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昨日はわたしの26歳の誕生日だった。実はRyuは春からミラノにある日本屋さんのリトミック教室に通っているのだが、なんと!そこの先生がわたしと同じ生年月日、しかも血液型まで一緒なことが判明したのだ。ここは、日本じゃなくてイタリアのミラノ。そんな狭い日本人社会で「なんてミラクル-!」と2人は思わず抱き合ってしまった。しかし、そこの先生はとてもとても優秀な学歴と経歴をお持ちの方で、同じ日に生まれながらもこうも違う人生に、落胆してしまったのである。これも何かの縁、ということで昨夜はお店が終わった後、先生のご自宅に招待され、呑んで呑んで飲み明かした。毎年この時期はバカンスで廻りに誰もいないので、一人ぼっちの何もしない誕生日だったので、涙がちょちょぎれるほど、うれしかった。(すみません、年齢は大嘘です) ******偶然といえば、今朝変な電話があった。おっとが出て「いくきーと、日本からみたいだよ。」というので、また我がお嬢母かと思いきや、まったく知らない若造の声で「CAN I SPEAK JAPANIESE?」とたどたどしく聞いてくる。わたしは「YES」と答えて慌てて「はい日本語OKですよ~。」と言った。若造「インターネットでお宅にホームステイを申し込んだ◎◎ですけど。」わたし「はあ?」若造「ずいぶん待ってもまったく返事がないので書いてあった電話番号に自分でかけています。」え~~~っと。。。。。?6~7年前にまだRyuも生まれてなかったころ一度、コックさんをホームステイさせたけど、それ以来、中古品売買のお知らせぐらいしか、ネットで載せてないんだけどな。わたし「電話番号間違えてますよ。」若造「でもミラノですよね?ジュラさんって方と何度もコンタクトしてステイの日取りが決まって、この電話番号もらったんですけど??」ジュラさん?誰かのハンドルネーム?それにしたって、聞いたことがない。それともわたしが実はアルツハイマーで、知らないうちにジュラさんというひとに仲介を頼んでた?イヤイヤ。。。わたし「ごめんなさい、まったく心当たりがありません。」若造はがっかりした様子で電話を切った。すぐにおっとに話したら「なんだかわからないけど、うちにホームステイさせればよかったのに。」その後、用事があったので車に乗り込み考えた。。。。まさか?わたしって、超とろい!!「おっと!これって、あの若造、どこかの仲介業者にだまされたんだよ!!」おっと「え?」わたし「だって、わざわざ日本から間違い電話で日本人がいる家庭に電話してくるっておかしいよ。偶然じゃありえない。きっと悪徳仲介業者にだまされて、お金だけ払わされてドロンされちゃったんだよ。その悪徳業者も、考えたくないけど、どこかわたしの知り合い筋からわたしの電話番号を手に入れたんだ。超むかつく!!」わたしはどろどろした気分で家に帰るとすぐ若造の言っていたサイトを見た。あっさりジュラさんファミリーは見つかった。日本人じゃなくイタリア人だった。プロフィールには「イタリア語、仏語、西語OK」と書いてある。日本語はない。連絡先を探したが、このサイト、ホストファミリーか、ゲストの登録をしないと何も出来ない。だがマップでジュラ家を探すと、なんと偶然にも我が家のすぐ近くである。。。あれ、やっぱりこれって、単なる電話のカケマチガイ??すんごい偶然だけども。ホストファミリー、ただ単にバカンス中なだけじゃ??これ以上考えるとストレスになりそうなので若造に同情するのも、悪徳業者案も、辞めた。おっと「ねえ、これも何かの偶然だよ。またうちに誰か下宿させようよ。」ちなみにおっとは転職してからまたもや、ものすごい経済危機に陥ってしまった。わたしも9月から真剣にパートを探さないと、と考えていたが、Ryuが病気で幼稚園を休んでしまったとき、誰もまわりに頼めるような親戚がいないのが引っかかっていたのだ。コックさんのときもいろいろあったけど、最終的にはすっかり家族のようになって結構楽しかった。(偶然いいひとだったからかもしれないが。)Ryuも赤ちゃんのときほど手もかからなくなってきたし、昼間は幼稚園に行っているし、いいアイデアかもしれない。あの若造が登録しているサイトにわたしも登録してみようかな?******そうそう一ヶ月前、やっとわたしとRyuの盗まれた外国人滞在許可証がクエストゥラで再発行された。盗まれたものは2年後に期限が切れてまた更新しなければならなかったのだが、今度のものはなんと、無期限!しかもRyuの古いものは父親の名前でエクアドル国籍と、母親の名前で日本国籍と2枚だったが、今回のは表と裏で、2つの国籍が書いてある。ってことは、おっとの更新時、もう何もしなくていいってこと?やったぁ~!おっと「ぼくのも盗まれたほうがよかった。。。」←盗まれた場合の書類は簡単だが、更新はものすご~~~くめんどう。今度のはもうかばんなどに携帯しないで、家のたんすの奥にしまいこんだ。ちなみにに携帯が原則であるが、誰もそんなバカなことをしていないことが判明したからである。汗
2011.08.12
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今年のバレンタインデーはひさびさに手作りチョコを作った。 というのも、14日にずっとシングルを貫きたくないのに貫き通している、ちょっとMrオクレ似の友人の50歳の誕生日のパーティに家族全員で招待されたからだ。 わたし「プレゼントはいらないって言われたけど、何か持っていきたいよね。」 おっと「バレンタインデーだからチョコでいいんじゃない?」 いいのかっ?! こんなジェラシーの固まりのラテン男からそんな言葉を聞くとは意外だった。わたしが年下キラー(自称)で年上には興味がまったくないのをよく知っている。 そこでスーパーでいろいろ物色してみたが、日にちが日にちなだけにチョコがめちゃくちゃ高いのだ。 愛に飢えたシングル男。。。そういうわけで板チョコと生クリームだけ買ってきて手作りチョコを作ることに相成ったわけである。 実はわたしはチョコというものが、母にさんざん「虫歯になる極悪菓子」と脅されて来たためか?小さい頃からあまり好きではなく、社会人になってからやっとお付き合い程度に食べるようになった。 なので板チョコを溶かしてボウルでネリネリしているときには、その甘ったるい匂いにムカムカしてきて何度も吐きそうになるのをこらえた。 そうして出来上がったチョコはまさに「命がけで作った愛のチョコ」なのである! これで彼は喜んでくれるだろうか? しかし、作りすぎた。 半分を彼のために真っ赤な麻の袋にバラの花を添えてラッピングし、 1/4をおっとのために小皿に取り分け、 残りの1/4を毎日通っているスーパー、「イル ジガンテ」のバールのお兄ちゃん、エルメスにプレゼントすることにした。 なぜならこの間も書いたが、彼は誰もいないときはいつもカプチーノをただにしてくれるからである。 ずっと何かの機会にお礼をしなければ、と思っていたのでいいチャンスだ。 14日土曜日は、おっとは午前中、散髪に行ってしまったので、エルメスのチョコを小袋に入れ、いつもと同じようにRyuをカートに乗せてイル ジガンテのバールに向かう。 バールは週末なだけにいつもより混んでいて、カウンターではエルメスと、同僚のロージィが忙しく働いていた。 遠くからカウンターの2人の姿を見るや、Ryuは「Vaaaaai!!(行け!!)」といつものように声を張り上げ、ロージィがそれに気がついて「ちゃお~!」とコーヒーを飲むお客越しに手を振る。 もう何も注文しなくてもエルメスがカプチーノを用意して「はい、シニョーラ。」とカウンターに置いてくれたので、わたしは大勢のお客の間をすり抜けて、カップを取った。 それからはRyuを囲んでカウンターの2人とお年寄りのおしゃべりがはじまった。 わたしは常に愛想笑いを保ち「いつチョコを渡そうかな?あんまりたくさんのお客さんがいるときは仕事の邪魔だし、恥ずかしいし。。」と思いながら、カプチーノを飲んでいるうちにお客がずいぶん減ってきて、一組のお年寄り夫婦とわたしたちだけになった。 渡すなら今だ! わたし「エルメス、バレンタインデー、おめでとう!」 エルメス「え。。これチョコ?」 わたし「うん、わたしが作ったの。バールの皆さんで食べて。」 エルメス「わ~、ありがとう!ちょっと待って、カウンターから出る!!」 。。。え? そこからまるで映画のシーンが変わるかのように雰囲気がガラッと変わった。 カウンター越しに1mとないロージィがみるみる100mぐらい離れたように感じた。 反対にエルメスが駆け寄ってくる姿は「ちゃらら~♪」とロマンチックなバックミュージックつきでスローモーションをみるようで、ハッと我に返ったら熱い抱擁をされていた。 エルメス「あ、ごめんなさい。今日はDVD、コピーしたのに、また家に忘れてきちゃったよ。」とささやくようにいう。 うぎぎ、そんなつもりじゃなかったのに! わたし(努めて普通のトーンで)「ああ、いいよ、全然急いでいないし。(←頼んでもいないのにRyuにアニメ映画をコピーしてくれると言ってくれたのだ。)」 バールが混んできた。 ロージィ「エルメス、休憩は終わりだよ!」 エルメス「わかった! じゃあね、カリッシマ。。」 よ、よかった。。この甘ったるい雰囲気から抜け出せた。 ちょっと待って。「カリッシマ(Dearの最上級)」?←「シニョーラ(奥さん)」から呼び名が変わってる! どうしよう。。カプチーノ代、今日も払えなかった。 お礼をしてこれからも気持ちよくバールに通うつもりだったのに、さらに行きにくくなってしまった。 このスーパー、うちから一番近いから行かないわけにいかないし、バールは入り口のそばで、Ryuは入場するたびにいつも「うきゃーっ!!(我を迎えたまえ!!)」と奇声をあげるから絶対気が付かれるんだよな。 仕方がない、ちょっとほとぼりが冷めるまで行かないでおこう。 と、今週1週間、他のスーパーを放浪していたのだが、だんだんわたしの体内のコーヒー成分が切れてきた。 カプチーノが飲みたいっ!! 悔しいが、わたし的にこの田舎町で一番おいしいのはスーパー「イル ジガンテ」のカプチーノなのだ。 ミルクとコーヒーの比率、ミルクの泡立ちぐあい、最後の一振りのカカオの分量、どれもこれもがわたし好みなのである。 しぶしぶ「イル ジガンテ」のバールに向かう。見えたのはロージィだけで、他にお客はなく、Ryuはまたまた喜びの奇声をあげ、わたしもホッとしてカウンターに向かった。 ところが。 ロージィはわたしを見るなり「あ、エルメスを呼んでくるわ。」とたちまち奥に引っ込み、替わってエルメスが出てきた。 ちょっちょっと。。 エルメス「はいDVD。ごめん、待たせちゃったね。」←待たせたのはわたしのほうである わたし「あ、どうもありがとう。DVD代払うね、おいくら?」 エルメス「いいんだよ、カリッシマ。それとこれから、カウンターがぼくだけのときには、カプチーノ代払わなくていいからね、財布はちゃんとかばんにしまっておいて。」と甘くウインクした。 わたし「。。。ありがとう。」 う~~~~ん、これからどうしたらいいんだろう? この男、エルメス推定年齢35~36歳。既婚子供2人。ちょっと「シンプソン」の漫画屋の主人似。 年下ってとこしか好みじゃないんだけど。。。違) それに日記もどうしたらいいんだろう? 毎回書くたびに簡潔にまとめられなくて長くなって、これ書き上げるのに2日もかかってしまった。 もっと短くしてなるべく毎日更新したいのだけど。。。。
2009.02.21
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こんなほとんど日記と言うより、月記になってしまったブログにいつもコメントをいただいて恐縮しております。最近お返事ができないので申し訳ないのですが、やっぱり書いてもらえるとすごくうれしいです!***先週末、Ryuが夏風邪を引いてしまった。育児書には「生後6ヶ月を過ぎると母体からもらった抗体が切れて病気にかかりやすくなる。」とあったけど、まったくその通りだ。さて「ステファノ2」とは「ステファノの物語パート2」ではなく、「ステファノ 2(ドゥエ)」の話である。わたしには今とっさに思いつくだけでも5人、ステファノという知り合いがいる。そのうちのひとり、わたしがミラノに着いた時から知っているステファノに言わせると「クラウン」という意味らしい。てっきり道化師かと思って「変わった意味だねえ。」と言うと「冠という意味だ。」と怒られた。あとの2人のステファノは日本人友達の旦那さんたち。残りの2人のうちのひとりはうちの従業員第一号の元ピアニスト。そして最後のひとりがステファノ2(ドゥエ)。5月からうちで働き始めた従業員2号である。(やっぱり雇うならイタリア人?)従業員2人ともステファノなので、元ピアニストは「ステファノ1(ウノ)」、新入りは「ステファノ2(ドゥエ)」と呼ぶことにした。いくらからもうとしてもクールでなかなかからめないステファノ1に対して、ステファノ2はちょっと違うようだ。5月1日はわたしはまだ日本にいたのでスカイプでおっとと話していた。おっと「今日、ちょっと問題があってさ。」わたし「どうしたの?」おっと「新しく雇ったステファノなんだけど。。」わたし「新しく?え、ステファノ??新しくないじゃん。」おっと「先週、ステファノを雇うことに決めたんだ。そいつがね、初日に配達に行った、ある大きな邸宅でブザーを鳴らして門を自動で開けて貰ったら、門の中からいきなり2匹の番犬が飛び出してきて噛まれて、即救急車で運ばれたんだ。」わたし「新しい従業員がステファノ?そんなこと全然知らなかったよ!?ちょ、ちょっとまだ話が読めない。ステファノが犬に噛まれたの?どうして??彼、犬飼っているのに。」おっと「だから別のステファノだよ。同じ名前なんだ。そいつが犬に噛まれて1週間入院になった。」わたし「わ~、初日からついてないひとだね。入院費用とかはその犬の飼い主が負担してくれるの?」おっと「もちろんそうだし、社会保険も利くからね。」わたし「ああ、よかった。」おっと「ちっともよくないよ!1週間、彼が働かなかったらその分、収入がないわけだしぼくが困るよ。すぐにワゴン車はレンタルして、あいつの配達地区には別の人を手配して今日は大変だったよ。」まったくだ。雇用主って大変だなと、このときはまるで他人事のようにスカイプを切った。日本から帰ってきたある朝。Ryuをあやしているとおっとから電話があった。「今からステファノ2がそっちに行くからテーブルに置いてある書類を渡してくれる?」そうか、来るのか。もうひとりのステファノって、どんなひとだろう? おっさんかな?青年かな? かっこいいかな?やぼいかな?? 一日家で子育てだけに明け暮れている主婦の想像力は果てしなく膨らみ、いそいそと擦り切れたTシャツを着替えにかかった。しばらくして玄関のチャイムが鳴った。覗き窓越しに制服が見えたので、同じくよそゆきに着せ替えたRyuを片手に抱いて鍵を開ける。外にはたばこくさいヤンキーの兄ちゃんがせかせかした様子で横を向いて立っていた。ヤンキーの兄ちゃん「あの~、取りに来たんだけど。」わたし「え、ああ。ステファノね。書類はこれ。」と書類を片手で持ち上げようとしたが重かった。「ちょっと家の中に入って取りに来てくれる?」ヤンキーの兄ちゃんは無表情で家に入り、すれちがいざまにRyuをチラッと見て「ヘヘッ」と片頬をゆがめて笑い、さっと書類を取ると「さいなら。」とドアも閉めずに行ってしまった。なんだ、あいつは。。。?はじめて、しかも社長宅に来たのなら社長夫人とそのお子ちゃまに挨拶ぐらいして当たり前なんじゃないの?!その夜。わたし「ねえ、どこからあのステファノ見つけてきたの?あんなので大丈夫なの?わたしの顔も見なかったんだよ。」おっと「そうなの?Ryuのこと「可愛い坊っちゃんですね。」って言ってたよ?大丈夫、経験者だよ。若いから礼儀は知らないかもしれないけど、仕事は知ってるよ。」なんだか嫌な予感がしながらも、それ以上の追及はやめた。仕事を辞めて以来、わたしはおっとの仕事に口を出さないことに決めたのだ。だからおっとが困っても口を出さない。それから何週間か過ぎたある日。またおっとから電話があり「後10分でうちに着く。今夜はステファノ2がうちで夕食を食べるから。」と言ってきた。この日おっとは仕事の帰りにわたしの友人宅から新古品のソファをもらってくる予定があったので、ステファノ2が手伝ってくれているんだ、とすぐさま思った。なんだ、なかなかいいところがあるじゃないか。しばらくしておっととステファノが帰宅してソファを2階に運び入れはじめたので、わたしはそれにあわせてパスタを茹で始めた。2階からどかどかとステファノが「いや~、今日はさんざんな一日でしたよ。」と降りてくる。あいかわらずたばこ臭い男だ。そして今回は強烈な体臭がして、クラクラくる。ソファひとつがそんなに大変?わたしはちょっとムッとしながらテーブルにパスタを並べた。ステファノ2「奥さん、このラグーソース、おいしいですよ。」わたし「そりゃどうも。市販の瓶詰めソースです。」おっとがすかさず「彼はイタリア料理のシェフと同居していて口が肥えているんだ。」とフォローだか、非難だか、わからないコメントを出す。ステファノ2「今日は一日で救急車にパトカーで事情聴取で、いろいろあってクタクタ。あ、奥さんごちそうさま。お料理がお上手ですね。」わたし「事情聴取?人身事故でも起こしたの?」ステファノ2「え、奥さん。よくわかりましたね!」わたし「あははは。」おっと「笑い事じゃないよ、ホントだよ。」わたし「げっ!?」おっとはわたしに携帯のカメラで撮ったワゴン車を見せた。見事に後部がへしゃげていた。こ、この野郎。。。ステファノ2「相手のクルマのおばさん、携帯を見ながら駐車場で発進しかけてたぼくに突っ込んできたんですよ。彼女シートベルトをしていなかったから顔面血まみれになって救急車で運ばれたんです。」わたし「うわ~。。。でもよかった、ステファノは悪くないんだ。」おっと「それが、おばさんはステファノが悪いと言ってるんだ。今回はすぐに警察を呼んだし、どちらが悪いかわかるまで3ヶ月かな。」ステファノはこのあと、疲れきった顔で出て行った。可哀想なおっとはもっと疲れた顔で座り込んでしまった。ほんの3日前、清水の舞台から飛び降りる気持ちで、もう4年は行っていない夏のバカンスに1週間行くことを決めて、旅行代金12ヶ月ローンで頭金を払い込んだばかりだ。たとえステファノ2が正しくて、ワゴン車の修理代が支払われるとしても、前回の我が家のモンデ男くん事件から考えると1年後ぐらい。しかしワゴン車はすぐに修理しないと仕事にならない。一応我が社には規則があって、従業員が事故を起こした場合、ワゴン車の修理代は従業員本人持ちなのだが、善悪がわかるまで今のところはおっとが自己負担しなければならない。わたしの収入はもうないというのに、わたしたちはこれから生活できるのだろうか?そして先週末。暑い日だった。それでも毎週お決まりの食料買出しに冷房のガンガン効いたスーパーに行かなければならないので、Ryuに少し厚着をさせて午前中でかけていたおっとの帰りを待った。おっとが帰ってきた。ステファノ2と一緒だ。「今からクルマの販売代理店に行かなきゃいけないんだ。帰り道にスーパーに行こう。」クルマ。。?そういえば我が家の長老モンデ男くん、1年前からエアコンも壊れて修理するより買い替え時なので、ずっとお買い得なクルマを探しているのだ。しかしいきなりだな。連れて行かれた販売代理店はただのポンコツ屋で、2つの環状線にはさまれ、日差しとスモッグとほこりで気を失いそうな場所だった。わたしは慌てて汗だくのRyuに着せていたものを脱がせて下着だけにした。ステファノ2は「ボス、これなんっすよ!」と、ほこりにまみれた95年製のクルマに駆け寄る。なんだ、ステファノ2のクルマか。「かっこいいでしょ~?これが諸経費込みでたったの2000ユーロ!運送業者するのにやっぱ、クルマのひとつも持たないとね。」プレハブ小屋の中から上半身裸のおっさんが出てきた。「今日はうちの社長が留守だからクルマは売れないよ。月曜に来てくれ。」ステファノ2「そんな!今日はうちのボス連れで来たんだ。現金一括払いにするって前もってあんたのとこの社長と話もついてる。」現金一括払い。。。ワゴン車の修理代も払わなきゃいけないかもしれないのに豪勢だな。おっと「来月の給料いらないからって、前借りしてきたよ。」そうなのか。尻の青いちんぴら野郎だな。一人ぐらしなのに生活費とかどうするの?わたしとRyuはコンクリートの壁のわずかな日陰にへばりついて見ていると、3人のちんぴらはそれから押し問答を繰り広げ、結局なんの収穫もないまますごすごと戻ってきた。おっと「。。。スーパーに行こうか。」スーパーに着くと、おっととステファノ2はベビーカーを押して真面目な顔でしゃべりながらあっという間にどこかの売り場に消え去ってしまった。わたしは野菜を選ぶ。寒い。。。ベビーカーに全部Ryuの上着は乗っているけれど、おっとはちゃんとRyuに着せてくれているだろうか?買い物が終わって、どこからともなくおっとたちが現れた。Ryuを見ると下着のままで鼻水をたらし、手足が冷たくなっていた。わたしは頭の中で激怒、しかしこんなヤギ野郎にRyuを任せてしまったわたしが一番悪い。Ryu...ごめんね。ひどく哀しくなった。あれから1週間。Ryuは2日ほどひどいせきとくしゃみと鼻水で苦しんでいたが(そんな中、無理にバーゲンに連れ出したおっとにさらに激怒)、今はただのハナタレ小僧にまで回復した。そして昨日はステファノ2の駐車違反切符が書留で届いた。(ちなみに切符も当然従業員持ち。)ちなみにステファノ1は2年ぐらいうちで働いているけど、まだ切符を切られたことないのにな。そんなステファノ2は南イタリアプーリア州出身の21歳。14人兄弟の2番目で、一番末っ子は17歳だそうである。そんなに短期間で次々と出産?長男の結婚式には2000人の親戚が参加したそうだ。さすが謎に包まれたプーリア州と、ステファノ2である。これからネタに欠くことがない予感はするが、他人事と笑っていられないのであった。とーちゃん、しっかりしておくれよ。
2008.07.12
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先週土曜日。ちょっと前にモデナに引っ越していった期間限定友達さとちゃんが「仕事でミラノに行くので、そちらにRyuちゃんを見に行きます!」と連絡をくれたので楽しみにしていた。わたしは何時間も前から夜ご飯の支度をして、おっとはソファに寝転がってDVDを観ていて、彼らが着く30分前にわたしはとうとう切れておっとにモップをつかませ、ソファから転げ落とす。おっとがブツブツ言いながら掃除していると時間きっちりにさとちゃんと旦那さんが現れた。わたし「お疲れさま~、どうだった仕事は?」さとちゃん「実は今日は仕事はなくなったんです。」え、じゃあミラノまではるばるわたしたちにだけ会いに来たの?じ~~~~~んと来た。やっぱり元同じINAKAMACHI(わが町の仮名)の同胞、大好きな友達である。重いのに2kgもの日本土産のお米、ありがと~!!彼女たちはミニバスを購入して3月から日本人のお客さんをターゲットにしたツーリスト業をはじめることになった。モデナを中心にしているが、ミラノやフィレンツエ、ボローニャにも個人ツアーや、ビジネスにミニバスで廻ってくれる。ご興味のある方はこちら。ソッレバンテサービスこんなにいいひとたちだから、きっと気持ちのいいサービスをしてくれると思います!*****INAKAMACHIの同胞、といえばこちらに引っ越してきたとき、まさかこんな田舎に日本人なんて住んでいると思っていなかったのだ。確かにわが町はさとちゃんが引っ越してからは日本人はわたし一人きりのようだが、最近近隣の町に日本人が潜在していることがわかってきた。ひとりはまだ妊娠中に隣町の病院のマタニテイコースに参加しているとき、よそのクラスでときどき見ていたアジア人女性がいた。しかしまさか日本人だとは思わず、おっとも「中国人に決まってるじゃないか。」と断言し、「中国人にしたらずいぶんきっちりした身なりだな。まあ最近彼らもおしゃれだし。。」と気になりながらも最後まで声もかけずにコースは終わってしまった。もうひとりは最近Mixiでさとちゃんと同じように知り合った絵描きのミカチさん。彼女はもう5年も別の隣町に住んでいたというのに全然知り合う機会がなかった。それが日本のサイトを通じて知り合うなんて、縁とは不思議なものである。あまりの家の近さに感激して、こんな田舎町しゃれたカフェもないし、初めてのメールでもう我が家に誘ってしまった。彼女は駐在員妻なのだが、今まで会ったことのある数少ない駐在員妻の中では一番いいひとというか、それまで彼女のブログを読み込んだりとかもしていなかったのだけど、とても気さくなひとで、まるで昔からの知り合いのように気があってしまった。しかし彼女もさとちゃんと一緒で期間限定友達。3月中旬には日本に永久帰国だ。ああ、わたしって日本人のご近所さんに縁が薄いな~。。。ミカチさんは本当にいいひとで、さびしがり屋のわたしに近隣の町に住む日本人を数人紹介してくれることになった。ひとりは彼女よりももっとうちに近いところにイタリア人と結婚して15年も住んでいるイタリア歴ベテラン(?)の楽しい関西人のSさん。もうひとりはなんと、上記のマタニテイコースで声をかけそびれてしまったYさんだったのだ。やっぱり縁ってあるんだね、とこのとき思った。知り合わなければならないひとには知り合えるようになってるんだ。彼女はわたしの3週間前に女児を出産されていて共通点が多い。しかもミカチさんはなんと毎月第3木曜に開かれるというこの周辺の地域の日本人会に先週、連れて行ってくれた。引き上げ準備で忙しいはずなのに、こんなにかまってくれるのがすごくうれしい!そんなものまであるぐらい、日本人がいるんだ。。。。←(目からうろこ)場所はMonzaで唯一の日本食レストラン。30分前にSさんにクルマで迎えに来てもらってRyuを積み込んで出発する。いつもRyuの積み込み作業はおっとが全部やっているものだから、ベビーカーを後ろに積むときに人様のクルマにキズをつけそうでこわかった。日本食レストランに着くまでにSさんが本日の参加者のおおまかな情報を説明してくれる。今回は大御所様が3人も来られるそうで、ひとりはなんと40年ものイタリア在住者である。ド、ドキドキする。。わたしたちがレストランに入ると、もうその大御所様たちが3人+1人座っておられて、奥にミカチさんとYさんがチャイルドシートに乗せた娘ちゃんを横に置いて座っていた。緊張のあまりぼ~っと立っていると、前回来たときに仲良くなった中国人のウエイトレスがもうベビーカーを奥に設置してくれた。わたしはなんだかわからないまま椅子に座ると、大御所様のひとりに「ぼくちゃんの帽子が目までかぶってるわよ。」と注意されてハッと我に返った。そんなそわそわしている母の気分が伝染したのか、Ryuも落ち着きなくずっとグズグズしている。隣に座っている3週間違いの赤ちゃんはおとなしくて落ち着いているのに。。。めったに食べれない貴重な寿司を半分ほど急いでかきこみ、Ryuを抱っこしてあやしていると、隣の赤ちゃんはその間におとなしく哺乳瓶からカモミール茶を飲んでいる。カモミール茶。。うちのRyuはおっぱい以外、断固拒否!と絶対受け付けないのにな。断固拒否!といえば、おしゃぶりと靴下もつけてちょっと目をそらすともうはずしていて、まさに一瞬芸なのである。やがてSさんが来て「Ryuちゃんを抱っこしててあげるから食べ終わりなさいよ。」と言ってくれたのでありがたくRyuをあづけて寿司を味わうことが出来た。味噌汁を飲みながらSさんの腕に抱かれてご機嫌になったRyuとYさんの娘の違いを観察する。うちの子のほうが後から産まれたというのにひとまわりほど横にも縦にも大きい。大御所様たちは「Ryuちゃんって九州男児みたいね。」とおっしゃられた。なるほど、眉毛も濃くてつながってるし、全体的に「こってり」という雰囲気。Yさんの娘は色白ではんなり、という感じで例えるならお雛様のよう。さしずめうちの子は熊吾郎か、カールおじさんだ。Yさんと子供の成長ぶりに関していろいろしゃべった。彼女の方が乳児湿疹も、予防接種も、通らなければならない関門は全てうちより少し前に経験しているので、彼女の経験談がすごく役に立つ。その後、我が子から目を離して大御所様たちを観察した。ひとりが「この本、おもしろいのよ。」ともうひとりにイタリア語の心理学だかなんだかの本を渡している。そのひとはパラパラとページをめくって「あら本当。おもしろそう、読んでみるわ。」と言っていた。わたしはイタリア在住はまあ長い部に入るが恥ずかしながらかろうじて新聞を1日かけて読めるぐらいの程度だ。(しかも何パーセント理解してるんだか?)40年も住めば、わたしもパラパラとページをめくっただけでも内容が理解出来るようになるんだろうか?食事が済み、割にあっさり解散となった。まあこんなにそれぞれ年の差があれば「2次会、飲みに行きませんか?」も難しいか。貴重な体験だった。また参加したいと思う。そういえば昨日、隣の大きな町をベビーカーを押してウインドウショッピングをして散歩していると、同じくウインドウを覗いて歩いている日本人らしき女の子を見かけた。声でもかけようかな、と近づくとこちらも見ずに逃げるように行ってしまった。まあ、縁があるならまたどこかで会うだろう。
2008.02.25
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前回の日記のぼろ勝ちサッカー試合動画 ジャパンVSエクアドル をご覧になりたい方はここ。http://www.youtube.com/watch?v=HYd4Nc6DZ4g
2007.10.01
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おととい夜中、またもや大雨が降った。いつもは爆睡状態で起きないおっとが珍しく「雨だ!」と珍しく深い眠りに入っていたわたしを叩き起こし、ひとりで2階に様子を見に上がっていった。(ひとりで行くなら起こすな!)しばらくしてベッドに入りなおすおっと。「どうだった?」と聞くと「うん、大丈夫。もう姿見が置いてある一箇所からしか水が入ってきてないよ。」「え!今までそんなところから水なんて漏れなかったじゃない?」おっとは眠そうに「他の箇所を修理してるときにそこの古い瓦を踏みつけて割ったんだな、きっと。今度友達が来たら、修理はそこだけでいいや。」とすぐに大いびきを立てて眠ってしまった。踏んだだけで壊れる瓦?そんなのだったら「象が踏んでも壊れない筆箱」のほうがマシじゃないか!あれのCMは確か、インド人のようなひとを乗っけた本物の象がそうっと筆箱の上に足を置いて「壊れない~。」と言っていたような気がする。しかしここから明け方までわたしはずっと小学生の頃、友達の持っていた赤い「象が踏んでも壊れない筆箱」の上に机の上から飛び降りて壊してしまって泣かせてしまったことを思い出し、悔いていたのであった。****本題に入ろう。先日、ジェノバのいとこのルイスが挑戦状を送ってきた。ルイスはちょくちょく家族を置いて、独りでジェノバの酔っ払いヤギたちとミラノにまで夜遊びに来る。ずっと前、この連中と一緒におっとが所属している日本人フットサルチーム「ミラノカルチェットチーム」の試合に参加して楽しかったらしい。「エクアドル対日本の国際親善サッカー試合をしようじゃないか。場所はミラノとジェノバの中間の社長の別荘裏のサッカー場、ということで。」地図を見るまでもなく、この位置はちっとも中間じゃなくてかなりジェノバ寄りだ。こんな遠くまでみんな行く、と言ってくれるだろうか?とおそるおそる監督のありまりちゃんに電話してみる。ありまり監督「え~、すっごく楽しそう!!いいよ、みんなに聞いてみる。」試合予定日まで2週間ほど時間があったのだが、やはりそんな遠くになかなかメンバーが集まらない。かき集めて結局4日前に決まったこちら側のメンバーは日本人9人、イタリア人3人、南米人4人の計16人。。。。なんかちっとも日本人チームじゃないな~。しょうがないか。2日前。イタリア人2人を皮切りに、ブラジル人2人がドタキャン。相手のエクアドル人チームも、最初は「試合の後はBBQを用意するから和気あいあい。」とおいしいことを言っておきながら「誰も調理したがらねえからパンとハムだけ買ってくるし、パニーノだな。」と変更してくる。予想はしていたが、本当にいい加減なラテンヤギたちである。↑のイタリア人2人はサッカー場までのメンバーのクルマの足でもあったのだ。2台もなくなれば、みんなどうやって目的地まで行くんだ!?最悪うちのワゴン車も出動させるか。。と思っていたのだが、さらに数名ドタキャンが出たことと、風邪で欠席を表明していた日本人のMさんが「そういうことなら足になります。」と申し出てくれて、なんとか解決。日本人の義理堅さをありがたく思ったのだった。当日朝。目覚まし時計でわたしは目が覚めて顔を洗っていたら家の電話が鳴った。エルトンからだった。「マルちゃんは?」わたし「まだ寝てる。」エルトン「代わってよ。」おっと「う~ん、後でかけなおすって言って。。」わたし「ダメだよ、そろそろあんたも起きないと。」寝ぼけまなこで起き出し電話を代わるおっと。エルトン「おい、起きろ!目覚まし時計代わりに電話してやったんだ。日本人は時間に正確なんだから、遅れは許されないんだぞ!!」この怒声でしぶしぶ起きたおっと。寝ぼけてテーブルの上のガラスのコップを落として割って、掃除していたら結局少し遅れてエルトン宅に着いた。エルトン「なんだよ~、起こしてやったのにこの時間かよ。」彼はずいぶん張り切っていた。まだ寝ぼけてぐにゃぐにゃのおっとと運転を替わり、疾走するエルトン。集合場所に3分前に着いたのであった。しかし見渡しても日本人らしき姿がどこにも見えない。場所を間違えたかと監督に電話すると「ごめ~ん、まだみんな着いてないの。遅れるわ。」思わず吹き出してしまってエルトンに事情を話すと「イタリアに来る日本人ってのは、日本の時間感覚で生きていけないからこっちの生活を選んだんだな。」と皮肉たっぷりに笑ったのだった。ごもっともな発言である。この後30分遅れで出発したものの、高速道路を抜け、ぶどう畑の中ののどかな田舎道をひた走り、なんとか時間通りに到着。エクアドル人チームはすでに全員ナショナルカラーの黄色のユニフォームに着替えて待っていた。我々チームも全員サムライブルーのユニフォームに着替えて出てくる。。と思っていたらブラジルのユニフォームあり、黒いユニフォームありであまり統一感がない。監督「あれ~?連絡不行き届きかなあ?」そんな姿だけ見ればエクアドル人のほうはマッチョで浅黒いひとも多くてなんだか強そうだ。そういえばルイスの家には数々のトロフィーが並んでいた。毎土曜日練習に精を出しているみたいだし、あなどれないかも。。試合が始まった。監督ありまりとわたしは、試合そっちのけでパニーノ作りに精を出すエク人側の奥さん方に気を取られて少し遅れて入場。こういうシーンで男女が交わってゲームを楽しまないところ、まだまだ南米は男性主義である。「今、何点?」と聞くと「日本チーム1点。」と返事が返ってきた。まだ試合が始まって10分も経っていない。すごいじゃないかっ!!わたしは幽霊部員なので、監督にメンバー全員の名前を書き出してもらって覚えがてらに誰が何点入れたか採点していく。同時にタイムキーパーもしなければならないので、集中力がいる仕事だ。そうやってよく観察していたせいかサッカー音痴ではあるが、かなり試合が見えてきた。日本人チームはかなり苦戦していた。何に苦戦していたか表現に困ったのだが、高校生のKヘイくんが言葉にしてくれた。「エク人チーム、一生懸命頑張ってるので、いかにシュートをしないであげられるか悩んでしまうのです。」ああ、青年期特有の優しさか?そうなのであった。見た目、あれほど強そうなエクアドルチーム、めちゃくちゃ弱すぎ!!ってか、日本人チームが強すぎ?日本人が決めるシュートはほぼ100パーセントゴール、おかげでエク人のくせに日本人側キーパーを勤めるおっとは試合中に「暑い。」とユニフォームを脱ぎ、下着姿で時には芝生に寝転がり、鼻くそもほじっているようで暇そうである。前半戦45分は 日本 7-0 エクアドル の圧勝。おっと「ぼく後半からはエクアドル側のキーパーやるよ。」←よほど暇だったと見える。こうもり男め!というわけで、後半戦はじゃんけんに負けた日本人数人で10分交替でキーパーをすることとなった。そんなにちょろちょろ交替するので、うっかり油断してエクアドルに1点入れられてしまったが、おっとが敵に廻ったことでなぜか闘志を燃やしたエルトン、数人のメンバーがおっとの守るゴールを攻め立て後半戦45分 日本 10-1 エクアドル、トータル 日本 17-1 エクアドルの大圧勝で終わった!!試合が終わってシャワーを浴びて、両チーム一緒にテーブルを囲んで和気あいあいと昼食会、と表面上はなったのだが、ぼろ負けエクアドルチーム、まったく面白くなさそうにパニーノをほおばっている。そして食べ終わると大半のメンバーがとっととジェノバに帰ってしまった。それに比べて上機嫌の日本チーム「勝者へのごほうびは?」と無邪気に聞く。そうなのだ、ルイスが優勝トロフィーを用意しているはず。。。。ルイスはぶすっと「。。。持ってこなかった。」OOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!??なんだ、そりゃ~っ!?持ってこなかったのはすでにトロフィーに前もって「優勝者エクアドルチーム」と刻印してしまったからだろうか?とふと思う。なんせ、この試合の不調の言い訳「昨夜、前祝いにメンバー全員で朝まで飲みに出かけたから。」と奥さんのミリーが言ってたし。この後なんだかちょっとしらけてしまって、どうせならこの田舎の村を少し散策してから帰りたかったのだが、試合疲れもあってみんなしてミラノに直帰してしまった。わたしはプレーヤーじゃないけど、誇り高い気持ちでいっぱいだった。強いんだな~、「ミラノカルチェットチーム」!!
2007.09.19
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ちょっと前にブラジルに帰省していたエルトンが帰ってきた。彼が旅立つ前に我が家にお別れを言うついでに彼の家の鍵を預けに来たときは、汚い話だが、わたしは猛烈に気持ちが悪くて洗面所から離れられない状態だった。そのときだけはかろうじて寝室にヨロヨロと駆け込んでドアをぴったり閉め、床にうずくまってグッタリと、彼が用事が済んで出て行くのを息をひそめて待っていたのである。ドアの外からはおっとが「いくきーとは今気持ちが悪いみたいで。」と言ってるのが聞こえ、エルトンが「可哀相に、じゃあもう行くよ。。。」と応対しているのでヤレヤレ、と思っていると、その瞬間ドアが開いて、わたしは朦朧とした意識の中「え!?」と顔も上げれないまま驚いた。おっと「ほらっ、ごらんの通りの状態でね。」と、パジャマ姿もヨレヨレな床に這いつくばっているわたしを見世物にしているではないか!?わたし「うぐ。。エルトン、こんな状態でゴメン。」←しどろもどろエルトンもおっとの突飛な行動とわたしのみじめな姿にしどろもどろに「あ。ああ、ごめん。」と慌ててドアを閉めなおしてそそくさと出て行った。この時わたしはまったくデリカシーのないおっとに哀しくなったのだった。そのちょっと前に彼が我が家に来たときは、両親が家に居たのだが、わたしはベッドの上で起きていたので、エルトンは寝室に入りドアをきっちり閉めた。「もうすぐブラジルに帰るから、って理由でやっとあの4人の居候に出て行ってもらったよ。ああ、長くて苦しかった!」とさっそく報告。しかし、うれしいながらも彼らが出て行く前に、エルトンをさんざんののしって「あんたなんかに神の加護はないわよ!!」と言われたことや(彼は敬虔な信者なので相当ショックだったようである。)、買って1年もしなかった上等なベッドマットが子供たちのオネショだらけになって、捨てる羽目になったことなど、早口で愚痴って出て行ったのである。どうせ、親切にしたところでこういう結末になることは目に見えていたのだから、そんな恩知らずなやつ達はトットと冷酷に追い出してやればよかったんだ。エルトンはブラジルにはご両親の結婚45周年のパーティに参加する名目で3週間ほど滞在したのだが、しっかりものの彼はその間、バカンスらしいこともせずいろいろと忙しかったようである。わたしはつい最近知ったのだが、エルトンは実は日系3世ならぬ、イタリア系3世だったのだ。ブラジルという国は本当にいろいろな国の移民を引き受けているんだなあ、と感心した。そこで今回の帰国にイタリアに帰化するための書類の作成、という目的が主だったらしい。わたし「。。。でもカナダに移住するのになんでイタリア籍が必要なの?」エルトン「そのためのイタリア籍だよ。向こうに行ったら、ヨーロッパ籍のほうが何かと都合がいいからね。それに今の家を誰かに貸す、となるときっとイタリアには戻ってこなければならないときもあるだろうから、そのとき簡単に入国できるようにするためさ。」わたし「ふう~ん。。」エルトン「それに、カナダに住んでみて住みにくそうならこっちに帰ってこれるしね。」わたし「ブラジルじゃなしに?」エルトン「ブラジルはだんだん経済的にマシにはなってきているけど、今回の帰国で国民性が肌に合わない、と感じたからもう帰らない。」わたし「え~、自分の母国なのに、何がダメなの?わたしは日本が大好きだけどなあ。」エルトン「暑い国だから人々が怠惰だ。だから絶対先進国入りはできないし、発展途上国のままだ。帰国してみてしみじみ感じたけど、あんなに毎日ソーセージと肉と豆ばっかり食べてビールばっかり飲んでいたら、早死にするよ。」うう~ん、エクアドルもそんな感じだから的は得てる気はするけど、自国民が言う発言じゃないな。とにかくそういうことで、エルトンは帰国翌日にはさっそく市役所に行って帰化の手続きもし、カナダ移住計画が着々と進んでいるようであった。(わたしたちは、といえばおっとは気軽に「そのうち追いかける。」と言っていたが、子供もできてしまったらそれどころじゃなくなるのは目に見えている。それに、2人してそんな右も左もわからぬ言葉も違う外国で一から始めるぐらいなら、日本に移住したほうがわたしの負担は大きくなるけどまだマシってもんだ。)わたしは、仲のいいご近所さんが遠いところに引っ越すのが寂しい以上に心細い。なぜなら、ヤギなおっとは、いくら説得しても週末の酔いどれ朝帰りはやめることがなく、夜中にそうやって酔って正体不明の時には携帯に連絡しても応えない。そんなときにわたしひとりならともかく、もうひとりの命を抱えている状態で何かあったりしたら。。。とハラハラしてしまう。そこで夜遊びもしない、お酒も飲まない、夜中でも電話したらすぐに来てくれるご近所の真面目なエルトンが、わたしの心の拠り所だったのだ。実際彼もそこのところよく理解してくれていて「マルちゃんがいないときに何かあったら、ぼくにすぐに連絡するんだよ。」と言ってくれるのでおっとよりも心強いってのが、ちょっと情けないがうれしい。彼がいなくなったらどうしよう。。。せめてせめて、12月の出産時期ぐらいまでは居て欲しいな、などと都合のいいことを思っていると昨日もまた我が家に仕事帰りのおっとと共にやってきた。我が両親は2日も前からミラノ中央駅前のホテルに滞在し、今朝帰国したので、ここのところうちに来るときはいつも緊張していたエルトンもリラックスしてみえた。それはおっとは制服姿で現れたのに、同じ会社で働くエルトンが私服姿だから余計にそう見える、ということに気がついた。わたしは冗談で「エルトン、制服が変わったの?」と聞くと、彼は笑って「うん、部署が替わったからね。」と応える。わたし「え!事務職にでも移動したの?」←ホンキエルトン「ううん、無職部。」わたし「ゲ~~~???うそでしょ?!あ、転職先を見つけたんだ?」エルトン「ううん、次の職はまだ見つけてない。」わたし「ゲゲ。ゆ、勇気あるなあ。。」エルトン「もう、我慢が限界だったからね。」そうなのだ、おっととエルトンが働く運送会社は、わたしも一度社会見学をしたことがあるが、なんせガテン系なので、大将になるほどガラが悪くてこわい。他の働く人々も「このひとたちはスラングしか知らないんじゃないか?」と思うほど汚い言葉でしゃべりまくる。おかげさまで簡単に環境になじむおっとはどんどんガラが悪くなっている現状である。ところがエルトンはとことん育ちがいいらしく、このスラングを頑として嫌っているし、同僚たちと一緒に仕事の後、夜遊びもしないし、たまに休日の昼間のお酒の席でも飲まないので、いつもしらふで真面目なことばかり言っているようなので、どんどん仲間たちとは距離ができ、上司にはかなりいじめられていたらしい。おっとは仕事上、腹の立つことがあっても上手に乗り越えられるようなのだが、エルトンの場合は不器用なので真正面からぶつかって大喧嘩になるのもしばしばだったみたいだ。ずいぶん前からこのことは聞いていたから、彼がこの仕事を辞めることに関してはそんなに驚くことではなかったけれど、カナダ移住を目の前にしてどういうつもりだろう?エルトン「ぼくは頭がおかしくなったんだよ。」まったくだ。我が家ならまだこの会社の下請けだし、おっとがもし突然辞めたところでステファノの稼ぎと別の小口の仕事で繋いだら1ヶ月ぐらいやりすごせるだろうが、彼はここの従業員である。辞めてしまったらそれでお終いだ。彼は、この間のブラジル帰省のときはちょっとお金が足りなくて、うちに借りに来たぐらいだ。これからのカナダ移住を目の前にして家の中もリフォームするって言ってたし、カナダへの旅費、それから当面の生活費の貯蓄、諸々を考えるとこの先短いのに、今仕事を辞めるべきじゃないと思うのだが。。。エルトン、他人のことながらとても気になるのである。
2007.07.10
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昨日の日記から気を取り直して、s◎i◎◎◎ci◎家、翌土曜日。朝9時前ぐらいに目を覚まし、s◎i◎◎◎ci◎さんの部屋をのぞくとまだ寝ていた。_| ̄|○しかたがないなあ。わたしは顔を洗って着替えて、空手道場ほどの広さがあるリビングに行くと、大きなベランダからは運河が目の前、水の上を進むバポレット上の観光客がわたしを見て手を振った。めちゃくちゃな好天である。前日は夜遅くでゆっくりおうち拝見が出来なかったが、s◎i◎◎◎ci◎さんちって、運河沿いの角の家でめちゃくちゃ立地条件がいい。天井にはベネチアつくりのガラスの花の咲いたシャンデリアがぶら下がり、天井までの書棚には古い天使の絵のペイントがほどこされている。壁の至る所には広重、歌麿、北斎の本物の版画が!(北斎はこの中でも高い!とうちの社長談)部屋の数もホテルが出来そうなぐらいたくさんある。す、すごい。。。わたしは書棚からベネチア観光の本を拝借してヤギなら10匹ぐらい座るんじゃないかと思うような長いソファの隅にちんまりと座って本を広げた。(真ん中に座ると沈んで、まわりに支えがないので横倒しになったため。)しばらく上の空で読んでいたが、とうとうつまらなくなって一番奥にあるs◎i◎◎◎ci◎さんの部屋のドアをドンドン叩いてまさに「叩き起こした」のだった。s◎i◎◎◎ci◎さんが出かける準備をしている間、わたしはキッチンでコーヒーを飲んでいたのだが、彼女がどこかから「いくきとちゃん、あのね~。」と喋りかけても家が広いので探し回らなければならず、家が広すぎるのも不便というか、貧乏所帯の狭さに慣れてしまった自分がイヤになった。やっとお昼前、わたしたちは外に出た。s◎i◎◎◎ci◎さんは慣れた足取りで路地をすいすい歩いていく。彼女の行きつけのBarで朝食を済ませ、1年にほとんど開いていないことが有名な、おいしいことでも有名なお菓子屋さんでプチケーキを買って、国鉄駅に向かった。向かう途中、首からカメラを提げたわたしは見納めに写真を撮りまくる。コンテンポラリーアートが街角に急に展示されている。ベネチアらしく渡し舟。なぜならこの日、わたしたちは彼女の15年来の旧友Fさんにお昼ごはんに呼ばれたのだった。Fさんちはベネチアから鈍行で30km。ちょうどミラノから我が家に行くほどの距離で、だんだん田舎になりぐあいも似ている。無人駅に着くと駅前にFさんが可愛い真っ赤な小さいクルマでお出迎え。さばさばした感じのお姉さんだ。なんと彼女とs◎i◎◎◎ci◎さんはこの日が9年(?)ぶりの再会。なのに、この慣れようがすごい。おもしろいひとだ。←2人に「いくきとちゃんおもしろい。」と言われたが、それは違うと思うのだ。笑わたしたちは彼女の住む、大きな田舎家に着いた。前庭にはシーツが気持ちよく広げて干してあって、裏庭には鶏が走っていて、横庭には家庭菜園があって、日本の懐かしの田舎家を想像させなくもない。大きな明るいダイニングで大きな丸テーブルを囲んで旦那さん、14歳と8歳の息子君と共に、全て自家製野菜で作られたピーマンの煮つけとか、枝マメとかサラダとかをから揚げと一緒に柔らかい口当たりのこれも自家製ワインで楽しく食べた。あ~あ、もうアルコールはしばらくやめようと思ったのに。食事が済むと、女三人でおしゃべりが炸裂である。おかしい、このふたりは関西人でないのに、ぼけと突込みがナチュラルだよ?ああ、おだやかだ。あんなおっとのいるミラノに帰りたくない。。。しかし帰らなければならなかった。わたしはしぶしぶ席を立ち、2人に送られて電車に乗った。s◎i◎◎◎ci◎さんは残って、さらに炸裂するらしい。うらやましいな。旅というのは往き道は興奮してワクワクするが、帰り道、というのはなんだか寂しい。あ、哀しくなってきた。。。きた。。。。キター!!←ふるっそうやって哀愁を漂わせて夜11時ごろ家に帰りつくとおっとは居なかった。あ、そういえばエルトンと日本人フットサルの試合に出かけたんだっけ。わたしは疲れてソファにリュックの中身を全部投げ出し、歩きながら服をあちこちに脱ぎ捨てて、誰も見ていないことをいいことに真っ裸で洗面所に歩いていってシャワーを浴びた。浴び終わる頃に玄関の鍵をガチャガチャ開ける音がする。ああ、おっとが帰ってきたんだな。おっと「上がれよ、腹減っただろ?パスタでも作るからさ。」え?エルトンをうちに上げてるの?やばっ、あちこちに衣類が散乱してる。耳を済ませていると、おっとが大音量でサルサをかけた。?? エルトン、サルサそんなに好きじゃないはず???バスタオルで身体を拭いてバスタブから出てあることに気がついた。ふ。。。。服を、着替えの服を持って来てない!!OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!わたしは洗面所のドアを糸の大きさぐらいに開けて、そばの窓ガラスを見ると、反射して数人がキッチンのテーブルに座っているのが見えた。OOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!?????????????わたしはドアをそうっと閉め、あらん限りの声で「おっと~!!!ちょっと来て~!!!!」とわめいた。不機嫌そうに「どうしたんだよ?」と入ってきそうになるおっとをドアギリギリで阻止し「服、持ってきて。」と小声でささやく。ぶつぶついいながらおっとが持ってきたのは「パジャマ」。確かに時間的にはパジャマが相応だが、状況的には普通の服だろう?それに、あの~、パンツも欲しいんですけど?仕方がない。わたしはノーパンでパジャマを着て「ああ、みなさんいらっしゃい。」と引きつり笑いを浮かべて寝室に駆け込んだのだった。寝室でパンツを履きながら、キッチンで見たメンバーはジェノバのいとこルイスとその友達で片目がちょっとつぶれた男、そしてエルトンだったことにショックを覚えた。エルトンはともかく、あいつらがなんでミラノにいるんだよっ!?ここは日本ではないので「ちょっと実家に帰ります。」が簡単に出来ないのが悩みの種で、その反動で確かにわたしは「家出」をたまにする。だいたいわたしが「家出」をするときは、今回のようにおっととの関係が限界線を超えたときにする行動なので、わたしの心情としては、おっと独りで家に残り、なんでこうなったかじっくり反省して欲しいところなのだが、異国のヤギはやはりメンタリティーが大きく違うので、こういう場合、やつは必ずといっていいほどこれを幸いに家に思いつく限りのヤギを呼び込むのである!!わかっているんだ、わかっているのに。。。こうも納得がいかないのはなぜ?やがてパスタが出来たようだ。エルトンがおっとに何かささやいている。おっとは寝室のドアを開いて作り笑顔で「いくきーとも食べる?」と聞いてきた。そこでやっと腹ペコだったことに気付いたわたしは「ああ、ありがとう。」といってお皿を取りに行った。エルトン「いくきーともここに座って食べなよ。」わたし「あ、いい。寝室で食べる。」←誰とも口を利きたくない気分エルトン「。。。疲れてるんだね、大丈夫?」。。。。。エルトン、事情がわかってるんだね。じゃ、そっとしておいて。食べ終わってお皿を流しに置いて、洗濯機の前で洗濯物を無言で干していると、さすがにヤギなルイスもどよんとした雰囲気に気付いたらしい。「。。。。おれたち帰るわ。」わたしは無表情で「あれ、泊まって行くんじゃないの?」ルイス「。。。いや、フットサルしにきただけだから。じゃ。」わたし「あ、そう。」と顔も見ずにいると彼らは出て行った。(つづく)
2007.03.14
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しつこいようだが、ミラノは晴天が多く続いている。我が家のそばの並木道は今桜が満開なのだが、今朝ミラノ中央駅のそばの桜はすでにすっかり葉桜になっていてびっくりした。こうも天気が良くて暖かいと、家や会社にこもっているのがもったいないというか、せっせと外出しなければいけないような強迫観念にかられる。で、この週末も先週木曜日から出ずっぱりだった。木曜日はすでにいろいろなひとがネタにしていた「女性デー」。イタリアでは女性は男性からミモザの花をプレゼントしてもらって、女性だけでバカ騒ぎするのが普通。この日はさっそく遊び人ちずさんからお呼びがかかり、前回彼女の誕生日でも行った日本食レストランで食事会。こういう場合、本当はわたしだけで行くのが正道だったのだが、うちだけ田舎から夜の会食への参加なのでセバスチャンおっともついて来ることとなった。前回同様、おいしいお寿司やてんぷらが出てお腹いっぱい食べて飲む。すっかりおなじみになった板さんM田さんからは、女性全員にそれはそれは立派な桃の花のような桜の枝とミモザが組み合わされた和風な花束を各々もらって感激!こんな立派な花束、おっとにすらもらったことがない。そのときすでにベロベロのおっと、2次会のスノッブなワインバーでは下品な冗談を連発したあげく、一人で眠りこけてしまった。怒夜中の1時も過ぎてお開きになり、わたしはおっとを無理やり揺り起こし、家までスリル満点のおっとの飲酒運転で帰った。やつの運転中ずっと「どうせ死ぬなら畳の上、とまでは行かなくても日本の地で死にたいよ~!」と思い続けていたのである。そして金曜の朝はひどい二日酔いで出勤。実はこの日、終業後から密かに企画していた「第4回(5回目だっけ?)家出の旅」に出ることに決めていたので、なんとか休息を取らねばならない。。。。って、仕事中にはさすがにそれは出来ず、しかたがなかったので「移動中に眠ればいいか。」とあきらめた。さて今回の家出先は、ご存知の方はご存知の、なつかしのベネチア在住s◎i◎◎◎ci◎さんち!お世話になりま~~~っすっ!!!。。。と、ここまで家出が常習になると、おっとももう何も言わない。汗 しかし、わたしは週末たっぷりs◎i◎◎◎ci◎さんとの2人きりラブラブ(?)バケーションを楽しむつもりだったのが、おっとの仕組んだ強烈な仕打ちによって金曜の夜に着いて、土曜日夕方にミラノにとんぼ返りという、ハードな行程となってしまったのだった。さて、わたしは金曜日、仕事が終って電車に乗り込んだ。発車時刻の30分も前に着いたので電車の中はまだガラ空きだ。わたしは2等車両に行って窓際のその席が「自由席」と書かれてあるのを確かめ、コートを脱いで、リュックもおろして網棚にあげ、ゆったりと座って新聞を広げた。どんどん電車が混んできた。わたしは構わず新聞を読んでいたのだが、ある時点で「え~オホン。その席はわたしの席なんだが。。」とビジネスマン風の男性に言われた。わたし「え。。。?自由席って書いてありますけど。」そばに座っていた女性「最近は指定席の張り紙をしなくなったのよ。運がよかったら指定しなくても座れるんだけど。」ええええ!!??説明しよう。イタリア国鉄の型の古い電車は向かいあわせの6人席のコンパートメントとなっていてガラスのドアで仕切られていてそのガラスにすでに「自由席」と刻印されたプレートが6つ並んでいる。昔は指定席がある場合、そこに車掌が「指定席」と書かれた紙を差し込んでいくのであったのだが。。。わたし「そうなんですか、すみませ~ん。」と新聞をぐちゃぐちゃにリュックに押し込んでコートを腕に抱え、コンパートメントを出た。まだ通勤ラッシュ時間前だというのに、金曜日だからか?電車は通路までひとがはみだして大混雑だ。わたしはぎゅうぎゅうの通路に肩を縮めて立つ破目となった。くそうっ、そうと知ってたら30分も前に着いたのに、指定席取っておけばよかった!ベネチアまでの3時間、休息をとるどころじゃない。立ちながらイライラと家出の原因などを思い詰めていると電車はブレーシャに着いた。やっとわたしの目の前の席が空いたのですかさずゲット。しかしこれも指定席なんじゃないか、とハラハラとベネチアのほんの3駅前に着くぐらいまで緊張して座っていた小心者である。ベネチアって、ミラノからやっぱり遠い。何度も何度も電車の中でs◎i◎◎◎ci◎さんにSMSを打って所在地を知らせるわたし。電車がミラノを発車したときはまだ太陽がまぶしかったのに、夜真っ暗になってベネチアに着いてホームの端で小さなs◎i◎◎◎ci◎さんさんが飛び上がりそうな勢いで手を振っているのを見つけて心底ホッとしたのであった。まずは国鉄駅近くのs◎i◎◎◎ci◎家経営パン屋さんへ。こじんまりとしたパン屋にもかかわらず、ショーウインドウぎっしりのパンやお菓子、ジュースも豊富、棚には瓶詰めやワインが所狭しと並んでいる。ひっきりなしにお客さんが来て大盛況だ。わたしたちは厨房に入って、はじめてわたしは噂の「Tクさん」に遭った。白い服を着て、お菓子を作るTクさんは「プロの職人オーラ」が漂っていてかっこいい!Tクさんの作ったサブレを味見させてもらったが 「んっま~~~い!!」ん~、お嫁になるひとは幸せだねえ、きっと。わたしたちはTクさんが仕事が終るのをちょっと離れた広場のBarでアペルティーボをして待つ。わたしはそこまでの道をリュックを小脇に抱えていたのだが、ベネチアでは普通に背に背負っていても盗られないそうだ!?しかもバールでも荷物を自分の身から離して置いていてもOK。なぜなら、ベネチアは町が狭いので、そんな異常があったらすぐに噂になって犯人の肩身が狭いことや、クルマが通らないのでスリや泥棒が盗っても遠くに逃げられないかららしい。なんて素晴らしいんだ、ベネチア!!やがてTクさんから連絡が入り、ピッツェリアに集合。オールドアメリカン風のしゃれたレストランで、s◎i◎◎◎ci◎さんとTクさんの日本人友達がたくさん集まって楽しい夕食会になった。Tクさんは「うちの姉貴がついてきたような食事会だな~。」とボスであり、夜遊びをほとんどしないs◎i◎◎◎ci◎さん参加を照れている。観察しているとベネチア在住の日本人はミラノ在住日本人と明らかに、そう、犬で例えるなら猟犬と愛玩犬ぐらいに種類が違うことがわかってきた。ミラノ日本人はばりばりビジネスマンタイプや、おしゃれで痛いほど(?)洗練されたひとが多いが、ベネチア種はおっとりしながらも、突き詰め型、というか?もしかしたらわたしはベネチア種かもしれないな。楽しい食事会も済んで、わたしとs◎i◎◎◎ci◎さんは海風に吹かれながらいよいよ彼女の家に向かう。この日、彼女の旦那さんは出張、2人の愛娘ちゃんたちは山のおばあちゃんたちの別荘にお泊り。まさにふたりっきりで炸裂できる大チャンスであった!!しかし2日酔いにさらにピッツェリアでビールを重ね、ボロボロになっていたわたしはシャワーを浴びてそのまま爆睡してしまったのである。あ~、今思い起こすともったいなかった。(つづく)
2007.03.13
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今日はやっと雨がほんの少し降った。しかし日曜日は朝から快晴で、ずいぶん遅起きしたわたしたちは、窓を開けて広がる青空を見て「とにかく外に出よう!」と着替えにかかった。わたしはおっとが朝食を用意している間にイタリアのロードマップを広げる。おっとはいつも外に出たいくせに、やっぱりヤギなので、彼に決めさせると晴れた日には洗車場か、良くて人ごみであふれかえるIKEAの地下の雑貨売り場、雨の日にはよそのヤギ宅、などとイカさない選択をしてしまう。なのでわたしがいつもどこに行くか考えなくてはならない。てか、まかされっきりだ。時計を見るともう11時半だ。遠出はできないな。。。。しかし、我が家周辺のレッコ湖やベルガモの町はきれいだけれど何回も行くほど魅力的じゃないし。ちゃんと前もって企画しておけば友達でも誘って遠出かピクニックも出来ただろうが、毎日顔を突き合わせていて、しかもケンカしたばっかりのおっとと2人きり。。。?そう考えると気が滅入ってきてどうでもよくなってきた。わたし「去年コックさんと行ったクレスピ ダッダ(ディ アッダ)に行こう。あの町はいまいちだったけど、アッダ川沿いを散策すればいいし。」アッダとは遠くはスイスを経て、コモ湖とつながるレッコ湖に流れ込んだ水がミラノの東に川となって流れているところだ。その川はミラノに近づくと大きく汚くなるが、まだ我が家から近いクレスピ ダッダあたりならきれいで夏は泳ぐことも出来る。わたしたちはリュックに水やリンゴ、スナックを詰めて出発した。前回行った道をそのままなぞっていく。道に迷ってうろうろしたところも同じようにたどっていくと。。。。。。。。またもや道に迷ってしまった。涙果てしなく広がる大草原の一本道脇にクルマを停め、地図(イタリア全体図)を見直しているとおっとの携帯が鳴った。エルトンだった。エルトン「よう、今日はいい天気だな!アッダ川にピクニックに行かないか?」わたし「行く行く。行こうとして道に迷ってたんだ。」エルトン「じゃあ、うちまで戻ってきなよ。」さっそくエルトンの家まで戻る途中に大きく「クレスピ ダッダ→」と書かれた標識を見つけるわたしたち。。。もういいや。エルトンの家につくとエルトンはまるで夏のようにTシャツ短パン姿でリュックにお菓子を詰めている。「きみたち、そんな姿で暑くない?」確かに暑い。気温は絶対24~5度だ。わたしは薄手とはいえ黒いハイネックのセーター、コーデュロイのパンツ。おっとはTシャツの上に長袖のポロシャツ。わたしは洗面所を借りてセーターを脱ぎ、おっとのポロシャツをかぶった。着替え終ると、ころっとしたブラジル人の女性が赤ちゃんを抱いて寝室から出てきた。ああ、これが例の居候か。ちょっとわたしの目は険しくなった。エルトン「彼女はアドレアーナ。旦那ともうひとりの娘はもう川で待ってるよ。さ、出発しよう。」なるほど。この居候家族を運ぶのにエルトンの2人乗りのワゴン車では足りないから駆り出されたわけね。苦笑わたしたちは後部座席に奥さんと子供を乗せてエルトンのワゴン車についてアッダ川に向かったのだった。エルトン「今日はこの間のメドラゴとは別のところに行くよ~。」今回の場所はどこか忘れてしまったが、もっと我々の家に近いところに着いた。エルトンは「アッダ川名人」だ。この間のメドラゴも悪くなかったが、この場所も、高台に教会が見え、貯水ダムの水が轟々と流れ込む川にはたくさん魚がいるピクニックにはもってこいの場所だった。あちこちでいろいろな国籍の家族がBBQをしている。わたしたちが歩いていくと、小さな可愛い女の子が駆けて来てエルトンに飛びついた。エルトンはそのこと手をつないで歩き出す。まるで父娘のようだ。その向こうでは本当の父親がサッカーボールを片手に待っていた。エルトンは古いシーツをひろげ、アドレアーナはその上に眠ってしまった赤ちゃんをそっと置く。。。。。。なんかもう、ひとつのファミリーが出来てるって感じ?わたしたちはやっと自己紹介をしあった。見た目、この居候たち、おだやかで無垢な羊のようである。そして恥ずかしそうに父親のシャツのすそにしがみついている女の子、シーツの上ですやすや眠っている赤ちゃんを見ると、確かにこの子達を追い出すなんて出来ないエルトンの気持ちもわからなくもない。男たちはさっそくサッカーならぬ「蹴鞠?」をはじめた。相手が蹴ったボールを地面に落とさずに足でキャッチして廻す。うん、これならエルトンを次回のフットサルに連れて行ってもいいな。わたしはシーツのはしっこに座り、空を見上げた。暑い。カンカンと陽が照りつける。アドレアーナのそばでは女の子がつまらなそうにボールを転がしているので「一緒に遊ぶ?」とわたしが立ち上がると、恥ずかしそうに母親を見たあと、笑顔になって立ち上がった。小さい子供にわたしはかなり加減してボールを蹴っていたのだが、4歳になるこのコ、上手に結構力強くボールを蹴ってくる。さすが、サッカー王国ブラジル生まれだ。感心しながら遊んでいると、彼女は近くで遊んでいる子供たちが気になってきたようである。わたし「ほら、一緒に遊ぼ、って行って来な。」彼女はうれしそうに駆けて行った。わたしはまたシーツに戻り、女の子の様子を観察しながら赤ちゃんのそばにいるアドレアーナに背をむけて座っていたのだが、背後から彼女に話しかけられた。まだイタリアに着いて2ヶ月、という彼女、たどたどしいがずいぶん上手にイタリア語を話す。ポル語と伊語が似てるといっても上達早すぎ?どうせ、コミュニケーションができないだろうと、黙っていたので(わたしは辛抱強く、相手を待てないタイプ)意外だった。アドレアーナ「イタリアには以前も来たことあるから。。」なるほど。そうとわかるとわたしは向きを変えて質問攻めに遭わせようと思っていたのだが、彼女からまるで我がおっとがいつもはじめて会う人には必ず、といっていいほど始めてしまう様に、自分のおいたちからここまでの個人史を一気に語ってくれたのだった。なんでもイタリアに来るまではブラジルの大手旅行代理店で働いていて、彼女いわく27歳というとてつもない晩婚で(←ブラジル観だなあ)結婚、子供が出来て退職し、2人目の子供が出来たときにデンマークに住む友達を頼って海外に移住を決めたそうだ。わたし「。。で、なんでイタリアなの?」←当然の疑問アドレアーナ「わからないわ。デンマーク行きの飛行機を待ってイタリアでホテル住まいしているうちに居ついちゃったの。」わたし「イタリアに誰か親戚か知り合いがいたの?」アドレアーナ「いないわよ。そのうちホテルで知り合ったシニョーラが家に招待してくれて一緒に住み始めて、わたしにも旦那にも仕事もくれたんだけど。。」わたし「その仕事は?なんで続けていないの?」そのとき、赤ちゃんが目をさましてよちよちシーツの上を這い出した。アドレアーナは会話をやめて赤ちゃんに集中する。くそうっ!肝心な時に!!男3人が「腹減った。メシにしよう。」とわらわらと戻ってきた。わたしたちはこの日の飛び入り参加なので、先述のお菓子しか持って来ていない。エルトンたちは山のようなフォカッチャの包みをひらいて「さあ、食べて!」と進めてくれた。ああ、以前のエルトンとのピクニックはBBQがお約束だったのに。。。。まわりのBBQのおいしそうな肉の匂いを嗅ぎながら、塩味のフォカッチャを食べるわたしたち。飲み物はスーパーブランドのコーラみたいのと、水。。。。そういえば、似たような小話が落語であったよな。涙食べ終わるとまた男たちは蹴鞠をはじめ、アドレアーナは赤ちゃんをあやしはじめたので、わたしは女の子と手をつないでダムのそばの小道を散策しにいった。いろいろわたしに喋りかけてくるのだが、スペ語ならともかく耳慣れないポル語+幼児語なので、何を言っているかわからない。ちりちりなのにふわふわの巻き毛の女の子。小さな花を見つけて摘んできて見せてくれる。ああ、先日エクアドルに永久帰国してしまった小悪魔ミッシェルちゃんと歳は近いのに大違い。。。可愛いなあ☆やがて、陽も傾いて涼しくなってきたので引き上げることにした。駐車場まで行くと、なんと3頭のポニーが草を食んでいた。わたしが恐る恐る近づいていくと、女の子も駆けて来てわたしの手をぎゅっと握る。それが愛らしくてまた萌えてしまう。おかしい、ロリな趣味はないのに。違)うんうん、こんな可愛い子なら、そりゃあ、エルトン、追い出せないよなあ。。。。ポニーたちはおとなしかった。わたしたちはひとしきりなでなでしてクルマに乗り込んだのだった。わたしたちはエルトン一家(?)を送った後、わたしはやっとじんましんのおかげでしばらく行けなかったプールにGO!(おっとは前日フットサルでひざをすりむいたのでパス)プールは混み込み。冬は誰とぶつかる心配もなく、ひとりで1レーン、好きなだけ泳げたのに。。。わたしの季節は終ってしまったな。これから夏に向けてさらに混みそう。そう思うとなんだかしらけていつもの半分ほど泳いで引き上げた。それにしても充実した一日だった。
2007.03.07
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昨日は前振りにサラッと書こうとして思わず熱くなってしまった携帯の愚痴。結局答えはわかっていた。夕方帰宅するとおっと「友達、あの携帯持っていないんだって。もうしょうがないから今週末買いに行こう。アンナには事情を話して金曜日まで貸して、って言って。。。」わたし「いい加減そのセリフ、聞き飽きたよっ!今晩中に買いに行くのよ!!」おっと「怒鳴るなっ!怒鳴ったら、店に連れて行ってやらないし、クレジットカードも使わせないぞ。」わたしはヒステリックに叫んだ。「3ヶ月も待たせておいて、どういう態度よそれっ!?あんたね、アンナがウソ言ってるのわからないの?わたしはあんたのためにアンナの信用を失ったのよ!?信用ってのはね、お金で買えない大切なものなの。ここまで信用ダウンさせといて、わたしと彼女の仲を完全に破壊するつもり?あんたにいったいどういう権利があるっての!!??」おっとはわたしの剣幕にタジタジとすっかり怯えてしまった。「わかったよ。。今すぐ買いに行けばいいんだろ?」わたしたちは近所のショッピングセンター(といってもクルマで10分)に直行、有無を言わさずわたしが最初に決めていた携帯を即買いさせた。こんなことなら3ヶ月前、強引に押し切って買えばよかったんだ。コレの紺↓(楽天で売ってる、ってことは日本でも使える?)やっと携帯の箱を手にすると、うれしくて顔の筋肉が緩んでくる。おっともわたしを見てわたしがおっとを許したものだと勘違いしたようでうれしそうであった。が。執念深いわたしは、当分おっとが許せられないのだ!!!************ということもあり、わたしは最近すっかりヤギたちに囲まれての田舎のヤギ追いペーターの生活に嫌気がさしてしまい、珍しくホームシックというか、日本シックにかかっていて、日本人が恋しくてしかたがない。で、ある日たまたまMixiのお友達のテッちゃんが日記で彼の率いる日本人フットサルチームの対戦相手のイタリア人たちがいつも人数が揃わない、とこぼしていたのでイタリア人ではないけれども数揃えにおっとを差し出したのだった。本当はわたしが参加したいところだったが、骨折以来、そんなハードなスポーツはこわいし、団体競技は超苦手だ。その点、おっとはいつも「誰も一緒に遊んでくれない。」と一人寂しくボールを蹴っているので、「参加する?」と聞くと「え~、対日本人とぉ?ま、入れ食い試合だな。」と鼻で笑いながらもうれしそうに参加の意思表明をした。これで、わたしも日本人と知り合える機会が出来るし、おっとはサッカーが出来るし、で一石二鳥である。というわけで、先週土曜日の夜ははじめての日本人会のフットサルにおっとが参加したのだ。この夜は2004年以来の月食。そういえば、月のまわりがぼんやりと輝いていて不思議な光を放っている。場所は閑静なブレラ地区の教会の敷地内に設置されたサッカー場。ちゃんとシャワーつきの更衣室にもステンドガラスがはめ込まれてあったりして味がある。夜だというのに全然寒くない。わたしともうひとりの日本人二ールちゃん(仮名)が外のベンチに座って待っていると、次々と着替えを済ませたメンバーが出てきた。みんなミランやユベ、WCの日本代表のユニフォームを着たりして決まっている。その中でおっとは普通のTシャツ、短パン姿で現れてなんだか恥ずかしい。試合が始まった。日本人のメンバーは8人。うち女子2人。イタリア人2人。エクアドル人1人。。。。。。これじゃ対日本人じゃなくて、日本人チームにガイジンサンたちが混ざってやるようなもんだな。結局イタリア人チームに日本人が3人加わり、おっとは日本人チームに混ざって試合開始!みんなうまい!早い!!なんでも一部のみなさんは、金曜日も別の日本人会で試合をしているそうだ。慣れている。女子2人、特にゆきちんは男子に負けず劣らずの動きだ。感心してしまった。先ほど「ま、入れ食い試合だな。」などと鼻で笑っていたおっと、見れば誰よりも早く息があがっている。休憩が入り、汗だくでおっとがベンチに戻ってきた。「オミズ、オミズ」←日本語わたし「バ~カ。なんで持ってこないのよ?」←ケンカの後だけに手厳しいニールちゃん「よかったらこれ飲んで。」と旦那さん用のペットボトルに入った水を分けてくれた。次の試合になった。女子2人のうちのM奈ちゃんがベンチ入りする。それからはベンチの雰囲気がぐっとくだけ、試合もろくに見ずについつい喋りに興じてしまう。点数が入っても「入ったよ~!」と誰かに叫ばれるまで記入を忘れることもしばしば。おっともだんだん調子が出てきて、頭突きでゴールを決めようと試みたり、持っている技を試し始めた。そうこうしているうちにゆきちんがまるで「キャプテン翼」にでも出てきそうな華麗なゴールを決めて、拍手が沸き起こる。試合を観ながらわたしは密かに南米人と日本人の試合の動き方の違いを観察していた。日本人のサッカーの動きってぴしっとしていてキレがある。それに比べて、南米人の動きはくねくねしていて踊りを踊っているような柔軟性がある、というか。。。そんなくねくねおっとは調子に乗って最後のほうは芝生で滑り、ひざをすりむいて、血を流しながらびっこを引き引き試合をしていたのであった。結果は3点差でイタリア人チームの勝ち。(と言っても半数以上は日本人)なかなか見ごたえのある試合だった。テッちゃん「来週も来て下さいよ。試合が終ったらおいしくて安い中華レストランにみんなで食べに行きましょう!」をっを~、中華、中華♪ 今週末は給料日直後だからOK!ちなみにゆきちんの好きなメニューはこれらしい。(無断転載ごめん、ゆきちん)Spring Roll ばねロール Chicken with chilly sauce(spiced) (味を付けられる)薄ら寒いソースを持つ鶏 Stmamed meat dumplings(4pcs) 蒸気を発した肉ゆで団子(4パソコン) Shark fin with chiken soup チキンスープの付いてる鮫のひれ Stir fried vegetable 揚げられていた野菜をかき混ぜなさい Tau fu salad Tauのfuサラダ Cold the‘(peace or lemon) 冷たいth3eの(平和かレモン)33CL Sun garden soup 日曜日の庭のスープ Chiken with almonds アーモンドを持つ鶏 Curry flavoured veal カレーは子牛のにくに風味を付けた Steamed shrimps Siu Mai(4pcs) エビのSiuの蒸気を発したMai(4パソコン) Shrimps with green peas グリーンピースを持つエビ *wine in bottle to see wine list ワインリストを見るびんのワイン 。。。。。。。。。ある意味、詩的なメニューだな。おっとは帰りのクルマの中で「次はエルトンも誘おうっと♪」怪我までしたにもかかわらず、よっぽど楽しかったようである。
2007.03.06
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土曜の夜は元楽天組のMixi友達ちずさんとお友達の60歳(ウソ)の合同バースデーパーティに招待してもらった。まずは先日もご一緒したことがあるちずさんの知り合いの板さんのいる、日本食レストランで食事。ちずさんはキラキラのいっぱいついたタイトな服を着ていて、パーティの主役にふさわしくゴージャスである。総勢12名。ちずさん以外は一度だけお会いしたことがある彼女のお友達3人と、あとは知らないひとばかりで、どうなることやら、と心配していたがぜ~んぜん大丈夫だった。みなさんフレンドリーで、話上手で、アルコール、ノンアルコール構わずグイグイわいわい。板さんのM田さんはゴージャスなお寿司以外にも、メニューにない煮込みハンバーグやコロッケ、牛タンの燻製をこの日のために作ってくれて「んっま~いっ!!!!!」←敬愛するぽんぽん先生風。ちずさんって、社交上手だと思う。主役ながら厨房からごちそうのお皿を運ぶのを手伝ったり、いつも飲み物が切れていないか気をつけてチョコチョコ動いて忙しいのに、よく食べ、全員とまんべんなくニコニコと喋っている。その笑顔が本当にうれしそうで「あ~、パーティに来てよかった。」とつくづく思えてくるのだ。夜も更け、他のお客がはけてもまだわたしたちはノリノリに盛り上がっていて、厨房を閉めた後、板さんのM田さんと奥にいた黒パグのたまちゃんも参加してさらに楽しく過ごした。彼も働く一人暮らしでたまちゃんと同居なので、「社会人の犬の飼い方」を伝授してもらう。←そのうち絶対飼うぞ!そしてプレゼントタイム。彼女の日記からいろいろと好みは伺えていたので、みんなそれなりの彼女のつぼにはまるプレゼントだ。最後にM田さんからプレゼントのほかに花束贈呈。いいな、いいな。花束なんてもう何年もらってないだろ?夜中の12時になった。ちずさんは「これからクラブに行く人~!!」と大声をあげる。をを、わたしを含め、ほとんど全員が手を挙げた!みんなノリがよくてうれし~!!!!しかしおっとは珍しく最後まで行くの行かないの、とすねていた。ちずさんが連れて行ってくれたクラブは「Gattopaldo Cafe」というセンピオーネ公園の近く、元教会である!このカトリックの国で教会をクラブにしてしまう発想にびっくり。日本で言えば寺社をクラブにするようなものだし、バチが当たらないのか?と余計な心配をしてしまうわたしは田舎者だろうか?とにかく入り口はすごい人だかりで、強面のガードマンがこちらを睨んで立っている。わたしもおっとも、食事の後にこんなお楽しみがあるなんて知らなかったので、田舎者ルックである。「服装チェックなんてあったら入れないよ~。」ところが。本日のちずさんのお友達にこのクラブのVIPなお方がいて、彼の顔でちょっと最初に揉めたものの、人だかりを押し分けてすんなり中に入れたのだった。中は中でまるで朝の地下鉄の中のようなすごい人ごみ。だが、ひさびさのおしゃれイタリア人の溜まり場、という感じだ。本来ならば祭壇があったところに巨大なクリスタルのシャンデリアがぶらさがっていてキラキラ光りながら上下している。わたしたちは柱の影のテーブルに案内されると、すでに果物の盛り合わせとシャンパンが用意されてあった。「すっご~い!!」と目を丸くしながらコートを脱ぎ、給仕にうやうやしくつがれたシャンパンのグラスを受け取る。ちずさんがシャンパンのボトルを持ち上げて見ているのでわたしもなにげに見ると、このシャンパン、なんと「ドンペリ」ではないかっ!?お友達さん、なにものっ!?最近なれないゴージャスさに目をまわしてしまった。あとはひたすら踊る踊る。ちずさんをはじめ、みんないかにも楽しそうに、幸せそうに踊るのがうれしくてたまらない。最近はあまり行ってないが、たいがいラテンクラブでは、楽しそうに踊る人より、ブスッとした顔(というかなんでもない顔)で踊るか、踊りを極めたイタリア人がまるで発表会のように型にはまった動きをするか、な~んか幸せが伝わってこないのだよ。おっとがそのうち暑さでセーターを脱ぐと、みんなに押されてお立ち台ならぬテーブルに上がり踊りだした。ラテンのえっちぃな腰つきが受けて、みんなで裸にしようと試みるのだが、おっとのビール腹を公衆の前にさらされてはならぬっ!!と防戦するわたし。みんなぐいぐいドンペリを飲んで酔っている。そのうちお友達のひとりの超かわいこちゃんに悪い虫が群がりはじめ、座っていたら話すきっかけを作るつもりだったのか?知らんおっさんにシャンパンぶっかけられるし、だんだん疲れてきたところでお開きとなったのが3時だった。帰りのクルマの中ではおっとは超ご機嫌だった。「日本人と一緒に踊りに行くのなんてさ、最初はつまんなそうで乗り気じゃなかったんだけど、すっごい楽しかったよ!みんなノリノリだし、エロぃし!!」←女の子によってたかって脱がされそうになったことがそれほどうれしかったらしい。「今度はみんなでラテンクラブに行こ~!!!」↑↑↑↑↑こうおっとが申しておりますので、次回なにとぞおつきあい、よろしくお願いいたします。
2007.02.12
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前回の日記では(写真につづく)で終ったロンドン出張。まだまとめていないので、週末の報告。毎週金曜日は仕事が午前中までなので(正確には15時まで)、出発前、社長が機嫌がいいときに「ロンドン出張者は超過労働時間と差し引きゼロ、ということで金曜日は来なくていいぞ。」と言った言葉を鵜呑みにし、アンナマリア以外は誰もいかなかったのであるが、とにかく難しい性格の社長、金曜日、誰も出社しなかったのを見て、自分が言った事も忘れて切れまくったらしい。「そんなことを言った覚えはないぞ!たとえ言ったから、と言っても来るのが当たり前だろう!!」社長は南米生まれのノルウエー育ちで、生粋イタリア人なのだが微妙にイタリア人じゃないところがある。イタリア人が「来なくていい。」なんて言われたら、絶対来るわけがなかろうっ!!とにかく、金曜日は朝から会社で切れまくっていた社長のことなど、夢にも見ることもなく、おっとに「もういったい何時まで寝てるんだよ!?」と揺り起こされたのが昼の1時だった。おっとは「てっきり起きてると思ったから、昼ごはんを一緒に食べようと帰ってきたのに。」と鍋を火にかけ、1分パスタに瓶詰めのスパゲッティソースを温めもせずかけてテーブルに置いた。わたしはまだフラフラしながら、味もわからずパスタを平らげ、おっとがまたすぐに出て行ったのを見て、ベッドに入りなおし次に目が覚めたのが夕方の4時だった。あ~、よく寝た。さっそくPCをつけて「金曜の昼過ぎごろにスカイプしようね。」と約束していた楽天のお友達Katia66さんに慌てて繋ぐ。彼女はかなりおまちかね?だったようで、スカイプを開けたとたんに向こうから電話がかかってきた。3歳の息子君も交えてウエブカムで顔を見ながら長電話。楽しかった。顔を見ながら電話できるようになったって、うれしいけど、ちょっと不都合。おっとは毎晩のようにスカイプやメッセンジャーをしている。わたしがシャワーの後、パジャマに着替えて髪も濡れてぐしゃぐしゃなところに「マンマに挨拶して!」と来るので「うげ!!」と髪を手ぐしでときながら、ソロソロとデスクの下から近づき、顔だけ出しピースして「お母さん、お元気ですか~?」と下に引っ込む日常である。いつもちゃんとしとかなきゃならないし、くしゃみして鼻水もたらせないし、もし、イヤな相手からかかってきても、イヤな顔も出来ないし、退屈だからって、あくびも出来ないし、一長一短だ。*********日曜日ははじめてMixiのお友達のさとみーなさんのお宅にお昼ごはんに招待された。彼女の家は近いといえば近いが、クルマがあればの話で、お互いいい勝負の田舎町だ。←ごめん、そっちのほうがちょっと都会ね。本心をいえば、わたしだけで行きたかったのだが、しかたなしにセバスチャンおっとの同行と相成った。約束時間1時間ほど前に掃除の最中、上の棚にあった漂白剤を取ろうとして頭からかぶり(しかも洗濯しようと思って色物の衣類を足元に置いてあった!)、大騒ぎをして少し遅れたのだが、なんとか「昼食」と呼べる時間には到着。←衣類は全滅。彼女のお宅は、大きな庭のようなベランダのついた黄色い壁のステキなお宅で、「こんにちは~。」と彼女と一緒に元気な男の子が2人飛び出してきた。彼女は自称「お嬢様」だが、彼女の発する雰囲気はまさに、お嬢生まれであるのにヤギの大群の中に放り込まれ、野生化したいまや「負け組お嬢」のわたしと違い、「勝ち組お嬢」である!ああ、わたしも過去を思い出してお嬢らしく、振舞わねば。彼女はさっそく料理を温めなおして各種立派な器に盛って出してくれた。写真じゃあまりよくわからないけど眼福眼福。各々の箸の上に長男君が描いてくれた似顔絵が載っているのがまた粋だ。眼福だけでなく京の有名料亭で1年間お仕込みをされた彼女の料理の腕は抜群で、京風らしくコクがあるのに薄味で、上品である。特に右中央の大皿に盛られた鶏手羽の煮込みは絶品だった。その深い味を解せないおっとはおずおずと「。。。その~、お醤油ください。(←日本語でなんていうかを知っているのにイタリア語で。緊張が伺われる)」と巻き寿司に醤油をどぼどぼかけて食べるので、自分の躾の足りなさを恥じる。その横で長男君が「わたしはうさぎなのです。(←言い方が坊ちゃんだ。)」とぽりぽりさやいんげんを食べる姿が愛らしい。次男君もおとなしくベビーチェアに座ってジュースを飲んでいる。ちょっと緊張したお食事の後、アールグレイの紅茶を淹れてもらってリビングに移動し、和んできた。さとみーなさんの旦那さんは仕事の関係で1年のうちほとんどが海外出張である。なので実質ひとりで2人の小さい子を抱えてこのイタリアで生活し、なおかつ優雅さを失っていないところは見習いたいところである。彼女の家もうちほどではないけれど、建築上の問題が多くて、家の中を全部見せてもらって呆れてしまった。こういう破損、建てているときのちょっとした気配りで防げたことだ。ミラノ北部の土木建築業界、腐っていやがる!!。。とわたしたちだけで喋っていたのでおっとと子供たちが退屈してきた。さとみーなさんはビデオをセット。「ウルトラマンダイナ」わたし「あ、これダダじゃない!?」長男君「違うよ、パワードダダ!」わたし「バルタン星人ってまだいるんだ!?」長男君「パワードだって!」円谷プロめ。。。手を抜いているな。新しいキャラを考えずに古参者に「パワード」をつけてるだけか。気がつけば、わたしが夢中になっていた。汗さとみーなさん「いくきーとって、詳しいのねえ。」わたし「え?あ、おっとが好きだモンで。」←ごめんなさい、大嘘つきました。そういう会話がわたしたちでなされているとき、おっとは次男君と公文の問題集で遊んでいた。おっと「すごいよ、すごい!!全部正解だよ、次男君、大天才じゃない?」さとみーなさん「そりゃ、2歳にもなればね。」わたし「。。。。。」そしてわたしはおそろしい話を聞いた。どうやら日本では、もっとすごい幼児が当たり前にいるそうで、もはや「子供の習い事」は趣味の範疇にはならず、Dovere、つまり絶対しなくては孤立していくらしい。そういえばこの間、ウイリアムの弟の3歳の娘の誕生日パーティでシンデレラの絵のついたこのような知育玩具をプレゼントをし、包み紙を破って、箱を開けて「こうするんだよ。」と説明しだした瞬間に野生サルのように「いらない~!」とおっぽり投げやがった。えらい違いだ!このあとわたしたちは続けて「ウルトラマンダイナ」を見て、長男君と一緒にお絵描きをして、と日本らしいおだやかな午後を過ごして帰宅したのであった。さとみーなさん、どうもありがとう。次はキューバハーフの関西人、LadyRikaさんもご一緒に、ラテンな午後で!!
