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霜月のころ、■根来寺■を過ぎて、*粉河寺*にたづねいることはべりしに、心細く住みなしたる寺あり。土塀の崩れたるところも、あはれなり。かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる山茶花の丸く切りたる姿に少しこと冷めて、この木なからましかばとおぼえしか。 根来寺に行った日、粉河寺にも行った。粉河寺の隅ににある十禅律院という寺は、私たち以外に誰もいない静かな所だった。土塀の崩れ感もよい。こうでなくてはと思って、見ると山茶花の木が、スパイラルに切ってあった。こんな切り方をして・・・と、いささか興ざめして、この木さえなければと、思ったことだ。■粉河寺(こかわでら)は、■和歌山県紀の川市粉河にある天台系の寺院。西国三十三所第三番札所。山号は風猛山(ふうもうざん、かざらぎさん)。宗派は天台宗系の粉河観音宗総本山。本尊は、千手千眼観音菩薩。伝承によれば創建は宝亀元年(770年)、大伴孔子古(おおとものくじこ)によるとされる。「十禅律院」は、粉河寺のひとつ。粉河寺では、写真のサザンカ以外にも、沢山刈り込んだ木があり、寺には場違いの雰囲気だった。■徒然草■神無月のころ、栗栖野といふ所を過ぎて、ある山里にたづね入ることはべりしに、はるかなる苔の細道を踏み分けて、心細く住みなしたる庵あり。木の葉に埋もるる懸悟のしづくならでは、つゆおとなふものなし。閼伽棚に菊・紅葉など折り散らしたる、さすがに住む人のあればなるべし。 かくてもあられけるよと、あはれに見るほどに、かなたの庭に、大きなる柑子の木の、枝もたわわになりたるが、周りをきびしく囲ひたりしこそ、少しこと冷めて、この木なからましかばとおぼえしか。(第十一段) (現代語訳) (陰暦)十月ごろ、栗栖野というところを通ってある山里に人をたずねて分け入ることがありましたところ、遠くまで続く苔の生えた細い道を踏み分けていくと、もの寂しいようすで住んでいる草庵がある。木の葉に埋もれる懸樋のしずくの音以外には、何一つ音を立てるものがない。閼伽棚に菊や紅葉などの枝を折ってあるのは、やはり住む人がいるからなのだろう。 このようにしても住んでいられるのだなあと、しみじみ見ているうちに、むこうの庭に、大きなみかんの木で枝もたわむほど実のついているのが、(その)周りを厳重に囲ってあったのには、いささか興が冷めて、この木がなかったならば(どんなによかったろうに)と思われたことであった。 ■神無月のころ:東京駅■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
2014.11.28
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11月24日(祝)。紅葉を見に■根来寺■に行った。■根来寺は■室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られたり、織田信長、羽柴秀吉、徳川家康とも因縁の深い寺も、今では、静かに晩秋の陽光を浴びていた。夕陽を浴びる紅葉!!ん??、あれは何??と気になったので近づいてみた。わー!!お墓!!近寄ってよく見ると「根来無縁」と書いてある。根来寺に関係のある無縁仏の墓なのか?室町時代から続いているだけに、古そうな石仏もある。ひとつ欲しい!! 以前、白州次郎・正子の家■武相荘(ぶあいそう)■に行った時、敷地内に古そうな石仏があったのが忘れられない。私のようなふとどき者がいるから、仏像の盗難が絶えないのだろう。まあ、うちは、石仏があっても、置く庭がないんだけどね。(ノД‘) ■根来寺■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
2014.11.25
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11月24日(祝)。暮れてゆく秋を見ておこうと、夫と和歌山へ行った。あえて高速道路を選ばず、細い山道の峠を越えて行く。途中、家も途切れた所に2軒の店がある。その家のそばにあった柿の木。たわわに実をつけているが、実が小さく、商品価値のない柿は、誰もとらないようだ。こんな柿の木が山のあちこちに残っている。輸入物の珍しい果物よりも、日本で、地元で出来る果物を食べるの方が二酸化炭素の排出が少ないからいいのにな・・・。根来寺に行った。■根来寺■室町時代末期の最盛期には坊舎450(一説には2,700とも)を数え一大宗教都市を形成し、寺領72万石を数え、根来衆とよばれる僧衆(僧兵)1万余の一大軍事集団を擁した。また、根来寺僧によって種子島から伝来したばかりの火縄銃一挺が持ち帰られ、僧衆による鉄砲隊が作られた。