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洪順愛大母の生涯と信仰2024/06/02 言語は韓国語ですが、設定で字幕(自動翻訳)で視聴できます。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.06.03
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「独生女考(11)-- 異邦人の女性と言えども神への「信仰心」が高く評価された!」の続き。これまでも血統を重んじ、また、女性の死をも覚悟した神様への信仰を強調してきた。人間始祖が神の戒め「取って食べてはならない」を守らずに堕落したからだ。ところが、蕩減法によってその逆の経路、神様の戒め(み言)を守ることで復帰摂理が展開されてきた。聖書や統一原理では男性中心の摂理が書かれているのだが、当然、エバの復帰も同時進行されてきたことは間違いのないことだ。聖書の僅かな記述から女性の「絶対信仰」によってそれがなされてきたことを垣間見ることが出来る。今回は、前回のルツ記からの系図を見てみればボアズは、タマルとユダの間に生まれた双子の兄弟の弟ペレツーヘツロンーラムーアミナダブーナションーサルモンーボアズ、と胎中で長子権復帰に成功したペレツの血統であった。そして、ボアズとルツとの間に オペテーエッサイーダビデーソロモンの誕生となる。下図からもお分かりのように、ダビデの妻「バテシバ」、ここでも女性の名が記されている。バテシバはダビデの家来ウリヤの妻であった。ウリヤは、ダビデの命によってその後激しい戦場に送られて亡くなる。ダビデが城の屋上から女性が沐浴をしているのを見染めて彼女(バテシバ)と寝て彼女は身ごもったが、それが主の怒りに触れた。身ごもった子は7日後に死んだ。しばらくして、ダビデはバテシバを慰めてソロモンを生むこととなる。主はバテシバによる次子ソロモンを愛され、後にソロモン王となる。タマルによって胎中で長子権復帰を勝利したとしても、やはり神様は、長子がお嫌いのようだ。さて、これら詳細はサムエル記下11章~から長々と書かれていてチンプンカンプンだ。ところが、ただ一点気になる記述(奇術)を見逃してはならないのではないかと、個人的には考えている。サムエル記下/ 11章 01節~5節 春になって、王たちが戦いに出るに及んで、ダビデはヨアブおよび自分と共にいる家来たち、並びにイスラエルの全軍をつかわした。彼らはアンモンの人々を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。 さて、ある日の夕暮、ダビデは床から起き出て、王の家の屋上を歩いていたが、屋上から、ひとりの女がからだを洗っているのを見た。その女は非常に美しかった。 ダビデは人をつかわしてその女のことを探らせたが、ある人は言った、「これはエリアムの娘で、ヘテびとウリヤの妻バテシバではありませんか」。 そこでダビデは使者をつかわして、その女を連れてきた。女は彼の所にきて、彼はその女と寝た。(女は身の汚れを清めていたのである。)こうして女はその家に帰った。 女は妊娠したので、人をつかわしてダビデに告げて言った、「わたしは子をはらみました」。 この「(女は身の汚れを清めていたのである。)」とカッコをくくっての注釈付きで聖書に収められていることが不自然と感じられないか、というのである。つまりは、彼女は「沐浴」しながらダビデの目に触れるようしていたのではなかったか? とも考えられる。ここにも何かしかの天の意図、バテシバに神様の「命」があったとしてもおかしくはない。その後も列王記上1章~でもソロモンの母バテシバが登場し、ダビデ王の所へ行きソロモンを王にするような図り事をして王になるように協助した。以下は、本記事とは直接の関係はないが、お母様のみ言である。ノア家庭について語っておられたので参考にしていただければ幸い。ACLC 真の家庭の価値バンケット 真のお母様み言天一国4年 天暦11月5日(陽.2016年 12月 3日)New York, Marriott Brooklyn Bridge愛する ACLC 会員の皆さん、嬉しいです。神様は私たちの父母です。しかしご自身が直接創造された目的があるために、その目的にあう責任を果たす人間先祖となる真の父母を待ちました。それが堕落した人類歴史の中におけるメシヤ思想です。皆さんが聖書を通じてよくご存じだと思いますが、神様には人類に対する夢がありました。しかし人間もまた、神様の前に進み出ることができる希望を持ちましたけれども、人間先祖であるアダムエバの間違いによって、蕩減というものを越えない限り、一歩も進むことのできない人類歴史です。それで神様は救援摂理歴史をなさざるを得ないのです。私は最近たくさんの話を話しましたけれども、ふとノアの洪水について考えてみました。ある地域で起きた事でしたが、ノアという中心人物を通じて、天はサタン世界にご自身が捜さなければならない息子娘たちを捜すために、中心人物として立てました。ところでノアの洪水が終わり、ノアが本当に気持ち良く昼寝をしたと聖書に記録されています。その時ノアに三人の息子がいましたが、皆さんが知っているように、長男のセム、二番目の息子のハム、三番目の息子のヤペテ。その中のハムが、お父さんのその行動に対して恥ずかしがりました。これが中心人物に対して、一つになることのできなかった結果になったのです。今、私が何の話をしているのか分かりますか。堕落した人類は天の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の立場で、よそ見をしてはいけないということです。しかしノアの息子は、その条件に引っ掛かりました。それでこの三人の息子がバラバラに分かれるようになったのです。セムは何千年の間にアジアの方面に伸びて行き、ハムはアフリカの方に行ったのです。そしてヤペテは中東とヨーロッパを中心として、ノルウェー、スカンジナビア半島。その地域で暮してみると、冬に白い雪が何ヶ月以上もずっと降る所なので、自然と肌は白くならざるを得ないのです。そうでしょう?ところでハムは暑い熱帯地方に住むようになったので、特別な色素が年を重ねながらそれが蓄積して真黒くなりました。面白いですか?それで私が話そうとすることは、天が立てた中心人物に対しては一致しなければならないということです。自分の考えや欲心があってはいけません。それが、私たちが天の前に進むことのできる条件になるのです。ところで今日、このアメリカに多くの問題点があります。全世界的に多くの戦争や、到底言葉では言えない紛争がたくさん起きています。これをどのようにして一つに作ることができるか。多くの志のある人たちが努力して来ました。そして宗教としても多くの努力をしました。しかしこのキリスト教文化圏で、神様が死んだという共産主義が出て来ました。本来、神様は堕落した人類を救援摂理なさるために、イスラエルという選民を選ばれで人間を一つに作ることのできる、そのような条件を立てることができるメシヤ思想を育てて出ました。ところで4000年というとても長い歳月を通じて蕩減条件を立てられ、一歩一歩進む路程がどれだけ大変なら、4000年という歳月が掛かるのでしょう。そして最終的に、天が約束された通りにメシヤを送って下さいました。しかし待ちに待ったメシヤに会ったイスラエル民族はどうでしたか。イエス様と一つになることが出来ませんでした。この、イエス様と一つになることができなかったイスラエル民族は、歴史を通じてどのような蕩減を払ったのかということです。皆さんはよく知っています。今日、特に聖職者の皆さんは神様を正しく教えて上げなければなりません。神様を正しく教えて上げようとすれば、この蕩減復帰摂理歴史で中心人物は救世主、メシヤ、真の父母なのです。皆さんが皆さんの信者たちを教育するにあたり、皆さん自らが真の父母と一直線上で、絶対的に一つになった立場で教育しなければなりません。そして皆さんのような祝福を受けることができる立場に進むことの出来るようにして上げなければなりません。人類が願うことは、平和世界で神様をお父様として侍って暮らすことができる、自由、平和、統一の幸福な世界。そのような世界に暮らすためには、変わらなければなりません。変わるということは、蕩減を脱しなければならないということです。真の父母によって祝福を受けて生まれ変わらなければ、変わることができないですね。そのために皆さんは各々、担当している仕事に最善を尽くしていると思います。しかし時は、重要な時というのは、いつもあるものではありません。救世主、メシヤ、真の父母が地上にいる時にこそ、皆さんの実績が天の前に、人類の前に責任を果たした立場で尊敬されることができるのです。新しい時代を開いて下さった真の父母の前に、天一国時代において、天一国は二人が一つになった、夫婦が一つになったことを言います。そのような天一国時代に生きる民になろうとすれば、蕩減条件を脱しなければなりません。それは真の父母によって祝福される立場であることを知らなければならないでしょう。祝福された者であるという責任がついて来るようになります。幸福は分ければ分けるほど大きくなります。私一人の幸福ではない、私たち皆が幸福である、73億人類が幸福であるその日のために、皆さんが熱心に責任を果たして下さらなければなりません。神様の目には五色人種がすべて美しく見えます。偏見を持たないと言うことです。もとはと言えば一兄弟なのに、私は高くてお前は低い、それは思い違いです。神様を私たちの父母として侍る立場では、人類皆が平等です。しかし堕落のために、堕落した結果、真の父母様が絶対的に必要だということを分からなければなりません。それで今日、全世界で起きているすべての問題は、個人としては解決できません。真の父母を中心に侍った立場で、一つ一つ解いて行かなければなりません。特別にこのアメリカ、この国が選択を受けた国であることは間違いありません。再臨メシヤの基盤を築くために天が祝福されました。私たちは歴史を通じて、天が選択して責任を果たせなかった国がどのような結果になったのかを知っています。この国も例外ではありません。そのために真の父母の使命を果たされるレバレント・ムーンはこの国で40年余り、到底言葉で言えない苦労をしました。ところで恩恵を恩恵として返し、感謝する心で天の摂理に責任を果たすこの民族、このアメリカ、この国になるまでは、皆さんを通じた教育が必要だと考えています。その道だけが、この国が責任を果たす道であることを肝に銘じて、もっと真実を明らかにする立場で、強く雄々しく行って下さればありがたいです。世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.01.10
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「天一国摂理史--成約時代の出発宣布(1993.01.03) 」続き。天一国経典・真の父母経 - 第12篇 - 第3章 - 第1節 成約時代の宣布と氏族メシヤ活動の強化「真の父母と成約時代」宣布の背景 真の父母様は、一九九三年一月三日、ソウルの青坡洞二街の前本部教会で、「摂理史的 回顧と成約時代」というみ言を通し、新約時代の完成と成約時代の出発を宣布された。そして、一月十日、アメリカのベルベディア修練所でも、第二次世界大戦 直後の七年期間の失敗によって再び出発した、一九五二年から一九九二年までの四十年間の再蕩減路程を勝利した基盤の上に、初めて成約時代が出発したと宣言 された。続いて、一九九三年四月十日を期して、世界百六十ヵ国に「真の父母と成約時代」というテーマのみ言を一斉に宣布することを指示された。1 旧約時代は希望を見つめながら実践してきた時代であり、新約時代は信仰を求めて実践してきた時代です。したがって、これから訪れる成約時代は、愛を求めて 実践していく時代です。希望を探し出すための摂理時代だった旧約時代には、割礼を通して選民の条件を立ててきたのであり、新約時代には、水の洗礼と火(聖霊)の洗礼を通して神様のみ前に信仰を立ててきました。その次の成約時代には、神様の愛の印を押してもらうことによって、神様と愛の縁を結んでいくことが できるというのです。2 旧約時代は僕の時代であり、新約時代は養子の時代です。統一教会が主張するのは、成約時代です。新約時代には、養子となって息子の位置に上がっていってこそ、父母に出会うことができます。しかし、成約時代には、養子ではなく直系の子女になるのです。養子は血統が違います。父母と(血縁的)関係はありません。ただ、一つの目的をもって、すなわち養父母としての父と、養子としての息子になるという目的をもって、父子関係を結ぶのです。したがって、息子がいな いために養子を迎えるようになるとき、養子としての息子が入ってきても、養父の願っている目的と一致しなければ、養子として選ぶことができません。しかし、直系の子女になれば、そのような目的も必要ありません。直系の子女は、生まれながらにして、父はこちらに行き、息子はあちらに行ったとしても、分かれることは全くないというのです。どの道を行っても、その道が悪いと感じれば、二人で一緒に良い所を求めていけばよいのです。そのようになってい ます。それが養子と違うのです。養子はある一時を中心として会うのであり、直系の子女は父子の関係の中で、永遠を中心として会うのです。ですから、養子は 血統的関係においても、血統が違います。血統は、歴史の起源から歴史の果てまでつながっていくのです。数千万代が流れても、数千万代前の血統をすべてもっているのです。3 復帰摂理を見るとき、成約時代は新約時代を完成しなければならず、新約時代は旧約時代を完成しなければなりません。旧約時代にみ旨を完成できなかったこと によって、そのみ旨が新約時代に移ってきたのであり、新約時代にみ旨を完成できなかったことによって、そのみ旨が成約時代に移ってきました。このような点 で、成約時代は歴史的なすべての使命を果たさなければならない時代なのです。4 旧約時代までは物質の時代、新約時代は息子の時代、成約時代は父母の時代です。家庭には父母が入り、息子も入り、万物も入ります。このように見るとき、蘇生は物質、長成は子女、完成は父母です。家庭を中心として、父母と息子、娘と万物があります。神様がアダムとエバのために、エデンの園に天地万物を造って くださいました。これを取り戻すために、六千年間、僕や養子というものを立てて摂理してきたのです。旧約時代までは僕の僕、僕の時代です。僕の僕は万物よりも劣るものとして扱うのです。新約時代は養子の時代です。息子を立てて役事していたのがイエ ス様の時代です。成約時代は、父母が苦労する時代です。ですから、祭物を捧げるに当たって、旧約時代までは物質をもって祭物を捧げ、新約時代は息子を祭物として捧げ、成約時代には父母を祭物として捧げるのです。成約時代は、父母が蕩減しなければなりません。5 旧約時代までは、万物を復帰するための世界的な条件を立てておく時代であり、新約時代は、世界の万民を復帰するための基盤を世界的に築く時代であり、成約時代は、世界を一つの主権で統一するための時代です。このように、使命分担があるというのです。主権を復帰しようとすれば、その国土を思いどおりにできるようにしなければならず、民を思いどおりにできるようにしなければなりません。その次に、 民と一つになる位置で、神様に代わって立たなければなりません。それが主権復帰です。国土と民、言い換えれば万物と人が、神様に代わる一組の父母を中心と して、完全に一つになったその場が、天の国を代表する地上の主権だというのです。神様が求めていく主権とは何でしょうか。その主権は、この世の中の主権ではありません。旧約時代までは万物を復帰する時代、新約時代は子女を復帰する時代、成約時代は父母を復帰する時代です。国家と世界を見てみると、旧約時代までは万 物である地、すなわち国土復帰時代に該当します。新約時代は国民復帰時代に該当します。成約時代は主権復帰時代に該当するのです。6 お母様が「真の父母と成約時代」というみ言を発表したのですが、成約時代とはどのような時でしょうか。神様が生活を始めるということです。愛の生活を始めるというのです。神様の創造の役事は、まだ終わっていません。創造理想とは、愛の理想を完成することです。つまり、四位基台の完成、人間の責任分担の完成を意味するのですが、神様と人間の愛を中心として生活できなかったので、それをこれから歴史時代に新しく始めるというのです。神様を中心として生活を始めるというのは、神様の家庭が出発するということです。それで、人間と神様が愛を中心として一つになり、家庭が出発するの ですが、私たちの家庭だけが出発するのではありません。天の国の家庭出発とともに、並行していかなければなりません。その世界は、神様の全権時代です。で すから、このような真の父母の理念を宣布し、成約時代を宣布することによって、サタン世界はその下に入るようになります。7 神様は、私(お母様)の夫を選ばれて、韓国のキリスト教徒に新しい真理のみ言を伝えるようにされました。しかし、キリスト教界の指導者たちは、当時、一介のみすぼらしい青年にすぎなかった私の夫が、そのような新しい真理を伝えるように選ばれたかもしれない、という可能性を黙殺してしまいました。新約時代は旧約時代の延長なので、当時のユダヤ人たちがイエス様の顕現を不信したように、韓国のキリスト教の指導者たちも、再臨主が人の姿で地上に 生まれたという事実を信じることができなかったのです。もしその当時、キリスト教が夫と一つになっていたならば、地上世界はもちろん、天上世界においてま でも天国ができあがったはずです。一九四五年から五二年までの七年間に、神様の摂理に従って全世界が一つに統一されていたでしょう。しかし、その当時、宗教指導者たちは、夫に盲目的に反対しました。神様は、キリスト教を育てて発展させ、再臨主のための道を整えさせるために、アメ リカのようなキリスト教絶対権の国家を育成しました。彼らがたとえ悟れなかったとしても、その当時、韓国の牧師たちは、全世界のキリスト教を代表する位置 に立っていました。しかし、第二次世界大戦後、アメリカと世界のキリスト教が夫と一つになれなかったので、アメリカとキリスト教はその時から下り坂に差し掛かり始め、道徳的権威も失墜し始めたのです。第二次世界大戦後、アメリカとキリスト教は、カインとアベルが一つになった勝利的な基台の上に立ち、再臨主を迎える機が熟していました。しかし、彼 らは再臨主を迎えることに失敗し、それに同調して、世界が夫の活動に反対しました。それで、夫は荒野へと追い出され、どん底まで追い落とされましたが、再 び上がってきたのです。(真のお母様 1993.10.04、韓国ソウル)8 キリスト教文化を根として立てられたアメリカを新約時代に例えれば、(それまでの)韓国は旧約時代に例えることができます。ですから、最初の二十年間、夫 は韓国において、イスラエル国家の立場と同じ韓国と、ユダヤ教の立場と同じ統一教会を中心として、旧約時代を蕩減する路程を歩みました。この基台の上で、 私たちは一九六〇年に、国家的な次元で真の父母の聖婚式を成し遂げました。その後、一九七一年に、私(お母様)は夫と共にアメリカに渡りました。そうして、過去二十年間、私たちは、アメリカで新約時代を完成し、成約時代を 出発するための蕩減路程を歩みました。その結果、神様を中心とした真の愛、真の生命、真の血統の根源となる真の父母の家庭を探して立てることができたので す。(真のお母様 1993.10.04、韓国ソウル)9 今日、復帰摂理歴史の転換点において、真の母の位置にいる女性は、真の父を迎えることのできる基盤を造成しなければなりません。キリスト教が新郎を迎えることができなかったあと、神様の摂理は四十年延長し、一九九二年まで来ました。この期間、私(お母様)は失った世界的新約時代を探し立てるために、韓国、 イギリス、アメリカ、フランス、日本、ドイツ、イタリアを一つにしようと祈りながら、努力してきました。そうして、一九九二年四月、夫と「世界平和女性連合」を創設し、世界的に女性時代の到来を宣布しました。その基盤の上に、一九九二年の一年間、私は 真の母の心情で、先に列拳した七ヵ国はもちろん、ロシアと中国、オセアニアまで訪ねていき、そこの女性たちを動員して「世界平和女性連合」の支部を創設し ました。このようなことを中心として、第二次世界大戦の時から、カインとアベルの関係で分かれていた国々が真の母を迎え、戦後に失っていた新婦の基台を復帰し、真の父を迎えることのできる基盤ができました。このように、勝利した世界的な基盤の上で、真の父母になったことを初めて宣布したのです。(真のお母様 1993.10.04、韓国ソウル)10 新約時代は、再臨主を迎えることによって終わります。新約時代に再臨主が顕現され、家庭、氏族、民族、国家を七年間で収拾すれば、その時から成約時代で す。再臨主が来て、地において、世界的な版図圏の基盤の上で、失ったアダム家庭型を清算し、定着して出発する時が、約束を成就する成約時代だというのです。荒野に追い出されてこれを失ってしまったのに、その成約時代がどうしてやって来るのでしょうか。ですから、仕方なく旧約時代と新約時代にイスラエルが準備した新婦圏を、アメリカが代表するようになったのです。したがって、アメリカがこれを逃してしまえば、旧約時代と新約時代を放棄しなければなりません。そのようにすれば成約時代の基盤が崩れてしまいます。旧約時代、新約時代の基盤を中心に、そ れを条件として残さなければ、蕩減できる基盤がなくなるからです。ですから、アメリカをアベルの位置に再び立てたのです。11 成約時代は、霊肉を中心とした時代なので、霊を中心とした新約時代それ自体では、成約時代に越えていくことができません。この時代に来られる方が再臨主で す。この時、キリスト教が世界的にあらゆる蕩減をして再臨主と一つになれば、成約時代にそのまま越えていくのですが、一つになることができなければ、再蕩 減が展開されるのです。言い換えれば、基盤が崩れれば、崩れたこの基盤を代わりに築かなければ、定着して立ち上がることができないというのです。それでは、メシヤがメシヤとして登場しようとすれば、第一に何をしなければならないのでしょうか。新約時代の霊的な事実を完全に引き継がなければなりません。洗礼ヨハネからイエス様が洗礼を受けたのと同様に、霊的世界であるキリスト教が今日の世界的な舞台まで備えているので、それを霊的にイエス様か ら引き継がなければならないというのです。再臨主が霊的な引き継ぎをするとき、そのまま受けるのではありません。その方は、すべてに勝たなければなりませ ん。サタンに勝たなければならず、霊界にいる大勢の霊人たちがすべて自然屈伏する基盤を築かなければならないのです。そのような最高の勝利基盤の上に立ってこそ、引き継ぐことができます。第二に、霊的に引き継いだものを、地上で実体として完成しなければなりません。旧約時代に完成されなければならない摂理が新約時代まで延長されてき て、いまだに霊肉ともの完成が成し遂げられていないので、成約時代を出発するためには、これをすべて霊的に蕩減復帰しなければなりません。そのようにしな ければ、成約時代に越えていくことはできないのです。言い換えれば、イエス様が霊肉共に成し遂げようとしたすべてのことを、再臨主が再び蕩減してあげなけ れば、成約時代の出発をすることができないという結論が出るのです。12 メシヤは真の父母です。偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統、偽りの良心の基準で出発した歴史を清算するためには、真の父母が出てきて本然の完成したアダ ム、すなわち神様と一致できる理想的な男性を中心として、失った母と息子、娘を連結させなければなりません。第二次世界大戦終結直後、エバ、母の代表国家のイギリスとアベルの代表国家のアメリカ、そして、カインの代表国家のフランスを中心として、キリスト 教文化圏が統一天下を成就したのですが、その時にお父様と一つにならなければなりませんでした。お父様と一つになっていれば、共産圏は出てきません。これ を四十年で蕩減復帰するのです。新婦圏を失ったので、お母様を中心としてアベル国家のアメリカを収拾しなければなりません。お父様の妻は、世界を代表した真の母にならなければなりません。そのためには、失ったイギリスを取り戻さなければならず、失ったアメリカを取り戻さ なければならず、失ったフランスを取り戻さなければならないのです。失った連合国の基盤、統一世界の新婦圏の基盤を取り戻さなければなりません。それで、 世界と闘って平定し、世界的勝利の基盤を築いて、その上にお母様を立て、「真の父母と成約時代」を発表したのです。偽りの父母が、「成約」ではなく約束の失敗、約束を成し遂げられない「破約」時代に導いたので、そこから神様と真の父母を中心として、初めて破約ではなく、成約時代に入っていくのです。「真の父母と成約時代」です。創造理想の約束の上に、世界的版図でこれを宣布したのです。13 真の父母が定着することによって、女性解放とともに、「真の父母と成約時代の到来」を宣布しました。キリスト教文化圏が新婦として立つことができなかった ので、お母様が再び女性を束ねて、一九九二年にお母様の大宣布運動を展開したのです。それが女性解放運動です。お母様が解放を宣布し、「真の父母と成約時代」を発表したので、もはやサタン世界は終わるのです。家庭を収拾し、国を収拾できる所は、統一教会しかありません。真の父母様の家庭の伝統を新たに編成することによって、真の氏族、真の民族、真の国家、真の世界、真の天地、真の天の国が成し遂げられるというのです。このように、公式的な発展をしていくのです。14 統一教会で言う「真の父母と成約時代」とは、転換期を意味します。それで理想的家庭編成、理想的氏族編成をしようとするので、家庭連合が出てこなければな りません。統一教会の祝福は、長成期完成級で天の側の天使長(の立場の者)が結婚することです。このようにして完成圏を越えてこそ、直接主管圏であるアダ ム家庭に入っていくのです。それで、お父様も一九六〇年を中心として、長成期完成級を通って完成期に越えていく過程で、世界的迫害時代を迎えたのです。その迫害時代を越えて定 着しなければなりません。本来、一九五二年には定着しなければならないのですが、延長して一九九二年に、お母様を中心とした女性時代を発表し、女性解放と ともに、新たに父母様が同じ位置で天のみ前に立てるようになりました。女性解放をしなければ、アダム解放圏を備えることができません。アダムとエバの愛を中心として、失ってしまったアダム家庭の夫婦の基準を立てるまでは、すべてが兄弟です。神様の子女の位置を備えた基盤を通して、新たに理想的家庭を編成して越えていかなければなりません。15 お父様は、すべてを実践してから教えてあげます。今ではもうすべて成し遂げたので、第二次世界大戦直後の統一的な世界と失った新婦圏を再び収拾するために お母様を立て、一九九二年の「世界平和女性連合」の創設とともに、一年間活動してきました。お父様が一生の間に蕩減した内容を、一年間ですべて伝授してあ げ、お母様を同じ位置に立てて、キリスト教文化圏の相続というものを蕩減復帰するのです。このように、解放された本然の位置に立つことによって、神様も解放され、父母様も解放され、万民も解放され、新約時代全体が完成するようになったので、これから成約時代を出発することができるのです。16 再臨の時までは再臨主一人で来ましたが、再臨主がこの地に定着することによって、数万人の氏族メシヤを横的に配置しました。したがって、これを取り除ける 悪魔の勢力はありません。既に完成した立場で、長成期完成級を超越した完成期完成級ですべて配置したので、これから統一天下が現れるようになっています。 これをどこに行って定着させなければならないのでしょうか。家庭に帰って定着させなければなりません。これが重要な内容なので、「統班撃破」という言葉を 中心として、家庭教会活動を教示してきたのです。女性たちを立てて、これを再び整備しています。公式的な基準、最後のプログラムを各家庭に適用させ、家庭で失ったエバとカインとアベルを取り戻し、 種として植えるのです。そうすることによって、本然的な故郷で善なる支派の族長になり、先祖になります。その世界は、サタンと関係のない世界であり、そこ から地上天国が顕現するのです。成約時代における氏族メシヤの責任 真の父母様は、成約時代の宣布とともに、全世界的に救援歴史を締めくくるため、氏族 メシヤ活動を本格化することを指示された。氏族メシヤは、家庭を復帰し、さらには氏族と民族、そして、国家を復帰すべき使命を帯びた人々であると明かさ れ、先頭に立って真の父母様を世の中に知らせることを強調されたのである。17 これから世界的に、すべて還故郷しなければなりません。氏族メシヤを配置したというのは、父母が地上に着陸したということです。新約時代に来られる主は一 人です。この一人の主が再び来て、縦的に真の父母となり、この地上に着陸することによって、息子、娘を生んで横的に数万双の氏族を配置したのです。これが 成約時代の出発です。一九九三年からは、世界に向かう南北統一の運勢なので、これからは本格的な成約時代に出発するのです。歴史始まって以来、アダム・エバ、カイン・ア ベルが定着できないことによって成し遂げられなかった世界的な版図を、一九九二年四月十日、「世界平和女性連合」創設大会および世界既成家庭祝福結婚式を 中心として、右翼と左翼とバラバ圏を統一しました。その時、イスラーム圏の八ヵ国の指導者たちを呼んで祝福してあげたのです。今までは蕩減の道が多かったのですが、今や万民解放とともに、サタン世界で反対していた父母、功のない人たちも、無条件に祝福してあげ、完成したアダムの位置、父母の位置に立ててあげたのです18 今までの歴史には、宗教の志のために、世界を捨て、国を捨て、先祖を捨て、郷里を捨て、父母や妻子まで捨てて出家しなさいという言葉がありましたが、今や 蕩減復帰時代がすべて過ぎ去ったので、世界を抱き、国を抱き、民族を抱き、氏族を訪ねていかなければなりません。イエス様を中心として見れば、蘇生、長成、完成ですが、これをひっくり返せば、真の父母が先祖になるのです。蕩減復帰は、このように逆さまになりま す。旧約時代と新約時代を経てきましたが、成約時代が完成すれば、成約時代が先祖になるのです。新約時代である二代目は、イエス様の時代に該当します。そ の次に、三代目が成約時代に該当するので、氏族メシヤを中心として、家庭を収拾しなければなりません。ヨハネの黙示録を見れば、「キリストと共に千年の間、支配する」(黙示録二〇・六)とあります。今、支配しているのです。万王の王として来るキリス トと共に支配するというのは、父母の位置に上がっていくということです。そのような氏族的責任の中心者を、統一教会では「氏族メシヤ」と言うのです。この 時代は、成約時代の門が開かれる時だというのです。19 お父様は闘って基盤を築きましたが、皆さんは闘わずに上がることができます。お父様は故郷に背を向け、世界に背を向けて、追い出されて再び取り戻してきましたが、皆さんはお父様が勝利した世界、国、民族まで(の勝利圏を)相続できるので、ここに氏族さえ連結させれば、その氏族たちが民族と国家と世界の福を 受けるようになります。皆さんが氏族たちに、それ以上に与えることができる福はありません。ですから、氏族メシヤは、王の権威を備えた先祖の位置に立つの です。これは誰もがやらなければなりません。例外はありません。イスラエル民族がカナンの福地に入っていくとき、一人でも残していけば、それを知っている人が責任をもたなければなりません。もうカナンの福地に入ったので、建国理念を求めなければならないのです。統一教会も同じです。国を求めなければなりま せん。南北を統一しなければならないのです。20 氏族メシヤになろうとすれば、家庭的メシヤを探し出さなければなりません。氏族メシヤの活動をしなければ、霊界にいる先祖たちが降りてきて打つというので す。霊界の先祖たちは、天使長の位置です。完成したアダムの位置ですべて生かしてあげなければならないのに、これを妨げているので、霊界の先祖たちが打つというのです。旧約時代までのように万物にすべて蕩減させ、その次に、新約時代のように息子に蕩減させます。成約時代には、父母が蕩減するのです。自分の実体が激しく打たれます。そのような恐怖の世界が霊界から不意に襲撃してきます。これが起きる前に、早くやって入籍しなければなりません。そ のため、イエス様の時代に、イエス様が氏族メシヤと家庭的メシヤを率いて国に入籍しようとしたのですが、できなかったので、再臨時代に世界的版図圏内で入 籍して国をつくらなければなりません。氏族メシヤになれず、家庭的メシヤになれなければ入籍できません。氏族メシヤになろうとすれば、家庭的メシヤを完成しなければならないのです。家庭的メシヤも、なぜメシヤというのかといえば、サタンと関係がないからです。21 今まで宗教は、出家を命令し、(聖職者に対して)結婚を否定しました。しかし、統一教会は、「還故郷をしなさい」と言います。「世界統一国開天日」を宣布 し、「真の父母と成約時代」を発表したので、家庭を求めていかなければなりません。そして還国です。国を求めていかなければならないのです。アダム家庭では世界を統一できません。アダム家庭の基準と同じ英米仏が、世界的国家を代表し、カインとアベルが新婦国家と一つになって、来られる新郎の再臨主、真の父に侍り、神様と一つにならなければなりません。そうすることによって、平面的に、再臨主の完成圏が氏族メシヤの完成圏に延長されるので す。第一次先祖のアダムが堕落によって失敗したことを、第二次先祖のイエス様が復帰しようとしたのですが、再び失敗したので、第三次先祖が来てイエス様の失敗を復帰してこそ、成し遂げられます。祝福家庭は、家庭的メシヤであるアダム家庭を復帰しなければなりません。このようにして、平面途上で同等な価値 を認めるのです22 今日の統一教会は、荒野四十年路程を終え、カナンに上陸しました。これから真の父母を宣布し、国を復帰しなければなりません。還国とサタン圏整備です。国に帰らなければなりません。ですから、建国思想をどのように立てるかが問題です。今は、イスラエル民族がカナン復帰したその時と同じなのですが、世界版図、それ自体がサタン側と天の側に分別されます。国家ではなく世界です。国家の限界線を越えた世界的版図で、同じ位置に立っているのです。23 成約時代の開幕とともに、全世界的に救援歴史を完成するメシヤの分身となる氏族メシヤの時が来ました。皆さんの家庭を復帰し、さらには皆さんの氏族と民族、そして、国家を復帰しなければなりません。このような使命を帯びた人々を「氏族メシヤ」と呼ぶのです。既に私たちは、数万組の氏族メシヤ宣教師を全世界に派遣しました。遠からず、世界的な次元で理想的な家庭が立てられるでしょう。成約時代には、母の役割が大変重要です。堕落した時とは正反対に、母が子女たちと一つになり、(皆さんの)夫を復帰し、真の父母様の祝福を受け、神様のみ前に戻っていかなければなりません。(真のお母様 1993.10.04、韓国ソウル)24 皆さんの家庭を中心として誇るべきものは、真の父母しかありません。皆さんが神様の息子、娘になり、真の父母の息子、娘になったという事実は、歴史時代に おいて勝利者の中の勝利者であり、救援摂理の中でサタンを退治した大将の中の大将だということです。世界的に真の父母を宣布したのと同じように、父母様の 伝統を誇り、宣布しなければなりません。村に入って「真の父母の息子、娘になった」と言い、皆さん自身を村の人々に誇らなければならず、皆さんの家庭を彼 らに誇らなければならず、氏族に誇らなければならず、国家に誇らなければならず、世界に誇らなければなりません。そのようにすることによって、村のどこでも真の父母を誇らなければ、皆さんの行く道が塞がるのです。真の父母を誇り宣布する人たちは、行く道が万事亨通(すべてが思いどおりにいくこと)に開かれるというのです。ですから、「私」が家庭から氏族、民族、国家、世界を巡りながら真の父母を宣伝することに よって、解放された勝利者になれるということを知らなければなりません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 、
2021.01.04
