大東亜戦争は聖戦ではない

大東亜戦争は聖戦ではない

板垣正議員




○板垣正君 これ以上論議は続けません。次に、これもまた順序を変えまして教科書の問題、教育の問題をまずお伺いいたしたい。その前に、基本的な点について文部大臣の御見解を確認いたしたい。いわゆる教科書検定の責任の所在ということであります。これは改めて申し上げるまでもありません。教科書は生徒に使用が強制される、これが学校教育法第二十一条の規定にもあるとおりであります。したがって、教科書の内容が教育基本法及び学校教育法に定める教育の目的に沿っているか否かを判定する検定が必要になるわけであります。したがいまして、検定の責任は当然文部大臣が負うべきものである。教科書検定調査審議会がございます。しかし、これは文部省の附属機関であって、文部大臣の諮問に応じて調査、審議を行うが、ここが検定の決定を行う権限はありません。審議会の審議は文部省が行う検定事務の内部手続、つまり検定内容の国会及び国民に対する責任はあくまで文部大臣に帰する。この点、改めて御確認をいただきたい。

○国務大臣(小杉隆君) 検定の責任は文部大臣にあると考えております。

○板垣正君 そこで、検定に合格した教科書の記載内容については文部大臣がその責任を負わなけ
ればならない。これまた当然でございますね。

○国務大臣(小杉隆君) これもそのとおりであります。

○板垣正君 以上、確認をした上で、また後でただしますけれども、いわゆる従軍慰安婦の問題について本委員会においても私どもの同僚議員が活発な質疑を展開し、かついろんな事態が明らかになってきた。つまり、政府がいろいろ集めたいわゆる慰安婦関連の資料の中には慰安婦の強制連行を直接指示するものはなかったということ。それから、強制連行を認めた平成五年八月の決定、いわゆる河野官房長官談話、これはその直前に行われた韓国における元慰安婦十六人の聞き取り、これに基づいて全体的、総合的に判断をして強制連行ありというあの河野官房長官談話が出されましたと。外政審議室、そのとおりですね。

○政府委員(平林博君) 改めて正確に今まで御答弁申し上げたことを繰り返したいと思いますが、第一点は、先生今御指摘になられましたように、政府が発見した資料、公的な資料の中には軍や官憲による組織的な強制連行を直接示すような記述は見出せなかったと。
 第二点目は、その他のいろいろな調査、この中には、おっしゃったような韓国における元慰安婦からの証言の聴取もありますし、各種の証書集における記述もありますし、また日本の当時の関係者からの証言もございますが、そういうものをあわせまして総合的に判断した結果は一定の強制性が認められた、こういう心証に基づいて官房長官談話が作成されたとへこういうことでございます。

○板垣正君 いろいろ言われましたけれども、一番の問題点は、そもそもこのいわゆる慰安婦問題、これに火をつけたのは、吉田清治と称する全く無責任な男が、済州島で二百人も文字どおりの強制連行をやったという本を書いて、これがマスコミにも載る、韓国でも出されるという中で大きな問題になる。あるいは、人権運動家と称する人たちが韓国に乗り込んでいって、訴訟しなさい、訴訟費用は持ってあげますよというような形で始まったわけですね。つまり、あの厳しかった日韓基本条約を結んだときの論議のやりとりの中にもこの問題は出てきておりませんよ。いずれにしましても、そうしたことで初めて軍、政府がこれに関与をして、謝罪をいたしますと言って認めましたのが平成四年一月、宮澤内閣のときの官房長官、このときは加藤官房長官ですね。いろいろ調べた第一次の調査を発表されたのが平成四年七月六日。このときの加藤官房長官は、強制連行を裏づける資料はなかった、広い意味における関与はありましたが、強制連行はありませんと。裏づける資料はなかった。ところが、その一年後、これが問題の平成五年八月四日、河野官房長官談話によって強制連行を事実上認めると。なぜ変わったかという点ですよ。ここがポイントなんですね。この決め手になったのが、これをめぐって最近本院における小山議員、片山議員等の論議、やりとりもございましたし、また産経新聞の石原元官房副長官とのやりとり、あるいは櫻井よしこさんがこれまたインタビュー記事で綿密にこの問題点を言うなれば追跡して明らかになってくる。つまり、慰安婦の強制連行を証明する客観的な資料はない。あるいは平成五年七月に行われた元慰安婦十六人への聞き取り調査、その裏づけ資料もない。にもかかわらず、なぜ強制連行が認められたか。これについて、当時の資料によりますと、つまりは強制連行を日本側が認めてくれれば元慰安婦たちの名誉は回復されるんだと。当時の韓国駐在日本大使も、元慰安婦の名誉回復のため、強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件だと。さらには、石原さんが産経のインタビューに答えて、外政審議室には連日、慰安婦訴訟の原告団や支援団体のメンバーが詰めかけ、関与を認めただけでは決着しないと自分も思った、韓国側も納得しなかったと。つまり、十六人の聞き取り調査を取っかかりにして、その証言だけで結論に持っていったことへの議論があることは知っておるし、その批判は覚悟し決断をしたのだから弁解しないと、こう石原前副長官が言っておると。つまりは、名誉を守るために、ここで、相手の名誉を守ると言われるその要求に対して、それを認めるならばこれがおさまるだろう、何とかこの問題はおさまるだろうと。これがいろいろ経緯があってこの発言となった。平林室長、そういうことじゃないですか。

○政府委員(平林博君) ただいま先生の引用なさったインタビューというんでしょうか御発言については、政府としては御本人に正確に確認しているところではないのでございますが、当時韓国側に対しまして、その後の韓国側の反応がポジティブな、積極的なものである方がいいという配慮のもとに事前に当方の意図するところを通報したということは直前にあったと聞いておりますが、韓国側と協議をする性格のものではもとよりございませんし、また韓国側の反応によって基本的な事実関係をゆがめたり政府としての見解の根本を変える、そういうことはなかったというふうに考えております。一言で申し上げれば、韓国側と協議をしたり交渉したりといったぐいの性格のものではなく、事前に通報してできるだけポジティブな反応が出るようにという働きかけをやったものというふうに伺っております。

○板垣正君 大分苦しい答弁だと思うんです。これは一つの資料でございますが、八月四日、河野さんが強制連行を事実上認める談話を出した次の日の朝日新聞の記事です。朝日ですよ。朝日新聞の記事すら、「苦心の末「強制」盛る政府の慰安婦調査「総じて」、」、つまり総じて強制があったと。「窮余の3文字」。こういうまことに苦しい中で、端的に言うなら、謝れば済むだろう、こういうことじゃないですか。しかし、それで済んだのでしょうか。済んだどころか、むしろそれから騒ぎがひとり歩きする。大騒ぎがさらにさらに深刻になる。しかも、河野談話によって国際的にも日本が慰安婦の強制連行を認めたものと認識され、全世界にそれが報道される。あるいは、あの国連のクマラスワミ報告というふうな極めてゆがんだ形において国連の人権委員会でも取り上げられる。さらには、教科書問題の教科書に掲載される最大の根拠にされておる。こういう流れについて、現在の官房長官である梶山官房長官はどういう御見解をお持ちになりますか。

○国務大臣(梶山静六君) 詳細にその当時の記録を私もたどったわけではございませんし、資料に基づいて判断をしなければならない問題でありますが、外政審議室長が申し上げたとおりだといたしますと、大変いろんな思いで複雑な感情が去来をいたします。

○板垣正君 極めて重大なポイントを握っているのはやはり特定の人であります。談話を出した人もいます。実質的にまとめた元官房副長官石原さんをこの問題の参考人として当委員会にぜひ呼んでいただきたい。

○委員長(大河原太一郎君) ただいまの板垣君の要望につきましては、後刻、理事会において協議をいたします。

○板垣正君 それでは、文部大臣の方に。そうした経緯を経て教科書に載っかったわけですね。裏づけ調査のされていない資料しか根拠のないものが教科書に載せられた。先般、文部大臣は、学術的根拠が必要であって、そうした裏づけのないものは教科書には載せない、いわゆる定説になっていないというものは教科書に載せていないはずでありますと。この問題について、文部大臣としてどうお考えになりますか。

