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4年ぶりにバンコクに出張して、一番変わったなと思ったことは何でしょうか?1.バンコクの交通渋滞が前ほどひどくない2.綺麗な黒髪の人が減って、茶髪やパーマなどいろいろな髪型の女性が増えた3.街中で太ったひとを多く見かけるようになった。はい、正解は3番です。ぼくが空港から街中に入ってホテルにチェックインするまでに、この4年間で一番変化したなと思ったのは、このタイ人の体型なのである。タイ人といえば、男女とも小柄でスリムでスタイルがよく、ひかえめな笑みをいつもたたえている、というイメージがあった。ところが、いるわいるわ、多少大柄で太目の体型の人が。別に太目の体型がいけないということではないのだけれども、これは明らかに、食の欧米化が進んでいるのではないかと思った。もしくは、マクドナルドやケンタッキー、スターバックスなどを含めて、ファーストフード化が進み、バンコクに住むタイ人の食生活が不健康になってきているのかもしれない。たとえば、ハワイのひとは、みんな体型が大柄で丸っこいと思っている人が多いかもしれないが、あれも、もともとはタロイモを作って、タロイモを栽培する渓谷を中心にした自給自足にもにた生態系の中ですんでいたハワイのネイティブが、やっぱり、生活スタイルのアメリカ化、食のアメリカ化により、高カロリー、高脂肪の食事を多く取るようになったからではないかとおもわれる。1番も2番も変化に感じたことなのだが、女性の髪形の多様化・カラフル化は、たぶんかなり日本の若者のファッションの影響を受けていると思う。タイといえば、黒くしっとりした長い髪、実は、このイメージは1995年ごろまでの香港でもそうだったが、1996年に出張したときには、香港の若者の茶髪化が進んでいて、おお、ここにも日本の影響が、とちょっと複雑に思ったことを思い出した。髪の茶髪化がいけないわけではないのだが、香港もタイも日本とは違った美の基準がもともとあったのではないかとおもうのだが、インターネットや雑誌、テレビを通して、アジアの若者がみな似たようなファッションや髪形になっていくのは、いいことなのか、悪いことなのか。さて、そんなことを思ってバンコクのタイ人に話をすると、顔の形まで、最近の韓国ドラマや日本のファッションの影響で、東アジア顔が好まれるようになった、というのである。確かに、前は、(いまでも)シャンプーのコマーシャルに出てくるような女性は、タイ人と西洋人のハーフかクォーターでとても美人の顔をしている。前は、ほんとに美人が多いなあ、日本のタレントは個性的だけれどもこんなに美人じゃないよなぁ、と思っていたが、どうも事情が違ってきたらしい。そういう顔が憧れである、というひともまだいるのだろうが、韓国・日本の東アジア顔の人気が急上昇しているのだ。Golf & Mikeというのが典型的にそういう東アジア系アイドルの顔をした男性2人組ユニットだ、といわれて、バンコクのあちこちのCDショップを回ったが、なぜか人気が高いのか、どこも売り切れ。そこでしかたなく、2番目に人気という男性ユニットのCDジャケットの写真を撮ってきたのが、トップの写真。彼らがなんというユニットだったかは忘れてしまった。ところが、帰国してみるとジャニーズの山下智久くんが、Golf & MikeとGYMというユニットを組んだという芸能ニュースが飛び込んできた。そうなんです。Golf & Mikeは、タイに進出したジャニーズ事務所がプロデュースしているらしいのです。タイ版ジャニーズJr.といったところらしい。まあ、そういう仕掛け人がいたとしても、今のタイでは、従来のもて顔に変化が訪れているようです。タイの歴史に詳しい人によれば、タイ人のルーツは、1.中国雲南省あたりから南下してきた人々2.今のミャンマー、ラオスなどのクメール系の人々3.南から北上してきたマレー系の人々が混ざり合った民族らしいです。そして、アジアのほかの国とは違い、私は中国系だから、とか何々系で独立しているわけではなくタイ人としてのアイデンティティを持っているので、各民族およびその交流により生まれたひとびとは、わりと平和に暮らしてきたらしい。一説によると、バンコクのタイ人の8割がたは、なにがしか中国系の血が混じっているともいわれます。そんな予備知識をもらいながら、街中やショッピング・モールを歩くバンコクのタイ人の顔をゆっくり観ていると、いるわいるわ、本当に多様な顔がいっぱいあって、その中に、東アジア系のような顔かたちのひとたちもいることを。だから、日本人もバンコクで暮らしてタイ語もうまくしゃべり、社会に溶け込んでしまえば、何人がかにわかにわ分からなくなると思います。そんな風にして、タイに長期滞在している日本人も多いらしいです。
