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あんまりスピリチュアルなことは信じてないのだが、自分の運気が悪いとき、というのは何かいつもまとめて悪いことが続くと思う。思い起こせば2005年に家を買った年は、家に関して全てのことがうまくいかず、その上、事故で骨折する、流産する、とめちゃくちゃだった。そんなときは余計な動きをしないほうがいい。なんでそんなことを書くかというと、この間、かばんを盗られてから、悪いこと続きだ。*****************この間、ショッピングセンターで大きな買い物をしたので20枚以上のスクラッチ式の福引券をもらった。全部ティッシュすら当たらず。。こするの大変だったのに! *****************やっとやっと、あれから数年、屋根の修理が始まったのだが、工事開始予定日が遅れて遅れて、あいにく我が両親の来伊の日と重なり、いつもなら我が家に泊まってもらうところを、その後、東欧旅行に旅立つ前までの数日近くのホテルを取った。なのに工事業者の野郎(←ちなみに仇敵ルイジとは別の業者)、家の周りに足場だけ組んで窓も普通に開けられない状態にだけしたまんま、来ないのだ。両親に高い代金払ってホテルに泊まらせた意味なし!!3週間ほどヨーロッパを旅した両親はもう帰国したが、ま だ こ な い 。。。。両親の滞在日最終日、我々は家族揃って、Madesimoというスイス国境の山に出かけることにした。Ryuはめったに会えないおじいちゃん、おばあちゃんとのお出かけがうれしくて、散歩に出かける子犬のように大興奮である。外に出る階段をいつもよりわたしの手をぐいぐい引いて走るように降りていく。ちょうどそのとき用事から帰ってきたおっとが階下に見えた。。というか、それまで見ていた階段から、おっとを見た。「パパー!!」そこをグッドタイミング(?)でRyuがわたしの手をぐいっと力強く引き。。。わたしは階段から転げ落ちて左足をくじいた。両親とのお出かけ、今日が最終日なんだよね?貴重な時間を救急病院でさくのもためらわれ、びっこを引き引き車に乗り込み、山までお供したが、やはり足は腫れあがって歩けなくなっていて、結局全員がハイキングが出来なくなってしまった。次の日の朝、両親を空港に送ったその足で病院に行き、包帯ぐるぐる巻きにされたが、骨折じゃなかったのが不幸中の幸いだった。*****************先週末はRyuが週1回通っている日本人主催のリトミック教室のステージだったので、昨年クリスマスに買ったばかりのデジカメを持って意気揚々と出かけた。リトミックステージだけではなく、いろいろな催しもあったので、小さな部屋の中は日本人や、その他の人々で超満員状態だ。ステージが始まったのでビデオモードにして少し廻していたら、すぐに「メモーリー空き容量なし」と表示が出たので、がっかりしてあきらめてそのときはカメラをしまい、次の日、家で観よう、とカメラを出したら、メモリーカードのところのふたがいつの間にかはずれていて、メモリーカードが入ってなかった。。。。あの混雑でどうなったのか、落としたらしい。ショック。*****************ショックといえば、一番のショックはこれだ。東北大地震の被災者に何か協力できれば、と苦肉の策でRyuの通う幼稚園と、近所の小学校の受付に日本の国旗を模した義援金BOXを置かせてもらった。目立つといえば、目立っていた。だが、先日小学校の学期末が近いある日、幼稚園の受付の人に呼び止められた。「これ、いつまで置いていても誰も寄付なんてしてくれないわよ。義援金を集めるんだったら現金じゃなしに、もっといい方法を考えなくちゃ。持って帰ってください。」「自己中主義のイタリアでやっぱり難しいかぁ。」と軽いショックを受けながら開けてみると8ユーロほど。募金の紙には「集めたお金は直接日本赤十字に送ります。」と書いたが、これでは手数料のほうが高くつきそうだ。「これじゃ、振込みする意味もないので、日本食材屋さんの義援金BOXに入れておきます。」「好きにして。」とぼとぼと義援金BOXを抱えてその足で小学校にも向かう。わたし「義援金BOX、どうですか?」受付「う~~~~ん、集まらないわねえ。」箱を開けた。たったの3セントしか入ってなかった。幼稚園より悪い。。。ってか、ないのもおんなじ!わたしは苦笑いをしながら「確かに。。。3セントって、誰も入れてくれなかったんですね。」受付「えっ、3セント?!昨日見たときは30ユーロぐらいは入ってたわよ?」え?ええ~、えええええええええええええええええええええ~~~~~~っ!!??受付「そりゃ、ほとんどの子が小銭しか入れてなかったけど、何人かはお札も入れてたし。あ~あ、きっと生徒か、公共の開放時間に受付にひとがいない隙を見て、やられたのよ。」OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!受付「あなたも、こんな簡単に開けられるBOXにしたのもまずかったわね。次回からはテープかなんかでぐるぐるにして、開けられないようにしないと。」そんな。。。こんな田舎町にそんなことをするひと、想像していなかったから(設置はかばん盗難以前)普通の箱にしてました。。。。次回?。。。。ふっ。 次回なんてやる気力がどーんと、ゼロマイナスになったわ。自分のセキュリティの甘さにショック自分のプロジェクトの失敗にショック住んでいる市の誰かの仕業だ、ということのショック(田舎町で治安はいいと、今まで信じていた)募金してくれた人の誠意が無駄になったショック被災地の人へ何も出来ない自分の無力さへショックはあああああああ、明日は晴れるかなあ?
2011.06.13
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今回の大地震で、何か協力できることはないかともんもんとしていましたところ、MIXIのイタリア在住者コミュニティで素晴らしいトピックが上がったので、コピペします。ご協力、そして、ひとりでも多くの人に広めてくださることをお願いします。イタリア赤十字の義援金活動イタリア在住の皆様 今回の地震で、おそらく身近なイタリアの多くの方々が励ましの言葉をかけてくれたのではないでしょうか? TVは目を背けたくなる映像を流している中で、そんな彼らの人間的な暖かさ、優しさには本当に救われました。 イタリアの赤十字が、日本の震災被害者に向けての義援金活動を始めました。 あらゆる携帯電話、固定電話から45500にSMSすることで、2ユーロが募金されます。 ↓詳細はこちら http://cri.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/IT/IDPagina/6848 ↓あるいは、こちらのサイトから直接振込も可能です。 http://cri.it/flex/FixedPages/IT/Donazioni.php/L/IT 遠くにいても、少しでも力になれればと思います。*********************************** aiuti per il Giappone Ciao, come certamente ben sai i terremoti e lo tsunami che negli ultimi giorni hanno colpito il Giappone sono stati di una gravit? senza precedenti. Inoltre, a causa dei problemi alle centrali nucleari non si pu? nemmeno asserire che oramai il peggio sia passato. La situazione ? drammatica; in molti posti mancano acqua, energia, carburante, generi di prima necessit?. Allo stato attuale ? ancora impossibile stimare il numero di vittime, ma si ipotizza possano essere decine di migliaia. ? altres? impossibile quantificare i tempi e i costi necessari per la ricostruzione. Sicuramente ci vorranno molti anni, e stime assolutamente preliminari parlano di svariate centinaia di miliardi di euro. Sono possibili donazioni tramite sms al numero 45500 (2 euro, da ogni operatore) o attraverso la croce rossa e altre associazioni: http://cri.it/flex/cm/pages/ServeBLOB.php/L/IT/IDPagina/6848 https://www.paypal-donations.com/pp-charity/web.us/campaign.jsp?cid=-12 Ogni seppur piccolo contributo pu? aiutare un popolo in ginocchio, che in passato non ha mancato di farci sentire la sua vicinanza nei momenti di difficolt? (ad esempio in occasione del terremoto che nel 2009 ha colpito l’Aquila). Grazie e scusa per il disturbo; ti sar? anche grato se contribuirai a dar diffusione a questo messaggio!
2011.03.15
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そもそも、おっととの出会いは、というと、わたしが留学生時代、シェアしていたアパートを引っ越したときだ。わたしと入れ替わりに元わたしの部屋にサルデーニャ出身の女性チンチアが入居した。チンチアは一緒に住んでいたペルー人の男性と離婚して、引っ越してきたというわけだ。その引越しに数名の南米人の男の子が手伝いに来ていたのだが、この時点では誰の顔も覚えていなかった。チンチアは出て行くわたしにとてもフレンドリーに「ここで知り合ったのも何かの縁だから、今度一緒に遊園地にでも行かない?」と聞いてきたので、快諾した。遊園地の日。詳しいことは面倒なので省略。ここで、やっと引越しの日のメンバーをちゃんと見た。これは絶対チンチアの趣味なんだろうけど、みんな揃ってマッチョである!その中で特にマッチョだったおっとに、真文化系のわたしは正直、うげ~っと思った。聞けばエクアドルではジムのインストラクターのバイトをしていたらしい。筋肉ばっかり鍛えているような奴らなんて、い や だ !!。。。と心底思っていたのに、運命のいたずらとはおそろしいものである。***昨日はすごいバレンタインデーだった。朝、おっとが出勤後、ピンクの花柄の小さな紙袋がテーブルの上にあったので「おっとめ、また、どこかのおばちゃんのお客からなんぞもらってきたのか?(時々おっとは意味不明のブレスレットやら、携帯電話を「お客から。」といってもらってくる。怒)と、中を見るとわたしのデータが記したA4の紙2枚。読んで見ると、なんとおっとの通うスポーツジムの年間契約書ではないか!?びっくりした。年始にそのジムの「会員ご家族様15日間無料キャンペーン」のチケットをもらって、真面目に毎日通った。1年前にオープンしたばかりのジムは広くてきれいで、何がわたしをとりこにしたかというと、そこの地下にある種々さまざまなお風呂。ジャグジー、トルコ風呂(日本のHなスタイルではなく、湿度の高いサウナ)、乾式サウナ、アロマ入りのミストシャワー。明るく天井の高い風呂場でお湯につかっていると、貧乏なのに、とてもリッチな気分になった。毎日1時間ちょっと運動して、2時間ほど風呂に入っていた。我が家では面倒なので、ほとんどシャワーで済ますのだが、ここで風呂に入っていた15日間でガサガサだった肌はうるおいが戻って、髪もツルツルになった。やっぱり日本スタイルで湯船にゆっくりつかるって、いいんだなあ、としみじみ思ったのだ。だから15日間が終わって「あ~あ、残念だなあ。」としきりにぼやいていたのが良かったのか?おっとにいつも「その出っ腹なんとかしろよ。」といわれながらも「あんたみたいにジムに通ってないモンね~。」と嫌味と言い訳で逃れていたのがよかったのか?おっとはとにかく自分の肉体を鍛えるのが趣味なものだから、わたしのだれきった肉体が気になって仕方がなかったのだろう。しかしわたしは大いに混乱した。こんなすごいプレゼントをもらってしまってどうしたらいいんだろう?とりあえずチョコレートケーキを焼いてみた。でもでも、これじゃ釣り合いが取れない。来月はおっとの誕生日だ。おっとはその日にこれに見合う何かを期待しているのか?う~~~~ん、どうしたらいいんだ?いつも貧乏を強いられていて、たまにこんなすごいものをもらってしまうと、素直に喜べない自分が哀しい。。。PS.その後、昼休みで帰宅したおっとに大げさすぎるほど喜んでみたら、ここ数年来見たことのない、いい笑顔を浮かべたのだった。
2011.02.15
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ロンドンから帰ってきてから、太ももにじんましんが出た。最初は「異国のサンドイッチなんて食べたからアレルギー起こしたかな?」(←旅行好きなのに、食べなれないものを食べるとお腹を壊すへたれ)と放置していたのだが、治るどころか3週間近く経ち、すねやお腹にも広がってかゆくなってきたので明日いよいよ信用できないので行くのはすご~くイヤなのだが、イタリア医者の診察を受けることにした。今日はあまりにかゆいので肌にすれる常用のジーンズの着用をやめ、スカートをはき、それには常用の某大型スポーツ店定番リュックは似合わないのでかばんを替え、常用のスポーツシューズもブーツに履き替えて出勤したら、みんなに「なにごとっ!?」と驚かれた。(おっとには出勤前に「どうせはくなら そ~ゆ~、おばはんみたいなロングスカートじゃなくて超ミニにして欲しいよなあ。」とブツブツ言われたのだが。)そして今日昼前に銀行に行ったら、いつものブスッとした窓口のおばちゃんもなんだか愛想がいい。「あんた、旦那さんはスペイン系の名前だけど、あんたは日本人でしょ?」わたし「あ、そうです。よくわかりましたね。」窓口のおばちゃん「以前アメリカに留学してたときにたくさん日本人と知り合ったからね。で、旦那さんとはどうやって知り合ったの?イタリア?日本?」わたし「。。。。え~、ハハハ。(後ろに行列が出来てるのになあ。)」銀行を出て、途中 駅の構内を横切って会社に向かう。駅の構内で、金髪のお兄ちゃんに「What time is it now?」と聞かれる。わたし「ええ~っと、ドウディチ オクロック。」←とっさに弱いタイプ金髪のお兄ちゃん「ドウディチ オクロック!HAHAHA!君、日本人?」←イタリア語この野朗、イタリア語喋れるなら喋りやがれ~!!変な日だ。わたしは昼食を買いに会社の近所のケバブ屋に向かった。わたし「ケバブひとつください。」←イタリア語店のおやじ「オール?」わたし「は?」おやじはジェスチャーでOK,OK,と平たいパンの中に全ての種類の具を詰め込む。「スリーエウロフィフテーン。」わたしは10ユーロ札をだした。店のおやじ「Where are you from?」わたし「日本です。」←イタリア語そばにいた店の客「Study?」わたし「いえ、働いてます。」←イタリア語店のおやじとお客は「グーッド!」とわたしを送り出した。よくみたらつり銭が20セントごまかされていた。汗スカートはいただけで、こんなに生活に変化が起こるのか。。。てか、スカートはいただけで、イタリア初心者扱い?(←上級者でもないけれど)なんだかちょっぴり楽しかった午前中だった。*********そういえば、昨日は前回の日記に少し書いたメキシコ人からニセ滞在許可証を買って、本物にすり替え、そのままボンボンイタリア人と結婚したマリソルの家に昼食に招待された。ちなみにさとみーなさん、ふぐ太郎さんからご指摘のあった映画「グリーンカード」はこちら。→DVD グリーン・カード 【取り寄せ】彼女はもうすぐ1歳になる男の子持ちである。前回は書かなかったが、彼女とはウイリアムの元カノ、という縁で知り合ったのだ。というわけなので、昨日の話題はもちろん、アメリカで行方不明になってしまったウイリアムのことである。どういう反応を示すかな、と興味深く観察していると、マリソルは「いやぁ、彼女やるわねえ。」とひどく感心している。マリソル「エクアドル人女性ってのはね、普通体面を気にしすぎて冒険する人が少ないのよ。」わたし「え、そう?」←意外な発言にびっくりマリソル「わたしは去年うちの子が生まれるのにあわせて、永住許可証を取ったわ。というか家族計画はもちろんそれを考慮に入れてやったのよ。妊娠中に何度もクエストウラに行くのは大変だったけどこれを手に入れたら、もう2度とあそこに足を運ばなくていい、と思うとなんだって出来たわよ。」わたし「え、でもイタリア人と結婚したんだし、子供が出来なくてもそのうち永住許可証なんて取れるじゃない?」マリソル「『そのうち』でしょ?イタリアでは国内で子供を出産するとそれが外国人同士の子供であろうが、母親には永住許可証がすぐに発行されるのよ、知ってた?」わたし「へえ、それは知らなかった!」マリソル「わたしの友達にね、バカなこがいるの。3年前あるイタリア人と本当に恋に落ちて結婚したんだけど、結婚当初、まわりに「永住許可証が目当てで結婚したんだろ。」って非難されて恥ずかしくて永住許可証を申請せずにいたのよ。で、現在だんなさんと離婚しちゃって、永住許可証どころか滞在許可証も危うくなってるの。せめて子供でも作っておいたらよかったのに。」わたし「え~、ちょっとマリソル、そりゃ露骨だよ。」マリソル「『露骨』?そりゃそうよね。でも考えてみて。彼女がそうして永住許可証を手にしたところで誰が迷惑するっての?誰もいやしないわ。彼女は現在も以前も、永住許可証を作らなかったことでいらない苦労をし続けているのよ?もし彼女が永住許可証を持っていたとしたら、それで余計な苦労をすることのなかった人もいたに違いないわ。だから、ウイリアムの彼女に関しては感心しているのよ。どうせ、共有する未来がない相手とわかったウイリアムとはさっさとけりをつけて、自分と娘の過ごしやすい環境を娘が産まれる前までに整えたのは正解よ。ウイリアムには可哀相だけど、これも相手の男性は収入が入って喜んだだろうし、誰にも迷惑をかけていないからいいじゃないの。」そうか。そりゃそうだ。ウイリアムも劇的に捕らえてしまったが、恋愛、という角度だけで見ればこれは単なる「失恋」だ。でもでも。。。法的な違法性とかどうなっちゃうの?確かに誰にも迷惑はかけてないけど。。。。。なんかわからなくなってきた。しかし、わかったことがひとつ。南米人の女性一般がこういうタイプなのではなく「ウイリアムの惚れた」タイプの女性がみんな冒険家だったのだな。ああ、ウイリアムは今いずこに。。。。。。
2007.02.19
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ずいぶん前の話になってしまったが、ピツコちゃんに会った次の日火曜日は、待ちに待った入管クエストウラに滞在許可証を引き取りに行く日だった。朝、目を覚ますと世界が廻っている気がした。これは「起立性低血圧」だ! 今年の年頭からすでに2回以上、これで病院の救急棟にお世話になっているので、今回は吐きそうになりながらも、なぜか落ち着いていた。ク、クエストウラだけには行かなければならない。。。(ちなみに今までの流れ→ひとの話を聞け!しっかりしてよ!! わたしってもしかして、心配性? おっとが。。エクアドル人であることが歯がゆい。 おっとが。。エクアドル人であることが歯がゆい。その2 激しいめまいと戦いながら起き上がり、壁を伝って洗面所でとにかく髪だけとかして服を着る。おっとは「大丈夫?」と言いながらも決して「クエストウラに行く日を変更しよう。」とは言わない。なぜなら、あの代理店の姉ちゃん、前回、無事に発行待ちの半券が出た時点で、行方不明になった。今までは全て我が地区の市役所で予約制で、ぶっちゃけて言えば並ばなくとも、指定日時に行けばよかったのだが、受け取りは全部一緒くたなのでこれだけ大枚を前払いした以上、彼女お得意の「並んで順番取り」をしてもらわないと意味がない。だが、いくらこの日のアポを取り付けようと思って何度電話をかけても絶対に出やがらない。しかしこの手は過去に悪徳不動産屋に何度も使われているので、この姉ちゃん相手だし、予測済みでそうそう驚かなかった。きっと、わたしとおっとの電話番号を彼女の携帯にインプットして、名前が出たら居留守を使っているに違いない。そういったわけで、ある日は同僚アンナの携帯を借りて電話するとやっと繋がった。姉ちゃんはちょっとびっくりしたようであったが、それを押し隠しながら「すみません。ここ数日で交通事故を起こして、後処理が大変だったんです。クルマが大破したものですからミラノに当分いけないのですよ。」わたし「それは大変ですね。誰かクルマを貸してくれる人はいないんですか?なんならお宅の近くに住むおっとの友人(ウィリアムのこと)にわたしたちからお願いしますが?」姉ちゃん「いえいえ、ご心配なく。ミラノ担当のものにすぐに聞いてみます(←居るのか?)。そして本日中にお返事を差し上げますわ。」むむむ。こう言われると心配だが、引きとめようがない。「必ず今日中にお返事をくださいね。」と電話を切った。そしてあっというまにこの電話から1週間が過ぎたのだった。わたしは電話が繋がらないのでFAXで催促状を送った。返事がない。2週間が過ぎ、もう一度FAXを送った。内容はこうだ。「先日来、催促をしておりますが、いっこうにお返事がいただけないので、法的措置をとることにいたしました。よろしく。」するとFAXを送った10分後に姉ちゃんから電話があった。汗姉ちゃん「すみません、なかなかミラノ担当者のスケジュール調整が出来なかったものですから。明日、8時にクエストウラ前に来てください。担当者がお待ちしております。」この女狐野朗。。。。。。とまあ、こういう経緯があったものだから、どんなことがあっても行かなければ、今度こそどうなるかわかったものじゃない。おっとはクルマのシートを倒して、わたしを寝かせ、刺激がないようにソロソロと運転する。しかし低血圧症状が起きたときは何をやってもダメなのだ。わたしはさらにクルマにも酔って、クエストウラに着いたときには目を開ける事も出来ずにヒューヒュー荒い息をしていた。ぐったりしたわたしを抱えるようにおっとはわたしの肩を担いでそろそろ門の前まで歩く。わたしは進行方向に機械的に足を踏み出すだけだ。おっとが門のそばの大きな木にわたしをもたれさせて例の「ミラノ担当者」をさがすと、列の一番前に並んでいた背の低い男が手を小さく振った。男「奥さん、どうしたんですか?大丈夫?」わたしがかすれた声で大丈夫です、と言っていると(全然大丈夫じゃなかったのだが)列の整理をしていた警官が2人、様子を伺うようにやってきた。警官「そこの2人!列にきちんと並んで!!」おっとははい、と答えて、わたしの肩を抱きかかえた。そこでわたしは気が遠のいて崩れ落ちてしまった。警官「あんた、ちょっと大丈夫?顔が真っ青じゃないか!救急車を呼ぼうか!?」「救急車」という声に反応して気が近くなる。OOOOOHHHHH,NOOOOOOO!!!!ダ、ダメだ!!こんなところで救急車なんて呼ばれて病院に連れ去られたら、ここまで来た意味がなくなる。元の木阿弥だ!!!わたしはカラカラの唇から「大丈夫です。」という言葉を必死に吐き出した。警官「本人がそういうなら。。。旦那さん、彼女をこっちに運んで。」奇跡的にも親切な警官は、開門前のドアを開け、わたしを守衛BOXの中のプラスティックのイスに座らせてくれた。そしておっとに「はい、これ。」と1番の番号札を渡してくれる。やがて開門となった。列の一番初めに並んでいた「ミラノ担当者」はわたしたちの付き添い、ということで手ぶらで門の中に入り、警官は2番の人から整理券を配っていく。そして門の中でも人々は並ばされ、子供連れの家族、妊婦、そして病人のわたしと付き添いのおっと、ミラノ担当者が優先して待合室に入ることが出来たのだった。しかし。外の警官が1番に出来るよう気を配ってくれたにもかかわらず、ずいぶん待った。わたしは周りにおかまいなく窓口のすぐそばの4つほどイスを占領しておっとのひざを枕にして寝ていると、ずいぶんマシになってきた。おっとは待っている間、ずっと「ミラノ担当者」と喋っていた。彼はエクアドル人で、あの女狐野朗の部下ではなく、金融業を南米人相手に独りで営みながら、たまにバイトで並び屋をやっているという。ミラノ担当者は「次回からは直接ぼくに頼んでください。並びますから。」と名刺をくれた。まったく。次からは彼に頼んだほうがいい。あの女狐野朗だって、結局今までやったことは、並んだことだけだ。こうやって流れを見ると、一番並ぶ意義があるのは、最後の受け取りのときだけ。次回からはこの1回だけ、彼に頼もう。。。そのうち、起き上がって廻りを見渡す余裕が出来てきたのだが、気がついたのはどうも番号札も持たずにコネらしいもので、この建物は受け取りだけだというのに、作成から受け取りまでその場でやっているひとが3人ほどいる。担当の警官は媚をたっぷり含んだ笑みで握手をし「お手数をおかけしました。」まで発言している。どういうコネだか?大使館関係者だろうか?なんかの有名人だろうか??やっとわたしの番が来た。これだけ待たされて、ほんの10秒で滞在許可証を渡してくれた。次におっとの番かと思えば、2人ほどに抜かされてやっと渡された。新しい滞在許可証は今までのぺらぺらの青い紙じゃなくて、黄色いちょっと硬い紙で、写真はホッチキスじゃなくてパウチッコで貼り付けてある。大進歩だ!!違)わたしたちは門のところの警官に再度お礼を言って外に出た。ミラノ担当者は、午前0時から寒い中、並んでくれたそうだが、可哀相に意味がなかったな。あ、でも女狐野朗にはいい気味だ。彼に並び屋代を払わなければならないのだから。これが11月下旬の話。今年6月に切れる滞在許可証を2月から動いて、9ヵ月後にやっと受け取れるなんて。。。あまりのひどさ。だが12月に入ってからミラノを含む、特定の都市が、郵便局から更新が出来るように試験的に導入された。遅いんだよっ!!!!!しかし、これを数年に一度行われる不法滞在者救済法「サナトリア」の申し込み用紙と勘違いしてがっぽり郵便局からかっさらわれる事件があちこちで勃発しており、ミラノではなかなか見つからず、悪徳業者が50ユーロでこのKITを売りさばいているらしい。ちなみに無料である。(そしてちなみに本当のサナトリアのときは、この10倍にも20倍にもKITの闇価格が高騰した。)しかし、そんな超画期的なニューシステム、外国人はおろか、郵便局員も、警察も絶対スムーズに対応できなくて、問題だらけですぐに廃止されないことを祈ろう。。。
2006.12.21
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最近、同僚のシルビアが新しい犬を飼い始めた。「ジャダ」と名づけられたその犬はきれいな白黒のまだら模様のセッターだ。イタリアの田舎は、っつーかうちの前の道も、秋になると狩猟が解禁になって、毎週末「日曜にわか猟師」が猟犬たちを連れて横切る。彼らの猟犬のほとんどは、たいてい昔の肖像画なんかにも描かれているセッターである。シルビアのジャダもそんな中でも毛並みの美しい人なつっこい犬なのだが、可哀相に片目がつぶれている。猟のときに間違えて銃で撃たれたのだ。そんなわけで猟犬として使い物にならなくなったジャダが高速道路脇につながれて捨てられていたのを、動物保護団体のひとが見つけて「CANILE(カニーレ)」という施設に送られた。カニーレは、日本の保健所のようなところだけれども、ここでは引き取り手のない犬を殺すことはないようだ。ここで一生を終る犬もいるらしい。シルビアは以前から動物保護団体のボランティアをしていて、彼女の家には常に2~3匹の犬がいるけれどもみんなカニーレから貰い受けた犬である。なので、奥さんがペットショップを経営しているマッシモが、ときどき社内で新しい仔猫や子犬を入荷した、と宣伝するといつも「売るから、買うから、動物を捨てる人間が跡を絶たないんだ!」と小喧嘩に発展するのである。汗そういうわけで、実はこの間から無性に動物を飼いたいわたしはおおっぴらにマッシモにその旨でお願いする勇気がなく、シルビアに「子犬か仔猫を飼いたいんだけど。。。カニーレってそんな子供もいるの?」と聞いてみた。シルビア「常時じゃないみたいだけど、結構いるよ。これで探すといいよ。」と何軒かのサイトを教えてくれたのである。(イタリア長期在住で動物を飼いたい人はここで可哀相な子達を救ってやってください!!)http://milano.kijiji.it/f-Animali-In-regalo-W0QQCatIdZ901 http://www.enpanet.it/cercatrova/http://www.enpamonza.it/さっそくひとつのサイトのページを開けると1800件以上の犬や猫の写真つきの掲示があって驚いた。犬が100匹のうち猫が1匹の割合で圧倒的に犬が多い。子犬も結構多かった。しかしそのほとんどが、シェパードや、サモエド犬の雑種などの大型犬だ。うちは共働きだから手間のかかる犬より、家の中で勝手気ままにしてくれる猫のほうがいいな。と探しつつもほとんどそんな掲示がないので自然に犬の掲示を開けてどんなものか読むようになった。「ディエゴ。約5歳。ラブラドールの雑種。高速道路のそばでひどい咳をして倒れているのをわたしたち(動物保護団体)が発見し、すぐに獣医に連れて行って一命を取り留めました。10日間の点滴の後、なんとか元気になりましたが、彼はカニーレの寒さには耐えれません、このままでは死んでしまうでしょう。暖かい室内で飼ってあげられる飼い主を至急募集!」「アンナ 約13歳。ヨーキー。飼い主の虐待の末、カニーレに来ました。おとなしくて人なつっこいおばあちゃん犬です。眠ってばかりいますから手間がかかりません。お願いですから彼女の犬生を虐待の末、カニーレで終らせないで!」わたしは目をうるませて「ううううう、可哀相に。全部引き取りたい。。。。」シルビア「いちいち真剣に読んでたらダメだよ。カニ-レも収容場所がないから一匹でも早く減らしたいために、同情を引く文を強調して書いてるんだから。写真を見て本当に気に入ったものだけちゃんと読むようにしないと。」な、なるほど。わたしは日本ではずっと犬飼いだったので、犬なら大人の犬からでも飼えそうだけど、未経験の猫にはやっぱりしつけやすい仔猫が欲しい。そういったわけで猫だけ集中的に探し始めたのだが、なかなかいない。数日も経つとすっかり猫を飼う心の準備だけは整ったわたしは焦ってきた。「全然猫が見つからないよ。」とあちこちでこぼしているとプログラマーのロンギが「猫ならうちのばあちゃんちに14匹もいるよ。そのうち3匹はこの夏に生まれたばかりだから興味があるなら写真持って来てやるよ。」とさっそく次の日写真を見せてくれたのだ。3匹全部がまだら模様でグレーX白、赤茶X白 ベージュX白。か、かわいい、全部欲しい!わたし「これ全部予防接種とマイクロチップ登録は済んでるの?」ロンギ「まさか!全部田舎の庭に放し飼いの半野良猫状態だから、そんなものないよ。」うう~ん。マッシモに聞いてみることにした。マッシモ「それ全部個人でやったら、100ユーロはするよ。それだったらうちの店の仔猫、予防接種とマイクロチップ登録済み、ごはんのおわんと1回分の餌つきで50ユーロ、を40ユーロに負けてやるからそれにしなよ。」た、確かに。店で買ったほうが安い。でも買ってしまうとシルビアに悪いなあ、というかやっぱり不幸な猫を救ったほうが世界平和にちょっとでも協力することになるし。改めて検索範囲を広げてネットで探しているとなんと、家の近所に「CANILE(カニーレ)」ではなく「GATTILE(ガッティーレ。猫のカニーレのようなもの)」をみつけて小躍りした。掲示を見れば、仔猫であふれている!しかも全部予防接種とマイクロチップ登録済みだ。わたしはうれしくなってさっそくそのガッティーレに電話でコンタクトを取ると週1回の一般公開日を教えてくれた。くしくもその次の日の夕方だったのだ。今夜おっとに許可をとって、明日見に行ったらちょうどいいな。。。と思った。帰宅しておっとに話すと、おっとは「え~、ぼくは犬のほうがいいのに。」といいながらも「やっぱり明日は行く前にキャリーBOXを買っていかなきゃいけないかな?それとも下見だけにしとく?」と乗り気である。次の日わたしは意気揚々と出勤した。夕方になるのが楽しみでしかたがなかった。昼休み。新人のジャンピエロの奥さんが会社まで来たのではじめて一緒にマッシモとアンナとで近所のバールで昼ごはんを食べた。出産まであと2週間を切った奥さんは、ジャンピエロ同様、はきはきとして楽しいひとだった。ちなみに彼らはペルシャ猫を飼っているので、わたしは猫を飼っている感想を奥さんに聞いてみたのだ。すると奥さん、目じりがだらんと下がって「猫ちゃんはねえ、いいわよお。わたしたちは彼女なしの人生は考えられないわ。」と猫自慢話がとまらなくなった。わたしも、そうかそうか、やっぱり猫を飼うって素敵なんだなあ。とウンウンうなづきながら熱心に聞く。そこに黙って聞いていたマッシモが水を差した。「その猫、妊娠する前から飼ってたんでしょ?その~。。こわくなかった?」え?奥さん「いやねえ、あんなウイルスのリスクなんてほんっとに低いのよ。妊娠初期も猫のトイレ掃除とか自分でしていたけど、大丈夫だったわ。ちゃんとその後に手を洗えばいいのよ。」??マッシモ「まあ、今が無事出産間近ってことでいいんだけどさ。でもうちの奥さんは妊娠中は店に猫を仕入れるの、やめてたしね。」???何を話してるんだろう、この2人。。。疑問が残ったまま、話題は変わり、やがて昼休みが終って奥さんは帰っていった。ジャンピエロはお腹の大きい奥さんを駅まで見送りに行った。わたし「あのさ、さっき奥さんとなんの話してたの?」マッシモ「猫が持ってるトキソプラズマ菌のことだよ。妊娠初期に感染すると流産したり、障害児が生まれる確率が高くなるんだ。知らなかったの?」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO????知らなかったよ~~~~~~~~~~~~!っつ~か、マッシモ、わたしが「不育症」治療しているのを知ってるくせになんで言ってくれなかったんだろう!?この話題が一日遅れてたら、わたしは2回も流産してるのに、さらにハイリスクな猫飼いになってたかもしれなかったよ!?わたしは日本語のサイトに行ってさらにトキソプラズマ菌について調べてみる。どのページを見ても、猫を飼うことで感染率が高くなる、猫なんて飼うのはやめとけ、と書いてあるのだ。そんなリスクを承知で無理に飼って、また流産したら、たとえ猫が原因ではなくても、自然、矛先は猫に向けてしまうだろう。そんなのイヤだ。この午後、わたしの猫欲しい度が120%から0,0001%に下降した。涙その日の夕方。我が田舎駅に着くと、おっとがワクワクしながら待っていた。事情を話しているうちに、おっとがだんだん猫に見えてきて、ひげがだらんと下がっていくのがわかる。おっと「。。。。。い」わたし「え?」おっと「。。。犬ならいいんだよね?」わたし「犬がこの菌を持っている場合もあるって書いてあった。」おっと「。。。。。。そうか。」こうしてわたしたちの動物飼いの話は不完全燃焼な形で終ったのだが。。。。シルビアにもらったサイトをついつい毎日見る癖がついてしまった。フェレットなら、ハムスターなら、うさぎなら大丈夫だろうか?としつこくリターンマッチを考えているこのごろである。なんか飼いたいなあ。やっぱ犬。。。。
2006.11.16
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今日は朝遅い11時半から病院の退院してから2度目の診察だった。過去に同じようにひざのお皿を割って入院した事のあるニーノの彼女(彼女は少林寺拳法の達人で、素人を相手に稽古した時に、変な蹴りをかまされて割れたらしい。汗)に言わせると、きっとこの診察でドンジョイがはずされてリハビリに入れるだろうと言ってくれたので大いに期待していた。それとは裏腹に、わたしは不安でもあった。情けないことだが、もう10年近くもイタリアに住んでいるというのに、いつもの仕事や生活で使う会話は支障なくわかるようにはなったものの、それ以外はやっぱりまだまだ理解が出来ない。入院中もわからない単語だらけで驚きとうんざりの毎日だった。1度目の診察でも医師の言っていた事があやふやにしか理解が出来なかったのに、そんな大きな変化があるならわたし一人じゃ心細い。おっとは、腹が立つ事にわたしより在伊歴が浅いくせにほとんど、特にわたしがちんぷんかんぷんな難解なイタリア語などのほうが、簡単な文章よりよほど理解が出来るらしいことに気づいた。おそらくどちらもラテン語源だから、複雑な言葉ほどスペイン語と大して変わらないのであろう。なのでおっとに「一緒に診察に来てくれる?」と付き添いを消極的に頼んでみた。しかしおっとはそんなわたしたちの違いに露とも気が付いていない。「何言ってるんだよ~、いったい何年イタリアに住んでるの?送り迎えはするさ。でもぼくは仕事があるんだから診察ぐらい一人で受けてよ。」うう、仕事がある、と言われると身も蓋もない。つい2日前も仕事を半日休んでまで社会保険事務所につきあってもらったしな。。。もうこれ以上、無理を押せなくなってしまった。おっとが忙しい仕事の合間に遅れて家に迎えに来てくれたおかげで、アポの時間に遅れて40分近く待たされたのも文句が言えない。診察時間も終了間近に診察室に呼ばれる。この間と同じ医師はカルテを見て「レントゲン写真は?」と聞いた。確かにこの診察の予約をしたときにレントゲン代も払ったし、カルテには「診察とレントゲン」と印刷されてある。医師は「診察の前にレントゲンを撮って来るのが当たり前だろう、どうやって診察するんだよ?」ととげとげしくわたしに言った。わたしは敵に廻しても得のない相手とわかりつつ、思わずムカッとして「カルテのどこにも「レントゲン写真を持参の事。」なんてこれっぽっちも書いていないじゃないですか?わたしはガイジンなんですからわかりませんよ!」と低い声で反撃する。医師は少しひるんで「と、とにかくレントゲン写真が必要だ。すぐに撮って来なさい。」わたし「どこに行けばいいんですか?」医師「レントゲン室に決まっているだろう。」わたし「それはわかってます。だからどこなんですか?!」看護夫が教えてくれたレントゲン室は遠かった。「もうすぐ終了時間だから急いで。」とささやく。この足で、松葉杖で、これだけの書類を小脇に抱えてどうやって急いで行けるんだよ!?逆恨みもいいところなのだが、やっぱり付き添ってくれなかったおっとを恨んでしまう。へコヘコと何度も留まってはずり落ちそうになった書類を抱えなおし、レントゲン室にたどり着いたのだった。幸運な事に終了時間間近なこともあって、レントゲンは待たされずにすぐに撮ってもらえた。現像中に何度もおっとから携帯に電話が入る。しかし地下だったので、受けても繋がらない。おっと、仕事の合間にきっと病院に来てくれたんだ!と希望の光が差した。しかし肝心な連絡が取れない。仕方なく、今までの書類+増えた大きなレントゲン写真の封筒まで小脇に挟み、レントゲンの時にはずされて、適当に付けなおされたゆるゆるのドンジョイがずり落ちそうになるのをこらえながらやっとの思いで診察室にたどり着くと、グ-ッドタイミングにもおっとが到着したので、(なんでもっと早く来ないんだよ!?)とちょっとムッとしながらも感激しながら診察室に念願かなって2人でめでたく入ることが出来たのだった。医師は先ほどの言い争いにちょっと気まずそうだった。わたしが診察台に足を投げ出して座ると医師はドンジョイのダイヤルを見て、すっとんきょうな声を出した。「君、左のダイヤルを毎日10度づつ目盛りを変えてひざを動かすようにって言ったのに、右側のダイヤルが固定されたままじゃないか!?」おっと「左は毎日10度づつ目盛りは変えてましたよ。右のダイヤルも見たんですが、これ以上動かなかったし。」医師はわたしの足をプ二プ二と触り、足を曲げようと試みるが痛い。「筋肉が落ちたままだ。リハビリには通っていたかい?」なんだって!前回の診察ではそんなこと一言も聞いてないぞ!?わたし「な、なんですかそれ?」医師「カルテの裏に全部書いてあっただろう、通わなかったのか?!」わたし「通ってません。カルテも読みましたが、わたしガイジンですから解読できませんでしたよ!」←本当は医師の文字が解読不能なほどヘタだった、と言いたかったのだがさすがにそれは言えなかった。汗医師「わからなかったなら、なんでホームドクターに見せなかったんだ!?」え?????わたしはこの医師の言葉にはっとした。イタリアでは、病院の診察後、ホームドクターに行かなければならないのか?病院で治療を任せているってのに、ホームドクターに行かなければならないなんて発想はわたしからは沸いた事がない。おっと「ぼくらのホームドクターは予約から診察までに1週間以上時間がかかるから、なるべく行かないようにしてるんです。」医師「バカな、ありえない!ホームドクターとはその日のうち、遅くとも翌日には患者を診察するように義務付けられているんだ。何かの間違いじゃないのかね!?」わたしたちは悲しげに首を横に振った。医師は困ったように引いて「と、とにかく20日間、何もしないで足を固定したまま過ぎてしまった事実は変えようがない。一刻も早くリハビリをはじめなさい。今まで動かしていなかったから、辛いとは思うが。。。」と言ってから態度をガラリと変えた。またもや、解読不能な文字でカルテの裏になにやら書いて「いいかい、これをすぐにホームドクターに持っていくんだよ。そうすればホームドクターがリハビリの処方箋をくれる。このリハビリはうちの病院でもやっているから、お家の近くにリハビリをするところがなかったら、ここに来なさい。予約を忘れずにね。でもいいね、まずはホームドクターだよ?すぐにだよ、すぐ。」そう、それはまるで幼児に言い聞かすような態度であった!!言葉が理解しにくい、と言う点ではガイジンも子供も一緒なのはわかる。だからといって、同じ態度というのは大の大人に失礼じゃないか?医師「おうちでもね、足を伸ばしたり曲げたりする運動を続けなさい。そうそう、自転車が一番いい。自転車漕ぎなさい、わかったね?」よぉぉぉ~くわかった。だからもうやめてください。おばはん相手にそういう言い方。前回の診察を理解しきれてなかったことだけでも情けないのに、こんな言い方、更に拍車がかかる。。。。。とほほほほ。しかし診察が終わってもわたしはホームドクターには行かなかった。以前も書いたと思うが、ここは予約制なのだ。しかも予約は12時までで受付の中国人のおばさんはきっちり帰ってしまう。時計を見ずとも12時なんてとっくに過ぎていた。そして今日は金曜日。予約は来週月曜まで待たなくてはならない。そういうところなのだ、イタリアは。
2006.03.31
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今日2本目の日記だ。きっと今ごろお友達がコメントしてくれているだろうけど、見れないのが残念だ。今朝ははじめての労災の審査診察の日である。これ次第で我が家の経済状態は大きく変わるので、昨夜は心配のあまり、ひさびさに胃が痛くて眠れなかった。だって、だって。。。これが日本の場合なら、わたしは通勤途中で怪我をしたので、完全に労災が降りるような事故なのだがここはルイジの国。しかも、ここずう~~~~~~~~~~~っと、悪い事ばかり続いているし、更に最悪のケースを予想したのである。最近朝11時起床に慣れていたわたしは珍しく6時ごろから目が冴えてしまい、まだ寝ぼけているおっとを叩き起こして9時のアポの2時間も前に家を出たのだった。当然、渋滞を予想してのことだったのだが、あまりにも早かった為、道路はまだ空いていて1時間半も早く着いてしまった。汗当然まだ、社会保険事務所は閉まっている。しかし、ここが障害者の特権。門番はわたしの松葉杖姿を見て「本当はまだダメなんだけどね、入って待合室で座って待ちなさい。」と中に入れてくれたのである。フフフ。まあ、永久には使えないネタではあるが。待っている間、わたしたちは病院の書類を何度も確認するが落ち着かない。おっとは「今、君は軽々歩いているけど、お医者の前ではまだ足が痛いような、引きずるような、演技をしなきゃダメだよ。」とセコイ入れ知恵をする。汗それからしばらくは2人で無言で待っていた。おっと「う。。う◎こがしたくなった!」わたし「も~、イヤだなあ。すぐわたしの番だから付き添って欲しいし、今行っといてよ。」というか言わない内に門が開いてどやどやと人が入って来た。おっと「。。。君の診察が終わるまで我慢する。」←恥ずかしがりや社会保険事務所の1階は大きなクリニックのようになっていて、何室もの診察室がある。診察が始まって2人ほど呼ばれたところでおっとは「ああ、やっぱりもれちゃう!」と小さく叫んで走り去ってしまった。わたしの名前が呼ばれたのはその直後だ。 ←おっと、子供じゃないんだからちょっとぐらい我慢しろよ!怒結局付き添い人がいないので、受付のおばさんが親切にもわたしの書類を全部持って、診察室まで付き添ってくれたのだった。田舎町の社会保険事務所は外見もミラノのそれとは違ってきれいだったが、診察室の中も大きくてきれいだ。丁寧に病院の書類を読む医師の姿も、気のせいか輝いて見える。その輝きの医師は、こういった事故のケースに慣れているらしく、わたしの左足はデスク越しにチラッと見た程度で「ああ、次の病院の診察はあさってなの?じゃあ、それから徐々にリハビリ開始だな。そこから計算してええっと、うちの次の診察は5月2日ね。」とてきぱきと書類を作成するのだ。わたしは勇気を振り絞って「あのう、それって労災は降りるから次の診察があるってことですか?」医師は反対にこんな質問にびっくりしたようである。「労災は降りるから診察があるんだよ。降りないなら呼ばないよ。」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,YESSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS!!!!!!!!!!ああ、だからこの医師、輝いて見えたんや。。。。。。ポジティブのオーラってやつ??わたし「じゃあじゃあ、もらえるんですね?! いつからですか?どれぐらいですか!!??」と調子に乗って身を乗り出した。医師はわたしがうれしそうなのがうれしかったらしく(きっと相当貧乏な子供だと思ったに違いない。間違ってないけど。涙)「詳しくは2階の窓口1.に行って聞きなさい。」とにっこり笑って送り出してくれた。お役所関係者の笑顔を見たのはもしかしてこれが初めてかもしれない。診察室を出たところでトイレから出てくるおっとにばったり出くわした。あんまり意味のないグッドタイミングさに、ちょっと情けなくなったわたしであった。2階に上がる。待っている人が少ないのでラッキーと思ったら、窓口1.ではおっさんと窓口のお姉さんが永遠に終わらないのではないかと思うような、「払う払わない」の押し問答をやっていてイライラと待たされた。そのおっさんがやっとプンプン怒りながら出ていった後は、スムーズに進んでわたしの番に。わたしはどうやって、露骨な質問を切り出そうかと思い、とりあえず「会社から労災の詳細を聞いてくるように言われました。」と切り出すと、ここもお姉さんはそういった事故のケースに慣れているらしい。それ以上質問しなくても、聞きたいことを全部言ってくれた。「事故後5日までは、残念ですが労災は降りません。5日後から計算してあなたの収入の60パーセントが労災から降りることになっています。会社からは40パーセントが支払われます。」え、会社からも支払われるの?てことは給料と同額が自宅療養中でももらえるってこと?でもそんなこと、一言も我が社の秘書のおばさんは言ってなかったけど。。。おっと「前払いシステムがあると聞いたんですが。。」お姉さん「ありますよ、やりましょうか?」わたしたち「ええ、ぜひ。」お姉さんはあっさりと、キーボードをカチャカチャと叩いて「約1ヶ月後に小切手が届きますから。」と操作してくれたのである。普通だったら3~4ヶ月待って労災が降りるらしい。これが、本当に1ヶ月後に受け取れるなら大助かりである。←信用はあまりしてない。ホ~。。。。。わたしはここでようやく落ち着きを取り戻し、書類を見なおした。ちょっと待って。。。。次の診察は5月2日って???わたし「あの、次の診察は5月2日になってますけど、つまりそれまで会社復帰は出来ないってことですか?」お姉さん「そうです、ダメですよ。万一それまでに会社に出勤しはじめていたら労災は受け取れませんよ。」ってことは、ってことは。。。。イコール 5月までこの足治らない → 自宅軟禁生活持続決定!ってことか!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!そんなの、いやだ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!かなりなショックを受けつつ、その足で会社に報告に行った。ちょうど会議が終わって出てきた同じチームのアンナと出くわした。近況を聞くと「いつもと同じ。変わらないわ。」と疲れた顔で答え「ところでインターネットは!?」とさっそく突っ込んできた。わたしが「テレコムにもう1ヶ月も前に申し込んだんだけど。。。」と愚痴を言うとアンナは「テレコムは1ヶ月ぐらいが当たり前なんだって。ティスカリだったら2ヶ月ぐらい待たされるそうよ。」と言うのである!ってことは、まだ私の場合、きっともうすぐ付くからマシだってか??←ポジティブシンキング秘書のアンナに労災が無事降りる報告をすると、会社も心配していただけにホッとしたようだった。しかし、会社側が払う40パーセントの話になると「え。。そうなの?知らなかったわ?」と当たり前の事だが、財布の紐が固くなる。会計士のグラッツェラがミラノの社会保険事務所に電話をする。するとどうやら契約内容次第らしいので、わかった時点で支払いの有無を知らせてもらえる事になった。←我が田舎町のお姉さんはわたしの契約形式を把握して言ったのではなかったらしい。だが、もうわたしには予想はついてしまってガッカリしてしまった。我が社は中小企業。その中で正社員は数人しかいない。残りの社員はわたしのように何年働いていても「コココ(鶏ではない)」という現ベルルスコーニ首相が経営者の利益だけ考えて産み出した労働者にはちっともおいしくない長期型契約社員のような契約形式なのである。正社員は国で守られていて、こんなケースなら会社側が40パーセントを払う義務は絶対だろうが、コココの場合はきっとそれはないだろう。給料の60パーセントか。。痛いな。足さえなんともなければ、この機にいろんなバイトをしちゃうんだけどな。あ、でも足がなんともなかったら、労災も受ける必要ないし、会社に通常に行ってるか。。。。はあ~。。。最近独りっきりなので、ひとりでボケと突っ込みをする機会が増えて困る。涙
2006.03.29
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今日もテレコムに催促の電話をした。答えは前回と同じ「催促状を出しますので2~3日でつながります。」だ。わたし「2~3日ってはっきりいつなんです?」オペレーターは強いローマなまりで「もう金曜だし、土日はセンターはやってないからまあ、2~3日ですよ。」と言った。オペレーターはオペレーターなだけでなんの責任も感じていないからいいかげんである。怒り狂うのにはバカバカしい相手であるので、そのままわたしは電話を切った。だいぶ松葉杖で動けるようになってから、こんなにずっと家にいることがないので2年程整理していないアルバムの整理を何日もかけてしてみたり、PCのデーターを2日がかりで掃除したり、気になって出来ないでいたこまごましたことをしていたのだが、あらかた片付くと本当に何をしていいかわからない。TVの昼ドラを毎日ぼ~っと追ってみたりもしていたが、ちっともおもしろくない。時々おっとがわたしの様子伺いに、昼ご飯を食べに家に帰って来たりもするが、今日は帰ってこない上、夜はまたもや「ぼくの誕生日会」と称して職場の仲間と飲みに行くのでまったくわたしは暇である。しかしちょっとだけいいことはあった。人恋しいのでというか、労災の件も兼ねて、ちょくちょく同僚たちに電話しているのだが、数日前に我が社の秘書のアンナマリアおばさんに「こんなに何ヶ月も無給じゃ家のローンが払えないよ!」とこぼしていたところ、「わかった、社長にどうにかならないか掛け合ってみる。」と言ってくれたのだ。今朝、アンナマリアおばさんから電話があって「労災の審査が通れば、社長が前払いとして給料の80パーセントをポケットマネーから貸してくれるって!労災は65~75パーセントだから降りたときに、5~15パーセントの差額と一緒に返してくれたらいいってさ!!」しゃ、社長。。。。。あんた、ヒステリーでエゴイストだけど、ええひとや。。。。。まだまだ世はわたしを見捨てきってなかった。感動したっ!!!!わたしは胸が詰まり「ありがとう、アンナマリア。。。」とだけ言った。アンナマリア「でもね、労災の審査に通ったら、の話よ。今月22日の社会保険事務所の診察できっとそれが明白になると思うから、その後すぐ、給料を受け取りに来てくれていいわよ。労災の審査に通らなかったら、ちょっと考えなきゃいけないけど。。。。」うぐ。最近運が回復の兆しを見せてきたし、通る事を望む。。。。。滝汗
2006.03.25
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みなさん、ご心配をおかけしてすみません!まだ自宅療養中ですが、骨折した左足以外は元気いっぱいなので、のらくらしたとても平らな毎日を送ってます。←階段が上がれない。。。涙理由は自爆です。大雪の2日後、凍った道路をスクーターで走っていて、坂道でまるでスキーの初心者がずっこけるごとく滑りこけました。(大体の事情はSaicuccioさんのhttp://plaza.rakuten.co.jp/vivavenezia/diary/200602010000/に書いてあります。)今日は労災の審査の後、会社に報告に寄ったので、やっとインターネットをみれました。ホッ◎メールはすでにアカウントが切れてるわ、他のは1074件ものメールが溜まっていたわ、さんざんです。いえね、退院すぐに家にも電話線を引いたんです、インターネットするために。しかし。。。しかし。。。。。。。。ここはルイジな国!!電話線はようやく繋がったものの、ADSLが繋がらないんでインターネットがまだ出来ない!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!きっときっと近いうちに皆さんに改めてご挨拶したいとは希望しているのですが、いつになるかわかりません!!!またお会いできるまでごきげんよう!イタリア在住お友達の皆様、いつも連絡してくれてありがとう!特にSaicuccioさんにはスペシャルサンクス!早く皆さんにお会いしたいです。ではでは!!いくきーと
2006.03.22
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日本はこの日はひな祭りだというのに、白酒を飲むこともなく朝早くからわたしは病院の待合室で待っていた。というのもおっとが「君の診察のたびにいちいち仕事を休んでいられないよ。」とおっとの出勤途中に放り出される形となった。そのおかげで書類を早々と受付に提出、珍しく予約時間の9時30分きっかりに診察室に入る事が出来たわけである。退院時にもらった書類には「ドンジョイを30日間固定したままでいること。」と書いてあり、ちょうどこの日は30日が過ぎていて、このうっとおしい左足のかせのようなドンジョイがはずされることを密かに期待していた。診察台に足を投げ出すと、この間とはまた別の看護婦が不器用にドンジョイをはずす。久しぶりにあらわになった左足は自分でも可哀相なぐらい痩せて、皮膚がまるで日焼け後のようにボロボロになっていた。医師はひざをチョンチョンと触って「明日から腿の筋肉を鍛える練習をしないとね。」とデスクに戻り、ほぼ解読不能な文字でカルテと赤紙を書き出す。医師「いいかい、ひざの右側についているダイヤルは、ぼくがセットした。明日から君は毎日ひざの左側についているダイヤルを10度づつ目盛りを変えて行くんだ。これ以上ダイヤルが廻らなくなったらその状態にして、今日から20日後にまた診察に来なさい。」哀しいかな、わたしはすぐに言っていることが飲み込めなかった。今のわたしの目盛りは20度になっている。これをどうするって?看護婦「今20度の目盛りを明日は10度、あさっては0度にするのよ。」え、そうなのか??じゃあ、2日目盛りを変えてお終いってことか。もう一度医師に念を押してみる。医師「違う違う。明日は30度、あさっては40度だ。」看護婦「あら逆だったのね、オホホホホ。」←オホホホホ、じゃないよ。怒ってことは、まだあと最低でも20日間はこのうっとおしく、重く、いいかげん臭くなってきているドンジョイがはずせないのか!?わたし「うわっ、いたたたたた!」見れば看護婦が満身の力をこめて足にドンジョイを縛り付けているではないか?足はまるでモッツアレラチーズをぎゅ~っと握られたような状態だ。わたし「めちゃくちゃきついんですけど?」看護婦は「家に帰るまでにゆるんで落ちたら困るでしょ?家に帰ってから調整してちょうだい。」と言って、さっさとわたしは診察室から追い払われてしまったのであった。しかたなしに待合室に戻っておっとが迎えに来るのを待った。おっとは30分待っても、1時間待っても来ない。こんな無駄な時間を過ごしている間に、20日後の診察の予約をしに行きたいのだが、予約棟は遠く、いったん外の道路を歩かなければならないのがこわい。何度も携帯に電話をするが終いに「もうすぐ行くから!イライラさせないでよ!!」と怒鳴られた。縛られた左足がうっ血しそうでもがいていると、やっと2時間後におっとから「病院の外にいるから歩行訓練を兼ねて出てこいよ。」とつっけんどんな電話がかかって来たのである。おっとめ、妻がちょっと回復の兆しを見せるともうこれかい!?仕事が忙しいのはわかる。しかしこの診察時間は20日も前から決まっていた事だし、近所で働いていると言うのに融通はつかないのか?わたしはおっとに前日の夜に「明日、午前中に会計士のところ(別の町)に行ってよ。」とか「支払いが明日締め切りなんだ!お願い、銀行(ちなみに会社から遠い)に行って!」と言われても、そりゃあ文句のひとつふたつは言うが、なんとか仕事の都合をつけていつも行っている。はっきりいって去年の有給休暇はほとんどおっとや家の用事で消化されたようなものだ。ムカムカしながら、地下1階にいたわたしは足をひきずり、車椅子用の長いゆるやかなスロープを登り始める。まるで急な坂を登っているようにきつい。乳母車を引いた奥さんが「大変ねえ。」とのどかな空気を振りまきながら、わたしを追い越して登っていった。悔しさに唇を噛み締める。それでもなんとか、モタモタ外に出た。おっとはブスッとした顔をして登りきったところで待っていた。「次の診察の予約に行くんでしょ?さあ、さっさと歩いて!」わたし「え?クルマで運んでくれないの?遠いよ。」おっと「こんな短距離、歩けよ。」そりゃあ、健全者には短距離だ。しかし、ハンディがある者には遠すぎる!しかしおっとを見れば、この時点でかなり不機嫌である。おっとが不機嫌な時は何を言っても無駄なのは結婚後、腹が立つぐらい理解している。わたしは仕方なしに松葉杖をついて石畳の歩道をつまずかないように歩き始めた。普段はなんてことがない石畳も杖がくぼみに入ったり、傾いた石くれに滑りそうになったりで、かなりの恐怖だ。ちょっとした段差も平らなところしか今まで歩かなかったわたしにはこわい。松葉杖を握り締める親指と人差し指の付け根が力を入れすぎて真っ赤になった。近くに見える予約棟にちっとも近づけないのがイライラする。通りすがりの通行人はたいがいわたしをよけてくれるが、よけてくれずにズンズン向こうから向かってこられると、危うく歩道から落ちそうになる。やっと予約棟にたどり着いた時には心身ともに疲れ果てたのであった。しかし1時間後、予約を無事に取った後はもうおっとは昼休みに突入していたので、すぐに迎えに来たのがまだ救いであった。家の下に着くとおっと「歩行訓練に、階段を自分で上がれよ。」OOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!無理だよ、無理!!おっとはわたしが転げ落ちそうになっても大丈夫なように、わたしの後ろにつき、わたしは片足だけでピョコピョコ階段を上った。たかが1階だけ、といってもこんな状態の今のわたしには登山訓練にも感じられたのであった。やっと登り切り、わたしは家に入ってソファに身を投げ出し目を閉じる。も~、やってられない!!おっとはそんなわたしにねぎらいの言葉ひとつなく、わたしも腹が立っていたのでお礼の言葉もなく、おっとはさっさと独りで昼食をかき込んで仕事に戻っていったのである。残されたわたしは1時間ほどソファでぐったりした後、やっと体力を取り戻した。が、もう肩と腕と手に力を入れすぎて、筋肉痛であちこちがズキズキして辛い。ズキズキするといえば、縛り付けられた左足もそうである。看護婦は「家で調整してちょうだい。」と言った。ということは、勝手にはずしてもいいのか?おそるおそるはずすと、うっ血してボンレスハムになった足がむきだしになったのであった。ボロボロにむけた皮膚を消毒薬でそっとふき取り、元に、もっとゆるくドンジョイを巻く。試しに立ってみた。なんかが違う。もう一度はずしてまた着け直す。まだなんかが違う。またもう一度、やり直す。こうして日記を書きながら、エンドレスのドンジョイ着けなおし作業は今なお続いているのである。。。。。涙
2006.03.20
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この日、おっとはわたしの次回の診察の予約と、週末の食料の買出しに朝の早くからでかけた。イタリアの公立病院は予約ひとつ取るのも、開院と同時に行かなければ、待合室で何時間も待たされることが当たり前なのだ。わたしが左足を骨折してからというものの、毎晩の夕食の支度も、翌日の自分のお弁当とわたしの昼食作りも、家の掃除もごみ出しも、ベランダの鉢植えの水やりも、全部おっとがしているのである。その上、1日おきにわたしがシャワーを浴びる時に介助しなければならないし、着替えも手伝わなければならない。最近とうとう弁護士を雇って、家の問題に本格的に闘い始めたし、わたしの事故の保険の申請をしなくちゃいけないし、わたしの「我慢ならない国」のひとの雇用問題も抱えたし、で、とうとう金曜日の夜、おっとは切れた。家の中で咆えまくって、しかし小心者なので割れ物でないヌイグルミや、プラスチックのコップを選んで、ベッドに向かって投げつけた。おっと「早くせめて自分の事ぐらい、自分で出来るようになってよ!!」おっとの心境がわかるだけに、いつものごとく「何言ってるんだよっ!?」と言い返して大ケンカに発展する事はなかった。わたしはだいぶ回復してきたし、こまごました事は出来るようになってはきているが、実際に今の状況では、わたしはまだまだおっとの助けがないと、出来ない事だらけだし、病院も、弁護士事務所にも、ちょっとした買い物にすら歩いて行けない。まったくおっとは、ここまで家の全ての事を一人で担ってきて、今まで切れなかったのが不思議なぐらいだ。しかし、上記のセリフは現在はどうにもならないことがわかっているのに、言われたのが辛かった。悔しくなってうつむいた。そこで土曜の朝、決意して、おっとの留守に骨折以来トライした事のなかった「家の掃除機かけ」にチャレンジすることにしたのだ。退院後の今までのわたしの所業から比べれば、かなりの大作業である。なぜならこの日は旧友ニーノがわたしの状態をどこかから聞いて「今夜お見舞いに行くよ。」と言ってきたのだ。入院中のある日、おっとが毎日見舞いに来ていた時に、偶然診察に来ていた近所のおばさんと病院内で出会った。これがきっかけに、仲のいいカルラはもちろん、あらゆる名前も覚えていないような近所のひとまでが親切にお見舞いに来てくれたのだが、友達といえばクールで「お見舞いに行きたいんだけど、遠いし。。。」と誰も来てくれなかった。涙だからニーノが見舞い客の一号なので、わたしは張り切っていたのである。おっとの留守の間に家をきれいにしたら、おっとの手間がはぶけるし、わたしのことをちょっとは見直すだろう。松葉杖を1本にして壁を這いながら、掃除機にたどり着く。バレエをするような姿勢で左足を後ろに高く上げ、身をかがめてコンセントを差し込んでスイッチを入れた。まずは居間。これは楽勝だった。ソファに座って手の届く範囲に掃除機を当てればいい。我が家の1階はツルツルの石の床なので簡単に掃除機が進む。次にダイニングへと移動したのだが、ここは難儀だった。テーブルはともかく、イスの一脚一脚をケンケンしながらよちよちとよけ、たくみに掃除機を松葉杖のようにしながらあてる。そしてキッチンの絨毯に掃除機が吸い付いて離れなくなった時には両手が使えないのではがすのに、苦労をした。それから、現在はベッドを2階から移動してベッドルームになっている旧コックさんの部屋、続いてお風呂場に滑らないように気をつけながら掃除機をあて。。。。。全て右足だけのケンケンで行なったので、すっかり暑くなり、まるで真夏のように汗だくになった。所要時間、労力、普段の3倍ほど。すっかり終えて、ソファに両足を投げ出してきれいになった家の中を見渡した時には、まるで何かのトレーニングを終えたような充実感で満ち足りたのである。スポーツドリンクをコップになみなみついで、グイッと飲み干した後、Saicuccioさんに電話をかけた。というのは心優しい彼女は先日の「ヤギたちによるビスケットの災難」を語ると、気の毒がって再度小包で送ってくれた。それが前日届いたのだ。(←もしかして暗に催促してしまったのだろうか?)今度のビスケットは邪魔が入ることなく、心行くまでほおばる事が出来たのである。そのお礼と近況のお知らせだ。さっそく掃除機の快挙を語ると、Saicuccioさんは一通り笑った後、不吉な一言を発した。Saicuccioさん「今、いくきとちゃん、運が強烈に悪いのにそれで右足も捻挫とかしたら、ど~するのよ?」しまった。ただただ、より動く事に夢中になって、そうなってしまった事態を考えなかった。運が悪い時は、それが過ぎ去るまで静かに待ったほうがいい。。。。。のだが、わたしはそれが出来ない性格なのである!昼食時におっとが帰ってきた。わたしはこれもまた、骨折以来はじめて、インスタントだが鍋にミネストローネも用意して待っていたので、家の中を見渡し、鍋をのぞいて「へえ、やるじゃないか!」とお株が上がり、得意となった。2人で昼食を済ませ、おっとはまたすぐさま引越しの手伝いに出かけていった。しかしここでやめときゃいいものの、一度目覚めてしまった筋肉はなかなか静まらず、わたしは休むことなく、汚れた皿を洗ったり、片手で出来る簡単なつまみを作ったりしているうちにまた、汗をかいてきて、今度は「一人でシャワーを浴びる事」を決意したのである!おっとが履かせてくれた左足の靴下を脱ぐのと、小さなパンツの穴をドンジョイにくぐらせるには四苦八苦したが、残りの衣類は簡単に脱げた。お風呂場にある便座に座ってビニールのゴミ袋を左足に履かせるのも出来た。後は、浴槽に入るだけである。浴槽のふちに用心深く座り、右足でおそるおそるふちをまたいで浴槽に足をついた。あとは簡単。じりじりとお尻をずらしてふちに座ったままで左足をふちに乗っけてシャワーカーテンを閉めればいい。完璧だった。わたしは朝からの快挙の連続に満足して、シャワーを浴びた。「これでおっとにあのセリフは二度と言わせないぞ!」と髪を洗いながら反撃の仕方を考えたのである。だが、すぐに問題が起きたのだ。左足はともかく、狭い浴槽の中では右足と座りこんでしまったお尻が洗えない!!ぴょんぴょん腰を浮かそうとするが、滑りそうになってやめた。しかし「あ!」と思いついて左足をそろそろと浴槽の中におろし、滑らないように壁にしがみついて、右足だけで立って、お尻と足首までを洗うことに成功したのである!足先はしかたがない、これだけ後でおっとに洗ってもらおう。また座りなおして泡をシャワーで流し、95パーセントは成功した自分の仕事に満足しながらバスタオルで身体を拭いた。そして重大なことに気がついた。浴槽に入るときは力の入る右足から入ったので、問題がなかったのだ。しかし今度は左足から出なければならない。不可能である!しかもその上シャワーカーテンがきっちり閉まっていなかった為、床中が水浸しになっていた。更に松葉杖は手の届かないところに立ててあった。念入りに落ちて床に転がっている。八方ふさがりとなった。約1時間後、おっとが帰ってきた。「いくきーと!どこに隠れてるの!?」と声がしたので、必死で風呂場の緊急用呼び鈴を鳴らした。やっとおっとが水浸しの風呂場と、バスタオルを巻いて浴槽から動けない冷たくなったわたしを発見した。おっと「何やってるんだよ、もう!!ぼくが居ない時に勝手な事するなよ!」。。。ただわたしは自分で自分の事をしようとしたまでだ。この後すぐニーノが来たので、この事件はこれ以上ひきずることなく、幕を閉じたのだった。
2006.03.14
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この日は退院後1週間のコントロールの日だった。おっとは午前中仕事を休んだ。またもやおっとに抱きかかえられてクルマに乗り込み、病院へと向かう。今度は救急ではないので、患者でごったがえす待合室で待つ。しかし運がいいことに予約時間からたったの1時間経過しただけで、わたしの番が来たのだった。(ちなみに救急で来た日よりも早い対応である。汗)診察台に寝かされて約10日ぶりにドンジョイがはずされた。わたしは、ドンジョイをつけられたときには、というか入院以来、こわくて見なかった自分の左足をはじめてまじまじと観察した。手術の時に塗られたであろうヨードチンキで足全体が黄土色になっている。肝心のひざは、事故直後、変にぼこぼこしていたのが、元通りになっていたようなので安心した。が。ひざのあちこちに銀色のものが光っている。よく見ると、まるで皮膚を引っ張って、ホッチキスで留めたような。。?看護婦「今日はこれを取りますからね~。」とまるでやっとこのようなものを持ってにこやかに近づいてくるではないか!?うわ~!!わたしは目をつぶった。皮膚が引っ張られるのが感じられ、バッチンバチンという音と共にホッチキスがはずされるのが聞こえた。看護婦「もう終わりましたから、目を開けてください。」おそるおそる目を開けると、看護婦がまた元の通りてきぱきとドンジョイを巻きなおしていた。看護婦「次回は3月3日に来てくださいね。」とドクターの赤紙をくれる。そのドクターは診察室の隅でほぼ終始無言、こうして1時間待ちの診察は5分ほどで終わった。看護婦に車椅子を押されて、また元の待合室に戻るが、おっとの姿はない。近所の郵便局に払込に行っていた。そう、この日はせっかくとった半日休暇を無駄にしないためにハードスケジュールを練ったのだ。実は先日おっとは、あのわたしの「我慢のならない国」のひとを雇う決断をとうとう下してしまった。というのは、「フルッシ」という外国人不法労働者が比較的簡単に正当な労働者に切り替えられる法律が出たかららしい。(「フルッシFlussi」について詳しく知りたい方はくすぴおちゃんのサイトに結構載っています。)この後、会計士のところに行って彼を雇う相談と、銀行に行って、その「我慢のならない国」のひとのためのワゴン車を買うための融資を受ける相談に行くのだ。わたしは「我慢のならない国」のひと、という以前に人事として、あの男はどうしても信用が出来ない、と言い続けたのだが。。。おっと「あのひとはね、可哀相なひとなんだよ。家族を抱えて、食べるものにも困っているんだ。だからきっと、まじめに働くよ。君の会社のちゃらんぽらんなチプリアンと一緒にするなよ。」。。。そうだろうか?わたし的には、そういう切羽詰ったひとほど何をやらかすか、わからない未知の恐怖がある。というか、それより以前に、我々もふたを開ければ、家計は火の車が永遠の火のごとく、燃え盛っているってのに、他人の心配をしている場合なのだろうか?わたしたちはクルマに乗り込んだ。おっとはわたしを家に送らずに一路、ミラノの中心へと向かうではないか?わたし「ちょっと!わたしも連れていく気?」おっと「そうだよ、たまの気分転換でいいだろう?」わたし「。。。4階にあるエレベーターなしの会計士の事務所にどうやって、あがれって言うんだよ?」おっと「。。。。あ、そうか!」あ、そうか、じゃない~!!!この日は空はどんよりしてみぞれが降っていた。わたしは冷たい青空駐車場で、コートを着込み、白い息を吐きながら小1時間、クルマの中でぼ~っとおっとを待つことになったのだった。この後の銀行も、すぐそばに駐車スペースが見つからなかったため、クルマの中で留守番となった。涙そういった訳で、やっとクルマにおっとが戻ってきた時にはわたしはかなりふてくされていたのである。わたし「ここまでつきあったからには、当然わたしの会社にもちょっと寄ってくれるよね?」おっと「え~。。。まあ。。。じゃあ、20分だけね。」←20分と言うあたり、ちょっと日本人化してきているおっとここのところ人つきあいに餓えていたわたしは喜び勇んで必死で松葉杖を漕いで、会社に行き、あの大嫌いなチプリアンとまで抱擁をして(←でもチプリアンはおっとが好き)、近況をまくしたてていると社長がお客さんと会議室から現れた。思わず硬くなるわたし。社長はわたしの左足を見つめ「いくきーと、なかなかナイスな足になったじゃないか!」と冗談を言って笑いながら去っていったので胸をなでおろしたのであった。ちょうど20分ほどで会社を出た。久々に同僚たちにも会えたし、マリーナのように仮病じゃない事も証明できたし、収穫はあったな。毎日がこんなに充実したらいいのに。。。と思った。しかし、この夜。左足は今までに見たことがないほどパンパンに腫れ上がっていた。どうもここまで歩き回るにはまだ、早すぎたようである。無念。
2006.03.13
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いよいよ退院だ。前日からわたしは、家に帰ってシャワーも浴びれるし、限定はあるけど好きなことも出来るし、と浮かれていたのだが、おっとは渋い顔である。おっと「だって病院だったら完全管理下だから、ぼくは安心なんだよね。家に帰って、ぼくが仕事に行っている間に君に何かあったらどうするの?」もっともな意見である。これを聞いて両手離して喜ぶ事は出来なくなってしまった。しかし、うれしいものはうれしい。何が一番うれしいかというと、やっと隣のベッドの婆さんから解放されることである。前のお婆さんにはともし火のような命を前にして、ハラハラし通しだったが、この婆さんは少し若い、ということもありかなり違う。正反対で元気がいい。この婆さんはパリ近郊在住のフランス人である。若い頃はさぞや美しかっただろう、と思うのがクルクルの金髪や青い目からうかがえる。本人は73歳だと言っていたが、60代前半のような若若しさにびっくりした。パリで働く息子夫婦と、イタリア人と結婚して我が田舎町に住む娘夫婦がいるのだが、今回の入院に際してパリからはるばるクルマでやってきたのだ。飛行機ではなくクルマでやってきたのにはわけがあって、やくざの大ボスのような顔つきの7~8kgぐらいはあるだろう巨体でグレーの愛猫「ルルちゃん」が一緒に飛行機に乗れなかったからである。汗そんな思いまでしてイタリアの、しかもこんな田舎町の病院に入院するならパリの病院に行って息子夫婦に看護してもらった方がシンプルなのに。。。と頭をひねったのだが、すぐに謎が解けた。ROMP◎ SCATOLAなのである!(イタリア語勉強中の方!辞書を引いても載ってません。)来た初日からTVを一生懸命見ていたのは記述したが、1日中TVがつけっぱなしである。各ベッドにヘッドホンがついていて、それで各自音を聞くようになっているのだが、この婆さん、耳にヘッドホンを当てるのを嫌がって、最大ボリュームでヘッドホンをベッド脇に置いて観ているものだからシャカシャカ音以上のものが耳障りだ。おまけに時々つけっぱなしなまま、知らないうちに寝入ってしまっているので、わたしは枕を目の上にかぶせ、耳をふさいで夜中まで耐えなければならないときもあった。毎晩、娘がお見舞いに来る。50代半ばの栗色の髪の背の高い娘は、ハイソな美人である。この娘は毎晩お弁当とおやつを持ってきて、かわりに婆さんが包んだまずい病院食を、飼い犬の為に持って帰るのである。こまごまと婆さんの着替えを持って来たり、諭すように婆さんに話しかけるのをみていると、どっちが親だかわからなくなる。これぐらいはよかった。恥辱のパデッラの日々は:わたしはなるべく最小限にはしていたのだが、しかたなしに用を足すために看護婦を呼ぶとする。恥ずかしいので用を足している間は彼女に外で待ってもらう。。。と、ここまでしているのに、用を足している間に限って、TVを観るのを辞め「クッキー食べる?」とか、「うちのルルちゃんはね。。。」とかわたしの方を向いて喋り出すのである。わたしだったら、道で用を足しているイヌとでもうっかり目が遭おうものなら、気まずそうにそっぽを向くので、気を使って知らない振りをしてやる。わたしはイヌ以下かいっ!?と腹が立った。月曜日にこの婆さんは手術をした。前日の日曜の夜から婆さんは手術がこわくて、朝までメソメソと泣いていた。最初わたしは泣き出したのにびっくりして「ああ、弱い人なんだな。」と励ましていたのだが、いい加減飽きた。←ニヒルそして手術の終わった婆さんは急に老け込んで、歳相応の顔になった。しんどいのはわかるが、その後。「寒い、寒い!わたし死んじゃうわ!!」と看護婦、医者に涙ながらに訴えまくった。点滴が邪魔だといって手足をバタバタさせて、足の点滴が抜けて大騒ぎをした。夜中、ウトウトとしていると「いくきーと!いくきーと、起きて!!足の点滴がまた変なの!ガクガクするの!!看護婦さんを呼んで!!」と泣きながら訴えるので、慌てて飛び起きて看護婦を呼ぶと(←ちなみに各ベッドに看護婦呼び出しベルがついている)、点滴が身体に入る感覚に敏感になっていただけでなんともなかった。看護婦「これだけ暴れりゃ、点滴もまともに入っていきませんよ!」と怒りながら出て行き、わたしも呆れながら朝まで寝ようと勤めたが、もう寝れなかった。あまりにこうなので、この日火曜日は娘さんが、朝から付き添っていた。おかげでだいぶリラックスしたようである。今度は暑いらしく、病室のドアも開けっぱなしなのにネグリジェの下半身ヌードでも平気で毛布をめくってパンパンのお腹を露出して談笑しているのを見て、「ああ、だからパリの息子はパスしたのだな。」と遠い目で考えた。わたしは歳をとっても、こうにはなりたくないなあ。。。。。夕方になっておっとが迎えに来た。前日に「黒いロングの冬物のスカートを持ってきてね。」とタンスのどこに入っているかまで指定して頼んだのだが。。。持ってきてくれた着替えを見るとタンスの奥底にしまい込んでいた夏物の、白黒ストライプのミニのワンピースだった。←こういうものなのか、世の男とは!?とにかく心も晴れ晴れと、隣の婆さんに別れを告げ、おっとの用意した車椅子で救急出口から出てクルマに乗り込む。ミニスカートから露出した右足が冷たかったが、1週間ぶりのシャバは、それも忘れるぐらい懐かしく見えたのだった。おっととのおつきあい以来、はじめて抱きかかえられて(←おっと、腰抜けそうになる。涙)2階にある我が家に着いた。歩行器でもなく車椅子でもない、松葉杖をはじめてついて、家に入った。家の中は、今まで見たこともないぐらい荒れていた。テーブルの上にはビールの空き瓶がゴロゴロしてるし、ソファの上はスナックの食べカスだらけだし、流しは汚れたコップとお皿の山である。何かにつまずいて、さっそくこけそうになる。見ると、床に踏みつけられてひからびたスパゲッティがこびりついていた。おっと「土曜日、ウイリアム達が帰った後、夜通しコックさんとプレステで遊んだから、掃除する気力がなくなっちゃってさ。」いつもは掃除マニアのおっとも、やもめ暮らしになるとここまで変わるのか。普通なら嫌味のひとつも言うところなのだが入院してからというものの、おっとにはいろいろ苦労をかけているし、目をつぶることにしたのだった。この夜は簡単にインスタント食品を食べ、おっとの介助で1週間ぶりにシャワーを浴びた。左足にゴミ袋をかぶせて水が入らないようにし、バスタブの中に座りこんで左足をバスタブのふちに置くという、アクロバットな姿勢だった。と、いうか介助するのも、されるのも慣れていないので、水は鼻から入るは、熱湯を浴びせられるわ、ほとんど浴槽でおぼれるようにバタバタしていただけだったのだが、なんとかさっぱりしたのである。この夜から長い長い、自宅軟禁生活が始まった。
2006.03.11
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前日月曜日の昼食時、さっそくおっとがドンジョイの箱を持って現れた。値段を聞くと135ユーロ。ほぼ半額であったので、即買いしてくれたのだ。そういえば、病院の自販機のコーヒーも、我が社の自販機のコーヒーの3倍ぐらいの値段がする。病院とは医療費は安いが、その他自己負担品は高いようである。箱を開けると、まるでおっとが持っているサッカーのゴールキーパーの足の防具のようなものが出てきた。午後にはさっそく若いドクターが2人がかりで左足をウレタンの防具でサンドイッチのように挟み、金具を固定してマジックテープでパチパチと留めてくれた。若いドクターのひとりが「どう?石膏ギブスよりだんぜんこっちが軽いだろう?」と聞いたのだが、足を持ち上げて「ほう、軽いな。」と試すわけにもいかないのでよくわからない。そこで「これさえつけたら、独りでトイレに行けるんですね?」とおそるおそる聞いてみる。それはもちろんこの後、用を足したくなったとき、前日と同じ失敗を繰り返したくないからである。するとこともあろうに、もうひとりのドクターが看護夫シルバーノを呼んで来てしまったのだ!ドクター「彼女、トイレに行きたいんだってさ。ドンジョイをつけたばかりだから歩行器でお供してあげて。」OOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!看護夫シルバーノは日本の病院でもよく見る、老人が点滴をされたまま、看護婦さんに付き添われてよちよち歩いているような黒い歩行器を持ってきた。わたし「い。。いまは、まだ行きたくないんだけど。。。?」汗看護夫シルバーノ「せっかく持ってきたんだ。ドンジョイを試したいだろ?今のうちに行っときなよ。」とウインクする。仕方がない。好奇心も手伝って、上半身を自力で起こしてみる。このアクション、健康体なら大した事はないだろうが、事故直後から、今までこんな小さな動きすら出来なかったので、大した回復である。「五体満足」という言葉はまさにこんな状況に陥ってはじめてわかるのだな、と思った。看護夫シルバーノ「左足はぼくが持っているから、ゆっくり右足をベッドの下に降ろして。。。」わたしはこの言葉に従って右足を下ろすと、シルバーノはすばやくスリッパを履かせてくれた。看護夫シルバーノ「右足でバランスをとって、両手で歩行器のハンドルを掴むんだ。」わたしは右足で踏ん張り、慌てふためいてハンドルを掴んだ。すっかり筋力の衰えた右足がすぐにでも、ぐねってしまいそうな気がしたからだ。わたし「立った!立ったよ!!」とウルウルとシルバーノを見る。すでに彼はわたしの左足をおろした後だったが、ドンジョイでゆるい「く」の字型に固定されているので、この足は床に届いていない。看護夫シルバーノ「ゆっくり右足だけで踏み出してごらん。」ハンドルにしがみついたまま、右足だけで歩行器を押すと簡単に進んでわたしは廊下に出た。廊下の窓は換気の為に開けられていて、外のひんやりした空気が寝たきりでいつも何かに押しつけられっぱなしだった背中に気持ちよく感じられた。トイレの前に着くとシルバーノはわたしが彼を嫌がるのを知っているので「ここから先は自分で出来るだろう?終わったら、ベルを鳴らして。」と行ってしまったのである。ドンジョイ効果は素晴らしかった!まったく普通に、とはいかないが念願の便器にも座れたし、前日の大騒ぎとは打って変わって簡単だった。用が終わってベルを鳴らすが、前日同様、誰も来る気配がない。しかしわたしは落ち着いて、両手を石鹸で洗って、髪を手櫛で整え(←これも大進歩である。)一人で廊下に出て、しばらく立って歩く事を楽しんだ後、自力で病室に戻り、ここからは四苦八苦しながら、しかしこれも自力でベッドにあがって、独りこの小さな成功に酔いしれたのである。そしてちょっと体力の回復を待った後、今度は看護婦を呼ぶこともなく、独りで首からタオルをかけて洗顔セットのポーチを口にくわえ、洗面所に戻り、1週間ぶりのまともな洗顔を満喫したのである。(←ずっとウエットティッシュ生活だった。)シャワー室もあったので、トライしたかったが、さすがに危険を考えてやめた。こうして、何度もベッドから抜け出す事を楽しんでいるうちに夕方になり、中先生の回診行列が来た。中先生「ああ、この患者は明日退院だな。」とカルテを見ながら付き添いの看護婦に言っている。あ、明日?今まで誰に聞いても「この2~3日中でしょう。」とあいまいな返事しかもらえなかったのだ。しかも朝の8時から9時半の間に退出、という。こんなにギリギリに言われても。。。!その後、すぐに仕事が終わってやってきたおっとに言うと「今言われて明日の朝なんて、絶対無理だよ!」と看護婦に談判に行ったおかげで夕方退出となった。わたしと同日退院予定者は、同じく直前に知らされたようで、あちこちでパニックが起こったようである。汗
2006.03.10
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わたしはまだドンジョイを買うかどうか決めかねていた。おっとに相談すると「医療用品のお店の顧客がいるから、明日そこで聞いてくるよ。値引きしてくれるかもしれない。」と言う。この日は日曜日ということもあり、わたしはわたしで、まだ見たこともないドンジョイの情報を看護婦たちから集める事にした。看護婦A「まあ、確かに高いけど。。退院してからのリハビリには、だんぜんこっちのほうがいいわよ。」う~~~~~ん。。。。看護婦B「そうそう。それにドンジョイにしたら、トイレも独りで楽々行けるようになるわよ。」なんだって!トイレが独りで行けるようになる!?これはかなり魅力的な言葉であった。今までの「パデッラ」を使った恥辱的な日々とおさらば出来る!そう思うと5日間我慢してきた便意が急に催してきてお腹が痛くなってきた。看護夫シルバーノ「どうした、お腹が痛いの?」わたしは顔を赤らめて無言で首を横に振って否定する。なのに隣の婆さん、余計なことに、「この子、お腹が痛いに決まってるわよ! だって入院以来ずっと我慢してるんですって!」看護婦A「まあダメよ、5日も我慢しちゃ!今パデッラを持ってきますね!!」OOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!わたしは思わず「パデッラの上では絶対しませ~んっ!!」と絶叫したのであった。その後、どうしたかというと:看護婦、看護夫シルバーノ合わせて3人がかりで車椅子に乗せてもらい、念願のトイレの個室に運んでもらったのだ。あの時、便器が輝いてみえた。しかし。便器の高さが少し高くて、狭い個室では車椅子から移動できなかったのだ。涙しかたがないのでおまるつきの車椅子に移動して個室入り、となった。これもかなり抵抗があったが、最低限、人目にさらされず出来る事で渋々承諾した。石膏で固められた左足は水平に保つ為、用を足す間、便器の上に置く、という形になった。看護婦B「用が済んだら、そこに備え付けのベルのひもを引っ張ってね。」と出ていったのである。ふ~、やれやれ。やっと独りきりになれた。。。。久しぶりに晴れて念願を達成し、ベルのひもを引こうと身を乗り出した時。ツルリッと便器から左足が滑って落ちたのだ。うぎゃ~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!激痛なんてものではなかった。わたしは涙を流しながらわめき続けて、ベルのひもを引っ張り、看護婦が来るのを待った。しかし、来ない。必死で恥ずかしながらに個室のドアを開け、最初は小さく「助けて!」と叫んでみる。だが、廊下に誰もいないのがわかって「助けて~、たすけてェ~~っ!!!」と大声で叫んでいるとやっと看護婦が駆けて来たのであった。その後、涙でぐちょぐちょになって、肩で荒い息をしながら、ベッドに戻ると隣の婆さんはのんきに「どう、すっきりした?」と聞いてくる。←わたしの状態を見て、わからんのか!?あかん。。。。石膏ギブスではやっぱりあかん!この事件後、きっぱりドンジョイを買う決心をしたわたしであった。
2006.03.09
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毎朝のことなのだが、早朝から看護婦たちがドヤドヤと病室になだれ込んでくる。患者たちは叩き起こされ、注射を打ち、脈を計って、用も足したくなくてもお尻の下に例の「パデッラ」を押し込まれ、有無も言わさず、お股の間をぬるま湯で洗われるのである。何度も書くが、看護夫にそれをされた時ほど恥ずかしいものはない。涙この日は手術の次の日、というのもあってわたしは弱っていた。後からおっとに知らされたのだが、左足の手術跡からチューブが出ていて大量の血が床に置かれたポンプに溜まっていたらしい。しかしこの日もいつもの上記の儀式が乱暴に行われ、そのすぐ後の朝食の時にまるでバネの様にベッドの上半身を起こされたのが効いて、低血圧のわたしはまたたくまに激しいめまいと吐き気による貧血を起こして、看護婦を騒がせた。前日の手術直後と同じ状態に帰って、ぐったりとなってしまったのだが、そんなことにおかまいなく大先生の回診行列が来たのである。大先生はカルテを看護婦長に読ませて「ああ、昨日手術をしたのか。じゃあ。。。」といろいろなことを言っているのだが、意識が朦朧としたわたしには1km先で何かを言っているかのごとくわからなかった。ただ最後に「。。。というわけで、これをつけるなら有料だよ。」という言葉だけが「極貧」がすっかり染み込んでしまったわたしに敏感に反応した。「お、おいくらなんですか?」と何かもわからないのに聞いた。看護婦長「250ユーロ。」げ!高い。なんだ??いったい何の事だ!?問い返す元気もないうちに大先生の回診行列は去っていった。気分が回復した後、看護婦が来た時に聞いてみた。看護婦「ああ、それはきっとドンジョイのことね。」ドンジョイとは石膏ギブスに代わるウレタン性の軽いギブスらしい。石膏ギブスなら無料らしいが、これはまさに岩を足にまとっているようなもので重い事この上ない、重すぎてひ弱なわたしはびくとも動かす事が出来ない。しかしたった2ヶ月ぐらいの治療の為に250ユーロも払えないなあ。。。ベッドの上で買うか買わないかで、悶々としているとおっとから携帯にメッセージが入った。「今日はコックさんとウイリアム一家を家に招待したから、お見舞いに行けません。」なんだって!?ジェラシーとも、怒りともつかぬものが込み上げた。家で独りで寂しいのはわかるさ、何も耐えろ、とは言わない。けどなんで、わたしがいないときに限って、家でどんちゃん騒ぎをするんだよ!?しかも、そのためにお見舞いに来れないって。。。この日、土曜日は入院患者の家族たちは平日以上にたくさんお見舞いに来ていて、みんな和やかに談笑しているのだ。なんでわたしだけ、独りでぼ~っと過ごさなくちゃいけないんだ!?ムカムカしながら、わたしは独りの殻にこもった。すでに読んでしまった長編小説を読み返し、ふてくされてウトウトしかけたころ。。。。「いくきーと、大丈夫!」とゆすられて、びっくりして目を覚ますと目の前にウイリアムの彼女の顔が。わたしのベッドの周りにはウイリアム一家が鈴なりになっていて、病室のドアの外まではみだしていた。隣の婆さんはあまりの大人数にびっくりしたのか、狸寝入りをしているのがわかった。わたし「どうしたの!?」ウイリアムの後ろからコックさんが「今からみんなでスーパーに買い物に行くんで、そのついでに来たんです。」←スーパーおたくおっと「きみにSAICUCCIOってひとから小包が来てるよ。」そうなのである、心優しいSAICUCCIOさん、何か送ってくれると数日前に言っていたのだ。おっとはバリバリと包みを開けた。「たくさん本が入ってるよ。あとラーメンとおかきと、あ、ベネチアのビスケット!おい、みんなこれでも食べてくれや。」と本人の承諾もなく、ヤギたちに振舞い始めるではないか!?わたし「き~、ちょっと!それはSAICUCCIOさんがわたしにくれたのよ!!」おっとは「ケチケチするなよ。」といいながらヤギたちに廻していき、最後にほとんど粉だけ残ったビスケットの袋をわたしに渡したのであった。涙コックさん「。。。ラーメン、おいしそうですね。」わたし「。。。。全部、わたしのだ。」怒こうして大騒ぎしているとドアの向こうからせきばらいが聞こえた。看護夫「え~、ゴホン。悪いけど ぼくは彼女の氷嚢を交換しなくちゃいけないんだけど。。。」この声でヤギたちはわたしにキスの嵐を浴びせ、瞬く間に退散していったのである。看護夫「なんか、君の友達を追い出したみたいで悪かった?」わたし「あ?いえいえ、グッドタイミングでした。」←これ以上、被害を出したくなかったわたし。看護夫「あの一人だけいた日本人が君の旦那さん?」わたし「いえ。。。違います。」看護夫「他の人、みんなナニジンだったの、ペルー人が大半みたいだったけど?」わたし「全員エクアドル人で、うちの旦那もあの群れのひとりです。」看護夫「え。。。!旦那さん、エクアドル人なの。へえ~。」と訳のわからない感心振りで出ていったのである。隣の婆さんは看護夫が遠ざかったのを見計らって「なによ、あいつ。患者のプライバシーに突っ込んで聞いちゃってさ。」←それを聞いているあんたも他人のことが言えるのか?わたし「好奇心が旺盛なんですね。」隣の婆さん「違うわよ、きっとあんたに気があるのよ!!」OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!????????????や、やめてくれ~、そういう考えもしなかったスキャンダルを産み出さないでくれ~!!この看護夫の名はシルバーノ。46歳、仏教徒。独身。過去に日本人の彼女を持った経験あり。を、異常に意識して、彼のパデッラを絶対受け付けなくなったのは、この日からである。汗
2006.03.08
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幸いにもわたしの病室はタコ部屋ではなく2人部屋でTVもついており(有料)、隣人は90歳ぐらいのお婆さんだった。彼女はもう1週間、入院しているらしい。最初は静かな個室だったのに、わたしが入院してきた日に患者がどっと増え(汗)、このエレベーターの隣の騒音がうるさい2人部屋に移されたのがかなりご不満のようである。。。。というのは、毎晩病室を訪れる彼女の4人の子供達(といっても2人がもう定年退職の身)が語ってくれた事だ。彼女は時々ゲップをしたり、看護婦さんが注射をしにくるときに、何かぼやく以外はあまりにも静かで、わたしは隣にいながら、ある時気がついたら、息をしてないんじゃないかといつもハラハラしていた。きっと若い?わたしを隣にしたのも、見張りが狙いだったんじゃないだろうか?当初、木曜日が予定だったわたしの手術日が金曜日に延期された朝。あわただしく看護婦達が手術室にわたしを運ぶ準備をしている横で、老いた隣人のところも子供たちが勢ぞろいし、リハビリの為の療養所に連れていく準備をしていた。わたしは勤めて明るく「お互い頑張りましょうね。」と言って看護婦達にベッドに寝たそのままの状態で手術室へと運ばれたのだった。運ばれたのは1週間前と同じ階の別のナンバーがついた手術室だった。それほど大きくない田舎町の病院は全ての科の手術室がワンフロアに集中しているらしい。わたしを運んできた看護婦が出て行き、中から別の看護婦が出てきた。「あらっ、また来たの?!」くしくも前回の手術に立ち会った看護婦さんである。「あんた、相当運が悪いのねえ、ハハハ。」。。。。笑うな。涙続いて出てきた麻酔医を見てわたしは息を呑んだ。がっしりとでかい身長、短く刈ったひげ面、眼鏡の奥の穏やかな瞳。おっとと付き合う前まで付き合っていた元彼そっくりだったのだ!(←ちなみに元彼は現おっととはかなりタイプの違う「知的派」だった。)わたしは身を硬くして麻酔医の説明を上の空で聞いていた。。。。こ、これはちっともいい別れ方をしなかった元彼の呪いなんだろうか?もう何年も会っていないんですけど?もしかしてまだ引きずってるのか!?なんで、今更!!??顔が似ている人というのは喋り方も、声も似ている。この出会いに多少ノスタルジーを感じ、手術の成否に大きな恐怖を感じながらも、彼の手による麻酔を拒否する事も出来ず、眠りに落ちていったのである。気がつくと手術がすっかり済んで、わたしはまた病室に運ばれている最中であった。ああ、どうやら命だけは取り留めた。。。(←麻酔のアレルギー死を心配していた。)病室に運び込まれると、あのお婆さんはすでに退院しており、隣のベッドにはすでに別のお婆さんが寝ていてガッカリした。看護婦「いいですか、これからあなたは昼食抜き、水も飲んじゃいけませんよ。」と立ち去る。まだ麻酔も覚めきらないまま、ぼんやりと隣のベッドを見ると、金髪のコロコロと太った婆さんはすっかりくつろいでいてみかんをむしゃむしゃ食べていた。婆さん「はじめまして、みかん食べる?」わたしは朦朧と首を横に振る。見れば、婆さん、わたしが買った有料TVのヘッドホンを耳に当てTVを見ている。。。。わたしの、ってわかってるんだろうか?まあ、今TVなんて観る気力がないからいいんだけどさ。とにかく寒かった。身体が芯から冷え切っている上に、左足の上には念入りに氷嚢までが乗っかっている。右腕は露出され、2本もの点滴が腕に差し込まれていた。喉はカラカラ、情けない思いでいると昼食時になって、おっとが様子を見に来た。おっとを見て喜んだのは隣で退屈していた婆さんだ。ぼんやりと死体のように横たわったわたしを挟んでおしゃべりに花を咲かせたあと、おっとは仕事に戻り、婆さんは再び「チョコレート、食べる?」とわたしに聞いてから、TVに視線を戻した。わたしはうとうとと眠りに落ちた。次に目が覚めたのは、薄暗い夕暮れ時。例の麻酔医に静かに起こされた。麻酔医「調子はどう?」わたしは小さく「大丈夫です。」と答える。麻酔医「そう、それならいいんだ。何かぼくに出来る事があるかな?」と穏やかに聞く。わたしは即座に「い、いつになったら水が飲めるんでしょう?」とかすれた声で聞いた。それぐらい喉が渇いていた。すると麻酔医はぐったりしたわたしの上半身を抱え起こして「ゆっくり飲んで。」とコップの水を口に含ませてくれたのだった。看護婦も、おっともしない行動に、思わず元彼の姿とだぶった。彼の目を見て、ぽろっと涙がこぼれた。今思えば、こんなことで涙が出るなんて我ながら恥ずかしかった。
2006.03.07
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とにかく暇だった。看護婦に「いつ退院できるの?」と聞いても「さあ。。。手術次第だからわからないわ。」と怖い言葉をあっさりと答える。どうしても正確な日を早く知りたかった。我慢が出来なかった。左足がぎっちりギブスで固められているので、重さもあって左右に腰を動かす事もできない。食事時にボランティアの人々に支えられて、ベッドの上半身を起こしてもらい、やっとかろうじて食べられるのだが。。。何に一番閉口したかというと、トイレである。何かを食べると当然の生理現象でいやでももよおすものである。どうやって用を足していたかというと:看護婦にお尻を持ち上げてもらい、「パデッラ」と呼ばれるチリトリの先がバケツ状になったようなものを下に引いて用を足すのだ。看護婦さんにそのようなものの処理をさせるのは恥ずかしい事この上ない。まだ「看護婦」ならいいが「看護夫」の時は出るものも出ない。わたしは最初にこの「パデッラ」を見たときに重大決心をした。「小」はしかたがないので1日最小限するが、「大」は退院するまで絶対するものかと!
2006.03.06
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この朝は又寒さが戻り、朝出勤のためスクーターにまたがると顔に当たる風が氷のようだった。家を出て最初の曲がり角で私は凍った道路にツルリと滑りそうになる。危ない、危ない。慎重に駅へと走っていたつもりだった。駅へと下る坂道の途中からあの「開かずの踏み切」がいつものごとく閉まっているのを見て、回り道をする為に曲がろうとしてまたもや滑りそうになった。その回り道は踏み切を避ける為、駅をまたぐようにして造られた陸橋で、急な坂道である。スクーターを運転し始めた頃も、クルマを運転し始めた頃も(ってまだまともに運転できないけど)、あまりの急斜面のため一番こわかった坂だ。今でこそ慣れたが、こんな日だけに慎重に坂道を上がった。上がりきるとすぐに急な下りである。息を吸って、ゆっくり下ろうとした瞬間。ツルリと滑った。まるで数年前におっとが生まれてはじめてスキー場に行った日に、上級者コースのリフトを降りるやいなや、転んだ様子とまったく一緒だった。(←初日に上級者コースに連れていくなって?)わたしは宙を舞い、スクーターはあっという間に轟音を立てて横倒しに坂の終点まで流れて行った。わたしは凍った道路に叩きつけられ、うつ伏せ状態でズ-ッと坂の途中まで流されて留まった。途中、腕時計がはじけて飛んでいき、ヘルメットのフロントのプラスティックにひびが入った。坂の上を見上げると、すでに後続車のヘッドランプが見えた。わたしはうつ伏せの姿勢のまま身を起こすと、左足がままならない。「やばっ、壊れた。」と急いでほふく前進で道路脇の積み上げられた雪の山の方によける。(←この行動、SAICUCCIOさんにクールと言われた)「おい、大丈夫かッ!」という声に上半身を起こすと、対向車のトラックのおっちゃんがクルマから降りてきて「歩けるか!?救急車を呼ぼうか?」と支えて立たせてくれた。この時、わたしは左足の事よりも、とにかくびっくりしてしまっていて「大丈夫、大丈夫。」と答えてしまったのである。おっちゃんは急いでいたらしく、てきぱきとはじけ飛んだ腕時計を拾い、スクーターをわたしのそばに立たせてくれて、「そうか、気をつけて運転しろよ。」と行ってしまった。こうして独りで道路脇に取り残されてやっとだんだん冷静になってきた。。。。。。これって、これって、もしかして緊急事態!?急いでおっとに携帯で電話するが、我が田舎町、特に駅周辺は電波がとだえて電話が繋がらない。とにかくここから脱出しなきゃ。歩こうとすると左足が変な方向にくにゃっと曲がる。うう、ただぐねっただけだよね??涙あああ、やっぱりおっちゃんに救急車を呼んでもらうべきだった。今更言っても遅い。わたしは覚悟を決めて、ケンケンをしながら苦労してスクーターにまたがり、ホウホウの態でなんとか無事に家の下までたどり着いておっとに電話する事に成功したのだ。そしてこのときほど、おっとの職場が近所だった事に感謝したことはない。おっとはあっという間に駆けつけ、すでにお馴染みとなってしまった救急棟にまたもや運び込まれたのであった。汗その救急棟といえば。満員である。そう、この凍りついた道路のおかげで我が田舎町町民がことごとく滑って転んで、ぞくぞくとここに押し寄せてきていたのだ。おかげで救急だというのに、番号札が配られ(大汗)、待ちに待って診察、再診察、各種レントゲン、再々診察でようやく「左ひざのお皿が割れた。」と太鼓判を押される。軽い打撲ぐらいを望んでいたので、大ショックである。左足を石膏と包帯でぐるぐる巻きのギプスにされ、病棟に放り込まれた時にはすでに夕方になっており、朝ご飯を食べてからは飲まず食わずのわたしたちは、すっかりげっそりしてしまったのだった。看護婦「奥さんこれからしばらく入院になりますから、ダンナさん、家から着替えを持ってきてあげてね。」OOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!げげげげげげげ、またかよ!前回の入院からちょうど1週間と1日後である。去年もたいがい厄年だったけど、今年は大厄?それともルイジの呪いだろうか???この日、SAICUCCIOさんから「ちっとも日記を更新してないけど、何かあったの?」と携帯にメッセージが入る。虫の知らせ?わたしたちって心と心が繋がってる??(←気持ち悪いって?)あまりにもの大ネタに、ついつい彼女に電話をして一部始終を語らずにはいられなかったわたしなのであった。
2006.03.05
