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倉敷にいたころ、石版画と銅版画に、一年ほど夢中になった。何度も塗って修正を重ねられる油絵と違い、版画は、修正が効かない。最後の姿を、最初からイメージして描かねばならない。それだけに、そぎ落とした簡潔さが、独自の世界を作る。池田満寿夫が、たまたま友人の画家から勧められ、銅版画という画材を知って、のめりこんだように、版画でしか描けない、不思議な表現法に魅力がある。裸婦デッサンの下絵を、黒と赤の2枚の石版に描いて重ねた。石版のインクのかすれが、微妙な陰影をつくりだす。石版画 「いまだ、とまどいの頃」銅版画は、鋭い針で、銅板を削るので、表現が鋭い。ローラーで塗ったインクをふきとると、削った溝に残ったインクのみが、紙に転写される。過ぎ去った遠い日を思い起こす瞳は、何を想い何を見つめているのか。悲しみも歓びも、いろんな想いをたたえているように描きたかった一枚。銅版画 「遠い日」さて、毎週水曜日の清瀬デッサン会は、プロの画家も多い。その清瀬絵画デッサン会の「設立30周年 記念展」が下記のように、所沢の大きな美術館で行われます。設立以来のOBも含めて、40人以上が、ユニークな大作から小品まで、個性的な作品を展示します。油彩、水彩、パステル、日本画、裸婦デッサン、人形など具象から抽象まで、多彩で楽しめる展覧会となりそう。2007年10月2日(火)~8日(月)午前10:00~午後6:00(最終日はpm.3:00まで)所沢ミューズ 展示室 ザ・スクエア(西武新宿線航空公園駅東口で降りて緑の公園を歩いていくと10分ほど。)清瀬デッサン会30周年記念展このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/09/16
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火口にエメラルド色の瞳をたたえた、白亜の城砦。それが、草津から広い高原を上り詰めた頂、白根山。白く光る花崗岩の山頂を右に迂回して45分ほど歩くと、美しい芳が平の高原が見えてくる。そんなに急ぐと山が逃げるよ, ゆっくり行こう、ゆっくり行こう♪口笛吹いて汗をぬぐえば,山のヒュッテの赤い屋根・・・♪山の歌そっくりの赤い屋根は、「芳が平ヒュッテ」ヒュッテは、普通の山小屋とは違い、とても心地よい雰囲気。小粋な内装、かかっていた音楽にふさわしい上品なママさん。コーヒー一杯で帰るのは惜しいと思った。冬はボッカしないと食料が運べないと言うのに、冬でも予約が入れば、買出しに行って丹精こめた料理を作ってくれるそう。今度は、ゆっくり泊まって、一日中、高原でのんびりしよう。ヒュッテのホームページは芳が平ヒュッテヒュッテの裏には、広い湿原が広がっている。緑色の水面は、湿原が描く多様な陰影のキャンバス。湿原を散策すれば、澄んだ水面が心を洗う。秋の草紅葉の頃には、錦色に映えそうな気配。見慣れた夏雲も、池の表に映ると、装いを変える。空が「高い」も、海が「深い」も、同じ言葉の国があるそう。この夏雲は、高い空から深い紺青の池へ降り立った、貴婦人のように、気高く鮮やかに変身。軽井沢から草津へ抜ける途中に通るのが嬬恋高原。ソフトパステルで描いた絵は、その「嬬恋高原」このプログが気に入ったらクリックしてください。
2007/09/12
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朝、目覚めたら無性に思った。「草原へ行きたい。」次の仕事まで間が在るうちにと、すぐに出発。北軽井沢を越えて、まずは浅間高原牧場へ。かって高峰秀子の「カルメン故郷へ帰る」のロケ地だった牧場。遠く浅間の火口から噴煙が、いまだに立ち上っていた。島崎藤村によれば、昔、浅間山が大爆発を起こす数日前より、不穏な兆候を、動物たちは感じ取っていたとか。兎、鹿、猪などの獣がいっせいに山を下っていったそう。 パステル画「浅間山遠望」更に北上,ひなびた露天風呂があるという目的の草原へ。草津温泉の奥の、ここ奥草津休暇村は、かって褐炭鉱の鉱床の谷。足尾銅山のような茶色の不毛の地だった。そこに白樺、楓、桜、数千本を手作りで植栽して、美しい高原に変身させたのは日本鋼管の人々。もう、高原は、どこか、秋の気配。とうもろこしの揃った穂が、午後の光に映えて美しい。黄昏の斜光が、サルビアの花のそばで、踊っている。芳が平を歩いた汗を流すために、夕食前に風呂に入った。野営地の真ん中に、素朴なよしず張りの露天風呂。風呂から上がると、炭火をおこし、子羊の肉を焼いた。広大な野営場の中に、手作りのバンガロー散在する。やがて、日が暮れると、頭上には、銀河系の星雲。流星群が見れると言う頃、長く空を見ていた。数条、ふっと光の尾が走った。星が降る音が聞こえそうな静かな草原の夜ひさしぶりに琥珀色の水割りで熟睡した。このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/08/28
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次の仕事が、地球温暖化防止のCO2排出権に関わるとかで、調印に手間取っているのを幸い、久しぶりの、ゆったり休暇。上海では、土、日返上の炎天下の勤務だったので、のんびりと、肌を焼きに、外房総の知人の別荘へ。 太平洋の海上を渡ってきた空気は、東京の空気と違って、とても澄んでいる。ベランダから眺める朝の海は、深い紺青色。外房に秘密の浜辺ありて、藪をこぎ、洞窟を抜けること10分。ようやく、たどり着いた浜辺は、絶壁を背に、広大な砂浜。ここは、知る人ぞ知るヌーディストビーチでもある。蜃気楼でアメリカ大陸が見えぬかと眼をこらすも、ただただ広がる広大無辺の海ばかり。時折、成田空港を飛び立って海外へと飛行する機影。こんな急角度で上昇していたのかと、びっくり。夕暮れ、たくさんの食材を買い込んで、ベランダで料理。新鮮な鰯を、紫蘇、茗荷、生姜を加えた、「鰯の叩き」、「有頭海老の塩焼き」、牛、鳥のBBQ・・・・・。黒ビールを半分加えた「ハーフ&ハーフ」が美味い!房総半島には、高い山がない。麦酒で乾杯する頃には、遠くに富士の夕焼け。「夏夕焼け、富士が近づく、夕餉かな」唄が下手な人を犬吠崎灯台と言う。その答えは・・・「銚子(調子)の外れ」おまけの一枚は、その「犬吠崎灯台」このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/08/22
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ひさしぶりの日本の夜。久しぶりのブログ再開です。中国滞在中は、暇があれば、中国語を学んだり、人と会い、人と過ごし、いろんなものを食べに行き、いろんな人と会って、話したり、飲んだりと、好奇心を満たすものが多くて、更新する時間がなかった。久しぶりに、日本に帰って、思うことは、向こうで出来なかったことが結構多かったこと。その1、秋津の森の午後の木陰でのテニス三昧。今日、たっぷり3時間、涼しい風の中で満喫。その2、図書館に行けること。単純なことだけど、これがとても嬉しい。日本語の文字が何故かとても懐かしくて「純日本的」な本をたくさん借りてきた。歴史読本、古代出雲王国。群像、新人文学賞。新潮、川端康成文学賞。今年の受賞者は、小池昌代さんの「タタド」何気ない出来事を、秀逸な文章で描写。小説を書くって、これほど才気がいるんだと、久しぶりに、優れた文学に感動。この人は、才気煥発、詩に小説に多くの賞を受賞。他の作品を明日、図書館で探す予定です。夏の夜は、冷酒、片手に読書三昧してます。その3、再び夏山に登れる。「山と渓谷」を数冊借りてきた。さて、どこに登ろうかと思案中。 水彩画 「甲斐駒が岳」その4、澄んだ透明な水の海で泳げる!中国の内陸の川は土色で泳げなかったから。 「房総の海」 by Swanstabilo 水彩色鉛筆早速、千葉外房の友人の別荘を予約。月の砂漠の近くに無人の砂浜あり。地中海でやったように・・・生まれたままで泳ごうかな! 「海の落日」 by オイルパステルこのプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/08/07
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街中に疎水が流れている、水郷の街、蘇州を再び、訪れました。滞在している張家港市から、バスで1時間半。中国語で、バス乗り場で切符を買ってと言う、初めての経験。中国語は発音が複雑で、同じマーでも、抑揚で4つの意味になるので、最初は、「チンブトン」 「解らんばい」という返事ばかり。中国語は、漢字を並べたものを、そのまま発音する。I want to go to Suzhou. の英語と配置は同じ。「我想行蘇州」 ウオー・シャーン・チュー・スズウ今回は、一発で成功!まずは、柳の新芽が美しい疎水をしばし舟に揺られて。前世は河童かと思うほど、無性に心地よい、ひととき。迷路のように、路地が入り組んだ街中に、疎水は初夏の日を映して輝く。こんな、ゆったりと心をいやす疎水の街に住む人は、幸せ。さて、今日のは、ペンで描いて、淡彩で色をつけた一枚。鎌倉の絵の先生、カンジ先生に教えていただいた手法。素早く描けるので、大変、気に入っている。
2007/06/18
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上海は、かっては、情緒あふれた魅力ある都だったと、そこに住んでいた欧米人は口をそろえて懐かしむとか。衰弱した清朝政府を大砲で脅した英国にならって、列強各国が治外法権の租界地を獲得していった結果、英国風、仏蘭西風といった多国籍の文化の華が咲き、魅力ある歓楽街が各租界に生まれ不夜城のように栄えていたと言う。4月に訪れた上海の街は、きらびやかなネオンにあふれてはいた。魔都、上海の雰囲気を求めて、夜の街をさまよったけど、かっての生き残りの「和平飯店ジャズクラブ」も、訪れてみれば、気の抜けたビールのようなジャズを演奏しているだけ。欧州の旧市街にある長い年月に曝された風貌を持つ店もなく、風雪を生き抜いた陰りある情緒にあふれた居酒屋もなく、画一化された味気ないナイトクラブしか残ってなかった。そんな折、魔都「上海」をほうふつとさせる映画に偶然出あった。映画の題名は、「上海の伯爵夫人」原題は White countess 「白い伯爵夫人」この白いが意味深なのであって、色白のではなく、白系ロシアを意味している。上海にいた外国人の中で唯一悲惨だったのがロシア人。革命によって祖国を追われて、祖国の後ろ盾を失ったロシアの人々は、頼るべきものを亡くして困窮のきわみのような生活を強いられていた。「白い」美しい伯爵夫人も、そのような一人。夜のクラブでダンスの相手をして家族をささえていた。その伯爵夫人にストイックな恋をするのは、爆撃で視力を失った英国の有能な外交官。戦争で家族を全て失った今は、栄光の職も色あせて、上海一の居心地の良い理想のクラブを創ろうと、この零落しながらも気品ある伯爵夫人に夢を託す。このふたりの、互いへの思いを抑えた、ひめやかな恋心が美しい。そして、上海特有の芸術の薫り高いクラブを実現する。上海の町をさまよってみいだせなかったものが、ここにあった。水を得た魚のように華やいで客の間をまわる美しい「伯爵夫人」。彼女が、時折みせる、あでやかなまなざしの先には、その外交官がいた。しなやかに伸びた美しい鼻筋のナターシャの表情に、しばしうっとり。舞台は、日本軍が軍靴で無残に踏みにじる直前の1936年の上海。そんな上海の、華のようなナイトクラブは、今は見る影もない。上海の夜の街でたどり着けなかったかっての面影を、この映画は、美しく眼前に再現し、消え失せた青春の光と影を追うように、上海の残光を懐かしんでいる。うーん。あまり似てないなあ。まあ、いいか。
2007/05/22
