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今朝、Ryuは我が田舎町から1時間半ほどバスで行ったところのサファリパークに幼稚園ぐるみで、遠足に出かけた。遠足はこれで2度目。一度目は近所の子供体験教室みたいなところだったから、今回はRyuの大好きな動物や、恐竜を見れて、今頃大興奮に違いない。驚いたのは3人ほど、クラスの子供たちが欠席したこと。そのうちのひとりのお母さんと数日前に話したとき「うちの子をそんな遠くにやれないわ。1日がかりの遠足なのよ?何かあったらどうするの!?」と言っていたのを思い出した。いろんな保護者が同じような心配をしていたので、驚いた。たかが1時間半の距離、おおげさ?いや、保護者精神失格?う~~~ん???今朝、送りに来れないRyuとクラスで一番仲良しのクラウディオのお母さんに「カメラ持って行くんでしょ?クラウディオも撮ってね。」と頼まれたので、まった~~~くそんな気はさらさらなかったのだけど、デジカメを持ってRyuとクラウディオを幼稚園に送っていった。どうも未だにイタリア人の間では「日本人=黒縁のめがねをかけてカメラを提げた」イメージがあるらしい。(確かにわたしは黒縁のめがねをかけている。めがね、替えた方がいいのかなあ?)何も遠足に付いていってカメラマンをするわけじゃなく、ただ園児たちが園門から出てバスに乗り込むわずかの間のことだ。なのに、園門では多数の保護者たちがカメラやビデオを構えて待っていたのに驚いた。(1回目の遠足もそうだったが、今回もう2回目なのに。)それからどうなったかというと。クラウディオ数枚、Ryu1枚(撮ろうと構えたところで、よそのお母さんに声をかけられたので、後姿でぶれている)、Ryuの公園友達で一歳年上のボリビア人ハーフのクリスティアンの写真10枚ほど、その他の子供たち、数枚。いやね、別にこんな写真、最初は撮るつもりもなかったからいいのだが、なんでRyu1枚(後姿でぶれている)になっちゃうわけ?!しかも他のお母さんたち、「カメラ忘れちゃったのよ!うちの子も撮って撮って!」とバスが出発するまで大フィーバーだったのに、バスが行ってしまったら、お礼はともかく「写真、ちょうだいね。」といいながらどこに送るかも言わずに帰ってしまった。さすがにちょっとむかついて、一番枚数を撮った(というか撮らされた)クリスティアンのお母さんには首根っこを捕まえて「この写真、どこに送ればいいの?」と聞いた。クリスティアン母「わたし、デジカメ知らないんだけど、現像しないの?」わたし「しないよ、メルアド教えてくれたら送るよ。」クリスティアン母「わたしコンピューター持ってないから。」わたし「。。。CDにコピーするから、カメラ屋さんで現像してもらって。」はぁぁぁぁぁ、ってことは他のお母さんも、こんな感じだろうな。後日、写真のことを聞かれない限り、無視することにした。そういえば「Ryuのお母さんはコンピューターに詳しいから!」とおだてられ、最近やたら、幼稚園の先生たちに童謡をネットからダウンロードすることとか、クラスの子供たちのネームを活字でカラフルにプリントアウトすることやら、頼まれる。やっぱり日本は技術大国だ。こんなに「コンピューター」のことを知っている日本人のわたしって、超最先端らしい!!うはははははははは。。。。。。。。。はぁぁぁぁぁ。
2011.05.12
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事件はうちの近所の、ど田舎洗車場。 平日の午前中で、他に洗っていたのは2人ほど。 イースター休みにドロドロになった車をローラーして、 ガラガラだったから、車の全てのドアを油断して全部開けて、掃除機をかけようとしていた矢先に後ろから青いゴルフが近づいてきた。 中には南米男3人。(たぶんペルー人。) 他にも駐車できるところがいっぱいあるのに、わざわざ我が車のそばに留まったことを、おかしいと気づくべきだった。 しかしかんかん照りで、日よけがあるスペースは4台分しかなかったので、変に納得して、それでもちょっと警戒して、運転席から車のキーだけははずしてポケットに入れ、後部座席に置いたかばんからも財布だけは抜いておこうと、動いた瞬間に、助手席に乗っていた男も降りてきて、かばんをわしづかみにして車に飛び乗り、猛スピードで逃げていった。 やられたっ!!!「泥棒~~~~~!!!!」 大声で叫んで追いつくはずもないのに、ダッシュしかけると、ちょうど洗車場に入ってきた女の子2人が見ていて「警察に電話よ!!」と携帯を貸してくれる。 わたし「どこに電話すればいい?」 哀しい日本人のサガで「警察=110番」しか思いつかない。 女の子「112番よ!」 電話をするとすぐに警察にデヌンチャ(被害届)を出しに行くように言われ、これもまたど田舎の警察(カラビニエリ)に行った。 え~っと、すぐにクレジットカードを止めて、それからそれから。。。。 心臓がどきどきしてめまいがする。 警察に着くと、ちょうど、同じように窃盗にあったらしいお兄さんが出て行くところだった。次には誰もいないのに、警官たちはノロノロと仕事をしてイライラ待たされること10分、やっと呼ばれた。 警官「かばんの中には何が入っていたのかね?」 わたし「現金(ちょうど幼稚園の給食費を収めるつもりでお金を出したばかりだった)とクレジットカードと、それからそれから。。。」 警官は落ち着いてかばんの中に入ってそうなものリストを見せてくれた。 わたし「そうです。携帯電話と、免許証、滞在許可証、保険証、あっ家の鍵!。。。。クレジットカードすぐ止めないと!」 ここで警官はカード会社電話番号リストを出してきて、電話を貸してくれ、すぐに止めることが出来た。 警官はわたしから事情聴取をして、被害届を作成する。 すべての書類のナンバーを聞かれたが、こういう事態のためにコピーは全部取ってあるけど、直接こちらに来てしまったから、全部家にある。 警官「大丈夫、なくても心配要らないよ。」 あっというまにわたしの身元や書類の番号をコンピュータで割り出し、仮免のようなものは作ってくれた。 「保険証は被害届のコピーを保険所に持って行ったらすぐ再発行の手続きをしてくれるよ。滞在許可証は、クエストウラ(入管)に行かないとダメだけど。」 警官の手馴れた手続きにやっとちょっと落ち着いてきて、だんだん腹が立ってきた。 こんな田舎でも手馴れるほど、被害があるのか~っ!? やがて、ちょうど昼休みになったおっとが血相を変えて飛んできた。(言ってなかったですが、無事再就職しました。) わたし「家の鍵、やっぱりすぐ変えないとダメですよね。。。あ~あ。」 おっと「ん~、こういう手口は現金や売れそうなものだけ盗って、かばんはすぐに捨てるから洗車場の近くにきっとかばんごと落ちてるよ。」(←なんで知ってる?) 警官もうんうん、とうなずく。 しょげきって、おっとと2人で警察を出た。おっとはわたしの携帯電話の番号を携帯会社に電話してブロック。(なので、リアルお友達の皆さん、新しい番号になるまでお待ちください。) わたし「ごめん。。。Ryuの来月分の給食費、全部持っていかれた。」 おっと「だからいつもかばんを座席に放置するな、って言っているだろ。信号で止まったときに窓やドアを開けて盗まれたりもするんだ。運転するときは財布だけでもダッシュボードに入れておけ。かばんよりも、車はすぐに盗めないから。」 わたし「。。。はい。」 おっと「とにかく無事でよかったよ。無理やり車から引きずり出されてなくてよかった。こんなときはすぐに犯人を追うんだ。(←出来ない出来ない)これからは学習しろ。」 ああ、学習なんてしたことのないおっとから、こんなことを言われるなんて。 しかし、犯人が南米人、というところが、おっとと同じ人種、というところが、なんかもやもやして怒りがくすぶる。たとえば、これがロミ(ジプシー)とかだったら、「あんちくしょう、やっぱり奴らは!!」とわめき散らしてちょっとは発散できるのに。 今回、被害に遭って、学習したこと: 1.目の前で被害に遭ったら、まずは犯人を捕まえましょう。警察は被害届を作成するだけで、泥棒は捕まえてくれません。) 2.警察に届ける前に家が近かったら、盗難に遭った書類のコピーを取りに帰りましょう。(警察で無駄に時間がかかります。) 3.イタリアでは田舎の誰もいないところでも油断大敵! しかし、いつも現金なんて小銭しか持ち歩かないのに、たまたま持っていた日に限ってと、年始に替えたばかりの新しい携帯、またまた長い道のりの滞在許可証申請をするかと思うと、か~っ、むかつく!!!!!
2011.04.28
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巻頭ですが、追加です。 大昔わたしたちの結婚式の写真を撮ってくれた古い友人の写真家、仁木さんがミサの様子をビデオアップしてくださいました。 http://www.youtube.com/watch?v=7WgNLQQ-KNQ&feature=channel_video_title ***今日、17時半からミラノの大聖堂ドウモで地震と津波の被害を受けて亡くなられた方々のために冥福を、また生き残された方々のために対応力の恵みを祈るためのミサがあったので、古いブログ友達、目目さんたちと一緒に行ってきた。いつも肝心なときに病気ばかりのRyuは今回も前日から下痢と嘔吐なので、おっとと一緒に家に置いてきた。(堂内はとても冷えていたので正解だった。)このミサのことはいろいろなところに記載されたり、友人からも回覧板が廻っていたので、大勢の日本人が来ることを見込み、30分早くドウモに着いたのだが、予想を反して日本人はとても少なく、わたしたちは導かれて、最前列に座ることとなった。しかし、わたしたちの後に次々、日本人が参列し、予定時刻17時半には大きなドウモはあふれんばかりの日本人とイタリア人、外国人、観光客の参列者で埋め尽くされ、少し遅れてきた目目さんの友人は、堂内に入ることも許されなかったらしい。祭壇には大きく「平安」とかかれた紙が張ってあった。日本語が堪能なルチアーノ神父が大司教Tettamanzi枢機卿のお言葉を日本語に、ミラノ総領事館長の言葉をイタリア語に、ほぼ同時通訳してくださり、心遣いが身にしみた。「ミラノ日本人の皆さん、この折こそ、日本は凄まじい試練に見舞われて心が打ちのめされていま す。それでも、第二次大戦後のように日 本は改めて立ち直る威力を震わすだろうことを確信しています。差し当たり、命を無くされた方々のために永遠の平安を祈り、生き残された方々のため に不屈の信念と不滅の力を願いましょう。」日本人参列者全員が、祭壇で香をそなえる奉香式があり、それが飴色の小さな石のようなものだったのだが、神社仏閣に供える線香みたいでそれを香炉に投げ込むと煙が立ち上り、言葉にならない思いが噴き出してきて、なんだか泣けてきた。わたしは無宗教だが、堂内全員の意思が一体になった素晴らしいミサだった。あの煙に込められた祈りが亡くなった方のところに届きますように。被災地が一日も早く復旧しますように。******少しずれるが、被災地外のひとが、あまり憂いすぎるのもよくないらしい。(実際はまりかけていた。)ここからは、某MIXI記事の抜粋。被災地にいない私たちに今、必要なこと東日本大震災の影響を受け、被災地でない首都圏やほかの地域でも、不安感が高まり、生活必需品が不足するなどの混乱が続いている。しかし、「少しでも被災地のために。被災地への支援を確実にしたい」という思いで、節電や自治体が行う救援物資の受け入れなどに個々で取り組んでいる人もたくさんいる。そこで、被災地にいない私たちが今、気をつけること&できることは何か、専門家に取材した。◆これから必要なのはメンタルケア 「今後はメンタルケアが重要になってくると思います」と話すのは、北里大学医学部衛生学公衆衛生学講師の和田耕治さん。地震の被害を受けなかった人でも心のバランスを崩すことがあるという。「被災地にいる人はもちろん、被災地から離れていても、被災した家族や知り合いがいる人などは特に『なぜ、自分だけ助かったのか』『こんなに普通に暮らしていて良いのか』と自分自身を責めたり、罪悪感を強く抱いたりして、心のバランスを崩していく人も多いのです。逆に、そういった悲しみの感情を感じられない自分にショックを受ける人もいます。いずれにしても、感じ方は人それぞれで当然。自分の今の気持ちを受け止めることが重要です。被災地から離れて暮らす人は、とにかく今ある日常生活をきちんと送ることを心がけましょう」。 自分の心が苦しくなってキャパを超えそうなときは、誰かに話す、日記を書くなどして、気持ちを外に吐き出し、メンタルバランスを崩さないよう過ごすことも大切。 また、テレビをつけっぱなしにするなど、メディアからの情報を取り込みすぎて心に負荷がかかる人もいるという。「メディアを見ないのも一つ。精神的な疲れから体調を崩す人もいます。被災地の状況に目を背けるという意味ではなく、メンタルのキャパシティを超えない範囲で情報を得るようにしては」とアドバイスする。というわけで、次回からは通常モードで復活するぞ!
2011.03.21
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お久しぶりです。相変わらず注意体制のため、ブログ更新がままならない状態です。せっかくのコメントにお返事も怠っていてすみません。(全部読んでます!)何かあるたびに「あ、日記に書かなきゃ!」とだけは思っているんですが。。。この土日月はパスクワ(復活祭)で3連休だった。金曜の夜はまたまたあのイタロブラジル人の一家に夕食に呼ばれ、エルトンから「フットサルに来てるあのちっちゃい女の子も連れてきて。」と指名を受けたマイミクのありまりちゃんと一緒に出かけた。(←エルトン、彼女に惚れたか?)しかし今回は2人も大和なでしこが揃っているというのに、あの日本マニアの息子は足をバスケットで骨折して入院中。_| ̄|○またまたおいしいブラジル料理をたくさんごちそうになって、今度はありまりちゃんと共に家族全員と楽しく会話をして、満足して家に帰ったのだった。土日の昼間はいつもの週末のように買い出しに行ったり、家の掃除をしたり慌しくすごした。土曜の夜はエルトンの家の居候一家の赤ちゃんの1歳の誕生日パーティの招待を受ける。夕食にお邪魔したのだが、普段の夕食ならともかく特別な日なのに、オリーブとツナ缶を混ぜたゆですぎて伸びきったスパゲッティ、ふぐ刺しのように皿の模様が透けるほど薄く切ったトマトにこれも上手にピラピラに切ったモッツァレラチーズを乗せたカプレーゼ。エルトンちは電気は裸電球、TVもステレオもない。あまりの貧しさに前日との比がありすぎて、「同じブラジル人なのに。。」と本当に彼らが哀れになってしまった。日曜の午後はわたしがひとりでしなければならない仕事があったのでおっとを家から追い出す。近所に住むチェーザレが「ま~るちゃん、あそぼ!」と迎えに来たので安心して家から出したらまたベロベロになって夜中に帰ってきた。どうしておっとは一人で行動させるといつもこうなるんだろう?涙*******そして月曜日。朝目が覚めると快晴である。「おっと、こんな日に家に居るのはもったいないよ!どこかに出かけよう!!」わたしたちはさっそくドタバタと支度をして家を出た。行く先はずっと気になっていたガルダ湖。遠いと思い込んでいたのだが、先日行ってきた友人に聞くとミラノからたった150kmらしい。高速道路に乗ってクルマで1~1時間半ぐらいだ。ってことはあの南米ジェノバより近いではないか?そこは高級温泉保養地として有名なので、温泉に行きたかったのだが、サイトを調べるとどこも予約がいるらしいので「温泉は次回ちゃんと計画して行こう。」と、今回は純観光を目的に出かけた。家を出て、うきうきしながら高速に乗る。わたし「あ、デジカメ忘れた!!」おっと「ええ~!ありえない。出かけるときはいつもデジカメと一緒の君がどうしたの?」まったくだ。そりゃあ急いで支度したけど、デジカメはちゃんとテーブルの上に置いていたのに。どうしたんだ、わたし?冷や汗をかいていると、クルマの速度がだんだん遅くなりやがて停まってしまった。OOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!すごい、どこまでも続く渋滞である!!わたしには計算外だった。「どうして?今日は3連休の帰宅ラッシュでミラノに帰る側が混むはずっ!?」おっと「。。いい天気だからね。出る人も多いんだよ。」本当にいい天気だった。熱いアスファルトの上でのろのろと動くわたしたちは、まるでオーブンの中で焼かれているようだ。最初は日焼け止めを塗り、そのうち帽子をかぶり、それだけでも日差しが避けれないわたしは窓に持ってきた上着をはさんでやっと日差しをシャットした。それを見ていたまわりのクルマも次々にタオルや上着を窓にはさんでいくのがおかしい。やっと普通の3倍ほどの時間をかけてガルダ湖の出口に着くと、ここも長蛇の列である!!ああああああ、もう!!そこからたったの2~3kmの距離の目的地、湖までなんと1時間もかかった。空いている駐車場を探すのも苦難であったのは言うまでもない。「や。。やっと着いた。」しかしクルマから降りて目の前に広がるきれいな湖を見ると、疲れも吹っ飛んだ。「お腹すいたね。なんか食べてから観光に行こう!」あらゆるレストランが軒を連ねているのに、全て長蛇の列。。。_| ̄|○やっと並んでいないレストランを見つけて入る。木々に囲まれたテラスから見える湖、ハイソ。湖で摂れた魚を使った料理と地元の白ワインはとてもよく合っていておいしかった。テーブルに着いて談笑している他のお客はパリッとしたYシャツにサマーセーターを肩からはおった男性や、白いワンピースにシャネルのバッグがよく似合う女性。おっと「お お お勘定は君のママのクレジットカードで払ってね。」わたし「あほ~!!あれは禁断のカードなの!」おっと「チップってどれぐらい払うんだろう?マクドのセット分ぐらい?」わたし「。。。。めったにこんなところで食べられないんだから、そういう話題やめて。」せっかくの雰囲気が半減した気持ちではあったが、お勘定以外は極上に満足してレストランを出た。気分はハイソになりつつある。「これからお城を見に行こう。」わたしたちはぞろぞろとまるで週末の心斎橋筋のような人ごみの中、観光スポットのお城を目指してひたすら歩いた。遠かった。でも、レストランのそばのお城行き遊覧船乗り場は桟橋から誰か落ちるんじゃないかと思うぐらいの人ごみだったしな。。(写真は拾い物)やっとお城が見えてきて息を飲んだ。お城のそばにはパトカーが何台も止まっていて、プレステ3の発売日の開店前の電気屋の前よりもすごい人ごみの整理に当たっていた。(この写真の桟橋の上が人間の山。)どうしてイタリア人ってやつは、連休にこぞって湖に集まるんだ!?←ひとのこと言えない。わたしたちはあきらめて回れ右をして、帰途に着いたのだった。帰りもすごい渋滞で、高速道路を降りて普通の道を選んだのだが、これも間違いだった。高速道路は3~4車線あるが、普通の道は1車線しかないのだ。さらに動かず。。。。_| ̄|○家に帰ったら日がとっぷり暮れていた。結局湖には遅い昼ごはんを食べに行っただけだったな。往復8時間かけて。TVニュースを見れば、ガルダ湖だけでなくイタリア全国、夜になってますます渋滞がひどくなっているようである。わたしたちはこれで学んだ。「イタリアでは連休最終日は動くべからず。」今まで貧乏生活が長かったおかげで連休にどこかに行きたくても行ける状態じゃなかったので知らなかった。。(ちなみに現在も貧乏生活続行中♪)あ~、疲れた。
2007.04.10
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本日ミラノは快晴。日曜日の交通規制のおかげか?我が社からはレッコの山々がよく見えて、こんなところにいるのがバカバカしくなってくる。そういえば日曜日はミラノのカーニバルだった。カーニバルといえば、春が来たことを祝う祭りで、子供たちを中心にたくさんの人々が仮装をして街に繰り出す。しかしこの日は交通規制で、クルマに乗れなかったし、小雨が降っていたしで、家でぼ~っとしていたのだが、もったいなかった。ん~、もったいない。。。?という言葉も自分で自分に疑問を感じる。最近は知らないが。遠い昔、はじめてのカーニバルがうれしくて、街の中心ドゥモ広場でパチパチ仮装をして歩いている人々の写真を撮っていたら、犬のかっこうをした5~6歳ぐらいの子供が寄ってきた。わたしは上機嫌で「写真に撮らせてね!」と子供にカメラを向けた瞬間、このガキ、目をカッと見開いて、シェービングフォームをカメラに向かって吹き付けやがったっ!!わたし「うわっ、なんてことするの!?」と叫ぶと、ガキはパタパタと母親らしき女性のところに行ってその影に隠れる。母親は、謝るどころか あくまで知らんフリをして、ガキの手を引いて人ごみにまぎれやがったのだった。くっそう!!あんなものを人に向かって吹き付けるガキもガキだが、そんなものを持たせる親も親だ!わたしはレンズに泡がついていないことを確かめ、ティッシュでカメラを拭きながら歩き、バッグにしまいこんだところで「キャ!」「なにしやがる!」という悲鳴が聞こえてきた。見渡すと、スカラ座に向かうギャラリーの中をスプレーの缶を持って走る5~6人のがきんちょとそれを走って追いかけるおっちゃん。そのスタート地点ではあるご婦人が黒いコートをピンクや青にそめて困ったように立っていた。この荒くれイタ猿(←イタリア人のヤングを指す)ども、このご婦人にペンキのスプレーを吹き付けたのだった。このようにミラノのカーニバルはそれに乗じてエネルギーの有り余った荒くれイタ猿どものうっぷんの晴らし場とも化す。そうだった、そういえばあれ以来、カーニバルには行かないようにしていたんだった。しかしそれはミラノの中心だけの話。我が家の近所では素朴な子供や青年たちが、紙ふぶきを撒いて、同じでもいろとりどりの消しゴムみたいな素材で作られた、簡単に払い落とせるカラースプレーを撒いて楽しんだようである。カーニバルといえば有名なのはベネチアのカーニバル。一度は自ら、2度目は友人の付き合いで行った。とにかくすごい人ごみで、朝の大阪御堂筋線の地下鉄の中を歩くぐらいの覚悟はいる。しかしそこで撮った写真はみんな迫力のあるものばかり。どこを向いても素晴らしい被写体が闊歩している。最近はこれはベネチア人ではなく地方やドイツなどの他の国から来たマニアが仮装している場合が多いらしい。そういや別の年はわたしは忍者のコスプレ、友達はセクシーなカウガールのコスプレしてクラブで踊って楽しかった~♪う~~~ん、コスプレ大会。いいかも。違)ま、ともかくこの日はぼ~っと借りたDVDを観まくっていたのだがシャレにならなかったのがコレ→ハニーVS.ダーリン 2年目の駆け引き(3月15日発売)(すごい長い邦題。。)まるで我が家を実況中継されたような映画だった。(わたしがジェニファーアニストンのように美人だったらよかったのだが。)観終わった後、2人で言葉を失った。そうか、これが我々のハッピーエンド?シャレにならん。。。。。今日はたいしたネタがないね。
2007.02.27
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昨日はバレンタインデーでしたね。みなさんはいかがお過ごしだったでしょうか?ちなみにここイタリアは、バレンタインデーは日本のように女子から男子へと一方的な愛の告白デーではなく、ジャパニーズクリスマスのように「恋人たちの日」であります。街のレストランはカップルで溢れかえり、手に赤いバラを持った女子も多く見かけました。我が家も忙しかったですよ。給料が入ったんで、ひさびさに2人で会計士に支払いに行ったり、ステファノにお給金を渡しに行ったり、ガソリンスタンドに支払いに行ったり、家に帰って、2人で額をつきあわせて夜中まで、今加入している車両保険が高いから期限切れが間近なのでネットで安くてお得なところを探したり。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。OOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!スペシャルデーにそんなことにつきあわせるな~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!!*********************************話は変わって、前の病院と違い、あまりにもあっさりと結果が出たので、うっかり書きそびれていたが、気になる子宮ガン検診やり直しは、前回のことも考慮して検査してもらった結果、「真っ白」だった。産婦人科受付の長蛇の列も無視して、ハラハラしながら予約なしで「コルポスコピア科」のドアを叩いたのだが、本当にあっさり診てくれた。信じていいのだろうか?念のため、3件目の病院も行っとく?と思ったのだけど、もしも3件目で「クロ」と出てしまっては抜け出せない泥沼にはまってしまいそうでこわかったので、踏みとどまった。この次の日も検査でミラノ市内の医者へ。会社で加入しているプライベートの保険会社が骨折から1年以上たったいま、やっと「審査診察」の連絡をしてきたのだ。。。。。そりゃ後遺症はちょっとはあるものの、すでに完治しているのだけど?汗指定されて行った診療所も私立なので、待合室には豪華な絵が飾られ、待っている患者も立派な身なりのおじいちゃんとか、毛皮のザーマス系おばちゃんだ。名前を呼ばれて入るとおだやかな背の低いおじいちゃん医師がひとり。医師「じゃあ、ズボンを脱いで診察台に横になって。」わたしが診察台に上がると、おじいちゃんはわたしのひざを曲げたり伸ばしたりして「痛い?」と聞いてくる。痛いも何も、もう治ってるのに。。。と思いながら「保険金」という言葉が頭に浮かび、ちょっと痛いフリをしてみせる。医師「今度は足をちょっと開いて立って。」わたしが足を開いて立つとおじいちゃんは脛から太ももまでまんべんなくモミモミと触ってくる。医師「足を骨折したことで、他が痛くなったところとかある?」わたし「あ。。。関係ないかもしれませんが右腰がよく痛くなって、重いものを持ったりするとすぐにぎっくり腰になります。」医師「じゃあ、上も脱いで。」うげ。しぶしぶ脱いだ。わたしはブラパン一丁になった。じいちゃんは胸下からまたもやまんべんなくモミモミ。。しかもパンツまでずりおろされてモミモミモミ。。。。。。本当にこれは診察なのか!?ここが診察室じゃなかったらただのエロじじいじゃないのか!!??と顔を真っ赤にして自問自答していると、やっとモミモミ攻撃が終った。医師「これは骨折と関係ないね。姿勢が悪くて身体が歪んでいるんだ。プールに通いなさい、プールに。」わたし「はあ。。。」エロっぽい診察とは裏腹にまともな診断が出てきたのでホッとする。しかしイタリアの医者というのは骨折だろうが、腰痛だろうが、みんな判をついたように「プールに行け。」という。こんな診断が下されるのはわたしだけなのだろうか?
2007.02.15
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おとといはひさびさにおっとと隣町の市民プールに泳ぎに行ってきた。わたしは足のリハビリと、肩こり解消、おっとは運動不足解消に「毎週行こうね。」と約束し、最初は2人で行く気が満々だったのに、おっとがひどい風邪を引いてしまったり、おっとがバイトを週末にねじこんだり、おっとが面倒くさがったりして、1ヶ月近くいけなくて、わたしが暴れ出す兆候を示し始めたので、やっといけることとあいなった。隣町なのに。クルマだったら10分もかからない距離なのに。怒ひさびさのプールはほとんど誰もいなくて、わたしはプールの真ん中の一番深いところを陣取って、無我夢中で泳ぎまくった。やっぱり水の中って気持ちがいい。泳がなくとも、目だけぷっかり水面に出し、垂直にダランと身体を水の動きにまかせているだけでも愉快だ。もしかしてわたしの前世は、カエルだったのかもしれない。しかしおっとは、と見るとほとんどプールのヘリにしがみついてゴーグルをいじったりしている。わたしは1時間ほどほとんどノンストップで泳いで疲れてきたのでプールからあがり、誰もいない広いシャワー室でゆっくり熱いシャワーを浴びた。服を着て、備え付けのドライヤーで髪を乾かしている間にじわじわと心地よい疲れが広がってきて、ほこほこしながら出口に行く。と、おっとがつまらなそうな顔をして待っていた。わたし「あんたほとんど泳いでいなかったね。」おっと「。。うん、ぼくやっぱり泳ぎには向いてないんだよ。」そうなのだ。おっとはサッカーやバスケット、テニス、バレーボールなど、球技など大勢で和気あいあいとするスポーツが好きだ。しかし唯一のサッカー仲間だった幼馴染みのウイリアムがアメリカに移住してしまったので、最近は誰も一緒にしてくれない。わたしはというと、ひとりっこのせいか、、他のひととチームを組んでする球技などのスポーツは大の苦手で、水泳、スキー、短距離走などの個人プレイが好き。しかしひとりっこ特有のへたれで、個人競技でも持久力が問われるマラソンなどは、小学生の時にはいつも仮病を使ってずる休みしていたが。球技の試合では1点入れるか入れないで一喜一憂していた、チームのメンバーをいつもどこか冷めた目で見ていた。テニスなどの1対1の球技も、相手の気迫にしらけてやる気が出なかった。なので、スポーツ観戦のおもしろさ、というのがちっとも理解が出来ないのだ。(例外的にWカップはお祭り的な感覚でおもしろかったけど)きっと前世は土佐守長宗我部盛親かなにかだったに違いない。わたしは決してたたき上げて天下を取るタイプじゃないのだ。話はちょっとそれるが、イタリア人も、個人プレイな人間が多いんじゃないだろうか?そういえば、わたしの周りは汗を流してスポーツを楽しむ人より、ソファに座ってスポーツ観戦のみするひとが多い。あえてやってるひとはジム通いとか、わたしと同じようなパターンだ。(子供のサッカー教室などは別として)これを仕事に置き換えると、納得がいく。今朝も駅のホームで電車を待っていると「注意!7時52分ポルタガリバルディ行きの電車は約10分の遅れです。」と放送が流れた。電車を待っていたひとたちはざわめき、あるひとは怒りだし、あるひとは、「あ~あ、まただよ。」とぼやく。しかし。放送の中身にはなんの謝罪もありゃしない。ひとこと「注意」の言葉のかわりに「おわび」という言葉を入れるだけで済みそうなものだが、決していれない。「おわび」という言葉を入れるだけで、怒るひとは半分は減ると思うのだが。役所関係だって、店だってそうだ。向こうが間違えた書類や、欠陥商品を持っていっても「おわび」どころか、「だから何?」という態度で出られる。ヘタすれば罵倒され、因縁をつけられる。アドバンスになると、欠陥商品を替えてもらうよう、電話で話をつけて言われた日時にとりに行く。しかしその連絡は誰にも伝わってなくて「知りません。」と言われスゴスゴと追い返されるパターン。挙句のはて、決まり文句は「わたしのせいじゃないわよっ!」確かに電車が遅れるのは、そこの駅員のせいじゃなくて、電車の運転手のせいだし、書類を間違えて作成したのは、その窓口のおばちゃんでも、壊れた商品を箱に入れたのは、会計にいる週に3回のパートタイムのお姉ちゃんでもないのだが、自分が所属している職場のミスなのだから、心になくても職場の責任を背負ってひとこと「スミマセン」という言葉と、無理っぽいけど贅沢をいえば、誠意ある対応をして当たり前なんじゃないだろうか?それこそがチームワークってもんだし、対応の仕方でお互いのストレスだって減ると思うのだけどな。。たとえば、かなり無理をして、「誠意ある対応」をしてもらったとする。袖に穴の開いたセーターを別のセーターに替えてもらう。普通「替えてもらう」=「ちゃんとした商品に替えてもらう」という意味合いが含まれ、たいがいの客は店を信用し、商品を確かめることもなく、にっこりと笑顔で「ありがとう」とまで言って店を出るだろう。ところが。イタリアの場合、その服を家に持って帰って広げてみると、袖には穴は開いていないのだが、肩に穴が開いていることが、多々ありうるのである!!そうなれば自然に「なんじゃ、あの店は~!?2度と行くもんか!!」になり、言い方を変えると「行かない」ということでしぶしぶ解決、という形になる。だが、役所の場合や光熱費の支払いの場合は、「行かない」「払わない」では解決にならないどころか、ヘタすれば、ガスや水道が止められてしまうのでやっかいだ。あ、こうやって書き出して行くうちに自分でもわかってきた。そうか、しかたがないんだな。ひとに不得意なスポーツを押し付けたって、無理なように、イタリア人には所詮無理なんだ。こうして「あきらめる」のもイタリアで長く住む秘訣として、イタリア在住初心者は心してもらいたいものである。大違)
2007.01.16
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今朝わたしは会社に着くと財布の中身を見た。61ユーロ。これで来月の給料日まで乗り切らねばならない。でも電車の1ヶ月定期代が41ユーロ。これは来月はじめまで取っておかねばならないから、実質20ユーロで約3週間を乗り切らねばならないのだ。もうキャッシュカードは使えない。翌日引き落としのクレジットカードもほとんど使い果たし、もうおっととステファノのワゴン車の給油代ぎりぎりしか残ってないので使ってはいけない。幸い日本の母に頼まれたものを送ったときに立て替えたお金が100ユーロあった。これは禁断の我が父のご家族カードから、好きに使っていいとのお達しがあったので、1週間分の食料、いや切り詰めたら2週間分ぐらいは買えるな。。。そんなことを悶々と考えていると、アンナ「わたし朝ごはんまだなの。ねえ、バールでカプチーノ注文しない?」と聞いてきた。うげ。いつもなら「うん!」とそばの電話に手を伸ばし、いつものバールに「カプチーノとクロワッサン2つずつね。」と言うところだ。だいたいカプチーノとクロワッサンのセットで1,8ユーロぐらい。カプチーノだけだと1、2ユロ。「。。。。えと、今朝はなんかコーヒー飲みたくないからいいや。」アンナ「そう。。。」彼女はひとりで何かをすることが出来ないタイプだ。悪いことしたな、と思ってみていると他の同僚たちにも「バールに電話するんだけど、誰か他に注文ない?」と聞いて廻り始めた。マッシモ「うう~ん、いいや。」ジャンピエロ「ぼくはエスプレッソとクロワッサン。」チロ「ぼくはジャム入りクロワッサン、コーヒーはいらないよ。」こうしてアンナが注文を聞いて廻っていると社長が来た。「ぼくはコーラをレモン入りで頼むよ。みんなの分、経費で払っていいから。」え?マッシモ「う~ん、やっぱりぼくにもエスプレッソとクロワッサンもらおうかな。」ああ、マッシモずるいっ!!わたしはあんな言い訳を言った手前、頼むに頼めない。やがておいしそうな匂いをたてて、みんなの朝食が運ばれてきた。わたしは息をとめてやみくもにPCのキーボードを叩き続けたのであった。あまりケチケチすると、幸運も廻ってこない。。。。。ふう。涙*********************ところで最近、本格的な不育症の治療を始めたので、いろいろな婦人科系の検査をしている。昨日は乳がん検診で病院の待合室で待っていたら、わたしの2人前に診察室に入った50歳代ぐらいの女性が泣きながら看護婦に支えられて出てきた。イタリアの乳がん検診は泣くほど痛いのか。。。と憂鬱になった。わたしは10年ほど前、日本で市の保険所で催された無料の乳がん検診を受けたことがある。そのときは男性の産婦人科医がしかめっつらしておっぱいをぎゅ~っと掴み、もみもみこねくり回してめちゃくちゃ痛かった。その痛みは数日続いた。(こんな文章書いたらどこかのエロサイトの検索でヒットされそうだ。汗)しかし涙は出そうになったけど泣かなかった。それが泣くほどなんて。。。よっぽどイタリアのはこれ以上にむごい掴み方なのかもしれない。泣きながら上着をはおる女性を横目でチラチラ見ていると、携帯が鳴った。なんと大阪お住まいで、現在ローマに展示会のため来伊している画家のお友達Mikkuさんが電話を下さったのだ。ちょっと前に電話番号は渡したのだけど、まさかかけてきてくれるとは思わなかった。先日のへたれ日記のことでいろいろ励ましの言葉と教訓をいただき、ありがたいことである。もっともっとたくさんお話したかったのだが、診察室に呼ばれてしまって切らねばならなかった。そして診察室に入るなり、あの女性が泣いていた理由が理解できたのである!今の日本もそうなのかもしれないが、このイタリアでは乳がん検診は「もみもみぎゅ~」ではなく、最新型のレントゲン機械なのだ。横には大きなモニターを備えた専用のコンピューターがあって、撮影するそばからおっぱいの中身がすぐにわかるのである。ということはあの女性、何か悪いものが発見されたってことだ。。。しかしレントゲン医師は先刻何事もなかったかのように「は~い、次は横を向いて顔を上げて下さいね~。」と穏やかな調子で左右のおっぱいあわせて6枚写真を撮る。レントゲン医師「次は向こうの部屋のベッドに横たわって別のセンセが来るまでお待ちください。」言われるがままに横たわって待っていると別の女医が出てきた。レントゲン医師はPCにすでに取り込まれた写真を見せてなにやら女医と会話し「もう一度、右のおっぱいを拡大で撮り直しますから来て。」という。拡大で撮り直し?ってことは何か悪いものを発見したってこと?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!??????????????????鳥肌が立った。もうこれ以上、悪いもの、抱えたくないんですけど!?心臓がばくばく鳴る。レントゲン医師は無言で手際よく写真を撮り直し、わたしがベッドに横たわると女医はすぐに冷たい青いジェルをおっぱいに塗りたくって、エコーのようにていねいに小さな機械でなぞりながら(この部分もエロサイトヒット入り)別の機械のモニターをのぞく。そういえば、右側を特に念入りに見ているような気もする。。。。ずいぶん長い時間に感じられた。女医はやっと機械から目を離し、わたしにおしぼりを渡しながらニコニコと「はい、何も異常はありませんでした。これでおしまい。きれいにおっぱいを拭いて帰ってね。」_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○はあ。。。。。なんだったんだ、あの右のおっぱい撮り直し?寿命が縮んだぞ!!貧乏でもとにかく健康第一だ。異常が発見されなくてよかったよ。給料日まであと14日。
2006.10.27
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お腹すいた。これを書き終わったらバールに行ってクロワッサンとカフェラッテを食べてこよう。というのも、我が家の冷蔵庫の中には現在、サルデーニャで買ってきたペコリーノチーズが転がっているだけなのである。パンもなし、牛乳もなし、おまけにインスタントコーヒーまで昨日できれいになくなった。田舎暮らしはいいけれど、ここが不便なところ。旅立ち前に冷蔵庫の中身を整理していったのはいいが、帰る日が日曜日でスーパーが閉まっていることをすっかり考えてなかった。_| ̄|○今週はおっとが、ず~~っと前に買って野ざらしにしてあるワゴン車の身の置きかたについて、仕事の後に奔走しているので我が家から約8kmの一番近いスーパーまでクルマで行くことが出来ない。おとといはスパゲッティを1ビンだけ残っていたトマトソースで食べ、昨日はツナ缶にしょうゆをかけて冷凍庫にあった残りごはんの塊を電子レンジでチンして食べた。今夜はいったい何を食べようか。。。?涙ところで昨日は日記をUPしてちょっとしてからタイトルに「前編」と付け加えました。実は続きがまだ2編残っています。お気づきでしたでしょうか?まだ読んでない方はこちらへ。→サルデーニャ島 1週間の旅 後編 サルデーニャ島からの帰り道に半日観光 ピサ そういえば北部のパラウにいたコックさんを最終日にこっそりびっくりさせるために訪ねるはずだったのに、その計画もおじゃんになったなあ。_| ̄|○
2006.09.13
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ただいま、おひさしぶりです。日曜日、家出から帰還しました。これからクリスマスまではろくに祭日もなく、働き尽くめ、と考えると憂鬱になります。今回はおっととふたりで家出。←これは家出ではないって?楽しめたような、楽しめなかったような、忙しかったような、のんびりしたような、リラックスしたような、ストレスが溜まったような。。。そんな旅でした。ひとつ、この旅で明解になったのは、イタリア人も南米人も「ラテン系」。_| ̄|○写真つきで大まかに旅の様子をまとめたので、ご興味のある方はこちらへ。→サルデーニャ島 1週間の旅 前編 む~ん、写真つきだと、イメージが限定されるなあ。。。*******そうそう、日記を読んでご当地ワインを試飲したくなった方はこちら(エルビスのファミリーって、こんなにたくさん日本にワインを輸出してたのか!びっくり←しかしほとんど品切れなんでとりあえず1本だけ紹介)これは別の親戚のワイナリー他にもいっぱいあるので、アルジオラスのワインを全部見たい方は楽天ショッピングのイタリア→サルデーニャのページへGO!
