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維新の新人小野議員が言い出した、たった一日で100万円の文書通信交通滞在費(文通費)問題。日曜討論で維新の別の議員が疑問を出し、吉村知事が受け取るのは国会の非常識だと批判し、橋下徹氏は、野党を非難し、山本太郎を名指しでもらったら信用ならんとツイートした。これに対して、維新の大石あきこ議員がかみつき、吉村知事に、衆議院を辞めたのは2015年10月1日、この時、たった一日でもらっているのに、黙っていたのはおかしいと巨大ブーメラン。辞任した日を9月30日にせず、10月1日にしたのは、この数日後に、橋下氏と吉村知事と松井代表の3人で文通費のことは触れないでくださいと言っているビデオもあるので、あえて文通費をもらおうとしたのは確信犯。大石議員は、知事時代の橋下氏の就任あいさつの時、立ち上がって抗議した女性。元部下に、文句を言われたのが気に入らなかったのか、元公務員で民間の常識がわかってないと、怒涛のツイートをし、テレビでも同じような発言をしていた。大石議員は、維新は年間18億円もの政党助成金をもらっている。それなのに、100万円で他の野党を攻撃するのは異常だと返した。退職した元維新の丸山穂高前議員も、議員団に毎月何百万も税金が流れている。この使い道も公開すべきではと加勢した。分が悪くなったのか、橋下氏は大石議員とのバトルは止めて、維新の国会議員団に政務活動費の公開をと矛先を変えている。このやり取りをテレビでどう伝えるのかなと思ったら、維新の新人議員から文通費の支給はおかしいと言う声が出て、自民党や立憲民主党は日割りで支給する案にまとまってきていると言うような内容。維新が問題提起したと言うような持ち上げ方。サンデージャポンでは、元議員の杉村太蔵が、歳費や文通費など国会議員に出るお金を、詳しく説明したけれど、一番下に政党助成金318億円と出ているのに、あえて小さな文字で書いて、誰も突っ込まない。全然単位が違うのにおかしすぎる。昨年度の政党助成金は次の通り。れいわのような小さな政党は、政党補助金も少なく、今回の選挙も一般の人たちの少しずつの寄付で選挙を進めてきた。特別国会が終わってすぐ、北海道から始まって各地へ街宣や報告会をして回っているので、お金はいくらでも欲しいと思う。共産党は、「国民との結びつきを通じて自主的に活動資金をつくるべきだ」との考えから政党助成金をもらっていないし政党助成金の制度自体に反対の立場をとっている。また、数年前からこの文通費についても抜本的に見直すべきと言い続けてきた。今回、自民党、公明党、維新は寄付すると言っているけれど、各政党の本部。野党が国庫返納と言っているのとはわけが違う。政党助成金は、議員の人数で約320億円もの税金を山分けする仕組みで、使い道は自由だ。政党助成金自体も見直すべきじゃないだろうか。テレビは、こういうこともちゃんと報道して欲しい。
2021.11.22
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昨日の夜、オリンピック開会式の様子をテレビで見ていた。オリンピックは中止した方がいいなあと思っていたので、ダンナは、「見る気が起こらない」と言うけれど、私は、「見なけりゃ、いいか悪いか判断できないでしょ」と思う。良かったなあと思うところもあったけれど、突っ込みどころも満載。良かったなあと思ったのは、・MISIAの歌が上手かった。・空にドローンで描いた平面的なエンブレム。 立体的な地球に変わる演出がすごいなあと思った。・パントマイムでの50個のピクトグラムの再現は面白かった。 欽ちゃんの仮装大賞などでこういうのがよくあるけれど、 出れば優勝間違いなし。・やっぱり入場してくる選手たちの表情が良かった。 選手たちにとっては、オリンピックが実施されて、 出場できたことが喜びだものなあ。反対に突っ込みたいところは、・なんでこんな時間に子どもを出しているの? 最後の聖火を被災地の子どもがトーチを受け取ったのは、 11時を回っていたんじゃない? こんなことしていいの?・日本で開催しているのに、日本語がわかりにくい。 どこかの博士の功績なのかもしれないけれど、IOCの宣伝にもうんざり。・バッハ会長の演説が長い。・天皇陛下のあいさつの時の、菅総理や小池都知事の対応。 途中で気が付いて立ち上がったばつの悪そうな顔を、 全世界に配信されてしまった。・市川海老蔵とジャズピアノはもったいない。 途中でピアノ演奏を映しているから、 その間、何していたのかなあと気になった。・全体的にバラバラで、統一感が無くチープな印象。 真矢みきたちのお祭りの演出は、紅白歌合戦でも出てくるようなイメージ。 劇団ひとりの場面や、なだぎ武たちのパフォーマンスも面白いけれど、 オリンピックにはどうなんだろう。 これで、160億円って、どこに使ったん?と思えてしまう。・選手たち、しんどかっただろうなあ。 出場行進の途中で姉から電話があって、 だいぶ話したけれど、切っても続いていた。 長袖長ズボンの背広姿の人も多いけれど、冷房は効いていたんだろうか。 せっかく無観客にしたんだから、 入場してきた順に客席に座って行っても良かったのに。 その方が、間隔も取れたんじゃないかと思う。 飲酒禁止にしていたけれど、水ぐらいは飲めたのかなあ。安心安全と言いながら、選手たちにもあまり配慮されていないなあと思った。あまりにもしょぼいなあと思ったけれど、去年までは野村萬斎や椎名林檎、MIKIKOさんたちで、かなり作り込んできたような様子。去年の12月23日に、野村萬斎さんたちの演出チームが解散された様子がyoutubeで上がっているけれど、組織委員会の武藤事務総長はコロナ禍で簡素化するために佐々木宏さんに一任すると言っている。簡素化と言いながら、費用はすごくかかっているし、電通が中抜きしているの?と思えてしまう。途中まで丁寧に作ってきたものを、壊してしまうなんてひどいなあ。萬斎さんたちのものを見たかった。聖火台は富士山をイメージしたものと言ってたけれど、点火した様子が富士山の噴火に見えると言う声も多い。先日、さんまとマツコの番組で、約20年前に出版された「私が見た未来」と言う漫画のことが出てきて、富士山噴火のことも予言しているらしい。そんなのを見た後だったので、ちょっと不安。コロナが広がらないかも、とっても心配だけれど、惨事も起こりませんように。
2021.07.25
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3月25日にお彼岸が終わった。お彼岸には、四天王寺さんにお参りに行くのが習慣になっていた。私のブログにも、3月と9月のお彼岸に行ったことは何度も書いている。四天王寺にお参りしだしてから、もう20年以上になる。1995年に父が亡くなるまでは、実家に仏壇もお墓もなく、母はいつもお彼岸に四天王寺にお参りしていた。母の足が悪くなってきて、ついてきて欲しいと言われ、体力が無くなって自分が行けなくなると、行ってきて欲しいと頼まれた。「四天王寺さんにお参りしているから、先祖が守ってくれている」といつも言っていた。四天王寺では、経木に〇〇家先祖代々や、戒名、俗名などを書いて、回向料を支払い、回向券と経木を持ってお堂に行き、成仏を願って供養してもらう。その経木をまたもらって、亀井堂へもっていき、そこでもお経を読んでもらいながら聖水でお流ししてもらうというのが一連の流れ。回向料は、経木10枚までが3000円、30枚までが5000円。母に頼まれたのは10枚以上で、どうせ同じ金額を払うならと、早く亡くなった義父や義妹や姪、亡くなった友人の俗名も書いて一緒に供養してもらうようになった。お墓参りに行けなくても、こうして供養できる機会があって、心がとても休まった。2011年に母が亡くなったけれど、母の習慣は、いつしか私の習慣になっていった。お彼岸には行かないとちょっと落ち着かなくて、電車で往復3時間とんぼ返りで行ってきたこともある。でも、私も足が悪くなってきて、ここ数年は、車で行って、お堂で回向券と一緒に経木を渡し、お流しは頼んでくるということが多くなった。一昨年の秋のお彼岸、ハワイの旅行がちょうど彼岸と重なっていて行けなかった。特に悪いことも起こってないのに、行かなくてよかったかなあとしばらくの間、気をもんだ。それで、去年の春は、手術した後だったけれど、蟹旅行の帰り、経木と回向料だけ払ってお願いしてきた。足の調子がだんだん悪くなってきて、秋のお彼岸も、渡してお願いしただけ。今年の春は、コロナで皆、人込みを避けて、卒業式も結婚式も法事も止めているのに、行かない方がいいなと止めることにした。義母の三回忌も、ダンナのきょうだいも来れない状況。ちゃんと仏壇とお墓にお参りしていればいいなと思えるようになってきた。そして今回、足の調子もよくないし、もういいかと決めてスッキリしている。一つしがらみから解き放たれた気分。このコロナ禍、たくさんの人がいろんなしがらみから解き放たれているかもしれないな。また足の調子がよくなって、行きたくなったら行くことにしよう。