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20日間ほどの西遊記を終えて、只今、上海空港!ANAのラウンジのインターネットデスクで書いています。雨の蘇州、上海博物館の逸品、海のように広大な揚子江。意外と、豊かで、繁栄を極める大都市。一方で月に1日の休みも無い私企業の過酷な労働事情。ところでこの歴史ある国で日本兵が中国本土で行った残虐な行動の凄まじさに圧倒されている。今日も、空港である写真付きの本を買い、中国人から見た日中戦争の過酷な真実を知った。中国3千年の歴史「青銅器に書かれた美しい古代文字」 日本兵に首を切られ、まだ首が半分残っていて哀願する女性の悲しいまなざし。この写真が、米国全土の新聞に報道され、アメリカ世論をして、日中戦争に介入もやむなしと決断させたと言う。南京を落とせば、日中戦争は終結するという、軍部の無謀な暴挙が、結局、戦争を拡大させ、東京大空襲、広島、長崎の原爆と、多くの国民の命を巻き添えにした。そんな軍部は、国民に謝るどころか、戦後60年を過ぎて、いまだに1兆円もの税金を、遺族年金としてもらい続けている!巻き添えにあった国民の遺族には一文もなし。こんな不合理を何故、国民は許しているのか。 こんな悪政を戦後から今まで執政してきたのは、他ならぬ、満州侵略を企画した戦前の商工省の官僚岸信介と彼が継承した戦後の自民党政権。戦後も、岸信介は、フィリピン賠償利権に介入し、巨額の税金を詐取した。戦前は侵略で、戦後は賠償で私腹を肥やした「悪い奴ほど、良く眠る」の典型的な人物。現安倍政権はいわばその直系の利権集団。首相本人が「そのDNAを誇りに思っている」から、憲法改正、防衛庁の格上げと戦争利権を拡大する。アメリカの大統領選挙では、南部の頑迷なアメリカ人が好む「偉大なアメリカ、偉大なアメリカ」と言えば、得票が10%は増えるとは、ブッシュの選挙参謀の狡猾な戦略。それをまねて「美しい日本」を繰り返す愚かなブッシュの真似をする、より愚かな首相。岸慎介と言う戦争首謀者が首相に返り咲いたから、霞ヶ関の戦争犯罪者はこぞって旧職に復帰して閨閥を継承した。亡命者を締め出した中国の阿南大使は東條の孫がその実例。岸信介と言う狡猾な官僚が生まれていなければ、極論すれば、彼がA級戦犯で絞首刑になっていれば・・・・、霞ヶ関の戦争責任が明確になり、憲法改正など言う者は淘汰され、我々、国民は、もっと幸せに安心して生きられただろう。久しぶりに日本の新聞を読んで、あいもかわらぬ自民党政権の利権を漁る政治に、帰る気がやや失せてきた。いっそ、この不快な国を離れて、遠くの国へ移住したい。「美しい日本」を口にする「醜い政治家」の国から。
2007/05/01
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今は昔、粋な港街「横浜」の風情が好きで、港の見える丘の大仏次郎館で、風雅な挿絵に見入って小説を読みふけったり、仕事を終えるとライブハウスを一人で徘徊。そんな折に、とあるクラブで出会った素敵な二人の音楽家を紹介します。恋多き人生を幼少より楽しんでこられた、自由奔放な女流歌手の裕美さん。ブログを読むと奔放かつ憎めない不思議な優しい人柄がわかります。ご主人は貴公子のようなロシア人ピアニスト。ふたりの特徴は、とにかく生きていることが楽しいという雰囲気にあふれていること。毎夜、どこかで、愛のデュエットを奏でておられるお二人です。この二人からの素敵なディナー・ショウへのお誘いです。私は上海の有名なジャズクラブも既に探索しましたが、気の抜けた平和飯店のジャズより、こちらが素敵でしょう。 第98回 Sul Ponte Umaya 音楽祭 日本横断ツアー 『ラグタイムの夕べ』 http://plaza.rakuten.co.jp/ragtimema/002002 2007年5月2日(水) 開場17:30、開演18:00、終演20:30 【世界トップ演奏家】 アメリカン・ラグタイム・ピアニスト:ボブ・ミルン ロシアン・ラグタイム・ピアニスト:アレェクスェイ・ルミィヤンツェフ ジャパニーズ・ラグタイム・シンガー:裕美・ルミィヤンツェヴァ 会 費:6000円 ワンドリンク・ディナー付き (追加飲み物・料理は別途申し受けます。) 場 所:『Sul Ponte 驛の食卓』 http://www.umaya.com/ 横浜市中区住吉町6-68-1 横浜関内地所ビル TEL 045-641-9901 地下鉄・JR桜木町駅徒歩5分、みなとみらい線馬車道駅徒歩3分 主 催:Suzuki, Myers & Associates, Ltd. (窓口:裕美・ルミィヤンツェヴァ) 横浜の地ビールは最高の味!!! 『はまっこ』とアメリカ関係のVIPが勢揃いで どこまでも盛り上がるディナー・ショウです。 先着100名様、お電話お待ち申し上げております。 お時間を見つけて是非、お出掛けくださいませ!!! 裕美・ルミィヤンツェヴァ 遠く上海よりエールを送ります。
2007/04/27
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私の好きな街は水郷 「柳川」街中を迷路のように、ゆったりと疎水が流れ、悠久の時間が、人の思いを無視したようにゆったりとながれている街。疎水の舟に乗って、流れに棹させば、洋館の美しい芝の庭が見えてくる。無防備な家々のありのままのたたずまい白秋の詩の昼下がりの密会の吐息が聞こえてくる。「春疎水 ひそやかに吐息 くぐもれる」さて今滞在している張家港市から、バスで1時間半,ようやく、憧れの東洋一の水郷 「蘇州」へ。世界遺産の庭園「拙攻園」は、水路をめぐらし、新緑の柳と満開のつつじの咲く最も美しい時期。つつじの向こう、迷路のような回廊をわたる人影。しかし、蘇州の一番の魅力は人工庭園より、生活の匂いのする疎水のたたずまい。描きたい風景が無尽蔵にあった。緑陰の深い影、遠くに映える水面の淡い光。今日は、そんな憧れの蘇州をようやく描いた一枚疎水にどうして、こんなに心魅かれるのか。水の流れは、刻々と変わる光や影も人も歴史も飲み込んで悠然としているからか。「水匂う 蘇州をつつむ 春の雨」このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/04/27
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菜の花咲く大和の国に心魅かれつつ、別れがたき人の笑みに心残して、桜舞う卯月の空に飛び立ちて、銀翼に乗ることしばし3時間、西の方へとふらりと西遊記の旅。如意棒なき孫悟空なれば、やや心細くてまずは往年の魔都、上海に降り立ち、原色のネオン煌めく都心の雑踏に歩き出ずるも、かってのおどろおどろしき上海の影、さらになくて、若き社会主義国家の末裔の健康な活気漂うばかり。ひとまず、豊かな上海経済圏の北の都市、張家港の国貿酒店なる高層宿に寄宿して、大和より発注せる某装置の製作に、5月の初めの帰省まで専念。大和へ出荷するは、夏の終わる頃なれば、度々訪るならむと心定めて長き滞在の覚悟さだまる。異国の一箇所に居を構えて、少しづつ、異人の生活習慣の中に入りゆくは、生来、好奇心旺盛なるゆえ楽しくもあり、今はまだ物珍しさばかりなり。まず驚くことは、寄宿せる高層宿の電子網の情報速度のすこぶる遅いこと。楽天に、描きし画像を上奏して待つこと1時間、遂に時間切れ!日記に画像を添付すること、叶わず。次に驚くは、物みなの価格の安きこと。麦酒、米酒、焼酎、飲み放題、寿司、焼肉、大好きな石狩鍋、食べ放題、何時間ねばっても、125元 約2000円!酩酊した折は、昨夜は誰が金払いしと問えど、誰も記憶になきさま。俺かなあ?まあいいか。かくなる日本料理屋あまたあれど、かなしきは、働く明るく若き娘らの労働条件の厳しさ。途中2時間休みあれど早番は10時から9時まで。1日500円にも満たず、月に休み1日も無し!月に休み1日も無し!それでも、親元を離れて、一緒に寄宿する楽しさに幼き笑顔優しく描けば皆、喜びあふれて満面の笑み。仕事の疲れ忘るる憩いのひとときに感謝する日々なり。
2007/04/15
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今日は、春の抒情を感じさせる景を少し。西武秋津駅を降りて、薬科大正門前の柳瀬川を北上する川沿いの舗道は、今、花にあふれた散歩道。いつもテニスコートへ自転車を走らせる好きな道。先日、テニスからの帰りに撮った春の情景です。桜の花には、飛鳥の壁絵に描かれた貴婦人のような気品を感じます。様々な春の花が、河岸の人々を景に溶け込ませる。黄昏の斜光が、ものみなの影を浮き立たせる。人のシルエットは、優しさに満ちた物語を語り始める。昔、こんな風に他人の会話を想像して楽しむ映画があったけど・・・。勝手に創造してみると、おもしろい物語がうまれそう。「ねえ、お父さん。好きな人ができたの。お嫁にいってもいい?」「・・・・・・・・・・・・・。」「お父さんが知っている人なの。」「???・・・・・・・・・・。」水生植物園の鴨が、夕暮れの斜光に波紋を添える。残照の中を鴨が横切る瞬間を待ち構えて・・・「今だ!」今日撮った中で一番好きなのは、この一枚。鴨の波紋と赤い残照の回り込みがとても気に入っています。さて今日の一枚は、「春の野」煙るような黄昏を描こうと試みた油絵。実は、二十代の頃、描いたものです。「菜の花や月は東に日は西に」 蕪村夢覚めて夢は遠くの花影に四肢は空しく半跏思惟なる風薫る風にさびしさあるゆえに形状記憶の翳りある午後このプログが気に入ったらクリックしてくださいね。
2007/03/31
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上海経済圏の中の北の都市、南通市は、東レ、川重などの進出で潤っている豊かな大都会。静かな郊外には、こんな風情有る山上の寺院があまた。 休日に、そのひとつの「狼山」に登った。山の周辺は、水路があって、美しい庭園。紅い提灯が、たくさん木々に吊られて美しい。長い石段はまさに揚子江河岸の金比羅神社。違いは、壁が美しい黄色で、色鮮やかな事。 参道は多くの参拝者でにぎわっていた。記念写真を撮る中国の少女等の表情は、日本と変わらない。参道には、こんな物がたくさん売ってあった。初めは花火と思っていたら、なんとこれは線香!中国人は心が大きいのか、線香も巨大!やがて、山頂の寺院へ到着。仁王様も菩薩像もどこか、日本と違って、幼く可愛い顔をしていた。頂上の五重塔の中は、木で作った螺旋階段。拝観料を払って登ってみると、さすがに怖いほど高い。スペインのサクラダファミリアのてっぺんを思い出した。神社参拝の後、広大な揚子江の河岸の公園へ。柳眉と言うけど、まさしく柳の芽吹きの美しい岬でした。 揚子江は広大で、対岸は春の霞で見えないほど遠かった。たくさんの行きかう船は、新しい中国の未来の夢を運んでいた。このプログが気に入ったらクリックしてください。
2007/03/24
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1933年頃、英国の劇作家バーナードショウが上海を訪れて、中国の思想家魯迅などの前で、講演を行った頃、上海には、英米、フランス、イタリア、日本の軍隊が共同租界に駐留し、一方で十九路軍と言う共産主義の軍も、反共的蒋介石の軍隊も駐留し牽制しあうという不思議な混沌とした状況にあったそう。かって外人租界の魔都と言われた上海は、大学教授や芸術家が暗黒街の地下組織の親分集と一緒にジャズを楽しむような自由豁達な気風に満ちて、東洋と西洋文化が混淆した上海文化が花開いた時代だったとも。その後、日本軍が侵略して南京から上海まで占拠して、暴虐の限りを尽くして破壊つくすまで。今、その上海は、明るい都会に生まれ変わっていた。東欧のくすんだ活気の無い街に比べて、これが共産圏の街?と疑うほど、東京都庁や赤坂プリンスホテルのような立派な高層ビルが立ち並び、歩行者天国の街の中心は、若者たちの活気に溢れていた。春浅い3月の候、仕事で上海近郊に二週間ほど滞在してきました。上海から2時間、北上して揚子江を渡った対岸の南通市。川重、東レ、丸紅などのたくさんの工場があるとかで、日本人は、600人ほど常駐している工業都市。日本料理屋が10軒ほど、こんな明るい中国の娘さんが出迎えてくれました。時給150円前後なのに、みな希望に満ちている顔ばかり。給料は、日本の企業の工員さんで6万円。通常の中国の平均月収が1万円以下なので、この上海近郊の経済圏は豊かなようでした。中国料理のレストランの若者も、どこか明るい。日本のように、遊びほうけている学生や若者があまりいない。本屋には、英語や日本語を学ぶ参考書を求める若者でいっぱい。みな、働いているか、何かを身につけようと必死に生きていた。次回は、休日の美しい山上の寺院散策です。このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/03/20
