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イースター休暇の週末は義母宅で過ごした。相変わらずの賑やかさで、ニーナが体調を崩してしまったので可哀想だったな。日中うるさくてお昼寝出来ないので、老犬の体にはこたえるらしい。これからは考えないとなー。さて、アンソニーの実家ではマリアザウルス(義母&義姉)は健在でした。今日は義母のケーキをご紹介。到着した日に、義母がこれ↓を作って出迎えていてくれたんだ。表面がつやつやで奇麗でしょ?「お義母さん、奇麗にコーティングされたチョコレートケーキですねえ。」と言ったら、「チョコはまったく使っていない」との返事。ええっ!ケーキの底を見たら、「焦げているのか?」と思う程の焼き色が付いている。。。ど、どうしたんだ?彼女は薪を使う窯をこよなく愛しているので、今回もそれを使ったようだ。温度調節が出来ないし、ガラス窓も無いので、こんなに焼き色が付いたのは分からなかったようだ。オーブンは最近買ったのがあるんだけどねー、まったく使っていないの。年寄りって昔から愛用しているものを変えられないんだよね。「中は柔らかいから!」と勧められたけど、曖昧な微笑みで一口も食べなかった私は鬼嫁かもしれない。だって他にも甘いものがたくさんあったんだもん。お義母さんがこのケーキを一人でもりもり食べてた。食べかけのケーキを「これはブログネタに良いかも!」と、こっそり写真を撮っていたら「まー、あたしの美しいケーキの写真を撮っているのねっ!」と義母が叫び、怒り出すのかと思ったら「もうひとつ、切っていない丸々のケーキがあるのよ。こっちの写真を撮ったらどうかしら?」とこんがりケーキを持って来てくれた。爆まだあったんですか~、お義母さん。。。イースターは、マリアザウルス達の皿からこぼれそうな位の大量どかーん料理、義姉の得意のカラメルが皿から流れ出るでかプリンなど、毎回みんなで「あらあら、、、」と食卓が賑やかになったのは言うまでもない。ま、私的には、今回の食卓でのピカイチはこのチョコレートケーキだったけど。
2012年04月11日
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今日は義母の誕生日。ちょっと遠いので、顔を出すのはやめてお祝いの電話をかけた。娘からサプライズのバースデーランチをごちそうになったようでご満悦。ファミリーが揃ったのも嬉しかったのね。私は義母の歳を知らない。「ところでお義母さん、いくつになったんですか?」すかさず「30歳だよー!」との返事。それって、サバの読み過ぎじゃ。。。ますますお元気の様で何よりでございます。by 嫁
2012年02月20日
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義母は古い家に住んでいて、ポルトガルの古い家にありがちな、オープンな暖炉(映画で観る様なやつ)を愛用していた。クリスマス前に、「煙突が火事になって、暖炉を取り替えることになった」と義母から悲しそうな声で連絡があった。煙突から火が出て、近所のばあさんと二人で消火活動をして、暖炉が使い物にならなくなったとか。火が出た理由は、アンソニーの弟が煙突の修理の際に、高温の場所では使ってはいけない素材を使ったから。バカですねー。ま、家が火事にならないだけ良かったんだけど。。。クリスマスに行ったら、まず義母の居間に通されて「どうだい?あたしの新しい薪ストーブは!」と自慢げに見せられたのが、これ↓。ほほ~。私は一面の壁すべてに塗られた、このペンキの色に衝撃を受けた。「お義母さん、これどっかの美容サロンですか~?」実はこの色、甥っ子の彼女の脱毛サロンの壁の色なのだ。(今は潰れてしまったけど)あのサロンは四方の壁がこの色で塗られていて、落ち着くどころか発狂しそうになったけど。。。あの色が義母のハートを掴んでいたのね。火事が出た壁は、元のクリーム色より濃い色のペンキを塗らなくてはいけなかったらしい。それでこの色になったそうだ。でもさ、74歳の老婆で未亡人の居間の壁がこの色って。。。まあ、一面だけだし、いいのかも。新しいストーブは、今までと違って、居間はすごく温かかった。オープンの暖炉って、見た目にはいいけど他のタイプの物に比べるとそんなに温かく無いと思う。しかもオープンってことは、外界と繋がっているから、火を付けていないときは外気が室内に入って来てすごく寒いのだ。今回のは閉まっているから、それだけでも寒く無い。田舎の石造りの家はただでさえ寒いからね。今回のストーブは画期的な変化ですわ。このストーブは、上の部分がオーブンになっているの。温度計が付いているとは言っても、温度調節は非常に難しく、厳密な温度設定が必要な料理は無理だけど、義母はこんな物を作っていたよ↓。スペアリブのオーブン焼。長時間調理が必要なものは便利かも。部屋が暖まるついでに、料理も出来る~。日本で言えば、石油ストーブの上で煮物をしたりする感覚かしら。パンも焼く!とか夢が膨らんでいるみたいだけど、どうだろう?温度調節難しそうよ。一枚目の写真を見てくれると分かる様に、義母はごちゃごちゃした物を並べるのが好き。ストーブの上なんか何も置かなくてもいいのに、陶器の人形なんかが置いてある。しかも、底には銀紙付き。そこまでして置かなくてもいいのにね。スペアリブのオーブン焼きが出来た時、彼女は取り出した耐熱食器ごとバーンとストーブの上に乗せた。アンソニーが「金属の塗装が剥げるから止めなさい!もっと丁寧に使う様に」と注意した。耐熱の特別な加工がされているから、ペンキが剥げてもちょっと修理する訳にいかないからね。それに対し、「こうやって置いた方が料理が温かく保存出来る」と対抗した義母。ああ言えばこう言う口達者な人なんだよね。アンソニーはどんなマシーンでも大事に扱う人なので、義母は180度違うタイプ。今回、義母のキッチンでまじまじ見た電子レンジや冷蔵庫はすごい事になっていたよ。レンジはこぼした汁で、いろいろな所が錆びている。(汁物が沸騰するまでレンジに欠けるので吹きこぼれるようだ)冷蔵庫もしかり。。。この二つの電化製品は、ほんの2、3年前に買ったばかりだ。それだけで、こんなに錆びるものなの?ストーブのオーブン部分の使用で、汁をこぼしたりして放置して錆びちゃったりするんだろうな。あのストーブも新しく見えるのは今年だけなんだろうなー、とキッチンを見た後、確信した私です。お義母さん、頑張って~。
2012年01月09日
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両親の前回のポル訪問は4年前。その間、私は何度か日本へ行ったけど、アンソニーは行っていないので両親とは長い事会っていない。今年こそは義理の息子に会いに行く!と両親が決めたのは良かったのだが、いつ来るか?と言うのがなかなか決まらなかった。過去3回の訪問はすべて5月から6月の間。ポルトガルで一番良い季節だと思うのだが、母は別の時期に訪ねたいと言った。夏は、姉と姪が訪問予定だったので、なるべく時期をずらしたかった。夏休みも終わり、旅行シーズンも落ち着く9月頃、、、と思っていたのだが、航空運賃が夏料金と変わらず高かった。年金生活者だし、少しぐらい時期をずらしても安い方がいいに決まっている。だから値段の下がった10月一ヶ月滞在という計画を立てたの。10月の終わりに両親が帰国する、と言う事で両親とは話がまとまったのだけど、その事をアンソニーに話したら「もう少し居れば、自分の誕生日を一緒に過ごせたのにねー。」とのコメント。ぬぬぬ。。。考えもしなかったその言葉。一緒に祝って欲しいのかしら?そう聞いたら、予定を変更しなくてはいけないではないか。(まだチケットの予約は入れていなかったからね)と言う事で、アンソニーの誕生日をはさんだ10月中旬から11月中旬までの一ヶ月の滞在となった訳だ。多分最初で最後になるだろう義理の息子との誕生日会。数日前から両親は二人でカードを書いたり、もそもそやってた。父は「俺はハッピーバースデーの歌なんか知らないぞ。」母は「はっぴー、ばーすでー、つーゆー♪」こうやって歌うのよ!私「いやいや、麺つゆじゃないんだから。つーゆーじゃないでしょ。」誕生日当日は、両親に無茶苦茶なメロディーでハッピーバースデーを歌ってもらって照れていたアンソニー。嬉しい?それとも困惑?いろいろプレゼントをもらって良かったね。父にハッピーバースデーを歌ってもらった事のない私は、ちょっと羨ましかったな。
2011年11月18日
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更新が止まって長いなあ。。。只今、両親が滞在中なので全く時間がないっ!今までの一人のまったりした時間が恋しくなった。父が高齢なので、「これが最後のポル訪問」って事で、「アンソニーに会うべく」やって来た。私は一年に一度ぐらい日本へ行っているけど、アンソニーは5年も前に行ったきりなので、両親とも長い事再会していない。両親も勇気を振り絞って飛行機に乗って来たみたい。私だって、日本へ行くのは嬉しいけど、長旅を考えるとうんざりするもんね。高齢の両親にしてみたら、大げさだけど半分命がけかも。母は「私達は年寄りなので、小町達夫婦が可哀想。。。」と言ったけど、「ニーナちゃんも年寄りだから、大丈夫」と返事しておいた。だって、両親もニーナも同じ70代だからね。昨日、両親とニーナで散歩に行ったのだけど、いつもはスタスタ歩くニーナが両親のゆっくりした歩調に合わせて歩いていたよ。エラいなあ。年寄り仲間って分かっているんだね。ニーナは私の言う事は聞かない時があるけど、母の言う事は聞いているので悔しいなあ。上下関係が分かっているのね。父と庭で遊んだり、お達者クラブで仲良くやってます。そうそう、笑っちゃう出来事が。。。両親滞在中も普段の生活を続けようと、プールに行ったんだけど、母が是非見に行きたいと言うので、しょうがなく連れて行ったの。(父はお昼寝して待っていた)レッスン中に観覧席に座らせてさ。想像したらおかしいでしょ?70過ぎの母が40過ぎの娘のプールのレッスンを見る、ってどう?私としては、どんなプールに行っているか等、いつもの生活を見せてあげるのもいいかなーって思ったの。そして、時々観覧席の母を見ながら、幼少期の習い事に母が付いて来てくれた事を思い出してノスタルジックな気分に浸っていたんだ。笑ところが。。。しばらくすると、暖かい日射しがさして来て、気持ち良くなったのか母が居眠りを始めたのよ。体が斜め45度に傾いちゃって。。。恥ずかしいったらありゃしない!若いお母さんだったら子供のレッスンをしっかり見届けるんだろうけどね。これが年老いた母と若い母の違いだろうか。もう連れて行かないからねっ!昨日は、プールに行く時に母を置いて行ったのだけど、ちょっぴり寂しそうだった。帰宅時間には、母がニーナと一緒に門の前でクビを長くして待っていたよ。可哀想でしょ。アンソニーに話したら「また連れて行ってあげれば。。。」だって。うーむ。。。「プール仲間が『今日はお母さんはどうしたの?』って聞いていたよ」って母に言ったら、「あらっ!気にかけてくれていたのね。じゃあ、今度は行かなくちゃ♪」と明るく言った。いやいや、行かなくていいですから。。。やっぱ、置いて行こうかな。父は昼から飲んでご機嫌だし、夜も長っ尻だし相手が大変なの。滞在最後まで頑張れるか、私。。。ま、そんな毎日を送っている次第です。
2011年10月26日
