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Aug 23, 2006
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カテゴリ: 劇評
現在形の批評 #40(舞台)

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少年王者館

8月6日 精華小劇場 ソワレ

少年王者館


アングラと現代のブレンド


城門を思わせる白いゴツゴツとした舞台装置に少年のような格好をした中年男性が現れ、とつとつとなにやら語り出す。すると一瞬の内に照明が落ちて空間が闇になる。しかしそれは本当に一瞬で、するさままた明るくなったならば、いつの間にか男の両脇に明るい色の和服姿の少女のようでいてまた成人女性のような、とにかく女が立っている。ここでの会話は、男が舞台のはるか彼方を指差しながら「空を見たい」と言い、女がここは劇場の中であり、従って空などあるはずもないため見ることは不可能だと返す。すると再び一瞬の闇から一瞬の照明点灯のサイクルが繰り返されると、今度は男と女の位置が入れ替わっている。芝居の冒頭からしばらく、一瞬の内で男の周囲に入れ替わり立ち代り人が取り巻いていく。今回が初見の少年王者館の舞台に接して、この冒頭のシーンのようなめまぐるしく展開する演出力がこの劇団の最大の武器であることが良く分かった。


それは照明だけではない。機関車や雨等の具体物や彩色豊かな幾何学模様の映像が舞台全体を覆い、終始童話の世界を想像させるような音響が流れ続けている。これらを含めた雑多な装飾が幾重にも素早く積み重なることで、めまぐるしい劇世界が構築されていくのである。加えて、最も重要な要素であるその劇世界を生きる俳優達も同じく相当な運動を伴いながら膨大な台詞をリレー方式のように俳優から俳優へと橋渡しをしていく。装飾=情報が舞台空間と肉体に憑依しているがため、それらに常に追い立てられているように見えるが、それはあくまでもスタイルであって作品自体を崩壊させることのない微妙な均衡を保っている。


そういった点から私は少年王者館の舞台を観ながら、唐十郎率いる唐組と松本雄吉率いる維新派に近しい匂いを感じたのである。そういったことは既に指摘されている所でもあるのだろうが、82年結成のこの劇団がいわゆる小劇場第三世代と呼ばれた時代に活動を始めたという点、つまりアングラと現代を共に内包する極めて重要な位置にいると思われる。かつて唐十郎が主宰した状況劇場の猥雑で土着的な劇世界と俳優の肉体によって瞬く間に観客を異世界へと誘う怪しげなまるごしの貧困さに、第三世代の演劇人も多分に影響を受けているはずだ。その理念をこの世代で受け継いでいる一人が天野天外なのだろう。「猥雑さ」を幾何学的なものから成る舞台世界へと趣向を変えて表現している点がいかにも80年代演劇的であるし、またそこにこそ、先行世代の影響の残滓を感じさせて止まない。加えて、維新派との関連性も強く、既に触れた舞台様相や顔を白く塗った俳優が演じる少年が、幻想の世界を生きるといった根幹部分で、私が言う所の「とびだす絵本」( 『act』4号 )のような維新派の劇世界を思わせる。唐組の土着性と維新派の無個性性を異なった形で引き受けて、鮮やかで温かみを感じる舞台創りを天野天外は試みているのだ。


そしてもう一つ、めまぐるしい劇世界を創成している重要なポイントは豊潤な言葉の連鎖だろう。例えば、ゴシック文字で貼り付けられている「私」という文字を分解して「イル」という文字にすれば、「私はイル」というアイデンティティを確認する言葉へと繋がっていくし、「夢」の文字を分解・再結合させて「生」と「死」という2つの文字を浮き上がらせる所などは、詩的叙情性が一気に発露してくる場面である。そもそもタイトルの『I KILL』は英訳の「私は殺す」と語感の「私は生きる」である。タイトルからして、両義性が存在しているのである。そして、なにより圧巻なのはラスト、登場人物全員が舞台ツラに壇を成して整列して単語を発し続けるシーンだ。その言葉とは手に持ったスケッチブックに書かれている言葉なのだが、何人かのグループ毎に違う言葉がそこには書かれている。それにも関わらずスケッチブックをめくりながら単語を全員が発すれば、同じ発音、つまり同じ言葉を発しているように聞こえてくるとうものだ。以上の例からでも、この舞台で大量に放出される言葉の一つ一つの文字が形象する意味をいちいち考えて追いかけることは陳腐で貧しい舞台との接し方でしかないと言わんばかりに、そういう観客の頭で思考する作業を振り切るかのように疾走し、全体が醸し出す情感の感得を促す。


近年、アングラ世代の旗手の一人である唐十郎の再考が試みられ、学生劇団によるの唐作品上演、唐十郎関連の著書が相次ぎ、「唐十郎ルネッサンス」と呼ばれもした。それはもちろん、唐十郎自身が力のある作品をここ数年の間にも生み出し始めたことが直接のきっかけとなったことは間違いないだろうが、ここに来て、アングラ世代が果たしたことを伝説としてではなく、現在形として捉えて自分達の表現に生かすことで演劇的な探求はもとより、我々が生きている世界を照射するヒントがあるのではないか、そういう可能性を見出した若い世代が直感的に唐十郎とその作品に嗅ぎ付けたというのも理由の一つに挙げられる。80年代の現代演劇は、アングラ世代を意識的に忌避してポップでスタイリッシュなものへ傾斜した。しかしそういった中でも、唐組と維新派の舞台を感じさせることで、彼らアングラ世代に影響を受けたと思われる天野天外が、そこに「今生きている」同時代の感覚をブレンドしながら独特な作風に辿り着いた所に、現在まで劇団を率いている力強さが伺える。とすれば、アングラと現代の感性を同時に吸収し続ける天野天外と少年王者館は、共通認識を持つ現在の若手演劇人に与える影響もあるには違いない。とすれば、近い将来の新たな現代演劇のメルクマールの形成に大きな力になるという推測も成り立つだろう。


ともあれ、天野天外による言葉のレトリックとそれを発する俳優の姿・声から創成される劇世界を感覚的に受容して想像力豊かに対面することが、少年王者館の正しい観方なのである。





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Last updated  Apr 14, 2009 04:50:02 PM


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