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房総の大好きな名峰は、伊予ガ岳。山頂が、畳二枚ほどの急峻な岩の山。春秋にもう10回近く登ったかな。内房線の岩井駅から、バスで10分、富山登山口の先の平群神社へ。岩峰を囲む里は、かって平群一族の住んだ里。岩の頂きから見下ろす里の風景がまた風情あり。そこから1時間、こんな光の道を登っていく。最後は急な鎖場を過ぎて、この急峻な岩峰へ。房総で最も好きな見晴らしの良い頂。里美八犬伝の里を遠くに、素晴らしい岩の頂です。さて技術関係の仕事で、明日から上海へ。2週間ほど行くことになりました。ネット環境が見つかれば、向こうから上海日記を送ります。みなさんも、お元気で。このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/03/04
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房総半島の突端には、美味しい民宿や由緒ある宿がたくさんあると知って、春の海に陽光が反射する日にスケッチ旅行。題して「房総グルメ紀行」まずは、鳩山首相の広大な別荘跡に立った館山の「松庵」古い由緒ある建物を期待したが、建物はなくなっていた。関東大震災で消失した東京の本宅用に解体移設したもよう。黒松林を吹き抜ける風に枝々がいっせいにざわめき、風の音と松の音が渾然一体となって生まれるのが「松籟」。季節、樹齢によって微妙に違う松籟はまさに千変万化。そんな松籟が楽しめる風情ある別荘跡地でした。その夜は、炭火焼の山海の食材とてんぷら刺身が食べきれないほど、楽しめました。次は、雑誌でも良く紹介されている海の幸豊富な、お花畑千倉の民宿「萬兵衛」金目鯛の刺身と鷹の羽鯛の煮付けが美味しかった。更に伊勢海老、あわび、烏賊、海老の味噌鍋・・・!料理の主は、この話好きのおばあさん。ご主人は、なんと銀座英国屋の仕立師だった。昔、魚がたくさん捕れた頃は、羽振りが良かった漁師さん相手に背広を仕立てて良い商売だったとか。房総めぐりで、皆が立ち寄るのが浅井慎平の「海岸美術館」しかし、僕はがっかり!海岸とは名ばかりの山奥。高い入場料の「美術館?」の割に展示している写真が少ない。展示している写真も、いまいち感心しなかった。写真の対象物は良いが、写真はいいのがない。多分、いずれ自分の「アトリエ」にしたい建物の費用を経費で浮かすための「美術館」ではないのかな。自分の格好良い写真を大地喜和子と向かい合わせたり。言わば、浅井慎平の「ひとりよがり」の美術館。房総めぐりで面白かったのは、南房総の丸山町が、町おこしに本場英国の大工に作らせた、本物そっくりのシェークスピアの生家。「風車とローズマリーの里」の中にある。父親のジョンは商人で裕福な家庭環境であったとか、昔の裕福な英国の生活が垣間見れた。シェークスピアは、18歳で、8歳年上の女性と結婚。すでに長女を身籠っていて、出来ちゃった婚!でもとても幸せな結構だったようで、、これがシェークスピア夫婦の寝台、とても小さい!上半身は立てたまま寝たとか。ほんとかなあ?さて、今日の絵は、房総の港風景。皆さんは、知っていますか?日が傾いて、黄昏まぢかになると、海の面は、不思議な輝きを始める。ほろびの前の束の間の命のように。このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/02/23
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スキーシューは、西洋製の輪かん履き。尖った爪と、雪に沈まぬ大きな軽い板。これを履けば、道なき雪原を自由に闊歩できる。山やスキーが好きな若者が集う会がふぃーるど倶楽部好きな行事がたくさんあったので、今回、初参加。リーダーの若者が車でピックアップしてくれて、スノーシューも貸してくれたので、費用はわずか3,500円!みな、気の良い若者ばかりの良いパーティだった。今回は、日光戦場ヶ原を湯元から縦断する2時間半のコース。広大な雪原の木道に出てはしゃぐ仲間たち。雪原の向こうに淡く男体山の雄姿があらわれてくる。湿原に流れ込む渓流は雪の木橋を渡っていく。カルガモが、この寒い渓流に生きていた。お昼は、渓流のそばのベンチで日光の肉饅頭をふたつ。そして汗ばんだ肌を中禅寺湖の「湖畔の湯」で流した。これが、戦場ヶ原トレッキングの最後の楽しみ。小雪舞う雪原は、白一色の幻想的な世界。今日は、なんとなく短歌を作りつつ歩いた。短歌をつくると、心象世界に遊べるし、より自然が深く心に染み込んでくるから。作るこつは、雪の気持ちになること。しばらく吹雪く雪の中にふるえる立ち木になりすますこと。「吹雪く野に薄日かすかに射し込めば あらわれいづる細き白樺」「雪舞へば遠きかなし出来事の ありしやいなや何故か切なし」さて今回の絵は、鎌倉の絵の先生、カンジさんにならった手法。耐水性のペンテルハイブリッドペンで描き、ドイツのシュミンケという水彩絵の具にトライ。雪景色なので絵の具はあまりいらないが、淡く濃淡をつけた。水彩画 「小雪舞う雪原をゆく」このブログが気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/02/12
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房総半島の突端はかっては未開の地。今の浦安周辺には、広大な湿地帯が立ちふさがり、紀州和歌山から黒潮に乗って上陸した人々が、南より開拓したので下が上総、上が下総。「総」や「房」は、上陸して植えた「麻」から由来。白浜、勝浦の名も、ふるさと紀伊半島の名残り。その上総の外房に「千倉」と言う美しい里あり。2月ともなれば、金魚草、ストック、ひなげしが満開。先週、スケッチに訪れたら、もう春たけなわ。「花摘み」と言う風雅な幟りが、そこここにはためく。訪れた人はみな、花盗人ならぬ花摘み人となって風雅に花畑のそこここを散策している。5、6本で200円から300円。畑の中の好きな色、好きなのを自ら摘むことができる。千葉には横浜のような文化の香りが少ないと言われる。確かに、岡山、松山のような城下町の歴史の風情も、気風にも乏しく文化振興の機運がないと嘆く人もいる。家康が内懐からの謀反を怖れて、地方豪族を左遷し、小さな外様大名ばかり置いたから・・・・・・強大な権力が持つ文化の志向性が生まれなかった。と言うのが私の個人的な推論。文化と言うのは、その町や国が持つ独自性が顕著に発展するための、強い方向付けが必要なよう。それゆえか自然は豊かで、手付かずの風情あり。広い房総には、庶民的な匂いのする、のびのびした、のどかな里が多い。私の大好きなひなげしが千倉にはあまた咲いていた。暖かい日に多様な彩りで可憐に揺れる詩情あふれた姿。コスモスやひなげしのように風に揺れる花が好き。今は昔に作った青春の歌「泣くは誰 けだるき真昼の丘に吹く 風に揺れゐる ひなげしの花」今日の一枚は 水彩画 「千倉風景」お昼には、野島崎灯台を眺めるカフェテラスで、タコのパスタと、オムレツをほうばった。安いのに、意外と料理が美味しかったので、麦酒に酔いながら気持ちよく描けた一枚。房総はもう春ですよ!「野島崎灯台」気に入ったら、クリックしてくださいね。
2007/02/07
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内房総の鋸南町は有名な水仙の産地、江戸時代から栽培されていたそう。 水仙は、1月から2月にかけては花の最盛期。JR保田駅から徒歩で往復4時間くらいの嵯峨山周辺は、一面の水仙の里で、尾根道にもぎっしり。小保田まで、バスで行けば、嵯峨山往復は、2時間の軽いハイキングコース。保田駅発9時18分と12時48分の鋸南町営バスがあるよう。冬日透かしの水仙はとても可憐。 今回の旅は、山のベテラン札幌医大の伊藤教授に誘われて、思いがけず良い旅に出会いました。伊藤教授は、東京ハイキングクラブの重鎮で、年間40回以上、こういう山歩きを企画されている優しい素敵な方です。 ぎっしりと水仙で埋め尽くされた丘。この丘に突然であって、みな、息をのんだ。 暖かい房総の日を浴びて、あぜ道でお弁当。水仙の香に囲まれて、しあわせなひととき。 枯れた穂先の綿帽子も、ふっくらと冬日を満喫。 農家の庭先にはこんなあでやかな黄色の水仙も。 嵯峨山を下ると山里に一軒屋に、おばあさんが一人住まい。庭先には、こんな紅い花が咲いて、すでに春の気配でした。 今日の一枚は、お昼のあぜ道で描いた絵。水彩画 「水仙の里」 プログランキング、クリックしてくださいね。
2007/01/23
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三崎港は、まぐろの基地と魚満載の釣り舟ののどかに波を光らせて、冬日の中を帰り来る。 港埠頭の生鮮市場、真っ赤に美麗な金目鯛、炭火とろとろ、脂とろとろ遠火で焼けば美味かろう。帰りに買わんと楽しみに。 浜辺を歩けば、老婆いて鯵に鰯に秋刀魚にマグロ、天日に干したる焼きいたり。磯の浜風、のどけくて、炭火に焼ける鰯の匂い、おもわず立ち寄り賞味する。 噂の店は、「くろば亭」行列並ぶ、美味の店?特上まぐろの刺身あり。三千七百五十円。一切れあたりいくらかと、計算せずに食べるべし。 城ヶ島なるバス停の土産の店に立ち寄りて、冷酒を頼めば、地の人の、一升瓶をなみなみと、今日は奢りと銭取らず。のどかな港に住む人の優しい情に接したり。地元の人のお勧めの、三崎港の小料理屋、美味なる煮つけ金目鯛、店の屋号は「庄和丸」品良い店に酔いければ、いつしか日暮るる冬の宵。 すだちの香り、磯の香にほろ酔い気分の水割りにしあわせ満ちる旅の空。 心残りは、ただひとつ、磯の潮の香、露天風呂、浜は日暮れて夕まぐれ、麦酒に酔いて立ち寄れば、市場は既に閉まりけり、まぶたに残る金目鯛、次回行く日を待ちわびる!デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2007/01/19
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今回は、城ヶ島突端の岩礁で見つけた風景。雪がすべてを真っ白に装わせるように海辺の逆光は、万物全てを漆黒の美しいシルエットに変身させる。人影のなにげない姿が精巧な彫像のように変身する。魚群がいるのか、海のひとところに群がるウミネコの群れ。たえまなく激しく打ちつける波濤には、いつまで眺めても飽きることの無いひたむきさがある。水彩色鉛筆 「城ヶ島の岩礁」昔、博多を出港した藤原なにがしの船が、漂流して、ここに流れ着いたと言う岩場。よく、ここまで生き延びてたどり着いたもの。風雨に曝されて波濤を見下ろす灯台は、孤高な品格を持っている好きなモチーフ。これは、昔、千葉の犬吠埼を油絵で描いた一枚。下記は、対照的な夏の逗子海岸の喧騒の景。それに比べると冬の城ヶ島は寂しいがどこか爽快ですっきりと輝いています。冬の城ヶ島も行ってみる価値ありました。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2007/01/13