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姉と私は7歳違い。姉が結婚すると同時にブラジルに行ってしまい、私も地方大学へ進学となって離ればなれの生活を送った。その後、姉は子供を連れて日本に帰国したけど、私は地方生活のまま。大人になってからゆっくり話す時が無かった。現在、ポル生活の私が一時帰国する時は、やっぱり慌ただしくてなかなかゆっくり話せない。この夏休みに姉が訪ねて来た時は、昔の思い出話をたくさん喋って面白かった。さすが7歳の年の差だけあって、私が覚えていない事も鮮明に覚えている。姉が高校生の時に、小学生の私に「小町ちゃん、ハイジの映画に連れていってあげる」と言った。姉と二人だけで銀座に行くのが嬉しくて、ぴょんぴょんついて行ったのだけど、映画館の前で「やあ!」って知らない男子高校生が待っていた。姉とその人の間に座らされ「どうして私はこの人達の間にいるんだろう?このお兄さんは誰?」ってずーっと思っていたんだ。お陰さまで、映画の内容は全く覚えていない。ハイジのオープニングの曲の中で、二人に挟まれてぐるぐる考えている小さな私しか思い出せない。酷いわー、人をダシに使ったのね。姉は女子校だったのに、しっかり男子校生徒とコンタクトがあったんだー。奥手と思っていた姉だけど、結構もてたんだ。ふーん。なんて話をしてたの。私が小学校の6年間飼っていたニワトリのピーちゃんの話が出たの。子供の日の企画で、スーパーが鶏肉を買った客に、ヒヨコをプレゼントしたの。いま考えると恐ろしい企画だなあ。。。鶏肉食べて、ヒヨコを育てましょう!ってか?4羽もらったんだけど、皆すぐに死んじゃって、生き延びたのは1羽だけ。私が毎日給食の残りのパンを持ち帰ったり、ペットショップでエサを買ったりしてたの。6年生き延びて、冬の寒い日に死んでしまったのだ。私は死んだピーちゃんを見られなくて、そのまま小学校に行ってしまった。帰宅後、母は「ピーちゃんをお隣りとの敷地の間の土地に埋めた」と言った。今までも小鳥が死んだ時は、その土地に埋めてきたから、ピーちゃんもその土地に眠っているのだろうと思って来た。んが!姉が「あら、あんたまだそれを信じてたの?ママが保健所に電話して処分方法を聞いたら『袋に入れて一般ゴミにだしてください』って言うから、その通りにしたのよ。」だって。ええーーーっ!ピーちゃんがゴミと一緒に出されたの?時々、その土地を横切る時に、ピーちゃんの事を思い出して冥福を祈っていた私なのに。ひどーい!姉が「言わない方が良かったかしら?」だって。母も小学生の私がショックを受けると思って、そう言ったのだろうけど。。。知らなかったー。30年目の真実だ。姉と話していてもうひとつ、新たな事が分かった。母から、私は生後数ヶ月の赤ちゃんの時に、誰かに連れ去られかけたと聞いていた。母の話では「乳母車の小町ちゃんを家の前に道路に置き、お姉ちゃんに世話を頼んだのだけど、お姉ちゃんがトイレに行っている間に浮浪者らしき人が乳母車を引いて行っちゃったの。」とのこと。家からまっすぐの道路で500メートル程先に、乳母車を引いている人が見えたので、母が走って行って「その子はうちの子です!」って言って奪い返したとか。まっすぐの道だったからすぐ発見出来たけど、どこか横道を曲がっていたら発見出来なかったんじゃない?もしかして、橋の下が実家になっていたんじゃないかしら。。。ぞーっとするわ。無事連れ戻されて良かったけど、一歩間違ったら大変なことになっていたかも。可哀想な私。。。姉にこの話をした所、「放置したのはママ。発見したのは私(姉)。」と正された。姉が道路に出た時、乳母車が無いのに気が付いて、遠くを見たら誰かが乳母車を引いているのを見て、家の中に居た母に報告したらしい。ええーーーーっ!母が放置したの?今まで姉の責任と思って来たけど、違うのか?ショックよー。これも30年後の真実。それにしても。。。母にはちゃんと問いたださなくてはいけない。ピーちゃんの事、連れ去りの事。。。きっと「そうだったかしらねー?」ってとぼけるに決まってる。
2011年10月10日
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ああーーーーっ!疲れた!恐竜達(ダブルマリア)がやっと帰りましたーーーーー。(前回の日記を見てね)お友達がマリアザウルスと命名してくれたよ。ほんとぴったり恐竜達は大きな足跡を残して去って行った。掃除に4時間以上もかかってしまった。もうヘロヘロ。たった3泊4日だったけど、1週間以上の気分。お疲れー、私!家族は金曜の夕方到着で、夜12時に宴会がお開き。土曜日はマリアザウルス達は、スペイン国境近くの街のお祭りに出かけた。お出かけに興奮する義母は、早朝から大声で、キッチン&庭でお喋り。起きないつもりの私も義母の声で起こされ超不機嫌。「お義母さん、近所迷惑なので止めて下さいー」。私達は別行動。甥っ子を連れて山歩き&海に行った。日曜日がスゴかったのよー。涙甥っ子がまた海に行きたがったのだけど、義母を一人置いて出かけられないということで、皆家に居ることになった。スゴくいい天気だったので、非常に残念!遅い朝食をテラスで食べ始めたのが、午前10時。午後の遅い時間に昼食(バーベキュー)。それからおやつ。夜の9時に夕食。宴会お開きは、夜の12時。食事の準備以外は、テラスに座って、延々喋り続けていた義理家族。。。食べるか、喋るか。。。すごいよー。計算してみて。合計14時間。。。良く喋る事あるよねー?誰もテレビを観に行ったり、お昼寝したりしないんだから。(さすがに16歳の甥っ子は早めに脱落して、ブルーレイを見てましたが、、、)義母、義姉、義姉の夫、アンソニーの4人。私は日本に一時帰国する時も、家族がこっちに遊びに来た時でも、お互い静かにする時間をもうけるから(お互い疲れちゃうし)、彼らの行動は分かんないわー。ねえねえ、家族と言えども疲れませんか?話題は村人の噂とか村の昔話で、私は全く分からないから、食事の準備をしたりで適当に抜けたけど。長時間良く座り続けられるよね。みんな、おしりに肉がついているから痛くないんだ。。。私は長時間座っているのが辛くて、食事の準備を一人で買って出たわよ。席を立つよいエクスキューズだもんね。「どーぞどーぞ、皆さんお喋りを続けていて下さい」こんなにおさんどんが嬉しいと思った事は無い。いつもは2人分だから、6人分の食事の準備は大変だったけど、テラスに座っているよりいいもん。私を一人にするのを悪いと思ったのか、皆がキッチンに入って来た。狭いキッチンで皆立ちながら喋っているーーーーーっ!涙一人で大丈夫なのにーーー。一人にしておいてーーーっ。しかもダブルマリアは大声で騒々しいのだ。やっぱ、恐竜マリアザウルスなんだな。宴会が終わって「あなた達、すごいよ。14時間もぶっ続けで話してたよ。」と言ったら、アンソニーが「俺にとってもバイオレンスだ!」と言ったの。大笑いそうだよねー。普段の私達の生活は静かだもんね。ということで、マリアザウルス達が帰った後は、アンソニーも疲れて喋りたくなかったみたいで、私達の間にほとんど会話は無かった。爆
2011年08月30日
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もうすぐ8月も終わり、夏も終わりですなあ。。。この夏は楽しかった~。姉と姪が来てくれたし、お友達も日本から遊びに来てくれた。他にも友達と海に行ったり、バーベキューしたり。。。すべて、私の方の関係の人たち。私が楽しんだ夏!って感じだった。その楽しいイベントもすべて終了、、、ほけーっとしようと思ったら、最後に爆弾が!!ダブルマリア(義母&義姉)の襲撃があるのだったーーーーーっ!!私のブログを読んでくれている人は、彼女達の事を知っていると思うけど。彼女達の記事は、こちら→記事1、記事2あああ、、、最後に爆弾が仕掛けられているとは。。。楽しい思い出が消えて行く~。。。私の心は、この写真のように穏やかに居られるだろうか?
2011年08月25日
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8歳の姪と過ごして、つくづく思った事は「子供の興味の対象は、大人とは全く違うなー」って事。当たり前と言われればそれまでなんだけど、子供が居ないので今まで気が付かなかったわ。姉は一度、リスボンに来た事があるのだけど、姪はもちろん初めてなので、「世界遺産を娘にも見せたい」と言う姉の希望ですぐにベレン地区に行った。ベレン地区は、大航海時代にかかわる重要な見所があるので見逃せない。世界遺産のジェロニモス修道院、ベレンの塔、発見のモニュメント、など。後は、馬車博物館もあるし、有名なエッグタルトのお菓子屋もあるね。炎天下の中、汗をかきかき頑張って歩いたね~。疲れたわ。一日歩き回って、「ねえねえ、今日は何が一番面白かった?」と姪に聞いた所、、、「お船に乗った事。」と即答。ふ~ね~???って、遊覧船でもなんでもなく、それって公共交通機関で、川向こうのベレン地区に渡っただけのこと。時間にして10分もかからない。お値段も1ユーロしません。ええーーーーっ!船が一番面白かったの?じゃあ、次に楽しかったのは何?すると、「みんなで公園でおにぎりを食べた事!」と元気なお返事。。。ああ、鮭のふりかけを使ったおにぎりを食べたわね~。普段一緒に過ごした事のない叔母とお母さんと、異国でおにぎりを食べた事が楽しかったらしい。世界遺産は?ベレンの塔は?倒れそうになった私。。。でもさ、子供ってこんなもんなんだよねー。大人が良かれと思っていろいろ計画しても、子供には興味が無く無駄だったりするのかも。シンプルな事の方が喜んでくれたりするんだろう。後日、天気が悪くて一日中、家でまったりした日があったんだけど、アンソニーも含めて皆でトランプをやったのが最高に楽しかったらしい。きっと、これが彼女の一番の思い出ではないかしら?姉はこの旅を記録させようと、毎日、姪に日記を書かせていた。笑そりゃそうだ!高い航空運賃を払って連れて来ているんだからね。スケッチブックに日記を書いて、後で写真を貼付けるんだって。次回帰国した時に見せてもらおう。姪の帰国後、スカイプで話した時に「今度行ったら、またパン作りのお手伝いをするんだ。鶏の炭火焼を(焦げない様に)くるくる回すお手伝いもする。」って言ってた。やっぱりこう言う事が楽しかったんだろうな~。子供って、、、分からん。。。
2011年08月19日
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姉と姪が帰ってから、アンソニーの家の修繕も始まったのでお付き合いしたり、何だか忙しくて、ブログを書く心のゆとりが無かったなあ。姉や姪と一緒に撮った写真を見ながら、いろいろ思い出した事があったので、また復活しなくちゃーと思った。姉は下の娘、Hちゃん(8歳)を連れて来た。その上には9歳年上の娘がいるので、姉妹間はかなりの年齢差だ。私と姉も7歳の年齢差があるんだけど。Hちゃんの姉は、家では妹を相手にしないらしい。しょうがないよね、もう高校3年生なんだもん。小学3年生とは遊べない。だからHちゃんは、こっちで遊んでくれる人を望んでいたんだよね。それを上手く使って、こき使いましたとも!パン作りもやらせたし←彼女にとっては遊び。鶏の炭火焼を焦げない様にクルクル回す係もやらせた←彼女にとっては遊び。他には、配膳係、花への水やり係など。「ねえ、何かお手伝いないの?」と聞いて来る。ちびっ子お手伝いさんは結構役に立つので、「日本でもお母さんのお手伝いしているの?」と聞いたら「日本では習い事や宿題で忙しくて、毎日時間がないからやらない」との返事。お子様でも、日本での生活って、大変なんですね。いろいろ指令を出してこき使ったけど、ひとつだけ拒絶されたのは、ニーナのうんち拾い。姪に対する私の言動が大人とは思えず、幼稚っぽいので、姉が「相変わらずね、小町ちゃん」と困った顔をしていた。ドイツ時代に、Hちゃんの姉が来た時に、私の事を中学生と思ったんだって。「この人は大人ではない。でも小学生の自分よりも大きな存在。だから中学生。。。」という構図が出来上がったらしい。中学生が車を運転するかーーっ!!(車でいろいろな所に連れて行ってあげた)今回、天気が悪くて一日家に居る事があったのだけど、Hちゃんがトランプをやりたがったので、アンソニーも含めて4人でトランプをやった。Hちゃん、大喜び!普段、母親(姉)と二人だけでトランプするんだって。。。涙初めは嫌々だったけど、久しぶりのトランプに興奮し、一番に勝つ度に「イエーイ!!」っと嬉しそうな雄叫びをあげる私。姪はいつも負け。子供相手にも容赦しませんわよ。姉が「相変わらず、子供にも手厳しいのね」とコメント。いいの、いいの。子供だからって、負けてあげちゃいけません。勝負の世界は厳しいのだ。対等に接した方が子供は喜ぶって!←勝手な持論。日々の行動を見て、姪が姉に「ねえ、小町ちゃんって大人なの?子供なの?」って聞いてたらしい。あはは~。ある日、姪が「小町ちゃん、白髪がある~っ!」と言った。自分では分からない後頭部あたり。「きゃー、取って取って!」「そうなのよー、私は白髪も出るおばさんなんだよねー」取ってもらっている間、頭を下げて小さくなっていた私。姪は複雑だったに違いない。。。
2011年08月11日
