奇   知   外   記

奇  知  外  記

PR

Free Space

にほんブログ村ランキング参加中
↓ 応援クリックお願いします ↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村
にほんブログ村 哲学・思想ブログへ
にほんブログ村

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

2024.09.21
XML
カテゴリ: 宗教/天地創造
神の民から離れた孤独な兵士は何を思ったか/詩編42




2024/09/21
🟦X(旧ツイッター) ​ https://x.com/tatsuhiro_iwamo?s=21&t=...
🟦『聖書』新共同訳、日本聖書協会、1992年。

聖書アプリ入手はこちらから:
https://www.bible.com/ja/app

🟦トーランス『キリストの仲保』芳賀力、岩本龍弘訳、2011年。p.175。

視聴者の皆さんからのコメントに励まされております。

チャンネル登録をお願いします。

映像の11分過ぎごろ(​ こちら )からは、家庭連合のことに関しての話もされていましたので、
関心のある方は耳を傾けてください。



映像とは別に、ここ2・3日私が気にかけていたキーワードが「顔」でしたが、


▲聖書は「口語訳」。

詩編42章の冒頭からも「神のみ顔を」が目に入ってきました。

正しいことをしているならば、
「神の顔」を見ることが出来るだろうという聖句もあります。

また、別の聖句からは

コリント人への第一の手紙/ 13章 08節
​​ 愛はいつまでも絶えることがない。しかし、預言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。なぜなら、わたしたちの知るところは一部分であり、預言するところも一部分にすぎない。 ​全きものが来る時には、​ 部分的なものはすたれる。わたしたちが幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなとなった今は、幼な子らしいことを捨ててしまった。わたしたちは、今は、鏡に映して見るようにおぼろげに見ている。しかし ​その時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。​ わたしの知るところは、今は一部分にすぎない。しかしその時には、わたしが完全に知られているように、完全に知るであろう。 このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。​​

「全きものが来る時には、」「その時には、顔と顔とを合わせて、見るであろう。」 は、
こんにちの大きな希望となっている事実です。




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
にほんブログ村 ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓​

にほんブログ村 にほんブログ村へ にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2024.09.21 20:52:36
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: