテルの前を通って行った。ホイアンまでは40分ぐらい。ホイアンに着いたのは2時過ぎ。運転手さんは、駐車場で待っていてくれると言う。ホイアンは、夜になるとランタンがともって賑やかになるそうだけど、私もTさんも足が悪くてあまり歩けないので、2時間ぐらいで戻ってくると伝えた。ホイアンの町並みは、遠い昔を思い出させるようなノスタルジックな雰囲気。狭い道の両側に、民芸品のお店や古いオリエンタルな廟が残っている。途中のお店で、私は自分用のピアスを一つ買った。Tさんは、お土産用にベトナムらしい絵柄のマグネットをたくさん買ったけど、私は、夏にニャチャンでベトナム土産を買ったので、もう買わないことにした。Tさんは、もう一つジャコウネコのコーヒーを自宅用に。これはとっても高級品。Tさんの家に集まることが多いので、また飲ませてくれるらしい。1時間ぐらい歩くと、杖をついていても私は足が痛く、外にテーブルを置いているカフェで休憩することに。コーヒーと、大好きなバインミーを半分ずつに切ってもらって、食べながら休憩。そのテラス席から見た風景。ところどころにランタンが吊られているけれど、夜になるとこれに明かりがともるみたい。ホイアンの町はちょっとしか見ていないけれど、雨も降ってきたことだし、4時ぐらいに駐車場に戻った。4時半ぐらいにホテルについて、ラウンジは5時までなので、軽くお酒を飲んだ。お風呂に入ってから、疲れて、早く寝たような気がするなあ。
2020.08.03
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メリアダナンでは、スパパッケージの付いたレベルルームを予約していた。3泊で、3回スパを受けられるので、到着初日の10日は夜、11日は午後、13日は午前の予約をしていた。スパを受けるのは、この建物で。最初に受付で、お茶を飲みながら、体調のチェックをし、好きなアロマを選ぶ。私は、足首と膝を手術していることと、手の指がへバーデン結節で痛いことを伝え、その部分はソフトにマッサージして欲しいとお願いした。更衣室で、バスロープに着替えて2つベッドを置いている部屋へ。最初に、花弁の浮いた桶の中で足先を洗って、マッサージしてもらってから、ベッドに寝た。マッサージしてくれる人には、私は携帯アプリのpapagoを使って、ベトナム語の文を見せ、足首の下にタオルを置いてもらった。アロママッサージは、たっぷり60分。全身を気持ちよくほぐしてくれた。更衣室には、ドライヤーを置いた洗面台と、横に大きなお風呂とシャワー室があり、頭を洗って、お風呂に入り、髪を乾かして部屋に戻ってきた。部屋はフリーWi-Fiが使えるので、ベッドに寝転んで充電しながら、iPhoneでニュースを見たりゲームをしたり、youtubeを見たりしながら寝てしまった。ダナン2日目、7時半ごろラウンジで朝食。朝食は、種類が多く、パンやお寿司、ナシゴレンなどいろんなものをチョイス。たっぷりいただいた。食後、ホテルの庭を散策。この時期のダナンは、あいにく雨季で、気温は26度ぐらい。晴れた日には、プールに入れるそうだけれど、この日もちょっと曇っていて入れそうにない。ホテルには、レベルルーム専用のこんなプールと、バーカウンターの付いたこんなプールと、海や空と一体になった、こんなインフィニティープールがあったけれど、泳いでいる人は、ほとんどいなかった。歩いて疲れたら、部屋に戻ってベッドに横になってr、お昼になったらまたラウンジへ。お菓子やフルーツが多く、疲れてないので、あまり食欲もない。またベッドでごろごろしてから、スパでマッサージ。イブニングタイムは、3時半から5時までと時間が早いので、お酒を少し飲んで、おつまみをつまんだ。終わったらまたベッドでごろごろと、と言う風に2日目は過ぎて行った。
2020.07.31
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日立の木と、展望台に寄った後、ワイキキへ。アラモアナセンターの中のスーパーへ寄ってもらってからホテルにチェックイン。9月14日から19日まで5泊したのは、ワイキキビーチの前の、アストンワイキキ・ビーチタワーホテル。リビング、キッチン付きの2ベッドルームで、ベランダから見下ろすと、カラカウア通りの向こうにワイキキビーチが広がり、左側のホテルの横から遠くダイヤモンドヘッドも見ることができた。夜のビーチを眺めながら過ごすのも、気持ちが良かった。15日、午前中はビーチで過ごした。私は膝が痛くて、砂浜を歩けず、木陰でイー君のお守。エルちゃんと娘とダンナが、海に入ったり、砂山を作って遊ぶのを眺めていた。夕方から予約していた「マジック・オブ・ポリネシア」へ。間近で見るマジックは、迫力満点だった。16日は、ピンクのトロリーバスに乗って、アラモアナセンターへ。ワイキキの街をいろんなバスが巡回していて、JCBのカードを見せるとピンクバスが無料で乗れると娘から聞いていた。それで、事前にダンナのJCBカードを楽天で作って持って行った。便利で、ピンクバスは、ワイキキにいる間、何度も利用した。アラモアナセンターの中では、マグロ丼のようなポキや、アサイーボールなどを食べたりした。17日の午前中も、娘とエルちゃんはビーチへ。私は、ダンナとイー君と一緒に、ベランダのソファーでのんびり。夕方から、予約してくれていたスター・オブ・ホノルル号のサンセットクルーズへ。ホテルからバスで港へ向かう時、窓の外に大きな虹がかかって見えて感激した。食事は、ステーキと蟹とサラダ。蟹は食べ放題。ダンナは、ステーキをほとんど食べず、蟹ばかり食べていたけれど、蟹の殻を入れるものがないのが困った。ポリネシアンダンスを見て、甲板へ出ると、ダイヤモンドヘッドやワイキキビーチに並ぶホテルが見えてきれいだった。18日は、朝からホテルのプールへ(左上)。私も一緒に泳げて楽しめた。カラカウア通りの伝説のサーファーの銅像(左下)の前から、ピンクバスに乗って、アラモアナセンターの方へ。お昼は、ちょっと日本食が恋しくなって、「つるとんたん」へ。私は、冷たいスダチうどん。(右中)冷たくてさわやかなさっぱりした味が美味しい。日本のお値段よりちょっと高めで、チップも払わないといけないけれど、ワイキキの飲食店の中では日本食は割安。だから日本から出店している店はどこも人気だ。19日の朝、タクシーに迎えに来てもらってホノルル空港へ。ホノルルから成田までのユナイテッドのビジネスは、古いタイプで横並びだった。(右下)フルフラットなので、エルちゃんとイー君を向かい合わせで寝かせていた。20日の昼過ぎ、成田から伊丹への飛行機は最新のビジネス仕様だった。と、ここまでが、2年前のハワイ旅行の記録。旅行中、足が痛くて、みんな出かけても、私だけ部屋でイー君を見ているということが多かった。出かけるとき、歩きやすいように、イー君のベビーカーを押すけれど、痛いから休憩ということも多かった。せっかくハワイに来ているのに、あまり楽しめていないなあと思った。それで、右の膝を手術しようと決心した。帰ってきた直後の診察で、膝の手術をするとお医者さんに伝えた。予約が詰まっているので、最短でも、予約は2019年2月だった。
2020.06.01
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9月14日、アウラニディズニーリゾートを出発する日になって、やっといいお天気になった。午前中、プールで遊んだ後、ホテルの外でパンケーキを食べて、迎えに来てもらった運転手さんにワイキキまで行ってもらった。来てくれたのは、空港に迎えに来てくれた、片言の日本語が話せる運転手さん。ワイキキに行く途中で、日立の木で有名なモアナルア・ガーデンに連れて行ってくれた。「この~木なんの木 気になる木 名前も知らない木ですから 名前も知らない木になるでしょう この~木なんの木 気になる木 見たこともない木ですから 見たこともない花が咲くでしょう」と昔から誰でも歌える歌だけど、「モンキーポッド」という名前は知らなかったなあ。今から30年ほど前、両親と息子と娘を連れて北海道を車で回った。十勝付近で、ガイドブックに日立の木と載っていて、大きなハルニレの木を見たことがある。その時も歌を歌って嬉しかったけれど、その木は、日立の木ではなかったと何年後かに知った。モアナルア・ガーデンのモンキーパッドは、ハルニレの木と比べ物にならないくらい大きかった。そこから、見晴らしのいい展望台(写真下)へ。名前を知らなかったけれど、携帯で写真を見たら、ヌウアヌ・パリ・ステート・ウェイサイドと表示されている。天候が悪くなってきて、よく見えなかったのが残念。そこからワイキキへのホテルへ向かった。今日ニュースで見たのは、持続化給付金、委託団体の796億円もの不透明な流れ。未だに届かない、アベノマスクのコロコロ変わる金額(総額466億円?)も不透明。黒川前検事長に誰が訓告処分をしたかも不透明。コロナ専門家会議の議事録も作ってないという。何を隠そうとしているのか。本当に末期症状。本当にこうなるんじゃないの? <100日で崩壊する政権>
2020.05.30
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ホノルルの空港に着くと、頼んでいたタクシーが迎えに来てくれていた。向かうのは、オアフ島の西海岸にあるアウラニディズニーリゾート。でも、車から見える空はどんより曇っていた。9月12日から14日までいたけれど、晴れたのは最終日だけ。上左の写真はいいお天気だけれど、これは最終日の写真。部屋は、キッチンとリビングのついた2ベッドルーム。ディズニーリゾートなので、いたるところにディズニーのキャラクターがいる。13日の朝食は、マカヒキのビュッフェを予約してくれていた。客席に、ミッキーやミニー、ドナルドなどが来てくれて、一緒に写真を撮らせてくれた。海も近いけれど、お天気が悪いので、プールで過ごした。流れるプールやスライダーなどいろいろあったけれど、私はちょっと足が痛くて、イー君を見ていることが多かった。シュノーケルのできる大きな水槽があって、中には魚がいっぱい泳いでいた。お天気が良くて、足が痛くなかったらそれはちょっとしたかったなあ。私はハワイは初めてで、驚いたのが物価の高さ。アウラニリゾートの中のお店で、サラダやパンを買ったら、日本のコンビニで買う3倍ぐらいの値段。最終日、ホテルの外のお店でパンケーキを食べに行ったら、日本のお店の2倍ぐらいの値段で、その上、チップが15,20,25%のどれかを選べと表示される。そんなにサービスしてくれてないのになあと、ちょっと不満を感じた。ラーメンやレトルトのご飯なども少し持って行ってたので、キッチンがあって助かった。
2020.05.28
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緊急事態宣言は解除されたけれど、当面は他府県への移動も禁止。今年は、5月に石垣にダイビングに行って、6月にダンナと車で北海道へ、利尻礼文へ行く予定をしていた。そして、夏には娘とまたベトナムに行きたいねと話していたけれど、海外旅行は、いつになったら行けるんだろう。海外旅行には当分行けそうにないけれど、日記の下書き保存に旅行記録がいろいろ残っているので、それをアップして、旅行気分に浸ることにした。2018年9月12日~19日のハワイのことを書いておこう。ハワイの帰り、成田からブログを書いて、続きを書いていこうと思ったものの、帰ってきたら、余りにも台風21号の被害を受けた人が多かった。その上、私たちは伊丹出発で行けたけれど、関空が閉鎖され、予定していた旅行がキャンセルになった話も何人かから聞いて、旅行記録を書くのも気が引けてしまった。旅行は、ダンナの古希祝と、エルちゃんの3歳の誕生日も兼ねて、娘が計画してくれた。ムコのマイルがたまっていたので、てるみくらぶの被害で行けなかったハワイまで、ビジネスクラスを取ってくれた。でも、マイルで取れたのは、伊丹発着。うちからは関空が近いので、「え~」とか言っていたけれど、9月4日の台風21号で、関空が浸水、連絡橋にタンカーがぶつかってしまって関空が閉鎖され、結局ラッキーな出発になった。伊丹までは、娘の車で。伊丹から羽田までは、ANAのエコノミーだった。羽田から成田までは、リムジンバスで。成田からホノルルまでは、同じスターアライアンスのユナイテッド航空のビジネスで。成田では、初めてANAのビジネスラウンジに入った。好みのラーメンを作ってくれると、ダンナと娘が気に入っていた。さて、搭乗時間が近づいて、飛行機に乗ろうとチケットを機械に通した途端、ダンナだけが、横の机に連れていかれ、服装のチェックと手荷物検査。何人かランダムに選んでいるみたいで、しつこく手荷物を調べているけれど、私たちは、3歳のエルちゃんとまだ生後5か月のイー君の二人を連れての旅行なので、簡単な検査だけでダンナは解放してくれた。なんでかなあと思ってチケットを見てみたら、ダンナの航空券にだけ「ssss」の文字。ネットで調べてみたら、すぐにこんなのが出てきた。知らなかったらびっくりするなあ。その日のユナイテッドの飛行機は新しくて、、ポラリスというビジネスのシートも機能的。機内食の和食も豪華だった。フルフラットで、完全に水平になるので、足の痛いのも気にせず寝ることができた。
2020.05.27
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12月10日から14日まで行ったダナンのことを忘れないうちに書いておこう。一緒に行ったのは、去年の1月スリランカへ一緒に行ったTさんで、韓国にも最近2回一緒に行っている。アジアンテイストのスパイスの効いた味が好き、睡眠時間がどちらも短いと言うのが共通点で、勤めていて元気だったころも、台湾、タイ、セブ、北京、上海、アンコールワットなど一緒によく旅行をした。昔は、新しい街で歩きまわっていたけれど、今は彼女も膝が悪く、あまり歩けない。だからツアーに参加して、他の人と一緒に行動すると言うのが私も彼女も苦痛になってきている。韓国は個人手配でも旅行する自信はあるけれど、やっぱり初めての国の個人旅行は勇気がいる。娘がいつも個人旅行なので、一緒に行って様子を掴めたら自分でも行けそうと思う。それで、一昨年のパリも行くことができた。今回も、7月にベトナムのニャチャンへ行ったので、ベトナムへは行けそうな気がした。ニャチャンは乗り継ぎが大変だったので、直行便が出ているダナンに決めた。飛行機は、スカイスキャナーと言うアプリで。関空⇔ダナンで直行便を選ぶと、ベトナム航空が49800円から。この飛行機は、ANA提携便で、同じ飛行機なのにANAで選ぶと60000円を超えた。ベトナム航空を選んで予約に進むといろいろな旅行会社の金額比較に進むけれど、HISが最安値。夜に申し込みに進んだら50350円になっていた。チケットが残り少ないのかなとその値段で申し込んだけれど、娘が言うのはHISは夜になったら値段が上がるそう。ちょっと失敗。でも、燃油サーチャージも空港使用料も旅客税もみんな含めた価格なので安い。Tさんは介護する人も抱えているし、最近は異常気象で何があるかわからないので、一応一人1000円のキャンセルサポートも付けた。HISからは、すぐEチケットが来たけれど、座席指定はできなかった。飛行機に乗って見たら、私たちの周辺何列かは、座席が詰まっているのに、他の列は空席もあった。次はホテル。いろいろなサイトでどのホテルがいいか調べていた。ちょっと高くても、ラウンジの使えるクラブルームがいいなあと思っていたら、楽天トラベルで、メリアダナンがスパパッケージ付きで出ているのを見つけた。2人ともスパ好きなので、スパが毎日ついているのは嬉しい。それに、朝食だけでなく、アフタヌーンティーやイブニングカクテルの時間にラウンジを利用できるレベルルームが、1泊約27000円。同じ条件で、5つ星のハイアットリージェンシーだったら1泊4万円を超える、メリアダナンは4つ星だけれど、2年前に行ったメリアバリはすごく良かったので、メリアダナンも良さそうに思えた。写真で見たら、レベルルームは2階建てのヴィラのようなので、事前にホテルに、二人とも足が悪いので、1階のツインの部屋にしてほしいとメールを送ったら、すぐ対応しますと返事が来た。行ってみたら、ラウンジに一番近い1階の部屋を用意してくれていた。空港からホテルは車で20分ぐらいで、タクシーもいっぱいあるみたいだけれど、ちょっと不安なので、ベルトラのアプリから、カードで13ドル払って、空港送迎を頼んだ。ホテルに入って、約15000円のデポジットを払っていたら、チェックアウトの時、そこからホイアンまでのタクシー代や、最終日の部屋の延長料金、帰りの空港までのタクシー代、プールバーのドリンク大などが引かれて、不足分を少しだけ支払った。2人とも、両替は1万円だけ。私はカードを、Tさんは持っていたドル紙幣を少し使ったけれど、全部ひっくるめても一人11万円までで旅行することができた。旅行会社のパンフレットを見ると、同じ日程の、同じ飛行機で、メリアダナンのレベルルームに泊まって、約15万円。その上空港使用料や空港税は別途かかる。スパはオプショナルで、私たちと同じように3回受けたら、総額20万円以上しそうだ。めちゃめちゃお得に旅行で来たんじゃないの?乾季にまた行こうと、Tさんと話している。