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最近、嬉しい事があったんだ。プールで「脱、初級クラス!!」したの。上のクラスに上がる事が出来た~!わーい。パチパチパチ!!とは言っても、クラスは二つしか無いの。笑初級クラスとそれ以外。。。初級クラスって温泉に浸かりながらお喋りをするおばちゃん達を思い出す。ちゃぷちゃぷしながらお喋りする方が、水泳をする時間より長いのよね。上のクラスは、さすがにそんなことはなく、皆さん延々と泳ぎ続けている。今までの生温い水泳とは違って、ヘトヘトになっちゃうので、プールに行く前に軽く何かを食べる事にしている。昨日もプールに行く前に軽い食事をとっていたのだけど、急に電話が鳴って、受話器をとると「ハッピーバースデー ツー ユー♪(ポル語)」と延々歌い始めた。そう、義母だ!私の誕生日に電話をかけて来たのだ。最後まで延々歌い続けて、「どうだい?まだ家族は誰も電話をかけて来てないだろ?一番になりたかったんだっ!」って言うの。「お義母さん、ありがとうございます。今ね、ご飯食べてるのよ。プールに行く前にちょっと食べて、、、」と言ったら。。。「あらー、あんまり食べちゃいけないよ。私も運動しなくちゃいけないんだけどね。レントゲンを撮ったら、膝の関節がぼろぼろでね、激しい運動出来ないんだよ。で、医者が云々。。。。」何度も聞いた話が延々続く。はあ~。。。あの~、私遅れているんですけど。義母「うちの近くにもプールがあったらいいのにねえ。」嘘付けっ!義母は一度も水着なんか持った事無いくせに、プールが側にあっても入るわけないじゃん。若かりし頃、家族で海に行った時は、ポルのおばちゃんエプロン(袖無しの割烹着みたいなやつ)を着用していたと聞いたわ。あの年代の田舎の女性で水着を着て、プールに行く人なんて居ないと思うなあ。そしてそんな考えもないはず。義母「今、サプリを飲んでいるんだよ。関節の為のカルシウムでしょ。サメから採れたものでしょ。それとマルチビタミン、これが結構高いんだよね、云々。ああ、運動しないとねえ。。。」ああ、プールに遅れちゃう。イライラ、イライラ。。。「お義母さん!サメから採れたサプリ(スクワランの事と思われる)飲んでいるんですか?だったら大丈夫!!泳ごうと思ったら、すごい速さで泳げるんじゃないですか?だってサメのサプリ飲んでいるんでしょう?私より早く泳げると思いますよ~。私もサメのサプリ飲もうかしら。」(ま、深海サメがどれだけ速く泳ぐのか知りませんが。。。)と言って、お義母さんの笑いをとって早々に切り上げた。お義母さん、折角かけてくれたのに早く電話を切ってごめんね。プールの後、買い物中にお手頃マルチビタミンを見付けたので、義母に買った。大手メーカーのものと、内容はあまり変わらないみたい。自分の誕生日なのに、自分には何も買わず、義母にプレゼントを買うなんて!なんて良い嫁なんだろう!爆
2011年05月13日
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平和村訪問シリーズを書き終えたかったのに、週末の嵐のせいで書けなかった。。。先週の金曜日の午後に、突然義姉から電話があって「あんた達、週末は暇でしょ?明日、お母さん連れて泊まりに行くからねっ!」と宣言された。げええーーーーーっ!!ドイツの平和村ボランティアから帰って来て初めての週末だし、健康面でちょっと凹んでいるので、ゆっくりしたかったのだけど、それを伝える前に電話を切られた。金曜日の午後に連絡があって、翌日の昼には来ちゃう訳だよ。いつもこんな感じ。電撃訪問が多い。予定を立てられ無い人達なのよねえ。。。 少しは準備期間にゆとりをくれないかな~?泊まる準備というよりも、精神的な準備期間が必要なのだ。どうせ汚すのだから、特に掃除はしなかったよ。それでも、買い出し、シーツ&タオルの用意、壊されると困る物を片付けたり(子供が来るのか?)とバタバタした。 翌日、ダブルマリア(義母&義姉、同じ名前)が丸ごとの鶏が4、5羽入りそうな鍋を二人で持って、玄関に現れたーっ! 「その鍋で何をするんですか~?」怖がる私。。。ふと、アンソニーが言った言葉を思い出した。「小町、ディスカッションするな。」 どうぞ、好きな様にして下さい、、、ってことね。 前日までは、義姉夫妻&義母の3人が訪問する予定だったのだが、当日、弟の息子(17歳)も付いて来ていた。。。聞いてないよ~。大人4人かあ。。。案の定、寝床が足りなくて、甥っ子にはアンソニーのキャンプ用品のマットレスで就寝してもらった。 甥っ子は大型画面のテレビで映画を観たり、ゲームをやったりで一人楽しんでいた様子。お義兄さんは、もともと大人しい性格なので問題なし。やはり、気を付けないといけないのは、 ダブルマリア 今回もキッチンで大暴れ。爆義姉マリアがメインで、食事を作ったのだけど、私はその後に付いて彼女の汚した後を奇麗にしていかないといけない。。。黒子みたいなものだろうか。 義姉も奇麗好きなので、とりあえず使い終わった物から洗い物をしてくのだけど、包丁の取っ手が脂でギトギトだったりするので、2度手間なの。私が一人で洗った方がいいんだけどなー。 生肉を扱えば、壁の白いタイルの上の方まで、赤い肉汁が飛び散っている。お義姉さーん、どうしてこんな高い所まで飛んでるんですか~? 牛乳にエスプレッソコーヒーを混ぜて飲んだらしいけど、そのコーヒーをランチョンマットにざぱーっとこぼして、大きなシミが出来ていた。お義姉さーん、いつもこぼすの分かっているんだから、布の上じゃない場所でやればいいじゃないですかーっ! 擦ったニンジンが、あっちこっちに散乱しているキッチンを黙々片づけていたら、床でつるーっと滑って転びそうになった。あ、あぶないーーー!!床に水が大量にこぼれていた。ここはプールか?どうしたらこんなになっちゃう訳? 夕飯用意中に、床掃除を余儀なくされた私。。。 料理中、テーブルに置いてあった私の飲みかけの紅茶が入ったカップを、ざぱーっと流しに捨てて、そのカップで計量しようとしたのにはびっくり。ちょっとー!奇麗なカップはたくさんあるし、紅茶を捨てる必要はないでしょ!皆の料理を作るんだから、私の使っているカップを使う事無いじゃん! と、こんな感じ。 翌日の朝も私は早起きして、キッチンで見張りをしなければいけなかった。前夜、アンソニーと寝る前に飲んだハーブティーのカップを、義母&義姉がそのまま使ったのは阻止出来なかった。遅かった。。。 奇麗だと判断したのか、牛乳を入れて飲み始めてしまったのだ。まあ、自分達だけで飲むんだから勝手にどうぞ。。。 義母マリアは年を取ったということで、今は全面的に義姉マリアが食事の用意をしているけど、義姉マリアは義母マリアの上を行く。これから、さらに拍車がかかるんだろうなあ。怖いです、お義姉さん。。。 日曜日は、青空市場に行っていろいろ買い物をして、遅い昼飯を食べて満足したようで、夕方5時位に帰って行った。その日は、大掃除は無理なので、プレクリーニング。月曜日に大掃除となった。疲れ過ぎて、ブログを書く元気もなくて、今日に至る訳だ。 掃除後、冷蔵庫の扉に多くの指紋が付いているのを発見。私達、取っ手を使うので、扉に指紋が残る事は無いのだけどね。ステンレス製だから余計に目立つ。アンソニーが「CSI科学捜査班を呼ぼうか~?」だって!そんなの誰がやったか、分かっているくせに!!
2011年04月05日
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クリスマスイブから週末にかけて、アンソニーの実家に行って来た。以前、地雷を踏んでから「今年もひと騒動あるんじゃないか」と行くのが憂鬱だった。 今年は地雷は踏まなかったけど、「命がけ」の訪問だったよー。爆 ポルに住んだ事ある人な分かると思うけど、ポルの石造りの家は夏使用なので、冬はスゴく寒いの。 しかも田舎の家だからすきま風も入って来るし、寒いったらありゃしない。防寒ばっちりのはずだったけど、やられた~。 義母&義姉の家は、暖房は暖炉しかない。 だいたい暖炉に火を入れるのは夕方位かららしい。裕福な家でもないし、午前中から薪を使って家を暖めるとなると、結構お金を使うからね。薪って、キロ単価は安いけど、暖炉は薪を結構消費するので、最終的には効率の悪い高消費型の暖房器具だと最近思っている。 初日、昼ご飯を食べる時には寒くて寒くて、震え上がった。暖房無しだし。鼻水が出たので鼻風邪かしら、、、と思ったの。 こんな事もあろうかと、日本の風邪薬をすぐ飲んだ。 すきま風だけでは、こんなに寒いはずない!と思っていたら、2階のドアも窓も開けっ放しだったのー。涙びっくり!家に居ながら、ホームレス状態!!一度冷えてしまった家は、ドアを閉めても温度は低いまま。 寒過ぎて、コートを着て昼飯を食べた。昼だけど、体を温める為にワインをガンガン飲んだよ。 夕方、やっと暖炉に火を入れてもらって、やれやれ。薬の効果と温かさで、鼻風邪も治まりそうだ。 で、翌日の朝。寒さで目が覚めた。顔が寒い~。すきま風ではない。トイレに行ったら、私達の部屋の近くにある勝手口のドアと窓がバーンと開け放されていた。さむーーーい。 前夜、暖炉で温めた空気が、すべて入れ替わって冷たい空気になっちゃった。どうしてこんな事をするの?折角温めた空気なのに。。。 これはいま始まったことではない。義母も義姉も、ドアを開けたら閉める事を知らない女達なのだ。お互いの家は隣同士で、行き来が激しいので、ドアはそのままなのだ。夏は、たくさんのハエが入って来て、家の中をブンブンぐるぐる回っているの。夏は外が暑いので、室内の少しでも涼しい所にハエが好んで入って来るのだ。 そのハエを見て「あら~、どうしてこんなにハエが多いのかしらね。」と不思議そう。いやいや、あなた達がハエを家に招いているんですから~。。。 暖炉を使うと、翌朝までは家の中はほんわか温かいはずなのに、スゴく残念。 お金を使って温めた空気が、ドアを開け放す事によって無駄になっているという考えは、彼女達にはないようだ。びっくりするのは、彼らがあまり寒がっていないと言う事。あの状況で、寒さを感じていないと言う事はスゴい事だ。 毎日の慣れって、スゴいんですね。それとも分厚い肉襦袢を持っているから? 軟弱な嫁には、あの生活は無理です。人の家でガンガンの暖房は望まないので、もっと密閉性のある状態で過ごさせて下さい。 お陰さまで、鼻風邪は酷くなり、弱った体にごっついポル料理は堪えたようで、夜中に嘔吐する有様。はあ~、酷い目に遭った。 帰宅して、すぐ元気になりプールにも行って来た。冬にプールに行って、濡れた髪で外を歩いても風邪を引かない私なのに!!お義母さん、お義姉さん、私はまだまだ修行が足りないんですねっ。
2010年12月28日
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アンソニーの実家から帰って来て、あっと言う間に1週間が過ぎてしまった。ニーナも我々もぐったりしたまま1週間。早いなあ~。愚痴ネタ、つぶやきネタはいろいろあるのだけど。。。義母、義姉ネタは過去にもたくさん書いて来た。つい最近の記事(6月)は、これとこれ。いろいろ悩まされている私。でもね、彼女達の家で大暴れしてくれるのは、別にいいの。しかし、やはりその大雑把な行動がどうしても気になる嫁なのだった。今回の目撃その1ビールのツマミを作る為に、皆でエビの殻を剥いたの。6キロという大量のエビだったので、家族総動員の作業。でも実はポル人はエビを剥く事があまりない(殻付きのまま使う)ようで、剥く事に慣れていないようだ。義母も手伝ったのだけど、椅子に座って膝の上にタライを置いて、剥いていた。びしびしエビの汁を周りの人に飛び散らかしているのを見た。その後、屋外で皆でビールを飲みエビ料理を摘んでいる時に、ハエが義母だけに大量にたかっているのを発見。エプロンと偽クロックスのつま先に、すごい量のハエが。。。昔、「野性の王国」などで見た水牛の鼻にたかるハエの様。。。(分かります~?)義母「どうして私だけにハエがたかるのよ~?」私「エプロンもサンダルもエビの汁で汚れているからですよー。他の人には、ハエはたかっていませんから。お義母さんだけです!(きっぱり)臭いから洗った方がいいですよ!」目撃その2義姉の夫はサラダが好き。仕事で遅く帰宅する夫の為に、サラダを取り分けて保管しておこうとした義姉。プラスティックの小さなボールにサラダをとりわけ、物がたくさん詰まった冷蔵庫にそのまま突っ込み扉を閉めようとした。ところが、閉めようとしたと同時にボールが落ちて来た。スゴく不安定な所に置いたので当たり前なんだけど。。。閉めようとした扉の内側のポケット(牛乳などを立てておく場所)にすべてのサラダがひっくりかえって収納されてしまった。きゃー。衝撃的な現場を目撃してしまった嫁だった。義姉に取って、こう言う事は日常茶飯事。朝飯前のお茶の子さいさいな事。サラダ事件でも、「あら~」って言って、何事も無かったかの様に処理をした。「ニーナは病気だから人間の食べ物はあげてはいけない」と言ったにもかかわらず、ニーナにアイスをあげようとした義姉。「ニーナ、アイスだよ~。」ってスプーンですくったアイスをニーナの口に入れようとして、ボトッ!アイスが、椅子の布のクッションの上に落ちた。真っ白なクッションに、チョコアイス。。。「あら~」って言って紙ナプキンで拭いていたけど、そう簡単に取れないよ。椅子のクッションの上であげなくてもいいのに。。。落ちたらどうなるかとか、想像出来ないんだよねー、この人。前だって、焼きたての子豚の丸焼きの鼻っつらを、私のおニューのセーターに押し付けられたし。スーパーの袋に、汁の出る生ゴミを入れて、それを布製の椅子の上にぽんっと置いて、もう絶対取れないシミを作ったり。。。使ったスーパーの袋って、どこか穴が開いている事多くないですか?そう、何でも注意する能力に欠けているの。この先に起こる事を予期出来ないんだよね。二人とも。でもね、でもね、彼女達の家だからいいの。しかしながら、こう言う事を目撃する度に、繊細な私のハートは落ち着かなくなるのだった。
2010年08月16日
