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2024年10月08日
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久々に女子マラソンで前田選手が日本新記録を更新しましたね。次のオリンピックが楽しみです。有森が2位で初めて銀メダルを獲得し次に高橋選手が金メダルを獲得しました。続いて野口選手が獲得しました。日本記録を更新しただけに楽しみですね。
2024年02月05日
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お久しぶりです。後いう間にお正月は過ぎ去ってしまいました。もう二月で、立春も過ぎました。楽天で高価な囲碁板を購入しましたが。高価すぎて持て余しています。私の道楽の最も高価な買い物になったかもしれません。後生大事にしておくつもりです。
2024年02月05日
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2022年10月24日
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母の死を悼んで!今年1月3日に入院。その後入退院を繰り返し、とうとう6月19日に永遠の国に旅立った。享年96歳。8月6日に四十九日の法要を済ませた。法名は「慈愛」。慈愛に満ちた母であったと思っていたのでふさわしい名だと思った。終戦直後から戦地から帰ってきた父との間に4人の子供をもうけ。無事4人の子供を育てあげた。私には誇らしい母であった。
2021年09月10日
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https://blog.goo.ne.jp/mikki-21331k/e/c3cf026e91dc01d6d12f656db6b18f37
2019年11月20日
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http://blog.goo.ne.jp/mikki-21331k/e/0366c913073bcd6d9bf1d1cce5ec1841?fm=entry_awp
2017年07月18日
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天草、鬼池港より南島原、口之津港へ向かう船上からの島原方面。5月22日、今回は天草から長崎県に位置する島原半島にわたり原城跡などを見学し、雲仙岳・普賢岳を臨みながら小浜温泉街などを横目に宿泊地に向かうことにした。まず、上天草市にある小松屋渚館から、天草市にある鬼池港に向った。鬼池港はフェリーが出ていると聞いていたが予約などしていなかったので待ち時間や乗用車の種別などで条件で五月蠅くないか?など、不安があったが意外と簡単に乗船できた。フェリーも45分から60分間隔で出向していた。鬼池港に着くと担当官にすぐに乗車券を購入してくるように促され、そこに行くと窓口では車検証の提示を求められ、すぐに乗船できた。此処から南島原の口之津港までは約20~30分でついた。当日は天気は快晴の最高の日和だった。船上は初夏の風を受けて短いながら爽やかな船旅のひと時であった。南島原(口之津港)に着くとすぐに「島原街道」を海岸沿いに”島原原城跡”に向かった。はじめての島原なので目的地がすぐに見つかるか不安だったが看板が路上にあったので予定通りの訪問となった。ただ、このあたりは農地だけがあたり一面に広がっていて商店街、食堂らしいものがなく昼食抜きとなってしまった。
2015年06月05日
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5月21日から旅に出た。午前5時半頃自宅をでた。午前6時50分新大阪駅発の新幹線特急に乗車した。午前9時50分新幹線久留米駅に着いた。たった3時間で久留米まで新幹線でついてしまった。九州もいつの間にか新幹線がいつの間にか開通していた。ついこの間までは博多駅まで新幹線で来て、そこからは通常の列車に乗り換えていた。とにかく久留米駅で降りて駅前のオリックスレンタカーで小型自家用車ヴィッツをかりた。さっそくそこから今日の目的地天草へ向かった。久留米ICから九州縦貫道にはいり、熊本の松橋(まつはせ)ICでおり宇土半島を海岸沿いに天草の島々をつなぐ5橋の第1の橋へ向った。上天草を通過し天草市に入った。それから、島原と天草をつなぐ港「鬼池港」方面に向かった。鬼池港までのドライヴを楽しむと「小松屋渚館」に引き返すことにした。
2015年05月27日
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城壁を飾る桜久しぶりに大阪城に出かけました。城は桜一色におおわれていました。貴重な晴れ間だったので大勢の人出でした。城の石垣はこれまであちこちと見て回りましたがやはり大阪城ですね。 城濠に向かって桜の枝はしなやかに長く伸びていた。
2015年04月07日
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二泊三日で熊野地方へドライブ旅行してきました。自宅を出たのは15時過ぎでした。 宝塚ICから中国縦貫道に入りました。中国縦貫から近畿自動車道に出て、和歌山方面に向かいました。途中から東に向かって、奈良方面へ出ました。 17;00時ころ吉野川沿いの国道に出ていました。吉野の山々を超え、いよいよ大台ケ原の峠越えに挑みました。うねうねと曲がりくねった山々を上り続けました。 途中で高度を増すにつれて あたりは急激に気温が下がってきたようです。 大台ケ原へと熊野市へと向かう分岐点あたりに出ました。 大台ケ原方面は雪と、道路の氷結で通行止めになっていました。 これは大変だ、目指す方向もぐずぐずしていると通行止めになってしまうかもしれないと不安感が増してきました。 思わず、グイとアクセルを踏み込みました。 スピードアップです。 このあたりからトンネルが増えてきました。トンネルの中は不思議となぜか、コンクリートがはがされていて内側は、ガタガタのトンネル壁となっていました。 どれも工事中かこれから工事に入るような様子のトンネルが多いようです。 思うに、一時中央自動車道で落盤事故がありマスコミで騒がれていましたが、それ以降全国のトンネルの見直しと補修工事が増えているのかもしれませんね。 ほどなくすると、やっと下りが増えてきたようです。もう19;00を過ぎていました。 辺りはもう真っ暗です。12月半ば過ぎの冬空は暗くなるのが早いですね。 谷川がありました。 これまでと違って谷も川も逆方向に下り始めていました。 30分ほど走り続けると平地に入りました。やっと熊野市に入ったようです。 ところで途中、すごいスピードで後を追ってくる車がありましたよ。 更に異常に接近して走行し始めました。アクセルを踏むとさらに接近してきたので思わずカーレースになるところでしたがこれは危ないと広いところで先を譲ることにしました。 19;30過ぎ、無事、熊野市の宿に着きました。「ビジネスホテル平谷」で一泊です。 大台ケ原越えの紀伊半島縦断は四時間三十分を超えたドライブ旅行でした。明日は熊野速玉大社、熊野那智大社へ向かう予定です。