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会社には「インフルエンザでしばらく休みます。」と言っておいて正解だった。毎日が手術後の出血による貧血と脱力感の繰り返しで、長い間立っている事が出来ない。お腹も、はっきり内部に傷があることがわかって時々キリキリ痛む。おかげでこの数日家から出る事がなかった。わたしはまるで長年あこがれ続けた専業主婦になった気持ちで、家事を黙々とこなしながら体力の回復を待ったのであった。おっとも、ずっとわたしを専業主婦にしたがっていたので、普段とは違ういつもきれいに片付けられた家、まともに料理されたお弁当や夕食に、複雑ながらも機嫌が良くなっていたようである。
2006.03.03
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この日、朝早くに病院に着くとすぐに2人部屋の病室に連れていかれた。看護婦「パジャマに着替えてベッドで待機してください。」隣のベッドを見ると、金髪のお姉さんが寝ていた。彼女は妊娠3ヶ月で、つわりが激しくて脱水症状を起こして、3日前から入院となったらしい。おっとは手持ちぶたさで立ち尽くしていたが、これ以上何もすることがないことがわかると「何かあったらすぐに携帯に電話するんだよ、いいね?」と後ろ髪引かれるように仕事に行った。着替えてベッドに入り、フレンドリーな隣のお姉さんと努めて明るく談笑していると、看護婦が「ついてきてください。」と現れる。恥ずかしながらよれよれのパジャマとスリッパ姿のわたしは、外来患者も頻繁に往来する廊下を通って、看護婦さんに連れられて「診察」「検査」の嵐が始まったのであった。看護婦が外来の患者の順番もすっ飛ばし「急患です!」と診察室の扉を叩くだけで、今まで何日もかかって、何時間も待って、診察にたどり着いていたのがウソのように簡単に扉が開かれ、すぐに診察が始まる。再度この日にエコーも見直す事となった。あちこちの角度からきっちり見直すと、3cmぐらいの卵の底から2mmぐらいの胎児の影が発見されてようやく少し現実感が沸いてショックを受けたのである。その後、部屋を移動してずいぶんと偉そうばっている初老の医師の診察である。医師はカルテを見ながらイスにふんぞり返って「あ~、今回の堕胎手術は君の意志によるものか?それとも自然流産か?」とまるで軍曹のような口の聞き方で質問してきた。ちなみにイタリアは日本と違って、女性だけの意思で中絶が決められるのである。この時、この医師のものの言い方にも腹が立ったが、この期におよんでこのデリカシーのない質問にも大いに腹が立ったのであった。ムカムカしながら病室に戻ると、息をつくひまもなく、看護婦が手術着を手に現れた。看護婦「身体についている貴金属、下着をぜんぶはずして、これに着替えて下さいね。」わたしが手術着に着替えると、さっそく車付きのベッドに乗せられ、看護婦2人がかりで手術棟に運ばれる事となった。わたしの頭の側にいた看護婦はわたしの顔を何回ものぞき込んで、さも哀れそうな顔をして「可哀相に。。頑張るのよ。」と励ます。この時、当の本人はまだ、そんなに自分の境遇を理解できていなくて「はあ。。。大丈夫です。」と他人事のように答える。手術室につくと、まだ手術の準備が出来ていなかった。看護婦2人はわたしをひんやりした廊下に残し「じゃあね。」と去っていった。しばらくして、本日の手術の担当医であろうと思われる医師がわたしの前に現れた。カルテを見ながら「え~、イタリア語は理解できるかね?」と聞くのでうなずくと簡単な質問をして更に「今回の堕胎手術は君の意志によるものかね?それとも自然流産かね?」とさっきの医師と同じ事を聞いてくるではないか!?デリカシーがなさすぎる!!カルテのどこにも、そのことは書いていないんだろうか?もしこの手術が本人の希望だった、と答えようものなら悪者のごとく扱われて、雑な手術でもされるんだろうか!?わたしはこの医師をちょっと引っ掛けてみることにした。イタリア語がわからないようなふりをして「え~と、これは本人の意思。。。」と言ってちらっと医師の顔をうかがうと彼の眉がカッと釣りあがった気がした。やっぱり。「。。。ではなく、残念ながら自然流産です。」と慌てて答えると、医師はちょっとわたしを哀れむような顔になったのである。そして医師が奥に引っ込み、わたしは手術室の中に運ばれた。中では3人の看護婦が談笑しながら手術用の大きなランプをセットし、手術台の角度を合わせている。彼女達は慣れていないのか、どこに角度を合わせるハンドルがあるのかわからないらしい。見るに見かねて「このハンドルだと思いますよ。」とベッドの中から指して、自分で手術台にあがって「あ、もうちょっと下。」と努めて明るく言っている自分が情けなくなってきた。だってこういうのって、普通先に麻酔をかけられて、知らないうちに全部やられているものなんじゃないだろうか?そうこうしていると、やっと麻酔医が来たのであった。麻酔医が注射を打ちながら「ちょっと頭がクラクラするかもね~。」と言っているうちにわたしはすぐに意識を失くしたのだ。遠くで一番甲高い声で談笑していた看護婦の声がまだうるさいな。。。と思っているうちに目覚めるとすっかり手術が終わって手術室の外の廊下に運ばれるところだった。看護婦「終わったわよ、大丈夫?」わたしはかすれた声で「お、お腹が痛い。。。」看護婦「当たり前よ、今手術したばかりですもの。」こうしてまた病室に戻ると隣のお姉さんの旦那さんが迎えに来ていて、ちょうど退院していくところに出くわした。「お大事にね。」と気の毒そうな顔をしながらも、2人で幸せそうに寄り添って出て行く姿を見て、ようやくジェラシーと、女性としての正常機能も果たせない自分に対して劣等感が強烈に沸いてきて、落ち込んでしまったのである。夜になっておっとが迎えに来た。おっとは疲れきった顔をして、想像以上に落ち込んでいた。どうしていいのかわからなくなった。とにかくわたしは昨日の夜から絶食絶飲していたので、とにかくお腹が空いてたまらなかった。おっとは食欲がなさそうだったが、わたしは努めて明るく「ねえ、もう遅いしピッツェリアに行こう!」とうながして、いつもは食べきれなくて残してしまう、そこの店名物のどでかいピザをはじめて完食したのだった。はあ。。。。わたしにとって、感情と食欲は無縁のものらしい。涙
2006.03.02
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実は先日、やっとたどりついたホームドクターの診察で「妊娠ですね、たぶん。」と言われた時には驚いた。保険所で妊娠検査もしたのだが、その結果も待てず市販の妊娠検査薬で検査すると確かに「陽性」だった。そういえば今は収まったが、数日前までどうりで気持ちが悪かったわけだ。これが世に言う「つわり」なのか?しかし変だ。わたし「なんかさ、全然実感が沸かないんだけど。。。」おっと「バカな事、言うなよ。」とにかく大きな不安と期待を抱きつつ、おっとと共にエコー検査に出かけた。日本と違って医師との間に隠すものも何もないベッドに寝かされ、「今日ははじめてのエコーなんですね。旦那さんも一緒に見ましょう。」とエコーの画面を遠慮がちにベッドの隅に立っているおっとにも見えるように向ける。医師と3人でドキドキしながら画面をのぞき込んだ。画面の中央に丸い黒い影が見えた。これなのか?医師「。。。妊娠はしてましたね。」おっととわたし「はあ?」わたし「。。。ってことは今は違うんですか?」おっとは無言でつばを飲む。医師「卵の殻だけが育っているんですよ、中身がありません。ここ数日で出血とかはありませんでした?」わたしは首を横に振る。そういえば1回、お腹が痛くなった事はあったけど、そんなにひどいものじゃなかった。医師は呆れた、といった風に首を振って「流産を気が付かないでそのまま放置して感染症を起こす人もいるんですよ?明朝、即手術入院してください。」と淡々と赤紙に何かを書きつけ判子を押した。2人は呆然と赤紙を受け取って診察室を出た。どちらもどちらにかけるなぐさめの言葉も出てこなくて、そのまままるで何事もなかったかのように仕事に戻ったのだ。会社に戻ると唯一この日の遅刻の理由を伝えてあった同じチームのアンナが顔を輝かせて「どうだった!?」とさっそく聞いてくる。事情を話すと、たちまち暗い顔になってわたしを抱きしめた。わたし「あのさ、明日からしばらくインフルエンザにかかった、ってことで数日間欠勤することになると思うから口裏を合わせておいてくれる?」アンナは「心配しないで。」とうなずいた。わたしは、というと妊娠をしていた(過去形)というのも、明日手術をしなければならない、というのもちっとも実感が沸かないまま、通常通り仕事を終えて家に帰り、淡々とイタリアではじめての入院の為の荷造りをして、おっとと2人で何事もなかったようにベッドに入ったのだった。
2006.03.01
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。。。って、わたしも焦った。というのもメールでまず彼の我が家への入居が決まり、我が家に来てからいろいろとわかったのだが、コックさんの来伊目的は、語学留学ではなく、コックさんの腕を買った各種イタリアンレストラン行脚だったのである。その中のひとつは世界に名だたるミラノの5つ星老舗ホテルに新しくオープンするレストランで、コックさんとしてもこれは絶対へまが出来ない、と準備を慎重に進めていたのだが。。。。コックさん、イタリア語出来ない。⇒ 履歴書をイタリア語で書けない。⇒ イタリアで知り合い誰も居ない ⇒ いくきーとさん、ヘルプミ~!!!となったわけである。わたしはメールの段階では、そんな詳細はちっとも知らなかったので、「語学留学になんで履歴書が?たぶん、どっかの中国人が経営する日本食レストランでのバイトかな?」と思い、クールでニヒルなわたしは、イタリア語の履歴書の書き方が載っているサイトだけ教えて、あとはコックさんに自分で書くように命じたのだった。でも可哀そうなコックさん、それでもわからず結局「イタリア語でも英語でもいいってことだったんで、英語で用意します。」と相成った。(←だったら最初からそうしろよ、と思ったわたし。)なので「ああ、イタリア語は出来なくても英語は出来るんだな。」と安心していたのだが。。。我が家に来て、はじめて英語も出来ない、ということが判明した。大汗(履歴書:義妹ちよさん作)どっちの言葉も出来なくて、イタリアで仕事する、って、ど~~~~するんだよ!!!???コックさん「調理場なんて、そんなに喋る必要はないから大丈夫。」。。。。。喋る必要がないって、あんた。汗結局、わたしはそんな言葉じゃちっとも納得が出来ないまま、コックさんにひしひしと(うるうるではない)頼まれて、日曜日の夜、カチコチになりながら、某老舗ホテルのフードマネージャーに面接のアポを取る電話をした。何人ものオペレーターの手をへてやっと繋がる。フードマネージャーは冷たい声を持つひとだった。緊張で震える声で用件を伝えると、淡々と「わかりました。明日18時半にホテルのロビーに来てください。」と言ってがちゃん、と切れた。わたし「5つ星ホテルってことは、ちゃんとした服装をしていかなきゃいけないってことだよね?」コックさん「そ~ゆ~ことですね。よろしくお願いします。」。。ってあんた。汗実はコックさんの「成功の暁には絶対レストランでごちそうしますから!」という甘い言葉に乗せられて、まだどこに行くかも知らないときに、軽く通訳としての同行をOKしてしまったのだ。それがとても悔やまれる。(←てっきり日本食だと思い込んで、寿司食い放題を期待してたし。)そしてアポのあった昨日の夜。自分の面接でもないのにカチコチになりながら、5つ星ホテルの回転ドアをくぐる。目の前に垂れ下がった立派なシャンデリア、箱根の寄木細工のようなエレガントな寄木細工の壁、ぴかぴか大理石の床、真っ赤なアンティークの立派な椅子。。。相当気後れしながらコックさんの姿を求めておずおずと中に進んでいくと、一番奥の4つ席でちんまりと座り込んでいる貧乏学生旅行者のような(←すまん)コックさんの姿があった。さっそくフロントでマネージャーを呼んでもらうと、イタリアでは奇跡的なぐらい、彼がすぐに姿を現したのだ。(さすが5つ星!)電話の冷たい声の印象とは大いに違って、はつらつとしていて、イタリア人と思えないぐらいてきぱきしたひとだった。マネージャー「いや~、遠いところをはるばるいらっしゃい!!」と大きな笑顔でわたしにブンブンと握手をしてくる。わたし「あ、どうもどうも。汗 いやっ、わたしはただの通訳で、彼が日本から来たコックさんです。」マネージャー「あ。ああ、いらっしゃい。」そうして3人で着席した。マネージャーはコックさんに上等な紙に金で刻印された名刺を差し出す。コックさんも落ち着いていて、がさごそとかばんを探って、例の英語の履歴書を差し出した。マネージャーはさっと英語の履歴書に目を通し、わたしに「彼、イタリア語が出来ないんだね?じゃあ。」と英語でコックさんに語りかけ出したのである。わたしは慌てて「彼、英語も出来ないんです。わたしを通してイタリア語でお願いします。」という。マネージャーはそれを聞いてちょっといぶかしげな顔をして、すぐにポーカーフェイスに戻った。そして履歴書に目を戻し、「彼のスキルは認めるよ。。。でも、イタリア語も英語も出来なくてどうやって、仕事上のコミュニケーションをするんだい?いったいどういうつもりで面接に来たの?」とわたしの目を見据える。ぐぐぐ。。。わたしが思っていたことと一緒。コックさん大ピンチ!!わたしがそのことをコックさんに伝え、コックさんが返事を考えているとマネージャーのところに「Yah,Yah!!」とナニジンだかわからないガイジンが2人来て親しそうに挨拶をはじめた。これはチャンスである!2人で慌てて作戦会議をした。コックさん「ぼく、料理用語はほとんどわかりますって言ってください。」わたし「よしっ、それを伝えて語学学校の強化コースで文法は特訓するから!って言えばいいね!!」マネージャーがやっと席に戻ったのでそのことを言うと、ちょっと安心したようだった。そしてそこに追い討ちをかけるように、コックさんが持ってきた、彼が載っている料理雑誌のページを拡げ、数々のコックさん作の料理を見せて視覚攻撃に入るわたしたち。マネージャーも先日のおっと同様、すっかり雑誌に見入り「OOOOOOOOHHHHH!すばらしい!!」の連発である。その間、マネージャーの核心をついた質問にも大胆かつ、自信満々に答えるコックさん。わたしもこんな(どんな?)コックさんの偉大さを感じた瞬間であった。マネージャーは全ての雑誌に丁寧に目を通したあと、急にガラッと態度が変わり、「今から君たちにキッチンを見せて廻ろうじゃないか!」とわたしたちをそれはそれは素晴らしい、レストランと3つもある厨房に案内してくれたのだった。マネージャー「今はね、工事中だからこんなに小さいけどもうすぐここは素晴らしいガラス張りのオープンカフェレストランになるのさ!このあいだ取り寄せたプロバンス地方のアンティークの噴水が置いてある庭がよく見えるようになる。レストランの一角にオープンキッチンを置いて、そこで料理するところを見せてお客さんに楽しんでいただくつもりだよ!!」わたしはマネージャーの素晴らしい話術と、まだ見ぬオープンカフェレストランを目の前に描いて、マネージャーと2人でうっとりとなる。一通り彼が話し終わった頃には「なんて素晴らしい企画なんでしょう!スペクタクルです!!」と拍手をして激しく同意していた。ところがコックさんはこんなに素晴らしい話なのに、浮かぬ顔である。コックさん「いくきーとさん、このレストラン、ミシュラン星を狙ってるのか、聞いてもらえますか?」マネージャー「もちろん!我々の最終目標はそこにあるっ!!」その言葉にわたしはまたもや激しく同意し、拍手をした。もう間違いない。きっとこのホテルはコックさんを雇うつもりだろう。あとはまだもらえていない滞在許可証の問題のみだが、それさえクリアすれば絶対大丈夫だ。わたしは興奮と大役を果たした感で満ち足りて、足取りもウキウキとコックさんと一緒に田舎家に帰る電車に乗り込んだ。コックさん「。。。あのマネージャー、何したいんだかわかんねえ。」わたし「はあ?」コックさん「おれさ、コックをするためにイタリアに来たんだよね。このホテルもミシュラン星狙ってる、っていうから誘いに乗ったんだ。お客の前で料理するショーをやるためじゃないんだよ。」わたし「。。。あ。」コックさん「そんなエンターテーメントやりながら、ミシュラン星なんて摂れるわけないじゃん。そんなんだったら、よっぽど地方の味にこだわった小さなレストランでコックするほうがマシだよ。」わたし「そうか。。。でもさ、まだ企画の段階なんだから、それについてはいくらでも口が挟める立場に居ると思うんだよ、コックさんは。」コックさん「。。。。そうなんだよね、喋れたらなあ、イタリア語。」そうなのだ、結局基本に戻ると外国ではその国の言葉が喋れないとお話にならないのだ。で、昨日の夜からコックさんのイタリア語の特訓が始まった。*****PS.みなさま、コメントありがとうございます!昨日から会社のインターネットのラインが時々不通になるので、お返事欠いていてスミマセン!!(今も繋がっているうちに慌ててUP中。ああ、イタリア。)
2005.11.22
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ごぶさたしております。実は前回の日記から体調が悪くなってそのまま1週間の休暇に突入したんでみなさんに1週間の休暇のお知らせを出来ないままほっぱらかしてしまいました。(家の整理だけで終わる予定の休暇だけど。涙)体調が悪いときって、やっぱり気分がネガティブになっちゃってあんな日記を書いちゃうんだなあ。。と反省。実はこれを削除しに会社にちょっと顔を出したんですが(家にはお金ないんで電話線、引いてないし)、みなさんからいただいた貴重なコメントを読んで、「やっぱりこれも日記のうち。」とやめることにしました。いろいろ語りたいことはあるんですが、それは来週火曜日からまた復活したいと思います。それではみなさん、バイビ~!
