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わあ、ずいぶん長く開いてしまった。クイズを出しておきながら、答えを書いておかないと。小学校の卒業文集で「将来○○になりたい」と書いたら、先生に書き直しなさいと言われた。〇〇は何を書いたのかという質問に、ダンナは「天皇」だろうと言い、私もそれしかないと思った。おもちゃの修理隊の時に、彼に聞いたら違うという。「神様」と書いたんだそう。新興宗教とかもあるし、書き直させたんだろうと言う。なんかぴんと来なくって、残念。おもちゃの修理隊では、18日の土曜日に、古民家を利用して行われた親子マルシェに、出張ボランティアで参加した。地域の色んなサークルが、SNSで繋がり、こういう企画をしているらしい。ハンドメイドの雑貨などを売るブースや紙芝居、保護猫活動や子ども食堂の試食、火起こしや竹細工の体験、紙芝居など、親子で楽しめるいろいろな企画があった。市が違うので知られていないからか、午前中は全く誰も来なくて暇だったけれど、午後から壊れたおもちゃを持ってくる人が増えてきて、何個かのおもちゃは入院(持って帰って修理)することになった。19日の日曜日、ダンナと一緒に「碁盤斬り」の映画を観てきた。役者人の演技が上手いし、ストーリーもわかりやすい、映像も綺麗だし、日本アカデミー賞のいろいろな部門にノミネートされるんだろうなと思う。久しぶりにつよぽん(草彅剛)がいろいろな番組に出てきて、話が面白い。SMAPの中では、なかなか役をもらえなかった遅咲きの役者だけれど、つかこうへい、タモリ、高倉健、大杉蓮といろんな人から認められて応援されていた。どんどんいい役者になるなあ。「碁盤斬り」は囲碁を知っていたらもっと楽しめるようで、囲碁好きのダンナは真剣に見ていた。映画の中の囲碁を対戦している時に、ダンナが「石の下や」と横から言うので何かな?と思っていたら、映画の中でも「石の下」という言葉が出てきた。意図的に相手に石を取らせて自分が勝つ展開に持って行く手法らしい。エンドロールの中には、日本棋院や有名な棋士の名前も載っていたらしい。5月23・24日は、奈良の橿原のホテルに泊まって、周辺の飛鳥を巡ってきた。これは、来月の下見。このことは、また今度書くことにしよう。
2024.05.30
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今年のゴールデンウイークは、車の点検と友だちや家族との食事で過ごした。4日の土曜日、中学高校の友だちの、J君とIちゃんと3人で飲みに行こうかと約束して、夜6時にお店を予約していた。飲むのでダンナに送り迎えしてもらうけれど、お店はIちゃんの家から近い。土曜日の朝、近いけれど迎えに行こうか?とIちゃんにLINEを入れたら、「ごめーん、日にちを間違えて蒜山に来てしまってる」という返事。え~と思ったけれど、当日だし、友だちと言っても男性と二人で飲みに行くのはなあと思って、ダンナも誘って3人で行くことにした。同窓会やおもちゃの修理隊で、昔から飲みに行ったりしたときはダンナに迎えに来てもらっているので、J君とダンナは、顔なじみではある。食事をするのは初めてだけれど、美味しいお料理とお酒(ダンナはノンアルコールのビールだけれど)で思いのほか話が弾んだ。和モード千代松のお料理子どもの頃の話や、中学校、高校時代の話も、私の友だちのことも割と知っているので、ダンナも面白がって聞いていた。その中でのJ君の話。J君の家は、小学校の目の前で、チャイムが鳴ってからでも行ける距離。夏休みになったら花壇の水やりを頼まれたり、やんちゃだけれど割とかわいがられていたらしい。6年生の時の担任は、S先生。私が勤めていた頃は国語の指導で有名な人だった。その先生がもっと若い頃の話。卒業文集に、「将来○○になりたい」と言う作文を書いたけれど、一人だけ先生に書き直せと言われたらしい。「え~なんて書いたの?詐欺師?大臣?」とか聞いても首を振る。ダンナが絶対当てると言って、何文字かヒントだけ聞いた。〇〇は漢字2文字で、ひらがなだと4文字、濁点は無し。ダンナは、帰ってきてから小学生用の国語辞典を見たりしながら考えて、3日後、わかったと教えてくれた。あ~それなら書き直させるかもと納得。わかりますか?土曜日、おもちゃの修理隊の時に、本人に答え合わせをするけれど、ダンナの出した回答はまたあとで。
2024.05.09
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もう明日が待っている [ 鈴木 おさむ ]最近は、小説などの読み物は図書館で借りる頃が多く、本屋で買うのは旅行雑誌と週刊誌ぐらいだった。放送作家の鈴木おさむが、3月31日で放送作家を引退し、SMAPの本を出すと知ったのは3月の初め頃。これまでも、SMAPのことを小説に書いて、文芸春秋に発表してきていたし、「20160118」と題してSMAPの悪夢の一日のことを、文芸春秋の2023年1月号に書いた小説も図書館で読んだ。もうSMAPのファンでは無いし、もういいかなと思っていたけれど、発売されるとやっぱり読んでみたい。スマスマが始まった1996年から、10年ほどは本当にSMAPが大好きだった。彼らからどれだけ勇気や元気をもらったことか。2016年12月26日のスマスマ最終回まで、ほぼ全てを見ている私はやっぱり楽しめるだろうなと思って本を買った。第1章は、SMAPとの出会いから森君の脱退のことなど。スマスマが始まってすぐで、リーダーが涙で送ったのを覚えている。読んでいて泣けた。そんなことからも注目したグループだった。第2章は、SMAPがどんどん大きくなって、リーダーが紅白の司会者に。第3章は、2000年のタクヤの結婚。実は私は、コンサート開始直後に、タクヤが一人で出てきて結婚報告をしたのを、実際に東京ドームで見ている。前日の夜、スポーツ新聞にすっぱ抜かれて、取材に応じて結婚すると言った。この本によると、結婚は決まっていて、コンサートが全て終わった後、発表するつもりだったらしい。突然記事が出て、「男らしくない」とすぐに会見するようにイイジマさんが勧めたと言う。あー私は20年以上も誤解していた。タクヤは結婚するつもりなんてなかったのに、Sさんに嵌められた。とずっと思ってた。SMAPファンは、そう思ってた人が多いと思う。だから、Sさんとイイジマさんとは仲が悪いだろうと思っていたし、SMAP解散も影でSさんが動いたんだろうと常に悪者扱いしていた。本当にごめんなさいだ。これを知れただけでも、この本を読んで良かったと思った。と、SMAPファン以外には何のことかさっぱりわからないと思うので、ここで止めとこう。長い間、本当に楽しめたSMAP×SMAPという番組も、本人たちの努力だけでなく、番組を作っているスタッフたちの緻密な計算と努力の賜物だったというのがわかった。公開処刑、葬式と言われた、「20160118」の放送から、一直線に解散に向かって進んでいった。事務所を出て「新しい地図」に移ったシンゴとツヨシとゴローチャンは、テレビの地上波から消え、放送倫理に違反しているのではないかとも言われた。ここ数年、芸能界が大きく変化している。J事務所は解体し、歌舞伎の世界やT塚、お笑いの事務所もどんどん問題点が明らかになってきている。アイドルがお笑い、バラエティーに進出し、国民的歌手と言われるまで大きく変わっていったSMAPだけれど、あの痛い終わり方も、芸能界を変えていくきっかけになったのかもしれない。
2024.04.29
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昨日は、元同僚たちとの集まり。コロナの前は、毎月集まっていた私の2番目の職場の同僚たち。去年の夏ごろから、また再開した。いつもは6人だけど、昨日は一人欠席。一人は遅れて来ることになっていた。午前10時過ぎに、Tさんのお宅へ集合。Tさんの家は庭が広くて、車を何台も停められるので、いつも集合場所になってしまう。11時過ぎに、予約していたバラッキーノというイタリアンのお店へ。ランチは、アンティパスト(前菜)・ピッツアorパスタ・ドリンク・ドルチェ(デザート)で、1925円+税左上がドリンクと前菜。私はグレープフルーツジュースを頼んだけど、ジンジャエールを頼んだ人は瓶で来て、辛口と甘口があった。ピッツアは、マルゲリータ(右上)と海老やマッシュルームの入ったクリーム味の物。(中左)パスタは自家製ソーセージのトマトソースパスタ(中右)と真鯛のオイルパスタ(下左)そしてデザート。どれもとても美味しかった。魚貝のピッツアなどは、値段が高かったので別料金になるのかなと思ったら同じ金額。とても流行っていて、駐車場が狭いので、諦めて帰る車があったけれどランチはとってもお得。またリピート確定だな。食べ終わってから、又Tさんのお宅で、一人加わって、5人でお茶とおしゃべり。1人、先月アフリカ旅行をしてきた人がいて、写真を見せてもらったり話を聞いた。クラブツーリズムの8日間のツアーで、約80万円+1人部屋料金で約90万円。クラブツーリズムのツアーは一人旅の人も多かったそうだ。サファリで、ゾウやキリンを間近に見たり、クルーズしたり、南十字星も見えたという。ビクトリアの滝で濡れて、風邪をひいたのか咳が出だして、持って行ってた咳止めなどの薬を飲んで、ずっとマスクをしていたそう。帰ってきてから、一応コロナの検査薬で調べたら陽性でびっくりしたという。コロナは、まだまだ身近にあるみたいだ。1人の人は、家族の転居で北海道に行っていた。先日、函館山の夜景の写真をLINEで送ってくれて、両親と北海道に行った時のことを懐かしく思い出したけれど、五稜郭の桜が満開だという。そして私の韓国の話。いいなあ。アフリカに北海道。アフリカは、もう行けそうにないけど。それから、奈加美神社へみんなで藤の見学。ニュースになっていると教えてもらって、これは、先週木曜日に下見してきたときの写真。この時より、しおれているものもあったけれど、今が見ごろの藤も。あまり知られていなかったけれど、種類もいろいろあって見ごたえがある。アジサイの鉢も多くて、アジサイの時期もまた来ようとみんなで話した。
2024.04.25
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20日の金曜日は、足首の診察日だった。6か月ごとに、足首の診察で奈良県の生駒にある病院へ通っている。私は、2006年に足首の固定術を奈良の大学病院で受けたけれど、調子が良くなく、2007年に同じ病院で再手術を受けた。再手術の時の主治医がK先生。私の受けた内視鏡による固定術は、日本で始まったばかりの手術で、多分再手術した私が初めての成功例。その後、私が再手術してもらった方法が、足関節固定術として広まって行っている。固定術が何年持つか、経過観察も兼ねているのかもしれないが、17年経った今も半年ごとにレントゲンを撮って、診察をしてくれている。K先生は、7年ほど前に東京オリンピックの強化ドクターを兼ねて、早稲田のスポーツ医学の教授となり、月に何度か奈良に帰ってくる。今では、日本のスポーツ医学のドクターの中ではトップクラスで、日本足の外科学会の理事もされているすごい先生だ。この病院には、大学病院とも連携しているスポーツ関節経センターが作られていて、診察はそこで。色々なスポーツチームの専属ドクターになっているので、部屋の中はこんな感じスポーツ選手のサインや写真がいっぱいで、有名な選手も多そうだ。一昨日は、両足首のレントゲンを撮ってから診察してもらった。3月に転んで左足首が真っ黒いあざが出てて、まだ浮腫んでいるけれど、骨には異常がない。右の足首も、変形していて軟骨が無くなってきているけれど、半年前と比べたら症状はあまり進んでいないらしい。左膝を手術する前は、行く度に症状が進んでいたので、左足でしっかり歩けているからだろうということ。「ダイビングの計画があって、4年間してないんだけど、行けますかねえ」と聞くと、「行ける行ける、大丈夫」という返事。いつもK先生は、私がチャレンジしようと思うことに後押しをしてくれる。でも、ダイビングの一番の不安は、足じゃなくて手首と肩なんだけど・・・そして、又半年後、11月の診察の予約をして終わった。診察が終わってから、いつも行くオランダ屋でランチ。その後、生駒の近鉄百貨店で買い物して高速に乗った。今、阪神高速湾岸線は4月16日から26日まで工事中で通行止めになっているので、行く時は阪和自動車道を通って行った。でも、いろんなところで渋滞が起こって、時間がかかった。帰りも、同じように帰ろうと思ったのに、堺でナビが出口に出てくださいとばかり指示が出る。この先落下物注意というのも出たので、仕方なく堺で降りたら、ナビが湾岸の方に行かそうとする。「いやいやそこへ行ったら、通行禁止でしょ」とナビに文句を言って、違う道で帰って来たけど、どこも渋滞でかなり時間がかかった。でも、阪和自動車道で落下物による通行止めなんて言うニュースは出てないし、ナビを信用しないで、そのまま高速で帰ってきた方が良かったなあと思った。
2024.04.21
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4月14日の日曜日、エルちゃんの習っているピアノ教室の、スプリングコンサートがあった。スプリングコンサートは、2年ぶり。前回のスプリングコンサートは、こちら。去年は、ピティナ・ピアノステップという試験を受けた。3年前にも受けて、そのことはブログに書いたのに、ブログに書いた去年のことは、合格したのに書くのを忘れていた。スプリングコンサートは、3つの教室合同で行われている。先生と、先生が子供の頃から教えて、現在ピアノ講師として生徒を教えている方、それと先生の娘さん。先生の娘さんは声楽家で、自宅で歌の指導をされている。それでスプリングコンサートは、ピアノだけでなく歌やほかの楽器の演奏などもあって、すごく楽しいコンサートになっている。コンサートは3部構成で、1部でエルちゃんが弾いたのは「パリの休日」という曲。華やかで軽やかなワルツだ。最後近くに、ウインドチャイムのような流れる音があって、すごくきれいに弾いていたので、上手くなったなあと感心した。2部で、娘と二人で連弾で弾いたのは「A French Waltz」という曲。後ろのスクリーンに、映し出されたのはエッフェル塔とメリーゴーランドに乗るエルちゃん。2017年に一緒にフランスへ行った時の写真だ。優しくて、心地いいワルツのリズムと共に、楽しかった思い出も蘇ってきた。長いことピアノから遠ざかっていた娘が、最近はピアノをよく弾いている。親子で連弾できるっていいなあと思う。娘もピアノを習っていて良かったと思っているだろうし、私も、娘にピアノを習わせて良かったなあと思う。娘たち以外に、習っている姉妹3人でピアノを弾いたり、お母さんのピアノで歌を歌ったり、お母さん(バイオリン)と娘さん3人、(クラリネット・ピアノ・フルートとヴォーカル)で、手紙~拝啓15の君へ~の歌と演奏があったり、和やかな雰囲気のファミリーコンサートが続いた。私と同年輩の人も何人かいた。2年前は、ちょっと練習が足らないかな?と思えた人が、見違えるほど上達している。すごく練習したんだろうなあ。うちのピアノは、退職してからほとんど弾いていなくて、処分した方がいいかなと迷っているけれど、ちょっとまた弾いてみたいなあと思ってしまった。1部の終わりでは、先生の教え子の講師の先生の演奏で「トッカティーナ」の素晴らしい演奏。2部の終わりでは、先生の伴奏で、声楽家の娘さんの歌で、シュトラウスの「春の夢」の歌を聴いた。素晴らしい演奏や歌声を聴けて、とっても素敵なコンサートだった。ちなみに、去年の10月、エルちゃんが、ピティナ・ピアノステップで弾いたのは、「チムチムチェリー」と「ビビデバビデブ」記録しておいた方がいいな。
2024.04.18
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3月31日の日曜日に、あべのハルカスで会ったのは、大学時代の友だち。3月の中頃、留守電に入っていて、懐かしくて電話をかけた。年賀状に、携帯の番号を書いていたのを見つけて、連絡をくれたそうだ。それで、ハルカスの中の英國屋という喫茶店で待ち合わせ。11時開店で、お店の前で開くのを待っていたら、見覚えのある顔。卒業して以来なので、実に50年ぶり。彼女は、小学校に勤め、定年退職した後、1年母親の介護をして、その後大学の講師として勤めていた。そして、今年の3月退職したそうだ。私は、足を悪くして早く辞めたので、もうちょっと弱っていると思ったのか、思った以上に元気やなあと驚いていた。私たちは、大学の美術部で一緒で、彼女が部長、私が副部長をしていた。部室に入り浸って、勉強のことは思い出せないのに、部室でのことはよく思いだす。ストーブでお餅を焼きながらおしゃべりしたり、ラーメンを作ったり。レコードを掛けながら絵を描いた懐かしい思い出。私は、大学で初めて油絵を描きだして、彼女にいろいろ教えてもらった。レコードは、井上陽水や浅川マキ、吉田拓郎など。孫が5人いると言うと、昔から子どもの世話上手かったもんなあと言う。文化祭の日に、2才の甥をベビーカーに乗せて連れて行ったことを思い出した。姉の家に病人が出て、てんやわんやだったけれど、文化祭で私は休むことができず、連れて行ったんだと思う。「どこの子?」とみんなに言われたけれど、泣き出すことも無く、あまり困ったと思わなかった。忘れてたけど、他の人には印象深かったのかもしれない。彼女がインドへ行った話を聞いた。それで、お昼は、DIWALI(ディワリ)と言うインド料理のお店へ。ビールで乾杯。昔はよく飲んだんだけど、あまり飲めなくなったみたい。美術部の顧問の先生のお宅へ行って、すごく酔っ払った思い出がある。その顧問の先生は、安倍のに住んでいたけれど、その後神戸へ引っ越しして、震災の後連絡がつかなくなったそうだ。美味しいものを食べて、美術館巡りをするのが好きだと言う。LINEを交換して、また一緒にランチして、美術鑑賞をしようと約束して別れた。彼女は地下で、パンと総菜を買って帰ったそうだけど、私は久しぶりに近鉄百貨店に来たのでしたいことがいっぱいあった。まず、11階の時計売り場に、着いてすぐに預けていた時計を取りに行った。2012年にイタリアで買ったオメガの時計は、毎日使って値打ちをとっている。最近遅れることが多いので、電池替え。地元の時計屋さんでは、どこも扱ってくれないので、いつもオメガを扱っているデパートで。でも、10年以上経って、そろそろ分解掃除をした方がいいと勧められた。それから服売り場を見て、和カフェで休憩。それから、靴売り場へ。地下からデパートに入る時、自分の足に合った靴を作りませんか?と言うようなイベント広告を見た。私は、足首も手術しているの靴にはいつも困っている。足底版を入れようと思ったら、スニーカーしかないし、ちょっとおしゃれな靴を買っても、歩いている間に足が痛くなって、後履かなくなることが多い。それで、MooV Shoesと言うお店で、左右の足の大きさを測ってもらった。オーダーメイドじゃないけれど、足に合わせて24.3cmなんていう微妙なサイズに調整してくれた。買ったのは、黒い革靴でひもで結ぶシンプルな靴。株主優待で1割引きしてもらって、4万円弱。ちょっと高い買い物だけれど、履いてみたらすごく楽。それで、履いていたスニーカーを箱に入れてもらって、履いて帰ることにした。その日から毎日履いているけれど、本当に楽。京都でいっぱい歩いても疲れなかったのは、この靴のおかげかもしれない。もう一つ買ったのは、カバン。肩にも掛けられて、リュックにもできて、杖を折りたたんでケースに入れた時に入れることができるちょっと大きめのカバンが欲しかった。見つかったけれど、色数が少なくて買ったのはオレンジ色。でも、これも京都では重宝した。肩から掛けたり、リュックにしたり、肩ひもを中に入れると手提げのようになるので、ダンナが持ってもおかしくなかった。後おみやげのカステラを買って、電車に乗って、駅までダンナに迎えに来てもらった。この日の歩数は8126歩。私って案外元気だなあと思う。それにしても、すごく久しぶりに会うと言うことが多い。一昨年の高校の同窓会でも50年ぶりに会って懐かしがった友人がいたし、去年からは中学のミニ同窓会が始まって、先日も集まったけれど、その時会った同級生とは55年ぶり。そして、今回は大学時代の友人。70才と言う年齢が、そういう気持ちにさせるのかなあ。