2007.02.08
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昔に「エルトンの悲劇」を書いたのでその2。ご存知の方もいらっしゃるかとは思うが、エルトンはおっとと同じ会社で働くブラジル人で、ご近所さんである。先日離婚してから、というものなんとなく我が家に寄り付かなくなってしまったのだが、先週おっとが「エルトンに50ユーロ貸したからね。」と言ってきた。もしこれが、あの我慢のならない国のコスティカとか、友達だなんて絶対認めたくないピエトロとか、前の家の近所の呑んだくれホセとか、毎週末夜中にいつもおっとに電話をかけてきて、朝まで飲みに誘ってくる「ホモ田ホモ男」のような気持ち悪いイタリア人クラウディオだったなら、火を噴いて怒るのだが、エルトンは違う。エルトンはヤギの大量輸出国から来たにもかかわらず、まるで日本人の神経質な男のように律儀で細かい性格である。きっと標準ブラジル人だった奥さんは、そんなところがウマが合わずに出て行ったのであろうとわたしは見ている。とにかくそういう男なので、我が家を同じぐらい貧乏だとわかった上でお金を借りに来るとは、よっぽどの事情があるに違いない。確かに奥さんが出て行ってからというもの、それまでも苦しかったエルトンの家計はますます苦しくなった。家や家具のローンも全部ひとりで負担しなければならない上、2年前に1ヶ月間奥さんと帰省したブラジル旅行のローンもひとりで払わなければならないのだ。しかしこれは、解決したんじゃなかったっけ?*****なぜなら先日ボイラーが壊れたとき、エルトン宅にシャワーを使わせてもらいにお邪魔したときのこと。玄関に子供の靴やヒールが脱ぎ捨ててあるのを見て焦ったわたし。「あれ、お客さん(新しい彼女?)が来てるの?」エルトン「え?いくきーとに言わなかったっけ??この間からうちの一室を貸してるんだ。ひとりで住むのも寂しいしね。」わたし「ああそう。。じゃあ、シャワーなんて使ったらお邪魔じゃない?」エルトン「いいんだよ、今日はみんな外に出ていて遅くまで帰ってこないんだ。あがって、あがって。」わたしたちは、というかわたしはおずおずと家にあがり、おっとが先にシャワーを浴びているうちに家の中を見渡した。そういえば、暖房がついていて暖かい。ついこの間までは「60ユーロもの毛布を買ったらおそろしくて眠れないよ!」とあらゆる衣服を厚着してガス代節約のために暖房すらつけていなかった。おっとがシャワーを浴び終わり出て行くと、わたしが続いてシャワールームに入る。一応お風呂セットは一通り持ってきたのだがみれば、先日のほとんど水の詰まったシャンプーの替わりに安物だが水を混ぜてないシャンプーも石鹸もあるし、なんだか安心した。そうかそうか。借家人に家賃をもらって、ちょっとは潤ったんだ。エルトンの家はいわゆる1LK?で寝室ひとつとシャワールーム、決して大きくないキッチンつきのリビングだ。玄関の靴から推理するとシングルマザーと幼い娘に、寝室を貸しているのだな。わたしはシャワーを出てドライヤーを忘れてきたことに気がついた。わたし「エルトン、ドライヤー貸して。」エルトンは「ぼくは持ってないよ。。(←ハゲ) あ、でも彼女が持ってるかも。」と寝室のドアを開けて、引き出しを捜し始める。いつも思うのだが、これってやっぱり日本人と違う。日本人なら、というかわたしはたとえ自分の引き出しでも、貸しているならそれはその間は自分の手から離れるから手をつけるのはプライバシーの侵害をしているみたいでイヤだ。ヤギ達は、というか、留学生時代の体験から言わせてもらうと、ガイコク人たちはそれが平気らしい。エルトンはなんなくドライヤーを見つけて「はい。」とわたしに渡した。←これも自分のものでもないのに無断で貸してしまうところが理解できない。しかたがないので、わたしも使ったけど。汗ドライヤー探しに寝室に入って気がついたのは、女性子供のものだけじゃなく、エルトンのものでもない男性のジャケットがベッドの上にあったこと。そして部屋の中がタバコ臭い。疑問が持ち上がった。わたし「エルトン、何人に部屋を貸しているの?」エルトン「ブラジル人の家族に。旦那さんと奥さんと18歳の娘と2人のチビ。」わたし「げ~!!!そんなにたくさんどうやってこの家で寝てるの?!っつ~か、あんたどこで寝てるの?」エルトン「ぼくは夜になったらキッチンにマットを引いて寝てるよ。18歳の娘はそこのソファ、その他4人は寝室のダブルベッドだ。」わたし「。。。。ちょっと多すぎやしない?これじゃあんたが家族のところにホームステイしてるみたい。」エルトン「家賃収入のためだよ。小さい子供がいることで、ちょっと騒々しいけど癒されるよ。」そ、そうなの?しかし同じ貸すにしても、そんな大家族に貸さなくても。。。ま、本人がそれでいいならいいのか。とにかく副収入が出来たことでエルトンは精神的にも安定したようでおだやかになったようだし、よかった、とその時は思ったのだった。*****話は戻してなのに、なんで今、50ユーロぽっちのお金が必要なんだ??おっと「あの家族、実は無一文だったことが発覚したんだよ。どうりでエルトンが「ぼくがいないときに勝手にぼくのものを食べる!」といつもぼやいていたわけだ。旦那さんも奥さんも無職で仕事を探しているけど見つからなくて、エルトンも小さい子供までいるし、追い出すにも追い出せず、ひとりで5人の他人を養うはめになっちゃったんだって。」わたしは頭をかきむしった。「わからないよ、どうしてそんなひとたちに家を貸したの?!こうなることなんかすぐにわかるじゃない!!」おっと「彼ら、仕事はしてるって、家を見に来たときに嘘ついてたらしいんだ。」OOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO.................わたし「。。。そんなのだったら50ユーロぽっちで足りないでしょ?でもうちはこれ以上は貸せないけど。」おっと「違う、違う。この50ユーロはどうしても緊急でブラジルに送るためのお金だったんだよ。」わたし「自分ひとりの身すら養えてないのに、仕送りしてるわけ!?」おっと「違うよ。エルトン、2年前に帰国したときにあっちで新車を買ったんだ。毎月ローン分のお金を妹に送って、払ってもらっていたんだけどある日、お姉さんから電話があって「クルマのローンの支払いが何ヶ月も滞っているからクルマは返車していただきます。」って店から連絡があったらしい。」わたし「それってどういうこと?」おっと「妹がエルトンから送金されたお金をナイナイしてたんだよ。で、妹と話したら大喧嘩になって「払うわよっ!」(←当たり前だ!)という話になったのだけど50ユーロ分足りないらしい。」わたし「。。。。。。。。。」エルトン、可哀そう過ぎる。他人に裏切られるだけじゃなく、実の兄弟にまで裏切られてしまった。わたし「。。。。。ね、今度うちにごはん食べにおいで、って誘ってあげて。」おっと「そうだね。」わたしは別に全てのヤギに鬼であるわけではないのだ。
2007.01.24
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あけましておめでとうございます。2007年だ。イタリアは日本から8時間遅れで新年を迎えた。今年の大晦日は、おっとの友人のお父さんのお葬式で午前中がつぶれ、そして、どたんばで当初予定していた2泊3日のモデナ行きが取りやめになって、残念というより、招待してくれた日本人の友人の家族に起こった不幸を知って胸が痛んだ。とにかくそういったわけで、急に予定が空白になったわけだ。わたしは焦った。せっかく今年はヤギ的正月を回避出来ると思ったのに、こんなにギリギリでキャンセルでは、ギリギリがお得意のヤギの予定が入れられてしまう。別に酔っ払いのヤギたちの中で会話がわからず、というより彼らの会話についていけず、ぽつねんと独りで座っているのにも慣れたからいいのだけど、でもでも。。。。やっぱりそんなの正月からイヤだ~~~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしはモデナ行きを決めた後に、誘ってくれたのだが、断ってしまった旧友、ひろぽんに慌てて電話をかけて、まだ彼女のパーティに参加できる余裕があるか聞いてみる。ひろぽん「よかった~。みんなでいくきとちゃんが来れない、って残念がってたとこ。来て来て~。」と快く返事をしてくれた。よかったのはこっちだ。よかった、よかった。というわけで、大晦日はミラノの中心に引っ越して間もないひろぽんのおうちにお邪魔することになったのだった。おっと「今日は大晦日だからきっとミラノの中心はにぎわっているよ。早めに行って、街を散策してからひろぽんの家に行こう!」と早めに家を出たのは大間違いであった。街には人っ子一人歩いておらず、やっと見つけた一軒だけ開いていたスーパーマーケットは入ろうとすると「本日は早めに閉店なんです。」と追い出されてしまう。暖冬といえど、やはり寒い。暖かいコーヒーでも飲もうと、バールを捜し求めてうろうろするのだが、どこも閉まっていて、たった1軒日本料理レストランが、まったく客が入っておらず、暇そうに開店していた。さ、寒いよ。足がもう動かないよ。。。←へたれで、パーティのはじまる30分前にはもうこれ以上待てなくて、ひろぽんに電話をかけて、早めに家に入れてもらったのだった。我が家のもんで男くんは普段は住人以外駐車禁止のひろぽんの家のまん前の駐車ポストに停めた。すぐそばの大通りの公共スペースは珍しくガラガラだったが、あんなところに大晦日の夜に停めて、スプレーだらけにされようが、ガラスを割られようが、爆破されようが、何があっても保障がされないだろう。新しいひろぽんのアパートは、入り口のおんぼろさにがっかりしたのだが、家のある階まであがって息を飲んだ。ひろぽんの家はアパートの屋上のフラット?で、見渡しがよくて「おしゃれなパリのアパルタマン」って感じ?入り口で靴を脱ぎ、スリッパに履き替える。イタリア在住でも日本人家庭は靴を脱ぐところが多い。うっかりしていた。ひもひものブーツなんて履いてきてしまった。汗あくせくブーツを脱いでおうちに上がると、フローリングの床に、座布団が敷いてあって低いテーブルに和食器に盛られたごちそうが!おっとは大感激である。「うちも~!うちもこういう風にしようよ!」←正座ができないガイジンが何を言う。わたしたちは早く着いたにもかかわらず、もうひとりのお友達もずちゃん(仮名)もすぐに到着する。ひろぽん「じゃ、さっそく乾杯しましょうか。」わたし「あれ。。でもまだ全員揃ってないよ。」ひろぽん「いいのいいの。他の人は絶対2時間ぐらいは遅れてくるから。」←南米ヤギと同じなのだな。汗ひろぽんと旦那さん、もずちゃんとわたしとおっとの5人でパーティが始まった。おっとはごちそうを取り皿に取るときのみ、正座をしてテーブルに近づき、食べるときは離れた階段のところに座って食べている。そういえば、うちで昔飼っていた犬も、うちに来た当初は、ハムスターじゃないが、餌をほおに詰め込めるだけ詰め込んで、離れたところでコソコソ食べていたな。ひろぽんが「マルちゃん、そんなところで食べないで、こっちに来て食べなよ。」とソファをテーブルによせてくれた。やがて2時間もしないうちに残りのルミブーとスイス人の彼、そしてルミブーの友達の知らないイタリア人が一人、一緒に到着。イタリア人は「はじめまして~。ファ◎◎といいますぅ。←日本語」と軽くおじぎをしたので「あ?ああ、はじめまして。」とおじぎで返した。わたし「あの人誰?」もずちゃん「知らない。日本語かなりうまいんじゃない?」こうして全員が揃い、みんなで床に座り込んだ。←日本じゃ当たり前の光景だが、こちらで、どうしたって日本人じゃない外見の人々と床に座り込むことは、すごく違和感を感じるのはわたしだけだろうか?わたし「ファ◎◎さん、すごく日本語がお上手ですね。日本に行ったことがあるの?」ルミブー「行ったことがあるんじゃなくて、住んでるんだよ。」ファ◎◎さん「うん、東京に住んで7年目。今はこっちに帰省しているの。」そうなのか。。。イタリア人が7年でここまでネイティブに話せるようになるなら、おっとも出来るだろうか?とうっすら考えてから、「はっ!おっとは向こうでもヤギ仲間とスペ語オンリーでつるんで絶対ここまでたどり着くわけがない!!」と甘い考えを打ち消した。ファ◎◎さんが日本語OKなのがわかってからは、わたしたちは日本語で彼に質問攻めだった。今、日本では何が流行っているの?とか、スナック菓子の新製品情報とか、流行の歌手とか、あと外国人から見た日本の暮らしとか。。。ファ◎◎さんはわたしたちでも難しい言葉をそれはそれは流暢に使って話すので、正しい日本語を喋れないわたしたちがなんだか修行の足りないギャルのような気にもなった。その間、日本語のわからないおっととルミブーの彼はぼーっとしていて、可哀そうと言えば可哀そうだったのだが、たまにはおっともわたしと同じ境遇を味わってもいいだろう。大晦日のメインはすき焼き。すきやき鍋がなくて、パエリア鍋でやったのだが、おいしかった。イタリア初めてのすき焼きで、おっとにとっても初体験で、おっとは卓上コンロや、砂糖としょうゆだけの味付けなど、いちいちに感動していた。やっぱり日本人を含むみんなで囲んで食べる鍋、最高だ。〆は年越しそばならぬ年越しそうめんをすき焼きの残りの汁にいれてすする。この間、どんどん友人たちから携帯にメッセージが入るのだが、わたしの折りたたみ式の携帯は、それらを見ようと開けると、真っ暗な画面が出てくるだけで返事も送れず、何度も消したりつけたりしているうちにとうとう。。。逝ってしまった。涙(サダムフセインに引導されてしまったか?)この後、ルミブーたちがスイスから持ってきたパーティグッズで遊んでいるうちにカウントダウンの瞬間が来た。みんなで屋上に出て、めいめい花火を持ち、TVから流れてくる「3,2,1,ゼロ!!!」というかけ声と共に打ち上げ花火に火をつける。我々の花火は火を噴き、あちこちからも花火が大音響と共にあがった!「あけましておめでとう!!」「Feliz Ano Nuevo !!」「Auguri!!」「Happy New Year!!」みんなで抱き合ってお祝いの嵐だ。家の中に戻ってスプマンテで乾杯。そしてひろぽん特製の抹茶ティラミスを食べた。これでコタツがあれば言うことなかったな。ひろぽん「この流れで初詣に行きたいね~。」わたし「どこによ?」もずちゃん「ありますよ。ポルタロマーナの近く。◎◎通りのアパートの何階かでインターフォン鳴らしたら入れてくれるそうですよ。」えええ!?ミラノに神社があるとは知らなかった。しかしこんな夜更けにインターフォン鳴らして大勢でアパートに入って参拝、というのもな。というわけでこの後はだらだらとみんなでTVを見てお開きとなった。帰りのクルマの中でおっとは眠そうに「こんなにお腹いっぱいじゃなきゃ、これからラテンクラブにでも踊りに行けたのに。」まったくだ。ごちそうを食べ過ぎてお腹がいっぱいだった。わたしたちはすっかり満足して夜明け間近だというのに、車どおりの多い道を帰っていったのだった。今年こそ、こんな幸せな満足な気持ちを1年間継続できればいいな。あ、携帯買いに行かないと。。。最近不定期更新の日記ではありますが、本年もどうぞよろしくお願いします。
2007.01.03
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前回の日記では、全体的に同感していただけるコメントが聞けてなんかちょっとホッとしました。(わたしの場合は忍者が後ろで戦うシーンもありですよ、Bumpさん。)「日記」もやっぱり自分の「作品」ですから、ついつい毎回完成度の高さを求めてしまって疲れてしまったところもあったようです。完璧に仔細漏らさず書きとめようとするから、ずいぶん長い文章になって、ピツコちゃんにはこの間「長すぎて全部読めないときもある~。」と言われたし。ちなみにA型じゃないです。あ、でも昔、紙袋持ってスーハーしなきゃいけないストレス性の「過換気症候群」はわずらったことがあるので、立派に「神経質」の仲間入りかもしれません。ただの私的な日記だと言えば日記なのですが、不特定多数の他人に見られてる、となるとやっぱりいろいろ考えちゃいますね。でもまあ最近ちょっとしたことが、いろいろあったんで、せっかくなので書き留めたいからぼちぼち行くことにします。********今年はイタリア、もといミラノは先週木曜日のミラノのサンタンブロージョの祭日から金曜、土曜、日曜と4連休だった。そういえば、結婚前はこんな休みを利用してドイツの友人宅や、そのころスペインに住んでいた両親のところに、なんにも考えずに行けたのになあ。。。はあ。どうせ今年もどこにも行けないのは明白なので、楽しめるスケジュールを組んでみた。木曜日。ミラノ外で働くおっとは仕事なので、どこにも行けないな、と思っていたら、なんと今はモデナに引っ越してしまったさとちゃんから「木曜日、そっちに行きますからピザ食べに行きましょう!」との電話が。否応なくOK!そのときの楽しい日記はさとちゃんの写真つき日記で!結局ジェノバのあと、2日の潜伏期間を置いて風邪を引いてしまい、超鼻声で悪かった。ヤギばっかり責められない。_| ̄|○金曜日。実はこの日は先日書いた同僚のシルビアの引っ越したばかりの庭付き新居に、これも新しい家族のセッター犬ジャダを見に行く予定だった。が、ジャダは数日前、発見された乳がんの除去手術(人間と違って、おっぱいがたくさんあるから大変なのだ)を急遽することになり、没。なのでこの日は家でDVDを観たりしてダラダラ過ごすことになった。土曜日。この日はMixiで知り合ったお友達の家にお呼ばれされたのだけど。。。これもそこの長男君が肺炎で急遽入院になって没。おとといやっと彼は退院したようだが、続いて次男君も気管支炎に。早く良くなって欲しいものだ。実は彼女のところもミラノ北部に家を購入したのだが、我が家に負けないぐらい、問題だらけなのだ!わたし「もしかして親方はルイジって、名前じゃあ??」と念を押して聞いたぐらいケースが酷似している。彼女「違いますよ、うちのはリーノといいます。」←きっとルイジが何個もセカンドネームとか持っているんじゃないだろうか?で、彼女のおうちを拝見すべく、悪者退治法を一緒に検討すべく、会うことを楽しみにしていたので残念。息子さんたちの回復を待って、リターンマッチを考えたい。まあしかし、見方を変えれば、この日は何も予定が入らなくてよかった。おっとは前日、たくさんDVDをレンタルしてきたのにもかかわらず、ソファで爆睡してしまったので、朝、返却する前にまじめに全部観て、午前がつぶれ、午後からはジェノバでもらってきたTV用の家具を買いにIKEAに行った。それだけでも、次に食料の買い出しに行って、今日中に家の掃除をしなくちゃいけない、とせかせか見ていたというのに、おっとの友人のペルー人の女の子から「ソファをもらったんだけど、運べないの。手伝って~。」と電話が入るとデレデレと「いいよ。あと1時間ほどで行くよ。」と返事をするヤギおっと。この野朗。っつ~か、この女朗。っつ~か、ヤギたちめ!年末でごったがえすIKEAでこの後小さな戦闘が始まったのだが、がやがやという声のほうが大きくて、聞かれなかったのが不幸中の幸いだった。結局この場はおっとに「家の用事が全て済んだ後で手伝う。」という内容の電話をペルー人の女の子にかけなおさせる、という形で、わたしは勝利を得た。わたしたちはせかせかスピードを2倍速にし、スーパーにすっ飛んでいって次の日のパーティに用意しなければならないものだけをとりあえず買って慌てて戻ってきて夜の6時。わたし「もう無理でしょ。断れば?」おっと「何言ってるんだよ?ぼくたち貧乏なんだよ!少しでも家計の足しにバイトしなくちゃ!!」わたし「。。。。。。。」このバイトをするとなると、急なことなのでおっとはワゴン車を仕事場に置いてきたものだから、ワゴン車を借りに30kmはあるステファノの家まで取りに行かなければならない。そこからミラノの中心にあるソファまでも30km。ソファからペルー人の女の子の家までもまた30km。そこからまたステファノの家までワゴン車を置きに行って30km、家に帰って30km。合計すると150km、5箇所をたった1個のソファのために廻らなければならないのだ。しかもたった1個のソファだから、そんなに高い金額は設定できない。どう考えたって、手間とガソリン代がバカみたいだ。しかしおっとは鼻歌を歌いながら、お気に入りの香水をたっぷりふりかけて出て行った。そして次の朝まで帰ってこなかった。_| ̄|○日曜日。朝、酔っ払って酒臭い息のおっとの布団をむりやり引っぺがした。おっとは前日出て行く前に「終ったらすぐに帰ってくるよ。」と言ったような気もするのだが、朝帰りはこのペルー人の女の子がおっとの酔っ払い友達ガットの同居人、とわかったところで予想済みだった。怒この日はずっと前から企画していた「一皿づつお国の料理持ち寄りインターナショナルパーティ」だったのだ。この時点で家はまだ散乱状態、「ぼくがキッチンを磨き終わるまで始めないで!」と前日豪語したおっとの言葉を守って料理に取り掛かかる前におっとを叩き起こしたのである。この日の招待客は以下の通り。(上2つがわたしの、下3つがおっとの)まさにインターナショナル。韓国:目目さん一家スペイン:アンジェラ一家イタリア:ステファノペルー:独身彼女募集中のチェーザレブラジル:離婚したてのエルトンしかし実際来たのは。韓国:目目さん一家スペイン:アンジェラ一家イタリア:ステファノは「知らない人ばかりだから行きたくない。」とあっさり拒否され、独身彼女募集中のアルベルトとラファエレペルー:独身彼女募集中のチェーザレブラジル:離婚したてのエルトンエクアドル:酔っ払い離婚したてのガットと新しい彼女予想通り、おっとがちまちまと時間をかけてキッチンの掃除に明け暮れたおかげで、約束の1時になってもまだわたしはせっせと目目夫様直伝の寿司を握っていたのだが、なんとかかんとか間に合った。目目さんとアンジェラは素晴らしいお皿を1皿だけでなく、何皿も持ってきてくれて食卓がにぎわう。一方ほとんどがやもめのおっとの招待客たちはダースでビール、ワイン。イタリア人のラファエレがほうれん草のパイを作ってくれたほかはチェーザレはスーパーで買ってきた鳥の丸焼きと山のようなフライドポテト、エルトンはお金がないからコーヒー(コロンビア産)持参。なんだか全然インターナショナルじゃなかった。_| ̄|○おっとの招待客が直前に変更、増大することは予想済みだったけど、男ばっかりでむさいな。。。と思っていたら、やっぱり幸せ家族連れと、女が欲しい不幸男ばっかりできっぱり別れてしまって、最後までウニる(混ざる)ことなく食べるだけ食べて終ってしまった。人数が多すぎたのも原因だな。なんかみんなに悪かった。カルラたちやさとちゃんたちも誘いたかったけど、誘わなくてよかった。今度からは少人数で、どっちかの招待客に集中させるに限るな。←こ~ゆ~考え方をするところが、日記に対する考え方と似てる??こんな感じであっという間に過ぎた4日間。あ、そうそう。パーティで疲れた翌日の目目さん手作りのキムチと白いごはんは激うまだった!小さな幸せを感じたひととき。
2006.12.12
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まったく最近出会いと別れの日々が多い。月曜日、コピー室にコピーを取りに行って自分のデスクに帰ってくると携帯の着信メロディが流れ続けていた。わたしにいつも電話をかけてくるといったら、目目さんか、ベネチア在住のSaicuccioさん、現在イタリア旅行中の謎探偵さんがメッセージを送ってくるぐらいだし、おっとは一回だけ鳴らして電話を切って、わたしからかけなおすのを待ちやがる。怒だからこんなに長くメロディが流れることはめったにないので、慌てて携帯に飛びついた。「もしもし、いくきーとちゃん?」この声を聞いて、じわっと涙がこみあげた。声の主は3年前に旦那のアンちゃん(仮名)の転勤でアメリカのシアトルに行ってしまったピツコちゃん(仮名)だった。ピツコちゃんがこの時期ミラノに里帰りすることはずいぶん前にメールで知っていたのだが、ちっとも連絡がないので寂しい思いをしていたのだ。ピツコちゃんと旦那のアンちゃんはおっとの心の友があのエクアドル暗黒組織のボス(違)である「ウイリアム」であるように、わたしが約10年前、ミラノに来て以来の「心の友」だ。いつもほがらかで前向きなピツコちゃんたちは、すぐに凹んで閉じこもってしまうわたしにとっては「憧れ」であると同時に数少ない心を許せる友だった。ピツコちゃん「ごめんね、親戚廻りが忙しくて、なかなか連絡できなくて。あたしたち、あさってもうシアトルに帰るの。今日か明日に会わない?」わたし「もちろん、会おう!どっちでもいつでもおっけ~!!」というわけで、その日の夜、運河沿いにある魚屋の前で待ち合わせることになった。銀行の審査に通ったおかげでぎりぎり1回ぐらいは外食できる余裕も出来たし、大丈夫だ。このことを悟られないようにしなければ。。。待ち合わせの時間、8時きっかりに魚屋の前に着くとピツコちゃんと旦那のアンちゃんのほかにも、やっぱり昔からの「心の友」だったルミブー(仮名)とひろぽん(仮名)とその旦那さんも来ていて、涙がちょちょ切れそうになり、熱く強く抱きしめあったのだった。←考えたらほとんど日本人なのに、なんか変だ。わたしたちはピッツエリアに入り、昔話に、現在の話に、シアトルの話に、と声が枯れるまで喋った。シアトルとは行ったことがないのだが、ピツコちゃんたちの話によるとこれといった観光名所はないけれど、住むには税金も低いし、治安もいい、イタリアみたいに警官や裁判官など、ありえないひとに裏切られる心配もないらしいし、暮らしやすい街らしい。ここミラノでは日本人は「わたしはデザイナーです。」とか「ぼくは翻訳家です。」とか、プロでなくてもなんか肩書きを持っていなきゃいけないような雰囲気があるのだが、シアトルでは、普通に肩書きを持たない人がへれっと普通にすごい特技を出してみたりするところらしい。うううううう。そんな街にわたしも移住したいよ。わたしに関してはみんなが「ときどきブログ、読んでるよ。大変だねえ。」と言うので、極貧バレバレやんけっ!!!と穴があったら入りたくなった。もうついでなので、ブログに書くようなことでもないし、おっとにも他の友達にはなんだか恥ずかしくて言えないようなクヨクヨしていたことも思い切って話したら、あっさりみんな受け入れてくれてなんだかスッキリした。(ルミブーからは、それに関連してそれを上回るような、わたしだったら立ち上がれないような体験談も聞けたし。)とにかく楽しくて楽しくて楽しくてずっと笑い転げてニコニコしていた。こんなに心の底から笑ったのは何年ぶりだろう?イタリア人やヤギたちの言うギャグなんて100発100中おもしろくないから、愛想笑いだけは覚えたけど、笑えないし、知り合って間もないようなひととはやっぱり「ここで笑っていいのかな、いけないのかな?」と様子を見てしまうし。ああ、気持ちがよかった。すっきりした。笑うってやっぱり気持ちがいいなあ。ピツコちゃんたちは、ちなみにグリーンカードを申請中だそうだ。ということは、この間家も買ったし、向こうに永住するってことか。。。。。←本人たちはそのつもりはない、と言ってる割にはそのつもりな行動である。ルミブーもわたしたちが知り合ったころからのつきあいのスイス人の彼と結婚したら、どこに行くかわからないし、ひろぽんも旦那さんは日本人だから日本に行ってしまう可能性だってある。別に彼らとは普段からしょっちゅうべったり接触していたわけじゃない。ピツコちゃんたちとの3年の年月だって、会って5分もたたないうちに埋められたけど、だけど。。。なんだか無性に寂しくなった。この間のおっとと同じくうるみそうになったが我慢した。12時も過ぎてレストランが閉店支度を始めたので、わたしたちは腰をあげざるおえなかった。まずはひろぽん夫妻が帰っていって、わたしたちは全員で我が家のクルマ、もんで男くんを停めているところまで歩いた。そういえば、もんで男くんはピツコちゃんの旦那のアンちゃんがシアトルに引っ越すのに売りに出していて、出発3日前に売れたはいいけどドタキャンされて、廃車に行く時間もないから出発2日前に「もらって!!」とおっとと一緒に名義変更に行ったのだ。そこでおっとの滞在許可証が5日後に切れることが発覚_| ̄|○、窓口で「出来ません。」と言われたらアンちゃんが切れて「ぼくはあさって国外に引っ越すんだ!なんとかしろ!!」と窓口のお姉さんに怒鳴って、名義変更が出来たんだっけ。。。アンちゃんは懐かしそうにもんで男くんの廻りを一周し「ぼくのクルマ、こんな紺色だったっけ?てっきり明るい灰緑だと思ってたよ。」わたし「うん。。。最初わたしたちもそう思ってたんだけど。」引き取ってからおっとのいつもの病的なほどの丹念な掃除と磨きで、本来の紺色を取り戻したのである。汗ピツコちゃん「ミラノはスモッグが多いからね~。」ああ、いろいろ思い出すなあ。これで一緒にメルツォの巨大映画館に行ったこと、彼らが狭い狭い天井裏の家に住んでいたときに家の中で焼肉をして、みんなでいぶされたこと。。。あのころはまだミラノ生活をぶ~ぶ~文句を言いながらも謳歌していたな。こうしてわたしとおっとはもんで男くんに乗って帰途に着いた。また次の日から、こんな楽しい日なんかなかったような日々が続くと思うと、ほがらかなピツコちゃんたちを見習わなければいけない、とわかってながらも暗く凹むわたしなのだった。
2006.11.29
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最近なにかと出会いが多い。楽天やミクシのお友達にも会ったし、小さな出会いといえば、今朝は同僚の旦那さんに中央駅前の信号のところでばったり出くわした。昨日も同じ信号で待っていると 前の道のトラムの線路を防護マスクをつけて座り込み、火花を散らして工事している男がいて、興味深く火花を見ていると、信号が青になる。渡ろうとすると、この男が防護マスクをとった。とたんマスクの下から金色の巻き毛の髪が乱れ落ち、彼はそれをかきあげながら、どこまでも透き通る緑の目でにっこりとわたしを見上げたのだった。ごっつーっ、ええ男やっ!!!!わたしは目じりをだらりと下げ、彼にすれ違いながら微笑み返す。ゴンッ!!そしてわたしは道路の向こう側の信号の柱に激突したのだった。(実話)しかし。出会いもあれば別れも多い。今日、この日記をUPするころにはコックさんはシベリアの上空だろうか?今朝、コックさんは1年のイタリア生活を終えて日本に帰国した。彼は最後の1ヶ月はミラノでゆっくりするつもりだったのが、急遽、知り合いのマルケ州のレストランに呼び出されて、我が家から先日バタバタと荷物を引き上げてぎりぎりまで忙しく働いていたのだ。昨夜はお別れを言うためにおっとと2人で電話をしたのだが、電話をかける前まではいろいろ言葉を用意していたのに、いざ彼の声を聞くと、言葉が詰まって「気をつけてね、さよなら。」ぐらいしか言えなかった。おっとはお得意の祝辞のような言葉を並べ立てていたというのに。今までこちらでいろいろな日本人を見てきたけれど、彼のように濃い1年を送った人もそういないだろう。最初のホテルの面接のときは「おそろしいほどずうずうしい奴だなあ。」と思ったけれど、今考えてみれば、このイタリアではそんな大胆な奴のほうが生き抜いていけるのだ。「終りよければ全てよし。」は、彼のようなひとに当てはまる言葉だ。彼はホテルで数ヶ月働いた後、主にサルデーニャとマルケのレストランで働いたが、その間にイタリア全国のレストランを食べ歩きし、例えばリグーリアで気に入ったレストランを見つけると、厨房に入って1週間ぐらいただ働きしてそこの味を勉強したり。彼には家族がいるが、日本に期限付きで置いてきたのは正解だったと思う。わたしもおっとがいなければ、そんな大胆な冒険をやってみたいものだ。彼の風貌も、イタリアに到着した当時は色が青白くてストレス太りした、ちょっとくたびれたおっさんだったのが、今は色が浅黒い、しまった体つきの南イタリア人のように変わった。最初は他人にばかり頼っていたのに、今はなんでも一人でやっているようだし、たった1年でも過ごし方しだいでこんなに変われるものだ。彼はこの調子ならきっと日本で大成功するとわたしは思うのである。*****ところで日曜日はまったく久しぶりにウイリアムの、正確に言うとウイリアムの弟アンドレスの家に行ってきた。というのも、彼の娘の3歳のお誕生日会に招待されたのだ。わたしは彼らの住む、マルペンサ国際空港近くの南米人密集地にクルマで行く道々3年以上前のことを思い出していた。この弟はその当時の20歳近く年上のイタリア人の彼女を妊娠させて、その責任を取りたくないために逃げ出し、雲隠れの間に、今の歳のそんなに違わないエクアドル人の奥さんと知り合って、性懲りもなくすぐに孕ませたのである。この種馬野朗、どうするつもりだ?と観察していると、イタリア人の彼女は泣く泣く雲隠れされた状態で中絶し、彼はまるで何事もなかったかのようにもうひとりの彼女の妊娠を喜んで受け入れたのであった。その頃、まだヤギの行動を充分に把握していなかったわたしは(今も把握できてないが)、こいつとこいつを擁護する家族の態度に頭を混乱させていたのだが。。。あれから3年。浮き足立っていた種馬アンドレスも、少女のように軽かった奥さんも落ち着いていっぱしの娘の親に成長した。彼らが7月に買ったばかりの田舎の果ての家は、我が納屋よりもさらにおんぼろな納屋の一角だ。しかし、我が家のときと同様、リフォームした状態で買ったので、彼らのきれいな一角だけがおんぼろな中、妙に浮いている。家は2階立ての田舎つくりで、可愛い。中に入ると色とりどりの紙テープのデコレーションがされていて、13時開始で13:30にわたしたちが到着したというのに、まだ誰も招待客がいなかった。汗15時も過ぎる頃、やっとぞくぞくと近所の同い年ぐらいの子供を持った、ウイリアム一族の家族たちが20人ほど集まった。大人は座ってサルサが大ボリュームで響く中、スペイン語で大声で会話をし、子供は子供で走り回っている。わたしはスペイン語の会話にいつものごとく、入れないので子供の相手だ。おもしろいのはわたしを除くほかの人々は全員エクアドル人であるのに、子供たちは全員イタリア語で会話をし、サルサがかかっていてもジェノバのおっとの姪っ子たちのように踊らない。すでにイタリア人と化している。わたしはそんな子供たちに囲まれて、たちまちのうちにマジックペンと、ケーキくずにまみれた。洗濯したばかりの白いパンツなんて、なんで履いていったんだろう?涙そんなにぎやかな中、一人孤独にちびちびとビールを飲んでいる男、ウイリアムがいた。ウイリアムの婚約者は現在イタリアにいない。なぜなら、妊娠して、子供をアメリカで産むべくロサンゼルス在住の彼女のお母さんのところに数ヶ月前から行ってしまったのだ。哀しいかな、エクアドルの国籍というのは、一歩エクアドルを出ると、まるで紙くず同然の価値で、どこの国に入国するのも困難である。そのため、彼らの多くは自分の子供に他国籍を持たせたがるのだ。ウイリアムの場合は、彼はイタリアの永久滞在許可証を今年手に入れたので、そのうちイタリア国籍も取得し、子供にはアメリカの国籍を持たせて将来どこの世界でも生きやすくするのが目的で、奥さんを送り出した。が。そんなウイリアムにちょっと変化が起きた。アメリカに行ってしまった奥さんが、あちらのほうが暮らしやすくて、もうイタリアに帰って来たくないらしい。それは激しく同意する。わたしもおっとさえいなければ、こんなイタリアもうごめんだ。イタリアは人種差別が激しくて、どんなに優秀な人材であっても、イタリア人ではない、ということだけで出世がはばまれるケースがほとんどだ。だから、自営業をする外国人が多いわけだが。それに毎年どんどん厳しくなる外国人の締め出しにも閉口する。理由は不法移民や難民を減少させるためなのだが、そういうものは、入国の取締りを厳しくするとか役人の働きを活発にさせるだけでも減ると思うのだが。話を戻せば、ウイリアムはアメリカに移住するかどうか悩んでいるのである。わたし「英語話せるの?向こうに行って仕事どうするのよ?」ウイリアム「LOSはメキシコ人が多いから英語が喋れなくても仕事はあるらしい。」わたし「あんたの一家はどうするの?みんなで移住するの?」ウイリアム「いや。。。もうみんなそれぞれ家族を持って、独立してきてるし。行くならオレだけだ。だがな、仕事がな。。。」そうなのだ。彼はこの日記では語れないほどの苦労をして事業を大きくし、この大一家に仕事を廻し、切り盛りしているボスなのだ。彼が抜けるなら跡目は必然的に種馬弟アンドレスが継ぐ、という形になるだろうが、他人のわたしが見ても彼にその器はない。それで彼は憂えているのである。首領の悩みだ。しかし、状況はかなりアメリカ移住へと傾いているらしい。そうか、おっとをイタリアに連れて来た張本人、つまりおっとをわたしと出会わせてしまった極悪人も行ってしまうのか。。。。おっと「ぼくたちもイタリアを捨てて、日本に行こう!そして君が働いてぼくが主夫をするの。」。。。。。。こんなときに、シャレにならない冗談を言うのはやめて欲しい。涙*****そして昨日。夕方、わたしを駅に迎えに来たおっとは目に涙を溜めていた。わたしはびっくりして「どうしたの!?」と聞く。おっと「さっきローランド(ジェノバのおっとのいとこ兄弟の弟)から電話があった。何だと思う?」わたし「え~と、ミッシェルちゃんが、事故した?あ、それとも奥さんのローリーがおめでたで妬いてる。と。か?」おっと「あのね、12月に3日間、うちに泊めて欲しいって。」わたしはちょっとホッとした。実は以前にも同じようなお願いがあって、それは3日間ではなく期限なし、つまりミラノで働くために家をシェアさせてほしい、ということだったのだ。以前の同居人コックさんとはうまくいっていたけれど、彼は一人だったし、日本人でおとなしかったので問題はなかったが、あのおそろしい子悪魔ミッシェルちゃんと一緒に生活するのは到底ゴメンである。わたしは鬼嫁と化して、断固反対したのであった。わたし「どういうこと?たった3日なんて。」おっと「もうイタリアがイヤだから、永久帰国することにしたんだって!だから出発日前にぼくたちと過ごしたいって。。」わたし「え~!!??」彼らもか~!!??彼らは兄に「そのうち滞在許可証も取れるから移住して来いよ。」と薦められて前回のサナトリア(不法滞在外国人労働者に一時期のみ滞在許可証を出す時期があった)が終ったばかりのときにイタリアに来たのだ。もちろんそんな時期は、サナトリアが終ったとたんにそれに漏れた不法滞在外国人の締め出しが厳しくなったときで、彼ら(特に奥さん)は毎日泣いて暮らしていた。やっと1年ほど前から落ち着いて、仕事も見つけて順調に行っていたけれど、やはり不法滞在外国人は不法滞在外国人。さぞや、住みづらかったのだろう。わたし「辛かったんだね。。。」おっと「ううん、そうでもなかったみたいだよ。ある程度のまとまったお金をこの2~3年で貯めれたから、喜んでるみたい。だから、喜んで見送ってあげないと。」そ、そうなのか。こういうところ、ヤギってポジテイブだからいいな。うらやましいぞ。おっと「でもね、でもね。。こうやって、どんどんぼくの周りから誰もいなくなっちゃうんだなあって、ガッカリしてたんだ。」わたし「。。。まあ、時が経って状況が変化するのは誰にも止められないから。」おっとは目をキラキラさせて立ち上がった。おっと「ぼくたちもイタリアを捨てて、日本に行こう!そして君が働いてぼくが主夫をするの。」。。。。。。だから。こんなときに、シャレにならない冗談を言うのはやめて欲しい。涙
2006.11.14
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昨日はピエモンテから楽天のお友達Katia66さんが我が家に来てくれた。彼女は旦那さんと2人で大のヘビメタファンで、昨日も夜からのミラノでのヘビメタのAMON AMARTHのコンサートに行く前に寄ってくれたのだ。わたしは旦那さんを見たことも、もちろんKatia66さんもまだ見たことがなくて、会うまでに想像を膨らましまくっていた。旦那さんは腕にタトウが彫ってあって、背中に墓場の彫り物をすることが現在の目標って言ってたっけ。ピエモンテといえば、山の幸食道楽だから、旦那さんはきっと山のようにでかくて赤ら顔で、でもヘビメタだから(ヘビメタって全然知らないけど)、きっとムキムキで腕と背中はホラーな彫り物でいっぱいで。。。。奥さんのKatia66さんはきっとたくましい女性なのだろう。3歳の息子くんはきっともうタテガミが頭部に突っ立ってるに違いない。数日前に我が家への来かたを説明するために電話する。シャキシャキとしたKatia66さんの声の向こうで旦那さんと息子君が吠えていた。ああ、やっぱり。すごいな~。こわいもの(?)見たさでワクワクした。そして約束の昨日。さすがに日本人のカップルは時間に正確。というよりも30分も前にしかも道に迷うことなく(我が住所の通りはまっすぐではなくロの字になっていて、最初は誰もが絶対迷うのだ!)Katia66さんカップルは到着した。クルマはよく彼女の日記に登場する旧型のチンクエチェントかと思いきや、真っ赤なアルファロメオの新車だった。かっこえ~。そして助手席から出てきたのは、すらりとした関東美人でおっとは「をを!」とベランダから身を乗り出す。次に運転席から、旦那さんが降りてきた。彼は全身黒尽くめでヘビメタのイメージをはずさなかったが、びっくりしたのはKatia66さん同様、細身のええ男だったのだ!な~んだ。。。違)まったくブログの文面でひとを判断してはいけない。さっそくアペルティーボをテーブルに並べたのだが、がっついているのはおっとだけだ。わたし「遠慮しないで食べて食べて。」Katia66さん「高速のインターチェンジで食べてきたから。」と遠慮(?)している彼らの前で4人分のおつまみを口に放り込んでいるおっとがだんだん「千と千尋の神隠し」の豚に変化していくお父さんに見えてくる。そういうわたしはお母さんだ。ハッとしてポテトチップに伸ばしかけていた手を留めた。旦那さんはとにかくおもしろいひとで、しゃべりまくり、そこにたまにぼそっとKatia66さんが入れる突込みのタイミングが絶妙である。旦那さんはピエモンテのひとではなく、シチリア人とべネト人のハーフだそうだ。だから、といっちゃなんだが、この細い身体と笑いのツボに納得がいった。アペルティーボを一通りおっとが食べ終わった後、お土産のピエモンテのお菓子をみんなで食べてわたしを除くヘビメタの話に盛り上がっていた。わたしは今まで聖飢魔IIもヘビメタだと思い込んでいた大ボケ野朗である。(隼瀬さん、スマン)しかしおっとがヘビメタのことを知っていることは新たな発見だった。次は彼らの家に行く約束をして、Katia66さんはヘビメタルックに着替え、彼らは颯爽と真っ赤なアルファロメオで去っていったのだった。あ~、かっこよかった。
2006.11.06
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先週土曜日はおっとの新しく雇った従業員、ステファノの家に行って来た。わたしはそれまでステファノは彼がおっとの横で配達の予行演習をしているときに一回しか見たことがない。なので印象的にはおっとの貸した制服があんまり似合ってないな、というかサイズが合ってないな、とかいきがっておっとから覚えたばかりのスペイン語のスラングを連発してるけど、地についてないな、とかそんな細い身体で大きな荷物、大丈夫?とかなんか、その程度だった。話は戻して、彼のワゴン車はガソリンを満タンにして1週間持つ。なので寂しがりやのおっとはすっかり懇意になった我が家の近所のガソリンスタンドに「週一回一緒に給油をしにいこう!」と誘っていたのだが、ステファノは「え~、うん。。」と生返事。それもそうだ。そこは彼の家からも、彼が配属になったミラノ市の北部からも遠い。で、彼なりに自分んちの近所に安いガソリンスタンドを見つけたので、そこを下見に行くことになったのだ。普通、そんな用事でおっとが出かけるときはおもしろくないのでついていかないのだが、今回は違った。覚えておいでの方もいらっしゃるだろうが、彼は元ピアニストだ。元ピアニストがなんでこんなにうさんくさいエクアドル人の従業員になったのか、謎を解き明かしたかったし、彼の家族を見たかったし、彼がどんな家に住んでるか興味があったし。。。というわけでお供した。彼の家はミラノ郊外で我が家と同じミラノ北部でも、我が家のように北東に上がるのではなく、北部まっすぐのところにある。そこは家具で有名な街が近くにあることもあって、そこそこ拓けていて、きれいなアパートが立ち並んでいる。ステファノの家はそんなきれいなアパートの中のレンガ作りのシックなアパートだった。インターフォンを鳴らすとステファノが出てきた。彼は黒いぴったりしたGパン、黒いとっくりのセーターに黒い皮ジャンをさりげなくはおり、いきに帽子を被っている。それにひきかえおっとは、昨日パジャマ代わりに着て寝たTシャツそのまんまの上によれよれのフリースのジャケットを着て、ジッパーを開けているので、だらしなく出てきたビール腹が丸見えである。お供したわたしもどうせガソリンスタンドだし。。と適当な姿だ。(←似たもの夫婦?涙)彼、とてもこんなにうさんくさいエクアドル人の従業員に似合わない。。。_| ̄|○わたしは更にステファノに対する謎を深めながら、家には入らずすぐに彼の運転でガソリンスタンドへと出かけたのだった。そのガソリンスタンドはひなびていて、油で真っ黒のこわそうなおっちゃんが事務所とは名だけのプレハブ小屋のなかからノシノシ出てきた。おっちゃん「おう、待ってたぜ。」と低いガラガラ声もその容姿からはずれない。ここでも浮くステファノとぴったり馴染むおっと。こ、こわいよ。。。わたしはすっかり引いて、30mほど離れたところまで行ってじーっと様子を伺っていた。しかしどうやらすでにステファノとは話がしてあったようで(想像がつきにくい)あっという間に契約が済み、ステファノは慣れた手つきで給油し、わたしはおっちゃんの顔をちらりと見てワゴン車に飛び乗り、彼の家へと戻ったのである。ステファノ「ちょっとうちに寄っててよ。ピアノを弾くから。」ええ!いいのっ?(待ってました。)門を開け、2階のステファノの家のドアへ上がっていく階段は、ガラス張りでモダン。(一度おっとと一緒に来た酔っ払いガットはガラスが見えずに体当たりしたらしい)ドアを開けると壁にはジャズのポスター、彼の小さな息子の写真、古い楽譜などが壁いっぱい張られたリビング。家は広くて、3人家族にちょうどいい大きさだ。息子と奥さんは出かけてるのか。ステファノ「散らかってるから、流しは見ないで。ビールぐらいしか飲むものがないんだけど。。。」言葉とは裏腹にきちんと整理されたキッチンに通されて、ステファノはシャンパングラスに慣れない手つきでビールをそそぐ。おっと「そうそう、この家、庭付きなんだよ。」と勝手にベランダの扉を開けると小さな草ぼうぼうの庭が広がった。わたし「。。。ああ、素敵な空間だね。花とか植えたらもっと素敵になりそう。」と枯れた植木をみやる。ステファノ「庭にかまう趣味はあんまりないから。。」奥さんも共働きなのかな?でも庭があるのにもったいないな。ステファノ「ピアノは寝室にあるんだ。おいでよ。」どこの家でもそうだが、夫婦の寝室に入るのはやっぱりちょっとためらう。いいのかな。。と思いながら寝室に入るとダブルベッドがあって、古い木製のピアノと小さな洋服ダンスが1つあるだけのガランとした部屋だった。ふう~ん。。。こんな小さな洋服ダンスに3人分の衣服が入るってすごいな。息子はどこで寝てるんだろ。。。?ステファノはピアノの前に座って、古い楽譜を広げ、ショパンを弾き始めた。確かに上手だけど、ところどころでつっかえている。「もう2週間弾いてないからね。」と彼ははにかんだ。ふう~ん。。。?ステファノ「もっと違うの弾くよ。」とジャズを弾き始めた。ジャズは楽譜を見なくてもつっかえることなく楽しげに弾いている。そうかそうか、彼はこっち専門だったのだな。ジャズを弾くステファノは生き生きしていた。弾き終わると、わたしたちは惜しみなく拍手をし、わたしは「こんなに上手ならピアノ教えたらいいのに。」という。ステファノは「教えてたんだけどね。。ぼくには向かないみたい。」と暗い顔をしたので、何かあったのか?と慌てて口をつぐんだ。ステファノ「今日はね、夕方友人たちと持ち寄りパーティをするんだ。ぼくはズッキーニの詰め物を作っていくんだよ。」わたし「へえ、楽しそう!」ステファノ「じゃあ、次回はぼくたちで企画しようよ。君は日本料理、マルちゃんがエクアドル料理を作ってきたら、かなりインターナショナルになって楽しいぞ。」そうだね。わたしはチラリ、と目目さんの顔が浮かんだ。じゃあ次回はうちでやって韓国人の目目さんやブラジル人のエルトンを誘ったらもっと楽しいかも!?壁のステファノの息子の写真を見たら、目目娘ちゃんと同い年の5歳ぐらいだし、家族で来て貰ったら、にぎやかで楽しいかな?わたし「ねえ、息子はいまいくつなの?」ステファノ「11歳だよ。」え?大きいな。ステファノは「ぼくたち結婚してすぐ子供を作ったんだ。そのほうが子供のためだと思って。でも、ぼくと奥さんのためにはならなかった。。。」と意味ありげな目でわたしをジーっと見た。?????わたしたちは家を出た。クルマに乗り込んでおっとに「ねえ、ステファノの奥さんと子供って。。。」おっと「離婚したよ。言わなかったっけ?ちょっと前に。」ああやっぱり!どうりで奥さんの写真が1枚もなかったわけだ。だからかな?わたしは想像力を働かせた。プロのピアニストを目指すステファノはほそぼそとピアノの教師をして収入を得ていた。しかし、プロとしてはなかなか成功できない。そこをもってきて、奥さんと食べ盛りの息子を養っていくには苦しい。やがてそんなダメなおっとに奥さんは愛想をつかせて出て行ってしまった。悲嘆にくれるステファノ。酒にしばらく溺れているうちに、ピアノの教師までクビになってしまう。OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHH、NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!もうオレはピアノにたずさわる資格なんてないんだ!というわけでプライドを捨て、どんなバイトでも渡り歩いているうちに、うさんくさいエクアドル人と出会ってしまったのだった。「正社員として雇ってやろうじゃないか?」とおいしい話を持ち込まれ、もうやけくそにうなずくステファノ。ここから彼の新たで波乱な運命が始まるのであった。。謎をまだまだ秘めてステファノの話は。。。。。たぶん続くか?***********************PS.日曜日はおっとは引越しの手伝いだった。最近、こういった重労働はおっとは贅沢にも断っているのだが、なにせ文無しの我が家。行くことになった。涙重なるときは重なるもので、あのサルデーニャに一緒に行ったエルビスも突然土曜の夜に「日曜日の姉の引越しを手伝って欲しい。」と言ってきたが、手伝うのは無理、ステファノのワゴン車を貸すことにしたのだった。エルビス「夜の7時までに返しに行くから。」しかし、エルビスは7時を過ぎても帰ってこない。携帯に電話しても通じない。ステファノは次の日の仕事にワゴン車がなくては困る~!とパニック、おっとの携帯は家に置き忘れて行ったし、わたしが間にはさまって更にパニクッていたら、夜中の12時ごろにやっとエルビスはワゴン車をステファノの家に返しに来たそうである。おっと、いやエルビス、どっちのふたりも!!ラテンのペースで無関係のわたしやステファノを巻き込まないでくれっ!!!