織田信長とは石山合戦に協力するなど友好関係を築いたが、信長没後、羽柴秀吉と徳川家康・織田信雄の戦いにおいて徳川方に通じ留守の岸和田城を襲ったほか南摂津への侵攻を図ったことで秀吉の雑賀攻めを招くこととなった。 生産地となった近在の雑賀荘の鉄砲隊とともに秀吉方に抵抗するが各地で敗れ、天正13年(1585年)、秀吉軍は根来寺に到達。大師堂、大塔など数棟を残して寺は焼け落ちた。根来寺における戦いでは寺衆はほとんど抵抗を行わなかったため焼き討ちの必要性は薄く、炎上の原因は、秀吉による焼き討ち、寺衆による自焼、兵士による放火など多説あるが、定かではない。 大坂の陣で豊臣家を滅びた後、徳川家康によって秀吉が鶴松を弔うために建立した祥雲禅寺が根来寺に寄進された。江戸時代には紀州徳川家の庇護のもと一部が復興された。この写真は、上の写真の反対側からうつしたもの。今回で2回目だけれど、なんか、すごい歴史のあるお寺。さあ、中に入ってみよう。 ■根来寺■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
2014.11.24
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アール・ヌーボーの華、アルフォンス・ミュシャ館に、11月3日、友人と行ってきた。ミュシャが有名になったのは、偶然だった。パリの人気女優だった、サラ・ベルナールの舞台のポスターを描く人がいなく急きょ、ミュシャに依頼した。出来あがった、ポスターを見て、サラは大喜び。パリっ子にも大人気になり、一夜にしてミュシャは、売れっ子画家となった。以後、サラ・ベルナールの専属画家となった。先日、次女のアパートに行ったが、部屋に、額に入ったミュシャの絵が2枚かかっていた。■昨年3月に亡くなった友人■も、ミュシャが大好きで、飼っている猫にミュシャと名付け、ミューミューと呼んでいた。19世紀の終わり、アール・ヌーボーの時代に突如、有名になった画家、アルフォンス・ミュシャ。21世紀の今もその華麗なタッチは、人々の心を虜にする。 アルフォンス・ミュシャ(1860-1939)は、19世紀末から20世紀初頭にかけて花開いたアール・ヌーヴォーの代表的画家です。ミュシャは、現在のチェコ共和国で生まれ、パリの舞台女優、サラ・ベルナールのポスターを制作して一躍有名になりました。 ミュシャの作品はしなやかな曲線と美しい色彩が特徴で、異国趣味や古典古代を思わせる装飾様式のほか、日本など東洋の美術の要素もみられます。また、『明星』や『みだれ髪』などを通じて日本にも大きな影響を及ぼしました。 アルフォンス・ミュシャ館では、ミュシャの初期から晩年期にまでわたる作品を展示し、生涯にわたる創作活動を紹介しています。 ■堺市立文化館内 アルフォンス・ミュシャ館 ■■住所 〒590-0014 堺市堺区田出井町1-2-200 ベルマージュ堺弐番館2F~4F 堺市立文化館内■ TEL 072-222-5533 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・
2014.11.07
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■有名人と関係のある今井町。■明治天皇も明治10年に今井町に来た。この道端は、カーブをしているが、こんなカーブのある道は、ここのみ。明治天皇の一行が明治10年に馬車で今井町を訪れた時、特別に道にカーブをつけ、通りの家の軒先を切って、馬車に当たらないようにしたのだそうだ。 明治10年といえば、西郷隆盛の西南の役(えき)。明治天皇は、この今井町にある称念寺に泊まっていた時、その事を知った。みんな大慌てで、今井町を発った。当時は、鉄道などなかったので、馬車で堺まで。堺から船で大阪へ。大阪から川船に乗って京都へ行き、御所に陣を張ったのだそうだ。しかし、慌てていたので、明治天皇一行は、多くの忘れものをした。その中のひとつが、風呂!!!持ってきた明治天皇の専用の風呂を置いて帰ったのだそうだ。今も、その風呂は、今も称念寺にあるが見ることが出来るのは写真のみ。 ■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.29
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堺と並び称された環濠都市・今井町には、多くの有名人と関係がある。織田信長と秀吉も今井町に関係がある。 ●織田信長織田信長に反抗し、堀を深くし土塁や見通しを妨げる筋違いの道路等を築き環濠城塞都市となった今井町。戦争を仕掛けるためでなく自衛のためにつくった要塞都市の一つである。織田の軍勢と半年あまり戦った。結局、和睦という形になり、自治権が認められた。この戦争で、織田信長は来なかったのかもしれない。けれども、織田信長という戦国時代最強の人と闘った今井町はスゴイ!!●秀吉信長とくれば、秀吉。羽柴なのか豊臣なのかは、分からない(聞き忘れた)。秀吉の好きなものと言えば、金ぴかと女と花見。有名な桜の名所、吉野に行く途中、休んだそうだ。「この家です」と教えてもらったけど、写真をとらなかった。_| ̄|○ ■今井町■ ■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.28