2024.04.13
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いっぷく亭を出て、光明寺の総門の前で光明寺観光後の集合時間を聞いた。(観光ガイドより)総門の向こう側には長い階段。上れるかなあと心配になった。ダンナに腕を貸してもらい、杖をつきながら階段を上って中ほどの広場まで来た。まだまだ階段は続いて、お寺は見えない。私はここで休憩しているからと、みんなに行ってもらうことにした。(上の写真)みんなを見送って、桜を見ながらひとりで休憩していたけれど、低い石があるだけで、座って休む場所がない。日差しも少し強くなってきた。ここからの階段は、段差が下の階段よりも低いので、ゆっくり上っていくことにした。(上の写真)階段を上りきると、向こうに大きなお堂が見えて、みんな中に入っているようだった。しばらくすると、バスのガイドさんが出てきて、お寺のガイドブックをくれた。西山浄土宗の総本山でこの地は、800年前、法然上人が初めてお念仏を説かれたところだと言う。建物の手前に休憩するところがあったので、そこで座って待っていた。出てきたダンナは、中がとても広くて立派だったと言っていた。他の人たちは、遊歩道の坂道を歩いて下りて行ったけれど、急な坂もあると言うので、ダンナに腕を貸してもらって、私たちは階段をまた下りて行った。次に向かったのは、京都西山の善峯寺。京都の桜の名所としてyoutubeにいっぱい出ていた。高低差のある広大な敷地に桜がいっぱいで、ドローンで撮影された景色も多かった。私はとても歩けないだろうと思っていたけれど、下見をしたMさんが、バスは上の方まで行くから大丈夫と言っていた。その通りで、善峯寺駐車場と書かれたところも過ぎて、細い道を上っていく。対向車が来ても、U字カーブがあっても、何度も切り替えしたりしながら、どんどん上の方まで上っていった。途中すごく大きな邸宅があった。以前松方弘樹が仁科明子と結婚した時に住んでいた家だと教えてくれた。どんどん進んでいって、やっと一番上の駐車場に着いた。そこから階段を上っていった。階段を上ったところにあったのが、(上の写真)の善峯寺。西国三十三所巡りの二十番札所。昔、両親が西国三十三カ所巡礼をしていたけれど、「善峯寺はしんどかった」と母親が言ったことがあるのを思い出した。私たちも20代から30代ぐらいは、掛け軸と納経帳を持ってお参りしたことがあったけれど、途中で止めてしまった。今回、20番札所と言うのを知って、「持っていく?」とダンナに聞いたけれど、もういいと言うので持って行かなかった。だけど、一緒に行ってたO夫妻は、掛け軸と納経帳とおいずるという亡くなったときに被せる白衣も2枚持ってきていた。版の上に、豪快な習字の文字を書かれた御朱印を見ると、ちょっと羨ましい気がした。上ってきた階段を上から見ると、(下の左)の写真。かなり頑張って歩いてきた。でも建物の横には、まだ上に上る階段がある。(下の右)ちょっとしんどくて、休憩するところに座って待つことにした。でも、しばらく休憩したらちょっと退屈になってきて、頑張ってこの階段も上がることにした。上ってみると、ずっと横に広がる松がある。(上の写真)両側に広がっているけれど、一本の松。遊龍の松と名付けられた樹齢600年以上の松。「日本一の松」と言われているらしい。写真に写っている5人が一緒に行った人たち。この丘の上には枝垂桜もあって、(下右)京都の町も一望できる。(下左)登ってきて良かったなあと思った。集合時間に近くなったので、駐車場に降りてきた。15人の参加者は、時間にきっちりしていて、遅れる人は誰もいない。それで予定より早く出発して、3時前に京都に戻って来た。京都駅に帰ってきてから、近くの喫茶店に入った。去年あった同窓会のことや、家族のことなど話した。新幹線の駅ができて、敦賀もかなり雰囲気が変わったそうだ。来年、又同窓会があるだろうし、その時は私たちは敦賀で泊まるだろうし、楽しみだ。これからまた、色んな所へ行く計画を立てようと話して別れた。私たちは、駅の構内でおみやげを買って、早めの夕食を食べてから帰ることにした。京都駅には長いエスカレーターがあって、10階、11階のレストラン街まで行けるようになっている。10階に、ラーメン小路問表示が見えたので、そこへ行くことにした。たくさんテンポがある中で、祇園らーめん京と言うお店に入った、私のは白みそ仕立てのラーメンで美味しかった、また長いエスカレーターを下りていって、みどりの窓口の機械で、はるかの切符を買おうと思ったら、外国人たちがいっぱいの長い列。並んでいたら、予定しているはるかには乗れそうにない。それで、はるかの切符を買わずにICOCAで改札を通って、はるかに乗った。指定席券を買わないとだめかなと思っていたけれど、自由席が横並びで空いていて助かった。京都を出ると、車掌さんが切符を調べに来たので、特急券をそこで買った。何も問題はないみたいで、特急券を2枚出してくれた。乗り換えを一回して、7時半ごろ家に帰ってきた。この日の歩数は、12556歩。この日もよく頑張った。それだけ歩いても、あまり疲れていないし、私ってかなり歩けそうと自信が出てきた。靴のおかげかな? 靴のことはまた今度。
2024.04.10
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5日の金曜日、ダンナの敦賀の友だち二組の夫婦と、6人で京都一日観光をした。その人たちとは、2015年から、神戸・岡山・金沢・小豆島・白浜、そして2019年に名古屋と、年1・2回のペースで一泊二日の旅行を楽しんでいたけれど、コロナ禍で中断してしまった。ダンナのクラス会が去年敦賀であったけれど、町内の大事な会議と重なって行けず、今回は4年半ぶりの再会。3日ぐらい前に、急遽決まって観光メニューは、おこしバスの春の味覚「白子たけのこ」と桜と青もみじの名所コースというプラン。所要時間は約5時間半で、料金は12600円。9時半京都駅で待ち合わせで、はるかで京都まで。京都で降りて見たら、キティーちゃんが可愛い。改札口のところで奥さん二人と出会った。男性二人はチケットを買いに行ってくれていた。京都駅烏丸口を9時50分に出発。運転手さんとガイドさん、参加者は15名で、日本人ばかりだった。まず初めに行くのは伏見にある城南宮。東寺を横に見ながら南下した。東寺の五重塔の横にも桜の木が満開。夜はライトアップされるそうだ。城南宮に着いたのは10時過ぎ。平安京に都が遷った時に、国の安泰と都の守護を願って建てられた城南宮は、四季折々の花の庭がある。源氏物語に描かれた花もたくさんあるそうだ。上の左の写真は春の山。ミツバツツジかな?上の右の写真は、室町の庭の枝垂れ桜。ここには藤棚もあって、5月ぐらいに来たら、満開の藤棚を見られそう。城南宮で一番たくさん見たのは椿。何十種類もの色とりどりの椿が見事だった。下の写真は藪椿。小高い丘に何本も植えられている。驚いたのは、落ちている椿が皆きれいで、こちらを向いていること。椿は、木の枝でだんだん茶色くなって落ちるけれど、茶色い花弁はひとつもない。花弁は自然に落ちたのではなくこちらを向けて置いたのだろう。すごく丁寧に、手入れされているのがわかった。10時55分集合で、次に向かったのは長岡京の光明寺、その横にあるいっぷく亭で昼食。上の左から時計回りで、名物 胡麻豆腐・山葵 煮物 竹の子の土佐煮・さくら麩・青味・胡麻クリーム造り 朝ほり竹の子小鉢 竹の子のしぐれ煮・丹波黒豆・竹の子木の芽和え・クルミの土佐和え蒸物 若竹の昆布締め・黒毛和牛竹の子ご飯・香の物後できたのが、竹の子のてんぷらとしお吸い物食後のお菓子は、竹の子が混じった餡の入ったお饅頭。どの料理も、竹の子が柔らかくてみずみずしくて、とっても美味しかった。食後、横の光明寺へ向かった。眠くなってきたので、今日はここまで。
2024.04.08
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日曜日には、卒業式以来会っていなかった大学時代の友人と、50年ぶりに再会。今週の金曜日には、敦賀のダンナの友人たちと、3組の夫婦6人で、4年半ぶりに京都の日帰り旅行をする。書きたいことがいっぱいあるのになあ。孫たちとの韓国旅行のことを終わらせないと。3月11日(月)旅行の最終日。私はいつものように6時ごろ起きて、洗面も着替えも済ませて、朝ごはん食べに行こうと言ってるのに、孫たち二人はだらだら。長男は、マクドへ行きたいとか言うし、次男は眠そうだし、だんだん腹が立ってきた。それで、20000ウォンずつ渡して、「おばあちゃんは違うところで食べてくるよ」と言って、外へ出た。ホテルのすぐそばにお粥の店があるのでそこに入って、アワビのお粥を食べた。お店の1階は常連客でいっぱいだったけれど、案内された2階は私一人。アワビがいっぱい入ってて、風味は良かったけれど、ちょっと硬かった。これは15000ウォン。1人でさっと食べて、横の両替屋さんに行ったら、レートが良くなっている。100ドル札を両替したら、133800ウォン。円安が進んだろうな。株価も下がっているかもしれないなと思った。部屋に戻ってきたら、次男坊はまだベッドの中。あまり食欲が無いらしい。しばらくすると、長男が帰ってきて、マクドナルドとコンビニに行ってきたらいい。娘から連絡が来て、お昼は評判のいいビビンバのお店へ行こうと言う。休憩した後、荷物を片付けて、11時半ごろにチェックアウトして、タクシーでソウルタワーのふもとにあるモッミョサンバンというお店に向かった。娘たちは、ホテルから近かったので、歩いてやってきた。新しいきれいなお店で、ミシュランにも掲載されたそうだ。すぐにお客さんがいっぱいになった。ユッケビビンバが有名だそうだ。わかりにくいけれど、上の右のビビンバ。ユッケが別の入れ物に入ってきて、他の野菜と一緒にご飯に混ぜ合わせて食べる。私は、朝お粥を食べて時間がたっていないので、娘と半分分けした。ユッケは臭みも無くて食べやすかった。具材がこんな風に別の皿に盛られてきて、自分でのせて食べるビビンバも珍しいなと思った。食べ終わってから、娘がウーバータクシーを呼んでくれたので、私と長男と次男、そしてエルちゃんの4人で金浦空港のロッテマートまで行くことにした。娘は、ホテルに戻ってチェックアウトして、イー君と一緒に地下鉄と電車で金浦空港まで来た。ロッテマートでスーツケースを預けると、長男と次男とエルちゃんは、ちょっと他のところを見てくると言って、外国にいると思えないくらい自由に動き回っていた。娘たちが来て、一緒にお土産を買って、空港の方に向かった。荷物を預けてチェックインしてから、私は一人でプライオリティーカードで入れるカルラウンジに入らせてもらった。iPhoneの充電が切れかけているのが気になって仕方なかった。娘はエルちゃんとANAラウンジへ。イー君は、長男と次男に頼んだ。飛行機の中では、イー君と一緒に座った。5才だけれど、海外旅行経験の多いイー君は、自分専用のヘッドホンを付けて、iPadでダウンロードした映画やyoutubeを観ていた。機内食は、帰りもあまり良くなかったけれど、一人でしっかり食べていた。関空に着くと、エルちゃんがちょっとしんどそうなので、ビジットジャパンのアプリを入れてる娘とエルちゃんとイー君は、荷物をとると先に帰ってもらった。私たちは、申告書を見せて通過。ターミナルビルの外に出ると、息子と三男坊が迎えに来ていてさよならした。そして、一人で駐車場に向かおうとして、転んでしまった。この日の歩数は、14237歩。メチャメチャ疲れていた。そして3日間、いつもiPhoneの充電が切れそうで、私が寝たベッドのそばにコンセントが無いのが不満だった。これからは、モバイルバッテリーを持っておかないと。
2024.04.04
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タクシーで行ったのは、東大門の現代シティアウトレット。コロナの前に、年に何度かソウルに行った。その度に泊まっていたのが、現代アウトレットの上にあるホテルスカイパーク・キングスタウン東大門。地下2階から9階まではデパートのようになっていて、その上がホテル。何階に何があるかよくわかっているので、あまり歩かなくて済む。コロナの前は、ソウル駅からホテルの無料シャトルバスが出ていて、インチョン空港から特急列車に乗ってくると、あまり歩かなくてもホテルの前まで行けてとっても便利だった。シャトルバスは、ソウル駅から途中で明洞のスカイグループのホテルにも寄っていたので、今回もそのバスを利用できるかなと思ってスカイパークホテルにしたのに、現在はシャトルバスは運航していないそう。1階から9階まで、みんなでエスカレーターで一度見てから、8階の子ども用品のところで解散して個別に行動。娘とエルちゃんとイー君は、手作りコーナーで何か作っていた。私は、ちょっと長男たちと地下とか見に行ったけれど、途中から喫茶コーナーでコーヒーを飲んで休憩。長男は、日本の漫画の韓国語版があったと買って喜んでいた。孫たちは服を買いたいと言っていたけれど、ここはブランドの服が多くて値段も高すぎたみたい。夕方になって、食事は地下2階のフードコーナーで。トッポキやキンパプ、ラーメンやサンドイッチなど、いろんなものを選んできて、みんなで食べた。長男が、「お風呂屋さんとかないん」という。次男も携帯の充電がしたいと言うので、地下にあったダイソーで充電器を買って、そしてシャンプーやリンスも買ってスパレックスに行くことにした。近くのグッドモーニングビルの地下3階にあるチムジルバンで、あかすりやマッサージをしてもらったことがある。スパレックスの入場料は、一人15000ウォン。小学生も同じ金額で、イー君だけが5才で8000ウォン。でも、5才の男の子は女の人と一緒にお風呂には入れない。長男と次男にイー君を任せて、私たちは女性コーナーへ。靴箱から男女別になっていて、そこからロッカールームへ。女性はオレンジ色、男性は青色の上下の服を着て、チムジルバンは男女一緒のコーナーになる。上のような休憩室がたくさんある。床はオンドルで暖かい。長男と次男は、空いた部屋のコンセントを使って、まず携帯に充電していた。下の写真はサウナ室。室内温度の違うこんなサウナが10個ぐらいある。織物を敷いただけの部屋でところどころに竹の枕が置いていたりする。その上に寝転んだり座ったりして過ごす。以前は、いつもこのサウナ室に入って、後でマッサージをしてもらったり、あかすりをしてもらったりしたけれど、今の私は一度座ったり寝転んだりすると、膝をつくととても痛いので、立ち上がれない。それで、今回はずっと休憩室に置かれたマッサージチェアに座って過ごした。イー君はお兄ちゃんたちに懐いて、お兄ちゃんたち後にいつもくっついて歩いていた。最後に男女別に分かれて、大きなお風呂に入って髪も洗ってさっぱりして、玄関で待ち合わせた。もう午後9時を回っていたので、娘とエルちゃんとイー君は、ウーバーでタクシーを呼んでホテルに帰っていった。長男と次男が、服を欲しがっていたのに全く買えていなかったので、近くのミリオレへ。昔からあるファッションビルで、夜中まで営業している。女性服、男性服、子供服、カバン、アクセサリーなど、いろんなものがひしめき合って売られている。日本から買い付けに行くバイヤーさんも多く、問屋価格でかなり安い。私は、どこか喫茶店で休憩しようと思ったけれど、以前はこのビルの中にあったのに、つぶれてしまったのかない。孫たちに、ちょっと見てくるように言ったら、長男から電話。いいのがいっぱいあると言う。1階にいると言うと、「45000ウォンのトレーナーを37000ウォンしかないと言うと負けてくれた」と喜んでいた。ウォンがもっと欲しいそうだけれど、ミリオレの入り口の両替所は円のレートが悪い。私は100ドル札を持っていたので、それで両替したら、120000ウォン。1ドル100円の時にウォンだと1000ウォンという時代を知っているので、ドルの方が得した気分、長男と次男に40000ドルずつあげて、私は、どこか休憩するところを探すことにした。ミリオレの外に出ると、屋台と化粧品のお店ばかり目に着く。喫茶店が大きな道を挟んだ向こうにあるけれど、そこまで行く元気がない。化粧品店のシートパックが今までで一番安いのに、それを買って歩く元気がない。屋台で買って石の上に座っていることいるけれど、高すぎて座れない。しんどくてしんどくて、一階のエスカレーターの横のお店で、カットソーを1枚買ったら、椅子を出して座らせてくれた。そして、携帯の充電もさせてくれてホッ。11時を過ぎた頃に、やっと二人がエスカレーターを下りてきた。そこからタクシーでホテルに帰ってきて、私はぐったり。この日の私の歩数は、17962歩。歩きすぎだ。孫たちは、かっこいいトレーナーを2枚ずつ買っていた。1枚40000ウォンで買ったそうだけど、ネットで見ると8万円しているらしい。「バッチもんや」「こんなん持って帰ったら没収されるかも」とか騒いでいたけれど、私はすぐ寝てしまった。
2024.03.31
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私は、いつものように6時過ぎに目が覚めたけれど、孫たちは全然起きない。「朝ごはん食べに行こうよ~」とやっと起きて出発したのが、9時ごろ。ホテルのそばには、韓国料理のお店やお粥のお店がある。「お粥美味しいよ」と言っても興味なさそう。歩いているうちに、ビルの2階で食事をしている人が見えて、きれいそうなので入ることにした。電力公社の2階で、TWOSOMEと言うお店のようだ。ほとんどのパンが6000~8000ウォンぐらいで、コーヒーやコーラなどは無料でついてくる。でも、写真のストロベリーガーデンフラッペは、6500ウォン。そばに、スターバックスのお店があって、長男はそこにも入りたいと言うので、私だけ先に帰ってきた。11時ごろに娘から連絡があって、明洞の中のお店で待ち合わせ。ヨメのTちゃんから頼まれた化粧品なども買いたいので、オリーブヤングでお買い物。私は、欲しかったリップがあったので買った。関空で転んで、唇が切れたので、そのリップがとても役立っている。長男は、トッポッキを食べたいと希望。次男は、ヤンニョムチキンを食べたいと希望。それでヤンニョムチキンの一番人気のBHCというお店へ行ったら、長い行列。それで2番人気のBBQと言うお店へ。<ヤンニョムチキンもいろんな種類があって、美味しかった。ここは娘が払ってくれた。トッポッキはナンデモンの方に行ったら、お店がたくさんあるので行こうと思ったけれど。途中の道には出店がいっぱい出て、すごい人。次男は、ちょっとアレルギーもあって、人混みは苦手みたい。日曜日で閉まっているお店も多そうなので、トンデモンの方に行こうと言うことになった。広い道の方に行ったところに見つけたのが、ソウル商店と言う喫茶店。歩き疲れて、「ちょっと休憩させて」と言って、みんなで入ることにした。いろいろ飲み物を注文したら、お菓子の他にいちごも付けてくれて、とっても親切。私は手前の五味茶を注文。飲み物は、みんな5000ウォン。いいお店だったのに、HPを見つけられなくて残念。食べ終わってから、トンデモンのヒュンダイアウトレットまでタクシーで行った。
2024.03.26
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土曜日、ハングル講座の日だった。ハングル講座は、第2と第4の土曜日で、前回は韓国へ行ってて休んでいた。教室に着いて「韓国はどうでしたか?」と聞かれて、言ったのが、한국에서, 많이 걸어서 너무 피곤했어요.ハングゲソ マニ コロソ ノム ピゴネッソヨ。韓国で、たくさん 歩いて すごく 疲れました。그래서 돌아오는데 간사이공항에서 넘어졌어요.クレソ トラオヌンデ カンサイコンハンエソ ノモジョッソヨ。それで 帰ってくるとき 関西空港で 転びました。 (合ってるかな?)実は、関空で孫たちと別れた後、スーツケースとカバンを持って駐車場に行く時、スーツケースが段差でガタっとなった拍子に転んでしまった。膝と口を打って、唇が切れて血が出た。直後は大したことが無いと思ったけれど、車を運転する頃は左の膝を曲げるのも痛かった。膝に人工関節が入っているので、骨が折れてたら大変で、次の日病院に行ってレントゲンを撮ってもらった。でも骨には異常が無くてホッとした。レントゲンを撮ってもらったときは、左の膝が大きく黒ずんでいただけだったのに、日がたつにつれて、黒ずんでいるところがどんどん増えていってる。多分内出血して血が下がって行ってるんだろうけど、足首も真っ黒。自分では触らなければ痛みは無いし、平気なんだけど、プールでもみんなびっくりしている。人工関節が入っている骨が折れたら、再手術が大変だそうで、今日行ったリウマチの先生も、リハビリの先生も、折れて無くて良かったねえと言っていた。ハングル講座では、誰かが旅行したりすると、韓国語で質問しあう。・いつ行ってきたんですか?・誰と言ったんですか?・ホテルはどこですか?・何が一番おいしかったですか?・明洞のほかに、どこに行きましたか?など、知らない単語や表現は先生に教えてもらいながら学習する。話したいことがいろいろあると、ほとんどが日本語になってしまうけど、持って行ったお土産を食べながら、和やかな雰囲気で学習している。この教室に来てから、もう7.8年経つのかな?ハングル講座は楽しいんだけれど、韓国語を聴いてもすぐに理解できない自分が情けない。Iさんは、来月、また韓国に行って1か月ぐらい過ごすそうだ。彼女がいる間に、また行ってこようかしら。それより、早く孫たちとの韓国旅行の続きを書かないとね。
2024.03.26
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娘たちの泊まっているホテルのそばに、カンジャンケジャンのお店があると言うので夕食をそこですることに決めて、孫たちと出発した。途中で、孫二人は、1万円を88000ウォンぐらいで両替した。明洞の中心街は、夜になると出店がいっぱい出てきて楽しい。周りのお店も、化粧品のお店、若い子に人気のありそうな服や靴、アクセサリーのお店などがいっぱい。中心の通りは華やかできれいで、有名なブランドもたくさんある。韓流スターの大きな看板がかかっているお店も多くて、孫たちは興味津々だ。でも、私は、二人に付いていくので精いっぱい。お店を覗く余裕もない。連絡をもらったお店は、サボイホテルの2階ですぐわかった。もうすぐ着くと連絡を入れたら、娘が待っていてくれていた。オダリチブ明洞と言うお店で、ネットの評価が高い。カンジャンケジャンを2人前と熟成牛肉、熟成豚肉、エビなどのセット、私と娘はビール、孫たちはジンジャエールを頼んだところで、「ソフトドリンク人数分各1杯無料」と言うクーポンを見つけてみんなおかわり。マッコリも頼めると言うので、私と娘はマッコリ。お店は満員だけれど、スタッフも多くお肉を焼いて食べやすいように切ってくれた。カンジャンケジャンはすごく美味しくて、甲羅にご飯を入れて食べたいくらい。おかずも多いし、チゲや韓国風茶わん蒸しのケランチムも二人分ずつ出てきた。料金は、170000ウォンぐらい?娘が支払いをしてくれた。人数が多いのに日本円では20000円していないからカンジャンケジャンにしては安い。帰り、2階から下りようとするとずらっと階段にお客さんが並んでいて、建物の外まで続いていて、やっぱり人気店。早く入って良かった。食後、ちょっと散策。食べ物の出店がいろいろ出ていた。長男とエルちゃん、イー君は右下のフルーツを買った。いちごを一粒食べさせてもらった。周りを薄い飴でくるんでいるけれど、フルーツが大きくてみずみずしい。次男はジャガイモのトルネード。揚げてからチーズを振りかけている。どちらも5000ウォン。男性グループの大きな写真が飾ってあるお店があった。長男の好きなグループだそうだ。長男と次男は、いろんなお店を覗いて帰りたいようなので、ここで私と別行動。娘たちのホテルが近いので、私はそっちに寄ることにした。娘たちのホテルは、ルメリディアン明洞。新しいホテルですごくきれい。マリオット系列で、出張の多いムコがいつも利用しているのでアップグレードしてくれたらしい。屋上にはプールもあるそうだ。ラウンジでビールとコーヒーを飲んで、娘にウーバーでタクシーを呼んでもらってホテルに帰ってきた。二人とも帰ってきていて、順番にお風呂に入っていた。出かける前にお風呂に入る時の注意(カーテンを浴槽の中に入れること、シャワーはカーテンの方に向けないこと、トイレと一緒なので床を濡らしたら、自分のバスタオルで拭いておくこと)と言っておいたら、とてもきれいに使っている。次男は疲れたのか、すぐ寝てしまった。最後に私もシャワーを浴びて、髪を乾かしたら疲れていたので、すぐ眠ることができた。この日の歩数は12376歩。
2024.03.20
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3月9日土曜日、11時30分関空発、金浦空港行きのアシアナ航空。入港審査は、パスポートの画面と顔認証、指紋認証でそのまま通過できて、出国のスタンプは無かった。搭乗は1番ゲートだったけれど、ウイングシャトルには乗らずに済んだ。ANAラウンジがプライオリティーカードが使えることになったけれど、使えるのは午前11時から。搭乗ゲートに11時集合だったので、結局私は使えず。娘のカードは2人入れるので、お腹が空いていた次男と娘で入った。飛行機に乗ったら、窓側がいいと言っていた長男はすぐ寝てしまった。飛行機の中で出た機内食はチキンと焼きそば。コチュジャン付き。飲み物は、コーラかジュース、そしてお水。機内食こんな少なかったっけ。2時間ぐらいで金浦空港に着いて、ちょっと手持ちのウォンが少なかったので、私だけ1万円を両替した。1万円で84500ウォン。空港はレートが悪いから孫たちには後で両替するように言った。そこから空港鉄道のある方へ歩いて行った。でもかなり遠い。孫たちには1万ウォンずつ渡して、自分で切符を買って乗るように言った。私は持っていたTマネーカードで。途中で、横を通ったカートが乗りなさいと言ってくれた。みんなのスーツケースをのせて、長男と次男以外をのせてくれた。空港鉄道で、ホンデイックまで。そこから、地下鉄2号線に乗り換えて、ウルチロイックで下車。そこからホテルへは歩いて5分くらい。娘たちのホテルも5分くらいだけれど別方向で、また夕方待ち合わせすることにして別れた。私と長男と次男が泊まったのは、ホテルスカイパークセントラル明洞。9階のトリプルルームで、こんな部屋。手前に小さいデスクがあるけれど、そこと洗面所にコンセントがあるだけで、コンセントが少ない。真ん中のベッドをずらすとコンセントがあったので、手前のベッドに次男、真ん中のベッドに長男が寝ることに。私は窓側のベッドに寝たけれど、寝る時に携帯をそばに置くと、充電できなくて困った。2人がすぐ外に探検に行ったので、私は充電しながら休憩。この時点でもう歩数は8000歩近く歩いていて、しんどかった。帰ってきた孫たちは、レートのいい両替所を見つけたと言っていた。切符を買った残りのウォンで、コンビニでパンも買ってきた。明洞は初めてでも動きやすそうだ。物おじせずに、海外でも歩き回って欲しいと思っていたので、嬉しくなった。
2024.03.18
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3月9日〈土)から11日(月)まで、ソウルに行ってきた。1月29日19才の誕生日の長男と、3月13日17才誕生日の次男へのプレゼントに、パスポートを作ってあげたのが2月。勤めだした長男が3月までに有休をとってと言われたのと、公立高校の入試が3月8日で、直後5日間は学校に来るのは禁止で、クラブも無いと言うので、この日に決めた。最初3人で行こうと思っていたけれど、3月11日はエルちゃん小学校の卒業式でお休み。私は足に不安があるし、娘とエルちゃん、イー君も一緒に行くことにした。長男と次男にとっては初めての海外旅行で、機内食なども体験させてあげたいと思ったのと、行き帰りの時間がちょうどいいので、選んだのはアシアナの、関空と金浦空港の往復の飛行機。コロナ前は、トンデモンのホテルスカイパークキングストンに泊まることが多かったけれど、若い子には明洞の方がいいだろうと、ホテルスカイパークセントラル明洞を選んだ。アシアナは、スカイスキャナで最安値で、一人44443円。スカイパークセントラルは、トリプルの部屋で、Trip.comでクーポンなどを利用して、68%割引で、最安値の50708円。最安値を選んだけれど、コロナ前はいつも5万円以内だったので、かなり値段が上がっている。孫たちに持ち物などの連絡をして、3人で海外旅行のoffの保険に入り、娘がKlookと言うサイトで、eSIMを人数分申し込んでくれて準備万端だった。ところが3日前からエルちゃんの熱が出て、娘たちが行けるかどうかわからなくなった。翌日も熱が出ていた。行けたら他のホテルをとってもいいし、とキャンセル料が発生する前に、娘たちの部屋を解約。飛行機は、前日午後5時までのキャンセルだったら、一人15000円の支払いで済むと言う。前日になって、やっと熱が下がったので、そのままにした。娘たちが行けなかったら3人で行こうと、前日に娘のところへ行って、航空機のeチケットやホテルのバウチャー、eSIMの使い方を聞いて、孫たちのQRコードをもらってきた。当日の朝、「熱も下がって行けるよ、明洞のホテルも取ったよ。」と娘から連絡が入ってほっ。私は、空港に車で行って、KIXカードの再発行手続き。このカードがあると、駐車場がとても安くなる。9時からだけどすごく混むので8時40分ぐらいに着いて、1番をキープ。そこに電車で長男と次男がやってきて、娘たちが付いたのが、再発行の終わったころ。11時半の飛行機だったので、ちょうど2時間前にアシアナカウンターでチェックインして、スーツケースを預けた。
2024.03.15
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昨日は、孫の家に。イー君は、最近幼稚園で、月2回ロボット教室と言うのに入っていて、ブロックなどを組み立てて、モーターで動かしたりしている。4時ごろ幼稚園にダンナと迎えに行って、帰ってから、娘がエルちゃんとイー君を連れてプールへ。その間、私は食事の準備をしていた。昨日はちらし寿司とお吸い物。ちらし寿司は、途中まで家で作って持って行った。プールから帰ってきて、エルちゃんとイー君が、上に海老、いくら、卵焼き、きぬさや、鯛でんぶ、カニカマなどをのせて飾り付けをしてくれた。3月3日に行けないので、早めのひな祭りのお祝い。イー君が「明かりをつけましょぼんぼりに~」と歌いだしたけれど、3番4番の歌詞が途中でわからなくなって、「アレクサ、おひな祭りの歌をかけて」と聞きながら歌った。甘酒も飲んで、ひし餅も食べて、お雛まつりの気分。今日は、ほぼ月1で集まってる元同僚との集まりでランチとおしゃべり。コロナ明けの去年の夏ごろから再開して、昨日はパスタランチ。これは、2番目の測場の同僚のグループ。明日はの木曜日はプールでダイビングレッスンの後、プールの友だちと食事の予定。明後日の金曜日は、プールでアクアビクスを受けた後、その友だちと桜珈琲でランチして、その後、ネイルをしてもらいに行く予定。土曜日は、午前中はおもちゃの修理隊。その後一緒にボランティアをしている高校の同級生4人でランチの予定。日曜も高校の別の友だちとランチの予定。次の月曜日は、リハビリと診察の予定。と今週はランチの予定が多すぎるかな?来週末は、息子のところの長男と次男を連れて韓国旅行の予定。私の体力が今一つなので、娘も一緒に行ってもらうことにした。もちろんエルちゃん、イー君も一緒。そろそろ準備をしないとなあ。身体の方は、一応元気なんだけど、朝起きたら腰が痛いし、パソコンを打っていたら肩と背中が痛い。手首の調子も悪いし、杖をつかないと長くは歩けない。この調子でいつまで旅行に行けるかしらと思うこともある。韓国語は、Duolingoが、今日で800日連続記録を達成。昨年末の60%オフと言うときに約7000円を課金して、スーパーのメンバーになった。CMが無いのは嬉しいけれど、2年以上毎日練習しているのに、韓国語が身につかない。全然韓国語脳にならない。韓国ドラマを観ても、日本語字幕を追いかけている。
2024.02.29
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土曜日、4年ぶりに元同僚のおうちカフェで、昔の仲間が集まった。約50年前、私が初めて勤めた職場の同僚たちだ。お料理を作ってくれるFさんのほかに、集まったのは5人。Fさんのお宅では、和室に置かれたテーブルでお食事をいただくけれど、部屋に入ってまず目についたのは大きな屏風に書かれた般若心経。Fさんが書いたそうだ。私も習字は書くけれど、こんな大作を作ろうと思ったら、毎日の練習も大変だ。何でもできる人だなあと改めて感心。早速、Fさんが作ってくれたコース料理をいただくことに。1.ジンジャーのウエルカムティー2.ドライイチジクのチーズのせ、オイルサーディンを紫蘇で巻いて上はドライトマト3.野菜のグラタン(レンコン、ブロッコリー、さつまいも、カボチャ、ニンジンなど野菜がたっぷり)4.ブロッコリーのスープ5.メインの魚料理は、サゴシのパン粉焼き。6.野菜の和え物2種 左は春菊と大豆 右は蕪のアンチョビ入りサラダ7.黒豆のご飯そして8.デザート3種 オレンジのぜりー寄せ チョコレートブラウニー さつまいもの甘煮9.コーヒーほとんどが自宅で作った朝採りの野菜。ドライフルーツなどは自分で作っているそうだ。いろんなお料理の作り方を教えてくれるのも楽しい。そして久しぶりに楽しいおしゃべり。夫を亡くした人、夫を介護している人、そして自分の病気を持っている人4年の間にみんないろいろあった。その時のことや手続きのことなど。このメンバーは、私が一番年下で、他はみんな団塊の世代。昔からいろんなことを話したり、相談したりしてきた。日記に一番最初に書いた頃は、みんなで泊まりに行っていた。団塊の世代の集まりFさんが自宅カフェを始めたので、行きだしたのが10年前友人宅のカフェランチ数か月に一度、どんなおもてなしをしてくれるのが楽しみだった。桜を見ながらおうちカフェへFさんが癌になって、中断したけれどやっと始まったと思ったら、今度はコロナで中断。これが2020年の一月の時。久々のおうちカフェ癌を経験しているけれど、Fさんはシャンソンや習字を習い、読み聞かせのボランティアもして、そして畑仕事もとパワフルだ。毎朝、朝日を見て深呼吸して、お礼を言うそうだ。一昨年の暮れ、だんなさんを亡くしたYさんは、来月南アフリカの旅行に参加するそうだ。彼女のだんなさんは若年性アルツハイマーで、10年以上介護をしてきた。仕事を辞めて、すぐに介護ヘルパーの資格を取り、3年ほどヘルパーとしても働いた。その経験が、とても役に立ったそうだ。私は、素敵な先輩たちに恵まれたなあと思う。これからまた、数か月ごとに集まる予定で、楽しみだ。
2024.02.19
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「새해 복 많이 받으세요」(セヘボンマニパドゥセヨ)1月13日の土曜日、この言葉で、今年最初のハングル講座が始まった。「セヘボンマニパドゥセヨ」の意味は、새해(セヘ 新しい年) 복(ポン 福) 많이(マニ たくさん) 받으세요(パデュセヨ 受けてください)と言う意味。そして、「オレド チャル プッタカムニダ」 (今年もよろしくお願いします)と挨拶した。講座の最初は、やはり地震の話や飛行機事故の話、そして韓国の人気俳優イ・ソンギュンさんが亡くなったことなど。そして、お正月の講座でいつもするのがユンノリ。ユンノリは、韓国のすごろくで、お正月によく行われるゲーム。写真を撮り忘れたので、これは3年前ぐらいの写真。これは私が持っているユンノリの道具。日本のすごろくは、サイコロとコマと盤だけれど、サイコロの代わりがユッと言われる4本の木の棒。これを広げた布の上に投げて、表の数で(1~4)全部裏になれば(5)でコマを進める。2チームに分かれて、4つの駒をスタート(上の写真では緑のところ)から進め、4つの駒全部がゴールした方が勝ち。盤の角(青)と真ん中(赤)のところにちょうど止まったら、近道ができる。自分の駒と同じところに止まったら、次から一緒に進めたり、相手が止まったら、ふりだしに戻ったり、大逆転することも多くとても面白い。ユンノリは、運とチームワークと知恵の勝負。この日は、先生と8人の参加者で4人ずつのチームに分け、2回勝負。1回目は私たちのチームが勝ったけれど、2回目は最後にふりだしに戻されて負けてしまった。全部裏や全部表になる場合はもう1回投げることができるけれど、相手チームに何度も投げる人がいて、そんな人は今年幸運が訪れる人なんだそう。ちなみに私の持っているユンノリのゲームセットには、2000wの表示があって、先生がびっくりしていた。2017年の3月に、ハングルの友だちと韓国に行った時、ロッテマートの中のダイソーで買ったものだと思う。2000ウォンは約200円。メルカリなどで、これと同じものが売っているけれど、1700円ぐらいするそうだ。数か月前、エルちゃんとイー君がうちに泊まりに来た時に、ユンノリがあるのを思い出して教えてあげた。最初は教えながら、エルちゃん対イー君でして、次は、二人対私でしたら、最後に大逆転されて私が負けて、大もりあがり。今週末も子守りをする予定だけれど、ユンノリをしようかな。
2024.01.17
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金曜日の夜、久しぶりに家族で食事。場所は、道とん掘と言うお好み焼き屋さんで、現地集合。私とダンナは、久しぶりに、明太もちチーズのもんじゃ焼き。そして、私はビール。息子は長男と三男と一緒に車で、高2の次男は原付の免許を取ったそうでバイクでやってきて、モダン焼きやら焼きそばやら広島焼きやらいろいろと。ヨメのTちゃんが自転車で遅れてきたけれど、すぐ食べられるようにちゃんと焼いてあげていた。長男に運転してもらえるので、息子もビールを飲んでいた。2枚目を焼いたり、デザートを頼んだりしている時に、娘とエルちゃん、イー君も来た。別に夕食の約束があったので、それが終わってから来たけれど、デザートを頼んで一緒に。その日の午前中に、娘が美容師のTちゃんにカラーリングをしてもらっていて、場所と時間を聞いていたそうだ。去年の4月から、製薬会社に勤めている長男が、お正月、エルちゃんとイー君にお年玉をくれた。職場の雰囲気もいいらしく、仕事も楽しいそうだ。正社員なので、有休を3月末までに取ってくださいと言われているらしい。クリスマスもお年玉ももういらないと言っていたので、あげていないけれど、1月29日の誕生日のプレゼントはあげたいと思っている。それで、提案しているのがパスポートを作ること。以前は、高校生ぐらいになったら海外に連れて行ってあげたいなあと思っていたけれど、彼の高校の3年間はコロナの3年間。高校の先生の顔を、卒業式で初めて見たと言っていた。彼は高校を卒業したら就職すると決めたけれど、大学に行ったら、いつでも旅行に行けるのにもったいないなあと思った。次男坊の誕生日は3月13日。未成年なので、5年間のパスポートしか作られないけど、それをプレゼントにしようと思っている。二人一緒に連れて行って、二人で行動すれば不安も無いだろう。航空券やホテル代も高くなってるし、まだいいんと違うんと息子は言うけれど。私の体力がいつまで持つか心配なので、一回は連れて行ってあげたい。言葉なんて完璧でなくてもいいから、世界を見ることができるんだと言うことを知って欲しい。安いチケットで、安いホテルの旅行でも、若い時は楽しめる。自信が付いたら、自分たちでいっぱい行けるだろう。まずは、3月末までかゴールデンウイークにどこかに行きたいと思っている。息子たちの家族を見ていると、5人仲がいいなあとよく思う。3人の息子たちは、みんなすごく優しい子に育っている、孫たちは、息子と話すのが大好きみたいで、息子もいつも楽しそうだ。コロナ禍で会うことが少なくなっていたけれど、娘がTちゃんの美容院に行ってるので、孫たちの情報もいっぱい入ってくる。みんなが仲良くしているのが嬉しいなあ。
2024.01.15
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昨日から、プリウスを修理に出した。バンパーが割れてしまっている。事の起こりは、先月14日の演劇鑑賞会の日のこと。劇の始まるのは、18時25分からで、ダンナと一緒に4時前に家を出て、二人のメンバーを迎えに行って、軽く夕食を食べてから行くことにしている。その日は、観劇の会場の近くの丸亀製麺に行くことにした。これは、グーグルアースからとったものだけれど、この丸亀製麺は角地に合って、私は左の上の車のように左下に向かって走っているところだった。夕方の5時前で、薄暗くなりかけていた。時間も早くて、右の写真のように駐車場には全く車は無かった。角地にあるコンビニなどで、どこからでも入れるお店があるけれど、そんな気がした。ちょうど交差点の曲がり角に車が止まっていた。私は左の指示器を出して、ちょっと渋滞していたので、ゆっくり走っていた。その時、交差点に停まっていた車が、ちょっとバックしてくれたので、私は丸亀製麺の入り口に入りやすいようにバックしてくれたんだと思って、そこから入ったら、ガガガガガッと大きな音がした。何か落ちてたんだろうか、と思って後で見たら車止め。プリウスは、何か近づいたらピーピー音がするし、ストップがかかって急停止するけれど、車止めは低すぎて、何も反応しなかった。夕方だったからか、4人ともそこに車止めがあると気づかなかったし、フェンスするかロープ張るか何かしとくべきやわ、と一緒に乗っていたIさんが怒っていた。私はちょっとショックで、いっぺんで食欲がなくなった。みんな急いで夕食を食べて、劇の会場に行くまでもガタガタ音がしていた。暗くなって見えにくいけれど、バンパーに傷がついて、何かが垂れている感じだった。帰りの車の中で、Iさんが、「私がいろいろしゃべってたからやわ。修理代、4分の1出すわ」と言うけれど、「車の修理代って高いから、そんなことは言わない方がいいよ。」と言った。車に乗らない人なので、修理代は、1万円か2万円で済むと思ってたみたい。「20万円ぐらいかかると思うけど、保険に入ってるから心配しなくていいよ。」と言うと驚いていた。交差点の車が下がってくれたのは、入り口を開けてくれたと勘違いしたけれど、ウインカー出しているし、左折してくると思ったからだろうな。私の思い込みの失敗だ。翌日、入っている保険の会社に電話した。私は、一番保険料の安い20等級だけれど、保険を使えば3等級ダウンになり、3年間保険が高くなる。業者に見積もりを出してもらって、15万円以上だと保険を使った方が得だけれど、それ以下なら使わない方が得かもしれないと、丁寧に教えてくれた。ビッグモーターの不正請求などがあったからだろう。トヨタで車を見てもらうと、前のバンパーの交換と、車の下に保護カバーがついていたのが外れてしまっているので、地面に擦って音が鳴っているのだと言う。保護カバーは、その場で外してくれたけれど、修理費用はバンパーだけで約16万円。保護カバーをつけるとトータルで約23万円。それで保険を使って、ちゃんと直してもらうことにした。修理期間が約10日かかるけれど、年末で休みになるので、1月10日に予約を入れた。実は去年の3月、ダンナの車の1年点検に出した時、後ろがへこんでいるのを近所の人に指摘されて、見て欲しいと言ったら、何も聞かずに修理されていて、保険で全額出ますからと言うけれど、3等級ダウンになった。ビッグモーターの不正がニュースになった時、ダンナの車の修理も一緒なんじゃないかと思った。その時のダンナの車の保険は、車の購入と同時に、学校共済の保険からディーラーで変えてもらったので、損保ジャパンの充実した保険だった。ダンナが17等級に下がってしまったので、保険の更新の時、私の車もダンナの車も、ネットで調べて、セゾングループの大人の自動車保険と言うのに変えた。ネットだと、いろいろカスタマイズできてかなり安い。私のプリウスは、ダンナも娘もよく乗るので、補償は充実させたけれど、削れるところはいろいろ削った。自分がどんな風にカスタマイズしたのか忘れてしまっていたけれど、事故時の免責費用5万円にして、代車費用をつけていなかった。そして、ダンナの車は、誰も乗ることは無いので、運転手限定にしていた。それで、今回自己負担が5万円必要だし、代車が貸してもらえない。約10日間の修理期間中、私は車が無いのでダンナの車に乗せてもらう。ハングル講座は、自宅から10分以内と近いので送り迎えしてもらうけれど、プールは30分ぐらいかかるので、しばらく休むつもり。リウマチの病院は、自宅から1時間と遠いけれど、点滴は伸ばせないので、ダンナに一緒に行ってもらわないといけない。任意保険に、やっぱり代車費用は付けておいた方がいいなと反省している。しばらく家にいるので片づけを頑張ろうと思っていたけれど、今日はyoutubeを観たり、ネットフリックスで韓国ドラマを観たりして過ごしてしまった。これも反省。
2024.01.11
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娘の家族は、海外へ旅行に行き、息子のところの孫たちとは12月30日に一緒に過ごして、お年玉も渡した。それで、夫婦二人だけのお正月。31日に、いつものようにお正月リースを飾った。一番下の扇子の飾りは、ハングル講座の仲間からもらったもの。今年も年賀状をLINEで送ることにした。LINEの繋がっていない人には年賀状を送るのだけれど、結局大みそかまで作る気になれず、今年は年賀状が来た人にだけ送ることにした。年賀状は、紅白を見ながら。何枚か印刷しておこうと思ったら、筆ぐるめのサポートが終わっていて、印刷できなくて焦った。ネットを見ながら、修復した。元日の朝、この年賀状をLINEで送った。来た年賀状に返事を書いて、ダンナと一緒に郵便局に持って行き、喫茶店でケーキセットを食べて、戻ってきて、LINEに返事を書いて、さあブログで新年のあいさつをしようかと思った時、グラグラグラと細かいけれど、いやに長い揺れが続いた。東北の時と同じような揺れで、とんでもない災害が起こっていると感じた。どんどん暗くなってくるし、停電してるし、火災も起こっているし、とてもおめでとうと言う気分ではなくなった。翌日からわかってきたのは、大きな被害。今も、余震は続いているし、連絡の取れない人もいるし、支援が届いていない場所もある。どうか一人でも多くの人が助かって、支援が届いて、早く安心して眠れますようにと願わずにいられない。今日(4日)は初プール。みんな「大変な年明けやなあ」と、おめでとうは言いにくい雰囲気。「今年もよろしくお願いします」と、挨拶しあった。今日は、ダイビングレッスンがあった。プールの開始は今日からで、水が冷たかった。そんなわけで、私も、今年もよろしくお願いします。もうちょっと、頻繁に書こうと思います。書きたいこといっぱいあるんです。
2024.01.05
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14日の木曜日に演劇鑑賞会で観たのは、青年劇場の「星をかすめる風」感想を提出するので、ブログも書いておこう。<ものがたり>終戦間際の福岡刑務所。看守の杉山が何者かに殺され、若い看守、渡辺は杉山を殺した犯人捜しを命じられる。聴取を進めていた渡辺は、日本名「平沼東柱」こと「尹東柱(ユン・ドンジュ)」という若い詩人が関係していると確信する。はたして、この人物は何者なのか?杉山を殺したのは一体誰なのか?事実を明らかにした渡辺の前に、意外な真実が待っていた…。「星をかすめる風」と尹東柱1945年2月16日、尹東柱(ユン・ドンジュ/逮捕時は同志社大学の留学生)は治安維持法違反により逮捕、収監されていた福岡刑務所で27歳の生涯を閉じた。民族が解放されるわずか半年前のことであった。特高警察による押収を免れた2冊の詩作ノートに遺された詩が日本語、英語をはじめ複数の言語に翻訳され世界で多くの人々に読まれている。時代の価値観に惑わされず、普遍の価値を求め、言葉の持つ力を信じて詩を書き続けた尹東柱の詩は、清冽な抒情性とともに常に自由な輝きを失わず、時をこえ国境をこえて異郷の人々の心にも届く。福岡刑務所獄中での最後の日々を韓国の作家イ・ジョンミョンが描いた小説『星をかすめる風』(鴨良子訳 論創社刊)を原作として、2020年に舞台「星をかすめる風」(シライケイタ脚本・演出)が青年劇場により上演されたが、この度再演される。これまで数多の上演作品を通して歴史の真の姿や人間の心の深奥に真すぐに対峙してきた青年劇場ならではのこの作品を通して、私たちは否応なしに歴史の真実と尹東柱の詩と生涯に真正面から向き合うことになるだろう。福岡刑務所での尹東柱獄死の真相は資料も少なく分からないことが多い。鉄格子の中に閉じ込められた尹東柱と外で彼を見張る看守杉山との間で、一篇の詩が昇華していく。原作はあくまでフィクションであるが、この作品に見られるように武器ではなく文化こそが真の自由への道であり、平和への大きな一歩なのだという力強いメッセージを多くの観客と共感出来ることを願う。 楊原泰子(詩人尹東柱を記念する立教の会) 青年劇場HPより1か月ほど前、鑑賞会の例会の会合でユン・ドンジュ役の矢野貴大さんから話を聞いたダンナが、ユン・ドンジュの詩集を買った。本の後ろには、詩のハングルの原詩が載っていて、韓国語を勉強している私は、観るのがとても楽しみになった。当日の席は、今回前から3列目の真ん中で、今までで一番いい席。声もよく聞こえるし、顔の表情もよくわかる。劇の冒頭から、引き込まれて行った。最初、看守の杉山が殺されたところから始まり、犯人は、チェ・チェスが自供したものの、ポケットの中にはユン・ドンジュの詩がどうもひっかかる。ユン・ドンジュは、詩や文学や芸術を愛する真面目で心優しい青年。暴力的だった杉山も、ユンの影響を受け、文学に没頭していった。チェ・チェスが脱獄するために掘っていた穴は、地下の秘密の図書館になり、囚人たちも影響されて、文学好きになっていく。杉山が、誰に、何のために殺されたのか、謎のまま前半が終わった。休憩を挟んで、後半になって、その謎がどんどん明らかになっていく。刑務所の中の囚人たちが、どんどん体調を壊していく。囚人たちの健康管理のためという名目で、九州帝大医学部の教授が、囚人たちに注射をしていたが、あまり効果はないようだ。ユン・ドンジュもその一人。最期のとき、看守の渡辺と一緒に、外へ出て、満天の星を見ながら、「星をかぞえる夜」の詩を、スクリーンには日本語の文章だけど、朝鮮語で暗唱しながら命尽きる。静かだけれど、魂を揺さぶられるような、心からの叫び、圧巻の演技で聴いていて涙が出てきた。そしてミステリーも、真実が明かされて行く。実際に、戦争中は非人道的な人体実験も行われていたのだろう。心を揺さぶられ、考えさせられる、素晴らしい劇だった。
2023.12.21
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週2本書くなんて言ってたのに、この体たらく。色んなことがあるんだけどなあ。コロナも落ち着いて、元同僚との食事会や、ハングルの女子会など、会合が元に戻ってきている。町内の文化祭や、習字クラブの書道展に出品したり、娘が韓国旅行に行っている間、孫を見たり、奈良のマリオットに、娘と孫と泊まったり、あたお正月休みに、思い出しながら書こうかな。その中で京都のことだけ書いておこう。京都劇場で行われている、天海祐希主演の「レイディ・マクベス」の舞台に、演劇鑑賞会で一緒のIちゃんが誘ってくれた。それで今演劇鑑賞会に入っている、S君、とKちゃん、と中学同窓生の4人で、23日の勤労感謝の日に京都へ。車は、Kちゃんが出してくれた。11時15分に迎えに来てくれて、順に他の2人を誘い、阪和自動車道から第2京阪を通って京都へ。お昼は、S君が2時半に、丸山公園のそばの鳥久というお店を予約してくれていた。京都に着いたのは1時過ぎで、食事の前に高台寺で紅葉を見る予定だったけれど、五条を過ぎて東山の方に行こうとしたところで、大渋滞。清水寺に行こうとする、たくさんの車と、道を歩く人、人、人。着物を着て歩いているのは、ほとんど外国人。その日の朝から情報番組で、京都の紅葉を見に行く外国人が全体の8割で、とても多いと話していた。上二つが、鳥久の湯豆腐料理。きれいな紅葉のお庭を見ながら、京料理を堪能。終わってから、お寺の紅葉を見たいねと言ってたけれど、人と車が多すぎて断念。京都劇場へ行ったら、ちょうど時間が間に合った。レイディ・マクベスはまた今度書こう。天海祐希に圧倒された舞台だった。京都劇場を出て、伊勢丹の駐車場へ行くまでのライトアップがきれい。(下、左)京都タワーもきれいに見えた。(下・右)あ~もう眠い。でも、一応アップしておこう。
2023.12.04
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11月4日の土曜日、りんくうの花火大会に行ってきた。場所は、関西空港の対岸のりんくうのビーチサイド。ダンナがチケットを2枚もらってきた。敦賀の海岸で、真上から降り注ぐ花火を見たのは、もう10年以上前。あの感動をも一度味わいたくて、行くことにした。車は混むだろうから、電車の方がいいと聞いたので、りんくうタウン駅から歩いていくことに。地図では徒歩20分となっていたけれど、私は杖をついて歩くのが遅く、倍近くかかってやっと着いた。薄暗くなって、花火の開始は6時から。びっしり1時間、音楽と共に次々打ち上げられる花火は、本当に見事。写真では迫力がないけれど、HPを見ていただけば、その美しさがちょっと伝わるかも。知り合いの人がいて、南海本線の羽倉崎駅近くに車を置いていると言うので、乗せてもらって帰ってきた。歩いたら、そっちの方がずっと近かった。携帯で見たら、その日の歩数は約9800歩。朝から、おもちゃの修理隊にも行ってたし、携帯を持たずに歩いていたので、12000歩ぐらい歩いていると思う。次の日はぐったりしてたけれど、月曜日は朝から病院のはしごで忙しく過ごした。でも、今まで悪くなかった左の股関節が痛いし、杖を持って歩いていたので、肩や手首も痛い。ちょっと無理しすぎたかなあ。もう一つ調子の悪いのが、爪のひょうそ。先月20日に、ネイルしたとき、ちょっと爪を短く切ってもらい過ぎた。今回は爪の半分だけワインカラーにしたフレンチネイル。ワインカラーが目立ちすぎて、余計爪が短く見えてしまって、これは長めの方が良かったなあとちょっと後悔した。指が曲がって、爪が傾いてしまっているので、携帯をしていてもカチカチ当たってしまう。それで短くしてほしいとお願いしたけれど、そこからばい菌が入ってしまった。左手の中指の横が腫れてて、毎晩ヨーチンで消毒して、ゲンタシン軟膏を塗って、抗生物質の薬をもらって飲んでいるのに、全然治らない。リウマチの薬って、免疫力が低下するって言うけれど、その影響かなあ。ジェルネイルをする前は、右手で爪切りが上手くできなくなって、失敗して深爪をして、ひょうそになることがよくあった。今までは、もっと早く治ったんだけどなあ。
