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2018.05.12
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カテゴリ: 独生女考
前回の『 キリスト教の正統信仰は「独生女」待望の歴史?!  』の続き。



前回の最後はお父様の最初のみ言「独生女」について、ビデオ映像(金振法院長)と父母様宣布文サイトでも紹介されていたものを取り上げた。
私のブログ記事でも以下で取り上げていた。

​さて、最も最初であるお父様の「独生女」発言は、数百巻ある『御言葉選集』の第7巻にそれを発見することが出来た。​

​​​​​「神様の 独り子イエス様が この地の上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために 独り娘も送られたでしょう。 神様の 2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です 」​​​​​​
このようにお父様は、キリスト教2000年の歴史は新婦(独生女)を求めるための歴史だったと語られていた。また、原理講論のP.315~P.321からも

​​​​​​アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理において、「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、正にアブラハムであった。……
 ​​ノアがサタンに奪われた第二の条件は、信仰の祖の立場と、アベルの身代わりであったハムの立場であった。ゆえに、アブラハムは信仰の祖とハムの立場を蕩減復帰しなければ、ノアの立場に立つことができなかったのである。したがって、アブラハムがノアの代わりに信仰の祖の立場に立つためには、ノアが信仰と忠誠を尽くして、箱舟をつくったのと同様に、アブラハムも、信仰と忠誠を尽くして、「象徴献祭」をささげなければならなかった。また、神が一番愛するアベルの身代わりであったハム(彼らはみな次子として「実体献祭」の中心であった)を、サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである(ヨシュア二四・2、3)。 ​​​

(2) 信仰基台を復帰するための条件物
  ① アブラハムの象徴献祭
 神は、アブラハムに鳩と羊と雌牛とを供え物としてささげるように命ぜられたが、これらは、とりもなおさず、アブラハムが「信仰基台」を復帰するための条件物であったのである(創一五・9)。あたかもノアが「象徴献祭」として、箱舟をつくってささげようとしたとき、その献祭のための信仰を立てたように、アブラハムも、この「象徴献祭」をするためには、そのための信仰を立てなければならなかった。
……
それでは、アブラハムが象徴献祭としてささげた鳩と羊と雌牛とは、果たして何を象徴したのだろうか。この三つの象徴的な供え物は、三段階の成長過程を通じて完成する天宙を象徴するのである。すなわち、まずそのうち、鳩は蘇生を象徴したものである。……
 つぎに、羊は長成を象徴するのである。……
 つぎに、雌牛は完成を象徴するものである。 ​士師記一四章18節を見れば、サムソンがなぞの問題を出したとき、ペリシテびとたちは、サムソンの妻を誘ってサムソンをだまさせ、その内容を探りだすことによって、その問題を解いたことがあるが、そのとき、サムソンは、「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」と言った。このように、サムソンは、妻を雌牛に比喩したのである。イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。​​ 多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。​​​​​​
三色原理講論からもピンクではなく水色マーカー部分に書かれたもので見落としてしまいがちだが、再臨期における預言として極めて重要なことが書かれていた。
すなわち、アダム、ノア家庭と ​「サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである。」

​同様にして、第一アダム、第二アダム(イエス様)の失敗によって第三アダム(再臨主)においても、​ 「神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。」 ​との蕩減復帰の原則もあり、ということになる。ここからも「お父様は堕落圏から」といったとしても、原理と矛盾する何物も発見することは出来ない。

さらには、カトリックでは神父といえども「新婦」ともいわれているが、イエスの再臨期に女性はもちろんのこと、 「新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。」

2000年前、イスラエル民族が待ち望んでいたのは救世主・メシヤであったことはいうまでもないことだが、それ以上にはマラキ書の予言にある「エリヤの再臨」であった。イエス様はその「エリヤは洗礼ヨハネだ」と語ったのだが、当時の律法学者らはそれを受け入れることが出来なかった。
こんにちのキリスト教もイエス様の再臨を切に待ち望んきた。律法学者らがそうであったように、クリスチャンたちも日々空を仰いでいたのだ。
「また来る」と約束されたイエス様再臨の目的はハッキリしていた。「子羊の婚宴」を為さるために。
イエス様をメシヤと信じたなら、エリヤ・洗礼ヨハネも信じただろうに。

分派の方々は、お父様を再臨主と信じておられるのだろうか?
もしもそうであれば、お父様の語るところの「独生女」をも信じることができるだろう。

キリスト教の正統信仰は「独生女」待望の歴史?!  であった。



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Last updated  2018.05.12 15:26:30
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