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この間の週末はおっとの友人のエクアドル人の子供エリックの誕生日にバレーゼ湖のほとりの自然公園でのBBQに招待された。その日は家を出たとたん、小雨や大雨が交互に降りだして寒く、わたしは家に帰りたいと思ったが、とりあえず行ってみようということになった。しかも9時集合で、わざと1時間遅れて行ったというのに、一番乗りだった。汗だが友人に電話をすると決行するというので、雨の中を待つこと30分、やっと誕生日の子供、お母さんとおばあちゃんが来た。彼らの車からBBQの材料を何度もびちょびちょの芝生の中を往復して運ぶ。我がデリケートな息子は「ぬれる~、とける~(?)」と立ちすくんで大泣きである。やっと全部の荷物を運び終え、日よけのパラソルを傘替わりにさして、網に火をつける。やっと火がつき、肉を網の上に乗せ終わったところにパトカーが来て留まった。警官「君たち、公園内はBBQ禁止だよ。あちこちに立て札があるだろう。そこの君、外国人滞在許可証を見せたまえ。」と、唯一の大人の男であるおっとに詰め寄る。おっとたちの間に緊張が走る。ちょっと離れたところで子供たちに構っていたわたしはなぜか「やっぱり。。。」と思う。おっと「車の中だ、持ってません。」おばあちゃん「すみません、すみません。これ初犯なんです。見逃してください!」とすっかり取り乱してスペ語で警官にすがりつく。警官「君たちは正当滞在者かね?」お母さんはすっかり観念して許可証を取り出した。「はい。長期滞在許可証を持ってますよ。立て札、気がつかなかったんです。ここがダメならどこですればいいんですか?」警官「駐車場ならいいだろう。さあ、パトカーまで来て。」「あ~あ。」わたしはげんなりして子供たちの手を引いて駐車場に向かった。(←ちなみに怪しいアジア人は何も聞かれず、歩き始めても制止もされず。)雨のだだっぴろい、わたしたち2台の車しか停まっていないガラガラの青空駐車場。遥か果ての金網の向こうにロバと羊が見えたので、水たまりの中、子供たちにふれあいを一通りさせたところで後ろを振り返ると、隅でぽつんとBBQの煙が上がっていた。なんかすご~~~く、哀しい。わたしはそこへ戻り「どうだった?」と尋ねた。お母さん「妊婦だから今回だけは見逃してくれたわ。」と臨月のお腹をさすって、ケロッと答えながら、どんどん大量の肉を焼いていく。おっと「あそこでぼくの滞在許可証を見せてたら、絶対罰金ものだったよな。」。。。こ、こいつら、慣れている!一瞬、メキシコとアメリカの国境の熱い日差しの下にいるような錯覚を覚えた。気を取り直してわたし「ところで他の招待客はいつ来るんだろうねえ。もう11時なのに誰も来ないよ。これだけ肉焼いちゃってどうするの?」お母さん「さあ?とりあえず9時集合とは言ったけどね。」雨だから誰も来ないんじゃ。。。?という言葉を飲み込む。わたしの心配をよそに12時過ぎごろ、ぞくぞくと大勢のエリックの親戚、いとこたちがやってきた。BBQのまわりを車で囲み、車と車の間に「HAPPY BIRTHDAY」とカラフルに書かれた旗飾りや風船をひもで渡す。サルサを大ボリュームで流す。なんだか、絵本に出てくるサーカスの巡行団か、ジプシーの集団のようだ。一台のワゴン車内には自転車が山積みで、次々と出して、子供たちが歓声をあげながらまたがった。雨でもおかまいなしだ。Ryuもご自慢の赤い三輪車を持ってきたが、他の自転車にすっかり目を奪われて、それどころではない。ひとつ年上の子供の自転車にまたがらせてもらうと、三輪車はたちまち他の年下の子が乗っていってしまった。Ryuはよろよろと最初の2~3回は留まったり、転んだりしながらもすごくうれしそうである。5~6回目ごろにはすっかりスイスイこげるようになって、母びっくり、というか感動してしまった。成長したなあ。。。三輪車ではちょっとした上がり傾斜も「できない~。」とべそをかいていたのに。そうこうしているうちに全ての肉が焼け、皆に配られた。めいめい車の後ろやワゴン車の中に座ったりして食べ始めた。このころやっと雨が止み、駐車場にもぽつぽつ車が訪れ、皆が皆、興味深げに眺めながら通り過ぎる。わたしだけだろうか?非常に恥ずかしかった。。ので、どこも見ないで一心不乱に食べた。むせながら急いで食べ終わり、ママチャリを借りて、Ryuを前に乗せて公園内をサイクリングすることにした。その場にいてもスペ語ばかりだし、特に「南米人?中国人?」と異分子であるわたしに対する通行人の目も痛い。一周して戻ると、ケーキカットの時間である。エリックを囲んで子供たちの集合写真を撮り(写真嫌いのRyuのみ欠席)終わると、お母さんが不思議なものを出してきた。イタリアで大人気の子供番組「BEN10」のイラストを張った、けばけばしい箱。それを上から吊るすと、子供たちが順番にスイカ割りのように棒で順番に叩き始め、最後に一番大きい子が力任せに叩くと、箱が割れて中から駄菓子やおもちゃがバラバラ落ちてきた。子供たちはいっせいに駆け寄って腕いっぱいにGETした。初体験のRyuはなにがなんだかわからないうちに全部他の子に拾われてしまったので、大泣き、ちょっとづつ、分けてもらった。これはエクアドルの子供の誕生日の習慣らしい。そういえば、アメリカのアニメなんかでもこんなシーンがあったような気がする。やっとこの日初めての太陽、夕日が出てきたころ、わたしはビール片手にご機嫌になっていた。実はこの前夜は日本人仲間との飲み会があったのだが、同伴のおっとが絶対酔っ払うことがわかっていて、アルコールを手にせず、わたしが運転して帰った。今日はわたしが飲む番だ。免許証も家に置いてきた。なのに。。。。わたし以上に酔っ払ったおっとが帰り道、運転しながら居眠りを始めたので、慌てて運転を替わることになった。初の飲◎ならびに◎免許運転だった。(ごめんなさい、もう絶対しませ~~ん!)超こわかった。どこかで警察にコントロールされるかもしれない恐怖でアルコールも吹き飛んだ。自分で運転できるようになって便利になったけど、一緒にでかけるときはいつもわたしが貧乏くじだ。ずるい!それはともかく雨が降っていないバレーゼ湖公園は小さい子連れの散歩にちょうどいい。湖には白鳥や鴨、さまざまな水鳥がいて、餌がやれる。いたるところに滑り台やぶらんこ、アスレチックがあり、小さな汽車ポッポも走っている。我が家から(ミラノ市内からでも)クルマで約1時間の距離なので、晴れたらまた来たいと思ったのだった。今度はもちろん B B Q なしで。
2011.07.28
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東北大地震の後、自分の日記があまりにもちっぽけなので、申し訳なくて書く気がしばらくしなかった。実はちっぽけな我がおっとは先週から無職男になった。い。。いきなりやんけっ!!確かにずいぶん前から今働いている運送会社を辞めて、あ~する、こうする、といろいろな考えをさんざん聞かされてきたが、ついこの間、モロッコ人の新しい従業員を雇ったばかりだし、まさかこんなに急に辞めると思わなかった。おっと「今の会社の支払いが90日遅れだから、あと3ヶ月は何もしなくても取りあえずは大丈夫だよ。ぼくが辞めても従業員たちは働き続けるから、その分の収入はあるし。」しかしそれも「取らぬ狸の皮算用」。おっとが辞表を提出した際に、従業員もこの会社から全員お払い箱になった。ど~するの、もう!おっと「従業員には前から、こんな日が近々来る、と言ってあったから驚いてはいないよ。うちみたいな小企業で従業員をたくさん抱えても人数分の税金にばっかり持っていかれてどんどん赤字になるから、小さなワゴン車を何台も持つより、収入の多い大型トラックに乗り換えて、ぼくひとりか、せいぜい従業員ひとりで運営することに決めたんだ。」そうなのか。先日ウイリアムにだまされて買わされた大型トラック維持の道を選んだか。確かに今持っているワゴン車を全部売れば、大型トラックの支払いが出来る。でも、大型免許、持っていないだろう?おっと「今から自動車学校に通うさ。同時に大型免許を持つ運転手を探して、いろいろな運送会社を廻って、大型トラック運輸の仕事を探して。。。。」今からかいっ!!同じ業種とはいえ、まったくゼロからの出発となってしまった。そういうわけで、最近毎日Ryuの幼稚園の送迎をしているおっとに、Ryuはうれしくてたまらないらしいが、わたしはご近所の好奇に満ちたまなざしが痛い。おっとが日中いない生活リズムがついていたのに、毎日出かけるとはいえ、こんな不規則な日々、それも期限がない状態で家にいられると、落ち着いて何も出来ず、正直うっとおしい。そういうわけで、一部のお友達には知らせていたのだけど、6月のエクアドル行き(弟の結婚式)もそれどころではなくなってしまって、未だ未定である。そういうわけで、前金だけ払っていたわたしのスポーツジムも残金支払いどころではなくなり、前金分だけ通っておしまいになった。そんなぁっ!すごいプレゼントに大感激していたのに、やっぱりいつものように、ぬか喜びだけで終わらされてしまった。。。ショック。
2011.03.24
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スポーツジム通いを再開したら、なんだかめちゃくちゃ忙しい。働きながらジムに通っている人には申し訳ない贅沢な悩みだ。朝、Ryuを幼稚園に送り出した後にジムに3時間ほど行ったらもうお昼で、おっとが昼食に帰ってくるのと同時に家に駆け込み、一緒に昼食を食べ、その後、おっとのおつかいや雑用をしたら、もうRyuを幼稚園に迎えに行って1日が終わる。家もちっとも掃除も出来ないし、買い物も気がついたら簡単に出来るものしか買わないようになってしまった。ジムの契約書をプレゼントしてもらったときにおっとに「これからも家事に手を抜かない約束だぞ。」と言われたのに、あっさり今からその約束が崩れ去ろうとしている。ところで。これはわたしが歳をとって経験豊富(?)になったからか?生活がラテン系なのが原因なのか?まわりは今までに出会ったことのないような複雑な家族が増えている。先週末、おっとの友人に赤ちゃんが産まれたので、お祝いに訪問した。この友人は、おっとの幼なじみウイリアムの彼女アンドレアのお父さん。のっけから横道をはずれると、ウイリアムは自分の大型トラックの一台をおっとにだまし売って(?)、アメリカに住んでいるアンドレアの2人目の女の子(長女は4歳)の出産の立会いに旅立って行った。ウイリアムが2児の父なのに結婚しないのは、彼女アンドレアがグリーンカードを手に入れるために偽装結婚をしているので、結婚が出来ないからだ。先日、無事赤ちゃんが生まれたのだが、可哀想に心臓の血液を送るバルブと出すバルブが逆になっていた。2000人に一人ぐらいの確率でこんな子が生まれるそうだ。産まれてすぐから心臓を切開してバルブを繋ぎかえる8時間に及ぶ大手術をしてなんとか命を繋ぎ止めた。しかし、これからも心臓の問題は背負っていくことになるらしい。生まれてくるまでこの問題は発見されなかったので、ウイリアムもアンドレアも、ショックは大きい。話を元に戻して、アンドレアのお父さんはもうそんな孫が2人もいる40歳後半。アンドレアのお母さんは数年前、離別して新しいメキシコ人彼と、アンドレアと子供たちとアメリカ在住。わたしたちがお祝いに行った赤ちゃんはお父さんの新しい36歳の彼女(17歳(♂)の連れ子あり)との子供。この時点ですでにややこしいのだけど、お父さんはアンドレアの2人の兄たちと同居している。そのうち長男は最近彼女と同じ家で同居を始めた。そしてペットにトラ猫1匹、ピットブル1匹。家は日本でなんていうのか忘れてしまった。。。3部屋とダイニングキッチン。狭くはないけど全然広くなく、いつも家のどこかに誰かが徘徊している状態で、ここにお邪魔するのはいつもブルーだったが、赤ちゃんが産まれて余計に狭くなり、もうどうするの?という感じである。アンドレアの2人の兄は実質、この赤ちゃんの腹違いの兄弟になるわけだけど、アラサー2人のおっさん、どこまで実感しているのか不思議だ。お父さんも、孫よりも小さい自分の子供、どう捉えているんだろう??そういえば、幼稚園にも不思議な親子がいる。これも偶然なのか?お父さんイタリア人お母さんエクアドル人のハーフ、ミッシェルちゃん。お父さんはいくつかは不明だが、もう定年退職数年で、若くないパパ。2度目の結婚らしい。。。とわかったのは、このお父さんの息子の子供のロレンツォ(つまり孫)もミッシェルと同じクラスだから。お父さんの息子、ミッシェルが生まれたとき、どういう気持ちだったのかなあ??ん~、まったく余計なお世話だな。PS.ジムに通いだしてまだ間もないから、お腹は全然引っ込まないのに、腹筋がだんだん大嫌いな形に割れてきた。うぎゃ~っ!!!
2011.02.26
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昨日、日記を書き終わって改めて読み直してみると、めちゃくちゃそうで、実はおっとのおそろしい計画は、数年かけて着々と進められていることに気がついた。 何かというとおっとはすぐに弱音を吐く。 最初から悪い結果が目に見えて、忠告しているのに聞く耳持たず、やっぱりその通りになると、まるで世界の終わりのように嘆き悲しんで「こんなイタリアはもううんざりだ!エクアドルに逃げよう!!」と始まる。 わたし「エクアドルに行って何するの?」 おっと「何か店をするよ。」 わたし「そんな、何のビジョンもない生活が待っているエクアドルになんかついていかないよ。」 おっと「じゃあ、日本に逃げよう。実家に住んで、日丸ちゃん(仮名。我々の唯一の日本在住エク人友人)と同じ職場で働けばいい。」 わたし「お嬢母がそんなこと、許すと思ってる?第一、実家から日丸ちゃんの職場まで通勤は遠すぎるよ。(奈良-神戸)」 毎回そんな会話を繰り返すうちにやっとヒートダウンするおっとであった。 わたしがこんなちゃらんぽらんな男と今でも結婚生活が成立しているにはひとつ、大きな理由がある。 幼少の頃からお嬢母に束縛されまくっていたわたしは、両親や両親世代のひとと長い時間一緒にいるのが苦手だ。 そんなわけで大学卒業後、すぐに奈良から東京に逃げたが、お嬢母にはそんな距離はたいしたことがないようで、勝手に合鍵を作られて、何度も無断で来て、一度は夜遅くに急に家に侵入されたときには本当にびっくりした。(その日は彼氏がいなくて本当によかった。。) お嬢母に結婚がつぶされ、傷心旅行で独り、台湾のいとこを訪ねたときも追いかけてきたときには「本当にこのおんな~!」と思った。 イタリアまで逃げて、やっとこちらまで訪ねてくる回数が減ってほっとしている。 Ryuも産まれてだいぶ母娘の関係にも角が取れてきた。 その逆におっとはすごいマザコンである。 このようにどちらの親子関係も極端なので、どちらの親とも同居しなくてよく、めったに来れない日本とエクアドルの中間地点のイタリアはわたしにとって、とてもいい距離なので、親族関係のわずらわしさに悩まされることがなく、なんとか続いている、というわけだ。 そんなわたしをおっとは、よほどイタリアが好きで離れたくないと思っているらしい。 1年前のある日。 おっと「来年、ぼくのママは定年退職なんだよ。ぼくは仕事があるから、簡単に休めないし、家族ぐるみであっちに行くとなるとすごいお金がかかるから、お祝いに飛行機のチケットをプレゼントしてイタリアに来てもらうのはどうだろう?」 わたしはゲッと思ったが、年に2回も来るわたしの両親と違って、おっとのお母さんは8年前の新婚旅行以来、会った事がない。たまにはいいよね。 「いい考えだね。そのときにはちょっとは休んでいろいろ観光しようよ。」と賛同した。 翌日。 おっと「郵便局で扶養家族の滞在許可証の申請書、もらってきて。」 わたし「誰の?」 おっと「ママのに決まってるじゃないか。」 わたし「なんで旅行に滞在許可証なんかがいるんだよ?ビザだけでいいでしょ?」 おっと「現在エクアドルはビザを取るのがすごく難しくなっていて、時間もすごくかかるんだ。きっとこっちで扶養家族の滞在許可証を取ったほうが早いよ。」 確かに。。。以前エクアドルに行ったとき、どこかの役所を1周以上の長い長い列があって、何かと尋ねたら「外国に行くビザを取るための列だ。」と教えてもらった。 お義母さんにそんな大変な思いをさせるなら、ほとんどの行程が郵便とネットだけで済む、滞在許可証のほうがいいのか? なんだか納得がいかないまま申請書をもらってきた。 翌々日。 おっとはスカイプで嬉々とした声でお義母さんと話している。 「ママ、いつイタリアに来れるの?ママのために扶養家族の滞在許可証の申請書をもらってきたよ!滞在許可証がもらえたら、いつでもいつまでもうちに居てくれていいからね!!」 やっぱりそう来たか~~っ!!!! しかしお義母さんは冷静だった。「ありがたいけど、わたし、飛行機に乗ったことがないし、いきなりそんな長旅はこわいわ。ちょっとよく考えさせて。」 おっとはその後もしつこく食い下がったが、だんだんヒートダウンして、申請書の上にもいつのまにかほこりが積もった。 今年1月上旬。 エピファニアの日にイタリア人と結婚したおっとの友達マリソルの家に招待された。 マリソル「お正月までうちの母がエクアドルから来てたのよ。」 そこでまたヒートアップするおっと。「やっぱり?君のお母さんも扶養家族の滞在許可証で?そうだよねえ、それが一番だよねえ。」 マリソル「うちの母はイタリアが気に入って、今こっちに移住する準備をしているの。滞在許可証はあるからいつでも来れるし。」 うんうん、と興味深げにうなずくおっと。 ここで、わたしはもしや、と思った。 おっとはエクアドルに永久帰国したいのだけど、わたしがイタリアが大好きで、離れたくないから、そんなわたしのために自分の家族をこっちに呼び寄せようとしている? これって、わたしへの愛?(とても勘違いの) OOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!! この愛、弟のフルッシ申し込みで確信したのであった。 ありがとう、おっと。。。。。 はあ。。。。。。。。。。 PS.扶養家族の滞在許可証は一親等(伴侶または親か子供)にしか申請できません。(だから弟は別の方法)
2011.02.10
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お久しぶりです。ここ数日、暖かい日が続いてベランダのヒヤシンスが今にも開花しそう。最近はPCを開いてひたすらニュースやコミュを眺めるだけだったけど、なんかそれだけも寂しくなったので久々に日記を書いてみた。特にこのところ大きなニュースはないけれど、ここ数年を掘り起こしてみると、いろいろあった。例えば近所のブラジル人の友達エルトンは不景気で、働いていた会社が自宅待機になった。わたしだったらそこで悲嘆にくれそうだけど、そこはシングル、身軽だというか、ロンドンやスイスを旅行したあと、「ちょっと1ヶ月ほどブラジルに帰ってくるわ。」と言ってそのまま帰ってこなかった。。。なんでもあちらで大きな商社に就職が決まったらしい。わたし「ちょっと、イタリアの家のローンどうするの?」エルトン「もう興味ないね。きっと連帯保証人のマリエッタ(離婚した奥さん)がどうにかするさ。」そのマリエッタも新しいエクアドル人の彼とその間に出来た娘と数ヵ月後、まったくエルトンと話し合いを持つこともなくブラジルに永久引き上げした。い。。家は?おっと「じゃあ、ぼくが買って、誰かに貸して、続きのローンだけを払っていくよ。」わたし「あほ~!@!こんなややこしい状態の家に手を出すな!!」****去年、おっとの幼なじみのウイリアムがアメリカに住んでいる彼女と娘のところに永久移動を決めた。ウイリアム「やっぱり親子は一緒にいなくちゃ、家族とは言えねえ。」というわけで運送会社を経営している彼は去年の暮れから大型トラックを従業員の運転手ごと売りに出し、ワゴン車しか持っていないおっとに「やっぱり事業を拡大するなら大型を買わねえと。」と強く勧めた。おっともさんざん迷った挙句、ウイリアムのトラックの一台を従業員であるウイリアムのいとこごと買うことに決めた。トラックは去年12月に名義変更をし、1月からいとこがおっとの下で働くはずだったのだが。。。ウイリアム「やっぱりここまで定着させた会社を捨てて、アメリカで一からなんてやってられるか。」。。。というわけで、一ヶ月だけ彼女の次女の出産時期にあわせてアメリカに行くだけに変更した。。。。。。。。。。というわけで、ウイリアムのいとこは引き続き、ウイリアムの下で働くこととなり、運転手のいないおっとの大型トラックはローンだけ残して、遊んでいる。****先週、イタリアにおける不法滞在者に人数限定で滞在許可証を与える「フルッシ」という日があった。こともあろうにおっとはそれに現在エクアドル在住の今年高校卒業予定の弟の名前で申し込んだ。わたし「ちょっと、弟はイタリアで働きたがってるの?」おっと「いや、それは聞いてみないと。あいつは出来が悪いからぼくが雇ってやらないとエクアドルでは就職は難しいよ。」わたし「。。それって、彼がOKだとしてイタリアに来てどこに住むの?当然、うちでしょ?うちにそんなスペースないよ!!なんでわたしにもっと前に相談しないのよ?!」おっと「相談したら反対するに決まってるじゃないか。部屋はRyuと子供部屋を共有すればいいんだし。それにフルッシにまだ受かるかもわからないし、とりあえず手を打っただけだよ。」なんだと~!!反対するから勝手に決める、19歳の青年と3歳児を一緒の部屋に入れる、フルッシも無料じゃないのに肝心の弟の承諾もなく勝手に申し込む、もうむちゃくちゃやんけっ!!!!!***現在のわたしは。。というと、心の平安のため、こんな話はよそさまの噂話程度に聞くようにしている。まともにからむと崩壊しそうだ。なので、ちょっとジムに通ってみたり(無料お試し)、おっとのおつかいでミラノに出たついでに、ウインドーショッピングを楽しんだり(買えないので)、幼稚園のママ友も増えた。でも不思議だ。Ryuのクラスのペルー人ハーフのステファノとエクアドル人ハーフのミッシェルのママが親しくしてくれるのはわかるけど、よそのクラスの知らない南米人ママまで最近、フレンドリーだ。スペ語で挨拶されてもわたしは伊語しか話せないんだが。誰かに年長クラスにひとり中国人がいる、と聞いたがそこのママは見たこともないのにな。う~、やっぱり崩壊しそう。。。。。
2011.02.09
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先日、久しぶりに会ったイタリア人の友人アントネッラに「しばらく会わないうちに、日本人ぽくなったわね。」と言われた。わたし「ど~ゆ~こと?」アントネッラ「誤解しないでね、褒めてるのよ、褒めてるの!」褒めている?気になる。。。以前のわたしはいったい、ナニだったのだろう?ヤギだけではありませんように。。。***ところでおっとは、先日、最終日だった運送業者に義務付けられた講習から帰ってくると、赤い人となっていた。おっと「痛いよ、全身が痛い。氷ある!?」わたし「どうしたの?」おっと「講習会の近くに日焼けサロンが出来て、初日10分間の無料サービスをしていたから、ウイリアムと入ったんだ。そしたらこのざまなんだよ!」わたし「。。。。。あのさ、毎日車焼けしてるのに、日焼けする必要あるの?」おっとと一緒に来たウイリアム「タダだったしな。だいたいこいつは大げさなんだよ。おれはちょっとヒリヒリするけどこんなに文句を言わないぞ。」わたし(心の中の声)「それは君はもともと黒いからだと思うな~、ってか黒い人も日焼けサロンを利用するのか。。」それはともかく、おっとはいつも大げさなのである。わたしは捻挫しても痛みを我慢してどうすればいいかすぐに考えるが、おっとは肩こりだけでも「痛いよ、つらいよ。」とうるさいだけで、自分で肩の体操も何もしないのだ。このあとおっとは水シャワーを「熱い、痛い!」とわめきながら浴び、帰りに薬局で買ってきたベビーパウダーを水で練った白い泥のようなものを全身にどこかの原住民族のまじない師のように塗りたくった。「苦しい。。。熱い。。。。」と弱弱しくつぶやきながらベッドに上がり、中央で大の字で昼寝しているRyuを起こさないように身をちぢめてスミで寝ている姿は思わずブログにアップしたくなるぐらいおかしかったが、さすがに我が家の恥になるので我慢した。この後、数日わたしとRyuに被害が及ぶことになる。シーツだけでなくおっとが触れるものは全て白い泥まみれとなった。触れるものが金になるなら大歓迎だが、大迷惑である。わたしはおっとに近づかないようにしていたが、Ryuもたちまちまじない師に呪いをかけられた子供のように真っ白。この数日後にはおっとの皮がべろべろ剥けてきて、Ryuは髪の毛もほとんどないのにフケだらけになり、家の床中、おっとの皮まみれで踏むとにちゃっとして鳥肌が立った。さらに数日後にやっときれいに日焼けしたおっとが出来上がったのであった。日焼けサロンって行ったことがないけれど、行った人はお金を払って、こんな思いをして夏に向けて日焼けをするものなのか?イタリアにいてもやっぱり「美白」がいいわたしには、まったく理解できないことなのであった。****今年は9月に一週間の豪華海外バカンスに行くこととなったので、8月にはまったく予定を入れなかった。しかし、周りが次々海に、山に、と旅立っていくのを見送っているとなんだか切ない。そういえば、ここ近年お盆お決まりのジェノバのおっとのいとこルイスの家行きの話がまだ出てこない。あの家では客用ベッドはシングルひとつなので、毎年おっととぎゅうぎゅうに寝ていたが、今年はRyuもいるし、無理だ。ここはお誘いがかかる前に先手を取って、今年はいとこたちに我が家に来てもらおう。そうすれば、Ryuも環境に変化がないまま楽しめるし、娘のカティちゃんが好きな山にも行ける。。。。。。とおっとに相談した。おっと「それはいい考えだね。すぐにルイスに電話するよ。」となぜかウイリアムに電話をしてからルイスに電話をしている。スペイン語なのであまりわからなかったが、山の話となぜか海の話をしている。。?おっと「お盆は今年もルイスの家だ!」な。。。。。。。なんでそうなるねんっ!!!!!????????わたし「ちょっと!今年はRyuがいるから我が家に来てもらって山にしようって、言ったでしょ!?」おっと「ウイリアムがね、8月末にアメリカの奥さんと娘のところに行ってしまうのは知ってるよね。その前に一緒に海に行きたいっていうから、一緒にルイスの家に泊まることに決めた。」わたし「アメリカって言ったって、たかが半年で永久じゃないでしょ?それにルイスの家はシングルベッドひとつしか空きがないのにどうやって寝るのよっ!?」おっと「なんとかなるさ。快適さばっかり考えてたらどこにも行けないぞ。」わたし「今年はRyuがいることをお忘れなく。それでも行くってなら、わたしたちはここに残るよ!」おっと「自分の意見が通らないから行かないなんて、勝手すぎるよ!君がぼくの友達やいとこを嫌いなのは知っているから好きにすればいいさ。」わたし「意見が通らないって、わたしに前相談もなくいつも決めてるじゃないの!?あんたの友達やいとこが嫌いだったら、うちに招待しようだなんて言わないわよ。わたしはわたしのわからない言葉で勝手にいろいろ決めているあんたがおもしろくないのよっ!!」Ryuが顔を真っ赤にして泣き出した。それもそのはず、授乳中にこのケンカである。なんとかなだめて寝かしつけて、ケンカは中断の形となった。次の日、わたしはしみじみ前の日のケンカについて考えた。この日ばかりでない。このブログをはじめてからずっとのこと。わたしはこのおっと、エクアドル人と結婚して以来、実はずっと彼の文化を、食生活を、習慣を、国のレベルを、つまりアイデンティティーを否定し続けているのではないか、ということ。普通に家の中だけで彼の画像を見れば、仕事は頑張っているし、子育てにも協力的だし、家事も手伝ってくれるし、理想的なのだ。ところが一歩外に出て、そこにヤギの影が差すと変わる彼がどうしても受け入れられない。否定ばかりしているから、全てが苦しいし、楽しくないのだ。受け入れる努力はしてきたし、だいぶ慣れてきたところもある。しかし、どうしてもいろいろなことが未だに受け入れられないのだ。では、どうして結婚したのだろう?やけくそだった?恋は盲目だった??こんなに頭をぐるぐるさせて考えても、結局は毎年のようにジェノバに行って、今年はRyuと床にでも寝る形となるのだろうな。日本ならそれでもいいけど、イタリアでそれってかなり屈辱的。。嫌だな~。子育てだけで不毛な気分に陥っている?ちょっと愚痴日記。あんまり飲ませないで。。。
2008.08.09
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あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。うちのニューフェイスが生まれた際にはお祝いコメントをどうもありがとうございました。うちの子は「龍輝」と書いて「りゅうき」と読みます。某「仮面ライダー龍騎」と漢字は違いますが読み方は一緒です。(実は最初は龍騎にするはずだったのが、この仮面ライダーの存在を知って一文字変えた。)「たつはる」とか「たつき」とのお問い合わせが何人かのお友達から来ていたのですが、逆にそ~ゆ~読み方もあるんだなあ、と勉強になりました。Ryu(おっとがこれがストリートファイターのようでかっこいいというので、最近こう呼んでます。。)はイタリアで生まれたってのに、イタリア国籍が取れないことを知った。昔は取れていたそうだが最近は移民2世が激増したため法律が変わったそうだ。それで我々は迷いもなく滞在許可証の申請欄には「国籍 日本」と書き込んだ。おっともこれには一も二もなく賛成だった。エクアドル国籍は悪いがイタリア-外国間を移動するのに害はあっても一利なしなのである。そんなこんなで、年末までかかった竜輝の出生届やら滞在許可証やらなんやらがやっと終わり。。。*************クリスマスや年越しは毎年だいたいわたしの仲のいい友人たちで集まっておいしいものを食べて楽しくしゃべって過ごしていたのだが、今回はRyuがまだ生後1ヶ月にも満たないため、涙を呑んで断った。こんな小さい子を大勢集まるところに連れて行って病気になるのもこわいし、こんな小さい子を連れて行って泣いたり、おむつや授乳でせっかくのパーティに水を差すのも悪いという理由からだった。親になるっていろいろ我慢しなきゃいけないんだなあ。。。と、つらい思いをしながら断り続けていたのに、いたのに。。。。おっとの野郎、前日の夜になってエクアドル人15人も狭い我が家に誘いやがった!!!!わたし「あんた、何考えてるのよ!? わたしがつらい思いをして友達のパーテイを断ってたのに意味がないじゃないっ!」おっと「今年のクリスマスは何にもしなかったじゃないか?それに毎年、君の友達とばっかり年越しをしてるんだから、たまには僕の友達とでもいいだろ?」わたし「今までわたしの友達ばっかりだったのは、わたし達が日本人だからちゃんと前もってオーガナイズして早めに予定を決めていたからでしょ!?今回はRyuがいるから予定をわざと入れなかったんだよ!!!」おっと「心配するな、君はRyuの世話だけしてればいい。パーテイの準備はぼくとエルトン(←なんで?)でするから。。」わたし「そ~ゆ~問題じゃない!あんたは自分の楽しむことしか考えてないのよっ!!」おっとはまるで聞こえない振りをした。これは5月に我がお嬢母と共に来伊した父から受け継いだ悪い癖となったのだ。大晦日の夜。わたしの怒りなどおかまいなしで、ヤギたちは珍しく約束の時間あたりにぞろぞろと集まってきた。いつものヤギばかりではなく、爺ちゃん婆ちゃん、いとこ、奥さん、幼い孫娘2人、狭い家の中はたちまち特有のすごい騒ぎと大ボリュームで流れるサルサの音で大騒音となった。これに今までほとんどの時間を母子2人で静かに過ごしていたRyuが落ち着いていられるはずがない。驚いて、泣いて、泣いて、驚いて、泣いて、泣いて、驚いて、泣いて、泣いて、驚いて、泣いて、泣いて、彼らが夜中の3時に引き上げるまで声を枯らして泣いて、落ち着かせるためにおっぱいに吸わせてたら、もう乳も出なくなり、乳首がふやけてちぎれるぐらいに吸い付かれて、こっちも痛くて泣きそうになった。わたしにパーテイなど楽しむどころか、食べ物も飲み物さえも、口に入れる余裕を与えず泣き続けるRyu。おっともしょっちゅう様子を見に来て、オロオロとあやしたり、ミルクを哺乳瓶で与えたりするのだが、いっこうに泣き止まない。おっと「。。。ごめん、可哀相に。もう二度とこんな思いをさせないよ、Ryu。」そんなこと、前もって簡単に予測できただろうがっ!!!!!!一応、寝室に閉じこもって篭城していたのだが、おかまいなしに孫娘たちは入ってきて、靴のままベッドに乗っかり、Ryuの頭や手を撫でまくり、それでRyuがさらに声を張り上げて泣くものだから「わたしのチッチョベッロ(チャッキーのような抱き人形)のほうがいいもんっ!」と言う。しかし、この娘たちの母親はさすがに経験者で、彼女が抱くと一瞬泣き止むのだが(それがなんだか悔しい。)、それで安心してベッドに降ろすとまたすぐに暴れだすのだ。とうとう真打のお婆ちゃんが登場。おばあちゃんは責めるような目でわたしを見て「この子はいつもこんなに泣くのかい?」わたしは怒りをこらえながらつくり笑顔で「いえ。。今日までこんなにたくさんのひとを見たことないから驚いて泣いているだけだと思います。」おばあちゃんはフンフンとうなずき、おもむろにキッチンの冷蔵庫を開け、卵をひとつ取り出した。何をするのか?と見ていると、Ryuを抱き上げ、オムツ替え台に乗せ、真剣な目で卵で全身を撫で始めるではないか!?わたし「あの~、何をしているんですか?」おばあちゃんが答えるかわりにそばにいた母親が答えた。「シッ、静かに。ああやってね、Ryuちゃんに溜まった悪い気を卵に吸わせてるの。悪い気がなくなれば、Ryuちゃんも泣き止むわ。」OOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!そ~ゆ~もん?やがて全身を撫で終わり、おばあちゃんは母親に命じて卵を割ってグラスの中にそそがせた。電気の下でグラスを透かして見る。おばあちゃん「おかしいねえ。。悪い気を吸ったから卵は黒くなっているはずなんだけど、きれいな色だよ。」。。。。。。。。。。。。。。。。。。当たり前じゃいっ!!!!!!!!!ふっもうもう。。。。どうでもいいや。元旦の昼。わたしは起き出して呆然とクラッカーの紙ふぶきとビールのしみでベトベトになった床をニチャニチャと歩いて洗面所に行き、顔を洗った。歯を磨きながら、泣き疲れてぐったりとわたしたちのベッドの上で寝ているRyuを見て、そばで爆睡してるおっとを絞め殺したい衝動にかられた。こんなことなら無理してでも落ち着いたよそのお宅のパーテイに行くべきだった。あれからというもの、未だRyuは落ち着かない様子で、1時間ごとに泣くのでフラフラな毎日を過ごしている。ああ、すごい今年の幕開けだった。生まれて一ヶ月もしないうちにヤギの洗礼を受けるなんて。。今回は失礼をしてしまいましたが、年越しパーテイに誘ってくれたお友達、次回も誘ってください。次回は喜んで絶対に参加しますからっ!生後12日目にしてダンスするRyu。
2008.01.04
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タイトルをつくづく実感したのはおっとが従業員を増やす計画を立て始めたことから始まる。最近ブログをさぼっているおかげで書いてはいなかったが、去年おっとが雇った従業員第一号ステファノを覚えている方はいるだろうか?少し翳りのある元ピアニストで、そんなアーティスト肌の男がこんなガテン系の運送業に就職して、きっと楽しいネタを提供してくれるに違いない、とわたしは彼と接点を増やすがごとく最初のうちはホームパーティに誘ってみたり、いろいろと試みたのだがドライな彼にことごとく振られ続け、ついにわたしは諦めた。雇い主であるおっとともワゴン車の不具合があるときと給料日にしか接触しないつれなさなのだが、彼は意外に真面目に続いているのである。それで気をよくしたおっと、下請け先に欠員が出たこともあって(あのブラジル人エルトン)この夏、もうひとり従業員を増やすことにした。おっと「従業員第二号はコスティカ(あのわたしの我慢の出来ない国出身の男)を雇ってあげたいんだけどなあ、やっぱり無理かなあ。」わたし「無理だよ、無理。彼と同郷のチプリアンにだって言われたでしょ?うちは零細企業なんだからちゃんと労働許可証を持ってる人を雇ってよ。」この会話からほんの数日でおっとは新しい従業員を見つけてきた。「従業員第二号はエクアドル人だよ。」げ。わたしの我慢の出来ない国も信用できないが、エクアドル人なんて、身近にサンプルがいるだけに余計に信用する気になれない。しかしエクアドル人にはやっぱりエクアドル人のほうがお互い理解しやすくていいのか??数日後、おっとはこの新しい従業員を昼休みに家に連れてきた。エクターという。意外に普通の真面目そうな若者だった。さっそくコミュニケーションを取る振りをして就職の動機とか、やる気度などを面接するわたし。ハキハキと答える口調があのもごもごとしゃべるコスティカと違って、爽快である。彼は別の運送会社に3年働いているのだが(ということは経験者)、歩合給なので毎月の収入が安定せず、妻も娘もいるので固定給のうちのシステムがいいと判断したらしい。きちんと労働許可証も持っているし、彼の3歳の娘が成人するまではイタリアに居るつもり、というから、よほどのことがない限り、ど短期で辞めてしまうこともないだろう。そして何が気に入ったかって、おっとがビールを勧めても「ぼく、酒は飲めないんです。」と断ったところである!つまりわたしがおっとにいつもハラハラしている最大の心配事、ヤギ的なあほな飲酒運転をして免許を取り上げられることがないってことだ!!おっとよ、今回は見る目があったじゃないか?わたしは少し安心し、エクターは次の週からおっとの元で働き始め、おっとはエクターに自分の使っていたワゴン車を譲り、自分は新しいワゴン車を買う資金繰りをしながらレンタカーで働き始め、うまく廻り始めたかな?という感じだった。しかし。そこに今から2ヶ月ほど前、ミラノ県庁からの一通の手紙が届いたのである。内容はだいたいこうだった。「雇用主マルちゃん様へ。 コスティカの労働許可証を与える手続きをしますので◎月◎日◎時、提出された書類のコピーと身分証明書、Etcとコステイカの住所の証明書を持って2人で来てください。」それはそれこそ1年近く前、おっとがコスティカを真剣に雇おうとして書類を整え提出し、あとはコスティカ側が揃えなければならない住所の証明書を揃えるだけ、という段階で、やつが理解していなかったからなのか?ただ面倒だったからなのか?「マルちゃんにわたし雇うこと、ムリ。」とそれを放棄してしまって、闇労働先を探して行方をくらましたのである。おっと「どうしよう?こんなに急に3人目なんて雇えないよ。」わたし「今更こんなものが来ても、もう従業員はエクターに決まっちゃったんだし、放っときなよ。」おっと「でもね、お金に不自由なくイタリアに来た君にはわからないかもしれないけど、貧困から抜け出すために不法移民してきたガイジンにとっては、これって人生が懸かった黄金のチャンスなんだよ?正規移民になればもう警察にびくびくしながら働かなくてもいいし、これで祖国に帰りたいときにも帰れる。だからなんとかして雇ってあげないと!」わたし「気持ちはわかるけど、我が家のピンチも考えてよ?わたしは仕事辞めて収入がないし、あんたは自分のワゴン車の融資が降りるかどうかもわからないし、無理してうちが乳飲み子を連れて逆に路頭に迷う、なんてことにもなるんだよっ!?」おっと「大丈夫だよ、そりゃ最初は苦しいだろうけどコスティカを雇って軌道に乗ってきたらすぐに元が取れるって!」ふうううう。。。なんというか?わたしは街を徘徊している不法移民をどうこういうつもりはないけれど、イタリアはもうイタリア人の人口を超えているんじゃないか?というほどよその国からの移民大国である。わたしの我慢の出来ない国民などは数年前EUに加盟したおかげで急激に増え、ほとんど毎日といっていいぐらいTVニュースの犯罪欄に名を連ねているのだ。今の段階の正規移民だけでもあふれかえって毎度滞在許可証の更新には苦労している、というのになんで我が家がわざわざ手を貸してこの国出身者を救わなければならないんだ?おっとはあらゆるところに電話をかけて行方をくらましたコスティカを探し出した。奴はとある倉庫で、もちろん闇労働者として働いていたのだった。しかし、わたしがこの立場だったら飛び上がって喜びそうなニュースに対する彼の反応は、わたしをまたイライラさせる。「今は仕事があるし、ダメョ。シゴト休むワケ行かないから、県庁に行きたいならマルちゃんだけで行くとイイ。」お人よしのおっと「だから、これは2人で行かないと意味がないんだ。君の雇い主の連絡先を教えてくれたらぼくがこの日は休めるようにお願いするから。君は住所の証明書を大家さんに頼んで、市役所で作成してもらって期日までに持ってきて。」コスティカ「そんな時間ナイヨ。」どこまでもお人よしのおっと「市役所は土曜も開いてるんだから仕事を休まなくても行けるよ。」コスティカお~ま~え~!!立場がわかっとるのかっ!?←絶対わかってないこの会話から数日。コスティカからちっとも連絡がないのでまたおっとが彼に電話をする。コスティカ「ダメね。大家はワタシ住んでること証明したくない。」ああ~、やっぱり。ミラノには不法ガイジン相手に法外な値段で家を貸す大家が多い。しかも一件の小さなアパートに10人ぐらい詰め込んで家賃を搾り取っているのだ。コスティカも例外にもれずにその一人であるらしい。どこまでもどこまでもお人よしのおっと「ん~。。じゃ、こうしよう。君はうちに住んでるってことで証明書を書いてあげるよ。だから今度の土曜に一緒にうちの市の役所に行こう。」わたし「なんだってっ?ちょ、ちょっとそれって、やりすぎじゃないのっ!!??」おっと「大丈夫だよ。コックさんのときだって、『我が家に長期滞在のお客さん』ってことで証明書を出して別に何も起こらなかったじゃないか。今回もそうすればいい。」エクアドル人と日本人の夫婦ってだけでかなり不自然なのに、そこにまた別の国からの客?おっと「市役所がコントロールに来た時、君がいかにもここにコスティカが住んでいるように答えてくれたらいいんだ。」うう~、嫌だ。本当のことを洗いざらいぶちまけてやりたいっ!←百害あって一利なしこうしてコスティカは土曜日、無事に住所の証明書を取得しおっととともに県庁に手続きに行ったのだ。おっとって、本当につくづくお人よしだなあ、と感心した一件だった。そこからおっとは慌ててコスティカ用の中古のワゴン車を探しに行ったり、彼のための仕事の空きを探したり、土日も返上してバタバタ動いていたのだが、あるときから動きがぱったり止まり、いつまでたってもコスティカがうちで働く様子もない。わたし「あのさ、コスティカもう働き始めたの?」一瞬間があっておっと「それがね。。。」と言いにくそうに続ける。「これで労働許可証が取れるのは時間の問題だから、取れたら倉庫のオーナーが正規雇用してくれることになったんだって。だからうちで働くことを断ってきた。」わたし「はあっ!?」おっとは慌てて「あ、でもでもこれでよかったじゃないか?どうせうちじゃ、3人目をこんなに急に雇うこと無理があったんだし。。。」可哀そうなおっと。。。コスティカのためにここまで動いて、結局裏切られた、というか、別の雇用主においしいところだけ持っていかれたわけだ。おっとが哀れでこれ以上追求するのを辞めたのだが、わたしはますますあの国出身者が大嫌いになってしまったのは、いうまでもない。しかし、タイトルのようなことはまだここでは終わらない。実は2人目の従業員エクターは今までエクアドルの国際免許で働いていたのが発覚した。わたし「え、国際免許って期限は1年しかないんじゃなかったっけ?それが3年、ってどういうこと?」おっと「あっちはお金さえ積めばなんとかなるんだよ。でもさすがに3年超えるともう無理があって、先日イタリアの運転免許試験を受けたから、今は結果が出るまで仮免で働いているんだ。」わたし「ふ~ん無事受かるといいね。」そんな話をしていたらエクターから電話があった。「。。。すみません、落ちました。」わたしとおっと「げ!?」おっと「困ったなあ、免許がないとうちで働き続けられないよ?」エクター「イタリア語の筆記試験だったから難しくって。。。あ、でも後1ヵ月後にスペイン語で試験があるのでさっそくそれに申し込みました!」おっと「でもその1ヶ月、免許なしでどうするの?」エクター「まだ仮免の期限が切れてないので大丈夫です。スペイン語での試験には必ず受かります!」そして先週。おっとが複雑な表情で夜遅くに帰宅した。「エクター、また落ちちゃったよ。。。」わたし「え~っ!試験2回目で、しかも今回はスペイン語だったのに落ちるなんて勉強してたの?!」おっと「ぼくのときは外国人は口答試験だったから簡単だったけど、今はイタリア人も外国人も関係なく同じ試験なんだって。ちなみにネットで過去問ができるから、ぼくも試しにやってみたけどエクターの5倍は間違えた。ハハハハ。」ハハハハ、じゃないよ。おっと「残念だけど、エクターには自己退職してもらうことにした。免許もないのにしてもらう仕事がないからね。でも困ったことはぼくのワゴン車の融資の都合がついたから、もうすぐにでも納車ができる状態なんだ。そうなると、ワゴン車が一台だぶってしまうし、早いことエクターの代わりの運転手を見つけないと。。。」ハハハハハ、なんとも悲惨な状況だ。わたし「。。。今度は絶対イタリア人を見つけな、そんな余計な問題に悩まないように。」おっと「そうなんだけどね、難しいよなあ。。。。はあああああああ。」わたしが仕事を探しているときは「どうしてガイジンってだけで雇ってくれないの?」という場面にたくさん出くわしたが、今は雇用者側に立って、その気持ちが痛いほどわかるようになってしまった。わたしよりも社長のおっとのほうが身にしみてわかったはずなのに、おととい「ひとり見つけた!面接してくる。」と会いに行った相手はわたしの我慢の出来ない国民のところであった。。。。。。。前途多難な我が社である。出産予定日まで あと14日。
2007.11.30