2006年07月25日
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邦題が『ニューポートの追憶』。今、なぜハービーのこのアルバムを紹介したいか。このアルバムは、1976年、ニューヨークで開催された「ニューポート・ジャズ・フェスティバル」で、6月29日、「Retrospective of The Music of Herbie Hancock」と題された、ハービー・ハンコックのさまざまなグループ(ユニット)で演奏されたライブを収録したものだ。【Aポイント+メール便送料無料】ハービー・ハンコック Herbie Hancock / ニューポートの追想【...【ポイント2倍(8/31am9:59迄)】ニューポートの追想/ハービー・ハンコック[HybridCD]【0827秋先2】【送料無料選択可!】ニューポートの追想 [SACD Hybrid] / ハービー・ハンコックハービー・ハンコック/ニューポートの追想《送料無料》ハービー・ハンコック(p)/ニューポートの追想(来日記念盤)(CD)ハービー・ハンコックは、みなさんよくご存知のように、マイルス・デイビスのバンドに在籍し、マイルスの『ビッチェス・ブリュー』では、チック・コリア、ジョーザビヌル、と後のジャズ・フュージョン・シーンを引っ張っていく3人のピアノ・キーボード奏者のひとりとしてレコーディングしており、マイルス・バンドでの活躍以外にもリーダー・アルバムとして『処女航海』(1965年)などの名盤を残し1973年には、のちのジャズ・ファンクの道を切り開く『ヘッドハンターズ』を発表。いまでも、うねうねのファンクは新鮮であり、ジャズのみならず、R&B、ファンク界の後進のアーティストに影響を与えている。正統派的ジャズを演奏する一方で、常に、時代の変化に敏感で、ディスコ・サウンド全盛期には『フィーツ』(1978年)などの作品で、ボイス・ボコーダーで歌まで歌い、ダンス・ミュージックとしては非常にレベルの高いアルバムを録音している。1979年には『ミスター・ハンズ』で、ジャコ・パストリアス(b)とも共演チック・コリアとのピアノ・デュオのライブ・アルバム(1978年)で、ジャズ・ピアノのアドリブの妙を表現したかと思うと、Hip-Hopの時代には、ビル・ラズウェルと組み、『Future Shock』(1983年)を発表。ハービー・ハンコックの考えるHip Hopを表現、音楽界に衝撃を与えたとともに、大ヒットした。さらに、1994年には『Dis Is Da Drum』で、ジャズ、ファンク、Hip Hopに加え、アフリカン・リズム、ポリリズムを大胆に導入したサウンドを生み出すなど、つねに、ジャズ・シーンの先頭に立ち、マルチな才能を発揮し、時代をリードしてきたジャズ・ミュージシャンです。そのハービー・ハンコックが早い時代から、マルチな才能で、全く違うフォーマットの音楽を、それでもジャズというアドリブや即興性の音楽の上に成立させてきた、ごく最初の頃のライブ盤として、『V.S.O.P.~ニューポートの追憶』を紹介したいのです。ジャズ・フェズでのライブ演奏に準じて、2枚のディスクに3組のユニットでの演奏が収められています。最初は、V.S.O.P.の演奏。「V.S.O.P.」とは、みなさんよくご存知のごとく、「Very Special One time Performance(1回限りの演奏)」の略語。このジャズ・フェスだけのために組まれたユニットでしたが、あまりの評判のよさに、その後何年も、このユニットで世界中で演奏することとなります。メンバーは ハービー・ハンコック(エレクトリック・ピアノ)フレディ・ハバード(tp)ウェイン・ショーター(ts、ss)ロン・カーター(b)トニー・ウイリアムス(ds)最初、ハービーは、マイルス・ディビスに参加してもらいたいと考えていたようですが、マイルスは、当時、手術して病気が回復途中であり、もう1年近くトランペットを吹いていなかったので選ばれたのが、フレディ・ハバート。他のメンバーは全員、マイルスの門下生。演奏曲は【Disc 1】1. Piano Introduction 2. Maiden Voyage (処女航海) 3. Nefertiti (ネフェルティティ)4. Introduction of Players/Eye of the Hurricane2と4は、ハービーのリーダー・アルバム『処女航海』(1965年)から3は、ウェイン・ショーター作。