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菅政権の支持率が急落している。昨日、総理の施政方針演説があって、昨日外出せずに練習したと言ってたけれど、下を向く回数は減っていた。でも、内容として新しいものは何もなく、これで支持率上昇は見込めないだろうなあ。再び緊急事態宣言が出て、マスコミは4月の緊急事態宣言の時と比べて、街に出る人が多いとか言うけれど、半年以上経過して、コロナのとらえ方が人それぞれ変わってきている。4月の頃から、ずっと怖いと行動を制限している人もいれば、コロナはそれほど怖くなく、インフルエンザと変わりないと思っている人もいる。GoToイートやGoToトラベルはそういう考えに拍車をかけただろうし、安倍元総理が辞めるとき、「コロナは2類から5類にするのが妥当」と言ってたのも、影響しているだろう。2類から5類に変更するというのは、どうなったんだろう。情報がウヤムヤので、ちゃんとした発信がないまま緊急事態宣言に突入してしまった印象だ。4月の第一波の時の反省や検証が全くない。当時、専門家会議から情報が出されていたけれど、専門家会議の議事録が作られていないというのに驚いた。あの時、政府が説明責任を果たすために重要だという意見や、今後第2波、第3波が来た時のために検証しておいた方が良いという意見が出てきていたのに、発言者が特定されるという理由で政府が突っぱねた。その後、何も総括されないままに、名称も分科会に変わってしまった。6月頃に、ネットでは「#国会を止めるな」という声がたくさん上がっていたのに、そのまま国会も閉会してしまった。ちゃんと第一波を検証して総括しておけば、方針が後手後手になることなく、早めに対応ができただろうし、GoToのキャンセル料など無駄な出費もなく、医療従事者や、休業する店舗への保障にも回せただろう。飲食にかかわる店舗や業者へは、一律の保障ではなく、税金を納めているのだから、その額に見合った補償も時間をかけて算出することができたはずだ。重要書類を改ざんしたり破棄したり黒塗りだったり、話し合いの場にも堂々と出ない。どんどん民主主義が安倍、菅政権によって壊されて行ってしまっている。全ては、安倍への忖度が原因なんだろう。第一波の時の、唐突な学校の休校や、アベノマスクなどの失政を隠すために専門家会議の議事録も残さなかったんだろう。国会の閉会も「桜を見る会」や河井案里への金の流れなど、安倍が追及されるのを避けるための忖度だったのだと思う。「桜を見る会」安倍の答弁はみんな嘘だったことが明らかになって、もう庇うこともないだろう。国会は、国権の最高機関なんだから、民主的に、話し合いで国民のための政治をして欲しいと思っている。
2021.01.19
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一昨日、関西の3府県や愛知、福岡など7府県に緊急事態宣言が出された。その日7時からの菅総理の会見を聞いたけれど、相変わらず心に響かない。どうして、下ばかり見て読むんだろう。少しでも暗記して、カメラを見ながら話せばいいのに。活舌が悪いのだから、大事なところをゆっくり、カンペを見ずに、カメラ目線で話したら、もう少し一生懸命さが伝わるのに、菅総理の周りには、助言する人がいないんだろうか。質問の答えも、同じことを繰り返すばかり。自分がどう考えているのか伝わってこない。一番最後の記者が、この間政府は何をしてきたのか、コロナを2類から下げると言う法制度はどうなったのかと言うような質問をした。私も一番知りたかったことだけれど、国民皆保険制度と言いかけたり、今後検証していく必要があると言うだけで、明確な返答がなかった。その返答に、記者たちも疑問を持った人が多かったのだろう。その直後たくさんの記者が手を挙げたのに、次の日程があるからとそそくさと切り上げてしまった。次の日程って何なんだろう。国民に詳しく説明する以上に、大事な日程ってあるんだろうか。誠実さの感じられない、後味の悪い会見だった。昨日、娘の家に行って、8時過ぎに帰ってきた。帰り道、国道沿いの飲食店は、時短要請が出ているので、ほとんど車が無かったし、看板の明かりも消して暗くしているところが多かった。大阪も感染者が増えているし、死者も多いので、こういう風になるといっぺんにお客さんが減ってしまう。要請に従わない飲食店には罰則を科すとか、飲食店の狙い撃ちだ。でも、飲食店や、飲食店に物を卸している人たちにとっては大打撃で、テレビなどでも悔しさをにじませて「開けるも地獄閉めるも地獄」と言っている店主もいた。うちのムコも飲食の仕事なので、心配が募る。総理も大臣も、もっと言い方を考えればいいのにと思う。「今は一人一人が感染しない、人に感染させないと言う思いを強く持って、 マスク、手洗いをしっかりしてください。 ほかの人と群れない、騒がない、大きな声で話をしない。 飲食のお店も大変な状況です。 行くときは、一人か、いつも一緒にいる家族だけで。 周りの人とは決して話をしないで、なるべく早く帰ってきてください。 そういう風にして、飲食のお店も助けてあげてください。」と、カメラに向かって真剣に言ってくれたらいいのに。飲食のお店や、行く人を悪者にしてしまってはいけないと思う。脅すようなことを言うから、コロナ鬱の人や、自粛警察のような人が出てくるんだろう。群れたり騒ぐのは一番良くないと言うことをしっかり言わないから、成人式で羽目を外すような若者が出てくるんだと思う。罰を受けるのは、こんな風に羽目を外して騒ぐ人の方だと思うんだけどなあ。でも罰を与えるのって、子どもをしつけるのにも一番下手な方法。褒美を与える方が、人って頑張れると思う。せっかくCOCOAのアプリがあるんだから、COCOAのアプリを入れて、位置情報も入れて、お店に一人で行って他の人としゃべらなかった人だけ、お店からポイントをもらって、それが溜まった人だけ、感染が治まったときにGOTOイートやGOTOトラベルを活用できるとか、いろいろ知恵を絞ったら、コロナも経済も両方守っていく方法が見つかるんじゃないかと思う。
2021.01.16
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金曜日の夜、昔の同僚と4人で食事。頼んだのは生姜鍋のセット。夏にお鍋を食べることは滅多にないけれど、生姜の味が効いて、野菜も豚肉も美味しく、なかなかいいもんだ。4人のうち二人は、まだ現職。一人は私より一つ年上で、来年3月に定年。もう一人は、私と同じ年で1年早いけれど、同じように来年3月に退職するそうだ。もう一人は、年上だけれど、50歳ぐらいで退職して、家族でお店を経営している。みんな熱心な人たちだったけれど、あと半年と考えると、ちょっとほっとしている感じ。24日に、大阪府教育委員会が、府の条例に基づいて、府内の全ての公立学校で、生徒や保護者による教員の授業評価を実施し、それを人事や給与にも反映することを決めた。新聞で、このニュースを読んで、怖いなあと思った。ずっと仕事をしてきて感じるのは、保護者に受けのいい人が、必ずしも良い先生とは限らないということ。すごく口は達者で保護者の機嫌を取るのは上手なのに、陰で、舌を出して、子どもを切り捨てていく人も見てきたし、口下手なために、すごく熱心に取り組んでいるのに、保護者に悪口を言いふらされて、傷つく人も見てきた。今の保護者は、子どもに注意すると、自分のことを注意されているように感じて怒る人が多い。腹が立つと、教師のちょっとしたミスを誇張して、陰で、悪口を言いふらすモンスターペアレントもいる。私自身がそうだったように、子どもだけでなく親も指導しようとする、口うるさいオバサン先生は、保護者にとっては煙たい存在かもしれない。もう現場の人間ではないのに、いつまでも気にかかってしようがない。でも、仕事をしているみんなからは、私は気楽でいいなあと思われている。ダンナ一人の年金生活。勤めている頃よりははるかに少ない収入の中で、いかにお金をかけないで楽しむか、日々工夫しているんだけどなあ。
2012.08.26
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共済組合から、「加給年金額対象者等調査票」と言う書類が届いた。昭和23年生まれのうちのダンナは、6月で64才。やっと加給年金がもらえる。加給年金とは、厚生年金や共済年金の加入者が、老齢厚生(共済)年金を受け取る場合に、65歳未満の配偶者や、18歳未満の子供などの扶養者がいると、上乗せして支給される年金のこと。お金のいる時期に、年金だけじゃ足らないだろうからと言うことの加算だろうけど、老齢年金の支給が徐々に延期されて、定年になってもすぐに出なかった。3年待って、やっと。年金生活者にとっては、本当にありがたい制度だけれど、調べてみたら、ものすごく不公平な制度。年金が足らないと言っているのに、加給年金のことを取り上げないのが不思議だなあと思う。まず、不公平だなあと思うのは、妻が年下であればあるほど得なこと。老齢年金を受け取る年齢は、今年は64才だけれど、65才に引き上げられたら、妻が年下でないと受け取れない。妻が年下であればあるほど、長く受け取れる。姉さん女房の場合は、妻ももらえないし、夫にもこの制度はない。配偶者加給年金(年額約40万円)を受け取れる条件は、妻の年齢が65歳未満であること。年収が850万円未満であること。妻本人が、年金を受け取っていないこと。年収が850万円までの人ってかなり高収入。これだけ収入があれば、加給年金なんて必要ないだろう、どう考えても、もらいすぎだ。もっと、基準を下げればいいのにと思う。その上65才を過ぎても、加給年金は、振替加算と名前を変えて、出続ける。私が受け取れるのは、61才で共済年金を受け取れるまでの2年間。私の共済年金の報酬比例部分の見積もりは、年収約130万円。(でも、これは5年前の試算なので、多分それより少ない)33年務めてきて、自分で掛け金をかけてきたのに、この金額の年金をもらうだけで、停止される。今75歳以上ぐらいの人の年金は、私たちの年代と違ってかなり多いけれど、若い奥さんなら、高い収入があっても加算されるわけだ。年金が足らなくなっているのにほとんど話題にものぼらず、共働きの人はほとんど知らないんじゃないだろうか。友だちに不満を言ったら、旦那さんと同級生の友だちは、「あんたはまだ2年もらえるけれど、 私は全然もらわれへんやん」と反対にグチられた。この不公平、何とかしてよ!って政治家さんに言いたいなあ。
2012.04.24
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昨日の朝日新聞声欄に、作家 赤川次郎氏の投稿が掲載された。仕事を辞めて5年。あのまま続けていたら、とてもしんどかっただろうなあと思うことが多い。卒業式の君が代のことについては、赤川さん、よく言ってくれたと言う思いだ。この中で出てくる、大阪府立和泉高校は、先日から書いている、岸和田市の学校で、私の出身校ではなく、糸子が途中でやめた女学校が前身の学校だ。その卒業式で、教頭が教師の口元をチェックした。踏み絵みたいだ。チェックされる教師の方も、ピリピリしていたに違いない。卒業式は、教師のためのものではなく、卒業生のためのものだと思う。高校生活の集大成ともいえる、最後の大きな行事なので熱があってもお腹が痛くても、生徒たちは、どんなことがあっても参加しようとする。気分が悪くて我慢している子がいないか観察しながら、子ども達が気持ちよく、胸を張って巣立って行けるように、思い出に残る卒業式になるよう、サポートするのが教師の仕事だと思う。それを一番、全体的に見渡せるのが教頭だと思う。小学校と高校とは違うだろうが、勤めていた頃、6年生を卒業させるとき、自分が担任だった時は、子ども達のことだけを考えた。一人一人の名前を呼びながら、「ああ、この子とはこういうことがあったな、 ここをがんばってほしいなあと」気持ちは、子どものことだけに寄り添っていたと思う。担任していない時は、これだけ大きく成長したのかと感慨深かったし、一人一人の顔を見ながら、しんどそうな子はいないか観察した。それは、君が代の間も同じだった。実際、卒業式で、途中で戻した子もいたし、青い顔をして、下痢が出そうなのを我慢しているので、そっと外へ連れて行ったこともある。音楽や、照明を、効果的に入れ、より素晴らしい卒業式になるように努力している担当もいる。教頭が教師一人一人の口元を観察と言うより監視する。多分、職員室の中でもぎすぎすした雰囲気だろう。こういう、教師集団を見て、子どもはどう思っただろう。君が代斉唱云々の議論の前に、教育の現場では、子どもを中心に考えて欲しいと願っている。君が代についてはいろいろ思うことがあるので、じっくり書いていかねばと思っている。ちなみに、この記事についての、橋下さんのTwitterでの発言も載せておこう。14日の朝日新聞の声で赤川次郎さんからお叱りを受けた。君が代起立斉唱条例について価値観を押し付けるなと。しかし、義務教育の卒業式の場で、全員が起立して君が代斉唱する際に、あえて着席することも価値観の押し付けである。人間の意図的な行為は全てが価値観の表れでもある特に作家さんの表現行為は価値観の表れそのものである。