2006.09.12
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今朝まとめて、永久滞在許可証に足りなかった書類約20枚もを我が社が8月に入ってほぼ無人状態であることをいいことに、FAXで業者に送りつけた。普通ならば、こんなに大量の書類、宅配便というところだが、あの件以来 、もうおそろしくて送れない。半時間ほど待って業者に電話をする。「ああ、さっき届きましたよ。これからチェックします。」しっかりチェックしておくれ、これで当日書類不足とかになったら。。。。どういう処刑を実行しようか?*******話は変わるが、最近は朝10分は早めに起きないと出勤支度に間に合わない。なぜなら。ここ最近、はたから見てもわたしは体調が悪かったらしく、何人かの友人が心配していろいろプレゼントしてくれたのだ。同僚のシルビアはパビアの田舎の農場の濃厚ヨーグルト。わたしが知っている限り、唯一「ヤギではない」太鼓判を押せるサルデーニャ人のだんなさんを持つ、エクアドル人のマリソールはご主人のサルデーニャの実家から送られてきたはちみつのたっぷりしたたる、はちの巣丸ごと。目目さんは立派な桐の箱に入った韓国高麗人参エキスゴールド。みなさん、本当にどうもありがとう。これらを食べて体力つけます!!しかし全員が申し合わせたように言うには「毎朝、絶対続けて食べるのよ。朝ね、朝。」わたしの今までの朝は、起きたと同時にTVニュースをつけ、ビスケットを数枚口に放り込んでぽりぽり食べながらそれをカフェラッテ、といっても牛乳にインスタントコーヒーを溶かしたもので胃に流し込みながら着替える、というものだった。しかしイタリアに着いた当初はこんなスタイルじゃあなかった。「留学生」だったわたしは、遅い時間にゆっくり起きて、しかも最初は日本人の女の子と同居だったから、2人でハムエッグを焼いてジャムやバターを塗ったトーストに、ちゃんとイタリアらしくエスプレッソマシーンで入れたコーヒーでカプチーノを作った朝ごはんを食べて出かけたものだった。ある日、授業で「今日の朝ごはんは何を食べましたか?」という問いに、そう答えると、先生はびっくりして、「そんなに食べるんだったら明日は朝からステーキ?」と嫌味をこめて言ったのだ。そこでわたしと同居人の女の子ははじめて「イタリア人は朝はこんなに食べない。」と知った。先生いわく、「イタリア人の朝はクロワッサンひとつとコーヒー一杯。」が主流だと言う。(ちなみに余談だが、エクアドルでは朝っぱらから揚げパンにジュースや特濃カフェラッテだった。)先生「朝からそんなに食べたら気持ち悪くなるわよ。目を覚ますことが目的なら、濃いエスプレッソと、エネルギーを出すならそれに入れる砂糖だけで充分じゃない?」う~ん、それも一理ありか??しかしわたしたちは放課後、他の日本人たちと集まって「朝、ちゃんと食べないとチカラが出ないよねえ?」と言い交わしていたのだが。。。数年経ったら、そんなイタリアの朝食スタイルにはまっていた。まさに「エスプレッソ」で、出勤前のバタバタしているときに理想の朝食の形である。しかし今、改めて思い返すとやっぱりイタリアンスタイルは便利だけど、ちゃんと朝ごはんをここ数年食べなかったからこうなったのかな?と結論がついた。(もちろんそれだけじゃないとは思うのだけど)そこで今週から早めに起きて、友人たちがくれたものを毎朝摂ろうと決心したのである。月曜日には小さく切りとったはちの巣にヨーグルトを乗せて食べてみた。はちみつがとろりとからまったはちの巣、というのは金色に輝いていて見るからにおいしそうなのだが、実際口に入れるとそうでないことがわかった。ロウを噛んでいるようにニチャニチャするのだ。そういえば、マリソールは「気になるなら少し温めてはちの巣をよけてはちみつだけ食べるといいわよ。」と言っていた。朝、お皿を準備する手間だけでも惜しいのに、そんな悠長なことはやってられない。そしてこのヨーグルト、特濃なだけあって朝から胃にずっしりと来る。もともと乳製品は苦手で、脂肪分の少ない牛乳だけは「薬」と思って毎朝飲んでいたのだが。。むむむ。。。結局この日は韓国高麗人参を溶かしたお湯だけ飲んで出かけたのだった。これも土臭くて、なかなか飲みにくい味だったが、それこそ「薬」とおもって飲めば、なんとか慣れそうである。で、火曜日は、最近よく食べているコーンフレークに、はちの巣ではなくスーパーで買ってあったふつうのはちみつとヨーグルトを乗せてみた。シュガー抜きに慣れているからやたら甘い。やっぱりヨーグルトが特濃なだけあって朝から胃にずっしりと来る。ほとんど食べれずまたもや、高麗人参を溶かしたお湯だけ飲んで出かけたのだった。今朝はビスケットに高麗人参湯。だいたい週の真ん中の水曜日と言うのは、一番なにもする気が起こらなくなるのだが、高麗人参のためにお湯を沸かすのも面倒になってきた。あ、あかん。。。3日どころかこれでは2日半坊主である。朝食をイタリアンスタイルに変えるには無理なく簡単だったのにな。楽な方向に転がり落ちていくのは簡単、でもそれを元に戻すのは時間がかかりそうであるっつ~か、すでに挫折しかけ。好きなものを好きなだけ食べて太るのは簡単だが、ダイエットは難しい、そういったようなものか?せっかくわたしの身体を心配して身体にいいものをプレゼントしてくれた人々に申し訳ないとつくづく思う。朝、は無理かもしれないけれど時間があるときに完食させていただきます。(特にヨーグルトはさっさと食べないと)こういう食べ慣れていないものをいきなり毎日摂ろう、というのに無理があるのかもしれない。朝起きたら、誰かがすでに鮭の塩焼きと納豆と、あつあつのごはんとノリと味噌汁の朝ごはんを用意してくれているならきっと食べられるだろうな、とは思うのだが。。。(誰が用意するんだよ?)皆さんは毎朝何を食べていますか?
2006.08.09
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それは、ディズニーランドのオープン日を思わせる状態の長いひとの列だったのである!炎天下の舗装されてない空間にオープンして1年しか経ってない、というのにすでに色あせた、まるで公衆トイレを改造したような小さな切符売り場に向かって列は果てしなく続いている。我々はきちんと並んだ。しかしここは野獣の国、イタリアなのである!外人専門のクエストウーラの列に並ぶ第3諸国の田舎もんの外人たちの横入りなどにため息をつく日本人の日記を見かけるが、わたしは世界で一番イタリア人が田舎もんだと太鼓判を押してもいい!!列なんて、ふつう1列、カップルなんかで横並びするときは2列になるものだが、ひとつの列に5人ぐらい横に並び、隙あらば平気に割り込んでいくのである。特に列の曲がり角が追い越しポイントだ。誰もが先を越されないよう、デイフェンスを張るのだが。。自分が割り込んで行っているのに、誰かに先を越されようものならブーブー野次が飛ぶ。しかし、横入りした奴はそれはそれで「え?そうなの??」と平気に答え、更に前へと突き進んでいくのである!太陽はじりじりと容赦なくわたしたちを照りつける。人々はどんどん衣服を脱いで水着姿になった。まあ、これからプールに入るから一緒だろうけど日本人のわたしとしては恥ずかしくて出来ない。汗をしたたらせながら待つ。やがてわたしたちのちょっと前に並んでいたお兄ちゃんが叫んだ。「こんな列、待ってられるかっ!俺は団体入り口から入るぞ!!だれか俺と団体を組む人~!!」周囲の人々が次々に手を挙げた。わたし「わたしたちも手を挙げようよ。」おっとはうざそうに「駄目だよ、ほっとけ。」。。。おっとよ、ど~してこんなときに頑なになるかなっ!!??このお兄ちゃんは手を挙げた人の数を数え、お金を集めて人々を率いて団体入り口からさっそうと入っていったのであった。きっと彼は将来、大物になるであろう。これを見て、わたしたちの後ろにいたひとたちも次々真似をはじめて、どんどん団体で先を越していく。わたしは堪りかねて口をへの字に曲げて汗をたらりたらりと流しながら、黙って列に並んでいるおっとに言った。「あんた、あほや。」結局真面目に13ユーロもする切符を買い、さびれた動物園のような入り口をくぐれたのは列を並んでからちょうど1時間後である。入り口を入ると、これもまた色あせて片腕の折れた「シュレーク」の像がわたしたちを迎える。目の前にはただ芝生の公園が広がり、BBQをするひと、テントを張って寝そべっている人でごった返してプールなんて見えない。その芝生もさんざん踏み荒らされて、半分赤茶けていて、こんな上にバスタオルを引いてごろごろしている人たちの気が知れない。マリエッタに電話をしてとりあえず、入場した人たちが取り付かれた様にぞろぞろと向かう先にわたしたちも歩いていくと、やっとプールの入り口に着いたのだった。家庭内離婚以来、ひさびさにあうマリエッタは真っ黒に日焼けして前から美人だったのだが、更に美しくなり「遅かったね!」と楽しそうに笑った。わたし「切符買うのに1時間も並んじゃって。。。」マリエッタ「だからエルトンに9時って言ったのよ。わたしが来たときはまだ空いていたわ。」OK。エルトンよ、土曜日に9時に決めた理由を言って欲しかったぞ。マリエッタは友人が待っているところに案内した。2つ寝椅子が拡げてあって、そのひとつにこれも可愛いイタリア人の女の子が寝そべっていた。わたしたちも寝椅子を借りようと思ったが、もうビーチサイドは人でいっぱいで、拡げられない。しかたがないのでバスタオルを彼らの横に小さく拡げて服を脱ぎ、日焼け止めを塗る。廻りを見渡せばひとひとひと。。。頭上ではラテンミュージックがボリューム最大にがんがんかかっている。マリエッタ「ねえ、浮き輪に乗って流れる川のプールに行く?」見れば、ここもすごい列である。「もうちょっと後にしようか?」とわたしは言った。わたし「ねえ、泳ごうよ!」と目の前のプールを指した。マリエッタ「ここは深いからイヤ。」あ、そう。おっと「まだ寒いからイヤ。」そうかよっ。わたしは独りで飛び込んだ。ゴチン!と飛び込んだ拍子におっさんと激突した。わたしは慌ててがぼがぼ水を飲みながら「すみません。。」とそれて、ひとかきすると、また突進してきたお姉ちゃんにぶつかった。頭をぷっかり出して見れば、プールの中も芋の子なんて状態じゃない。ボウルの中であずきをといでいるようだ。うかうかしていると若者たちがまるでわたしが見えないかのように、飛び込んできて激突しそうになる。もうイヤだ!わたしは鉄はしごでプールから上がろうとしたが、ここも列を作ってぷかぷか待っている。「カモ~ン!!わたしを引き上げて!!」とプールサイドにいるおっとに叫んで引き上げてもらった。しかたがないのでバスタオルの上に寝そべっているとどんどん人が増えてくる。例えて言うなら週末のバーゲン期間中の心斎橋筋のような人口である。川のプールの列は更に長くなって、端がプールの入り口まで続いている。列に並ぶのが我慢できなくなったひとが次々垣根の割れ目から横入りして大勢でぞろぞろと川の流れに沿って歩いている。何が楽しいんだ!?まるでなんかおかしな宗教の巡礼の列のようだ。。。そう思いつつ、寝返りを打って目を丸くした。わたしの横にはさっきまで20CMほどの感覚を置いて女の子がバスタオルを広げて座っていたのに、もう5CMの感覚もなくすりきれたバスタオルが何枚も繋げて拡げられ、トドの群れが寝そべっているのだ!?そしてわたしの足元を見れば、ビーチバッグをわたしのつま先ぎりぎりに置いて、それを境界線として別のオスのトドがその向こう側に寝そべっている。わたしが起き上がると、マリエッタも待っていたように起き上がってきて「ねえ、ここなんだか息苦しいわ。場所は友達が見ててくれるから、お昼を食べに行かない?」というのに一も二もなく同意をしたことは言うまでもない。プールから食券売り場までに足を洗うための水溜りを通過しなければならないのだが、こともあろうに水の中に嘔吐したあとがあって、食欲が減退する。食券売り場もまたもや長蛇の列だ。もううんざりしてしまった。しかし、何も食べ物を持ってきていないので並ぶしかないのだ。ここでも、横入りとのせめぎ合いに四苦八苦しながら、やっとひき肉以外何もはさまってないハンバーガーと冷めてふにゃふにゃのフライドポテトにありつけたのは1時間後であった。マリエッタ「しまった!友達に『ついでに水を買ってきて。』って頼まれたのに忘れちゃった!!」OOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!?????逃げ出したいっ!わたしはもう何もかもがイヤだ!!!なんで、お金を払ってこんな苦しみを味わはなければいけないんだっ!!??と叫ぶことも出来ず、なんとか顔に引きつり笑いを作って「しょうがないね。。。」と2人で列に並びなおしたのであった_| ̄|○こうして更に1時間後、水を買って戻るとやっとエルトンが到着していた。「今日は暑いからいっぱい飲み物を持ってきたぞ!」とクーラーボックスいっぱいの凍った水や、コーラを見せる。あんた、遅いよ。。。。_| ̄|○_| ̄|○昼下がりはますますじりじりと太陽が照りつける。エルトンは滑り台をしに行ったきり、帰ってこない。列を並んでいるのだろう。プールの中はますます隙間もないほどひとで溢れかえる。原爆が落ちた日の広島の川って、こんなのだったのかな?と暑さで朦朧とした頭で考えた。わたしはマリエッタの寝椅子の後ろのわずかな影の中に縮こまり、身動きが取れない。ちょっとでも身体が外に出ようものなら鉄板の上で焼かれるような暑さを感じる。つ、つらい。。。。わたしはいったいここに何をしに来たんだろう?5時ごろ。やっとマリエッタ同様真っ黒に日焼けした彼女の友人が「わたし、もう帰る。」と起き上がった。この彼女、わたしたちが到着してからというものずっと寝椅子の上で寝転んだままで身動きしていない。隣で寝そべっていた男の子が、彼女だけシングルだと見抜いて、やたらちょっかいをかけていたので、その時は身をよじるぐらいはしていたのだが。わたしはホッとして「じゃあ、わたしたちも帰ろうか?」と小さな影から立ち上がった。マリエッタ「みんな帰っちゃうなんて、それはないよ!6時から砂浜で踊れるみたいだから、それにちょっと参加してから帰ろうよ!!」げげ。エルトン「わかったよ、ちょっとだけね。」わたしたち「。。。」エルトンの彼女と元の鞘に収めたい気持ちがひしひしと伝わり、わたしたちは黙ってうなずくしかなかったのだった。辛く長い1時間が過ぎた。プールは6時で閉まる。わたしたちは人波に飲まれながら出口ではなく、「砂浜」と書かれたほうになんとか脱出した。改めて書く必要も無いとは思うのだが、ミラノに海はない。従って、広がる白い砂浜は完全な「人口砂浜」だった。そこだけ見れば、、結構きれいな砂浜だった。しかしそのとき砂浜の向こうに見えたのは水が干上がり、水溜りのようになった濁った池だったので、悲しくなってしまった。マリエッタはうきうきとステージに近づく。音楽はもう始まっていてDJがレコードを廻していた。ひとり南米人であろう、真っ黒な太った女性が腰をくねくねさせて踊るのだが。。。。。彼女だけ。_| ̄|○後はぱらぱらとわたしたちを含め、数人が遠巻きで見つめて、見ているだけである。わたし「。。。。帰ろう。」疲れた足を引きずって出口を出た。駐車場は砂埃で何も見えない。そう、全員がいっせいに出口に詰め掛けたのだ。ずらっと並んだクルマの列の真ん中あたりで救急車までもがサイレンを光らせながら停止している。汗エルトン「こんなところでクルマの中で待つのはイヤだよ。芝生に戻って渋滞がなくなるのを待とう。」ここからわたしたちは芝生の上で列にこそは並ばないものの、BBQの残骸の山にたかるハエがこっちまで寄って来るのを追い払いながらそわそわと待ち、日が暮れて暗くなり始めた頃、やっとクルマが減ったのを確認して外に出た。よくわからないけど辛いつらい1日だった。勤めて日陰にいたにもかかわらず、体中が真っ赤に日焼けしてパンパンだ。もうこのプールには金輪際行かないと思ふ。。。。はあ。
2006.07.03
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たいした内容じゃないのにえらく長くなってしまった。ので、2部に分けて書く。先週土曜日。ブラジルは負けた。最近、毎晩W杯を我が家に観戦に来ていたエルトンは、この日力を落として言った。「明日はマリエッタとプールに行くんだ。一緒に行かないか?」←全然サッカーと関係なしマリエッタというのはちょっと前から家庭内離婚をしている彼の奥さんである。家庭内離婚はエルトンがいうには、彼女はたいした稼ぎも無いのに天井知らずにお金を使い、彼女のおかげで生活が窮を瀕するようになったのが原因で、マリエッタがいうには、ケチケチしてアルコールも飲まず、話題といえば神の話しかせず、どこにも行きたがらないエルトンが退屈になったのが原因。どれぐらいマリエッタが無駄使いするのかは知らないし、わたしはどちらの言い分もわかるが、彼女の気持ちに味方する。だってエルトン、我が家愛飲の「LEVISSIMA」という水を出したら「やっぱりこの水は旨いな。うちじゃ高くて買えないけど。」とほぼ毎回言うぐらいケチだ。(ちなみにこの水2L 0,60セント(約100円))。なので最近、彼に申し訳なくて訳のわからん安い水を買って「う。。まずい。」と後悔する日々。←どうでもいいけどこの水も結構おいしい。でも日本は高いのね。家庭内離婚を決めてからというもの、彼らは家のローンの支払いのためひとつにしていた銀行口座を各々に分け、別行動を取るようになった。派手目のマリエッタは、かなりエルトンの経済力に頼っていたところがあったらしく、最初のうちはお金のやりくりに苦労していたようだが、最近は余裕が出てきたらしい。週末は友人たちと夜の街へと繰り出したり、小旅行をしたりして楽しんでいるようである。←わたしもこういう夫婦のパターンに憧れるのだが?地味なエルトンはそういったシングルライフを楽しむことが苦手のようで所在無し、といった感じで時々近所の我が家にTVを観に来るのである。(ちゃんと彼らの家にもTVはあるのだが。)以前のコックさんといい、エルトンといい、わたしはおっとは遠かろうが、近かろうが、そういうやもめタイプを引き寄せる魅力があるようだ、うっふん。そういう状況が長く続いた後に「一緒に。」というのは、実によい兆候ではないか?喜んで行くことにした。エルトン「じゃあ、朝9時に『アクアネバ』の入り口ね。」早い!なんで日曜の朝にこんなに早く起きて冷たいプールで泳がなあかんねん!?おっと「わかった、起きた時点で電話するわ。」とすんなり答えた。さすがだ。南米人には南米人に返事をさせるのがいいようである。*******日曜の朝。あんな返事をしておきながらプールが楽しみで9時前には起き出したわたしたち。さっそくエルトンに電話する。「今教会のミサ中だから、後でかけなおして。」ちょっとちょっと、昨日あんたが9時だと言ったんだろうが!?エルトンは小声の早口で「ああ、今から行くんだったらマリエッタはもう他の友達とプールに着いてるはずだよ。ぼくは11時ごろにミサが終わってそれから行くよ。」なんだ、エルトンが来ないのに、そんなに早くから行くのもなんだし。。とわたしたちはちょっとがっかりして家でTVを観ながらダラダラと時間を潰し、11時ごろ家を出発したのだった。『アクアネバ』というのはミラノの郊外地下鉄緑の終点GESSATE駅からバスで少し行った先にある去年オープンしたばかりの巨大プールランドだ。ちらしを見る限りではジェットコースターのような滑り台があったり、川の流れのようなプールがあったり、アトラクションがあったり、楽しそうである。しかし我が家からは結構遠かった。田舎道をひたすらクルマで走るとやっと小さく『アクアネバ』という看板が見えたので、整備されてない土ぼこりの藪の中の道を突き進むと、整備員何人がわたしたちを導いてわたしたちは何もない荒野にクルマを駐車したのだった。そんな荒野は満車状態だった。クルマを降り、ちゃちな金網の隙間をくぐるとそこに見えたものは。。。つづく。
2006.07.03
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わたしはイタリアに居ながらも、サッカーには超うとい。しかし最近、ドイツWカップを前に、TVをつけるとサーカー選手をふんだんに使ったCMが盛りだくさんなのでイヤでも選手と芸能人の区別ぐらいはついてきた程度だ。しかしその中でトッティ選手はわたしの中では特別である。わたしより少し前に試合中、足を骨折した彼。療養中、ドンジョイをつけて美人妻と歩いている姿がTVに映し出されると、共感を持たずにはおられなかった。最近やたらお目にかかる、彼がドイツのあるお屋敷で家政婦さんに「1、2、1、2!」と足をリハビリされているTVCM。わたしはこれを見てからというもの、おっとに同じことをしてもらって、ささやかにトッティと同じ境遇を噛み締め、自己満悦に浸っていたのである。しかし昨日はびっくりした。彼は試合に復帰して、終了後、汗まみれで記者会見をしているのだ!「骨折後72日目の試合復帰。」とニュースは言っている。わたしも事故に遭ってから約60日。後12日でこんなに男と男がぶつかりあうハードな運動が出来るようになるのか!?わたしならこわい。また簡単に同じところを骨折しそうじゃないか?****同じ境遇のわたしとしては、自分の72日後の状態が想像つく。毎日リハビリに通い、家でも1時間おきにせわしなく運動をしているおかげでまだまっすぐは立てないし、あまり左足に力は入らないけれど、だいぶ足が動くようになってきた。足を屈伸するたびに膝がポキポキ鳴る。リハビリ師「この音はいい兆候よ。固まっていた膝がほぐれてきてるのよ。」そうか。変な音におびえていたので、かなりうれしかった。おとといは10日間1セットのリハビリが終えた後の診察だった。労災の自宅療養期間は来週火曜日に切れる。なのでリハビリ科の院長がそれまでに間に合うように少々きつめのメニューを組んでくれたのだが。。。院長「う~ん。。だいぶマシになってきたけど、まだこの状態でリハビリをやめたらダメだわ。20日間何もせず固定したままだったのが引きずってるわね。あともう1セットしましょう。」ガク。そう、72日後、というのはリハビリが終了したばかりのまだ心もとない状態なのだ。ところで昨日もまた機械の振り子運動に身をまかせていると、そばにずらっと並んだうちのひとつの個室のカーテンの向こうが騒がしい。この個室には固い治療用のベッドが並んでいて、そこで寝転んだ状態のリハビリを行なう。この中の患者、かなり無理なリハビリをしているんだな、と思っていた。今日もまたまた機械の振り子運動に身をまかせていると、その間、わたしの担当リハビリ師は退屈なので昨日のカーテンの向こうの騒ぎを語ってくれた。昨日は自転車に轢かれた、というモロッコ人男性が救急車で運ばれてきたのだ。なぜ、自転車に轢かれたぐらいで救急車かというと、すでにその男性は、石膏で足がまっすぐに固められた状態で歩いていたので2重の不幸だったらしい。付き添ってきた兄弟の話によると彼は1ヶ月前にイタリアに着いたばかりのときに事故に遭った。ここの病院の医師が石膏をはずしてみると、わたし同様左膝が骨折しているのに、手術もせず、しかもそんな場合は石膏は少し曲げた状態でつけなければならないものをまっすぐにつけたため、足が変形してしまっていたという。そんな間違いだらけの処置をどこの病院でやったか問いただしてみても、怪我人本人はまったくイタリア語が皆無で、付き添いの兄弟もたどたどしいのでわからないらしい。とにかく固めたまま、ここまで時間が経ってしまったのですぐさまリハビリ、ということになったのだが、彼は絶対に担当の女性リハビリ師に足を触らせようとしない。異様におびえ、嫌がるのだ。なので、そんな彼を昨日は説得の為に騒がしかったわけである。なぜ、足を触らせようとしなかったか?というと、彼らの社会ではまだ女性は気軽に男性に触れてはならないらしい。汗今日は今日で、彼はなんの身分を証明するものを持っていないので言葉の出来ない彼の代わりにリハビリ師が書類を作り、会計の支払いまで手伝って大変だったのよ、という話だった。この経緯を聞いて、トッティ以外に彼にもわたしは共感を覚え、深く同情した。着いたばかりの異国の地でこんな大怪我を負って、不法滞在者だから病院に行かずになんとか隠れて治療しようとしてこんなことになっちゃったんだな。実際は不法滞在者でも緊急の場合はパスポートのみで病院の治療が受けられる。でも、そんなシステムなんていったいどれぐらいのイタリア在住ガイジンが知ってるだろうか?ちょっとはずれるけど、わたしはイタリアの救急車のダイヤルが118番だなんて入院してからはじめて知った。前にも書いたが病院の診察の後にホームドクターにいちいち報告してその後の指示を仰がなきゃいけない、なんてことを知らなかったために放置して足の回復が遅れた。カトリック教会の美しいステンドグラス、フレスコ画の宗教画はむかしむかし、読み書きの出来なかった庶民の為に聖書の話をわかりやすく図解するために描かれたのが発端だという。こういった病院などの医療システムも、公共施設の外壁などに描いたり出来ないものか?ミラノの街の建物の壁は、ピンからキリまでの落書きで埋め尽くされている、というのにこの落書きエネルギーをこういった役立つものに変換できないものだろうか?*****こんなことをTVを見ながら書いていたら、あるCMが目にとまった。とあるスポーツ新聞のCMだ。こちらは、オマケつき雑誌や新聞がすごく多い。子供雑誌にはおもちゃ、女性誌にカラフルなビニールポーチつき、とかは当たり前で、最近は新聞にヒット映画のDVDつきとか、美術書つきとか、値段も12~15ユーロ(約1500円~2000円)もして、どちらがオマケかわからないようなものが増えている。このスポーツ新聞のオマケはなんとカーナビだった!「たった189ユーロ(約2万6500円)でカーナビがオマケについて来ます!」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。OH,NO.あ、ありえない。もうこんなの、オマケじゃない。
2006.04.28
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こんにちは、またもやお久しぶりです!やっと。。。。やっとADSLが繋がった!!事故以来の全ての日記を更新しようとしたら、1ヶ月前までしか更新できないのか。。先ほどまで、途中で友人の長電話につきあわされるハプニングもありましたが、猛烈な勢いで約2ヶ月分の書き溜めた日記をUPしてました。この間、会社で書いた日記のコメント読みました。こんなにたくさんの方に心配して頂いて、本当に申し訳ありません!!怪我した足のほうはというと、日記にも書いてますが、ウレタン製のギブス「ドンジョイ」は取れました。しかし、リハビリが来週からしか始まらないので家で地道に足の屈伸運動をやってます。もう松葉杖なしでも歩けます。原始人のような歩き方しか出来ませんが。おっとの付き添いがあれば、スーパーに買い物にも行けるようになりました。******実はADSLが実際繋がった日は10日ほど前。毎日テ◎コムに催促の電話をするのも諦めて4~5日放置していたところにつなぎやがった。わたしが失意で放心状態のある日、おっとが見かねてテレ◎ムに電話をしたら「もうとっくに繋がってますけど。。。」と呆れた声を出されたそうな。呆れるのはこっちじゃ!!ずるい!きっとどこからか、見ていてわたしが諦めるのを待っていたに違いない!!!わたしはおっとに言われて急いでPCを立ち上げた。だが、あいかわらず繋がらない。もう一度テレコ◎に電話をする。あいかわらず愛想の悪いオペレーターたちは「ああ、そうですか?では技術班の方に電話をおかけ直し下さい。」と切る。今回は、わたしもめげずに技術班に電話をした。状況を語ると技術者はいろいろわたしに指示を出すのだが、相変わらず繋がる気配は無い。技術者「。。。たぶんこれは我々の回線の故障ですね。土曜日までになんとかします。」と電話を切ったのがこの木曜の話だ。そしてさっき。「◎レコムです。回線の修理が完了しました!試しにつなげてみてください。」と電話がかかってきたので慌ててPCを立ち上げ、つなげてみたがダメである。わたし「繋がりませんよぉ。。」テ◎コム「おかしいな、お宅の地域の回線は修理したのだけど。。じゃ、そちらに行きます。」わたしはまたもや待たされるのかとガッカリし「来るって、いつなんですか?」と聞いた。テレ◎ム「お宅のそばにいるので、すぐ行きます。」そばにいるなら電話せず、直接来ればいいのに。。と慌てて家の中を片付けていると5分ほどでやってきたのだった。テレコ◎の技術者は「本当にこいつ、技術者なのか?」と疑うようなおぼつかない手つきでキーボードを操作した。いろいろ試すがまったくダメである。◎レコム「う~ん、もしかしたらモデムがダメなのかも。クルマに戻って別のモデムを持ってきます。」と別のモデムを持ってくると、先ほどまでの苦労がウソのように簡単に繋がったのである!ADSLの開通に1ヶ月もかかった上、回線まで故障していて、新品のはずのテレコム専用モデムまでが欠陥品で、それでどうやって商売やっていけるんじゃいっ!!!???まったくルイジな国である!!!*****これからは、時間はたっぷりあるので、ゆ~っくりとお友達の皆さんのところへ遊びに行かせてもらいます。ふふふふふふふふふ。あ、メールもチェックしないと。。。。
2006.04.02
