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WIN VISTAに替えてからというもの、PCは不調続きである。だいたい、旧バージョンよりよくなるのが新バージョンのはずだが、我が家の場合は違う。先週、わたしはイタリア語の料理のサイトを検索していた。というのも、わたしが外に出られないのでおっとが毎週末一週間分の食料を買いだめしてくるのだが、細かい買い物メモを渡しても、その1/3は違うものを買ってくる。ひとに頼んでいるのだし、そこを突いてあれこれいう資格もないのはわかっているので、多少我慢をしているのだが、なぜこのおっとはいつも「サラダセット(すでに洗って切ってあるサラダ用の野菜セット)」と書いても、わたしが今まであえて買わなかった日本では見かけない珍しい野菜ばかり買ってくるのだろう?この夏はイタリア全土、過去128年の観測歴の中で一番暑い夏だそうだ。なんでもアフリカから熱風が流れて来ているそうである。ミラノも連日35~37度の灼熱地獄と熱帯夜が続き、食べる気もしなければ作る気もしない。おかげでつわりはずいぶん軽くなったというのに、体重も軽いままである。そんなときに簡単サラダセットを。。。といつも夢に見るのだが、おっとの買ってくる根菜系にまるで蝋で作ったような分厚い葉っぱがついた野菜では、サラダにしても噛み切れなさそうだし、茹でてもなんとなく苦そうだ。それで、その野菜の単語をググッて、調理法をあれやこれやと眺めるのだが大概はそれをざくざく切ってグラタンのようにチーズをどっさりかけてオーブンで焼く、と書いてある。そういえば2年前の冬にボイラーが壊れて、オーブンで暖を取ろうと試みたな。。。。(何人のお友達がこれを覚えているだろうか?)それを考えるとこのくそ暑いのにオーブンなんてやっぱり使えない。さらに検索していると、あるレシピの写真だか動画が見れなくて、「ActiveX(たぶんこの名称)をインストールしますか?」というウインドウが立ち上がった。WIN VISTAに替えてから手持ちのそういったソフトがすべて消失したので、まいど面倒ながらそんなウインドウが立ち上がるたびにダウンロードしなければならない。「ActiveX」も見覚えのあるソフトだったので警戒することもなく「はい」をマウスでクリックした。そのとたん。あらゆるウインドウが立ち上がり、決して「ActiveX」ではない訳のわからないソフトが次々勝手にインストールされて、デスクトップにさまざまなアイコンが出来ていく。OOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!!やられた!!!!!完全にウイルスにやられたようだ。過去、ウイルスにやられたのは数年前、まだWIN98日本語バージョンを使っていたとき。日本語のわからないおっとが何にでも「はい」をクリックして取り込んだ。そのときはあちこち手をつくして日本人のPC技師を探して、取り除いてもらったのだ。頭を混乱させながら「そうだ、根源のこの訳のわからないソフトをアンインストールしなければ!」とコントロールパネルを開こうとするのだが、すっかりいかれてしまったPCはコントロールパネルすら開かせてくれない。そして買ったときからインストールされてあるノートン先生は「問題なし。」の青信号を出している。。?PC本体からと思われる警告ウインドウが立ち上がり「このスパイウェアを取り除くにはこのサイトからこのソフトをダウンロードしてください。」と出てくるのだが、それすらおそろしくて信用がならないので触われない。すっかりお手上げになってしまった。そこで買った店のカスタマーズサービスに電話をする。電話口にはたどたどしいイタリア語の男性が出て、あれこれ指図してくれるのだが、どこをどういじってもどうにもならない。10分ほど話して「うちじゃわかりません。」と終わった。このサービス、有料なのだ。しかも彼の下手なイタリア語に、どこの出身かときけば、彼はスペイン人でこのカスタマーズサービスはスペインに直通電話だという。なんだ、それならネイティブのおっとに電話してもらえばよかった。いやっ、そ~ゆ~ことじゃなくて、なんでわざわざ国際電話料金まで払って、そういう問題窓口に電話しているのに「うちじゃわかりません。」なのだ!?プロがダメだとなると。。。詳しい友達に直接PCを持ち込んで聞くしかないな。と考えた。一番頼りになる友達はウンブリア在住だし、そのほかのミラノの友達はすでにバカンスに出かけていたり、あまり親しくないから頼みにくかったり。。その夜帰宅したおっとにこの事実はおそろしくて言えなかった。なぜなら前回ウイルスに感染したときにはわたしが「Hサイトばっかりみてるから、そんなものを取り込むんだ!!もうPCに触るな~!!」とおっとをさんざんなじったのできっとそのしっぺ返しが来るに違いない。幸運にもおっとはその日はPCに触らなかった。翌日。もう一度PCを立ち上げ、実は昨日のことがただの悪夢で、今日は正常に戻っている、という状態を望んだのだったが、結果は同じだった。仕方がないのでしぶしぶ仕事中のおっとに電話した。意外におっとの反応はあっさりしたものだった。「あ、そうなの?じゃ、ちょっとその辺の知り合いを当たってみるよ。」その日の夜、帰宅したおっとは「プロに頼むことにしたから。」とPCをバッグに詰め込んだ。PC音痴のおっとがプロの知り合い?おっと「いつも配達に行くところにプロの事務所があるんだ。1時間25ユーロで診てくれるって。いいだろ?」なるほど。運送業っていろんな職業と幅広く知り合えるんだな。次の日、おっとはPCを持って事務所に行き、2日後の先週土曜日には受け取りに行った。かかった費用は1時間ちょっとの30ユーロだった。しかし。どういうことだろう?このことについて、言及もなじることもしないおっとがこわい??
2007.07.23
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なんか昨日から忙しい。毎火曜日は仕事が締め切り前で忙しいので、体調が悪くても、なるべく行くようにしている。なのだが。わたしとペアのマッシモが月曜から産気づいた奥さんに付き添っていなくなってしまった。可哀想に奥さんはまだ産まれなくて苦しんでいるらしい。月曜の朝、苦しみだした奥さんを連れて、かかりつけのミラノの中心にある病院に行くとすでに産気づいた女性が40人も待っていたそうである。汗しかも37人がムスリム系の外国人。滝汗病院に「午後3時ごろ、空きましたら電話します。」と言われてマッシモたちはしかたがなく家に戻って待機したそうだが、3時が過ぎても当然電話などなく、よろよろの奥さんを連れてもう一度病院に行くと、夜まで待たされたあげくやっと入院して待機の状態となったらしい。で、マッシモは今か今かと今日までほとんど寝ないで待っているらしい。それはお気の毒、というかめでたい、というか、いいのだけど。突然わたしの身に締め切り直前の仕事が降って来やがったっ!!!!おかげで昨日は地獄を見た。残業の末、やっと100枚近くにおよぶプリントアウトの処置をして、そこにまだ残っていた2人の同僚たちに「プリンターが稼動しているからPC消さないでね。」と頼んでやれやれと帰宅。今朝、出勤したら3枚しかプリントアウトされてなくて、PCは消されていた。_| ̄|○_| ̄|○_| ̄|○OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH、NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!あまりのショックに笑ってしまった。涙しかしこの2人の同僚たちに聞いても、彼らは消していない、という。ミステリーだ。誰かわたしを呪うものが、遠隔操作で消したのだろうか??ミステリーといえば先週のある日の午後。マテオ「MACのモニター、貸して欲しいんだけど。。。どこ?」我がデザイン室全員「え?」驚いたのも無理もない。気がつかないうちに我が社でたった1台のMACのモニターがデスクの上からなくなっていた。わたしはサルデーニャにいたから知らなかったが、先々週は仕事で少しマッシモが使ったので、あったという。MACはめったに使わないので、プログラマーたちが新しいプログラムのテストをするために、時々モニターを借りに来る。わたしたちが会議などで全員席をはずしているときに黙って持っていくこともザラなので、気がついてはいたが、てっきりマテオたちプログラマーが、彼らの部署に持っていったのだと誰が言うこともなく、暗黙の了解をしていたのである。マッシモ「。。そういえば、キーボードも本体も全部ないよ!!」ここでやっと社内は蜂の巣を突付いたような大騒ぎに発展した。マテオに言われるまで気がつかなかったぐらい、会社内は正常な状態だった。慌てて各部署、何か他にも盗まれていないかチェックした。そして新たに盗難が発覚したのは、技術部に隔離して置いてあったMAC関係のソフト。明らかにMACを使うために誰かが盗んだのだ。そして秘書の机の中に入っていた先日購入したばかりのSKYPEで会話するための新品のヘッドホン数本。以前にも我が社は何度か泥棒に入られている。 でもなんかおかしい。今までは朝一番のものが、あちこちに散乱する書類と、破られた窓などを発見する、というパターンで、いかにも「泥棒に入られたオフィス」だったのだ。だが、今回は違う。上記のものが忽然と消えただけで、社内は荒らされていない。今朝のことといい、大いなるミステリーである!!!そして、騒ぐだけ騒いで、誰も原因追及に乗り出していないのも、我が社のミステリーなのだ。_| ̄|○