ハービーの幻想的なピアノのイントロから、ベース、ドラムスのリズム、そして有名な『処女航海』のメロディがハバートのトランペットとショーターのテナーサックスから紡ぎだされる。トニー・ウィリアムスのドラムスは、例のごとく機関銃のような重戦車タイプなので、ロン・カーターもぐいぐい前に押し進むような演奏。フレディー・ハバートは、マイルスと違って、ばりばりトランペットを吹きまくり、ショーターは天才的フレージングを繰り出す。ストレート・アヘッドなジャズだけれども、かなり激しく、当時、ジャズ・フュージョンの台頭の中で、こういうジャズの演奏はかえって新鮮にうつった。そして、この「V.S.O.P.」のクインテットは、来日もし、今は無き「田園コロシアム」で伝説のライブも繰り広げた。ぼくは、FMラジオで、その伝説のライブを聴いた覚えがある。さて、【Disc 2】では、2つのユニットの演奏が収められている。ひとつは、ハービー・ハンコック(ep, Key)エディ・ヘンダーソン(tp、フリューゲルホーン)ベニー・モウピン(fl)ジュリアン・プリースター(tb)バスター・ウイリアムス(b)ビリー・ハート(ds)演奏曲は5. Toys 6. Introductions 7. You'll Know When You Get Thereこのユニットは、ハービーの当時のレギュラー・ユニットだったらしく1973年のハービーのリーダー作『Sextant』と、メンバーが一致する。ドラムスのビリー・ハートは、ロンドンでスタン・ゲッツと共演して、すぐにNYに飛び、6月29日に、リハーサルと本番をこなして、その日のうちにまた、ロンドンへ戻るという離れ業をやったらしい。ジャズ・ユニットで、スペーシーなエディ・ヘンダーソンのトランペット、ベニー・モウピンのフルートなどがフィーチャーされる一方、バスター・ウィリアムスのベースがとても強力で、R&B、ファンク的要素をはらんでおり、刺激的な演奏である。なお、演奏曲の『Toys』は、アルバム「Speak Like A Child」(1968年)から、『You'll Know When You Get There』は、「Mwandishi」(1970年)から、いづれも、ハービーのオリジナル曲である。第3部【Disc 2】のもうひとつのユニットは、ハービー・ハンコック(ep、key, シンセ)ベニー・モウピン(ss、ts、Lyricon)/ワゥ・ワゥ・ワトソン(g)レイ・パーカーJr.(g)ポール・ジャクソン(b)ジェームス・レヴィ(ds)ケネス・ナッシュ(per)で、やっている音楽は、まさに1973年の歴史的名盤『ヘッドハンターズ』の世界なのだが、メンバー的には、1976年にハービーが発表した『Secrets』の録音メンバーと一致する。ベニー・モーピン(ts, ss)、ポール・ジャクソン(b)は、ヘッドハンターズの録音メンバーと一緒だが、ワゥ・ワゥ・ワトソン(g)とレイ・パーカーJr.(g)の二人のギタリストを配して、左右で強力なリズム・ギターを弾かせ、うねうねファンク・サウンドがさらに磨きがかかっている。ぼくも、このアルバムをアナログ・レコードで聴いていた時は、まだジャズそのものよりも、ジャズ・フュージョンへの興味が強く、この3番目のユニットでの演奏ばっかり聴いていた記憶がある。なお、演奏曲は8.『Hang Up Your Hang Ups』は、アルバム「Man-child」(1975年)収録9.『Spider』は、アルバム「Secrets」(1976年)収録で、いづれもハービーの作品。しかし、今、こうしてこのアルバムをCDで聴いてみると、3つ目のユニットだけではなく、全ユニットの演奏が、相当のテンションと迫力で演奏されており、やはりジャズ・フェスでの歴史的名演奏であったことがわかる。そして、音楽の多様性、幅の広さ、異質の音楽がぶつかった時に生み出されるエネルギーが好きなぼくにとっては、たまらない魅力をたたえた演奏であると、今でもいえる。そして、トニー・ウィリアムスが亡き今ドラムスがやはり、マイルス・バンドでトニーの後釜となった、ジャック・デジョネットとなって、ハービー・ハンコック(p, key)ウェイン・ショーター(ts.as.ss)ロン・カーター(b)ジャック・デジョネット(ds)の布陣で、この秋、 「THE QUARTET」として来日する。伝説の「V.S.O.P.」の再演か。奇跡の復活か。今から、楽しみである。
2007年08月26日
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キース・エマーソンが来日中だ。エマーソン・レイク&パーマー(ELP)のキース・エマーソンだ。(正確には、キース・エマソンというらしいが)本当なら、今頃、彼のライブ・レポートを書いているはずだったのだが、急な用事が入ってしまって、ライブに行くことが出来なかった。なので、くやしので、彼らのキャリアの中でも最高の出来といわれているライブ盤「レディス&ジェントルメン(現題:Welcome back my friends, to the show that never ends~~~ Ladies and Gentlemen)」を聴いている。エマーソン・レイク&パーマーは1970年に結成されたイギリスのプログレッシブ・ロックバンド。日本では、キング・クリムゾン、YES,ピンクフロイドなどとともに絶大な人気をはくしていた。エマーソン・レイク&パーマー(1970年)タルカス(1971年)展覧会の絵(1971年)トリロジー(1972年)恐怖の頭脳改革(1973年)エマーソン、レイク&パーマー/恐怖の頭脳改革(紙ジャケット仕様)1973年-74年頃だと思うが、当時の「ミュージック・ライフ」の人気投票で、YESと競って、いつもグループ部門の1位か2位、楽器のパート部門でも、キース・エマーソンがYESのリック・ウェイクマンを抑えていつも1位だった記憶がある。レッド・ツエッペリンやディープ・パープルといったハード・ロック勢は、日本にプログレッシブ・ロックの波が来ると、ミュージック・ライフの人気投票のトップの座から滑り落ちていた気がする。また、デビュー時からクイーンも、いち早くミュージック・ライフが表紙に取り入れるなど、本国イギリスよりもさきに日本で人気の出たきっかけのひとつになった雑誌だったと思う。ぼくは、どちらかというとYES支持派だったのだが、さて、ぼくはそれまで、「ロック・バンド」=「ギターが必ずいるバンド」という先入観があったために、最初にELPを聴いた時にはぶったまげた。キース(キーボード、オルガン、シンセ、ピアノ)グレッグ・レイク(ボーカル&ベース、たまにアコースティック・ギター)カール・パーマー(ドラムス)の3人のバンドが、ものすごい広がりのあるサウンドを創り上げていたからだ。キース・エマーソンのキーボード・プレイや作曲する曲にはかなりのクラシック音楽の要素が入っている。ムソログスキーの「展覧会の絵」を、そのまま3人のプレイで、見事なプログレッシブ・ロックのサウンドで表現したアルバムがあり、ぼくの愛聴盤にもなっていたし、実際、ELPは、このアルバムで世界に名前をとどろかせることとなった。いまでこそ、ロックとクラシックの融合、共演はよくおこなわれるようになっていたが、当時のロックとクラシックの融合への試みは、かなりちぐはぐというか、聴いていてお粗末なものが多かったが、ELPは、見事にクラシックの要素を曲の中に取り入れていただけではなく、曲自体も、20分、30分の組曲形式のロック・サウンドというのはやはり異彩を放っていた(YESも1曲20分、30分の長い曲を沢山演奏しているが)クラシックを取り入れているとはいえ、キース・エマーソンのキーボードは、かなり鋭角で攻撃的なサウンドだ。また、カール・パーマーのたたきだすドラム・サウンドも豪快で、やはりロックそのもの。ときおり、バラード調の曲で弾き語りするグレッグ・レイクのボーカルは、激しくとぎすまされた3人の演奏の合間にあらわれ、そこがまたぐっと男心をくすぐる。両方とも、キング・クリムゾンにいた経歴があるため、よく比較されるジョン・ウェットン(ベース&ボーカル)とともに、ぼくのお気に入りのベーシストでもあった。さて、そんな彼らの絶頂期の演奏は、実は今考えてみると、1970年のデビュー・アルバム「エマーソン・レイク&パーマー」から、今日、ご紹介するライブ盤「レディース&ジェントルマン」の発売の1974年までで、実は、今も活躍している他のプログレ・バンドが多数いるなか、とても短命だったのだなぁ、とも思う。もちろん、バンドとしてその後もアルバムを出し続け、再結成されたりもしているが、この5年間の充実振りには、やはりはるかに及ばないと思う。ぼくは、NYで、ELPがエマーソン・レイク&パーマーではなくドラムスがコージー・パウエルで復活した時のライブを1回、また、日本でその後、オリジナルのELPで来日した時の復活ライブを1回だけ観たことがある。アメリカでの公演で実は、意外なことに気が付いた。NYではじつにさまざまなライブに行ったが、ELPの客層は、ジーンズをはいたどちらかというとワーキング・クラスっぽいお客さんのほうが多数派だった。日本では、プログレはどちらかというとインテリ層の支持が高かったと思うのだが、NYでの客層にかなり驚いた。そして、その時の迫力ある演奏に、かつて渋谷陽一が「ロックとは、暴力願望、破壊願望を表現したものだ(だから暴力そのものではない。