おしゃれ手紙

2015.10.22
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カテゴリ: 国内旅行
kutinotukou
■10月7日(水)
長崎県・島原は、「島原市」、「雲仙市」、「南島原市」からなる半島。
長崎に住む友人と「口之津(くちのつ)」という所で9時半頃、会う約束をした。
彼女はケイタイを持っていないので、果たして会えるのかと心配だったが会えた!!
何年ぶりだろう。
その日別行動する夫と別れ、友人と二人で相談して、歩いて向かったのが友人家。
kutinotukou2
100mほどいくと彼女が空き地に止まり
「昔は、ここまでが港だった」と説明してくれた。
見れば「南蛮船来航の地」という碑があった。
kutinotunohi
*永禄5年(1562):有馬義直、口之津港を貿易港として開港。
*永禄10年(1567):司令官トウリスタン・ヴァスダウェイガの南蛮定期船の外、二隻の南蛮船が入港。
*天正4年(1576):司令官シマンガルシーアのポルトガル船(ジャンク)が入港。
*天正7年(1579):ポルトガル船入港、巡察師ヴァリニャーノが口之津に着く。
         全国宣教師会議を口之津で開催した。
*天正8年(1580):南蛮定期船(ジャンク)入港。
*天正10年(1582):南蛮船入港。(これが最後の入港)
          フロイス、口之津に居住し、京都から届いた本能寺の変をこの地からヨーロッパに発信した。
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こうして、開港以来、20年間、南蛮貿易商業地として栄えてた。
この間、キリシタン布教の根拠地とし、また西洋文化の窓口としても栄えたのである。
(以上、口之津町教育委員会)
sakamiti坂道を越えて歩く。
yagi道に咲く花を見たり、飼われているヤギを見たり、休んだり・・・。
jinnjya
神社の鳥居には、「唐人町」の字があった。
今は静かな所だけれど、戦国時代には、いろんな人が来ていたのかもしれない。
ヨーロッパから宣教師も来たというこの地には
tubasanoaruhotoke
翼のある仏さま、「有翼少年像=エンジェル」が祀られているのだそうだ。
koukou
彼女の通ったという高校の側を通りを見たり・・・。
uminideta  海に出た。
akaiiwa
この右半分の赤い岩は、噴火の時のものだそうだ。
kazusaeki
「加津佐駅」と書いてある建物があったが、廃止になった鉄道の駅跡だ。
2008年3月31日限りで廃止になったが、それまでは、友人も、彼女の娘も使っていたそうだ。
今は線路さえなく、この建物がなければ、ここに鉄道があったことも分からないところだった。
matubara
素晴らしい松林が続く。
友人がいつも猫を連れて散歩するコースだそうだ。
matubara2
松原越しに見えるのは、女島(めじま)。
島といっても陸続きで女島はおよそ200万年前に玄武岩質の火山が水中で噴火してできたものだそうだ。
mejima
白い砂と松林に女島がアクセントになって、昔から名所になっていたそうだ。
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Last updated  2015.10.24 14:55:15
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