現在形の批評

現在形の批評

Apr 18, 2007
XML
カテゴリ: 劇評
現在形の批評 #60(舞台)

楽天ブログ★アクセスランキング

黒沢美香&大阪ダンサーズ  『jazzzzzzz-dance』


4月13日 Art Theater dB マチネ


ダンスから透けて見える集団の会話


ダンス公演に立ち会う時、我々は何を見るのだろうか。目前のダンサーの身体であると言うことが可能だろう。なにしろダンスなのだから、その点こそ唯一絶対的なものだとするのは当然だ。ある見るべき身体とは、鍛錬された姿態の美しさとそこから導き出される審美的フォルムの巧みさかもしれないし、あるいはそれとは真逆の「だれた」身体であるかもしれない。いずれにしろ、舞台空間をどこまでも変質させようと、内発するエネルギーと外部としての物理的身体との相克を続ける様が観客の目を集めるための要件である。


黒沢美香が03年から06年まで「夏塾」と題した夏季ワークショップの受講者と結成した黒沢美香&大阪ダンサーズの舞台に、上記のようなモチベーションを持って対峙した私は率直に言って戸惑う部分があった。


開演前より、舞台上手やや奥に仰向けで寝ているダンサーが目に入る。そこへ黒のドレスを基調とした露出度の高い八人のダンサーが各々登場して公演が始まる。印象的だったのは、客席へ向けて緩慢に動かせた腰フリからレゲエダンスのような激しい腰フリへと、観客を挑発するような振りへ移行するシーンだ。その後もしなやかな動きで魅せる長身のダンサーが、片足でピタリと静止して美脚を強調したり、それとは対極的なパワフルで表情豊かな小柄なダンサーは、キレのある動きで空間全体を引き締める。振り付けに関しても、往々にしてジャズセッションのような即興性の高いものでありながら、それぞれの振りの終わりはきちんと揃っている点に、ダンサーの身体性の高さと緻密なアンサンブルが窺い知れ、それはそれで十分魅力的である。その他の、私服のようなラフな衣装の三人のダンサーは、布で顔を隠してなにやら意味ありげに舞台下手の一段高い場所で静止し続けている。


私を戸惑わせたのは、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような様相で所狭しと空間に点在し移動するダンサー達が、視点を絶えずどこかに据えてじっくり身体性を堪能しようとする観客の欲望を撹乱し、周到にはぐらかすことにある。そのためにいったどこを見れば良いのかが分からなくなるのである。ちょこまかと動き回るダンサーを中心にしながらも、静止している四人がいつどんな行動を起こすかにも気に留めていなければならない。ここまでで私に了解されたことは、黒沢美香はダンスを見る際の目的の一つ、観客の目を集める求心性を孕んだ物理的身体を峻拒するタイプのコレオグラファーであるということである。


ダンサーの身体が醸し出すフォルムの刹那の生成の妙にこのダンスのポイントがないのなら、では私はどこに照準を合わせ、何を見れば良いのだろうか。もう少し舞台で起こった出来事を追ってみよう。やがて八人の黒いドレスのダンサーが一列に隊列を組んで踊り始める。群舞という形式によってようやく私達はいささか目を休めて振り付けを見ることを許される。その動きは、右肘を突き上げてステップ二回、腰を深く落としてから再び右肘を上げてからターンし、胸のを触るような仕草を繰り返した後、そのまま下手の壁に寄りかかったり座ったりと、各々の体勢でしばし休止状態に入るというもの。それと入れ替わりになるように、仰向けの状態だったダンサーがゆっくりゆっくりと手足を動かして起き上がると彼女の一人舞台が始まる。ここまでの一切は彼女を誕生させるための儀式だったのだろうか。彼女の、身体の底から息を吐き出しながらこれまでの鬱憤を晴らすかのような強い動きは印象的ではあった。しかし、舞台でなされたこと自体には、ダンスを体験する際の命題である「内発するエネルギー」性というものは感じられない。これは、ハイセンスな機械的フォルムを連続させるコンテンポラリーダンスでも、時代の退廃するエネルギーを下降的に追求することがそのまま審美感を持ったものへ反転するという舞踏でもない、無表情な人形が繰り出すいささか滑稽な有り様のようなものであった。


ただし、そこに感情という貌が付加されるとすればどうだろうか。貌とはダンサーの技芸へ心酔することではなく、現在形の集団の関係の有り様、つまり集団の個性の表出のことである。この舞台で最も見落としてはならない部分となるのもこの点である。寝そべっていたダンサーによるソロが終わると、顔を隠していた三人のダンサーがゆっくりと布を剥ぎ取って奥からやってくる。カンパニーには幾人かの中年女性がダンサーとして加わっているが、中年女性二人と若い女性で構成されたこのパートの振り付けは、溌剌とした動きを繰り出すダンサー達の中にあって技術レベルで言えば一等劣る。別段激しいわけでもなく、目を見張るようなトリッキーな動きをするわけでもない。だが懸命に精一杯、「普通」の身体と向き合い何事かを起こそうとギリギリまで取り組む彼女達とそれを下手で座り込んだ黒沢美香が拍手のような動きを見せたまさにこの時、不思議な関係性が組成される。この作品の真実があるとすればこの一瞬だと言えるだろう。


この舞台の肝は、ダンサー個々の優劣や圧倒的な群舞といったものとは位相を異にする所で成立する。この瞬間に垣間見えた集団内の会話の顕現、ここにあるのだ。舞台芸術を成立するにあたっての本質であり基本単位である集団というものの一つの在り方である。上記に挙げた場面は、黒沢美香という集団を率いる人間の、ダンサーに対する厳しくも優しく許容する視線というものが透けて見えたように思う。ダンスの間から、その集団の理念が提示されることも、
劇空間の変質の方法の一つではないだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  Aug 12, 2009 10:44:29 PM


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: