New Zealand 虹の立つ国へ

New Zealand 虹の立つ国へ

PR

Calendar

Profile

WB nz

WB nz

Favorite Blog

ニュージーランドウ… lb40jpさん
2人のゴジラに囲まれ… なつねちゃんさん
小雪のひとりごと。 東谷小雪さん
Golden Louis miimonsさん
nature☆かふぇ yokyokoさん
美和ちゃんとKちゃん… みーわちゃんさん
美味しいもの倶楽部 ハマのコモモちゃんさん

Comments

WB nz @ Re[1]:一ヶ月半振りの帰国(11/22) 東谷小雪さん >おかえりなさいです、ご…
東谷小雪 @ Re:一ヶ月半振りの帰国(11/22) おかえりなさいです、ご無事でよかったで…
WB nz @ Re:お帰りなさい!!(11/22) なつねちゃんさん >無事の帰国 何より…
なつねちゃん @ お帰りなさい!! 無事の帰国 何よりです。 全くイメージ…
WB nz @ Re:ご無事で何より(11/22) ハマのコモモちゃんさん >お疲れ様でし…

Archives

2024.12
2024.11
2024.10
2024.09
2024.08
2007.06.04
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
日記をアップしたのだが、どうも日記の各ページからの次のページへのリンクが上手く働かない。
本来この部分は友人のlb40が助けてくれていたのだが、現在倒れて入院中の為何とか自分でやって見てはいるのだが…。
よって、次の章へ進む場合は、一度日記のページへ戻って次の章へ読み進んで下さい。
ご不便をお掛けして申し訳ない。

WB


                        第32章「子供達」


ここで子供達の事に少し触れておこう。

まずは子供達が小さい頃(5-6歳)に参加していたミジェットサッカー。
とにかく見ていて面白い。
一応11人ひとチームで大人のコーチも付いてくれる。
ユニフォームダブダブだがクラブ供与で揃いのものがある。
でいざ試合が始まると、ボールを中心に全部で20人の子供がぐるぐると回りながらグランド内を掛けまわる。
まるでミツバチのダンスのようである。
時々一人上手くボールを保持できた子があらぬ方向へボールを蹴ると、またそこでミツバチダンスが始まるのである。

サイドラインで見守る親は、笑いながらも一生懸命に声援を送る。
じつにのどかで楽しいひと時である。

NZはとにかくスポーツが盛んな国である。
老いも若きも冬でも土曜日になると早起きして近所のグランドでラグビー、サッカーに汗を流す。

国技はラグビー。
言わずと知れたAll Blacksがその頂点に立つ。

現在ワールドランキング第一位の「黒い軍団」の強さは圧倒的で、何年か前にAll Blacksの一軍半と日本代表が試合をしたが、ワールドテストとしてはラグビー史上に残る125点差で日本代表が負けた事がある。
その後一回も日本はAll Blacksとテストマッチを持っていない。
ここ何年かのワールドテストマッチでも負け知らずなのである。
ワールドテストマッチの中でも世界Top3の南アフリカ、オーストラリアとNZの試合は実力伯仲で非常に見応えがある。

一方サッカーはマダマダ発展途上国で一応All White(なぜかひ弱な感じ)と言うニックネームが付いては居るが、ランキングは忘れたくらいに下である。


早い物でNZに移住してから4年目になろうとしている頃である。
子供達も英語には全く不自由しなくなり、毎日近所の子供と暗くなるまで外で遊びまわっている。
念願の犬も飼い始め(これがスミである  詳細は此方をどうぞ)
http://plaza.rakuten.co.jp/lb40jp/diary/200703120000/
このスミも先日病気で他界した。
実に良く我が家に遣えてくれた、やさしい犬であった。


事業の方もどうやら目処が立ち、日々の生活に落ち着きと余裕が出来てきた。

当初(ミジェットの頃)は二人の息子は年齢も近い(年子)だったので同じチームに入れられていたが、1年ほどでジュニア部門に移る。


長男はこの後もずっとサッカーを続けるが、次男は早々と自分の才能に見切りを付けて辞めてしまう。
他方長男も、実はサッカーを始めて2-3年は全く目立たないプレーヤーであった。
いつもDFのポジションでプレーも自信なげであった。
コーチからも「もっとしっかりプレーしろ。」と注意される事も度々であった。

ところがある試合で彼は偶然右のMFとしてプレーする。
前半はいつもと同じように全く目立たなかったが、後半に入って間も無くボールを貰うと突如右ライン際を走りだす。
それも凄いスピードである。 
アット言う間に味方も敵のDFも置き去りにして、相手ゴールに向かって突き進む。
驚いたのは、敵もさる事ながら味方のプレーヤーとコーチ。
サイドラインでは我々両親も含めて誰もが口をポカーンと開けて見ている。
皆一瞬何が起こったのが理解できていない。
が、次の瞬間チームメイトとコーチ、そしてチームメイトのペアレンツから 大歓声が上がり一斉に彼に向かって声援してくれている。
Go ! Isamu  Go !! Go !!!
彼はひたすらゴールを目指して駆け上がって行く。
ゴール前、最後の敵のGKをサイドステップでかわし、最後は自らのシュートでゴールーネットを揺らしてしまう。 GOAL !!!
大歓声!!
結局チームは1-0で勝ち、勿論彼はその試合のMVP.
これが彼のサッカーへの目覚めであった。