2019.12.31
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10月30日は、のんびりと起きて、朝食バイキング。夕方の便だったけれど、ツアーのお迎えのバスは1時。朝食後も、部屋でのんびりしてから、近くのお店でお土産のお菓子などを買い物して、トランクに詰めてからチェックアウト。トランクをホテルに預けて、ホテルのすぐそばの喫茶店へ。サンドイッチと飲み物を頼んで、携帯などを見ながらのんびり過ごした。Wi-Fiもサクサク繋がるし、居心地のいい喫茶店で、パソコンを持ち込んだり、食べ物を持ち込んだりして長居している人も多い。集合時間になって、初めて同じツアーにいた人たちと話したりした。20000円で同じホテルになっていた人もいるけれど、私たちと同じ部屋で3人で泊まっていたりした。バスに乗って、空港に行く途中でお土産物屋さんに寄った。待ちで買うより絶対高いはずだから、もう何にも要らないなと思ったけれど、台湾元を残しても次来る可能性は少なそうなので、からすみの瓶詰とシナチクとエリンギのメンマを買った。からすみの瓶詰は3000円ちょっと。乾燥したからすみがあったらそっちの方が良かったけれど、これは自分用。でも帰って来て食べたら、ピリ辛に味付けされ混ざり物が多くて、からすみとは全く別物。荷物を預けてからから通関後、プライオリティーカードを使って、ラウンジで過ごしたけれど、ここで食べた牛骨うどんがとっても美味しくて、最後まで満足。飛行機の中でも食事が出たけれど、ほとんど食べられなかった。8時半ごろ日本に無事到着。姉とは空港でわかれて、私は置いていた車で帰ってきた。
2019.11.29
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29日の朝は、ホテルの別館でバイキングの朝食。朝食後、付近をブラブラしてから10時頃、故宮博物館へ行くことに。携帯を世界データ通信につなげて、Uberのアプリを起動すると、付近に車がたくさん。行き先に故宮を入れると、値段は480台湾ドル(約1800円)。乗車申し込みをすると、車のナンバーと運転手名、地図上に今いる位置が出てきて、どんどん近づいてくるのがわかる。故宮までは0分ぐらいだったけれど、きれいな車で、とても丁寧な運転だった。故宮博物館へは、杖をついて行っていた。障がい者手帳を見せると、本人と介護者が無料で、チケットを買わなくても入らせてくれた。1階から順番にゆっくり見て行った。紀元前からの彫刻や器、繊細な象牙の彫り物が素晴らしい。歴史的な文書もたくさんあった。何百年も前の書簡なども残っていて、丁寧できれいに書かれた文字も素晴らしかった。2時間近く歩いたら、もう疲れてきて、お昼を食べようということに。故宮の中にも喫茶コーナーはあったけれど、軽食だけなので、いったん外に出て、併設されているレストラン故宮晶華で飲茶のランチ。落ち着いた雰囲気で、とっても美味しかった。美味しいウーロン茶を飲みながら、しばし休憩して、再び故宮博物館の中へ。2階に行くと部屋の真ん中に、有名な翠玉白菜があった。葉の上には、精巧に彫刻されたキリギリス。作者はわからないらしいけれど、素材の翡翠自体がとても素晴らしいものだった。故宮博物館では、もう一つ角煮のような肉形石が有名だけれど、この日は、外部に貸し出しされていて置いてなかった。残念。でも、本当にいろいろな作品をゆっくり見られて、堪能した。写真は、象牙の多層球、翠玉白菜、1800年代の篆書。いつかこんな篆書を書いてみたいなあ。一つ故宮の中でびっくりする出来ごとが。書画の作品を見ているときに、声をかけられた。同じ習字の講座に通っているIさん。旦那さんと二人で、旅行に来たらしい。こんなこともあるんだなあ。帰りは、出口を出たところに停まっているタクシーに乗って、ホテルに戻った。ガイドブックなどには、故宮からのタクシーはぼったくりに注意と書かれていたけれど、値段はウーバーよりも安くて380台湾ドル。でも、このタクシーの運転手さん、飛ばす飛ばす。隙間を通って車線変更するし、急ハンドルで曲がるし、ヒヤヒヤ。でも陽気で、日本人が好きらしく、演歌の歌も歌いだす。座席の後ろに貼っている運転手の写真は若い頃のものなので、かなり経験豊富なんだろうけれど、私も姉も、窓の上のアシストグリップを握りしめすぎて、体が硬くなっていた。おもしろい人だったけれど、ホテルの部屋に戻ると、どっと疲れが出た。夕食は、ホテルのそばの地元の人で流行っているお店で、餃子ラーメンなどを食べたけれど、味は今一つ。でも故宮を堪能して、お昼は美味しかったので満足満足。
2019.11.28
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2013年に、姉と一緒に台湾一周のツアーに参加した。最後台北で、故宮博物館を見学したけれど、満員で、ガイドさんは勝手に見に行ってはだめと、自分の後を付いてくるように指示し、有名なものを4点ぐらい紹介してくれただけ。私は以前に2回、故宮の中をゆっくり見た経験があるけれど、姉は初めて。自分で、版画や水墨画を描く姉は、一番の楽しみにしていたので残念がった。その時、また故宮だけ見に来ようよと話していた。近所のイオンの旅行店で、激安の台湾ツアーのチラシを見つけて、姉を誘った。20000円+空港税で2泊3日。でも、これだとどこのホテルになるかわからないので、5000円追加して台北駅に近いグリーンワールド花華ホテル指定にした。オプショナルの観光は取らずに、故宮博物館をゆっくり鑑賞したい、ということだけで行くのを決めた旅行。10月28日、私は7時前に車で関空へ行き、姉と合流。荷物を預け、ラウンジで朝食。9時半のチャイナエアラインで台北へ。台北空港で、バス3台に分かれてホテルへ。着いて休憩してから、ホテルの周りを歩いてみた。松坂屋のデパートがあったので、喫茶店で休憩しながら窓の外を見たら、真正面に台北駅があった。ホテルに帰って来て、ベッドに寝転んで休憩。ホテルの部屋には、Wベッドとシングルベッド。私は、Wベッドの方をもらって、疲れたら寝転びながらストレッチをしていた。夕食を食べるために、西門のほうに歩いて行った。すごい賑わいで、屋台もところどころに出ている。姉が、息子から「牡蠣のお好み焼きが美味しいらしい」と聞いてきていた。賑わっているお店のメニューに牡蠣のお好み焼きが出ていたので、そこに入ることに。餃子の入った麺や、ピータンと豆腐の煮込みなどを注文した。ビールが欲しかったけれど売ってない。6年前の台湾で夜市で食べた時も、外でビールを買ってきて、餃子を食べた記憶がある。小さなお店に大賑わいで相席で、ビールは無かったけれど、どの料理もとっても美味しかったので満足した。西門の街をちょっとブラブラ。夜市ではないかもしれないけれど、臭豆腐や手羽先などの屋台や、タピオカやカラフルなかき氷のお店も多くて、若者がたくさん。とても活気にあふれていて、見て回るだけで楽しめた。賑わいが途切れたところに、小籠包の看板の大きなお店。入ってみたらお客さんががいない。小籠包とビールを注文した。あともう一組、お客さんが来たけれど、味は可もなく不可もなく。値段がちょっと高かった。帰りはホテルまでとっても近かった。おしゃれなお店で、私はお持ち帰りのタピオカミルクティーを注文。姉は、また息子が「台湾ではチーズ入りコーヒーが流行」と言ってたらしいので、それを注文。コーヒーの上にホイップしたクリームチーズがたっぷり。また日本でも流行ってくるかな?歩き疲れて、私がお風呂に入っている間に、姉は寝てしまっていた。姉は、朝早く起きてお風呂。これも毎回のパターン。
2019.11.22
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7月23日(火)ホテルのチェックアウトは12時なので、プールに入ってから帰ることにした。朝食のレストランで、フォーを頼んだ。細麺で鶏肉味。葱を入れて、卵料理のところで目玉焼きを焼いてもらって入れて、ベトナム醤油をかけた。これが美味。最終日に好みのフォーを食べられた。食後は、プール。まだ人も少なくて、ギリギリまでゆっくり楽しめた。10時半ごろまで、プールで過ごしてから、シャワーを浴びて、荷物を整理してチェックアウト。帰りは夜便で、タクシーは午後5時に頼んであったので、大きな荷物をホテルに預け、ニャチャンセンターへ行くことにした。私と娘がスパへ何度も行ってたけれど、ダンナはドクターフィッシュをしてみたいと言う。ネットで調べたら、去年の夏にニャチャンセンターにあったという情報が。ニャチャンセンターまでは、タクシーで10分ぐらい。4階建てのショッピングセンターだ。まず、4階のフードコートで昼食。ここは、エレベーターがあって助かった。ベトナム調理だけでなく、中華料理、韓国料理、トルコ料理、メキシコ料理、などいろんな料理が集まっている。ベビーチェアを探したけれど、なかなか無くて、やっと見つけたら、中華料理のお店で頼まないいけない。鉢いっぱいの小籠包を頼んだら、貸してくれた。頼んだら番号を書いた紙をもらって、それを総合レジで精算して、レシートを持っていったら、料理の番号札をくれる。それをテーブルの上に置いておくと、お店の人が届けてくれるシステム。娘もダンナも違うお店でいろいろ頼んで、机の上にはいろんな番号札がならんでいた。いろんなお店の人が、番号札を探してきょろきょろしていた。客席が多いので、お店の人も番号を探すのが大変だと思うし、効率が悪いシステムだなあと思った。日本のように、ブザーを渡して、注文した人が取りに行くと言うのはよく考えられているんだと改めて感じた。トルコアイスのお店があって、お客さんがアイスを受け取ろうとすると中身がすっぽり抜けると言うように、おじさんがパフォーマンスをしていた。エルちゃん食べる?とか話していたら、トルコ人のおじさんが、日本で住んだことがあると流ちょうな日本語で話してきた。名古屋と大阪で6年住んだそうだ。エルちゃんとダンナが買ったけれど、ニャチャンへ来て、初めて他の人から日本語を聞いた。ドクターフィッシュのお店は、無くなって美容院に変わっていた。2階には、イオンがあった。大きなカバンは、預けないといけなくて、小さなショルダーバッグは、ファスナーを結束バンドで止められ、レジのところで切ってくれた。万引きとか多いのかな?あまり見るところもないので、ホテルのそばのショッピングセンターにタクシーで戻ることにした。着いたら、1階のカフェでコーヒーを飲んでから、3階にある有料の子どもの遊び場で過ごすことにした。ボールプールや空気の滑り台、いろんなおもちゃが置いてあった。5時前に、ホテルに戻って、タクシーが迎えに来たのは15分後ぐらい。カムラン空港までは、約40分。空港のそばは、開発が進んでいて、大きなマンションやたくさんのホテルが建設中だった。おしゃれな雰囲気のホテルも多い。これから、日本の観光客も増えていくかもしれない。檜物を預けてから、入国手続きをした後、ベトナム航空のラウンジに入らせてくれた。お寿司やフォーがあって、夕食として食べた後、イー君とエルちゃんは、歯磨きをして着替え。午後8時45分の飛行機に乗ると、またまた飛行機が飛び立つまでにエルちゃんもイー君も寝てしまった。ホーチミンに着いても寝たまま。飛行機を降りて、ターミナルまで移動するのが大変だったけれど、その後は、エルちゃんはベビーカーに、イー君をだっこひもで。ホーチミンでは、プライオリティーカードの使えるオーキッドラウンジで。そこでも二人は寝たままだったので、ひょっと一息。ホーチミンからの飛行機は、一番前の席にしてくれて、イー君はバシネットを付けてもらって寝ることができた。日本時間の5時頃、二人とも機嫌よく起きてきた。日本への到着は、24日の午前7時15分ごろ。みな無事に帰ってくることができた。
2019.08.07
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7月22日(月)ベトナム4日目も、皆朝早く起きて、7時頃から朝食のレストランへ。フォーを作ってもらったけれど、牛肉味はあまり好みじゃなかった。この日は朝から、ヴィンパールランドに行く予定をしていた。ホテルの窓から、見える島にVINPEARLの文字が見えていたし、ホテルのテレビでもずっとヴィンパールランドの宣伝をしていた。ヴィンパールランドは、島全体がアミューズメントパークで、プールや水族館、動物園、遊園地などがあるらしい。島には、世界一長い海上ロープウエーで渡る。食べ物の持ち込みはできないようなので、お水と水着を用意して、タクシーでロープウエーの乗り場まで行くことにした。8時半ごろ、先に両替をしておこうと宝石屋さんとホテルのフロントに聞いたけれど、どちらも9時を過ぎてから。タクシー代はあるし、カードで何とかなるかなと行くことにした。チケット売り場には、長い行列だ出来ていた。入場料は、大人800000ドン、シニア750000ドン、身長100cm以上の子ども400000ドン。エルちゃんはギリギリ100cmあるかないかぐらいだけど、乗り物に乗れなかったら残念だからと娘がチケットを購入し、カードで支払った。チケットはカード型で、ロープウエーに乗るのにも長い行列ができていた。行列の中を、疲れて眠くなったエルちゃんをベビーカーにのせて、イー君を娘がだっこして、40分ぐらい並んで前の方になったら、係員の人が、閉まっていたバーを開けて、ロープウェーに早く乗れるようにしてくれた。ロープウエーに乗る前に、カードのチケットは回収されて、エルちゃんはチケットを買わなくても良かったみたい。海の上を渡るロープウエー。3000m以上あるそうだ。ロープウエーで着いてから、地図を見ながらプールの方へ。暑いので、ちょっと入った水着などを売ってるお店で、両替所はどこか聞くと、ドルだったらここですると言ってくれた。100ドル札で2200000ドン。ほとんどのお店でカードは使えそうだけれど、現地のお金があったら、ちょっと安心。暑いので、ロッテリアでちょっと休憩。島全体を使っているので、広い場所。その上段差があるので移動が大変。ところどころに、エスカレーターがあるけれど、その度にイー君をダンナがだっこして、ベビーカーを娘が押して、私はエルちゃんと手をつないで上り下りした。ウォーターパークに着いて、更衣室やロッカーキーをもらうところはまた行列。大変なので、先にキッズプールを探すことにした。流れるプールや、色々なスライダーが見えてきて、その先にキッズプールがあった。ちょうど日陰のパラソルの下に、デッキチェアが2つ空いていたので、そこを確保。すぐ後ろにトイレがあったので、そこで着替えることにした。滑り台や、上からバケツがひっくり返って水が落ちてくるシャワーなどもあって、エルちゃんもイー君も楽しめた。これは、波の起こるプール。タイヤに乗って、気持ちよく浮かんでいたけれど、11時半になると大きな波が起こってきた。私は、浮き輪にエルちゃんを乗せ、横を持っていたけれど、大きな波で落ちそうで、捕まえておくのが大変。でも、楽しかった~。お昼は、イタリアンのレストランで、ピザやスパゲティーなどを頼んで食べた。食後も、キッズプールで少し遊んだ後、着替えて、水族館の方へ。水族館はエレベーターが無く。階段をベビーカーを抱えて上らないと入れない。全くバリヤフリーじゃない。水族館の中は、ナマズやサメのような魚が多かった。見学して、また階段を下りてきた。ちゃんとした手すりもないので、階段を下りるのは、壁に手をついてそろりそろり。エルちゃんも、壁に手をついて一人で下りて行った。次は、動物園エリアへ。動物園は長いエスカレーターを3回乗り継いだ山の上。いいお天気で、日陰が少なく暑かった。フラミンゴも、皆両足をついていて、ダンナが、フラミンゴがいつも片足で立っているのは、水が冷たいからと娘に教えていた。暑いので、キリンやシマウマなども、日陰に集まっていた。色々な鳥を使ったショーも見た。ベビーカーを入り口に置くように言われたけれど、客席にたくさん人がいるのに、ベビーカーは2台。段差が多いのに、エレベーターは全く無く、ベビーカーを持っていくのは、反対に荷物になるようだ。ニャチャンの街でも、ベビーカーを見なかったので、普及してないのかもしれない。かなり歩いて、私はもうぐったり。日陰でイー君を見ている間に、娘とエルちゃんは、ライオンやシロクマを見に行った。またエスカレーターを下りて、今度は遊園地の方へ。いろんなコースターや、タワーの上から落ちてくる乗り物など、息子のところの孫たちなら喜びそうな乗り物がいっぱい。近くにあった乗り物にエルちゃんが乗ろうとしたけれど、身長が足らなくてアウト。乗れたのは、象のダンボと、ミツバチの乗り物、そして回転木馬だけ。回転木馬には、娘やイー君、ダンナも一緒に。私には疲れる場所だったけれど、乗り物はみんな無料だし、日本のテーマパークに比べると混んでないし、アトラクションはもっといっぱいありそうだし、子どもがもう少し大きかったら、絶対楽しめる場所だろうな。島の中のホテルに1泊したら、二日間めいっぱい楽しめそうだ。それにしても、子供向けのアミューズメントなのに、いろんなものがシュール。一番上は、子どもプールのイルカの噴水、後ろに見えるペンギンはごみ箱。真ん中は、最初に迎えてくれた着ぐるみ。一緒に写真を撮ったエルちゃんの顔がこわばっていた。下は、ミツバチの乗り物。5時頃になって、もうみんな疲れて、イー君は娘のだっこひもの中で寝て、ベビーカーに乗ったエルちゃんをダンナが押していた。私も杖をついて歩いて、ロープウエー乗り場に向かった。乗り場には帰る人の列ができていたけれど、係員が横のバーを開けてくれて、別に通してくれて、すぐにロープウエーに乗ることができた。反対に、ロープウエーに乗って来て、夕方から遊びに来る人も多かった。タクシーでホテルに向かって、シャワーを浴びてから、夕食はまた太陽桜で。夜、8時頃にはエルちゃんもイー君も寝てしまったので、また娘とスパでマッサージ。この日も、夜遅くまで歌声が聞こえていた。