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三浦半島の突端の三崎港は、外洋の高波を城ヶ島に遮られ、台風や風波を避けうる天然の良港。「えの丸や 庄之助丸 春麗ら」美しいヨットや、遠洋マグロ漁船があまた停泊。澄んだ冬の陽が、漁船の光彩を波に映す。柔らかい冬の陽射しを、楽しんでいるのは、人間より、むしろ舟の方のようであった。青い海、白い船の船体、喫水線の鮮やかな赤。港は、画家にとって、色彩豊かなモチーフ。船体が映る、風にゆらぐ波間の影がまた美しい。パステル画 「初春の陽射し」今は昔、絵の仲間との旅が楽しかった頃、何度も港を描きに行った。山陰の舟泊は、倉敷の絵の仲間と、泊りがけで行った。年末の忘年会バス旅行で行くと、はまちが一匹、土産についた。四国の日振り島では、居酒屋で出会った漁師の家に泊めてもらって、秘密の岩場に案内されて、皆で、メバルを100匹近く釣った。鍋が空になると、魚籠からメバルを放り込んで、また煮て食べた。房総の港は、船橋の絵の仲間の家に泊まって描いた。友人の父親が昨夜作った「背黒鰯の一夜干し」を炭で、焼いては食べ、焼いては食べして、一晩、飲み明かした。炭火に乗せると、新鮮な鰯から油がジュージュー滴り、そのあつあつの柔らかい鰯を、そのままほおばった。あんなに、美味しい鰯はそれ以来食べていない。今、気づいたけど、港の絵には、どれにもうまい魚、美味しい酒、にぎやかな団欒といった絵の仲間との楽しい思い出が重なっている。「酒の美味しさは銘柄ではなくて、誰と飲んだかによって決まる。」と言った人がいたけど、ほんとうですね。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2007/01/12
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テニスをしていたら、絵の仲間からメールが入った。「三崎へ、マグロ食べに行こう!」「三崎ってどこ?」 「三浦半島の突端」と言うわけで、連休のぽかぽか天気の日に三浦半島の三崎港から城ヶ島にスケッチ旅行。絵はともかく、美味いものが食べれる!陽光のきらめく三崎港は、初春の息吹がいっぱい。城ヶ島と言えば白秋の名曲「城ヶ島の雨」「雨はふるふる 城ヶ島の磯に利休鼠の 雨がふる雨は真珠か 夜明けの霧かそれともわたしの 忍び泣き舟はゆくゆく 通り矢のはなを濡れて帆上げた ぬしの舟ええ 舟は櫓でやる櫓は唄でやる唄は船頭さんの 心意気雨はふるふる 日はうす曇る舟はゆくゆく 帆がかすむ 」「城ヶ島の岩場」「日本人なら、どこかで耳にしたことがあるであろう名曲。北原白秋が、なぜこの詩を書いたのか? 当時、三浦三崎に住み、城ヶ島を望みながら暮らしていたそう。北原白秋に、作詩を依頼したのは、島村抱月率いる「芸術座」。新劇のみならず、音楽界にも新風を..と「芸術座音楽会」を開き、オリジナルの曲を発表することになったからとか。作曲を担当したのが、当代一流の名テナ-であった梁田貞氏。」歌手吉元恵子さんの「音楽ゆかりの地を行く」より その城ヶ島へ渡るバスを待つ間に一枚。優しく揺籃するような波に憩っていた舟の姿「初春の三崎港」美味しいマグロを食べて、海辺の露天風呂に入り、城ヶ島の絵を4枚描いてきました。4回にわたって、ご報告します。プログランキング、クリックしてくださいね。
2007/01/12
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昔の学校の絵の先生には、自由に描くより、遠近法とかをうるさく言う理論派が多かった。好きな絵をけなされて、一生絵が嫌いになった友達も。何でもそうだけど、何かを上手にさせるには、まずそれを好きにさせることなのに、たくさんの先生が間違っていた。私に描く歓びを教えてくれた素敵な絵の先生は、これ! 吉川英治の名作「神州天魔侠」などの挿絵だった。ようやく三鷹の図書館で見つけた懐かしい一枚。今、見ても、服の下の人体の骨格がしっかりと描かれていて、細線だけで、動きや躍動感、力線などが明確に表現された逸品。どうして、こんな絵が、見なくてもかけるんだろう。 その美しさに見とれて虜になった事が私の描く原点だった。石膏デッサンなど教えてくれない田舎の学校だったから夢中になって挿絵をノートに写することで素描を覚えた。それが小学校一年の頃、野球嫌いで絵ばかり描いていた。どうして、こんな美しい姿が描けるんだろう。自分も、こんな絵が描けるようになりたい。吉川英治氏の「忘れ残りの記」も素晴らしい自伝だが、それによると「神州天魔侠」で当時の少年の心を躍らせたのは、大正14年、まだ私は生まれていなかった。したがって私が読んだのは父の蔵書か復刻本だったよう。 しかし、今回の天龍村振興の一環として個展にあわせて行った、訪問者全員へ、似顔絵プレゼントの試みは大変だった。今まで、絵になりそうな気に入った顔だけ描いていたのに、この日は、目の前に座った全ての人を描かないといけない!しかし、描きながら相手の人柄が解ると不思議に筆が走った。似顔絵は、外形だけでない。心が通うことが大事と改めて気づいた。しかも、たくさんの家族の方々と絵を媒介に知える楽しい体験でした。うらやましいほど、素敵だったのは、この4人家族の方々。 「好きな女の子いる?」 「お母さん!」と答えたのは可愛い一年生。ほんとに、優しそうな素敵なお母さんだったので、思いっきり、さわやかに描いてあげた。お母さんの絵を見て一番喜んだのは、お母さんが大好きなお子さんだった。幸せを絵にしたような家族を見て、僕の子供たちが小さかった頃の事が、思い出されて、胸が熱くなった。人は最も幸せだった日々のことを、その幸せが過ぎ去って初めて気づく。 天龍村には、彫りの深い,描きたくなる男性も。鼻が高く眉が濃く、日本人らしくない顔。 ルーツをたどれば、遠いシルクロードをたどってきたイスラエルの世界中に散った20部族の由緒ある血脈かも。事実、日本の雅楽の東儀一族の先祖弓月氏は、その子孫だそう。 はるばる名古屋から父親と一緒に来た息子さん。 似顔絵を楽しみにしてきたと仲良しのお父さんと話していた。名前を聞いてびっくり。かみさんの里に近い瀬戸内海の塩飽諸島に縁のある方。かみさんが、河野水軍の出、こちらは塩飽水軍の末裔。昔は、一緒に戦った仲間だったかもしれない。 見るからに真面目そうな警備会社のおじさんが来た。描きにくい顔だったけど、話していたら表情が見えてきた。たくさんの孫娘にカラーコピーしてあげるんだとすごく気に入って、喜んでくれて、柚子の蜂蜜と白ワイン漬けのボトルをプレゼントしてくれた。温めて飲むと体中の血が駈け巡るような不思議な効果!風邪を引きそうな時に飲んで重宝しています。ありがとう! 次は、天龍村「お浄めの湯」の支配人です。お嫁さん募集中! 私が昔の絵の先生の立場になれたとしたら、言いたい事は、上手に描かなくていいから、まず描くことを楽しむこと。そうやって、まず絵を大好きになること。自然を描く時は、まず感動すること。人を描く時は相手と心を通わせること。対象物を好きになれば、自然と筆が走り始めます。さて、天龍村での似顔絵描きは、ほんとに楽しい体験。猟師にもらった鹿肉を囲炉裏で焼いての囲炉裏パーティ。バードさん(左端)の友人が集まって、楽しい夜でした。 デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2007/01/05
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初春や炬燵に祖父母囲む宴亡くなったかみさんの里 因島で祖父母と語りながら正月を過ごしています山頂に五百羅漢の石仏が散在する白滝山に登ろうと思ったらあいにくの冷たい雨 甘い因島蜜柑を炬燵で食べながらとても面白い本に夢中になっていました白州次郎 占領を背負った男新憲法の草案を訳しマッカーサーに談判した男吉田茂の懐刀として終戦処理を画策したり通産省を作り日本の復興に尽力した人かつ醜い利権を追う官僚と政治家を最も嫌った男日本に、こんなに爽やかな人がいたんだとすがすがしい読後感に浸っていますさまざまな知られていない終戦秘話があったことも。ぜひ本屋か図書館で探して一読下さい。要らないダム、道路、港湾で国債を多発し、巨額の国家負債を平然と積み上げてきた今の日本。現在の利権を漁る亡国官僚と自民党議員たちが、如何に亡国の輩ばかりであることかは自明の事。1人あたり900万もの税金を詐取した輩を早急に選挙で落選させ、霞ヶ関から淘汰すべき事に、改めて気付くでしょうところで今年も波長の合うみなさんと実りゆたかで楽しい年となりますように願っています。 デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2007/01/03
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瀬戸の海に面する小さな神社 41の厄年の村人が振る舞う年越しの蕎麦 どんどの火にあたりながら飲む樽酒の新酒 毎年の恒例の大晦日の楽しみです 竹筒の新酒どんどの火の熱し 大吉の神籤よ今年は何処の旅の空 明けましておめでとうございます
2006/12/31
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正月は、かみさんの里、広島の因島に。明日の夜は、息子と落ち合って倉敷へ。民芸風の素敵な居酒屋「新粋」で静かに飲んでいます。大皿に並べられた、瀬戸の海の幸を楽しみに。大晦日には、瀬戸の海を見渡す、小さな神社で、厄年の男女がふるまう美味しい「蕎麦」と竹筒の「新酒」をいただいて年を越すでしょう。みなさん、良いお年をお迎え下さい。「富士の彩雲」
2006/12/28
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天竜川に不思議な淵あり。川を下る舟みな、ここに至れば、今来た方へ別れを惜しむが如く、舟は木の葉のように舞い、舳先は川上の信濃へ向かふと。今は昔、天龍の里に美しい乙女住まいし。思いを誓う人あるも、三河の国に召されて旅立つ。耐え難い別れの悲しみを振り切らんと、互いに交わせし御守袋を、この淵へ投じければ、みるみる水中に渦湧き立ちて、船頭必死に舵取りするも、舟は、まったく先へ進むことかなわず。やむなく、里に戻りし乙女は、やがて愛しき人とめでたく夫婦となりえて、親に孝を尽くしたりと。村人、ひたむきな乙女の愛、天に届きしことを愛でて、この美しき淵を「信濃恋し」と名付く。個展を開いたログハウスは、この「信濃恋し」のすぐそば。(俊介の、坊さんのような本名が、ここでばれてしまいました)丸太を積み重ねた、美しい内装の自然な風合いのログハウス。「房総のお花畑」と「棚田」の油絵2点、「スペイン巡礼路」の水彩画3点、「裸婦デッサン」のパステル画2点、「パリジェンヌ」他世界中の似顔絵数点、それに「秋のブランコ」他のクレヨン画、占めて17点をログハウスいっぱいの壁面に展示しました。来年1月20日まで展示しています。よかったらご覧下さい。飯田線為栗(してぐり)駅で下車して吊橋を渡り、美しい「信濃恋し」の渓流を歩けばログハウスまで10分程です。ハンサムな南信州新聞の記者の方に、取材を受けました。到着したその夜、なんと天龍村の村長さんが見に来られた!早速、似顔絵のモデルになっていただき、謝礼までいただきました。村長になると、選挙にかかったお金をとりもどそうと、公共投資を行う首長がほとんど。それで市町村の借金が増える。「わしは、そう言うことは、やらん」と、信念をもった惚れ惚れする気骨のある方でした。日本を借金王国にした自民党の亡国議員どもと、霞ヶ関の時代遅れの「過去官僚ども」に爪の垢を煎じて飲ませたい!中日新聞にも個展の記事が載って、いろんな方と出会えました。鹿鍋に集い来て似顔絵を描きし天龍村の方々。左から三番目は、天龍村の温泉「お浄めの湯」の支配人。右端の方がログハウスの美味しい料理担当のバードさんの奥方。スペイン巡礼路を歩いたターボさん(左端)も中津川より駆けつけ、バードさんの仲間がたくさんやってこられて絵を片手に記念撮影。これから絵を学びたいからと油絵を持参してこられた方も。これは、その方のお孫さん。不登校などとは無縁の生きる喜びにあふれたお嬢さんでした。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックしてくださいね。
2006/12/26
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天龍村のログハウスで個展をひと月ほど開催しました。昨夜はログハウスの囲炉裏で、鹿肉食べて村人多数と酒盛り。バードさんの仲間や市役所の方が集まって楽しいひとときでした。途中から、スペイン巡礼路を歩いたターボさんも合流。日本の防衛問題で、バードさんと激論を交わし、美味しい飯田の焼酎もあいまって、やや二日酔いです。今日は天龍村の人たちに、似顔絵プレゼントの日。昼には、数家族集まって、ログハウスは満員盛況。バードさんは、料理つくりにてんてこまいでした。家族連れで一家全員描いてと言われたり。持参した色紙に赤ちゃんを描いて!ついでの親も!と。昼飯抜きで、結局、合計22人ほど描きました。みな嬉しそうに気に入ってくれて楽しい2日間でした。昨日は天龍村の村長さんも来て神妙にモデルになりました。描く間のこどもたちとの会話も楽しめました。睫毛の長い可愛い小1の男の子。「お父さん、優しい?」お父さんの顔をうかがいながら「うーん」と首を振る。「好きな女の子いる?」「お母さん!」お父さんは苦笑し、お母さんは満面の笑み。似顔絵のお礼にと甘いゆずのワインづけを一瓶届けて下さる人、林檎や干し柿をもってくれたおばさん。中日新聞に個展の話が載ったり、南信州新聞の取材を受けたり。いい仲間に、いい村人ばかり。段取りしてくれたバードさん他、皆さんありがとう。ほんとうに、素敵な体験でした
2006/12/23
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「忘れえぬ人々」同名の国木田独歩の名作がある。「決して、親しく交わった人のことではない。人生の途中でたまたま出会い、その生き様を垣間見た人々。さびしい一人旅の船から見た、瀬戸の磯で黙々と海草を採っていた老人。尾道の雑踏を尺八の音とともに過ぎた虚無僧。」といった簡潔な名文で綴られている。 永遠に変わらぬ独自の姿で、悠久の天地をともに生きていくと思われる人々。ほんのの10数分、絵を描いている間に会っただけなのに、今でも気になる「忘れえぬ人々」がいる。スペイン編は、スペインの忘れえぬ人々に書いた。今回は、「忘れえぬ人々」 トルコ編トルコは、とらえようのない不思議な国。ギリシャ詩人ホメロスの叙事詩のトロイの遺跡も、古代ローマ人が世界中から運んだ大理石で築いた、壮大な古代都市エフェソスも、トルコのエーゲ海沿岸にある。したがって、人々の顔も多様で、変化に富んでいた。決して,万里の長城の北の蛮族「匈奴」の子孫と言われる騎馬民族トルコ人のみの国ではない。カッパドキアは、イスラムの迫害を怖れて岩に穴を開けて千人以上住んでいたキリスト教徒の居住都市。荒涼とした岩の町で「駱駝に乗りませんか」と声をかけたおばさんたちはなんとなく砂漠の民の風貌。熱い夏のトルコ。でも洞窟の中のレストランは、涼しい。ウエイターは、珍しく青い眼の若者。描かれる3分ほどを、直立不動でほほえんでいた。夏のある日、バルカン半島から霞の彼方の対岸へ海峡を船で渡った。かってアレクサンダー大王は、この海峡を皮袋を並べて渡ったという。しかし、どう考えても無理な広大な海峡。海峡を渡る船上で、可愛い娘が甲板を飛び回っていた。チャナックルの港は、バルカン半島に面する軍事基地。群青のダーダネルス海峡に別荘がならぶ美しい街でもあった。海沿いの館で音楽が聞こえ、にぎやかなパーティが開かれていた。ひとり、音楽に誘われて、屋外のテーブルに座ると、隣の席の、家族連れの中に、こんなローマの末裔のような美しい乙女がいた。トルコを旅すると必ず絨毯屋に連れていかれる。みなが絨毯を買っている間、私はそこの人々を描いた。これは、ジンギスカーン氏。末裔だと自慢してたけど・・・。他の国では、ジンギスカンに似てるねと言って、「とんでもない」と叱られた。征服された民族から見ると、残虐無比の恐ろしい王となる。トルコの若者は、とても涼しい眼のいい顔をしている。どこでもそうだけど、織物の織り子の給料はとても安い。日本の大島紬を織っていた娘に聞いたら、一日8千円!この絨毯屋の娘たちも薄給だったけど、眼は優しく表情はさわやかだった。さて、こんな旅先での似顔絵描きは、異国の人々と交流するのに、とても良い手段です。南信州の天龍村で、12月23日に描き方を指導します。詳細は、前日の日記を参照ください。近くの方は、ぜひお立ち寄り下さい。最後に、シンガポール航空のスチワーデス。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。
2006/12/17
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絵日記の延べ訪問者が10万4千人を越えました。支援くださった方々、ありがとう。掲示した油絵、水彩画も100枚以上になりました。これまで、スペイン、ポルトガル、シルクロードと世界中を旅して描いた似顔絵は、1000人以上。描いた風景画も1000枚以上となりました。水彩画 「スペインの広場」 今回、長野県下伊那郡天龍村の振興のために村のログハウスのギャラリーで個展と絵の好きな方へ絵画指導を行います。きっかけは公共設備の耐震化工事のエキスパートで、防災工事の防守舎(サキモリ舎)の社長でもあるバードさん。 彼が、天龍村村長に見込まれて村に住み着いて天龍村振興の為にボランティアで活動中なのです。天龍村振興ホームページ彼の熱意に惚れて個展と絵画指導を行います。個展の期間は12月21日より来年1月20日まで、一ヶ月間。12月22日午後と、23日は似顔絵プレゼントの日です。来訪された方々に、似顔絵を描いてプレゼントします。また、希望者には「友達の輪が広がる似顔絵の描き方」と「風景画とハガキ絵の描き方」を指導します。海外では、言葉が通じなくとも、似顔絵を描けば上手下手は無関係、必ず心が通じ合います。似顔絵は簡単、ポイントを抑えれば誰でも3分で描けます。鼻と口の描き方は、だいたいいつも同じ描き方。ポイントは、眼と顔の輪郭。これさえ学べば描けます。別に似なくてもいいのです。格好良く描けば誰も喜んでくれます。「格好良く描くには、眼を大きくぱっちり。口元を上にあげて、笑みを浮かべ、瞳を塗りつぶさず、睫毛と目尻を濃く描くと誰もが、美人に生まれ変わります。」期間中に、「天龍村振興はがき絵コンテスト」の応募作品を募集します。 「天龍村振興はがき絵コンテスト」 優秀作品展 2006年1月22日より2月21日まで。応募作品は、村の貴重な財産として、その後も村役場で掲示します。天龍村は、JR飯田駅から南へ1時間、平岡駅で下車。新宿からJR飯田駅まで高速バスで4時間。3,500円で1時間おきに運行。意外と近い!良かったら旅の途中にお立ち寄りください。22日夜に来れる人がいたら、皆で酒盛りしましょう。デザイン・アート部門のプログランキング参加中。クリックして応援してくださいね。添付は個展出品予定の作品の一部です。クロッキー 「考える人」 クロッキー 「飛翔」 油絵 「春が来た!」水彩画 「スペイン巡礼路」
2006/12/10
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近年、堕落した国家公務員、特に霞ヶ関の官僚の犯罪が目に余るものがありますね。巨額の年金を株式投資して、証券会社に便宜を図り、年金に莫大な損失を出した厚生官僚。グリーンピア建設で年金に巨額の損失を与え、建設会社に便宜を図って天下ったり、国会議員になろうとした厚生官僚。リクルートに便宜を図り議員になろうとした文部官僚。不要なダム、不要な道路を建設して国家に莫大な借金を作り、建設会社に天下りしようとする建設省の全国の役人たち。国家とは名ばかりに、堕落官僚が支配する霞が関。これらの不正を知りつつ、取り締まれないのは、政治献金と言う名で、自民党の国会議員が、一緒に公共投資で税金を詐取しているからと言うのは周知の事実でしょう。貴方はこの腐敗しきった国家の堕落を改革できますか?貴方は、有能な政治家ですか?首相着任早々、教育改革に熱心ですが、この国の親たちは、10年先の資産を使い込んだ浪費家。収入の倍も贅沢三昧に使い込んできて借金だらけの親が、子供に「正しく生きなさい。」と教育する資格がありますか?教育を論ずる前に、わが身の浪費癖を直すのが先決です。つい最近、400億もの税金で首相官邸を新築したそうですね。金銭感覚の麻痺した首相が財政再建を口にする資格がありますか?自らは豪邸に移り住んで「厳しい増税」を民には強いるのですか?即刻、退去して売却し、負債返済に充てるべきではないですか?貴方は、本当に有能な政治家ですか?貴方が敬愛する祖父岸信介は、大東亜戦争に署名した方。国民を戦争に狩り出し、反対者は特高警察で拷問を加え、400万人の民を無念の死に追いやった官僚の一人です。「満州国は私の産物」と豪語した方でもあります。極寒の満州に移住した37万の人々の苦難は、彼によって計画され、しかもソ連侵攻では、多くの人々が悲惨な死を迎えました。戦後も戦犯を免れて生き延びた岸信介は、反省するどころか、戦後のフィリピン賠償でも、盟友松下商店に賠償金の一部を上納させて、巨額の税金を詐取した恥知らずな方です。極東裁判が不公平なら、国民自らの手で彼の戦争責任を裁くべきだったのではないでしょうか?無念の死と生を強制された400万の人々に代わって、彼の戦争責任を断罪すべきだったのではないでしょうか?貴方は、本当に正しい判断のできる政治家ですか?祖父岸信介のDNAを受け継いだと自慢する、貴方の心情が全く理解できません。霞ヶ関に家賃9万円の豪華な議員宿舎をもうすぐ完成?正気ですか? 冗談じゃないです。ここに入居する議員は、貧しい民の代表者たる資格がないと公言しているようなもの。貴方は、そんな議員を公認して支援するのですか。国民は一致団結して、全員、落選させるでしょう。予算を半減する為に、まず議員から、率先して痛みを分かつ時期ですよ。議員を半数に減らすと言うなら分かります。幸い、小泉チルドレンとかタレント議員とか減らしても実害の無い議席はたっぷり。議員一人に1.5億円以上、年間かかっています。枡添のような御用学者や高市のような素人議員の為に1.5億円も税金を使う? 腹立たしい限りです。まず衆議院議員を半数に減らしましょう。財界の反対を押し切ってサラ金金利を抑制した与謝野薫氏のような本物の政治家だけいれば十分です。2兆円使って収穫ゼロの石油公団の乱脈を暴いた、堀内氏のような気骨のある政治家だけで十分です。無能な議員が跋扈する衆院をまず整理しましょう。日本の議員数は、大国アメリカより多いのですよ。良識の府、参議院も、最近は、改革を阻止する利権団体の巣窟。反対したら除籍するなら参議院は要らないということ。行政改革の手始めに、参議院を、まず廃止しましょう。13万件の法案に意義を唱えたのは、たったの3件。ここ10年はゼロ件、全員解雇しても何の不自由もありません。来年の参院選の前に実施すれば、600億円が年金に回せます。貴方は、本気で行政改革ができる政治家ですか?日本は破産国家、予算を減らさないといけないのに、防衛庁を省に格上げしましたね。新たに海外に兵を派遣してまで、よその国の紛争にお金を使う余裕はどこにも無いですよ。ソ連、中国と平和外交が樹立し、「共産主義者の侵入」がなくなった現在、防衛課に格下げしても良い時機です。防衛庁の設備調達は自民党の巨額の口利き利権ですが、国民は更に巨額の支出を負担しなければならない。これ以上、まだ防衛産業からの献金が欲しいのですか?貴方は、本当に民のことを考えている政治家ですか?種子島で、満を持しても何度も打ち上げに失敗してるのに、いつ飛んでくるか不明なミサイルを打ち落とすのに1兆円予算化?もともと、アメリカが長年かけて開発に失敗、イラク戦争で開発費がないから日本に押し付けたもの。数年かかっても実現できるか分からない兵器であり、失敗すると民間機を撃墜する危険な兵器です。仮に開発しても日本は兵器輸出を禁止している国ですよ。兵器輸出をなしくずしに認めさせる魂胆ですか。暴走するアメリカが世界に配置したら、誤爆が恐ろしくて危険な空になる可能性も。問題だらけの兵器開発を十分審議しましたか。1兆円もの予算を安易に誰が約束したのですか。三菱重工の元社長と同窓会で懇談した時に聞いたら、開発には時間がかかるものと苦笑していました。借金国家のどこにそんなお金と技術があるのでしょう。財界から、そんなに政治献金が欲しいのですか?貴方は、本当に有能な政治家ですか?常任理事国入りに海外でたくさんの税金をばらまいていますが、成功すれば、国連軍派兵や負担はますます増えます。外務省の官僚は、優雅な国連に大量就職できるので熱心ですが借金国家のどこにそんなお金があるのでしょう。国連負担金もアメリカについで、二位と最高額。借金国家のどこにそんなお金があるのでしょう。いずれも、即刻中止して年金に回してください。議員の海外旅行の接待が主要業務の海外公館は半減し、華美になれた外務省を叩きなおすために、半数を民間人に入れ替える必要があります。貴方は、本当に行政改革が出来る有能な政治家ですか?怪しい伏魔殿交通安全協会をご存知ですか?莫大な利益をあげている警察官僚の高給天下り団体。職員の時給も4千円と高額の豊かな団体です。気になるのは、最近導入して得た巨額の罰金は、みな、この交通安全協会に渡しているそうですね。一説では、全国の警察で使われていた裏金が禁止されて、飲食遊興費が足りなくなったので制度を変えたとか。なぜ国家の借金にまわさないのですか?高額な罰金収入は、不足している年金にまわしてください。貴方は、本当に行政改革ができるる政治家ですか?駐車違反を突然厳しく取り締まり始めましたね。あの多量の取締り員の給与は誰が払うのですか?今後、多量に出る警官の退職者の雇用対策だとか。これ以上負担が増えるのなら取り締まらなくて結構です。巧妙な税負担の増加策は一切止めて下さい。減らすことに専念して下さい。貴方は、本当に実行力のある政治家ですか?正直言って、貴方の実行力のなさに失望しています。「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/12/07
