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ジェイク・シマブクロの登場を見ようと思い、結局、全部見てしまった第57回NHK紅白歌合戦、大ハプニングが起きてしまいました!!白組、DJ OZMAのパーフォーマンス。大勢のバックダンサーたちが、リオのカーニバルのような衣装を着て踊っていたのだが、歌えや踊れやの大騒ぎの終盤、あれっと思ったら女性のダンサーたちがおっぱいぽろりと出しちゃいました。え、え、ええ~~、NHKでこんなことやっていいの?と思ってよく見ていたら、フィギュアスケートで着るような薄い肌色のボディースーツに、本物のおっぱいと同じ位置に乳首が書いてあるようなのです。なんだ、こりゃ、と思っていると、最後にはパンツ(ビキニの下のような)を脱いで、バタフライというんですか(最近、聞かないな今言葉)、ようするにアソコをぺこっと隠しただけの姿になってしまいました。男性も脱いでましたから、何名がそんな格好をしていたか、わけわかりませんでした。で、これはNHKがよくこの演出・企画を許したなぁ、と思い、もし、事前にNHKがOKを出していたのなら、「あっぱれ!」と思いました。しかし、赤組司会の仲間由紀恵が、唖然としていてフォローする言葉が出てきませんでした。少なくとも、彼女は事前には知らなかったと思います。また、すこしたってから曲の合間にNHKの男性アナウンサーは、「ボディースーツのようなものを着ていたので、決して裸ではありませんでした」と弁解の言葉をはなしました。じゃあ、ひょっとしてDJ OZMAが、「やっちゃえ、やっちゃえ、どうせ俺たち今年しか出られないし、だったら、やったもん勝ちだぜぇ~~!」と考えて、リハーサルではみせなかった演出をしたんではないだろうか、と思いました。だったらDJ OZMA、快挙!!だと思いました。NHK紅白は、いつもアーティスト側の意向を軽視した強引な演出をやるので、いわゆる大物は敬遠して出てこないのですが(例えば、ユーミン、例えばサザン、彼らは自分たちが特別待遇のように意味ある演出がされる場合以外、出てきません)そんなNHKに一発かましてやった、という感じです。お笑い芸人も、あたえられた時間を目いっぱい使って、どうやってアドリブするか苦心しているようで、昨日も、ナイナイの岡本隆史が、打ち合わせにないことをちょっとやりましただ、まあたいしたことではありませんでした。で、今朝、NHK紅白のサイトを見たら、出てました、出てました。http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/『DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを 着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは 放送まで知りませんでした。 衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした。 今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます。視聴者の皆さまに不快な思いをおかけして誠に申し訳ないと考えております。』NHKは一切知らなかった、ということですね。やったじゃないか、DJ OZMA!!快挙!快挙!もしかしてこの瞬間が最高視聴率だったら面白いのになぁ、と思います。パスタさんは、どうしてそんな下品なパーフォーマンスを支持するの、と言われるかもしれませんが、理由は下記のとおり(1)民放、または世の中の常識的には、それほどたいした露出ではない(だて裸とは違うことがわかるのですから)(2)表現の自由のほうがNHKの都合より重要(3)NHK紅白は、時間と表現、演出に制約が非常に多く、力の弱い出演者がいつもへんてこな演出を押し付けられている。例えば、早い時間帯に出ていた男性演歌手の鳥羽一郎が「兄弟船」を歌う後ろにウルトラマンが出てきたりするのです。これって、歌手のファンにも、ウルトラマンのファンにも失礼じゃないですか?どちらにとっても違和感のある演出、というか意味不明です。そんな演出がここかしこでみられました。で、問題のDJ OZMAの事前のコメントを調べてみると、ありましたありました。『「小林幸子さんの後で歌うと知ったのは今朝。これはまずいことになったと思った。」とOZMAさん。開き直ったのか「衣装じゃかなわないからステージでTake offしちゃうよ。NHKの人は俺を選んで後悔するよ。」と爆弾発言?。きらきら衣装で始まりだんだん、、、、していくとか。DJ OZMAのステージから目が離せない!? 』ちゃんと、書いてあるじゃないですか、そのままのことが事前に!!確信犯、確信犯、そりゃあ、誰だって、小林幸子の大衣装パノラマ・ショーみたいの後に出演順が決まったら、一発かましてやるしかないですよね。いいじゃないですか、年に一度のお祭り騒ぎ、このくらいのハプニングがあっても、とパスタは思うのですが、不快に感じるひともいるんでしょうね、きっと。さて、本命のジェイクの登場ですが、夏川みりと一緒に彼が出てくる流れは、上記のハプニングとは違ってよく考えられた流れだったと思います。まず、Orange Rangeが沖縄のライヴ・ハウスからの中継で歌いました。彼らがインディーズ時代に出演していたライブ・ハウスでした。ギターの音など、いわゆるライブ・ハウスの箱らしい音響で、ロックしてました。次に、渡辺謙がゲストで登場(審査員でもありますが)、白組司会の仲居くんが、「『硫黄島からの手紙』に出演してみてどう感じられましたか?」、と質問すると渡辺謙が、「平和の意味を、このように年末に素晴らしいイベントができるという平和の大切さを普段から考えていかなきゃならないと思いました」とこたえました。次に、沖縄出身の赤組司会 仲間由紀恵が、「次は夏川りみさんです」と紹介して「花~すべての人の心に花を~」の歌詞を少し読み始めました。この曲は、「すべての兵器を楽器にかえて!」と平和を訴え続ける、沖縄の喜納昌吉の歌で、いまやアジアの多くの国で親しまれている曲です。その平和のメッセージが織り込まれた歌を夏川りみが張りと艶がある素晴らしい声で歌う横で、ジェイクがウクレレを弾いていました。ジェイクもやっぱり沖縄出身の日系4世(だったかな)です。津軽三味線の上妻 宏光(あがつま ひろみつ)は、藤あや子だったかな、女性演歌歌手のバックで三味線を弾いていましたが、彼を紹介する字幕は出ませんんでした。しかし、ジェイクは夏川みりのよこに椅子に座って、思い入れたっぷりにウクレレを演奏していました。しかも、画面には字幕で縦に ジ ^ ェ ウ イ ク ク レ ・ レ シ マ ブ ク ロと、出ています。扱いが上妻 宏光より大きいじゃないですか。よかったね。ジェイクの演奏ですが、残念ながら私のところは普通のテレビなので、あんまりはっきり聴こえませんでしたが、仲間由紀恵の朗読の時から、「ぴよ~~ん」というジェイク独特の音色(映画『フラガールズ』のなかの旋律に似た綺麗な音色)が聞こえてきました。夏川りみが歌うよこで、身体を大きく動かしながら弾いているフレーズも、番組の視聴者に対する音響バランスでは、綺麗なメロディのところがあまり聞こえず、アタックを強く弾いているフレーズ、フレーズの最初の部分だけが、よく聞こえました。もう少し、ウクレレの音量のバランスを大きくしてくれればよかったのに、と思いましたが、5.1chなどのいいテレビで見ていた人にはよく聴こえていたのかもしれません。その後、白組からキムタクが出てきて、ジョン・レノンの「Imagine」の歌詞の意味を日本語で朗読しました。