2019.08.04
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7月21日(日)も、皆朝早く起きた。また、7時頃から朝食バイキングのレストランへ。私はこの日、バインミーを食べた後、お粥を少し食べた。いろんなトッピングが置いてあって、鶏肉、小海老、ピーナッツ、葱、パクチー、それに台湾で見たことのある油条も少し入れて、魚醬のヌクマムを少し、私好みのお粥になった。娘は細麺のフォーを作ってもらっていた。美味しそうなので、明日はフォーを食べようと決めた。8時半ごろから、この日は海へ行くことにした。ホテルの前の交差点には信号は無いけれど横断歩道があって、車が多いけれどちょっと途切れた時に渡ることができた。ビーチまでは約100mぐらい。通路の両側にはオープンカフェが並び、ダイビングの受付カウンターもあった。ヴィンパールホテルのマークの付いた傘のところに行って、部屋のカードキーを見せ、バスタオルを4枚貰って、パラソルの下のデッキチェアに置いた。これが海側から見たホテル。ホテルの係員もいるので、荷物を置いてみんなで海へ。去年のハワイでは、膝が痛くてワイキキの砂浜を歩けなかったけれど、今年は歩けて感動。私はクロックスを履いて海に入ったけれど、浮力があるので浅いところでもしゃがんで立ち上がることができるのも感動。浮き輪に入ったエルちゃんやイー君と一緒に泳ぎながら楽しんだ。折り畳みの、中がメッシュになった浮き輪マットを持って行ってたので、海の上で寝転んでいると気持ちがいい。シュノーケルも持って行ってたけれど、浅瀬では魚がいなかった。海から出て休憩していると、いろんな物売りがやってきた。茹でたトウモロコシを買って、ビールも買って飲んだ。エルちゃんのサングラスも売りに来た。携帯カバーも付けてもらって買った。どちらも100均で売ってそう。イー君がお昼寝したので、私はデッキチェアで休憩。海には人が少なく、日向で肌を焼いているのはヨーロッパから来た人たちだろう。横のデッキチェアに韓国人の家族が来て、少ししゃべった。沖には、空気で膨らませたアスレチックがいっぱいあって、娘とエルちゃんがライフジャケットを借りて挑戦したけれど、なかなか上に来なかった。そのうちエルちゃんをダンナに預け、娘一人で滑り台の上から滑った。後で聞くと、アスレチックの浮き輪部分が大きすぎて、エルちゃんは登れなかったみたいだ。2時間ぐらい海で遊んだ後、ホテルのプールに行った。部屋でシャワーを浴びてから、また前日行った日本食の太陽桜へ。焼き魚定食や丼物など、ランチメニューが豊富。でも、お昼はなぜかカードが使えなかった。レストランの横に、マッサージ機が置いてあった。10000ドン(約50円)で6分。日本だと200円で3分だから、日本の8分の1。やっぱりマッサージは安い。エルちゃんとイー君が眠そうで、急遽ホテルに戻った。2人が寝ている間、娘はまた街スパに。夜寝た後の方が気にならないので、私は夜に行くことにして、ベッドでのんびり。お昼カードが使えなかったので、また両替をしに行ったけれど、時間外でできなかった。夜ご飯は、またエンズレストランへ。パイ生地の上にエビのチリソース和えをのせたのが美味しかった。野菜と豆腐のスープもショウガが効いていて美味、生春巻きと、海鮮チャーハンと牛肉チャーハン、ビールも頼んだ。夜8時過ぎに、孫二人が寝てしまってから、娘と一緒にホテルの向かいのスパへ。お姉さんがディスカウントしてくれると言う。全身スパは場所が変わって、向かいのホテルの中のスパ。個室で、オイルマッサージが60分250000ドン。娘が頼んだホットストーンが300000ドン。でも、カード払いだと値引きができないと言うので現金で払った。早く、どこかで両替をしないとなあ。この日も夜は11時頃まで、ずっと浜辺から歌声が聞こえていた。いいホテルなのに、夜遅くまでうるさいのだけが難点。
2019.08.02
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スパから帰ってきたら、エルちゃんはまだ寝ていたけれど、イー君は歩き回っていた。ウンチをしているみたいで、ダンナがオムツを替えられなかったみたい。5時頃から、ホテルの外へ出ることにした。ニャチャンもホーチミンと同じで、車やバイクが多く、道の横断はしにくい。それで道を横断せず、お昼は、ホテルから左側へ歩いて古い町並みの方に歩いて行ったけれど、今度は右側へホテルの壁面に沿って歩いていくと、オープンカフェがあり、その横にショッピングセンターがあった。ホテルと同じ建物のようだけれど、どこで繋がっているのかはわからなかった。ホテルも去年建ったばかりの新しいホテルだけれど、ショッピングセンターもすごくきれいだった。1階は喫茶店とファッション関係のお店が多く、2階にはスーパーとゲームセンター、かばん屋やタイガーバームのお店、珊瑚などの宝石屋さんがあった。3階と4階はレストラン街で、ホテルも韓国人が多かったけれど、レストランも焼き肉屋が何軒かあり、ハングル文字が多かった。4階には太陽桜と言う日本料理のお店があった。ダンナはやっぱり東南アジアの味があまり好きでなく、夕食はここで食べることにした。この建物の上り下りはエスカレーターだけ。それで毎回ベビーカーを娘が押して、イー君をダンナが抱いて、私はエルちゃんと手をつないでエスカレーターに乗った。夕食の前にゲームセンターに寄った。先にコインを買って、乗り物に乗ったりゲームをしたりする。3人乗りの小さなメリーゴーランドがあったので、エルちゃんとイー君をのせてコインを2枚入れ、回りだしたと思ったら、知らない男の人が来て、空いている馬に子どもを乗せたのでびっくり。「まあまあ」と言うような表情で、中国人の観光客らしい。メリーゴーランドが止まったら、パッと子どもを連れて去っていった。この強引さが中国人の特徴なんだろうけれど、ちょっとぎょっとしてしまう。夕食の日本食は、お寿司やざるそばなど。私が頼んだそばセットは、こんな握りずしとサラダ、みそ汁、茶わん蒸しが付いて、約700円。お寿司の味は美味しかった。体内時計は日本時間のままで、子どもたちは8時前に寝てしまうし、私たちも10時頃には眠くなってきた。
2019.08.01
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7月20日(土)ベトナム2日目。子どもたちの起きるのも早かったので、6時半ごろには朝食のレストランへ。まだ新しいホテルなので、レストランもとてもきれい。これは別の日の朝食レストランの様子だけれど、ベトナム料理、洋食、中華など種類も豊富。卵料理や、フランスパンにいろいろ挟んだバインミー、フォーなどはその場で作ってくれる。バインミーが美味しくて、私は毎朝食べた。それにオムレツ、サラダ、スイカやドラゴンフルーツなどの果物、ジュースとコーヒーが私の定番。朝食を終わってから、娘とエルちゃんは、ホテル内を探検。プールの場所を探してきた。それで、8時頃からみんなでプールへ。景色と一体化したインフィニティープールで、とてもきれい。時間も早かったので、人も少なく、日陰のデッキチェアやパラソルも確保することができた。上の写真は、手前の方は浅いけれど、奥の方は大人用の深いプールになっている。最初そこで、エルちゃんやイー君は浮き輪を付けて泳がせていたけれど、途中から仕切られたところに移動すると、そこは幼児プール。下の写真のところで、エルちゃんも足が着くような浅さだった。それで、イー君も腕の浮き輪だけにして、安心して泳がせることができた。2人とも、生後8か月からプールに通っているので、水には慣れている。1才3か月のイー君は、浅いところから深いところへドボンと降りて、水の中でママに抱き上げられるのがお気に入り。エルちゃんに、腕の浮き輪を外して浮けるかなと手を離してみると浮いている。ここまでおいでと3mぐらい離れたところで手を出すと、バタ足で泳いできた。3才9ヶ月で泳げるってすごいんじゃない?と嬉しくなった。プールで2時間ほど過ごしてから、部屋に戻ってシャワーを浴びて、ホテルの外へ。ベトナム通貨のドンが無かったので、両替をした。宝石屋さんが、なぜか両替屋さん。100ドル紙幣を約2300000ドンに両替してくれた。1ドル110円ぐらいだから、日本円では、0を二つ消して、その半分と考えたらいいかなと思った。家に100ドル札が2枚あったので持って行っていたけれど、どうしてあるのか全く思い出せない。去年のハワイの残りかなと思ったけれど、1万円を両替して100ドル札をくれることは無いだろうし不思議。昼食は、娘が口コミが多いと言うので、ベトナム料理のエンズレストランへ。ベトナム風焼きめしと焼きそば、空心菜の炒め物、エビの揚げ春巻きにビール3本とジュースを頼んで、約2200円。食べている途中でエルちゃんもイー君も寝てしまって、ベビーカーにエルちゃん、だっこひもでイー君。コンビニに寄って、飲み物などを買って帰ってから、二人とも寝てるし、ダンナに見ててもらって、娘と二人でホテルの隣のスパへ。娘は60分のホットストーンマッサージ、私は60分の全身マッサージをしてもらった。オイルマッサージで気持ちがいい。私のマッサージで300000ドン。約1500円。マッサージに関しては、日本の価格の5分の1ぐらいかな?
2019.07.31
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7月19日から24日まで、ベトナムのナチャンに行ってきた。エルちゃんの幼稚園が18日までで、娘が夏休みに一緒に旅行しようと言っていた。娘はスカイチームのアメックスのカードを持っていて、スカイプライオリティーの継続のために、スカイチームの航空券を見ていて、私も南国ビーチリゾートが希望だったので、ベトナムのナチャンに行き先を決めた。ちなみにスカイチームは、ANA系列(スターアライアンス)やJAL系列(ワンワールド)と別の航空会社グループで、大韓航空やベトナム航空、エールフランスやデルタ航空など。スカイプライオリティーがあると、優先搭乗などができ、ラウンジも2人使用できる。19日は、朝7時過ぎに家を出て娘のところへ。駐車場に車を置いて、娘の車で関空に向かった。ベトナム航空のカウンターにスーツケースを預けて、大韓航空のKALラウンジで、おにぎりやパンを食べた。今回は、私も忘れず自分とダンナのプライオリティーカードを持ってきた。10時30分の、ベトナム航空でホーチミンまで。でも、出発がかなり遅れていた。エルちゃんもイー君も、海外旅行をよくするので飛行機に慣れているからか、毎回、飛行機が飛び立つ頃には寝てしまう。始め、娘は私の横でイー君を抱いて座っていたけれど、ダンナの横の席が空いていて、シートベルトを外してから私はそこに移動、イー君を座席に座らせて寝かせてもらった。飛行機の中では、ベトナムのガイドブックや週刊誌を読んで過ごした。ベトナムの時差はー2時間。ホーチミンに着くのは14時15分の予定だったけれど、30分程到着が遅れ、入国手続きも混んでいてバタバタ。国内便に乗り換えるので、スーツケースを取ってから移動しなければならず、国際線と国内線の建物が違うので、かなり歩かないといけなかった。国内線のカウンターにスーツケースを預け、16時30分発の飛行機に乗る予定だったけれど、その飛行機もかなり遅れて、1時間後ぐらいに出発。ニャチャンに着いた時は、6時半ぐらいだったけれど、もう暗くなっていた。空港からホテルまでは、娘がタクシーを頼んでくれていた。ニャチャンのカムラン空港から、ニャチャン市内までは約30分。車の中で、エルちゃんもイー君も寝てしまった。日本時間だと、もう9時を回っているし、一回寝てしまったら朝まで起きない子たち。イー君を娘がだっこひもで抱き、エルちゃんをベビーカーにのせて部屋まで運んだ。娘が、予約していたのは、ヴィンパール コンドテル ビーチフロント ニャチャン と言うホテル。海に近く、アゴダでもとても評価が良かった。2ベッドルームにリビングとキッチン、シャワールームや洗面も2か所あるファミリールームで、広くてとてもきれい。エルちゃんもイー君も寝てしまって、食べに出かけることができないので、お湯を沸かして、持って行ってたミニヌードルなどを作って夕食。一日移動で疲れたので、私たちも早めに寝ることにした。暗くてよくわからないけれど、目の前の海岸では何かコンサートが行われているようで、10時頃まで歌が聞こえてちょっとうるさかった。シャワーを浴びてから寝ようと思ったけれど、お湯がなかなか熱くならない。娘が子どもたちと一緒に寝てしまったので、フロントに連絡するのは明日にすることにした。翌日の朝、5時前にもうエルちゃんが起きてきた。一緒に外を見ていると、きれいな日の出。娘も起きてきたので、お湯が出ないことを言うと、フロントに連絡して、早速、直しに来てくれた。キッチンの流しの下や、洗面所の天井の上の栓などを閉めなおして、お湯が出るようにしてくれた。
2019.07.29
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日記をだいぶ書いたところで、パソコンからモールス信号みたいな音がしてきて、画面が真っ暗になった。このパソコンは、2011年11月にジョーシンで、39800円で買った東芝ダイナブック。型落ちで激安で買えた割には、長持ちしているけど、そろそろ寿命かな?ほとんどのことは携帯で間に合っているので、とことん使い潰すつもり。でも、日記が途中で消えたのは残念。こまめに保存していかなくては。2017年10月29日日曜日。この日は、蚤の市に行く計画をしていた。朝、目が覚めて時計を見ると午前6時。そろそろ起きようかと携帯を見ると、午前5時。え?時計が壊れたの?と見てみると動いている。部屋の他の時計を見ても、午前5時。狐につままれたような気分になった。姉や娘が起きてきて、サマータイムから変わったのかもと、ネットで調べてみたら、10月の最終日曜日、午前3時が2時に、夏時間から冬時間に替わるそうだ。そういえばフロントにフランス語で「10/29~○○○○」と書いていた。こんなのは初めてで、ちょっと驚いた。変わる瞬間が見たかったな。蚤の市は、本で調べて、パリの南のヴァンヴの蚤の市に行くことに。こじんまりした蚤の市のようで、初心者に向いていると書かれていた。朝食のバイキングを食べてから、9時頃、ウーバーを呼んだ。ウーバーのアプリは日本語表記ができて、行き先を入れ、4人乗りを選ぶと、グーグルマップの上に近くの車が表示され、車のナンバーと、運転手と値段、そしてあと何分で着くかが表示される。決定すると、ホテルの前まで来てくれる。この時は、ヴァンヴまで17.66ユーロ。カード払いだし、あとで運転手を☆で評価するシステムなので安心だ。遠くの方にエッフェル塔を見ながら、モンパルナスを通り、ヴァンヴに着いた。運転手さんは、途中で建物を指さしながら、名前などを教えてくれた。ヴァンヴの蚤の市に着くと、歩道に机を置いて、品物を並べていた。絵画やアンティークの食器、アクセサリーなどのお店が多い。しばらく一緒に回った後、テントの下に集合場所を決めて、30分程個人行動。ちょっとお天気が悪くて、肌寒い。蚤の市でのエルちゃん。私は、同年代ぐらいの女性が出していたお店で、アンティークのネックレスとピアスを買った。姉は知らない間に、真っ黒のウールのコートを買っていた。襟が皮で、昔の映画でマリーネデートリッヒ着ていたような感じのコート。姉は、100ユーロで絨毯も買った。純毛の手織りで値打ちがあると言うけれど、地面に広げられていたし、年代物すぎて、薄汚れた感じで、本当に蚤がいそうな気になってくる。娘も、蚤の市の古いものは苦手みたい。姉のスーツケースは、私より小さいし、持って帰るのが大変なのに、紙袋に入れてガムテープでぐるぐる巻きにしてもらっていた。そんなの持って、帰りの乗り継ぎの仁川で歩くの?と私は、文句たらたら。雨がポツポツ降ってきたので、近くのカフェに入ってコーヒーを飲んだ。そこから、またウーバーを頼んで、午後1時頃ホテルまで帰ってきた。帰りはなぜか安くて、13.88ユーロ。ウーバーのアプリに、記録が残っている。帰って来て部屋で見てみたら、私の買ったネックレスとピアスがない。スーパーのレジ袋みたいなのに入れてもらった。バッグに入れたと思ったけれど、手に持って歩いていたかも入れない。姉に文句を言ったりしていたので、そっちにばかり気を取られていた。ウーバーの運転手さんへのコメント欄に、アクセサリーの袋を無くしました。車に落としていませんか?と翻訳アプリを使って書いて送った。ホテルの前まで送ってもらったので、見つかったらホテルに届けてくれるかもしれない。夕方、ウーバーから「お尋ねのものは見つかりませんでした。」と、メールで返事が来た。蚤の市で、落としていたのかもしれないな。まあ、全部で30ユーロもしない安いものだけれど。それから、歩いて行ける百貨店、ギャラリー・ラファイエットに出かけた。まずは、遅くなったランチを。レストランの天井は、ドーム型になっていて、クラシックなステンドグラス。前菜と、メインと、デザートランチメニューを3種類頼んで、みんなでシェア。この時の料理は、どれも美味しかった。デパートの中を見て、スーパーで買い物して帰ってきた。夕食は、スーパーで買ってきたものをホテルの部屋で、ビールを飲みながら食べたような気がする。翌日朝の出発なので、荷物を整理した。私のスーツケースは大きくて、大きな買い物もしなかったので、片面を開けることができて、姉が買った絨毯を詰めることができてホッ。翌日は、13時10分の飛行機で、ゆっくり朝食を食べてから、9時過ぎのロワシーバスで空港へ。バスの中では、フランス語、英語、中国語、日本語のアナウンスもあって、降りる場所もよくわかった。荷物を預け、免税手続きまでは娘と一緒に。娘とエルちゃんは直行便なので、ラウンジでちょっと一緒に過ごしてから別れた。私たちは、仁川で乗り継いで、10月31日のお昼過ぎに関空に着いた。ダンナが迎えに来てくれていたので、そのまま和歌山の姉の家へ。絨毯を下ろして、帰ってきた。後日、姉の家で丸洗いした絨毯を見たら、手織りの手の込んだもの。お得な買い物だったようだ。
2019.06.13
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28日、朝食を食べてから、荷物を片付けて、ファミリールームに移動した。大きなベッドが2台。夕方から娘とエルちゃんと合流する。その後、95番バスに乗ってルーブルへ。ガラスのピラミッドのルーブル美術館が見えてきた。ガラスのピラミッドの下に入り口があって、流れに沿って入っていくと、チケット売り場へ。モニターを日本語表記して、チケットを購入した。1人15ユーロ。ルーブル美術館は、コの字型の宮殿が、シュリー、リシュリュー、ドノンという3つの部分に分けられている。2004年に行ったとき、サモトラケのニケの美しさが一番印象に残っていた。モナリザは、人が多くてよく見えなかった。それらは、ドノン翼にあるので、インフォメーションでもらった、日本語表記の館内マップを見ながらスタート。2階へ上がる階段のところにあったのが、サモトラケのニケ。ここからドノン翼の方へ行くと、教科書で見たことのある作品がいっぱい。モナリザの案内が出てきて、そちらの方へ。小さな部屋の中に1点だけ展示されているけれど、こんなに小さな絵。やっぱり人は多いけれど、そばによって見ることができた。表情、背景、繊細なタッチで描かれて、やっぱり魅力的な微笑。ドラクロアの、「民衆を導く自由の女神」はすごい迫力。アングルの「グランド・オダリスク」魅力的な裸婦の絵だけれど、実際よりも背骨が長すぎると聞いたことがある。オルセー美術館もそうだったけれど、有名な絵画と一緒に写真も撮れるし、そんな自由な雰囲気がいいなあ。でも、姉も私もだんだん、腰や足が痛くなってきた。ミロのビーナスを見てないねと言ってたけれど、戻るのもしんどいし、お腹もすいてきた。美術館の中のレストランは、満員で、座る場所もない。仕方がないので、また次の機会に行くことにしようと外へ出た。また95番バスに乗って、南のモンパルナスへ。お腹が空いていたので、お店を見つけてピザとチキングリルでランチ。2人とも疲れ切って、いたけれど、食べ終わってから周りを歩いた。モンパルナスの駅の中に若者向けの服屋さんがあって、たくさん買い込んだんだけど、名前は何と言ったかなあ。私はダンナのセーターを2枚。丈が長めで着やすそう。姉は息子が巨漢なので、サイズの大きいセーターやジャンバー。大きなサイズなのに、おしゃれで着やすそう。日本では、こういうのがなかなか見つからない。モンパルナスの街並みを見ながら、95番バスで帰ってきた。ホテルに着いて、ロビーで休んでいると、娘たちがやってきた。久しぶりで、エルちゃんは大はしゃぎ。この日も夜の写真がないなあ。夕食はどうしたんだろう。
2019.06.11
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10月26日の夜、8時半ごろにホテルに着いた。でも、パリとの時差は7時間。日本時間だと、夜中の3時を回っている。機内で寝ていなかったので、部屋に入ると姉はすぐに寝てしまった。朝目が覚めると、姉がお風呂に入っていた。姉と旅行に行くと、いつもこのパターン。27日の朝は、食堂でバイキング。焼き立てのパンが美味しくて、大満足。パリへ行く前、チケットやホテルの手配や行き方は私が調べるので、姉にはどこに行きたいか、ネットで調べておいてねと頼んでいた。姉が計画したのは、サンジェルマンから、カルチェラタンからシテ島。ルーブルとモンパルナスにも行きたい。と盛りだくさん。もう、自分たちの年齢を考えてないわあと呆れたけれど、とりあえずサンジェルマンの方に向かうことにした。オペラから95番バスに乗って、ルーブル美術館を車窓から見て、サン・ジェルマン・デ・プレ教会の前で下車した。パリ最古の教会は、厳粛な雰囲気の建物。でも、向かいはおしゃれなルイ・ヴィトン。サンジェルマン通りを歩いていくと、カフェが多い。この辺りは、ソルボンヌ大学やパリ大学、美術館や博物館も多い。ここからシテ島の方に入ったところがカルチェラタンかな?狭い小道に小さなレストランが並んでいて、学生らしい人が多かった。そんな中のお店で、ランチを食べた。前菜とメインとデザート。右上はムール貝。2人で37ユーロ。シテ島のほうに歩いていくと、セーヌ川の向こうにノートルダム大聖堂が見えてきた。今年4月の火災で、右側の尖塔のある部分が焼け落ちてしまった。14世紀からの歴史ある美しい建物なのに残念。セーヌ川では遊覧船が。2004年、娘と一緒に行ったパリで、足が痛いのとおなかが痛いのとで、動けなくて、セーヌ川を船に乗って観光した。その時も、美しいノートルダム大聖堂が見えて嬉しかったのを覚えている。シテ島に入って、ノートルダム大聖堂を真正面から見たところ。またセーヌ川を渡ると、お土産物屋さんもいっぱい。パリ市庁舎の前あたりかな?広告塔も面白いなあと思った。まっすぐ進むと、ボンピドゥー・センター。その手前の公園の壁に、大きなダリの肖像画。公園に置いている遊具も前衛的。歩き疲れて、この横のベンチでちょっと休憩。地図を見ながらボンピドゥー・センターのところまできたけれど、姉が階段みたいな入り口という。反対側に回ると、これがボンピドゥー・センター(国立近代美術館)美術館の入り口は、すごい人が並んでいて、これからは行ってみる元気はない。場所が分かったから、次の機会にしようと言うことで、ホテルの方に向かうバスを探すことにした。ボンピドゥー・センターのそばに、面白い建物発見。建物右側、壁に絵をかいてあるけれど、その上の8つの窓も、描かれた窓。上の4つの窓を拡大すると、絵だってことがわかるかなあ。オペラの方に向かうバスがなかなか見つからず、かなり歩いて、ルーブルの裏手で、やっと見つけてホテルに戻った。 ホテルのフロントで、ソファーに座れてほっ。ソフトドリンクなども利用できて、やっと落ち着いて休むことができた。部屋に戻ると、姉はまたすぐに寝てしまった。写真がないので、晩御飯は食べなかったのかな?
2019.06.09
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ついでだからその年の10月、姉と一緒に行ったパリのことを書いておこう。パリへの機内からブログを書いているけれど、去年、一昨年とほとんど書けていない。パソコンを開けて書くのも読むのもしんどくて、こんなに意欲の無くなった自分は、年なのかなと思っていたけれど、今から思えば、白内障と眼瞼下垂のせいだったような気がする。ところで2017年のパリ行き、4月に娘と一緒にニース、アビニョン、パリへ行き、姉と一緒にオルセー美術館を見に行った。ルーブル美術館にも行きたかったのに、足が痛くて断念。次に残しておこうということになった。ホテルはパリのオペラ座に近く、空港からはバスで直通。またこのホテルなら自分たちで行けるかもと思った。娘がちょうど10月にパリへ行く予定があって、途中で合流できそうなので、姉と二人で行くことにした。この時のパリはとても安く行っている。航空券は、楽天トラベルで大韓航空で仁川乗り継ぎ。二人で154800円(一人77400円)10月26日9時半に関空を出発して仁川で約2時間。仁川はよく知っているし、ラウンジで過ごせるし、不安はなかった。パリ到着は、18時30分。到着したのは第2ターミナル。荷物を取ってBUSという表示のある方へ行くと、バス乗り場があった。不安だったので、このブログの写真を撮っていってたけれど、すぐにわかった。市内へ行くバスはいろいろあるけれど、ロワシーバスはオペラが終着。11ユーロの切符を買って、バスに乗った。私の後に、姉が乗ろうとしたら止められて、よく見たら切符じゃなくて私の切符の領収書。私が取り忘れて、続けて買ったので切符じゃなく領収書を取ってしまったらしい。慌てて券売機を見に行ったけれど、チケットが無いと戻ってきた。パニクっているおばさん二人、日本語で何言ってるかわからなかっただろうけれど、運転手さんが親切に乗っていいと合図してくれた。「メルシー」と言って、バスの座席に座った。オペラに着いてから見覚えのある道を通っていってホテルまではすぐ近く。この時のホテルは、アストラオペラ。HPが日本語表記にできるので、直接予約した。4月に行ったホテル・サンペテスブールの2軒ほど隣り。このホテルは、26日136ユーロ、27日127ユーロ娘と合流した28日からは家族部屋で、28日、29日とも215ユーロ。大体一人一泊9000円ぐらいで泊まっている。それで朝食付きで、お昼過ぎからはロビーがラウンジに替わって、ソフトドリンクやフルーツやデザートもフリー。このホテルからは、今も時々メールが届き、宿泊代を教えてくれる。最近の値段は大体一人12000円~13000円ぐらい。29日は、またロワシーバスで空港に向かい、13時10分発のエールフランス(大韓空港提携便)翌日の8時過ぎに着いた仁川では約3時間。お昼過ぎに関空に戻ってきた。パリでは、オペラからルーブルを通ってサンジェルマン、モンパルナスまで行く95番バスをよく利用した。28日には、ウーバーを利用して蚤の市へ。そんなわけで、飛行機、ホテル、食事代合わせても15万円ぐらいの旅行。お得に行けたし、ルーブルはほんの少ししか見られてないので、また行こうと言ってたけれど、いつ行けるようになるかなあ。焼けてしまったノートルダム寺院の写真もあるので、続きを書いていこう。
2019.06.04
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ヌサ・ドゥアで泊まったのはメリア・バリというホテル。夜遅く到着したけれど、ヌサ・ドゥアの街の中に入る時と、ホテルに入る時、2回ゲートで止められた。町全体が、外部から遮断されている感じだった。メリア・バリでは3泊。オールインクルーシブを予約してくれていた。手首にブレスレットを付けてくれて、これが目印。食事も自由だし、飲み物も自由、色々なアクティビティも受けられる。部屋に荷物を置いて、夕食は日本食のSAKURAへ。朝になってバルコニーへ出ると、そこにプール。階段が付いていて、自由に入ることができた。朝食はレストランで、ビュッフェスタイルで食べたり、バルコニーから降りて、プールで泳いだりしていた。中央のプールの方へ行くと、色々なアクティビティが企画されていた。水中バスケットボールや水中ストレッチ、アクアビクスがあった。他にもヨガや木工制作、アーチェリーやゴルフなど、日替わりでいろいろ企画されているようだった。キッズルームもあったけれど、エルちゃんは一人ではまだ無理みたい。ダンナにエルちゃんのお守りをお願いして、娘と一緒にアクアビクスに入ったら、とっても楽しかった。音楽に合わせて、かなりハードだったけれど、最後には参加している人20人ぐらい全員で手をつないで、あおむけに輪になって浮かんだり、気持ちのいい時間を過ごせた。プールの合間に、パラソルの下のデッキに横になって、飲み物やサンドイッチを注文したりした。メリア・バリ2日目の7月12日、ホテルの外へ出た。歩いてすぐのところにバリ・コレクションというモールがあり、色々なレストランやショップが並んでいた。でもレギャンと比べると、値段がずっと高い。ヌサ・ドゥアは外部と隔離された治安のいいリゾート地で、美しく整備された町だけれど、優雅にリゾートを過ごしたい人向きみたい。レギャンで買っておけば良かったなあと思いながら、お土産を買って帰った。夕食は、ダンナの好みでまた日本食。来ているのは、欧米の裕福そうな人が多かった。オールインクルーシブなので、どこでも食べられるけれど、他のお店に比べると日本食はかなり高そうだった。メリア・バリ3日目。朝食ビュッフェは、インドネシア料理、洋食、日本食など、色々なものが食べられるので、日替わりでいろいろ気分を変えて。午前中、また中央プールのアクアビクスに娘と参加した。昼食は、ビーチサイドにあるレストランで、サラダやナシゴレンなどを頼んだ。クルミの入ったパンがとっても美味しかった。午後からは海へ。ホテルのプライベートビーチには、パラソルの下にデッキチェアが並んでいた。この日、私はシュノーケルのマスクとフィンを借りた。砂浜からだいぶ離れると海の中はきれいだけれど、離れすぎるのも怖いし、砂浜には泳いでも魚は少ないし、あまり楽しめなかった。ダイビングやボートでのシュノーケルは、オールインクルーシブとは別料金。日本よりもずっと高かった。娘は、パドルボートが楽しそう。この日の夕食も、ダンナの希望で結局日本食。すき焼きを頼んで、みんなで鍋を囲んだ。私は、バリ舞踊などを見ながらバリ料理を希望したんだけれど、ダンナはどうも好きになれなかったみたい。最終日、朝食を食べてから、荷物をまとめ預けて、みんなでビーチへ。頼んでいたら、ピクニック用に飲み物や果物、サンドイッチなどを用意してくれていた。娘とダンナはパドルボートで漕ぎ出し(写真上)、私は浜辺でエルちゃんと過ごしていた。そこに、前日にはいなかったのにお土産売りのおばさん。スカーフや、バリの絵画、貝で作ったお皿などを売りに来た。ビーチで用心が悪いので、日本円など貴重品は荷物と一緒に預けていて、浜辺に持ってきているのは、娘が持ってきた、2000円ぐらい分のバリ通貨(ルピア)だけ。それなのにいろいろ荷物を広げて見せてくる。絵画は本当に安くて、お金があれば買いたいぐらい。娘とダンナが帰って来て、娘は、1000円ぐらいでスカーフと貝のスカーフ止めを買った。残りのお金で、私はすごくまけてもらって小さな貝のお皿を2枚。バリコレクションではかなり高かったので、すごく得していると思う。ホテルへ戻って、シャワーを浴びて、着替えてからチェックアウト。バリ空港のラウンジで夕食を取った。バリを夕方出発して、ジャカルタで乗り継ぎ。7月15日に日本へ帰ってきた。てるみくらぶの被害は、身近な人にも案外多く、ハングルの講座で私を含めて3人。後の二人は、カードで支払っていて、後日カード会社から戻ってきたそうだ。私たちは現金で支払ったので、結局数%しか戻ってきていない。でも、代わりにバリへ。憧れだったビーチリゾートでリッチに過ごさせてもらった。ムコ殿だけが被害を受けた感じ。ゴメン
2019.05.10
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ホテルを出てまず北の方へ向かい、行ったのはウブド。渓谷の斜面に段々になったライステラスを見ながら、ここで昼食。昼食後、南に向かって、バリ島南端のワルワツ寺院へ。断崖絶壁に立つ11世紀に建立された古い寺院で、遊歩道から見えるインド洋の眺めは壮観。寺院の広場で、18時からケチャダンスが始まった。たくさんの男性たちの「ケチャチャ、ケチャチャ・・・・」と独特の掛け声と踊り。途中から魔王にさらわれた姫が出てきて、猿の軍団が救い出すという物語。タクシーの運転手さんは、ガイドも兼ねて、ケチャダンスのチケットも取ってくれた。最後まで観ていたら、暗くなって車を出すのも時間がかかるらしいので、ちょうど話が変わったところで退席。タクシーもスムーズに出せて、その日泊まるバリ島東海岸のヌサ・ドゥアへ。ホテルへ着いたのは夜の9時頃だった。
