二代目大家の日々。

二代目大家の日々。

2007.02.17
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カテゴリ: 福岡


歴史に名を残した福岡出身者を勉強する会です。
御題は、明石元二郎氏でした。

元治元年(1864年)黒田藩士の次男として出生。
約二千石の上級武士で、福岡市天神に立派な家があったそうです。

元二郎3歳の頃、黒田藩内闘争の結果、父が切腹。
幼時に父を失い、経済的に余裕がないので
無料で教育が受けられる陸軍幼年学校、陸軍士官学校、陸軍大学校へ進学。
陸軍大学校では、フランス語、戦術論が優れていたそうです。

卒業後、ドイツ留学、フランス公使館付武官を歴任。
ロシア公使館付武官として赴任したときに
政府からの工作資金百万円(現在だと2000~3000億円位)を使って
反ロシア勢力に活動資金を注ぎ
兵と銃を使わずに、ロシア政府を裏から混乱させました。
そして、日露戦争での日本の勝利を裏から支えたのです。

明治40年(1907年)韓国の憲兵隊長として着任。
大正 7 年(1918年)台湾総督として着任。
台湾総督として活躍したのは、たったの1年4ヶ月でしたが
台湾に日本と同等のインフラを整備するために全力を尽くし、
教育制度の充実、司法制度改革、経済の要である銀行設立等を行いました。

台湾の地で病に倒れ、
大正 8 年(1919年)56歳で故郷の福岡にて亡くなりました。

遺骨は、本人の遺言により台湾の日本人墓地に埋葬され、
戦後の混乱で遺骨が行方不明でしたが
平成11年(1999年)墓が掘り起こされて
台湾の方々の手によって、新墓所に祀られているそうです。

台湾には、台湾を近代化に導くのに
全身全霊を傾けた日本人の話がいろいろあります。
前五千円札の顔、新渡戸稲造氏は、台湾で農業振興のために、
サトウキビ栽培の指導を行い、製糖業の近代化を進めました。

歴史は本当に奥が深いですね。


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最終更新日  2007.02.17 09:21:34
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