2023.11.12
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アートメイクをしたこと今年の春から通っている整形外科で、アートメイクができるようになった。「肩や手が痛くて、お化粧が上手くできない方に」って、私やん。30%引きだったので、1回目したのが、9月27日。手彫りで、66000円の30%引きで46200円。自然な感じですごくきれいにしてくれて、プールで会う人たちに言ったら好評。でも、私もしてるよと言う人がすごく多い。私もプールで素顔になるからしたかったけれど、同じ思いの人は多いんだな。でも、1か月経って、だいぶ薄くなってきた。今日は2回目。同じような方法だと2年ぐらいしか持たないらしい。何度もするのは嫌だし、できれば5年以上持って欲しい。それだったら、手彫りより機械彫りの方が、深く濃く入ると言うことで、今日は機械彫りでお願いした、もう20%引き機関だったけれど、機械彫りの方が安くて、39000円が31200円。今日は、やったばかりで黒くて太い眉、イモトアヤコの太眉みたいだ。プールはしばらくお休み。出かけるときは、前髪を降ろしていこうっと。あと少ししたら、ファンデーションを塗って落ち着くと思うけど。
2023.11.02
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週に2回はブログをアップしたいなあとか言ってたのに、最近はパソコンも開けていなかった。色々やらなければと思うことが多いのに、椅子に座ってDuolingoを始めると、ついでに他のゲームをしてしまうし、テレビでyoutubeなんかでJ事務所問題があると、すぐ見てしまう。ちなみに今話題になっている先日の記者会見でのNG記者の中に、いつも見ている一月万札に出てくる方が2人含まれていた。前回の会見では本間さんが、社名変更のきっかけとなる質問をしたし、今回は佐藤さんが隠蔽体質を批判する、核心を突く発言をしていた。でもテレビメディアなどの忖度は、政権に対する忖度にも似ていて、気持ちが悪い。ところで、先日の7日、8日には私が住んでいる大阪南部の地域のだんじり祭りがあった。うちの町もだんじりがあって、ダンナも退職した後十数年前から、だんじり保存会に入っている。でもだんじりを曳くのではなく、だんじりが通るところに先回りして、車を停めたり通行する人に片側に寄ってもらったりする交通係。7日は、早朝から引くので5時15分集合。それで、私もダンナと一緒に4時20分に目覚ましを合わせて起きた。私は午前中は、おもちゃの修理隊へ。だんじりに出会うと、遅くなるから早めに出たら、ちょうどお宮さんに集合する時間だったからか、道はがらすき。お祭りだし、おもちゃを持ってくる人は少ないかなと思ったけど、始まってすぐにお客さんがいっぱい来て、忙しかった。高校の同級生が4人いるので、いつものようにランチして帰ってきた。ダンナが帰ってきたのは9時過ぎ。次の日も朝が早いので早く寝ようかと思ってたのに、ダンナが履いていた祭りの股引がすごく汚れている。着替えが無いのですぐに洗って、アイロンをかけて乾かして、結局寝たのが12時ごろ。8日の日曜日は、小学校2年生のエルちゃんと、幼稚園年中さんのイー君の運動会が重なっていた。うちのダンナも祭りに行かないといけないし、エルちゃんたちのパパも祭りへ行かなないといけない。それで、小学校へは娘が、幼稚園へは私が行くことになっていた。大阪では、午後から雨の予報で、どちらも種目を減らして午前中に終わる予定になった。イー君はいつもスクールバスだけれど、当日は保護者と一緒。幼稚園から離れた駐車場に止めることになっていたけれど、娘が足が悪いお婆ちゃんしか行けないからと幼稚園に連絡をしてくれていて、幼稚園の駐車場の使用許可と、敬老席の予約をしてくれていた。8日の朝は、だんじりに会ったら遅れるだろうと、5時に起きて6時に家を出発。7時前に娘の家に着いた。7時15分頃、娘とエルちゃんが先に出かけていって、私とイー君が出発したのは7時半過ぎ。車の中でイー君にどんな種目に出るのか聞いたら、かけっことパラバルーン、そして玉割りと親子の玉入れだと言う。玉入れは親子で入場して、子どもの玉割りと玉入れが終わってから、大人の玉入れだと言う。娘が、おばあちゃんは足が悪いからと、担任の先生に頼んでいると言っていた。でも、イー君は、先生と一緒より私と一緒の方がいいと言う。おばあちゃんは、座られへんから、他の人が座っている時、おばあちゃん一人立っているの嫌と違う?と聞くと、ちょっと困った表情だった。私もちょっと悩んでしまった。無理して座って、転んだりしたら、すぐに立てないし、その方がみっともないし・・・8時前に幼稚園に着いて、そこから運動会を実施する小学校の校庭まで、手を繋いで歩いて行った。事前にした抽選順に、観覧席に保護者がシートを敷いて行く。私は本部の横の敬老席の6番の席をもらってくれていた。イー君の担任の先生がいたので挨拶をして、玉入れの時どうしたらいいですか?と聞いたら、おばあちゃんと一緒に入場して、すぐ出てくれてもいいですと言うことだった。お祭りの途中で行けそうだったら、パパが来てくれるかもしれないと言うので、「開会式が始まったよ」「鼓笛隊が終わったよ」と逐一LINEを送った。年少さんの演技が終わって、「イー君のかけっこが、終わったよ、イー君は最後のグループで1位。」と送った後、娘から着いたみたいと連絡が入った。ムコのSちゃんが見えたので迎えに行って、イー君の場所を教えてあげた。パパを見たイー君の顔が、ぱっと明るくなった。ちょうど、パラバルーン(右中)の競技が始まるところで、Sちゃんは撮影場所へ。大きな丸いシートが音楽に合わせて波をうったり、山になったり、山を作って周りに座って包まって帽子になったり、大きな風船を作って、真ん中に入れた飾りを一斉に上げて、花火のようにしたり、初めて見るけれど、みんな揃っていてとっても綺麗。年長さんのリレーの後、年中さん競技は、2クラス対抗の玉割りと親子玉入れ。入場門のところに親子で並ぶけれど、お父さんが多くてお母さんは数人。最初は子どもだけで玉割りだったけれど、3分ぐらいたっても、どちらのクラスも全然割れない。最後に保護者も応援してやっと割れた。いろいろ運動をしているSちゃんの玉は強力。携帯でビデオを撮りながら、ものすごく強そうな球を2発当てたのがわかって、笑ってしまった。子どもの玉入れの後、大人の玉入れ、Sちゃんは大活躍で、イー君たちのクラスが3戦3勝。競技が終わったら、保護者に肩車やだっこ、おんぶをしてもらって退場。それでお父さんの参加者が多いのか、私じゃ肩車もだっこもおんぶもできない。親子競技が終わると、すぐにSちゃんは帰っていったけれど、来てくれて良かった~と思った。全ての競技が終わって、閉会式。クラスごとに集まって、メダルと参加証をもらって解散。歩いて幼稚園に戻って、車に乗ると、ポツポツ雨が降って来た。帰り道、充電をしながら携帯のビデオを観て、イー君は上機嫌。ジョリーパスタに二人で入った。キッズのたらこスパゲティー、コーンのミニピザ、キノコとハムのサラダ、キッズのポテト、イー君はアイスクリームも頼んで、二人で完食。家に帰ってきてから、参加賞のラクロスのおもちゃで遊びながら、エルちゃんたちの帰りを待った。そんなこんなで、とっても忙しい2日間。昨日はぐったりして一日中眠かったけど、今日もだらだらと一日を過ごしてしまった。ところで先日、二人の運動会が重なって、イー君がママに来て欲しいと泣いた。イー君は午前中で終わるけれど、エルちゃんたちは晴れていたら午後まで続いて、お昼は保護者と一緒にお弁当の時間がある。娘がエルちゃんに、お友だちのお母さんに頼んであげるから、ママはイー君のところに行ってもいい?と聞くと、エルちゃんは嫌だと言う。娘が、ママなんか、小学校の間、一回も来てもらわれへんかったんやで。と言っていた。同じ市内の小学校に勤めていたので、私もダンナも、子どもの小学校の運動会に、一度も行けていない。私も、見たいなあといつも思ったけれど、子どもたちも辛いのを我慢していたんだろうなあ。
2023.10.10
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朝から高校の同級生のSちゃんからLINEが来て、「夫が、昨日京都へ行って、阿闍梨餅(あじゃりもち)を買ってきたよ。渡せるとき教えてね」何年か前、Sちゃんのダンナさんに会ったことがあって、阿闍梨餅をもらったことがある。その時、私が「阿闍梨餅大好き」と言ったのを覚えてくれていたらしい。娘が独身でデパートに勤めていた頃、人気があるからと阿闍梨餅を買ってきたことがある。皮がもっちりしていて、美味しくて人気があるのがよくわかる。京都の阿闍梨餅は、大阪ではデパートにしか売ってるのを見たことが無い。デパートに行ったら探すけれど、期間限定だったり、すぐに売り切れたりで、なかなか手に入らない。「わあ~、嬉しい。今日は一日予定がないよ」今日は、10月7.8日にあるだんじり祭りの試験曳を兼ねて、「ザ・まつり」というイベントがあり、市内の8町のだんじりが、午後1時から3時半まで、駅のロータリーに集結する。ダンナも、交通整理のために朝から出かけていた。だんじりに道で出会うと、車がなかなか進めないので、1時に桜珈琲でランチして、3時までに帰ることにした。阿闍梨餅が10個。ダンナが帰ってきて1個食べたいというのであげた。私も食べたいけれどガマン。明日元同僚と4人でランチ会があるので持っていくつもり。その中の一人が実家が岡山で、行った帰りに広島の桐葉菓というお饅頭を買ってきてくれたことがある。初めて食べた時、皮がもっちりして阿闍梨餅に似てると思った。「大好きな阿闍梨餅に似ている」と言うと、何度かお土産に買ってきてくれた。でも、みんなは阿闍梨餅を食べたことが無いから、一度味わわせてあげないと。残りの5個は、火曜日娘の家に持って行こう。生協で、たまに桐葉菓が注文できることがあって、阿闍梨餅が大好きな娘は、よく似ているからと注文している。喜ぶかな?ちなみに桐葉菓はこんな感じ
2023.09.25
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8月24日の演劇鑑賞会は、文学座の「五十四の瞳」6月に生協で申し込んだ、劇場版「パラサイト」の演劇チケットが抽選で外れて、その台本、演出を担当している鄭義信(チョン・ウィシン)の作品だというのでとっても楽しみにしていた。ものがたり瀬戸内海に浮かぶ家島諸島のひとつ、西島。昔から採石業が唯一の産業のこの小さな島には、かつて日本人と朝鮮人が仲良く机を並べて共に学ぶ小学校があった。そしてそれは朝鮮人の親たちが作り上げた朝鮮学校だった...。時は1948年。この小学校で学び、今や中学生になった洪昌洙(ホン・チャンス)、呉萬石(オー・マンソク)、金 君子(キム・クムジャ)、そして日本人の吉田良平は怒っていた。占領軍が朝鮮学校の閉鎖を通達してきたのである。俺たちの学校がなくなってしまう!大切な教育の場を守るために大阪や兵庫で大きな反対運動が起き、ここで教鞭をとる柳仁哲(ユ・インチョル)と赴任してきたばかりの康 春花(カン・チュンファ)にも秘密にして子供たちは神戸の抗議デモに向かう...。1950年には朝鮮戦争も勃発。彼らの祖国は分断されてしまう.彼らは?学校の運命は・・・場面は、島の学校の職員室。良平が、地図でこの島の場所や、電気も水道も無い採掘だけが仕事の島であることを説明するところから始まり、場面の進行をしていく。教師のイ・ユンチョルと共に、若いカン・ユンファが赴任してくる。どうもこの二人は、いわくありげで・・・下手の奥に教室がある設定で、先生はそこに向かって、「アンニョンハセヨ」とあいさつする。そこから子どもたちの声も聞こえてくる。そこに出てくるのが、卒業したばかりのチャンスとマンソク、そして良平の悪ガキ3人。そして3人を叱りながらも、仲間になりたそうなクムジャ。この学校では、朝鮮人も日本人も一緒の教室で過ごし、仲の良いチングだ。チャンスは採石所で働く父親と二人暮らしで、良平は母親と二人暮らし。登場人物は、この8人。1948年から1965年、終戦直後から約20年の間に、大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国の成立、朝鮮戦争、(南北が一つになることを夢見てマンソクは参加していった。)サンフランシスコ平和条約、北朝鮮への帰国船の出航(北での幸せな生活を夢見てユンチュル先生は渡航していった)日韓基本条約の締結など様々なことが起こる。(そして、良平は採石所で下敷きになり・・)その20年の間に、彼らは不当な差別と闘い、悩み、傷つき、別れ、でも葛藤しながらも自分らしく生きていこうとする姿が生き生きと描かれている。54の瞳は、物語の最初の学校の生徒が27名だったことから。それは、チョンファ先生のセリフの中にあった。壁面に飾られた絵にその時の全員の生徒の顔が描かれ、上に西暦が書かれていたことを、最後の方で気が付いた。でも、最後の場面では生徒二人だけの絵で4つの瞳になってしまったていた。時代や国家や戦争や大きなものに翻弄されるけれど、それでも生きていることが素晴らしい。生きることの大切さも感じられた作品だった。1965年は、私は12才で中学生。今回の演劇鑑賞会、私たちのグループの中には中学生の友だちが5人。劇とは違うけれど、53年ぶりに繋がって、こうして一緒に劇を観ていることに感慨を覚えた。
2023.08.30
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土曜日の昨日は、ハングル講座の日。講座の後、4年ぶりぐらいで食事会を予定していた。Kさんが急に行けなくなり、参加者は10人。場所は、味里という韓国料理のお店。左上から、チョレギサラダ、右にチャプチェ、海鮮チジミとキムチ(オイキムチ、カクテキ、白菜キムチ)、白身魚のオムレツもやしのナムル、水菜とサムギョプサル炒め、海藻の胡麻炒め、空心菜の炒め物イカと野菜ワカメの酢の物、アサリのスープ、それに白ご飯。本格的な韓国料理で、どれも美味しかった。大皿に盛られた料理をみんなで取り分けて、一人1650円。お店には、韓国食材や、お店で作られたお惣菜も売っていた。ただ、お店が広間に掘り炬燵にテーブルを置いた座席。私は、席に着くのも、席から立つのも大変で、又行きそうにないのが残念。月曜日には、先月から始まった元同僚たちとの2回目の食事会。この日は、成龍という中華のお店で、飲茶ランチ。前菜(枝豆は老酒に漬けたもの)、海老餃子とシュウマイ2種、春巻きと熱々サクサクの揚げ物、お肉の湯葉包みちまきは蓮ご飯、杏仁豆腐とお餅のようなまんじゅうちまきは、中華がゆに、デザートはマンゴープリンか杏仁豆腐。どれも美味しくて、大満足。これで1700円。11時半に予約していたけれど、月曜日なのに、行った途端に予約で満杯。最近すごく人気で入れないこともあるそう。先日、プール終わりの1時過ぎ、友だちと行って、たまたま二人席が空いていて、中華ランチを食べたけれど、後から来て、断られている人もいた。入れたのが、ラッキーだったんだろうな。とそんな食事会が続いた先週。台風のことをLINEで話していて、コロナ前は毎月集まっていた退職仲間とも、来月、久しぶりにランチをしようと決まった。やっと普通の生活に戻りつつあるけれど、ハングルの教室では、82才と最高齢だったAさんが、今年の春、亡くなった。京大の教授だった人で、英語もドイツ語もペラペラ。韓国語は、今まで知らなかった言語で興味を持ったそうだ。十数年前に初級講座が始まったそうだけれど、次の年にはAさんと、今の来ているOさん、Iさんと3人で、韓国留学をしたそうだ。Iさんは、今も年に何度か1か月近く韓国で過ごしている。今年の3月も行ってたけれど、次は9月末。向こうにいる間に、一回行ってみようかな。
2023.08.27
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お盆休み明けで、今日は久しぶりのプール。話題は、台風のことが多かった。みんな台風の進路はとても気になっていた。8月13日の日曜日、八丈島付近をゆっくり北上してきた台風7号は、西寄りに進路を変え、紀伊半島から大阪を直撃しそうだった。2018年9月の台風21号を思い出した。関空連絡橋にタンカーが激突し、多くの地域が停電になった台風だ。8月14日の月曜日、久しぶりに中学1年生の三男坊とダンナと3人で、お昼にお寿司を食べに行った。食事の後、三男坊はうちに来たいと言うけれど、台風が来ているし、暴風雨圏内に入ったら送るのも大変だからと、買い物を一緒にしてから送ることにした。お菓子ばかりかごに入れてる三男坊に、台風が来ているからパンやラーメンや飲み物も入れたほうがいいよと言うと、レジ袋3袋分と大量に買い込んで、マンションまで送っていった。息子の家の辺りは、2018年の台風21号の時、停電で苦労した地域もあったからか、仕事を終わってヨメのTちゃんがスーパーへ寄ると、売り切れてほとんど何もない状態だったそうで、ちょうど良かった。私たちは家に帰ってきてから、雨戸を閉め、テラスやベランダの物を、飛ばないように片づけた。最新の情報を知りたいと、youtubeのリアルタイムの台風情報を見ていた。夜中に紀伊半島に上陸して、和歌山から大阪府を通って北に向かう予想。台風の通り道の東側が風雨が強いというけれど、地図上では真上あたりを通る感じ。夜になると、携帯のアラームが何度か鳴って、土砂崩れの警戒や、老人の避難指示が出された。夜中になって、大阪府に暴風雨警報が出た。ひどくならないかなと心配しながら、夜中の1時ごろ寝たけれど、心配でうつらうつら。時々雨が強く降ることはあったけれど、一晩中それほど強い風は吹かなかったみたいだ。翌日15日の朝は、台風の近くにいるはずなのに、雨も風もほとんどない。9時ごろ、近くに住む兄に電話をかけた。「台風どうなっているんやろね」と言うと、「ちょうど台風の目の中にいるんと違うかなあ」と言っていた。その後も、時々雨が降ったり風が吹いたりする程度。そんな状態で午後まで過ぎて、午後4時14分警報が解除された。でもその少し後に、土砂降りの雨が降って、どうなってるの?と思ったりした。こんな風に大した事無くて良かったと思ったけれど、ニュースを見たら大阪市内では看板が飛んだり、木が倒れたり、強い風だったようだ。うちのすぐ近くの市でも、停電が起こってる。鳥取や京都では、橋が流されたり土砂崩れが起こったりと大きな被害が起こっていた。今日は、みんな無事台風が過ぎてほっとしたねえと言っていた。これからは、ますます台風が増えてくるだろう。年々、勢力も増していってる。大きな被害が無いことを願うばかり。前回の、にととらさんのクイズの答え1,にととらさんのペンネームは薄井逸走さん。 キーボードで「ISSO」と打つときの、キーの横に書いてあるひらがなが「にととら」2,2021年10月に「住吉大社と楠珺社を参拝」というブログがある。 買いに行ったのだが、あいにく閉まっていて買えなかったと残念そう。 この時の招き猫の数が27体。 その後、2022年の2月頃、淡路島の帰りに寄って、 12月にも中山道ワォークのついでに寄っているので、合計29体。 48体集めたら満願成就すると言われている。集めたかっただろうな。