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今朝は目覚ましをきっちり8時半に合わせて起きた。ホームドクターの予約時間は8時半から12時まで。それまでにどうしても、今日の診察の予約をしなければならない。不安だった。どう言いくるめたら今日の予約が出来るか?電話番号をプッシュしながら、あれこれと対策を練った。しかし、8時半と同時に電話に飛びついたもののず~~~っと通話中である。我が田舎町にはこんなに病人が多いのか?やっと1時間ほどして電話が繋がった。案の定、看護婦は渋々とした声で「今日?無理ですよ。今日は予約でいっぱいです。数日後ならなんとか押しこめますけど。。。」わたしは「足が真っ赤に腫れあがって痛いんです!それに先週金曜の時点で病院には緊急にホームドクターに行くようにって言われてるんです!」と有無を言わさぬ口調で答えた。看護婦にはわたしの病状よりも、「病院に言われた。」というセリフが効いたらしい。「。。わかりました。今日の12時50分ってことで。でも遅れず来てくださいね。本来診察は12時半で終わりなんですから。」やった!!言ってみるものである。というか、本当の急病人なのに、まるでへたな小細工が成功したような感に襲われるのはいったいどういうことだろう?実際わたしの足はドンジョイをはずして以来、ケロイドのようにズル剥けだった皮膚はオロナイン軟膏を毎日塗る事によって治ってきたものの、熱を持って腫れたままだった。そこに持ってきて、おっとが病院の医者の勧めでさっそくニーノ(わたしと同じく事故った友達)のお姉さんからジム用の自転車を借りてきたのだ。おっと「20日も遅れを取っているんだから我慢して漕いで!」と星一徹のごとく、わたしが「痛いいたい!!」痛みを訴えても自転車から降りることが許されず、漕ぎ続けたので、ひざはますます腫れあがり、痛くて歩けないぐらいになっていた。予約時間の10分前、わたしはおっとに支えられて医院に着く。おっとはそのまま仕事に戻り、わたしは待った。「なんだ、もう診察時間が終わってるのにまだ待合室は満員じゃないか?」1時間ほど待ったところでようやくわたしの番となった。待つ患者も辛抱強いが、診察時間がとっくにすぎてもまだ診察しなければならない女医もご苦労なことである。女医は「まあ、いったいどうしたの!?」とびっこのわたしの足を見て驚いた。無理もない。前回わたしがここに来た時には「妊娠」というおめでたいニュースを持って出ていったのだから。わたし「あれから数日後にいろいろな事が一度に起こったんです。。」とかいつまんでニュースを語る。女医は目を見開き、言葉を失って「。。。まあ、大変だったのね。お気の毒だわ。」とやっとそれだけを言った。状況を飲みこんだ女医は病院のカルテを丁寧に読んでいく。そしてわたしは20日前からはじめなければならなかったリハビリがまだなのを語り「ガイジンにはイタリアの医療システムがわからなくって。」とこぼすと、女医は「会社の休暇はどうしてるの?労災にはもう、申請した?そういうことをするのはホームドクターの仕事なのよ。」と聞いて来た。そういえば、これも知らなかった。救急でバタバタと入院となったときに、急患受付で仕事を聞かれ、病院側でこちらから言わなくとも書類を作成してくれたのだ。会社にもその書類を直ちに提出するように言われてその通りにし、この件に関してはとんとんと事が進んだのである。わたしが労災の書類を見せると女医は「ああ、救急で入院したのね。」とすぐに理解して安心する。しかしわたしが退院してから今までに診察に払った領収書を見ると「え、どうして払ったの?労災でカバーできるから無料のはずなんだけど。。。?」なんだって!?今までレントゲンも含めてかなりの額を払ったぞ!!女医「次から診察の時には労災でカバーできるから、って病院の医師に言うのよ。」と無料になる病院でのリハビリ申請の赤紙を書いてくれたのだった。くっそ~。。。。これだけじゃない。無知って事で、家のことといい、病院のことといい、相当な額を損している。どうにもならない悔しさでいっぱいになった。20日も遅れを取ったリハビリに関しては女医はさほど驚きを見せることなく「とにかく無理しないように毎日続けることが肝心だから。」と自宅で出来るリハビリの図のコピーをくれた。見れば座って、足をゆっくり出来るところまで曲げたり伸ばしたり、の単純運動である。わたし「あの~。。病院の医師に言われて自転車漕いでるんですけど?」女医「え!あなた20日間、筋肉を動かさなかったんでしょ?自転車はまだ早すぎるわ。病院のリハビリに通うようになって、リハビリ師の指示があってから始めなさい。さっきも言ったけど無理は絶対禁物よ。痛くなったらすぐに止めなさい。それとひざは常に氷で冷やしておくように。」わたし「は、はあ。。。」この週末、わたしはまったく良くない事をやっていたわけだ。星一徹になりきっていたおっとに直接このセリフを聞かせたかった。というか、あの何に付けても不親切な病院の医師をぶん殴りたかった。皮肉にも診察室から出たと同時におっとがわたしを迎えに医院に入ってきたのであった。その後、昼食も食べずに病院にリハビリの予約へ。1ヶ月後にしか空きポストがない、という窓口のお姉ちゃんに、ホームドクターの予約時同様、緊急性を訴えるとやっと4月7日始まりの穴を見つけてくれた。それでもずいぶん待たされるが、仕方が無い。妥協した。だってここはイタリアなのだ。はああああああああ・・・・・
2006.04.01
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退院当初は家で何をしていいかわからず戸惑っていたが、最近一定のリズムになってきた。だいたいのスケジュールとしては、午前:遅い起床の後、誰も見てくれない前日の日記を書く。(元来日記と言うものは、秘密めいていたものだったのに一度、他人の目にさらしてしまうと、もう誰かが読んでくれないと寂しいから不思議だ。)午後:前日の夕食の残りで昼食を済ませ、皿を洗った後、連続TVアニメを立て続けに3本観る。その後PCゲームか、家の掃除に没頭しているうちに夕方になり、TVニュースを見ながら夕食を準備し終わった頃におっとが帰宅。夕食を食べてシャワーを浴びると、月曜日なら「レ イエネ」、木曜日なら「グランデ フラテッロ」とお決まりのTV番組を観て寝る。これが壊れるとなんだか落ち着かない。わたしはやっぱり根っからの会社員タイプなのだろうか?*****ところで、唐突だが1.何かを得たい。→ 2.得るための行動に移す。→ 3.それを得るために待つ。 → 4.それを得るために待つ。→ 5.それを得るために待つ。→ 6.遅いので得る催促をする。→ 7.遅すぎるので得る催促をする。→ 8.得られないので苦情を訴える。→ 9.得られないのであれこれと他の得る手段を考える。→ 10.どれも無駄だと悟る。→ 11.我慢の限界を超える。→ 12.切れる。が、期待は心のどこかでしている。→ 13.切れまくる。→ 14.あきらめる。→ 15.完全にあきらめる。が人間の心情のプロセスだと知ったのは、イタリアに来てからである。日本ではプロセスを踏んでいたのはせいぜい3.までだ。今のわたしの過程は上記のプロセス12.に入って長い。わたしは、あの現在は民営となったテレコム相手にまだなお、切れ続けている。あの日本でいうなら電電公社あがりの役所根性が何年たってもまだ抜けない野郎たちである。14.のあきらめのプロセスにまだ入れないのは、きっと契約書が先日届いたせいであろう。なんだ、忘れられたわけじゃないのか。。。?と期待してしまうのだ。しかし、この大きな組織の中の契約や請求書発行課だけがしっかりしているようで、あとはボンクラであるらしい。(←他のどの企業にも共通する点である。)しかもずるいことに、お客様がかけられる電話番号は「187」とたったひとつで、そこから何十人のオペレーターを介したところで、絶対 直接の責任者や担当の課に繋がる事はありえない。オペレーター「大丈夫ですよ、奥さん。あなたのクレームは社内メールにてすでに通っておりますからすぐに繋がるようになりますよ。」わたし「すぐっていつですか?」オペレーター「数日中ですね。」わたし「直接、わたしの地域の担当者に電話したいのですが、電話番号を教えてもらえますか?」オペレーター「わたくしどもにはわかりません。」わたし「そうあなたのさまざまな同僚に言われ続けて3週間経ったんですが?あなた、同じ会社内なのに社内メールかなにかでちょっと調べたらわかることでしょ?!」オペレーター「。。とにかくすぐです。いいですね?もう切りますよ!」そこでわたしがまた「あんたね~。。」と攻撃の姿勢に入ろうとすると、こちらの言葉も待たずガチャンッ!!と電話が切られてしまうのだ。イタリアという国は、まったくもって客の無力がつくづく思い知らされる国である。ガビッボにSOSを出すか、レイエネポートの保険に加入しようか、と最近本気で考える毎日なのだ。(←イタリア在住テレビっ子限定ネタ)
2006.03.28
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この日記を更新する前からひさびさの本日のアクセス数の多さに驚いた。日記を書いた昨日より多い。そんなに他にもボイラーが壊れた経験のある、ご家庭が多いのだろうか?*****ところで皆さんは「ラテン」と書くと何を想像するだろう?わたしにとって「ラテン」な人々とは:「ええ加減」「自己中」「やたら熱血」「めちゃめちゃアバウト」「根性で動く人々」「下半身で動く人々」「ヤギの脳みそ」などなど。。。はっきり言ってあまりいい印象がない。ちょっと違うよなあ?と今朝読んだ記事で思った。仕事意識を「ラテン化」しよう! まあ真面目一徹日本の企業戦士には、これぐらい気を抜く「気持ち」が必要なんだろうか。********話を戻して昨日のボイラーの話だが、結構皆さん、もっと低温に慣れていらっしゃるのをみてびっくりした。わたしは新居に引っ越すまではどこの家もアパート全体のセントラルヒーテイングで、ミラノの冬の屋内=暖かいが当たり前だった。ミラノは北海道と同緯度にある。北海道も冬は暖房つけっぱなしが当たり前のところが多いようだけど(←そう、隼瀬さん??)そのあと、ネットサーフィンしていて見つけた北イタリア在住の誰かが書いた記事を見てなるほどと思った。日本の寒さは同じ気温でも「表面的に寒い」らしい。しかしイタリアの寒さは「骨から血液を凍らせる寒さ」なのだ。その方の記事では「だからこっちは油もそのまま飲んで(オリーブオイルのことだと思う。)体内に油膜を張る必要があるのだ。」と。←わたしは飲まないけど。汗そういえば、実家も奈良の一軒家だったので、冬はめちゃくちゃ冷え込んだ。でも、確かに寒かったけど、なんか違ったな。。。。火曜日の夜はそうやって、ボイラーが直って家が徐々に暖まっていくことに感激しながら、「鳥の水炊き鍋」の準備をしていた。わたしの胃が悪くなってから、あっさり系ばかり夕食に出すようになっておっとにはぶ~ぶ~言われていたのだが、これだけは好評で、我が家の食卓によく登場するようになった。するとインターフォンが鳴って、外には同じならびに住むカルラと同棲中のシモーネが(←彼らもひさびさの登場!)。カルラ「今からうちの畑でサンアントニオの焚き火をするの。一緒に観に行かない?」というわけで、夕食つくりを中断、大好きなTV番組「SMALL VILLE」の再放送を名残惜しそうにながめてスイッチを切った後、厚着をして出かけた。サンアントニオとは:うちらの田舎町の農業の守護聖人だそうで、昔々毎年1月17日に古いものを焼いて古い年の厄をはらう焚き火をしていたを今年からカルラのお父さんたちが市とにかけあって復活させたらしい。(←カルラのお父さんはこの辺の大地主のひとり)お父さんの畑は我が納屋の前のお父さんの農場を隔てたすぐ後ろに広がっている。暗くてほとんど何も写ってないけど、どれだけ大きな焚き火かおわかりいただけるだろうか?我が家と階下の家を改装したとき、ルイジがこともあろうに中庭に古い建材を全部放棄していったのだ。引っ越したときから気になっていたのだが、最初は誰のものかわからなかったし(あまりにも堂々と放棄されていたので。汗)、我々のものだと気がついても、こんな大量の粗大ごみ、どうしていいのかわからず、知らない振りを決め込んでいるうちに、周りには草がぼうぼうに生え、ねずみや有象無象の巣と化していた。それがここ数日、会社から帰宅するたびに少しづつ減っていた。どこに消えたのかと思いきや、ここに全てが集合していたのであった!!近くで撮った写真。ドアやら窓が焼けている~!これ、ほとんど全部我が家から出た廃材(恥かしや。。。)。焚き火のそばは熱かった。あまりの熱さに20mは近づけない。まるでピザを焼くかまどの中にいるような気分だ。ここはまだ暖まりきっていない我が家の中よりよっぽど暑かった。周囲の住人がたくさん集まっていて、なんとなく談話している。別に祭りのように出店が出ているわけでもなく、ただの巨大な焚き火なだけなのに、結構な人数である。カルラのお父さんは集まったひと、ひとりひとりのところをまわって挨拶をしていた。有名人である。果てしなく続く畑の果てを見渡せば、あちこちで炎が見えた。なんだかとても「ああ、やっぱりわたしは南米の田舎じゃなくて欧州に住んでいるんだなあ。」という気持ちにさせられたのであった。おっとに聞けば、エクアドルでもこういった焚き火があるらしい。しかしもっと普通の規模の焚き火で、それを囲んで酒を飲み、厄をはらうために焚き火を飛び越えるという。酔っ払って飛び込んで、火だるまで「あっちちちちちち!!!!」と出てくるあほうも必ずいるらしい。そういえば、日本も焼けた炭の上を修行僧が歩いたりするよな。やっぱり「火」というのはどこの国でも神格化されているんだなあ。おっと「誰が最初に火を見つけて使い始めたんだろうね?」まったくだ。なまこを最初に食したひとのように、かなり勇気のいる行為だったに違いない、と思ったわたしだった。PS.あ、今日はなんか普通な日記。
2006.01.19
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最近、トスカーナに引っ越して平日はミラノに居て、週末に家族のところに行くようになった社長のわがままのおかげで我が社は月から木は8時間半働き、金曜日は3時に終わるように新しい時間割になった。おかげで、最初は月から木がずいぶん長く感じられ、反対に金曜日の昼間は何をしていいやらとまどっていたのだが、やっとラケーレと水泳に行くことに決めたのである。で、先週金曜日ははじめて2人で会社からちょっと離れた市民プールに泳ぎに行った。平日の昼間なのでガラガラ、水はがきんちょ共お子様たちに侵される前できれいだし、すっかり気に入った。約半年泳いでいなかったので筋肉はカチカチで最初はクロールでウデを廻すのも辛かったが、泳いでいるうちに骨がポキポキ音を立てるようになり、やがてはほぐれて体がぽかぽかしてくる。泳ぎの速度はラケーレとほぼ同じだったので一緒に泳いでいてストレスが溜まらない。泳いでいる途中、ラケーレ巨乳ぽろりの瞬間もあったが、女同士なので気にしないのである。1時間ほど泳いで、熱いシャワーを浴びて出てくる頃には、2人ですっきり。まるで銭湯帰りのようにタオルを引っ掛け「はああああ~、気持ちよかった!」と連発しながら帰って行ったのであった。病み付きになりそうだ。そしてこの日はいつもよりちょっと早めに、まだ明るいうちに我が田舎駅に到着した。駐輪場のスクーターのところでヘルメットを装備していると薄汚れた3歳ぐらいの子供がしゃがみこんでスクーターの前の道路の溝に吹き溜まったたばこの吸殻を拾おうとしてたので「ダメだよ、ばっちい!!」と注意した。すると子供はちょっとおずおずと「ねえ、女もバイクに乗るのか?」と聞いてきたのである。幼いのに、荒くれた喋り方に(この子の親はどこ?)と警戒して辺りを見渡すが、そんな感じの大人が居ない。たぶんどこかの店に入って長居しているんだろう。警戒を緩めてわたしは答えた。「そうだよ、女の人も乗るのよ。わたしのバイクの色はな~んだ?」(にこぷんのお姉さん風)子供「あか。」わたし「他のバイクの色は?」子供「えと。。あお、くろ。。。あれはしろ。」と指差しながら答える。わたし「わかる?女の人は赤いバイクに乗って、男のひとは青と黒に乗るのよ。」子供は感心したようにうなずき、「じゃあ、しろいバイクは?」と聞いてきた。この白いバイクはいつもわたしが朝、駅に到着するのとほぼ同時に着く肌の黒い青年のものである。わたし「これは黒いひとが乗ってるバイクよ。」(←ウソじゃない。)子供が「そうなんだ、へえ!」ととてもうれしそうな顔をしたのでこっちもうれしくなり、「じゃ、もう行くね!」と颯爽とスクーターで帰途に着いたのであった。わたしのルイジ化も確実に進んでいるようである。汗ルイジ化といえば、お嬢母が来伊した際に慌てて購入したIK◎Aのソファーベッドが、ソファとして使う分には支障がないのだが、ベッドに広げるとべコベコ音が鳴るのが耳障りなので昨日、やっと重い腰をあげ交換に行った。(2年間保証)いつ行っても日曜日のIK◎Aは、周りのお店がほとんど閉まっているので行き場のない暇つぶしの客ばかりで満員である。クレームや返品交換窓口ももちろん長蛇の列だ。しかし、そんな中ですばらしいのはちゃんと順番待ちの番号札を、しかも用件別に発行するところ。30分ほど待って順番が来て、やっと問題の持ち込んできたソファの部品を見せる。窓口のおばさんは「ああ、ちょっと待って。」と20分ほど奥に引っ込んだ後、やっと戻ってきて「担当のものを呼びましたので少々お待ち下さい。」と別の客を受け付け始める。担当のお兄ちゃんが「どうされました?」とやってきたのは30分後。状態を見せると「ああ、これは完全に交換ですね。再び窓口で呼ばれるまでお待ち下さい。」と20分ほど待たされ、やっとさっきのおばさんに呼び出された。おばさん「ちょっと問題がありまして。。。ご購入されたソファはもう生産されておりません。」OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO????????!!!!!!!おばさん「あ、でも型は一緒で生地違いがあります。お気に入らなければ同じ価格までのお好きなソファと交換いたしますので売り場にて、先ほどの担当のものにオーダーしてください。」そこでしぶしぶ広い店内を、満員電車の中のような人ごみを掻き分けてソファ売り場にたどり着く。そして例の生地違いのソファを発見。我が家のはつるつるのベージュの生地なのだが、これは同じベージュでも60年代によく見かけたようなソファのような、クマのぬいぐるみのような、触感の生地だった。秋冬仕様なんだろうか?なんかこの季節はいいけど、夏が暑苦しそうだな。。と他もいろいろ見るが、きっとコストダウンのためだろう、ほとんど同じ生地が使われている。おっとは「何が気に入らないのさ?ぼくはこの生地のほうが高いように見えて好きだな。(単純)」というのでもう面倒くさくなって、同じ型の生地違いにすることにした。(ないものはないんだし。)で、さっそく先ほどの担当のお兄ちゃんを見つけてそこに向かうがそこも長蛇の列である。ここでも30分ほど待って、やっとオーダー表を発券してもらい、また、言われるがままに広い店内を戻って返品交換窓口のおばさんのところに行き、そこでもまた待たされて。。。。。やっと数週間後に新しいソファを届けてもらえる手はずをつけたのであった。IK◎Aは運送料を取られるのだが、ここはタダにしてもらった。****さて。ここで検証してみよう。わたしたちがIK◎Aに着いたのは昼過ぎ。出てきたのは閉店前。(20時近く)それにもかかわらず、感動と喜びにあふれていたのである。まずは店員の接客態度。たいがいの店はこんなクレームを持ち込むと逆切れされて嫌な思いをすることが多いのだが、窓口のおばさん、担当のお兄ちゃんとも笑顔こそは日本のように安売りはしないが、業務に忠実で言われたこと、聞きたいこと以上のことをしてくれた。そして不良品の交換なんて日本じゃ当たり前のサービスだが、イタリアではどえらいサービスなのだ。これが他店ならひとめで不良品とわかるものを持ち込んでも、難癖をつけられて追い返されるのが多い。運良くひとりの店員に不良品と認められても、あちこちIK◎Aのようにたらいまわしにされるうちにうやむやにされてしまう。しかも、もう生産されてないから、といって全部を新品に交換してくれるなんて奇跡に近い。そして、運送料の無料サービス。もちろん、わたしたちからお願いしたのではなく、IK◎A側から当たり前のように手配してくれたのである。一度購入したものの交換が理由でも、こんな気の利いたサービスを受けられるところはごくわずかだ。こっちから「運送料ぐらい無料にするのが当たり前でしょ!」とケンカ腰で迫ってやっとめちゃくちゃイヤそうな顔をしながらOKされる確立が半分ぐらいである。ずいぶん待たされたが、それなりの収穫はあった。IK◎A万歳!である。ルイジな店が多い中、やはり北欧系は違うのだ!!(しかし、その後のTVニュースでイタリアのIK◎Aは同じ製品を扱いながらもヨーロッパの中で一番値段が高いと報道されてたけど。。。汗)こんな当たり前のサービスに喜んでしまうわたしはやっぱりだんだんルイジになってきたか。。。。。?
2005.10.24
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週末は、いろんな方が心配してくださっていたのに感動しました。特に、目目さん、家出先に申し出てくださったSaicuccioさん(あなたは予想通りの声でした!!)、ありがとう。大丈夫、今日で終わり!******わたしはカンカンになって電話を切った。しかしそんな怒りなんてオリビエートの空気の中ではちっぽけだった。ふ。最初はイライラしながらTVのチャンネルを廻していたのだが、ウンブリアの地方チャンネルで変な時代劇をやっていて、それに虜になっていつしか忘れてしまった。なんでも徳川のご子息が豪腕で忠実な「前田」というサムライを連れてスペインに大砲を買いに行く話である。あらゆる陰謀なんかがあって、モロッコに奴隷として売られたり、金髪青い目のお姉ちゃんなんかがヒロインで登場したりして、日本刀を使った殺陣アクションシーンがごまんとある。でも、この俳優、見たことないし、殺陣も千葉軍団のようなキレもない。かといって助さん角さんのようでもない。しかし基本もしっかりしてるし、アメリカ人の中国人を使った勘違い殺陣でもないようだ。衣装とかが立派でシーンごとにちゃんとTPOをわきまえて着替えてくる。(←自称 時代劇オタク)なにもん??と思って最後まで見ていたら最後のキャストのところに「前田 SYO KOSUGI」「徳川 KEINE KOSUGI」だって。きゃあ☆ これがかの有名なアメリカン忍者ブームを起こした ショー コスギだよ!!はじめて見た!!!ちょっと得した気分になり、満足して眠りに着いたのだった。***次の日の朝。2階の客室だったわたしは、1階から流れてくる、おいしそうなコーヒーの匂いで目が覚めた。周りを見渡し、(ああ、わたしまだオルビエートに居るんだ。。。)と幸せを噛み締める。着替えて階段を下り、匂いの割には6ユーロもしたってのに、冷たいクロワッサンとポットに入ったまずいアメリカンコーヒーにがっかりしながら朝食を胃に流し込んで、荷物をまとめてチェックアウトした。この日の予定は、前日暗くて行けなかった前記のお婆さんのお墓参り(←残念ながら再び留学でイタリアに来た数ヶ月前に亡くなられていた。)と、城壁に囲まれた都市、オルビエートの外壁を廻ることである。凝灰岩(tufo トゥーフォ)で出来た自然の岸壁は中世そのままのイタリアだ。しかし残念ながら、わたしの小鳩な脳みそは10年近く前に来たお墓の位置など覚えているはずもなく、あっさり断念。外壁には、ここはホテルの近く、というより街自体が小さいのですぐに行けた。オルビエートの大パノラマが拡がった!!感動~~~~。そうなんだよ、そう!この景色を観た時にイタリア留学を心に決めたんだよ!!!団体のツアー客がすでに来ていてガイドのお兄ちゃんがなにやら説明している。しめしめ、便乗して聞いてやろう。と思って近寄ったら、ドイツ語でちんぷんかんぷんでがっかりした。しかしどこまでも狭い路地が続くので結局その後もドイツ人ツアーに付いて廻るような形になったのだが。。。汗やっとこさ、とある教会にぞろぞろとドイツ人ツアーが入っていったので、わたしはここからケーブルカー乗り場の近くの「サンパトリッツィオの井戸」に行くことにした。***「サンパトリッツィオの井戸」とは:凝灰岩をくり抜いたローマ時代のこの井戸は、深さ62メートル、幅13~14メートル、248段の二つのらせん階段が水管の回りを囲んでおり、一つは水を汲みに降りる用、もう一つは水を地上に運ぶ用と、二つの階段がぶつからないように設計されている。62メートルにも及ぶ井戸に降りる経験は珍しく、下からの眺めは実に幻想的である。イタリアでは底なしの浪費家のことをこの深い井戸の名前から『サン・パトリツィオの井戸のような懐をもっている』という。(アーモ イタリアから抜粋)***はじめて友人たちと来て、印象深かった井戸。まったくどこまで降りても果てしなく、底にやっと到着してから登るときも、終わりがないんじゃないかと思うぐらい、なかなか地上に上がれず、「地獄から天国にはいあがる気分ってこんなものなのかなあ?」とハアハア息をつきながらまだまだ続く階段を見上げた記憶がある。しかし今回は、そんな覚悟もあってか、井戸はずいぶん浅く感じられた。あんなに死にそうになってはいあがった階段もラクラク上がれて気が抜けた。おかしいなあ、現在のほうが確実に体力が落ちてるはずなのに?(←甘ちゃん根性が鍛えられたか?)時計を見る。11時。オルビエートからミラノまでの直通の特急は1日にたったの2本。9時台と13時台。13時台にはまだ2時間もあるので、中心に戻ってお土産物屋をぶらつくことにした。あ、そういえばとりあえず、おっとにはお土産買って行ったほうがいいよな。。しかし財布の中を見るとたった13ユーロと会社から配給されるお食事券が数枚しか入っていなかった。涙こうなると行き先は決まりである。前日の精肉屋に戻ってお食事券にてお土産用と、自分の昼食用にポルケッタを購入。3ユーロにて帰りのケーブルカーの切符とジュース、絵はがき1枚を買った。(←ちなみに電車のチケットは前日にカードで購入済み。)決められたおこずかいでやりくりするこの感覚。。。なんだか小学校の遠足を思い出した。かなり早いが、ポルケッタやジュースですっかり荷物が重くなったので、もう駅に行くことにした。さよなら、オリビエート。駅で最後の写真を撮ろうとしたら、ちょうどデジカメのバッテリーがあがって撮れなくなってしまった。こうして途中駅フィレンツエではまたもや衝動的に降りたくなったが、我慢してミラノまでの帰途に着いたのである。最初は混んでいた電車も、ボローニャを過ぎるとガラガラになり、コンパートメントにはわたしとフィレンツエから乗ってきたおっさんだけになった。おっさんが話しかけてきたので、退屈だったこともあり、話し始める。20年勤めた警察を定年退職後、不動産屋をはじめたというおっさんとは、時期柄、話が合ってはずんだ。最後におっさん「きみ。。。黙ってたときは世の中の悩みを一気に背負い込んでるようなムードだったけど、気のせいだったかな?いったん口を開いたら、楽しい子だよ、笑顔がステキだ!!」きゃ☆ありがと。こ~んなセリフ、結婚してから誰からも聞けなかった。ついつい調子に乗ってますます笑顔が停まらなくなる。わたしは夫婦喧嘩は黙っていたが、訳があってミラノには帰りたくない、とついついこぼす。おっさん「君、可愛いよ!どうだい、明日は会社を休んでぼくと一緒にサンレモに来ないか?そんなにミラノに帰りたくないなら、その後、一緒にフィレンツエに帰ろう!!」。。。ああ、調子に乗りすぎた感じ、いいよね。久しぶりに中部イタ公のナンパに遭ってうれしいかも?なんだか留学時代にタイムスリップした気持ちになり、すがすがしくおっさんとミラノ駅で握手をして別れたのである。***心晴れ晴れと我が田舎駅に到着。ああよかった。2日も駅前に放置したのに、わたしのスクーターは五体満足な姿でわたしを待っていた。(←ちなみにミラノでは99パーセントの確率でそうはいかない。)こんな気持ちならきっとおっととも仲直り出来るはず。。。玄関を開けるとおっとがちょうど2階から降りてくるところだった。わたし「ただいま。」おっと「。。。。」わたし「夕ご飯はもう食べた?」おっとは無言で首を横に振ってシャワーを浴びに浴室に入ってしまった。わたしは急いで炊飯器のスイッチを入れて、簡単にサラダを作って買ってきたポルケッタと一緒に皿に並べる。おっとが浴室から出てきて少し後、ごはんが炊けたので食卓を整えた。おっとは無言で椅子に座り、無言で食べる。食事が済んでおっとがTVを観出したので、「あのさ。。ごめんね?」と最初っから謝る方法で切り出したがこっちをちらりと見やるものの、まったくの無言。仕方がないな。。。わたしは向こうが話す気になるのを待つことにした。やがてベッドに入っておっと「どこに行ってきた?」わたしは向こうからやっと話してきたのでうれしくなる。「あ?うん、ウンブリア。」となるべく明るく答えた。おっと「。。。誰と行って来た?」わたし「え?独りに決まってるじゃない。」おっとはとたんに身体を起こし「独りで旅なんて、見え透いた嘘をつくな!!!そんな旅があるわけないじゃないか!!??いったい、どこのどいつと浮気旅行に出かけたんだ!?この裏切りもの~~~~~っ!!!!!!」はああああああああああああああああああああああああああああああ~~~~???????????く、くおの、南米男!!お前らの頭の中はそれしかないんかいっ!!!!?????わたしはこのメンタリティの違いにショックを受け、この日はすぐ不貞寝してしまったのであった。**********そして3日後の金曜日の夜。「第3者がいたほうがいいかもしれないでしょ?」と目目さんが仲直りのための夕食にお宅に招いてくれたのである。それまでおっとは普通モードなわたしに対して他人のような喋り方をし、指一本でも触れようものなら「いやっ!触らないで!!」とまるでオオカミに対する処女のような反応を見せていたのだ。しかしこの日、外ヅラのいいおっとは、何もなかったふりをして、夕飯を共にし、何もなかったふりをしてクルマに乗り込んで帰途に着いた。するとわたしの携帯に目目さんから「どう?もう仲直りした?」というメッセージ。急にたけり狂うおっと「誰から?例の浮気相手か!!?? なんのメッセージだ!?」わたし「き~っ!!!違うって言ってるでしょ!? 目目さんが、わたしたちが仲直りしたか、聞いてきたのよ!」おっとはびっくりし、「え?彼女にぼくたちが喧嘩したこと、話したの?!」わたし「そうよ、だから今夜はわざわざ仲直りのために、夕食に呼んでくれたんじゃないの!!」おっとがこの言葉にショックを受け、じ~~~んとしたのがわかった。おっと「彼女、なんていい人なんだ。。。」ウルウルとしていた。こういった経過で仲直り、なんとかしました。ありがとう、目目さん。目目さん作、韓国料理でございま~~~~すっ!!