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義母と義姉は、田舎で隣り同士の家に住んでいる。娘(義姉)が結婚後に、義母の土地に家を建てさせたのだ。だから彼女達は今まで離れて暮らした事が無い。いつも一緒。毎日一緒。ざっぱーな性格や大胆な行動も一緒。。。キッチンで床に落ちた野菜の切れ端をワシワシ踏みつけたり、スープを皿によそい、スープが皿から垂れているのにそのままランチョンマットに置く、等々。すべては、気が付かないので後の祭り。悪気は無い。恐るべし母娘。DNAはしっかり受け継がれているな。しかし、彼女達の名誉の為に言っておこう。彼女達はすごく奇麗好き。家の中も、いつも奇麗に整理整頓されている。問題は、すべての行動の過程にあるんだと思う。料理だって気を使いながらやれば、そこまでキッチンは汚れないのに、行動に繊細さがないからすごく汚れちゃう。でも最後には奇麗にするつもりなの。彼女達は「大胆にキッチンを使い、おおいに汚して、おいしい料理を作り、その後奇麗にする」というのが常なのだ。私とは違うので、一緒にキッチンに立つと精神的に非常に疲れる。はあ~。。。彼女達の良い所は、細かい事は気にしない事。義母がポテチの袋を開けた所、上下逆だった。やっぱり。。。味は同じだけどさ、何となく気になるでしょ?その後、開いていたクッキーの箱がテーブルに放置されていた。開けやすいようになっている部分を無視して、箱のおしりがバリバリ開いていた。誰が開けたかって?義姉だった。爆やっぱりね。皆でツマミを食べながらビールを飲んでいる最中、突然義母がとんがりコーンの中にエビのつまみを突っ込んで「ほら~!」って自慢げに見せた。何ごと?と思っていたら、「コーンの中にエビを入れられるか?」と義母をあおったのは義姉だと言う事が判明。頭を抱えた私。。。なんちゅう母娘なんだっ!(義母74歳、義姉51歳)その後、義母は一人でキッチンに行って、皿に何かをのせて皆のテーブルに帰って来た。何だか、肉団子っぽい丸いもの。「お義母さん、それ何ですか~?」と覗き込んだら、何と茹でた「鶏の頭」だったー。夕飯の下ごしらえで、鶏を茹でてあったのだ。鶏のつぶった瞼と鶏冠を確認したよーーっ!!涙まぶたが、、、まぶたが、、、興奮する私の横で、「これ、美味しいんだよねー」って、義母は鶏の頭にかぶりついていた。怖いーーーーーっ!義姉はそれを見て「お母さんったら、そんなものを皆のテーブルに持って来てダメじゃない。一人でキッチンで食べれば良いのに。」と言った。いや、そう言う問題じゃないんだけど。。。そのすぐ後、キッチンに行ったら、義姉が「鶏の足(肉も羽も無い所、尖端)」を鍋から取り出して、立ったままむさぼり喰っていた。私を見て「これ、美味しいんだよねー」って、口から鶏の足をはみ出しながら義姉は言ったの。さっきの義母と重なって、オカルト映画みたいで怖かった。すごいでしょ?そっくり母娘!この母にしてこの娘あり!!しかも、この二人、名前も一緒なの。マリアって言うの。ダブルマリア!もうね、滞在中は汚れてもテーブルクロスもランチョンマットも取り替えなかった。無駄だから。。。さて、ランチョンマットを汚した人のランキングでーす。一位、娘マリア。まぎれも無くチャンピオン~。二位、母マリア。僅差で惜しくも2位でーす。ダブルマリア恐竜に荒らされた家を、元通りにしようと奮闘中。。。終わったら、精神的にも休養が必要だ。
2010年06月15日
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いや~、やっと恐竜達が帰宅した。ほっ。。。いろいろ面白いブログネタはあったんだけど、思い出せない。思い出せないのは、「見ざる言わざる聞かざる」の心境で、様々な場面で心に蓋をして来たからかも。。。悪い事は、忘れるように努めた結果かな?笑今回訪ねて来たのは、恐竜2頭(義母&義姉)と義姉の旦那さん。恐竜達のお陰で陰が薄いけど、義姉の旦那さんが居てくれてよかった。穏やかなマスオさんは、私にとっては心のオアシスなのだ。さてさて、今回も恐竜達が大暴れ。やっぱり一番のネタは、義母でしょう。訪問当日、ニーナに「恐竜達が来るから、心して待つように。」と言い聞かせた。義母は未亡人なので、全身黒尽くめで登場!バーン!!100キロ以上、身長も170センチ近くあるので、黒い巨体は存在感がある。門の外で、「ニーナや~、元気だったかい?」と門の柵から顔を出すニーナ(敷地内)を撫でていた。「鍵はあいてますけどー」と私が言ったら、門をバーンと開けた。その瞬間「キャイ~ン、キャイ~ン」とニーナが絶叫!義母の開けた門と地面に前足を挟まれて痛がっているニーナちゃん。可哀想~!!自分のせいで、ニーナが痛がっているのを全然分からない義母。ああ、そういう人なのだった。。。ニーナよ、これは序曲よ。滞在最終日まで頑張ろうな。帰宅後のアンソニーにこの事件を話したら、ニーナは生後4、5ヶ月の子犬の時に、100キロの義母に前足を踏まれているらしい。げーっ、無茶苦茶可哀想。当時の大きさ関係からしたら、まさしく恐竜と小動物じゃん!ニーナはすでに痛い目に遭っている訳なのね。知らなかったー。義母は、自分の畑で取れた野菜や自分で育てた鶏を持って来てくれた。でもね、すごい量なの。冷凍したグリーンピースが、合計3.7キロってどうよ?私はいつも400グラム入りの袋を買うんだけど、、、レストランじゃないんだし、そのグリーンピースで冷凍庫の3分の1を占めている。とほほ。。。鶏もすごかったよー。処理した鶏、一羽丸ごと3キロ以上だって自慢してた。(スーパーのは1羽1.3キロぐらい)豚のおしりみたいなのを2羽持って来た。もうね、全部は冷凍庫に入らないので、翌日食べる事にして放置。生活しているんだから、空の冷凍庫の訳ないじゃん!ありがたいけど、もう少し考えてよー。義母は喋っていないと死んじゃうタイプの人。喋る事が無くなると、目に写る物にコメントを与えて行く。ラジオのサッカー中継のアナウンサーとかに向いているんじゃないかな。事細かに言葉で描写出来るので、映像が見えなくても相手に伝わるでしょ?義母は朝早くから、ずーっと喋り続けていた。他の人は遅く起きて来たので、喋る人が居ないから庭に出てニーナに喋りかけていた。体が大きいので、声もでかい。その上は私達の寝室なので、彼女の話し声で起きてしまった私。皆に迷惑になる前に止めなければと思い、起きて行ったら人間(私)が来たので嬉しそうに更なる大声で話しかけて来た。「シーッ。皆寝ているから、小さい声で話して。」とお願いした。キッチンの扉を閉めて、彼女を閉じ込め対応したけど、声は相変わらず。去年、庭で義母が「足が臭くてねー」って大声で話し始めて、隣人に聞かれて恥ずかしい思いをしたのを思い出した。私1人なら制御出来ないので、キッチンに閉じ込めておくのは良策だ。一人起き、二人起きしてキッチンにやって来ると、更に舌好調。誰にも止められない。朝早くから喋り始め、昼寝もしない、テレビも観ないで、夜12時過ぎまでノンストップ。アンソニーからは「病気か?」と言われていたけど。。。あんなに長時間喋って、ほんと元気だな~。嫁は疲れてヘロヘロです~。何をそんなに話す事があるんだろう?話す内容は田舎の人達のことなので、私に話したって無駄。人間関係が分からないし、その人物を知らないのでコメントのしようがない。だから、ほとんどの話をまじめに聞いていないの。ごめんねー。でも義母はコメディアン的要素を持っているので、顔をくちゃくちゃにして片目をつぶって近所のおじいさんに扮して会話を真似たりする。顔の変化を見ているだけでも面白いです~、お義母さん。彼女は弁が立つので、娘(義姉)と息子(アンソニー)にとある行動について怒られていたけど、それに悪びれる様子も無くガンガン反論していた。すごいわあ~。私の家族の間では、こんな激論かわしたことないのでびっくり。熱いなサントス家。。。毎日、騒音の中で過ごしたので、今はただ「静寂」が欲しい。ニーナもゆっくりお昼寝出来なかったようで、只今爆睡中。今週はのんびり休もうな、ニーナ!恐竜ネタの日記は続く。。。(今日は愚痴日記だけど、明日は面白いよー。)
2010年06月14日
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今年もクリスマスがやって来た。早いなあ。クリスマスは、毎年アンソニーの実家で過ごす。アンソニー以外の家族は、皆側に住んでいるから、私達が行けば全員集合ってことだ。義理家族とのクリスマスは超ラクチン。大人同士のプレゼント交換は無し。プレゼントは、子供だけ。アンソニーには甥っ子が二人居るけど、一人は働いているのでプレゼントは無し。プレゼントが必要な甥っ子も14歳で、物よりお金の欲しい年頃なのでお金をあげれば良い。ね?ラクチンでしょ?スーパー義母と義姉は料理上手なので、勿論私の出る幕は無い。テーブルセッティングを手伝うぐらい。私が「たくさん飲んで、たくさん食べる→義母喜ぶ」という構図を守るのみ。今年はどんな料理かなあ~。人に作ってもらう料理って嬉しいなあ~。でもね、クリスマスには地雷が一杯仕掛けられているから気を付けないと。大雑把な義母と義姉が、どんな珍事件を起こすのかも気になる。最初のクリスマスでは、家の窯で焼いた子豚の丸焼きをテーブルに置こうとした義姉に、その子豚の鼻っつらを、新品のセーターに押しあてられたからね。彼女達のザッパーな行動で害を受けないように注意が必要だわ。珍事件があったら、また報告します。お楽しみに。それでは皆さん、楽しいクリスマスを。
2009年12月23日
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義父が亡くなったのは、去年の12月1日。あれからちょうど一年経った。あの時はがっくり落ち込んでいた義母も、元気を回復し、余生を楽しんでいる様子。良かった、良かった。。。夏に義母が訪ねて来た時、衝撃の告白をした。「お父さんを殺したのは、私かもしれない。。。」と。えええーーーっ、何でー?義父は、2型糖尿病を患っていたが、インシュリン注射をする程ではなく、食事療法を厳しくしていた訳ではなかった。好きな物を食べ、ワインも毎日飲んでいた。歩く事もしなかったし、かなりゆるーいコントロールのもと、生活していた様な感じ。詳しくは知らないのだけど、義母が、時々義父の血糖値を測り、チェックしていた様子。義母の告白は以下の通り。義父の死後、隣りのおばちゃん(インシュリン注射が必要な糖尿病)の血糖値を測る機械が故障したようなので、義父の使っていたものを貸した。すると、いつも250mg/dl以上値を示すおばちゃんの血糖値(正常の空腹時血糖値は、110mg/dl以下)が、50mg/dlしか示さなかったそうだ。それって、低血糖昏睡じゃん!!のけぞってしまった。つまり、そもそもその機械は壊れていて、義父の血糖値を測っていた時も、かなり低めに値が示されていた可能性がある。本当は義父は高血糖で、投薬が必要なのにそれをせずに過ごして来たかもしれないということだ。今考えてみると、亡くなる前に義父は、何回か倒れて意識が無くなったりしていた。もしかして、高血糖性の昏睡だったとか?亡くなった時も、ベッド脇に倒れているのを発見され、救急車を呼んでいる最中に、家族に囲まれてそのまま。。。高齢でもあったし、いろいろな持病もあったので、解剖はしなかった。なので、真相は分からないままだ。義母が言葉にはびっくりしたけど、、、でも、義父は一番いい亡くなり方をしたと思う。病気で長患いし、苦しんだ訳でも無いしさ。発見された時は、まだ少し意識があったので、自分の家で、家族に囲まれてあの世に行ったのが分かったはず。なんて幸せな死に方なんだろう。。。お義母さん、大丈夫ですよー。お義父さんはすごくラッキーだったと思うから。。。
2009年12月02日
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ああ、やっと静寂さが戻った。義姉夫妻と義弟の子が帰って行ったから。大胆に汚してくれた家を、掃除してすっきり。また二人だけの静かな生活だ。私達二人だけだと、家の中はあまり汚れないのに、どうして義理家族が来るとあんなに汚れるのかなー?不思議。。。やっぱり義姉はすごかった。キッチンの大胆な汚し方、大雑把なところは義母そっくりだ。過去の愚痴日記に書いたのと同じ様な事が行われた。人参の皮は床に落として、踏みつけているし~。涙彼らが毎朝飲むホットチョコレートは、カップ目一杯で、かき混ぜる余地がないので、毎回ランチョンマットにこぼすのだ。義母が、鍋目一杯にスープを作り、かき混ぜる度ガス台を汚すのと一緒。しかも彼ら3人分のホットチョコを義姉が作るので、毎日ランチョンマットを3カ所汚すハメになっている。どうして量を調節出来ないんだろう?義母に生き写しだ。もう、滞在中はランチョンマットは取り替えなかったよ。取り替えても同じことだもの。とほほ。。。お義兄さん、毎日よく耐えているなあー。義姉の行動を気にしないようにしようとしたけど、体は正直なもので、右目の下瞼に痙攣を感じるようになった。ストレスですなあ。。。可哀想な私。痙攣は滞在中、ずっと続いたけど、滞在が終わった途端、無くなった。ほんと、体は正直。来月、義姉は義母を連れて来ると言い張っていたけど、何としても避けなくては。。。ダブルパンチを喰らったら、気が狂いそう。この母にしてこの娘あり。「Tal m?e, tal filha」名言だ。昔の人はいい事を言ったものだなあ。。。
