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いやーお久しぶりです。まだ生きてます。しばらく何をやってたかというと、新しいブログに引っ越そうと急に思いたって、あれこれやってました。で、一応新ブログ始めました。こちらです。 ↓「イタリア料理ほんやく三昧」イタリア料理の話オンリーです。ここよりちょっと専門的な内容なんですが、バージョンアップさせていくぞー!と張り切ってます。楽天ブログでの3年間、楽しかったなあ。遊びに来てくれたみんな、ありがとねー!次のイタリア旅行まで、ここはお休み。いつのことになるか見当もつかないけど、またお目にかかる日が楽しみですよん。では、ちゃおちゃお~!
Mar 1, 2008
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イタリアのクリスマスには欠かせない食材の話、その2。今回選んだ食材は、去勢鶏。去勢した鶏なんて、日本では多分、フランス料理の世界以外ではまったくなじみがないのでは。最近日本では、地鶏だブロイラーだで、ちょっとお騒がせな話題が多いニワトリ。前回のウナギもそうだけど、ニワトリのことも、知っているようで意外と知らないもんです。ブロイラーっていうのは、第二次大戦中にアメリカで、牛肉不足を補う食材として開発されたんだって。短期間で大きくするっていうのが目的。卵からかえってからたった2ヶ月の若鶏の時に、もう出荷できるくらい大きくなってるんだって。知らなかったー。若鶏っていうとちょっとおいしそうなイメージがあるけど、なんのことはない、ブロイラーのことだったのね~。若鶏、いつも食べてます。今回、去勢鶏について調べていたら、ビックリする事実を知ってしまったー。卵用のニワトリは、あたり前だけどメス。で、オスはどうなると思う?お肉?なんと、肉にしてもおいしくないから、孵化して3日でオスメス選別して、オスは処分されちゃうんだってー!卵用のニワトリに生まれなくてよかったねー、オスのみなさん。そもそもニワトリは、野生の鳥をインドあたりで家畜化したのが始まりらしいんだけど、目的は肉じゃなくて卵だったんだって。ニワトリの世界では、オスは闘鶏用ぐらいにしかならなかったんだそうな。でも、去勢鶏はオス。というか、もともとはオス。ニワトリを去勢するなんて発想がどうして生まれたのか、ほんとかどうか知らないけど、ちょっと面白い話がイタリアにはあるんです。ローマの話。時は紀元前161年。執政官のガイウス・ファンニウス・ストラボつー人が、こんなおふれを出したんです。「街が汚れるから、路上でニワトリを飼うことを禁止する!」ここでちょっと、イタリア語講座。「ニワトリ」は、イタリア語では「ポッロ pollo」。これはオス、メス、両方のこと。でも、「ガッロ gallo」、「ガッレット galletto」、「ガッリーナ gallina」という言葉もあるんです。この場合は、前2つはオスで、3つめの“ガッリーナ”はメス。イタリア語は男性名詞と女性名詞がある言葉だから、「ニワトリ」、と言う場合も、オスメスはっきりさせなきゃならない。で、ニワトリ禁止例ですが、当時もニワトリと言えばメスだったので、このおふれは、「ガッリーナ」を飼っちゃいけない、というものだったんですねえ。そこでローマの庶民は考えた。メンドリがだめなら、オンドリを飼えばいい!(卵産まないのに?という指摘はごもっともですが、置いといて・・・)でも、一つ問題がありました。オス同士を何羽も一緒に飼うと、ケンカするんです。そこで誰かが思いついたのが、去勢!ニワトリの去勢は、紀元前7世紀にはギリシャで行われていた記録が残ってるんだって。イタリア語で“去勢鶏”は「カッポーネ cappone」。その語源は、これもほんとかどうか知らないけど、ギリシャ語で「切る」っていう意味の“koptein コプテイン?”ていう言葉だそうで。痛そうな話だなあ。でも、アリストテレスによると、当時のニワトリの去勢は、ちょん切るんじゃなくって、焼きごてを当てて精巣を焼いて、とさかとか蹴爪を切り取るっていう方法だったらしい。オスは生き残っても辛いねえ。これはピエモンテ州の公式サイトの去勢鶏の写真。ほおー、確かにメンドリみたいだねー。去勢されたオンドリは、肉が白く柔らかくなって、しかも大きく育つんだって。イタリアではクリスマスのごちそうとして一般的だし、フランスでもシャポンとか言うんだっけ。こちらは日本で去勢鶏を飼育している農場のサイト。そしてこちらはそれを応援する方のある日のブログ。イタリアではそれほど珍しい食材ではないと思っていたので、こんなに大変なものだとは知らなかったなあ。でも、イタリアでは去勢鶏の生産量は減ってるみたいです。きっと、手間やコストがかなりかかるんでしょうねえ。去勢鶏が消費される時期は12月に集中するので、飼育もそれに合わせて行うよう。ピエモンテのモロッツォという町の去勢鶏は、スローフード協会が支援するイタリアの希少な伝統食材の一つに指定されてます(HPはこちら)。ここでは、ヒナを3月に選別して、8月に局所麻酔をして去勢して、少なくとも生後220日まで放し飼いで自然に2キロぐらいに太らせて、クリスマスに合わせて出荷、というサイクル。お勧めのおいしい食べ方は、丸ごとを香味野菜と一緒に1時間半ゆでたボッリートだって。熱々に、バニェ・ヴェルデというピエモンテのボッリートには欠かせない緑のソースをかけていただきます。どーんと1羽盛り付けると、去勢した時に縫って閉じた跡が見えることがあるんだって。それが伝統的な方法で育てた証明なんだそうな。ゆで汁にはおいしい出汁がでてるので、これでトルテッリーニをゆでて、スープパスタに。こちらの水彩画はイタリアのクリスマスの食卓。中央は去勢鶏かなあ。イタリアで去勢鶏を食べてみたいと言い続けて幾歳月。いまだに食べたことないよお。ひょっとしたら、国産の去勢鶏料理のほうが先に体験できるかも。12月にイタリアに行くラッキーなみなさん、カッポーネ食べたら、どんな味だったか教えてちょ~。
Nov 17, 2007
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近所のデニーズが、地味~な電飾で飾られてました。そろそろお店は、クリスマスモード突入ですねえ。ぼちぼち気分は年末、ということで、今日はイタリアのクリスマス料理の話。イタリアでクリスマスイブに食べるものと言えば?いろいろあると思うけど、その一つが、なんとウナギ!日本では土用の丑の日に食べるけど、イタリアでは、なぜかクリスマスとかイブに食べるんですねー。ところで、ウナギが卵を産むところを見た人って、人類数千年の歴史の中で一人もいないって、知ってた?スーパーにはたくさん並んでるし、養殖もされてるのに、誰も卵を見たことがないなんて、どういうこと?でも言われてみれば、ウナギの卵、見たことないし、子持ちウナギも見たことない。わたしゃ浜名湖のウナギは、浜名湖で生まれて浜名湖で育つんだと思ってたよー。でも、養殖のウナギは、ウナギの子どもを捕って、それを育てるんだって。 ↑ウナギの稚魚、昔は輸入物の缶詰を時々見かけたけど、最近は高級品になっちゃったみたいだなあ。日本のウナギがどこで卵を産むのか分かったのが、なんとたった2年前なんだって。しかも産卵場所は、グアム沖。グアム沖の深海で生まれて、小さなシラスの姿で黒潮に乗って日本までやってきて、川や湖にたどりついて、そこで暮らして大きくなって、産卵のためにまたグアム沖に帰っていって、卵を産んで一生を終える、それが日本のウナギ。産卵場面を誰も見たことがないのは、卵を産む場所が深すぎるから。子持ちウナギが発見されないのは、一説によると、産卵前は餌を食べないから、釣りの餌に食いつかないかららしい。とにかく、ウナギの生態は謎に包まれていて、よく分かってないんだって。とりあえず、ウナギの偉大な一生がなんとなく分かったところで、イタリアのウナギの話に戻ります。イタリア語でウナギはアングイッラ。だけどクリスマスの時期に食べるウナギは、カピトーネって呼ばれる大型のもの。こんなに大きい。こちらはカピトーネの炭火焼き。間にローリエをはさんでますねー。たれを塗って焼くところは日本と同じ。たれは、オリーブオイル半カップ、白ワイン1カップ、塩。これをローズマリーの枝につけてウナギに塗る。アングイッラとカピトーネは、種類が違うのかなあと前から不思議だったんだけど、ウナギの生態を知って、答えが分かった!カピトーネは、川や湖で成長して十分大きくなって、そろそろ産卵しに生まれた海に戻るぞ、ってう状態のウナギのことだったんですねー。何しろ海に戻って産卵するまでの6ヶ月間、何も食べないので、たっぷり栄養をつけとかなくちゃいけない。だから、そういう時期のウナギはすごく大きくなってる。そこを見計らって捕まえるわけだ。これからの時期、イタリアでカピトーネを食べる機会があったら、産卵に帰る前のウナギのことを思い出してやってくれい。ヨーロッパウナギの産卵場所は、日本よりずーっと早い1922年に、北大西洋のサルガッソー海だってことが発見されたんだそうな。ウナギは、古代エジプトやギリシャでも食べられていた歴史のある食材。そう言えば、去年、ドイツで食べたなあ。でもその時は、脂がぎとぎと過ぎて、お世辞にもおいしいとは言えなかった~。イタリアでも、ウナギの養殖地では、地元の人は、大型のカピトーネじゃなくて小型のウナギの方が好きなんだって。産卵前のウナギが一番脂がのっているっていうのは日本でも言われてるらしいんだけど、肝心の、いつ産卵するのかが分からないんだって。多分イタリアのカピトーネも、大雑把に、成長したウナギっていう区別なんだろうなあ。 あっそうそう、そもそもなんで、イタリアではクリスマスイブにウナギを食べるのか。実は、イタリア人もその理由はよく知らないらしい。なんでも、蛇に似てるから、悪魔払いの意味がある、っていう説が一番有力なんだって。適当だなあ。まあ結局は、ウナギは蒲焼きが一番!今年はクリスマスイブに、ウナギの蒲焼きなんていかが?
Nov 10, 2007
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もう11月ですねえ。そろそろ、鴨とか猪とか、野生の動物の猟が解禁される季節だなあ。というわけで、今日のお題は「鴨」。カモというと、思い浮かぶのはこの鳥。 ↓マガモ。最後に食べたのはいつだったかなあ。野生の真鴨は数が少ない貴重品だから、滅多に食べることないし・・・。だから今回は、鴨といっても家畜化された鴨の話。鴨って、いろんな種類があるなあ。野生の真鴨を家畜化したのがアヒルだよね。漢字で書くと家鴨だもんね。で、真鴨とアヒルを交配させたのが合鴨だっけ。(写真)肉になっちゃうと鴨とアヒルの区別はあいまいだから、単に「鴨」と書いてあったら、「アヒル」って思っとくのが無難かも。合鴨は人工的に作った種だから、放鳥しちゃいけないんだって。つーことは、合鴨農法で田んぼの中を泳ぎまわっていた可愛い合鴨ちゃんたちも、最後はみんな、人の胃袋の中なんでしょうか。ん、アヒルとか合鴨って、飛んだっけ?飛べないんだっけ?私が思い浮かぶ食用の鴨は、真鴨、合鴨、アヒルの3つぐらいだけど、イタリアには、日本では見たこともないような鴨もいるんですねー。それがこれ。イタリア語では“アナトゥラ・ムータ anatra muta”。日本語では“バリケン”。バリケンなんて名前の鳥、聞いたことある?日本にもいるの?と思ったら、和歌山県立自然博物館のHPで、こんなページ発見。「家の近くに変な鳥がいるんです。あの鳥、なんて鳥ですか?」という質問の回答が、「バリケン」でした。個人のこんなサイトやこんなサイトもあったりして、どうやら日本でも意外と出没してる鳥のよう。バリケンは南米原産で、料理の世界ではマスコビ種って呼んでるみたい。それをフランスで改良したバルバリー種ってのが、フランス鴨っていう名前で日本でも流通してるんだって。知らないうちに口にしてるかも。で、イタリアの鴨事情ですが、鴨はイタリア語では「アナトゥラ」。イタリアでも普通、鴨と言えば家畜化したもののこと。一般的なのは「アナトゥラ・コムーネ」、別名「ペキーノ」と、バリケンこと「アナトゥラ・ムータ」。「ペキーノ」でピンときた?そう、アヒルです。イタリアのサイトで「ペキーノ」のことを調べると、「極東原産なのでペキーノ(北京)と呼ばれる。極東では至るところで米が栽培されているので家鴨の飼育が普及している。品種も多く、水田で自分で餌をとるのでさらに餌をやる必要がない」なんて書かれてる~。な~んとイタリアで食べた鴨が極東原産のアヒルだった、なんてこともありなんだー。メニューに単に「アナトゥラ」って書いてある時は、アヒルの可能性大だな。「アナトゥラ・ムータ」って書いてあったらバリケン。そして「ジェルマーノ・レアーレ」だったら、それは真鴨。そういえば、イタリアで鴨を食べた記憶、あまりないなあ。ヨーロッパでは、真鴨が生息する南限が地中海あたりだから、地中海料理とはあまり縁がないのかもね。でも、バリケン、食べてみたい。ちなみに、今年、フィレンツェ近くのエンポリでは、9月28日から30日まで「バリケンと猪の収穫祭」つーのが開かれてました。これはトスカーナの有名リストランテ、アルノルフォのバリケン料理。
Nov 3, 2007
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群馬県でプンタレッラを栽培している方から、「現在東京の市場に出荷中です」、というコメントをいただきました(Grazie!)。プンタレッラは、ここで取り上げたイタリア食材の中では特に反響が大きな野菜なので、その方のブログを紹介しときますね。こちら→http://www.michiyo-no-yasai.net/cahier/puntarelleいろいろ工夫して栽培してるんですねえ。晩秋から初冬がシーズンだそうで、群馬育ちのプンタレッラが、いつの日か近所のスーパーに並ぶ日が楽しみだー。ここでちょっと追加です(2007.10.29)。宮城産のプンタレッラを応援してる方から、宮城のプンタレッラのブログもありますよーとコメントいただきました(Grazie dnssさん!)そのブログはこちら。 ↓http://blog.kahoku.co.jp/shokuweb/punta/archives/2007/10/post_76.html日本で、こんなに色んな人がプンタレッラにかかわってるなんて、ほんとにビックリ。スーパーで見つける日も近そうだなあ。 ↑ローマのトラステーヴェレの有名店、パリス(HPはこちら)で食べたプンタレッレ。ほどよいほろ苦さとしゃきしゃしきた歯ごたえがやみつきになる!ローマに行ったら絶対食べときたい一品。ただし、イタリアで注文する時は「プンタレッラ」じゃなくて、複数形の「プンタレッレ」だからね~。それと、この店は要予約。修理に出していたDVDレコーダーが戻ってきて、ようやく普段の生活のリズムに戻った~。と思ったら、今度はパソコンが壊れたあ!パソコンショップに担ぎ込んでみてもらったら、修理に6万円かかるって。ひえ~。しかも治るまでに何日もかかるっていうし・・・。昔のイタリア旅行の写真とか、バックアップ取ってなかったのもあるんだよお(泣)。しょうがない、買いましたよ、新しいパソコン。ふう、また予定外の出費だあ。壊れたパソコンは6年前に買ったもの。モニターをブラウン管から初めて薄型液晶に変えて、なんだこの薄さは!ってびっくりしたもんでした。そして今回。ほお~、いまどきのパソコンのモニターは、ワイド画面なんだ。なんだか横幅が無駄に広くて、横がスカスカしてるんですけど、この使い方でいいのかなあ。そんなわけで、今、おニューのパソコンと格闘中です。
Oct 27, 2007
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暑くもなく、寒くもなく、快適な今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。うちのDVDレコーダー、1年の保証期間が切れた途端に調子が悪くなって、だましだまし使ってたけど、もう限界。修理に出したら1週間もかかった。その間は、映画も見れないし、ドラマも録画できない。『24シーズンV』を録画して、最後の3時間をまだ見てないことをうっかり忘れて修理に出しちゃったし・・・。そんなこと以外は何事もなく、毎日まったり仕事をする日々。ある日のこと、サルデーニャのあるシェフのレシピの中に、見たことのない食材を発見。その食材の名前は、“リモーニ・ディ・マーレ”。訳すと、「海のレモン」なんじゃこりゃ。イタリアのサイトで調べてみると、なんでもリモーニ・ディ・マーレは、サルデーニャでは珍味として知られてるんだって。でも、海にレモンみたいな生き物って、いたっけ?そこで次は、写真を捜査。ところがこれが、全然見つからない。そこで、学名のMicrocosmus sulcatusで探すと、あった。イタリアを中心とした地中海の生物を紹介するサイトで発見。ぎょ、これなに?中はこんなでこんな。うーん、これはなんとなく、私の食わず嫌いナンバー1の生物、ホヤに似てないかあ。もう少し詳しく調べると、あーやっぱりー。リモーニ・ディ・マーレは、脊椎動物門、尾索動物亜門、ホヤ綱なんだって。でも、日本のホヤとはちょっと種類が違うみたい。←日本のホヤまっいいや。私の中では、リモーニ・ディ・マーレはホヤに決定!食べたことのある人がいたら、ぜひ、どんな味か教えてくださ~い。やっぱりあんな匂いがするんでしょうか。それにしても、イタリアでもホヤを食べるのかあ。実はわたくし、ホヤの半径1m以内に近づくことさえできないホヤ嫌い。あの匂いを嗅ぐと、うっ、吐き気が・・・。しかも外見はこれですよー(岩手県公式HPより)。へえ、日本では、「海のパイナップル」って言うのか。「海のレモン」よりは近いかなあ。でも、どっちかっつーと、「海のドリアン」じゃないの。あと、「海のドラゴンフルーツ」とかね。ホヤって、大好きな人もいるんだよねー。そんなに美味しいものなら、なんとか克服して、食べられるようになりたいもんだなあ。そうそう、そもそもの発端となったリモーニ・ディ・マーレを使った料理ですが、作ったのは、ジャゴーニというリストランテのシェフ、ファビオ・パーラさん。店のHPはこちら。そしてその料理は、なんと、「ウニ、ホヤ、スカンピのリゾット」。フメット・ディ・ペッシェで煮たリゾットに、刻んだウニ、ホヤ、スカンピを加えて和えて、皿に美しく盛り付けた上に、ウニ、ホヤ、スカンピの刺身をドーンとのせたゴージャスな一品。ウニとホヤを一緒に食べるなんて、私的には想像の範囲を超えてます。ウニ、ホヤ、スカンピのビフォー アフター。