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「「独生女」考(4)-- 「信仰の祖」はアブラハムの妻サラ」からの続き。アブラハムの子イサクの花嫁探しがどのようにされたか、創世記24章にその詳細が書かれている。また、ヤコブの花嫁探しにしても面白い話が書かれている。エサウの怒りを沈めるための21年期間、ラバン叔父さんに何度も騙されながらの「ハラン苦役」と言えども、間違いなく母リベカがヤコブの花嫁探しのために行かせたものだった。創世記/ 24章 01節~アブラハムは年が進んで老人となった。主はすべての事にアブラハムを恵まれた。さてアブラハムは所有のすべてを管理させていた家の年長のしもべに言った、「あなたの手をわたしのももの下に入れなさい。わたしはあなたに天地の神、主をさして誓わせる。あなたはわたしが今一緒に住んでいるカナンびとのうちから、娘をわたしの子の妻にめとってはならない。あなたはわたしの国へ行き、親族の所へ行って、わたしの子イサクのために妻をめとらなければならない」。 ……創世記/ 27章 46節リベカはイサクに言った、「わたしはヘテびとの娘どものことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブがこの地の、あの娘どものようなヘテびとの娘を妻にめとるなら、わたしは生きていて、何になりましょう」。 創世記28章 01節~イサクはヤコブを呼んで、これを祝福し、命じて言った、「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない。立ってパダンアラムへ行き、あなたの母の父ベトエルの家に行って、そこであなたの母の兄ラバンの娘を妻にめとりなさい。全能の神が、あなたを祝福し、多くの子を得させ、かつふえさせて、多くの国民とし、またアブラハムの祝福をあなたと子孫とに与えて、神がアブラハムに授けられたあなたの寄留の地を継がせてくださるように」。 こうしてイサクはヤコブを送り出した。ヤコブはパダンアラムに向かい、アラムびとベトエルの子で、ヤコブとエサウとの母リベカの兄ラバンのもとへ行った。さてエサウは、イサクがヤコブを祝福して、パダンアラムにつかわし、そこから妻をめとらせようとしたこと、彼を祝福し、命じて「あなたはカナンの娘を妻にめとってはならない」と言ったこと、 そしてヤコブが父母の言葉に従って、パダンアラムへ行ったことを知ったとき、 彼はカナンの娘が父イサクの心にかなわないのを見た。 そこでエサウはイシマエルの所に行き、すでにある妻たちのほかにアブラハムの子イシマエルの娘で、ネバヨテの妹マハラテを妻にめとった。サラはイサクの花嫁探しについてはリベカがヤコブの花嫁探しに関与したように、常日頃からアブラハムにも語っていたのではなかろうか。聖書からは、アブラハムのしもべが天に祈りそのごとくにイサクの花嫁リベカを探し出すことが出来た。予め天によって準備されていた、ということだ。ヤコブとラケルの出会いもまた、劇的な出会いとなったようだ(創世記29章)。女性タマルについても、4人の兄弟を夫としながら天の血統を残す一心から、その父ユダをだまして身ごもった。双子の兄弟による「胎中聖別」の意義もあるが、それ以上に血統を重んじた「タマルの信仰」を称賛している。イエス様の母マリヤもまた、「タマルの信仰」のごとくにイエス様を身ごもった。ところがだ。マリヤもサラ・リベカのように息子イエス様の花嫁探しをしてあげなければならなかったのだが、ある婚礼の席でイエス様が水をぶどう酒に変える奇跡、それが聖書の話である。ヨハネによる福音書/ 02章 01節三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた。イエスも弟子たちも、その婚礼に招かれた。ぶどう酒がなくなったので、母はイエスに言った、「ぶどう酒がなくなってしまいました」。 イエスは母に言われた、「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。わたしの時は、まだきていません」。母は僕たちに言った、「このかたが、あなたがたに言いつけることは、なんでもして下さい」。 …… 料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこからきたのか知らなかったので、(水をくんだ僕たちは知っていた)花婿を呼んで言った、「どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。それだのに、あなたはよいぶどう酒を今までとっておかれました」。イエス様が母マリヤに対して「婦人よ」と語りかけたものであり、当時30歳を過ぎたイエス様が「私の結婚式はいつですか?」と母マリヤに問うたのであった。弟子たちの背信(不一致)も一つの要因として挙げられるが、もしも、イエス様が結婚し家庭を出発されていたならば十字架への道はなかった、言われている。母マリヤがその責任を果たさなかった結果でもあった。<続く>世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2016.12.21
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第1051回 天心苑特別徹夜精誠 (5/31)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.31
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「いつも私の隣に」さんブログ記事「私の家庭にも伝授されました! 「地の塩のごとく、天を敬う義人を探しなさい」 *デスバレー特別聖塩」からは、宋龍天(ソン・ヨンチョン)世界会長が以前に語られた「デスバレー特別聖塩」についてのみ言を紹介と、教会での「デスバレー特別聖塩」の伝授を報告していました。私の教会でも同じく、3月17日の礼拝後にその伝授式がありました。礼拝での『み言訓読』からが以下でした。真のお母様の祝祷 「塩のような義人が全世界に立ち上がるように」2024 年 1 月 13 日米国カリフォルニア州 デスバレー国立公園 愛する天の父母様。きょう、地球上でも低い所にあるネバダ州のデスバレーにおいて、創造主・天の父母様の御手を感じます。全ての生命体が創造原則に従って循環するためには、また繁殖のためには、 この塩が絶対に必要であることを創造主はご存じで、人間と動物の世界に与えてくださいました。 この深く感謝すべき現実を前にして、今日、創造主の本質を見失ってしまい、人間の本質も失ってしま いました。そんな摂理歴史の中において、あなたは、 堕落した人類を取り戻すために、救援摂理歴史においてどれほど苦労しながら待ってこられましたか。あなたは長い長い間、待ってくださり、ついに1960年に真の父母をごらんになりました。そうして世の中に、 天の近くに行くことができる真の家庭たちを多く輩出しましたが、いまだに世界80億人類を考えれば、あ まりにも微々たる数であるという現実を目の当たりにします。 しかし、天の父母様! 今や天一国の12年目を迎えるこの青龍の年に、必ず天の摂理をさらに大きく拡張させるあなたの子女により、世界の200以上の 国々の指導者が、人類を前に塩のような、見本となる人生を送ることによって創造主・天の父母様の近くに行くことのできる、天一国の祝福、天寶家庭が増えるようになります。 そうして、彼らを通して、世界各地に塩のような責任を果たすことのできる義人を通して、国々が天の 父母様に侍る国となるなら、その時期が縮まるなら、 その時期を2024年に成し遂げることができるなら、 長い間待ってこられた天の父母様を前に喜びと頌栄の宴を開き、2025年は入宮式を行うその日に向かっ て、天が栄光を受けるべき、全ての準備をすることのできるような日として迎えたいと思います。 天の父母様! きょう、このデスバレーにおいて、天を敬う塩のような義人たちが数多く、大陸に、この国に全世界に多く立ち上がることができるように、この場所、子供たちが、この塩を通して、天の父母様の環境権を広げることが出来るよう努力していますので、祝福してください。 ここによって全世界の人類が新たに生まれ変わり、この天が記憶する、塩のような義人を多く輩出するこの場、この国となるよう、真の父母の名によって切にお願い申し上げます。アージュ!https://www.ipeacetv.com/vod/vod_view.asp?vId=14489&mId=A02&page=1ところで、旧約聖書を見れば「塩」は浄めるために用いられていました。出エジプト記/ 30章 35節あなたはこれをもって香、すなわち香料をつくるわざにしたがって薫香を造り、塩を加え、純にして聖なる物としなさい。レビ記/ 02章 13節あなたの素祭の供え物は、すべて塩をもって味をつけなければならない。あなたの素祭に、あなたの神の契約の塩を欠いてはならない。すべて、あなたの供え物は、塩を添えてささげなければならない。民数記/ 18章 19節イスラエルの人々が、主にささげる聖なる供え物はみな、あなたとあなたのむすこ娘とに与えて、永久に受ける分とする。これは主の前にあって、あなたとあなたの子孫とに対し、永遠に変らぬ塩の契約である」。列王紀下/ 02章 20節エリシャは言った、「新しい皿に塩を盛って、わたしに持ってきなさい」。彼らは持ってきた。エリシャは水の源へ出て行って、塩をそこに投げ入れて言った、「主はこう仰せられる、『わたしはこの水を良い水にした。もはやここには死も流産も起らないであろう』」。歴代志下/ 13章 05節あなたがたはイスラエルの神、主が塩の契約をもってイスラエルの国をながくダビデとその子孫に賜わったことを知らないのか。エゼキエル書/ 43章 24節これを主の前に持ってきて、祭司らはその上に塩をまき、これらを燔祭として主にささげよ。また、新約聖書からは「人」そのものが【塩】の役割をしなければならないとも書かれていました。マタイによる福音書/ 05章 13節あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。マルコによる福音書/ 09章 49節人はすべて火(み言)で塩づけられねばならない。マルコによる福音書/ 09章 50節塩はよいものである。しかし、もしその塩の味がぬけたら、何によってその味が取りもどされようか。あなたがた自身の内に塩を持ちなさい。そして、互に和らぎなさい」。ルカによる福音書/ 14章 34節塩は良いものだ。しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか。クリスチャンの方々も、改めて自らが「塩の役目を果たしているか」について考えてみてはいかがでしょうか?!さて、家庭連合では1960年に「環境と万物を聖別するために」作られた「聖塩」が伝授され使われてきました。そして、今回の「デスバレー特別聖塩」伝授を通して自らが「塩のような義人になりなさい」、また、「塩のような義人を探す」ことが出来るとの祝福をされていました。デスバレーの塩は、通常は砂とホコリに混ざって塩のように見えないのですが、雨がたくさん降ると塩が水に溶け、塩水になり、天候が暑くなれば水が蒸発して、とてもきれいな塩が出来上がるといいます。お母様が訪問された1月13日の前に雨が降り、当日は白い雪のような塩が壮観を成し、分別された綺麗な塩を特別として聖塩伝授してくださいました。能登教会での礼拝の中でも教会長は、能登半島地震によって能登は砂とホコリ混じりとなりましたが、このデスバレー特別聖塩でもって能登の地が良くなっていくことを願われていました。使用方法については、デスバレー特別聖塩は綺麗なガラス瓶に入れ、家庭において最も明るいところ(ex.家庭祭壇)に保管する、とのことでしたので教会長がガラス瓶だけでなく、また家庭連合マークまで張られたものを準備し伝授していただきました。▲我が家の家庭祭壇に置かれた「デスバレー特別聖塩」(左)と「天一国聖塩」一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.21
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「天国創建の意義」1986年1月1日「神の日」午前十時ソウル本部教会にて 今、一九八六年が始まりました。きょうは神の日であると同時に、私たちにおいては新しい記念の日となります。そこで、今年の年頭標語は「天国創建」という内容て、神の日を記念すると同時に、皆様の前でしばらくお話ししようと思います。 先週(十二月二十九日)には、み言の題目が「神の摂理的総決算」という内容の話をしました。 この地上に、神の摂理が始まったのは、堕落したので摂理が始まったのです。その摂理は何の摂理かというと、救援摂理なのです。言い換えれば、失ったものを取り戻すことであり、これを統一教会の用語でいうならば、復帰摂理であり、再び探す、再び帰る摂理なのです。神のこれまでの摂理は、神の創造理想が実現されなかったために、神を中心とした生活的な舞台を備えることができず、その環境が展開されませんでした。それが今までの神の恨であり、人類の恨であり、万物の恨になっているのです。 ローマ人への手紙第八章を見ると「万物が嘆息している」と書かれています。この全宇宙被造世界は、被造世界ばかりでなく被造世界を創造した創造主までが、嘆息するようになったのです。それはなぜかというと、神の創造理想が実現されなかったからです。もし神の創造理想が実現されたならば、天国実現は自動的な道でありました。だれかが、天国をつくってくださいと言わなくとも、自動的に天国が実現され、その実現された天国の内容は、愛を中心として「為に生きる」、そのような世界でありました。それで天国が形成されるためには、必ず神が中心となって、堕落していない本然の真の父母がいなければなりません。真の父母というのは何かといえば、神の前に長子、長女となります。この長子、長女は原理においていっているように、造られるや否やすぐに、完成されるのではありません。幼い時から成長して完成時代まで、個体が完成するまで、成熟期まで待たなければならないのです。 最初は神の子女として創造されたアダム、エバは、神の保護圏内において幼い時から育って、成長するにつれて知能が発展してくるので、なぜ神がこの被造世界を創造されたかを知り、被造世界を通して教育されていくのです。被造世界が動いているのは、本来私たち人間の先祖となるべきアダムが、生活でき得るすべてを教えてくれる教材であったのです。一人の完成されたアダム、エバが、理想生活をするために通っていく標本であり、一つの博物館であったという事実を私たちは知らなければなりません。 被造世界の鉱物世界、植物世界、動物世界はカップルを成しており、鉱物世界のすべての原子運動を見るとそこには必ず相対関係を中心として授け受けしています。その関係から離れることのできない道理はここから始まるのです。このようなすべての運動は、植物世界も、動物世界もみんなそのように(カップルに)なっているのです。カップルを成して授け受ける環境から、発展的現象が展開されるようになっていたのです。それを見ながら成長するアダムとエバは知能が発展するにしたがって、神を中心として、神が父母であり、地上にいる子女が子息の立場になって一つの軸を成すのです。一つの軸となって円形、球形を形成するための理想を出発したのです。 それでアダムとエバは幼い時からだんだん自我をもつようになるにしたがって、男子は男子としてだんだん成長し、知能的基準が高まって、この世の真理を知るようになります。上下関係の垂直の前に、完全に九〇度、半分になれるその位置、中央線を中心としてアダム、エバの知能が発達して地上の事実を知るとともに、天上世界は天使長世界が常に(アダム、エバと)連絡しながら、霊界の事実をも知り、天の父母との関係まで全部、知能の発達とともに知るようになっていたのです。これが垂直を中心とした中央線に至るまでのその期間があったので、この期間においては神が直接このようにしなさい、あのようにしなさいとは言わないのです。万物をそのように創造したので、天使長の保護を受けながら成熟期までを待つ期間があったので、この時はこのような期間を通らなければならない、原理的にいえば結果主管圏ぜあります。すなわち自然の道理とともに、成熟するその法に従って、原理原則に従って自然的に保護するようになるのです。 だれが保護するかといえば、天使世界が保護して教育するようになっているのです。それで天使を僕として、アダム、エバが成長する過程で堕落したのです。このような過程、中央線にまで及ぶことのできる、この時までを、二十歳という距離をおいて成長しなければならないこの期間があるので、神は人間に警告せざるを得ないのです。「失敗するな! 失敗したらいけない」と。 今日、よく信じているキリスト教信者たちが、失敗とは何であるかといえば善悪の実を取って食べたことであると言います。それでは善悪の実とは何か? 果実であると言うのです。ところで、本然の人間においては、失敗することはできないのです。そのまま成長すれば自然に愛の関係を結べるように、既に教育を万物を通してやっているのです。昆虫の世界を見てもカップルをつくっているし、動物世界はもちろんであります。彼らが和動するにおいては、お互いが授け受け、お互いが相対のために生き、相対を呼び、相対を愛しながら生きていくその環境を見ているので、幼いアダムとエバは知能が発達するにしたがって、この世の道理を悟るようになります。そうすることによって成熟すればするほど、彼らの自覚は愛の知覚に接近していくのです。愛の知覚に接近していき、そして愛ということを知るようになればすべてが通じるのです。 地上世界の平面的な事実ばかりでなく、霊的な目までも開かれ、霊眼が開かれて、霊界の事実、立体的な世界までも知るようになるので、神とじかに接することのできる境地に至るのです。それゆえ、愛の知覚が発展すれば……。しかし、これを成す以前に堕落したのです。では堕落とは何かというと、不倫の血縁関係を結んだこと、これがこの宇宙を狂わせた根本原因となったのです。 もし堕落していなかったならどのようになるでしょうか。神は無形の神です。皆さんは霊界に行っても神は見えません。神の音声を聞くことができ、神がいることを知っていますが、私たちには見ることはできません。感じることはできますけれども、見ることはできません。このように無形の実体をもってしてはそれほど刺激的ではあり得ません。 それで人を造ったのは、より刺激を感じるためです。神様自身は何も不足なものがありませんが、ただ一つ必要なものが何かというと、愛のみが必要なのです。その愛をどのように探すか、神様一人ではその愛を成じることができないのです。愛を感じる素性を備えているにしても、一人では感じるようになっていないのです。愛はどこを通して感じることができますか? 相対を通して感じることができます。愛はどこを通してくるかといえば、相対を通してくるのです。これが原則であるから、神もその愛を必要とする立場に立って、そのために相対を必要とするので、相対的存在を造らざるを得なかったのです。その相対的存在として造ったのが、宇宙の中において何かというと人間なのです。 それで人間は二つの世界の媒介体です。縦的な立場に立って、実体世界と無形世界を連結させて一つに結合させるのです。そして、その結合させる力が何でしょうか。これが問題です。縦的世界は神が上になっているし、人間が下になっています。これが発展して中央線まで男性と女性が、男性と女性は中央線に向かう時に一番遠い距離を行くのです。四位基台から見れば、距離が同じです。この上の両辺と下の両辺の距離が同じです。その所が何かというと、男性と女性が成熟した所です。そこから平行に連結された直線を引くようになります。その直線を引くのにおいて、何をもって直線を書くかといえば父子の関係の愛の線を中心として垂直線を書き、平行線は主体と対象の関係、アダムとエバの愛の力を通して引くのです。このようにして、これらが結合することのできる焦点がどこかといえば、神と垂直線を中心として九〇度の角度でぴったり合わなければなりません。 その所に入ってもし二人が合ったならどのようなことか起きるかといえば、今日皆さんが天気が崩れる時に稲光と雷を見るのと同じです。この雷の音は何かといえば、陰電気、陽電気がぶつかるのです。合うのです。合う時において、その周辺の空気を押しのけて合うので、雷の音が聞こえるのです。そして光が出ます。天地のすべてをのみこんでも余りある光が出ます。それらのすべての自然の法則とは何でしょうか? 雨が降り、稲光が走り、雷が鳴るそれらは愛の象徴なのです。自然の愛です。陰電気と陽電気が合わさる愛なのです。見えないプラス(+)電気とマイナス(-)電気がぶつかることによって見える事実として現れて、この世のすべてを主管することのできる光の能力を発揮するようになります。愛が見えるでしょうか? 愛を見た人がいたでしょうか? 愛を感じることはあっても愛を見た人はいないのです。それは電気と同じです。電気と同じであるというのは、電気と同じような力の作用をするのです。 それで、男性と女性は、南北を軸とした父子の愛の前にこの軸は一つしかありません。軸が成長し始める時には、神が降りて来て、ここで一つになってはいけないのです。神は北極にいて、南極にいる人は全部探して上っていくのです。上っていくのにおいて、ここの成長にしたがってこの道に従って平行に上っていくのです。上っていけば神はそれに従って降りて来るのです。愛の心を中心として、いつも降りて来ることができるのです。それゆえ、アダムとエバの本来の愛の基は何かといえば、神を愛する愛なのです。神は父母であり、アダムとエバは子女であるために、子女の深い心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの愛ではありません。父母に対する愛です。神の心の中に愛の線を引き始めたのはアダムとエバの夫婦の愛ではなく、父母の子女に対する愛なのです。幼い子女のその本性の心に、愛が動くことのできる道ができたのは父母を愛する心からです。そうでないでしょうか。これが縦的な愛の心の基台の上に横的に東西に分けて、縦的な愛の標準の上に横的な愛の道を引かなければなりません。そうすることによって、縦的な神の愛が地上と連結すると同時に、このぶつかる中央線を中心として神の愛も東西南北三百〇度どこにでも通ずることができ、ここに子女たちの愛もこの場に来てどこにでも通ずることができ、男性の愛もここに来てどこにでも通ずることができ、女性の愛もここに来てどこにでも通ずることができるのです。 何の話か分かりますか? 中央との結合点というのは、すべての作用を総合して平均的に全体に連絡することのできる焦点なのです。それゆえ真なる愛は必ず一つの固定されたこのような中央佐を中心として拡散しなければならないのが原則です。これがもしこのようになっていたならば、神は垂直の愛を中心として人間とぴったり、一つの軸に固着されてしまうし、その次に東西に連結されれば、この相対的平行線が完全に九〇度の角度で中央線が決定されるのです。この中央線を神と人間始祖が始めたこの基準を、だれも、神自身もはずすことができないし、人間自身も離れようとしても離れることができないし、アダムとエバは新郎であり新婦であるこの平行線の基準を自分勝手に動かすことは絶対にできない、絶対的基盤となるのです。それでこの焦点を中心として神も人間に会おうとし、子女も神に会おうとする父子の相い合うその焦点、これが共通分母です。それから男性と女性が会うことのできる共通焦点が、この場に入って愛とぶつかるようになれば完全に球形を中心としてどこにでも通ずる道になるのです。それから、球形を中心として、ある一つの遠い所から与えたいと願う、授け受けることのできる所は、どの作用の力であっても、この中央線を通るようになっているのです。 皆さんは一番大きいものを願うでしょう。南北間の一番遠い所に通じることのできるのは垂直線です。東西間においてこの垂直線を中心として、一番遠い所に通じることができるのは九〇度の延長線です。そうですか、どうですか? これが一つの球形となった時には、球形上の動くすべての力の作用は全部この中心に通じることができるのです。何千、何万に分ける線を引くとしても、この中央点を通るようになります。この中央点は神の理想的な愛を出発することのできる相い合う点です。また、子女が理想的父母の愛に接触することのできる接触点であります。男性としての愛を中心として理想的に相い合う点です。そこに行くと神の愛、そこに行くと神の子女、そこに至ると神が立てようと願う夫、そこに至ると神が願う妻、すべてを理想的に描くことのできる一つの宮殿、愛の一つの帰着点、愛の一つの宮が設定されるのです。それを中心として、宇宙はすべて動くのです。 神が願っているので、このような話をしたら、他の話はできなくなりますね。きょうはっきり話をすることによつて、概念をつかむことができるのでこのような話をするのです。初めて来た人も知っておいたほうが良いでしょう。 今日までの人類歴史の中で、このような帰着点、一つの核となる愛の点が生じたかといえば、堕落したので生じませんでした。もしそのような帰着点が生じていたならば、私たち人間がどこに行ったとしても自然にそこを通ろうとするのです。直線であり、まっすぐで一番遠い道はその道なのです。ではまっすぐで遠い道を探していこうとするならその中央線を通過しなければなりません。それで人は大きなことを願うのです。高いのを願います。深いのを願います。最も深いもの、最も高いもの、それらの線は必ずこの一つの線、中央線を通過します。垂直線です。最も広く、高く、長いものは必ずこの一つの線を通過します。それで皆さんの心が、このような愛の力の作用を本性としているので、皆さんが願うものは最も高く、大きく、深く、最も良いものです。その最も良いものは何でしょうか。神が最も喜ぶものが愛なのです。分かりますか。 神は愛の一つの宮を造ってその中に安息されたいのです。今日までこの人間の世界において、だれもこれを知らなかったのです。今日のキリスト教思想は消極的な思想です。絶対的な神、創造主は尊い方、被造物は見にくいものと言っていますが、それは神の愛を知らなかったからです。 レバレンド・ムーンは一人でいるとしても、その心に愛と通じることのできる素性をもっています。一人でいていくら好きだと言って騒いだとしても、「あの人は気が狂った」と言われるでしょう。しかし、小さなハンカチ一枚を見ながら、これは本当に素晴らしいと喜んで舞ったりしたら、それを見てはだれも「気が狂った人」とは言いません。それは何を意味するかというと、相対的価値の絶対的な基準を認めなければならないということです。愛が染み込んだ穴のあいたハンカチ一枚でも、離れる時与えたとすれば、愛する相対はそれを一生かけて、目標として生きるのです。そういうことがあるでしょう。 愛で鍍金(めっき)したすべてのものは、永遠であることを願うのです。そうですか、そうでないでしょうか? (そうです)。それで神が絶対的であると同時に、その絶対者に相対が必要であります。いくら神であるとしても、相対がいなければ愛を探すことができません。愛をもっているとしても愛の刺激を受けることはできません。では愛はどこから来るかといえば、神自身から来るのではありません。すべて循環の法則によって、相対的極から愛を感じるようになります。それで地球においては、その表象として磁力線があります。南北に通じる力かあるのです。全宇宙は象徴的に、表象的にすべて見せてくれているのです。 大きいものを願う人に、本来の大きなものを願う心は何を根拠としているのかと問う時、「それは知りません、ただそうなのです」と言うでしょう。何を中心として高いものを願うのかという時、そのように言う人もいなければ、そういうことを考えてもいないのです。最も良いもの、それは何を中心としてか、最も良いものの中で、最も大きく良いものそれは何を中心としているのでしょうか? これは愛を基点としているのです。愛を基点とすることのできるこの共通の分母だけが通じれば延びていくのです。神がここにぴったり入るようになれば、自分がどこかに行きたかったなら、神の腰にしっかりしがみついて行くようになります。そうする時、神は“私の腰に何が付いているのか”というより、“なでてあげたい愛のこぶが付いている”と考えるのです。愛のこぶは一〇〇個、一〇〇〇個ついたとしても嫌な気はしません。それを知っていますか? それで、もしそうなったならどうなるかといえば、人間は脱線しようとしてもできなくなるのです。アダムとエバが他の所に行こうとしても行けないのです。この線に入って爆発されて、アダムとエバが神と愛でぶつかる稲光が発したならば、天地には堕落というものはあり得なかったのです。既に明るい光を感じ、霊と肉がそこにおいて既に一つになるのです。 人間は二重構造でできているのです。内的な人と、外的な人と。それは宇宙も同じです。内的な宇宙、外的な宇宙、それがいつ一つになるのか、一つになれる力は何でしょうか。他の力ではできません。いくら圧力で、コンプレッサーで押す力で一つになったとしても、また分かれてしまうのです。しかし、愛の力を中心として接触しておけば、これが離れようとすると、さらに強く付きます。もっと深く入って、反対側の極まで貫いて出ようとするのです。中央で接触したなら、お互いが向こうの極に貫いていきながら刺激し、ここに来てはあの極へ、このように行ったり来たりするのです。 完全なもの、良いもの、大きく貴いもの、そのすべては何を基点として連関されているかといえば、愛です。なぜその愛が貴いのでしょうか。愛を探し出せば、そこには神もかかっているのです。神も愛においては、いくら逃げようとしても逃げ逃げられません。「もしもし神様よ!」と愛がいくら神の悪口を言っても離れられません。このような観点で見るとき、人間はいかに永生するか? 神の絶対的な主体の前にあって、人間は絶対的な相対の立場に立てられました。その立てられたということを理論的にどう証明しますか。愛という概念は一人では見いだすことができません。相対圏で形成されるので、その愛を中心として見るとき、自分という相対的人間は神のように永生しなければならないのです。これは理論的です。何の理由もなしに永生しますか? 知らなければなりません。無知からは完成がありません。 今日、科学世界において、数学をコンピューターで計算すると誤差が生じるのです。皆さんは信仰生活において、コンピューターで計算したそれ以上の立場にいますか? それで終末に近づくとキリスト教はいくら努力しても滅びるのです。滅びるようになっています。先生が滅びよと言うより、神がそれをためらわず壊してしまうのです。 羅(ナ)長老、朴(パク)長老、福音教会、大言壮語するな! これから見てみなさい。門に入るとき、パスポートをもらわなければなりません。パスポートを受け取るだけではいけません。ビザも受け取らなければなりません。ビザをもらうには霊界の神がサインしなければなりません。 皆さん、長老教会といって総会長がパスポート……どこかの僑胞と同じです。大韓民国の国と同じです。アフリカの国と同じです。それをもってアメリカで通用しますか。ビザをもらわなければなりません。ビザを受け取ることのできる教団が必要です。そのビザをだれが与えるか。ペテロに天国の鍵を授けたことが何を意味するかといえば、ビザ券発行を許諾したことです。分かりますか。ペテロを批判したり、サインを逆さに書いたとかは問題でありません。ビザをもらわなければなりません。そのビザを発行する人が文先生であるとしたらどうしますか。ビザの発行はレバレンド・ムーンがやると言えば、既成教会は異端とか、そういうことはあり得ないとか言っておられるでしょうか。(拍手) ですから、先生に反対するすべての人は打たれるのです。悪が善を打ったときには壊れるものがなく、最後に善か打つときには存在すらなくなってしまうのです。壊れていません。それをだれが壊せますか。神が残すことができますか。神の愛を中心として相対圏を中心として打てば丸いのでどうなるか。丸いボールをけってみなさい。真ん中をければあちらのほうに行ってしまうのであり、壁の所に当たれば自分の額に当たってしまうのです。(笑い) 横をいくらけってもぐるぐる回って循環運動が始まるのです。ですから神を正面から打つことができますか。レバレンド・ムーンを正面から打つことができますか? 促進作用はできますが、破壊作用はできません。 このように言うと、自己宣伝することになるので、教授とか牧師とかやっていた人たちは気持ちが良くないでしょうが仕方がないことです。がつがつ食べていてはおなかを壊してしまいます。統一教会の文先生のように一つ一つ食べていかなければなりません。文先生は今までおなかを壊したといって大騒ぎしたことはありません。 天国は、愛を完成していない人は行けない所です。分かりますか? 神様もまだ天国にいません。理想としていた愛の天国を実現することができないでいるのです。なぜですか? 愛の対象者となれるはずのアダム、エバが堕落したので、その理想としていた本然の基準を再び探し立てることになります。そうすることによって愛を人間と共に結び、あなたは永遠なる私の相対であるから、永遠無窮まであなたと共に愛を中心として幸福であれ! 神がアーメンと言って天国の門を開く前には入れません。このような意味で統一教会においては、天国は空っぽであるといっています。これは理論的な結論です。しかし、それが間違っているとだれが言うことができますか。 それで神はアダムの愛を一〇〇パーセント感じ、エバの愛も一〇〇パーセント感じ、子女の愛も一〇〇パーセント感じ、また子女は父母の愛を一〇〇パーセント感じ、妻は夫の愛を神の愛のように一〇〇パーセント感じ、また夫も妻の愛を一〇〇パーセント感ずるのです。このようにして父母の愛一〇〇パーセント、子女の愛一〇〇パーセント、夫の愛一〇〇パーセント、兄弟の愛一〇〇パーセント、すべてを完全にパスした間完成者が地上にいると思いますか? どう思いますか? 問題は大きいのです。もし皆さんがそのような愛の合格者となって、それが種となって蒔かれたならば、その子女たちもそのような種とならなければならないのに、皆さんの子女たちが全部そのような子女を生み、そのような子女が数千万代になるはずなのに、今日この世に住んでいる人たちがみんなそういう人になっていますか。これはどうしてでしょうか。 取って食べるなというその期間、この中央線に至るまで、アダムは完全に成熟する時まで、エデンの園でエバはいつもアダムにいしめられたでしょう。エデンの園では喧嘩もしていけない、ということはなく、好きで喧嘩をし、嫌いで喧嘩をしていたでしょう。男性が力強い人であれば、(手を)少し付けるだけでも、「あ! あ! 痛い」と言うのです。(笑い) なぜ笑いますか。このように話をしていては時間が何時間あっても足りません。忙しい人は帰ってもいいです。「きょう一日(ついたち)だといって行ったら何時間も、説教は三十分でOKというこの時勢に、全世界の常識的な見解であるのに、何時間もやって、トイレにも行きたいし、お尻が痛くて大変だ」と言わないで、お帰りください。入ってきたい人がたくさんいますから、統一教会の群れで。 天国はどのような人が行くといいましたか。真なる神の愛を完全に受けて、「あっははは、私は幸福です」と、目も耳も話を陶酔の中で見聞きし、話をし、喜びの中で舞い得る、そのような愛に酔った、そのような人たちが死んでから行く所です。人間が生きるにはどのように生きるかといえば、愛のために生きるのです。神も愛のために生きておられるのに、人間が自分のために生きることができますか? 妖邪(注:よこしまであやしいこと)な者、霊界に行ってみなさい。先生の話が合っているかどうか。先生は霊界を一々ひっくり返して、見て、知って、分析、鑑定してから言う話です。「そうであるだろう」という話ではなく、「そうである」と言うのです。独断的な結論であると言ってもかまいません。最高の真理は独断性があります。原理原則に立脚して、原理原則は譲歩がないのです。決定的です。 皆さんの体と心が一つになったことがありますか。一体になっていますか、どうですか? それがいつ一体となるか、成熟して神の愛と核において爆発される時、その力によって、皆さんの体の細胞まで一つになるようになるのです。そこから生まれた子女たちは何の種になりますか。神とのすべての愛を中心として、その要素を完全にもった線上から生まれるのです。しかし、(堕落によって)愛を中心とした種を収穫することができなかったのです。収穫しようとしたのに、収穫する中において、生命がないのです。 皆さんの生命はどのように生じましたか。皆さん、自分を見るとき、自分という存在は父母の愛が同参(注:僧侶と信徒が法会に参列して、一緒に浄業を修めること)してできた者です。それが権威です。私はだれなのかというとき、私はどこから来たかというとき、人はどこから来たのかというとき、それは父と母の腹から生まれたのです。その腹からどのようにして生まれたのか? 父の愛と母の愛が同参する中で生まれたのです。同参してできた者なのです。父母の愛が同参してできた者です。父と母の愛が交わるその核の所から生じたのです。そうでないでしょうか? 自分を中心として父と母の愛が実を結んだのです。ですから自分というのは父の愛、母の愛が同参してできた者です。生命はここから注入されるのです。他の所から注入されるのではありません。どこから注入されますか? 愛からです。 では神の愛の核は、どこから人間との関係を結ぶのでしょうか。この中央線においてです。そこに至ることができず、愛の爆発ができていないので、神の核の愛が出発することができなかったのです。それで私たちの生命が永遠なる生命となれないのです。それで再注入されなければなりません。それでキリスト教においては新生をうんぬんするのです。門下生たちは何も知らないで新生を言っていますが、世界の有名な神学者たちを集めて、そして気合いを入れたのです。「自分たちが立派だと高ぶるな! 立派だと腹を突き出すな!」と。猛烈な闘いをして、仕方なく壊れるようになると、先生につかまっていれば壊れないので、あとをついて歩いています。あなた方よりももっとつきまとうのです。あなた方は何を知っていますか? 神の愛の実を、霊と肉が完全に愛の総合的結実として爆発できる核の種を、実を結ぶようにして収穫して、愛の種を収穫して、それが永遠に存在するために天の国の倉庫に入れるのです。天の国が何かというと、それを保管する倉庫なのです。統一教会のレバレンド・ムーンがいうには、天国は空っぽである。天国が空っぽであるというので、異端と言われます。異端と言うそういう者たち、行ってみなさい。険談(注:人のことを険しく語ること)を言うにもほどがあるでしょう。私文某(なにがし)という人は科学を勉強した人です。電気工学を勉強した人です。数学に天才的な頭脳をもった人です。盲目的なものは信じられない人です。だれも説得することのできない人です。漠然と皆さんをだまそうとしている詐欺師ではありません。実験をし、間違いないものとなっているので、どこにでも出すのです。世界が反対してみなさい。だれが壊れてしまうのか。真の打てば逆に壊れてしまうのです。真になる以前には、それほど壊れません。 見てみなさい、統一教会の文先生に反対していてすべて滅びました。二〇〇〇年間死の中においても発展してきたキリスト教が、なぜ解放後三十年にもならないうちに滅びるのか。四十年になれば手をつけることのできないほどに腐ってしまうのです。先生の力を借りなければ生きる道がありません。これを怨讐視するなら、一度に全部切ってしまえばいいのですが、父母が苦労された功を見るとき、十二人の息子の中で十一人の息子がヨセフを殺そうとしたのですが、父母が愛していたので怨讐を打つことができなかったのです。そのヨセフの歴史を知っているでしょう。ちょうどそれと同じです。 統一教会の文先生を殺そうとあらゆることをしましたけれども、先生は神がどんなに既成教会を育成し、人を犠牲にしてきたかという歴史的功を知っています。そして孝道の道を行かなければならない立場に立っているので、父母が亡くなったのちに処断するようなことはできないのです。亡くなるとき彼らを生かしてあげて、同じ父母の前に侍って還暦の祝いをしてあげようとするのです。神の誕生祝いをしたことがないですね。堕落した人間が神を中心として誕生祝いをしてさしあげられなかったのです。その誕生祝いはサタン中心にやったのです。堕落圏内ですから、その圏内に神は入ってくることができません。結婚したり、祝賀したりすることはすべて妖邪なことです。神を中心として結婚の祝いをしたことがありますか? 誕生祝いをしたことがありますか? できませんでした。 それは完成して愛の因縁が結集され、そこから新しい二世を中心として平面世界へと繁殖することができたならば、縦的、横的な愛の種を広めるのです。神の愛の軸から離れないように軸にひもを付けているので、故郷を懐かしく思うのです。故郷を懐かしく思うのは軸の関係を永遠に離れることができないからで、本性のゆえです。 このように考えるとき、天国はだれもが行ける所ではありません。イエス様も漠然と話したのでしょう。「天国はどこにありますか」と言った時、「あなたの心の中にある」と言いました。そのような話がとこにありますか。「心のどこですか、あなたの心のどこですか」。それは何の話かといえば、「あなたの心の中央地を占める愛の場にある」というのです。分かりますか? 愛の場です。人間は神が住むことのできる宮殿なのです。その家はどのような家かといえば、神の家です。人が造った家ではありません。神自身が造った宮です。なぜ造ったのか。愛の家であるからです。愛の家となるように造ったのです。それでは夫は妻をなぜ必要としますか? 愛の家がそこにあるからです。妻は夫をなぜ必要としますか? 愛の家がそこにあるからです。子女たちは父母をなぜ恋い慕うのか。なぜですか? そこに愛の家があるからです。父母はなぜ子女を愛らしく思いますか。そこには愛の家があるからです。完全なる愛の家があるからです。 このような中において、統一教会の原理は、この家庭を中心として四位基台に中央の線を立てたことは偉大な発見であり、偉大なる宣布なのです。イエスは子女としての愛は受けましたけれども、相対である新婦の愛をイエスは体験できましたか、できませんでしたか? イエスが花嫁を迎えたでしょうか、どうですか、神父の皆さん。今ローマ法王庁では大騒ぎになっています。約二十万が妻帯していない神父でなく、妻帯神父、結婚しているシスターなのです。世界的にそうですよ。それが今日の脅威なのです。これを解決するためには妻帯神父、結婚しているシスター教派をつくろう。そうするためには、統一教会の原理を受け入れてもいいというのです。それは秘密ではないのです。何の話か分かりますか? レバレンド・ムーンの尾にかかっているのです。神父の方々がみえていますね。それが偽りか調べてみなさい。それで、アメリカにおいて十万近い結婚した神父やシスターの脅威を受けても、贖罪の道がないのです。罪悪である。自分たちが法を守らないで結婚して、地獄に行くということから解かれないのです。しかし統一教会の原理を一度聞けば解放されるのです。ああ、これは素晴らしい。なるほどそうなのだ。(拍手) それで妻帯の神父、結婚したシスターたちが地獄の生活をしたのを解放してあげることは悪いことですか? 神に聞いてみると、文某という人は悪口を言われながらよくやったのだ、と。 また、先生が結婚をさせてあげたのですが、合同結婚式をやりましたが、それは良かったことですか。良くないことですか? (良いことです)。合同結婚式を受けた人は手を挙げてみなさい。この者たち。自分たちがあのような女の人はどうだとか、このような人がどうだとか言っていた泥棒のような、この男子の者たち。この狼のような男たち。それで生活してみるとどうですか? まあまあですか? いいですか? (いいです)。まあまあという者たちはネクタイを引っつかんでやらなければならないよ。いいですか、まあまあですか? (いいです)。先生の目から見るとまあまあだけれど、あなたたちの目で見ればいいでしょう。(笑い) 正月の一日から笑って過ごしましょう。もう一時になりましたね。きょうは天国建設についての話ですが、天国をどこから創建すべきか。そこには真なる神、愛を体験した神がいなければなりません。創造理想をモデルとして、対象的人間完成者を中心として、神も愛さざるを得ないように永遠の理想の愛に燃えなければなりません。このような話をするといって、何と下品な話かと思うかもしれません。しかし、これが下品な話ですか? あなたたちを生んだ父母がそのようにして生んだのです。堕落していない基準からいうとき、これは下品な話でなく、高く神聖なる話です。 愛の中央線において、「幸福である」と言える神となっていないのです。愛を中心として見るとき、神も未完成の立場にいるのです。神様までも未完成の立場にいるのです。ただ愛を中心とした場合に。この“ただ”という言葉がついているのを忘れて、神が未完成であるとは統一教会は異端である、神までが未完成であるとはとんでもない、と言うのです。愛を中心として完成の体験をした神の立場になっていないからです。神は目が酔うし、酒を飲んだようでしょう。先生は飲んだことがないのでどのように酔うのか知らないので、これから飲んでみようと思います。(笑い) この世において反対する群れがなくなれば飲んでみてもかまわないでしょう。(笑い) 目が酔い鼻がむずむずし、耳には鳥の声が聞けえるように甘く聞こえるでしょう。神も陶酔することのできる刺激的な愛が必要です。それで、愛は極と極であるので中央線上を行き来するし、爆発する所に入っていくのです。それで愛が爆発する力がどれほど大きいか分からないのです。ぶつかる力より、爆発する力がもっと強いので直ちに原点に戻ってくるのです。 皆さんも、真正なる愛の心をもって自分を助けてくれたことを知るとき、その良心的な人にものを再び返すとき、また、一〇〇ぐらいの価値のものを自分がもらったとき、その愛の心を知って、自分を愛してくれたことを知ったとき、一〇〇以上助けてあげたいですか? 九十だけ、十ぐらいを削って助けてあげたいですか? 一〇〇より何百倍助けてあげたいのです。そのような力というのは愛からです。愛は与えれば与えるほど大きくなるのです。愛は投入すればするほど大きくなります。力学関係においては、入力は出力より大きいのです。ただ愛の力は入力より出力が何倍も大きいのです。愛において、人間に衝撃さえ与えれば何倍にもなってくるのです。ですから、夫婦喧嘩の中で一番恐ろしい争いは愛を中心とする争いです。そうですか、そうではないですか。悪口の中でも一番激しいのは愛の争いを通して展開されるのです。それは正しいですか、間違いですか。正しいですよ。先生はこのようなことを考えていましたが、他の人に妖邪に文先生は監獄に入って、と言っていますが、先生は監獄に入って、一人でそのようなことを考えながら笑って過ごしていたのです。一生の間、追われながらも鼻歌を歌いながら過ごしたのです。鼻歌は得意ですよ。一度やってみましょうか。(はい)。 この愛を中心として、幸福であるといえる神となっていないのです。そうなるためには愛を中心として神までも自分のものであると主張することのできる人が来なければなりません。今やそのような男が来ました。イエスはゲッセマネで、「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの思いのままにではなく、みこころままになさって下さい」(マタイ福音書二六章三九節)と言いました。愛を中心として、愛と一体化した立場においてはそのような論理が成生しますか。曲折した、積もり積もった使命が成し得ないからであります。愛と一体化した立場において、「私の思いのままと、みこころのまま」というのはあり得ません。聖書を見て一ページをも読み得ない理由をもって今日の政会では、聖書をただ読みなさい、祈祷しなさいというのです。祈祷するといってひざまずいて自分だけが恵みを受けようとする者たちは、ただ穴だけを掘っているのと同じです。一匹でいるトラがいくら千年、万年生きたとしてもトラの子は生まれてきません。雌がいる所に行かなければなりません。神もそうであり、人もそうです。相対的な立場に立っていないのに神をいくら叫んだとしても、神は現れることができないのです。祈祷はそのようなところにおいてするのです。私が祈祷しなくても神は知っています。私が願いさえすればすべて成してくださいます。 ある人が五年前から、その人のいる騎士協会の勲章を与えたいと言っていました。先生はそういうものを好む人ではありません。「この勲章は最高のものである。ヨーロッパ世界においては、資格をもつために互いが夜昼なしに私と交渉するほどのものである」と言うのです。神がそのような資格を受けていらっしゃらないのに、先生どうして受けることができますか? 先生がもしノーと言って彼の首が切られたらいけないと思って、また韓国人であれほどになっているのに首を切られたらかわいそうなので、仕方なく受けたのです。それできょう一日あいさつする、襲撃的にあいさつをすると言うのです。襲撃あいさつがどこにありますか。(笑い)そのようなことが起こるので先生は逃げるのです。 韓国に来て、このごろ「先生に会わせてほしい」と言う人がいます。いつから「先生」になったのですか? この人たちはいつ「先生」として知ったのですか? 先生は四十年前に、裸になって舞っている怪首とうわさで言われていたのに、そう言ったのはいつのことで、今は「先生」なのですか。同じ先生ですよ。その時はもっと元気があり、もっと美男子でありました。すべての面において百勝することができたその時は知らないでいて、今、年を取ってきたので、問題を複雑にして休むこともできないようにするのですか。これは率直な話です。率直な話でなくて、率直な交渉をいつやれますか。心の内をすべて表して、こぶしで一回やるのです。どうですか、悔しいですか、悔しくないですか? 人から殴られて悔しいですか、悔しくないですか。あ! これから始まりである。これから新しい時代である。それをしないで包み込んでおいては、それはできないというのです。それで老いた人でも間違っていたら責められるのです。(先生は)おじいさんや父母にまで訓戒した男なのに、だれを恐れましょうか。先生は神様までも教育しようとしているのに。(笑いと拍手) 先生がこういう話をすれば、神は、「私が創造する時、それは知らなかった。あなたの話を聞くと、なるほどあなたの言うとおりだ」と言うのです。神は年を取った数億万年間いろいろと経験を積んだ大蛇のようであり、その神がすぐに「そうだ」と応ずると思いますか? 先生がこれを知らないと死ぬ、と食いついていくので、「事実がそうであるから」「そうらしい」と答えるのです。「そうだ」と言わないで、「そうらしい」と言うのです。そのような大蛇のような神の機嫌を一つ一つ取って、秘密の袋を全部出させるのです。どこにはどのような秘密があるということをすべて調べ出したのです。それを愛の心で調べれば、壊さないで開いてくれるのです。他のものではできません。おじいさんの好きな孫が、おじいさんのちょんまげまでほどくのです。先生も、両親が亡くなって初めてほどくちょんまげを孫がほどいたとしても喜ぶのです。愛とはこのようなものです。何の話か分かりますか。夜疲れていても愛というものが来て触ったら、神経はそこに引っ張られていくのです。(笑い) なぜ笑いますか、事実がそうでしょう。なぜかといえば愛は実感的だからです。 創造主として神が被造世界を創造したのは、愛の博物館をつくっておくためです。それを教材として人間が完成し、雷が鳴る以上にこの天地をひっくり返すことができるほどの愛の騒乱の音を通して、この宇宙全天地が雷と稲光によって渾然一体化して踊りだすようにつくるはずでありましたが、そうはならなかったことが恨です。表現することは難しいのですが、成じだけは素晴らしいでしょう。そのような場において、私は天国に行くのです。天国に行った人がいますか。そこにサタンがいますか? 神の愛の所にサタンがいますか? あなたたちは結婚して、夫婦が楽しく生活している所に、もう一人の男やもう一人の女を願いますか? (願いません)。絶対的に願いますか、絶対的に願いませんか? (絶対的に願いません)。いかなる美人であっても、いくら信頼する人であっても同じです。疑夫症(注:夫を病的に疑う)の何百倍の力があってもびくともしないのです。 この世界は相対的なもの同士が運動するようになっています。そうしなから保護するのです。天国はそのように完成した愛を中心として、喜々楽々とする神が臨在される本然の園であり、本然の場であります。また、(天国は)人間の始祖が神の愛と同和して、衝撃的な愛を中心として光と音が共鳴できる音叉体です。ある周波が来たとき、これを鳴らせば鳴るのです。愛を中心として共鳴する音叉体となって心と体が完全に和し、男性と女性が完全に愛を通して和すれば回るようになります。転がろうとするのです。これは東西南北すべてに通じたということになるのです。東西に通じ、上下に通じ、前後に通じると幸福になるのです。なぜ踊りますか?「お! お! 我が愛よ!」と言って踊る時、腰が宙に浮きます。神の愛を中心として、アダムとエバの心も共鳴音叉であり、アダムとエバの中心として子女の心も共鳴音叉であります。そして子女を中心として考えるとき、すべてに通じているのです。それで家庭は天国の基地なのです。家庭において愛にパスすれば、神が神の立場に立ちます。神の愛にパスして、人間がこの宇宙を自分のものであるといえる特権をもつのです。このような皆さんの本心の世界を占領しようとする心はどこから来たのかといえば、ここから来たのです。天国は光です。堕落とはこの世界(しぐさで示される)。人間が九〇度の十字を中心とした距離が同じである九〇度圏を中心とした縦横の交差点を作れなかったのが堕落なのです。そこに上っていく途中で落ちたので、この道を再び永遠に探して復帰しなければなりません。救援というのは、病気の人が病気になる前の立場に返ることです。それでイエスはこの地上に宣布されました。「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ福音書一四章二六節)と。あなたの父母や子女、価値のないものを私より愛していては私の弟子になることはできないし、子女になることをさておいては弟子にもなれないと言ったのです。なぜ弟子と言ったのでしょうか。そしてまた、「自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない」(同一四章二七節)と言いました。なぜ十字架を背負わなければならないのでしょうか。あきれた話です。神は自分だけを一番愛せよと言うのですか? ヨハネ福音書三章一六節に「神はひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった」と書かれています。既成教会、監理教、天主教(カトリック)を愛すると言っていますか? はっきり知らなければなりません。最も重要な部分を取り除いておいて「神がこの世をこれほどに愛されて」と言っていますが、どこかの国のことではありません。「ひとり子を下さった」その独り子を犠牲にしても替えることのできないほど貴いものがこの世です。神の愛がそこを通らなければなりません。だれでも彼を信じなければ滅亡するのです。終末においては、その道を通らなければ天国へ行く道がないのです。 世界を愛さなければなりません。神を愛し、世界を愛さなければなりません。神が創造されたすべてのものは、父が人間のためによく生活できるように準備した家具なのです。生活必需品です。また情緒的な必須品です。蝶が飛び回り、色とりどりに双をなして飛び回っている彼らを考えてみなさい。蜂が飛び、香が漂い、鳥がさえずるということを考えてみなさい。愛を中心として連結されているのです。彼らなりに級は低いけれども、愛を中心としてすべて動いているのです。 皆さんが天国へ行くようになれば、自分の父母が必要ですか、どうですか? 堕落していなかったなら、天国へ行く時、自分の両親が先に行っているのがいいでしょうか、自分が先に行っているのがいいでしょうか? (両親です)。どのような父母ですか。神の愛の対象の立場に立って、神と同じように愛していった父母がいなければなりません。そういう父母をもっていますか。もっている人は手を挙げてみてください。博士たちも来ていますね。尹(ユン)博士も来ていますね。きょう、先生は特別に韓服を着ようとしたのですが、サタンが先にまねするのと同じように先に着たので、先生は着るのをやめましょう。 皆さんは、皆さんの父母が神の愛を受けて、対象的な立場において真なる愛の核をもった種として生んだ子女ですか? 不十分な立場において堕落したあとに生まれた子女ですか? 堕落したあとに生まれたのです。種がないのです。お盆になると栗は熟して、自然に聞いて落ちるのに、八月のお盆の前の栗は、外から見ると同じですが、熟して自然に開く栗ではなく、しおれて縮こんで落ちる栗なのです。形は同じですが、中味のない栗なのです。 神が地獄をつくったのではありません。地獄は堕落のゆえに生じたのです。中間霊界が堕落のゆえに生じたのです。ではここにおいて問題は天国創建(黒板に書かれる)ですが、天国をどのようにつくっていくのですか? 今日までの人類歴史を通して見るとき、神はこのような本然の原則的な愛の理想を成し、勝利的覇権者として合格した人々が、言い換えれば、神の愛のビザ、愛に合格したビザをもった人々がカーンと鳴らして入っていくのが天国です。しかし、そのようにして天国に入った男子がいましたか? イエス様はどこに行っておられるかといえば楽園です。楽園は天国の待合室です。なぜそうですか? 牧師や神父に聞いてみなさい。なぜそのようになったのですか? 楽園というのはどこですか? 全く分からないのです。それ以上聞くのは冒涜であり、信仰というのは知って信ずるというよりはただ信じることです。しかし、知ることができれば、知ってから信じなければならないでしょう。今日、二十一世紀の科学の先端知識を通じて、急変する社会的環境の中でそのような方式に従っていけますか? どのような方式ですか? だから信者を失って乞食になっていくのです。食べるものがなくなって、労働をしなければなりません。そうでないか見てみなさい。韓国も近いうちにそうなります。 ここで問題になるのは、天国創建をいかにするかということです。アダム、エバは家庭を中心として生まれましたが、真なる父母となっていなかったのです。アダムとエバは真なる父母になれなかったでしょう? 善悪の実を取って食べて堕落したのです。故障したのです。真の父母はどこにいますか? それは、神の心の中に、これから成熟することを期待されていた本然の堕落しないで成就すべきアダムとエバなのです。真の父母はどこに行ったのですか? 真の父母が現れていないのです。真の父母が現れていないので、真の子女はあり得ないし、真なる子女がいないのに天国に行こうとする者は泥棒です。その人は行ってから追い出されるのです。追放されてしまうのです。 それで人間がサタン世界で野生のオリーブの木となったので、神がサタン世界の畑に行って野生のオリーブ畑を管理していては、直ちに首を切られてしまうのです。追放されるのです。それでサタン世界において、これを分立するのです。分立するためのカイン、アベルの論理を皆さんは知っているでしょう。悪なる人の中でより善なる人、より善に近づくことのできる二人がいるとして、二人が闘うことになったら、どちらの人が神の側になりますか。より悪でない人が神側に立つのです。神側、善の側、悪の側という言葉を統一教会で言っています。いくら悪なる所、地獄の底に行ったとしても、より善なる、より悪でない人が神側です。その距離は遠いのですが、この闘いをするのです。伝統、文化の背景、習慣すべての風習が異なりますが、それらを中心としてより悪なる人、より善なる人となるのです。そうなるとき、自分自身においても、より善なるもの、より悪なるものと分かれるのです。 では、より善なるものは何かといえば良心であり、より悪なるものは体です。このように見ると個人、家庭、氏族、民族、国家、世界に至るまでの、より善なる側とは、とにかく宗教圏に属した人が、宗教圏に属していない人々より神側に近いのです。このような結論が出ます。そのように連結されるのです。ですから世界は二つに分かれてしまうのです。それで善の側は、個人の立場から見るとき、より善なるものは何ですか? それは良心であり、より悪なるものが体です。これらが分かれてしまったのです。そこで皆さんはどこに立っているかといえば、地獄と天国の三十八度線にいるのです。 この間、板門店で条件つきで旗を一つずつ立てて、星をつけた将軍たちが体面かまわず、互いに少しでも高く掲げようとしていました。そのようにあなたたちの心と体は闘っています。心は神と神側の善なる霊が綱引きをし、体の側はサタンが綱引きをするのです。ところが習慣性は何を根拠として出発したかといえばサタンを中心として出発したのです。皆さんは神の血統を受け継がなければならなかったのですが、サタンの血統を受け継いだのです。サタンとは神の姦夫であります。ここに座っておられる幹部ではありません。(注:韓国語の姦夫(カンプ)は幹部と同じ発音)(笑い)妖邪な女三人が集えば、一番悪い姦というようになります。女たちは注意しなければなりません。女とは三人集まれば、一体化させる言葉ではなく、すべて分裂したもの代表なのです。 なぜそうなったかといえば、サタンの最もチャンピオンの立場に立っているのが女だからです。すみません、女の人たち。女の人たちは口を開けば、最初はいい話をしますが、最後には悪い話をするのです。最後には自分の夫がどのように浮気をしたとかの話までするのです。男は口が重くてベールで隠します。姦夫、サタンの血統を受け継いだのです。 神がもし完成した愛を必要とすれば、神は二性性相です。統一教会の原理の言葉である二性性相は理由もなく出てきたのではありませんよ。神が御覧になるとき、アダムとエバが九〇度の角度で二つに分かれているので、これを一つに合わせるとき、神は公平な神であるからアダムとエバの中央線において、不平を言うことができないように、これを一つにぴったりと合わせれば、お互いは自分のものであるというのです。 それで皆さんがもっている愛の器官は、皆さんのものではないのです。相対のものなのです。女性の愛はだれのためのものですか? 主人はだれですか? (男性です)。男性の愛の主人は受けてから使えば罪になりません。それだからといってサインをしなさいということではありませんよ。(笑い) 女性に強制してはなりません。 笑うこともだれのために笑うのですか? すべての五官は自分のためにあるのではありません。触るときでも、気持ちが良い悪いというのは、だれのために感じるのですか? あ! 美しいとかいうのは何のために感じるのですか? 相対がいなければ、すべての芸術的感情を感ずることはできません。それを一〇〇パーセント衝撃的に感じるのは、頂上の危なっかしいところについているもので、少し間違えば散り散りばらはらになってしまうのです。完全で絶対的な立場にぴったり連結するのです。愛のみがここまで支えることができます。愛で溶接さえすれば、根がなくなっても落ちないのです。風よ、吹きたかったら吹きなさい。あ! あ! 良い良い、天地が自分の目に入り、すべてが自分の視野の下で動くのです。スリルの連続です。映画を見たらスリルが少しなければなりませんね。人は人の首を切ったり、血を見ることによって喜ぶでしょう。それ以上のスリルは愛によるスリルしかないのです。次には、堕落したこの世界において、六〇パーセントにもならない創造の結果的な愛の作用の力だけでも、ああ! 死ぬほどである! とか言うほどに妖邪なものです。それを何の病気といいますか? 男性が女性に会いたくて仕方がない病気を何といいますか? 相思病(注:恋心にとらわれて生ずる病気)、漢字ではどう書くのですか? (相思病です)。その思はではないのですか。(注:韓国語では思(サ)と死(サ)の発音が同じ)相死病です。思うことによって死ぬ病気なのです。 この天地には、男性、女性にかかわらず、全部が三十八度線上に立っているのです。地獄の先端と天国の先端がここに連結されている両哨(りょうしょう)所なのです。両哨所に立っているのです。本当にそうであれば、三十八度線の南にいる人は、そこに地雷があろうと何があろうと目をつぶって走るでしょう。そうですか? そうではないでしょうか? それを知らないから、ここはとってもいい所だ、自然、天地であってだれもいないのだというのです。私しかいないのだ。そうしているうちに雷が落ちてしまうのです。そのような境界線、個人的境界線、家庭的境界線、家庭的地獄・天国、氏族的境界線、個人から家庭へ一段階上っていくでしょう。氏族は、それよりもう一段階上がっていくし、上へ上がっていくそれらの道が、すべてふさがれたのです。 堕落しないで成熟したならば、ずっとまっすぐに上がっていくはずでした。しかし、堕落によって個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的に分かれてしまったのです。その家庭自体内において二つに分かれるのです。主流、非主流、今日国家においても野党、与党と分かれ闘っているのです。では、これからの平和の基地をどこで築かなければならないでしょうか。その根本原因をいかに解決すべきでしょうか。 社会が悪いのでのようになったのですか? 皆さん自体において悪い人間像が植えられたのです。その結果が今日のこの世界となったので、皆さん自体の、心の中の闘いをもっている二人が会えば、いくつの闘いとなりますか。四つの闘いとなります。これがいつ一つになりますか。お金でもって? 四つになってお互いが妻の殺し合いをしたりします。また権力をもってですか? 自分の子女までも殺してですか? この世では権力を内種として子女を殺します。何でもって一つにするか、これが根本問題です。人々を拡大したのが人間世界であるので、この世界に四十億人類が住んでいるということは八十億がそれぞれついて回って闘いを挑む、堕落した世界となっているのです。ここに平和がありますか? いくらやってもできません。戻って根本問題を考えなければなりません。 では、完成した者は本来どのようにならなければならないのでしょうか。これは哲学において、宗教においても問題です。自分という人は完全に完成されているので天下に誇るとき、その誇るすべてにこだまのように反応するかといえば、どうですか? 大学の教授の皆さん、できますか? 既成教会の牧師、神父たち、できますか? 仕方なしに教壇に立っている人々、給料のために首をかけている人たち。天国がどこにありますか。 それで皆さんの闘いを平和的に収拾しなければなりません。皆さんの心と体が、神とサタンとの、善と悪の対決場となって熾烈な闘いが繰り広げられているのです。レバレンド・ムーンも「宇宙主管を願う前に自我主管せよ」というこの標語を前に身もだえしたのです。この習慣性をいかにするか。韓国人はコチジャンとかみそを食べなければなりません。これを克服することができますか? 昼働いて、夜眠らないでおられますか? 眠りと、飢えと、男性は女性を、女性は男性を克服しなければなりません。宇宙主管を願う前に自我主管しなければなりません。これを克服しないでは神を迎え入れることができません。離れるようになってしまうのです。 それで、このようにすべての霧に包まれた、障壁に囲まれた人間像をいかに解放することができますか? この霧を払いのける風を起こし、そして分けている壁を爆破しなければなりません。爆破をだれがしますか? 先生がやってあげれば自動的になりますが、サタンが築いたならサタンが崩さなければなりません。先生はそれができません。もし神が築いたなら悪らつな神、そういう神は人間に平和の理想を標的として立てることのできない神なのです。許すことができません。ではだれが築いたのですか? サタンが築いたのです。「サタンよ! お前の手で崩しなさい!」と言える人がいなければなりません。また、病気の人を医者の思いのままにはできません。その人に薬を与えることはできますが、治るには自分が治れるように根本土台に合わせていかなければなりません。そうでないでしょうか。 それで善圏、悪圏にいる人たちが天国へ行くか地獄へ行くかは、神が決めるのではありません。神が引っ張ってきてもサタンが直ちに讒訴するのです。サタンは、「あなたが主管することのできる人は、あなたが引っ張っていける人は愛の圏内で一つになれる人で、本来の基準において合格者としてみなすことができるが、不合格圏、堕落圏内にいる人は連れていくことはできません。それは私のものです。血統的にそうなっているのです」と言うのです。 パウロも苦悶しているのです。「わたしは、内なる人としては神の律法を喜んているが、わたしの肢体には別の法律があって、わたしの心の法則に対して戦いをいどみ、そして、肢体に存在する罪の法則の中に、わたしをとりこにしているのを見る。わたしは、なんというみじめな人間なのだろう」(ローマ七章二二~二四節)。そうでないでしょうか。それは神が植えたのですか、サタンが植えたのですか? サタンです。サタンの血をもっているからです。姦夫のその血統を受けているので、 善と悪はいつでも自動的に分かれるのです。これを克服しなければなりません。 そのような歴史過程が残されているので、これを統一教会の歴史観で見ると、個人が完成していく歴史の面を全面的に展開しておいたのが人類歴史なのです。個人がこのような闘いの場から放たれるための歴史を、神は救援摂理を通してやっておられるのです。数多くの宗教を与え、「すべてにおいて現実を否定しなさい」と言うのです。なぜ否定させるのでしょうか。サタン側を否定すれば神側が近づくからです。宗教は否定をさせるのです。 犠牲、奉仕が好きな人がいますか? 先生は統一教会の責任者になっていますが、私は犠牲奉仕を願いません。しかし、仕方がなくするのです。学校に行って勉強が好きな人はいますか? ではなぜするのですか? 仕方なしにやっているのです。やらなければならないからです。死に目に遭いながらでもやらなければなりません。そうでなければ落伍者になるのです。上っていくのにサタンが先に上っていってしまうのです。 心と体のような闘いの形態が家庭においてもあります。家庭においてだれが相続を受けるかといえばより愛する人、全体をより愛する人が後継者となれるのです。これを知らなければなりません。 今日、キリスト教を信じている人々が犠牲と奉仕を行っています。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」(マタイ福音書二二章三七節)と言われたことが、第一の戒めです。神をだれよりも愛さなければならないのです。「だれよりも愛せよ」という言葉は、自分の体を除外してでしょうか、自分の体を含めてでしょうか。それは(自分の体を含めてであり)自分が一番の根本となるのです。このことを皆さんは知らないでいるのです。「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ」と言われますが、皆さんはそのように神を愛しましたか? なぜこのような話をされたのでしょうか。なぜ神は最初から、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くす人を創造しなかったのでしょうか。そのように創造しておかないで、そうしなさいと言っても、なれると思いますか? それは理論的に合わない話です。 本来は、心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くすようになっていたのに、堕落したため、病気になって、故障してしまったのです。これを再び合格品とするためには、糊をつけて再び組み合わせなければなりません。そのためにも「心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、主なるあなたの神を愛せよ」と、第一の戒めを言われたのです。 二番目の戒めは、「自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」(マタイ福音書二二章三九節)ということです。神は全体を愛すので、皆さんが人類を自分の体のように愛すれば、神の子女となれるのです。そのように愛してきたでしょうか。そのようになっていなければ不合格品です。今、深刻なのです。信じて天国へ行くと言いますが、天国は遠い所にありますし、他の所に行ってしまうのです。そうなってはいけないのです。正門を通って直行しなければなりません。天国に入っていくことを教えてあげている所は、統一教会です。邪なる多くの教団があります。妖邪なジグザグな道を教えているのです。 皆さんは、全体を見なければなりません。(先生は)飛行機に乗って、山頂に上り、一番良い道を選んで、道を整えておくのです。ハイウェイを整えておくのです。そして降りてきて導こうとするのです。出発する道は険しいのです。ある人は、「あの道に行けば一番険しい道なのだ」と言うでしょうが、ついていってみなさい。一番近い道を行くでしょう。 神側とサタン側の境界線にだれがいますか。人間の終末時に、三十八度線を中心とした板門店では終末時代の金門店と同じように、天国に入っていく時、パスポートをもっている人がビザさえもらえば、どこにでも通ずることができます。天の天使たちは、大韓民国にも来ることができ、北韓に行くことができるでしょうか? サタンは来てはいけないと言うでしょうか。しかし、行っても追い出すことはできません。行くことができるのです。なぜかといえば、あなた方よりも北韓をより愛するからです。北韓の人々をあなた方が愛するより以上に愛するからです。南韓の人々はもちろん神側にいるので問題ではありません。両側に立って、より愛する人が国境を克服することができるという論理が成立するのです。分かりますか? このような基準を中心として、いかに越えていくかということが問題です。堕落によって、アダム、エバ、次にカイン、アベルの子女を失ったのです。子女級の救援摂理をしなければならないのです。カインがアベルを殺したのです。兄が弟を猜疑(さいぎ)したのが堕落の本性です。兄が弟を、自分より以上に愛したなら(兄は)神の人です。堕落して、ここに事故が起きたのです。 今日、統一教会の原理路程において、カイン、アベルの闘いをいかに克服するかという問題が介在されます。サタン側はカイン圏です。人間世界への適用がそうであります。男性も女性も同じように適用されます。二人が闘う時、より善なる人は神側に立つのであり、より悪なる人はサタン側に立つのです。じっとしているのに被害を与える人は、悪なる人です。ですから善なる側とサタン側の闘いの戦略を中心とした戦術は、打つことを通してサタンは滅びるのです。サタンは先に攻撃するのです。兄弟の中で、兄がじっとしている弟を先に打って泣かしておけば、父母が来て、だれの味方になるでしょうか。弟の味方になるでしょう。先に被害を与えた者は悪の側に立ちます。被害を受けた者は、味方ができて保護され、補償を受けるようになります。分かりますか? それで神の戦法とサタンの戦法はどのようになっているかといえば、サタンは打って失い、打って奪われてしまうのです。神側は打たれて取り戻すのです。これを知らなかったのです。 今日、人類歴史の中で宗教の歴史を見ると、宗教は迫害を受けた時には発展したのです。それはなぜでしょうか。サタン側が打つので、神側においては打たれて、損害賠償をもらうのです。十の価値の立場で打ったならば、数百倍の損害賠償を請求して、サタン世界を後退させるのです。このような闘いをするのです。統一教会はこれまで四十年間迫害を受けてきました。しかしこの作戦をしたのです。レバレンド・ムーンが行く所、至る所で打たれ、韓国全体が反対の運動をし、世界全体が反対する中において、監獄に入って打たれ、死の十字架の道を訪ねていくのです。そのように打たれ出てくる時には、三代の霊界の先祖から、父母、子女まで、三代圏を屈服できるのです。何の話か分かりますか。サタンは三度までも打つのです。打つことはできますが、殺すことはできません。一度打ったなら、三倍以上損害を被るのです。ですから、統一教会が迫害を受けながら発展したのは、このような神の戦略による戦術を直接遂行したからです。打たれて奪ってくる戦術を取ってきたのです。それゆえ、統一教会は発展してきたのです。 既成教会は、統一教会に反対して滅ぶのです。これは、二者が闘うのに、より外的なサタン側に立つからです。分かりますか? アメリカとキリスト教が先生に反対しました。ローマの四〇〇年の受難圏の中でも、カタコンベの墓をつくり神に保護され、世界的に発展したそのキリスト教が、なぜこの数十年のうちに滅びの寸前にいるのでしょうか。それは統一教会の文先生に反対したからです。この話をしたら、本当にそうかと言うのです。しかし、今日になってはこの話が本当だと分かってくるのです。疑わしければ、神に祈ってみなさい。偽りであるかどうかを。 今度、教授を集めますが、大韓民国は先生の話を聞かなければ滅びます。世界が先生の話を聞かなければ、滅びると言うのです。(今では教授たちは)「あの方は、今はあのような話をする資格をもっておられるのだ」と。レーガン大統領に対しても、一言言えるのです。レーガンよりも覇気ある男だからです。そういう意味では、李(イー)さんは騎士道の勲章をよく与えたといえるのです。 ここで一つの公式を発見するのです。