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11月3日というより11月2日深夜。ここから先はお食事中の方は読まないでください。レストランから上機嫌でホテルに帰ったわたしたち。このままシャワーを浴びてぐっすり眠ろうかと思ったのだが、おっとたちは実はレストラン待ちの間にコーヒーを飲んだバールで2本も酒を買い込んでいた。(イタリアに深夜営業のスーパーなどはない。しかしちょっと割高だがバールのカウンターで深夜でも酒が買えるのだ。)彼らはこれから酒盛りをするらしい。妊婦のわたしは当然パスである。なのでおっとは鼻歌を歌いながらジョバンニたちの部屋に消えていったのであった。はああああああ。。。。。。やっとこれで、やっとこれでやっとこれでゆっくりトイレに行くことが出来る!ジョバンニたちがイタリアに来てからと言うものの、家でも外でもせわしがなくて、すっかり便になってしまった。まあ、毎回旅行となると環境も行動時間帯も食べ物もずいぶん変わるからいつもこれで悩んでいるのだが、イタリアは特に外のトイレはどこも汚いのだ!ど~して使用後流さないの?というのはたまに日本でもあったが、ど~して便座までびしょびしょなの?とかど~して便器に便座がないの?とかど~して便座にヒールのかかとの跡がついてるの? というのが結構当たり前なのである。こちらの女性はどんな姿勢で用を足すのだろうか?もちろんこんな便座に座る気になんかなれず、あまりに汚いと我慢してしまうか、中腰でさっさと済ませてしまう。しかしこのホテルの部屋のトイレは現在わたし専用。ピカピカに磨かれた便器のふたには「消毒済み」と書かれた紙たすきが巻かれていて、わたしは気持ちよくそれを取り、やれやれと腰を下ろした。10分経過。出ない。30分経過。出そうで出ない。1時間経過。いきみすぎたためか、なんか肛門のあたりが変だ。おそるおそる触ってみると(←汚い話でスミマセン)、腸がちょっと出てる?OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!??????わたしは焦ってパニックに陥った。え~と、え~と、そうだ水をがぶ飲みすれば中身が出て腸が戻るかも?!2L入りのミネラルウォーターを手に取り自棄飲みする。しばらくすると次第にもよおしてきた。だが残念ながらそれは大ではなく小のほうである。しかし。今度はいくら頑張っても小も出なくなってしまった。大は出なくてもまだ我慢できるが、小が出ないのは地獄である。破裂しそうな膀胱を抱えながら、部屋とトイレを行ったりきたりしていると、おっとがベロベロに酔って帰ってきて、トイレのドアを開けぱなしで用を足し始めた。(人様には見せられない醜態である!)その勢いのいい音がまた尿意を誘うのだが、出ないのだ!!おっとは服のままベッドの上に寝転がるとすぐに大いびきをたてて眠り込んでしまった。くっそ~、妻がこんなに苦しんでいるのに。わたしは次第に弱っていき、もうトイレに立つ力もなくなって、脂汗をかきながらベッドの上で気持ちよさそうに眠るおっとを睨んで「う~んう~ん」とうなるしか出来なくなってしまったのである。朝5時ごろ。おっとは酔いが醒めたらしく、起き上がってパジャマに着替え始めたので、ついにわたしは「おっと、おっと。。。」と弱弱しくおっとを呼んだ。おっと「ど~したの?」わたし「調子が悪い。病院に行きたい。」おっと「ま、まさか、陣痛?!」←ここで完全に目が覚めたようである。わたしは「違うの。。」と恥ずかしながら状況を説明する。おっとはやや冷めた目になり「え~、大げさじゃないの?そんなことで病院なんて。ミラノに帰ってからかかりつけ医に行こうよ。」わたし「きっとこの状態でミラノまで帰れないと思う。」おっとはこの後、腕を組んでわたしの状態を見て考え込んでいた。「でもさ、こんな初めての町で病院なんて知らないし、かといって救急車も大げさだよねェ。。」そうやって悩んでいる間に7時になり、ベロニカが「朝ごはん食べに行きましょうよ。」と部屋の扉をノックした。ベロニカ「あれ、いくきーとどうしたの?」おっと「昨夜から調子が悪くなったんだよ。で、病院に行くかどうか迷っているんだ。」ベロニカ「何言ってるの!すぐに救急車を呼ぶのよっ!!」ここからは早かった。ベロニカがフロントで救急車の手配をし「後10分で来るから。」というので、力を振り絞って起きてパジャマを脱いで、おっとはバタバタと荷造りをした。救急隊員がどやどやと担架を持って部屋に入ってくる。脈拍を測りながら「どうなさいました!?陣痛ですか?破水ですか!?」わたし「。。。。い、いえ。」知らない人にまで状況を説明するのが恥ずかしい。しかし彼らはさすがにプロで顔色ひとつ変えずにうんうんと聞いてくれる。おっと「やっぱり、救急車なんて大げさですよ。。ネ?」救急隊員「いえ、奥さん脈が普通よりだいぶ低くなっています。それだけ具合が悪いということですよ。」そうなのか、と私自身も思ったが、おっとはそれを聞いてショックを受けたようだった。この日、長いイタリア生活でわたしははじめて救急車に乗った。日本では一度体験したが、イタリアの救急車は運転荒い!振動が激しい!!膀胱にがんがん響く。身をよじりたいが、痛くてそれもかなわず。。。。と思っているうちにある病院の救急棟に担ぎ込まれたのであった。さっそく待機していた救急医師数人が駆けつけてくる。「どうしました?陣痛ですか?破水ですか?出血ですかっ!?」わたし「。。。。い、いえ。」何度も状況を説明するのが恥ずかしい。しかし説明が終わるとプロな彼らはポーカーフェイスで「ちょっとお待ちください。」と書類を作成しにいった。わたしはようやく少し落ち着いて廻りを見渡した。わたしの隣には50歳半ばぐらいのおばさんがいびきをかいて寝ていた。。。と思ったら、急にかっと白目をむき、「あああああ~」と全身を痙攣させはじめたのでびっくりする。看護婦のひとりが慌てて飛んできて「ちょっと~、この女性の担当は!?」とおばさんのベッドを押して走っていった。ああ、やっぱり大げさだったかなあ?と後悔していると、わたしのベッドは診察室に運ばれた。ベッドの上から女医に状況を説明する。女医はふんふんとうなずいて、「じゃあ一気に人工的に大小出しちゃいましょう。」と言って、研修医らしい若い男性を呼び、「浣腸と、チューブと。。」と手配しているのが非常に恥ずかしい。女医「ところで、あなた日本人みたいな名前ね。」わたし「??そりゃ日本人ですから。」研修医が「恥ずかしいセット一式」を運んでくると、今度は別の看護婦が現れる。この看護婦、まるでわたしを恐喝するかのように顔前でゆっくりと区切りながら大声で「よく聞いて!今からわたしはあなたにこのチューブを刺すからね、わかる?これよ、これ!!」というのでびっくりしてしまって「わかりますけど、だからわたしは何をしたらいいんでしょう?」とおそるおそる尋ねてみた。看護婦は急にきょとんとした顔になって「あら、この娘イタリア語がわかるわ。」女医「その娘日本人で、ミラノから来たのよ。」わたし「???」ここから先はあえて説明しない。とにかく寄ってたかって人工的にお腹の中の大掃除をしてもらったのである。この後、妊婦ということで産婦人科の診察を受けに外来病棟まで運ばれた。そこで今までの「???」の謎が解けた。そう、この病院は中国で、なぜかイタリア人医師が働いているのである!もとい、患者の95パーセントは中国人なのだ!!特に産婦人科病棟の待合室では中国人夫婦がごったがえしていて、イタリア人看護婦が「男性はここから立ち入り禁止と言ってるでしょう、もうっ!!」と声をからして旦那さんたちを外に追い出していた。診察を受ける前に「モニトラッジョ(日本語がわからない)」というものを受けたのだが、ここでも中国人妊婦がひとり、書類を作成されていて母親が付き添っていた。娘はまったくイタリア語がわからず、母親がたどたどと説明しているのだが、どうやら保険証どころか滞在許可証も持っていない「闇移民」のようである。きっと、こんな中国人ばかりだから「日本人であること」と「言葉が通じること」が驚かれたのだろうなあ。でも昨夜の散策ではまったく中国人なんて見なかったのに。やっと診察の番が来た。胎児は異常なし。医師「これからミラノに帰っていいけど、ゆっくり運転してもらって、まめに休憩をとってトイレに行くんだよ。」わたし「。。わかりました。」←まだ恥ずかしい。医師「あ、それから君たち東洋人の主食の白飯はお腹の中の水分を吸収して膨張するから、出産まで食べないように。」わたし「ええ~っ!!??」これはショックだった。ほぼ毎日、おかずとご飯を食べている我が家は明日から何を食べたらいいんだっ!?診察室を救急棟の看護婦に付き添われて出ると大勢の中国人の男性軍に混じってひとり南米おっとが心配そうに待っていた。わたしが「みーちゃんは大丈夫だったよ。」というと、おっとは顔を真っ赤にして半泣きになって「ごめん、ごめん。」と謝っていた。こうして、午前中の予定だったフィレンツエ観光は完全に潰れ、わたしたちはそのままミラノに帰ることにした。最初の30分はおっとが珍しくミュージックも流さず、ソロソロと運転していたのだが、早朝からの緊張で疲れていたらしく次はジョバンニに運転が替わる。この時点でわたしの療養タイムは終了した。ジョバンニはラテンミュージックをいつものおっとの倍のボリュームでガンガンにかけ、高速道路上で手拍子をとり、アクセルとブレーキを器用に踏み変えながらクルマを踊るように前後させて運転するのである!!おっとの運転中にはぐったりと眠りかけていたわたしも、おっともベロニカも「うるさ~~~~いっ!!!!」と耳をふさぎ、全身をぴりぴりさせて下手な事故を起こさせないようにするのが必死だった。まったくこの野郎、2年前にも思ったが、もう2度とうちに来るなっっっっっっっ!!こうしてわたしの出産前最後の旅行は幕を閉じた。妊娠後期に旅行なんて、我が家の場合は少々無理があったようだ。あ、現在は平和な日常が戻って、病院に行ったことがウソの様に快腸です。おわり
2007.11.09
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11月2日 ルイスとミリーは早朝から仕事に出かけた。日曜しか休みのない彼らにはこの連休は関係ないのだ。この夜、狭いカテイちゃんのシングルベッドで抱き合って寝ていたおっととジョバンニが昨夜から寝ることもままならなかったようで「いくきーと、支度して!出かけるよ!!」と起こしに来る。この日はピサに移動し、そのままフィレンツェに入る予定だ。モナコなんて予定に入れたら、4日間の連休中に帰宅できないと判断、わたしは軽くジョバンニの希望を無視したのだった。天気は快晴、高速道路は空いていて意外に早くピサに着く。ピサの街は一通、駐禁の場所が多くて毎回行くたびに違反切符を切られる。そこで超観光地のドウモ広場から少し離れた大きな駐車場を見つけてクルマを停め、シャトルバスでドウモ広場へ。ドウモ広場は相変わらず大勢の観光客でごったがえしている。ジョバンニははじめて見るピサの斜塔に感激し、50枚近く同じところで写真を撮り、満足そうだ。ジョバンニとおっと「みんなで斜塔に登ろう!」←どっちが妊婦だか?わたしとベロニカ「げ~、絶対イヤ!!」←何度も言うがわたしはもうすぐ臨月!しかし斜塔への入り口は長蛇の列だったので、彼らは簡単にあきらめてくれた。もう昼ごはん時だったので、またもや激まず激高ピザを近くのピッツエリアで食べ、フィレンツエに向かってGO!ああ、今日はいい感じ。最初はどうなるかと思ったけどやっぱり旅行っていいなあ。ジョバンニ「なあ、今夜のホテルはフィレンツエなんだろ?」わたし「ううん、フィレンツエの街中はこの連休で高かったからプラートっていう隣町にとったよ。」ジョバンニ「フィレンツエに行く前にチェックインしたいな。今朝は起きてすぐ出かけたからシャワーを浴びたいんだ。」わたしとおっと「絶対ダメ!!!」なぜなら、2年前の日記を読んでくださった方ならわかると思うが、前回のローマもこいつのシャワーで時間がつぶれたおかげでろくに観光ができなかったのだ!!ベロニカ「今日は陽のあるうちにフィレンツエを見たいわ。だからシャワーは夜にチェックインしてからゆっくりしたらいいじゃない?」OHHHHH,ベロニカ、やっぱりあんたは見かけだけでなく中身もまともな気がしてきたよ。。。しかし。ここからわたしは判断を間違えた。「フィレンツエは今日の午後と明日の午前中に時間があるからどう廻る?わたしとしては、今日は陽のあるうちにミケランジェロ広場というちょっとはずれの丘からフィレンツエの町並みを見て、ポンテベッキオに行くの。そして明朝にアカデミア美術館にジョバンニが見たい、ダビデ像を見に行ってドウモとか軽く観光してミラノに帰るのがお勧めなんだけど?」この時点でこんな選択式の聞き方をせずにわたしの思うままに行けばよかったのだ。ジョバンニ「全部今日中に見れないのか?明日はミラノでベロニカが友達に会う約束があるから早く帰りたいんだ。」わたし「それは無理だよ。今日はパノラマかダビデ像のどちらかだ。」ベロニカ「じゃあ、パノラマ!」ジョバンニ「何言ってるんだ、ダビデ像だ!丘なんてちょっと行って見て来るだけだろ?」ここでクルマを運転していたジョバンニはフィレンツエの中心街に向かって突っ込んで行った。行った事のある方や、在住の方はおわかりかと思うが、ここは国鉄駅ぐらいまでしか一般車は入れず、そのため、そこに行き着くまでがいつもひどい渋滞なのだ。しか~し!!このやろう、そう言っているにもかかわらず、標識が全部イタリア語で読めないのをいいことにどんどん駅から先の路地に突っ込んで行くではないか!?おっと「きゃ~やめてっ!!後から罰金が来るよ~~~~!!!!!」←この時点ですでに遅いと思う。絶対どこかで隠しカメラに撮られている。やっと路地を抜け、空いている駐車場を探してグルグル中心街の廻りを何周もするのだが、どこも満車である。わたし「これじゃあ今日、美術館が開いてる時間に行くのは無理だよ。やっぱり陽が落ちないうちにミケランジェロ広場に行こうよ。」ジョバンニ「うるせ~、ここまで来たのにもう戻れるかよ!」プチン。私の中で何かが切れた。わたしはもう何度もフィレンツエに来てるから何も見れなくてもどうってことないんだ。彼らのために言ってるのに!!ここからわたしはだんまりを決め込んだのである。並びに並んである駐車場にクルマを停めることが出来たときには、あたりはすでに真っ暗だった。ああ、いつものパターン。ジョバンニ「もう時間がねえ!おう、いくきーと、美術館はどう行くんだっ!?」わたし「。。。。。」ジョバンニ「子供みたいにすねてるんじゃないよっ!今日見れなかったらお前のせいだぞ!!」なんでやねんっ!?わたしは「おまわりさんに聞けば?」と巡回パトロールをしていたおまわりさんを指す。おっとが慌てて道を聞きに行き、3人は走り出した。ジョバンニ「いくきーと、もたもたするんじゃないよ!走って!!」おっとが戻ってきてわたしの手を引き、走り出そうとする。「ちょっとちょっと、わたしは走れません!それにどうせ並んで待つことになるんだから彼らに先に走らせときゃいいんだよっ。」と、放置プレイを決め込んだのだが、結局彼らは簡単な道でも迷ってしまい、わたしのペースでのろのろと美術館前まで連れて行くことになったのだった。並んでやっと中に入れたのは閉館30分前。さほど大きな美術館ではないのでゆっくり鑑賞しているとジョバンニがせっつくので、さらに怒ったわたしは別行動を取ることにした。ほ~、やれやれ。この後、どこに夕ご飯を食べに行こうかな?そういやずっと前、ポンテベッキオの近くで食べたフィレンツエ風Tボーンステーキが絶品だった。ちょっと歩くけど、ポンテベッキオも見れて一石二鳥。あそこに連れて行くか。。。そんなことを考えながら、出口で扉をもう閉めかけている係員に「もうすぐ出産?おめでとう!」とにこやかに送り出され、外に出ると3人がそばのお土産物屋のウインドウに張り付いて待っていた。ジョバンニ「遅いぞ、いくきーと。さあ、ホテルに行こう!」わたし「ええ!夕ご飯は!?わたし、そんな知らない町で探しておいしくないレストランに当たるより、フィレンツエでおいしいところを知ってるからそこに行きたいよ!」ジョバンニ「わかったわかった。じゃあ、そこに行こう。」わたしたちはポンテベッキオに向かって歩き始めた。ドウモを超えたぐらい(美術館から300mぐらい)で「まだかよ、レストランは?」とジョバンニがせっついてくる。わたし「まだあと5分ぐらい歩かないと。」ジョバンニ「駐車場と同じ方向なのか?」わたし「反対側だよ。」ジョバンニ「おれは早くチェックインしてシャワーを浴びたいんだ。そんな遠いレストランなんて行ってられるか!駐車場に戻るぞ!!」わたし「く~~~~。。。。。。。。」1日ぐらいシャワー浴びなくても死んだりせんだろうが!!わたしたちはクルマを飛ばしてホテルに向かった。ギリギリでちゃんと写真も見ずに値段だけ見て決めたホテル(1部屋1泊64ユーロ)なので、ちっとも期待をしていなかったのだがこれが当たりだったのだ!Hotel DatiniViale Marconi80,Prato 59100Tel.057-4562348高速道路の出口からすぐのところにあって、ガラス張りのフロントには気持ちのよさそうなソファが並んでいて、くつろげるようになっている。ダブルルーム2部屋を取ったのだが、広いひとつのダブルルームにダブルベッドが2つ。大きくてお湯のたっぷり出るお風呂は清潔で、イタリアのホテルに珍しくコスメテイックが充実している。わたしたちは「うわ~。。」と息を呑んだ。ジョバンニ「こんなんだったら、一部屋だけでよかったのにな。」せこいなジョバンニ。そういうわたしも、こうなってるとは知らなかったのだけど。ジョバンニはさっそくシャワーを浴びて落ち着いた。わたしたちはその間、フロントでこの街のお勧めレストランを聞いた。フロントのお兄さんはとても親身に地図をくれただけでなく、クルマでの行きかたや、その辺のお勧めの見所を教えてくれた。お兄さんのお勧めのレストランは高い石壁に囲まれた広場にあった。小さいレストランだったが扉には2000年から毎年連続のガンベロロッソ(イタリアレストラン協会でおいしいと認定された店にのみ与えられるもの)や、その他のステッカーが並んでいる。これは確実においしいに違いない!と意気揚々と中に入ると、こんなに小さな町なのにお客でごったがえしていた。店長「予約がないなら、1時間は待ってもらわないとなぁ。」おっと「あ、じゃあいいです。」と外に出る。ジョバンニ「もうあそこの中華でいいじゃねえか?」と斜め前の中華レストランを指す。わたし「え~、わたしはピサもフィレンツエも何回も来てるのに付き合ってきたんだよ?せめておいしいものを食べるぐらいのご褒美ちょうだいよ!!」とおっとにうるうる目で訴える。おっと「でも1時間も君、外で待てるの?お腹は大丈夫?」ここまでさんざん振り回しておいて、いまさらそんな心配もないだろうっ!「プラートの地図をもらったし、観光してたら1時間なんてすぐに経つよ。」わたしたちは1時間後に予約して、さっそく中心街の観光に出かけた。金曜の夜はあちこちの雰囲気のいいパブで、たくさんのひとが飲んでいる。暗いながらもライトアップされた古い教会や建物がとてもロマンチックで「ああ、トスカーナの田舎町だなあ。」と感じさせられるのだ。こうしてブラブラしてバールで温かいカモミールなどを飲んでいるとあっという間に1時間が経って、わたしたちは暖かいレストランに入ることが出来たのだった。まず前菜に土地のハムやサラミの盛り合わせ、プリモピアットにトスカーナ風スープを頼む。期待にたがわずめちゃくちゃおいしい。そしてセコンドにトスカーナ風もつ煮込みと、かのフィレンツエ風Tボーンステーキ。ジョバンニ「ステーキはウエルダンで。」店長「何言ってるんだ。これはレアで食べるのが当たり前だ。文句を言わずにまずは味見してみろ。どうしてもダメだったらもう一度焼きなおしてやる。」と運ばれてきたステーキ。ジョバンニとベロニカは嫌そうな顔をしておそるおそる小さな一口を食べてみる。それからはパッと顔が晴れて「うまいぞ!!」とレアでぱくぱく食べだした。いいなあ。。。わたしの口の中はよだれでいっぱいだった。なぜなら今は医者から「生肉禁止令」が出ていて食べれないのだ。おっと「一口ぐらい、どうってことないよ。食べなよ。」となるべく表面の火の通ったところを切り分けてくれる。おそるおそる食べた。。。。。。うんま~~~~~いっ!!!! ああ、全食できないのが恨めしい。全てを4人分ではなく2人前づつ頼んだのだが、あまりの量の多さにデザートまでたどりつけずギブアップ。メニューもなく、値段もどこにも書かれていないので、会計がこわかったのだが、実際レシートが来て気が抜けた。ピサでまずいピッツエリアで払った一人分より安かった。ちなみにレストランはプラートの町の中心。フィレンツエから電車でも行けると思う。OSTERIA CIBBEP.za Mercatale49 PratoTel.0574-607509終わりよければ全てよし。明日は軽くフィレンツエを観光してやっとミラノに帰れる。全員で充実した気分でホテルに戻ったのだったのだが。。。つづく
2007.11.08
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あああ~、前回の日記から気がついたら3週間近く経ってるよ! 先日の薪ストーブの件、皆さんからいただいたコメントをまとめて、さも薪ストーブを所持した友人からの忠告のようにおっとに言ってみた。おっともおっとでいろいろなひとからいろいろ忠告を受けたようで「なるほど~。。」と聞いて確かちょっと前にお願いしていた知り合いに調べてもらうこともうやむやにしたようである。(てか、おっとの約束に確実なものなんてあまりないのだが。)そんなことよりも、おっとの興味はすでに別のところに行ってしまってここ数日は薪ストーブの「ま」の字のひとつも出ない。先々週またもやボイラーが壊れて、先週修理屋に来てもらったにもかかわらずだ。そのことは別の機会に書くとして。イタリアは11月1日から4日まで飛び石連休だった。この期間、あの忘れもしないおっとの母方のいとこ、ジョバンニが来春結婚予定のスペイン人の婚約者とまたもやイタリアに遊びに来た。おっと「でね、ぼくがジェノバのルイスに会いに行こう、って提案したら彼らはジェノバまで行くならモナコ(フランス)とフィレンツェに寄りたいって。近いんでしょう?ジェノバから。」わたし「。。。あのさ、もうすぐわたしは臨月の妊婦だってこと覚えてる?確かにミラノからに比べたら遠くはないけど、そんなハードな旅はごめんだよ。」おっと「大げさだなあ、クルマで行くんだから歩くところなんてないでしょ。」わたし「産婦人科の先生には『行ってもいいけど、滞在型のリラックスな旅をしなさい。』って言われたんだよね。でもそんなの前回のジョバンニたちとのローマ旅行を考えたらどうしたって無理だし。旅行には行きたいけど、わたしやっぱり家で留守番してる。」おっと「そんな!君が来ないとぼく、モナコとフィレンツェの行きかたなんてわからないよ。ねえ、一緒に行こうよ!」結局わたしは考え抜いたあげく、しぶしぶ一緒に行くことに同意した。だって世間が4連休の間、家でいつものように独りでぽつねんと居るのはおもしろくない。ってか、もっとわたしの体調に合わせてソフトな旅を考えてくれないんだろうか?と恨めしくなる。「でも今回は奴らに振り回されての無理は絶対しないからね!」10月31日ハロウィンの夜彼らが我が家にやってきた。まずジョバンニが「いくきーと、久しぶりだなっ!」とドカドカと玄関に入ってきて、続いて「お邪魔しま~す。」と婚約者がちょっとためらいがちに入ってくる。ジョバンニの婚約者は彼にもったいないぐらいの、きれいな緑の目の柔らかそうなウェービーヘアの持ち主の可愛い感じの娘だった。「ベロニカです、よろしくね!」とわたしをギュッと抱きしめる。フローラルのシャンプーのいい匂いがした。うう~ん、なんだかとっても普通に見えるけどだまされないぞ。ジョバンニの家族の第一印象もそうだったのが、実は大ドン伝返しだったのだ!でもでも彼女、スペイン人だからやっぱり普通に見える普通なのか?そして続いてなぜか?ウイリアムが入ってきた。わたし「なんであんたがいるんだよ?」ウイリアム「マルちゃんにこの後のクラブでのハロウィンパーティに誘われたんだよ。お前も来るんだろ?」わたしは時計を見た。もうすぐ夜中の12時だった。行くか、馬鹿たれ~~~~~っ!わたし妊婦なんですけど?明日の朝は奴らのリクエストに応えるために早朝出発なんですけど??ああ、なんだかのっけから馬鹿馬鹿しくなってきた。「ごめん、わたし明日に備えてもう寝るよ。みなさんも明日が早いことをお忘れなく。」と寝室に入った。かなり嫌味をたっぷりこめて言ったつもりだったのだが、ヤギにはそよ風にも感じなかったらしい。彼らははしゃぎながら出て行き、次の日の朝5時にガヤガヤと帰宅したのであった。11月1日当初の予定では8時におきて9時半ごろジェノバに向けて出発する予定だった。というのは、昨夜ジョバンニたちが来るまで、おっとは最近ネット上で見つけた元カノとのチャットにいつものように夢中になっていて、何度せっついても肝心のジェノバのルイスに行くことを連絡していなかったため、わたしが彼らと連絡を取って、昼ごはんにお邪魔する、という手はずをつけたからだ。しかし8時になんて、当然誰も起きやしない。一人で起きて、そろそろと洗面所に向かうと、リビングのソファの上でウイリアムが大いびきをかいて寝ていた。なんでウイリアムがうちで寝ているんだ?ちょっと嫌な予感がした。顔を洗って洗面所から出てくるとウイリアムが眠そうな目をこすりながらソファからのそりと起き上がる。わたし「おはよう、よく眠れた?」ウイリアム「狭いソファの上でよく眠れるわけがないだろう?おまけに2階ではおふたりさん、頑張ってたのが丸聞こえだったし。」わたし「。。。。。。」あいかわらず可愛げのない奴だ。わたしはこの後、ウイリアムとわたしのために朝食を用意して、わざと大ボリュームでTVをつけ、大声でしゃべっていたのだが、残り3人はちっとも起きてこない。仕方がないのでおっとを叩き起こし、シャワーを浴びさせていると、やっとジョバンニたちがのそのそと起きてきた。ここから彼らもシャワーを浴び、おっとは荷造りをはじめやっとみんなの準備が整ったのは10時半。わたし「あ、そういえばホテル予約してないんじゃないのっ!?」ネットで安めのホテルを即効探し出して全データーを書き込んで予約が終了したのは11時。わたし「予定より出発がかなり遅れたからルイスに予告して。」とおっとにルイスの奥さんミリーに電話をさせる。おっとは「今から家を出るからあと2時間で着くよ。」といい、ミリーは「わかったわ、気をつけて来てね。」と電話を切る。やれやれ、やっと出発できる。。と荷物をクルマのトランクに詰め、みんなで座席に乗り込むとウイリアムも乗り込んでくるではないか?わたし「え。。。あんたのクルマは?」ウイリアム「昨日マルちゃんがうちまで迎えに来たんだから、乗ってきてねえよ。」ってことは、ただでさえ遅れているのにウイリアムをマルペンサ空港のそばの奴の家まで送っていかなければならないってこと?OOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!ウイリアム「心配するな、うちからジェノバまで2時間ぐらいだ。」わたし「。。。あんたのうちまでここから1時間だろっ!?」おっとめ~、そのときそのときの楽しみだけを考えて、ホテルの予約といい、ジェノバのルイスのことといい、こいつを前夜に誘ったらどうなるかとか、ちっとも考えてやしない!!!結局ウイリアムを彼の家まで送り、知らない道を不安になりながらすっ飛ばしてジェノバのルイスの家に着いたのは昼の3時半を廻っていた。怒ミリー「いらっしゃい~、お腹ぺこぺこで待ちくたびれていたのよ。」とさっそくご自慢のエクアドル料理を大盛りで振舞ってくれた。しかし、食べきることが苦しかった。なぜならジョバンニが「腹が減ったよ、ジェノバまでなんて持たないよ!」とサービスエリアで昼食を取りたがり、同様にお腹がペコペコだったわたしたちはそれに付き合ってしまったので、すでにお腹がいっぱいだったのだ。わたしたちはそれでも無理して食べたのだが、ジャイアンジョバンニはほとんど残していた。ああ、まったく失礼なやつだ。ジョバンニ「ジェノバ観光に行こう!」ここで失敗したくないわたし。なぜならこの夏、エルトンと来たときわたしはコロンブスの生家などがあるジェノバの旧市街に彼を連れて行って「ぼくはこんな都会じゃなくて海が見たかったのに。。」と後から愚痴られたのだ。ジョバンニ「海なんかより旧市街に行きたいな!」よかった、ルイスにそのことを言うと「え~、海辺の散歩道を歩こうや。」と渋る。そりゃあ、彼らには仕事場もあり、すっかり飽きてしまった旧市街だから行きたくないのはわかるけど。。わたし「みなさんで好きにして。」←なげやり2台のクルマでさっそく出かけた。先頭に立ったルイスのクルマはやはり海への道を行く。やっぱりね。一方、そのことを言うと我がクルマの中でジョバンニは「旧市街に行きたいのに!!」と叫んで暴れる。しかし結局何を思ったのかルイスはUターンをして旧市街のパーキングにクルマを停めたのだった。「もう真っ暗だから海に行ってもつまらない、と思ってな。」そう、もう真っ暗。2年前と一緒だ。ローマもベネチアもミラノでさえ、着いたら真っ暗だった。しかし真っ暗でもライトアップされた石畳の旧市街は雰囲気があって、ジョバンニも彼女もうれしそうである。久々に再開するいとこ同士の話もはずみ、ベロニカも本当にいい娘のようで、コミュニケーションがうまく出来ないながらもミリーに通訳してもらって楽しく夜の繁華街を楽しんだ。しかしジョバンニは2年前と同じセリフを吐く。「真っ暗だからビデオカム廻してもまわりが写らないよ!」結局2年前と同じ。「いくきーと、ここで彼女と写して!」「ダメ、ここが真っ暗だから撮りなおして!!」わたしのデジカメなんですけど?そしてわたしは妊婦でこんなしゃがみこんで下からなめるように写すのが困難なんですけど!?おっと「あぶなっかしいな、ぼくが写すよ。」ジョバンニ「お前はヘタだからダメだ!」こ~~~~~~ろ~~~~~~~~す~~~~~~~~~~~~~!!!!!急な坂道の続くジェノバの旧市街はわたしには相当きつかった。もうダメだ!とギブアップ宣言をしようかと言葉を準備していると「ジェノバのピザが食べたいな。」とジョバンニが安っぽいピッツェリアを指差したのでホッとしたのである。このあと、我々はちっともジェノバではない普通のピザを食べ(ジョバンニは「まずい。」とほとんど残し。)、ルイスの家で雑魚寝となった。ああ、旅の初日からこれでわたしの身体は持つだろうか?つづく
2007.11.07
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おっとの幼馴染ウイリアムがUSAで行方不明になった話を覚えておられる方はいらっしゃるだろうか?彼はせっかくイタリアくんだりからUSAまで彼女の出産に合わせて行ったというのに、一方的に彼女のお母さんから「娘はアメリカ人と結婚しました。」と別れを告げられて、彼女にも、産まれた娘にも遭えずにショックで行方不明になったのだ。日記にはUPしなかったけど、その当時はまるでドラマのようで、心配というより次に何が起こるかかなり期待しながら様子を見ていたクールなわたしだったのだが、3ヵ月後ぐらいにエクアドルの実家に戻った、という彼からおっとに連絡があって、ありきたりな展開にちょっとがっかりしながらもホッとしたのだった。そして、その電話の2週間後ぐらいには何事もなかったかのようにイタリアに帰ってきたウイリアム。話を聞けば、彼女とヨリを戻したという。ど~ゆ~こっちゃ?ウイリアムが言うには偽装結婚はあくまでも偽装結婚であるという。ではなぜ彼女がせっかくはるばる行ったウイリアムに遭わなかったかというと、留守の間、彼女の兄弟のひとりが、ウイリアムが他の女の子といちゃいちゃしながらミラノの街を歩いているのを目撃してさっそく彼女にちくったかららしいのだ。(彼女の父親と兄弟はミラノに住んでいる。)確かにここの兄弟は「種馬野郎」なので、ありうることなのだが、彼女はこの裏切りを怒って、遭わなかった、というのである。エクアドルに帰った彼はその間、必死で言い訳をしてなんとか彼女とヨリを戻すことが出来たので安心してのイタリア帰国となったのだ。な~んだ、つまらない展開。ウイリアム「だから、やっぱり俺はアメリカに行って家族3人で暮らすよ。」はいはい。やっとイタリアの家族親族友達一同と離れる決意が着いたか。そうとなれば、別に彼に思い入れなどないわたしはあくまでもドライだ。ヤギ的飲んだくれ会のお誘いなど断り続け、おっとはひとりでせっせと参加しに行き、「そういえば彼に半年以上遭ってないな?」、というころにウイリアムから先日2人揃っての夕食会に招待された。「お別れ会」だという。そうか、いよいよ。。。。この会ぐらいは参加しておくか、と出かける準備をし、夜おっとが帰宅するのを待った。帰ってきたおっと「今日はシンプソンのお別れ会だから。」へ?シンプソンとはアメリカアニメの「ザ。シンプソン」のホーマー似のわたしは数回しか会ったことがないウイリアムのいとこだ。聞けば、たった1ヶ月のエクアドルへの里帰りである。わたしは黙って上着を脱いでクローゼットにしまった。「ひとりで行ってきなよ。」おっと「え~、一緒に行こうよ。」わたし「嫌だよ。たったの1ヶ月の里帰りでしょ?だってウイリアムのうちに行ったらあんたいっつもベロベロに酔いつぶれて朝までソファの上で寝ることになるじゃない?普段ならともかくわたしは妊婦なんだからそんな一夜の過ごし方はごめんだね。」おっと「。。。わかった、なるべく早く帰ってくる。」わたし「信じてないけど、携帯電話だけはいつも身につけて置いて。なんかあったとき連絡できないのは嫌だから。」おっとは出て行き、わたしはひとりで夕食を済ませ、シャワーを浴びてベッドに入った。なかなか寝付けなくて本を読んでいると本当におっとが夜中2時というとても早い時間に帰宅したのでビックリ!わたし「は。。。はやい。どうしたの、いったい?」おっと「ミーちゃんのために早く帰ってくる、って言ったろ?」そういえば最近、おっとはヤギ的飲み会への皆勤賞なのは相変わらずだが、朝帰りが極端に減った気がする。父親になるってのは、こうにもおっとを変わらせるものらしい。わたしはまったく興味がなかったが「どうだった、お別れ会?」ととりあえず会話のネタを提供。おっと「シンプソン、明日永久帰国だって。もうイタリアにうんざりしたからって。。いいなあ。あとウイリアムの1ヶ月遅れの誕生会も一緒にしたから夕食会は盛大だったよ。」。。。出かける前と話が違うやんけ。おっと「でね、でね、ウイリアムは夏休み、USAの彼女のところ経由エクアドルに帰ってたんだって。えっと、それからぼく決めたよ。老後はエクアドルに帰るんだ!!」はあ?なんでいきなりそういう展開になるんだっ!?おっとは彼らにもらってきた数冊のエクアドルの不動産屋のパンフレットを広げる。「シンプソンの家族は向こうに家を買うためにこっちに出稼ぎに来てたんだけど、購入資金も溜まったし、買う家もめぼしをつけたらしいよ。見て、この値段!ぼくらもあっちに家を買おうよ!!」わたしは夜中に突拍子もない話に頭をクラクラさせながらパンフレットを見た。どのページを繰ってもきれいなアメリカンスタイルの新築マンションでおしゃれな家族が幸福そうに団欒している写真が満載である。値段予想はだいたいしていたのだが、実際見て驚いた。首都キトの中心の広い新築マンションがミラノの車庫がひとつしか買えるか買えないぐらいの値段で買える。超高層マンションのオフィスワンフロアは我が家の2/3の値段、郊外の庭付き一戸建ての豪邸も我が家の半分もしない。安いっ!!おっと「今のうちに買っておこうよ。で、帰りたくなったらいつでも帰れるように。。。」わたし「ちょ、ちょっと待ってよ!買うって言っても通販で服を買うのと訳が違うのよ?こんな遠くからどうやって家が買えるの?第一ローンはどうするの?安いと言っても今の我が家のローンだけで精一杯なのよ?」おっと「ローンは借家にして家賃で払っていくさ。管理はママに頼めばいい。だから来年君が日本に里帰りするのにあわせて、ぼくはエクアドルに行って家を買ってくるよ!」わたしはとうとう爆発した。お腹のミーちゃんもビックリしたのか、内側からお腹を激しく叩いて蹴りまくってわたしは立っていることが出来なくなって、ソファの上でうずくまりながらもわめき続けた。そんな大きな買い物をわずか1ヶ月ほどの休暇のうちにしようなんて、慎重さがなさすぎる。おっとのそんな軽いノリに この家だって疑問を持ちながらも買って、後からこんなに多々の問題を抱えて苦しんでいるというのに!しかも家が安いのは向こうの平均収入が安い、つまり経済成長していない国だからだ。わたしは老後そんな国に移住するなんてまっぴらごめんだ。これはすでに数十万回常日頃、おっとに言ってあることだ。それに今から何十年も先の老後用の家を買ったって、そのときには新築マンションも中古以下のレベルのマンションになっている。そんな古い家に住みたくない。そしてそして、来年乳児を抱えて日本帰国予定なのだが、この目的だっておっとに数十万回常日頃、説明しているのにちっとも理解してない!!来年の帰国は両親から受けた命令なのだ。それというのもわたしたちがイタリアに家を買い、子供まで出来たことで我が両親は娘がイタリアに永住すると判断したらしい。母「お父さんが先に死んだら、わたくしこの家を売って完全介護つきマンションを購入しますから、我が家にあるあなたのものは全部イタリアに持って行ってちょうだい。」父「そうそう、邪魔なんだよ。でもあなたのものを勝手に移動するとお母さんが口から火を吹いて怒るから、家の中を改装したくても何も出来ないんだ。来年、荷物をまとめに帰ってきなさい。」ああ、わたしっていまや日本に帰っても居場所がないんだな。。しかし乳児を抱えてそんな引越しまがいのことできるだろうか?もうちょっと数年先に延ばしてもいい気もするのだが、我が父はときどき家族の承諾なしでいきなり暴走するのでそれがこわい。わたしが2年ほど東京で一人暮らしをしていたとき、2泊3日で母が友人たちと旅行に出かけた。そのとき父は、きっとずいぶん前から密かに計画していたであろう小さな我が家の倉庫の中のものを、庭にプレハブの物置小屋を作って洗いざらい移動させ、倉庫にじゅうたんを敷き、家具を入れてあっという間に自分の書斎にしてしまった。母に承諾なんて絶対得られないと踏んだからの行動だとは理解できる。旅行から帰ってきた母が仰天したのも言うまでもないが、わたしが帰省したときに大学のときの卒業制作や作品のキャンバスがむしりとるように木枠からはずされ、ぐちゃぐちゃにまるめられて父の登山道具の下敷きになってプレハブ小屋の中で土埃をかぶっているのを見たとき、呆然として涙がつーっと頬を伝わった記憶がある。去年も父が海外から永久帰国してわたしの部屋を仕事場にした、とわかったときも、あのときと同じく父が母の留守中に突然始めたことだった。出かける前から怪しんでいた母が予定より早めに帰宅して発見し、わたしに連絡を取った、という次第である。もうわたしは実家に住んでないし、しぶしぶ許可はしたがやはりあのときのトラウマがあって「わたしのものを移動するときは慎重にお願いします。」とは言ったけど、すでにいろいろ移動させてしまった後のようだったし、飾り棚に飾ってあった一時的に凝っていたペンギンコレクション、ぬいぐるみとかはまだしも割れ物やブリキのおもちゃはきっと無事には済んでいないだろうな。。。と考えるだけで気が重くなる。父にとってはただのガラクタでも、わたしにはひとつひとつに思い入れのあるものばかりなのだ。必要最低限のものはイタリアに持ってきて、処分できる限りのものは処分してきたはずなのだが、処分したくなくても実家において置きたいものはいっぱいある。古い洋服やバッグやアクセサリーはもっと絞って処分できるし、古い画材も使うかどうかは別にしてイタリアは高いから持ってきてもいいだろう。としても、例えば日本で自分が商品化したもののサンプルとかそのまま捨てたくも使いたくもないし、子供の頃からの大量のアルバム類もそのまま置いておきたいし、生まれた年のお祝いにもらった10段(だったっけ?)飾りのひな人形なんてデカすぎて持ってくる気も起こらないし、収納場所もない、しかし処分は呪いがかかりそうでこわい(実際いわくつき日本人形なのである!)。どちらかというとわたしは畳の上で死にたかった。しかし自分で選んだ国際結婚。こうして来年にはわたしにはイタリアに永住する選択しか残されなくなるので、それなりに日々、覚悟を決めるように努めているのだ。だというのに老後、住んだこともない、住みたくもないエクアドルに行く?おっと「ぼくももうイタリアはうんざりだ。今すぐにでも帰りたいんだよ。」その気持ちはわかる。わたしだって、こんなに住みにくいイタリアなんてうんざりだ。でもおっとという存在があるから仕方がないし、なんとか快適な生活を作るためにメンタリティを変えようと努力しているんだ。だから、だから。。。。。それってあまりにも自分勝手で不公平じゃないかっ!?おっと「落ち着いて。じゃあ、こうしよう。君のお母さんと同じように君が先に死んだらぼくとミーちゃんとでエクアドルに住むために今から家を買うってことで。」。。。。。。。。。。わたしはあんたの先に死ぬ予定かい?そんなにわたしがうっとおしい?たぶんおっとも我が父のように、わたしの承諾が得られないなら独断でエクアドルに家を買ってしまいそうな勢いだ。わたしは自分を我が母に重ねた。小さい頃から彼女のようになるのが嫌で、あんなに反面教師として見て来たはずなのに。気がついたら似ている自分に激しく嫌悪した。
2007.10.01
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前回の「エクアドルに行く?07」は書いている最中に「もう毎年、毎年、同じことばっかりやってるわたし!!」とすっかり嫌気がさして中断してしまった。なんか最近持久力がない。毎日自宅にとじこもりながらも、たまにはネタらしいこともあるのだが、ぐ~たら生活に慣れてしまい、PCに向かう気力すら失せてきた。しかしこれではいけない。時にはキーボードも打たなければ。。前回残りの2日間は、はじめての妊婦旅3日目がきつくて、おっとといとこたちはまたプールか山を企画していたようだが「パス。わたしはひとりで家で寝てるからみんなで行ってきて。」と投げてしまった。すると、急に意気消沈したミリーとカティちゃんも「く~きが家にいるんだったらわたしたちもすることがあるし、残る。」と言い出し、結局は男たちだけで中古車センターめぐりでほぼ1日費やしたようである。夕方に一番最初に飽きたエルトンがひとりで帰ってきたので、元気を少し取り戻したわたしは彼を誘ってジェノバの旧市街を観光をした。湾を一周する観光船に乗ったり、教会を見たり。。わたしは念願叶って大満足だったが、野生児エルトンは都会はあまりお気にめさなかったようである。4日目は本当は予定にはなかった日。おっとの「中古車センターめぐり」の情熱だけで押し切られてしまって残った。なぜおっとがこんなに「中古車センターめぐり」に執着するかというと、我が家のもんで男くん、御歳12歳でありながらもエンジンの状態もすこぶるいいし、2年前の追突事故のへこみ以外は傷ひとつなく、クルマ&キッチン磨きオタクのおっとのおかげでいつも新車のようにピカピカだったのだが、お盆休暇ぎりぎり前に少しエアコンの調子が悪くなったのが始まりだった。といっても、フィルターの掃除ぐらいで済む程度。なので、このジェノバ旅に間に合わせるために、おっとの友達という修理工場(非常に怪しい!)に持っていったまではよかったが、その日をはさんで完璧に壊れやがった~っ!!しかもおっとはそのとき気がつかなかったのだが、フロントガラスに小さなひびまで入れられていた。わたし「やり直してもらいなよ!」おっと「無理にお願いしたし、ずいぶん安くしてもらったからそんなこと言えないよ。」く~。。。。エアコンはともかく、このフロントガラスの小さなひびは2日ほどであっという間にひろがり、助手席を斜めに切るようなはっきりしたものとなった。わたし「エアコンはいいから、せめてフロントガラスを弁償してもらうように言ってよ!」おっとは面倒くさそうに「もうあいつ、休暇に行っちゃったし、念のために他の修理屋に聞いたら500ユーロだっていうし、そんなんならクルマを買い換えよう。」わたし「ど~して、そういう発想になるのよ!だいたいうちのどこにそんなお金があるんだよ!?」おっと「もんで男くんは大きいし燃費が悪いから毎月維持費が大変なんだよ?それを小さな。。そうそう君が欲しがってたオートマ車にしたら、ローンと燃費合わせてもきっと今までとトントンだろうし、もう文句を言わないで運転させてあげるよ。」ふ。。普通、子供が出来たのをきっかけに小さな車から大きな車に替えないか、逆やで?しかし確かにもんで男くんはわたしにはでかすぎてこわい。それでびびり運転練習をしていたらおっとに「君は運転に向かない!絶対に運転するな!!」と宣言されたのだ。確かにわたしのようないつまでたっても初心者が始めるには中古の小さなオートマが向いてるかも。。そういったいきさつでおっとはここのところずっと中古車を捜し求めているのだが、なにもジェノバまで行って探さなくてもいいだろう?!こちとら下着の替えもつき、ルイス家族たちもこの日から巨大アウトレット村で有名なSerravalleの近くにある社長の別荘に泊りがけで行く予定だったので、わたしはおっとの首根っこを引っ張り、早々に引き上げたのだった。はあ。。毎夏恒例のジェノバ参りの義理がやっと終わった。やれやれと溜まった洗濯物を洗濯機に放り込み、マイミクのさとみーなさんに連絡を取る。さとみーなさんは比較的近所に住んでいて、2歳と6歳の男の子がいる。彼女に以前から「赤ちゃん用品をそろそろ処分したいと思ってるの。よかったら見に来て。」と言われていたので、願ったり叶ったりで、おっともまだ休暇中のこの機を狙って、お宅にお邪魔させていただくことにした。前回お会いしたときよりも大きくなった男の子たちを見て、おっとは未来でも見ているのか遠い目をし、わたしは出張ばかりでなかなか遭えないという幻の旦那さんを生で見れて有頂天になる。またもや彼女の京の料亭仕込のおいしい昼食をごちそうになり、立派なベビーベッドとシーツやらベビーバスやらを譲り受けて家に帰宅した。この日のために、わたしが足の骨折以来、使ってきた寝室兼小部屋の家具をベッドだけ残して全部本当の寝室に移動させたのだが、実際家具をどけた空間にベビーベッドを組み立てて置いてみると、なんだか妙な感じだ。まだ子供もいないのに、実感が湧かない。その夜、なかなか寝付けなくて月明かりに浮かぶベビーベッドのシルエットをずっと見続けていた。その日から火がついたわたしたちはIKEAでタンスを購入、そこからなぜかせっせと家の大掃除にまでなってしまった。そこまではよかった。。おっとと「次の週末には小部屋の壁をブルーかグリーンに塗ろうよ!」と大改造計画を立てているとき、おっとの携帯が鳴る。ジェノバのルイスからだった。「うちの社長が次の週末、別荘でBBQをするからお前たちも是非来いとさ。」OOOOOOHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!???なんで毎年ジェノバ参りは一度で終わらないんだ?わたし「ペンキ塗りはどうなるの?それにBBQに誘ってもらったって、今わたし肉がダメなの知ってるでしょ?!」おっと「ペンキ塗りなんていつでも出来るじゃないか。肉が食べれないなら魚を買っていこう。ぼくが君のために焼いてあげるよ。」と、もうエルトンに連絡を廻している。わたし「今度は日帰りだからね!もうしんどいから泊まりたくない!!」おっと「社長さん夫婦の別荘はこの間の同僚の山荘と違って広いから泊まっていきなさい、って言われてるんだぞ?」わたし「嫌だといったら嫌なの!泊まらないために何も持っていかないから。」かなり意固地になったわたしなのであった。次の週末。おっとは張り切って目覚まし時計を早朝に合わせたにもかかわらず、寝坊。わたしとエルトンでイライラしながら待って予定の1時間遅れで出発。高速道路に入り、ガソリンスタンドに入ると、真っ黒に日焼けした家族連れやカップルでごったがえしている。あ~あ、みんなリグリア海の休暇から帰ってきてるんだよな。わたしたちだけ逆行してる。。まあ、そのおかげで逆行高速道路はガラガラ、Serravalleの近くにある社長の別荘には1時間半もかからず到着したのであった。ルイスの勤め先の社長は羽振りがいいらしく、あちこちに別荘やらクルーザーやらお持ちだ。この別荘、わたしはあまり期待していなかった。海の近くでも山の近くでもないこんな中途半端な位置の丘陵地帯で、同じような田舎に住むわたしには魅力があまりない。しかし小さなまるでハイジの村のような村に入っていったときにはさすがに期待が高まってきた。その別荘は村の真ん中に建てられた教会のすぐそばにあった。小さな家が建て込んでいる中にいきなりな豪邸である!貴族の館のような広大で花の咲き乱れた庭、後ろに見える低い山々がトスカーナ地方の絵葉書みたいだ。社長婦人「昔、この辺には温泉が湧いていたからこの建物は保養所だったの。それがその後、ホテルになって、レジデンスになったのよ。」実はこの別荘はもう何年も使っていないので1年ほど前に「好きに使っていいよ。放置していても家が傷むだけだから。」とルイスに鍵を渡してくれたらしい。←そんな信頼関係、我が社では絶対無理だ!!実際ルイスがはじめて行ったときにはベランダは草がぼうぼうで荒れ果てていたのだが、それを掃除してすっかり今ではルイス家族の別荘のようになっている。社長夫婦はたまに来て、ルイスたちと一緒に過ごす程度だという。もったいな~、というか、太っ腹。大きなベランダ、たくさんの広い部屋。リビングのガラス棚にはコペンハーゲンやスワロフスキの年代もののコレクションがぎっしりと並べられ、その優雅さに圧倒される。ああ、こんな家、ミラノで買ったらいくらするだろう?と貧乏人の独り言。なんだ、こんなに素敵な別荘なら泊まってもよかったよ。←現金なわたし社長婦人はさっそくこの日のために買ったばかりのBBQセットの箱の組み立てをおっととエルトンに命じ、わたしとミリー、社長婦人とで使い心地のいいキッチンで材料を切りにかかった。ベランダではカティちゃんが社長の黒いラブラドール犬と笑いたわむれている。大きな白いパラソルの下に長いテーブルを置き、冷えたワイン、焼きたてのパン、オリーブetcを並べて、煙が届きもしない広いベランダの端でBBQ奉行エルトンが肉や野菜を焼いては運びはじめた。おっとがわたしのために焼いた黒鯛は絶品だった。やはり炭焼きの魚は味が違う。このような環境下に置かれると、食事の間に交わすおしゃべりも酔っ払いヤギたちのそれではなく、とてもとてもまともになるので喜ばしいことである。デザートが済んでコーヒーを飲み干す頃にはパラソルの下でもかなり暑くなってきた。女性軍は家の中に入り、「SHANGAI」という竹串を色分けしたものを使ったゲームに夢中になり、男性軍はこのくそ暑いのに犬を連れて散歩にでかけた。ああ、なんてリラックス。これこそわたしの求めていた休暇の形というものだよ。こういうBBQならいつでもOK!男性軍が「今日はこの村でコンサートがあるみたいだよ!」と帰ってきたときには、わたしは大きなベッドの上で昼寝をしていて、ミリーと社長婦人がもう夕食の支度をしていた。わたしは慌てた。「今日中にミラノに帰るつもりなので、わたしたちの夕食はいらないですよ!」社長婦人「え、泊まっていかないの、どうして?まあ、夕食を食べてコンサートを見てから帰ってもいいんじゃない?」コンサートは確かに魅力があった。わたしたちは社長婦人のお言葉に従うことにした。陽が沈むと、社長のレジデンスのすぐそば、教会の前でコンサートが始まる。ベランダで社長婦人お手製のパスタ アラ ジェノベーゼを食べながらにしてコンサートが聴けてしまうのだ。なんて贅沢。夜の10時を廻り、そろそろミラノに帰ろうか、というところであることが発覚した。この小さな小さな村の教会前のコンサート、道路を封鎖して椅子を並べているのでレジデンス内の駐車場に入っているもんで男くんは出れない!すなわち帰れない!!わたし「そ。。そんな。。。」社長婦人「てっきりあなたたちが泊まるものだと思い込んでたから(確実におっとの連絡不足)、クルマのことに気がつかなかったわ。仕方がないわね、これはもう泊まりなさい。」無茶だ。日帰りを決め込んで、洗面道具も何も持ってきてない。エルトンも「明日、友達をうちに昼食に招待したんだよ。やっぱり今日中に帰らないと。。」とぼやいている。そう、何がなんでも帰らなければ!!ここから別荘滞在が急に苦痛になった。コンサートが終わったのは夜の11時過ぎ、道路封鎖が解かれたのは深夜の12時過ぎ。わたしたちは眠たい目をこすりつつ、ミラノに向かって出発したところでエルトンの携帯にメッセージが入った。エルトン「昼食に招待していた友達が明日、来れなくなったって!Uターンする?」わたし「なにがなんでもミラノに帰る!!」自分がなんでここまで意固地になるのか自分でも理解できなかったわたし。。
2007.08.29