2006.09.20
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今日はわたしの誕生日だ。その前日に英国で爆弾テロが未然に防げたのはいいが、今日になってもまだ大混乱なのは、まるでわたしの誕生日を忘れられないものにしてくれているような節がある。違)目目さんが今週、バカンスに旅立つ前に先日の高麗人参エキスと、目目娘ちゃんが画用紙に「いくきーと、お誕生日おめでとう!」とイヌの絵を描いてプレゼントしてくれたのには喜んだ。近所のカルラがお祝いのメッセージを携帯に、わたしの誕生日を覚えていてくれた律儀な日本人の友人数人が、eカードを送ってくれた。それ以外、何もイベントもない。おっとは自分の誕生日のときは1ヶ月以上前から「何を買ってくれるの!?」と大騒ぎをし、誕生月が終わるまで、いつもの飲み会を「ぼくの誕生日会」と言って毎週せっせと朝帰りをしていたくせに、わたしのときは忘れたように何もいわない。というか、ここイタリアでは自分で宣伝するもの勝ちのようである。でも控えめなわたしはそれも恥ずかしいから誰にも言えないしというより、8月で誰も廻りにいないのでパーティも催し甲斐がないというものだ。しかし今週になっても何も言わないおっとに腹が立って、とうとうきのう「わたしの誕生日、何をプレゼントしてくれるの?」と聞いた。おっと「ジェノバ旅行。」ちっともうれしくねえよっ!!おっと「じゃあ、何が欲しいの?」わたしはちょっと前からおっとに打診していたものがあった。「猫が欲しい!」と即座に答える。おっと「。。。ハハハハハ。」と力なく笑い、歯を磨きに洗面所にこもってしまった。出てくるのを待ってしつこく「ねずみ除けにも猫が欲しいよ。」とリピートするわたし。おっと「う~ん、わかった。新しい靴、なんてどう?ジェノバで買ってあげる。」何はなしを聞いてるんだよ、靴なんていらないよっ!今年もわたしの誕生日は何もなく終わりそうだ。。。******ところで2日前変な夢を見た。家の中でわたしとおっとは居間のソファベッドを広げてTVを観ている。そこには何匹かの雑種の子犬たちがよちよちとたむろっていた。わたしは常にその子犬たちがソファから落ちないように気を使っているのだ。なぜか、ソファの隅には割れた薄いガラスの破片がまとまって落ちていて、一匹の子犬がよちよちとそこに行ってガラスをぱりぱり食べ始めた。わたし「ああ、そんなもの食べたらダメ!」と抱き上げて口から吐き出させているうちに、他の子犬がそこに行ってガラスを食べ始めるのだ。手が離せないわたしはおっとに「ちょっと、他のこたちが食べるのをやめさせて!」と叫ぶ。しかしおっとはわたしに「え~、わかった。」と面倒くさそうに言って、寝転がって背中を向けたままTVを観続けている夢。このときすぐに目が覚めて、無実のおっとに憎悪してしまった。おとといは更に嫌な夢を見た。いつもの通勤電車に昨日の夕方、知り合ったばかりの女の子と2人で乗り込んで空いている席を探していると、一番奥の座席にまるで切り取られた白黒映画のように色のない、頭からマントをかぶったちょっとだらしない顔つきの男が座っていた。正面からは顔が見えるのに、斜めからみると空洞である。わたしは「死神だ!」と確信した。その男に「あなたは。。」と言いかけると「思い込むな。」と言う。「わたしを迎えに来たんですか?」と聞くと黙って遠くを見つめる目つきになった。彼の手には汚いビニール袋に入った、なにか証明書のようなものをいじっていた。あれは何だろう?怖くて目を覚まして隣に寝ているおっとの背中にピタリと貼り付く。胸がどきどき、というよりお腹が痛くなってきた。おっと「うう~ん。。。暑い!」と後ろ蹴りをわたしに入れて、寝返りを打ってしまった。非情な奴だ。涙もしかしたらわたしは次の日の通勤電車で死んでしまうかもしれない、という恐怖がわきあがって来て、この後目が冴えてしまい眠れなかった。というわけで、子犬の夢はまだしも、死神、というのがなんとも気持ちが悪い。そういえばこの間、目目さんが「悪い夢は隠してないですぐに誰かにいうと祓われるんだって。」と言っていたことを思い出し、次の日会社に行くとすぐ、同じ課のマッシモに「ちょっと聞いてよ!」と語った。マッシモはうんうん、と興味深げにうなずき「今からロットやってみな。」という。ロットというのはイタリア版宝くじのようなもので、ロッテリアで数字を店の人に言ってそれを組み合わせたくじを作ってもらう。マッシモいわく、そういった意味ありげな夢を見た次の日にロットをやると当たる確率が高いと言う。マッシモはさっそく彼のお母さんに電話をかけてわたしが見た夢を語る。マッシモ「うちの母ちゃん、占いに凝っててね。今から本を見てどのナンバーがラッキーか調べてくれるってさ。」数分後。彼のお母さんから電話がかかってきて、夢の意味と番号を教えてもらった。夢の意味は。。。気持ちの悪い夢だったが、悪い夢ではないらしい。電車は「出発」または「裏切り」を意味する。死神、というのは悪い現状からよい方向への変化を指すらしい。つまり悪い現状が死んで(終わって)、新しい人生へのはじまりを暗示。知らない人(←死神は知らない人)は何かがたくさん舞い込む暗示。番号に関しては、お母さんに「いい、これは絶対一人で遊ぶこと。番号を他人に教えたら効果がなくなるわよ。」と言われたので、会社の昼休みに独りで近所を歩いてロットをやっているBARを探すが8月なのでどこも閉まっている。結局は家に帰ってからおっとと近所をグルグルクルマで廻り、とあるガソリンスタンドのBARで見つけた。マッシモのお母さんには7つの数字を教えてもらったのだが「裏切り」の数字が「16」。これは後ろめたいのでこれだけよけて残りの6つの数字を申請してくじを作ってもらった。店のおばちゃん「いくら賭ける?」前記の「知らない人(←死神は知らない人)は何かがたくさん舞い込む暗示。」を考えれば、きっと大金が当たってウハウハになることに違いない!わたしは思い切って「3ユーロ。」(←貧乏人)と言ったのだが、初心者のわたしが悪いのか、おばちゃんが勘違いしたのか、3ユーロのくじを2枚も作って結局は6ユーロも払わされたのだった。しかししかし、1等が当たればこんな6ユーロなんてはした金だ!当たったら明日には荷物を詰めて、滞在許可証を申請しに行った次の日には日本にとっとと帰って温泉三昧、旅行三昧、ごちそう三昧、買い物三昧でぱ~っと派手に湯水のように使ってやろう!京都の先斗町で芸者遊びと言うのもやったことないから、やってみたいぞ!!(って、女性も出来るのか?)それから、それから。。。夢は大きく広がる。店のおばちゃん「結果は今夜TVでやるから観るといいよ。」それから家に帰って、夕食もほとんど上の空で食べ、テレビデオのロットのページをどきどきしながらくじを握り締めて見た。13。。なし20。。なし21。。。。。を、あった!!60。。なし80。。なし90。。なし思いっきりはずれてるやんけっ!念のために選ばなかった裏切りの「16」。。。。。。。あった!OOOOOOOOOOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH,NOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO!!!!これもやっときゃ、最低限の当たり2個で、払った6ユーロはぎりぎり戻ってきたのに!!は~、所詮宝くじなんて、夢だけ見るものなのだな。_| ̄|○******ところで明日からいよいよジェノバのおっとのいとこの家に3泊4日だ。この行き先についてなにか夢に意味があったのだろうか?今年はあの恐怖のミッシェルちゃんとカティちゃんにお土産に、ベネトンのお揃いのTシャツを、お店のお姉さんに教えてもらったサイズで買った。だが家に帰って拡げてみると、まだミッシェルちゃんはともかく、最近平均的南米人の子供らしく、がっしりした体格になってきたカティちゃんが着れるかどうか不安になってきた。(両親がそういう体型なのでのがれようがないか。)ただでさえ、一触即発のややっこしい~家庭なのに、更にややこしくする原因を作りたくない。2人ともはじめて会ったときはほっそりとして可愛かったんだけどなあ。。。。ハア。わたしのジェノバからの無事帰還を祈っててください。それではみなさん、よい週末を!!
2006.08.11
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あの夜、どんな夢を見ていたかは覚えていない。ただ、外の音に気がついて目を覚ますと、誰か子供か、女性の声で「お母さん。。お母さん!」と扉の向こうのどこかで叫んでいるのだ。わたし「誰か外で『お母さん』って叫んでる!」と隣に寝ているおっとを揺り起こす。おっと「コモ?」(←スペイン語で「なんだって?」の意)ここでようやくわたしは今、自分はイタリアにいておっとはスペイン語系であることを理解した。わたしは慌てて言葉を日本語からイタリア語に切り替えて、おっとに「聞いてごらんよ!」と言う。外ではまだ「お母さん、お母さん!」とずっと叫び続けている。なんで、こんなイタリアの田舎で、しかも時計を見れば朝の4時半のまだ夜も明けていないうちから日本語で、しかも往来で叫んでいるんだ?おっと「。。。耳をちゃんと洗ってる?一番鶏が鳴いているだけじゃないか。」と寝返りを打って再び寝入ってしまった。一番鶏?そりゃあ、この辺は地鶏を飼っているところが多くて朝早くから鶏が「コケー」とか「ケコッコ―」と鳴く。でもでも、ずっと集中してどうやって聞いても「お母さん!」とはっきり発音しているのだ。しばらく謎の声は叫んだ後、静かになった。怖くて外には見に行かなかったが、それからずっと大きな不安にかられて、朝まで眠れなかった。朝になってようやく付近の鶏が鳴き出したが、やっぱり声が違う。あれはいったい、何だったんだろう?*******怖い、といえば。先週土曜の朝、早くから野暮用で出かけたおっとの帰りを待って、一緒にショッピングセンターへ1週間分の買出しをしに行くためにわたしはベランダのベンチに腰をかけて、外を見ながら買い物リストを作っていた。しばらくすると、おっとではなく、長い間、年老いたお母さんの世話をするためにモデナの実家に帰っていたお隣の我が納屋では一番の変わり者のカリモリさんがやってきてクルマを前の道に停めたので「ああ、ようやく帰ってきたんだ。」とちょっと苦々しい思いで上から眺めた。というのも、カリモリさんちの部分は改築したばかりの我が家とは違って、20年前から手入れもしない状態で住んでいるので、当然のごとく、ある嵐の日に瓦が落下した。この件でうちとは反対隣に住んでいる、この納屋の番犬のようなアントネッラおばさんに苦情の嵐を浴びせられ、慌てて様子を見に帰ってきたようである。カリモリさんはクルマを出ると「いやあどうもどうも、お待たせしました?」と階下にいる誰かに声をかけ、たたたっとわたしがいる2階に上がってきた。そして家の鍵を開けながら「お久しぶり!いいところで出会った。うちね、今修理屋に屋根を見てもらうんですよ。もしよかったら、お宅も一緒に見てもらいます?」わたし「いやあ、それはわたしの独断では返事できません。」カリモリさん「じゃあ、マルちゃんはいますか?」そこにグッドタイミングでおっとが帰って来た。しかしおっともやはり独断では返事は出来ないだろう。と思いながらカリモリさんと下に降りた。そこで見たのである!階段の一番下でカリモリさんを待っていたのはなんと、憎んでも憎み足りない、あの「ルイジな」言葉を産み出させた、あのルイジ本人だったのである!!悪夢を見ているのかと、わたしは固まった。ルイジは普通に「やあ、久しぶり!足はだいぶ良くなったようだね。」とわたしに普通に声をかけた。わたし「はあ、おかげさまで。。」と言って、クルマから降りてきてわたし同様、距離を置いて固まってしまったおっとをルイジの背中越しに見る。カリモリさん「彼に今から見てもらうんだよ、でね、お宅も良かったら。。。」と言うのを邪魔するようにおっとは「おい、イクキート。行くぞ!」と苛立ち加減で低い声で言った。わたし「え。。ルイジになんか言わなくていいの?」とオロオロする。おっと「行くぞ!」わたしがクルマに乗りこむと、おっと「全部は弁護士を通じて話し合いする事になってるんだから余計な事を言うな。」カリモリさんはぽかーんとした顔をして、さっそくルイジと階段を上がっていった。しかしカリモリさん、よりにもよって、ルイジに仕事を頼むなんて。。。弁護士がいようがいなかろうが、ルイジに再度、お金を払って仕事を任せるなんて、どうしたってご免である!*****話を戻してあの「お母さん!」という叫び声を聞いた日の午前、我々の弁護士団が再び我が家を訪れた。というのも、上記のカリモリさんち同様、嵐があった日に我が家はまたもや、というか、今までにないほど水浸しになってしまったので、再度、検証をお願いしたのである。しかし。1時間ほど待ったのだが、本来なら我々の弁護士事務所からの依頼で、来なければならないはずの悪徳不動産屋軍団と裁判所指定のはずのペリート(悪徳不動産屋軍団の友人)はとうとう来なかった。怒我々の弁護士事務所がレターを出した時点でもシカトされたようなので、彼らも、そういった場合の対処はもう、考えていたようだ。弁護士「今からMONZAの裁判所に行ってペリートを他の人に替えてもらう様、申請してきます。」わたしはかなりホッとして「そうですか、今度は彼らの友人でないひとをお願いしたいです。」弁護士「。。。それは、どうとも言えませんね。」と苦笑いした。「今日までの間になにか変わった事はありませんでしたか?例えば屋根に誰かが登ったとか?」わたし「わかりません。ア。。お隣にルイジが修理の見積もりをとりに来ました!」弁護士の顔はたちまち歪んだ。「何と。。いいですか、どんなことがあっても彼に勝手に屋根を触らせちゃいけませんよ!」わたし「でも、わたしたち、昼間は留守なのでチェックのし様がないんです。」弁護士「では、ご近所の方に協力してもらって、彼でなくとも、誰かがお宅の屋根に登っていたら、知らせてもらうか、証拠写真を撮ってもらう様にお願いしておいてください。」わたし「わ、わかりました。。」そうだ、状況を考えればかなり危険な状態だ。だってルイジは「お隣の仕事」のふりをして、堂々と屋根に登れる状況なのだ!!そんな話をしながら玄関に置いてある金魚の水槽をなにげなく見やると、4匹いる金魚の中で一番愛嬌のあった赤い流金が底で動かなくなっていた。弁護士たちが出ていってからわたしは急いで水槽に駆け寄る。死んでいた。今朝聞いた悲鳴はこの金魚が発していたのだろうか?先日書いた野鳥のヒナは、わかっていたことなのだが、我が家に来て3日目にはもう、死んでしまった。浅い箱に入れていたので拾った次の日、わたしたちが留守の間に箱から抜け出して、帰宅した時には、石の床で冷たくなっていたのだ。その日は急いで温めて、なんとか生き返ったのだが、これが打撃ですっかり弱ってしまい、もう元気になることがなかった。3日目はこのヒナが息を引き取るのを見届けて、ベランダの花の鉢にまだ生暖かい死体を埋めたのだが、不覚にも涙が止まらなかった。おっと「大げさだな。どうせ死ぬのはわかってたじゃないか。」その通りだ、でも。やっぱり世話も出来ないのに、拾うんじゃなかった。あの時、ぺちゃんこにしてしまったほうが良かったのだろうか?話を戻して金魚は水槽からすくいあげると、まだ死んだばかりのようで、他の金魚たちにつつかれることもなくきれいな形を保っていて、まるでおもちゃのようだった。これも別の花の鉢に埋めた。しかし、連続して死に立ち会ったおかげで、もう涙は出なかった。死に慣れるってイヤだな。家のこんな状態にも慣れてしまって、雨の日には雑巾とバケツを抱えて階段を上がる自分にかなり嫌気がさしている。
2006.07.20
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さて、スクーターの保険がもうすぐ切れる。ここでわたしはギアつきの自転車を買うか、スクーターを修理して保険を更新して使うか、すごく迷っている。家と駅までは歩くと20~25分。途中山坂もあって、毎日の通勤となると少々つらい距離だ。先日スポーツ店で見た、一番安いギアつきの自転車は99ユーロ(約1万5000円)だった。しかし、スクーターを修理して保険を更新して使うとなると;修理代約200ユーロ、保険代250ユーロ、合計450ユーロの計算だ。こうやって数字だけ見れば、自転車の方がはるかにお得なのだが。。。おっとは渋い顔である。なぜならわたしに根性がないことをよ~く知っているし、それだけじゃない。おっと「前に住んでた家も入居時に『自転車で通勤するんだ!』って自転車買って、すぐに乗るのやめちゃったじゃない?」う。。。そういえばそうだ。わたしの小鳩の脳みそはすっかり忘れていた過去の記憶を一気に引き出した!あれは何年も前の12月。あのミラノ隣接町には地下鉄も通っている。しかし我々の家は地下鉄駅までバスで30分。クルマなら5分。なぜ、こんなに開きがあるかというと、バスは我が家を始点に市内を隅々までぐるぐる廻ってお客を拾う、恐怖の市内循環バスだったのだ。こういった理由で自転車を買う決断に至ったのは、早かった。わたしはあの当時、かっこつけてアンティークの黒い自転車を買い、それにあわせてデザイナーズブランドのリュックサックまで新調した。服装もちょっとおどけてシチリアの少年のようにベレーをかぶり、黒い重いコートを着て、家から約3~4kmの地下鉄駅に向って走り出したのだった。この町は、昔は工場町として栄え、今は昔の廃工場がどんどん壊されて新しいマンションが建っていっている。なので駅までの道は工事の大型トラックがばんばん通り、まだ壊されていない工場の高い灰色の壁がひたすら続いていて、決してサイクリングに楽しい道ではなかった。しかも12月の真冬。わたしは毎朝夕、約2週間ほど冷たい灰色の排気ガスをたっぷり吸い込み、結果、人生はじめての「気管支ぜんそく」で倒れた。その後しばらくは、口からシューハーシューハーするミニ呼吸器みたいなものを持ち歩かなければならなくなってしまったのだった。ああ、そんなこともあったっけ?おっと「それだけじゃないでしょ?」そういえば、大きな声では言えないが、固い細い黒い革張りのシートがわたしの敏感な股間を集中的に攻め、股の間が腫れあがり、水ぶくれみたいなのが出来て、しばらく用を足すにも沁みてトイレに行くたびに「!!!!」という悲鳴を押し殺す日々が続いたっけ。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。う、う~~~~~~~~むむむむ。。でもさ、この田舎町は空気はきれいだからきっとぜんそくにはならないよ。それにあのおんぼろ自転車が悪かったんだ。ちゃんとした新品のスポーティなサイクリング車を買えば、お股だってそんなことにならないと思うんだけどな?やっぱりお金がかかってもスクーターのほうがいいのかな。。。でも。先日、めちゃくちゃ久しぶりに大学時代の友人からメールアドレス変更のお知らせが来た。わたしはうれしくなって、今年の不幸を一気にメールで語った。返事がすぐ来た。「お前、まだ懲りずに当たり屋やっとるんか?」当たり屋。。。?はっ!!!そういえば、遠い遠い過去の記憶が一気に戻った!!!まだわたしが将来こんな苦労を背負うとは想像もしていないお嬢様大学生だった頃。父の海外赴任に母が数ヶ月、手伝いに付いていったのだ。わたしは片道2時間の家からでも通えたのだが、それをチャンスに大学の女子寮に入寮したのである。どうでもいいことだが、はじめて監獄のような母の元から解放されての女子寮暮らしはめちゃくちゃ楽しかった。えげつないぐらい羽目をはずし、ほうけて遊んだいい時代だった。「アルバイトなんて、絶対にしてはいけませんよ!」というお嬢母の意向で、生活費もたっぷり仕送ってもらっていた上、内緒でアルバイトもやったので、わたしは更に行動範囲を広げるためにぴかぴかの新品のスクーターを買うことはたやすかった。(もちろん親には内緒)青い「どらえもん号」と名づけたスクーターで天気のいいある日、わたしは大学の午前の講義に急いでいた。ああ~、前の日のコンパで飲みすぎちゃったな、まだ頭がくらくらする。。とたんぼの中の一本道をひたすら走る。ほんの一瞬だった。ほんの一瞬、こっくりして、はっと意識を戻すと、ひたすらひろがる田んぼの中にぽつんと一軒あった小屋の影からトラックが出てきたことに気がついて、慌ててブレーキをかけたときにはすでに遅し!わたしはまるで、スタントマンのようにトラックの下にスクーターと一緒にザザザザザッと滑り込んだのだった。びっくりしてへたり込んでいると、トラックから運転手が「だ、大丈夫!?」とわたしをかつぎあげてトラックに乗せ、病院に運んでくれたのである。救急棟での診察の結果、すりきずだけで異常なし。トラックの運ちゃんは「会社で全部、責任を持ちますから!」とその後、大破したスクーターと同じものの新品と、見舞金を届けてくれたのである。それからだ、しばらくわたしが「当たり屋」と友人の間で呼ばれるようになったのは。そ~いや、そんな若い頃もあったな。懐かしいエピソードだったので、ついうっかりおっとに話してしまった。おっと「スクーターの上で居眠りするようなやつは、運転する資格がない!!!」ああ、じゃあいったい毎日の通勤、どうしたらいいんでしょうか???