2019.05.07
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最初に行ったのは、バリ島南部西海岸のレギャン。パドマリゾート・レギャンというホテルのクラブルームを取ってくれていた。写真上の大きなハチの巣みたいなのがぶら下がったのが、ホテルのロビー。壁がないので風が通って涼しい。クラブルームのラウンジでチェックインをした。緑がいっぱいの敷地の中に、点々とコテージがありその中の一軒。ここで2泊した。これがクラブルーム。ここへ来たら、いつでも好きな飲み物や軽食を食べることができる。夕方からは、お酒も飲むことができた。庭の様子はこんな感じ。敷地内には、いろんなところに池や川があって、鯉がたくさん泳いでいた。ホテル内のいろいろなところを探検しながら、プールサイドのレストランで、ピザやサラダの軽い食事。リスがいっぱいいるのにびっくり。ホテルの裏手はインド洋。サーフィンをしている人はいるけれど、泳いでいる人はほとんどいなかった。終わってから、娘とエルちゃんと3人で、ホテルの外に出て、レギャンの街を散策した。リゾート用の服やアクセサリーを売っているお店がいっぱいあって、値段もとっても安い。水着の上に着れるワンピースも買った。マッサージやエステなどのお店もとっても多い。夕食は、みんなで外に出て、バリ料理を食べた。夕食後、みんなで足のマッサージをしてくれるお店へ。歩き疲れていたので、とても気持ち良かった。値段もとっても安かったように思う。翌日の朝食は、クラブ専用のレストランで。その日はプール三昧。エルちゃんがまだ小さかったので、プールはキッズプール。小さなウォータースライダーもあった。時々泳いだりしながら、プールサイドのデッキチェアでのんびり。夕方クラブルームへ行くと、おしゃれなカクテルを作ってくれた。(上の写真の右下)その日の夕食も、外のお店でバリ料理。終わってから、私だけ全身のマッサージをしてもらって帰った。翌日の朝も、クラブのレストランで朝食を取った後、チェックアウトして観光に出発。空港に迎えに来てくれたタクシーの運転手に頼んでいたら、ホテルまで迎えに来てくれた。
2019.05.07
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2017年、7月8日から15日まで、ダンナと娘とエルちゃんと4人で、バリ島へ行った。4月にフランスに行った後、5月に沖縄、6月には姉と韓国、と旅行が続いていたけれど、てるみくらぶで予定していたハワイ旅行が無くなって、「マイルたまっているから、ビジネスでバリぐらいやったら行けるよ。 7月に行く?」と言う娘の言葉から、バリ島行きが決まった。私たちの誕生日と、母の日と父の日のプレゼントに、ホテルは娘夫婦が出してくれると言う。でも、スカイチームのマイルを使えるチケットがなかなか空きが出ない。結局帰りのチケットはガルーダで取れたけれど、エコノミー。一度ビジネスを体験したかったので、行きのチケットは、LCCのエアアジアのビジネスを取ることにした。でもLCCなので、ダンナと二人で約13万円。ビジネスの空きがなくて2席しか取れず、娘はエコノミーを取っていたけれど、当日ちょっと料金を足してコンフォートエコノミー席にしたら、LCCだからかがらすき。1才10か月のエルちゃんは私と一緒に乗る予定だったけれど、横に3席分空いているので、娘と一緒に乗ることにした。夜の10時出発なので、フルフラットで横になれて楽だったけれど、ペットボトルの水と、機内食は、普通のエコノミーのような食事。エコノミーは食事が有料だった。ダンナは寒くてあまり眠れなかったらしく、機内食もほとんど食べなかった。写真はクアラルンプールの、エアアジアのビジネスラウンジ。ここで3時間半ぐらい過ごした後、乗り換えてバリまで。バリに着いたのは、7月9日の午前10時半。娘が頼んでくれていたタクシーでホテルへ。予定していたビジネスの飛行機が取れなかったので、ホテルは豪華な部屋を頼んでくれていた。
2019.05.05
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韓国旅行中、娘とLINEで連絡していたのは、この旅行。毎週届く、Travelzooからのメールに載っていたもので、7月出発で、娘とエルちゃんと3人で行く予定で申し込んだ。エルちゃんはまだ2歳未満だったので、3人で約70万円。立て替えてくれていたので、半額の35万円を、韓国から帰ってきた夜に、ネットバンキングで娘に振り込んだ。でも2日後の24日、とんでもないニュースが飛び込んできた。てるみくらぶに申し込んだ旅行者が、当日になってチケットを発券されず大騒ぎになっている。翌日には、旅先でホテルが取れてない人や、帰りのチケットのない人も。翌日には、どうも倒産したらしいというニュースも。でも、JATA(日本旅行業協会)で保障されているから、返金されるという情報も流れてきたり混乱していた。でも、数日後本当に倒産は確実になった。ニュースでは、格安旅行会社、格安チケットとばかり強調されるけれど、私にとっては、今までの海外旅行の中では一番高額で、初めてのハワイ、初めてのビジネス、憧れのビーチリゾートだったのに、残念だった。Travelzooには、同じようなツアーが前にも企画されて載っていて、実際に催行されていたので、怪しいとは思わなかった。でも、帰ってきてすぐに振り込んで良かった。倒産がわかってからだったら振り込むのも嫌だっただろうなとか、韓国に行っていなくて、私が70万円立て替えていたら、娘から半分もらうのも気が引けただろうなとか、直後に予定していたフランスのチケットは、てるみくらぶに申し込んでなくて良かったとか・・・いろいろ不幸中の幸いを探して諦めることにした。
2019.04.11
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1月13日、この日は8時半にホテルを出発して、世界遺産のシーギリヤロックに行く予定だったので、朝早くから準備をして、レストランへ。レストランは湖のそばにあって、朝の空気がきもちいい。ワッフルを焼いてもらうと、サクサクで美味しかった。8時半にダマワさんが迎えに来てくれて、シーギリヤロックへ。ホテルの周りはあまり建物もなくて、ダマワさんはどこに泊っているんだろうと思うけれど、約束の時間には、必ず遅れずに来てくれる。シーギリヤロックは、5世紀ごろにできた岩の上の空中宮殿で、岩の大きさは南北約400m、岩の高さは約180m。周りに整備されたきれいな公園があり、そこに博物館がある。公園から岩の上までの高さは約300mで、岩の横に細い階段が付いていて、頂上まで行ける。途中には、シーギリア・レディという壁画が描かれたところもある。スリランカへ来たなら絶対に外せない世界遺産だと言うが、健康な人でも片道40分かかると言う階段を上ることはとてもできないので、私たちは、下から見て、博物館を見るだけでいいと言っていた。博物館は、2009年に日本の協力によって作られたもので、シーギリア・レディの実物大のレプリカや、シーギリヤロックの頂上の模型などがあった。宮殿には階段や大きな沐浴場などもあって、5世紀ごろなのに、治水や建築技術が高かったんだなあと思った。行ったことはないけれど、写真で見たマチュピチュにも似ているように思ったし、上から見たら、天空の城ラピタみたいな気分になったかもしれない。上まで登ったら気持ち良かっただろうなあ。健康な若い時に来ておいたら良かったと思った。シーギリヤロックは海外からの観光客だけでなく、地元の人もたくさん行っているようで、校外学習なのか、白い服を着た女学生もたくさんいた。白いワンピースに白い靴、靴下まで一緒で、無料配布されると言うけれど、徹底している。博物館の見学後、公園の横から階段を下りて駐車場に向かった。大満足のスリランカ旅行だったけれど、この時だけちょっと嫌だったことが。公園の中から、二人の男性がずっと付いてくる。このシーギリアロックには、背中を押したり手を持ったりして、登るのを手伝うのを仕事にしている人がたくさんいる。私たちは登らないと言ってるのに、階段の上り下りで、私の足が悪いのに気づいた二人が、ずっと腕を支えに来る。いらないと言ってるのに、しつこく付いてくるのに閉口した。最後に、チップを要求されたけれど、100ルピーずつしか渡さなかった。日本円が欲しそうだったけれど、持っていないで押し通した。いろいろ気が付くダマラさんだけど、この時だけは彼らに何も言ってくれないのが残念だった。他の観光客を連れてシーギリアロックに登る時は、お世話になる人が多いから仕方がないのかもしれない。シーギリアロックを車の中から眺めながら行くと、途中の道沿いには、観光用か象の乗り場も。30分ぐらいで、着いたところは、ホテルシギリア。中庭にはプールがあって、向こうにシギリアンロックが見えた。ここで、3回目のアーユルヴェーダをしてもらい、昼食の予定。ここでは、アーユルヴェーダの前に医師による診察があった。血圧や脈を測り、ダマラさんの通訳で問診もあった。その後、個室に入って、たっぷり1時間のボディーマッサージ。私は、固定手術をしている左足首の手術の傷あとの周辺や、亜脱臼している右手親指の関節を触られるととても痛い。それを伝えたので、触らないのかなあと思っていたら、そこは丁寧に柔らかくマッサージしてくれて、痛みもほぐしていってくれているようだった。終わってから、横の部屋でシャワーを浴びた。オイルマッサージかなと思うけれど、シャンプーもボディーソープもサラサラで、泡切れもいい。着替えてから別の部屋で髪を乾かし、お化粧した。肌がすべすべになって、お化粧ののりもいい。その後、レストランでアーユルヴェーダランチ。野菜中心のメニューだけれど、カレーの種類もいっぱいだし、食後のフルーツもたくさんあって、ヘルシーなのに食べ応え十分。3時頃、このホテルを出発する時、お土産物を入れていた布袋が、ギザギザに破れているのに気が付いた。ホテルの庭には、いろんなところにリスがいたので、どうもその仕業らしい。コロンボまでは、約4時間の道のりだけれど、飛行機は、夜中の1時半出発とたっぷり時間はある。どこか寄りたいところはありますか?と聞かれたけれど、特にない。でも、スリランカルピーがたくさん残っているし、何か買い物しないと、親切にしてくれたダマワさんに悪いかなと、バティックの工場に寄ることにした。ろうけつ染めで、何回も重ねて染めていく。そこで、40cm四方ぐらいのバティックを1枚買った。来るときは、クラクションを鳴らしながら何台もの車を追い抜いたけれど、帰る時は、たくさんの車に道を譲った。コロンボに着いて、レストランでチャーハンとカレーの食事。ダマラさんには、3才と3か月の二人の子どもさんがいるけれど、私たちのガイドをしてくれている間、一度も家に帰っていない。写真を見せてもらったら、とてもかわいい子どもたちだった。また来た時に、ツアーでなくても案内してもらえるか聞いたら、電話番号とアドレスを教えてくれた。(帰って来てから登録したら、ラインが繋がった)空港に着いたのは、夜の8時半頃。早すぎて搭乗手続きがまだできなかったけれど、早く帰って家族に会いたいだろうから、一緒に写真を撮って、ダマラさんとはお別れをした。10時半ごろやっと搭乗手続きができて、ラウンジで時間をつぶし、飛行機に。帰りは、バンコクでの乗り継ぎ時間は1時間半ほどで、ゲートの移動をするだけで時間が経ってしまった。そして1月14日の15時45分、関空到着。今回の旅行は、毎日新聞に載っていたトランスオービットという会社のツアー。名前を聞いたことがなかったので不安だったけれど、二人だけで、2つの世界遺産を含むガイド付き、3回のアーユルヴェーダ、有名なジェフリー・バワのお弟子さんたちが作った素敵なホテルに宿泊、というだけでなく、飛行機の座席がとても良かった。エコノミーの前から2・3列目で、後ろ10列ぐらいでカーテンで仕切られている。エコノミーよりもゆったりして、プレミアム・エコノミーみたい。旅行の総額は旅行会社にビザもお願いして21万円ぐらいだったけれど、私が現地で使ったのは、おみやげも含めて1万5千円ほど。アーユルヴェーダが気持ちが良くて、また行きたいなと思えた。個人旅行で手配したら、3分の2ぐらいで行けるかな?長々とスリランカ旅行のことを書いてきた。今日は観劇の日で、前進座の「柳橋物語」を観てきた。観劇や映画のことも書いておきたいな。
2018.02.20
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タンブッラに着いて行ったのは、世界遺産の山の上にある石窟寺院。山のふもとには、黄金大仏のある寺院もあって、ダマラさんに「そこも行きますか?」と聞かれたけれど、私たちは「別にいいです」と答えた。石窟寺院までは、かなり階段を上っていかないといけないようで、そこ以外では、歩くのを極力避けたい。石窟寺院は高さ約150メートルの岩山の上にあって、階段は300段ほど。何通りか登る階段があるそうだけれど、手すりが欲しいと言うと、段差が低くて、一番登りやすそうな階段を選んでくれた。駐車場に車を停め、ダマラさんがチケットを買いに行っている間に、少しずつ石段を登り始めた。私は、階段を上る時、どこかにつかまりながら、左足からでないと上がれない。一緒に行ったTさんも、膝の調子があまりよくないので、何度も休憩しながら、ゆっくり登っていった。他の人を気にしなくてもいいし、二人だけのツアーで本当に良かったと思った。山の中腹、平らなところに建てられた寺院に着くと、靴を脱いで預けて中へ。門を入るとこんな感じに、5つの石窟が並んでいた。一番最初に建てられたのは、紀元前1世紀。その頃、追放された王様がこの洞窟の中に身を隠し、15年後にまた復帰したそうで、寺院として整備されていったそうだ。一番古い手前の石窟の中には、大きな涅槃像が。足の裏にも、模様があった。2番目の石窟の天井や壁には、きれいな壁画が描かれていて、周りにはずらっと仏像が並んでいた。ここでは、天井から滴る水を集めているところがあった。石を削って、水道の原型になるような技術も持っていたそうだ。奥の石窟へ行くほど年代が新しくなっていっている。涅槃像や仏像もたくさんあったけれど、やはり1番目と2番目の石窟が素晴らしいなあと思った。見学を終わって周りを見ると、こんなのどかな風景。雨雲が近づいてきて、急いで下りることにした。私は上り坂は登れないけれど、下り坂は下りられる。それで、帰りは緩やかな階段と、坂道の多い階段を通ることに。下りていく途中、Tシャツを売っている人がいた。前と後ろに面白い象のデザイン。値切って2枚1000円でお買い上げ。日本円が欲しかったみたいだ。そこからまた1時間ほど車で移動して、その日のホテルへ。泊ったのはジェットウイングレイクホテル。湖に近くて、プールもあって素晴らしい景色のようだけれど、着いたのが遅くて、翌日の出発も早かったのでゆっくり見られなかった。遅い夕食は、ホテルの中のレストランでバイキング料理。サックスの生演奏もあって素敵な雰囲気だった。疲れたのか、Tさんはすぐに寝てしまったけど、翌日出発が早いので、私はお風呂に入ることに。シャワーで髪を洗った後、ちょっと離れたバスタブまで移動してゆっくり浸かった。階段の上り下りで疲れていたので、気持ちが良かった。
2018.02.10