2009年07月26日
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長かった「義母滞在日記」、いや「愚痴日記」も今日で最後。思えばいろいろなブログネタを披露してくれたなあ。さて、義母はとっても料理上手。でもね、キッチンの使い方も大胆なの。多いに汚して、美味しい料理を作り、その後奇麗にするつもりらしい。でも、なるべく汚さないように使う、その場から片付けて行く私とはやり方が違うので見ているとイライラする事が多い。キッチンのとある扉には、ほうれん草が張り付いていたし、床にも人参、ほうれん草の残骸が!それで、その上を踏みつけて歩くからたまったもんじゃない。人参をすりおろした手で、鍋をがさがさ探すもんだから、使わないどの鍋と蓋にも人参のすりおろしがこびりついていた。涙だからお義母さんが料理を作る時は、私が彼女の後をついて、奇麗にしていかないといけない。張り付いたほうれん草や床に落ちている野菜の残骸を拾う悲しい作業。。。お陰で、全然料理を学べませんでした、お義母さん!折角、自分では作らないポル料理を作ってもらうようにリクエストしたのに。。。義母は毎日のように、実家で留守を守る家族と電話で話していたのだが、28歳になる孫だけは、いつも出歩いているせいか、電話で話す機会が無かった。滞在の最終日に、孫に話したくなって、義母の携帯電話を使い、彼の携帯に電話をかけて会話をし出した。「ここに叔父さん(アンソニー)が居るから話すかい?」と言って、アンソニーに義母の携帯を渡した。すると、アンソニーが「うわあ、何だ、この汚い携帯はっ!こんな汚い携帯じゃ話したくない!」と騒いだ。ああ、あれね。私も見たわ。本体は白なんだけど、畑仕事の手で触ったのか、または鶏を絞めてから触ったのか、なんだが薄茶色の汚れがこびりついていた。すりおろした人参が、数々の奇麗な鍋にたくさん付いている事を考えれば、義母がどのように携帯を扱っているのかよく分かる。うん。アンソニーに叱られ、「てへへ。。。」と笑いながら、電話が終わった後ティッシュで拭き始めた。少しはマシになったらしい。アンソニーは、新しい携帯を買ってあげるつもりらしいけど、今度は汚れの見えない黒がいいと思うよー。翌朝、義母達を駅まで送っていく時のこと。アンソニーが自分の携帯を持って、会話をしている私達の元へやって来た。「これを聞いてご覧。」と自分の携帯に記録されていた謎の録音を私達に聞かせた。長い間、ずーっと「しゅっ、しゅっ、しゅっ、、、」という音だけが聞こえて、録音の最後までそれだった。何、これ?擦っている様な音が聞こえるけど。。。義母も私も分からない。誰なの?こんな変なのを送る人は?アンソニーは「こんな事をするのは一人しか居ない。」と言って、ちらっと義母を見た。あああああーーーーーーっ!前日に携帯をティッシュで拭いていた時の音だね。どこか変なボタンを押してしまったようで、携帯を奇麗にしている間に、アンソニーの携帯に電話がかかっていたのだ。アンソニーは携帯の電源を切っていたので、翌日その録音を受け取ったと言う訳だ。アンソニーには携帯料金の無駄遣いだから注意するように!と叱られていたけど、義母は笑い飛ばしていた。これは一度や二度ではない。バッグに入れたままの状態でアンソニーの携帯に電話が繋がってしまい、義母のお喋り声だけが聞こえて、アンソニーの叫びは聞こえなかったこともあった。それにしても。。。「しゅっ、しゅっ、しゅっ、、、」思い出すだけでも、笑いがこみ上げて来る。お義母さん、楽しい話題をたくさんありがとう。終わり。
2009年06月20日
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我が家に滞在したおばちゃんは、糖尿病を患っているので、毎日血糖値を測り、インシュリンを注射しなくてはならない。ある日、客用浴室の前を通りかかると、ドアが開け放されており、パンツ一枚のおばちゃんの姿が目に飛び込んで来た。年寄りなので、ドアを閉めないのはしょうがないかと思っていたんだ。お腹に注射していたようなんだけど、何よりもびっくりしたのが、パンツの色。鮮やかなオレンジだったの。お腹の大きいおばちゃんの、ヘソまでをカバーするビッグなパンツ(パンティーとは言えない)の鮮やかな色。。。目がちかちかした。75歳という年齢を考えると、その色はちょっと不似合いなんじゃないかと思ったけどね。あー、びっくりした。前日の日記の写真を見てもらえば分かると思うけど、義母もおばちゃんも田舎の未亡人なので、全身真っ黒の衣装なのだ。ブラウス、カーディガン、スカート、帽子、エプロンにいたるまで、模様無しの真っ黒の布地。外出でも家の中でも、このいでたち。都会では知らないけど、田舎では未亡人達は一生この服装で過ごすらしい。人目もあるのだろう。アンソニーが、「折角田舎から出て来て、ホリデー気分なんだから、ここで過ごす時だけは、そんな黒い服は着ないでいいのに。」と言った。私が「そうよ、お義母さんはピンクのネグリジェを着ていたわ。下着は何色でもいいの?」と聞いたら、、、「あ、そう言えば、今日は真っ赤のパンツだよ。」と義母が答えた。ええええーーーーっ!ま、真っ赤っか~ですか?そんなショッキングな色を、黒い服の下に身につけているのか。。。絶句。たまげました、お義母さん。。。オレンジや真紅の下着を付けた老婆達。脱帽です。
2009年06月18日
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昨日、義母達を列車に笑顔でたたき込んで送り込んで、8日間の滞在は終わった。はあ~、長かった。。。義母は帰ってしまったけど、まだまだ「義母日記」は続くのだ。義母は、体がデカイからか知らないけど、性格も大胆で大雑把。彼女は細かい所は気にしないので、非常に付き合いやすいのだけど、私には(アンソニーも)「それってどうよ?」と気になる事が多い。例えば、今開けたばかりの牛乳パックをテーブルに置いたコップに、高い場所から勢いよく注ぐ。→勢いがいいので、当然コップから牛乳は飛び出す。→「あーこぼれちゃった」とテーブルを拭く。これ毎回。。。冷凍グリーンピースの袋を開ける時、鋏を使わず包丁でシャキーンと切る。→勢いがいいので、グリーンピースは飛び出しこぼれる。←義姉(娘)もそっくりの事をする。さらに彼女は、いつでも全開、マックスで使用するのが好きなのだ。例えば、水道。小さな物を洗うときでも、蛇口は全開の状態で水が流れる。毎回すごい音でジャーっと。。。だから周りに水が飛び散る。ガスだって、どんな料理でも、どんな状態になっても、最大の状態で火がついている。先日も義母は、スープを作っていたのだけど、既に沸騰してグラグラになっていたのに、しかも溶岩がふつふつと煮えたぎるように、いや、魔女が大きな鍋で毒を作るように、ぼこぼこ言っているのに火加減を調節しない。さらには、その気泡が出来ては割れて、どんどん液体が鍋の外に飛び出て、ガス台を汚しているのに、炎は最大をキープしたまま。お義母さん!ガス台を汚すまでになっているのに、どうして火加減を調節しないんですかっ!!「今度はグラグラしても、液体が外に飛び出さないように、大きめの鍋で少なく作ればいいんだね。」と義母。火加減を調節する事は、全く頭の中にないようだ。この事件をアンソニーに知らせたら「大きな鍋があったら、マックスの容量でスープを作るに決まってるさ!家の母はそういう人なんだ。」と言った。またスープを作る機会があり「小町、今日はこっちの大きな鍋で少量のスープを作る事にするよ」と言って一人でスープを作り始めた。おおっ!改心したようだ。出来上がった頃にキッチンを覗いてみると、「小町や、少なく作ったつもりだったのに、こんなに一杯になっちゃった。。。」と義母。大きな鍋になみなみスープがっ!!誰がこんな大量のスープを飲むんですかっ!!(アンソニーは飲まないので)そして、ガス台にもスープの大噴火の跡が。。。アンソニーの予言は当たった。さすが息子だ。母親の事をよく分かっている。と言う訳で、本当に調節が出来ない義母なの。涙義母とそっくりの大胆かつ大雑把な義姉が、夏休みに訪ねて来るという噂が。。。勘弁してくれ~。
2009年06月16日
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義母とおばちゃんを連れて、この近くをドライブした。アンソニーが折角だからと、写真を撮ってくれた。おばちゃんと私は大人しくカメラに向けてポーズを決めていると、アンソニーから「待ったっ!」の声がかかる。義母はかぶっていた帽子を取って、咬んでみたり、昔のジュリー(沢田研二)が「勝手にしやがれ」を歌う時に、帽子を斜めにかぶってみたり(ちょっと古いな)、真面目に写ろうとする私達の横で邪魔をするのだ。これ、どう思う?毎回、アンソニーにこっぴどく怒られていた。それでも同じ事を繰り返す。「ああー、あたしってフォトジェニックじゃないのよ。だから真面目に写真が撮れないの。。。」と義母。「でもね、こう言うのは好きなの。植物の中に完全に入って撮る写真。アンソニーよ、写真を撮っておくれ!」とリクエストしたのが、これ↓。初公開、ポルの肝っ玉かあさん。お義母さん、ばっちり決まっていますよ!でもね、私達が真面目に撮る時には邪魔をしないで下さい。
2009年06月14日
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上手い具合に、義母達をテレビを見せる事に成功。やっと静寂な時間が訪れ、私はメールチェック。が、しばらくすると、キッチンの方でガタガタと音がする。義母が何かを探しているらしい。彼女は料理は上手だけど、キッチンの使い方など大雑把なので、アンソニーか私の監視下でないととんでもない事をする。今までにも、いくつかのお気に入りのキッチン用品をダメにされた事があるので、危険を感じてすっ飛んで行った。すると、義母は呪文を唱えて、魔女払いの儀式をやっていた。実家でも、頭痛がする、寝付けない、家族の誰かが具合が悪い等の理由で、「魔女のせいだ!」と魔女払いをする。お皿に水を張って、オリーブオイルを垂らして、ナイフで水面を切りながら、呪文を唱えるようだ。私がキッチンに入ったときは、ちょうどナイフを皿にカチーン、カチーンとあてながら水面を切っていた。魔女払いもいよいよ佳境に入ったときだったらしい。お義母さん、ナイフ振り回して怖いですう。。。一体どうしたのか聞いてみると「昨日は眠れなかった。胃が痛くなり、お腹も張って寝付けなかった。魔女のせいに違いない。」と義母。私はすぐさま「お義母さん、それは食べ過ぎの症状だと思います。」と口答え。側で聞いていたアンソニーが「家には魔女は居ない。それは食べ過ぎって言うの!夕飯をあれもこれもたくさん食べていたじゃないか!」とぴしゃりと言った。お義母さんは「あらー。。。」って一言だけ発して、悲しそうな顔をしていた。
2009年06月13日
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義母とおばちゃんが到着した。リスボン側の到着駅に、私が出迎えに行ったんだけど、何を着ていくかちょっと悩んだ。なんたって、二人の未亡人は黒服でやって来るのが分かっていたからね。悩んだあげく、私も黒いTシャツでみんなとコーディネートを計る事にした。電車から降りて来た彼女達は、全身黒尽くめだった。二人とも、黒いブラウス、黒いジャケットまたはカーディガン、黒い膝丈のスカート、黒いストッキング、黒い靴。。。何も模様がないの。まっくろけ。他の持ち物も、真っ黒のストールと真っ黒の帽子。ああ、良かった、私も黒のティシャツで。。。それにしても、よくこんなに無地で真っ黒のアイテムが揃うものだなあ。。。おばちゃんは、ゆるゆるとしか歩けない。地下鉄、電車を乗り継いで我が家まで来なくてはいけなかったので、私がおばちゃんの旅行鞄を持つ事にした。夜の家族からの電話で「小町がお手伝いさんのように、ずっと鞄を持ってくれたんだよ~。」と嬉しそうに話していた。おばちゃん!あなたの歩みが遅いから、私は鞄を持ったのよ!そうじゃないと、いつまで経っても家に着けないじゃない!!最寄りの駅までやっと到着。いつもよりすごく時間がかかったよ。義母達を駅の玄関で待たせて、私は車を取りに行った。私の車はエアコンの調子が悪いので、いつも窓を開けて走る。しかも、その時は走って車を取りに行ったので、暑かった。義母達を車に乗せて走り出すと、義母が「窓を閉めておくれ。セットした髪が乱れる。奇麗な姿を息子に見せたいからね。」と言った。「はっ、ハイハイ」と私。こんな調子で第一日目は始まったのだった。。。
2009年06月11日