2006.10.31
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ミラノも朝晩、空気が冷たくなり、吐く息も白くなってきた。仕事も忙しく、なんだか気持ち的に落ち着かなくて書かなかったが、ここのところたくさんの日人と会った。皮切りは先日から3ヶ月の予定で長期イタリア一週旅行をしている、ここのコメント欄でもお馴染みの謎探偵さん(最近はらふぁえろさん)。先週まで我が家に10日ほど滞在し、ロンバルデイア州とその周辺の小さな街々をまるでローラー作戦のように制覇し、ベネト州へと旅立っていった。今まで何人かのブログの友達に会ってきたが、これほど、想像外だったひとも珍しい。コメント欄から想像していた人柄は、ちょっとひねた脂のちょっと浮いたおっさん系かと思いきや、背が高く、色白で無口なそれはそれは物静かな。。。物静か過ぎてどうしていいか困ってしまうような青年であった。笑おかげで、最初の待ち合わせの駅ではすぐにこの日本人青年が誰かを待って立っていることに気付いたが、「絶対このひとではないだろう!」と、脂のちょっと浮いたおっさんを捜し求めて右往左往したのである。3週間前のの週末は謎探偵さんが調べてきたロンバルデイア州とピエモンテ州の州境のビエッラという街に一緒に行ってきた。霧でけぶった黒いマリアが祭られている山の中の教会は荘厳で美しかった。そこでこれもまた、ネットで知り合ったビエッラ在住の日本人に逢う手はずだった。しかしおっと得意の方向音痴と、ガケ崩れと牛の群れにはばまれ、ついに彼女との待ち合わせ場所にたどり着けなかったのが心残りだ。_| ̄|○しかたがないので、別の近場で催されていたワイン祭りの情報を彼女に教えてもらって、運転するのもおそろしいぐらいワインを飲みまくり、酔っ払ってミラノに帰る。ミラノではスペイン人の友人の誕生日会が控えていて、ここでもジュエリーデザイナーとして活躍している日本人の友人と酔っ払った。謎探偵さんはぐいぐい飲んでいるのに、ちっとも顔色が変わらないのがこわかった。次に逢ったのはちずmilanoさん。先日の日記前の針でちょっと突いたら爆発する風船状態のとき、その危うい空気を読んで(?)、元シェフのお友達の家に一緒に連れて行ってくれて、おいしいカツどんとワインをごちそうになる。ここに集まったメンバーはみんな日系の会社にお勤めだ。ワンマンイタリア人会社勤めで振り回されまくっているわたしと何かがまるで違う。世界が広がった夜だった。そして先々週金曜日はおなじみ目目さんとこの目目娘ちゃんの誕生日会。ここに来ると、目目さんが日本語を喋ってようが韓国語を喋っていようがホッとする。おっとはいつもの酔っ払いたちとの飲み会を一時中断して、目目夫さまの握った寿司だけを食べに後から参加したのだが、着いた頃には寿司がなかった。いい気味だ。謎さんはこの間↑、数日家から居なくなっていたのだが、また戻ってきてそれはそれは静かに我が家に滞在していた。そこにまるで鳴り物入りのように、コックさんが夏の長旅から真っ黒に日焼けして帰ってきた!久しぶりの騒々しさに思わずうれしくなってしまうわたしとおっと。喋りだしたら止まらないコックさんと物静かな謎探偵さんがあまりにも違いすぎて、どう対応していいのかわからないので放っておいたらコックさんはほぼ無反応な謎探偵さんにまるで跳ねるような勢いで独りで喋り続けていた。その様子は動かぬ沼の水をかき回す子供のようであった。身体の弱そうな謎探偵さんは、それで疲れてしまったのか?下痢をともなう風邪にやられて、寝込んでしまったのである!おかげで、謎探偵さんが回復して静かに我が家を立ち去った後、おっととわたしと、2日間滞在が重なったコックさん全員で苦しんだ。_| ̄|○話はやっと最近になって、汚い話だが、腹痛がピークの先週末土曜日はくしくも外部ブログ友達のNaocciとPatate*さんエミリアロマーニャ衆と一緒に「アレッサンドリアに遠足」に行く日なのであった。とても楽しみにしていたし、とてもとても可哀相だったわたしの心情を察し、都合をわたしに合わせてくれたので、行かないわけにはいかない!!わたしは「正露丸」をビニール袋にぐるぐる巻きにしてリュックに忍ばせた。電車を2回乗り換えて、2個目の電車は切符の自販機のボタンを押し間違えたおかげで一駅なのに指定席。ちくしょう、やられた!と歯軋りしながら、しかし気を取り直して、ボローニャからこの電車で来る彼女たちと合流することにし、予約の「9号車65番」の席へと向かう。5号車ぐらいから電車に乗り込み8号車の通路を歩いていると9号車でNaocciとPatate*さんが手を振っているのが見えた。急いでつなぎ目のドアを開けたつもりが開かなくてドアに顔をぶつけた。ガチャガチャやっても開かない。「開けて~、開けて~!!」と必死になっているのにガラス窓の向こう側では彼女たちが大笑いである。結局は騒ぎを聞きつけて車掌さんが来てドアを鍵で開けてくれた。←鍵かけるな。怒で、指定席に行くと、おばちゃんがどっしりとわたしの席に座っていた。しかも予約席なのに自由席のプレートが張ってある。たった一駅で指定席料金払った上、この仕打ち。。_| ̄|○そんなこんなしている間にゆっくり腰をかけるまもなくアレッサンドリアに着いたのであった。朝夕は寒いが、昼間は暖かいミラノと違って、アレッサンドリアは霧がずっと立ち込めた寒い街だった。しかもこれといって観光名所がなく、わたしたちは土曜の午前だというのに、ゴーストタウンのように静まり返った街を少し歩いて、わざわざアレッサンドリアで買うこともないと思うのだが、うっかりスポーツバッグなんかもNaocciと色違いのお揃いで買って、うろうろしていたらこの日街はずれで「ビスコッティ祭り」が開催されているのを知って、さっそく出かける。3ユーロ入場料を払って入ると、あらゆるところで試食をしていた。まるでデパ地下のようにあれこれつまんでいると口の中が甘くなってきて舌の感覚が麻痺してきた。しかしイタリア料理の王道Naocciと、ご主人がソムリエのPatate*さんはプロだ!「ここのはとうもろこしの粉の食感が荒いわね。」とか「ここのはなめらか!」とか言うことが違うのだ!感心していると「そろそろ昼食を食べに行こうか。」という話になった。これに関してはミシュランガイドや料理雑誌でしっかり調査済みの彼女たち。彼女たちのおかげではずすことのない、久しぶりにマクドでも中華でもない(結婚記念日除外)おいしい、しかもお値段もお手ごろの外食をすることが出来たのだった。正露丸が効いたのか、お腹も乗り越えてくれた。Patate*さんのプロの舌で決めたワインをちびちびやりながらゆっくりくつろいでいると、もう夕方である。レストランを出ると午前中がゴーストタウンのようだった街が人であふれかえっていた。わたしたちはウインドウショッピングをしながら駅に戻り、各々の家へと帰っていった。しかし、この日わたしはこれで終わりではなかったのである。夜、田舎駅に着くと、家には帰らず先日の日記のご近所さん、サトちゃんの家へ直行!サトちゃんがすぐ引っ越してしまうので「お別れピザ会」である。しばらくティグレと遊んでいるとおっととコックさんが来た。そして近所のピザ屋へ。最初はサトちゃんお勧めのちょっと離れた超有名ピザ屋に行くはずだったのだ。が、予約の段階で「満席です。」といわれ、別のレストランを探すことに。おっと「ぼく、隣町においしいピザ屋で働いてる友達がいるんだ。そこに行こう!」わたしとコックさん「え~、本当に知ってるの?」疑いながらもしぶしぶそこに決定したのが1日前。わたし「わたし、やっぱりおっとが信用できないんだよね。悪いけど今日下見ついでに予約入れてきてよ。」とコックさんをうながしておっとと一緒に追い出した。夜中に帰ってきたふたり。わたし「どうだった?」コックさん「道に迷った。で、マルちゃんにその「友達」に電話するように言ったら、名前も覚えてなくてさ。。。。やっとたどり着いたのはただの切り売りピザ屋だったよ。」。。。。。。やっぱりか。おっとの「友達」ほど信用がならないものはない。コックさん「だから、そこの「友達」に別のちゃんと店で食べれるおいしいピザ屋を教えてもらって、予約しに行ったんだけど、オレ的にはいまいちだな。」わたし「そ、そうなのか。。。」しかししかたがない。もうサトちゃんに電話するには遅すぎる。こういう経緯でな~んでもないピザ屋でお別れ会、となったのだった。しかし、楽しかった。お腹も乗り越えた。きっとあの腹痛は、ストレスから来ていたのだろう。次の日、コックさんは朝早くからアルバの有名ワイン、バローロ祭りに出かけていった。この日はミラノにてエクアドルの大統領選挙日。エクアドルは日本と違って、投票に行かなければ罰金が科せられる。しぶしぶ気が乗らないままおっとと一緒に選挙に出かけた。しかし、おっとは領事館に行くと思いきや、まったく別のほうにクルマを走らせる。わたし「選挙は領事館でしないの?」おっと「あんな狭いところで出来ないでしょ。」この言葉に嫌な予感がした。そして仮設投票所のあるミラノのちょっとはずれの公園へ。2~3km手前から徐々にエクアドル人らしい人々が公園に向けて歩いているのを見たのだが、実際投票所に行くとすごかった!公園は大きかった。しかしクエストウラの列なんて目じゃないぐらい、500mはあろう長蛇の列が公園のまわりを囲んで並んでいるのだ!!しかもあちこちにおっちゃんやおばちゃんが家庭用BBQセットなんかを持ってきて肉を焼いて売ったりしている。ぎっしり隙間なくしかし無造作に駐車されたクルマのあちこちからラテンミュージックが流れている。ここはいったいどこやねんっ!!??ただの投票ってのにお祭りのような騒ぎだ。民族衣装で来る人、エクアドルの国旗を担いでくる人。。ミラノってこんなにエクアドル人だらけなんだ、と実感したとき。しかし。レポートを書くにはこの場に残っていたほうがよかったのだろうが、非情なわたしは、「自分の国のことでもないのにこんな列に並んでられるか!」と判断したのである。実際、ヤギだらけの群れの中に日本人、という異分子が入り込めば、じろじろ見られて訳わからないこと言われるのが必至である。もしかしたら、ヨーゼフが出てきて噛みつかれるかもしれない。おんじが出てきて追い払われるかもしれない。わたしはおっと独りを列に残して、その場を去った。そして中心街のブレラ美術館で静かな時を過ごしたのだった。ああ、そういえば美術館なんていったいどれぐらい行ってないだろう?おっとが興味がまったくないから、自然に足が遠のいていた。日本に居たときは、1ヶ月に2~3個は大小問わず、通ってたのにな。久しぶりに観る美術館は異常に体力を消耗した。以前は慣れていたからそんなに疲れなかったのだ。これからは、一人でも足しげく行くようにしよう。なんだか吹っ切れた週末だった。PS.先日の日記でもたくさんコメントをどうもありがとうございました。仕事が忙しくてなかなかUPできませんが、おかげさまであまり正しい吹っ切れ方ではないようですが、徐々に復活中です!!
2006.10.18
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昨日の夜9時半ごろ。わたしは積まれた乾いた洗濯物の山をかき分けて、ソファに寝転がってボリュームを落としてほとんど音の聞こえない、TVをぼ~と眺めていた。昨日は一日中、歩き回ってクタクタで、静かに時を過ごしたかったのだ。電気は節約のために消していて真っ暗、早い時間にもかかわらず、わたしはウトウトしかけていた。カチャ。玄関で音がした。わたしはびっくりして上半身を起こす。おっとは朝から「ちょっとウイリアムのところまで行ってくる。」と言って出かけていない。それに、ほんの2時間ほど前に電話したとき、「今から夕ごはんをごちそうになって1時間ぐらいしたら帰るよ。」と言っていたので、エクアドル時計で計算すると、帰りはきっと明日の朝だ。誰だろう!?わたしはそうっと玄関に近づき、何か武器になるものを探した。すぐ手の届くところにくつべらがあったので、それを冷たく湿る手で握り締めて、次に何が起こるかを待つ。カチャ。カチャ。カチャ。カチャ。外から誰か鍵を開けたがっているが、内側からわたしが鍵を挿しているので簡単に開かないのだ。わたしは凍り付いて、自分の携帯を真っ暗な中、目を凝らして探した。え~と、えとえとイタリアの警察って何番だっけ!?カチャン。とうとうわたしの鍵が落ちて、ドアが開いた。わたしは一歩引いて靴べらを上段構えで構えた。そこに侵入していたのはなんとおっとだった!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!????????????????????????これは夢なのかっ!?おっと「ただいま。真っ暗な中で何やってるんだよ?」と電気をつけていぶかしげにわたしの手の靴べらを見る。わたし「い、いったいどういうことっ!?」おっと「何が?」わたし「わたしはてっきりあんたは明日の朝、帰ってくると思ってたよ!?」おっと「ウイリアムのところでごはん食べて1時間ほどで戻る、って言ったでしょ?」わたし「だって。。。だって、あんたの1時間が本当の1時間だと誰が信じるよ!?」おっとはふんっと鼻でせせら笑ってさらに洗濯物を押しのけてソファに寝転がってTVのボリュームをあげた。いったいどうしたんだろう?こんなこと、本当に本当に初めてだ。ああ、わかった。きっと新しい男が出来たから、遠くマルペンサ空港のそばなんかに住んでいるウイリアムとは別れたに違いない。その新しい男はクラウディオという、わたしもまだ会ったことのない、隣町に住むイタリア人だ。最近は毎週末、こいつと一緒に朝まで帰らないのである。怒確かに遠距離恋愛は面倒だし、気持ちも離れる。恋愛にしたって、友達にしたって、近いに越したことはない。わたしは田舎町に引っ越してから孤独になった。ミラノにはたくさん友達はいるけれど、遠いし、夜ちょっとどこかに一緒に出かけても電車の時間ばかり気になって、すぐに帰るようになってしまってから、ほとんど誰とも会わなくなってしまった。それに比べて仕事場が家から近いこともあって、毎週末、遊びにでかける相手に困らないおっとがうらやましく、妬みすら感じる。時にそれにたいして、当たり散らすと「じゃあ、一緒に出かける?」と聞くのでわたしは「うん!」と返事をして支度をはじめると急におっとは「いやあでも。。男ばっかりでただビールを飲んでダラダラ喋るだけだよ?そういうの嫌いなんじゃないの?」と慌てだすのだ。きっと、そう偽って他に浮気しているに違いない。相手が男か女かは知らないが。それはともかくわたしはネット上で友達作ってるしかないな、と先週もぼ~っとミクシのページを開いた。「新着メッセージが一件あります!」という文字が飛び込んできた。誰だろう?開けると知らない女性名からだった。「はじめまして。わたしはこの沿線上の「INAKAMACHI(仮)」という駅に住んでいます。いくきーとさんはお近くですか?」正直言って驚いた。きっとわたしの家を知っている人がイタズラで書いてきたのかと思った。だって「INAKAMACHI(仮)」といえば、我が駅ではないか!?疑り深いわたしは彼女のブログを開き、ざっと読んだ。知らない。。。知らない人だ。彼女は飼い猫のことをよくブログに載せているが、わたしのミラノの日本人の友達で猫飼いはいない!そしてある日のブログには彼女の家の写真が載っていた。こ、これは。。。。。わたしはこの家をよく知っている。ご近所だ。彼女は本当の我が「INAKAMACHI(仮)」の住民だ!!慌てて「わたしも「INAKAMACHI(仮)」駅なんですが。。」と返事を出す。またまたすぐ返事が来て彼女の狂喜も伝わってきた。無理もない。こんなちっぽけな田舎町、我々はいまだに日本人どころか、中国人すら道ですれ違ったことはないのだ!会いたい。痛切に思った。同町民として。次の日さっそくわたしは勇気を出して彼女にラブレターを出した。「今週日曜日に隣町で普段公開されない屋敷や別荘が公開されます。一緒に観に行きませんか?」彼女の答えは即座に「YES」だった。うれしい。おっとはこういう催しは「ケ、つまんなさそう~。」と渋い顔してパスなのだ。やっぱり文化的な日本人、いいなあ。待ちに待った昨日日曜日の朝。幸運にもいい天気で涼しかった。どきどきしながら待ち合わせの家のすぐそばのBARに行くと、すでに停まっていたクルマから彼女がニコニコしながら降りてきて、じーんとした。続いて今年3月に結婚したばかりのイタリア人のだんなさんが降りてきた。いかにも優しそうである。わたしたちは軽い挨拶を交わしてクルマで隣町へ。町全体の催しなだけあって、あちこちの教会や建物の前にはテントが張ってあって、人々が集まっていて楽しそうだ。わたしたちはさっそく事前に予約済みの市役所の建物に入った。「予約」」などという前もって何かをオーガナイズして、楽しむことも、我がおっと相手では決して出来ないことなので非常に楽しい。彼女、サトちゃん(仮名)は大阪出身で、とてもとても面白いひとだ。彼女と話していると、わたしは笑ってばかりだった。ああ、笑う、なんて、なんてひさびさなんだろう。豪勢なバロック調のシャンデリアと、コテコテなへたくそなフレスコ画で全ての部屋が彩られた、正直言えばかなり趣味の悪い建物を美術館員が早口で説明していくのを、わかりやすいゆっくりしたイタリア語でサトちゃんに説明し直す旦那さん。優しいなあ。うんざり時計ばかり気にしながらツアーが15分遅れで終った。そしてわたしたちは駆け足で隣町の更にはずれまでクルマを飛ばして次の建物へ。駆け込んだ建物はある時期、ロンバルディア州で勢力を誇っていたボロメオ家の狩の別荘だ。そういえば、現在のボロメオ家の娘はフィアットの御曹司とこの間、結婚したばかり。←どっちが玉の輿なんだろう?ここは1900年代はじめにボロメオ家が買い取って、狩の別荘にしたのだが、壁になにか着色されているのを見つけて、本格的な修復を施したところ(お金がある家はいいねえ)、1400年代の素晴らしいゴシック調のフレスコ画がよみがえった。ものは古いが、修復されて100年しか経っていないから、生々しいのに無名の画家の力量が伝わってくる。わたしたちはすっかり気に入って、ずっと見続けていたら係の人に「次のツアーが来ますから。」と追い払われてしまった。この後、我が家にいったん帰って前日の残りのカレーとごはんを持って、ずうずうしくも初対面のサトちゃん(仮名)のお宅にお邪魔した。サトちゃん(仮名)のお宅は素敵なピンクの田舎家の1階だ。ドアを開けるとさっそくかの猫、ティグレ君が迎えてくれる。家の中は天井が高く、広く、それはそれは素晴らしかった!みんなでわたしの持ってきたカレーと、サトちゃん(仮名)作ったサラダ、旦那さんのお母さんが作ったと言う野菜の煮物とコロッケをいただいた。しめには旦那さんのいとこ手作りのアップルパイ。ああ、近所の友達っていいなあ!!!豪勢な昼食が済んだところで、山のような彼らの結婚式の写真を見せてもらい、そしてショッキングなことを聞いたのだった。予告はあったのだけど。。サトちゃん(仮名)「わたしたち10月末にはエミリアロマーニャに引っ越すの。」が~~~~ん。。。。午前中までばら色に染まりかけていた人生に水色のシミが出来た。サトちゃん(仮名)「カナダ風のB&Bを田舎で開こうと思って。」計画を語るサトちゃん(仮名)の目はキラキラしていた。とても前向きな彼女のなかからわたしは丘の上に立つ、小さなB&Bを思い浮かべてうっとりした。でも。そ、そうか。。。あと1ヶ月後にはこの町から居なくなるわけね。。。_| ̄|○わたし「おっともね、エクアドルのカナダ風B&Bで働いてたこともあったんだよね。ホテル業の大学に行ってたからさ。」となんとか話題に協調するのに必死であった。わたしたちは気を取り直して再び隣町に出かけることにする。ジェラートを食べて、街を散策した。中でも無料公開のボロメオ家の納屋にはたくさんの馬がいてなでてみたり、そのために大きな長屋があって、そこがまるまる馬に乗るための馬具やブーツ、帽子、コートなどの衣装室だったのに驚いたり、とてもとても楽しんだ。本当にふたりとも、いいひとで、はじめて会ったと思えないぐらい自然だ。夕方になって、家に送ってもらったのだが、わたしはまるで恋人と別れたくない女となっていた。2人に家にあがってもらってお茶を入れて、我々の3年前の結婚式の写真を無理やり見せたり、なんだか未練がましい女になっていた気がする。わたし「引っ越すまでに絶対ぜったい、また会おうね!」期間限定の近所の友達。うれしいけどちょっとせつない。時間が許す限り、会ってもいいやろうか?ね、サトちゃん(仮名)?←迷惑だってちなみにサトちゃん(仮名)の写真つきこの日のブログはこれ。
2006.09.25
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10日ぶりの日記です。たった10日、会社に来なかっただけで、プライベートな時間を持っただけで、なんでこんなにいろいろ、起こってしまうんだろう?呪いか、運命か??頭が混乱して何から始めていいのかわからない。とりあえず、日付の古い順番から書いていこうと思う。********8月11日(金)夕方。毎週金曜日は会社が早く終わる。社長が週末トスカーナの別荘で少しでも長く過ごしたいから出来た時間割だ。ミラノの住人にとってはうれしいことだろうが、わたしとしちゃ、いい迷惑である。セバスティアンおっとは、金曜日もいつもと同じ時間にしか仕事は終われない。つまりわたしをいつもと同じ時間にしか駅まで迎えに来れない。そうなると、それまでどこかで時間を潰さなければならない。最初のうちはミラノの中心とかをブラブラしていたのだが、それにも飽きて最近はどうにかこうにか無理におっとに迎えに来てもらったり、わが町の駅前の公園の木陰で本を読んで時間を潰したり、暑くなければ歩いて家に帰ったりして苦心している。しかしこの日は、いつも「携帯にクレジットがないから。」と言って自分から電話をしてこないおっとから珍しく電話があって「今日の誕生日は何する?」と聞いてきた。きっとここ数日わたしがしつこく「何をプレゼントしてくれるの?」と言っていたからに違いない。ちっとも期待していなかったわたしは「え?え~。。。外食でもする?マクドはイヤだけど。」と目を白黒させながら答えた。(←なぜなら我が家で通常「外食」と言えば「マクド」か「中華」なのだ!!)おっと「あ、そんなのでいいの?映画でも観ようよ。」わたし「何を観るの?」おっと「なんとかかんとか IN TOKYO」わたし「知らない、何それ?」おっと「東京を舞台にしたカーレースの映画だよ、観に行こう!」ここで可愛い女なら、興味がなくても「うん、行こう。」と答えるだろう。しかし可愛い盛りもとっくに過ぎたわたしは(何で、そんなCMにも流れないようなへぼ映画を入場料を払って観に行かなきゃいけないんだ!?)と思う。わたし「イヤだ、行かない。」おっと「え~、ぼくすごく観たいんだけど。。。」なんでわたしの誕生日におっとだけが観たい映画につきあわなければならないんだ?わたし「そんなに行きたきゃ独りでいきな。」し~ん。。。。おっと「。。。。。わかった。君が帰宅してから考えよう。ところで今日は金曜日だから、やっぱり早く駅に着くの?」わたし「うん。」おっと「今日は仕事が少ないから迎えにいけるよ。じゃあ、駅で待ってるから。」をを、おっとからそんなことを言うなんて珍しい。しかしこの昼間の時間帯、我が田舎町駅の電車は1時間に1本となる。わたしは時刻表を見て、終業時間後、小走りでミラノの駅まで行かないと間に合わないことを知って、急いで歩き出した。駅に着くと向こうのホームに乗らなければいけない電車が停車しているのが見えた。そのホームに行くには地下道に降りなければならない。急いで3歩ほど踏み出すと携帯が鳴った。あ~もう、誰だよ、急いでいるのに!?もしかしたらあんなことを言ったおっと、びっくりさせようとしてミラノで待っているのか?と変な期待から携帯を取り出した。知らないナンバーだった。おっとはよほどの用事があるとき、携帯にクレジットがないことを理由に公衆電話や、誰かの携帯からかけてくる。わたしはこんなことをしている間に電車が発車してしまうんじゃないかとハラハラしながら「もしもし?」と答えた。電話の主「もしもし、ヒヨ子(仮名)?」←イタリア語電話の主の男性の声は聞いたことないが、日本人のヒヨ子(仮名)さんは知っている。きっと彼女の友達の一人が間違えてわたしに電話をしたに違いない。しかし、どうやってこの番号を??わたし「おかけ間違いですよ、わたしはいくきーとと申します。」電話の主「あ、ああ、すみません。」わたし「いいんですよ。もしよかったら、彼女の正しい電話番号、教えましょうか?」最初から切羽詰った感じだったのだが、ここから彼の声色がちょっと変わった。電話の主「そんなことはどうでもいいんだ、きみ、数日前な~こ(仮名)と何を話したのか、教えてくれないか?」わたし「は?」電話の主「ぼくがここ数日動けない間に彼女と何があったんだ、教えてくれ!」わたし「ちょっと、あんた誰?」電話の主「きみが数日前、な~こ(仮名)に送ったメッセージを見たんだ。いったい何があったんだ!?」わたしはここで彼がついこの間、ボローニャ在住のお友達な~こ(仮名)と結婚したT君だとわかった。しかし、なんだこの男は!?奥さんになったとはいえ、彼女の断りもなしに勝手に携帯を見て、それを見てしかもまったく知らない相手に電話するなんて、うちの南米男よりも始末が悪いじゃないか!?わたしはかなりムッとして「知らないわよ、わたしミラノに住んでるから、ずいぶんな~こ(仮名)に会ってないし。」電話の主「そんなことはないだろう、何があったか知っているはずだ!」ブシューと音が鳴る。はっと顔を上げると電車が今にも発車しそうではないか!?わたし「ちょっと、今から電車に乗らなきゃいけないからまだ話したかったら、5分後に電話して。」ととげとげしく電話を切り、地下道を転げるように降りてホームに上がると、電車がゆっくりと動き始めたところだった。T。。。。。。Tの野郎!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!わたしは腹立たしくその場で地団太を踏んだのだった。珍しくおっとが迎えに来るっちゅ~のに、後1時間、どこかで時間を潰さにゃならんのか!?わたしはとぼとぼと歩き出した。そしてT君の電話の内容を反芻し、だんだん心配になってきてな~こ(仮名)に電話をする。な~こ(仮名)は応えなかった。そういえば、この日のわたしの日記に残してくれたコメントに「携帯がないからこっちからおめでとう♪」なんて書いてあった。もしかして、夫婦間に早くも問題が起きて、T君に携帯を取り上げられたのか!?まさか、わけのわからん喧嘩のあげく、とりあえずPCはあるどこかの一室に監禁されてしまったのか?OOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!可哀想なな~こ(仮名)!!!!連絡の取れないな~こ(仮名)を救出するにはどうすればよいか!?そういえば、な~こ(仮名)と共通のお友達、エミリアロマーニャ州にお住まいのヒヨ子(仮名)さんの名前をT君は口走った。ヒヨ子(仮名)さんにさっそく電話した。ヒヨ子(仮名)さんはちょうど、日本からだんなさんの家族が来ていて、家族旅行の最中だったが、答えてくれた。事情をかいつまんで話す。ヒヨ子(仮名)さん「あ~、な~こ(仮名)の携帯、水につけて壊れちゃってから、新しいのを買うまでT君と携帯を共有しているようですよ。」ああ、だからT君はわたしのメッセージが見れたのか。ヒヨ子(仮名)さん「いくきーとさん、どんなメッセージを送ったんですか?T君って怒るとこわいって、な~こ(仮名)言ってましたけど、見た感じ、穏やかなんですけどねえ?」そういえば。すっかり忘れていた記憶を探る。え~と、え~っと。。。。ああそうだ、数日前な~こ(仮名)がずいぶん怒った口調で「あの豚野郎!ちくしょう!!あんなとこ辞めてやる!!!」とメッセージを送ってきたんだ。で、わたしは何がなんだかわからなくて「まあまあ、イタリア人なんてみんな豚野郎だよ。元気を出して。」と同調する返事を出したんだけど。。。ヒヨ子(仮名)さん「な~こ(仮名)、最近仕事上でトラブルがあって、勤めていたところ、辞めたばかりなんですよ。」ああ、だからあんなメッセージを送ってきたのか。ん?ちょっと待て。。。。。。はっ!!!!!T君はな~こ(仮名)がわたしに送ってきたメッセージを知らない。で、それに返事したわたしの「まあまあ、イタリア人なんてみんな豚野郎だよ。元気を出して。」だけを見るとなると。。。「豚野郎(PORCONE)」は意味合いとしては1.「汚い根性の人間」2.「大すけべ野郎」を指す。T君が2.の意味で取ったとすると、彼女がどこかで乱暴されたと思い込んだか??やっと、あの強引な電話の意味がわかった気がした。いや~~~~~んっ愛だね、愛!!!!T君、な~こ(仮名)を真剣に心配しちゃって~~~~~~~~~~~~~、ヒュ~ヒュ~惚れてるッスね!!!????やっと電話の謎が解けて、うれしくなり時計を見ると、さきほど逃がした電車からまた1時間近く経っている。わたしが慌てて駅の地下道を降りようとすると。。。。また携帯が鳴った。T君からだった。「さっき君は5分後、って言ったけど、ずいぶん慌ててたし、もうちょっと時間を置いてから電話したほうがいいと思ったからさ。」こ。。。。。こいつ。どうでもいいが、わたしとT君は相性が合わないことを痛切に感じた。(ちなみにこの日記はな~こ(仮名)の「やった~、これ日記のネタになりますね!?」という許可ともとれるお言葉(?)に甘えて書かせていただきました。汗)←いいのか!?PS.結局誕生日は「おっとの南米人友達たちと、ちっとはマシなレストランに行くはずが、8月で全部閉まっていて、しかも大雨の中、何が哀しいのかBARのテラスでパニーノを食べる会。」となった。
2006.08.21
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きのうは会社が終わってひさびさにウキウキと外に出た。しかし空を見れば、どんよりとしていて、駅前から遠く墓地の方には稲妻が光っている。雨にならなきゃいいな、と思いながらわたしは待ち合わせの場所に向かった。待ち合わせの時間は6時半。時計を見ればあと20分ほどある。わたしはたぶん来月(?)ミラノに来る友人のために駅の荷物預け場所を確認し、そこの暇そうな駅員と少し立ち話をして時間を潰してからはじめてあうひととの待ち合わせに必ず使う高級ブティック「CORSO COMO10」の前に行った。今回の待ち合わせの相手は、楽天のわたしのブログのほぼ創設時からの友人、aya825さんだ。友人、といってもブログ上のおつきあいばかりで、2年前に帰国したときに、旅の途中にどこに行ってよいかわからず、携帯ではじめてだというのに、「今岡山駅にいるんですけど、この辺のいい海を教えてください!」と聞いて驚かしたのがはじまりだった。彼女は嫌がりもせず、親切に「ここがいいですよ、行き方は。。」と教えてくれたのが、声を聞いた最初である。あとはまたブログ上のおつきあいばかりに戻り、顔を見たことがなかったが、お互い奈良県人なので、なんとなく連帯感があったのだ。そんな彼女がミラノに来た!実はその去年にもイタリアに来られたのだが、南イタリア旅行だったので、遭うことが叶わなかったのだ。遭ったことはないものの、古くからのつきあいなので、ワクワク度がかなり高い。「CORSO COMO10」の前に行くと、2人の日本人の女の子が噴水の前に座っているのが見えた。彼女はときどきブログに顔写真をUPしているので、近づいて顔を確認、というところで彼女と目が合った。「あ~!!」と叫んで立ち上がる彼女。お互い「はじめまして~。」と挨拶をするのだが、ちっとも「はじめまして」の言葉の意味がこもっていない。「はじめまして。」というより「よ、ひさしぶり!」といった感じだ。2人で女子高生のようにキャアキャアいいながらその場で跳ねてしまった。そして連れの女の子に「な、やっぱりいくきーとさん、ピカチュウ声やろ。」と確認する彼女。_| ̄|○連れの女の子は今、ミラノに来て3ヶ月目のほやほや留学生だ。彼女はこのお友達に会いに来たのである。写真でもそうだったのだが、aya825さんはとても2人の子持ちと思えないぐらい若々しいひとだった。たぶん日本を離れた開放感がそうさせるのか?関西弁で盛り上がった。連れの彼女「いくきーとさんも関西人?」わたし「奈良県人です。」連れの彼女「ああ~、わたしも~~~!」わたし「となると、今日は『奈良県民のつどい』だね!!」わたしたちは遠く離れたミラノで同県人のつどいが出来たことにさらにハイになってしまったのであった。楽天をはじめてから、海外にいるというのに本当にたくさんのひとと知り合えたと思う。奈良県民も実に多し。中でもびっくりしたのは、ミクシというのも最近平行してやりだしたのだが、それで知り合ったイタリア在住のひとの実家がなんと、我が実家の超ちかくの隣町だった。しかもだんなさまが、あのコックさんの弟の友人だ、と聞いて世間の狭さを実感したわたし。(ヘタなことが書けませんな~。汗)この間彼女がミラノに来たときに、せっかく遭う時間を作ってくださったのに、ちょうどそのとき体調が悪くて遭えなかったのが悔しい。超狭地元話で盛り上がりたかったのに。。。。(あの交差点にあったコンビ二が今どうなってる、とか。)8月に入って、あちこちの店や飲食店が閉まってしまったが、かろうじて開いているPUBを見つけて入る。メニューが配られたが、そんなものを見ている暇がないぐらい、3人で機関銃のようにしゃべりまくった。やっと飲み物を注文して、バイキング式のおつまみを取り、席に戻ってもしゃべりが止まらない。奈良のこと、これからの彼女たちの予定、エトセトラ。aya825さんは一時期、しばらく日記を休んでいたので、その間に我が家に起こったことを一通り話したり、それが初耳な連れの彼女は目を丸くして聞いていたり。。しかし彼女たちはしゃべりながらも上手に飲み食いしている。わたしは、というと彼女たちが一杯目のカクテルを飲み終わっても、まだ最初のに手付かずな状態だ。やがて雨が降ってきて、もともと薄暗かった店内がもっと暗くなって店員があちこちにろうそくを灯しだした。わたしはそれをぼんやり見つめながら、結婚してからこういうことがヘタになったな、と思った。日本に居たときは友人たちと出かけて喫茶店で紅茶やケーキを頼んで、ほどよく食べながら、飲みながら、おしゃべりをして長居するのも普通だった。こっちで独身時代も友人たちとアペルティーボに出かけてゆったりと飲みながらしゃれた会話もしていたものだ。結婚してからっつ~か、この田舎町に引っ越してから、というもの、おっとと2人でそんな余裕のある生活など送れず、いつも「外で飲むならうちで飲め。」だ。それにおっとはおっとの酔っ払い友達とだけで一人で夜中に出歩くのが普通になったから、アシがないわたしは自然、お留守番犬のようにひとりで夜家にいるようになったし、久々の他人との交流にどうしていいのかわからなくなる。結局わたしはひととおりしゃべり終えた約2時間後に慌ててまとめて目の前にあるカクテルとおつまみをガツガツと平らげるような形となったのであった。雨がやんだ。わたしは名残惜しかったが、もう帰宅しなければ危ない時間になった。(この場合の「危ない」は電車の本数がグンと減ることを指す。)わたしたちは店を出て、そのまま駅に向かうのもなんだか名残惜しくて何もないところをウロウロとしてからとうとう駅に行った。aya825さんがイタリアにいるのはたったの1週間。来週の月曜日にはもう日本に帰ってしまう。本当はもっと別の日にゆっくり遭いたかったが、残念だ。aya825さん「今度はいつ日本に帰省するの?そのときまた遭おうよ。」わたし「うう~ん、希望は年末。でもおっとはエクアドルに帰りたいんだよね。」微妙である。これが物分りのいい国籍のガイジンを伴侶に持つのであれば、安心してひとりで日本に帰れるのだが、おっとはいつも自分はひとりで勝手に出かけるくせにわたしがひとりで出かけるとなると許さない。実際、この出会いも「浮気か?不倫か!?相手は女だといって実は男なんだろう!」とさんざん後ろでののしるのを「ケ。」と言って出てきたのである。典型的南米人なのだ。帰りたいな。帰れるやろうか?おっとはエクアドルへ、わたしは日本へ。というのが理想の形なんだけど。
2006.08.10
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日曜日は家でダラダラしているとおっとの携帯にブラジル人のエルトンから「一緒に川に行こう。12時半に我が家集合。」とメッセージが入った。最近エルトンは家庭内離婚をしている奥さんの気持ちを取り戻すため、見ていて痛ましいぐらいほぼ毎週末、いろいろ楽しい企画を立てている。今回も川遊びのために大きなゴムボートまで購入したらしい。体調があまりすぐれないわたしは、どうしようか迷ったが、最近そのおかげで太陽の光を浴びていない気がして「川辺で昼寝でもするか。」とOKした。野外活動のときの南米人のお約束: バーベキュー絶対これははずさないだろうからと、冷蔵庫をあさって肉やソーセージ、ジュースやビールを保冷バッグに詰め込んでエルトンの家に向かったのだった。最近ミラノは数日前に連日降った雨のおかげでまるで、夏を飛び越して秋になったかのように涼しい。まさかこんな中、泳ぎはしないだろう。おっとは「え~、泳がないの?」と言いながら水着を着て、買ったばかりのシュノーケルセットをクルマに積み込んだ。わたしは長袖にGパンを着ようかと思ったが、さすがに川で濡れることを考慮して、半そで半パンで出かけた。エルトンの家に着くと、もう家の前の駐車場で2人の友達とわたしたちを待っていた。わたし「あれ、奥さんは?」エルトン「。。。体調が悪いから来ないって。」しかしわたしはわかっていた。わたしが南米人飲み会の断り文句によく使う手だ。奥さんは単に来たくないだけである。まだまだ2人の距離は遠い。エルトンはわたしたちに2人のイタリア人の友人を紹介した。マウロとホーマー。「ぼくの教会(エバンジェリカ)の友達。今日は彼らが川に連れて行ってくれる。」我々はクルマ2台に乗り込んで出発!もともと我々の家の付近は田舎なのだが、見慣れない田舎町を何個か通過し、クルマはきれいな渓谷のそばを走っていく。30分足らずでベルガモ県のメドラゴというところに着いた。小さな町の中を通って、川に下る舗装のされてない山道のような細い下り坂に入った。ちょっと下っただけでわき道に沿って延々と続く駐車されたクルマの群れが目に入った。わたし「混んでるねえ。名所なの?」ホーマー「まあね、ここから先は南米になるから。」おっと「??」我々もクルマの群れの一番頂上にクルマを停めて降りる。わたしはホーマーが言った意味がすぐわかった。向こうのクルマから荷を運び出しているのは明らかに南米人の一家だ。我々も大きな荷物を抱えて川に下りていった。川べりは川に沿って200mほど長細く芝生が敷き詰められた公園になっていた。川は緑色に澄んでいて、たくさんのひとが水遊びをしていたが、涼しいせいもあって、泳いでいる人の姿はそんなに見かけない。さび付いた門とも鉄柱ともいえないものをくぐって入ると1m四方の人口密度は先日のプールの1/20ほどだが、結構混みあっていてあっちでもこっちでもバーベキュー。入り口からの100mほどが更に人口密度が濃く、そこでバーベキューをしている家族5家族につき、4家族ほどが南米人である。_| ̄|○ 確かにイタリア、というより南米だ。そこはもう混みあっていて、わたしたちが場所を広げるスペースはないので、肉を焼く煙と、ラジカセから流れる壊れた音のラテンミュージックにいぶされながら、どんどんと奥に進んだ。それと共にイタリア人家族の比率が多くなり、バーベキューをしている家族、というより犬連れで寝そべっている家族が増えてきた。人口もまばらになってきたので、芝生が終わるぎりぎりのところにわたしたちはパラソルを立て、ビーチマットを拡げた。エルトン「腹が減ったぞ!みんな、その辺のできるだけ大きな石を集めてくれ、バーベキューの用意だ!!」ああ、やっぱり。つくづくはずさないなあ。_| ̄|○男たちはせっせと石を拾ってきてかまどを作り、その上に持ってきた頑丈な鉄製の網を乗せた。炭を入れて火をつける。エルトンが大きな袋を開けると、何個もの大きなタッパーにぎっしり味付けされた肉が詰まっていた。どうみても3~4kgはありそうな勢いである。エルトン「今日はブラジル風焼肉だからな。」と大張り切りだ。わたしはそんな男たちの活躍をパラソルの下でぼ~っと見ていた。おっとはその間、一生懸命ポンプでエルトンのゴムボートに空気を入れている。最終的にはエルトンとおっとだけが働いている形となって、わたしはマウロとホーマーとひたすら喋っていた。偏見ではないが、やはりわたしにはイタリア人との方が話が弾む。こちらのほうが母国語をしゃべっているわけだから、確実に彼らの言葉のほうがわかりやすい、というのもあるのだろうが。。肉が焼けた。エルトン「よしっ、いくきーと食べなさい!」わたしは喜んでエルトンが切り分けてくれた肉にかぶりつこうとした。するとみんなが下を向き、目を閉じて「神よ、我々の今日の糧に感謝します。。。」とお祈りがはじまったので慌てて肉を口から離した。そうなのだ。エルトンは信仰が厚くて、土日の教会のミサは絶対かかさない。それに比べておっとは最近、めったに教会に行かないし、家でも食べる前にお祈りなどしたことがないので(日本語で「いただきます。」はちゃんと言うようにしつけたが)、それを思い返してちょっと恥ずかしくなった。そんな様子を見ていたマウロ「いくきーと、君はなんの宗教なの?」と聞く。わたしはうっかり「無宗教。」と言ってしまってから慌てて口をつぐんだ。そうなのだ、彼らエバンジェリカは「世界がエバンジェリカで統一されるべき。」と思っているひとたちなのでうっかりこういうことを言うものなら勧誘にかかってくるのである!案の定、マウロは「キリスト様はね。。。」と始めたのでわたしは慌てて「え~と、正式には無宗教なんだけど今、神道に傾倒しているの。」と言い換えるとたちまち不快な顔を露にした。マウロ「シントロジーか。」わたしは日本神話を思い出しながら「神道というのはね。。」ときっとでたらめでもわからないや、と思いつつ説明にかかるとマウロ「知ってるよ。ちょっと宗教学を勉強したからね。」という。この言葉を聞いて、さらに冷や汗をかいて口をつぐんだわたし。この時点では、ここから話題がなんとかそれたのでよかったのだが、真剣に日本の宗教を勉強しないと、と思ってさっそく購入した次第。これ。エルトンが焼いた肉は絶妙の焼け具合でおいしかった。さすがに神経質なエルトン、焼けすぎも、生焼けも許されないという。その証拠に彼はほとんど食べずに火の番をしていた。わたしたちが持ってきた肉は開封されることもなくお腹がいっぱいになり、いよいよ川へゴムボートでGO!マウロとホーマーは残って、わたしとエルトンとおっとの3人で上流までゴムボートを担いで行き、水に浮かべた。比較的広い川はほどほどに深く、魚もたくさん泳いでいる。流れが緩やかでボート遊びにはもってこいだ。周りの緑を見ながら、きれいな川辺のとんぼを観察しながら、わたしは水着も持ってきてないのでお尻をズボンの上からびちゃびちゃにしながら、それでもさわやかな川風に吹かれて楽しみながら、ボートで川を下っていくと岸から手を振っている2人の男性が見えた。エルトンが手を振り返す。「他の友達が到着したよ!」岸にボートをつけるとたちまち小さな男の子が2人駆け寄ってきて「エルトン、次はぼくたちを乗せて!」と叫んだ。我々の場所を見るとお父さんお母さん、おじちゃんおばちゃん、じいちゃんばあちゃん、子供たちの大家族がビーチマットを拡げているのが見えた。ああ、つかの間の大人の休日は終わりか。。とわたしはしぶしぶ岸に上がったのだった。マウロとホーマーは次々に「これがぼくの奥さんで、これがおばさんで、これが。。。」と紹介してくれるが、あまりの人数の多さに目が廻って覚えられない。ぼ~っとしていると、子供たちは子供たちでエルトンとおっとにくっついて川に水遊びに出かけたし、残った男たちはビールを飲みながら立ち話をはじめたし、女たちは固まって一番小さな赤ちゃんをあやし始めたので、グループ分けとしては、やっぱり女性のところだろうか?ととぼとぼとなんとか、その輪の中に入った。しかし。どこに行ってもそうなのだが、エクアドル人と日本人の夫婦というのは、非常に珍しがられる。誰かが「馴れ初めは?」と聞くので口を開けて説明しようとすると、誰かが「教会で知り合ったんでしょ、そうでしょ?」と口を挟んできて、否定するまもなく「キリスト様の愛は。。。」という話になって、尋ねてもいないのに、どれだけこの宗教が素晴らしいか、と言う話を全員がわたしに向かって一斉にするのでヘキエキしてしまった。わたしがどの宗教を信じている、とも言っていないのにだ。世の中には宗教一色の人間が多いのだな、とつくづく思う。やっぱり無信仰にしろちゃんと勉強しないと。。。うんざりしてすぐに子供たちのところに移った。こういう場合、よっぽど理屈をこねない子供たちといるほうが楽だ。おっととエルトンは一度は子供たちを乗せてゴムボートで出かけたのだが、後は置き去りにして自分たちだけでシュノーケルをつけて潜り、水中観察を楽しんでいる。わたしはちょっと子供たちとサッカーをしてみたり、釣りを楽しんでいるとあっという間に日が暮れて、このまま余った肉を腐らせるのはもったいないからと、またもや強行バーベキューを決行したのであった。もう、肉の顔は今週は見たくないや、というほど食べた。ああ、なんか久しぶりに休日のような休日だった。これで宗教の話さえこんなに頻繁に出てこなければ、あとあちこちでするバーベキューの臭いのために群がるハエたちがいなければ、完璧な休日だった。来週末はヘビーなおっとのいとこ家族のいるジェノバ行きである。やっぱりもっと肉を食べて体力をつけねば!