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1月12日の朝は、とても早く目覚めた。前日、すぐに寝てしまっていたので、中庭にある浴槽に水をためて、お風呂に入ることにした。体の芯から温まって、とても気持ち良かった。6時過ぎに朝食のレストランに行って、外の庭に出てみた。朝日が昇るところで、とてもきれい。庭に置かれた椅子に、3人の男女が座っていて、座禅を組んだりしていた。昨日プールでレッスンを受けていた人たち。このホテルには、アーユルヴェーダの有名な先生がいて、一週間過ごしているそうだ。スパイシーな朝食を食べてから、私はプールへ。8時頃から30分間、3人の日本人と一緒に、アクアレッスンも受けた。プールの中で、手を上げたりジャンプしたり、かなりハード。9時からアーユルヴェーダの予約をしていたので、途中で切り上げた。この日のアーユルヴェーダは、こんな感じ。上半身だけ専用の服に着替えて、ベッドに寝ると、目や耳にコットンを当てられた。おでこの辺りに、温かいオイルのようなものが流れていく。時々、髪をまとめてそのオイルを絞り出していくような感じ。何度も繰り返しているうちに、体全体がじんわり温かくなってきて心地がいい。終わった後、私はちょっと早く眼を開けたので痛かったけど、何度も水とコットンで洗い流してくれた。最後に髪と頭をマッサージしてくれて、1時間が終わった。10時からTさんが、アーユルヴェーダをすることになっていた。髪に着いたオイルは、なるべく1時間ぐらい洗い流さない方がいい、ということだったけれど、ホテルの出発が1時半の予定だったので、先に荷物を片付けて、10時半ごろから髪を洗い着替えた。油たっぷりのはずなのに、シャンプーをしたらサラサラだし、手足の肌が、驚くほどすべすべ。アーユルヴェーダのデトックス効果は半端じゃない。Tさんも終わってから髪を洗い、1時半ごろチェックアウト。前日の昼食はついているはずだったけれど、別料金の請求が。私たちは、別にいいやと思っていたけれど、ダマワさんが理由を聞くと、付いていたのはアーユルヴェーダ・ランチだったのに、私たちがビーフカレーを頼んだからだそう。女の子が何か言ってたけれど、わからなかったからなあ。ここからタンブッラに向けて出発。ホテルの近くには港があって、漁船もたくさん停まっていた。1時間ほど走った頃、パン屋さんでカレーパンの昼食。山のように積まれているのでびっくりしたけれど、この中から食べた分だけ、代金を払う仕組み。中身のカレーの違う、いろいろな種類のカレーパン。いろんな味を食べたいので、Tさんと半分分けしながら食べた。これとは別に、カレーコロッケも。他の人はコップの水を飲んでいたけれど、ダマワさんは、ペットボトルのお水を頼んだ。食後に、甘いミルクティー。カレーが辛いので、甘い紅茶が美味しかった。タンブッラまでも、クラクションを鳴らしながら、遅い車は追い越していく。道の真ん中に、白の実線と点線、ジグザグの線が描かれていて、センターラインが点線のところは追い越していいのだそう。ジグザグのところは、脇道あり。信号がないので、それで横から出てくる車もわかるそう。クラクションを鳴らされたら、車は左側に寄ってくれる。日本だったら、怒鳴られたり、煽り運転をされそうだ。4時頃に世界遺産の石窟寺院のあるタンブッラに着いた。
2018.01.26
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2時ごろから、ダマワさんの運転で、コロンボ市内に向けて出発した。これは、ホテルの玄関。横の方に、チェックインカウンターのテーブルと椅子がある。壁もなく、プールが見え、とってもオープンな雰囲気だ。私たちのツアーは二人だけで、ダマワさんが運転手兼ガイド。ダマワさんは、東京の学校に留学し、7年間日本に住んで、京都で会社勤めもしていたそう。お父さんが亡くなったので、スリランカへ戻り結婚し、3才と3か月の二人のお子さんがいると言う。運転しながら、いろいろなことを教えてくれた。スリランカの人口は、約2200万人。そのうちの約70%が仏教徒で、次がヒンズー教徒、そしてイスラム教徒、キリスト教徒も何%かいると言う。白い服を着て帰る学生の姿をよく見たけれど(左上)、これは公立の学校の制服で、小学校から大学まで無償。でも大学は、かなり成績優秀でないと入れないそうだ。制服からカバンまでみな無償でもらえるそうだ。医療費も無償だそう。福祉が充実しているけれど、税金は高く15%。タバコなどは、1箱1500円もするそうだ。コロンボ市内に入ると、道がすごく混んできた(右上)。でも全く信号がない。クラクションを鳴らしながら、間に入っていったり、車の間を横切っていったりする。ダマワさんの車は、トヨタのカローラだったけれど、日本の車は人気が高いらしい。でも、カローラも高くて400万円ぐらい。欲しくても個人では、ちょっと買えない金額。平均的な月収は、35000円くらいで、一般の人が購入するのは、ツュクツュク(下)三輪自動車で、60万円ぐらい。タクシーのようにお客さんを運んで、支払いの費用に充てている人も多いそう。インドから来たシンハラ族で建国されたスリランカは、ポルトガル、オランダ、イギリスなどに植民地支配され、1948年にセイロンとして独立した。下の写真の建物は、イギリス統治時代のもの。イギリス統治時代に、インドから一緒に連れてきたのがタミル人。それで、看板などにはシンハラ語、タミル語、英語と並べて書かれたものが多い。上の写真の青い部分。ダマワさんは、仏教徒でシンハラ語の小学校に通ったけれど、タミル語や英語も小学校から教科に入っているのだと言う。タミル民族の多い学校では、タミル語が主になるのだと言う。海岸沿いでは、中国企業の進出が多い。政府が中国からたくさん借金してるそうで、乗っ取られそうな不安も感じているようだった。灯台や寺院、議事堂など、「寄りますか?」と聞いてくれるけれど、車も止めにくそうだし、私たちは、「見るだけでいいですよ」ということが多い。紅茶のお店、洋服のお店、有名な雑貨店パラダイスロード、スーパーマーケットに寄ってお土産などを買ってから、夕食のバイキングレストランへ。有名なホッパーも目の前で作ってくれる。カレーも、肉、魚、蟹、野菜、豆、キノコなどで20種類近く。ライオンビールを飲みながら、楽しく食事した。ダマワさんだけは運転するので、もちろん飲まなかったけれど、飲酒運転の罰金は、とても高いそう。帰り道もとても混んで、ホテルに帰ってきたのは9時過ぎ。ダマワさんは、「明日9時のアーユルヴェーダの時に来ます」と帰っていった。家に帰らず、ホテルの近くに泊っているそうだ。ビールを飲んだこともあって、私はすぐ爆睡してしまった。
2018.01.25
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この日泊まっていたのは、ニゴンボのジェットウィング・ラグーンというホテル。7時頃、部屋を出ると、前に大きなプールが広がっていた。10時からアーユルヴェーダをすることになっていて、それまでに朝食を食べて、プールで泳ぐことにした。レストランの外には、海に面して広い庭が広がっている。この海がインド洋なんだなあと思うと、ちょっと嬉しい。庭の木々にはいろんな鳥が来ていたけれど、ネットを張って中に入らないようにしていた。ご飯やヌードル、いろんなカレーや揚げ物などが並んでいた。オムレツとソーセージはお好みに焼いてくれる。私は、パンやサラダにスパイシーなチキンなどをチョイスした。パパイヤやスイカなど、フルーツもいっぱい。食後、プールへ行くと、インストラクターが前に立って、プールの中で3人の日本人が、アクアレッスンを受けていた。7時45分くらいから始めたと言うので、明日受けることにした。プールは、50mくらいの長さの、とても大きなプール。泳いだり、歩いたりしながら3・40分過ごすと、かなり運動した感じで気持ち良かった。Tさんと順番にシャワーを浴びてから、アーユルヴェーダのコーナーに行くと、ダマワさんが来てくれた。今回の旅行は、アーユルヴェーダが3回付いていて、スリランカのアーユルヴェーダは、医療行為の一つでもあり、私たちにとっては、それが今回の旅行の一番の目的でもあった。この日のメニューは、オイルトリートメント。ダマワさんに通訳してもらいながら、左足首の周りや、右手の親指は触ると痛いので強くしないように頼んだ。ハーブティーを飲んでから、部屋へ案内されると、専用の服と紙パンツが用意されていた。着替えて椅子に座り、ベルを鳴らすと若い女性が入って来て、足を洗ってくれ、ベッドにうつぶせに寝て、少しずつオイルを流しながら、マッサージが始まった。ほのかな良い香りで、気持ちのいいマッサージ、そして静かな音楽、とても心地よい1時間だった。終わった後、体にも髪の毛にもオイルがたっぷりついていたけれど、1時間ほど流さずに、そのままでいた方がいいと言うので、そのままレストランへ昼食を食べに行った。メニューを持ってきてくれた女の子が何か言ってたけれど、よくわからず、メニューを見ながらビーフカレーを頼んだらこんなにたくさん。いろんな味のカレーが付いていたけれど、どのカレーもすごく美味しかった。部屋に戻って、シャワーを浴びた。オイルがいっぱうついているはずなのに、シャンプーもシャワージェルもべたついた感じは全くなく、気持ちよく洗い流されていく。洗い流すと、肌がすべすべしていた。服を着替えて玄関へ。午後からは、コロンボ観光だ。
2018.01.24
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スリランカから帰って来たのは14日の日曜日。一週間以上たったけれど、その間に、インフルエンザA型にかかってしまった。勤めているときから、どんなに流行っても、うつらなかったので、自分はインフルエンザにかからない体質と思っていた。ところが、木曜日から金曜日にかけて、39度台の熱が出て、起きているのか寝ているのかわからないような夢うつつの状態。こんな高熱が出るのは、小学校2年の時のはしか以来。もう熱は下がって、今日は久しぶりに娘と会って買い物に行ったけれど、ちょっと歩いただけで、体がぽおーと熱っぽくなってくる。まだちょっとプールは無理かなあ。この機会にスリランカのことを書いておこうと思う。毎月5人で集まっている友だち同士で、「スリランカへ行きたいねえ」と話が出ていたのは、随分前のこと。昔、「スリランカが素晴らしい」と話していた男の先生がいて、癌でなくなった後、奥さんと娘さんがスリランカの海に散骨をした、という話を聞いたこともあって、興味はあった。10月頃、Tさんが、新聞でスリランカの旅行の広告を見つけた。他の人は、この時期都合がつかないと言うことで、旅行は二人で。久しぶりの旅行会社を通してのツアーで、連絡はずっとTさんが取ってくれた。トランスオービットという会社は、名前を聞いたことがなかったし、現金のみカード払い不可ということで、てるみのこともあって、旅行案内が来るまでちょっと不安だったけれど、1週間前には、Eチケットや旅行タグが送られてきて、ホッとした。1月10日は、午後11時のタイ航空の飛行機なので、9時集合。荷物を預けてから、ラウンジで過ごし、ゲートへ。東京からはスリランカ直行便があるそうだけれど、関西からは無くて、乗り継ぎのバンコクで、6時間も過ごさないといけない。Tさんとは、去年の11月と、今年の1月に一緒に韓国に行っている。その時に一緒に楽天プレミアムカードにして、プライオリティーカードも作ったので、バンコクでは、2か所のラウンジに入り、その間に45分間のショルダーマッサージを受けた。費用は一人750バーツ(約2700円)で、カードで払ったら、チップが払えなくて、マッサージをしてくれた青年が悲しそうだった。バンコクまでは6時間、スリランカまでは3時間飛行機に乗って、スリランカのコロンボに着いたのは、11日の午前0時半。(日本時間の午前4時)ガイドのダマワさんが、ネームプレートを持って待ってくれていた。空港で両替をして、ホテルに着いたのは2時を回っていた。カートに乗って案内された部屋は広くてとってもおしゃれ。中庭にお風呂があって、壁の右側がシャワーコーナーで左側がトイレ。軽くシャワーだけ浴びて、3時頃眠りについた。
2018.01.24
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4月26日水曜日も、朝は雨模様。7時過ぎに、向かいのパン屋さんに行って、クロワッサンとサラダを買ってきて、部屋でコーヒーを飲みながら朝食。ホテルの前からウーバーのタクシーで、エッフェル塔のそばのトロカデロ広場まで行ってもらった。逆光なのがちょっと残念だけれど、娘とエルちゃん。エッフェル塔の周りも、トロデカロ広場も、桜のような花が満開だった。エッフェル塔のそばまで行って、写真を撮ってから、娘とは別行動。娘はエルちゃんを連れてデパートで買い物。姉と私は、オルセー美術館へ。どちらもウーバーでタクシーを呼んで行った。11ユーロのチケットを買ってと、5ユーロのオーディオガイドを借りて、オルセー美術館に入っていくと、 正面はこんな感じ。周りが、地上層、中層、上層に分かれていて、広いこと広いこと。絵の写真を撮ることができるのも嬉しい。これはロートレックの「ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレット」。そのほかにも、ミレーの「落穂ひろい」や、マネの「草上の昼食」など、有名な絵がいっぱい。ガイドを聴きながら、3時間ぐらい動き回ったけれど、ゴッホの自画像など、見つけられない絵もあった。 どんどん足が痛くなって、お腹もすいてきたのに、 美術館の中のレストランは満員。一旦出たらもう入れないけれど、 外で食べることにした。 向かいのレストランで、 ガレットとオニオンスープの昼食。 ルーブル美術館も行こうと思っていたけれど、 とても無理で、次にパリに来た時のために残しておくことにした。 ワイハイを繋いで娘にLINEすると、 ギャラリーラファイエットにいるという。 地図を見ると、1.5kmぐらいなので、 チュイルリー公園の中を通って歩いて行った。 ギャラリーラファイエットは大きなデパートで、 ワイハイも繋がっているし便利。 お土産など買ってから、 空港バスの時間を確かめてから、 ホテルに戻って来た。 .夕食はホテルの近くでと、 パン屋の隣のレストランに入ったら、 なんと注文を聞きに来たのが、 昨夜のレストランと同じ人。 サラダとサーモングリルとスープを頼んだけれど、 予想通り、味は今ひとつ。 パリ最後のディナーなのに残念だった。 4月27日木曜日。 この日の朝もパンを買って来て朝食。 ホテル近くのロワシーバス乗り場から空港へ。 帰りは、10時40分シャルルドゴール空港発の、 KLMオランダ航空。 アムステルダムで乗り継いで、 4月28日の8時35分、関空着。 エコノミーコンフォートの座席を、 通路を挟んで一席と2席取っていた。 アムステルダムから、3席並びの窓際には、 結局誰も座らず、肘掛も上がるので、 娘とエルちゃんも、ゆっくり寝て、 帰ってくることができた。 今は、沖縄。 3日間のダイビングを終わって、 チェックアウトまで、 ホテルでのんびりしている。 下書き保存していたので、 すごく日にちがずれてるなあ。
2017.05.15
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4月25日火曜日、パリの朝はちょっと寒くて小雨交じり。そんな中を、足早に歩いて、近くのパン屋さんへ。お店の中で、焼き立てのパンとコーヒーで朝食。ホテルに戻ってくると、ホテルの向かいもパン屋さんで、たくさんの人が並んでいた。中を覗いてみると、サラダも置いている。次からは、ここで買ってホテルの部屋で食べることにした。9時ごろ、ホテルを出てモンマルトルへ行くことにした。もう雨はやんでいたので、近くのマドレーヌ駅から地下鉄で。12号線に乗ってピガール駅で2号線に乗り換え、アンヴェールで下りると、通りの向こうにサクレ・クール寺院が見えてきた。服屋さんやお土産物屋さんが並んでいて、ところどころ覗きながら。まだパリに来たばかりだしと思って買わなかったけれど、他のところでは見つけられなかったものの多く、後で、この時に買っておけばよかったなあと後悔した。サクレ・クール寺院のそばまで来ると、回転木馬があったので、娘とエルちゃんが乗った。画家の集まるテアトル広場は、サクレ・クール寺院のそばだけれど、ここからだとかなり階段を上らないといけない。姉がためらったので、西側に回って、違う道を探すことに。しばらく歩くと、テアトル広場に通じる階段があったのでそちらから。急に人が増えてきて、ちょうどお腹もすいてきたので、混み合う前に食事しようと、かわいいレストランに入った。ピアノの生演奏をしていて、いい雰囲気。エスカルゴ・オーシャンサラダ・サーモングリルとガーリックライス食後にリンゴのタルト。食事の後、テアトル広場へ行くと、何人もの画家がいた。似顔絵を描いている人もたくさんいた。前回、娘とパリへ来たのは2005年。その時、モンマルトルでエッフェル塔の小さな絵を買った。同じ絵を並べている人がいた。この人から買ったのかなあ。広場にプチトラムが停まっていて、娘が、「ムーランルージュも行くみたいよ。」と言うので、急遽乗ることに。サクレ・クール寺院の周りをぐるっと一周して、民家の間を通り抜け、停まったのはブランシュ広場。赤い風車のムーランルージュの前だった。私たちが乗ってきたのは、こんなプチトラム。すぐ近くに地下鉄のブランシュ駅があったので、2号線でシャルルドゴールエトワール駅まで。地下鉄を上ると、すぐに凱旋門が見えてきた。凱旋門からまっすぐ伸びるこの道が、シャンゼリゼ通り。ルイ・ヴィトンの本店があったので、ちょっと中をのぞいた。少し歩くと、マカロンで有名なラデュレがあったので、コーヒーとマカロンで休憩。途中から北側に曲がって、エリゼ宮の横を通って、サントレノ通りに入ると、有名なブランドの店が並んでいる。サンローラン、シャネル、エルメス、ボッテガ・ヴぇネタ、プラダ、エルベシャブリエ、グッチなど、いろんなお店を覗いた。ヴァンドーム広場の周りには、高級宝石店が並んでいる。ここを北側に曲がると、ホテルはすぐ。ホテルでちょっと休憩してから、ホテルの近くのお店で夕食。チーズフォンデュ・子羊のグリル・チーズサラダを頼んだけれど、どれも味がもう一つ。今まで美味しいお店ばかりだったのに、残ね~ん。帰りにスーパーで買い物してきて、ホテルで飲みなおした。明日から、沖縄へダイビングツアー。今週の月曜日には敦賀へ行ってきたし、バタバタしている。フランス旅行もあと一日分。書けるかな?
2017.05.10
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4月24日、月曜日も朝食はホテルで。ホテルのレストランの横には、子どもの遊び場があって、IKEAのおもちゃのキッチンが置いてあった。これはエルちゃんのお気に入り。この日の午後には、TGVでパリへ向かう予定だったので、荷物を片付けて、フロントに預けて城壁の中に入っていった。昨夜行った法王庁宮殿を過ぎて、反対側の城壁を出ると、ローヌ河にかかっているきれいな橋が見えた。これが「アヴィニョンの橋の上で」の歌のモデルの、サン・ベネゼ橋。12世紀に建造されて、十字軍に破壊されたり、度重なるローヌ川の氾濫のために途中で途切れているらしい。また城壁の中に入って、時計台広場に戻ってきた。広場にはこんな回転木馬があって、レストランのテーブルもたくさん並んでいた。サーモンサラダ、ラザニア、レモンタルトで昼食。買い物などをして、2時前にホテルに戻り、ウーバーでタクシーを呼んでアヴィニョンTGV駅へ。14;43発のパリ行きの列車に乗る予定だった。駅の構内にピアノが置いてあり、旅行客の男性が、軽やかにピアノを弾いて、エルちゃんがお尻を振って喜んでいた。表示されているホームに行って並んでいたけれど、どういうわけか人がいない。次に来る列車の表示時間も、もう既に過ぎている時間だし、かなり遅れているのかなあと不安になってきた。フランスの駅って、本当に駅員さんが少なくて、ホームには誰もいないし、不親切。娘が、改札のところまで聞きに行った。「TGVが遅れていて、この駅には来ないから、 アヴィニョンサントル駅まで戻ってって言ってる。」大きな駅なので、3つの大きなスーツケースと、乳母車とエルちゃんも連れてなので移動も大変だけど、大慌てで、違うホームに停まっていたサントル駅行きの電車に乗り込んだ。結局ホテルの近くのアヴィニョンサントル駅まで戻って来ると、ホームはごった返していた。数日前にはパリでテロがあったし、ちょっと不安になった。何本かの列車が遅れたり、駅を移動になったようで、チケットを見せて、指示されたホームで、1時間後ぐらいにやっと乗る予定だった列車に乗ることができた。新幹線が新大阪の駅に行かずに大阪駅に来たようなもので、日本では考えられないことだけど、結局何があったかわからない。パリまでは1等の座席を取っていたけれど、座席も確保されていて、ほっとした。ニースからアヴィニョンまでは2等の列車で、通路を挟んで、横に2席ずつの座席だったけれど、1等は、通路を挟んで2席と1席。向かい合った4人席に座れて、快適だった。窓の外には、こんな風に菜の花の広がっているところが多かった。牛や羊を放牧しているところもあった。時々、絵本で見るようなかわいい家が集まる村もあった。夕方の6時過ぎにパリのリヨン駅に着いた。リヨン駅を出て、右と左にタクシー乗り場があった。パリのホテルは、ホテルサンペテルスプール。姉が、左のタクシーの人にホテルのバウチャーを見せて、料金を聞いたら、35ユーロと言う。右のタクシーだと50ユーロ取られるよとのこと。ちょっと高いので、ウーバーで見ると18.16ユーロ。やっぱりこれで決まり。タクシー乗り場でなく、向かいのレストランの前にすぐ来てくれた。運転手さんは、とっても気さくな方。シノア?(中国人)と聞くので、ジャポネイゼ(日本人)と答えると、「こんにちは、ありがと、おおきに」と日本語をしゃべったり、キャンディーをくれたりした。20分ほどでホテルに着いて、付近を散策。ベトナム料理のお店があったので、夕食にした。チャーハンにエビのソテーをのせたものは、セットメニュー。野菜のいためものとか、酢豚とか、チキン炒めとか、単品で頼むと、シール容器で重さを量ってそのまま出てくる。後、餃子入りヌードルも頼んで、美味しかったけれど、なんか味気ないなあ。それなのに値段も割合高かった。ホテルは立地のいいところで、地下鉄からも、空港バス乗り場も近い。オベラ座やルーブルなども歩いて行ける。プランタンのスーパーも近くなので、買い物をして帰ってきた。
2017.05.07
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4月23日(日)日曜日はお店が閉まっていることが多いので、アヴィニョンのホテルは朝食を頼んでいた。パンと卵、ハムとヨーグルト、フルーツなどとコーヒーで朝食。アビニョンサントル駅から電車で行ける、リルシュルラソングと言うところで日曜日は骨董市があるらしいので、9時半ごろ駅に向かった。駅に着いて時刻表を見たらギリギリ。切符を買うのを頼まれたけど、手間取って最初の画面に戻ってしまい、やり直ししていたら、電車に乗り遅れてしまった。次の電車はとみると、午後1時ごろ。午後からアルルに行こうと決めていたので、リルシュルラソング行きはあきらめて、チケットを交換してもらいにカウンターに行った。係りの女性は、NOの繰り返しで、次の電車に乗れと言う。「今日は、午後からアルルに行く予定でした。」と言う文をアイフォンの翻訳アプリでフランス語に変換して見せると、やっと+8.1ユーロで交換してくれた。アルル行きの電車も1時間半ぐらいあとなので、アヴィニョンの街の中へ。12世紀ごろから栄え、14世紀ごろ法王庁が移されて、キリスト教の中心となって繁栄したアヴィニョン。城壁の中に入っていくと、こんな感じ。古い建物を利用して、ホテルやレストラン、商店に改造されている。古い建物だけれど、H&MやZARA、マクドナルドなどもある。でも、日曜日で閉まっている店が多かった。今度は遅れないように駅に向かってアルルへ。糸杉の多い田園風景の中を電車は走って、40分ぐらいでアルルに着いた。これがアルルの駅。駅の付近は新しい町並みだけれど、少し歩くと、古い建物が増えてきた。アルルは紀元前からローマの一都市として栄えた町。これは1世紀ごろに作られた円形闘技場。そのほかにも古代劇場など、旧市街の中の建物が世界遺産に指定されている。娘とエルちゃん、どれも絵になるなあ。昼食は、スペイン料理のお店へ。パエリアと、ビーツのいっぱい入ったサラダ、タパス(イワシの酢漬け、ミートボール)ゴッホが描いた、跳ね橋は3kmくらい離れた郊外で、ウーバーを探したけれど、付近にタクシーがいなかった。違う場所に復元されたものらしいし、バスで行けるけれど、交通便が悪そうなので、止めてアルルをもう少し見てから、アヴィニョンに戻ることにした。駅の近くでは、移動遊園地ができていた。大きな回転木馬も数時間の間にできていた。夕方アヴィニョンサントル駅に着いてからホテルへ。歩き疲れて、みんなウトウト。7時半ごろになって、夕食を食べに行こうと誘うと、姉は、このまま寝ていたいと言う。エルちゃんもぐっすりで、このまま朝まで寝そうな雰囲気。姉が、エルちゃんが起きたら見ておいたげるから、二人で食べてきたら?と言うので、娘と二人で城壁の中へ。まだ行ってなかった法王庁宮殿の前に広場があって、そこのレストランで夕食。シーザーサラダと鯛のグリル。これが法王庁。暗くなってくると、ライトアップされてきれい。この建物を使ってプロジェクションマッピングが行われることがあるそうで、すごくきれいなんだそう。久しぶりにゆったりと飲んで食べて、ホテルに戻ってきたら、二人ともすやすや寝ていた。
2017.05.05
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4月22日土曜日、朝から前日行ったパン屋さんへ。買って帰って、ホテルで朝食をとることにした。朝食後荷物を整理してチェックアウト。ホテルに荷物を預けて、シャガール美術館に行くことに。バスで行こうと思っていたけれど、娘の携帯のウーバーと言うアプリを使ってタクシーを呼ぶことに。このアプリ、とっても便利。近くを走っているウーバーのタクシーを探してくれて、料金や、車のナンバーを教えてくれる。数分で来てくれて、シャガール美術館まで15分ほどで行けた。シャガール美術館の入場料は8ユーロで、日本語解説の聴けるオーディオガイドも貸してくれた。解説を聞いて、空を飛ぶようなファンタジーの世界と思っていたシャガールの絵が、聖書をテーマに描かれたものだったと知った。館内撮影OKで、名画と一緒に写真が撮れたのも嬉しい。ニースにはマティス美術館もあるけれど、ちょっと遠いので今回はパス。美術館のそばからバスに乗って、海岸近くまで行って、前日姉が見られなかった地中海を眺めた。海沿いの旧市街で昼食。ムール貝いっぱいのパスタ。カルボナーラのピザ、なすときゅうりのグリル。トラムに乗ってホテルに戻ってから、ニースヴィル駅へ。午後3時、フランスの新幹線、TGVでアヴィニョンに向かった。ニースを出ると、車窓には地中海が広がっていた。アヴィニョンまでは約3時間。古い建物のあるこの辺りは、エクス・アン・プロバンスかな?この辺りは、マルセイユかな。ゴッホの絵に出てくるような糸杉がいっぱいあるこの辺りはアルルかな?とか話しながら汽車の旅。アヴィニョンには二つの大きな駅があって、着いたのはアヴィニョンTGV駅。ホテルのあるのは、アヴィニョンサントル駅の近くで、そこまで約4km。娘の携帯から、またウーバーのタクシーを頼んだ。アヴィニョンのホテルは、ノボテル アヴィニヨン サントル。新しくて、スタイリッシュなホテルだ。ホテルの前には、城壁が広がっている。アヴィニョンの旧市街は、この城壁の中にある。ホテルで休憩している間に、みんなうつらうつら。夕食を食べようと城壁の中に入っていったのは、8時半ごろ。歴史地区の中の建物は、こんな風に明かりがともって、お客さんも少なくなってきている。それでお店で食べるのはやめて、スーパーで買い物して、ホテルで食事することに。ワインとビール、チーズや生ハムやサラダなどの惣菜を買ってきて、ホテルで乾杯。しばらくするとエルちゃんも寝てしまって、部屋飲みはとっても気楽。こんな風にフランス3日目の夜は更けていった。
2017.05.04
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4月21日、前日早く寝たのでみな早朝から目覚めた。7時半ごろホテルを出て、ニースヴィル駅へ。駅の横に大きなパン屋さんがあって、お店の中にテーブルも並んでいた。焼き立てのパンとコーヒーで朝食。クロワッサンが美味しい。駅の周りには鳩が多くて、お店の床に落ちたパン屑も食べにくるけれど、お店の中では飛び上がったりしない。横のテーブルの上にパンの粉が落ちていたけれど、上品な年配のご婦人が、パンの粉を払おうともせず食べていた。テーブルの汚れや、店の中に入ってくる鳩を気にするのは、日本人の国民性かなあ。空のコップを店の外のごみ箱に捨てようとお店を出ると、一人の男性が姉に話しかけてきた。コーヒーのことをなんか言っている。私が空のコップを見せると引き下がっていった。コーヒーを分けて欲しいと言っていたようだ。華やかでおしゃれな人の多いフランスだけれど、難民なのか貧しい人もとっても多かった。駅に行って、モナコ行きの切符を買うことにした。これがニースヴィル駅。切符の買い方がわからないので、娘が他の人の買うのを見ていると、親切に教えてくれて、ホームまで一緒に行ってくれた。モナコまでは、約20分。地球の歩き方に、F1のコースを一周するトラムが、歴史博物館の前から出ていると書いてあったので、モナコモンテカルロ駅を出た後、地図を見ながらそちらのほうに歩いて行った。途中の景色がとってもきれい。緑も多くて歩くのが気持ちいい。上り坂だったけれど、30分ほどで歴史博物館に着いた。こんなトラムに乗って、コースを一周した。これはモナコの王宮。駅の近くに下りてきてから、昼食のお店を探した。11時50分ごろイタリアンのお店に入ろうと思ったら、開店は12時からだと言う。付近を一周回って来て、12時過ぎに日陰のテーブルに座った。ニースサラダとマルゲリータピザとミートパスタ。3人でシェアしてちょうどいい量だけど、周りにシェアしている人はほとんどいなかった。30分もたつとお店の中はどんどん混んできた。とっても美味しかったけれど、人気のお店のようだった。モンテカルロ駅からニースまでまた電車で戻って来て、ホテルへ。姉は疲れたので、ホテルで休んでいると言うので、娘と一緒に、エルちゃんを連れて海岸沿いの城跡公園に行くことにした。向こうに見える円い建物がスイスホテルで、その上が城跡公園。地上90mの公園まではエレベーターが付いていて、本には、8時から19時と書いていた。広場の上から見たニースの海岸。6時ごろまで過ごして、エレベーターのところに戻ったら、あら大変、エレベーターが5:55で終了している。娘がエルちゃんをだっこして、私が折りたたんだベビーカーを担いで、階段を黙々と下りてきた。姉が一緒でなくて良かったーと思った。下りてきてから、市内を走るトラムでホテルの近くまで戻った。7時5分前頃、子供服のお店があったので入ろうとしたら、7時閉店なのでダメだと言う。昼食のお店もそうだけれど、開店・閉店の時間がきっちり。お客さんに合わせる日本とは違うなあと思った。ホテルに戻ってから、夕食に。賑わっているお店を選んだ。エビのサラダと、チキングリル、魚貝類のリゾット。ここもとっても美味しい。ホテルに戻って、お風呂に入ってから、私はシップをいっぱい貼ってベッドに入った。
2017.05.03
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4月20日木曜日、朝から娘とエルちゃんを迎えに行って、8時過ぎに、和歌山から電車で来た姉と、関空で合流。飛行機は10:25発、KLMオランダ航空。アムステルダムで乗り継いで、18:50ニース着の予定だ。少し費用をプラスして、コンフォートエコノミー席で、娘が、30時間前にwebチェックインして、一番前の席に変更してくれていたので、長時間だけれど、広い席で足も伸ばせて快適だった。姉も楽天プレミアムカードを作ったので、アムステルダムではラウンジで過ごした。ニースのコートダジュール空港に着いて、空港で少し両替をし、ちょうど停まっていた99番バスで、ニースヴィル駅へ。夜の8時を回っていたけれど、まだ明るかった。そして、駅の近くのホテルアリアへチェックイン。ストライブの壁紙や赤い扉など、おしゃれなホテル。ホテルの前は公園で、窓からの眺めもいい雰囲気。でも現地では夜の8時だけれど、日本時間では夜中の3時。機内食でおなかもいっぱいだったので、お風呂に入って、そのままみんな爆睡した。
2017.05.03
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今日はダンナと一緒に岡山へ。 新大阪から新幹線に乗った。 私たちが乗ったのは、下の写真の新幹線。 でも、ホームにいたたくさんの人がカメラを向けていたのは、上の写真の新幹線。 孫が電車好きだった7.8年前は、 何という名前かわかったけれど、 今は全くわからないなあ。 岡山へは、敦賀からダンナの友だち夫婦二組も一緒に。 岡山に住む、別の友人に会いに行く。
2016.06.15
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4月1日、朝食は和洋食バイキングの谷茶で。食後、ホテルの売店で、孫たちにお土産を選ばせてあげた。ちんすこうは、沖縄の有名なお土産だけれど、ちんこすこうというネーミングの、子供向けの絵が描いたおかしがあって、孫二人は、キャッキャいいながら、それを三男坊に買った。チェックアウトして、女の駅でサーターアンダーギーを買い、美ら海水族館の方へ向かった。海沿いの道で気持ちがいい。途中、イオン系列のマックスバリューがあったので、飲み物と、おにぎりや、から揚げ、巻きずしなどを買った。イオンライカムは値段が高いなあと思ったけれど、この店は激安。地元の人のお店なんだろうなあ。美ら海水族館の入り口の外には、ネットを張ったアスレチック広場があって、孫たちは、それで遊びたいという。ダンナと孫たちが、そっちに行ってる間に、広場の中の屋根のあるところで、お昼の用意をし、ワクワクチケットを入場券と交換しに行った。買ってきたおにぎりなどでお昼を食べた後、美ら海水族館に入って行った。巨大水槽はすごい迫力。サメやマンタがいっぱい泳いでいて、見ていて飽きない。チンアナゴなど珍しい魚にも、孫たちは興味を示していた。イルカショーが始まるまで、少し時間があるので、またアスレチックをしに行きたいと言う、私と娘とエルちゃんが先に行って座席を取っておくことにした。中国人の団体も多くて、座席を取っているのが気が引けたけど、始まる前に来てくれてほっ。よく調教されたイルカたちで、見ごたえがあった。そこから高速を通って、那覇へ。那覇の近くに来ると、車が混んできた。その日のホテルは、ゆいレール町前駅のそばのサン沖縄。ここでは、ダンナと孫二人の男ばかりのトリプルルームと、私と娘のツインルームに分かれた。娘のベッドには、赤ちゃんが落ちないように、ベッドガードを付けてくれていた。嬉しいことに、このホテルには大浴場があって、早速みんなで入りに行った。お風呂から出てから、国際通りに夕食を食べに行こうと言ったら、孫たちが、テレビのクレヨンしんちゃんとドラえもんが見たいという。春休み特番で、3時間ぐらいあるそうだ。ママにビデオ撮ってっと頼んだけれど、まだ見たそう。「2人で部屋で見とく?」と聞くと、そうしたいと言うので、一緒に近くのローソンに行って、おにぎりや手巻き寿司、から揚げやお菓子、飲み物を買った。それで、孫二人をホテルに残して、ダンナと私と娘とエルちゃんをのせたベビーカーを押しながら国際通りへ。去年、Oさんと一緒に行った海援隊と言うお店が良かったなあ、と行ってみたけれど、満席。どこにしようかと歩いて行くと、地ビールのお店があった。ももがーみーと言うお店で、入って行ったらとても雰囲気が良かった。ヘリオスビールや、ラガービールなどいろんなビールがあって、娘も授乳した後だったので、一緒にビールを飲んだ。お料理も美味しいし、食べていると、そばで沖縄民謡のライブが始まった。ずっとバイキングかコンビニのおにぎりだったので、値段はちょっと高かったけど、美味しい沖縄料理を食べられて満足。孫たちがせっかく連れてきてあげてるのに、テレビを見たいと言ったのであいそないなあと思ったけれど、たまには連れてこないのものんびりするなあと思った。ホテルに帰ると、まだアニメが続いていて、2人で仲良く見ていた。お風呂好きの孫たちなので、テレビが終わって、2人でまた入りに行ったらしい。私も夜中に入りに行った。
2016.05.12
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3月31日は、朝早くから青の洞窟のシュノーケル体験を予約していたので、7時ごろから朝食へ。この日の朝食は、日本料理と琉球料理の七福。ダンナと長男、娘は朝はご飯党なので、日本食が充実していて喜んだ。エルちゃんに離乳食を食べさせた後授乳して、娘と上の孫二人は、車でシュノーケル体験に。頼んでいたのは、ソードフィッシュという会社。私とダンナは、部屋の中でエルちゃんのお守り。ちょうど寝てくれていたので助かった。 1時過ぎに帰ってきて、第一声は、「寒かった〜」と、ちょっと愛想のない言葉。遅かったのは、1080円加算して、餌をあげながら岸に戻るコースに変更したからだそう。でも、下を見たら潜っている人がいたとか、クマノミがいたとが、長男は真っ新のウェットスーツを借りれたけど、次男はボロボロでブーツもちんちくりん。その上フィンが無かったので、餌をやりながら戻るとき、はーはー言ってたので、娘がお姉さんに言って、浮き輪を持たせてもらったそう。洞窟の中は、青くてきれかったと話してくれた。昼食は洋食のカジュアルダイニング、ブルーラグーンで。カレーや唐揚げなど子供向けの味も用意されていて、孫たちは、たくさん食べていた。長男がバイキング地獄やなあ。と言ったので、バイキング天国でしよ。と言ったりしながら、楽しく食事した。まだ、団体旅行客が来ていないので、みんなでぷーるへ。ふかさも1.2メートル、長さも25メートルくらいあって、旦那と孫二人、わたしの4人で並んで、競争したり、潜りっこしたり。私も、子供みたいに楽しんだお風呂を出てから、車でイオンライカム店へ。日本で3本の指に入るぐらい、大きいイオン。一階には、巨大な水槽もある。フードコートも広くで、他の人が気にならない。 青の洞窟に行かなかった旦那と私は、わくわくチケットを使える、タコライスを食べた。日本で横浜と、ここと、2箇所しか出店してないと言う、ハワイ生まれのふわふわドーナツを食べた。揚げたては、ほんとに美味しかった。お土産も買って、ホテルに帰った。イオンライカムへ行くのは、高速道路を通るけれど、料金所ほ、一般の所はずらっと並んでいるのに、ETCはがら空き。使っているのは、レンタカーばかりみたいだった。綺麗で華やかなイオンライカムも、地元の人より、観光客相手のような気がした。近くに、米軍基地があるので、周りには米兵相手の店が多い。横文字ばかりの古びたスナックの灯りが、物悲しく感じた。今、5月12日、午前4時。昨日、また沖縄に着いた。今日からダイビング緊張感で、早く目が覚めてしまった。1年ぶりのコンタクトレンズを入れるのが難しい。入るかな?
