hikojyuのブログ

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2021年11月29日
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 旧日本海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾に停泊中の米太平洋艦隊を奇襲した「真珠湾攻撃」から来月8日で80年。

攻撃に参加した元海軍大尉はいま、「 戦争は二度と起こしてはならない 」と訴える。

士官室で乾杯!
<開戦ハ必至ナリ。日本男児トシテ、軍人トシテ、千載一遇ノ時ハ将ニ来タラントス>
日記にそうつづったのは1941年11月15日だった。

<初メテ航海士トシテ艦橋ニ立ツ。波高シ>(11月18日)
当時、日中戦争が泥沼化する中、米国から石油禁輸などの制裁を受け国内経済が疲弊し、開戦論が高まっていた。

<艦員一同、異常ナル緊張ト決意トヲ面ニ表シテ訓示ヲ聞ク>(11月24日)
艦長から奇襲作戦が発表された。「天皇陛下万歳」を三唱し、士官室に集まって乾杯。二日後出港し、ハワイに向かった。

12月1日、賞は天皇の御前会議で開戦が最終決定した。
山本五十六司令官が翌日、機動部隊に「ニタカヤマノボレ 一二〇八」の暗号電文を発し、攻撃の予定日が決まった。

無線交信を伝達
<決行ノ日ナリ>(12月8日)



重巡洋艦 「筑摩」から偵察機が爆音をたてて出発。空母6隻からは攻撃機が飛び立ち、編隊を組んで南に向かった。

<敵ハ真珠湾ニアリ><全軍突撃セヨ>

真珠湾の上空に到達した攻撃機は次々と爆弾を投下し、戦艦8隻を撃沈・爆破するなど大きな打撃を与えた。

成功を告げる「トラトラトラ」暗号が聞こえた。戦果を受け、国内はお祭りのような騒ぎになった。
攻撃の狙いだった米国の戦意喪失に至らず、むしろ「米国内の結束が強まってしまった」

事実、わずか半年後の42年6月、日本はミッドウェー海戦で大敗北を喫し、戦況が大きく転換する。

「自衛のための必要悪」と考えていた戦争への思いは、時間とともに変化していった。
犠牲の重みを、年々、強く感じるようになり「戦争は過ちだ」と確信するようになった。

昨年から老人ホームで暮らす。
アフガン情勢など世界平和への関心を持ち続けている。

日本の片隅から、この声を世界に届けたいと願う。

戦争は、いや応なしに市民を巻き込む。決して許されるものではない、戦争に正義はないのです 」​

読売新聞 社会面から抜粋






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Last updated  2021年11月29日 13時41分20秒


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