2006.08.07
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お久しぶりです。日曜日には「イタリアW杯優勝!」なんておいしいネタもあったというのに、ここのところ自由時間がなくて日記がなかなか更新出来ません。例の電気屋メデイアワールドに関しては「あのキャンペーンを考えた責任者、クビになってるで。」と、ニュースで損害額の発表をするのではないかと楽しみにしていたのだが、先日見た新しいCMでは頭に「必勝」と書かれたはちまきを巻いたすし職人が「万歳~!!」と喜んだシーンから始まり(←なんで日本人やねん?)世界各国の人々が「ばんざ~い!!」と喜ぶもの。最後に「ね、我々を信じて正解だったでしょ?メデイアワールド」と言って終わる。懲りないな、っつーか、開き直りか??話を戻して自由時間がないわけ。W杯終了までは気もそぞろで働かなかったイタリア人たちが慌てふためき始めたせいである。それは、決してこのW杯期間の遅れを取り戻そう、などという真面目なものではなく、8月に入るとたいがいの企業は一斉に1ヶ月近くのバカンスモードに突入。「心置きなくバカンスを楽しむため」に7月中に8月分の仕事までが集中するのだ。我々の会社は哀しくも年中無休なので、本来はそんなことは必要ないのだが、クライアントや下請けの印刷屋が8月1ヶ月休業になるからそれにあわせなければいけないし、我が社の社員たちも今年に置いては数人、すでに5~6月ごろにバカンスを済ませたが、大半がまるで判に押したように8月に有給を取るから事実上、会社が動けなくなる。まあ、わたしとしては7月集中して働いて、8月ほとんど無人の社内でのほほんと好きなことをやる毎年にも慣れて結構悪くないのだが。(←うちは貧乏と、貧乏性が重なってここ数年バカンスらしいバカンスを取っていない!)*****そういえばW杯が終わってイタリア人が働きだした証拠が月曜日、如実に出た。おとといの夕方。田舎駅までわたしを迎えに来たおっとの様子がおかしい。わたし「どうしたの?」おっと「。。。。。」と無言でわたしから視線をそらす。わたしは腕に手をかけようとして「触るなっ!」と払われた。わたし「???」おっと「浮気してるだろ?」わたし「は?」おっと「ぼくには『エロサイトを見るな!』 なんて言っておいて自分はどうせ、変なサイトで男を作ったんだろっ!?」わたし「何言ってるんだよ?」おっと「『かつしちー』っていったいどこの誰だぁっ~~~~~!!!!?????」ああ。_| ̄|○ そうか、W杯が終わったからブツが届いたのね。思ったより、結構早かったな。(約2週間半)わたしは努めて明るく「違うよ~、わたしのサイトで知り合った人で、おうまを世界に拡げる為に送ってくれたんだよ。」と説明するが、すればするほど、自分でも言い訳がましく、怪しい雰囲気に落ちていく。大汗おっと「サイトで知り合った、ってだけで男が人妻にプレゼントを贈るか?」わたし「かつしちーさんも人夫だよ。」大汗わたし「それにわたしも彼にわたしのイラスト贈ったし。」おっと「お、お前たち。。。そんなプレゼントを贈りあう仲なのかっ!?」わたし「。。。。。」 毎度のことなのだが、このラテン男とは、「友情」と「愛情」の話は永遠に噛み合わないと思う。それはともかく家に着いた。わたしは走ってドアを開け、テーブルの上に置いてあった小包を開けようとした。おっと「ダメダメダメ!!」わたし「もう!どうしてさ!?」おっと「開けたくば、ぼくに15ユーロ払え。」見れば、箱に関税として13ユーロ、と書いてあった。しぶしぶおっとに払う。「怪しい小包だと思ったのに、払ってくれたんだね。」とわたしは嫌味っぽく言った。おっと「。。。日本人の名前を見て、コックさん宛ての荷物だとてっきり思ったんだ。」とぷいっと横を向いた。こうしてやっとわたしは小包に触ることが出来た。予想以上にでかい箱だった。わたしはてっきり「おうまカレンダー」は小さいものだと思っていたのだが。。。どきどきしながら開けると中から立派な木箱が出てきておそれおののいた。ああ、こんな立派だったら関税もかかるわ。。。とじーんと来た。←せこい気持ちではなく素直な感想。そうなのだ。運悪く税関で荷物の中身を検められたとき、新品の包装がされてるものが見つかると、必ずと言っていいほど関税がかかる。なので、苦肉策として実家からものを送ってもらうときなどは出来るだけ包装をはずしてもらうようにする。そうすれば関税はかからない。←イタリア在住者関係者向け一言メモ話を戻して箱を開けると、ヒノキのいい匂いが拡がった。わたしは嫌がるおっとの鼻にそれを近づけて「ほうら、いい匂いだよ~。」と機嫌をとろうとするが、おっとは頑なにそっぽを向くので、もう放置することにした。中には白い和紙に包まれたおが屑がたくさん枕のようにおうまカレンダーの破損を防ぐために入っていた。それが芳香を放っていたのだ。この枕は絶対たんすの引き出しに入れよう。この立派な木箱は何に使おうかな?枕を押しのけておうまカレンダーを取り出す。それは小さいけれど手が込んでいて立派なものだった。(ちゃんと裏には長男くんの署名が入ってたし。)そんな「おうま製作ストーリー」はこここ、こんな立派なもん、本当にもらっていいんでしょうか?あんなへぼいイラストと交換ではなんか気の毒。さっそく写真入れにお気に入りのARANZIARANZOの絵はがきを入れてみた。タイトルは「ボンジョルノ!メディアセットタワーざんす。」←ミラノ郊外北東部居住者限定ネタ おうまのひとつひとつには言葉が入っていて、カレンダーもちゃんとイタリア語バージョンになっている。(写真じゃちゃんと見えなくてスマン)特に感動したものはこれっ!!ウラ ありがとう~~っ!!これをお守りがわりに持って、次からの裁判に挑むわ!!!ところで、この木箱、おうまカレンダーを入れるにはちょっと大きいのではないかと。。。。←郵送料が高くついてしまって申し訳ない。 上にあるのはかつしちさんが修復にたずさわった建物の絵はがき。もしかして、かつしちさんって、偉人??恐れ入りました~~~~~~。PS.ちなみにおうまカレンダーを買いたいな、と思った人はここ。これ見て、上記の写真で使い方が間違えたことに気がつきた!すまん~~~~。
2006.07.12
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楽天お友達のかつしちさんのおうまカレンダーが 発売1周年を迎えたので、記念にほんもんの「おうまカレンダー」をいただきました!!。。。。。。って、ずいぶん前にこの日前後に着く手はずで送ってもらったはずなのに、まだ着きませんがな。かつしちさんとはちょっと前からブログで懇意にしていただいていて、「のろいのイタリア」の実情もずいぶんとわかってきたご様子だったのだが。。。。まだまだ甘いようである。まあ、それはともかく1周年のお祝いと、送ってもらったという「事実」のお礼に「いくきーととかつしちのコラボTOP絵」を色違いのおそろいで、送ったわけなのだが、電子送信と郵便局送信のスピードの違いで、こちらのほうが早く着いてしまったわけなのだ。解説をするならば、3匹の木製おうまはかつしちさんの持ち馬である。彼はたくさんの「おうま」を持つ大馬主なのだが、その中でもわたしのお気に入りの3匹を使わせていただいた。イメージは「競馬場」。今では競馬場というのはデートスポットにもなるぐらいおしゃれなようだが、あえて1970年代ごろのタバコくさいおっさんたちが、競馬新聞を持ってたむろしているようなノスタルジーなイメージで描かせていただいたのであった。郵便といえば、この間は実家からの荷物がたった2週間で着いたから超びびった。でも、友達が冬の衣類を実家に送ってもらえるように頼んだら、着いたのは翌年の春だったしなあ。。。でもでも、あるひとが、待ってる荷物がいつまでも来ない、と気をもんでたら、近くの農家のひとが「これ、お宅の荷物?うちの納屋に放り投げてあった。」と持ってきてくれたとか、あ、こういうこともあった!!友達のお父さんが金箔張りの名刺を日本で作って送ってもらったところ、もう10年も届いていないとか、ああ、前の家に住んでいたとき、中国から荷物が届いて、うちは中国とも関係があるから、何の疑いも無く封を開けたら、知らない中国人の若いきれいなお姉ちゃんの写真入り「独身証明書」で、大切なものだろうと、表に書かれたまったく違う住所と名前を(郵便局員は字が読めんのか?!)たどって届けに行ったら、婚約者らしい脂ぎったイタリア人のどう見ても30歳以上年上だろう、というおっさんが受け取って、すごく引いてしまったとか、あ、でもこれはほんの数例ですからご心配なく、かつしちさん。とりあえず、3ヶ月は待ってみて着かなかったら、マルペンサの税関に殴りこみをかけます!!そんなわけで、いつになるかはわかりませんが(汗)、おうまたちが我が田舎家に無事に到着した暁には必ずやUPしますので、気長に待っててください。こんなコラボ、結構楽しいな。←一言イタリア語 ちなみにイタリアではコラボレーションは「共同作業」ではなく、「アルバイト」的な意味合いが強い。あ、でもこの場合は「共同作業」ね。*****ところで、わたしの周りのイタリア人に言わせると、ここミラノと周辺ではそれぞれになわばりがあるらしい。たとえば日本人 - デジカメとブランドのでかい紙袋をかかえて高級ブテイック街モンテナポレオーネ地区。ドイツ人 - でかいリュックでミラノ周辺の湖のほとりアメリカ人 - 短パンタンクトップでドウモに入ろうとしていつも警備員に制止されるのでドウモの扉の前をたむろする。ルーマニア人- 汚いマクドの紙コップを持ってぼろぼろのアコーデオンやギターを弾きながら地下鉄列車内中国人 - スカーフやおもちゃを籠につめてレストラン廻りや中央駅改札前アフリカ人 - 偽ブランド品を床に拡げてドウモ周辺フィリピン人 - ミラノで一番人種的に多いらしい。しかしなわばりは清掃などで各家庭内に潜伏しているため、表ではあまり見ない。エクアドル人 - 運送業でトラックやワゴン車の上エジプト人 - ピザ屋内部といった感じで日本 - テクノロジーとアニメと電化製品イタリア - サッカーと思い込んでいることがわかった。日本がブラジル戦で負けたとき、上品なイタ公友人がこうのたまった。「サッカーはね、イタリアの伝統なんだよ。日本は上記のように他のとりえがあるから、いいでしょ?」と。そうなのか?日本はたくさんのものを持ちすぎているのに、サッカーで世界のTOPに登りつめようという野望は欲張りすぎ、と言いたいのか?しかし、今夜の試合は彼が思っているように勝つだろうか?ここで負けたら「イタリアにはな~んのとりえもない。」ってことになるのか?そういえば、後悔していることがひとつある。ずいぶん前から我が家は新しいTVが欲しかったのだが、ずっと我慢してきた。イタリアの大型電化製品チェーン店「メディアワールド」が「この期間中にTVをお買い上げの方にはイタリアがW杯で優勝した暁には代金をすべて還元します 。」セールをやっていたのだ!買っときゃよかった。この広告を見たときは「この会社、絶対イタリアが優勝できないと見越してるな。」と思ってたのだが、このまま行けば12年ぶり?のベスト4入りと、優勝すら夢じゃなくなってきたのである。あ、でももしかしたら今頃、マフィアたちがメディアワールドに金を積まれて、ドイツまで暗躍しにいってるかもなあ。余談だけど前回の日記のペルー人に昨夜名刺を渡した。彼はたいそう喜んで「またきっと、何度か頼むことになるけどよろしく。」やっぱりこのまま終わらないのか。。。。。。_| ̄|○
2006.06.30
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おとといの昼、社長は出張に出かけた。飛行機の切符の領収書を見ると行き先は「ドイツ」であった。汗本当に仕事で行ったのだろうか?真実は本人のみが知るのである。(ちなみに我が社の下の階の出版会社の社長も「トスカーナに出張に出かける。」と言って消えたそうである。)そういったわけで、我が社は昨日から総出をあげて忙しく働いた。プログラマーたちはTVが見れるソフトを会議室のPCにインストール、朝からビルの屋上にあるアンテナに繋ぐことを試みるが、焦燥の時間が過ぎるばかりで、繋ぐことができない。チロ「仕方がない、家に戻って室内アンテナを取ってくる。」と出て行き、しばらくするとほこりのかぶったアンテナを持って帰ってきた。しかしPCにこんなステレオタイプのアンテナは繋ぐことができないので、倉庫からこれもほこりのかぶった古いTVをチプリアンが探し出してきてデザイン室の真ん中にデンッと備え付けた。スイッチを入れる。しかし、超写りが悪い!!OOOOOOOOOOOHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!時計を見ると16時から始まる イタリア-チェコ戦まで1時間を切っている。我々は全力をそそいでアンテナを窓の外に出してみたり、ゴミ箱にセロテープで留めてみたり、画策をして国歌が流れ出すころ、ようやくちょっとノイズは入るものの仕方がないかと、TVを囲んで全員で座ったのだった。結果は2-0。イタリアが勝ったとはいえ、なんだか冴えない試合だった。途中、退屈してサイトの批評を覗き込んだり、あまり集中が出来ないまま終わった感じ。試合終了は終業時間のちょっと前だったというのに、ホイッスルが鳴ったと同時に同僚たちはぶ~ぶ~言いながら帰宅したのである。経過がどうであれ、勝ったんだからいいじゃないか?それに比べて3時間後に始まるわたしたちの試合は。。。。わくわくどきどきだった。日本戦って観たことないけど、これに勝たなければ後がないから、きっと選手たちは特攻精神で頑張ってくれるだろう。たとえ相手がブラジルでも。。。!19時にちずMilanoさんとミナミの繁華街、ポルタジェノバで待ち合わせる。昨日予告したわたしが見に行く場所は、ミラノの南にあったからである。わたし「ねえねえ、誰か誘った?」ちずMilanoさん「うん。。。でもさ、誘った人の半分も来ないよ。」わたし「どうして?」ちずMilanoさん「だって遠すぎるよ、中心街から!」そ。。。そうなのか? わたしは田舎者なのでポルタジェノバからトラムで15分なんて、余裕で中心街だと思っていたのだが??ちずMilanoさん「それにこれって、ブラジル系のレストランじゃないの? もしものことが起こって日本が勝ったりしたら、わたしたち、生きて出てこれないよ?」はっっっっっっっ!!!!????気がつかんかった、そ~いやこのレストランの名前、ポルトガル語っぽい!!!わたしは慌ててレストランに電話し、さりげなく店のメニューを聞いた後「これって、イタリアンじゃないですよね?」と切り出す。レストラン「違いますよ、うちはアルゼンチン系です。」ほ~。。。。危なかった。ポルタジェノバでアペルティーボもそこそこに、暑さで体調が悪いちずMilanoさんを 気の毒なことに、急き立ててComuna Bairesに向かったのだった。気持ちがはやってしかたがない。絶対「君が代」を選手たちと一緒に合唱するんだ!!途中まで歩いてトラムに乗る。トラムの中には2人の日本人の女の子が座っていた。そういえば、彼女たち、待ち合わせ場所で見たな。あの辺は日本人が多いからスルーして見てたけど。もしかして、もしかして。。。。広告効果があって一緒に試合を見てくれるひとたちかっ!?トラムは確かにとても中心街とはいえない、何もない運河沿いに着いた。地図を見ながらレストランに向かって歩くと彼女たちも距離を置いてついてくる。あ#~~~~~、やっぱり!!わたしはうれしくなって振り返り、手を大きく振って先頭に立ったのだった。アルゼンチンレストランは古ぼけた大きな庭を持つ屋敷にあった。垣根の向こうから「いくきーとちゃん!」とすでに到着していた友人ルミブーたちが手を振る。大きな鉄の門を入ると庭がまるでキャンプ場のようになっていて、友人たちは無造作に並べた木のベンチでビールを飲んでいた。ルミブー「いくきーとちゃん、こんなところどうやって見つけたの?なんだかすごいところだね。」わたしは辺りを見渡した。まるでi puffiか、七人の小人たちの隠れ家みたいだ。これをアニメにしたらそれはそれは、楽しい森の絵が描けそうだ。庭の真ん中に木の櫓が組まれて大きな布が張ってある。こ、これが。。。噂のビッグスクリーンか。。。。蒸し暑いは、蚊だらけだわ、BBQを炭火でやっているおかげで煙がもくもくだわ、確かにすごいところである。このレストランはあのエクアドルの試合を観に行ったときにチラシを貰って見つけたのだ。サイトを見れば、室内はアーティスティックでいいと思ったんだけど。。。。まさか屋外でやるとは思わんかった。スマヌわたしはルミブーに挨拶をして後列の女の子たちを振り返る。彼女たちもおずおずと廻りを見渡している。そこでみんなで簡単な自己紹介。この彼女たちは外部お友達ayaMilanoさん そのお友達のけいこさんだった!感激!!そこからぞくぞくと日本人や日本人に連れられたイタリア人たちが集まってきた。みんな顔の広いちずMilanoさん関係者なのだが、実はその中の2人がルミブーの友達とか、狭いミラノを感じさせる日本人会のテーブルが出来上がっていった。しかし。おっとがまだ来ない。携帯に電話をすると「レストランのちょっと前の道で火事が起きて、道が封鎖されちゃったよ!とにかくすごい渋滞になってるから遅れる!」げげげ。「あ、始まるよ!」と誰かが叫んだので慌てて振り返るとビッグスクリーンで日本が「君が代」を歌いだした。しかしボリュームが低すぎて歌が聞こえない。行動の早いちずMilanoさんが店員に「ボリュームを上げて!」と頼む。しかしボリュームが上がったのはちょうどブラジルが国歌を歌いだしたところだった。怒試合が始まり、まもなく日本がゴール!わたしたちは奇声をあげ、ビールで乾杯する。おっとにいそいそと電話をするがまだ渋滞に揉まれたまま。しかし、みなさんもご存知なようにこのゴールのおかげで目が覚めたブラジルに反撃ゴールをされて、前半は気持ちの悪いまま終わったのだった。休憩時間に写真を撮っているとやっとおっととヤギ仲間のペルー人チェザーレ、そしてお初のMixi友達Eriちゃんが「火事でここにたどり着くの、すごく時間がかかっちゃったよ~。」と到着して全員が揃った。後半戦が始まった。おっとはJFAのユニフォームまで着せたというのに、ブラジルに点が入ると「ゴール!」と叫ぶ。わたしたちは「うっそ~っ!!」「ぎゃ~~っ!!!」と大騒ぎである。ちずMilanoさんは怒ってしまって遠くに離れた。わたしたちは「酔っ払わないとやってられんわっ!!」とぐいぐいビールを飲み、あちこちから日本語の野次が飛び、おっとはべネゼエラ人のウエイトレスに「スミマセ~ン、ビールクダサイ!!(日本語)」と何度も叫ぶはで、大騒ぎとなっているうちに1-4のボロ負けで日本が負けた。_| ̄|○日本選手、チームワークが全然なっとらんやん!!ジーコ監督の失望した顔が大写しとなる。あ~あ。日本の夏は終わった。わたしたちはふくれっ面で、さらにビールをあおった。やがてレストランのオーナーであろう男性がスクリーンの前におずおずと出てきた。「日本人の皆さま、本日は誠に残念な結果となりました。ですが、ただ今より『楽焼』の実演と室内におきまして有名歌手のコンサートを行いますので気を取り直してお楽しみください。」屋敷から音楽が流れ始めた。しかしわたしたちは誰も立ち上がらずこのみじめな敗北をいろいろと評価していると、たちまちあたりが煙くさくなってっきた。見れば、「楽焼」の器が出来上がったようである。わたしたちはさっそくそれを見て、触ってなんだか小学校の社会見学のようだった。そうか、「楽焼」ってこんなんなのか。。。結果的には試合はぼろぼろだったし、蚊だらけだったけど、とても楽しい会であった。今度はみなさん、エクアドルの試合のときに集まる?(次はもうちっと中心街で探します。反省)お疲れ様でした~!!!
2006.06.23
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昨日はいろいろな方に励ましてもらってありがとうございます。さすがに事件直後は思い詰めて「不動産屋め、五寸釘で呪い殺したろうかっ!!」と本気で計画をしていたのですが、そういう東洋のやりかたの効能に不安を覚えてやめました。今はヨ~ロッパ風の呪い方を検索中です。誰か効き目のある呪い方を知っていらしたら、教えてくださいねっ!とにもかくにも、小鳩な脳みそを振り絞ったところで、今回のようなどんでん返しが繰り返し起こるので、我々の弁護士が何か報告してくるまで、悩むことはやめました。(←ヤギ化進行中)もちろん現実逃避です。***そういうわけで!明日はいよいよ日本対ブラジル戦!昨日、エクアドルはドイツに 0-3とボロ負け。。。まさに傷心に塩をすりこむような状態だった。_| ̄|○っつーか、試合は昼間だったから仕事中で観ていないし、どういう試合をしたのか知らないのだけど。。観ていないから、といえばわたしは未だに日本の試合を観たことがない。イタリアは「SKY」という有料放送の会社がW杯の放映権を独占してしまい、「SKY」に入らない限り、観れないのだ。←独裁国家か?とりあえず、国営放送「RAI UNO」がイタリア戦とその他の強豪の試合だけは放映するのだけど、国営放送的「しょぼい」試合は放映しない。つまり「日本戦」なんて、明らかに蚊帳の外なのである!!2003年はよかった。全部の試合をTVで放映していたから、イタリア戦の時にはみんな仕事の手を休めて会議室に集まり、全員で応援したよなあ。。。しみじみ。日本戦を独りでこっそり観ていても、社長、何も言わなかったし。で、明日の日本対ブラジル戦はとても楽しみなのだ。「ブラジル」という強豪と試合をするおかげでTVでも放映するし、今年はきっと最後になるかもしれない試合だから何人かの日本人の友人たちと外のビッグスクリーンのあるところに応援に行くことにしたし、これで日本が奇跡を起こしてくれたらさらにうれしいだろう。再び広告!ミラノ、ミラノ近郊のみなさん、こぞって日本を応援しませんか?!もしも、わたしたちが行くところに来る人がいて、わたしたちを見つけたら「おう、いくきーと!」または「まるちゃん、元気?」と気軽に声をかけてください!盛り上がろうではありませんかっ!!念のため、プロフィールに限定2日間限りで2人の写真を載せておきます。(あしゅら男爵風)6月22日(木) 21時よりPalamazda (ex-Palavobis) - via Sant'Elia, 33Telefono: 02- 33400551MM1 LAMPUGNANO駅から 徒歩350m_____Comuna Baires(入場無料)via Parenzo, 7 - 20143 - Milano - ItaliaTel: 0039 0289121317 - Fax: 0039 0289121317http://www.comunabaires.it/eventi.htmMM PortaGenova駅から 2のトラムNegrelli行きで10個目の停留所Negrelli - Parenzo。そこから徒歩150m。_____その他Parco SolariPza.Duomoわたしは今のところ2番目のComuna Bairesに行く予定です。この日はBBQがあるらしい。(食べ物につられるわたし)ではでは!!