という文脈なのだが)」の「ロック」とは「暴力願望」という言葉がみごとにELPのサウンドを言い当てているように思った。その後、日本にオリジナル3人の復活ライブで来日した時のステージでは、キース・エマーソンが、オルガンの上に馬乗りになっ演奏し、オルガンをゆすり回転させ、最後にはナイフで突き刺すのだが、NYのステージの時と違って、あきらかにこれからこのオルガンを壊します、というようなはじめからぼろぼろの楽器だったのに、ちょっと興ざめした覚えがある。まあ、そんなわけで、今現在のキース・エマーソンはどんな演奏をするのだろうと、とっても楽しみにしていたわけだが。さて、ELPは、その短い最盛期の5年間に次々に精力的にプログレッシブ・ロックの名盤を発表している。エマーソン・レイク&パーマー(1970年)タルカス(1971年)展覧会の絵(1971年)トリロジー(1972年)恐怖の頭脳改革(1973年)そして1974年のライブ盤「レディース&ジェントルマン」かなりハイペースで、いずれおとら名盤だ。だから、いまからもしELPを聴いてみたい、というひとには、ぼくはぜひ1974年のライブ盤「レディース&ジェントルマン」をオススメしたい。ライブ演奏として本当に3人で演奏しているのか、というぐらいに壮大でクラシックの要素がありながら、攻撃的なロックでもあり、メロディアスなボーカルもある。まさに、4年間に5枚出したスタジオ録音版の集大成てきなものだからだ。このライブ盤は、当時3枚組みの大作として発表されている。紙ジャケットで20bitの高音質で復刻されたCDは、2枚組みになっているが、紙ジャケットは、当時のまま正確に復刻されており、3枚見開きの形になており、それぞれ、E,L,Pの文字が書かれている。そして、(アナログLPはA面、B面があったわけだから、3枚組みのLPというのは6面あるわけで)ジャケトにはside one, side two, side three, side four, side five, side sixとかかれている。LPで3枚、現在の復刻版CDで2枚組みのライブ演奏は、みっちり2時間弱。「展覧会の絵」をのぞくすべてのアルバムから代表曲が入っており、とくに、Disc 1には、7つのパートからなるタルカスの組曲、(27分)Disc 2には、頭蓋骨の絵がセンセーショナルだった「恐怖の頭脳改革(Brain Salad Surgery)」の中の、「悪の教典#9」(35分)が収録されており、ライブでそれだけの長編曲を演奏していたすごさが聴かれる。「レディス&ジェントルマン」の最初の1曲、「ホウダウン」では、キース・エマーソンの、ハモンド・オルガンよりは乾いた感じのキーボードのクラシカルな速弾きと、当時のアナログシンセの効果音にまずぶったまげると思う。2曲目の「聖地エルサレム」では、キーボードの切れ込むサウンドに、哀愁のあるグレッグ・レイクのボーカルがかさなり、キーボードの音もそれにあわせ荘厳な雰囲気をかもし出す。続いて、Ginasteraのピアノ・コンチェルト 第4楽章をアレンジした「トッカータ」では、鐘の音や、ティンパニーの連打のように聴こえるカール・パーマーのドラムスは時に、これは並みのロック・バンド、普通のプログレッシブ・ロックバンドではないなと気が付かれると思います。当時のELPは、キース・エマーソンのオルガンへナイフを刺すパーフォーマンスだけではなく、カール・パーマーが2.3トンあるドラムス・セットとその台(ドラムス・ライザー)を上下反転して回転しながらドラムスを叩くという離れ業をやっていたらしい。その後、いくつかのロックバンドがこのパーフォーマンスを真似しているが、抜群の演奏力と作曲・編曲能力、ステージ・パーフォーマンスの凄さ、誰も聴いたことのないサウンドで、ずばぬけたバンドであったことは間違いないと思います。今、31年の年月をへて当時のライブ盤を聴いていてもその魅力へ輝きつづけ、キーボードを中心としたトリオ(3人編成)のロック・バンドがいくつかでてきたが、誰もELPを超えられなかったのはいうまでもありません。プログレッシブ・ロックファンだけではなく、ロックを聴くからにはELPを一度は聴いて味わってください。そしてどのアルバムから聴いたらいいかわからない時には、ぜひこの1974年のライブ盤「レディース&ジェントルメン」をオススメします。追記組曲「タルカス」の6曲目に、キング・クリムゾンの有名な一節が歌われます(コンフュージョン・ウィル・ビー・マイ・エピタフ)
2005年10月16日