2016.05.11
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春休みだというのに、ANAの飛行機は空いていた。私も去年はピーチを使ったし、12日からはジェットスターを使うけれど、LCCに、かなりお客さんを取られてしまっているのかもしれない。でも子どもたちに折り紙や飛行機のおもちゃをくれたり、赤ちゃん連れなので、優先搭乗させてもらい、座席もゆったりと座れたので楽だった。沖縄に着いたのは2時過ぎ。娘がレンタカーを頼んでくれていたので、レンタカーの会社までお迎えのバスで。沖縄の3月の気温は24度くらい。空港の周りには、こんな木が並んでいた。調べたら、スナックパインの木。青い空で気持ちが良く、南国らしい雰囲気。レンタカーの会社からは、エルちゃんのチャイルドシートも乗せないといけないので、8人乗りのワゴンタイプの車を借りて、娘が運転してくれた。途中のコンビニで、おにぎりやサンドイッチ、飲み物などを買って、ナビを恩納村のホテルにセット。空港のそばには、大きな自衛隊の基地があるけれど、恩納村までは、嘉手納基地がずっと続く。孫たちに、沖縄にはアメリカ軍の基地がいっぱいあることや、台風が多いので、石作りの平たい屋根の建物が多いことを教えてあげた。予約していたのは恩納村のリザンシーパークホテル谷茶ベイ。8階の部屋に入って、孫たちが歓声を上げた。ファミリールームを頼んだら、ベッドが5つと、ベビーベッド。真ん中に応接セットを置いた、ものすごくひろい部屋。一つは、ソファーに簡易ベッドを付けたエキストラベッドなのに、そのベッドを孫二人が取り合いしている。頭のところがソファーなので、豪華に見えたみたい。3月中は、まだ屋外プールが使えなくて、インドアプールだけだったけど、早速孫たちは入りに行った。エルちゃんも、首に付ける浮き輪のスイマーバを使って、娘と一緒に初プール。3時か4時ごろになると、人がたくさん増えてきた。中国からの観光客も多いようなので、プールを出て、大浴場の浜の湯へ。ダンナと上の孫2人は男湯へ、私は、娘とエルちゃんと一緒に。さっぱりとしてから夕食。夕食のクーポンを予約していたので、いろいろあるバイキングの中からどこへ行こうか相談した。2泊するこのホテルでは、夕食1回、昼食1回、朝食2回食べる機会があるので、いろんなレストランで食べようと、この日の夕食は、中華料理バイキングのマンダリンコートへ。中国人のお客さんが多かった。レストランのスタッフも、中国人かフィリピン人か、外国人が多くて、ここはどこの国?という感じだった。ホテルからゲームのチケットをサービスでもらったので、帰りにゲームセンターで過ごし、1日目が過ぎて行った。今日は、ダンナと一緒に、娘とエルちゃんを関空まで送っていった。娘たちは、今日からハワイ。エルちゃんは、7カ月にしてパスポートを持っていて、先月の韓国に続いて2度目の海外旅行。ママに似て、旅行好きの子になるだろうな。もう少し大きくなったら、娘とエルちゃんと3人で、いろんなところに行きたいな。
2016.05.10
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3月30日は、私たち夫婦の結婚記念日。最近は、家族を誘って食事をしたり、旅行をしたりしている。でも息子に聞いたら、忙しくて休みを取りにくいというし、去年からフルタイムで働きだした美容師のヨメも、入学式前で一番忙しい時だという。三男坊はずっと保育園があるけれど、上の2人は、春休みで見てあげないといけないだろうし、そしたら沖縄に連れて行ってあげようということになった。一昨年、スポーツクラブからのダイビングで渡嘉敷へ行ったとき、最終日にシュノーケルをして、孫たちにも一回経験させてあげたいなあと思った。去年Oさんと二人で沖縄へ行って、案外安く行けることがわかり、ダンナと、孫たちを一回沖縄に連れて行ってあげようかと話していた。、今年の1月頃、娘と一緒に、ANAのスカイホリデーのカタログを見ていたら、航空券とホテルのほかに、選べるワクワクチケットが付いている。1000円で、いろいろな3つの体験が選べるチケットで、そのメニューの中には、2980円の青の洞窟シュノーケル体験もあったので、3月30日から3泊4日で、私たち夫婦と上の孫二人、娘とエルちゃんの6人分を予約した。ANAのスカイホリデーだと、1か月前までだったらキャンセルもできるし、関西空港からは、ピーチやジェットスターなどの格安チケットもあるので、比較して比べようと思っていたけれど、赤ちゃん連れなので、やっぱりベビーカーやバシネットを頼めるANAにした。青の洞窟のシュノーケルは、私も一緒にする気、満々だったのに、申し込んだとき聞いてみると、ボートからのエントリーじゃなくて、洞窟の中まで、階段や崖を歩いて行って、海に入るという。最後には1メートルくらいの崖を、自分で上れる人でないと参加できないと言う。youtubeで探してみると、私にはちょっと無理みたいで、娘と孫二人で行ってもらい、私とダンナはエルちゃんを見ることにした。3月30日水曜日、朝から孫たちを迎えに行き、その後娘とエルちゃんを迎えに行って関空へ。初めて車を駐車場に預けたままにするので、駐車料金が安くなるKIXカードも作ることにした。11時55分関空発のANA1735便は、小さな飛行機でバシネットが無いので、エコノミーの一番前の席に並んで座らせてくれた。飛び立つとき、上の孫二人は、初めての飛行機で緊張気味。エルちゃんは、娘が抱きながらおしゃぶりをくわえさせていたら、ぐずることも無く、そのまま沖縄に向かった。とこんなペースで書いていて、沖縄に行くまでにかけるかな?今日は、介護の検査などもあって、日帰りで敦賀へ行ってきた。義叔母が亡くなって、先月末に行ったときは、義母のところには寄らなかった。義母は5月5日で94才。今までは介護の検査でいつも張り切って答えていたけれど、今回は、答えられないことが多く、途中から、もうしんどいとばかり言っていた。
2016.05.09
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1月4日、5日と白浜へ行ってきた。泊まったのは、愉快リゾートホテル千畳。1月4日から、ズワイガニと牛ステーキの食べ放題のプランが始まると知って、冬休みに家族みんなで行けたらと予約を入れたのが11月。でも息子やヨメは年始の仕事始まりで休みにくい言うことで、結局、私たち夫婦と娘とエルちゃん、上の孫二人、和歌山の姉も誘って、大人4人と子ども2人、乳児1人の7人で行くことに。始めは2部屋で申し込んでいたけれど、孫たちだけ連れて行くことになったので、みんなで一緒の部屋の方が安心だなあと思い、初めてプレミアムルームを予約した。娘がムコのヴェルファイアを借りて運転してくれて、孫たちを迎えに行った後、和歌山の姉のところへ。一度エルちゃんに授乳して、昼食を食べた後白浜へ。ホテル千畳には3時頃到着した。プレミアムルームは、4階の一番端の部屋。リビングに、ツインのベッドルーム、廊下をはさんで、布団を4枚引いた広い和室とその横に3畳ぐらいの和室、ミニキッチンに洗面所、風呂トイレととても広い部屋。オーシャンビューの角部屋で、子連れでも気兼ねなく過ごすことができた。着いてすぐに、孫二人を連れてダンナと館内の探検をした。1階に、レストランと大浴場、卓球ルームやカラオケルーム、マッサージルームなどがあった。カラオケはもう予約が埋まっていたので、5時から6時の卓球台だけ予約してきた。それからダンナと孫2人、男3人でお風呂に行ったので、私と姉もお風呂へ。大浴場と露天風呂が分かれていたので、明るいうちにと露天風呂の方へ。階段を下りて、海の方まで歩いて行くと、露天風呂の小屋があった。海に面した岩風呂で、熱いお湯が気持ちよかった。空が赤くなっているところがあったので、場所を移動してみると真っ赤な夕日。夕日が沈むころはきれいだろうなあと思った。娘は、部屋のお風呂へエルちゃんと。上の孫たちは、ダンナと卓球を楽しんだ。6時になると、プールサイドにツリーが点灯した。部屋の窓からもイルミネーションが見えてきれいだった。夕食は6時半から。普段バイキングに行くことの少ない孫たちは、ステーキにたくさん並んでいる人たちに圧倒されていたけれど、カニや天ぷらを取ってきて、ダンナにカニの食べ方を教わっていた。しばらくすると行列もほとんどなくなって、ステーキも取りに行くことができた。愉快リゾートは値段が安いので、カニも紅ズワイガニの冷凍だし、ステーキも多分タスマニアビーフだろうけど柔らかい牛肉で、味も悪くなかった。カニとステーキがメインなので、他の料理の数が普段より少なかったけれど、マグロのお造りやおすし、ソフトクリームなどのデザートもいっぱい食べられて、孫たちは大満足のようだった。食事が終わったら、孫たち二人でまたお風呂。その後、漫画を読みに行ったりしていた。トランプしたり、おしゃべりしたりしているうちに、エルちゃんが寝たので、娘もお風呂へ。帰ってきてから入れ替わりに私もお風呂へ行って、マッサージをしてから帰ってきたら、もうみんな寝ていた。朝起きると、姉は早朝からお風呂。孫たちもダンナと一緒にまたお風呂。エルちゃんの寝ている間に、娘もお風呂。朝食は8時から。次男坊は、昨日食べ過ぎてお腹が痛いからいらん。と言ってたけれど、姉と一緒取りに行ってお粥だけ食べていた。朝は洋食の私は、コーヒーを飲みながら、パンやサラダ、オムレツやヨーグルトもしっかり。他は全員和食。お味噌汁の中にお餅が入っていると長男が喜んでいた。部屋に戻ってから、私は3度目のお風呂。孫たちも5回目のお風呂に入ってから、着替えて荷物を片付けてから、ママや三男坊へのお土産を選ばせてあげた。11時半ごろまで部屋で過ごして、チェックアウト。のんびりできて、プレミアムルームを取って大正解だったと思う。プレミアムルームは、大人だけ料金が+4000円だけど、愉快リゾートはもともとの料金が安いので、冬休みのお正月明けにしてはお値打ち価格だと思う。姉を送って行く途中で昼食。姉のところでしばらくすごし、家で夕食を食べた後送っていった。孫たちは、姉にお年玉ももらって、上機嫌で帰っていった。
2016.01.06
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沖縄でのダイビングは、2日目と3日目の予定で、シニア専門の「潜水どうでしょう」というダイビングショップに予約を入れていた。8月31日、ショップの人が、8時半にホテルに迎えに来てくれると言うことなので、朝食は、6時半にOさんと約束。レストランに行くと、たくさんの人がもう食事をしていた。バイキングで、ご飯もお粥もパンもカレーもあって、ゴーヤチャンプルやゆし豆腐、もずくなど沖縄料理もあって、おかずも充実していた。水着を中に着て、ダイビング道具を持ち、貴重品をフロントに預けて、待っていると、ショップのライトバンが迎えに来てくれた。上のロゴをクリックすると、ショップのHPが出てくるけれど、シニア専門のダイビングショップで、少人数制で1日1組。ゆったりとダイビングを楽しみましょうと言うのがコンセプトのお店。私たち二人だけに、インストラクターが付いてくれる。事前に、Oさんが、私が重いタンクを背負って歩けないことや、水の中で、フィンやPCジャケットを脱がせてほしいと頼んでくれていたので、ボートからのエントリーにしましょうと、恩納村からボートに乗ってダイビングする計画を立ててくれていた。恩納村までは、車で約1時間半。ガソリンスタンドとコンビニに寄り、昼食のおにぎりを買って、トイレへも。ショップのオーナー兼インストラクターのO先生は、北海道出身の42歳。経験豊富そうで、安心感のある人で良かった。途中の道沿いの、フェンスの中の広大な敷地は嘉手納基地。帰りには、上空にオスプレイが飛んでいた。基地の中には、ところどころに大きなお墓もあって、土地を貸している人は入れるのだと言う。どこまでもフェンスは続いていた。タンクを補充してから、恩納村の漁港へ着いた。
2015.09.05
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ギリシャから帰ってきてもう一カ月以上たつのに、長々と書いてきたけれど、最後にギリシャの風景。アクロポリスから下りて、休憩したカフェ。こんな風に階段を利用しているところも多い。街角のタベルナ。食事専門のタベルナには、白いテーブルクロスを敷いている。気温は高いけれど、日陰はさわやかな風が通るので、屋外のテーブルで食べる人の方が多い。タベルナで食事をしていると、いろいろ音楽を聞かせる人がやってくる。この時も、表の通りで5人ぐらいのおじさんグループが、演奏を始めた。そばに座っている人が、チップを払うと、次のお店に移って行く。アコーデオンを弾く女の子を何度も見かけた。小学校の高学年ぐらいの女の子で、一緒にいる3・4年生ぐらいの男の子がチップを集めていたけれど、どこの店でもすぐ追い払われていた。ジプシーの子かなあ。プラカ地区のお土産物屋さん。観光客でにぎわっていた。コンビニは全く無いけれど、町のあちこちにあるのがこんなお店。ホテルの前にもあって、飲み物などがすぐ買えた。バスや地下鉄のチケットを売っているところもあった。これは、観光地を巡るバス。20ユーロで、乗り降り自由。アクロポリスと考古学博物館しか行かなかったので利用しなかったけど、一日でアテネ観光を効率よくしようと思ったら便利だろうな。シンタグマ広場の前は、こんな観光バスや、トロリーバスなど、交通便の良いところ。デモをしていたのは、右側にある国会議事堂の前の広場。空港バスもここから出ていて、帰る時も、アテネの空港まですんなり行くことができた。と、いうことで、ギリシャの旅の記録もおしまい。でも、今もグリークサラダは嵌り続けている。今朝食べた、グリークサラダ。左が、先日イオンで見つけて嬉しくなったフェタチーズ。
2013.11.01
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9月25日は、朝からバスに乗って、国立考古学博物館に出かけた。博物館の入場料は7ユーロ。入り口のすぐ正面にある黄金のマスク。ミケーネ文明(紀元前20~紀元前12世紀)の頃の創作品。ミロス島のポセイドン像。ヘレニズム期(紀元前130年頃)の作品。これは、何かで見たことがあるなあ。馬に乗る少年。海の中から発見されたブロンズ像。これもヘレニズム期の作品らしい。この博物館の面白いなあと思うところが、こんな古代の作品に交じって、現代作家の作品も展示されているところ。ギリシャの彫刻は、ギリシャ神話を題材にしたものが多い。子どもの頃夢中になって「ギリシャ神話物語」を読んだのを思い出して、また読んでみたくなった。帰りは、当初のツアーのホテルのあったオモニア広場から、地下鉄に乗った。夜になると、あまり治安が良くないらしい。オモニア広場から、二つ先の駅が私たちのホテルのあるシンタグマ駅だった。こんな地下鉄に乗って、え?と思ったら、シンタグマ駅に止まらずに通り過ぎてしまった。次の駅は、アクロポリスに近いアクロポリ駅。お腹が空いていたので、一度外へ出ることにした。駅の構内に、いっぱい出土品が並べられて、博物館のような駅だ。タベルナで遅い昼食を食べてから、またアクロポリ駅へ。一日乗り放題の切符だったので、地下鉄でシンタグマ駅に戻ることにした。「さっき乗ったのは、急行やったんかなあ」とか言いながら、地下鉄に乗ったら、またシンタグマ駅を素通り。でも、シンタグマ駅には誰もいないし、なんか変。仕方がないので、一駅先のパネピスティミオ駅から歩いて帰ってきた。ホテルの近くに来たら、警官がいっぱいで驚いた。夕方から、シンタグマ広場で大規模なデモや集会が行われるらしく、いっぱい人が集まってきていた。その為に、地下鉄も閉鎖しているようだった。でも広場以外は、いつもと変わらず賑やかな町。ホテルで少し休憩して、涼しくなってから買い物と夕食に出かけた。ところで、これは、国立考古学博物館の女性用トイレ。トイレットペーパーは、便器には流せない。とても清潔なんだけれど、ギリシャでは時々便座の無いトイレがあって、使い方があっているのか悩んでしまう。
2013.10.31
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サントリーニ島からの飛行機が遅れて、アテネに着いたのは、夜の8時過ぎ。そこから、ホテルのあるシンタグマまでは、空港バスで約1時間。でも、シンタグマは、夜10時頃でも賑やかな地域で、ホテルのすぐ横のタベルナも賑わっていた。チェックインしてから、すぐ夕食を食べに行った。エビのドリアと、ラムのローストだったかな?ギリシャのタベルナで働いているのは、どこのお店でもほとんど男性だ。次の日は、ホテルで朝食を食べてから、歩いてアクロポリスへ。歩いていく間にも、町の所々に紀元前の遺跡がある。アクロポリスとは、「高い丘の上の都市」という意味。紀元前8世紀ごろから、次々と神殿が建てられたそうだ。アクロポリスの入場料は、ゼウス神殿や古代アゴラなど、市内のいろいろな遺跡の入場料と一緒になっていて、12ユーロ。9月のまだバカンス時期なので、欧米からの観光客が多そうだ。熟年の観光客も多い。入ってすぐの右手の右手にあった、イロド・アティコス音楽堂。夏の間は、今もコンサートやオペラなどが上演されているそうだ。エレクティオン。左側が、パルテノン宮殿。アクロポリスの丘の上はこんなに広い。丘の上からは、アテネ市内がよく見渡せる。真ん中に見えるのは、リカヴィトスの丘。不思議なのが、これだけ観光客が多いのに、中国人の姿が見えないこと。中国人観光客に遺跡めぐりは人気がないのかな?
2013.10.29
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サントリーニのホテルの2日目、プールに入った。ところで、3階の私たちの部屋からプールに行くには、エレベーターで1階まで下りて、細長い洞窟を通って、下にあった道を横切り、そこから階段を5階下がったところにあった。プールから部屋を見上げたら、こんな風景。一番上の茶色い部分が道路に面したフロントがある階で、私たちの部屋は、その下の薄いベージュの左から2番めの、ベランダがあるところ。こんな風に、サントリーニのフィラのホテルは、断崖絶壁の岩山を削って建てた洞窟ホテルが多い。ホテルの玄関まで、階段を上り下り、というところも多く、ロバタクシーが活用されている。娘もロバタクシーに乗りたそうだった。サントリーニ3日目の朝、朝食後フィラの町を歩いたら、いろんなところでロバの糞を水で流していた。美しい町を維持するために、苦労も多そうだ。3日目の午後、飛行機でアテネに向かうので、ホテルのフロントで、タクシーを頼んでもらった。待っていたのは、何とサントリーニ島に着いた日、私たちが胡散臭いと思いながらも、相乗りして、ホテルまで送ってもらった青年だった。ホテルから空港までは、港から空港までよりずっと近いのに、ホテルが頼んだ料金で20ユーロ。港からホテルまでは15ユーロ支払ったけれど、胡散臭いと思いながら、かなり値切って乗ってきたみたい。アテネまではエイジアン航空。機体に描かれているのはアフロディーテかな?
2013.10.26
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