2005.10.18
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行き先をオリビエートに決めて、新たに時刻表を広げた。時刻表どおりならフィレンツエに電車が到着した30分後にオリビエート行きの電車がある。しかし。この電車は発車した時点から30分遅れているのだ!!そもそも間に合うわけはないのだが、しつこく書いても、切符はフィレンツエまでしか買ってないし、また新たに切符を買い足しに切符売り場で並んで、別のホームの電車を探そうものならやっぱり絶対間に合うわけないじゃん!!!(ちなみにイタリアは乗り越し料金を払うだけでいい、なんて日本のようなすばらしいシステムはない。乗り越しがばれようものならそれは「タダ乗り」とみなされて最高2000ユーロの罰金に処せられるらしい。汗)フィレンツエまでは予定通り、きっかり30分遅れて着いた。ホームに降り立つと、ミラノとは大いに違う柔らかな日差しと懐かしい景色で一瞬めまいを覚える。フィレンツエには3年以上、来てないもんなあ。駅の時刻掲示板を見やった。するとなんと!そこにはまだオリビエート行きの電車が表示されていて「10分遅れ」と書いてあった。慌てて時計を見る。本来の発車時刻からもう6分が過ぎていた。あ~あ、今日はオリビエートは無理だな。(まだ昼間だというのにこれが最終電車)わたしは諦めてフィレンツエにとどまることに決め、明日のオリビエート行きのチケットを買うために切符売り場に向かった。まあまあ混んでいたが、もう急いでいないわたしは落ち着いて切符を買い、ゆっくりとホームに戻る。と。もう15分は過ぎたというのに、まだオリビエート行きの電車は発車していなかった。汗ラッキ~☆もちろんこの電車に飛び乗ったのはいうまでもない。最初は学校帰りの学生たちでごったがえしていた電車もABBICIのお友達、くすぴーちゃんがいるAREZZOを過ぎる頃にはガラガラになった。(ああ、やっぱり計画家出をすりゃよかった。)やっとオリビエートに着いたときには太陽も西に傾きかけていた。ミラノの家を出てから合計8時間半の旅であった。ホームに降り立って深呼吸をする。乾いた砂と太陽の混ざった空気のにおい。明らかにミラノとは大違いだ。ウキウキしながら赤いケーブルカーに乗って、そこから2分ほど小さなバスに乗って、ドゥモの前に到着!!金色だよ、輝いてるよ!!実は前記のオリビエート旅行の後、2回ほど来ているのだが、最後に来たのはフィレンツエ留学時代、つまり10年近く前の話だ。懐かしさで涙がちょちょぎれそうになった。しかし、いつまでもうっとり思い出に浸っているわけには行かない。もう日は傾いているというのに、わたしはまだ宿も決めていない。インフォメーションでホテルリストをもらい、その中で一番安い町外れの宿に地図を頼りながら向かったのだった。そしてホテルの前に着いてひとりで吹き出した。なぜならそれは10年近く前に泊まったホテルと同じだったからだ。ああ、最初はドゥモのそばの4つ星だったのにこの違い。。。でもでも、可愛いホテルでしょ?一番安いといえども一泊50ユーロなり。極貧には相当痛かったが、この時点では切れているのでウキウキとOK。ベッドの上にリュックを放り出して財布とデジカメだけで町を散歩することにした。わたしはこの中世都市の夕暮れの明かりが好きだ。日本と違って黄色くて、郷愁が漂う。目抜き通りにはオリビエート特産の陶器や木製品が並んでいて楽しい。そういえば、最初に友人たちと来たときも、こうやって夜の街を楽しんだな。お腹が空いてきたので精肉屋ののれんをくぐり、「ポルケッタ」を薄くスライスして、パンにはさんでパニーノにしてもらう。わたしのような貧乏家出人は、レストランで食事するお金もないのだが、こういった観光地でひとりでレストランに入るのも勇気がいるのである。「ポルケッタ」とは中部南部イタリアのおいしい子豚の丸焼きだ。ちょっと日本のチャーシューに味が似ている。(でも実際ラーメンに乗っけてみるとちょっとやっぱり味が違うんだよねえ。)さまざまな香草と一緒にかまどでじっくり焼くから皮はパリパリで中は柔らかく、味がしみていておいしい。(一番後ろのやつ)ミラノにはなんでもあるし、もちろん「ポルケッタ」もあるのだが、ここウンブリアの「ポルケッタ」に比べたら本格ラーメン屋のチャーシューとインスタントラーメンに付いているぺらっぺらなチャーシューほどの違いがあるのだ!!なので、我がウンブリアの友、アンドレアはそのことを良く知っていて、うちに来るときはいつも1kgほどの「ポルケッタ」をお土産に持ってくる。ウンブリア特産の味のないパンの間からあふれるほどの「ポルケッタ」にかぶりつく幸せ。。。食べ歩きグルメのひとが読んだら「な~んだ、ちっ。」というお粗末なものだったが、ウンブリアでしか味わえないこの味はおいしゅうございました。「ポルケッタ」を食べながら歩いていると、もうすっかりあたりは真っ暗になってきて商店街も店じまいをはじめた。そこからイタリアの遅い夕食タイムのはじまり。あちこちのレストランに灯がともり、昼間は見えなかった店内が輝きだすのだ。前記したがここは木製品でも有名な町である。この地で産まれた彫刻家ミケランジェリの木工細工は楽しくステキだ。この芸術家はこの街の誇りでもあるらしく、スペインのバルセロナが天才建築家ガウディの作品で埋め尽くされているように、あちこちのレストランのミケランジェリ作である内装が、まるで町全体が美術館になったかのように外からでも観察できるのが楽しかった。(暗すぎて写真に撮れなかったので昼間の作品をご鑑賞下さい)やっと肌寒くなってきたのでホテルに戻り、シャワーを浴びてふかふかのベッドにひとりで転げ込む。朝はひどかった心臓の痛みはすっかり癒えて、頭痛もだいぶ収まっていた。ああ、これってやっぱりストレスだったんだな。ふう。思い切っておっとに電話してみることにした。やっぱり多少罪の意識があった。でも今まではずっとイライラしていて、なんでも怒り口調だったのだが、そんな気持ちもすっかり治まっていた。おだやかに話してわかってもらおうと思った。が。おっと「今どこに居るんだ!?」わたし「遠く。」おっと「いますぐ帰って来いっ!!」わたし「もう終電がないよ。それに今日は帰らない、って予告したでしょ?」おっと「お前は結婚しているんだぞ?!こんな勝手なことをして、それでいいと思っているのかっ!?」なんだって?わたしは再び簡単に切れてしまった。あんたは結婚後、今までいったい何十回、しかも予告なしに朝帰りしたと思ってるんだ!?もうそれからは、先ほどのおだやかな気持ちも吹っ飛び、言いたい放題言い続けていると、おっとから電話を一方的にぶちっと切られたのである。くっそ~、このマスキリズムの南米男が~~~っ!!!!!!(しつこく つづく)
2005.10.14
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Saicuccioさんに背中を押されて本日2件目の日記に頑張ってみた。(はあ、しんど。)失恋。。。今やすでにおばはんになってしまったわたしには、なんて似合わない言葉だろう。あの年、1990年代半ば。 自分の意思、というよりあのお嬢母にこれでもかっ!というほど おばはんになった今でも、どうやって考えても他愛もない理由で踏みにじられ、そのとき結婚寸前まで決まっていた相手に「結婚とは2人が結ばれる、ということと同時に、お互いの家族の融合でしょ?ごめん、ぼくはどうしても君のお母さんとは融合が出来ないし、こんなお義母さんを持つことでぼくの両親を苦しませたくないんだ。」と断られ、わたしは壊れた。こんな母を持つ限り、わたしは一生誰とも結婚が出来ない、と確信した。仕事をやめた。2人で買ったもの、予約していた式場、新婚旅行を全て解約、売り払い、わたしはこの戻ってきたお金でこの友人たちの企画していたイタリア旅行に直前で便乗したのだった。行程はあまりよく覚えていないけど、ベネチア、トスカーナ、ウンブリアを2週間ぐらいの旅だった気がする。初日はベネチアに大幅に遅れて夜中に飛行機で到着、真っ暗な中をモーターボートで中心まで行った。だから、初イタリアの最初の景色は真っ暗でちっとも感慨が沸かなかった。そうやって夜中に着いたものだから、わたしたちが予約していたホテルはすでに誰かで埋められていて、他のしょぼいホテルに廻されてカンカンになったっけ。。翌日にはおかげで先のホテルに戻れた。ベネチアの印象は哀しいかな、この記憶と、ひとりの友人のお父さんが心配して、知り合いのしゃちょ~さんのところの現地駐在員の若い衆をお供につけてくれたのだが、この若い衆がめちゃめちゃ愛想が悪く、イヤイヤお供をしてくれたこと、リアルト橋でへべれけに酔った友人のひとりがゲロッたことぐらいしか覚えてない。フィレンツエはまさに絵に描いたような「買い物ツアー」だった。友人たちはまさにその目的でイタリアに来たのだが、後から便乗したわたしはとんとそんなことに興味がない。夕方、友人たちは閉店間際に「MAX MA◎A」に飛び込み、わたしは外でぼ~っと向かいの売店の絵はがきなんかを見ていた。やがてMちゃんが手ぶらで出てきて、一緒に向かいの売店を見はじめた。やがて後ろでガラガラという音がしたので振り返ると「MAX MA◎A」がシャッターを閉めているではないか?!わたし「すみません!中に友人たちがまだ居るんですが!?」とつたない英語(←その当時は外国語がまったく皆無であった。)でシャッターを閉めているお姉さんに叫ぶ。お姉さん「NO! 誰もいないわよ!!」とサッサと出て行ってしまった。唖然である。もしかしたら、わたしたちに気がつかずに店を出て、捜し歩いているのかもしれない。1時間ほどぐるぐる店の周りを探して、疲れ果ててしまった。ホテルに帰ろうにも、ホテルの住所も電話番号も、失踪した友人カップルが握っていて、帰れない。Mちゃん「どうしよう?今日はもう遅いからこの辺にホテルを取って、明日の朝にでも旅行会社に国際電話してホテルの住所を聞こうか?」わたし「。。。そうだね、お腹も空いたし、サンドイッチでもその辺で食べてホテルを探そうか?」と「MAX MA◎A」の角を曲がった。すると店の裏口から怒ったような店員のおばさんとニコニコ顔の友人と、疲れ果てた顔の彼氏が出てくるのが見えたのである!そうなのだ、友人は今の今まで店内に居たのだった。しかも何も買わずに「手ぶら」だったのである!!恐るべし!!!!とにかくその日はめでたくホテルにたどり着けた。次の日は彼氏とわたしが、その友達とMちゃんと別行動を取ったのは言うまでもないのだが。そのホテルはフィレンツエ郊外の丘陵の上にあって今まで見たことがないぐらい立派だった。友人2人も生粋のお嬢様だったので、考えたら豪華な旅だったのだ。なのに、わざわざ日本では珍しいINVICTA社の登山用リュックをみんなで買いに行って、(ちょっと違うけどこんなん)どこぞの欧州ブランドのウインドパーカーを羽織り、いかにもドイツの貧乏学生旅行者のような格好をして出かけたものだから、今考えたら妙である。そこは昔の貴族の家をホテルにしているらしく、広大な庭、時代物の建物、インテリア、フレスコ画。。もうどこにも行かずにずっとこのホテルにいたいぐらいだった。去年、帰省した時にたまたま古い書類の中からこのホテルの領収書を発見したのだが、その当時で1泊3万円ぐらいだったと思う。もう2度と泊まれることはないだろう。汗そして雷のオリビエート。フィレンツエからオリビエートまでは約2時間の鈍行列車の旅である。それは確か5月で、イタリアは1年の中で一番緑が美しい季節だった。車窓からの気持ちのいい風に吹かれながら、この時点でわたしはやっとイタリアに来てよかった、と噛み締めたのである。友人たちも大喜びで「うわ~、イタリアに住みたい!!」の連発。しかし、彼らには日本に恋人が居て、仕事がある。Mちゃん「いくきーと、今あんたには何にもないから、イタリアに来て住んだらいいねん。」(←傷口に塩を擦り込むようなお言葉)あ、それもいいかも。(←でも単純)夕方、オリビエート駅に着いてケーブルカーで山頂の中世都市に上がる。そこからバスで中心に行って最初に目に入ったのは輝くドゥモだった!ドゥモといえば、華のフィレンツエのドゥモが有名だが、こちらのドゥモも負けないぐらい美しい。ドゥモの中は外観に比べて簡素ではあったが、夕日がステンドグラスから差し込む様子は荘厳であった。それからドゥモのそばの4つ星ホテルにチェックインし、夕食を食べに出かける。レストランはまるで洞窟のようなつくりになっていて、その地の手打ちパスタや名産のサラミはとろけそうにうまかった。夜、ホテルに帰って電気を消し、ベッドに入って手元の小さなガラスの粒のいっぱいついたランプをつける。光の粒が天井いっぱいにキラキラと輝いた。はあああああ、幸せ。そうしてこの日は眠りに落ちた。次の日の朝。テラスで朝食を済ませたあと、友人カップルは買い物に出かけ、わたしとMちゃんとで町の散策に出かけた。しかし地図も持たずに出かけたものだからたちまち道に迷い、気がつけば観光地からは離れた普通の住宅街の中をさまよっていた。オロオロ2人で同じ道を行ったり来たりしていると、そんなわたしたちを庭から観察していたおばあさんが「どうしたの、道に迷ったの?」とわたしたちと同等なぐらいつたない英語で聞いてきたのだ。わたしたち「そうなんです。ドゥモまで行きたいんだけど。。。」おばあさんはなんとか英語で教えてくれるが、わたしたちに理解力がない。涙しまいにおばあさん「うちにいらっしゃいな、お茶でも飲んで地図をちゃんと見よう。」とバラが咲き誇った庭を抜け、家に招き入れてくれたのだ。今考えたらすごいことだ。知らない外国人のわたしたちに家への侵入を許し、イタリアじゃ珍しい紅茶とクッキーのもてなしをしてくれたのだから。おばあさんがボロボロの地図を引っ張り出してきて説明してくれる。やっとドゥモまでの帰り方がわかって、立ち上がろうとすると「まあまあ、もうちょっと。」と紅茶のおかわりを勧めてくれるので居座ってしまった。おばあさん「あんたたち、いくつ?」と聞くので年齢を言うと(その頃は若かった。。)、おばあさんは仰天した。なんでも中学生(わたし)と小学生(Mちゃん)の姉弟が両親とはぐれて道に迷っていると思ったらしいのである。汗まあそれからも、折り紙を教わったり(←なんで教わる?)住所を交換したりして楽しく、別れを惜しみながらホテルに戻ったのだった。そんな、日本では味わったことのなかった温かい交流に感動し、このとき「絶対、またイタリアに戻ってこよう!」と思ったのが、わたしのイタリア留学を、そして移住を、決意させた理由だったわけだ。やっぱり初心に戻ってオリビエートに行こう。わたしの行き先は決まった。(次回につづく。いよいよ写真UPか?!)
2005.10.13
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月曜の朝、わたしは目覚ましが鳴る前に起きようとした。ひどいめまいと頭痛、心臓がえぐられるような痛みと呼吸困難で起きることが出来ずにベッドにもう一度倒れこむ。これってもしや、更年期障害ってやつ??何度か起きることを試みた後、やっと上半身を起こすことが出来た。しかし、やっぱりまだ苦しくてノロノロと階段を下りる。荷物をリュックに詰めているとおっとも起き出して来た。わたし「。。おはよう。」おっとはまだすねていて返事もしない。そんなおっとの背中に向かって「わたし今日は帰らないから。」と言った。とりあえず言っておいたほうがいいと思ったのだ。そうじゃないとなんだかフェアじゃないような気がして。(←2年以上前、つまり結婚前のまだ同居時代に何も断りを入れずに日帰り旅行をしたのだが、その日、遅く帰ったときは「2度とこんなことしないで~。」と泣かれてしまった経験あり。)おっとはそれでも何も言わなかったので、わたしは荷物を詰め続ける。そしておっとは無言で仕事に出かけてしまった。わたしもおっとを無言で見送って戸締りをして、スクーターにまたがった。どこに行こう?とりあえず国鉄の時刻表は持ってきた。ミラノまでの電車の中で時刻表を見て考えよう。しかし電車の中は珍しく満員で座って時刻表を広げるどころか、立っているのさえギュウギュウであった。そこでだいたいのイタリアの地形を想像しながら考える。ああ、なんだか面倒くさいや。とりあえずフィレンツエ往きの電車に乗るか。わたしは留学当初、フィレンツエに滞在していたことがあって、どこかに行こう、となると他のどこでもなくフィレンツエを真っ先に考える癖がある。ミラノ中央駅に行き切符売り場で「フィレンツエまでの往復切符下さい。往きは今から一番早く出発する奴ね。」切符売り場のおっちゃん「今から一番早いのは10時の特急ユーロスターだ。それより早いのはないよ。」このとき8時40分だった。1時間以上も待たなきゃいけないのか?しかたがないなあ。とりあえずそれを発券してもらう。切符売り場のおっちゃん「帰りの電車はいつの何時にする?」わたし「そんなの、知らないよ。」切符売り場のおっちゃん「おやおや、てっきり仕事かと思ったらバカンスかい?いいねえ、こんな時期に旅行出来てさ。俺なんか1日中、この窓口の中で切符を売らなきゃならないんだよ。」わたしは冷や汗をかきながら「ま、まあね。夏にバカンスに行けなかったし。(←半分本当)ほんの2,3日のつもりだから罪はないでしょ?」切符売り場のおっちゃん「おやまあ、そりゃあお気の毒。いっそのこと3週間ぐらい行って来たら?」こんな会話が週はじめのたくさんのひとでごったがえし、長蛇の列がわたしの後ろにも出来ている切符売り場で平然と行われていたのであった。だからイタリアはイヤなんだ!!!!!(←だったらさっさと順番替われって?)ホームに上がって発券されたチケットを見た。「ミラノ発フィレンツエ往き 10月10日10時発10号車36番」ををををを。。。10が4つも並んでいるよ。なぜだか、こんなことにひどく感動し、この旅の幸運を望んだのである。(あれ?なんか日本語的に変??)しかし10時の電車はお約束どおり30分遅れで出発したのであった。月曜でガラガラの長距離専門ユーロスターなのに、わたしの向かえあわせの席には安っぽい金のアクセサリーをジャラジャラつけた東欧系のお姉ちゃんがガムをクチャクチャ噛みながら座った。日本じゃいまどき珍しいCDウォークマンのイヤホンから漏れて来るシャカシャカ音がなんとも耳障りである。しかもお姉ちゃんはひどい風邪を引いていて、至近距離でゲホゲホやったり、すごい勢いで鼻をブーッとかむので逃げ出したかった。が、お姉ちゃんはなぜだか顔を合わすとニコニコわたしを見る。う~~ん、露骨に逃げにくいな。。。ユーロスターって全席指定だし。。。。。。わたしは諦めて時刻表を広げた。フィレンツエにそのまま居座るのもいいけど、フィレンツエ行って何するよ?ああ、これが時間をかけて練った計画的な家出だったらフィレンツエ在住の楽天のお友達たちとオフ会も出来たのに。。。そんな虚しいことを考えながら、もっと他に行く場所はないかと時刻表の駅名をチェックする。フィレンツエ-ローマ間の駅名で「オリビエート」という駅名が目に留まり雷のようなショックを受けた。そうなのである。オリビエートのあるイタリアの内陸部、中部イタリアで唯一海を持たない州、ウンブリア。以前、ウンブリアのことについてはあんなことあ~んなことや、こ~んなこと、いろいろ触れたが、総合的にはわたしの憧れの地である。そもそも遡って考えると、イタリア留学を決意したのは1組の大学時代の友人カップルともうひとりの友人Mちゃん(彼氏持ち)と来た失恋旅行からだったのだ。(つづく)
2005.10.13
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「ああ、あのとき「ハウルの動く城」じゃなくて、「シンデレラマン」一緒に観ときゃよかった。。(←しつこいって?)」「昨夜はめんどくさいから またもやおっとに夕食作らせちゃったけど、最期ぐらい、わたしが作ってあげるんだった。。。」これはわたしが突然の死の宣言の前にとっさに考えたことだ。皆さんは自分が死ぬ、と悟った瞬間、いったい何を想うだろう?今朝はこうして無事に、いつもはイヤでイヤでしかたがない会社に着いたことを感謝せずにはおられなかった。***ミラノは今朝から急に秋になったと思う。今までもずっと雨続きで寒かったのだが、まだなんとなく夏の気配が残っていた。昨夜から雨がやんだ。今朝、雨戸を開けると空が急に遠くなって薄い青い空にうろこ雲が広がっている。外に出ると、空気がぴりっと冷たい。本気でクルマの運転の練習をしないと冬は凍死だな。。と思いながらすっかり夜明けが遅くなって来たため、まだ薄暗い道をスクーターを駆り、駅に着いた。駅前には先週?から学校が始まったおかげで人口は一気に増え、わたしのいつものお決まりの場所には別のスクーターが停まっている。仕方が無いので唯一空いていたスペースに停める。そこは普段ならいつものアフリカ系のひと(もう、表現が面倒くさいね!)のお決まりのスペース。わたしと入れ違いにアフリカ系のひとがやってきて、うらめしそうに睨まれた。しかし、ここは公共の駐輪場。つまり早い者勝ち。文句を言われる筋合いはないのである!汗電車に乗り込む。満員だったが、幸運なことに入り口のそばの向かい合わせの3人席のひとつに座ることが出来た。モンツァに着くとここは乗り換え地点の大きな駅なのでたくさんのひとがドッと降りた。そしてそれ以上の数のひとが乗り込んで来た。走るように空いたわたしのそばの2つの席に座り込んだのは:わたしの横に大学生らしいイタリア人の女の子。わたしの前にはイスラム系の薄緑のスカーフを頭に被った若い女性だった。わたしはわたしの前に座ったこのイスラム系の女性をなにげなく眺めた。イタリアにいるイスラム系の女性たちはスカーフを頭に被ってはいるが、下はトレーナーとか、ジーンズとか、普通の服装が多い。しかしこの女性はスカーフと同じ色の薄緑の上質そうな糸で織られた民族衣装をまとっている。上品なふちどりのバラの刺繍がステキだ。やがて、彼女はそんな服装とは不似合いな大きな黒いナイロン製のビジネスマンバッグから金の型押しがされた小冊子を取り出した。どうも彼らの経典のようである。彼女はそれにざっと目を通した後、急いでバッグの中にしまい、思いつめたような目で空をにらみ、ぶつぶつと口の中で何かを唱えだしたのである!今まで普通の雰囲気をかもし出していたのに、急に豹変した目の前の彼女にわたしはおじけづき、まじまじと観察をした。右手は例の黒いバッグをしっかり抱え、左手には。。。袖で隠れてちゃんと見えないが、何か小さな黒い塊を握り締めている。それにはキーフォルダーの輪っかみたいなのがあって、中指にそれを引っ掛け、人差し指では小さなハンドルのような、ピンのようなものを落ち着き無くはじいている。。。。これって、これって もしかして 爆弾!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしの頭の中には去年ニュースで見たスペインの爆弾テロによる、電車の大爆発事故が鮮明によぎった。そして、一番最初に書いた、おっとのことを思った。手足の力が抜け、血がサーッと引いていくのを感じた。このひと、きっと「カミカゼ」だ!!!!なんとか未然にテロを防がなきゃ!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは普段、電車で向かい合わせになったひとになんて、声もかけないし、いちいち顔も見ない。しかしこのときばかりは彼女の顔と、この黒い塊を凝視しながらうわずった声で「あなた、左手に何を持っているの!?」と真剣に聞いてしまったのである!そんなに大きな声で聞いたわけでもないのに、それまでなんとなくざわついていた車内の空気が一瞬収まり、乗客の目がいっせいに彼女の左手に向けられた気がした。彼女「え?」しばらく事態が飲み込めないようだった。そして「ああ、これね。」と手のひらを広げる。そこにはどうみたって小型爆弾にしか見えないプラスティックの塊があった。さっきの金属の輪っかとピンのようなものが映画なんかでよく登場するパイナップル爆弾みたいだ。カウンターがついていた。彼女「これはね、キリスト教のロザリオみたいなものよ。祈りを唱えるたびにこのカウンターで数えていくの。」この時点でわたしはまだ彼女を信用していない。「へえ。。。そうなんだ。」と言いながら少しでも彼女の顔に動揺が現れ、右手でこのピンを抜こうとするものなら、命を張って留めてやる!と、彼女の顔をまじまじと見つめた。しかし、彼女の説明に車内には安堵の空気が流れ、また何事も無かったようにざわつきだした。彼女もきちんと席に座りなおしてまたぶつぶつと口の中で念仏を唱えだした。わたしはどうしても信用がならず、あの彼女の服装に不釣合いな黒い大きなバッグも怪しんでずっと「戦闘待ち」のコチコチに緊張した体制で前に座っていたのだが、とうとう何事も起こらずミラノ駅に到着したのである。わたしが見張ってたから行動が起こせなかったんだろうか?悶々と会社に着いて、さっそくこの話をした。わたし「頭にスカーフを被った。。。」アンナ「ああ、アラブ人ね。」わたし「小冊子を取り出して。。。」グラツィエラ「ああ、コーランね。」わたし「黒い塊を爆弾だと思って。。。」アンナマリア「ああ、彼らのロザリオね。」わたし「「何持ってるの!?」って叫んじゃった。」全員「いくきーと!あんたって、失礼なやつだなあ!!」そう、知らないということはかなり失礼である。ただの信仰が厚いひとを爆弾テロと間違えるなんて。。。まだまだ移民大国イタリア生活、修行が足りないな、と思った今朝の出来事。***追記:rocさんのコメント、身にしみました。ご叱咤、ありがとうございました。本文にも書きましたが、無知は本当に失礼なことだと思っていますし、この女性には大変申し訳なかったと思っています。しかし、わざわざこのことを日記にしたのは、きっとわたしのように彼女の見慣れぬ行動や、あの黒いカウンターに勘違いするひとを少なくしようという狙いもありました。イタリア人がアジア国籍の人々と日本人の違いがわからず、時に馬鹿にしたような発言をするのは「偏見」だと思います。アジア人でデカセギに来る人でも、とんでもない荒くれなひともいれば、頭の良い人、礼儀をわきまえているひともたくさんいるし、見た目だけで馬鹿にするような奴のほうが、「無知」で「馬鹿」だと思っています。しかし、この日記ではわたしは女性を偏見では見ていません。例えば普通の服装をしたイタリア人が彼女と同じような状態で見たこともない何かの宗教の経典を取り出し、祈りを唱えながら爆弾のような黒い塊を手の中で隠すようにいじりはじめたら、きっと同じ行動を取ったと思います。最初は削除も考えました。しかし、まるで自己弁護のようで申し訳ないのですが、そういった理由でこの日記はこのまま残すことに決めました。みなさまにはご理解いただければうれしいのですが。。。
2005.09.20
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今朝はテーブルでコーンフレークを食べていると、おっとがにやにやと2階から降りてきた。おっと「今日の君はすごく可愛いよ!本当に可愛い!!」おっとがそんなことをいうのは非常に稀である。しかも朝っぱらから頭おかしいんじゃないかと、自分の服装をしげしげ見る。ぴたぴたTシャツにヒップハンガーのGパン。ふと鏡を見やると背中からしっかりおパンツがはみ出ていた。OOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!最近、こういうお姉ちゃんたちがミラノの街中にあふれてきた。統計を取ったわけではないが、そういうのの大半はたぬき腹の背の低い南米人のお姉ちゃんが多い気がする。わたしはあのお姉ちゃんたちの仲間入りはしたくない!!!わたしは大和撫子なのだ!!!!時計を見る。出勤前ギリギリでおパンツを履き替える時間がない。わたしはおパンツをぎゅうぎゅうGパンの中に突っ込み、Tシャツをうんうん下に引っ張ってGパンの中に押し込んで家を飛び出したのであった。しかし。ジーンズにぴたぴたTシャツ押し込んで着るのと、ヒップハンガーパンツを履いて、前かがみに座ったら背中からおパンツ丸見えとどっちがかっこ悪いだろう?(やっぱり南米男はあ~ゆ~のが好きだから、南米姉ちゃんたちの間で流行ってるのだな。)***7月15日(金)この日は通らなければならぬミラノとボローニャの外環の渋滞をさけるため、朝5時に出ようと決めていたのだ。朝4時半。目覚ましが鳴った。この日未明、だいたい3時ごろに気絶したわたしは睡眠時間約1時間半。起きれるわけがあるはずはない。結局爆睡し、おっとに「起きて!もうこんな時間だよ!!」と揺り起こされたのは8時半も廻ったところだった。あ、頭がまだクラクラする。。。。フラフラしながら、洗面所に歯を磨きに行って鏡を見る。するとそこには。。。。。。髪を振り乱した、顔は蝋のような灰白の日本人形のような亡霊が鏡の向こうからこちらを見つめているのだ!?ぎゃあ~~~~~~~っ!!!!!!!!!!。。。。なんてことはない、自分の顔だった。**先日のチンクエテッレの前日はまたもや母の要望で「休息日」になったので、わたしは目目さんお薦めの美容院に行ってきた。目目さんも言ったとおり美容師フランコは本当に丁寧にはさみを使う。フランコ「君の襟足はね、強いくせ毛なんだよ。こういうときは逆らわずにそれに合った髪型にするこった。」わたしはこの言葉に感動し、おまかせにしていたのがいけなかった。それからはジャキジャキとすばやいはさみ使いであっという間にナウく言うならテクノ、マッシュルーム、オーソドックスな言い方をすれば、おかっぱ、キノコちゃんカットにされたのであった。。。汗わたし「あ、あのすみません。わたし、こ~ゆ~のじゃなくて、もっと動きのあるヘアにしたいんだけど。。。」と震える手でそこにあった雑誌をパラパラめくり、いろいろな髪型を指差す。フランコ「え。。。でももう切っちゃったよ?まあなんとかしてみよう。」ここからヘアアイロンや形の変わったブラシ、ムースでわたしの後頭部をなでつけること数十分。フランコ「見たまえ!素晴らしいだろう!?」と後ろ鏡を取り出した。わたし「!!」思わずどうコメントしていいやら困った。それはまるで白鳥が優雅に羽根を閉じたところを上からみたような、バラの開花を見守るような、そんなエレガントな髪型に仕上がっていたのである。目目さん、電話で報告したとき、あなたにこれを見せて笑わせたかった。その夜シャワーを浴びたらすっかり取れてしまったが、おっとと母だけでも笑わせることが出来たので大成功だ。違)。。。。。。そういったわけでこの朝はまだ見慣れない自分の髪型に驚いたのである。**それだけじゃない。この顔色、クラクラする頭。わたしはおっとの額と自分の額に手を当てる。おっとの額は冷たくてここちよい。ってことはわたし、熱がある??い、いやダメだ!ここで自分の熱を完全自覚してしまっては、結婚式にいけなくなる。わたしたちはアンナの数少ない招待客のうちの1組なのだ!行けなくなったら彼女に悪いし、海にも行きたいし。。。そこでわたしは解熱剤を飲み、無理を押して出かけることに決めたのだった。もう、通勤ラッシュ時間帯も終わり、リミニまでの道は空いているとまでは行かなくてもスムーズに行けたのである。「南リミニ出口」から高速道路を出てからはアンナに言われたとおり、ひたすら「海方面」と書かれた標識に従って進む。どんどん街並みがにぎやかになり、松林が続いて、このまま行ったら海に突入するんじゃないか、と思うぐらい海岸ぎりぎりのところにわたしたちのホテルがあった!着いたのは昼下がり。サンサンと降り注ぐ太陽、エメラルド色の海、気持ちのいい乾いた海風。わたしの前夜の心配をよそにずらりと並ぶカラフルな水着屋。街行く人々は水着やラフな服装でにこやかに笑いながら歩いている。。。そう、ここは巨大リゾート地。ああ~、やっぱり来て良かったよ!!!2人で深呼吸をして、顔を見合わせて笑う。おっとのこんな笑顔を見るのもひさしぶりで嬉しかった。これで今までのお嬢母の滞在中、張り詰めていた緊張が急にドッと解けたのだった。わたしたちはさっそくホテルにチェックインし、「お昼を外に食べに行って、水着を買って、泳ぎに行こう!」とはしゃぎながらも、いつものおっとのくせですぐにTVをつけてベッドに寝転がったら、あっという間にうたた寝をしてしまった。。。目覚めたのは16時ごろ。頭のクラクラはだいぶ収まった。熱も下がったようである。いつもなら、あたふたとここで焦るところなのだが、この日は珍しくちっとも焦りがなかった。短パンとタンクトップに着替え、すぐそばのBARでおっとはパニーノを、わたしはジェラートを買ってほおばりながらブラブラと水着を探す。リミニは物価が安い。ビーチサンダルなんて5ユーロぐらいでカラフルなのがいっぱいあるし、わたしもすぐに見つけて買った水着(←やっぱりちょっと焦ってる?)はたったの10ユーロ。おっとのは家から発見されたのでそれを着てさっそく海水浴場に出かけた。ホテルのすぐ前のビーチでパラソルと長いす代を払う。夕方に行ったので割引価格で9ユーロだ。イタリアはほとんどの海水浴場がホテルやレストランなどのプライベートで細かく仕切ってあるので、悔しいけれど払わないで砂浜でビーチタオルだけ引いて日光浴しようものなら追い出される。わたしたちは指定されたパラソルの下の長いすに荷物を置いて、さっそく海へと飛び込んだ。夕方だというのに、海の水はまだ温かく、生ぬるい温泉のようである。どこまでも長く続く砂浜はちっとも深くならない。一番深いところで胸の高さまでだ。ちょっと物足りない。でも水が恐い人や、子供連れにはピッタリのビーチである。遠くにはウインドウサーフィンをしているカラフルな帆が見え、すぐ近くをカモメがたくさん横切っていく。わたしたちはしばらく水を掛け合ったりして遊び、砂浜にあがって長いすの上に寝転がった。真っ赤なパラソルのはるか上には真っ青な空だ。いい風が吹いている。ああ、幸せ。今までの不幸が悪夢だったかのよう。そしてマイナスイオン効果だろうか?波とまわりのさざめきの音を聞きながらわたしはすっかりリラックスし、ぐ~ぐ~寝てしまったのであった。寒くなってきて目が醒めた。廻りを見ると薄暗くなっており、海水浴客はまばらである。2人の刺青の大男が手際よく次々とパラソルと長いすをたたんでいっている。横を見るとおっとの姿がない。わたしはちょっと心配になって上着をはおっておっとの服をかばんに突っ込みおっとを探しに行った。おっとは薄暗い波打ち際ででヒッピー風(古い?)の女の子ふたりがテントを張って砂のお城を作っているのを眺めていたのであった。その砂のお城は札幌の雪祭り顔負けの立派なお城だ。王女様が窓辺で助けを求めていて、上から大きな魔女がニタニタと笑って鍵爪でお城を壊そうとしている。彼らは夜中の間にこの傑作を壊されないようにテントで寝て、交替で夜警をするらしい。この後、わたしたちはホテルに帰ってシャワーを浴び、日が沈んでますます賑やかになったリミニの街に繰り出した。いったいこのひとたちは昼間、どこにひそんでいたんだろうと思うぐらいの大混雑なネオンのキラキラ輝く商店街を歩く。そこで見つけた1軒のいかにもリゾート地のピッツエリアでムール貝のてんこ盛りと魚介のピザを頼み、ビールの大ジョッキで乾杯!!さすがに海のそばだけあってんまかった。おっとはもう一杯大ジョッキをおかわりする。お会計は24ユーロ。まったくリミニは安い!この後海辺を歩いていたら「どどーん」という轟音と共に花火大会まではじまった。あああ~、幸せだよ。時よ、止まっておくれ!!我々は偶然にも一番よく見えるところでしばし立ち止まって花火を楽しんだのだった。あまり長続きしなかった花火が終わって時計を見ると夜中の12時。翌日は朝からいよいよアンナの結婚式である。わたしたちはこの賑やかな夜を惜しみながらホテルに戻った。***PS:saicuccioさんとAliceさんのイタリア組のおふたりからしかも種類の違うバトンが同時に廻ってきちゃったよ、ひえ~!!!(@_@;)今日はこの通りすでにネタが用意してあったんで(苦笑)、月曜日にふたつまとめて回答だ!!!!
2005.07.29
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今朝はまたもやイライラと開かずの踏み切りで待たされた。そのせいで今にも扉がすでに閉じかけて発車しようとしている電車に走り込んだのである。ぎりぎりセーフ。扉のそばには高校生の男の子が2人床に座り込んでいた。うざったげにわたしを見て「まったく。。。ここは日本じゃないんだから。」とつぶやく。なんだって?ここは「日本」じゃない??ってことはこの2人、わたしを日本人と間違えた!?(だっていつもデカセギ中国人小姐)うれしい、非常にうれしい!!久しぶりに日本人と間違えられたぞっ!!ばんざ~い!!今日はいい一日になりそうだ。***7月13日(水)チンクエテッレこの日は母の自由行動最終日である。次の日には日本に帰国なのだ。なので、かなり遠出なのだが、東リビエラ海岸の最終地点「チンクエテッレ」に行くことにした。チンクエテッレとは「5つの地」という意味。海沿いの断崖に5つの小さな村が張り付くようにあって、その村々めぐりをするのが楽しいらしい。我が社の同僚グラッツエラが「ラ スペッツィア駅まで行ったらなんとかなるわよ。」と言ったそれだけを頼りに何も知らずに無謀にも出かけた。ジェノバ乗換えローマ往きの一等車の切符をラ スペッツィア駅まで買う。ミラノ中央駅のホームに上がったところでさっそくトラブルが生じた。ジェノバまでの特急インターシティが「40分遅れ」と電光掲示板に表示されているのだ!?40分も遅れたらジェノバから1日にわずかしか出ていないラ スペッツィア行きの特急に間に合わない。慌てて時刻表を見に走った。独りならどうでもいいのだが、お嬢母をお連れしなければならない使命感で心臓がバクバクである!そして冷や汗が目に入ってかすむ眼から、2分後発車のジェノバからの特急にぎりぎり間に合う急行を見つけたのだった。大きな構内を走りぬけ、やっと急行に飛び込む。電車はすぐに動き出した。これは急行なので一等車でも、前回のローカル線まではいかなくともしょぼい。母はもちろんブーブーであった。しかし、それも小2時間ほど、ジェノバからはやっと新幹線の普通車並みの美しい一等車に乗れたので母は機嫌を治した様である。(ヤレヤレ、でも1時間しか乗れなかったけど。)ラ スペッツィア駅に着いた。ここはもう、海辺の町。駅はアロハシャツや水着のままの旅行者たちでにぎわっている。その光景だけですでにわたしはワクワクし、インフォメーションに「チンクエテッレ」の遊び方を聞きに行ったのだ。遊び方はこうだ:チンクエテッレはモンテロッソ, ベルナッツア, コルニリア, マナローラ,リオマッジョ-レの5つの村で成り立っていて、それぞれに国鉄の鈍行列車で行ける。夏の観光シーズンは15分毎ぐらいに電車が出ているので、電車で1村づつ廻るのもよし、1駅1駅の間隔は徒歩10分から20分ぐらいなので歩いて廻るもよし、ウロチョロするのに便利だ。わたしたちはまず駅のそばの普通のバールで速攻ランチを食べ(わたしは食べる時間を削ってでも遊ぶひとなんだよ、ご期待に添えなくてすみまそん、saicuccioさん。)ラ スペッツィア駅から鈍行に乗り、1つジェノバ方向に戻ったリオマッジョ-レ駅で降りた。全ての駅に言える事だけど、この辺の駅は海辺の洞窟の中なんで、面白い。ここからは、何が哀しいかな、チンクエテッレ名物の「恋人たちの小道」を母と2人でたどってマナローラまで歩いたのである。さすがに「恋人たちの小道」なだけあって海岸にへばりつく大海を望むクネクネの小道は愛の落書きなんかも山のようにあり、わたしたちは昼間の炎天下に歩いたのだけど、夕暮れはさぞやロマンチックであろう道だった。(↑こんな感じ?)マナローラの村は小さな素朴な村だった。ちょっと村を見て電車に乗って、2つ駅向こうのベルナッツアへ。ここは、「ポルトフィーノ」というマッジョーレ湖に負けない高級バカンス地が近くにあるのだが、それの縮小版、といった感じのハイソな村である。隣接しながらも各村が特徴があっておもしろい。写真を撮りながら岸壁まで行くと、子供たちが大きな岩の上から海にダイブしている。リビエラ海岸の特徴は岩でごつごつで海岸からは砂浜などなく急に深くなるのである。そのため海が蒼緑に澄んでいて、魚も真近で見ることが出来る。そのそばで、ひとりのおばさんがパラソルの下で5つの村を海から廻る遊覧船のチケットを売っているのを発見した。マッジョーレ湖の屈辱を晴らすときが来た!わたしはためらわず次の駅モンテロッソ、最終地点までの切符を買ったのである!!(確か2人で6ユーロだったと思う。)遊覧船に乗ったのは正解だった。遠ざかるベルナッツアをおもちゃの町のように海から眺めながらかもめたちの後を追うようにのんびりとモンテロッソの1つ目の港に入る。ここは小石の浜になっていてカラフルなパラソルやボートがきれいだ。そこからお土産物屋で埋め尽くされた整備された道をたどり、トンネルをくぐりぬけるとほらっ!砂浜(人工だけど)。 ゆっくり店を見て廻って、バールでアイスクリームを食べて駅に向ったら、ちょうど帰りの特急の時間だった。ミラノから日帰りにぴったり。ふふふ、わたしもこれで立派なツアコンになれるな。。。。(もしも母のような客ばっかりだったら、あんまりなる気になれないけど。。。)***夜はちょうど夕飯時、という、ほどよい時間に家に帰りついたわたしたち。母「わたし、イタリアに来てからまだロクなものを食べてないわ。今まであなたたちにお世話になったお礼を兼ねていいレストランでごちそうしますから連れて行きなさい。」というので2年前、結婚式のときに披露宴の場所探しで下見にだけ行って、あまりの高さにおそれをなして辞めてしまったあのモンツァの「レアーレ宮殿」のすぐ前にある5つ星ホテル「ホテル ビッラ レアーレ」のレストランに連れて行ったのである。格式高い素晴らしいロビーを持つホテルだ。レストランは小さいがここも格調があっていかにもお金持ちそうな宿泊客たちが食事をしている。本日のメニューは「サーモンのカルパッチョ」をメインディッシュにしたコースだった。単品メニューも見ると、「KATSUO NO TATAKI」(Cから始まる同音異語のイタリア語じゃなくてよかった。。)や「TEMPURA」があったりして、日本人宿泊客も多いことを感じさせられる。わたしはサーモンを、母はおっとと一緒に常時メニュー「オッソブッコ」を選んだ。「オッソブッコ」とは牛の骨の髄をトロトロに煮込んだトスカーナ料理である。すするようにして食べるのだ。イタリアは狂牛病の警報がだいぶ前から解除されているが、信用はしていないのでわたしは絶対食べない一品である。だからおっとは頼んだみたいなんだけど。。。汗でも母はいったいどういう一品なのか知らずにつられて頼んだみたいなんだけど。。。。大汗結局母は目の前に出された骨の髄を見て、気まずそうに「あらやだ、これ、牛の骨なの!?おほほほほ!!!」と高笑いしながらわたしのサーモンと無理に交換したのであった。汗サーモンもおいしそうだったが、久々に食べる、しかも5つ星レストランのオッソブッコはコクがあってしつこくなくおいしかった。骨の周りの肉も口の中で溶けそうなほど柔らかかった。可哀そうなおっとは食事の間、母に「運転手は一滴たりともアルコールはダメよ!!」とにらまれ続けていたのでワインは飲めなかったのである。わたしは我慢できずにグラスワインを頼む。何年のものか忘れたけど、サーモンに合うおいしいシャルドネーにちょっと酔った。クリームブリュレをデザートにコーヒーを飲んでお会計。合計153ユーロなり。母「あら、安いじゃない?」わたしも予想外の安さにびっくりした。3つのコースにワインに水もがぶがぶ飲んで(←イタリアは水はタダではない。)高級レストランでひとり約50ユーロ。母と一緒にわたしも金銭感覚がおかしくなってきているのだろうか。。?それはともかく母の滞在のフィナーレを飾るにふさわしい、充実した1日となったのだった。***Gabbyさんとこで見つけてしまった「マイヤヒー。」あんまりナイスだったんで、泥棒してきました。うちの会社の倉庫のルーマニア人、チプリアンを笑わせられないのが悔しいわ。ここをクリック。(フラッシュムービー要)
2005.07.26
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7月11日(月)マッジョ-レ湖前日はご近所を午後しか散策していないので、母はまだまだ元気いっぱいである。そこで天気予報の嵐の情報が気になりながらもマッジョ-レ湖へ。マッジョーレ湖とはイタリア語で「最大の湖」という意味。そう、スイスにまで鼻を延ばしたイタリア最大の湖である。この湖の名物は「マードレ島」「ペスカトーレ島」「ベッラ島」の湖の真ん中に浮かぶ3島。ちなみにこの湖はミラノマルペンサ国際空港からクルマですぐ。ウイリアムの家からもすぐそこだ(どうだっていいけど)。しかしおっとが出勤したこの日は電車で出かけることとなった。電車でもミラノから1時間半弱ぐらい。そんなに遠いところではない。しかしわたしはいつも(ってそんなに来てないけど)クルマで来ていたのでどこで降りていいかわからず、母の「地球の歩◎方」に書いてあった一番大きそうな湖畔街「ストレーザ」で降りることにした。駅は小高い丘の上にぽつんとある。降り立ったものの、どこに行っていいかわからない。一緒に降りてきたドイツ人旅行者と思えるグループが左に向って歩き出したのでそれに続く。どんどん坂を下るとやっと大きな湖と停泊する遊覧船が見えてきた。確か、あれに乗るんだよね?湖に向ってちょっと早足で歩く。しかし船は出航してしまった。あ~あ、行っちゃったよ。わたしたちは歩く速度を落とし、遊覧船の切符売り場を探した。やがてたむろって日光浴をしていた何人かの中から船長っぽい白い制服を着たおっさんが「何かご用?」と近づいてきたのである。わたし「ええ、あの船の(指を差して)乗車券を買いたいんです。」おっさん「じゃあ、こっちだ。」遠のいていく遊覧船に気を取られていたので、すぐ横の水色の「切符売り場」と大きく書かれたプレハブの小屋におっさんに言われてからはじめて気が着いた。中には誰もいなかった。おっさんは中に入って「どこ行きの切符が欲しいの?」と聞く。わたし「3島の周遊券を2枚ください。」おっさん「35ユーロ。」げ?以前遊覧船に乗ったときこんなに高かったっけ?(最後に乗ったのはもう1年以上も前のことだからちっとも覚えていない。)ひとり17,5ユーロ。。。観光地だからそんなもん??ちょっと困って母を見る。しかし母が「わたしが払いますからね!いくらなの?」とすでに取り出していたエルメスのエナメルの大きな財布から札束を数え始めたのを見て、すでに染み付いてしまっている極貧な根性が恥ずかしくなった。そして母と一緒にすまして切符を買ったのである。おっさん「さっそく出発しよう!着いてきて。」とどんどん船着場から離れた方向に歩き出すではないか?着いたところはレストランの陰に隠れた小さな砂利の浜だった。古びた白い小さなクルーザーが留まっている。おっさん「足元に気をつけて乗ってね~。」うわあああああ!!わたしとしたことがっ!うっかりして白タクに捕まっちゃったよ!しかしもう切符を買ってしまった。しかたがない、わたしたちは2人貸し切り状態でこのクルーザーに乗り込んだのであった。考えれば贅沢なことなのだ。が、まるで素人のように(←何の?)白タクのおっちゃんにまんまとはめられたことが悔しい。ちょっと待てよ?島に上陸したときはこのおっさん、どうするつもりだろ?前払いしちゃったから、まさかわたしたちを島に置き去りにして逃げるんじゃないでしょうね。。考えていると船酔いも手伝い、どんどん気分が悪くなってきた。ようやくクルーザーはストレーザから一番離れた「マードレ島」に着いたのであった。おっさん「あと1時間半後に迎えに来ますよ。」と出航しようとする。待て!逃げるなあっ!!わたしに大きな不安を残して、おっさんはあっという間に湖の彼方に去っていったのであった。母「この1時間半の間にまたあなたみたいにおばかさんな、別のカモを探しに行ったのね、きっと。」とわたしの屈辱感に拍車をかける。(そ、そうだよ。今のわたしは「極貧」じゃない。もしも置き去りにされたなら、35ユーロは悔しいけれど普通の遊覧船に乗って帰ればいいんだ。)と、自分に言い聞かせてマードレ島に入島する。ちなみに入島料は後ほど行く予定のベッラ島と2島あわせてひとり15ユーロだったと思う。観光地はなんでも高いわ!!島の概要:この3島はその土地の貴族ボロメオ家の所有物だったものだ。多くの時をマードレ島の宮殿で過ごし、夏の離宮として建てたものがベッラ島の宮殿だとされる。残りのペスカトーレ島(漁師の島という意味)はおそらく食料調達用に所有していたものだろうか?わたしが今まで上陸したことがあるのはベッラ島とペスカトーレ島の2島だけである。誰に聞いても「マードレ島は入島料の払い損だ、しょぼい。」と言ってたんで。。。しかし今回パトロンをつけたわたしはせっかくなので、行ったことのないマードレ島にも入島することをためらわなかった。宮殿に続く庭園に一歩足を踏み入れると。。。いやいや、入島料の払い損なんかじゃないよ? 手入れされた広大な庭園には白い孔雀や珍しい紅白のキジが遊び、イヤがおうにもリッチな気分にさせてくれる。湖面沿いに続く断崖の松林を遠くに見える湖畔の町々を見ながらゆっくり歩くと、まるでその当時の貴族になったような優雅な気持ちになる。やがて宮殿に着いた。まるで海を眺める高級リゾートホテルのようなたたずまいだ。(ちなみに左下のちっちゃい白いのは白クジャク)中はたくさんの肖像画が飾られていた。全てお抱え画家に描かせていたのだろうが、申し訳ないが、こういうタイプの絵は好みじゃないなあ。。。と、思いつつ部屋を移動していった。2番目に入った部屋は「人形の部屋」だった。大きく仕切られたガラスの中に無数のアンティークドールが並んでこちらをみつめている。わたしははっきりいってアンティークドールは念(?)でもこもってそうで好きになれない。こんな部屋に夜中にひとりで残されて、やつらが勝手に動き出したら。。。と思うと身震いがして早々にこの部屋を移動した。次の部屋は「人形劇の部屋 天国編」だった。壁の一面がシアターになっていて、周りの壁にはお世辞でもお上手とは言えない素人が描いたような天国画のフレスコ画で覆い尽くされている。その次の部屋は「人形劇の部屋 地獄編」。さっきの部屋と同じようなつくりだが、地獄風に仕立てられている。。ここの城主は人形フェチ?下々の街と切り離された湖の真ん中の孤島で、TVもラジオもない時代にさぞやすることがなくて暇だったのだろうが、ここまで人形ばっかり見せられるといい加減、興ざめがしてきてしまった。入島料の払い損なわけがわかったような気がした。この島全てを見ると、まさにちょうど1時間半だ。おっさんは白タクをしているだけあって、さすがの感覚である。わたしは不安をまたもや膨らませながらさっき船から降ろされたところに行くと、わたしたちと同じような日本人の母娘が木陰に座っていた。このひとたちも白タクでカモにされて来たんだろうか。。。?と考えているとおっさんのクルーザーがやってくるのが見えてホッとする。置き去りにはされなかった。やっとわたしは安心してベッラ島に向ったのだ。ベッラ島はこの3島の中で一番にぎやかな島。宮殿に入らなくてもまわりを囲むお土産物屋めぐりだけでも楽しめる。しかし、ここの庭園はお金を払ってでも入る価値はある。というのはマードレ島にも共通したことだが、ボロメオさんは芸術の趣味は悪くても一級の庭園デザイナーを抱えていたことだ。まずはオゲオゲの趣味の悪い宮殿内、何が趣味が悪いって「海底の間」。黒い岩がぼこぼこな壁とへんなサンゴや貝殻で装飾された部屋を最後に通って、またもや人形たちに見送られつつ外に出ると、由に500年は経ったであろうと思われる楠の古木に迎えられて素晴らしい彫刻の壁を正面に見た広い庭園に出るのだ!壁を登るとスイスまで延びる細長い湖の先の先まで見えるのは豪快そのもの、遥か下を優雅に自家用クルーザーやヨットが走っていく。出口近くにはその当時では維持が大変だったであろうアールヌーボー風の黒い鉄骨でつくられた熱帯植物園があり、今でもランなどの熱帯植物が花を咲かせている。庭園の隅の喫茶店で冷たいコーヒーを飲んで眺める湖はなんともここちよい。(アイスコーヒーは思わず「わたしが作ったるやん!」というほど不器用な手で作られたけど。。)入り口とは裏腹に気も付かない様な小さなしょぼい動物園のそれのような回転式の鉄の出口を出るとそこはお土産物屋がずらりとならぶ路地である。ベネチアの仮面から、シチリアの陶器までなんでも揃っているマルチな店店だ。まあ、マッジョ-レ湖土産なんてなんにもないし。3島の中で1島しか行く時間がない、というあなたはここだけでOKよ。ここは2時間の滞在時間だったが、そんなものだった。そしてペスカトーレ島へ。ペスカトーレ島は外観は雰囲気があって美しいのだが、上陸しても漁師の家々しかない。時計を見るともう帰りの電車の時間がせまっている。なのでこれは湖上から見るだけにとどめたのであった。またもや、船着場でもなんでもないストレーザの小石の浜にわたしたちは打上げられるかのように到着した。どうやら、往きはドイツ人のグループと共に間違えて次の船着場に行っていたようだ。ここで目の前に広がるのは湖畔の高級リゾートホテルばかり。宝石店やムラーノガラスのギャラリーが並ぶハイソな商店街を通ってわたしたちは国鉄駅に向う。母はここでゴージャスでシックなムラーノガラスのネックレスを買ってご満悦である。「マッジョ-レ湖ってステキなところね。また来たいわ。」ハイソな母はここで数日の彼女にとっての非現実から目が醒めたようであった。母「もう貧乏なあなたにつきあって2等車ばかりに乗るのはごめんだわ!1等車に変えてちょうだい!!」わたしはそれまで2等車以外頭の隅にもなかった自分に恥ずかしくなった。そう、彼女は新幹線も必ず「グリーン車」のお嬢なのだ!窓口で切符を替えたら、なんとミラノから我が最寄り駅までのローカル線まで1等車になっていた。へえ~、あんなローカル線に1等車があるなんて知らなかったよ。と、ミラノに着いて本当に1等車と書かれた車両があったことに驚きながら乗り込むと、全ての車両の中で一番汚いんじゃないかと思うぐらいの薄汚れた車両だった。もう面倒くさいのでそのまま座っていると車掌が検札に来た。車掌「へ?1等?あんたら、バッカじゃないの?ハッハッハッハ!!」と切符を切って笑いながら行ってしまったのである。まったく。お金を余分に払って一番汚い車両に座って笑われていたらざまあないものだ。
2005.07.22
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前回の日記ではご心配をおかけしました。ああ、書きたくなかったけど書かずにはいられんかった。。。。また、気を取り直してお嬢母滞在記。7月10日(日)モンツァ金曜日までは「週末はお義母さんを出来るだけ遠くに連れて行くんだ!!」と張り切っていたおっと。しかし、前日の強行軍ですっかりその意気も消沈してしまったようである。前日の朝5時起きはウソだったかのようにこの日は8時まで寝ていてくれたので助かった。母も疲れていたようで「今日はクルマがあるなら、あなたが言ってたこの近くのモンツァに行きましょ。」と。うちからモンツァまではクルマで15分ぐらい。ずいぶん前にも紹介したと思うがF1のサーキットがあることで有名な、しかし落ち着いたたたずまいの街だ。ミラノに隣接しながらも「ミラノはパン屑で、モンツァは肉の塊で出来た街」と言われている。そう、ミラノはパン屑に等しく中身がない、軽い街なのだが、モンツァはぎっしりした肉のように中身の濃い街だと言いたいらしい。ゆっくりと3人で昼食を取った後、我々はモンツァに出かけた。まずはロンバルデア州で一番広い公園の横にたたずむ「レアーレ宮殿」に行く。ここは何年も前から修復工事が行われているのだが、この日もまだ工事をしていて中に入れないのが残念だった。そこからここ数日の嵐の後のしっとり濡れた涼しい公園を少し散策して中心街へ。ここのドゥモはミラノやフィレンツエのように華やかさはないが、何が素晴らしいと言えば、去年にも紹介したお宝、もう一回紹介するけど「キリストの手を打った釘を軸にして造った王冠」である。わずか1ユーロを払うと、分厚いカーテンで仕切られた小部屋に案内される。ここの壁や天井を一面に覆いつくすフレスコ画は金箔が惜しみなく使われゴージャスそのものだ。(残念ながら撮影禁止地帯だった。)その部屋の中心にはミラノのドゥモ建築を彷彿させる細い天に向ってまっすぐ伸びる小さな搭があって、その中心部に内蔵された金庫の中からガラスケースに入った小さな冠を見せてくれる。冠裏面の軸に使われている釘はエルサエムの地からとあるローマの教会まで運ばれてきたものが、その時の女王、ロンゴバルド(これがロンバルディア州の名前の由来)に献上されたらしい。これだけみれば「その辺の道路に落ちてる釘をガンガン叩いて伸ばしたんじゃないの?」と思うぐらいたいしたことがないというか、胡散臭いものなのだが、王冠本体が純金製、無数のルビーやエメラルドの宝石がちりばめられている。わたしがルパン3世なら、必ず獲物のターゲットにしているようなお宝だ。お宝を見た後、わたしたちは教会のそばのゴージャスな色あせた厚い赤いカーペットの敷かれた喫茶店でお茶をする。ここじゃ、ハイソな人々が優雅にお茶をしていたのだけど、日本に場所を置き換えたらどう見たって「珈琲の青◎」みたいな感がぬぐえなかったのだが。。。。前回は街の写真はUPしなかったんで、ここで少しご紹介。これは中心街の路地裏。ピッツェリアの看板が可愛かったんで思わずパチリ。これはドゥモではなく別の教会。赤レンガを使った典型的なロンバルディア建築。上の教会の横の入り口にあったモザイク画。鳥マニアではないけど可愛い。次の日はまたもや母と2人旅。マッジョーレ湖である。
2005.07.21
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昨日は退社間際に急いで日記を更新したら、昨日の日付になってたよ。。。あふぉ。移動させたらせっかく皆さんからいただいたコメントが消えちゃうので、このまま進めます!****7月8日(金)トリノこの日はトリノに出かけた。わたし「冬季オリンピック前ですから、きっと街中、工事中ですよ?」母「オリンピック前だからいいのよ、観光客が少なくて。NHKの予告で世界遺産をたどるイタリア紀行をやっていて、旅の最終地点がトリノのようなの。サボイヤ王朝最期の土地を見たいのよ。」わたしはイタリア美術史はちょっとかじったけど、そういった歴史にはさっぱりだ。(←母もNHKの予告のフレーズを繰り返すだけでそれ以上のことは知らないようである。)まあ、母が一番最初から名を挙げていた都市だから行くことにした。トリノ駅に着くと案の定、駅前から大工事中だった。有名ななんとか広場も、お城もテントで覆われていて写真はおろか、入れない。キリストを包んだ、と言われる奇跡の布の収められた教会をフィリピン人のツアーにまぎれて見て、カイロ博物館に次ぐ収納量と言われるエジプト博物館を見たが、どちらも「なんだかなあ??」という感じ。最後にタクシーでちょっと郊外の日本人の建築家がデザインしたオリンピックの競技場に行ったが、これもまだ工事がはじまったばかり、といった感じでオリンピックまでに完成するか、心配になった。そんなわけでちょっと腑抜けたトリノ旅行だった。***7月9日(土)クレモナ→マントバ→ベローナ母が来伊してからのはじめての家族揃っての旅行である。最初はスイスのツエルマットの山々を満喫し、ホテルに1泊して、次の日にはベルンに行って名物のクマちゃんを見て帰ってくる予定だったのだが、ここ数日続く雷雨で山は危険、というので泣く泣く予定を変更した。ああ~、ガイコクに行きたかったのに。。。。この日、母もおっとも競って一番早く起きようとしていたらしい。(←2人ともB型である。)なんと朝の5時には「早く起きて準備をしなさい!!」と2人にわめかれてしまった。あほ~!!まだ一番鶏も寝ているのに起きれるかっ!!!わたしは2人を無視して布団にしがみつき、なんとか7時ごろまではベッドの中で頑張ったのである。やっと前日のトリノで歩きくたびれた足を引きずりながら支度をし、追い立てられるようにクルマに乗り込んでGO!今回の旅はレッジョエミリア街道沿いにマントバまで行って、ベローナを廻る予定。個人的にはマントバはわたしの数少ない好きな街の、というより好きなフレスコ画がある街だ。マントバでは王宮と離宮を廻ってじっくりフレスコ画を見て、ベローナの「ロミオとジュリエット」のバルコニーに登って。。。。うんうん、応急で考えたにしては完璧?とひとりで今回の旅の計画の素晴らしさに悦に入る。クルマはひたすら続くとうもろこし畑やひまわり畑の間をぬって走る。天気は良くなかったがいい感じだ。マントバが近づくにつれ、道路の行き先標識も変わってきた。「クレモナ、マントバ方面」母「あら、クレモナはマントバに近いの?」クレモナは世界でも有数のバイオリンを作る街として有名だ。ストラティバリウスのバイオリンなんて何千万円、何億円、という値がつくらしい。わたしは小さい頃のトラウマでちっとも音楽に興味がないし、母もないようである。前日に「お母さん、クレモナも行きたいですか?」と聞いたところ、母は「まあ有名だけど、バイオリンなんて見に行ってもねえ。。。」と渋るので完璧にパスしていた街である。母「せっかくだから、クレモナに寄りましょ。」ああ~、予定外だよ。ここに寄ったら大好きなマントバが駆け足だ!しかしおっとはすでにクレモナの中心地に向けてハンドルを切っていた。わたし「わかりました、街の外観だけサッとクルマから見ましょう。」しかし結局クルマから降りてしまい、無数のバイオリンが並ぶバイオリン博物館をありがたさもわからないまま、じっくり廻るハメとなってしまったのだった。再びクルマに乗り込み「おっと、すごい時間のロスだよ!マントバに急いで!!」とせかす。道路標識を見た。「マントバまで70Km」ええ。。まだ70Kmもあるの!?やっとマントバに着いたときはわたしひとりで焦燥の中にいたのである。今から王宮と離宮を見て、近そうだけどどれぐらい時間がかかるかわからないベローナに行っていては夜中になっちゃうよ~~~。この心境はきっとツアーバスが渋滞に巻き込まれた時のツアコンのお姉さんと同じようなものかもしれなかった。まずは離宮に行く。ガイドのいくきーとお姉さんにただくっついてくるだけの2人はのんきなものである。(せっかくお気に入りのところまで来たのだから時間を気にせず味わって見よう。)そう自分に言い聞かせて入館した。マントバを統治していたゴンザカ家の宮殿たちは、実際住むとしたら装飾ゴテゴテでゴメンだが、芸術、として見るぶんには何度見てもため息が出るほどダイナミック、だけど繊細で色鮮やかでステキだ。まずは離宮。これは何代目かのゴンザカさんの愛人の夏の宮殿として建てられたらしい。馬の間。その当時はやった「だまし絵」画法が使われている。馬が今にも絵から出てきそうだ。愛の間。(だったっけ?)こういうのが各間の壁いっぱいに描かれてるんだよねえ。でかすぎて写真に撮れなかったが「巨人の間」にはただただ圧倒された。眼福眼福。わたしはすっかり満足し、3つの湖を右手に見ながら2人を街の中心の王宮にいざなう。王宮を前にしておっと「ねえ、お腹空いたよ。どこかレストランに入ろう。」とすぐそばのいかにも観光地のレストランに入った。まあ味は悪くない。わたしは早く王宮内を見たくてウズウズしていた。おっと「ねえ、ベローナに行くんだったらそろそろ出かけないと。。。」え?母「そうね、もう芸術品を見るのも疲れたし。」えええええ?!ここの王宮がわたしの中では「本日のメインスポット」なんですけど!?そんな願いも届かず、王宮を前にしてわたしたちは再びクルマに乗り込みベローナへと向ったのであった。高速道路を走ること30分弱。あっという間にベローナに着いてしまったのである。なんだ、こんなに近いなら「本日のメインスポット」も見れたのに!!わたしは過去にベローナには何度も足を運んでいるので、特に感動はしなかったが、はじめての2人には楽しい街のようだった。この日はアレーナで野外オペラの日。なもので、観光客はすごい。まるで週末に心斎橋筋を歩くようなものである!ダフ屋もウロウロしてるし。そういえば遠い昔、「ナブッコ」を見てる最中にひどい夕立が来て中止になったっけ。。。アレーナのそばで出番に備えて待機している舞台道具たち。「アイーダ」の道具かな?ジュリエッタのバルコニー。いつみても、しょぼい。(苦笑)しかし観光客であふれかえっている。このジュリエッタのおっぱいを触ると恋愛が成就すると言われているので皆さん必死である!ベローナ郊外のステキなお屋敷。ああいう家に住んでみたいものだ。 母とおっとにとってこの街こそが「本日のメインスポット」となったようである。2人の満足げな顔を見て、わたしも満足し、我が家へと帰っていった。そして夕食は隣町のピッツエリアでじゃ~ん!!GMよこいさん、悲願がかなったで!!カニやで、カニッ!!!!!!ふふふふふ、食べるのが一苦労でございましたとさ。
2005.07.20
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7月7日(木)前日に母からタクシーが我が町にないことでボロクソに打ちのめされた話をすると、この日の朝さっそくおっとは隣町の2つのタクシーのナンバーを携帯電話のメッセージで送ってきた。おっと「電話してから5分で来てくれるってさ。」これでわたしは安心し、朝遅くに出かける支度が整ったところで1つ目のナンバーに電話した。ツーツーツー。いくら待っても応答がない。きっとおっとが番号を控え間違えたんだと思い、もうひとつのナンバーに電話する。「はい、もしもし。」まだベッドの中にいるような眠たげな女性の声だった。「あ、え~と。これってタクシーのナンバーですよね?」予期せぬ声にしどろもどろに聞く。「そうです。今主人に替わります。」へ?主人?? もしかして白タクの自宅にかけた?「もしもし、何ですか?」これもまた、今起きたばかりのおっさんの声である。わたし「あ、あのタクシー呼びたいんですけど。。。?」おっさん「ああ、いつ?」うざったそうである。わたし「今すぐ。」消え入るような声で遠慮がちに言ってみる。しばらく沈黙があった。。。汗おっさん「。。。あと1時間後だな。」わたし「はあ。。。じゃ、もういいです。お疲れのところをお邪魔しました。」なんでここまで言わなきゃならんのか、と後から思ったのだが、この時はまさにそういったシチュエーションだったのである。母はこのときベランダのベンチに座り、もうすぐタクシーが来るものと信じきって通りの遠くを見ていた。わたしは慌てておっとに電話した。「タクシーが来ないんだよ!お母さんはもう家の外で待機してるし、どうしよう!?」おっと「げ!そうなの?よし、10分だけ待って。ぼくが迎えに行く!!」わたしはほ~っと電話を切った。でもちょっと待て。仕事先から10分、ということは。。。??8分後、田舎の路地を猛スピードでどでかい業務用のワゴン車が到着したのであった。母は目を丸くして「え?タクシーを呼んだのじゃなかったの?どうしてマー君が迎えに来たの?」わたし「タクシーがつかまらなかったんです。(←事実)電車の時刻もありますし、マー君に来てもらいました。」母「こ、こんなトラックに乗るわけ?」わたし「駅までのわずか5分間ですから辛抱してください!」嫌がる母をなだめて助手席に押し込み、あっという間に駅に到着した。降りた時、どういうことを言われるか恐ろしかったのだが「トラック(←ワゴン車だ。)の助手席に乗ったなんてはじめてよ。大冒険だわね。」といつも能面のような母の顔が少しほころんだのでホッとしたのであった。電車の中ではいつものように検札員が切符のコントロールに来たのだが、ハイソな母は「マダーム、(←なんでフランス語なんだ?)切符を拝見。」などとわたしはきっと一生言われないであろう声をうやうやしくかけられている。わたし「どこでお買い物の予定ですか?」母「まずは両替をしなくちゃいけないわ。それからご近所へのお土産を買いに行きたいの。そうね、軽いお菓子とかがいいわね。」わたしは考えた。ドゥモのそばの郵便局で両替をして、そのあと大阪高◎屋にも入っている高級食材店「PECK」で買い物すればその辺も散策できるし一石二鳥、いや三鳥だ。しかし。いざドゥモに着くと母はお手洗いに行きたい、と言い出した。この辺で一番マシで入りやすいのはミラノ唯一のデパート「リナシェンテ」のお手洗いぐらいしかない。まずはリナシェンテに行って、お手洗いで用を済ませ、屋上のしゃれたレストランに行って昼食を取った。それからバーゲンが始まったばかりの店内を廻る。母はわたしたちのように極貧ではないので豪快にいろいろなものを買っていく。あっという間にわたしの両手は母の紙袋でいっぱいになった。そして更に母はバスタオルや花瓶を「新居用に。」と買ってくれたのである。それで元来甘ちゃんのわたしは「あ、何か欲しいもの買ってもらえるかも。」と密かに期待したのは言うまでもない。母がある階でスカートを試着した後、わたしが「このブラウス、いいですねえ。」と鏡の前で胸に当てて見ていると母は急に目をつりあげ「何をたわごとを言っているの!今のあなたにはそんな余裕などないはずよ!いい加減、バカな浪費はやめて慎みなさい!!」。。。まだ何も買ってないし、買うとも言ってないんですけど。涙母が買ってくれることをちょっぴり期待していたのでガッカリしたのは言うまでもない。それからは母のお供でデパートを廻ることが急につまらなくなった。見れば母もくたびれた様子である。わたし母「帰りましょうか?」最寄り駅に帰りつくと今度はおっとは普通乗用車で待機していたのでホッとしたのであった。あ。そういえば本来の目的の「両替」と「お土産」はどうしたんだろう??****しかし1日はこれで終わりではなかったのである。家に帰りついて1時間もたたないうちにあの建築士が我が家にやってきた。そう、わたしたちはもう親方にこれ以上、家を触られたくはなかった。そのことを相談するために建築士と不動産屋のみを家に呼んだのだ。まずは雨の日の滝が家の中を流れる証拠写真をプリントアウトしたものと、実際にシミだらけになった壁を見せる。建築士「。。。これはひどい。」そして階段を実際に登りながら、ひび割れやグラグラするところを見せて、おっとが珍しく火を噴きながら怒る。(きっと母の手前、頑張ったのだろう。)おっと「階段ももう一度、全部やり直して欲しいんです。」建築士「そりゃあ、無理だ。親方、結構大枚を払っていい材木を買ったようなんだよ?それをまたやりなおしって。。。」わたし「いい材木がこんなに簡単に割れるものなんですかっ!?」やがて不動産屋が来た。しかし、一番頑張らなければならない不動産屋の前で、おっとはすでに怒りのエネルギーを消耗しつくしたようであった。わたし「もうわたしたち、親方に仕事して欲しくないんです。修理には業者を替えてください!!」不動産屋「ちょっと待ってくださいよ。あの親方は優秀ですよ?必ず彼に責任を持って修理させますから。。。」わたし「親方の腕は知りません!彼が1日丸々仕事をしている姿なんて見たことないですから。いつも来ても何も技術のない弟子たちが余計状態を悪くしていくだけなんです!!」不動産屋「わかりました。では、こうしましょう。今回だけは親方に修理を任せてください。それでもダメだったらわたしが責任を持って別の業者を派遣します。」わたし「。。。。いいでしょう。今回だけは待ちます。しかし、もう信用出来かねますのでここに一筆サインしてくれませんか?」とこういう事態を予想して、実はすでに会社の同僚たちの協力の元、用意していた誓約書を取り出した。にやけ顔のポーカーフェイスの不動産屋の顔色がちょっとこわばるのがわかった。不動産屋「そういった書類にサインは出来かねます。。。何もわたしたちは家を売ってしまったら『はい、サヨウナラ。』とは言ってませんよ。必ずお宅の事には最後まで責任を持ってさせていただきますから信用してください。」信用できないからサインしろって言ってるんだよ!!!わたしは怒りを静めながら次の言葉を考えた。しかし、その間におっとが「わかりました、今回だけは信用しますから、決して裏切らないでくださいね。」と甘ちゃんな返事をしてしまったのである。あほおっと。わたしの計画を台無しにするな~~~!!!!!こんな生返事をして絶対後悔するのが目に見えてるじゃないか!!!!!!!そのとき母は小部屋でお茶を飲んでくつろいでいたのであった。
2005.07.19
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お久しぶりです!昨日、海の町リミニから戻ってきました。いない間に日記機能が変わったんだ??お嬢母がやっと帰国したかと思ったらすぐにこの週末は、同僚アンナのミラノから400KM離れたリミニでの結婚式に出席。2年前の両親同伴エクアドル新婚旅行で同じことを体験以来、予想していた「事後高熱」をしっかり母の帰国日から発しました。おかげで頭がトリップしながら、本当にトリップもした(←書いてて自分も訳がわからない)2週間でした。新居??階段???ううう、考えたくない。頭を冷やしてから書くことにします。 これらの話は過去のことだから、過去の日付に書くべきか?
