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*****************************************************************★マイ・ビデオ紹介…ビデオを見直し書き残した一昔前の旅 格安追求 『青春18切符で行く日本縦断』 前後編通算No.49〔後編No.2〕 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪↓利用条件が書かれた青春18切符の表紙 1997年8月21日★上諏訪駅名物「ホームの露天風呂」で一汗流し上京。夜行快速で先ず日本海岸へ向かう!§1 南木曽→塩尻 さて、その難解地名の一つとして例示した南木曽駅から、木曽川沿いに男性的なゴツゴツした河床が続く木曽谷を抜け、次の目的地である上諏訪駅に向かう。 途中の塩尻駅で乗り換える少し手前の駅で、馬篭のバス停から同じ経路を辿っていて仲良しになった二人組みが手を振って下車していく。父娘のような年恰好だが、単なる友達だと聞いた。鹿児島から遥々御嶽山を目指して旅してきたと言うが、私が「鹿児島から北海道まで《青春18切符》で縦走中……」と話すと、各地での印象を色々尋ねられ、ソンナコンナで話が弾んだ。 「鹿児島県で特に印象深かったのは……」と聞かれ、「県下至る所に温泉が湧き西鹿児島駅の近くにもヘルスセンター並みの設備が整った自然温泉の銭湯があってプールやテレビ付サウナ風呂まで完備していたのには驚きと羨望を感じました」と答えた。 その銭湯での入浴客の話では、「今の鹿児島市内の銭湯は、殆ど同じように多種多様な浴槽や設備が整っているので、多くの市民は自宅に内湯がありながら家族共々車で銭湯通いをする」との事。私の故郷の伊豆も温泉地で有名だが、公営施設でさえヘルスセンター的な所となれば結構高い料金で、とても銭湯料金では利用できない。 また「……そんな風呂好きな私ですから、これから始める北海道への長い乗り継ぎ旅に備え、上諏訪駅のホームに在ると聞いた名物露天風呂で一汗流してから新宿へ向かうつもりです」と言ったところ、 「へえ!そんな珍しいJRの駅があるのですか……」と、今度は彼らが羨ましげであった。§2 塩尻→上諏訪 こうして鹿児島から御嶽山を目指していた二人連れとの短い出会いを惜しんだ私は、先刻話題としたホームの野天風呂を目指して塩尻で長野・篠ノ井方面から来た列車に乗り継ぎ、気儘な一人旅気分を満喫しながら自然美豊かな信濃路をノンビリと上諏訪駅へ向かった。 さて、その噂に高いホームの野天風呂は上諏訪駅一番ホームの改札口脇の一隅に設けられていた。脱衣所が少し狭くて混み合っていたとはいえ、ロッカー代の百円玉1枚で一風変わった温泉気分を味わえ、遥々と回り道して立ち寄った甲斐のある中々風流な岩風呂だった。 泉質や効能などは調べ漏らしたが湯加減も私には程々で、汗も旅の疲れも一挙に洗い流させてもらえた。尤も仕切り板1枚向こうはホームだし、聞こえてくる構内アナウンスや列車の発着音が些か喧しくはあったが、これはむしろココならではのBGMと割り切れば却って忘れ得ぬ旅の旅情として楽しめ、大して苦には成らなかった。 また見知らぬ者同士でも和気藹々と挨拶を交わし、旧知の仲のように四方山話に花を咲かせる光景も微笑ましく、ついつい長湯してしまった。まあソンナコンナで、なんと予定していた新宿まで乗り継ぎなしで行けた最終便普通列車に乗り遅れてしまう。その結果、約2時間待ちして途中の小淵沢と立川の乗り継ぎが必要となってしまった。 些か時間を持て余し、甲府に居る知人のS夫妻に電話で近況伺いなどして過ごすことにしたが、今回の私の旅の計画を知ると、「礼文島のスコトン岬に自分の兄一家が居るので是非立ち寄って……」と強く勧めてくれる。でも今回の旅は旭川から夜汽車で往復2泊して、利尻・礼文両島を一日で観光して戻る予定だから、ご好意は大変嬉しいが時間的に立ち寄れそうも無いから……」と言って了解してもらった。なおS夫妻は、カナダのメープル街道ツアーをご一緒した旅友だが、帰国後に送らせてもらった私の不出来なホームビデオが縁結びとなり、以来お互い楽しく行き来して親交を深めている間柄である。 斯くして知人へ電話をしたり、ホームのベンチで旅のガイドブックを読んだりして過ごした2時間ほどの間にも、勿論のこと何本もの特急列車が停まっては発車して行った。でもコチラは「シルバー青春18族」であるから、ジッと上目でこれを見送り又活字に目を戻す動作を繰り返すのみ……。<何も急ぐことはない、新宿で乗り継ぐ快速「ムーンライトえちご」は新宿を夜半近い発車だ。それに間に合えば上々>と自分に言い聞かせるうちに時間は過ぎていった。 ↑{東洋のスイス諏訪湖畔の温泉の駅 ★★中央本線・上諏訪駅} と書かれた微かに消え残る記念スタンプ §3 上諏訪→新宿 上諏訪からの車中では、「大阪から来た同じ昭和7年生まれで、スベシャル・オールドミス」と自己紹介して笑い飛ばす程、愉快な二人連れのオバはん達と話が弾んだ。これに合わせて私も「髭モジャながらスペシャル・クリーニング・オールド・オジンだから……」などと自己紹介。気さくな会話の花を七重八重と咲かせながら、途中二度ほど列車を乗り継いで上京の旅を続けた。そして話し話しするうちに、この二人も私も全く同じ列車を乗り継ぎ函館まで行く青春18切符仲間と判り、改めて道中ヨロシクと挨拶を交わし直す。 ところが何と、もう都庁などの高層ビルの灯が見え始めた頃になり、新宿から乗る快速「ムーンライトえちご」の座席指定番号を尋ねたところ、なんと予約はしてないと言われ一瞬唖然。何故なら、私もキャンセル待ちで漸く入手できた指定券だった。なのに彼女達は大阪のJR窓口で「乗車前に買えば大丈夫乗れます」と教えられていたとの事だった。ともあれ「今からでは多分入手困難では…」という私の話を聞き、「どうしよう、とにかく急いで何とか切符を手に入れなければ……」と、到着を待ちかねるようにして大慌てで新宿駅の大階段を駆け降りていった大阪のオバはん達だった。 だが、この快速「ムーンライトえちご」は確か新宿・新潟間は全車座席指定列車だった。だから運良く座席指定券を手に入れない限り、自由席の空席待ちを理由に乗り込む事も出来ない筈で、そう思うと他人事ながら気になった。それで下車してから念のため「みどりの窓口」で座席指定券の有無を調べてもみた。案ずるかな<キャンセルもないし、明日の便も満席です>とのこと。 満席札止めの快速「ムーンライトえちご」はダイヤどうり23時09分、早くも眠り込もうとアイマスクを付けた多くの乗客を気遣うように、静々と新宿駅を離れた。<東京から北海道へ向かうため利用できる長距離普通便は他に適当な列車は無かった筈。気の毒だが、あの二人連れは多分、東京見物でもして帰阪する事にしたのではあるまいか。それにしても、車中泊の安い旅をと計画していながら、目算が始めから頓挫してしまい、あのタフなオバはん達、さぞガックリしている事だろう…>などと思いながら、私は一人夜更けの東京を後に一路北海道の涯を目指した。 ***************************************************************************************【旅の思い出画像コーナー】 ※誠に恐縮ながら、ビデオからの静止画作成方法を忘却。目下再チャレンジ中のため後日掲載といたします。《誠》 *****************************************************************↓《以下余談》***************************************★今回初めて御閲覧の方々へ…***************************************★前半・西日本編(No.1~47)の閲覧案内当ブログは、年末の家事を優先し先月末から長く連載を休んでおりましたが、新春から下記の方針で又ボチボチ続編を掲載していくつもりです。なお続編はパスワードが何故か合わなくなり掲載不能となっていた、以前の「若水 誠」名義の【管理ブログ】が再開できたため、西日本編の後半(No.22~48)を掲載した「若水 誠8259」名義のブログから再び「若水 誠」名義のブログへ戻り、8月下旬に出掛けた日本列島の北辺探訪を主目的とした東日本の旅を後編(No.49~??)として掲載します。些か紛らわしいとは存じますが何卒この点を特にご注意下さい。蛇足ながら移動方法不明の場合は、上のアドレス枠に下記何れかの「http://記号」を選択移植して適宜の掲載ページを開きご閲覧下さい。楽天ブログの画像掲載許容残量を考慮しての再引越しですので、ご面倒でもご了承下さい。 記★第1回(2005年09月02日)~第21回(年2005年10月08日) 《1997.7.20沼津発小倉・薩摩半島各地・〃.7.22夜の鹿児島散策》 Home欄アドレス→http://plaza.rakuten.co.jp/ozasaforum/ ※ブログ名義人…若水 誠さん★第22回(2006年04月16日)~第47回(同年11月30日) 《1997.7.23屋久島・熊本・湯布院・別府・柳川他・〃.7.30沼津帰宅》 Home欄アドレス→http://plaza.rakuten.co.jp/makow ※ブログ名義人…若水 誠8259さん ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪★第48回(2007年01月??日)~第??回(年2007年??月??日) 《1997.8.21沼津発・馬籠&妻籠・上諏訪・酒田・弘前・北海道一周・〃.8.28帰宅》 Home欄アドレス→http://plaza.rakuten.co.jp/ozasaforum/ ※ブログ名義人…若水 誠さん*********************************************************************
2007年01月25日
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*************************************************************************************** * * * * * ★マイ・ビデオ紹介…ビデオを見直し書き残した一昔前の旅 格安追求 『青春18切符で行く日本縦断』 前後編通算No.48〔後編No.1〕 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪★後編の始めに※本シリーズは、古い旅の8mmビデオの画像を静止画に変換、これを挿絵に使い、早一昔にもなる1997年夏の日本列島縦断鈍行列車の旅を改めて見直し、パソコン自習の為の一助として始めたブログにテスト的に掲出することにしたものです。こうしてソノ旅の前半である九州各地を遍歴した7月下旬9日間の旅は、画像を中心にした絵物語として昨年末までに47回に亘って紹介してきました。又これから紹介する後半の8月下旬8日間の旅は、帰宅後に撮影を終えたビデオの編集用にと画面を見直しながら書き残した紀行文を主体として活用、これにビデオから静止画化した挿絵を程々に加えた文章中心の旅行記として書き進めたいと思います。つまり後編は、絵物語風に纏めた前編が楽天の画像制限に合わせて次々と挿絵を削除し、今では無残な虫食い状態となっている事を考慮、後日も見苦しい思いをせずに閲覧できるよう配慮した紀行文を目指します。さてその後編の旅は、青春18切符を最大限効率的にと、主目的地は北海道の北辺各地を探訪する旅ではありましたが、前半の7月下旬の旅と同じ下りの座席指定快速「ムーンライトながら」で一旦名古屋まて西下。ソノ上で中央線に乗り継ぎ、以前から折りあらば行きたいと考えていた沿線の観光名所二・三箇所を巡り、今度は日本列島の北辺までを目指す鈍行列車乗り継ぎの旅の、真の意味での出発点とも言える東京・新宿駅へ向かいました。尚、初めて本シリーズを御覧の方は去る2005年9月2日の初回に掲出した前書きの内容を良く御理解いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。但し前述の通り「絵物語風に纏めた前編の画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと見込まれた為、その際は古い日付のものから順次削除し新たな画面を紹介していきます。」として纏めた為、殆どが説明文のみの虫食い状態になっておりますが、その点は何卒ご寛容下さい。それでは、そんなアトラクション的な後半の旅の始めも含めて、順次回想の筆を進めたいと思います。 * * * * *1997年8月21日★目指す北海道を背に、一旦西へ向かった青春18切符旅 一ヶ月前の九州行きと同じ大垣行き快速「ムーンライトながら」で名古屋まで一旦西下、中央線に乗り換えて中津川からバスで中山道の馬篭に向かった。天候も同様に恵まれていて、今回も出発間もない真夜中の車窓に、真ん丸顔の月が旅立つ私を見守るように美しく輝いていた。 予約満席で一寸気がかりだった名古屋までの座席指定券も、沼津からだと下車する乗客がチラホラ出始め、前回同様に専務車掌に頼み込み何とか入手でき、初めから立つ事も無く済んだ。若しも入手できずに豊橋まで立ちん坊するようだったら、始発駅の東京では後発なのに同駅で何故かこの快速「ムーンライトながら」を追い越す、後続の同じ大垣行臨時普通列車「普9375M」に乗り換えようと思っていたが、そんな小細工も無用となり先ずはヤレヤレの旅立ちだった。 それにしても、座席指券510円が必要な快速列車が、座席指定ナシの後続普通列車に追い越されるのは些か妙な気もする。でも、もしかすると、私のように空席待ちで快速「ムーンライトながら」に乗り込んだ長距離客が、豊橋までに空席が出なかった者の乗り換えを可能にする為の対策列車が、この10分差程で並行運行される後発先着の「普9375M」かも…なんて事を、この長距離夜行列車を利用する度に何時も思う。 とかく利益優先が懸念されるJRだが、こうした庶民乗客にも優しい並行列車の運行を立案する気の利いたダイヤ編成も残っていることが、何となく嬉しい私だった。 尤も、こうして名古屋まで「ムーンライトながら」で終始座れたものの、名古屋への到着は「普9375M」に豊橋で追い越されて後着となったので、中央本線への乗り換え時間が僅か5分程となり、重い荷物を携えての地下道越えに一汗流させられる事となった。★日本列島北辺の旅への助走、中央本線沿線での道草(1)【中仙道・馬篭宿(マゴメジュク)】 中津川駅から馬篭へのバスが山間に入ると、途中に一寸洒落れた公営のレジャーセンターがあった。螺旋の滑り台風呂など子供連れも喜びそうな各種入浴施設が完備しているとの事。昨今こうした施設の建設が各自治体で盛んだ。ここもそうした流行の一施設に違いない。一バス遅らせて一風呂浴びて行くかとも思ったが、料金が一汗流すにしては少し高そうなので先を急ぐ事にした。 馬篭宿は藤村の故郷として「夜明け前」で紹介された所。妻籠宿へ向かう峠道の石畳は往時と余り変らないが、両側に並ぶ家々は殆ど最近建て替えられていて年輪を感じさせる姿は既に無い。そんな事を残念に思いながら坂を登って行くと藤村記念館があった。だが未だ開館前と知り引き返しかけたところへ、切符売場の女性がやってきて運良く入館できた。しかし次の妻籠宿へのバスが気懸りだったため、美しい庭を見下す一角にある中二階となった藤村の勉強部屋を外部から暫時垣間見る程度となってしまい、些か心残りの見学となる。 朝霞が濃く薄く地上近くを漂い、まるで乳白色のグラデーションベールを描けたうな坂下の遠景に見惚れながら、荷物を預けてきたバス停前の食堂へ戻る。山菜蕎麦に舌鼓を打ち、一服しながらバスを待って妻籠へ向かう。↓思い出のスタンプ。馬篭&妻籠 * * * * *【中仙道・妻宿(ツマゴジュク)】 乗客の殆どが各地からの旅人らしく、アチラコチラで旅の話や初対面の者同士が自己紹介を交わす会話が和やかに弾む車中だった。馬篭から大分走った茶屋前のバス停で、「ここから歩こう!」と関西から来たらしい元気なオバさん二人連れが下車して行った。何でもこの先に美しい滝があり、妻籠まで歩いても一時間足らずだと話していた。 妻籠は馬篭より住民の旧状保存意識が強いと聞いていたが、なるほど古いままの家々が軒を連ねていた。また坂道に沿って並ぶ馬篭宿と違い割りに平坦な街道沿いの集落で歩き易かった。ここでのバスの待ち時間が余りに長かったので、一度戻ったバス停から再び街道まで立ち帰り、家並の外れ近くにあった日本でも指折りの古木と聞いた金木犀を見に行く。それでも未だ残り時間がタップリだったため、バス停に程近い街道にあった昔風の郵便局にも立ち寄り、千円を預け通帳に訪問記念の局名印を押してもらってから南木曽(ナギソ)駅へ向かった。 やがてバスは行く手の渓流沿いに「読書発電所」と書かれた建物が見えたので、ビデオカメラに収録しながら「あれはです」とナレーションを加えたところ、同乗していた土地のお内儀さんが「と読むんだ」と教えてくれた。一瞬車中に笑いの渦が巻き一寸赤面させられる一幕もあったが、若いころ勤め先の朝礼で「今度の社員旅行は潮来(シオライ)です」と言い、部下達の失笑を買った課長の顔が何故か懐かしく思い出されたものだった。 余談ながら、この辺には「馬篭」(マゴメ)・「妻篭」(ツマゴ)・「読書」(ヨミカキ)・「南木曽」(ナギソ)などと、大分読みがヤヤコシ過ぎる地名が多いようだ。私のように記憶力が衰えかけた浅学者は、訪問後の今も思い出しかねガイドブックの振り仮名を確かめなおす有様であるが、振り仮名省略のものも最近は多い。読者の中には編集者のように博学聡明な人ばかりではないことを念頭に、読み違いそうな地名や人名には出来るだけルビーを付けてもらえると有難いのだが…。※(以下、次回に続く) ***************************************************************************************【旅の思い出画像コーナー】 ※誠に恐縮ながら、ビデオからの静止画作成方法を忘却。目下再チャレンジ中のため 後日掲載といたします。《誠》 ***************************************************************************************
2007年01月18日
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2006年12月23日
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********************************************************************************** 随想『《***.inktomisearch.com 観察枠》』 ※「***.inktomisearch.com」というのは、この私の公開日記欄へ一番多く足跡を残さ れた方の仮名です。 同じ楽天内からの訪問者と違って、外部からの来訪者であるため足跡をクリックして みても、この「***.inktomisearch.comさん」のブログを覗き見する訳にも行かず、折角 のナンバーワン愛読者に感謝のコメントも伝えられず誠に残念。 そうした思いを込めて書いてみたのが、この今日の日記です。********************************************************************************** ☆《***.inktomisearch.com 観察枠》 楽天広場にブログを開設されている皆さん、貴方の公開日記欄への来訪者を示す 「アクセス記録欄」にも、この《***.inktomisearch.com》さんの足跡がヒョッとすると 多く残されているかも…。 そんな思いをも抱きながら、一方で、いやこの《***.inktomisearch.com》さんは多分、 自分と過去かなり親交があった人物ではあるまいか…。 なんて事もツイツイ考えてしまう私です。 何れにせよ、この《***.inktomisearch.com》さんは、サボり癖がついた今も飽きず 通ってきてくれる一番の愛読者とあって、私にとって何とも気になる存在。 また題名とした『《***.inktomisearch.com 観察枠》』というのは、そうした気持ち から自分のパソコンのメモ帳機能を利用して、その一隅に大分以前から記録し続け ている外来者記録中の常連リストとは別枠の、「***.inktomisearch.comさん」だけ の足跡を一括詳述した観察枠という訳。 相当気が向かなければ書かなくなった楽天広場の本公開日記ながら、他にも時々 足跡を残して行かれる外来の常連さんは、他にも十指では数えきれないほど居る。 それで、時に一日五度以上も足跡が残っていた外来者については、やはり些か 気になって《***.inktomisearch.com》さん同様、来訪時間や来訪頻度など色々と 分析観察しています。 だが、殆どが頻繁な足跡は極々短期間で終わっていたので、多分ビジネスライク にアチコチのブログを渡り歩き、様々な観点から執筆者の観察をして回って依頼者 に報告しているような職業の人物だろう? そんな推測をツイしてしまいがち…。 また、一時的に頻繁な足跡が認められる足跡でも、そうした時期を過ぎ昨今のよう に私のサボリが続いている時でも、思い出したようにポツンポツンと足跡が認められ る来訪者は、多分私のブログの噂を伝え聞いて以来、時々思い出しては閲覧して くれている旧友達かしら…。 まあ、ソレモコレモ外来者の場合は全て憶測するのみ。誰が誰とも全く判じかね、 出来るものならコメントぐらい時には残していってくれよと声を掛けたくもなるモドカ シサさえ時々感じさせられてます。 その度に、ソンナ余り根拠に乏しい推測は案外大はずれかも知れないとも思うんだ けど、見慣れた数列やアルファベット列を目にすると何となく心が和むので、無意味 とも思いながら懲りずに記録を録り続ける私なんです。 こんな事を書くと、これ程に単なる足跡を気にする私が何か大層な変わり者と訝ら れそうでもあるので、ソノ無用とも思われがちな記述の一部を以下の文末に参考と して特に付記する事とする。 本文一読後に気が向かれたら、この際立った個性を感じさせる沢山の足跡の裏に 秘められた訪問者が、何ゆえに繁々と通ってこられるのかを共々に考察してみる のも、お互いの鋭い洞察力を鍛える上で一興かもしれませんね。 ♪♪♪♪♪♪♪♪ 参 考 ♪♪♪♪♪♪♪♪ 《***.inktomisearch.com 観察枠》 ※字数制限克服のため、下記に並列した表示は次のように省略掲載する。 1、「***.inktomisearch.com」の表示は最初と最後以外は記載を消去。 2.本文は全文掲載が必要なため、参考文は昨年8月末日以前を消去。 3.行間一行空きは、来訪が無かったのが一日間である事を示す。 4.行間二行空きは、来訪が無かったのが二日以上である事を示す。47928 2006-02-25 17:26:35 ***.inktomisearch.com47923 2006-02-24 05:38:0447920 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2006年02月28日
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********************************************************************************** 『 富士ケーブル鉄道の夢』 (副題)我ら横着者の大誤算 文中記事関連写真…1991夏・北鮮行…白頭山頂天池畔に立つ私***********************************************************************************“富士山は一度も登らぬ馬鹿、何度も登る馬鹿”この日記にも再々登場している吾が友UK君は目下、『私と欧州旅行(1994~2003)』と題した大作旅行記を執筆中だ。それで私にも読んでくれよと順次書き上げた分が時々送られてくる訳だが、どうも最近急に読み書きの気力が衰えた私は、このところ彼から読後感を催促されどうしになっている。もちろん心優しい彼ゆえに、「おい元気か、もしかして寝込んでいるのでは…?」等と私の健康を気遣いながら、前回の電話以後読み進んだ分の読後感を…といったソレとない催促とあって、その都度恐縮しながら僅かに読み進んだ分の雑感を、蛍光ペンのマーク跡を頼りに、アレコレとりとめもなく伝える私だった。さて今日の話は、そんな雑感の一つであるスイスの鉄道網の充実ぶりやら、驚くほどの急勾配をも難なくこなす登山鉄道の数々につき話すうちに、今の日本で唯一アブト式路線を走る大井川鉄道の話となる。そして同社がスイスの登山鉄道と姉妹縁組を結んでいる事や、両社の最大路線勾配を比較すると、スイスの会社の方が一世紀も昔に出来た路線でも遥かに急勾配なので、その技術の優秀さを感じさせるといった話をした。そんな登山鉄道の事をアレコレ語らっていたら、遥か昔の事ながら富士山にも登山鉄道の計画があった事を思い出した私は、彼に次のような話をしてみた。「ところでUK君、昔から“富士山は一度も登らぬ馬鹿、何度も登る馬鹿”」なんて言われ るけど、実は俺、その一度も登らぬ馬鹿なんだよ。 目の前に聳えていて、その気になりさえすれば何時でも登れそう。それに気長に待てば 富士山にも登山鉄道が出来るだろうし、なにも早々と苦労して登るまでもなかろう…な んて、誘われる度に言い暮らしていたら、何時の間にか古希過ぎ人間になっちゃったっ て訳」。てなことを話す。すると意外にもUK君も、「いや私だって同じ仲間さ。あの頃は確か新聞紙上に富士登山鉄道の計画が掲載され た事もあったんで、その鉄道が出来たら登ろうと思いながら、結局登らないままに なってしまったなぁ」 と言う。正直のところ、富士の間近に住みながら何か自分が横着者のようで、些(イササ)か恥ずかしく思っていた私ゆえ、この彼の話を聞いて私も何かホッとさせられた。だって彼も私も中学・高校と六年間も、毎日のように同じ富士の姿を眺め育ったNН高校出だ。当時から登山の機会は数え切れぬほどあった筈だし、進学先も就職先も超一流の彼とても私と同じ思いから富士登山をしないまま老いてしまったのだ。だから彼と比ぶべきもない浅学菲才の私が機を逸したからといって、この大誤算は当然の帰結とも言えよう。このホッとは、そんな必要もない妙な自己弁護の思いが内心にあっての事だった。まあ何れにせよ、この歳まで富士ケーブル鉄道の開通を当てにしていた横着者の私だ。今さら建設が決まったところで私が利用できるとは思えない夢物語ながら、子や孫達の為にも実現させたいものだ。“富士ケーブル鉄道株式会社”って、ご存知?それにしても何時か立ち消えとなった感じの、あの富士登山鉄道計画だが、私は今でも惜しまれてならない。それで、ネットを使って同記事を探してみた。すると漸く次のような具体的な計画案を示す一文を見つけた。トピックス 昭和25年(1950年)4月1日(土)付『産経新聞』朝刊┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓◆「地下鉄昇天 一眠り富士山頂へ 国際的な観光計画成る」富士山に地下ケーブルを敷設し、機械化された簡単な登山方法によって、大いに海外観光客を誘致しようという計画が(中略)完成、このほど運輸、厚生両省をはじめ総司令部民間運輸局に敷設免許権の申請書を提出したが、近く厚生省国立公園審議会で審議される段取になり、夢のような富士の地下鉄登山が実現の運びとなった。もともとこの富士地下ケーブル敷設は、10年前に一度企画された事があり、当時の内務省、文部省は富士山の風致を害し、霊峰を汚すものとして大反対、沙汰止みとなっていたもので、敷設権の許可と同時に富士ケーブル鉄道株式会社が新設され、米国各観光会社、米太平洋汽船会社、パン・アメリカン航空会社等と合弁で着手する予定。まず、第1期計画として、吉田口から5合目まで、第2期はこれを頂上まで延長する予定で、ケーブルの様式はアプト式やロープウエイ式が常道であるが、土砂崩れや岩盤の点などを考慮して大阪の地下鉄と同じチューブ式を採用することになる。完成までには大体5年位はかかるが、出来上がった時には吉田口から頂上まで僅か3、40分で上ることが出来、東京から吉田口まで直行の観光バスと連絡すれば、"一寸日帰りで富士山へ"と気軽に富士賞美が可能となるわけ。また、この計画と並行して同社では5合目に豪華な大観光ホテルやスポーツセンター、レクレーション施設などを設備するというから、スイスのチロルのように各国人が集う国際的文化親善の社交場として観光富士が世界的名声を博する日も遠くはない。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛とまあ、こんな計画で私が高校三年になったばかりの記事だったと判明した。唯、私の記憶では五合目を中継点として山腹の地下に巨大なチューブを埋設、景観破壊を極力排除して頂上に至る完成予想図も確か掲出されていた。それを探しあぐねて共々お見せできないのが些か残念だ。それにしても今、官民挙げて富士山を世界遺産にとの声が盛り上がる中、こうした雄大にして夢のような計画が敗戦後間もない日本にあったことを思い出し、是非これを実現させて沈滞する富士箱根伊豆観光の新たな目玉に出来ないものだろうか…?そう、折々考える私である。しかも今や国も地方自治体も借金まみれの日本だ。なのにコレほどの観光資源を眠らせたまま巧く活用できないなんて余りにも残念至極。UK君が言うとおり、スイスは鉄道網の発達した今のヨーロッパでも一際群を抜く密度だそうだ。既に百年以上前から見事に山岳を観光資源化していて、そのためにはアルピニストのみならず、誰もが高山まで苦労なく行ける手段としての登山鉄道を各地で逸早く開発整備するように努め、今の観光王国を実現したとか…。遅まきながら日本も大いに見習うべきではなかろうか。ところで至近な例として登山鉄道で私の印象に一番残るのは、1991年の北朝鮮ツアーで図らずも利用することになった白頭山ケーブルである。ご存知かもしれないが、この中朝国境にある朝鮮半島の最高峰・白頭山は朝鮮民族が神聖視する聖山で、丁度、日本人が富士山を特別視するのと同様の思いを全朝鮮の人達が持っている山だと聞いている。だから、まさかそんな聖山に彼等がケーブルを開通させて観光資源化しているとは、連れて行かれる直前まで予想もしなかった。きっと山麓の何処かで一泊する事になるのだろうと思いながら朝早くピョンヤン空港を飛び立ったものだった。ところが現地へ着いて見ると白頭山ケーブルが出来ているではないか。お蔭で山頂にある火口湖“天池”の観光は勿論、周辺一帯に散在する革命ゆかりの場所や施設もユッタリと歴訪。百花咲き乱れる山麓の高原では、昔の井戸ポンプみたいなゴツイ機器で、トコロテンを突き出すようにして麺を煮えたぎった大鍋に絞り落として作るピョンヤン冷麺の、物珍しい炊き出し風景を見物。大きなブルーシートを広々とした野原に広げ車座になって舌鼓を打ち歌い踊った昼食会なども忘れえぬ思い出だ。その後も暮れなずむピョンヤンに舞い戻って、豪華な答礼晩餐会にも列席するという盛沢山の日程を一日でこなした。まあ、この旅は日教組や親北朝鮮団体が企画した特殊ツアーに図らずも組み込まれた旅だったから、全てが準国賓待遇だったために出来た早業ではあったが、登山ケーブルの有り難味が実に深く印象に残り、この時も立ち消えになった富士ケーブル鉄道株式会社の夢が思い出され、惜しまれてならなかったものである。ともあれ、ケーブルが出来たからといって健脚な方や霊峰富士のイメージが薄れると考える方の徒歩登山が出来なくなる訳でもない。そう言えば、あの白頭山ケーブルの車窓越しに、並行する登山道を一歩一歩登っていく人々の姿が脳裏に蘇る。なお自然保護や美観や衛生問題だが、この計画ならば地下に埋設されるチューブ式トンネルの中を上り下りする鉄道だし、中継点となる現在の五合目以外は原則として途中下車できない事にすれば、世界遺産指定の障害とされた目に余るゴミや排泄物の処理問題も解決しよう。勿論、鉄道を使って今の何倍もの人々が四季を問わず富士山頂を目指す事になろうし、鉄道と並行する下水管やダストシュートをチューブ内に併設し、その終末処理場を山麓駅に完備せねばなるまい。その代わり山頂や五合目には山容を変えないように十分配慮した殆どが地下式の観光施設が設けられようし、トイレは勿論水洗化され、ゴミ処理も分類袋詰めにされた小物は麓の処理場へ、専用チューブを経て機械的に送られることになろう。また大きなゴミも鉄道が出来れば貨物として運べるし、霊峰富士=麗峰富士として面目一新できるものと考える。ともあれ、時間があり体力に自信がある人々には、ケーブル登山なんて無用の長物と思われよう。だが、世の中には日数が限られている内外各地からの旅行者や、登りたくても登れない身体障害者や病弱者も相当多い。だから一日でも早く、そうした人々にも無理なく山頂に立てる機会を与え、より多くの人が日本一の富士山から見下ろす、雄大な俯瞰を満喫できるようにと祈念したい。
2006年02月05日
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ご来訪ありがとうございます。今日の楽天公開日記は 元旦の記事で詳述した事情によりお休みとし、非公開日記のみとします。毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪ください。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪なお、予告した下記2件の記事を、昨日までに全て後日記載いたしました。未だ御覧になっていない方々の遡っての御笑覧を期待します。 1月14日 『久々の雨の土曜日』 ※(副題)土曜の日課・リハビリ通院と雨の随想 1月15日 『スワッ大地震切迫 !?』 ※(副題)街角の表情とカーラジオの内容を勘ぐり急ぎ帰宅☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2006年02月04日
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2006年02月03日
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2006年02月02日
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆ご来訪ありがとうございます。今日の楽天公開日記は 元旦の記事で詳述した事情によりお休みとし、非公開日記のみとします。毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪 ください。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪なお、予告した下記2件の記事を、昨日までに全て後日 記載いたしました。未だ御覧になっていない方々の遡っての御笑覧を期待し ます。 1月14日 『久々の雨の土曜日』 ※(副題)土曜の日課・リハビリ通院と雨の随想 1月15日 『スワッ大地震切迫 !?』 ※(副題)街角の表情とカーラジオの内容を勘ぐり急ぎ 帰宅☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2006年02月01日
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2006年01月31日
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2006年01月30日
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2006年01月29日
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2006年01月28日
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2006年01月27日
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2006年01月26日
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2006年01月25日
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ご来訪ありがとうございます。 15日付で下記主題の予告記事を漸く掲出しました。遡って御笑覧ください。 『スワッ大地震切迫 !?』 (副題)街角の表情とカーラジオの内容を勘ぐり急ぎ帰宅 ※(非公開日記「わが星霜」より部分公開) ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪ なお残念ながら、今日日付の楽天公開はオヤスミとし、元旦の記事で 詳述したとおり非公開記事欄への記載のみです。 毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪ください。 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2006年01月24日
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2006年01月23日
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2006年01月22日
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2006年01月21日
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2006年01月20日
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ご来訪ありがとうございます。14日付で下記主題の予告記事を漸く掲出しました。遡って御笑覧ください。 『久々の雨の土曜日』 (副題)土曜の日課・リハビリ通院と雨の随想 ♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪なお残念ながら、今日日付の楽天公開はオヤスミとし、元旦の記事で詳述したとおり非公開記事欄への記載のみです。毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪ください。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2006年01月19日
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2006年01月18日
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2006年01月17日
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********************************************************************************** 『お年玉年賀はがき、当たりましたか?』 (副題)民営化する郵便局さん、サービス改善たのんまっせ!!***********************************************************************************★今年はシートだけ、四枚でした。※今日の公開日記の埋草として非公開欄から移植 ☆受信年賀状お年玉当落確認結果、当選通数は下記の通り。 4等(下二桁 切手シート)…私製はがきを含む受信総数計208通中、4枚のみ。※何とマア当選率が悪くなったことか…。確か昨年は受信総数計225通で、やはり切手シートのみだが計7枚だったと記憶する。尤も3等以上は極々僅少だし、末等の4等だって百枚中で2枚しか当たらない訳だし、これで今年の平均かもしれないが…。でも先年までは、今の3等と4等との間に「文セット」とかいうオリジナルの便箋・封筒とシールが各数枚程度がパッケージされ賞品とされた等級があった。但し、こんな子供だましのようなものをもらう貰うより、まだ切手シートの方がマシと言う声も再々聞いたほどに評判の悪い賞品だったけど…。つまり当時はソレが4等で、今の4等は5等という訳。確かソノ5等の当選本数も百枚中、今より1枚多い3枚だったと思う。やはり、これでは受信通数に対する絶対的当選率が3分の2になったのだから、ビケだって知れたもの。ともあれ民営化が決まった郵便局さん。あまりケチケチせんと、あんじゅうサービス改善をたのんまっせ !!ニヤニヤ…。***********************************************************************************
2006年01月16日
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********************************************************************************** 『スワッ大地震切迫 !?』 ※(非公開日記「わが星霜」より部分公開) (副題)街角の表情とカーラジオの内容を勘ぐり急ぎ帰宅*********************************************************************************** §1勘繰り 朝10時過ぎから、ビデオデジカメの修理完了を知らせてきた100万ボルト富士本店まで車で外出。妻の幸も日用品の買物に出掛けたいというので同乗させて出発した。「なら、ついでに昼食は何処かで済ませて帰るか」などと話しながら車は先ず中心街へ向かった。静銀沼津本町支店前→アーケード商店街南口→〃北口→国一交差点…と進む毎に十人内外の消防隊員と思われる制服姿の男達が何かに備えるかのごとく、ザワザワとした雰囲気を感じさせ屯(タムロ)していた。で、助手席の幸に「何かあるのかしら。出初式かなぁと話しかけると、「何をボケたこと言っているのよ。出初式は7日でしょ。それも会場は狩野川でしょうが…」とか言われ、「そうか。それにしてもこの騒ぎは何だろう?」と話しながら通り過ぎ、駅西の中央ガードを潜って駅北の国1バイパスへ向かった。§2 カーラジオ 途中、イトーヨーカドーで買物を済ませたい幸を同店前に降ろすと、正午に同所で落ち合う事にして自分の所用を済まそうと更に北進。国1バイパス金岡交差点手前にあるセルフのガソリンスタンドで燃料を補給後、バイパスを西進し東田子の浦駅近くへ移転した家電量販店「100万ボルト」を目指す。以前は沼津にも店があったのだが、先年撤退してしまったため故障が起きると昨今は些か面倒だ。そのうえガソリン代だって高騰しているので全くバカバカしい。そうだ気分転換をとカーラジオのスイッチを入れる。だが何と「100万ボルト」へ着くまでの約30分、聞こえてくるのは今にもグラグラッと来そうな大地震の話ばかり。終始、「もし揺れ出したらコウしろアアしろ」といった同じような対策メッセージを繰り返す間に、「浜名湖東岸の地震観測機器のデータが最近ピタリと振幅を示さなくなった。これは震度7以上の大地震が切迫していると疑わせる現象とか…。しかも「ソノ大揺れは1分以上も続く大物だろう」とか言う余りに具体的な地震学者の見解も紹介された。そこまで疑わしいとしながら地震警報のアナウンスがないのが何かジレッタイくらいであったが、これは放送によるパニックを恐れて委員の意見が割れ、慎重に発表のタイミングを考えているのでは…などと推測。それで、もしかしたら先程の消防隊員たちの厳戒態勢はコレへの対処だったかも…。そんな疑惑が湧き出す。その後も、この地震予告とも勘繰りたくなるラジオ放送は「100万ボルト」に着くまで様々なケースを例示、対策メッセージを繰り返していた。…で私の疑念は一層深まり、これはやはりパニックを気にして一般への地震警報を出し渋り、もし揺れ出した際の対策だけをアレコレ促しているのに違いないと、いよいよ確信的になっていく。ともあれ事実の如何にかかわらず、出来るだけ早く用事を済まさねばなるまい。そして「100万ボルト」では、予定していた割安な電気機器の物色はせず、修理完了の知らせがあったビデオデジカメの受領と、点灯しなくなったため持参した電気スタンドのU字型蛍光管を取り替えてもらったら直ぐ引き返そう。そう思い急がねばと心急くままアクセルを踏み、ハッと気がつき慌てて戻す。何せ大地震が切迫しているらしいとあっては逆にスピードを落とさねばと思い、それからは何時グラグラッと来ても他車と接触事故を起こさぬよう、意識して車間距離を開け安全運転を心がけて走った。§3 携帯電話「100万ボルト」に着いたのは10時半ころだったと思う。ところが点灯しなくなって持参した蛍光灯スタンドの故障は、蛍光管を取り替えて見ても点灯せず機器本体の修理が必要だとの事。それで応対してくれた店員は会員カードから過去の取引記録を調べてくれ、「まだ売って半年ほどですし保証書を持って出直してくれれば無料で修理出来ます」と頻りに修理を勧めてくれる。でもソンナ話をしている間にも大地震が起こるかしれない。でソノ店員に、私は次のように頼んだ。「実はコレコレで、どうも街の中やカーラジオの放送内容が気になる。君の勧めは有難いが一刻も早く帰りたいんだ。些か勿体ないが新品でも確か1600円程だったし、同じ商品があれば新しい商品を買って帰ることにしたい。済まないが至急在庫を探して包んで欲しい」。そう話すと、彼はソノ話に少なからず驚いた様子だったが、事情を直ぐ呑み込んでくれ直ぐ品物を用意してくれ代金を決済、急いで車に戻り11時20分頃「100万ボルト」を発ち帰途を急ぐ。それにしても、気になったのはイトーヨーカドーで落ち合うことにしていた妻・幸にも、何とかこの地震情報を知らせなければということであった。それが出来れば買物を少しでも早く済ませ、屋外駐車場側の出口から一番近いポールの所で待つよう伝えたかったのだが…。でも車の中とあってソレは出来ない。停車して携帯電話を架ける事も考えたが、それよりも帰路を急ぎイトーヨーカドーへ着いて駐車場から呼び出すほうが、結果として時間的ロスが少なさそうだと考え直す。ソンナコンナで思いがけず時間をとってしまい、途中、昼飯用に頼まれていた「かっぱ鮨」の回転台から家内に指名されていた軍艦鮨ほかの握り鮨を慌しく折に詰め、時計を気にしながら帰路を急ぐ。§4 思い込みこうして漸くイトーヨーカドーに戻れたのは、既に約束した正午を5分ほど過ぎてしまっていた。駐車場に入ったが、幸との待ち合わせ場所が広い店内の中央に近いロビーの一角とあって、駐車場側出口に近く仮駐車して、中には入らず携帯電話でコレコレだからと幸を呼び出す。予定時間を過ぎ今か今かと首を長くしていたらしく直ぐ出てきた幸を拾って自宅へ直行した。こうして何事も無く我家に辿りつき、ヤレヤレと思いながら買ってきた握り鮨を食卓に広げ、テレビをつけて地震情報に注意しながら、何はともあれ昼食を済ます。別に番組の変更も無く娯楽番組が流れていたので、と゛うやら今のところは地震警報は出ていない様子だ。何かホッとした。午後3時、「それにしても今朝の商店街の物々しさは一体何だったのだろう」などと話しながら海苔巻煎餅をポリポリ。そして夜 、何故か自然に調子を回復して再び全文字を打てるようになったポンコツワープロを使い、今この日記を書いているのは午後8時少し前。幸いにも今のところは何事も無く時は過ぎ、TVドラマを楽しながら、幸はソファーでマクラメ編みに興じている。ヤレヤレというべきかも…。(PS 1/16)一夜明けて新聞を見たら何と、消防車が狩野川河畔にズラリ並んだ毎年おなじみのカラー放水風景の色鮮やかな写真が載っていた。やっぱり昨日の朝が沼津の消防隊の出初式で、これと余りにタイミング良く始まったカーラジオの防災番組の内容が実に真に迫っていたため、私一人で勝手にパニックを起こしてしまっていたものと判る。「貴方って結構思い込みが激しいんだから…」と、幸に朝食を食べながら嗜(タシナ)め笑いされてしまった。でも自分だって「出初式は7日でしょうが」なんて勘違いしていた癖して、誰かさんもイイ気のものだよなぁ。トホホ…。***********************************************************************************
2006年01月15日
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********************************************************************************** 『久々の雨の土曜日』 (副題)土曜の日課・リハビリ通院と雨の随想*********************************************************************************** §1 雨の朝今しがた雨が上がったばかりの松原を抜けて、朝食後に散歩がてらリハビリを受けに聖隷病院へ通院。グッスリ眠っていて気付かなかったが、昨夜の雨は相当激しく降った様子だ。自宅を出て間もなく、松葉が折り重なって茶色い絨毯(ジュウタン)を敷いたような砂丘を踏みしめて進む。防水した黒皮の運動靴の爪先に次々と松葉の下に溜まった水が滲み出す。砂丘の緩い谷間に当たる自然に踏み固められた小道状の部分はアチラコチラ水溜りになっていたり、所によっては10センチ幅程のチョロチョロとした流れになっていたので、私は真っ直ぐ丘の斜面を上り下りして児童公園へ抜ける。遊具が散在広場の此処彼処に出来た水溜りを避けながらバス通りへ出た私は、元営林署前のY字路を車に注意して渡り、軽自動車も通りにくい狭い裏道を病院に向かった。§2 土曜の朝の日課9時少し前に病院に着くと、受診カードを機械に入れて手続きを終えて2階へ…。エレベーター前のリハビリセンター直ぐ横の待合コーナーには既に十数人の人々がソファーに座っていた。名前はしらないが顔なじみの人々が大半で挨拶を交わすと、座る間もなく名前を呼ばれリハビリ開始となる。何時ものように先ず背中の腰の上下左右4箇所に電極を付けての電子刺激療法を受ける。施療時間は15分だが、やり終えて暫くは電極を外されてもビリビリとした刺激が残る。続いて電気温熱療法のコーナーへ移動し、腰の温湿布を同じく15分受ける。これもスイッチが切れた後も暫くは腰のホンワカさが続く。まあ温泉療法に準じるものかと思うが、これが私の毎土曜日の日課で早1年ほどは通っている事になろうか。ところで実感としてのリハビリ効果は、毎日の日課として土・日・祝祭日を除き欠かさず通っている両足のハドマー・マッサージの方が絶大だとは思うが、往復30分程かかる散歩と併せることで再び安心して旅ができるようにと願う健康回復法の一環と考え励んでいる次第だ。尚、その効果絶大と実感しているハドマー・マッサージについては、これを写真入で詳述した下記の日記もある。出来ればソチラの記事も読んでいただけたらと思う。※4月30日 随想『私のリハビリと常用処方薬雑感』(2005年04月30日) これは余談ながら、前述のような日曜を除く毎朝30分のリハビリには、週日に車で通う国立の医療センターへも、又この毎土曜日のみの医療法人・聖隷病院へも常に私は朝刊持参だ。その日の記事の内容次第だが、全部読み終える時もあれば半分ぐらい読み残すこともある。揉んだり温めたりしてくれるのは医療機械だしカーテンの囲いの中とあって、時には贈られて感想を書き送る必要があるCDやテープも持参、BGМ入りの揉まれ読み聴くの三刀流で貴重な朝の時間を過ごす。そして今ではこの朝のリハビリタイムは、一番自分に没頭できる至福の時間といった感じもする。§3帰途の観音川で… 帰路は夜半の雨で少し増水して半濁した観音川沿いに帰宅。いつも見える夥(オビタダ)しい大小の魚影は全く確認できない。浜の観音下から真っ直ぐ内港へ向かう市道との交差橋下から下流方向へ幅1メートル強ほどで長さ10メートル近くあった中州を中心に常々群れなしていた鴨の安否を気にしながら近付く。すると橋の下流に僅かに細長く残った一坪ほどの中洲と変わっていて、誰かが号令を掛けた訳でもあるまいに、身を寄せ合うようにして1列に並んだ鴨達が見えた。数えてみたら丁度10羽だった。先週末は同じ場所で30羽を数えた事を思い出し、姿が消えた20羽は何処でどうしているのだろうと気になった。こうして我家に一番近い千本教会際の橋まで、観音川左岸の桜並木を流れに沿って下る。すると橋の上に柴犬らしい赤毛の成犬を連れた同年輩の男性が下流を見下ろし立っていた。その目線の先を見ると白鷺が1羽、流れの中に舞い降り餌を狙っている様子だった。さすが足の長いだけに鴨と違って流れの速さに負けずに立っていられるようだが、こう濁っていては餌の魚も見つけにくかろうと思う。それで私達は、「それにしても、あんなに沢山居た鴨たちは何処へ行ったのでしょう。まだ子鴨も多かったけど、まさか流されて溺死した訳でもないでしょうね…」と話を始め、この川の今昔や余り感心できない変転などにつき、暫時足を止め昔日の観音川の自然美豊かなアレコレをソゾロ懐かしみ別れた。§4 雨漏りそこから我家までは目と鼻の先とあって、今にも降り出しそうな空を見あげながら急ぎ足で戻る。実は、娘2人が中高校生時代から嫁入りするまで各自の部屋として使っていたが、今は納戸としている離れのトイレの小窓から時として雨漏りがするためだった。風が吹く度に松葉が屋根に溜まり直ぐに雨樋が詰まってしまうのが当地の悩みの種なのだが、加齢と共に横着になり、どうせ今は物置代わりと一日延ばしにしているため、酷い雨になると溢れ出した雨水が壁面パネルに染み込み、小窓のサッシ際からポタポタやり始めるらしい。そしてウッカリすると水洗が壊れたのかと思うほどの水がトイレの床に溢れた事もあった。何せ離れとはいっても、プレハブの勉強部屋2棟の短辺の庇(ヒサシ)を少し拡げ、繋ぎ合わせて囲ったサブトイレの小窓だ。家齢的にも構造的にも雨漏りして当然で、建て替えようとも思っているサブトイレである。そこで雨漏りしているのは此処だけだしと、百円ショツプで買ってきた分厚い辞書の外箱ほどの透明プラケースを窓辺に二つ並べ雨だれ受けにしているので、又々ウッカリすると大変な訳だ。ところが、そう思いながら帰宅したのに何と捨てたいのは既に午後近くで、昨夜から溜まった雨水は左右二つの透明プラケース早溢れんばかり。こぼしたら大変と慎重にズッシリと重さを増したケースを持ち上げてヨウヨウ処理してホッと一息。但し、若い頃は大らかさが取り柄と思えたのに昨今は寄る年波でメッキリ口煩さを増した誰かさんの前では、「我家の雨量計に今日は5リットルも溜まったよ」なんて冗談めかして話したものの、実情は危うくセーフ !!」。気が付くと、又いつか雨音が高くなりはじめた。この調子では今夜はオチオチ眠れそうもないぞ。とにかく、歳はとりたないもんだと心ひそかに思う。***********************************************************************************
2006年01月14日
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********************************************************************************** 『13日の金曜日』 (副題)今日の来訪者「つぼんち16」さんの ホムペを見ての雑感*********************************************************************************** ★「13日の金曜日」※今日の来訪者「つぼんち16」さんのホムペを見ての雑感「あ~こ。さんから提供いただきました おはようございます。 今朝は珍しく遅い更新ですね。 今日は、13日の金曜日です。 キリスト教国の多くで不吉な日であると信じられている日だそうです。 キリストは13番目の弟子に裏切られました。 それに死んだ日が金曜日なので、13日の金曜日は縁起が悪い日となりました。 ・・・ということですが・・・ (後略) 」てな記事を、ご来訪のご縁で拝読した私は、問題の「13日の金曜日」について以前から抱いていた一寸した疑問を、以下に披瀝してみたくなりました。それは、上記の「あ~こ。さん」の説明で、キリストは弟子ユダに裏切られて処刑されたとされていますが、そのユダの血を引くユダヤ民族の国イスラエルの建国と維持に、何故、民主主義を標榜し国民の大多数がキリスト教徒である米国や英国が手を貸し続けるのかという事です。かつてオスマントルコを初めとする回教国に地中海周辺の覇権を握られて以来、これに対抗するため組織された十字軍の血を引くキリスト教徒の因縁からかも知れませんが、現在のイスラエル周辺に数千年も定住している回教徒達を排除してまで、キリストを裏切り処刑させる結果を招いたユダヤ教徒の国を建国。以来、米英両国によって強力に支えられ力を蓄えて周辺に国土を拡張してきたイスラエルを巡り、絶える事のない戦乱の種となっていることは周知の事実。今ではキリスト教徒でない日本人でも、何かと言うと縁起を担ぎたくなる様子。だがこの辺で世界中の人間が、歴史上の古い裏切り話や国々の栄枯盛衰による対立関係などの遺恨は切捨て、「人類すべて我が同胞」と手を取り合って恒久平和を目指せないものだろうか?この「13日の金曜日」に当たり何故かツクヅクそんな事を考えた、未だ晩酌前の古希過ぎ誠でありました。***********************************************************************************
2006年01月13日
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*************************************************************************** 随想『こんな筈では…』 看板だけは用意したものの… ***************************************************************************☆ 「マダはモウなり !!」久々に今日は少しマトモな話をしようと、実は早々と非公開ページで下記のような看板を別に用意していた。***gree******************************************************************** 随想『言い古された言葉を今一度 !!』purple ※過熱気味の株ブームに思う「マダはモウなり !!」red+lime+red***************************************************************************もっとも、これはカラーテストだから所々に付け足した色の名前は関係ない。そう、主題は大分過熱気味となってきた株ブームに一寸冷水をあびせたくなっての話。つまり、言い古された言葉ながら「モウはマダなり、マダはモウなり!!」と言う、株で一儲けしようという者に対する箴言(シンゲン)だ。今日も新聞を開くと≪「気持ち」が景気回復を加速≫といった経済学者の論説が目に入る。そしてパソコンをオンしてアウトルックを開くと、又インターネットでの株取引を勧めるメールが煽るようなフレーズで手招きしているようだった。しかし、先のバブルがはじけた時の証券業界のアンフェアさや、その中小投資家にババを押し付け、大口投資家の損害だけを穴埋めして知らぬ顔の半兵衛をし通した行為を私は忘れる事が出来ない。それは全投資家に対し法の下で平等な筈の商取引に違反し、明らかな憲法違反でもあった。しかし、これによる実質的利益者と考えられる財界は当然としても、その不正を糺すべき使命を帯びた政治家が野党までゴ誰も見て見ぬふりをして一般投資家のウゴウたる非難の嵐の収まるのを唯待つといった態度をとった。ソレを見て、これまで高額な不動産投機を別にすれば、庶民の手近なインフレヘッジの手段は、バンカーだった私すら預金より株だと内心では一時思っていたが考えを一変。二度と株はやるまいと思ったものだった。それが、昨今は又々主婦までが怖さ知らずの株投機に血眼になり始めている様子。法の下で公正な取引が行われる保証があってこそ、今後予想されるインフレヘッジとして庶民も買えるのが株式投資の筈。なのに、その後の政府の金融政策は一発勝負に出た企業の焦げ付きまで殆ど一般庶民に押し付けて解決してきたと言っていいだろう。そうした江戸時代の悪政以上に庶民にアコギなイカサマ政策が続く以上、真の持続的な景気回復を期待して株を買い進めたら近い将来、いつか9.11のようなテロなどによる直接的人災や、大津波や大洪水といった地球温暖化が遠因とも見られる間接的大事件が発生。世界的な株式相場の大暴落があるものと考えたくもなる。まあ、もっと説得力があるよう書きたかったのだが、日中マダマダ時間があると前述のごとくアチラコチラ道草を食いすぎたため既に夜半過ぎで、ソロソロ筆を置かねば明朝の日課がこなせなくなった。ともあれ、この辺でアノ言い古された箴言「モウはマダなり、マダはモウなり!!」と言う言葉、世の趨勢に逆らっても敢えて掲出。株で一儲けしたくなっている人たちに噛み締めてもらうのも、株の怖さを知らない庶民の為になろうかと思う。それに今の世の中、何かブレーキが外れて暴走中の車そっくりみたいな気がしてならない私だ。暴落も、テロも、天災も、一旦起これば昔日の比ではなくなりつつある昨今である。割りを食わされやすい庶民こそ、二度と立ち上がれなくならないよう、株をやる以上、余程の慎重さと覚悟が必要だろう。
2006年01月12日
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ご来訪ありがとうございます。残念ながら、元旦の記事で詳述したとおり今日は非公開記事のみです。毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪ください。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2006年01月11日
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2006年01月10日
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2006年01月09日
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2006年01月08日
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☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ご来訪ありがとうございます。残念ながら、元旦の記事で詳述したとおり今日は非公開記事のみです。毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪ください。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2006年01月07日
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2006年01月06日
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2006年01月05日
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2006年01月04日
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2006年01月03日
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2006年01月02日
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*********************************************************************************** 随想 『元旦早々ワープロ故障でアワを食うの巻』 ※縁起を担いで10日遅れで書く元旦日記***********************************************************************************§1.元旦早々「1」の字が打てない悩み年の初めから縁起でもないと何か気になったが、実は長年愛用しているワープロが故障してしまいアワを食うといった出来事があった。今時ワープロとは…なんて思われそうだが、基礎でもアレコレ難解でヤヤコシイ手順が必要なパソコンより、素人でも操作が比較的容易なワープロの方が既に頭の回転や記憶力が衰えた私には相性が良い。ソンナコンナで、全メーカー生産中止となって買い換える術もなく古くなったワープロを今なお手放せず、非公開日記を始めとした多くの文書記録の切り替えを一日延ばしにしてきた私だった。で、これまでも修理に修理を重ねてきた私の愛機「パナソニックFW-U1P95」だが、今回の故障はコレまでとは何か様子が違い、終に御臨終か…なんて感じの症状を呈していて、いかにこのピンチを脱すべきかハタと困惑。新春の私を悩ます春一番となった。具体的には、文字キーの一番左上に位置する数字の「1」と記号の「!(感嘆符)」、そして沼津の「ぬ」の字が打てなくなってしまった。これは接触不良かと隙間から接点復活剤を吹き込んでもみたが依然反応はなく、これは多分基盤のトラブルと感じられた。既にメーカーの部品保存期限を大幅に超えた機種ゆえ修理に出しても答えは予想できる。無駄な見積代を取られるより、今回は自ら諦めるべきだろう。§ワープロ日記からパソコン日記へまあ兎も角そうした訳で、これからはパソコンで記録を残さざるを得なくなり、その場合の基本スタイルを如何にすべきかと迷う。勿論、日記用のソフトも色々売られているだろうが、手書き日記からワープロ日記に変更した時、ワープロならではの特色に合わせた私独自のスタイルとしたため、出来ることなら従来のフォームを踏襲したい。私独自のフォームというのは、気が向けば随筆なども書き込むが、主な記事は日々刻々の行動録を軸に、その見出し的な要録欄を日付の下に先ず私事と時事に分けて列記してある。又そうした記事を先ず記した文末部分に、出納欄や食事欄などが細々と続くといった具合だ。特に出納欄はカードでの支出が多いので要録欄と併せて詳述。これを利用した犯罪が多発する昨今だけに引落金の照合帳としての役割も兼ねるよう工夫している。それゆえ、他人にも読ませることを意識した読み物としても魅力ある一般の日記と違い、機械記述としてからの内容は主観や自己主張的な記事より記録を第一とした。言い換えるなら、備忘録的な日記と自己流の金銭出納帳を併せたような、いささか文章としての面白みには欠けが実用的な内容となった。実は今日その機械表記となって以来一年づつ綴じ込み式とした非公開日記のファイリングをした。それで、これから書き始めるパソコン日記第1号の表紙と共に、ワープロ日記の最後となった昨2005年の日記の表紙に下記のごとく各々の内容を示す表題を印字した。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ ≪ わ が 星 霜 ≫ (2005年〔H17年〕・通巻No.68〔WP日記No.38〕) 内 訳 その1. 筆書夫婦日記編 ('66.01.17~'78.01.05迄)…計17巻 (既存〔02~18〕) その2. 筆書単独日記編 ('82.07.21~'85.02.18迄)…計17巻 (既存〔19~35〕) その3. WP単独日記編 ('85.02.18~'05.12.31迄)…計32巻 (既存〔36~68〕) その4. PC単独日記編 ('06.01.01~ 現 在 迄)…計01巻 (既存〔69~??〕) その他. 同 上 日 記編 ('32.03.09~'66.01.16迄)…計1巻 (予定〔 01 〕)☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆とマアこんな具合だが、それにしても内容はともあれ、飽きずに良く書き続けたものだ。そう我ながらツクヅク思い、一面で欠陥も感じるこのスタイルだが当面はこの書式で続けよう。そう思った。したがって今後、もしそうした私が満足できる機能を備えた理想的な日記ソフトが見つかる事を密かに期待しつつも、当面使用できる基本形を独自に準備する必要に迫られたと言うわけである。そして試行錯誤を繰り返した結果、何とか従来の形式に近い書式を漸く準備する事ができた。それで今日10日の日記としてこの記事を記載しようかと思ったのだが、パソコン日記の事始めとしては十日も遡る事にはなるが、やはり元旦を区切りとして掲出する事にした。尤も、すっかりサボリ癖のついた私の事。いかに毎日が日曜日の年金暮らしでも、楽天の公開日記と何十年も書き続けている非公開日記『わが星霜』とを、今後も毎日書き続けるのは些かシンドイ。また、いかに掲載無料の公開日記スペースでも気分の乗らない文章を無理に書いたところで、読者を退屈させ苦笑されるだけであろう。しかし公開日記を記載しないと、その文末に続き自分だけが見ることができる非公開欄を開いて非公開日記を記載する事はできないであろうから、マトモな記事であろうとなかろうと、一応は公開欄に1字でも2字でも書くことだ。そこでこの際特に野暮用が重なって時間が無い時や書くネタがない時は、恐縮ながら下記の如く書かせてもらう事にする。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆ご来訪ありがとうございます。残念ながら、元旦の記事で詳述したとおり今日は非公開記事のみです。毎々無駄足させて恐縮です。どうぞ悪しからず又ご来訪ください。☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆と、まあこのような掲示文だ。で、さし当たってその事始めとして以下1月2日から10日までの楽天公開日記に、同文をテスト記載しておくことにしよう。つまり、非公開欄に「ぬ」抜きで仮に綴ったワープロ日記『わが星霜』の記事を、伏字ナシで後日筆写できるスペースを確保しておくためである。勿論、実際に書き始めてみると意外な欠陥に出くわすかもしれないからでもある。尤も、せっかく「お気に入り」に加えてくださった楽天広場の朋友各位に、実質的な公開日記記事を掲出しないのに、不実な執筆通知メールが連日届くような事になるかも知れない。ご迷惑をかけるかもしれないが、なにとぞ暫時ご寛容いただきたい。そのうち古希すぎ誠も要領が良くなり、日々短くとも実のある記事を掲出できるようになるかも知れないから…。
2006年01月01日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行日本縦断《21》』 ※映像撮りもらし部分筆録 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… *******************************************************************************6※補筆1997年7月22日夜(日本列島縦断紀行/前編/第3日目)★夜の鹿児島散策(※映像撮りもらし部分筆録)薩摩半島のバスツアーから戻った夜。西鹿児島駅前の宿舎「パークホテル」で汗を流してから、イーさんと連れ立って市電で鹿児島一の繁華街と聞く天文館通りへ「銀ぶら」ならぬ「天ぶら(??)」に出かけた。確か同夜の記録がある筈だと、旅の続きのテープを取り出して見直したのだが、何と私もイーさんも共にビデオカメラを持って出るのを忘れてしまったらしく、この「天ぶら(??)」部分だけスッポリ抜け落ちてしまっていた。それならば止むおえない、補完策として文章だけで翌7月23日朝から始まっている次の第2巻への繋ぎとなる22日夜の行動記事を書き残そう。そう思い同年の非公開日記『わが星霜』を取り出し、この旅に出かけていた間の相当記録を参考にしようと調べて見た。すると、計画をワープロ書きして旅に持参した旅程表が、行く先々での様々な出来事や印象などをゴチャゴチャ書き込んだものが、日記代わりに綴じ込んであった。だがそれは文字通りの乱筆乱文で、日記を兼ねて撮影してきたVTRの編集と紀行文執筆を考えての簡単な資料で、この22日夜の事に関しては僅か数行程のこんな記事だった。┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ ※昼間の薩摩半島バス観光から宿舎「パークホテル鹿児島」に戻り一時間半 ほど休息後、イーさんと外出(19時30分)→〔徒歩約5分〕→電停「西鹿児 島駅前」(現鹿児島中央駅前)→〔市電10分@\160〕→電停「天文館」→ 〔天文館通り散策〕→薩摩料理「熊襲亭*」→電停「天文館」→〔市電10分 @\160〕→電停「西鹿児島駅前」→〔徒歩約5分〕→宿舎「パークホテル 鹿児島」帰着、入浴して就寝(23:30) *中心街・天文館通りを散策後、鹿児島料理の「熊襲亭*」で夕食。(黒豚 とんかつ膳、薩摩焼酎、白熊アイスなど…割勘@\3582)┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛とまあ、こうした味も素っ気もない行動記録といった書きっぷりの文章のみ。だが良く考えてみると他にも、これを参考にした紀行文を書いたような覚えがしてきたので更に探してみたところ、この日本列島縦断の旅の後半となる8月の旅の記事だけを先に一応書き上げたものが見つかった。また前半となる7月の旅についても、沼津出発後18時間がかりて小倉に着き、太鼓祭りを見て宿に戻った第1日目の記事だけは書き終えていたが、後は上記同様の旅程表に簡単な書き込みだけを残し、鹿児島着後の困惑ぶりを暗示するように仮綴じされていた。この屋久島への旅は、そもそもはイーさんと私の親交を期した記念すべき野次喜多旅行のつもりで彼氏の誘いに乗ったものたった。その相棒イーさんから、まさか旅も序の口の鹿児島で、これほど身勝手な都合を次々と持ち出され翻弄されるとは予想もしなかった。その挙句に鹿児島着後3日目の朝からは別行動を余儀なくされ、私だけの一人旅となったのだ。そもそも鹿児島に着く直前になってイーさんが突然言いだした言葉が意外だった。「列車内から旧友に携帯電話で連絡したら、是非会いたいと言われ、駅頭で落ち 合おうと言う事になったので、鹿児島から枕崎線の往復は悪いけれどオーさん 一人で行って来て…」。そう事もなく言われたが、これまで鹿児島にそんな友達がいるなんて、長い車中でも話題にならなかったから、全く鳩が豆鉄砲をくらった思いだった。しかも、枕崎線の旅から戻った宿で又、「久々に再会した旧友から、この機会に更に旧交を温めたいからと強く誘われて、明日は旧友に付き合う事にしたので、悪いけど屋久島へはアンタ一人で行ってきて…」。と又々の予定変更を聞かされ、もうガックリ。おまけに、「鈍行の旅はシンド過ぎるので、帰路は特急を利用して先に帰る事にしたから…」とも言い出した。このため出発後4日目の朝から別行動をとった事から、紀行文の執筆は彼氏と良く相談のうえ書き進めなければと後回しにした。それにしても、何とも傍迷惑な気まぐれ者のイーさんにも困ったものだ。「この屋久島への旅に行かないかと私を誘ったのはイーさんなのに、その屋久島 さえ行くのを止めたなんて、気まぐれも程々にしてもらいたい…」。そうも言いたい私だった。それに第一この旅は当初「日本列島縦断の旅」としてではなく、イーさんの遊び友達として紹介されキャンプを共にした事があった東京の知友達が、ワンボックスカーで屋久島を目指そうと言って来たので同行しないかと誘われたのが、事の始まりだった。しかし、2台のワンボックスカーに確か3家族計十数人を乗せて屋久島を目指すと言う長旅は余りにも窮屈過ぎよう。又、沼津インター発着として合流する事になる我々も、東京発着の彼らと燃料や高速料金も全て頭割りでと言っているとの事。心中、余りに虫の良過ぎる誘いだなぁとも思った。だから「こんな長距離走行に定員一杯でドライブをするくらいなら、青春18切符での鈍行乗り継ぎ旅行の方が余程マシでしょう」と私が話すと、「ソレいいね、私も一度、そういう旅がしてみたいと思っていたんだよ。それで行こう!」とイーさんが言い出した。話は丁度夏休みで青春18切符が使える期間とあってトントン拍子に纏まり、東京の連中とは鹿児島で合流して共に屋久島を目指そうと言う事にして旅程表を組み出かけたものだった。そして事はついでと5枚綴りの青春18切符もトコトン効用を発揮させて、帰途は九州東海岸周りで別府へ向かい、四国へ渡って四万十川や金比羅さんを観光して沼津へ戻るという予定でもあった。ところが一人旅となってからは、第2巻以降のVTRを静止画にして細々と今後の楽天日記として紹介するつもりだが、旅の疲れも加速して台風やら寝不足やら、臨機応変の処理を必要とする出来事が続発。当初予定した旅程表とは様変わりの即興旅行となったものの、お蔭で一人旅ならではの楽しみ方が次第に分ってきて、予定外だった柳川での船下りなども出来た。しかし台風の影響をも考慮し、予定より1日早い7月28日の夜半前に無事沼津へ帰着した。その後、1997年7月20日から28日に亘る西日本(主に九州各地)周遊を旅の前半とし、同年8月22日から28日に亘った東日本(信州・越後・東北経由、主として北海道>)周遊を旅の後半として、「青春18切符による鈍行乗り継ぎの日本列島縦断の旅」とする事を思いつく。そうする事で、トンボ返りで終わった7月の屋久島を目指した旅を、当初の目的以上に有意義なものにする事が出来よう。ソウ考えて出かけた8月の旅も、実に楽しかった。行く先々で思い出に残る人々と出会い、その親切に支えられて利尻・礼文両島も一巡。転じて層雲峡では高らかに歓声を上げながらレンタサイクルで下ったり温泉に浸かったりしながらノサップ岬に達し、歌の文句さながらに「筑紫の極み道の奥」を踏みしめた満足感にしたる。だが「好事磨魔多し」の諺どうり、旅程も終わりに近づくにつれ疲れが注意力を散漫化してチョンボも続出し始めたが、どうにか遣り遂げた満足感は一入大きかった。いわば瓢箪から飛び出したジャジャ馬に飛び乗り、ついでにダービーのコースをもヒタ走って無事ゴールインしたような気分だった。♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪※追記実はそのイーさんと先日とあるスーパーで久々に出会った。ポンと肩を叩かれ「まだ、怒っているのかね?」と笑っていた。「いや、あれはもう時効だよね」。そういって二人してワハハと笑い、近況を話し合った。そして、私は言った。「実は例の旅で記録したビデオを今、静止画にして電気紙芝居みたいな旅行記と して目下ホームページの公開日記ネタにして掲載中なんです。 でも鹿児島での事が書き憎くてね。あの元カノさんの事、どう書いてよいのか 書いては消し書いては消しして、ちっとも書き進まないんだよね。 下手を書くとイーさんに怒られそうだしさ。…ふふふ」。そう言って笑たっら、イーさんも笑って、「なに、思ったとおり書けばいいんだよ。何を書いたって怒ったりしないから…。 それに、あの時のビデオまだ見てなかったし、今度行くから私にも見せてよ…。 そうだ例の元カノさん、最近便りがなくなっちゃたし、どうしているのかなぁ」。なんて言っていたけど、これ見て何というかしら? まあ、ああ言っていたから怒ることもあるまいけど、どんな反応を見せるか一寸怖いような楽しいような妙な気がしてきた。でも、気に障ったらイーさん御免ね。…にやにや。
2005年10月08日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《20》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.153「川辺清水磨崖仏」o こんな崖が約400mも続き、高さ20m程の岩盤に約 200体が刻まれた清水の磨崖仏だが、平安時代に 始まり明治初年まであるという彫刻だけに風雨に 耐え切れず消えてしまったものも多々あるようだ。▼薩摩半島バスツアーNO.154「川辺清水磨崖仏」p これは懸崖の遥か上部に刻まれた磨崖仏に見入る 相棒のイーさんだ。 一方私も、この清水魔崖仏で一番最近の彫刻だと いう。明治28年に吉田順道という旅の僧が彫刻 したものが 何処かにある筈だと私も探したが見当たらず些か 残念。 この「川辺清水磨崖仏」に関する記事はネット上 でも実に多い。ガッシリと三脚を据えて撮った写真 も数多く添えられているので、関心のある方は ご覧になっては如何?▼薩摩半島バスツアーNO.155「清水流水公園」A 磨崖仏見学後、ガイドさんは我々を更に清水川の 上流へ誘う。緑が目に染みるように美しい流れに 沿った右岸の道を、私はビデオカメラを回し続け て後を追った。この苔むした岩間を爽やかな音を 立て流れていた渓流の表情も、忘れがたい一齣 としてクローズアップする。▼薩摩半島バスツアーNO.156「清水流水公園」B それから少し行くと、先を行くガイドさん達の向こ うがグンと開けて、文字通り桃源郷さながらの流水 公園が見えてきた。▼薩摩半島バスツアーNO.157「清水流水公園」C これは、前掲NO.156の画面の左端に見える吐水 口をクローズアップしたものだ。 なお画面外枠部分に、流れに沿った道を行くガイド さん達の姿や、水清き流れに緑の影を落とす対岸 の風景も微かに写っている。▼薩摩半島バスツアーNO.158「清水流水公園」D 太鼓橋の向こうの建物は、公園のシンボルとも 言える「桜の屋形」だ。 一見すると銀閣寺を模したようだが、前の池水に 影を落とす美観は金閣寺を模したようでもある。 ともあれ、こんな美しい屋形を当地に作り得たの は、ここ川辺町名産の川辺仏壇の技術を結集し、 建設に当たれたからだったと、川辺町教育委員会 のHPは記している。 残念ながら内部を見学する暇はなかったが、1階 は茶室と休憩室、2階は全国の磨崖仏のパネル 展示室と展望室を兼ねているとの事。 「桜の屋形」と言う名前が示すように、この展望室 から見る春の花見は、さぞ素晴らしいだろうな と思う。▼薩摩半島バスツアーNO.159「清水流水公園」E 前掲NO.158の画面右側に続く風景である。 「桜の屋形」前を飾る数条の小滝は、更に右へ ズラリと並列。背後の「桜の屋形」と一体化した 自然のモビールディスプレーのような見事さに、 私は目を瞠(ミハ)った。▼薩摩半島バスツアーNO.160「清水流水公園」F 前掲「桜の屋形」前の六条(?)の小滝をクローズ アップ。 一筋一筋は小さな滝ながら、こうして見ると個々 の個性や躍動感が際立って見え、何だか音まで 聞こえて来そうだ。▼薩摩半島バスツアーNO.161「清水流水公園」G 「桜の屋形」近くの河畔に佇む、例の仙台オゴジョ 仲良し二人連れ。▼薩摩半島バスツアーNO.162「清水流水公園」H 本ツアー最終の美を飾るに相応しい清水川の 流れは、随所にビューポイントを作っていて、 バスの出発時間を気にしながらカメラを回し 続けた。▼薩摩半島バスツアーNO.163「磨崖仏→鹿児島」a 沢山の幟旗(ノボリバタ)が風にはためいていた 指宿スカイライン川辺IC付近かと推定される 帰路の車窓風景A。▼薩摩半島バスツアーNO.164「磨崖仏→鹿児島」b 指宿スカイラインから見下した、喜入港付近かと 思われる帰路の車窓風景B▼薩摩半島バスツアーNO.165「磨崖仏→鹿児島」c 帰路を急ぐバス車窓に、一瞬チラリと枕崎線の 鉄路が陸橋下に長く伸びているのが見えた。 昨日の今頃は一人で此処を往復していたのだと いった感慨を込め、急ぎカメラを向けシャッター を切った記録だ。 日本列島南端の鉄道沿線に広がる様々な車窓 風景や車内で出会った人々の事が、今また改め て懐かしく追想されてくる。▼薩摩半島バスツアーNO.166「磨崖仏→鹿児島」d 指宿スカイラインから見下ろす車窓風景も、遠くに 密集した市街地が広がりだし、鹿児島市内が間近 になった事を感じさせる。 ▼薩摩半島バスツアーNO.167「磨崖仏→鹿児島」e 帰路の車窓風景も鹿児島市南部の市街地に入る。 時刻は間もなく6時だ。車の数もグンと増えたが、 通勤ラッシュの渋滞に巻き込まれる事もなく、一路 終点を目指した。▼薩摩半島バスツアーNO.168「磨崖仏→鹿児島」f 帰路点々と紹介した車窓風景も、これがラストの、 一景となる。既に8年も前の旅なので確かか否か 心もとないが、此処は早くも西鹿児島駅帰着直前 の市街で、多分駅前広場にある銅像ではないかと 思う。※薩摩半島バスツアー「完」 (以下、年賀状製作終了まで本シリーズは暫し休載)
2005年10月07日
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10月6日 マイ・ビデオ紹介『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《19》』 ******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《19》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.139「川辺清水磨崖仏」a 定期観光ツアー最後の見所として案内されたのは、 知覧町の北隣りに在る川辺(かわなべ)町の清水 (きよみず)磨崖仏と岩屋公園だった。 これは、その入口に立てられていた案内板の現在 地付近をクローズアップした画面だが、サブタイ トル代わりに加えようと選んで見た。▼薩摩半島バスツアーNO.140「川辺清水磨崖仏」b 山沿いの清流を左にした砂利道を磨崖仏へ向かう ツアーメイトの皆さん。▼薩摩半島バスツアーNO.141「川辺清水磨崖仏」c 河岸に広がる緑の芝生の彼方に洒落たメガネ橋が あった。ネットで調べると、その名もロマンチックな 「しのぶばし(偲橋?)」とか…。▼薩摩半島バスツアーNO.142「川辺清水磨崖仏」d その「偲橋」の美観を目にして、此処ぞとズーム アップした画面がコレだ。 二連の石造アーチが、周囲の自然と違和感なく 融けあって何とも美しいではないか。 また橋の左側のアーチの彼方に見える懸崖が、 目指す磨崖仏群が刻まれている山の岩肌だ。▼薩摩半島バスツアーNO.143「川辺清水磨崖仏」e 尤もコノ「偲橋」、石造と思ったものの直に行って 見ての説明だと、表面に石板を貼り付けた観光用 のRC橋とか…。 鹿児島は日本における石橋のメッカと聞いていた ので初めて見る本格的石造メガネ橋かと、そのモ ダンな美しさに一瞬目を輝かせたものだったが、 これを耳にして些かガッカリ。 でも、そう言われて見なければ素人目には分らぬ 程の出来栄えだった。 ▼薩摩半島バスツアーNO.144「川辺清水磨崖仏」f 「偲橋」の下を流れるのは、川辺ダムを源流とする この「清水(きよみず)川」だ。 蛇足ながら地図を調べたところ、この「清水川」は 下流で知覧の武家屋敷近くを流れていた「麓川」等 と合流。「万之瀬川」と名を変え薩摩半島西海岸の 加世田市(かせだし)近くで東シナ海に注いでいた。 尚ついでながら薩摩半島には、どんな川があるのか と地図を見直してみたが、川内川以南の半島部の 海岸では、川らしい川はコノ万之瀬川水系のほか 見当たらなかった。 勿論、これは30万分の1の地図で河川名の記載 がないような小河川を除いての話ではある。 ともあれ、この岩屋と呼ばれる当地域は、そうした 万之瀬川支流の清水川が山地から平地へと流れ 出る文字通りの自然美を感じさせる地点だ。この旅 で私は初めて此処を訪れたが、この地形を巧みに 利用し、豊かな清流を活かして各種の施設を造成。 実に見事な観光地に作り上げていることを知って、 何だか桃源郷に踏み入ったような無性にウキウキ とした気分となった。▼薩摩半島バスツアーNO.145「川辺清水磨崖仏」g あの偲橋の彼方に見えた磨崖仏の下に至り、首が 痛くなる程に切り立った断崖を見上げると、そこに は約200体近い彫刻が岸壁に彫られていた。 この写真は懸崖の全景を紹介するため、少し上流 の流水公園付近から帰路に撮影した画面だ。▼薩摩半島バスツアーNO.146「川辺清水磨崖仏」h 先ず案内板横の先輩ガイドさんが、頭上の大五輪 塔につき以下の如く説明してくれる。 高さ10m、幅4mの日本一大きな五輪塔です。 此処に図示された如く、上から、空輪・風輪・火輪・ 水輪・地輪が彫られています。 又その各輪に書き込まれた梵字は、下から読むと、 「ア・バン・ラン・カン・キャン」と読みます。 これは、大日如来上品悉地真言というお経で、1回 唱えただけで,一切経を百万回唱えるのと同じ功徳 があるとか…。 とまあ、ざっとこんな解説だった。 五輪塔は、ふつう死者の供養のために建立するもの だそうだが、この五輪塔群も、多分その様な目的の 為に建てられたのであろうが、詳しい事は分かって いないようだ。 この五輪塔群は、上記のような幾つかの要素が合わ さっていて、屋根のような形の「板形塔婆」で、上部 に月輪をもったものもある。 尚これらの解説は、原版の動画に記録されたガイド さんの説明や、ネット上に掲載された資料等を参考 に要約付記したものである。▼薩摩半島バスツアーNO.147「川辺清水磨崖仏」i これが頭上に線刻された大五輪塔の先端部分だ。 この下に上の写真の案内板で図示されたような 残りの塔の線刻部分が実際の動画では続いている 訳だが、此処での掲出は省略とした。▼薩摩半島バスツアーNO.148「川辺清水磨崖仏」j これは懸崖の最上部に刻まれた「月輪大梵字」と 云われる線刻だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.149「川辺清水磨崖仏」k 又この画面は、前掲の「月輪大梵字」の案内板だ。 これを指差す先輩ガイドさんの説明は、要旨下記 のようなものだった。 直径各150cm程に刻まれた三つの月輪の中には、 左から順に「カーン(不動明王種子)」、「ケー(計都 星)」、「バイ(薬師如来種子)」と言う梵字の 三文字が彫り込まれている。 ▼薩摩半島バスツアーNO.150「川辺清水磨崖仏」l 崖下に多数見られる小型の石碑群は「陽刻五輪 塔」と一般的に呼ばれている。いわゆる逆修と して、夫婦や親子等が生前に法名を寺から付け てもらい、碑を彫らせ法名を刻んで死後の供養 を予め済ませたものであろうと考えられている。▼薩摩半島バスツアーNO.151「川辺清水磨崖仏」m これは「三大宝篋印塔」と言われる線刻塔だ。 松の枝越しで些か鑑賞しにくい画面だが、線刻の 宝篋印塔が三墓並んでいた。 塔間に墨書の刻印があり、河邊氏全盛の頃、河邊 信道の妻かソノ嫁かの供養のため彫刻されたもの と推察される。 又、別のサイトに記された「三大宝篋印塔」解説 によると、これは鎌倉時代のもので、死後49日 の供養のために彫られたものだとの事。▼薩摩半島バスツアーNO.152「川辺清水磨崖仏」n 前掲の「三大宝篋印塔」を図示した案内板がこれ である。 静止画化以前のビデオでは、パンしながら全景を 撮ってあるが、ここでは標題だけ確認できるよう 上半部分だけの画面を掲出することにした。 尚これもネットで調べたサイトの解説文引用だが、 こうした五輪塔は、室町時代に全国的に流行した もので、生前に法名を受けて刻むものとか…。 だが「死後49日の供養のために彫られた…」と いう先の記述と、逆修供養という点で些か矛盾を 感じた。 現代の逆修供養の墓石は、夫婦の何れかが先に 他界した場合等に法名を並列して刻み、残された 一方の法名は朱色に塗って生存中である事を表す 事例が多い。 この場合は残された配偶者が他界すると、49日 に朱色を拭い去り、並列した夫婦名を彫刻生地に 戻して供養とする事になる。 この「三大宝篋印塔」が、鎌倉時代の逆修供養と して刻まれたものと知り、生存中の事前法名表記 は、当時如何なる方法で行われていたのだろうか と興味を惹かれた。※以下、明日の日記に続く
2005年10月06日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《18》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.131「知覧武家屋敷」I 最後に立ち寄らせてもらったお宅は、森重堅邸 だった。 ここ森家は、亀甲城の西麓にあり、領主に重臣 として仕えた家柄だとか…。 その為か、前方に見える住居も、右端の木蔭の 先にある池の佇(タタズ)まいも、いささか趣き を異にしていた。▼薩摩半島バスツアーNO.132「知覧武家屋敷」J 現存する知覧の武家屋敷で公開されている庭は、 全部で7邸だが、このうち6邸が全て枯山水式 の庭園だそうだ。だが、この森重堅氏邸だけが 築山泉水式の庭園となっていて、その存在が際 立っていた。 この画面は広角で撮った池泉の略全景で、対岸 が手前から正面奥の方へ向かい次第に高い築山 となっていた。 ▼薩摩半島バスツアーNO.133「知覧武家屋敷」K また曲線に富んだ池は、奇岩怪石で近景の山や 半島を表そうと作られたものと聞く。▼薩摩半島バスツアーNO.134「知覧武家屋敷」L 更に、この対岸の穴石も森邸池泉の目玉の一つ で、水の流れや洞窟を表現しているのだと聞く。▼薩摩半島バスツアーNO.135「知覧武家屋敷」M 森重堅氏邸のコノ画面は、入口に一番近い池端 を前景にして広角で撮ったもの。 中景の右端に主庭への入口が見え、コレに続き 左へ高さを増しつつ伸びる緑濃い生垣が、池端 の築山の稜線と前後同様の傾斜を見せて、丁度 遠近の山並みを模したようでもある。 尚この森氏邸の住居や土蔵は寛保初年(1741) に建てられたものだそうだが。画面中央上部に 見える一本松の右手に小さく一部が見える建物 が、確かソノ土蔵の上屋だと思う。 ▼薩摩半島バスツアーNO.136「知覧武家屋敷」N 森氏邸でのイーさん 又これは森氏邸での吾が旅の相棒イーさんだ。 余談ながら、この森氏邸の事をネットで調べて いたら、この蔵は落書き被害に泣かされている らしく、こんな記事もあった。 ≪(前略)…入り口には白壁の蔵があり、その壁 に落書きのいたずらがあるようで、「落書き をしたら、ごっつい罰があたります。」って、 ごっついって言葉が、すごい罰がありそうで 怖いけど、面白いなと思いました。 その立て札のせいか、私達が行った時には、 落書きはありませんでした。…(以下後略)≫ との事。 尤も私が行った時は気が付かなかったし、こう した落書き事件は最近の傾向かも知れない。 今後訪れる方々は、ごっつい罰を受けぬよう、 自他共に悪戯心には特に注意の程を…。 その立て札のせいか、私達が行った時には、 落書きはありませんでした。…(以下後略)≫ との事。 尤も私が行った時は気が付かなかったし、こう した落書き事件は最近の傾向かも知れない。 でも、この画目のイーさんは何かシゲシゲと見 つめている様子。もしかして例の土蔵に落書き でも見つけたかのかな…? ともあれ今後訪れる方々は、ごっつい罰を受け ぬよう、自他共に悪戯心には特に注意の程を…。▼薩摩半島バスツアーNO.137「知覧武家屋敷」O これは森氏邸入口脇の茶店軒下から見た居宅だ。 勿論この茶店は透明樹脂製の下屋が示すように、 近年建てられた部分だ。▼薩摩半島バスツアーNO.138「知覧武家屋敷」P これは知覧名産の傘提灯だ。確かこの森氏邸の茶店 の天井にブラ下がっていたものを私が珍しいなぁと 撮った記憶がする。 静止画化したついでにネットで調べて見たところ、 下記のような説明があった。いかにも武家屋敷観光 を売り物にする知覧土産にふさわしく、参考までに 記事そのままを引用しておこう。 ≪知覧傘提灯≫ 安政年間に下級武士の内職として考案されたと伝え られる傘で、半開きにすれば日傘、雨傘として、全 開すると夜には提灯にもなります。 また、閉じて使えば護身用の武器としても役立ちま した。 真竹の一節を32等分した骨に和紙をはり、ひとつひ とつ丁寧に作り上げられる伝統工芸です。 薄絹の絵張りの傘もあり、インテリアとしても喜ば れています。 (問い合わせ先:富永可愚家民芸:0993-83-2058) ※枯山水式にせよ築山泉水式にせよ、実に手の込ん だ美邸に囲まれていた鹿児島武士階級の暮らしぶ りか窺がわれ、よく聞く幕末の士族の経済的窮迫 など別世界の話みたいに思われがちだった私だ。 でもコノ傘提灯の謂れを知り、こうした手工芸を 内職として励んでいた下級武士家族の暮らしも何 となく垣間見え、何時の世も我々社会の仕組みは 余り変わりないような感慨を覚えた。※以下、明日の日記に続く
2005年10月05日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《17》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.112「知覧武家屋敷」p 知覧町のメインストリート▼薩摩半島バスツアーNO.113「知覧武家屋敷」q 知覧町に入ったバスの車窓から見えた木々の間 に見え隠れしていた涼し気な水辺。▼薩摩半島バスツアーNO.114「知覧武家屋敷」r 歩道の脇に浅い清流を配した趣きある商店街の 大通りで下車。武家屋敷の見学に向かった。▼薩摩半島バスツアーNO.115「知覧武家屋敷」s その武家屋敷は、大通りから少し入った閑静な 裏通りに面し、ひっそりと並んでいて、こんな 時代色を感じさせる案内板が角に作られていた。▼薩摩半島バスツアーNO.116「知覧武家屋敷」t 最初に見学したのは確か佐多民子邸だった。 重厚な門の中は、通りからの視線を遮り万一 に備えた屏風岩という石塀が、母屋への行く 手に何箇所も道を鍵の手にして立ちはだかる ように設けられていた。 こうした武家屋敷ならではの防禦用工夫が、 要所要所に目立つ道を進んで奥座敷前の見事 な主庭に到る仕組みだ。▼薩摩半島バスツアーNO.117「知覧武家屋敷」u 大小様々な草木や岩を配して造成された見事な 奥座敷前の庭の説明をする、先輩ガイドさん。▼薩摩半島バスツアーNO.118「知覧武家屋敷」v その先輩ガイドさんから、この庭のアレコレを 聞くツアーメイトの皆さん。▼薩摩半島バスツアーNO.119「知覧武家屋敷」w 最初に訪れたこの家の庭では、特に巨岩が多く 見受けられたが、ガイドさんの話で良く見ると その巨岩の殆どに継ぎ目があるのが分かった。 それは大き過ぎるので一旦分割して運び、此処 で継ぎ合わせた痕跡だとか…。 それにしても、シゲシゲと見なければ分からぬ よう接ぎ合わせる以上に、事後の作業の手順や 仕上がりを考えながら、巨岩を割る事前作業の 難しさが偲ばれてならかった。 ▼薩摩半島バスツアーNO.120「知覧武家屋敷」x そんな事を考えながら、その庭の全貌やら岩の 割れ目などにビデオカメラを向けていた私。▼薩摩半島バスツアーNO.121「知覧武家屋敷」y ギラギラと容赦なく照りつけていた真夏の太陽。▼薩摩半島バスツアーNO.122「知覧武家屋敷」z その照りつける陽射しを、こんなふうにして避け ていた短髪の仙台オゴジョと日傘の奥様。▼薩摩半島バスツアーNO.123「知覧武家屋敷」A そして此方は長髪の仙台オゴジョ。襟元の長髪が 肌に触れるのが鬱陶しいのか、時折手を後ろに回 し長髪を揺するようにして風を襟元に送っている ように見えた。 ▼薩摩半島バスツアーNO.124「知覧武家屋敷」B 石垣や生垣を調和良く組合わせ、手入れも行き 届いて爽やかな木蔭が続く武家屋敷通りを行く 旅友の皆さん。▼薩摩半島バスツアーNO.125「知覧武家屋敷」C これは見学を終わって出てきた「佐多民子邸」 の門前で撮影したものだった。 本来なら「門構え」を紹介した NO.116 の前に 挿入すべき画面なのだが、自動的に静止画化順 で付く整理番号との関係があり、掲載順は原版 撮影時のまま此処と決めた。 次番は隣接の佐多直忠氏邸での撮影画面となる ので、お間違いなく。▼薩摩半島バスツアーNO.126「知覧武家屋敷」D佐多直忠氏邸でのイーさん ▼薩摩半島バスツアーNO.127「知覧武家屋敷」E 佐多直忠氏邸の主庭。これは次のNO.128の画面と対 で見てもらいたく選んだ。 この緑一面の中の花一輪の美を、何とか静止画 でも感じていただけないかと思っての事。 尤も、カメラマンの技量不足を感じさせるだけ になってしまったようでもあるが…。▼薩摩半島バスツアーNO.128「知覧武家屋敷」F …で、これはソノ佐多直忠氏邸主庭(NO.127)画面 の中央下部をズームアップしたもの。 見事に手入れされ緑の濃淡が一面広がる中、白と ピンクの花が一・二輪、植込の緩い曲線の縁取り の上に、隠れんぼでもしているのように姿を見せ ていた。 そんな慎ましやかに咲く姿が逆に目を引き、何か 武士道の「葉隠れ」という言葉が脳裏に浮かぶ。 もしかしたら武家屋敷の庭作りゆえ、意識的に 此処に植えられたものかも…。 多分そんな思いでアップしたこの花だが、残念な がらピンボケだった。しかしまあ、その思いだけ でも書き残しておこうと選に加えた。▼薩摩半島バスツアーNO.129「知覧武家屋敷」G 先輩ガイドさんから佐多直忠氏邸主庭の説明を聞く 旅友たち。 やはり、此処での記念撮影場所は画面中央に映る 正面の大岩を背景にと誰もが思うようで、一際目 立つ存在として次の画面でズームアップしている。▼薩摩半島バスツアーNO.130「知覧武家屋敷」H これがその佐多直忠氏邸の目玉とも言える大岩だ。 右下の字幕に半ば隠れた女性の姿と、背後の岩の 大きさを比べて見れば、コノ岩の威容が判ろう。 だがそれ以上に注目すべきは、この岩を取り巻く 植込みや庭木の剪定の妙だ。 ドンと先端を天に向け突出させ鎮座まします大岩 を奇山と見たて中心に据え、遠く青い山々の稜線 も借景に取り入れて、緑の小山のようにも見える 濃淡豊かな植え込みの刈り込み具合が見事。 でもコノ大岩、別の見方をすると何か横を向いて 座禅を組む仏像みたいで、山々を背にした大仏様 にも思えてくる。 まあ、そうした築庭者の真の意図はさておいても、 個人の庭石に良くぞコレだけの巨石を運び入れた ものだと、様々な意味で感服しながら見直した私 だった。※以下、明日の日記に続く
2005年10月04日
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2005年10月03日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《15》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.79「いざ開聞岳へ」a 別名を「薩摩富士」とも呼ばれる開聞岳へ向かう。 新人ガイドさんの一寸上がり気味で聞き取りにく かった案内も、今は懐かしい思い出の一齣だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.80「いざ開聞岳へ」b ガイドさんの説明や歌を楽しそうに聞く奥さんの 笑顔が素敵だなぁと選んでみた。 確か関西(奈良?)から来られたご夫妻として、 NO.69「フラワーパーク」m で紹介したお二人だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.81「いざ開聞岳へ」c 開聞岳の登山道を行く車窓に過ぎ行く山麓の食用 サボテン園。 ▼薩摩半島バスツアーNO.82「いざ開聞岳へ」d 開聞岳東麓からの眺望。遠く長崎鼻までの海岸線 を一望にする見晴台から超広角で撮った風景だ。 良く晴れた日には東シナ海はもちろん、佐多岬、 池田湖をも眼下に見られるという。 唯ここでの映像は、バスの青い窓ガラスが反映し たのか、画面が全て青いフィルターを掛けたよう になってしまったのが些か残念。▼薩摩半島バスツアーNO.83「いざ開聞岳へ」e 以下三枚は、その開聞岳東麓からの眺めのうち 海岸線をZOOM UPした動画部分を適当に選び 静止画化してみた。 この一枚目は、直ぐ下に広がっていた画面左の 開聞町川尻の漁港から、美しい白砂青松の浜辺 が遥かに続く画面右手の小塚浜途中までを画角 に収めたものだ。▼薩摩半島バスツアーNO.84「いざ開聞岳へ」f 続くこの二枚目は、上のNO.83の画面と対を なす風景で、白砂青松の小塚浜から長崎鼻まで を画角に収めたものだ。▼薩摩半島バスツアーNO.85「いざ開聞岳へ」g そしてこの三枚目は、NO.83の画面中央部分 を更に一杯ZOOM UPした画面で、海岸線の家並 が切れて松原が始まる手前に見える近隣で最大 の建物を何だろうと興味を持ち撮ったもの。 それで地図や参考になりそうなHPをアレコレ 調べて見た結果。これは「国民宿舎かいもん荘」 に違いないと確信。この位置なら恐らく開聞岳 の眺めは最高だろうなと、再訪を夢見て目星を 付けた。 ▼薩摩半島バスツアーNO.86「いざ開聞岳へ」h バスは広大な自然公園になっている開聞岳の東麓 を更に上へ向かった。 園内には500種類、10万本の熱帯・亜熱帯植物が 茂り、まさに日本一の亜熱帯植物園となっている。 また、かねて良く話では聞いていた珍しい野生種 のトカラ馬50頭程が、画面に見られるように放し 飼いにされて点々と草を食んでいた。 ▼薩摩半島バスツアーNO.87「いざ開聞岳へ」i このトカラ馬は、おとなしい馬なので撫でる事も できると言う。元来小型の馬のようだが、大きさ がグンと小さく可愛らしい仔馬もいた。 ただし、トカラ馬は絶滅の危機にある在来種で、 かつてはトカラ列島の宝島で飼育されていたもの だとか…。今は県の天然記念物に指定されている との事だし、実際に誰もが撫でさせてもらえるか はバスの車窓から見ただけとあって定かではない。 ▼薩摩半島バスツアーNO.88「いざ開聞岳へ」j 登山道を途中まで登り引き返した時に、真下から 見上げるようにして撮った開聞岳の姿だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.89「いざ開聞岳へ」k 開聞岳から池田湖へ向かう途中の田畑の真っ只中、 ポツンと一箇所、十坪あるかないかといった広さ の土地に鬱蒼とした木立があり、バスがストップ したのが此処。 見ると「玉乃井」と刻まれた石碑が立ちソノ周囲 が石囲いされていた。 ガイドさんの説明によると、神代の昔から此処に 在り、日本一古い井戸だとか…。 でもその時は、「ホウ、本当かいな…」と唯何と なく聞き流していた私だった。 だが、こうして静止画化して良く見直したところ、 画面右側の闇の中に何かホログラムのような映像 が映っているではないか…。 それも、ご覧のように氷柱か特大ジョッキの中で、 恰も黒髪ゆたかな女性がコチラを向き首を外側に 傾けて、髪でも梳(クシケズ)っているかのようだ。 一体これは何だろう? そう疑問が湧きアレコレ 調べて見たくなった。 その結果、あの「海幸彦山幸彦」の物語で知られ る山幸彦の后となる豊玉姫が、朝夕この井戸の水 を汲みに来ていて、偶々兄・海幸彦の釣針を失く して途方に暮れていた山幸彦の姿が井戸の水面に 投影され、ハッと驚くと同時に何故か一目惚れ。 以来、二人は此処で愛を育くんだという。つまり 縁結びの井戸ということらしい。 とすると、このホログラムみたいな女性の幻影は 豊玉姫の仮の姿? …な~んて思いが脳裏を巡り、 「日本最古の井戸」という話だけではなく、神代 の女性である豊玉姫の霊が今も此処に宿っている かのような、摩訶不思議な気分さえしてきた。 ▼薩摩半島バスツアーNO.90「いざ開聞岳へ」l ところで、この「玉乃井」の石碑には左側にも こんな三行書きした句碑が並んで建っていた。 しかし、この句を読み取り、作者を知りたくて 拡大して見たが、何れもピンボケで解読は不能。 ネットで何か情報は掴めないかとアレコレ探し ても見たが、この遺跡の全体像の写真を見つけ たものの、画像は拡大できず句碑の読解も摩訶 不思議なホログラム的な女性像の謎も、解けな かった。 唯『玉井』という能があって、紹介されている 筋書きが、私をヨリ神代の世界へ誘った。些か 蛇足の感もするが、参考として以下に紹介しお こう。┏━ 能『玉井(たまのい)』 あらすじ━━━━━━┓ 主人公・山幸彦(別名・彦火々出見尊〔ヒコホホ デミノミコト〕)が、兄(海幸彦)の釣針を探し 竜宮まで辿り着き、案内を請おうと待っていると 龍王の娘・豊玉姫が井戸に水を汲みに来る。そし て井戸の水面に映った尊の姿を見て姫は驚くが、 その美しさに心を奪われ尊父・龍王の元へと案内 する。龍王は尊を歓待して、あっという間に3年 の月日が過ぎ去り尊は国に帰ることになる。龍王 は、海幸彦の釣針と潮満(しおみつ)潮涸(しお ひる)の二つの玉を尊に与え、大鰐に乗せて陸に 送り届け、自らも海中に姿を消す。(以下後略)┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛▼薩摩半島バスツアーNO.91「池田湖」a 「開聞岳」から「池田湖」へ。車窓に池田湖の 湖岸が見え隠れし始めた時の記録。※以下、明日の日記に続く