天国創建をする公式が何であるか、これを知らなければなりません。カイン、アベルの兄弟が一つにならなければなりません。一つになれる基盤をつくらないうちには、天国に入ることはできません。天国はどこから来るのでしょうか。真なる父母の愛から来るのです。それゆえ、歴史を解くには、ぶちの種と真っ黒い種を蒔くのです。二つを蒔くのです。それゆえ終末において、蒔いたのと同じように収穫するのです。一つは、神がいないという、神を否定する種を蒔き、もう一つは、神を肯定する種を蒔いて、世界的に二つの実があるのです。その時が終末です。それが共産主義世界であり、民主主義世界なのです。分かりますか? では民主世界とは何でしょうか。キリスト教文化圏の世界であり、共産世界は何かといえば、無神論文化圏世界です。宗教がなく神に反対する世界です。これが闘っているのです。では統一教会とは何でしょうか。この闘いの中で民主世界をアベルとし、共産世界は外的であるのでカインとして、この二つを愛でもってつなぎ合わせて一つにするのです。兄弟が完全に一つにさえなれば、次に何が来るかといえば、母が来るのです。キリスト教において、イエス様が復活されて四十日後に、失った弟子たちと七十人の門徒と一二〇人の門徒が一つになることによって、カインとアベル圏が霊的ではあるが一つになることによって、母神である聖霊が臨まれるのです。新郎であるイエス様を夫として思慕する母神が臨まれ、縦的に一つとなって、父母の愛の力により、二人の子女が父母の腹中において、骨髄において、一つになったという衝撃を受けなければ、再び生き返る道がないのです。もっと詳しく、だれも反対することができないように話をすればいいのですが、時間がありません。原理を知っている人は分かるでしょう。 キリスト教では新生をいいますが、その新生とは何でしょうか。再び父母の腹中に入ることができないので、精神的な基準において、愛を中心として、間違って接ぎ木されていたものを真のオリーブの木と接ぎ木されるのです。それにより、真のオリーブの木の、体と心になったという行動を取り、その行動が出発から終わりまで神の愛の法度に和合することができる、そのような一生を歩んだ人以外には、天国に入ることはできません。それほど難しいことです。あなたたちのようにただ食べるための牧師であれば、先生は悪口を言われないでしょう。先生は賢い人です。頭も良い人です。他の人が十年間でやることを三年以内にやり遂げるのです。他の人が三年間なら、先生は三カ月以内にやるのです。手も器用ですし、敏感です。目で測定するのも早いです。厳徳文(オムドクムン)、来ていますか? (彼は)建築設計者として韓国でうわさになっていますが、先生が一目見て、「あれは何ミリメートル違っているよ」と言えば、「そういうことはありません」と答えるのです。では測ってみなさいと言って、測ると、違っているのです。測定するのも早いですよ。芸術的感覚も鋭いのです。ワシントン・タイムズのレイアウトを先生かこれまでコーチしたので、毎年の世界展示会において、三年間チャンピオンになりました。ですから、あなたたちが適当にしようとすることに先生は応じられません。いくら年老いた老人であっても通じません。では公式とは何でしょうか。個人的天国はどのようにつくるのですか。心と体が絶対的に一つにならなければなりません。一つになる前には、世界の金の塊をすべて与えられたとしても体の願うままにはできません。世界の大統領という地位をもってきても、「私は嫌だ、神様以外はすべて嫌だ、神の愛しか知らない」と言えるようにならなければなりません。分かりますか? 「統一教会の信者は苦労しているので、お金が必要でしょう? 約一〇〇〇億ぐらいもってきて、神様の愛とか何とか……」。それはできません。レバレンド・ムーンに、もしその気さえあれば、既に話にのっていたことでしょう。先生の父母が、「あなたの願うものなら何でもやってあげる」と言って止めなかったでしょうか。兄弟が止めなかったでしょうか。友達が止めなかったでしょうか。大韓民国も止めたでしょう。止めようとするので、けとばして出てきたのです。アメリカに来ても、止めるのにああてやるから、悪口を言われ、監獄にまで行ったのです。止める(内容の)ことこそ、やらなければならないことです。止めることよりも、やらなければならない価値を先生は知っているのです。それで闘ってきたのです。彼らが間違っているのです。先生が監獄から十三カ月を経て出る時、アメリカの司法省の長官と裁判長を打つのです。数百万ドルをかけても正面攻撃をするのです。それほどの位置にいても、罪を犯した者だから、仕方がないのです。天下の公判廷の前に事実が現れるのです。神の天倫の道理の前に、悪がどうであったかということが明らかにされるのです。そういう所に自分の看板をもって出てくるのですか。うるさかった者、におわせた者は地獄に行き、先生は元の場に上っていくのです。ですから皆さんもこの道を行かなければなりません。十字架の道を行かなければなりません。分かりますか? (はい)。自分自身が十字架を背負って、勝たなければなりません。ですから、体が好む道に行ってはいけません。 お昼、おなかがすいている時、友人と一緒にパンを買い、自分の手が他の人が食べる前に良いものを取ろうとすれば、心が「この三人の友が食べた一番あとの、残りを食べなければならない」と言うのです。いつもそういう立場です。愚か者の立場です。分かりますか? 愚か者の扱いを受けてもいいのです。統一教会の信者たちは会社にも多くいますが、ある社長は給料をいくらもらっているのに、私たち局長はどうだとかああだとか言っているのです。それで先生に一発やられて、口をつぐむようになりました。先生に、ああだこうだと言えるものではないのです。教域者たちは給料も三分の一ですと言いますが、給料をもらって教域長をやれば、それは偽り者です。砂をかじりながら世話をしてあげなければならないのが教域長です。先生が監獄に行ってくると、統一教会の者たちが教会を全部売り飛ばしていたので、仕方なく先生が全部買ったのです。このような基盤をつくったのです。この基盤を統一教会の信者がつくったのですか? だれがつくったのですか? (先生です)。皆さんよりも良い物を食べ、良い暮らしをしていたならこういうものをつくることができたでしょうか。 けさ着ていた洋服も、世界の有名な人々が来た折、お母様が洋服を作るように指示をした時に、一緒に作ったものです。その洋服屋の主人は私たちをよく知っているのです。先生も一着作るようにとのことで仮り縫いまでして持ってきたのです。お母様の作戦がいいですよ。子供たちのサイズを測らなければいけないと言うのです。それは、先生のも測らなければならないからで、なぜなら、先生がその服に入らないと思っているからです。しかしいけません。ネクタイも嫌がる人です。ネクタイも絞めればいいでしょう。毎日のように替えながら。しかし先生のゆえに死の道を行っている人々がいるのです。ソ連や、その衛星国家の監獄に入っている人たちがいます。統一教会の信者です。死刑宣告を受けて、死刑場に行く時間の報告を先生は受けているのです。お母様は知りません。だれも知らず、先生だけが知っているのです。十二時に先生の部屋に戻れば、彼らのために涙しながら祈祷してあげなければ、先生は偽りの指導者です。それを知らなければなりません。それで統一教会の信者は、宣教師として行き、死の場に処しても、今でも苦労しながら、帰ってきなさいと言っても、帰ってこないのです。なぜかといえば、神が役事してくださるからです。受けるべきことをすべて教えてくれるからです。自分の故郷に帰れば、そういうことはありません。なぜそのように教えるのでしょうか。先生のゆえです。あなたたちのためではありませんよ。主体が動機となっているからです。神が動機となって、人間に自らを投入されたのです。創造は自分の一〇〇パーセントを投入するのです。 今日、神のみ旨を中心として、このような死の谷を埋めるにおいて、自分のすべてを投入するのです。借金してでも投入するのです。借金をして、倒れるようになったのです。破れるようになったので、神が台風を呼び寄せて、借金を取りにきた人をみな去らすのです。そうでなければ素早く他の所から持ってきてくれる、そのような役事がいくらでも統一教会においてはあります。あなたたちは知らないでしょう。先生においてはそのような生々しい役事がいくらでもあります。それを語らないだけです。それを、あなたたちが信じないからです。イエス様が言ったように、地上のことを話しても信じなかった、そのような道を行ったのです。 四十余年を、世界の台風圏から追われ、死ねと迫害する怨讐たちが矢を向けてきたのですが、その矢が先生を避けて通ったのです。だれが避けるようにしたのでしょうか。先生ではなく、神が避けるようにしてくださったのです。「死ね」と言われている者が死なないで、むしろ殺そうとした者が倒れていくのです。金活蘭(キムフアルラン)とか朴(パク)マリヤの群れ、梨花大学を舞台として、非常に騒ぎ立てたのでした。これから梨花大学、延禧大学よりももっと大きい大学をつくります、と神に祈ったのです。それでアメリカにつくって、梨花大学、延禧大学を出た頭の良い人を、再び教育するのです。先生がやると言えばやりますよ。(はい)。 ハイウェイを八一年度に既に宣布しましたが、中共は絶対的にそれを必要とするのです。アメリカ、日本、中国に対応できなければ大韓民国の統一はあり得ません。先生は世界を占うことができる人です。個人の相を占いますが、国の相を占い、世界の相を占うことができるのです。 この者たち、自分たちは座っていて悪口を言ったり、非難をしてきたでしょう。非難され悪口を言われていた文某は、この国が摂理史の五〇〇〇年において、神が初めて着陸する地であることを知っているので、滅びたらいけないので、先生は骨が溶け、肉が砕けたとしてもこのことをやってきたのです。昼夜徹してやってきたのです。先生が統一産業を育てるのに三十年間、今に至るまで赤字になっています。ドイツをつかまなければなりません。中共を開いてあげなければ、日本も韓国も生きる道がありません。ですから日本の教授たちを、日本語を教える人、そして英語を教えられる人を派遣するようになっているのです。先生は中共を生かそうとするからであって、害を与えようとしてではありません。 公式を知らなければなりません。カイン・アベルの公式。カイン、アベルが一つにならなければ神が地上に兄弟の圏を立てることができないし、天国の門を開くことができません。父と母の愛を中心としてつくられる家庭を中心として、完成基盤を通じなければなりません。そのような家庭が天国に行ける本然の基準であるため、この本然の基準に当てはめる歴史が今までの人類歴史一五〇万年でした。聖書には六〇〇〇年となっていますが、それは聖書の歴史です。神が生きておられ、このような全宇宙の秘密と聖書に隠されたすべての道理を明らかにして、現実において、この否定することのできない歴史的事件が当てはまり、測定してみるとすべてが当てはまり、その公式がどこにおいても適応したので、今日の知識層において、変遷する世界において変わらない真理として受け入れられる時代へと越えていくのです。今日がそのような時なのです。ですから統一教会に反対してはいけないのです。そうしたなら失敗するのです。自然と、恐ろしくなってくるのです。これまではサタンが支配していたので、我知らずに反対したのです。これからは逆です。統一教会が朝になってきて、サタン世界が逆になっていきます。統一教会は午前に向いて、白昼の世界を迎えることでしょう。ここに来て、目を開けてみると、神がいらっしゃることを知りました。世界の万民が神の子女であり、万民が一つになることを知ったのです。ですから超氏族、超民族運動、超教派運動、統一運動が始まるのです。何によってそのようにできますか。力ではありません。本然の神の愛を中心として、私たちの心と体がそこに接ぎ木さえすれば、一気に一つになれるのです。ですから外れることはありません。生きて神の愛を体恤しなければならないのです。分かりますか? (はい)。 そうするための道が何でしょうか。皆さんの心が体を絶対的に支配しなければならないのです。これが第一の関門です。これが一つになれば、だれが訪れるかといえば、皆さん個人の立場においては父母が訪ねてくるのです。カイン、アベルのうちで兄が弟となり、弟が兄にならなければなりません。このような逆説的な基準を堕落した世界において探し出し、否定の道を通じて、逆説的な長子の基準を次子から復帰しなければなりません。そうしなくては、神の愛の発動ができないのです。サタンが人間の下であって、人間の上になることはできません。堕落したので、人間の上で神の代わりの役割をしたのをひっくり返すためには、人間が次子の立場で、サタンを長子の立場に立っているのを屈服しなければなりません。屈服させるには、こぶしを握って闘ってはなりません。より高い愛をもって、サタン世界の愛より高次元の愛があれば、自分も知らずに屈服するのです。ですからイエス様が聖書で、「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない」(ルカ福音書一四章二六節)と言ったのです。統一教会を信じている人々は自分の家族が怨讐です。先生がその道を行ったのです。その道を行くためには、自分の家族、自分の国が怨讐です。一つの宗教圏を中心として、キリスト教と統一教会を見れば、統一教会はアベルの立場であり、キリスト教はカインの立場です。先に生まれたからです。天使長は、アダム、エバより先に造られたのてす。そしてサタンを中心としたエバの愛が先でした。ですから聖書の歴史は長子を憎むのです。なぜそうなのでしょうか? 堕落したからです。宇宙を主管するようになった動機が、堕落の愛を中心として、最初の愛によって成されたので、最初の愛の実である長子は神側に立つことができません。悪がより少ない次子を神の側に立てて、取り戻す運動をするのです。ですから歴史において、ヘブライズムとエレニズムを中心として神側とサタン側と闘って、歴史を大変動させたのです。それは、第一次世界大戦においてもそうであり、第二次大戦においてもそうでした。第三次戦争を中心として思想的時代にそのような闘いを今やっているのです。 では公式は何でしょうか? アベルが愛の心をもってカインを自然屈服するのです。強制的にするのではありません。既成教会が反対するからといって、手段、方法を使って、統一教会がお金でやったなら、み旨が成就されません。自然屈服です。自然屈服ですよ。何の力でやりますか? 愛の力をもってやります。愛を中心として長く行う人は主人になれるのです。愛はどのような能力をもっているのでしょうか。中央を占領する力をもっているのです。分かりますか? 真の愛は中央において定着します。それを知らなければなりません。それで神側の愛を中心として、サタン側の長子の愛を自然屈服させる次子の立場において、兄がその弟を行った罪があまり大きいので、父母の前に帰るためには、あなた(弟)が、私(兄)の前に立って帰ってくださいということが起こるのです。弟を通して父母の前に出ていけるのです。そうするために私(兄)のすべてをあなた(弟)に与えているのです。このようにして長子の権限をを奪うことをやるのです。 ヤコブとエサウの逸話がここから始まるのです。聖書の中で、次子が祝福を受けた理由はここにあるのです。ヤコブとエサウが腹中で闘っている時、リベカが祈ると、神が現れて、「二つの国民があなたの胎内にあり、二つの民があなたの腹から別れて出る。一つの民は他の民よりも強く、兄は弟に仕えるであろう」(創世記二五章二三節)と言われたのです。なぜそうしなければならないのでしょうか? タマルがペレヅとゼラが産む時、同じようなことが起きたのです。なぜでしょうか? これは、カイン、アベルの公式が適応されたのです。天国を成すためには、完全なる神側の長子、次子を探す以前には父母を訪ねていく道がないのです。これが結論です。分かりますか? ですから、今日の終末においては、一つの世界に向かうので、長子圏である外的な共産世界と次子圏であるキリスト教文化圏が対峙して闘うのです。これらを一つにしなくては、来られる主は、父母の立場に立って、世界を天国化することができないのです。天国は兄弟同士ではつくれません。そのような原理がありますか? 天国はどこから始まるのですか? 神の愛を中心として、対象である完成した真なる父母の愛を中心として天国が始まり、その愛から枝となったものが子女であります。 今、復帰路程は逆になっているので、僕の僕から僕、養子、庶子、息子、エバ復帰、母の復帰時代を経て、父を復帰するのです。ですからキリスト教の総結実は何でしょうか? 新婦の立場において、母親の基準に合わせて、世界の兄弟を抱いていかなければなりません。 これが第二次大戦直後に起きたのです。戦勝国家がなぜ敗戦国家を独立させなければならないのですか? その時は既に兄弟国家時代になってくるのです。キリスト教文化圏が一つになり、この世界が一つに統一されたので、キリスト教がアベルの立場であり、キリスト教文化圏、この民主主義がカインの立場で一つになりさえすれば、その一つになった基準において父母を迎えて一つになったなら、父母から神と一つとなって、父母の愛の圏を中心として、子女が一つとなって、愛に連結され、神が願っておられた本然の理想的天国顕現が可能な基準を探せるのです。ですから天国は子女だけでは現れません。分かりますか? (はい)。アメリカとアメリカの民主主義と共産主義をもってしては、父母が顕現することはできません。これが一つになるときに父母が現れるのです。皆さんの心と体が、カイン、アベルの立場において完全に一つになれば、天の父母が皆さんに臨まれるのです。霊的に臨まれるのです。 このようにして、そのような男、そのような女が、カイン、アベルのような立場で初めて一つになるとき、家庭的天国が形成されるのです。これは公式ですよ。分かりますか? 公式を知らなければなりません。ですから、天上天国を言う前に、個人天国はどのようになっているのですか? 皆さんの心と体が完全に一つとなって、聖霊に満たされなければ天国に行けないという話は正しいのです。 聖霊は母神ですから、(聖霊を)受けて父を慕い、この地上において恋愛する以上に慕わなければ、聖霊を通した神の愛の因縁につながる自分とはならないのです。これをできない者たちが食事をしたり、家がどうだとか、勉強がどうだとか、それらは問題になりません。これを知らなければなりません。分かりますか? 長子権復帰基準を皆さん自体において、心がアベル的立場において、完全にアベルが体を自由に支配できる善圏を、完全に永遠に確保する基準がなければ天の父母と連結されません。これが個人天国の公式です。その公式を拡大し、そのように主体となった男性と、そのような相対とを、横的に平面的に見ると、先に生まれたのがアダムですか、エバですか? アダムはカイン的長子の立場です。あとから生まれたのがエバです。 エバがアダムを主管したのです。そうでしょう? 復帰しようとすれば、アダムを主管した基準を蕩減復帰しなければなりません。これをどのようにするかといえば、祝福を受けた家庭は、三年間、女性の言うことに絶対服従したでしょう? 先生がそのように教えたのでしょう? それはなぜかといえば、男性権を与えたら長子になり、先に生まれた長子権を行使すれば、サタン側になるからです。しかし、これは堕落圏を逃れる時までです。 しかし、きょうから時代が変わってくるのです。先生が何をしたかといえば、長子権復帰、個人的長子権復帰をし、世界舞台に出たのです。全世界の個人的反対、全世界の家庭的反対、全世界民族、国家、世界、全体がレバレンド・ムーンを攻撃するのです。しかし、先生が行ったことは、この原則を適応することです。長子圏全体を、次子圏の神側において何で克服するかといえば、闘いでするのではありません。愛で行います。怨讐を愛する愛です。ですからイエス様が十字架上において臨終するそのような過程で、ローマ兵は怨讐ではありますが、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」(ルカ福音書二三章三四節)と言ったでしょう? 怨讐を愛さなければなりません。怨讐を愛さなくては、天国に入ることはできません。なぜでしょうか? 「完成したアダムは、堕落しなかったなら、私(サタン)を愛したはずです。私は堕落しましたが、神は原理的主人であり、原理的主人としての本然の基準を守るべきではないでしょうか? そうするためには、あなた(神)の子女が天国に行くためには、あなたと同じように私を愛したという条件を立てなければ、天国に入る資格をもてないのでしょう?」。 エデンの園に怨讐がいましたか? 「怨讐という感情は私(サタン)によるのですから、私の側でないでしょうか」、というように食いついてくるのです。それでこのような怨讐が、共産国家、世界国家、国家圏となっているのです。世界圏、国家圏、民族圏、氏族圏、家庭圏すべてにおいて障壁となっているのです。ですから、そのような舞台の前に、先生は一人で立って、全体国家、共産主義、民主主義のすべて、ユダヤ教、キリスト教のすべての前に立っています。それでダンベリーの刑務所に入られたのです。刑務所で成したことが何かといえば、アメリカを生かす基盤をつくったのです。六つの団体をつくったのです。その時、「ワシントン・タイムズ」もやったし法廷の期間にお金の支払を承認したのです。週間誌(インサイト)、月刊誌(ワールド・アンド・アイ)もアメリカを生かすために、自由世界やキリスト教を生かすためです。七〇〇〇人教育から、今は七万人のキリスト教を指導する牧師たちを教育しているのです。それで二十万、三十万人を教育しているのです。そして三十万セットのテープ、統一教会の統一原理のビデオを送ってあげたのです。これが問題となっているのです。彼らは頭がいいので、骨子を知ってみると、自分たちがでたらめであったことが暴露されるのです。だれに聞いても、みんなテープをもらったと言うし、友人に聞いても、みんなもらったと言います。「今あなたは何章を見たか?」「私は何章を見た、その感想はこうだ」と言うので、今問題が起きているのです。 今日、韓国にいる既成教会の牧師たちは、世界を知らないでいるのです。長老派教会の総会長が、ここに来る日は遠くないのです。このようにして、キリスト教文化圏が解放直後にレバレンド・ムーンを迎え入れて、世界に統一理念の神のみ旨を成就できなかったので、初めて四十年間荒野に追い出され、そこから地上に着陸して、再度キリスト教文化圏、キリスト教を生かす運動をやずているのです。このようにして統一教会がアベルで、既成教会がカインの立場で、既成教会自体が目覚めるのです。あ! あ! 私たちが知らなかったのだ! 知ってみると自分たちの弟なのです。自分たちが戻っていくには、弟を兄として侍らなければならないという教理的に知るようになるのです。ですから統一教会が先に行くようになります。あなたたちが長子権を復帰する代表者であることを知ったので、すべてにおいて、自分たちの教会もあなたたちが責任をもち、すべてにおいて自分たちの代身になってください、ということが起こるのです。これは、アメリカ一帯における所願なのです。このようにして統一教会とキリスト教が一つになって、アベル的な立場でアメリカ政府と一つになれば、自由世界圏に天の父母が登場するようになります。神の愛と父母の愛を連結して、父母が絶対愛するといって公認される一つのビザを受ければ、天国に入ることができる自由人となれるのです。 これらすべての蕩減条件を立てて、今日ここ韓国に来て、世界基準に接ぎ木するのです。先生が今度揺り動かすことによって、韓国で先生はだんだん上がってくるのです。「文総裁が最高だ」と。既成教会の牧師たち、監理教(カトリック)の牧師たちが反対したりしますが、彼ら(の教会)はみんな空っぽなのです。これから、反対すればするほど信者がみんな離れていくのです。今までは離れたり、出ることはできなかったのです。今までは統一教会に行くと、しかったり、騒いだりしていましたが、これからは、しかったり騒いだりしなくなります。騒ぎ立てると、サタン世界は、地上で騒ぎ立てた十倍、一〇〇倍の蕩減を、(神の)願うままに払わなければなりません。代価を払わなければなりません。ですから、サタン世界が早く崩れ、滅びることを知っているので、心が恐怖にかられ、反対することが恐ろしくなるのです。 昔、統一教会の信者は、「既成教会の反対する人をどのようにすれば救えるか」と、憎いけれども祈って、愛で抱いて消化しなければならないので、耐えました。しかし、これからはどのようになるのかといえば、神様がそれとは反対の作用をするのです。統一教会を憎む人たちがいれば、良心的な人士たちが、「君たち、なぜ反対するのか」と私たちの代わりに闘ってくれるのです。 ですから先生は恐ろしいものがありません。アメリカに行っても、共産党を恐れません。世界は、共産党を一番恐れています。モスクワのクレムリン宮殿、またKGB本部には、統一教会の調査局ができているという報告を、先生は受けて知っています。三大怨讐は、レーガン、ローマ法王庁の法王、レバレンド・ムーンで、レバレンド・ムーンが一番憎いのです。れ―願は、三年後には離れていくし、ローマ法王は、年を取って亡くなるだろうし、統一教会のレバレンド・ムーンは、年齢が七十歳に近いのですが、青年と相撲をしても勝つのです。(拍手)まだ死にそうもないし、に供ち(共産党)は真っ赤な赤をつくろうとしますが、(先生は)真っ白いものをつくるのです。異なるのです。これは骨だけが真っ白なのてはなく、血までが真っ白なのです。それで統一教会は白十字架を立てるのです。それで共産世界では暗殺の対象となっているのです。危険千万です。 命を懸けてこのようなことを成しているのです。これからCIAは、レバレンド・ムーンを保護しなければならないというのです。昔は憎くて殺そうとしたのに……。しかし、白人の中にはいまだ狡猾な群れがいます。実用主義者たちです。「自分たちは平等があるので、救世主とか宗教は必要ないのだ。イエスのような者がなぜ必要なのか?」と言う、このような群れが共む党と手を結んで、CIAの中にもいることを先生は知っています。彼らが共同作戦で先生を除去しようとすることを知っています。そのようなひやっとする際どい線、難しい道を走っているのです。しかし、神が守ってくださるのです。これから先生が亡くなることがあっても、先生の死を嘆いてはならないのです。すべてを成したのです。 先生のダンベリー以後に、アメリカ国民は、歴史が数千万年たっても、自分たちが行った罪ゆえに、白人社会はひざまずかなければなりません。アジア文明と西欧文明の交差点が、ダンベリーの出発と同時に始まったのです。 先生はどのような権限をもって帰ってきたのでしょうか。サタン世界を撃滅するためであります。このような立場にいるので、キリスト教文化圏を中心として、キリスト教とアメリカが一つとなって真の父母を迎え入れたならば、天下の統一が始まるはずでした。これを第二次大戦以後に、キリスト教文化圏を中心として、たった一度、歴史上に宗教文化圏が世界を支配することのできる神の最後のチャンスを、アメリカとキリスト教の過ちによって失ったのです。統一教会のレバレンド・ムーン一人を打とうとして、これほどまでに滅びてしまったのです。信じられないようでしたら、祈ってごらんなさい。 統一教会の若者たち、はっきり知らなければなりません。このように悔しい歴史的な恨みがあります。先生一人の恨が問題ではなく、神が神としての役割をすることができず、数多い事情を残した歴史過程であります。神の骨が溶けるほどの悲痛な涙と血を流した足跡が、この世界の地で喊声を上げているのです。解恨成就の使命が残っているのです。ですから、先生が今、このようにしているのです。 旧約時代に万物を犠牲にしたのは、神の子を取り戻すためであり、新約時代に子女を犠牲にしたのは、来られる主、父母を迎えるためであります。今日、統一教会で真の父母という名で呼ばれるレバレンド・ムーンが、この世界に来て、あらゆる艱難を受け、悪党の頭として取り扱われたのも、神の解放のためです。神を解放できなかった三つの条件があります。全人類が怨讐を愛したという印のあるパスポートを持つ日が、神の解放の日となるのです。怨讐を愛さなければなりません。それで、先生がアメリカに行ってやったことは何ですか。レバレンド・ムーンだけは、ダンベリーに入れられながらも、怨讐を生かすために苦心して闘うのです。自分の死を恐れることなく、再び死亡線か交差されるのです。先生は霊的に敏感で、人を見る目があります。それで陰謀を知っているので、その前にみんな会って、もみ消す手腕があったのです。六カ月間、眠りませんでした。それで神山が四カ月間、先生が眠っている時間、見守ったのです。それが終わるや否や、神は先生を保護すべき責任があるのです。予期しなかったアメリカ人を動員し、イタリア人を動員して、先生を見守るために夜眠らないようにすることが起こるのです。それはだれがそうしたのでしょうか。神が役事するのてす。そういう闘いをするのです。そうしながら恨みを晴らし、このアメリカが滅びることを呪うのではないのです。 ニカラグア問題を中心として、アメリカが滅びるか、レーガン行政が窮地に追い込められた時だったのです。朝食をとろうとすると、食べられないように騒ぐのです。分かってみれば、神がそうさせたのです。「あなたが手を使わなければ滅びるのです」と。それで、普煕朴(ポーヒパク)とアンバサダー韓(ハン)がお母様を通して、日曜日だったのですが(お金を)払ったのです。レーガンがヨーロッパへ行った時です。土曜日に、ここで緊急措置をして、「ワシントン・タイムズ」が扱ったので、七週のうちに一四〇〇万ドル、国会が大統領の威信を失ってしまったのを、先生がひっくり返して、二七〇〇万ドルを通過できるようにしたのです。「もしあなたたちが払わなければ、私が支払います。あなたたち国会上院議員が支払わなければ、私が現金で支払います」。泥を塗るようになったのです。このような闘いをしているのです。これは天地によく知られているにもかかわらず、新聞記事の一つさえ(紙面に)載っていなかったのです。レバレンド・ムーンのおかげでニカラグア問題が通過したということを、言論界の日刊紙では、一七〇〇もあるのに一言も書けなかったのです。ある田舎の新聞だけが、このことがあまりに重大なことなので、「アメリカの国会議員が三五六名いるのに、たった一人レバレンド・ムーンだけが五三〇億を使ってアメリカを救った」と評価しました。その一つしかありませんでした。 正義だと知りながら、正しいことに対して冷遇するのですか? 今になって、選挙においてレーガン大統領に八〇〇万以上投票させることができるのはレバレンド・ムーンの団体しかないと、それが分かって、共産党も知って、レーガンの顔が変わってくるのです。「世話になった恩人に対して目をそらしていたあなたの姿が、今やくそ犬ぐらいになってしまったのだ」。先生はレーガンに会えば、正面切ってそのことを言います。 先生はそういうことをやっていました。今も、ここに来る前日まで、昼夜徹して組織を強化しているのです。 組織の力、統一教会の組織の力。先生がここに来る前に、十二月二十八日にヒューストンで、ここに来ることを宣布し、これから先生が帰るので、ついてくるように通知して、連れてきたのです。蚕室体育館で十六日に大会を行うのですが、十二日に許可を得たのです。四日間にその準備をして広場を超満員にすることのできる組織力をもっているのです。(だれも)それほどまどては思っていなかったでしょうこれども。あなたたちもそれを知らないでしょう。韓国が生きるために、アメリカを動かさなければなりません。第八軍司令官が身じろぎもできない韓国ですが、その頂上をだれが抑えるでしようか? 牧師たちが抑えると思いますか? あなた方が抑えと思いますか? 神様がされるのです。神以外にはいません。 先生は、雨が降り、雪が降ることを知らず、夜を昼のように感じ、食事をすることも忘れてこのことを行ってきた人なのです。楽な生活ができたと思いますか? 神を知った罪のために、だれよりも悲痛な神を知ったがゆえに、私の一身が散り散りに引き裂かれることがあっても、この飛び散る細胞は、神の恨によって飛んでいく細胞であると叫べるなら、男として生まれた甲斐のある人生であると、死の道を探し回って行っているのです。行けば滅びる、この世から消えると思っていた。しかし、このようにやってきたのです。それで、皮肉を言われたり、呪われたり、あらゆることをされてきたのです。 私が数字的で打算的な考えをもっていたなら、この国には帰ってきません。呪ったりするでしょう。そして、滅びるのを私の目で見るのです。しかし、(この国は)神が探し求めておられる、歴史的な祭壇、祭物の国として育ててこられたことを知っています。苦労されてこられた神は父母様の立場です。父母の血と肉が染み込んだこの地であることを、先生は知っているので、孝子の道を行かなければならないのです。自分のみすぼらしい姿-春香伝の李道令が印篭(いんろう)をつけてこじきの姿になりました。未来において、正義を立てて天下を正しめるその心の前には、こじきの姿が問題ではありませんでした。ひと日を中心として、正義の天下を立てなければならず、それが希望であり所願でした。 この国に勝共連合をつくる時、呪い、嘲笑した人たちは、「レバレンド・ムーンは大統領になろうとして、ああいうことをやる」とか言ったのです。大統領は、それほど偉大なのでしょうか? アメリカの指導者を、自分の手でつくらなければならないという責任感をもってやっているのです。また、何のために中国なのでしょうか? 既に十年前から、獄中にいる時には三月から言い続けてきたのです。三月から今まで何カ月ですか? 三月から十二月まての八カ月目に夢のようなことが起きているのです。それが三十、四十年間の、ここにいる男の所願でありました。神は、先生が祈祷すれば、そのすべてを成就してくださるのです。南北統一をいかにするかという問題のみが残っていますが、神の願うとおりにやれば、短時間でできます。ですからここに来ている教区長たちは、一心に団結しなければなりません。 一番の問題は何かといえば、天国創建するためにはここにいる人たちが問題なのです。カイン・アベル個別的天国を完成しなければなりません。公式は同じです。家庭天国を完成しなければなりません。夫をカインとし、神側の長子とし、妻は神側の次子のように、(なぜなら)アダムを先に造ったでしょう? それが一つにならなければなりません。昔のアベルはカインを探すために犠牲になったけれども、私たち統一教会の女性たちは、男性を神側に立てるために犠牲にならなければなりません。祈祷をしながら。そして、カインとアベルが一つになるのです。家庭で夫婦が一つにならなければ、父母を迎える圏が生まれません。家庭天国が生じません。私たちの統一教会には、ホーム・チャーチというものがあります。このホーム・チャーチというのは、カインの氏族を一つにすることです。分かりますか? そのカインの氏族圏を一つにして、アベル氏族圏をつくらなければ、その基盤の上に、父母を迎える基盤が生じません。氏族的天国が現れません。父母を迎える基盤がつくれません。それがつくられれば、その時から民族に連結されるのです。氏族圏を中心として民族に連結されれば、民族を中心として国家は縦的になります。相対的です。国を中心として、主従関係にあります。 イエスがこれを成そうとしたのです。イスラエルのユダヤ教とユダヤの国を一つにして、ローマと直結しようとしたのです。ローマが主体国となって、ローマが中心として立って、イスラエルの国が中心の軸とならなければなりません。ローマは肉とならなければなりません。そうなれば、イエスを中心とした新郎、新婦となり、ローマのシーザーは万王の王であるイエスと、万王の王の妻、新婦、万王の皇后となれるのです。そのイエス家庭が生じて、血統的に神の愛を中心とした父母がいて、イエスの血統が生まれたなら、キリスト教はこのように四百余派にもたくさん生まれてこなかったのです。イエスの血族が全部ローマ法王庁を中心としていたなら、世界は既にそのまま統一されていたのです。神を中心として、すべては主体が対象のためという状況になったならば、世界は統一されるのです。しかし、それができなかったので、ローマ法王庁が腐敗することで、天下を一つにできる版図をすべて失ったのです。 それが新たに第二世、すなわちアベル圏、カトリックをカイン圏として、カトリックが反対するので二番目に出てきたプロテスタントを中心としてアベルの立場に立てて、太平洋を渡った所にアベルが集って結合され、プロテスタントの統一国家、アメリカをつくったのです。独立宣言でプロテスタント統一国家をつくったのです。アベルの独立国家です。これに対し、ヨーロッパは逆になっているのです。アメリカに従っているのです。アメリカが長子圏に立っているのです。それで、アメリカをして、全世界を統合し得る時代になってくるのです。 キリスト教がアベルの立場に立って、アメリカ自体がカインの立場で一つになったなら、来られる主を父母として迎え入れて、神の愛と父母の愛とカイン、アベルの愛を束ねて、和することができるのです。それが和すれば、国家を越え、文化を越え、血統を越えて、血族を越えて一つになれる神の愛の圏が形成されるのです。そうなれば、この世界を、既に統一世界に成し得たのです。このようにすることのできるみ旨を抱いているレバレンド・ムーンが韓国に生まれたのは、イエスがイスラエルの国に生まれたのとちょうど同じなのです。ローマの前にいる植民地と同じ立場です。これは神側のローマです。イエスが死んだので、神は終末に、イエスが来られる時にこのような内容を蕩減復帰しなければなりません。サタン圏内に入って神を打ったのを、すべて世界的に除去しなければなりません。除去し清算しなければ越えることはできません。 そのような立場に立った韓国が、アメリカの保護圏内で神の従属国、神のアベル圏であるアメリカを通して独立させ、保護圏内に立たせて、ここからキリスト教とレバレンド・ムーン、カイン、アベルが一つになって、直ちに大韓民国自体の国家的基準を立てることができ、先生と大韓民国が一つとなって、アメリカと連結されていたならば、七年以内に世界を収拾することは神のみ旨でありました。