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誕生日祝いのコメントを下さったお友達、どうもありがとうございます!これから1年精進しますので(いったい何を?)引き続きよろしく云々でございま~す!!*****次の日、わたしはウキウキしていた。なぜならルイスファミリーはこの日、同僚の山の別荘に勤め先の社長夫婦と共に昼食の招待を受けていた。わたしたちがジェノバに来る1週間ほど前にミリーが言いにくそうに「悪いけど、マルちゃんたちは一緒に行けないの。」と電話をしてきたとき、わたしはほがらかな声で「ノープロブレム!」と叫んだのだ。なぜならこの日一日はルイスファミリーがジェノバに住んでいる限り、到底出来ることがないであろう、とあきらめていた念願のジェノバ観光や、もう今年からはリグリア海に来ても決していけることがないだろうと絶望していた海水浴が出来るではないか!ひとつ欲をいえば来年からはもう2人旅が出来ることがないので、エルトンがお邪魔虫、といえばそうなのだが彼はヤギ的な男ではないのでまあいいか。というわけで、もう1週間も前からわたしはどこに行けば楽しいだろう、とガイドブックを眺めていたのだ。ところがその日の朝。ミリー「昨夜、同僚に連絡を取ったらね、あなたたちも是非連れてきて!って言われたのよ!!」OOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!??????「ど、どうして?そんな急に悪いよ。社長さんもいることだし、わたしまだちょっとつわりがあるから、食べれないものいっぱいあるし。。。」となんとか断る理由を探すわたし。ミリー「大丈夫よ。いくきーとが今日は海に行くって話をこの同僚にしたらね、あ、彼女にも2歳の男の子がいるんだけど、彼女ったら急に怒り出して『妊婦が海になんて行ったらダメ!海は妊娠したい女性に力を貸すけど、逆に妊娠している女性からは赤ちゃんの魂を波と共にさらっていくのよ。だから山に来させなさい!!』だって。」わたし「。。。。。。」ミリーの同僚って。。。なんだかとてもスピリチュアルな女性のようである。理由が理由だけに、断ると呪いでも降りかかりそうな気がしてきて、仕方なくOKしたのであった。これを聞いて喜んだのは野山が好きなエルトンである。わたしがブツクサぼやきながら、バッグの中身を詰め替えている横で「いくきーと、上着持ってきた?山に行くなんて思わなかったからヤッケを持ってきてないよ。」わたし「リグリアの山なんて全部低いから、上着なんていらないよ。わたしは財布とサングラスだけ持っていく。」とノースリーブのワンピからTシャツとGパンに着替えたのは今考えると正解であった。実際、山とはルイスたちなりの言い方で、行くのは去年も行ったような暑い丘陵地帯に行くものだと思い込んでいた。そのうち社長夫婦が立派なトヨタのクルマで迎えに来たのでルイス夫婦がそれに同行し、わたしたちのポンコツもんで男はそれに続いて高速道路に入った。クルマはどんどん南下し、チンクエテッレの方まで走っていく。チンクエテッレもジェノバと同じリグリアだが、距離的に見るとミラノまでと変わりなく、遠い。(このままもしかして、トスカーナ地方まで行っちゃうの?)と不安に思い始めた頃、やっと社長たちは高速を降りて山へと向かった。そこからさらにくねくねと丘陵地帯を抜けると目の前に小さい可愛い村が現れて、社長がそこでクルマを停めたので、ほとんどクルマ酔いしかけていたわたしはホッとする。社長婦人「まだお昼には早いからちょっとここを観光しましょ。」って、まだ目的地じゃないんかいっ!最近、目的地まで爆走型の旅行に慣れてしまっていたわたしはこう、自分で突っ込んでしまってからハッと恥ずかしくなる。村の名は「Varese Ligure」と言って直線で5分も歩いたら村の端から端まで行ける様な小さな村だ。しかし、結構メジャーらしく大勢の観光客でにぎわっていた。写真はいろいろなサイトから抜粋そこで写真を撮ったり同僚へのお土産を買った後、やっと山の別荘へ!Varese Ligureと同じゾーン内らしかったがずっとくねくね山道を上がり、ほとんど山の頂上にあがる。頂上には薄い霧が立ち込めていて、寒い。森林の中を抜けていくとリスが飛び出してきたりする。近くまで行くと道沿いに熊が3頭のっそりと現れてびっくりした。と思ったら、同僚家族だった。さっそく招かれて庭から入ると、ガレージの横で同僚のお父さんが作りつけの石釜でBBQをしていた。(←彼らはイタ人だが、南米人の好きなものをよく理解している。)実は最近赤身肉がダメなわたしは、肉の焼ける臭いにウェッとなる。ああ、これもあって来たくなかったのに。別荘は2階建ての木造で、いかにも山荘だ。人数が多いのでガレージを片付けて長テーブルを置いたところに全員が着席した。前菜が何皿も出てきた後、大なべで茹でたパスタにたっぷりラグーソースをかけたものを同僚がガハハハ笑いながらお皿についできたときは「ああ、イタリアのおっかさん。」と思い、次にお父さんが汗だくになって焼いていた肉が大盛り2山運ばれてくると、男共があっという間に豪快に平らげていくのを目を丸くしてみたり、ミリーと同僚はよほど気が合っているようで楽しそうに笑っているのを見ているだけで、結構楽しい。前記したが、ここには2歳半の男の子がいて、熊のようなお母さんによく似てでかい。昨日の3歳半の男の子よりも縦にも横にもでかく、しかも恐竜のようなやんちゃぶりと怪力で金太郎のようである!食べている最中、ときどきわたしたちにボールをぶつけてきたりするのだが、結構痛い。ガレージなのでセメント運び用の荷車なども置いてあったりするのだが、目を離していると、そんな重いものまで平気で引っ張っていく。あまりの通常の幼児とかけ離れたこの行動にわたしは食べるのも忘れて(というより食べられるものがあまりなかった)、見入ってしまうのだ。それでも結構食べた。前菜の自家製のアンチョビの塩漬けは絶品でなんどもおかわりしたし、自家製ワインも今は本当は飲んではいけないのだが、つい我慢しきれずちょびちょびなめてしまったし、自家製野菜(洗ってそのまんまをボウルに盛っているだけ。)は、わたし一人で平らげてしまったようなものだし、お腹がいっぱいになった。食事が済むと、父の年代である同僚の両親と同僚、社長夫婦はガレージに残り、いつまでもワインを片手に大きな声で話している。わたしたちは庭に出て、まずは金太郎とサッカー。幼児だと思って手加減していると、あちらは怪力で、でもコントロールがきかないのであらぬ方向に思いっきりボールを蹴飛ばすので取りに行くのが大変である。そうやって目を離すと拾った木の実をむしゃむしゃ食べていたり、まさに野生児そのものだ。しかし寒い。ノースリーブのワンピなんて着てこなくてよかったよ。寒さに震えながら、わたしたちは2階部分に繋がる庭に出て行くと2匹の大きな犬が駆け寄ってきたのでちょっとこわかった。一匹は番犬種のロットバイヤー、もう一匹は猟犬のセッターだ。小さな牧場のような囲いの中に放し飼いになっていた。同僚が「そうそう、これを見て。」と出してきたのは愛らしいウリ坊の剥製である!「うちの犬が森の中からくわえてきたの。最初は生きてたんだけど、すぐに死んじゃって、だから記念に剥製にした。」う~ん。。。。欧州人って、やっぱり狩猟民族だ。わたしは犬は好きだけど、愛玩犬が好き、と修正しなければならない。犬の囲いを背に女ばかりで座り、当然のごとく、出産などの話になる。同僚はつわりもなく安産で次の日から動けたというが、ミリーはずいぶん難産で、出産後2週間は起き上がれなかった、というし、人それぞれ。それに伴って、ミリーがイタリアに来た訳なども聞いた。なんでもルイスは彼女が妊娠中はお姫様扱いだったのが、出産したとたん、育児も家事も手伝わず、寝たきりだったミリーを置いて毎晩遊びに出かけていたらしい。彼女は彼の愛情に疑問を持ち、愛を試すために生まれたばかりのカティちゃんをルイスに押し付け、単身でまずはドイツに来たそうだ。しかし、ドイツ人の気風が肌に合わずにイタリアへ。そこでやっとルイスが追いかけて来たらしい。。。。なるほどね。ルイスとおっとは血縁だし、うちも思いっきりありうるなあ、そういうシチュエーション。そうなった場合はわたしは日本に帰るか。あ、でも息子は連れて。クシュンっと寒さでくしゃみが出た。同僚「ちょっと寒くなってきたね。家に入ろう。家の中を見せるわ、いくきーとは疲れただろうからベッドで休んでいいわよ。」この言葉に救いを感じ、わたしたちは2階に行った。2階は総パイン材でこじんまりとしていて、心地いいリビングにはアンティークの薪ストーブもついている。同僚「白雪姫の小人の家みたいでしょ?」うんうん。同僚と息子の寝室のドアを開ける。フリルのついたベッドカバーは、我が家には甘ったるいけどこの山荘にはマッチしている。同僚「ねえ、この部屋ミルクのいい臭いがしない?」わたしとミリーはくんくんと臭いをかいだ。するのはほのかな木の匂いだけである。「え~、わからないなあ。」同僚「わたしね、まだおっぱいが出るの。だからこの部屋にはママ特有のいい匂いがするのよ。わからないならちょっとかいでみて。」と彼女がいきなりちょっとよれよれなTシャツの首のところをぐいっと開いてわたしたちに迫ってきたのでびっくりした。まずはミリーがかいだ。「う~ん、そう言われてみればするかな?」と困った顔をしている。そしてわたし。おそるおそるかいでみると、汗のにじんだ彼女の体からはミルクの匂い、というよりわきがの臭いがぷ~んとして、ウェッとなり、わたしはさりげなくベッドに尻餅をついた。「ちょっとするね、そういえば。ねえ、もう休んでいいかな?」この言葉を吐き出すのが精一杯だった。同僚「どうぞどうぞ。ゆっくり休んでね。」同僚がドアを閉めるのを見計らって、わたしは悶絶しながらベッドに倒れこんだ。どうやら夕方おっとが起こしに来るまで気を失っていたようだ。
2007.08.22
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「ご無沙汰してごめんなさ~い、ペコポンにロングバケーションに出かけていたものですから。ホホ。」なんて、この先書けるときが来るだろうか?*****2週間前、たった4日だけエクアドルジェノバに行ってきた。昨年、あの小悪魔のミッシェルちゃん(当時5歳)はエクアドルに永久帰国したので、きっとちょっとはおだやかな滞在になるだろう。さらにジェノバに残った兄家族の娘、カティちゃん(11歳)も今年はサルデーニャ島のお友達の海の家に行っている、というおっとの情報である。ああ、今年は今までと違うアダルトなバカンスなのだ。今まで行きたくても行けなかった、ジェノバの夜のスポットなんかにも連れて行ってもらえるだろうか?と密かな期待で胸がふくらむ。先々週の金曜日の夜、おっとの仕事が終わって夕食を済ませて我々はゆっくり出かけた。いつもは出かける前に子供たちへのお土産にあれこれ頭を悩ませていたのだが、今回は簡単。ビール1ダース。ヤギにはこれで充分。それとさらにノンアルコールビールを1ダース。なぜならこれはエルトン用。今回は彼も同行の旅。おっとがはとこの迷惑も考えずに誘ったのだがお行儀のよい彼なら大丈夫だろう。ミラノからジェノバはクルマで2時間。現在無職のエルトンがおっとの代わりに運転した。乗りなれたおっとの運転と違って、浮いているような運転で助手席のわたしはちょっとこわかったのだが、目的地まで爆走型のおっとと違って、まめに休憩を入れてくれたので快適にはとこの家に着いたのが夜中の12時を廻ったばかりのころだった。ドアを開けるとルイスと妻ミリーが迎えてくれた。ミリー「疲れたでしょ。もう遅いし寝ましょ。マルちゃんとエルトンは子供部屋で寝て、いくきーとはわたしたちと同室で寝てね。」げ。まさかエルトンを初対面の彼らと一緒には寝かせられないし、嫌だったが、仕方がない。洗面所でパジャマに着替え、彼らの寝室に行くと、もう電気が消されていたのだが、暗闇に何かがうごめく気配がした。ルイス夫婦はまだダイニングでおっとたちと喋っている。変だな。。?ダイニングの彼らに挨拶をして寝室に戻るともう何の気配もなかった。わたしは彼らが用意してくれた簡易ベッドに入ったのだが、すぐにルイスの大いびきで目が覚めた。その後、いびきの騒音と部屋を漂う彼の体臭の臭さでほとんど眠れないまま朝を迎えたのだった。顔を洗って、ダイニングに行くと「く~き、おはよう!」とずいぶん大人になったカティちゃんが挨拶してくるではないか?!わたし「え?あんた、サルデーニャ島に行ってるんじゃなかったの?」カティちゃんは「もう1週間も前に帰ってきたよ。」と真っ黒に日焼けした顔から白い歯を見せて笑う。そうか、昨夜のあの気配は彼女だったのか。おっとの野郎、またガセネタを吹き込んで、わたしを失望させたな。。仕方がない。カティちゃんはおとなしいからいいか。わたしたちは朝食を済ませ、すぐに海とは反対側の山奥にある「BOLLOBLU」というプールランドに出かけることとなった。なぜなら彼らは風光明媚なリビエラ海岸沿いに住みながら海が嫌いなのである。去年まではミッシェルちゃん家族がいたから、今日はここの海岸、明日はあの浜辺、とリグリア海を満喫できたのだが、今年からは「穏やかさ」と引き換えにそのお楽しみは絶たれてしまったようである。準備のために寝室に戻ると、子豚が一匹、わたしのベッドに座っているではないか!?げげっ!?よく見ると去年のあの忌まわしいカミッラ姉妹の妹であった!よ~く聞くと「く~き、久しぶり。」と言っているようだ。こいつ、いったいどこから湧いてきたのだろう?唖然としているとカティちゃんがニコニコと「昨日、彼女も一緒にプールに行きたいって、泊まったんだよ。気がつかなかった?」という。気がついていたら、わたしは夜逃げしていたと思う。急にプールが苦痛に感じられた。黙々と水着の用意をし、ルイスのクルマとおっとのクルマの2台で途中、ルイスの友達家族を拾ってプールに向けてGO!カティちゃんと子豚は当然のごとく我々のクルマに乗り込んだ。去年まではこの子豚たちのお守りは当たり前のようにわたしに廻ってきたのだが、今年はエルトンが後部席に彼女たちと一緒に座ってお守りをしてくれたので助かったのだった。プールに着くと、さすがに海のそばなのでミラノのアクアネバとはずいぶん違ってガラガラである。こんな時期に海に行くより正解かもしれない。入り口で子豚が水着とバスタオル以外、何も持ってこなかったことが発覚。ミリー「この子、マルちゃんたちの子供ってことでお金払って。ここはファミリーなら割引になるのよ。」わたしたちはまったくわたしたちに似ても似つかない子豚を連れて安くない入場料を払った。割引になるのはいいけど、なんでわたしたちが子豚の分も払わなくてはならないんだ?大いに不満を抱きながら、入場、きれいに刈り込まれた芝生の上にビーチタオルを敷き、わたしは疲れたのでそのまま寝転がり、みんなと子供たちはあっという間にプールに駆け出していった。1時間近く経ってわたしもそろそろ泳ぐか、とプールの浅いところに足をつけると気がついたカティちゃんが近寄ってきた。「く~き、わたし水中メガネ、持ってこなかったの。それ使う?」とわたしのを見やる。わたし「うん、わたしコンタクトだからこれなしに泳げないよ。あ、でもマルちゃんのがバッグの中に入ってるからそれを使っていいよ。」彼女は芝生に向かって駆け出し、おっとの水中メガネを取ってきた。するとそれを見ていた子豚「ねえ、わたしも持ってきてないの。それ貸して!」とわたしのを指差す。たった今、使うから貸せないと言ったばかりだろうが!!わたしは苦笑いをして水中メガネをつけ、水に入っていった。今年初めてのプール。山の中だし、まだ午前中だから水が冷たい。お腹のミーちゃんが初体験でショック死しないだろうか?とひやひやしながら、お腹を水につけ、覚悟を決めて泳ぎだした。子供たちを見ると、水中メガネはいつのまにか、子豚の手の中にあった。どうせカティちゃんから奪ったならちゃんと装着しろよ、とちょっとムカつく。冷たい水も慣れてしまうと案外悪くない。最近お腹の重みで腰痛がひどいのだが、水の中でおそるおそる平泳ぎをしてみると身体が軽くなって気持ちがいい。そこでプールの一番深いところで泳ぎを楽しんだのだった。しかしそれもほんの数往復で断念。ここのところの運動不足とお腹の重みですぐに疲れてしまう。普段なら2kmぐらい大丈夫なのに。。とちょっとがっかりしながら、岸にあがると、ルイスの友達の奥さんが座って浅いところでぱちゃぱちゃ泳ぐ息子と旦那さんを見ていた。わたし「息子さん、おいくつ?」と彼女の隣に座る。彼女は「3歳半。目が離せなくて。」と笑った。うちのミーちゃんもこんな風になるときが来るんだろうな。彼女はイタリアで出産した、というので聞きたかったガイジン同士の夫婦の子供の出生後の必要な書類の手続きの方法を聞いたり(わたしの周りはみんなイタ人X日本人夫婦ばかりなのだ。)、今後どうするのかなど雑談を交わしていると、急に彼女の顔が険しくなった。わたし「どうしたの?」彼女「今、通った男が「エクアドル臭せ~!」ってこっちを見ながら言ったのよ!むかつく!!」わたし「。。。それって、すごい。」妙に歓心してしまった。なぜなら、わたしたち2人のうち一人はどう見たってアジア人(←わたし)。エクアドル人をおっとに持つわたしですら、エク人とペルー人とコロンビア人の見分けなどつかないのはおろか、臭いの違いなどまったくわからないのに、一度素通りしただけでわかるなんて、麻薬犬のような嗅覚を持った男である!彼女「イタリア人の何が嫌って、いわれもない人種差別を大人も子供も平気でするところよ。」わたし「一度、外国に暮らしたイタ人はそうでもないんだけどね。。そういう奴らは地元から一歩も出たことのない、田舎者って見下しとけばいいんだよ。」そうやっているうちにハッと気がつくと、左太ももだけが日に焼けて真っ赤になり、水ぶくれのようなじんましんが出てきている。うわ~!!わたしはまるでかちかち山の狸のように慌てて水に飛び込んだ。しばらく泳いでいると太ももの熱が冷めてじんましんが引っ込んだのでヤレヤレと芝生の木陰に寝転がった。遠くのおっととカティちゃんたちはスライダーを何回も楽しみ、ダンスタイムでラテン音楽がガンガンかかる中、若いむちむちの女子インストラクターの動きに合わせて水中運動をしている。その後、波の起こるプールタイムが済んで音楽が止み、静かになったと思ったらカティちゃんが子豚と一緒に罰が悪そうな顔をして芝生に戻ってきて、後ろから男たちもぞろぞろ戻ってきた。子豚「く~き。。あのね、わたし波でおぼれそうになったの。」わたし「はあ。」子豚「。。でね、必死で浮き輪につかまっているうちに気がついたら水中メガネ、失くしてた。」わたし「げ。」カティちゃん「わたし、関係ないも~ん。」←いざとなれば薄情な子である。子豚は声を大にして「でもね、でもね、仕方がなかったの!あのときメガネを離して浮き輪につかまらなかったらわたし、おぼれ死んでたわっ!!」わたしは面倒くさくなり「マルちゃ~ん、あんたの水中メガネ、この子が失くしたって。一緒に監視員のところに行って聞いてきて。」とおっとを呼びつけゴロリと横になった。こんな展開になることはなんとなく予想がついていた。あ~よかった、わたしのまで貸さなくて。(←薄情な妻)おっとと子豚たちはプールに戻っていったが、見つからずにとぼとぼと帰ってきた。あまりに子豚がしょげているのでちょっと可哀想になり、ちょうどお昼で奥さんたちと準備していた生ハムサンドイッチを「ほら、あんたの分。」と差し出す。子豚「いらない。わたし、生ハム大嫌いなの。」言い放って、そばにあったポテチをばりばり食べ始めた。あ、そう。もうわたしは彼女を完全無視することに決めエルトンに押し付け、そういうわたしも売店に別の具のサンドイッチを買いにいったのであった。それからわたしはもう泳がず、芝生の木陰で持ってきた本を読みながらプールを観察していた。男共はずっと先ほどの若いインストラクターのお姉さんの周りを囲み、楽しそうに踊り、カティちゃんと子豚は芝生のそばを通るたびにいつも違うアイスを口にくわえている。夕方になって、全員が戻ってきた。カティちゃんと子豚はまたもやアイスを食べ終わりかけていた。わたし「ねえミリー、あのこたち、いったい何本アイスを食べたの?」ミリーが「さあ。。。2~3本じゃないかしら?」とけろっと答えるので、目が点になる。子豚を家まで送り、我々とルイスの友達も一緒に食事をしようということになった。わたしはクルマでの往復にすっかり疲れてしまった。ミリーが「いくきーとは夕ご飯の支度が終わって呼ぶまで寝てて。」と言うお言葉に甘えて子供部屋で寝て、おっとに揺り起こされてダイニングに行くとサプライズが待っていた。なんとあのいつもは気のきかないおっとが、わたしに大きなバースデーケーキを用意してくれていたのである!←信じられない!!上にはチョコレートで「Tanti Auguri Ykukito」と書かれてあった。Ykukitoじゃなくて、Ikukitoなんだけど。。。まあ、いいや。スペ語、イタ語、ポル語、英語で「ハッピーバースデー」を長々とみんなで唄いきり、わたしはローソクの火を吹き消した。日本もイタリアも夏休み真っ只中のわたしの誕生日をこんなに大勢に祝ってもらうのは、子供の頃以来久しぶりで、ちょっと涙が出た。
2007.08.21
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おひさしぶりです。何もかもが宙ぶらりんなこのごろですが、いろいろと忙しく動いてます。こちらのGWとも言える長い飛び石連休も終ったと思えば、ひさびさに豪雨が降って、「ああ、これで夏まで休みがないんだなあ。。」と感傷に浸りながら日記を書いている現在。GWはさんざんだった。Gwが始まる前日に社長の緊急命令で大きなパネルにスプレーでペンキ塗りをしたときから喉が痛くなった。社長、マスクぐらい支給してほしかった。そのあと、しばらくペンキと同色の青い咳が止まらずGWの間、ノンストップで咳が出続けたので肺も喉もすっかり弱りきってしまった。しかし、連休だからと言ってゆっくりもしていられない。来週には恐怖のお嬢母が再び来伊するので(前回は家を引っ越してすぐ)家の整理に大騒動だったのだ。お嬢母「前回はシャワーカーテンもなかったから買っておいてちょうだい。」わたし「ご心配なく。もうついてますよ。」お嬢母「今回も同じ部屋で寝させてね。」わたし「あ。。。今あの部屋はわたしたちの寝室になっているので2階で寝てもらおうと思ったんですが。」お嬢母「あの部屋がいいのよ、おトイレも近いし。2階なんかに足腰の弱い老人を寝かせて、階段で滑ったらどうするの!?」わたし「。。。わかりました。部屋を移動させておきます。」お嬢母「この前みたいにいろいろな布団の寄せ集めはゴメンだから、今回はちゃんと布団のセットを買っておいてちょうだい。お会計は禁断のカードを使っていいから。」わたし「は。ありがとうございます。」それ以外にも2年間放置していた窓のカーテンをつけたり、風呂場の壁を塗りなおしたり、休みなく働いた。しかしおっともおっとでお嬢母に負けず、変なところで追求型のB型なので布団セットひとつ買うにしてもなかなか決めれない。「あのお義母さんなんだからヘタに安物なんて買ったら怒られるよ。」とどんどん高級布団を追求していき、「マットレスも買わないと。」と某高級メーカーの最高峰のマットレスに手を出しそうになり、その値段にたまげた。すぐに母に電話で確認したところ「わたしは布団が欲しいと言ったのよ!誰がマットレスまで買ってと頼みました!?」と言われ、ハッと我に返ったのである。わたしは恐怖の勢いで、まんまとおっとに洗脳されかけていたのであった。怒そんなおっとに振り回されたのはわたしだけではない。貧乏暇ありのエルトンもそうである。彼は居候家族にすっかり家を占領されてしまい、家になるだけ居たくないという。というわけで、休日おっとのワゴン車は会社の車庫にしまっているので、マットレスを買って運ぶためにエルトンは彼のワゴン車でわたしたちと一緒に2日間、寝具屋廻りにつきあってくれた。壁のペンキ塗りも手伝ってくれた。おっとが「ベネチア様式(ムラのかかった塗り方)の壁がいいな。」というので、アーティストぶって張り切ったエルトンは専用の刷毛まで買ってきた。キッチンを大掃除しているわたしにずっとうんちくを垂れながら、居間の壁を塗ってくれたのだが、どうもやっぱり仕上がりが気に入らない、というか節約のために風呂場と一緒のペンキを使ったので色がいまいち気に入らない。おっと「。。。やっぱり今週末別の色で塗りなおすわ。」とエルトンが帰るなり言った。それは大賛成なのだけど、可哀相なエルトンはまさに骨折り損である。話は替わるが、そんなエルトンは少し前に大決心をしたのだ。エルトン「居候家族を追い出して、家を大改造する。」あの居候家族、一番年上の同じ家族だと思っていた19歳の娘は実は別口の女の子で、ソファを貸して寝泊りしていたのだが、エルトンが家賃のことでうるさく言い続けていると、とうとう一銭も払わずにある日、姿をくらませてしまった。これでひとり消滅。しかし、もう一組の2人の小さな娘のいる家族は、すっかり居座ってしまって出て行く気配がない。そりゃあそうだ。エルトンの嫌味攻撃さえ上手にかわしていれば、何もせずにとりあえず屋根と食べ物は確保できる。最初は仕事を探していたような旦那も今ではすっかりぐうたら生活に慣れ、朝は11時起きの結構な身分のようだ。エルトンは毎日のように「ぼくはただの大海の真ん中で漂流しているゴムボートだよ。これは君たち4人を乗せていつまでも長持ちしない。勇気を出して海に飛び込み、陸地を探すことだ。」と彼らを説いているらしい。わたし「そんな甘っちょろいやりかたではいつまで経っても出て行かないと思うよ~?期限を決めて、期限になって彼らが新しい住居を見つけられなくても、彼らの荷物を外に放り出して追い出すぐらいの冷酷さが必要だよ。」エルトン「昨日も下の子(1歳)が夜泣きして眠れなかったんだ。」わたし「夜泣きするのは赤ん坊の仕事だよ。それをわかっていて受け入れたんだから文句は言えないよ。」エルトン「。。。。」エルトンは昨日我が家の壁を塗っているとき、どのように家を改造するか語ってくれた。「キッチンをI字型からL字型にしてテーブルをもっと小さいものに替えるんだ。で、ダイニングの真ん中に柱を一本作って、それを境にキッチンとリビングの区切りをつけて、壁はもっと暖色でこんな風にベネチア様式に塗って。。。」わたし「そうか。。早く彼らが出て行くといいね。」このときわたしは独り暮らしなのに前向きなエルトンに感心した。もしかして、新しい彼女でも出来たのだろうか?エルトン「彼らは出て行くしか仕方なくなったよ。ぼくが夏にはいなくなるからね。」わたし「えええ!!??それ、どういうこと??」エルトン「カナダに移住することに決めたんだ。イタリアに居てもよくないことばっかりだし。1年前に仲の良かったブラジル人の友達がイタリアからカナダに移住して、そいつ、今は定職にもついて家を買って、イタリアに居たころよりもよっぽどいい生活をしているんだ。で、そいつがこの前「お前の部屋も用意してあるからいつでもこっちに移住して来い。」って誘ってきたんでちょっと迷ったけど決めた。」ウイリアムに引き続き、エルトン、君もか。わたし「そんな。。簡単に言うけど言葉や滞在許可証の問題は!?」エルトン「向こうもミラノと同じ人種のるつぼだからイタリア語やポル語だけ喋っていても問題なく生活ができるらしい。で、素晴らしいのがイタリアみたいに人種差別がない。滞在許可証は。。。取得がイタリアみたいに甘くないからずっと闇で滞在することになる。そして出入国は厳しいから、一度入国したら、もう二度とイタリアにもブラジルにも行けないだろう。一度出てしまったらもう2度と入れないからね。だから夏にブラジルに帰って家族に最後のお別れをして、秋からカナダに行く。」わたし「じゃあ、何のために家を改造するの?家は売っていくんでしょ?」エルトン「家は売らない。不動産屋に管理を任せてずっと貸して収入を得るつもりだから、少しでも高く貸せるようにちょっと改造を加えないと。」一度もイタリアに帰らないで家を管理なんてできるんだろうか?エルトンはイタリアに来てから悲劇続きだったし、逃げ出すことに反対はしないけど。。。ヤギってどうしてこんなに身軽に動けるんだろう?おっとはまさにうらやましそうに「いいなあ、ぼくらももういい加減、搾取だけされるイタリアに嫌気がさしているんだ。カナダに行きたいなあ。」わたし「そりゃあ、カナダのほうが他の人の話を聞いていても数倍住みやすそうだけど。。。」エルトン「本気か?本気なら、ぼくが向こうで落ち着いたら君たちがすぐにでもあっちで住めるように動くよ?」おっと「本気、本気 ♪」わたし「そりゃ、行きたいのはやまやまだけどさ。。。」わたしはこう言ってから動揺した。エルトンなら、きっと本気でわたしたちのために動くに違いないだろう。しかし、ちょっと冒険すぎる気がする。そんなに簡単に住む土地を変えれるものなのか?というか、土地を替えただけで今までの諸問題がクリアされるものなのか??仕事は?滞在許可証は??闇移民ってことは、わたしたちも一度カナダに入国したら、もう2度と日本にも帰国できないってこと?OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!。。。そんな話、わたしのまわりの日本人から聞いたこともないよっ?!なんか世界が、次元が違いすぎる。こんなに簡単に返事をしてしまっていいのか、わたしたち?!
2007.05.02
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みなさん、お久しぶりです。留守をしましてスミマセン。最近、我が社のアイコンデザイン200個ほどの更新に夢中になってました。(それと、社長の機密事項らしいのだが、2~3週間、社員全員のネットの使用履歴をコントロールする、という噂が広まっているので、用心のために極力、日本語のサイトを見ないようにしていることもあり。。。)約1年ほど前に作ったアイコン、現在見直してみるとデザインがもう古い!特に携帯電話なんてデザインがどんどん変るので、日進月歩がよくわかる!!もう年寄りにはついていけないので、隠居したいこのごろなのだが。。。働かないと家のローンが。。。。。********ここ10日ほど、いろいろあったといえば、いろいろあった。先週末はまたもや家出をして、モデナに引っ越したご近所さん「期間限定友達」さとちゃんちに行ってきた。毎週末、それまではずっと快晴だったのにこの週末に限って、嵐のようなどしゃ降り。。。。。おっとの涙雨か?いや、それは断じて違う。なぜなら、この家出は1ヶ月以上前からの企画で当初は「2人で家出」だったのだ。しかし、欲の深いわたしは「どうせモデナまで行くなら、イモラのまちこちゃんとボローニャのNaocciにも会おう!」と、1週間ほど前に「ランチ会」を企画、曜日は月曜日に決まった。出発5日ほど前。わたし「あのね、わたしせっかくだから月曜日有給とって他の友達にも会いに行くことにしたの。」おっと「なんだって!?そんなこと聞いてないよ!!」わたし「そりゃそうだよ、今日決まったんだもの。」おっと「もっと早く決めてくれないと有給なんて今更取れないよ?」わたし「。。。いやっ、これは日本人ばっかりだから来てくれなくても大丈夫だよ。だから日曜日は一人でミラノに帰ってね。」おっと「。。。。。。。。。行かない。」わたし「え?」おっと「日曜、独りで家に帰るぐらいなら行かない!」わたしはおっとの、この思いがけない反応に目を白黒させた。たかがクルマで2時間の距離、一緒に帰らないからって「行かない」だと?わたしは、少しの間、黙って悩んでもっとこの男の不可解な発言に突っ込もうかと思ったが、事がややこしくなりそうなので軽くスルーすることに決めた。「わかった。じゃ、わたし一人で電車で行くね。」おっと「ダメだよ、君一人で行くのは許可しないぞ。」わたし「はあ?」おっと「君はぼくと一緒に今週末はミラノにいるんだ!」とうとうわたしは切れた。「何言ってるのよ、何様のつもり?わたしはあんたの妻だけど、あんたの従業員でも所有物でもないのよ!第一、一緒に帰れないから行かない、と勝手に決めたのはあんたじゃないの!?そんな訳わからない理由でモデナ行きが中止できるか~~~っ!!!」おっと「ご、ごめんなさい。じゃあ、行かないで下さい。」わたし「行くよ。一緒に来たかったら来たらいい。」おっと「いやだ、行くな~!」わたし「行くよ。」おっと「行かないで下さい。」わたし「。。。。う。る。せ~!!!!!」この会話は出発当日、わたしが電車に乗り込む寸前まで繰り返されたのだった。揺れる電車の中でわたしは頭から湯気を立てながら考えた。わたしがおっとの立場なら妻に「日曜日は一人でミラノに帰ってね。」と言われた時点で「ああそう。じゃ、月曜は楽しんでおいで。」というだろうし、そういうセリフを当たり前に待っていた。それが5日に渡ってこんなに揉めるなんて。。。こんな考え方って、自分都合主義なのだろうか??ああそういえば、過去の恨みを思い出した。わたしが昔スッチーをしていたときは、航空券が社員割引で安く買えたので、◎香ちゃんとキューバへ2週間の旅行を計画したんだ。あのときも、このヤギ、「信じられない。。。女2人でキューバなんかに行っちゃダメだ!」と猛反対をしたのでその当時、まだこのヤギの性格も中南米をよく知らなかったわたしたちは「ああ、南米人がそういうぐらいだから、女だけで行ったら危険なんだよ。変更しよう。」とシチリア島1週間の旅に変えた。ヤギ「ダメ~!!とにかくどこでもダメ~!!ぼくを置いてどこにも行くな~!!」ここでもまだヤギと付き合い始めて3ヶ月も経っていなかったわたしはどじった。このひと、親切心でキューバ行きを反対したんじゃなくて、普段めったに一緒に居れないから、仕事以外でわたしにどこかに行って欲しくないのね。。。こうしてわたしはアホウな盲目的選択をし、◎香ちゃんの全信頼を失ったのであった。◎香ちゃん、改めてごめんよ~~っ!!!!!!そうだ、こういうヤギなんだ、うちのヤギは。だから、もう2度と過去の過ちを繰り返さない。わたしは前記の考えを打ち消して、つくづく一人でも電車に乗って正解だと思ったのだった。さて、モデナの楽しい家出日記はさとちゃんのとかぶるのでこちらへ~!(←いやっ、手抜きじゃないよ、さとちゃん。あなたの日記が完璧なんだもの。)モデナな週末 (1) ~バルサミコ酢博物館~ モデナな週末 (2) ~フェラーリ博物館~
2007.04.02
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前回の日記、「中華が食べたい!」にさっそく反応してくれたマイミクとんちゃん。「中華に行こ~~!!」とおととい、わたしを誘ってくれた。あの日記で言いたかった主旨は中華がすごく食べたかったんじゃなくて「日本人との交流をしたい!」とのことだったのだが、そんなことはどうでもいい。ありがたいことだ。とんちゃん、最近おなじみちずさん、新しいお友達キキちゃんは、わたしをポルタガリバルディ駅近くの中華レストランに連れて行ってくれた。そこから遠くない中華街の中には汚いけれどもおいしい店を数件知っていたのだが、ある日、どこかのレストランの冷凍庫から男性のバラバラ死体が発見された、というニュースを見てからというもの、足が遠のいていたのである。(その前はセントバーナードの子犬が数匹、厨房で発見された。)だが、ここは店内もきれいで、店員も親切だ。厨房に死体も犬もいなさそうな雰囲気に安心する。このレストラン、肝心の所在地は忘れてしまったが、ものすごくおいしかった!!中でも「ニラ餃子」は皮が薄く、こんがり焼けていて日本の餃子みたいだ。「海鮮ラーメン」はまるでうどんでシコシコしていてアッサリ味。おかげでおとといからわたしはダイエット宣言をしていたのだが、どんどん青島ビールが進んでしまう。_| ̄|○女4人でテーブルでゲラゲラ笑いながら大声で喋っているのを周りのイタリア人客がびっくりした顔で見ていた。お会計は4人で40ユーロ。ひとり10ユーロだ。我が社の周りのBarの昼定食なんて、セットのほかにうっかりデザートでも食べようものなら簡単に10ユーロ超えるぞ?ここまで我が社から徒歩20分ほど。毎日来たいところだが、たった1時間の昼休みにちょっと遠いな。ちっ家に帰るとおっと「酒臭い息して夜遅くに帰ってくるな~!!」ひとのことが言えるんかいっ!!*****そういえば、先週の金曜の夜はエルトンに誘われて、彼の友人宅に夕食に招かれた。エルトン「ぼくの友達手作りのピザを食べるんだ。」ほう、ピザといえばイタリア人か。エルトン「違う違う。イタロブラジル人。」へえ、そういうの、やっぱりいるんだな。数は少ないけどイタロ日本人もいることだし。とにかくブラジル人家庭にお邪魔するのは、エルトンの家以外、初めてだ。某地下鉄駅アガルの立派なマンションに着くと、チョコレート色でちりちり頭な絵に描いた様なブラジル人女性が「いらっしゃ~い。」とドアを開けてくれた。「いらっしゃ~い。」 「いらっしゃ~い。」 「いらっしゃ~い。」「いらっしゃ~い。」次から次へと出てくる人々に目を廻しながら「どうもどうも。」と言い続ける。いつ終るんだろう?と握手攻撃を受けながら中に進み、やっと広いキッチンから「いらっしゃ~い。」と陽気そうな色白金髪の男性が出てきて、エルトンが「彼が本日のシェフだよ。」と言ったところで最後となった。シェフはミトンをはめ、オーブンを指して「見てごらん、これがブラジル風ピザだ。」という。わたし「え、ブラジル風ピザ?」中をのぞくと、ふっくらした生地のピザがちょうどこんがり焼けたところだった。確かにイタリアピザはこんなふっくらじゃないな、と感心して見ていた。そこにドドドッと家族が詰め掛ける。「さぁさ、あっちのテーブルに着いて食べましょ。」とあっという間にリレーで次々ピザを運んでいった。「何やっているの、お座りなさいな。」と一人の女性が立派な大理石の床のリビングのイスをすでに引いて手招きしてくれる。。。と、そこまで目を廻していたのだが、席に着き、ようやく落ち着いて一同を見渡した。2家族、チョコレート色の奥さんの家族と、そのお姉さんの家族がいるようだ。シェフ家族は、奥さん、2人のちびっこ、17歳の息子、お母さん、犬。近所に住む、という奥さんのお姉さん家族はイタリア人の元旦那さんとの間に出来た19歳の息子と12歳の娘。大人と大きな息子たちでテーブルを囲み、子供たちはそばのソファに座る。「ささ、ピザを食べて!食べて!」一切れ食べるとおいしかった!生地に甘みがあって軽く、日本のパン生地に似ている。「おいしいです~!!」と、夢中でパクパク食べていたら、全員の視線がいかにも興味ありげにわたしに注がれていることに気がつき、ちょっと気まずくなって食べることを中断してみんなを見渡した。シェフ「。。。え~、オホン。君はどこの国の出身かね?」わたし「日本。。。ですが、何か?」その言葉を聞くなり、「ついにやった~~~~~っ!!!!」と2家族全員が立ち上がり、お互いの手のひらを打ち合って飛び上がって喜びだしたのだ。な、なんなんだろう、この喜びようは?彼らの間ではまさか、日本人の肉を食べると不老不死になる言い伝えでもあるのだろうかっ!?おじけづいて固い愛想笑いを浮かべていると、19歳の息子が目をキラキラ輝かせて前に進み出た。「ぼく、とっても日本ラブなんですっ!!」へえ、そうなんですか。←ニヒル息子「日本のアニメが好きで、日本のロックが好きで、日本のTV番組が好きで、日本人と友達になりたかったんだけど、今まで全然知り合う機会がなかったんだ。ドゥモ前に行くたびに『今日こそ誰か歩いている日本人の女の子に声をかけよう!』と思うんだけど、恥ずかしいし、怪しいし、第一日本語を知らないからどうにもならなくて。。」シェフ「うん、そ~なんだよ。ぼくもね、なんだか感化されちゃってこの間、腕に日本語のタトゥを入れたんだ。でもね、こいつら『これは絶対日本語じゃない、騙されてるよ。』て言うからちょっと見てくれる?」シェフがまくった腕にはカタカナで「シモナ」と書かれてあった。装飾も何もない。それだけ。わたし「シモーナ。」←そのまんま読むと可哀相なのでちょっとアレンジ。「うわっ、当たってる~!!!」とまたまた跳ねながら喜ぶ家族たち。シェフ「シモーナはね、ぼくの最愛の奥さんのな。ま。え。」子供1「そんなの腕に彫っちゃって~、離婚したらどうするの、お父さん?」シェフ「たとえ離婚してもず~~~っとお母さんを忘れないようにさ!」と、奥さんをぎゅ~と抱きしめて熱いキスをする。ハハハハハ、お熱いですな。わたしに足りないのはこ~ゆ~熱さなんだね。。。←クールそれからまた全員で席に着いたにもかかわらず、19歳の息子は、長いテーブルの向こう側から一番端にいるわたしにみんなの会話をさえぎって日本について質問攻めである。何度もお母さんに「あんた、いくきーとが困ってるわよ、いい加減にしなさい!」とたしなめられるのだが「今日を逃したら、次に彼女に会えるのはいつになるかわからないんだから、あともうちょっと!」と必死だ。そこまで言われると、わたしも悪い気はしない。「じゃあちょっと席をはずす?」と2人でソファに座り、まじまじと彼を観察した。背が高い。痩せているのにがっしりしていてなかなかいい体つきである。顔はイタリア人とチョコレート色のブラジル人とハーフなだけあってエキゾチックで結構いい男だ。わたし「さあ、なんでも質問してちょうだい!」しかし面と向かうと彼は恥ずかしくなってきたらしく「え~と、質問したいことがいっぱいあったのに、すぐ思いつかないや。。」とはにかむ姿がまたもやセクシーキュートで、わたしは慌てておっとに視線をそらした。やばいやばい。その視線の先のおっとはあんまりおもしろくなさそうに、大人たちとしゃべっていた。そのあと息子は、やっと調子付いてきて、お勧めの日本レストランとか、日本語学校の情報とか、いろいろ聞いてくる。そして、やたら日本の流行りに詳しい。「ぼく『Hey hey hey!』の香取ママの大ファンでさ。」わたし「え、どこで『Hey hey hey!』観れるのっ!?」息子「YOUTUBEでも見れるし『何とかカンとか』ってサイトでも観れるよ。メルアド教えてくれたらアドレス送るよ。」わたし「それはいいけど、日本語わかって観てるの?」息子「ううん、あんまりわからないけど原語で聞いて、慣らそうと思って。」。。。。。しっかりした子や。ただの流行に乗った日本かぶれの兄ちゃんじゃないのね。←カンドーおっとが知ったかぶりして「日本のTV番組おもしろいよね~。ぼくは『風雲たけし城』が大好きだ。」と口を挟む。古いんだよ、おっと。。。_| ̄|○しかし優しい息子「そうだね、あれも面白いよね。競技を始める前にみんな『ガンバリマース。』って言ってるけどあれは掛け声?」とフォローをする。わたし「うん『頑張るぞ。』って意味。」息子「ぼくが好きな歌に「バラノセイドー」ってのがあるんだけど知ってる?」わたし「。。。知らない。」←音楽音痴息子「『バラ』はローズでしょ、『ノ』はイタリア語のDI、接続詞だよね?『セイドー』はなんて意味?」「セイド-?」「正道」「青銅」「聖堂」「制度」「精度」・・・・わたし「。。。。。ごめん、わからない。書いてある字を見ないと。」息子「。。。そっか。」ううううんんん、自分が本物の日本人じゃない気がしてちょっと情けなくなった。お母さん「あんた、もういい加減にしなさい!いくきーとが困っているじゃないの。2人ともこっちに戻ってきなさい。」わたしたちはスゴスゴと席に着いた。後はなんでもない普通の会話をして終了したのだが、わたしはいろいろとカルチャーショックを受けていた。わたしは、今まで南米ヤギはエクアドル人もブラジル人も、一緒くたにしていたのだが、明らかにこの2つのお国柄は違う。エクアドル人家庭に招かれた場合、ドアを開けたとたんから、こんな熱烈歓迎なんて受けたことがない。たいがい、わたしが家の中に一歩踏み入れると警戒心を含んだ空気が伝わってきて「はじめまして。」と握手をしても無愛想だ。例えるならば、心の障子を締め切られた状態。かな~りフレンドリーな家庭のみ、回を重ねるごとに打ち解けられるが、たいがいは表面だけ穏やかな状態で終る。家族の中には最後までわたしとは口を利かない人もいる。わたしを交えての会話などほとんどありえないので、わたしは孤独に陥る。だから、エクアドル人家庭を訪問することが苦手である。イタリア人家庭の場合も、なかなか心の障子が固いところが多いのだが、それでも会話だけは成り立ち、その場だけの笑いもこぼれる。それに比べてこのブラジル人家庭のこの障子を開け放して、そよ風だろうが、突風だろうが、なんでも受け入れる体制にはびっくりしてしまった。おおらかというか、ほがらかというか、この家族は、なんだか典型的なアメリカンファミリーのコメディ番組を見ているようだ。そのことを帰りのクルマの中でエルトンに話したら「確かに。彼らはクリスティアンの家族みたいだな。」といった。わたし「それ、どういうこと?」エルトン「カトリックの家族とは違うってことさ。」わたし「どういう風に違うの?」OOOOOOHHHHHHH,NOOOOOOOO!!!!!しまった!!わたしはただ、雰囲気的にどう違うのか知りたかっただけなのだ。それからは家に帰りつくまでエルトンのキリスト教の違いとは何か?クリスティアンとカトリックとエバンジェリカの神の信仰の仕方の違いを延々と聞かされるはめに。。。_| ̄|○
2007.03.23
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先週土曜日はとりあえずわたしが折れる形で仲直りしたので、おっとの誕生日プレゼントを買いに近所の大型ショッピングセンターに出かけた。しかしおっとは欲しいものがたくさんありすぎて、有頂天になりすぎて、もう3回ぐらい広いセンター内をぐるぐる廻っているのにちっともプレゼントが決められない。わたしはずっと何年も履いたジーンズがみっともない擦り切れ方をして気になっていたので、すでに1周目で新しいジーンズをさくっとゲット♪最初からわざと擦り切れさせたデザインのジーンズ、これなら本当に擦り切れるまで履いても、わからないだろう、という貧乏人的判断からの選択だ。おっとはそれに比べて、洋服を何着も試着したり、靴を店員さんに目の前に山積みにさせたあげくちっとも決まらず、わたしが飽きてきて雑貨屋をうろうろしているときに目の前にあった中古ゲームソフト屋でやっと「これがいい。」と表紙がエロゲーぎりぎりのゲームを手に取った。わたしは「え~、もっと普通なゲームないの?」といろいろ見たのだが、ゲームソフトの高いこと!最新ゲームは中古でも50ユーロ以上だ。それに比べておっとが選んだのは20ユーロ。このヤギめ、毎度の事ながらゲームは買ったその日はずっと遊び続けるのだが、クリアがいつまで経っても出来ないらしく、1週間もするともう見向きもしないので、50ユーロものゲームはまさに「お金をドブに捨てる。」ようなものだ。20ユーロもたいがいだとは思うが、誕生日だし、やっと決めたものだし、これを拒否したらあと何時間いろいろな店を廻らされかねないし、仕方がない。わたしはおっとの気が変わらないうちにそれをレジに持っていってお金を払い、おっとに「誕生日おめでとう!」とその場で渡した。←こういうやりかたが「冷たい妻」と言われるゆえんか?やれやれと店を出ると、おっとがまた性懲りもなくフラフラとスポーツ店に入っていった。そこでは冬物の最終バーゲンをやっていて、わたしはさくっと50%OFFだった残り一足のピューマのウォーキングシューズをうっかり勢いでゲット♪おっとはそれから5足ほど試着したあげく、またもや手ぶらで外に出た。おっと「。。。。。なんか、今日はぼくの誕生日じゃなくて、君の誕生日みたい。」ん~、そう言われてみればそう?でもわたしのせいじゃないよね♪*******それから食料を買出しを済ませて家に戻ると、もう日本人フットサルの試合に行かなければならない時間ギリギリだった。慌てて支度にかかるわたしたち。そこにエルトンから電話がかかった。「今日も日本人フットサルの試合に行くんだろ?」OOOOHHHH,NOOOOOOOOO!!!実は前週、わたしが家出中、おっとが最初から参加表明していたエルトン以外にもルイスと奴の友人を勝手に連れて行ったので人数が多すぎて、全員が交代で試合するはめになったため「次回からはマルちゃんひとりで参加をお願いします。」と苦情が出たばかりで、おっとにはきつく「次回からは誰も誘うな!」と言っていたのだ。なのに。。。。どうするおっと?おっとは「ん~、今日はあんまり気が乗らないんだけど、ちょっと待って。今忙しいから5分後に電話する。」と電話を切り「ねえ、エルトンを連れて行ってもいいでしょ?」とわたしに懇願してきた。_| ̄|○わたし「え~、ダメだよダメ!」おっと「。。。ダメならぼくも行かない。」それは困る。わたしにとってはフットサルの試合は日本人と交流できる数少ないチャンスなのである。わたし「。。じゃ、試しに主催者に自分でお願いしてみるんだね。」すぐさま主催者に電話するおっと。やはりちょっと揉めたようだが、しつこいおっとの攻撃に主催者は折れざるおえなくなったようだ。←ごめんなさい、主催者さん。折り返しおっとはエルトンにOKの電話をする。電話を切ったとたんにエルトンが家のブザーを鳴らした。あまりの速さにびっくりしているとエルトン「用意してすぐ近所で待ってたんだ。」ハハハハハハハハハハハハハ。これだから南米人って強引。サッカー場に着くと、ボーイスカウトのお祭りをやっていて、試合場は子供で溢れかえっている。おかげで子供たちが散って行くのを待って試合が始まったのは約30分遅れだった。待っている間、「日記読みましたよ、大変ですね。」と声をかけてくれた坊主頭のひとがいた。同じフットサルチーム、ということで最近ミクシで知り合ったヒロさんというひとで、顔も認識しないままマイミクしたので、シャイなわたしは「あ。。。う。。。」と顔が真っ赤になった。今回はイタリア人も4人参加だったので、おっととエルトン、あと1人日本人を加えたこれぞ本当に「ガイジンさんチーム」と「日本人チーム」で試合が始まった。滑り出しは明らかに違った。日本人チームが小気味良く、どんどんビシバシゴールを決めていくのに、ガイジンさんチームはちっともゴールが出来ない。次第にエルトンとおっとが顔を真っ赤にして怒り出し、2人で怒鳴りあっている。そしてキーパーともうひとりのイタリア人もわめきだし、一人だけ加わった日本人はオロオロしている。わたし「。。。彼ら、点が入れられないからケンカしてるの?」二ールちゃん「南米人ってこの間も別口でコロンビア人と試合したけど、本気になるよね~。」ありまりちゃん「日本人は和気あいあいって、感じ?」やがて休憩になっておっとが肩を怒らせながらベンチにやってきた。「あのイタ公たち、なんだよ!!自分がスターになりたくて、いくら怒鳴ってもちっともパスしてきやしない!」二ールちゃん「なるほどね~、イタリア人サッカーって自己中だから。。」試合再開。おっとの言葉でサッカー音痴のわたしもやっと状況が見えてきた。そういえば、おっととエルトン、先ほどわめいていたキーパーともうひとりのイタリア人も「廻せ、こっちだ!」と叫んでいるのに約2名、ひとりで試合場の端から端までボールを離さないで駆け抜ける奴がいる。エルトンなどは途中で肩を落とし、やる気がない、といった感じである。それに比べて日本人たちはまるで餅つきのようにリズミカルに全員で「ほいほい♪」とパスをし合って前記の約2名のイタ公から簡単にボールを奪い取ってゴールに繋げていた。しょせん、寄せ集めガイジンさんチーム、チームワークに完全に欠けているか。今度の休憩ではおっととエルトンがベンチ(なぜか2人は日本人ベンチ)で2人でさんざん毒を吐いた後、試合に戻り、何かチームでわめき合ってケンカをしていた。汗この後、試合は少し変った。それまでは7~8点差だったのが、やっとチームワークに目覚めたようで、上手な試合展開で、やっと3点差まで近づき、ゲームが終了したのだった。よかった、よかった。わたし「ああ、お腹空いた。」←おっとの(?)買い物のおかげで昼食抜き二ールちゃん「中華食べに行こ。」←試合の後の恒例らしい。うれしい♪前回はおっとが転んでひざを怪我したおかげで、すぐに帰らなければならなくて残念だったのだが、今回はやっと日本人の皆さんと交流が出来る!ところが。エルトン「え~、中華ぁ?」ありまりちゃん「エルトン、中華嫌いなの?」エルトン「嫌いというより、食べに行ったことない。話だけ聞いていると不潔な感じがしてイヤなんだ。」ああ、出たよ。エルトンの潔癖症。おっと「そうだな、じゃあ今回はパスしようか。」二ールちゃんが「ってことは、いくきーとはこれから家に帰ってごはんを作るの?可哀相だよ。」と助け舟を出してくれる。ありまりちゃん「そうだよ、一緒に行こうよ!」わたしはうんうん、と強くうなづく。おっと「でも今日はいくきーとが誕生日にくれたゲームで遊びたいし、またね~。」OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOO!!!それではわたしがフットサルに来た意味がないではないかっ!!??しかしヤギ達はそんなわたしのけなげな乙女の願いも完全に無視をし、まだしつこくイタリア人たちに毒つきながら、帰途に着いたのだった。家に帰って、おっととエルトンがゲームをしだし(めちゃくちゃ古いタイプのゲームだった。)、わたしは不満いっぱいで投げやりになりながら、簡単にパスタだけ作ってよこす。おっととエルトンは食べながらも「次回はあのスターになりたい野朗は無視して、こうして。。。」と作戦を練っている。ああ、エルトンはいつの間に常連メンバーになったんだろう?ん、ちょっと待て。エルトンが常連になるってことは、わたしは次回からもいつまで経っても日本人のみなさんと一緒に中華が食べに行けないって事?しかもエルトン、その気になったところで極貧だから外食なんて「と~んでもない!」と何かと理由をつけて断るだろうし。。。。こんなことなら無理やりエクアドル人であるおっとを日本人のフットサルチームに参加させた意義は?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!中華、食べに行きたいよ~~~~~~~~~っ!!!!!わたしが皆さんと交流できる日はいったいいつにっ!!??
2007.03.20
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最近、某ミクシにて次々と大学時代の友人が見つかり、ひさびさの交友を楽しんでいる。今日もひとり後輩を見つけて、メッセージでウキウキ盛り上がった!彼らと話していると時空を超えてあの楽しかった大学時代がよみがえって来る。あの頃はよかった。ひたすらポジティブにそのときそのときを精一杯楽しんでいた。今のところ同級生は2人、あとは大学で短期間、副手をしていたときの後輩ばっかり。彼らの99パーセントはあの頃、目指していた、というか楽しんでいた道をまっとうに進んでいるようだ。それに比べてわたしはいったいこんなところで何をしているのやら?しかし先輩がまったく見つからないのだけど、年代的にもうミクシにはのめりこまないお年頃なのかな?先輩たちの現在を知りたいな~。********ところでみなさん、お騒がせしました!4編にもなる長編「家出」シリーズ、ご心配をおかけしましたが、早々と回復方向行き?たぶん??というのも、こうして文章にしていくうちに自分の考えがまとまってきたので、おととい思い切っておっとに思いのたけをぶちまけたメールを出した。前回のような「カードつき」なんて気の利いたものをすると、またゴミ箱に入れられそうなので、シンプルな普通のメールで。で、おとといそれを読ませるために、自分のメールをチェックするフリをしてPCを開きADSLを開けようとしたら肝心なときに限ってアホアホテレコム(くみこさん風)の「ALICE」、繋がらね~!!S◎I◎◎◎◎Oさんとも初スカイプの約束したのに!!こ、これは運命がわたしたちを破滅の方向に導いている?気分は「ファイナル・デスティネーション」。で、昨日はカッカしながら苦情を言うためにテレコムの電話番号を握り締めてPCを開けたら簡単に繋がったのだった。(←あ~、絶対電話会社、変えてやる。)わたし「今日は開いたよ。あんたもメールチェックする?」おっと「。。。うん。」何も知らずにメールボックスを開けるおっと。無言で読んでだんだん顔が真っ赤になってきた。おっと「。。。これ、どういうこと?ぼくがきみからのカードを読まずに捨てたって?」わたし「そうだよ、わたしはっきり見たもの。」おっと「君の名前で出した?」わたし「。。カード会社からだから、違うね。」おっと「だからだよ、君は知らないアドレスから来たら、迷惑メールだからヘタに開けないで捨てなさい!ってぼくに言ったじゃないか!」え#。。。?おっと「それからなんだよ、誕生日以来、ずっとぼくを無視し続けているのは君のほうじゃないか!?ぼくは誕生日の朝、何か君がリアクションをしてくれるのを待っていたんだ。ところが君はなんにもしてくれなかった!!」わたし「何言ってるのよ?ちゃんと「誕生日おめでとう。」て言ったでしょ!?」おっと「それは知ってるよ!そうじゃなくて、特別なキスとか熱い抱擁とか!!なんて冷たい妻なんだってガッカリしたよ。」え##。。。。。。。。?おっと「で、夜のあの仕打ち!ぼくにとって生涯はじめての最悪な誕生日だった!!!」わたし「き~!!何ほざいてるのよ、わたしが外食しようってのを無視してクラウディオとのメッセンジャーを選んだくせに!!」この後、吠え猛るわたしたち。おっと「こんなぼくにうんざりなんだな、離婚したいか?したいならしてやるっ!!」わたし「そうよ、もううんざり!我慢できない、離婚よ~~~~っ!!!!」ついに今までいつもどこかで思うことがあっても、最終手段にとっておいた言葉、とうとう吐き出してしまった。そして吐き出すと、おっともわたしも、ショックで沈黙が流れた。おっとはくるりと後ろを向いて、黙って仕事の書類を整理し始めた。わたしはパジャマと、パンツも忘れずかかえてシャワーを浴びに行った。熱いシャワーを浴びながら考えた。ちょっと熱くなって言い過ぎた。そういや、こいつはメッセンジャーはプロ並みに使いこなしているものの、まだPC初心者。子供のようにわたしの言いつけを守っただけ?特別なキスとか熱い抱擁?そんなもん、日本生まれの大和なでしこには思いつかないアクションだけど、熱いラテンのヤギ達は家族、友達の間で普通にしてるよな。。。それが当たり前なヤギなのに「誕生日おめでとう。」の言葉だけでは確かに冷たすぎた?ん~、このまま放置していたら、本当に離婚だな。。。そう思うと、ちょっと行き過ぎた気がして、せめて咆哮したことだけは謝ろうと、シャワーを出て居間に行くとおっとが毛布をかぶり目に涙をいっぱい溜めてソファにうずくまっていた。胸が痛んだ。わたし「ごめん、吠えて。」おっと「。。。。」わたし「確かに最低な誕生日だったよ。わたしにも。」おっと「。。。。」わたし「ね、改めて祝いなおそう?」おっと「。。。。。。」わたし「ね?」とおっとの顔をのぞきこむ。おっと「。。。うん、本当に最低な誕生日だった。ぼくには家族がきみしかいないから一緒に祝って欲しかったのに、なのに。。。」これを聞いてまたちょっとカチンときて、言い返そうかと思ったのだが、おっとがウルウル泣き出したのを見て黙った。わたしはおっとが落ち着くまで抱きしめて、ずっと背中をさすっていた。ずるいよ、おっと。女は男の涙に弱いんだ。(そうだよね、Gabbyさん?)
2007.03.16
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日曜のおっとの誕生会はエルトンが決めたとおりBBQだった。わたしはベネチアとんぼ帰りでクタクタだし、先日来のいきさつで、気分は最悪だし、何時にどこかもおっとが全て決めたようでまったく知らない。このBBQ,メンバーは、わたしの友達ちずさんと彼女のお友達。あの「女性デー夕食会」の日、わたしが家出を決め、おっとに告げたその矢先でおっとはどういうつもりか、何も知らないパーティ参加者の彼らを誘ったのだった。ありえない、招待客が全部日本人なんて。(←正確には日本語ペラペラのイタリア人1人含む)例年はわたしの友達ゼロ、全部ヤギ軍団、そして去年の誕生日会は珍しくおっとのヤギ友達とわたしの友達は7:3ぐらいの割合だった。パーティも終焉に近づいた頃、みんながニコニコと「じゃ、日曜日楽しみだね。」とはじめて言ったとき(わたしは離れたところで板さんと2人で話し込んでいた。)、わたしは頭をかなづちで殴られたようなショックを受け、どうしていいか悩んだ。おっとはどうしてこんなことをするんだろう?いやがらせ?それともわたしに留まって欲しいから、わたしの友達を人質に取った?いやいやもっとポジテイブに考えて、おっとは反省してわたしが楽しめるよう、日本人ばかり誘ってみた?(←それにしてはタイミング悪すぎ。イヤイヤ。。。)しかも金曜の夜は彼らとテニスの試合も決めたおっと。とにかくどうしていいかわからずトイレに駆け込み、家出先のs◎i◎◎◎ci◎さんに電話するが、すでに夜中だったので携帯は切られていた。しかたがない。両方立てるためには、テニスは断って、金曜の夜と土曜にベネチアに行って、日曜BBQだ。*****というわけで日曜の朝、おっとは朝早くから起き出して独りでてきぱきとBBQの準備をしている。わたしもおっとが口を利かないので、いつ出発かもわからず一緒に起きて洗濯機などを廻してみた。おっとが勝手にどんどん荷物をクルマに積み出したのを見て、出発が近いことを感じ、わたしは上着をはおった。なんか、まさにわたしなんて、どうでもいい感じ?おっとは初めて口を開いた。「エルトンちに行くよ。」わたし「なんで?」おっと「肉の仕込みは全部あいつにまかせてあるから手伝わないと。」あ、そう。2人で無言のままクルマに乗り込みエルトンの家に向かう。彼の家のキッチンには肉が山積みにされていて、エルトンがそれを切ったり、味付けをしていた。エルトンは「ほら、昨夜遅かったから、仕込みを今朝早くから始めてまだ終らないんだよ。」と悲鳴をあげる。おっと「待ち合わせはもうすぐだから、やばいな。彼らに電話しないと。」と電話をかける。どうやらあれからめずらしく、携帯のクレジットを購入したようである。話の内容をそばで聞いていると、彼らも遅れる、とのことだった。それでも真面目なエルトンはせっせとフルスピードで働き、元来の集合時間ぎりぎりに終了!←ちっとも手伝わなかったおっとエルトン「お腹も空いたし、場所取りもあるし、行く道々できっといくきーとの友達からも連絡があるだろうし、もう出発しよう!」そして今回もまたエルトンはワゴン車、わたしたちのクルマにはエルトン家の居候を積み込んで出発!午前中は天気が悪く、寒かった。あ~あ、こんな日にBBQ?雨が降ったらどうするの。。。そのおかげで、今回の目的地メドラゴに着いたときには、停まっているクルマもまばらで、わたしたちが河原にBBQの荷物を降ろしたときには、周りには誰もいない貸切状態だった。エルトンはさっそくBBQの準備に取り掛かり、居候たちは大きな木の下にまた例のシーツをひろげ、家族団らん体制に入り、おっとはおっとの誕生会のために一生懸命なエルトンをそばでからかっている。わたしはちずさんに「今どこ?何時に着きそう?」とメッセージを送った。すぐに返事があって、もう近くまで来ているらしい。わたしはおっとをうながして、彼らを高速道路の出口まで迎えに行った。そのときもおっとが道を間違え、すっかり切れやすくなっているわたしたちは激しい口論に展開。_| ̄|○もうイヤだ、イヤだ!こんな状態で友達と接したくないよ!!やっと高速の出口に着くと、ちずさんとそのお友達はすっかり待ちくたびれていた。ん?なんかみんなバリバリな着こなし。目の下にクマが出来ている。野外のBBQなんだけど。。。?ちずさん「昨夜遅くまでお花見して、そのまま直行~♪」。。。。。。。アハハハハ。うちも似たような感じ。そんなところ、無理しておっとの誕生会に来てくれてありがとう。そうやって生ける屍(?)軍団は、思いっきり空気のいい、山の中のメドラゴに到着したのであった。駐車場に着くと南米人家族らしい集団がクルマからガンガンに音楽をかけて溜まっていた。これを見て「何これ。。。イタリア人じゃないよね?」と引く日本人集団。ああ、そうだよね、慣れないとこわいね。。。_| ̄|○そこからでこぼこの山道を河原まで下らなければならないところでちずさん「ブーツだから歩けないよ~!」見れば10cmヒールのステキなブーツ。山野に確実に似合わないんですけど?苦笑もう一度、クルマに戻り運転用のこれもステキな平たいサンダルに履き替えて問題解決。最初はこわごわ、細く長く続いた山道を歩いていた日本人集団も、目の前に開けた河原にはちょっと感動したようだ。このころ太陽も顔を出してきて、いい日和となった。鍋奉行ならぬ、BBQ奉行のエルトンがせっせと肉を焼き、わたしたちが食べる。飲む。肉はさすがにエルトンが、ブラジル人がいつも買い付けに行く、というミラノの中心の肉屋で選んだ肉なだけあって、めちゃうまだった!パインの塩焼きも出てきて、コレに関してはちょっと引く味だったというか、なんというか。。。。デザートとして生で食べたかったな。飲むに関しては、相当お疲れのみなさん、ちょっとやけくそ状態である。苦笑わたしもみんなも疲れているのに、こんなBBQ,強引だよな~と、いまいち盛り上がらないのがいい気味だったりする。居候家族たちは、こんな異国人の集団がこわいのか?かなり離れたところで適当に和んでいた。それでもわたしたち生ける屍軍団は、頭をフラフラさせながらも、大きな石に座って和んだり、通りすがりのひとが連れてきた犬と遊んだり、まあまあ楽しめた。今度は体調が万全なときに来たいね。こうして陽が暮れ、彼らとは穏やかにお開きとなったのだった。*****が、わたしたちの仲は。。。。。家に帰ってからますます凍りついた。今までは、凍りつくようなケンカがあっても、2人の間に仲直りしようという意気込みがあって、2~3日もすれば、お互い折れて元の鞘に戻っていたのだが、今回ははっきりタイプが違う。というのは、おっとの気持ちはわからないが(というか、わからなくなってしまった。)わたしに以前の歩み寄りの気力が出てこないのだ。この凍りついたムードの重さにときどき押しつぶされそうになるけど、もう彼を無視して、最低限用事があるときだけ会話するのが楽。なので、現在は普通に駅までおっとに送迎してもらって、普通に通勤して、帰宅後普通に食事を作って、普通に光熱費の支払いの話をして、普通に同じTVをお互い離れたところから観て、普通におっとは友達とメッセンジャーで夜中までバカ話をし、普通にわたしはベッドで本を読んで。。。。。。。。。普通。今までの訳のわからないおっとのちょっかいがなくなって放置されて、もしかして実は楽?おっともなんだかそんな感じである。時々「うを~っ!!!」と一人で叫んで地団太踏んでいるが、それさえ見ないふりして無視すれば楽だ。こんな生活、いつまで続くかな♪(おわり)
2007.03.15
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ここで楽しい(?)家出の話を中断して、家出原因を書かなければ気がすまなくなってきた。遡って、おっとの誕生日は3月7日先週水曜日。昨日書いた楽しい夕食会前日。ヤギの国では大人も誕生日は派手に毎年祝う。なのでわたしは1ヶ月も前から「パーティには誰誘うの?何したいの?」と聞き続けていたにもかかわらず、おっと「う~ん、ジェノバのルイスたち?それともウイリアムがいなくてもウイリアムファミリー?」などと言って何も決めていないのに、いつものごとく誰でもいい加減に誘っているようなのですっかりあきれて放置していた。直前になってやっと他人のエルトンが業を煮やし「BBQにしようぜ!」と言ったため、そういう方向に向かったが、正式に誰も誘っていない。今年はきっとその日に集まれるヤギを誘って飲んだくれる方向だな。わたしはあきらめて7日水曜日は、仕事の後、2人でどこかに夕食を食べに行こうかとぼんやり仕事中に考えていた。夕方、会社を出ようとするとおっとから電話があった。「今日、弁護士事務所に行こう。やっと、自動車事故の保険が降りることになったんだ。小切手で払うから受け取りに来てくれってさ。」OH,SI!やれやれやっとだよ。でも、小切手なんて信用していいのかな?ちょっと心配にもなりながらおっとと待ち合わせの弁護士事務所の建物前に向かった。おっととの約束は19時。わたしは時間きっかりに着いておっとを待つがいつまでたっても来ない。わたしはおっとに電話をした。「まだ高速の上。ひどい渋滞で動かないんだ。弁護士事務所はもう閉まるから、君が先に入って事情を話して待ってもらうように言って。」わたし「え。。。そんなの、自分で電話してよ。」おっと「携帯のクレジットがないし、弁護士の電話番号、なくしちゃった。」こ。。この野朗。わたしはムカムカしながらすぐそばのインターフォンを押す。するとぶっきらぼうな声で「どなた?」わたし「あんころ マルちゃん(仮名)の妻ですが、あんころからことづてがありまして。。」「あんころ?まあ、とにかく入って。」弁護士事務所に入ると、部屋はたくさんあったが、どうやらほとんど帰宅したようで、ひとつの部屋でひとりの弁護士と思われる男がデスクに足を投げ出して携帯に向かって怒鳴り、誰かに命令している。わたしがおずおずのぞくとあごでくいっと上げて、目の前のイスを座れ、というように示した。た、態度悪い奴だな。わたしはしかたなくそのイスにちんまり座り、男の電話が終るのを待った。男は長電話で、わたしはおっとが早く来ないかと何度も腕時計を見ていた。やっと男がぶつぶつ言いながら受話器を置く。そしてわたしを振り返り「あんた、誰?」「あんた、誰?」って。。。汗わたし「あんころ マルちゃん(仮名)の妻です。あんころからことづてがありまして。。」男「あんころ マルちゃん?はあっ?聞いたこともない!アポは取っているのかね?」わたし「さあ、あなたから電話があって来いということだったのですが?」←男の後ろにおっとに言われた弁護士の名前の賞状があった。男「あんころ マルちゃんなんてひとに電話した覚えなんてないね!それはいいとして、いったいあんたは何しに来たのかね!?」わたし「あんころは小切手を受け取りに来い、と言われたようですが?」←自信がなくなっておろおろするわたし男「奥さん、あんたね、小切手を受け取りたくばここに来るのは間違いだよ。旦那さんに銀行に行くよう、言っておくれ!」わたしはついに切れた。なんだ、この男はっ!?「わたしはただ、おっとに言われてアポに遅れる、と言いに来ただけなんです。なんなんですか、あなたのその態度!?」男はわたしが語気を荒くしたことでひるんだ。「ちょっと奥さん落ち着いて。なんの件で来たのかね?書類はあるのかね?」わたし「先日1年半前の自動車事故で勝訴した件です!書類はおっとが持ってくるはずでわたしは持ってませんよ!」男「アポもない、書類もないじゃ、あんたの言っていることが全然わかりませんよ。」と鼻で笑う。そこでわたしは、ハッとなんで電話しないのか今更気付いた。おっとに携帯で電話する。「ちょっとあんた。いったいこのひとなんなの?話が噛み合わないから替わる。」と男に携帯を押し付ける。男「もしもし、いったいあなたは。。。。あ、あなたはマルちゃん あんきょろう!」誰だよ、マルちゃん あんきょろうって。男の態度が180度変わった。「ええ、はいはい。あ、ちょっと遅れる?いえ、全然構わないですよ~。お待ちしてます。」と電話を切った。男「奥さん、なんだ最初からマルちゃん あんきょろうだって言って下されば。」わたし「あんころ マルちゃん(←あくまでも仮名)です。」と訂正する。男「ほら、わたしのこと覚えていません?一度裁判所で証言のときにお会いした。。。」ああ、言われて見ればこいつだった。わたしはコートをコートかけから引ったくり、「じゃ、用が済んだんでお邪魔さま。」と出て行こうとした。男「え、旦那さんをお待ちにならないんですか?」わたし「いえ、不愉快なんで外で待ちます。」男「ああ、そうですか。」とムッとした口調ながらもやけにいんぎんにドアを開けてわたしを送り出した。わたしはカッカしながらおっとに電話をかけ「外で待ってる。」と言った。おっと「なんで?もう着くよ。」わたし「不愉快だからあそこに居たくないの。わかった!?」わたしは真っ暗な小雨が降る道を歩き出した。腹が立って腹が立ってしかたがない。そりゃ、弁護士はたくさんの裁判を抱えていていちいち、被告人の顔なんて覚えてないかもしれないけれど、終業間際のこの時間に来るっていえば、おっとしかいない。あんたもそれを待って、ひとりで事務所に残ってたんだろう?たとえ名前を勘違いしていても「あんころ マルちゃん」で「マルちゃん あんきょろう」が思い浮かばないか?しかもその妻は、この国でありふれたイタリア女ではなく、日本人で、「小切手を取りに来た。」といえばすぐにわかるものだろう?で、とどめは「一度裁判所で証言のときにお会いした。。。」って、しっかりわたしのこと、覚えているやンけっ!?どういうつもりだったのだ、この野朗っ!?電話で揉めていたし、むしゃくしゃしていたから、目の前の逆らいそうもないガイジン、からかってみた?むかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつく。。。。。というわけで気を静めるためにBarに入り、グレープフルーツジュースを注文して、s◎i◎◎◎ci◎さんに電話で怒りを聞いてもらっていたら落ち着いてきた。そこにおっとが迎えにきた。しかしわたしはおっとを見るとまた怒りが簡単に蘇り、クルマに乗り込むなりすごい勢いで「ちょっと聞いてよっ!もう腹が立って腹が立って~!!!」を第一声に、ストーリーに入ろうとすると冷ややかに「怒鳴らないでくれる?すぐそばにいて、君しかいないんだから聞こえてるよ。」しかしわたしの怒りが簡単に収まらない。さらに大声で「そういってもね、あの弁護士が!」おっと「それ、ぼくのせいだって言うの?だから怒鳴るの?」わたしはちょっと冷めた。「ご、ごめん。そんなつもりじゃないんだけど。。。」おっとはついっと前を向いて完全無視体制に入った。それを見て、わたしの中に弁護士に対する熱い怒りがすっかり冷め、かわりに最近おっととの間にひんぱんに生じる冷たい怒りが生まれた。なんでこのヤギはこういう態度が取れるのだろう?元はといえば、こいつがいつも携帯のクレジットゼロで、わたしにたった一言「遅れる」と言わせるお使いをさせるからこんな思いをしたんだ。こういう場合、その責任をとって、せめて妻の怒りが収まるまでイヤでもウンウンと聞くフリぐらい出来ないのだろうか?。。。としばらく黙って悶々と考え抜いたあげく、わたしが大人になることにした。「ねえ、もう遅いし外で食事しよう?」おっと「イヤだ。」わたし「でも、せっかくの誕生日だし最初からそれを言おうと思っていたんだ。で、こんなハプニングが起こったけど。。。ね?」おっと「イヤだ。」あ、そう。プチンそれからわたしたちは無言で家に帰りついたのだった。さて。家に着くとおっとは時計を見上げて、駆け込むようにPCのスイッチを入れる。おっとのメールBOXにはこの日に届くよう、バースデーカードを送った。それをみたらちょっと態度が軟化するかな?遠くから食事を準備するふりをしながら、のぞきこむ。おっとがさくさくとメールBOXに目を通しているとメッセンジャーが開いた。相手は最近おっとがしょっちゅう一緒に朝帰りするクラウディオだ。クラウディオ「ごめん、オレのほうが遅かったな。」おっと「いや、ぼくも今家に帰ってきたところだ。」クラウディオ「おい、シャンパンは?」おっと「買いに行く時間がなかった。」クラウディオは「しかたねえな。」とモニター越しにグラスを持ち上げ「ハッピーバースデー、マルちゃん!!」おっとはうれしそうに「おお、サンキュー!」おっと「あのさ、金曜の夜にちゃんと祝いなおそうよ。そのときはぼくのおごりだ!」クラウディオ「うん、いいな。じゃあ、連絡待ってるぞ。」わたしは石のように固まって、2人が祝い合っているのを遠くから見ていた。そ、そうなんだ。今日はクラウディオに祝ってもらう手はずだったから、わたしと外食に行く暇なんてなかったんだ。で、金曜日はまた出かけて土曜日に朝帰りするわけね。。。おっとはメッセンジャーが終って、そのままログアウトしていかずにシャワーを浴びにいったので、メールBOXを見てみたら、わたしのバースデーカードはゴミ箱に捨てられていた。開封もせずに。あ~、最低な気分。女ならともかくあんなうだつのあがらなそうな、気持ち悪い、しかも妻子持ちの男に負けるなんてさ。。。で、さっそく今回家出先の決定打になったs◎i◎◎◎ci◎さんにメールを出して旅立った、というわけ♪(つづく)
2007.03.14
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週末も引き続き快晴。まだ3月はじめなのにずいぶん暖かくなった。季節が例年より1ヶ月早く来ているみたいだ。空気が乾きすぎて頭が痛くなるぐらい、いい天気ばかり続いている。土曜日夕方。わたしは怒りまくって頭の血管が切れそうになっていた。というのは、大晦日にお釈迦になった携帯電話、新しいのを買うまでのつなぎに同僚のアンナから彼女のお古を借りていた。わたしは他人にお金や物を借りるのが大キライで、なるべく早く返そうと、1月はじめの週末に携帯電話ショップを廻り形の可愛い携帯電話を見つけて、即購入しようとしたのだが、おっとが「え~、これたったこれだけのメモリ?何にも出来ないよ。もうちょっと他を見ようよ。」などとうんちくを垂れはじめて、買うことを許さない。その日は、何年も使うものだし なるほどそうか、とあきらめ、月曜日にアンナに「ごめん、もうちょっと待って。」というとアンナも「大丈夫、気にしないで。それよりいいものをちゃんと見つけてね。」と言ってくれたので安心して、いろいろな電器屋や、メーカーのサイトを見て「ビデオ3」というところの携帯に決めた。そこの携帯は、形は先述のものに比べていまいちだったが、1月31日までに購入すると、その代金が4月に全部電話料として加算され、つまりはゼロ、になるお得なプロモーションをやっていたので、即買いしようとするとおっと、「この携帯だったら、ぼくの友達の店にもあるからそこで買ってやってよ。」というのでしぶしぶその店に向かった。しかしせっかくそこまで行ったのにその形の携帯は売り切れ。おっとの女友達「2週間ほど前に注文したから、今週には入ってくるはずよ。入ってきたら取り置きするからもうちょっと待って。」しかたがない。また月曜日わたしはアンナに事情を話して待ってもらうことにした。で、金曜日。わたし「ちょっと!携帯もう入荷したの?」おっと「まだだって。来週には入ってくるって言ってた。」わたし「そんな!アンナにいつまでも携帯を借りたまんまなんて気持ち悪いんだけど?!最初に見た店に買いに行こうよ!!」おっと「友達は来週には入るって言ってるんだからもうちょっと待ってやってよ。」そんな。。。またもう一週、アンナに待ってもらわなければならなかった。しかし。この週も入荷なんてなかった。わたしは切れておっとを引きずって最初見た店に行った。店員「売り切れですってか、プロモは終りました~。」わたしはこの時点でキレキレ。おっと「だ か ら。友達に聞いたら、同じ携帯で別のプロモが出るらしいよ、それを待とう。」ほどなく確かにTVCMで新しいプロモの宣伝が。「バレンタインに「ビデオ3」の携帯を2人で買うと、1個はプレゼント!」わたし「これ買おう、機種は選べるし、もう違うのでいいよ。わたしが買って、あんたにもプレゼントしたげる。」おっと「え~、ぼくは最初に君が選んだのじゃないとイヤだ。」わたし「そんなこといったって、あんたの友達のところいつまで経っても入荷しないじゃない!」わたしはいつまで経っても携帯が買えない苛立ち、アンナへの後ろめたさ、そこまで大事なんか?あんたのあの女店員!!??という思いが混じってケンカとなり、とうとう我々はすねてしまってしばらく携帯の話は打ち切りとなったのだった。そして先週忘れた頃。アンナ「あの~、実はうちの旦那のお母さんの携帯が壊れちゃって、出来たらアレ、来週には返して欲しいんだけど。。」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!しまった!!アンナはウソをつくのがヘタだ。その言いにくそうな、顔を合わせないでいう口調に、お義母さんのことは、携帯を返してもらう言い訳に過ぎないことはすぐにわかったが、わたしは彼女をそこまで追い詰めるぐらい借り忘れていた携帯に対して恥ずかしくなり、顔が真っ赤になった。世の中には「借りパク」という言葉が世界共通であるようだが、きっと、わたしが「借りパク」するような女に見えてしまったに違いない。せっかく親切に自ら進んで貸してくれたのに、これでは信用ガタ落ち、ヤギの仲間入りではないかっ!!??わたしが慌てて「ご、ごめん、すぐ返す。」と裏のSIMカードをはずそうとすると、優しいアンナは「ううん、まだ買ってないんでしょ?来週までに返してくれたらいいから。マルちゃんにゲキ飛ばしてね。」と猶予を与えてくれたのである。わたし「。。。。というわけ。だから絶対、土曜日に新しい携帯を買わなければならないんだからね!あんたの友達の店なんてもう待ってられないから。」←ちなみに未だ未入荷。おっと「ん~。。。わかったわかった。」ところが。わたしが早起きして出かける支度をしたにもかかわらずおっとはまだベッドの中だ。くっそう、銀行口座にお金があって、クレジットカードがおっと名義じゃなきゃ、ひとりでもう3ヶ月前に買いにいったのに!我が家のいつもギリギリの経済状況がほとんどおっとの経営ヘタなおかげなのに、わたしがいつも我慢、というか必要なものまで買えない、ということに憤りを感じる。やっとのことでおっとの会社名義の銀行口座を作ったが、分けたところで我々の収入は変らないし、我々の口座からいつも無期限無利子でおっとが借金していくから以前と何も変らない。おっと「う~ん、あと30分寝かせて。30分以内に起こすようだったら一緒に出かけないぞっ!」と脅す。やっと起きたかと思えば「こんな汚い家、このまま放置しておくつもり?」と掃除を始める。そうやって伸ばしに伸ばして昼寝までしやがって、いつもめったにしないクルマの中の掃除までして、絶対嫌がらせとしか思えない。やっと家を出れたのは、今回はじめての日本人会のフットサルの試合が始まる1時間前だった。(ちなみに試合場まで家から40分ほど。)わたしはクルマの中で悔しくて「わたしの携帯が買えるの、今日しかなかったのよ?もう、時間ないじゃない!あんたが何か買いたい時は勝手にクルマ出して遠いところまで買いに行くくせに。なのになんでそんな嫌がらせするの?」とポロポロ泣いてしまった。いつもそうなのだが、わたしの涙を見てから慌ててなんとかなぐさめようとするおっと。「フットサルの行き道のスーパーに行けばいいと思ったからさ。」←大ウソだ。わたしたちはスーパーに急いで入った。わたしは最初に見たものを指差して「これでいい。」と言う。もうやけくそだった。おっと「そんなやけっぱちにならないで。これは?」わたし「いらない。」おっと「じゃ、これは?」わたし「全部高いよ、わたしは電話さえかけれてメッセージが送れればいいのよ!他の機能なんていらないっ!!」おっと「じゃ、こうしよう。もうひとり電話を売ってる友達がいるんだ。そいつのところに月曜日行って買おう、ね?決まり☆」も、も、ももももももももももも~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~うっ!!!!!!!!いい加減にしやがれっ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!結局時間切れとなり、フットサルの試合にはある地下鉄駅前待ち合わせだったのに大遅刻で「すみませ~~~~ん、遅くなりまして!!」とハアハア息を切らせながら走って駆け込む始末。フットサルチームの皆さん「大丈夫ですよ~。あれ?旦那さんは??」見ればおっとは遥か彼方からゆっくり歩いて近づいてきていたのであった。この瞬間ほどこのヤギを絞め殺してやろうと思ったことはなかった。
2007.03.05
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イタリアでは先日、結婚していなくとも同棲しているカップルに、結婚している夫婦と同じような社会保険だのなんだのの「扶養家族としてのカバー」を認める法案が成立したようだ。それはひとえに「ゲイカップル」を認める、というところから発端したらしいのだが、それと同時に外国人、イタリア人カップルについても正式に同棲を証明する書類を提出すれば結婚していることと同じになるらしい。ああ、そんな甘っちょろい法案って、犯罪が多発する匂いがする。絶対「偽装カップル」が激増しそうだ。昔なにかの映画であった。ある外国人女性がアメリカ国籍が欲しくてお金を払って見ず知らずのアメリカ人男性と「偽装結婚」をし、まんまと国籍を手に入れそうになるのだが、監察が入り、慌ててその相手の男性と結婚するフリをするため、一時期一緒に暮らして、本当に恋に落ちるという話(だったっけ?)。このニュースを聞いて、おっとの幼馴染みウイリアムを思い出した。最近彼のことを書いていないのは、もうここイタリアにいないからだ。最近のお友達に説明すると、11年前、単身ミラノに乗り込んできたウイリアムはエクアドルからまずは家族、親戚を呼び寄せ、親戚の親戚や友達まで(おっと含む)まで呼び寄せて、マルペンサ空港近辺で一大エクアドル人村を形成。家族親戚で固めて作った運輸会社は、トラック、ワゴン車を何台も抱える個人経営にしてはまずまず大きいものだ。(←おっとは彼のまねっこをしている)数年前知り合った、美人の彼女のために家も買って、同棲しはじめてほどなく彼女が妊娠。彼女の「子供には多国籍(USA イタリア エクアドル)持たせたほうがいい。」という意見で、彼女は、お母さんが住むロサンジェルスに昨年夏、出産準備のため旅立った。彼女は再三ウイリアムに「ロサンジェルスに来て一緒に永住しよう。こっちのほうが断然住みやすいよ!」と薦めていて、いまやエクアドル人村の大ボス、ウイリアムは迷っていたのだがついに決意を固め、娘の生まれる予定日12月にあわせて、彼女に内緒でロサンジェルスへと旅立ったのだった!!出発日前日。いつになくわたしはウイリアムを質問攻めである。クールでニヒルなわたしには、ウイリアムがここまで育て上げてきた全てを捨てて、愛のためにロサンジェルスに行くことが信じられなかったからだ。(←やつは誕生日が一緒だし。)ウイリアムは忙しそうに山のように積まれた書類にサインしたり、破って捨てたりしながら「永住はしないよ。」と答えたのでホッとした。「こっちはオレがいねえと出来ないこともたくさんあるし、オレとしてもこの何年間で築き上げたものを全部捨てて、またゼロから他の国でやり直すなんてぞっとしないからな。」わたし「じゃあ、いつ帰ってくるの?」ウイリアム「とりあえず3ヵ月後だ。3ヶ月あっちで仕事してみて、もしも、あっちのほうが本当に住みやすいなら移住も考える。」わたし「じゃ、もしそうなったらまた家族で大移動?」ウイリアム「いや。。。もうみんなはこっちで自立してきてるし、この事業を潰したくないし、家も売らないで母ちゃんに預けていくから、行くならオレだけだ。」わたし「そっか~。このロサンジェルス行き、彼女に内緒なんでしょ?きっとすごくびっくりして、大喜びすると思うよ!」そしてウイリアムは次の日朝早く旅立っていった。おっとはジェノバのいとこも一ヶ月前にエクアドルに永久帰国したばかりで、今度は幼馴染み、と立て続けだったので、ひどく哀しそうだった。しかし。「時」というのはいいこともいやなことも忘れる薬のようなものだ。すっかりウイリアムのことも忘却の彼方に消え去り、そのおかげで足しげく通っていた「マルペンサエクアドル人村」にも行かなくなってしまったおっと。ある日、息せきって帰宅する。「ねえねえ、今ウイリアム、どうなったか知ってる?」わたし「。。。知るわけないでしょ。」おっと「今日、彼女の弟の彼女(ややこしい)に偶然ばったり会ったんだよ。で、話を聞くとね。。。」ウイリアムは出産予定日、大きな花束を抱えて彼女の病院を訪れた。娘はすでに産まれていて、彼女は大きな驚愕の目を持ってウイリアムを迎えたそうである。しかしその「驚愕の目」とは、歓喜によるものではなく「何であんたが来たの!?」というものだったらしい。そこには彼女同様、顔色を変えた彼女の母親が立っていて「ちょっと話があるの。。。」と外に出て聞いたところによると、ウイリアムの出現は迷惑せんばんである、すぐさまイタリアに帰ってくれ、ということだった。なぜなら。彼女はついこの間、某アメリカ人と結婚した、というのだ!?だから邪魔しないでくれと。当然ウイリアムは目が点になり、怒り狂って「そいつを出せっ!話したい!!」とわめいたらしい。彼女の母親は「どこにいるか知らない。誰かも知らない。」の一点張りである。ウイリアムは相当ごねて、どうもならない状態で、哀しそうな背中を見せてそこから立ち去り、行方不明になってしまった。おっと「ウイリアムと彼女、妊娠する前からかなりぎくしゃくしてたからね。何度も『別れよう。』という話になって、でも彼女が妊娠しちゃったから思いとどまっていたところもあったしね。」わたし「ちょ、ちょっと待って。彼女がロスに行ったのは夏でしょ?半年もたたないうちに相手見つけて結婚しちゃったの?確かに彼女美人だけど臨月近くの妊婦なのに貰い手があった、というかなんというか。。」おっと「そうだよ、そんなことあっちじゃ簡単らしいよ。お金さえ払えば。。。」わたし「えええっ!!!それって、偽装結婚っ!!??」彼女。。。たくましい。そうか、イタリアにいるあいだは、イタリア国籍をあてにするためにウイリアムとの仲をキープしておいて、アメリカに渡ったらさっさと鞍替えか。まさか現実に、そういう世界に出会えるなんて思わなかった。違)そういえば、何年か前にぼんぼんイタリア人と結婚したマリソルも、イタリアに来てまず最初に闇のメキシコ人組織から滞在許可証を買って、ばれないうちにそれを本物に更新しちゃったんだよな。南米人女性、すごいわ。そのバイタリティ、見習いたい。わたし「じゃ、その後ウイリアムどうなっちゃったの?帰ってくるんでしょ?!」おっと「さあねえ?ロスのどこかで働いて、そのまま帰ってこないかもね。」わたし「ウイリアムの弟に電話して真相を確かめなよ!」おっと「なんでそんなことしなきゃいけないのさ?」な。。。なんでって。。。。。。。あんた、ウイリアムの幼馴染みなのに、心配じゃないのか!?平然としているこいつのメンタリティがまだまだ理解できないわたしなのである。
2007.02.16
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おっとがまたおそろしいことを計画しはじめている。予兆はずいぶん前からあったのだが、今まではどうにも出来ない理由があって、かろうじて阻止が出来ていたのだ。しかし、2007年になって、わたしにとって、きっとイタリアの人口の何パーセントかの人々にも望ましからぬ事態となり、おっとの計画が実現できる可能性もでてきた。その計画とは、「2人目の従業員を雇う。」ということである!1人目のステファノを雇ったおかげで、というか前準備もきっちりしないで雇ったために我が家は経済混乱である。もちろん現在もそれは続いていて、ちょっと落ち着いてきたか?の程度でまだまだ混乱は収まっていないのだ。そこに2人目?冗談じゃないっ!おっと「だって、あの国がめでたくEU入りしたんだ。もう滞在許可証の問題もないし、可哀相なコスティカを雇ってあげようよ。」覚えておいでの方もいらっしゃると思うが、コスティカとはおっとが一番初めに雇おうとしたわたしの我慢のできない国から来た不法滞在者の男で、おっとの友人(?)ピエトロの言葉にまんまとだまされてイタリアに来て、捨て犬同然に路上をさまようことになり、祖国に帰ろうにも帰れず、その日その日を生きている哀れな男なのだ。確かに可哀そうだし、おっとのなんとかしてやりたい気持ちもわかるが、その前に可哀相な我が家の家計をまず何とかして欲しい。怒一人目の従業員の時には、銀行に融資を何度も受け、最後は昨年末に「もう!ちゃんと計画性を持って事業してくださいね!」とこんこんとおっと係の行員にお説教をされたばかりだ。2人目の従業員を雇うとなると、もう一台ワゴン車を買わなければならないし、おっと係の行員の舌の根も乾かないうちに、新たな融資、となるのは必至である。ぜ~~~~~~~~~~~~~~~ったい無理!!おっとはさっそくコスティカに電話するため受話器を取ろうとしたので、わたしは慌てて止めた。わたし「雇うはいいけど、ワゴン車どうするのよ?銀行がすんなり融資してくれるとは思えないけど?」おっと「しばらくは会社のワゴン車をレンタルするよ。」わたしはめげずに「EU入りしたのはいいけど、そうそう簡単にあの国のひとたちの出入りや仕事が自由になるとは思えないよ。もっと情報を集めてはっきりしてから電話しなよ。彼をぬか喜びさせたらかわいそうでしょ?」おっと「わかった。とにかくあいつに電話して、現在仕事してるかどうか聞くよ。」OOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!ちっともわかってないやんけっ!!!ここがいつも歯がゆい、歯噛みしておっととの距離の広さを大きく感じる点なのである!わたしは普通に慎重派で、物事をするにもまず確証を得てから動くのだが、このヤギ野朗はまず深い考えなく行動を起こしてから、たいがいまずいことになって、収拾にアタフタするのである!!おっとは電話でコスティカと会話しながら「うんうん、そっか。やっぱり仕事してないのか。。。大丈夫、ちゃんと調べてなんとかしてやるよ。」あほ~~~っ!!!自ら進んで安請け合いするな!!!!!!!そしておっとは電話を切り「いくきーとの会社のチプリアンはきっとなんか知ってるよね?明日会社で聞いてよ。」わたしは「。。。自分で聞け。」と携帯を投げてよこす。おっとはチプリアンに電話をかけた。やはりコスティカと同国の彼は詳しくて、「友達に警察関係者と親しい奴がいて、そいつについこの間、聞いた話によると仕事は「掃除婦」「金属関係の工員」「季節労働者」「農作業員」「観光業」「老人介護」「お手伝いさん」しかダメなんだよ。だから運転手は無理だ。」そうだよな、やっぱり。ヤレヤレ。しかしおっとは諦めてないようだ。「なんとかぼくの会計士に相談してみるよ。」そのあまりの熱心さに、わたしはふと頭に思いついたことを口に出してしまった。「。。。はじめは季節労働者で3ヶ月ぐらい雇えば、そのうち、法律も変わるかもね。」あ。おっと「そうか!その手があったか!!いくきーと、頭いいな。」あほ~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!わたしのあほ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!!!!自ら波乱をまねいているわたしなのであった。******************************上記のことを書いているうちに気がついた。やっぱりイタリアという国は、最低だ。警察などのサイトでも調べたが、やっぱりわたしの我慢のできない国の国民はイタリアに来ても上記の職業、つまりブルーカラーの仕事しか出来ないようだ。なんでだろう?同じEU諸国でもフランスやドイツからイタリアに移住したひとたちは、普通にホワイトカラーの職についているし、身近なところでは同僚ジャンピエロのいとこもフランスに移住し、国家公務員の試験に受かって、教師をしている。なのに彼らはEU入りしても、他のEU各国では知らないがイタリアでは悪く言えば「奴隷」としか働いてはいけない、ということじゃないか?まったくこんな国に暮らさなきゃいけない自分が腹立たしい。
2007.01.18
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12月24日(日)クリスマスイブだ。なのに今年は珍しく予定がない。というわけで、わたしたちは離婚したばかりの可哀相なエルトンをうちに呼んで3人で手巻き寿司をすることにした。買ったばかりの石油ストーブは小型だが、なかなか活躍してくれているので暖房には問題もないし。。午前中に家を掃除していると電話が鳴った。ジェノバの兄いとこルイスである。(弟いとこは先日エクアドルに永久帰国した。)ルイス「クリスマスはどこかに行くのか?」おっと「いや、今年は友達呼んでイブに夕ごはんを一緒に食べるだけだよ。」ルイス「そうか、よかった。今夜たぶん、友達家族を連れて泊まりに行くわ。で、明日は雪を見せたいから山に連れて行ってくれ。」おっと「え。。。うん。。いいけど。。。。何時ごろ?」ルイス「友達にまだ聞いてみないと、行くかどうかもわからない。またあとで電話するわ。」わたしは聞き耳をたてて会話を聞いていた。「ちょっと!なんでOKするのよ!?なんの用意もしてないじゃないの?そんなこといきなり言われてもルイスたちだけならともかく、なんで友達家族まで泊まらせなきゃいけないのよ!?」おっと「まだ決まったわけじゃないし。。。食料の買出しだってまだ行ってないから、ルイスたちが来るなら多めに買えばいいじゃないか。」わたし「余分な布団は1枚しかないのに、そんな大勢で来てどこに寝るのよ?ボイラーも壊れてるし、お客を泊められる状態じゃないでしょ!?それに暖冬だから、今年は山に行ったって雪はないわよ。」おっと「あ~もう、うるさいっ!!ぼくら南米人にはどうでもいいんだ、こういうもんなんだよ。とにかくまだ来るかどうかわからないんだからギャーギャー言うな!」まったく。。。勝手な話だが、これが、日本人やイタリア人ならここまで怒らない。南米ヤギ男は、南米人のお客が来ると、急にわたしを召使のように扱い、まったく何もしなくなる。南米人女性もそれに慣れていて、彼らの中にいると、わたしがいかになまけものの役立たずの妻に成り下がるのだ。まあ、実際にそうといえばそうなのだけど。。。夏に遊びに行くたびに歓待してくれるルイスの奥さんミリーには、今までの恩に報いるため、奉仕もしようが、連れてくる友達家族というのが、去年の夏、一緒にバーベキューに行ったあのがきんちょ共の家族である。迷惑はかけられたものの、恩もない、親戚でも友達でもない。そんだけくせのある大勢を一挙にわたしひとりで接待しなければならないのだ。出来るかっ!!こうしてせっかくのイブは朝から険悪ムードで始まったのだった。スーパーに着いてカッカしながらカートに普段の食料を放り込んでいく。しかし、どう考えたって人数が決まらなければそれ以上の買い物は出来ない。ルイスはまだ電話してこない。わたしはおっとをせっついて電話させた。「まだわからないけど、たぶん友達家族は来ないみたい。」たぶん。。。たぶんじゃわからないよ!?やけになって友達家族も含めた人数分の大量の食べ物を買う。当初の予定の手巻き寿司なら、海苔がまったく足りないが、ミラノの中心街ならともかく、こんな田舎町、売ってるはずもない。わたし「おっと。。。今夜はあんたが作るんだよ。」おっと「えええええ!!??妻が作らないと。。。」買い物が済み、帰途に着く頃やっとルイスから「友達は来ないよ。俺たちだけもう、高速道路に乗ったから。」と電話があった。出発してから連絡するな!!ここからわたしたちは大忙しだった。エルトンがボイラーの故障を見てくれる、というので壊れた箇所の部品を買いに行く。そこでもうルイスから「今ミラノの環状線に乗った。ここからどう行くんだ?」と電話が。時間がない。このあとわたしたちはエルトンを家まで迎えに行って、もう2日浴びてないシャワーを使わせてもらう手はずだったのだ。わたしたちはエルトンの家に直行、まずはおっとが急いで風呂場に飛び込み、わたしは気もそぞろでエルトンと会話をしながら自分の支度をはじめる。ルイスから電話が鳴った。「どうも道を間違えたみたいだ。モンツァの中心街に迷い込んでしまった。ここからどうやっていけばいい?」ほ~。。。よかった。道を間違えてくれて。さんざん迷っておくれ。そうすればわたしもシャワーが浴びられる。。この後、おっとは濡れたぐしゃぐしゃの髪のままルイスを迎えに出て行き、わたしはゆっくりとシャワーを浴びて、エルトンと一緒に家に行くこととなった。さっぱりして家に帰ると、カティちゃんが「おかえり~!」とドアを開けてくれる。ルイスとミリーがその後ろでニコニコしている。いいなあ、こういうの。そうだよ、最初から彼らだけだったらこんなにパニくらずに済んだんだ。ミリーは着いたばかりだというのに、もうキッチンに立って料理を始めていた。わたし「うわ~、何してるの?今日はわたしが作るよ。」←シチュエーションでころころ態度を変えるわたしミリー「明日のターキーの仕込みをマルちゃんに頼まれたのよ。大丈夫、これだけ」←ミリーがいると何もしなくなるおっとわたしはさっそくエプロンをつけ、つけあわせの肉じゃがの準備にかかった。ミリー「何か手伝うことない?じゃがいもの皮むきするわよ。」わたし「あ、じゃ、お願い。」わたしが手巻き寿司の具になる野菜を切ろうとしているとミリー「わたしが切るわよ。」わたし「あ、じゃ、お願い。」こんな調子で結局わたしは肉じゃがの煮込む作業と、ミリーが切った手巻き寿司の具をお皿に盛ることしかしなかった。自分の無能を噛み締めるひととき。_| ̄|○ルイスたちとエルトンとの手巻き寿司パーティは、それはそれはアットホームで楽しく、和んだ。みんなが食卓に着く前に、エルトンはボイラーを見て、おっとと2人で部品を替えたおかげで動き出し、暖房も効いて暖かい部屋になった。エルトンはほとんど毎回我が家のパーティに参加しているので慣れたものである。ミリーとカティちゃんは、はじめて食べる日本料理を写真に撮って、不器用に箸で具をつまみあげて笑っていた。ルイスは「オレは肉食なんだ。」と酢メシに肉じゃがをぶっかけてモリモリ食べていた。汗ああ、作りがいがあったというものだ。食後はブラジル人エルトンの淹れたおいしいコロンビア産のコーヒーで閉めとなり、クリスマスイブは終った。12月25日(月)この日、朝ゆっくり起きてみんなでパネットーネを食べ、山に向かってルイスのクルマを走らせる。ルイスはクルマが大好きで、11月に見たクルマとまた違うクルマに乗っていた。そういえばあのクルマも夏に見たのとは違う。。。ルイス「11月のは2週間で飽きて替えたんだ。」どうでもいいが、毎回スポーツカータイプばかりなので、後部座席は我々女性陣だけなのに、ぎゅうぎゅうだ。今回向かう山はレッコ湖からさほど遠くない山の小さなスキー場。前日にエルトンが「ここの山小屋で食べれるピツォッケリ(そば粉をベースにしたこってりした山のパスタ)は絶品だぞ!」と教えてくれたので、行ったことがない新しいスキー場開拓、というのもあってウキウキしていた。しかし、この日は12月末とは思えないぐらい天気が良くて、暖かくて、山々を見上げたところで雪など積もっていない。わたし「雪がなくても山小屋でピツォッケリを食べてよし、としよう。」ミリー「え、ピ。。パンツエロット?」←もういいや。山をくねくねあがっていくと、いかにもスキー場近くにありがちな木造の可愛い家が立ち並んできて、期待が高まる。さして迷うことなく目的のスキー場のふもとに着いた。ここからはケーブルカーで山頂に上がるのだ。しかし。何か変である。ケーブルカー乗り場に着くと張り紙がしてあった。「クリスマスのため運行休止。」なんじゃっこりゃ~?クリスマスこそ、稼ぎ時なんじゃないんですか!?わたしはみんなの非難をいっせいに浴びて、山を降りることとなった。_| ̄|○ミリー「3年前に一緒に行った山に行きましょ!」その山とはスイスとの国境近くのマデシモというところだ。しかしそこに行くには今からこの山を降りて、レッコの町の中心に戻り、レッコ湖の反対側の果てまで行かなければならない。時計を見る。12時半。方角的には近いから1時間半あれば、行けるか?彼らは雪を見にはるばるジェノバから来たのに、今から街に戻ったっておもしろくないだろう。ルイスはクルマをすっ飛ばし、一路マデシモへ!!マデシモは彼らがはじめて雪を見た思い出の場所である。よほど衝撃的だったらしい。あの年はどか雪が積もって、ダムも何もかもが雪に覆われた。エクアドルと同じで、ジェノバも雪の降らない温暖地方だから、雪が見たくて見たくて、まだ見たこともない友達家族にも見せたくて、今回のミラノ行きを決行した、というわけである。マデシモに着いた。営業していた。しかし暖冬の影響で雪はあったものの、ほとんどアイスバン状態だった。マデシモの山頂には名物の黄金のマリア像が建っていて「あれを見に行こう!」とスキーリフトのチケットを買いに行く。チケット売り場のお姉さん「歩行者はスキーリフトには乗れませんよ。マリア像のそばはスキーシーズンは立ち入り禁止です。」そうか。。。一同、ちょっとしょげる。わたしはここまで来てスキーが出来ないのを恨む。わたしは雪山、ということでスキーウエアを着ていたが、何の用意もない彼らを放置してひとりで行くのもな。。。。。おっと「そりを借りよう!そり!!」いいアイデアだった。おっとはそりをレンタルしてきた。スキーリフトからちょっと離れた坂に上りおっと「まずぼくが試運転するね~。やっほ~!!」と滑っては上っていく。カティちゃん「あたしも滑りたいよう!」おっと「待って、あともう一回。」わたし「わたしも滑る!」3人でそりの取り合いになった。ルイスとミリーは寒そうに震えながら見ていた。この時点でわかったこと。わたしはスキーをレンタルしなくて正解だった。なぜなら、1年前に骨折した足が寒さで急激に痛くなってきて、それに伴って、そりをしているうちにそりを滑ることすら、こわくなってきたのだ。この将来、わたしがスキーを再開できる日は来るのだろうか?わたしはそりを降り、おっととカティちゃんだけが、最初はそばでううらやましそうに見ていたイスラム系の男の子と一緒にずっと滑り続けていた。あっという間に日が暮れてわたしたちは満足して山を降りた。夕食はミリーが作ったエクアドル風ターキーの丸焼き。おいしかったけど、やっぱりクミン味って馴染めないなあ。この後全員で「CARS」のDVDを観て疲れて寝てしまった。翌朝、目が覚めるとルイスたちはもう荷支度をしていて「渋滞に巻き込まれたくないから。」とあっという間に去っていった。なんだか慌しかったような?充実したような?家族親族ですごすって、イタリア的な?そんなクリスマスだった。
2006.12.28
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お久しぶりです。みなさん、クリスマスはいかがお過ごしになりましたか?わたしがはじめてイタリアのクリスマスをどうやって過ごしたかは、2年前に書いたのを思い出したのでここに貼り付けとこう。そういったわけでもう2度と独りきりのクリスマスをイタリアで祝うものか!と決心したのである。おかげさまで結婚してからというもの、なんとか独りきりのクリスマスは毎年逃れることができているのだが。。。。**********12月22日(金)夜、おっとが青ざめた顔で帰宅する。「ワゴン車ぶつけられちゃったよ!」わたし「え~!!今度こそは、ちゃんと警察呼んだんでしょうね?」←我が家のもんで男くんは呼ばなかったために1年半たった未だに裁判中。おっと「ううん。。配達先の会社で駐車してるときに別のトラックにぶつけられたんだ。で、示談ってことにしたんだけど、相手がオランダ野朗で言葉通じないし、イタリアと書類は違うし、なんとか奴の証明書等はコピーしたんだけど。。。」わたし「だから、警察呼べって言ってるでしょうが!」おっと「。。。明日ワゴン車を修理工場に持って行って、クリスマス明けに保険会社に行って来るよ。」まったくクリスマスの4連休前に。。。わたしはブツブツぼやきながら、夕食を作ってテーブルについた。12月23日(土)この日は夕方から目目さんのお友達のM村さんのお宅にパーティに呼ばれた。おっとは朝から修理工場に出かけて行き、わたしは家を掃除しながら「おっとが帰ってきたら昼ごはんを食べて、買い物に行って、友達を迎えにいって、M村さんち。。」と限られた少ない時間の計画を立てる。やがて、おっとが予定よりも2時間も遅れて帰ってきた。ああ、もう買い物には行けないな。わたしは諦めて昼食をテーブルに並べていると背後でぶしゅーっ!と音がして振り返る。なんと、キッチンの流しの上にある大きなボイラーの下部からシャワーのように熱湯が噴出しているではないかっ!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????????おっとは慌ててボイラーのスイッチを切り、わたしは急いでそれに連結している暖房のスイッチを止めた。やがて、熱湯の勢いは収まり、しずくが垂れるだけとなった。わたしは水浸しになったキッチンをぞうきんで拭きながら「すぐにボイラーの管理会社に電話して!」とおっとに叫び、おっとは電話のプッシュを押す。おっと「ダメだ。留守電で、営業は27日からって流れてる。。」ってことは、4日間、いや管理会社が来るまでそれ以上お湯なしで、暖房なしで暮らさなければならないのか?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは頭をぐるぐるめぐらせた。去年の冬は2日で家の中は凍った。4日は絶対暖房なしでは無理だ。となると、急いでストーブを買いに行かなきゃ!!時計を見ると3時。友達との約束は4時だから、1時間でストーブを買いに行かなければならない。すぐに支度をしてクルマをぶっ飛ばす。クリスマス前でほとんど無人のホームセンターに駆け込むと、あるはあるは、電気ストーブ、石油ストーブ、薪ストーブ、ガスストーブ。。。おっと「この際だから念願だった薪ストーブを買おうよ。」わたし「アホたれっ!薪ストーブは煙突の取り付けとか工事に日にちが要るでしょ?」おっと「じゃ、電気ストーブ。」わたし「もしかして、嫌がらせで言ってる?そうとしか思えないんだけど?」おっと「。。。。?」薪ストーブ、ガスストーブは論外、電気ストーブなんて、わたしは日本の自宅で勉強机の足元に置いて、ひざかけをかけて、夜中に使った記憶しかない。あんなのはそういった小さなスペースを暖めるものであて、今回の場合、非常時用として家全体を暖めるにはやはり石油ストーブだろう。と、わたしが石油ストーブのコーナーにさっさと行き、暖める距離数を確かめ、お買い得な一品を見つけたときも、おっとはまだ一生懸命電気ストーブを見ていた。やがて店員が「いかがですか~。」とおっとに近寄ってきた。おっと「電気ストーブと石油ストーブの違いを教えてください。」店員はイヤな顔もせず、電気ストーブは小スペース用で、電気代を食う割には暖まらないといい、石油はもっと広いスペース用だと説明する。おっと「。。。そうですか、ありがとう。ねえ、一日考えない?」とわたしに振り返る。わたし「緊急で必要なのに、考える余裕なんてなかろうっ!?」わたしはおっとをせっついて石油ストーブの箱と、石油をレジに運ばせ、クルマに積んだ。この時点でわたしに疑問が沸いた。「ねえ、あんたもしかしてストーブって、使ったことある?」おっと「ない。エクアドルじゃ必要ないもの。」OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!?????????????やっぱり!このときつくづく、わたしは異国のバナナの国のヤギと結婚したのだな、と実感したのであった。********このあとわたしたちは大急ぎで友達を拾って、M村さんの家へと向かう。M村さんは人生の折り返し地点を過ぎたばかりの品の良い、独身のおじさまである。交通の便の良いミラノとコモの中間地点に素敵な広いバルコニーが2つもついていて、見晴らしも良いアパートを持っていて、そのローンも半分は払い終わり、足りないものといえば、奥さんだけなのである!目目さんに「パーティに来るときは、年下で気立ての良い独身女性をひとり以上連れてきて。」といわれたのだが、あいにく知り合いに「年下で気立ての良い独身女性」が見当たらないのだ。わたしの周りで独身女性はなぜかとても気がきつい気がする。それか、離婚したばかりか、ちょっと変わった人か、どれかだ。結局目目さんも独身女性は、ひとりしか見つけられなくて、しかも結婚にちっとも興味のない人で、シャイなM村さんとの距離はちっともせばまらなかった。その他大勢の客はうちら夫婦と子連れ3組。M村さんにはお気の毒な状態だったが、それなりに食べて食べまくって盛り上がった。メインは目目さんの日本人のお客さんが持ってきてくれたおでん。イタリアでは食べれない味なだけに超感動。スープ好きなおっとはつゆばかりお皿に3杯も飲み干していた。話は戻して、M村さんの家にはひとつ大きなシングルルームが開いている。インターネット環境も整っている。家のそばにはスーパーマーケットと郵便局と銀行もあって、その町のドウモは歩いて1分、ミラノとコモ、両方の町に電車で30分で出られる。これを読んでご興味のある方はわたしの私書箱のほうにメッセージをください。
2006.12.28
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この日はみなさんの期待を裏切って、なんとかそのまま兄ルイスの家に帰ることが出来たのである。だが次の日。「く~き、起きて。」とおずおず部屋に入ってきたカティちゃんの声で目が覚めた。唇が乾いて、のどがイガイガだ。原因はすぐにわかった。我が家の暖房は独立していて自分たちでつけなければならないタイプだから、夜は消して寝るのだが、彼らのアパートは建物全体で管理しているセントラルヒーティングで、1日中つけっぱなしなようである。わたしは暖房のすぐそばに枕を置いて寝たので、顔から干からびていったわけだ。顔を洗ってうがいをすると、イガイガが収まった。ああよかった、風邪が伝染ったんじゃなくて。ルイス「今日はミラノに行く高速沿いのアウトレットにお土産を買いに行くから早く支度しようぜ。」おっとは大ハリキリだ。なぜなら、すでに大型スーツケース2個と大きなボストンバッグ1個に荷物がぱんぱんな彼らに、ずうずうしくもキトの実家に送るクリスマスプレゼントを持っていってもらうようにとりつけたのだから。慌しく支度をすませ、弟ローランドのアパートに行く。門の前であいかわらずひどい咳をしながら待っていたのは、ローランドだけだった。おっと「あれ、ローリー(奥さん)とミシェルは?」ローランド「ミシェルは熱が上がったから行けないよ。ローリーは家に残ってごはんの支度をするって。」やっぱり。昨夜だってミシェルは外食なんて出来る状態じゃなかったのに。でも。。。なんでローリーは家に残ってごはんの支度? わたしたちこのままミラノに帰るんじゃないの?またもや疑問を抱きながら昨夜からローランドの家の近くに置きっ放しだったクルマに、バッグを置きに行こうとするとおっと「何やってるんだよ。早くルイスのクルマに戻れよ。」わたし「え?だってわたしたち6人だし、全員乗れないし、このままミラノに帰るのになんで?」おっと「いいから!」ルイスが運転席、おっとが助手席に乗った。はあ。。。このままミラノに帰れるなんて、やっぱり甘い考えだったんだな。ついで後部座席にカティちゃんが、兄奥さんのミリーが乗り、わたしが乗ると、ミリーはふとっちょなので、もうぎゅうぎゅうになった。あ、そうか。ローランドは一緒に冗談で行く、って言ったけど家に残ってごはんの支度を手伝うのか。そうだよねえ、この咳じゃ、いくらなんでも厳しいでしょ。ローランド「く~き、もっと詰めて!」えええええええええええええええええええ!!!!!!!?????????入れるかい!!わたしはカッカしてクルマを降りた。「無理だよ、無理!全員なんて乗れないよ!!」ミリー「そうだ、上着を脱ぎましょ。で、わたしがカティをひざに乗せたら全員乗れるわ。」カティちゃん「え~。。。」カティちゃんはもう10歳だ。しかも彼女は母親似で、普通の10歳よりも体格が大きく、身長はわたしより高い。汗わたしたちはしぶしぶ上着を脱ぎ、可哀相なカティちゃんは首をまるで絞められた鶏のように折り曲げてミリーのひざの上に乗り、なんとか全員が1台のクルマに乗ることが出来た。そして可哀相なわたしは後部座席のど真ん中、足は体育座り状態、おまけにげっほげほのローランドは超至近距離だ。あかん。。。完全に感染るな。はあ。。。ミラノに向かう高速道路は山道で、小雨が降っていた。そこでわたしははるかかなたのエクアドルを思い出していた。そういえば、キト郊外のミンドに下る舗装もしてない山道、わたしたちの前を1台の小型トラックがもうもうと砂煙をあげながら走っていた。その荷台には運転手の家族親族一同と思われるであろう子供やおばさんがぎっしり詰まれていた。キト市内でも何度もおんぼろ車に7~8人詰まったのを見かけたような。。。。。。。今もそんな感じ?ああ、やっぱりここはジェノバじゃなくてエクアドル。_| ̄|○感慨にふけっていると、まもなく我々はSerravalleアウトレット村に着いた。その外観はまるでパリのディズニーランドだ。わたしは興奮してカティちゃんをモデルに写真を撮りまくった。しかし興奮が収まると、きれいすぎてイタリアにはありえなくて、超うそっぽいヨーロッパの街並み。表通りに立ち並ぶナイキやディーゼルの店構えはまるで童話の家のようだけど、中は中型スーパーが全部そこのブランドになっているようなな~んかイケテない雰囲気。おっとたちははしゃぎながらITALIAと書かれたユニフォームをお土産にするかどうか悩んでいる。わたしとカティちゃんも最初はTシャツやジーンズを手にとって見ていたのだが、だんだん飽きてきた。とにかくヤギたちは、たくさんの人数のお土産を買わなければいけないのはわかるけど、悩みすぎる。しかもプラダやフェラガモなどもあるのに、廻るのはスポーツショップばかりだ。おまけにクリスマス前の週末だからすごい人ごみ。わたしとカティちゃんは疲れ果ててピューマの試着室の前のイスに座り込んでしまった。そしておっとはわたしたちが「水飲み百姓」であることをすっかり忘れて、帰国するからお金に糸目なく豪快な買い物をするローランドと同じような買いっぷりである!おっと「ねえねえ、これはどう?」わたし「高いよ。」おっと「じゃあこれは?」わたし「高いよ。」おっと「み~んなこんなに安いんだよ!?君にもなんか欲しいものがあったら買ってあげる!」わたし「。。。。誰の口座から?」おっと「。。。ぼくレジに行って来るから、次はリーボックで待ってて!」この野朗。怒こんなことを言っている自分がなんだか悪者の「ケチケチババア」になった気分だ。わたしだって、こんなこと言いたくない。おっとが親兄弟孝行をしたいのはわかるし、見栄を張りたいのもわかるし、こんなに気軽に荷物を運んでもらえるのはめったにないチャンスだけども、この厳しい状況下、わたしは自分の両親に申し訳ない、と思いながらカードだけ送ったというのに、なんか不公平だ。というか、おっとは豪快に翌月払いのカードを切っているが、翌月はたしか、おっととステファノ両方のワゴン車の保険を更新しなければならないはず。。。胃が痛くなった。気がつくとおっとのそばにはわたしとカティちゃんだけになった。みんなどこへ?とキョロキョロ見回しているとおっとの携帯が鳴った。おっと「みんな疲れたからクルマで待ってるって。」_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○おっと「あとはママのお土産が残ってるだけ。これからナイキに行くよ!」わたしとカティちゃん「もう、やめて~!!!」結局おっとはこれだけさんざん悩んだにもかかわらず、家族全員にイタリアの公式ユニフォームを、妹の娘には同じく公式ロゴの入ったベビー服を買った。洋裁が得意で、きれいな生地で作ったエレガントなツーピースを着ていたお義母さん、ユニフォームなんてうれしくないと思うけど。。もう好きにしてくれ。やっとクルマに向かうと、他のヤギたちがうんざりした顔で待っている。ルイスはクルマを発進させながら「腹が減った。」とつぶやいた。わたしたちもお腹がペコペコだ。時計を見ると、もう15時半。食事休憩もないまま我々はウロウロしていたわけだ。おっとは明るく「ぼくも腹ペコだよ。ねえ、ぼくが買ったのを見て!」とぎゅうぎゅうなクルマの中で買い物袋から、ユニフォームを取り出し、ローランドに投げる。ローランドはそれをキャッチして値札を見て「へえ、安いね!」と広げる。そして「あれ。。これ、イタリアの勝ち星が3つだよ?」おっと「ええええええええ!!!!?????」←ちなみに今年で勝ち星4つおっと「だから安かったんだ!ねえ、まだ遅くないからUターンして!買い直す!!」全員「。。。。。。。。。。。。」もちろんそのままジェノバに直行したのはいうまでもない。ローランドの家に着くと、奥さんのローリーが夕食を準備していた。わたしたちが昼食も食べてない、ということを聞いて、慌ててスパゲッティにセコンド用に煮込んでいた肉料理をぶっかけて出してくれる。ありがとう、ローリー。ミシェルちゃんを見れば、げほげほだけでなく、鼻ズーズーになっている。_| ̄|○昨日のレストランより更に狭い家の中で肩を寄せ合い、ローランドとミシェルちゃんと、今朝からひどくなった兄奥さんのミリーのげほげほを聞きながら食することとなったのであった。廻りを見れば、まだ元気なルイスはさっさと帰りたそうである。わたしも早く外に出たくてたまらなかった。ルイスが「明日は仕事だし、もう帰るわ。」とコートをはおりながら立ち上がったのを見て、おっとに有無もいわせず、立ち上がり同じようにコートをはおるわたし。ローランドが「待って、待って。渡したいものがあるんだ。」と部屋に消えた。しかたなしにコートのまま座り込むが、なかなか部屋から出てこない。どうしているのか見に行くとTVを掃除していた。ローランド「いろいろ売りに出したんだけど、これだけ売れ残っちゃって。持って帰ってよ。」わたし「え~、いいよ。うちにもTVあ。。」おっと「わ~、ちょうだい、ちょうだい!!」結局わたしたちは重たい21インチのTVを担いでミラノに帰ることとなった。_| ̄|○わたしはジェラートを食べていたミシェルちゃんに「じゃあね、エクアドルでも元気でね。」とキスをする。ミシェルちゃんはうざったそうに「バイバイ。」と言ってジェラートを食べ続けた。きっとわたしたちがいつものようにミラノに帰るぐらいにしか思ってないんだろうな。これでもう何年も、もしかしたら永久に会えなくなるかもしれないのに。ローランドとローリーとはもちろん熱い抱擁を交わした。別れる、となると今まではヤギの群れの中のただのヤギぐらいにしか思えなかったのに、強烈にいとおしくなって目が潤んだ。帰国したらデカセギで貯めたお金でローランドはタクシーの商売権(?)を買って、個人タクシー、ローリーはイタリアンスタイルのパン屋を営みたいらしい。どちらも成功して欲しいものだ。わたしたちは、いつもの夏のように雨の中、ミラノに帰っていった。そしてあれから2日。咳は出ないんだけどな~、はらみる(鼻水)が。。。。ズー。
2006.12.06
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先週末はジェノバに行ってきた。おっとのいとこ兄弟の弟、ローランドが明日エクアドルに永久帰国するので、お別れを言うために。先日の日記を読まれた記憶力の良い方は「あれ?彼らがミラノに来るんじゃなかったっけ?」と思われるだろう。チチチ。甘いな。ヤギには直前まで確実な約束なんて存在しないのである!!毎年夏に向こうに行くときはおっとが浮かれていつも土曜の早朝から出発、ジェノバに昼前に着いていた。ところが土曜日は全員仕事で、無理に弟に早めに仕事を切り上げさせるか、いつも兄の娘、お留守番のカティちゃんに家のドアを開けてもらって檻の中のクマのようにうろうろと彼らを待っていた。今回もおっとが土曜の朝から飛び出しかねない勢いだったのを、「また空回りさせてたまるか!」となんとか昼過ぎまで引きとめ出発した。おっと「今日は最後だし、サタデーナイトフィーバーだ!外でイタメシ食べて、ラテンクラブで朝まで踊り明かすぞ!」なんで最後のイタリアでラテンクラブなのか。。。?それにまだ小さい娘たちはどうするのやら??さまざまな疑問を抱きながらも、そ~ゆ~ことなら、と2人で夜のお出かけ支度をしてはるばるジェノバまでクルマを飛ばしたのだった。夕方、ジェノバに着くとやっぱり全員仕事だったのだが、弟ローランドだけがなぜか家でわたしたちを待っていた。ところが最初に家の外から携帯を鳴らしても返事がない。しかたがないので近所の商店街をウロウロしているとやっと返事が来る。「ごめんごめん、寝てた。今降りるよ。」寝てた?また疑問を感じながら家に向かってやっとその意味がわかった。ローランド「いくきー。。。げほんげほん。久しぶり!ガハッ。」わたしはいやいやハグをしながら「だ、大丈夫?ひどい咳。」ローランド「大丈夫。げほんげほん。もう一週間こうなんだ。げふっげふ。あ、でもミシェルが昨日から熱出しちゃってね~。」←そりゃあそうだろう。ローランド「まあともかくここは寒いから家に入って。」うわあ、イヤだなあ。。。家に入ると、いかにも高熱がありそうな真っ赤な顔のミシェルがパジャマ姿でげほげほ言いながら「く~き~!」と抱きついてきた。わたし「あんた、熱あるんでしょ?布団に入りなさい。」ミシェル「だいじょうぶだぁよ~ん。ごほん。く~き~、風船ふくらませて。」ああもう。わたしがしかたなく赤い風船をふくらませると、ミシェル「く~き~、アタック!」ミシェル「く~き~、パスして!げほんげほん!!」わたし「風邪が悪化するよ!寝なさい!!」しかしわたしに大人の威力はないようで、結局狭い部屋の中でバレーボール大会となった。_| ̄|○ローランド、止めてくれないかなあ。。。と彼らを見やると、隅の方でときどきぶつかってくる風船を迷惑そうによけながらひとつのコップでビールを飲み交わしている。(ちなみにこれがヤギ流)あああ~、そんなひとつのコップを一緒に使ったら風邪が伝染る!そのうちビールが切れたようである。おっと「ローランドとビール買いに行ってくるから、ミシェルの看病しててね。」何が看病じゃい!結局わたしは風邪ウイルスが充満するガス室のような室内でハアハア肩で息をしながらヤギ男たちが帰ってくるまでバレーボールをする羽目となったのだった。涙やがて夜になり、奥さんのローリーが帰ってきた。玄関の開く音を聞いて急にベッドに飛び乗り毛布をかぶるミシェル。ローリーは大きな掃除機のようなものを抱えてきて「はい、ミシェル。お薬飲みましょうね。」というとミシェルはおとなしくひざに乗った。薬を飲んでおとなしく掃除機のようだった吸引機でスーハーしている彼女はまるで罪のない子ヤギである。早くこんなガス室から出たいな。。と思っているとやっと兄ルイスからも仕事が終った電話がかかってきて、わたしたちは晴れて外に脱出することが出来たのだった。海辺のピッツエリアにはローランド家族の同居人たちも参加して、にぎやかな夕食会となった。ピザはミラノじゃこんなにおいしいピザを食べたことがないぐらいおいしかった。だが、食べている気がしなくて半分以上残した。だって、わたしのまん前でミシェルちゃんがわたしのピザに向かって「げほんげほん!」とつばを飛ばしているというのに、食べれるかいっ!!ずるいのは、わたしはげっほげほのローランドたちから離れてさっさと席に着いたというのに、「詰めて詰めて。」とみんなでどんどん席を移動させられて、結局彼らのまん前にこれも威力が弱い兄娘カティちゃんと座ることになったからだ。怒 おっとを見れば、普通なら隣に座るべきところを、はるか離れた席である。激怒でももうお別れだし!イヤイヤ半分やけになりながらポジテイブに明るく勤めたのだった。デザートも食べ終わり、おっと「さあこれからいよいよ、お別れサタデーナイトフィーバーだ!どこのラテンクラブに行く?」やっぱり行くのか?みんなこの体調で行くのかっ??見ればルイスの奥さんミリーもゲホゲホ言ってるんだけどっっ?!ヤギには体調と欲望は別物なのだなあ。。。ルイス「。。。みんなこんな体調なのに、行けるかよ。」よく言った!!ハッ。。。。。ここでわたしは理解した。こともあろうに、わたしはヤギ的行動をどのヤギよりも強く示す「ヤギの中のヤギ」と結婚してしまったことを。(つづく)
2006.12.05
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先週土曜日。エンジンのかかりがおかしいからとおっとが修理に出していたワゴン車を取りに行ったのは、近所の修理工場が閉まる5分ほど前だった。この工場は以前おっとが夜遅くにガス欠でクルマが路上で止まってしまったとき、門戸を開けて、ガソリンをわけてくれた親切なところなのである。(いつもガソリンぎりぎりでクルマを走らせるおっとが、恥ずかしい以上に、いつまたどこでこんなことが起きるかこわい。)工場長のじいちゃんとおっとが話し込んで居る間、わたしはもんで男君の中でおとなしくスーパーの折込ちらしを読んで待っていると、このじいちゃん、突然「はい、ごめんよ~。」と運転席に乗り込んできたのでびっくりして外に出た。おっと「何やってるんだよ、さあ乗って!」というので慌ててクルマの後部座席に乗り込むと、じいちゃんの運転でもんで男君が走り出した。おっと「ね、このクルマもかかりがおかしいだろ?」じいちゃん「ああ、こいつもちょっと様子を見ないとな。」そうか、もんで男君も調子が悪いから試運転して様子を見てるのだな。。。と思っていると、じいちゃんはどこまでも遠くへ走っていく。どこに行くのかな、修理部品でも取りに行ってるんだろうか?と見ていると、ある田舎町の中心街でじいちゃんはクルマを降りて走リ去ってしまった。おっととわたし「ど、どこに行くんだ!?」見ているとじいちゃんはバーバーショップに入り、何か美容師と話して戻ってくる。「スマンスマン、午後に髪切るの、予約してきたんだ。」わたしとおっと「。。。ハハハハハ。(このじじい)」怒そのままわたしたちは工場に戻った。じいちゃんはおっとから受け取ったお金をポケットにねじこみ、工場を閉めてすぐに白い自分のおんぼろ車に乗ってバーバーショップに行ってしまった。わたしたちももんで男君を工場に置いて、ワゴン車に乗り込んでエンジンをかけ、スタートさせる。ブルン、ぶるっぶるう~~~ん。。。。。。。。。。エンジンが止まってワゴン車が動かなくなってしまった。大汗じいちゃんはもう居ない。おっとはため息をついて、ワゴン車の前を開けてバッテリーのあたりを見るが、工具がないことにはいじりようがない。コインやらペンやらでいじってると、工場の番犬の大きなボクサーが駆けて来た。うわ~、こんなに怪しいわたしたち、咬まれる!と思いきや、この犬はしばらく近づいてわたしたちの様子を見た後、工場の2階の母屋にいたじいちゃんの息子を呼んできてくれたのだった。ヤギなんかよりもよっぽど利口な犬だ!!息子が貸してくれた工具でおっとはバッテリーをいじりなおすとなんとかエンジンがかかる。「じいちゃん、バッテリーのねじを閉め忘れてたみたいだよ。たいした問題じゃなくてよかった。」ほ~。わたしたちはそのまま安心して遠くの大型スーパーにこれから給料日まで持たせなければならない食料の買出しに出かけたのである。そう、銀行の審査が通って、おっとは融資を受けることが出来たのだ。しかし、先日からさらにいろいろと引かれてすっかり赤字になった口座を立て直すと、たいした額が残らなかった。涙わたしたちは、慎重に買い物を済ませ、ワゴン車に戻ると、今度はバッテリーがすっかりあがって動かなくなってしまっていた。滝汗おっと「この間、新品のバッテリーに交換したばかりなのに、あの工場のじじい、2日間預けていた間に何しやがった~~っ!!!???」わたしは非常に焦った。なぜなら食料を長期間もたせるために、冷凍食品をたんまり買い込んだのである。すぐに家に帰れないならこれらは全て解凍してしまうではないかっ!?わたし「誰かに助けを求めなよ!」おっと「って、誰に?」わたし「エルトン(ブラジル人)だ、エルトン!」おっと「ぼくの携帯に残高がないよ。君の携帯貸して。」←口座のみならず、携帯までかっ!?エルトンはこのスーパーのすぐそばに住んでいる。わたしが貸した携帯でおっとがエルトンに電話すると、彼はさっそく修理に必要なものを買うようにおっとに指示、おっとがスーパーに入りなおして買っている間にエルトンが駐車場に現れた。この時点、スーパーの駐車場は混み混みだ。エルトン「ぼくのワゴン車はあっちに停めてある。ここだとゆっくり修理が出来ないから、マルちゃんのを移動させよう。」←ちなみにおっとのワゴン車は小さな駐車スペースにぎっちり入り込んでいる。わたし「でも動かないんだよ、どうやって?」エルトン「いくきーとが運転席に乗ってハンドルを切って。ぼくは後ろから押すから。」え~~~~!!!????わたしは運転席に乗り、ハンドルを廻そうとするが、重くて10度ぐらいしか廻せない。顔を真っ赤にして両手で必死に廻すうちに、ちょっとだけハンドルが軽くなって、ワゴン車が動き出した。をを!これはわたしの攻撃レベルが上がった?違)「もっと右にいっぱいハンドルを切れ!」と おっとの声。な~んだ、おっとが来たのか。滑稽な姿だった。大の男が2人で後ろから次々来るクルマのクラクションを浴びながらワゴン車を押し、真っ赤な顔の中国娘が運転している。。。。わたしもすっかりガテン系になったな。涙やっとのことでおっとのワゴン車はエルトンのワゴン車に近づけることが出来て、2つは買ってきた接続チューブみたいなもので合体し、火花を散らせておっとのワゴン車は復活!「ふ~、やれやれ。」ワゴン車の荷台に座り込む3人。エルトン「せっかくうちの近所まで来てるんだし、うちでコーヒーでも飲んでいかない?」うう~~ん。。冷凍食品のことを考えると一刻も早く帰りたかったのだが、たった今世話になったことを考えるとむげに断れず、お邪魔することにした。エルトンが離婚して奥さんが家を出て行ってから約1ヶ月。家に入るとなんというか、哀しい空気が充満していて、胸が苦しくなった。カントリー調の家具に囲まれて、いつも造花ではあるが、花が活けてあったダイニングキッチンに今あるのは 最低限の冷蔵庫と流し台、コンロ。そして、新しいテーブルはなくなっていて、これもどこかからもらってきた古いテーブル、ずいぶんまえにおっとと一緒にもらってきた古びたソファがあるだけ。TVも家具もない。おまけに暖房も点いていなくて、寒くてコートが脱げなかった。エルトン「全部奥さんが持っていった。まあぼくはTVを観ないしね。」ワゴン車の移動で真っ黒に汚れた手を洗うため、洗面所に入るとずいぶん前、彼らがこの家に引っ越してきた当初にわたしが奥さんと一緒に入った雑貨屋で買ったきれいなドライフラワーのデコレーションや甘い香りのボディソープ類ももちろんなくなっていて、まるでガソリンスタンドにあるちょっときれいめな公衆トイレみたいだ。石鹸をさがすがないのでシャワーボックスの中にあったボディソープを手に取ると、ほとんど水ばかりの液が出てきて更に哀しくなった。エルトン「あ、ごめん。タオル出してなかったね。ぼくはいつもバスタオル1本で全て済ましちゃうから。。」わたしを「いいよ、気にしなくて。」と手をブラブラさせて空気乾燥させながら出た。エルトン「つまみもなくてさ。。。」わたしたちは苦笑いをして断り、コーヒーをいただいた。何か楽しい話をして、この暗い雰囲気を盛り上げようとするわたしたち。わたし「あのさ、ステファノとも話してたんだけど、クリスマス前にインターナショナルパーティしようよ。」エルトン「パーティなんかに行く金ないよ。」わたし「うん、うちもないよ(自信たっぷり)。だからね、うちにみんなで一皿づつお国のお皿を持ち寄りってのはどう?」エルトンはいらいらした表情に変わった。「ぼくが出来るって言えば、シュハスコぐらいだ。でも肉を買う金もないんだよ。わかるかい?奥さんが出て行って、家のローンは全部自分の負担だし、去年の夏に奥さんとブラジルに帰省したときのローンもまだ残ってるんだ。奥さんが毛布も持って出て行ったけど、この寒いのに毛布を買うお金もないんだよ。そこに以前自営業をしていたときの(エルトンは某運送会社の正社員)税金がまとめて来ちゃったし。ダメだ、ダメ!!」と少ない髪をかきむしった。わたし「ご。。。。。。ごめん。」このときわたしの中で「わたしたちが世界一貧乏」という自信が崩れ去った。わたしたちを上回る貧乏人がこんなに近くにいたとは。この後急に座がしらけ、エルトンが「そろそろ行ったほうがいいんじゃないの?」と招待しておきながら追い出すような言い方をしたのだが、これに反感も覚えなかった。わたしたちはワゴン車に乗り込み、エンジンをかける。また動かなかったので、エルトンをまた呼び出し、スーパーと同じ動作をしてやっとエンジンがかかって帰途に着く。おっとはうれしそうに「。。。うちって、エルトンから比べたら、超リッチなんじゃない?」わたし「う。。。うん、そうだね。」情けないような、ホッとしたような。。。いや~~~~~~~~~っ、やっぱり情けないっ!!!!!!!!!給料日まであと12日!