2023.08.18
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にととらさんのことで、とっても後悔していることがある。2018年ごろ、ほとんどパソコンを開かなかった時期がある。3月、4月、6月、7月は、全くブログを書いていないし、5月には、4月2日に生まれたイー君のことだけだ。産前産後、娘がエルちゃんを連れて家に戻ってきていたのと、白内障や眼瞼下垂の影響で、パソコンの文字が見にくかったこともあって、他の人のブログもあまり見なかった。でもその年の5月、にととらさんは腸閉塞で入院し、大腸がんが見つかった。そしてその後の、抗がん剤の影響で辛い副作用に悩まされる。抗がん剤の副作用のことを読んで、いつ癌になったの?と読み返して初めて知った。私が病気で辛い思いをした時期に、いつも優しい言葉で励ましてくれたにととらさんに、何も言葉を掛けられなかった自分が情けなかった。その年の年末、白内障の手術をし、翌年、眼瞼下垂の手術をして、やっとパソコンを見るのも困らなくなった。にととらさんからは、多くのことを学ばせてもらった。知識が豊富で、研究熱心。疑問に思うことがあると、子どもの頃の自由研究のように、色んな実験をして真実を突き止めていく。この年になって、普通だったら新しく学ぶ機会も少ないと思うけれど、何度「初めて知りました。また一つ賢くなりました。」と思ったことか。そして、生き方。抗がん剤を拒否してからの、にととらさんの行動力はすごい。台湾を旅行し、全国の鉄印巡りをし、コレクションの整理をし、遺言を正式に預け・・・パワフルさを見習いたいと思うけれど、ちょっと終活が手際よすぎて、生き急いでいるような不安感も覚えた。にととらさんの訃報が知らされてから、今までのブログを読んだりしているけれど、終末期旅行、死ぬ週間の5つの後悔などを参考に、本当に自分の気持ちに正直に、後悔の無いよう素晴らしい人生を送ったのだろうなと思えてきた。そして、今も自由に空を飛んで、17年セミを見に、アメリカへ行き、メンフィスにもいったに違いない。にととらさん、本当に今までどうもありがとうございました。あなたの生き方をお手本に、私もこれから生きていこうと思います。ここで、にととらさんクイズ1.「にととら」の名前の由来は?2. にととらさんは、大阪の住吉神社の楠珺社でお守りの招き猫を集めていたけれど、今何個集まってる?なんて、「ありがたき定年」は、大好きなブログだったので、マニアックなクイズがいっぱい作れるだろうな。
2023.08.06
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2011年の2月、在中一世さんが、奥さんと息子さんを連れて日本に帰ってきたので、再びブログ仲間で会うことになった。にととらさんが、品川のホテルを取ってくれて、一日目は川崎大師にお参りして、ホテルでみんなでディナー。もうすぐ1才になるJ君の表情が可愛くて、みんな心が和んだ。翌日の朝、窓から外を見たら、線路がいっぱいのまさに鉄ちゃん、鉄子さんのための部屋。にととらさんらしいなあと思った。朝食のレストランからきれいな富士山が見えた。その後、東京タワーに上って、芝公園を散策した。にととらさんのブログに、東京タワーから見た風景のことが書かれていた。別れてから、私はtakatobaabaさんと一緒に、宝くじが当たった時の大宴会の下見を兼ねて、伊豆へ。と、その頃は、ブログ仲間との楽しい時期を過ごしていた。「党首みっけ」と、テレビで、にととらさんを見たのもその頃。関西ローカルの「やしきたかじんの、そこまで言って委員会」という番組で、税金のことを取り上げていた回だった。にととらさんを見つけたのは、すごく嬉しかったけれど、せっかくゲストとして呼んでいるのに、ゆっくり話を聞こうとしないのに腹が立った。にととらさんも不満だったかもしれないな。そのやしきたかじんも、今は亡くなってしまったけれど。でも、ブログの仲間たちと会ったのも、その時で最後。在中一世さんは、中国のネット状態が悪くなって、楽天が使えなくなった。在中一世さんは、今どうしているのかなあ。ひじかた花梨さんは、facebookを始めると、そちらに移行し、takatobaabaさんも、金の像さんも、しばらくするとブログを閉じてしまった。私も、娘が結婚し孫が産まれたりして忙しいのと、白内障や眼瞼下垂のためか、パソコンの文字を見るのがだんだんしんどくなってきた。そんな時も、にととらさんは休まずにブログを書き続け、どんどんブログのお仲間が増えていく。2015年の秋ごろ、にととらさんが100万アクセスのオフ会を企画し、お誘いを受けた。9月にエルちゃんが産まれて、ちょっと忙しかったので不参加にしたけれど、後になってすごく後悔した。その後、膝を痛めて、一人で遠出は行きにくくなったけれど、あの時なら行けたと思う。わからんtinさんや、nikさんにも会いたかったし、にととらさんのブログに集まる多くの人たちとも知り合えただろう。2006年から始めて、9年で100万アクセスだったにととらさんのブログも、数年で200万アクセス、300万アクセスとスピードを上げ、今795万アクセスを超えている。亡くなられてからも、どんどん増えているみたいだ。私も、毎日読んでいる。悔やむこともいっぱいで、いろいろ考えさせられる。
2023.07.31
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2010年の4月3日、在中一世さんに子どもが生まれ、出生届を出しに日本に来るという。にととらさんが祝い酒を飲むというので、私も行かせて欲しいとお願いした。上野駅で、にととらさん、在中一世さんと、ひじかた花梨さんと待ち合わせして、すぐに、浅草のにととらさんが以前書かれていた、どぜうのお店へ。行く途中に、まだ建設途中のスカイツリーが見えて、東京へ来られたのが嬉しかった。マス酒を飲みながら乾杯して、どぜう鍋をつつきながら、お互い挨拶して近況報告などを。でも、毎日毎日ブログを見ながら話をしているようなものなので、すぐに打ち解けた。そこから、満開の桜の下を、浅草寺にお参り。夕方になって、ちょっと明かりも灯りだし、ほろ酔い気分でサッポロライオンへ。サッポロライオンには、色んなビールがあって、メニューの端から注文してどんどん飲んでいった。赤いシャツがにととらさん。今見ると、にととらさんの前には2種類のビールがあるなあ。そこからまた場所を変えて、カラオケへ。お酒を飲みながら、いろんな歌を歌った。にととらさんのELVISも聴いた。いっぱい飲んで、しゃべって、笑って、踊って、歌って、歩いて、ブログ最高~と言いながら、予約していたホテルに戻って、しあわせ~な気持ちで私が寝たのは、夜中の3時頃。にととらさんは、朝帰りだったそう。次に、にととらさんに会ったのは、同じ年の5月。金の像さんが、7年に一度の諏訪の御柱祭に招待してくださった。在中一世さんはいなかったけれど、金の像さんのお宅に、にととらさん、takatobaabaさん、ひじかた花梨さん、ブログ仲間が集まった。こんな特等席で、里曳きの様子を見せてもらった。この写真はにととらさんのブログからお借りしたもの。にととらさんは、写真を撮るのも上手い。そして文章も面白い。こちらの里曳きのブログは思わず笑ってしまう。ブログ仲間が集まって、来られていない人たちの話をした。わからんtinさんは、私が2度目の手術をした2007年の秋ごろからのお付き合いで、手術を終わって歩けるようになった私に、優しいメールをくれたこと。コメントの温かさはみんなが感じていた。nikさんのブログは、御柱の少し前ぐらいから、みんなが見るようになった。さっちゃんへの愛があふれたブログで、同年代の日本の男性には珍しく、ちょっと羨ましいような恥ずかしいような、でも、続きを読みたくなるブログだった。めったに奥さんのことを書かないにととらさんだけど、nikさんを真似して、奥さんのことを書くときには「うちのさっちゃん」と書くようになった。
2023.07.30
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私は、小学校に勤めていたけれど、足首の関節を痛めて歩けなくなった。2006年の4月から休職して、10月に足関節固定術という手術を受けた。入院中や退院時には、にととらさんも時々コメントを書いてくれていた。私のブログには、もう一人、よくコメントを書いてくれる在中一世さんと言う方がいて、その人もよく応援メッセージを書いてくれていた。固定術というのがどんな手術なのか、ネットには全く情報が無かった。画期的な新しい方法ということで受けた内視鏡手術は、傷口が小さく、私自身、始めはすごく軽い手術のような気がしていた。でも、手術をしてから6週間後、ギブスを外したら、痛くて歩けなかった。もっと痩せないといけないのかもと食事制限したり、筋トレしていたらますますひどくなり、骨粗しょう症で、骨がすりガラスのようになった。4月に職場復帰を目指していたけれど、5m歩くのも辛くて、2007年3月で退職を決意した。1年休職したのに復帰できず、肩身が狭かった。その辛い時期を支えてくれたのが、ブログのお友達だった。にととらさんのコメントは、いつもあたたかかった。始めの頃のにととらさんのブログには、病気の人が何人かいて、辛い気持ちを持っている人には声をかけずにはいられない、優しい人なんだなあと思った。そのうち、にととらさんと在中一世さんは仲良くなり、にととらさんのブログに来ていたひじかた花梨さんやtakatobaabaさん、takatobaabaさんのお仲間だった金の像さん。みんなが仲良くなり、どこのブログに行っても知ったお名前が並んでいて、ブログを書くのも読むのも楽しかった。2007年の9月、固定術の再手術をした。入院中、定年退職したばかりのにととらさんは、在中一世さんに会いに上海に行った。2回目の手術で、私は痛みが無くなり、歩けるようになり、在中一世さんが日本に来た時には、みんなで会いたいなあと思うようになった。最初の頃のにととらさんは、何をしている人かわからなくて、興味津々だった。でも、退職のために身辺整理をしていたけれど、その量が半端じゃない。ボールペンを整理すれば段ボールいっぱいぐらい、1000本以上あるだろうと思うようなボールペンの量。カバンを整理すれば、革のカバンが20個ぐらい並んでいる。ビデオなのか8ミリなのか、テープの量も膨大で、この人何者?と思わずにはいられなかった。そして、何故か、にととらさんがブログで書いたことが、その後新聞で取り上げられることも時々あって、業界人にも読者がいるような感じだった。きっかけは何だったか忘れたけれど、仲間内で、にととらさんのことを党首と呼ぶようになった。にととらさんが宝くじがあたる夢を見たことがあって、ロト6の番号を書いていた。それで、「当たったら、伊豆で大宴会」というのも合言葉になった。あの番号どこにあるかなあ、にととらさんのブログでちょっと探してみようかな。
2023.07.29
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大好きだったブログのお友達のにととらさんが亡くなった。毎日書かれていたブログも、7月9日から更新されず、LINEを送っても既読にならない。もしやと思ったりもしたけれど、いやいや急に倒れてパソコンや携帯を触れないだけだろうとも思った。でも、一昨日(25日)のnikさんのブログで、にととらさんから「永眠のお知らせ」のはがきが届いたことを知った。自分で、自分の永眠のお知らせを作っておくなんて、几帳面で、先々のことまできっちり考えるにととらさんらしい。にととらさんの最後のブログには、どんどんコメントが届いていた。takatobaabaさんやひじかた花梨さんなど懐かしい名前も見つけた。葉書を見たと書いてあるけれど、私には届いていない。え?にととらさん、私には届けてくれないの?にととらさんは、「年賀状は必要」といつも書いていたけれど、私は、数年前からLINEが繋がっている人には年賀状の画像をLINEで送るようにしていて、にととらさんにもLINEの年賀状を送っていた。にととらさんのブログに、「LINEだと年賀状に返事が来て便利です」と言うようなコメントも書いていた。来ないのはちょっとショックで、私もお知らせのはがきが欲しかった。でも、今日、やっと届いた。日付は22日の発送なので、府か市の郵便局で手間取っていたんだろうけれど、「ね?こんな時、困るでしょう?やっぱり年賀状は必要なんですよ」と、にんまりしているにととらさんの顔が浮かんだ。にととらさんのことを初めて知ったのは、2006年の夏ごろ。私は2006年の5月の終わりごろからブログを始めたけれど、にととらさんは5月の初め頃、定年退職まであと500日という時期だった。書き始めて最初は、知り合いもいないし、コメントもないし、面白そうなブログを探す毎日。その頃の楽天ブログは、ブログ管理の画面に、いつだれが見たか記録が残るような仕組みになっていた。楽天ブログ書いている人は、こんな風に名前が載るので、見てくれた人のブログを見に行く。どちらが先かわからないけれど、だんだんにととらさんのブログを見るようになっていった。最初の頃のにととらさんのブログで面白かったのは、「生活習慣病」。「割り箸を割ったような性格症候群」というのがあって、竹を割ったじゃなく割り箸。割り箸を割るとほとんどきれいに割れているのに、最後だけまっすぐにならずに歪む人がいる。最後の最後だけ失敗する人って、いるいると思わず笑ってしまった。そんな面白いネタがいっぱいで、夢中になって今までの分を読んだりした。写真は古いブログの友だちの画像を使わせていただきました。ちょっと思い出を続けて書いていこうかなと思います。
2023.07.28
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日曜日、茨木智博さんと、大柴拓さんのオカリナとギターのコンサートに行ってきた。去年も同じ時期に、オカリナとギターのコンサートがあったけど、場所も同じ、岸和田市のむくの木ホール。山手の、小さなコンサートホールだけれど、周りが静かで、音響設備がとてもいい施設。曲目は、Nヴァヴィロフ カッチーニのアヴェ・マリアLデンツァ フニクリフニクラ 喜納昌吉 花~すべての人の心に花を~ 久石譲 映画「紅の豚」より 帰らざる日々加藤登紀子 時には昔の話を京都府民謡 竹田の子守歌アヴェ・マリアは物悲しく、ちょうど前日観ていたネットフリックスの「ミスター・サンシャイン」の雰囲気と似ているなあと感じていた。大柴さんのギターもぴったり曲の雰囲気に合っていた。フニクリフニクラは、途中で転調したり、二重奏になったり、オカリナの違いでそんなことができるんだと、その技術に感動。そこから、何色のオカリナを使っているか気になって、プログラムに書き込んでいくことにした。15分の休憩があったので、前に置いていたオカリナの写真を撮った。それで、二重奏をしている時に使っているのは、Kの紺色のオカリナだとわかった。他のオカリナは、横から吹くけれど、このオカリナは真正面から。両手で持って、両方の指で違う音を出しているみたいだ。A・B・Dの平らなオカリナは、転調していく時に使っていた。大きなオカリナは、クラリネットのような低い音が出て、小さなオカリナはフルートやピッコロのような高い音が出ていた。後半は、山下康介 今日、そしてまた明日大柴拓 波浮松任谷由実 春よ、来い尾崎豊 I LOVE YOU茨木智博 翠玉色の衝動Pサラサーテ ティゴイネルワイゼン大柴さんも茨木さんも作曲活動もしていて、CDの宣伝もしていた。波浮は、波浮の港のハブ、翠玉色はエメラルドグリーンの事とかの説明もあった。でも、最後のティゴイネルワイゼンが圧巻。元々はヴァイオリン曲だけれど、転調できるDやAのオカリナを駆使して、一人で演奏しているのにその重厚感に圧倒された。アンコール曲は、オリビアを聴きながらと、題名は言わなかったけれど、毎回よく聴く曲。このコンサートに来ている人は、オカリナを習っている人がほとんどなので、練習に使われている曲かもしれない。生活が平常に戻ってきて、今回は、会場いっぱいに人が入って良かったなあと思いながら帰ってきた。
2023.07.21