これがそれてしまうことによって、この短い四十年間に、それほどまでにも変動が激しく、それほど多くの国家と、数多くのキリスト教信者が惨状を被り、今は方向すら失って、位置までも喪失し、「神は死んだ」といえるほどの時代圏へ転落したのです。その悲惨な状況をだれが同情するでしょうか? 一人もいないのです。アメリカの牧師や指導者たちが、もっと憂慮するのではなく、ここから逃げ出すために、忙しく騒いでいるのです。たった一人レバレンド・ムーンだけが天の命令によって、アメリカの地で彼らと共に、昼夜もなく闘い、先生はのどが裂けんばかりに叫び、死を覚悟して闘ってきたので、彼らが目を覚し、今は分かるようになったのです。通り去る客であると思っていたが、実は神が送った全権大使であることを知るようになったのです。 それでこれから定着することのできる基地が、国家を越えて世界的に芽生えることのできるすべてを頂上にして、イエスが失ったことをダンベリーにおいて、すべて結束して蕩減して、勝利の盾をもってここに来て、きのうの式と、きょうの式をやることによって、いかなることが起こるかといえば、これからは霊界と肉界の統一圏が始まるのです。言い換えれば、四十年前にキリスト教文化圏を中心として、キリスト教とアメリカが一つになれる、その基準を失ったのを、四十年の受難の道を経て、再び贖罪され、アメリカのキリスト教会と統一教会が一つになれる世界史的な基盤を整えてきました。キリスト教とアメリカを中心として、キリスト教と統一教が一つになる立場を立てて、アメリカをカイン的立場において、すべての政治、経済分野において先頭圏を取り、越えていける条件を完全に掌握できる時代に入ってくるのです。分かりますか? (はい)。カイン、アベルの公式は同じです。天国は父母を迎えなければ行くことができません。統一教会はキリスト教と完全に一つになれば、父母を迎えることができます。 キリスト教の指導者たち、エルサレムの聖地に行こうとした人々がみんな、先生の故郷を訪ねていこうとするのです。分かりますか? 韓国の聖地、釜山の聖地よりも、北韓の故郷の地を訪ねていくのです。どんどん集まってくるのです。聖地が本来の聖地ではありません。北韓の地、先生の生まれた所が聖地なのです。北韓の地に行こうという世界からの喊声が東西南北に響き渡る時、金日成は後退です。後退しなかったなら、中共、アメリカ、日本を通して押し出すでしょう。あなた方は夢や妄想のように思うかもしれませんが、既に基盤を整えているのです。中共の政府がいくら嫌がっても、先生を受け入れなければ二十年、三十年の先進の科学技術を失うようになるのです。それらの基盤をすべて整えているのです。 先生は自分だけの利益を求めているのではありません。技術を提携していかなければなりません。先生を収監するような、そんなつまらないことをする時ではありません。世界最高の科学技術を平均化しなければならないと主張しているのです。先端技術であっても何であっても、すべての電子世界の秘密をもっているのです。 日本の電子世界において十大会社の頭になっている人たちも、私たちの指導を受けていることを知らないでしょう。二十五日の特別報告によると、世界にない特別な金属を発見したのです。コンピューターの歴史になかったものを作り出しました。そのような技術をもっています。 韓国の大手企業が先生の所に来て交渉するのですが、(民間)個人の団体には使いません。中共に使うでしょう。中共に注いで、万民に平均化して分け与える道を造ります。莫大な国土をもっている中共、人類の四分の一の人口をもっているその国で、今、アメリカで使っているほどのお金を三分の一だけでも中共に使えば、中共を完全に甦生させることができます。中共が先生を歓迎すれば、先生はアメリカに帰らなくてもいいのです。アメリカが先生の言うことに従わなければ、逆に足でけってしまいます。アジア人が先生の言うことに従います。イスラエルと中東は闘っていますが、先生が今、アカデミーを通して和解させているのです。 各国の大使館が成せないことを、嘲弄(ちょうろう)されながらやっているのです。今になってそのことが明らかになると、統一教会の文先生は偉い人だと言います。先生はそのような人々の称賛を受けたくありません。 このような莫大なことを一人で狂人のようになりながら、悪口を言われながらやってきたのです。これを成すことは易しいと思いますか。易しいですか、難しいですか? (難しいです)。そうです。どれほど難しいことでしょうか。 先生の目が睡眠不足で、開いていられないくらいの痛さを感じる時、「この目よ! 見なければならないのだ!」と、目と闘ってきたのです。おなかと背中が引っ付くほどになって、四肢が動かなくて倒れるほどの境地においても、「このおなかよ! 行くべき道を行かなければならない」と、言ってきたのです。 先生は神に保護され、一人で歴史にない激闘をしてきた男です。霊通する人はどんな人でも、文先生が本物か偽物かを祈祷してみると痛哭させられるのです。我知らず痛哭するのです。一日、二日痛哭させられるのです。文先生を知ろうとするなら、痛哭する心情をもたなければ知ることができません。だれかが先生に対して一言言うだけで、先生は血みどろな恨を解き、痛哭する事情をもっていることをだれが知っているのでしょうか。お母様も知らないのです。だれも知りません。ここに従っているこの偽物たち。だれが知ることができますか。だれも知りません。神様のことを知らなかったなら、先生はそれほどまで悪口は言われません。神様をだれよりもよく知っていたからです。先生だけを頼りにしている神様がどれほどかわいそうでしょうか。二〇〇〇年間の歴史を二十年間で蕩減復帰したのです。それは易しいことですか。言うこは易しいことです。 アメリカに来て先生は祈りました。アメリカ滅びるしかないでしょう。そうでなければ、別個に歩んでいたその歩みを変え、先生が救世主であるという喊声によって、泣きながら従ってくるようになることを知っています。 天国創建をするという今年の標語を立てましたが、これは不可能のようで、可能なことなのです。今、霊界におけるイエス様も、真の父母からの血統的立場で生まれていません。神様の愛を中心として父と母が神の愛を受けて復活された、そのような復活圏、その愛の実体をもった父母の愛から生まれていません。父親がだれなのか分からないのです。先生は詳細に知っています。いかにしてかといえば、イエス様、神様を通して知っています。神の恨みはだれが解きますか。神は解けません。神の恨みが積み重なるようにしたのは、だれですか。子女のゆえです。父親の胸に火をつけたのは子女です。その子女が死に向かっていますが、その子女が蘇生できるまでは、その恨みを解くことはできません。 今日、宗教指導者たちはひざまずいて恵みを得ようと祈祷しますが、先生は恵みを得ようとして祈祷したことはありません。先生は自分を祭物にするのです。 旧約時代には万物を犠牲にして神の人々を探し求めたのであり、新約時代には息子、娘を犠牲にして父母を探し求めたのであり、成約時代には父母の家庭を犠牲にして神を解放しようとするのです。 本然の父母をこの地に迎えて、その方と共に千年、万年侍って生きるようにするのです。韓国の民謡に「月よ、月よ、明るい月よ、李白が遊んでいた月よ、あそこの、あそこの、あの月の中に桂の木が入っているので、金のおので取り出し、銀のおので整えて、わらぶきの山間の家を建てて、両親も迎えて、千年万年生きていこう」という内容の歌があります。それはすべて韓民族の啓示的内容です。天の父母を迎えて千年万年生きたい。先生が韓民族を思い出すたびに、心に染みる、忘れることのできない歌なのです。韓民族においてはそうなのです。 同様に公式があります。皆さんだけでは天国をつくることができません。父母が臨まなければなりません。霊的な聖霊と共に一つになって、イエスの愛と共に和合できる胸に抱かれなければなりません。そうすることによって、神側の真のオリーブの木と野性のオリーブの木が接ぎ木できる可能性が生まれるのです。だからといって接ぎ木することはできません。霊的であるからです。再臨時代に真の父母が来て接ぎ木してくださるのです。 この時代に、皆さんが統一教会に入ってくる時、カイン、アベルの統一圏を備えなければ、ここに参席できません。分かりますか?(はい)。 それは天国建設の基本です。公式は同じです。妻を中心として見るとカイン、アベルの立場と同じであり、主従関係における神と息子の関係は絶対的です。父子の関係をだれが切ることができますか。夫婦の愛が一つになれば、その愛をだれが分けることができますか。だれも切ることはできません。神様も切ることはできません。永遠なるものです。カイン、アベルの関係と同じようにあなた方夫婦が一つになって、真の父母を父母として侍ることのできるような夫婦とならなければなりません。 神の愛と父母の愛が我々の家庭に臨まれ、その愛の圏内において子女が生まれるように愛していますか? 深刻な問題です。そうでなければ家庭天国が開門されないというのです。 家庭が復帰されるには、蘇生、長成、完成と通過するでしょう①。長成期の完成級で堕落したから②、ここからすべてペアを成して子女を繁殖してきたので、復帰基準もここに上がってこなければなりません。自分自身を引き上げて、残りの一段階の七年路程を歩まなければなりません。それゆえ終末になると大患難が起こるのです。七年間の大患難という話はそこから出てくるのです。だれもが行かなければなりません。ここにサタンが総結集するのです。ですから、賢明で立派なレバレンド・ムーンが世界的な迫害を受けているのです。 原理的に見る時、本来はこの位置において相対をもつのではありません。これを解かなければなりません。ここ③で相対をもてば、永遠に上がるようになるだけであって、下がることはないのです。ここから堕落してしまったからです。ここ④から落ちたのです。成熟期に落ちてしまったのです。今日の祝福の位置がここ④の所です。 皆さんがこの七年路程を世界的に越えていこうとすれば、世界的カイン家庭、個人の迫害、世界的な家庭の迫害、世界的氏族の迫害、世界的な民族、世界的な国家、世界的な世界迫害、そして霊界にいる地獄の悪霊すべてが結集して攻撃するのてす。霊界と肉界が一つとなって攻撃してくるのです。ここで闘ってここまで越えてこそ本来の人間がサタンの侵入を受けていない立場に立つのです。神の直接的愛の圏内で天国に入れる本然の基準が家庭基盤です。このように莫大なことが残されているのです。ですから、先生は六〇年代に家庭を祝福しておいて、復帰歴史を進めてきたのです。蕩減復帰の歴史を歩んでくるのです。 神の日を設定し、父母がこの地に現れなければならないし、真の父母の愛を中心とした父母は、神の真の愛を中心として本然の立場に立って、サタンが讒訴できない立場におられる父母の血族の身代わりの立場に立たなければなりません。そして次に、子女の日を設定するのです。真の父母と一つになれる子女の日です。完全に一つとなって、この過程においてサタン以上の愛の心を持っていれば、サタンがこの位置に上がってくることができません(図で説明)。八三年、八四年、八五年を中心として、四十年期間中に三年先んじて統一教会はあらかじめ犠牲となるのです。この期間に法廷闘争を行い、興進君が亡くなったのです。二年目に当たる八四年に興進君が亡くなったのです。興進君は二番目の息子です。統一教会でも、教会長三人のうち、二番目の教会長が客死したのです。喜進(ヒジン)君も二番目の息子でしょう。喜進君も客死したのです。お母さんは違いますが……。お母様の生んだ二番目の息子が客死したのです。分かりますか? なぜそうでなければならないのか? 二番目の娘が八日目に亡くなったのです。イエスが二番目として失敗したので、カインとアベルを中心として見る時、アベルが打たれてきたのです。いつもそうです。アブラハム、イサクにあって、イサクが祭物となったのです。二番目が問題です。アダム家庭、ノア家庭で二番目のノア家庭が洪水の審判を受けたのです。 あなたはアベルとして生まれてきましたが、真の父母の血統的因縁から、腹中から生まれたのですか? 霊界にはそういう人は一人もいません。霊界に行っている人の中で真の父母の血統を通して生まれた人は一人もいません。イエス自身もそうではないのです。ですから地上に橋を架けようとしても架ける術がないのです。地上で真の父母の愛によって生まれた興進君が行かれることによって、イエスと連結されるのです。 イギリスの聖公会の神父一団が霊界を通して啓示を受けました。イエス様が一人の東洋の青年を連れてきて、「この間までは私一人で教えていましたが、この興進君はまだ青年ですが、新しいキリスト、He is a new Christ, I am an old Christ」と言われるのです。なぜそうなのですか? 心情圏を中心として見る時、誰が兄であるかといえば、興進君が兄なのです。分かりますか? 霊界に先に行っているイエスが長子の立場ですが、その権限を次子に引き渡し、自ら次子の立場に立ったのです。真の父母の愛を中心とした本然の基準を通じなければ、天国に入っていける門に連結できないのです。そうしなければ楽園の門が、天国に通じる門が開かれないのです。それで四十日後に薫淑(フンスク)さんと結婚させ、地上で結婚式を行って、地上に往来できる立場に立って連結するのです。そうすることによって、地上の再臨がいつでもできるようになるのです。イエスが聖霊を中心として役事したのと同じです。地上で新婦のような立場を中心として、実体圏のキリスト教文化圏世界を成し得るのです。霊界において、イエス様、興進君を中心としてキリスト教と連結できる基盤ができているので、地上世界で、キリスト教と統一教との連合運動が起こるのです。分かりますか? 地上において解かれなければ霊界においても解かれないのです。だれが解くのでしょうか。先生がこのように話すからそのようになると思いますか? 霊界と肉界に橋を架けるために刑務所に入ったのです。それによって完全にキリスト教の門が開かれなければなりません。今までのすべての反対、国の反対が、獄中を中心として、レバレンド・ムーンを救う運動となって、全国的に展開し始めるのです。キリスト教が団結して、先生の味方となってくるのです。 イエスが直接来られて、自分の十二使徒をはじめ、北米においては聖人であると言われている群れを全部引き連れてきて、キリスト教の責任者たちを煽動し始めるのです。今では燎原の火のごとくに、教界をはじめ、地方の教会にまて全部カウサ運動が起きているのです。統一教会が展開しているのです。分かりますか? この基盤を、アメリカの共和党、民主党は防げることはできません。共和党、民主党は、神が保護する組織をもっていません。先生の組織は、この七一〇〇の日刊紙が選挙の時いくら破ろうとしても破れない、先生をアメリカの大統領にしても余りある支持力をもっています。レバレンド・ムーンが打たれてそのまま立ち去ると思いますか。朴普煕、何の話か分かりますか? (はい)。大胆でなければなりません。できなければ代理を立ててでもしなければならないのです。先生の言うことを聞かなければ滅びます。個人一人が滅びるのは問題ではありません。ですからすべてを解いてあげなければなりません。 今日、興進君。二周忌記念日ですが、これからキリスト教と一つになると祈ったのです。キリスト教文化圏にいた善王たち、善君たちを中心としてキリスト教信者は、ローマ法王時代に忠誠を尽くしましたが、それらを結束するのです。霊界に行っているすべての善君の王権を中心として、忠臣、烈女たちを地に引き連れてきて、真の父母王圏を中心とした理想圏上に全部入って、大統領であれ王であれ、レバレンド・ムーンのニュースを聞くのです。これからは良いニュースを聞くようになります。有名になります。悪い、という言葉すら出ません。良い、と言われるのです。霊界の先祖たちが来て教えてくれるのです。霊界にいる善なる先祖が地獄にまで入り込んで教育するのです。その門をダンベリーで先生が開いておいたのです。二月一日午前三時に、お母様はイースト・ガーデンで、先生は監獄の中で橋を架けたのです。談判して、地獄と天上のハイウェイを造ったのです。しかし、ハイウェイは開きましたが、入っていくには連がなければならないし、運転を学ばなければなりませんし、オイルを必要とします。それらを私たちはもっていません。先祖たちがもってくるのです。私たちの先祖が、車とオイルを集めて、道を教えて、霊界に引き上げるのです。こういう話をだれが信じられますか。信じられなかったら信じなくてもいいのです。事実ですよ。 先日霊通者が、「神の国の旗が一カ所に集まって方向を決定して動き出す。今年の二月からは地獄の門が開かれ、天国の門も開かれる」と発表しましたが、だれがそのように発表できるようにしたのか、その動機の起源者が分からないのです。古い時代、すなわち統一教会の迫害時代は過ぎ去り、解放のラッパの音が響き渡る時が来たと、今日先生が宣布することによって、天下がそのとおりになっていくのです。統一教会から霊界に行った劉(ユー)教会長、李起錫(イーキソク)、韓仁洙(ハンインスー)、朴鐘九(パクチョング)の三十六家庭の人たちが、今日祈ってあげることによって飛び回るでしょう。喜進君は三十八度線の金日成の悪の道を止めるようにするでしょうし、興進君がゴルバチョルや共産圏の二世を結集するのです。世界の二世たちは先生の側です。共産圏も民主世界に戻ってくるし、二世は統一教会へ来るようになるのです。原理がそうなっています。み旨がそうなのです。カナン復帰は二世が成したのと同じように、今日キリスト教文化圏を中心として二世たちが天国に入城しなければならないのです。成し得なかったことを蕩減復帰して、世界舞台を先生がすべて取り戻して、その権限を代行する位置において二世の祝福基盤をつくったので、アメリカの保守世界の若者たちは、先生が指導した旗の下に集ってくるのです。分かりますか? そこにはこぶしのきく者もいるし、天才的な才能があり、科学世界においての頂点の人たちを糾合しているのです。これからしようと思って話すのではなく、すべて終えてから話をしているのです。分かりますか? 終えてから話すのです。 思想的な基準における王子の立場と、科学技術においての王子の立場を占めるのです。経済と金融関係の立場において王子の立場です。言論機関における王子の立場を占めなければ、天下を収拾することができません。消化することができません。それらをすべてやっているのです。アメリカにおいて先生を無視することはできません。 アメリカの駐韓大使は今だれですか? (ウォーカーです)。長く勤めていますね。先生が秘密に人を送ったのに……。レバレンド・ムーンがかかしであるとでも思っているのですか。普煕分かりますか? (はい)。このような話、CIAが来て聞きなさい。これは事実であるから報告しなさい。偽りを言うレバレンド・ムーンと言ったが、アメリカをポケットに入れたり、出したりしたのです。これから見てみなさい。これからやることができるかどうか見てみなさい。 先生の手で天国創建を成すのです。開門を八六年から三年間て決定づけようとするのです。分かりますか? 韓国の大統領選挙、日本の首相、アメリカの大統領、ドイツの大統領も八八年に選挙があります。摂理的な四大国家がすべて、一九八八年に首がかかっているのです。共産圏に入る日には天下が両断されるのです。先生はそれが分かる人です。先生年体を砲弾として使い、あなた方の体を砲弾として使って防御しなければならない責任を感じています。分かりますか? (はい)。砲弾は一度撃つと戻ってくることができないものです。撃破するのです。砲弾になるという人は手を挙げてみなさい。 このような原則において民主世界とキリスト教が父母を迎え入れたならば、サタンはなくなるし、共産党は出てくることができないはずでありました。このように張り合っているこの世界において、キリスト教文化圏、アメリカ、キリスト教、統一教会が一つになれるこのような時代に、基盤がしっかりと整えば、共産世界は下がるべきでしょうか、上がるべきでしょうか? 地上に現れることはできません。責任を果たすことができなくて生じたのだから、責任を果たし、蕩減復帰をした日には下がらなければなりません。 韓国において共産党の手先となってやれるようにはなっていないのです。現政権を助けるためではなく、天倫を助け韓国に万年の時代をつくるためにこのようなことを成しているのです。四〇〇〇万の国民は先生の話を聞き、先生が成すことを後援すべきです。そうすれば生きるでしょう。キリスト教が反対すればどうなるか見てみましょう。反対しなさい。どのようになるか見てみましょう。 自分たちの威信をくそ犬のようににおわし、宮殿の王座に上ろうとするのですか。自分の恥を知らず、自分が神の代わりに審判するといってひざまずいているのですか。世界について知らない者たちに、先生が気合を入れなければなりません。力が足りなかったなら、それ以上の力をもって現れ、知識が足りなかったなら、それ以上の知識をもって現れるでしょう。手腕が必要であればそれ以上の手腕をもって現れるでしょう。滅ぼすためではなく救うためです。救ってあげようとするのです。サタンは鉄格子に入れられて死にそうになっているので、それを破って生かそうとするのです。そういうことをしているのです。気持ち悪くないでしょう。 民主世界と共産世界が倒れていく立場において、統一教会を中心として、カイン、アベル圏を中心として、これからは世界の指導的な主体の代表者がレバレンド・ムーンであるということは学界に知られていることです。韓国にいる田舎の人々は目が覚めますか? 天国創建をしようとするこの時において何をもって立ち向かいますか。何をもって盾にしますか。心を生かそうとすれば体を祭物としてささげなさい。父母のみ旨のためには子女を祭物としてささげなさい。父母が来られる道のために、子女を犠牲にして築いてきた新約の時代を忘れてはいけません。あなた方の物質をすべて犠牲にして国と世界を救わなければなりません。旧約時代には子女を生かすために、あなた方の子女を生かすためにあなた方の物を自分の物を絶対に考えないで、神の前に祭物としてささげなさい。逆なのです。私、統一教会のレバレンド・ムーンは父母の立場において私の子女と私の財産のすべてをささげているということを忘れてはなりません。何のためでしょうか。神の解放のためです。神を解放するためです。父母様を解放するためです。同じです。あなたのもっているすべての物、あなたの妻や子を、父母よりももっと愛する立場にあっては祭物になれません。愛の祭物をささげなければ父母に侍ることができないことは、厳然とした事実です。はっきり分かりましたか。どうですか? (分かりました)。そういう先生に対して「私の子供の学費を助けてください。貧しいから助けてください」と言えますか。あなた方よりもアフリカのことを考えている先生です。第三国において飢えで倒れている人々、その墓すら掘ることができず、積まれて腐敗していく事実を先生は感じているのです。 羊は祭物を意味します。自分を犠牲にするのです。イエスは小羊に比喩されたのです。統一教会もこの道を行かなければなりません。血を流しながらでも、物質を犠牲にしながら、子女をに犠牲にしながらも、体と心が公的な仕事のために眠ることができず、涙ぐみ、身もだえすれば滅びません。神の前にささげようとするこれらすべてを強盗が取ってしまうなら、千代万代サタン世界が崩れてしまうのです。 日本の統一教会も同様です。このような責任を果たさなければならないにもかかわらず、恐れて、この世と妥協してはならないのです。日本の統一教会も同じ公式に通じます。いかに環境が難しくとも恐れるな! 方針の目標に対して屈折するような、そういう者は天が援助しません。体が蕩減しなければなりません。恐ろしいことです。これで十分であるという思いをもってはいけません! やってもやっても足りないという心情をもっていれば、神の同情により発展の余地は存在するのです。分かりましたか? (はい)。はっきり分かりましたか。天国をいかにつくるか。このように旧約時代、新約時代、成約時代の蕩減は私の一身ですべて果たすという心をもてば、家庭天国は訪れてくるのです。国も同じです。国の主権者は真の父母の立場に立ち、民は子女の立場に立ち、私のすべての財産は万物の位置を中心として犠牲となって、自分のすべてをささげて、この国をあなた様のみ前におささげしますと、自分の民族のために祈るなら、その民族は滅びません。そこには天国が訪れるのです。分かりますか? アメリカの国民を中心としてアメリカの大統領を四年ごとに変えてはいけないのです。メシヤも選挙によって選ぶことができますか? (できません)。メシヤも選挙によって選べばどんなに良いでしょうか。そうであれば先生は選挙で落選すればいいと思います。統一教会の先生にならないで、しかし、霊界に行ってもこれを解かなければならないことを先生は知っているために、生きている間にいかなる犠牲、いかなることをやっても、(すべて)これを解く(目的の)ためにやっているのです。では文先生の位置を選挙によって、推薦して決まりますか? 神様を選挙によって選ぶことがてきますか? 民主主義は過程的な主義です。父母を迎え入れる時まで、善なる人がアベルになれないこの世であるので、元来は善なる人はアベルの立場であるのに、長子の位置に上がれないのです。神が民主主義によりアベル的な犠牲者を立てて、国であれば国の、地方であれば地方の、その団体の長を、カインの位置を、占領することのできる方便的政治体制が民主主義であります。分かりますか? (はい)。アベルが長子権を復帰したのにまだ民主主義ですか? その時は父母主義です。神主義です。 ですから、これからの統一教会の運動は、一つの主権が問題です。私の誓いの第一番がそうでしょう。私の誓いの(第五番の)一番目は何ですか? 「神を中心とした一つの主権」、一つの主権です。この世界に二人の主人はあり得ません。その主人はいかなる主人でなければならないでしょうか。お金をたくさん持っている主人ですか? 恐喝、脅迫なる独裁者の主人? それとも遊び人のような主人? いかなるチャンピオンですか? 愛のチャンピオンです。そのチャンピオンに一度でもなれれば、億千万代いかなる万物も替えることを願わないのです。太陽を取り替えることができますか? 太陽の代わりに偽りの太陽を造ることができますか? 生命の起源となり、宇宙の起源が神の愛にかかっているのです。「我々は神を中心とした一つの主権を誇り」、その主権はどれくらいのものですか? そこにおいて韓国は肯定されますか? 否定されますか? 答えてみなさい。(否定されます)。きれいに否定されますよ。 アメリカの大統領の位置が肯定されますか? (できません)。きれいに否定されます。ソ連のゴルバチョフ書記長が肯定されますか? できません。法王が全権をもって身代わることがてきますか? できません。法王庁も崩れます。それを知らなければなりません。ただ残れるのは、絶対的な愛の理想をもった、万国兄弟の心情圏をもった神主義のみが世界を統治するのであります。アーメン。(拍手) では第二番目は何ですか? 「我々は神を中心とした一つの民を誇り」になっていますが、民とは何ですか? 世界の万民が神の民なのです。白人のみが神の民ではありません。今日のムーニーだけが神の民ではありません。ムーニーを犠牲にして、黒人、白人を神の民にするための祭物にしようとするのです。それが有り難いことですか? 悪いことですか? (有り難いことです)。有り難いと言うのはいいが、自分たちがその立場になるのは嫌でしょう。 次に一つの何ですか? 「一つの国土を誇り」ですね。国家形成の三大要素の主権、民、国土がなければなりません。 次に何ですか? 「言語と文化を誇り」ですね。不倫の愛を中心として話し始めた言葉が何の話だったかといえば、堕落した言葉となったのです。神の愛を中心としてささやくべき言葉が祖国語とならなければならないのに、堕落することによって、サタンの国の言葉をもってささやいたのです。それを蕩減復帰するために私たちは、一つの言語と文化を創建しなければなりません。初愛を神を中心としてささやくことができなかったのです。真の父母のささやきを、この天地万物は聞きたがっているし、その音声圏内に住みたがっているのです。言語の混乱は、堕落することによって、サタンが障壁を造り上げて、人類を滅亡させるための方便的な歴史路程であったことを知っているので、統一教会では必ず言語の統一をしなければならない責任があるのです。それでリトルエンジェルス学校では、祝福家庭の子供たち、日本の子供、アメリカの子供、ヨーロッパの子供たちを勉強させているのです。リトルエンジェルス学校に留学するのです。大学も建てて勉強させるのです。 一九九〇年まで統一教会の若者たちはすべて韓国語を学びなさい。これからは、先生は世界大会の時には通訳を立てないで会議を執行する予定です。その会議(の話)を聞いて、韓国語で報告書を作成させてから出ていくようにするのです。それができない時には国家的威信が問題となります。 先生が公席に上がるたびに、原理的に解いて話をしたので、習わなかったら大変なことになりますよ。アメリカでは今勉強するのに大騒ぎです。 第四番目の私の誓いは何ですか? 「一つの言語」となっていますね。一つの言語とは愛の言葉を歴史上において、この宇宙の中で使うことができず、堕落した言葉を使うようになったこの悲しい事実。神の愛を中心として、アダムとエバがささやきながら千年万年住もうとしたのです。私たちの幸福の天国へと、本来の天国へと、直行いたしましょう。天地宇宙を抱いて愛の鼻歌を歌いながらささやかなければならない愛の天理が、堕落によってささやかれている悲痛なる事実を、神が聞きたいと願うでしょうか? これは宗教でなければ統一することはできません。アメリカ自体がいかに軍事力をもっていたとしてもできないことであり、ソ連自体がいくらソ連の言葉を習わそうとしてもできません。これはレバレンド・ムーンだけができることです。そうでしょう? (はい)。(拍手) それでなぜ四番目にこのことを入れたかということが重要です。言語を統一することが何よりも重要だからです。これまで、どれほど多くの犠牲があったことでしょう。韓国語一つで統一しておいたなら、どこに行っても韓国の群れはいいでしょう。韓国語を世界中で学ぶようになれば、次には第二の母国語を先生が選定します。韓国語を学んだのちには、スペイン語を第二の母国語にしたとするなら、学ばなければなりません。中国語を必要とすることもあります。東洋の三国を統一しようとすれば、世界の四分の一の人口をもつ中国を統一することが、また世界統一するにおいても最も便利です。なぜ便利かといえば、大国であり、インドから中東地域、イラン、イラク、莫大な国家の国境に接しているのです。その統一ができればどんなに素晴らしいことでしょうか? 何時になりましたか? 何時から始まりましたか? まだ三時三十分にしかなっていないですね。先生は十時三十分ぐらいから話し始めたのですよ。打って、ターゲットからそれてしまったので、十発打とうとしたのに七発しか当たっていなかったなら、十発にするために五発を打つことも、十発を余分に打つこともあり得るでしょう? (はい)。余裕がなければなりません。だからといって、割り引きは好まない人ですよ。復帰摂理路程、原理の路程に割り引きはありません。はっきり知らなければなりません。 次に第五番は何ですか? 「父母を中心とした子女」にならなければ天国に行けないのです。父母を中心とした子女になれなかったならば天国に入れません。今日人類において、統一教会の真の父母の言葉がどれほど貴いものであるのか知りません。堕落を認める時、これは公式化する、力のある言葉です。堕落した父母をもっているが、堕落していない善なる父母はどこに行ってもいません。神は死んだのでしょうか? 神は堕落した父母をもってこの天地万物の創造されたのでしょうか? どのように答えますか? 失われたので再び捜し、戻さなければなりません。ですから「父母を中心とした」何といいますか? 子女となったことを誇るのです。いくらカイン、アベルを捜し出して一つになったとしても、父母の子女であることの公認を受けなければ天国に入ることはできません。はっきりするでしょう。気をつけていなければなりません。父母がいなければなりません。その父母は神がなければなりません。それがサタン世界から讒訴されてはなりません。 今日の世界は、一九八六年から、少なくとも三分の二の圏がレバレンド・ムーンを支持するようになります。アメリカにおいてのアジア人は先生の側です。スペイン系も先生の側です。黒人は一〇〇パーセント先生の側です。この前、黒人の代表者が来ましたけれども、その人はいつ先生が呼んでも来るようになっていて、来なければ先生が気合いを入れてもいい立場なのです。白人を手中に入れれば余りあるほどです。三分の二以上になるのです。今度先生が世界的に旋風を巻き起こしたので、ローマ法王が、南米の自分のカトリックの政策方向を、八五年度に設定しなければならない時に、内容がなかったので、今回のAULA(ラテンアメリカ統一連合)組織活動を自分の政策方針の代わりに発表したのです。今回、彼らの幹部が集ったことを先生は知っています。この世界がどのように回っているかを知らなければなりません。 いくら法王だとしても、父母を迎え入れないなら天国へ行けますか? (いけません)。いかなる枢機卿であるとしても、真の父母の血肉と因縁を結ばなければ天国へ行けません。イエスの血統的因縁を換えておかなければ天国に行けません。それはだれを通してそのようなことをしますか? それは天地の歴史を通してもだれもいません。これからもいないし、あとにもいません。レバレンド・ムーン以外には絶対にいません。(拍手) それが可能的でなく、絶対的であり、決定的です。絶対に確定的です。それでどれほど神がやるせなく感じたか、三〇〇万のモスラムをレバレンド・ムーンの啓示を通して二年間訓練させ、そして今回(彼らは)宗教者会議に来て敬拝するのです。「あなた、先生が死ねと言えば死ねるか?」「それはもちろんのことです」。三〇〇万が問題ではありません。これから世界がいかに統一されるか、すべての原理を中心として見る時、宗教統一をいかにするか、それは霊界においてやるのであって、先生は静かにしているのです。座っていても、やらせてすべて統一するのです。 見てみなさい。アフリカにはどのような教会があるかといえば、Unification Church(統一教会)があります。なぜかといえば、(霊界から)「Unification Churchにせよ」と言われ、看板をそのようにして掛けたのです。そしてその牧師の名は別にあるのに、「これからあなたの名をレバレンド・ムーンと言いなさい、文鮮明と言いなさい」と言われ、「Rev. Sun Myung Moon」と看板に書かれているのです。(笑い)我知らずにそのようにするのです。この世に統一教会がないと思っていたし、レバレンド・ムーンがいないと思っていたが、レバレンド・ムーンがいて統一教会の魁首になっているとは、これは何事ですか? ここは母親なるレバレンド・ムーン、統一教会であり、彼らは子供のレバレンド・ムーン、統一教会です。(笑い)このように解釈できるのでしょう。東西南北、八方にすべて生まれてくるのです。これを見て、神様が先生を愛していると思いますか、思いませんか? (思います)。既成教会で考えれば、神は自分たちの神で、その神は賢い神なのに、レバレンド・ムーンに出会って(神は)気が狂ってきたのです。この者たちは頭があまりにもよく回って、それが何の意味かも分からないで、話を合わせることすら知らないのですね。何の話か分かりますか? (はい)。自分たちの神が最も賢いと思っていたが、その賢いという神が狂って先生が好きになったというのです。(笑い) 黄金の袋が先生の後ろに積まれてあって、「先生はいいから既成教会に持っていきなさい」と言います。既成教会の人々は、「あ! あ! 私もいりません。泥棒になりたくないから嫌です」「いやいや、それでもいいよ」という騒ぎが起きます。このような会話は、神が止めはしないのです。愛の冠をかぶって、神にこぶしを振り回しながら話しても、「ハッ! ハッ!」と笑うのです。先生はそういうことをよく知っており、このように話をしても讒訴条件に引っかからない自信があるから、このような話をするのです。牧師の身分でどうして神に対し、こぶしを振り回すことができますか。(笑い)あなたの思いのままになさい。愛の糸に結ばれている時は(たとえ)手紙一通であっても、国の姫であっても飛んで出てくるのです。そうでしょう。王子様も飛んで出てくるのです。そうでしょう? その国の女王様も飛んで出てきます。愛の糸には王様も飛んで出てきます。いかに法が厳しくとも、それを踏みきって飛んで出てくるのです。それで法を自由に飛び越える力をもっているものが愛の力です。分かりますか? (はい)。そのような愛においてのみ自由があります。「真理は、あなたがたに自由を得させるであろう」(ヨハネ福音書八章三二節)という聖句の中でのその真理は、愛の真理をいうのです。科学の原理、ピタゴラスの原理ではないのです。愛の原理からいう言葉です。分かりますか? はっきり分かりましたね。 天国を成そうとして、もし先生がアメリカを救おうとすれば、アメリカの大統領を一つの父母の位置に立てて、アメリカの民を子女の立場に立てて、アメリカのすべての物を万物の位置に立てて、旧約、新約、成約時代の三時代を経て万民救援の解放をし、神の解放のためささげてきたその歴史的なことを、再び繰り返すことのできるアメリカにつくり変えるなら、アメリカは世界を得るでしょう。神を得るでしょう。神は永遠性があると同時に、世界のすべての心を占領することができるという事実を知らないでいるのです。先生はそれを知っているので、それを成そうとするのです。分かりますか? (はい)。 天国をつくって、生活しない人は天国に行くことができません。先生が監獄に入って鉄の鎖につながれて生きるそのような立場に置かれても、私には拘束することのできない愛があるのです。