2020.09.27
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今日はヒロシマ原爆忌。75年前に、ヒロシマに原爆が投下された日だ。私が、小学校の教職員として後半勤めていた市は、6年の修学旅行がヒロシマで、毎年8月6日が平和登校日になっていた。8時に登校し、8時15分に、テレビの平和式典と同時に黙とうし、平和教材のビデオを見たり、聞き取りをしたりして、戦争と平和について考える日だ。日本で昔、本当に戦争があったこと、多くの人が亡くなったり、多くのものを失ったり、悲しい思いをしたこと。戦争を体験した人がどんどん少なくなって、ゲームやテレビなどで、戦争をゲーム感覚でとらえる子も増えてきて、平和について考えるいい機会だったと思う。6年生の修学旅行では、平和公園のフィールドワークをして、被爆体験者から体験談を聞いた。何万人という被爆者の遺骨の眠る平和公園を歩いて、原子爆弾の悲惨さを今に伝える原爆ドームを見ると、戦争を知らない私も身の引き締まる思いだった。原爆供養塔の清掃活動のボランティアを長年し、有名だった佐伯敏子さんにも何度かお話を聞いたことがある。これらの貴重な経験は、子どもたちにも、きっと戦争への道は決して選ばないでおこうという指標になっていると思う。でも、私が退職したのは2007年。歩けなくなって休職していた2006年から第一次安倍政権になり、どんどん教育現場が変わっていった。1回目の手術で入院している時、教育再生会議と言うのが始まり、あれよあれよという間に教育基本法が改訂された。思うように動けない体と、現場にいない歯がゆさで、テレビや新聞のニュースを見ながら、胃がキリキリしたのを思い出す。それで、後日こんな日記を書いていた。改造内閣が不祥事続きで、突然辞任したのは、2007年の2回目の手術で入院している最中。所信表明演説をした直後で、野党から質問を受けると言う日に、突然政権を放り出したような辞任だった。でも、その後福田康夫内閣に代わり、同じ自民党でも政権が変わればこんなにほっとするのかという思いを味わった。退職してから、もう13年が経った。もう、8月6日を平和登校日としている学校はないかもしれないなあ。自虐史観が強いと言うことで、削除された平和教材も多い。今日、平和式典に参加しても核兵器禁止条約に触れない安倍総理。戦争被爆国の日本が、核兵器禁止条約に背を向けることに、ヒロシマの方たちは歯がゆい思いをしたことだろう。そして、平和憲法に逆らって、敵基地攻撃能力の保有を検討し始めた自民党。コロナでこれだけ見当違いの判断をしている安倍政権が、判断を誤って先制攻撃などしてしまったらどうするんだろう。一日も早く、安倍政権が終わってほしいと願わずにいられない。(追記)HPなどで調べたら、今年は夏休みが少なく特別ですが、去年までは、大阪では8月6日に平和登校日を設けている学校もかなりあるようでした。
2020.08.07
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東京都民じゃないけれど、山本太郎の都知事選出馬はとても興味がある。最近、寝る前にyoutubeを聴きながら寝ることが多く、れいわ新選組のチャンネルはよく聞いている。去年の参院選で自分が落選した後も、全国を回り、街頭演説をし、どんな質問にも真摯に答えている。そしてその言葉一つ一つに説得力があり、何よりも国民目線。本当に辛い人に寄り添って、自分の言葉で語っている。今日初めて聞いたときは、宇都宮さんと票を取り合って、小池さんに有利に働くんじゃないかなあと思ったけれど、宇都宮さんとも話し合ってきたそうで、他の野党の票は当てにせず、小池さんの票を取っていく、投票に興味がなく、今まで選挙に行かなかった人の票を狙っていると言っていた。山本太郎のことは、「たけしの元気が出るテレビ」でメロリンQと言ってた時から知っている。お調子者で目立ちたがりな若者が、いつの間にか俳優になり、いい演技をするようになっていた。今日のインタビューで小池さんのカイロ大学のことを聞かれていたけれど、「すごいですねえ、カイロ大学に東大2人、それに中卒ですから」と言っていたけれど、彼は大阪の箕面自由学園を中退して中卒。でも、何もカンペを見ずに自分の言葉で自分の意見を言えるのって、学歴に関係なくとても頭がいいんだろう。