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ジェイク・シマブクロの登場を見ようと思い、結局、全部見てしまった第57回NHK紅白歌合戦、大ハプニングが起きてしまいました!!白組、DJ OZMAのパーフォーマンス。大勢のバックダンサーたちが、リオのカーニバルのような衣装を着て踊っていたのだが、歌えや踊れやの大騒ぎの終盤、あれっと思ったら女性のダンサーたちがおっぱいぽろりと出しちゃいました。え、え、ええ~~、NHKでこんなことやっていいの?と思ってよく見ていたら、フィギュアスケートで着るような薄い肌色のボディースーツに、本物のおっぱいと同じ位置に乳首が書いてあるようなのです。なんだ、こりゃ、と思っていると、最後にはパンツ(ビキニの下のような)を脱いで、バタフライというんですか(最近、聞かないな今言葉)、ようするにアソコをぺこっと隠しただけの姿になってしまいました。男性も脱いでましたから、何名がそんな格好をしていたか、わけわかりませんでした。で、これはNHKがよくこの演出・企画を許したなぁ、と思い、もし、事前にNHKがOKを出していたのなら、「あっぱれ!」と思いました。しかし、赤組司会の仲間由紀恵が、唖然としていてフォローする言葉が出てきませんでした。少なくとも、彼女は事前には知らなかったと思います。また、すこしたってから曲の合間にNHKの男性アナウンサーは、「ボディースーツのようなものを着ていたので、決して裸ではありませんでした」と弁解の言葉をはなしました。じゃあ、ひょっとしてDJ OZMAが、「やっちゃえ、やっちゃえ、どうせ俺たち今年しか出られないし、だったら、やったもん勝ちだぜぇ~~!」と考えて、リハーサルではみせなかった演出をしたんではないだろうか、と思いました。だったらDJ OZMA、快挙!!だと思いました。NHK紅白は、いつもアーティスト側の意向を軽視した強引な演出をやるので、いわゆる大物は敬遠して出てこないのですが(例えば、ユーミン、例えばサザン、彼らは自分たちが特別待遇のように意味ある演出がされる場合以外、出てきません)そんなNHKに一発かましてやった、という感じです。お笑い芸人も、あたえられた時間を目いっぱい使って、どうやってアドリブするか苦心しているようで、昨日も、ナイナイの岡本隆史が、打ち合わせにないことをちょっとやりましただ、まあたいしたことではありませんでした。で、今朝、NHK紅白のサイトを見たら、出てました、出てました。http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/『DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを 着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは 放送まで知りませんでした。 衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした。 今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます。視聴者の皆さまに不快な思いをおかけして誠に申し訳ないと考えております。』NHKは一切知らなかった、ということですね。やったじゃないか、DJ OZMA!!快挙!快挙!もしかしてこの瞬間が最高視聴率だったら面白いのになぁ、と思います。パスタさんは、どうしてそんな下品なパーフォーマンスを支持するの、と言われるかもしれませんが、理由は下記のとおり(1)民放、または世の中の常識的には、それほどたいした露出ではない(だて裸とは違うことがわかるのですから)(2)表現の自由のほうがNHKの都合より重要(3)NHK紅白は、時間と表現、演出に制約が非常に多く、力の弱い出演者がいつもへんてこな演出を押し付けられている。例えば、早い時間帯に出ていた男性演歌手の鳥羽一郎が「兄弟船」を歌う後ろにウルトラマンが出てきたりするのです。これって、歌手のファンにも、ウルトラマンのファンにも失礼じゃないですか?どちらにとっても違和感のある演出、というか意味不明です。そんな演出がここかしこでみられました。で、問題のDJ OZMAの事前のコメントを調べてみると、ありましたありました。『「小林幸子さんの後で歌うと知ったのは今朝。これはまずいことになったと思った。」とOZMAさん。開き直ったのか「衣装じゃかなわないからステージでTake offしちゃうよ。NHKの人は俺を選んで後悔するよ。」と爆弾発言?。きらきら衣装で始まりだんだん、、、、していくとか。DJ OZMAのステージから目が離せない!? 』ちゃんと、書いてあるじゃないですか、そのままのことが事前に!!確信犯、確信犯、そりゃあ、誰だって、小林幸子の大衣装パノラマ・ショーみたいの後に出演順が決まったら、一発かましてやるしかないですよね。いいじゃないですか、年に一度のお祭り騒ぎ、このくらいのハプニングがあっても、とパスタは思うのですが、不快に感じるひともいるんでしょうね、きっと。さて、本命のジェイクの登場ですが、夏川みりと一緒に彼が出てくる流れは、上記のハプニングとは違ってよく考えられた流れだったと思います。まず、Orange Rangeが沖縄のライヴ・ハウスからの中継で歌いました。彼らがインディーズ時代に出演していたライブ・ハウスでした。ギターの音など、いわゆるライブ・ハウスの箱らしい音響で、ロックしてました。次に、渡辺謙がゲストで登場(審査員でもありますが)、白組司会の仲居くんが、「『硫黄島からの手紙』に出演してみてどう感じられましたか?」、と質問すると渡辺謙が、「平和の意味を、このように年末に素晴らしいイベントができるという平和の大切さを普段から考えていかなきゃならないと思いました」とこたえました。次に、沖縄出身の赤組司会 仲間由紀恵が、「次は夏川りみさんです」と紹介して「花~すべての人の心に花を~」の歌詞を少し読み始めました。この曲は、「すべての兵器を楽器にかえて!」と平和を訴え続ける、沖縄の喜納昌吉の歌で、いまやアジアの多くの国で親しまれている曲です。その平和のメッセージが織り込まれた歌を夏川りみが張りと艶がある素晴らしい声で歌う横で、ジェイクがウクレレを弾いていました。ジェイクもやっぱり沖縄出身の日系4世(だったかな)です。津軽三味線の上妻 宏光(あがつま ひろみつ)は、藤あや子だったかな、女性演歌歌手のバックで三味線を弾いていましたが、彼を紹介する字幕は出ませんんでした。しかし、ジェイクは夏川みりのよこに椅子に座って、思い入れたっぷりにウクレレを演奏していました。しかも、画面には字幕で縦に ジ ^ ェ ウ イ ク ク レ ・ レ シ マ ブ ク ロと、出ています。扱いが上妻 宏光より大きいじゃないですか。よかったね。ジェイクの演奏ですが、残念ながら私のところは普通のテレビなので、あんまりはっきり聴こえませんでしたが、仲間由紀恵の朗読の時から、「ぴよ~~ん」というジェイク独特の音色(映画『フラガールズ』のなかの旋律に似た綺麗な音色)が聞こえてきました。夏川りみが歌うよこで、身体を大きく動かしながら弾いているフレーズも、番組の視聴者に対する音響バランスでは、綺麗なメロディのところがあまり聞こえず、アタックを強く弾いているフレーズ、フレーズの最初の部分だけが、よく聞こえました。もう少し、ウクレレの音量のバランスを大きくしてくれればよかったのに、と思いましたが、5.1chなどのいいテレビで見ていた人にはよく聴こえていたのかもしれません。その後、白組からキムタクが出てきて、ジョン・レノンの「Imagine」の歌詞の意味を日本語で朗読しました。そして「Imagine」を歌ったのは、布施明です。英語でちゃんと歌いました。最後には、外国人が大勢の合唱団が出てきて、布施明も、おそらく得意の高いキーに変調して、歌い上げました。そういうことだったのか、布施明が「イマジン」を歌うって書いてあったけど、まさかジョン・レノンの「Imagine」じゃないよね。ちょっと唐突だよね、と思っていたのですが、Orange Range~仲間由紀恵~夏川りみ~ジェイク~喜納昌吉は沖縄つながりです。そして沖縄は第2次世界大戦で大変な犠牲者がでたところです。渡辺謙の「硫黄島からの手紙」~喜納昌吉の「花~すべての人の心に花を~」~ジョン・レノンの「Imagine」は、戦争の意味を考え、世界に恒久的な平和がおとづれるのを願う歌です。最初は、へんてこな順番だなと思っていましたが、このパートの流れだけは、そのメッセージが明確に伝わってきました。とてもよかったと思います。さて、あと面白かったのは審査員の女子プロゴルフの横峯 さくらにむかってステージから呼びかけた細川たかしが、歌詞を間違えてしまいました。さてなぜそうなったのでしょうか。下記のうちからふさわしいと思われる番号を選びなさい。(1)横峯 さくらの美しさに、思わずうっとりとしてしまったから(2)横峯 さくらの斜め後ろの席に、さくらパパがいたから(3)応援ゲストのベッキーの前髪が黒柳徹子していたから(4)上記のいずれでもないさて、何番でしょうか。正解は。。。。ご想像におまかせします☆その2に続く
2006年12月31日
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今夏フェスの「UDO MUSIC FESTIVAL 2006」では、サンタナが演奏中に、ジェフ・ベックが飛入りしたそうだ。ぼくだったら、その競演だけでも観てみたかった。すごかっただろうなぁ。しかし、サンタナの二大ヒット曲「ブラック・マジック・ウーマン」と「哀愁のヨーロッパ」は演奏しなかったそうだ。まあ、グラミー賞8部門を独占したりと、昔のヒット曲にたよらなくても、いい曲がいっぱいあるのだろう。それとも、夏フェスにあわせた選曲だったのかもしれない。この「「ブラック・マジック・ウーマン」」が収録されている「天の守護神(Abraxas)」というアルバムと、「哀愁のヨーロッパ」が収録されている「アミーゴ」というアルバムは、ちょっと別格扱いの「ロータスの伝説」とならんで、サンタナのアートロックぽい、アルバム・ジャケットの中でも秀逸のものだ。「天の守護神(Abraxas)」アルバム・ジャケットのデザインは、マイルス・ディビスの「ビッチェス・ブルー」のジャケットをデザインしたMati Klarweinというひとの作品だそうです。このアルバム・ジャケットを見ているだけでも、いろいろと想像を掻き立てます。最近、紙ジャケットで、サンタナのCDが再発されているので、つい買ってしまいましたが、デザインや手触りを楽しむならやっぱり、紙ジャケにかぎりますね。サンタナ/天の守護神(紙ジャケット仕様)収録曲は、1. Singing Winds, Crying Beasts (風は歌い、野獣は叫ぶ)2. Black Magic Woman/Gypsy Queen (ブラック・マジック・ウーマン / ジプシー・クイーン)3. Oye Como Va (僕のリズムを聞いとくれ)4. Incident at Neshabur (ネシャブールの出来事)5. Se a Cabo (全ては終りぬ)6. Mother's Daughter (マザーズ・ドーター)7. Samba Pa Ti (君に捧げるサンバ)8. Hope You're Feeling Better (ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター)9. Nicoya (エル・ニコヤ )以下は、ボーナス・トラックで1970年4月18日のロイヤル・アルバート・ホールでのライブです。10. Se a Cabo [Live] (全ては終りぬ )11. Toussaint l'Overture [Live] (祭典)12. Black Magic Woman/Gypsy Queen [Live] (ブラック・マジック・ウーマン / ジプシー・クイーン (ライヴ)1曲目の「Singing Winds, Crying Beasts」 (風は歌い、野獣は叫ぶ)は、ピアノの音から、ウィンド・チャイム、ドラ(?)などのパーカッションに、サンタナの動物の咆哮(ほうこう)のようなギター。神秘的な曲ではじまるこのアルバム、かなりの名曲そろいです。いやがおうにも期待感が高まり、2曲目には、大ヒット曲の.「Black Magic Woman」がはじまります。キーボードの音にパーカッション、そしてギターの有名なフレーズが入ってきます。サンタナの代名詞的この曲ですが、意外にもこの曲はフリート・ウッドマックのオリジナルなんですね。「Black Magic Woman」と完全に一体化したように、曲は自然に「Gypsy Queen」に続いて行きます。曲のスピードもアップし、ベース、パーカッションの激しいリズムにのせてギターの激しくも官能的なソロが続きます。サンタナは、サン・フランシスコ、ベイ・エリアを中心に、サンタナ・ブルース・バンドとして活躍、名前をサンタナに変えて、まだ1枚のアルバムも出さないまま、1969年のウッドストックで熱狂的な感動で受け入れられ、事実上のデビューをはたしました。だから、1枚目のアルバム「サンタナ」も2枚目のこのアルバム「天の守護神」も、ファンが待ちに待って登場したということで、アメリカでは新人バンドとしては異例の大ヒットだったようです。3曲目も、「Gypsy Queen」からの展開が続いて、キーボードとパーカションが作り出すリズムに乗せて、♪Oye comova, mi ritmo, bueno pa’gozar mulata♪と歌詞が続きます。この曲も、サンタナのオリジナル曲ではなく、NYのラテン・サルサ・シーンをひっぱていたティト・プエントの曲。しかし、後半のカルロス・サンタナのギター・ソロとパーカッションの掛け合いを聴いていると、どう考えてもサンタナのオリジナル曲のように感じてしまいます。5曲目の「Se a Cabo 」 (全ては終りぬ)や、8曲目の「Hope You're Feeling Better 」 (ホープ・ユー・アー・フィーリング・ベター)などを聴いていると、1970年当時のロック、ブルース・ロック的なアプローチが残っていて、面白いです。サンタナの出発点が、ブルースとラテンの要素をロックに持ち込んだということを思い起してくれます。しかし、この2曲、そのブルース・ロック的要素で、ブラインド・テストをしたら、サンタナの曲として認識されるかどうか。本人達は、自分達の音楽を「ラテン・ロック」というラベルを貼られるのを嫌がっていたようですが、21世紀になった今も、何の古さも感じさせないのは、その「ラテン・ロック」とよばれた曲たちです。2.曲目の「Black Magic Woman/Gypsy Queen 」(ブラック・マジック・ウーマン / ジプシー・クイーン)から3曲目の「Oye Como Va」 (僕のリズムを聞いとくれ)の流れに並んで、このアルバムの聴きどころは、やっぱり7曲目の「Samba Pa Ti」 (君に捧げるサンバ)でしょう。サンタナからはじまる、ミディアム・スロー・テンポのこの曲。は、カルロス・サンタナのオリジナル曲。サンタナの甘く官能的なギター・サウンドとメロディ。それにからむオルガン・サウンド。リズムが、ちょっと変わって、ギター・・ソロがとうとうとメロディを弾く。サンタナが、まだスリチンモイ(インドのグル)に出会う前の、官能的側面がよくあらわれた曲だと思います。オリジナルアルバムでは、9曲で終わりなのですが、限定発売の紙ジャケット仕様では、3曲ほどライブ録音が収録されています。9曲目の「Nicoya」(エル・ニコヤ )de,コンガ、ティンパレス、掛け声だけのエンディングです。最近、セネガルのユッスー・ンドゥールのライブや、もとウェザーリポートのリーダー、ジョー・ザヴィヌルのザヴィヌル・シンジケートの、両者とも、パーカッションによるリズムのうねりを強烈にたたき出すサウンドを聴いていたので、ふと、元祖パーカッション重視バンドとしてのサンタナが聴きたかったところなので、うってつけの機会でした。サンタナが、もともとライブでファンを獲得していったように、ライブならではの魅力があるので、紙ジャケット盤のボーナス・トラック3曲は、そのパーカッションのノリとサンタナのギターをあますところなく味わえてお買い得です。特に、「Black Magic Woman/Gypsy Queen」などの名曲は、ライブごとに演奏が違いますので、いろんなライブ・バージョンを聴き比べるのも楽しいと思います。ロック・ファンを自称するなら絶対に持っていて欲しい1枚です。追記アルバム「アミーゴ」と「ロータスの伝説」は、後日、また書きます。関連日記サンタナ、ショーター、ハンコック夢の共演!その1サンタナ、ショーター、ハンコック夢の共演!その2
2006年08月27日
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ラストクリスマス、今回はエンディングの音楽の流れ方が違っていましたね。なんか、虫の知らせか?まず、脇役たちのお話。先週の予告にあった、新谷伍郎 (伊原剛志)と、 高瀬彩香 (MEGUMI)の結婚披露パーティ、葉山達平(森山未來)くんはつらい。役員の新谷さんに、結婚披露パーティの企画と司会を仕切れと命ぜられる。新谷は、父親に認めてもらえない、彩香(MEGUMI)との結婚を既成事実化するために、急に結婚披露パーティを思いついた。そして、綺麗なウェディング・ドレスを着た高瀬彩香(MEGUMI)がバージンロードを歩いて、新谷と指輪の交換をしようとした時、会場は、ムードたっぷりの暗さから、一挙にぱっと明るくなった。新谷の父親達がやってきて、結婚披露パーティをご破算にしてしまった。彩香(MEGUMI)「ざまあみろ、と思ってるんでしょ。バカにしないでよ!」葉山達平(森山未來)くん「そんなんことないよ。。」うん、これで、このふたりは最後にくっつきそうで、一安心。日垣直哉(玉木宏)と藤沢律子(片瀬那奈)は、一見うまくいっているようだ。日垣も春木(織田祐二)といっしょに出張したりして、今は結構反抗的ではなく、一生懸命仕事しているみたいだ。ところが、一方、NYにいって、アートの世界を見てきた藤沢律子(片瀬那奈)は、「自分と同じくらい絵が書ける人がいっぱいいるの。だからもう一度、位置から勉強しようと思って。NYに行く決心をしたの」ありゃりゃ、せっかくくっついたと思ったのに、このふたり、やっぱりダメか?あんまり重要じゃないけど、このふたりのキャラは、このドラマの中で、一番弱いというか、ありえない気がする。デザイナーって、あんなに、うじうじしているかなぁ。肝心の健次 (織田祐二)と由季 (矢田亜希子)会社のウィンター部門撤退かという大変なときに、「僕たちのやることは、かわりません。一生懸命誠心誠意、新商品を売り込むことです」といって、自分から出張に出かけ、契約もいくつか取ってきた健次。ところが、出張先から、また東京に戻ってから由季(矢田亜希子)のケータイに何度も電話するが、連絡が付かない。これは、何かあったとおもった健次は、澤口先生(児玉清)に事情を聞きに行く。一週間後に検査するといっていた由季は、なんども立ちくらみがして、予定より早く、検査を受け、結果は深刻な状態だった!もっとも恐れていたこと、それは病気の再発だった!!でも、まだ何の病気かわからない。5年生存率、再発などといっているので、がんなのかもしれない。ショックを受けて、ひとりで歩き回る由季。必死で由季を探し回る健次。そこに、やっと、由季からケータイに電話が入った。♪真っ赤なお鼻の、トナカイさんは、サンタの。。。春木さん(いや、健次と言ったかもしれない)、私、届かなかったよ。クリスマスにとどかなかった。 ♪♪由季、そこを動くなよ♪青くライトアップされたクリスマス・ツリーの位置関係などから、健次は由季を見つける。(多分、あの場所はお台場)♪ひとつ頼みがある。オレから離れるな!オマエはひとりじゃないぞ!オレから離れるな!それだけ、絶対 忘れるな ♪ ぎゅ~っと 抱きしめあうふたり。ひとは、自分が助からない病気にかかった(再発した)と知った時に、こんなことを言ってくれる人が、そばにいたら、どう思うのだろうか。とっても勇気すけられ、とっても嬉しくて、とっても幸せで、でも、病気との闘い、死の恐怖からのがれることが出来るのだろうか。「僕と彼女の生きる道」で、しゃがて死ぬことがわかっていた草なぎくんと、それがわかっていても結婚し、宣告された余命よりは少しだけ長く生きた彼を、優しく、ゆっくりとみとった矢田亜希子は、今度は、反対に死んでいっちゃうのか(涙)♪うれしいことと悲しいことの両方が起きた時は、笑うのかなァ、泣くのかなァ♪♪今日、両方おきたけど、嬉しいことがあったので笑う ♪♪嬉しいことってなんだい?♪♪健次が(出張から)帰ってきてくれたこと♪ふたりは、マンションのベランダで一緒にいる。「その年の最初の雪は、天使の羽といって、それを手につかんだひとは。。。」本当は、悪運をつかんでしまう、という言い伝え。由季は、その空から降ってくる初雪を出につかんでしまった。「それを手につかんだひとは。。。幸せになるんだ」おもわず、うそをついてしまう健次 。そして、みずからも、由季の不幸を一緒に背負うかのように、健次もその初雪を手でつかんだ。来週の予告。♪健次に会えてよかった。ありがとう♪おい、このドラマ、ハッピー・エンドじゃないの?悲劇で終わっちゃうの?誰か助けてくれ。悲劇の純愛物語になっちゃうの。初回、健次が、ガイドと健次だけで、深い雪の中を歩いていたシーンに戻っちゃうの?僕は、ハッピー・エンドが観たいんです!!
2004年12月06日
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水は「高き」から「低き」に流れるとはいいますが、どうしてこの水は糸のようになっていて、下にいっても幅が広がらないのでしょうか?グラスファイバーみたいなものの上を水が流れているのかなァ?
2007年07月07日
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TBSのU-The Rockを見ていたら、山崎まさよしのスペシャル・ライブだった。んで、1曲目にジョージ・マイケルの「Faith」という曲をギター1本で歌っていた。ああ、こういうのってありだよな、て思った。80年代の曲って、なかなかウクレレ弾き語りは難しいと思ってたんだけど(キーボードが結構曲の中心だったりするから)、これなら出来るかな。ちょっとやってみよう。でも、山崎まさよしって案外アコギ上手いんですよね!それに、ギターの低音、ウクレレじゃ出ないし。山崎まさよしの「One More Time, One More Chance」って、ぼくの数少ない日本語の歌のレパートリーなんだけど、乃木坂のコーヒー屋さんでのライブと、お世話になってるひとのお嬢さん(娘さん?)に、歌ってあげたことがあるだけで、その後練習してないので、今ウクレレ弾こうと思ったら忘れてた。せっかく、イントロ、耳コピーで、ギターをウクレレで再現して、エンディングはちょっとアレンジしたのに。あの楽譜どこやったけなぁ。
2004年05月28日
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「Black or White」のマイケル・ジャクソンのビデオを見た人は多いと思う。軽快なリズムで、白人や黒人の男性や女性が連続してどんどん変身していくシーンが印象にのこっている人も多いと思う。曲名とこの映像によって、「人種の違いを越えて」というメッセージがわかりやすい形で伝えられている。何度もそのシーンをMTVなどで見た人も多いと思う。しかし、このプロモーション・ビデオには、コンプリート版、すなわち完全版という長いバージョンがあって、その完全版の最後のシーンは、当時、かなり物議をかもしていたのだ。最近、あらためてこの完全版のビデオを観てみた。ビデオは、アフリカの砂漠と思われる場所で、アフリカの人たちが輪になって踊っているシーンからはじまり、民族衣装を着たバリ(?)またはタイ(?)カンボジア(?)の女性ダンサーとマイケルが踊っているシーン、アメリカの先住民(インディアン)とマイケル、コサック・ダンサー、NYのストリート・キッドなど次々とマイケルと踊っている人たちが変わってゆき、ついに、マイケルはNYの自由の女神の冠の上で踊り、身体を揺すり歌っていく。このシーンでのマイケルは実に堂々としていて、体も存在感も大きく見える。この後、例のいろんな人種の顔が連続して変わっていく映像が出る。最初は、サモア系(本当は何系かわからない)の男性の顔が変化していき、黒人、白人、インド系、中国系と思われるアジア系、などの男性、女性に顔が変身していく。これは、モーフィングという技術で、実在の人間は、最初の男性と最後の黒人女性だけで、途中であらわれた様々な人種の男女はすべてコンピュータが作り出したものだ、ということに当時は驚いたものだ。たしかに、このモーフィングのシーンは、ひとの顔だけではなく、首や肩、胸の上部などが一緒に変化していく。おそらく、各人種の男女の典型的な人物の骨格などのデータをあらかじめ入力しておいて、コンピューターで映像を次々に変えていくのだろうと思う。しかし、たとえば中国系をおもわせるアジア系の女性の顔と肩、鎖骨などの骨格をみると、アジア系にしてはごっつすぎる印象があり、やっぱりデータが作り上げた架空の人物の不自然さを感じる。これは、自分が同じ東アジア系の人間だから気がついたことなのだと思う。ビデオ・クリップでは、ここで、この人物(最後の黒人女性)の撮影が終わって、スタッフがお疲れ様、という感じで終わるのだが、完全版では、ここから先に続きがある。撮影所を抜け出す黒豹がいて、この黒豹がNYのハーレムかサウス・ブロンクスを思い起こさせる雨の降る街かどの路地で、マイケルに変身する。そして、マイケルが息も尽かさぬ切れ味で、音楽がとまった画面で、体全身、手先、つま先、腰、頭、それこそ体全体のすみずみなでコントロールした踊りを披露する。そのマイケルが、路上にとまっていたクルマに乗っかり、次々に窓ガラスを割り始めるのだ。昔、このビデオを見た時は気がつかなかったのだが、マイケルが次々に割っていくクルマの窓ガラスには、ペインティングで文字が書かれていて、よく読むと、最初に割った窓からすには、「ハイル・ヒットラー」と書いてある。ナチスのかぎ十字のマークも見える。次にたたき割った窓ガラスには「Nigger Go Home」と書いてある。ニガーとは黒人に対する蔑称で、黒人よ、とっとと(アフリカに)帰れという差別用語である。次にたたき割ったガラスには「No More Wet Backs」と書いてある。Wet Backsとは、背中が濡れている人、すなわち、アメリカの国境沿いの川を渡ってきた(不法)移民のメキシコ人の蔑称である。これ以上、メキシコ野郎を入国させるな。メキシコ野郎なんかいらねえ、という意味だろう。ご存じのように、その当時からアメリカは、不法・合法を問わず、メキシコや中南米からの移民がいなければ社会・経済が立ちいかない国になっている。さらに、マイケルがハンマーのようなものを投げつけた建物の窓ガラスには「KKK」の三文字が。KKKとは、ご存じのように、白人至上主義者の団体で、白い頭巾をかぶり全身白装束となって、過去、なんども黒人を惨殺してきた集団である。しかも、現在でもこの集団が存在しているというのだから驚く。すなわち、マイケルが次々に叩き割ったガラスは、ユダヤ人の大量虐殺をおこなったナチス、アメリカの黒人差別やメキシコ人(ヒスパニック系といかえてもいい)差別白人至上主義者たちの有色人弾圧や殺戮などに対して、すべてNOをたたきつけたメッセージだったのだ。一聴して、楽しいPopソングで、ビデオを観れば、モーフィングをつかったあらゆる人種の融和を、エンターテイメントとして楽しく見せていた「Black and White」は、そのバックグランドに、とてもシリアスな問題意識、あらゆる人種差別にたいするNOの強いメッセージが隠されていたことになる。アメリカでは、おそらく、いらぬ人種間の対立意識をあおるのではないか、という意見が出て物議をかもしたのだとおもうが、アメリカの歴史、現在の社会の実態をみてみれば、そのメッセージをやわらかなオブラートに包んで、雰囲気としての「人種間の融和」を伝えるよりも、しごくまっとうな主張であって、どこに問題があるのか、と私は思ってしまう。さて、踊りまくって、あばれてガラスをたたき破りまくったマイケルは、また黒豹に変身してNYの路地を去って行って、ビデオは終わる。マイケル・ジャクソンのやわらかなメッセージ、Popソングと極めて質の高いエンターテイメント性の裏側には、憎悪とまではいかなくとも、アメリカ社会の不条理、世界の不条理についてのきわめて強い「反対の意」があったのだということは、知っておいたほうがいいかもしれない。いずれにしても、この「Black and White」の完全版ビデオ・クリップはマル必のビデオ、未観のひとには、ぜひ見てもらいたいと思う。この完全版が見られるのは、マイケル・ジャクソンの「ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー」だ。マイケル・ジャクソン/ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー(DVD) ◆20%OFF!★入荷しました!!(DVD)マイケル・ジャクソン/ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリービデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー / マイケル・ジャクソンソニー・ミュージックダイレクト マイケル・ジャクソン/ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒスト...ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー/マイケル・ジャクソン[DVD]ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー【送料無料選択可!】ビデオ・グレイテスト・ヒッツ ~ ヒストリー / マイケル・ジャクソン10%OFF★マイケル・ジャクソン DVD【ビデオ・グレイテスト・ヒッツ ~ ヒストリー】【Aポイント+メール便送料無料】マイケル・ジャクソン Michael Jackson / ビデオ・グレイテス...{Black and White」以外でも、ロングバージョンがおさめられているものが多く「Bad」では、、夏休みかなにかで、白人ばかりの寄宿制の高校から中距離列車に乗ってNYのグランド・セントラル駅についたマイケルが、NYの地下鉄に乗り換えてスラム街の家に帰ってくるシーンではじまる。そこで、昔の仲間たちがワルぶってたかりやひったくりするのをやめさせようと、マイケルが本当のワル(Bad)とは、こういうもんなんだ、と有名なNYの地下鉄駅構内(実際にはLAのスタジオで本物そっくりに再現した)での群舞がはじまる。エディー・マーフィーがビデオ出演し、まるでエディの出演作、アフリカの某国王の王子がNYのクイーンズに行く映画「星の王子ニューヨークへ行く」の設定を彷彿させる「Remember The Time」などのほか、定番のスリラー(ロングバージョンではない)ビリー・ジーンBeat It「オフ・ザ・ウォール」からもっとR&B/ダンス色の濃いRock with YouDon't Stop Til You Get Enough(この辺の曲は、ディスコでよく踊っていた記憶がある。クラブではなくディスコで)が入っているDVDだ。マイケルの歌と映像を永遠に脳裏に焼き付けるためにも、もう二度と観られない、彼のパーフォーマンスを何度でも味わうためにも、一家に一枚、持っていてもいいDVDではないかと思う。マイケルの存在が永遠に僕たちのものになるためにも。。
2009年07月11日
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はじめて表参道ヒルズに行って来た。仕事で表参道に用事があったので、ちょっと寄ってみた。昔は、同潤会アパートがあって、ちょっと朽ちたアパートの壁にシダなどの草木が生い茂り、中を改装したちょっとしゃれたブティックやギャラリーがあった場所だ。青山通りと明治通りにはさまれた表参道沿いに、街の風景にとけこむかのように存在していた。そもそも、同潤会青山アパートは関東大震災後、日本で初めての本格的な鉄筋コンクリート造集合住宅として建設されたものだそうで、もう約80年の歳月がたっていたのだそうだ。老朽化したアパートを取り壊し再開発されたのだが、設計は、あの安藤忠雄さん。そこで、彼は、もとの同潤会青山アパートのように低層の横に長いビルを設計し、一部、往年の同潤会青山アパートの形をした新しい住居部分も作ったようだ。ゴッサム・シティのような醜悪な東京都庁をはじめ、丸ビルの再開発、六本木ヒルズと、みんな高さや、高級感、贅沢さ、大人を演出したあたらしいビル街が東京に出来る中、唯一、低層階の建築物を設計してくれた安藤さんにぼくは感謝したい。ひとは、横に長いビルの中で自分の足で歩いて頻繁に出会いがあるのであって、縦に高いビルというのは、エレベーターによる垂直移動のため、人の出会いが希薄になるのである。表参道ヒルズは、地上3階、地下3階の6層からなっているが、もちろんエレベータやエスカレータ、階段はあるものの、真ん中に吹き抜けがあり、横に長い5角形のようなかたちでスロープがスパイラル上になっており、下から上まで、または上から下まで全部ゆっくり歩きながらお店を見て回れるのである。香港や上海やシンガポールにあるような大きなショッピング・モールのような総面積はないが、横に細長い敷地面積を有効に使って、NYのグッゲンハイム美術館のような円形のスパイラルではないけれども、十分に歩いているだけで楽しい空間が創られている。お店も、上のフロアに行くと、ちいさいけれどしゃれたレストランやカフェがいっぱい。1Fには、さすがにドルチェ&ガッバーナの大きな店舗や、ハリー・ウィンストンのようなド扉を閉ざした高級ジュエリー・ショップがあるが、他のフロアは、それぞれにちょっとシャレた、セレクト・ショプには今まで入っていても、店舗を構えるのは日本初登場のようなブティックがいっぱいある。女性・男性のファッション、アクセサリー、クツ、バッグ、ランジェリー、インテリア、ステーショナリーなどいっぱい小さなお店がいっぱい。ヘアサロンも複数入っているし、ワインバーやショコラ・バー(チョコレートのブティックというかカフェ)など、女性なら必ず楽しめるお店がいっぱいあった。まあ、ぼくも誰か一緒に歩いてくれる女性がいれば、今度もう一度、ゆっくりと歩いてみたいが、それは当面、むつかしいので、仲間と夜、食事やワインを楽しみに来てもいいなぁ、と思った。で、この建物全体に響き渡る綺麗な音、実は天井から大きな白いスピーカー類が設置されているんだけれども、アンビエント・ミュージックというか、ブライアン・イーノが昔「ミュージック・フォー・エアポート」というのを作って、ただでさえ、人が多かったり、待ち時間が長い空港ロビー内で、お客さんが、音楽として意識することなくリラックス出来るような音楽をつくり始めて、環境音楽などとよばれはじめたのが最初だと思うけれども、それの発展系というか、5角形のスパイラルを歩きながら、なにげなしにゆったりした気持ちになれる音楽というか、自然界のゆらぎと偶然が作り出す音のような音楽がなっていました。ぼくは、やっぱり、六本木ヒルズや丸の内再開発よりも、横に長くて、上から下までゆっくり歩けるスパイラル上の回廊がある表参道ヒルズのほうが好きだな。今どき、高層ビルははやらないと思うよ、ぼくは。環境に対して、暴力的で、ひとの出会いが少ない構造だから。汐留・新橋、芝浦、品川にかけて、今、急ピッチで高層複合ビルや高層マンションが建設されているんだけれども、あんなことしちゃって、東京湾と内陸の風の流れにフタをしちゃって、そのおかげで、ヒートアイランド現象が加速されて、内陸の練馬の平均気温が上がっている、というじゃないですか。やっぱり、高層ビルは暴力的だと思う。土地の効率的活用だというけれども、新しい高層オフィスが出来て、あたらしいテナントがソコに入って入居率100%かもしれないけれども、東京の昔からあるオフィス・ビルの入居率が下がって、テナントがいなくなっちゃうビルも出てきているらしくて、結局、東京全体で見ると、ちっとも土地の有効活用にはなっていないらしい。だいたい、東京湾に高層ビルの壁でフタをしちゃって、風が流れなくなるなんて。そういう全体的な視点で、東京の建築物の設計を考えているひとが誰もいないなんて、どこか間違っていると思うよ。これからは、横に長くて低層の建築ですよ。やっぱりそのほうが、地球環境にも優しく、街の風景にも溶け込み、建物の中を歩く人にも優しくて人間的だと思います。どうですか、石原さん!カジノ構想なんか言っている場合じゃないですよ。ヒートアイランド現象、どうするの!?
2006年03月02日
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その1から続くちなみに、2. Orient Expressは、Joe Zawinulのソロ「My People」(1996年)に収録ライヴでも、強靭なベースに、どこか中東風のボーカルが乗っかる不思議な異国情緒、国境も時代も飛び越えたような曲。4. Madagascarは、ウェザーリポートの「ナイト・パッセージ」(1980年)に収録。ライヴでもジョー・ザヴィヌルの鳥の声とも人の声ともつかないシンセの奏でるメロディに、強靭なリズムがからみ、ザヴィヌルのキーボードが突然、破壊的なサウンドで崩壊したかに思うと、また鳥の声とも人の声ともわからないやわらかな音に戻っていく。とにかく、どの曲もパーカッション2名、ドラムス、ベース、ギターの作り出すリズムが驚異的な強靭さで、緩急自在に、激しく盛上がったかと思うと、ピタっと息をあわせてとまってみたり、曲の次の展開が読めないテンションの高い素晴しい音楽。ザヴィヌルのシンセ、キーボードハ、メロディ・パートであったりリズム・パートであったり、役割を限定させない自由さがある。3. Blues Sound / Note 36. Lounge7. Fast City//Two Lines8. Rooftop of Viena9. East 12th Street Band10.Badia/Boogie Woogie Waltzは、2005年に発売された、Joe zawinul & The Zawinul Syndicateのウィーンでのライブ盤、「ウィーンの夜~ライヴ・アット・バードランド」にも収録されている。7. Two Linesは、ザヴィヌル・シンジケートの「World Tour」(1998年)にも収録。ラストの10.Badia/Boogie Woogie Waltzは、このメドレーの形でウェザーリポートのライヴの名盤「8:30」にも収録されている。とにかく、何曲目であったか判然としないが、ステージの上では、ウェザーの「ブラックマーケット」的世界で、ピアノとベースがメロディをユニゾンで弾いているときに、突然、ギターがライト・フィンガー、ボーカルがアフリカン&ブラジリアンなボーカルからでギターを弾きながらのスキャットにかわり、ギターソロが爆発したように演奏される。最初は神経質そうにメンバーに厳しく指示を出していたザヴィヌルが嬉しそうにギタリストを見ている。途中で、メンバー紹介があったが、ザヴィヌルの隣奥にいるパーカッション&ボーカルは、ぼくが想像したとおり、イスラム圏、モロッコのマラケシから今回初来日のアジス・サマウイ切れのよいドラムスで絶妙のタイミングでブレイクをいれて、ともすると渾然一体となったリズム隊、しかも多国籍的リズム隊をしめていたのが、ブルックリン、NYから来たナサニエル・タウンスレー。彼は、渡辺貞夫ともライブで共演しており、もしかしたらおなじブルックリン出身のオマー・ハキムの全盛時よりも凄いドラムスかもしれない。もうひとりのパーカッショニスト&ボーカルコンガを4本一組に設置、別のコンガを3本横空中に設置、カウベルやホイッスルはもとより、手でぶら下げてジャラジャラしたり、ぐるぐるまわすありとあらゆるパーカッションをあやつるのは、ブラジル出身のジョルジ・ベザーハ。こういう多彩なパーカッションをあやつるのは、やっぱり音楽的土壌が豊かで、自然と音楽が一体化しているブラジルのミュージシャンであることが多いが、やはりそうだった。ベーシストは、ジャコ、リチャード・ボナに続く、素晴しいベーシストインド洋モーリシャス出身のリンレイ・マルトただひとり、どこの出身か、その演奏から分かりにくかったのが、ギター&ボーカルのアレグレ・コレア彼は、ジタン(W杯フランス代表)のような容姿をしているので、北アフリカ・アラブ系かなと思ったが、パーカッションのジョルジ・ベザーハといっしょにギター・ピッキングしながら歌っていたので、ひょっとして、と思ったが、やっぱりブラジル出身だった。メンバー紹介のあと、一通りみんなのソロが出てくる。アレグレ・コレアは、どっちかっていうと、ギターをピッキングしてリズムをとったり、西アフリカ的フレーズを弾いていたが、ソロではここぞとばかり火を噴くようなギター・ソロ。こういうスタイルのギタリストはぼくは他に見たことがない。片鱗をみせるだけで、なかなかソロを弾かなかったリンレイ・マルトのベース・ソロ。これもものすごいソロだ。指先、指の腹、ピック、叩く、こすりつける、あらゆる方法で、誰も弾いたことのないフレーズと音のかたまりを次々に繰り出す彼。ジャコ的な要素ももちろん、ちろっと入っているけれども、やっぱりそれとは全然違うソロ。こんなベース・ソロはやっぱり見たことがない。5. Tango /Buenos Airesでは、ジョー・ザヴィヌルのピアノ・ソロがダイナミックに聴くことが出来た。タンゴのようなフレーズがクラシックのフレーズになり、あれ、何かジャズ・スタンダードのフレーズだなぁ、と思っていても、決してみんなが安心するような展開にはならず、和音は破綻し、強烈なリズムになり、ドラムス、パーカッション、ギター・ソロへと変転していく。予想が付かない曲の展開だ。6. Loungeでは、アジス・サマウイが、3弦の伝統楽器を弾いて、素晴しいアラブ的というかイスラム的というのか、ペルシャなのかアラブなのか、そういうボーカルを聴かせてくれる。3弦の楽器も、ボディは長四角型で、弦も上から一番長い、真ん中一番短い、下の弦、中くらい。どうも真ん中の弦は左手では押さえず、常におなじ音程にしておき、上下の2つの弦を指で押さえて、音程を変えている。不思議な楽器だ。バンガラ、バンガラ、ワッサラータ、と彼が歌いだすとバンド・メンバーが全員で、バンガラ、バンガラ、とコーラスを入れる。圧巻は、やっぱり最後の3曲8. Rooftop of Viena9. East 12th Street Band10.Badia/Boogie Woogie Waltz音楽世界が、アフリカ、ブラジル、アラブ、オーストリア(ジョーの出身地)を行ったりきたりする。というか渾然一体となった音楽。ステージ全体で一曲と考えたほうがいいような世界だ。ひとことで表現すれば、強靭なねばっこいリズムに、人々や鳥の声、雑踏の雰囲気を喚起させる芳醇なシンセを中心としたメロディ。そこに、中東風&アフリカ風&ブラジル風なボーカル同様に、中東風&アフリカ風&ブラジル風な渾然一体となったリズム、ポリリズムを要所要所でしめるブルックリン、NYのドラムス。オーストリアからNYに少年の頃移民してきたザヴィヌルの心象風景と、彼が世界中をツアーして出会った人々や音楽、民族性、そういう彼の頭の中に鳴り響いている理想の音楽を、まさに、そうした世界各地出身の超腕利きのミュージシャンたちを自在にあやつりつつ自由に演奏させ、ひとつの理想郷的な音楽を創っているのではないか。