先生が腰を曲げて眠れない立場にいる時に、夜起きれば手に輝きがあったのです。なぜでしょうか。神様が抱いておられることを知ったからです。闇の夜に光が輝くのでした。先生の呻吟する音、その泣き声を聞いて、監房において最も大切に思うはったい粉を、翌朝、みんなが先生の所にもってきてくれるのです。距離を越えてどこの監房の何号に、「あなたがこれ(はったい粉)をもっていかなければこの監房全体が平安でなく、あなたの家族が平安でないので持っていってさしあげなさい」。神は愛の神であります。そういう神を冷遇する背恩忘徳な統一教会の群れとなってはいけないのです。 あなたたちはこれまで自分勝手に生きてきたでしょう。先生はこの道のために罪人の中の罪人の姿で、負債をもった者の中で最も負債をもった者となったのは、悔しく冤痛(注:悔しくてたまらないこと)な神の事情を知っていたからです。万民が死の境地において呻吟し、メシヤが現れ救いを求めるその声を聞いているので、このような道を歩んでいることを忘れてはなりません。雨が降り、雪が降り、疲れきって倒れる場においても楽なベッドを求めることができず、歳月をつかまえて、床の上に座って痛哭したことがいくらでもあるのです。いくらでもあるのです。一生を通して孝行することのできることがあれば、先生はその道を選べばどれほど楽であったか。万世代に恨を抱いている、神のその恨を慰めることのできる道を先生が知ってからは、楽な日々を考えることができませんでした。我が統一教会や、先生の直系の子女たちも知らないのです。そういう話をしようとするのではありません。悲しみを残したくないのです。涙を残したくありません。解放のために、大胆な青年男女をつくりたいのです。希望に満ちあふれるあすが、目前にあることを見せてあげたいからです。それで自分の苦労の峠を越えては忘れ、こういうことを繰り返してこのような基盤をつくるために気が狂い、あちらこちらで悪口を言われ、追われながら回りに回って、今日ここ韓国に来て、滅びることなく、死ぬことなく、天下が見上げることのできるこの位置にまで来たことも、神の愛の功績によってであるので、神の前に感謝するのであって、レバレンド・ムーンに感謝する何物もありません。先生も今、歩まなければならないのです。分かりますか? (はい)。 子女を見るとかわいそうです。先生もそういう時がいくらでもありました。先生の手で両親に、ハンカチ一枚買ってさしあげることができなかったのです。先生は統一教会の人に家を買ってあげたり、服を買ってあげたり、あらゆることをしながらも、先生の兄や姉は、北韓で虐殺されたと思います。彼らのために先生は祈ることができませんでした。祈って霊界に尋ねれば分かるのですが、祈ったことはありません。先生は、任された責任を果たす以前においては、自分の一族を省みることのできない天理を抱き行く、忠孝の道理がそれであることを知ったからです。 今日、皆さんはこれを知りました。天国は皆さんの家庭から始まるのです。分かりますか? (はい)。国を天国にし、世界を天国にすることは、だれができますか? 距離があるのです。皆さんの家庭とこの世界とは遠いのです。それで先生が知っているので橋を架けたのです。その祝福を受けるためには、皆さんの氏族を中心として、一家を中心として先生が成したそれと同じように旧約時代、新約時代、成約時代の復活圏をつくって、一度に生きた祭物となって、神を愛したという公認を受け、人類を愛したという公認を受けてこそ神と真の父母は、天国に入るビザの発行が可能となるのです。そのビザのサインをだれが先にやるかといえば、神が先にやるのでなく、真の父母が先にやるのでなく、サタンが最初にしなければならないのです。サタンがですよ。サタンは検事です。サタンがサインをし、次に真の父母がサインをし、神がサインをしてこそ天国へ入れるのです。このような話は初めて聞くでしょう。イエスは弁護士の立場です。それでこのような蕩減条件を中心として、サタンの世界の愛以上に怨讐を愛さなければなりません。 それで先生は、アメリカのダンベリーにおいて、アメリカを愛したという世界史的な勝利の覇権を取ったのであります。そして怨讐国家、韓国と日本が怨讐であり、日本とアメリカが怨讐、アメリカとドイツが怨讐、このような怨讐国家を中心として結束して、怨讐国家を統一教会で集めるのです。自由世界の中でアメリカが怨讐の元凶なのに、この怨讐国家を救うためには、アメリカの国民が愛する以上にアメリカを愛し、ドイツにおいてはドイツの国民がドイツを愛する以上に愛し、日本国民が日本を愛する以上に怨讐の国に行って、その国民全体が国を愛する以上に愛したという条件を立てて、四大国が一つにならなければ地上に天国を(建設する)出帆はできません。それでその基盤をすべて築いて帰ってきたのですよ。分かりますか? (はい)。すべてつくって、すべて整えてです。ですから世界のすべてを受け継ぐために皆さんは、個人天国、家庭天国をいかにすればいいか分かったでしょう? (はい)。氏族の天国は分かったでしょう? カイン、アベルが一つにならなければなりません。そうするためには旧約時代、新約時代、成約時代に皆さんの物質を投入しながら、神が肥料として生きた祭物として血を流すようにしたのと同様に、受難を通して成そうとしたのと同じように、皆さんもそのような思想で一つにされなければなりません。個人もそうであり、家庭、氏族、民族、国家、世界が一つにされなければなりません。そうしなくては大韓民国においてそのような国家をつくるためには、皆さんが氏族に対してそうすることのできる確固たる運動をした実績を残さなければ、大韓民国の国家基盤、天国基盤が顕現することができないのです。そういう国家が韓国の国家を中心として怨讐世界の国家にこれを設定しなければ、世界の天国国家へと連結できる基盤が顕現しないのです。これは理論的です。ですから皆さんはこれから個人天国、氏族天国、民族天国、国家天国へと各国を中心として、各個人を中心として、このような目標に向かって前進するようになれば世界的天国理念は自動的に連結され、地上に天国が完成されるという論理的結論を出すことを知っていますので、きょうからそのことを急がなければなりません。三年以内には峠を越えなければならないと先生は考えていますよ。この期間にはいかなる犠牲をも省みることなく、前進一路を誓わなければなりません。分かりますか? (はい)。歓迎する人は手を挙げ、歓迎しない人は頭を下げなさい。ありがとうございます。 一九八六年を中心として、天国創建のための総進軍を、この時間、神の名と父母の名と皆さんの名と世界統一教会の名で宣布いたしますので、そのとおりになるように。アーメン。(アーメン)。お祈りしましょう。 流れる歴史路程に数多くの悲しみ、数多くの曲折の事情もありました。その中で流れ去っていったすべての先知先烈たちが血みどろな闘争の歴史、地上に血の深い溝を残した事実を知っておりますので、その恨に満ちた深い溝を埋めることができなかった歴史的な恨みに対して、今日真の父母を中心として連結されている子女たちがこのように決意を誓う中において、前進的な発展を中心として総進軍を誓うこの姿を見て、喜んで、期待していることを知りました。どうか霊界にいる数多くの霊たち、善なる先祖たちを動員され、後代にいる後孫たちと一致化させ、天上地上が一致化された中で、天国創建の一路の勝利のみが残されることをお父様の前にお願い申し上げます。 これから全世界に広まっている統一の群れ、特にイースト・ガーデンに残されている幼き子女たちと、アメリカと連結されているすべての統一の群れ、全世界に広まっている統一の群れ、今父母様がおられる所に向かって心を集めて、十年を祝賀記念しながら、神の願いの成就の一時が来ることを待ち焦がれているので、どうかここで伝えたみ言が伝わることができるように、早急に待っている彼らの心の前に、待ち焦がれるその心を越えて、愛の心に酣酔(かんすい)できる神の働きが共にあらんことを懇切にお願い申し上げます。 残りの闘いにおいて、砂漠、荒野を通り過ぎるにおいて、強く、大胆な神の正義部隊となって、カナン福地路程において、勝利的旗印のもとで、一方通行が可能である誇らしき天の正軍となれるように許諾してくださるように懇切にお願い申し上げます。 これかは始まる三六五日をあなたが見守り、保護してくださいまして、愛する中において脱落することなく、全部がお父様の誇り得る、褒められる息子、娘となれるように祝福してくださり、導いてください。許諾してくださった日の前に、責任を果たすことをより一層誓い、あなたの栄光の一日(の到来する期間)が短縮されることを祈りながら、このすべてを真の父母の名で宿願いたします。アーメン。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2021.12.28
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賛美歌49番 1972年山内修一ありがとう さわやかな目覚めをありがとう 妻や子等の笑顔小鳥たちの 夜明けのうたひとときの祈りをありがとう 健康と使命をありがとう 職場とまじわりを時を忘れ 自分を忘れ心こめる よろこびをありがとう たそがれのおとずれありがとう こころよき疲れを庭の木々を そよぐ風を通い馴れた 街角をありがとう あかりともる我が家ありがとう 子供らの歌声手をつないで 夕べの感謝ありがとう ありがとう一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.08
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2024年2月24日、第978回天心苑特別徹夜精誠で訓読されたみ言「なぜ独生女を宣布しなければならないのか」2024/03/052024年2月24日、第978回天心苑特別徹夜精誠で訓読されたみ言「なぜ独生女を宣布しなければならないのか」『天の摂理で見た真の父母様の位相と価値』p.13~14【関連記事】天の摂理で見た真の父母様の位相と価値(p2〜7)はじめに一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.03.06
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cocoaさんも女性でしょ!!cocoaさんのブログ記事「「独生女教義」を聞いて入信した人がいますか?」は、パイオニアカフェからのもの。こんにちなお、ブログ村では幽霊「独生女論」がさ迷っている。* パイオニアカフェの記事より抜粋。 《 皆さんの中で誰が 「独生女教義」を聞いて入信した人がいますか?もし原理講論の主張が独生女だったら、皆さんは同意したでしょうか?……教会を相手に集団訴訟を推進しましょう。そして米国裁判所にとって、これは顕進様個人の問題ではなく、非常に多くの信仰者の運命、そして統一教会という名前で出発した宗教の未来運命に関するという事実を知る必要があります。 》UCIが原理講論を除外しておきながら、今さらにして「原理講論の主張が独生女だったら…」とは何事か、である。P-カフェの戯言を聞いて惑わされることなきように願う。「お母様=独生女」批判はこれまでの既成概念から来るものであって、新しい真理「原理講論」はまさに「成約のみ言」である。私の過去記事「原理講論も「女性時代」の到来を予見していた!!」で既に紹介していた(以下に引用)。アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理において、「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、正にアブラハムであった。…… ノアがサタンに奪われた第二の条件は、信仰の祖の立場と、アベルの身代わりであったハムの立場であった。ゆえに、アブラハムは信仰の祖とハムの立場を蕩減復帰しなければ、ノアの立場に立つことができなかったのである。したがって、アブラハムがノアの代わりに信仰の祖の立場に立つためには、ノアが信仰と忠誠を尽くして、箱舟をつくったのと同様に、アブラハムも、信仰と忠誠を尽くして、「象徴献祭」をささげなければならなかった。また、神が一番愛するアベルの身代わりであったハム(彼らはみな次子として「実体献祭」の中心であった)を、サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである(ヨシュア二四・2、3)。(2) 信仰基台を復帰するための条件物 ① アブラハムの象徴献祭 神は、アブラハムに鳩と羊と雌牛とを供え物としてささげるように命ぜられたが、これらは、とりもなおさず、アブラハムが「信仰基台」を復帰するための条件物であったのである(創一五・9)。あたかもノアが「象徴献祭」として、箱舟をつくってささげようとしたとき、その献祭のための信仰を立てたように、アブラハムも、この「象徴献祭」をするためには、そのための信仰を立てなければならなかった。……それでは、アブラハムが象徴献祭としてささげた鳩と羊と雌牛とは、果たして何を象徴したのだろうか。この三つの象徴的な供え物は、三段階の成長過程を通じて完成する天宙を象徴するのである。すなわち、まずそのうち、鳩は蘇生を象徴したものである。…… つぎに、羊は長成を象徴するのである。…… つぎに、雌牛は完成を象徴するものである。士師記一四章18節を見れば、サムソンがなぞの問題を出したとき、ペリシテびとたちは、サムソンの妻を誘ってサムソンをだまさせ、その内容を探りだすことによって、その問題を解いたことがあるが、そのとき、サムソンは、「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」と言った。このように、サムソンは、妻を雌牛に比喩したのである。イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。イエス様といえども十字架の死によって肉身はサタンが奪っていった。したがって、再臨の時は、神様は先ずはサタンに奪われたその肉身を奪い返して来なければならず、再臨主も予定された洗礼ヨハネが失敗すれば、苦難・迫害の道を歩まざるを得なかった。また、「イエス再臨以後の完成成約時代は、」とあるように、原理講論では半世紀以上も前から「女性時代の到来」を予見していたりもしていた。お父様のみ言「独生女」を語り始められたのは1959年10月からである。イエス様が十字架に架からなかったなら「独生女」を迎えて「子羊の婚宴」をしたであろう、というものだった。その翌年に「子羊の婚宴」ともいうべき聖婚式が挙行された。「独生子」「独生女」が出会ってのそれであった。何度もの繰り返しになるが、お母様が「独生女」でないとすれば、お父様もまた「独生子」ではない!?といった矛盾が支流人たちの間で生じてくる。イエス様当時、イエス様がメシヤであるというのであればマラキ書に書かれた「再臨エリヤ」はどこに? と同じく、イエス様がまた来るとき「子羊の婚宴をする」と語られていたからだ。支流人たちは2000年前の過ちを再び繰り返そうとするのか?この「子羊の婚宴」からしばらくして、原理講論が出版された。原理講論に「独生女」が書かれていないからといってこれを否定する根拠は何もない。当時の迫害時代の状況から見てそれを書き記すことできなかったものと思われる。総序末尾の一文もそのことを示唆していたのではなかろうか。「独生女」そのものはないにしても表現として「再臨される実体聖霊」について書かれていた。cocoaさんもその記憶はあるはずだ。P-カフェのデマ宣伝に踊らされな。さて、成約時代はお母様を中心とした女性時代であるとのみ言が今回、光言社から新刊で紹介されていた。16万日本人女性修練会でのみ言をクローズアップしたものだ。https://www.kogensha.jp/shop/detail.php?id=3832日本歴史編纂委員会 / 編判型/頁数:A5判 / 328頁コード:13151発行日:2018年11月9日 発行商品内容1993年、アラスカのコディアクで始まった日本女性特別修練会は、続いて韓国・済州国際研修院、中央修練院で開催され、延べ16万人の日本女性が参加しました。93年は成約時代の出発となった年であり、摂理的歩みにおいて真のお母様と日本女性との一体化が願われていました。お父様は、日本女性に対してみ言を語られる理由として「日本は母の国として子供たちを養育し、教育する使命がある」「このみ言は残さなければならない。先生はこのみ言を遺言のように思って語る」というものでした。修練会では「良心宣言」「四大心情圏と三大王権」「夫婦生活の芸術化」「子供に対する夫婦の姿勢」など、真の家庭を成し、氏族メシヤを成就していくために極めて重要な内容を語っておられます。まさに本書は真の家庭運動を推進していくための、全祝福家庭必読の一冊です。※本書は、1994年と1995年に出版された『訪韓修練会御言集』『訪韓修練会御言集(続編)現地の整備』を一冊にまとめ、再編集したものです。目次・真の自分を探しましょう(1993年12月19日)・蕩減復帰の峠を越えましょう(1993年12月20日)・真の父母と重生(1993年12月20日)・氏族メシヤ(1993年12月20日)・四大心情圏と三大王権(1993年12月21日)・現地の整備(1993年12月21日)また、U-ONE TVでもその新刊が紹介されていた。https://www.kogensha.jp/movie/ビデオを通しても「16万人日本女性修練会 -1993年 済州国際研修院-」で語られたお父様のみ言から、成約時代において「お母様と日本女性の一体化が重要」であることが強調されていたようだ。当ブログでもブログ村女性陣に対しては「16万人日本女性修練会」でのお父様のみ言を挙げながら、お母様との一体化を促していたりもしてきた。さらに極め付きは、お父様が語られた原理講論の主人は「お母様」であるというみ言だ。成約時代は女性時代、その成約のみ言が原理講論、そして、その原理講論の主人が、まさに「お母様!!」お父様の「独生女」み言を隠すP-カフェを信じることなかれ。cocoaさんも女性でしょ!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.11.16
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天勝号進水式1963年6月26日「天一国経典・真の父母経」から。真の父母経 - 第10篇 - 第2章 - 第1節 韓国を中心とした海洋摂理第二章 海洋摂理と海洋資源の開発 第一節 韓国を中心とした海洋摂理4 一九六三年に韓国で船を造ったのですが、その名が「天勝号」でした。天が勝利する、神様のみ旨を成就するという意味です。「天勝号」を造り、「世界の海を占領しよう」と語ったのです。しかし、誰もが船に乗るのを嫌いました。「このように波が荒れているときは出られません」と言うのです。漁夫がそのようなことを言っていられます か。命懸けで出ていかなければならないのです。私は漁夫になりました。雨が降っても雪が降っても、意に介しませんでした。夕立があっても釣りをしました。 雨が降っても、夕方までしたのです。5 お父様は、一九六三年に船を造りました。それが「天勝号」です。船の名前を「天勝号」としました。それには、すべて意味があったのです。天が勝利したという基準を立てるために、そのように名付けたのです。アメリカに来て、一九七三年から船を造り始め、今に至るまで船に乗っています。アラスカでは、夜も昼も船に乗りました。一片丹心、船に乗ったのです。6 お父様は、一九六〇年代に入って、韓国の有名な山はすべて回りました。狩りをしながら歩き回ったのです。陸地を訪ねて回ったのです。その次には、海に行って魚を釣りました。本来、審判を受けたのは陸地です。魚は審判を受けませんでした。ですから、陸地のすべての蕩減を消すことができるのは、審判を受けていない魚たちで す。それらは、神様が造った本然の姿のままで存在しています。それを愛さなければなりません。そのために、二〇〇〇年まで、二十七年以上の期間、海で船に 乗る生活をしました。水を訪ねていったのです。韓国で船を造ったのが一九六三年でした。それを海洋事業と連結するのです。その時のみ言を聞いてみれば分かるでしょう。船の名前は「天勝号」だったのですが、天が勝つという意味です。船が必要なのは、陸地と連結するためです。海を占領するために、「天勝号」から始めて、海洋事業と造船事業を継続していくのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.06.27
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▲第42回「真の子女の日」の敬礼式後、ろうそくに点火される真の父母様第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(No.2/4)― 天一国(天宙平和統一国)宣布のみ言 ー成約九(二〇〇一)年十一月十五日(陰暦十月一日)、韓国・中央修練院大講堂「文鮮明先生御言選集 20011115 - 第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その1/4)」の続きです。 今日、この地上に生きている人たちは、良心を否定するでしょう? 体が願うとおりにしているのです。 体は何かというと、「自分が一番優秀である。」と言うのです。父母もなく、神様もなく、夫も女性もなく、すべて否定するのです。 ですから、”個人主義王国時代”が来たので、その立場は、天の国を失ってしまい、神様を失ってしまい、 自分の先祖を失ってしまい、自分の国を失ってしまった立場です。そうして、家庭においては、祖父母を否 定し、父母を否定し、自分たち夫婦も否定し、息子、娘も否定するのです。 その結果、神様も完全に否定し、天の側から見ると神様ご自身が、すべてを否定するという終末現象が起きているのが、現在、わたしたちが暮らしてい る世の中の姿であったというのです。そこには、希望 というものは、一点一画もありません。息子も、娘も、夫も、父母の前に希望がありません。 ですから、自分自身で嘆いて彷徨し、その挙げ句、 解決策がないので薬を飲んで自殺してしまうような、 自らを滅ぼす’わな’に陥らざるをえない状況になっています。そのようなこの終末時代において、その嘆息圈 からどのようにして抜け出し、堕落によって失ったものをどのようにして奪還し、解放の世界に向かうのか、という宿題が残っているのです。 このような宿題を解くことができるものが何かというと、父母には、二つの父母があるということです。 そのことを知らなければなりません。 堕落した父母が偽りの父母であり、心と体が一体となった男性が、神様の本然的愛に連結され、女性も、心と体が神様的な性相的、形状的実体、アダム的な形状的実体、二つが一つになった心と体が・・・・・・。 これは、四人の人と同じです。それが神様の絶対、 唯一、不変、永遠の愛を中心として、わたしも絶対的となり、あなたも絶対的であり、夫も男性も絶対的で あり、妻も女性も絶対的であり、息子も絶対的であり、娘も絶対的であり、夫婦も絶対的な夫婦になるのです。 しかし、そのような位置を失ってしまいました。 それを再び取り戻してこそ、その位置に戻っていくことができるので、それを成就するために、神様は救援摂理や再創造の役事をしてこられたのです。そして 今、その位置に再び戻って、それを清算しなければならない時代が来たのです。 今は、自分を中心として、願いや希望を持つことができない世の中です。今まで、米国の国民は、「自分は、 米国国民である。」と言って誇っていましたが、 引っ繰り返ってしまいました。「先進国」という言葉を言ってはいけない、というのです。どれが本物なのか分かりません。上が下なのか、下が上なのか、上なのか下なのか分からないということです。 善悪ということについてですが、それを「悪善」と言いますか、「善悪」と言いますか?(「善悪です。」)それでは、「地天」と言いますか、「天地」と言います か?また、「父母」と言いますか、「母父」と言いますか?「女子」と言いますか、「子女」と言いますか? 逆さまになっているものがあります。逆さまになっているものは何かというと、「上下」と言うときには、 父母を表し、「左右」は夫婦を表すのですが、「左右」は、本来とは逆さまになっています。「右左」にはなっていません。そのことを知らなければなりません。 それは、なぜでしょうか? 良心は、ありのままを 率直に告げるようになっています。終末になれば、必 ず良心が、"自分宣言”をするようになっています。ですから、「私は罪人である。間違っている。そのことは正しい。」と言わなければなりません。 共産党は、赤です。赤いものは、危険千万であり、 嫌いです。白色は、何ですか? 安全である、という のです。すべて、そのようにありのまま率直に告げるのです。 サンノム サタン世界は、「この野郎 (쌍놈)。」と言って、悪口 を言うでしょう?しかし、悪口は、悪いことばかりではありません。サタンが最も嫌う“双(쌍ーカップ ル)”になるのです。分かりますか? 神様を中心とし た“双(쌍ーカップル)』が最も憎らしく、最も恐ろしいのです。ですから、サタン世界は、そのように悪口を言うのです。(韓国語の「野郎 [쌍놈)」と「双 [쌍]」 の発音の一部が似ていることから) ですから、わたしたちが真と偽りを分別するとき、 自分の心と体の中には、“真”と“偽”が定着している ということを知らなければなりません。何が定着しているのですか? ”真の父母”と“偽りの父母”です。 このようになるのです。“真の父母”と“偽りの父母” が定着しており、”真の夫”と”真の妻”が、逆さまに なっています。ですから、”偽りの父母”です。 “真の子女”とは反対の“悪の子女”、“悪の夫婦”、 『悪の父母”、“悪の愛”と一つになっている世の中で あるということを知るようになるとき、ここで真なる 愛を捜し出すためには、根源からすべて否定しなけれ ばならないのです。 多く宗教は、より深く信仰し、求めていくようになれば、出家を求められることがあります。「家と国を捨てて乞食のような立場になり、地獄の底に降りていきなさい!」と、そのように、「否定しなさい。」と言わ れるのです。そして、「独身生活をしなさい。」と言い ます。 最も憎むべきことは何かというと、神様の御前で、偽りの愛を始めたということです。これで世界を蹂躙し、神様を蹂躙したので、千年、万年たっても、これを見るのは嫌なのです。ですから、否定しなければ、 否定の否定をしなければならないというのです。 それゆえに、今日の統一教会も、先ほど訓読したみ 言(一九六八年十一月二十日、第九回「〔真の〕子女の 日」に語られたみ言「「〔真の〕子女の日」はいかなる日か」)の中でも、詳しく話してあげていますね? 子女から父母を取り戻し、「(真の)父母の日」、「(真の) 子女の日」を中心として、実体から形状実体、心情世界まで完全に否定して、新しい本然の世界に帰らなければなりません。 アダムとエバは、神様を中心として、三代を実現す ることができませんでした。ですから、三代を成し遂げなければならないのです。 それでは、祝福とは何ですか? 皆さん。祝福とは何かというと、神様は第一創造主であられ・・・・・・。分かりますか? 神様は、何創造主であられるというのですか? (「第一創造主です。」)アダムとエバは、何ですか? (「第二創造主です。」) アダムとエバは、第二創造主なのですが、第一創造主であられる神様は、アダムとエバを生みましたが、 第二創造主であるアダムとエバは、第三創造主を生む ことはできませんでした。それは何かというと、神様が三代の孫を持つことができなかったということです。 孫です! 分かりますか? なぜ、孫を持つことができなかったのかというと、 アダムとエバが、神様と同じように息子、娘を生んで第二創造主として完成することができなかったからです。 そしてまた、アダムの息子も、第三創造主の立場に立ちます。それで、第三創造主になろうとすれば、おじいさんの愛とお母さんの愛、二つの愛を受けなければなりません。おじいさんの愛は霊的世界を代表し、 お父さんの愛、父母の愛は、この現実世界の愛です。 天上世界と、現実のサタン世界を代表する二つの愛が、 アダムとエバを中心とした息子が受けなければならない愛です。 ”心的”世界の完全相続を成し、”体的”世界の完全相続を成せば、父子関係の二代の因縁をすべて相続したことになるので、天上世界と地上世界、二つの世界を受け継ぐことができるのです。 それは、どういうことであるのかというと、 アダムとエバを中心としたものよりも、第三創造主となるアダムとエバの息子も、息子、娘を生んで、初めてそこから種ができて広がっていく、ということです。神様が、いくら偉大であられるとしても、創造は、アダムとエバしか成すことはできませんでした。分かりますか? アダムとエバは、結婚してから、どうなると思いますか? 子供を何双くらい生むと思いますか? 先生 でも、十三人の息子、娘を生んだので、それは、十三双を生んだことと同じです。アダムとエバが、百歳以 上、何百歳までも生きたならば、息子、娘が、どれほどたくさんいたでしょうか? 三十六及は、問題あり ません。 ですから、アダムとエバの孫は、そして息子は、神様よりもりっぱであり、アダムよりもりっぱであるということです。それゆえに、神様もご自分が愛される 相対は、自分よりもりっぱであることを願われ、アダムも、愛する相対が、自分より以上にりっぱであることを願うのです。 神様も同じです。神様の愛の相対は、アダムとエバです。神様は、そのアダムとエバが、ご自分よりもりっばであることを願われ、アダムとエバも、自分たちの息子が、自分よりもりっぱであることを願うのです。 同じように、やはりアダムも、自分の相対はエバなのですが、エバがアダム自身よりもりっぱであることを願い、アダムとエバのふたりが生んだ息子が、自分たちよりもりっぱであることを願うのです。同じことです。 ですから、神様も、願われた所願が何かというと、 アダムとエバの創造が目的なのではなく、三代目となるアダムとエバの息子、娘、そしてさらに孫が、理想の創造目的であったのです。アーメン! このようにならなければなりません。そこで完成するのです。そこで初めて、種が種として完全になるのです。 そこでは、すべて父母となり・・・・・・。そうではないでしょうか? 霊的父母、肉的父母、縦横の父母がいて、 肉的な夫婦が、未来における霊的な夫婦となり、肉的な新郎新婦時代、肉的な約婚時代、肉的な息子時代、 肉的な子供時代、肉的な赤ん坊時代、すべて連結されるのです。 神様は、八大心情圏の主人になることができませんでしたが、そのようにして本然の血統的関係が完成されるはずであったのです。エバの腹中にいる息子、娘 に対して、神様が、喜びながらエバのおなかに耳をあてて赤ん坊が動きまわる音を聞こうとされ・・・・・・。皆さんの夫が、そのようにするでしょう? 最初の子供を宿したときは、特にそうです。 神様は、エバの腹中に宿った赤ん坊に対して、皆さんが祝福を受けて宿した赤ん坊を、皆さんの夫が愛する以上に愛してみることができたでしょうか、できな かったでしょうか? 愛してみましたか、愛してみることができませんでしたか? (「愛してみることができませんでした。」)してみることができなかったので幸福ですか、不幸ですか?(「不幸です。」)不幸なのです。 神様は、すべてを失ってしまわれました。八段階の愛の主人であられる神様が・・・・・・。エバが赤ん坊を生むとき、エバの陣痛のときにも、その主人であられるべき神様が主人ではありませんでした。他の主人が、すべてを持っていきました。 また、エバが赤ん坊を生んでから育てるときにも、そのエバが生んだ赤ん坊をひざの上に乗せて、三年なら三年、赤ん坊が言葉を話すときまで、そのような時期にも、赤ん坊を愛してみることができなかったのす。なぜでしょうか? 血統が違うからです。怨讐になっているのです。 もう明日、あさってには結婚するはずなのに、怨讐が、その妻を奪っていって赤ん坊を宿してしまった、という立場です。そのようなときに、その新郎が妻を訪ねて行った場合、その赤ん坊に関心が行くでしょうか? また、その妻をほうっておくということがあるでしょうか? その子供でも何でも、妻でも何でも、殺したい思いではないでしょうか? 皆さんも、そうでしょう? 夫に対する怨讐がいた場合、会えば殺してやりたい思いになりますか、助けてあげたい思いになりますか? 殺したいような思いでしょう? ですから、神様にとって、堕落した人間世界には、 ご自身の相対としての"エバ”というものは、一人も いません。アダムもいないのです。失ってしまったのです。 それでは、どうすればよいのですか? 再創造しよ うとすれば、どのようにするのでしょうか? 再創造して、堕落しなかったとき以上に愛するということは、 神様には、死ぬことよりも嫌なことです。死ぬよりも嫌なのです。 それでは、どのようにすれば、これを救援することができるのでしょうか? 神様の戦略戦術は・・・・・・。神様が、人間を滅ぼすなどして、ご自分がしたいとおりにすれば、人類の種がなくなってしまいます。永遠に、この地上では、人間が主人です。ですから、そのようにすれば、創造世界の主人が生まれる道がなくなってしまうのです。 ですから、神様が責任を持たれて、悲しい、悲しい峠を越えるとしても、主人の位置を再びつくって、これを立てようとされたのが、千辛万苦の苦労をして野生のオリーブの木を真のオリーブの木に接ぎ木する道だったのです。 しかし、それは、野生のオリーブの木にもなりません。ボブラや他の木が、野生のオリーブの木になるこは、野生のオリーブの木が真のオリーブの木になることよりも、もっと大変なのです。 神様は、そのような苦労をされて、野生のオリーブの木までつくってあげ、世界的な歴史において、宗教を通じて野生のオリーブの木畑を、天の側の野生のオリーブの木畑に変化させてきたのです。そうして、それが人類の半分以上になれば、そこに主人である一つの真のオリーブの木が来られて、野生のオリーブの木を切ってしまって、一度に神様が・・・…。 しかし、神様の所有権だからといって、思いどおりにサタン世界を打って、奪ってくることはできません。 ですから、それは、自然屈伏させて、天の側の野生のオリーブの木となったものを切ってしまい、一つの真のオリーブの木に接ぎ木して、すべて真のオリーブの 木畑にするためなのです。 あぜんとするようなことです。それは、真のオリーブの木を願われる神様が、そのようにする道しか、接ぎ木するしかなかったという事実です。神様は、実体を愛することができなかったのです。 ですから、しかたなく真のオリーブの木をつくり、 神様は、「わたしに似なさい、似なさい。」と言われながら、復帰摂理を進めてこられる過程においても、失ってしまわれたアダムとエバを創造理想として見詰め続けられ、その二つの心を一つにされるのです。 そのようにして、「"絶対愛”を中心として、父母の中の父母であり、王の中の王であり、新郎の中の新郎であり、子女の中の子女になろう。」と言うことのできる家庭をつくらなければなりません。そのような家庭をつくる基盤が、この地上に現れることによって、初めて神様が臨在され、本然の愛を中心として主が来られ、真の父母が来られるのです。 アダムとエバの家庭、一家庭だけではありません。 皆さん。「第四次アダム圈「祝福中心家庭」!」それが、 簡単な言葉でしょうか? それが、どれほど大変なことか分かりません。そして、それは、アダム家庭一つ はないのです。全世界の峠を越え、数千万、数億の 家庭を代身した勝利の覇権を中心として、皆さんが、すべて平等な価値を備え、「祝福中心家庭」として……。 それは、アダムが、堕落せずに完成して、祝福を受けたものと同じです。そうして、それを中心として、それまで何千万年もの間、空いていた天の国の倉庫が、地上に真の父母が来られることによって、すべてされるのです。すべてを蕩減復帰して、これを接ぎ木し、野生のオリーブの木畑を真のオリーブの木の家庭につくりかえ、それを一度に合わせるのです。 それゆえに、神様ご自身もそうであられるのですが、そのために真の父母は、神様よりも、どれほど途方もない十字架を独りで背負ってきたのかということを皆さんは知らなければなりません。それが、「祝福中家庭」です。分かりますか? 今、「祝福中心家庭」は、一つですか、数億ですか?数億ですが、すべて価値は、平等であるというのです。そこで、これから先祖が、一等、二等、三等、四等と、決定されていくのです。アダムとエバの子供も、今までの千代万代の子供も、その価値はイコールです。 しかし、そのように同じ価値を持っているのですが、 先祖的系列が、すべて異なるのです。国家的系列や民族的系列が、それに従って決定され、先進国家、中進国家、後進国家の形態が展開していきます。このよう な一代圏内の「祝福中心家庭」の中で、それが生じる のです。 ですから、ここで、天の国に行くことができる人、 楽園に行くことができる人、というように決定されるのです。霊界には楽園がありました。その楽園に監獄が生じます。神様の国を中心として、違反したすべての人たち、法を守らない人たちは、永遠の地獄としてなくなることもありうる世界ですが・・・・・・。 しかし、たとえその地獄に入っていくとしても、そ の刑をすべて蕩減すれば、服役を終えれば、すべて帰ってくることができることと同じです。 それを自分の一族が協助し、自分の先祖も、国まで協助して、解放的後援をすることによって、永遠に地獄には行くことはないというのです。千万の苦労をして、それを克服して越えていかなければならないということです。 ですから、本然の世界に入っていくことが、どれほど大変でしょうか? 皆さん一代で、統一教会を二十 年間信じたということは、問題にならないというのです。分かりますね? それでは、神様が捜し求められるものは何かというと、第三代まで堕落せずに、神様から祝福を受けることによって、神様の家庭が定着することです。そのためには、「神様の国」の王であられる神様の愛をたっぷりと受けることができる、そのような家庭にならなければなりません。 それが、家庭においては、おじいさんが過去の霊界を代表し、父母は現在を代表し、息子、娘は未来を代表するのです。これが三つです。 それでは、家庭を中心として見れば、おじいさんは霊界を代表し、父母は、この時代を代表し、息子、娘は未来を代表するのですが、この息子、娘は、おじいさんにとっての孫に当たるので、おじいさんの愛と父母の愛を受けなければなりません。 わたしも、じっと考えてみると、自分の息子、娘が生まれて育てるときには、あたふたとよく分からなかったのですが、孫が息子、娘よりも、もっとかわいいと感じられるのです。 最近の韓国を見てみれば、おじいさんとおばあさんが、「ああ、早く結婚して、わたしに孫を抱かせておくれ。」と願うでしょう?なぜ、そうなのかというと、 神様は、”おじいさん”に当たるからです。おじいさんであられる神様です。ですから、おじいさんは、神様の立場を代表して、霊界から派遣された全権大使と同じであるというのです。 それは、わたしたちの家に来て、神様の代わりに伝統を正すのです。堕落してはいけないということです。そのような天の国の全権大使です。天の国の実体の王として来ているのが、おじいさんであるというのです。 分かりますか? 父母とは、何でしょうか? この時代の王です。この時代です。現世において、父母はだれなのかという と、王です。現世です。 わたしたちの家には、二つの世界の王がいらっしゃるのです。祖父母、それから自分の父母、それから自分は三代目に当たります。三代は、天の国を相続するために必要です。おじいさんから愛を受ければ、相続することができ、父母から相続することができるのです。二つの世界の先祖の愛を中心として……。 それが何かというと、霊界と肉界の愛の中心代表者の結実が、アダムとエバの息子、娘の立場であったということです。これを失ってしまったので、天の国は、ぽかんとすっかり空いてしまい、地上もすべて失ってしまったのです。これを再び、埋め合わせていくためのものが、祝福家庭であり、子女の立場であるということを知らなければなりません。何のことか、分かりますか? ですから、皆さんの時代において・・・・・・。先生は、このすべての世界、サタン世界において蕩減し、すべてのサタンを整理しておきました。個人時代も、家庭時代も、氏族時代も、もう迫害はありません。 先生は、迫害を受けながら、それらをすべて整理したので、Family 20021 30 <第四十二回「真の子女の日」記念礼拝の御言(その3/4)に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.31
