忘れじの初Mt.Cook&Naska飛行(その2)

★忘れじの初Mt.Cook&Naska飛行
(その2〔全3回〕)

☆小型機観光の勧めと、話しておきたい
「ナスカ1dayセスナツアー」の実例(上)」
※(2004年1月29日の楽天日記掲出分)


§7.以来、病み付きとなった空からの絶景探訪

以上が、私の初NZ訪問時に於けるマウントクックでの回想である。
 そして、そのハイライト中のハイライトは何と言おうと、実飛行時間だと半時間にも満たない
程の初セスナ体験であった。
 この実にドラマチックな奇跡的ともいえる天候回復が幸いして、その素晴らしさが忘れ
られず、以後、行く先々で小型機での観光があると、無理しても参加した
くなった。

 その後の体験としては、

2度目、南米旅行(1988.10.8~21)の際のナスカ地上絵セスナ1dayツアー
 3度目、 〃  (1988.10.8~21)の際のイグアスの滝ヘリコプター観光    
 4度目、米西部旅行()1991.4.20~27)の際のコロラド渓谷ヘリコプター観光
 5度目、ハワイ旅行(1995.6.3~15)の際のレインボー航空7島巡りセスナ1dayツアー    
 6度目、カナダ旅行(1995年秋)ローレンシャン高原での水上飛行機による紅葉&湖水観光
と言ったところ。

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南米ツアーと地上絵ツアーのバッジと参加証ナスカ地上絵1dayツアー往路の双発機
写真左…南米ツアーと地上絵ツアーのバッジと参加証
写真右…ナスカ地上絵1dayツアー往路の双発機

ナスカ観光の帰途、大砂丘に見た燭台地上絵
この組み写真は「ナスカ観光の帰途、大砂丘に見た燭台(?)地上絵」


イグアスの滝俯瞰4景「悪魔のノド笛」他
イグアスの滝俯瞰・組写真4景…濁りない 青い水 にご注目を !!
左下「ヘリの出発地点付近」。 左上「出発したヘリ」。                 
右上「次第に視界が開け壮大な滝が眼下に」。
右下「悪魔のノド笛の真上でホバリング。吸い込まれるような迫力」。



※《旅記録マイビデオから静止画像化した関連写真を後日掲出予定》
4度目の米西部旅行 (1991年春) コロラド渓谷 ヘリコプター観光


FUJIツヅラ折式アルバム&インカ皇帝像
この写真は5度目のハワイ初旅行(1995年初夏)レインボー航空g 7島巡り セスナ1dayツアー
旅の記録ビデオの編集に先立ち、絵コンテ代わりに試作したハワイ初旅行のプリンパアル
バムの紹介。
上はそのミニぶりを実感してもらおうと撮影した豆写真集。左が、アルバムケース。
1箱6冊入りの茶色いプラケースの1冊を、このハワイ初旅行の静止写真集とした。

VTR記録・初ハワイ旅・静止画集・表紙「初ハワイ旅行」 プリンパアルバム表紙裏
この2枚は、その豆写真集の表紙(左)と、扉に貼られた説明(右)。
VTR記録・初ハワイ旅・静止画集その1
「初ハワイ旅行」その2 プリンパアルバム
「初ハワイ旅行」その3 プリンパアルバム
「初ハワイ旅行」その4 プリンパアルバム
「初ハワイ旅行」その5 プリンパアルバム
上の豆写真集は、タイトルから始まる1~5頁迄の各16画面、計5枚。
各段4画面×4段を上段から順に左から右へと行動順に並列ストーリー化。
※1枚16場面の静止画が全部で49枚ある。即ち、合計784場面で構成される作品。
勿論、これは家族やツアーメイト用で、コレを元にしたダイジェスト版も後で編集しなおした。
何れにせよ、デジタル化した今と違い、タイトルや字幕を入れるにも大変な時間を要した。
それに何より、こんな苦労をして漸く仕上げた作品も、編集を重ねる度に画質が劣化する。
パソコンを使いノンリニヤ編集が可能となった昨今の作品とは大違い。
労が多かった割には、アラが目立つ内容である。
尤もソレゆえに、苦労させられた子供のように一入愛着を感じる作品だ。
尤も、これは50kb以下という楽天の画像制限でヨリ劣化した形でのご紹介。
まあ気が向いたら、各画面を拡大鏡で覗いて見直されるのも御愛嬌(?)…。
なんて気持で試験的に掲出しておく。
尚、レインボー航空のセスナツアーのハイライト部分だけでも、文末か、写真だけの別頁を
設けるかして更に何枚かを掲出できたらと思う。
また《新作頁の掲出お知らせ》を日記の文頭に掲げるつもり。
そんな古稀爺のイタズラでも付きあってやろうという、真に奇特な酔人先生が居られたら、
また見てくれるよう期待してま~す !!