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ホーチミンに着いて数日になるが、ホーチミンの中心街では、アオザイを着ている女性をほとんど見かけない。アオザイを着ているのは、ちょっとおしゃれというか高級のレストランのウェイトレスか、ベトナムのシルクを売っているお店の店員だけ。オフィスの女性は、みなビジネスっぽい服装だし、街でもスカートやパンツはみてもアオザイを着ているひとをみかけないのだ。今日、たまたまホーチミンの郊外に出かけたが、そこではじめて、白いアオザイを着て、自転車で通学している高校生をみかけた。オフィスの女性スタッフに事情を聞いてみると、前は高校生の女性は全員、上下白いアオザイを着ることが決められていたが、最近は、だんだんスカートなどになり、アオザイを来ている高校生が減ったそうだ。というのも、実はアオザイは、身体にぴったりとしたものを着るので、とても窮屈なものなのだそうだ。動きにくいし、最近はあんまりみんな着なくなってしまった、とのこと。外国人の私が、勝手なことをいうのもなんだけれども、こういう民族的な服装はぜひ残してもらいたいと思う。でも、それってきっと、日本にやってきた外国人が、「なんだ!着物を着ている女性なんて全然いないじゃないか!」って言っているのと同じかもしれない。数年前に読んだベトナムに関する本では、ベトナムの高校の門で待ち構えて、下校して出てくる女子高生のアオザイ姿を写真に撮っている日本のプロカメラマンがいて、困ったもんだ、というようなことを読んだ気がする。まあ、日本でも京都の舞妓さんが出勤する時に、外国人、主に欧米人がとりかこんで写真を撮りまくるので、歩けない。なかには急に後ろから肩を組んできて写真を友達に撮ってもらう不届きな欧米人がいるので、今は、男性と女性数人でガードしながら舞妓さんを出勤させているそうだ。彼女たちの服装は、出勤のためのもので、観光客に見せるために着ているのではない、とねばり強く伝えていく、というようなニュースがあった。日本人も欧米人も、よその国にいくと、その国の伝統的な衣装を、面白がって興味本位でみて、つい度を越してしまうのかもしれない。しかし、アオザイって、日焼けから肌を守り、かつ風通しがいい、伝統的な知恵のつまった衣装だと思うので、やっぱり街の中心では、みられない、というのはちょっとさみしい気がする。
2009年03月21日
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NHKのみんなの歌で、「レレの青い空」という歌をやっていた。♪ポロンと弾けば 心はパラダイス悲しいときも つらい時もポロンと弾けば 心は青い空雨の日も かぜの日も♪最初、モノクロ(というか、茶色っぽい色の濃淡の単色)だったのが、後半、ウクレレをポロンと弾くと、映像がカラーになっていく。だんだん、元気になっていく。最初観た時は、フルバージョンだったのか、♪涙こらえて 淋しいときはポロンとやさしくつま弾くのさそんな時いつも「レレ」は何かを教えてくれるのさ♪(中略)♪大きな青空ウクレレ「レレ」の青い空♪ と、次々に、アニメの絵が展開していった。最初観た時に、びっくりしました。とうとう、NHKのみんなのうたに出てくるまで、ウクレレがポピュラーになったんだなって、作詞作曲は、キヨシ小林さん 。小柄な方ですが、いつもにこにこしています。歌をうたっている「ウクレレおじさん」も、キヨシ小林さん、本人です。キヨシ小林さんは、ジプシー・スウィング・ギターリスト であり、(たぶん)息子さんの小林なおさんも一緒にギターでライブなどをしています。ギターでは、キヨシ小林 et ジプシー・スウィング・ギャングで「デュース・アンビエンス」や「Django Swing」のCDを出しており、ウクレレでも、キヨシ小林&ウクレレ・スウィング・ギャングwith 山内雄喜 としてウクレレのアルバム「It's Only A Paper Moon」 などを出していて、ジャンゴ・ラインハルトのように、ずんちゃ、ずんちゃ、ずんちゃ、ずんちゃ、とやっています。ウクレレのレッスンや楽譜集も出していて大活躍のおじさんですよ。もうすぐ、ウクレレの新譜も出るらしいです。楽しみですね。なお、NHKのみんなのうたで、「レレの青い空」は、【NHK総合テレビ】 火 9:55~10:00木 1:00~ 1:05 / 9:55~10:00土 9:55~10:00日 22:55~23:00【教育テレビ】水 19:50~19:55 土 18:55~19:00日 6:25~6:30で、やるそうです。要チェキ!ですよ。追記昨年、イギリスから「ウクレレ・オーケストラ・オブ・グレート・ブリテン」 が来日してライブをやった時に、最後に「Sophisticated Hula」を演奏する時に、ゲストのキヨシ小林さんなどもみんな出てきて、ウクレレを持ったお客さんも、いっせいにステージに上がってみんなで演奏しました。その時に、キヨシ小林さんの真後ろで、ウクレレを弾いていたのは、わたしです。