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豆柴のブログ記事:佳約式について2 劉正玉先生の証言(日本語同時通訳より)http://msksk118.hatenadiary.jp/entry/2018/04/04/224004で劉正玉氏の日本語通訳を載せていた。ブログ記事「真のお母様は「独生女」(独り娘)である ―1960年の「約婚式(佳婚式)」や「聖婚式」は、お母様の原罪清算の儀式ではない」では、2018.3.28付で「真の父母様宣布文サイト」からの新着ニュースを紹介して劉正玉氏のそれをも否定していたのだが。今となっては劉正玉氏が本当に専任講師として原理本体論を理解して講義していたのかの疑問だけが残る。突然にサンクチュアリに行って見たりと。原理本体論は本然のアダムとエバ、「絶対『性』」が強調されていたように思うが、その「原理本体論」について語られたお父様のみ言があり、これまでも当ブログで何度か掲載してきたのだが、そこには原理講論に紹介されていたお母様を証しており、何故、原理本体論が必要なのかの説明もされていた(Famlyの2009/1月号(P.44~)に掲載)。以下は、 原理講論を捨てたUCIグループのHOPE氏へから。以下は、豆柴のブログからの引用: そして、1960年の3月16日ですね。陽暦では、この4月11日ですね。ソウルのこの龍山区青坡洞でこの御聖婚式をされた。この時、二つの式をされたと仰いました。私達はその時には入教していなかったんですけれども、その時、金栄輝会長がその時、その場に一緒に参席していました。その方は、式を二回このされたと証ししていました。一番先にやった式は、「佳約式」です。堕落した父母の復帰式をして、そうしてから聖婚式をなさったと。これは、本然の真の父母式をしたという事です。これは、子羊の宴会なんですね。この式は、お母様を原罪を清算してあげる神様とお父様だけが出来るそういった式をした時間でありました。ですから、こういった内容をこの、だからお父様と、神様だけがそういったこの式をできるという訳ですね。そうして、原罪のない立場に立たせて、そして御聖婚式をして行かれたんですね。全ての人類は、お父様以外の全ての人類はこの原罪があるんです。原罪がない方は、このイエス様と、お父様しかいないんです。その誰であったとしても、みんな原罪を持っています。ですから、お母様も原罪があって生まれましたか?原罪ない中生まれましたか?だから、お父様も仰いましたね。お母様は原罪を持って生まれたと。でも、原罪なく生まれたと言い回っているそういった者は狂ったやつだと。お父様はっきりとそう仰ったんですね。1960年の「約婚式(佳婚式)」や「聖婚式」は、お母様の原罪清算の儀式であったかどうかについては劉正玉氏が金栄輝会長から聞いたものであり、お父様自身のみ言ではない。お父様直接に語られた中には、お母様も無原罪のみ言もある。「祝福と理想家庭」(韓日対訳)P.281 は以下。また、これの次ページといってもP.283 なのだが、再臨の目的はまさに、完成したエバを復帰して「子羊の婚宴」をされるとも書かれていた。……このような終局的な最高の頂点が、黙示録に予言されています。これがすなわち「子羊の婚宴」です。再臨される主は、まさにその子羊であり、完成したアダムです。主は完成したアダムとして来られ、完成したエバを復帰されるでしょう。このとき、彼らは人類の最初の父母となり、神の喜びも完全に成就するでしょう。アダム・エバのときはもちろん無原罪であり、イエス様の時も「完成したエバを復帰」、再臨の時も「完成したエバを復帰」されるのであって、「堕落したエバを復帰」されるとは語られていなかった。ほかにもいくつかのみ言もあり、逆には、お父様は堕落圏からというのは原理的に見て再臨ということを考えれば、イエス様の十字架で肉身に侵入したサタンの清算ということも有り得る話であり、お父様のみ言からも私の過去記事で紹介していた。ここでの詳細は省くが、関心のある方は過去記事を探されてみては。個人的に言わせていただくなら、お母様をすげ替えて結婚式をするようなサンクチュアリに出向いて講義をする劉正玉氏が、「原理本(体)論」のその主人が誰であったのかすら分からずにいたという結論であって、まったくもって信じられない人物だということだ。過去の栄光はあったとしてもだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.04.05
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1978年9月、ワシントン大会を大勝利した直後、文総裁は「次はモスクワ大会だ」と語られたという。それが実現したのが1990年4月の世界言論人大会。以下、自叙伝『平和を愛する世界人として』(P252~258)から。詳細は本書をご覧ください。「ソ連の地に宗教の自由を許可しなさい」……1990年4月、私は世界言論人会議の主催者としてモスクワに乗り込みました。意外にもソ連政府は、空港から国家元首級の待遇をしてくれました。警察のエスコートを受けてモスクワ市内に入っていきました。私の乗った自動車が、普段は誰もが使うことが出来ず、大統領と国賓だけが通ることのできる中央の黄色い“黄金路”を走りました。その時はまだソ連は崩壊しておらず、冷戦が継続している時代だったのに、反共産主義者の私を非常に手厚く迎えてくれたのです。 私は世界言論人会議の基調講演で、……世界言論人会議に出席するためにモスクワを訪問したのですが、実を言えば、私の関心はゴルバチョフ大統領との会見に集中していました。……あれから20年経ったのかという最新ニュースがUPF/HPで、大塚克己UPFユーラシア大陸会長の基調講演がそれである(以下)。20 Years after the Fall of the Iron CurtainBy Dr. Katsumi Ohtsuka, Chair, UPF-Eurasia Saturday, April 10, 2010また、それの会議報告書Conference in Moscow on East-West Dialogue と合わせてご覧ください。 にほんブログ村 教保文庫4月の2週間ベストセラー 5時間前 130地図に行軍してくださいハンビヤ緑地131ローストシンボル。 1ダンブラウン文学の手引131 平和を 愛 世界人へ 文鮮明 ギムヨウンサ 133説得の秘密(EBSドキュメンタリープライム)EBS制作チームクポンブク134 ENGLISH RESTART ADVANCED(イングリッシュ...129 HACKERS GRAMMAR START DAVID CHO崎エサ、侃語学研究所 130地図に行軍してくださいハンビヤ緑地 131ローストシンボル。 1ダンブラウン文学の手引 131平和を愛する世界の人々に文鮮明ギムヨウンサ 133説得の秘密(EBSドキュメンタリープライム)EBS制作チームクポンブク 134 ENGLISH RESTART ADVANCED(イングリッシュレスのタルトアドバンス)。 1(スピキンピョン)I. A. RICHARDSニューロン 134の朝のニュース(2010年第34回以上の文学賞作品集対象受賞)バクミンギュ文学思想
2010.04.15
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平和大使協議会HPからの更新情報です。詳しくはHPにて。 更新情報2015.11.12結婚と家庭の価値と絆を日本中に | 真の家庭国民運動の全国大会に900人が参加UPF・平和大使協議会なども参加する真の家庭国民運動の全国大会が11月8日、東京都千代田区で開催され、政界、学界、宗教界、教育界など各界の有識者ら約900人が参加しました。
2015.11.13
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新しい見解と展望テイルリリビュから:ワシントンタイムズ検索順位1位-真実の窓を探して登録日:2010.11.04 10:06 ▲米ワシントンタイムズ社統一教が去る1982年世界の中心首都と称する米国,ワシントン真ん中に中央日刊紙‘ワシントンタイムズ'を創刊して米国の朝野を動かす一軸を形成してきたという事実は今は驚くほどのことでもない。ところで、一つの国の最高級情報らが集まる中央日刊紙をそれも外国のある宗教グループに引き受けることウォー負けたとのことは格別な意味があった。 ややもするとその国の運命を左右できる情報らが外部に抜け出る重大問題が起きることがあるからだ。 逆説的に米国は統一教ムン・ソンミョン牧師をアメリカ的価値を保存してくれる信頼できる人物と認定したという意であろう。当時ワシントンタイムズはカーター大統領の大小の宥和政策の風に乗って急速に傾いた自由民主主義の危機を早急に診断し,当時レーガン共和党政府を徹底的に政策的に支援して,自由世界を指導する‘道徳と倫理の保守的価値'を米国社会に説明してくるのに力をつくしてきた。それが必然であったかのソ連邦の解体につながる冷戦秩序終息の最も大きい役割をしてきたという証言を受けるに至った。2007年米ワシントンでは‘ワシントンタイムズ' 25周年記念式行事があった。 この日記念式には、かつて西側自由陣営を導いてソ連共産主義と対決した,3人の世界最高首脳たちが参加した。 米国レーガン大統領(在任1981~1989)は遺品画面で,英国サッチャー首相(在任1979~1990)は病床に起きてこの式典のために特別に用意した画像ビデオで,最後に米国のファーザーブッシュ大統領(在任1989~1993)は直接登壇して,祝い基調演説で各々参加した。 当時、15年前遺品映像に出てきた米国レーガン大統領は"ワシントンタイムズは20世紀の最も重大な意味を持つ、去る80年代に先頭でワシントンに現れた。 私たちはそでをまくりあげて仕事に取り組んだ。 そしてワシントンタイムズとともに私たちは、冷戦に勝利した。 ワシントンタイムズはこの時、歴史的事件らを忠実に,履行したし,同時に私が米国人らに必ず必要だと感じる政策的支援を惜しまなかった"と明らかにしている。 英国病を直して‘鉄の女性'で呼ばれた英国サッチャー首相も彼の祝い映像で"ワシントン タイムズがある限り,保守哲学科主張はなくならない。 私はここでワシントン タイムズのソ連共産主義に対する不退転の対決姿勢とこの新聞が冷戦の最後の頃レーガン大統領と私に送った支持に敬意を表わすところだ。"としながらワシントン タイムズがその間鋭い論評とはやい速報と健全な判断の社説を展開したことに賛辞を送った。 最後に直接基調演説をしたファーザーブッシュはレーガン政府の下の副大統領8年,大統領4年の任期を回想して"1982年ワシントン タイムズ創刊時代,冷戦は最も熱い状態にあった。 ...ワシントン タイムズはすでに巨大賭博の結末を深く理解していた。 そうしてワシントン タイムズは既存のリベラル的な巨大言論媒体らに堂々と挑戦して,銃一発撃たないで冷戦を終息して自由民主主義勝利を導いてくれた。 ..万一私がワシントン タイムズの創設者のレボロン文(ムン・ソンミョン牧師)に感謝しなかったとすれば私は怠慢罪にかかるだろう。 彼がなしではワシントン タイムズはないことで,ワシントン タイムズないアメリカは想像することもできない。"として創刊25周年を祝ってくれた。このようにワシントンタイムズは1980年地球村冷戦時期レーガン,サッチャー,ファーザーブッシュなど三リーダーらから冷戦終息の貢献者と認められた救世主だったのだ。 去る11月2日インターネット次のポータルサイトにはすべて‘統一教ワシントンタイムズ'関連記事が検索順位1位に上がって数千件のコメント論争に広まっていた。 事実インターネット検索をしていれば統一教関連検索順位が1年に4-5件に達するほどいつもネチズンらの話題を消す常連メニューになっていた。統一教.. まだ世人にいて‘熱いじゃがいも'に該当する。 誰かが食べたくても熱くて手をつけることを懸念する所.. 一時‘いんちき宗教'論争にまきこまれて‘反共愛国宗教'進んで‘Little angles韓流援助'そして最近では‘韓日海底トンネル' ‘城南(ソンナム)エピソードサッカー' ‘日本統一教も拉致改宗'等暇さえ出来ればずっと話題になる所だ。地球村冷静終息の主役‘ワシントンタイムズ'が去る11月2日午後7時(現地時間) ‘韓国統一グループに僅かな金1ドルで債務を継承する条件で売れた'でする。 実際に21世紀インターネット デジタル環境時代にその他紙新聞と同じようにワシントンタイムズも経営上苦戦を体験しているところに出てきたニュースであった。20世紀冷静終息と共にワシントンタイムズは今は新しい使命を与えられている。 広まった唯物論的価値を排除して,崩れた倫理道徳を正しく立て直す人間性回復運動がまさにそれだ。 建国時代教会を先にたてる程最も利他的な人生の姿勢で今日物質的祝福を享有しているアメリカ.... だが実際裏面は崩れた家庭,麻薬,銃器事故,同性愛繁盛など利己的で物神崇拝的社会に固まって久しい。 だから今米国は利他的価値具現を通した‘人間性回復運動'に奉仕壊した皮をむいた報道機関を切なく探している。 そのような意味でワシントンタイムズは永遠でなければならないという意だ。試練に勝った強盛なワシントンタイムズの第2の跳躍を祈願する。2010年11月3日 新しい見解と展望テイルリリビュ 【参考記事】[クリック! ネット ブリーフィング]ワシントンタイムズ統一教に売却 にほんブログ村
2010.11.06
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国内外の拉致に国境はない!! --Part.62-- 6月末に北海道で統一教会員の拉致監禁の相談?(May 10, 2014)で取り上げた「日韓連合異端カルト対策セミナー」の記事が「韓国基督公報」でUPされましたので紹介しておきます(以下)。韓ㆍ日異端似非対策セミナー25〜28日の進行 [2954号] 2014年07月03日(木)17:01:46本校団、日本基督教団が定期的に持つ「韓日連合異端似非対策セミナー」が、今年は6月26〜27日、日本の北海道クリスチャンセンターで行われた。 昨年この教団主催に続いてクロス訪問で、今回は日本でのセミナーが開かれた。この教団は異端似非対策委員会委員長イムジュンシク牧師と書記の権威·ヤング牧師など9人が参加し、日本では異端似非専門家と統一教会被害者と彼らを助ける弁護士などが出てきた。26日午前、札幌地域異端施設訪問後、講演が続いた。第1講演はパスカルジビさん(北海道マインドコントロール研究所)が務め、統一教会の被害者夫婦と一緒に事例発表後のご相談内容を公開した。 退会者夫婦は、「大学の時に手相を見てくれるという口実でアクセスした統一教会関係者にポギョダンした」とし「以後、複数の人々と寝食して5年余りの間、金銭的、精神的被害を受けた後、脱退した」と主張した。続いて、本教団異端似非相談所長グチュンソ教授の現韓国異端の状況についての報告の後、第2の講演で高ロー正樹弁護士が統一教会と関連する裁判事例を紹介した。日本では、統一教会の問題をはじめ異端似非問題が社会的波長が大きく法的攻防ができなく続いている。 二日目には、日本基督教団傘下の統一協会の原理問題全国連絡会の会合を介して統一教会脱会者の事例報告と関連講義が続いた。桜井義久に教授(北海道大学)は、日本の外来宗教がどのように入ってきて定着のかについての研究結果を発表した。 マインドコントロール研究所? 未だに非科学的な研究をされておられる方がおられるとは(笑)マインドコントロール - Wikipedia(以下)からの引用で、米国裁判ではマインドコントロール理論は採用されませんでした。マインド・コントロール理論への批判的見解ある種の宗教団体が信者に対してマインドコントロールをしているといういわゆる「マインドコントロール理論」は、米国の裁判においては採用されなかった。この理論の主唱者であった心理学者のマーガレット・シンガーは、米国心理学会内の有志によって、彼女の主張は科学的な裏付けが乏しく心理学者の間で一般に認められてはいないことを指摘する法定助言書が提出されたことにより、裁判で専門家として証言することを裁判官から許されなかった。このように、この理論は疑似科学と見なされるべきだとする学者もいる。 訪問ありがとうございますにほんブログ村OUT人気ランキングへ
2014.07.03
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今年のKリーグはチームごこと様々なフレーズを挙げている。城南(ソンナム)は「シン攻(楽しく攻撃)サッカー」。無公害·ヨンガルイ·シン... Kリーグこれは何? 全北 "ダクゴン"成功への刺激 16チームさまざまスローガンに 開幕前に出師表予告 "ダクゴンシーズン2"(全北)、 "シン"(城南)、 "無公害"(FCソウル)、 "ビビンバサッカー"(光州FC)... ?? ???これは何? 3月3日に開幕を控えて現地訓練中で2012 Kリーグ16球団のシーズンスローガンが異彩を放つ。昨年全北現代の "ダクゴン"(黙って攻撃)サッカーに刺激され、流行のように広がった。 シン·テヨン監督の城南一和は楽しく攻撃を叫んで、チェマンフイ監督の光州FCは伝統的な食べ物であるビビンパのようなサッカーを約束しています。 来年2部リーグ墜落2チーム選別スコトゥルレンドゥシク "スプリットシステム"のために緊張は高い。市·道民球団まで外国人選手を確保するための年間予算を増やすなど、死活をかけた生存競争が熱くている。冬のキャンプで今シーズンペンモルイ好材料が感じられる。…… 21世紀最高の監督'158位 'シン·テヨン、 "なぜ?" 国際サッカー歴史統計連盟(IFFHS)は去る7日、ホームページを通じて、21世紀最高のサッカー監督を選定して発表した。……そしてランキングに目が行く監督が一人いた。すぐにシン·テヨン、城南一和監督だった。シン監督は158位にランクされた。韓国人監督としては唯一ランクに含まれているのだ。…… [4年目の監督シン·テヨンの話]4年目、嬉しいと辛い [4年目の監督シン·テヨンの話]今までが幸運?今年正当に評価受けない[4年目の監督シン·テヨンの話]4年目の夢は、やはりACL上である[4年目の監督シン·テヨンの話]巡航中訪ねてきた悩み、 "ユンビトガラム" [4年目の監督シン·テヨンの話]4年一緒にした信頼性、キャプテン "サーシャ" 12日、城南(ソンナム)は訓練のため鹿児島に入った。[城南の鹿児島訓練記]エベルチンヨ、 "敬語は難しい" [城南の鹿児島訓練記]雨中の野外活動を行う人手を上げて! [城南の鹿児島訓練記]ラーメンめぐり素晴らしいスリラー [城南の鹿児島訓練記]ハンサンウンヌェグジョワ韓国語講座 [城南の鹿児島訓練記]監督密かに訓練している選手たち [チェ・ヨンジェの艶がないサッカー] "日三流審判"が作った初めての競技中止の事態 [チェヨンジェ記者]日本審判の不公平な判定のために初の練習試合中止の事態が起きた。 16日日本の鹿児島ふれあいスポーツタウンでKリーグ城南一和とJリーグ清水Sパルスの練習試合が繰り広げられた。しかし、この試合は予定されて90分も満たないまま後半15分シン·テヨン、城南の監督とアプシン·ゴトビ清水監督の合意の下で中断された。 去る1月に香港で開かれたチャレンジカップで、城南は清水に会って5-1で大勝し、優勝カップを獲得した。城南はその時の流れを継続して一枚上ということをもう一度証明しようとしており、清水は、当時の苦い大敗を雪辱しようとした。 本番の試合と同様の激しさがキックオフ前からあった。練習試合だが、日本現地の数多くの取材陣が来たことを見れば、この試合の重要性を実感できた。…… にほんブログ村・海外サッカーへ
2012.02.18
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『宇宙の根本』(黒・天聖経)を30回以上も精読されたb408(ビーヨンンハチ)さんからのコメント引用から。これから適齢期を迎える20000万名(2万名)の2世たちの祝福、どのようにしていけば・・・三男派のb408さんが家庭連合の二世の祝福を心配されてのことだが、祝福権のない三男派こそが、二世を今後どのようにしていくのか?である。ところで、b408さんの言われるところの二世の祝福式参加もそうだが、それ以前に二世教育からというのが今後の課題でもある。それでは、三男さんのところへ行けば「二世教育」がしっかりとされるか、というと決してそうではないと言わざるを得ない。一つの例を挙げれば、前・能登教会長でFPA-Japanの郭炳憲氏の教会長在職当時の二世への牧会・信仰指導がそれだ。彼は二世に対して「親の言うことを聞くな!!」と牧会していた。それを聞いたある二世はその如くに、「教会へはもう行かない」「祝福は受けない」「大学受験も止めた」……彼の牧会に責任があるというわけではないが、一つの大きな引き金となったようだ。このように三男さんの流れ(指導)を受ける彼の教え「親の言うことを聞くな!!」は、三男さんそのものであるということだ。777双のある方(777さん)は、お父様と三男さんの一体化のための秘密の摂理だといっては「四本の矢」を挙げていた。裏を返せば「親の言うことを聞くな!!」、真の父母様に従順に侍ってこなかった三男さんの人生があり、その三男さんの二世への教育もそれということになる。真の父母様に不従順な三男さんの「主人意識」の教えの矛盾もまた、この二世教育にも現れてきているということだ。三男さん自身が歩んできた道、同じく祝福二世にも歩ませようとするのか?以下に「祝福」(84号・1995年春季号)に三男さんのみ言引用。上記は「三男さんのみ言から「伝統を破れば混乱が生じる」 」でも、三男さんのアベルカインを中心として取り上げていたが、この「伝統」ということで『真の父母様宣布文』 についても触れていた。777さんは、この『真の父母様宣布文』そのものには触れられたくないらしく彼のいう「四本の矢」に含めていなかった。真の父母様宣布文 全世界の統一教、霊界、地上界、祝福家庭食口、特にUCI指揮下にいるすべての食口たちに次の事項を指示する! まず、全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。…… 統一教会と関連するすべての組織と機関を創設した創始者として、そして真の父母である文鮮明・韓鶴子夫妻の名で、これらの指示を全天宙に宣布するものであり、すべての人々は、この点について億万年(永遠に)期間、順理的に服従してくれるように願う。<「真の父母様宣布文」抜粋>1994年に三男さんが「真の家庭の伝統を守ることの重要性」を語られていたが、その「統一家の永遠の伝統」を蹴っておられるのが三男さんであった。この「統一家の永遠の伝統」もまた、二世教育に含まれるべき内容であること、私たちはこれを知るべきである。結論:三男さんには「祝福権」もなく、三男さんの「統一家の永遠の伝統」を無視した二世教育にも問題あり!!」ということになる。このように、未来に向けた羅針盤のない漂流船が三男さんの「FPA」である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2017.12.01
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HJ天宙天寶修練苑ホームページ>真の父母様フォト2019 真の父母様 世界巡回 勝利報告大会さらに多くのフォトはこちらから。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.06.30
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記事「真の父母様と不一致のH3の8月の特別祝福式は無効!! H4にも祝福権無し」にて黒・天聖経(韓国語)から「독생녀(獨生女)」を探しては紹介していた。今回はその前後の一文を日本語の黒・天聖経にて紹介していく。韓国語「独生女」は日本語では「ひとり娘」として訳されていた。そうするには、どのようにしなければならないか? その救いを成してあげるには、メシアはどんな存在として来なければならないか? 間違いなく、真の父母として来なければなりません。メシアは、真の父母として来なければなりません。イエスという方を、キリスト教ではメシアと信ずるのです。救世主として信じます。真の父母として来るには、どのように来なければならないか? 一人ではだめなのです。真なる父に代墲閧、る一人の男として出てこなければならないのです。今まで、数多くの宗教は、一人の男を探してきたのです。男の中でも、生活をよくする男を探してきたのが、儒教の教えと見ることができ、霊界を主にした男を探してきたのが、仏教の教えと見ることができるのです。では、キリスト教は何か? 神様の息子になって、愛する家庭を作ろうというのです。もっと具体的な内容を持って来たのがキリスト教です。それゆえ、神様の前において「私はひとり子」だとイエス様が言われたのです。ひとり子が出てきたのに、ひとり子が一人で暮らしたら大変なことです。ひとり娘がいなければなりません。それで、ひとり娘を探して、神様を中心として、ひとり子とひとり娘が互いに好む場で結婚しなければならないのです。それで、神様が縦的な父母(天の父母様)として喜び、その神様のひとり子とひとり娘が横的な父母として喜びうる新郎新婦になって、地上で息子、娘を産まなければなりません。そうしてこそ初めて、一族が広がり始めるのです。そういうことではないですか?それゆえ、イエス様においてイスラエルの国に背いてでも、ユダヤ教に背いてでもいちばん必要としたのがありますが、それが何か? 再び探しうる主体的動機が何か? まさに女です。男の前に女がなくてはいけません。イエス様は、そのみ旨を成せなかったために死んでいきながら「私は新郎であり、あなたがたは新婦だ」と言ったのです。こうして、キリスト教では二千年間新郎であられるイエス様を待ち、キリスト教信者たちが新婦になろうと、もがいてきているのです。その標準が何か? それがメシアですが、真なる父母の位置を持って合わせるのです。それが子羊の婚宴です、子羊の婚宴。(五八・二一八) イエス様が、どうして天国に入れなかったのでしょうか。天国は、堕落せずに生きた者が入る事が出来る様に、神様が人間に造って下さったものです。人間は、本来の原則的な基準に立ってこそ、天国に入る事が出来ます。それ故、イエス様御自身も堕落した人間を救い、堕落しなかった人類の父母であるアダム・エバの立場で、息子、娘を率いて入らなければならないのです。しかしイエス様は、一人で生まれて、一人で死んだので、子孫がいません。いない為に、楽園に行く様になったのです。天国に入れずに、楽園にいるのです。天国に行く為の待合室の様な所に行っているのです。 それで、イエス様は再び来て、新婦を探さなければならないのです。本来のエデンの園で、アダム・エバが新郎新婦になってこそ天国に行く様になっています。人類始祖は堕落しましたが、その原則は残っている為に、その原則どおりに花咲かせる為、イエス様は来られなければならないのです。「再び来て、地で解かなければならない」という聖書のみ言と同じです。(四一―三〇〇) 堕落がなかったなら天国は、ひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭をつくり、神様の愛で暮らしてから、引っ越していく所です。天国へは家庭が入る様になっています。個人は、天国に入れないのです。イエス様は、家庭を成せなかった事によって、天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。 この様に見る時、天国は空いています。これを考えれば、神様の復帰摂理歴史は、悲しい歴史なのです。 神様は、アダム・エバを失ってしまいました。二人を失ってしまった事だけで終わるのではありません。アダム・エバを失ってしまったという事は、アダム・エバの一族を失ってしまった事なのです。その一族が拡大して、民族になり、一つの国家を成し、一つの世界に拡大したはずですが、それらを失ってしまったのです。ですから、アダム・エバを失ってしまう事によって、天国の王権を中心とした王国を失ってしまった事になり、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。(一四三―二五) 4.イエス様と楽園 堕落がなかったならば、天国はひとり子、ひとり娘が神様の愛を中心として神様の家庭を築き、神様の愛で暮らして引っ越して行く所です。天国は家庭が入って行く様に成っています。個人は天国に入っていけないというのです。イエス様は家庭を成せない事によって天国に入れず、天国の待合室に行って待っているのです。それが楽園です。楽園は、天国に入る準備をする為の待合室の様な所です。…… 天国は空いています。これを考えれば神様の復帰摂理が、悲しい復帰摂理の歴史であるというのです。神様がアダムとエバを失ってしまいました。二人を失ってしまっただけで終わるのではありません。アダムとエバを失ってしまったという事は、アダムとエバの一族を失ってしまったのです。その一族が拡大して民族に成り、一つの国家を成し、一つの世界へ拡大されたはずですが、失ってしまったのです。ですからアダム一人を失う事によって、天国の王権を中心とした王国を失う様に成り、天国の民族を失い、天国の氏族を失い、天国の男性、女性、ひとり子、ひとり娘迄失ってしまったのです。 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができないのです。もし善悪の実を食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしたはずです。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダムとエバが成熟したのちには彼らを呼んで神様を中心として祝福してあげたことでしょう。 アダムとエバが善悪の実を取って食べないで、完成したなら、天地を創造した王様の息子、娘になるのです。王様の息子、娘なので、その直系の長孫(長子の長子)、長女は何になるのですか。王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の国の王国を治めることのできる基盤になるのです。王権は二つではありません。一つだというのです。 神様の手で自ら造られたひとり息子、ひとり娘が、アダムとエバです。アダムとエバが堕落したので、問題になったのです。それでは堕落することによってどうなったのですか。取って食べるなと言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、取って食べるなと言ったその言葉を実践していたならどうなっていたでしょうか。キリスト教はそれを考えることができませんでした。考えてみても分かりません。蒼蒼大海です。深いのか浅いのか、大海の深さを測ろうとしても、それを測定することのできる計器がありません。知ろうとしても知ることができないので、無条件で信じなければならないという冠をかぶせたのです。しかし無知には完成がありません。②怨讐の血統を受けた 堕落人間は偽物になったので、接ぎ木しなければなりません。血統的に見れば、皆さんは先祖が違うというのです。なぜ養子にしかなれなかったのかといえば、お父さん、お母さんが違うからです。ですから統一教会で、愛によって堕落したと主張するのを否定することができません。聖書を見れば、善悪の実を取って食べて堕落したと書かれています。善悪の実とは何か知っていますか。善悪の実は果実ですか。風が吹けば、落ちてごろごろ転げ回る果実でしょうか。違います。 アダムとエバの心にサタンが入って、一つになったので、サタンの血統を受け継いだというのです。愛の神様がなぜサタンを許せないのでしょうか。強盗、殺人も許し、みな許すと言ったのに、イエス様を信じるならば許されると言ったのに……。サタンを許してあげることができない理由とは何かといえば、人類の血統を汚したからです。それは何のことですか。神様の立場から見るとき、サタンは姦夫です。愛の姦夫。何のことか分かりますか。 サタンを中心として結婚式をしたので、サタンを中心とした愛、サタンを中心とした生命、サタンを中心とした血統を受けなかったと否定することができません。もし善悪の実を取って食べずに堕落しなかったならば、神様を中心として結婚式をしていたことでしょう。統一教会の父母様が皆さんを祝福してあげたように、アダム、エバが成熟したあとには、神様が呼んで、祝福してあげたはずです。 アダム、エバが善悪の実を取って食べずに完成していたならば、天地を創造した大王の息子、娘になるのです。大王の息子、娘というのは、その直系の長男、長女とは何ですか。正に王子、王女になるのです。天の国を代表した地上の王国を治めることのできる基盤になります。王権は二つではありません。一つだというのです。 神様の手によって直接造られたひとり子、ひとり娘がアダム、エバです。アダム、エバが堕落したので、問題になったのです。それでは、堕落することによってどうなったのでしょうか。「取って食べるな」と言った善悪の実を取って食べて堕落しましたが、「取って食べるな」と言ったその言葉を実践していたなら、どうなっていたでしょう。キリスト教は、そのことを考えることができませんでした。考えてみても分からないのです。それは蒼々たる大海なのです。深いか浅いかについて、深さを測ろうとしても、それを測定する方法がありません。分かろうにも分かるすべがないので、無条件に信じなければならないという冠をかぶせたのです。けれども、無知には完成がありません。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.07.20