2014年01月02日
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ゴールデンウイークの旅5/3は新幹線の特急と特急カモメでJR佐賀駅に着く。時刻はAM10;55だ。マツダレンタカー店で車を借りる。私の愛車はデミオなので乗りなれたデミオにした。吉野ヶ里町のお寺に向かう。毎年の行きつけの花屋さんで2束のお花を買った。お寺に向かい、お墓の掃除と供養を済ませるとお坊さんと歓談した。世間話に花を咲かせ、これからの日本の行く末を論じた。そのあとお寺を後にし昼食のひと時となった。食事を済ますと久留米市の東方にある高良大社に向かう。細い山道を車でぐるぐる回りながら高良山を上った。 上りきったところに大社は鎮座している。参拝を済ませると佐賀市内まで戻り柳川市の旅館に向かう。途中、筑後川の豆津橋に至る。そこを左折し川沿いに下る。筑後川は子供時代は釣りをしたり、泳いだり、懐かしい川の一つだ。夕方4時ころに目的の「松葉屋旅館」に着いた。柳川の当「松葉屋旅館」に一泊すると古墳時代に鉄剣の出土で有名な江田船山古墳など古墳群のある所に立ち寄ることにした。此処の守護神、この古墳群の守護神石人は巨大だった。周りをちょうど満開を迎えた躑躅の垣根でかこわれていて、満開だったのでとても綺麗だった。昼過ぎにここを立ちまっすぐ天草市の栄美旅館に向かった。
2013年05月08日
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今日の別大マラソンは凄かったですね~!世界陸上選手権の出場がかかっていたせいもあってか熱がこもっていましたね。 特に中本選手と川内選手の争いは下馬評の中でも特に評判が高かったです。 川内選手はこれまで対戦して一度も中本選手に勝てたことがなかったということで凄くライバル意識を燃やしていたそうです。 案の定28kあたりから二人が飛び出し、ぐんぐん他を引き離してゆきました。 顔面をゆがめ真っ赤になって懸命に走る川内選手。 顔色一つ変えず冷静に余裕の雰囲気で走る中本選手。抜きつ抜かれつの争いです。 雰囲気が対照的なので思わずその様子に引き込まれました。 何度もお互いにスパートの連発を繰り返します。どちらも一歩も引かず40kあたりまで中本を川内が追走する形で断然他を引き離す争いを展開していましたが、ついに大橋を超えるあたりで川内が必死の形相でラストスパートをかけました。 中本も懸命にあとを追いましたが、徐々に川内が、引き離し始めゴールでは20m?位の差で久しぶりの大会新で優勝を飾りました。 市民ランナーながら優勝を獲得した川内選手の頑張りには頭が下がる思いです。つい先ごろにはエジプトマラソンに招待されいろいろアクシデントに見舞われながらも優勝をし、凱旋してきたばかりでした。
2013年02月03日
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謹しんで 新年の お慶びを 申し上げます 新しい年が始まりましたが、今年も皆さんのご活躍を期待するとともに 皆さんのご健康、ご多幸をお祈り申し上げます。
2013年01月05日
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いつの間にか冬至も過ぎ、お正月もあとわずかとなりましたね。寒さも一段と厳しくなりました。みんなを楽しませ、喜ばせてくれた紅葉もあっという間に舞い散り、寂しい限りです。今は忘年会のシーズンです。 みんなで昨夜は忘年会を楽しんだのですが終われば何となく気の抜けたビールののような気分におそわれています。お正月はもっと覇気のあるお正月を迎え、飲み甲斐のあるお屠蘇にしたいものです。
2012年12月23日
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下から見上げた 福知山城天守閣 この福知山城で感じたのはこの城の特徴が「曲線美で飾られた城」だという気がしたことです。太鼓橋曲線美を表現した城郭 スロープを上る福知山城このスロープも城を囲みながら緩やかにカーブしている。
2012年09月09日
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中国自動車道を通り、舞鶴若狭道に出た。程なく三田市を経て丹波篠山を通り福知山ICについた。後は国道をまっしぐら。福知山城が見えてきた。城内に入る前に真っ青な夏空の熱い太陽に照らされ赤く燃えるサルスベリに見とれてしまった。 側面からみた福知山城
2012年09月05日
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今日は明治維新後最大の内乱で、激戦地となった田原坂に向かうことにした。 この戦いは総称西南の役といい、熊本市で起きた神風連の乱それに触発された秋月の乱、江藤新平の指揮する佐賀の乱などとともに士族の一連の反乱の一つであるが中でもこれが最大の反乱であった。 田原坂には朝渚館で食事を済ますと9;00頃ホテルを出た。九州自動車道IC松橋まで出ることにした。 2時間ほどで田原坂に着いた。そこでまず官軍の兵士の墓地を見学した。 次に西郷の反政府軍の墓地を巡った。ほどなくすると西南の役の資料館や遺跡などがある田原坂公園に着いた。 先ず資料館を1時間ほど見て回った。 西南の役がなぜ起きたかは色いろな説があるが西郷隆盛が下野した理由は一つは征韓論が出たころ彼が単身で朝鮮大使として朝鮮にわたり朝鮮王と会談し、決裂したら一戦も止む無しという主張であった。 薩軍が幾重にも塹壕を掘り待ち受け、眼下に続々と政府軍が何重もの隊列を組み進軍してくる様が浮かんできそうだ。 実際は司馬遼太郎の「翔ぶが如く」などでも描かれているように当時、維新革命が進む中で藩が廃止され士農工商の身分制が廃止され、多くの武士団が職を失い全国でその巨大エネルギーが行き場を失い奥深く蔓延していたのだろう。繊細な西郷隆盛のことだから自分の推し進めた変革の中に垣間見たある矛盾した内面を直視せざるを得なくなり見るに忍びない葛藤があったのかもしれない。 あるいはそのエネルギーのはけ口を当時燃え上がった征韓論にみつけようとしたのかもしれない。 しかし、それらが破たんしたため、西南の役へと一気に爆発したのかもしれない。 この小高い丘に何重もの塹壕が掘られ政府軍の進撃をここで食い止め激烈な激戦が繰り広げられた。 一説では政府軍の弾丸はここで3万発が発射されたそうである。 資料館では相対峙した双方の発射した弾丸が空中でぶつかり合ったまま落ちたものが幾つも資料館に展示されていた。 当時の激戦の模様がそれらを見ると真に迫ってくるようだ。 帰宅の時間が迫ってきたのでほどなくして田原坂を後にした。