○国務大臣(小杉隆君) 歴史教科書の検定につきましては、再々申し上げておりますように、検定の時点における客観的、学問的な成果や、適切な資料に基づいてその記述が適切であるかどうかということで検定を行うものでありますが、平成五
年八月の政府調査を適切な資料として採用し、検定を行ったところであります。

○板垣正君 文部大臣の答弁は、つまりは何の内容もない、そう言わざるを得ませんね。
 これが新しい歴史教科書です。(資料を示す)これが一番たくさん使われておる、買われておる。東京書籍の歴史教科書であります。この間の小山質問でも明らかにされたとおり、中学校の新しい歴史教科書は全部で百五十万冊、そのうちこれが約六十万部、四割を超えるほど、言うなれば一番採用率が高い。四億余の国費が投ぜられるわけでありますが、この二百六十三ページには「従軍慰安婦として強制的に戦場に送りだされた若い女性も多数いた。」と、この官房長官の談話を第一の裏づけとして取り上げられておる。
 さてそこで、文部大臣、さらに伺いますが、戦前、戦争中、従軍慰安婦というものが存在したのか。法的な裏づけがあるのか、あるいは社会的な裏づけがあるのか、その点どうお考えですか。

○国務大臣(小杉隆君) 従軍慰安婦という言葉自体については法令上定義があるものではありません。
 しかし、この問題については、政府の調査を初め種々の調査あるいは歴史家による研究等が行われておりまして、その結果、従軍慰安婦という用語は歴史辞典等にも広く収録されておりまして、一般的に流布されているというふうに考えております。

○板垣正君 従軍という言葉がまた大変問題ですね。従軍記者、従軍看護婦、従軍僧侶、こうしたものは明らかに法令上の根拠を有し、また社会的呼称としても用いられている。これと全く、従軍という、言うなれば公的な国なり軍なりとのつながりを示す呼称がない。
 この問題については、国学院大学の大原教授がいろいろな資料を網羅してこの従軍の使用、従軍看護婦、従軍神職、その他従軍記者、これらはいずれも当時から法的な裏づけがあり、かつ特別な責任を持たされる、こういう形で国との公的なつながりの中で用いられてきた。しかし、従軍慰安婦という言葉は当時もちろんなかった。使われておらない。従軍というのは軍と公的な関係を持つ人に冠せられる言葉であって、軍属でもなく法的な根拠もないこういう慰安婦に従軍と冠することは極めて不適切で、誤りであり、事実ではない。こうしたものを教科書に載せて、文部大臣は認めておられるが、誤りではありませんか。

○国務大臣(小杉隆君) 従軍慰安婦という言葉は法令上定義はないところでありますが、先ほど申し上げたように、政府の調査を初めとするいろいろな各種調査、研究者の調査というものにあるわけでございまして、今御指摘のこの言葉につきましては、七冊の中学の教科書のうち三冊は確かに従軍慰安婦という言葉を使っております。こういう言葉遣いについては、各種教科書によって違いますけれども、政府の調査の結果を見ますと……

○板垣正君 結構です、後で聞きますから。

○国務大臣(小杉隆君) さっき報告があったとおりの結論でありますから、その結論が変わらない以上、私たちは客観的な事情の変更はないというふうに思っております。

○板垣正君 これは大変見識のない御答弁と言わざるを得ない。従軍という問題も、これが初めて使われたのは、昭和四十八年に千田という人が双葉社から「従軍慰安婦」という本を出して、これで売りまくって、こういう中からまさに俗語として従軍慰安婦という言葉がはやったんです。マスコミではやった言葉ですよ。それだけのものです。従軍という名のもとで実質苦労した人の立場から見ても、また事実上そうしたものはなかったことを子供たちが、少なくともこれは、六十万冊も出ているのには従軍慰安婦とちゃんと出ているではありませんか。誤りではありませんか。それを責任ある文部大臣はああだこうだ。それで済むとお考えなんでしょうか。さらに追加すれば、今も言われたし、辞書に載っているというようなこともおっしゃるわけですね。これも大原教授が綿密な調査を行っておられます。これは載っている辞書もある、載っていない辞書もある。例えば日本国語大辞典・小学館、大辞泉・小学館、新潮国語辞典・新潮社、これは載っておりません。最近載せたのが広辞苑・岩波、大辞林・三省堂、こういうのがこの問題が社会問題になってから載せたという事実があります。いずれにしましても、大臣が答弁されたように、また各辞典においても使われておるというふうなそんな定説的なところまで行っておらない。これが現実の姿じゃないですか。先日の答弁、訂正されるお気持ちはありませんか。