Oct 20, 2007
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スーパーにフォンテルートリのキアンティ・クラッシコが並んでた。フォンテルートリと聞くと必ず思い出すのが、「黒い雄鶏」の話。キアンティのシンボルになっている黒い雄鶏、“ガッロ・ネロ”の言い伝えは、ざっとこんなもん。昔むかし、フィレンツェとシエナは、隣り合う町なのにライバル同士で、しょっちゅう領土争いに明け暮れていました。でも、長年の流血沙汰にうんざりした両者の間で、一つの解決策が登場。それは、互いの町から、夜明けに、ニワトリの鳴き声と同時に騎士が相手の町に向けて出発し、両者が出会った場所を境界線とする、という方法。フィレンツェもシエナも、少しでも領土を広げようと、陰で密かに策をこらすんですがな。どちらも注目したのが鶏。シエナでは、白いニワトリに餌をたらふく食べさせて、大きな鳴き声を上げさせよう、と考えました。一方フィレンツェは、黒いニワトリを選んで、わざと何も食べさせないでおいたんですねー。おなかがすいて死にそうなら、夜明けを待ちきれずにもっと早い時間に鳴き声を上げるだろうという考え。この読みは見事に当たり、まだ夜が明ける前に、フィレンツェのニワトリは耐え切れなくなって、食いものよこせー!と一声。それを合図に騎士は出発。一方シエナは、しっかり夜が明けてから出発。大幅に後れを取ってしまいました。そして両者が出合ったと言われているのが、フォンテルートリの村。その結果、フィレンツェは大幅に領土を増やしたのでした・・・こちらは、フォンテルートリ・キアンティ・クラッシコを作ってるマッツェイ家のHPにある地図。一番上にフィレンツェがあって、一番下がシエナ。そのシエナのすぐ上にある「MAZZEI」っていうマークがフォンテルートリの場所。こりゃほとんど全てフィレンツェに取られちゃったんだねー。フィレンツェの仲間になったキアンティ地区は、伝説の黒い雄鶏と金色の大地をデザインしたシンボルマークを作って、一致団結していったっつーわけだ。キアンティは1716年に世界で最初の公認ワイン生産地区になったそうだけど、わざわざ生産地区を法律で決めるってことは、裏を返すと、それだけよそで造った偽物が多かったということ。そこで、キアンティの生産者たちは、この黒い雄鶏をシンボルマークにして、すべてのワインの首につけることにしたのでしたー。こちらはキアンティ・クラッシコ管理組合のHPのトップページ。いきなり、黒い雄鶏がドーン。そしてこちらは、シエナのアグリトゥーリズモ、ラ・トッレッタさんで飼われてる黒い雄鶏。ひょっとしたら、黒い雄鶏料理なんて出してるかも~。そうそう、フォンテルートリのシエピって、ガンベロ・ロッソの「イタリアを変えたワイン50本」の15本目に選ばれてたなあ。
Oct 13, 2007
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このところ涼しくなってきましたねー。赤ワインがおいしい季節の到来でんなあ。赤ワインと言えば、イタリアには、「南のバローロ」って呼ばれてるワインがあるんだけど、これ、どのワインのことだか、知ってる?「南のバローロ」で検索すると、一番多いのは、やっぱり「タウラージ」だなあ。でもよーく見ると、「アリアニコ・デル・ヴルトゥレ」って名前もちらほら。タウラージとアリアニコ・デル・ヴルトゥレ、どっちが本物の王様?イタリアのサイトで「Barolo del sud」で検索すると、今度はアリアニコ・デル・ヴルトゥレがいっぱて出てくる~。どうやらイタリアでも、言ったもん勝ち状態なんですね。 vs イタリアには、代表的な赤ワイン用のぶどう品種が4つあるんだって。北のネッビオーロ、中部のサンジョヴェーゼ、本土南部のアリアニコ、そしてシチリアのネロ・ダーヴォラ。タウラージとアリアニコ・デル・ヴルトゥレの共通点は、どちらもアリアニコから造られるってこと。ネッビオーロを使ったバローロは、通称「ワインの王様」。だから、南イタリアのワインの王様、て言いたければ、「南のバローロ」ってなるわけだー。タウラージはカンパーニアのワイン。イタリア中部と南部のワインで初めてDOCGになったくらいだから、とても有名。で、アリアニコ・デル・ヴルトゥレはバジリカータのワイン。バジリカータって、印象薄いなあ。王様を名乗るには、ちょっと貫禄不足かも。でも、お手頃価格のものが多いし、とっつきやすくて、いい友だちになれそうなタイプかも。バジリカータは世界遺産のマテーラのある州。 ↑マテーラの洞窟住居群。想像してたよりずっと明るくていい町だったなあ。 ここで飲んだワインがアリアニコ・デル・ヴルトゥレ。
Oct 6, 2007
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一泊で温泉に行ってきた。お土産売り場の一角で、こんなもの発見。なんと、ヒマラヤのローズソルト、というか「べに塩」が・・・。岩塩のべに塩、パウダーのべに塩、べに塩飴にべに塩羊かん・・・。今時の温泉では、ヒマラヤ塩がブームだったのか!でも、いったいなぜ?この温泉、「紅富士の湯」って名前だから、ひょっとしてダジャレ?山中湖の紅富士の湯は、日帰り温泉。広々として、設備も充実。温泉は露天風呂が2種類に、内風呂も数種類、サウナもある。森の空気に包まれて、ぬるめの檜の露天風呂に浸かってうとうとしてたら、頭の中が空っぽになった。もう一軒、山梨市の「ほったらかし温泉」にも行った。いいよー、という話を聞くたびに、行ってみたいなあと思っていたところ。想像していたとおりの素朴な雰囲気。温泉施設の屋根越しからでもいい眺め。ふもとに広がる町と、それを取り囲む山脈が、180度ぐるりと見渡せる。上も前も右も左も、さえぎるものがなーんにもない。開放感バツグン。残念ながら富士山は見えなかったけど、この眺めでも十分。1時間浸かっても飽きなかった。ほったらかし温泉で、景色の次に楽しみだったのが、温玉あげ。あったあった。塩味が利いていて、温泉で汗をたっぷり流した後に食べると格別に美味しいなあ。なんとなく、ウニおかきに似た味。こりゃーほったらかし温泉に行ったら、絶対食べなきゃな。少し下にあるフルーツパーク富士屋ホテルからの夜景。ほったらかし温泉でも同じような景色を楽しめるはず。このホテルは、客室からもこの眺めが堪能できる。ちなみに、ホテルの売店でもべに塩を売っていた。店員さんに「なんで売ってるんですか?」と聞いたら、「最近ブームのようで・・・」と、よく分かってないような返事。山梨勝沼観光と言えば、ぶどう、ワイン、ほうとう。こちらは丸藤葡萄酒工業。ルバイヤートというブランドが有名な老舗ワイナリーらしい。すいませーん、ワインが欲しいんですが、味見させてくださーい。あんなのやこんなのと希望を言ったら、次から次に出してくれた。結局10種類ぐらい試飲。どれも安心して飲める確かな造りで、上級ワインはすごくいい出来。しかも値段はどれも格安!お勧めは、メルローのシャリオドール。3,171円は安い!日本のワインて、いつの間にこんなにおいしくなったんだー。そしてぶどう。観光ぶどう園は初体験。食べ放題と言っても、食べられる量なんてたかが知れてるし、もぎ取りも面倒。という訳で、店頭に並んでるぶどうを買うことに。ここでもあれこれ試食させてくれた。「瀬戸ジャイアンツ」とか「ピッテロビアンコ」とか「ベリーA」とか、何種類も食べたけど、結局、無難な「ピオーネ」に落ち着いた。値段は市販品よりちょっと高めだけど、まっ、試食いっぱいしたからいいか。そしてほうとうも初体験。お目当ての店が定休日で、残念ながら物足りなさが残る味。次回はリベンジだー。旅の締めくくりは、富士山の名水で打つそばの店、忍野村の天祥庵。森に囲まれたひっそりとしたたたずまい。夕方近くだったので、客は私たちだけ。静かで落ち着く雰囲気。食べたのは、焼き味噌とか、いろんな具をのせてつゆをかけて食べる「ぶっかけ」。なかなか美味しかった。庭の一角にニワトリがいた。後で知ったのだが、これは軍鶏で、この卵の醤油漬けというのが美味しいらしい。こっちもまた来なきゃなあ。2日間、天気は良かったけど、富士山は姿を現さなかった。でも、お肌はつるつるだー。
Sep 29, 2007
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そう言えば、前に書いたコラトゥーラを使ったパスタを、表参道のレストランで発見。←カタクチイワシの魚醤、コラトゥーラ味は今ひとつというか、今みっつぐらいだったけど、日本人て、外国の食材にはいつも興味津々だよねーと実感。それに引きかえイタリア人は、自分たちの国のものが一番と信じてるから、外国の食材には保守的・・・なんてイメージ、あるなあ。でも、さすがにプロの料理人の世界は別の話で、イタリアのレストランのレシピには、聞いたこともない食材がごろごろ。特に調味料は、インターナショナル。例えば、最近見たのは、アンデスの蜂蜜。アルゼンチン産だって。そして、アヤクーチョのピンクペッパー。アヤクーチョはペルーだそうな。どんなものかは不明。さらにはヒマラヤのローズソルト。パキスタン産。そしてハワイの黒い塩。これ全部、イタリア料理に使われていたもの。それにしても、塩っていろんな種類があるんですねー。この前TVで、「チベットの赤い塩」のドキュメンタリーをやってました。「素敵な宇宙船地球号」って番組。チベットの山のふもとに、赤い塩が取れる村があるんだって。塩は、ヒマラヤ塩と同じ系列のもののよう。村では他にあまり作物が出来ないので、村人総出で塩を造って、近隣の村に売りに行く。売るといっても、麦やとうもろこしと物々交換。車が通らない山道を、ロバに荷物をのせて、何日もかけて一軒ずつ売り歩く。息子を行商に連れていった父親は、息子が初めて一人で塩を売る姿を、こっそり物陰から見守っている。チベットの広大な自然と素朴な人たち、素敵だなあ。こういう場所でヒマラヤ塩は造られてるのかあ・・・なんて思って見てたんだけど、行商の一行が大きな町に入ったとたん、いきなり、中国の近代化の現実に愕然となりましたよー。大きな現金取引ができるかも、と期待していった先で、「こんなもの、人間の食べ物じゃない」と、ぼろくそに言われちゃうんですよー。あんた何もそこまで言わなくたってー。そして、大量生産の白い精製塩を持ってきて、「今はこういう塩の時代なんだよ」と、ばっさり。あー、「細腕繁盛記(古すぎ?)」みたいな、典型的な主人公いじめ。純粋な村人は、何も言い返せず、塩も売れず、大ショック!がっくり落ち込んで村に戻ると、村人たちを集めて緊急会議。村人たちは、都会の精製塩を食べて、「自分たちの塩の方がずっとおいしい」と確信。そして、よーし、もっと品質のいいものを造ろう、と奮起するんですが、はたしてどうなることか。塩を物々交換してる人たちがいる一方で、驚異の急成長真っ只中の中国経済。どっちがいいとも悪いとも言えないけど、この村が今後変わっていっちゃうことだけは確か。ひょっとしたら、どこかの業者が工場でも造って、チベットの幻の赤塩とか言って、100倍ぐらいの値段で外国で売るなんて可能性もあるかも。ヒマラヤのローズソルトも、アヤクーチョのピンクペッパーも、アンデスの蜂蜜も、みんなそういう道をたどってきたのかもしれないなあ。番組の詳しい内容はHPで。←日本でも売ってたチベットの白い塩。しかも「テレビでも紹介された」っていうのが宣伝文句になってる。←ボリビアの塩←シベリアの塩←インドネシアの塩←アンデスの塩←モンゴルの塩なんでもありだねー。
Sep 22, 2007
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先日の「動物奇想天外」でのこと。「コウイカの甲の役割は?」っていう問題が出ました。←コウイカそれはもちろん、浮力の調節じゃん、ってすぐに思った自分、おー、さかなクンみたいだとプチ自慢。実は、以前読んだイタリアの雑誌に、そう書いてあったんですねー。イタリア人はコウイカをよく食べる。イカも食べるし、タコも食べる。イタリア人の軟体動物への愛着は、日本人にも引けを取らない。その雑誌の記事も、イカとタコについての、愛と尊敬に満ちた話が満載でした。そこで今回は、その中身をちょっと紹介。まず、イカとタコは、軟体動物の中の「頭足類」っていう分類なんだって。読んで字のごとく、頭から足が出てるように見える生き物。イタリア語でも、頭足類は「cefalopodi」で、ギリシャ語で「頭足」っていう意味の言葉が語源。海に棲む生き物と言えばすぐに魚を思い浮かべるけど、頭と足で成り立ってる生物もいるんですねー。しかも、イカやタコは、足を使って餌を捕まえる。足で石をつかんで道具みたいに使うこともできるんだって。頭がいいってこと?足だけでなく、的確に獲物をつかまえるために、目も発達してる。視力がいいらしい。イカをさばく時やホタルイカを食べる時、目玉がやけに存在感あるなあと思ってたけど、そういう理由があったわけねー。さらに、イカやタコは、体の色を一瞬にして変えてしまう。なんでも、皮の中の特殊な色素細胞が筋繊維と結びついているから、一瞬の反応で色が変わっちゃうんだって。しかも、色だけでなく、形まで、例えばごつごつした岩のようになったりしてしまう。人間だったら、これはもうSFの世界。そして最後の切り札が、墨!色と形を変えて煙幕を張って姿を消すなんざ、まるでSFX系アクション映画。しかも、墨は食べてもおいしい!脱帽だあ。イカとタコには、違いもある。イカの体内には、甲に変化した殻があるけど、タコには殻がない。甲は水に対する抵抗を生むので、イカは泳ぐのがうまい。甲がないタコは、泳ぐより海底を移動する方が得意で、ぐにゃぐにゃなのでどんな形のくぼみにも入っていける。イカの中でも、ヤリイカの甲は体を硬くして水に抵抗するためのもの。ヤリイカは広い海をすいすい泳ぐのが得意だから、浜辺に近いところにはあまりいないんだって。一方、コウイカの甲は、浅いお椀状になっていて、この中にガスを満たして浮き上がったり、バランスを保つことができる。さらに、体を重くして砂に潜ることもできる。←ヤリイカ不思議なことに、イタリア語には「イカ」という言葉はないんですねー。ヤリイカは「カラマーロ」で、コウイカは「セッピア」、スルメイカは「トータノ」。種類によって名前が全然違う。タコは一般的に「ポルポ」で、イイダコは「モスカルディーノ」。 日本語ではイカフライにイカ墨パスタだけど、イタリア語では、ヤリイカのフライにコウイカの墨のパスタ。食べた~い。タオルミーナで食べた、これでもかーの山盛りタコサラダ。生ダコのゼラチン質を利用して、固めてから薄~くスライスしているので、モザイクのような美しい姿。これもタオルミーナで食べた料理。定番のタコのマリネとカポナータ。南イタリアの味だなあ。で、私の今晩のおかずは、小ヤリイカの酢味噌和え♪和風のタコイカもいいもんだ。卵が一杯詰まってるといいなあ。
Sep 15, 2007
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今日のお題は『ポルケッタ』。ポルケッタは、イタリア中部の名物料理で、豚丸ごと一頭に詰め物をして、ぶっとい串を刺して豪快なローストにしたもの。普通は、これを薄くスライスして、パンにはさんでパニーノに。皮はカリッと香ばしくて、肉はジューシーでこくがあって、香草の香りがさわやかで、ボリュームもあって、もう最高!で、もう過ぎちゃったんだけど、8月23日から9月2日まで、ウンブリアで、ポルケッタ祭りっつーのが開催されてたんですよー。開催地は、ウンブリアで一番腕のいいポルケッタ職人が集まってる所、とか、ウンブリアのポルケッタの発祥地、とか言われてる村、コスターノ。人口800人弱の小さな集落で、主要産業は、ずばり養豚。イタリアの中心と言われるウンブリアの、そのまた中心あたりにあって(地図)、ペルージャやアッシジの近く。元々は、アッシジの修道院の注文でポルケッタを作ってたんだって。アッシジと言えば、キリスト教の巡礼地だし、世界遺産にも登録されてるし、ジョットやチマブーエの傑作もあるから、行ったことのある人、多いかも。アッシジ関連本やDVD ↓ で、コスターノのポルケッタだけど、ポルケッタ祭り公式サイトによると、作り方はこんな風。豚は重さが約120kg。腹を開いて骨を取って、塩、こしょう、にんにく、フィノッキオ・セルヴァティコ(野生のフィノッキオの葉、ディルに似てる、写真)、豚のレバー、肺、腸なんかを詰めて、棒を通しながら糸で縫って閉じます。そして210℃のオーブンで、6~8時間、ひたすら焼くんですねー。これを1時間休ませてからオーブンから出して、焼いている間に出た肉汁を皮に塗って艶と香りをつけて、それからさらに数時間冷まして出来上がり。一番おいしいのは、まだ温かくて脂身が透明なうちで、一番おいしい部位は腹のあたりの、赤身と脂身の割合が半々で、皮と内臓が適度にあるとろこだって。これを熱いパンにはさんで食べるのじゃ~。ポルケッタっていうのは、イタリア中部では、市場とかお祭りには欠かせない食べ物のようで、コスターノのポルケッタイオたちも、車に商売道具一式を積んで、あちこちの町を巡るんだって。ポルケッタイオだらけの村コスターノで、ポルケッタ・キングと呼ばれてる人がいるそうな。この人が毎日店を出すのは、バスティアという町の、ピアッツァ・デル・メルカート。バスティアはアッシジの隣町だから、アッシジに行くついでに寄ってみるなんてどう?
Sep 8, 2007
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食べたことないけど気になるイタリアの食材、その2。コラトゥーラ。ガルムっていう名前で知ってる人もいるかも。いわゆるイタリア版魚醤。古代ローマでは、ガルムっていう魚醤をいろんな料理に使ってたんだって。そのガルムの子孫と言われてるのが、コラトゥーラ。日本では、魚醤と言えば、しょっつるですかね。でも実はわたくし、しょっつるも味見したことないのでありんす。まっ、ナンプラーはうちにあるから、似たようなもんだろうと勝手に想像。 ↑このしょっつるを売ってるページの一番上に、「イタリアに本部を置く『スローフード協会』が「味の箱舟(世界的に希少価値がある食品)」として秋田伝統の魚醤、しょっつるを指定しました。現在日本国内で他に12品が指定されております。」って書いてあるけど、イタリアのコラトゥーラも、スローフード協会の後援食材。しょっつるを使った料理というと、しょっつる鍋?そして意外と多いのがパスタ。「あきた食の国ネット」ってとこにのってるイカとアスパラのしょっつるパスタ、おいしそ~。アンチョビーみたいな感覚で使ってるのかなあ。しょっつるについては、毎日新聞のこちらのページに詳しく書いてあります。こちらは醸造所を見学した人のブログで、製造過程の写真なんかもあり。しょっつるの原料はハタハタかあ。ハタハタも食べたことないざんす。コラトゥーラの原料はカタクチイワシだから、同じカタクチイワシが原料のナンプラーやニョクマムに近いのかなあ。 イタリアのコラトゥーラは、アマルフィのそばの、チェターラっていう海辺の町で作られてます。チェターラ市の公式サイトの町の写真はこちら。ここはイワシ漁が盛んな町。コラトゥーラのプロモーションをしている団体のサイトによると、コラトゥーラ用のイワシは、3月末から7月始めに獲るんだって。この時期、チェターラ近海のイワシは脂が少なくなって、コラトゥーラに最適になるとか。イワシ漁の様子はこちら。漁は夜にするんだねー。獲ったイワシはすぐに頭と内臓を取って、塩をまぶしながら木の樽に詰めていきます。思ったより小さい樽だなあ。樽に重石を載せたら、4~5ヶ月寝かせます。この間にイワシから汁が出てくるので、それを集めて、天日で水分を飛ばして濃縮。そしたらそれを、もう一度樽に戻します。次がいよいよクライマックス。なんと樽の底に小さな穴をあけて、一滴ずつ汁を集めてるー!なんだか意外と原始的つーか、素朴な作り方。これを素敵なガラスのビンに入れると、はい、コラトゥーラの出来上がり。しょっつるは2、3年かけて作るみたいだけど、コラトゥーラは半年ぐらいでできるのかあ。このサイトには、コラトゥーラ風味のパスタ(リングイーネ)の作り方もあるよん。●まず、塩は加えないでパスタをゆでます。●にんにく1かけ、唐辛子少々、イタリアンパセリ少々をみじん切りにして、コラトゥーラ大さじ1、エキストラバージンオリーブオイル大さじ3、パスタのゆで汁大さじ1を加えます。●これでパスタを和えたら出来上がり。こちらのパスタは、黒オリーブ、ケッパー、にんにく、コラトゥーラ、くるみ、唐辛子、レモン汁風味。こちらはプチトマト、にんにく、イタリアンパセリ、コラトゥーラ風味。コラトウーラはブロッコリーと相性がよさそうだから、ブロッコリーのオレッキエッテをコラトゥーラ風味にしてもいいかも。コラトゥーラのビンは、こんなのやこんなのがあって、なかなかおしゃれ。ナポリやアマルフィ方面に行ったら、お土産にするのもいいかも。コラトゥーラの味を想像してたら、魚醤つながりで、生春巻き食べたくなってきたー。スイートチリソースにナンプラーを加えれば、あの生春巻きのタレになるのか。おいしそ~。
Sep 1, 2007
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“ブロンテ”と聞いて、何を思い浮かべる?ちょっと前まで私の中では、ブロンテと言えば、ブロンテ姉妹。『ジェーン・エア』 に『嵐が丘』 。BBCがドラマ化した「ジェーン・エア」をNHKで観た時は、はまったなあ。余談だけど、『文学刑事サーズデイ・ネクスト(1)』/ジャスパー・フォード著 は、『ジェーン・エア』の物語の中に、現実世界に生きる主人公が入り込んじゃって大騒動が起きる奇想天外なパラレルワールドSF。『ジェーン・エア』が好きな人にはお勧め。ところがここ最近、“ブロンテ”と聞いてすぐ頭に浮かぶのは、ピスタチオのこと。シチリアのブロンテという町のピスタチオが、なにやらおいしいらしいんですよ。これはどこの町産かは不明だけど、シチリアのピスタチオ。 ↓ブロンテっていうのは、ヨーロッパ最大の活火山、エトナ山(3323m)のふもとにある町。人口の60%が農業に従事。イタリアのレストランでは、メニューにわざわざ「ブロンテ産ピスタチオ」と書くぐらい有名。でも、ピスタチオは、イラン、トルコ、カリフォルニア辺りが主な産地で、イタリアでブロンテ以外、ピスタチオが名物っていう町は聞いたことないなあ。ていうか、ひょっとしたら、イタリアではブロンテが唯一のピスタチオの産地?ブロンテは、町の面積の80%がピスタチオ林だっていうからすごい。写真で見ると、エトナ山のふもとに、富士山の樹海みたいにピスタチオの森が広がってます。逆に言うと、ピスタチオ以外は育たないような荒れた土地だったのかも。どうやら火山のふもとっていうのがポイントみたい。ピスタチオって、こういう風に生るんですねー。こちらはブロンテのピスタチオ生産者のサイト。左側の写真は、ピスタチオが熟していく様子。一番下が4月で、上から2番目が9月。ピスタチオって、きれいだなあ。ブロンテのピスタチオを食べたことがないので、どんな味か見当もつかないけど、有名だから、きっとおいしいに違いない!ブロンテのピスタチオを日本語のサイトで調べると、みんな「2年に1回しか収穫しない貴重品!」て書いてある。ほお~、なんだかすごく手間暇かけるんだなあ。なんて思っていたら、ん?はてなダイアリーによると、ピスタチオは「他のナッツ類と同様に、隔年で収穫量をあげる交互結実栽培である」だってー。なあんだ。元々、1年置きで収穫するものなんじゃーん。ブロンテだけが特別じゃないんだ。という訳で、ちょっと熱は冷めたけど、でも、一度は食べてみたい。なんでも、ブロンテのピスタチオは、奇数年に収穫するんだって。その様子は、町の公式サイトで動画で紹介されてます。こちらから「LA CITTA'」の「Pistacchio」→「I video sul pistacchio」へ。奇数年ということは、2007年はちょうど収穫の年だー。しかも、収穫は8月末から9月にかけてだから、ちょうど今頃。ブロンテは、町のキャッチコピーが「ピスタチオの町」つーくらいで、多分、一番重要な産業がピスタチオ。なんでも、収穫は住民総出でやるらしいですよー。そして収穫の後は、楽しい収穫祭。今年は9月27日~10月7日。この間にシチリアに行くなら、ちょっとブロンテまで足を伸ばしてみるなんてのもいいですねー。収穫が行われない偶数年は、ピスタチオの値段が倍になるそうなので、要注意。去年の収穫祭の様子はこちらでも、ブロンテまで行かなくても、イタリアの大きな町のパスティッチェリーアなら、ブロンテ産ピスタチオを使ったものをいろいろ売っているはず。ブロンテ産ピスタチオを使った製品、こんなの、あります。殻むきピスタチオピスタチオクリームピスタチオのジェラートピスタチオのカンノーリ同じくシチリア名物、モディカのチョコレートのピスタチオ入りピスタチオ入りパネットーネブロンテのバール・クリスタルのピスタチオのお菓子。ピスタチオとアーモンドのトッローネ(ヌガー)ピスタチオ入りサラミピスタチオのソースのパスタミックスナッツに入ってるだけじゃないんだねー。あーピスタチオのジェラート食べたい!
Aug 25, 2007
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なんだかユーロがすごいことになってるー。先週、「ユーロが高いからヨーロッパ旅行より国内旅行」って書いた時は、確か1ユーロ170円近かったはず。一時は170円越えた時もあったし。それがなんと、たった1週間で1ユーロ155円以下まで下がるなんて!今年の3月にイタリア行った時より10円も安いよー。もっと下がるのかなあ。これからヨーロッパに行く人は、ちょっと得した気分?3月のイタリア旅行では、高級レストランにはほとんど足を踏み入れなかったなあ。次回のイタリア旅行、もしユーロがもっと下がってたら、高級リストランテにでも行ってみるか。そう思ってる人にピッタリなサイト、見つけました。ミラノに住む37歳のイタリア人ビジネスマンによる、イタリアの高級レストラン巡りのブログ。料理やワインの写真がいっぱいあって、見てると行きたくなる店ばかり。こちら。ミラノ人だけあって、ミラノのリストランテの情報は充実してるなあ。中でも、昨年オープンしてかなり注目されてる店、「トラサルディ・アッラ・スカラ Trussardi Alla Scala」(正確な発音は“トゥルッサルディ”だよね)のレポートは、詳細で、見ごたえありますよー。こちら。最近の高級料理は、泡で飾るのが流行ってるみたいですね。シェフはアンドレア・ベルトン氏。イタリア料理界のドン、グアルティエロ・マルケージ氏率いるグループのエグゼクティヴ・シェフ(若頭?)だった人。下の方にスタッフの写真があるけど、一番左の背が高い人がシェフ。ソムリエは日本人の林さん。優秀な方のようで、絶賛してます。有名店の「ダル・ペスカトーレ」から移ったそうで。イタリアで活躍してるなんて、素晴らしい!ちなみに写真には写ってない。どんな料理が出てきたかというと、まずストゥッツィキーニ。パンの下の写真です。右から、「ナチョスのトマトクリーム、ジェラティーナ・ピッカンテ、エビ添え」肉の代わりに水牛のリコッタを詰めて揚げた「アスコリ風オリーブ」「メルルーサのフリットのグリッシーニ風」「ストラッキーノチーズと千切り葉玉ねぎをのせてパプリカを散らしたレッコ風フォカッチーナ」次は前菜。「帆立の貝柱のソテー、にんじんのモスタルダ添え、カカオ風味オイルとクミンパウダーがけ」プリーモ・ピアットは「ペコリーノのクリームを詰めたじゃがいものカンネッリーニ、魚のマヨネーズ仕立て、イカ墨入りオイル、小コウイカのロースト添え」「バッコスチーズで和えたリゾット、ビールのゼリーの泡添え」「パンと玉ねぎのトルティーノ」セコンド・ピアットは「干した生ハムの粉をまぶしたアンコウのロースト、オレンジの砂糖煮、葉玉ねぎとじゃがいものフリット、コーヒー風味のソース添え」「乳飲み子羊のローストとブラサート、じゃがいものフリット、アヴォカド、ライム添え」「牛テールのブラサート、セロリのクロッカンテ、オレンジとフィノッキオの泡添え」「リードヴォーのにんにく、ラディッキオ・ロッソ、ノート産アーモンドのソース」「ガチョウのフォアグラのソテー、とうもろこしのソース、甘いポップコーンと塩味のポップコーン入り」デザートは「ホワイトチョコレートのクリームとメーラ・コッタ(多分、煮たりんご)」「赤い果実の大きなマカロン、ザクロのソース、ヨーグルトとピンクペッパーのジェラート、ホワイトチョコレートのチャルディーナ」「ティラミス」「チョコレートの大地(に見立てた)にホットチョコレートとコーヒークリームの天体」そして小さなドルチェのアソートあれこれ(いろいろ説明してるけど、もういい加減面倒になったので省略)値段は120ユーロだって(ワインはグラスワイン)。今日のレートだと約18,500円。先週のレートだと約20,000円。ミラノのスカラ座の隣という絶好の立地の店。ユーロがもう少し安くなったら、いい服着て、行ってみたいなあ。
Aug 18, 2007
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そう言えば、世間ではお盆休みなんですねえ。今年は春のイタリア旅行でお金と時間を使い切ったので、国内でじっとしてます。そんな中、イタリアに嫁いだ仕事仲間が、一時帰国中という連絡が。そこで、海外から里帰りの人に横浜で一押しのスポット、みなとみらいの万葉倶楽部に一緒に行ってきました。温泉にお食事処にエステにマッサージ、宿泊も可能な癒しの空間。横浜港を一望しながら入るひのき風呂、いいんですよー。お湯は湯河原と熱海の温泉のお湯を毎日運んでくるとか。目の前に広がる海を眺めて、さわやかな風に吹かれながら露天風呂に入って、インターコンチネンタルホテルや港を眺めながらビールを飲んで、観覧車のまん前で足湯に浸って・・・・・・。冷房で冷え切っていた足の血管が開いて、じわじわーっとしてくる。あー極楽極楽。展望足湯庭園からの景色はこんな感じ。この開放感が、たまらない!ウンブリア在住の知人も、こういう場所はイタリアにはないなあと感心しきり。午後6時に到着して、サッパリして万葉倶楽部を出るころには、もう10時半過ぎでした。万葉倶楽部の前にどーんとそびえる観覧車とジェットコースター。これを眺めながら足湯に浸るんです。最高!一夜開けて今日は、体が軽くなってるし、お肌もつやつや。円安ユーロ高の今日この頃、こんな時はヨーロッパに行くより日本の温泉だあ!というわけで、来月は前から行きたかったほったらかし温泉に行くことに。楽しみだなあ。
Aug 11, 2007
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ローマは見所が多いから、張り切りすぎてあちこち回ろうとすると、すぐにへばってしまう。そんな時は、広場のカフェやレストランで、ちょっと一休み。有名な広場のテラス席は、どこもぼったくり値段だけど、まあしょうがない。場所代だもんね。サンタンジェロ城の上にあるカフェでジェラートを頼んだら、ウエハースが4本も刺さって登場。3月末のまだ寒い日だったので、エスプレッソを飲んで温まりながらジェラートを食べる。16世紀に、ドイツの神聖ローマ帝国軍がローマに侵攻して大略奪を行った時、この城に教皇が逃げ込んで、教皇を守ったスイス人衛兵が大勢戦死したんだっけなあ。帝国軍は、昔からろくなことやってないなあ・・・。なんてことをぼーっと思いながら、コーヒーをちょびちょび飲む。バチカン美術館とシスティーナ礼拝堂を見た後は、人込みでくたくたに疲れたから、美術館の向かいのカフェで、生をくーっと一息。ビールが出てきたら、写真を撮る暇もなく速攻で飲んだので、ちょっと減ってる。オレンジのスプレムータ(フレッシュジュース)も、写真を撮るどころじゃなく、くぴーっと一気に飲む。赤いブラッドオレンジのジュースも、イタリアならでは。ナヴォーナ広場で、修復中の四大河の噴水を眺めながら食べた前菜の盛り合わせ。プーリアと比べるとかなりお上品な量だけど、日本人にはこれくらいで十分かも。隣のテーブルの、外国人の若い女の子二人連れが、勘定書きを見て真っ青になり、カメリエーレに内訳の説明を要求していた。ローマのカフェでは、外国人観光客が、値段が高すぎる!とくってかかる姿をよく見る。ローマでは、おどおどしているとバカにされる。だからといって、コーヒーの値段にけちをつけるようなおのぼりさん丸出しでも軽く見られる。このレストランの陽気なカメリエーレは、客のことを「ドットーレ(ドクター)」か「プロフェッソーレ(教授)」のどちらかで呼んでいた。私は「ドットレッサ(女ドクターってとこか)」と呼ばれた。つまり、客は社長さん扱い、というわけだ。当然お勘定も、社長さん価格。カメリエーレのこのノリについていければ、たっぷり楽しませてもらえる。これは、ポポロ広場に面したレストランで食べた「アッフェッターティ・ミスティ」。生ハムやサラミの盛り合わせのこと。ワインリストにプーリアのロゼがあったので注文したら、品切れだった。代わりにカラブリアのチロー・ロザートを持ってきた。ローマでは、地元ラツィオ州のワインに出会う確立はかなり低い。どこにいっても人だらけのローマにも、観光客がほとんどいない遺跡があった。チルコ・マッシモ。ローマの大競技場の跡だ。かつてここで、ベンハーがやっていたような戦車レースが繰り広げられたんだとか。今はのどかで広大な原っぱ。自分の影を記念撮影。チルコ・マッシモのそばには、真実の口がある。真実の口は、恥ずかしながら、このブログのシンボルマーク。久しぶりの再会だねえ。ウインクしないと、なんだか物足りないなあ。ローマはバスで回った。詳細なバスの路線図を売っているので、使いこなせればかなり便利。バス亭にも、停まる場所が全部書いてある。ただし、混雑するバスの中にはスリがうようよしている。貴重品は完璧にガードして、どんなに眠くても居眠りはしないこと!この時は、キリスト教の一大イベント、復活祭の時期だったので、どこの教会でも特別なミサをやっていた。これはラテラノ大聖堂のミサ。大きな教会なので、観光客が大勢うろうろしているが、誰も気にしていない。今回はいろんな教会に行った。そんな中で一番感動したのは、イエズス会の総本山、ジェズ教会だ。以前にも書いたが、ここは、フランシスコ・ザビエルの右手が収められているという教会。あったー。これがザビエルの右手。なんでも、右手は祝福を与えるありがたい手だったから、わざわざ切り取ってここに運んだのだそうだ。ザビエルは16世紀の人だが、この手を見ると、実在していたことがひしひしと伝わってくる。でも、この右手よりもっとすごいのが、教会の天井画だ。バロック巡りの旅の締めくくりにふさわしい、圧倒的な傑作。見上げていると、どこまでが絵で、どこからが彫刻なのか、分からなくなる。だんだん頭がくらくらしてきた。幻想と畏れの感情が湧きあがり、無限の宇宙に、命綱なしで放り出されたような気分だ。感動した旅の仲間は、もしカトリックの信者になるんなら、イエズス会にする、なんて言い出した。何度もローマに来ていて、今まで訪れなかったのが悔やまれる。あまりの衝撃に、日本に帰る直前、再び訪れた。ローマで最後に見たジェズ教会。正面の窓から光がさしこむ神々しい姿を目に焼きつけて、日本に帰るために、空港へと向かった。今回のプーリアとローマの旅も、ようやく終了。とにかく濃い旅だった。素朴で温かいプーリア、華やかで気さくなローマ、どちらも最高!これだからイタリアはやめられない。また次のイタリア旅行まで、「イタリアで食べたい!」と願う日々が続く。
Aug 4, 2007
