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毎回おひさしぶりです。日本から帰ってきて早くも1ヶ月と1日が過ぎてしまいました。うちのRyu、6ヵ月半が過ぎました。離乳食はまずいのか、なかなか食べてくれず、寝返りも未だに打てませんが(というか出来るのだけど面倒くさくてやらない感じ)、ずっしりと重くスクスク育っております。最近「マンマ、マンマ」と連発するのですが、これは最初の言葉として数えて記録していいのか、ワケがわからず言っているそれとも赤ちゃん語なのか、悩むところです。しかし「後追い」っていうんですか?起きているときは5秒以上、やつから離れると泣き出すので何にも出来ません。一日一回1時間ほどのお昼寝時に家事を済ませるのが精一杯。だから、ボローニャのNaocciがまめにブログを更新してすごいな~、と感心していたらNarちゃんは「一人遊び」がお上手らしい。いいな、いいな~。うちのRyuの辞書に「一人遊び」という言葉は存在しません。*****4年ぶりの帰国で気がついたこと。最初の一週間、ろくに話せもしないイタリア語なのに、イタリア語から日本語に頭の中で訳してからしゃべっている自分がいた。例えば「わたしはこう思います。エクアドル人はヤギだと本当に。」などと変な文法でしゃべってしまったり。イタリアじゃ日本人と普通に話しているのになあ?イタリア語を混ぜないように、と思っていたからなんかいつも緊張してしゃべっていた。イタリア出発まで肌荒れに悩んでいたRyuのお肌が滞在2日目にしてつるつるに!!さすが軟水の効果である。イタリア人たちはこぞって「日本人って肌がきれいね、食べ物が違うからね。」と言うが食べ物よりも水が重要だということを実感したのであった。わたしも髪がぱさぱさで悩んでいたのが、イタリアに帰る数日前にはサラサラツルツルになってきたので、勢いで日本で流行り(?)の「ふわくちゃパーマ」なるものをあてたのだが、こっちに帰って来て一ヶ月。くちゃくちゃパーマで浮浪者のようになってしまった。 滞在中で使い捨てるつもりで擦り切れかけたソックスやパンツばかり持っていったところで気がついた。日本ではどこでも脱がなければならないのだ!幸にも不幸にも、パンツに関しては銭湯や温泉に行く機会はなかったのだが、ソックスに関しては実家、友人宅、医院、和風レストラン。慌てて新しいソックスとパンツを買いに走った。しかし靴を脱がない生活に慣れてしまうと、日本の生活は不便だ。外と室内で段差があるようなところだと大丈夫なのだが、最近バリアフリーのところが多くてつい、そのまんまあがりそうになる。それに実家、友人宅はともかく誰が何人履いたかわからないスリッパに履き替えることにすごく抵抗を覚えたのだ。 それとまあ予想はしていたが、どこにも行けなかった。それで家でTVばかり観ていたら関西だからか? 朝から晩までほとんど食べ物の番組ばっかり。。5週間もいながら一番遠いところで近所のマイミク、さくらちゃん夫婦にピッカピカの左ハンドルのアルファロメオ車で連れて行ってもらって大阪の友人宅。ドアツードアだったから、大阪らしい景色はチンチン電車の線路を車窓から見ただけ。電車は隣駅の自動車教習所まで一度乗ったっきり。Ryuを連れて近所ばかり散歩していて気がついたが、最近の日本の個人宅の庭はこぞってイングリッシュガーデンのようにきれいな花が咲き乱れ、柵のない家も多く、そうやって美しい庭を見せている家が多い。これをミラノでしたら。。。。?そういえば、ミラノのあるロータリーに市がバラを植えたところ、一晩で根こそぎ持っていかれてしまい、替わりに安いベコニアとかを植えるようになったニュースを見た。うちのような田舎町のロータリーもラベンダーが植わっているのだけれど、よく普通に摘みに来ているひとを見かける。柵のない家なんて、泥棒に「入ってきてください。」と言っているようなものだ。これから見ても「日本って平和なんだなあ。」としみじみ思った。さて、ともかくどこかに行きたいわたしは、ここ2~3年で出来た近所のイーオンにばかりRyuの散歩で通っていたら、しまいにRyuはイーオンの入り口に入るなり泣き出すようになってしまった。しかし、こんな奈良の田舎にまでいろいろな友人が、遠くは東京、城之崎のひとまで会いに来てくれてうれしかった。そして出会いの場はいつもイーオンの食堂街(実家に来てもらうと、母がわたしの友人の値踏みをするのがイヤなので。)。イーオンさま、本当にお世話になりました。あ、それから例外として、実家に日本在住86人中、関西在住4人という、希少なひとりのエクアドル人マルちゃん(偶然にもおっとと同名。)と奥さんのマイミクびーちゃんが来てくれたときには(初対面!)わたしの中のエクアドル人像がちょっと変わった。ところ変われば、性格も変わるのか??ヤギのお約束であろう、ビールを飲まなかったのでダースで買っておいたビールはその後、徐々に父の腹の中に納まることとなった。彼のその身のこなし、振る舞いは日本人以上に和を感じさせるおだやかなひとだったのだ(実際、お茶と着物の着付けが出来るらしい)。わたしの知っている日本人と結婚しているイタリア人も、ほとんどは同じような雰囲気を持っているけれど、彼は彼ら以上に日本人ぽかった。でも彼らの去年の結婚式のときのアルバムを山のように持ってきてひろげたときには、「やっぱりエクアドル人だ!」と思ったけど。。。笑写真で見たエクアドルのキトの郊外で挙げた結婚式が素晴らしくて、幸せそうで、新婚旅行のエクアドル旅行も、本当に楽しそうで、わたしたちの新婚旅行で「もう2度と行きたくない!」と思ったエクアドルに行きたい気持ちにさせてくれたのでつい、「次は一緒に行こうよ!あっちで落ち合おう!!」と叫んだら、なんだかうれしくなってしまって3人で鳥肌が立ってしまったのである。変わったのはエクアドル人像だけではない。イタリアに住む知っている限りのエクアドル人を言葉にするなら「なんでも食べてしまうアホなヤギ」か「ひと慣れしたたちの悪い野性のサル」なのだが、TVで人気のジェロさんや、その後、またまたさくらちゃん夫婦に連れて行ってもらった生駒山にある牧場つきのスリランカレストランのスリランカ人、大阪の友人宅で知り合ったガーナ人などを見ても、日本に住む外国人って、おだやかで普通だと思ったのである。ってか、以前はこんなに簡単に近所で在住外国人に遭遇することなんてなかった。それに今回の日本帰国ではこちらではRyuを預けるひとがいないから行けなかった医者にまとめて行くこと、RyuにBCG接種を受けさせること(ちなみにイタリアでもかかりつけの小児科のレシピを持ってASLに行けば有料で受けれるそうですよ、イタリア在住の小さい子持ちのお母さん方。)も目的だったので、市役所に保険証を作りに行ったら、たまたまアメリカから帰ってきたばかりという女性も保険証を作る列に並んでいて、日本もインターナショナルになったものだと思った。うちのおっとも、もし日本に移住したら、性格変わるだろうか?ちょっと真剣に日本移住を考えてもいいかもしれない。。そういえば滞在中にブラジル移民100周年にあわせてか?日本に移民を受け入れよう、とニュースで政府が推進しているのを見て疑問を感じた。確かにきつい仕事の職人職などが後継者不足だから外国人を受け入れよう、というのはわかる。イタリアも数年前、安い労働力としてどんどん移民を受け入れすぎて外国人が飽和状態になり、外国人犯罪が増えて今度の選挙では「移民を叩き出せ!」などと過激なスローガンを掲げる政党も出てきた。受け入れてしまうのは簡単だ。でも増えすぎたから「追い出せ。」はかなり勝手だと思う。そんな移民のひとりと結婚して自分自身もイタリア移民になっている自分が書くのもなんなのだが、せっかく日本は島国で、陸ルートで不法に外国人が入ってくることがないのだし、やはり移民に関しては今までどおり慎重に受け入れて欲しいものである。話は変わるが、Ryuがいることで日本にいた間も、こちらでも知らない人に気軽に声をかけられるようになったし、今まで気がつかなかったようなことにも目が行くようになった。近所では結婚して遠くに行ってしまった小学生時代の友人などが「1ヶ月前から実家に住むことになったのよ。」とイーオンで声をかけてきたり、逆にわたしから「もしかして、◎◎ちゃん?」と声をかけて旧知の仲が何十年ぶりに戻ったり。イタリアではRyuを見るとたいていのひとは手をひろげてニコニコしながら「まー、可愛い!」と近づいてきてRyuの足やら手を「コザチェ、コザチェ、?(何よ、何さ?)」などと言いながら握ってブンブン振ってくるのだが、日本では例えばイーオンのエレベーターから降りようとすると、すれ違いに乗ろうとした人が、Uターンしてはたっと戻ってきてじっとRyuの顔を凝視して「あ、可愛い。」とつぶやいて(にこりともせず)私の顔を「親子なのに親はブスね。」というような目でちらっと見てエレベーターに乗り込んだり、またもやエレベーターの中でじっとしていると隣に乗ってきた女性がRyuをじっと見ながらぼそっと「目。。。。大きいですよ、ね?」とこれもまたにこりともせず言って来たり、100均の店をうろうろしていたら「あの~、そのベビーカーおいくらぐらいでしたか?」と声をかけてきて「あら、可愛い坊やね。」と付け足しのように褒めてくれたり、ところ変われば、赤ちゃんとの接し方も変わるものだと思った。そうそう、帰りの飛行機では九州からの団体旅行のおばさまたち、Ryuをたんとたんと可愛いがってくれてありがとうございました。Ryuも上機嫌で頭がおかしくなったのかと思うぐらい笑い続けていましたね。反対に空港まで迎えに来たおっとが「ベントルナート(お帰り)!」と駆け寄ったとき、すっかり日本語漬けになったRyuがけげんそうな顔をしたのをお見せしたかったです。家に着いてドアを開けたら、雨だったので部屋いっぱいに洗濯物が干されていた。5週間前に出したクリーニングは到着した日の日付で受け取られていた。冷蔵庫で5週間前の人参にかびが生えていた。おっとはこの5週間、何していたんだ?トイレに座ったら、便座が冷たくて飛び上がりそうになった。日本のはいつも温かいし、便座シートがあるものなあ。まだ腱鞘炎が治らない。日本で通っていた鍼灸医院のマッサージが恋しい。気がついたのはこんなものかな?では次、またいつになるかわかりませんが書きに戻って来ます!写真左は日本の元会社の同僚たちからお祝いにもらったバギー。写真右は生まれたときに買っためちゃくしゃ重いイタリア製。★売れてます~!★代引き料無料♪リッチェル ベビーバギーファインアール-WL レッド(R)
2008.06.25
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わたしは普段、世間の記事に着いてはなるべく日記に書かないようにしているのだけど。。。。こ、これは。。。これは!!!!「姉の子供(小5)にお年玉5,000円あげたら、「少なすぎる」とお問い合わせが。。。」つくづく日本に住んでいなくて良かったと思った。長いイタリア生活ですっかり忘れていたけど、日本にはこんな恐ろしい習慣がまだ残っているんだ!!お年玉の由来:元来、鏡餅は御歳神へのお供え物であり、このおさがりのお餅には御歳神の魂がこめられており、これを「おとしだま」と呼んでいたものが今の「お年玉」になったということです。(葛木御歳神社のホームページより)がきんちょになんて、鏡餅食べさせとけばいいんだよ。そのちょっと前にクリスマスプレゼントももらっているくせに!わたしだったら、上記のレスの中にも類似のお答えがあったが「間違えてた、ほんとは500円のつもりだったんだ、ごめん。返して。」というがな。そういえば、わたしの子供のときは貧しかった。←今も貧しいけど。涙一人っ子だったし、両親の両親は、わたしが幼少のころに亡くなり、その上、孤高のお嬢母は父方の実家とひじょ~に仲が悪く、自分の実家の親戚との交流もさけていたので、新年の挨拶さえ拒否する年もしょっちゅうありで、お年玉流入ルートといえば、母のたったひとりの姉ぐらいからしかなかった。しかしあるとき珍しく母方、父方のいとこたちと同時に会うことがあって、みんなで「お年玉の収穫高」を言う羽目となった。父方のいとこ兄「ぼくは4万5000円。」←親戚多し。父方のいとこ弟「兄ちゃん、いいな。ぼくはたったの3万円だ。」←親戚多し。母方のいとこ「わたしは4万円。」←普通に親戚多し。わたし「。。。言わない。」全員「ずるいよ、みんな言ったんだから言えよ!」わたし「。。。。2000円」わたしを除く全員「えええええええ!!!!????」みんながいっせいにわたしを哀れむ目で見たのは間違いない。わたしは情けなかったが歯を食いしばってこらえるしかなかった。翌日。実家にひとりで新年の挨拶に行っていた父が帰ってきてわたしにぽち袋をくれたのだ。「いとこたちからお年玉だって。」中を開けると5000円が入っていた。きっと兄弟2人のお年玉から分けてくれたのだろう。もしかしたら、いとこたちから事情を聞いた叔父さんが哀れんで、いとこたちから、ってことで渡してくれたのかもしれない。ちなみにこのいとこ兄弟はわたしよりも兄が3つ、弟が5つも年下である。父に言われてしぶしぶお礼の電話をすると、叔母さんが出て得意そうに「な、うちの息子たちは優しいやろ?」と言った。しかしこの時点でわたしのプライドはズタズタ、この夜、わたしは今までにない、みじめな気持ちになって、ひっそりと枕を濡らして泣いたのだった。でも今になって考えてみると、これがきっとおっとなら、手放しで喜んだだろう。おっとはイタリアについてすぐは、前後も考えず遊びほうけて持ち金を使い果たしてしまい、一時は教会の可哀相なひとのみのための食糧配給所にまで通ったらしい。_| ̄|○わたしにはそんな真似は絶対出来ない。そんなところに行くなら飢えて「ハラキリ」か、せいぜい親に泣きついて親の資金で帰国だ。っつ~か、持ち金がゼロになるまでなんて遊ばない!!!「もらえるものはもらえ、拾えるものは拾って、ボクノモノ。」というテオリーがどうやらおっとにはあるようだ。サムライタイプのわたしとは大違いである。話はそれてしまったが、というわけじゃないけど、わたしは「お年玉トラウマ」だ。こんなことがあってからというもの、良かれとお金をくれたいとこたちには悪いが、もう遭いたくなくて疎遠になった。あれから数十年。母は最近歳を取ってちょっとは温和になったのか、彼らと交流を持ち始めているようだが、わたしはすでに心も地理的距離も大きく空いてしまっているので、遭うのにためらってしまう。よっぽどご近所やブログで知り合った人たちのほうが親しみが沸く、というものだ。そして、会いたくない理由は他にも出来た。この兄弟は2人とも何年か前に結婚したのだが。。。。。今は2家族して3人の子持ち、つまり合計6人の子供がいる。一番大きな子供が確か小学5年生だ。ということは、全員にお年玉を渡したらその合計でもしかして日本からエクアドルにも行ける??←ちょっと足りないか。ん~~~~~~~~~~。。。。。。。。。N....NOOOO,NOOOOOOOO.こうしてわたしは「決してお正月に帰国をしない。」と決意を固めたのであった。
2007.01.12
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今週からガキどもの学校が始まったおかげで、朝の電車は混みこみだ。今朝は特にひどかった。なぜかというとわたしがいつも乗るベルガモ-ミラノ間はたったの1時間ぐらいしかないのに国鉄があらゆる電車を総動員させているため、生意気にときどき1等車などが混ざっている。今朝、わたしがホームで立っていたところに運悪く1等車車両が停まった。普通の通勤定期で1等車にヘタに乗ると罰金が科せられる。なので、そのあたりにいた全員は不平の声をあげながら、1等車の前後の2等車両に詰め掛けた。どの車両も混みこみなのに、1等車の中だけがスカスカ。なんだか許せない。しかも2等車両で座っている90パーセントはガキどもである!独裁者ベルルスコーニからプローデイに首相が変わり、政治がマシになるかと思いきや、税金の値上げ、公費でのバチカン参拝。のっけから、世間の不満の声の高いプローデイ。ここで一発、「朝の通勤電車には30歳以下のものは座ってはならない。」という法律でも作れば、人気が上がるんじゃないだろうか?**********それはそうと、スピリチュアルな話になるが、昨夜見た夢はこわかった。わたしは母方の叔母の家を訪問している。ひととおり挨拶をして、トイレを借りて入るのだけど、そこはトイレじゃなくて、小さな書斎、と言った感じで本が積まれ、小さな部屋いっぱいにアンテイークな木の机が占領しているのだ。わたしはまるで用を足すように、しかしパンツも脱がずに机の上に座ってじっとする。そして、なにげなく机の下を見ると、鮮やかな赤と黒の縞模様の大きなツチノコのような形の蛇がスルスルと這ってきた。わたしの頭の中の動物図鑑には「蛇は獲物に対してと、敵に対してしか噛み付いてこない。」とインプットされているので、身体を硬くしながら座ったままの姿勢で「うわ~。。早くあっちに行ってくれないかな。」と思っているといきなり飛び掛ってきて、左手の甲に噛み付いてきた!「痛い、痛い、うわあああああああ!!!!!」と叫んで汗びっしょりで目が覚めた。これだけでもこわいのに、実はこの夢を見たのは2回目。2回ともまったく同じ夢だ。1回目は7日のザンポーネを食べ過ぎた夜だった。わたしは肉を食べ過ぎると、エネルギーが溜まりすぎるのか?その夜は身体が火照って眠れなくなるので、1回目はそのために見た悪夢だな、と思っていたのだけど、昨夜はあっさり魚介のパスタを食べただけだった。何か意味があるのだろうか?おっとにそのことを言うと「そりゃあ、ラッキーな夢だよ。宝くじを買うといいよ。」という。そういえば、ちょっと前にも不思議怖い夢を見て、同僚のマッシモに話したら、同じことを言われて、試しに買ってみたけど大はずれだった。言いたいのは2回も同じ夢なのに、そ~ゆ~単純な問題だろうか?そういえば、正月2日から出勤で、しかしちっとも仕事が始まらなくて、暇にまかせて前から気になっていた写真を1枚、ネットの心霊写真鑑定に出したら、立派な「地縛霊写真」とお墨付きをいただいたから、その呪いだろうか?←こういう写真って、やっぱり捨てるべき?この夢、だれか鑑定お願いします。あ、今日は短いな。宣伝: 本日Mixiのお友達テツさん主催のコミュニティ「ミラノ鍋の会」の副管理人を委任されました!(だってまだメンバー2人きりだし。涙)Mixiメンバーで、ミラノ在住者で、鍋を一緒に作って、つつきたい方、鍋の具を一緒に考えて楽しみたい方、味見したい方、是非是非、ふるってご参加を!!
2007.01.10
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自分自身のささいな日々のことを綴るのが「日記」だとは思う。最初は日本から遊びに来た国語の先生の資格を持つ友達に「いくきーと、最近日本語がヘタになったね。」と言われたのがショックで、日本語を取り戻すためにこのブログを始めた。しばらくして、ようやく日本語がちょっとはマシに書けるようになったころからブログ上でコメントを書いてくれるひとが現れた。せっせとコメントをやりとりしているうちに、ネットを通した友達も増えてきて、すっかり「ブログ」というものにはまってしまい、「実際にこのひとたちと会いたいな。」と思うようになった。日本や他の国のひとと会うのは難しいけど、イタリア在住のひととは積極的に会うようにしているうちにリアルの友達も増えてきて、やっぱりブログをやっていてよかった、とつくづく思う。しかしこのごろ日記の更新が、週単位になってきた。ネタは、あるにはあるのだけど、なんだかもう、ちょっとしたことぐらいには、驚きも感動もなくなってしまって書く気がしない。何かがあって、書き出すと最近愚痴ばかりになっている自分がイヤだ。ささい過ぎることを書いて「今日の日記、つまんない~。」と思われたり、コメントされたり、現実的にアクセス数に響くのがイヤだ。ヘタに思っていることをそのまんま書いて、誰かに指摘されるのがこわい。それに対して社会的モラルを守った、当たり障りのないコメントを実際には中指を立てながら、書くのもイヤだ。こんなことを書いたら他人の目ばっかり気にした小心者のようだが、実際ブログというものは、誰が見てるか書いている者からはわからないし、前をしずしずと象が横切ろうが、後ろで忍者同士が戦っていようが、深い霧の中でPCを打っていて(実際にはありえないシチュエーションだけど。汗)わからないようなものだ。最近は無理に書いて、発生したネタに対する義務をなんとかかんとか果たしているような、ぜんぜん面白くないわたしがいる。以前は朝の通勤電車の中で、どういう風に書いたら面白いかな?とか、これ絶対いける!とか楽しんでいる自分がいたのに。こういったわけで、最近自分の日記を書く意義が見いだせない。わたしの日記が更新されるたびに、いつも読んでくださっている皆様、コメントを下さるお友達、ごめんなさい。それに最近全然お友達のブログも読みに行ってなくてごめんなさい。あ、ちなみにミクシの方がほとんどいつも「最終ログイン5分以内」なのに、ごぶさたってどういうことよ!?と思われる方は、わたしが某知らない方々と終わりのない「しりとり」だけしてるからであって、ごめんなさい。これからこのブログをどうするべきか?ちょっと心の整理に時間がいりそうです。明日、気が向いて日記を書くかもしれないし、誰かのところにコメントや足跡だけ残しに行くかもしれません。ここのところのご無沙汰の理由、気持ち。。。。いや言い訳をしてみたくなって。ではではまたまた~。。。。
2006.12.11
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わたしは久しぶりにおっとでも不動産屋でもルイジでもない、他人に腹を立てている。さっき、ネット上で宣戦布告をしてきた相手にだ。というのも昨日、わたしが登録している、とあるイタリア在住の日本人のコミュニテイに彼がミラノにて「日伊昼食会」というイベントを立ち上げたのを見たことから始まる。「へえ、楽しそうだな。」となんとなく彼のページを覗いて彼が日本語を勉強しているイタリア人の学生であることを知った。この知らないイタリア人の若者、かなり日本語が出来る。わたしはイタリア語がきっと彼の日本語の半分のレベルも出来ないぐらい達筆である。そういえば、最近まわりに片言でも正しい日本語を言えるイタリア人が増えてきた。そんな彼らに「どうして日本語が喋れるの?」と聞くとたいがいは「日本のアニメやマンガをオリジナルの言語で理解したいから。」という言葉が返ってくる。きっと彼もそういう若者の中から、さらに突き進んで勉強をしたひとりに違いない。まあそれはともかくそれっきり、わたしはそのコミュをとじて仕事に戻った。昼休みに、またそのコミュのあるサイトに行くと、わたしの個人宛に彼からメッセージが来ていた。開くとたった一行、そのイベントのアドレスがペーストされているだけ。足跡たどってきたのかな?まあ、日本人じゃないからだとは思うけど、挨拶の言葉もなしにダイレクトな宣伝だな。と心の中で苦笑いして返信を出した。「わたしは社会人で昼間は仕事があるので行けません。土日も遠いので行けるかどうかわかりません。ミラノ在住の留学生の方に聞かれたほうがいいと思います。」そうするとすぐに彼から返信が来た。「日曜日。サンバビラ(ミラノの中心街)で待ち合わせて◎◎◎という日本レストランに歩いていく☆」あはは。ここまで熱心だと行かなくては悪い気がしてきた。わたしは彼のイベントのページのコメント欄に「遠いので行けるかどうかわかりませんが、他の国の外国人を同行してもいいですか?」とおっとの参加許可を求めるコメントを出したのだ。「駄目です これは日伊昼食会ので 外人なんか要らないんです」なんじゃこりゃ?彼は「外人なんか」という言葉をどれぐらい理解して使ってるんだろう?わたしもときどき日記の中におっとの友達を「荒くれ系ガイジン」とか、自分のことを自嘲して「ガイジンの姉ちゃん」とか使うけど、この場合の「外人なんか」は適当じゃない気がする。「外人」と「外国人」の区別がつかないんだろうか??わたしは少々ムッとしながら「旦那が『外国人』なので、残念ですが同行できないなら行きません。」と少し嫌味をこめてイベント欄にコメントを出した。それと共に余計なおせっかいで彼の私書箱に「『外人』は差別用語なので使わないほうがいいと思います。」と出した。するとまたすぐにイベント欄には「残念ですけど外人禁止です。」とご丁寧な返事があり、わたしの私書箱にも「『外人』というのは差別用語で使いたかったから使っただけ それじゃ、さようなら」とメッセージが入っていたのだ!やっぱりわかってて使ってやがったっ!!この小僧~~~~~っ!!!!!!なんだかこのままじゃ、表のイベント欄でわたしがやられっぱなしな気がして大人気なくこう書いた。「わかりました。 どうでもいいですけど「外人」という言葉を差別用語とわかっていて、連発するのはやめてください。 気を悪くするのはわたしだけではないはずです。 このコミュは右左寄りのコミュではないとおもいますが。」この後、わたしは猛烈に腹を立てて彼の返事を待っていた。腹が立つ、腹が立つ。彼の中で世界の国籍に対して、どのようなボーダーラインが引かれているんだろう?彼のお気に入りコミュを覗くと、同じ日本好きでも過激なものが多い。イタリア人と日本人が世界を征服する支配者だとでも思っているのだろうか?なんか第2次世界大戦時みたいだ。あのとき日本とドイツとイタリアは世界征服者(歴史に詳しくないから違うかもしれないけど)を夢見てたと思う。でも敗戦寸前、アメリカに翻ったのはイタリアだ。あ、何を書きたいのかわからなくなってきた。やがて返事が来た。「じゃあ、終わりにしましょう。」この頃にはわたしの中の熱もちょっと冷めてくすぶりかけていたのでというか、こんな外国人の若造相手に「外人」という言葉ひとつでカッカするのも馬鹿らしくなってきて、「お互いの表のコメントを削除して終わりにしましょう。」と、この喧嘩は一応のところ、幕を閉じたのだった。そういえば、この若造のような独特のボーダーラインを持つイタリア人の友達が昔いて、わたしから一方的に縁を切った。そのころはまだ、おっととも付き合ってなかったので、きっと彼の中じゃ なんでわたしがよそよそしくなって、つきあいをしなくなったのか理解できなかっただろうけど、頭の固いわたしは、そうやってあからさまな言葉をまったく赤の他人の知らない外国人に使う友達がだんだん許せなくなっていた。←そんな気持ちが知らず知らずにイタリア国内にて、あえてイタリア人以外のおっとを持つ、という行動で現れたのだろうか?しかし。そういうわたしも、差別はダメだ、と思いながらもやっぱり差別的な行動をとることが多い。でも、それはそのひとを至近距離で見て、出来るならコミュニケーションをして、自分で判断してからのことで、やっぱり「ヤギ」は「ヤギ」という固定観念も最近自分の中だけで成立してきたものであり、誰にも強制してはいない。イタリア人じゃないから、日本人じゃないから、ってことじゃない。固定観念で判断するな、見た目で判断するな。これが最近のわたしの自戒である。別にいいんだ、日伊だけの楽しいお食事会、なんぼでもしてちょ~だい。ただ、どこの国のひとにしろ、自分から誘うだけ誘っておいて、こんな悪意のこもった返事はないと思う。自分がイベントの主催者なら、参加の意思を示す人(ほとんどごり押し的だったけど)にこんな対応をしていたんじゃ、社会人はやっていけないぞ。若気の至りだとは理解するけども。それに、日本を本当に好きならば「最低限の礼儀」をわきまえろ!!あああああ、なに熱くなってるんだ。こんな小僧っ子相手に。。。。。_| ̄|○PS.昨夜夢を見た。小学校のときの同じクラスだった女の子が泣いている。「どうしたの?」と聞くと彼女は涙でグショグショの顔をあげて「藤◎くんに『ガイジン』っていじめられた。」と言った。そういえば思い出した。彼女は旧チェコスロバキアからの帰国子女だった。わたしは彼女の家が、見たこともない欧州の調度品に囲まれているので、お邪魔するのが大好きだったけど、藤◎くんときたらクラスでは彼女は日本人なのに『ガイジン!ガイジン!』と髪を引っ張るわ、蹴るは、えげつないいじめ方をしていたのだ。彼女の泣いている姿でさらにだぶったのは、大阪の私立のお嬢さん高校に通っていたとき、一緒に電車に乗って帰宅途中の友達が突然泣き出したことだった。このときもびっくりして「どうしたの?」と聞くと「◎谷さんたち(いじめっこグループ)に『ガイジン』みたいな顔して気持ち悪いっていじめられた。」ときれいな長いまつげの下からポロポロ涙をこぼしたのを覚えている。彼女も100パーセント日本人だったけど色が白くて、目が大きくて、きれいな顔をしていて、でも気が弱かったものだから、きっとジェラシーでいじめにあったんだと思う。だからたかが「ガイジン」の一言だけど、わたしにはやっぱり「『ガイジン』=仲間はずれのひと=いじめ」みたいで許せない。わたしが日本にいた頃には外国人とふれあう機会はなかったのだけど、これが本当に日本在住の外国人だったら、日系人だったら(彼らは日本生まれの日本人よりも自分が日本人である、という意識が強いひとたちなのだ)、きっともっともっとイヤな思いをしてるひとが多いと思う。そういえば、わたしが高校ぐらいのときに使い捨てカメラが登場してまたたくまに市場に普及した。その当時、そのカメラのことは「バ◎チョ◎カメラ」と言われてて、わたしもなにも考えなく使ってたけど、あるとき在日韓国人の女の子と出会って、その言葉に含まれるえげつない意味を知った。(他にも意味合いがあって、断定は出来ないとのご指摘がありました。スミマセン)日本って、たぶん他の外国よりも言葉あそびや、言葉での表現方法が豊富な国だ。だから言葉は薬にも武器にもなる。失礼な言葉たちが知らないで使われるのも気分が悪いが、知ってて使われるのはまったくもって哀しい。こんな「ガイジン」の小僧っ子はともかくとして、せめてわたしはそんな言葉を相手に対して使わない、使わなくてもそんな意味合いの別の言葉を相手に感じさせない日本人として生きたい。
2006.11.07
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わたしは昔は読書少女だった。マンガからベストセラー、専門書に至るまでなんでも来い!の少女だった。しかしイタリアに来てから、あまり活字を読まなくなってしまった。しかし2月に骨折して、病院に入院中に最近、楽天に姿を見せなくなってしまったsaicuccioさんにたくさんの文庫本をお見舞いにいただいてから、読書に再び目覚めたのだ。しかし日本から遠く離れたこの土地で、新しい本の購入は難しい。ある日本人駐在員の最近の日記を読むと、ネットなどで購入すると定価の10倍も送料なんかでかかるという。そんなにまでして読みたい本は今のところないので、実家が荷物をこちらに送ってくれるときのついでなどにいつも本を実家宛に2~3冊ネットで購入し(それ以上は、というより注文するたびに母には「重いからイヤ!」と叱られるのだが。)、まとめて送ってもらうようにしている。先日もやっと新たな本を注文して、もうすぐ送ってもらうことにしたのだが、それまで何度も読み返した家にあるだけの本で我慢だ。先週からは、これもず~~~っと前に日本に永久帰国する友達にもらった本を行きかえりの電車中でちびちび読み返している。NHKのイタリア語講座でお馴染みのジローラモさんが10年以上前に書いた「極楽イタリア人になる方法」1,2だ。彼はナポリ人なのでミラノのわたしたちの生活に比べると「ちょっと違うな~」と思うこともあるのだが、とてもイタリア人らしい、イタリアの暮らしがわかるように書かれていておもしろい。上巻を読み終わり、下巻のジローラモさんの2日間の旅「サルデーニャ、タッポとワインの関係」の章を読んでいてびっくりした。あのエルビスの親族のワイナリーの話ではないか!?なにせ、最近行ったところでしかも親戚のひとりひとり実名で登場しているので、とても生々しく読むことが出来た。そしてジローラモさんの文章はやっぱり彼のものだから、彼のフィルターを通した表現もわたしとはやっぱり違うな、と思ったり、あの親戚に招待されて食べたごちそうはてっきりお祭りだからあんなにすごい種類と量だったと思いきや、10年前から変わらず食べ続けていたものだったのね、と感心したり。ご興味のあるかたは読んでみてください。サルデーニャに興味がなくてもイタリアに興味がなくても面白いと思います。******話は変わるが、わたしは生まれてこのかたチャットなんてしたことがない。キーボードを打つ速度と、脳の反射率が低いので、他の人の会話のスピードに臨機応変に対応する自信がないからだ。それにわたしは喋りに失言が多すぎるので、生の知らない人との会話がこわい。しかし先週金曜日の夜、おっとがまたもや「夜通し呑んだ暮れパーテイ」に出かけてしまい、腹を立てながらネットサーフィンしていたところ、あるチャットを見つけて生まれてはじめて試してみたのである。MSNメッセンジャーやわたしが登録しているサイトの何個かにあるチャットコーナーは自分の正体ばればれで書かなきゃいけないので臆するけれど、これは匿名でOKだったし、将来、自分の登録しているところでさらさらとチャットが出来るようになるよう訓練のつもりで入室してみたのだ。そこには毎秒移り変わる文字だらけの画面ではなく、わたしは一匹のしろねこの姿であるバーの入り口に立っていたのだった。中には他にもたくさんのしろねこがいて、マンガのごとく吹き出しのなかに各々のセリフが出てくる、という、変わったチャットだ。初めてなのにいきなり変なチャットに入ったな~。。画面下のまるでゲームの遊び方のような説明に沿って自分の猫をカウンターの止まり木に座らせるよう試みる。なんだかちっともうまくいかない。バーの中はがらがらで、空いている席どこにでも座らせようと必死になるのだが、わざわざ他のねこのひざに座り込んでしまい「おら、どけや!」と叱られる。そういえば、わたしはビデオゲームもしたことがほとんどない。スーパーマリオがはやったころ、覚えようとしたが、キャラクターがちっとも自分の思うように動いてくれないので放棄した。そうこうしているうちにやっとの思いでねこを座らせることが出来てため息をついた。しかしこれだけで終らないのだ!周りを囲むねこたちが「はじめまして。」と挨拶をしてくる。上手なひとなどは、自分のねこに細やかな動きをさせながら、あたかも本物のように挨拶してくる。わたしのねこといえば、最初に座った状態で固まったままやっと「はじめまして。」というのが必死だった。そして「どこから来たの?」「男性、女性?」「おいくつ?」「何飲む?」と次々に質問にあう。ひとつに答えている間にもう全体の会話の内容が変わっている。大変だ。やっと会話にも慣れてきたところ、変なやつが入ってきた。超オタクらしく全体の会話はまったく無視、わざわざわたしたちの会話の上から覆いかぶせるように、ひとりでアニメのセリフを長々と発しているのだ。いやだな~。また変なやつが入ってきた。「◎◎◎やらせて、させて!」の連発である。で、立ってるねこの上に自分のねこをかぶせて「合体~」と喜んでいる。シンプルなやつだな。こんなただのねこのキャラの上にねこを重ねるだけで興奮できるのか。ある意味、うらやましいやつだ。わたしはこちらの無修正のハードコアDVDを観たところで、男女の裸の体操にしか見えない。ちなみにラテン系ダンスは無修正のハードコアDVDと紙一重だ。こういうやつをラテンクラブに連れて行ったら刺激が強すぎて卒倒するかもしれない。これらを無視していたらやっといなくなった。この頃にはわたしも慣れて来て「マスター、熱燗ちょうだい。」など自分から注文もできるようになった。そのうち、誰かが「「シャブリちょうだい。」と言った。「すごいな~、通だな!」とこの誰かはみんなの注目を集めている。負けず嫌いのわたしも負けずに、しかしメジャー系で攻めるつもりで「じゃあ、わたしはキャンティ。」と注文してみた。「え、スキャンティ??」メンズフリルレース&リボン飾りキャンティうぎゃ~!こんなものまで売ってるのか!?。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。_| ̄|○日本と時差-7時間の場所から夜の10時ごろにチャットするもんじゃないな。(みなさん 半分寝ながら書いている模様)それか、イタリアンワインってここに住んでるから日本に知名度がある、と思っているだけで実際はそんなに知られてないのかな。そーいやわたしも奈良の地酒なんて、楽天でこんなのを見つけるまで知らなかったし。井の中の蛙がちょっと目覚めた気分だった。ちなみにイタリアワインの代表格、キャンティワインを知らない方はお試しあれ!
2006.09.18
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例えばTVで「喉自慢大会」なんかがあって、どれだけ大人が上手に熱唱しても一人、幼い子供が舞台に出て、下手でもけなげに唄えば、トロフィーは十中八九でこの子供のものだ。「ものまね大賞」なんかでも、どれだけ本人そっくりな素人が出てきても、一羽のオウムが飼い主に教え込まれたとおりの言葉をマイクの前で繰り返せば、賞金はこの飼い主のもの。オウムにそれだけのことを教え込むのにかかった時間を考えると、まあいいのだが、それはコンクールの趣旨と外れる気がする。わたしが言いたいのは「子供」と「動物」をダシに使うのはずるい、と。*****そんなことじゃなくて、昨日は会社の中が1日中騒がしかった。というのも、きっと奥さんが事情があったのだろうけど、社長が2人の娘のうちの次女(5歳)を連れて出勤してきたのである。社長はこともあろうにレセプションの無愛想なキアーラに、娘を押し付けてプログラマーたちと会議室に閉じこもってしまった。「社長が娘を連れてきた!」というニュースはあっという間に狭い社内に広まったのだが、わたしがいる企画室とレセプションは距離が離れているので関係なしに黙々と仕事をしていた。そのうち。キアーラが企画室のドアを開けて「ここに色鉛筆なんてないよね?」と聞いてくる。わたし「ないね。色つきのパントンペンなら探せばあるかな?どこにあるかわからないけど。」キアーラ「わかった、適当に探すわ。」と戸棚を開け始めた。とすぐに「何してるの!?」と社長の娘がスキップしながら入ってきた。キアーラ「あんたのお絵かき用のペンを探してるのよ。」娘「わたしも探す!」と戸棚をバタバタ開け、中のものを引っ掻き回し始めた。あああああ~。。。。これが社長の娘じゃなかったら一喝しているところである。娘はすぐに飽きて「キアーラ、もういいよ!あっちに行こう!!」とキアーラの手を引っ張って企画室から出て行ったのでほっとする一同。しかし、その前の廊下で鬼ごっこでも始めたのか、とにかくギャーギャーうるさいのが1日中続いたのであった。子供にも同様に無愛想なキアーラを相手によくここまで騒げるものだ。これだからイタリア人の野猿の様な子供は苦手である。同い年でも目目娘ちゃんのような場所をわきまえた子供はいないのかっ!?そうやって長い一日が終わった。セバスティアンおっとにクルマを出すよう、電話する。おっと「今日は遅くなるから迎えに行けないよ。歩いて帰って。」ああ。_| ̄|○わたしは仕方なく田舎駅から我が家までの長い道のりをとぼとぼと歩き始めたのであった。道のりもやっと中腹ぐらいにさしかかると、目の前の道路の真ん中に茶色の何かが落ちている。「なんだろう?」と近づいてみると何かの野鳥のヒナだった。大きさからいえばスズメのヒナのようだが、くちばしが長くて、足がやたらでかくて長い。そして大人になりつつあるわずかな羽根の色は、茶色、というより黒茶で白い斑点があった。巣から落ちたか?と上を見上げるが、そばには無機質なアパートが立っているだけで巣らしいものが見つからない。巣立ち前のヒナではない。それにしたらまだ小さすぎる。おおかた軽いから、風で飛ばされてどこかから落ちて来たのだろう。このヒナはわたしが立ち止まるとよちよちと近づいてきて「チーチー」と大きく口を開けて餌をねだった。小さすぎるな。こんなヒナ、親鳥がしばらく助けてもすぐに死ぬだろうな。。。とちょっと後ろ髪引かれつつも無視をして5歩ほど歩いた。しかしやはり気になって振り返ると遠くからヒナのいる道に向かって1台のクルマが近づいてくるではないか!?この辺りは田舎なので夕暮れの空き地ではいつも5~6匹ほどの野うさぎが跳ねていて、その中の不幸なうさぎが道路でぺちゃんこになって死んでいるのを見るのも当たり前だ。もちろん、野鳥や野ねずみもいて、そういうぺちゃんこ死体もよく見る。しかし、さっきまで生きていたヒナ鳥がぺちゃんこになる製造過程はやっぱり見たくなかったのか?気がついたら拾い上げてしまっていた。OOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO......ひさびさにやってしまった。わたしは子供の頃には「小動物拾い癖」があったので、これが初犯ではないのだ!拾う動物のトップは「スズメのヒナ」。次いで「子ネコ」「逃亡してきたセキセインコ」「土鳩のヒナ」などなど。鳥類に関しては家に持ち帰っても命拾いしていたのだが、お嬢母が大の「猫嫌い」なものだから、子ネコの場合わたしがとりあえず一晩は死守する。そして次の日には、部屋に鍵をかけて入れないようにして学校に出かけたというのに帰宅するとネコはいない、の追っかけ劇の繰り返しだった。(一度は家の前の空き地でそんな一匹が死骸で見つかって、殺ネコ者かもしれない母を長く恨んだこともある。)話は戻して、こんな豊かな過去の経験上から言うと、こういった巣から落ちたヒナは落ちた時点で打ち所が悪かったのか、親鳥からちゃんとした餌をもらえないからか、成鳥する前に死ぬケースが多い。もう大人のわたしは、「可愛い!」という胸キュンだけでの衝動で、みすみす死ぬとわかっているヒナを拾いたくなかった。しかし子供の頃、向学家であったわたしがむさぼり読んだ野鳥観察本のひとつに、こう書いてあったのをはっと走馬灯のごとく思い出したのである!「野鳥のヒナは一度人間が触ってしまったら、人間の匂いを嫌って親鳥が世話を放棄してしまうので、見つけても観察するだけで触らないように。」ううう、触ってしまった。この時点で、このヒナ鳥の運命はわたしにゆだねられてしまったのであった。しかたがない。わたしは両手でヒナを抱えて歩き出した。しかし両手がふさがっているのはどうも不便だし、変なので、たまたま持っていた日本語新聞にヒナを包もうと降ろすとまたもや黄色いくちばしを精一杯開けて「チーチー」と餌をねだる。困ったな。わたしは道々、路傍の草に青虫でもついてたら、持ってかえってやろう、と目をこらして見て歩くのだが、なかなかそんなものは見つからない。バカみたいに時々新聞をのぞいて「もうすぐだからねえ、我慢してクダチャイね☆」となだめすかしてようやく家に着いた。わたしは急いでお菓子の入っている紙箱をひっくり返して空にして、新聞をひいてヒナをそっと置いた。たちまちヒナは「チーチー」鳴き始めたので、慌ててパン粉を水でふやかしてプラスティックのスプーンの柄に乗せてくちばしに近づける。あとは簡単だった。お腹を空かせたヒナがスプーンの柄まで飲み込んでしまいそうな勢いでかぶりついてきたので、何回か繰り返していると、鳴かなくなって目がトロンとしてきたのでスプーンを置く。や、やばい?変なところに入って息が詰まったか??もう死んじゃうの?と一瞬はらはらしたが、心配は無用だった。20分ほどコックリした後、また「チーチー」と羽をひろげて鳴き始めたのでホッとした。こうしてまたもや馬鹿馬鹿しくも「こぼさず食べなチャイね~☆」などと赤ちゃん言葉を使いながら餌をやっていたのだが、だんだんこわくなってきた。何だかよくわからないけど、こんなに小さいのに息をしているのがこわいし、よく食べるのもこわいし、首筋がまさに「鳥肌」でピンクが見えているのもこわいし、身体のワリにでかい糞をするのもこわいし、次にコックリした後、永久に目覚めないんじゃないかと思うとこれもまたこわかった。いつ死ぬかわからない、小さな命を相手にするのはやっぱりこわい。しかしとにかく昨日はまるで人間の赤ん坊のように短い間隔で寝ては覚めて餌をねだり、排泄をして。。の繰り返しで、今朝起きたときもまだ息をしていたのでホッとしたのであった。今日は昼はおっとが餌をやってくれているはずだけど、夕方まで生きているだろうか?*****関係ないけど、昨日のW杯準決勝戦ではイタリアが最後の最後に2点ゴールを決めてドイツに勝ってしまった!!ミラノの街中はクラクションの嵐、夜中までどんちゃん騒ぎだったらしい。この田舎町も勝った瞬間はすごかった!あちこちで猟銃が「バーンバーン!!」と鳴り響き、驚いた近所の犬たちがいっせいに吠えまくった。おっとは窓を開けて様子を見る。わたし「危ないよ、うかうかしてたら流れ弾に当たって死ぬよ!!」。。。。。。。。。。。。。。ここは戦場か?
2006.07.05
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ミラノはここ数日、異様に暑い。最近歩道に無数の穴ぼこが開けられている。形は四角、丸とさまざまで、まるでキクイムシに喰われたような穴だ。その正体はアスファルトが暑さで溶けてめり込んだヒールのかかとの痕だと、想像は簡単についた。日本は暑くても道路が溶けたりしたことはあっただろうか?おまけに昨日とおとといは会社のエアコンが効かなかった。なんでもビルの地階にあるフィットネスクラブのエアコンから水が漏れて床が水浸しになったので、ビル全体のエアコンを止めなければならなかったそうである。はた迷惑もいい話だ。で。昨日は短パンにタンクトップでぞうりを履いて出勤しようとするとおっとに「今からプールに出勤?」とからかわれた。誰にどういわれようと構わない。とにかく暑いのだ!!その中の自分を表現するなら「塩をかけられて縮みいくナメクジ」である。エアコンといえば、アンナの家のエアコンもつけたら、たちまち壁から水が滲み出した。ビルを建築中にこのエアコンもオプションでとりつけたのだが、壁の中でパイプが曲がって?折れて?いたらしい。彼女の家も我が家同様、問題のつきない家である。修理に来る業者のために2日会社を休んだ彼女。壁は壊さなければならず、修理費用は払わなければならず、とにかくなんで、無実の消費者がさらにここまで苦労をしなければならないのか、自分に重ねて腹が立ってしまうので、あまり真剣に彼女の愚痴を聞かないことにしている。そんなエアコンの効かなかったおとといはイタリアのトッティが試合終了ぎりぎり前のゴールで勝利をもたらした日であった。17時始まりの試合は当然見れなかったわたしは電車に乗り、田舎駅前で待っていたおっとのクルマに乗り込むなり「ゴール!」という声をラジオで聞いて試合が終わった。あとはTVのスポーツダイジェストでその瞬間だけを見た。しかし。なぜだか我が社の同僚たちはわたしとレセプションの女の子を残して全て試合を観ているのだ。というのは、前回のように16時始まりの提示18時終わりの試合ではなく、17時始まりの提示から1時間ずれた19時終わりだったので、あんなに苦労してアンテナを持ってくるようなことはせずに、社長がいないことをいいことに全員が終業前に逃亡したのであった。大汗日本とエクアドルが負けた今、どこのファンでもなくなったわたしとW杯に興味の無いレセプションの女の子だけがバカみたいにエアコンの効かない社内で熱のため頭を朦朧とさせながら、18時まで待って外に出たのだ。外の街はちょうど試合も半ばで誰も歩いておらずゴーストタウンと化していた。しかし人間が存在している証拠に何回か遠くから大勢の「うおうっ!!」という雄たけびを聞いた。そしてほとんど無人の電車に乗り込んだわたしは自分の生真面目さに腹を立てたのだった。ところで最近わたしは本気でエクソシストにでもお払いをしてもらおうかと考えていたのだが、お隣のカルラが昨日エジプト旅行から帰ってきて、お土産にパピルスに手描きで描かれたスカラベオの絵をくれたのだ。「家の厄除けに。」きれいなブルーと金色で描かれたスカラベオはいかにもご利益がありそうである。さっそく天井に貼るか。。?ああ、そうだ。今日は印刷屋に帰りに寄って、頼んだ名刺を取りに行かないと。。。憂鬱だ。なぜならこの名刺、おっとのワゴン車を買いたい、というペルー人に頼まれてデザインしたのだが、結局そのペルー人はワゴン車を買うことはうやむやにしてしまって、名刺の話だけが残った。わたしとしては、おっとのワゴン車を買ってくれるのだし、デザイン料はわずかしか取らず、印刷代だけもらってサービスで引き受けたので、なんだか納得がいかない。そんな気持ちの根底には別のこともある。覚えておいでの方は少ないかとは思うが、このペルー人、おっとが雇うことを拒否した今もなお不法滞在者の旧東欧国出身者コスティカ を闇を承知で雇うことに決めたのだ。彼の商魂はなかなかたくましく、イタリア国内の運送業にとどまらず、コスティカの国までビジネスの手を伸ばすことを考えた。そのビジネスをペルー人は穏やかな口調でわたしたちに打ち明けたのだが、わたしはそれがどういうことを意味するのかすぐにわかってしまった。そのビジネスの内容は:ワゴン車を使ってのコスティカの国-イタリア間の人の運搬。まあ、言ってみれば個人経営の長距離バスのようなもの。しかし、それならどうして彼は物品運搬用のおっとのワゴン車が欲しかったのか?それに不法滞在者のコステイカをそのために越境させるリスクを考えないわけがない。つまり、わたしが解釈したのは「コスティカの国からの闇の難民運搬」である!この短期間でイタリア語がすっかり上達したコスティカは自信たっぷりで「絶対この商売はうまくいく!」と言う。イタリアに不法入国出来たぐらいだ。どこか抜け道を知っているのだろう。そんな難民を運ぶにはわかりやすいバスよりも窓の無いワゴン車に荷物と一緒に忍ばせるほうがいいに違いない。頼まれた名刺、もとい、名刺というより名刺型の「チラシ」に近い内容をコスティカの国の言葉でぎっちりと書き込まされたのだった。しかも全然関係ない小型バスの絵をつけて。今のわたしは難民の不法移入に力を貸す、チンピラみたいな気分だ。きっとやつらが警察に捕まっても、名刺を作ったわたしまで責任が追及されることはないだろうが、こんなヤクザな仕事を引き受けてしまった自分に自己嫌悪に陥っている。わたしが日本に居たときなら、こんな仕事プライドが許せなかった。危険の匂いを感じ取った瞬間に上手に逃げていたはずだ。年々、そんな「感知力」が鈍ってきていると思う。それはこんなイタリアにいるせいか?年齢のせいか?ああ、悩むことまでがうざくなってきたからもう考えるのはやめよう。名刺を受け取ってペルー人に渡す。それでこの話はもうおしまい。後はやつらがどう利用しようと知ったことじゃない。
2006.06.28
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お久しぶりです。連休と師走でじたばたしていまして、日記の更新がままならなくてすみません。そしてまたもやインターネットが繋がらないし、ワードが壊れたし。。。。はあ。涙*****************ちょっと早いが今年1年を振り返ってみた。今年は激動の年だった。一番の大イベントは家を購入したことだ。きゃ☆しかし。まだ、屋根や階段がそのまんまだったりする。汗まだ覚えておられる方もいらっしゃるとは思うが、7月の事故で右肩を負傷したもんで男くんが、未だに病院の診察待ちであることも記述しなければならない。大汗しかしもろもろの税金、ローン等は、期日までにきっちり払わないと、あっという間に罰金が科せられたりする。謎おかげで精神的にも、ふところも、今まで生きてきた中で一番みじめな1年だった。はああああああ。。。。。。。。。涙 そういったルイジな世界はさておいて。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。すでに大きく広がってしまった壁のしみと、毎回降りるときに転ばないように気をつけなければならない階段と、毎回助手席のドアを開けるたびに「ガコンッ!」と音をたてるもんで男くんにさえ目をつぶれば(多すぎるって?)、きれいな空気、のどかな町、人のいいご近所たち。。。新居アンド田舎ライフはなかなか快適である。もう、あのカオスのミラノに戻って住む気にはまったくなれない。次にしみじみとよかったと思うのは楽天や他のサイトを通じて何人かの生の方々と知り合えたこと。(声だけの知り合いもまだいるけど。。。。。。。そこのあなた!)特に目目さんとの出会いはわたしにとって、衝撃的だった。インターネットを通じて結婚したりするひとたちを見て、「ふう~ん、そういう出会いもあるのか。。。でも長続きするのかねえ?」などと思ったり、議論に花を咲かせたりしていたのだが、まさか自分が、そんなバーチャルな世界で、こんなに波長がぴったり合う人と出会えるとは思ってなかった。だからやっぱりそういう結婚の仕方もあるんだろう。(って、目目さんとそういう関係ではない。)そしてもうひとりはコックさん。独身時代は他人とシェア生活をすることに慣れてはいたが、自分が大家となって、下宿人と一緒に暮らす、というパターンははじめてだった。我が家に他人を受け入れることに対し、ずいぶんと悩んだのだ。しかしきっと今年前半があまりにもひどすぎる出会いばかりだったので(例えばルイジとか、ルイジを雇ってる不動産屋とか、ルイジと結託している建築士とか。。)神様が見るに見かねて、釣り合いを取ってくれたのだろう。コックさんが我が家に来て、今日でちょうど1ヶ月となった。彼はがたいがでかいので、空気のように、とは決していかないが、すっかり我が家にもおっとにも馴染み、毎晩おっとと共にTVの前にべったり貼りつき、おっとと同じように「ゲハハハハ!!!」と下品な笑い声を立てて笑い、2人でのたうち回るようにもなっている。汗料理以外のことに関しては柔軟でおだやかな彼なので、へたな遠慮もけん制もすることなく、「日本からやってきた幼なじみの兄ちゃん」といった感じでうまく、というか、何の工夫もせずに普通にずいぶん前からずっと一緒に暮らしていたように生活している。しかし昨日は珍しく、彼は荒れていた。なぜなら、「来週契約書にサインしてもらってすぐに働いてもらう。」というようなことを前回ホテルのマネージャーに言われた気がするのに、あれからちっとも音沙汰がなく、電話をかけても、メッセージを送っても「ああ、今忙しいから、明日こちらから連絡する。」ばかりで、毎日なんの連絡もないからだ。ま、ルイジな国だし。。。。。。。←イタリア在住者の感想。だがコックさんとしてはただごとではない。日本的な感覚がまだぬぐえず、1週間1日1分1秒の遅れが彼をいらだたせるのである。最近毎日コックさんは「おお、ロメオ(←ちなみにマネージャーの名前)、あなたはどうしてロメオなの?」と叫んでおどけながらも悲嘆にくれていたのだが昨日は違った。コックさん「やい、ロメオ!!てめえ、次回遭った時にはギッタギタにしてやる~~~っ!!!」>(←もちろん独りで咆哮。まだまだ奥ゆかしい日本人である。)このように恋の炎はでかせぎコックのせっぱつまった状況は性格をも変えるのである。そうやって彼も徐々にイタリアンに染まっていくのであった。
2005.12.14
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なんか真面目なタイトルつけちゃいましたが。昨日の日記の事故に遭ったエクターのことで考えた。わたしのまわりは大小問わず、とにかく事故が多い気がする。というか、広い車道を走っていたら2~3回に1回の割合でどこかで必ず事故車を見る。目目さんちのクルマも一晩路駐してたら次の日、クルマの横っ腹が大きくへこんでいた。どういうぶつかり方をして逃げたんだ?汗(←ちょうどこの日がベランダパーテイだった。)うちのもんで男くんの事故を覚えておいでの方も多いと思うのだが、かわいそうに、彼はまだ傷を負ったままだ。もちろん、保険会社にすぐに手続きも行ったのだが、なんせ事故に遭ったのは8月。保険会社いわく「弁護士が8月いっぱい休みですので9月になったら、この番号にかけてください。」と紙っきれにひとつの電話番号を書いて渡された。それでカレンダーに大きな赤丸をして忘れないように9月1日にすぐ電話をかけたら「弁護士はまだバカンス中です。」と愛想なく応えられた。大汗(←ちなみに我が家の屋根のことにも保険を使ったのだが、同じである。)そして以前、我が家のアッシー君だったランチャY10のルパン君と一緒にあの世に逝ってしまった25歳の若きエクアドル人のこと。おっとはひどくびびっていたし、わたしも最低でも罰金だな、とヒヤヒヤしていたのだが、結局おっとにも、クルマを貸した張本人の代理人のウイリアムにもおとがめナシ。クルマの本当の持ち主であるペルー人が少し事情聴取されただけでこの事件は幕を閉じたのだ。この間、ウイリアムの家にBBQに行ったとき、事故の新聞の切抜きを見せてもらった。大型トラックの下敷きになって見事にへしゃげた見慣れたルパン君を見て、はじめて胸が痛んだのだわたし。この死亡した若きエクアドル人は事故当時、ひとりではなかったそうである。毎夜中の新聞を各売店に配達する仕事が終わった後、ウイリアムの婚約者のお兄さんのクルマの先頭にたって、走っていたらしい。彼がまずいつもの角を曲がって姿を消したちょっとあとに、お兄さんのクルマも続いて角を曲がった。そこでお兄さんが目にしたのはもうすでにへしゃげたルパン君の中で胸から下はルパン君と同じ運命をたどって死んでいた若きエクアドル人だったのだ。お兄さんはいまだにあのシーンを夢に見て熟睡できない、と言っていた。事故後、確認にかけつけたウイリアムと婚約者も同様である。しかし誰よりも悲しんだのは17歳の弟とお母さんだ。自分たちの家族が亡くなってしまったのも大ショックだが、彼らはウイリアムの家族と同じく25歳の兄に養われていたのである。これがイタリア人の普通の家庭に降って来た悲劇なら、生命保険やなんやで当面の生活はカバーされるはずだ。しかし、彼らは密入国の「不法滞在者」なのである!そう、この事故でお母さんと弟は 大切な兄と生活の糧を一気に失くしてしまったのだった。彼の死亡確認でも、家族と名乗り出ることが出来ない。家族全員で不法滞在者だからどこにも届け出て遺族の処置をすることが出来ない。警察には「身元不明の密入国の「不法滞在者」の死亡」で闇に葬られた。(←だからおっとやウイリアムにおとがめがなかったようである。)なんか切ない、やりきれない。。。。わたしはこの事故をリアルに実感した後、わが身に重ねて身震いした。おっとは運送業で毎日クルマを運転しているのでこんな大事故に遭う確率も高い。う~ん、おっとがもし事故で死んじゃったら。。。?家のローンはひとりじゃ絶対払えないから売るしかないか。。。。滞在許可証、ファミリーに変えちゃったんだよなあ。ということは、おっとの死亡と同時に滞在許可がなくなるから、日本に帰らないとな。。。。あ!3か月分のおっとの生命保険代、赤貧になっちゃったから滞納してる!!さっさと払わないとおっとが死んじゃったとき今までの苦労が水の泡になるじゃないかっ!?OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!!↑。。。。なんか自分で書いてて哀しくなってきた。最近「愛」が完全に「生活」に負けてるよ!!!!涙もちろん愛するおっとが死んじゃったら哀しいですよ?でもそんな感情を真面目にこんな「おちゃらけブログ」に書いてもねえ。。。ぶつぶつそしてわが身の次にあの50歳代後半無職お嬢様Cさんを含め、何人かの日本人のイタリア不法滞在歴を重ねておられる知り合いの身を案じることとなった。日本人と南米人は待遇が違うと思われてる方も多いだろうが、不法滞在者に関してはわたしはそう思わない。どこの国出身だろうが、イタリアのどこの機関にも登録されてない外国人なら「もしも」のことがしかも独りのときに生じたときはきっとこの可哀そうなエクアドル人同様、「身元不明の密入国の「不法滞在者」の死亡」で祖国の両親、家族に安否も知らされないまま闇に葬られてしまうのだろう。お願いですから外国で暮らすときにはきちんと届け出ましょうね!(そういうひとたちがインターネットをつなげてこの日記を見ている確率は少ないと思うけど。。。)ふう、歳を取ると説教がましくなっていかんね。
2005.09.06
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最近、楽天やってるひとたちの日記でこれが廻ってるのを見て「う!そのうち来るかも?」と予感はしてたんですがやっぱり来たか~~!!【MUSIC BATON - 音楽の輪】っということで、我が新居の近くにお住まいのAliceさんからバトンをパスされました!うちは毎日おっとのへたな鼻唄を聞いて「もう音楽なんてイヤだ!!」と思ってるんですが挑戦してみようかな。*** 1.コンピュータに入っている音楽ファイルの容量どれぐらいだろ?私専用はゼロ。うちの会社は音楽とかDVD保存専用のPCがあるんでどれぐらいか知らない。たぶんたくさん。 2.今聞いている曲なし。隣で明日新婚旅行に旅立つマッシモは「ハウルの動く城」、聞いてるというか観てるな。 3.一番最近買ったCD いつも会社からちゃっかりコピー、なんで買ったといえば何年前だろう?最近コピーしたのは「LATIN6!」ってやつ。 4.よく聞く、または自分にとって大きな意味のある5曲。。って、わたし、曲名とかひとの名前とか覚えるの、大の苦手なんだよね。1)スピッツの「はちみつ」のCD。おっとも大好きでクルマでいつも聞いてたのにカーオーディオごとジプシーに略奪されてしまったことが、カーオーディオより悔しい。2)よく聞く、というより聞いてみたい、見て見たいのは、一時日本で噂になった「マツケンサンバ」。3)ユーミンは全ての歌詞がよかった。「DOWNTOWN BOY」なんか好きだったな。青春時代はよく自分に重ねたりして。。。ハハハ。おっとは歌詞がわからないんでこれらを聞くと眠くなるらしいけど。(ほとんどスローだもんね。)4)「i bambini fanno Ohhh! 」この曲、大大大だいっ嫌いなんだけどイタリアではヒット曲なのでTVつけてもラジオつけても、いつも聞こえてくるから「よく聞く」の意味には合ってるか??5)ラテンミュージック全般。4)と同じく聞きたくなくても我が家では朝っぱらから、しかも大ボリュームで「よく聞く」「大きな意味で『騒音公害』」である音楽。こうやってみると、わたしって音楽にちっとも思い入れがないね。小さい頃のトラウマが大きいな、やっぱり。 5.バトンを渡す5名うう~ん、悩むなあ。誰がいいかな?misakit0925さんちーそんさん シャロン・ローズさんshion0851さん aya825さんあ、でも基本的には任意らしいので、忙しかったら気にせずスルーしてください♪っということです。よろしくね!!!***PS.前回の日記ではたくさんのためになるコメント、励ましのコメント、ありがとうございました。今のわたしはいつものごとく、むかついておりますが、落ち込んではいません!(っつ~か、落ち込むだけこのクソ暑いのに体力と精神力のムダだと悟りかけている最近。)ドヨンを吹き飛ばして暑い夏を乗り切りましょう!(←意味不明)
2005.06.27
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最近ひとりだけじゃなく、あちこちのブログで自分の存在理由を問う日記が書かれていることに気がつきました。6月病。。。?最近、暑いしねえ。わたしもよく、自分の無能さとか、無能と思ってない時に真の役立たずに役立たず扱いされたときとか、自分の気が利かないこととか、お前らの方が自分勝手に好き放題にやってるのに何言ってるんだよ!?という奴にそのことをあきれ返られたりするときとか、無性にむかつきます。 勘違いするなよ、そこのイタリア人。元気を出してください。存在価値があなた以下の人間なんて、日本はよくわかりませんがイタリアにはウジャウジャいるってこと。世界レベルで見たら、あなたの存在価値はかなり高いと思うんです。わたしもあ~んな奴や、こ~んな奴に比べたら、かなりハイレベルだなと自負しております。日本人って結構みんな完ぺき主義だ、と思います。完ぺき主義であるがゆえに自分の失態も他人の失態も気に障るのだけど、奥ゆかしいから内に閉じ込めて我慢しちゃうんだと。世界にはもっとおちゃらけていても平気で生きているひともいるんです。そこの南米人!あんただ、あんた。もっと気を楽にして下さい。これは落ち込んでいらっしゃる方々と自分自身へのエール。
2005.06.24
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皆さん、たくさんのコメントをありがとうございました!やっぱり最近だったし、「変態不動産屋」にインパクトのあった方は多かったみたいで。。。苦笑happykaimonoさんがあんな古い日記まで読んでいて下さったのは感激でした!今、皆さんのコメントに基づいて考えている路線は家関係か、おっとや愉快な友人たちの暴露話か。。。。2路線です。ちょっと考えをまとめてみます。ご協力、ありがとうございました!!経過は何かあり次第ご報告します。頑張るぞ!!!*********皆さんはすでにご存知だとは思うが、おとといローマ法王が亡くなった。いま、歴史の1ページに載る出来事が起こった国にいることに驚いている。彼も相当のお歳だったし、そろそろやばいな、とは日ごろ思っていたのだが。。。おととい危篤状態のとき、わたしは夕食の支度をしていたように思う。おっとはその間ずっと何かのTVドラマを見ていたのに「あ、ローマ法王が亡くなったみたいだよ。」と言ったので振り返ると、画面にはいつもの夕方のニュースキャスターがワイシャツの襟は開いたまま、ネクタイもしめずに出てきた。TVドラマを中断して出てきた彼を見てすぐさまわたしたちは法王が亡くなったことがわかった。彼はそのあとすぐ取り乱した様子で紙に書かれた法王死去のニュースを読み上げたのであった。そこからはどのチャンネルを廻しても法王死去のニュースばかり。中継されたバチカン広場を埋め尽くす人々の姿に驚いた。それですぐさま昭和天皇が崩御した日を思い出した。あの日も全てのTV番組を中断して天皇崩御のニュースばかりやった。と、いうより次の日はほぼ全ての会社が崩御を悼んで休業になったというのに、わたしたちは出勤しなくてはならなくてブーブー言いながら出勤したのを覚えている。そのころは東横線沿線に住んでいて渋谷で銀座線に乗り換えようとするとあたりはほとんど真っ暗だった。広告灯が全て消えていた。そのときはじめて駅構内の照明は広告灯で保たれている、ということを知ったのだ。ほとんど手探りで銀座線に乗り込んだ。いつもはその時間は通勤ラッシュで息も出来ないほどだったのに電車の中には全車両あわせて4人しか乗客がいなかったのである。ひゅるるるる~~~。ただでさえ、なんでこんな日に仕事やねん?という不満があったのに、これを見て更に物哀しくなったのであった。赤坂見附駅だったと思う。ここにはたくさんの警官がホームに配備されていて電車の中のわたしたちをジロジロとみた。そして会社のある神田駅で降りたとき、噛んでいたガムを捨てようとしたらゴミ箱がひとつもないことに気が付いたのである。この日はせっかく出勤したにもかかわらず取引客先も、業者も全部休みでちっとも仕事にならなかった。と話はそれたが、昨日は死去から1日経って落ち着いたのかTVでは世界の信者の悲しみを中継していた。世界のカトリック信者は膨大な数だと思う。なぜ人々は神を、キリストを、ここまで信じるんだろう?先週のあのおそろしいイースターのお食事会のとき。ウイリアムのお母さんにこう聞かれた。「日本はイースターを祝わないの?」「祝わないよ。だって日本は仏教国だもの。」「じゃあ、仏教のお祭りの日はどういうときにするの?」はたっ、と困ってしまった。仏教のお祭りの日?そんなもん、あったっけ?神道のお祭りならあるかな。。。元旦とか??いや、これってお祭りじゃない。ひな祭りも子供の日も宗教と関係なさそうだし、体育の日なんてどこが、宗教やねん??と言いたくなる。「日本には宗教はあるけど、イタリアや南米ほど重要じゃないと思うんだよね。。。」わたしは苦し紛れにこうはじめた。「だって、イタリアもエクアドルも、幼稚園の頃から正式にカトリックの教えを習うでしょ?日本はそうじゃない。「道徳」っていう時間はあるけれど宗教と関係ないモラルしか教えないし。文化と一緒で興味がなければ、みんなとりあえず「我が家は◎◎宗」とか言ってるけれど、そのほとんどは儀式やお参りをするのは葬式やお墓参り、つまり死者のためにしかしないんだよ。」これにはウイリアムの家族一同、理解が出来ない、といった感じでポカーンと口を開けて聞いていたのであった。だって彼らは小さい頃からいわば、キリスト教が全てのように当たり前に教え込まれてきているのだ。そう確信したのが昨日のこと。TVはひたすらローマ法王の偉大な履歴などを報じているか、聖書に関する映画しか放映していない。おっとはローマ法王の番組に飽きて、キリスト生誕から成長までの映画を興味深く観ていた。わたし「ねえ、あんた小さい頃から聖書を読んでるし、教会にも通ってるでしょ?こんなストーリーはよく知ってるはずなのに見てて飽きないの?」おっと「うん、飽きない。」わたし「どうして? たとえ俳優や監督、表現方法が変わろうがいつも同じ話じゃない?」おっと「これは奇跡の話なんだよ?」わたし「確かに処女受胎したマリアは奇跡だけど、本人が黙っていただけでそうじゃないかもよ?そんな疑問とか、沸いたことないの?」おっと「これは神の子なんだ!マリア様は一人で懐妊されたんだ!!」わたし「でもキリストは人間じゃない?」おっと「君は最初の人間がどうやって生まれたか知ってるかい?アダムとイブが神の楽園から追放されて人間界に堕ちて、増やしていった子孫が人間だ。。。」どうやらここからキリスト教の教えをわたしに説きたかったらしい。しかし、わたしはさえぎった。わたし「どうやって世界が出来たか日本じゃこう言うのよ。イザナキノミコトとイザナミノミコトという男女2神が天神(あまつかみ)からさずかった天沼矛(あめのぬぼこ)を雲の上の天の浮橋からさしおろして、海の水をかきまぜた。すると、ひきあげた矛先からしたたりおちた塩がかたまって、オノゴロジマができた。二人はその島におりて結婚し、日本列島の大小8つの島を生んだ。国生みがおわると、岩石や土、海、風、木、山、野、船、穀物などの神々を次々と生んでいき、その過程で人間も生まれて世界に広がっていった。でも、大きな神の末裔となったのが天皇だった。だから日本はちょっと前まで天皇を神格化してたんだよね。。。」おっと(目を丸くして)「そんな話、聞いたこともない!!でたらめ言うな~~!!」わたし「日本じゃこれが常識なんだよ!」(?あんまり使わないけど)そういえば?わたしは思った。神道から生まれたはずの日本国は気が付いたら信じる信じないは別として仏教ベースの国になってるよな。そういえば何かの本に長期に渡る徳川政治が平民のメンタル面での支配をしやすいことを理由に大きく広げたと書かれてあった。キリスト教もおそらくそういった理由で世界に広がっていったんだろうが、あんまりこういう話題に突っ込むと場が荒れそうなのでこの辺で。(ああ、ローマ法王からずいぶん話題がそれちゃったな。。。)
2005.04.04
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昨日はアルマーニのファッションショーがミラノで開催されたようだ。わたしはちっともファッションに興味がない。(きっぱり)というか、この長年の貧乏生活に慣れてしまい、悟りを開いてしまったのか、物欲が失せてしまった。涙おっとのほうがよっぽど、毎回お出かけに着ていく服にこだわり、毎朝晩、日本から持ってきたわたしの貴重な敏感肌用洗顔料だとか、クリームを使って(怒)お肌のお手入れにも念入りである。しかし、なんでこのことを冒頭に書いたかというと、今朝の新聞のTOPに色とりどりの華やかな毛皮をまとったファッションモデルのお姉ちゃんたちの写真がデーンと載っていたからである。わたしはこの世から毛皮産業が抹殺されればいいと思っている。今は「薄くても温か。◎◎加工」の下着とか、「中の暖かさを逃がさず、汗だけ外に出す呼吸する繊維◎◎」のジャケットとか、こんな氷河時代の原始的な防寒法に頼らずとも防寒できるものがたくさん出回っているというのに、なぜ今になって毛皮なんだ??楽天のカナダにお住まいの旧友ふぐ太郎さんの日記の一遍:「明日、毛皮のオークションがConventionCenterで行われるのですが、それに関してのニュースが先週からちょこちょこ流れていて、今日夜のニュースで、中国での毛皮のためにアライグマ養殖現場のビデオが流れていて、思わず吐きそうになりました。養殖したアライグマを生きたまま、地面に叩きつけ、そのまま皮を剥ぎ取るのです。もちろん、100%皮をはがれたアライグマ、まだ生きてます。」彼女は徹底したアニマリストでベジタリアンである。だがわたしはアニマリストでも、ベジタリアンでもない。わたしはやっぱり肉や魚を食べないと力が出ないので食べるけど、肉食動物がほかの動物を食べるように必要だから食べる。食べる前には心をこめて「(命を)いただきます。」って言う。そりゃあ、毛皮は美しいよ。こうやって、たくさんの命の形跡が凝縮しているんだものね。でも毛皮なんて、こんなにいろいろな衣類が出回っている現代にあえて必要??こんなことまでして生きながら殺された何匹もの犠牲の死骸の皮が縫い合わされたものを着るんだよ???ペットを飼ってる皆さん、お宅の可愛いワンちゃんや、猫ちゃんがこんな殺し方をされるって想像してみなよ?イタリアじゃ生まれたばかりの赤ちゃんが病院を退院するときを狙って誘拐され、臓器売買される話もたくさんじゃないけど、実際ある。そうやってお宅の可愛い赤ちゃんが変態にさらわれて人間の皮の服(映画「羊たちの沈黙」みたい。。)にされる、と想像したら?想像を飛ばし過ぎかもしれないけど、「毛皮」の衣類というものはそういう過程を経て造られた残虐きわまりないものなのだよ。「でも。。。このコート、ママからずいぶん前の成人式にプレゼントされたものだしぃ。」こういう声を哀しいかな、よく聞く。家のタンスにあるものは仕方ないけど、それを着て表に出ること事態も毛皮に興味を持っている人を触発するだけだから個人的にはやめて欲しいよな。。。。アルマーニのファッションショーの建物の前ではやはり動物保護団体のひとたちが血まみれのTシャツを着て寒い中デモをしていた。こういうものを事前に知っていたら、そして仕事がなかったら(哀)、きっとこのデモに参加していたと思う。カナダは自然が豊かだから、やはりこういうことが盛んなんだな。ふぐ太郎さんには是非頑張っていただきたい。これからブームだし、毛皮を買おうかお悩みの皆さんには是非、動物たちのことを考えて一考していただきたい。買う人が減れば、ブームをすぐに下火になってやがて消えうせる。ひとりが買うのをやめれば、バッグや小物なら1~5匹、コートなら15~16匹?の動物の命が助かるのだ。罪もなく惨殺され、悶絶して死んでいく動物たちの命を助けてください。
2005.02.23
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今日は考えてたらまとまりがつかなくなった。ミラノはNY同様、人種のるつぼである。西欧系、東欧系、アフリカ系、中東系、アジア系、アメリカ系。。。まさにいろいろな人種であふれかえっている。しかし、NYと大きな違いは「イタリア人+西欧人」と「その他の外国人」の間には確実に差別があり、外国人はいつまでたっても「ガイジン」である。たとえば、NYでは能力さえ発揮すれば、どんな人種でもキャリアアップできるが、ミラノではガイジンはどれだけ頑張っても、いつまでたっても「ガイジン」で、必ずイタリア人の下にいなければならないのだ。上がたとえ、能無しのアンポンタンなイタリア人だとしても。わたしは日本にいるときは小学校なんかで同和教育を受けたこともあったが、差別についてそんなに深く考えたこともなかったし、実感も沸かなかった。イタリアに来る前後までは。よくわたしが出会う「受動の差別」は:・すれ違いざまに「ニーハオ」と言われる。・たとえば、大きな買い物をして大きなビニール袋を担いで歩いていると、「お姉ちゃん、これいくら?」と聞かれる。・ちょっとしゃれたBARなんかにいつもの汚いなりで行くとまわりからいっせいに「何しに来た?」という視線をあびせられる。。。。って、こうやって改めて書き出してみると、そういえばわたしはそんなに差別を受けたことないか(デカセギ中国人には間違えられてるけど)。でもずいぶん前、おっとがクルマでおっとの友達たちをコモ湖の近くの中古車センターに連れて行ったとき。おっとの友達たちは用事が済んで「おい、ミラノのウン◎リア公園にBBQを食べに行こうぜ。」という。そこは、一度南米人たちのサッカーの試合を観に行ったことがあるのだが、違法の屋台がいっぱい立ち並んでいて汚いところである。そんなのはゴメンだ。わたし「あ、じゃあわたしコモ湖に残るからみんなで楽しんで来てよ。」というとおっと「そんなぁ、君ひとりを残して行けないよ!みんなで君の行きたいところに行くよ!!」え~。。。独りにしてくれよ(ぼそっ)。結局わたしたちはコモ湖を眼下に望む山の頂上に行くことになった。お腹が空いたのでまわりを見渡すと、しゃれたBARが一軒。この荒くれた感じのおっとの友達を連れて行くのに違和感を感じながら、しかしそこしかなかったので入ることにした。ドアを開けるとそこから店員の空気が固まるのを感じる。誰もいなかったので当然一番眺めのいいバルコニーの席に座った。メニューを注文した後、おっとの友達が「トイレに行って来るわ。」と立ってすぐ戻ってきた。わたし「どうしたの?」おっとの友達「掃除中だから使えないって。」わたし「掃除中でもいいよ、わたし行って来る。」と、トイレに行くと別に掃除中でも、掃除した後もなかった。用を足して戻ってくるとおっと「使えた?」わたし「うん?普通に使えたよ。」そこから今度はおっとたちの空気が固まるのを感じた。おっとは友達をなぐさめている。ここではじめてわたしは遠回りに拒否をされたことを悟ったのだ。こんな場違いなところに彼らを連れて来てしまったことにすごく罪悪に感じた(って彼らがついて来たんだけど)。それからは気をつけて、そういうひとたちとはしゃれたところにお出かけしない、よっぽどのことがない限り接触しないことを決意した。差別はいけないと思うが、この国にいるとどうしても付き合い方を人種によって、そのひとたちの生き方によって、変えてしまう。ジプシーには、わたしも、うちのもんで男くんもひどい目に遭わされたが、おとといは新居から近いレッコ湖にベビーカーで散歩中の新妻が2人組のジプシーの女に襲われて8ヶ月の赤ちゃんが誘拐されそうになったニュースをやっていた。血が凍った。病院の前なんかで待ち伏せして退院したばかりの母親から新生児をさらって臓器売買なんかする奴がいる、という恐い話も聞いていたが、赤ちゃんのまわりはこんなに危険でいっぱいなのか。いつも疑問だったんだ。こいつら髪の色はたいがいこげ茶色か黒なのに、ブロンドで青い目の赤ちゃんを抱いて、物乞いをしてたりするの。そしていつも抱いているのは赤ちゃんで成長した子供連れなんてほとんど見ない。この間は地下鉄駅で赤ちゃんの交換をしてたし。しかし、このジプシーたちは逮捕されたが、自称15歳以下(イタリアでは15歳以下は未成年として逮捕されない)だというのですぐ釈放されたという。新聞に写真が公開されていた。どうみたって15歳の少女たちではない。ずるそうなおばさんたちである。こんな奴らがまた野放しになったのか!?イタリアには「CARITAS(寄付箱)」という大きな黄色いポストがあちこちに立っていて、古着や靴などを貧しい人のために気軽に投函できるのだが、そういえばちょっと前、それにはさまれて死んでいるジプシーの女が発見された。夜中に古着を盗み出そうとしてはさまったらしい。警察の調べによると、以前職務質問で捕まえた「アンナ15歳(自称)」ということが判明したが、その後、亭主という男が現れてその女は、なんか難しい名前の25歳、ということが明らかになった。身分証明書を持たないやつらに対して、判りようがないかもしれないけど、やつらは白髪の老人だろうが、15歳だ、と言い張るのだからそれに対して、なにか対処のしようはないんだろうか?彼らはさらに夜中に黒いゴミ袋を担いで盗みを働き、夜が明けてからそれを公園なんかで広げてめぼしいものだけ取っていき、あとは放置していく。公園の芝生なんかで黒いゴミ袋の山をみたら、その辺にはジプシーがいるので要注意だ。わたしはジプシーはヨーロッパにおけるどぶねずみ以下の存在だと断言したい(ジプシーとお付き合いのある方はごめんなさい)。貧しいゆえに必死で取る行動はわかるよ、わたしは甘いのかもしれない。でも平和的によその国に居続けたいのであれば、こういう生活の仕方は間違っている。こんな奴らは世界から抹殺しなくてはいけない。しかし。冷凍猫のおばさんに言わせると、宿敵であり、差別の対象は「ペルー人」限定だという。結局、彼女のお母さんが亡くなった後、あのペルー人のおばさんローザをこれを機に解雇した。するとこのローザ、クニが無償でやっているある協会のガイジン専門の弁護士に頼んで「不当な解雇を受けた!」として裁判に挑んできたそうだ。冷凍猫のおばさん「ここまでされたらあのローザだけじゃなくてペルー人の常識を信じられなくなるのは当たり前でしょっ!」冷凍猫のおばさんと、わたしの差別の種類はちょっと違うと思うが、共通していることはお互い、被害を受けて嫌い度を高めていること。文化の違いゆえのちぐはぐからの差別はよくないと思う。でも、こういうわたしたちのような差別、やっぱりダメだろうか?