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今日は、素晴らしいフランスのミュージカルの紹介。数分後に、このブログでビデオ観賞できます。時は15世紀末、ルイ11世が統治する中世フランスのパリ。ノートルダム寺院にカシモドという鐘撞き男がいた。ひそかに恋する美しいジプシー娘エスメラルダ。彼女を手に入れようとする司祭の弟ジャン。その悪巧みに巻き込まれて鞭打ちの刑にあって苦しむカシモド。ただ一人優しくしてくれたのはエスメラルダであった。しかしエスメラルダは、ジャンの仕組んだ罠で処刑される。命を絶たれたエスメラルダを抱いて嘆き悲しむカシモド…。素晴らしいのは、そんなあらすじのフランス版ミュージカル。舞台はダイナミックに展開。音楽は力強く実に流麗で物悲しい。特に、カシモド役のガロウと、進行役を兼ねたエスメラルダに恋す若者、ブルーノの歌声は惚れ惚れするほど美しい。海外でこのDVDを入手して何十回と聴いた。このビデオが、下記のYou Tubeで無料で聴ける!エスメラルダに恋する3人の朗々と響き渡る詠唱が、この”Belle (美しい人)”。ノートルダムドパリ フランス版このミュージカルは既にロシアでも上演されている。ロシア版のエスメラルダ役の笑顔は、どんな男も虜にするほど妖艶で美しい。ノートルダムドパリ ロシア版このロシア語の発音が美しいので、アゼルにいた時、ロシア語の先生に訳してもらって覚えたほど。イタリア版も既にロングランを続けている。でも、イタリア版のカシモドはやや不気味。やはり男優はフランス版、女優はロシア版が最高。ノートルダムドパリ イタリア版劇団四季が、何故この素晴らしいミュージカルを上演しないのか不思議。この素晴らしいミュージカルを堪能してください。もし気に入ったら、感想を聞かせてください。水彩画 「サクレクール寺院の黄昏」モンマルトルの丘の下のレストランで、山盛りのムール貝を肴にビールを飲みながら描いた一枚です。注)ビデオ画像の右下の四角をクリックすると 画面いっぱいで見れます。 英語でKey Word を入れると、TangoもFadoも Phantom of OperaもEaglesの歌も聴けます。 途中でプツンプツンと切れる場合、そのまま 全部ダウンロードするのを待ってWatch again を押すと、スムーズに再現できます。 このDVD全編を見たい人は、楽天でも販売中。「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。 油絵 「巴里の夜」
2006/12/01
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写真 「波乱の予感」平成7年1月17日(火)5時46分 それは起こった。「突然目の前が真っ暗になり、真っ赤な炎があがった。叫び声が聞こえ、サイレンが鳴り響いた。」建物の下敷きで身動きできぬ人々。意識ある彼らを、熱い炎が襲っていった。震源 淡路島北部 マグニチュード7.2 地震名 阪神・淡路大震災やがて、それは、死者 6,434人 負傷者 43,792人 全壊及び半壊棟数 249,180棟 の大惨事となった。「神戸ルミナリエ」は、大震災のあった平成7年の12月に初めて開催された。震災の犠牲者である、神戸の街と人々のために、又、復興への願いをこめて始められた。約270メートル続く光のアーチが約20万個もの電球で輝く。毎年多くの来場者があり平成14年には約464万人が訪れ、神戸の自力による経済復興にも大きく貢献した。 写真連作 「巡りくる春」 この「神戸ルミナリエ」の開催が資金不足のため、来年以降の開催が危ぶまれている。 復興支援の【ガラスのXYZさん】より。「阪神淡路大震災の犠牲者の鎮魂と被災地の復興を願う」支援のお願い。近年、神戸ルミナリエの運営資金の不足が深刻化し、このままでは継続開催が危ぶまれております。一口1000円で、募金してくれた人には、神戸ルミナリエ「特製リストバンド」が送られます。 郵便振替手数料は、近畿圏の郵便局の場合、用意されている専用の郵便振替用紙を用いれば神戸ルミナリエ組織委員会が負担します。口座番号 00990-3-318466 加入者名 神戸ルミナリエ組織委員会 一口 1000円 締め切り 2006年12月31日(日曜日)まで。 ATMでの募金も可能です。ただし手数料は自己負担で、バンドは送付できないことをご了承ください。水彩画 「花籠」 震災の深刻な痛手から立ち直れない人々はいまだに多い。私の従兄も神戸で被災、経営していた塾が焼失。生計の糧を奪われ、家庭が崩壊し、やがて離婚、先年、心痛で身体を壊し孤独な死を迎えました。「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/28
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天上界から、地上を見下ろすと、人の日々の軌跡は、まことに狭いもの。そんな軌跡が決して交わらない人々を、ネットは無限に結びつける魔法のリング。"Painting"とKey Wordを入れると、地球の裏側まで、それが好きな人を教えてくれる。水彩画 「リュクサンブール公園のパリジェンヌ」今年の秋は、小さな木曾の山小屋がアウトドア好きな人々の軌跡を交差させた。昨夜は、その山小屋で出会った善さんの自宅で善さん調合の特製鍋料理をご馳走になった。まずは、その善さんの似顔絵。ボトル酒を飲んでも酔わないから酒代が無駄と酒をやめたユニークな意思の強い人物。練馬の自動車会社の若社長である。集まったのは短編映画を自主撮影している若者たち。美味しいワインに酔って描いたのは、その若者の一人。善さんの奥さんは、ルーマニアの体操の先生。オリンピックの体操選手なみの超美人。何度描いても、実物のように美しく描けないので、ここではカット。木曾の山小屋は他にもユニークな人に軌跡を交差させた。。公共施設の耐震改造で訪れた村の村長さんに見込まれて天龍村に住み着いたという、意気に燃える熱血漢。天龍村振興で片肌脱いでいるバードさん。そのバードさんのさまざまな夢を支えるのが内助の功の優しい奥さん。似顔絵をこれまで描いた数は、たぶん1000人以上。外国で仕事を終えると、いつも私の行動パターンは同じ。銀座月光荘のクレヨン12色を胸ポケットにいれて、音楽の聴けるレストランかジャズ酒場へ。あるいは、人の多い市場に行って働く人を描いた。これはポルトガルのナザレの市場。カラフルでお洒落な魚屋のおばさん。ツアーでは、一人市場で降ろしてもらうことも度々、名所旧跡巡りより、異国の人々と交わる方が楽しい。似顔絵を描けば、異国の人々と心が通じ合う。片言の会話でも、描く間は心が通いあう。似顔絵を描くことは知らない人と会話できる良い手段。特に、公園の子供たちや、市場のおばさん相手だと、上手、下手は関係なく、人の心を通わせてくれます。「似てる」「似てない」で会話がはずみます。異国の旅先では、ぜひ似顔絵を描いて楽しみましょう。クレヨン画 「闘牛士」「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/25
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裸婦デッサンを描く方法は多様。鉛筆、木炭、パステル、墨、絵の具・・・。いろんな方法を、全て楽しんでみました。まずは、鉛筆より強い表現ができる木炭。3分で一気に描いた裸婦の立像。大事なのは、頭から足先までを一目で見つめ、人体の流れ、動線を視野の中にとらえること。木炭画 「恥じらい」カラーパステルは、表現の幅が広い。最初は国産のNovel製の36色だったが、やや硬い。今は Faber Castellの36色、柔らかくて描きやすい。パステル画 「座る人」裸婦の美しさは外形線のみではない。人体の膨らみ、量感がとても美しい。パステル画 「トルソー」モデルの何気ないポーズにもそれぞれ表情がある。息を飲むほど表情豊かで手の動きが止まるポーズも。特に横たわった肢体は、量感があって美しい。肌色の代わりに偶然に淡い4色で描いてみたら、不思議な事に、不自然さがあまりなかった。その軽やかさに気に入っている4色。黄緑は、肌色の補色(反対色)なのに、かえって他の色を豊かに引き立てる不思議な色である。色は不思議なとらえようのない媒体。パステル画 「春を待つ」裸婦デッサンは、形と色とが絡み合う不思議な世界を自由自在に散策できる、自己発見の楽しいひととき。「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/23
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秋になると水が澄んできて紅葉を映す水面は美しい。季語「水の秋」はそんな景を思わせる言葉「水の秋」にちなんで俳句と画像を編集しました。「木の葉落ち 魚影かすかな 水の秋」「丸沼湖畔の秋」「映したる 秋天高し 水の底」「軽井沢にて」熱いはずなのに触ると冷たいのは貴方の心と言ってそうなのは、美しいアポリネールの詩片、「冷たい水の中の小さな太陽」。水溜りを見るといつも思い出す言葉。水溜りに映った日のきらめきは木の間の残照のようにいつも淋しい。「風薫る 風にさびしさあるゆえに 形状記憶の 翳りある午後」「中軽井沢にて」夏の間、遊び疲れてほおっておいた事を秋になると片付けなければならないが、夏の喧騒が去った湖に似て、けだるくどこかおっくうで、ぼんやりする時が多い。「我もまた 棹無き舟か 水の秋」水彩画 「野尻湖」秋雨と言って夏からの変わり目には長い雨が続く。「ベランダに雨滴踊れる水の秋」やがてすっきりと晴れると、はや深い秋の気配。「朝寝して まぶたに優し 秋の水」 「中軽井沢にて」「 情念は 夜更けの沢音秋の川 ひらひら揺れて 汝れは散りゆく」昔、かみさんは息子を連れて剣道の遠征試合。私は残った幼い娘を連れて岡山の酒津公園へ。日向ぼっこしてこの「水の秋」を描いた。描く間、娘はほったらかし。しかしこの娘は「早く帰ろう」とか、ぐずることがなかった。時々、やってきて絵を覗き込んでにこっと笑ってまた、土手の方へ飛んでいって帰ってこなかった。この絵を見るといつも思い出すのは、娘の笑顔と幸せな秋の日の匂い。 油絵 「水の秋」「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/21
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音楽と絵画は似通った点が多い。1.絵の師匠に良く言われた言葉 「響きのある絵を描きましょう。」音楽には響きがあるように、心の波長と同期する響きのようなものを絵に描きこまねばならない。2.リズム 律動音楽にリズムがあるように、筆の動きにもリズムがないと生き生きした表情が生まれにくい。パステル画 「うずくまる人」 3.音の調和は和音、色の調和は?森は緑、木は茶色、肌は肌色だと、それぞれがそっぽを向いて響きあわない。相手の色を互いに少しづつ分け合えば手を取り合って響きあい調和が生まれる。よく見れば、肌の中にも緑や紫が見えてくる。パステル画 「まどろみ」 さて本題、11月頃、国によっては春先の「カーニバル」語源は、ラテン語 "carnem levare=肉を断つこと”。肉を断つのを前に肉食に感謝するのがカーニバル。 日本語の「謝肉祭」は、それを直訳した名訳。さて、サンサーンスのピアノ曲でも軽やかで,詩的情緒にもあふれた作が「動物の謝肉祭」。曲は14曲から構成されている。1 序奏と獅子王の行進 短い序奏の後、ライオンの王様が入場。2 雌鶏と雄鶏 鶏の夫婦が口げんかをしながら登場。3 らば らばが登場し、跳ね回る。 4 亀 とってもスローな亀が登場。5 象 おどけが象のワルツ。6 カンガルー カンガルーが2、3回跳ねては立ち止まる。7 水族館 水槽の中の気泡がはじけ熱帯魚が泳ぎまわる。8 耳の長い登場人物 ロバ。「のろま」な音楽評論家。9 森の奥のカッコウ 森の奥から響いてくる郭公の鳴き声。10 大きな鳥籠 何種類もの鳥が囀っている。11 ピアニスト ピアノの先生の怒鳴る声がはいる12 化石 人間の骨の化石、つまり骸骨が踊り出す。 13 白鳥 一番有名な曲。チェロが優雅に泳ぐ白鳥。14 終曲 今まで出てきた動物たちが再登場。と書けば、聴いてみたくなるのが人の常。その演奏会が下記のように神戸と東京で開催されます。東京会場は神楽坂駅から1分です。演奏はチェコで何度も演奏活動を行ってきたトリオ。神戸のピアニスト伊藤ルミさんとチェコの著名な弦楽器奏者。実は、伊藤ルミさんのご主人は、油絵も書き、ドイツリードも堪能な芸術派肌のエンジニア。私を海外に行かせて、技術開発の仕方と楽しい酒の飲み方を教えてくれた元上司。もし演奏会に来られる方がいたらご一報下さい。終わって一緒にワインで音楽談義を楽しみましょう。パステル画 「アルルカン」 「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/19
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「ねえねえ、お母さん、あのチーズケーキ食べたい」「じゃあ、珈琲セット頼んで。珈琲はお母さんが飲んでいい?」「あんな苦いもの、ぜーんぶお母さんにあげる」息子も父親と同じ交渉をして成立!晩秋の秋はぽかぽかと暖かく親子4人幸せななひとときを過ごした思い出。霧が峰高原の粋なコロボックルヒュッテに一人旅のスケッチ旅行で立ち寄り窓辺の珈琲カップと外の高原を描いた。左下に空間ができたので、赤い帽子にしたら何気なく、そんな会話が浮かんできた。娘にも、そんな頃があった。「お父さん、大好きと言え」「大好き!」無邪気で、天衣無縫だった娘。堅固に見えた、幸せな日々。 誰も思ってもいなかった。幸せのかなめの母親がいなくなるとは。火炉に入る母親の棺に伏して号泣した娘。私のかみさんの死は、ふたつの医療ミスが重なっていた。まず、最初の執刀医の手術が予想以上に伸びたこと。密室なので証拠はない。「完全に癌を除去しました。」と川鉄水島病院の外科部長は言ったが、再発した。二度目のミスは、千葉市立海浜病院の鍋島と言う外科部長、再発転移の放射線検査を1年も怠った。腰や骨の痛みをを一年近く訴ったえたのに・・・・。他の病院に転院して検査を受けた時は、全身の骨に転移し脊椎はくずれかかっていた。乳がんの再発は骨への転移が常識、脊椎が痛むなら、すぐに検査すべきだったと他の医者から聞いた。銅版画 「遠い日」 抗がん剤を用いても余命2年と宣告された。ならば抗がん剤を使わない免疫療法をと、全国の名医を訪ね,6年まで余命を伸ばした。しかし、川鉄千葉病院の山本と言う傲慢な外科部長は「抗がん剤を使わない」と、回診の度にいじめた、末期がんで心身ともに苦しんでいる患者を。あるときは娘が目を真っ赤にして怒るほど酷かった。ある日、いつも胆汁を取り、家にまで見舞いに来た、優しい丸山という先生がいなかった。妻が亡くなる日、この山本という医者が担当して言った。「もうなにもしない方が良いでしょう。」その夜、胆汁を喉につまらせて、妻は他界した。人の死の重さは、死ぬことによって残った人との楽しいたくさんの機会を喪失すること。その失った時間は、どれだけ価値のあるものだったか計り知れない。私の子供たちは20歳前後に、母親を、癌でなくした。「ゆかちゃんたちの結婚式を見たかった!」母親にとって、一番辛かったことは、成長した子供たちと語り合う日を絶たれることだった。母親が残した言葉を亡くなったあとに祖母から聞いた。「亡くなるのが自分で良かった。子供たちでもお父さんでもなくて良かった。」油絵 「もうすぐ母親になる日」 いま、イラクではたくさんの子供たちが他所から来た軍隊によって父母を失っている。下記のイラクの子は、米軍の空爆で両手をなくした。そして両親や兄弟も同じ爆撃で亡くなったことをまだ知らない。今、イラクでは、どれだけの子が、こんな風に引き裂かれ、楽しいふれあいの機会を喪失しているのだろう。枕もとの祖母は、その事実をこの子に伝えることができない。 テロを行う側にも、テロで死ぬ側にも家族がある。なぜアメリカはテロの標的になるのか。エクアドルでは、テロの陣地にいた子供たちが政府軍によって全員、川原に銃で連行された。頭に手を載せた子供たちは雨の中を歩いていった。そして全員、政府軍によって射殺された。政府軍は、米軍の軍事顧問によって訓練され、銃殺に用いられた武器は米軍から支給されていた。映画「イノセントボイス」がその悲しい事実を世界中に伝えた。世界中の他国の紛争に介入し、自分の有利な側へ武器を供給し、親政権が樹立すると、米資本が参入して資源を手中に収める。アメリカが世界中で行っている行動パターンである。しかも他国には核の保有を禁止しながら、自分は核を保有し我々のみが正義と傲慢に主張する。世界の警察官を自称して他国へ干渉する正義感も、ユダヤ人のアラブ占拠はなぜか反対せずに承認する。ユダヤ資本が選挙を支援すれば、悪は無力なアラブのテロ活動のみと正義を書き換える世界最大の利権支配の国家。米国へのテロがなくならない真の理由である。米国の石油利権、経済利権が欲しい財界の為、現政権は、その米国へ追従し、仏独のように距離を置いた厳しい批判が出来ない。ブッシュやレーガンと仲が良いといって財界に媚を売るいつも変わらぬ日本の首相たち。大国でありながらアジア諸国から軽蔑される所以である。中立公正な姿勢だけで、国連事務総長になった韓国代表。巨額の税金をアジアアフリカにばらまいても、常任理事国になれない日本との大きな差異はここにある。防衛庁が防衛省に昇格し、武器予算が増えると、いつかどこかで、その武器が使用されれば、このような子供たちは増え続ける。戦争を終わらせるため使うべき予算を武装強化に使おうとしている自民党政権。競争入札のない武器の発注はこの政党の莫大な口利き利権、巨悪の資金源のひとつ。甘い顔の首相の裏で、この政党が詐取する巨額の税金。政財界の利権の底知れぬ構造は腐敗臭がするほど汚い。肥大化した建設業で日本の自然が破壊されたように、肥大化した米国の軍需産業によって、世界の平和が破壊され、親子の幸せな時間が喪失し続けている。 「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/17
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プログの延べ訪問者が10万人を越えました。応援くださった「風の会」の皆様他、ほんとに、ありがとうございました。毎週水曜日の楽しみは清瀬市裸婦デッサン会。遥か筑波からはせ参じる常連もいる歴史ある会。これを欠かすと心にぽっかり穴が空く。それほど楽しいひととき。2時間半、みっちり集中して描くと疲労困憊。モデルさんも疲れるようだけど、3分で一枚仕上げなければならない私たちもこんな感じに寝そべりたいほど。でも、良いモデルさんの時は、何気ない姿勢でも、はっとする瞬間がある。終わったら疲労回復にはくつろぎが必要と、いきつけの居酒屋へ常連が集合。その日描いた傑作?を披露しあって、豆乳鍋やチャンポン鍋を囲む。絵の出来はうまくなくとも鍋は常にうまい!水曜日は、いい夢が見れる幸せな夜です。「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/13
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蓼科の八子ケ峰に登ったあと、軽井沢に立ち寄って、碓井峠の旧中仙道へ、更に妙義から長瀞、奥秩父へと抜けました。軽井沢バイパスや高速道路は大渋滞なのに、連休と言うのに、裏街道なのでがらがら。紅葉街道はいたるところ、木漏れ日の樹林、軽井沢の別荘地帯は、紅に燃える館あまた。イサム野口の彫刻のあるセゾン美術館も秋の斜光に紅葉が流麗な影を落としていた。軽井沢に立ち寄るもうひとつの大きな理由。それは「つるや」という素敵なスーパーマーケット。牧場や菜園で採れた新鮮な食材が素晴らしい店。長崎の母と妹にたっぷりお土産を送りました。そしてお昼は落ち葉散り敷く蜂蜜屋さんの店に。蜂蜜いっぱいのパフェを食べながら、黄葉が逆光に映える楓の庭を描きました。クレヨン画 「楓散る庭」「デザイン・アート部門」のポチッして応援してくださいね。
2006/11/12
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プログの延べ訪問者が10万人を越えました。応援くださった「風の会」の皆様他、ほんとに、ありがとうございました。さて、今年撮った山の写真は、2000枚近いのですが、その中で一番好きなのをあげると、この写真。なぜか、わからない。けど、じっと見てるだけで、心地よい感覚が満ちてくる。特に富士山とか絶景が写っているわけでもない。理由は、なぜか、わからないけど、とにかく、一番好きな一枚です。撮った場所は、蓼科八子ケ峰の西の頂。遠くに霧が峰、右奥が美ヶ原。すがすがしい草原の山。山頂前のこんな青空にもうっとり。長い山路を登ってきて、前途に青空が見えてくる、さあ、山頂と言う瞬間がいい。あそこへ行けば、どんな展望が待っているだろう。夢も到達してしまえば、いずれ色褪せるもの、夢に到達する寸前のときめきがいい。人は何故山に登るのか。私の答えはいたって簡単。心がときめく瞬間がたくさんあるから。水彩画 「もうすぐ山頂だ!」「デザイン・アート部門」のポチッして応援してください。
2006/11/10
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このブログの来訪者が述べ10万人を越えました。応援くださった方々に感謝しています。さて、学生時代に山歩きが好きになって、いつの間にか日本百名山を60ほど登っていた。しかし全て登る気にはなれない理由が、いくつか。林野庁に植林された山は蝶も虫もいない。いわば死の山。関東の多くの山の裾野は杉花粉を撒き散らす官製公害の山々。愚かで時代に取り残された今の官僚のことを「過去官僚」と言う。無能を理由に全員解雇して、総入れ替えする時期に来ている。そんな官僚が破壊した暗い樹林は歩いても楽しくない。好きなのは、こんな広い視界が開けた自然のままの山路。11月の連休に、そんな尾根を歩いて描きました。水彩画 「草原の尾根」 山の名は今は内緒。あまり知られていない、いい山です。登り口には光るすすきの原にこんな道標。こんな広々とした草の山腹を登っていく。山路からは、白樺の草原が見える爽快な山。遠くに霞んで見える八が岳の連山。八が岳の裾野はほとんど植林で無残に自然林が破壊されてしまった。伐採しても赤字と分かっても植林に巨額の税金を投入した愚かな官僚は名前を明らかにしてみな絞首刑にと思うほど。しかし、この山だけは、なぜか自然のまま。山頂はこんな広大な心地よい草原にある。暖かい秋の陽を浴びて昼寝するのに絶好の場所。山頂のヒュッテはヒュッテアルビレオ。こんな素敵な山なのに訪れる人が少なくて素泊まりのみの営業とか。山頂の展望。心地よく続く尾根の向こうに霧が峰。あまり知られていない、その山の名は蓼科高原の「八子ケ峰」昭文社の地図「八が岳」に載ってます。ゆっくり楽しみたい人は南白樺湖のバス停から2時間。最短ルートは、尾根までわずか20分。蓼科から白樺湖へ抜ける峠「蓼科登山口」蓼科山とは反対方向に道標あり。さらに快適な尾根を歩けば30分で山頂。6月頃は白樺湖側の草原に真っ赤な蓮華つつじが見事です。晩秋の頃は、すすきと熊笹の爽快な登山道となります。時間があるなら霧が峰まで足を伸ばすこと。素敵な鷲ヶ峰ヒュッテに一泊して霧が峰八島七島湿原散策がお奨めです。鷲ヶ峰ヒュッテの良さは霧が峰紀行に。クレヨン画 「草原の尾根」さて、この絵の中に何人の人が秋の日を楽しんでいるでしょう。ひとりだけ・・何か木陰でしてますよ。全部で・・・・9人です。わかるかな?「デザイン・アート部門」のクリックして応援してくださいね。
2006/11/08
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木曾の山小屋の会のあと、紅葉が素晴らしかったので、ひとり開田高原に民宿を探して残った。期待の夕食は、山女の塩焼きに山菜のてんぷら。新鮮な木曾牛の刺身の生姜醤油が美味かった。翌朝は快晴。ブルーベリーの木が真っ赤に燃え、高い白樺の木々の向こうに御岳がそびえていた。開田高原「木曾馬の里」の牧場は秋たけなわ。広い牧場はそれを囲む樹林のたたずまいが美しい。至るところに紅葉樹林に溶け込んでいく人々。牧場の紅葉が終わると、やがて零下20度の冬。牧場をめぐる風も、冬仕度を始める。「優駿や 晩夏は風の変声期」かって、銀化の句会でこんな句を出したら、「優駿や 晩夏は風の編成期」にしたらと、中原道夫先生にアドバイスされた。なるほど、風の音が変わるより、風を編成の方が、いいなあと納得。さて、この木曾馬は競馬には向かない。が、開拓に活躍した頑強な農耕馬。ゆったりとした姿が美しい。牧場には一本の大木が御岳に向って悠然としていた。生まれ変われるなら来世は、こんな泰然とした大木もいい。でも、どこにでも飛んでゆける風をうらやましく思うかな。 さて牧場から地蔵峠の山路が意外と良かった。まずは峠への道は、落ち葉の絨毯に始まる。光のトンネルをくぐって、すすきの野へ。いずこも多彩な秋の色彩。山路の足元も良く見ると、結構美しい。開田高原は、昭和38年まで国の開拓制度があり、開拓すれば、その人のものになったという。しかし、当初は電気もなく、文字通り掘っ立て小屋で、ー20度の冬に耐えねばならず、相当な苦労があったとか。そんな開拓者の心の支えが、御岳の雄姿だったそう。そんなことを思いながら、牧場の秋に浸って、ここに住むのもいいなあと、少しすまし顔の私です。クレヨン画 「高原の秋」 by 銀座月光荘12色クレヨン「デザイン・アート部門」のクリックして応援してくださいね。
2006/11/06
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かって五月の連休に木曾御岳に登った。王滝から上は真っ白の銀世界。拾ったスキーのストックを頼りに滑りやすい雪の斜面を登っていった。先に登った三人以外誰もいない。山頂に着いたら彼らは遥か彼方の開田高原へ心地よさそうにスキーで滑り下っていった。いつか、同じように滑ってみたいと、長い間、思っていた木曾御岳の開田高原。再び訪れた広大な高原は、今、紅葉の只中だった。あの右肩の広大なゆるやかなスロープ。いつかスキーで滑ってみたいと思った。 秋の陽に輝いていた途中の木曾渓谷。開田高原の手前にある、「三岳」高原は、御岳、乗鞍、駒が岳が見れるから名づけられた。自然林を生かした素晴らしい高原の起伏の中に村が開発した広大な別荘地帯がある。今回泊まった楽天仲間「まっちさん」の山小屋も、紅葉の只中。木漏れ日に輝く黄葉の別荘地を一時間ほど歩きまわった。山荘と落ち葉と紅葉の木々が絶妙な調和。黄昏ともなれば斜光に輝く落ち葉が美しい。遠いと思っていた木曾御岳は意外と近かった。毎日、新宿から高速バスが数便出ていて、片道4時間で着く。往復わずか7,500円。これなら苗場にスキーに行くより安い。この冬は開田高原で滑ってみようと思った。斜光に輝く落ち葉は踏むのをためらうほど美しい。御岳を望む展望台から見ると、ときおり紅葉に囲まれた桃源郷のような一角があった。もし一年中秋だったら、ほんとうに至福の里だろう。水彩画 「紅葉の里」「デザイン・アート部門」のクリックして応援してくださいね。
2006/11/01
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(携帯から日記を寄稿していたので、修正し絵を入れ替えました。)「木曽路は全て山の中にある」藤村の言葉通り木曽福島駅から開田高原への道は山また山の中 そしてその全てがほとんど植林されておらず四方連山みな紅葉と言う見事さでした。広大な開田高原の向こうにそびえる木曽御岳の幅広い美しい稜線。朝の別荘地を散策し、早速水彩画を2枚描きました。帰るのが惜しくて、ひとり開田高原の民宿へ一泊。楽しみの夕食は、木曾牛の刺身、きのこ、山女の塩焼き。すすきの穂が夕闇に消え、静かな里の夜です。サガンの小説の題名になったアポリネールの不思議な言葉「冷たい水の中の小さな太陽」暖かいはずの太陽なのに、小さな水たまりにキラキラ揺れる太陽は、触れようとすると冷たい。人生もどこかそういうところがあるような・・・。しずかな秋の夜に目覚めて、そんな言葉を思い出しています。この美しい不思議な言葉に触発されてかって作った歌。「情念は陽だまりの池に揺れうごく 陽に似て熱くそして冷ややか」明日は木曽馬の里の牧場から地蔵峠へ。木曾開田高原の紅葉を満喫して帰途につきます。水彩画 「木曽御岳遠望」「デザイン・アート部門」クリックして応援くださいね。
2006/10/29
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今朝は5時起床して一路木曽高原へ。甲府から塩尻へ、10時半にはもう木曽福島に着いた。「しなの6号葡萄畑を駆けぬけり」高橋教授の車を待つ間に、駅前の坂など水彩画を二枚、紅葉の尾根よりまばゆい日を受けつつ描きました。「快晴のもみじ山見て木の葉寿司」水彩画 「木曾街道」まっちさんの山小屋は三岳高原、周囲は紅葉のただ中でした。リミンさん、ぜんさん、バードさん、元信大高橋教授と言う、仲のよいカップルに、まっちさん、俊介がけやき温泉に大集合。明日は彩さん、大熊さん、弓蔵さんが合流してバーベキューパーティー。今日は、けやきの湯にゆっくり浸かり紅葉の木曽高原の温泉宿で大宴会となった。話題は民の悩み、怒りなど広範囲。まずは請われて住みついた、バードさんの天竜村振興の熱弁に始まり、高橋教授の林業への熱意。俊介は抗がん剤の恐怖を語った。近藤徹氏の指摘する、効果のない経口抗がん剤の異常な投与。抗がん剤認定に飛び交う億単位の医者への賄賂。医薬品販売のプロパーから得た確かな情報では、認可した役人、教授へ欧米の城で酒池肉林の接待とか。そんな中で華やいだ話はぜんさんの恋物語。偶然出会ったルーマニアの美人体操教師。彼女帰国後も忘れ得ぬ面影、心にぽっかり空いた空洞。月四十万の電話代もものともせず、アタック開始。遂に熱烈なラブコールでしとめた幸せ!今回、その一粒種のEddy君が人気者だった。いろんな話題と美味しい鹿の刺身に、木曽高原の夜は更けていきました。「デザイン・アート部門」クリックして応援くださいね。
2006/10/28
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最初に、水にちなんだ好きな写真を一枚。ドイツの格言に素敵な言葉がある。「男は飛ぶ矢である。」男は、常に何かに向って日々を生きている。どんな幸せも、手に入れると薄れ、また次の目標へと飛び立っていく。飛んでいないと、落ちてしまう。心に向うべき的がないと生きていけない。幸せを見つけたらコンクリートで固めて保存しようとする女の肩越しに、もう次に向うべきものを思索している。釣れるか釣れないか分からぬ魚を待ち続けて日暮れゆく男の後姿。ふと、そんな格言を思い出した。「黄昏の湖」 at 丸沼湖畔さて、今日の本題は、「海を描く」海を描く時は、その広がりが描けるか否か。これは、熱海の山荘の窓辺から、茫洋とした朝の海を描いた一枚。水彩画 「熱海初島遠望」 次は、10月29日迄開催されている、清瀬絵画デッサン会展に出しているもの。白い灯台、白い浪の飛沫、雲の叙情的な淡い表情。無心になって楽しく描いた好きな絵。油画 「房総の春」「デザイン・アート部門」クリックして応援くださいね。
2006/10/22
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何気ない風情で、風に揺れ、可憐に咲く花。好きな秋桜を、さまざまな表情で撮ってみました。題して「秋桜幻想交響曲」白いコスモスは清楚可憐な薄紅コスモスと対照的、2ヶ月で咲くと言うせっかちで陽気な「黄花コスモス」咲き方も、あわてているせいか、乱れ咲き。コスモスはメキシコが原産。広大な大陸を、風をともに旅し、海を越えて運ばれてギリシャに渡り、Kosmos(美しい装い)と言う素敵なギリシャ名をもらった。赤い秋桜にはどこか誇らしげな驕慢さが漂う。久米正雄の名作「学生時代」の、「コケットリイな女」を思い出させる。緑、茶、白が「唐三彩」なら、赤、白、黄はさしずめ「コスモス三彩」さだまさし氏の名曲秋桜(コスモス)クリックすると歌が聞こえてきます。「うすべにのコスモスが秋の日の何気ない陽溜だまりに揺れている・・」その秋桜に似合う「何気ない」ファッション。淡い黄花コスモスには黄昏が似合うよう。今回、自分では最も気に入った写真 「黄昏の斜光」以上は、立川の「国営」昭和公園。国営とか恩賜とか名付ける官僚の傲慢さ、風情のある名前を変えて欲しいもの。それに比べて黒姫コスモス園はどこか素直で伸びやかな風情があった。広いコスモス園の中で幸せに浸っていたら、いつしか黒姫山頂のみ暮れ残っていた。秋桜は既に夕闇に消えつつあったので、フラッシュで鮮やかに再登場させた。水彩画 「黒姫コスモス高原」「デザイン・アート部門」気に入ったらクリックしてください。
2006/10/20
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日光戦場ヶ原は今、秋の盛り。光徳牧場のくぬぎの樹林にも木漏れ陽の秋日があふれていた。戦場ヶ原への道を歩きながら思った。「光舞う木道は秋の能舞台」戦場ヶ原の色彩の輝きと、色の多様さは、どんな絵の具もかなわないほど美しい。戦場ヶ原も中禅寺湖も約2万年前に、男体山の大噴火によって生まれた。何回もの噴火により溶岩が積み重なり、その下流側に、華厳の滝が形成された。この滝には3人の数奇な人生が関わっている。その一人が夏目漱石。英国留学後、帝大の英語講師として招かれる。その前任者が小泉八雲だった。この二人の講義は、まったくやり方が違った。漱石の講義になじめず八雲を慕う学生は授業をボイコット。その先鋒だったある学生が漱石に厳しく叱責される。「悠々たるかな天壌、遼遼たるかな古今・・・、万有の真実はただ一言につくす、曰く「不可解」・・。既に厳頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし・・。」当時19歳の学生だった藤本操は、この「巌頭之感」と言う遺言を残してこの華厳の滝から身を投げて自殺する。解雇された小泉八雲も、失意の上に、翌年、狭心症でこの世を去る。さらに藤本操の「巌頭之感」は、なぜか多くの人の心をとらえ、その後、華厳の瀧から入水する者、4年間で200人に達したと言う。しかし、そんな人の世の出来事と関わりなく、華厳の滝は広大無辺の悠久の時間を流れ続けた。これに似た思いがアポリネールの詩にある。「ミラボー橋」「ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ・・・・・・・・・・・・・・疲れたまなざしの無窮の時が流れる 日が去り、月がゆき 過ぎた時も 昔の恋も 二度とまた帰って来ないミラボー橋の下をセーヌ河が流れる」水彩画 「華厳の瀧」「デザイン・アート部門」良かったらクリックして応援してください。
2006/10/16
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