秋のローレンシャン高原水上飛行機観光 37
秋のローレンシャン高原水上飛行機観光 03秋のローレンシャン高原水上飛行機観光14
秋のローレンシャン高原水上飛行機観光 05
秋のローレンシャン高原水上飛行機観光 32
6度目のカナダ旅行(1995年秋)
ローレンシャン高原での水上飛行機による
”> 紅葉 & 湖水 観光
同じ下駄履き機でも、スキーを履いた雪上用とフロートを履いた水上用では又別の醍醐味だ。
一面に紅葉の絨毯を敷き詰めたような下界に大小数百もの青い湖沼が散らばる様は真に圧巻。
その格別な楽しさは、阿波踊りを踊りながら降機してきたツアーメイトの表情からも一目瞭然。


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何れも独特な工夫がされていて旅の印象を際立たせてくれるものだったが、このうちナスカツアーでは、リマから現地までは、十数人乗りの双発セスナで、現地で単発のセスナに乗り換えての地上絵観光となった。

 なお、こうした特殊な景観を楽しむ場合、ツアー参加の旅では時間の関係や手続き上の手軽さもあって、旅行社が勧めるオプショナル・ツアー(以下、OPツアーと表記)に頼りがちなもの。
 でも時間さえあれば下調べして出かけ、現地到着後に空港やホテルのインフォーメーションを利用し地元旅行社の同種ツアーに参加できれば、意外な程の好結果に恵まれる事も多いものと知った。

 でソノ好例として、脱線承知で前記「ナスカツアー」の要点をも以下紹介しておこう。」



§8.コンナ例もあるOPツアー。思い切って現地ツアー挑戦も…!?

日本を発つ前から、各地でのOPツアーは出発前のみ。現地到着後は受け付けない決まりと念押しされ、旅行社から再三参加予約を誘われたものであった。
 しかし、『地球の歩き方』によれば、南米の場合など特に、現地旅行社価格との差が大き過ぎた。

 この「南米ナスカ地上絵セスナ1dayツアー」にしても、現地では高くても円換算だと2万円を切るように書かれてあったのに、日本の旅行社は何処も一律4万5千円と、何か裏で談合が行われている感じだった。

 それで、そうした納得の行かないOPツアーなんて大嫌いなコチトラだ。
 まあダメだった時はリマで天野考古学博物館でも見て適当に過ごすつもりだからと心に決め,何度もの誘いの電話も断り続けて予約せぬまま日本を出発。
 ロス経由でブエノスアイレス・イグアス・サンパウロ・リオデジャネイロと観光して、数日後の昼前後に再びブエノスアイレスへ戻った。
 夕刻の便でリマへ向かうことになった時、「世界中を放浪し尽くし食い詰めた所を、偶々知り合った今の会社の社長に拾ってもらった…」と、得意気半分とも取れる口調で自己紹介していた二十歳代後半程の小生意気な男性添乗員から、こう何回目かの誘いを受けた。

「若水さん、これから出発するとリマに着くのは真夜中の零時です。アチラへ着いても多分インフォーメーションは時間外で、現地ツアーの情報は得られませんよ。本当はルール違反ですが、内緒で受け付けますので皆さんと一緒にナスカへ行きませんか?」
との事。



§9.幸運に恵まれ、案外スラスラ運んだ現地ツアー申し込み

しかし、それも断ってリマに到着した所、何と真夜中でもインフォーメーション席にチャンと優しそうな中年の女性が座っているではないか。
 それで、早速『地球の歩き方』を取り出し、
「この明朝のナスカ地上絵セスナ1dayツアーに予約したいのだが、今からでも間に合うだろうか」
と尋ねてみた。
 尤も、尋ねるとは言っても戦中派で英語もロクに話せぬコチトラだ。ましてスペイン語なんて話せる訳もなかったのだが、そこは毛の生えた心臓を持ち合わせた者の強み。
 いつも海外旅行に持参する、未だ珍しい頃だったカシオの音声翻訳機を取り出し、これにタンゴ好きから多少頭に染み込んでいたスペイン語の単語や、ボデーランゲージを補っての会話。
 何とも行き当たりばったりで冷や冷やものではあったが、窮すれば通じるもの。
 何と直ぐ彼女は私の意志を理解してくれ旅行社に電話した上で笑顔で「OK !!」と答えてくれた。
 その上で伝えられた現地ツアーの代金は、何と空港への送迎料金を含め二万円弱。結果的にも同じ内容だったナスカツアー代金として仲間の参加者達が日本の旅行社に支払った額の、やはり半額以下であった。

 こうしてリマ中心街にある宿舎「ホテル・クリヨン」に落ち着いた私は、彼女に指示されたように、渡されたメモに書かれた旅行社に電話を架けた。しかし、架け方が間違っているらしく何度架けなおしても繋がらない。
 困惑して、フト近くを見ると先程私達の現地ガイドと紹介されたばかりの中年女性が居た。…で、何はともあれと助けを求めたところ、立場の微妙さを意識し例の添乗員に相談していたが、断る訳にも行かないと結論が出たらしく、私に代わり電話で宿舎名と部屋番号を伝え、ツアー代金の支払方法と、明朝空港へ送り届けてもらう待ち合わせ時間を決める相談の通訳も果してくれた。
 本当にヤレヤレだったが、思えばあの旅は定年後間もない解放感も強く、旅行社の商業主義何するものぞと終始自己流を貫き通した割には幸運に恵まれていた。この時の彼女の存在にしても実にタイミング良く、何か救いの女神が現れたようで、思わず三拝九拝したくなったものである。



§10.日本の旅行社のOPツアーは高すぎないか?

ともあれ、コンナ風にして順調に滑り出した私一人の「南米ナスカ地上絵セスナ1dayツアー」は、今になって考えても、思わずホクソ笑みたくなるほどに上首尾だった。

 心配した宿舎・空港間の送迎にしても、約束の朝6時にロビーに行って見ると、既に旅行社の支配人という名刺をもらった恰幅の良い女性が迎えに来ていて、外に待たせた運転手付きのベンツに直ぐ乗せられると、沿道の名所を説明してくれながら空港に向かった。
 コレに対し仲間の参加者達は、南米でも特に度を越したオンボロ車が多い事で知られるリマのマイクロバスに乗せられ、早々と宿舎を出かけていった。

 実はソノ空港着までの車中で、私は同乗の支配人マリアさんにコンナ頼み事をしてみた。
「実は先年、ニュージーランドのマウントクックで氷河へのセスナツアーに参加したんだが、往復で席を替わっての印象として、小型機での観光では席によってコウも印象が違うかと感じた。…それゆえ、出来ればパイロット・サイド・シートに座らせて貰えると有り難いのだが」と…。
 これにはサスガにマリアさん困った顔をされた。
 でも「難しいとは思うが努力してみましょう」と答えてくれたものの、まさかコンナ厚かましい頼みを本気で実現しようとしてくれるとは思っても見ず、直ぐ忘れてしまっていた。

 空港に着くと待合室で先着していた旅仲間たちと一緒になり、お互い朝の挨拶を交わしながら、早くも地上絵への期待に胸を膨らませていた。
 そこへマリアさんが現れ、私を連れて未だ改札前のゲートを素通りさせて滑走路の一隅に駐機していた双発のセスナに乗せ、私を操縦士に紹介すると、彼が「ドウゾドウゾ」というような身振りで隣の席を指さしてくれた。  
 それで一旦そのパイロットの隣席へ座らせてもらっていた私だったが、そこへ先程の旅仲間達が入ってきて、私が既にソコに座っているので難癖を付け始めた。
 でもパイロットがソレを制し、彼に迷惑を掛けてもと席を立とうとした私に、「シッダウン・シッダウン」と言って着席しなおすよう指示された。
 機中の事は、機長の権限とも思ったが、未だ旅は半ば過ぎ…。それに高い金を支払わされている彼等の気持も判る。ここは一つ譲ってやろう。
 ソウ考えた私は尚も拘るパイロットを制し、
「ご好意は嬉しいが、彼らは私と同じツアー仲間。私は貴方の後ろの席で我慢するから、ナスカに着いた後の単発セスナ観光だけは、必ずパイロット・サイド・シートにして貰いたい」と意思表示し席を移った。