2006.11.27
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昨日は午前、半ドンを取った。まずは社会保険事務所(INAIL)に行く。1月の左足の骨折の診察をするためだ。前回夏前に行ったときはまだ治療中で、結構な金額の保険金が降りた。「これで日本に帰れる!」と思っているうちに瞬く間におっとに使い込まれて大喧嘩に発展したのはいうまでもない。今回は。先日も書いたが我が家は経済的に大ピンチである。全てはおっとが無計画にワゴン車を買い、従業員を雇ったおかげなので、わたしはちっとも関係ないのだが、さすがに今月の給料日の3日後から銀行口座に10ユーロしか残っていないとあれば、話は別である。涙おっと「足の具合はどうだ?」わたし「う~ん。。まだ歩くときにちょっと痛いけど、かなり普通だな。」おっと「バカッ!INAILでそんな風に言っちゃダメだ。足を引きずって痛そうに歩くんだ!!」わたし「そんなことしたって、相手はプロだし仮病ってすぐばれるよ。」おっと「そんなことを言ってたら、今回保険金が降りないじゃないか。ダメ元でやってみるんだ。女優になれ!!」わたし「。。。。。。」大汗INAILについてクルマから降りると、いつもはわたしが大荷物を持っていても「持ってよ!」と言わなければさっさと歩いていってしまうようなおっとが、わたしの軽いかばんを自ら持ち、わたしの肩を支える。くさい演技。。。わたしもしぶしぶびっこを引いてみた。そうして待合室に入ると、入り口のすぐそばに座っていた、腕を骨折したおじさんが席を譲ってくれる。いやだよ~、こんな嘘っこで他人の善意をあざむきたくないよ!!わたしは恥辱で真っ赤になってうつむいて座っているとすぐに医務室に呼ばれた。若い女医はてきぱきとわたしの診療ファイルを見て、わたしを診察台に寝かせ、太ももとふくらはぎのサイズを測り、両足を曲げる。やはりちょっと痛みは走るのだが、そこをわざと「いたたたたた。。。」ともっと痛そうに顔をしかめてみせる。女医「はい、今度は歩いてみて。」わざとよろよろと歩くわたし。女医「はい、今度はゆっくり屈伸して。」わざと左足を苦痛そうに曲げるわたし。女医はにっこり笑って「はい、何の問題もありません。診察の結果は1ヵ月半後にレターでお知らせします。看護婦室で会社への遅滞届けを書いてもらって帰ってね。」とドアを開けた。がく。うう~ん、演技不足だったか。_| ̄|○おっとはひそひそ声で「ここでもっと哀れな顔をしてリハビリの方法を聞け!」わたし「え~と、えと、まだ結構痛いんですけどぉ、どんなリハビリをすれば?」女医「え?ああ。そうね、水泳が足に付加をかけないからいいわよ。でも平泳ぎはタブー。足に負担がかかるから。」わたしたちはINAILを出た。おっとは何も言わなかったが「ち、今回は保険金がすぐ降りないかぁ。」と心の声が聞こえたような気がして、情けなくなった。******そして、このあとすぐに、超久しぶりだが、INAILと同じ市内にあるモンツァの裁判所へ出廷(?)だ。先週金曜日に久しぶりに弁護士からメールでお知らせがあった。4月に彼らのところに行ったときには「家に雨漏りがするなんて緊急のことですから9月までには解決できるように持って行きましょう。」という内容を言われてそれを信じて9月が過ぎ、11月になった。とりあえずおっとが勝手に屋根を修理したおかげで雨が家の中に入らなくなったせいか、最近はもう考えたくなくなって放置していたのだ。「家の検分結果を9月中に出す、と裁判所が決めたにもかかわらず、裁判所指定のペリートはまだあなたたちの書類を提出していないことが判明しました。もう2ヶ月も過ぎているのにこれは異常です。覚えていらっしゃいますか、彼が不動産屋と影で手を組んでいるようだと言ったのを?我々はこの遅滞を理由にペリートの交代を求める書類を裁判所に出したところ、裁判所からこの件についての事情聴取に来るように通達が出ました。月曜日なので、ご無理は言いませんが、被害者自ら出廷されることが望ましく、うんぬんかんぬん。。。」なんだかよくわからないけれども、この朝はとにかくINAILという用事もあったし、ということで前回同様 、弁護士とジオメトラ(建築鑑定士)に付き添われて出廷することとなった。メンツは前回同様。やはり不動産屋は出廷せず、彼らの弁護士だけの登場となる。しかし前回の強面のジオメトラはいなかった。部屋に入るとさっそく前回と同じ爺ちゃん、いや裁判長は「今回はジオメトラはいらないよ、出て出て。」と我々のジオメトラも退出させられる。さて、全員で席に着いた。さっそく裁判長が口を開き「今まで書類が未提出なのはどういうことかね?」とペリートにふる。ペリート「9月の書類を書き終わり、提出しようとしたところマルちゃんから電話があって屋根の雨の被害がひどくなって、2階に溜まった雨水が床を通して隣の家の1階の壁に流れ込んだ、って電話があったんで検証に行って、それをまた書き加えていたところでさぁ。」→言葉使いが前回に比べてずいぶん汚くなっている。裁判長「しかしそれは10月はじめのことだろう。9月締め切りの書類は書き終えていなければならないはずだし、そんな追加事項に1ヶ月以上もかかるのかね?」ペリート「ちょっと、ちょっと、それはだねえ。。。」と裁判長の言葉をさえぎって一人であたふたと専門用語を使いまくって口から泡を飛ばしている。こうなると、わたしは何を言っているのかだんだんわからなくなってきたのだが、言い訳をしていることだけは充分にわかった。裁判長「しかし憲法(?)◎◎条においては。。」ペリートはそれにかぶせるように「だから、云々カンヌん。。」裁判長「ちょっと人の話を聞いて。。」しかしペリートはまだ中腰になって裁判長に向かって泡を飛ばしている。裁判長は机をドンッとこぶしで叩いた。「いい加減にしなさい!わたしが質問していることに答えろっ!」ペリートは驚いたようにイスに座りなおしてふんぞり返った。それを見てやっと鈍感なわたしも、このペリートの悪質さを理解したのだった。そこから裁判長は短い言葉をゆっくりと言って、そばについている秘書にPCで書類を打たせる。途中ペリートに2~3、質問を投げかけるが、奴はあざ笑うかのように横柄に答えるのだ。怒裁判長「それではペリート、この被害者の家の検分の書類を明日までに提出のこと。以上、閉廷。」我々は裁判長とひとりひとり挨拶を交わして部屋を出た。ペリートだけはぶっちょう面で無言で大股で歩き去った。部屋を出たところで我々のジオメトラが座っていて、立ち上がって近づいてきた。ジオメトラ「どうだった、奴はこの件から追い出されたかい?」おっと「いえ、明日の奴が提出する書類しだいみたいです。」ジオメトラ「そうか。。。実はここで君たちを待っている間に小耳に挟んだんだけど、こんな事件が明らかになって呼び出されたのは奴にとって2度目らしいんだよ。こうやって、裁判を延ばすと、被害者が弱ってくる。そうやって被害者を弱らせて降参させるように不動産屋に金で頼まれているようだし、たとえ被害者がねばって裁判を続けても、何回も検分に行く自分の懐にお金が入ってくるから、それはそれでどちらに転んでも奴が得するように仕組んでるようなんだ。でも、こうやって2度も呼ばれて裁判所内で悪評が広まると、そんなことも出来なくなるからね。奴め、次に何かやらかしたらもう後がないけど、どうするだろうねえ?まあ、幸運を祈ろう。」わたしはすごくこわくなってきた。すごいマフィア野朗たちのくもの巣にまんまとひっかかった蛾の気分だ。でもそうやって考えると、やっぱりレダおばさんが紹介してきたいかにもマフィア仲間の地元の弁護士じゃなくて、まったく蚊帳の外のミラノの弁護士に依頼したのは正解だったか?ペリートはめちゃくちゃ怒っていたから、我々の書類をいったいどんな風に書くかわからない。それで、我々の家の修理の運命が決まるというのに。。。***********気が重いまま、この後、わたしはおっとに連れられて、おっとの銀行融資のお願いに、有無もなく連帯保証人として同行させられたのだった。そりゃあ、給料日直後から口座内に10ユーロぽっちでは有無がいえない。今までおっとはいろんなヤギ友達に借金をお願いしては翌月付の小切手で返金し。。を繰り返していたが、とうとうそんな親切なヤギ友達もつきた。わたしの愛想もついてついて、つきまくっている。というわけで、わたしは銀行に向かうクルマの中、ずっと思いつめてきた銀行口座を別ける話を切り出した。(というか、何度も切り出しているので、細切れ状態もいいところである。)来月からはステファノの収入も定期的に入ってくるはずだから、本当にうまく行くならわたしの介添えがなくても大丈夫なはずだ。おっと「ぼくもウイリアムや、他のひとに相談してね、それがいいんじゃないかと思って、今日話すつもりでいたんだ。」ホントかよ、今までわたしがいくら言っても聞かない、というか出来なかったくせに。おっとはだんだん目をうるませてきて「。。。ごめんね、君に苦しい思いばかりさせて。もうすぐ楽になるから。」??それはどういうことだ?眠っている間にわたしの寝首でも掻くつもりか?!謝るぐらいなら、最初から計画性を持って動けってんだ、このヤギめ!!わたしは銀行ですっかり顔なじみになったフォンターナ氏の前ですでにある銀行融資の増額の連帯責任者の欄にサインした。わたし「。。。これは我が夫が事情はともかく支払いが出来なくなった場合、わたしが責任を取る、という署名ですよね?」わかっているのについ意地悪くこんな言葉が出てしまった。おっと「。。もう、何言ってるの。」フォンターナ氏「あ、それは前提の上で、これは銀行融資の書類作成上のサインです。」フォンターナ氏はこの後、「できるかどうかは近日中にお知らせします。」と全ての書類をまとめてファイルに入れた。わたしたちが更に重い気持ちで銀行を出た。ああ、ダメだったらおっと、イヤ、わたしたち、この1ヶ月どうやって生きていくよ?ちょっとすると待っていたかのようにステファノから電話があった。「あの~、今月の給料は。。。?」おっと「60日後から発生するって言っただろ。来月からだよ。」ステファノ「え~!!てっきり今月からだと思ってたよ?どうしよう、給料入らないと、家賃も養育費も払えないんだけど?前借りさせてよ。」OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!で き る かぁ ~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!爆死。つ。。。。次の給料日まで、え~っとあと19日!
2006.11.21
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そういえば、最近日記をさぼっている。忙しいのもあるのだけど、「おっとのお出かけについて行く」という冒険をあまりしなくなったので自然にネタが減った。おっとはネタの元だったのである。というのも今年の初めから、わたしは体調不順だし、一緒に出かけたところで苦行なだけで違和感を感じまくりだし、こうしてだんだん一緒に出かけることが減っていって、そのうちいつしか「夜に一緒に出かけるなんてとんでもない!」気風ができあがってしまっていた。しかし先日のへたれ日記を書く前、おっとはこのことに反省し「2度とこんな一人お出かけはしない!」とのたまったのである。わたし「ふ、ヤギなんてどうせ口先だけ。」「違うよ!本当だよ、ぼくの言葉を信じろ!!」と本気で怒るおっと。わたし「わかった。何日続くか楽しみにしておくよ。」おっと「2度としないって、さっき宣言したばかりだろっ!」わたし「。。。。。。」あれから何日経っただろう?先週末、おっとは再び朝帰りをした。←予想通り早い。あ、でも、さすがに今回は一人で出かけ辛かったらしく「一緒に行こう!」と言ってきた。行く先は近所のペルー人やもめ達の館。イタリアンカントリー風の家のなかは古びた額入りの風景画やら少女の横顔が等間隔に飾られてあるのだが、その隙間の壁にセクシーダイナマイトな女性のポスターが等間隔で貼ってある。テーブルの上もソファの上もいつ行ってもいろんなガラクタでごちゃごちゃしていて、それらをズズズズズ~~~とよけてビールを12~13本ほどドドンッと並べ、全員がたばこをスパスパやりながらビールをちびちび飲んでダラダラスペイン語で エロ話らしきものをしている。そしてたまにわたしに振り向いてイタリア語で「ねえ、友達に独身のセクシーな日本人いないの?」と聞いてくるだけだ。そんなところに「一緒に行こう!」????わたし「。。。行かない。」おっと「いいんだな、行かないんだな?これはぼくが強制したことじゃなくって君が選択したんだぞ。」わたし「。。。。。。。」おっとはバツが悪そうに出て行った。だから、そういうことじゃない。おっとが家を出てから約2時間後、わたしが風呂に入っていると電話がかかってきた。何事か、と慌ててビショビショのままバスタオルを巻いて浴槽を飛び出して電話を取る。おっとは酔っ払った声で「ぼくが変なところに一人で行ってない証拠を見せる。」なんだ、なんだ?おっとの友達のチェーザレに替わった。「いくきーと、心配するな。マルちゃんはぼくんちで男ばっかりで喋ってるだけだよ。」わたし「わかってるよ、だから?」チェーザレ「だから女と浮気してないから怒るな、って言いたいんだ。」わたし「怒ってないし、浮気してるとも思ってないよ。ただ、簡単に自分からたてた誓いを破ったことに気を悪くしてるわたしです。」チェーザレ「??わからないから、マルちゃんに替わるよ。」おっと「わかっただろ、これで。」わたし「わかってないよ、あんたがちっとも。『2度とこんな一人お出かけはしない!』ってこの間言っときながら、よくも簡単に自分で立てた誓いを破れるね?」おっと「だから一緒に行こうって言ったじゃないか。」わたし「。。。もういい。わたし風呂に入ってる最中に出てきたから身体が濡れてて寒いの。電話切る。」おっと「怒ってる?君は一生ぼくを監禁して家から出さないつもりなの?!」わたしは電話を切った。ちっともわかってない。だから、そういうことじゃない。それこそおっとが誓いを立てたとおり「こんな一人おでかけ」をしないつもりなら、わたしを本当に連れて出て行くつもりなら、同じ夜のお出かけでも、一緒に軽く飲みに行くとか、映画を観に行くとか、ラテンクラブに行くとか、(お金ないけど)他に方法があるだろう。現在のおっとは、わたしがおっとが夜出かけることを許さない、と思っている。わたしだって、毎晩は遠慮したいけど、夜のお出かけは好きだ。しかし、場所と連れと場合と時間による。おっとのヤギ仲間とヤギ小屋で意味もなく酔っ払って夜を明かすパターンなんて、もううんざりなのだ。おっと「じゃあ、君が計画してよ。」わたし「2人で軽く飲みに行くとか、映画を観に行くとか、ラテンクラブに行くとか。。」おっとは笑顔で「素晴らしいアイデアだ!(←笑顔に無理がある。)でも、そんなお金がどこにあるのかな?」わたしは淡々と「じゃあ、あんたの友達の家に毎週買って行くビール箱のお金、どこの口座から出てるのかな、わたしたちの共同口座でしょ?」おっとはムッと顔色を変えて「たまに同郷の人間と息抜きをして何が悪いんだよ?ビール代なんてこれっぽっちじゃないか?」わたしは怒りを抑えながら「これっぽっちって、ダースで買ったらいつも20ユーロとかじゃないの!?それを毎週繰り返してるお金を勘定したら映画やラテンクラブはおろか、その月に一回は旅行も出来るわよ!?」おっとは売り言葉に買い言葉で「わかった。一人でどこにでも旅行に行けばいいじゃない!」わたしはぶち切れ「あんたが使い果たすから行きたくても行けないんでしょ~っ!!うっき~っ!!!!」おっと 無視を決め込む。違う、違うっ。言いたかったのはそう言う事じゃない!AAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA。。。また元の木阿弥。。。。。。。。。。。。。。。。_| ̄|○
2006.11.06
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先週末、キャッシュカードでスーパーの買い物をしようとすると使えなかった。レジのおばさん「あら?ときどき機械が読まなくなるのよね。え~と。」とカードをこすったり息を吹きかけてくれたのだが無駄。その時点で経験者のわたしはすぐにピンと来た。カードのせいじゃない、口座に残高がないのだ!わたし「あ。。じゃあいいです。クレジットカードで払います。おっと、さっさと出して!」とさりげなくかわす。我が家はいつも貧乏だ。昨年ももうどうしようか?というぐらいのピンチに陥ったが、今年は更に大ピンチ。前回は給料日まであと何日、というところでお金が残り少なくなっていた。今回は月半ばにしてすでに残高ゼロ!!まだ家のローンも家具のローンも引かれてないというのに!!!おっとは頭を抱えた。「いったいどういうことだ、なんでもう残高がないんだ!?」わたし「。。。。。。。。。。。。。。わからんか?」怒ちょっと前に書いたと思うが、おっとはまたもやヤギ的行動を起こし、通りすがりのステファノを従業員として雇ったのだ。おっとが考えていたような、「従業員を見つけました。」→「さ、じゃあ今日から働いてね。」ではすまない。「従業員を見つけました。」→「ウイリアムのお母さんちの庭で数ヶ月野ざらしになっているワゴン車取りに行かなきゃ。」→「ずいぶん動かしてなかったからバッテリーがあがってる。交換しなきゃ。」→「車両保険かけなきゃ。」→「ガソリン満タンにしなきゃ。」→「もろもろのステファノの書類、揃えなきゃ。」→「契約先の制服、注文しなきゃ。」→「契約先の研修受けさせなきゃ。」→「あれやこれや。。」で、すでに家や家具のローンで余分なものを払うお金がいっさいないはずの我が家から、おもしろいようにお金が飛んでいった。これではローンの支払い前にお金が尽きることは当たり前である。その上、以前骨折したときの社会保険が、結構な額で降りたのだが「これで年末は日本に帰れるかな。。」などと夢を見ているうちにこれまでも瞬く間に使い切られてしまったのである!!!わたし「うっき~、金返せ!!」おっと「今、そんなこと言ったってないのはわかってるでしょ?ステファノの収入が入りだしたら(←ちなみに2ヵ月後以降)少しずつ返していくよ。」なんだと!?おっとの「そのうち返す。」という言葉ほど当てにならないものはない。わたしは家を買ったばかりなのに、こんなに性急にワゴン車を買うことも、従業員を雇うことも、大反対だった。「せめて2年間の家具のローンが終ってから。。」と繰り返して言って来たのに勝手に資金もないのに、突っ走って、ローンのためにしかたがないから銀行口座を共同名義にしているおかげで、この野朗、わたしの汗と涙の結晶の給料と足の骨折の代償を使い込みやがって!!お嬢育ち、堅実派のわたしにこんな屈辱的な極貧生活を何年味わせれば気が済むんだっ!!??わたし「突っ走る前に考えろっ!わたしがいい被害者だ!!!!!!!!!!」この叫びを聞いてナイーブなおっとは「え、被害者だなんて、そんな。。。。。。。。」とほんのちょっと傷ついたようであった。というわけで現在金策に奔りまわっているおっとである。昨日は「生命保険を解約してそれを口座に入れる!」と真顔で言ったので慌てて停めた。そんな中途半端に多い額、すぐにわたしの社会保険のように知らない間に使い切るだろうし、今解約したところでちっともお得にならないからだ。そういえば、更に怒りを増幅させることが。おっとがおととい「いつ終るか、そして勝つかわからない裁判が終るまで待ってられないし、屋根の修理は友達に頼んだら安く済みそうだから、全部やっちゃおうよ。」と思いつきの素晴らしいアイデアにウキウキと声を弾ませながら、わたしの会社まで電話をかけてきて言ったのだ。わたし「。。。え。それはいいけど弁護士に聞いてみないと。この修理も最小限、って言われたばかりでしょ?裁判中にそんなことするんだったら、きっといちいち証拠になる領収書だっているだろうし、今回土方の友達は仕事外に修理してくれただけだから、当然闇労働だろうし。そうだ、今回のこれはどうなるかは弁護士に聞いた?」おっと「いや。。。実は何も話してないんだよ。電話する時間がなかった。」←ちなみに1週間の猶予があった。わたし「え?ええええええええええええええ!!!!!!?????」おっと「だって、だって。。。。ずっと前にちょっとぐらい修理していい、って言ってたような気がするし。」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!確証もなしに勝手なことするな!!わたしは慌てておっとをせかして電話させた。わたしは会社だったし、どんな会話が交わされたかは知らない。その日の帰宅後。わたし「弁護士なんて言ってた?」おっと「次の通達が来るまで絶対屋根に触るなって。雨が降るごとに写真を撮りなさいって。」わたし「やっぱり。で、屋根を勝手に修理したこと、なんて言われた?」おっと「う。。。ううん。それ、言わなかった。次に雨が降ったら電話かけなおすよ。」こ。。。この野朗。いったい何のために電話をかけたんだ!?雨漏りの心配はなくなったが、この勝手な修理が今後の裁判に響く、新たな心配が生まれたのだった。おっとよ、たまにはオチのない心の平安を与えてくれ。。。。_| ̄|○_| ̄|○
2006.10.26
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昨日今日と、知ってる人、知らない人、実際はしらないけどブログ上では知ってる人、たくさんの方にコメントやメッセージ、電話やSMSをいただいて、なんかみなさんに申し訳ない思いでいっぱいいっぱいです。まずは多くのみなさんが、こんなわたしのちっぽけな悩みなど比べ物にならないぐらい、大きな悩みを抱えているのに「苦しいのはあなただけじゃない、一緒に前向きに頑張ろう!」と励ましてくれたこと。そんなみなさんの隠された事実に、驚きました。そんな辛いことを打ち明けてくださった優しさに涙がチョチョ切れました。その中でみなさんと同じように励ましてくれたのだけど、わたしとは少し違う状況の方のメッセを読んでだいぶ考えさせられました。たぶん海外在住の女性だと思うのですが、旦那さまが心の病で、彼女が生計は全部自分だけで立てているのに疲れて離婚を決めかねている。わたしはそれまで、励ましのメッセージをくれたかたに、迷惑も顧みず更に愚痴愚痴と思いのたけをぶつけるように返事をしていたのですが(この場を借りて、ど~も、申し訳ありません!!)、この方への返答、となったときにキーボードを打つ手が止まりました。流産って、病気じゃないけどわたしが2度目の妊娠中は産婦人科医に「安定するまで会社を休んで自宅で家事もしないこと。」という処方箋をもらって、2週間ほど寝たきり生活、つまり病気のような状態を送ってたわけです。その間おっとは毎夕方、帰宅すると黙々と夕食を作って、洗濯もして、掃除もいつもは化学洗剤使いまくりなのに、わたしの身体に妙な化学変化が起きないようにと、水拭き掃除に切り替えてしたり、と気を使ってた。流産まぎわ、何度も出血があって、そのたびにわたしが大騒ぎして昼間に呼び出しても、仕事を中断して飛んできて病院に連れて行ってくれた。こんなにしたにもかかわらず、わたしは流産してしまった。そういえば足の骨折のときも一度はいらいらしたおっとに「早くよくなって自分のことは自分で出来るようになってよ!」と叫ばれて傷ついたけど、おっとは動けないわたしの身体を洗ったり、わたしのしていた家事を全部しなくてはならなくなったり、仕事の合間をぬって、病院の検査についてこなければならなかったり、相当疲れてたと思います。メッセージの彼女の気持ちが理解できるような気がしました。ここまでしているのに、求めているわけではないけど何の見返りもない。。。ギブアンドテイク。金八先生じゃないけど「人という字はひととひとが支えあって生きているものなんだ!」ということをヒシヒシ感じました。そうやって考えたら、おっとが荒れてたのもなんか理解できてきた、というか。とりあえず今回の場合、おっとがわたしの気持ちも多少は理解し、反省の色を見せているから、一度は許そうと思いました。わたしだって、人生やり直すには、出来るだけ早いほうがいいから、だから一度きり。2度目はきっとないとは思います。昨夜もわたしの気持ちを取り戻そうと愛(?)のジェスチャーに懸命なおっとにその気持ちの変化を説明して「ありがとう。」と言いました。(恥ずかしいのでかなりふてくされて、ですが。)おっと「あ。。。そんなの当たり前じゃない。まあ、何にも言われないより「ありがとう。」と言われたほうがうれしいかな?」ととまどってました。こんなプライベートなことを、不特定多数の方が見られるブログに書くわたしというのは、もしかしたら露出狂の気があるのかもしれません。というか、そんなこと承知で、どんなコメントが返ってくるか予想は簡単につくのに、あんなみなさんの同情を引くような日記を書いてしまった自分の弱さがイヤになりました。でも、みなさんにいただいたメッセージがなかったら、わたしは到底この境地に至れなかったと思います。ちょっと気持ちの回復に頑張ってみます。さんざん悩んで気持ちが変わってしまったんだもの。頑固かもしれないけど、きっともう元の気持ちに戻れない気がしてました。でも見方が変わりそうです。結婚3年目も過ぎたというのに、まだまだわたしは修行が足りないのだな、と思い知らされました。結婚って、ほとんどの大人がしているという、当たり前な形なのに、奥が深い。。。結婚生活を上手に何の問題もなくされてるかたは、よほどの「結婚の達人」だと思わざるおえません。本当にみなさん、ありがとう。わたしの家は外国で、家の周りにはなんにもない田舎だけど、こんなにたくさんの心強いひとたちに囲まれている、と思うととてもうれしいです。ぴったり当てはまる言葉が見つからないのですが、とても感謝しています。こんな弱小者のこざかしいブログではありますが、改めて、これからもよろしくお願いします!
2006.10.12
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月曜日。朝から気持ちが悪くて吐きそうだった。フラフラと朝早くに起きて病院に検査の予約をしに行く。最近、産婦人科の検査尽くめの日々だ。あまりのショックで日記にはかけなかったのだが、わたしは7月末、2度目の流産をして手術をした。その1日入院の日は金曜日だった。毎金曜日の夜はおっとが南米人たちと飲みに出かけて土曜日に朝帰りするのが恒例となっている。わたし「この日ぐらいは、病院に迎えに来て。夜出かけていかないで。」と涙ながらに頼んだのだった。さすがにおっとは夕方、手術直後のフラフラのわたしを迎えに来た。ペルー人の友人たちと。そして、家で彼らはしばらくビールをあおった。わたしもフラフラなまま同席せざるおえなく、たまらない気持ちだった。ビールがなくなるとおっとは彼らと外に出て行き、いつものように翌朝まで帰らなかった。話は戻して検査の予約は珍しく早く済んでわたしは病院の並木道を歩きながら考えた。今やっているこれらの検査は全て、次の妊娠を成功させるために産婦人科医に組まれたスケジュールだ。こんなことやる意味があるんだろうか?ここまでして、やっぱり3度目もダメで、手術になっても、痛い思いは自分だけで、おっとには降りかからないのだ。自分の心身だけがボロボロになっていく。というか、たとえ成功しても、出産、となってもおっとは何もしてくれなさそうだ。こんなんだったら、なんで苦労して彼の子供を作る必要がある??そのうち気持ちが悪くて歩けなくなってきた。この感覚、確かずいぶん前にも味わったことがある。これって、そういえば某元彼からある告白をされた日と同じだ。「ぼくには他にも女がいる。」「こんなことは誰だってしてることだ。それでもいいなら付き合い続けろ。」今、こうやって書き出すと馬鹿馬鹿しくて笑いたくなるが、その当時、わたしははっきり言って美男子でもない無愛想な田舎者の元彼なんかを相手にする女がわたしのほかにもいたことにもビックリしたが、初めて出会うパターンの2番目の言葉に取り乱したのだ。即答すりゃいいものの、数日考えてやっと頭が冷めて「アホか、そんなあんたと付き合い続けられるか!」と答えを出した。あのときと同じ、ってことはこの感覚は、「失恋」なのだろうか?それとも普段めったに使わない「恋愛脳」が刺激されて気持ちが悪くなる成分が分泌されたのだろうか?ちょっと病院のベンチで休むと気分がマシになってきたので、何食わぬ顔をして出勤したのだった。しかし仕事の間中、気持ち悪さは波のように引いては押し寄せ、会社が終る頃にはヘトヘトになっていた。ああ、帰りたくない。わたしはおっとに電話した。おっと「今日もいつもどおりに駅に迎えに行くよ。」わたし「あのさ、今日遅くなるから、ミラノで電車に乗るときに連絡する。」おっと「。。。どこに行くの?」わたし「う~ん、ちょっと寄りたいところがあって。夕ごはんいらないから独りで適当に食べて。」おっと「誰と行くの?」わたし「一人だよ。」おっと「。。。。。。。わかった、じゃあ連絡して。」わたしはフラフラと中華街に行った。なんでそんなところを選んだんだろう?エセでもいいから、日本人に似た人々をたくさん見たかったのかもしれない。チャウシンチーの「功夫」以外のVCDはないかな。。とビデオ屋をはしごしているうちに歩いているのもイヤになった。トーストをバールで買ってほおばりながら電車に乗った。たいしたものではないが、これが結婚後、はじめて外で一人で食べる記念すべき夕食となったかもしれない。のろのろとうちに帰りつくとおっとがこわい顔して「話したいことがある。」と言う。いよいよ向こうも別れを切り出すことに決めたか。。。しかし、その言葉が聞くのがこわくて無視してベッドに寝転がってマンガを読み出したら、おっとがやってきた。おっとはベッドの上にあぐらをかいて座り込み「ごめん、ぼくがどうかしていたんだ。昨日までいろいろ考えた。君にいろいろ辛い思いをさせてごめん。でもぼくにとって、家の問題も、君が妊娠できないことも、クールな君より3倍は辛かったんだ。もう辛い思いをさせないから許して。」とウルウル言ってきたから面食らったのである!わたしは今までこんなおっとでも好きだったから、毎週末、おっとが逃げるように家を出て行って朝帰りするのがたまらなかったから、「ルームメイトとして割り切れば、もう辛い思いをしなくなるだろう。」と恋愛感情を日曜日の時点でとうとう断ち切ったのだ。わたしは、そういうところ結構未練がましいのだが、一度断ち切ると、というか、悟りを開くと、「それまで。」というところがある。だから、この言葉を聞いて、わたしはびっくりしただけで感動も何もなく、怒りだけがこみ上げてきた。おっとは更にいう。「日本人はうるさくないかもしれないけど、エクアドル人は結婚すると『子供を作るのが当たり前』って気風があるんだよ。それがいつまでも出来ないで、周りばっかりオメデタで、『いつ作るの?』ってしょっちゅう聞かれたり、『これうちの赤ちゃんの写真。』って見せ付けられたり苦しかったんだ。だから酒に逃避したかった。」何言ってるんだ?わたしなんかペア組んでるマッシモに出産後毎日どれだけ写真を見せられてる、と思ってるんだ?奥さんが妊娠中からのエコー写真含め!!あの変態ドイツ人ミリアムは産休がもうすぐ明けるから、会社に復帰したくないって、ばっちり計画的に妊娠に成功してまたもや「産休取りま~す。」とお得意の天使の笑顔で会社に報告しに来たし、新入社員のジャンピエロは「明日からうちの家内のお産学校が始まるんだけど、どうも前の君の家の近所みたいだからどうやって行くか教えて。」なんて言ってくるし、わたしの2回目の妊娠と同時期に妊娠した日本人の友達のお腹も順調に育ってるし、いろいろ見せ付けられて、そんなのを悪意はないのはわかっているけど、へらへらわたしが祝福して喜んでいると思っていたのかっ!?何が3倍辛かったんだ!?わたしは日本人だからラテン系の大げさなジェスチャーをしないだけで、辛さは実際身に降りかかった辛さと、おっとの今までのわたしを見捨てたような態度の2重攻撃で相当辛かったんだけど?第一、そんなときこそ支えあわなきゃいけない、なんて型どおりのことを思うのが、日本人だから、だったのか?おっとは「愛してる、もうこんな思い、君にさせないから!」と抱きしめてきた。わたしは反射的にそれをよけた。何を言っているんだ、この男は?そういえば、例の元彼もわたしが答えを出した後、そうしてきた。わたしもここで、涙のひとつも流して抱き合い、ハッピーエンド、にすればいいのだろうが、今やそんな気がさらさら沸いてこないのだ。今朝もおっとは近年にない、ハグとキッスの嵐だ。しかしちっともうれしくない。これからどうして接していいのかわからなくなってきた。とにかく今は腹が立って腹が立って、そして混乱しておっとの顔が見たくないけど、家に帰ればイヤでも接しなきゃいけない。彼の謝罪に対しての答えを出さなきゃいけないけれど、簡単に許す気になれない。イヤな奴みたいだ。ふう~、老春の悩み真っ只中にいる。
2006.10.10
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書こうかどうしようか迷ったのだが、気持ちのやり場がなくて、書くことにした。かなり個人的な愚痴になるので、「そんなことを読みたくないよ!」という方はパスパス。おととい日曜日。おっとは休みだというのに、いつもよりちょっと遅いぐらいだが、早朝から起き出して出かける支度を始めた。この日は、ずっと前に計画性もなく買って、ウイリアムのお母さんちの庭に野ざらしにしていたワゴン車の保険を前日にかけたから、やっとこの間見つけたおっとの従業員と一緒に取りに行く、と言っていた。従業員なんて雇ってうまく行くだろうか?ずっと長い間、探していたのだが、今の今までいいひとが見つからず、余分に買ったワゴン車の毎月の支払いに困って売りに出して、やっと買ってくれそうな相手が出てきたときに突発的にこの従業員を見つけたのだ。この人はステファノというイタリア人で、おっとより年上。前職ピアニスト。大汗転職の動機は「前職は自分に合わないと思った。」そうだろうか?先週はじめて彼を見たとき、大いなる不安に駆られた。彼は痩せ型で背は高くないが、ちょっとインテリ系のいい男だ。転職のために髪を角刈りにして現れたものの、やはり身体全体から漂うアーティストの臭いは拭えない。わたしも芸術系だから、同じにおいのひとがわかる。芸術系というのは、自分が興味があるものには夢中にのめりこみ、損得を考えずに突っ走ることも多々あるのだが、興味がないものには、最初は手をつけてみるものの飽きてすぐに辞める。うちみたいな零細ガテン系企業で、そんな簡単に辞めるようなひと、困るんだけど。。。わたしはおっとに「このひと、どこで見つけたの?」おっと「道で。彼、他の運送会社に最近バイトで入ったのは知ってたんだけど、ある日BARに入ったらこのひとも入ってきて、そこで友達になって話が決まったんだ。」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。なんか、そんなに気軽でいいのかっ!?そういえば、このひとの前にもサントドミンゴ人を連れてきて「昨日、駅前の切り売りピザ屋で友達になったんだ、このひとを雇うことにしたよ。」と言って、書類などを作成していたのに、その間に彼は音信普通となり、やっと捕まえると「ごめん、やっぱり運送業、興味ない。」と向こうから断られたのである。そのサントドミンゴ人だけじゃない。その前にはルーマニア人、日本人(日本から電話で問い合わせをして来る人までいた!!)、フィリピン人。。。いろんな国籍の人が、試験的に採用され、さまざまな問題でボツ、となった。おっとはそれを「きっと厄年だ、今年は運がないんだよ。。」となげくのだが、わたしははっきり言って、おっとに従業員を見つける運が悪いのではなく、やりかたが悪い、と断言する!そんな突発的な雇い方で、長続きするほうが奇跡だ。だから今回のステファノもいつまで続くかわかりゃしない。「スペイン人は走ったあとに考える。」おっとはまだやっとスタート位置についたところだ。きっとこれから何が起こるかなんて、考えもしてないだろう。わたしはこんなおっとにすっかり嫌気がさしていた。話は戻してこの朝はただ、ステファノとワゴン車を取りに行くだけかと思いきや、保冷バッグにいそいそと戸棚にありったけのビールを詰めている。ああ、用事を言い訳にまた飲んでくるんだな。わたしはよほどのことがない限り、南米人の集まりには行かなくなった。なぜなら、昼に行くときは公園に男共がビールを片手に集まって、ベンチに腰掛けてダラダラと喋っているだけだ。女は飾りのようにそばでじっとしているだけ。夜に行く場合は、帰りは絶対遅く、どころか次の日の朝になるし、ビールをわんこそばのように絶え間なく飲まされ続けながら、ボリュームいっぱいにあげたラテン音楽の騒音の中で訳のわからないスペイン語の会話を黙って聞いているだけなんて、ちっともおもしろくない。わたしはたまに日本人ばかりの集まりにおっとを連れて行くときもあるのだが、そのときわたしの友達はみんなおっとに気を使ってイタリア語で会話してくれる。が、未だに男尊女卑の気風のヤギたちなんて、女でしかも中国人も日本人もわからないガイジンのわたしに気なんて使わない。おっともこの中に来ると、群れの中のただのヤギになる。最近はおっともわたしを誘わなくなった。長い雨の後、やっと晴れ上がったこの日曜日、わたしはまたもや朝から家に独りで取り残された。あ~、何しよう?洗濯、掃除、皿洗い。。。やろうと思えば平日にやっていなかったことがいくらでも溜まっている。しかし、この日はまったく何もする気が起こらなかった。もうずっと前から考えていたことだ。やっぱりおっとも南米で生まれて育った南米人なのだ。一時期まさに「魔がさして」結婚までしてしまったが、やっぱり典型的日本人のわたしには、とうてい乗りこなせるヤギじゃなかったのだ。別れよう。わたしはいかにも南米人的突発行動に耐えられない。それよりも伴侶がいるという状況での孤独には耐えられない。別れれば、それこそ本当の孤独にはなるだろうけど、こんな蛇の生殺し状態より、そのほうが気が楽だ。別れを決意するに際して、ずっと悩んで引っかかっていたのは、ちっとも前に進んでいない家の裁判だけど、この際クソ食らえだ。なんとかなるだろう。わたしは家をおっとに残して日本に帰ろう。もう、どうでもいい!決意したら、泣けてきた。シーンとした家の中で大声で泣いた。最初に「わ~ん!」と声を上げたときは、それまで吠えていた隣の家の犬がびっくりして鳴きやんだほどだ。一通り泣いたら、クールでニヒルなわたしはかなり落ち着いた。しかし、夕暮れの孤独感が一気に押し寄せ、気を紛らわすために日本人の友人に電話をし、関係のない話から始めたのに、またまた感情が昂ぶって、半泣きになりながら訴えるような口調で愚痴を聞いてもらう羽目となっていたのだった。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。もうダメだ。友人に迷惑も顧みず訴え続けていたら、おっとが気まずそうな顔をして帰ってきた。わたしは慌てて電話を切り、涙を袖でぬぐって、わたしの横におずおずとおっとが座り込むと同時に席を立ち、外に干してあった洗濯物を取り込みに行った。もうおっとの顔を見たくなかった。わたしは夕食も食べず、その日はシャワーを浴びて布団に入った。布団に入る際にわたしは家中の電気をバチバチ消したので、おっとは真っ暗なリビングに座ってじっとTVを観ていたが、やがて外に出て行った。
2006.10.10
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おととい、とうとうブラジル人のエルトンの奥さんが家から出て行った。エルトンが銀行に借金までして、奥さんの新しい家の保証金、頭金、家賃を算段したそうだ。前にも書いたが、エルトンは3年前にわたしたちの1ヵ月後に結婚して、1年半前わたしたちの2ヶ月前に家を購入した。だから他人事とは思えない。おっと「離婚したら、どうするの?あの家売るの?」エルトン「計算してみたけど購入後5年までは税金や利息だけ払う感じだから、今売っても、利益どころか手放した家に払い続けなくちゃいけないことになるから、住み続ける事にしたよ。」そうか~。あの家のペンキ塗りや、家具の組み立て、手伝ったんだよな。壁は奥さんの希望でサーモンピンクに塗ったし、家具も花柄ねこ足ソファとか、奥さんの趣味でカントリー調に揃えた、というのに。。。そんな家に奥さんなしで暮らすのは辛そうだ。しかし残念だ。彼らもあと1ヶ月一緒に居れば、結婚3周年だったのに。そうなのだ。そんなおとといはくしくも我々の結婚3周年記念日だった。今までの記念日はどんなに阻止しても、おっとの友人つき「なんの会だかわからない」お食事会であったが、昨日は珍しくも2人きりで外出することに成功した!成功の鍵は、今までのように「平日じゃ気ぜわしいから土日に日をずらそう。」なんて妙な考えを起こさずにその日に行ったことである。ちなみに:1周年2周年おっと「行った事無いけど、隣町のはずれによさげなトラットリアを見つけたからそこに行こう。」仕事の後、シャワーを浴びて着替えて、さっそくGO!真っ暗な田舎道を走ること3分後。「ギャン!」とわたしが座っている助手席側のタイヤの下から音がした。「なに、今の?!」と振り返るとすでに後方にバックライトに照らされて小さな黒い塊が見えた。おっとは平然と「ねずみを引いたな。」という。ううううう、出発3分後から血まみれなようで。。。。気を取り直してトラットリアに着いた。そこは幹線道路から畑に囲まれた舗装されてないでこぼこの細道を入り込んだ田舎家で、明かりは玄関灯と2階の2つの窓以外点いていない。わたし「。。。本当にここ、トラットリアなの?」おっと「。。。たぶん。」確かめてから来いよ。怒わたしたちは隣町の中心にすぐ引き返した。うろうろとクルマで路地をさまようおっと。時計を見れば、もう夜の9時10分前だ。このままではいけない!この間もこういうパターンでどこに行くと決めることなく、どこにも行けずに夜が終ってしまって、大喧嘩に発展した。そういえば、外観はいまいちだったけど、さっき開店しているレストランを見たな。そこにしよう。おっと「あそこは開いてるのがわかってるからもうちょっと他を探してみようよ。」あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!運転権のないわたしはいらつきながらおっととさらにさまようことになった。ぐるぐる街中を廻っているうちに教会の後ろになんだかしゃれたところを発見!「アルベロ ディ ノーチ」というところだ。 おっと「バールかな、それとも食事が出来るかな?」イタリア在住者には今更説明することもないが:バール いわゆる喫茶店。でも日本のように長居は相当の常連でないと難しい。食べ物は昼の定食以外はつまみぐらい。夜はカクテルを出すところもある。ピッツェリア 文字のごとくピザが食べられる。ピザのほかにもプリモピアットなども気安く食べれるカジュアルなレストラン。トラットリア いわゆる普通のレストラン、食堂。ユーロになる前まではもっと気安く入れたのだが、ユーロになってからずいぶんと値上がりして入りにくくなった。 リストランテ 高級レストラン入り口で「食べれますか?」と聞くと意外にフレンドリーなお姉さんが「ええ、どうぞどうぞ。」と中に迎えてくれる。スノッブな感じはミラノによくあるハッピーアワーもありそうなバールだが、どうもリストランテっぽい。うわ~、カードで払えるよね、ここ。。と貧乏くさい考えが湧き上がり、そっとドアを確認すると各種カード会社のシールが貼られていたので安心した。お姉さん「アペルティーボ飲みます?」いつもなら財布の中身と相談して「いいえ。」とさりげなさを装いながら断ってしまうところだが、この日は結婚記念日だ。「はい。」と大きくうなずいた。お姉さん「では、こちらへ。足元が暗いですからろうそくを踏まないように気をつけて降りてくださいね。」と連れて行かれた地下室は、それはそれは味のある大きなワイン貯蔵庫だった!←最近、なにかと縁があるなあ。お姉さん「ここは1400年代の精肉屋の地下貯蔵庫を修復して使っています。」わたしがお姉さんに聞かれて「白のセッコを。」と答えて出された白ワインはよく冷えていて香りが甘いのに、辛口の、シチリア産のワインだった。おっとは赤を頼んだのはいいものの、あれやこれやとわけのわからない希望をだして、2種味見したが、赤なのに食前酒らしく、どちらも軽くておいしい。つまみはすべてここから近いベルガモの山産のチーズとサラミ。我々はすでにワインと雰囲気に飲まれてほろ酔いになって地上にあがり、席に着いた。ワインメニューは辞書ほどの厚さがあるのに、食事のメニューの数は少なくて、わたしはアンティパストにタコのマリネ、セコンドに子牛のフィレ肉きのこあえを選ぶ。タコはちょっと酸っぱかったが、子牛肉は新鮮なきのことのハーモニーがたまらなくおいしかった。おっとは、プリモにかぼちゃのクリームを詰めたラビオリと、セコンドに煮込み肉のポレンタ添え、と山の中のようなメニューを選択。どちらも田舎料理なのに、くどくなくおいしかった。ワインはピエモンテ産のバルベーラ・ダスティの2000年もの1本。(ちょっと違うけどこれ↓)大きな薄いワイングラスで飲む。うう~ん、ちょっと重いな。食器は全部白なのに、形も厚みも違っていて楽しめた。特に3周年の抱負を語り合うこともなく、話題はショッキングなエルトンの家庭事情のことばかりだった。ひさしぶりに日本人的なちょっとクラスが上な気分に浸っていると言うのに、おっとは始終「会計いくらになるか、ジェラート賭ける?」と聞いてきて、ムードをぶち壊す。怒おっと「ぼくは70ユーロぐらいだと思うな。ね、ワインは飲みきれないからお持ち帰りしようね?」わたし「。。。100ユーロ。」淹れ方も完璧だったおいしいコーヒーを飲み干した後、問題の請求書が来た。93ユーロ+チップ5ユーロ=98ユーロ賭けはわたしがほんの2ユーロ違いで勝った。(こんな番組、昔あったな)しかし、この頃にはもうジェラートなんて入る余地はどこにもないぐらい、お腹いっぱいになっていたので勝ちは放棄したのだった。おっと「1年に1回ぐらいはこういうところもいいな。」わたし「。。。。。そうだね。」わたしは1年に何回もこんなところに来れるようになりたい。会計のことばかり話しながら食事をしたせいか、食べ過ぎて飲みすぎたせいか、この日はこんな夢を見た。結婚記念日の朝、わたしたちは銀行に入っていくのだ。おっとが「どうしよう?」と頼りなくいうので、わたしが「任せておいて。」とポケットから拳銃を出して、窓口のお姉さんに突きつけ「金を出せ!」という。窓口のお姉さん「現金なんてうちは扱ってませんよ。」わたし「あ。。そうですか。どうしよう、現金は扱ってないって。」とおっとを振り返る。おっと「あ。。。。。じゃ、やめよう?」わたしたちはそのまま、愛想笑いをしながら銀行を出て、前記のレストランで食事をし、ほろ酔いになって、なぜかわたしの会社に戻って同僚たちと楽しくおしゃべりをした後、自分のPCの前に座って、またおっととなごやかに喋り続ける。するとまだ同僚たちの笑い声が聞こえる廊下から男がひとり、おっとの背後から入ってきた。わたしの麦わら帽子を持っている。男「これはあなたのですね?」わたしはすぐにこの男が警察だとわかった。気まずくなって「え~っと。。。」と口ごもっていると、今度はわたしとおっとの身分IDのコピーを出してきた。男「あなたたち、今朝銀行に行きましたね?」しまった~!!見つけられた!しかし朝の犯人、夕方にしか見つけられない警官って、やっぱりとろいな。でもどうしよう、ここでこいつを突き飛ばして逃げるか!?。。。と、はらはらしたところで目が覚めた。わけのわからん3周年のしめくくりの夢。4周年もあるやろか?