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ローマでも、地元の定番の味を食べまくった。ローマ料理には、大きく分けて3つの柱があるそうだ。1つは、ローマやラツィオ州の農民料理。もう1つは、“クイント・クアルト”料理。内臓料理のこと。そして3つめは、ユダヤ料理。前菜のビュッフェは野菜が中心。左上は、ブロッコロ・ロマーノ。ローマのブロッコリーだ。角のようにとんがった花序が特徴。ブロッコロ・ロマーノの写真はこちら。ブロッコリーとカリフラワーを足したような味。これもローマ野菜、プンタレッレ。元の形はこちら→苦みがあるので、水にさらしてあくを抜く。このさらし具合が重要で、店によってほろ苦さとしゃきしゃきさがまったく違う。この店のプンタレッレは、きゅうりのような歯ごたえと、甘味さえ感じる絶妙なほろ苦さが最高だった。中がスカスカのパン、ロゼッタ。ローマだなあ。プーリアとは、パンの味がまったく違う。ローマは魚料理もおいしい。飛行機でローマの空港に到着すると、ローマの近くに海があることがよく分かる。ティレニア海は、イタリアでも有数の漁場だし、首都だから、各地からおいしい食材が集まる。これはメカジキのスモーク。おいしい!ムール貝は、プーリアの数倍大きい。ローマは名物パスタもたくさんある。ペンネッテのアラビアータ。正確には、ペンネッテ・アッラッラッビアータ。二番目の“ラ”を巻き舌で言えれば完璧。リガトーニのカルボナーラ。本場のカルボナーラは、とにかく濃い!スパゲッティよりリガトーニのほうが一般的かも。右はリガトーニのアマトリチャーナ。ベーコンではなく、“グアンチャーレ”という頬肉の塩漬けが入っている。ベーコンと違ってスモーク香がない。パスタ・エ・チェーチ。ヒヨコ豆とショートパスタ入りの具だくさんトマトスープ。地味だけど、なかなかいける。肉料理なら、アッバッキオ。乳飲み子羊。有名なのは、骨付きリブロースをさっとグリルした“スコッタディート”。内臓料理の代表格、ローマ風トリッパ。メニューにも、“クイント・クアルト”の文字が。“クイント・クアルト”とは、4つに分けたうちの5番目の部位、という意味。肉の解体場では、肉を前後左右の4つに分ける。ところが、頭、内臓、尾、足は、その4つのどこにも属さない。そこで、4つのうちの5番目、クイント・クアルトと呼ばれた。ちなみに、牛テールの煮込みの“コーダ・アッラ・ヴァッチナーラ”も、有名なクイント・クアルト料理。ローマ料理のもう1つの柱、ユダヤ料理は、ユダヤ人街で食べるのがお勧め。今回は、超ディープなユダヤ料理店に迷い込んでしまった。店にいる客は、私たち以外はみんなユダヤ人らしい。どうしてユダヤ人と分かるかというと、男性は、老人から若者まで全員、例の小さな帽子を、頭の上にちょこんとのせているからだ。こんな帽子。ジーンズにシャツの今時の格好をした男の子たちも、みんなかぶってる。こんなに小さくて、どうしてずり落ちないのか、不思議。ワインを頼んだら、こんなのが出てきた。ぎょ、イスラエルのワイン?よく見ると、「ロッソ・ディ・トスカーナ」と書いてある。ローマのユダヤ料理は、基本的には普通のローマ料理だ。ただ、ユダヤ教は、戒律で食べてはいけない食材というのがある。豚肉、エビ、カニ、イカ、タコ、貝はだめ。肉と乳製品は一緒に食べない、などなど。甲殻類好きには、ちときつい。ユダヤ風フォカッチャ。ユダヤのパンは、発酵させないパンやベーグルなど、ちょっと変わっている。ユダヤ料理の中には、ローマ料理の中に溶け込んで、ローマの名物料理になったものもある。アーティチョークのユダヤ風もその1つ。このユダヤ風フリット・ミストの中にも、アーティチョークのユダヤ風が入っている。アーティチョークを丸ごと1個、茎を持って熱い油の中に入れ、フライパンの底に押し付けて花のように広げて、カリカリに揚げる。ローマ料理は、庶民的で都会的。レストランは星の数ほどあるが、観光客専門でない、地元の常連さんが通う店を発見するのはなかなか大変。でも、そういう店に出会うと、感動も2倍。今回は、老カメリエーレのいるある店が、大のお気に入りに。また行くから、おじいちゃん、長生きしてね。イタリアでタクシーに乗ると、たいていは運転手さんと料理談義になる。ローマのある運転手さんが、こんなことを言っていた。「実は、コーダ・アッラ・ヴァッチナーラは、食べたことないんだよ。お袋のトマトソースのパスタが一番だね」なるほど、ローマ人でも、しょっちゅう牛テール食べてるわけじゃないんだね。
Jul 28, 2007
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今回のローマ旅行は、ダン・ブラウンの『天使と悪魔』を読んだ後だった。ローマが舞台のこの作品、ローマに行ったことのある人なら、あー、あそこかー、と思う場所が何ヶ所も登場する。映画化の話もあるみたいだから、もう一度行って、ちゃんと見とくか。と言うわけで、まずは最重要地点、バチカンへ。ところが、サン・ピエトロ寺院に行ってみたら、入り口は、例のイケメン衛兵たちががっちりガードしていて、観光客を中に入れてくれない。なになに、今日は教皇がじきじきに重要なミサを行う日だから、一般人は入れない?ガーン、そんなこともあるんだー。後で知ったことだが、普段、衛兵はベレー帽をかぶっている。教皇の大切なミサがある日は、赤い羽根つきのかぶとをかぶるんだそうな。なるほど、確かにかぶってた。しょうがない、出直すか。気を取り直して、近くのサンタンジェロ城へ。ここも『天使と悪魔』の舞台。ところが・・・サン・ピエトロに入れなかった人がみんなこっちにきたのか、すごい混雑。どこを写真に撮っても、必ず人が写ってしまう。城を撮りたかったのに、なんだこの、パッチリおめめの男の子は。翌日、出直してやって来たサン・ピエトロの上からの眺め。毎回このアングルで写真を撮るけど、今回は、きのうの名残の椅子が広場にずらっと並んでる。復活祭のイベントの一つだったらしく、TVのニュースでもやっていた。広場の写真を撮ったのはここ。クーポラの上。みんなここから、同じような写真を撮る。サン・ピエトロでは、旅の仲間が、クリスチャンの友人に頼まれて、ロザリオを買った。売店の店員さんは、みんなシスターたち。ロザリオは、高いのやら安いのやら、デザインも豊富。希望を言うと、次から次に、ロザリオを出して見せてくれる。アメリカ英語を話す今時ファッションの女の子たちが、真剣に選んでいた。サン・ピエトロを後にして、次に向かったのは、ナヴォーナ広場。お目当ては、ベルニーニの傑作、『四大河の噴水』。『天使と悪魔』でも、なかなかおもしろい登場の仕方だったし、ウンチクも少しは仕入れたから、気合十分。ところがあ、大ショーック!修復中だあ。足場で囲まれた上にシートとガラスで覆われて、悲惨な状態。かろうじてこのこの部分だけ見えた。ラプラタ川の像なんて、この扱い。ちなみに、前に来た時はこうだった。あー、『天使と悪魔』の舞台巡りは、なかなか前途多難。でも、サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会では、ベルニーニの「聖女テレサの法悦」をじっくりと鑑賞できた。この彫刻を初めて見た時は、これがベルニーニの作品ということも知らなかったが、恍惚の表情を浮かべる聖女、という表現に衝撃を受けて、強烈に印象に残った。見れば見るほど素晴らしい。でも、『天使と悪魔』ではどんな場面だったか、思い出せない・・・。この小さな教会は、奥に秘密の通路のようなものがあって、その先に、なんと売店がある。絵葉書などを売っているのだが、ほとんど誰も気がつかない。私たちが行った時も、客は誰もいなかった。レジの前には、化石のような小さな老神父が座っていた。微動だにしないので、まるで蝋人形のよう。アマーロの一口サイズの小ビンを売っていたので、絵葉書と一緒に買うことに。レジに持っていくと、神父さま、アマーロの小ビンを手に取って眺めだした。そして、ひくひくと肩を振るわせている。ぎょ、ど、どうしたんだー、と一瞬思ったけど、なんと、笑ってるよー。東洋の婦女子が、教会でアマーロなんか買ってるのが、よほど楽しかったんですね、神父さま。あっ、まさか、呪いがかかったリキュールじゃないだろうなあ。これがそのアマーロ。『聖女テレサの法悦』の教会で買ったんだと思うと、もったいなくて飲めない。次の目的地は、サンタ・マリア・デル・ポポロ教会。ところが、行ったら閉まってた。またまたがっくり。帰り道、歩行者天国になっている大通りで、消防車と遭遇した。ギャルたちをかきわけながらゆっくり進むのは、はしご車。到着した先は、とあるビル。消防士が、はしごをするすると渡ってベランダに降り立つ。そして何かを抱えた。あっ、カモメだ。ベランダが狭すぎて、飛びたてなかったんだ。カモメはあっと言う間に飛び去った。しばらく上空を旋回していたら、別のカモメがやってきた。親子だったのかなあ。ローマにはカモメがたくさんいる。先へ進むと、また人だかり。今度は、ビルから宙吊りのパフォーマンスだあ。休日のローマは、地元の人たちも繰り出して、町中がお祭りのよう。『天使と悪魔』めぐりは、今日はこのへんにしとくか。続く~。
Jul 22, 2007
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さあて久しぶりのローマだ~。都会の気配がするぞー。プーリアから来ると、信じられないくらい人が多く感じるなあ。世界中からやってきた観光客たちが発するこのワクワク感!たまりませ~ん。ローマに来る時は、初ローマの仲間が必ずいるので、毎回、同じ所ばかり行っている。でも、何度行っても飽きない。今回も、まず定番の名所巡り。どこもかしこも人だらけで、スペイン階段はこの混雑!前に来た時は夏だったけど、ここまですごくはなかった。スペイン階段を登りきると、すてきな夜景が開けている。中央の通りはコンドッティ通り。階段の下のバルカッチャの噴水。ベンチで囲まれているので、腰を下ろして人間観察するのにちょうどいい。花売りの男の子が、優しそうなカップルに声をかけた。あっ、彼女、バラの花を買ってもらったー。嬉しそう。スペイン広場でバラを一輪プレゼントされるなんて、素敵~。くー、うらやましいぞー。トレビの泉もすごい人だった。相変わらず美しい。どこぞの国の少女たちが、きゃーきゃー言いながらコインを投げていた。また来れるといいねえ。人込みはすごいけど、みんなのハッピー気分が、夜の噴水の周りを陽気に包んでいた。こんなにドラマチックな噴水、きっと世界中どこにもない。人込みの最大級はバチカン。午前中は美術館もサン・ピエトロ寺院も、入場待ちの人が長蛇の列で、軽く1時間待ち。美術館の列の長さはこの5倍ぐらい。中もすごい混雑。閉館時間に近くなると嘘のように列は消えるので、なるべく遅い時間に行くのがお勧め。でも、中に入れば、並んだこともあっと言う間に忘れるほどの、傑作の数々。ラファエロの『アテネの学堂』は、見るたびに、この中央の二人は誰だっけ、と悩む。左の天を指差してるのがプラトンで、モデルはレオナルド・ダ・ヴィンチ、右の手の平を地面に向けているのがアリストテレスとな、ふむふむ。多分、次に見る時は忘れてる。ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂は、見る度に圧倒される。まずご対面することになる巨大な『最後の審判』は、不気味すぎて怖~い。全体像はこちら。ズームインするとさらに迫力。礼拝堂の奥へ足を進めると、天井からすごいパワーがうわーっと迫ってくる。天井画の半分はこちら。大きすぎて1枚の写真には収まらない。『アダムの創造』は、すべての人を引き寄せる。拡大画はこちら。ミケランジェロと言えば、バチカンのスイス人衛兵の制服は、一説では、ミケランジェロがデザインしたと言われているとか。衛兵さんは、みなさんイケメン揃いで、派手な制服をキリッと着こなす姿が超カッコイ~。いい男はなにを着ても様になるねー。あー目の保養だあ。写真撮りながらドキドキしちゃったよん。おっ、こっちにもいい男。このおじさんみたいに話かけてみようかなあとも思ったけど、恥らっちゃって、できなかった~。ローマの旅はまだ続く~。
Jul 14, 2007
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レッチェでも色んなもの食べたなあ。バロック建築巡りに疲れて、通りかかったバール兼カフェで一休み。「白ワインと軽く何かつまみを」と頼んだ。テーブルに座ってしばらく待っていたら、なにやら、二人がかりでワゴンをがたごと押してやってくる。えーっ、な、なんだこれは。あ然としている間に、テーブルに“軽いつまみ”がどどどーん! ↓ ここはプーリアだってこと、うっかり忘れてた。ここでは、軽いつまみって、この量のことなのねー。当然、ワイン1杯では足りず、赤ワインも飲んで、一休みのはずが、本格的な昼食になってしまった。つまみは、みんなおいしかったから、まっいいか。レッチェには、ワインによーく合うお勧めパンがある。その名もピッツォとプッチャ。この名前がどうしても覚えられなくて、店で「プッツォとピッチャください」と言ったら、店員さんたちが楽しそうに笑ってた。上の赤いのがピッツォ、下の白いのがプッチャ。ピッツォはトマト、黒オリーブ、玉ねぎetc.入り。トマトの酸味、玉ねぎの甘味、オリーブのこく、どれも濃厚~。プッチャはオリーブ入り。シンプルな分、小麦の味と香ばしさが抜群!この2つがあれば、ワインが進むよー。そして、レッチェの昔ながらの名物ドルチェと言えば、コトニャータ。マルメロのゼリーのこと。外見は羊羹そっくり。羊羹よりもっとざらざらしていて、100倍甘い。ジャムを固めたみたいなもの。好奇心から一口食べたけど、べたべたに甘くてもう結構。ホテルの朝食にはマルメロのジャムもあった。マルメロは、イタリア語では“メーラ・コトーニャ”。りんごの親戚だけど、生では食べられない。復活祭が近い時期だったので、どのパスティッチェリーアにも、マジパンで作った可愛い羊が並んでいた。買って帰りたかったなあ。店によって表情は全然違う。これは愛嬌がある羊。ちなみに、レッチェで出会ったこのわんこ、毛並が、まるで羊毛。おとうさんは羊なんじゃないの。しかもホルスタイン柄。可愛いなあ。愛嬌と言えば、レッチェのバロック建築を飾る馬たちも、愛嬌満点。ウヒヒヒ~ン。そうそう、ようやく馬肉も食べた。肉はちょっと固め。ビーフシチューと言われても分からないかも。復活祭の時期の定番、子山羊料理もおいしかった。子羊よりはるかに癖がなくて、デリケート。さーて、プーリアの旅もそろそろ終わり。色んな出会いがあって、よく食べて、よく飲んだ。人情が厚くて、料理がおいしくて、自然が美しくて、いい所だったなあ。こんどはもっと天気がいい時に来るぞ。さあ、次はバロック誕生の地、ローマだあ!
Jul 7, 2007
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今日はアルベロベッロからレッチェへ。途中、マルティーナ・フランカで乗り換え。時間があったので、ちょっと町を観光。駅で頼んだら荷物を預かってくれて、地図までくれた。マルティーナ・フランカは、アルベロベッロよりかなり大きなバロックの町で、見所もたくさんある。日曜はここに来ればよかったなあ。地図には、お勧め観光ルートと解説が細かく書いてあった。それに従って、迷路のような白い細い道を、何度も迷子になりながら探索。これは、町で一番立派なサン・マルティーノ教会。プーリアの教会は、どれも細い道に面して建っているので、周囲の建物が邪魔をして、全容を写真に収めることは、ほぼ不可能。とても美しいのに、残念。電車の時間を気にしながらだったので、あまりじっくり見れなかったけど、マルティーナ・フランカはなかなか美しい町だった。さて、いよいよ、バロックの町、レッチェへと移動。レッチェはかなり大きな町だなあ。旧市街には、あちこちに、建築物を見学する学生のグループが。この町で、まず最初にやったのは、名物のドルチェ、トルタ・パスティッチョットを食べること。これがそのトルタ・パスティッチョット。カスタードクリーム入りタルト。中はこんな感じ。素朴でおいしい。しっかり腹ごしらえもして、さあ、元気一杯でバロック建築巡りに出発。ところが、お目当てのサンタ・クローチェ教会が見つからない~。いきなり迷子かあ。裏通りの路地をあっちに行ったりこっちに行ったりしていたら、いきなり目の前に現れた。うわっ、なんだこれはー!すごい・・・。建物にはさまれた隙間からのぞいている部分だけでも圧倒的。正面まで行ったらもっとすごかった。 ↑クリックで拡大教会は、大通ではなく裏通りのような細い道に面しているので、近すぎて、写真で上から下まで写すことは不可能。なんでこんな細い道に面して、こんなにすごいファサードを造ったのか・・・。誰かに見せるためなら、広場の前とか、もっと開けた場所に建てればいいのに。 ↑クリックで拡大バラ窓も圧倒的。ゴチャゴチャなんだけど、美しい。細部まで手を抜いてない。ただ、呆然。可愛いところは可愛い。内部もすごい。夜も美しい。過剰だけれど完璧。バロックって、こういうものなのかー。はあー。ただただ、ため息。圧倒されて、感動した。これだけ派手な教会が町中にあるせいか、他の建物は、すごく地味。たそがれてるけど誘惑的な肉屋。ぴったりくっついて長い立ち話をしているおじさんたちも、絵に書いたような南イタリア人。昼下がりの旧市街は、しーんと静まり返っていた。手前の、年季の入った黄色い車をふと見ると・・・。バックミラーにも、ダッシュボードにも十字架。そして老夫婦らしき古びた写真。南イタリアだなあ。レッチェの話、続く~。
Jun 30, 2007
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アルベロベッロに二日もいると、やることがなくなる。近隣の町に足を伸ばそうと思ったら、今日は日曜で、なんと電車が1本もない!交通手段は車かバスのみ。しかも、隣の町に行くバスは、1日に数本。行ったら帰ってこれないかも・・・・。日曜に営業してるのは、教会とみやげ物屋だけ。みやげ物屋では、ワインの試飲とかクッキーの試食とか色々させてくれるので、何軒もはしごして、昼前に軽く酔っ払い状態。町の広場に、すごく絵になる車がとまってた。運転してるのはおじいちゃん。日曜の教会には、町中のお年寄りがやってくる。アルベロベッロのレストランは、観光地価格でちょっと高め。でも、魚も肉も野菜も、なんでもある。これはプーリアに行ったら一度は食べておきたい料理、チーメ・ディ・ラパのオレッキエッテ。チーメ・ディ・ラパは、別名ブロッコレッティ。菜花に似てるけど、もう少し太くて、茎ブロッコリーよりは細い。ブロッコリーレイブにも似てる(食べたことないけど)。ずばりこれ!と日本語名が言えないじれったい野菜。そして、念願のブラチョーレのオレッキエッテ。そうか、ブラチョーレをパスタのソースにする時は、こんなミニサイズにするのか。肉料理として食べると案外大きなブラチョーレ、パスタにする時はどうするのか不思議だったけど、これで謎も解決。これは、ランパッショーニを初体験した料理。店は、なかなか高級なリストランテ。「2種類の玉ねぎのスフォルマティーニです。1つはチポッラ(普通の玉ねぎ)、もう一つはランパッショーニです」、と説明されて、おー、ランパッショーニだーと、期待に満ちて注文。あー、あんなに苦いものだったとはー。ゴーヤーよりはるかに苦い!ちなみに、右の丸いのがランパッショーニ入り。これが苦い料理だと、誰が想像できようか。買い物したし、料理も食べたし、もうやることがなーい。しょうがない、帰れなくなる危険は覚悟で、隣町のロコロトンドまで行ってみるか。というわけで、バスでほんの10分ぐらいの隣町まで、決死の覚悟で出発。ちょっと冷静になって考えれば、観光地のアルベロベッロでもやることがないのに、もっとマイナーなロコロトンドで、日曜にやることなんかあるのか、分かりそうなもん。でも、ここまで何もないとは、想像もしてなかった。町は、ひっそりと静まり返っていた。通りには、なぜか、魔女のような人形があちこちに吊るしてある。不気味~、と思いながら写真を撮っていたら、車で通りかかった人が、道の真ん中に車を止めて、わざわざ教えてくれた。「復活祭の何日か前になると飾るんだよー」とか言っていたが、後ろに車が何台もつながりだしたのが気になって、よく覚えていない。ロコロトンドは丘の上にある白い町。どの家も真っ白。青いすだれが涼しげだった(寒かったけど)。大聖堂(多分)の正面を飾る騎士と馬。なぜか馬のほうに目が行ってしまう。このすきっ歯と、見よーとばかりの鼻孔。鼻息が、ぶひひーんと聞こえてきそう。彫刻の馬は色々見てるけど、プーリアの馬はなかなかいい味。馬肉って意味じゃなく。旧市街をのんびり歩いていたら、年配の女性の2人連れが話しかけてきた。ノルウェー人だって。近くの町に泊まって、車であちこち観光してるんだとか。やっぱり、こんなところまでバスで来る人はいないよねー。あっと言う間に観光終了。でも、バスはまだ当分来ない。翌日、電車から見たロコロトンド。そう言えば、ここはロコロトンドという白ワインの産地。飲むの忘れたー。次はレッチェ。バロックの町だよん。
Jun 23, 2007
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プーリアも4日目。なんだかお肌がツルツルになっていることに気がつく。私だけじゃなく、旅の仲間もツルツルでご機嫌。どうやら、あらゆる料理に使われているオリーブオイルの効果らしい。これは素晴らしい!ヨーロッパではいつも粉をふいているお肌が、ツルツルしっとり。カサカサ肌に悩むみなさん、プーリアに行こう!さて、今日はアルベロベッロに移動。それまでほとんど見かけなかった日本人が、なぜか1両の電車に全員集合。総勢7人。やっぱりアルベロベッロは有名観光地なんだなあ。 アルベロベッロの観光地区。小さな一角だけ、徹底的に観光地化されている。仕事場や別荘にしてる人もいるみたい。なかなか壮観。夜もきれい。アルベロベッロでは、観光地区の中にあるトゥルッリに宿泊。ここが我が家の玄関。椅子でも出して、行きかう人を眺めていたくなる。中は寝室、キッチン、浴室。床も壁も天井も、全部石だー。へえ、雰囲気あるなあ。この時は、まだ余裕でこんなこと思っていた。ところが・・・この日は冬に戻ったような寒さ。なのに暖房はもう片付けられていて、小さな電気ヒーターしかない。しかも、しょっちゅうブレーカーが落ちて、ほとんど使いものにならない!日が落ちると、石の壁と高い天井は、まるで冷蔵庫の中のような冷たさ。寒い!ひえ~、これじゃ刑務所だー。石の家なんか、絶対住みたくなーい。と、泣き言の嵐!キッチンには2個コンロがついてるけど、2個使うとブレーカーが落ちる。でも、エスプレッソとホットミルクぐらいは作れる。電力は雀の涙なのに、調理道具と食器はやたら揃っている。見てると、なぜか楽しくなってくるなあ。という訳で、キッチンに身を寄せ合って、みんなで酒盛りだあ。電車で知り合った人も呼んで、ワインと唐辛子入りサラミで盛り上がる。こうして、アルベロベッロの最初の夜は、飲んだくれて終わった。そして、イタリア映画には欠かせない貧しい農家の子供みたいに、「神様、あしたはもっと暖かくなりますように」、と涙ながらにお祈りして、眠りについたのだった~。そして朝・・・猫の鳴き声で目が覚めた。あっ、太陽が出てる!よかったー。朝食用のパンやジャムは、前日から用意されている。冷蔵庫にはヨーグルトやサラミも入ってる。たっぷりミルクを入れたコーヒーを飲みながら、向かいのみやげ物屋一家が店を準備する様子をのんびり眺める。夜は最悪だけど、朝はなかなかいいねえ。さあ、今日はどこに行こうか。家を一歩でたら、鳴き声の主とおぼしき猫発見。おー、テラコッタねこだ。で、次は、ロコロトンド。
Jun 16, 2007
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マテーラのサッソ地区には、観光客相手のレストランがたくさん。でも、3月末はシーズンオフなのか、肝心の観光客がほとんどいない!どのレストランも閑古鳥。お客が入ってないレストランほど入りにくいものはない。でもおなか空いてるから、どこかに入らないとなあ。なんて思っている時、道端のみやげ物屋の屋台で立ち話していたおにいちゃんたちが、話かけてきました。「マテーラはどう?」「すごくいい所ですねー」「どこから来たの?」「日本ですよー」「いつまでいるの?」「これから食事したら、バーリに戻ろうかと・・・」「おっ、それならお勧めのレストランがあるから案内してあげるよ。僕は警官だから(と、手を広げて制服と身分証を見せるしぐさ。あっ、ほんとだー)、信用して。こっちだよ」なんと屋台の店番と立ち話していたのは、気のいいマッチョ系のお巡りさんでした。どんな店を教えてくれるのか興味しんしんでついていくと、とてもおしゃれな店に到着。あっ、さっき前を通った時、ここにしようかなあと思ってた店だ。即、決定。グラッツィエ、お巡りさん。それにしてもそこは、マテーラのサッソ地区にはそぐわないような、バーリで入った店よりずーっと洗練された、おしゃれな店でした。お客は私たちだけ。貸し切り状態。さーて、ワインは何があるのかなー。ここはバジリカータだから、もちろん、バジリカータのワインを飲まなくちゃね。出てきたのはこれ。アリアニコ・デル・ヴルトゥレ・DOC・アンテリオ。造り手はカメルレンゴ。2000年に登場した新しいカンティーナで、アンテリオはこの2004年のヴィンテージが最初なんだって。でも、この時はそんなこと知るよしもなく、バジリカータのワインもおいしいもんだねー、程度の気分でかぷかぷ飲んでしまったー。最初に出てきたのはパン。あっこの形!まぎれもなくパーネ・ディ・アルタムーラだー。アルタムーラは隣町だもんね。そうか、パーネ・ディ・アルタムーラはこういう形にスライスするのか。これなら一目で分かる。そしてここでも、無限に続く前菜のパレード。チーズの盛り合わせにサラミの盛り合わせに野菜の盛り合わせにトルタ・サラータの盛り合わせ。あまりに色々出てきてほとんど覚えてない。けど、今でも覚えているのは、まず、リコッタをオーブンで焼いた“リコッタ・アル・フォルノ”。写真の右下の黒いやつ。同じ名前の料理はイタリア中にあるけど、プーリアやバジリカータでは、リコッタに卵やパルミジャーノやらを加えてオーブンで焼くみたい。おいしいよん。そしてもう1つは、プーリアでよく採れるきのこ、カルドンチェッリ。外見はこんなきのこ。しいたけやポルチーニに似た味や歯ごたえ。レストランではパスタや料理のソースによく使うから、食べる機会も多い。パスタは、トリアを注文。トリアとは、プーリアあたりの、セモリナ粉、水、塩のパスタ。普通はタリアテッレ状に切って、チェーチ(ひよこ豆)のソースと組み合わせるんだけど、この店ではなんと、こんな形で出てきた~。ひたすら素朴なパスタです。旅の仲間たちは肉料理も頼んだけど、私はパス。もうおなかパンパン。食後酒にアマーロを飲んで、消化を促進。デザートはパスしても、食後酒は外せません。エスプレッソもおしゃれなカップで。 食事が終わる頃になって、もう一組、お客がやってきた。よかったねー。お客が少なくても、いい食材を使って頑張ってる店でした。食事を終えて、サッソ地区をぶらぶら歩いていると、バイクで巡回中(?)のさっきのお巡りさんにばったり遭遇。「おいしかったよー、ありがとー!」「またおいでねー」てなわけで、この日も気分よく、バーリにご帰還~。明日はアルベルベッロに移動なので、駅で電車の時間をチェックしなきゃ。本数は少ないのに、なにやら複雑でよく分からない時刻表を眺めていると、隣で私をじーっと見ていた50代ぐらいの女性が、ちょっとためらいがちに話かけてきました。「アルベロベッロに行くの?」「ええ、そうなんです」「時間を見てあげるわ。えーっと・・・。多分この電車でいいと思うけど、一応、窓口で尋ねましょう」この時点で、私はすでに、あした乗る電車の時間は分かっていたんだけど、人の親切を無駄にしちゃいけない。ついて行こう。物静かに話すこの女性、窓口の駅員さんとはキビキビと会話を交わして、しっかり電車を確認。「この時間に、ここ行きに乗るのよ。少し前に違う行き先の電車があるけど、間違えないでね」「はい、ありがとうございます、シニョーラ」「あのね、実は私の弟が日本人と結婚してるのよ」「おー、そうだったんですかー」「弟夫婦はカステッラーナっていうところに住んでるの。アルベロベッロに行く途中にある町よ。男の子もいるのよ。私の甥。ほら、これが写真」「おー、可愛い(これは将来の超イケメン間違いなしだー)」なんとまあ、バーリの駅で、日本人の血を引く甥っ子がいる女性と出会うなんてねえ。プーリアにお嫁に来た日本女性、意外といらっしゃるもんですねえ。この女性、すごく嬉しそうに甥っ子の話をあれこれ語ってくれました。女性と別れた後は、エノテーカでワインを購入。ガンベロ・ロッソの2006年ベストロゼワインに選ばれたのを知って以来、ずーっと飲みたいと思っていたワイン。アレツィオ・ロザートDOC・ミエーレ。造り手はミケーレ・カロー。ぶどうはネグロアマーロ80%、マルヴァジア・ネラ・レッチェーゼ20%。美しい~。きらきら輝いてる~。味は、高級そうなボディーがあるのかと思ったら、意外なほど軽快で、フルーティーで、優しくて、楽しい味。でも、不思議な深さもあって、いかにも地中海のワイン。しかもこれ、たった7.3ユーロ、約1200円ですよー!プーリアに住んでたら、1年分お買い上げだあ。ガンベロ・ロッソで同点1位だったモンテプルチャーノ・ダブルッツォ・チェラスオロ/ヴァレンティーニは、28.2ユーロ(約4500円)。どうよ、この南イタリアの物価は。そんなわけで、この日も数々のいい出会いに感動して、眠りについたのでした。次はアルベロベッロだあ。
Jun 9, 2007
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さて今日は、プーリアの隣、バジリカータ州の世界遺産の町、マテーラまで足を伸ばすことに。バーリからは意外と交通の便がよくて、電車1本で乗り換えもなく、ちゃちゃっと行ける。 こんなパンクな電車が、なーんにもない草原の中を走る。富良野みたいだなあ。途中でアルタムーラにも停車。マクドナルドに勝った例のパン屋に行ってみたかったけど、まずはマテーラに行かなくちゃ、と通過。でも、結局帰りは疲れて寄らなかった。今になって後悔。何もない草原を走っていたと思ったら、突然、町に到着。ここがマテーラ?都会だなあ。でも、一歩旧市街に足を踏み入れると、そこは別世界。迷路のような石の家が、ごちゃっと寄り集まってる。一見ごちゃごちゃだけど、家や道は意外と広め。南イタリアの悪夢と呼ばれて、無人化された歴史があるとは、全然感じられない。旧市街は、谷をはさんだ山の斜面の片側に広がっている。反対側は、穴があいた岩山。谷底を流れる川は、マテーラの水源?新緑と咲き乱れる野の花が谷を飾っていた。谷をはさんで旧市街の前にそびえるのは、こんな岩山。この向こうには、何もない草原が広がっている。サッソ地区の岩窟教会。時が止まった世界。こちらはサッソ地区の上にある市街地の教会。バロックの教会がいくつもあって、落ち着いた美しい町並み。マテーラは廃墟のようなところかと思っていたら、人は普通に生活していた。レストランもあちこちにある。わんこもたくさんいた。このちっこいのは、でかいのに遊んでもらって大はしゃぎ。昼下がりのサッソ地区は、平和な世界だった。サッソ地区では、あちこちで工事をしている。こののらは、工事現場の砂山に大興奮。犬並みに、猛烈な勢いで一心不乱に砂を掘り続けていた。掘っても掘っても上から崩れてくる砂山を、いったいどうしたいのか。工事現場の人が戻ってくる頃には、砂山が消滅してたかもね。マテーラは、想像していたよりずっと美しくて、人も親切で、動物も幸せそうで、なんだかすごくいい町だった。今度は泊まりがけで来たいなあ。マテーラの話、もう少し続く~。
Jun 2, 2007
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アンドリアでおなか一杯になった後は、電車で海辺の町、バルレッタに移動。ここには、フリードリヒ2世がかかわった城の中で最大のものがあるんだって。バルレッタはちょっと大きな町で、交通量も多め。町の中は、港町独特の、荒々しくてごちゃっとした雰囲気。道を聞きながらようやくたどり着いた城は、海のまん前にありました。確かに大きい。でも、カステル・デル・モンテのようなミステリアスな空気は皆無。後世にだいぶ手が加えられて、姿が大幅に変わっちゃったんだって。中には、13世紀に作られたフリードリヒ2世の胸像があります。「皇帝が鋳造させた硬貨に刻まれたものを除けば、唯一残存する皇帝の肖像とされている」(by 愛用ガイドブック)んだって。この城で、エルサレムに向かう十字軍の戦略を練っていたのかなあ・・・。城の横では、ドゥオモが後姿を見せてます。駅周辺と違って、旧市街は趣があっていい感じ。ブッラータを持って歩きまわって、くたくたに疲れてバーリにご帰還~。ブッラータの味見をした後は、さあ食事だ。今回選んだのは、素朴な地元料理を出す繁盛店。前菜は野菜のグリルやマリネが中心で、セルフサービス方式。なんと、女性を含めて、お客全員が最低2回、料理を取りに行ってました。素晴らしい胃袋!こんなのを2皿。柔らか~く加熱したフィノッキオが、おいしかったなあ。パスタは、まず、すっかりお気に入りのカヴァテッリ。今回は、いんげん豆とアサリの組み合わせ。ムール貝もいいけど、アサリもいけますよー。貝の汁がパスタにしみてる。カヴァテッリ、いんげん豆、アサリ、どれも粒の大きさは同じなんだけど、歯ごたえが全然違っておもしろ~い。 そしてもう1品は、グラノのオレッキエッテ。プーリアで初のオレッキエッテだー!グラノとは、小麦のこと。小麦のオレッキエッテ?それって普通じゃないの?と聞いてみると、正確には「グラノ・アルソ」のことだという返事。おー、これがグラノ・アルソかあ!グラノ・アルソとは、落穂のこと。落穂とは、麦を刈り取って切り株を焼いた後に、畑に残った麦のこと。鳥も食べないこの焦げた麦の穂を、貧しい農民たちは拾い集めて、毎日の食糧にしていたんですねー。ミレーの落穂拾いの絵、目に浮かぶなあ。多分、オレッキエッテも、最初はこの麦から作られていたんだろうなあ。今はどうやって作ってるのかなあ。まさか、落穂拾いはやってないよね。普通の硬質小麦粉のカヴァテッリと並べてみると、色が全然違う。で、味はどうだったかというと・・・。えーっと・・・。うーん思い出せない。期待して食べたわりには、それほどインパクトはなかったってことか、それとも単に記憶力が悪いだけなのか^^;だめだこりゃー、もう一度リベンジしないと。でも、見るからに香ばしそう。そして次は、プーリアで初めての肉料理。選んだのは、これも前から食べたかったブラチョーラ。馬肉のプラチョーラを食べたかったんだけど、この店のは、残念ながら子牛肉。 この味は、覚えてますよー。というのも、前に、見よう見まねでブラチョーレのオレッキエッテを作ったことがあって(その時の日記はこちら、実際の味はどんなもんなのか、すごく知りたかったから。ブラチョーレについては、こちらの日記に書いてます。今回は馬肉じゃないけど、だいたい分かったぞー、ブラチョーレの味。なんと、あの時作ったのと、そんなに違わない(基本的には)!こりゃ、ある意味ビックリだー。ただ、さすがに本場はトマトが格別においしいので、おいしさのレベルは大幅に違うけどね。薄切り肉をボリュームのある料理にしてしまう1品、これにもプーリアの農民の知恵が詰まってました。この店のカメリエーレは、取調べする善玉と悪玉の二人組み刑事みたいで、面白かったなあ。むっつりこわもてで黙々と仕事をするおじさんと、ウインクと白い歯の笑顔を振りまきながらサービスをする元イケメンのおじさんのコンビ。プーリアのレストランて、なぜかみんな、コメディー映画に出てきそうな、濃いキャラクター。店は常連さんばかりのようで、すごーくリラックスした雰囲気。後ろのテーブルのお客(男性のグループ)が、私たちのことをあまりにじーっと見るので、旅の仲間が、視線を無視しきれなくなって、試しに手を振ってみました。すると、なんと向こうも手を振り返してきたー。旅の仲間はイタリア語ができないので一言も会話はしなかったけど、そのあとずーっと、お互いに手を振りあって、異文化コミュニケーション。みんな爆笑で手を振り合う中、私たちは上機嫌で店を後にしたのでした~。バーリっておもしろいところだなあ。次はマテーラへ~。
May 26, 2007
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アンドリアはブッラータが有名だけど、コンフェッティも名物なんだって。コンフェッティは、ドラジェのこと。ドラジェって何?という人は、こちらを参考に。そこで、有名店(多分)でコンフェッティも購入。 ↑恐竜の卵じゃないですよー。直径1.8cmぐらいの一口サイズ。中に、グラッパ、リモンチェッロ、エスプレッソなんかが入ってたり、ヘーゼルナッツ風味のチョコレートが詰まってたり、フルーツの形をしたマジパンだったりと、いろんな種類があります。全部欲しくなる~。買った店のHPはこちら。日持ちがするからお土産にもいいですよん。ただ、いろんな種類を1つの袋に入れてもらっちゃったんで、中に何が入ってるかは食べるまで分からない~。そうこうしてるうちに、ちょうど昼食時。休憩も兼ねて、軽く何か食べるか、というわけで、たまたま通りかかってビビッときたトラットリーア兼ピッツェリーア兼パスティッチェリーアという、庶民的な店へ。「あの、軽~く食べたいんですけど・・・」「野菜料理とか?」「そうそう、そうです」「わかりましたよ」という訳で、店のおやじさんにすべておまかせ。何が出てくるかなー。 ↑まずはクロスティーニとフォカッチャの盛り合わせ。プーリアは小麦とトマトとオリーブの産地だから、おいしくない訳がない。 しかもここは、トラットリーア兼ピッツェリーアだもんね。パンがおいしい。 ↑そしてぷりぷりの大粒オリーブ。特に聞かなかったけど、周りにオリーブ畑しかない町で、地元産以外のオリーブが出てくるはずもないから、これはプーリア産オリーブに違いない。 ↑そして野菜のグリルとフリットの盛り合わせ。そうそう、こういうのが食べたかったんだよねー。どうってことない1品だけど、プーリアは野菜がおいしいなあ。 ↑おまかせとは別に、メニューの中から選んだ1品、空豆のピューレとチコーリア。チコーリアがすっかり気に入ってしまったあ。ところが今回のチコーリアは、ちょっと苦い!あー、これが運転手さんが言ってた野生のチコーリア、チコーリア・セルヴァティカだあ。なるほど、これだけ味が違えば、素人でもすぐに野草だって分かる。そして、ここはトラットリーア兼パスティッチェリーアだから、ドルチェも食べなきゃね・・・あっ、気がついたら、結構しっかり食事してしまった。それにしても、野生のチコーリアのほろ苦さはおもしろい。今回の旅で食べたものの中では、2番目の苦さ。1番苦かったのは、ランパッショーニっていう小玉ねぎの一種。これは強烈でしたよー。ランパッショーニはこんな野菜。南イタリアの特産品なんで、期待して食べてみたわけですよ。玉ねぎは加熱すれば甘くなるっていう先入観もあったし、きっとおいしいんだろうなあ、なんて思いながら。そしたら見事に予想を裏切られて、ビックリして苦さ倍増!苦いんですよー。これも野生の品種だとかで、とにかく苦い。野生の味に慣れてない舌には、きつい。ゴーヤーとどっちが苦いかなあ。プーリアで、小玉ねぎみたいなものが出てきたら、要注意。ちなみに、苦いもの第3位は、ローマで2度食べたプンタレッレのうちの1つ。ほろ苦いっていう程度だったけどね。食べ物とプーリアの話、まだ続く~。
May 19, 2007