映画のような話だが事実である。
あとでこの時の事を彼に聞いたが、その時フィールド上にゴールまでの道がはっきりと光って見えたという。
そして自分はその上を走っただけだと言う。
多分プロゴルファーがグリーン上にパットラインが見えるのと同じであろう。

その後彼は長い間チームの中心選手MFとして活躍する。
小学生の間はクラブでずっとプレミアムリーグ。
小学生の高学年から始めたフットサル(室内)は、小学生の部では初のNZ代表としてオーストラリア遠征をする事になる。
All Blacksにあやかり、上から下まで黒ずくめのユニフォーム。
そして試合前のWar Cry(例のカマッテ、カマッテ!!と言う踊り)も豪州の各都市での試合前に披露し観客から大歓声を貰ったとの事。


中学生になって益々足の速さとドリブルに磨きがかかり、彼はある試合で同じような信じられないプレーをする。
その時は味方のFWとのすばらしい連携プレーで1点、自らセンターサークル付近から放ったロングシュートで1点、最後はヘディングで押し込んで1点とオークランドの強豪チームを相手に自らのハットトリックでチームをリーグ優勝へ導いた。
彼はこの試合で、当時通っていた私立校の中学生ながら、高校生チームの選手として一緒にプレーする学校代表選手への切符を手に入れる事になる。

中学校・高校ではクラブと学校代表の双方でプレミアムリーグ。 クラブではオークランド代表まで進むが、コーチが目指すサッカーと自分の目指すサッカーの違いに気づき、そのギャップを克服できずに突如両方とも辞めてしまう。
しかし、サッカーへの情熱は捨てがたく、その後またクラブに戻り自ら望んで二軍でプレーを始める。
彼に言わせると、二軍のサッカーは「楽しい」そうだ。


一方早々とサッカーを止めてしまった次男は、その後しばらく間スポーツは何もにしなかったが小学校の高学年から水泳を始める。
中学生になってからは学校の水球のチームに入る。
この頃からメキメキと体が大きくなり、身長もだんだん私に近づいてくる。
ちなみに私の身長は187cmである。
日本人として大男の部類だが、ここNZではさほど目立たない。

高校生になった彼は何を思ったか突如学校のバグパイプバンドに参加する。
学校始まって以来、いやNZで始めての日本人パイパーの誕生かと誰もが色めきたったが、バグパイプの難しさに半年ほどで挫折。
同時期にRowing(ボート)クラブに参加。 まったく「気」の多い御仁である。

こちらは長く続き3年連続全国大会出場も含めて遠征試合にも何回も参加するが、漕ぐ時の悪い癖が抜けずに最後はトレーニング中に肩の筋肉を壊してしまい断念。
せっかく学校代表のエイトまでいったのだが残念であった。
しかし彼はRowingに参加して鍛えたおかげで身長185cm体重80キロ胸囲1メール20センチと言う日本人としてはすばらしい肉体を手に入れる。
今はChristchurchの大学で学生生活を送っているが、未だにウェイトトレーニングだけは欠かさないという。

一方細かった長男も今は身長180cmと弟より一寸小さいがそれでもガッチリとして如何にもスポーツマンの体型を維持している。
しかも大学生になった今でも最初にサッカーを始めたクラブで夏冬ともにサッカーを
楽しんでいる。
時々は、クラブから頼まれてミジェットチームのコーチもしているようだ。
昔小学生チームのコーチだった英国人コーチが今も彼らのシニアの部のコーチをしてくれている。
この辺がいかにも町に根付いたクラブの特色でもある。


二人の息子を育てて、NZに住んでよかったと思ったのはスポーツ環境が日本に比べ格段に整っている事。
その割にスポーツが強くないが、それは科学的なトレーニング方法が確立されてないからであろう。
現に国を挙げてのラグビーは底辺も広く明日のAll Blacks 予備軍があまたといる。

それともう一点、肉が安いNZで助かった。
食べ盛りの子供二人に日本であれだけの肉を食べさせていたら一体幾らかかったのか?
考えるだけで恐ろしい。
肉の輸出をしたので肉だけは何時もふんだんに自宅にストックしてあったが、彼らの食べる量も半端ではなかった。
通常彼が食べていたのは一枚400-500gのステーキ。
お陰でこちらもステーキを焼く腕は上がり、未だに息子達は「親父が焼くステーキが一番美味い。」と言ってくれる。
お世辞半分としても、焼き具合は殆ど自由自在に出来るようになったのでまんざらでもない。

一度下の息子の合宿に肉を寄付した事がある。
ローストビーフにしてもらおうと思い、ランプ肉(一個4-5キロ)のブロックを1ダース寄付したが、二晩で食べてしまったそうだ。
恐るべき食欲である。
そうそう、こちらで運動クラブの合宿などがあると、両親がお手伝いで駆り出される。
施設も大きなキッチンのある施設を使い、母親達が共同で作業する。
これらの奉仕活動も公立の学校より私立の方が積極的だし、力を入れているようだ。

第31章「新たなる改良」へ







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.06.05 06:23:39
コメント(4) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: