ハワイでドライブ事始 №8


(6月13日)オアフ島ドライプ7日間…その7日目-前半

★アラモアナSCで不急品を船便で別送後、2階モール街で格安ドラッグ発見

 アラモアナSC内の郵便局は駐車場に面した裏側の西端近くにあり、利用客の列が出来ていた。観光客の利便にも良く配慮してくれ、ホノルルで一番親切な郵便局との評判も聞いたので、或いは自宅近くの郵便局のように局内に税関の出張所があるかも…と期待したが、そこまでは行き届いていなかった。このため水濡れや破損がないようにと特殊な材料を選んで梱包し、出来れば目の前で内容検査を受け封印してもらえれば好都合とガムテープまで持参したが、そうは問屋が卸さなかった。やはり発送に当って完全施封しなければ受付てもらえず、改めて税関で再開封されて検査されるそうで、念を入れた包装も無意味だったかと思う。郵送料は航空便だと約8千円。船便だと約5千円だが、1~2ヶ月は掛かると言われた。勿論、どうせ不急品だから…と船便で依頼する。
 気がかりだった発送も済み気軽になると、この1階だけでも大規模なショッピングセンターだが、上に2・3階があった事を思い出した。まだ一度も行った事がなかったので、この機会に覗いてみようと中央の広場から登って行った。
 上階の屋上半分程は、西側の道から直接乗り入れられる駐車場になっていた。2階西端は百貨店「シアーズ」で、それ以外は殆ど小規模店であった。各店舗ごと壁で仕切られた名店街になっていて地元客で賑わっていた。観光客の目には入りにくいらしい。どの店も年央のバーゲンセール中で、半額ほどの商品がズラリと並ぶ中、私に似合いそうな襟無しのデザインシャツを見つけた。値段も魅力的だったので勧められるまま試着させてもらったが、袖丈が掌分ほど長すぎて諦めざるを得なかった。残念至極 !
また嬉しい発見だったのは、西端のシアーズの手前北側にあった超格安スーパー「ロングス・ドラッグ」の存在だった。一例を挙げれば、日本人観光客が好んで土産物に買う天狗印のビーフジャーキーだが、ジャンボサイズ約227グラム入りが特売価格で何と7ドル44セントだった。私も土産にとハワイ島コナ、マウイ島カフルイ、そしてこのホノルルなどと各地の格安店で少しずつ買い求めてきたが、その都度、価格差が大きいのに注目させられていた。しかしそれは13ドルくらいを最高に、同じこのビル1階にあるスーパー「フードランド」で、昨日見つけて買った10㌦くらいまでが底値であった。
 ところがこの「ロングス・ドラッグ」では、その最低より更に25パーセントも安かったのである。こちらへ来る前に日本のスーパーで見かけた同じ天狗印で半量袋が、9百円から千円位していたのだから、半値どころか40パーセント以下の価格なのだから驚き、自分用にと5袋も纏め買いした。そのほかにも、女性達のハワイ土産として喜ばれる色の変わる口紅なども格安だったし、日本より相当割高に思えた写真のプリント価格なども、ここは会員制の格安価格を決めているようで、現地の人達が列を作っていた。こんな様子を見て、次回からこのアラモアナSCでの買物は、先ず2階のこの店を覗いてからにしようと家内と話す。
 上屋を一巡して1階に戻ると、あの日本食の店「ウイングス・オカズヤ」で握り飯や稲荷寿司を注文して昼食とした。

★わが友・ I さんのホノルル・ハーバー回顧談を偲びながら思った事。

 帰路は、少し先のアロハ・ハワイアンSCまで足を延ばしてから宿に戻ることにした。だが盛んに宣伝していた割には、このショッピングセンターの誘客態勢はお粗末で、駐車場は有料のうえ満車だったため、車窓から出船入船で賑わっていた頃のホノルル・ハーバーに思いを馳せるだけとした。
 そんな時フト思い出されたのが、この数年、旅の会を通じて家族ぐるみの親交を結んでいる I さんから良く聞いていた、若い頃、このホノルル・ハーバーで空しく過ごした、回想談だった。
 それは、当時まだ新婚間もない I さんではあったが、歯科医師の国家資格を手にすると直ぐ、青雲の志を抱いて新妻や両親を伴ってブラジルへ渡ったが、現地で医師資格を取り直す事の容易ならざる現実を知り、夢果たせぬまま数年で見切りをつけ帰国する事とした。しかし帰国費用も儘ならなかったため、先ず自分だけ戻ってから旅費を工面して家族を呼び寄せることにして、船中で俄か写真屋のアルバイトをしたりして唯一人パナマを越え、海路日本に向かった。だからこのホノルル・ハーバーでは、もう無一文。外人客が下船して遊び楽しむ姿を他所事と眺め、上陸も儘ならない有様。着衣は着古し靴は底皮が擦り切れて、歩くとパクパク爪先が口を開く有様だったらしい。そんなこのホノルルで、I 青年の哀れさを見かねた同乗の或る牧師さんが、「失礼かもしれないが…」と自分の古靴を恵んでくれたとか…。
 今は日本で家族共々幸せな歯科医として暮らす I さんの、そんな苦労話を家内に語って聞かせながら、今自分達が、思いもかけぬ円高を謳歌しながら眺めるアロハ・タワーは、文字通り薔薇色にさえ見えた。しかし苦い思い出を今も忘れ切れずにいるIさんならずとも、長く厳しい嵐のようだった日米の戦いを共に体験し、日本の戦後の大部分を同時代人として生きてきた私達である。その意味では、このハワイは内心複雑な心境にさせられるものが余りにも多い。このアロハ・タワーにしても、パールハーバーにしても、その昔の苦い感慨を抜きにして眺めてはならないのだと改めて自戒する。
 折から埠頭には、かつて太平洋の女王といわれた「コンステレーション」号が停泊していた。ジャンボ機による高速大量輸送が主流となった今日だけに、その豪華な白い巨体も何処かウラ寂しさを感じさせたが、それにしても一度くらいこんな船に乗って、あのアロハタワーから流れるアロハオエを聞きながら、過ぎこし方に思いを馳せ、ジックリと旅情を味合う旅もしてみたいものだ…。

第11日目・1995(H7)年6月13日・火・晴
(6月13日)オアフ島ドライプ7日間…その7日目-後半

★ラストナイトの食事と買物、「踊子」の料理と貝細工「サンキャッチャー」雑感

 宿に戻り、明日早朝の帰国に備えて暫らく昼寝をする。夕刻に起き出し再び外出。まず宿の事務所に立ち寄り、投宿時にに契約漏れした今日の宿代を鍵の預託補償料と相殺勘定にして支払ってから、近くのガソリンスタンドまで出かけ、レンタカー返却に備えての給油も終えた。家主の奥さんに帰国の挨拶を兼ね、明早朝となる鍵の返却方法を相談すると、信頼しているので郵便受けに入れておいてくれれば良いとの事だった。
 最後の夕食は、ワイキキの有名な日本料理店「踊子」で済ませた。あのニイハオ・シェルのを首飾りを買った店がある「ハイアット・リージェンシー」の真裏だった。ここは入口に大きな生簀が有り、海鮮料理がご自慢らしい。このため今日のスペシャルメニューと鮭茶漬を一人前ずつ注文する。概してこちらで出される料理は量が多過ぎるし、幸の腹具合も未だ本格的でないことを考え、二人で箸を付け合おうと言う訳であった。
 蒸した半身の伊勢海老と蟹足にトマトとパインの切り身を大皿に盛り上げたものに、蟹汁や漬物を添えたものが日替わり定食のメインディッシュであった。一緒に出された鮭茶漬と共に早速ビデオで撮影し始めると、「お金がないものですから、毎日ほとんど自炊生活でした。やっと今夜が最後と外食することにしましたが、私は鮭茶漬しか食べさせて貰えません…」と、幸がサモ哀れな口調で傍からナレーションを入れ笑わせる。
 それにしても海老蟹料理と言うのは面倒だ。味はマアマアだったが、殻剥きに格闘させられた割には見た目ほどの満足感が無い。同じ30ドルほどの料理なら、前回のタビで訪れた『チェンマイ』のタイ料理のほうが、遥かにグルメな満足感を与えてくれた。今回は幸の身体の不調やコンドミニアム住まいが続き、外食の機会が極端に少なかったことから、近くを何度も車で通りながら同店を再訪できず残念でならない。…そんな事を思いながら「踊子」を出て表通りに向かう。
 賑わいを増すカラカウワ通りを西へ向かい、あのローヤル・ハワイアンSCの通りに面した滝のモビールの側を抜けて2階へ上がる。そこの通路の出口に、幸が欲しがっていた貝細工の壁掛けがあり、値段が折り合わぬまま買い控えていたものを、念のため再度値引き交渉してみる事とした。
「サンキャッチャー」と名付けられたその品は、南海の海底に育つカピズ貝を天日で乾燥後、まず炎で焼いて玉虫色に仕上がった貝殻を鋭い刃のカッターで絵柄に合わせ慎重に細切りする。これを真鍮メッキして組み立てた縁取り用の骨組みに、各部分毎はめ込んで彩色したと言う工芸品だ。一見ステンドグラスの様でもあるが、割れにくく羽のように軽い。また炎で熱すると室内の僅かな光でも反射するほど、虹色に光る図柄が浮き出すといった特徴を持つそうだ。
 無駄足になって元々と思っての再交渉だったが、「明朝帰国するので再度立ち寄った。二つ買うので値引きできないだろうか。どうしても駄目なら諦めるが…」と切り出したのが良かったのか、意外にもあっさり40ドルを30ドルに負けてくれた。
 買物を終えた私達は先ほどの階段を下り、あの滝のある広場に下りた。往路は気付かなかったが、滝は大通側だけでなく、建物の内側に向けた小滝も出来ていた。その滝口で流れを分けていた岩が人の顔のようだと幸が言う.暗くて定かではないが成程そのようであり、表側の流れを利用した鮭と言い漁師と言い、作者の凝りに凝った製作意図が窺えた。
 凝りに凝ったと言えば、その滝の傍の一隅で一人の男がスポットライトの下で、いつも変わった絵文字を描いて見せていた。揉革を筆代わりに使い器用に絵の具を使い分けていた。珍しく思ってビデオカメラを向けると、向こう側にいた連れ合いらしい女性が飛んで来て、撮影しないでくれと言われてしまった。この技法もノウハウと言う訳であろう。共に韓国系らしい夫婦だったが、パテント問題に煩い米国人気質を図らずも体験させられたようで、急ぎその場を立ち去る。

★実証された「日本へ帰ってドルを円に両替するより有利」の看板

 表通りを横切りウールワース百貨店の東側を北へ向かうと、そこは先日下見した両替店横丁だった。先ず、「日本へ帰ってドルを両替するより有利」とした明るい看板が目立つ、北側の一軒店「MONYX」で百ドルを両替してみる。渡された円貨は8千円で、千円未満はドルのまま5ドル04セントが返された。また、店先で客引きしていた宣伝マンから手渡された「百ドル以上は5ドルサービス」と書いてあるサービス券を渡してみたが、円からドルの両替だけに適用されるとの事でガッカリ。何かイカサマっぽい舌足らずな宣伝文だと訝る。
 また続いて、その南側のビルの一隅にある余り目立たない一軒にも入り、比較のため同額を両替してみた。するとこちらは、8千円と5ドル17セントとホンの僅かながら好率だった。しかし、窓口に日本語の表示はあったが会話は英語で、少額の両替なら双方大差ないレートだと思えた。
 また参考までに帰国後、この両替当日と帰国した翌日の日本の銀行窓口に於ける1ドルに対する円貨両替レートを調べてみた。
結果は下記の通りであった。

     銀行のドル現金買い相場  銀行のドル現金売り相場
6月13日     80円90銭          86円90銭
6月16日     81円70銭          87円70銭

 …という数字で、やはり百ドル当たり3~4百円程「MONYX」での両替の方が有利のように思えた。また現金での円→ドル両替についても、先の「百ドル以上は5ドルサービス」券が利用できるならば、なお多少とも有利であろうと推定できた。ただし現地銀行での両替は、日本の銀行での両替より驚くほど不利となるので注意が肝要だ。なお、その実体験の模様は、一昨年の同地旅行記で明らかにしたとおりである。
 次回からのハワイ旅行では、到着当初に必要となる最低限のドル現金を買って出発。カード決済を優先させた上で、現金が必要な都度ここで百ドルづつ小刻みに両替する事にしよう。そう話し合いながら宿に戻った私達は、直ぐに眠りに就こうと各自早々と寝室に入る。
 冷蔵庫に残っていたウイスキーやビールも、全て空にしてベットインしたのに、明朝の早い出立が気になってか容易に眠れない。ワイキキの潮騒や喧騒は耳に届かないが、一筋南のクヒオ通りを通り過ぎる救急車らしい警笛が時々耳に付く。別室の幸は早くも夢で孫達に土産でも渡しているのでは…等と思いながら、何時か今回の旅行最後の夢路に入った。

**参考事項*****************************************************************

★支出経費明細(6月13日)

*アラワイ運河沿いGS(ガソリン代≒15$)………………………………………………≒1320円
*ローヤル・ハワイアンSC(船便郵送料≒56$)…………………………………………≒5000円
*ローヤル・ハワイアンSC(土産品代70$)………………………………………………≒6160円
*ローヤル・ハワイアンSC(昼食代≒15$)………………………………………………≒1320円
*和風料理店「踊子」(≒50$)……………………………………………………………≒4400円

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第12日目・1995(H7)年6月14日・水・晴
(6月14日)オアフ島ドライプ7日間…その8日目-前半

★レンタカーは日本で予約した方が本当に安いか?

 予定より大分早かったが、5時25分に宿を発ちH1経由でホノルル空港へ向かう。既に予行演習までした道だったが、何処をどう間違えたのかパールシティー近くまで本道を行き過ぎてしまい、あのアロハ・スタジアムのインターを下り、ニミッツ・ハイウエーを逆に東進して空港に入った。それでも未だ時刻は6時10分前で、幸を中華航空の出発口に下ろして後、レンタカーのチェックイン手続きを済ませてハーツの事務所へ向かった。
 オアフ島での1週間のレンタル料は、日本から予約してのエコノミー車利用価格に、現地での任意保険は借用車の損害保険料のみを付保して、227ドル42セント(VISA決済額19506円)だった。日本とは比較にならない安さながら、「日本で予約して行く方が安い」というガイドブックなどの助言には、今年3島での実際を比較してみて、本当かしらと些か疑いたくなった。
 即ち、同一条件で借りた車ながら、予約無しで借りたマウイ島のカフルイでの車が、車室も広く、トランクや給油口も車内のノブで開閉できるなど、大きさも設備も1クラス上のようであった。…なのに、予約して借りた同じ24時間レンタルでのハワイ島ヒロで借りた車は、オアフ島ホノルル空港で借りた車と略同格で、車室も狭く、トランクや給油口も下車して直接開閉しなければならず、それでいて値段は下記比較の通り、1週間借りしたホノルルは比較外としても、割高についた。

ハーツレンタカー  借 用   VISA支払     VISA決済
営 業 所 名    期 間   ドル料金     円請求額

ハワイ島ヒ  ロ 24時間  53ドル02セント (45ドル96セント) 
マウイ島カフルイ 24時間  48ドル86セント (42ドル29セント)
オアフ島ホノルル 1週間  227ドル42セント (195ドル06セント) 

 これは前回のハワイ旅行の際にも、予約せずに24時間料金で36時間も使わせてくれたバジェット・ワイキキ営業所での、特別サービスとも思い合わせ、日本で割引額の基礎として示される表面相場とは余りにも乖離していた。現地実体相場や、イージーなサービスが各責任者の裁量に任されているからではないだろうか。
 今後は、レンタカー利用の場合に本当に必要とされる内外保険の掛け方も含めた現地料金の実体も、「ヨリ安い旅をヨリ有意義にヨリ合理的に…」と集まり情報を交換し合う、私達ロングステイクラブ会員として大いに研究すべき課題であろう。

★探すのに苦労したオールド・ハワイアン音楽のCDやテープ

 さて、予約した中華航空第17便の出発は9時40分の予定であった.私達は格安航空券を利用しての旅。乗り遅れて別料金を払わせられては元も子も無いと、空港にほぼ一番乗りして待った甲斐あってか、ボーディング・チケットもビジネス・クラスの直ぐ後ろ、右側窓際が確保できた。主翼の少し前部だったから撮影には絶好だった。
 出発までの時間は、出発ゲート近くのレストランでユックリと朝食を食べたり、収録したビデオのバックミュージックとして使えそうな、オールド・ハワイアンの音楽CDやテープを売店で物色したりして待ったので、それほど待ちくたびれたと言った印象はなく済んだ。ただ、戦後の一時期あれほど盛んだった古典的なハワイアン音楽が、いまや現地でさえ録音物を探すのに苦労させられる現状には、これも世界の趨勢かと思う一方、何となく寂しさを感じさせられた。
 既に一昔近く前になってしまった1988年、若い頃愛したタンゴなど中南米音楽に郷愁を感じ、アルゼンチン・ブラジル・ペルーと巡った時も、民俗音楽はニュー・ミュージックに押されて影が薄かった。それでも、お目当ての民俗音楽を録音したテープなどは、街でも空港でも容易に手に入れる事が出来たものである。
 なのに今回は2週間もハワイ各地を巡る間、あの名曲「アロハ・オエ」を私も家内も耳にしたことは皆無だった。それどころか、ハワイアンらしい音楽を聴いたのは、一部観光場所のショーなどで僅か1~2度だった。あのアロハ・スタジアムのスワップ・ミートにも何軒かの音楽テープ屋を見かけ聞いてみたが、いずれも「ハワイアン・ミュージック?…ノー」と、判で押したような返事だけだった。海外旅行を楽しみにする者にとって、世界中何処へ行っても同じような曲ばかり聴かされるより、矢張りその土地独特なリズムや懐かしいメロディーを聴きたいと思うのは、もう私達限られた年配者だけになってしまったのであろうか…。
(以下、次章へ)





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