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コリアンドリーム氏が「真のお母様のみ言葉/2019/08/10前編」ということで、10日、HJ天宙天寶修錬苑での「神韓国家庭連合 日本宣教師 特別集会」でのみ言を挙げていたが、これまでのお母様「独生女」み言を批判する以上に後編からは「原理講論の改ざん」などとの話を持ち出してくるのではなかろうか。お母様は既に「ビジョン2020勝利のための天地人真の父母様主管 神慶尚国特別集会 真の父母様のみ言 (2019.7.25)」で原理講論の不完全性については語られていた。……聖書で見れば、アダムとエバは神様と一問一答しました。私も同じです。私に原理を教えたり、何か教育をした人がいません。私は(聖婚式も)私が決定しました。皆さん、(『原理講論』「総序」の最後の部分にあるように)『原理講論』はまだ完璧なものではありません。後編に、「再臨論」だけでなく「真の父母論」が出てこなければなりません。そのように考えませんか。「創造原理」も正しく記述されなければなりません。聖書には6日間創造されて7日目には安息されたとなっています。聖書で「夕となり、また朝となった。第一日である」と言いました。その言葉は、時間の概念ではありません。夫婦が結婚して赤ちゃんを身ごもるようになれば、10ヶ月という期間を持つようになります。10ヶ月後に誕生します。それと同じように神様の創造も、ただみ言で「(このように)なれ」と言って(創造)できましたか? 過程があるのです。そして、生命が誕生するのは、男性一人ではできません。男性一人では生命を誕生させられないのです。それで、神様の創造は男性・女性です。ところが聖書はそのようになっていません。お父様の聖和後に、私が待ちに待ってから「私が独り娘である」とアメリカの牧師たちの前で最初に話しました。そのため牧師たちは拍手をしました。どうしてこの正しくてもっともなことを、私たちが分からなかったのかと言ったのです。カトリック教会の「神父(シンプ)」が「新婦(シンプ、発音が同じ)」なのではありません。男性と男性がどのようにして結婚するのでしょうか。「また来る」と言われた再臨のメシヤの前に、独り娘が現れなければなりません。女性が現れなければならないのです。ところが女性を無視しました。それゆえ摂理が完成できません。摂理の完成は独り娘から始まります。これからは明確にしなければなりません。お父様がここで出発されて準備なさったのは、独り娘に出会うための準備です。それが分かりますか、分かりませんか。1960年、真の父母の位置に進み出ました。その後、一番最初にしたことが、祝福行事です。天の父母様の夢、人類の願い。天の父母様を「父母様」と呼び、その父母様の前に進み出ることのできる、愛を受けることのできる子女となるのを願うのです。しかし堕落によってその道が遮られてしまいました。それを開いて下さる方は、ただ真の父母だけです。神様を仰ぎ見て、絶対的に一つとなった位置で、わき目を振らずに神様のみ言だけを聞いて成長して完成したならば、その位置が神様と共にある位置です。天の父母様と真の父母が一体となる位置なのです。長い間、霊としてのみおられた父母様が、見える現象世界の真の父母として、子女たちを抱いて愛されたかったのに、その大きな恩恵を失ったことが堕落です。それを再び探し出してくださる方は、真の父母です。真の父母は二代、三代ではありません。ただ一人、真の父母です。 ひとえに、真の父母は永遠においてただ一人です。だからわき目を振らずに、独り娘、真の母と一つになって進み行くようになれば勝利します!……お母様「独生女」批判も、もはや、お父様の元祖「独生女論」で底を着いてしまった。「独生子とは何ぞや?」「独生女とは?」、と問うたときにお母様お一人で「独生女」を語られていた訳ではなかった。これ以上の批判があるとすれば、お父様「独生子」論(?)はもとよりH3やH4の「真の家庭」論にまで進展せざるを得ない。さて、「原理講論の不完全性」については8.10でもまた語られていたものであり、当初から『総序』最後の一文にも明記されていたものであった。お母様が「今さら?」と議論する何ものもない。それよりは、今まで何故にそれがなかったのかが不思議なくらいである。八大教材教本ほかみ言に「真の父母」の記述を数限りなく発見することが出来、様々な宣布や祝祷もすべて「真の父母の名」によって成されてきた。1960年の聖婚式でのPeaceTV映像「真の父母様御聖婚当時の祈祷とみ言」(2:40~)からもすでに「真の父母の名」で祝祷されていた。こんにちの支流人らによる統一家の混乱もまた、この「真の父母論」の欠如からであると見ることが出来よう。お父様は「ゴッディズム」「頭翼思想」「父母主義」などと言葉は違ってもその根本とするところは「神主義」であり、「ワンファミリー・アンダーゴッド」による幸福な家庭、平和な世界を標榜してきたものではなかったか。では、いつ「真の父母」がこの地上に現れたというのか。アダム・エバの時はそれが出来なかった。「独生子」イエス様の時は? ヨセフ家庭とザカリヤ家庭がそれを悟ることが出来なかったはお父様のみ言であった。1960年の文鮮明総裁と韓鶴子総裁の聖婚式、これが黙示録で書かれた「子羊の婚宴」であったと私たち祝福家庭は聞いてきた。イエス様再臨の「独生子」、そして、「独生女」が出会ってのそれであったもまた、お父様のみ言からだ。1960年、すでにその時からだ。逆には、「子羊の婚宴」もなくいきなり文総裁が「メシヤ・再臨主」だと名乗って出たところで、2000年前のイエス様に律法学者らが質問したようにマラキ書の「エリヤは?」……と。「独生女(ひとり娘)」という概念はこれまでのキリスト教にはなかったものだ。1959年10月に初めて文総裁が「独生女」を世に発表し、また、1960年の聖婚式を迎えた。原理講論の『総序』で新しい真理が現れなければならない、としながらも書かれた原理そのものが全てではないこと、さらに「時が至るに従って、一層深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを」切望するとあった。それが今この時ではなかろうか。お母様の言われる「真の父母論」といっても、お母様が勝手にされるものではない。高気圧(独生子)が出来れば、自動的に低気圧(独生女)も出来るは自然の理である。高気圧を考えれば、自ずと低気圧についても頭に浮かんでくる。お母様が「独生女」ばかり語るからといっても「独生子」、それだけではなく「真の父母」も瞬時に浮かんでくるものだ。不完全であっても「原理講論の主人はお母様」は、父母様らのヘリコプター事故(2008年7月19日)後まもなく「『原理本体論』について」(2008年8月31日、こちら)で語られたみ言からだ。また同み言(P.51)からは「洗礼ヨハネは分捧王」(関連記事「洗礼ヨハネとしての分捧王・郭錠煥氏だったが???」)についても話されていた。 アダムとエバをすべて殺しました。その次に、四千年目のイエス時代にメシヤが来るといって、国家基準を中心として、ヤコブが勝刊して選民圏となったイスラエル血族が、イエス時代に国の大統領を立て、副大統領を立てなければなりません。ところが、洗礼ヨハネは分捧王になることができなかったではないですか? 今回(平和メッセージ十六章)の最初のぺージに「洗礼ヨハネ」という言葉を掲げたことは驚くべきことです。それ一つ自体が蕩減復帰歴史において人々が誤ってイエス様を殺したので、これからは、人々が分捧王を中心として、わたしがつくった教育材料を中心として、これが新しい祖国光復の旗印を立てなければなりません。そのために(アベル)UNまでつくっているのです。最後です。 ですから、この旗印を立てるときは分捧王ではありません。実体王権です。その王は、自分が王宮をつくり、民をつくることを、すべて一人でするのですか? その分捧王自体が、第一イスラエルが第二イスラエルの王権を推賊して侍らなければならず、第二イスラエルは第三イスラエルに侍り、アダム時代を中心として第四次アダム心情圏時itが定看してこそ、カイン・アベルに分かれていた理想的家庭の血筋が一つになり、一つの父母が一つの子女の権威を持って天上世界にそびえ立ち、永遠に灯台のように輝くことができる祖国光復の土台が決まるのです。そのようになれば終わりです。余談でしたが、原理講論の話に戻ります。2010年第四十三回「真の神の日」記念式典でのみ言。TWJ三月号からの引用、小タイトルは「『原理解説』、『原理講論』、『原理本体論』」となっていた。 ですから、「原理本体論」の前の「原理」が出てくる時代は、天国に行っても一人です。夫婦で行ったからといって絶対に一緒には行けません。分かれなければなりません。相対の数、偶数になるからであうことができるのです。統一教会で初めて霊界の家庭を中心として天国へ入っていける道理が連結されるのです。それは堕落していない血筋の因縁なので、不可避的な結論です。アージュ。(「アージュ」)「独生子」イエス様であっても「楽園止まり」。主人が「独生女」お母様であっても、「原理講論」では夫婦そろっては天国へは行けない!!家庭連合(統一教会)で家庭を中心として「堕落していない血筋の因縁」に連結されることによって可能だと。唯一無二の真の父母によってであって、アダム家庭でのアベル・カインのように血統を違えたままのH3やH4につながった見たところで決して天国へは行けない。お父様が任された原理本体論講師もどこで間違ったのか、サンクへ……。「原理本体論」に汚点を残すこととなった。今後「真の父母論」がどのように展開されるかは分からないが、「独生子」だけ、あるいは、「独生女」だけでもダメだということだ。「真の父母」でなければ!!一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.08.15
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H3を支持する有志の会が12月20日付で「家庭連合教理研究院に送る公開質問状」を送付したとのこと。この中にはすでに金鍾奭氏の動画の「ねつ造音声」を取り上げたものも含まれていた。これは私の過去記事で既に紹介していたものであった。金鍾奭氏の「公開討論の呼び掛け」に対する応答は始まっている金鍾奭氏の「公開討論の呼び掛け」に対する応答は始まっている(その2)”韓総裁が独生女教を語る音声(1)”--改ざんか?Re:”韓総裁が独生女教を語る音声(2)”--またしても改ざんか!!ところで、第一弾「”韓総裁が独生女教を語る音声(1)”--改ざんか?」で私からPeaceTVで紹介されていたみ言と上記の切り出された一文を比較していました。今回の説明でもお分かりのように、金ジョンソク教授が用いている音声はつぎ合わせたものであって実際のPeaceTV映像全体からのものではないということです。これまでも著書にても引用文から同じ手口での改ざんをしていたことを「真の父母様宣布文サイト」で指摘をしていました。「独生子ではない」これもまた、どこからか引っ張り出してきたものをつぎ足したものとしか言いようがありません。同じことを繰り返される金ジョンソク教授は信ぴょう性に大きく欠ける人物ということです。Re:何度聞いても衝撃ー金ジョンソク氏の欺瞞以下に引用:アメーバブログ記事「Re:”韓総裁が独生女教を語る音声(2)”--またしても改ざんか!!」、そして、このブログでも「金鍾奭氏の「公開討論の呼び掛け」に対する応答は始まっている」、と金鍾奭氏のビデオからお母様み言だとして「(お父様は)独生子ではない」と2019.7.25、釜山教会で語られたということだが、彼はPeaceTV(家庭連合)はその部分を隠蔽しているといった嘘までついては、そのねつ造を誤魔化そうとしている。そのデタラメ情報をまた平然と語る「櫻井氏」、何が「ONE TRUTH」だというのか???(大ウソつき、だ)彼も金鍾奭氏のビデオ音声を借りながら、同じくお母様「独生女」批判をしていた。「お母様が「お父様は独生子ではない」と語る証拠」だなどと。果たして?彼の動画からは、映像編集の手法も紹介しては、PeaceTVがあたかもその部分だけを抜いたかのような錯覚を視聴者に起こさせていた。もしも実際にそうであるか、どうかだ?ところが、自称ルポライタイーtomy4509からは逆の話をすでにしてきた。つまりは、鍾奭氏のビデオ音声こそがねつ造されたものであるということを。以下は、彼が「家庭連合あるいは独生女教は独生女の説教をねつ造して食口に見せています」などと言いつつも彼のねつ造した音声を流していた。14:40ごろからの実際の映像はこちら(https://youtu.be/TrRM1mxAVCc?t=879)から確認することが出来る。お母様音声のところどころにスイッチを入れるような音も交じっているのが聞こえると思う。これはPeaceTVで流されたお母様の長い説教を上記の数行に編集していたことの証拠である。逆には金鍾奭氏、櫻井氏が主張するところのPeaceTVが「独り子ではない」を編集して削除したというのであれば、編集によって「独り子ではない」を入れることも可能だということだ。さて、ここからが結論。誰が「TRUTH(真実)」を語っているか。今回それを調べるためにだけに「WavePad FFT周波数解析ソフト」(無料ダウンロード)を導入して音の波形を検証してみた。PeaceTVの音声の波形:櫻井氏の言うように映像切り替えの時に何かの編集があったならば、音の波形にも何かしかの異音の波が加わるものだが、言葉と言葉の間の波形はきれいな一直線を画いていた。その一方で、鍾奭氏のビデオ音声の波形:矢印の部分に注目。その前後でわずかながら波形に変化が見られた。明らかな編集の痕跡を示すものだ。櫻井氏、誰が「ONE TRUTH」を語っているのか。金鍾奭氏の「公開討論の呼び掛け」に対する応答は始まっている。文書だけでなく音声、映像にまでねつ造ではもう勝負がついたも同然だ。このように、欺瞞に満ちた情報操作を繰り返すUCIグループ(FPA)に真理というものは、果たしてあるのか?櫻井氏もまた、まずは訂正・謝罪をすべきではないか。引用終わり公開質問状の第1番目は、「H3有志の会に問題あり」である。それどころか、前回記事「Re:コスモスさんの「家庭連合?新しい教義」は?」からは、H3、H4のお母様「独生女」否定そのものが黙示録の「小羊の婚宴」もされていない「お父様は再臨主ではない」と吹聴して回っているようなものである。お父様は「再臨主」。つまりは、洗礼ヨハネが再臨エリヤであったように、イエス様がお父様に再臨協助してその使命を全うされた、と考えればよいことだ。イエス様が再臨協助されることで、お父様も「独生子」の位置まで進むことが出来たし、さらには、1960年の真のお母様「独生女」を捜しての聖婚式が「小羊の婚宴」であり、黙示録の預言が成就することをもってお父様「再臨主」としての証しも立った。「独生子」×「独生女」=「真の父母」(小羊の婚宴)であった。支流人らのお母様「独生女」否定はこれに反するものであり、むしろ、このことこそが「お父様は再臨主ではない」と明言しておられるかのようだ。その先頭に立っているのがH3、H4であり、彼ら自らがお父様・再臨主をも否定した中で「真の家庭」だと名乗る資格を喪失してしまっているのが現実である。それに付き従う支流人の方々は何処に向かているというのだろうか?「真の家庭」を名乗るH3、H4の先にお父様(真の父母様)がおられるかどうかは自明である。原理講論にはまた、多くの教訓も盛り込まれている。因習に囚われることなく、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に」だ。逆には、家庭連合からの公開質問状「お母様「独生女」否定に対しては?」があれば、H3有志の会はどう応えられるのか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2019.12.21
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.01.04
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パクボウヒ聖和1周年追悼礼拝(1月11日)http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=peacepeace2018&logNo=221768302783一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ ▲当時、北朝鮮の新聞
2020.01.13
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[生中継案内]天地人真の父母聖誕100周年および天宙聖婚60周年記念 文鮮明天地人真の父母 天宙聖和8周年 天寶大祝祭 文鮮明天地人真の父母 天宙聖和8周年記念式天地人真の父母聖誕100周年および天宙聖婚60周年記念文鮮明 天地人真の父母天宙聖和8周年 天寶大祝祭文鮮明天地人真の父母 天宙聖和8周年記念式日時:天一国8年 天暦7月17日 (2020. 9. 4) 午前10:00場所 : 孝情天苑、各圏域大陸生中継:韓国語、日本語、英語、スペイン語、フランス語、中国語、ポルトガル語、タイ語◆行事開始時刻30分前から放送を開始します。<生中継視聴方法>(1) パソコンで視聴PeaceTV (http://www.ipeacetv.com/)にアクセス、希望の言語を選択し、動画を再生します。(※グーグルクロームでのインターネット接続をお勧めします。)(2)モバイル機器で視聴1) “PeaceTV”を検索し、PeaceTVアプリをインストールします。(アンドロイド : Play Store / iOS : App Store)2) アプリを実行し、希望の言語を選択し、動画を再生します。(Wi-Fiの使用をお勧めします。)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.08.31
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天地人真の父母聖誕100周年・天宙聖婚60周年記念天寶大祝祭および2020特別祝福式※ 日時 : 天一国8年 天暦8月24日(2020.10.10) 午前9時30分※ 場所 : 孝情天苑 清心平和ワールドセンター今回の「天寶大祝祭および2020特別祝福式」はPeacLinkホームぺージ(https://www.peacelink.live/ja/)から視聴できます。不確かな情報ですが、以下です。詳細はホームページ、教会等でご確認ください。天寳大祝祭 AM10:00~2020特別祝福式 PM2:00~一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2020.10.08
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韓国超有名作家キム・ホギョン氏の統一教教祖(文鮮明総裁)に対する証言https://www.youtube.com/watch?v=r7uYWqp7L882023/06/14改めてリンクを下記に入れておきますので、関心のある方はお読みください。<新刊掘出し閲覧>文鮮明評伝ーー人類を愛した平和の聖者[Book] 文鮮明評伝―― 人類を愛した平和の聖者https://search.shopping.naver.com/book/catalog/32503845625<本の紹介>文鮮明、彼は誰なのか?時代の異端児であるかそれとも人類を愛した平和の聖者か?極と極の称賛と非難を一身に受ける世界人物、文鮮明、果たして人間としての彼の人生はどうだったの?- 最初に出版された文鮮明一代記 統一教会(世界平和統一家庭連合)教主文鮮明が2012年9月に聖和(他界)してから満3年が経った。生前の文鮮明の評価は両極端だった。これは韓国だけではなく、統一教が旺盛な活動をしている日本、米国、欧州、南米でも同じだ。文鮮明は1970年以降、日本の入国禁止令が下され、ヨーロッパの多くの国でも入国が禁止された。なぜ少なくない国で文鮮明の入国を禁止したか。 彼は生涯6回刑務所に収監されており、彼の言葉と言動はいつもマスコミの追跡対象となった。 6回の監獄生活にもかかわらず、彼はどのように企業、教育、芸術で驚異的な業績を遂げ、数多くの議論と非難にもかかわらず、光復後、韓国の新興宗教として初めて統一教を世界宗教に育てたのだろう? 文鮮明、その名前だけで - 彼の言葉のように - 世界はワイワイうるさくなる。なぜ、何が、どのような理由で、彼は常に議論の真ん中であったか彼のいくつかの言葉が彼をいんちき階層的に追い詰めて行き、彼のいくつかの教義が、キリスト教からの攻撃を受け、どのような行動が、1970年代以降、韓国と世界を騒がせたか。彼の名前を言う自体がなぜ冒涜とまで考えられているか統一教会に接したという理由だけで指弾を受ける理由は何ですか? この本は、1920年1月6日文鮮明の誕生から2012年9月3日に聖和(死去)するまで92年の間、彼が行なったすべてのもの、彼が主張していた教義、彼がしたスピーチ、彼が成し遂げた成果、彼が訪れたところ、彼は作った機関や団体、組織などを網羅して、取材して、探検し、綿密に分析した最初の本である。主観的立場と教義を徹底的に排撃しながら客観的資料で彼の行なったスピーチ、行動に基づいて、果たして文鮮明は、韓国と世界にどのような影響を及ぼしたかを綿密に探検した。<続きはリンク先にて>
2023.11.12
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2024年2月8日、第965回天心苑特別徹夜精誠での「天心苑」についての李基誠苑長のメッセージ2024/02/102024年2月8日、第965回天心苑特別徹夜精誠で披露された「天心苑」について李基誠苑長が説明されました。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.11
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[生中継案内] 天地人真の父母様主管 神TOPGUN第1期出征式PeaceTV (ipeacetv.com)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.02.20
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[生中継案内] 天地人真の父母様天宙聖婚64周年記念行事一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.04.16
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True Mother’s in Message in Europe2024/05/19Great Pentecost RevivalWorship Service with True Mother in Europe Live Message May 19, 2024, 5PMMunich, Germany2024.5.19 ドイツ ミュンヘン ペンテコステ礼拝にて。地元の青年メンバーが孝進님の汽笛をバンド演奏しました。信出님がヴォーカルをされてます。2024.5.19 ドイツ ミュンヘン ペンテコステ礼拝にて。礼拝の最後の全体賛美です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.20
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一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.24
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イエス・キリスト❤️霊界で会った人たち🍇 2024/05/22#統一教会#文鮮明#韓鶴子#家庭連合#イエス#李相軒#霊界一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2024.05.24
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「真の“私”をさがして」(01.10.21 世界平和超宗教超国家連合ほか共催「アセンブリ2001」閉幕晩餐会 ヒルトンホテル、ニューヨーク) 尊敬する内外貴賓、そして紳士淑女の皆様。 この意義深い会議が早くも幕を下ろすようになったと思うと、名残惜しい気持ちを禁じ得ません。しかし、今は時間がありません。私たちすべては今こそ、神が私たちに与えた使命を胸中に刻んで、第一線に出なければなりません。私たちが躊躇し、ためらえば、人類はますます抜け出せない苦境に処するようになります。世界を一度、見渡してください。皆様のほかに誰が、本当に、今日の人類が処したこの危機を懸念し、また、解決できると思いますか? もう明日になれば旅立つ皆様に、私は今晩、形式的な別れのあいさつをするよりは、皆様を兄弟のように信じて、深い心情を交わすことができると信じる心から、天がこの時代に私を通して人類に与えようとされる真理の一端を伝えようと思います。 「真の“私”をさがして」という題目のお話になります。 皆様、神様の創造理想を完成するとは、果たして、どういうことだと思いますか? 皆さま個人を中心として、神様の真の愛と、真の生命と、真の血統の因縁を結んで真の種になり、その種が真の家庭になり、家庭の種は宗族の種になり、宗族の種は民族の種になり、民族の種が国家の種、世界の種になることです。 しかし、人間始祖の堕落によって人類は神様の真の愛、真の生命、真の血統とは何ら関係がない、サタンの偽りの愛、偽りの生命、偽りの血統の子孫となり、偽りの種に転落してしまいました。これが人類の悲劇であり、いまだに私たちが解決すべき最も大きな課題であるのです。 それで神様は救いの摂理を展開しながら、蘇生時代の旧約時代は万物を通して人間を覚醒させ、新約時代には直系の子女を通して、そして成約時代には父母を通して覚醒させてきたのです。 それでは、何を覚醒させてきたのでしょうか? 私たちは果たして、どんな根拠で“私”だと主張し得る資格者となったのでしょうか? 聞きたくない話かもしれませんが、人類は今日まで、堕落した子孫として真の“私”の価値と位置をさがし得ませんでした。神様は人間を創造され、ともに“ウリ(私たち)”という言葉で真の家庭を立てて、その家庭を拡大発展させて、ご自身の創造理想である平和世界をこの地上に実現しようとされたのです。しかし、人間が堕落によって真の“私”の位置をさがし得なかったために、神様も“私たち”という言葉を使ってみることができなかったのです。 そうだとすれば、人間は、“私”という主張をどこから行いましたか? 仕方なく、堕落した世界の、米国ならば米国の国民として教育を受けた自己の歴史的な伝統だとか、国家的な伝統を中心として、“私”という意識を持つようになったのです。創造理想的な意識圏内に立つことができる、神様自身が“私のもの”、“私の子”だと言える、そんな関係を結び得なかったのです。したがって、私たちが持っている“私”という概念は、神様の本来の創造理想とは、何ら関係がないものなので、私たちは自らを完全否定すべきなのです。 私たちはまず、個人として完全な“私”の位置をさがさなければなりません。ところが、それは自分をゼロにして完全否定するしかありません。その位置であってこそ、心と体の完全統一をなし得るためです。考えてみてください。天と地が公認し得る完全な“私”をさがし立てて、完全な家庭をつくり、その上に完全な国家、世界をつくる前に、どうして神様が、不完全な輩である私たちをご自身の真の愛、真の生命、真の血統圏に立てて、“私たち”だと呼ぶことができるでしょうか? 神様はご自身が安心して“私たち”に含めて呼ぶことができる真の男と真の女、すなわち、ご自身の真の息子と娘をさがして、復帰摂理を行ってこられたのです。したがって、私たちすべては、私たちが神様の前で果たして“私”を主張できるかどうかを、反問してみるべきです。いや、それより先に、私立ちの心と体が完全にひとつに統一されていると、自信を持って叫ぶことができるかと自問してみるべきです。そこに対して確実に答えられないとすれば、私たちはいまだに行くべき道が遠いということを自認するほかないのです。 神様は愛の主体であり、生命の主体であり、血統の主体なので、永遠に不可分な一体的基準に立っている、そんな真の息子・娘をさがしてこられたのです。すなわち、神様の真の愛を中心として心と体が一つになった、神様の生命と血統に連結した絶対信仰、絶対愛、絶対服従の結果として結ばれた、そんな子供たちを待ってこられたのです。なぜなら、真の愛は自己からは探すことができないものだからです。真の愛は必ず相対とともに実現するようになっています。全知全能の神様も、ご自身だけでは真の愛の理想を実現できないのです。これこそ、神様が人間をご自身の子女であり、愛の対象として創造された理由なのです。 私たちはまず、心と体の統一によって個人完成をなしとげ、その土台の上に神様と父子間の縦的関係を樹立しなければなりません。しかし、縦的な関係だけでは“私たち”という言葉が成立しません。そこには必ず横的な関係がともに調和しなければならないのです。したがって、男と女が真の祝福結婚を通して真の夫婦関係を結び、子女を生んで真の家庭を立てて、3代を中心として四位基台をなしとげてこそ、初めて天は家庭単位で“私たち”と呼ぶことができるようになるのです。 それでは、私たちはどうすればそんな位置まで進むことができますか? 神様が万物を創造されたその位置をさがしていけばいいのです。神様はどんな状態で創造されたと思いますか? 絶対愛と絶対信仰を中心とした絶対投入でした。そこには自身の利益や事情を考える余裕はあり得ませんでした。完全に100パーセント与えても、また与える、為にいきる愛の始原がまさしくここにあったのです。 私たちの家庭でも同じです。神様の立場にいる父母は真の愛を中心として完全投入、絶対投入して、正分合の論理でみれば「正」の立場で子女を生んで養育し、縦的な“私たち”の軸を立てるべきなのです。そして横的には、夫婦が「分」の立場で真の愛を中心として完全一体になって横的な軸を立てるようになれば、子女たちは「合」の立場で自動的に縦横の軸に合わせて一つになりながら、兄弟間には前後関係のもうひとつの軸が立てられるようになり、その時に初めて縦横と前後で完全な“私たち”の概念が実体的に展開されるのです。 これがすなわち家庭圏内での四位基台の完成であり、3対象目的の完成になるのです。このように、家庭圏内での正分合の完全実体展開は、3代を中心として血統が一列に連結されなければ不可能なことです。それで家庭が重要なのです。家庭こそ、天が私たちに与えた最も尊い贈り物に他ならないのです。家庭という環境がなければ、どうして私たちがこのような絶対的基準の“私”をさがし、縦横と前後に完全な“私たち”を敢えて考えてみることができるでしょうか? 家庭こそ愛と平和と幸福の揺籃なのです。 皆様、私たちは世俗的な名誉、知識、権力、財力に恋恋としたり、また、それらに引きずり回される愚を犯してはならないのです。この世にいくら優れて有名な者がいたとしても、彼が、心と体が完全にひとつになった位置で“私”をさがし出せず、天と縦的に連結されていなければ、何の役に立ちますか? 天が彼を胸に抱いて“私たち”だと呼んでくれなければ、神様の創造理想である平和世界の実現と何の関係がありますか? 皆様は真の“私”をどこでさがしますか? 為に生きる真の愛を実践する生活でこそ可能です。自分を完全にゼロにして否定し、家庭のために、国家のために、世界人類のために、そして神様のために生きるようになれば、真の“私”は自動的に捜し出されるのです。これがまさしく復帰摂理、救援摂理の道を歩んでいる人間の避けられない運命の道なのです。 私たちは自分を推し立てて“私”をむやみに語ってはならないのです。長い歴史の裏通りで、真の“私”を語り得る子供を捜して、恨(ハン)にまみれた復帰摂理を行ってこられた神様の心情を少しでも知ったなら、むやみに“私”を主張できないのです。私たちは寝ても覚めても理想家庭完成のために生きるべきなのです。神様の創造本然の世界である平和世界、神様が千年、万年、待ってこられた理想家庭だけ立てれば、そこが他ならぬ地上天国の出発地になるのです。そこで、かわいそうな神様の恨を解くことができるようになるのです。 皆様、太陽を見ても恥ずかしくなく、海を見てもやましくなく、万物の前でも一点も隠すことがない真の“私”をさがして、神様が“私たち”と呼んでくれる家庭を立てましょう。 もう一度、今大会のために忙しい日程を後にして、このように最後まで一緒にいてくださった世界の指導者の皆様に、心から感謝申し上げます。お帰りになられたら、皆様は今回、ここで学び悟った真理を広く知らしめてください。天の任命状を受けて、平和世界実現のための平和大使としての自負心をもって、第一線に出てくださるようお願いいたします。 ありがとうございます。さようなら。
2024.05.29
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「バカか?!」というには失礼に当たる方ーー能登家庭教会 郭 炳憲教会長へ分派だけでなく、今もどこかで私のブログもチェックされておられることと思います。さて、19日の日曜礼拝では信徒の生命を預かる牧会者として、やってはならないことをされました。それが「正しいこと、間違っていること」についてです。統一原理・文鮮明総裁はメシヤ、これは「正しい」と前置きしての「独生女批判」の説教でした。私はその公の場で「間違っていることは間違っている」と、ハッキリと申し上げました。ところが、周りの方々はその状況がよくつかめていない様子で、私が悪者扱いにされたままとなっています。 「独生女考(23)ーー「お母様は原罪なし お父様は原罪あり」はお二人だけの「秘密」」でも述べた如く、分派の方々をはじめとする「独生女批判」は、統一原理と矛盾しており、また、文鮮明総裁が「独生女」についても語られていましたが、「無原罪」だとまで話されていました。統一原理の素晴らしいところは、「堕落論」でもなければ、「人間に責任分担がある」ということを発表されたことでもありません。まさにそのみ言の核心は、再臨主もまた地上降臨される、しかも、無原罪の「真の父母」として来られる「成約のみ言」です。ところが、日曜礼拝で教会長は、原理・真のお父様は「正しいこと」としながらも、独生女批判でもって統一原理・真のお父様のみ言・独生女は「間違っている」と言われたも同然のことでした。その二日後の21日付での「声明文」です。もしも、それが単に「組織批判」を理由としたものであれば、個人それぞれの考えということもあるでしょう。しかし、それが統一原理、教義に関するものともなればサンデー食口の私であってもそれを見過ごすわけにはいきません。「正しいことを間違っている」と言われたのは「み言の認識不足によるもの」であったとすれば、教会長の良心において正していく道もあるでしょう。それでもなお、教会長の信じる方向を変えようとされないのであれば、「統一原理」を信じることが出来ない文鮮明総裁のみ言「独生女」は信じることが出来ないの第二声明文を出してくださるようお願いします。教会長(元リージョンリーダー)として郭教会長ファンも全国に少なからずいることを知っています。「独生女批判」は明らかに教義を否定するものであり、それを知らずに間違って教会長に付き従う方がいないとも限りません。第二声明文を出されることで、それも整理されていきます。また、能登家庭教会でも離任式を準備されているとのことですが、その場でも「正しいこと、間違っていること」、教会長の「独生女批判」立場を明示していただければ幸いです。ところで、郭教会長の大学でのお母様をお迎えしての大会、(外的)勝利の自慢話を何度か礼拝で聞きましたが、今となってはその時に個人的(内的)にはお母様と一体となることが出来なかった落伍(落語)話でしかなくなりました。お母様の胎を中心としてアベル・カインが一つとなり、お父様の種(み言)を受けて重生していく大会ではなかったでしょうか? お母様を(無原罪の)娘の立場から夫婦、父母、そして、国家的「母」の立場から世界的「母」へ成長させる責任を負ってこられた真のお父様の摂理的背景があったと思います。そして、女性連合時代の到来でした。また別の話をします。郭教会長は「二世教育」にも関心をもって教会運営をされておられたようですが、その二世に対して「親の言うことを聞くな!」との教育もされておられたようです。それによって、迷惑を受けた家庭も記憶にとどめておいてください。三男さんにしても然りです。「真の父母様宣布文」 から 「まず、全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。」この真の父母様の「伝統」を足で蹴っていかれた方です。それと同じ教育を、郭教会長も二世にされておられたということですか?私からはこれ以上話すことはありません。また、話したくもありません。郭教会長の「良心」に従って行動されることを祈る(私の場合は「オイネリ」ですが)ばかりです。2017-02-25 真夜中by 能登家庭教会・サンデー食口より追伸:一年程前ですか、天聖経の伝授式がありました。普通ですと伝授だけで終わっていたのですが、私たちの家庭だけは特別に「写真を撮る」といっては記念写真を撮ってくださいました。「火の粉を払え」の一件もあり、「教会を離れないように」といっては「その証拠写真だ!」の1枚でした。過去から現在まで伝授式でのフォトは、私たち家庭の1枚だけではないでしょうか。証拠写真が残っています。これを決して忘れないでください。
2017.02.25
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第一次 三時代大転換 四位基台 入籍統一祝福式2000年 9月26日、大韓民国 天宙清平修錬苑【関連記事】郭錠煥教--「子女様方の垣根」となって真の父母様への天道をも塞ぐ?! | peaceのブログ (ameblo.jp)天国(天一国)入籍を準備してこられた真の父母様-->天寳入籍家庭 | peaceのブログ (ameblo.jp)真の父母様のみ言--血筋ではない者は天国において代身者とか相続者にさせることができません | peaceのブログ (ameblo.jp)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2022.09.25
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