2005.07.18
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「いくきーと、起きて!もうお義母さんも起き出してるよ。さっさと着替えて朝食にしよう。」ぼんやりした頭の中、薄目を開けておっとを見るともうすっかり着替え終わっているところだった。階段の方を見ると階下が薄明るい。雨戸を開けたのか。(←わたしたちはすでに母が来た前日より2階で寝起きしているのである。)「うう~ん、今何時?」と重い腕を伸ばして目覚まし時計を引き寄せる。げ、朝5時半?! 起きれるか、んなもん!!「あ、あたしゃ寝る。」「何言ってるんだよ?せっかくお義母さんが来てるのに、ピシッとしないと。。。」と言うおっとの声を遠くに聞きつつ、わたしは再び眠りに落ちようとしたのだった。おっとはブツブツ言いながら階段を降りた。母と朝食を始めたカチャカチャという食器の音が聞こえ始める。我々2人だけでは、いつも時間がなくてしたことのないトーストとコーヒーを沸かす香りが漂い始めた。いいねえ、息子と母のゆったりとした朝食のひととき。。。わたしは深いため息をついて毛布を引き上げ(ここ数日寒いのだ。)、寝返りを打つ。だが、その幸せもつかの間だった。TVっ子のおっとはいつものように朝から大ボリュームでTVをつけた。ニュースキャスターが速報を読み上げる緊迫した声が家中に響き渡り、わたしの神経を完全に目覚めさせ、いらだたせる。そしておっとが幼児スペイン語で母とコミュニケーションを図りはじめた。「オッカサン(←ここだけ日本語)、いつも朝は何を食べてるんですか?」「オッカサン、今日はどこに行く予定ですか?」母はほとんどわかってなくて、オホホホホと、高笑いでごまかしたりしている。(←日本人だなあ)哀しいかな、両方の言葉が理解出来るゆえに、おせっかいなわたしとしてはベッドに横たわりながらも「1年8ヶ月ももスペインに住んでたくせに、何でこんな簡単な質問がわからないんだよ!?」とじれったさに身をよじっていた。ついには「いくきーとさん!あなたいつまで寝ているの!?マー君が何か言ってるのよ。さっさと起きてきてあなたの旦那様の相手をしなさいっ!!」と母が怒り叫ぶ声に渋々と起き上がって階下に下りたのだった。わたし「おかあさん、こんなに早く起きて今日はどこに行く予定ですか?」母「何を言っているの?あなたが遅すぎるんですよ!旦那様の朝食の用意にも起きて来ないなんていったいどういう妻をしているの!?」どういう妻って。。。。。今日はおっとも早く起き過ぎ。母「洗濯物もあんなに溜め込んで!洗濯機、廻しておきましたからね。」わたし「そりゃ、どうもありがとうございます。」。。。。どうでもいいが、彼女は洗剤のありかと洗濯機の使い方、わかったんだろうか?わたしは洗濯機を見た。上には洗剤ではなく柔軟剤が置いてあり、「水洗い手洗いモード」で洗濯機が廻っている。ふう。。。後からもう一度やり直さないと。やがておっとはわたしが起きてきたのを見て安心するかのように仕事に出て行った。そう、わたしは今回母のために10日間の有給休暇を取ったのだ。が、自営業のおっとにまで10日間も休暇を取られては「極貧夫婦」はピンチなのである。「。。。で、どこに行きたいんですか?」とわたしは母が持ってきた細切れ状態の「97年度地球の歩◎方」に目をやる。母「あなたにお任せ、と電話で言いましたでしょ?今日は疲れたわ。1日休息日にして明日、ミラノの中心にお土産を買いに出かけましょう。」がく。2日目の朝早くから叩き起こされて、疲れたから休息日?そりゃぁ、ないよ!母「あなたも普段家でやれないことがたくさん溜まってるんでしょう?」母の来伊をカウントダウンの最終日に慌てて全てをやり終えたのですることはない。2階の段ボール箱たちも収納家具を買わない限り、始末できない。貴重な有給休暇を2日目からして無駄に過ごすなんて。。。。。わたし「お母さんが短い滞在期間に充実したイタリア旅行をしたい、というのでわたしとしては10日間いろいろ考えたんですよ?1日家に居るのはもったいないと思いませんか?」と嫌味を込めて言った。母「あなた!ちっともわたしの身になって考えてくれていないのね?!わたしはか弱い老人なのよ!?しかも時差ボケで疲れているというのにいたわることを、知らないのっ!?」わたし「わ、わかりました。では今日は1日家でくつろいで下さい。」汗わたしはすっかり出かけることを諦め、ミルクを温めていると洗濯機が終わり、母が中から洗濯物を取り出し始めた。わたし「あ、いやっ、お母さん。実はこれ、柔軟剤で洗ってくれてたのでもう一度やりなおさないと。。」母「あら、そうなの?知らなかったわ。」わたしがもう一度洗剤を入れなおし、洗濯機のスイッチを入れていると、今度は母は冷蔵庫を開け、中を覗き込んでいる。母「今夜はパエリアを作って振舞おうと思っていたのだけど、冷蔵庫に何もないのね。お買い物に行きましょう。」しかし。母が前日に言ったように我が家の周りは何もない。一番近い小さなスーパーまででも徒歩10分だ。そういえば、いろいろと買いそびれたものが思い浮かんできた。母の室内用スリッパ、蚊取りマット。。。でもこれらはエルトンの家の近く、うちからクルマで20分は離れた大きなスーパーまで行かないと買えそうもない。わたし「わかりました。リストを作ってくれたらスクーターで買いに行ってきます。」母「わたしも行くわ。タクシーをお呼びなさいな。」わたし「。。。。タクシーなんてたぶん、この当たりはないです。」母「なんですって!!??」ひ、やばいっ!!!!!こんなこと正直に言うんじゃなかった!!この時わたしは母の逆鱗に思いっきり触れた、と確信した。母「あなたたち、どういう家の選択をしているの!?タクシーもない街なんて人間の住むところではないわ~~~っ!!★◎×=▽!!!!!!」どうやら母はとにかく文句をつけたくて、こういう落とし穴にわたしが落ちるのを待っていたようである。この攻撃はちなみに午前中いっぱい延々と続いたのであった。しかし、口での攻撃を休めず、手はしっかり昼食を作っていた母には舌を巻いたのである。筋金入りの「主婦道」を見た気がした。キャベツのおひたし、ひき肉あんかけ揚げナスを白いご飯と熱い日本茶で頂いた後、ようやく攻撃はやみ、わたしは買い物に出かけたのだった。空は曇ってどんよりしていた。スクーターの走行中に雨が降るのはたいした問題じゃないが、何が心配って、やっぱり屋根である。慌てて買い物を済ませ、遠い道のりをたどって家に帰りついたと同時ぐらいに雷鳴が響き、夕立が降り始めた。ちなみに母にはおそろしくて屋根の話はしていない。この情けない話をしようものなら、「だまされて二束三文なボロ家を買ったのよ!」とキーキー死ぬまでわめき続けられるに違いない。母が煎れてくれたお茶を飲みながらわたしは気が気でなかった。果てしなく続く実家のご近所の噂話に母が一呼吸するのを待って「2階をちょっと片付けてきます。」と階段まではゆっくり何事もないように上がったのである。以前の日記に書いたように2階はやはり滝が流れ始めていた。「あ~!!!!!!!」と叫びたい衝動を抑え、わたしはおっとの古いTシャツをひっつかみ、壁から滲みだす水を拭き始めた。1階にはしごがあったのだが、へたに持って上がって母に怪しまれるのもまずい。あちこちピョンピョン跳ねながら壁を拭いていると「何をドタバタしているの?何か手伝いましょうか?」と母が下から階段を見上げたので「い、いや、たいしたことじゃないからいいです!」と声を裏返して叫んだ。そうこうしているうちに、おっとが帰宅した。もちろん1階の正面玄関からではなく2階の小さなドアからである。おっととわたしの行動はいまやシンクロ率100パーセントなのである!おっと「あ~あ、やっぱりひどいや。明日すぐ不動産屋を呼ばないと。。。」と哀しそうな顔をした。そしてそっとドアを閉め、さもたった今、仕事から帰ってきたかのように「オッカサン、タダイマ~。」と1階の玄関から入りなおしたのだった。母が作ってくれたパエリアはおいしかった。実は間違って買ってしまった黄色いイタリアンライスサラダ用のそのまま炊いただけでは激マズの米を使ったのだが、これがまたパエリアには合っていた。エクアドル大学時代、料理コンテストでパエリアを作って優勝したおっとのなのだが、お世辞か本心からかは謎だが「オイシイ、オッカサン!」と連発していた。こうして母が着いていきなりの休息日は終わった。次の日はミラノ、次の次の日はトリノである。
2005.07.06
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今朝は電車に乗り、本を読んでいる女の子の隣に座った。我が駅までは比較的空いていて、90パーセントの確率で座れる。しかし次の駅からはいつものように大量に人が乗ってきた。そして4人で向い合わせになっているわたしたちの前の席にでっぷり太った鼻毛が気になる目がギョロギョロした朝っぱらからフライの臭いを全身から漂わせたおっさんが座ったのである。と、ここまではよくある風景である。このおっさん、席に座るなり、わたしたちを交互にギョロギョロ見つめながら右手で左手の甲を掻き出した。蚊にさされたのかな?と思いきや、長い間、掻いている。アレルギーなのかなあ?と思ったけど、手は赤くもブツブツもない。目の前で、あまりに長い間、掻いているので気になってきて目をつぶった。しかし目をつぶっている間も、シュッシュと音がして気になってしかたがない。次の駅に着いて、さすがにやめただろう、と思えばまだわたしたちを見つめながら掻いているではないか!?ちょうど股の間で、掻く、というよりこするように左手をさすっているので見ようによっては卑猥である。まるで、わたしたちをオカズにマスター◎ーションをしているような。。。。?そう思って隣の女の子をチラッと見た。彼女もどうやら同じことを考えていたらしい。わたしたちは立ち上がった。もうこの時点で電車は満員状態だったので、席は立ちたくなかったのだがここにいるよりはマシだったのである。***やっと本題に入るが、今週末はいよいよ我が同僚マッシモの結婚式である。この日のために取って置きのワンピースを着ようと思っていたのだが、ここ2週間ほどまるで早春のように寒いのだ。ちょうど引越し前後からこの寒気が訪れたので、てっきり田舎の新居だけが寒いと勘違いしたが、ミラノ県全域でそのようである。ちなみにこのワンピースは袖なし。サンダルと合わせようと思っていたのだが、こんなに寒くては何を着たらいいやら。。。。そんなこんなで最近は落ち着かない日々だ。とにかく晴れの日のために、昨日は昼休みに会社の近所の美容院に髪を切りに行った。ここには2ヶ月前にはじめて行ったのだが、そのときは店長みたいなひとがあっという間に結構思ったとおりに切ってくれたので気に入った。と、いうのは。イタリアで東洋人の黒い、固い、まっすぐな髪を上手に切れるところは本当に少ない。イタリア在住のひとで「え~?そんなことないよ。わたしの行きつけの美容院は上手だよ。」とこの日記を読んで思ったあなた!!。。。。。。あなたは運がいいだけである。(断言)そりゃあ、長いイタリア生活で何度かまともに切ってくれるひともいた。でもなぜか?そこが気に入って1ヵ月後に再び訪れると、そのひとはもういない、ということが多すぎ。そしてまた1からまともに切ってくれそうなところを求めてさまよう。。。。。の繰り返しである。今回、性懲りもなくまたそこに出掛けたわけは、まずは会社から近い、というのもあったが、「さすがに店長がそう簡単に転職しないだろう。」という考えがあったからである。そして電話予約の後、美容院の前まで行くと「いらっしゃいませ~。」と目が醒めるような美男子がにこやかに笑いながらドアを開けてくれたのであった。をををを!!??誰?ニューフェース??店内を見渡したが、前回、髪を切ってくれた店長はいなかった。転職?いや、昼ごはんを食べに行っただけか?ちょっとがっかりしながら、しかしいい男を鑑賞できてウハウハしながら、うながされてシャンプー台へ向ったのである。先ほどの色男が「シャワーが熱かったらおっしゃってくださいね~。」と背後に立つ。そしていきなり熱湯をかけてきた!!わたし「うわっ、ああちちちちちっ!!!」色男「ああ、すみまっせ~ん。(←おかまちゃんっぽく)」と今度は冷水をかける。わたし「うひゃあ!!つめた!!」ううう、不運。こいつ、見習いやな。。。。しかもゲイ。(どうでもいいけど)わたしはこの日の不運にだいぶがっかりしつつ、シャンプーが済んで髪をタオルでくるまれてカット台に座ったのである。色男「あの~、コーヒーでもいかが?」わたし「ありがとうございます。」しかしそこからいつまで待っても色男はやってこない。カガミ越しに背後を見ると、彼はコーヒーマシンの使い方がよくわかってないようでモタモタしている。わたしは振り返り、「わたし、急いでるんでコーヒー、もういいですよ。」色男「大丈夫。今煎れますから。」と悪戦苦闘して出てきたコーヒーは悪いがシブシブで飲めたものではなかった。わたし「あのね、本当に時間がないんです。会社の昼休み、1時間しかないんで。すぐに切って欲しいんですけど。。。。」色男「??わかりません。」わたしは他の客のドライヤーの音がうるさいのだと思い、もう一度大声で「時間がないんです!!」と叫ぶ。色男「ああ、すみません。わかりました!!」なんとこの色男、張り切ってはさみを持ってきて「どうなさいます?」と聞くではないか?!げ?ちょ、ちょっと!!これって見習いじゃなかったの??わたし、この見習いに髪を切られるわけ??!!店長も見当たらないし、他の美容師たちも忙しそうである。相当なるこの日の不運にショックを受けながら、しぶしぶわたし「えと、すそは3cmぐらい切って、レイヤーはあんまり入れないで。軽くね。」と頼む。色男「わかりません!」ど~ゆ~こと??わたしの言い方が悪かった??あ、そうだ!!わたしは店のカットスタイルブックをパラパラと開いて、前回店長に「今日はこれで行くからね。」と見せてもらった写真を指差す。色男はそれをチラッと見て「どう切ります?」わかってないやん!!わたし「だから、こういう切り方なんだって!!」とその写真めがけて鉄拳を喰らわせた。色男「OHHHH,SIIIIIIII!!」(OHHHH,YESSSSSS!!と同意語)ここでわたしは違和感を感じた。この訛り方。。。。どこかで同じものを聞いたことがある!!わたし「あんた。。。。イタリア人じゃないね? もしかしてブラジル人??」色男「OHHHH,SIIIIIIII!! わかる、やっぱり??」わかるもなにも。。。おっとの友人、ブラジル人のエルトンとまったく同じ訛り方であった!!(爆)そこから色男は突然クラスメートのような話し振りになり、「日本、行ってみたいわ、シズオカ(←なんでトウキョウでもなくナラでもなく、シズオカ?)に行きたいの~。」と言いながら、思いっきり切り込んで来たのである。ああああ!!!レイヤーを入れるな、っていったのに突然思いっきりだよ?!それからも前髪はそんなに切らないで~っ!!と叫んでいるのに色男は笑いながら「だいじょ~ぶ!!」ジョキンッ!!きゃ~!!!大丈夫じゃないっつ~の!!。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。そして作業は終わった。。。。。色男「素敵よ、ステキ!! あなたのまっすぐの黒髪には抜群のヘアーだわ!」とわたしの髪にほお擦りしそうな勢いでナデナデした。カガミに写ったわたしは。。。。。たしかに悪くない。でも、でも。。。。。。。悪く言えばデカセギ中国人のような、まったく思い通りでない髪型にされてしまった。そのあと「また来てね~。」と入店したときとまったく同じ笑顔で色男に送り出された。。。。。。。。。いや、もう、もう、しばらくは来るまい。せめてやつがイタリア語がわかるようになるまで。(そんなときまでいないってか?)しかし、せっかくいい男なのにゲイだなんて、惜しいな。(ラテン系、そういう公式が成り立ってるみたいだけど。)
2005.06.15
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昨日はウンブリアから8ヶ月ぶりに旧友のアンドレアが毎年恒例の小難しいPCの見本市を見にミラノに来た。彼の仕事の内容に関しては、わたしにはちんぷんかんぷんなので聞かないことにしている。去年はうちに泊まってもらったが、週末の引越しを控え、小さな我が家は段ボールにうずもれて、我々でさえまっすぐ歩くことが出来ない。で、今回はホテルに泊まってもらった。まだまだ家の中はすることがいっぱいあって、寝る間も惜しいのだがせっかくなので夕食を一緒に外で食べることにした。去年はうちの近所のおいしいイタリアンレストランで外食したけど、経営者が最近変わって、いまいちになった、と近所の人は言う。しかしそこ以外は中華とか、日本食しか知らないんだよな。。。日本はどんな小さい町に行っても、和食屋、洋食屋、中華料理店などが見つかるのが当たり前だ。しかし、ここイタリアは違う。さすがにミラノは大都会なのでイタ飯屋のほかにも中華や日本料理屋もあるが、彼が住むウンブリア州の小さな田舎町には1軒中華料理屋があるだけで、あとは全部、イタ飯屋ばかりなのである!!なので、アンドレアは無難主義なのか?イタ飯以外はマクドのハンバーガーぐらいしか食べない。(マクドの味もミラノ在住中に覚えた。)信じられないが、結構こういうイタ人が、当たり前に存在するのである!!アンドレアとはイタ公元彼を通じて知り合った。出会いは一緒に行ったアメリカ西海岸旅行。はじめてのアメリカはいろいろ楽しかったが、特にわたしがうれしかったのは最初に着いたサンフランシスコだった。なぜならイタリアで渇望していたラーメン屋や、ミラノの「なんちゃって中華」ではなく、本格的な中華料理屋が軒を並べていたからである!!この旅行には飛行機の関係でわたしが数日前に先に着いたので、1人でこれらを心行くまで味わった。そして、彼らに絶対この本核的な味を教えてやらなければ!という使命感に駆られたわたしなのであった。彼らが到着した夜、わたしは「おいしいレストランがあるの!そこに行こう!!」と張り切って引っ張っていった。小さな日本定食屋だった。しかし。前に着くなり元彼「。。。うげ、なにこの臭い?」アンドレア「う、魚が腐ったみたいな??」と顔をしかめる。そうなのである。やつらの地元のウンブリアには海がない。なので、やつらは魚はほとんど食べず、肉ばかり食べている。暖簾の間からこぼれるおいしいカツオダシの匂いも彼らにとっては「臭い魚のにおい」としか、とれなかったのである!そこでどうしたかというと:さんざん歩いてイタ飯屋に入りましたよ、ええ。なんで、アメリカでまでイタ飯なんだよ!?(怒)そこでも「コレは本当のイタ飯じゃない!!」と文句を言いながらスパゲッティをすする彼らを見て、呆れていたわたしなのであった。結局こいつらは2週間ほどの滞在期間中、イタ飯屋か、ファーストフードにしか入らなかったつわものなのである。話はそれたがそういったわけで、彼はイタ飯屋に連れて行かなければいけないことになった。だが、ほとんど外食をしないわたしたちはどこも知らないし、彼は「ウンブリアが世界で一番食べ物がおいしい。」と思い込んでいるので、ヘタなところには連れて行けない。しかも彼はお坊ちゃんでありながらケチなので、高いところはダメだ。(極貧のわたしたちもダメだ!)困り果てて我が家から程遠くないところに住む秘書のアンナマリアおばさんに聞いてみた。さすがは物知りの彼女である。あっという間に3軒ほどのお薦めレストランの名を挙げてくれたのだった。アンドレアに住所を知らせるためにイエローページで検索したら、このうちの1軒しか見つからなかったので、そこに決め、現地集合した。約束の時間に我々が到着すると携帯が鳴る。アンドレアからだった。アンドレア「もう、すぐそこまで来てるんだけど、タイヤがパンクしちゃったんだよ!!替えてから行くから遅れるね!!」。。。。どうも彼とわたしたちのあいだには、何か因縁があるらしい。前回、わたしたちが夜中からウンブリアに向けて出発したときにはもんで男くんの前のルパンくんのマフラーが突然落ちてしまい、ガラガラガラと、騒音をたてて立ち往生してしまった。ちょうどミラノとウンブリアの中間地点だった上、修理屋は早朝でどこも閉まっていて、困り果てたのだ。そして、レストランで、メニューを暗唱できるほどながめていたら、1時間ほど遅れて彼と彼の友達が到着したのだった。アンナマリアおばさんには悪いが、あまりいいレストランではなかった。レストラン自体はテラスがあって、花が咲き乱れていて、悪くないのだが高速のすぐ下のでかい道路沿いなので、騒音と排気ガスがすごいし、ウエーターたちの動きが遅い!!料理の味はまあまあだったが、期待したほどではなかったのでがっかりした。その上、案の定、アンドレアはそれにかなりご不満だったようで。。。。。。汗まあ、次回は新居で無理にでも日本食かエクアドル料理を食べていただこう。田舎度なら、ウンブリアに負けへんで!!(←意味不明)
2005.05.26
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みなさん、おひさしぶりです。先週木曜日に階段のことで炸裂、その日の夕方から扁桃腺を腫らして、大風邪になり寝込んでしまった。わたしのなかでとりあえず、大きな作業は終わったという安堵感からかもしれない。この週末ベッドの中で考えた。これって、ふつーに日本のように運んでいればしてない苦労だよな?改めて悔しさを噛み締めたのであった。実は昨日の日曜もショッキングなことが立て続けに起こったのだが、(ちなみに新居のことではないので今のところご心配なく。)そのうちのひとつは書いてるうちにしんどくなってやめた。書く側がしんどい文章は読むのもきっとしんどいと思うのだ。書けないぐらいしんどいのは、またもやちゃらんぽらん自己中イタ公にやられてしまった、という自分自身への自虐の念である。というか、やつにはだました意識もないんだろうな、きっと。家のことで、いろんなことで、さんざん鍛えられてきたはずなのに、こんなことで崩れるのはやっぱり体力が弱っているからかな?ううう。。。弱り目に祟り目。日本的な常識を軸に物を考える癖はかなり薄れてきたと言うのに、まったく何もかもふつーでないのがイタリア、と感じるわたしは、まだまだ修行が足りないんだろうか?ちゃんと回復してからちゃんと日記を書こうと思うので、今日は短い日記ですがこれで終わり。最近、ちゃんとコメントに返事が出来てなくてごめんなさい。日記を書けなくてもみなさんのところは、のぞきに行きます。
2005.05.16
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おとといの夜、変な訛りのガイジンから電話がかかってきて「大家から紹介サレタ。今から家を見に行きますからヨロシク。」と言われた。そうなのだ、たぶん家の値段が高すぎることと、家を見せられるわたしたちが夜にしか居ないこともあり、未だに家が売れないので、以前売りに出した時よりもずいぶん減ったが、時々不動産屋が家を見に来る。しかし、この訛り、どこだろう?韓国かな??大家の紹介だからその確率は高いな。(大家は観光バス会社のボス。奥さんは日本人のバスガイド)と待っていたらブロンドの髪のカップルが来たのでびっくりした。彼らは家に入るなり「ああ、これこそが家よ!広いわ!!見て、ベランダもステキ!!」と大喜びである。。。。はじめてだ。いつもは「何だよ、2ルームと唄いながら1ルームを仕切っただけじゃないか!」とか「狭いし家具も安っぽいわ!!」とかの愚痴しか聞かなかったのだが。。。彼らが「わたしたち、この家に決めます!」というので、大家に電話する。彼らは次の日話し合うようである。わたしは、ヤレヤレ。しょっちゅう、家に知らない人が来るわずらわしさから解放されてうれしい。彼らの幸せそうな雰囲気に、「まあお茶でも。。。」と椅子に座ることを薦め、ちょっとおしゃべりをした。彼らは4件目で即決した我々とは違ってミラノで50件近くもの家を見てきたそうである。全部、ガレージを改造したようなところとか、めちゃくちゃぼろぼろの日も差し込まないようなところをすごい値段で紹介されてほとほと困っていたようなのだ。それで、視点を少し郊外に向けて我が町で探したところこの家に当たったらしい。彼ら曰く「やっと普通に人間が住める住居が見つかった!」と言う。。汗ちっともこの家が売れないので大家がこの間から140000ユーロ(1ユーロ≒136円)だったのを125000ユーロに値下げしたのも幸いしたようだ。しかし、わたしに言わせればまだまだ高い!! だって、今の我が家はたった40mqもないんだよ?そりゃあ、ミラノに隣接して便利だけどさ。それに比べて新居は修理代を含めると150000ユーロ近くかかったけど純粋の値段は130000ユーロで外廊面積も含めたら2階建てで130mqだ。ミラノの住宅事情は狂っているとしかいいようがない。****それで思い出した。うちの会社のラケーレは、さばさばしたお姉ちゃんだが、彼女の人生はすごい。彼女のお母さんは社会人の娘がいるとは思えないほど、若くてきれいな栗色の髪を持つ美しい画家である。ラケーレとの電話のやりとりをいつも聞いてるわたしとしては、繊細でか弱くて、いつもメソメソしていて娘に励まされているイメージを受ける。彼女は過去4回伴侶を変えた。一番初めはラケ-レが誕生したちょっと後である。ブロンドの髪のご主人と栗色の髪の彼女から生まれた女の子がラケーレ。最初はわからなかった赤ちゃん特有のふわふわの髪も成長してくるにしたがって、真っ黒な髪になり、「いったい誰の子やねん!?」 という疑惑から離婚に発展したそうだ。貧しさの中でゴーギャンが死んだように、画家がそれだけで食べていくのは難しい。幸い祖母さんがそこそこお金持ちだったのでそれに頼りつつ、小さな子供を連れながらも彼女の美しさも幸いしたのか、それから3回も男に出会い今に至った。お母さんは相変わらず売れない画家だし、うちの会社の給料なんて微々たるものである。なので、ほとんどお父さんが家族を支える役割をしていた。(当たり前か?)ラケーレは4番目のお父さんも本当のお父さんのように思っていたらしい。彼女が社会人になったときから給料の半分近くを家賃として収めるように父に言われ、「ああ、きっとわたしの将来のために貯えてくれるのだな。」とまじめに収めていた。だが、ここで問題が生じた。お母さんに新たな男発覚?!お母さん曰く、「ただの友達」だそうだが、だんなにとってはそうには思えないらしい。まあ恋愛問題で一度失った信用は後からどう弁解しても修復が難しいことはわかるよ。彼ら2人の問題ならいいが、お母さんは毎日メソメソと会社にまで電話してくるのでラケーレが相当参っていたらしい。とうとう離婚騒動にまで発展、「オレの家から出て行け~~っ!!」と一度はスーツケースごと母は叩き出されてしまった。(そのあとお祖母さんの家に避難することになる。)ここまで後戻りが出来ない状況になったというのに、まだまだ未練がましくメソメソするお母さんについにラケーレは業に煮やして独り暮らしをする決心をしたのである。で、お父さんに「今まで払い続けてきたお金を返してちょうだい!」と迫ったのだがぴしゃりと断られ(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)、今までの毎晩のような夜遊びも祟ってか、彼女は文無しの状態で家探しをスタートすることになった。わたしは自慢じゃないが、おっとと出会うまでは引越し魔であった。わたしも貧乏なので、1人では家が借りられず、いつも誰かとシェアのアパートにばかり住んでいた。だが、シェアメイトなんて他人である。彼らと揉めては家を替え、シェア用のボロアパートが気に入らなければ家を替え。。。最後のマーベルとの暮らしは気に入って長く住んだのだが(彼女がほとんど家にいなかったこともあり)、それ以外はすべて気に入らなかった。ちなみにマーベルと住んでいたシングルルームの家賃は1ヶ月650000リラ(約330ユーロ)だった。ユーロになってからのミラノのシングルルームの家賃は跳ね上がり、500ユーロぐらいが普通みたいだ。ワンルームは穴蔵のようなところで600ユーロぐらいからだ。ちなみにラケーレの理想は家賃350ユーロのミラノの中心のワンルーム。「他人と家をシェアなんてとんでもない!!」と言う。。。。。あるわけないじゃん。と誰もがそう思った。350ユーロはミラノじゃ学生アパートの大部屋のベッドの値段だ。実際、この騒動が去年の11月頃にあってから未だ、彼女はミラノにて家を探している。しかし、最近はようやくミラノの相場がわかってきたようである。この間は「トレッツオ ス アッダ(ミラノとベルガモの中間)だったら、350ユーロで友達が一部屋貸すって言ってきたんだよね。。。でも、遠すぎ。ダメダメ。」この地は我が新居より少し遠いが、ミラノの地下鉄までバスで15分。彼女はクルマがあるからクルマで地下鉄駅まで行けばいい。わたし「いいじゃん、そこ知ってるけど便利だよ?ミラノと違って緑が多くて静かだし。」ラケーレ「今の家から会社までがクルマで15分なんだよ!?それにあの辺、夜に遊ぶところ何にもないじゃん!? ぜえ~~たいイヤ!」マリーナ「でも、予算がないならしょうがないじゃない?」そうなんだよね、予算をあげて、ミラノに住むか、予算がないなら郊外しかないんだよね。どちらかというと家に引きこもるのが好きなわたしは1日居るだけで鼻の穴が真っ黒になる汚い騒々しいミラノに住むより、多少不便でも空気がきれいで静かな郊外を選ぶけどね。まあ、ひとそれぞれ。。。。 (新居を田舎だと嘆きながら最近ちょっと気に入ってきているわたしなのであった。)
2005.05.11
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か、かわいすぎる。。。何度見ても可愛い。ちゃかちゃ~ん(最後の「ん」は下げて発音)イタリア在住の皆様に彼の本名をお教えしよう。氏名:CARLETTO DE CAMELEONTIS生年月日:1998年8月14日国籍: イタリアずう~~~っとずうううううっとわたしは彼に恋をしていた。どうしてもわたしの男にしたかった。それがやっと叶ったのである!!4月8日からあらゆる大手スーパーで彼の出演CMの大判のSOFFICINI(半月型のいろいろな味の冷凍コロッケシリーズ)を買ってはがきで応募すると等身大CARLETTO(40cm)がもらえるキャンペーンを展開していた。わたしは専用はがきは10枚ほどGETしたのだが、肝心の対象の商品がどこにいっても品切れである。明日後記するエルトンの奥さんとカリフールの冷凍食品コーナーの前を通りかかったときもそうだった。わたしはがっかりして売り場を離れると、スーパーの店員が2人、CARLETTOを抱えて遠くの裏口に入っていこうとするのが見えた。わたしは思わず走る。それより先にいったいどこから姿を現したのか、おっとが店員に近寄って呼び止めるのがみえた。胸をドキドキさせながら追いついた。おっと「これ、どうやったら手に入れられるんですかねえ?」店員「これは見本で配られたものなんだよ。もううちではキャンペーンが終わったから返さないといけないんだ。」わたし「はがきで応募しようと思って10件ほど(ちょっと大げさ)のスーパーを廻ったんです。でもどこもSOFFICINIが売り切れなんです。。。」と涙ながらに訴える。するとひとりの店員がちょっと思案して「ついて来て。」と言うのでついて行くと、野菜売り場のカウンターからひとまわり小さいCARLETTOを取り出した。「君にあげるよ。」わたし「きゃ~!!!!!本当ですか!!??」震える手でCARLETTOを受け取り、何度も何度もお礼を言った。しまいに「もういいってば!やめてよ。」と店員に言われてわたしはやっとその場を後にしたのであった。おっと「ね?今日はエルトンの招待を受けといて正解だったでしょ??」ちなみにSOFFICINIとはこれ。食べたことないけどおいしそうです。http://www.invoglia.it/invoglia/servlet/ricercapuntivendita.PuntiVenditaServlet?codice=PV02&tpro=PROMO_2この日は彼を抱きしめて眠りについた。あ~、しあわせ。
2005.04.20
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おとといの夜あたりから胃がムカムカして寒い。で、胃のあたりを触るとまるでたった今冷蔵庫から取り出したばかりの鶏ムネ肉のパックみたいにヒンヤリとしている。胃風邪か。。。。?でもこれでお医者に行くのはこわいんだよな。前も胃風邪を引いたとき、お医者で薬の処方箋を書いてもらって服用法を聞いた。お医者は「毎朝晩2回、食後に飲んでください。」と口に薬を放り込むマネをした。そのあと薬局に行って処方箋を提出。くれた薬を家に帰って包みを開ける。形も大きさも弾丸そっくりの乳白色の薬が銀色の台に並んでいる。。。。。。。。。。。。。。。。。。汗。。。。。。。。。。。。。「座薬」じゃん。??????????????????????どうみても。でも、お医者は「飲んでください。」って言ったよな?使用説明書を読んでも、確かに「朝晩食後に摂取してください。」と書いてあるだけで、口からとも、シリからとも書いていない。素直なわたしは、どうしたって一口では飲み込めそうにない大きな弾丸型のロウの塊のような薬をティッシュに包み、肉たたきでたたいて砕いた。油分たっぷりなこの薬はティッシュにべったり貼り付いてしまって一気にサラサラと口には流し込めない。で、仕方なしに1片ずつつまんで口に入れる。うげ、まさにロウを食べてるみたい。。。。(食べたことないけど)我慢しながら半分ほど食べたところでギブアップした。そうやって、3日ほど、まじめに半分づつくらいを食べていたのだが一向に効き目が現れることもなく、日数はかかったが、そのうち胃風邪は自然治癒してしまったのである。しかしその後、妊娠でもないのに何ヶ月も「ない」ものだから産婦人科に行った。産婦人科医「。。。ここ数ヶ月でなにか、強烈な胃薬かなにかを摂取しませんでした?「ない」のはそのせいかと思われます。」まさにあれや、あれ。絶対、あれは座薬だったんだ! お医者が間違えたのか、薬局が間違えたのか。。。。それともあれでよかったのか?今となってはどうでもいいが、そういったわけで簡単にあのお医者(イタリアはホームドクター制)に行くのがこわくなったわたしなのであった。************こわい、といえば。何週間か前、おっとが「今夜は遅くなるよ。仕事の後にモロッコ人の同僚が、祖国のお祭りだからって、みんなに夕ご飯をふるまってくれるんだ。」と出かけていった。モロッコのお祭り。。。。へえ。と思いながら楽天のお友達の日記を回遊していて、固まった。モロッコ人のだんなさんを持つフィレンツエのDeliziaさんの日記。殺戮の日々(ちなみにこれはイタリア内のモロッコ人家庭でも行われるらしい)。う。。。これか。その夜。ほろ酔いで帰ってきたおっと「彼がね、みんなにクスクス(セモリナ粉を練ってポロポロにして蒸し上げたモロッコ料理の主食)を作って来て振舞ってくれたんだ!あんまりおいしかったんで君にもちょっとおすそ分け。」おっとが持ち帰った野菜たっぷりなクスクスのお皿の上にはデンッと大きな肉の塊が乗っていた。(ちなみに右は夜行性動物のクスクス)クスクスは以前アフリカ料理屋で食べたものと比べ物にならないぐらいおいしかった。肉もよく煮込まれていて、わたしの嫌いな羊肉特有の味がしない。やっぱり「殺したて」は違うな。。。柔らかな羊肉を食べながら彼の殺戮されるシーンを想像し、思わずお皿に向って拝んでしまったわたしだった。*********************話は戻るが、そういったわけで体調が悪かったせいか変な夢を見た。伊のベルルスコーニ首相がミラノのドゥモ前にいて、ローマ法王のような防弾ガラス張りの箱の中で両手を広げ、「君たちは今からわたしの奴隷だ!女は岡場所、男は肉体労働だ!!」とマジンカイザーの「Dr.ヘル」のようにウハハハハと笑いながら演説しているのだ。で、場所が変わって、わたしは女なのに岡場所ではなく、エジプトのようなところにいる。汗を流しながら砂漠でベルルスコーニの巨大な像を連れてこられた男たちとつくっているのである。そこにベルルスコーニ首相がガードマンをしたがえて視察に来たので「なんでわたしたちが、あんたのためにこんな重労働を強制されなきゃいけないんだ!?」と他の大勢と詰め寄った。するとベルルスコーニ首相「わたしは世界中の民を金で買ったのだ(誰から?)!!よって君達はわたしの所有物。さからってはいけない。」と。「くそー。。。」とにらみ合いをしているところで目が覚めた。伊のメディア王(何局ものTV局を持つ)ベルルスコーニ首相が首相であることをいいことに、新聞社や雑誌社を所有する親族と組んで自分の悪事をTVニュースや新聞に流さないように細工したりしているのは気に入らなかったが。。。。しかも世界の長者番付の上位にいるのも気に入らなかったし、我々庶民が決して安くない受信料を払わされているのに国営放送がCMだらけなのも気に喰わなかったが。。。。なんで奴に金で買われる夢なんだ??謎