2006.05.25
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ミラノではいつでも所持品には注意しなければならない。が、雨の日は特にである。地域によって注意しなければならない人種がある。(あくまでも自己分析だから鵜呑みにしないで)ミラノのど真ん中のドゥモとそのまわりのショッピングゾーン、またはブエノスアイレス通りは荒くれガイジンよりも上品そうにみせかけたイタリア人の方が危ない。あの辺りはいつでも警官が巡回しているからガイジンがヘタに怪しい行動は取れないということか?スリに遭いそうになった友人や、その他のひとたちの体験談を聞くと、毛皮をまとったおばさんとか、きちんとした身なりの紳士が多いらしい。ばれても、平然とした顔でゆっくり立ち去っていくという。金持ちの趣味でやっているんだろうか。。?わたしが住んでいるミラノから少し郊外や、わたしが勤めるオフィス街、ジョイアのあたりなどは、逆でガイジン、そうジプシーが危ない。毎朝、最寄り駅に行くとジプシーの女たちが改札の前でたむろしている。みんな腕に赤ん坊を抱えていて交換する姿も見られる。彼らはいつもほんのわずかな駅員の隙をついて、上手に地下鉄駅構内に侵入、その日の仕事(赤ん坊をダシに電車の中でお恵みを請うこと)に出勤するのだ。やつらの間をすり抜けて駅構内に入るのはいつも実にハラハラする。そしてジョイアといえばミラノ在住のひとにはおなじみの日本の本やビデオの貸し出しをする「日本屋」(4/4に移転するらしいけど)と日本レストラン「ひぐま」があるところである。「ひぐま」の向かいには廃アパートがあって、今からちょうど1年ほど前まではジプシーと犯罪者の巣窟であった。「ひぐま」に夜ご飯を食べに行くと、いつもそのアパートの方から明かりがもれてて、変な音楽が鳴っていたものである。外廊に羊だか、ぶたの丸々1頭の死骸が転がっているのを見た、といううわさもあり気持ちの悪いアパートだった。地下鉄ジョイア駅の前のロータリーの芝生ではいつも朝っぱらから数人のジプシーの女が座り込んで夜中のうちの戦利品の交換会などをやっている風景がよく見られたものだ。女がいる、ということは当然子供もいて、わたしはそれで以前危ない思いをした。それは雨の日だった。傘で視界があまり効かない上、水溜りをよけながら前進することに集中していたわたしは背中のリュックに油断していたのである。傘で隠れるから大丈夫だろうと。しかしそれは間違いだった。前のめりにさした傘は後ろから見ると背中は丸見え。クッとほんのちょっと後ろに引っ張られた感じがして、振り返り、背後に立っていた2人のジプシーの男の子に気付いたときには(ちっとも気配がなかった!きもちわるい~。)もうリュックの2つのファスナーが全開だったのである!(幸い何も盗られないうちに気付いたからよかった。)あの事件からわたしはそこを通るときはかばんはもちろん、リュックのときもまるで田舎者の旅行者のように前におぶって歩くようになった。しかし、1年前、あのアパートには機動隊が大きな昔の門扉を電ノコで切断、なだれ込んで次々に中に居るジプシーたちを捕らえ(ちょうど捕り物劇のときその場にいたけどすごかった)、次の日には本国に強制送還したのであった。その夜のニュースで報道していた逮捕者数は覚えてないけどたくさんだった。しかし実際は捕らえられたのはアパート全体のごく少数のジプシーのみ。動けない病人、老人、幼い子供と母。アホ、というか手順を踏むのはしかたがないのだが、この一斉捜査のだいぶ前から警察はこのアパートの住人の立ち退き勧告を出していたのである。おかげで男たちと女、大きな子供、犯罪者はとっくに逃げた後だったのだ。それからジョイア駅の芝生は一斉清掃、警官も毎日巡回するようになり、花木を植えたりして一時はきれいになったのだが、1年も経つと元に戻ってしまった。さすがにやつらはあのアパートには戻らなくなったが近くの廃工場に引っ越したらしい。昨日の夕方も雨が降っていた。傘をさしながら歩いていると向こうから女の子1人男の子2人の10歳ぐらいのジプシーの子供たちが傘もささずにたばこをふかしながら歩いてきた。そのときわたしは狭い歩道を歩いていて、よけようにもぎっしりと隙間なく路駐されたクルマたちに阻まれてよけようがない。イヤイヤながら彼らとすれ違ったのである。すれ違いざまに女の子がわたしの肩からかけたバックに目をやって何かを2人の男の子たちに言った(たぶんルーマニア語だからわたしにはわからない)。嫌な予感がして、わたしは足を速める。しばらくしてちょっと振り返るとすれ違って反対方向に行っていなければならないはずの子供たちが間隔を取りながら付いてきてるではないか!?わざと立ち止まって振り返ってみた。やつらも「ばれた?」とちょっと気まずそうな素振りで足を止める。あ~~~~ん、やっぱり!!??わたしはダッシュした。走りながら後ろを振り返る。なんと奴らも走って追いかけてくるではないか!!こわいよ~~~~うっ!!! まわりを見渡す。近くに誰も歩いていない。地下鉄の階段を駆け下り、カバンの中の定期券をまさぐる。こんなときに限ってみつからな~~~いっ!!改札を見た。駅員はいなかった。「きゃ~、ごめんなさ~~い!!」と心の中で謝りつつ、わたしは定期も見せずに(ミラノは自動改札機などない。駅員がいないのに誰に見せるのだ??)駅構内に駆け込んだのであった。そしてまたもや振り返る。改札のラインをはさんで子供たちが舌打ちしながらこちらを眺めているのがわかった。そう、ぎりぎりセーフでわたしが駆け込んだすぐ後に駅員が戻ってきたのである。ちょっと西ドイツにうまく逃げ込んだ東ドイツ人の気分。。。。。ふ~、やれやれ。しかしここで油断は禁物なのだ。通勤時間帯の電車の中にもスリは多いのだから。毎日のミラノへの通勤はスリルでいっぱいである。
2005.03.24
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昨日は。朝早くに日記を書き終わってダウンロードしようとしていると勅令が下った。「誰か今日出張にくる下請け業者にPCを1日譲ってくれ。」え~。。。うちは広告関係なのに、珍しく全員PCユーザーである。しかし、さまざまなクライアントからのマテリアルに対応するためにMACが1台、ただそれだけのために置いてあるのだ。譲る、ということは自然にMACに移動、ということになる。で、その唯一のMACが触れられる者、となると。。。。。わたしだけではないか?!いやだよ~!まだ日記のDLも終わってないし、仕事の合間に楽天覗きたいのに!!(MACはRATEにつながっていない。)MACが触れる、というだけでわたしはPCの前から追い払われてしまったのである。自分の器用貧乏がうらめしい。。。。そばでわたしのPCで下請けのお兄ちゃんが働く姿をにらみながら、落ち着きなく爪を噛み続けていたわたし。楽天中毒である。*********おとといの昼休みはラケーレとマリーナと一緒にクルマでミラノのショッピング街、ブエノスアイレス通りに行ってウィンドーショッピング。たった1時間弱、ウロウロしただけだったけど、楽しかった。たまには女同士でこういうことも必要だね。で、いつもと違うBARでパニーノをテイクアウトして会社の前の通りに入ろうとすると、テープが張ってあって警察官が「ここは入れないよ!迂回しなさい。」という。何があったんだろう?すごい数の警官が道にびっしりいるではないか?わたしたちは少し離れた公園の駐車スペースにクルマを停め、徒歩で会社に向かおうとすると、同じく外で昼食を取った男同僚グループと鉢合わせになった。チロ「こっちの道からは会社に入れないよ。反対の道を行こう。」とみんなでぞろぞろ歩く。わたしたちは期待で胸がドキドキである!これで我が社のビルに何か事件があって入れないのであれば、このまま家に帰れるかも?そうしたら、みんなでもう一度ブエノスアイレス通りに戻って散歩しよう!!。。。。しかし残念ながら反対の道からは会社に入れてしまった。ぎりぎりの差で封鎖されていたのは、我が社のビル横の某銀行の本社ビルと向かいの州役所の前の道路部分。会社に入ろうとしていると、たくさんの野次馬が噂している。「爆弾だってさ。」「道の真ん中に怪しいスーツケースが3つも転がっているらしいよ。」「スーツケース爆弾だ。」銀行に嫌がらせ? それとも州の政治に不満を持つテロリスト??イタリアでは、ついこの間ローマで爆弾事件があったばかり。もしかしたら今ここで爆発するかもしれない。そう思うと血の気が引いて、慌てて会社に飛び込んだ。しかし、気になってみんなで窓に鈴なりになる。わたしは同僚たちの頭で何も見えなかった。しかし、しばらくしても動きがないのにみんな飽きてしまい、仕事に戻った。で、1時間ほどして思い出して窓の外を見たらもうスーツケースはなく、道路の封鎖が解かれ、銀行員がぞろぞろビルに入っていくのが見えただけであった。こうして不発に終わった爆弾騒ぎだった。が、やはり気になって夕方のTVニュースや昨日の朝刊を見てみたが、どこにもそんな記事はなく。。。。。あれはいったいなんだったんだろう??クルマに乗っていて大喧嘩した夫婦の片方が、「お前なんかとはもう離婚だ!荷物まとめてとっとと出て行け!!」と用意周到にクルマに乗せてあったスーツケースごと相方を銀行の前で放り出したんだろうか?そして相方は6つもあったスーツケースのうち3つは運べたけど、あとは持ちきれなくて置き去りにしたとか。。。?こじつけすぎ? う~ん。。。。**********おとといの夕方はこうやって爆弾騒ぎの真相を推理しながら帰り道でバスを待っていた。と、携帯が鳴った。女が出た。女「不動産屋です。木曜の5時半にお客を連れてお宅に行きますので待機していてください。」なんだ?この女??「お願いします。」とか、「木曜のご都合は?」とかまず聞くのが礼儀だろうが?いきなり電話してきて「待機していてください。」ってどういうこと?!また変な不動産屋だよ。。。と思いつつ、わたし「6時半ですか。。。ちょっと無理ですね。7時半(おっとの通常の帰宅時間)はどうでしょう?」と聞く。女「遅すぎます。」わたし「じゃあ7時?」女「遅すぎます。」わたし「。。。じゃあ、6時45分は?」なんか、市場の値引き交渉をやってるような気分。。。。女「遅すぎます。」わたし「あなたが言った6時半とたった15分の差じゃないですか!これ以上早くは出来ませんよ。」女(あきれた声で)「何言ってるんですか?!わたしが最初に申し上げたのは6時半じゃなくて5時半ですよ!!わたしは6時45分なんかに行けません!(きっぱり)」わたし「あなた、うちの大家に聞かなかったんですか?わたしは7時以前に家に帰るのは無理だと最初から言ってあります。5時半なんて不可能です!(怒)」女「。。。わかりました。折り返し電話します。」がちゃんっ!!と受話器を叩きつけるのがわかった。こ、こいつ。。。。ムカムカしながら待っているとバスが来た。乗り込もうとするとまた女から携帯が鳴った。女「スタジオP◎◎◎。。です。では来週月曜の6時45分に行きます。必ず居てくださいね!」と喧嘩の捨てセリフのように電話を切ったのであった。スタジオP。。。?早口だったから最後まで聞き取れなかった。お客を連れてくる、ということは一度我が家を見に来た不動産屋だ。スタジオ(事務所)、や カーザ(家)ではじまる名前の不動産屋は多い。家に着いて30枚以上はある不動産屋の名刺に目を通す。そして固まった。。。。。。Pではじまるのは、あの変態不動産屋のみだったのである!!!あんな揉め事の後に、いったいどういう神経で電話してくるわけ(わたしのことを狂人呼ばわりまでしといて)??!!ぐぐぐ。。。トラウマで胸が苦しくなった。この時間はおっとはまだ仕事、帰って来れない。どうしよう?ああ~~~、バカなわたし!!!!!
2005.03.10
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しつこく引っ張るが、やっとおとといの日記の不動産屋に電話がつながった。女の人が出た。おっとはかいつまんで、月曜の夜の出来事を話す。女の人「それは、れっきとした我が社の社員です。今、話されたことは本当ですか?」おっと「当たり前です。そうじゃなかったら電話なんてしませんよ。」女の人「奥さん、なんか勘違いされたんでは? 信じられませんわ。あの社員はもう何年もここに勤めてますし、既婚者ですし、真面目で通ってます。」とだんだん声がこわばっていったそうだ。おっと「アポの30分も前に着いて、しかもずうずうしくもよその家のビデまで使うとは、真面目とは思えないんですが?」ここから女の人は切れたらしい。さんざん、「F◎CK YOU!」に値する言葉を撒き散らし、「あんたの奥さんは頭が狂ってるのよ!!」で閉めたらしい。おっともこうなると、売られた喧嘩を買った。「ぼくたちが引っ越さない限り、2度とあの変態野郎にうちの敷居をまたがせるなーっ!!」と受話器を叩き付けた。この話を電話が済んで、まだ息が荒いおっとに聞いて申し訳なく思ったが、電話をかけて事実を言ったことはよかったと思う。無視は出来ないだろう。これで、彼女にはこの話がしこりとして残るはずだし、たぶん、他の社員にもこのことを語るはずだ。最低でも以後、気をつけてあの変態野郎の行動を観察するに違いない。(たぶん。)このHPの読者にはミラノにお住まいで家探しをしている方もいるかもしれないので、このとんでもない不動産屋の名前を書いておく。絶対、ここは利用しないように! 社員一同で(?)なってないよ!!Studio PirovanoVia Atene,6
2005.03.03
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今日は現場でのバトルを書くはずが。。。以前も書いたようにここ毎晩、不動産屋が家を見に来る。昨日は出勤前にスケジュールをカレンダーで確かめた。18時45分に一件。実を言うと、わたしは月曜と木曜の夜はスイミングスクールがあるので、アポを入れないようにしている。しかし、このアポはおっとがうっかり入れてしまった。おっと「18時45分で大丈夫?」わたし「え~。。この日はスイミングスクールがあるのに。」おっと「ただ家を見に来るだけだし。」わたし「でも18時45分は早すぎるよ。」おっと「先方が19時じゃ遅すぎるっていうから。。。」しかたがない。いつもは18時半に帰宅して30分でバタバタ家を片付けて19時に不動産屋に来てもらうようにしている。今日は2倍速モードで家を片付けないと。。。。そして昨日の夕方。気が焦って急ぎ足で帰る。門をくぐろうとすると、コート姿の小太りの小男がインターフォンを探している。ここのところ毎日不動産屋と接しているものだから、においでこの男が不動産屋だとすぐわかった。「え、わたし遅く着いた?」慌てて時計を見る。18時15分。いつもより早い。まだアポまで30分あるよ、きっと他の家を見に来たんだね。落ち着いてゆっくりエレベーターを上がり、ドアの前に来ると中でインターフォンが鳴っているのが聞こえた。え~、やっぱり? 慌ててドアを開けてインターフォンで応対する。不動産屋「すみませ~ん、不動産屋です。お邪魔させてもらえます?」わたし「ちょっと待ってくださいよ。まだアポまで30分あるじゃないですか?」不動産屋「遠い街から来たんで早めに着いちゃったんです。わたしは問題ないですよ、5分で済みます。」なんだ、こいつは?わたし「あなたに問題がなくてもわたしに問題があるんです。家を片付けなきゃいけないし。」不動産屋「あ~、おかまいなく。ぼくは気にしませんから!」わたし「わたしが気にするんです!!30分後にお越しください!」不動産屋「。。。そうは言ってもここで待つのは寒いし。。。ね?じゃあ、5分後に来ますよ。」なんちゅうやつ。。。。わたしは慌てておっとがソファの上に脱ぎ捨てたままの衣類を丸めてタンスに押し込み、部屋中に干された洗濯物をもぎとって洗濯機の中に突っ込んでいると再びインターフォンが鳴った。不動産屋である。今度は怒った声で「奥さん!さっき、他の不動産屋が2人、マンションに入っていくのを見たんですよ!!ぼくを差し置いて他の奴らに家を見せてるんじゃないでしょうね?!」はあ?何言ってるんだ、こいつは??うちには誰も来てない。が、こいつが早く着いたんだ。この時間に他の不動産屋に家を見せていても不思議はないだろうが!?わたし「うちには誰も来てないですよ。上がってください(そしてさっさと出て行ってくれ。)」うちに来た不動産屋はやっぱりさっき門のところで見た小男だった。不動産屋「いや、奥さんすみませんね。なんせ遠いところから来たものでここまでどれぐらい時間がかかるかわからなかったものですから。」と名刺を出す。どこから来たんだ?トリノ?ベネチア??と名刺を見る。ミラノのパドバ通りの近所。うちからクルマでたった10分やん。。。。汗(意味は違うが例えるなら「井の中のカワズ」イタ公だな。じぶんの家から1KM以上は別世界と思ってる奴。)変なやつ。。。。ここからわたしは「注意報モード」に入る。小男は家をざっと見て、1枚の紙を取り出した。小男「ここから質問しますので答えてくださいね。」いつものことである。まずは家の面積は?からはじまって、共益費とかの質問。そして。小男「あなたは中国人?フィリピン人?」わたし「。。。日本人です。」小男「日本の首都は?」わたし「東京です。」小男「あなたの街は首都からどれぐらい?」わたし「すみません。この家のことといったいどういう関係があるんですか?」小男「ハハハ!冗談ですよ。いや、今日はありがとうございました。あの、すみません。トイレ貸してもらえますか?なんせ雪なんか降ってると近くなっちゃって。」今までうちを見に来た不動産屋の中でトイレを借りる奴ははじめてである。しかし、生理現象はしかたがない。わたし「いいですよ、使ってください。」わたしはトイレの外で待った。10分は待った。しかしやつは出てこない。。。。。はじめて来た家でう◎こしてるの??(信じられない)やがて小男、トイレの中から「奥さん、おたくのビデ、水の出が悪いですねえ。」はあ????ここで説明:イタリアの一般家庭にはトイレの便器の近くにもうひとつビデ用の便器がついている。ここでう◎こしたあとのお尻を洗ったり、我が家では靴を洗ったり、よそではペットのイヌを洗ったりする。しかし、普通よその家庭でうっかりう◎こをしてしまっても、家人以外が使うものではない!!!!!よその家でう◎こをして、しかもお尻を洗ってるわけ???!!!あきれていると、小男「これは修理が必要でしょうねえ。」(ビデから水を流す音が続いている)わたし「もうわたしは引っ越しますから興味ないですね。」小男「え?奥さん、何言ったんですか?