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*「海の堺 陸の今井」*「大和の金は今井に七分」*「金の虫干し玄関まで」*「今井千軒」*「今井札」などと堺と並び称された環濠都市・今井町に、■再び■行ってきた。前回は、イベントがあって、町中賑やか。今回は普段着の今井をガイド付で夫と。ガイドさん付だったので前回、見逃していたもしっかりと見ることが出来た。●まず、訂正から上の写真を前回は、環濠の一部と紹介したが、間違っていた。環濠は、埋められて右に見える道になってしまったたのだそうだ。車社会の犠牲になった環濠・・・。うちも車で行ったのだが・・・。_| ̄|○●この輪はなんだ?見逃していたものも多かった。通りの壁につけられた、輪があったが、これは馬をつなぐためのものだったという。その輪も、家の豊かさに応じて変わっている。また、写真には無いが、馬をとめるための輪の上には、牛の輪もあった。●背割(せわり)とは?今では、役所に行けば、自分の家のきちんとした、土地の面積が記録されている。そんな制度のなかった、時代(戦国時代以前)には、他家との土地をどうやるか。それは、家と家の間に小さな溝を掘る。それが、土地の区切りとなり生活排水を流すために利用された。この「背割(せわり)」は、あちこちに見られた。 こんな昔が残っている町、今井町では、よく撮影が行われるそうだ。■NHKの朝の連続ドラマ「ごちそうさん」■も、今井町で行われたのだそうだ。 今井町へは。■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.27
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■10月19日(日)■和歌山県立紀伊風土記の丘■に日帰りで行ってきた。和歌山県立紀伊風土記の丘は、ボランティアガイドの案内で面白かったのだけれど、写真を撮らなかったので、また次の機会に。和歌山県立紀伊風土記の丘へは、うちから高速に乗れば1時間半くらいだけれども下の道を行った。山越えは風情があるので高速は、もったいない。途中で農産物を売っている所が沢山あるのも楽しい。和歌山は、もし鎖国をしてもやっていける数少ない県と冗談で言われている。柿、ミカンなどの果物、米、それに漁業、材木・・・。なんでも豊かな和歌山県。柿をしこたま買いこんだ。富有柿や渋を抜いた柿、あんぽ柿を呼ばれる柿。それに、渋柿をつるし柿用に買った。写真は、渋柿、アケビ、白イチジク、あわび茸。どれも、近くのスーパーでは、手に入れないものばかり!写真にはないけれど、和歌山産のレモンも!!さっそく、渋柿をつるし柿にして、2階のベランダにつるした。里山の秋の風物詩、真っ赤な実のなる柿の木を目でも、たんのうした。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.10.19
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ラウル・デュフィ(1877-1953)は、ピカソやマティスなどとともに20世紀前半にフランスで活躍した画家です。彼は1937年に開催されたパリ万国博覧会のための装飾壁画《電気の精》に代表されるような、明るい色彩と軽快な筆さばきで描く独自のスタイルを築きました。本展は、デュフィが1899年に故郷のル・アーヴルから国立美術学校で学ぶためにパリに出てきたころから晩年に至るまでの作品を紹介する回顧展です。20世紀初めのパリでフォーヴィスムやキュビスムによって造形の革新を試みる動向のただなかに身を置きつつ、また様々な分野を横断しながら自らの独創的表現の探求を続けたデュフィの歩みを辿ります。 デュフィは大好きで、過去にも、絵葉書を何枚か買ってしまった。(今は、老前整理でない。)どの絵も明るい色調で、すぐデュフィと分かる独特のスタイルがある。デュフィのことならよく知っているつもりだったが、今回の展示を見て知らないことがいっぱいあった。■テキスタイルデザイン*1911年 当時豪華王と呼ばれたファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地ファッション・デザイナーのポール・ポワレと知り合う。彼との仕事で木版刷りで布地のテキスタイルデザインをプティット・ユジーヌ工場で創る。*1912年 フランスのシルク製造業を率いたリヨンのビアンキーニ・フェリエ商会とデザイナー契約を結ぶ。