それが押し付けとならないのは、その表現行為を受領するか否か、受領者側に自由があるからだ。赤川さんの価値観が嫌な人は、赤川さんの本を買わなければ良いだけ。だから赤川さんの表現行為は価値観の表れだが押し付けではない。人の行為は価値観の表れ。それが押し付けになるかどうかは、受領者側に受領の自由があるかどうかによる。義務教育の入学式・卒業式の場において、子どもたちや保護者は、教員の不起立行為が嫌な場合に他の入学式・卒業式を選ぶ自由はない。その入学式・卒業式に出ざるを得ない。子どもの晴れ舞台である卒業式、入学式の国家斉唱を厳粛に行いたいという価値観を持っている保護者も多い。子ども自身も起立して歌いたいという子どもも多いだろう。そんな中で自分の思想良心からあえて着席するのは、それも他人への価値観の押し付けなのだ。こういう場合にルールが必要となる。そして大阪維新の会は民主主義のルールにのっとり、条例を成立させた。特に大阪市議会においては維新、公明、自民の圧倒的多数(3分の2以上)をもって条例は可決となった。赤川さんの価値観を大阪市民に押し付けないで欲しい。入学式や卒業式で君が代を起立して斉唱すると言うのは大阪市民の価値観だまた文楽に補助金を入れないことにも甚くご立腹らしい。一度、補助金支出の仕組みと文楽の仕組みを勉強して下さい。今の仕組みのままでは文楽は振興しません。僕は文楽と言う文化は否定しない。しかし公金の支出の仕組みを問題視している。これは日本の文化行政全般にわたる問題だと思う。赤川さんは大変な誤解をしているようです。君が代起立斉唱条例はの対象者は教員のみ。子どもや保護者は対象ではありません。しかも条例成立の前に、教育委員会が既に起立斉唱を決定しています。また入学式や卒業式の式典の場において起立を求められるもので、教員がプライベートの場で着席していても不問です。子どもたちが、親たちが選ぶことができない卒業式、入学式の場で、子どもたちの晴れ舞台を祝う場で君が代の起立斉唱を教員に求めるのです。ここでの不起立も価値観の押し付けです。起立を求める価値観の押し付けと、不起立を求める価値観の押し付け。二つの価値観がぶつかったので民主的な手続きにのっとり条例を制定しました。これが大阪府民、大阪市民の価値観です。赤川さんの価値観を大阪府民、市民に押し付けないで下さい。
2012.04.15
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去年のこの時期立てた目標は、1.出来るだけ、日記やブログを書く。2.トレーニングして、痩せる。3.何か、市民講座に入ろう。4.仕事のことをもっと真剣に考えないとなあ。5.最近ご無沙汰の友人と連絡をとる。6.生活リズムを立て直して、もっとメリハリのある生活をしよう。1、3,5,6に関しては、かなり達成できたと思う。ブログはなるべく更新するように心がけたし、市民講座には入らなかったけれど、さをり織りを始めたし、韓国語の勉強もMさんとするようになった。何年かぶりで会った友人も多かったし、スポーツクラブを通じて、新しい友人もできた。ダンナと一緒にスポーツクラブに行きだして、曜日によってする事が決まり、生活のリズムができたように思う。今年頑張らないといけないのは、2と4。トレーニングはしているけれど、摂取カロリーも多い。それも、夕食の後でまた何かを食べる悪い習慣を直すこと。それで、今日はこんな本を購入。体脂肪計タニタのダイエット家計BOOK家計簿と、レコーディングダイエットが一緒になったもの。私は、ほとんどのものをカードで買うし、生協もネット注文なので、家計簿を付ける習慣があまりないけれど、一度、自分のお金の使い方も見直してみないとなあ。それと仕事のこと。続けるのなら、もう少し利益が出るように考えないと。今年のお正月、考えたのは、自分がどれだけ他の人を幸せにできるかと言うこと。それをいろいろなことの判断基準にしようと思った。私の仕事は、今のところ収入はないけれど、今来ている8人の子どもを、確実に幸せにできていると思う。と言うことは、辞めない方がいいんだろう。でも、まず身近なところから、家族を幸せにしないとなあ。今年も先輩が送ってくれた、干支のペーパークラフト。
2011.01.07
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毎年、この時期、元同僚が食事に誘ってくれる。メンバーは、現職二人と、10年ほど前に辞めて、家族でコンビニを経営している人と、私。20年以上前の同僚で、子どもが小さかった時のこともよく知っている。一年ぶりにあっても、いろいろおしゃべりがはずんで楽しい。現職の友人が言ってたが、教室に地デジ対策か、大きなテレビが入ったそうだ。一人一人にパソコンが支給され、LANも整備されているという。日ごろ忘れているけれど、もう退職して4年。どんどん教育現場は変わって言ってるんだろうなあ。同じように教育の仕事をしているけれど、どんどん情報に疎くなって行ってる感じで、いつか、私たちの仕事が認められるときがあると思って頑張ってきたけれど、とんでもない勘違いをしているのでは・・・と思うこともある。
2010.08.25
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フラダンスに入ったのは2月から。最初は膝を曲げて腰を振るのも上手くできなかったし、それで背伸びをするとこけそうなので、壁の横が定位置。準備体操代わりのストレッチで、しゃがむ姿勢があるけれど、私一人だけができないので中腰になっている。担当の先生は、私の足の手術の経過もよく知っているので、無理をしないで、できることをしたらいいと言ってくれている。最初は余裕が無くて、黙々とするだけだったけれど、最近は壁を持たなくてもよくなってきた。そして、韓国語を教えてくれるMさん、彼女が顔を見る度に、「○○○さ~ん」と声を掛けてくれる。そして、いろいろな人に私を紹介してくれる。徐々に周りの人と話をしたり、笑う余裕がでてきた。私の足の指のことは、他の人が気が付いているのかどうかはわからない。知らなくてもいいし、知られてもいい。すごく自然体の自分を感じている。
2010.07.14
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今日は火曜日でフラダンスの日だ。フラダンス用のパウスカートをはいて、足は素足だ。フラダンスは人気があって、スタジオに30人ぐらいの生徒が入る。最近、フラダンスを踊りながら、私は変わったなあ、とよく思う。特に隠していたわけじゃないけれど、やっぱりずっとこだわりはあったんだと思う。昨日、第4中足骨短縮症のことを書いたけれど、小さい頃は、とっても人に見られるのが嫌だった。小学校や中学校の頃は、身体測定のときに包帯を巻いて行ったこともある。裸足の時は、いつも左足の上に右足を重ねて立っていたし、プールというと、バスタオルで足を隠すか、すぐ水の中に入っていた。学校へ勤めだして、夏の水泳の時期になるとそんなこともやってられず、プールサイドで、体操したりするので、気付いた子どもに、「先生、その指どうしたん?」と聞かれることもあった。身体のことで、気にした子がいたり、いじめが起こったときは、自分から足を見せて、とっても気にしていた子どもの頃の話をして、子どもたちに考えてもらったことも何度かあった。でもやっぱり、夏でも靴下をはいて過ごしていた。薬指が少し上に上がっているので、サンダルを履きにくいと言うこともあるけれど。だから、同僚でも知らない人が多かった。
2010.07.13
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元々自分は友だちが多いと思っていた。誰とでも気さくにしゃべられるタイプの人間だと思っていた。なのに、スポーツクラブでなかなか新しい友だちができないのが悩みだった。スタジオのレッスンに入っていなかったということも理由の一つ。行く時間がバラバラで、決まっていなかったということも理由の一つ。足が痛くて、余裕が無くて、黙々とトレーニングしていたというのも理由の一つ。でも、それ以前に、プールで裸足ということが、私を臆病にさせていたことが一番の理由だったと思う。私は左足の薬指が異常に短く、見た目異様に感じるような足なので、昔からできるだけ足下を人に見せたくないという意識が強かった。多くの子どもと出会う仕事をしてきて、今までに1万人ぐらいの子どもの足を見てきたけれど、私と同じ指の子は見たことがなかった。第4中足骨短縮症という名前なのだということを、50を過ぎて初めて知った。
2010.07.12
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火曜日は、フラダンスがあるのに、しんどいなあと思っている間に、開始時間が過ぎてしまった。朝起きると、背中が痛い。夕方になると、右足が異常にむくんでくるのがわかる。筋肉量は多いと出るのに、基礎代謝が異常に低く、代謝年令を71才とか表示するタニタの体重計。痛いと思い出したら、手も痛い、膝も痛い、胃も痛い。ホンマに私は、健康なんやろか。先日、ショッピングセンターで元同業者に会った。「事業始めたんやって?バリバリ頑張ってるって聞いたよ」全く儲けなんてないし、事業なんて言われへん。何でしんどい子ばっかり集まってくるんかなあ。ちょっとずつ時間をずらして、マンツーマンでフォローして、子どもは力を付けていってくれているけれど、慈善事業のような仕事だなあと思うことがある。今日も4時から7時まで仕事だけれど、週の半分やって、収入は2万円弱。それなのに、2時を過ぎたら、もうジムに行く時間はないなあ、とか時間に拘束される。こんなこといつまでもやっててええんかなあ。
2010.07.06
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昨日、姉が入っている市民コーラスの発表会があった。母の病院へ寄った後、車を病院の駐車場に置いたまま、歩いて、市民会館へ。近隣の9つのコーラスグループが発表したが、姉たちの出番はかなり後の方で、他のグループの発表なども聞いた。姉たちのグループは、唱歌など合唱曲の定番と言う曲を5曲発表した。9つのうち、4つのグループを同じ男性の先生が指導している。昔の歌謡曲などを中心に、振り付けも入れて、その先生の好みがはっきりわかるような選曲だった。その先生が、本当に楽しんでいるんだなあと思った。そして、自分が勤めていた頃の音楽会のことを、懐かしく思い出した。勤めていた頃、毎年音楽会があった。私は、ピアノが苦手で、勤めていた33年間のうち、大勢の前でピアノを弾いたのは、わずかに1回。2月の音楽会のために、6月頃に曲を決め、目をつぶってでも弾けるほど練習した。普段、人前でもそれほど緊張しないのに、本番、ピアノの上で、指がガタガタふるえていたのを記憶している。でも、音楽会をどんな風に構成するか考えるのは面白かった。世界一周音楽めぐりで、いろんな国のあいさつを入れたこともあった。「かさこじぞう」のオペレッタで、劇を取り入れたこともあった。6年生で「地上の星」を合奏唱した年、その年の学習テーマはプロジェクトX総合的な学習で、いろいろな分野で活動している人たちのことを調べた。運動会でも卒業式でも「地上の星」がテーマソングになった。そして退職する2年前、2年生と一緒に出た市民連合音楽会。他の学校は、音楽の専科の先生ばかりなのに、うちの学校は、転勤したばかりの私と大学を出たばかりの新任。え~、持ち手がなかったから押しつけられたのか?とも思った。指導の下手さは、子どもの可愛さでカバーと、生活科で手作り楽器を作り「友だち賛歌」の合奏唱。うちわに鈴をつけたもの、ペットボトルのマラカス、牛乳パックのカスタネット、など楽しかったなあ。色々批判されているゆとり教育。先生も子どもたちも創意工夫できるゆとりだと、私はとらえていたし、そうとらえている先生が多かったんだけどなあ。
2010.06.21
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この間 の続き。学校教育がしにくくなってきたのも、教師の体罰はダメだと、声高に言われ出してからのように思う。20年くらい前までは、「悪いことをしたら叩いてください」と言う保護者も多かったけれど、今は、子どもを注意するために腕を掴んだだけで、「先生に腕を引っ張られた」と言う子どももいるし、「暴力教師だ」と、管理職や教育委員会に訴える親もいる。強い親には弱腰の管理職や教育委員会も多く、「言ったもん勝ち」と言うところもある。でも、そんな親に限って本当に子どもが悪いことをしても叱れない。成長すれば成長するほど、親が困るのになあと思う。この10の法則、ダンナが、「過保護はいいけれど、過干渉はあかんやろう」と言った。過干渉には、子どもの意志や自主性の否定を感じる。過保護には愛情を感じるけれど、過干渉は子どもも嫌だろうなあ。「バカになって人に会え」と言うところで取り上げられていたのが坂本龍馬のおねしょのこと。おねしょをするのは、脳の前頭前野という部分の発達が遅いからだそうで、でも、この部分は遅いほうが後でぐんと成長するのだそう。だから、大器晩成型。この番組を見て安心した親も多いだろうなあ。「自分の夢のすばらしさを信じ続けろ」のところで、いろいろな人の言葉がでてきたけれど、松下幸之助の言葉が心に残った。「成功するためには、成功するまで続けることである。 途中であきらめてやめてしまえばそれで失敗である」この間、他の番組で、「途中でやめてしまえば、そこで終わり、 でも、続けていればそれも過程」と言う言葉も印象に残ったけれど、全然収入に繋がらない仕事を続けている身にとっては、こういう言葉に勇気づけられるのよねえ。