2005.02.17
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昨日、雪の日に事故ったワゴン車の修理の請求書が届いた。合計1700ユーロ(1ユーロ≒135円位)。ううううう。。。。(号泣)この1700ユーロと今月の家賃の浮いた分200ユーロがあれば、泣く泣くあきらめた1900ユーロのフローリングの床が新居に貼れたのに。。。。(おっと的発想)というより、これを払ったら、もう銀行にお金がない。ちゃんと計算したら今月61ユーロしか残ってないではないか(情けな)。あと半月どうするよ。。。?まさに「パンと水」の生活だな。おっとはガソリン代払えないから徒歩で仕事(ちなみにおっとは運送業)?泣PS2がなんだ!!この時期、出費につぐ出費の嵐である。*********そんなわけで今朝はお金の工面にミラノの中心を走り回った。まずはドゥモの近くで用事を済ませ、センピオーネ通り近くの銀行に行くことに。ちょうど、1番のトラムの停留所に行くと「あと2分で到着」と電光表示がしてある。やれやれ、幸運。と待っていてもトラムは来ない。7,8分も待った頃にしびれを切らせてもう一度電光掲示板をみると「あと23分で到着」に変わってるではないか!?なんだよ、これは!?大枚払って電光掲示板にした意味がないだろっ!とムカムカしているとようやくトラムが到着したのだった。(約15分待ち)こんなに待たされたので、さぞや満員だろうと思いきや、トラムの中はそんなに混んでいない。みれば、洗練された街のねず。。。いや、ミラネーゼばかりである。スフォルチェスコ城の前をガタンゴトンと通るときはまるで観光電車気分。いい気分で揺られていると、やがてトラムは国際マルペンサ空港往きの特急の始発駅ノルド駅前に着いた。ミラネーゼ達が降りてしまうかしまわないうちに荒くれガイジンや、荒くれイタリア人が大勢乗り込んできたのである。あれよあれよとわたしは黒い人ごみの中に飲まれてしまった。まさに朝の大阪御堂筋線状態である。身動きが取れない。ミラノのバスやトラムはアナウンスが入らないのでどこで降りるかは自分の目で確認しなければならないのだが、人の壁で外の景色なんて見れないのだ。救いを求めるように、隣で同じようにギュウ詰めにされている、頭にスカーフをしたイスラム系のお姉さんに「す、すみません。今どの辺かわかります?」と聞く。お姉さん「ワタシ ワカラナイ。」わたし「ああ、すみません。じゃあセンピオーネ通りはもう過ぎました?」お姉さん「ワタシ イタリアゴ ワカラナイ。」めちゃめちゃイタリアに馴染んだ風貌なのに、イタリア語ぐらいしゃべれよ!。。。といつものおだやかなわたしが思ってしまうぐらい、トラムの中は乗客のイライラした殺気に満ちていたのである。私の前の座席の隅にお婆さんが座っていた。その横に中国人のおっちゃんが立っていて彼のジャケットのすそがトラムが揺れるたびにお婆さんの顔に当たっている。そのたびにお婆さん、無言で払いのけていた。そのうちこの中国人がお婆さんの方に振り向いたかと思うとすごい剣幕で怒り始めたのだ。(痴漢と間違えたか?)お婆さんはびっくりして「何言ってるの?」と返すが、逆上したこいつは中国語でお婆さんを指差しながらすごい形相でわめいてるし、同じアジア人として無性に腹が立った。。。。。。中国語が出来たら、わたしはきっと奴に喧嘩を売っていたに違いない。トラムの中は、おとなしいわたしをそう駆り立ててしまうぐらい、ファイティングムードに満ちていたのであった。やがて少し空いてきて、外の景色が見れるようになった。。。。。。。。。ここはいったいどこ?。。。。。。。。慌てて人ごみを掻き分けてトラムから降りる。広いロータリーだ。停留所を見る。「フィレンツエ広場」。ぎゃ~!!乗り越ししすぎっ!ここから反対側のトラムに乗って(これはそんなに混んでなかった)、センピオーネ通り近くの銀行にたどり着いた時にはやっと海外旅行を終えて帰ってきたような安堵感に包まれたのである。ああ~、これだからミラノの中心は怖いんだよ。生き馬の眼を抜かれるっていうしさ。ぶつぶつ。銀行の用を足して急ぎ、会社に飛び込む。こんなハプニングのおかげで大遅刻である。PCをつけて、ほ~っとイスに座ると同時におっとから電話が。おっと「今、銀行から電話があってこの間振り込んだ年金の書類のデータが違うって言うんだよ。で、書き直しに来てくれ、って言われたんだけど、銀行行くついでに書き直しといてよ。」さっき、銀行から帰ってきたばっかりだっつーの!!!!(わたしが行ったときに気づけよ、銀行員。)。。。。。。。だからミラノなんて嫌いなんだ。
2005.02.16
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はじめまして。今日はいくきーと家の一員、フォード もんで男(アメリカ車10歳)が日記を書くことにしました。いくきーとがイタリアの免許を取ってから、ぼくは受難の日々です。とにかく彼女は荒いのです。先週は彼女、鍵の束をドアに挟んでぼくは切り傷を負いました。マルちゃんが慌てて黒チンを塗ってくれなかったら、そこから破傷風になっていたでしょう。年末のぼくの鼻を骨折、頭蓋骨陥没までの出来事はみなさんの記憶に新しいと思います。あれからマルちゃんが毎週末、ぼくを病院に連れて行ってくれたのですが、いつも待たされるだけ待たされて返されてしまい、いよいよ破傷風になりかけのころに、やっと入院、1週間できれいに完治して退院してきました。マルちゃんはいつもぼくに優しいから好きです。ちょっと汚れるとすぐ拭いてくれるし、いつも点検をおこたりません。先週の金曜もそうでした。1週間のマルちゃんの送り迎えで疲れ切ったぼくをお風呂センターに連れて行ってきれいに全身洗ってくれました。はあ、さっぱり!家に帰り、マンションの中のぼくの定位置に着くとマルちゃんは「もんで男、おやすみ~。」と言って家の中に入っていきました。そこからぼくはお隣りのヒュンダイ ゲッツさん(韓国車 2歳)と少しおしゃべりをしたあと、空に瞬く星をながめながら眠りにつきました。夜中。明るいライトに照らされて目が醒めました。時計を見ると3時半。ああ、斜め向かいのクライスラーさんか。こんな遅くまで、ディスコにでも行ってたのかな?ちょっとだけ、横目で見てぼくはまたすぐ眠りに着いたのです。そして未明。数人に身体を触られて、びっくりして目が醒めました。見ればジプシーです。なんと、さらに何人ものジプシーが高い門を乗り越えて次々にマンションに侵入してくるではありませんか!そして、なんとそのうちのひとりの男がハンマーを取り出し、ぼくの助手席側のガラスを「ガッチャーン」と破ったのです!!「ヒュンダイさん、助けて!!」なんと、ヒュンダイさんも破られてます。斜め向かいのクライスラーさんも、そのほか何台ものご近所さんがはがいじめにされ、ガラスを破られて中に侵入されてるじゃありませんか!!ぼくには、防犯装置があって、ドアを開けると「ウインウイン助けて~!」と叫べるのですが、こいつらそれを知っていて、決してドアに手をかけようとしません。ずるり、とひとりの女が窓から入ってきました。まるで生爪をはがすようにぼくのカーステのついている表面をナイフみたいなものと指とでうんうんはがそうとします。あまりの痛さに噛み付いてやりました。女は「ぎゃ!」と小さく叫んでちょっと手を離しました。指から血が出ています。ざまあみろ。でもぼくの表面にもちょっと血がついてしまいました。ああ~、いやっ。女はそこから腹いせにぼくの表面をむりやりはがしたので、ぼくに大きく裂き傷がついてしまいました。そして手馴れた様子でネジをはずし、カーステをぶちぶちともぎ取って、マルちゃんがイスの下に隠していたカーステの顔もあっというまに見つけ出して持って行ってしまいました。この地獄絵はしばらく他のクルマでも行われた後、やつらはまた門をよじ登って出て行ったのです。ぼくらはぼうぜんと朝を待ちました。そして出勤してきた門番さんに発見されたのです。門番さんはすぐ警察に電話して、マルちゃんにも知らせました。被害者の中で真っ先に飛んで来てくれたのはマルちゃん。うれしかった。でも、そこからすぐ病院に連れて行ってくれるかと思ったら、意地悪ないくきーとが「今日は大切な建築士との約束があるんだから、ちょっとぐらい我慢しなさい!」と窓にガムテープでクリーニングの袋をべたっと貼り付けてまずは新居に行かされたのです。あまりの彼女の思いやりのなさに腹が立ったので、高速に乗ったときにビニールをはがしてやりました。2人は寒さで震えてます。でも、ビニールが完全にはがれなくて、風で「びるるるるるるるるるるるるるるる」とすごい騒音、いや超音波を発して耳がおかしくなりました。新居に着いて、建築士との話も終わるとやっと近所のクルマのガラスの救急病院に連れて行ってもらえました。行くとそこは長蛇の列。他のどの患車もみんな同じように窓が破られて傷を負っています。聞けば、みんなぼくらと同じでここ2,3日中にジプシーにやられたクルマばかり。うちの近所はミラノに比べたら、だんぜんジプシーは少ないと思って安心していたのになあ。この日はとりあえず、強化プラスティックを窓に張ってもらって本物が出来上がるのを待つことになりました。でも窓には保険が効くけど、カーステと、その表面の壊されたカバーには効かないんだって。ガラスの救急病院の看護婦さんいわく、以前のいくきーとの会社の盗難事件同様、あの市場に行けば見つかる確率が高いらしい。マルちゃん「しかたがない、あの市場に買いに行こう。」自分が盗られたものをお金を払って買い戻すって。。。。汗。まあ、警察沙汰にするより簡単だけどね。。。。。**************もー、びっくりです!今朝は遅刻して会社に着き、あたふたとメールを開けたらおびただしいリンクのお知らせだし(新しくリンクしてくださったみなさま、数日中に遊びに行きますね!)、楽天の少数のお友達ぐらいしか見てくれないだろうな~、と思い込んで作った例の旅行日記もいっきにアクセス数が1000超えてるし。いったい何事?!と我がサイトを開けると、「めでたい、めでたい」のコメント続出。いや~ん、楽天 広場オブ ザ イヤー2004「審査員特別賞」なんていただいてしまって、いいんでしょうか!?恐縮すぎて今、これを打っている指も震えております。これも推薦してくださった匿名希望さん、いつも読んでくださっている皆さんのおかげです。この受賞の重みに押しつぶされないようにこれからも頑張って精進していきたいと思いますので、時々「へ?」な日記を書いても怒らず、暖かい目で見守って行ってください!!ここから追記:ところで受賞のお知らせ、楽天さんからメールで来ていたみたいなんですが、どうも迷惑メールに振り分けられてたみたいで「受賞?まーた変なメールが来たよ。」と開けもせずに捨ててしまったようです。で、受賞のバッチみたいなアイコンのHTMLも記入してあったみたいなんですが、回収できず。。。とほほ。すみません、楽天さん、これを読んでくださっていたらもう一度送りなおしてもらえますか?情けなや。ご迷惑おかけします。
2005.01.31
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わたしはおとといから大風邪を引いてしまった。高熱、くしゃみ、鼻水、鼻詰まり、咳に喉痛。こんな日記を書いている体力もあやしいのだが。。。。書かずにはおれなかった。ここまで風邪をこじらせてしまったのにはわけがある。今朝はあの病院で待ちに待った大先生による年に何度、あるかない診察日だったのである。いつもは風邪の引きはじめに薬を飲むのでたいしたことにはならないのだが、「もしかしたら血液検査なんかされて薬の反応が出るかもしれないし。。。」と何もしなかったのである。それに、この診察をパスすると、次はいったい何ヶ月後に予約を入れなおしてもらえるかわからない。ばばシャツ、セーター2枚重ね、厚手のマフラー、コートをコロコロに着込んでフラフラする頭のまま、出かけたのだった。わたしが通っているのは産婦人科。ちなみに妊娠ではない。初潮の頃からずーーーっとホルモンがアンバランスで日本でも、イタリアでも産婦人科にはおなじみさんなのである。いつも薬を続けた時には正常になるのだが、やめると元の木阿弥。首の老化現象が始まろうが、肌がしわくちゃになろうが、女にも、男?にもいつまでもなれないピーターパンなわたし。。。ホルモンってお脳にも影響を与えるのかしら?そんなわけで、用心深い私はいつものように予約の20分前には病院の窓口についていた。珍しく今日はわたしの他に背の高いお姉ちゃんしかいなくて、看護婦さんとおしゃべりをしながら待つ。このお姉ちゃんはサルデーニャ島出身でサラサラの赤い髪と大きな目が魅力的、そしてとてもフレンドリーである。胸は大きくないけど、お腹がぽっこり出ているところを見ると「ああ、妊婦さんなんだな。」と思いつつ「出産はいつなの?」と気軽に聞いてみた。すると、このお姉ちゃん、ドスの利いた声で高笑い。「なぁーに言ってるの、この娘ったら! わたし、お。と。こ。よん。」げ。では産婦人科に何をしに??「わかるでしょ?(ここから他の患者が来たのでひそひそ声で)手術の手続きに来たのよ。」というと、アレだろうか?切るの? いや、最近は切らないのがはやってるっていうし。女性ホルモンの投与?動揺を顔に出すまいと努力しているうちにわたしの診察の時間となった。この産婦人科には大先生が2人いて、今日はこの間と違う先生である。別の先生が書いたカルテを見ながら、今日しなければならないことを確かめていく先生。「ああー、今日は内診しなきゃいけないのね、トイレに行っておしっこしてきてください。」お腹を空にするためである。待合室にあるトイレにさっそく行くわたし。無用心に扉を開けると中で北アフリカ系の男が便器に向いてごそごそやっていたので超びっくりした!「ごめんなさいっ!!」バンッと扉を閉めてどきどきする胸をおさえる。ガマンしていた咳がゲホゲホとまらなくなった。なんで、こんなところに男がいるのっ?! なんで鍵、閉めないの?掃除のお兄さん??それともただの変態???すぐに申し訳なさそうに男が出てきた。男「君、トイレに行きたいの?」わたし「う、うん。」男「ぼく、時間がかかると思うんだ。」う◎こ?ちょっとやめてよ、わたしは急いでいるんだ!わたし「内診するから先生にトイレに行くように言われたのよ。先生待ってるんだけど。。。」男「ぼくも先生に言われて1時間近く、頑張って射精しようとしてるんだよ!(爆)でも、出ないんだ。もうちょっと待って。。。」1時間出なかったもんが、そう簡単に出るかーっ!人妻のわたしは、こんなセリフには動揺しない。わたし「わたしは1分以内でトイレから出てくる事を神明にかけて、あんたに誓うわ。だから先に行かせてちょうだい。」男に有無を言わせる暇も与えず、わたしはトイレに駆け込み用を足した。わたし「ありがと。じゃ、頑張ってね!(何を?)」と男の顔も見ずにトイレから出ようとすると、男「ちょっと待って!!」と悲鳴に近い声をあげた。な、何?なんか変なものでも落とした?と立ち止まる。男「君。。。今から時間、無いよね?」わたし「無いよ、先生が待ってるって言ったでしょ!」男「そ、そうか。。。ごめん。」わたしは慌てて診察室に戻り、内診を済ませて再び待合室へと出た。と、先ほどのお姉ちゃん、いやお兄ちゃん「さっきトイレから出てきた浅黒い彼、あなたのだんなさん?」とひじょーにHな目でわたしを見る。ああ、あの彼。出てきたってことは成功したのか。わたし「違うよ-。わたしは独りで来たんだよ。」お姉ちゃん、いやお兄ちゃん「あらーん、トイレで仲良く喋ってたからてっきりわたし。。。ふふふ。」ここではじめて気がついた。このお姉、いやお兄ちゃん、この男をわたしのおっとと思い込み、夫婦で精子の検査に来たと思った?そして更に、あの男、ちっとも出ないから、もしかしてわたしを呼び止めて手助けして欲しかった??そしてそして、このお姉、いやお兄ちゃん、わたしが手助けした、と思った???うぎゃーーーっ、いやいや!!じょーーーーっだんじゃありません!!(怒)!!(怒)!!(怒)!!(怒)!!(怒)例え熱でもうろうとしてようが、わたしはおっと以外にはもしもブラッドピットが聞いてくるなら一考の余地もあるけど(嘘ウソ)、手助けはごめんであります!!あ、くしゃみがとまらなくなってきた。ベッドに戻ろ。ちなみにまだまだ日記メンテナンスは終わってませんが、病み上がりに再開始ということで。。。(いろいろ計画だけはしてるんですが。)
2005.01.14
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今日から今年初めての出社。通常ネット生活?に戻ってきました。家でごろごろしていた時間が多かったためか腰が痛いわ。スイミングスクールも今日からはじまるし、運動運動。ところでおっとはわたしと付き合う前は喫煙者だった。しかし、惚れてることをいいことに、以前住んでいた家に転がり込んできたときの同居の条件が「たばこをやめること」で合意させた。まあ、もともとつきあいたばこ程度にしか吸ってなかったおっとは結構簡単にやめられたようである。あ~、でも考えたらあのときからわたしの平和な生活が崩れたんだよね。同居人マーベルもわたしと同じ嫌煙者だったけど、新しい彼が猛烈なヘビースモーカーで(それが許せるとは恋は盲目だね。。。あたしゃ、ダメ。)、おっとがうちに転がり込んできたと同じぐらいに彼女も彼と同棲をはじめて家はすっかりタバコ臭くなった。それまでお行儀がよかった同居猫も反抗しはじめて、あちこちでおしっこするわ、なつかなくなるわ、すっかりこの家は住みにくくなって、わたしは慌ててそれまで快適だったミラノの中心にあるにもかかわらず(ドゥモまで歩いて行けるところだった)静かな家を離れ、おっとと共にこの片田舎に住むことになってしまったのである。それぐらいわたしはタバコが苦手なのだ。うれしいことにイタリアは今日の日付になると同時にいっせいに公共の場での喫煙が禁止になった。今まで大きく「禁煙」と書かれた場所でも平気でたばこを吸っていたイタリア人、そう簡単にやめれるわけないだろ、と思っていたら今度は罰金付きである。もしレストランなどで吸っているところが見つかれば27,5ユーロから270ユーロまでの罰金が科せられる。それが妊婦、子供の前だったら罰金が2倍になるらしい。しかし、笑えるのがレストランなどの店主は警察に通告するのはダメで、じかに喫煙するひとに注意しなければならないという。じゃあ、どうやって罰金を科すんだろうねえ。。。?なんか消化しきれてないなあ。以前の「犬の糞条例」みたいに隠れてだったら警察犬だって草むらでう◎こを放置してもOKみたいな法律にならなきゃいいんだけど。でもこれがちゃんと守られたらわたしのような嫌煙者には非常にうれしい条例だ。いつも不快だったラケ-レとマリーナのお決まりの昼食後のタバコもそばで我慢しなくてよくなるし、安心していつでもBARやレストランでゆっくりできるし、今まで行った後、服や髪がタバコくさくなるのが嫌で遠のいていたディスコにも安心して出かけられるものだ。TVニュースのインタビューでは喫煙者の「ディスコでタバコが吸えなくなるんだったらもう行かねえよ!」とか「すでにタバコをやめる努力をしてますが、苦しくて仕方がありません。」とか涙ながらに訴えるひとの愚痴しかやってないけど、こういう意見もあるのだよ。あ、TVニュースで思い出した。イタリアへの移民の比率が高いのはいつもモロッコやアルバニアなんだけど、「最近の傾向として中国人と日本人の移民が急激に増えて来てます。」と言っていた。中国人が世界に移民に行くのは当たり前だけど、日本人もそうなってきたか。。。。デカセギ?じゃないよね??******************************いやんっ!人気はまめに更新しないと上がらないのね。ぽちっとお願いします!人気blogランキング
2005.01.10
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今日も小ネタを3つ。「覚悟のスイミングスクール」昨日は覚悟を決めてスイミングスクールに行った。相当な覚悟がいった。スイミングスクールはうちの下にあるのだが、隣の建物なので約50mは外を歩かなければならない。昨夜はおそらく氷点下だったと思う。コートをはおったが、中は水着の上に薄いジャージだけ。心を決めてアパート(日本の基準で言うと鉄骨12階建てのマンションにあたります。)の扉を開けると冷たい空気が一気に押し寄せてきた。息が真っ白になる。そして小走りに門に向かう。あ、足先から凍り付いてくるのを感じる。パリパリパリ。。。いそがなければ!!凍りついた水溜りで滑らないように気をつけながらスイミングスクールに駆け込んだ。ぶわっと熱い空気が押し寄せる。足先の氷が解ける。はあ~、助かった。ちょっと「THE DAY AFTER TOMORROW」な気持ち。ここじゃ買えませんどんどん寒くなってきたのでスイミングスクールに行く決心をつけるのに毎回一苦労である。ましてや、あんな女の子が増えては。(知らない人は http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200412150000/ の「ジェラシー?」を読んで)おそるおそる女子更衣室への第一の扉を開ける。長く続く廊下には誰もいない。OK。そしていよいよ第二の扉を開けようとノブに手をかけたとき、中からすごい勢いで扉が開いて、思わず鼻を打ちそうになった。「ああ、ごっめ~ん。」と誤ってきた彼女は、くしくも例の彼女だった!く~、出だしから縁起がいいじゃないか(涙)!どんよりした気分でコートを脱いで脱衣ロッカーに放り込み、しぶしぶ体操室に向かった。案の定、体操室はガラガラ。みんな寒いから来ないんだな。数人の男の子と常連のステッラ、そして彼女が待っていた。しかし、どういう変化だか、昨日の彼女はフレンドリーであった。しかし、執念深いわたしは先週の恨みを忘れられる訳はなく、めちゃくちゃ警戒して会話をしていた。しかし、プールに入ってもフレンドリーさは変わらない。しかし、まったくどうやったらこんなに人間が変われるのか?しかし、そううつ激しいのか、彼女?しかし、ずっと警戒しすぎて疲れた夜。(アホらし)* **********************************「税関からの脅迫状」先週日本の実家から荷物が届いた。普段は小さい小包しか送ってこないのでアパートの管理人が受け取ってくれるのだが、今回はどうも違った。「受け取りに68ユーロ払え。場所は中央郵便局だ。取りに来なかった場合はこの荷物は強制破棄する。」などと、どうみても脅迫状としかみえない税関の切符がポストに入っていた。受け取りに68ユーロ(日本円で約1万円)?それだけあったら、みみちくプレゼントの再利用なんかせず、普通に我々のクリスマスも祝えるってのに!?さぞや、母は価値あるものをプレゼントとして送ってくれたに違いない。ここで、母に「中身はいったい何!?」と問い詰めるのも野暮なのでしぶしぶ取りにいった。土曜の朝、わたしたちは郵便局開始時間より10分ほど遅れて着いた。中はもうすでに超満員である。しかし、さすが我が田舎町。1年もかけて改築したばかりの郵便局は日本の銀行のように番号札を取ってベンチに腰掛けて待つことが出来るようになっていた。(信じられないことかもしれないけど、こんなシステム最近までなかった。。。(汗))。番が来て荷物を受け取る際に、当然の権利として「68ユーロなんて納得できません。中の何がそんなに支払う対象になったんですか?」と聞く。窓口のお姉さん「税関が決めたことですから、知りません。」と偉そうに応える。「受け取るんですか?放棄するんですか??」更に偉そうに問い詰められる。ううう、わたしは何も悪いことしてないのに。小さくなり「う、受け取るしかないでしょ?」とひねくれて払うしかなかった。家に帰ってさっそく荷物を開ける。カレー、ラーメン、タオル、化粧水Ecc.底に小さなリボンのかかった包みが2つ。これはわたしとおっとへのクリスマスプレゼントだろう。2つの包みはクリスマスまで開けないので中身は謎だが(お母さん、ありがとう!)、その他は日用雑貨ばっかりである。ミラノの日本食材屋でこれらを揃えても68ユーロもしないよな。。。。ひゅ~。あ、財布が泣いた。********************************「続々18禁? 小さなクリスマスプレゼント」この会話は18歳以上は読まないでください。(この前振りでえ?と興味を示したあなたは、過去の日記http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200410270000/ 「18禁?イタリア男の頭の構造」http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200411080000/ 「ミリアムの帰還☆ドイツ女の頭の構造(続18禁?)」 を読んでね!)昨日はミリアムはつわりで会社を休んだ。彼女が最近よく休むおかげでペアで働くアンナはてんてこ舞いである。昼休みはそういったわけでミリアム抜き、アンナと巨乳のラケーレ、レセプションのマリーナと4人でいつものBARに行った。彼女たちの偉い、と思うところはあんな事件があったにもかかわらず、今までどおり表向きはミリアムと普通に会話し、仲良さそうに振舞えるところである。生真面目なわたしは彼女の顔を見る度、吹き出しそうになるのと、性的嫌悪感を感じずにはおれなくなるので距離を少し置いてつきあうようになってしまった。やっぱりどれだけ長くイタリアに住んでもイタリア人とはメンタリティが違うよな、って思ってしまう。BARに着くと、ラケーレが「はい、クリスマスプレゼント。」とわたしたちに各々違うプレゼントをくれた。「うわあっ!ありがとう!!」場が一気にはなやぐ。ラケーレ「さあ、みんな。開けて開けて!!」みんなバリバリと包みをはぐ。イタリアの何が嫌って、せっかくひとが心を込めて選んだ包装紙できれいにラッピングしたものをデリカシーのかけらも無くバリバリ打ちはぐところである!(怒)髪の長いマリーナにはきれいな飾りのついた髪留め。いつも新しい家に移ったらお風呂にゆっくりつかりたい、とぼやいているわたしにはバスキューブセット。そしてモダンな家に引越し最中のアンナにはこれもモダンな感じのキャンドル。ラケーレ「よかった、今日はミリアムがいなくて。彼女には何も用意してなかったから、こんなチャンスを狙ってたんだぁ。」あ、やっぱり。彼女と上手につきあいながら敬遠してたのね、あなたも。。。。アンナ「ステキなキャンドルねえ、どこに置こうかなあ。」ラケーレ「どこでもいいよ、前でも後ろでも。」マリーナ、わたし「。。。。。。。(ー_ー;)」アンナ「???。。。。。。あ!!!」過去の日記のミリアムの写真を見た者にしかわからない会話だった。。。。あんたもブタ(ポルカ)やん。よりにもよって昼食時に(泣)。__________________________わたしも試して見ました。今日の日記がおもしろかったひとはクリックお願いします。(登録現在177位)人気blogランキング
2004.12.21
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日本はまだお歳暮シーズンなのだろうか?それとも終わった??父が現役で働いていた頃には石鹸洗剤セット、のりや佃煮のセット、ジュースやお菓子のセット、商品券、新巻き鮭ETC...いろいろ届いて特にジュースやお菓子に子供のわたしはワクワクしたものだ。新巻き鮭なんてもう何本も届いたので、あるとき台湾駐在中の父にお土産に持っていったら空港で銃刀と間違えられて無残にもきれいに包装された包み紙を破かれ、鮭を突付きまくられたあげく、他の荷物まで開けられてひどい目にあった。もう2度と海外に新巻き鮭なんか、持っていくものか!と心に決めた出来事だった。しかし、今はあの。。。あの新巻き鮭が食べたくて仕方がない。焼いて朝ごはんにもおいしいし、酒かすと一緒に煮込んだ三平汁もたまらない。こちらイタリアは日本のようにお歳暮なんてもらう側はうれしい?けど、送る側はまるで義理チョコのようにうっとおしいものは存在しない。が、同じような位置づけとして「クリスマス」が存在する!日本にいたころはクリスマスは冬のお祭り、と思い込んでいた。街はキラキラロマンチックに25日の深夜まで輝き、サンタクロースに仮装したケーキ屋のバイト君や赤い鼻の酔っ払いで賑わっていたな。。。じゃあ、ヨーロッパのクリスマスは?日本のような仏教国がやる嘘っぱちのお祭りじゃなく、きっともっと盛大に本格的に盛り上がるに違いない、と思い込んでいた。実際、クリスマス前までの盛り上がりようはTOPの写真を見ていただいてもわかっていただけると思う。留学1年目のはじめてのクリスマス。わたしは他の3人のイタリア人学生たちと1つのアパートをシェアしていた。クリスマス前になると、みんなこぞって実家に帰って行った。最後まで残ったベルガモ出身のバレンティーナがアパートを出て行くとき「いくきーと、日本に帰らないの?」と聞いた。わたし「え~?帰らないよ。せっかくのはじめてミラノで迎えるクリスマスなのに。」バレンティーナはわたしを哀れむような顔でみて「わかった。もし、何かあったら連絡ちょうだい。」と心配そうに出て行った。そして24日。わたしは昼から街に出た。最後のクリスマス商戦でますます街はすごい賑わいである。あ~、クリスマスが楽しみ。あっという間に日は暮れ、とうとうクリスマスイブがやってきた。わたしは一人でドゥモのミサを見物すべく家を出た。てっきりすごい賑わいの頂点だと思いきや街はシーンと静まり返っていてゴーストタウンのようである。各家庭のキラキラ光るイルミネーションで中に人がいるのはわかるが、外は人っ子一人歩いていない。ひゅ~。小雪が舞う中、ガラガラのトラムに乗ってドゥモ前に着いた。昼間はあんなに賑わっていた中心地がウソのようにここもひとがほとんどいない。ドゥモの中に入る。たくさんのひとがミサに集まっていたが誰も口を利かない。シーンとしている。おごそかにミサが始まった。賛美歌は美しかったが、ウイーン少年少女合唱団のようにはいかない。素朴でよかったが、素人の合唱である。あとは神父がつらつらといつまでも聖書を朗読していた。もっと歌あり笑いありのエンターテイメントを想像していたわたしにはかなり物足りないミサだった。気が抜けた感じでアパートに帰った。もちろん誰もいない。気分を盛り上げるために独りでクリスマスソングを唄ってみた。大きな石造りのアパートに唄は虚しくエコーした。哀しくなってひとりベッドにもぐりこんだのだった(この時はTVもラジオも持っていなかった)。25日。わたしはわたしと同じように帰国せずに残った日本人の友人と昼ごはんを食べに外に出かけた。彼もすごくクリスマスに期待をしていて「ごちそうを食べよう!!」と張り切っていた。しかし。25日はどこの店もレストランも閉まっていてわたしたちはお腹を空かせて街をさまようこととなった。24時間前とはエライ差である。哀しい。なんでクリスマスからこんな苦難を味あわなければならないんだ?そしてやっとみつけた開いている中華レストランを遠くから見たときは「砂漠でオアシス」をみつけた気分だった。店に入る。昼食どきなのに誰もいなかった。チャイナドレスのお姉ちゃんが「いらっしゃいませ~。」とメニューを持ってきたときは郷愁を覚えて泣きそうになったのを忘れない。このとき、ようやくヨーロッパのクリスマスとは家族でひっそり祝う地味なものだと知ったのである。話はだいぶずれたけど、そんなわけでクリスマスは家族の集まりである。家族はもちろん、ふだん会うことのない親族にも会わなければいけなくなるのでプレゼントが必須となってくる。そして、前記したようにお歳暮的な意味合いもあるからお世話になった企業間でプレゼントの交換もある。あらゆる企業をまわって運送の仕事をしているおっとはここのところ、毎日イタリアのクリスマス菓子「パネットーネ(カップケーキの巨大版)お菓子セット」やシャンパンおつまみセット、カレンダーなどを持って帰ってくる。うちは今年はお金がないので、賢い妻はこれを利用しない法はない!さすがにお互いの両親や仲のいい友達には、選んで買ったものをプレゼントしたが、めったにあわないおっとの親戚、友達にはこれを廻せるだろうと、セットのまま開封せずに取って置いてあるものをおっとは次々開けていく。そしてパネットーネをちょっとかじり、セットについていたチョコレートを一口つまみぐいして喰い散らかしたまま放ってある。巨大ねずみを放し飼いにしている我が家って。。。。「もう!これ、◎◎さんの家に行くときに持って行こうと思ってるのになんで開けるのよ!?」「ぼくがもらったもの、ぼくが開けていいのは当然だろ?!」こんな喧嘩を繰り返しつつ、なんとか無事に無傷に済んだパーツをまとめ、ラッピングを試みる。わたしは学生時代、デパートでバイトなんかもしていたのでラッピングはお茶の子さいさいなのだが。。。おっとはもらったものをぐちゃぐちゃにまとめて家に持って帰ってくるのでところどころ、潰れたりしている。パネットーネなんか、カップ型の紙の部分に「BAULLI/BAULLI/BAULLI/BAULLI/」とメーカー名が印刷されてたりするので、どれだけ上手にしても、そのメーカーの箱もなしにラッピングすると、いかにも「開ケマシタ。」が丸ばれである!頭が熱くなってきた。くっそー、おっとよ!!今のうちの財政難、あんたのほうが身にしみてわかってるはずでしょっ?わたしは今年のクリスマスプレゼントはそれを充分承知した上で「いらない」と拒否した。しかし、あんたにはあんたがどうしても欲しいって言うからあんたの選んだセーターを買ってプレゼントしたのに、まだ「プレステ2」が欲しいって言うか?(ちなみに2年前から。しつこい!あんなものは100害あって1利なしなのだ!!)スキージャケットもクリスマスに買ってあげる、とまだお金があるとき言ったのに、ちっとも決めないで他にセーター買わせときながら、今更お金がないときに欲しいって言うなあっ!!!クルマも前がへしゃげていても、動くんだからこのまま年を越せるだろうが!ふ~ふ~。貧乏夫婦、クリスマスまであと5日。*****************先ほど北海道にお住まいの女子高生から私書箱にメールをいただきました!(わたしが男だったら天にも昇ったでしょうが、そうは出来なかったのでさっきは階段を駆け上がってきました!)楽天、私的お友達以外でもらったメールってこれがはじめて。照れるなあ。。。。こんな赤裸々なお下品日記を楽しく読んでくれてありがとう!!これからもご期待にそむかないよう、ますます下品な。。。いやっ、楽しい日記を書けるように努力いたしますです!
2004.12.20
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今日も大ネタがないんで、ひさびさの小ネタ集。「使えないATM」ねえねえ、TOPの写真、きれいでしょ?いつも直帰のわたしが、昨日は超ひさしぶりにミラノの中心に行った。ひとつの目的は:ある日本の銀行と提携している銀行に行って、禁断の日本の口座に置いてあるお金に手をつけるため。。。。だって、家を買うために新しく開設した銀行は遠いし、まだカードをつくってくれないからお金がおろせないんだもの(涙)。クルマの修理代のため、泣く泣くこのへそくりに手をつけることとなった。銀行に行くと、もう業務時間外なのでATMしか開いていない。3つあるうちの1つに向かう。ATMに入るドアが壊れていて小刻みに開いたり閉まったりしていて入れない。あきらめてビルの反対側にまわり、2つ目のATMに行く。今度は中に入れた。やれやれ。胸をなでおろす。カードを入れるとパッとスクリーンがかわった。「ただ今、ご出金の機能が諸事情のため、使えなくなっております。その他のご利用の方は下のパネルからお選びください。」パネル1:ご利用明細 パネル2:ご利用終了。。。。。ふつう、誰かが銀行に来るときってのはパネル1とパネル2以外の目的で来るもんだろ!!しかたなしにパネル2を選んでカードを取り出し3つ目のATMに向かった。前まで来ると中で掃除のお姉さんたちが掃除をしていた。目が合う。お姉さん「あ~、ここは使えないから他を使って。」わたし「他が使えないからここに廻ってきたんだけど。入れないの?」お姉さんは肩をすくめて「NO!」のジェスチャーをして背中を向け掃除に戻った。くっそーっ!!今日明日にお金が入用なわけじゃないけど、はるばるここまで来たのに!このヤロー!!!************************************「ジェラシー?」先週は麻衣ちゃんが来てたので1週間休み。月曜はひさびさにプールに行って来た。1ヶ月ごとにちょっとづつ顔ぶれがかわる。10月に一緒に始めたメンバーのおっさんたちも、シルビアもいなくなってしまった。今のわたしのレベルはルカ、いやステファノもアンドレアも残ったけど、名前すら覚えられなかったおっさんたちは姿を消し、月曜は顔面にきびでいっぱいの若いお兄ちゃんと、若そうな?女の子、2人が増えていた。遠くから見て「あ!また新しい女の子だ。」と胸が高鳴る。恥ずかしがりやのわたしは水に入り、おずおずと近づく。さ、さりげなく自己紹介をしなければ。。。しかし、この女の子、もうすでにタメでコーチとおしゃべりをしていてこっちを向こうともしない。仕方ないな。。。。わたしはまだ全員揃ってないのをいいことに大の苦手の平泳ぎを練習することにした。こうやって水をかいて、足でキック!ゆっくり確かめながら前に進んでいく。と。ドンッと後ろからぶつかられた。みれば私をサッサと抜かしてこの女の子が泳いでいく。びっくりして立ち上がって後ろをみる。まだ誰も泳ぎ始めてない。何なの、このコ?そして全員が揃い、レッスンがはじまった。いつもはクロール、背泳、平泳ぎのMIXなのだが、この日に限って平泳ぎばかり。遅いわたしはいつもと違って最後列に着いて一生懸命みんなが泳ぐ列に付いていくのが必死だった。この女の子は私の前、最後から2番目。いつも端まで泳ぐとわたしを待っている。別にジッとわたしをみつめて、わたしのことだけを考えてじゃない。隣のレーンの男の子たちの腕に抱きついたりキスしてしゃべりながら待っているのだ。そしてわたしが荒い息をつきながらたどりつくと、これみよがしにスタートする。あるとき「ねえ?暑そうねえ。」と言うんで「はあはあ。。。うん、しんどいし、暑いな。」というと、彼女は肩を震わせて「わたし、あなたを待っている間にすっかり寒くなっちゃった。」「!?!?!?!」寒いんなら何もわたしを待って泳ぐことないじゃん。こいつ、もしかしてわたしに喧嘩売ってる?何の恨みがあって??ワナワナしていると、やっとクロールが始まった。クロールはいくきーとちゃんの得意技だ。ここで復讐しなければ!わたしは、最初に彼女がやったようにわざと前を泳ぐ彼女にドンッとぶつかって、あっという間に抜かしていった。彼女は立ち上がって叫んだ。「コーチ!彼女、隣のレーンを泳いでます!!ずるいわっ!」。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。こ、このヤロー。ああ、次回からスイミングスクールに行くのが苦痛になった。。。。(涙)***********************************「クリスマスプレゼント」話は戻るけど、昨日ミラノの中心まで行った目的、その2.過去の日記のおばさん(http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200404270000/)の息子ニーノとは仲良しである。最近お互い忙しくてなかなか遭えなかったから、どうしてるかなあ?と思っていた矢先にメールが来た。「もうすぐクリスマスだね! 君たちにステキなプレゼントを2つ用意したよ!!いつでもいいからうちに取りに来て。」あ、やばい。お互いの両親にはプレゼントを送って、おっとのいとこの娘たちと麻衣ちゃんにはプレゼントを考えたけど、ニーノのこと、忘れてた。それで、銀行に行くついでにプレゼントを探しに行ったのだ。ニーノが用意してくれているプレゼントのひとつは簡単に想像がついた。彼は盆栽愛好家なのである。彼の部屋は日本人のわたしの家よりよっぽど日本らしい。きっと彼の丹精込めて育てた盆栽のひとつをくれるに違いない。でも。もうひとつは何だろう?メールの中にヒントがあった。「1つは緑の森、あと1つにはフワフワの茶色の毛玉に赤いリボンをつけてあげる。」ニーノ、手編みの茶色のマフラーでもくれるのかな? でも、男が編み物するか?それとも茶色い食べ物かな?でも、毛玉、なんて言葉を食べ物に使うかなあ??またメールが来た。「考えたんだけど、プレゼントする前に見たければ写真を送るよ。」ちょっと嫌な予感がしたので「うん、送って!」と返信した。写真が来た。ひとつはやっぱり盆栽。そしてもうひとつは。。。。まさに小さな小さな茶色の毛玉のような仔猫だった!う!可愛い!!!!動物好きのわたしはグッと来る。でも、ちょっと待って。こんなちっちゃい仔猫もらっても共働きのわたしたちがどうやって世話をするんだ??ダメ、ダメ~!!慌てて仔猫は辞退した。ニーノ「残念。他の飼い主さがさなきゃ。。。。」。。。。。。。。。。。。。。。このヤロー。
2004.12.15
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しばらくいい天気が続いていたと思っていたのにまた雨。なんで週末を前にして。。。(怒)イタリアは来週水曜は祭日。そして火曜はミラノのサンタンブロージョの日で、ミラノ市のみの祝日である。くくく。。つまり、月曜に有給をとると、5日間の連休になるのだ!とうぜん、月曜の有給は取った。というか、取らざるえなかった。だって、うちの会社のほとんど全員、社長でさえも取っちゃったから仕事にならないんだよ。でもやっぱりうれしくて、ローマに長期旅行で滞在してる日本人友達を呼び寄せた。今夜ミラノに着く予定。さて、この5日間、どうしようか?カレンダーを見る。えと、土曜は:ああ、あのアポを取った家具屋に行かなきゃ。それと1週間分の買い物と洗濯。。。日曜は:あのLISSONEの家具屋街に1日かけて行こうって言ってたんだ。月曜は:午前中は、病院行って、郵便局行って、銀行行って。。。。夕方は家の正式契約!!火曜は:ミラノ市で働かないおっとは仕事だから、遠くには行けないな。クリスマスの買い物?水曜は:祭日だから店も全部閉まるし、さてどこに行く?次の日から仕事だから遠出は出来ないし。。。。改めて書き出してみると、なんて地味な連休。せっかくローマから、果ては日本の大阪から来てくれた友達に申し訳ない(哀)。彼女のためにもなんとかもっと充実した連休にしなければ!おっとと知り合う数年前はこの連休を利用してベルリンとかに友達とワイワイ出かけたり、スペインにその当時住んでいた両親に会いに行ってのんびりしたり、優雅だったよなあ。。。。あの頃に戻りたいような、戻りたいような。。。。戻りたいわっ!。。。。というわけで、しばらく留守にします(今日中はちょこちょこ覗いてますが)。留守の間のメッセージ、ご要望、愛の告白、クレーム等はコメント欄にお願いします!
2004.12.03
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皆さんは覚えていらっしゃるでしょうか?つい先日、大気汚染の激しさがピークに達したため、ミラノは1日クルマの運転禁止デーになったと書いたのを。ちなみにきのうと今日は公共交通機関のストだった。そのため、街はものすんごいクルマ渋滞!!大気の汚染量が一気に増大したことをにおいで感じ取れた。いやホント。昨日、家に帰って鼻をかんだら、ティッシュが黒くなったもの。(これはいつものことなんですが、こんな日の汚れは更にひどい)あ、でも今回なんてまだマシ。前回なんてクルマの運転禁止デーの次の日が、予告なしの公共交通機関の24時間ストライキだったし。まあ、どちらの機関も切羽詰ってこんな矛盾したことを繰り返しているのはわかるけど、一般市民には迷惑千万もいいところだっ!!しかし、こんな日に限って、なんで待ちに待った病院の診察と、これも待ちに待った家の購入のための銀行へ出向いての貸付手続きのアポが重なるねん!?しかもレダおばさんが見つけてくれた銀行はこんな日は絶対クルマで行きたくないミラノの中心地。朝、6時に目覚ましをあわせ、渋滞には巻き込まれたくないのでまだ真っ暗な中を病院に向かってクルマを走らせた。ストが始まったのは8時45分から。わたしたちが家を出たのは7時。いくらなんでも早すぎたようだ。道にはほとんどクルマが走ってなくて、わたしたちはあっというまに病院に着いてしまった。かかりつけの病棟の前にいくと、まだ閉まっていた。寒いなあ。。。。やっと、この間スーパーですれ違った看護婦さんが鍵を持って現れたころにはわたしたちはすっかり凍え切っていたのであった。結局今朝も、大先生による診察はなく(怒)、看護婦さんに血だけ抜かれてホンの5分で終わってしまった。時計を見ると8時10分。レダおばさんとの銀行の前での待ち合わせは10時半。しかし、今日はストなのだ!急いでミラノの中心の銀行に向かう。さすがに中心地に入っていくと少し混雑していたが予想ほどのものでもなく、ここにもあっという間に着いてしまった。朝食抜きで来たのでBARに入って朝食を取る事にした。イタリアをご存知の皆さんにはあえて説明はいらないと思うが、こっちのBARの朝食って超簡単。典型的なのはカウンターでカプチーノを頼み、つくっている間に自分でクロワッサンをガラスケースから取り出してほおばりながら立ち食い。それからカウンターにずいっと出されたカプチーノにでかい10gの砂糖の袋を2袋ドシャッと入れてスプーンでかきまわし、カップをゆらして泡まで上手に飲む。わたしはそれが出来ないからいつも後からスプーンで泡をすくって食べるけど。食べ終わったら、さっさと出て行かないと次から次へと入ってくるひとで、どんどんつっかえていく。所要時間は、かかったところで10分ほどである。あとの2時間、どうするか?とにかく銀行のそばのBARに入った。「きゃー、かっこいい!」わたしは思わず叫んでしまった。日本はおしゃれなカフェが田舎にもあるし、珍しくないかもしれないけど、ミラノじゃと~っても珍しいおしゃれなBARだったのだ。(ご興味がある方はhttp://www.wagamaga.itのGalleria immagini をクリック)カウンターには所狭しとあらゆる具の入ったクロワッサンが並べられ、どれもおいしそうである。わたしたちは、カプチーノを頼み、おいしそうなクリームのはいったクロワッサンをわっしと掴んで和紙でつくられた(シャレのつもりじゃなかった(汗))カーテンをくぐって水色の革張りのいすに腰をおろした。モダンな家具、斬新な色使い。コンテンポラリーな台所がいい。ほぼ、私の中で固まっていたカントリースタイルの家の完成図が砕けていった。中にはスノッブな常連客らしい人たちが朝の早よからおしゃべりに興じてる。ずっと座っててもいいっぽいな。。。いいBARを見つけたおかげでわたしたちはゆっくりと待ち時間を潰すことができたのだった。さて銀行は、というと:すでにレダおばさんが知り合いの銀行員と話をつけてあったので、2人共同の口座の新設の書類を書かされただけで終わり。いろいろ訳がわからない貸付の説明があり、銀行を出てからもレダおばさんと不動産屋に支払う手数料の説明があり。きっと日本語で聞いてもわからなかったんじゃないだろうか?これから大金がかかわってくるだけにちょっと恐いんだよね。レダおばさんには、この口座を開けることを機に、それぞれの今持っている銀行口座は閉めて、この1つにしちゃったほうがいい。。。って言われたんだけど、あの家の手付金はわたしが払ったんだよね。でも、口座を共同にしちゃったら、これの半分、どうやっておっとから返してもらうの?返してもらうとしても、おっとが出金する口座はこの口座で、わたしが入金する口座もこの口座。意味、ないじゃん?ひとつにするってことは、お互いの財産はどうやって管理するんだ?こういう場合、どうしたらいいんだろ?体験談、解決策、求む!!(今日はまじめな日記)
2004.12.01
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深夜。おっとがうなされていたので、目が醒めて揺り起こす。と、同時にすごい地震が来たのだ!(おっとは動物のようにいちはやく察知したらしい?)もう、びっくりした。ミラノは1982年以来、ここまで身体に感じる地震はなかったという。今朝、新聞を読んだら北イタリアのガルダ湖が震源地で震度8。ミラノはたぶん震度2か3度ぐらいだったと思った。日本はまだ地震のあとの被災地の復旧で大変ですね。わたしも阪神大震災体験者だから、ほんとうに、ほんとうにこわかった。あらゆるこわい思い出がいっぺんにフィードバックして思い出された瞬間だった。**************昨日はある書留をアパートの管理人から渡された。もうこれで2通目である。憮然としている。差出人は両方とも「警察」。内容は「違反切符」。のろまな警察もクリスマスを前にしてお小遣い稼ぎの罰金回収に動き始めたようである。ひとつの日付は8月13日午前 マルペンサ空港。駐車違反。54ユーロもうひとつは9月27日深夜 ミラノの中心地。 通行法違反(?)。79ユーロ先週に来た『8月13日午前 マルペンサ空港。駐車違反。54ユーロ』古いお友達は覚えておいでだろうか?わたしたちはこの夏、日本に3週間滞在した。そのあいだ、おっとの幼なじみのあのウイリアムの弟がクルマを貸して欲しい、と言ってきたのだ。こっちとしてはクルマを3週間も家の敷地内とはいえ、駐車場に野ざらしも忍びなかったし、空港近くに住む彼の家にあずけておけば、イタリアに到着した日にクルマで家に帰れる、ということでお互いの利害が一致し、貸して日本に旅立ったのだった。8月13日といえば。。。この日の夕方、わたしたちは日本から帰ってきて迎えに来るはずの弟が迎えに来なくて難議した日。(過去の日記を読んで!!http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200408160000/)午前中の駐車違反は、確実にわたしたちの仕業ではない。でも、きっと弟は間違えて朝にわたしたちを迎えに来たときに駐車違反したのである。うう~ん。。。。しかしクールなおっとはすぐに弟に電話して、支払いを求めた。弟いわく「今度会った時に、払うから代わりに払っといて。」。。。。。ほんとに払う気、あるの??そして昨日の『9月27日深夜 ミラノの中心地。』深夜、となると確実に呑んだくれおっとの仕業に違いない!でもヘンだな? おっとはミラノの中心地なんてにめったに行かないのに。帰宅したおっとに見せた。最初は「?」と首をひねっていたおっと、「思い出した!君のとんでもない友達のB君の引越しをした日だよ。」(これも過去の日記を読んで!!http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200409300000/)「B君のナビで、ヘンな道に入ったとたんピカッて何かが光ったんだよね。ぼくは「やばい!警察の違反写真に撮られた!」って叫んだんだけど、B君は『大丈夫、トラムの光だよ』なんて言ってた。。。やっぱりあれだったんだ!!」B君よ!あんだけ苦労した引越し代も払わずに逃げて、おまけに罰金まで押し付けていったの?あまりにひどいんじゃない??わたしでさえ憮然としていたのに、直接の被害者のおっとはしばし、呆然として廃人状態になったのだった。しかし、妻はいつまでも空白のおっとをそのまま放っておくわけには行かなかった。せかしてシャワーを浴びさせ、夕食を済ませたと同時に昨日は別の家具の勧誘員がやってきた。わたしはイタリア人ってほんとに働かない、というようなことを何度も過去に書いたが、働かないのは給料の保証がされている、コネで入社した奴らの集まった公務員だけのようだ。おとといのI◎Aの勧誘員といい、昨日の家具屋の勧誘員といい、夜の9時も廻り、お客様がお食事を済んだころを見計らって来るのである。しかも聞けば彼らもわたしと同じ朝の9時出勤。まったく頭が下がります。この勧誘員とは一番最初に出かけた国際見本市会場の家具展のある小さなブースで知り合った。第一印象は胡散臭くも無く、まじめすぎることもなく、ふつう。彼らの商法は変わっている。展示会どさまわりなどでお客をゲットし、お客のニーズに合わせて工場をチョイスし、ダイレクトに注文して(それには他店でとった家具の商品ナンバーつきの見積もりが必要。)販売する。そして彼らはその手数料をいただく仕組み。問屋も店も通さないので同じものが安い。他店でつくった見積もりの横取り。。。だから、表立って宣伝できないのね?まあ、消費者側としては同じものが安く買えるに越したことないけどさ。最初は店も構えず、訪問販売で胡散臭いかも。。。とかなり身構えて(保険の失敗もあるし)、話を聞いていたのだが、いろいろな保障もしっかりしていて、カタログでみせてもらった取引工場の商品も質がよく、大丈夫なんじゃないかという気がしてきた。とにかく彼らのショールームに12月末にアポを取ったので、それを見に行かないことにはわからないけど。(怪しかったら断ればいいし。)
2004.11.25
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おっとの前に3年間つきあっていたマルケ州出身の彼I君はそれはそれは病的なコンピューターオタクだったけど普通だった。その前にちょっとつきあっていたドイツ人T君、日本にいたときにつきあったH君、A君、K君。。。いやっ、この辺で彼氏遍歴の暴露はやめておいて(汗)、I君以外に共通していたのは全員、 。。。。男からモテた。わたしの男運が悪いのか?それともわたしの好みがゲイと似てるんだろうか?こんな話を持ち出したのは、昨夜保険の勧誘員が2人、うちに来たことからはじまる。おっとは結婚する前からすでにI◎Aという、留学生にはおなじみな、イタリアの大手保険会社の25年満期の積み立て型生命保険に加入していた。当初、きちんと正規滞在して真面目に生活していた?わたしがイタリアの生命保険なんて夢にも考えていなかったのに、滞在許可証も持たずちゃらんぽらんな生活を送っていたおっとが老後を考えて積み立て型生命保険に入っていたことに驚き、感心したものだ。なので、結婚を決めたとき、イタリアの年金制度なんてまったく当てにならないし、わたしもおっとの家族として積み立て型生命保険に加入することに決めた。申し込みにはI◎Aの勧誘員が2人我が家に来た。ひとりはおっとが加入したときの担当者、ひとりはどうみても「もう定年退職したほうがいいだろう?」というちょっとぼけたおじいちゃん。ドアを開けるなり「あら~、久しぶりィ!!」とおっとに抱きつきそうな勢いで担当者が握手をしてきた。なんなんだ、この男?続いておじいちゃんが、へらへら笑いながら入ってきた。このコンビを見て、思わず身構えたわたし。おっとと担当者の男はどうやら友達のようである。そこから契約がはじまった。はじめてだったし、ちんぷんかんぷんな保険の説明を受け、まあ要約すると家族保険だから、というので胡散臭いな、と思いつつも、おっととこの担当者、よく知ってるみたいだし、I◎Aなんて大手だからへたなことはされないか。。。。と契約書にサイン。そのあと、少し場がなごんでおしゃべりタイムになった。「なんだか、あなたたち友達みたいだけど、どこで知り合ったの?」と担当者の男に聞いてみた。担当者「ある夜、友達とラテンディスコに踊りに行ったら、ひときわ上手に踊ってる男がいて、彼だったの。近寄ってみると、いい男じゃない?思わず保険に勧誘しちゃったってわけ。」わたし「え?(汗)」担当者「それから何度も家のパーティに誘っても来てくれないし、つれない奴、なんて思ってたら彼女と同居してたのねえ。。しかももうすぐ結婚だなんて!プンプン!!」わたし「(汗)そ、そうなんです。残念だけど。。。」思わず卑屈になったわたし。何でや?そしてしばらく世間話をした後、彼らは帰っていった。そこからわたしは「こいつももしかして、ゲイ?いやいや両方??」という疑惑をおっとに持つようになり、自分の男の好みを呪うようになったのである。その日から何ヶ月か過ぎ、次の保険の支払いの日が来た。この日、我が家に来たのはおじいちゃんだけだった。あの担当員は事情があって、会社を辞めたらしい。その事情って彼の性癖と関係があったのだろうか?とすぐ思ったが口に出さずにいた。前回ははじめてだったし、気持ちも乱れて自分が契約した保険のことがいまいちよくわからなかったのでおじいちゃんにもう一度、説明を求める。そこでよくわからないけど、理解したのは:保険はおっとの名義だけになっていて、わたしはただ、おっとの支払いを補助しているだけ。そして、私が死んだらおっとに保険金が入るが、おっとが死んでもわたしには何も入ってこないのである。しかし。。。毎日クルマを運転している分、おっとのほうがわたしより死ぬ確率が高いぞ?逆ならわかるけど。。。。???それにこれって、一緒に払っている意味がないやん?おっとに保険金殺人される目的で自殺行為で加入したようなもの???それをいうとおじいちゃん「あ、そうだよね。修正しときますよ。」って。大丈夫、おいおい?また何ヶ月かしておじいちゃんが来た。「修正してもらえました?」「え、何のこと?。。。あ、あれか!」まだ修正してなかったんかい!!お金ばっかり払わされて何にもなってねー!そこから何ヶ月かして別の若い2人組が派遣されてきた。おじいちゃんは別の支店に移動になったという。やっぱりね、あんなにぼけてちゃあ。。。わたしは相当切れていた。同じことをこの若衆にリピートし、修正されてるか聞く。「え。。。と。いえ、まだですね。この元の契約、まだ期限が切れてませんから(これを言うだけまだ進歩である。)あと3ヶ月して変えましょう。」「あと3ヶ月も?忘れないでくださいね!」もう、わたしたちは信用してなかった。しかし、25年満期なのでやめるわけにもいかず、ここで知り合いのいる別の保険会社の掛け捨ての安い生命保険に自分の安心料のため?おっとに加入させたのだった。そして昨日(この時点で前回より1年近く過ぎている。)。昨日は若いけどしっかりした感じの女の子と30歳代の男のペアの勧誘員だった。しかし、この2人はこの地区の担当でない。おっとの仕事場で知り合って、世間話でそんな話をしているうちに、「ちゃんと契約内容、見てあげるから。」ということになって来たのだ。女の子が最新の契約書控えに目を通す。「ぱっと見ですぐわかったけど、苦戦した割には何も契約が変更されてないわよ。」わたしたち「。。。やっぱり(涙)。」「奥さんはまさにお金を払ってるだけで何の保障もないわよね。」わたしたち「いちど、私が加入するからって保険料をすごく値上げされたんだけど?」「これもだんなさんへの補助がUPされただけの状態になってるわ。あなたたち、お互いの保障が欲しいんでしょ?これじゃダメよ。」わたしたち「じゃあ、どうすれば。。。」「奥さん名義の積み立て型保険をつくらないと。。。」何年も前の最初からそれが、目的だったんですけど(涙)??でもこれ以上、高い保険代は払えないぞ!!しかし、一度UPしたベースのおっとの保険代は上げることは出来るが、下げられないらしい。「一番はじめの契約、誰がしたのかしら? 無責任なやり方だわ。これが大きく間違ってたのよ。」あの、あの!!ゲイ男や!!! ちゃんとした状態で契約しないから!!!!!結局、うまく丸められて?別の会社の掛け捨て保険を解約し、私名義の一番安い積み立て型保険を契約する羽目になった。「ベースの保険、あと2年後には内容を変更できますから。」という言葉にしかたなく乗せられて(この女の子が今までの中で一番まともだったというのもある。)。2人が帰ってからおっと「心配するな、無事2人で25年後まで生き延びれたら2つの保険の積立金の山分けだ。」別におっとが今までのベースの分、全部持っていくとは思ってないけどさ。。。。え、オチ?。。。。えと、恋愛と仕事を混合しちゃいけない、という教訓だったってことで(あ、こうすると、おっとが両方だって叫んでいるようなもの?!ち、違うぞ!!)。
2004.11.24
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我が家のそばには小さな個人の24時間オートレンタルビデオショップがあって、DVDはいつもそこで借りている。ここのオーナーのお兄ちゃんは隣にも「REIKI 霊気」という怪しい道場を開いている。(おかげで会員証をつくりにいったときは「あ、君日本人?ぼく、日本が大好きなんだよ!」とフレンドリーにニンジャの話や、香港映画の話で盛り上がった。)そういったわけでここには他のショップでお目にかかれないマイナーな香港映画(といっても日本じゃ有名な)が豊富なので個人的に満足している。そして毎週新しいDVDが出るのですぐに観たいおっとは毎週末出かけて、新作を手当たり次第借りてるのが楽しみらしい。ただ8月末に出た「バタフライ・エフェット」を除いては。こればかりはなぜか、いつ行っても貸し出し中なのである。見れないとなれば、とことん観たくなるのが人の常。ある日、おっとはしびれを切らせてとうとう隣の道場まで押しかけて、お店のオーナーのお兄ちゃんにどうしていつも貸し出し中なのか聞いたのであった。お兄ちゃんいわく、ある客が、バカンス前にこのDVDを借りて紛失させてしまったらしい。そのあと、機械をまだ修正してないので、ずっと貸し出し中のままなのだそうである(さすがイタリア)。わたしはそれを聞いた時点で観るのを諦めた。だが、しつこいおっとはその足で遠いブロックバスター(外資系大手レンタルビデオショップチェーン)までわざわざ出かけて、ディズニーの「ベアーズブラザー」と一緒に2本借りてきたのだった。ブロックバスターの方がレンタル料が3倍も高い上、1晩しか借りれない。「お金持ちだね、あんた。」と嫌味をいいながらその夜わたしもしっかり観て、次の日の朝、すぐにブロックバスターの返却ポストに放り込んだのが約1ヶ月前のことである。昨日の夜。おっとも帰宅して夕食の用意をしていると電話が鳴った。おっとが取る。この時間はたいがいおっとの友人か勧誘の電話しかかかってこない。区別をつけるのは、おっとがスペイン語でしゃべるか(これは友達)、イタリア語でしゃべるか(勧誘)。おっとがイタリア語でしゃべりだしたので「ああ、勧誘の電話ね。」と思う。ところがやたら長い。ヘンな勧誘に引っかからないでよ~。「ええ、そうです。え?すぐ返しましたよ?ハイ、ハイ。。。。」なんなんだ?「誰かと間違ってませんか?うちの家内は外国人ですよ?え、外国人だった?」なに?わたしのことが話題になってる?慌てておっとに近寄る。おっと「ねえ、最近ブロックバスターから電話があった?」わたし「え、なかったよ、なに?」おっと「このひとがね、おかしなことを言ってるんだよ。」わたし「?ちょっと電話替わって。もしもし。」店員「あ、奥様ですか?!」声がひどく怒っている。怒る事情はこうである。1ヶ月前、わたしたちがこの2本のDVDを返したとき、どうやらケースを間違えて「バタフライ・エフェット」のケースには「ベアーズブラザー」のDVDを、「ベアーズブラザー」のケースには「バタフライ・エフェット」のDVDを入れて返してしまったらしい。なんだ、たいしたことでもないのに。こんなに怒る?とりあえず「あ~、それはそれは。うっかりしましてすみません。」と謝る。店員「ワタシはね、そのとき気が付いたんですよ。「ベアーズブラザー」のケースに入った「バタフライ・エフェット」しか返って来なかったのを。でね、ずいぶん待って先日お宅に電話しましたのよ。事情を話して「早く「ベアーズブラザー」を返してください。」と。そしたら女の方がわかったか、わからないような感じでたどたどと「ハイハイ。」とだけ言って電話を切ったんですの!それで、「このひとはガイジンでちっともわかってないのね。」とピンと来ましたのよ。奥様、あなたでしょ!? それで、やっと昨日「ベアーズブラザー」が帰ってきたのでもう一度お電話しましたの!!」わたし「ちょ、ちょっと待ってください。何時に電話されました?」店員「夕方4時ごろですわ。」わたし「じゃあ、間違えて別のおうちに電話したんでしょ?わたしたちは夕方7時以前は仕事でうちにはいませんし、第一、あなたからの電話を受け取った覚ありません。それにそんなたどたどなイタリア語は喋りません!」店員「わたしが電話番号を間違えたとでも!? お宅の番号は02の。。。。」わたし「確かに合ってますよ。でも、うちは電話は受けてません。」店員「あなたたちの留守の間に誰かが居たんでしょ?」あ~あ、言いがかりもいいところである。疲れてきた。わたし「だから、お宅はいったい何をおっしゃりたいんですか?」と怒りをこらえて聞く。店員「ですからね、ただちに延滞料金をお支払いいただいて、今後こんなマネはやめていただきたいんです!」わたし「。。。って私たちはちゃんと翌日に返しましたよ!なんで、それに延滞料金を支払らわなきゃいけないんですか?!濡れ衣もいいところです!!」なんだよ、なんで身に覚えがないものに、払わなきゃいけないんだ?! 頭おかしいって、このおばさん!!もう堂々巡りである。うんざりしたわたしはおっとに受話器を押し付けて、わたしは夕食の準備に戻った。物腰柔らかなおっとはウンウンとその続きをうなづきながら聞いて最後に「いいですよ、別に。」と電話を切った。「あのおばさん、ブロックバスターのブラックリストに載せるから2度と貸し出しできない、って言って電話切ったよ。」「あ、そう。」ブロックバスターのブラックリストに載ったところで使わないし、こんなことがあった後ではなお更行くつもりはないのでどうってことはないのだが、腹が立ったのは:大方、DVDが返却された時に返却済み点検をちゃんとせずに他の客に貸し出ししてしまったに違いない。このケースの入れ間違いもわたしたちのミスか怪しいもんだ。で、あとから気付いて、前回借りたお客は好都合にガイジンだったから、ガイジンの仕業、で片付けようとしていないか?!今回は被害をもろにかぶったけど、いままでミラノで暮らしてきて結構、「ガイジンだから。。。」ってやってもいないことをガイジンのせいにされるのを見て来たし、体験してきた。素性のわからないガイジンのせいにするのはたやすいことである。特に言葉が出来ないガイジンには。昨夜はこんなことをいっぱい考えて、いっぱい今までのことを思い出して腹が立って眠れなかった。日本でも、こんな思いをして泣き寝入りしているガイジンってやっぱりいっぱいいるんじゃないかな。。。。
2004.11.18
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