○国務大臣(小杉隆君) この問題の経緯については板垣委員よく御承知だと思いますが、平成三年十二月から国会等でもあるいはマスコミ等でも大変議論になったところであります。その後、政府として一年八カ月かけましていろいろ調査をした結果が先ほどのお話の政府調査の結末でございます。そういうものから今日に至って客観的な事情の変更がない。先日も官房長官からお答えしたとおり、この政府の調査がそのまま今もなお政府の見解ということでお答えいたしましたように、そういった事情の変更がない限り私どもは検定の修正を求めるということにはならないと思っております。

○板垣正君 これは文部大臣としてさっき冒頭に御確認いただいたように、検定内容、これは文部大臣の責任である。子供たちに誤った事実を指摘され、なおかつ責を他に転じてこれはそのままでいいんだと、そういう未来の子供たちにどうして責任をとれるんですか。これは単にこの問題だけではありません。過去の記述におきましてもいろいろ問題がある。もう時間の関係で一々あれいたしませんけれども、例えば安保条約の改定、これは大きな問題であります。これも国会においては三カ月半に及ぶ審議が行われた。最後は非常な混乱の姿もあったわけでありますけれども、そういう経緯というものを抜きにして、教科書にはどう書かれておりますか。自由民主党は十分な審議もしないまま衆議院で採決を強行した、政府と与党が国会で十分な審議を尽くさないまま条約承認の採決を強行したと、教育出版、大阪書籍、こういうのが検定を通っている、文部大臣の責任のもとで。これが歴史的な過去の事実と言えるのか。あるいはいわゆる三光作戦、これは最近唱えられてきた呼称であって、だれもその内容を詳しく知らない。これは国民党が共産党との戦いの中で千九百三十何年かに展開した戦術、作戦と言われておる。それが、一九四一年から日本軍は、華北の抗日運動などの根拠地に対し焼き尽くし、殺し尽くし、奪い尽くすという三光作戦を行ったと、教育出版ですね。歴史的な裏づけが何にもない。しかも、これが一九四一年と今ありました。一九四〇年ごろが日本書籍、一九四〇年ごろから、これは大阪書籍、あるいは一九四一年と翌年が清水書院。年代も場所も明らかではない、こういう全く根拠のない、裏づけのはっきりしておらない、それこそ定説になっておらない、こういうものが安易に教科書に載り、そのまま検定を通っておる。文部大臣が認めておる。こういう問題について我々は深刻に考えていかなければならないのではないのか。検定のあり方というものももちろんございます。しかし同時に、教科書の編集の段階から採択の問題におきましてももう一度これは検討しなければならない。文部大臣は、これにかかわる検定なり現在の教育教科書の採択のあり方等についてどういう見解をお持ちですか。

○国務大臣(小杉隆君) 教科書の検定については、再々申し上げておりますように、民間の執筆者並びに民間の教科書発行会社の判断にゆだねているわけでありまして、それを学識経験者から成る検定審議会で慎重に審議をして決める、こういうことになっております。私どもは、その時々の歴史的事象につきましては、その専門家のいろいろな通説とか学説とか学
問的な成果あるいは客観的な事実、こういうものを総合的に点検をいたしまして、よりよい記述になるように、そういう観点から検定を行っているところであります。