2005.02.08
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スマトラ島沖の津波をTVニュースで見たとき、阪神大震災を思い出した。明け方の大地震の後、出勤しようと思って駅に行くとすごいひとだかりで電車が動いていなかった。ニュースを見ると神戸が火の海。慌てて神戸の友達に電話するが、一向につながらない。ニュースの下のテロップの死者数が5分ごとに2倍になり4倍になり、どんどん膨れ上がり、まるでSF映画のワンシーンを見ているようで現実感がちっとも沸かなかったのを覚えている。そのとき、私はマンションを購入したばかりだった。まだ工事中だったマンションはあえなく崩れ落ちた。この時思った。どんなにあくせく働いて家を買ったりしてもこんな天災が来たら、家はおろか、あっという間に命が終わる。だったら今を思いきり楽しもうじゃないか。これがイタリアに来るきっかけのバネになった。これがなければ海外に住む、しかも半永住状態になるなんて考えもしなかったし、未来のおっとが外国人になるだなんて予想もしなかった。しかし、また家を買うなんていう同じ過ちを犯そうとしているけど。。。(苦笑)そしてまた別のことを思った。私の日本人の友人Bちゃんはあるイタリアの航空会社でスッチーしてた時に知り合った。わたしはそこをすぐ辞めちゃったけどBちゃんはついこの間まで続けて辞めざるおえなくなった。というのは、すったもんだしたあげく、この航空会社が大倒産したからである。失業と共にBちゃんは滞在許可証も失い、日本に帰国せざる終えなくなった。Bちゃんはあんがいあっさりしてたけど、ショックだったと思う。そしてこのニュースを見たときは、彼女が失業したのは幸運だったんだ!と思った。ってのは、彼女は働いている間、ほぼ毎週飛行機でインドネシアのリゾート地に飛んでいたからだ。しかし、彼女の彼は他の航空会社のパイロットで今、モルディブにいて飛べないという。運命って不思議だ。。。。昨日、秘書のアンナマリアが出勤してきた時はなぜかやつれて見えた。「どうしたの?」彼女の娘エルガはツアーコンダクターをしていて、スキューバダイビングのツアーの添乗員としてちょうど津波が起こったときプーケットにいたのだ。しかし彼女が語った事にも運命の不思議を感じた。なぜならスキューバダイビングのコーチが前日にバイクで交通事故を起こし、重傷のため、病院に運ばれたと言う。緊急手術が必要なため、彼女は彼のパスポートや必要書類を明け方ホテルに取りに行き、海から遠い病院に戻ったところで津波が起こったのだ。今はこの津波での負傷者で病院はあふれかえっていて手術が出来ないという。が、とにかく彼とエルガの命は助かったのだ。しかし、その時間にスキューバダイビングをしていた他のダイバー達は死体となって打ち上げられたという。アンナマリアは彼の家族と相談していちはやくプーケットから彼らを脱出させたいのだが、とにかく全てが混乱していてなかなか飛行機が取れないそうだ。当然だ。こんな先進国日本でも、阪神大震災からの復旧には時間がかかった。申し訳ないが最近の中越地震はなぜか私の中でピンと来ない。たぶん阪神のことを思い出したくない脳が考える事を拒否してるのかな?しかし、スマトラ島沖のこの惨事は私の中で阪神大震災並のショックだった。観光資源のみで生きているこの貧しい国はもっと復旧に時間がかかると思う。ニュースで「あなたの携帯から寄付を。この番号にかけるだけで1ユーロ、スマトラ大地震に寄付されます。」と流した。思わずおっとと2度電話、合計4ユーロ寄付をした。わたしはまだ自分が命あることに感謝せずにはおれない。明日はどうかわからないけど。いろいろ寄付の機関があると思います。こんなときは「物より現金」です。寄付でひとりでも多くの人を救いましょう!あ、でも巧妙な「オレオレ」には寄付はしないように!!******************************クリックお願いします。人気blogランキング今日は30位あたりにいます。
2004.12.29
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昨日,日記を書いて考えた。わたしにも偏見の目はあるようだ。うちの倉庫は「不法滞在者救済法」が出たときに、社長が道から拾ってきたルーマニア人の男の子が管理している。「道から拾ってきた」という表現はひどいけど、事実である。まさに社長の家の近所の道端で彼が友達とおしゃべりしていたところをいきなり「おまえ、不法滞在者だろ?労働許可証を出してやるからうちで働け。」と連れてきたのだから。そうやって、面接も何も無く連れてきたものだからなかなかの問題児で、倉庫の管理をなまけて1日中、エロサイトばかりみてるは、会社の電話で女の子に長電話するは、クルマを運転させた日には違反切符ばかり切られるは、女の子とのデート代のため、給料の前借ばかりするわ、同僚から小銭を借りて返さないわ。。。問題をあげたらきりがない。こんなことだから、ただでさえガイジンというハンディがあるのにすっかり信用を失くし、なにか不祥事が発生するたびにみんなが口を揃えて言った。「しかたないよな、あいつルーマニア人だから。」しかも彼は「不法滞在者救済法」のときに他の我が社の社員がどれだけ欲しくてもちっとも出してもらえない「正社員」にしてもらったのだ。わたしは勤続が長いのに事情もあってそのとき労働許可証すら出してもらえなかった。わたしと全員の嫉妬の目も知らず知らずに彼に向けられていたんだと思う。以前、立て続けに何回も我が社が泥棒に押し入られる騒ぎがあった。わたしたちは声をひそめて「絶対、あのルーマニア人が仲間を手引きして会社に押し入らせたんだって!」とささやきあった。なぜなら:日本人がイタリア人を「あごが割れてて、ピザやスパゲッティばかり食べてて、いつも女性をナンパしている(Shangai-kさんの以前のコメントに着色)」というイメージを抱くがごとく、ミラノで「日本人 イコール めがねをかけて首からカメラを下げてどこでも写真を取り捲り、プラダやグッチの大きな紙袋をさげて歩いている。」というイメージが定着しているように、「ルーマニア人 イコール 泥棒か娼婦」のイメージが定着しているからである。3回目に泥棒に押し入られたとき、社長は怒り狂って声を大にして「奴(彼のこと)は昨日、何していた?! 奴と奴の友達関係を洗え!!」と秘書のおばさんにどなっているところへ、彼が地下の倉庫からあがってきたのである。彼はたちまち、顔を真っ赤にしてドアをバンッと荒々しく閉めて出て行き、その日は帰ってこなかった。次の日、ムッとした顔で出社してきた彼の顔を見るのが、わたしたちは気まずかった。そのあと、同じチームのマッシモが倉庫に物を取りに行ったとき、彼は言った。「ぼくは今まで君たちが僕に対していろんなことを言ってたの、気付いてたよ。まあ、ルーマニア人には悪いイメージがつきものだし、ヘタなことを言って会社をクビになって滞在許可証を取り上げられたらお終いだから我慢してたんだ。でも、昨日の社長の言葉、ひどいじゃないかっ!そりゃ、ぼくがだらしないのは認めるよ、でも自分で自分を破滅させるような泥棒なんて絶対しないさ!!社長のバカヤロー!!◎▲◇☆~~~!!」。。。と悪態ついているところに「わたしが何だって?」と社長が倉庫に入ってきたそうである(まるでマンガのようだがホントの話)。つくづく不運な奴。この話を倉庫からあがってきたマッシモに聞いたとき、全員で彼のクビを心配したが、社長も彼の言葉で前日の発言を反省したようで、今も彼は無事毎日出社している。わたしもこの話を聞いて反省した。自分もこれで嫌な思いをしてるのに、他人にしてちゃいけないよな。南米人から「ルーズで、酔っ払いでいいかげん」イメージも拭い去らないと。。。。。(いやいや、合ってるし)********************************おまけ「11階の謎」昨日のスイミングスクールでは新しいシルビアと会話するために、いつもはスズメの水浴びのようなシャワーをボデイソープも持って来てないのにえんえんとして時間を稼ぎ、着替えるのもおしゃべりに夢中でだらだらとしていたら、すっかり遅くなってしまった。夜の11時。市営プールのすぐ後ろにあるうちのアパートの前まで行くと、遠くから女の人が中から門を開けかけているのがみえた。チャンス!!うちの門の鍵穴はいろいろなひとが開けるのでガタガタで、なかなか開かないのだ。以前は雪の降る深夜に門の鍵が開けられなくて1時間ほど誰かが通るのを外でガタガタ震えて待ったこともあった。慌てて門まで走る。女の人は気が付いて門を開けて待っててくれた。ハアハア息をつきながら「ありがとう」とお礼を言った。化粧の異常に濃いセクシーなお姉さんはドスの聞いた野太い声で「あら~ん、いいのよジャポネジーナちゃん(小さい日本人ちゃん)。」としゃなりしゃなりと出て行った。ゾクッ。この声、聞き覚えがある。うちのアパートの11階は謎である。どうやらいろんな旧東欧系の外国人が出入りしているようだ。この間はエレベーターでタバコ臭いだらしない新顔のおっさんと一緒になり、じろじろと見られたあげく「あんた、ナニジン?」と聞かれて「ジャポネーゼ(日本人)。」といやいや応えると「へえ、ジャポネジーナちゃん。」と言われた。。。。あのおっさんの声だ!間違いない!!まったくうちの11階は謎だ。本当にいろんなひとが出入りしている。でも、でも偏見の目で見ちゃダメだ、そうだ世の中いろんなひとがいるのだから。。。。うう~。
2004.11.19
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ミラノは今週、雨が続いて寒い。今朝の最低気温は9度だった。わたしは暖かいジャケットを着込み、同僚たちにはコート姿も目立ち始めた。すっかり冬が来たようだ。昨日の昼ごはんは早く済んだので天気は悪いものの、雨が一時的にあがったのを見計らって同僚たちと近所の公園を散歩した。落ち葉でいっぱいの遊歩道をカサカサ(というよりビチョビチョ)音をたてながら、だらだらとおしゃべりをして歩く。そして、いつものように公園の隅の教会に目をやった。ここの壁際には先週末から3人の若いアフリカ人の浮浪者が住み着いた。我が社はミラノで最も治安が悪いとされるミラノ中央駅からそれほど遠くない。ミラノ中央駅にはたくさんの外国人浮浪者が住み着いているのでこっちに流れてきても珍しいことではない。だが彼らに悲壮感はあまりない。現に昨日も雨が降っていなかったので彼らは壁際にいたのだが、笑いながらおしゃべりをしていた。でも、やっぱりこういったひとたちをみると心が痛む。このアフリカ人たちも雨の日はたくさんの荷物を壁際に残して消える。どうしているんだろう?これから、どんどん寒くなるのに暑い南のアフリカ出身者は生きていけるんだろうか?と余計な心配をしてしまう。そう思うと胸がいっぱいになり、同僚たちに「かわいそうだね、こういうひとたちって。」と漏らした。すると、同僚たち、びっくりしたように目をむいて、「ちょっとちょっと、いくきーと。」と小声で招く。「良く見てみなよ。」とひとりの同僚が言うので目をこらして彼らをみてみた。ひとりはディーゼルのジャケットをはおり(イタリアでも高いのだ。)、ひとりは最新式の携帯電話でおしゃべりに夢中になっている。同僚A「ね?わけわかんないでしょ? あんないいもの持っていてこんなところにいるの。お金はあるみたいだよね、どうして家がないんだろうね。」同僚B 「きっと、携帯とか、服って彼らのステータスシンボルなんだよ。何が無くてもこれ!みたいな。」同僚C 「違うよ、家はあったんだけど麻薬かなんかヤバイことして、追い出されたか、逃げたんだって!」まったく、どういうことだろう??そういえばちょっと違うけど。以前、住んでいたドゥーモの近くの家のそばには教会付属の「慈悲の家」があって、いつもまわりにはたくさんのひとや外国人がたむろっていた。中にはシャワー室などがあり家のないひとはそこで体が洗えるようになっている。そこでは毎朝パンとミルクを配り、昼には食事が出来るようになっているので、貧しい人々が救われている。。。。。。と思っていた。おっといわく、「違うよぉ。」「僕も行ったことあるよ、こっちに来たばかりの時に知り合いに連れられて。昼なんか、タダメシが食べられるから付近のイタリア人会社員でごったがえしているよ。」そうなの?なんか、使い方間違えてないか?イタリア人会社員なんかでごったがえしていては、本当の貧しい人への配給がなくなるではないか!訳がわからない、ミラノの「見えない」部分。でも、こうやって疑問を抱きながらも、客観視出来ていることは幸せなのかもしれない。
2004.10.15
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昨夜もスイミングスクールだったのに、昨日の日記の混雑ぶりはウソのようにガラガラだった。カバのマリーザもクリスティーナも居なかった。理由はだいたい検討がついている。昨日はスイミングスクールがはじまる同じ時間からTVで超ヒット作「グラディエーター」を放映したからに違いない。(ここじゃ買えません)「グラディエーター」を観ていない方は是非、観て頂きたい。古代ローマを舞台にしたひとりの奴隷戦士の物語である。アカデミー賞とゴールデングローブ賞を取ったこの映画は単なるイタリア時代劇ではない。大河も超大河映画である。ドキドキあり、ワクワクハラハラあり、お涙あり。今は崩れて遺跡となって残っているコロッセオもCGで忠実に再現しているところが脱帽である。ストーリーは完璧、美術も衣装も音楽もマッチしまくっている。わたしがイタリア人だったら、イタリア人であることを、誇りに思える映画だ。わたしも「昔のイタリア人はよかった。。。」と観るたびに思う。TVで放映時にはプールがガラガラになるほどイタリアでは未だ人気が高いのだ。それにひきかえ、日曜日にわざわざヨーロッパで一番大きいといわれる画面を持つ、映画館に特別料金まで出して観に行った、我が?ジェットリーの(ここじゃ買えません)「HERO 英雄」にはがっかりさせられた。日本では2年前に上映されたのかな?イタリアにはやっと上陸したのだ。(アジアの映画は上陸が遅い)でも。「キング アルトゥ」と同じだ。前宣伝がすごすぎた。この映画を選んだタランティーニに期待しすぎた。それとも昔、香港映画の黄金時代、香港映画を見すぎたせいか?「HERO 英雄」って20年近くも経つのに、1987年の「天山回廊 ザ シルクロード」(これもみたときがっかりしたけど)とか、その年代の「キョンシーシリーズ」とたいしてレベルも種類も変わらないじゃないか?「MATRIX」顔負けのアクションだが、ワイヤーアクションの宙に浮く殺陣とか、釣り糸こそは見えないものの、うそっぽい。ストーリーは中国の古典映画そのものである。マギー・チャンがおばさんになってたしなぁ。。。。(しかたないけど)そんな映画を見慣れてないおっとでさえ、ぶーぶー文句を言っていた。今日は偏り日記。スミマセン。
2004.10.12
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日曜日に過去の日記の冷凍猫http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200404270000/の近所のおばさんのお母さんが亡くなりました。 89歳。何年かの寝たきり生活にやっとピリオドを打ちました。ご冥福を祈ります。アーメン。 水曜日の朝はお葬式。猫を冷凍するぐらいだから、お母さんにはどうするのかハラハラしてたんですが、普通に火葬でちょっとホッ。(笑)何年か前に亡くなったお父さんと一緒のお墓に入りました。 この夜、おっととわたしはまたもや、呼ばれました。 イタリアでのお葬式なんてはじめてだったんで、こっちではお葬式後にお通夜かな?とも思い、2人で喪服を着て行ったんですが、違った。お母さんの世話のために雇っていたペルー人のおばさんについての相談でした。 このペルー人の彼女も昨日の友達同様、2年前の「不法移民特別措置」で、雇い主である近所のおばさんに条件である正式な正社員雇用をしてもらって、「不法滞在者」から一般市民になれたひとりです。 ペルー人のおばさんには、祖国に飲んだくれの無職の夫と、娘がひとりいます。彼らを養うためのデカセギです。でも、娘は一般市民になれた時に呼び寄せました。近所のおばさんは、昼間働いているのでお母さんの面倒がみれないので彼女を雇いました。 ゴムマリのようにコロコロで、眼光がするどいペルー人のおばさんが、昨日の友達とちょっと違うのは、怠け者だった。 寝たきりのお母さんは床ずれが出来ないように動かしたり、食事を与えたり、たまには車椅子で散歩をさせることが仕事。 なのに、彼女はなまけて、お母さんは床ずれだらけ、お母さんに食べさせるはずのヨーグルトは彼女が食べてしまったり。散歩もさせないのですっかりもやしのようになってしまったお母さん。 いちどは、黙って仕事に遅れてきた(常習犯らしい)わずかの間にお母さんの容態が悪くなり、救急車を呼んで大騒ぎになったことも。 でも。一度、雇ってしまった外国人は、これもまた法で守られていて、簡単に解雇が出来ないのです。それが悩みで、近所のおばさんはいつもおっとを呼んでは、こぼしていました。(日本人に、韓国人の愚痴をいうようなものかな?ちょっとズレは感じるけど。) しかし、今回は世話のために雇っていたお母さんが亡くなり、正当な解雇の理由ができたわけです。 でも、まだ温情家の近所のおばさんは、解雇してしまったら、彼女が職と一緒に滞在許可証を失ってしまうのをかわいそうに思い、どうするか悩んでの相談でした。 でも、おっとがずっと前からわかってたのは、このペルー人のおばさん、とりあえず、近所のおばさんのもとで正式に滞在許可証をとり、推定5人以上の他のイタリア人のもとで不法に働いていること。デカセギ、本気の常識です。 仕事に遅れてくるのも、来る前の仕事が長引いたときでしょう。 おっとが「大丈夫、ここが解雇になっても他に雇ってくれる人がいるはずです。」と、そのことを話すと、近所のおばさんは「なるほどねえ、うすうす気付いてはいたんだけど。。。」とちょっと困惑気味。そして、別のなやみ。 ペルー人のおばさんは、やたら借金を聞いてきます。このあいだは「退職金を前貸ししてくれ。」と言ってきたそうです。近所のおばさんは出来るだけ、要望は聞いていたのですが彼女の経済状態もきつくなり、ついに断ったところ、アパートの住人にも聞くようになって困っていたそうです。 でも、理由は聞いても教えてくれないし、一向に返済する気配もない。 そしてどうしてそんな大金が必要だったかをペルー人のおばさんがポロッと口にしたときは、あぜん。 ペルー人のおばさん、近所に大きなアパートを買ったそう。近所のおばさんのところよりも。 近所のおばさんはお金が返ってくるかも心配ですが、そこまでさせられたことに怒ってました。(日本人同士でも、怒るわな。)そして、また別のなやみ。 銀行口座を持っていないという、ペルー人のおばさんの提案で給料は小切手で払ってました。ペルー人のおばさんはその小切手を持って、近所のおばさんの口座のある銀行で現金に換えてます。だから。 もし、ペルー人のおばさんが解雇の話を持ち出したときに「私はずっと働いているのに給料をもらったことがない!」と訴え出れば、証拠がないのでペルー人のおばさんが有利になるそうです。このおばさんならやりそうです。 でも、おっと「次の滞在許可証更新のときに過去の給与明細と納税証明書がなければ出来ないのでこれは無理でしょう。」(わたしたちは現在進行形で、このことには詳しい!!)近所のおばさんはそれでちょっと安心しました。昨日、話し合いがおこなわれたはず。移民もいいひとばかりではありません。受け入れる側も、そうとう覚悟がいることを知りました。だってそうでしょう?さすがに入国の時に、人格までわからない。入国理由の真偽もわからない。他外国のメンタリティを持つ人たちなのです。そうなると、どうやって見分けます?やっぱりとりあえず法で機械的に選別していくしかない??タイ少女で噴出した日本の移民問題。私はとりあえず90日延長の処置は、政府に移民全体も含めて考える時間を与えるのにちょうどよい時間だと思います。日本はこれからどう出ることでしょうね?この3日間、イタリア移民であり、デカセギ大国出身者の妻であり、日本人である立場として意見をのべさせていただきました。ありがとうございました。日本の移民問題を考える、少しでも参考になればよいと思います。******************************(ここから追記です!!)私の日記を読んだ方からこんなメールをいただきました。**数ヶ月前かな、http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sougou/010630ke12720.htmlこのニュースのペルー人、結局ペルーへと強制送還になったんですよ。タイ人少女のようには新聞にはでなかった。その違いはよくわからないです。**私も読みました。違いがあまりない気がします。違いと言えば、日本人に遠縁としても血縁がいるか、いないかの差?*************************明日はまたまた警察です。もー、今回出来てなかったら、今夏の日本行きはおあずけ。TOPへの残日数表示もやめます。来週からは、普段のお気楽日記に戻ります、戻りたい。。。(希望)では、みなさんよい週末を!
2004.07.09
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土曜日は警察のこともあり、ブルーだったのですが、おっとの友達の誕生日会に招かれたので、気分転換に行くことにしました。 友達と行っても、友達の弟の友達で、しかもその友達も来なかったので、ちっともつながりがないんですが、1回、会っただけでも誕生日会に招かれてしまう。 そこが南米というか、おっとの性格というか。とにかくお祭り好きです。 彼の家はミラノのちょっとはずれの住宅地。 いつものようにわたしたちが遅れて行ったときには、もうせまい2DKの家に招待客がぎっしり!(日本人だったら、家の大きさにあわせて招待客数を考えそうですが、エクアドル人はそんなことしません。) おっとが誕生日プレゼントに買って行った物は、ビール1ダース。南米人のおやくそくです。 少ないイスにかわるがわる座りながら、彼のお母さんがつくったおいしいセビチェを食べました。 彼らは海辺のコスタ出身なので山のシエラのキト出身のおっとがつくるセビチェとまた違っておいしかった。 彼らにとって冷たい魚介のスープ、セビチェは日本でいうおすしのようなポピュラーな料理。地方によって味が違うのをはじめて知りました。 まだ、イタリア語が話せない、あどけない顔の双子の妹は、こっちに来て1ヶ月弱。 実は彼女たちにはすごい背景があります。身の上話好きな友達が語ってくれました。(エクアドル人はみんな身の上話が好きらしい。。。)彼の現在の家族構成: 奥さん、お母さんと15歳の双子の妹。 この友達は、はじめはひとりでイタリアにデカセギに来ていて、寝る間を惜しんで働き、祖国の家族に仕送りをしていました。 そして、2年ほど前に出た増えすぎた外国人に対する「不法移民特別措置」で「不法滞在者」から「一般市民」になれたのを期に、こちらで知り合った奥さんと結婚、そして祖国からお母さんを呼びました。 お父さんはいません。双子の妹は、祖国の唯一の親戚であるおばあさんに預けられました。 が、2ヶ月ほど前におばあさんが亡くなったので身寄りがなくなり、呼び寄せる決心をしました。外国人が扶養家族の申請ができるのは 両親、妻(または夫)、14歳以下の子供のみ。(日本は6歳まで) つまり、妹はダメなのです。もう15歳なので、お母さんが子供として呼び寄せるのも無理。でもまだ15歳で身寄りもなく、祖国で独り立ちなんてできる歳ではありません。 でもこの2年の間で、イタリア入国は厳しくなっていて、彼らのような第3諸国の外国人は、厳しい審査に通過したビザを持った者しか入国できません。 エクアドルも同じでデカセギでひとが流出するのを防ぐため、めったなことではビザは出さず、出たところで手続きに気の遠くなる時間がかかるそうです。 わかります、日本では考えられないことですが、役所の動きののろいことと言ったら! たとえば、私たちが結婚したとき、お互いの戸籍抄本を取り寄せる必要があったのですが、私は母に頼んでから市役所でつくってもらい、配送時間も含めて1週間で着きました。 おっとは、お父さんに頼んでから市役所でつくってもらうのに1ヶ月半、それを在エクアドルイタリア大使館で本物であることに認めてもらうまで1ヶ月、配送に3週間かかりました。 そこからおっとが書類を在イタリアエクアドル領事館で翻訳してもらうのに1ヶ月。 約4ヶ月もかかりました。 首都のキトには孤児や、貧しいこどもが大勢、道端で靴磨きをしたり、物乞いをしたりしてるのです。 肉親としては、審査に通らないかもしれないし、15歳とはいえまだ子供。 心配で、そんな時間をかけて待っていられませんでした。そこで、どうしたかというと。最近EU入りした旧東欧、イタリアの隣国スロベニアで飛行機を降り(ここはビザの必要がありません。)(たぶん)偽の滞在許可証を持たせて、比較的コントロールの甘い、電車でイタリア入り。 不運なことに国境でばれてしまいました。(きっと、同じような手段で入ってくる外国人が多いんだろうな。) 1ヶ月、まだ15歳の双子の妹たちは投獄され、強制送還ぎりぎりなところを、友達は、有り金をはたき、弁護士を雇って、なんとか解放してもらったそうです。 解放理由は、イタリアの法律に従い、「18歳未満の子供は親の監督保護下でいなければならない。」ということです。 これも、法の隙間です。 14歳以下の子供しか、呼び寄せられないのに、18歳までは親の監督保護下でいなければならないので、助かったわけです。 でも、解放はしてもらったものの、不法滞在者。この双子の行く末が、おおいに気になったんですが、彼らもまだ、どうなるかわからないそうです。きっと、うやむやになってしまうんだろうな。イタリアの警察は人道的考慮の余地なんてまったくありません。でも、最初はしてたみたいな形跡はありました。たとえば、私も四苦八苦している滞在許可証の更新:以前、小さな子連れ、妊婦、身体障害者は滞在許可証を待つ、長い列を飛ばして優先してやってもらえてました。が、そこで、外国人が編み出した姑息な技は:1.女性の場合、親戚の子供を借りていく。2.男性の場合、知り合いの妊婦や子連れのお母さんを借りていく。3.偽の身体障害者証明書をつくり、障害があるふりをしていく。 すぐにばれるんですが、「いいーじゃない、やってよォ。」で他にもたくさんの外国人を処理しなければならないので、目をつぶってする警官も多かった。 でも、最近は騙されなれた警官は、本当の優先しなければいけないひとも容赦なく、列に並ばせるようになってしまいました。 今日の新聞を読むと、小さくミラノ警察の外人課の警官に賄賂や贈賄をして、偽の許可証を認めさせていた3つのブローカーが逮捕されたことが書いてありました。 こんな感じなのでもし、イタリアでは今回のタイ少女のようなケースがあっても、日本のようにクローズアップはされないと思います。 イタリアのような移民法の改悪が繰り返されるのではなく、まだ、日本の移民受け入れの歴史が浅いうち(??というか、増大する前??)に日本らしい、きめ細やかな人道的配慮のなされた、法律がなされることを期待したいところです。**************************** このパーティに参加したエクアドル的外国人は、私とエクアドル人の奥さんを持ったイタリア人男性ひとり。彼らは私たち2人に向かって言いました。「100年前、あなたたちが南米に移民、デカセギに来たときは私たちは暖かく迎えたはず。なのに、あなたたちは搾取するだけ搾取して出て行った。そのおかげで我々が貧困に陥り、こんどは我々が移民、デカセギにこっちに来たら、この有様だ、あんまりだと思わないか?!」私たちはぐうの音も出ませんでした。。。まったくそのとおりです。(ちょっとTHE DAY AFTER TOMORROW の最後のシーンを思い出しました。アメリカは南米人の入国に厳しいけど、メキシコは暖かく行き場を失ったアメリカ人たち無条件に受け入れてめでたし、めでたし。ってやつ)明日はある、ペルー人「デカセギ移民」を雇ったイタリア人のおばさんの悩みを書く予定です。
2004.07.08
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タイ少女の在留期間が延長されそうで、よかったです。(参院選を前に)小泉首相の意向が働いた、とか。 イタリアもちょっと前、イラクに囚われていたイタリア人捕虜が(ヨーロッパ総選挙を前に)米べったりのベルルスコーニ首相の意向がめずらしく働いて、開放されてよかったです。まあ、背景の政治的モヤモヤはさておき、結果オーライで本当によかった。 移民問題が日本でクローズUPされてたくさんのひとの関心と署名が集まったことをうれしくおもいます。 でも、こんな少女の例はほんの1例できっと、同じ、またはもっと過酷な例が水面下にたくさんあると思うのです。 これをきっかけに多くの移民が人間的な扱いを受けられるようになれればいいですね。 さて、日本にお住まい、または日本を捨てていない(?)日本人の方は、日本への移民、難民に対して、どう思いますか? 私は正直言って日本にいたころは、外国人が日本に浸透してくることにあまり良い印象がありませんでした。特に1人種のみで構成されてる日本だし。 肌や髪の色、言葉の違う外国人はやっぱり異質感がぬぐえなかった。でも、イタリアに来て、私が移民の立場に立たされ、しかも南米人と結婚してからは考えが変わりました。******************************イタリアには大きく分けて4種類の移民がいると思います。(日本も同じ?)少ない順に挙げると:1.「ちゃんとした移民」 仕事も目的もきちんとあって来るべくして来た人たち。不法滞在者数少。2.「なんちゃって移民」 祖国の状態がせっぱつまってなかったり、祖国の家族に仕送りの必要もないけれど、留学や社会経験のために外国に出る資金もないため、移住先の外国で働いて、そのまま居つく移民。(最近、イタリアの日本人にも増えて来てます)不法滞在者数中。3. 「デカセギ移民」 祖国の経済状態の悪さのため、少しでも経済が安定した国に出稼ぎに行って貯金をして、数年して帰るケース。「短期でがっぽり」が基本なので、手段、職種選ばず。不法滞在者数多し。 または仕事が安定したら、家族を全部、呼び寄せて完全移民になることも。4. 「本気の移民、難民」 祖国の戦争などの生命の危機や、悪政治のためのどうしようもない貧困から逃げてきたひとたち。このひとたちも、生きるためなら、手段、職種選ばず。もちろん、不法滞在者数多し。********************** 私もおっとも「なんちゃって移民」だと思います。(笑)南米人は「デカセギ移民」が多いのでおっとは稀なケースだと思います。 ですが、祖国の戦争などの生命の危機や、悪政治のため、どうしようもない貧困から逃げてきた「本気の移民、難民」もたくさんいるのです。 もしもあなたが「本気の移民、難民」の立場に立たされたらどうします? 私だったらもし、自分が大黒柱で家族を支えなければいけない場合、その国の政治家でもないかぎり、やっぱり、生活を向上させるため安全な外国に逃げることをナチュラルに考えると思うのです。多少、リスクを犯しても。 イタリア人はあからさまに、「デカセギ移民」、特に「本気の移民、難民」に対してはひどい扱いをします。 まったく、彼らも90年程前には、あらゆる地に移民に行った 国民だというのに、それを忘れてひどいものです。この扱いに対して祖国ではきっと、無垢の羊だっただろう移民、難民たちもあらゆる悪行で対抗するひとも、当然出てきます。まったく悪循環です。明日は、あるエクアドル人の「デカセギ移民」の声について語る予定です。今週は社会派いくきーとの人権週間です。
2004.07.07
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昨日の日記では、足をまだまだ踏み入れたくなかった、老春世代へと入ってしまった哀愁をつづったつもりだったのですが、コメントをみるとダブルベッドへの話題が半分!(笑) 日本で結婚生活を味わってないのでどうもピンと来ないんですが、あ、そういえばうちの両親は2つベッドで寝てたな。(結婚式に来伊したとき、「あんたたち、ダブルベッドで寝てるの?!」って目を丸くしてたっけ?)あー、昔若くして結婚した友達の新居でダブルベッドをみたときは、「ひゅー、ひゅー!」ってからかいながらこっちが気恥ずかしかったっけ? でもイタリアじゃ、2つベッドや布団を買うより安上がりだし、場所も取らないしでダブルベッドは 当たり前。 実はこのベッドは結婚前、独り暮らしの頃から持ってました。狭い私の部屋はベッドに90パーセント面積を占められましたが、大の字になって寝ることに小さい頃から憧れていたので。 このベッドの上で制作してみたり、友達とトランプして盛り上がったり、ソファーかわりにその頃、シェアメイトの飼っていた猫とごろごろしながらTVをみたり。いまはおっとがひとりでごろごろしながらTVをみてます。。。(考えたら家の中も靴で生活する国で、ベッドってタタミ代わりなのかも?)************ なんか、まわりくどくなっちゃいましたが、最近一部のお友達と、「アクセス数UPのために何をすればよいか?」という話題になりました。 やっぱり、みんな気になってるんですねー。私もおおいに気になってます。 私の場合、おっとに「土日PC接触禁止令」が出されているので月曜日、土日の激減したアクセス数をみていつもがっかり。まめに毎日、日記を書いて、自分でもアクセスしとかないとだめなんですね。 お友達と論議の結果、「エロいタイトルと(画像つき)」が、日記の内容はともかくアクセス数が倍増する!ということになりました。 それで、先週「ブロンド女性はピンクがお好き」とか、月曜日の「まただよ、また。(画像つき)」なんてタイトルで試してみました!!「ブロンド女性はピンクがお好き」は最初、(おおー、上昇している!)と思いましたがつかのま。いつもみてくださるメンツとちょっと違う方が何人か来てくださったくらいでした。「まただよ、また。(画像つき)」なんてぜんぜん。後から(画像つき)を前に持ってこなくちゃだめだ、ということがわかりました。 でも、これでわかったのは、「エロいタイトルと(画像つき)」に伴う本当のエロい、しかも画像つきの日記を書かなければ意味がない!ということです。 そのうち実験的に書くことにします!!なんてうそ。私のHPは上品で教養がないとダメなのです!これも、大うそです。 えせのアクセス数をUPするためにエロいタイトルも織りまぜながら、これからも頑張ります!!(って今日も実験です。そこまでしてアクセス数を獲得したいか。。。(泣))
2004.06.30
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先日書いた「呪い」はかなり解けた。(興味のある方は、この過去の日記をみてね!)http://plaza.rakuten.co.jp/piccolaitalia/diary/200406040000/ おっとの首のむちうちは全快、私の頭痛は処方箋通りの薬を飲んでいてかなりマシである。 でも、赤い金魚は。。。思わしくない。調べてみると「転覆病。塩水に泳がせて水温に気をつけ、しばらくエサをやらなければ、治る場合もある。」と。つまり治らない場合もある、ということか。 とにかく、別のバケツに入れて書いてあるとおりにしてみた。最初は傾いていても元気だったのが、だんだん元気がなくなってきたのでちょっとエサをやる。ちょっと食べる。 ある日、家に帰ってくると完璧にひっくり返っていたので、まっすぐに戻してやった。 そして、この日からみるみる弱っていった。 何日かは水底でいもむしのように丸まって同じ方向に休むことなく泥の中のハゼのようにはいずっていた。もう、浮かぶことが出来ない。 そしておとといからはエサをやっても食べなくなり、じっとしてひたすら口をパクパクしている。みているだけで可哀そうだ。 きのう、ついにおっとが「もう、これ以上生きても苦しいだけだよ。水から揚げてやろう。」と言った。そう、安楽死だ。 私は昔飼っていたヨークシャテリアを思い出した。彼女は17歳で死んだ。天寿をまっとうしたと思う。 でも、死ぬ2年前からぼけだした。エサを食べたすぐ後でエサを欲しがる。いきなり誰かが来たときのようにあらぬ方向に吠え始める。いきなりはいつくばるように座ったかと思うとそそうをする。。。 そして、1年後、寝たきりになる少し前はずっと同じ場所でクルクル粉をひくロバのようにまわっていて、倒れた。そう、赤い金魚と一緒だ。 そのころ、私は仕事が忙しくいつも夜中に帰宅していたのでずっとほとんど母が面倒をみていた。床ずれがしないよう、常に動かしたり、たれながしの汚物をきれいにしたり、大変そうだった。 こんな小さなイヌで、これだけ大変なのだから、老人介護はいったいどれだけ忍耐と労力がいるんだろう?と思ったこともある。 そしてある日、夜中に帰ってくると母はもう寝ていてた。その隣に箱に入れて寝かせていたイヌの様子を見に行って 冷たくなっているのをみて「ワーン、おかあさん!死んじゃったよう!!」と母を慌てて起こしてふたりでかわるがわるイヌを抱きしめて泣いたことが忘れられない。 次の日、遠くの動物霊園に死体を持っていき、焼いてもらった。家族で小さな小さな骨壷に小さな小さな遺骨をつまんで入れた。涙がとまらなかった。 そのあと、お寺に骨壷を収めたが、何日か後にすぐにひきとって家の庭の隅に埋めた。死んでも17年も一緒だったイヌと離れるのがいやだった。 こうして彼女は自然に死んでいった。その前、「安楽死」なんて考えたこともなかった。 この間、同僚のひとりが元気がなかった。どうしたの、と聞くと「ステッラがもうだめそうなの。」という。 ステッラとは彼女が何年か前に高速の横をとぼとぼ歩いていたのを拾ってきた雑種のイヌ。拾ってきたときは、痩せこけておどおどしていて可哀そうだった。もうすでに成犬だったからいったいいくつかわからない。「もう、自分でエサも食べれないし、起き上がれないし。午後から獣医に連れて行くの。」 私はてっきり、治療に行くのかと思い、「うん、それがいいね。」とうなずいた。 でも、他の同僚たちは暗い顔で「そう、いよいよ。。。」「思い残すことはない?もう、覚悟は出来てるのね?」と聞いている。 このやりとりで 永遠にステッラとお別れするのだということがわかった。 イタリアではペットの犬、猫を自分で処分することは禁じられている。必ず、獣医に持っていかなければならない。でも、まだ生きてるのに。。。。 彼女もおっとと同じことを言った。「そりゃ、胸がはりさけそうなほどつらいわよ。でも、ステッラのことを考えると、苦しみながら死を待つよりこのほうがいいと思うの。」 そういいながら目が真っ赤になって今にも泣き出しそうだった。「安楽死」。 イタリアでも自分の年老いた重病の父親を殺したり、障害を持つ息子の将来を悲観して殺したり、という記事をよく目にする。相手が人間であるため、問題はもっと難しく、判定につらいものがある。 私も今、たった一匹の金魚に悩んでいる。(この間は何も考えないでさんまを食べたくせに。)苦しみから救うことを考えると安楽死させたほうがいい。しかし、まだ生きているのだ。私にこの小さな命を奪う資格はあるだろうか?作業は簡単。ただ、水からすくい上げるだけでいいのだから。でも、それがどうしても出来ずに困っている。PS.重いですね。明日から普通の日記を書きます。
2004.06.16
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昨日、あることを知った。 偶然みつけた、イタリア在住の人のHPでチャットをやっていたので少しのぞいてみた。自慢じゃないけどチャットというものに今まで参加したことがない、というのはキーボードで文字を打つのが ものすごく遅いし考えながらなので追いつく自信がないからだ。 みてたら、参加者のほとんどがイタリア在住の女性たち。やっぱりイタリア、日本人が多いなーと思う。イタリア語のはなし、友達のはなしから「派閥」の話になった。 なんでもフィレンツェを中心に日本人の組織するやくざの大きな2つの派閥があって、毎日闘争している、というもの。。。というのはウソですが、本当にいくつか派閥があってにらみあっているらしい。どっちかの派閥のだれだれちゃんと仲良くするともう一方の派閥のひとたちから冷たくされるとか、だれだれちゃんの機嫌を損ねると、あっというまに日本人の間に悪口が広まるとか、書いてある。 そういえば、はるか昔、深窓の私立の女子中時代、そーんなこともあったっけ? チャットしてるひとたちはお子ちゃまたちなのね、とみていると皆さん、「夫」とか「仕事」などの単語が出てきて、どうやら結構、いいお年なのですね。 おそるべしフィレンツェ日本人社会。よかった、何も知らない2ヶ月だけ居て、ミラノに引っ越してきて。とホッとしてたら 誰かが「ミラノにもありますよ。」と。 ゲゲッ、8年もミラノにいて知らなかった。って実はどこかの派閥に所属しているのに気づいていないだけだったりして。派閥をつくるどころか、日本人の知り合いをつくることさえ難しいミラノの果ての我が家。もしこの先、日本人の友達が出来ても考えて慎重に行動しなければならないのだろうか?他の外国の日本人社会にもこういう派閥があるんだろうか?
2004.05.21
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日曜日は夫、エクアドル人とイタリア人カップル4人でメルギブソン監督の「ラ パッショーネ ディ クリスト」(日本題不明)の最終日を観に行った。これはキリストが役人にとらえられてから十字架にはりつけにされるまでの12時間を描いた映画。なぜ最終日になったかというと、夫は封切り前から行きたいと言っていたのだが、私がもう別の国で観に行った日本人の友人から血のシーンがたくさんあってこわい、と聞いていたので渋っていたためだ。結局一緒に行ったカップルが「すごくよかった、絶対行くべきだよ。私たちも観たけどもう一回行きたいし。」というのでそこまでのものなら、としぶしぶ承知した。 最終日で小さな映画館というのもあって空いていた。イタリアでは普通映画は字幕な完全イタリア語なのだがこれはオリジナルを重視するという趣旨でラテン語とヘブライ語のオリジナルにイタリア語の字幕だった。映画はひたすらキリストの苦悩を描いている。美術はすばらしくまるで宗教画そのものの世界だ。それにオリジナル言語のラテン語、ヘブライ語。つまり日本で言う古典の言葉はとてもマッチしている。夫もこのエクアドル人の彼女もキリストの苦悩に自分の身を重ねてか、泣いていた。イタリア人の彼は泣きはしなかったが身を乗り出して釘付けだった。私はただただ苦しかった。何を好んでこんなに苦しがっているキリストを2時間も観なければならないのか?はりつけの手足に釘を打つシーンも生々しくて正視は出来なかった。みんなマゾなのか??つくりかたはいいが、2度もみるほどいい映画とは思えない。 私が思うにこの映画の好き嫌いは信仰心の厚さによるものだ。 南米もイタリアも国民の90パーセント以上がキリスト教信者である。南米人は特に信仰心が厚いので感動して泣いたらしい。だが、このイタリア人の彼は日本人と同じでとりあえず家はカトリックだけど教会のミサに行ったこともない、という現代っ子だ。だから、彼を釘付けにした理由を聞くとアメリカ映画でありながら、俳優のほとんどがイタリア人で撮影もカラブリア州のマテラという風光明媚なところでおこなわれたから、共感を持ってみたという。彼らの学校で教えられてきた宗教の基盤も手伝っているのだろう。まあ、私たちが「ラストサムライ」に夢中になったようなものかな? みんながこの映画について討論しているとき、私は、というとこの日の午前中に家で観た ミラノでは貸し出しになったばかりのDVD,北野武監督の静かな精神愛を描いた「DOLLS」とのあまりにものギャップに苦しんでいた。これは素直にじーんと来た。やっぱり私は宗教と程遠い人間のようだ。
2004.05.03
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最近地下鉄駅構内で郵便局のポスターをやたら目にする。国際送金のCMで前回は「祖国の家族」編。アフリカ人や旧東欧の母が赤ちゃんを聖母子像のように抱いた写真に各国語で「あなたの送金を待っています。」ああ、これは出稼ぎのお父ちゃんがグラッと来るねえ、と思っていたら第2弾が出た。ポスターの半分に若い中国人がイタリアの工場をバックに誇らしげに働いている写真であと半分が丘の上に立つ黄金に光り輝いた家の前で若い妻がにこやかに笑っている「私は送っている。」編。他にも同じようなパターンで南米人などもあり。私もひとのことは言えないけどこんなに大々的にCMするってミラノって本当に移民、出稼ぎが多いんだな、とつくづく思った。他の街も同じポスターがこんなにたくさん貼り出してあるんだろうか?
2004.04.09
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