今日は一時預かりの活動をしているNPOの活動に行ってきました。
入園未満のお子さんを講座の間、お子さんをお預かりする活動です。
人数は一部屋で20人規模の大きい託児でした。(2部屋に分かれました)
保育園とはちがい、一時的に1,2時間のお預かりなので、預けられる子も私たちのことは知らないし、お互い初対面みたいなものです。
泣く子もたくさんいます。部屋から逃げ出そうとする子もいます。
そんな中、毎回思うのは「お母さんさえここにいれば、この子は泣かないのかも」ということ。それは当たり前のことだと思うのですが。
でもなんで、そうじゃなくてこの子たちはここにいるのか?
毎回毎回、頭の中をぐるぐるします。
この時間にも当然、意味があるんだと思って活動しています。
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最近、親学に関わっている某保育園の経営者の方の本を読みました。
今の保育のあり方について、異論を唱えている内容でした。
その中に、「子どもが3歳までは産みの母親が世話をし育てるべき」
という内容が強く打ち出され、さまざまな学者の「断片的な」主張をとりあげて、
とにかく母親が、というスタンスだった印象です。
そういう人からしてみると、子どもにとって見ず知らずの大人に預けられるなんて、とんでもない、という話になるのかもしれません。
やっぱりそうなのかな、どうなのかな。
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今日、泣いている子たちを目の前に思ったのは、「数十分したらお母さんが迎えに来ることは確か」ということ。
そして今泣いているこの時間、こういう過ごし方もアリなのかな。と。
お母さんは1,2時間でも自分の時間を持つことができ、充実した気持ちで子どもさんをお迎えにみえます。待っていてくれてありがとう!お母さん、良い時間を過ごせたよ!
お迎えに来たお母さんたちは、その瞬間からまた日常の子育てに戻るのです。
託児を利用して、自分の時間を持つことで、その後よりよい関わりができるようになる。
そのために。
どれだけ、子どもたちがギャン泣きしてもやっぱり必要だなあと思うのです。
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