2012年06月10日
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二日目は朝9時に佐賀シティーホテルを出発。レンタカー「スイフト」に乗って始めに背振に向かう。 途中、背振の麓あたりで水車が水車小屋の横で二機ゆっくり回っていた。 あわてて車を降りて愛用のデジカメ一眼レフ(光学42倍ズーム、時間に余裕がない時はこれが最適)を構える。 何枚か立て続けにシャッターを切った。天気が良かったので小川のせせらぎとともに水車と水車小屋、爽やかな新緑、爽やかな青空がよくマッチしていた。 すぐに先を急ぎ、ほどなくすると背振の中腹から佐賀平野(総称を筑紫平野、その西の一角を占める)が眼下に広がる。 春霞がかかりうすぼんやりと緑の野が見えなくなるまでグラデーションを成しながら遠く有明海まで広がっている。 背振の頂上近くに来たが道に迷ったのか道がなくなったのか 行き詰ってしまった。 仕方がないので頂上まで行くのをあきらめ、まっすぐこれから天草ビューホテル「小松屋渚館」に向かうことにした。海辺の夕 渚館より 九州自動車道を南下中まだ時間が十分ありそうだったので菊池神社の横にある菊池公園に立ち寄ることにした。 菊池神社 神社で参拝を済ますと菊池十八支城巡りをすることにした。 隈府城、菊池本城を見て回る頃に時間切れのようだ。 早々に切り上げて天草の渚館を目指すことにした。 九州自動車道に再び乗り入れるとスイフトのアクセルを一杯に踏んだ。天草海岸沿いの潮干狩り この車はデミオより少し加速が劣るようだ。最速まで時間がかかる。 ほどなくIC松橋に到達。ここをおりるとひたすら天草の海岸線を走る。 天草の海 無数の島々が眼前に広がる。絶景がないかどうか気を配りながらドライブを楽しむ。 小松屋渚館に着く。 ここは夕日の綺麗なホテルだった。 海に向かえばどこにカメラを向けても絵になる景色が控えていた。 夕日に霞む天草
2012年05月31日
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新幹線さくらより 新幹線を利用した二泊三日の旅でした。 初日は特急さくらを利用して、JR新大阪駅からJR佐賀駅に向かいました。 途中博多駅から佐賀駅までは長崎本線お馴染みの「特急カモメ」に乗り換えました。 長崎本線はJR鳥栖駅から分岐しています。嫌にノロノロしているなあ~!思っていると「新鳥栖駅」というアナウンスが流れました。そうです。いつの間にか新幹線の鳥栖駅が完成していたのです。 ところで今日は満員電車かな?と恐れていましたが比較的空いていましたので天気にも恵まれゆったりした気持ちのいい旅を楽しめました。 JR佐賀駅に着くとまず駅の構内にあるハンバーグの美味しさでは定評のあるハンバーグレストランでハンバーグ定食ランチをいただきました。此処のハンバーグは味は最高です。 食事を済ますと、すぐに予約していたレンタカーを借りに「ニッポンレンタカー」に向かいました。 車種はスイフトでした。乗りなれたデミオを期待していましたが残念ながらだめでした。 初日は墓参りと墓掃除を予定してましたので途中の花屋さんでお花のセットを2セットお願いしました。 お寺に着くとお寺のバケツと掃除用具一式を借りお掃除を始めました。終わると手を合わせお参りを済ませました。 墓地のある場所はJR吉野ヶ里駅の近くのお寺です。 例年躑躅(ツツジ)が色鮮やかに咲き誇っているのですが、今年は残念ながら盛りを過ぎてしまっていたようです。 お寺の隠居したご住職とひとしきりお話に興じて、夕刻5時ころお開きにしました。 時間があれば近くを観光巡りしたかったのですが出発が2時間ほど予定より遅れ時間切れとなりました。 仕方がないので予約していた佐賀シティーホテルに向かいました。ホテルでは持参したノートPCでブログやメールをと思っていましたが”かなりお疲れ”のようでお風呂に入ると急に睡魔が襲ってきてバタンキューでした。フッと目が覚めるともう朝が来ていました。時は6日午前6時半を指していました。
2012年05月25日
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久しぶりに近くの池のある公園に来てみた。昨日からしびれるような寒さが続いています。池には渡り鳥の様々なカモたち、サギたちが群れを成して泳ぎ回っていました。 特に、パンダ鴨のファミリーが泳ぎ回っていたのは幸運でした。 ここから見た夕暮れ時はいつみても飽きが来ない場所です。
2012年02月18日
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東名高速を利用した時のことです。浜松から静岡あたりを通過するときに特に感じたことは走行車線はガラガラなのに追い越し車線はびっしり詰まっていました。問題はそれだけではありません。追い越し車線の通行速度が80k/hにも満たなかったのでした。渋滞の理由はただそれだけのことでした。なぜ、走行車線はガラガラなのに追い越し車線ばかりみんな通ろうとしているのか不思議でなりませんでした。高速道路の役割を果たしていないのはもとより、二車線の有効性さえ生かされていなかったのです。みんなが、急ぎの方に追い越し車線を譲るだけでこの問題はすぐに解決するし渋滞も半分に解決できるはずです。また、全体の移動速度ももっとスピードが上がり渋滞が解決できるはずなのにこれでは解決できるはずがないと嘆きながらの東名高速ドライブの旅でした。
2012年02月08日
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謹んで新年のお慶びを申し上げます本年もどうか宜しくお願い申し上げます
2012年01月05日
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震災・津波・原発など未曾有の災難に遭遇し、計り知れなく傷ついた東北地方の人たちをしり目に政局論議に明け暮れる人々、 政策の失敗や政治の失政を粗探しし、その原因や教訓を引出し、より良い政治、進化した政治を一致団結して遂行するのではなく、足を引っ張ることばかりに精力を注ぐ人たち、 世界中が日本の被災民の冷静な対応に賞賛と拍手を送っているとき また、日本中で、世界中でいまだ嘗てなかったほど支援のために尽力し、支援金・支援物資などを精一杯提供しているとき、 一体、この国内の政党・政治の世界と塗炭の苦しみを味わいながらもぐっと耐えながら再起をはかろうとしている人々との間の、 このギャップはいったいどこから生まれてくるのだろうか? 風評被害と、この政治の世界のギャップは 同根のものではなかろうかと思ってしまいそうだ!
2011年05月25日
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此処で神木にお参りを済ませると直ぐに、ここら辺では誰もが知っている「日の隈山」に向かった。此処も昔(50年程前)は車で頂上まで登るような道路は無かったのだが、今は頂上まで車で上れる車道ができていた。一気に山を登ると頂上に着いた。標高は確か300m位しか無いはずだ。ここから佐賀平野が眼下に一面に広がっている。 ここの眺望は、昔はよく区画整理された田園風景がみえ其処に区画ごとに緑や黄色、ピンクと麦畑や菜の花畑、レンゲ畑と一面絨毯を敷き詰めているかのように色とりどりの素晴らしい展望だった。今は山裾に向かってツツジがピンク、純白、深紅の彩りを添えている。昔と変わらないのは春霞が遠くの峰や田畑をぼんやりとグラデーション風に消し去っているくらいだ。3時半くらいに帰りの時間が迫っているのでJR佐賀駅に向かった。 6時過ぎ発の特急カモメが迎えてくれる予定だ。5時前に佐賀駅に着いた。 近くで借りたレンタカーを返却して佐賀駅を発った。自宅に着いたのは深夜11時頃だった。
2011年05月08日
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5月3日第2部いとこと同伴で明善寺に向かう。 此処に我が一族三代の霊がまつられている。お墓掃除をして、供養とお参りを済ませるとお寺の住職のお坊さんと歓談をし、このお寺を立った。 いとことは此処でおいとまし、私は昼から、背振山系の奥山にある約800年の樹齢を経た三本杉を祭ってある場所に向かった。 今は便利になったもので其処まで、車で行けるような道路は無かったのだが 今は拓けたもので、車道が当地まで一本道でのびている。 吉野ヶ里の横にある田手川に平行に走っていき、途中山裾から徐々に蛇行した山道に入ると一時間もかからずに山奥に入り、福岡県との境界線の近くまでつく。 さらに走ると横にちょっとそれると工事中の看板があった。 その途中に古びて苔むした石垣が道路沿いにあり、石段が組んであった。そこで車を降りると、其処に小さな滝が水しぶきを上げて落ちていた。 高さは10mも無いだろう。そしてその横に横倒しの大きな大木の切れ端が横たわっていた。 それには「何々台風の時に倒れた神木の根っこの切れ端」と表札がかけてあった。 その斜め上を見上げると大きな杉の根っこがドッカリと石垣の上に居座って、あぐらをかいているようだった。その上に三本の大きな大木、いわゆる三本杉、それは30mも有ろうかと 思われる幹が立っていた。 二本は夫婦とも思える長身の杉で、もう一本はやや小さめの小杉とも思える杉が横一列に並んでいた。此処で神木にお参りを済ませると直ぐに、ここら辺では誰もが知っている「日の隈山」に向かった。此処も昔(50年程前)は車で頂上まで登るような道路は無かったのだが、今は頂上まで車で上れる車道ができていた。
2011年05月08日
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5/2~5/3の旅五月二日午後7時半頃にホテルに着き、やっと寛ぐ、明日の予定を早速チェックする。いとこにテルして、 明日の先祖の墓参りと墓掃除の件で連絡を取る。明日午前9時半に先方の自宅前で落ち合うことに決定した。出発は午前10時の予定。寝る前にモバイルpcをチェック。睡眠は11時頃。目が覚めるともう午前7時を過ぎていた。 あさの食事は定番のバイキングだった。食事を済ませるとコーヒーを一杯、新聞を読みながら頂く。ふっと目にとまったことがあった。 ビンラビンがアメリカの特殊部隊に射殺された記事だった。 9時過ぎにホテルを出ると10時近くに約束の場所に着いた。
2011年05月08日
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2日目は ベッセルホテル 熊本空港 を9時頃出て、阿蘇神社に向かいました。 阿蘇神社には午前10時頃に着き、無料駐車場があったので其処に車を置き、早速、周辺のお目当ての被写体を探して回りました。これと云った被写体がなかなか見つかりませんでしたが、とりあえず、 神社に来たので参拝を済ませ、神社の修復費用の寄付を求めていましたのでささやかな気持ちばかりの額を寄付させていただきました。 正午頃に、古風な喫茶が有りましたのでそこで腹ごしらえに軽食をとりました。 そして、約午後1時頃、次の目的地菊池渓谷に向かいました。 そこで、約1時間ほど渓谷沿いに散策を開始し、谷川の澄んだ渓流のせせらぎを聞きながら 水しぶきをたてる、美しい滝の流れや渓流の澄んだ流れと新緑の調和を堪能しながら、シャッターを切りまくりました。次に、もう少しのんびりしたかったのですが時間が無いので急いで、菊池神社に向かいました。 そこで例年慣例の参拝を済ませました。此処の今が季節のツツジが辺り一面に、鮮やか且つ爽やかな花びらが深紅、純白、ピンクと色とりどりに染め、真っ盛りでした。今年は例年になく比較的大きな花びらをつけたツツジがここぞとばかり咲き誇っているかのようでした。 夢中で撮影を済ませ、次の目的地である八女の地に向かいました。 矢部川流域にある上陽町久木原あたりが目標ポイントです。 今はカーナビがあるので非常に便利になりましたね。昔なら地図を見ながらにらめっこしながらあちらこちらとうろうろしながらやっとたどり着いた、というのが普通だったのですが、今はカーナビが勝手に探して導いてくれます。 約午後5時頃につきました。目的の屋敷に着き挨拶を済ませあたりを少々探索して歩き回りました。 それから、最後の目標で、この日の宿泊地である佐賀ステーションホテルに向かいました。 ついたのは午後7時20分頃でした。
2011年05月05日
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連休は5/1~5/3の三日間で、九州の佐賀、熊本、福岡の三県にまたがる小旅行をしました。主な目的は例年の年中行事である先祖の墓掃除、墓参り、と核になる親類、知人の挨拶回り、素人カメラマン活動、観光・鑑賞旅行でした。まず、新幹線特急で佐賀市に向かいました。次に当地近くにあるレンタカー店で三日間レンタカーを借りました。次に早速、最初の目的地天草方面へ、高速道を利用して突っ走りました。 約2時間半ほどかけて九州自動車道の松橋を降り、宇土半島の宇土市・不知火などを通過し、天草方面へ向かい、更に海の架け橋を渡り、天草の松島に到着しました。 此処で一旦降りて、当地の絶景を鑑賞し、春霞の中に遠くかすむ島々など、沢山の写真を撮り当地の風光明媚な美しさを腹一杯に堪能させていただきました。午後三時半頃、当地を引き返し熊本城に向かいました。 熊本城は約午後五時半頃到着し、そこで車を熊本城の パーキングに預け、早速場内を第二の丸から散策しました。 此処で広々とした場内や場内の石垣の見事さ石組みの特徴などを見学し、見聞を深めました。 初代の守護加藤清正公の築城のエピソードや後を引き継いだ細川氏のその後の肥後国における治世の逸話などを立て看、資料館を見ながら当地の見聞を広めることができました。 六時半頃、今日の行動予定を終了し、今日予定の宿、大津町のあるベッセルホテル熊本空港に向かいました。
2011年05月04日
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高速の無料化が廃止になりそうだ!その理由は震災に莫大な予算を必要としているからだという。私はこの件だけはおかしいと思う。なぜなら、今、東北地方を復興させようとすれば広大で荒れ果てた、北東に何百キロも続いた大地に、有料ではなく、誰もが自由にのびのびと入れる、無料で自由な、それでいて短時間で往復できる 高速道路が何よりも必要とされている。それを有料にすればその復興に大きくブレーキをかけるに等しいと思う。 西日本からこの東北の地に短時間で大勢の人々が物資の支援や 人的支援など、経済的交流が出来てこそ、東北地方の短期的復活が可能だと思うのである。