そして「Imagine」を歌ったのは、布施明です。英語でちゃんと歌いました。最後には、外国人が大勢の合唱団が出てきて、布施明も、おそらく得意の高いキーに変調して、歌い上げました。そういうことだったのか、布施明が「イマジン」を歌うって書いてあったけど、まさかジョン・レノンの「Imagine」じゃないよね。ちょっと唐突だよね、と思っていたのですが、Orange Range~仲間由紀恵~夏川りみ~ジェイク~喜納昌吉は沖縄つながりです。そして沖縄は第2次世界大戦で大変な犠牲者がでたところです。渡辺謙の「硫黄島からの手紙」~喜納昌吉の「花~すべての人の心に花を~」~ジョン・レノンの「Imagine」は、戦争の意味を考え、世界に恒久的な平和がおとづれるのを願う歌です。最初は、へんてこな順番だなと思っていましたが、このパートの流れだけは、そのメッセージが明確に伝わってきました。とてもよかったと思います。さて、あと面白かったのは審査員の女子プロゴルフの横峯 さくらにむかってステージから呼びかけた細川たかしが、歌詞を間違えてしまいました。さてなぜそうなったのでしょうか。下記のうちからふさわしいと思われる番号を選びなさい。(1)横峯 さくらの美しさに、思わずうっとりとしてしまったから(2)横峯 さくらの斜め後ろの席に、さくらパパがいたから(3)応援ゲストのベッキーの前髪が黒柳徹子していたから(4)上記のいずれでもないさて、何番でしょうか。正解は。。。。ご想像におまかせします☆その2に続く
2006年12月31日
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いよいよ、ストリート・ライブ。充電式アンプは買ったが、マイクを4本立てて、ウクレレの音を拾う予定。それに、ベースにも入ってもらう。じゃあ、ミキサーが必要じゃないか!しかも、電源をとれないのだから、乾電池式のミキサーが。いろいろさがしたけど、よくわからない。そこで、またまたかつての、ウクレレ・バンド仲間のベーシストに連絡すると、昔は、何種類もあったが、今はこれがいいのでは、とオーディオ・テクニカのポータブルマルチミキサー AT-PMX5Pを紹介してくれた。audio-technica ポータブルマルチミキサー【税込】 AT-PMX5P [ATPMX5P]マイク/ライン4系統を装備した電池駆動対応ポータブルマルチミキサー audio-technica AT-PMX5Pオーディオテクニカ AT-PMX5P【送料無料!クレジットOK!】audio-technica コンパクトミキサー AT-PMX5Pよし、これしかない。しかし、楽器店を回っている時間が無い。そこで、アンプと違って、実物見なくても大丈夫そうなので、ネットで購入。即日配達を希望。さて、これが、マイクまたはライン4系統とステレオライン1系統の計5系統のミキシングが可能のすぐれものなのだが、難点が。出力端子は、左右にわかれたステレオ端子か、ヘッドフォン用のミニジャック端子。むむ、これでは、普通にピンジャックで、アンプとつなげないじゃん。いいところもあって、入力端子は、4つのピンジャックと、やはり左右にわかれたステレオ端子。だから、ステレオ、AV機器、i Podなどをステレオでつないで、その音と、自分の声(マイク)、自分の演奏(ピックアップ付きウクレレなど)の音をミキシング出来るのだ。そもそも、このポータブル・ミキサー、ストリート・ライブ用というよりも、手軽に自分でサウンドをミキシングするために出来ている。それを。ストリート・ライブ用に転用するというわけ。で、ヘッドフォン端子からの出力は、出力レベルが低いので、充電アンプにつないだら、音は出てくるけれども、これではライブに使えない。そこで、結局、あわてて楽器店へ。今度は、いつも、プリアンプなど買うギター店へ。しかし、お店の人、専門はギターなので、ミキサーは系列の別のお店にいって詳しく聞いてください、とのこと。系列のアンプ類が沢山置いてあるお店に行って、実際にミニ・ミキサーを見せる。それから、充電式アンプは、お店で店員スタッフと一緒に、メーカーのホームページを見て、入力側の端子を確認。これでやっと、片側が、左右ステレオに分かれている二股端子、反対側は普通のピンジャックのシールドを手に入れて、ようやく機材が手元に揃った。あとは、マイクとマイク・スタンドだ。ライブまでの、準備って結構めんどくさいなぁ。
2008年04月04日
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竹野内とチェ・ジウがはじめて心を通わせた第3話。hk holdings(風間ホールディングス)の中に、警察のモグラ(潜入捜査官)がいる、として、西嶋ショウ(竹野内ゆたか)や弟分のヒデ(佐藤隆太)ら全員が集められた。実際に潜入しているショウ(竹野内豊)は、冷や汗をかく。韓国からやってきたキム・ヒョンジュがルーレットを回す。そして、そのカードを持っていたのは、竹野内以外にも、モグラがいたのだ。 警察に接触している証拠写真を見せられ、「偶然、職務質問を受けただけだ」と言い逃れをするが、その男は、その場で射殺された。シュウは、自分以外にモグラがいるとは知らされていなかった。誰を信じていいのかわからない。 本当の上司、伊崎(石橋凌)と、パソコンでチャットをしながら、「すべて本当のことを教えてくれないと、(命をはって)モグラをやることは出来ない」とショウ(竹野内)は言う。殺されたのは、4年前に潜入し、hk holdingsの本社ビルの構造とネットのアクセス・ポイントが書いてある情報を手に入れた男だった。ショウは、その本社ビルの情報から、hk holdingsのデータを盗み出せと言われる。特に欲しいのは、キム・ヨンジュの情報。というのも、彼が、hk holdingsのバカ息子(速水もこみち)から引き継いだカジノが、偽札が日本に広がっていく入り口として機能しているのではないか、その証拠をつかめ、というものだった。一方、再三の妨害にもかかわらず、辛さを売りにした本格韓国料理屋をはじめたチュ・ユナ(チェ・イウ)のお店の開店のお知らせのちらしを格安で引き受けてくれた優しそうな印刷屋のおやじ(平田満) 。ショウがつかんだ情報は、印刷屋のおやじ(平田満)が、偽札作りにかかわっている、というものだった。すぐに、伊崎(石橋凌)は、警察の万全の包囲網を指示し、印刷屋のおやじ(平田満)の逮捕にむかう。そこへ、ショウからのケータイ電話。「5分間だけまってくれ。おれにはあんなに優しそうなお父さんが、本当にやったとは思えないんだ。どうしてそんなことになったかどうしても理由を聞きたいんだ」ショウは、韓国料理屋のちらしを印刷し、知的障害をもつ息子にとても優しい父親ぶりをみて、やっぱりどうしても確かめたかった。ショウは、韓国で殺された自分の父とその印刷屋のおやじの姿をだぶらせていたのかもしれない。 ショウは、ドア越しに印刷屋のおやじ(平田満)を説得し、自首することをすすめる。「しゃべったら、組織に自分だけではなく、家族も殺される。自殺するほうがましだ」という印刷屋のおやじ(平田満)。しかし、ショウの説得に応じて自首することを決心する。「自首」の暗号を伊崎(石橋凌)にメールで送り、遠くから様子を見ていたショウ。しかし、彼が見たものは。。。自首しようと伊崎(石橋凌)ら捜査官のもとへ歩み寄った印刷屋のおやじ(平田満)が、息子の声に振り返った瞬間。斜め上のビルかどこかから、振り返えった背中(おそらく後頭部)に、銃弾が命中。即死だった。 実は、捜査官側にも、hk holdingsのモグラがいるのだ!!伊崎(石橋凌)がショウに5分間の猶予を与えたその隙に、hk holdingsのNo.2、龍一郎の秘書、冷酷無比のソン・ギュファン(橋爪功)に連絡が入り、すぐに印刷屋のおやじ(平田満)の射殺命令が出ていたのだ。