2006.09.21
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8月15日(火)次の朝7時半、わたしは半分眠り状態でクルマに乗る。運転手のおっとはグッタリしていた。なぜならおっとは前日潮風の吹きすさぶ寒い中BARで「慣れない食べ物=ジェノバ料理」であるラザーニャ アッル ジェノベーゼを食べたおかげで、かつてわたしが見たこともない腹痛に見舞われたのである。汗近所のカミッラさんのお宅に着いた。彼らと行くのだ。(キイテネエ)おっとはぐったりとしたままクルマに残り、わたしとルイスファミリーだけが家に上がった。家に一歩はいると、子供も大人も大勢走り回っていて、懐かしの「ホームアローン」の出発前シーン南米人版みたいだ。目を廻していると、ミリーが「こっち!」とわたしの手を引っ張ってキッチンに連れ込み、わけのわからないままぱさぱさのパンのきれっぱしとうすうすのインスタントコーヒーをごちそうになっていた。ミリー「みんな、朝ごはんは食べ終わった~?さあ、出かけるわよ!!」ミリーは親族の中のみならず、基本的に仕切り屋のようである。わたしがクルマに乗ると、ミリーの仕切りで「マルちゃんのクルマには子供たち全員をお願いね。」という声とともに、子供たちが騒ぎながらぐったりとハンドルにもたれかかっているおっとの後部座席に次々に飛び込んできた。汗ああ、このままBBQが終ったらミラノに帰るつもりだったのに、これじゃ帰れないじゃないか!わたしは冷や汗が噴出してきて「おとなならともかく、『「腹痛」のためハンドル切り損ねて、他人の子供たちと一緒に心中。』はシャレにならないから、ちゃんと運転してね!」とおっとに喝をいれ、クルマはよろよろと発進したのであった。クルマは4台。高速道路をピエモンテ州方向に向かってひたすら走る。おっとがいったいどこまで持つかがこわい。わたしはハイテンションの子供たちを振り返り「どこまで行くの?ずいぶん遠いようだけど。」子供たち「しらな~~い。」そうだよな、子供なんて無責任だ。しかし、要求だけは「マルちゃん、『Gasorina!』のCDもう一回かけて!!」「マルちゃん、もうちょっとここボリューム上げて!!」「お腹空いた~。なんか食べるものないの?」とうるさい。(←そういえば同じような悪夢が目目さんのクルマの中で繰り広げられたような?)クルマの中でまで、そんなに髪を振り乱して、獅子舞みたいに踊るな!!しかし魅惑のリグリア海岸を離れて、こんなに遠くまで来るからにはよほど素晴らしい渓谷でもあるのかな。。とちょっとワクワクしてきた。高速道路の表示が「アレッサンドリアまで7km」というところまで来たところでやっと我々は出口を出る。しかし、周りをみれば、我が家の近所とたいして変わらない田舎の風景が広がり、川とはとても呼べないようなしけた河原のそばをクルマは走っていく。クルマは雑木林に入っていった。ちょっと入ったところから、すでにたくさんのクルマが無造作に駐車されている。あちこちにビールの空き瓶が転がり、パニーノ屋のワゴン車が土ぼこりの中、ビールを売っている。見渡せば、あっちにもこっちにも南米人。。ま、まさか、こんな遠くまで来て、南米人でひしめきあう、しかもこんなしけた河原でBBQをするのか!?OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!?????よっぽど我が家の近所の河原のほうが数倍綺麗やでっ!!!我が男性軍はクルマを降りてうろうろと開いている場所を探す。男たちはクルマに再び乗り込んだ。「いくきーと、ロードマップを持ってたな。貸してくれ。」わたし「どうするの?」男たち「他のところを探す。」わたしは時計を見た。1時だった。そりゃあ、ここは満員でしけててかなりイヤだけど、遠くからはるばる来たのに、今から別のところを探して行ったら何時になるんだろう?クルマたちはそんなわたしの思惑は無視して発進した。どこに行くんだ?どこに行くんだ?どこに行くんだ?どこに行くんだ?クルマは往き道に2度通った高速道路の料金所をまた通り、昨夜稼いだ小銭を全て使い果たして、「ジェノバ方向」に戻っていく。まさか、このまま何もせず、家に帰るつもり??と思っていたらジェノバのひとつ手前の出口で降りたのでホッ。そして、のどかな牧場の広がる小道をひたすらあがっていく。なんだ、こんないいところが近くにあるなら最初っからここに来ればよかったのに。。と思っていたら、目的地の小さな村に到着。どこかで見たことがある、と思ったら、去年も遊びに来た村だった。そうか、いつも来るところだから、たまには場所を変えたかったのだな。この時点で4時半。もう空腹もピークを達した後で、わたしはお腹も空いてなかった。おっとはやっとクルマから降りれた、と言った感じでその辺のベンチにぐったりと横たわり、わたしのひざを枕にして動かなくなってしまった。女たちを見れば、着々と肉を降ろし、その村の公園の片隅にひとつだけあるBBQコーナーで肉を焼き始めた。男たちはビールのたくさん詰まった保冷バッグとサッカーボールを取り出し、野原にサッカーにでかけた。子供たちは、というと最初は親の周りで遊んでいたのだが、飽きてくると「いくきーと、一緒に川に行こうよ。」という。わたし「わたしは行かない。みんなで行ってきな。」と答えると「でも。。お母さんたちが。。。大人と一緒じゃないとダメっていうの。」仕方がないな。わたしはおっとをベンチに残して立ち上がった。子供たちはきゃ~きゃ~言いながらビーチタオルを持ってわたしの後についてきた。カティちゃん「く~き、ちょっとあたしのタオル持ってて。」わたし「いいよ。」カティちゃんはそのまま川に駆け出していった。それを見て、カミッラさんところの子豚のようなコロコロの2人の娘も「あたしたちのもお願い!」とタオルを押し付けて駈けて行く。カミッラさんところの無口の小さな弟ディエゴだけが黙ってわたしについてくる。彼は「小人症」で、もう7歳なのに5歳の最年少の妹よりも小さく、実際幼い。子供の時はまだいいけど、大人になったら大変だろうな、とわたしは胸を痛めた。可哀想な彼のその腕にはすでに全員の浮き輪やゴーグルを抱え込んでよろよろと歩いていた。_| ̄|○わたしたちはセバスティアンかいっ!?川岸に着いた。仔豚たちは水を前にきゃ~きゃ~騒いでいるだけで浸かろうとしない。カミッラ姉「ねえいくき~と、この水に入っていい?」わたし「入ったらいいじゃない。」カミッラ妹「え~、でもこの水、緑色だよ?本当に入っていいの?」わたし「好きにしなよ。」勝手なくせに、変なところで大人の意見を求めるのだな。仔豚たちは意を決して水に浸かった。「冷たい~。」「みどりいろ~っ!」弟を見れば妹のゴーグルを握り締めて水に入ろうかどうしようか悩んでいる。それをみて妹「ちょっと、ディエゴ!わたしのゴーグル使わないでよね、きたない!!」わたし「あんた、なんてこと言うのっ!」わたしが彼女の親なら、やつらが水に浸かっていなかったら、確実に張りセンパンチしていた。残念ながら遠かった。しかし慣れているのか、子豚たちはわたしを完全無視である。ムカムカしながら自分のビーチタオルの上に座り込んだ。すぐに仔豚たちが水から上がってきた。カミッラ姉妹は「寒い、寒い!」と自分のビーチタオルを身体に巻いて、わたしが座っているにもかまわず、当たり前のように緑色に濡れた身体でわたしのタオルの上に寝転がる。こいつら、可愛くねえ。我が親戚のカティちゃんは、といえば自分のタオルを身体に巻いて突っ立っているので、しかたなしにわたしが立って、カティちゃんを座らせた。カミッラ姉「わたしあの公園で遊びたい!ねえ、いくきーと付いてきてくれるでしょ?」見れば、どこぞのホテルの敷地内の子供の遊び場である。わたし「ダメだよ、あそこは。お金を払わないと入れないの。」カミッラ姉「え~、いくきーと、お金ないの?」←なんでわたしが他人の子供に金を出さなきゃならんのだ!?怒カミッラ姉「じゃあ、あっちの滑り台は?」それは公共の公園のようだった。「いいよ、行っといで。」カミッラ姉「いくきーとも来てよ!大人がいないとお母さんに怒られる!」なんでこんな高圧的な言い方をするんだ、この子豚は!?わたし「川のほうが危ないんだよ。ひとりで行きなさい。」カミッラ姉「え~、お願いお願い。。わたしディエゴも連れて行かなきゃいけないの。ディエゴの面倒誰が見るの?」ディエゴを見れば無心に水遊びをしていて、公園に行きたがっているわけではない。これがカティちゃんなら、叔母として可愛いから(実際に「シンデレラ」と「意地悪な2人のお姉さん」ぐらいの差だ)、「よしよし、しょうがないな、行ったろ。」になるのだが、こんな憎たらしい他人の子豚のお願いをなんで聞く必要があるのだ!?2人がバリバリ火花を散らしていると、可愛くよく気のつくカティちゃんが雰囲気をすぐに察知してカミッラ妹に「わたしたちもあと5分したら公園に行こう!」と言ったので、カミッラ姉は喜んでディエゴを引っ張って公園へと走って行き、わたしはノロノロとその後ろをついていくことになったのだった。手ぶらで公園に駈けて行った姉とは違い、ディエゴは浮き輪をちゃんと持ってきたし、後続の2人はカミッラ姉の散らかしていった荷物もきちんと全部まとめて持ってきたのが偉い。子供たちが公園で遊んでいるのをぼんやり見ていると、やっぱり障害児のディエゴがよその子であるカティちゃんにではなく、実の姉妹にいじめられているのがわかって無性に腹が立ってくる。わたし「そろそろBBQも出来てるころだし、戻ろう。」と子供たちを無理やり引き上げた。母親たちのところに行くと、まだ汗だくになって2山目の肉を焼いていた。おっとは最初に横たわったベンチの上で身動きもしないで死んだようになっている。カミッラ姉「く~き、まだ準備出来てないじゃない!戻ろ!」わたし「勝手に戻りな。」仔豚たちは地団太を踏んで、公園に戻る。自分たちで行けるなら、最初から自分たちだけで行ったらいいのに。ディエゴは残って、おとなしく母親たちのそばで砂遊びをしていた。やっと全ての肉の山が焼きあがったころには4時半になっていた。子供たちも戻ってきた。気がつけば、最初は無人だった公園にイタリア人が集まっていて「いい匂いだね、おいしそう。」「へえ、南米風のソーセージですか、どんなお味?」とちゃっかりわたしたちのおしょうばんに預かる人もいる。汗こういうところは南米人は気前がいいので、大判振る舞いをしていた。おばあちゃんに連れられた小さな子供たちは、カーステレオからガンガン流れるサルサに乗って楽しそうに踊っている。ベンチに座っていたおじいちゃんたちはそれをみて、手拍子をとっている。まるで「エクアドル人と交流する地元の会」のようでおもしろかった。おっとを見れば、ときどき起き出したが、日が暮れるまでベンチでぐったりしたままだった。BBQが終わり、そんなおっとも無事に子供たちをカミッラさんのお宅に送り届け、ルイスの家にたどり着くことが出来た。わたしはヘロヘロのおっとを見た。これでは今日ミラノに帰るのは自殺行為である。しかたがない。わたし「マルちゃんがこんなんだから、もう一晩泊めてもらえる?」まさか、自らこんな言葉が出てくるとは思わなかった。我ながら、成長したなあ。。。っつーか、慣れたな。うん。最初の覚悟のおかげでびっくりすることもあんまりなかった。翌朝、やっと回復したおとっととわたしは豪雨の中をジェノバから帰還したのであった。(終)PS.明日から1週間、家出します。よろしく
2006.09.01
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8月14日(月)この日は飛び石連休の真っ只中とはいえ、ルイス夫婦はそれぞれ仕事に出かけていった。朝から肌寒くて、雨が降ったり止んだりしてどうもすぐれない天気だ。カティちゃんはベランダに出て空を見上げながら「ねえ、今日は海に行ける?」と聞いた。わたし「さあ、天気が悪いからわからないね。」カティちゃん「あ~あ。」おっと「ねえ、今日はどこに行く?」前回にも言ったが、おっとはルイスがいると家事もなにもしなくなる。出かけるのもすべて、彼の言いなりだ。しかし彼がいなくなると次の順位は「妻」になるようでわたしになんでも聞いてくるようである。この日はルイス夫婦がいないのでローランド一家とカティちゃんと一緒にどこかに出かけることとなったのだ。わたし「知らないよ、あんたローランドたちときのうあんなに喋ってたのに、何にも決めてないわけ?」おっと「旅行はきみのほうが立てるのがうまいでしょ、考えてよ。」←おだてているようで考えるのが面倒なだけわたしは考えた。このうっとおしい天気だと、泳げる確率はかなり低い。泳がずにリグリア海岸を満喫するとなると。。。去年お嬢母と2人で行ったチンクエテッレかな?チンクエテッレは5つの小さな可愛い村がリアル海岸沿いに点在していて、そこを遊覧船や電車、徒歩など自由なやりかたで廻るのが楽しい。さっそくロードマップを拡げると、ジェノバから約80kmほど、つまりクルマで1時間ぐらいの距離だ。子連れとはいえ、日帰り遠足にぴったりではないか?去年と違って「夏のバカンスらしいことが出来る!」と思うとワクワクしてきた。さっそくおっととカティちゃんに提案してみる。おっととカティちゃん「うわ~、行きたい!そこ、泳げるところでしょ?」わたし「え。。まあ、泳げるところもあるにはあるけど。」おっととカティちゃんは喜び勇んでこの薄ら寒いのに、水着に着替え始めた。_| ̄|○ とりあえず泳げる浜もあるけれど、この天気を見て、泳がず楽しめる場所で決めたのに。(ひとの話を聞いて欲しい。涙)陸上競技場でバレーボールをするようなものだ。2人がそうなのでやや失望しながら、わたしも水着をとりあえずバッグに詰めてローランドの家に行った。ローリーはいなかった。昼の2時まで仕事らしい。(先に教えてくれよ。)彼女が帰ってきてからチンクエテッレ巡り?できるやろうか?やがてローリーが帰ってきた。それから支度をして、チンクエテッレの正当な楽しみ方を説明しているのに、全員水着に着替えて。。。怒とにかく出発と相成った。高速道路をかっとばし、5つの村のひとつめ、モンテロッソに一番近い出口で降りる。高速道路の出口からそんなに遠くないだろう、と地図で判断したのは間違いだ。山道を登ったり降りたり、海が見えるところまで来た、と思えばどんどん離れて山の頂上まで行き。。。遠かった。知っていたならジェノバから電車で来ればよかった。電車ならトンネルをくぐり、海のそばの各5つの村の中心地に着くことが出来る。やっと海のそばに着いてクルマを駐車場に停めた。海は息を呑むほど鮮やかな空色とマリーンブルーの2色だ。ヤギたちはは「うわ~っ!!!!」と服を脱ぎ捨て、海へと飛び込んでいった。待てっちゅうねん!!ただでさえ、家を出てきたのが遅いのに、ここで泳いでしまったら、5つの村めぐりが出来なくなるではないか!?時計を見ると4時を廻っている。4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。ああ、ジェノバを離れてきてもそうなのか。_| ̄|○ こんなことなら、ジェノバから2時間近くもかかったチンクエテッレまで来なくても、近場で済ませときゃ、ガソリン代も節約出来ただろうに。。。ぶつぶつ思いながら、わたしもクルマの中で着替えて海に入る。空は曇り、海の水は冷たく、波は荒かった。おっととローランドたちはすでに唇を真っ青にして、ぶるぶる震えながら上がってきたが、陸も潮風が強く、ビーチタオルにくるまって動かなくなってしまった。わたしといえば、足を水につけただけで「冷たい、絶対入らない!」と言っているのに、まるで海の亡霊のような子供たちに足から引きずりこまれ、襲ってきた高波を思いっきりかぶり、気がついたら水中でアップアップするはめとなったのだ。あまりの波の高さに監視員が「みなさん、危険です!上がってきてください~!!」と叫んでいる。しかし波にめちゃくちゃに揉まれて、姿勢が整えられない上、海の亡霊たちに腕と足を掴まれ、水中から逃げることができない。何度目かの高波が襲ってきたときに「あ~れ~。。。」とわざとらしく言って、その場から逃れるために沖へと泳いで逃げたのだが、それと同時に浮き輪のミッシェルちゃんもキャッキャ笑いながら沖に流されてしまったので、慌てて追いかけた。荒波の中を本気で浮き輪をつかんで救助しているわたしの頭を本気で沈めようとする彼女。浜を見れば、両親はタオルに包まって、おっととのおしゃべりに夢中で、この状況にも気がつかない。コノャロ)いい加減にしやがれ!!わたしは嫌がってジタバタするミッシェルちゃんを腕に抱えて浜にあがり、両親の前に放り出し、タオルを身体に巻いて座り込んだのだった。←カティちゃんも独りはイヤだったらしくついてきた。3.今年は本気で子供たちの相手をしてはいけない。まったく前もって誓いをたてたというのに。このあとわたしたちは着替えて5つの村を結ぶ遊歩道に出る。ここまで来たんだから、せめて、せめて。。。あともうひとつの村ぐらいには連れて行こう!!ヤギたち「お腹すいた。バールでなんか食べよう。」ああ。_| ̄|○ まずヤギたちはパニーノを注文し、それでも食べたらず、パスタを注文し、ジェラートを潮風に震えながら食べて。。ローリー「今日の夕食は絶対なにがなんでも中華ね。」おっと「そうだな、もう夕食の時間だし、帰らないと。」えええ!たった今、食べ終わったばっかりやん!?他の村はどうなるのっ?おっと「だってもう時間がないよ、こんな遠くまで来ちゃったんだからもう出発しないと。ルイスたちも待っているし。さ、帰ろう。」ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ ああ。_| ̄|○ 4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。そりゃあ、わかっているけど。。。。ジェノバのルイスの家に帰ると、ミリーがすでにごはんを炊いていた。ミリー「ローリー、そこの野菜を切ってちょうだい。」ローリーはにこりともせずに野菜を切り出した。この日も中華計画はつぶれた。食事の後、わたしたち大人は小銭を賭けたトランプを始める。いつもは不運のわたしたちがおもしろいように、勝ってばかりなのだ?前日よりも少し早い夜中の2時にはわたしとおっとの前には小銭の山が出来ていた。あああ~、神様!こんなところで幸運を無駄使いさせないでください!!!!(つづく)
2006.08.29
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家出から昨日の夕方、帰ってまいりました!はあああ~~~、楽しかった。いや、まったく本当に。。しみじみ週末の楽しみを思い出してこうやって噛み締めるたびに、どんどん後悔に襲われる。****実は、目目さん一家と一緒に彼らの山の別荘に行ってきたのだ。おっとを心配させるため、ひそひそと目目さんとは話を進めていたというのに、どうやらヘタなわたしの芝居はもろバレで、おっとには行く先がわかってしまったらしい。「行ってらっしゃい、楽しんできて。目目さんたちによろしく。」と先日おっとが作った「トスタード」までお土産に持たされ、ニコニコと送り出されてしまった。おっとは彼らを非常に信用しているので、まるでこの旅は「自分がジェノバに泊りがけで行かなければならないので、飼っている犬を連れて行けないから、ご近所さんに預かってもらった。」状態となってしまったわけだ。すごく悔しい。しかしこれがおっとがあまり付き合いのない日本人とかだとかなり違う。(先日のaya825さんとの例とか) 例えば付き合い始めた頃に中米のサントドミンゴ共和国に女友達と行く予定だったのが、おっとの激怒の果てにキャンセルさせられてしまった。そのあと「長期外国旅行がダメなら短期国内旅行で」とめげずに同じ女友達とシチリア行きを計画を立てたのに「そんなにぼくと離れて友達と一緒に居たいか!?」と落ち込まれ、見ていてえげつないほどいじけられたので、しぶしぶこれもキャンセル。この後、友達は「まあ、マルちゃんったら、やきもち焼きなのね~。」と平静を装って言いつつも、当然すごく怒ってしまったようである。今もありがたいことに、か細いながらも友達を続けていてくれるが、もう2度と「一緒に旅行しよう。」なんて言ってくれなくなった。涙しかしよく考えたら、あのときの「そんなにぼくと離れて友達と一緒に居たいか!?」のセリフ、現在のおっとにそっくりそのまま返してやりたい。話を戻して、目目さんの山の別荘には今年4月にもおっとのクルマで行ったことがある。 今回は8月、夏真っ盛りのはずなので、すでに山で待っている目目さんに「川で泳げる?水着持って行ったほうがいいかな?」とメッセージを送ると「何言ってるの!?今16度だよ、こっちは。泳げないよ!」と返事が返ってきた。わたしは仰天して、かばんの中身を詰め替えたのは言うまでもない。今回は電車の旅。前日に切符売り場で並んで、いつも近鉄切符サイズの定期券ではなく、大きな長細い見知らぬ地名の書かれた切符を買うのは快感だった。金曜日に会社が終ってミラノ中央駅に行く。この駅も、いつもと違って見える。それもそのはず、バカンスが終って主に南から、大きなスーツケースを転がして真っ黒に日焼けしてミラノに帰って来た人々でごったがえしている。そんな中、長距離用の電車の高いステップをひょいっと上がって乗り込む。ああ、これも快感。1時間ほど車窓からの見慣れぬ景色を楽しんだ後、ノバラ駅で降りて、駅前から出ている山行きのバスに乗り換えた。ノバラ駅はそれは大昔、日本から来た元彼と夜遅くに夕食を食べに降り立ったことがあるが、そのときは何もない寂しい街だった。しかしこの夏の午後に見る街は、たくさんの商店が軒を並べていてにぎわっている。この大型バスのなかは、登山用の本格的な装備のカップル、ちょっとそこまで的なミラネーゼ、山のきこりのような素朴なおじいちゃん、とさまざまな乗客がいた。バスは都会を抜けて、大きな川沿いにどんどんと山を登っていく。この過程も楽しい。一度はおっとのクルマで同じ行程を来たことがあるのに、まるで初めてのようで無性に楽しい!!心の中で「トトロ、トトロ~♪」と唄いながら景色を楽しんでいると1時間半ほどで「バラッロ」という小さな山間の町に着いた。目目さん一家が迎えてくれていて、クルマに乗り込む。彼らの別荘はここからさらに30分ほど山間に入ったところにある。目目娘ちゃんがわたしを見るなり「いくきーと、見て!」と腕に入れた3つのシマウマや人魚の絵のタトゥを見せてくれた(←本物ではない)。イタリアでは子供たちの間で大流行なのだ。バラッロの可愛い街の中を抜ける。こんなところにも日本人観光客がいてびっくりした。最近はメジャーな旅行に行き飽きて、マイナーなところを旅する日本人が増えているようだ。バラッロはちょっと涼しいぐらいだったのだが、別荘のあるところまで来ると、かなり涼しくなってきた。太陽光線や、生い茂る緑、ごうごうと流れる川だけ見れば「真夏の景色」だ。しかし風はすっかり秋めいている。金曜日からの3日間。わたしたちはバラッロの骨董市にでかけて、目目さんが素敵な青磁のティーカップと、繊細なリキュールグラスのセットを見つけて歓声を上げたり、山の頂上近くにスキー用のゴンドラで震えながら行き、暖かいストーブの効いた山小屋でそこの自家製のカモシカ肉の煮込みのポレンタを食べたり、目目娘ちゃんと一緒に「やっほ~っ!!」と叫んでこだまが返ってくるか、試してみたり、川沿いの雑木林を散歩したり、目目娘ちゃんの乗馬のレッスンを見に行ったり、夜は韓国のラーメン鍋をごちそうになったり、ご近所の人たちと昼食を野外レストランで食べて、最近目目夫さまがはまっている釣りの話に興じたり、花の咲き乱れるおしゃれな喫茶店で午後のコーヒー&プチケーキを楽しんだり、それはそれはそれはおだやかな時間を過ごした。目目夫様が釣りに行って暇になったときは、ほうじ茶を飲みながら、ほとんど聞き取れないような静かな音でかかっている環境音楽をバッグに、目目さんはゆったりソファに座ってファッション雑誌を読み、わたしと目目娘ちゃんはせっせとお絵かきをする。ここでは服がやぶられる心配もない。強制BBQもない。ラテンミュージックの轟音を、そばで耐えて聞く必要がない。酔っ払いたちに混じった「変な中国娘A」のように見られることもない。ここには何もないのもあるけれど、えげつないところに連れて行かれてびっくりすることもない。だから、この日記に特に書かなければならないようなネタが発生しない。ああ、幸せ。そういえば、ミラノに帰る、という日曜日に小さな事件はあった。朝、ミラノに帰るために目目夫様が別荘の中の掃除をはじめ、目目さんが洗濯物をあちこちの部屋から回収して廻っていて、ダイニングにはわたしと目目娘ちゃんが残った。目目娘ちゃんはおとなしくイスに座り、お絵かきをしていて、わたしは皿洗いが終って、後ろの目目娘ちゃんに振り返ったとき。ちなみに目目さんちの別荘は可愛い石造りの小さなアパートの1階だ。近所の人たちは用事があるときは玄関のブザーを鳴らさず、いつも半開きの窓から「目目さ~ん。」と覗いてくる。このときは掃除のため、全開していた窓から一人の若い男性がのぞいて「チャオ!」とわたしに声をかけてきた。わたし「ああ、チャオ?」男「あのさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど。。」きっとこの男性、わたしを目目さんと間違えているのかな?「ちょっと待って。」と奥を見て、目目さんに声をかけようとする。男はすかさず「君はナニジン?」あれ、目目さんじゃないことを承知で聞いてる?目目さんは韓国人だけど、出生が微妙だから日本人か、韓国人か、知りたいのだな。わたし「日本人だよ。」男「そうかあ、で、いつからここに住んでるの?」やっと状況が飲み込めてきた。こいつ、近所のひとじゃねえっ!わたし「。。わたしはここに住んでないよ。ただのお客。」タイミングよく、目目さん夫婦がダイニングに戻ってきた。「。。このひとたちの。」と彼らに気まずくなりながら付け加える。男は目目さんたちを見て、ちょっとアタフタしたようだった。「いやね、ちょっと窓から覗いたらフレンドリーそうな彼女がいたから、ついつい話しかけちゃって。あ、もう行かないと。チャオ~。」チャオ~。じゃねえよっ、のぞき野郎!!わたし「ご、ごめん。てっきり目目さんたちの知り合いだと思って。」と言い訳をする。目目夫様「変な奴だな~。」本当に変な奴だ。知らない人の家に、窓越しに話しかけるだなんて。この後、わたしたちはある山の頂上のレストランに行き、こんな辺鄙なところだというのに満席だったので諦めてクルマに戻って行った。戻り道、山を下りはじめると、反対側から上ってくるこの男と仲間たちにまた会ってしまった。先頭を歩いていた目目さんは、この男を完全に無視して下り続ける。男は目目夫様と並んで歩いていたわたしを見つけ「チャオ ベッラ~!!(いよう、かわいコちゃん!!)」と寄ってきた。男「運命だなあ、また会うなんて!」と昼間っぱらからビールくさい息を吹きかける。わたしはうんざりしながら「ああ、本当だね。」男は目目夫様を向き「もうどれぐらいあそこに住んでいるの?」目目夫様は意外にフレンドリーに「ほんの数ヶ月。」と答える。男「おれはこの村で生まれ育ったんだ。今は下の町に引っ越したけどよ。」あ、そう。わたし「あんたたち、あのレストランに行くんだったら満席で入られないよ?」男は、ふんっと鼻で笑い「よそものは入られないね。おれたちが行ったら大丈夫!」とフラフラと行ってしまった。よそものだろうが、誰だろうが、客席はいっぱいである。調理場ででも食べるつもりだろうか?目目さんは顔をしかめながら「ああいうのをなんて言うんだっけ? 日本の893の下っ端の。。」わたし「ちんぴら。」目目夫様「そうそうちんぴら。たとえ近所でも、あ~いうひとたちとは深くお知り合いになりたくないな。」わたしははっとした。そうだ。。目目夫様、いや、普通のひとの反応と、おっとの大きな違いはこれなのだ!!おっとの場合、窓から覗かれたシチュエーションで、すごく楽しく盛り上がってしまうだろう。さらに山では。この「運命の出会い」に歓喜し、彼らと一緒にレストランに戻り、調理場でもどこでもビールを乾杯するに違いない。そう、このおっとは、付き合い始めの頃は、浮浪者だろうが、どこかの社長さんだろうが、同じ態度で仲良くなり、社長さんをご招待するならともかく「家がないのか、まあ泊まっていけや。」と浮浪者を家に連れ込んできて、何度もわたしを激怒させた男なのである!ああ、違う。違いすぎる。わたしは頭を抱えてしまった。わたしの心の平静は、目目さんちのような生活にある。こんなに根本から違うラテン男と一生添い遂げられるのだろうか?やっぱり独りでどこか知らないところに行くべきであった。独りで自分の中で考え方を整理すべきであった。おっとと少し離れたら、きっと落ち着いてまた元の生活に戻れるかな、と思った。しかしこんな家出、日本人的生活の良さを改めて認識しにいったようなものだ。悩みに悩んで家に帰り着いたら、まだおっとは帰ってきてなかった。山を出発した時点で連絡したら「もうミラノのそばまで来ている。」と言ったのに。わたしはシャワーを浴び、お茶漬けを食べて、疲れて寝てしまった。夜中におっとがやっと、ビールくさい息をしながら帰ってきた。そのとき目覚めたわたしは、トイレに立ったのだが「あ、お帰り!」とご機嫌なおっとに挨拶すら出来なかった。そして今朝。おっとが「おはよう!山は楽しかった?」と聞いて来る。わたし「うん。。まあね。そっちは?」おっと「すごく楽しかったよ!ほらっ、見て!」と、Tシャツをめくった二の腕にはタトゥがほどこされてあったのである!わたし「。。。。。。。。。。。」心の中でどうしていいかわからずに泣いた。
2006.08.28
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今日は「ちょっと飽きてきたけど、まだもうちょっと続く『エクアドルに行く?』日記」はお休み。おとといの夜、ルイスから電話があって「土曜日、そっちに泊まりに行くからな。寿司とやらを作ってくれよ。」と言ってきた。見ればおっとはうれしそうにOKしている。どうもスペインから親戚がひとり遊びに来たので、彼と一緒に一家でうちに来るらしい。わたしは「そんな!!いきなり『泊まりに行くからな。』じゃなくて、こっちの都合も聞いてから決めて!」とぴりぴりしながらも、ついこの間、お世話になった手前、しぶしぶOKをした。そしてわたしは慌てて掃除機を取り出し、夜更けに掃除する。そして昨日の朝。ローランドから電話があって「聞いたよ、ルイスたちそっちに行くんだってな。ぼくらも寿司とやらを食べに行きたいぞ!」見ればおっとはうれしそうにOKしている。わたしは頭に血が上ってしまった!!この日記に何度も書いているが、おっとは彼らの前では何もしなくなる。そんな大人数分の寿司をひとりで作り(彼らは大食い)、しかもやつらの布団の心配までしなければならんのか!?先週ミラノに帰ってきて、週末はまたもや前回と同じ川 で今度は「エクアドル人100%のBBQ大会」に早朝から駆り出され、家の掃除もしていなかった。ジェノバ旅行のスーツケースもまだ片付けていない。おっと「親戚なんだから気にすることないって。」アホ~!ルイスはともかくミリーはわたしはこわいんだ!!家に帰ったら、大急ぎでシーツを洗濯して。。。でも、全員分ベッドなんてないし、どうしよう。。。。。と頭がぐるぐるめぐる。しかし昨日の昼。おっと「彼ら、来ないってさ。」ガク。なんで?おっと「だって彼ら全員、ルイスのクルマ1台に乗り切らないし。で、ローランドたちも乗りたくないみたいなんだよね。だからぼくらが彼らの家に行く、ということになったよ。」こ。。。。このヤギたちめ。わたしはローランドたちが「来る」と言った時点で当然クルマに乗り切らないから電車で来るつもりで話していたのだと思ってたよ?やつらの考えなしの発言に、こんなに振り回されたのか!?そして、帰ってきたばかりでまたジェノバ?冗談じゃないぞっ!そんなに毎日南米生活やってられるか、わたしはイタリアに住んでいるんだ!!!ひ。と。り。で。行きやがれっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!はあはあはあはあ。。。。。。。。。。というわけで唐突ですが、家出することにしました。今日会社が終った後、中央駅から電車に乗る予定。昨夜はクルマじゃなくて、手荷物でいかに軽量で旅行できるか、バックパッカー時代を懐かしく思い出しながら荷造りしていたら、久しぶりに楽しくなってきた。わたしに最近欠けていたものは、これだったんだ、これ。では行ってきま~す♪
2006.08.25
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昨夜は2週間のバカンスから帰ってきたばかりの目目さん宅に夕ごはんに呼ばれた。で、昨日の日記で書かなかったが、あることに気がついた。おっとはあじのから揚げをつまみながら、目目さんに「ジェノバはそれはそれはそれはそれはそれはそれは楽しかった。」と一部始終を語っていたのだが、昨日の日記のパーティの話になったとき。おっと「ぼくらが踊ってたらね、夜の1時ごろに玄関のチャイムが鳴ったんだ。開けたらローランドのアパートの下の階のひとが立ってて。。」ああ、そういえばそのときわたしは一番奥のソファの隅で眠気と格闘していたっけ。野次馬なみなさんは玄関に集まって、下の階のひとと話し、そのひとが階段を下りていってから扉を閉めて更にミュージックのボリュームを上げていたな。おっとは続けて言う。「ぼくらはてっきり下の階のひとを見た時、後ろ手にシャンパンでも隠し持ってて『楽しそうだから仲間に入れてくれ!』と来たのかと思ったんだ。そうしたら、彼『ラテンミュージックと踊る靴音が階下に響いてうるさくて眠れないから、静かにしてくれ!』って怒ってきたんだよ!?なんか、その後パーティがぶち壊された感じで気分が悪かったから、彼が家に入るのを見届けて、ボリュームを更に上げてやった。」目目さん「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。ハハハ。」わたし「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」ち、違いすぎる。この結婚生活、いつまで続くやろうか?*****8月13日(日)この日、起きれたのは朝の11時過ぎだ。カティちゃんはまだ寝ていた。午前中に起きれただけまだマシ。朝4時半ごろに忍び足でルイスの家に帰ってきたのだから。おっとはあくびをかみ殺しながら、最近はじめて買ったという電子レンジにマグカップに注いだ牛乳を入れ、チンする。そこでやっとカティちゃんも起き出して来た。ルイスもミリーも家にはいない。オープンしたての店が気になるらしく、日曜日も午前中は開けているのだという。実は誕生日だったので、家からフルーツケーキを焼いて持ってきた。前日は食べるチャンスがなかったのでしかたなくそれを朝ごはんに半分ほど切り分けて、3人で食べ終わった頃にルイスとミリーが帰ってきた。ルイス「昼メシにしようや。」うう。なんか、この家にいると食べてばかりの生活になる。ミリー「ローランドたちを招待したのよ。セビチェ(このブログでも何度か紹介した南米料理の魚介の冷たいスープ)にしましょう。」。。。。。え?「ローランドたちを招待した?」つーことは、仲直りしたってこと??OOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,SIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIIII!!!!!!!!!!!!!!!ミリー「わたしローリーに電話するから、海老のカラをむき始めてくれる?」と流しにうず高く積まれた海老の山を指した。ふだんなら「ゲ、うざいな。」と思うのだが、このうれしいニュースに鼻歌を歌いながらせっせとカラを剥きにかかるわたし。いつも腹立たしく思うのだが、ルイスたちの前ではおっとは一切家事をしなくなる。このときもわたしが独りでせっせとカラを剥いているのに、おっとはルイスとテーブルを挟んで座り、当たり前のようにビールを飲んでいる。ミリーが電話を終えてわたしと一緒にカラを剥きにかかった。「電話したら、彼らまだ寝てるのよ?もう、この昼食のこと知ってるのにイヤになっちゃう!」あ、やっぱりまだトゲがあるな。涙そりゃあ昨日の今日じゃローランドたちも。。。家が近いせいもあってか、1時間もしないうちにローランド一家が現れた。ローランドの奥さんローリーは挨拶もそこそこに台所に入り、ひそひそとミリーと2~3言交わして野菜を切り始めた。あれ、ローリーは今日は招待される側じゃなかったっけ?海老のカラ剥きが終わって考えていると、「いくきーとは座ってて!」とわたしは追い出されてしまい、彼女たち2人でセビチェと、ジャイアントコーンを細かく切った豚の皮と一緒に炒った「トスタート」を作って食卓に並べたのだった。なんだかぎこちないながらも平穏な食事が終わった。子供たちは「今から泳ぎに行くの!?」と水着を手に握りしめてわたしに聞いてきたが、時計を見ると夕方の4時過ぎ。わたし「今から泳ぎに行くのは無理だよ。どうするか、お母さんたちに聞いておいで。」子供たちはためらいがちに両親のいるダイニングまで行く。見れば、男たちはゲハゲハ笑いながら座ってビールを飲んでいるし、ミリーとローリーはそのそばで立って相変わらずひそひそと話している。?やっぱり仲直りした??←しかし雰囲気的にはちょっと微妙ミッシェルちゃんがローランドの腕をつかんで「どこかに行こうよ!」と言っているのだが、彼は耳を貸さない。わたし「皆さん、今からどうするの?いい天気なのにここで夜までぼ~っとしているつもり!?」と助け舟を出すと、ルイスが気まずそうな顔をして、男たちが面倒くさそうに立ち上がった。それから大人たちは覇気なくぞろぞろと玄関に向かった。わたしは「ねえ、いったいどこに行くの?」とおっとの袖を引っ張ると、おっとは面倒くさそうに「コルソ イタリア通り。」と答える。え~、またかよ~~~~!!!???「コルソ イタリア通り」とは海水浴上沿いの1kmほどの海辺の遊歩道で、きれいなレストランや建物が軒を並べている。ここで食事やアペルティーボでもすれば、ハイソでロマンチックなのだが歩くだけ。しかも、毎年ジェノバに来るたびに散歩といえばここ。他に行くところが思いつかないのか、このヤギたちは??!!4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。5.ジェノバでジェノバ料理を食べれるなんて期待してはいけない。6.ジェノバで水族館(海遊館よりはへぼいが、欧州一の規模を誇る)に今年こそは行けるかも?なんてヤギたちの「明日、行こうや。」という言葉に乗って期待してはいけない。7.せっかくリビエラ海岸沿いのジェノバに行くんだし、行き帰り道の途中にどこか2人で立ち寄れるかも?なんてスイートな期待を決してしてはならない!!!そうだった、そうだった。わたしはあきらめてクルマに乗り込んだ。わたしたちのクルマにローランド(いとこ弟)一家が一緒に乗り込んだ。←やはりルイスのクルマに乗るのはまだ抵抗があるらしいローリー「こんな半端な時間に外に出て、夕ごはんはどうするつもりかしら?」←きみたちは食べることしか頭にないのか?おっと「う~ん、外食じゃない?やっぱり。」ローリー「わたし中華が食べたいわ。いくきーとに知らないメニューを教えてもらいたいし。」←きみはわたしと知り合って数年経つのにまだ「日本人」と「中国人」の区別がつかんのか!?ミッシェルちゃん「ちゅ~か、ちゅ~か!!」←調子を合わせているだけで考えていないわたし「。。なんでもいいよ、わたしは。皆さんの好きに決めて。」←どうせわたしの意見などいつも採用されないコルソ イタリア通りに着いた。子供たちはクルマから飛び出してきてわたしの両腕にしがみつく。去年はミッシェルちゃんにせがまれるまま、腕に彼女をぶらさげて「うを~!!」と走り回ることも出来たのだが、今年、それをやろうとすると重い。しかもわたしよりきっと体重が上であろうカティちゃんまでが、今年は目いっぱいにわたしの腕を引っ張る。「うぎゃ~、痛いよいたい!!」大人たちはしゃべりながらだらだらと先を歩いていく。わたしは去年同様、服をやぶられそうになるぐらい2人の子供に引っ張られながらその後を歩いていく。遊歩道にはたくさんの露店が出ていてカティちゃんが一軒のバッグばかりを売っている屋台の前で止まった。カティちゃん「これ可愛いな。」と古いジーンズで作られたらしいカジュアルなバッグを手に取る。わたし「それ欲しい?」カティちゃんはハッとしたようにバッグから手を離しうつむいて「ううん、いらない。」と首を振った。ミッシェルちゃん「く~き、わたしこれが欲しい!!」とたまたま手の届くところにあった、どう見たって子供用ではないバッグを手にとって振り回す。カティちゃんは以前からおとなしくて、いつも何かに耐えているようなところがあり、時々痛々しくすら見えてしまう「良い子」タイプなのだ。それに比べて年下のミッシェルちゃんは、初めて知り合ったときから大人を振り回す子供であった。欲しくないものでも何でも欲しい。うそで目をウルウルさせて(おっとの親戚共通のDNA技らしい)「買って。。お願い。」と始まり、「見え透いた演技はやめなよ。」とカティちゃんに釘を刺されると「でへへ~」と笑ってから「うぎゃ~っ!買ってよう!!!」と吠えまくる。汗このときもそうだった。わたし「遠慮しないでいいよ、買ってあげる。」と無理やりカティちゃんに選ばせていると、「カティだけずるいっ!!」とミッシェルちゃんが吠え始めた。わたし「あんたにはTシャツ2枚もあげたでしょうが!」ミッシェルちゃん「あんなのいらないもん、わたしバッグが欲しいよう!」こ、このガキ~~~ッ!!!!このときミッシェルちゃんの母、ローリーが即座に駆けて来て「あんた、いい加減にしなさいっ!」と一言言うと、さっきまで吠えてたのが嘘のように鳴き止み「ちぇ」と舌打ちして普通の顔に戻ってかもめを追いかけて走っていった。汗やっぱり母の威力はすごい。うん。カティちゃんにバッグを買った後、去年同様、遊歩道を往復した。周りは薄暗くなって、潮風がきつく冷たくなってきた。ルイス「そろそろ帰るか。」おっと「せっかくみんなで外に出てるんだし、外食して行く?」わたしはローリーを見た。さっきは「中華が食べたい。」と言っていたのに、わたしとおっとを訴えるような目で見ながら黙っている。わたしにはその意味がわかった。わたし「あ、いいね。中華とか。」ローリーはやっぱり、長男一家には頭が上がらないのだろう。助け舟を出したつもりだった。ミリー「何言ってるのよ。外食なんてもったいないわ。せっかくマルちゃんといくきーとが来てるんだから、家でエンパナーダ(中にチーズをはさんだ揚げパン)を作りましょ!」とローリーを睨む。ううう。お見通しだったか。結局わたしたちはそのままルイスの家に帰ることになった。帰りはなぜか、ローリーとローランドはルイスのクルマに乗り込んで、子供たちだけがわたしたちのクルマに乗った。きっとミリーがそう仕向けたのだろう。家に帰り着いたときにはローリーはすっかり無表情になっていて、素直にミリーに言われるまま、小麦粉をこね、エンパナーダを作っていた。ここでわたしは今年の彼らの力関係が理解できた。「長男の嫁は『長男の嫁』であり、次男の嫁より上なのだ!」と。当然といや当然だけど。。。。。。。このぎりぎりの平穏がいつまで続くんだろうか?(つづく)
2006.08.24
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クルマに乗り込もうとするとカティちゃん「歩いていったほうが早いよ、こっちこっち。」と手招きする。カティちゃん「ローランド、引っ越して更にうちから近くなったのよ。」そうか。わたしたちは決して夜にひとりでは歩けないであろう、ぽつりぽつりと街灯がさびしく点いた坂道をどんどん降りていった。リグリアの海岸沿いは山がぎりぎりまで張り出していて、ジェノバの街も、山肌にしがみつくように発展している。なので、この街はちょっと歩いただけですごい急傾斜の坂道ばかりになるのだ。(どうでもいいが、この街に地震が来たら、おそろしいことになるだろうな。)ちなみにわたしは1月の事故からもう7ヶ月も経っているのにまだ「びっこ」状態である。階段や坂道を上がるのは平気になってきたが、降りるのは未だにこわい。わたしは、わたしよりもがっしりしてきたカティちゃんにしがみついて、へコヘコ降りる羽目になった。これではどちらが保護者かわからない。汗やっと坂道を降り切ったところにローランドのアパートがあった。それがそうだとすぐにわかったのは、8月の無人の静寂の街に、そのアパートの一室からラテンミュージックが大ボリュームでガンガンに聞こえていて、部屋の明かりの逆光で顔はわからないものの、母子がこっちを見て手を振っているのが見えたからだ。「く~き!!!」アパートのドアを開けると、真っ赤な口紅を塗りたくったミッシェルちゃんが抱きついてきた。ミッシェルちゃんは今年5歳。いったいいくつまで、わたしにこうやって抱きついてくれるんだろう?続いてラメ入りの黒いミニのワンピースとキラキラのピンヒールで決めたローランドの奥さんローリーが「ひさしぶり!」とキスしてきた。気のせいかもしれないが、去年の暗い影はずいぶんと薄れたようだ。やっぱり仲直りしたのかな?で、例のお土産のTシャツを渡す。ミッシェルちゃん用のはぴったり、というかちょっと小さいぐらい。今年限りだろう。カティちゃんのはさすがに大きすぎたが素直にもらってくれた。ホアパートは去年の他の2家族との、いかにも「しょうがないからシェア」な、殺風景なアパートと違って、きれいでこじんまりとしたカントリー調の家具で揃えられたアパートだった。ローリー「他のメンバーも今来たところなのよ。」と紹介する。←リピートするが、夜の11時過ぎ。一組はローランド家族とシェアしている、たぶんわたしとあまり年齢がかわらないであろう、イタリア在住エクアドル人にしては垢抜けしたお母さんと、18歳前後のセクシーな娘、母娘どちらの彼氏かわからないセクシー系イタリア人。近所に住むという、エクアドル人の双子のお姉さんたち。リビングのテーブルの上にはまるでイタリア料理雑誌から抜け出したようなおしゃれなアンティパストがぎっしり並んでいる。更に切り分けられた生のフルーツがたくさん乗ったケーキはそこら辺のケーキ屋とは比べ物にならないぐらいおいしそうだ。ローリー「全部わたしが作ったの、たくさん食べてね。」去年と雲泥の差だ!しかしわたしたちはさっきルイスの奥さんミリーが作った夕ご飯を食べてきたばかりでおなかが一杯だ。しかし食べなければ。せっかくローリーが丹精込めて作ってくれたのに。。。わたし「うぐうぐ、もぐもぐ。。。お、おいしいよ、絶品だよ、ローリー。」と取り分けられた皿を冷や汗を流しながら食べ切った。ローリー「アハハ、いくきーとったら!よほどおなかが空いていたのね?さあ、どんどん食べて!!」ああ、地獄だ。こういうのを餓鬼地獄じゃなくて、なんて言うんだっけ。。。カティちゃんを見ればアパートに入ってからというもの、ぶすっと黙りこくって、ローリーが取り分けたお皿も「いらない。」と断ってイスに座ってじ~っとしている。面白くないなら、こんな遅い時間だし来なきゃいいのに。。わたしは更に配られたモヒート(生のミントの葉が入った南米風カクテル)のグラスを持ってカティちゃんの横に座った。カティちゃんはわたしをじっと見る。わたしは困ってしまい「え~と、楽しんでる?」カティちゃんは首を横に振る。わたし「一緒に踊ろうか?」カティちゃん「まだいい。」←なにげに答え方が玄人である!わたし「あ、そう。あのさ。。そのう、お父さんたちはローランドたちと仲直りしたのかな?」カティちゃん「なんでそんなこと聞くの?」わたし「いや、なんとなく去年よりはいい感じだな、と思って。」カティちゃん「大人のことは大人に聞けば?わたしには関係ない。」あ、そう。やがてローリーがおっとの手をとって踊りだした。おっとはわたしと踊るときは、わたしがヘタだからか?グルグル目が廻るほど廻すのだが、彼女とは違う。彼女と腰をうねうね密着させて踊っているのである。たぶん、ラテンの踊りをはじめて見る日本人妻なら、そこで怒ってちゃぶ台をひっくり返しているだろうが(←ひっくり返し経験者)、もうこんなものごときで怒らなくなった。それに続いて同居人の娘が彼女の彼氏かお母さんの彼氏か、わからないイタリア人と踊りだした。彼氏はやはり本場ものじゃないのでへっぽこなのだが、彼女が超ミニのフレアスカートを翻しながら、腰をクネクネさせながら、スカートがちょうど座っているわたし鼻先をくすぐりながら、で踊るのは、いつまでたってもウブな日本人には鼻血が出そうになる。もしかしたらわたしはレズのけがあるのでは?と思うぐらい食い入って見てしまう。日本のスケベなおじさまたち、へたなキャバレーに行くより、ラテンクラブの方が楽しめまっせ。そうやって、鼻をさりげなくティッシュで押さえながら見ていると、横でずっとぶすっと座っていたカティちゃんが立ち上がった。カティちゃん「この曲きらい。これかけて。」と他の曲をリクエスト。その曲のタイトルは忘れてしまったが、いかにもヤング(死語?)が好きそうなズンズンお腹に響く曲である!ここでおっちゃんおばちゃんたち(おっとを含め)が潮を引いた。同居人の娘だけが残り、踊りだした。カティちゃんがやっと舞台に立ち、ひたすらお菓子を食べていたミッシェルちゃんも「やほ~!」と飛び出してきた。わたしが感心したのは、年頃の同居人の娘が色気を振りまきながら踊るのはわかるが、カティちゃんの腰の動きも半端でないのだ!相当踊り込んでいる。。。。とわたしは見た。そういえば彼女、ルイスの家を出る前、確かこの曲をかけて鏡の前で練習していたっけ?これが10年後には、わたしを鼻血ブーにするのだろうか?それに比べてミッシェルちゃんの動きはまだやはり全体としては幼い。だが、歌詞のさびのところでの腰のうねりを見ると「この子。。。もしかしてもう、知っている?(何を)」と思うぐらい練りこまれたものがある。子供たちはわたしをあんぐりさせながら踊り続ける。おっとを見れば、別にわたしのように驚いた様子もなく、普通にカクテルを飲みながらくつろいでそれを見ている。時計を見ると、夜中の3時。この子達は眠くないのだろうか?わたしの同僚のミッシェルちゃんと同い年の娘は、9時にはもうベッドに入っているのにな。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。「ぐ~」おっと「いくき~と、こんなところでうたた寝しないで!失礼だろ!!」とわたしを揺り起こした。ハッと我に返って眼前を見ると、まだ子供たちは汗を振りまきながら踊り狂っていた。(つづく)