○板垣正君 検定の問題につきましては、これは武藤総務庁長官にお伺いしたい。
 ODAにかかわる教科書の記述がおかしいと、最近行政監察が初の指摘を行ったと一部に報道されておる。これは総務庁が十三日に行政監察の結果を発表された。中学、高校教科書のODAにかかわる記述、過去の事例に基づく一面的な記述、事実関係の誤り、記述内容の適正化を初めて指摘をした。これは文部省、外務省など関係省庁に勧告されたと、こういうことでございます。
 つまり、今るる申し上げてきた歴史的事実と裏づけされておらないことが勝手に載っかっておる。これはひとりこうした歴史的事象のみならず、このODAの問題におきましても、日本の企業が政府援助資金を利用してやっているんだ、民間主導でやっているんだという時代のずれたようなことが子供たちの教科書で教えられる。行政監察が初めてこれも指摘せざるを得なかったくらいひどい姿、これはぜひこれらの問題に限らず積極的に教科書問題、あらゆる分野にわたる監察をやってもらいたいと思いますが、いかがですか。

○国務大臣(武藤嘉文君) ODAについての問題は、私ども、ODAというものが国民からよく理解をされるようにと、こういう立場からODAに対しての教科書の記述が必ずしも事実と一致していないという点を判断して勧告をしたわけでございます。
 今お話のありました問題につきましても、私はどちらがどうとは申し上げませんけれども、いろいろと意見が相違をしているものが正直歴史認識においてあるようでございますから、そういう面において教科書の内容について文部行政が正しく行われているかどうか、あるいは歴史教育が正しく行われているかどうかという観点から教科書の記述がどうかと、こういう点について私どもは監察をすることはできると思っております。

○板垣正君 ぜひそれは積極的に取り上げていただきたい。また官房長官にお願いいたしたいんですが、この教科書の問題というのは、今お話がありました、あらゆる問題が取り上げられておる。限られた中での検定なり、いろいろな問題がある。これは、例えばPKOの問題なんかも、まるで海外派兵のいろんな論議があったというようなところが載っかって、いろんな形で自衛隊が苦労しながら国内でも国際でも評価されているような記載がほとんどない。こういうやり方を見ますと、官房長官、これは閣僚にも皆読んでもらって、積極的にやっぱり、若い子供たちに、次の世代にこのままでいいのかと、これは国にとっての大きな問題だと思いますが、その辺について官房長官の御見解を承りたい。

○国務大臣(梶山静六君) 私はこの問題に直接言及すべき立場にはございませんけれども、しかし歴史や教育というものは極めて大切な分野でございますから、閣僚懇談会を通じて議論を高めてまいりたいと、こう考えます。


○板垣正君 さっき河野発言、石原さんの発言等を通じて、韓国の人たちの名誉、それが回復されるなら強制連行を認めようと、結果的に。私もそうした方々の名誉、そうした方々の御苦労、そういった方々の不幸、これを決してないがしろにするものでもない、またそれを殊さらに批判しようというものでもない。しかし同時に、日本には日本のやはり名誉があります。日本人の名誉があります。特に、あの戦争に参加をして身命を賭して亡くなった方々、あるいはそれを送り出しともに戦った人たちの思い、そういう人たちが戦後どんな思いで、どんな生きざまでこの廃嘘の中から立ち上がり今日の国を築き上げてきたか。そういう人たちの名誉は一体どこへ行ってしまったんだ。国家というものはやっぱり基本的に国の尊厳を守る、名誉を守る、これが基本ではありませんか。余りにも戦後、みずからの国の名誉を傷つけられ、ひたすらに低頭することをもって相手の意を迎えるような姿勢というものが私はむしろ大変不幸な外交関係にもあったのではないのか。そういう意味合いにおきまして、じゃどういう生きざまをしてきたんだ、この生き残りの連中はという、これは一つの例であります。御紹介したいと思うんですが、これは私の陸士の同期生なんですね。下山敏郎さんというオリンパス会長です。これは山本卓眞さん、富士通の会長ですね。彼もこの下山さんも同期生。終戦のときは旧満州における特攻隊ですよ、特攻隊要員です。そして、旧ソ連軍侵入のときには、命を受けて特攻隊として突入をする、戦車軍団に突っ込む、こういう下令のもとに、しかも紙一重に終戦を迎えて生き長らえてきた。かつ、その思いが、これは彼ら山本さんとかこの近藤さん、下山さんだけではありません。不肖私もやはり戦闘機乗りの一人でしたよ。紙一重ですよ。そういう思いで、しかし一番思われるのは戦死をしていった人たち、身近な人たち、多くのすぐれた人たち。しかし、そのもとでこの国が築かれてきていることは間違いない、守られてきたことは。そういう下山さんが、これは三月九日の日経の、広告なのであれなんですけれども、アメリカのエズラ・ボーゲルさんとこれからの問題で大変おもしろい対談をしておりますけれども、つまり、戦後そうやって生き抜いてきた、そういう人たちがどんな思いでこの国を築き上げてきたか、そういう一つの例であり、かつ今の若い人たちをどういうふうに見ておるかという一つのサンプルといえばサンプルだと思うんですね。だから、下山君はこう言っていますよ。「経済にしても何にしても、精神力というか気概が必要だと思う。」「戦後、日本人は明治のころと同じように、坂の上の雲を見ながら一歩、一歩登ってきたと思う。いま日本に必要なのは、坂の上の雲を見て「よし、やらなきゃいかぬ」という気概です。進歩的文化人と呼ばれる人やジャーナリズム、マスコミの責任が大きいと思う。日本はだめだ、日本人は悪いことをしたのだ、ということだけを言っていたのでは、坂の上の雲を見て登れない。日本はそう悪い国ではない、誇りを持っていこう、とリーダーシップを発揮してもらいたい。」、省略しますけれども、一番最後にはやはり同様に独立心も教育によって身につく、その意味でも教育システムの改革は待ったなしの課題と認識しているということを言っております。今の日本の、いろいろな面で行き詰まるといいますか、しかし新しい世紀を目指して、橋本総理の言われる改革第一年、あらゆる面を次の世代のために思い切った見直しをしていこう、こういう中における教育の位置づけというものは極めて大きいと思う。このあたりで総理の教育の問題についての、国会でも再三、やはり若い人たちが歴史の事実を事実と認める、大きな歴史の流れを知る必要がある、同時に重い歴史はみずから担っていかなければいけない、御見解も述べておられますが、その点について聞かせていただきたい。