情にほだされて、情けを信じて、5分間だけ猶予をあたえてしまったショウのおかげで、秘密組織側は逮捕情報をつかみ、口封じのために印刷屋のおやじ(平田満)が殺されてしまった。人間が信じられなくなっていたショウは、印刷屋のおやじ(平田満)が家族のためにしかたなくやってしまった優しい父親だ、ということを自分が確認するために逮捕を5分遅らせ、結果的に彼を死なせてしまった。絶望感と無力感で東京湾をみて立っているショウ。 印刷屋のおやじ(平田満)の射殺事件を開店中の韓国料理屋のテレビのニュースで知ったチュ・ユナ(チェ・イウ)は、立ちすくむショウを見つけた。慰めの言葉をかけるチュ。もちろん彼女はショウの正体も、事件の背景も何も知らない。しかし、印刷屋のおやじ(平田満)の優しい父親ぶりの姿を、日本で行方不明になった自分の父親とだぶらせていた(多分)彼女には、なんとなくシュウの気持ちが分かる。 チュは言う。「あなたの言葉を理解できなくてごめんなさい」 ショウ「だからこうしてしゃべってるんだ。彼を殺したのはオレなんだ」チュ。「あなたの言葉はわからないけれども、気持ちは伝わってくるわ。あなたは、どうして悲しいのに笑いながらしゃべるの。 そんなの悲しすぎる!!」 涙の演技。ぼくは良く知らないのだが、チェ・ジウは涙の演技をやらせたら超一流だそうだ。たしかにチュの気持ちはよく伝わってくる。素晴しい演技だと思う。そして、竹野内も今回は、涙の演技をした。彼の涙の演技は、チェ・ジウにまけていなかったと思う。シュウの気持ちが痛いほど強く伝わってきた。そして、泣きながらチュは、ショウを肩を抱きしめる。涙をいっぱい目にためながらチュに抱かれるまま、ほほをよせるショウ。 チェとショウが、言葉の壁を越えて、はじめて心をかよわせた瞬間だった! 感想1前回は、チェ・ジウが韓国ドラマのように、表現豊かに顔の表情を、日本的に言えば大げさに変えながら、喜怒哀楽の感情を演技していた(それがぼくは、いやだというのではない)のに対し、竹野内は、淡々と、クールに表情をほとんどかえずに、ぼそぼそとしゃべりながら演技をしていて(日本のドラマでクールな役な、そんな演技になることが多いと思う。竹野内はもちろん、カッコイイ)の落差というかギャップがあって、結構、これはこれで面白かった。日本のドラマとも韓国のドラマとも違う不思議な味わいがあった。今回は、そのふたりが涙の演技でひとつに溶け合った。これもまた素晴しいな、と思った。感想2.前回は、カメラ・ワークとか、画面の切り替えの速さとか、画像の処理、それから背景の効果音、音楽が、かなりテレビドラマとしては大胆に編集されていて、映画的な画面が多かった。それがちょっとうるさいと感じた人もいたみたいだけれども、ぼくは、これもまた、あんまりドラマらしくなくてテンポや緊迫した雰囲気があっていいなぁ、と思っていた。今回は、それほどの画面の切り替えや画像処理はなかった。ただ、竹野内がhk holdingsの地下駐車場から本社ビルに入り、監視カメラをダメにして侵入し、本社のサーバーにアクセスする時のシーン、また、それを、「不正アクセス」があったとして即座に対応する宋(橋爪功)。このシーンでは、ハリウッド映画でよくみられる、アクセス情報をコンピュータが感知するようなCGが使われていた。ドラマとしてそこまでやる番組は少ないかもしれないけれども、ぼくはもっとCG効果を使っても良かった気がする。理由はないけど、なんとなく予想するこの先の展開。No.2の宋(橋爪功)は、風間龍一郎の秘書として冷酷で優秀な片腕となっているが、実は、彼は別の顔を持っているのではないか?(2重スパイ?)チェ・ユナ(チェ・ジウ)は、単に父親を探しに日本にやってきて、韓国料理屋をやっているただの姉妹の姉、というだけではなく、なんらかの形で、この組織とかかわっている、例えば、韓国側から送られてきた捜査官なのではないか?わからない、わからない。今のところは、チェとユナの姉妹と、そのお向かいの八百屋(だったけ)夫婦は、ショウがやってきて唯一、心穏やかになれる場所として描かれているが。。。この先が、楽しみだ。
2006年01月29日
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また、あの日がやってきた。今から、もう28年前、1980年12月8日。ジョン・レノンがNYの自宅コンドミニアム、ダコタ・ハウスで凶弾に倒れた日。世界中のファンが、悲嘆にくれた日。しかし、平和を愛し理想を掲げたジョンの志は、今も多くの人に受け継がれている。 レノン・レジェンド~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン~ / ジョン・レノンジョン・レノン/レノン・レジェンド(期間限定生産)(CD)ジョン・レノン / レジェンド JOHN LENNON / LEGEND東芝EMI ジョン・レノン/レノン・レジェンド~ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン~【送料無料】◆ジョン・レノン ~レノン・レジェンド~武道館では、『Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ』が開催された。2001年、オノ・ヨーコの呼びかけで始まって今年で8年目。今年は、奥田民生やトータス松本などの常連や、渋いところでは、Char、ゆず、斉藤和義の参加。若いアーティストでは綾香、他のイベントにはめったに出てこない、LOVE PSYCHEDELICOなどが出てきたようだ。収益金の一部は、世界中の子供たちのための学校作りに使われているらしく、すでに、アジア・アフリカ18か国に75校の学校建設を支援してきたらしい。オノ・ヨーコの呼びかけで、日本のアーティストたちが、毎年、こうしたイベントに参加して、ジョンの志を次世代につないでいく、そこで得られた収益金は、アジアやアフリカの子供たちのための学校作りに役立てる。素晴らしいことだと思う。でも、ぼくは、このイベントには一度も参加したことがない。このイベントの意味は、とても大きいし、これを続けていくことはとても大切なことだと思う。でも、ぼくは、やっぱり12月8日はもっと少人数の集まりで、ジョンや、ジョンの残してくれた数々の音楽や言葉、行動を思い出していきたいと思う。そこで、前から、都内の某所で約20名がはいっただけで、いっぱいになってしまうほどの小さなお店で、「ジョン・レノン追悼コンサート」に参加してきた。ひとり、2曲まで、ジョン・レノンかビートルズの曲しか演奏したり歌ったりしてはいけない、という集まりだ。僕は、ウクレレを持って参加し、弾き語りやソロを演奏してたりした。しかし、ここ1-2年は、いそがしくて12月8日の夜の予定が立たず、昨年は、すでに参加希望者の予約が満杯で、参加できなかった。ことしも、12月8日の仕事のめどが立ったころに、連絡をいれたが、3名のキャンセル待ちだといわれた。普通なら、3名ぐらいのキャンセルまちは、当日までに参加可能になる場合が多いのかもしれないが、「ジョン・レノン追悼コンサート」だけは、様子が違うようだ。予約のお客さんは、みな熱心なファン。キャンセルするようなひとはいなかった。そして、今年も、僕は「ジョン・レノン追悼コンサート」に参加できなかった。でも、キャンセル待ち3名、といわれた時点で、ぼくは、万が一、参加可能になる場合にそなえて、曲を練習していた。ビートルズ関連の曲として、ポール・マッカートニーの「My Love」のウクレレ・ソロジョンの曲で、「ジェラス・ガイ」と「(Just Like)Starting Over」の弾き語り。特に、「(Just Like)Starting Over」は、ジョンが亡くなった1980年に40歳になったジョンが、ひさしぶりに活動を再開し、「Double Fantasy」というアルバムを発売した、そのアルバムの中の代表曲だ。前には、この都内某所の「ジョン・レノン追悼コンサート」で、何の、リハーサルも打ち合わせもなく、ぼくのボーカルに、お店のマスターとお客さんが、ベース、キーボード、ギターで伴奏をつけてくれた曲。今回は、自分のウクレレの弾き語りでやってみようと思った。ギター用の楽譜を買ってきて、コードをウクレレ用に移し変える。6弦のギターから4弦のウクレレにコードをかえる場合、自動的に、ウクレレのコード譜をあてはめればいい、ということではすまないことがある。そこで、ウクレレの弦を左手で押さえて、半音あげたり、下げたり、ずらしたりして、ふさわしいコードを手探りで見つける。そんなこともやってみた。今年も、残念ながら、みんなと一緒に、ジョンの歌を歌うことは出来なかったけれども、そのための準備をしながら、ジョンのメッセージを噛みしめる、という行為は、それだけで、ジョンへの追悼になった気がする。たとえ、12月8日にみんなと一緒でなくても、ジョンの残してくれた音楽と言葉は、その志で、僕たちをひとつにしてくれる。「ジョン・レノン追悼コンサート」では、きっといつものように最後は全員で、「Imagine」と「Happy Xmas (War Is Over)」を歌っているのだろうなあ。その歌声が、ぼくにも聴こえる気がした。
2008年12月08日
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月9と言えば、恋愛ドラマの王道だったはずだが、今期から『西遊記』がはじまった。残念ながら初回を見逃してしまったが、視聴率は歴代の高視聴率の仲間入りだそうである。月9でなぜ『西遊記』かは、こんどコメントするとして、第2回を見てみたが、ばからしいようで面白く楽しめた。三蔵法師は、深津絵里。彼女は演技力に定評があるが、なぜか顔つきと目の印象が変わった。もしかしたら坊主頭で演技するために、プチ整形をしたのではないかと、よからぬことを想像している僕。この役は、1978年でしたっけ、今でも永遠の美女カテゴリーで不動の位置を占める夏目雅子が演じた役だけに、深津絵里もかなりやりにくかったのではないか。そこで、三蔵法師は今回のドラマでは馬に乗らないことになっている。深津絵里は、演技力があるから、まあ、心配はないだろうけれども。孫悟空は、香取慎吾。慎吾ちゃん、ちょっと演技がオーバー過ぎない?というか、いつもテンション高いばっかりだとドラマではうまくいかないのでは、とちょっと心配になった。この役は、かつて堺正章が演じた役。堺氏の器用さは慎吾ちゃんになはいが、若さとエネルギーで見事最後まで演じきってね。かつては沙悟浄=岸部シローだったが、今回は内村光良。うっちゃんのひょうひょうとした態度の演技。素なのか演技だかわからない、そのそっけなさは、沙悟浄役としてはうってつけか。猪八戒=西田敏行だったのだが、今回は、伊藤淳史。そう、あのドラマの「電車男」ブタが太っていないことに違和感を覚えるかもしれないが、『電車男』並に、おどおどしながらも、一生懸命なところが案外ドラマを面白くしているポイントでもある。音楽も、1978年の時は、ゴダイゴの『ガンダーラ』という大ヒット曲を生み出したが、今回の『Around The World』by MONKEY MAJIKはどこまでヒットするか。これもまた楽しい番組がはじまった☆
2006年01月16日
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ウェザー・リポートでジャコ・パストリアス(b)と完璧なリズム隊を組んでいたピーター・アースキン。実は、ぼくは彼にお酒をおごってもらって飲んだことがある。NYというのは、驚くほどミュージシャンとお客の距離が近い。ジャズ・クラブでの空間的な距離もそうだが心理的な距離も近い。ピーター・アースキンはウェザーリポートに加入する前、実はビッグバンド・ジャズのドラムスを叩いていたのだが、ウェザー・リポートの加入から脱退後は多彩な活動をしている。【1981年ウェザーリポートで来日したピーターアースキン】【最近のピーター】マイク・マイニエリ(vib)がリーダーのステップス・アヘッドでの活躍のほか、ジャコ・パストリアスのビッグバンドへの参加。ウェザーリポートの最後のアルバム「This is This」への再加入。ウェザーリポート解散後のウェザーアップデイトでのドラムス。ボブ・ジェイムスのアルバム、ボブ・ミンツァーのコンボへの参加など精力的だった。マイケル・ブレッカー(ts)、マイクスターン(g)、小曽根まこと(p)やジョニー・ミッチャル(vo)のCDにも参加しているちょうどそんな時、彼がたしかジョン・アバンクロンビー(g)マーク・ジョンソン(b)とのトリオでNYの、今はなき「ファット・チューズデイ」というジャズ・クラブに出演して、演奏が終わったあと、ぼくはピーター・アースキンに声をかけた。すると、彼は気さくに「ちょっとバーカウンターで待っててくれ。ちょっとトイレに行ってくるから。戻ってきたら酒をおごるよ」日本でも、ハワイ音楽の世界ではこうしたファンとミュージシャンの親密な関係はありえるかもしれない。しかし、あの天下のウェザーリポートにいたピーター・アースキンが「酒をおごってあげるからちょっと待ってて」だなんて。歓喜したぼくは、その後、彼と音楽や彼の家族の話をした。その時、ぼくは「日本では、ドラムスでは、あなたとオマー・ハキムとスティーブ・ガッド、ベースではジャコとヴィクター・ベイリーが人気があるんですよ」と言った。ピーターは「ありがとうい」と言った後、「ジャコはもちろん、ヴィクター・ベオリーがどんなに優れたベーシストであるかを語った。それから、オマーハキムのドラムスのプレイも凄いね、」という話をした。しかし、スティーブ・ガッドについて、彼は一言も話さなかった。お世辞でも、彼は凄いよね、とは言わなかったのだ。この時、ぼくはうすうす感じていた。スティーブ・ガッドはあらゆるタイプの音楽をこなし、日本ではドラムスの神様といわれるほどのひとだが、残念ながら彼のキャリアのメインは、セッション・マンなのだ。呼ばれるままにスタジオに行き、簡単な説明を受けると、はい、といって素晴らしいドラムスを叩いて、それでは、と帰っていくという。自分が叩いたドラムスが後でどう加工されるか、編集されるかほとんど知らずに。もちろん、「スタッフ」や「ガッド・ギャング」など、スタジオ・ミュージシャンが集まって自己主張したアルバムもあるし、スタッフはフュージョン・ブームの牽引車でもあった。でも、ぼくは、なんとなく、ピーター・アースキンに限らず、ジャズ界の中にあって、パーマネントなグループや自分のソロを沢山出す仕事をメインにやっている人と、場合によっては誰か分からない日本のタレントのバックであっても、スタジオ録音をしているセッション・マンとの間に、大きな意識の差、というか格の違いの意識みたいなものがあるんじゃないかナァ、と感じたのだ。もちろん、ピーターはといぇも気さくで人柄もいいし、僕自身、スティーブ・ガッドはやはり素晴らしいドラマーだとは思うけれども、ジャズ・ファン、音楽ファンには、うかがいしれない格の違いがどうも存在するのかな、と思った。ピーターの人柄がいいことは疑うべくもなかった。だいたい、「ちょっとトイレに行って来るから待っててね」なんて気安くファンに言ってお酒をおごってくれるなんて、人柄がよくなければ出来るものではない。また、彼は自分の家族について話をしてくれて、どうもその話では奥さんは日本人だという。また娘が生まれて可愛いんだよ、なんていうことを話していた。ぼくの思い違いかなとも思って調べてみると、奥さんは「ムツコ」という日本人。Mutsyと呼んでいるようだ。娘さんはMayaさん。今では、彼女も大きくなってピーターの音楽的インスピレーションに新しい情報を持って刺激してくれるようだ。最近のピーターの活動は、今年の1月に、マイク・マイニエリとステップス・アヘッド 20周年記念のライブをやるようだし、2月には、パリ(フランス)、コペンハーゲン(デンマーク)、ミラノ他(イタリア)などで、ジョン・スコフィールド(g)、ビル・フリーゼン、マーク・ジョンソン(b)とのユアーに出るようだ。今でも第一線で活躍しているのが嬉しい。さて、そのピーター・アースキンがジャコと最高のリズムセクションを築いていた時のアルバム、ナイト・パッセージ「Night Passage」(1980年)とデビュー時と同じバンド名をタイトルにしたウェザー・リポート/’81ウェザー・リポート’81’81 / ウェザー・リポート「Weather Report」(1981年)4ビートも取りれた「Night Passage」はウェザーリポートの最高傑作といわれている一方、「Weather Report」では、ジャコの存在感が薄くなり、ウェインショータの存在感が再浮上するなか、ファンとしてはその究極の完成度へついていけなくなったひとも多い、ときくが僕は、このアルバムもインプロヴィゼイションやインタープレイが迫力の大傑作の一枚であると思う。オススメである。
2007年01月04日
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「Black or White」のマイケル・ジャクソンのビデオを見た人は多いと思う。軽快なリズムで、白人や黒人の男性や女性が連続してどんどん変身していくシーンが印象にのこっている人も多いと思う。曲名とこの映像によって、「人種の違いを越えて」というメッセージがわかりやすい形で伝えられている。何度もそのシーンをMTVなどで見た人も多いと思う。しかし、このプロモーション・ビデオには、コンプリート版、すなわち完全版という長いバージョンがあって、その完全版の最後のシーンは、当時、かなり物議をかもしていたのだ。最近、あらためてこの完全版のビデオを観てみた。ビデオは、アフリカの砂漠と思われる場所で、アフリカの人たちが輪になって踊っているシーンからはじまり、民族衣装を着たバリ(?)またはタイ(?)カンボジア(?)の女性ダンサーとマイケルが踊っているシーン、アメリカの先住民(インディアン)とマイケル、コサック・ダンサー、NYのストリート・キッドなど次々とマイケルと踊っている人たちが変わってゆき、ついに、マイケルはNYの自由の女神の冠の上で踊り、身体を揺すり歌っていく。このシーンでのマイケルは実に堂々としていて、体も存在感も大きく見える。この後、例のいろんな人種の顔が連続して変わっていく映像が出る。最初は、サモア系(本当は何系かわからない)の男性の顔が変化していき、黒人、白人、インド系、中国系と思われるアジア系、などの男性、女性に顔が変身していく。これは、モーフィングという技術で、実在の人間は、最初の男性と最後の黒人女性だけで、途中であらわれた様々な人種の男女はすべてコンピュータが作り出したものだ、ということに当時は驚いたものだ。たしかに、このモーフィングのシーンは、ひとの顔だけではなく、首や肩、胸の上部などが一緒に変化していく。おそらく、各人種の男女の典型的な人物の骨格などのデータをあらかじめ入力しておいて、コンピューターで映像を次々に変えていくのだろうと思う。しかし、たとえば中国系をおもわせるアジア系の女性の顔と肩、鎖骨などの骨格をみると、アジア系にしてはごっつすぎる印象があり、やっぱりデータが作り上げた架空の人物の不自然さを感じる。これは、自分が同じ東アジア系の人間だから気がついたことなのだと思う。ビデオ・クリップでは、ここで、この人物(最後の黒人女性)の撮影が終わって、スタッフがお疲れ様、という感じで終わるのだが、完全版では、ここから先に続きがある。撮影所を抜け出す黒豹がいて、この黒豹がNYのハーレムかサウス・ブロンクスを思い起こさせる雨の降る街かどの路地で、マイケルに変身する。そして、マイケルが息も尽かさぬ切れ味で、音楽がとまった画面で、体全身、手先、つま先、腰、頭、それこそ体全体のすみずみなでコントロールした踊りを披露する。そのマイケルが、路上にとまっていたクルマに乗っかり、次々に窓ガラスを割り始めるのだ。昔、このビデオを見た時は気がつかなかったのだが、マイケルが次々に割っていくクルマの窓ガラスには、ペインティングで文字が書かれていて、よく読むと、最初に割った窓からすには、「ハイル・ヒットラー」と書いてある。ナチスのかぎ十字のマークも見える。次にたたき割った窓ガラスには「Nigger Go Home」と書いてある。ニガーとは黒人に対する蔑称で、黒人よ、とっとと(アフリカに)帰れという差別用語である。次にたたき割ったガラスには「No More Wet Backs」と書いてある。Wet Backsとは、背中が濡れている人、すなわち、アメリカの国境沿いの川を渡ってきた(不法)移民のメキシコ人の蔑称である。これ以上、メキシコ野郎を入国させるな。メキシコ野郎なんかいらねえ、という意味だろう。ご存じのように、その当時からアメリカは、不法・合法を問わず、メキシコや中南米からの移民がいなければ社会・経済が立ちいかない国になっている。さらに、マイケルがハンマーのようなものを投げつけた建物の窓ガラスには「KKK」の三文字が。KKKとは、ご存じのように、白人至上主義者の団体で、白い頭巾をかぶり全身白装束となって、過去、なんども黒人を惨殺してきた集団である。しかも、現在でもこの集団が存在しているというのだから驚く。すなわち、マイケルが次々に叩き割ったガラスは、ユダヤ人の大量虐殺をおこなったナチス、アメリカの黒人差別やメキシコ人(ヒスパニック系といかえてもいい)差別白人至上主義者たちの有色人弾圧や殺戮などに対して、すべてNOをたたきつけたメッセージだったのだ。一聴して、楽しいPopソングで、ビデオを観れば、モーフィングをつかったあらゆる人種の融和を、エンターテイメントとして楽しく見せていた「Black and White」は、そのバックグランドに、とてもシリアスな問題意識、あらゆる人種差別にたいするNOの強いメッセージが隠されていたことになる。アメリカでは、おそらく、いらぬ人種間の対立意識をあおるのではないか、という意見が出て物議をかもしたのだとおもうが、アメリカの歴史、現在の社会の実態をみてみれば、そのメッセージをやわらかなオブラートに包んで、雰囲気としての「人種間の融和」を伝えるよりも、しごくまっとうな主張であって、どこに問題があるのか、と私は思ってしまう。さて、踊りまくって、あばれてガラスをたたき破りまくったマイケルは、また黒豹に変身してNYの路地を去って行って、ビデオは終わる。マイケル・ジャクソンのやわらかなメッセージ、Popソングと極めて質の高いエンターテイメント性の裏側には、憎悪とまではいかなくとも、アメリカ社会の不条理、世界の不条理についてのきわめて強い「反対の意」があったのだということは、知っておいたほうがいいかもしれない。いずれにしても、この「Black and White」の完全版ビデオ・クリップはマル必のビデオ、未観のひとには、ぜひ見てもらいたいと思う。この完全版が見られるのは、マイケル・ジャクソンの「ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー」だ。