東日本大震災の後、政治家になってからは、政治のことを本当によく勉強している。最近、田中角栄待望論がよく出てきていたけれど、お金に頼らない以外は、人の話を聞く、コンピュータのように計算して頭がいい、気さくで人脈を作るのがうまいところなど共通点も多いなあと思う。新型コロナの影響で、今までのような街頭演説はしにくいだろう。でも、テレワークやオンライン学習が進み、若い人がyoutubeなどを見る機会が増えている今、テレビには全然出ないけれど、ネットでいっぱい発信している山本太郎のことを、出馬をきっかけに見る人は多いだろう。選挙権が18歳以上になり、今までの国会での山本太郎の発言などを始めてみる若者は、モリカケ問題などに鋭い質問をする山本太郎に興味がわくだろう。一人で牛歩戦術したり、目立ちたいだけのように見えていた行動も、今の安倍政権の腹立たしさをみると、自分一人だけでもなんとかしたいと言う表れのように見えてきて、時代が味方になっているなあと思う。山本太郎出馬が決まってからの、小池さんや宇都宮さん表情がうろたえて見えたのは私だけ?ひょっとすると、都知事選行けるんじゃないだろうか。都知事になって、手腕を発揮すれば、来年の都議会選や衆院選にも追い風になって、他の野党から共闘を呼び掛けてくるかもしれない。都知事4年した後、国会議員になって、彼が言ってた将来は総理大臣になりたいという夢が、いつか実現するかもしれないなあ。
2020.06.16
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29日の月曜日、まだ学校に勤める友人と、久しぶりに一緒にお昼を食べた。私より一つ年下の彼女は、今年、大学を卒業したばかりの新任と、2年目の先生と一緒に、1年生の担任をしている。新任が1年生を担任することは、以前は考えられないことだったけれど、今は、ほとんどが20代で経験の少ない人ばかり。数少ない50代の経験豊富な人に、教えてもらいなさいと言うことだろう。毎日、朝7時には学校へ行って、帰ってくるのは、夜の9時か10時頃だと言う。4月の始めは、学校全体のことを決める会議が多い。それが終わってから、次の日の授業の準備。4時間分の授業内容を話し合って、二人の先生に、授業のシュミレーションをしてもらっているのだと言う。学校に入ってきたばかりの1年生には教えることがいっぱいで、「これは本です、これはノートです、本のことを教科書と言います」というところから。靴箱の中の靴の入れ方、荷物の出し方、鉛筆の持ち方、手の上げ方、みんな一から教えないといけない。「本を閉じなさい」という言葉に、ぽか~んとしている子がいっぱいだったと言う。「閉じる」という言葉がわからなかったらしい。「閉じるってこうするんですよ」と実際にして見せて、みんなでしてみてやっと理解できる、そんなことの繰り返し。若い彼女たちを、もう少し余裕を持って見守って欲しいのに、保護者は、すぐ3つのクラスを比較する。それで、何よりも3クラス足並みをそろえることに気を使っている。授業参観では、話す言葉も、黒板に書く文字も一緒にして、掲示物も揃えたそうだ。本来の授業も大変だけれど、最近は、アレルギーのある子が多くて、給食も配慮しないといけない。栄養士さんや調理員さんが、アレルギーのある子用の給食を区別してくれているので、先に配って、それから他の子たちの分を配膳する。今年彼女のクラスには、触るだけでも反応が出る子がいて、その子の物を触る時には、石鹸で必ず手洗いをして、消毒してから触らないといけないらしい。彼女は、独身で一人暮らし。今は忙しすぎて、洗濯も掃除も、休みの日しかできない。この日も、まだいっぱい仕事がありそうなので、ランチをしてから別れた。彼女だから勤まっているけれど、子どもや、年老いた親のいる人だと、とても同じようには働けない。かつて大病をしたことのある彼女なので、自分の体もいたわって欲しいなあと思っている。この日のランチは、スターゲートタワーホテルの、パティステージで、ハーフバイキングランチ、1500円。写真に撮るのを忘れたけれど、パン、飲み物、スープがバイキング。前菜、メイン(パスタやピザ)にデザートが付いている。この日は、4月末が期限の20%割引の券を持っていたので使用。お得に楽しめた。※今日は、娘が泊まりに来ている。娘が、「お母さんのブログ、誤字脱字いっぱいやったよ」というので見て見たら、本当にひどい。寝る前に書いて、見直してなかったら駄目ですねえ。ごめんなさい。(5月2日)
2013.05.01
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昨日、ダンナが敦賀へ日帰りで行ってきた。義母が、眼科に連れて行って欲しいと言う。3カ月ほど前、結膜炎のような症状になって、眼科で目薬をもらった。もう治っているけれど、目薬が切れると不安になるようだ。もう行かんでいいのになあ、と言いながらも、ダンナは早起きして、4時半に出発した。この頃、ダンナは、義母にとても優しい。そこまでせんでいいのに、と思うこともある。今回、もう一つ行くところがあった。敦賀の家の近所の人のうちに、お香典を持って行くこと。1カ月ほど前、新聞のお悔み欄に、亡くなったことが載っていたらしい。義父が亡くなった時、3000円もらっているから、届けてほしいと言う。私は、もう行かない方がいいのにと思う。お葬式が過ぎて、よけい迷惑にならないかな、敦賀の家には、もう誰も住んでいないのに、施設に入っていることがわかって、余計、気を使わせるんじゃないかなあと思った。でも、余計なことは言わないでおこう。ダンナは、好きなようにさせてあげようと言ってるのに、意地悪をしているように思われても困る。それで、四十九日前だろうから、「御仏前」にして、持って行ってもらった。8時前に敦賀に着いて、義母を眼科へ連れて行って、近所の家にお悔やみに行って、すぐ帰ってきたらしく、夕方、私がスポーツクラブから帰ってきたら、もうすでにダンナが帰っていた。近所の家のお悔みは、ちょうど奥さんが家にいたそうで、挨拶状と、粗供養の品物をもらって帰っていた。葬儀の粗供養が残っていたのなら良かったとホッとした。ダンナは面識がないけれど、とても感じのいい人だったそうだ。粗供養のお菓子とともに入っていた挨拶状を見て、こんな挨拶状があるんだ~と驚いた。ちょっと文面を書いてみると、「お疲れ様でした ゆっくり休んで下さい」どんなに記憶の糸を手繰り寄せても、声を荒げている夫の姿など思い浮かびません。多くを語らずとも家族を見守る眼差しには限りない優しさを込めてくれました。愚痴ひとつこぼさず 定年を迎えた後もこつこつと働き、私たちを守り支える力は誰よりも強く・・・そうして築き上げた我が家の礎は、今日まで続く平穏な暮らしに繋がっています。娘たちの幸せを願い続け、泣いたり笑ったり・・・ともに綴ったあたたかな日々を偲べば、別れが惜しまれてなりませんが、はるかな地にたどり着いたならまたかつてのようにタバコ片手に、穏やかなひとときを過ごして欲しいと祈るばかりです。夫 〇〇〇〇は、空の色にも秋の気配が滲む平成二十四年九月十一日、病との闘いを終え満八十三歳にて生涯に幕を下ろしました。公私共に善きご縁を結び、お力添えを下さった皆様へ深謝申し上げます。本日はご多用の中、ご会葬頂き誠に有難うございました。略儀ながら書状をもってお礼申し上げます。見たことも会ったこともない人だけれど、故人がどんな人だったのか想像できる。葬儀の挨拶文と言うと、どれも同じようなものしか見たことがなかったけれど、これは、心に残る挨拶状だなあと思った。この挨拶状は、今度義母に届けよう。行かなくてもいいのに、と思ったことを、ちょっと反省した。
2012.10.18
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オリンピックも終盤。ダンナは、7日の日、オリンピックを見たいがために、日帰りで敦賀へ行ってきた。それも、義母を眼科に連れて行くために、朝の4時に家を出発、午後からはお寺の施餓鬼があったのに、8時ごろにはもう帰ってきて、テレビを見ていた。夜中のテレビを録画して、昼間見ることが多いけれど、今朝の女子サッカーは違った。ダンナは徹夜で観戦し、私は早めに寝て、3時半に目覚ましをセット。4時から、オンタイムで見た。最後まで、力いっぱい頑張っているのが伝わってきて、銀だけど、素晴らしかった。感動をありがとう、お疲れ様と思った。そして、「金に良いと書いて銀、金に同じと書いて銅」と、4年前のブログに書いたことを思い出した。本当に最後まで互角、相手の方が反則じゃないの?と言う場面もあって、ワールドカップ金のチーム力を感じさせた。佐々木監督が「ハンドハンド」と叫んでいたが、あの場面、やっぱり審判の誤審じゃないかと言うことを、アメリカの新聞は報じていたそうで、自分の国の間違いも認めるところが、アメリカのいいところだなあと思う。ところで、4年前のオリンピックの前の日の日記は、母の退院のこと。3週間意識がなく、心肺停止からの生還で、懐かしく読み返してしまった。年々忘れっぽくなっているのに、鮮やかに思い出せる。ブログを書いていて良かったなあと思うこのごろ。明日から13日まで敦賀へ。今年は母の初盆なので、14日には実家に行きたいなあと思っている。