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来週、未亡人クラブの会長(義母)が役員(実家の隣りのおばちゃん)を伴って我が家にやって来る。一週間程滞在するらしいのだが、いつのお帰りかまだ怖くて聞いていない。カウントダウンしちゃいそうで。。。隣りのおばちゃんを連れて来るのは私にとってはありがたい。義母の機関銃トークにべったり付き合わなくてもいいからだ。義母にとっては、あまり喋らない私は役不足でつまらないのだ。彼女達は仲良しで、毎日のようにぺちゃくちゃ喋っているので、放置しておいても大丈夫。良かったわ~。二人で電車に乗ってやって来ると言うので、国鉄の止まるリスボン側の駅までアンソニーが車で迎えに行くと言ったら、隣りのおばちゃんが拒否したらしい。おばちゃんは、リスボンにもほとんど来た事がなく、「地下鉄と言うものに乗ってみたい、電車で我が家近くまで行きたい」との希望。田舎の村からほとんど出た事のない彼女にとって、今回のプチ旅行はすっごいアドベンチャーなのだ。やはり年寄りの希望は聞いてあげないといけないので、私がリスボンまで迎えに行って、電車で連れて来る事になった。(年老いた義母も地下鉄乗り換え、また電車に乗り換える様な複雑な説明は無理)何しろ彼女達は未亡人クラブ会員なので、全身黒い衣装で現れるはずだ。黒服の老婆二人を連れて歩くアジア人の女。。。リスボンでは目立つだろうか?困るのが食事。義母は胃が悪く、食べられるものと食べられないものがややこしい。実家で皆に美味しいポル料理を作っても、自分はサンドイッチをちょこっと食べるだけの日もある。どうやって100キロ以上の体重を維持しているのかは不明。。。そして、おばちゃんは糖尿病。食事制限あり。と言う状態なので、私は食事作りを拒否させてもらった。食材はその都度買うので、勝手に食べられるものを作ってくださいと宣言。私はアンソニーといつもの様な食事を二人分作る。鬼嫁だろうか?だってこんな状態で、みんなで食べられるものなんて、毎食考えられないよお。ま、食事作りを考えなくていいので、気がラクになった。でも、もう一つ悩みが。。。週に一度だけ、アンソニーが朝早く出掛けなくてはいけない日があるのだが、いつもは私は起きない。アンソニーが勝手に朝ご飯を食べて、自分で昼用のサンドイッチを作って出掛けて行く。私はベッドの中で、「バイビー」と手を振るだけ。私の両親が滞在中は、彼らがニーナと一緒に玄関先までお見送りに行ったっけ。今回はどうしよう。。。未亡人クラブ会員2名がお見送りすることは間違いないのだが。。。頑張って起きるべきか?それともいつものようにするべきか?悩む~。
2009年06月05日
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日本に一時帰国中に、こちらで酷いアクシデントが起こっていた。アンソニーの姉の一人息子(甥っ子ですな)が、工場での作業中にカッターの刃が折れて、それが右目に飛び込んで来て、眼球が切れたと言うのだ。一人実家から遠く離れているアンソニーに知らされたのは、事故から4、5日経った後で、すでに2回目のオペが終わった時だった。私は、その翌日にアンソニーの電話で事故を知る事になった。甥っ子は現在28歳。アンソニーの姉は若くして結婚し、結婚後も実家で暮らしていたので、甥っ子が産まれた時は、アンソニーも弟も居て、甥っ子が学校が小学校に上がるくらいまで、一緒に暮らしていた。甥っ子も若いおじ達に厳しく、男らしく育てられたようだ。だから、アンソニーはその甥っ子には特別の感情があるようで、勉強が嫌いだった彼の将来の事をとても心配している。私の見る限り、年寄り達にやさしく人気のある、村一番の好青年じゃないかと思っている。(身内びいきかしら?)そんな彼の事故を私に電話で報告したアンソニーは、途中で泣き出し声にならなかった。右目が失明するかもしれないとのこと。何かしなければと思い、翌日母と近くの浅草寺へお参りに。異宗教なのでダメかしら?と思いつつ、そんなことしか出来なかった。ポルトガルへ帰って来て、すぐにイースターがあったので、実家を訪ね、甥っ子に会う事が出来た。元気そうに振舞っているが、周りの家族の為にそうしているだけで、本人は失明の不安を抱えているので、ちょっと痛々しかった。右目は最近開くようになったのだけど、眩しいらしく、いつも涙が出て来て、家の中でもサングラスをかけなくてはいけない。反対の目を酷使すると非常に疲れるとのこと。目の真ん中に、縫合があるのだけど、鏡で見ても本人はよく見えないらしい。アンソニーに頼んで写真を撮ってもらい、コンピューターで大きくして、自分の目の縫合をまじまじと見ていた。これ↓。す、すごい。。。白目の所にも縫合があるけど、黒目の真ん中も縫合線が走っている。皮膚の縫合ってみたことあるけど、目の縫合って初めて見た。痛々しい。皮膚は結構速く傷が塞がるので、抜糸は早いけど、目の縫合は約3ヶ月間そのままなんだそうだ。事故直後、視力は7%だったけど、今は25%に回復。影や色が分かる程度らしい。まだ縫合がそのままなので、抜糸後どれだけ回復するのか分からない。抜糸後、角膜を移植するかどうか決めるとかなんとか。。。まだ若いのである程度まで視力が回復してくれれば、、、と願っている。私達に出来るのは、祈る事だけだ。
2009年04月30日
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イースターでアンソニーの実家に訪ねた時のこと。義母が「もうすぐ小町の誕生日だね。プレゼントをあげたいのだけど、お金がいいかい?それともシーツがいいかい?」と、いつものようにでかい声で聞いて来た。私が「それは勿論、現金で!」という暇もなく、そのやり取りを遠くで聞いていたアンソニーは「シーツでいいよ~。」と答えた。し、シーツ?なんで、誕生日じゃないあんたが答えるのよっ!!義母や義姉からのプレゼント(クリスマス、誕生日)は、個人使用のものではなく、二人で使えるものばかり。多くのキッチン道具(マーシン類)は義姉から、シーツやタオルは義母からと言った具合だ。使えるものをくれるのはありがたいんだけど、シーツはもう収納場所が無い位。ニーナちゃん用にしたのもいくつかある。それに、趣味が違うし、どうしても使えないものもある。しかも、義母の場合、街に出掛けて行ってお店で選ぶのでは無く、村にトラックで衣料品を売りに来る人に、どこかで仕入れて来てもらうように頼むのだからさらに趣味があわないのだろう。とほほ。。。アンソニーが「シーツでいいよ」と答えたのは、お金をくれるよりシーツ代の方が安上がりだから。子が母を思う気持ちとでも言うのか。でも、なんとしてもシーツを阻止せねばっ!義母には「シーツは収納場所が無いのでいらない。私は、何もいらないから。」と懇願した。すると、「もう、トラックで来る衣料品屋に頼んじゃったよー」との返事。がっくり。。。ああ、また趣味のあわないシーツが届くのか。。。涙そのまま実家を後にし、帰宅後に電話がかかって来た。「小町へのお小遣いは見付かったかい?誕生日プレゼントだよ。ニーナの薬の箱に入れて置いたんだけど。。。」と、義母。アンソニーが電話を切って、薬の箱の中から小さく折ったお札を発見してくれた。未開封の買ったばかりの薬の箱なので、言われなくては分からないし、数ヶ月か放置するところだった。もし言われなかったら、空き箱をそのまま捨てていたかも。。。お義母さ~ん、一言言って下さいよお。前にもそう言う事があったなあ。その1)実家に行ったとき、私の枕元にお小遣いをしのばせてくれていたらしいのだけど、気が付かないで、そのまま家に帰って来てしまった。一言言ってくれっ!その2)日本への一時帰国への直前に、お土産で義母手作りチョリソーが届き、袋ごとスーツケースに入れて荷造り完了。その後、「お餞別は見付かったかい?チョリソーと一緒に入れて置いたんだけど。。。」と電話がかかり、慌てて探し出すはめに。。。もっと早く言ってくれっ!と、まあこんな具合。いつもお茶目なお義母さん。気が抜けない人なのだ。
2009年04月21日
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週末の事。ニーナを連れてドライブに行こうとしていたら、電話がかかって来た。アンソニーの弟からで、「今、お母さんが家に来ているので、今からスカイプでビデオ通話をしてくれないか」との事だった。アンソニーの実家はすごい田舎。弟の家にインターネットが来たのも最近の話。弟はスカイプでアンソニーとビデオ通話した事を母に話したらしい。そうしたら、母は「自分も遠くに居る息子の映像を見ながら会話してみたい」と言い始めたらしいのだ。しょうがないので、コンピューターを立ち上げて、スカイプで呼びかけてみると、画面一杯に義母の姿が目に飛び込んで来た。体重100キロを超えるかと思われる体が、画面一杯に。。。その後ろに背後霊のように、弟家族と義兄。あはは。大笑い。あの家族って、お母さん中心に動いているので、あの映像があの家族をそのまま表しているようで可笑しかった。義母にとって初めての経験なので、緊張の面持ちがよく分かる。あちらで、アンソニーの映像と声を受信出来たようで、義母が大きな声で嬉しそうに話し始めた。久しぶりにアンソニーを見たのが嬉しかったのか、それとも文明の利器に感心したのか、大興奮だった。自分の映像もコンピューターに映るのが嬉しいらしく、親指を立ててグッド!とやってみたり、しまいには中指を立ててみたり。。。さすがに中指を立てた時には、あっちでもこっちでも息子達にたしなめられていたけど。もうすごいはしゃぎっぷりで、見ちゃいられない。アンソニーが「じゃあ、僕たちは出掛けるから。」と会話の終わりを告げたら、残念そうに、何度も何度も私達に投げキッスを送っていた。大きな体のお義母さんからの、両手での投げキッスはコンピューターを通しても、とってもビッグに感じられた。臨場感大だなあ。。。
2009年02月17日
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午後に電話が鳴り、電話番号の表示でアンソニーの実家からだということが分かった。平日に電話がかかってくるのは珍しい。どうしたんだろう?昔も平日に電話がかかって来たのだけど、義母のマシンガントークについて行けない私は、居留守を使う事が多かった。そのうち、義母も諦めて、アンソニーの居る週末にしか電話をかけて来なくなった。さて、今回はどうしよう。。。迷ったあげく、電話を取ったら、義母は泣いていた。ど、どうしたんだ?マシンガントークの中で、私が理解出来た内容(きっと60%の理解力)は以下の通り。注文していた墓石が二つ(自分の夫用と自分の両親用)出来上がって来た。アンソニーの修正した写真(夫、両親)がとても奇麗に墓石にはまっている。すべてに満足して、幸せで感動して泣いているのだ。義母は、ずいぶん前に亡くなった自分の両親の墓石をちゃんとしたかったのだけど、昔の事だし、お金もなかったし、そのままになっていたそうなのだ。長い事心に引っかかっていたのだけど、夫が亡くなった時に、一緒に墓石を注文したのだった。きっと昔のこと、貧乏で大変だった時のことが、思い出されているに違いない。やりたかった事を成し遂げて、今、満足しているらしい。よかったじゃないですかー、お義母さん!感動の涙ですねっ!「近いうちに墓を見に来ておくれ」と自慢げなお義母さん。「は、は~い。」アンソニーが修正した写真の出来映えを見に行かないとね。あの墓地の墓石にはめ込んである写真って、多くが背景をブルーとかに変えられてる。きっと天国とかをイメージしているのだろう。でも「アンソニーが修正した写真の背景は変えないでくれ」と墓石屋に注文した。お義父さんは、若い頃サックスホーンが趣味で、地元のダンスグループで楽器を担当していた。だからアンソニーが修正した自分の父の写真の背景には、小さなサックスホーンがちりばめられているの。このお茶目な演出が、ただの青い背景に変えられちゃうなんて嫌なので、墓石屋には十分注意したらしい。出来上がった墓石には、お父さんとサックスホーンの写真がしっかりはめ込まれているらしい。今度実家を訪ねたら、真っ先に墓場に連れて行かれるに決まってる。こう、文章に書くと怖いなあ。。。
2009年02月04日