マイケル・ジャクソン/ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー(DVD) ◆20%OFF!★入荷しました!!(DVD)マイケル・ジャクソン/ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリービデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー / マイケル・ジャクソンソニー・ミュージックダイレクト マイケル・ジャクソン/ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒスト...ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー/マイケル・ジャクソン[DVD]ビデオ・グレイテスト・ヒッツ~ヒストリー【送料無料選択可!】ビデオ・グレイテスト・ヒッツ ~ ヒストリー / マイケル・ジャクソン10%OFF★マイケル・ジャクソン DVD【ビデオ・グレイテスト・ヒッツ ~ ヒストリー】【Aポイント+メール便送料無料】マイケル・ジャクソン Michael Jackson / ビデオ・グレイテス...{Black and White」以外でも、ロングバージョンがおさめられているものが多く「Bad」では、、夏休みかなにかで、白人ばかりの寄宿制の高校から中距離列車に乗ってNYのグランド・セントラル駅についたマイケルが、NYの地下鉄に乗り換えてスラム街の家に帰ってくるシーンではじまる。そこで、昔の仲間たちがワルぶってたかりやひったくりするのをやめさせようと、マイケルが本当のワル(Bad)とは、こういうもんなんだ、と有名なNYの地下鉄駅構内(実際にはLAのスタジオで本物そっくりに再現した)での群舞がはじまる。エディー・マーフィーがビデオ出演し、まるでエディの出演作、アフリカの某国王の王子がNYのクイーンズに行く映画「星の王子ニューヨークへ行く」の設定を彷彿させる「Remember The Time」などのほか、定番のスリラー(ロングバージョンではない)ビリー・ジーンBeat It「オフ・ザ・ウォール」からもっとR&B/ダンス色の濃いRock with YouDon't Stop Til You Get Enough(この辺の曲は、ディスコでよく踊っていた記憶がある。クラブではなくディスコで)が入っているDVDだ。マイケルの歌と映像を永遠に脳裏に焼き付けるためにも、もう二度と観られない、彼のパーフォーマンスを何度でも味わうためにも、一家に一枚、持っていてもいいDVDではないかと思う。マイケルの存在が永遠に僕たちのものになるためにも。。
2009年07月11日
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話題の、ノマディック美術館に行ってきた。ノマディックというのは、「遊牧民の」というような意味で、建築家の坂茂(ばん しげる)が手がけた移動式美術館で、今までに、NYのピア54(マンハッタンのハドソン・リバー側にある防波堤のひとつ)や、サンタモニカで仮設されてきた美術館。で、お台場のノマディック美術館は、世界で3箇所目になる。それぞれの国で、貨物用コンテナを組み立てて、天井が高く大きなスペースを作り、そこにアートや映像の展示を行う。今回のアート・プロジェクトは、カナダ出身のアーティスト、グレゴリー・コルベールの写真や映像を展示している。「Ashes and Snow」と題されたこのプロジェクトは、現在も進行中のようで、グレゴリー・コルベールが15年間かけてやってきた作品、インド、エジプト、ミャンマー、トンガ、スリランカなどなどに長期遠征し、自然の中で、人間と動物が一体となった瞬間を写した写真と映像がみられる。人間と動物が一体になった、というのは簡単だが、どの写真作品も、デジタル画像処理や合成などをおこなっておらず、人間と動物が一体となる瞬間を、おそらくねばりずよく待って撮影したものと思われる。あるいは、撮影する前に、被写体となる人間と動物が、緊張感なく自然に交われるように時間をかけて、ここだ、という時までは撮影という行為を全く行わないのかもしれない。ポスターになっている、「像と少年」の写真が一番有名だが、そのほかにも、水中の象と男性、水中で、お互いのからだを密接にまじわらせながら泳ぐ、くじらと男性老婆や女性とさる、鳥と少女、豹と少女などほんとうに両者がそこに存在するのに、なんの違和感も緊張感もなく、ごく自然に共生しているような写真だ。写真は、日本の和紙に焼き付けられており、1枚1枚、手で作っているらしく、セピア色に焼き付けられた写真の数々は、まさに和紙にこそふさわしい表現になっている。また、写された人間はみな、瞑想しているのか、心地よいのか、ある種の境地の心境になっているのか、みな目をつむっており、動物とよりそうその姿が、一種、東洋的なものを感じさせる。ノマディック美術館の中では、常時、癒し系の音楽が流れており、美術館に行くこと自体が、見るものの心を癒してくれる装置となっている。お台場の、りんかい線「東京テレポート」駅のすぐ近く、6月24日(日)まで、開催しているので、時間と興味のある方はぜひ観にいってもらいたい。
2007年04月21日
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中国出身の衛慧(weihui)という女性作家が1999年ごろの上海の富裕層でせつな的に生きている人たちを描いた本。原題は『上海宝貝』上海ベイビー3年ぐらい前だったと思うが、文庫本の帯に「中国で発禁」という文字が躍っていた。最近、上海への出張が多いので、ビジネスの面からばかりではなく、現代の文化の面からも上海、中国をもっと知りたいと思い、上海にたつ成田空港の本屋さんでこの文庫本を見つけて買って読んでみた。(僕が買った文庫本は第5版で、『発禁』の文字は、帯には付いていなかった。小説の内容は、簡単に書くと、主人公は25歳のココという女性作家がいて、彼女が前作で書いた小説は評判になったが、あまりに過激な内容なので、出版社がおそれて重版しなかった。そのた生活費に不自由になりそうで、あらたな小説を書き始めたが、なかなか先に進まない。そこへ、天天という中国人男性と知り合いになり、しだいに心ひかれ、愛し合うようになる。彼といると心は落ち着き、お互いがお互いを必要としていることがわかる。やがて二人は一緒に住むようになるのだが、天天にはひとつだけ、ココを満たしてくれない面があったのだ。それは彼が性的に不能だったのである。一晩中キスしたり、お互いの身体を愛撫して、それなりの快感はある。じんわりとした快感は感じる。愛し合っているという喜びもある。しかし、1点だけ、ぽかり穴の開いたような空白感がたえずココにはあった。やがて、パーティで知り合ったドイツ人男性マークが、ココには一緒に住む恋人がいると知りながらアプローチをしてくる。ふたりがむさぼりあうようにSEXをするのにさして時間はかからなかった。マークとの激しく突き抜けるような快感を求めて、ふたりのSEXだけの関係は続いた。こころでは、次第にマークを憎み始めながらも、その関係をたつことはココには出来なかった。その他、かつて広州で大きなクラブを経営していたというマドンナ(中国人女性)、彼女の10歳年下の男の子、カリスマ・スタイリストでバイセクシャルの男、などなど世紀末の上海のナイト・シーンが存分に描かれている。ここから先は、ネタばれになるので、小説の内容は書かない。興味を引くのは2つ。