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テーマ: 海外生活(7776)
第28章「シブにて」

我々がシブでやろうとしていた仕事は、集荷エージェントであった。
当時シブあるいはサラワク州全体が、合板工場建設ブームといっても良いくらいであった。
サラワク州の主な木材および製品の積出港は、北からMiri(ミリ)、Bintulu(ビンツル)、
そしてTg.Mani(タンジョン・マニ)等であった。
そしてそれぞれの港の背後に続々と合板工場、或いは製材工場、繊維合板工場などが建設されつつあった。
これらの工場から出てくる製品は、主にアジア、中東、インド、或いは遠くヨーロッパまで輸出されていた。
しかし此処も発展途上国の急成長産業地域のご多分にもれず、荷物の集荷、輸出と言う事に関しては一種の無法地帯であった。
ルールもなにもあったものではない。
如何にして相手(競合船社)を出し抜くか、それしかなかった。
当時は、万年海運不況で特に遠洋業界は惨憺たるものであった。
そこへこのマレーシアからの輸出ラッシュである。
業界の底辺でひしめく船会社が殺到したのは無理もない状況であった。

義父に引き回されて、各シッパー(木材輸出業者)を回り集荷エージェントを始めたことを報告するだけで一月を要した。
義父は各シッパーの一世連中(親父)と、私は二世連中と大体同年代であったので、比較的溶け込みやすかった。
まだ二世連中は海外留学していた人も多く、皆英語が達者であったので非常に助かった。

中国人と一緒に暮らして気が付いた事がある。
中国人と言う人種はとにかく食べる事が好きな人種である。
街で出会うとお茶、午後になれば友達同士で夕食の約束。
そうそう、このシブの名物の食べ物を幾つか紹介しておこう。

まずカマ・ミー。
ミートはマレー語で"麺"のこと。
いわば焼きソバであるが、シブのカマ・ミーは一度茹でた麺を炒める。
野菜も肉もあまり多く入っていないが、ソースがなんとも言えず美味しいのである。
しばらく、シブを離れていた人間は戻ってくると開口一番、「カマ・ミーを食べに行こう!」という。

もう一つは前述のテンガラン河で採れるイカン・テンガラン(テンガラン魚)のから揚げ。
この魚大きいものは1メートル近くにもなる。
外見はソウ魚のようなゴツイ魚であるがこれを丸上げにした豪快な料理。
これが実に上手い。
このテンガラン河は年中ミルクコーヒーのような色をした河であるが、川幅も広く流れも結構急である。
なによりもこの沿岸の泥が溶け出したミルク珈琲の様な水が多くのミネラル分を含みテンガラン・フィッシュのような魚を育てるのである。

ついでに同じサラワク州のMiriに行くと、此処ではラクサが食べられる。
ラクサとはスパイシーなラーメンの事で非常に辛い。
食べると頭から汗が噴出すほどであるが、辛い物好きには堪えられない味である。


ウソのような本当の話を一つ。
最初頃シブでは、昼食によく蝦そばを食べていた。
簡単なラーメンの中に手長蝦のような細身の蝦が竹割りになって入っている。
スープも蝦の出汁が良く出て非常に美味しい。
何よりも値段が安かった。
ところが、ある日仕事を終えて帰宅すると、家の前のドブ川で子供達がワーワーいいながら何かを採っている。
何をしているのかと見に行くと、バケツの中でザリガニのようなものがガサゴソしている。 どこかで見たような蝦である。
そう! 色こそ違えいつも食べている蝦ではないか!!
何時も食べているのは煮えているので赤いが、取れたては、薄茶色の汚い蝦である。
思わずう~ん と唸ってしまった。
自分としてはこの蝦が、好きな蝦そばの中に入っていると思いたくはない、しかし目の前の現実をみると・・・。
そこでタドタドしいマレー語で子供達に聞いてみた。
「この蝦はどうするの?」
「食べるか、売るんだよ!」
「今日は沢山取れたから売りに行くんだ!」と嬉しそう。
絶句!!
その後二度と蝦そばを食べる事がなかったのは言うまでもない。


ビザの関係で3ヶ月毎にマレーシアを離れなければいけなかったが、この3ヶ月毎と言う期間ほど良い長さであったと思う。
3ヶ月毎に忙しい時はシンガポールで、時間があればオークランドまで帰ってリフレッシュした。


仕事も徐々にではあるが軌道に乗り始めた9ヶ月が過ぎた頃、電話の向こうでワイフが如何にしても肩こりが治らないという。
時間が経つにつれて、その肩こりがますますひどくなり、車の運転もままならない程になってきたのは一年を過ぎた頃であった。
どうやら肩凝りではないようす。
立っていれば左程ではないが、車のように腰が沈み込む座り方だと、どうにも首と頭が重くて前を向いていられないと言う。

とにかく医者に行って精密検査をしてもらうようにすすめて電話を切ったが、非常に心配であった。
一方仕事のほうは順調に伸びていて、従業員も6人を使うまでになっていた。
この時はNZに帰国できるのが4ヶ月おきくらいになっていて、シンガポールへ出ても2日でマレーシアに戻るような忙しさであった。

シブに来て一年半近くになろうかと言う頃に、一時小康を得ていたワイフの症状が急に悪化する。
医者の見立てによれると、
背中の筋肉を使わないために急激弱まり、体の中で一番重いパーツ頭を支えられなくなっている と言う。
理由は毎日車で移動するだけで、歩かなくなった事が大きな原因だと言う。
人間の背中には首から腰まで繋がる大きな二本の筋肉が縦に走っているが、どうやらこの二本の筋肉が弱くなってしまったらしいのである。
人間歩く事によって自然に体の各部の筋肉が適度に鍛えられ、刺激されていたようだ。
確かに日本にいる時と比べれば、全くと言って良いほど歩かなくなっている。


車の運転が出来ないので、買い物なども友達に頼んでいるというし、学校の送り迎えも同級生の母親が代行してくれいるらしい。
ワイフも自分の体が不自由な事から精神的にも落ちこみ私にNZへ戻って来て欲しいという。
事業はこれから面白くなる時期でもあったが、自分の根幹をなす家族がやはり一番大切だと思いなおし、一大決心して事業を畳む事にする。
勿論義父に了解いただいての事ではあるが。

NZに帰国するに当たって、各シッパーの二世達がそれぞれにサヨナラパーティーを開いてくれた。
いまでもその内の何人かとはメールのやり取りをする仲である。

事業をたたむのに約3ヶ月を要し、家族の待つオークランドに帰国したのは93年の5月であった。

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Last updated  2007.06.03 18:31:00
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