2011年04月08日
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今日は午前中から東京マラソン大会に釘付けになった。 当初30k過ぎあたりからアフリカ勢が二人抜けだし、その後を追うように日本の尾田選手とアフリカ勢の二人が追走した。 尾田選手はほかの2選手を常に引っ張るように、前方のアフリカ勢の二人を賢明に追走していた。 35kあたりまでは尾田選手がこの好走で誰の目にも日本人一位を確保し、世界選手権出場の切符を手にするように思われた。 ところが、あと5kあたりと思われるあたりから急激に差を縮めてきた選手がいた。 誰の目にもオヤッ?と思わせた無名の選手が抜け出てきたのである。 それが市民マラソンランナーの川内選手であった。 それはまるで往年の中山選手と瀬古選手の争いを思い出させるものであった。 日本陸連の強化選手である尾田選手と市民マラソンランナーの川内選手の戦いは後、4,5k当たりで争われ、死にものぐるいの形相でがんばる川内選手。それに対して、中盤以降から第二グループを引っ張りトップグループに懸命に追走し、必死でがんばりながらも消耗しつつあった尾田選手。その間の明暗が分かれた。 川内選手の捨て身のスパートが功を奏し、堂々の3位、日本人一位となって、世界陸上出場を決めたようだ。
2011年02月27日
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この間、愛用のデミオ20年型で中国自動車道~東名高速~北陸道から越前海岸を走り、帰りは若狭湾沿いに若狭舞鶴道~中国自動車道に出るルートを通って帰ってきましたがなんと約450k走り、ガソリンの消費量は20k/Lでした。 普通せいぜい17/Lなのですが今回は自己記録を大幅に更新しました。 高速代は行きが2500円ほどで帰りが若狭舞鶴道が無料、中国自動車道が500円で締めて3000円程度で行けました。安上がりのドライブでしたよ。
2010年10月12日
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7月18日、日帰りで越前海岸までとんぼ返りの旅をしてきました。妙に夕日が沈む水平線が見たくなったのです。 夕日はもう一つでしたが心が何となく日頃の緊張感から解き放たれたような気がしました。
2010年07月29日
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3月末頃から待ちに待った白鳥の巣に今朝、二羽の雛が孵化していた。更に三羽目が孵化し始めていた。しばらくすると、親鳥のおなかの下に黒っぽくうごめくものがある。 まだほかの二羽の雛のようにふさふさした毛並みになっていない。湿っぽく雛の体にこびり付いていてふくよかな雰囲気がない。 動きもまだ緩慢だ。 おなかのあたりはまだ、卵の殻で覆われていた。
2010年05月16日
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前政権の政治がいやだと思ったから国民は新しい政権を選んだはずなのに何故か今は前政権の政策である基地問題の政策を実施するかどうかが試金石になっている。それが直ぐに実施できなければ退陣??
2010年04月26日
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皆さん!少し遅れてしまいましたが、改めてあけましておめでとうございます。昨日は久しぶりにドライブに出かけました。 朝来町の竹田城遺跡巡りして来ました。この城は応仁の乱の頃、築城された山城で太田垣氏が城主で山名宗全の支配下にあったそうです。 この乱以降、まもなく戦国時代に突入していくわけですが、 その後、戦乱の度に主を変え、特に秀吉はこの城を2万の大軍で攻め支配下に治めたそうです。 山の頂上が平らに切り開かれ、本丸、天守閣その他、石垣は立派な石組みがなされています。下を見下ろすと朝来町の町が眼下に密集していますがその周辺を見渡すと、周囲四方から、幾筋もの街道が山と山の間の谷間を抜けて、この城に向かって集まってきています。谷間を抜けた街道が麓の町に集まってきていてここが室町幕府時代の初めから交通の要衝出会ったことが伺われます。秀吉の軍勢2万がこの山城の眼下に、四方の谷間から押し寄せてくるのを想像するに、きっとこの城を守っていた守備兵たちはこの大軍が続々と四方の谷間を行進しながらこの城を包囲し始めるのをみて、武者震いしながら士気を高めたことでしょう。
2010年01月11日
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高速道路が無料化になったら生活はどう変わるだろう。 まず、土日はマイカーで九州から北海道まで一泊の旅行が増大するだろう。 平日は、サラリーマンは都市近郊の場合高速を利用する人々が一時的に増加するかもしれない。 しかし、そのうちに減少するだろう。というのは都市近辺では渋滞が起き、就業時刻に間に合わず、車による通勤を諦めざるを得なくなるからだ。 また、大都市には車による乗り入れが禁止される可能性が有る。都市機能が渋滞で麻痺してしまう可能性が有るからだ。 商業用や業務用、運送・運搬用など営利に関わる車だけが大都市への乗り入れが許される可能性が有る。 平日は地方の都市に向かって、ダンプカー、大型・小型トラックが日本列島を縦に横に走り回って生鮮類が運ばれるだろう。運搬費が大幅に下がり、農漁業による生産物がこれまでより安く手に入るため、国内の生鮮類の消費がアップするからだ。 また都市から地方の比較的遠隔地に新たな市場を求めて、商談の営業車が増加するに違いない。 都市と農村、漁村、山間部との間で、人と人の交流が飛躍的に増大し始めるだろう。 燃費の良い車を購入する人も増大するに違いない。自動車産業が一定潤う可能性がある。国内の車が増加すれば、この点ではCO2排出量を増加させる可能性がある。 海外旅行者の数に対して、国内旅行に出かける人の数が相対的に増加するかもしれない。 逆の現象も起こるだろう。新幹線を利用する人が減少するかもしれない。フェリーを利用する人も減るだろう。北海道や九州など遠方に出かける人は新幹線で出かけて、後はレンタカーで地方の高速道を走り回るかもしれない。食卓には国産の生鮮野菜、魚貝類が外国産より比較的増えるかもしれない。 まだまだいろいろな点で生活に少しずつ変化が起きるだろう。地方にレクリェーションの場や保養地などが増加する可能性がある。相対的に国内に投資の機会が飛躍的に増加するだろう。
2009年11月03日
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確かに渋滞すると燃費は低下する可能性も有ります。しかし一般道でストップandゴー繰り返す方が遙かにガソリンを消費します。 また、この問題の解決法は今土日祭日は1000円ですが平日も同じようにすれば今、運送会社などは無理に土日に仕事をする人も多いかと思います。それを平日に普通に高速を利用するようになり、土日の渋滞はかなり解決できるのでは無いでしょうか? また土日に高速を利用する人達も、物珍しさも手伝って利用している人々も多いと思います。 そのうちそういう人達はハッキリした用がない限り余り利用しなくなるのでは無いでしょうか?
2009年10月19日
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次に渋滞の場合はどうなのか?と考えて見れば、確かに渋滞すると燃費は低下する可能性も有ります。しかし一般道でストップandゴー繰り返す方が遙かにガソリンを消費します。 私の実感ではのろのろ運転も余りアクセルを踏まず、出来るだけ停止しなければ燃費はそれほど悪く無かったような気がします。 それよりもまして、この問題のよりよい解決法は、今は土日祭日は1000円ですので、今運送会社など無理に土日に仕事をする人も多いかと思います。 それを平日も同じように1000円にすれば、業務や営業、運送業の場合、平日に普通に高速を利用するようになり、土日の渋滞はかなり解決できるのでは無いでしょうか? また土日に高速を利用する人達も、物珍しさも手伝って利用している人々も多いと思います。そのうちそういう人達はハッキリした用がない限り余り利用しなくなるのでは無いでしょうか? どちらにしても予想なのでハッキリした結論では有りません。 むしろこうした議論が自由にちまたで行われることがこれからの社会では有益では無いかと思います。
2009年10月19日
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高速道路を走る人が増えれば環境に悪いとまことしやかに言う人がいますが本当でしょうか?全国に車の台数が一定であれば、一般道路を走る人は、高速道路を走る人が増えれば減るのは算数が分かれば誰でも分かります。問題は燃費の問題です。同じ車で高速道路を同じ距離を走るのと一般道路を走るのではどちらがCO2を余計に発生させるか燃費を考えれば一目瞭然です。同じ距離であれば高速の方が遙かにガソリンの消費量が少なくて済みます。ということはco2の発生量も少ないことは明白です。盲点は、高速を走る人が増えることは一般道路を走る人が減ることを意味しますがそれを見落とすことです。
2009年10月08日
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高句麗建国の時代を思いながらこの二人の時代のテレビ放送を見ていました。 ふと思ったのは、この時代と日本の神武天皇時代や邪馬台国の卑弥呼時代が何となく無関係ではない気がしてきました。 というのは、一つはピル国が高句麗のチュモンから離れその女王のもと、無数のテガ達に率いられた国々が連合国家を形成していたようだと言うことです。 また、地理的に考えると三国鼎立時代南朝鮮は伽耶中心に多くの部落国家で成り立っていてその国々は多くが**羅という様に羅が付いています。 またそれは北九州地方でも松浦というように古代ではマツ(ウ)羅と読んでいた可能性の地名が有ります。 奈良のナラも那羅とも古代では考えられ大和の都と言う意味にも取れる様です。 因みに、思うに神武東征で神武天皇(イツセの尊?)が大阪湾から南方を通り肩津に上陸し、日下辺りで長髄彦に破れ、南紀にまわり熊野方面から再上陸し、挫折しかかった頃、卑弥呼の命により援軍が送られ生き返った話があります。 この援軍がなんと無く、この南朝鮮や北九州を支配した女王国、伽耶では無かったのか?と確証なしでつい想像してしまいます。 日本府任那が何故存在したかは学校教科書ではもう一つハッキリせず、想像できるのは神宮皇后の朝鮮遠征の話くらいしか考えられません。
2009年09月22日
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全世界が不況の時不況から抜け出すにはいったい何から考えるべきなのだろうか?不況とは、現象的には大量のもの余り状態の事を意味している。つまり、自動車産業は自動車が売れないこと。電子機器産業はパソコン、デジカメなどが市場には大量に出回っているが、大量に売れ残り価格が暴落していくことを意味する。 消費者が買いたくて買えないのか?あるいは、お金が無いから買えないのか、有るけれども買わないのか?という事が問われる。 ついこの間まで、ガソリン代がべらぼうに高くなりタクシー業界、運輸業界、漁業関係者などガソリンを大量に使用する業界は瀕死の状態にあった。 勿論多数のその業界の企業は倒産したり、大勢の失業者を出した筈だ。 それでも、輸出産業の場合はこれまでは海外に輸出していれば国内で売れなくとも海外では売れていたので余り困らなかったようだ。 でも、今回ばかりは大変な事になっているようだ。欧米でも金融不況後、自動車も売れ行きが急落し、欧米の自動車産業のみならず、欧米各国内の日本の自動車の販売も売れ行きが極端に減少しているのである。 勿論デジカメやパソコン関連商品も同様のようである。 そこで全世界の企業は、慌てて大量の労働者首切り、コストダウンを図り急場をしのごうと必死のようだ。 日本では派遣労働者が昨年末からその矢面に立っていることは周知のことだ。 では、それで本当に効果が有るのか?ということが問題になる。商品を製造する側は、それだけ売れると思ってつくった訳だが 実際売るときは、自分の企業だけが労働者の首を切りコストダウンを図る場合は効果が有るだろう。 しかし、国内はおろか全世界がその為一斉にコストダウンを図るとき果たしてそれで効果が上がるだろうか? 買う側が、大量に首を切られ路頭に迷わされているときにまた、賃金をカットされたり、操業短縮などであらゆる産業の労働者が賃金の切り下げを食らっているときに商品が売れるだろうか? むしろ逆にますます売れなくなるのでは無いのか? 一部の企業や人々に、膨大な資金や大量の金が集中しているとき逆に、前者以外の大勢の人々一人一人が、世間に大量に出回っている商品を買うだけのお金が、全員の所持金を全部合わせてもそれに到底満たないならあるいは消費者一人一人を通じて市場に出回らないなら、売れるはずがないし、遅からずそれらの商品は売れるとしても暴落するか、売れなくて企業そのものが大量に破産倒産の連鎖を引き起こすか、するのは目に見えているのでは無いだろうか? それでは、一部の人々が日本やアメリカ、中国などでは3/4から4/5の冨、資金を持っていると言うが、それらの人々がその膨大な商品を代わりに買えるかというと、買えるわけ無いのである。 