2006.06.21
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小ネタ1:先週金曜の朝、コックさんはわたしと一緒に大きなスーツケースを抱えてミラノ往きの通勤電車に乗った。コックさん「これ、ガリバルデイ駅行きだから、モンツァで中央駅行きの電車に乗り換えます。そうすれば中央駅からリナーテ空港行きのリムジンが出てるから歩かなくていいし。」わたし「そうだね。」電車は満席だった。コックさんはわたしにスーツケースの上に座るように薦め、この数日のアルベロベッロとマテーラの旅行の話をする。モンツァ駅に近づいてきた頃には、わたしたちは会話をやめ、なんだか胸がいっぱいになってきたのである。お別れの言葉を切り出そうかと口を開いたと同時にコックさんの携帯が鳴ったので、黙り込むわたし。コックさん「いよう、ピエトロ(仮名)、電話したときにさっさと応えてくれよ。俺、ガリバルデイ駅じゃなくて、中央駅に着くことにしたから。間違えないで来てくれよな!」コックさんが話しているうちに電車はモンツァ駅に着いてしまったので、わたしは慌てて腰が抜けそうなほど重い彼のスーツケースを引っ張り降ろした。そして再び電車に乗り込むと電車のドアが閉まる。コックさんはドアの外のホームからまだ携帯を片手に持ったまま、わたしに手を振った。なんだか半端なお別れだった。さて、感傷に浸るか。。。と空いた席に腰を下ろす。しかしだんだん腹が立ってきた。あのやろ、うちではここ数日、控えめを装っておいて、ちゃっかりミラノで誰かに迎えを頼んどるんじゃないか!?やっぱりコックさんは最後まで コックさんなのだった。****小ネタ2:実は先週からわたしはおっとのクルマで最寄り駅まで通勤している。なぜなら。イタリアの学校はふざけたことに先々週の金曜日で長い夏休みに突入したため、バスまで夏休みに突入したのである!(バスの運ちゃんたちも夏休みに入ったのか?うらやましすぎるぞっつ~か、季節労働者のようだ。)おかげでそんなふざけた事情を知らなかった初日は徒歩で駅まで行って汗だくになった。わたし「。。。というわけで、自転車を買うことに決めたよ。」おっと「どこにそんな余分なお金があるんだ?」わたし「。。。。。」←おまえのせいだろっ!と声を大にして言いたい。おっと「たとえお金があっても君の運転なんてもう、信じられないね。自転車だろうが、スクーターだろうが、全 面 禁 止 !!」こういったわけで子供の夏休み期間が終わるまでセバスティアンなおっとの送迎と相成った。往きは出勤時間がほとんど同じなのでいいのだが、帰りはヤギなので適当である。何度日陰のない駅前でこんなに待つなら歩いてたぞ!というぐらい待たされた。わたしがこっそり自転車を購入する日はそう、遠くないだろう。*****小ネタ3:昨日のW杯では日本がクロアチアに同点だったのはショックだった。2002年まで知名度のなかったエクアドルは決勝8入りしたってのに。。。日本の次の相手は強豪ブラジルである。土曜日、そんな宿敵ブラジル人のひとりのエルトンが我が家にイタリア対USAの試合を観に来たとき。エルトンはアンチイタリアなのでUSAが1点入れたときに「ゴーーー―ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッル!!」とこの田舎町全体に響き渡る奇声をあげて、外を走り回ったのである!あんたっ!この瞬間、この田舎町全体を敵に廻したのがわからんか!?っつーか、自分の家でこれが出来る勇気がないなら、よそでもやるなっ!!!!!しかしこの試合もへなへなの同点で終わり、笛が鳴ったと同時にウイリアムが「おう、試合はどうなってる?」と大量のビールを抱えて我が家に現れた。しかたがないので、このつまらなかった試合の話をダラダラとビールを飲みながらウイリアムにしていたのだが、ふとエルトン「いくきーと、日本の最後の試合はブラジルだよね?」わたし「最後かどうか、わからないよ。」エルトン「きみたちのジーコ監督はブラジル人だって知ってるよね?まあきみたちがぼくらに勝つのは無理にしても、彼が監督家業で日本からお金をもらっている以上、同点までは持っていかせるかな?」ど~ゆ~ことだよっ!!!???くっそ~、こんなに日本がなめられていいのかっ!?しかしエルトンの嫌な予言どおり、昨日の日曜日のクロアチア戦でブラジルに2点差以上で勝たなければ、後がなくなってきた。かなり手ごわい相手ですが、ミラノ、ミラノ近郊のみなさん、大和魂を挙げて一緒に日本を応援しませんか!?ミラノで大きなスクリーンで応援できるところを見つけました!6月22日(木) 21時よりPalamazda (ex-Palavobis) - via Sant'Elia, 33Telefono: 02- 33400551MM1 LAMPUGNANO駅から 徒歩350m_____Comuna Baires(入場無料)via Parenzo, 7 - 20143 - Milano - ItaliaTel: 0039 0289121317 - Fax: 0039 0289121317http://www.comunabaires.it/eventi.htmMM PortaGenova駅から 2のトラムNegrelli行きで10個目の停留所Negrelli - Parenzo。そこから徒歩150m。_____その他Parco SolariPza.Duomoわたしは今のところ2番目のComuna Bairesに行く予定です。この日はBBQがあるらしい。(食べ物につられるわたし)
2006.06.19
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前回の日記はあまり面白くなかったようです。まあ書いていたわたしもお腹をぼりぼり掻きながら、頬杖をついてダラダラ書いてました。。。。ハッ!待って!? なんかわかった気がする。もしかしてみなさんでわたしの不幸を願っているから、こんなに不幸なのか!!??OOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!ショッ~~~~~~~~~~~~ク!!!!!!!!!!!悪いけど今日も引き続き面白くないネタだよ、ケッ。****コックさんとのお別れの日はせまった。そういったわけで、わたしたちはちょっとおセンチになり、コックさんも前回の日記のように、控えめ(?)になっている。土曜のパーテイの余韻で昼ごろ起き出した日曜日は素晴らしくいい天気だった。わたしとおっと「せっかくだから外に行こう!」コックさん「どこ?」わたしとおっと「え~っと、レッコ湖とか?」コックさん「行った。」おっと「ベルガモとか?」コックさん「もう20回ぐらい行ったよ。」「。。。。」ここでわたしとおっとのネタがつきた。ソファに身を投げ出して黙ってTVに目をやる。コックさんは一緒にソファに座り「地球の◎き方」のページをめくった。コックさんが「ねえねえ!これに行こう、ここから近いよ!」と見せたページの街は「クレスピ ダッダ」という小さな街だった。ロードマップで見れば、確かに我が家から近い。わたし「へえ~、こんなところ、何があるの?」コックさん「町ぐるみで『世界遺産』に指定された街、としか書いてない。」それだけで充分だ。わたしたちは着替えて、さっそくクルマに乗り込んだ。クレスピ ダッダは、2本のアッダ川が合流したところの間にあるロードマップから見ても小さな町だ。隣接の街まではすぐに着いたのだが、「クレスピ ダッダ」という道路標示さえない。迷いに迷って、近隣のひとたちに聞きながらやっとそれらしいところにたどり着いたのであった。確かに渓谷は雰囲気がいいな。 城らしきものはあるけど、見学できないよ。同じような家ばかりが整然と立ち並んでいて、何が『世界遺産』なんだ?暑い日だった。わたしたちはBARに入ってカキ氷アイスを買い、お店のおばちゃんに「ここ、クレスピ ダッダですよね?」と聞く。おばちゃん「そうだよ。」と無愛想に応えて次の客の相手にかかった。わたしたちはちょっとがっかりして外に出してあるベンチに座ってアイスを食べ始めた。何気なく見やったBARの外壁に貼られた色あせたポスターに「ユネスコ世界遺産」という文字を発見し、思わず近寄って読んでみる。ここは1800年代末、南ヨーロッパではじめて出来た工場労働者のための社宅村らしい。その人的功績を表彰してユネスコに登録されたのだ。地図の通り、大きな工場の前に整然と同じ形の家が並んでいる。コックさん「じゃあ、ここは工場が見所なんだ。工場に行こう!工場!!」工場の正門はBARからまっすぐ歩いた右。日曜日だからか?閉まっていた。その古めかしい工場はなんだか、ナチスかなんかの収容所を連想させた。わたし「わたしだったら、こんなところに住みたくないな。」だって、大きな煙突のそびえる工場からやっと仕事が終わって出たと思ったら、目の前がもう家なのだ。しかもみんな同じ形で特徴がない。近所付き合いも仕事の上下関係で、さぞや楽しくないだろう。寝て起きたら、また工場の中に吸い込まれていく。その繰り返しを何年も、何年も。。。おっと「ものは考えようだよ。仕事と家が保証されている村なんて理想的じゃないか?」そうかな。。。と思いつつ、工場の家並みを挟んでまっすぐ歩いた突き当りの公園へと行くと「観光案内所」があった。コックさん「あ、絵はがき買おう!」中に入るとこんなしょぼい村なのに、各種絵はがきや関連書籍、地図が結構並んでいるのに驚く。案内所のお姉さんに地図をもらって、壁に貼ってある古い工場内の写真を指差して説明を求めた。残念ながら工場の一部は2年前まで機能していたが、とうとう時代の波には勝てず、閉鎖したらしい。中には屋内プールなどの娯楽施設もあって、いかに労働者を楽しく働かせるか策を練ったあとがある。一番最初に見えたお城は当時の工場創立者のもので、今は子孫が管理。現在はもう20年前から売りに出されているが、しょぼい村なので歴史的価値があるので保存に費用がかかる。しかし博物館にして入場料を取れるような観光客が頻繁に来るような場所ではないので、誰も買い手がつかないらしい。村の社宅には現在は元工場従業員の子孫のお年寄りばかりしか住んでいないので、村をあげて観光地にする予算もなく、年々さびれていっているそうである。ヘルプ!誰かこのお城を買いませんか!?この後、わたしたちは公園をまわり、高台の元診療所だった家をながめたり、洗濯場を見学して帰途に着いた。まあ、自然あふれる渓谷に突然こんな景色が広がるのを見るのもいいかもしれない。ミラノやベルガモにお住まいの方、一度見学しても損はない村ですわ。ユネスコだし。ちなみに村の紹介サイト。http://www.villaggiocrespi.it/そしてこの夜、コックさんは夜行バスでアルベロベッロへと旅立ったのであった。明日、もう戻ってくるけどね。←さすが日本人旅行者。
2006.06.14
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先週金曜日、コックさんからわたしに電話があった。コックさん「明日、1回お宅に伺って、もう一度ミラノに戻ります。」わたし「なんで?」コックさん「荷物が増えちゃって、1回で運べなくて。もしかしたら3回になるかもしれない。」わたし「ふう~ん。」わたしはコックさんが言いたいことがわかっていた。しかし、いつもこのパターンででしゃばり過ぎて余計な親切をしていたので、意地悪く向こうから「おねがい、クルマで迎えに来て。」の言葉が出てくるまで黙っていることにする。しかし、いつまで経っても出てこない。ついにわたしは我慢が出来なくなって「まあ。。。そうだね。。。そういうことならちょっとおっとに相談してみるよ。」と言ってしまった。ああ、アホやな。しかしどこまでも意地悪なわたしはおっとに言わないまま放っておくと土曜日の朝コックさんからおっとに「今から行きますから。」と電話があった。おっと「うんわかった。で、荷物は?多いの??え~、電車で2回も往復なんてしなくていいよ、迎えに行くよ。ワゴン車が必要?え?クルマで充分??わかった、すぐに行く!!」ふ、どうせこういうことになることはわかってたんだけどね。****こうしてコックさんは土曜の朝にやってきた。この日は金曜日にサルデーニャ島に向けて旅立つコックさんのお別れパーティ。おっとは遭う人、誰でも誘っていたので招待客は11人に膨れ上がった。おっと「これだけの人数になるとピザだな。」買出しを済ませて家に戻るとおっととコックさんはさっそくキッチンを片付けてきれいに台を拭き、その上で小麦粉を練りだす。その姿はそば打ち名人か、パン屋さんのようである。ひととおり小麦粉を練り終わって寝かせると、その間にオードブルを作る。この手際の良い共同作業の光景はまるで漫才コンビ夫婦のようだ。わたしはその間に干していた洗濯物をしまって、部屋を掃除していると、ご近所のカルラ夫婦がテーブルとイスを持って来てくれたのを皮切りに、続々招待客が集まってきたのであった。ちなみにこの日のメニューはオードブル: 生ハム&フルーツ←イチゴ、マンゴ、メロン、桃を使用。生ハムにはメロンが規則だと思っていたが、他のフルーツとでも結構おいしい。 ちずMILANOさんお持たせの巻き寿司詰め合わせはあっという間になくなった。メイン: 各種ピザ ←1枚づつ焼いて、切り分けてなくなるとまた焼いて、の繰り返しで結構な量を食べた。デザート: カルラお手製のテイラミスと目目さん18番のヨモギケーキ。ひたすら食べて、飲んで、しゃべって、楽しかったとさ。めでたし、めでたし。
2006.06.12
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病院でのリハビリが終わる前日、会社でも続けられるリハビリ運動の指示を受けたので、真面目に毎日頑張っている。そのリハビリというのは:足を縦に拡げ、足の筋を伸ばしながら大股で歩く。すばやく動けないので、なかなかイライラする。トイレに行くたび、コーヒーを飲みに休憩コーナーに行くたびに、そうやって歩いているのだが。。。おかげで「カメレオンちゃん」(←歩き方が酷似しているため)と最近、同僚に呼ばれるようになってしまった。涙わたしと同じような骨折をしているどこかの大のおっさん会社員もどこかの会社の中で、こんな歩き方をしているんだろうか?先日皆様に相談に応じてもらった通勤方法は解決しつつある。自転車でもバイクでもない。だって、よく考えたらここはイタリアだ!会社の時間帯は決まっているけど半分フレックスみたいなものだ。あのサントドミンゴ共和国帰りのチロ なんて、会社から徒歩10分以内の近所に住んでいるってのに、いつも10時ごろ出社してきて定時の18時にはもういない。汗なので、往きは最近定時より20分ほど遅れて着く始発のバスに乗ることにした。しかし、チロと違ってわたしは小心者なので、18時ちょっと過ぎまで働き、退社する方法を取っている。帰りのバスは、我が家行きはもう終わってしまってないのだが、すでにバスの運ちゃんたちはみんな「アミーチ!(お友達)」。今のところ、別路線の最終バスに、停留所は存在しないのだけど、ギリギリ近くで降ろしてもらっている。ああ、これだから田舎っていいなあ。しみじみ******ところで先日、なぜコックさんが着の身着のままで一夜をホームレスのようにミラノ駅をさまよい、我が家に始発でやってきたかというと。正確に言うと、始発で直接来たのではない。彼は負け惜しみが強いので、まずは終点のベルガモまで行って時間を潰し、朝10時ごろ、何食わぬ顔でやってきた。コックさんは時々週末にうちにやってくる。来るときはいつも、金曜の夜中とか、土曜の午前中にいきなり「そっちに行きますから!」と言ってくる。やってくると、まずは日本語でわたしに溜まりに溜まった仕事やイタリア生活の愚痴を口を挟む隙をあたえず発散する。そして、大好きなスーパーでの買い物を楽しみ、帰るとパスタなどの簡単な夕食をたまに作ってくれて、おっととソファの上でだらだらとTVを観て、夜通しおっととPS2で遊んで、日曜日はそんなことだから昼ごろにぼさぼさの髪で起き出すが、また昼寝をし、寝ぼけた目で夕食を食べてミラノに帰っていく。というパターン。うちはバカンス用の田舎の家じゃないんだけども。汗今回もそうやって土曜の午前中に連絡があったのだが、ちずMILANOさんとの約束があったので断った。だっていつものパターンを見れば、約束を変更してまでコックさんを迎えるようなたいしたものではない。すると、また日曜の朝に「そっちに行きますから!」(←この時、すでにベルガモから我が町往きの電車の中)昨日食べ過ぎて、飲みすぎて疲れてるのにな。。。とドアを開けたら、よれよれのシャツとぼさぼさの髪で立つコックさんがいたのだった。そしていつもの通り、愚痴がはじまった。今までの日記からご存知の方が多いとは思うが、このコックさん、憎らしいぐらいの幸運に恵まれて某高級ホテルのシェフのひとりとして働くことになったのだが、とにかくイタリア語が出来ない。職場に入り込めたはいいものの、言葉の壁は仕事をちっともスムーズに進められないのだ。コックさん「言葉が出来ないから、たった今、学校を卒業したばかりのひよっ子にまで、訳わかんないことでバカにされるしさあ。」と悔しそうに唇を噛む。あるある、外国居住者の苦悩の基本やね。コックさん「今回はルームメイトと喧嘩して昨夜から家を飛び出してきたんっすよ。」コックさんは某高級ホテルの従業員用レジデンスに住んでいる。家賃がタダな上、結構いいレジデンスなので腹が立つのだが、独りなので、アパートを3人でシェアしているのだ。一番の古株がシングルルームに住んで、新米のコックさんはひよっこの一人のスイス人とダブルルームで寝起きしている。わたし「どうしたの?」コックさん「昨日ね、仕事で疲れて帰ってきてすぐに寝たかったのに、スイス野朗がずっとラジカセがんがんにつけててさ、何度か音を下げてくれって頼んだんだけど聞かないし、俺が下げたらまた上げやがるから、腹が立って、ラジカセ投げつけて家を飛び出してきたんっす!」わたし「はあ、で?」コックさん「昨夜は夜通しミラノ中央駅をさまよってました。中央駅って夜中は警官だらけっすねえ。何人にも滞在許可証の提示を求められましたよ!」わたし「。。。。。」そういえば、思い出した。わたしも一度ならず母とこんな感じに大喧嘩になって、家を飛び出したことがある。結局は行くあてがないので、数時間後にしぶしぶ家に戻っていた。が、いつも扉は固く閉ざされていたので、父が帰宅するのを待って一緒にそそくさと入っていった。が、それって小学生の頃だ。ひよっこ相手にそんなにムキになるコックさんって。。。。。かわいい。 違コックさん「でももう、どうでもいいんっす。後2週間後にはあんな奴と一緒に寝ることもないんですから!」そうなのだ、ちょっと前まではコックさん「もう、こんな大きなホテルのレストランはイヤです。何十人ものお皿をまとめて作らなきゃいけないから、数こなすのに必死で、こだわっているどころじゃないんですよ。地方の、もっと小さなこだわりのあるレストラン探します。」と常々言っていたのである。ところが。彼が6月から見つけたのは、さらに大きいサルデーニャ島の某有名リゾートホテル内のレストランだった!おいおい、矛盾しているぞ!コックさんは得意そうに「いやね、先日スカラ座の近くの某有名レストランで働く日本人と知り合いましてね、転職したい話をしたら、このホテルを紹介してくれたんですよ。でも紹介だけはするけど、後は全部自分でやれって。。。。」わたしは急いで言った。「もう半年以上もイタリアに住んでるし、前例があるから全部ひとりでやれるよね? ねっ!!??」そして続けて慌てて話題をそらす。「いいなあ、サルデーニャ!蒼い海、蒼い空!!」作戦は成功した。コックさんはうれしそうに「そうなんっすよ、絵はがきで見たら海がめちゃめちゃキレイなんっす!それにこのホテル、海のまん前なんですって!従業員はホテルの一角に住むことになるし、休憩時間が今より多いらしいんで毎日海で泳ごうっ!!」チッ、この野郎。仕事じゃなくて海に釣られたか。しかし夏のサルデーニャ、うらやましすぎるぞ!コックさん「でね、今のレストランを辞めて次のレストランで働くまで1週間あるんですけど、レジデンスは出て行かなくちゃならないんです。その間、ここに泊めてもらえます?」え。。。。?おっと「いいよ~、おいでよ。」コックさん「でね、その間、インターネットも使わさせてほしいんですけど。。。」おっと「いいよ、好きなだけ使いなよ。」コックさん「さすがフラテッロ(兄弟)!さんきゅ~。」こいつら、いつから兄弟になったんだ?。。。というわけで再来週からまたもやコックさんが我が家に来ることになった。しかしなんか、おもしろくない。
2006.06.01
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最近、毎週末 隣町の屋内市民プールに通っている。かつしちさんがおっしゃるとおり、水の中の運動というのは、馬のリハビリにも使われるぐらい筋肉の矯正にいいのだ。昨日は諸事情があって前日夜中から家出して、着の身着のままで我が町行きの始発までミラノの駅のホームでホームレス状態で過ごしたコックさんと、諸事情があってへべれけ朝帰りのおっとと3人で昼からプールに出かけた。いつもはガラ空きの駐車場がどういったわけか観光バスまで停まっていて満車である。見れば併設のサッカー場でセリエCだかDだかの試合をしていた。それだけではない。市民プールの入り口は子供であふれかえっていて幼稚園のような騒ぎである。わたしは目を丸くしながら子供たちを掻き分け、チケット売り場へと向った。「あの~、今日はプールはやってるんでしょうか?」受付のおねーさん「やってますよ、ただ今日は屋内で子供たちのコース終了の発表会があるんで入れません。それに今日から、一般の方は屋外となります。」屋外?確かに今日は空がどよんとして蒸し暑い。けど、まだ外で泳ぐのは寒くないか?わたしはコックさんとおっとを見た。ふたりともどよんとしていて、暑苦しい。心を決めた。「切符3枚下さい。」着替えて屋外のプールに出る。晴れて暑ければ、きっと居心地がいいであろう芝生の上にバスタオルを引いて、ガランとしたパラソルの下の喫茶コーナーを見渡してからプールに目を移した。プールの中は真夏ほどの盛況さはないものの、自分の発表の番が終わった子供たちでにぎわっていて、次々はしゃぎながら水の中に飛び込んで行っている。わたしはわくわくしながら手すりのところから水に入ろうとするが、ひとりのお母さんがずっと足首まで水に浸かった状態で留まっているのだ。お母さん「あら、ごめんなさい。」とすばやくあがり、わたしにお先にどうぞ、と勧める。わたしは会釈をして、一段目を降りる。そしてこのお母さんの10秒前状態で留まってしまった。こ、氷や。。。。この水。ぐずぐずしていると子供たちがわたしの後ろに並んだ。ああ~、早く水に入らないと。心を決めてなんでもない振りをして水にぽちゃんと浸かった。子供たちは手すりからもどんどん飛び込んでいく。若いっていいなあ!すぐそばで、ドボンッと音がしてコックさんが飛び込み台から飛び込んだ。ザッザと50mをあっという間に泳ぐ姿は漁師のおっちゃんのようである。わたしも急いで彼の後を追った。コックさん「寒いよ、50mは長いよっ!」わたし「がんがん泳いで温まろう!」2人でがんがん泳いでみるが、疲労が増すだけで一向に温まらない。寒さで足がつりそうだ。こうやってデカプリオもタイタニック号から落ちて次の日の朝になるまでに死んだんだろうか?←死んでないか?一通り2人で泳いでおっとの姿を水の中に探すが見当たらない。。。と思ったら、まだ手すりのところで足の指先すら水につけず、固まっていたのである。汗「こんなに冷たかったら心臓マヒを起こすよ!」と叫ぶおっとを2人で容赦なく水に引きずり込んだのであった。なにかあっても生命保険もかけてるし、大丈夫だろう。おっとはいくじなく少し泳いでまたもや水からあがり、タオルを巻いてうずくまってしまった。わたしもいつもは疲れても疲れても、憑かれたように泳ぐのだが、こんなに冷たい水ではもう限界だった。身体が紫色になったコックさんも上がってきた。さすがにこの水泳の後、2人はどんよりから目が覚めたようだ。普段の半分の時間も泳がないうちに全員であがり、震えながらパラソルの下の喫茶コーナーで「ホットチョコレート3つ!」と注文する。店員「そんなもの、ありませんよ。」とカキ氷やアイスキャンデーの写真が、満載のメニューを差し出した。こうしてわたしたちは3時間チケットを買ったというのに30分ほどでプールを後にしたのだった。****前置きが長くなったが、週末は楽天のお友達、ちずMILANOさん に会った!金曜日の夕方、はじめてお会いしたというのに、ちょっと外のカフェでアペルティーボをした後、なんと引っ越されたばかりのお宅にまで招待していただいたのだ。(ちずMILANOさん、女の一人暮らし、気をつけないと、もしわたしが狼女とかだったらどうするの?)大きなベランダを持つ、小さなアパートは、まさに独り暮らしにぴったりだ。ベランダにテーブルを出してビールをごちそうになったのだが、彼女、飲む飲む!それが証拠に独り暮らし用の小さな冷蔵庫には各種の酒とチョーヤの梅酒の梅しか入ってない。しかしはじめてだというのに延々とお喋りに盛り上がり、珍しくおっとが心配して「いつ帰ってくるの?」と電話をかけてくる始末。結局は優柔不断で待ち合わせの場所が決められないおっとに彼女が業を煮やして、我が家まで送ってくれたのだった。そしてドアを開けたおっとを見て「日記と見かけが違う!涼しいよっ!?」と第一声。←そんな見かけにだまされた被害者妻。わたしのことも会うまでごっつい体格の大女だと思っていたらしい。←ちなみにわたしは「あんたは骨格が細くて壊れやすいんだから、もう絶対こけないように!」と訳のわからない指示をリハビリ師から出された女。そういうちずMILANOさんにも、わたしはもっとこう、素直でおっとりしたイメージを描いていたのだが。。。。これ以上、ノーコメント。我が家でもまた飲んだのだが、彼女はしらふでクルマを運転して帰っていった。次の日の夜は彼女の引越し祝いの会。某日本食レストランには何人か彼女の日本人のお友達が集まっていて、彼女のお知り合いの板前M田さんが彼女のために腕を振るった。「姐さんのためですから!」←ちずMILANOさんってもしかしてそっちの世界のひと?メニューにはない牛肉のたたき、ビーフシチュー、フィレ肉のステーキ、〆にたけのこごはんと冷やしうどんを作っていただいて、めちゃくちゃ感激したのだった。M田さん「お客さんにね、『おいしい』って言ってもらうのはプロとして当たり前のことなんだよ。『すごくおいしい!』という言葉を聞くために板前生活を30年してるのさ。」としみじみ語る。ビールやワインがとめどなく出てきて、ひさびさに酔っ払った上、こんな状況になんだか日本の居酒屋にでもいるような錯覚を起こすわたし。ひさびさに「ヤギ社会」でも「イタ公社会」でもなく「ピュア日本人社会」に浸れて楽しかった。ちずMILANOさんはこれだけでも飲み足りなかったようで、元気にこの後、2次会に消えていったのである。(あの後、大丈夫だった?)ちずMILANOさん、はじめて会ったというのに、こんなおいしい会に、お誘いしていただいて、本当にありがとう。そして参加者のみなさん、一人日本語が喋れなかったおっとにもみんなでかまっていただいてありがとうございました。また近いうちに会おうね。
2006.05.29
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今日がリハビリ最終日だった。リハビリは総計24日間、自宅軟禁生活約4ヶ月。あしたは労災(INAIL)の審査がある。リハビリ終了の証明書まで発行されたし、確実に明日の審査で労災期間は打ちきられるだろう。とうとう終わった。。。わたしは朝、いつものように病院行きのバス停に向かった。この平和な平日の遅い朝の光景をひとつひとつ心に刻みながら、感慨深く歩く。隣の家のシェパードは、いつもわたしがそばを通るたびに「ワン!」と軽く吠えて尻尾を振りながら柵のそばまで寄って来ていたのだが、最近は暑いのか、ぐったり地面でFの字になって、こっちをチラリと見るだけで立ち上がろうともしない。(寂しい。。)バス停にはいつもの金髪のおばさんが待っている。毎日遭うってのに今まで「ブォンジョルノ。」としか挨拶を交わしたことがない。というのも、彼女はちょっとこわそげなキャリアウーマン系の女性なので、わたしは気後れしてそれ以上、関係が進まなかったのだ。しかし、ここ数日見なかったな。今日もそうやって挨拶を交わした後、彼女はいつものように舗道にしゃがみこんでタバコを吸い、わたしは動かさなければすぐに固まってしまう足をプールの準備体操のように曲げたり伸ばしたり、ぶらぶらしたりしてバスを待った。やがて自転車で近所のおばさんがわたしたちの前を通った。おばさんは金髪のおばさんに向かって「あんた、この通りの45番地よね?」金髪のおばさん「そうよ?」自転車のおばさんの後ろからは高級そうなクルマがノロノロとついて来ており、その運転席の窓が開いて、ざ~ます系おばさまが顔を出した。「ということは、あなたが美容師?」金髪のおばさん「はあ!? ああ、うちは45番地のB。Aと新しく出来たCがあるからたぶんCでしょ。」ざ~ます系おばさまは金髪のおばさんに「ありがとう。」と言って去る。金髪のおばさんはクルマを見送ってからわたしのほうに振り向き「うちの隣で美容院やってるなんて知らなかったよ。」と笑った。OOOOOOHHHHHHHHHH,YESSSSSSSSS!!!!これがきっとはじめてで最後の彼女との会話だろう。これも心に刻み付けておこう。バスが来た。この日の運ちゃんは密かに想いつづけた、バスの運ちゃんの中でも一番仲のいい運ちゃんだったので、最後にプレゼントを用意しておいたのだ。この運ちゃんが最終日の運ちゃんだってことがうれしい。しかし、この運ちゃんは金髪のおばさんを見るなり、「ここ数日、どうしてたの!?」と散弾のように喋り始めるではないか?(ちなみに運転中の運転手とのお喋りは禁じられている。汗)あああ~、この調子じゃ、プレゼントが渡せない。。。わたしは一生懸命、無理やり会話に押し入る。偶然にも金髪のおばさんの娘が秋から大学で日本語を習う、というので、その話題で少し盛りあがった。(いいぞ、よし!!) すると、他の乗客もどんどん押し入ってきて、バスの中は遠足のような大騒ぎになってしまったのである。汗とうとう病院前に着いてしまった。もうここしかチャンスがない!顔を真っ赤にして「あのこれっ、プレゼント!!」とでっぷりとした彼のお腹に埋め込む様にプレゼントの箱を突きつけた。運ちゃん「何これ?」わたし「「減肥茶」っていう中国茶。ダイエットに効果があるから、毎夕食後に飲んで!」と吐き捨てるように言って慌ててバスを降りた。バスに残った乗客は「ひゅ~ひゅ~!」と言って窓から親指を立てる。運ちゃん、きっとドキドキしたに違いない。金髪のおばさんは「明日のバスの中では娘に日本語の個人レッスンお願いしてみようかしら?」なんて、考えてるかもしれない。。。でも、明日からわたしはもうバスには乗ることがない。リハビリ室に入ると、いつもは遅れてくるわたしのリハビリ師が珍しく先に来ていた。最近わたしは機械の振り子運動は卒業して、「なんちゃらランナー」という機械のベルトの上をひた歩くハムスターとなっている。彼女はわたしが歩くそばでウルウルと「寂しいわ。」と繰り返している。「なんちゃらランナー」が終わると、ベッドの上で彼女がわたしの足をぎゅ~っと伸ばしたり、曲げたりするのだが、かなり痛い。彼女はわたしの足を容赦なく曲げながら、憂鬱そうに「来週からね、あなたの後、他の私立のクリニックで脊髄の手術に失敗した女性を担当するの。まだ50歳を過ぎたばかりで若いのに、記憶がなくなっちゃって、わたしがやることのコピーは出来るけど、自分の意思で何かが出来ない人なの。あなたのような、日に日に治っていくことがわかる患者を担当するのはうれしいんだけど、彼女のようにいつ治るかわからない患者を担当するのは精神的に辛いわ。でも、大半がそういうひとばかりなんだけど。。。」そうなのか、リハビリにもいろいろあるのだね。。。。そんな話を聞いて、わたしまで憂鬱になった。リハビリが終わった。わたしのリハビリ師はわたしをぎゅ~っと抱きしめて「また病院に来る事があったら、絶対寄ってね!」と言う。わたしもなんだか胸が詰まってウルウルなりながら「うん!」とうなずいた。他のリハビリ師たちも口々に「またいつでもおいで~!!」と手を振った。しかしもう当分病院のお世話にはなりたくないんだけど。。。平日に遊びになんて行けない。次に行くのはまた「何か」があったときだ。汗病院を出ると、空がどんよりして小雨がぱらぱら降り出してきた。ああ、今日が最後だから、バスの中から気になっていたパン屋さんでパンも買ってみたかったし、この間は時間がなくて流し見だけした画廊もゆっくり廻りたかったけど。。。。。。雨だからいいや。(←結局はぐ~たら)帰りのバスに乗った。珍しく知らない運ちゃんだった。そんな運ちゃんを見て、ちょっとおセンチに終わりを感じたわたしなのだった。
2006.05.18
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前回日記に書いちゃったおかげで2週間でやらなきゃいけないこと、はっきりしたから、ひとつひとつ、やっていくことに決めたの。と、いうわけで、おっとは昨日、家にいませんでした!こんなにお天気のいい日曜だったってのに、わたしを独りで家に残して外に出かけるなんて、ひどいでしょ?でも・・・彼、あたしの原チャリを掃除に洗車センターまで行っちゃったしぃ。(だってツバメの糞なんて、汚くて触れなぁい!!>_<;)今日は、さっそく目目ちゃんにもらったお菓子の本を見て、ケーキを作ることにしたの。(目目ちゃん、サンキュ!)あ~~~~ん、でもとっても難しそう。どれどれ、「イチゴのパルフェ」これなんか名前もおしゃれで簡単そうよ、やってみよう。どれどれ、凍らせたいちごと、生クリームとお好みのリキュールをミキサーにぶち込んで、まわせばいいのね。ガリガリガリ!!! すごい音!ちょっと、大丈夫?あ、でもだんだんそれっぽくなってきた。なんだ、これってただの「いちごアイス」じゃん。料理名を考えるのにコピーライターさん、苦労したのね。意外に早く出来ちゃったから「よもぎロール」も作ってみよう。えっと、よもぎ20g、これは前の道から摘んでくることにして、米粉?え~~~・・・そんなのイタリアに売ってない。あ、そうだ!お米のこななんだから、ミキサーでお米を粉にしたらいいんだ!! わたしって、あったまいい~。ガリガリガリ!!! ガリガリガリ!!!!!あれ?なんかプラスティックがこげてるような臭いが・・・きゃあ~☆ミキサーからけ・む・りが出てるぅ!!!???プチン!動かなくなっちゃった~~~~~??????ハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァハァ・・・・ま、いいか。大汗 米はとにかく粉になったし、このミキサー、もらいものだし、自分で使うのはじめてだし・・・・・これからも使わないよねっ?気を取りなおして続き、続き。米粉と薄力粉と砂糖とヨモギを混ぜて玉じゃくしでフライパンに流し、玉じゃくしの背で薄く広げる。うふっ、なんだかテキヤみたいでおもしろいわ。市販の煮豆を封を開けずに袋の上から手で押しつぶし、アンを作って焼いた生地の上に乗せてクルクル巻いて出来あがり。煮豆って、缶詰のひよこ豆でいいのかしら?ビニール袋に入れて、押しつぶして、クルクル!写真よりちょっと焦げてるけど、それっぽく出来たじゃない。「ただいま~!」あ、おっとが帰ってきた。グッドタイミング!「ねえ、お味見してぇ。」「ええ!君、お菓子なんて作ったの!?すっ、すごいじゃないか。ありがたくいただくよ。」彼、感動のあまり、ウルウルしている。可愛い~。「おいしいっ、よくやったな!!」「きゃ☆うれしい!もっといっぱい食べて!!」「うん、今はお腹いっぱいだからまた後で。」ええ・・・熱いうちのほうがおいしいのに。食べないんだったら、わたしが全部食べちゃうから!ぷんぷん。ぱくり。。。。。。。。。。。。。ひ、ひよこ豆の塩味が絶妙によもぎの深い味わいを殺している・・・・えっと、えっと・・・え~い、もったいないけど捨てちゃぇ!なんだか、こんな日記を書くの、うざくなっちゃったから もうやめよっ。社会復帰まであと1週間。力の限り、専業主婦を楽しんじゃおうっと!!えへへ。
2006.05.15
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わたしはまだ毎日バスに乗って、病院のリハビリに通っている。さすがにここは田舎町。毎日、同じ時間のバスに乗るので、バスの運ちゃんたち(複数。なぜなら彼らはローテーションで顔ぶれが替わる。)とも、バスの乗客とも、この時間帯に決まって外を散歩しているお年寄りとも、リハビリでいつも顔を合わせるじーちゃんばーちゃんたちとも、リハビリ師たちとも、すっかり顔なじみになった。我が家の周辺は番犬を飼っている家が多くて、はじめの頃は、バス停までたどりつくまでに犬たちの「わんわんわんわんわんっ!!!!!」という大合唱だったのだが、最近は1~2匹が「わん。」ととりあえず吠えてくるだけだ。リハビリに話を戻すと、わたしのリハビリ師はものすごいお喋りで、しかも喋っている間は手が留まる。なので貴重な1日1時間のリハビリのうち、30分は彼女の話に相槌を打ってぼけ~っとつっ立ったままなので、とても損している気がするのだが。。。(これが労災でカバーされているのではなく、自腹で治療しているならとっくに暴れ出している。)そんな状況でも左足はだいぶ良くなって来た。まだ完全に足は曲がらないものの、ちょっと重たい感じはするが、ゆっくりなら、歩いてバスや電車に乗れるようになったし、階段も手すりに掴まりながら、よちよち上り下り出来るようになった。ここ数週間、リハビリの間に病院の診察、労災の審査、病院の診察と次々に行なわれた。5月2日の労災の審査では仮病も使っていないのに、期日が5月19日まで延長された事には、かなりがっかりしたような、ホッとしたような複雑な気分になったのだが、今朝の病院の診察では、「この調子で行けば19日までにはリハビリは終われそうね。」と太鼓判を押されたのだ。OH,やっと終わるのか。。。しみじみカレンダーで数えてみた。19日は金曜だから、22日の月曜日に仕事に復帰するとして。。。そう、やっとあと12日、つまりあと2週間もない!事故後は、入院中は激しく、退院後もしばらく「早く良くなって家から出たいよ!!」と痛切に願っていたのだが、最近といえばすっかり家に居る事に慣れてしまい、もう仕事に復帰する事に嫌気がさしている。しかし、あと2週間。こうやって期日が出来るとなんだかすごく焦ってきた。事故後、整理し始めた大量の写真をアルバムに収めるのも「まあいいや、いつでもやれるし。。。」と途中で投げ出しているし、急に「ケーキを作ろう!」と思い立って目目さんにお菓子作りの本までプレゼントしてもらったのに、まだ作ってないし、この機会にやろうと思っていた古い書類の整理もそのまんまだし、そろそろ気になっていたタンスの衣替えもしてないし、この際、読破しよう!ともくろんでいたイタリア語で書かれた分厚い小説も1ページもめくってないし、スクーターも掃除しないと、今の時期、ちょうど停めてある場所の上にツバメが巣を作ったので、ツバメの糞だらけだし、OOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!!!!!!!!!何から手をつけたらいいんだ!!!???ってことで、こんなにのんびり日記を書いている場合じゃない。今日はここまでで、失礼致します。じゃ。
2006.05.10
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最近辛いことばかり書いているが。。。苦しい事もあれば、楽しみも日々の中に見出さないとやってられんわ!!と、連休にいろいろと気分転換を試みている。特に目目さん一家にはここのところお世話になりっぱなしだ。先週は彼らが最近借りた山の家に招待してもらい、今日は今日で目目さんの20歳の(大うそ)誕生日に招待してもらった。***山の家はミラノから2時間ほど北西に行ったところで目の前に大きな川があり、適度に我が田舎町ほどに拓けていて快適だ。ここに住んでいる人の大半は目目さん一家同様、近隣都市から週末だけ来る家族である。天気予報では雨が心配されたが、ここはイタリア。大はずれにはずれて、滞在3日間は小春日和のいい天気。1日目の夜はピッツェリアで夕食を取り、2日目の昼はおっとが南米料理を、夜は我々以外、すべて小さな子供連れの山のご近所さんたちとレストランに繰り出し、幼稚園の遠足にでも参加したようなすごい騒ぎだった。3日目には目目さん作チーズフォンディユを堪能し。。。ちなみにTOPはおっとと目目さん共同作「バナナ団子のスープ」。こうやってプロの目目夫様に写真に撮られると違う気品漂う料理のように見えてしまうのがすごい。「楽しい山」、というより「おいしい山」、と書いたほうがぴったりな滞在だった。せまい山の町なので、散策に外に出かけると必ず知り合いにぶつかり、バカンスに来ている人々は急ぐ用事もないので、おしゃべりに花を咲かせる。子供たちは子供たちで勝手にじゃれて。。。イタリア人はバカンスの時、日本人のようにあちこちを旅するタイプと、毎回同じところで過ごすタイプがいる。そういえば全然職種も住んでいるところも違うイタリア人達が集まったパーティでどうやって知り合ったのか聞くと「わたしたち、小さい頃から山(又は海)の友達なの。」という答えが返ってくることが多いのだが、このとき、なんだか納得できた気がした。小さい子供がいる家族などは、やっぱり行動範囲が制限されるから、こうやって山や海に家を買うか、長期で借りて過ごすのが快適である。子供も街には街の友達、山や海にはそこの友達がいて、親も安心して子供を他の子供たちに任せて自分たちのバカンスが楽しめるというものだ。あるひとは、釣りを楽しみ、あるひとはカヌー、あるひとはテニス、とさまざま。近隣には小さな山岳町があって、散歩に訪れるのもいい。彼らは思い思いに山の生活を謳歌している。これが知らない土地の見物などでは小さな子供連れではやはりゆっくり楽しめないだろう。昔、仲のよかったイタリア人の家族もマッジョーレ湖畔に家を持っていて、そこばかりに通っていて、何度かお邪魔させてもらったのだが「飽きないのかなあ?」と不思議だった。今、その飽きない気持ちがわかるようになってきたのは、歳を取ってきたからだろうか??***そして今日はミラノの目目さん宅のベランダにて目目さんの誕生日パーティ。以前、目目娘ちゃんの誕生日パーティにも招待してもらって、その時もかなり「おいしかった」のだが、今回は更にハイパーだった。大人の誕生日なので、大人の参加者、日本人の大人が多かったからなのか?酔うと性格が変わる人々が出現し(イタリア人はどれだけ飲んでも酔わないので、こういうところがいつも少し物足りないと思うわたしなのである。)、かなり面白かった!そんな日本人の酔っ払いを扱い慣れていないイタリア人たちが、目を白黒させながら、応対するさまが更に愉快で、笑いが止まらない。ああ、日本の飲み会が懐かしいよ。というか、正体を無くすまで飲み明かした大学時代が懐かしいわ。おっとは相当うれしそうだった。「こうじゃなきゃ、こうじゃっ!!ねえM村さん、一緒にサルサ、踊ります?」南美洲人には酔っ払った日本人がちょうど釣り合いが取れるようだ。何はともあれ、目目さん、20歳のお誕生日、おめでとう!!
2006.04.26
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今週に入って、何もしていないのに忙しくなった。というのは、月曜日から入院していた隣町の病院で本格的なリハビリが始まったのだ。家でも毎1時間ごとに所要時間約20分のリハビリ運動をしなければならず、なんだか気ぜわしい。病院のリハビリは朝9時から1時間、2週間のプログラムである。今までは月に2~3回の診察のみだったので、仕事中のおっとに無理を承知で送迎してもらっていたのだが、毎日、2週間となるとおっとが切れた。おっと「忙しいのに毎日なんて行けないよ!バスがあるでしょう、バスが!!」え~・・なぜ今までバスを利用しなかったかというと、歩けなかったのもそうなのだが、こんな田舎町なので1日数本しかないのだ。しぶしぶバス停に時刻表を見に行くと、9時10分に病院前に着くバスはあるが、それでは遅い。その前のバスは7時40分だった。は、早過ぎる。。。汗しかしまじめ日本人のわたしは月曜日の初日は9時10分ではなく、当然のごとく7時40分に病院に着くバスに乗り込んだのだった。ちょうどその時間帯は通学時間帯だ。松葉杖をつきながらヨロヨロとバスに乗り込む。座席は小中学生で埋まっていた。立っているのは大人ばかりだ。一番前の座席の前に立つと今までぼ~っと窓の外を見ていたその座席の中学生の女の子が慌てて教科書を広げて読む振りをはじめた。まったく最近の若いもんは。。。。しかしバスの運転手も運転手で、切符を切りもしないうちから、バスは容赦なく急カーブしてわたしはこけそうになって棒をしっかり掴む。山坂だらけの我が田舎町をバスは10分ほどガタゴト暴走して病院に着いた。わたしはこんな状況で五体満足で目的地に着いたことに感謝せざるおえなかったのであった。まだ人もまばらな待合室で約1時間半ほど待って9時になるが担当のリハビリ師は到着しない。9時15分頃「お待たせしました。」とやってきたので、「くっそ~、9時10分着のバスで間に合ったじゃないか!?」とまだ抜けきらない自分の日本人的まじめさを恨んだのである。もちろん昨日からは9時10分着のバスで行くようになったが、文句を言われてない。月曜日はこのおっとりとしたリハビリ師のお姉さんにベッドの上で筋肉をほぐすマッサージと、家で出来るリハビリ運動を教えてもらって終わった。昨日からはまるで電気イスのようなものにベルトで手足、腹を縛り付けられ、身動きの取れない状態で左足だけオートに振り子のように上下する機械に座らされている。左ひざはまっすぐになる限界と曲がる限界の角度を機械にインプットしてその範囲内で振り子がメトロノームのようにどんどん早くなっていくというものだ。初日は機械の組み立てにリハビリ師のお姉さんが大いに時間をかけすぎ、今日は組み立ての間違えた状態で縛り付けられたので、それをほどいてまた縛り付けられるのに時間がかかった。イラチのわたしは今日にはすっかり機械の組み立て方を覚えてしまい、お姉さんを手伝った。そういえば手術の時、手術台の組み立ても手伝ったな。。。。イタリア人は工作がヘタなんだろうか??それはともかくこの機械、静止した状態でひざの角度を限界にたので、振り子になると「イタタ~ッ!!」と声をあげるほど痛いのだ。痛みに身をよじろうとしてもしっかり固定されているのでジタバタも出来ない。しかし冷や汗をかきながら、その運動を900回も繰り返していると、筋肉がほぐれ、痛みがなくなってくる。機械から開放された時には足が軽くなっていて、1時間ほどはまるで全快したような爽快感が味わえるのだ。今日もそんな機械のハプニングのおかげで、900回で終わる振り子運動を1200回もされることになり、終わったときには更に足が軽かった。しかし、時間をロスしたおかげで数少ないバスに乗り遅れてしまう。次のバスの時刻を見ると幸運にもたった1時間後であった。ラッキー。足は軽いし、今までゆっくり見たことのない隣町を松葉杖でヨロヨロと散策して楽しみ、病院のひとつ向こうのバス停の終着地まで歩いた。ちなみにイタリアのバスはバスの中でチケットが買えない。バス停近くのキオスクや新聞屋で買わねばならない。しかしこんな田舎町にもなるとチケットは終着地でしか売っていないので、たまたまそこを通りかかった時に買いだめする羽目になる。どうしてこんな面倒なことをするんだろう?日本やロンドンみたいにバスの中で販売すればいいじゃないか!?と最初の頃は、思っていたのだがだんだん最近謎が解けてきた。あくまでもわたしの想像なのだが:1.運転手は運転に集中するものであって、切符の販売、などという複雑な仕事が増えると運転が出来なくなる。2.バスの運転手なんかに金銭を扱う事をまかせたら、毎回乗客数が決まっていないようなバスの中で簡単に切符代をポケットに入れてごまかすから。3.バスの運転手なんかに金銭を扱う事をまかせたら、毎回乗客の国籍が決まっていないようなバスの中でイタリア人には「切符1枚1ユーロ。」と売り、日本人には「切符1枚5ユーロ。」と平気で売りつけそうだから。まあともかくそういうことで終着地の前のキオスクで来週の分まで切符を買って待っていたバスに乗り込んだ。バスの中は月曜の往きほどではないが、最前列を陣取り数人の女子中学生グループが固まって座って化粧に専念したり、ガムを噛んだりして談笑している。わたしがそのグループのすぐ後ろに座るやいなや車掌が乗りこんできた。車掌「はい、切符を拝見しますよ~。」へえ、こんな田舎のバスでも検札があるんだ。わたしは切符を取りだし車掌が来るのを待った。しかし車掌はわたしなどに目もくれず、いきなり女子中学生グループに突進する。さっきまであんなににぎやかだった女子中学生グループは急に気まずい表情になって黙り込んだ。車掌「切符を見せなさい。」女子中生A「定期だよ。」車掌「じゃ、定期を見せなさい。」女子中生A「あれ~、どこだろ?」とバッグの中をかきまわす。車掌は別の女子中生Bの前に立つ。前に立たれた女子中生Bはイヤイヤながら自分の定期を見せた。車掌「これは先週の定期じゃないか、今週のは!?」女子中生B「ああ。。えっとォ、買い忘れちゃった。」車掌はその答えを聞いてしてやったりと叫んだのである。「オレはな、お前らがバスに乗りこむ前から怪しいと踏んだんだ!そこのそいつ(と気の弱そうなひとりを指す)がオレと目が合った瞬間、気まずそうにしたからな。今週はパスクワで2日しか学校がないこともオレは知っているぞ!定期なんか買っているはずがないじゃないか!?学校に通告されたくなければすぐに切符を買って来い!!」女子中生C「ええ~。。。買いに行ってたら間に合わないよォ。」車掌「それまで発車させないからさっさと買って来い!!」女子中生Cがしぶしぶ立ちあがると残りの女子中生たちが「あたしのもついでに買って来て!」とせがむ。どうやら全員が無賃乗車のようであった。わたしはあっけにとられて口を開けてこのシーンを見守っていた。この後、女子中生たちが切符を買い、バスは発車したがわたしのところには検札は廻ってこなかった。・・・ってことは、あの往きのバスの学生たちもほとんど無賃乗車だったのか!?女子中生たちは車掌がいなくなったとたんにブーイングの嵐である。最近の若いもんは何を考えとるんだっ!!??***今日の日記はここで終わろうとしたのだが、さっきの目目さんからの電話の内容も語らなければならないだろう。月曜日、目目さんは家の玄関のドアの下の鍵が壊れていることに気がついた。イタリアは盗難が多いので玄関には何重にも施錠できるシステムになっているドアが普通だ。まあ、目目さんちは借家なので「古いから壊れたかな?」と我がおっと同様手先の器用な目目夫さまが修理した。しかし目目さんちの向かいのおばさんが今朝「ちょっとちょっと!」と語ってくれた事に戦慄したのである。目目さんちはアパートの最上階にある。その上には屋上にあがれる小さな階段がついているのだが、そこから屋上にあがるのはこの向かいのおばさんぐらいらしい。土曜日におばさんが屋上にあがると2人の若いイタリア人の男の子が座りこんでたばこを吸っていた。おばさんがびっくりして「あんたたち、何してるの!?」と聞くと「2階に住む友人が留守なのでここで待っている。」という。おばさんは気味悪がって「待つなら外で待ってちょうだい!」と言い残して下に降り家に入るが、やっぱり不審なので玄関の覗き窓から外を見た。すると小さな」覗き窓にはまるでつばを吐きつけられたような痕跡があって見えない。ますます気持ち悪くなってそれをぬぐってまた家の中から観察していると2人の男の子はやっと屋上から降りていてエレベーターの前でかがんでいるようである。ちなみにエレベーターの前は目目さんちの家のドアだ。しばらく2人はそのままいて、やがてエレベーターで立ち去った。日曜日。向かいのおばさんは夜更かししてTVを見ていた。外でエレベーターがこの最上階に止まる音を聞いて「?目目さん一家はもう寝ているのに。。」とまた覗き窓からのぞいた。すると土曜日とはまた別の若い2人組がまたもやエレベーターの前でかがんでいるではないか!?完全に怪しい!!!!!!おばさんは慌ててもう寝ていたご主人をこっそり起こした。するといきなり起こされたご主人は「なんだ、なんだ!!」と騒ぎ始めたため、おばさんは覗き窓に慌てて駆け寄ったが、2人組は逃げた後だった。ベランダに飛び出て下を見ると、2人組が白い車で慌てて逃げていくのが見えた。その話を聞いて目目さんがよく玄関のドアを観察すると、下に金属の棒を2本ねじ込んだような跡がある。絶対泥棒や~~~~~~~~!!!!!!確信して目目さんは今朝、おばさんに同行してもらって慌てて警察に届けに行った。ずいぶん待たされた後、やっと番が来て事情を話す。警官「で、盗られたものは?」目目さん「ありません。」警官「。。。それで?」。。。それで?じゃない。ずいぶん前にも書いたが、我が社が泥棒に入られて、いっさいがっさい盗まれた時も「サンドナートに毎日曜出ている市場でおたくの会社の盗品が見つかったら、その場でこっそり我々に通報してください。」という注意だけで終わった。現行犯じゃないといちいち、犯人を探している暇はないってか!?おまえら働けよ!!ここで目目さんが警察に聞いた注意を書くと:アパートの最上階というのは一番泥棒に狙われやすい。なぜなら最上階なので他の住人の目につきにくく、犯行途中に住人が帰って来てもエレベーターで逃げてしまえば、住人は追いかけるにも階段を使わなければならないので遅れを取るからだ。アパートの最上階にお住みの方、気をつけてくださいね。しかし、目目さんところの若い泥棒といい。。。。。まったく最近の若いもんはいったい何を考えとるんだっ!!??
2006.04.12
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昨日病院のそばで目に付いたポスターがある。日本語に直訳するならさしずめ「無の舞踏」という題名の写真展のポスターだ。古びた大名行列の後ろ姿の写真がわたしの目を引いた。作者の名前はスペイン人のようで聞いた事のない名前だった。オープニングがちょうど今日の夜9時になっていて、プログラムには「能樂」「茶会」と書いてある。こんな田舎町でも日本の紹介をするのか。。。これにはきっと近所に住む日本人も来るに違いない。ご近所同国人を見つけるのにいいチャンスだし、おっとにも前回日本に行ったときに見せられなかった日本の文化を見せるのにいい。さっそくポスターに書かれた電話番号をメモって、詳しい情報を聞くために電話した。電話番号は病院のすぐそばの図書館のものだった。図書館員は電話に出ると「ああ、ちょうど写真家の方が準備にお見えになってますから替わります。」え。。。大名行列の写真で、てっきりわたしはアンティ-クの写真だと思ったんだけど、違うの??やがて若い男の声、しかも日本語で「もしもし?」と作者が電話に出たのでずっこけた。わたしは慌てふためいて「いやっ、あのてっきり作者の方だと思ったんですけど、えと今日の情報を教えてもらいたくて。。。」作者じゃなくて写真の収集家かな?ともチラリと思う。男性「え~とですね、これは日本を紹介する写真展でして。。。えへん、作者はわたしであります。」えへん?いまどき変な言い方だ。これでわたしは相手が日本人じゃないことに気づいた。わたし「「能樂」「茶会」もあるんですか?」男性「ありますよ~、今日だけですけど。10時ぐらいからかな?きちんとした時刻は言えないですけど。」←さすがイタリアわたし「これ。。場所は図書館ですよね?図書館にそんな舞台まであるんですか。」男性「まあ、小さな舞台ですけどね、あはは」と気恥ずかしそうに口ごもる。訛りはガイジンのものだが、日本人らしい仕草をするひとだな、と思った。わたしはじゃあ後ほど、と電話を切ってアンティ-クの写真と若い男性の声のミスマッチに夜まで首をひねっていたのである。夜9時過ぎ。平日の田舎町の夜は猫の子一匹いやしない。(居たら連れて帰りたかったけど。)無人の町を駐車場から歩いていくと図書館には明かりがついていて、中に結構たくさんの人数が集まっていたのでほっとした。イタリアだってのに、オープニングはきっちり9時から始まっていたらしく、30人ほどがぞろぞろと金髪の若い男性の説明を受けながら写真を見ている。わたしたちが加わると、男性は少し猫背になってわたしに近づいてきて「どうもどうも、お昼にお電話いただいた。。。」と低姿勢で近づいてきたのでこのひとが作者だとわかった。スペイン人のような名前なのにイタリア人らしい。まったく外見に似合わず日本人のような仕草だ。日本暮らしがきっと長かった人なんだな、と解釈して作品をながめた。写真は全て白黒で、京都の町並みが撮られていた。神社のおみくじが無数に結び付けられた柵、七五三の衣装の子供たち、プラスチックの節分の鬼の面、日本のお墓。ガイジンさんには珍しいものが写真に収められている。しかしこういっちゃなんだが、全ての写真は普通のカメラかデジカメで撮られたようで、素人にしてはうまいほうだけど、プロではない事がすぐにわかった。展示の仕方も額なしで額縁の中紙に写真をはさんでクリップでぶらさげているだけのものなので、それが余計に中途半端さを感じさせられる。男性の説明であの謎の大名行列は「時代祭り」を撮ったものだとわかった。ポスターは古ぼけた感じだったのに、実際の写真は普通に撮れている。きっとポスターを請け負ったグラフィックの会社が加工を施したんだろう。な~んだ。。。わたしはちょっとがっかりした。男性は「じゃあ、お茶会が始まりますから、皆さん地下へ。」と階段を降りていく。このメンバーの中には最初から目をつけていた退屈そうにしていたわたしの他にもう一人だけだった日本人の女性がいたのだ。そのときわたしは思いきって声をかけた。各写真の下にポエムがついていたのだが、彼女がそれを日本語に訳したと男性は言っていた。「それはもう、素晴らしい訳者でわたしの気持ちを100パーセント理解してくれたのです!」と紹介しようと躍起になっていたのだが、彼女は恥ずかしがってずっと隠れていたのだ。聞けば彼女はわたしの隣町に住んでいるらしい。わたしが「彼、べた誉めにあなたのこと、誉めてましたね!」というとうざそうに「ああ、あれ。まさか日本人に見られるとは思わなかったから、えいっ、てやっちゃって。。ああもう!あ、早くお茶会に行かないと。。」と逃げてしまったのである。めちゃくちゃ敬遠されたのを感じた。わたしはてっきりあの作者の彼女かと思ったのだが違うようだ。恥ずかしいのか?うざいのか??始めてのひとと話すのは、楽天ですでに知り合ったひとと会って話すより相当難しい。ご近所同国人友達作りは失敗に終わった。涙地下の会場はスライド室だった。スライドの幕の前が1段高くなっただけのいわゆる「視聴覚室」である。そこに正方形の畳が何枚か敷かれて水仙の花の一輪挿しと「寂」とかかれた色紙が置いてあった。わたしたちがエレベーターを使って降りたときにはすでに全員が着席していて1番前の席がちょうど2つ空いていたのでそこに座る。男性はひとり薄緑の渋い着物に濃い緑の袴をはいてリンと立つ女性を「彼女はヨーロッパで唯一裏千家の皆伝を持つ女性でして、ボローニャにお住まいなのですが、ミラノにお仕事でいらっしゃる日程に合わせて、こちらにお越し願ったわけです。」と得意そうに紹介した。彼女は一礼し、さっそく茶道についての説明をはじめる。簡単な歴史と、茶道の楽しみ方。「茶道とはお茶を立てる席を日常と切り離した空間とみなし、静寂の中のお茶を立てる音、湯が沸く音、外界の虫の声などを楽しむものです。」そこにお客としてさっきの男性と、ひとりの金髪の女性が茶室に見たてた畳の上に正座した。きれいな桃色の着物を着た日本人女性がもてなす側として入ってくる。お茶が始まった。見物しているわたしたちは息を止めてその光景と、かすかな音を一緒に楽しむように努力する。しかし、これはかなり難しい事だった。なぜならここはどれだけ想像力を膨らませても「自然の中の趣のある茶室」ではなく灰色の壁に囲まれた「地下の視聴覚室」なのである!本当の茶室の環境を知っている日本人のわたしにしても想像できかねるのに、イタリア人としたらどう思って見ているんだろう?せめてうぐいすの声の効果音をバックに流すとか、背景にお粗末なパネルでもいいから日本家屋の写真を飾るとかさ。。。わたしたちがジリジリしてきたころ、最初から緊張しまくっていた男性がお茶を畳にこぼしてしまった!一斉に観客から失笑があがった。男性は顔が耳まで真っ赤になって「すみません、すみません!」とテイッシュを持って這いずる姿を見て、また失笑があがる。やはり、ひとときもじっとしていられないイタリア人たちに「静寂を楽しむ」なんてのは無理だったのだ!ここから会場はぐっとくだけた雰囲気になった。袴姿の女性も顔を崩し「何かご質問は?」と観客を見渡して聞く。おっとを含め、何人かいろいろと質問をしていた。「皆さんの中でお茶を試したい方、いらっしゃるかしら?」というと若い客を筆頭に積極的に手があがった。わたしは正座ができないので黙っていたのだが、お客としてはたったひとりの日本人だったので(前記の女の子は後ろの席で居眠りしていた。やっぱりうざいんや。)、わざわざ席までお茶を立てて持って来てくれた。お茶を立てていた日本人が親しみを込めた目でわたしを見たのでうれしくなった。急に楽しくなったお茶会が終わり、袴姿の女性は「能楽に入る前に5分休憩しましょう。」という。ああ、舞台セットの準備がいるんだな、とそのままイスに座っておっとと喋っていると、先ほど客として茶室で正座していた金髪の女性が親しげにやってきた。ミラノにある裏千家の教室の先生?らしい。日本語がお上手で、8年間東京に在住されていたとか。あの変わった正方形の畳も日本から持ってきたそうだ。「いつでも気軽に裏千家に遊びに来てね。」とチラシをもらった。その後、あのお茶を立てていた日本人とも喋りたいし、今は起きて他の人と喋っているもうひとりの女の子にも更にチャレンジしたいな、とキョロキョロしていると明かりが暗くなって「能楽を始めましょう。」と声があがったので仕方なく前を向いた。前には別になんの舞台セットもなかった。さきほどの袴姿の女性がしずしずと台にあがると、台の右側の窓ガラスの向こうのまるで学校の放送室のようなところから唸るような能の歌が流れ始めた。袴姿の女性は腰にさしていた扇を開いてゆっくり足を踏み出す。。。。。。。。。え?踊りは正確できれいだった。しかし、おそらくわたしだけじゃない、観客全員はきらびやかな舞台衣装に身を包んだ数人が能面を被り、舞台セットの中で優雅に踊るとばかり思っていたのだ。わたしはポカーンと見つめていた。おっとはあくびをして腕時計を見た。周りの観客の数人は何も言わずに立ちあがり去っていった。おっと「ねえ、ぼくたちも帰ろうよ。」わたし「わたしだけが日本人の観客なのよ、最後まで帰れないよ。」おっと「エゴイスト!ぼくは明日も仕事なんだぞ!!」わたしたちはひそひそとケンカをしながら、次々出ていくひとたちを見る。ああ~。。。。。開催者ではないのにひとりの日本人としてなんだか申し訳ない気持ちでいっぱいだった。写真はいまひとつだったけど、お茶といい、踊りといい、悪くはないのだ。ただ、ただ。。。演出がまったくなっていない!!予算が無かったんだろうか?こんな田舎町だからって、手を抜かれたんだろうか??わたしが大学の時、各地の商店街や遊園地でアトラクションショーをするグループに参加していた。その時はクライアントに言われた以上に衣装に装飾をつけたり、いかに派手な演出が出来るか相談したり、見物客も参加できるメニューを考えていかに楽しいショーになるか工夫していたものだ。確かにお茶や踊りはアトラクションショーとは異なるが、人前に披露するのであれば、最低限観客を退屈させない工夫があってもいいんじゃないだろうか?ああ、そうか。この「無の舞踏」の意味がわかった。何にもないところで踊るからなのか?←こじつけわたしは失意を感じながら最後まで我慢して座っていた。袴姿の女性は3曲踊って、さっと舞台から降り「本日は終わりです。」と告げた瞬間から待っていたかのようにバタバタと片づけが始まった。ぼーぜんと立ちあがると写真家?の男性が来た。男性「今日はどうも来てくれてありがとう。」わたし「いえいえ、日本語がお上手なんですね。」男性「イタリアでちょっとやって、京都に6ヶ月留学してたんです。」わたし「へえ~、たった6ヶ月でこんなに上手になるんだ。」聞けば彼は某有名芸大の外国人コースなるものに通ったらしい。それが得意なようである。でも、ってことはまだ学生か学生あがりか。。。。彼はわたしに名刺を渡して片付けに戻っていった。考えたらわたしもちゃんと自己紹介をすれば、そこから友達の輪が広がったかもしれなかったのだが、この夜はその気になれなかった。どれだけ才能があって、努力していても、その芸術家の作品が日の目を見ないのも多い。彼はその点、ラッキーだな。田舎とはいえ図書館のワンフロアの半分使って個展が出来るんだものな。こんなジェラシーも混ざりつつ、このオープニングの中途半端さにがっかりしつつ、図書館を後にしたのだった。でもこんな田舎町の展覧会にしては上出来なのかな。。。。。。。。
2006.04.02
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今週は毎日、落ち着かなく家の掃除に没頭していた。仕事をしている時は2週間に1回、掃除機をかければいいほうだったのに、この毎日髪の毛1本でも床に落ちていようならせっせと掃除をしている始末だ。Saicuccioさんはご存知の方も多いと思うが、ベネチアお住まいの楽天のお友達である。まだ1度も見たことがない彼女であるが、事故以来ブログでお会いすることが出来ないので、まめに電話を下さって、本だの、ベネチアビスケットだの、送ってくださるので感謝している。そんなSaicuccioさんが、ご主人の用事に付いてミラノの、しかも我が家に来てくださる!なんと、昼間じゃうちまで来るのに半日もかかることをご承知で!!(←昼間はミラノからの電車は極端に少ないのだ。汗)その話を聞いたときには感激のあまり尻尾を振りすぎてちぎれるほど喜んだのだった。最後に電話をいただいたときには、お昼のメニューを考えていた。「何にしましょう?」と尋ねたところ「カツどん定食お願いします。」と注文が来た。しかし我が家はあいにくネギも豚肉も切らしていて、ちょっと考えて、から揚げカレーランチ、サラダと飲み物付きにすることに決めた。幸か不幸か料理上手なおっとや友人に囲まれ、普段料理らしい料理をしないわたしにしては、かなりの特別待遇である。お昼にSaicuccioさんはかぼちゃの馬車ならぬおっとのワゴン車に乗ってやってきた。ご丁寧にも彼女は入り口で靴を脱ぎ、まるで日本のお宅のような上がり方である。(←そういえば目目さんもうちに来ると必ず靴を脱ぐ。我が家は日本家屋のような雰囲気をかもし出しているのだろうか?)初めて見る生の彼女は、彼女のブログから容易に想像が出来る小さいけれど、ちゃきちゃきとしたよく舌の廻る女性であった!彼女が「はじめまして!」とわたしに近づいてきた時は、生まれてから数回目の、自分で作る唐揚げをちょうど揚げていた最中で、かなり緊張と集中をしていたので「ああ、どうもどうも。ちょ、ちょっと待ってね。」と、生返事を返し、感激の初対面だと言うのになんとも中途半端な初対面となってしまったのが、悔やまれる。彼女はそれでもおかまいなしにおっとも巻きこんで、それはそれは饒舌に話し始め、わたしたちはまるで親戚が来たような感じであっという間に打ち解けてしまった。そんな中、くしくも何回もコックさんから電話がかかってきた。イタリア料理しか知らないコックさんはたまご丼の作り方を聞きに電話をしてきたのだが、料理へたのわたしのレシピなんて、当てずっぽうもいいところである。そしてそばでSaicuccioさんの声が聞こえると、まるで天使の声を聞いたかのように弾んだ声で「あ、今目目さんといるの?替わってよ!」私宛てにレシピを聞いてきたというのに、ほとんど当てにしていない態度全開だ。わたしは不機嫌になって「目目さんじゃないよ。他の友達だよ。」というとコックさん、「な~んだ。。。」と電話を切りやがった。怒昼食が整ってわたしたちは席についた。おっとを見れば、不機嫌に黙々と食べている。(せっかくお客様が来てるんだからもう少し愛想よくしてよ!)と心の中で腹を立て「どうしたの?何かあったの?」と聞いた。おっと「君はぼくがどれだけお願いしてもフライなんて、作ったことなかったくせに。。。」といじけていたのであった。南米人のジェラシーは、男女間の仲にだけでは留まらないのである!汗またコックさんから電話があった。「だしはどうやって作るの?」わたし「知らないよ。。花かつおかなんかからじゃないの?沸騰したお湯に花かつおをバサバサ入れてさ、こし器かなんかで漉すんだよね?」コックさん「なんか面倒だな。もっと簡単じゃないの、たまご丼って?」わたし「面倒がイヤなら、だしの素、買いなよ。」コックさん「そうだねわかった、また電話する。」と電話を切った。Saicuccioさん「。。。コックさんからコンサルタント料を取れば?」まったくである。またすぐコックさんから電話があった。「だしの素買ったんだけどさ~、どれぐらい入れたらいいの?」え~。。。。???我が家には実家の母が送ってきた顆粒のだしの素があるので、液体は買ったことがない。返答に困っているとSaicuccioさん「ビンの側面に書いてあるでしょうが!」と電話越しにコックさんを一括!!かっこえ~。。。わたしが言いたくても言えない行動であった。しかしコックさん、他人の声にちょっとはびびったみたいだがなんともない口ぶりで「あ、こんなんでいいの?」とケロリと聞いてきた。なんだ、わたしも側面に書いてあるなんて知らなかったよ。じゃあ、なんでわざわざ電話してくるんだ!?もう、電話に応対するのがバカバカしくなってきて「マルちゃんと替わるよ。」とおっとに電話を押しつけた。2人は弾んだ声で次回の「お泊りPS会」の企画をしている。わたしとSaicuccioさんは「ああもう、こういう奴らは。。。」とため息をついたのであった。昼食が済んでおっとが仕事に戻り、わたしたちは日本茶をすすりながら近況報告を息する暇もないぐらい語りまくった。その最中に先にベネチアに帰られた旦那さんから電話があって、わざわざしかも日本語でお見舞いの言葉を頂いた。Saicuccioさん同様、とてもフレンドリーな方である。我がおっとにも、これぐらいの日本語能力と、愛想があれば。。と少しはずれクジを引いた気分に陥ったのであった。ちょっとブログを見ないうちにSaicuccioさんの周りにはいろいろと起こった様で、我が家では今だなお、インターネットが見れないのが悔しい。そんな間に何か口寂しくなってきた。入院していた時、いろいろなひとからチョコレートをもらったのだが、全部食べ尽くしてしまった。わたしははっきり言って、以前チョコレートは嫌いだった。あの苦いくせに甘ったるく、口の中でドロドロと溶ける食感がイヤなのである。しかし、日本もイタリアもなにかしら社交の場では必ずと言っていいほどチョコレートがお茶菓子に登場する。つきあいで食べているうちに、好きにはなれないが、食べる事に慣れてしまった。今は一日中、家にいるから口が寂しくなるとついつい食べてしまっていた、というわけである。Saicuccioさん「わたし背が低いから、旦那が高いところに置いたのもが取れなくて。」Saicuccioさんの旦那さんは写真で見る限り、のっぽで相当背が高い。我がおっとも割と背は高いほうだ。なのでおっとは、わたしがダラダラとうつろな目で暇さえあればチョコレートを摘んでいる姿を見て、ある日、全てのチョコをキッチンの一番高い戸棚の上に上げてしまった。そうされると半永久的に暇なわたしは俄然うれしくなる。最初は台に登ることを試みて、片足では無理なのをすぐ悟った。次に松葉杖に引っ掛けようとするが、ちょっとの差で届かない。そこで松葉杖の先におたまをくくりつけ、チョコの箱をちょっとづつ引きずり出して、台の上に落として手に入れたのである。この時、小学校の理科の教科書に描いてあったチンパンジーが道具を使って高いところに吊り下げてあるバナナを取る実験のイラストをなぜか思い出した。しかしそうやって苦労の末に手に入れたチョコは、またおっとに見つからないうちにさっさと食べてしまったのがまずかった。こうやってお客さんが来た時に出すお茶菓子がないのである。(N.B.Saicuccioさんはお土産に自店製の「コロンバ」というイースターの時に食べる大きなパンケーキを持ってきてくださったのだが、この時は2人ともお腹がいっぱいだったので、違う小さな甘味を求めていた。)お茶菓子もないまま、お互いブログに公開出来ない秘話なども語り合って(決してあっちの方向ではなく)、時間が経つのも忘れていたのだがふと気になって時計を見ると、帰りのかぼちゃの馬車が来なければいけない時間を9分も過ぎているではないか!?OOOOOOHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!わたしは焦った。何度も書くが我が家は田舎にある。Saicuccioさんが今すぐ家を出て電車に乗らなければあと1時間は待たなければならないのだ。ミラノのひとならともかく、ミラノからベネチア行きの電車も2時間に1本ぐらいの割合である。この電車に乗り損ねたら彼女はいったいいつベネチアに帰れるんだ!?わたしはこれを案じて数日前におっとに隣町のタクシーの予約を頼んだ。(我がちっぽけ町にはタクシーすらない。汗)だというのに、おっとはタクシーの代わりに、大胆にも我々の未来の従業員、わたしの我慢のならない国のただいま無職のコスティカに、小遣い銭をあげる約束で運転手を頼んだと、今朝になって告白したのである!ちょ、ちょっと。。。これはおそろしくてギリギリまでSaicuccioさんに言えない。。。。(←ギリギリに告白したけど。)と思っていたらおっとが息を切らせて「さあ、送るよ!」とちょうど10分遅れで家に飛び込んできたので、驚きとともに安堵のため息が出たのである。わたし「あれ、コスティカが来るんじゃなかったの?」おっと「今日、仕事が少なかったから断ってぼくが来たんだ。」わたし「あ、そう。。。」こうしてSaicuccioさんは慌しく、しかし無事ベネチアに帰還されたのだった。めでたし、めでたし。*******この日の夜。おっと「やっぱりこういう時間制限されてるとき、しかも時間にうるさい日本人相手にコスティカに頼むのは勇気がいるな、と思ってさ。」わかってるならなぜ、奴に頼んだ!?というか、そんなおっとも信用していない相手をなんで雇うんだ!!!??????わからんけど、い。。。。。や。。。。。。。だ~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
2006.03.26
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インターネットが出来ない今、ただ当ても無くインストールセットが届くのを待つのみの、空しい日々を送っている。わたしに比べれば、出所の日を待ち焦がれる囚人のほうがやることがいろいろとあって、もっとマシな日々を送っているに違いない。これが長年憧れていた「専業主婦」の生活に似ているのなら、専業主婦ってかなりつらいことなのだな、と思う。そういえば、小さな出来事はあった。最近時々、ブラジル人エルトンがうちに晩ご飯を一緒に食べに来るようになっていたのだ。最初は奥さんが勤める工場が交代制だから、奥さんが夜勤の時に寂しいから来てるのかと思っていたのだが。。。。彼はおっとと同じ年にイタリアに来た。彼はわたしたちの2ヶ月ほど後に結婚をした。彼が我が家からそう遠くないところに家を購入したのもわたしたちより3ヶ月ほど前で、しかも同じ悪徳不動産屋からだ。彼とおっとの関係を言わせると、いわば同期生のようなものである。わたしたちは、きちんとした滞在許可証を得るまでさんざん苦労したが、彼らに比べればたいしたことはない。詳しくは書かないが上には上がいるのだ、と痛感した。かいつまんで書くと、彼の真面目できれいな同国の奥さんは、強制送還ぎりぎりのリスクを負って結婚後ずいぶん経ってから、ようやく彼の家族としての滞在許可証を得た。そうしてやっと最近、合法の仕事も見つけて働くようになったのだ。去年の夏にはブラジルに里帰りして、帰って来た時には本当に2人とも幸せそうで、極貧の為、どこにも行けなかったわたしたちは相当うらやましく思った。彼らは我が家の波乱万丈さとは違って、こうして着々と落ち着いてきて、万事がうまくいっているように見えた。しかしまさか、こんなことが起こるとは。最初の文でご想像出来た方もいるかと思うが、この2人、ついに離婚を決めたのである。彼らはわたしたち同様2003年の秋に結婚したからまだ3年も経ってないのだ。そういえば思い当たる事はたくさんある。だってエルトンって、ブラジルでは弁護士の勉強をしていたこともあってか?とにかく神経質だし、理屈っぽいし、どケチだし、難しい時事問題や、ジョークでわたしの頭を悩ませるし。。。それに比べて奥さんは、話すと結構真面目なのだが、出会った頃はフレンドリーで華やかな印象だった。ブラジルの実家も別にお金に困ってはいないらしい。それが、見る見るうちに地味になってきた。家を買った当時、一緒にショッピングに出かけたのだが、あまりのケチさにびっくりしたことがある。そしてちょっと前までは遭っても、社交時礼上でも全然うれしそうな顔をしなくなった。一緒に外出してもすぐに帰りたがるようになっていた。そんなわけで最近はまったく彼女と遭わなくなった。だから彼女がどういった理由で離婚を決めたかは知らない。が、エルトンに言わせると何もかも昨夏のブラジル里帰りからおかしくなったという。わたしたちは地球の裏側への里帰りの話を聞いてから、同時期、つまり一昨年末に家を購入したばかりだと言うのに豪勢なことだ、と話していた。エルトンとしてもその当時、無理だとは思ったらしい。しかし「奥さんがどうしても帰りたいって言うからさ。。」と借金してまで帰ることにした。エルトンは金融機関にお金を借りた、と言っていたけれど、実は奥さんの実家からお金を借りたのだ。それを毎月分割して返していく、という話にまとまったのだが、奥さんの実家が急にお金が入用になったから一度に全額返してくれ、とせまってきた。家や家具のローンを抱えているのにそんなお金はどこにもないのが現状である。(我が家とこの辺は事情が酷似している。汗)で、ここのところ奥さんと揉めに揉めて、ついに家庭内別居を経て、離婚の決定に至ったわけだ。エルトン「だいたいあいつは金遣いが荒いんだ。我が家の経済状態を毎月きちんと説明しているのに、行けもしない旅行に行きたがるし、クラブには行きたがるし。。。」まあ、確かに。経済レベルはおそらく我が家とどっこいどっこいだろう。そうなるとご記憶されてる読者もいらっしゃるとは思うが、給料日前5ユーロの生活も強いられる。わたしは昭和のど根性の時代生まれなので、「欲しがりません、勝つまでは!」をスローガンに耐え続けているが、まだ20代後半の若い、しかもラテンの奥さんではこの長い貧乏生活、かなり苦しいかとは簡単に想像できる。でも。わたしはエルトンからしか離婚に至った直接の理由を聞いていない。奥さんから言わせると、絶対他に理由があるとわたしは思う。奥さんの実家が一括返済をせまってきたのも、わたしは奥さんの実家が娘の離婚を予期して、取り返せるものはさっさと取り返そうとしただけのことではないかと思う。例えばエルトンが神経質過ぎるとか、偏屈だとか。。。そういう日常のことが溜まりに溜まり、金銭問題をいつも抱えてたら、そりゃあまだやり直しのきく若いうちに別れたいと思うはずだ。だがここで財産問題にぶつかった。家や家具のローンは、共働きで2人で払っているにもかかわらず、家の名義は彼ひとりのもの、買い揃えた家具の名義も全部彼ひとりのもの、となっている。というのは、奥さんは長い間、不法滞在者で、名義に名前を連ねることが出来なかったからだ。2人が愛し合っているうちはいい。一度離婚を決めて、憎みあう間柄になると、奥さんは悲惨である。離婚金として5000ユーロ(約70万円)請求したのだが、エルトンに「そんな大金、払えない」と拒否され、叩きに叩かれてたったの2000ユーロ(約28万円)で同意した。もちろん、家も家具もエルトンの手元に残り、彼女は家を追い出される形となったのだ。この3年近くの結婚生活、女性らしい彼女が彼と同じく働きながらも全部家事をこなし、ローンも負担していたのにもかかわらず、である。ひどい話だ。わたしももうちょっと若くて、辛抱が足りなかったら同じ状況に至ってそうで、あまり他人事として見ることが出来ない。わたしなら、どうしているだろう?こんな小額で黙っていないだろか?それとも、さっさとケリをつけたいから涙を飲んで引き下がるか?我が家の場合は全て名義は半々だから、離婚となったらそれもそれで、財産分割で揉めそうだなあ。そういえば、最近ごぶさたしている友達Yちゃんを思い出した。彼女も離婚の時に、あまりの財産の多さと分割の複雑さに、何年も元旦那と揉めていた。離婚の理由は元旦那が他の女性と子供を造って逃げた、という屈辱的な理由であり、遭う事も耐えれなかっただろうというのに、頑張ったものである。全てが終わった時、彼女は相当呆けていた。「もう絶対、結婚なんて考えられない。」が彼女の口癖だった。ああ、こんなこと書いていたら頭が痛くなってきた。こういう事を考えるより、離婚に至らないように日常を過ごす事に努力(?)をしなければ。。。。。
2006.03.18
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考えたら、イタリアに来て以来、こうも何もせずぼ~っとしている日が続いた事なんてはじめてだ。最初は、何をしていいかわからなくて、入院中、そうだったようにずっとベッドで本を読んだりして過ごしていた。Saicuccioさんはあの、ご自身の日記で幾度となく書かれている貴重な「ザ・メディチ家物語」を貸してくれたばかりでなく、いろいろな文庫本をプレゼントしてくれたのだ。が、そのうちの一冊「寿司屋のおかみさんお客様控帳」の寿司の表現があまりにおいしそうすぎて、動かない身体で悶絶してしまった。それ以外はまめに携帯にメッセージをくれるSaicuccioさんやNaocci、Saicuccioさんが日記に書いてくれたわたしの状況を読んで連絡をくれる友達だけが唯一の外部との交流だった。しかし、このままではいけない。左足だけじゃなく、身体全部までが腐っていきそうな気がして、この日からはおっとと一緒に起き、ちゃんとパジャマから着替えて松葉杖でも出来る事を探す事にしたのである。あ、ちなみにイタリアでは松葉杖は薬局で1日1本50セントぐらいでレンタルしてくれる。支えが何もないところでは両腕に松葉杖がないと立ってはいられないが、壁や家具にもたれると、片腕だけ使える事を発見した。まずは狭い洗濯室の壁や洗濯機によりかかって洗濯する事に成功、キッチンの流しにお腹でよりかかって小さな皿類も洗えるようになった。最初は3分も片足で立っていると息切れしたし、まだ手術の傷口が完全に閉じてなかったらしく、ヘタに動くたびに傷口が開いて悲鳴をあげた。全体重をかける松葉杖のグリップを握る親指と人差し指の股にマメが出来て、つぶれて痛い思いもしたが、だんだん慣れてきた。話を戻して目目さんからも久しぶりに電話があった。彼女はしばらく旦那さんのお母さんの法要も兼ねて、韓国日本と里帰りしていて、先週末にイタリアに帰ってきた。そしてこの日にわたしの日記のBBSに残してくれたSaicuccioさんのメッセージを見たのだった。目目さん「大丈夫?」わたし「うん大丈夫だよ、なんとか。ところで里帰りはどうだった?」目目さん「それがね。。。」と話してくれたのは、純日本人のわたしには想像も出来ない事だった。ミラノからの直行便で成田に着くと「在外許可証(?)が切れてます。」と入国管理局に入国を拒否されたのだ!改めて書くと、彼女は日本生まれの日本育ちの韓国人である。日本に住む外国人には「外国人登録」が必須なのだ。それ以外にも「在外許可証(?)」というものがあって、外国人登録はしていても、定期的に更新しなければ外国との出入りがままならない。目目さんのそれは去年3月に切れた。更新するためにミラノの日本領事館に出かけて、じかに領事に問い合わせたところ「この2年半で在日韓国人には、それがいらなくなりました。」との回答が出たので、目目さん一家は安心して、今回の里帰りとなった。なのに今回成田の入国管理局は「そんな法律は知らない。」という。目目さんも「ミラノの日本領事館でいらない、と言われた。」とねばったが、証拠がない。「どうしても入国したいなら、この場で永住権を放棄して、在外外国人として観光で3ヶ月だけ、ということも出来る。」と、とんでもないことも言われたらしい。結局3時間ほど拘留されたあげく、ついに「ここから一番近い外国で許可証を申請しなさい。」と冷たい決定を下された。不幸中の幸いで、目目さんはまず東京に1泊してお客さんに会ってから(目目さんは旅行業)、韓国入りを予定していたので、東京のお客さんだけをキャンセルをして、次の日韓国に行き、滞在中は申請書の手続きに走り回ったそうである。目目さん「着いたその日に成田の空港のホテルで1泊させられたんだけど、『監視をつける』って言われたの。でも、それは犯罪者じゃないからなんとか逃れたんだけど、ホテルから1歩も出ちゃいけなかったのよ!?」目目さんは続けて「それでなんとか日本に入国できたらすぐに娘が中耳炎になっちゃうし、結局やりたいことがあんまり出来ないまま帰ってきちゃった。いくきーとじゃないけど、わたしも厄年かも?」わたしはただただ、口をあんぐり開けて聞いていた。まあ確かに目目さんの場合、日本の在日外国人なのに、更にイタリアで在伊外国人と、2重になっている特殊ケースだ。しかし、日本で生まれ育っていても入国を拒否されるんだ。。。理解を超える世界があった。日本に住んでいた時には、外国人の友達なんていなかったのでまるで何も知らなかったのだが、外国人は日本に生まれたからといって、アメリカのように自動的に日本国籍が得られるわけではないらしい。イタリアはよく知らないけど、たぶん18歳になるまでは2重国籍で、その後は本人の選択だったと思う。しかし日本の場合は、日本国籍を得たければ、韓国籍を完全に放棄しなければならないのだ。目目さん「複雑なのよね、わたしは日本で生まれ育っていても両親は韓国人の100パーセント韓国人だし、韓国籍を放棄するってのもねえ。。。」本当に複雑だ。自分に置き換えて考えてみた。イタリアに住む分には確かにイタリア国籍のほうが断然便利だけど、こんなアジアな顔をしながら「イタリア人でございます。」というのも滑稽だ。でも目目さんの場合は韓国-日本じゃそんなに顔の差はないよな。。。今は世界中、どこも危険でいっぱいだが、もしもイタリアで戦争が勃発したり、経済恐慌が押し寄せて来たりしたらやっぱり、逃げ道は作っておきたいと思うし。。。。ああ、これはちょっと焦点がはずれるか。今のところ「テクノロジー大国日本」は自慢の種だから(といって、わたしがテクノロジーにはうといけど。)これを捨てるのもねえ。。。って、どんどん焦点がはずれる。汗ミラノの場合は黒い人でイタリア語をろくに喋れなくても「イタリア国籍でございます。」というひとを多く見かける。というのは、あまりにも貧しく政情不安定で、いつも内戦が続いているような国のひとが、祖国に見切りをつけて自分の国籍を放棄してイタリア国籍に変えるのだ。まあ日本の場合は不況が続いても、国が安定しているからこういう事情で国籍を変えなければならない必要性がないことをつくづく幸せに思う。やはりどんなことがあってもわたしは日本人だし、それを誇りに思っているし、例え他国で生まれ育ったにしても、国籍は維持したい。でも、他国で自分の国籍を維持するって、本当に苦労が耐えなくて大変なんだよねぇ。。。しみじみ。←その他国人がだんなさんや、奥さんだったら違うかもしれないけど。それを2つの外国の間で維持する目目さん、さすがだな、と思ったのであった。
2006.03.12
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先週土曜日、とうとうコックさんが我が家から退出することとなった。仕事が月曜日から木曜日のコックさんがはじめての休日の先週金曜日。彼が仕事をはじめてから、いつもすれ違いだったおっとはずっとこの日を待っていたようである。この日、帰宅したおっとはさっそくソファをここちよく整え、小さなテーブルを出してきて、ポップコーンとジュースを準備、PS2で遊ぶために朝から外に出て行ったコックさんの帰宅を待つ体制に入った。わたし「ちょっと、夕ご飯も食べないで、遊ぶつもり?」おっとはあたふたと「こ、これは夕ご飯のあと用だよ。」と答える。まだコックさんは帰って来ない。わたしも彼を待っていた。と、いうのは次の日引越しだというのに、何も荷造りをしている気配がない。日本から来て、まだ2ヶ月で荷物が少ないとはいえ、間に合うのか?しかも帰ってきて、おっととすぐ遊んでしまったら、いつやるんだよ!?やがておっとにコックさんから電話があった。「友達と夕食を食べてくるんで遅くなります。」この言葉におっとはショックを受けたようである。コックさんには「うん、わかった。」と短く答え、電話を切ってすぐに「友達って誰なんだよ?ぼくよりそいつのほうが大切だっていうのっ!?」と叫んだ。完璧なジェラシーである。あんたはコックさんのいったい何やねん!!??結局コックさんが帰らぬまま、おっとは夕食後、ここのところいつものように独り寂しくサッカーゲームの「エクアドル 対 日本」に興じ、不貞寝してしまった。わたしも布団に入る前に「明日わたしたちは朝早くからいないけど、午後までには帰ってくるからそれまでに荷造りお願いします。」とコックさんにメモを残して眠りに着いた。***土曜日の朝。夜中に帰ってきたであろうコックさんは当然のごとく起きている気配はない。テーブルの上を見ると「朝、出かける前に起こしてください。」というコックさんからのメモがあった。おっとが容赦なく部屋に乗り込んで揺り起こす。とコックさん「OK,大丈夫、起きま。。。。むにゃむにゃ。」と訳のわからないことを言いながらとりあえずは上半身を起こしたので、一抹の不安は感じつつ、わたしたちは外に出たのであった。わたしたちが外に出たのは金曜日のホームドクターにやっとこさ赤紙を、しかも何枚も(汗)、書いてもらえたので、そのスケジュールをこなすためだ。まずは血液検査と尿検査。田舎の保健所だってのに、早朝からすごい人ごみである。1時間ほど待って、血液検査を済ませられたのはいいが、尿は自宅より持参しなければならなかったことが判明。ホームドクターはそんなこと一言も言わなかったし、今までの大きな町の病院ではたとえ忘れても、その場で採尿できるしくみになってたのに。。。。また、月曜日に出直しとなった。涙←しかも結果は1週間待ち。次に隣町の大きな病院に2つの診察の予約をしに。これも1時間ほど並んで、1つは来週すぐにとれたが、もうひとつは1ヵ月後。まったく体力と気力の勝負である。***ようやく午前の労働が終わるともう、10時になっていた。もう、コックさんは荷造りが済んだだろうか?ここからはわたしの運転でのろのろこわごわと家に帰り、時計を見ると11時だった。(おっとの場合所要時間15分)汗しかし、予想はしていたがコックさんはまだ寝てやがった!再度、おっとが優しく揺さぶると、今度は飛び上がるように起きるコックさん。(これだけ寝りゃ、目覚めもいいだろ。)あたふたと、顔も洗わずにスーツケースに荷物を詰めだす。おっとは、コックさんがふんだんに使っている衣類の圧縮袋がおもしろいらしく(こんなもの、イタリアに売ってない。)、興味深々で見ていたが、やがて飽きて家の掃除をしだした。やっかいである。なぜなら、ふだんはものぐさなおっと、いったん掃除をし出すと止まらなくなる「掃除マニア」なのだ!!わたし「ちょっと!昼ごはんは最後だから、みんなでミラノで日本食を食べるつもりでしょ!?掃除なんかしだしたら、間に合わないじゃない!!」おっと「10分で済ませるから!」大急ぎで荷造りを終えたコックさんがシャワーを浴びたり、ひげをそったり、わたしはコックさんの洗濯物を取り込んだり、バタバタ家の中を駆けている中、おっとは隙間を縫うように掃除をしている。大いに邪魔である。結局おっとが最後までしつこく掃除をしていたおかげで、いつものように予定時間の30分、きっかり遅れて我々は家を出ることとなった。クルマの後部はコックさんの荷物でぎゅうぎゅう詰め、たった2ヶ月前はスーツケース1個とショルダーバックだけで我が家に来たのに、信じられないぐらいの荷物の増量である。コックさんは家を名残惜しげにながめ、近所の行きつけになったバールのおばちゃんに挨拶をした。そして我々はミラノの中心の「大阪」という老舗の日本食レストランに向った。レストランに入ると、ほぼ満席、しかもそのほとんどが日本人イタリア人夫婦かカップルである。ハーフの子供連れの家族も居て、おっとは何かしきりに感激していた。(「大阪」初体験おっと)おっととコックさんは「寿司てんぷら御膳」を、わたしは「大阪」名物、「ラーメンギョウザチャーハンセット」を頼む。料理を待つ間に今まですれ違いばかりで聞けなかった、コックさんの仕事の状況を聞く。今のところは言葉が通じなくてもうまくいっているようだが、わがままイタ人客がメニューにない注文をしてきたときは、言われてもわからないので困るらしい。最後の揃っての会食、ということで、ちょっとしんみりしながら料理を食べ(おっとはわたしが注文した「とんこつラーメン」が気に入って、結局ほとんど食べやがった。怒)、中華街で日本食材を少し買出ししてから、いよいよコックさんの新しい住居に向ったのである。新しい住所はわたしのあの元同僚夫婦 の家のすぐ近所にあった。確かに夜遅くまでトラムが通るが、最寄の地下鉄駅はない。かといって、想像していたようなミラノのはずれではなく、結構中心にある。。。。。な~んだ、ちぇ。結構きれいなアパートの入り口を入ると、中にはガラス張りの中庭が広がった!ガラスの外はつたが這っていて、地下がアパート専用の広い駐車場になっているのが見える。眺めは美しくはないが、庭を囲むガラス張りの通路にはコロニアル風に大きな観葉植物が並べられていて、クッションつきの籐のベンチも等間隔に並べられていて、座って団欒出来るようになっている。ますます。。。。。。。ちぇ。(←何を期待しているんだ?)通路を抜けてエレベーター(これはふつう)のところに行くと、住人専用のコインランドリー、自販機もある。ふつうのエレベーターであがった2階にコックさんの新しい部屋があった。ここからはもう、どこにでもあるアパートの様子である。鍵を開けて家の中に入るとウッとくるようなおっさん臭に顔をしかめた。←わたしは鼻が敏感この家は男性3人暮らし。ひとつの8畳ぐらいの個室におっさんと、もうひとつの6畳ぐらいの部屋にベッドが2つ置いてあってコックさんともうひとりのホテルの若造が住むらしい。誰もいないことをいいことに家の中を探検した。おっさんの部屋は長く住んでいるらしいが、TVとたんすとベッドと冷蔵庫以外には何もなし。コックさんの部屋も、まるでユースホステルの相部屋のようにベッドが2つとタンス、小さな冷蔵庫がある以外なにもなし。バスタブのついたあまり清潔でないバスルーム。短い廊下。以上。わたし「。。。あれ、キッチンは?」コックさん「ここで火は使っちゃいけない決まりなんでないんです。」わたし「じゃあ、夕食は仕事場で食べれるとして、朝と昼はどうするの?」コックさん「外食ですね。たぶんホテルに行けば、まかない飯を食べさせてもらえると思うんですけど。。。」そうか。。。ちょっとホッとした。なぜなら、あまり完璧だと腹が立つではないか!?荷運びはあっという間に終わった。おっとは家の中でコックさんと「じゃあな、体に気をつけてな。」とひしっと抱き合い、階段を降りたところでも「いつでもうちに来いよ、待ってるから。」と抱き合い、アパートの入り口のところでも「なんかうちでやるときはすぐに呼ぶから。」と抱き合い、(←いったい君たちはどういう関係や!?)クルマに乗り込む前に「どうだ、一緒にこれからスーパーに買い物に行かないか?」と名残惜しそうに聞き、コックさんに辛そうに首を横に振られた。コックさんはわたしたちのクルマが見えなくなるまでずっと寂しそうに見ていた。そこからわたしたちはスーパーでひさびさにふたりきりで買い物を済ませ、ふたりきりで家に帰った。コックさんがいない家の中はなんだかすごく大きく、空っぽに感じた。あの「エクアドル人に生まれたかった~!!」 も忘れられない名言だが、ヤギたちが去った直後に「家に南米人は。。。。一人だけでいいっス。」など、グッとくる発言を残していったコックさん。たった2ヶ月でもコックさん、存在感があったよな~、と歯ブラシの数が減ってしまった洗面所のコップを見やる。ひさびさにふたりきりで夕食を食べていると、何か考え事をしていたおっと、いきなり「コックさんの部屋の相方、ゲイだったらどうしよう?」と心配そうに言うではないか!?何を心配してるんじゃ~っ!!!!!!??????????君と一緒にするな!と、こんなおっとに心配になった土曜の夜であった。**********PS.月曜は外部友達のボローニャ在住Naocciがミラノに来たついでに我が社の近くまで一緒にランチをしに来てくれた。感激初対面!!休憩時間の1時間しか会えなかったけど、うれしかったよNaocci。Naocciって。。。。。。。。。。。背が高~~~~い!!!!文章で外見はわからないものだなあ、ははははは。またミラノに来たときは会おうね!!
2006.01.17
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先週金曜日はイタリアは「エピファニアの日」という宗教的な祭日だった。この日は「べファーナ」という鼻の曲がった醜い魔女がほうきで飛んできて、いい子たちにはお菓子やプレゼントを、悪い子たちには木炭をくれるという。この日の夜。我が家にも「べファーナ」がやってきた。いつものように夕食後、全員でソファの上に固まってTVを観ていたのだ。そのうち、コックさんがおもむろに立ち上がったかと思うと、部屋に入ってがさごそして、50cm四方はある箱を抱えて出てきた。コックさん「いくきーとさん、これちょっと早いんだけど、通訳と今までお世話になったお礼です。」とわたしのひざの上にその箱を乗せた。箱はずっしりと重く、ミラノの中心街にある電気屋のマークの入ったきれいにラッピングされていた。敏感日本人のわたしはこの時点で中身がわかってしまったのである!わたし「いやそんな、いいのに。。。。」汗コックさん「いろいろ悩んで、やっぱりこれが一番かと思って。」わたし「そんな。。。。気を使わなくていいよ。」大汗コックさん「絶対気に入ると思います。」わたし「いやマジで。。。。いらないって!」本気コックさん「そんなこと言わずに開けてください!」ううううう。。。。しかたがない。横でTVに夢中のおっとをちらちら見ながらしぶしぶ包装紙をはがす。中身はやっぱり おっとが過去に何度も妻や友達を売ってまでも、手に入れることをもくろんだ 「PS2」だった。おっと「ウ。。。。。。。。。ウワア~~~ッ!!!!!!!!!!」と奇声をあげ、わたしから箱をひったくった。「こ、これ。。。。。。ぼくの?」コックさんはうれしそうにうなずく。おっとは感動で言葉に詰まり、ひしっと強くコックさんを抱きしめた。さっそく説明書を取り出し、おまけでついていた「BUZI」というイントロクイズゲームの準備にとりかかる。コックさん「あ~、よかった。こんなに喜んでもらえて。重い思いをして、自転車で担いできたかいがあったなあ。」わたし「。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。」わたしはちっともうれしくなかった。だって。。。。だって。。。。。。。。。この功労賞はわたしにあるはずなのに、どうしておっとに、なんだ?しかもわたしにとって、もらって迷惑千万な「PS2」である!!しかしこうなる経緯はわかる。わたしは無視することに慣れてしまったが、他の人がおっとと毎回買い物に行くたびにゲームコーナーのPS2の前に貼り付かれていたら、そりゃあ、同情もして買ってあげたくもなるだろう。いつも「もしおっとがPS2を手に入れてしまったら。。。」と想定していた悪い夢はここから始まった。***次の日、バーゲンでずっと前から欲しかった籐の整理棚が29,9ユーロと安くなっているのを発見。わたし「ねえ、これ安くなってるよ!買おうよ!!」おっと「え~。。。。どこに置くのさ?ちゃんと置き場所を決めてサイズを測ってからにしなよ。」わたし「金魚のそば!ごみの分別にずっとこういうのを探してたんだよ!?」おっと「うち、お金ないし。。。。もうちょっといろいろ見て、これしかないなら買いなよ。」とわたしの手を引っ張って売り場から離れた。そして。しばらくわたしはいろいろな売り場を見ているうちにだんだん面倒くさくなってきて整理棚のことがどうでもよくなってきてしまった。ひとりで別行動していたおっとがスキップをしながら戻ってくる。おっと「見てみて!いくきーと!!」その手には大きく「21,9ユーロ」と書かれたすでに会計済みのサッカーゲームが握られていた。怒更に。1.この日から、わたしはうちに一台しかないTVが観れなくなった。2.おっととの会話がほぼゼロとなった。3.おっととつきあって毎晩遅くまでゲームをしていたコックさんは昨日の夜から仕事だったというのに、疲労で熱を出した。←あほまったくコックさんはとんでもないものをおっとにプレゼントしてくれたものである。怒*******************当のコックさんだが、昨日からいよいよ仕事が始まった。しかし、イタリアというところは契約書にサインするまでは油断してはならない国である。年末ローマをヤギたちを連れて忙しく歩いていたとき。若い女性から携帯に電話があった。女性「わたくし、◎◎ホテルの人事を担当しておりますフェデリカと申します。コックさんはおられますでしょうか?替わっていただけますか?」わたし「今、わたしはローマにおりまして。。。コックさんはミラノですが、ご用件はわたしが伺いますよ。」女性「いえ、これは本人にしかお話できないことなんです。」わたし「本人はイタリア語が出来ませんので、わたしを通してお話いただければ伝えますが?」女性「どうあっても本人でないと!コックさんの電話番号を教えてください!!」強引なお姉ちゃんやなあ。。。と思いつつ、電話番号を教えて電話を切った。しかし、10分もしないうちにコックさんから「なんか電話があったんですけど、全然わからないっス。」という電話と、引き続き、女性から電話があったのだった。女性「。。。契約書のことに着いてお話したのですが、コックさん、ぜんぜん理解できなかったようなので、こちらにもう一度お電話しました。」わたし「だから申しましたでしょ?どういったご用件ですか?」女性「契約書の内容承諾とサインの日の設定のことです。契約期間は1月9日から6ヶ月、週4日20時間労働となります。サインには今週中に来ていただきたいのですが。」わたしは怒った。「ちょ、ちょっと待ってください!契約はロメオ氏(マネージャー)との話ですと1年のはずですよ?それに先日別の人事の方にも申しましたように当方ローマにおりますので、今週中にサインに同行なんて出来ませんよ!」女性「1年なんて、我が社の決まりでは新入者には出来ません。初めての契約は最高6ヶ月までとなります。それと、今週中にサインが無理でしたら、来年1月3日に書類を取りに来てもらい、コックさんに訳していただいて、5日にサインに来てもらえますか?」ロメオにだまされた。。。。と思いながら決まりならしかたがないか、としぶしぶOKし、3日はコックさんにひとりで書類を取りに行ってもらって5日にサインに同行する、という形で落ち着いた。コックさんにさっそくそれを話すと、期間が短くなったことにちょっとがっかりしたようだった。わたし「あ、でもとりあえず6ヶ月で、たぶんその後更新してもらえるよ。」と電話を切った。しかし。その後すぐ、また女性から電話があったのである!女性「たった今、ロメオ氏からリクエストがありまして、契約は1ヶ月間のみ、となりました。」わたし「えええええええ!いったいどうなってるんですか!!まったく最後の面接 と話が違いすぎるじゃないですか!?」女性「わたくしに言われましても。。。ロメオ氏からのリクエストですから。」わたしは蒼白になって電話を切った。コックさんにすぐに報告することがためらわれた。さっきの今だ、あまりに本人にとっては酷すぎる。ロメオの野郎。。。。。おいしいことばかり並べ立てておいて、ひどい仕打ちだ。すぐに電話をかけて、問い詰めてやろうか、とも思ったが、わたし自身のことではないのでミラノに帰ってからコックさんと相談しようと決めた。(←もう出発日だったこともあり)おっと「きっと言葉とスシが出来ないのがネックだな。」わたしもそう思った。*****ミラノに帰り、おずおずとコックさんに報告する。いつもはポーカーフェイスのコックさんは相当の衝撃のようだった。わたし「ロメオに電話してみる?」コックさんはこくんとうなずき、わたしに携帯を渡す。電話に出たロメオは予想出来ていたはずなのにあたふたとしていた。ロメオ「い、いや、それはだね。うちの新入りコックはみんな1ヶ月契約からなんだよ、アハハハハ。すまんすまん、すっかり言うのを忘れてた。」そんなわけないだろう!ロメオ「とりあえず1ヶ月、うちでの仕事の様子を見ようじゃないか。それでお互い、気に入るかどうかで契約を更新してもいいし、転職してくれてもいいし。」わたし「でも待ってください。彼は1年契約だというから、他の仕事のリクエストも振ってここに決めたんですよ?話が違いすぎます。」ロメオ「ま、待ってくれたまえ。うちはね、コックは通常テストをしてから採用することにしているんだよ。だけど、彼は特別だ。言葉ができなくても、スシができなくても(←やっぱり)、今までの面接できっと彼ならやれる!と信じてテストなしに採用を決めたんだ。これはね、すごい栄誉あることなんだよ!わかる?「栄誉」だ!!」わたしは口をぽかーんと開けて電話を切った。何が「栄誉」やねん!とにかくわたしのことではないのでカッカしながらも、コックさんにロメオが言ったとおりに伝えた。コックさん「「栄誉」ですか、ハハハハハ。。。。はあ。」相当落ち込んだようである。わたしはどうなぐさめていいか、言葉に詰まり「。。。。あのさ、もしもよ。1ヶ月たって、コックさんがここの仕事気に入らなくて、転職することになって、住む家がなくなったらうちに戻ってきていいからね?」と言うしかなかったのだった。これが年末のこと。ここからコックさんはどうにか自分の中で「ダメだったらダメでいいや。」という割り切りを生み出し、1月5日にサインすることとなった。大きなホテルの割には、ちっぽけな事務所でサインをすませ、あの女性、フェデリカに付き添われて厨房に挨拶回りに行く。さっそく前回の青い目のコックさんが出てきて、他の4つの厨房をまわり、他のコックさんひとりひとりに「彼が来週から6ヶ月、うちで働くことになったコックさんだ!」と紹介していった。なんだ。。。。とりあえず6ヶ月のつもりはあるわけね。と内心ほっとしながら厨房を笑顔で廻る。宴会専用の厨房に行くと、2人の頑固そうな爺さんが黙々と果物を切っていた。青い目のコックさん「◎◎さん、彼、来週からあんたたちの下で働いてもらっていいかい?」2人がじろりとコックさんを見る。ひとりはふん、と知らん顔をしてしまった。もうひとりは「ああ?こいつ、イタリア語は出来るんかい?」わたし「ええ、少し。」爺さん「まあ、やらせてみるけどよ。」と顔も上げずに答えたのであった。*******そして昨日からコックさんの仕事は始まった。とりあえず今週いっぱいはまだ我が家を足場に通うようである。夜しか家にいないわたしたちは夜が仕事のコックさんには遭えないのでさっき電話をしてみた。わたし「どうだった?」コックさん「ああ、なかなかいい感じですよ。楽しかったです、みんな親切だし。宴会のほうに廻されるんじゃないかと心配してたけど、レストランのほうに廻してもらえて今日からさっそく前菜つくりをさせてもらえそうです。」ああ、よかった。「案ずるより生むが易し」なのか?まだ初日が終わったばかりである。
2006.01.10
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まだサーバーがおかしくて、わずかに繋がっている間にしか日記のUPしか出来ません。そのうえ社長の私用のクリスマスカードやDVDの編集に忙しくて、短い時間にお友達のみなさん全員のところにお邪魔することがなかなかかなわず、申し訳ありません!******毎回はちゃめちゃな計画なしクリスマスばかり過ごしていたが、今年はハードながらも計画だったクリスマスが過ごせそうである。12月24日: 1.スペインから押しかけてくるおっとの親戚たちを朝、マルペンサ空港に迎えに行って、2.食料の買出しをして、家に戻りコックさんにそれを全てゆだねてから、3.IKEAとホームセンターに折りたたみイスとクリスマスの飾りを買いに行って、4.家の掃除して、5.夕方に来る目目さん一家+彼女のお友達の寂しがりやのおじさんを迎え、6.クリスマスパーテイ。12月25日: ミラノ観光。←どうでもいいけどクリスマスなんてどこも閉まってるよ?12月26日~: お金がないって言ってるのに、「電車賃が高いからお前のクルマで案内しろ。」という親戚の言葉にもちろん「NO」と言えなかったおっとのおかげで、彼らと一緒に年末までローマ、ベネチアを旅行することになった!ミラノに年内に無事帰還できたなら(←もしかしたらローマのどこぞのレストランで皿洗いをしながら年を明かす可能性もあり。)来年始から日記を復活させたいと思う。汗_____________________話は変わるが、昨日はコックさんの3回目の面接に行って来た。3回目にもなるとまるで気分はこのホテルに住んでいる金持ちお嬢。慣れた足取りでレセプションのひとたちに軽い会釈をしながら、ロビーへと進む。すでに着いていたコックさんもまるでもう従業員のような足取りで奥から出てきた。レセプションでマネージャーを呼んでもらうと、すでに顔見知りになったコンセルジュ(?)のおっちゃんが「まあ、待っている間に何かを飲んでくつろいでください。」とバーまで案内、ウエイトレスのお姉さんに注文をとってくれる。ふふふふふ。重要人物になったここちである。前回の流れからすれば、もう今日契約書にサインして終わりだろう。すっかりリラックスして上品なグラスにつがれたオレンジジュースを飲み、おつまみのオリーブをむしゃむしゃ食べながらマネージャーを待った。ところが。予想を反して真っ白い調理服に身を包んだ青い目のコックさんと全身黒ずくめで黒いロングヘアのお姉さんが来て「どうもどうも。」とわたしたちに握手を求めてきたので面食らった。青い目のコックさん「マネジャハ モウスグ来る。ワタシハ2番シェフデス。カノジョハ人事ノせきにんしゃ。」ああ、そういえば以前マネージャーがフランス人シェフと面接させる、って言ってたけど、このひとのことか。。。なんだ、このひともあんまりイタリア語がうまくないなあ。(コックさんよりマシだけど。)時間つぶしにタドタドと青い目のコックさんがつたないイタリア語でどんな風に仕事をするのか説明していく。青い目のコックさんはコックさんに「イタリア語、ドレグライわかる?」コックさんは親指と人差し指でまるでなにかを摘むようなジェスチャーをして「ちょこっと。」を表現する。お姉さん「じゃあ、英語は?」 コックさんは首を横に振ったので、2人はがっかりしたように顔を見合わせた。わたし「あ、でも彼、料理の名前は全部わかるんです。調理用語は今猛勉強中ですから、あとは慣れだと思うんですよ。」青い目のコックさん「ボクラは写真ミテ料理ケンキュウスル。まあ、ダイジョウブかなあ。。?」青い目のコックさん「ア!彼当然寿司ツクレルヨネ?」わたし「え、寿司??寿司も作るんですか?」青い目のコックさん「モチロン!ココにはすしバーもアル。今ボクガ担当シテルケド、ちゃんとしたスシヲ教えてホシイ。」コックさんはそれを聞いて露骨に嫌そうな顔をした。「寿司は食べるのは好きですけど、作ったことはありません。」それを聞いて青い目のコックさんがとてもがっかりしたような目をしたのでちょっと可哀そうになったわたしであった。ところでお姉さんはどうも急いでいたようである。早口で「さっきすれちがいさまに彼に呼ばれてここに来たのよ。え~と、契約書はロメオとコックさんが今日の話し合いで了解を取った後に作成しますから、1月9日、労働初日の午前中にサインをしてもらうわ。」わたし「え?今日がサインじゃないんですか?1月9日の午前中なんてわたし、来れませんよ。」お姉さん「ええ!?あなたが来れなかったらどうやって彼が申請用紙に書き込みして、サインするの!?」とパニクってしまった。わたしも焦った。だってもう今回で終わりと思っていたのだ。前回「3回目からは通訳料をいただくよ。」とコックさんに言いながらも「まあ、もう一回ぐらいタダでついて行ってやるよ。」という気持ちでいたのである。彼もどういうつもりだか、頼んでもいないのに、最近せっせとわたしたちの夕食を作ってくれるし、24日のパーテイは「絶対独りで切り盛りする!」と張り切っている。それがさらにもう1回、しかも平日の午前中なんて、会社を休んでそこまで出来るほどお人よしじゃない。わたし「あ、でも来週はバカンスに行っちゃうんでダメですけど、年を明けてからの夕方ならいつでも来れますよ。」としぶしぶ提案した。お姉さん「それじゃだめなのよ。わたしは年始から8日までバカンスなの。」OOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOO......やっとマネージャーが来た。お姉さんは結局話が中途半端なまま、さっさと姿を消してしまったのであった。マネージャー「やあ、お待たせ!!」とさわやかな笑顔である。見慣れた彼の笑顔を見てわたしもほっとする。マネージャー「さっそくだけど彼の契約内容について説明するね。前回、電話で軽く触れたように契約期間は彼の滞在許可証が切れるまでで、週4日1日5時間労働だ。コックさんは朝の部と夜の部、どっちで働きたいんだろか?」コックさん「夜の部でお願いします。」←即答マネージャー「ふむ。まだ君の実力を実際見たわけではないから、当分の君の担当はパステイエ◎◎(フランス語っぽい)。それでいいかね?」わたしは料理用語なんてちっともわからないのでマネージャーに言われたそのままをオウム返しにコックさんに伝えた。コックさんはわかったように「それで大変結構です。」とうなずく。マネージャー「OK。君は正社員の半分の時間しか働かないから当然給料は半分。◎◎0ユーロ、ピュアだ。」わたしは前回の彼の「半分はネット、半分はロルド。」というせこい言葉がずっと引っかかっていた。なのですぐにちょっと声を荒げて「ピュア?ということは◎◎0ユーロロルド、ということなんですか!?」と聞く。だって◎◎0ユーロロルドだったら税金を引いたらコックさんの手元にこれっぽっちも残らないし、たとえ払わないで逃げていても見つかったときのリスクが大きい。マネージャー「違うよ、ネットだ。」はあ。。。よかった。せこい考えを捨てたか?そしてさらに続けて「それと住宅のことだけど、それはこちらで用意することにした。我々従業員のレジデンスで夜遅くまでトラムが通る道沿いにあるから便利だ。支給出来る給料は少ないし、それで学校と家賃を払ったら、生活ができないだろうから、せめてこれは無料で支給しようじゃないか!」OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHH,YESSSSSSSSSSSSSSSSSSSS.す。。。。。。すばらしすぎる。ロメオ(マネージャーの名前)、あんたほんっまにええひとや。。。。ミラノの街中の一部屋の家賃なんて500ユーロ以上が当たり前だ。それを無料で支給してくれるうえ、給料もイタリア人の平均給料のきっちり半分。(しかも週4日1日5時間しか働かなくていいのだ、この野郎!)結婚してなかったら、自分の家を持ってなかったら、わたしがコックさんに替わってここで働きたいわ!!!!ところで。「従業員のレジデンス」という響きにわたしは白亜のゴージャスアパートを思い描いた。わたし「従業員のレジデンスはここからどれぐらいの距離にあるんですか?ミラノのどの地区なんですか?」と興味しんしんで聞いてみる。マネージャー「う。。。」ちょっと間があった。「ええええとだね、とにかく夜遅くまでトラムが通るところにあるんだよ。次回、引越しのときに住所を言うよ。」この間はなんだろう?知らないのか、それともえげつないところなのか、とりあえずトラムは通るけどめちゃくちゃ遠いのか?興味をさらにそそらせるわたしなのであった。***マネージャー「で、契約書の詳細はコックさんにOKを取ったし、明日ぼくが書いて人事に提出するから、さきほどの彼女といくきーとさんとで都合のいい日を決めて、サインに来てくれたまえ。」2人の都合のいい日なんて9日までにあるのかなあ?と思いながらとりあえずうなずいておいた。マネージャー「2月からはオープンカフェがいよいよ開店するからコックさんにウォックさばきを披露してもらえるな!それじゃ、よいクリスマスを!!」と青い目のコックさんと一緒ににこやかに去って行った。え。。。。。。。。ウォック?????わたしは帰り道、コックさんにおずおずと「ねえ。。。。イタリア料理にウォック、使うの?」コックさん「ウォックってなんですか?」わたし「。。。。。中華なべのことだよ。」汗コックさん「。。。。。。。。。使わないっす。」大汗わたし「それと担当のパステイエ◎◎(フランス語っぽい)って何?」コックさん「知らないっす。」わたし「げ~~~~!!??わからないのにOKしちゃったの!?わかってたかと思ってたよ!」どうやら寿司も作らなければいけない雰囲気だし、コックさんはこのレストランで何に期待されているんだろうか?コックさん「いや、ぼくは寿司を作ったり、中華なべを振れって言われたら断りますよ。」言葉も出来ないのに上手に断れるのか?そんなわたしの心配をよそに、ほぼ決まった仕事にコックさんはうきうきと跳ねるように家に帰った。踊りながら夕食を作って(←おっと直伝)、とっておきのシャンパンを開けて「さあ、乾杯しましょう!!」とおっととはしゃいでいる。ううううううううう~~~~~~んまあ、いいか。頑張ってくれたまえ。(←結局はニヒルなわたしなのであった。)****************************もし今週中に日記が更新できなかったら、今年はこれで皆さんとお別れです。よいクリスマスとよいお年を~~~~~~~。
2005.12.21
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2日間、会社のサーバーがいかれてインターネットがつなげれなかった。いつもならすぐに修理調整をするところ、この2日間、社長が出張で誰もが知らないふりをしていたのである。汗ちなみに我が社はWEB関係の仕事をしているはずなのに、これでいいのかっ!?ま、ルイジなイタリアだし。。。。。。←結局いつもこの結論に達するのである。ネットがつながらない間も社長の愛人に贈る絵の額を選んだり、サイズを測ったり、添え付けするクリスマスカードのデザインをしたり、社長の娘に贈るCDの編集をしたり、忙しかったからいいや。違******ところでやっと昨日の昼、わたしにコックさんが働くはずのホテルのマネージャーから電話がかかってきた。マネージャー「毎日携帯にメッセージをもらっていたのに(←さすがコックさん、日本人である)、返事が遅れてすまなかった。クリスマス前でパーテイが重なって。。。。わかるだろ?(←謝るところがイタリア人にしては腰が低い!!)契約書はすでに用意できてるんだ。いつでもいいから署名に来てくれ。」わたし「いえいえ、そういうことだとは予想してましたからお気になさらず。で、いつがよろしいですか?」マネージャー「。。。そうだな、じゃあ来週火曜日の夜はどうだい?」わたし「了解です。」マネージャー「火曜日にまた言うけど、彼の労働の開始は年末年始のバタバタがちょっと落ち着いた1月9日からだ。そしてやっぱり学生だから週に20時間しか働けないことは、ちゃんと彼に言っておいてね。給料はもちろん、普通の正社員の半額。正社員の半分しか働かないからね。その内訳は半分はネット、半分はロルドだ。」わたし「。。。。。言っておきます。」そうしてマネージャーは電話を切った。超高級ホテルなのにせこいな、と思ったのはわたしだけだろうか?なぜなら、「半分はネット、半分はロルド。」という言葉に焦点をあてると「ネット」というのは税金もろもろを引かれた純利益である。正社員なら給料はこうやってもらうのが当たり前。「ロルド」というのは普通ならおっとのような自営業者がもらう税金もろもろを含めた利益のことで自分で全てを納めなければならない。コックさんのようにイタリアにたった1年しか滞在しないガイジンがそのために会計士を雇い(イタリアでは自営業者は会計士を雇うことを義務付けられている。)、正社員の半分のさらに半分の給料に税金を払うわけがない。つまり。マネージャーが真に言いたかったのは「半分はきちんと、半分は不法に給料を渡す。」ということである。世界に名だたる超高級ホテルのくせにそれっぽっちの税金も払い惜しみするためだ!それはわたしにとってはまったくの他人事なのでさておき、わたしはすぐにコックさんに電話した。「マネージャーから電話があったよ!!」と報告する。コックさん「え。。。契約書は来週?なんですぐにやってくれないんだよ!?それに仕事の開始は来年1月9日から?お。そ。す。ぎ~~~~~~~っ!!!!!!!」。。。。。。。まったく。この件に関してはコックさんに毎回軽い殺意を抱くわたしであった。怒しかし帰宅すると、鼻唄を歌いながらお鍋をかきまわしているコックさんが待っていたのである。コックさん「今日はあったか~いミネストローネ作りましたからね!さあさ、シャワーを浴びてきちゃってください。マルちゃんが帰ってきたらさっそく夕食にしましょう!!」最近は「すみません、今日はちょっと食欲がなくて。。。。」とわたしたちが夕食を食べている横で独りでチコリをぱりぱりとかじっていたコックさん。偉い違いだが、あれだけ文句は言ったものの、元気になっていたのでほっとした。夕食が済むと、コックさんが思いつめた様子で今月分の家賃を渡してくれた。コックさん「今まで本当にありがとうございます。ここまでたどりつけたのもいくきーとさんのおかげです。」わたし「どういたしまして。でもそのセリフはまだ早いよ。契約書にサインをしてから言ってちょうだい。」コックさん「それとですね。。。来月から働けることに確定したでしょ?ここから通うのはやっぱり遠いし、前回の話だと、ホテル側で通勤しやすい家は探してくれることになってるんで、この家は3ヶ月契約ということだったんですけど、2ヶ月で終わりにしたいんです。」と頭を下げた。わたしは家賃収入を失うことにせっかくうまくやってきたコックさんが早々に出て行ってしまうことに軽いショックを受けながら「ああ、はい。わかりました。」とわたしも淡々と頭を下げる。しかし。コックさんの思惑どおり、ちゃんと新しい家が仕事開始の日から用意されるのであろうか?謎とりあえず、やっぱり3ヶ月の心つもりはしておくか。。。。。。
2005.12.16
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昨夜はコックさんの第2回目の面接に行ってきた。わたし「今日中に決着つけるようにしてね。今日までの分はいいけど、次回があったら、通訳料いただくよ。」コックさん「あ。。。。」わたし「それと、わたし別にボランテイァじゃないんだから、交通費ぐらいは支給してね。」コックさん「はあ。。。」クールと思われるかもしれないが、当たり前じゃないだろうか?エクアドル人のパーティや友人と外に出て行くときなら話がわからないとつまらないし、タダで通訳もするけれど、ビジネスとなればまた別だ。それだけでオマンマを食べている日本人だってたくさんいるのだ。だいたい言葉もわからないのにイタリアに来て、言葉の出来る人に頼ってとんとん拍子で仕事に有り付こうなんて虫がよすぎる。18時半。会社が終わってホテルに着くと、そこはまるで夢のような世界だった。前回の荘厳なロビーにはまるで森のように本物のもみの木を使ったクリスマスツリーが何本も飾られ、まばゆく輝いていた。うっとりしながら奥に行くとコックさんは前回同様、一番隅の席に座ってコーヒーを飲んでいた。またフロントでマネージャーを呼んでもらってゆったりと席に着く。しかし今回はマネージャーは多忙のようでなかなか来ないので、コックさんと2人で彼の携帯の使い方について小さな画面を覗き込みながらあれこれ悩んでいると背後から「やあ、おまたせ!」と大きく声をかけられたので慌てふためいてわたしは起立した。マネージャー「どう調子は?」前回よりもかなり砕けた感じである。わたしは不意打ちに弱い。しどろもどろに「おかげさまで。。。家族ともども元気にやっております。」と訳のわからない受け答えをしていまった。マネージャー「で。持ってきた?」 滞在許可証のことだとすぐわかった。わたしは「ええ、もう本物がもらえました。」とコックさんをせかして滞在許可証のコピーを取り出した。マネージャーは滞在許可証を見ながら人事部に電話をする。「あ、そういない。わかった。」マネージャーはわたしたちに向き直り「人事部の主任がもう帰ったみたいなんだ。だからこのコピーは預かっておいて、明日これで働けるかどうかわかり次第、いくきーとさんに電話するよ。それからまたアポを取り直して。。。」えええええ!?冗談じゃない。そんなに何回もごめんだよ!わたし「あのう、それじゃ今日の実技テストは?」マネージャー「うん、それはもうすぐフランス人のシェフが来るからそのひとに見てもらう。」というわけでわたしたちはフランス人シェフを待つことにした。コックさんのまだ申し込みだけして授業の始まってない語学学校の様子を嘘っぱちで「彼のイタリア語はプライベートレッスンをしているおかげでめきめきと上達してます。」とはったりをかましたりして時間を潰していたのだが、フランス人シェフはなかなか来ない。マネージャーがしびれを切らしてフランス人シェフに電話すると家庭の事情でこの日は遅くなる、とのことだった。あ~あ、今日は無駄足だったな。しかたがないので帰り支度をしているとマネージャーの携帯が鳴った。先ほどの人事部の主任だった。マネージャーはてきぱきと滞在許可証に書かれた内容を読み上げる。そして何度もうなずいたあと、電話を切った。マネージャー「いくきーとさんの言うとおりだったよ。(←事前に情報を吹き込んでおいた。)学生滞在許可証だとアルバイト、という形で週に20時間働ける。だからこうしよう。1年契約週4日1日5時間。コックさんも授業があるからちょうどいいだろう。」うわ~っ!!!すっご~~~~~~いいいいいいいい!!!!!!!!!!コックさんがこのホテルに面接に来た経緯は、コックさんが日本でやっていたイタリアンレストランのお客さんだった、ホテルの日本支店の社員さんの働きが大きいらしい。しかし、しかしこんなにとんとん話が進んじゃって、こんなに仕事がすんなり決まっていいわけ!?やっぱりコネがあるのとないのは大違いだ!いいな~~~!!!!!!だがコックさんに焦りの色が見えた。「そんな!1日5時間なんて少なすぎます!!せめて8時間いさせてください!!」贅沢底なし。マネージャー「それはダメだ。うちがたとえ8時間働かせたくてもイタリアの規則は規則なんだよ。」コックさん「給料がどうのこうのじゃなくてぼくは時間制限なく料理に取り組みたいんです!!」いやご立派。マネージャー「だからね、それはまずいんだよ。うちぐらい大規模になって従業員の出入りも激しいところは警察のコントロールが厳しいんだ。もしも君が君のローテーション時間外に厨房で大怪我でもしてごらん?すぐに君が不法で働いていることがばれて、我々にも罰が下るし、君も国外追放になってしまうんだよ。」コックさんはまだ納得のいかない表情で唇を噛み締めていたが、すぐにわたしに向って「雇ってもらえるにしても給料がもらえるのか、住居が配給してもらえるのか聞いてください。ぼく、そういった心配なく料理に集中したいんで!」もっともな発言である。しかしまあ、そんな聞きにくいことをズケズケと単刀直入に。。。。汗マネージャー「ハハハハハ!我々はタダ働きをさせようなんてこれっぽっちも思ってないさ。住居も、我がホテルに出入りする研修生や、派遣社員のために依頼している不動産屋がある。350ユーロから500ユーロぐらいで君の希望通りの家をすぐに見つけてくれるだろう。」これを聞いてわたしはそんな幸運なコックさんに少しジェラシーを感じながらも、コックさん共々、安堵の息をついたのだった。だってたった3ヵ月後の家探しをコックさんはまったくしている気配はなかったし、わたしも彼ひとりで次の家が見つけられるとは思ってなかったからだ。コックさん「それと、ここで雇ってもらえるとなったら滞在許可証を学生から労働に切り替えてもらえるか、聞いてください。家族(妻と2人の子供)のことも考えなきゃいけないし。」そりゃあ、簡単には無理だ。しかし、彼の場合はコネの部分も大きいしどう返事をするだろうとマネージャーに聞いてみる。マネージャー「え。。。労働?」と顔をしかめる。やっぱり。マネージャー「あのね。。。君にはわからないかもしれないが、EU圏外の外国人を正社員として雇うことはちょっとやそっとのことじゃないんだ。(わたしはうんうんと強く首を縦に振って同意する。)大変なことなんだよ?まだぼくは君の実力を見たわけじゃないし。。。こうしようじゃないか?学生の滞在許可証が切れるまで1年間はアルバイトとして働いてもらう。そこから君の実力を見てその後をどうするか判断、ということでいいかい?」コックさんはその答えにちょっと不満そうだった。わたし的には充分すぎるほどの待遇ではないか?と思ってしまうのだが。。。。。。結局昨日はフランス人シェフに遭えることなく、3回目の面接、というか契約書サインと仕事のローテーションの話し合いの日を来週に設ける、ということになり、帰途に着いた。(←次はわたしに通訳料を払う気があるのか!?)コックさん「アルバイトだったら、どれぐらいの給料がもらえると思いますかね?」ここまでズケズケ聞けたなら、いっそのこと金額も聞けばよかったのに。。。と思いつつ「さあ。。わかんない。400ユーロから600ユーロってところかな?」と適額を言ってみる。コックさん「げ~~~??少なすぎ!!!!最低でも750ユーロはもらえないと家賃払って、ときどき他のレストランに味の研究にも行けないですよ!」ぶっ殺したろうか、おのれは。しかしうまく行けば、それぐらいもらえそうなのがうらやましい。コックさんはコロッと立ち直って「そんなに少ないんだったらさ、ホテルは週に4日しか働けないでしょ?他のレストランもの残りの3日掛け持ち出来るよね?だって滞在許可証があるんだからさ、もし他のレストランで警察のコントロールを受けても、『ここでしか働いてません。』ってウソ言ったら終わりだもんね。」これを聞いて、わたしはコックさんのバイタリティに頭が下がりながら、ある発見にびっくりした。これって、これって。。。。。。。。すごく南米人的思想??我がおっとはなまけものなので1日にひとつの仕事だけで家に帰宅するとバタンキュ~なのだが、他の南米人は違う。例えば、以前書いたロレダナ未亡人のところのペルー人のおばさん。お人よしのロレダナ未亡人に老人看護人として正式に雇ってもらい、ロレダナ未亡人の見えぬところで不法で掃除婦などをかけもちし、ロレダナ未亡人から給料の前借までして、彼女の家よりも豪邸まで買ってしまったツワモノである。そしてロレダナ未亡人のお母さんが亡くなった後、自然に解雇という形になったのだが、それを不服として簡易裁判まで起こしたのだ。この例は極端だが、南米人は滞在許可証のために1つだけ正式に働き、何個も違う仕事をかけもちして不法に稼いでいる、働き者ではあるが、ずるがしこい、たくましいやつらが多い。やっぱりこのコックさん、先日の本人の発言どおり、生まれる国を間違えたんじゃないかと思ったわたしなのであった。
2005.12.02
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昨夜は「ただいま~。」と帰宅するとコックさんがソファの上で丸くなって寝ていた。お疲れなのだな。実は前回のホテルの面接の後、フードマネージャーに「来週コックさんの実技テストしたいから、月曜日にぼくに電話をしてアポを取ってくれ。」と言われたのである。1回だけの付き添いが終わってほっとしたかと思いきや、また。。。しかし乗りかかってしまった船、今更しかも同居人のコックさんを冷たく突き放すことも出来ず、しぶしぶ承知した。そして月曜日。会社で仕事をしているとコックさんから電話がかかってきて「あのう、マネージャーに電話、忘れないでくださいね。」そうだった、そうだった。す~っかり忘れてた。すぐさまマネージャーに電話をすると「今忙しいから1時間後にかけて。」とがちゃんと切られた。めげずに1時間後に電話をすると、またもや忙しいらしく、あれやこれやと電話越しにいろいろなひとに指示をしながら、「え~~っと、じゃあ木曜日の18時半にまた遭おう。」とあっさり電話を切られた。はあ。。。コックさんからお金ももらってないのに、なんでこんな面倒くさいことをしなきゃいけないんだろ、わたしもアホだな。。。と思いつつ、仕事に戻ろうとすると、またもやコックさんから電話がかかってくる。コックさん「もう、マネージャーに電話してもらえました?」わたし「したよ、木曜日の18時半だって。」コックさん「そっか~。。まだしてなかったら、ついでにお願いしてもらいたいことがあったのにな。」わたし「何?」****イタリアに長期滞在する外国人は移民局のような警察クエストウラに入国8日以内に届け出ることになっている。コックさんもこの間、早起きして行ったのだが、1ヵ月後のアポの紙だけ渡されて追い返されたのはこの日記にも書いた。しかし月曜日に、はじめての語学学校に行って他の日本人に聞くと、そんなものはもらったことないし、朝の5時から並んで、その日中に滞在許可証を発行してもらったと言うのだ。それを聞いたコックさん、あのホテルで働くためには一刻も早く滞在許可証が欲しい。しかし、我が田舎町発の電車は5時が始発なので、当然のごとく5時には並べない。なので前夜にミラノ市内に着くことにしたのだが、朝の5時まで行くところがないので:コックさん「マネージャーに朝の5時までロビーでいさせて欲しい、ってお願いしてもらいたいんですけど。。。。。?」怒怒怒怒怒怒怒怒。。。。。。あほか~~~~っ!!!!!!!!!!!!!!頭に乗るのもいいかげんにせいっ!!!たとえ、あんたが言葉が通じたとしても、5つ星高級ホテルの、まだ採用とも決まっていない仕事場の、しかも1回しか遭った事がない、しかも将来自分のボスになるかもしれないってひとに、こ~ゆ~非常識なお願いをするかあっ!?しかもそんなめちゃくちゃなお願いを、通訳を通してお願いするものか!?わたしがあんたのためになんでもする、と思ったら大間違いだよ!!わたしはそんな激情を抑えつつクールに「あんた、1ヵ月後のアポの半券はもらったでしょ?(アポは10時)その日に行けば確実にもらえるんだし、何も明日、早起きして頑張らなくていいんじゃないの?」コックさん「そんなに待てないんです。早く欲しいんです。きっとあのホテル、半券だけ見せても働かしてもらえないと思うんです。だから明日、早朝から並ばないと。。。」あの面接の段階の話では、採用となれば来年1月から、という話だったのだ。だから滞在許可証は1ヵ月後でもぎりぎりOK。わたし「悪いけど、もう電話はしちゃったし、マネージャーあのとき忙しそうだったから、何度も電話すると迷惑だと思うんだよね。今夜自分でホテルに行って、聞いてみなよ。」コックさんは「。。。え、はあ。」と困ったような返事をして電話を切った。わたしとしてもそんな複雑なイタリア語も、そんな無理なお願いも、彼が自分で出来ないのを百も承知で言った意地悪な言葉だった。その夜、怒りを見せない努力をしながら「ただいま~。」と家のドアを開けると、コックさんが悲壮な顔で「地球の歩き方」と「旅の会話集」を繰っていた。努めて冷静にわたしは「で。どうすることに決めたの?」コックさん「とりあえず、ホテルのフロントで聞いてみます。ダメだったらその辺のパブとかをはしごして時間を潰すしかないな。。。でもぼく、ちょっと体調が悪くて。。。」そりゃあ、昨日の今日だ。わたしも2日酔いと、通訳のしすぎで頭は痛いし、喉がガラガラだ。わたし「そんなに体調が悪いなら、パブをはしごしてお酒にお金を費やすより、いっそクエストウラの近くのホテルに泊まれば?」コックさん「あ!それがいいかも。よろしくお願いします。」わたし「『よろしくお願いします。』じゃないよ!自分でホテルぐらい、予約しなさい!!」コックさんはあたふたと「地球の歩き方」から安宿をさがして電話する。だが聞いているともどかしいので、電話を替わってもらって予約を取った。おっとが帰宅した。「いったい何してるの?」わたし「コックさん、今からミラノに行って、宿に泊まって、明日早朝からクエストウラに並ぶの。」おっと「え~?!外はもう雪がちらついてるよ!そんなところに行って大丈夫?なんでアポの日に行かないの!?」わたし「本人がそうしたい、っていうんだから行かせたらいいのよ。」おっと「でも、並んだところでアポがないとダメだったらどうするの?」わたし「知らない。好きなようにやらせてあげよ。」←クールコックさんはそれからわたしたちと一緒に夕食を食べ、まさに悲壮な面持ちで出かけていったのであった。次の日。わたしはクールにコックさんを送り出したものの、やっぱり気になってしょうがない。昼休み。わたしはコックさんの買ったばかりの携帯に電話をした。コックさん「やった~、やった、やった!!滞在許可証を発行してもらえましたよ!!!」わたし「え~~~~~、本当!!??きゃ~☆おめでとう!!!朝の5時から並んだかいがあったね!!」コックさん「違うんです、夜中の0時から並んだんです!!」げ~~~~???????コックさんが語るには、ミラノに着くと、不安でとりあえずクエストウラの前まで行ったらしい。するとすでに2人の中国人が並んでいたので、慌ててホテルをキャンセル、夜通し並ぶことを決意したのだった。コックさん「寒いなんてものじゃなかったっスよ。親子連れもいて、抱き合って震えていたし。」コックさん「えげつないのがね、8時半開館の頃にはすでに100人以上並んでたんですね。ぼくはとりあえず3番だったから安心してたんです。でも、そこにたぶんアラブ系の大家族がどこともなく現れて、『うちには爺ちゃんと婆ちゃんと、幼い子供がいるから!』みたいなことをわめきながら順番を無視して先に割り込んでったんですよ~。信じられます?それを見て、列の中から暴動が起こって大変だった。それと開館と同時にもう順番なんか、関係なしで列のひとが一気に押し寄せたモンで、ぼくのコート、誰かにやぶかれちゃったんですよ!!」とやぶれた箇所を見せた。あああ~。。。そうなんだよ、いつもこうだから毎回の滞在許可証の更新が憂鬱なんだ。コックさん「でもね、本当に1日で取れてよかったあ。これがもう今回だけだ、と思うと一安心で。。。滞在許可証をもらったら、なんか気が抜けちゃって家に帰ったら、ついつい寝ちゃった。」と鼻をグスグスさせながら言う。わたし「。。。ご苦労だったね。もう、部屋でちゃんと寝たら?」コックさん「あ、はあ。。。そうします。」結局コックさんはダレダレしながら、わたしたちより遅くまで起きてTVを観ていたようである。きっと、疲れていながらも興奮して眠れなかったのだと思われる。コックさん、思ったよりやるじゃないか。お疲れ様。******おっと「日本人はこんなに簡単に滞在許可証が取れるなんていいな!来年のぼくたちの更新には少なくともきみは楽勝だ!(我が田舎町の外国人課いわく、エクアドル人はミラノで一番恐怖とされている別のクエストウラに行かなければならない。しかも、受け取りには最低3ヶ月かかる。汗)」わたし「。。。あんた、わかってないでしょ。コックさん、夜中の0時から並んだんだよ。」おっと「げ~~~~~~~!!!!!!????????」はあ。。。。今から来年の更新が気が重い。涙あ、ところであのアポの半券って、なんの意味があったんだ??
2005.11.30
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先週土曜日は大吹雪の中をコックさん(独身改め、既婚子供2人持ち)はベルガモにいるコックさん友達に遭いに行った。まだまだイタリア生活の甘い彼は、帰りの22時0分発の国鉄の電車がまさか出発予定時刻より、早く出発することもありうるとは夢にも思わず、22時3分ごろに駅に着いたら、とっくに発ってしまった後で、しかたがないので次の夜中0時20分発の電車に乗り、ようやく我が家にたどり着いたのは2時も廻った頃だった。お疲れ様である。そんなわけで、次の日、日曜日の朝はコックさんは死んだように眠っていた。わたしも寒くて布団から出れずにウトウトぐだぐだ、日曜の朝の惰眠を楽しんでいた。だというのに、デリカシーのないおっとはさっさと起き出し、隣の居間のTVをいつものように大ボリュームでつけ、音楽にあわせて鼻歌を歌いながら踊り始めたようである。やがてコックさんが起き出して来て、ガラガラ声でおっととなにやら会話しているのが聞こえてきたが、やはりその会話は成立しておらず、聞いているともどかしいので、しぶしぶ起きた。わたし「おはようコックさん、生きてた?」コックさんは死人のような顔で「あ。。。はあ。」と答える。そしていつもの迫力はないものの、前日は食い倒れと、お酒の飲みすぎで胃がすっかり参ってる上、帰りの夜中の電車が暖房が効いてなかった上、誰も乗客がいなかったので運転手に運転席に乗せてもらったら、揺れがひどくてこれもひどいパンチだったと、ヘロヘロな口調で語ってくれたのだった。わたし「まあ今日は日曜日だし、ゆっくり休むといいよね。あ、でもさっきおっとが言ってたこと、わかった?」コックさん「何です?」わたし「今日ね、開いてるスーパーを見つけたの(イタリアは普通、日曜日は休み)。買い物に行こうか?」コックさんは「スーパー」と聞いたとたん、さっきまでのヘロヘロもどこへやら、パッと顔を輝かせて「行く!!」と自分の部屋に飛び込んで、さっそく支度にかかったのであった。コックさんはスーパーマーケットマニアだ。土曜日もわたしたちとスーパーに行くか(我々の買出しデーは毎土のみ)、めったに遭えないベルガモの友達に遭いに行くか、迷いに迷ってしぶしぶ友達を選択したらしかった。「スーパーマーケットはぼくにとってディズニーランドなんっスよ!スーパーマーケットだったら1日中でも浸って楽しめます!!」と豪語するのである。(←安上がりな彼だ。)わたしも2階にあがり着替えていると1階にいるおっとの携帯が鳴り、何かを話しているのが聞こえる。電話の主はこの日記では懐かしのエルトンである。おっと「ねえ、エルトンが今晩一緒にピザを食べに行かないかって!」とわたしたちに向って叫ぶ。まあ今日はスーパーに行く以外、用事がないからいいか。エルトンは家が近いし、ピザを食べてもそんなに夜は遅くならないだろう。わたしはOK,コックさんも前回のリベンジにと、軽くOKした。そしてスーパーにレッツゴー!!前夜までの大吹雪もどこへやら、空は晴れて、日差しが暖かい。コックさんのウキウキひざ太鼓につられてわたしたちも陽気にクルマを走らせているとまたもやおっとの携帯が鳴る。おっと「うんうん、わかった。2時半ね。」わたし「。。。。誰?」←嫌な予感。おっと「ウイリアムの義姉さん。あそこの子供の8歳の誕生日会を今日やるんだって。だから買い物の後に行くよ!」わたし「え。。。?」時計を見た。11時半である。ウイリアム一家は全員固まってマルペンサ空港の近くに住んでいる。2時半にそこに着くなら我が家は遅くても1時半には出なければならない。スーパーはまあ、普通の速度で間に合いそうだがちょっと待って!?さっきエルトンと今夜ピザを食べに行く約束をしたはずじゃあ。。。。????OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!!いっつもそうだよ!なんでいっつもいつも、考えなしに全部の約束をOKしちゃうんだよ!!??今からウイリアムの家に行って、夜の約束の時間までにあそこから脱出出来るわけがないやんっ!!!!!わたしは助手席で頭を抱えた。そして一大決心をして後部座席のコックさんに振り返る。わたし「あのさ。。。コックさん、今日はお疲れだよね?」コックさん「いや、大丈夫っスよ。」 しかし目の下にはクマが出来ていて、無理をしているのがわかる。こんな思いまでして、スーパーには行きたいのだな。。。。ホロリ。わたし「あのね。。急遽なんだけど、この後すぐ、南米人のパーティに行くことになったんだよね。。。でもさ、コックさんは家で夜まで休んでいてもいいよ、どうする?」コックさん「ああ、大丈夫。ぼくも行きますよ、お供させてください。」とあっさり答えてくれた。あんたって、つきあいがいい奴だなあ。そしてコックさんはまたもや陽気にひざ太鼓を叩き始めたのだが、そのうち、表情がだんだん曇ってきた。コックさん「。。。ちょっと待ってください。今からスーパー行って、そんな遠くのパーティに行って、それからピザって。。。。めちゃくちゃきつくないっスか??」やっと今気がついたんか。。。_| ̄|○しかもただのパーティではないのだ。あのエクアドル人のウイリアム一家の、なのだ!?そしてその後はあのブラジル人のエルトンとピザなのだ!!??しかし何も知らないコックさんはスキップでもしそうな勢いでカートをツーと滑らせ、それに自分も乗っかってスーパーの中へと一目散に消えていった。さて、この後のコックさんの運命は!?つづく。
2005.11.28
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