○国務大臣(橋本龍太郎君) 私は、先般来、我が国の教育、殊にその中での歴史教育というものが、この問題だけをめぐって延々と続いております事態を大変悲しい思いで聞いております。よく申し上げることですけれども、私どもが歴史の事実を書きかえてそれで真実を覆い隠すことができるものでもありませんし、その歴史の重みというものは常に背負っていくべきものでありましょう。そしてまた、その中の教訓を未来に生かしていく、当然のことながら私はそうしたものが歴史というものだと思います。問題は、子供たちにどの学年に我が国の歴史のどのぐらいの流れを教えるんだ、伝説の時代から現代に至るまでの歴史を流れというもので教えていくべき、そしてそこに事実をつけ加えていくべき、それぞれの年齢によって私はその教える中身に違いは出てくると思います。問題は、どこまで、
いつ、どんな形でということではないでしょうか。
 議員も多分御記憶だと思いますが、たしか昭和四十五年でありましたか六年でありましたか、グアム島に太平洋慰霊協会の手で日米両軍プラス現地の方々の慰霊碑がつくられました。しばらくたたないうちに落書きだらけになりました。ほとんど全部が日本の観光客による心ない仕打ちでありました。そして、グアムの戦域において収骨されました遺骨の代表的なもの、そして遺品が葬られておりました鉄の扉をあけてそれを持ち帰ったのも日本人でありました。そして、グアム政庁、当時はグアムは政庁でありましたけれども、その維持管理の責任は負えないということを日本政府に通告してきた事件があったことを御記憶でありましょう。当時、一体我々は歴史で子供たちにどこまで教えるか、随分真剣な議論が行われた時期、それからしばらく続きました。
 しかし、そのうちにいつの間にかその歴史の教育という話が切れましたところにいわゆる教科書問題というものが派生じ、そして今日慰安婦のという問題が起きております。私は、女性の尊厳、名誉を傷つけるこれ以上のものはないと思います。そしてそれを、慰安婦というものがあったことを消すことはできないと思います。それを形容詞がつくのか、いわゆるという言葉がつくのか、子供たちの教育の中にそれを取り込む必要があるのかないのか、むしろある程度みずからの専門分野を決めた上での一般教養に移すべきものなのか。そうした点で文部省も検定委員会も今まで十分お考えになってこられたと私は思います。
 しかし、こういう問題は、幾ら考えてもよりよいものがあるならば考え直すことを妨げるものではないと、私はそのように思います。