よく聞こえません。ドアの近くに来てくれます?」冗談じゃない。トイレのドアはいったいどういうつもりで大家がつけたのか、半透明のガラスのドアなのだ。そんなところに行って小男がしゃがんでいるシルエットなんて見たくない。小男「すみません、奥さん。なんせ我慢が出来なかったもので。。。お急ぎですか?」わたし「ええ。もうすぐ出かけなきゃいけないんです。」と実際、この短い時間に夕食をどうしようかと冷蔵庫を開けてみる。小男「ここにかけてあるタオル、使っていいですか?」お尻を拭くつもり?何考えてるの??!!!小男「あ、奥さん!!」わたし「え、どうしたんですか?」小男の叫びに思わず振り返ってトイレの方を見た。小男「ソープのボトルが洗面台の隙間に落ちちゃって。。。よいしょ。」トイレのドアはいつの間にか半開きになっていて、小男が後ろ向きに屈伸の状態で洗面台の下を覗いているのが見えた。それだけでない。こっちにズボンを脱いだ、下半身ヌードの小男の尻が向いているではないか!!??わたし「★◎☆■!!!!」完全な変態だ!!わたしは「注意報」を「警報」モードに切り替えた。大きく深呼吸をして、穏やかに何も見なかったように冷蔵庫をもう一度開け、「ああ、放っておいてください。後で探しますから。」と答える。(この間、冷や汗で手のひらがびっしょりである。)そして小男から見えない死角にある電話から自分の携帯に電話した。携帯のベルが鳴る。わたしは携帯をとり、そっと電話の受話器をおろした。わたし「もしもし?ああ、アモ~レ。(わたしはおっとを一回もこんな風に甘ったるい呼び方をしたことはない。)今、どこ?あ、そう。もうマンションの下に着いたの。すぐ降りるから待ってて。」もちろん、うそっこ電話である。この後は思ったとおりだった。何事もないように装いながらも小男は慌ててズボンをあげ、トイレから出てきた。小男「奥さん、お邪魔しました。次回はお客を連れてきますからよろしく。」わたし「はいはい。」と小男を追い出す。そして急いでトイレに行く。う◎こくさ~~い。。。。窓を開け、ざっと見渡して何も盗られてないか確認。よかった、何も盗られてないようだ。見ればビデ用の小さなタオルではなく洗顔用タオルがぐちゃぐちゃにタオルかけにかかっている。ゴム手袋をして、怒りにまかせてタオルをゴミ箱に叩き込んだ。ふと、床をみると小男のマフラーが落ちている。慌てて掴んで玄関に向うと同時に玄関のベルが鳴った。小男「奥さ~ん、たびたびすみません。」わたし「用事はこれでしょ!」と小さく開けたドアの隙間からマフラーを小男に押し付け、荒々しくドアを閉めて鍵をガチャガチャとかけた。そのあと、漂白剤と消毒液と、ありとあらゆるもので雑巾がすり切れるほど便器を磨いているとおっとが帰ってきたのである。おっとに一部始終を話す。おっとは恐い顔をして「ああ、これからは絶対ぼくの帰宅時間に合わせないと。」とつぶやいた。そして今朝。同僚たちにも事の一部始終を話す。マッシモ「そのあと、不動産屋に電話して文句を言った?」わたし「ううん、言ってない。」アンナマリア「名刺の名前を言って、もう2度とそいつが来ないようにクレームつけないと。。。」ハ。そういえば名刺、不動産屋の名前は書いてあったけど、やつの名前は書いてなかった!アンナマリア「そんな名刺、不動産屋に行けば誰でももらえるのよ。大方、そいつが不動産屋に行ったときにあんたの電話番号がむき出しになっていて、きっとそれで電話したに違いないわ!」マリーナ「とにかくすぐに不動産屋に電話して確認よ!そういう手合いだったらすぐに警察に通報してもらわないと!!」わたし「名刺なんて家に置いてきちゃったよ。。。」やっとじわじわと事の重大さに気が着いた。このまま毎日無防備で「不動産屋」という人物を中に入れていたら、どんな手合いが侵入して来てもわからない。やっぱりイタリア。怖い国なのだ。
2005.03.01
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ミラノは日曜日から雨で薄暗く、冷たいのか、蒸し暑いのか、わけのわからない天気が続いている。とにかくじめじめしているのは確かだ。冬が急激に近づいているみたいだ。近年のミラノは公害?のせいで2季、夏と冬だけといわれる。夏が終わったらわずかな間の涼しい期間があって、一気に寒くなる。日本と違って冬のあいだ、どんよりと灰色の空と、小雨の降り続く日が続く。毎日、そんな天気の中通勤すると、だんだん心までどんよりしてくる。祭日も11月1日の死者の日とクリスマスを除いてまったくない。ミラネ-ゼがどれだけ夏を待ち焦がれ、1年を夏のバカンスの為だけに働いてるかがミラノで働いてみるとよーくわかる。ミラノの冬の説明は置いておいて。***************** 私は12時間も時差のあるおっととは異なり、なかなか正確な体内時計を持っている。毎日田舎に出勤のおっとは6時に起きて6時半に出て行く。それをわたしはベッドの中で見送ってちょっとウトウトして7時に起きる。 いつも、目覚ましを合わせているがたいがい5分ぐらい前には目が覚めている。今日は。 というか、今日もおっとが出ていった後、ウトウトしていると隣の部屋のキッチンで水を流す音が聞こえて目が覚めた。うちはワンルームをただ壁で仕切った扉のない2部屋なので隣の部屋の音はよく聞こえる。あれ?おっとはさっき出ていったはず??しかも暗闇である。(雨戸を閉めているので)背中に悪寒が走った。「誰?」と叫ぶ。でも、金縛りにあって声が出ない。とにかく「誰、だれなのよう!?」と声にならない声で連呼する。金縛り状態から逃れようとジタバタするが、まるで重力50Kの世界にいるみたいで重くて動かない。キッチンの水の音が止まった。緊張する。でも、まったく近づいてくる気配がない。。。いきなり湿った生暖かい小さな手が私の右手を握り締めた!!!わたしは以外に落ち着いて暗闇にもういちど「誰?」と聞く。(声にならなかったけど)次は猫をあやすようにあごの下をなでられた!ひーーーーーー!!!!次は何をされるのーーーーー(@◆@;)????!!!!!何もされなかった。(ちょっとがっかり)そしてやっとはじめて雨戸の隙間から漏れる光でバレッタをしたミディアムヘアーの小柄な女の後姿が見え、掻き消えたかと思うとドッと金縛りが解けた。目覚ましが鳴った。飛び起きて、見た。その女の立っていたところに一瞬2つのバスケットボールくらいの光る玉が見えた。かと思うとぼやけるように消えていった。 見てしまったよね?幽霊。(たぶん)小さい頃からよく見る体質だったのだが、結婚して心に余裕がなくなったのもあってか、見なくなった。 なので、最近は今までに見たことを思い起こしては「あれは、夢だったんだ。」とか、「前の日に疲れてたから想像の中でみたんだ。」とか、自己流科学的分析?を行い、「夢見る少女だったからねえ。。」とだんだん信じない方向に向かっていたのだが。。。今回の皆さんの分析はいかに?
2004.09.15
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皆さんは、小さい時のことって覚えてますか?楽しいこと、かなしいこと、いっぱいありましたね。私は今でもはっきり覚えていて、忘れられないことがあります。 3歳か4歳くらいの頃、おもちゃのピアノで遊んでいたとき。母が「ねえ、本物のピアノ、欲しい?」私はもらえるものはもらっておこう、と思ったような気がする。「うん、欲しい。」と無邪気に答えたのが、私の人生を大きく揺すぶることになろうとは。。。 数日後、黒い大きなピアノがうちにやってきた。 初めの日は、新しい木と、ニスのにおいがくすぐったくって、鍵盤をたたいてずっと遊んでいた。 母が言った。「明日から毎日1時間、おけい古しましょうね。」と。そのころ、TVでは「アタックナンバー1」、「巨人の星」大盛期。(大声で自分の年齢を叫んでいるようなものですな。)「苦しくったってー、悲しくったってー。」「思い込んだら試練の道をー。」思考があたりまえの時代であった。 そう、次の日からピアノの特訓が始まったのだ。幼児に1時間、同じものの前で座りっぱなしはつらい。私はすぐ飽きて逃げようとした。泣いた。 しかし、母はきっかり1時間、ピアノの前から解放してくれなかった。 次の次の日には、外に逃げ出したが、追いかけられてつかまえられた。ある日はとうとうイスになわとびの縄でしばりつけられた。ある日はおけい古の時間に20分遅れて帰宅したので麦茶のはいったガラスポットを投げつけられ、胸に当たって砕けて大けがをした。そうやって、中学生になるまで毎日1時間(そのうち2時間になったとおもう。)の特訓は続いた。 当たり前だが、中学生にあがったころにはすっかりピアノ恐怖症になり、音楽の時間で先生が弾くピアノすら恐怖だった。そのうち、せめて学校ではピアノをみたくなかったので音楽の時間をさぼるようになり、先生に呼び出されてしまった。 そこで、先生にさぼりたい事情を説明したところ、さっそく先生は、母を学校に呼び出し、ピアノの特訓をやめるように薦めてくれた! しかし、母は承諾したものの、未練たっぷりで学校から出るなり「ピアノがいやなら、オルガンでもいいのよ?」と私に聞いてきたが、当然勇気を振り絞って断った。(すごい勇気が入った。) そうやって私はようやくピアノから解放されたのだが、ピアノ恐怖症はなかなか治らず、大学生になるまで、音楽という音楽を拒否し続けた。おかげで今はすっかり音楽オンチである。*****************************すごい長―い前置きになったが。 私は今、2枚の自分の写真をみている。赤裸々、はずかしー写真を超越した、わたしのありのままの 頭蓋骨レントゲン写真。 昨日病院でもらってきた。頭痛が激しいので、先週1ヵ月待ちでやっと取ったレントゲンの結果である。 来週、これを持って再診察に行かなければならない。 まったくイタリアでは、気と手相の生命線が長くなければ生きていけない。 なめらかな頭蓋骨。恐竜の骨のようなイガイガの頚骨。ちょっと小首をかしげたみたいな。説明の用紙には医療用語並べまくり。辞書を引き引き訳すとだいたいこう書かれてあった。「頚骨、右方向に湾曲あり。矯正治療されたし。」 そういえば、小学校のときのレントゲン検査のあと、先生に呼び出されてプリントを渡されたっけ。「あなた、姿勢が悪いから右に少し傾いてるのよ。でも、骨は曲がってないから お母さんにこのプリントをよく読んでもらって毎日、この体操をするのよ。」と。 プリントには、毎日10分姿勢を正しくする体操法が図解で書かれてあった。 こんなものを母に渡そうものなら、2時間ピアノに加え、10分矯正体操特訓までが増やされる。冗談じゃない、これ以上の苦行はごめんだ!私は学校からの帰宅途中、このプリントをくちゃくちゃに丸めて空き地に捨てて帰った。 当然、自分でも気になりながらも何もせず、そのうち忘れてしまっていた。この行為をいまはすんごく後悔している。今頃、こんな形になって出るとは! あなたがこんな幼少期を過ごしたなら、どうされてます?プリントをお母さんに渡してました?あ、でもこの話を1人の友人にすると「私も特訓の毎日だったよー。」と言っておりました。同世代のみなさま、あなたもそうでした?
2004.06.25
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まだ、立ち上げたばかりだけどHPを持つってほんとうに大変だと思う。日記もそうそう、毎日刺激的なことが起こるはずも無く、それでも「今日は会社で働いてうちに帰ってごはんを食べてシャワーを浴びて寝た。」だけ書いていてはおもしろくない。 昨日も会社の帰り、雨の中私の住む田舎駅からのバスに乗り遅れない地下鉄に乗るため急ぎ足で地下鉄駅までHPに載せるネタを考えながら歩いていた。 地下鉄駅の前は大きなロータリーになっていて視界がいい。この時間、珍しく誰もいなかった。地下鉄駅に着く。1段階段を降りようとしたところ、後ろに背負ったリュックをグイッと誰かに引っ張られてうしろにのめって転びそうになった。びっくりして後ろを振り返ると汚い15歳ぐらいのジプシーの子供が通行人の振りをして脇を通り抜けようとしていた。とっさに私はリュックをみた。2つあるポケットがどちらも全開だ。やられた!「あんた、何すんの!!」と震える声で叫ぶ。こいつらは別名「ベビーギャング」と呼ばれてて名前はかわいいが窃盗、強盗なんでもする。もしかしたらこいつもナイフでも持っているかもしれない。「ちくしょう。」と彼はつぶやいた。私は慌ててこいつから少し離れて中身を見る。何も捕られていないようだ。そしてもう一度こいつをみるとこんなに視界がいいのにもうどこかに消えていなくなっていた。 やつらはプロだ。歩いている間、ポケットのファスナーを開けられたことも気がつかなかった。かさもさしていて、さぞ邪魔だっただろうに、すごいテクニックだ。このまま、地下鉄に降りずにまっすぐ平坦な道を歩いていたら確実にやられていたと思う。地下鉄に降りると、改札の前には仲間らしい子供たちがたむろってたばこを吸っていた。改札の窓口にいる駅員は知らん顔で仲間の駅員とおしゃべりをしている。まったく、注意しないの?面倒なことにはかかわらないのがミラノ人だ。 でも、私はこのとき別のショックに襲われていた。実は今までこんな危ないミラノにいながら一度もスリの被害に遭った事がないのが自慢だったのだ。友人のほとんど誰もが1度は被害に遭っていて、そんな話を聞くたびに「スキがあるからよ。」と偉そうに注意していた。ミラノに来て最初の頃はこわくてリュックなど結して背中に背負って歩かなかったのだが、年月が過ぎ、ミラノ暮らしに慣れてきて油断してしまったようだ。この地区は前に日記で書いた「大捕り物」でジプシーを一掃した地区。でも、そんなのは焼け石に水だったようでやつらはまた戻ってきているらしい。でも、そんな中ちょっとうれしかった。これで今日書くネタが出来たのだから。(なんか新聞の4コマ漫画の漫画家みたい)
2004.05.04
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夫は仕事の関係で大きなワゴン車を持っている。そのため、最近週末は夏が近いこともあってご近所にミラノの家から海や山の別荘に荷物の運搬をよく頼まれる。 日曜日はフランスに近いリビエラ海岸に知り合いのシニョーラが家を買ったので家具を運ぶのを手伝った。家族全員が付いてきた。ちょっと海岸から離れて山の斜面に上がった家からは海が一望に見渡せる。家はまだ工事が終わっていなくてがらんどうだ。庭もコンクリートが積まれてそのまま。もう、出来上がっているガレージに家具を運び込んで家族と一緒に庭に出た。彼らはさっそく、ここに台所、そう、こっちに花壇をつくるのよ、と楽しそうに相談している。そして娘が「ねこは来週来るときに持ってきましょう。」え。猫?シニョーラはきれいなペルシャ猫を2匹飼っている。でも、家が出来るのも、彼らが来るのも8月のはず。「なんで今、猫を持ってくるの?」と素直な質問をした。するとシニョーラは「死んじゃった猫ね。お墓をつくるの。今はうちの冷凍庫に入れてあるのよ。」「え!冷凍庫?」するとシニョーラは慌てて、「もちろん箱に入れてね。」あたりまえだ。冷凍庫を開けると猫の死体がゴロンなんてこわい。でもちょっと待って。昨日、荷物を積みに行った時は猫は2匹いた。私はこのシニョーラを2年以上前から知っているがいつも同じ2匹の猫しかみたことがない。。。とすると、2年以上前からこの猫の死体は冷凍庫に??そういえば、この間、お宅におじゃましたときは息子が飼っている熱帯魚のエサ用の蚊が詰まっているビニール袋を冷凍庫から取り出していたっけ。ここの冷凍庫にはいったい何が入っているの?考えるとこわい。。。
2004.04.27
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