会場には、彼のデザインした服や布が沢山あった。■木版画1907年 34歳の時に結婚。生活の為、木版画の制作を始める。1911年アポリネールの動物誌の木版挿絵を制作。■陶器のデザイン植物を植えることが出来る陶器のデザインや花瓶など。■家具エッフェル塔、凱旋門などパリの名所を布にして、家具をデザインしている。■友人、知人*ピカソと共にキュービズムの祖といわれるブラックとパリの美術学校で級友。1920年には住居も近所。*「ミラボー橋」という有名な詩の作者アポリネールのさし絵をする。*「美女と野獣」で知られるジャン・コクトーの舞台デザインを手がける。他にも、いろいろな人と付き合いがあったようだ。デュフィの人生は、彼の描く絵のように、幸せな人生だったのだろうと思う。 ■デュフィ展■■会場■あべのハルカス美術館大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス16F アクセス■開催期間■2014年8月5日(火)~2014年9月28日(日)■開館時間■火~金 / 10:00~20:00土日祝 / 10:00~18:00*入館は閉館30分前まで・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.09.22
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6月11日(水)滋賀県にある■ドイツテイストの「ブルーメの丘」 ■に行き、■醒ヶ井(さめがい)■で■梅花藻■を見た後、バスで一路、ホタルの飛ぶ川へと向かう。夕方、田舎道を走ると、観光バスが何台も止まっていた。ホタルよりも多やん。バスの止まっている場所から少し行った所にお目当てのホタルの飛ぶ場所があるのだが、余り一度に行くと狭い道が混雑するのでバス一台づつの時間差で向かう。 バスの中でガイド氏が語ってくれたホタルの一生。*ホタルは約500個生む。(ゲンジボタルに限る)*一か月で孵化。*カワニナなど巻貝を餌に10ヵ月暮らす。*4月になると幼虫が上陸、土手の中の土潜り込む。*気温が23度くらいになると成虫になる。■ホタル■ホタル(蛍、螢)は、発光することで知られる昆虫である。日本ではゲンジボタルが親しまれていて、これが全てのホタルの代表であるかのように考えられるが、実際には遥かに多様な種がある。日本にすむゲンジボタル、ヘイケボタル、クメジマボタルの3種の幼虫は淡水中にすんでモノアラガイやカワニナなどの淡水生巻貝類を捕食するが、これはホタル全体で見るとむしろ少数派である。多くの種類の成虫は、口器が退化しているため、口器はかろうじて水分を摂取するぐらいしか機能を有していない。このため、ほぼ1-2週間の間に、幼虫時代に蓄えた栄養素のみで繁殖活動を行うことになる。無事につとめを果たした「雌ボタル」は、草の陰で土に頭を突っ込み、身をかくして死にます。大地に 還 っていくのだそうだ。 ホタルは、古来より人気のある昆虫。暗闇の中を舞うホタルは、クーラーのない時代の夕涼みには欠かせない存在だったのだ。また、はかなさ命故に、人はホタルを愛でるのだろう。■日本の原風景■戦前日本を訪れた多くの外国人が、田園風景に 感嘆し、「こんな美しい国に永住したい」と言わしめた。その主役はホタルです。水田には満々と水がはられ、その上をホタルが幻想的に舞い飛ぶ。日本人にはありきたりの光景が、外国人には息を呑む感動に映ったにちがいありません。 農薬で汚染されていない、土の土手のある川があれば、カワニナが住みそこにホタルは自然に生活できるのに・・・。滋賀県までホタルを見に行かなくても、近くの川でホタルが見たい。 「枕草子」夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがいたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。雨など降るも、をかし。 「蛍」蛍のたるのやどは 川ばた柳 柳おぼろに 夕やみ寄せて川のめだかが 夢見る頃は ほ ほ ほたるが 灯をともす■おまけ■ブラジルで開催されているサッカー選手に「山口蛍」という名前の人がいる。「どんな暗闇でも明るい光を放ち続けられますように」という願いを込めて『蛍』と名付けられたのだそうだ。ホタルを見に行く前に夕食。■ローザンベリー多和田■は庭が美しかった。・・・・・・・・・・・・
2014.06.19
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6月11日(水)■醒ヶ井(さめがい)の町。■水がきれいで「梅花藻」や「ハリヨ」のいる醒ヶ井(さめがい)の小さな地蔵川。この町は中山道(なかせんどう)が通っている。町並みは残っていないが古くからある町らしく、探せばアジのあるものが目につく。まず最初に目についたのが、この町には珍しいコンクリートの建物。しかもデザインもいい!!これは・・・と近寄って見ると、大丸心斎橋店など多くの名建築を手がけたヴォーリーズのものだった。旧醒井郵便局局舎(米原市) 1915(国の登録有形文化財)■ウィリアム・メレル・ヴォーリーズ■もうひとつ目を引く立派な唐破風のある和風の建物。近くに建物の説明の案内板があった。この玄関は明治26年に竣工した、醒ヶ井小学校の玄関だった。よそにあった玄関をここに移築保存したという。玄関に付属している建物も、大正2年に建てられた「醒井楼」という料理旅館だった建物で、昭和27年からは松尾寺政所として活用されてきた。現在は松尾寺の本堂が松尾寺山山麓に再建され、養鱒場の近くに移転した醒井楼とともに観光名所になっている。それにしても明治期の小学校の玄関が近代和風建築の大正期の料理旅館と違和感なく調和しているのは、どちらも本物だからだろうか。▲散髪屋さんという言葉が似合うレトロな散髪屋さん。火事の時、打つ鐘の内容を書いたもの。スピーカーのない時代、火事があれば半鐘で、火事の内容などを知らせた。珍しや!藁ぶき屋根の家。この家は八百屋さんで、夫はトマトを一箱買った。どこに行っても買い物する夫。(ノД`)道沿いの家の前にも、「和」のしつらえ。昔はこんな建物がが続いていたのだろう。 しかしなんといっても素晴らしいのは、「古事記」や「日本書紀」にも記されという醒ヶ井(さめがい)の清流、地蔵川。醒ヶ井(さめがい)は、この地蔵川と美しい水があるからこそ素晴らしいのだ。そんな醒ヶ井の水を詠んだ歌がある。明治28年、北白川能久親王が台湾で熱病にかかり重体。「水を、冷たい水を」と所望。その時付き添っていた鮫島中将が詠んだ歌だ。あらばいま ささげまごしく醒ヶ井の うまし真清水 ひとしずくだに「あったなら、さしあげますのに、醒ヶ井の 美味しい水を、一滴も残さずに・・・。」 電車 JR醒井駅下車、徒歩5分・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.06.18
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■ドイツ風な「ブルーメの丘」■からバスで「梅花藻(バイカモ)」を見に醒ヶ井(さめがい)まで行く。■「梅花藻(バイカモ)」とは■中山道を流れる地蔵川のバイカモはキンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。7~8月ごろに、梅の花に似た白い小花を咲かせることから『梅花藻(バイカモ)』の名が付きました。夏の最盛期には直径1.5cmほどの愛らしい花が一斉に川面から顔を出します。バイカモと呼ばれるこの水草は、水温14℃前後の清流にしか育たず、全国でも生育場所が限られています。(滋賀県観光情報より)梅花藻の育つ地蔵川は、小さな川。昔は、ここで普通に大根などを洗っていたのだろう。川を使うための石段がそこここに見られる。この川には「ハリヨ」という魚が住んでいて保護地区になっているる。■ハリヨ(針魚 Gasterosteus microcephalus)■トゲウオ目トゲウオ科に分類される淡水魚の一種。年間の水量が一定した綺麗な湧水地や、その周辺の流れの緩やかな河川に限定して生息し、水草の生い茂った水深20-50cmの浅瀬に生息する。清浄な湧水のあることは生息環境の必須条件で、10-18℃の低水温を好み、水温20℃を超える場所では生息できない。同属種のイトヨは海と川を回遊する個体群が多いが、ハリヨは回遊せず、一生を通して淡水で生活する。食性は肉食性で、小型の甲殻類や水生昆虫などを捕食する。日本では、昭和初期までは滋賀県、岐阜県、三重県に生息地があったが、現在では滋賀県東部と岐阜県西濃地区、岐阜地区の平野部の湧水地のみで生息が確認されている。 電車 JR醒井駅下車、徒歩5分・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.06.13
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先日バスに乗って日帰りで行って来たと思ったらまたバス旅行。6月11日(水)、滋賀県にあるドイツ・バイエルン地方をモチーフにしたテーマパーク「ブルーメの丘」に行ってきた。「ブルーメ」とはドイツ語で「花」という意味だそうだ。■この間は、オランダ風の風車■がある所だったのに、今回は、ドイツかい!!(ノД`)いいと感じるのは、たぶん、木が多いからだろう。○○園という名のつく薔薇園などに何回も行っているが、やはり緑あっての花だ。建物と緑の割合がいいのだろう。もちろん、こんな所ばかりではないのだが、これまで行ったどこよりも好印象。かわいいコテージがあるが、ここも色のトーンが落ち着いていて、周りに木があるのがいい。外から見ても、なかなかいい。バスの客は、薔薇が少ないと不満気だったが私は結構好きかも。 ■滋賀農業公園「ブルーメの丘」■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.06.12