 尤も、後刻になり判ったのだが、その操縦席の直ぐ後ろの席は、私にとって更に好都合の席であった。…と言うのは、双発セスナの場合は、操縦席まで真ん中が通路になっていて、難聴気味な私には操縦士との意思疎通も思うにまかせなかった筈。だが、ナスカに近付くと彼は地上絵の解説図を取り出し、ページを捲りながらアレがモンキー、コレがエイリアンと言った具合で、背もたれ越しに色々気を使ってサービスしてくれた。そんな心遣いも後席だったからこそ受け止め得たものと思った。

 また現地到着後、ナスカ空港のオフィスに行きセスナの前席希望の話をすると、先程の機長が無線で連絡してくれてあった様子。
「話は了解しています。唯この連中が煩いので、先に彼等の観光飛行を済ませてしまおうと思います。
 それまで当アエロ・コンドル社の直営レストランで、決められたランチ以外でも構いませんし何なりとお召し上がりを…。昼食がお済みの頃には出かけられる筈です」。
 そう言われたので、彼の目配せする別の窓口を見ると、リマ出発前に息巻いていた仲間の一人が、先程の機中での座席問題を又クレームつけているらしかった。
 勿論、こんな事で旅仲間と競い合うつもりなどない私は大賛成。早速そのレストランに連れて行ってもらった。

 ソコは空港の目の前であった。周辺一体が不毛に近い荒野といった同地ながら、このレストランの庭だけは美しい草花に満ちていて、そう広くはないが一寸したプールもあって、水着姿の男女が歓声を上げていた。
 そんなオアシスのようなムードを楽しみながら、ユックリと土地自慢の料理をタップリ味わわせてもらい、搭乗の指示が来るのを待った。

 やがて地上絵を見終わった例の旅仲間達が、すっかり満足気な顔をして、ツアー代金に組み込まれた定食ランチを食べにガヤガヤ入ってきた。
 入れ代わりに私が呼ばれて空港に戻ると、後から到着していた私より少し若そうな日本人女性3人連れが、後席に乗り私を待っていてくれて直ぐに出発する。

 世界七不思議の一つとして余りにも有名なナスカの地上絵の事は、私が今更駄文を連ねるのは野暮。また今回の日記の主題からも脱線しすぎるし字数制限の事もあって、又の機会に譲ろう。
 唯、思いがけず機中で仲良しになった同乗の3人のご婦人方から別れ際に、
「本当に丁度良い方と同乗させて貰って助かりました。
 だって、四万五千円もする高いOPツアーだというのに、添乗員さんたら、現地添乗員にリマの空港まで送り迎えさせてくれるだけなんて、ひどいわぁ…。
 私達はスペイン語も英語もチンプンカンプンだし、これでは折角のナスカの地上絵も唯見るだけねって話してたんですよ。
 そしたら若水さんが、操縦士さんの渡す図面と説明を聞き
後ろの私達にも判るよう日本語で説明してくれたでしょう。お声も大きいし飛行機の中でも聞き良くって助かったわぁ…」。
そう言ってくれたものだ。

 まあ、お世辞半分の社交辞令だとは思ったが、余りに高い割りに利用者の不安も知らぬ気な日本の旅行業者のサービぶりに、何かと腹立たしい思いをさせられている私だ。
 この方々は、日本の大手旅行業者であるK社のツアー客だと確か聞いた。従って私が利用したB社のみならず、殆どが同一歩調をとり談合の疑いが濃厚である事を示す一例と言えよう。
 些か飛躍しすぎる話題かとも思ったが、楽天日記と言う気安さから敢えて紹介しておく事とした。

 なお蛇足ながら、コノ飛行後に現地ホテルで未だ健在だった「ナスカの地上絵」の研究家として世界的に著名なマリア・レイチェさんの講演会を同所で聴け、直接その謦咳に接しながら購入した著書に署名を戴けた事も、わが生涯の記憶に残る良き思い出であったと書き残しておこう。
(続く)


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