つまり一人では使い切れないほど膨大なお金を持っているのである。 勿論、その真の意味は膨大な資金が循環しないで滞留しているということである。 それと等価の大量の生産物が市場で売れずに放棄されたり投げ売りされれば当然、全体として等価の証券や為替は暴落していくことは火を見るより明らかだ。 今でも国内では、福祉予算の削減、教育費の削減、民間のリストラで消費力は疲弊しきっているのは何ら変わっている訳では無い。 更に、これに追い打ちを掛けるように労働者の大量解雇が起こるなら、今後国内の経済は明らかに、急速に崩壊現象が起こり始めることは目に見えているはずである。 どこかでこの大量解雇に歯止めを掛けなければならないだろう。 海外でも、同時不況なので、国内で如何にコストを下げ海外に輸出しようとしても、海外でも更にコストを下げているからだ。 また、関税の引き上げ、政府の企業優遇政策は日本のそれらと同様なのであまり効果は望めないだろう。 むしろ、一億二千万の国民の購買力を全体として高める方が先決の重要課題であるし、その土台である一人一人の所得を引き上げる底上げ政策に全力を挙げるべきなのでは?。 今、多くの労働者の首を切ったり、賃金の引き下げをやればマクロ経済の命取りになるのでは無いだろうか? それに中小零細企業も右習えするのは経済学の基礎であることは自明だからだ。 これ以上購買力が落ちれば、まず小売業など流通業から崩壊しはじめるだろう。 その為、今アメリカでは何をしようとしているかと言えば太陽光発電の事業を、莫大な金、資金を使って新しい市場の開拓、新しいエネルギー産業の開発に乗り出そうとしている訳だ。 ただ、これはみんなもご存じの様に日本が専売特許の筈だと思っているけれどもハッキリ申しあげて資金の桁が違うのである。 日本はばらばらに企業がやってきたことだがアメリカは国家の大事業、国家の大転換を賭けて実行しようとしているところが違っている。TVA政策の現代版とも言えるだろう。この分野も10年先ぐらいには、日本と立場が逆転している可能性がある。そうならないためには何をなすべきか自明のことと思う。 もう一点多くは語らないが、アメリカと大きく違っている事が有る。 それは円高問題だ。これはマイナス面だけを協調されているが、原・材料の輸入という面ではプラス面であり、安く買い上げ、輸出産業に安く提供する事を一斉に行えば輸出産業もコストダウンにつながるし、産業界にとってもプラスになることはいくらでも出てくる筈である。 問題は企業は個々ばらばらなので、安く手に入ったものを安易に安価なものにして提供はしないだろう。 だが、それが逆にゆくゆくは自分の首を絞める結果にもなるだろう。 輸出産業が生産を縮小してからでは、売れるものも売れなくなるからだ。 これらの取引交渉は敏速に行うことが不可欠だろう。必要とする原・材料は遅れると当然輸出産業の製品の販売は売れ上げが減少し、生産計画も縮小してしまっているからだ。 経済は常に時間との勝負だと言うことはこういう点でも言えることだろう。
2009年01月17日
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最近、家族がはまっている映画を何気なく観ていたら、それが、私が好きな歴史上の物語で、歴史上どれほど信憑性が有るかは分かりませんがどうやらそれは高句麗の建国の頃の歴史を物語化したもののようだった。登場人物の主人公「朱蒙」はあらゆる困難を乗り越え高句麗建国に尽くすのだが、その過程で、愛する人を無くしたり、妻や子供を人質に取られたり、様々な困難に出くわし、一面では挫折する事もあるが、それらに屈することなくそれをバネとして、強靱な建国の指導者として更に成長していき、体力的に強固であるだけでなく、人として魅力的かつ寛容な精神を持ち建国の指導者に相応しい強靱な意志の持ち主として成長していきます。その姿に深く魅了させられてしまいました。高句麗の歴史は、紀元前後の中国にあった漢王朝の頃に北朝鮮辺りに出現し、魏呉蜀三国時代を経て隋に幾度となく侵略を受けるが屈せず唐の時代になって、とうとう滅び去ったようです。それは北朝鮮から満州辺りまで広がっていた高句麗の歴史物語のようです。因みに魏志倭人伝では、高句麗の「好太王の碑」が有名で日本府「任那」を拠点として南朝鮮に進出していた「倭」の軍勢と幾度も戦ったことが記されています。
2009年01月11日
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もう十月半ばですね!この間まであついあついといっていたのがいつの間にか、朝晩は肌寒くなりました。景気が悪く、ガソリン代が高い高いといっていたのが値下がりし始め、ほっとしていたのもつかの間、米国のサブプライムローン問題が端を発した金融危機が最近再び急浮上し始め、リーマンブラザーズ、AIGなど株の急落などで大炎上、リーマンは破綻したそうです。日本でも生命保険会社が倒産したり、破産倒産が今年になって急に増大し始めたようです。 政府も急に二人立て続けに首相がお辞めになり、そろそろ解散選挙かと思えばそうでもなく、政治の世界も揺れに揺れているようです。 バブルがはじけて以来十何年大不況が続いたのはついこの間のことですが、今度はアメリカ初の経済危機で米欧を中心に今後大荒れが続きそうです。 この間Gセブンで何らかの対策上の取り決めをしたそうですが下馬評では決定的なものにはならないようです。 ついこの間、資本注入の施策が米政府によって下院にかけられ、二回目にやっと通ったそうです。 巨額の資金が投入されるそうですがそれでも株価の急落はさけられていないようです。アメリカ型資本主義も今後危うい状態が続きそうです。 こんなそんなで政府も安易な解散はできないとの由。 もっと早く解散していれば問題なかったような気がするのですがこれもそれも、もう終わった話です。 今後いかに、この世界と日本の経済、政治の危機を乗り切るのでしょうか? アメリカにおんぶでではなく主体的に確固とした自信を持ってこの危機を乗り切ってほしいものですね。
2008年10月13日
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この間、暫定税率が元に戻され、150円を超えたと思っている内におやっ?と気付くと170円になっていた。え~!!っと思いながら昨日、ガソリンの補給にいくとあっという間に180円の大台に乗っていた。 暫定税率の強行採決による戻しは、それ以降の値上げに弾みを付けたのでは?と穿ってみたくなる。腹立たしい限りだ。 とにかくガソリンの先物買いは、庶民の生活に大きな打撃を与えるので政府で厳しく規制すべきだと思う。
2008年07月05日
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最近、考えることが次々出てきて、今を考え、こなしていくことがなかなか難しくなっています。皆さんは、日々如何にこなしていかれているのでしょうね? 自分のことでは、生活のためである日々の仕事のことは当たり前なのでおいておくとして、自分の感性を磨くのに 今までは、ただ道ばたの草花を撮ったり、ジョギングをしたり、ブログに時事的なことを、感じたままに気ままに書いたりしていました。 最近は、写真にちょっと色をつけ深みのあるものを撮りたいと贅沢な気持ちになり、無理をしているようです。 そのため、デジタルカメラや、それに飽き足らなくなるとDVDカメラに手を出してしまった昨今です。 また最近は、環境問題や近い将来のことも気になり始め、特にエネルギー問題は、ストレートに車のガソリン代が家計や小遣いに直に響き始め、何とかしなければと深刻に考え始めています。 そこで、家庭で実行しようと決意したのが、ソーラー発電の取り組みです。 本来なら、近い将来の問題は年金問題や老人医療保険などが安心して政府に任せて居られるなら、この期に及んで、大枚をはたいたり、高額のローンを組んでソーラー発電などに出費することなどしなかったのですが、できるだけ将来の出費を今のうちに減らし、減ることは有っても現状維持がやっと?の将来の年金を補完することと、 今の環境破壊を自分のできる範囲で、微々たるものですが、くい止める力になれたら?との願いからです。 また、一生に一度くらい、自分という人間がこの世に生まれ落ちてこの方、このままこの世に何も私という印を残さずじまいで消え去るのも心残りなので何か印になるものを残して死にたい、という願望が芽生え始めているからです。 あまり大層なことでなくてもよいので、何かないかと、目下思案中です。 自分の個性を表現した芸術的なものとか、自分史的なものとかいろいろ考えていますが、なかなかこれといったものが見つからないまま、日々が過ぎ去っていきます。
2008年06月08日
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残念ながら、先日、日曜日の琵琶湖マラソンで大崎選手が藤原選手のタイムを4秒ほど上回ってしまいました。大崎選手は実績もあるので、このままでは大崎選手がオリンピック代表に選ばれる可能性が大きいようです。藤原選手には例え今回選ばれなかったとしてもまだ、二十歳そこそこなので、次のオリンピックも狙えるので、落胆せず頑張って欲しいと思っています。2時間8分40秒は、素晴らしいタイムだったと今でも思っています。もし、痙攣しなかったらと今でも悔やまれます。
2008年03月04日
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今朝の東京マラソン大会は、一般参加の藤原選手が、みんなの予想を裏切って大活躍したことに感動しました。最初は諏訪選手が、予想通り引っ張っていましたが、途中から外国選手が飛び出すと、先頭グループはいっぺんにばらけ、外国人選手二人と藤原選手の三人に絞られました。一度、藤原選手は落ちかけましたが、粘っていると黒人選手が次第に落ちてきて、藤原選手にチャンスがやってきました。更に、一位の選手もとらえるかなという雰囲気が一度はありましたが、途中のアップダウンの所為も有るのか、いきなり、彼はけいれんを起こし、こけそうになりました。何となく左足が腫れているのか、違和感が有るようでした。それでも余り、スピードを極端に落とすという風にも見えませんでした。でも、何度も途中蹴躓くような姿勢を見せ、見ているものをひやりとさせました。でも、今日まで、オリンピックに参加したいという強い意志によって、猛練習で鍛えあげたのに、此のチャンスを逃してなるか!というような気迫がびんびん伝わり、そのまま粘り続けてくれました。そのうちに、その苦痛を乗り越えるかのように40キロ過ぎからは正常の走りに戻り、蹴躓くようなそぶりも無くなり追いすがる強敵を押さえ、二位を確保し最後は危なげなく、日本人トップの座でゴールしました。普通では、一度けいれんを起こすと、なかなか立ち直って、走りきることは不可能なのですが此のなが丁場を走りきった迫力は圧巻で、今の世間のややもすると暗くなりがちな雰囲気を吹き飛ばしてくれるのに十分な熱気が伝わってきました。この調子で、北京オリンピック出場を獲得しオリンピックで頑張ってください。これからず~っと応援します。
2008年02月17日
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シューズで思い出すのは 我が子が子供の頃、晴れてぴかぴかの一年生になり、妻と写っている一枚の写真だ。シューズはぴかぴか、赤いフォーマルシューズが光っている。 我が子の顔も、いつになく”ぴかぴか”だった。 もう今は昔のことだが、いつもになく感傷的なっている。
2007年10月03日
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朝、寝ぼけ眼で、頭がボーっとした状態で目覚める。 すると、伴侶の炊きたてのコーヒーの香りがプーンとしてくる瞬間は何とも言えない心地よい気分になれる。その心地よい香りをかぎながらくつろいだ気分は、私にとっては最高の癒しと云えだろう。
2007年10月01日
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