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5月20日(火)、日帰りバスツアーで滋賀県に。■しんあさひ風車村のルピナス園■の後、ランチ。そして、琵琶湖・多景島(たけしま)めぐり。多景島行き連絡船で約20分。 多景島(たけしま・たけいしま)は、琵琶湖の島。竹島・武島(たけしま)とも。元は島内に竹が多く自生していることから「竹島」といっていたが江戸時代に荒神山から土を運び植林した。 木が成育すると島を眺める方向によって多様な景色に見えることから多景島と呼ばれる。 無人島だが上陸することが出来る。船をつける場所には、フジの花がきれいに咲いていた。 フジの花の咲く船着き場から上陸する。 近くにある狭い階段、ここからも海に降りれるのだろう。 両がわは海という狭い道。 そんな狭い道に生えている植物の中に、沢山の卵が・・・。なんの鳥だろう、ここは小動物などがいないので安全なのかな?琵琶湖には、琵琶湖にしか生息しない魚がいる。この島の周辺のみに生息する固有種とされ、環境省のレッドリストで準絶滅危惧に指定されているカワニナの一種タケシマカワニナ は多景島に因んだものだそうだ。・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.05.23
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5月20日(火)、日帰りバスツアーで滋賀県に。行き先は、■しんあさひ風車村のルピナス園■と琵琶湖多景島(たけしま)、その間に、ランチという行程。私は、今回まで「ルピナス」という花の名前を知らなかったが、穂のような花。ピンク、黄色、紫、白・・・と色とりどりの花畑は、美しい。しかし、しかしである。春に咲く花は、梅、水仙、桜、タンポポ、スミレ、レンゲ、そして菜の花ではないのか・・・。なんで、ルピナスなのか分からない。蒸し暑いのが苦手な花をなぜ、日本に植えるのか分からない。それに、風車まであって、ここはオランダか!!。。・゚(´□`)゚・。日本人ってどうしてこうも、外国の景色の真似をするのだろう。 まわりには池があるし、小川らしきものが残っている。 よく見ると、小川には水があり、セリが生え、両がわは、石垣。外国の真似をするよりも、半世紀前まであった、小川の復元をと望む。春にはセリが生える、レンゲ、タンポポ、クローバが岸辺を覆う。小川には、メダカやカエルが泳いでいる。夏にはトンボも飛び、子どもが小川に入る。そんな小川の方が魅力的だ。素敵な風景に、ドラマの撮影場所になったりして・・・。「来月は、ルピナスに代わって、ショウブの花が咲きますのでまた来てください」とガイド氏。花に恨みはないけれど、こういう外国のサルまねの花は、トホホである。■花に恨みはないけれど:とっとり花回廊■■花に恨みはないけれど:桜■■花に恨みはないけれど:水仙■■花に恨みはないけれど■■ルピナスとは■北アメリカ西部を中心に、南アメリカ、南アフリカ、地中海沿岸に200種以上が分布します。花後に枯れる一年草もしくは二年草、毎年花を咲かせる多年草、低木になる種があります。 基本的に 蒸し暑いのが苦手で比較的冷涼な気候を好みます。ラテン語で狼を意味するルプスに由来すると言われています。やせた土地でも堂々と侵入し、土地を荒廃させる植物と考えられおり、それを狼に重ね合わせたためされますが、はっきりした根拠はありません。また、ギリシア語で悲哀を意味するルーペに由来する説もあります。これはマメ(タネ)がとても苦く、噛んだときに悲しい表情になるところに由来するとされます。 ・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.05.22
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*「海の堺 陸の今井」*「大和の金は今井に七分」*「金の虫干し玄関まで」*「今井千軒」*「今井札」などと堺と並び称された■今井町に行ってきた。■今井町は戦国時代が今に残る町。この古い町並の外周には環濠跡を現在に残している。今は、水も少なく町を守るという機能はないが、ここにもっと水を入れて、子どもたちの天国にして欲しい。 ここも環濠あと。今井町で一番有名な、今西(いまにし)家住宅の横にある。大きな家なので写真に撮りにくいが黄色い花の咲いている横が今西家。今井町の西にあるから今西家なのだそうだ。現在の今井町には今西家住宅と同様に外壁を大壁で包んだ古い町並が続いているが、これは寺内町今井の町造りが完成した江戸初期から中期・末期に栄えた今井町の町並の形態が現在まで残されてきた。