「ワールドミュージック」ではなく、「People Music」「Human People Music」時代や国境を越えて、世界の多民族が、つどい交流し、交易し、コミュニケーションし、融合するザヴィヌルの考えるユートピアみたいなもの、それが強烈な磁場となって、ブルーノートの会場いっぱいを満たし、強烈にそこにいるひとびと(もちろんぼくも)をゆさぶり共感する。そんなライブだった。ザヴヌルはこれまでも、「ジブラルタル(海峡)」や「マダガスカル」といった曲を書いてきた。それは、どういうところかといえば、かつては、イズラム圏が北アフリカからジブラルタル海峡を越えて、スペインまで統治していた時代があった。だから、今でもこの地域はキリスト教的なるものとイスラム的なるものが共存している。マダガスカルというのは、アフリカの東海岸に位置する大きな島だが、ここは地政学的に言うと、アフリカの延長ではないそうだ。遠い昔、プレートににって大陸の地殻変動があったとき、アジアの先から流れてここに大きな島が出来たそうだ。アジアに共通な動植物がいるだけではなく、住んでいるひとびとにも、アジア系に共通の蒙古斑があるという。マレー半島やインドネシアから遠く海流に乗ってアジア系のひとびとが移ってきたらしい。しかし地理的な近さからアフリカとの密接なつながりがある。このように、ザヴィヌルというひとは、お互いに違う民族や文化が出会い交錯する場所に非常に興味があるのに違いない。ぼくも、そうしたマルチ・カルチャーな文化状況ってとっても好きだ。20世紀には「21世紀は、そういうマルチ・カルチャーの融合が沢山おきて人類の新しいステージへ進むもの」とばかり思っていた。しかし、移民国家のフランスでの学生のデモに続いた移民の2世、3世たちの暴動。パキスタン系移民2世が、イギリスでイギリス人として生まれながらイギリス社会から阻害され、テロ予備軍としてターゲットにされる今の時代。9.11以降、移民国家として発展してきたアメリカが厳しい移民法を適用しようとやっきになっている現実。21世紀の現実の世界は、異文化、多民族の共存、共生、調和、融合とは全く反対の方向に動いている。だからこそ、ぼくは、音楽という小宇宙の中だけだけれども、多民族のミュージシャンと音楽と文化を融合して体験させてくれるザヴィヌルの音楽が大好きだし、とても貴重なものだと思う。最後まで持続する演奏のテンション。驚異的な演奏力構造美とアドリブの共存先の展開を予想できないスリリングな感覚強烈な興奮と共感これぞ、やっぱりユートピア音楽なのかもしれない。実際の世界が、少しでもザヴィヌルの頭の中で鳴っている音楽世界に近づくことが出来るように。そんな気持ちで、ぜひ一度ザヴィヌル・シンジケートの音楽を経験してみてください。
2006年08月17日
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「ラスト・ハレルヤ・チャンス!」なぜか、このクール、このドラマだけはDVDレコーディングして、ほとんど見ている。ストーリーは、大学講師(建築関係)の多田哲也(藤木直人)と、大学院生の教え子の吉田礼(長澤まさみ)の結婚披露パーティで、ふたりのなれそめを紹介するスライドショーの最中、なぜ、こんなことになってしまったんだと本当は、礼を愛していた幼なじみの岩瀬健(山下智久)が絶望的になっているところに、不思議な妖精(三上博史)があらわれ、健に、「チャンスをやるから、披露宴で紹介されている写真の時代に戻ってみろ。しっかり彼女の心をつかんで来い」と言われ、毎回、「高校時代」「大学時代」「社会人時代」とタイム・スリップして戻っては見るものの、なかなか礼に本当の気持ちは伝えられない。なかなか、過去はかえられない。しかし、ほんのわずかな過去の修正を繰り返してきた。そもそも、礼と健はお互い相思相愛だったのだが、お互い素直な気持ちで、それのことを言い出せずに14年もたってしまっていたのだ。礼が、小学校3年のときに転校してきて、教室で消しゴムがなくて困っていた時、隣の席にいた健が自分の消しゴムを半分割って渡した。「岩瀬健三年○組」とかかれた消しゴムを半分に割ったので、礼は「健」のことを「健三」と思い込み、すれからず~っと彼を「健三」とよび、ひそかに憧れていたのだ。高校時代からの大の仲良し5人組礼、健ちょっと可愛い、奥エリ(榮倉奈々)エリが好きな、チビの鶴見尚(濱田 岳)高校時代から女にもてるが、ちょっとしゃにかまえた榎戸幹雄(平岡佑太)が、いつもつるんで仲良くしていたところへ、みんなの高校時代に、多田哲也(藤木直人)が教育実習生としてやってきて、みんなが大学に進学した時の大学講師が、ある日、礼に「結婚しよう」とプロポーズして、この仲良し5人組のなかにわって入り、(健)にとっては、よくない状況にどんどん話が進んでいってしまったのだ。結婚披露宴でのスライド・ショーの最後の1枚の写真。もう、自分では過去に戻ってやれることはすべてやりつくした、と思っている健に、妖精(三上博史)が、榎戸幹雄(平岡佑太)のおかげで、まだ1枚写真が残っている。それは、多田哲也が建築学会の新人賞のようなものを受賞した記念パーティの席上。健たちは手伝をしていた。会場で、多田が礼のことを「ぼくの婚約者です」と来客に紹介しているのを見た健は・・・・ある行動にでる。ついにやったか、健。「エレ~~~ン」な行動を!(謎?分かる人にはわかるよね、あの映画みたいに)しかし、礼を会場から無理やり連れ出した健。そのあと、どうなるの~~~。あとは最終回にゆだねるだけ。われながら、くだらないと思いながら、胸キュンで毎回、このドラマをみていた。ひとつには、男子高校だったぼくには、健や礼たちのような、甘酸っぱい男女共学の思い出がないこと。タイムスリップというかたちをとるが、ちょっと過去にもどったラブ・ストーリーに、いつ健が告白できるのか、健の優柔不断さにいらいらし、いつ健が礼のこころを取り戻せるのか、わくわくしていていたこと。そもそも、長澤まさみが演じる礼が、外見だけではなく、性格などのキャラなどを含めて、とても美しいと感じてしまったこと。青春っていいなぁ、と自分の過去を振り返るだけではなく、「やらないで(行動しないで)後悔するよりも、やって(行動して)後悔するほうがいい」というメッセージに、自分の今を重ね合わせ、困難な道だけれども、やってみるか、と励まされてきたこと。と、このドラマに夢中になってしまったわけです。そして、毎回エンディングで、桑田佳祐のシングル「明日晴れるかな」がながれ、エンディング・ロードでは、礼や健などの出演者と、ギターを手に歌う桑田佳祐の映像が。この曲のメロディも歌詞もとってもよくて、かつドラマの内容にもあっている。もう、このへんになると胸がかきむしられる感情がわいてくるというか。ひさびさにはまったドラマ、どうか結末は、健と礼のハッピーエンドでお願いしますm(_ _)m
2007年06月18日
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