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コロナ前までは、毎月6人で集まって、一緒に食事して、おしゃべりしながらお茶を飲んで、時には一緒にフラワーアレンジメントをしたり、いちご大福を作ったり、楽しく過ごしていた元同僚の仲間。最後の集まりは、2020年の1月だった。前年の12月に、その中の一人のTさんとベトナムのダナンへ行ったので、おみやげを渡して、Tさんがホイアンで買った、とっても高価な、ジャコウネコの糞のコーヒーを飲ませてもらった。次は2月と予定を決めて別れたけれど、急に出てきたコロナのニュースで、約束が吹き飛んだ。マスクが無くなり、学校も休校になり、ステイホームが合言葉になった。最初の年は、スポーツクラブも習い事も休みになって、演劇鑑賞会も中止になったけれど、波があることがわかって、ワクチンも打ってからは、私はプールの友だちや家族と、食事にも行くし、旅行も行くようになった。でも、このメンバー、家族を介護している人も多く、コロナの波が落ち着いている時も、個別に会うことはあっても、みんなで集まろうと、私の口からは言えなかった。グループLINEは、続いていたので、近況報告などは続いていた。3年の間に、夫や義母を亡くした人がいるし、親の介護がますます大変になっている人もいる。でも、そろそろ久しぶりに会いましょうと、10日の月曜日、民家を利用したレストラン「amarsi99」と言うお店へ。駐車場が少ないので、近くのスーパーへ集合。私の車だけお店の駐車場に。広い個室に置かれた大きなテーブルに私たちが6人、周りを気にせずにおしゃべりができた。野菜中心のお料理は、見た目もとっても綺麗。3人分ずつまとめておかれていたので写真は無いけれど、上の写真のほかにバケットのパンも。量は少なめだけれど、ゆっくり食事ができるので、満腹感があった。2時間ほど食事をして、外に出たら雨が降り出した。1人は、近くなので走って帰って、残りの5人で車に乗ってスーパーの駐車場に戻ることは、雷が鳴り響く土砂降りの雨。線状降水帯の真っただ中にいるような感じだった。30分ほどして、小降りになったのを見計らって、一人ずつ置いている車の近くで降りて行った。また定期的に集まりたいね、と夜にLINEが飛び交って、来月も集まることに。やっと通常の生活に戻っていっている感じがした。1人の人が、宮古島へ行ってきて、お菓子とバスパウダーのお土産をくれた。昨日お風呂に入れたら、エメラルドグリーンの沖縄の海。両方の指で輪を作ってお風呂の中を見たら、ダイビングした時の海を思い出した。泳いでいる亀の上のような色。ダイビングの写真を見ていたら、懐かしくなった。岩場は、一番大好きだった慶良間の黒岩北ツインロック。山に登っているみたいだけれど、海底15mくらいの海の中。ここから中層を泳いで、次の岩場まで進んでいく。海底まではもっと深く、泳いでいると言うよりも、空を飛んでいる気分だった。最後に行ったのは、2019年の10月。また行くことができるのかなあ。
2023.07.13
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6月30日の金曜日、4月に会った男性3人、女性3人の6人で、再び中学校のミニ同窓会をした。53年ぶりに4月に会った後、男性3人のうち二人は、演劇鑑賞会に入会し、6月の演劇も一緒に観たりと、交流が続いている。女性のIちゃんが、先日、脊椎狭窄症の手術をし、その全快祝いのランチをしようと言うことで集まった。場所は、そのうちの一人のO君の息子さんがしているレストラン。前菜、スープ、サラダ、パスタ、好きな一品(私は魚料理で鯛のグリル)そしてデザート。旬の野菜を生かして、どれもすごく美味しかった。デザートは、作ってくれていた全快祝いのケーキと、ジンジャーアイス。そして、写真に写っているけれど、お昼から、ワインにビール、その後のカラオケでもビールにコーヒーと、いっぱい飲ませてもらった。男性3人は、飲まない(飲めない?)人たちで、送り迎え付きと言うなんとも贅沢な一日だった。一品に牛ステーキを頼む人が多かったけれど、私が頼まなかったのは、前日の夜、ダイビング仲間のKさんと、ステーキディナーをしたから。私もKさんも6月生まれで、お誕生日特典のはがきが来ていた。ステーキの特別メニューで、500円引き。期限内に行かないと、と29日、プールが終わってから行った。美味しかったステーキディナーの写真は撮り忘れたけれど、最後のデザートにろうそくを付けて出してくれたのが嬉しくて、これは写真を撮った。ところで、30日の午後3時から、ネイルの予約をしていた。ミニ同窓会の予定が入ったので、別の日に変えられないか聞いたけれど、空きが無い。それで、今回は、娘の家の近くのネイルのお店に行くことにした。娘の家から200mぐらいのところに、5月頃、新しいネイルのお店ができた。全国的なチェーン店で、どんなデザインでも、一律3850円とすごく安い。開店したばかりで、ホットペッパーで空き時間を見ると、まだまだ余裕がある。それで、土曜日、おもちゃの修理隊の後、3時半に予約を入れた。おもちゃの修理隊にも、去年の同窓会で報告した後、同級生の女性が一人加わり、高3の同級生4人で一緒に活動している。終わってからの、ランチも楽しみの一つ。予約時間の少し前にネイルのお店に着いて、名前や住所などの記入の後、契約事項の説明などを受けた。保証期間は5日間。その後、ネイルが外れたら、お直しは1本350円とかだったかな?入り口を入ると、200種類のネイルのサンプルが並べられていて、その中からデザインを選んで、色は自由に変えられると言う。若い女の子に、説明してもらって、デザインを決めた。爪の元のネイルを取って、爪を切り、やすりで滑らかにしていく。そしてベースを塗って、カラーのネイルを2回塗り、飾りをつけて、トップコートを塗って仕上げていく。その間、その女の子といろいろ話をした。彼女の年齢は二十歳。研修を受けて、初めてネイリストとしてこのお店に勤めることになったと言う。心の中で、え~、5月からお店が始まったばかりだし、大丈夫なんやろうか、と不安になった。「あまりお客さんのネイルしてない?」と聞くと、「その代わり、友だちとか家族とかいっぱい練習しました」と言う。昔から、ネイルが大好きで、ネイリストになりたかったのだと言う。私は指が曲がっているので、爪も歪んでいて、深爪すると傷になって炎症を起こしやすいと言うと、やすりが皮膚にかからないように、丁寧に削ってくれた。カラーのネイルを塗る時も、はみ出さないようにゆっくりゆっくり。爪の真ん中にシルバーのラインのあるデザインだけれど、「緊張する~」と言いながら、きれいな線を描いてくれた。約1時間でネイルを施す店なのに、2時間以上かけて丁寧にしてくれた。お給料もらえるのかしら、とちょっと心配になった。甘皮のところをあまりきれいにしてもらえなかったけれど、かわいいデザインで、とっても満足。初心者だけれど、熱意が伝わってきて、好感が持てた。途中で剥がれなければ、また彼女に頼みたいなと思えてきた。
2023.07.05
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先週の木曜日、姉から電話があった。「またこけて、骨折してるねん」「え?今、どこ?」と聞いたら、入院していると言う。公共施設でサークル活動をしている時に転んで、立ち上がれなくて救急車で運ばれたらしい。大腿骨を骨折していて、人工股関節を入れる手術を火曜日にすると言う。別に来なくていいと言うけれど、手術の時は行くよと言った。病院の中でも、痛くて全く動けないそうで、早く手術をしてくれたらいいのにと思っていた。姉は以前、心筋梗塞の手術をして、バイアスピリンと言う血液をサラサラにする薬を飲んでいる。そんな人は、何日か飲まない日を開けてから手術すると友だちに聞いて、納得した。そして昨日(火曜日)、手術。救急車で運ばれたK病院は、ちょっと田舎にある総合病院で、高速を降りてから、しばらくすると、制限時速40キロの道を、先頭の車が30キロ前後で走り、後続の車も数台、ノロノロ運転。中央線は黄色だし、追い抜かすこともできず、一人でイライラしていた。受付で、手術をする姉の名前を告げると、手術が終わったら説明をしてくれると言う。でも、手術時の待合場所は無くて、受付の前のソファーで待っていてくださいと言う。午後1時前に病院に着いて、手術が終わったと連絡が入ったのは3時半ごろだった。先生が、別の部屋で、パソコンの画像を見ながら説明してくれた。最初、右の骨頭の下にひびが入った骨折時の写真。そして、大腿骨の上部に差し込んだような形で、チタンの人工関節が入った写真。きれいに、入っているように思えた。母も股関節を手術していて、私も臼蓋形成不全で右側が浅いけれど、姉もその傾向があったみたい。そういうところは遺伝するみたい。去年転勤してきたと言う40代ぐらいの先生は、親切に説明してくれる。バイアスピリンを飲んでいるのを心配したけれど、出血は170㏄ぐらいだったらしい。でも、今回入院して分かったのは、心臓がかなり弱っていると言うこと。よく転んだりしていたのは、そのせいだろうと言う。そして、糖尿も出ていると言う。亡くなった母は、糖尿病から心筋梗塞、腎臓も悪くて透析していたけれど、心臓と糖尿って関係しているみたいだ。姉の家は、玄関が石段で上がるので、杖一本でちゃんと歩けるようになるまで、入院させて欲しいと頼むと、急性期の病院じゃないので、最長60日。十分リハビリしてから退院させてもらえるそうだ。救急で入って、入院セットを全部借りるから大丈夫と言っていたけれど、翌日からリハビリが始まるのに、スリッパが無いし、化粧品も下着も無い。入院を何度もしているので、動き出したら必要なものはよくわかっているので、今日朝から揃えて持って行ってあげた。1日経って、電話してきた姉はすごく元気。朝から車いすに乗って、トイレに行く練習をしたそうで、自分一人で車椅子に乗れるそうだ。股関節手術の経過はすごく良さそうだ。姉は、痛い思いをして大変だっただろうけれど、他の人と一緒にいる時でラッキーだったなあと思う。これが一人で家にいるときに転んで、携帯も近くに無かったらと思うとぞっとする。痛くて焦って、心臓の発作も起こっていたかもしれない。今回、ちょっと長く入院させてもらったら、心臓や糖尿も良くなるかもしれない。私がラッキーだったと言うと、そんな風に思ってもみなかったけど、そうやなあ、と姉も言っていた。
2023.06.29
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月曜日、息子の家族が夕食に誘ってくれた。誕生日なので、初めて給料をもらった長男も、食事代を少し出したいと言っているそうだ。場所はどこがいい?と聞くので、ダンナは焼肉特急と言ったそうだ。私は、お昼は姉が、誕生日だからとランチに誘ってくれて和歌山イオンで待ち合わせ。その後、6月から開いた、イオンラウンジでお茶して、欲しかった白いTシャツを買って帰ってきた。息子の家族とは、7時に焼肉特急で待ち合わせ。今年高校を卒業して、製薬会社に就職した長男が、車を運転してみんなを乗せてやって来た。コロナが落ち着いて、息子の家族と食事をする回数も増えている。先月会ったときは、仕事は研修中。車は仮免まで取ったのに、混んでいて免許の試験がまだ受けられないと言っていたけれど、やっと取得できたそうだ。車の運転は楽しいそうで、プリウスを運転したいと言うけれど、私の車は35才以上限定で残念。仕事も楽しいらしく、職場の雰囲気も良さそうだ。仕事内容や社員食堂のことなど、色々話してくれた。福利厚生もしっかりしている優良企業のようだ。勤務時間もきっちり決まっているし、休みもちゃんととれるので、趣味の時間も取れて、毎日が充実しているみたい。高2の次男は、陸上クラブ。ヨメのTちゃんは、高校のPTAに当たっているらしく、先日体育祭の様子をLINEで送ってくれた。徒競走では1位だし、リレーでは前の子を抜かして大差をつけるし、陸上クラブなので出発のピストルを打つ役をしたり大活躍。100メートルを11秒台で走るそうだ。みんなで声援を送って、にぎやかな雰囲気を見ていると、長男の過ごした高校生活は、コロナ禍で残念だったなあと思う。3月に会ったとき、卒業式で初めてマスクを外した先生の顔を見たと言っていた。アルバムで見て、この子はこんな顔をしていたんやと初めて分かった子も多かったと言う。母の日渡せなかったからと、Tちゃんがヘアケア製品のプレゼントをくれた。美容師をしているTちゃんが選んだブラシはとっても使いやすいし、トリートメントもいい香り。髪の毛が抜けやすくなっているので、ちゃんとお手入れしなくては。中島大祥堂の凍らせて食べるデザートももらって帰ってきた。凍ったフルーつのデザートはとっても美味しい。孫たちがみんな優しくて、私たちは幸せ者やねとダンナと話している。
2023.06.15
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朝、6時過ぎ「ライン!」と言う音で目が覚めた。エルちゃんからの「お誕生日おめでとう」と言うLINEだった。今日(6月7日)は私の誕生日で、70才になった。70才と言うとすごくお婆ちゃんのイメージだったのに、自分がそんな年になったのが不思議だ。うちはダンナと誕生日が一日違いで、明日が5才年上のダンナの誕生日。それで、昨日娘が、夕食をご馳走してくれた。ダンナも大好きな、かに道楽。大阪で有名なかに道楽だけれど、全国にあるのかな?国道沿いのお店で、大きなかにが目印。蟹の足が動いている。私は、カニのお刺身とカニの釜めしが好きで、「好きなの頼んでね」と言うので、今回はちょっと豪華な、奏寿 (かなで)前菜・カニ酢・カニのお造り5種・カニグラタン・カニ味噌の甲羅焼き・カニのてんぷら・カニ釜めし・お吸い物。香の物・デザートデザートの写真を撮り忘れたけれど、娘がお小遣いを二人にくれたので、その写真も。ダンナはこれと別にカニ酢を注文。ダンナはカニのお造りが好きじゃなくて(信じられんけど)エルちゃんとイー君にあげていた。美味しくてお腹いっぱいで、満足満足。HPに載ってるこの写真の方が、美味しさが伝わるかな。夕方には、三男坊やヨメのTちゃんからもLINEが来た。みんなの予定に合わせて、食事会を計画してくれるそう。今日は、お昼はダンナと一緒に食べたけれど、夕方からダンナは用事でお出かけ。明日は、ダンナの誕生日だけれど、私は友だちと一緒に夕食を食べる約束をしている。70才の大台に乗ったけれど、早く70才になるのを待っていた。私は、医療費が高く、リウマチの点滴は4週間ごとに3万円を超すし、整形外科の受診では、レントゲンやMRIを受けることも多く、4月からのリハビリは40分受けているし、毎月の医療費が5万円前後。毎月高いけれど、別々の病院で高額医療の限度額は超えないので還付は無い。それで、早く3割負担から、2割負担になって欲しいなあと思っていた。ところが先日、ダンナの後期高齢者の通知が来て、同封されていた、「後期高齢者医療制度のしおり」を見て驚いた。後期高齢者の対象となるのが、75才以上の人と、65才から74才の人で、一定の障害があると認めた方。で、身体障碍者手帳1級から3級の人とある。私は、右膝を手術した5年前、障がい者手帳の変更申請をしたけれど、元々4級だったのが変わらず4級のままだった。一昨年、左膝の手術をして、変更申請をしたら、今度は3級になるだろうなと思ったけれど、4級も3級もそんなに変わらないんだろうなと思って、変更申請をしていなかった。ああ大失敗。変更申請しなくっちゃと、市役所に書類をもらいに行くついでに、国保のところでいろいろ聞いてきた。70才からは、今までと限度額が変わって、上限が18000円。それも医療機関の区別なく合算ができるそうだ。医療費、月18000円でもかなり高いのに、今までが異常に高かったから、すごく得するような気分になる。国保の他の方の負担から出してもらっているんだから、感謝しないといけないですね。
2023.06.08
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3月に出かけた韓国のチェジュでは、ホテルで過ごすことが多く、ほとんど観光をしなかった。でも、毎日、ちょっとは街歩きをした。その時、いろいろなところで見かけたのがこれ。電動のスケーターだそうで、2月にパリに行った娘が、その時乗ったと言っていた。QRコードで読み取って、いろんなところで乗り捨てたりできるらしい。へ~、韓国、日本よりずっと進んでるなあ。と思っていたけれど、私が知らないだけで、レンタルがあるのかどうかはわからないけれど、日本でも乗っている人が多いみたいだ。先日、5月16日の朝の情報番組で、こんな話題が出ていた。7月から電動スケーターのルールが緩和させるそうだ。車の間をすり抜けるように走る、電動スケーターの映像も出ていた。私は、まだ車の横を通るスケーターは見たことが無いけれど、東京では増えているのかな?横を通られたら、ちょっと怖いなあ。
2023.05.29
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日曜日、エルちゃんのバレエの発表会があった。午後4時から始まって、前半は、小さな子どもたちのミュージカルと、小学校高学年以上のグラン・パ・ド・ドゥ、そして後半は「シンデレラ」全幕。小学校低学年までの子どもたちのミュージカルは、「因幡の白兎」をアレンジした「ウサギとワニザメ」エルちゃんはウサギに扮していた。ウサギに扮して片足を曲げて上げて静止したりするのに、ぶらつかない。体幹が鍛えられているのに感心した。小さな子たちも一生懸命で、全体的にとてもかわいらしい演技だった。グラン・パ・ド・ドゥは、「ジゼル」や「くるみ割り人形」「コッペリア」など、有名なバレエ作品の中の一部分を演技するもの。バレエシューズがトウシューズに代わり、つま先だけで移動したり、回転したり、いつかこんな演技もするんだろうなと思うと楽しかった。私と年が変わらないような人も演技していた。私が通っているスポーツクラブにもバレエの有料レッスンがあって、かなり人気。子どもの頃憧れていたけど、習うことができなかったからと言う人もいる。姿勢も良くなって、健康にもいいんだろうな。20分の休憩を挟んで、「シンデレラ」の全編。森下洋子の松山バレエ団の傘下のバレエスクールなので、他のバレエ団からプロのダンサーの応援もあって、本格的。舞台の大道具も、本物に見える暖炉や、シンデレラが乗る大きな馬車が出てきたりして、見ごたえがあった。「シンデレラ」の名前は、灰まみれ(シンダー)のエラ。主役のエラに扮するのは15才の女の子。王子や継母は、応援に来た男性のダンサーが演じていたけれど、すごく上手で、美しい演技だった。エルちゃんたちが演じるのは、上の写真の服装で、時の精。12時の魔法が解ける前の緊張した様子を、踊りで表している。上手にできて、お友達も見に来てくれて、エルちゃんも満足した様子。2年前の「白鳥の湖」に続いて、今回も本格的なバレエの舞台を鑑賞できて、私もとっても満足だ。舞台と言えば、生協で「パラサイト」と言う演劇のチケットの申し込みを受け付けていたので、7月7日の夜、娘と演劇鑑賞会に行ってる友達と、3人で行きたいねと申し込んでいた。映画「パラサイト半地下の家族」を日本版にしたもので、父親役を古田新太、母親役を江口のりこ、長男を宮沢氷魚、長女を伊藤沙莉、他にキムラ緑子や真木よう子など、とっても豪華なメンバー。これは観たいと、S席を奮発して申し込んでいたけれど、落選の通知はがきが来た。じゃあネットで申し込もうと思ったら売り切れ。開始3分ぐらいで完売したそうだ。やっぱりなあ。