2005.08.10
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saicuccioさんのイメージ・バトン、Aliceさんから「ブック・バトン」が週末に同時に廻ってまいりました。それに続けてGabbynaさんからも「調味料バトン」が!!やっと待ちわびていた花金にこんな難題を廻すとは罪なひとたちでございます。で、予定を変更しまして本日お応えします!!*************************************************「イメージ・バトン」以下の4つが答える項目です。1.自分の前の人の連想結果。2.前の人の連想結果から連想するもの。3.前の人に対する(愛の)メッセージ。4.次に回す人3人。1. saicuccioさんの連想結果。 『幸福と束縛』2.前の人の連想結果から連想するもの。 『ウィリアム』(←大家族な上に従業員も増えてきて、美人の婚約者もいて幸福そうである。だが、このフタを開けると家族の一番稼ぎ手なので一同にぶらさがられ、束縛され、身動きが取れないのである!!)3.前の人に対する(愛の)メッセージ。 愛の?うちはそういった趣味はないんですが、まあ男の趣味はどっちかというとゲイにも受けるような体の線が細い人。。。。って前のひとにじゃないやんっ!!ええええっとお~~~、そう。saicuccioさんの(男の)ご趣味は。。。。??(自爆)4.次に回す人3人?はあはあ、早く誰かに廻してラクになりたい!!(バトン、いつも真剣になりすぎていけません。)相当迷ったんですが、2番のような偏った回答からでも興味深い答えが聞けそうなひとたち。(←勝手な期待ですみません。)隼瀬さんみどりーたさん やみ夜のカラスさんよろしくね~。あ、あかんかったらパスもOKだって。**********************************さあさ、立て続けにどんどんいきましょう、「ブック・バトン」!1. 持っている冊数2. 読みかけの本3. 最後に買った本4. 思い入れのある本5冊5. 次にバトンを渡す5名様1. 持っている冊数 数えたこともないけど、画集、マンガを含め200~300冊ってとこ?2.読みかけの本 読みかけっていうか、読み終わったばかりの本母に持ってきてもらった「ダビンチコード」。聖書に書いてあることをくつがえす事実が書かれていて、ず~っと持ってた疑問が晴れたようでおもしろかった。3.最後に買った本 「寄生獣」のイタリア語版 7巻だっけ? 日本語版はずいぶん昔に読破したけど面白いんでまたイタリア語版で読み続けてる。4.思い入れのある本5冊「くまのパディントン」 この挿絵が大好きで、小さい頃からなんどもなんども読み返してきたけど、読むたびに違う解釈ができて面白い。今まで流し読みしてきたパディントンが「暗黒の地ペルークマ」だということ。これを噛み締めてからは、実はこの物語、面白がってちゃいけなくて、「クマに擬動物化されたけなげな南米人少年のちょっともの哀しい話」に取れるようになってきた。。。。「竜馬が行く!」司馬遼太郎 軽快に歴史物がしかも楽しく読める一品。でもすんごい長いから読み返す気にはなれないけど。。。 「バケツでごはん」くぼきりこ さすがです。可愛い動物をキャラクターにでも使わんと、あんな痛烈な内容はマンガにできないってことか。。。一時、アニメ化してこけたようですが。「ハンカチの上の花畑」小さい頃に読んだ本。ほんわかしてるんだけど、考えたら強制肉体労働とかこわいことが書いてあった。今思い出してもこわかった。「デビルマン」 永井豪 TVシリーズは完全な「正義のヒーロー」だったけど、原作はもっと残忍で、かつ人間くさくて、しかも神秘的でよかった~。これを崇拝する次世代の漫画家たちが、いろいろ出版しているけど、いまだこれを上回る物は見たことがない。「はれんち学園」とのギャップが激しいところも好き(はあと)。このほか、マンガだけなら「アリサ!」とか、「エバンゲリオン」とか、「犬夜叉」とか、きりがないや。(実は自覚症状がちょっと薄いだけのオタクかも?)こうまとめると子供向けの本が多い。。。。。汗6. 次にバトンを渡す5名様。最近夏休みで楽天にひとが少なくなったようだけど、答えてくれるかな??この間、せっかく廻してくれた「いいことバトン」をすっぽかしちゃった地元の GUAさん。迷惑??実は地元つながり紅茶風味さん英国極道の極み Ninjacatさん猫の幸四郎君とおいしいもの以外のあなたのことがもっと知りたい幸四郎ママさん調味料バトンのお返しです。ふふふ。 Gabbynaさん「イメージ・バトン」同様、あかんかったらパスもOKだって。よろしくおねがいしま~~す!!***********************************************はあはあはあ、さすがにちょっと息切れしてきた。では「調味料バトン」。あなたは何派?【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? ( 薬味は含みません。)目玉焼き→塩コショウ納 豆→からし・付属のタレ or 味ポン 冷 奴→そのまま or かつぶしとしょうゆ餃 子→味ポンと豆板醤カレーライス→しょうゆ! ナポリタン→粉チーズピ ザ→ 唐辛子入りオリーブオイル生キャベツ→ん?生で食べないぞ。トマト→塩 or バジル+オリーブオイル+塩サラダ→オリーブオイル+塩+こしょう+バルサミコ酢カキフライ→ 味ポンメンチカツ→ レモンコロッケ→ そのまま 天ぷら→天つゆとんかつ→レモンご飯(おかず無しの時)→漬物と海苔。。。。あればなあ。 【Q2】周囲に意外だと驚かれる好きな組み合わせはありますか?魚と鶏肉のチャーハン(イタリア人には魚と肉を一緒に食べるなんて!と非難される)【Q3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?わかめときゅうりの酢の物。わかめは好きだけどきゅうりはだいっきらい!!【Q4】バトンをまわしたい5名は誰ですか?えええええっと。。。。やっぱりここはお返しするのが礼儀でしょう。ふふふ。 saicuccioさん Aliceさんの2名と。あのシャンプー、絶対探しに行きます、 Junpei@hksarさん(自爆)地元つながりブルーアイさんトルコの調味料は??turkuvazさん他のバトン同様、あかんかったらパスもOKだって。よろしくおねがいしま~~す!!うひ~、終わった!!!夏休みの宿題を駆け足で済ませた気分。もう、皆さん、わたしを苛めるのは や☆め☆て。。。。
2005.07.30
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って、まるでテーマのようなタイトルですが。。。階段については、まだ書く機が熟していないので(←なんだなんだ?)後日書くことにする。週末はいつもいろいろな事が起こり過ぎるのだが、今回に限っては比較的平和だった。土曜日は新居の周辺の新しいショッピングセンター開発で、ちょっと頑張って遠目のところまで出かけたのだが、大きいものの、照明のやたら薄暗い古い田舎のスーパーで、期待したほどのものでもなく、ガッカリして帰ってきた。そのあとおっとはやってもやらんでもいいような、家の小さな工事にお気に入りの電動ドリルを片手に励み、わたしは冬服をいろんな夏服の隙間にパズルのように詰めていくことで、とにかく全ての衣類を洋服ダンスに収めることに成功したのである。(母に圧縮袋、さっそく頼んだよ~~)まだまだ買わなければならない家具がたくさんあるのだが(食卓の椅子、なんて緊急だよな。。。)、お金がついていかない。しかし、贅沢にも日曜日は映画を観に行ったのである!!これだけは。。。数日パンと水だけになろうが、観なければならなかった。引越し前後の封切日からずいぶん日にちが過ぎたので、終わっていることを心配していたが大丈夫だった。「スターウォ-ズ エピソードIII」アフェリで「スターウォ-ズ」で検索したら一番初めにこんなんが出てきた。「アーリャマーン EPISODE I 帝国の勇者(制作インド) 」なんじゃ、こりゃ??皆さんは思い出の映画ってありますか?わたしが大人のつきそいなしではじめていとこたちと観に行った映画が「スターウォ-ズ」の第一作だった。東大阪のとある商店街の普段は「寅さんシリーズ」なんかを上映しているさびれた映画館だった。実際まわりの観客はおっちゃんとかじいちゃんばかりだった。しかしそれでもはじめての子供だけでの映画、しかも今まで観てきたディズニーアニメ映画とかじゃなしにこんな大人の外国物の映画、ということにドキドキしたのである。映画館に入ったときは上映途中でレイア姫がゴミ箱かどこかから出てきたシーンだったと思う。わたしたちはあっという間に映画にはまった。まるで実物のようなロボットや宇宙人たちが入り乱れての派手な戦闘シーン、美しいお姫様、勇ましいルークスカイウォーカー、いい味を出しているR2D2,C3PO。。。2度ほど観て、出てきたときにはすっかり映画に酔っていた。棒切れを持ってスターウォ-ズごっこをして、次回作を心待ちにしていたものだ。これからわたしはSF映画大好き人間になってしまった。大学に入学したときは入学式で学長が誇らしげに「あの「スターウォ-ズ」に出てくるヨーダというのは、我が大学のジョージルーカスの友人である依田教授がモデルでして。。。」と演説するので実際違う学科まで盗み見にいったら、本当にヨーダそっくりの教授が出てきたので慌てて逃げて行ったこともあった。あれから十数年。あの時点で高齢だった感じの依田教授は未だ健在でいらっしゃるんだろうか?そう、そして初回作からはなんと30年近くも経ったのである。こんなに長期でしかも映画界のトップで続けられるシリーズも凄いと思う。こうやって何かと縁があり、スターウォ-ズシリーズは上映されるたびにかかさず観ていた。なので、最終作はどんなことをしても襟を正して観に行かなければいけなかったのだ!!今回は、フィナーレにふさわしく「ヨーロッパで一番でかいスクリーン」が売りの隣町の比較的新しい映画館に観に行った。最終作?は感動的だった。今までのシリーズはときどきストーリーが難しくてわからないときもあった。しかし今回は、どんどん今まで謎だった部分が解明されていく。それはわたしが年月を経て理解できるぐらいお利考ちゃんになったのか、気が付かないうちにマニアになったか、わかりやすくつくられていたのか?「爽快」のひとことにつきた。(このあときっとディズニーランドにも新しいアトラクションが増えるに違いない。。。と思ったり)アナキンがなぜダークサイドに行ってしまったのか。。。それは激しい愛のためだったのね。なんで、あんな鉄仮面をつけるようになったかも、シューハ-、シューハー、呼吸するようになったかも納得納得。しかし、若き日のオビワンケノビ、惚れてしまいそうやで。そうやってあの30年近く前に見た第一作につながる心憎いフィナーレを迎えたときには胸がじんと熱くなって、涙が出そうになった。わたしの映画史は「スターウォ-ズ」である、といっても過言ではない。本当にこれで終わりなのならこれからの映画を観る楽しみも減っちゃうな。なんか、スカスカした気になる。。。。番外編でルークとレイア姫の幼少期の特別編とか作って欲しいものだ。 (「ヤマトよ永遠に」みたいにしつこくなったらイヤだけど。。。。って、ふるっ!!)
2005.06.13
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日記をさぼっております。そのわけは仕事と新居でバタバタしているせいで、決して月曜日のグロッキーで引退したわけじゃありません。風邪からは復活しつつあります。皆様にはご心配おかけしました。自己中イタ公にやられたあとは、今住んでる家まで、立て付けの悪いボロボロのキッチンのコンロの故障のおかげで電気のヒューズが飛んで、2日間屋内キャンプ生活でした。修理してもらったあとは、ここに住んでいた間ずっと使えなかったオーブンがようやく使えるようになりました!(今更、遅いっつうの!!!)階段はまだ来ません。(ちなみに来週末、いよいよ引越し予定)もうあまりに悪いことが重なりすぎたため、ちょっとのことでは驚かなくなってしまった。。。。。しかし、ちょっとづつうれしいことも起こってます。(仕事の話ばかりだからちっとも色気がないけれど)時間が出来次第、この日記にも復活したいと思います。とりあえず今日は「いくきーと生存」のお知らせまで。
2005.05.19
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昨日からイタリアらしくちょこっとずつ、年始の日記整理をしております。リンクしていただいてる方々はお薦め新着がころころ変わるのでお見苦しいですがお許しのほどを。追記:今、アクセス数をみて驚いてます。700アクセス近いです。アクセス数とは日記の面白さに関係するのではなく、日記の更新回数でこんなにもあがるんだなあ。。。。(今、100件以上ある古い日記の編集をやってるので。)でも、アクセスしてくださってるのは知らない方ばかりなんですけど。今アクセスしてくださってる皆さん、ちゃんと日記、読んでくれてます??はあ、日々の努力がむなしい。でもいいや。少なくてもわたしのお友達はみんなステキな方々ばかりですから!!!ではでは。いくきーと
2005.01.11
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最近、私は中国、台湾関係のHPに出没している。イタリアにいて、ラテンな生活をしていてなんで?と思うかもしれないが、日本人にとって中国、台湾とはやっぱり身近な外国だと思う。街を歩いていて、いったいこの中に何人、中国人がいるだろうと予想を楽しめるぐらい日本国内にもたくさんいると思う。 このあいだ、ハローワークの外国人募集のページをみてみたら、日本語の堪能な中国人技術者の求人ばかりだ。 いちど、どこかで「イタリアに来るまで外国とは縁がまるでなかった。」と書いたけどあまりにあたりまえすぎて気がつかなくてうそを書いてしまった。 私の人生、振り返ると約4分の1、イタリア人生、たった15分の1エクアドル人生、残りの4分の3は日本、中国、台湾人生、そして今でもだ。どうでもいいことだけど、紹介すると父は今は中国南京在住。その前に一番長く住んだのは台湾。いとこ。台湾人と15年ほど前に結婚、台北近郊在住。大学時代の友人数名 台湾在住。しつこく書くと日本で働いていたときは会社の製品を台湾でつくっていたため出張のための数次ビザを持っていた。はあー、長い前置き。まあ、それほど台湾とかかわりがあった、ということで。 十数年前、私は友人数名と台湾に住む父といとこと大学時代の友人に会う旅行を企画し、まずは台北の父の家に行き、元気な顔をみてから、いとこの家に行った。その日の夜は「火鍋(?)」と書かれたレストランで彼女の日本人の友人たちと食事をした。 台湾で食べる食べ物は日本と同じものでもはるかにおいしいとおもう。素材がもっと味がしっかりしていて無添加なのが舌から伝わってくる。同じバナナでも口の中でとろける甘さだ。 この日は白いうどんのようなものが入った煮込み鍋をたべた。この白いものはふわふわしていておいしい。「それ、何か知ってる?」といとこが聞く。「台湾のうどんでしょ?」と答えるとみんなが笑って、「ちがうよー、ブタの大腸だよ。」え!とびっくりしたけど、大阪、鶴橋の韓国人街ではもつ煮込みなんてあっておいしいから珍しくない。 でも、ここからはじまったはなしは「ここの店は白いからいいけど、あの店なんて黄色いよな。」なんて。つまり中身が詰まっているということ?ひえ~。彼らはこの大腸をつつきながら、げてもの話で盛り上がった。やっぱり、海外に住んでいる日本人はちょっとちがう。気持ちの悪くなった夜だった。 数日後、次の目的地、台南に住む友達、黄さんに会いに行った。彼女は生まれつきのお嬢様だ。とても品がよく、それがとても自然だ。でも、日本語だけが上手だけどちょっと変。 ある夜、おしゃべりをしていると彼女が「おなか、すいてないですか?」と聞く。そうねー、ちょっと小腹がすくかな?「OK。わたし、下に行て とり買てきます。」ああ、下にあったKFCのフライドチキンのことね。「からだがいいですか?足がいいですか?」胸肉かもも肉のことか。胸肉は小骨がいっぱいあって面倒だから、足をおねがいします。彼女は出て行き、しばらくして白い袋をかかえて帰ってきた。あれ?KFCにいったんじゃなかったの? 「これ、おいしです。好きだといいけど。」と白い袋から取り出したものは、まさに鶏の足だった。ひずめも爪もしかも何本かの羽毛までていねいにはりついた。十数本、醤油か何かで煮詰めてあってプラスチックのパックにぎっしり詰まっている。「う!。。」皆で息を呑む。 やはり台湾は近いけど外国だと感じた瞬間だった。黄さんは「どうぞ、どうぞ。」と1本とって、上品にしゃぶりはじめたのであった。そして骨をそばにおいていたシーズーを入れた檻に投げ入れる。(その後、何人か、小型犬を飼っている中国人にあったがみんな、かわいそうに檻に入れられている。)かわいい顔のシーズーはがぶっとキャッチしてブァリボォリとまるで鬼婆が人間を喰らうようないきおいで、またたくまに食べてしまった。(日本だったら鶏の骨は犬によくない、とやかましいのに)そして黄さんはまた次を投げ入れる。この光景、ミスマッチすぎてちょっと、こわかった。勇気のある友人は困った顔をしながら食べていたが、小心者の私はダメだった。。。もし、「からだ」を頼んでいたら普通の肉の部分だったかな?と後悔。 でも、むだな殺生をせず、頭から足の先まできれいに食べる中国人はさすが!! SARS騒ぎですっかりおなじみになったけど、父がよく言うこと。「中国人が食べない4つ足は机だけ、食べない鳥は飛行機だけ。」と。まったくそう思う。 今となったら台湾が懐かしいなあ。思い出話で何が言いたかったのか自分でもわからない。ほめてるのか、けなしてるのか。。。今回はイタロラテンなお題からはずれてしまいました。再見!
2004.05.14
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ミラノはここのところずっと雨が続いて春だというのに、吐く息が白くなるほど寒い。昨日から雨はやんだが空はあいかわらずどんよりしている。 そのせいか、まわりは風邪を引いている人が多い。かくいう私もずっと頭が痛くて昨日はとうとう、会社を早引きして医者に行った。 イタリアに来てからすっかり医者嫌いになった。というのはイタリアは完全な医薬分業制。 まずは市で指定された担当医に行く。(それ以外の医者に行くと診てはくれるが文句を言われる。)そこはただ患者から症状を聞いて軽い病気なら薬の処方箋を、診察が必要なら市の病院の診察の申込書を書いて渡してくれるだけ。 薬の処方箋だけで済む場合はラッキーだ。医者を出たその足で、薬局に行けばいいだけなのだから。 診察が必要な場合は、市の病院は朝早くから並ばないといつもいっぱいだ。何時間も待って、やっと2-3週間後の診察日の予約表をくれる。そして診察日に行ったときにはもう、健康になっていて、「何もないのに病院に来ないで、他にたくさん患者さんが待ってるんだから!」と叱られる。 以前、重い病気にかかったとき、結婚前の夫につきそってもらい、診察日以外に這うように病院に行った。せめて点滴でも、と思ったのだがそのときも申込書を渡されて「予約してね。」だった。急患棟に行けば予約がいらないのだが、本当の急患や予約なしを狙った患者であふれていて、前に足を捻挫したときも5時間待たされた。 今回もイヤイヤ医者に行って説明する。「いつごろからどんな風に頭が痛いの?」「えーと、2週間ほど前からで後頭部からしびれるように。」 理知的な顔の女医は、フンフンとうなずいて「最近仕事忙しくない?コンピューターの前で働きすぎね。日本人は根を詰めて働くからね。」と言った。 え?仕事はいつもと同じだ。いや、かえって最近ちょっとひまだ。だから、このひまを生かしてHPを作る気になったぐらいだ。あれれ、そういや2週間前ってちょうどHPを立ち上げた頃。。。 ハッと気がついた。イタリア人というのは「いつ働いてるねん!」というぐらいコーヒーブレークをマメにとって会社の自販機前や近くのBARでおしゃべりに興じる。私もすっかりその体制にならされている。おかげで日本で働いていたときのように慢性便秘もなくなり、体調は良好になった。おしゃべりも結構重要でストレス発散になる。 それがHPを立ち上げて以来、みんなが休憩をとるときを待ってHPをみるようになった。昼食時なんてパニーノをかじりながらずっと見ている。「Ikukito、最近付き合い悪くなったよね。」といわれるようにまでなってきた。家に帰ってもめでたくADSNがつながったおかげで、すぐにコンピューターをつけてしまう。つまり、ここ2週間、起きている間はずっとコンピューターの前にいることになる。まるでドラッグのようだ。調子が悪くなっても当たり前だ。でもまさか、こんな真実は言えない。 女医は「仕事はしかたないけど家ではコンピューターもなるべくTVも診ない様に。」とADSNがうれしい私にむごいことを言い、念のためのレントゲン検査の予約表(不幸!)と「頭と首を動かすために通いなさい。」と近所のスイミングプールの名刺をくれたのだった。 だから、しばらくHPはお休みします。。。。って大ウソッ!やめられないよー。誰か助けてー!!(泣)
2004.05.07
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