2012.08.10
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昨日のにととらさんのブログは、ドリームジャンボのこと。今回、高額を止めて、人数を増やしたのがいいと言う意見。以前も書かれていたことがあったなあ。その時、私はもっと小さな額でいいと書いたような気がして、にととらさんの以前のブログを調べてみた。2007年5月31日の日記だ。それに対する私のコメントが、「2億円は怖すぎる。10万円ぐらい当たってくれたら一番使いやすいし嬉しいな。」え~、宝くじなのに10万円?なんでこんなコメントを書いたんだろうと不思議に思った。2007年の5月と言えば、私が、歩くのにとっても不自由だった頃。立ち上がって、歩きだすまでに1分30秒かかると言ってた頃だ。一番困ったのが、お金の扱いだった。財布を出して、お金を払っているとき、ちょっとぶつかられたりしてお金を落としても、簡単に拾えないし、持って行かれても追いかけられない。キャッシュコーナーで、お金を引き出すのも恐かった。だから買い物がとっても億劫だったし、物欲も全くなかった。それが最近、「4444」や「9999」の車を見たり、運がいいかもなんて思うから、ジャンボを買った。車の支払いもあるし、娘の結婚も近い。旅行も行きたいし、下水道が近いうちに付きそうなので、家のリフォームもしたい。と、最近はとっても強欲になっている。今の私は、いっぱい歩けて、あの頃のことが、嘘のように感じる時がある。でも、ブログと、あの頃使っていた道具を見ていると、あの頃のことを思い出せる。後ろ向きに歩けた、大阪まで行けたと、ささいなことが嬉しかった。自分もされると嬉しかったので、とても人に優しかったと思う。今日、私はまた一つ年を重ねた。健康で、過ごせることに感謝しよう。時にはあの頃を振り返って、気持ちを引き締めないとと思っている。
2012.06.07
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新しい年が始まりました。元旦の大阪は、とっても良い天気でした。姑とダンナと3人で新年を迎えました。夕べ、姑と一緒にお風呂に入って洗ってあげました。母が何度も泊まりに来たのに、一度も一緒に入って洗ってあげなかったことを後悔しました。こんなに早く逝くと思わなかったので、母にかなり厳しいことを言ったのも反省しています。今年は、できるだけ人に優しくを心掛けたいと思います。今年もよろしくお願いします。
2012.01.01
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明日・明後日と地域のだんじり祭り。祭りの初日は朝が早く、朝6時開始。今年、手伝いで参加するダンナは、5時集合だ居間のリフォームの方は、大工仕事は今日の午前中に終わったけれど、壁紙は、今日は、トイレと、居間の天井、壁面は、夜7時ぐらいまで作業していたけれど、三分の一ぐらいで、夜になってしまった。それで、明日早くから来て続きをしてくれるそうだ。そんなわけで、早く寝ないといけないんだけど、新聞の橋下知事や維新の会が出した、「大阪府教育基本条例案」の記事に、「これはあかんやろ」と物を言いたくて仕方がない。知事に投書を送ろうかなあ。
2011.10.07
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テレビから流れる、津波の映像や、火災の映像を見ていると、胸が痛む。でも、これはほんの一部分で、明日の朝、明るくなって実態がわかってくれば、もっと甚大な被害状況がわかってくるだろう。暗くて寒くて怖い状態の中で、救いを待っている人がたくさんいることだろう。ああ、追い打ちをかけるように、雪が降ってきている。ああ、信じられないような大災害が起こっている。私には、何ができるのだろう。なるべくたくさんの人が、早く救出されますように。まだまだ余震のテロップが流れています。みなさん、気を付けてくだいね。
2011.03.11
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