2023.05.19
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火曜日は、いつも孫の子守りの日だけれど、9日は急に行かなくても良くなったので、電車に乗って大阪まで行ってきた。4月30日から始まったテレビ番組「まつもtoなかい」の1回目のゲストに、香取慎吾が出てきた。6年ぶりの、中居君と慎吾君の共演で、ネットでも話題になっているけれど、元SMAPファンとしては、二人の仲の良さや、慎吾君の優しさが伝わってきて嬉しくなった。番組の中でも紹介されていたけれど、大阪梅田のグランフロントで、香取慎吾の個展が開催されている。慎吾君の絵は、パラリンピックのサポートセンターの壁画や、週刊文春womanの表紙を描いていたりするので、一回個展を観に行きたいなあと思っていたけれど、どこへ行くのも車で、長いこと電車に乗って出かけたことが無いので、ちょっと自信が無かった。でも、肩のMRIをとった後、注射をしてもらってちょっと楽になったし、先週の火曜日も子守りをしなくても良かったので、一回電車で出かけてみようかと言う気になった。その日は、GW中だし、香取慎吾の展覧会は満員かもと思って、天王寺のあべのハルカス美術館の招待券をもらっていたので、試しに電車で天王寺まで。用心のために久々にボルタレンの座薬を使ったら、それも効いているのか思った以上に歩けて自信がついた。それで、GWも終わったことだし、今日はぽっかり予定が無くなったし、距離を伸ばして大阪駅まで。大阪駅周辺は、しばらく行かない間に、ずいぶん様子が変わっていたけれど、グランフロントの表示を見て、インフォメーションで尋ねたりして、北館一階のチケット売り場で当日券を買うことができた。(左上)横の地下へのエレベーターから入場していく。慎吾君の絵は発想が豊かで、面白い。次から次へと書きたいことが湧き出てくるようで、ためらいが無い。そして色彩がとてもきれい。でも、前半は暗い中に展示された絵。悩んでることがあるのかなと思うような暗い絵もあった。赤と青だけで描かれた絵でタイトルは「愛love」とかなんかを見ると、赤は木村君の色だし、青は中居君の色だし、思いを馳せているのかななんて元SMAPファンは考えてしまう。メモ帳みたいなのに、デッサンをしたり空想をした絵を描いたりしたのが何十枚も貼って展示していたけれど、子どもの頃から暇さえあれば絵を描いていたのかもしれないな。左下の黒ウサギは、慎吾君自身を表わしているキャラクター。黒ウサギの絵もあったけれど、それは10年分の慎吾君自身の髪の毛を使って描いたそうだ。内視鏡を使って検査した自分の胃の中や喉の写真をコラージュした作品もあって、本当にユニーク。途中から暗幕を出ると、そこはいつもの明るいイメージ。慎吾君は、インスタグラムで塗り絵をよく出しているけれど、それを色々な技法で描いているものもあった。発想が豊かで見事。色彩がきれいで、温かい気持ちになる絵が多い。撮影禁止のところが多かったけれど、上の画像は、最後の撮影OKのところにあった絵。右上は、コロナ禍で星野源が「家で踊ろう」の歌を作った時、慎吾君がインスタグラムで出してた塗り絵じゃないかな。右の真ん中は、「大阪」通天閣ですぐわかる。背景はUSJかな?見応えがあって、楽しめた展覧会だった。右下は、グランフロントの中の「一献三菜」と言うお店で食べたランチ。発酵食材をたくさん使っていて、とっても美味しかった。洋服でも見ようかなと大丸に入ったけれど、ちょっとしんどくて喫茶店で休憩しただけで帰ってきた。でも、この日もトータルで8000歩近く。少しずつ、行動範囲を広げていこうと思っている。でも、こんな風に動けるのは、やっぱりボルタレンの威力もすごいんだろうな。
2023.05.11
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肩の調子が悪くなってから、3か月以上経つ。五十肩などのように、腕を上げたら痛いと言うのではない。車のドアを閉める、ご飯を混ぜる、石鹸のポンプを押すなど、腕を前に出して縦や横に動かす動作が痛い。何もしていなくても痛いし、重いものを持つと腕がちぎれそうな感じがする。寝返りをして、右腕が下になると痛くて目が覚めるし、毎日がとっても不便だ。それで予約していたMRIを昨日(28日)撮って診てもらった。上腕骨頭の丸い部分の周りが黒くなって、水が溜まっていると言う。肘の時もそうだったけれど、滑膜が炎症を起こしているようで、やはりリウマチの症状だそうだ。上の方の鍵盤との間が白く厚くなっていて、炎症を起こしているようだと言う。それで、肩にステロイドの入ったヒアルロン酸の注射をしてもらって帰ってきた。これは、膝を手術してもらった整形外科のS先生の診察。27日は、リウマチの診察に行ってきた。いつものように採血、採尿の結果を待って、リウマチ科のY先生の診察。最近、夜になると頭が痛くなるので、いつものリウマチの薬(メトトラキサート)や痛み止め(セレコキシブ)の外にロキソニンも処方してもらった。それから、生物学製剤(アクテムラ)の点滴治療。リウマチの診察はいつも混んでいて、時間がかかる。と、これを書いていて、骨の名前を調べるのに、「肩関節 リウマチ」で検索したら、「リウマチ性多発筋痛症ー急に肩が痛くなる病気」と言うのが出てきた。そこに、有名な合併症「巨細胞性動脈炎(側頭動脈炎)」と出てきて、その症状が新規発症の頭痛と書いてある。注意が必要なのは失明の危険があるのだそう。2週間ぐらい前から、夜になると頭痛がしてきて、家にあるロキソニンやカロナールを飲んでいた。診察の時、聞いてみなければ。一番近い診察は、5月8日に、先月から行きだしたY整形外科の診察。膝の手術の後通院していた病院は、膠原病内科の診察が入ったら予約が取れなくなって、先生もちょっと気にいらなかったので行くのを辞めた。でも、理学療法士のDさんのマッサージは、痛いところをピンポイントで当ててくれて、話も親身に聞いてくれてとても良かった。そのDさんが、4月からY整形外科へ替わったと聞いたので、Dさんを追いかけてY整形外科へ通院することにした。初めて行った時、今までのレントゲンやMRIの画像が入ったCDを持って行った。今度の先生は、「Dさんのリハビリを受けたくて来ました」と言うと、「Dさん上手でしょう。僕が引き抜いたんですよ」とすごく気さく。画像を見て、足首、両膝に金属が入り、脊椎、手、腕、足先まで変形性関節炎だらけで驚いていたけれど、手のレントゲンを見て、「親指亜脱臼しているね。手術した方がいいんやけどなあ。」とか、的確な指摘。十数年前に手の専門医にも勧められたけれど、他の指のヘバーデン結節もひどくて、ギブスをしていたら動かなくなるんじゃないかと止めたと伝えた。肩が痛かったけれど、「画像をチェックするので、他のところはまた来月診ましょう。それまでリハビリをしてもらって。」と言われた。今までの家庭医のKクリニックで出してもらっていた薬も全部出してくれると言うので、これからはこの病院を家庭医にして、いろいろ相談していこうと思っている。26日に行った、Dさんのリハビリのマッサージは、40分。私の悪いところをよく覚えていてくれて、股関節、脊椎、肩甲骨、肩、首をほぐしてくれる。一昨年の9月にやめて、一年以上空いたら、やっぱり前より動きが悪くなっている。40分で気持ちがいいけれど、治療費は340円から1550円になった。リウマチの薬も高いし、1か月の医療費だけで5万円ぐらいになる。6月で70才。いっぺんで年を感じてしまうけれど、医療費が3割負担から2割負担になるのが待ち遠しい。
2023.04.30
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月曜日の演劇鑑賞会は、こんにゃく座のオペラ。「森は生きている」中学校の演劇クラブで一緒だったIちゃんと、「懐かしいねえ、観たことあるよねえ」と、とっても楽しみにしていた。どこで観たのか、記憶が定かでないけれど、顧問の先生が、「森が生きている」の紹介をしてくれて、一緒に見に行った記憶がある。その時は、オペラじゃなかったけれど、初めて生で見るプロの劇で、印象が強かったからか、内容も覚えていた。<ものがたり>新しい年を迎える大晦日、わがままな女王が、四月に咲くマツユキ草がほしいと言い出したために、国中は大さわぎ。ほうびの金貨に目がくらむ継母のいいつけで、マツユキ草を採ってくるようにと一人の娘が真っ暗な森に追いやられます。そこでは十二月の精たちがたき火を囲んで新年の儀式の最中でした。 娘の話を聞いた四月の精は、他の月たちに頼んで一時間だけ「時」をゆずってもらいます。そうして娘が手に入れたマツユキ草を渡された女王は、自らマツユキ草を摘むために吹雪の森へと出かけます。しかし、そこで待ちうけていたものは……。5分程度のダイジェストのyoutubeがあった。(下の画像をクリック)12人の歌役者とピアニストで進行されるけれど、やはりオペラの役者。歌声がとってもきれい。12人の役者は、1月から12月の月の精と、娘や女王、継母や森の動物などの役を兼ねる。2本の坂道で構成された舞台が、斬新だけれど、とても工夫されているなあと思った。雪に埋もれた山奥でそりを引きながら薪拾いをするのも大変だろうと思わせるし、春になってマツユキ草が咲くときも、坂道を利用して一瞬でぱっと春になった。でも、かなり急な坂、演じるのは体力がいるだろうな。舞台は、両端に大きな木、奥に宮殿を表わす背景だけなのに、奥が明るいと華やかな宮殿になり、暗くなると、深い深い森になる。焚火を囲んで歌い踊る12の月の精は、衣装もとてもきれいで神秘的。ピアノの伴奏も、演じている間ずっと流れていて、すごい技術だなあと思った。劇を観た後、一人の人が、昔はこんなきれいなロシアだったのになあと言った。私は中学校の時に観た「森は生きている」を覚えているけれど、ロシアと言えば、素朴で、勤勉で、きれいな心を大切にするイメージだった。ウクライナ侵攻以降、ロシアと言えば卑怯者のようなイメージになっているのが悲しいなあ。この劇を、是非今の小学校や中学校の子に見せてあげたいと思った。
2023.04.27
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ホテルに着いたのは4時前。フロントは桜の枝とミモザが飾られて、春らしい雰囲気。(写真右上)クラブアクセス付きの部屋を娘が予約してくれていたので、チェックインはクラブラウンジで。(写真左上、HPより)娘が書類を書いたりしている間、アフタヌーンティータイムだったので、エルちゃんイー君と一緒にケーキやスナック類、コーヒーやジュースなどいただいた。写真左下は室内プール、右下は屋外プール。でも、この日はプールには入らずに、場所を確かめに行っただけだった。荷物を運んでくれたので、18階のお部屋へ。入ると子どもたちも「わー広い」と大喜び。リビングとダイニングが広くて、窓の外はプールビュー。ツインのベッドは、2m近くある大きなベッドで、私はエルちゃんと、娘はイー君と添い寝ができる。6畳くらいのクローゼットと、広い洗面所にある丸いバスタブは直径2mくらい。別にシャワールームも付いていた。5時半から7時半までは、イブニングカクテルタイム。アサリの酒蒸し、おでん、フライドチキンとフライドポテト、エビパン、春巻き、スモークサーモン、サラダ、色んなチーズやハムも置いてある。私はまずはシャンパンで乾杯。シャンパンもワインもとっても美味しい。分厚く切られたサーモンや、大きなアサリの酒蒸しが美味しくて、何度もおかわりをしに行った。食事を終わってから、ホテルの中を探検。このホテルには、カジノやチムジルパンもあるけれど、子連れじゃ入れない。プールは翌日入ることにして、部屋でシャワーとお風呂。大きなお風呂を二人とも面白がって、ゴーグルをつけて潜っていた。私はベッドで、iPhoneを見ながらのんびり。部屋が広いので、子どもたちがはしゃいでいても気にならない。クラブラウンジは、06:30 ~ 11:00 朝食、14:30 ~ 16:30 ティー&スナック、17:30 ~ 19:30 イブニングカクテル、飲み物だけはそれ以外の時間も利用できる。12歳以下の子供は、大人と一緒なら同伴OKだし、ベッドも添い寝OKなので、申し込みは2人分。エルちゃんの分を朝食を頼むと結局3人分になるので、クラブルームを頼むのと値段が変わらないことも多い。それで、クラブアクセスのあるお部屋をとることが多くなったけれど、お酒もゆっくり飲めるのでいいなあと思っている。
2023.04.21
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3月27日月曜日、チェジュへ出発した日。13時関空出発のティーウェイ航空の飛行機に乗るので、10時ごろ娘の家に迎えに行った。そこから高速を通って関空へ。かなり余裕をもって行ったつもりだったのに、途中渋滞していて着いたのは11時頃。車を駐車場に止めて、チケットカウンターへ。チェジュへの直行便は、関空から一日一便。行くと、もう長い行列ができていた。こんなにたくさん行く人が多いのかと驚いていたら、ほとんどの人が韓国語をしゃべっている。日本人は数人しかいないみたいだった。関空は、コロナの3年間、来ない間にずいぶん変わっていた。今まで、お土産屋さんや飲食店の並んでいた3階が、改装中で何もなかった。せっかく更新して持って行ってたプライオリティーカードが使えるお好み焼きの「ぼてじゅう」は、国内線のゲートエリアの中にあるらしくて使えないし、ゲートエリアの外にあったラウンジも今は無かった。関空は、まだまだ活気がない感じ。お昼を食べるところもあまりないので、コンビニでおにぎりやパン、飲み物など買ってゲートの中へ。手荷物検査やパスポートの確認などは、従来と同じ。私は、やっぱり金属探知機の中を通るとピンポンなったので、膝と足首に金属が入っていると説明した。出国審査を通ると、中にはエルメスやシャネルなどブランドの免税店が並んでいる。すでに今年海外旅行を経験してきた娘が言うには、円安だし、外国で買うより、ここで買うのが一番安いのだそう。と言っても、私は欲しいものが何もなかった。ウイングシャトルに乗る前にKIXカードにポイントを貯めようとしたら、カードを読み取ってくれなくなっていて残念だった。関空のKIXカードは、駐車料金20%割引、やお店の割引もあるので作っておくととっても便利。また作り直さないといけないなあ。ウイングシャトルに乗って先端駅へ。ティーウェイの出発ゲートは、南ウイングの一番端で、お店もラウンジも無かった。LCCだから仕方ないかと、テーブルに座って、コンビニで買ったおにぎりを食べた。飛行機の中は、満員だった。でもほとんどが韓国人みたい。LCCだけれど、座席はそれほど窮屈ではなかった。出てきたのは紙コップのお水だけ。でもチェジュは近い。エルちゃんとイー君は、Netflixでダウンロードしたアニメをタブレットで見ていた。機内の中で税関申告書を配ってきた。たくさんお客さんがいたけれど、ほとんどの人が韓国人みたいで、日本人用の申告書をもらった人は、私たちの周りで他にいなかった。飛行機は2時間くらいでチェジュに着いた。飛行機を出たら、まず検疫検査。事前にQコードをとっていたら、カメラを見るだけで、簡単に通過した。入国審査のところでは、K-ETAを確認して、人差し指で指紋認証。スーツケースを3個取って、税関申告書を見せて、空港の外に出た。ホテルは、グランドハイアット・チェジュ。去年の11月、ティーウェイ航空の航路再開と、新しいグランドハイアット・チェジュの紹介を兼ねて、インフルエンサーのツアーが合ったみたいで、youtubeにいっぱいアップされている。タクシーで行こうと思ったら、長い列ができていた。始め並んでいたけれど、スーツケースが3つあるし、大きなワゴン型のタクシーの方がいいかなあと、少し離れた大型タクシー乗り場まで娘がイー君を連れて聞きに行った。手で〇をしたので、エルちゃんとそちらに移動。英語で値段交渉をしたら20000ウォン(2100円ぐらい)で行ってくれるという。普通のタクシーだったら1000円ぐらいだろうけれど、ゆったりと座れて良かった。途中で運転手さんに、「イルボンサラミ マナヨ?」(日本人は多いですか?)と聞いてみたら、まくしたてるように答えが返ってきたけれど、何を言ってるかよくわからなくて返事ができなかった。大阪から一日一便しかないし、全然来ないよ。もっと来るように言ってくれ。みたいな感じかな?方言でなまっている感じだし、タメ語だし、聞き取れなくて情けなかった。10分ぐらいで、グランドハイアットの建物が見えてきた。
2023.04.21
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9日の日曜日、中学校の同窓生6人で、ミニ同窓会をした。演劇鑑賞会の会員に、中学校の時の友だち2人(MちゃんとIちゃん)を誘って、2か月に1回、一緒に演劇を観ている。Iちゃんはテニスをしているけれど、先日、ボランティアで参加したマラソン大会で、野球部だったS君に会ったそうだ。そしてボランティアをしているデイサービスの施設でも、母親がデイサービスに通っているN君と出会い、S君やN君たちは時々会っているという話を聞いたそうだ。私たちも3人で、演劇を観ているよと言うことで、ミニ同窓会しようかという話になった次第。9日は、ショッピングモールの駐車場で待ち合わせして、乗り合わせて、「湖水」という韓国料理のお店へ。男性はS君、N君、O君の3人で、実に53年ぶり。一緒のクラスになったことが無かったし、最初は誰かわからなかった。でも、話しているうちに、やっぱり共通の話題が多く、どんどん懐かしく、中学時代に戻っていった。韓国料理は、チヂミやチャプチェ、韓国のりのおにぎりや、この後牛肉やホルモンのお鍋もあって、先日行ったチェジュ以上に韓国らしいお料理。年配のママ一人でしている、テーブル3つだけの小さいお店だけれど、昔の韓国を思い出すような雰囲気。美味しいマッコリを壺で出してくれて、それも嬉しい。韓国料理のお店の向かいは、カラオケのお店で、そこもママのお店。コーヒーやおつまみも出してくれて、久しぶりのカラオケ。選ぶ曲も懐かしい。11時半から4時半ぐらいまで、楽しいひと時を過ごしてきた。グループLINEを作ったけれど、これから知り合いをつなげていって、同窓会の輪を広げていこうと話して別れた。去年は、50年ぶりに高校の同窓生と会ったし、今回は53年ぶり。もうすぐ70才。みんな懐かしくなる時期なのかな?チェジュの旅行のことも書かなくっちゃ。
2023.04.14
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