2006.08.23
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食べ終わってすぐにクルマを発進、あっという間にジェノバのルイスの家に着いた。お留守番のカティちゃんが迎えてくれる。彼女は成長して、大人びていた。去年のように「く~き!!」(←ここの子供たちは「いくきーと」とどうしても言えなくて、わたしのことをこう呼ぶ。)と抱きついてこないのがちょっと寂しい。そして1年前よりも更に背が高く、横幅も大きく育っていた。汗わたし「お、大きくなったねえ。。」やっぱりあのお土産のTシャツ、絶対彼女のサイズではない!と、すぐにわかった。ああ、予想通りだ。お店のお姉さんを恨みたいところだが、カティちゃんもこの年齢にしちゃ、育ちすぎているような。。。汗おっと「そうそう、お土産があるんだ。」OOOOOHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOO!!!!!言うたらあかんっ!!こういう場合は隠しておくべきだっ!!!!おっとはTシャツを取り出す。どう見たって小さい。おっと「あれ、なんか小さいんじゃない?試着してみて。」カティちゃんは素直に着てみた。頭がつっかえてなかなか入らないのを無理やり着ると、思ったとおりパツパツ。破れそうだ。おっと「大きくなったなあ!もしかしていくきーとより大きいんじゃないか?ちょっと、いくきーとのTシャツも着てみてよ。」カティちゃんは素直に着てみた。今度は頭は入ったが、わたしにはぴったりサイズのTシャツもカティちゃんにはへそが出る状態でパツパツに止まった。_| ̄|○あ、そうか。夏になると大量に発生するヘソ出しルックのふくよかなお姉さんたちは、成長度が早くてTシャツのサイズが合わないからなのか。。。違)わたし「ごめん。。あんたがこんなに大きくなってると思ってなくて。滞在中に欲しいものがあったら、なんでも買ってあげるよ。」カティちゃん「気にしないで、気持ちだけで充分よ。このTシャツはミッシェルにあげてちょうだい。」カティちゃん。。。あんた、人間的にも成長したねえ。ほろり。ルイスが午前中だけの仕事が終わって帰宅した。ルイス「おお、来たか。さっそく昼メシにしようや。」わたし「え?もうわたしたち食べてきちゃった。」ルイス「そうなのか、残念だな。ミリー、お前らの分も昼メシを作っていったのにな。」やっぱり、そうやんけっ!!!ルイスがひとり、黙々と昼ごはんを食べるのを眺めながらわたしはカティちゃんに「今日はこれからどうするの?」と聞く。カティちゃんはお出かけ着に着替えながら「これからママのところに行くの。」ミリーは2ヶ月前から以前の友人と開いた店を抜けて(ミリーの性格から揉めたと思われる。)、ミリーとルイス、あとひとりのおばさんとの共同出資で、エクアドル食材店&精肉店をオープンした。店はミリーひとりで働いている。その新しい店をルイスが昼食を済ませた後、さっそく見に行った。店はジェノバの中心地の高台にあって、オープンしたてのこともあり、へたなミラノの日本食材店よりもきれいだ。店のロゴ入りの清潔な制服を着たミリーが「いらっしゃい!」と迎えてくれた。色とりどりのミラノでは見たこともない商品がぎっしり棚を埋めている。わたしが珍しくてまるで芸術鑑賞のようにゆっくりと見ていると、おっと「じゃあ、いくきーとはここで待ってな。」わたし「へ?」ミリー「そうしなさいよ、マルちゃんたちと一緒に行っても男ばっかりでおもしろくないわ。」わたし「???」おっと「彼らは今から、前にも行ったと思うけど、例の公園までサッカーに行くのよ。」おっとはわたしの返事も待たないまま、ルイスとまるで犬を他人に預けるように出て行ってしまった。彼らが去っていって、静寂が訪れたとき、やっと状況が飲み込めた。ああ。思い出した。おととしは「散歩に行こう。」という言葉に、中心地まで行くのか?と期待してついていくと、なんでもない公園に着いた。エクアドル人の酔っ払いたちが足元にビール瓶をゴロゴロ転がして、定まらない目つきでサッカーを観戦していて、選手もエクアドル人たちばかり。おっとたちが飛び入りで試合に参加している数時間、わたしとミリーとカティちゃんはぼ~っと離れたところで共通の話題もなく、ただただ雑草をむしっていた。くっそ~!!またやられたっ!!!こうなるとわかっていたら、今年こそ「単独行動:ジェノバ探訪の旅」に出ていたぞ!!4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。そうだった、そうだった。期待しちゃいけないんだ、期待しちゃ。ミリーにうながされてカウンターの後ろのイスに座る。彼女は売り物の「トロピカル」という、エクアドルではおなじみのリンゴ味のソーダをコップについでバナナチップの袋を開けてくれた。8月は開いている店も少ないが、お客も来ない。店の外に降る小雨をうっとおしく眺めながら、パリポリとバナナチップをかじる。きっと、こんなところにイタリア人のお客が来たら、中国娘がカティちゃんのベビーシッターでもやっているように見るんだろうな。。。カティちゃんをみれば、ルイスからもらったお下がり、といってもビデオカメラつきの携帯で遊ぶのに夢中だ。あ~、つまんない。わざわざバカンスシーズンに休暇を取って、こんな暇な店の店番。それこそ独りで出かけたくて、さりげなく「ここから水族館までどうやって行けるの?」と聞く。ミリー「まずは84番のバスに乗って、42番に乗り換えて。。。」カティちゃん「く~き、水族館に行くの?ねえ、行くの?わたしも行きたい!」と腕にぎゅっとしがみついてくる。しかしざーざーと雨足が強くなってきた。傘はクルマの中に置いてきてしまった。こんな雨の中、知らない街を地図もないのに、バスを乗り継いで行くのもな。。と、すっかり面倒くさくなって座りなおしてしまった。午後のお客はたったの2人。近所のイタリア人のおばあちゃんたちだ。ミリーはよろよろのおばあちゃんたちが買い物を済ませると、それを持って家まで送っていった。しかし夕方になると、南米人のお客がどんどんと来て、肉やエクアドル食材を大量に買っていく。夜、シャッターを閉めかけていると南米人グループがやってきてビールを買い、店の外にしゃがみこんでしゃべりながら飲み、なくなるとまた冷蔵庫から取り出して買って飲み。。となかなか閉店できなかった。8月なのに、なかなか繁盛してるじゃないか?と感心しているところにやっとおっとたちがヘロへロになって帰ってきたのだった。ビールを冷蔵庫から取り出して店の外にしゃがみこんで2人でしゃべりながら飲み、なくなるとまた冷蔵庫から取り出して飲み。。。そ、そうか。これが南米スタイルなのだな。っつ~か、いつまで経っても閉店が出来ないではないか!わたしはおっとをせかす。ミリー「いいのよ。今日は仕入れの業者が来る日だから待たなきゃいけないの。」結局ミラノから来た、という仕入れ業者がエクアドル食材を次々に店に詰め込んで出て行ったのが夜の10時。わたし「今日は遅いし、外食しようよ?」←これからお世話になるのでごちそうするつもり。おっと「いいねえ、ピザとか?」←何を珍しくイタリア人のようなことを言っているんだ!?ルイス「え~、ピザ?」←お前に聞いているんじゃない。ミリー「。。。う~ん、疲れたから外食はいいわ、家で食べましょ。」わたし「で、でも支度が。。。」←ただでさえイヤなのに、こんな遅くから作りたくない。ミリー「お昼、あなたたち外で食べてきたんでしょ?だから少しおかずが残ってるはず。それを温め直して、ごはんを炊いて、インスタントのスープを作って。。簡単よ。」簡単かあ?ミリーは実際家に帰ると、一番疲れているはずなのに、なんともない風に、またもやビールを開けている男たちにつまみを出し、ちゃっちゃとごはんを炊いて、インスタント、といってもポテトや人参を加えたエクアドル風のスパゲッティスープを作り、昼ごはんの残りの鶏肉を温めて皿に盛ったのだった。それもわたしが自分たちの部屋のベッドメイクをしている間にだ。申し訳なかった。食べ終わって皿洗いを手伝おうとしているとおっと「さ、でかける支度をして!」わたし「どこ?」おっと「ローランド(いとこ弟)の家だよ。パーティに招待されたんだ。」カティちゃん「パーティに行くの?わたしも行きたい!」と腕にぎゅっとしがみついてくる。時計を見た。もう夜の11時を廻っている。わたしはこの時間までたいしたことはしていないけど、なんとなくへとへとだった。こんな時間からパーティに参加するとなると、間違いなく朝帰りだろう。それにカティちゃんをこんな時間から連れて行くのも。。。わたし「わたし、疲れた。行きたくない。」おっと「何言ってるんだよ?ルイスのところだけでローランドのところに行かない、となるとまた去年みたいに揉めるぞ。」ああ、そうか、そうだったよな。カティちゃんはそう言っている間にもちゃっかりミリーにお許しをもらって、着替え始めた。むむむむむ。。。。南米ではこんな子供もこんな時間から外出するのか。わたし「ミリー、心配しないで。すぐ帰ってくるから。」ミリー「時間なんか気にしないで楽しんでいらっしゃい。」あれ、なんか彼女、去年よりもローランド家族に対する態度の角が取れたように思うのは気のせいだろうか?もしかしたら、仲直りしたのかな?ちょっとホッとして、わたしとおっとはカティちゃんと手をつないで外に出て行った。(つづく)
2006.08.22
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ちなみにこれはジェノバで買ってきたものの写真。。。。。。イタリア在住者と、南米在住者にはもうおわかりですね?汗8月12日(土)この日はいよいよジェノバに向けて 出発である。前日にパニーノをおかずに(涙)安いシャンパンを飲みすぎたおかげで、朝早くおっとにたたき起こされると、頭がガンガンしていた。わたし「う~、行きたくない。」二日酔い アンド 本当に行きたくない願望である。おっと「何冗談言ってるんだよ?まだ荷造りもしてないし、早く起きて!出来るだけ早く出発しようよ!!」わたし「そんなに早くジェノバに着いてどうするつもり?ルイス(おっとのいとこ兄弟の兄)もローランド(いとこ弟)も今日は仕事なんじゃないの?」おっと「。。。あ。」あ、じゃないよ。わたしはしぶしぶ起きて顔を洗った。顔をあげて鏡を見ると、目の下にクマが出来ている。前日、家に帰ると、もうわたしの誕生日会をすることが、ヤギたちの間で決まっていた。わたしはとりあえず主役なので、珍しくスカートははいたものの、「ヤギな会だし。。」とラフな格好で出かけた。ところがばっちりと化粧をきめ、エレガントな服装で現れたエルトンの奥さんが「誕生日なんだからシックなところで食事をしましょう。」というので、大雨の中、田舎町をレストランを探し回って約1時間。やっと一軒、開いている、と言う理由だけで決めたBARのテラスの薄ら寒い席に着いたときにはなんかヘトヘトだった。大雨の騒音で怒鳴りあわないと会話が成り立たない。声が枯れた。そして寒さに凍えながらも、冷えたシャンパンを結構飲んだし、おっとが注文した特大パフェをつまみ食いしたおかげでお腹の調子もおかしい。ああ、やっぱり観たくなくてもあの映画を観に映画館に行ってれば、少なくともこんなみじめな誕生日にはならなかったな。。。と、ぼんやりと温かいはちみつ入りの高麗人参湯を飲みながらおっとを見る。おっとはまるで子供の遠足状態で、昨夜の疲れはなんのその、うきうきとクルマにシュノーケルやビーチマットを積み込みに外に出て行った。 仕方がない、今年も行かなければならないのだ!わたしはせかせかと動き回るおっととは対照的にソファの上に座禅を組んだ。←足がまだ悪いので座禅、というより如来のようなポーズ。そして心を整理した。1.ルイス家族とローランド家族は一緒に行動できる、と思ってはならない。(←昨年から仲たがいして別居している。)2.ルイスの奥さんミリーは取り扱いに注意しなければならない。(←エルトン以上に神経質なひと。おととし、そのため心の病で自殺を図った。)3.今年は本気で子供たちの相手をしてはいけない。(←特にローランドの娘、ミッシェルちゃんに要注意!)4.ジェノバで名所旧跡を巡れる、なんて期待をしてはいけない。5.ジェノバでジェノバ料理を食べれるなんて期待してはいけない。6.ジェノバで水族館(海遊館よりはへぼいが、欧州一の規模を誇る)に今年こそは行けるかも?なんてヤギたちの「明日、行こうや。」という言葉に乗って期待してはいけない。7.せっかくリビエラ海岸沿いのジェノバに行くんだし、行き帰り道の途中にどこか2人で立ち寄れるかも?なんてスイートな期待を決してしてはならない。(←おっとは猪突猛進型。目的地までにドライブを楽しむ、というアイデアが頭からないタイプなのである!)8.ジェノバを決してイタリアと思ってはいけない。今からわたしたちはエクアドルに行くのだ!!!!!おっと「もう、何じっとしてるんだよ、早く支度して!!」わたしは立ち上がった。これで心の準備はばっちり。これだけ心得ておけば、もう昨年のように「連続心臓しめつけの日々」からは解放されるだろう。。。。たぶん。服をスーツケースに詰め込み始めるわたし。選ぶのはほとんど着古した古着ばかりだ。これなら子供たちにどれだけ引っ張りまくられようが、やぶられようが惜しくはない。最後にベネトンで買った子供たちへのお土産のTシャツ を詰める。外に出ると雨がしとしと降っていて寒い。ジェノバがせめて晴れてたら。。。と願いつつクルマに乗り込んだ。ちょうど8月ど真ん中の土曜日で、普通なら海に向かう道は混雑するであろうのに、この寒い気温と雨のおかげで高速道路はガラガラ、しかもおっとが早く行きたいらしく、びゅんびゅん飛ばしたのであっという間にジェノバの少し手前のインターチェンジまで着いてしまった。ジェノバは曇り。雨じゃないだけまだマシである。おっと「ここで昼ごはんを食べていこう。」わたし「ちょっと、食べる前にルイスの奥さんミリーに電話して確認したほうがいいよ。あのひと、いつもごはんの心配してくれるから今度も用意されてるかもよ?」おっと「ミリーは今日も夜まで仕事だよ。電話なんかしたら彼女忙しいのに『作ってください。』ってお願いしているようなものじゃないか?食べていったほうがいいよ。」そうかなあ?わたしはいぶかしがりながらも、おっとにうながされるまま簡単にパニーノをジュースで胃に流し込んだのだった。(つづく)
2006.08.22
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すみません、御無沙汰してます。7月も終わり、仕事の繁忙期は過ぎたのですが、慣れない「働きすぎ」に体調を壊してしばらく休んでました。だんだんと通勤電車は空いていくし、通勤客のかわりにスーツケースや登山用のでかいリュックを持った人々が増えてくると、言いようもない怒りと嫉妬と虚しさがこみ上げてきます。******日記には書かなかったが、ちょっと前におっとは、起業に失敗した。というより、始める前の準備段階でこけた。そして銀行に借金までして買った(ちなみにおっと一人では借りれなかったので、わたしが無理やり共同借金人、しかも筆頭借金人に勝手に仕立てられたのである!!)ワゴン車も一度も使うことなく売り飛ばす羽目になったのだが、性懲りもなく、またもや9月から起業にチャレンジする気である。わたしは前の失敗点を挙げ、「大丈夫なの?それでもOKなの?」と聞くのだが、自信たっぷりに「今度こそ大丈夫!」と言うばかりで、理論を立てて何が大丈夫なのかなどと、複雑なことは言えないようだ。哀いったいこの自信がどこから来るのかは、妻のわたしよりもおっとと仲がいいであろうウイリアムですら説明がつかない。このワゴン車を彼の遠縁のいとこを働かせる為にすっかり買うつもりでいたウイリアムは、このおっとの心変わりに、まるで浮気でもされたように「勝手にしやがれ!」とそっぽを向いてしまった。わたしも、きっとウイリアムも、9月にまた同じこけかたをされたならば、それこそおっとを見放す時期だろうか?と、本気で考えている。わたしは小ずるい奴だ。決してこの事情だけで結婚したわけではないが、2003年のわたしたちの結婚は、おっとがイタリアにおける正式な労働許可証が取れて、わたしの滞在許可証の期限が切れる時期に合わせたのだ。そうすれば、一度に「滞在許可証の種類の変更」も「更新」も済むし、今までの面倒な手続きから、簡単な扶養家族としての手続きだけでいい、と思ったのだが、その実は甘かった。通常の「労働」や「学生」よりも「家族」のほうが、よほど手続きがややこしく、時間がかかった。しかもミラノで前代未聞の「エクアドル人」と「日本人」の異国どうしカップルなものだから、あちこちの入管クエストウラをたらい廻しにされて、やっと書類を受理されても、おっとがそのときちょうど「被雇用者」から「自営業者」に変わったばかりだったので、手続きに揉めて何度も通いなおさせられる羽目となった。ただでさえ、面倒なのに、イタリア在住者にはこの苦労は想像できるとは思うが。。(お暇な方はこのページの一番下から次ページの2004年7月11日までお読みください)ようやく全書類が受理され、「2ヶ月後に受け取りに来てください。」という言葉を信じて3ヶ月後に行き、それでもダメで何度も通い、2003年から準備を始め、やっと滞在許可証の更新が受け取れたのは2004年になってからだった。怒毎度毎度、この恒例の儀式には本当に腹が立つ。なにもわたしたちは不法滞在者じゃない。あんたたちの給料をわたしたちの高い税金から払って養ってやっているのに、この態度はなんだっ!!??というわけで、今年も憂鬱な更新の時期がやってきたのだ。もう半年も前から憂いて、入管クエストウラのサイトを見たりして、必要書類を調べていた。わたしたちは、前回のように、またもや2人の国籍が違う、ということでたらいまわしにされることを想像して身震いがした。しかも、今回は田舎町に引っ越している。住んでいる場所によって入管クエストウラの管轄が違ってくるので、またゼロからやり直しのようなものである。そんな憂鬱をある日、目目さんに打ち明けた。目目さん「うちも今年更新なのよ、前回は業者に頼んで、1日でやってもらったわ。今年もやってもらうつもり。小さな子供連れでクエストウラに並ぶのはきついものね。」なぬ!?さっそくわたしはその業者を紹介してもらった。それは2月の事だった。業者「ええ、うちでは1日で出来ますし、滞在許可証の有効期限が切れていてもなんとかいたしますよ。はあ、「エクアドル人」と「日本人」のご夫婦?で、有効期限が6月20日。奥さん、動くにはまだ早いですね。期限が切れる1ヶ月半ほど前にもう一度お電話下さい。」そうか。。確かに早いな。わたしは業者の頼もしい言葉に安心し、電話を忘れないように4月のカレンダーに大きくメモを書き残したのだった。そして4月末。わたしは業者に電話した。業者「あ、ああ。覚えていますよ。では古い滞在許可証をFAXで送ってください。折り返しお電話致します。」わたしはさっそくFAXして待った。次の日もその次の日も待った。返事がない。電話をするが繋がらない。心配になった。やっと1週間後、電話が繋がった。業者「あ、ああ。奥さん。申し訳ありませんがうちじゃ出来ません。」わたし「ハア、どういう事ですか?この間は出来るとおっしゃったからFAXして待っていたんですよ!?」業者「。。うちは日本人のみにしか出来ません。」わたし「そんなはずないでしょう?ここを紹介してくれたのは韓国人夫婦なんですけど?!それにわたしは日本人です!」業者はしどろもどろになり「つ、つまりですねえ。。うちは日本人とか、韓国人とか、カナダ人とか、北アメリカ人しか受け付けないんですよ。」わたしはカチンときた。「要するに手続きが簡単そうな国しかやらない、ってことですね?」業者「そうではなく、とにかくエクアドル人はできない、という事です。」わたしは怒って電話を切った。出来ないならなんで最初からできない、と言えないんだ!?怒りついでにその業者に別の業者を紹介してもらって電話をしたが、ここも似たような答えで断られた。わたしは焦った。この業者を信じて何もせずに待ってしまったのだ。残り時間はあと1ヶ月しかない。準備に役所関係の書類を揃えるには、とにかくとろいルイジなイタリア、1ヶ月では少なすぎる!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!その夜、しょげているとおっとが帰宅した。事情を話す。おっと「そういえばウイリアムも今年、永久滞在許可証(USAのグリーンカードのようなもの)に変更だから業者に頼んでる、って言ってた。聞いてみようか。」OH,エクアドル人が頼んでいる業者なら完全に大丈夫だろう。わたしたちはウイリアムにその業者を紹介してもらってさっそく遠いマルペンサ空港の近く(隣の県)まで向かったのだった。明るい事務所に入ると、中には若い太ったタバコ臭いお姉さんがひとりと、その弟子のような更に若いギスギスした感じの女の子しかいなくて、ちょっとガッカリした。彼女はカラーコピーをはさみで切った事が一目でわかる名刺を差し出して「では、ご持参された書類を拝見。」と言う。彼女は一通りわたしたちの書類に目を通し、PCにインプットして行く。そしてなんどもコピーされつくされた感じのクエストウラの必要書類一覧表にマーカーで印をつけて、「これとこれとこれは会社で揃えてもらってくださいね。」とわたしに言った。わたし「。。わたしは扶養家族なのに会社の書類が必要なんですか?」お姉さん「念のためです。クエストウラでは何を言われるかわかりませんからね。」確かにそうだけど。。。業者がこんなこと言うなんて、信じていいのか?この後も、もっともなような、うさんくさいようなことをいろいろと指示されて話は終わった。そしておしゃべりなおっとが、なぜこんな遠くの業者まで頼ってきたかを一通り話して場が和んだ後、さっそく支払いの話になった。めちゃくちゃ高い!ミラノで断られた業者のきっちり倍額である。わたし「え!そんなに?ウイリアムは永久滞在許可証で、これより安いじゃないですか!?」お姉さん「彼はこの近所のいつでも空いているクエストウラで出来るからですよ。いいですか、今回マルちゃんさんはミラノでもワースト1の「CANI大通り」のクエストウラに行かなければならないんです。扶養家族である奥さんも当然そうなります。以前、前日の0時からあそこに並んだ事がありますが、それでも173番でした。今回はもっと早くから並ばなければならないし、そうなるとこの値段でも相当とは言いかねます。どうされますか?」わたしはこのときやっと、他の業者たちが嫌がって断った理由がわかった。お姉さんも「どうされますか?」なんて、おっとが全ての内情を吐き出したおかげで、わたしたちが他にいくところがないことなんて、わかっているくせに。そこは「CANI大通り」と言って、名前からして「犬どもの大通り」なんてイヤな名前の住所にある。←実は後で「CANI」ではなく「CAGNI」とわかったが、発音的にはとにかくイヤな名前だ。しかし。。しかし倍額は高すぎる!!2人合わせたら1ヶ月分の家のローンとほぼ同額だ。困っておっとを見た。おっとは喜んでもう、小切手を出している。わたし「ちょっとちょっと!払うつもり?」おっと「前回の苦労を考えてみなよ?また、あれをやりたい?しかもお姉さんはあれよりすごいって言うじゃないか?だったら、迷う事はないだろ。」お姉さん「わたしたち、席をはずしますからおふたりでゆっくりご相談されます?」わたし「ご相談、といっても値段が問題なだけで。。。2人いますし負けられませんか?」お姉さんは首を横に振った。なんか、怪しい気もするけど。。本来なら滞在許可証が取れない状態のウイリアムのお母さんの滞在許可証もまんまと取った、と聞いたし。意外にやり手かも。おっとはすっかり乗り気だし。。。わたし「おっと、あんたに決断を任せた。」←後でこの放棄が大きな間違いであったと気づくのである。おっとはすぐさまニコニコと小切手を切ったのであった。お姉さん「じゃあ、書類が揃い次第、お知らせ下さいね。」とニコニコとわたしたちを送り出した。おっとはニコニコと「ああ~、これで今年は楽勝だ。」わたし「。。だといいよね。あんなに払ったんだもんね。」おっと「まだ言ってるの?ミラノの業者だって、どうせあれだけ払わなきゃいけなかったんだからいいじゃない?」わたし「なに言ってるんだよ!?わたしたち、あの倍額払ったのよ!」おっとは立ち止まって「ええ!君が言ってたあの金額、1人分だとてっきり思っていたよ!?」わたしは息が詰まった「。。。。。。ひ、ひ、ひとの話をいつも半分しか聞かないから~~~~~~~~~っ!!!!!!!!」これが5月半ばの話だ。くっそ~、裁判さえなきゃ、おっとが起業に失敗さえしなきゃ、おっとがひとの話をいつも真面目に聞いてさえすりゃ、今ごろはどこぞにバカンスに出かけて、こんなPCの前で愚痴なんぞ書いてなかったぞっ!!この話、まだまだ続きはあるのだが、それは次回、この腹立ちがちょっと収まった時に。
2006.08.02
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前回の日記にも書いたW杯エクアドル戦。わたしはわたしの財布とおっとの財布、両方を握り締めて出かける支度をしているおっとをにらんでいた。そうしないと、ヤギなおっとは来週の通勤のために取って置いたガソリン代すら飲み代に使い果たす危険性があるからである。おっとは苦笑いしながら「大丈夫だよ、試合が済んだらすぐに帰るよ。ところで君は来ないの?」わたしは毎正月のようにシャンパンのビンが空中を飛び交う荒れ狂ったミラノの中心のドウモを想像し身震いした。「呑んだくれのあんたの友人たちとなんて一緒に試合を観たくない。」おっと「違うよ、今日はエクアドル大使館主催の招待客だけの観戦だよ。どこかを借り切って大きなスクリーンで観戦するんだ。」なんだ。。。。。それを早く言えよ!!あの大使館のお姉さんとはもっともっともっともっともっともっともっともっと親しくなっておいた方がお得に違いない!と、言うわけで結局はおっとと共に「湯気の工場」という名前のコンサート会場に観戦に行ったのであった。21時始まりの試合に19時半には到着したわたしたち。まだ大使館関係者しか到着しておらず、みんな黄色いエクアドルのユニフォームを着て、イスを並べたり、飲み物やおつまみの屋台を準備している。お姉さん「あら、早かったね!ところであんたたち、ユニフォームは?」本当はお金がなくて買えなかったおっとであるが「ユニフォームでミラノに来るのは気が引けて。。」とお茶を濁す。それからイスを一緒に並べたり、小さな子供たちの相手をしていると、だんだんとやはり黄色いユニフォーム姿の招待客が集まってきた。ずらりと無数のイスが並び、会場の準備が整う。お姉さんは「イスが足りないから、早めにお座りなさい。」というので、いぶかしがりながら一番後ろの席に遠慮がちに座って待っていると、試合20分前には結構広いコンサート会場がユニフォーム姿やエクアドルの国旗を身にまとったひと、民族衣装のひとで埋まり、外まではみだすほどになったのである!これって招待客だけでしょ?それにしてもすごい数だな。。。と思っていると試合開始。会場全員が立ち上がってスクリーンの選手たちと一緒に胸に手を当て国歌を合唱した。エクアドルの国歌はなんとなく勇ましく陽気だ。これからの凄まじい試合を前にぴったりな曲だ。これが日本の「君が代」だったら、なんだか試合前に撃沈してしまいそうな。。。。汗試合はなかなか凄かった。責めも守りも頑張っている。しかし選手は黒いひとばかりで、エクアドルがどこの国か知らない人が見たらアフリカかどこかの国じゃないかと勘違いされそうだ。全然関係ないけどエクアドルが太古、インカ帝国の支配下にあったときも、戦争には黒人兵士が活躍したそうである。彼らは機敏で勇猛だからだそうである。そんな勇猛な選手たちの活躍の結果、2対0でエクアドルが勝った!会場の観客は声を枯らして叫びまくり、みんなで「ばんざ~い、ばんざ~い!!」と跳ね狂った。凄かった。ドイツまで行かなくてもなんだか生の試合に触れたようでお得感があったのだった。実はこの後が夜通しお祭り騒ぎに発展するんじゃないかと、半分おそろしく、半分期待したわたしだったのだが、招待客たちは試合が終わるとあっさり居なくなってしまい、数えられるほどの人数と大使館員だけが取り残されたのだった。(←ああ、やっぱりおっとの友人たちとは種類が違う。)わたしたちはイスや屋台を片付けながら、おっとが持ってきたシャンパンで大使館員みんなで乾杯した。その後、売れ残ったキト特産のホットワイン(ヨーロッパのものと良く似ている)を飲みながら辺りを見渡すと、柵にもたれてエクアドル人らしいおっさんとイチャイチャしているアジア人の2人の女性が目に留まった。おっと「ねえねえ、あれ日本人だよね?」うん、それっぽい。興味はそそられたがこの3人の周りの熱いハートのバリアで近づくことがためらわれた。なんで3人でイチャイチャ?(←お子様いくきーとにはミステリーな世界。)もしかしたら、この2人もどこかのブログでわたしのような日記を書いているのだろうか?と、ふっと思った。
2006.06.12
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いよいよ土曜日。おっとは午前中、かっちゃんのために注文したワゴン車をガットと一緒に工場に見に行き、わたしは市役所にでかけたりして過ぎた。昼からガットも一緒に買出しに着いてきたが、彼も「今日、本当にだいじょうぶかよ~?」と不安そうである。買出しを済ませ、家に戻るとわたしはさっそく夕食の準備にかかり、おっとはガットを送った後、掃除をはじめた。メニューは手巻き寿司とから揚げ、ポテトサラダ。これまで何度か、目目さん夫婦に手伝ってもらったり、ちょっとお手伝いをしたので、だいぶパーテイの仕込みに慣れてきたことを感じる。おっとも掃除を済ませたあと、慣れた手つきで海老をまっすぐになるよう、竹串に刺して小さな鍋でゆで始めた。←目目夫さま直伝テーブルセッティングも整い、約束の夜の8時半の5分前。ウイリアムは当然まだ来ない。10時までに来たらいいか。。。それまでかっちゃんたちとは契約の話題は避けよう。8時半になったと同時にかっちゃんから電話があった!「すみません、ちょっと遅れます。9時までには着きますから!」←さすが時間に正確な日本人である。9時3分前。珍しくウイリアムがたったの27分遅れで現れた。やはりおっとのことが心配だったんだろう。しかしかっちゃんはまだ来ない。9時きっかりにかっちゃんから電話が。「道に迷っちゃったんですけど。。。」かっちゃん、あんた正確や!正確すぎるっ!!それから約30分間、おっとが助手席のイタリア人の彼女に電話を通してナビをして、無事にかっちゃんが家に現れたのだった。玄関を開けるなりかっちゃんは土下座でもしそうな勢いで「本日は遅れまして、どうもすみません!」と日本語で頭を120度ほどにも下げた。わたしは面喰らって「いやあ、そんなたいしたことじゃないよ。家で待ってるだけだったし、気にしないで。」とモゴモゴ言うと、そばにいた彼女も「わたしも、そう言ったんだけど。。」と口を挟む。かっちゃんはちょっとムッとして彼女をにらんで「だって、日本人のお宅だし、時間厳守が当たり前なんだよ!」わたしは心の中で拍手した。おっとは感心したように見ていた。ウイリアムは理解が出来ない顔をしていた。みんなで席に着く。やっとわたしは落ち着いて、かっちゃんと噂の婚約者を見ることが出来たのだった。かっちゃんは、いかにも「駐在員タイプ」である。どういったらいいのか、自己的統計によると、イタリアの留学生あがりの社会人は、たいがいこちらに何か私的な目的があって留学してきて、そのままこの国に居座っているひとばかりだから、なんだか欲に燃えている、というかねばった感じがするというか、濃い~ひとばかりだ。それに対して駐在員のたいがいは、自分の意思ではなく、会社命令で来ているものだから、この国に対する執着が薄いし、会社に保護されているから「イタリアで生活するひと」ではなく切り離された「日本そのままの生活をするひと」の臭いがして、薄味な感じだ。かっちゃんは、そんなひとだった。それに比べて噂の彼女は予想はしていたが、お歳がかなり上のようである。背が低くてやせ気味、しっかりもののお姉ちゃん、といった感じ。わたしの隣の席に着くなり「どうやっておふたりは知り合ったんですか?」という言葉を皮切りに、すごい勢いでしゃべりはじめた。今日はIKEAにケーキを買いに行って、すごく混んでいて遅れたこととか、かっちゃんが今夜の夕食のことで緊張しすぎて朝の5時から起き出してウロウロしていた、とか、とにかくとめどなくしゃべりまくる。わたしは彼女が1/100秒ほど息継ぎをする間を狙って急いで「え~と、えと、この度はかっちゃんが研修の最終試験合格にかんぱ~い!」とグラスを持ち上げた。かっちゃんは60点満点の試験に60点で合格。彼はエヘへ、と照れくさそうに笑った。彼女「試験日早朝まで勉強した甲斐があったわね!」さすが、日本人は勤勉で優秀だなあ。。。ほろり。これをきっかけにやっと彼女は少し落ち着いて寿司を食べ始める。きちんと箸の反対側で大皿から具を取り、きれいに手巻きにする姿に感心したが、テーブルの向こうでそんなことにおかまいなしにガツガツと寿司をほうばっているおっととウイリアムを見ると(しつけ不行き届き)、手放しに褒めるのもイヤミかな、と黙って見ていた。彼らの家では猫を2匹、飼っているという。わたし「あ~、うちも猫が欲しいんだよね。天井裏にねずみが住んでるみたいだから。」と言ったのが運のつき!今度は猫の話題を息継ぎもなくしゃべりまくるではないかっ!ああ~、止まらない。これって、元同僚のマリーナが自分の猫の話題を始めると止まらなかった現象に似ている。。。←一種の中毒症状だとわたしは判断している。彼女はとうとう、わたしのほうに向き直り、全員にではなくわたしに集中的に猫話を話し出した。わたしはうんうんとうなずくだけである。その間にかっちゃんは、おっとに仕事のことに関して何か聞き始め、おっととウイリアムと3人でテーブルは分裂する。あかんやん!彼女抜きでこんな大事な話題に持ち込んだら!!実は彼女の喋りの中からわたしはわたしのお嬢母を見い出していた。こういうタイプは、自分が重要な話題から少しでもはずされると切れて、感情のみで話題をぶち壊すのである!←日本での結婚が壊されたのもこんなちょっとしたことがきっかけだった。わたしは焦って彼女に「ちょっと待って。ジュース取ってくる。」と断って立ち上がり、冷蔵庫を覗き込みながら背中で様子を伺った。彼女はから揚げをつまみながらまだわたしを待っているようだ。グラスを洗う振りをして時間を稼ぐと、やっと彼らの話題に入っていったので、洗い物を続けながら聞き耳をたてた。前日の我々の談話で、どうやって聞きだそう?と算段していた例の「前の職場」の話が意外にも簡単に、彼女の口から出たことに驚く。数年前、彼はある日本の会社の駐在員として派遣されたものの、(やっぱりね。)その会社がイタリアから引き上げることになり、かっちゃんは彼女のために残ったようなのである。(愛だなあ、愛!)それから、彼の苦労がはじまったらしい。あらゆるバイトを経た後、最後のとある日系の店でのバイトでは粉引きロバよりも、船こぎ人夫よりも、過酷な扱いを受け、辞めることを決意したそうである。(もちろん彼女が切れて暴れたこととかは言わなかった。)でもまあ、こうやって双方の話を聞けば、どっちもどっち。。。前情報からの恐怖がここでかなり取れた。かっちゃん「日系だから、と思って選んだのが間違いでした。」日系? わたしはぐっと息が詰まり「。。。マルちゃんも妻が日系なんですけど?」とおそるおそる聞いたが、笑って流されてしまったのである。ナメルナヨいよいよおっとから口火を切って、契約内容の説明がはじまった。彼女とかっちゃんは待っていました、とばかりググッと身を乗り出す。はっきりいって、おっとの出した条件はシビアで大企業の従業員のようにノホホンと出来ない内容である。かっちゃんは難しい顔でうんうん、と聞き、彼女は「打てば返す」間合いでどんどん突っ込んでくる。きっと彼らなりにもいろいろと前相談をしていたんだろう。話はほとんどおっとと彼女の間で進んだ。事前に予想はしていたのだが、彼女はやはり時々不満の声を上げた。するとおっとは正直に運送会社から出る純利益をそのまま述べ、財布の底でもさらすかのように、我々の経済状態をあからさまにするのである!あほっ、駆け引きをせいっ、駆け引きを!!わたしは洗い物を止め、救いを求めるように何度もウイリアムを見た。ウイリアムはおっとの横で黙って聞いているだけで口を開こうとしない。おっとは誰にでもそうなのだ!あまりに正直に、しかも誰かれ構わず全てを打ち明ける。極貧夫婦として恥ずかしいことこの上ないし、このおかげで今までいったいどれだけの問題を生み出したか!?現在は現在で、我々には、まだかっちゃんのワゴン車の支払いをしていないから、銀行から融資されたお金が結構残っている。そのおかげで、それを目当てに金の亡ヤギや、ルイジなイタ公たちが、いったいどれだけ群がってくるんだ!?しかし。この場合、おっとの「ウルウル目での正攻法(?)」は効を成したようだった。彼女は、かっちゃんにおっとのお古のワゴン車じゃなくて、新しいワゴン車を提供する、という提案に胸キュンになったようだし、運送会社から出る純利益から、諸費用を引いて、残りのおっとの収入の少なさ(?)を明らかにすると、さすがに彼女もあきれたのか、そこまでかっちゃんを思いやるおっと(?)に感動したのか、納得してうなずいた。←まったくこんな少ない利益で従業員を雇う必要性があるのか!?国際離婚思想率さらに上昇そして、おっとは仕事上での嫌なこと、いいこと経験談をはじめる。かっちゃんも仕事内容が、粉引きロバよりも、船こぎ人夫よりもずっとマシなことがわかってホッとしたようだった。へえ、なんかうまく行きそうじゃない?ウイリアムもそう感じたのだろう。黙って立ち上がって、ソファに移動し、独りでTVを観始め、やがて夜中の12時も過ぎた頃、「遠いから、もう帰るわ。」と立ち上がった。ウイリアムが出て行った後、場はぐっと和やかになり、日本茶をすすりながらまたもや猫の話に戻ったり(大汗)、日本の話をしたりと(ほとんど彼女のワンマンショーだったけど)、楽しく過ごしているうち、瞬く間に夜中の3時(!)になってお開きとなった。かっちゃんは今頃、おっとと6月に始まる正式採用の前の予行演習のため、一緒に仕事をしているはずだ。6月、土曜日に話し合ったことがそのまま契約書になるのだが、そのとき、彼女が話し合ったことをすっかり忘れて暴れださないことを祈る。。。。。チガウ←やっぱりまだこわい?
2006.05.24
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みなさんにご心配をおかけしているようなので、まずは昨日の帰り道の報告。往き以上にこわかったです! 帰りは往きと違って2つ坂を上り下りしなければならず。。。しかも田舎道だから道路上にもトラクターなんかが撒き散らした砂があって、カーブごとに滑りそうになってヒヤヒヤ。両足をほとんど路面につけて、時速5kmでノロノロと帰りました。今朝は会社に遅刻の予告をして、遅い時間の始発(始発が8時って、あんた。。。汗)のバスで駅に行きましたよ。帰りの最終バスは18時終わりなんで、19時半に田舎町に着くわたしは、どうしようかと悩んでいます。****前後が逆になってしまった。先週土曜日、はじめておっとの初の従業員となるかもしれない「かっちゃん」に会った!ミラノという街は狭い。実をいうとわたしは、とあるルートから、まだ見ぬかっちゃんのことを耳にしていた。「若いかっちゃんには、なかなか強力なイタリア人の婚約者がいて、前の職場では彼女がかなり揉めたらしい。」その話と履歴書写真からイメージする事後面接は:たけり狂うトドとそのそばで玉乗りをする小オットセイ VS ヤギ。ど。。。どうする???別にうちではかっちゃんを採って喰おう!などとはもくろんではいない。だが、おっとが考えている就労条件で満足するだろうか?その強力なイタリア人の婚約者が気に入らなければ切れて、逆に採って喰われそうではか!!??OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!ああ、もうっ!!!!ど~して我が家には次から次へと、こんなに問題が発生するんだ!おっと、なんであんた、研修に通わせる前に5分でもいいから、面接しなかったのかなっ!?←国際離婚思想率上昇。おっと「大丈夫、就労条件に関してはウイリアムとよく相談して決めるから。」おっとの幼なじみのウイリアムはすでに数台のトラック、ワゴン車を持っていて、複数の従業員を使い、着々と事業を拡げて行っている。きっと彼は経験上、適切な助言をしてくれるだろう。わたしはほっとして「いつ彼に遭うの?」と聞いた。おっと「えっと、かっちゃんに会うのが土曜の夜で、ウイリアムが日曜。」OK。え?あほうううううううううっ、順番が逆やろう、ぎゃ、くっ!!!!!!!!!!というわけで、わたしはウイリアムを金曜の夜、無理矢理夕食に招待したのである。そしてわたしはおっとのそばにへばりついて、ウイリアムの助言を熱心に聞いた。ウイリアムはさすがに「ラテンキング」(←ジェノバを拠点にミラノまでも勢力を伸ばしている南米人ギャング団。)と呼ばれるだけあって(たぶん嘘)、大ボスの落ち着きがある。わたし「かっちゃんって、実はこ~ゆ~ひとなんだけど。。。何かの拍子に暴れられるかもしれない。」おっと「こっちの条件を飲めないんだったら、他の人を探すよ。」研修させといて、それはないだろうっ!?ウイリアム「相手の出方を見ながらうまく駆け引きするしかないな。」 ←さすがに言うことが違う!しかし、駆け引き。。。。おっとに唯100ぐらい欠けている能力のひとつだ。そんな高度な技、おっとに出来るわけがないっ!!わたし「ウイリアム。。。明日の夜、暇だよね?」ウイリアム「う、うん?」おっとは消え入りそうな声で「もしよかったら、その。。。かっちゃんと一緒に夕食に来てくれない?」ウイリアムはバンッと立ち上がった。「マルちゃん!お前はもうすぐ、社長になるんだぞ?『来てくれない?』じゃなくて、『明日は必ず来なさい!』と言い直せっ!!」おっと「ウイリアム、明日の夜は必ず来なさい。」←なんかギクシャク。OOOOOOOOOOHHHHHHHH,YESSSSSSSSSSSSSS!!!わたしとウイリアムは揃ってパチパチと拍手した。どうでもいいことだが、わたしと彼は同じ誕生日のしし座である。長くなりそうなんで、つづく。
2006.05.23
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昨日は身体が火照って眠れなかった。(いやっ、そ~ゆ~意味じゃなく)たぶん、日曜日に1年ぶりにプールに、しかもまだ完治していない足で出かけて泳ぎすぎた筋肉痛が、年寄りなので、次の日には来ず、2日目に襲ってきたのと、昼は目目さんと、夜は中部イタリアのウンブリアから1年ぶりに来た友達のアンドレアと、ごちそうをたらふく食べたのがひびいたんだろう。だから昨日は精神まで崩壊したのだろうか?(恥ずかしいから削除を考えたけど、あんなんでもコメントがいただけたし。。)****実はひさびさに「ちょいネタ」が出た。まだ断言は出来ないけれど、おっとが従業員を見つけたのだ!!その名は「かっちゃん。」(仮名)どんな人かというと、わたしたちは知らない。大汗おっとは自営である。しかし、週末に時々引越しの手伝いをする以外は、大手外資系の運送会社ひとつに契約社員状態で毎日勤務している。なぜ彼のことを知らないかというと、彼が電話で応募してきた翌日、おっとは毎月行なわれる1週間の会社の研修に、その日から彼を放りこんだのである!わたし「ちょっと!まだ見もしないひとを会社の研修に放りこむってどういうことよ?!普通、まずは面接をして、実技をさせて適性を見定めてから雇うことに決めて、研修なりなんなり、させるもんでしょ!?」おっと「だって、今月の研修を逃したら、また来月まで待たなくちゃいけないんだよ?この研修を1週間やって、試験にパスしないと働けないんだ。今月は今日からだったから、急いで行ってもらったんだよ。」わたし「向こうだって、あんたを見て、決める権利もあっただろうに。。。」おっと「彼は快く行ってくれたし、それでいいじゃないか。」それでいいじゃないか、って?そ、そんなんでいいのか??他に何人も応募者がいるってのに・・・前回の日記では、「やっぱりやめるよ。」と言って、わたしの気を揉ませたおっと。これだからコロコロ気の変わるB型は苦手である。それに加えて「ヤギ」だから周りを巻きこむので始末が悪い。わたし「彼の滞在許可証は?」おっと「今は学生で、もうすぐイタリア人と結婚するから問題ないって。」そう?わたしはちょっと驚いて、そして安堵した。なぜなら、おっとが行く先々で求人活動をしているおかげでここ数日、あらゆる国籍のひとたちが応募してきているのに、ほとんど全員滞在許可証がないか、問題ありだったのである。当たり前のことなんだが、滞在許可証なしのガイジンは雇えない。我々も夫婦して「ガイジン」なので、そんなガイジンを不法に雇って、余計なリスクをしょいこむことなど、絶対したくないのである!(ウイリアムはおかまいなしにそんなひとたちをどんどん雇ってるけど。汗)もう研修が始まってしまった現在、遅いのだが、「かっちゃん」に履歴書を送ってもらった。彼のイタリア語はまだあんまりなので、イタリア人の婚約者が代わりに書いた。アイドル写真のようにポーズをつけた自己紹介写真には笑ってしまったが、それはともかくとしてイタリア人というのは、どうも誇張して履歴書を書くものなのだ。そんな部分を差っぴいても、まあ良い人材のようである。そして若い!昨日の夜、研修1日目が終わった「かっちゃん」がさっそくおっとに電話報告をしてきた。おっとはいつもの調子で馴れ馴れしく「土曜日に夜ご飯でも一緒にしよう!」と誘っている。ところがかっちゃんのほうは、すっかり研修1日目にびびってしまっているようで(おっとが事前に試験まであることを説明しなかったこともあり)、「ええ!?土曜日まで?また、なんで!!??」としどろもどろになっているのだ。するとおっとまでが「え。。?いや、だって。。。ぼくたち面識がないし、会うのが当然かと。。。。ぼく、土曜日しか空いてないし。。。」としどろもどろになった。(←君がなるなぁっ!)聞いているわたしのほうがハラハラと不安になりかけていると、婚約者が電話を替わって、急に話がスムーズになったのでホッとしたのである。この話を契約内容、給料額を含めて目目さんにしてみた。目目さん「えっ!それ、わたしが働く。マルちゃん、わたしのことよく知ってるから問題ないでしょ?」わたし「・・・・・え?」 そ~ゆ~問題じゃなく、わたしとしては、やっぱり若い男の方がいいかと。。。。(そ~ゆ~問題じゃなく。)冷静に見てみれば、おっとの出したのは決して悪い条件じゃない。これはおっとがなかなか人材を見つけられないのを見て先週、わたしなりのやり方で出した求人からの応募だった。今までのおっとの求人のやりかたが悪かったのか?とにかく1週間後、かっちゃんの試験の合否で採用が決まるだろう。というか、かっちゃんはそれまで研修に耐えられるだろうか?合格、となればおっとの記念すべき従業員第1号は日本人になるのか。。。まあ、わたしが求人出したのは邦人イタリア在住者のよく見るサイトだったしな。
2006.05.16
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