○板垣正君 私は、今までの幅広い論議を通じて、やはりもう一度文部省に、この教科書の問題について、このままでいいのか一権威ある調査会なり検討機関なりを設けて、国民の納得のいける再検討をしていただきたいと思うんですよ。このことについて後でお尋ねいたしますが、その前に、総理から今歴史とのかかわりのように関連するお話があったわけですね。本年一月ですか総理が東南アジアを回られた。インドネシアに行かれたときにあのジャカルタのカリバタの英雄墓地に参拝をされた。この英雄墓地には、インドネシア独立戦争で戦死をしたインドネシアの青年約二千名の中に、これはそこのジャカルタだけでありますが、十六名の旧日本軍人が独立戦争をともに戦い、英雄と言われる戦い、戦死を遂げてそこに祭られているわけですね。そこに橋本総理が参拝をされたということについて大変現地が歓迎して喜んでおると、こういうことなんですね。橋本首相は、これは中島慎三郎さん、金子智一さんというインドネシアに格別関係の深い方々、いつも現地に行っておられる方々の記録でありますけれども、橋本首相はカリバタの英雄墓地に献花してから記者団に、独立戦争に参加して戦死した日本軍の将兵はカリバタだけで十六名もいるんですと発言したが、これをテレビと新聞が報道したから大評判になった。欧米の記者は、カリバタに献花したから橋本首相の人気は物すごいものになった、インドネシア人がさすがに剣道の達人と称賛しているからうらやましい、我々も独立戦争に参加すべきだったと発言したが、橋本首相は献花したことによってインドネシアでは大変評判を得た。しかし、これはほとんど日本のマスコミは伝えないわけですね。歴史との触れ合いというときに、こうした場面というのを忠実に事実として、またできれば総理の気持ちも込めてあらわすのがやはり歴史との触れ合いではないでしょうか。言うならば、それが日本とインドネシアとの本当のつながりにも通ずるんじゃないでしょうか。それどころか逆に、昨年は、この日本の例の、韓国に行っても火をつける、あっちこっちで火をつける、そういう悪名高い人たちがインドネシアに行ってまたここで火をつけて、驚くなかれ二万名が登録をしたと。二万名の元慰安婦と称する人が登録したというのは、二百万円もらえるんです、四十年分のお金ですとこうなりますから。しかし、この問題について、インドネシア政府というのはさすがだと思うんです。政府の方針をぴしっと出しましたね。ぴしっと出して、この問題は日本との間の話はもうついておる。我々の方からこの問題について言ったことは一度もない。個人のそうした給付なり民間の運動というものは一切政府は関与しない、認めない。援助的な資金として来るものはいただきましょう。それで施設を、養護施設をつくりましようと。ただ、そうした個人の動きというものは、インドネシア国民の品性のために、品位のために、我々の名誉のために、そういうことについては我々は我々の道を選ぶ。こういうふうに、はっきりこの問題に言うなれば決着をつけると。そうすると、日本人の一部の人たちが、二万人も登録騒ぎを起こすような行き方において、その人たちがどんな信条でやっているかわかりませんけれども、インドネシアの人たちから見れば、イスラムの国ですから、そういう問題を大騒ぎするようなことは一番嫌がる、恥ずかしいことだと。そういう問題について、混乱を招くようなことについては、やはり民族性からいっても、みずからたちの誇り、品性にかかわることだと。私は、総理が黙って行って、黙ってそこに参拝を、献花されたという姿の方がよほど心の通じる外交ということにもつながるんじゃないか。池田外務大臣、せっかくおいでいただいておりまして、もうほかの問題に入れないので、その辺における外交姿勢といいますか、やはりもうこのあたりでそろそろ、近隣諸国を含めて、もっと健全な、お互い胸襟を開くし、かつお互いの立場を認め合うし、国家の尊厳というものをお互い大事にする、名誉は大事にする、こういう方に方向を変えていくべきなんじゃないかと思いますが、その辺の外交の基本姿勢について承りたい。