2010.01.19
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「天才じゃなくても、夢をかなえる10の法則」を見て思ったこと。子どもが悪いことをしたときは、その時に、厳しく叱る。時にはたたいたり痛みを伴うしかり方をしてもいい。脳の、その痛みを感じるところは、他人の痛みも感じ取れる部分なのだという。他の人に迷惑をかけたり、約束を守らなかったリしたときは、厳しく叱るが、失敗したときに叱ってはいけない。そして、できたときは、思いっきりほめてあげる。そうすることで、他人にも優しい、自信を持った子に育っていくのだそうだ。しかり方や、ほめ方を間違えている親がこの頃多いんだろうなあ。大人の都合で、叱っている人があまりに多い。この間、スーパーで、子どもを叱る若い母親の声にどきっとした。「何やってんや、ボケ!」持っていた荷物を落とした子どもに怒っていた。こんな風に育った子は、他の子が何か失敗すると、同じような言葉を言ってバカにしてしまうんだろうなあと思うと悲しくなった。学校教育がしにくくなってきたのも、教師の体罰はダメだと、声高に言われ出してからのように思う。あ~眠くなってきた。続きは今度
2010.01.17
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先日の夕方、THE・NEWSという番組で、進行する貧困の実体を特集していた。学校に来て、「お腹が痛い」という男の子。前日の給食が終わってから何も食べていないのだという。両親ともに、日やとい労働者。最近は、ほとんど仕事がないのだという。保健室の養護教諭が、取っておいた前日のパンと牛乳を、口いっぱいにほおばる。食べた後、歯が痛いという。虫歯は10本。「歯医者さんは行けへんの?」と聞くと、「お金ないから行かれへん」と言った。空腹と、痛いのを10歳の子が我慢している。民主党が、子ども手当に所得制限をしないことを決め、来年度は、一部(13000円)支給予定だという。所得制限の無いのは賛成なんだけど、やっぱり各家庭に配るのかな。貧困層の各家庭に渡して、子どものために使われるのかなあ。2年ほど前、給食費滞納が、よく話題になったけれど、勤めていた頃、「子どもの視点に立って、子どもが安心して育つ社会の実現のため」だったら、必要経費分、学校や病院に渡した方がいいのになあ、と思うんだけど。学校で必要な費用(給食や教材や遠足など)の心配をしなくていいって、子どもにとっては一番安心だと思う。いつも思う。保育園や学校の費用と医療費だけは、収入に関係なく、国籍にも関係なく、どの子も無料にして欲しい。貧困が親から子へ、連鎖しないようにして欲しい。
2009.12.22
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夏休み、現職の友人と会ったときに聞いたこと。今、教職員の間で「のむ・うつ・かう」が流行っている。のむは、もちろん酒を飲む。飲んで憂さ晴らし。うつは、鬱。本当に鬱病で休む人が多いらしい。かうは、宝くじを買う。宝くじで大金を当てたら、辞めたいと思っている人が多いらしい。現職の友人と会うと、疲れている人が多い。去年から、大阪では教師の評価が給料にまで影響して、職場の中にもギスギスした感じがでてきているのかもしれない。そのうえ、知事の一言で、昨年9月から給料は月4万円以上ダウン。退職金も年金も、大幅に減った。ローンを抱えている人や、奥さんが専業主婦の人にとっては、将来のことを考えると不安でしかたないだろう。今日の新聞に、教育支出が28国中27位、と出ていたけれど、民主党さん、本当になんとかして欲しい。自民党は、日教組を目の敵にしていたけれど、文部科学省にもメスを入れる必要が大ありだと思う。学力テストに、約70億円。民間企業が、資料を握ってるっておかしいと思うわ。それも進研ゼミの、ベネッセだし。そして、その結果をぎゃーぎゃー言う人がいるし。最近、敦賀と大阪を行き来していると、学力テスト上位の福井県と、下位の大阪では、子どもの教育にかける費用が、かなり違うような気がする。
2009.09.09
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昨日、息子の家族と昼食を共にした。元旦に、ヨメと孫たちは来たが、息子にとっては今年初めての休暇だった。元旦も忙しく働く息子は、有給休暇をほとんど取れない。でも、正社員で仕事があるだけましだと言う。給料も安いが、職場の人たちと仲がよく、みんなで助け合っている感じなので、続いているのだろう。派遣村のことなど話題になっているが、年の瀬に仕事や住む場所を失った人たちの中には、息子と同じ世代の人が多いのではないだろうか。バブル崩壊後の「失われた10年」と言われる時期に、学校を卒業した世代だ。団塊世代の子どもたちは人数が多い。厳しい受験戦争の中を大学に進んだのに、卒業する時期には、企業は極端に採用を減らし、就職氷河期が続いた。そして、フリーターなど非正規雇用の若者が増えた。息子は、大学の教育学部だったが、教職には進まなかった。教職は、採用を中止した年も多く、長い間狭き門だった。最初は教師になりたいと希望に燃えていた息子も、だんだん意欲が失せていった。私は、小学校に勤めていたが、団塊世代が、大量に教職に就いた最後の年代。長い間、私より若い人がほとんど入ってこなかった。就職して15年ぐらいは、いつも学年担任の中で一番年下だった。団塊世代が退職しだした6年ぐらい前から、また採用が増え、今教育現場は50代と20代がほとんど、と言う極端な職員編成になっている。息子は最初一般の会社の営業職に就いたが、その会社は、数年で倒産した。職安へ行ったり、仕事がなく落ち込むような時期が続いた。アルバイトやフリーターの募集はたくさんあったが、私は、健康保険や年金のある会社に正社員として勤めるよう勧めた。やっと営業の仕事を見つけてきて働き出したが、研修期間が長く、正式採用まで時間かかかった。研修期間の交通費は自己負担で、給料をもらうまで、持ち出しが多かった。私も働いていたからできたのだろうし、できない家庭も多いだろうなあと思った。そしてその会社も、数年後に傾きだして、息子は結婚したのに、給料未払いの時があったりした。そして勤めだしたのが今の職場。一昨年は、残業もあって、給料も良かったが、今は残業が減り、給料も少なくなっていると言う。大学までは希望に燃えて進んだのに、希望の職種に付けずに、フリーターから派遣に進んだ若者が多いんじゃないだろうか。そんな中でできた労働者派遣法。機械のような労働で、でも働かなければ生活できなくて、職業を変えたくても変えられない、派遣で職を失った人にはそういう若者が多いんじゃないんだろうか。失われた十年の本当の原因は何だったんだろう。ちゃんと調べてみたいなあと思う。
2009.01.06
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夕べは、昔の同僚が食事に誘ってくれた。久しぶりにビールも飲もうと、送り迎えつき。私よりずいぶん前に退職した一人と、現職の二人と、一年ぶりの再会だ。去年の夏に会ったときは、私はまだ杖をついていた。「見て、見て」といつものように、足を左右すたすたさせると、本当に見違えるようだとびっくりしていた。声をかけてくれるのが嬉しい。あまりにも仕事人間の期間が長すぎたからか、退職してから、時々、どんどんみんなから取り残されて、忘れ去られていくような気持ちになるときがあるのだ。まだまだ私は未練があって、だからこんな仕事を始めたんだろうけれど、教育の現場の様子も知りたくて仕方ないのだ。久々に、生中を2杯、美食倶楽部という店のヘルシーコースは、ミニステーキをメインにしたプチフルコース。おしゃべりに夢中で、写真を撮り忘れたのが残念。食後、横のファミリーレストランに場所を移して、ドリンクバーでまたおしゃべり。楽しいひと時を過ごして帰ってきた。教育の現場はますます忙しく、その上、大阪は給与や退職金も減っていくし、年々、子どもや保護者の対応も複雑になって、学期途中で、現職の人たちに会うと、みんな疲れた顔をしている。やっと夏休みになって一息ついたんだろうなあ。「辞めたら、うちの塾に来てね」といつも言うけれど、実はとっても羨ましい。ああ、授業がしたかったなあ。
2008.07.30
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現職の友人たちと話していると、みんな疲れているなあと感じる。今までも忙しかったのに、今年はもっと大変そう。授業時間数が増え、報告しなければならない書類も増え、どんどん余裕が無くなっているように思える。それなのに、大阪府では数年前から取り組まれてきた1・2年の35人学級が、廃止されると言う。橋本知事!、それはやったらあかんでしょ。いくら赤字が多いからといっても、絶対に無くしたらあかんもんがあるんです。あなたの目指す「子どもが笑顔になる大阪」に逆行するんと違いますか?この塾を始めて、ますます思いは強くなる。いじめ・虐待・学級崩壊そんな現代の問題が、保護者や教師の余裕のなさにあるんじゃないかと。塾が始まって2週間、来る度に子どもの顔が明るくなっていく。本読みの宿題があれば、ここで、本読みの練習をして、迎えに来たお母さんに聞いてもらい、その場でサインだけしてもらう。これで宿題全部終わり、と聞くとお母さんの顔も明るい。家で怒ることが無くなって、主人といい塾が見つかったと喜んでいるんです。という声を聞いた。今まで宿題がなかなか終わらなくて、つい怒鳴ってけんかしてしまったそうだ。子どもにもいろいろ得意不得意がある。一つのことをするのに、とっても時間のかかる子もいるのだ。余裕があれば、待ってあげられる。そして、やり遂げればほめてもらえる。いじめる子も、いじめられる子も、自分のことをわかってくれる人がいるという安心感と、ほめてもらえる自信があれば、きっと笑顔で、ほかの人に優しくできると思うのだ。
2008.04.14
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学力テスト世界一と言うことで、注目されているフィンランド。先日、医大に行った時、病院の売店に「フィンランド式能力ドリル」というのがあったので、こんなの買ってももう利用することもないのになぁと思ったが、「読解力」や「発想力」や「論理力」を鍛えるフィンランド式とはどういうものか知りたくて、買ってみた。フィンランド式を応用した能力ドリル中味は・・・私の好きな推理パズルに近い。一つの問題から、いろいろな回答を考えさせる。でも、これって、私たちが算数の授業でしていた自力解決学習とほとんど一緒。道徳の授業でしていたグループワークトレーニングやエンカウンターの授業などとも近い。大阪で算数を研究している学校は、一つの問題を出して、今まで習った方法を使って自分なりの回答を見つけ、それについて発表し合って正解を練り上げていく、と言う自力解決学習を取り入れていたところが多かった。例えば、面積の導入段階での問題。正方形(7cm×7cm)長方形(6cm×8cm)を提示して、どちらが大きいか比べる問題。A.二つを重ねて、余っているところを切って、また重ねて正解を出す。B.自分の持っているもの(消しゴムなど)で、型を取りながら、何個分か調べる。C.周りの長さを比べる。D.積み木を並べる。E.1cmずつマス目を書いて、いくつ分かを比べる。見た目は、あまり変わらない。Cの方法だと答えは一緒になる。自力解決学習では、間違いは宝物だ。間違った答えは、みんなが間違いやすいところだから、気をつけないといけないところを教えてくれるのだ。中には、塾で習ったと面積の公式で答えを出す子もいるが、どうしてその式が使えるのか聞くと答えられない子も多い。いろいろな意見を出し合う中で、一番わかりやすくて、かんたんで、いろんなものに使えるわかい考えを見つけていく。この場合だったら、Eになるだろう。マス目をいくつ分か数えると、縦×横という公式ができてくる。複合図形の面積などだと、頭が柔軟な子はいろいろな方法を導き出す。これが数学的な考え方を伸ばすことになる。でも、全国一斉学力テストの結果は、大阪は下の方だった。教育の現場は、中間層がいない。6年ほど前から、毎年、新任がどんどん採用され、学校の半数ぐらいがその頃から入った人たちだ。長年培われてきたものが、どんどん継承されずに消えて行っているように思う。こんな自力解決学習は、教材研究や準備も必要だが、新任研や事務処理に追われ、そんな時間も充分にとれないかも知れないなあ。教える方も一番楽しめる授業なのだが・・・
