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2006.11.05
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カテゴリ: その他
■8.資格、何か持ってますか?■

たぶん真面目に答えると持ってません。
英検とかが関の山だと思います。

資格、何か持ってますか?
これからの時代は資格です。
有名大学の肩書きも社会には通用しません。
如何に自分が企業にとって貢献できるかを
アピールする最短の方法は資格です。
あなたもこれを機会に我が専門学校で
資格取得を目指してみませんか?

      東京フレンドパーク学園

今朝ポストを開いてみると、
こんなチラシが隅っこの方に入っていた。
きっと新聞やら何やらに押し込められ、
ついには隅まで追いやられてしまったのだろう。
本来ならばそのままくしゃくしゃにでもして、
ゴミ箱に3Pシュートといくとこなのだが、
今日のボクはなぜかそのチラシに目がいったのだった。
とは言え、どこにでもありそうな専門学校の
どうでもいいような人数確保のためのチラシ。
ボクが求めていたような冒険はそこにはなかった。
いや、待てよ。はたとボクはそこで思い直す。
普段はすぐ捨ててしまう広告を、
今日は見過ごさなかった理由は何だろう。
これは啓示ではないのだろうか?
常に何か現状の変化を、大冒険を求めているボクに対し、
神が今日ここで機会を与えたのではないだろうか。
ということは、ここに通えばいいのだろうか?
通った途端何かが起こるのだろうか?
いや、軽率にことを決め過ぎない方がいいだろう。
もしかすると、この専門学校に話を聞きに行く途中、
何か予期せぬことが起こるのかもしれないし、
またはこれ自体が何か暗号のようになっていて、
別のことを示唆しているのかもしれない。
とにかくこのチラシは数日前からここにあったようだ。
それを今日になって家族の他の誰かでなく、
ボクが気付いたということは、だ。
今日ボクはこの専門学校に行く必要があるらしい。
ボクはそうと決まると、さっさと準備をして家を出た。

指定の駅から5分程度。広告に記された場所に着くと、
それほど大きくもなく小さくもなくもないビル。
東京フレンドパーク学園という専門学校が佇んでいた。
ここまで細心の注意を払ってはいたのだが、
結局何も起こらず終い。
もしかすると何も起こらないのでは?
という疑念がむくむくと鎌首を擡げてくるのを、
ボクは必死に振り払うと、ビルに入ってみる。
そして右に受付、左に学生用スペースがあるのだが、
ボクはその学生スペースの掲示板を見て理解した。
啓示の示す意味がそこにはあったからだ。
「冒険は扉を開いた向こうににある!」
一枚の下手くそなイラストの書かれたポスター。
そのポスターに書かれた謳い文句だった。
そうだったのだ。
ボクは今日家の扉を開けて、このチラシを見た。
そして何かあるのでは、と心躍らせた。
このこと自体が冒険だったのだ。
しかしその根底にある事実にボクは気付かず、
何かとてつもない事件や奇想天外な邂逅などだけが
冒険と呼べる全てだと勝手に決めつけていた。
しかし冒険という概念は千差万別、固形ではなかったのだ。
いやもしかすると、その意味を知る冒険だったのかもしれない。
兎にも角にもボクは冒険者として一つ大きくなった。
これからはもっと多くの冒険のチャンスを
見逃さずに物にしていくことが出来そうだ。
その時ボクに声をかけてくる男性が一人。
ボクはその申し出を丁重に断ると、
もはや調べ終わった遺跡を後にするかのように、
一度も振り返ることなく、その場を去った。
こうして一つの冒険は終わっったのである。


■9.ぉ好きな食べ物とぉ嫌ぃな食べ物は?■

★好きな食べ物★
お肉全般。
甘い物。

★嫌ぃな食べ物★
プリン。チーズケーキ。
豆類全般。苦い物。
納豆。ドリアン。

あなたは何が好きで、何が嫌いかを
自覚して生きていますか?
実は○○が嫌いだと言うことに、
最近気が付いた、なんてことありませんか?
そうです。そうなのです。
意外に好き嫌いというものを、
人は熟知せずに生きているものなのです。
というのも、生活というものは日々、
そんなに突如大幅に変化することはありません。
となれば、口にする物は自然と
誰でも偏ってしまうものなのです。
ですから当然、自然と口にしない物もまた
出てきてしまうことになります。
そうなると、それが好きか嫌いかは
口にする機会があるまで不明のままとなります。
また人の味覚が年齢と共に徐々に、
変化するものだということも挙げられるでしょう。
昔は食べられなかった野菜が平気になった。
生臭い刺身が今では大好物だ。
などそういう経験が誰しもあるかと思います。
ですから、好き嫌いを正確に認識していなくとも、
それは自己把握の怠慢ということにはならず、
人間自体がそういう存在だと考えられるのです。
そして面白いことに、視覚によって、
この好物というものを誘導することも可能なのです。
どういうことかと言えば、
例えば見た目がお肉そっくりに調理された
人参を特別にあしらえてもらったとしましょう。
実際我々はそれが人参だと知っているから、
食べても人参の味しかせず、肉とは結びつきませんが、
それを人参だと知らない人が食べるとどうでしょう。
その人にとっては口に入れたものは肉で、
肉だと思って噛み、味わい、喉に入れます。
すると、その後本当のことを教え訪ねてみると、
「まさか人参だとは夢にも思わなかった」
という感想が数多く返ってくるのです。
これは事実が認識という思いこみに負けたことを
確かに証明している事象の一つです。
人はそうした見た目に騙され、時には錯覚します。
これは何も好き嫌いの上の話だけではなく、
生活のあらゆる場面で起こり得ることと言えます。
例えばA子さんはいつもメガネをかけています。
知人であれば、誰もが認識している事象です。
そのA子さんにある朝誰も気が付きませんでした。
理由は簡単です。
A子さんがメガネではなくコンタクトで、
その日は姿を現したからでした。
皆A子さんをメガネありきで認識していたのです。
ですから、いつも見慣れているはずの顔ですが、
急に必須部位が欠損してしまったので、
脳がその情報に対して上手く照合出来ず、
終には見知らぬ人物と判断してしまったのです。
もちろんメガネがあろうとなかろうと、
そこにいるのがA子さんであることは変わりません。
変わったのはほんの少しの印象だけなのですが、
それだけの食い違いでも人は錯覚を起こすのです。

それでもあなたは目の前にある物に対して
「実はこれ好きなんだー」
と自信を持って言い切る勇気がありますか?


■10.貴方が愛する人へ一言(ぃなくても、ぃたとしたら) ■

それはボクのおでんじゃないですっけ。


■11.回す人5人を指名すると同時に、その人の他者紹介を簡単にぉ願ぃします。■

誰にも回さないので、そういうのはないのです。
カワイソス(´・ω・`)


以上。長いですね。





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最終更新日  2006.11.07 15:25:12
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