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プーリアに行くことを決めた時、アンドリアでブッラータを買う!ということも決めました。ブッラータは作り立てが一番おいしいという話が長年かけてすり込まれてたもんで、本場に行きたい!とずーっと思ってたんです。ブッラータは、モッツァレッラと同じタイプのチーズを袋状にして、その中に、同じチーズの切り落としをほぐしたものと、乳酸発酵体入り生クリームを混ぜた“ストラッチャテッラ”を詰めたもの。生クリームが冷めると切り落としの生地と一体になってバター状になるところから、ブッラータという名前がついたんだって(イタリア語でバターは“ブッロ”)。できて3、4時間以内なら、生クリームと生地が混ざったばかりの状態。48時間以内なら、半液体状。それ以上経つと生地もストラッチャテッラも締まって硬くなる。というチーズ。さて、アンドリアにチーズ屋はたくさんあるけど、私が選んだのは、ヴィッサーニもここから毎週仕入れている、という店。ヴィッサーニは、イタリアで5本の指に入る超有名高級リストランテ。そんな店が仕入れてるんだから、おいしいに違いない!その筋の間では、最高クラスの作り手って言われてるチーズ屋さんらしい。ブッラータは、2種類の牛乳を混ぜて作るんだって。同じ品種の牛のミルクで搾乳時間が違うものか、品種の違う牛のミルク。なんでもこの店では、イタリアの品種と、もっと脂肪分の多いオランダの品種の牛のミルクで作っているそう。モッツァレッラとブッラータを毎日計1トン作っていて、1kg7ユーロで小売もしてます。そんなわけで、カステル・デル・モンテで中世のミステリーに浸った数十分後、私たちは、このチーズ屋さんにやってきたのでした。店は、ごく普通の小さな店。ところが、普通じゃないのが途切れずに次から次にやってくるお客さん!すごい繁盛店ですよ、この店。 ↑かなり見づらいけど、外から見た店。お客さんは、みんな辛抱強く順番待ってます。にこりともしないおっかなそうな店員さんたち(事前に調べた時、写真で見た顔だー!)にちょっとビビリながら並んでいると、いよいよ私の番。「あの~、これ(ショーケースのチーズを指差す)、ブッラータですか?」「これ?いいえ、スカモルツァですよ」ひえー、恥ずかし~。スタートから、軽い軽蔑の目のような・・・。「えーっと、じゃあブッラータください!」「今日中に食べるんですね」「え?は、はい・・・(違うなんて答えたら売ってくれないに違いない)」「何個?」「1個」「大きさは?」「え?大きさ?(ドギマギ)」「何人で食べるんですか」「3人です」店員さんは、店の奥の作業場に引っ込んでいきました。ふう~、これだけのことなのに、緊張したあ。やがてシートに包まれたブッラータを持って再登場。「この大きさでいいですか?」おー、注文に合わせて作ってくれるんだー!作り置きしてショーケースに入れておくなんてことはしないんだ。「はっ、はいっ!」ブッラータを包装しながら、店員さんがびしっと一言。「冷蔵庫に入れちゃダメですよ」「はっ、はい」そしてお代は?「3ユーロです」や、やすい!拍子抜け~。「今日中に食べろ」「冷蔵庫には入れるな」と命令までされて買ったブッラータ。宝物のようだ~。それにしても、この店の人たち、ほんとにプーリア人?愛想笑いなんてまったくなし。他の客にも、いつ食べるのか厳しく確認してからチーズを売ってる!がんこ一徹の職人さんたちでんなあ。ブッラータを買ったのはお昼頃。この後、他の町に足を伸ばして、ホテルに戻ってきたのは夜。作ってから6時間ぐらい経っちゃったなあ。さあ、いよいよ食べるぞー。 ↑こんな風に包んでくれました。 ↑包装紙を取るとこんな状態。薄い紙にくるまれていて、チーズごと結んである。シートを取ると・・・・・ ↑ひえ~、なんだこれは。予想外の展開だあ。このだれーっとしたの、全部チーズです。ビニール袋みたいにみえるけど、これ、ブッラータです。私が今まで抱いていたブッラータのイメージが、音をたてて崩れていく~。これは果して、正しいブッラータの姿なんだろうか。おっかなびっくりチーズにナイフを入れて開いてみると・・・・・・ ↑うわあ、濃い!一見して分かるんですよ、濃厚さが。フォークですくって食べてみると、お~、バターだけどミルクだー。バターを食べるなんて考えると気持ち悪いけど、これはとびきり濃厚なミルクを味わってるような感じ。バターのように濃くて重厚なんだけど、高原の草のように新鮮!おいしい~。ストラッチャテッラはまだ固まってないから、スパゲッティみたいにフォークに巻きつけることができるぞー。こんなチーズ、生まれて初めて食べた~。これが作ってからたった6時間しか経ってないなんて!何年も熟成させたみたいな大物ぶりだあ。ちなみに、プーリアで最初に入ったレストランで最初に出てきたのがブッラータ。その時食べたのがこれ。 ↓ これもすごくおいしかったけど、これとはまったく違う味。ようやく分かった。今まで知っていたブッラータは、一度冷蔵庫に入れちゃったやつだったんだー!それに、このだれーっとした姿は、3人分の小さなブッラータのために、普通サイズの大きなチーズにストラッチャテッラを詰めたから、こうなっちゃったんだね。皮が薄くて詰め物が多いから、その結果こんな外見になっただけのこと。なるほど、ブッラータってのは、ストラッチャテッラを味わうものなんだ。それにしても、作り手によってこれだけ味が違うとは、奥が深い。この店のブッラータはあまりに濃厚なので、毎日食べるチーズじゃないな。大トロみたいなもんだね。ブッラータのこってりした味を、パーネ・ディ・アルタムーラで落として・・・・・・ ↓ この後、夕食を食べにレストランへと出かけたのでした。我ながらすごい胃袋。続く~。
May 12, 2007
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アンドリアのホテルに迎えに来た車は、正確にはタクシーではありませんでした。運転手さんに話を聞いたところ、アンドリアは町の規模が小さいために、タクシーの許可が下りないんだって。そのうちどこかの町と合併する予定なので、そうなったらタクシーが認可されるそう。それまでは、何だかよく分からないけど、こういうタクシーもどきみたいな商売が認められてるってわけだ。「この町でタクシーが必要になったらどうするんですか?」「そういう時は、駅で駅員さんに頼めば呼んでくれますよ」へえ、そういうシステムなのかあ。あののんきなおじいちゃん、そういうこともやってたんだ。これはきっと、プーリアの他の小さな町でも応用できそう!さてさて、アンドリアからカステル・デル・モンテまでは、何もない畑の中の一本道。周りはずーっとオリーブ畑。しばらく行くと、遠くの丘の上に城の姿が見えてきた~。丘の上にポツンと立つ城。この時思い浮かんだのは、映画『薔薇の名前』のミステリアスな修道院。今にも雨が落ちてきそうな曇天の下で、カステル・デル・モンテは、何やら怪しげな空気に包まれていたのでした。なぜこんな何もない場所に城を造ったんだろう。城に向かって畑の間をひたすら進み、ほどなく到着。雲が切れて、うっすらと光がさしてきた~。人気はほとんどなく、野良犬が丘の上で風に吹かれながら、番犬のようにうずくまってる。八角形の本体に八角形の塔が8個ついた城。造られたのは1229年から1249年にかけて。何のために造られたのか、いまだに謎。愛読のガイドブックによると、「渡り鳥の飛来地を狩りの場所とすべくこの城の建設を命じ、おそらくは設計にも携わった人物(フリードリヒ2世)に似て、天才的にして謎めき、かつ独創的」フリードリヒ2世は、神聖ローマ皇帝でシチリア王。頭のいい人だったようで、戦わないで交渉で聖地を奪還した十字軍の指揮者としても有名。中庭も八角形。城の中。城は輪の形になっているから、中をぐるりと一周できるのかと思うとさにあらず。一番奥の部屋が行き止まりになっているので、壁を1枚隔てた最初の部屋まで行くには、来た道を戻らなくてはならない。なんでそんな造りにしたんだろう。城の正面の部屋から外を見ると、あっ誰か写真撮ってる。数少ない観光客は、ほとんどがドイツ人。イタリア中どこに行っても出会うドイツ人観光客だけど、プーリアではまだ一人も見てなかったなあ。あとで運転手さんが教えてくれた。「ここはドイツ人に大人気の観光スポットなんですよ。いつも団体で大勢来てますよ。この城を建てたのがフリードリヒ2世でしょ。この皇帝、ドイツ系なんでね」ほお~、そんな理由があったのかあ。確かに、フリードリヒ2世の父親はドイツのホーエンシュタウフェン朝の人。ちなみに母親はシチリア王家。言われてみれば、このきっちりした造り、ゲルマン魂、感じるかも。城からは、360度、どっちを向いてもこの眺め。何もないのどかな世界。いったいここで何をしてたんですか、皇帝。城を中心とする一帯は、時が止まってました。中世からずっと、こんな眺めだったのかも。しばし悠久の歴史に思いを馳せて、のどかな春の空気に浸り・・・。観光客よりたくさんいるカステル・デル・モンテ犬がぐてーっと昼寝をしている売店で、記念の絵葉書を買って、よし、これで思い残すことはない。小さくて地味な城だったけど(人が少ないのも納得)、大満足。帰り道では、運転手さんと食べ物談義。「道端のあの人、野生のチコーリアを摘んでるんですよ」「前の三輪トラック、アーティチョークを山盛りに積んでるでしょ。この近くにアーティチョークの名産地があるんですよ」なんて話をしながら、アンドリアに到着~。ただいまあ。さてさて、アンドリアの言えば、カステル・デル・モンテも有名だけど、同じくらい忘れちゃいけないのがブッラータ。次はこの話~。
May 5, 2007
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アンドリアの駅は小さくて何もないけど、町は普通の町。駅前に車はたくさん駐車してる。でも、タクシーは一台もなし。人もいない。しかたない、取りあえず中心部に行ってみよう。でも、地図もない。頼りになるのは、所々に立ってる道案内の看板のみ。小雨がぱらつく町をうろうろとさまよい歩いて出した結論は、この町には、どこに行ってもタクシーはない!あー、カステル・デル・モンテには行けない運命だったのかー。がっかりー。とあきらめかけたその時、あっ、ひらめいた!何気なく見ていた道案内の看板、その中に、ホテルの案内がある!これだー。ホテルに行って、そこでタクシー呼んでもらえばいいじゃーん。我ながらいいアイデア、なんでもっと早く思いつかなかったんだろう。とたんに元気がよみがえり、アンドリアの駅前から点々とある「CRISTAL PALACE HOTEL★★★★→」の看板をたどって、そのホテルまで無事到着。こちらがホテルのHP。4つ星ですよ。なかなか素敵なエントランス。さっそく、フロントにいる若い女の子に、「カステル・デル・モンテに行きたくてタクシーを探してるんですが、ここで呼んでもらうことできますかねえ」と相談。すると、「アンドリアにはタクシーはないんですよ。でも、なんとかしてみますね」という返事。そしてキビキビとどこかに電話をかけて、テキパキと話をつけている。おー、超頼もしい~。ほどなくして、「大丈夫、手配しました。今、こちらに向かってますから、しばらくお待ちくださいね」うっわー、やったあ。ありがとう~!きれいなロビーでソファーに座ってくつろいでいると、フロントの女の子がアンドリア周辺の観光パンフレットをあれこれ持ってきてくれました。アンドリアの地図もある~。アンドリアにはどんな見所があるのか尋ねると色々教えてくれるし、近郊の町まで説明してくれる。トラーニのパンフレットもある。きのうここに来てればよかったなあ。それにしても、なんて親切なの~。仕事が暇な時間帯なのか、ホテルの部屋とレストランまで見せてくれて、お泊りの際はディスカウントしますよ、と、営業も忘れない。素晴らしい。わが社(どの社だよ^^;)にもこんな社員が欲しい!部屋はバーリで泊まってるホテルよりずーっと大きくてきれいで、しかもかなり安い!みなさ~ん、強力にお勧めですよ、アンドリアのクリスタル・パレス・ホテル。プールつきジムとエステサロンもあります。レストラン・ラ・フェニーチェは、星はついてないけどミシュランに載ってるらしい。そんなこんなで、女の子のテキパキぶりにえらく感心しているうちに、タクシー到着~。車が確保できた喜びと、できる女の子との出会いで気分は最高! さー、いよいよ出発だあ。
Apr 29, 2007
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初めて飲んだイタリアのロゼワイン、それがカステル・デル・モンテだったなあ。ロゼどころか、ワインだってほとんど飲んだことがない頃だったから、きれいなバラ色をした、ケチャップみたいな名前のこのワインは、かなり強烈なインパクト。それ以来、私の中ではロゼと言えばカステル・デル・モンテ、となったのでした。今思えば、初めて飲んだプーリアのワインでもあったんだー。その時飲んだのは、リヴェラのカステル・デル・モンテDOC・ロザート。こんなきれいなワインラベルのデザイン、随分変わったなあ。ぶどうは、カステル・デル・モンテ城の近くで栽培されたボンビーノ・ネロ。カステル・デル・モンテDOCには白も赤もあるけど、なぜか飲む気になれないんだなあ。私の中では、このワインはあくまでもロゼ!カステル・デル・モンテとは、実はお城のこと、と知ったのは、いつのことだったか。確か、ワインのラベルにお城の絵が描いてあったような・・・。でも、その城が八角形をした謎に満ちた城だと知ったのは、だいぶ後のこと。カステル・デル・モンテの写真が一杯のサイトはこちら。城ができたのが13世紀で、造ったのはフリードリヒ2世で、世界遺産の1つになっていて、イタリアの1セント硬貨に描かれていて、映画『薔薇の名前』の舞台がこの城をイメージして造られた、ということを知ったのは、もっとずーっと後。人がカステル・デル・モンテを訪れる理由は色々あるだろうけど、私の場合は、カステル・デル・モンテがイタリアワインとの出会いの原点の1つだったから。名前を思い浮かべるだけで、なぜか郷愁が湧き上がってくるんだなあ。今思えば、城を見るより、その地に立つことに意味があったみたい。でも、世界遺産のわりにはかなり地味で、人気も低めのこの城、アクセスの手段は車のみ。しかも路線バスが走るのは観光シーズンだけで、3月はバス便もない。じゃあ最寄の町からタクシーで、と思ったら、最寄の町、アンドリアではタクシーは見つからないらしい(ちなみに、『地球の歩き方』には、アンドリアからタクシーと書いてある)。と言うわけで、はたしてカステル・デル・モンテに行けるのか、まったく分からないまま、取りあえず電車でアンドリアに行ってみたのでした。ここがアンドリアの駅。線路の上を通らないと駅から出られないので、おじいちゃんの駅員さんが、のんきに世間話しながら誘導してくれます。想像してたより、かなりローカル。そして想像していた通り、駅前にタクシーになんか1台もない。さーてどうする。続く~
Apr 28, 2007
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バーリに半日いたら、もう十分見たような気分になってきたので、午後は、近郊の町トラーニまで足を伸ばすことに。トラーニへは電車で40分ほど。例の無敵のガイドブックがないので、この町について知ってることは、海辺にきれいな教会がある、ということのみ。駅に着けば、インフォメーションかなにかあるだろう、と思っていたけど、甘かった。何もない。道を聞こうとして、なんていう名前の教会かも知らない自分を発見。「あのー、すいません、教会に行きたいんですけど、有名で、海のそばの・・・」「大聖堂?」「あーそうそう!それです(多分)」というわけで、自分たちが行こうとしているのが大聖堂であることを、この時点でようやく知ったのでした。 トラーニは、適度に小さくて、落ち着いた居心地のよい町。しばらく歩いたら港に出ました。漁師さんにも道を聞いて(漁師さんと話をしてみたかった)、さらに進むと、女子高生?の一団に遭遇。大聖堂の見学に来たみたい。みんなからプロフェッソーレと呼ばれてる引率の先生?(大学教授みたいに貫禄があったなあ)が、話かけてきました。「日本はリッチだから、旅行ができていいねえ」「いやあ最近はユーロが高くて、かつかつですよー」なんて話をしながら、みんなで大聖堂に到着。 おー、これだこれだ。意外と大きいなあ。 ほんとに海辺に建ってました。 教会から海へと続く道。 道の先は、どこまでも広がる夕暮れのアドリア海。おや、海の向こうに大きな島影が。ひえ~、ひょっとして、ギリシャ?アルバニア?以前、海を渡ってアルバニアから難民が押し寄せたっていうし・・・。冷静に考えたら、これは、トラーニよりもう少し北にあるガルガーノ半島でした。 暗くなるとライトアップされて、一段と素晴らしい姿に。 プーリアまで来たんだなあ。 イタリアの町は、どこも昼より夜のほうが活気がありますねー。トラーニも、夜のほうが魅力的で賑やかで楽しげ。迷路のような路地で完璧に迷子になってあちこちさまよったけど、どの小道も雰囲気がいいし、色んなジモティーに道を聞くのも楽しい。ブティックの入り口でメンチ切ってた(ように見えた)店員の女の子も、バールの前に座りこんでた無精ひげの町のチンピラ(みたいに見えた)も、みーんなすごく親切に道を教えてくれたなあ。私、道を聞くのが大好きなんですねん。トラーニ、なかなかいい町だなあ。次は泊まってみよう。バーリに戻って、夜は、サルメリーアでワインとつまみを買って、ホテルでごろごろしながら軽い食事。以前に度々書いたパン、パーネ・ディ・アルタムーラも買ったぞー。 大きくてどっしり重い~。この独特の形は、“アッカヴァッラートaccavallato”:積み重ね形。他に、“カッペッロ・ディ・プレーテcappello di prete”:司祭帽形っていうのもあるけど、積み重ね形のほうが目についたなあ。旅行の間、このパンをずーっと食べてました。ローマでも。何日たってもぜーんぜん品質が落ちないし、強く漂う芳ばしい香りも変わらない。天然酵母と地元産の小麦から生まれるこの香りは、パネットーネの香りにどことなく似てます。素朴なのにリッチなパン!こうして、またまた満腹になって、ワイン(この夜は、プーリアの定番の赤、プリミティーヴォ・ディ・マンドゥーリア)でほどよく酔っ払って、プーリアの初日は終わったのでした~。次は、いよいよカステル・デル・モンテへの道~。
Apr 21, 2007
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バーリで最初に入ったレストランは、事前に調べておいた店。情報によると、地元料理を出す人気店らしい。場所は城の近く。ホテルできいたら、予約しなくても大丈夫と言われたけど、実際には満席の繁盛ぶり。早く行ってよかったー。まず、ワインはロゼをおまかせで注文。プーリアはおいしいロゼワインの産地だもんねー。そしたら、カステル・デル・モンテが出てきた!おーこれは、この城に行けるという前触れかあ!縁起いいぞー。 「カステル・デル・モンテDOC・プリマロンダ・ロザート/トッレヴェント」ぶどうはボンビーノ・ネロ80%、モンテプルチャーノ20%。フレッシュで爽やか、適度にコクもある。ウニの味をこれで流してと。パンとタラッリ。 南イタリアのワインのつまみに欠かせないタラッリ。塩味と甘いのと両方あって、ビスケットとクラッカーの中間のようなもの。この店のタラッリはおいしかったなあ。お持ち帰りすればよかった。前菜はおまかせ。まず出てきたのがブッラータ。 ブッラータは、バーリから電車で1時間弱のアンドリアという町の名物。モッツァレッラの中に、モッツァレッラをほぐしたものと生クリームを混ぜた“ストラッチャテッラ”が詰まってます。どうやってこの形にするかというと、平らな円盤状にしたモッツァレッラの中央にストラッチャテッラをのせて、その部分を押しながらくぼませていって巾着形にして、紐で口を縛ります。切ると、中からクリームがどばー。以前ナポリで食べたことがあったけど、このブッラータはその時より新鮮で、数倍おいしい!中からあふれ出たクリームが、「きっとハイジが搾ったミルクって、こんな味だよ~」という感じ。濃いけど、すごくフレッシュ!牛さん、ありがとう~。今回の旅ではアンドリアにも行きました。そこで買ったブッラータはすごかった!!でもその話はまた後で。次に出てきたのは、プーリアを初めとする南イタリアの定番料理、ティエッラ。 簡単に言ってしまえば、イタリア版パエリヤ。浅鍋に具を重ねながら詰めてオーブンで焼く料理で、お米、じゃがいも、ムール貝の組み合わせが定番。今回出てきたのもそう。う~ん、これ、すごくおいしい!お米にムール貝の出汁がしみ込んでいて、リゾットとはまったく違う歯ごたえで、香ばしくて、どちらかと言うとリゾットよりこちらの方が私はお気に入り。そして次は、これまたプーリアの定番、乾燥空豆のピューレとチコーリア。空豆のピューレは、シチリアで食べた時、すごく重かったので、ちょっと苦手。でも、これは全然重くなーい!しかも、チコーリアがおいしい!チコーリアはイタリアではよく見かける青菜で、道端に生えてる野生のものもあります。最近話題のプンタレッレも、カタローニャというチコーリアの一種の若芽。プーリアはチコーリアの一大産地のようで、どんな店でも必ず置いてます。イタリアでは野菜はくたーっとゆでるけど、このチコーリアは、くたーっ具合がたまらないです!口の中に入れると溶けちゃう。味はまるでホワイトアスパラガス!お次は、ムール貝のグラタン。プーリアの町ターラントは、ムール貝の養殖で有名だもんねー。この辺りにはいっぱい流通してるんだろうなあ。かなり小粒なので、何個でもいける。さらに出て来たのは、ムール貝のフリッタータ。 いけます。この辺りから、ちょっと疑問が浮かびだしました。いったいいつまで前菜が続くんだい。こちらの不安をよそに、今度運ばれてきたのはシーフードあれこれ。おいしいけど、まあ普通かなあ。そしてさらに、エビのバルサミコ酢風味。エビにトマト、ルーコラ、チーズをのせてバルサミコ酢をかけるというのは、流行りのおしゃれなメニューかもしれないけど、あまりこの店の柄じゃないなあ。えー、まだあるのー。もう食べれないよー。なにやら白身魚のオリーブ煮。 味は普通。ぎょえー、スカンピ、お店からサービスだって!もうやめてくれー。最初はおいしくて大喜びして食べてたけど、この頃にはもう、かなり満腹。飛ばしすぎたー。でも、ようやく前菜は終わりだって。助かった。プリーモ・ピアットはパスタを選択。シーフードのタリアテッレ。普通の軟質小麦粉の薄いタリアテッレを想像していたら、出てきたのはなんと、硬質小麦粉のもちもち系の分厚いタリアテッレ。プーリアではタリアテッレにも硬質小麦粉を使うんだー!満腹状態でこれはきつい。でも、分厚いタリアテッレもなかなかいける。ムール貝も一杯はいってます。もう1品は、ムール貝と白いんげんのカヴァテッリ。 カヴァテッリは、オレッキエッテと同じように、硬質小麦粉と水をこねた生地のパスタ。生地をいんげん豆ぐらいに小さく切って、指でひっかいてくぼみを作ったもの。写真の黄色いのがカヴァテッリで、ピンクがかってるのが白いんげん。ほんとはオレッキエッテにしたかったんだけど、ないのでしょうがない。どうせ形が違うだけで味は一緒だろう。と思ってたんですが、これがかなり違ってました。白いんげんと同じ程度のとても小さなパスタなので、もちもち感よりつるつる感の方が強くて、食べやすい!カヴァテッリがこんなに小さいパスタだとは、知らなかったなあ。オレッキエッテより断然お気に入りになりました。それにしても、このいんげん豆、おなかにもたれるんだよねー。もう胃袋パンパンだあ。ここまででもう限界。セコンド・ピアットとデザートはパスして、食後酒にリモンチェッロ飲んで、ようやく食事終了~。おいしくて雰囲気がよくて、なかなかいい店でした。ただ唯一の問題は、店長とおぼしきカメリエーレ。この人、料理を持ってくる度にナンパするんですよー。そりゃこの歳でナンパされれば悪い気はしないけど、このすごい数の前菜を持ってくるたびに、この後でコーヒー飲みに行こうとか、今晩会おうとか、日曜にデートしようとか、しつこいんじゃー!旅の仲間の見て見ない振り視線、どうしてくれるー!でもまあそれ以外は陽気でテキパキしたサービスだったから、またバーリに行くことがあったら、多分この店にまた行くと思うけど^^;そうそう、別のカメリエーレに、「あなたたちは中国人?日本人?」て聞かれました。後ろのテーブルのグループ客に、「あの人たち、いったい何人?」と聞かれて、直接こっちに聞いたというわけ。そこで改めて、後ろのテーブルのみなさんに、「日本人ですよー」とご挨拶。どうやら唯一の女性の化粧の濃いおねーちゃんが知りたがってたようなので、礼儀上、「あなたはプーリア人?」と聞き返したら、フィレンツェ人だと言ってました。それにしてもこの質問、プーリアを旅行中、しょっちゅうされました。あまりに中国人!と声をかけられるので、日の丸のはちまきでもしようかと思ったほど。大昔ならフィレンツェでも聞かれたことがあったけど、いまだにこんなに好奇心丸出しの人たちがいたとはねえ。やっぱり、田舎なんだなあ。 こうしてバーリで最初の食事は、パンパンにおなか一杯になって、ナンパまでされて、気分よく終わったのでした。続く~。
Apr 14, 2007
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バーリの探索は、まず、有名な2つの教会、サン・ニコラ教会と大聖堂から。おだんご持ってピースサインしてるこの人が、バーリの守護聖人、聖ニコラ。見事な力の抜け方じゃ~。この聖人をまつるサン・ニコラ教会は、白くてきれい。正面扉の両脇に、これまた力の抜けた彫刻発見。普通、正面の扉と言えば、かっこよくポーズを決めた獅子とか、威厳のありそうなものをもってきそうなもんだけど、この馬はなんだあ。やたら愛嬌がある教会だあな。などと思って喜んで写真を撮ったのでした。後日、持っていき忘れたガイドブックを読んで、この教会が典型的なプーリア=ロマネスク様式であることを学習。あれっ、「中央の扉口の両側には円柱があり、これを牝牛が支えている」だって~。これ、牛だったのかあ。言われてみれば、首太いし足短いし、牛さんですね・・・。こんな調子で、ガイドブックがない不自由さは、この後、帰国する日まで続いたのでした。こちらは大聖堂の内部。今回の旅行は、バロック様式の過剰な装飾にあふれた教会漬け。だから、このシンプルな教会はかなり異色。静寂の中に、南国的でモダンな空気がただよってました。この教会は、扉がガラス張り。時が止まった世界からガラスを通して見ると、俗世界も清らかに見えるなあ。美しい教会を見た後は、港へ。昼近い港では、大小の漁船が漁の後片付け中。桟橋に、カラフルなドアが並んでました。一瞬、更衣室?と思ったけど、どうやら漁師さんの小屋のよう。色が違えば、自分のドアが分からなくなる心配もない。港では、漁師さんが店を出して即売中。そろそろ昼時で店じまいなのか、売り物も少なくて暇そう。「ウニ食べてくかい」、と、おじさんが声をかけてきた。奥を見ると、一般人らしき男性二人連れがウニを立って食べながら、私たちに「おいしいよ」、と言ってる。じゃ、せっかくだから、食べてみるか。これが一人前。この皿とパンを渡されて、あとはそこら辺で、適当に食べるらしい。ウニは極小サイズ。味は、日本のものと比べると数段落ちるけど、まっ、こんなもんさ。パンにウニっていうのも、意外といけるもんだなあ。トゲトゲの殻を持って食べるので、手が痛い!しかも、トゲには海草もからまっていて、かなり塩辛い。白ワインが欲しいけど、漁師さん、そこまでは用意してないみたい。隣の二人連れはビール持ち込みしてる。いいなあ。こうして小腹を満たした後は、いよいよ最初の食事。でもその前に、軽く腹ごなしの散歩。ルンゴマーレと呼ばれる海岸通りに行ってみた。夏の間ははかなり活気があるみたいだけど、今は誰もいない。道を聞いたおじさんは、「世界一きれいなルンゴマーレだよ!」と胸を張ってた。海ときれいな家並みを眺めながらのんびり歩いた。さーて次は、バーリの初レストランの話~。
Apr 11, 2007
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海外旅行のために家を出る時は、忘れ物がないか、いつもちょっと不安になります。今回も、パスポートよーし、航空券よーし、お金よーし!としっかり確認して、いざ、出発。ところがー、あ~ん、忘れ物しちゃったよおー!ガイドブック忘れたあ!レストラン情報の収集に一生懸命になりすぎて、イタリア旅行には必携の、『Touring Club Italiano日本語版南イタリア編』を、ころっと忘れたあ。各地の見所や歴史が細かく説明されているこの本、今まですごーく重宝してきました。いつも持っていくガイドブックはこれだけ。運の悪いことに、忙しくてプーリアのページにはまったく目を通しておかなかったよお。旅の仲間は私に頼りっきりで、『地球の歩き方』しか持ってないし~。ひえ~。いったい、どこに行って、何を見たらいいんだあ。でもまあ、今さらどうしようもない。少なくとも、何を食べたらいいかは分かってるし^^;その分荷物が軽くなったわけだから、まっいいか。なんとかなるさー。と無理やり気持ちを切り替えて、さあ、初めてのプーリアだあ。午後2時に成田を発って、バーリに着いたのは、現地時間の深夜11時30分。予定の時間を30分過ぎてました。でも、中心部行きのバスはちゃんと待っていてくれましたよー。ほっとひと安心。バスは最後の乗客までしっかり待ってから出発。とは言っても、乗客は私たちと日本人男性一人だけで、同じ飛行機で到着した人たちは、全員車で帰宅の様子。なるほど、この様子じゃあ車がないとすごく不便なところなんだろうなあ。そして翌日・・・・・・。明るい光の下で最初に見たバーリの光景は、縦列駐車でぎゅーぎゅー詰めの車に埋め尽くされた新市街!どの車もこんな間隔。今思えば、家も車もアンテナも、ごちゃごちゃだけどあっけらかんとしていて、くどいけど憎めないバーリ人の気質そのもののよう^^;ちなみに、ドイツではきちんと整列していたスマートカー、ここではこの写真中央のように、他の車とは垂直に停めるのが常識みたい。確かにこれなら、駐車スペースは3分の1でOK。若者は、どこの町でも群れてますねー。暖かい南イタリアを期待していたのに、異常気象とかで、寒いのなんの。みんな日本より厚着。バーリの人の背は、シチリアより高めで、ミラノより低め。大きからず小さからずといったところでしょうか。車だらけのメインストリートから一歩旧市街に入ると、絵に描いたような南イタリアの姿がありました。白い壁、迷路のような細い路地、戸口に腰かけて縫い物をする女性、ガタピシ走る三輪トラック・・・・・・。このサルメリーア、時代ものの照明がいい感じ。路上のムール貝売り。商品はこれだけ?こちらは野菜。フィノッキオ、アーティチョーク、チコーリアが山盛り。こっちでは肉を解体中。牛肉かと思ったら、馬肉でした。馬肉専門店です。馬の絵が飾ってありますね。なるほど、プーリアでは馬肉もよく食べるんだ。もうすぐ復活祭(今年は4月8日)。どのパスティッチェリーアでも、ショーウインドーには、マジパンでできた子羊(親羊?)が。ふと下を見ると、靴の泥拭きにまちがえられそうなわんこが、ちんまりと日向ぼっこ中。これがどれも同じ一角の風景。なんだかいいなあ、バーリって。バーリの話、続く~。
Apr 5, 2007
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ただいまあ。帰ってきました~。まだ時差ボケで、頭の奥がボーッとしてます。いや~、プーリア&ローマという今回のコースは、想像以上に濃厚でした。もうくたくた。気がついたら、世界遺産だけで5ヶ所も行ってました。プーリア旅行の定番世界遺産、アルベロベッロ。こじんまりとした町でした。ここで泊まったトゥルッリは、折からの異常気象のせいでまるで牢獄のような寒さ。今では懐かしい思い出だあ。こちらはプーリアの隣、バジリカータ州の世界遺産、マテーラ。洞窟住居というから暗い町を想像していたら、それは一部で、町全体の印象は全然違いました。大きくてきれいで立派な町。もう一度、じっくり訪れてみたいなあ。プーリアのもう一つ世界遺産、カステル・デル・モンテ。無事に行けました~!やっぱりなんとかなるもんですねえ。ここにたどり着いた方法は、後ほど詳しく。世界遺産だというのに、全然人がいない!ローマは歴史地区全体とバチカンの2つが世界遺産。大好きなトレビの泉に、5年ぶりに再会~。それにしても、ローマのこの人のすごさは何事だあ!泉の周りは夜でも人でぎっしり。5年前の夏の10倍ぐらいいたような。旅行の2日目、バーリで迎えた最初の朝で、まだ元気一杯の私の足。向こうはバーリの港。アドリア海の青い海とだだっぴろい水平線が広がってました。この海はギリシャにつながってるんだなあ、なんてぼんやり考えてるところ。この後、あんなに大勢のプーリア人と出会うことになるとは、想像もしてなかったなあ。プーリア人は、オープンで、気さくで、人懐こくて、陽気で、熱くて、シンプル。ローマ人は、おのぼりさんに対してはかなりスノッブだけど、一歩踏み込めば、やっぱり人懐こくて、温かい。今回はいつもに増して、片言でもイタリア語ができてよかったー!と、しみじみ感じた旅でした。いい思い出がたくさんできたプーリア&ローマ旅行記、次からぼちぼち初めていきま~す。
Apr 4, 2007
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まだ日本です^^あさって出発です。ひょっとしたら、イタリアに行ってる間に桜の季節が終わっちゃうかも~。プーリアに行こう!と決めてから、ずいぶんたったなあ。漠然と、南イタリアに行きたい、という思いがあって、ナポリには何度か行ったけど、ナポリより南はさすがに遠い。どちらかというと歴史を感じる古都が好きで、田舎でまったりする旅はあまりやらないのだけれど、今回の旅はどうなるかなあ。とりあえず、おいしい料理とワインと素晴らしい噴水(これ重要!)に出会えれば、それで満足。 ↑こんな風景に出会えるかなー。カステル・デル・モンテに行けるかどうかは、結局運まかせ。日本からまずバーリに入るのだけれど、バーリ到着がなんと夜中の11時。初めての町にこんな時間に着くなんてー。しかも町の中心部までのバスは11時が最終のよう。さーて、どうなることか。まっ、あまり深く考えないことにしよーっと。じゃあ、行ってきま~す!
Mar 18, 2007
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再び早朝の公園。なんとユリカモメは、みんな飛び立ってしまっていた。100羽以上いて、とても賑やかだった先週の池。それが今は、こんなにガランとなってしまった。みんな北に向かったのかなあ。今頃、どこを飛んでいるんだろう。池が寂しくなると、自然と陸地に目が行く。緋桜がきれいに咲いていた。よく見ると、鳥が蜜を吸っている。寒桜も咲いていた。こちらにはヒヨドリがいた。あっ、ヒヨドリのカメラ目線。「可愛く撮ってぴよ」桜のつぼみはだいぶぷっくりしていた。少しずつ春だなあ。
Mar 11, 2007
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エスプレッソメーカーみたいな形のカプチーノメーカーがあるんですねー。fuminminさんのブログで知りましたよー。ビアレッティの「ムッカ・エキスプレス」っていう製品。これ1個でカプチーノができちゃうんだって。なんだかすごく便利そうだし、ホルスタイン柄のデザインも個性的なんで、気になってました。ちなみに、ムッカとは、イタリア語で乳牛のこと。このマシンでどうやってカプチーノができるのか、イタリアのムッカ・エキスプレスのHPで見てみると・・・基本的な構造は、こちらの牛さんマークをクリック。こちらはPV。うーん、分かったような分からないような・・・。エスプレッソメーカーでコーヒーができる原理もよく理解してないので、カプチーノができる原理となるとさらに分からないー。で、さっき何気なく料理雑誌のページをめくってたら、1ページ全部にドーンとこんなものが。出た!またいつものフェロモン系広告ですよ~。この状況設定だと、絶対ベッドに美女がいるんですねー。イタリア人はほんとにこの手のが好きだなあ。牛さんマークの可愛いカプチーノメーカーまで、フェロモン系で宣伝しちゃうの?宣伝コピーを超訳(半分は妄想訳^^;)すると・・・「午前0時20分、人は君をドンファンって呼んでるよ。午前2時42分、君はカサノヴァだってさ。午前5時33分、もう自分の名前も分からないだろ。そして午前8時、ハードな夜の後は、ムッカ・エキスプレスのクリーミーで柔らかい泡が、君を優しく起こしてくれるのさ♪」はー、またまた今回も、どーもよく意味が分からない。まったく、イタリアのCMは想像力をかきたててくれますねー。どういう意味か考えれば考えるほど、目が離せなくなってくるー。あれ、よーく見ると、ハンサム君が流し目でムッカ・エキスプレスを見つめているっていう構図だー。なかなか凝ってるじゃん。こんなフェロモン系な宣伝のくせに、売ろうとしてる商品のロゴマークが牛さんだもんなー。ひょっとして、これはとても高度な宣伝テクニックなのかも?この宣伝はシリーズになっていて、他にもいろんなパターンが。一番ストレートで分かりやすいのは、牛がベッドにやってきて、「牛に起こされたことある?」でも、シャツをセクシー(^^;)にはおったイケメンが赤ちゃんとおぼしきものに微笑みかけてたり、バッグを放り出して床に座りこんだ女の子が、なぜかムッカ・エキスプレスをかたわらに置いてカプチーノ飲んでたり、いったいどういう状況なのか、ちょっと知りたくなるものも。小さくてコピーが読めないのが残念~。ムッカ・エキスプレス、なんだかますます欲しくなってきたなあ。朝、これでいれたカプチーノを飲んでる自分には、どんな物語があるんだろ。はっ、CM作った人の策略にまんまとはまってるー!
Mar 7, 2007
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日曜の朝の公園運動不足解消を兼ねて、自転車で、ちょっと遠くの大きな公園まで行ってみた。見たことのない水鳥がたくさんいた。これがユリカモメかあ。きれいな鳥だった。
Mar 4, 2007
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スペインのシェフがオリーブオイルを固めてスパゲッティにしたって話、前に書いたけど、そう言えば、ミラノでこんなもの食べたこと思い出しました。ひっくり返しても落ちないエスプレッソ、その名もエスペッソ! ↓たしかこれ、スペインのカリスマシェフ、フェラン・アドリアとラヴァッツァが開発して、鳴り物入りで売りだした新商品だったよなあ。詳しいことはその時の日記に。今思えば、これにも増粘安定剤がたっぷり入ってたに違いない!その後、全然噂を聞かないけど、どうなったんだろ。で、しょうこりもなく、今回も食べてみたいと思ってる新商品が、あるんだなー。これ~。 ↓アイスクリームのコーンのような形のピッツァ、その名もコーノピッツァ。これはフランチャイズパートナー募集のポスター。「ビジネスのビッグチャンス!」だって。日本では銀座のプランタンに店があるけど、大もとはイタリアの企業のよう。こちらがHP。製造過程の動画もあり。売りは、「本場イタリアの味を新しい形で」ということのよう。まあ味は期待してないけど、どんなものなのか、なかなか好奇心を刺激するなあ。日本とイタリアでは、味が違うのかなあ。ローマのテルミニ駅に試験的に店を出したみたいだけど、まだあったら食べてみよっと。
Mar 1, 2007
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旅行まで1か月を切って、図書館からこんな本借りてきて、パラパラ見ている今日この頃です。 ↓ローマの教会の、ちょっと変わったもの、発見。まず1つめは、フランシスコ・ザビエルの右手!ザビエルはインドで死んだんだけど、その右腕は死んでも腐らなかったんだって。そこで、右前腕だけローマに運ばれて、イエズス会の総本山、イル・ジェズ教会に収められたんだって~。それが1614年のこと。そしてこれが、その右手が収められている祭壇。ザビエルの遺体はインドのゴアに安置されていて、10年に一度公開されるそう。当然ながら、こっちには右手はない!右手が収められているイル・ジェズ教会、まだ行ったことないんだなー。バロック誕生の地ローマでも有名なバロックの教会だから、今回は行きたいー。そしてこの天井画を見たい!ちょっと変わったものその2は、スカラ・サンタ。サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂の前にある階段なんだけど、ここを上る時は、膝をついて登るんだって!これがその光景。なんでもこの階段、エルサレムから運ばれたもので、キリストが、ローマ人のユダヤ総督ピラトに尋問されるために上り下りした階段だとか。結局ピラトは磔の決定を下したわけだから、キリスト教徒にとっては、キリストの受難をまざまざと感じる、まさに聖なる階段なんだろうなあ。ちょっと変わったもの、その3は、聖チェチリアの大理石像。これ。あまりにリアルで、ちょっとギョッとするなあ。なんでも、1599年に発見された聖女の遺体を、そのまんま大理石で再現したんだって!サンタ・チェチリア・イン・トラステヴェレ教会にあります。この聖チェチリア、音楽の守護聖人として知られてるだけど、なんでも、キリスト教を捨てなかったためにまず釜蒸しの刑になって、死ななかったから首切りの刑になって、それでも首を切り落とすことができず、切りつけられたまま3日間生きていたという、すごい女性。アップで見ると、首の傷がよく分かる~。ちなみに、この聖女の名前をつけたサンタ・チェチリアっていうシチリアワインがあるねー。 ↓飲む時は、この大理石の像を思い出しそー。ローマも、まだまだ知らない所がたくさんあるなあ。何度行っても飽きない街だ!