2007.12.08
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いよいよ明日入院します。昨年の10月同じ病院に入院しているので、割合気楽に構えています。ブログの方は、携帯でほぼ毎日更新していくつもりです。バケ放題なので、お気に入りの方のところも多分毎日覗かしてもらいに行くと思います。ただ、私は携帯の文字を打つのが非常に遅く、コメントをもし書いてくださっていたら読ませて頂きますが、お返事をお返ししたり、皆様のブログにコメントを入れさせて頂くことはほとんどできないと思います。申し訳ありませんが、ご了承下さい。ところで昨日の続き。学校というところ、一つの学級が崩れたり、大きなトラブルが起こると担任一人では対応しきれない。それで管理職は、トラブルを抱えている学年や、学校の中の大変労力のいる仕事に、いわゆるベテランと言われる人や、仕事の出来る人を配置する。だから、学校の中で先生によって、仕事の量にかなり差があることもある。担任の仕事は給食中も指導しないといけないし、休憩時間はノートや連絡帳を見るし、45分の休憩時間が保障されているのに、とられないのが現状だ。子どもが帰ってからも、学校全体の仕事があったり、教材研究で、家にもいっぱい持ってかえる人も多く、皆心身疲れているのが現状だ。元もとしんどいと言われているクラスは、学級が崩れるリスクも多く、ベテランと言われていた人が、急に学級が荒れてしまい、精神的な病気になってしまったりすることもある。8月の30日に、小学校の授業を1割増やし、高学年に英語の授業を入れるという中教審の答申が出された。現場が大変になるだけで、私の思いとは全く逆行して行ってるなあと思う。小学校の時間を1割増やす、英語の授業を入れると簡単に言うけれど、教育予算を増やす、先生の数を増やすというのが伴わない。英語の授業を入れるなら、絶対専科の先生が必要だ。子どもの中には小さい時から英語を習っている子もいる。でも先生は英語から長年離れている人がいっぱいだ。間違った発音を教えたら、そのまま覚えてしまうだろう。高学年の子どもの中には、先生が出来ないと馬鹿にする子もいて、そこから学級が崩れていく場合もある。ただでさえ忙しいのに、急遽英語を習いに行く人も出てくるだろう。2002年、教育課程の改訂で学校にコンピュータが入った時、その少し前から沢山の先生が高いお金を出して、パソコン教室に習いに行った。コンピュータの専科を置いていた学校もあったが、2004年文部科学省が基礎基本、少人数指導の必要性を言い出すと、コンピュータの専科はほとんどなくなり、少人数指導担当になった。今度は、学校の中で人をやりくりして、英語担当にするのだろう。人数が変わらなければ、英語が入るかわりに、今までその学校独自の特色として力を入れていたことを無くしてしまうだけだと思うのだが。授業時間を1割増やすのなら、先生の数も1割増やすことを考えればいいのになあ。
2007.09.02
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またアップしようとしたらシステムエラーで戻ったら消えた。これは書いたらあかんのかなあ。一昨日の日記のわからんtin1951さんのコメントに、>不適格教師って、本当に居るでしょうか?(事件を起こす方は別にして。)子供達の事を、いつでも見守っていてくれる先生だったら、少々、勉強が遅れようが、事務的な失敗があろうが、それはやっぱり、良い先生だと思います。苦手のある先生を排除しようとする世界なら、きっと、苦手のある子供達も排除して行く世界になって行くと思うのです。と書かれていて、本当にそうだよなあと思う。不適格教師って保護者からの苦情なども判断の基準になるんだろうが、本当にそれを見極める管理職に力がないとできないと思うし、危険なものを含んでいるなあと思う。よく保護者が「先生の当たり、はずれ」と言うが、それもものすごく偏見を含んでいるなあと思う。その評価は、4月の始業式、担任の発表があった時から始まる。子どもが帰ってきて、担任の名前を聞いたらすぐその先生についてリサーチする保護者は多い。情報通の保護者のネットワークはすごくて、転勤してきたばかりでも、元の校区の人に聞いて調査したりする。教えてくれた人が、もし悪い印象を持っていたら、その一人の言葉だけがその先生のイメージとして広がったりする。この先生は「はずれ」だと思ったら、何から何まで手厳しい。宿題が多くても、少なくても文句がでるし、プリントを1枚渡し忘れでもしたら「やっぱり頼りない」と苦情が来る。これが「当たり」と思われていると、「誰にでも一つや二つ、忘れることはありますよ」と大目に見てくれるのだが。でも保護者から苦情が多いといわれる、「はずれ」と思われている先生でも、一緒に学年を持つと、本当に真面目に教材を整えて、子どもたちのノートなども丁寧に見て、いつも子どものことを考えて一生懸命なのに、口べたで保護者の前では緊張して頼りない印象を与えてしまうような人だったり、事務的なことは要領が悪くて、教室の中も汚かったりするけれど、本当に子どもが好きで、子どもの話を真剣に聞いてあげる先生だったりして、自分の子どもはこんな先生に持ってもらいたいなあと思うこともある。反対に「当たり」と思われているんだろうなと思う先生の中にも、情報通の保護者には歯の浮くような親しげな言葉かけをするけれども、無関心な親の子には冷たいなあと思う先生もいるし、自分のクラスが一番と学級王国を作る先生もいる。荒れているクラスを持った場合、このクラスはいいクラスだよ、君たちはこのクラスで幸せだよ。とことあるごとにいう方法もあって、その年はクラスがまとまったりするのだが、次の年担任が替わったとたんまた荒れやすいと言うのも特徴だ。だから不適格教師の見極めってすごく難しいと思うし。もっと書いてたけれど、眠くなってきた、続きは明日。
2007.09.01
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先日、昔の同僚が現職のまま58歳でなくなった。30年ほど前に同じ学校に勤めたことがあるが、スポーツが堪能で、男性のように豪快で、多くの人を惹きつける魅力があった。それほど親しいということはなかったが、少し前まで、あんなに元気だったのにと思うとショックで、どんなに無念だっただろうと思うと心が痛む。癌だったという。後数年で定年で、子どもも結婚し、もうすぐ第二の人生を自由に始められるという時に、後数ヶ月しか命がないことを知らされ、みんなの中から自分一人だけ消えていくと言うことを、どのようにすれば自分に納得させられるのだろう。今までも、何人か現職のまま亡くなった人を知っているが、退職してすぐに亡くなる人が多いのも教職員には多い。自分自身も、足が長年悪くても病院でちゃんと診てもらうことをしていなかったが、学校の現場は時間的に余裕がないのが現状だ。熱があっても、37度ちょっとぐらいなら、休まずにマスクを付けていく人が多い。身体のいろいろなところが痛くても、鎮痛剤を飲んだり湿布を貼ったりして、何とか学校へ行く。行かないと、どこかにしわ寄せが来るのだ。担任をしていると、自分がいなければ、子どもたちは自習か、他の誰かにかわりに入ってもらうしかない。子どもだけで自習している時に、体の調子の悪い子がいたり、子ども同士のトラブルが起こったりすると、早急な対応が出来ない。対処が遅れて、後々問題が長引くと管理責任が問われる。かわりの先生に入ってもらうにも、出張の先生の替わりに入っていたり、トラブルが起こった学級の対応に学校全体で関わっていたりと、いつも人が足りない状況だ。だから、しんどくても痛くても我慢して学校へ行く。でも、長年そういう風にしていると不思議なもので、熱があっても学校に行っている間にだんだん下がってきたり、痛くても子どもたちと一緒に過ごしていると痛いのを忘れていたり。子どもたちが帰ってからも、会議があったり、次の日の準備をしたりして、帰りにしんどいなあ、痛いなあと思ってもその頃には病院も閉まっているということが多い。学期末や、学年末になると、ますますハードになって、痛いけど行けないということが多く、休みになったら病院へ行こうと思う。去年も、元同僚が10月になくなったが、彼女も癌だった。6年生を担任していて、卒業させてから痛かったところを見てもらったら、すでに全身に転移していて手遅れだったという。今回の先生も、春休みに診てもらって、手術したが手遅れだったという。教育再生会議の報告などを聞く度に、現場をわかってないなあ、現場の厳しさを知って欲しいなあと思う。不適格教師や、教職員免許制などバッシングも多いが、ほとんどの先生は厳しい条件の中で頑張って働いている。残業代も出ないのに、ほとんどの先生が勤務時間を超えて働いているし、家に帰ってから教材研究をしている人も多い。教材研究をしないと、子どもがわかる楽しい授業は出来ないし、わからない楽しくない授業だと子どもは反発する。教材研究をする時間と、子どもと話をする時間を先生は一番欲しいと思っている。なのに研修を増やしたり、基礎学力が落ちているから授業の時間を増やすとか、これ以上先生を忙しくして、本当に学校が良くなると思っているんだろうか。何よりも教育予算を増やすことが大事なのに、先生の数を増やして子ども一人ひとりにきめ細かく目が行き届くことが一番大事なのに。
2007.08.28
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一昨日書いた、次のマークは何でしょうという問題、実は何年か前まで6年生の線対称の学習の導入に使っていた。マークを一つずつ見せていく。1・2の対称図形ではわかる子どもはほぼ皆無。3の対象の図形でもまだまだ少ない。4の対称図形を見せたぐらいから、「あ!」という声が上がり出す。5の対称図形では、わかった子は言いたくて仕方がない。ゆびで空に書く子も出てきて、6ぐらいを発表させる。そして、自分でも書いてみようと、方眼用紙に7の対称図形を書いてみる。直線ばかりなので、子どもたちも書きやすい。そこで、こういうふうにまん中で折った時に重なる図形が線対称な図形で、まん中で折った線を対称軸であることを教える。確実に学級全体が盛り上がる導入で、線対称のことをよく理解してくれて、その後の授業もとてもしやすかった。でも、今は小学校では、この学習はしない。中学1年に移行されたからだ。2002年の教育課程の大幅な改革で、それまで小学校で学習してきたものがたくさん削られた。3年生から6年生まで、年間100時間以上も総合的な学習が入ってきたから、削られたものが多く、小数のかけ算でも小数第1位までと、内容自体も薄っぺらい。円周率は、3.14と教えなくても3でもよい。教科書の中は、計算機を使ってもよいというマークもいっぱいだ。学力低下が言われているが、教科書だけで学習しているとそういう学習しかできないのだ。でも、そういう学習を進めてきたのは文部省、文部科学省ではなかったのか?今、学力低下が学校現場の責任のように言われているが、2002年、学校現場は面食らった。教育3法案で、文部科学省が地方の教育委員会に指示する力を強めると言うが、文部科学省の言う通りにやってきて、低学力がおこっているんじゃないのか。そこへ来て、授業時間をもっと増やすとか、免許の更新とか、学校選択制とか、それでいていうことを聞かなかったら給料も減らされそうだし、現場があっぷあっぷしそうなことばかり。学校の先生って、管理で押さえ込むと、面白い授業を考える余裕も無くなると思うんだけど。
2007.06.20
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学校に行きたくない理由を、学校であったいやなことにする例はとても多い。しかし、本当の原因は家庭の中にあった。そんな例を私が実際に経験した中から挙げてみたい。(事例1)A君は、最初風邪をこじらせて休みだした。かぜは3日ほどで治ったが、その後もお休みが続く。だるい、お腹が痛い、最初は、風邪がまだ長引いているのだろうと思っていた親も、1週間も続くとおかしいと思いだし、学校に行きたくない理由があるのかと詰問しだした。「後ろの席の子が、いつも机を押してくるから苦しい」「隣の子が、勝手に僕の筆箱の中の物を使う」保護者は、うちの子は学校でいじめられているから行きたくないみたいだと言いだした。席替えをし、トラブルのでないように配慮したが来られない。母親が付き添って来ても、玄関で母親が帰ろうとすると泣き出して、後を追う。放課後、家庭訪問をして補習をしている間に、妙なことに気が付いた。A君は、家の外での様子と違い、家の中ではとてもえらそうに母親に文句を言う。父親が家にいるらしく、勉強している横の部屋で大きなテレビの声がするのに、全く出てこない。姑さんは、たいそうに私に挨拶するが、お母さんには命令口調。気になって、お母さん一人に学校に来てもらって、「お父さんやお祖母さんとはうまくいってるの?」と聞いてみた。お母さんの目から、みるみる涙があふれ出し、堰を切ったように話し出した。数が月前、お母さんのお兄さんが亡くなった。亡くなる前に看病に行きたかったのに、姑さんに嫌味を言われた。亡くなった時、お父さんは親身に話を聞いてくれなかったそうだ。姑さんは厳しいし、お父さんに幻滅したので、離婚したいと思って、いつもA君の二人のお姉ちゃんたちと相談しているという。お父さんは、子育てに無関心で、姑さんが過保護に扱うA君の対応にも困っているという。「本当に離婚したいの?」と聞くと、娘たちも嫌だと言うしやっぱりこのままで行きたいという。お母さんはずっと泣いたままで、今まで誰にも相談できる人がいなかったのだという。A君にとっては、いつもお母さんがお姉ちゃんたちとだけひそひそ話をして、自分がけは蚊帳の外。何か、お父さんとお母さんが険悪な雰囲気なのに、自分がいない間にお母さんがいなくなったらとおちおち学校にも行ってられないだろう。お母さんには、いつでも相談にのるから、家の中でA君に内緒の話はしないようにお願いして、お父さんと一緒に学校に来てもらうように頼んだ。お父さんには、不登校になったら家族全員の協力が必要で、しばらくお父さんが学校に一緒について来てくれるようにお願いした。お父さんと一緒だと、A君は登校するようになったが、しばらくは1・2時間で早退するような生活。しかし段々時間も伸びてきて、十日後ぐらいからは送ってくるのがお母さんに替わり、2か月後ぐらいからは自分で登校できるようになった。その1年間、お母さんは何度か学校に家の愚痴を言いに来た。聞いてもらえる人ができてちょっとガス抜きできたのか、お母さんの表情も少し明るくなった。(事例2)Bさんは、2学期の初め頃までは登校していたものの、段々寒くなってくると学校を休みだした。迎えに行くと、お布団の中に潜り込んだり、柱にしがみついたりして泣きわめく。ぐずり出すと長引くので、担任外の先生が迎えに行くのを手伝ってくれた。「学校が嫌い」「先生が恐い」「みんなが意地悪する」そんな言葉に私も落ち込んだ。放課後、訪問して勉強を教えると、段々機嫌がよくなって、学習の準備をし、「明日は行く」と言うが、また朝になると泣いて嫌がる。でも、中学校のお姉ちゃんも不登校。朝は、一緒に布団の中にもぐっている。母子家庭だが家の中のふすまは破れていて、着ているものもほとんどいつも一緒で薄汚れている。何度も家に通って、お母さんとうちとけてきた頃に、経済的なことなどを聞いてみた。お父さんと離婚して、養育費を毎月送ってくれる予定だったのに、このところ途絶えているのだという。養育費をもらえることになっているので、生活保護は受けられないし、お母さんがパートでもらう数万円で家族3人生活しているのだという。それでは食べるだけで精一杯。着るものなどには手が回らず、お母さんも職場で意地悪されるという。それで、お母さんも職場を休みがち、収入がますます少なくなるという悪循環。家でお母さんとお姉ちゃん、みんなでお布団の中に潜り込み(暖房器具がなくて寒いから)テレビを見て過ごすような毎日。そりゃあ、Bさんも一緒に家にいたい。内緒で、私や娘の着なくなった服をあげた。市役所の福祉課に現状を話し、生活保護を受けられないか、調査してくれるよう頼んだ。母親は明るくなり、Bさんはその学年の間、学校に来るようになった。しかし、一時的な解決にはなったが、Bさんはその後も何度も不登校になって、中学校ではほとんど来なくなってしまったそうだ。
2007.05.25
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先日の「教室の悪魔」の中で、子どもがいじめを受けている時、まず学校を休ませることと書いてあった。いじめを受けている子は、学校を休みたがらない。それは、いじめられているということを他の人に知られると、よけいいじめがひどくなるので辛くても休みたがらないというふうにも書いてあった。これとは反対に、子どもが学校を休みたがって、その理由を学校でいじめられているからと言うことがある。しかし、実際には学校に行きたがらない原因は家庭にあるということも多い。家庭のことが原因である場合、学校に行きたくなかったり、行こうとすると体の調子をくずしてしまう理由がなぜか、子ども自身にもわからない場合が多い。なぜ行かないのかと親に問いつめられると、子ども自身にもよくわからないから、とりあえず学校であったいやなことを言ってみる。それを聞いた親は、学校で自分の子はいじめられているのだと受け取る。こういう例はとても多い。子どもの心は敏感で、親の情緒が不安定な時は、子どもも不安定だ。家庭が暗ければ、子どもの心も辛い。でも家庭の理由は、あまりにも身近すぎて、もやもやするばかりで子どもには見えない。保護者と先生が、じっくり話し合えれば、子どもの不登校も家庭の問題も解決できることもあるのに、短絡的に自分の子はいじめられているのだと、保護者が学校や先生の責任の追及をし、担任の交替を要望したり、こじれてしまったという例も多い。去年のいじめ報道を、私が懸念したのもここで、学校批判、先生批判がエスカレートすれば、根本的な解決をしないで、こんな事例が増えるだろう。そして、いじめで自殺した子どもの保護者も、子どもを亡くして辛いだろうが、学校や先生の責任追及だけでなく、今一度自分たちの親子関係を見直してもらいたいと思うのだ。自殺の原因は、家庭の問題ではなく学級のいじめだったとしても、自殺をする直前の子どもは、崖っぷちを歩いているように、不安定で、孤独で、誰かに必死でかすかなサインを送っていると思うのだ。子どものサインを見抜けなかった自分たちに責任はなかったか、子どもを最終的に守られるのは親だし、子どもも守ってもらいたいと思っているだろう。むごいようだが、自殺したのは親にも守ってもらえないと思ったからじゃないのだろうか。
2007.05.25
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楽天のポイントを利用して、買った本の中の1冊。これほど残酷な「いじめ」を、なぜ親も教師も見抜けないのか。クラス全員が加害者となり1人を追い込んでしまう地獄の構図は、なぜ生まれるのか??。恐るべき速度で「進化」しつづける「いじめ」の正体を、気鋭のカウンセラーが暴き、解決法をわかりやすく示す。1.陰惨ないじめを乗り越えた子どもと家族の話 2.大人からは見えない巧妙ないじめのパタン3.被害者以外は全員が加害者にまわるいじめの心理4.いじめにあっている子を持つ親が何をすればいいのか、 学校と何を話し合い、どう解決すればいいのかの具体策 5.いじめを見つけるチェックリストなど。恐るべきいじめの実態に愕然とする。そして、いじめの渦巻く学級では、こういうこともありえるだろうと思うし、こんないじめにさらされている子たちのつらさを思うと、胸が痛くなる。この本のチェックリストや解決法は大変役立つので、子どもを持っている保護者も、学校の先生も読んだらとても参考になると思う。特にこの本に書かれていることで大事だと思うのは、子どもの意志を尊重し、家族があなたを守るということを子どもにしっかり感じさせているところと、学校に事実を伝えることと、責任追及を分けて考えているところだ。自殺などを防げるのは最終的には保護者だと思うし、いじめはその子だけの問題ではなく、集団の問題で、責任追及に終始すると根本的には解決しないと思うから。著者は、東京都の児童相談所の心理士だが、しかし、このようないじめの実態は今までの私の周りにはなく、読んでいてやはり関東と関西の温度差を感じている。関西でも特に大阪という土壌は、人権学習が根付いているところだと思う。学校の先生の立場からいじめを無くす手だてとしては、4月の初めから学級の中で『しんどい子』(障害のある子、低学力の子・問題行動を起こしやすい子・差別されがちな子など)をクラスの中心に据えて学級作りをする。そして、学級は間違ってもいいところという安心した雰囲気作りを大切にし、何かいやなことを言われたりされたりした子がいる時は、すぐに教材として取り上げる。そして、『しんどい子』の現状などを報告しあい、何かあった時は学校全体で手だてを考える。いじめが起こったとき、Aーいじめる子 B-いじめられる子 Cーいじめを面白がってはやす子 Dー黙ってみている子 E-気が付かない子 F-止めに入ったり先生に言いに来る子がいるが、Fの子が多ければそれほど問題はない。教室の中に正義を育てるということは、DやEの子を育てることだ。いじめが起こった時、知らなかったという子がいるが、その子は関係ないと思ってはいけない。知らなかったというのは、結果的にはいじめているのと同じ側なのだ。「こんなことされて、この子はいやなんじゃないかな」と小さいことにも気付く目と耳と心を育てると、日記などで「こんなことがあったけど、いやだろうなと思った。」とか芽が小さいうちに教えてくれる。ただ、この本で、いじめの事実があった時はすぐに休ませるということを指示しているが、根本的な原因は家庭にあるのに、子どもがいじめを理由に学校を休みたがるというのもよくあることだ。いじめの報道が過熱して、教師や学校の責任追及がヒートアップした時、私が一番疑問を感じたのもそこだった。
2007.05.21
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先日、下の孫の1か月検診があり、その間上の子を見ながら留守番をしていた。しばらくして帰ってきたヨメが暗い顔をしている。「検診どうやった?」と聞くと、「体重とかは順調なんですけど、ちょっと心配なことを言われて・・・ この子、手の線が1本しかなくて、ダウンの子に多いって・・・」言ってることがよくわからず、手のひらを開けてみた。「いやぁ、この子ますかけやん、すごいよ、大物になるよ」と、私が言うと、ヨメは不思議な顔をしている。孫の手相は、知能線と感情線が横1本になった手相で、俗に言う「ますかけ」、ナポレオンや徳川家康、アインシュタインなどもそうだったと言われている。私は、この手相は商才があって大物になるということを聞いたことがあって、「すごく良い手相やよ」と喜んだ。「ほっとしました。帰ってくる途中、どうしようと思って・・・でも、後から障害が出てくるとかないですか。」とまだ不安そうだ。「心配せんでもいいよ。ダウン症は染色体異常やから産まれてすぐわかるから、この子は違うよ。もし、なんか障害を持っていても、心配しなくていいよ。私は、他の人より知識があると思うし、仕事も辞めたんやから、協力してあげるから。」と言ったが、無責任にそんなことを言った医者に腹が立った。多分、病院からの2.30分、ヨメは、不安に思いながら、とても暗い気持ちで歩いて帰ってきたのだろう。医師はどういうつもりで言ったのだろう。ダウン症の子に「ますかけ」が多いのかもしれないが、それは言わなくてもいいことだ。ヨメは、私がいたから良かったが、家に帰っても一人で誰も相談相手がない母親も多い。ダウン症の知識がなければ、ずっと子育てに不安を感じていくだろう。子どもを育てる時に、不安は付きものだ。歩くのが遅いんじゃないだろうか。しゃべるのが遅いんじゃないんだろうか。うちの子は障害を持っているんじゃないだろうか。密室の中で、誰も相談相手がいないと、自分の思い通りにいかない時、そんな不安から、育児ノイローゼになってしまう母親もいるだろうし、追いつめられると虐待も起こりかねない。ヨメは、公園デビューしてから、同じマンションの中でママ友がたくさんできたと言う。数棟のマンション群のまん中に公園があり、新しく出てきた人も気安く仲間入りできる雰囲気が、この地域にはあるのだそうだ。時々は、その中の誰かの家で、みんなでお菓子やお料理を持ち寄っておしゃべりをし、子育ての相談をするそうだ。ほとんどが核家族の中で、こういうのはすごく良いなあと思う。今の保護者の要望は、千差万別だ。給食にしても、全部食べて好き嫌いをなくさせて欲しいと思う親と、嫌いな物は食べさせないで欲しいと思う親がいる。宿題にしても、家庭学習の習慣を付けたいから、いっぱい出して欲しい親もいれば、塾の宿題が多いから出さないで欲しいという親もいる。高い学歴を持つ子に育って欲しい親もいれば、元気が一番という親もいるし、子どもの個性を伸ばしたい親もいる。どこにも相談相手のいない親は、その要望をストレートに学校に要求してくる。私たちの年齢になると、保護者もみんな年下で、「そこまでしたら、子どもがかわいそうよ。」と子育ての先輩として助言もできるが、保護者よりも年下の先生は、その要望に振り回される。お祖父ちゃんお祖母ちゃんと生活していたり、サークルで相談相手のいる保護者はそうでも無いなあと思う。若い先生が増えてきている今、教育は、学校と家庭だけでなく、地域も、共に子どもを育てる共育が必要になってきているんだと思う。これは、塾も同じだと思う。数年前、6年生の担任をしていて、こんなことがあった。受験用の滑車の問題を生徒が持ってきて、「先生、この問題解ける?」と聞いた。過去のブログを読んでくださっている方はわかると思うが、私はクイズマニアでもある。休み時間に、面白いと思いながら解いたら、その子が、「先生解けるんやなあ。」と言った。塾の先生が、「学校の先生はこんな問題はよう解かん。一回試してみ。」と言ったそうだ。「あたりまえやん。解けたって言っといて。」と言いながらも、私は、悲しくなって、「そんなこと言う塾の先生、どう思う?」と聞いて、子どもによけい辛い思いをさせてしまったことを反省している。学校と塾が競いあってはいけないのだと思う。共に、子どもをよりよく育てるために、手を繋いで協力していかなければならない時代だと思う。同じぐらいの学力の子どもたちが集まっているのだから、塾の方がより高い学力を付けられるのは当然だと思うし、少人数で目が行き届く中で、悩みを聞いてあげたり、学校よりきめ細かく個々に接することができるところもあるだろう。でも、年下の子や障害を持っている子たちに温かい手を差しのべたり、待ってあげたり、見守ってあげたりする優しさは学校の方が身に付くだろうし、人数が多い分多様な考えを出し合うこともできる。どちらも良いところを認め合い、いい関係で子どもたちについて情報を交換しあえればもっといいのにと思う。
2007.05.15
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最近のテレビの教育に関する取り上げ方は、いじめが起こる構図と似ているなあと思う。何かあるとセンセーショナルに取り上げ、司会者、コメンテーターが一体となって学校や教師を糾弾する。それに加えて、バラエティー番組などでは、頭をたたいたり、馬鹿にしたりすることで笑いをとる。細木数子のように、「あんた馬鹿ね」というような人がもてはやされる。いじめの起こる集団には特徴がある。みんな心がぴりぴりして、失敗を怖がる。誰かが失敗すると、大げさに非難し、騒ぎ立てる。日常の生活の中で、アホ、バカ、ウザイ(うっとうしい)、キショイ(気持ち悪い)、死ね、などの言葉が、簡単に使われる。プロレスのような遊びが流行り、ふざけているのか、誰かをターゲットにしているのかわからない。いじめの実態は見えにくい。プロレスのように遊んでいるかと思えば、いつも押さえつけられるのが同じ子になって、他の子よりも力を加えられていたり、一緒にいつも遊んでいる相手から、靴や物を隠されたり。この子は明らかにいじめられていると思って、本人にいやじゃないかと聞いても、いやじゃないと言ってなかなか認めない。他の子と連んで一人を追いつめる子も、この集団から離れると次は自分かもと思うと必死で、せせら笑いながらも、顔は引きつっている。こんな集団は、子どもだけでなく、親の集団も、同じようにぴろぴりしていて、不安定だ。親の集団の仲間はずしが、陰湿ないじめとなって子ども社会に入っていることも多い。本当にいじめは哀しい。誰も自分の気持ちをわかってくれず、孤立へ追いつめられて、みんなにはずかしめられて、自分の居場所さえ見つからない・・・もし自分がその立場だったらと思うと・・・いじめられている子にも原因はある、と言う人もいるが、原因があるからいじめられていいと言うことはない。先生が、いじめられた子どもを守る。子どもたちは、ひいきだと騒ぎだす。そして、今度は、いじめのターゲットが先生に移ることもある。そういう形で、学級崩壊が起こることもある。ベテランで力のある先生だからと、今までに何回も崩れている難しい学年を担当して、そしてそんな形の苦渋を強いられることもある。そして、その1回で駄目教師の烙印を押されてしまうこともある。
2007.05.14
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去年、入院している時ニュースの話題はいじめ問題と高校の履修不足問題。マスコミが加熱し、先生が悪い、教育委員会が悪い、と繰り返す。なんか変だ、と思っている間に、教育再生会議なるものが出てきて、すごく強引とも思えるやり方で教育基本法が改訂されてしまった。そして、今年に入ってからセンセーショナルに取り上げる給食費未納問題、最近は保育費未納問題が話題になり、ゆとり教育で育った親が悪い、そういう教育をしてきた学校が悪いと報道される。そして教育3法案を通すことが最優先課題だと安部首相は言う。教育3法案とは、国が地方の教育委員会に指示できるようにする、先生の免許を更新制にする、学校の管理職を増やす、という案で学校や教職員をますます管理していく内容だ。私は腹が立って仕方がない。こんなことで、いじめがなくなるとは思えない。そして、何かこれが憲法改正と共に、何か仕組まれた大きな罠のような気がしてくるのだ。今までだって、国は地方の教育に大きな権限を持ってきた。学習指導要領や教科書検定で内容や時間を指定し、ゆとり教育も、総合的な学習も、文部省、文部科学省が提案してきたことだ。それが悪かったというのなら、文科省の責任はないのか。いじめ問題だって、いじめによる自殺件数が0と報告されて、そのままにしてきたのは文科省だし、履修漏れだって文科省は実態をつかんでいたはずだ。そういうことに何も手を打ってこなかった文科省に責任はないのか。文科省の改革の方が一番必要なんじゃないのか。これ以上何を指示して来るというのだろう。新しい教育基本法で入ってきた愛国心?まさか戦前の教育勅語のようなものを入れようとしているんじゃないだろうな。免許更新制は、教員免許の期限を10年とし、講習を受けると更新できるようにするらしい。先生は時間があったら子どもたちと話をしたいし、教材研究がしたい。それなのに、免許更新のために時間をとられるんだろうか。講習ってどんな研修だ?免許更新制によって不適格教師をはずすというが、子どもにとって不適格でなくても、文科省にとって不適格な教師もはずせる訳だ。学校の管理職を増やすことも変だ。今、学校の中には中堅が非常に少なく、3分の1がこの数年の間に入ってきた若手だ。若い人たちは、長年経験してきた人たちの授業を見せてもらったり、一緒に教材研究をして学んでいくのに。管理職を増やして、ちゃんと国の指定通りに授業をするか管理していくんだろうか。先日憲法のことを書いたが、教育3法案も同じ方向を向いているようで、とても不安だ。
2007.05.12
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昨日は憲法記念日で、この日本国憲法が制定されて60年がたった。今、憲法改正とよく話題になっているが、私はすごく不安に思っている。小学校6年の社会科で、政治について学習する。教科書には、日本国憲法前文と、戦争放棄の9条が必ず載っているし、戦前の大日本帝国憲法と比較して学習する。私は今まで戦争の反省の元に作られた、世界に誇れる素晴らしい憲法だと教えてきた。この平和憲法があるからこそ、60年間、どこの国で戦争が起ころうとも日本人は平和でいられたのだと思う。唯一、原爆を落とされた日本だからこそ、この9条の理念を、世界に広げていける国だと思っている。どうして、この素晴らしい憲法を変えようと思うのか。改憲派の意見の中には、アメリカに押しつけられたものだから、自衛隊のことが明記されていないから、外国に攻められてきた時に防衛できないからという意見があるが、どうして戦うことを考えるのだろう。アメリカがイラクを攻めてから、何十万人という人が死んだ。アメリカ兵の死者も3千人を越える。アメリカと同じ道を進もうというのだろうか。今は、憲法9条に守られているが、もし変わったら、私たちの子どもや孫が、兵隊に行かなければならないかもしれない。そんなのは嫌だ。9条を守れ!と私は叫びたくてしようがない。最近の、この変な空気は何だろう。私は今まで、自分の仕事を通して、物事が良いのか悪いのかちゃんと考えて判断できる子どもを育てたいと思ってきたし、それができるこの仕事にやりがいと誇りを感じてきた。でも今、こういうことを言うと偏向教育ととられそうだ。本当にそうなんだろうか。これって、とっても大事なことなんじゃないだろうか。先日、国民投票法案が通ったが、「憲法はわからないから投票しない」と言ってたら、賛成になってしまう法律。義務教育で学習した日本国憲法を、もう一度読んで欲しい。この憲法、変えないといけないような憲法ですか?あなたの子どもや孫が、もしかしたら戦場に行かなければならなくなってもいいですか?
2007.05.04
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連休の前後は、家庭訪問の時期だ。保護者の方は緊張するらしく、ブログでも家庭訪問なので掃除を頑張らないとなどというのをよくみかける。家庭訪問で子どものうちに伺うと、きれいに掃除された家が多いが、家庭訪問のために頑張った保護者も多いんだろうな。保護者にとって苦痛そうな家庭訪問だが、私は好きだ。(苦手そうな先生も多いので、あくまでも私の本音)家を知らないので、子どもたちに教えてもらいながら行くことが多いが、家を教えてくれる子どもたちの表情が、いつも学校で見るよりずっと明るいし嬉しそうなのだ。いつもは働いていて家にいないお母さんがいたり、いつもよりきれいに掃除している家に先生を呼ぶことが嬉しいんだろう。学校の先生にとっては、家庭訪問の目的は、まず家の場所を知ること。連絡なく休んでいる場合などは、通学路を確かめながら家庭訪問することもあり、子どもの家を知っておくことはとても大事だ。保護者から聞かれて困るのは、「うちの子は、学校で勉強はどうですか?」と言う質問。まだ新学期から1か月。発表をよくする子や、本読みのうまい子は言えても、学級全員の学習定着度はまだわからない。それで、いつの頃からか、先にこちらから聞くことにした。私が、いつもする質問は、「お子さんのいいところ、教えてください」と言うこと。親って、やっぱり自分の子どもが一番で、自分の子どものいいところを話すと、自然に顔がほころぶし、親がいいと思っているところを聞いて、「そうですねえ」と言ったら、気分も良くなってあとの会話もスムーズに運ぶ。でも最近、子どものいいところを教えてくださいと言ったら、うーんと考えてしまう保護者も多い。そんな家庭は、家での会話も少ないみたいだが、子どものいいところをじっくり考えてもらうのもいいものだ。それから、新学期なので、既往症や家庭で困っていることなどを聞いておかなければならない。家の周りでよく遊ぶ子や、一緒に通学する子など、パートなどで働いている人は、緊急の連絡先や、勤務時間も聞いておく。学校や担任に対する要望も出してもらう。玄関の上がりかまちに座らせてもらうこともあるが、最近の玄関は段差が低く、マンションなどではほとんど座れないので、家の中に入らせてもらうことが多い。出されて一番嬉しいのは、冷たいお茶だ。全部飲まないで、途中で残して捨てても惜しくない。ジュースとかだと途中で残すのは気がひける。おまんじゅうとか用意してくれているところがあるが、勧められても困るなあと思ってしまう。家庭訪問に行くと、学校では見られない子どもの姿を見られるのも嬉しい。学校では、すごくしっかりしているのにとっても甘えん坊だったり、小さな兄弟の世話をしていたり。勉強の計画表をびっしり貼っていて、この子も大変なんだなあと思うこともある。家庭訪問は、保護者と親しくなるチャンスでもある。生けてあるお花や、観葉植物、飾ってあるパッチワークや刺繍などの手芸品、中にはアイドルの写真なども・・・家の人が趣味らしいものに気付いたら、そこから話が弾むことも多い。保護者と人間関係ができていたら、子どものトラブルがあっても解決しやすいし、保護者を指導していくこともできるのだから。保護者の方にお願いです。担任の先生に不満があっても、子どもの前ではあまり言わないでください。小学生くらいの子どもにとっては、親も先生もどちらも大事で、親が先生の悪口を言うのは悲しいし、学校でどんな態度をとったらいいかわからなくなります。不満があったら、子どもにいうのではなく、先生に直接こういうふうにして欲しいと伝えることです。子どもの健やかな成長を望むのは、保護者も先生も同じなのだから、話せば分かり合えるはずです。
2007.04.27
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今日は、ビジネス文書講座の3回目、先生が用意してくれた最初のプリントは、24日に行われた全国学力調査の国語の問題だった。昨日の新聞にも載っていたが、小学校6年の国語Bから、広告の問題、中学校3年の国語Aから手紙の問題だった。ちょうどビジネス文書で学習していることなので利用したようだが、タイムリーで大学の学生も興味を持ったんじゃないだろうか。先生も、なかなか粋なことをするなあと思った。ところで、43年ぶりに行われた全国学力調査には、いろいろな疑問や不安を感じている。文部科学省は、全国各地の学力や学習状況を調べ今までの教育施策の検証をし、教育委員会や学校が成果と課題をつかむためと言うが、今までも抽出して数年おきに学力調査はしてきた。教育委員会が独自で実施しているところも多いし、77億円もの費用もかけて、いま新たにする必要があるんだろうか。それだけのお金があるのなら・・教育現場は、人材不足と教育予算不足にあえいでいるのに、それだけお金が出せるのなら、クラスの定数を下げて、少人数クラスにする方が、学力向上や、いじめのない学級作りに役立つと思うのだが。学校予算も少なくて、コンピュータも児童2人で使っていたり、各教科の教材も欲しくてもなかなか買ってもらえないのが現状だ。また、43年前に廃止されるまでの経過や問題について論議されたんだろうか。同じ失敗をまたくり返すことにならないだろうか。心配なのは、テストの結果がどう使われるのかということ。文科省は都道府県ごとの成績の公表としているが、地域や保護者からは、知らせて欲しいという要望を出すところもでてくるだろう。公表されれば、学校選択制の採用されているところでは、ますます格差が広がっていくような気がする。今後学校選択制をする地域を全国に拡大していき、子どものたくさん集まる学校には予算を増やしていくと言う構想も聞く。遠くても成績の良い学校に行けるのは、経済的に余裕のある子どもになってくるだろうし、経済格差が学校格差にも影響を与えていきそうだ。集まらない学校は、悪い学校のように思われ、差別化に繋がるんじゃないだろうか。また、子どもの結果が、教員の指導力と短絡的に捉えられる心配はないだろうか。もう一つは、個人情報の問題。今回のテストには、学力調査だけでなく、家庭での学習環境などを聞く項目もあって、かなり重要な個人情報だが、漏れる心配はないのだろうか。テストをする限りは、結果をちゃんと分析して、今後の教育に生かしていって欲しいものだ。学力の低かったところには、その原因を確かめて、教員を増やすなどの底上げをして欲しいと思っている。実施しなかったのは犬山市と一部の私立学校だけだったと言う。私は、こんなに不安を抱えているのに、教育現場で反対はなかったんだろうか。たぶん、心の中でもやもやを抱えた人はいっぱいいただろうに、声に出しにくくなっていってるんだろう。教育現場はどんどん、ものを言いにくくなっているんじゃないだろうか。それが、とっても心配。
2007.04.26
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今朝、ビジネス文書の同音異義語の宿題をしていて、わからないものをダンナに聞いた。(例)真理のツイキュウ( )責任ツイキュウ( )利潤ツイキュウ( )ダンナも私のしている問題を見て、一緒に考え始めた。結局わからないものを、パソコンで調べたりして、「なんやあの字やったんか」と残念そうにしながらも、面白そうだ。お昼過ぎに兄夫婦が用事で来たら、「この問題、解ける?」と言いながら、私の宿題を自分がしているみたいに得意げに見せている。難しいな、間違ったな、とか言いながら、ダンナも兄も一生懸命に解きながら、二人とも私が行ってる講座に行きたいなとか言っている。ダンナは、あと2年で定年で、本当に定年になったら行きたいみたいだ。ビジネス文書コースに2回通ったが、勉強するって楽しいな、とよく思う。最初の授業の時から私はよく発言したが、それは私が間違うことを全然気にしていないからだと思う。私は、子どもたちに「間違いは宝物」と言うことをよく言ってきた。正解ばっかり続いても、頭の中にはあまり残らないよ。誰かが間違ってくれたから、「ああ、あんな間違いをしやすいんだな。」「次から気をつけよう。」と思う。間違いを出してくれて、みんなが賢くなっていくんだから、「間違いは宝物」なんだよ。みんなの前で、間違うのは誰だって恥ずかしいし、嫌なものだ。「間違ったっていいんだよ。」「宝物の意見を出してくれてありがとう。」と繰り返し言っていく間に、子どもたちの心はほぐれていく。心がほぐれてきて、失敗してもいいんだと思うと、意見がたくさん出てくるようになる。三十数人いるクラスで、意見が活発に出始めると、一つのことに何通りもの意見が出てきて、子どもの持ってる力にびっくりすることもしばしばだ。そんな時、教える方も、子どもたちも勉強の楽しさを強烈に感じあう。ビジネス文書の2回目は、他の人たちもどんどん声が出てきた。「○○じゃないんですか?」「○○とは、どういうことですか?」と質問も活発になって、先生もやりがいがありそうだった。帰り、受講生7人で一緒にエレベーターで階下に下り、みんな笑顔で「さよなら」を言い合った。ビジネス文書は、全8回。どんどん活発になって、ますます楽しくなりそうだ。例の答え真理の追究責任追及利潤追求
2007.04.22
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今、食育ということがよく言われているが、学校給食は昔と違っていろいろな工夫がされている。本当に栄養面を考えて作られているし、アレルギーのある子には、卵を省いた食事や、牛乳を省いた食事を別に用意してくれたりする。メニューもバラエティーに富んでいて、家庭ではほとんど作られなくなっている行事にあわせた食事や郷土料理も出てくるし、国際色豊かな料理が出てきたりもする。衛生面にも気を遣っていて、皮をむいて食べるみかんでも何度も洗ったものが出される。保護者に向けても、給食試食会など啓発は行われている。安価で、栄養があって、工夫されていて、本当に保護者が助かる給食なのに、未払いがあまりにも多くて困っている状況なら、学校一丸となって保護者に指導をしていかないといけないだろう。一人でも見逃したら、駄目なのだ。なぜ払えないのかきちんと理由を聞いて、もし経済的に苦しいのなら就学援助の制度などを説明してあげるべきだし、給食を食べさせたくないのならお弁当を作ってもらえばいい。アレルギーなどはひどくて食べられない子は、持ってきたりする場合もあるのだから。それでも屁理屈をこねるのなら、悪いことは悪いと、保護者をしかることもしていかないと、その保護者に育てられた子どもがどんな子に育つか心配だ。でも、親を指導するというのは若い先生にはなかなか難しいのでこれは管理職の仕事だろう。私は33年勤めてきて、過去に、給食費や何もかも踏み倒して転校してしまった家庭があるということも聞いたことがあるし、何度も何度も足を運んでやっともらえたというのも聞いたことがある。しかし、何年かに一人というぐらいの人数で、自分自身は、給食費を未納のまま終わった子どもは一人もいないので、払えるのに未納の人が何人もいるという状況が、あまりにも理解できないのだ。それで、こんな報道が大々的に流れたら、本当に家計がしんどくて、「後で必ず払いますから、数日待ってください」と言いたい保護者も、言いにくくなるんだろうなと思えてくる。働いても働いても楽にならない、ワーキングプアという世帯もあって、その人たちは苦しくても黙って耐えるしかないんだろうな。と、ちょっと不安を感じている。
2007.04.14
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長い間、睡眠障害で睡眠誘導剤を飲まないと眠れず、それでも夜中の1時2時に就寝して4・5時間の睡眠時間だったのに、どういうわけか、ここ数日、薬を飲んだらすぐ眠くなり、10時を過ぎたら目がとろとろしてきている。これも職業病だったのかな?今日は、ちょっと飲むのをやめてみようと思っている。学校給食だが、私が勤めていた学校のある市は、学校の中で給食を作る自校給食で、民間業者に委託していない。材料は、まとめて市が業者に発注し、徴収した給食費はまとめて市に納入する。年度当初に予算が決められているはずだから、給食費の未納者がいるからといって、材料を減らすということはないだろう。給食に関しては、子どもがするので、「牛乳を運んでいて落として割った」「パン箱を落としてパンをばらまいた」など、トラブルも多い。急な出来事にも対処できるように、きっちり人数分でなく、数人分の余裕がある。だから、私のように、給食を食べさせてもらうことも出来たのだ。でも、給食センターなどに民間委託されていたら、損をする訳にはいかないだろう。財政赤字の自治体が増えて、どんどん民間委託されていっているが、子どもの教育に関するものは、して欲しくないなあと思っている。義務教育の間、生活が苦しければ、補助を受けることが出来る。一つは生活保護で、教育費も含めて生活費が支給される。もう一つは、就学援助制度といって、生活保護を受けるほど困っていないけれど、生活が苦しいので、子どもの教育費用だけでも援助して欲しいという家庭は、申請できる。一旦学校での費用を徴収し、学期末に、給食費や教材費、遠足や修学旅行の費用をまとめて、学校を通して返金するというしくみになっている。学校を通して返金するので、給食費や諸費用を徴収できなくても、学年末には何とか帳尻をあわすことが出来る。徴収しにくいのは、生活保護を受けている家庭だ。生活費の中に教育費も含まれているので、学校で実際に必要なお金を押さえるということができない。生活保護で支給されるお金を上手に使えればいいのだが、学校で徴収する時にはもうお金がないという家庭もある。母子家庭のはずなのに、ヒモのような男が同居していて、生活保護費を小遣いのように使ってしまったということもあった。お金の使い方を、指導したり、生活保護費が入ってくる日にもらいに行ったり、子どもと同じように教育しないといけない保護者も中にはいる。これらのことは私も経験したのだが、テレビなどで見ると、裕福なのに給食費を出さない保護者がいるという。そして文句を言う保護者がいるという。私の経験する限りでは、学校教育に対して文句を言う保護者は、お金には不自由していないというプライドを持っている人が多かったのだが・・・こんな保護者は、そんなに多いのか?一部の人が、クローズアップされすぎじゃないんだろうか。
2007.04.14
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給食費未納問題のことが、よく話題になっている。朝スバ!などでは、「ほっとけない!」と声高に叫んでいるが、聞く度に私は胸が痛くなる。今、本当に常識のない、自分だけよかったらいいと言う保護者も増えていて、あれこれ理由を付けて、給食費を払わないと言うのはとても腹は立つのだ。 だが、保護者のそういう態度を、一番情けなく悲しく思っているのは、彼らの子どもたちである場合が多い。子どもは、学校のお金は払って欲しいと思っている。お金を払わない保護者は、他のお金も払わないことが多く、子どもたちは傷ついている。傷ついても平気なのだから、ネグレクトに近い。朝ご飯も食べさせてもらえず、夕食も簡単で、給食が栄養源という子も多い。彼らの寂しそうな目を思いだすと、その報道辞めて欲しいなと思えてくるのだ。教師の基本姿勢は、子ども一人一人に愛情を傾けることだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」と言う言葉があるが、保護者がどんなに大変でも、子どもを憎んではいけないのだ。そういう意味でも、学校は、子育て以上に親育てが必要になっている。給食費未納の人が多く、給食の質を落としたところもあるという。でも、私の働いていた学校や、市内の給食ではそういうことは聞いたことがないし、多分それはない。先日の離任式では、私も給食を頂いてきたが、そういう風にとっさのお客さんにも給食を食べてもらえる。これはなぜだと思いますか?なぜ、質が落ちないと思いますか?
2007.04.13
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昨日が始業式で、今日は離任式。私が、同僚や子どもたちの前で話が出来る最後の日だ。本当に復帰したくて、なんでうまくいかない、なんで?と悩んだ一年間だった。春休み中、荷物を整理するために学校へ行った時、以前担任した子たちが寄ってきて、「先生、4月から来るんやろ?何年になるん?また私らの学年になれへんかなあ」と言ってきた。2年生で持ったその子たちも今年は5年生。最後に4年で担任した保護者からも先日、小学校最後の6年生を見て欲しいというお葉書を頂いた。何人もの先生が、「あなたがどうして辞めるの、もったいない」と言ってくれる。1年も休ませてもらったのに、復帰できるまでもう少し休んだらいいのにと言う人もいる。でも、このまま勤めたら自分の命を縮めそうで、そして動けないために、子どもに何かあってもとっさに助けられなくて事故を起こしそうで、それで辞めるのを決意したが、惜しんでくれる人がいると言うのは、幸せだなあと思うし、本当にありがたいと思う。先生方には、楽しんで仕事をして欲しいというエールを、そして自分も何らかの形で社会参加していきたいと言う決意を伝えたかった。そして、子どもたちには、私は、あなた方に出会えて幸せだったと、みんなのことが大好きだと伝えたかった。転勤は、教頭と4人の先生。そして退職が私。離任式では、以前担任した子どもの手から花束をもらった。 休み時間には、たくさんの子どもたちが顔を見せに来てくれた。私はこの学校に3年間だけだったが、こぢんまりして和気あいあいとした学校だった。 運動場に続く、桜のアーチも今日は満開。この階段に座って、春休みには、お花見をしながらみんなでお弁当を食べたのも懐かしい。転勤者は、次の学校へ帰っていったが、私は、給食まで頂いて帰ってきた。うちの学校は、学校の中で調理員さんたちが作ってくれる自校給食で、温かくておいしい。1年生も今日から給食開始で忙しいけれど、私の分も準備してくれた。先日の辞令式の日、職場の同僚たちから、胡蝶蘭の鉢植えをもらったが、 今日、組合からはシンビジュームの鉢植えをもらって帰ってきた。 そして、私にとっては本当の退職となる今日という日に、ブログ仲間のtakatobaabaさんから届いた嬉しい贈り物。 きれいに梱包してくれた、本ワサビです。ありがとうございます。薬味・香味野菜好きにはたまりません。何のお料理、作ろうかな?