道も敵が攻めて来た時のためわざとまっすぐにしない工夫がしてある。このようにして、自衛していたのだ。今井町の町の普通の家の間取りは、「店の間」、「店奥」、「おうえ」、「納戸」とよばれる。店の間は、通りに面していて、文字どうり、売り物を「見せ」ていたのだろう。この他にも土間や奉公人のための2階もある。納戸は、物置と考えられがちだが、大事なものを納めるところ。そして、主人の寝室でもあった。それゆえに、敷居が一段高く作ってある。「敷居が高い」の語源はこれからだそうだ。 町をあるけば植木鉢が目につく。一緒に行った、植物好きの友人と、「これいいわ~」などと喋りながら歩く。 この建物は、明治時代のもの。今井には珍しく、和洋折衷。屋根は、銭湯のように、「唐破風」というまるみをおびた作り。外から見たら日本なのだが、中に入ると、洋風。役場だったというが当時は、ハイカラだったのだろう。窓なども美しい!!前もって、連絡すれば、1000円で観光ボランティアが頼めるので、もう一度ゆっくりと見てみたい。■アクセス:JR桜井線:畝傍駅 近鉄橿原線:八木西口駅■ボランティアについては■ここ■・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.05.21
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重要伝統的建造物群保存地区、略して重伝建(じゅうでんけん)。戦国時代が今に残る今井町は重伝建(じゅうでんけん)に指定されている。5月18日(日)今井町で町おこしの■今井町並み散歩■というイベントがあるというので友人と出かけた。今井町(いまいちょう)は、奈良県橿原市の北西方に東西に長く位置している町。中世戦国時代の町並みが残っており重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。東西600m、南北310m、大体長方形の地形で東西南北を方眼状に道路を配し、その地形や街路の形状は町造りの始められた頃からの形状がほぼ残っている。今井町は、戦国時代の茶人、*今井宗久*が生まれた町でもあるだ。 **今井宗久** - Wikipedia今井 宗久(いまい そうきゅう、永正17年(1520年) - 文禄2年8月5日(1593年8月31日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての堺の商人、茶人。父は出羽守宗慶の三男。子に今井宗薫。名は兼員、初名を久秀、通称を彦八郎のち彦右衛門。号は昨夢庵寿林。屋号は納屋。薙髪の後に宗久と名乗った。千利休・津田宗及と共に茶湯の天下三宗匠と称せられた。■今井宗久相関図■ 有名な茶人にあやかってかイベントのテーマはお茶?奈良は茶がゆでも有名。かまどで焚いた茶がゆが食べられる。しかも普通のかまどとは少し違ってこのかまどは、土間に穴を掘ってそこにかまどを作っている。米も水もお茶も全て奈良産。奈良漬に梅干し、デザートはもちろん、器も全て奈良で焼いたものを使用しているという凝りよう。ほうじ茶で焚いたお粥をお昼に食べたが美味!! 茶席もあったが、ここは時間の関係でパスした。今井町のことは20年くらい前から聞いていたが、はじめて。予想以上に、町なみが残っていたので、いつかゆっくりと行ってみたい。 ■アクセス:JR桜井線 畝傍駅 近鉄橿原線 八木西口駅・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・
2014.05.20
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「名前は忘れたけど、いいところがある」という夫の言葉につられて、秋を求めて出かけた。迷いながら着いた寺は高貴寺という寺だった。 「高貴寺は、今から約1200年前、役行者(えんのぎょうじゃ)によって開基された葛城連峰行場28ヶ所の中の1つで、「香花寺」と称したと伝わる。」役行者の開基で真言宗金剛寺末の名刹。弘法大師空海も安居したといわれています。中世には寺運大いに栄え、後に元弘の変の兵火で一時衰えましたが、安永年中、高僧慈雲尊者が復興。尊者の学は儒仏をきわめ、晩年には葛城神道を創唱しました。数多くの寺宝を蔵し、境内には尊者の墓や見事なシダレ桜、石造十三重塔と石造宝篋印塔があります。境内は府指定史跡。 ことが入口に書いてあった。人がいるのか、誰もいない寺の跡なのかと思うほど、しんとしていた。帰ってから調べてみると、ここは 司馬遼太郎の「街道をゆく」という本にも載っているそうだ。 ■ 高貴寺■ 寺までたどりついたが、相変わらず森閑としている。そのみごとに掃き清められたふんいきは無用の来訪者に対して無言の意志を示しているようでもある。小さな本堂があり、講堂がその横にある。敷地は三百坪ほどで、じつに狭い。