Feb 25, 2007
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いや~、ようやく観た~。『輝ける青春』。DVD2枚に渡って、全部で6時間!宣伝文句は、「イタリアのある家族の涙と喜びに満ちた40年を描く6時間の壮大な感動作。」第56回カンヌ映画祭、ある視点部門グランプリ、イタリアのアカデミー賞ダヴィド・ディ・ドナテッロで6部門受賞。確かに力作でした。私の評価は星4つ。★★★★☆前半と後半では、印象がかなり違う映画。前半は、ほお~、イタリアの俳優は、かっこいいなあ^^後半は、ずーっとうるうるしっぱなしで、鼻が詰まって窒息寸前。映画を観ながら、1960年代から現代までのイタリア社会の移り変わりを、登場人物と一緒に体験することもできます。この間にイタリアで起こった大きな出来事は、まず、フィレンツェの大洪水。1966年にアルノ川が氾濫して、多くの死者が出た災害。世界的な芸術品の被害も甚大。私は、このことをまったく知らないでフィレンツェに行って、ある教会で、「ここまで水没した」という古いプレートを見て(かなり高い位置だったなあ)、初めて大災害があったことを知ったもんでした。そしてこの年は、サッカーのワールドカップで、北朝鮮がイタリアを1対0で下して、史上最大の番狂わせと言われたんだって。この試合のことも、印象的に使われてました。この頃から、イタリアは経済危機に。私にとって一番強烈な記憶は、1978年に起きた、赤い旅団によるモロ元首相の誘拐暗殺事件。当時、元首相の死体の写真が新聞に載って、その姿がいまだに忘れられないくらいトラウマになってます。その4年後の1982年は、サッカーのワールドカップでイタリアが優勝した年。優勝の瞬間を、映画ではすごーく印象的に使ってます。1992年は、シチリアで、反マフィアの判事二人が相次いで殺害されて、市民の反マフィア意識が急激に高まった年。私も、この事件の再現ドラマを見て、マフィアがいなくなって欲しい!と強く思ったもんだ。この映画のもう1つの特徴は、舞台が、トリノ、ローマ、フィレンツェ、パレルモ、ストロンボリ島、ヴァル・ドルチャなど、イタリア各地に渡っていること。イタリアに興味のある人なら、思い入れのある町が最低1つは登場するはず。たとえば、ヴァル・ドルチャはモンタルチーノのある場所。映画みたいにここに別荘建てて、ワイン三昧のバカンスを過ごしたい人、いるんじゃないかなあ。私の場合は、まず、フィレンツェの図書館。落ちこぼれ学生だった頃、授業をさぼってここで一人で時間を潰していたちょっとせつない思い出の場所。そしてもう1つはストロンボリ島。偶然にも、今、私が一番行きたい場所。2年前の日記にも書いてます。行くのが大変そうなんで、どうしようかなあ、なんて思ってたんだけど、すごーくいい所みたい。決めたぞ、いつか行く!それにしても、イタリアの役者さんて、みんな魅力的ですねー。主役のルイジ・ロ・カーショは、イタリアを代表する役者さんなのか、色んなところで名前を見ます。ちょっとアラン・カミング似。弟役のアレッシオ・ボーニは、ヒュー・ジャックマンと山下真司を足して割ったようないい男^^素晴らしかったのは、母親役のアドリアーナ・アスティ。この人、ヴィスコンティ監督の『ルードヴィヒ』や『若者のすべて』にも出てるんだー!元ベルトルッチ夫人かあ。うーんと若い頃のアドリアーナ・アスティ。登場人物勢揃い。この映画、ストーリーはちょっとセンチメンタルで、できすぎ感もいなめない。なにしろ、主人公は人道派精神科医で、姉は人道派検事、弟は人間関係がうまく築けない悩める刑事で、妹の旦那は主人公の親友でイタリア銀行の行員。ここまでエリートが揃うと、ちょっと鼻につくなあ。しかも兄弟揃ってサッカーに興味なしなんて、イタリアのインテリって、こういうもんなの?主人公の弟と妻の行動も、どうもよく理解できないし・・・。前半はこんな感じ。だけど、後半を観て、ようやく気がつきました。弟と妻が理解できないのは私だけじゃなくて、主人公とその家族も、理解できなかったんだー。私には映画の中の他人事だから、なんだよ、よく分かんないよ、で終わりだけど、それが家族だったら、なぜ理解できなかったのか、悩むよなあ。一番深く悩んだのは、多分、母親。アドリアーナ・アスティの演技から、それが強く静かに伝わってきます。うっ、思い出すと、涙が・・・。映画の原題は、『La meglio gioventu』。直訳すると、“最も素晴らしい青春時代”。実は私、なんでこういうタイトルなのか、よく分からなかったー。そのあたりが、ちょっと物足りなかったなあ。だけど、イタリア映画もなかなかいいもんだ、と思える作品でした。あっ、そう言えば、おいしそうな料理は全然出てこなかった~。
Feb 20, 2007
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来月の旅行、ようやくホテルの予約が全部終了~。それにしてもユーロはなんて高さだ!円は対ユーロで最安値更新だってえ。このままだと、3~6か月後は165円まで上昇するかもしれないだとお。ひえ~、今だって160円近くであわててるのに~。こりゃ両替は早めにしといたほうがいいなあ。よりによって、仕事がめちゃくちゃ忙しいこの時に、パソコンが壊れました。もうショック!パソコンが使えなかったら仕事にならないー。大あわてでパソコンショップに運び込んで、あーだこーだと症状を説明して見てもらったら・・・。何もしてないのに、なぜか普通に動いた・・・。「どこも問題ありませんねえ、お客さま」そりゃ直ったのはうれしいけど、それじゃなにかい、ここまで運ぶ間にひとりでに直ったっつーんかい。なんとなく納得できないなあ。まっ、家電製品のトラブルなんて、そんなもんだけどね。あー、この騒ぎで一日潰してしまったあ。こんな日は、以前見つけたちょっと面白いサイトでも紹介するかな。マンガおたくのイタリアの若いカップルが、初めて日本にやってきた時の旅行記です。若い二人は、「すごーい、日本は街中にマンガがあふれてる~!」って大感激だったよう。日本に着いたその日に撮りまくった写真、おもしろいですよ~。こちらでどうぞ。確かに、Suicaのペンギンとか、イタリアでは絶対ありえないような「可愛い」キャラクターが日本にはいっぱいあるなあ。サザエさんのおみやげの売り場は、なんじゃこりゃーって興味しんしん。「かけこみ乗車禁止」のポスターは、「かけ込み乗車はあぶない」って書いてあるのか、それとも「頑張って飛び乗れ」って書いてあるのか、分かりかねてます^^車内では携帯禁止っていうルールが守られているのにもビックリ。他のページもおもしろいですよー。渋谷の路上ライブを見て、「日本はなんて進んでるんだー」って言ってるー。日本の車もカッコイイって。初体験のお風呂は、熱い~っ!コンビニはマンガで見た通りだ~!不思議な食べ物がたくさん並んでる~!とにかく何を見ても「可愛い!」って感じるみたいで、丸井の広告やおにぎり屋のおばちゃんにまで可愛い!と感動。そんな君たちも、すご~く可愛いよ。あらためて、日本は「可愛い」文化なんだなあって実感。
Feb 15, 2007
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近年話題のスペイン人シェフたち。そんなシェフの一人が、イタリアで行われたイベントで作った料理を雑誌で見ました。なかなか美しい料理で、タイトルは『オリーブオイルのラヴィオリ』。詰め物を包んだパスタが1個、スプーンの上にのっていて、その上にはイクラが数粒。なんだか茶きん鮨みたい。シェフの名前はパコ・ロンセロ。マドリッドのホテル・カジノの、ラ・テラサっていうレストランの人。こちらはホテルのHPの、シェフの紹介ページ。どうやら、「オリーブオイルのパスタ」っていうのが彼の代表的な料理のよう。こちらは、「オリーブオイルのスパゲッティ」。アップで見ると、こういうもの。ふ~ん、なかなかきれいだなあ。でも、作り方を見てビックリ。このパスタ、小麦粉は一切使ってないんです。その代わりに何を使うのかと言うと、まずはスペイン産のDOPオリーブオイル。そして水と塩。これをゼラチンと、2種類の添加物で固めてるんです!使ってる添加物は、増粘安定剤。ひえ~。こういう添加物を加えてるってこと、メニューに書いてあるのかなあ。この料理に使われている増粘安定剤の1つ、キサンタンガムは、とうもろこしなどのでんぷんを発酵させて作るもので、水と混ぜると粘りが出るんだって。相当多くの食品に添加されていてる物質のようで、もちろん、身体に悪いものじゃないんでしょう。いまどき、添加物のない生活なんて考えられないし、添加物も立派な調味料や食材の1つなのかも。一流レストランの料理に増粘安定剤が使われていても、珍しくないのかも。全部キサンタンガム入り ↓ う~ん、でも、なんだろう、この違和感。数日後、偶然、違和感を持った理由が分かりました。TVで、食品添加物の専門家が、添加物だけを使って、イクラもどき、フカヒレもどき、ゆで卵もどきを作ってみせていたんです。フカヒレ風 ↓小さなビンに入った色んな物質を混ぜるだけで、もどき食品が次から次へとできちゃうんですねー。しかもそれらは、生活にかなり深く入り込んでいるものばかり。コーヒーにたらすコーヒーフレッシュが、牛乳を一切使わずに、水と油と添加物だけでできちゃうのにはびっくり。イクラもどきは有名ですよね。日本にいると、こういうもどき食品があるっていうことは多くの人が知っているし、それが主に、高級品の代替として使われてるってことも知ってる。だから、オリーブオイルを添加物で固めたパスタは、イクラもどきと同じに見えちゃう。あくまでも、本物の代替品と感じてしまう。この場合の本物は、料理人が二本の腕で打った小麦粉と水のパスタのこと。オリーブオイルを添加物で固めてパスタの形にするなんて、反則技だよなあ。このパスタ、材料を知らなければ、きれいな料理だなあ、で終わっていた。でも、一度知ってしまうと、あまり食べたくないような・・・。もう一度見てみる?オリーブオイルのスパゲッティ。それでも、一流レストランの看板料理なってるっていうことは、よっぽど素晴らしい料理なんだろうなあ。スペインの人は、もどき料理に抵抗がないのか、見慣れてないのか・・・。もどき食品のニュースいろいろ。 ↓サイコロステーキゆで卵もどきがんもどきは雁(鳥のがん)もどき!
Feb 12, 2007
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プーリアのオリーブオイルの話の続きです。プーリアで、おいしいオリーブオイルがあったら買いたいなあ。昔はプーリアのオイルと言うと、質より量で、品質的にはいまいち、というイメージがあったそう。その最大の原因は、収穫の仕方。熟して地面に落ちた実を収穫することが多かったから、カビや虫で傷んだ実が混ざる確立が高かったんだって。イタリアのオリーブオイルで評価が高いのは、リグーリアとトスカーナのもの。リグーリアのオイルは甘く、デリケートで、花の香り。トスカーナのオイルはコクがあってフルーティー。一方プーリアのオイルは、味が強くて刺激がある、というのが伝統的。でも実際には、プーリアでもいろんなタイプのオリーブオイルが作られてるみたい。プーリアのオイルは、大きく5つに分かれてます。こちらは、プーリアのオイルを地区ごとに色分けしたもの。4つしかないけど、本当は、オレンジ色の部分が黒い線で左右2つに分かれます。 ↑例えばこれは、テッラ・ディ・バーリDOPカステル・デル・モンテ地区のオイル。地図で見ると、黄緑色の地区の縦線の地域で作られたもの。産地がはっきり分かるオイルは好感が持てるなあ。大雑把に言うと、プーリアでは、北部では比較的マイルドなオイルができるんだって。だから、デリケートなオイル作りを目指す作り手も多いようで、そういう所は、実を手で摘み取ったりして、様々な手間をかけているみたい。出来上がったオイルは、はっきりしたオリーブ香があって、芳ばしくて、フルーティーで、熟したトマトやアーモンドの風味も。この種のオイルは、火を通さないで使うと個性が活きるタイプ。ドレッシングとか、料理の仕上げにたらしたりするのに最適。プーリア南部のオイルは、強くてきりっとした典型的な南のオイル。だから、加熱してもいいし、生でもOK。プーリア料理を初めとするさまざまな地中海料理に、どーんと使えそう。結局、オイルも味見してみないと分からないっていうことだなあ。おー、オイルのテイスティンググラスだって!イタリアには、オリーブオイルテイスター協会というのがあります。“ONAOO”っていいます。オナオオ?HPはこちら。オリーブオイル生産者協会主催の、テイスティングの専門家養成コースもありますよー。
Feb 9, 2007
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プーリアと言えば、オリーブオイルの産地として有名。イタリアのオリーブオイルの約半分は、プーリア産なんだって。おみやげに買って帰る人も多いんだろうなあ。 オリーブオイルの話で、またまたギリシャ神話ねた、発見。オリーブって、ギリシャ神話的にはアテナが造り出したものでしたっけねー。ゼウスがアテナイの支配者を選ぶ時に、ポセイドンとアテナを競わせて、人間により役に立つものを創り出した者の勝ち!としたんでした。ポセイドンが創ったのは海水の湧き出る井戸(別の説では馬)で、アテナはオリーブ。そしてアテナが勝利者に。このアテナって、戦いの女神でもあるんですね。詳しくは、wikipediaのこちらのページにいろいろ書いてあります。この中で、おもしろいのが「巨人戦」の話。アテナが最強の巨人、エンケラドスと戦って、シチリア島を投げつけてやっつけたあ?こちらはヴェルサイユ宮殿のエンケラドス。あの華麗な宮殿に、こんな不気味な彫刻があるなんて~。上に乗っかってる土みたいなのが、シチリア?これは、シチリアのセリヌンテの神殿から出土したアテネとエンケラドスのレリーフ(パレルモ考古学博物館蔵)。シチリアの人は、エンケラドスがエトナ山の下に封じ込められていて、彼が動くと山が揺れたり噴煙が立ち上るっていう話が好きなようで、なかなかの人気者みたい。シチリアと言えば、この間のサッカーのパレルモとカターニア戦での暴動、警察官の犠牲者まで出てしまって、悲惨な事態になってしまったなあ。旅先で接したシチリアの人たちは、とてもおおらかで温かい人たちだったのに。この試合、元々は2月4日の日曜日の予定だったのが、カターニアの守護聖人、聖アガタのお祭りと重なってしまうので、早められたそう。パレルモのサポーターは、バスの到着が遅れてイライラ状態でスタジアムに飛び込んできたとか。色んな条件が重なってしまったんだなあ。町の歴史もサッカーの歴史も長いだけに、いさかいの根も深いのかも。森本、がんばれよー。こちらは2005年の聖アガタ祭の様子。盛大なお祭り!
Feb 6, 2007
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今日は、プーリアのカスタードクリームタルト、パスティッチョットの話。パスティッチョット、ちょっとちょっと^^・・・・・・どうしてもそう言いたくなる~。これ、レッチェの名物として知られてるみたい。レッチェは、ブーツ形のイタリアのヒールの先端部分、サレント半島の中心地。このあたり。バロック建築で有名ですよね。Wikiのこちらのページによると、パスティッチョットは、1745年に、レッチェの南のガラティーナっていう町の、アスカローネっていうパスティッチェリーアが最初に作ったんだって。なんでも、資金難でケーキ1台分の生地とクリームがなかったので、小さな型で作ってみたらこれが好評で、あっと言う間にサレント半島中に広まっていったそうで。地元では、焼きたての熱々を朝食に食べるんだそうです。最初に作った店、アスカローネは、まだあった!こちらが店の写真。元祖のパスティッチョットは、砂糖、卵、小麦粉、ラードで作ったタルト生地に、牛乳、砂糖、卵、小麦粉、家になってるオレンジの皮で作ったカスタードクリームを詰めたもの。ガラティーナに行く人は、ぜひ、ヴィットーリオ・エマヌエーレ通りのこの店のパスティッチョットを食べてみて~。ちなみに、創業者のアンドレア・アスカローネは、ブルボン家の宮廷の優秀なパスティッチェーレだったとか。ガラティーナのサンタ・カテリーナ・ディ・アレッサンドリア教会。素晴らしい!こちらはイタリア在住の日本の方のサイト。ガラティーナのお祭りの話、おもしろいです!この踊り、6月29日の聖ペテロ・聖パウロ祭の時に行われるみたい。あと、この町は“ガラティーナ”っていうワインの産地でもあるんだー。ガラティーナを売ってるワイン屋さんのサイト。小さな町でも奥が深いなあ。Ascalone : Via Vittorio Emanuele 17, Galatina
Feb 4, 2007
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今度のお題は、プーリアのドルチェ。プーリアのドルチェ?プーリアのドルチェ・・・・・・・・・。う~ん、思い浮かばない。あっそうだ、こんな時のために、山のようにどんどんたまって床が抜けそうになって困ってる本たちがあるんだった。どれどれ、ドルチェの本にはどんなことが書いてあるかな。「イタリアの中でもプーリアの食文化は独特だ。地理的にプーリアは、イタリアと東方諸国が出会う場所だった。まず、ギリシャ人がやってきて植民都市を築いた。次に、ローマ人がやってきてアッピア街道を通し、その終着点となった。十字軍の時代には、ここから聖地エルサレム奪還に向かう船が出た。ギリシャ、ローマ、中東、これらの母体の上に、プーリアの産物である小麦、ぶどう、オリーブ、アーモンド、いちじく、蜂蜜、リコッタなどが加わって生まれたのが、プーリアのドルチェだ」『L'Italia dei dolci』Touring Club Italianoよりなあるほどー。プーリアはここ。そういえば、イタリアとギリシャを結ぶ船が出てるのは、プーリアのブリンディシだったなあ。これはイタリアと周辺の地図。拡大するとブリンディシBrindisiが出てきます(長靴のヒールの部分)。ギリシャは、右やや下のギリシャ文字の部分。近いなあ。前回書いたカルテッラーテも、ギリシャから伝わったと考えられてるんだって。言われてみれば、あの幾何学的な形、ギリシャ風に見えてきた!一説では、ギリシャ神話のデメテルっていう女神に捧げる食べ物がルーツとか。デメテルは、大地の女神、豊穣の女神。彼女を讃える「エレウシスの秘儀」っていう儀式のための食べ物だったんじゃないかって。エレウシスの秘儀については、こちらのサイトに詳しく書いてあります。ちょっと長いけど、勉強になりました~。四季の冬が生まれたのは、ギリシャ神話的には、そういういきさつがあったんですか。異教徒の儀式がキリスト教に取り込まれていったのは自然なこと。復活祭もそうだし。ギリシャから伝わったお菓子がクリスマスに欠かせないものになってるっていうのは、歴史の深さを感じるなあ。ドルチェを探してたら、ギリシャ神話のお勉強になってしまった。素朴で地味めなものが多いプーリアのドルチェの中で、ちょっと可愛いの、発見!トルタ・パスティッチョットだって。カスタードクリームのタルト。おいしそう~♪次はこれのこと調べてみよっと。
Feb 1, 2007
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