2005年06月19日
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ジェイク・シマブクロの登場を見ようと思い、結局、全部見てしまった第57回NHK紅白歌合戦、大ハプニングが起きてしまいました!!白組、DJ OZMAのパーフォーマンス。大勢のバックダンサーたちが、リオのカーニバルのような衣装を着て踊っていたのだが、歌えや踊れやの大騒ぎの終盤、あれっと思ったら女性のダンサーたちがおっぱいぽろりと出しちゃいました。え、え、ええ~~、NHKでこんなことやっていいの?と思ってよく見ていたら、フィギュアスケートで着るような薄い肌色のボディースーツに、本物のおっぱいと同じ位置に乳首が書いてあるようなのです。なんだ、こりゃ、と思っていると、最後にはパンツ(ビキニの下のような)を脱いで、バタフライというんですか(最近、聞かないな今言葉)、ようするにアソコをぺこっと隠しただけの姿になってしまいました。男性も脱いでましたから、何名がそんな格好をしていたか、わけわかりませんでした。で、これはNHKがよくこの演出・企画を許したなぁ、と思い、もし、事前にNHKがOKを出していたのなら、「あっぱれ!」と思いました。しかし、赤組司会の仲間由紀恵が、唖然としていてフォローする言葉が出てきませんでした。少なくとも、彼女は事前には知らなかったと思います。また、すこしたってから曲の合間にNHKの男性アナウンサーは、「ボディースーツのようなものを着ていたので、決して裸ではありませんでした」と弁解の言葉をはなしました。じゃあ、ひょっとしてDJ OZMAが、「やっちゃえ、やっちゃえ、どうせ俺たち今年しか出られないし、だったら、やったもん勝ちだぜぇ~~!」と考えて、リハーサルではみせなかった演出をしたんではないだろうか、と思いました。だったらDJ OZMA、快挙!!だと思いました。NHK紅白は、いつもアーティスト側の意向を軽視した強引な演出をやるので、いわゆる大物は敬遠して出てこないのですが(例えば、ユーミン、例えばサザン、彼らは自分たちが特別待遇のように意味ある演出がされる場合以外、出てきません)そんなNHKに一発かましてやった、という感じです。お笑い芸人も、あたえられた時間を目いっぱい使って、どうやってアドリブするか苦心しているようで、昨日も、ナイナイの岡本隆史が、打ち合わせにないことをちょっとやりましただ、まあたいしたことではありませんでした。で、今朝、NHK紅白のサイトを見たら、出てました、出てました。http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/『DJ OZMAのバックダンサーが裸と見間違いかねないボディスーツを 着用して出演した件について、NHKではこのような姿になるということは 放送まで知りませんでした。 衣装の最終チェックであるリハーサルでは放送のような衣装ではありませんでした。 今回の紅白のテーマにふさわしくないパフォーマンスだったと考えます。視聴者の皆さまに不快な思いをおかけして誠に申し訳ないと考えております。』NHKは一切知らなかった、ということですね。やったじゃないか、DJ OZMA!!快挙!快挙!もしかしてこの瞬間が最高視聴率だったら面白いのになぁ、と思います。パスタさんは、どうしてそんな下品なパーフォーマンスを支持するの、と言われるかもしれませんが、理由は下記のとおり(1)民放、または世の中の常識的には、それほどたいした露出ではない(だて裸とは違うことがわかるのですから)(2)表現の自由のほうがNHKの都合より重要(3)NHK紅白は、時間と表現、演出に制約が非常に多く、力の弱い出演者がいつもへんてこな演出を押し付けられている。例えば、早い時間帯に出ていた男性演歌手の鳥羽一郎が「兄弟船」を歌う後ろにウルトラマンが出てきたりするのです。これって、歌手のファンにも、ウルトラマンのファンにも失礼じゃないですか?どちらにとっても違和感のある演出、というか意味不明です。そんな演出がここかしこでみられました。で、問題のDJ OZMAの事前のコメントを調べてみると、ありましたありました。『「小林幸子さんの後で歌うと知ったのは今朝。これはまずいことになったと思った。」とOZMAさん。開き直ったのか「衣装じゃかなわないからステージでTake offしちゃうよ。NHKの人は俺を選んで後悔するよ。」と爆弾発言?。きらきら衣装で始まりだんだん、、、、していくとか。DJ OZMAのステージから目が離せない!? 