一方が谷にのぞみ、背後は小さな峰で老杉が密生し、その杉のむれが境内を蒼寂び(あおさび)させるために必要な湿気をあたえ、同時に必要以上の明るさをあたえまいとしているらしく思われる。この寺は、住職の方針で観光地化することを良しとせず、檀家を1軒も持たないそうだ。しかし、口伝えに聞いたのか、車で来ている人がいた。「・・・本堂の前に青い天蓋のようにしてしだれ桜が植わっている。よほどの老木でしかも姿がよく、これを見て京都に住む編集部のHさんがめずらしく声をあげた。」桜の頃に、もっと調べてから来たいと思う。■河南町HP■最寄りの駅:近鉄長野線「富田林」駅から金剛バス平石行終点下車(富田林駅から約25分)徒歩約15分 ・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2013年11月22日*民具:筈(はず)*・・・・・・・
2013.11.23
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■「大大阪モダン建築」■という本を片手に街を歩いたことがある。4月29日、娘2人と孫、私の4人でまた、本を片手に歩いた。これは私の趣味だけれど、娘たちも嫌いじゃないみたい。今回行ったビルは北浜レトロビルヂング。今はカフェになっているがこのビルかつては、証券の売買を営む社屋ビル、つまりオフィスビル。こんなかわいい、オフィスビルがあっていいの?と思うくらいに可愛い♪時が過ぎてこの建物は戦後、商社の社屋だった。また時が過ぎて、この建物は売りに出されていた。1996(平成8)年、「売却物件」と書かれたこの建物を見つけたのが現オーナー。一目ぼれして買ったものの長年、空き家だったせいで、床が抜けるほど荒れていたそうだ。内装や家具などを整えて1997年カフェとしてオープン。 1912年といえば明治45年。私の父の生まれた年だ。また、タイタニック号が遭難した年でもある。北浜レトロビルヂングは、100年以上、この地で生き続けている。■北浜レトロビルヂング■土佐堀川と中之島公園を背に、大阪証券取引所の向かい側に建つ北浜レトロビルヂング。もともと証券の仲買業者の社屋として明治45年(1912)に竣工した建物は、英国のグラスゴー派の影響を受けており、国の登録有形文化財ともなっている。現在は1階が英国風ケーキ・紅茶雑貨ショップ、2階が紅茶通の間で人気を集める英国アンティークの雰囲気ただよう喫茶店。ドアノブや電気のスイッチなど、店内のいたるところに英国製のインテリアが使われている。ケーキ、スコーン、サンドイッチなどがつくアフタヌーンティーセットがこの店の人気メニュー。紅茶はイギリス、フランス、インド産のものなど約40種、ケーキは毎日店で手づくりされているそうだ。2階のカフェスペースの窓からは、中之島のバラ園が一望でき、昼のひとときを過ごすのにおすすめの場所だ。 ■北浜レトロビルヂング■ ■住所■〒541-0041 大阪市中央区北浜1-1-26■アクセス■地下鉄堺筋線・京阪本線「北浜駅」26番出口より徒歩1分■営業時間■平日 11:00~21:30、土日祝 11:00~19:00■定休日■お盆休み、年末年始 ■問い合わせ先■TEL:06-6223-5858 FAX:06-6223-5858・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年4月29日*里山の旬だより:たねのまき時 *・・・・・・・・・・・・・・
2013.04.29
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以前から変わった名前のこのカフェに行ってみたかったが、8月にやっと行くことが出来た。大阪、梅田の隣、中津にある絵本カフェ「ペンネンネネム」。近くに、「ペンネンネネムgreen」と「ペンネンネネムHARRY」、「ペンネンネネムmusic」と3軒あるが、私たちが行ったのは、「ペンネンネネムHARRY」。ソファ席に座って、ランチを注文。沢山の絵本が並んだ本棚から好きなものを選んでランチがくるまで読む。ランチの後のデザートは、犬の形がついたお菓子のおまけが・・・。犬の足跡付き!大人も子どもも、楽しめるカフェだ。 ■ペンネンネネム■★ペンネンネネムgreen 大阪市北区豊崎3-6-4 上野ビル3F 営業時間 11:30〜19:30 水曜定休 ★ペンネンネネムHARRY 大阪市北区豊崎3-5-3 ろくべえビル1,2F 営業時間 14:00〜22:30 木曜定休★ペンネンネネムmusic 大阪市北区豊崎3-5-3 ろくべえビル3F・・・・・・・・・・・・・ ◎自然と人間が仲良く暮らしていたころの話です。★2012年9月10日*夏の食器を仕舞う楽しみ *・・・・・・・・・・・・・・
2012.09.10
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