2007.04.10
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長年仕事を続けていると、仕事に適した身体になってくる。日曜日に38度以上の熱が出ていても、月曜の朝には36度8分ぐらいに下がり行けるようになる。家で、足が痛いとか腰が痛いとか言って寝込んでいても、仕事に行くと痛みは忘れている。数年前から足首が腫れたりしていても、まっすぐ歩けなくても、片足立ちが出来なくても、私は元気だと思っていたし、パワフルな人で通っていた。長年、身体の不調で休むということはほとんどなかった。家族も親せきも、どういうわけか仕事に協力的で、息子や娘が、はしかや風疹・水痘になったのはなぜか長期休暇中やゴールデンウィーク。息子が盲腸でお腹が痛いと言ったのは、6年を担任していた卒業式の次の日だったし、父も義妹も亡くなったのは金曜の夜だった。孫の生まれたのも金曜の夜で、私はほとんど仕事を休むことがなかった。でも、一昨年の秋からは違った。学校で子どもたちと過ごしている間、痛みを忘れることもあるが、午後ぐらいになると痛くて仕方がない。不審者が出たりすると、集団下校になるのだが、子どもと同じ速度で歩けない。そして、力が入らずに、どんどん足を引きずって歩くようになっていった。学校というところは、仕事を休みにくい。しばらく安静にしたら痛みは引くというが、私が休めば、クラスには誰か代わりに先生が入らないといけない。人材がないので、いろいろなところにしわ寄せがくる。4年生のクラスを担任していたが、活気があるクラスだった。急に歩けなくなった私に最初はなんで?という感じだったが、事情がわかると、どんどん協力してくれた。朝、職員室から教室へ荷物を運んでくれる子がいる。体育の授業も、○○をしようと言っておくと、休み時間から準備を始めて、チャイムが鳴ると、体育係が指示して整列させ準備体操を始める。子どもたちの優しさに助けられながら、何とか休まずに3月の終わりまで勤めることが出来た。そして去年の4月から、病休に入った。長期の休みなので、私のかわりに講師の人が来てくれた。そして休んで初めて、今までまっすぐ歩けなかったことも、片足で立てないことも、少し高い段差を左足で上がれないことも、脳に異常があるのではなく、みんなこの足が原因だったと知った。そして、私のような年齢で、股関節や膝関節でなく、足首の変形性関節症になるのは非常に珍しいことなのだということも知った。昔の捻挫・長年の立ち仕事・そして左足の薬指が短いという先天的な奇形、それらが微妙に影響しあってこの病気になったようだ。
2007.04.05
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今から10年ほど前、グルグルめまいを起こしたことがある。娘と夕方スーパーで買い物していて、酔っぱらったようにふらふらしてきて、「お母さん、お酒なんか飲んでないよなあ」と娘に聞いた。何とか車を運転して帰ってきて寝ころんだら、天井がグルグル回っていた。ちょうど次の日が日曜日で、ゆっくり寝ていたらおさまったが、しばらくの間いつも揺れているような気がした。病院でCTもとったが異常はなく、結局原因はよくわからなかった。ちょうど学期末で忙しかったので、その疲れから一時的にメニエール病を起こしたんだろうと言われた。気になって、夏休みに入ってから別の病院を紹介してもらいMRI検査を受けたが、そこでも異常はなく、その時まっすぐな線の上を歩けるかどうかも検査したら、1mも行かないうちに線からはみ出してしまうのが自分でとっても気になった。その後めまいはもう起こることがなかった。でも、平均台とか狭いところをまっすぐ歩くことが出来ない。メニエールの後遺症かな?更年期障害かな?脳に異常があるのかも・・とか思い、人間ドックの時、脳ドックを希望したりした。3年程前から片足で立つことも苦手になった。右足だとかなり長い時間立てるが、左足だとすぐ倒れてしまう。やっぱり変、老化現象かな?やっぱり脳に何かあるかな?と心配だった。いつも足が腫れるのは寒い時の学期末の忙しい時期。12月か3月で冬休みや春休みになると引いていく。それが、一昨年は新学期が始まっても腫れが引かなかった。太りすぎたかなと、食事制限をして3kgぐらい減らしたりしながら、時々湿布を貼ったり、サポーターを巻いて過ごした。夏休みに近くの整形外科で診てもたっらた、骨にとげが出来ている。「フットボールアンクル」という病気と言われ、ロキソニンを処方された。そんなでも、めちゃくちゃ痛い訳ではないので、旅行なども行っていた。9月の末に、運動会の代休を利用して、同僚と京都へ一泊旅行に行った。嵯峨野を回るために自転車を借りて、乗ろうとしてはたと困った。いつもの、左足をペダルにのせて進みながら乗るという乗り方が出来ないのだ。その上、ブレーキをかけて止まると左足に力が入らないしとても痛い。なんか変、なんか変とずっと思いながら乗っていた。次の日、保津川下りをした。船から下りる時、狭い通路から40cmくらいの高さを左足から上がろうとして、上れない。すぐに降りられずくるくる身体を回している私を同僚が不思議がった。それからしばらくして、学校から2km程離れたところで行事があり、子どもたちを引率していくことがあった。時間がギリギリで、行く時は先頭を歩いて「みんな遅れないようにね」と言っていたのに、帰り道、足が痛くて痛くて、どんどんスピードが遅くなっていく。子どもたちが、「どうしたん、なんで遅いん」と聞いてきたが、冷や汗がだらだら流れてきて、先先行きたがる子に、「待って、待って」と言うばかりだった。その数日後、創立記念日のお休みを利用して病院へ行って、『変形性足関節症』という病名を初めて聞いた。お医者さんは、「安静にしていると、しばらく痛みは引きます。 でも、治す方法は固定手術しかありません。 人工関節は、足首は短期間しか持たないので普通しません。 固定手術をすると、正座が出来ない、走れない、足を引きずる、 他にもいろいろ後遺症があるので、あまり勧められません」と言った。聞いても、私にはもう一つぴんと来なかったが、足の痛みはますますひどくなっていった。
2007.04.05
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少しずつ書庫の中を整理しているが、昨日古い卒業アルバムを見つけた。1986年度の6年生。懐かしい顔、22年前の私、若いなあ。卒業間近の3月、体育の授業のサッカーも、楽しいゲームのような感じだった。クラスの中に、背が高くて体格もいい、やんちゃな男の子がいた。サッカーが得意で、身体全体で押されると誰もかなわないので、すぐ彼のところにボールが行き、そのままシュートされてしまう。「先生、入って一緒にしてよ」という言葉に、彼と体格も変わらなかった私は、途中から相手チームに入ることにした。彼が取ったボールを取りに行く。取ったり取られたり、そんな感じで、二人で倒れた。足首に激痛が走った。私は、すぐに立てず、彼が何度も、「ゴメン」と謝った。わっ、足首おかしい、と思ったが、「大丈夫、大丈夫」と私も言い、しばらくすると歩けたので、そんなに大したことはないと思った。保健室で湿布をもらい貼ったりしていたが、数日後、同じ左足首がまたグキッと横になり、とても痛かった。もう卒業式が目前で、その時の彼らと一緒にいるのは楽しかった。残り少ない日々、放課後は出来るだけしゃべりたい。子どもたちが帰ってから仕事という毎日で、毎日帰るのも遅かったし、病院で診てもらうということを考えもしなかった。今から考えると、その時からなんだなあと思う。次の年から、冬になるとよく足首が腫れ、湿布をしょっちゅう貼るようになった。5年後、転勤して、また高学年を持った。その学校では、冬場になると、耐寒登山やマラソン大会など、かなり激しく動き回らないといけなかった。冬場はよく足首が腫れ、近所の整骨院でいつもマッサージをしてもらい、テーピングしてもらった。そのうち、いっぱい歩きそうな時は、あらかじめ自分でテーピングをするようになった。湿布をよく貼っているので、足首までのバスケットシューズやブーツをよく履いた。海外旅行の写真を見ると、タイとかカンボジアとか暑いところに行くのにも、私は足首までのブーツを履いている。何年かして、一度病院で診察してもらったら、足首に、捻挫をして剥離骨折した後があると言われた。6年生の時のその彼は、本当にやんちゃで昔よく言った「ごんた」というタイプ。勉強の成績はあまり良くなかったが、体育は大好き、悪さもしょっちゅうで私もよくしかった。それなのに、中学生になってからも、彼女が出来たとか、中三では学級委員になったと報告に来た。中卒で、電力会社の下請け会社に就職したが、休みの日にやって来て、「オレら電柱の上の危険なところで仕事をしてるんや。高卒は、電柱の下で仕事するんや。大学を卒業した人らは、クーラーの利いた涼しい建物の中で仕事をしている。今になって、もっと勉強しといたら良かったと思うわ」と言った。20才頃、1回電話がかかってきて、好きな子ができて結婚したいんやけどと言ってきたが、その後連絡はない。今は、もう34才。どうしているかなあ。
2007.04.03
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3月31日付けで、仕事を退職した。一昨日、「公立小学校教員の職を免ずる」という辞令を受けた。今日から私は、無職になった。33年間、私と家族の生活を支えてくれた仕事だ。いつも私の生活は、仕事を中心に動いていた。若い頃は、生活のために働いているなあと思っていたが、いつからか仕事が趣味だなと思えてきた。退職した今、私って、この仕事が大好きだったなあと思う。仕事が好きな理由は色々あるが、私は、授業が好きで、教材を考えるのが好きだ。学校の先生という仕事、苦労も多いけど、なかなか面白い。なんて創造的な仕事なんだろうと思う。普通、仕事って勤務時間または残業して職場の中で終わるのがほとんどだろう。教員の仕事も、学校の中では授業をして、会議などをして一日を終わる。でも、その授業も持っていき方で随分違うのだ。子どもって正直で、面白ければどんどんのって顔つきも変わってるし、面白くなければしんどそうだ。子どもが楽しんでいる時の授業は活気があって、教えている方もすごく楽しい。毎日、明日の何時間分かの授業はどう組み立てようかと考える。こうしたら、子どもたちはのってくるだろうなとか、ヒントが浮かぶとワクワクしてくる。準備したらしただけ手応えがあるのだ。だから、家に帰って、家事をしていても、お風呂に入っていても、それこそ寝ていても考えていたりする。それを、苦痛じゃなく楽しめたのは幸せだったなあと思う。4月、新しい学年の始まりだ。毎年毎年、この時期が来ると、新鮮な気持ちになった。どの学年かなあ、どんな子どもたちかなあ、今年はこんなことやってみたいな、そんなことを考えると、気持ちがわくわくしてくる季節だ。でもこの一年、私が休業している間に、どんどん教育現場は厳しい状況になっていっている。復帰を前提にしていたので、今まで仕事のことには触れてこなかったが、これからは少しずつ、今までのこと、今考えていることなど「学校の先生の本音」をうち明けていきたいなあと思っている。
2007.04.01
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入院している27日の間、一番多かったニュースはいじめ問題だった。北海道の小学校6年の女の子の遺書が明らかにされたことから、九州の中学2年の男子の自殺、それに続く、教師批判、学校批判、教育委員会批判。毎日毎日、今の教育は間違っている、早くなんとかせねばとマスコミが騒ぎ、やらせタウンミーティングなど、問題があるにもかかわらず、各地で教育基本法改悪反対の運動や集会はあるのに、マスコミはそれはほとんど取り上げず、あれよあれよという間に、教育基本法が改正されてしまった。これは、マスコミの情報操作?なんて疑いたくもなる。同じ時期から始まった、教育再生会議。有識者というが、名前ばかり売れているだけで、教育現場の人は少ないし、実際どれだけの人が、今の学校の実態や、子ども・教師・保護者の気持ちがわかっているのか。昨日、第1次最終報告案が出されたが、問題のある子への厳しい措置とか、ゆとり教育の見直しや、教員免許法の改正など、なんか形式だけに終わっているように思えて仕方ない。今の一番の問題は、先生に、親に、子どもの姿が見えていないことが問題じゃないだろうか。子どもが、何が面白くないのか、何が辛いのか、何をして欲しいのか、大人がそれをわかってあげられてないんじゃないだろうか。ゆとり教育の見直しというが、ゆとり教育が大事と総合的な学習が入ってきて、小学校から英語やコンピュータが入ってきたり、今度は、学力低下だ、基礎基本ができていないと言われたり、その度に、学校現場は大混乱して、それにあわせるための勉強で先生も必死だろう。教員免許法の改正、能力のない先生の排除と言うことで、本来の子どもの教育以外に、いっぱい事務処理やレポートなんかが増えていくんだろう。そんなことより、一番大事なのって、先生が、子どもと対話したり、時には遊んで心を通わせられる時間の保障じゃないのかなあ。国が、もっと教育予算を増やして、先生の数も増やして、一クラスの人数が少なくなれば、もっと子どもに目が届く。先生が、子どもとふれあう時間が増えれば、問題を抱える子も減っていくと思うんだけど。学校だけじゃなくて、それは家でも言えることで、収入格差がどんどん広がって、働いても働いても、先が見えない、希望の見えない家庭はいっぱいだ。親が、子どもとふれあって、豊かな会話をはぐくむには、生活のゆとりが必要だ。どんどん政治が弱者に厳しくなっていく。この先日本はどうなっていくんだろうと、不安でしかたない。
2007.01.21
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61回目のヒロシマに原爆の落ちた日。何度かヒロシマに行ったことがある。平和公園は緑も多くきれいだが、その中にゆがんだ鉄骨がむき出しになった原爆ドームが見える。平和資料館には原爆のむごさ、悲惨さを伝えるのもが多く残されている。平和公園にたつ多くの碑には、亡くなった人たちの名前が刻まれている。原爆で一瞬のうちにきえてしまった命、平和公園の地面の下には、何万人という人の骨が埋まっているのだ。私は戦争を知らないが、戦争の悲惨さは知っている。原爆慰霊碑に書かれている「もう過ちはくり返しませんから」と言うことを、次の世代、子どもにも孫にも伝えていかなければいけないと思っている。今年も原爆慰霊祭のニュースは、朝から伝えられた。でも、この頃少しおかしくないだろうか。今日も、誰かが日本も核兵器を持たなくては、と言っていた。北朝鮮がいつ攻めてくるかもしれないと言う声も聞いた。戦争反対と言うことが、普通に言いにくい時代が来ている。唯一の被爆国であり、核の恐怖を一番知っている日本だから、世界中の核廃絶を訴えられる国だと思っているのだが。私は、日本の憲法は世界に誇れる憲法だと思っている。憲法9条、大切にしていって欲しい。ある雑誌で、小泉さんは軍備を増強するために、ブッシュと口裏を合わせて、北朝鮮にわざとミサイルを打たせたんじゃないかという意見が載っていた。そんなことがあるのかどうかはわからないが、情報って伝え方によってずいぶん違うのだと今日は感じた時がある。サンデー○ャポンというテレビで先日のボクシングの試合のビデオを一部流していたのだが、1Rでダウンした後、2~10Rまで亀田優勢の場面ばかり、11・12Rではふらふらだったものの、判定は当然というような編集の仕方なのだ。4年前の9.11の後、アメリカのイラク攻撃を正当化するために流される様々な情報の中に、プロバガンダを感じた。あの頃から、日本も自衛隊を派遣するなど、変わっていったように思う。テレビ・新聞・雑誌・インターネット等、あふれる情報の中から、真実をつかめる目を持たなくてはと思っている。
2006.08.06
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