ひとつは、小説の各章の最初にいろいろなひとの言葉が引用されているのだけれども、それは、映画『愛人(ラマン』の原作者、 マルグリット・デユラスや、天才的アーティスト、サルバドール・ダリやニーチェやフロイトといった偉人ばかりではなく、ポール・サイモン、ヴァン・モリソン、ボブ・ディラン、スザンヌ・ヴェガといった同時代の音楽アーティストの歌詞が引用されていること。1999年当時の上海では、こういった同時代の情報がどれだけ手に入ったのだろうか。作家の衛慧は、特別にこういう世界の情報を入手できたのか?それとも、一般の中国人もそうした情報にアクセスできたのだろうか?もうひとつは、1999年には上海にも、ロンドン、NY、パリのナイトシーンとなんら変わらない、一種、世紀末的で、煌びやかで、退廃的なナイトシーンがあったのだろうか、ということだ。ぼくは、この本が中国でどう評価されているか知りたくて、つい先日の12月に上海に行ったときに、仕事先の中国人男性・女性の数人(ほとんど全員上海人だと思う)に聞いてみた。すると彼らの評価はこうだった、「衛慧は、身体で小説を書いている、と評価されている」と。ああ、あんまりよく思われていないんだなァ、と思った。同時に、すくなくとも上海ではこの本が「発禁処分」になったことなどない、とのことだった。では、発禁処分になったのは上海以外の中国のどこか(北京など、または内陸部の大都市など)なのか?中国に詳しい日本人にこの本のことを聞いてみると、やっぱり「発禁」になったはずだ、とか「インターネットで沢山の人に読まれた」という答えが。何が真相かぼくには分からない。『上海ベイビー』の内容は、たしかに大胆な性描写が沢山出てくる。おお、中国もここまで表現可能になったのか、とも思う。その意味で、どこまで表現が自由なのかというのは、発禁処分になったかならなかったかで、全然違ってくる。一方、この程度の性描写は、日本の女性作家の小説にもよく出てくるんじゃないかと思う。作家の名前は忘れたが、数人の女性作家は、皮膚感覚というよりは、生理的な感覚、内臓感覚で性描写をしている。そして、このどろどろとした感覚は、決して男性の作家には書けないものだなぁ、と思っている。そうした意味で、中国も日本も、表現の自由さでは(少なくとも小説など、政治に関係ない分野での)あんまりかわらないことと、そうした性描写をごく自然に受け止めている人たちが中国にいるということなのか。『上海ベイビー』は変な期待はせずに純粋に小説として読めば、面白いと思うし、性描写以外の部分でも、上海に生きる人たちは、1999年時点でもう、こんな考え方をしていたのか、とも思う。作家、衛慧については、小説1冊だけで評価するのもなんなので、あと1-2冊読んでみて、それから自分の中での位置づけを決めたいと思う。興味のあるかたは、『上海ベイビー』、ぜひ読んでみてください。それから、中国の方で楽天のブログを書かれている方、ぜひこの本および作家についての中国での評判などを教えていただけると嬉しいです。発禁処分になったかどうかの事実関係を知っている方も、ぜひ教えて欲しいと思います。よろしくお願いします。
2005年12月10日
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邦題が『ニューポートの追憶』。今、なぜハービーのこのアルバムを紹介したいか。このアルバムは、1976年、ニューヨークで開催された「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」で、6月29日、「Retrospective of The Music of Herbie Hancock」と題された、ハービー・ハンコックのさまざまなグループ(ユニット)で演奏されたライブを収録したものだ。【Aポイント+メール便送料無料】ハービー・ハンコック Herbie Hancock / ニューポートの追想【...【ポイント2倍(8/31am9:59迄)】ニューポートの追想/ハービー・ハンコック[HybridCD]【0827秋先2】【送料無料選択可!】ニューポートの追想 [SACD Hybrid] / ハービー・ハンコックハービー・ハンコック/ニューポートの追想《送料無料》ハービー・ハンコック(p)/ニューポートの追想(来日記念盤)(CD)ハービー・ハンコックは、みなさんよくご存知のように、マイルス・デイビスのバンドに在籍し、マイルスの『ビッチェス・ブリュー』では、チック・コリア、ジョーザビヌル、と後のジャズ・フュージョン・シーンを引っ張っていく3人のピアノ・キーボード奏者のひとりとしてレコーディングしており、マイルス・バンドでの活躍以外にもリーダー・アルバムとして『処女航海』(1965年)などの名盤を残し1973年には、のちのジャズ・ファンクの道を切り開く『ヘッドハンターズ』を発表。いまでも、うねうねのファンクは新鮮であり、ジャズのみならず、R&B、ファンク界の後進のアーティストに影響を与えている。正統派的ジャズを演奏する一方で、常に、時代の変化に敏感で、ディスコ・サウンド全盛期には『フィーツ』(1978年)などの作品で、ボイス・ボコーダーで歌まで歌い、ダンス・ミュージックとしては非常にレベルの高いアルバムを録音している。1979年には『ミスター・ハンズ』で、ジャコ・パストリアス(b)とも共演チック・コリアとのピアノ・デュオのライブ・アルバム(1978年)で、ジャズ・ピアノのアドリブの妙を表現したかと思うと、Hip-Hopの時代には、ビル・ラズウェルと組み、『Future Shock』(1983年)を発表。ハービー・ハンコックの考えるHip Hopを表現、音楽界に衝撃を与えたとともに、大ヒットした。さらに、1994年には『Dis Is Da Drum』で、ジャズ、ファンク、Hip Hopに加え、アフリカン・リズム、ポリリズムを大胆に導入したサウンドを生み出すなど、つねに、ジャズ・シーンの先頭に立ち、マルチな才能を発揮し、時代をリードしてきたジャズ・ミュージシャンです。そのハービー・ハンコックが早い時代から、マルチな才能で、全く違うフォーマットの音楽を、それでもジャズというアドリブや即興性の音楽の上に成立させてきた、ごく最初の頃のライブ盤として、『V.S.O.P.~ニューポートの追憶』を紹介したいのです。ジャズ・フェズでのライブ演奏に準じて、2枚のディスクに3組のユニットでの演奏が収められています。最初は、V.S.O.P.の演奏。「V.S.O.P.」とは、みなさんよくご存知のごとく、「Very Special One time Performance(1回限りの演奏)」の略語。このジャズ・フェスだけのために組まれたユニットでしたが、あまりの評判のよさに、その後何年も、このユニットで世界中で演奏することとなります。メンバーは ハービー・ハンコック(エレクトリック・ピアノ)フレディ・ハバード(tp)ウェイン・ショーター(ts、ss)ロン・カーター(b)トニー・ウイリアムス(ds)最初、ハービーは、マイルス・ディビスに参加してもらいたいと考えていたようですが、マイルスは、当時、手術して病気が回復途中であり、もう1年近くトランペットを吹いていなかったので選ばれたのが、フレディ・ハバート。他のメンバーは全員、マイルスの門下生。演奏曲は【Disc 1】1. Piano Introduction 2. Maiden Voyage (処女航海) 3. Nefertiti (ネフェルティティ)4. Introduction of Players/Eye of the Hurricane2と4は、ハービーのリーダー・アルバム『処女航海』(1965年)から3は、ウェイン・ショーター作。ハービーの幻想的なピアノのイントロから、ベース、ドラムスのリズム、そして有名な『処女航海』のメロディがハバートのトランペットとショーターのテナーサックスから紡ぎだされる。トニー・ウィリアムスのドラムスは、例のごとく機関銃のような重戦車タイプなので、ロン・カーターもぐいぐい前に押し進むような演奏。フレディー・ハバートは、マイルスと違って、ばりばりトランペットを吹きまくり、ショーターは天才的フレージングを繰り出す。ストレート・アヘッドなジャズだけれども、かなり激しく、当時、ジャズ・フュージョンの台頭の中で、こういうジャズの演奏はかえって新鮮にうつった。そして、この「V.S.O.P.」のクインテットは、来日もし、今は無き「田園コロシアム」で伝説のライブも繰り広げた。ぼくは、FMラジオで、その伝説のライブを聴いた覚えがある。さて、【Disc 2】では、2つのユニットの演奏が収められている。ひとつは、ハービー・ハンコック(ep, Key)エディ・ヘンダーソン(tp、フリューゲルホーン)ベニー・モウピン(fl)ジュリアン・プリースター(tb)バスター・ウイリアムス(b)ビリー・ハート(ds)演奏曲は5. Toys 6. Introductions 7. You'll Know When You Get Thereこのユニットは、ハービーの当時のレギュラー・ユニットだったらしく1973年のハービーのリーダー作『Sextant』と、メンバーが一致する。ドラムスのビリー・ハートは、ロンドンでスタン・ゲッツと共演して、すぐにNYに飛び、6月29日に、リハーサルと本番をこなして、その日のうちにまた、ロンドンへ戻るという離れ業をやったらしい。ジャズ・ユニットで、スペーシーなエディ・ヘンダーソンのトランペット、ベニー・モウピンのフルートなどがフィーチャーされる一方、バスター・ウィリアムスのベースがとても強力で、R&B、ファンク的要素をはらんでおり、刺激的な演奏である。なお、演奏曲の『Toys』は、アルバム「Speak Like A Child」(1968年)から、『You'll Know When You Get There』は、「Mwandishi」(1970年)から、いづれも、ハービーのオリジナル曲である。第3部【Disc 2】のもうひとつのユニットは、ハービー・ハンコック(ep、key, シンセ)ベニー・モウピン(ss、ts、Lyricon)/ワゥ・ワゥ・ワトソン(g)レイ・パーカーJr.(g)ポール・ジャクソン(b)ジェームス・レヴィ(ds)ケネス・ナッシュ(per)で、やっている音楽は、まさに1973年の歴史的名盤『ヘッドハンターズ』の世界なのだが、メンバー的には、1976年にハービーが発表した『Secrets』の録音メンバーと一致する。ベニー・モーピン(ts, ss)、ポール・ジャクソン(b)は、ヘッドハンターズの録音メンバーと一緒だが、ワゥ・ワゥ・ワトソン(g)とレイ・パーカーJr.(g)の二人のギタリストを配して、左右で強力なリズム・ギターを弾かせ、うねうねファンク・サウンドがさらに磨きがかかっている。ぼくも、このアルバムをアナログ・レコードで聴いていた時は、まだジャズそのものよりも、ジャズ・フュージョンへの興味が強く、この3番目のユニットでの演奏ばっかり聴いていた記憶がある。なお、演奏曲は8.『Hang Up Your Hang Ups』は、アルバム「Man-child」(1975年)収録9.『Spider』は、アルバム「Secrets」(1976年)収録で、いづれもハービーの作品。しかし、今、こうしてこのアルバムをCDで聴いてみると、3つ目のユニットだけではなく、全ユニットの演奏が、相当のテンションと迫力で演奏されており、やはりジャズ・フェスでの歴史的名演奏であったことがわかる。そして、音楽の多様性、幅の広さ、異質の音楽がぶつかった時に生み出されるエネルギーが好きなぼくにとっては、たまらない魅力をたたえた演奏であると、今でもいえる。そして、トニー・ウィリアムスが亡き今ドラムスがやはり、マイルス・バンドでトニーの後釜となった、ジャック・デジョネットとなって、ハービー・ハンコック(p, key)ウェイン・ショーター(ts.as.ss)ロン・カーター(b)ジャック・デジョネット(ds)の布陣で、この秋、 「THE QUARTET」として来日する。伝説の「V.S.O.P.」の再演か。奇跡の復活か。今から、楽しみである。
2007年08月26日
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ジャズ・バーで「いちむじん」のライブがあったので行ってきた。「いちむじん」とは、土佐弁で「一生懸命」という意味だそうだが、高知出身の男性ギター・デュオ。高校の時に、いっしょにクラシック・ギターをやっていて、桐朋学園芸術短大の時に、ギター・デュオを組んだらしい。クラシックの演奏技法の裏づけを持ちながら、レパートリーは、クラシック、映画音楽、オリジナル、Pops、日本の歌と幅が広い。僕は、ビールやワイン、カクテルを飲みながら1st Stageと2nd Stageの両方を楽しんだ。少し酔ったせいもあるかもしれないが、CDの演奏よりも迫力があり、目の前でのギター・デュオの演奏をとっても気持ちよく聴いた。【ポイント5倍★3日am9:59まで】Rui/いちむじん[HybridCD]【送料無料選択可!】Rui [SACD Hybrid] / いちむじん《送料無料》いちむじん/Rui(CD)Ruiいちむじん/Rui【送料無料】Rui / いちむじん演奏曲目は、まず1st Stageから紹介する。1. ギター・ソロ2. 砂漠の石(かれらの2nd CD「ハルモニア」から)3. AME(2nd CD)4. ショパンのピアノ・ワルツ第7番のギター・アレンジ(2nd CD)5. ロンドンデリーの歌(2nd CD)6. Jongo(1st CD「Rui」から)7. Rui(1st CD「Rui」から)8. あじさいいちむじんは、宇高康人(うだか やすひと)と山下俊輔(やました しゅんすけ)のふたり。宇高くんが、いつもステージの左側に座る。1st Stageは、まず、宇高くんがひとりでステージに上がり、客席からみて左側の椅子にすわり、ギター・ソロを演奏した。クラシカルなソロ演奏で、たぶん、「亡き王女のためのパヴァーヌ」かなんかをモチーフにしてアレンジしたものだと思う。「ああ~、緊張した」と宇高くんが言っていると、右側の椅子に山下くんが座っった。2曲目の「砂漠の石」では、激しいストロークを弾くなど、クラシック音楽の中にとどまらない演奏。ふたりとも、ギターをラインでつなぎながら、マイクでも音を拾っている。小さいお店だが、おおきなPAがあり、なかなかバランスがいい。弦をチューニングしなおしながら、次の曲を紹介。「ショパンのワルツ第7番」。ウクレレ程ではないいしろ、ギターもやっぱり、スポットライトをあびながら演奏していると、チューニングが微妙にくるってくるんだなと思った。曲のあいまの、ふたりの会話というかMCは、饒舌では全然なくて、ぼくとつというか素朴で、ゆったりとしていて二人の人柄が出ていていい。たまに、土佐弁が出るが、イントネーションや語尾がかわるだけで、それもいい味のひとつとなっている。アイルランド民謡の「ロンドンデリーの歌」(のちに、イギリス人が歌詞をつけて「ダニー・ボーイ」という曲名でも有名になった)を演奏。6曲目の「Jongo」7曲目の「Rui」は、1st アルバムでもハイライト的な曲で、かなり盛り上がって聴いた。休憩をはさんで、2nd Stageへ。(その2へ続く)
2008年01月30日
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