2005年10月02日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《14》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.57 「フラワーパークかごしま」a 広い駐車場からノッポな椰子並木の 下を三々五々エントランスホールへ 向かう。▼薩摩半島バスツアーNO.58 「フラワーパーク」b 入場して間もなく、オッと私の目を 引き付けたのは、この下り坂の道の 真正面、遥かに見えた実に個性的な あの山だ。 それにしてもコノ構図、久々に絵筆 を握ってみたくなっちゃったなぁ。▼薩摩半島バスツアーNO.59 「フラワーパーク」c そう思い又々ズームアップした一枚 がコレ。 それにしてもコノ山、確かに長崎鼻 の背後に聳えていた山に相違ない。 ▼薩摩半島バスツアーNO.60 「フラワーパーク」d 左側に同じ段差の水路を設け、滝状 にして趣きを添えた大階段も印象的 だった。※本欄の以下説明は文字制限クリアー のため非公開欄に移し省略▼薩摩半島バスツアーNO.61 「フラワーパーク」e 園内唯一の食事処「レストラン花輪」 への案内板。▼薩摩半島バスツアーNO.62 「フラワーパーク」f 「レストラン花輪」の池と噴水(枠内 は拡大画面) ▼薩摩半島バスツアーNO.63 「フラワーパーク」g 一寸小粋な「レストラン花輪」の内部。 真ん中の二人も、このツアーの一行で 母娘らしい二人連れ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.64 「フラワーパーク」h これは私の相棒イーさんの昼食風景だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.65 「フラワーパーク」i 私達が昼食に注文したカレーライス。 味の記憶は既にないが、拡大してみた ところ、どうやらシーフードカレー だったようだ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.66 「フラワーパーク」j これはレストラン「花輪」の夏期限定 メニューだ。残念ながら一般メニュー は撮影されておらず献立の詳細は不明。※本欄の以下説明は文字制限クリアー のため非公開欄に移し省略▼薩摩半島バスツアーNO.67 「フラワーパーク」k これは先にNO.63の写真説明として、 「真ん中の二人も、このツアーの一行 で母娘らしい二人連れ」。 と下記紹介したお二人のうちの娘さん の拡大画面だ。 以下「花輪」での昼食時のスナップ として記録に残っいる、ツアーメイト のプロフィールを順次掲載しておこう。 もしかしたら御本人や近親知友の方々 の目に触れ、「袖ふれあうも他生の縁」 と、この一期一会を懐かしんでいただ けたらとも思う私だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.68 「フラワーパーク」l これは上のNO.67と一対となる母娘旅 らしいお二人の中の、お母さんと思われ た方の拡大画面だ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.69 「フラワーパーク」m 確か関西(奈良?)から来られたご夫妻。 私の大学時代の恩師と親交があると聞き、 奇遇を感じながら恩師の思い出話に興じ たものだった。▼薩摩半島バスツアーNO.70 「フラワーパーク」n 上のNO.69のペア写真の左側、 ご主人をズームアップ。▼薩摩半島バスツアーNO.71 「フラワーパーク」o 上のNO.69のペア写真の右側、 奥さんをズームアップ。▼薩摩半島バスツアーNO.72 「フラワーパーク」p こちらは例の仙台オゴジョの二人連れだ。※本欄の以下説明は文字制限クリアー のため非公開欄に移し省略 ▼薩摩半島バスツアーNO.73 「フラワーパーク」q 上のNO.70のペア写真の左側、 髪の長い仙台オゴジョをズームアップ。▼薩摩半島バスツアーNO.74 「フラワーパーク」r 上のNO.70のペア写真の右側、 もう一人の仙台オゴジョをズームアップ。 ▼薩摩半島バスツアーNO.75 「フラワーパーク」s 「花輪」での昼食を済ませてエントランス ホールへ向かう帰路の小道だ。池畔に花咲き 乱れる水面の向こうに、こんな美しい滝が 鬱蒼とした木々の合間に見え隠れする光景を 見た。▼薩摩半島バスツアーNO.76 「フラワーパーク」t これはその滝の上半部(滝口)をズームアップ して見たものだ。その美しさは恰も南京玉簾 (すだれ)のようだった。 ▼薩摩半島バスツアーNO.77 「フラワーパーク」u これはその滝の下半部(滝壺)をズームアップ して見たものだ。▼薩摩半島バスツアーNO.78 「フラワーパーク」v この辺りは「花のエリア」の「ジャングル・ 花の谷」と呼ばれる所らしい。 此処だけで南北600kmに及ぶ鹿児島県の風物を、 植物を通してイメージ化したものだそうだ。 実は、此処への立ち寄りは鹿児島交通の定期 遊覧バスのコースには記載されていなかった。 単に昼食場所として立ち寄る事になっていた もののようで、36.5haという「花」「光」「風」 という三つのエリアで構成される広大な園内 を図らずも垣間見させてもらったというに過 ぎず、もう少しジックリ見たかったといった 思いが残った。でも、園内を一周するには2 ~3時間もかかるそうだから、そうも行かず 先を急がざるを得なかった。※以下、次回に続く
2005年10月01日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《13》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.38 ここでバスガイドは、ベテランから新人へと バトンタッチ。そのタドタドしさに、難聴の 私は余計聞き取りにくくなり、率直に言って 初めは大分戸惑った。それで、後日ジックリ その説明を聞き直そうと、音声記録の意図で 必要以上にビデオカメラを廻し続けた。▼薩摩半島バスツ向こうにアーNO.39 続く三景は名産の焼酎工場への車窓風景だ。 緑豊かな田園風景の向こうに光る甍は、指宿 近郊山川町大山地区の家々か…?▼薩摩半島バスツアーNO.40 鹿児島銀行の店名看板だ。下に小さく書かれた 5文字の支店名を知りたくて拡大して見たが、 残念ながら画素数が荒過ぎて解読できなかった。 しかし2分後に撮影した画面に「山川町大山」 とある交差点の信号標識があるので、この店は 多分「山川」か「大山」と言う名の出張所では あるまいかと推測して見た。 多分何故そんな事に拘るのかと訝られそうだが、 定年まで某地銀行員だった私は、何処へ旅して も土地の銀行の存在が気になるのだ。 ※以下、字数オーバーのため本説明後半は非公開欄に移行▼薩摩半島バスツアーNO.41 9月18日付で既に掲載した本シリーズ 番号《8》の中の、「枕崎線往復点景 その9・大山→西大山辺りの車窓風景」 の写真。 遠く正面に見える山は長崎鼻の裏側から の姿か? そう書いた山と同じではないかと思うが 如何?▼薩摩半島バスツアーNO.42 観光焼酎工場案内板。小文字部分が よく読めないが「○○○○ウォーター 入焼酎 白露 80M先左」と判読する。▼薩摩半島バスツアーNO.43 焼酎工場前庭からの薩摩富士。此処 からの開聞岳は文字通り薩摩富士の 名に相応しい美しさだった。▼薩摩半島バスツアーNO.44 焼酎工場前庭で、見学に先立ち記念撮影 をしてれた写真屋さん。▼薩摩半島バスツアーNO.45 焼酎工場前庭での記念撮影。といっても これは全員集合の前に私がビデオで流し 撮りしたもの。オールスターキヤストの 写真屋さん撮影のものが見当たらない為、 これにて代用。▼薩摩半島バスツアーNO.46 焼酎工場内での試飲会で、左端の先輩バ スガイドさんから説明を聞く仲間達。 中央は、前述の仙台オゴジョ二人連れ。 右端は私の相棒イーさん。 ▼薩摩半島バスツアーNO.47 買い込んだ焼酎をぶら下げバスの方向へ 駆け寄るイーさんと、長髪が美しい若い 女性のツアーメイト。 私が「ヨオ、仲良し父娘の二人旅みたい じゃないの…」と、ビデオカメラを向け ながら二人を冷やかすと、嬉しそうにス キップして茶目っ気を見せる、なかなか 楽しい娘さんだった。 彼女の事は、去る9月28日付の本連載記事 《11》の写真 NO.6として西鹿児島駅前 出発に際し、仙台オゴジョ二人組の一人 として既に紹介したように、どちらも実 に気さくで好感のもてる旅仲間だった。 ▼薩摩半島バスツアーNO.48 長崎鼻の灯台に通じる沿道の土産物店街。 バスの駐車場から間近だったが、ビデオ 撮影に夢中で、行きも帰りも覗く暇なし の慌しさだったっけ。▼薩摩半島バスツアーNO.49 長崎鼻は浦島太郎伝説地の一つとされて いて、土産物店街を抜けると視界一杯に 広々と外洋が広がっていた。そしてその 沿道の直ぐ脇に乙姫様を祀る竜宮神社が あった。 この赤鳥居は、その社殿への道標みたい に一際目立って立っていた。▼薩摩半島バスツアーNO.50 岬の突端に建つ白く美しい長崎鼻灯台。 若い頃、胸を熱くして鑑賞した忘れ得ぬ 名画、「喜びも悲しみも幾年月」の主人 公だった燈台守の夫婦も、燈台守として 全国各地の灯台を転々とした中に、確か この灯台も入っていたような気がする。 もし一人旅だったら、多分あの大好きな 主題歌を口ずさんだ事だろうと思う。▼薩摩半島バスツアーNO.51 長崎鼻から望む開聞岳は一番美しいとか。 それにしても、本当の富士山と比べ粒は 小粒でも、形の上では大して遜色のない 美しさだと思う。 尤も、ここは南国・鹿児島。雪化粧した 薩摩富士だけは、殆どお目にかかれない 筈。▼薩摩半島バスツアーNO.52 平家の武家政治転覆の密議がバレ、俊寛 が流された鬼界ヶ島はドチラ?と問う私 に、良く晴れた日なら肉眼でも丁度この 方向に見えますよと、ベテランのガイド さんが教えてくれた。 …とすると、赦免船に乗せてもらえず、 都恋しと男泣きに泣いたと聞く俊寛も、 晴れた日この薩摩富士を遥かに目にして、 島から望郷の思いを強くさせられていた だろうと、気の毒な心情が実感された。▼薩摩半島バスツアーNO.53長崎鼻 長崎鼻で相棒のイーさんが撮影した、撮影 中の私と例の長髪オゴジョさん。 でもイーさんが撮りたかったのは、一体ド チラだったのかな…。(フフフ ニヤニヤ) ▼薩摩半島バスツアーNO.54 長崎鼻を案内中のバスガイドさん二人。 二人共、実に自然で良い表情しているなぁ、 なんて文字通り自画自賛して選んでみた。 勿論言うまでもない事だが、左が新人さん、 右が先輩さんだ。▼薩摩半島バスツアーNO.55 この長崎鼻での写真NO.49として先に紹介 した赤鳥居の先の竜宮神社の社殿だ 浦島太郎伝説に基づき祭神は乙姫様だとか。 そういえば、赤く塗られた自動御神籤箱が 確かあったように思うが、アノ籤を引きと 竜宮城行の切符や玉手箱が当たったかも…。 なお付近の海岸には、海ガメが産卵に上陸 する砂浜もあるとか言ってたし、竜宮城は 意外とココから近いのかも…。▼薩摩半島バスツアーNO.56長崎鼻iの土産 物店前の木蔭に、こんな摩訶不思議な石像 が置かれていた。左の蛙は、枕崎線の山川 駅で昨日見た「無事帰る」を「無事蛙」と 引っ掛けた石像に似ているようだったが、 左の「ナポレオン」を寸詰まりにした様な 将軍帽を被った小人の石像は、当地と如何 なる関わり合いがあるのだろ。ご存知の方 がいたら教えてほしいものだ。 ※以下、明日の日記に続く
2005年09月30日
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******************************************************************************** テスト掲載《ホーム ムービーの 長編組写真化旅記録》 マイ・ビデオ紹介 『格安追求の旅 青春18切符で行く日本縦断《12》』 ※初めて本シリーズを御覧の方は、本シリーズがビデオ画像から摘出した 静止画を並列した筆者の古い旅のアルバム的な旅行記である事を先ず ご承知ください。 また去る2005年9月2日の初回に前書きとして掲出した内容も御理解 いただき、出来れば初回から順に御覧になるよう筆者は希望します。 但し画像は、当然の事として楽天日記の登録制限を大幅超過するものと 見込まれるため、古い日付のものから順次削除して新たな画面を紹介し ていくつもり。 従って説明文のみの虫食い部分が続出する事になるものと思いますが、 宜しくご理解の程を… ********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.20 あと7分て指宿駅と思われる辺りでの車窓風景。 地図から推察すると多分あの岬と山は、田良岬と 魚見岳だと思うのだが、いまひとつ自信がない。 近景・中景・遠景と色のグラデーションも面白く ちょっと絵にしたくなる眺めだなあと切り取った。▼薩摩半島バスツアーNO.21 これも、あと7分で指宿駅と思われる辺りの風景。 但し前のは海側の車窓からのもの。そしてコチラ は、指宿駅へ向かって伸びる一本道を、後部座席 からフロントガラス越しに進行方向を撮ったもの。 時刻表示がなければコノ二枚、とても同じ地点で 撮ったとは思えない雰囲気の違いを感じる。▼薩摩半島バスツアーNO.22 昨夜、砂風呂温泉「砂楽」からタクシーで戻った あの指宿駅。 夜景のムードと一味違う素顔の駅前風景を知る。▼薩摩半島バスツアーNO.23 このツアー最初の訪問先として休憩に立ち寄った 名門「指宿いわさきホテル」の玄関だ。 但し此処は到着時に撮り忘れ、一休み後の出発時 に同じ場所と思い撮影した映像。 …と特に但し書きして説明を加えた訳は、此処の フロント風景が入った時と印象が違い、何か閑散 としていてチェックインカウンターも見当たらな かったと記憶する。 だから多分此処は団体の出口専用玄関で、表玄関 は別にあるものと思う。▼薩摩半島バスツアーNO.24 指宿いわさきホテル最上階、スカイ・レストラン の内部。ピンク色の円柱頭部にある緑色の大きな 花弁状の飾りが珍しかったらしく、右の小枠内に ズームアップされている。 このホテルのシンボル的なものかとも思われるが、 多分あの花弁は単なる飾りではなく、日が暮れる と中に灯りが点り、天井に反射させる間接照明の 役割も果たしているのでは…?▼薩摩半島バスツアーNO.25 指宿いわさきホテル最上階、スカイ・レストラン からの田良岬と魚見岳眺望。 右小枠内は、そのズームアップ画面。 ▼薩摩半島バスツアーNO.26 指宿いわさきホテル最上階、スカイ・レストラン からの指宿海岸と錦江湾の眺め。 地図を見ると此処は指宿海岸で最も鹿児島(錦江) 湾口に近い所。こうして海岸沿いの温泉街を撮影 するには最適な場所だったと思います。▼薩摩半島バスツアーNO.27 展望レストランの窓際での我が相棒イーさんだ。 ウエートレスに頼んで撮ってもらった二人揃って の場面も静止画にと思ったが、これ以上に影絵的 になってしまっているので止めにした。 ファインダーが外部液晶ディスプレー式となった 今と違い当時のビデオカメラは未だ覗きメガネ式 だった為、こうした展望レストランでの窓際撮影 は、逆光の判断を見誤りがちだったなぁと改めて 思う。▼薩摩半島バスツアーNO.28 スカイ・レストランで一休みの後、バスの出発迄 この大きなホテルの中を暫時見学する。△これは窓越しに眺めた中庭の和風庭園の表情だ。△薩摩半島バスツアーNO.29 そして又この画面は、その中庭の池泉の一部を ズームアップしたもの。△薩摩半島バスツアーNO.30 なぜかガランとした感じもした同ホテル内で、 翌日の旅程に組み込まれていた屋久島の巨大な 屋久杉の切株が展示されていた。△薩摩半島バスツアーNO.31 これは、その屋久杉の切株の説明書きだ。△薩摩半島バスツアーNO.32 更に又、その屋久杉の切株の説明書きを読む この旅の相棒・イーさんの表情も記録。△薩摩半島バスツアーNO.33 この展示ホールから更に進むと、何か下の方 から轟々と激しい水の音がしてきた。すると、 その先は3~4層ブチ抜きにした高さを持つ 薄暗い大ホールがあり、緩く長い立派な階段 が周囲の回廊の一角から窓際に沿い音の響く 方に向け伸びていた。△薩摩半島バスツアーNO.34 そのホールの階段を少し下ると向こうの角の 回廊下が人工の断崖となっていて、その角の 高みから数条の滝が下に向かい勢い良く落ち ているのが見えた。△薩摩半島バスツアーNO.35 これはその人工の滝を受ける滝壺だ。相当な 水量で人工にしては中々迫力もあって、良く 出来ているとは思う。 だが、青春18切符での旅を無常の喜びと感じ る私とあって、巨額の工事費を掛け、これ程 の空間を占める経済効果の有無といった事を、 つい考えてしまった。△薩摩半島バスツアーNO.36 ここが「指宿いわさきホテル」のフロントだ。 …と言っても、既にNO.23の画面で説明した ように、ここは出口専用の玄関だろうと思わ れた場所の内側の広間。つまりフロントだ。 私達が訪れた時が丁度チェックアウトタイム だった為か、殆ど他に人気がなく意外な感じ がした。 でも、もしかしたら団体専用の玄関としても 使われているのかも…。△薩摩半島バスツアーNO.37 フロントから外に出ると既にバスは車寄せで 出発を待っていた。 この画面を見ながら思い出したのだが、指宿 の駅前と此処いわさきホテルからの参加者も 相当数いたようだった。 それで西鹿児島駅の出発画面でツアー参加者 を13人と書いたのは、この後の立ち寄り先で 撮った記念写真を数えての人数だった。そう 考えて記憶を辿ると始発の西鹿児島から一緒 だったのは約半数の6~7人だったと思う。 ともあれ、此処から後の観光は参加者全員が 顔を揃え、10時50分に本格的な薩摩半島南部 周遊の途に就く。********************************************************************************▼薩摩半島バスツアーNO.38※以下、只今執筆中
2005年09月29日
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