○国務大臣(池田行彦君) 私ども、近隣諸国はもとより世界の各国との友好関係を維持し、そうしてその上に立ってこの国の将来、そうしてまた世界の将来を築いてまいらなくちゃいけない、こう考えております。そういった場合、当然のこととして先ほど総理の御答弁の中にもございましたけれども、やはり過去の歴史、その重みからも逃れることはできません。そうしてまた未来に向かっての責任の重さというものもよく肝に銘じながら取り組んでいかなくちゃいけないと思うわけでございます。そういったときに我々としては、決していたずらに卑屈になることもございません。しかし、また逆におごり高ぶることもない。むしろあるがままの姿でお互いに真情を吐露し合いながらそういった中から理解が生まれてくる。立場の違いは違いとして相互の理解の中で未来を築いていく、そういった外交を展開したい、こう思っております。これまでもそういった気持ちでその時々のその担当の方はやってこられたんだと思いますけれども、しかし、そのことがいろいろまた今批判を仰ぐケースもあるということを目の当たりにしまして、現に今こういった外交の仕事をしている者の一人として、みずからを従来以上に戒め、誤りなきを期し、そうしてあすに向かって歩んでまいりたい、こう考える次第でございます。

○板垣正君 戦後の大きな区切りの中で、つまり占領政策のもとで、憲法も占領政策のもとでつくられる、あるいは東京裁判のもとで日本が一方的に侵略国家として断罪される、あるいはその後日教組あるいは進歩的文化人と称する流れの中で専らこの国の歴史が否定される。反省すべき点は多々あるとしても、脈々と流れる日本の歴史というのはやっぱり誇るべき歴史であるはずであります。また、そのつながりの中に我々は次の世代に正しい教育を行い、かつそういう人たちが誇りを持って世代を築いてもらわなければ、そういう面においてこの教科書問題をめぐって、現在慰安婦問題という、本来ならもう常識的にも大っぴらに語
られるべきではない、ある意味の恥部に触れるような問題がまるで大ごどのような形で論争されるという姿の中に、歴史をもう一度自分たちの手元に取り戻していこう、こういう国民の切なる思いがあるし、またがっての戦場の経験者なりそういう遺族なり、そういう立場からも果たしてこれでいいのかと切にこの教科書のあり方等をも憂える声が多い。
 そこで、文部大臣、さっき申し上げましたが、この問題をめぐってこれほど大きな問題がいろいろ論議をされる。文部大臣がこの間おっしゃったように、この問題はもう定説化しておらない、定説になっているんですとは言い切ることはできませんよ。しかし、事ここに至っておる。そういう中で、文部大臣、ここで文部省にしかるべき教育課程審議会ならそこの中に、あるいは教科用図書検定調査審議会ならそこにしかるべき権威ある検討の機関を設けて、幅広く世論を受けとめ、また専門家の英知を結集して、この教科書のあり方というもの、歴史教育のあり方というものをもう一度謙虚に、しかも文部省、国の責任において検討する、こういうことについてぜひお約束いただきたいと思います。

○国務大臣(小杉隆君) 教育の場で我が国の文化とか伝統を尊重し、また自分の国に対する誇りというものを持つということは今度の教育改革プログラムの大きな目標でもあります。先ほどインドネシアのお話がございました。私は執筆者がそういう記述を出してくれば、それは史実に基づいて検定をするということはお約束をいたします。
 それから、先生がこうした点について、またほかの委員も真摯に議論を展開していただいたことを私は感謝しております。といいますのは、やはり教科書がいかにあるべきかということを問題提起されたと思っております。私どもは、教科書の検定審議会に今まで出されたさまざまな意見はできるだけこれをお伝えし、そしてそうした議論を踏まえて検定を行っていただくということにしたいと思いますし、また教育内容につきましても、教育課程審議会にできる限りさまざまな意見、さまざまな研究成果というものを御報告して、よりよい教科書をつくっていただくようにこれからも文部大臣として努力をしていきたいと思っております。

○板垣正君 ありがとうございました。

○委員長(大河原太一郎君) 以上で斎藤文夫君の質疑は終了いたしました。(拍手)


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