』ちゃんと、書いてあるじゃないですか、そのままのことが事前に!!確信犯、確信犯、そりゃあ、誰だって、小林幸子の大衣装パノラマ・ショーみたいの後に出演順が決まったら、一発かましてやるしかないですよね。いいじゃないですか、年に一度のお祭り騒ぎ、このくらいのハプニングがあっても、とパスタは思うのですが、不快に感じるひともいるんでしょうね、きっと。さて、本命のジェイクの登場ですが、夏川みりと一緒に彼が出てくる流れは、上記のハプニングとは違ってよく考えられた流れだったと思います。まず、Orange Rangeが沖縄のライヴ・ハウスからの中継で歌いました。彼らがインディーズ時代に出演していたライブ・ハウスでした。ギターの音など、いわゆるライブ・ハウスの箱らしい音響で、ロックしてました。次に、渡辺謙がゲストで登場(審査員でもありますが)、白組司会の仲居くんが、「『硫黄島からの手紙』に出演してみてどう感じられましたか?」、と質問すると渡辺謙が、「平和の意味を、このように年末に素晴らしいイベントができるという平和の大切さを普段から考えていかなきゃならないと思いました」とこたえました。次に、沖縄出身の赤組司会 仲間由紀恵が、「次は夏川りみさんです」と紹介して「花~すべての人の心に花を~」の歌詞を少し読み始めました。この曲は、「すべての兵器を楽器にかえて!」と平和を訴え続ける、沖縄の喜納昌吉の歌で、いまやアジアの多くの国で親しまれている曲です。その平和のメッセージが織り込まれた歌を夏川りみが張りと艶がある素晴らしい声で歌う横で、ジェイクがウクレレを弾いていました。ジェイクもやっぱり沖縄出身の日系4世(だったかな)です。津軽三味線の上妻 宏光(あがつま ひろみつ)は、藤あや子だったかな、女性演歌歌手のバックで三味線を弾いていましたが、彼を紹介する字幕は出ませんんでした。しかし、ジェイクは夏川みりのよこに椅子に座って、思い入れたっぷりにウクレレを演奏していました。しかも、画面には字幕で縦に ジ ^ ェ ウ イ ク ク レ ・ レ シ マ ブ ク ロと、出ています。扱いが上妻 宏光より大きいじゃないですか。よかったね。ジェイクの演奏ですが、残念ながら私のところは普通のテレビなので、あんまりはっきり聴こえませんでしたが、仲間由紀恵の朗読の時から、「ぴよ~~ん」というジェイク独特の音色(映画『フラガールズ』のなかの旋律に似た綺麗な音色)が聞こえてきました。夏川りみが歌うよこで、身体を大きく動かしながら弾いているフレーズも、番組の視聴者に対する音響バランスでは、綺麗なメロディのところがあまり聞こえず、アタックを強く弾いているフレーズ、フレーズの最初の部分だけが、よく聞こえました。もう少し、ウクレレの音量のバランスを大きくしてくれればよかったのに、と思いましたが、5.1chなどのいいテレビで見ていた人にはよく聴こえていたのかもしれません。その後、白組からキムタクが出てきて、ジョン・レノンの「Imagine」の歌詞の意味を日本語で朗読しました。そして「Imagine」を歌ったのは、布施明です。英語でちゃんと歌いました。最後には、外国人が大勢の合唱団が出てきて、布施明も、おそらく得意の高いキーに変調して、歌い上げました。そういうことだったのか、布施明が「イマジン」を歌うって書いてあったけど、まさかジョン・レノンの「Imagine」じゃないよね。ちょっと唐突だよね、と思っていたのですが、Orange Range~仲間由紀恵~夏川りみ~ジェイク~喜納昌吉は沖縄つながりです。そして沖縄は第2次世界大戦で大変な犠牲者がでたところです。渡辺謙の「硫黄島からの手紙」~喜納昌吉の「花~すべての人の心に花を~」~ジョン・レノンの「Imagine」は、戦争の意味を考え、世界に恒久的な平和がおとづれるのを願う歌です。最初は、へんてこな順番だなと思っていましたが、このパートの流れだけは、そのメッセージが明確に伝わってきました。とてもよかったと思います。さて、あと面白かったのは審査員の女子プロゴルフの横峯 さくらにむかってステージから呼びかけた細川たかしが、歌詞を間違えてしまいました。さてなぜそうなったのでしょうか。下記のうちからふさわしいと思われる番号を選びなさい。(1)横峯 さくらの美しさに、思わずうっとりとしてしまったから(2)横峯 さくらの斜め後ろの席に、さくらパパがいたから(3)応援ゲストのベッキーの前髪が黒柳徹子していたから(4)上記のいずれでもないさて、何番でしょうか。正解は。。。。ご想像におまかせします☆その2に続く
2006年12月31日
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