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去年の12月に義父が亡くなって、家族から昔の思い出話を聞く事が多くなった。これが結構面白い。義父母は今住んでいる田舎で産まれ育って、結婚した訳なのだけど、、、今は一つの村なのだが、昔は二つの部落に別れていたそうだ。それぞれの部落で、一番重要なファミリーで、しかも敵対していた同士が、義父と義母のファミリーだったんだって。昔に、しかも敵対していたファミリーの若い男女が恋に落ちるなんて、『ロミオとジュリエット』みたいじゃない?当時はすごいスキャンダルだったんじゃないかなあ。。。シェークスピア『ロミオとジュリエット』の悲劇とは違い、ポルトガルの田舎の『ロミオとジュリエット』は目出たく結婚し、3人の子供を儲けた訳だ。結婚後、義母は義父ファミリーに苛められたようだけど、賢い義母はうまく立ち回って来たみたい。義父は温厚な性格で、村人のいざこざなどの仲裁役を買って出ていたようだ。村人も義父によく相談を持ち込んでいたとか。この田舎の『ロミオとジュリエット』は、自分たちが恋人同士になってから結婚までが困難な道のりだったからか、子供達の恋愛に関してはすごく寛容なのだ。長女だって、違う出身地の男性と恋仲になり結婚した。(普通、あの田舎ではご近所さんと結婚するようだ)これにも両親は反対などしなかった。長男のアンソニーも、バツイチなのに、今度は得体の知れない中国女じゃなかった、アジア人を嫁に取った。これにも文句は付けなかった。次男も、これまた昔にファミリーどうしていざこざがあった家の娘と恋愛して結婚したのだが、反対は無かった。あの両親の「恋愛は自由、すべては本人の責任」という考えは、他の家族にも暗黙の了解で伝わっているので、甥っ子がへんてこな借金女と付き合っていても、皆温かい目で見守っている訳だ。ポルトガルの田舎の『ロミオとジュリエット』は今年で結婚50周年だったんだって。お義父さんは、50周年を待たずに亡くなってしまった。お義父さん、あなたの『ジュリエット』は今度あなたに再会出来るまで頑張ってますよ~。安らかにお眠り下さい。
2009年01月15日
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アンソニーのお母さんは、墓石を二つ注文した。一つは、12月初めに亡くなった自分の夫のもの。もう一つは、お母さんの両親の墓石。両親の墓石は、ずっと新しくしたかったそうで、今回夫の墓石を作る時に、一緒に注文した訳だ。彼の田舎の共同墓地の墓石には、故人の写真がはめ込まれている。紙の写真じゃなくて、写真をセラミックの様な固いものに焼き付け、それを墓石にはめ込むのだ。共同墓地を回ると、どんな人物がそこに眠っているのか分かるので、ちょっと恐ろしくもなるんだけど。。。墓石を注文するにあたって、「墓石につける適当な写真がない」とお母さんがアンソニーに泣きついて来た。アンソニーは以前にも村の人の写真を修正してきた実績があるので。→過去の修正した写真1、2。彼女の言い分は以下の通り。夫の写真は、表情が良いのがあるが背広をきていないので、それは困る。自分の父の写真で残っているのはたった一枚だけ(昔の貧乏な田舎暮らしではカメラなんて家に無かったので)。それは娘(アンソニーの姉)の結婚式の写真で、帽子をかぶっているけど、それでは困る。お母さん、すっごいワガママですねえ。アンソニーはお父さんの表情が良い写真と、背広を着ている別の写真を組み合わせた。とても修正したとは思えない程、上手く仕上がった。背景も変えてあげた。お母さん大喜び。問題は、アンソニーの祖父の写真。帽子を取って欲しいというのだ↓。帽子を取っても、額も頭もない写真になってしまう。本人の別の写真と組み合わせたくても、残っている写真はもうないのだ。アンソニーの祖父の写真はこれ一枚だけ。で、どうなったかというと。。。アンソニーの額を貸してあげる事にした。どうやら、アンソニーと祖父は髪の生え方とか頭の感じが似ていたんだって。アンソニーが祖父と同じ角度で写っている自分の写真を選んで、額から上をくみあわせたようだ。「怖ーい。フランケンシュタインみたいだね」って言っちゃった。髪の毛の色も、もっとグレーにしてそれっぽく見えるでしょ↓。アンソニーの姉を外して、祖母と近づけた。背の高さがかなり違う二人だったので、祖母をもっと高い位置に持って来た。そうじゃないと、墓石に組み込まれた時、バランスが悪くなっちゃうもんね。背景も変えて、壁紙にもこだわったようだ。人物の陰もついているでしょ。かなり時間がかかっていたよ。アンソニー、すごいすごい。お母さんも大喜びだ。「墓石屋が『素人には無理でしょう。あなたの息子さんが上手く修正出来るとは思えません』って言ったけど、私は自分の息子を信じているって言い返したんだ。出来ないときははっきりそう言うけど、あの子がやると言ったら、100%確実に正確に物事を成し遂げるんだ。」とお母さん。ラテンのママはすごいのだ。アンソニーはお母さんに「俺の額の賃貸料をもらわないと。。。」って言ってた。あはは。クリスマスには、家族に今回修正した写真を配る予定。奇麗に修正された家族の写真を見て、昔話に花が咲くかもしれないね。
2008年12月22日
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書くのをどうしようか迷ったんだけど、これも私のポルトガルでの生活の一部なので、書く事にする。この前のポルの3連休の最後、12月1日の早朝、義父が他界した。急のことだったので皆驚いてしまった。私達が電話を受けたときは、既に亡くなった後。急いで駆け付けた所、義父は奇麗な背広を着て、花に囲まれていた。義母は狂ったかのように、泣いたり、叫んだり。。。はあ~、居たたまれなくて、何度か部屋の外に出てしまった。アンソニー達子供達も同じ事。皆、涙しながら、外に出たり、お父さんの側に居たり。。。義母は弔問客に聞かれる度に、夫の最後の様子を話していた。きっと80回以上は話しただろう。すごいです、お義母さん。もともと話すのが大好きな人なので、聞かれると話さずにはいられないのだろう。お義母さんの性格は、過去の日記を見てもらえれば分かると思う。最後にまだ息のあった様子を、夫の真似をしながら語っていた。通夜の最後には、声ががらがらで喋れない状態。昔の事を夫に話しかけたり、悲しみで叫んだり。叫んでいるときは本当に気が狂ったのかと思ったけど、彼女が夫に「こんなことはずっと続けないからね。」と言っているのを私は聞き逃さなかった。翌日、棺桶が閉じられ葬儀のミサのため、教会へ移動。棺桶が閉じられる時には「今度はいつ会えるのか」と泣いていた。教会では私は隣りに座ったのだけど、ミサの最中にお義母さんの気持ちが吹っ切れたのを感じた。今まで重苦しかった雰囲気だったけど、なんだか、気持ちが軽くなった感じ。ミサの最中に、お義父さんが天に昇って行ったのをお義母さんは感じたのだろうか?ミサの後は、墓地に埋葬の為、皆で移動するのだが、義母は墓地には行かなかった。一番辛い場面にあえて立ち会わなかったのだ。ガールフレンド達(近所のおばちゃん達)に付き添われて、家に戻って行った。皆で埋葬を見届け、家に戻ると、義母は涙を見せなかった。夫に約束した通り、もう狂った状態は終わりにしたのだ。すごい精神の持ち主だと思う。スーパー義母なのだ。独りは辛いけど、娘夫婦が隣りに住んでいるし、息子家族も側に住んでいて、毎日顔を合わせているので、心配はしていない。ガールフレンド達も、毎日遊びに来るので心強い。居なくても勝手に上がり込んでお茶を飲んでいるような感じ。田舎の生活って、こう言う時に心強くていいなーって思う。隣りには従妹で、同じく未亡人が住んでいる。アンソニーが「二人で暖かい場所にバカンスにでも行きなさいよ。赤いビキニを調達しないと!!」と励ましていた。義母100キロ、従妹80キロ(推定)の老女達にそんなことを言うなんてっ!赤いビキニを着た姿を想像して、大笑いしちゃった。義父との次回の再会まで、楽しく過ごすのもいいよね。暖かくなったら、我が家にも遊びに来てくれるはずだ。
2008年12月04日
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日本滞在中に、姉と母と旅行をしたのだけど、その時姉から面白い話を聞いて大笑いして、涙が止まらなくなった。笑い過ぎて『誰か止めてーっ!』って言いながら、涙が出過ぎて化粧が流れ落ちた。私のハートをくすぐったのは、『姉の義母』。姉の義母(現在80歳)は、前からすごい逸話の持ち主だった。その1昔、富士山が見える一軒家に住んでいたのだけど、旦那さんが亡くなって一人では広過ぎたので、その家を売る事になった。引っ越しに邪魔なので、家具を二階の窓から階下に投げ捨て、家具を壊して処分した。これって、すごくない?おどろいちゃった。(我が母は、『あちらのお義母さん、何でも一人でやって偉いわ~』と尊敬する)その2証券を持っているようで、その隠し場所は二層式洗濯機の脱水槽。しかも時々持ち歩いているようで、バッグの中に入れてあったバスのチケットが無くなったとき、札束のような証券を露天商のように、全部床に広げてバッグの中を探した。(お義母さん、危ないですよ~)その3基本的に料理はしない。電気炊飯器が一つあるだけで、それでいろいろなものを茹でて食べているらしい。好んで雑穀を食べているとか。(エコですねー)その4家でお風呂は使わない。老人なので、市のサービスで無料の時や安い時に、公共のお風呂を利用する。その予定表は頭にインプットされていて、いろいろなお風呂を渡り歩いている。出掛ける時は、いつもリュックに洗面器が入っている。姪の幼稚園の運動会に行った時に、私に『あんた、ここに座んな!』と言って、洗面器入りのリュックを差し出した。(お義母さん、洗面器を背中にしょっているなんて、カメみたいですね~)その5家族にはケチみたいで、姉の家に来る時に、孫にケーキの一つも持って来ないとか。だけど、他人にはすごく気前が良くて、近所で手伝ってくれた人に1万円とかお礼をあげちゃうんだとか。(たった2、3回しか会った事のなかった学生の私に、ぽーんって3万円くれましたね、お義母さん。太っ腹です。姉が文句言っていたなあ。。。)で、ここまでは過去の話。それだけでも面白いんだけど、極めつけがあるの。姉『小町ちゃん、お義父さんの仏壇どこにあるか知ってる?』私『知らないー。どこ?』姉『浴槽。。。』私は、そこから笑いが止まらなくなった。公共交通機関の中だったけど、げらげら大声で笑ってしまった。私『そうかー、お義母さんは家でお風呂に入らないもんね。今は狭い所に住んでいるから、使わないスペースを有効活用だねっ!』姉『お義父さんも、まさか自分の仏壇が浴槽に置かれるとは思っても見なかっただろうね。』私『お義父さん、いつでもシャワー浴びれていいじゃん。』言った後に、ヒーヒー泣いてしまった。お義母さん、楽しい話題を提供してくれてどうもありがとう。いつまでもお元気で!
2008年07月10日
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週末は、アンソニーの姉夫婦が遊びに来ていた。庭でグリルしたり、ビールを飲んでおしゃべりしたり楽しかったんだけど、今日書きたいのはそんなことじゃないの。例のお義母さんの事。彼女が、CIAだったり、魔女払いをしたり、亭主をカワウソと言っちゃう様な人であることは、過去の日記に書いて来た。このお義母さん、CIAだけあって、家族がどこで何をしているか把握したがる。アンソニーの姉と弟は、実家近くで所帯を持っており、彼らは毎日顔を合わせているので、何をしているのか気になるのだろう。お義姉さん達の到着予定時間に、やっぱり我が家に電話がかかって来た。彼女の計算通り、その時間に到着していないと、不安になるようだ。到着したら、『無事到着した』と電話をかけるのが常だから。彼女は車を運転しないにも関わらず、『今、高速の何処を走っている』と連絡を入れると、だいたいの到着時間を割り出し、それが大幅にずれる事が無い。すごいの!さすがCIA.でもさあ、途中渋滞だったり、サービスエリアによってトイレ休憩する時もあるだろうし、彼女の計算通りには行かない事多いでしょ。それでも、いつも我が家に『皆はもう着いたかい?』って電話がかかって来る。ほ~ら、今回もやっぱりかかって来たよ~。毎回、毎回同じ事。。。お義母さん、もう少し待っていてくださ~い。子供達と孫達にGPSでも付けた方がいいんじゃないの?お義母さん。中央司令室の大きなモニターで、皆の行動を把握出来る。かっこいい~!今は、便利な世の中になった物だ。携帯があるからすぐ連絡が取れる。インターネットでは飛行機が無事到着したか、分かるもんね。去年、一人でドイツに行った時のこと。夜の到着だったので、アンソニーが私に『危険だから、空港からホテルまでタクシーで行くように!』と言った。しかし、ドイツの空港のインフォメーションのおじさん達は『そんな近い場所にタクシーで行くなんて!電車で行きなさい。夜でも警察が街中に居るから怖くないよ。』と言ってくれたので、電車を使って行く事にした。たしかに、ホテルは近い場所で、安い電車で行けて良かったのだが、方向音痴なため道に迷ってうろうろしてしまった。すると、アンソニーから携帯に電話がかかってきてしまった。ホテルに無事着いたら、彼に連絡をするはずだったのだが、、、彼はネットで私の飛行機が到着した時間をチェックし、それからあまりにも時間が経っているため業を煮やして、携帯に連絡を入れたのだった。はあ~、もう少しでホテルに着くから待っててくれよ~。私も初めての街で迷ってんだよ~。。。しかも、田舎のお義母さんからも、アンソニーのもとに『小町はもうドイツに着いたかい?』と電話がかかって来たらしい。。。お義母さんとアンソニー、全くおんなじ。私にもGPS付けようか?
2008年06月30日
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3週間ほどの日本での滞在を終えて、週末にポルトガルに帰って来た。日本では、忙しかったけど懐かしい友達に会ったり、オフ会をしたり、家族と旅行に行ったり、すごく楽しかったので、ぽる帰国直前に漠然と『あ~、帰りたくないな~。』って思い始めてしまった私。年老いた両親と今度はいつ会えるんだろう?姪達にいつあえるんだろう?と思うと、悲しくなってしまった。やはり家族との別れは辛いものだ。ポルトガルに残して来たアンソニーとニーナが寂しい思いをしていたのをすっかり忘れて、アンソニーに、しくしくしながら『家族との別れは辛い。帰りたくないなー。』などと言ってしまったら、アンソニーが『それは困る!自分もニーナも家族なのだから。』と説得を始めた。そりゃそうだ。翌日も長い説得のメールが来たので、簡単に『帰りたくない』とつるっと言ってしまった事をおおいに反省して、ポルトガルへ帰る事にした。帰国したら、『掃除しなくちゃなー、買い物も行かないと何にもないなー、大変だなー』なんて思っていた。帰宅してみると、ニーナちゃんが『ひーん、ひーん』と低い声で鳴きながら飛びついて来た。熱烈歓迎!家の中に入ってみると、テーブルの上にはバラの花束が!これも熱烈歓迎?あはは。家の中を見回してみると、ぴかぴかになっている!私の帰国前日に家の掃除をして、床をモップで磨いてくれたらしい。浴室もトイレも、さらにはキッチンもビカビカに磨き上げられてあった。彼は力も強いし、何と言っても私より掃除が上手。私みたいにいい加減じゃなく、徹底的にやるタイプなので、仕上がりが奇麗。『ラッキー、しばらく掃除しなくていいかも。。。』なんて思っちゃった。さらに、誕生日にしか口に出来ない様な、大きな海老とワインが用意されていた。おお!すべては、私の帰国を熱烈歓迎してくれているのだな。こっちの家族も大事にしなくちゃいけないと思った。また一緒にがんばろう!
2008年06月23日
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先日、姉との会話中『下の子供(5歳)があなた達に手紙を書いたので送るわね』と言った。以前、彼女から秘密の手紙をもらったことがあり、ミミズが這っている様な手紙で何が書いてあるのか分からなかった。当時は3歳児だったので、そんなものかなーと思ったのを覚えている。5歳の彼女が、どれだけ文章を書けるのか分からなかった。誕生日の時には『おたんじょうびおめでとう』とカードを書いて来たけど、文章は書けるのかな?折角書いてくれた文章が意味不明だったら、可哀想なので手紙が到着する前に、内容について姉に聞いてみた。すると『それが分からないのよ~。私が出掛けている間に、自分で書いて封をしてしまったから開けられないの。そのまま送るわね。』と言われた。やばい!理解不能かもしれない。。。翌週、手紙が届いた。ドキドキしながら手紙を取り出すと、中からバラバラと小さいものが飛び出して来て落ちた。折り紙を型抜きでパンチしたものがたくさん入っていた。そう言えば、犬の型が出来るパンチを以前あげたっけ。。。手紙は折り紙の裏に書いてあった。アンソニーには、緑色の折り紙、私にはピンクの折り紙を使ってあった。型抜きで出来たものを、手紙の中にのりで貼付けてデコレーションがしてある。アンソニーには『またい(っ)しょにどうぶつえんにいきましょう』と書いてあった。初めて会ったのは、2年前の上野動物園。3歳児の記憶は定かではないとは思うのだが、今でもそのことについて触れるのはよほど強烈だったのか?アンソニーが『ハロー』と握手の手を差し伸べたら、姪は驚いて固まってしまった。その日は一言も喋らなかった。姉が言うには『アンソニーの差し出した指が太くて、フランクフルトソーセージだと思って怖かったのよ。』だって。5本のソーセージか、、、余程強烈だったんだろう。私には『いつもようふくをおくってくれてありがとう』とあった。大きめの封筒に入る位のコンパクトに畳める洋服(つまり安いもの)しか送らないのだが、いつもお古を着たよれよれさんには嬉しいらしい。相手に合わせて、文章を書けるようになったのか。普段小さい子と接してないだけに、子供の成長ってすごいなと思った。初めて航空便の封筒を知った彼女は『これが外国に行くの?奇麗な封筒だね~。』と嬉しそうだったらしい。これからもいろんな事を吸収していくんだろうな。
2008年04月10日
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今日は、母の73回目の誕生日。彼女は70歳を過ぎてから、地元の生涯学習センターで老人対象のパソコン教室に通い始めた。その時に初めてキーボードに触ったようだ。それから、週に一回のレッスンがあって、ローマ字入力が難しいとぼやいていた。パソコン教室の授業は終わってしまい、それっきり。家にはコンピューターがないので、生涯学習センターに時々行って、そこでお手本の通りに入力の練習をしていた様なのだ。2年前に一時帰国した時に、メールを使いたくて、母と一緒に生涯学習センターに行ってもらった。私がメールを打っている横で、母はお手本を見ながら入力練習のみ。覗き込んでみると『近代日本では、工業化が進み公害も増えて来た、云々』と言った内容の文章をぴちぴち打っていた。『ママ!何この文章?こんな文章だけを毎回打っているんじゃ、練習にならないよお。。。』と言って、彼女にyahooのフリーメールのアドレスを取得してあげた。彼女にユーザーIDやパスワードを決めさせるのは無理なので、彼女に分かりやすいもので私が勝手に作ってあげた。それからセンターに何回か通い、メールの開き方と送信、受信するまでを教え込んだ。もちろんユーザーIDやパスワードを大きな紙に書いて、帰国時に残して来た。『メールを打つようになったら、すぐ上達するから!』と励まして帰国したのだった。帰国したら、彼女からメールが届くようになった。最初は、3行。生涯学習センターでコンピューター借りるには、1時間という時間制限があるのだ。1時間で、一生懸命書き込んだメールはたった3行だった。それから、上達したのか、月日が経つごとに行数が増えて来た。今日来たメールは、14行だった。笑すごい進歩だ。センターには、常時担当者がいて、分からない事があって手を挙げると駆け付けておしえてくれるんだって。『若いお兄さんが親切に教えてくれるのよ~。最近、私が質問がなくて手を挙げないもんだから、大丈夫ですか?って心配してくれちゃって~。』って嬉しそう。どうやら彼女は、いつもお世話になっているお兄さん達にバレンタインのチョコをあげたらしい。お婆さんにしては、しっかりしているじゃん。家にコンピューターを買う事も考えたけど、何かトラブった時に一人では解決出来ないし、家にコンピューターがあることによって、今までのように家から出掛けなくなるのも困るので、しばらくこのままセンターで借りるつもりらしい。おつかいついでに、センターによるのもいい運動になっているようだ。今は週に2回ぐらいのペースで、メールで近況を報告し合っている。でも声も聞きたいので、電話をかけると『あ、私は明日メールを送るから、話す事はないわ。パパに変わるわねっ!』とかわされる。『ちょ、ちょっと待って~』と私。電話じゃなくて、メールの方がいろいろな事を伝えるのに便利なこともある。写真もすぐ送れるし、文章で詳しく説明出来る。電話では話せない秘め事だって、素直に書けちゃう。そんな訳で、二人の関係はメールで深まったと思う。センターに行ってメールを打つ事が、今では彼女の生活の一部になっているようだ。いつまでも元気で。お誕生日おめでとう。
2008年03月18日
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日本の家族とはSkypeを使って長話をする。今は便利な時代だなあ。以前は、時間を気にしながら、用件だけを言ってすぐ切っていた。今は、時間も気にせず、くだらない話を延々することが出来る。遠く離れている家族を、近くに感じる事が出来るからすごいなーと思う。。先日も姉と長話をした。姉は40歳を過ぎてから2番目の子供を産み、その子は今、年中さんだ。姉は、『幼稚園に行くのが嫌だわ~』とぼやいた。周りのお母さん達が、みな若いからだ。登園拒否が子供じゃなくてよかった。。。ふふ。。。もう体力気力もないし、最初の子供の子育てとは全く違うらしい。子供が姉に体力を使う様な事を要求すると、『お母さんは、よぼよぼさんだから出来ないの』というらしい。大爆笑。で、その2番目の子供にもあだながあって『よれよれさん』って言うんだって。というのは、1番目の子供とは、9歳も離れていて、そのお下がりをもらって着ているのだけど、その洋服が『よれよれ』だからだそうだ。可哀想~。。。お互い『よぼよぼさん』『よれよれさん』と呼び合って仲良くやっているようだけど、、、いつもよれよれのお下がりを着ているという話を聞いて、叔母として黙ってはいられない。なので洋服を何点か買った。バーゲンで!!衣料品は、日本の方が質も良くいい物がたくさんあるのがけど、ま、気持ちってことで。。。アンソニーに見せると『どうしてバーゲンなの~?』と悲しそうな顔をした。さぞかし、私の事をケチな叔母だと思ったに違いない。いいんですっ!同じ物が安く買えればっ!!『よれよれさん』いまから洋服を送るから待っててね~。。。
2008年01月25日
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この週末は忙しくて、ブログを開く暇が無かった。アンソニーの45歳の誕生日を祝う為に、アンソニーの家族が田舎から泊まりにやって来たのだ。今年のアンソニーの誕生日は、日曜日(11月4日)だったので二人で祝うか~と思っていたら、突然『皆で泊まりに行くから!』との電話。最初は義姉夫婦だけだったのに、それに便乗して、カワウソ義父とCIA義母、義弟夫婦と息子がやって来ると言うではないか!普段、大人数の料理を作った事の無い私はパニックになった。計9人の食事~と思うと、料理の苦手な私は気が遠くなりそうな感じだった。結局、義弟夫婦は来れなかったので、計7人だったが、それでもこの家で寝食を共にするのは大変だった。義母と義姉は料理上手なのだが、キッチンを汚すのも上手。料理の作り方に、大胆な性格が現れている。そして繊細さに欠けるので、気をつけていないと、お気に入りのキッチン用品を壊されてしまう。今回も、買ったばかりのペティナイフを落とされて、尖端がつぶれてしまった。アンソニーの言うように、壊されて困る物は隠しておけばよかった。。。カワウソ義父は相変わらずな楽天ぶりで、義母と義姉にがんがん怒られているし。。。とほほ。。。みんな声が大きいので、キッチンで手伝ってくれている間も私には戦争のようだった。そんな皆の様子を見ていて、アンソニーはとても嬉しそうだった。車で2時間半かかる所から、誕生日の為に、家族が来てくれた事が嬉しかったのかな~と思ったら、それだけじゃなかった。最後にアンソニーの誕生日を家族で祝ったのって、かれこれ20年位前の事らしい。彼の姉と弟は、両親の側に土地をもらって家を建てているが、アンソニーは早く田舎を離れて、リスボンの方で就職したので、長い事、家族で誕生日を祝う事がなかったらしい。そうだったのね。。。同じ国内に住んでいても、誕生日に皆で一緒に集まれる事は無いのね。家の中がしっちゃかめっちゃかで、目が回った週末だったが、家族も久しぶりの再会を楽しんだようで、よかったよかった。。。嵐は去り、再び静かな生活だ。
2007年11月05日
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家のお義母さんは、相変わらず面白い。以前、彼女がCIAであり、大胆であり、魔女払いをしたりする人物だということを記事に書いた。こんなに、姑のことを暴いちゃっていいのかな~。。。本当によく喋る人で、機関銃トークが炸裂するので、なるべく電話には出ないようにしているのだが、先日の電話の内容は面白かった。彼女が医者に行った時の話。彼女の住んでいる地名を言ったら、中年の医者は『ああ、あそこは、昔カワウソがいましたね。カワウソで有名だった場所でしょ?』と聞いて来たらしいのだ。実家は、田舎の村にあり、近くには湿原があり、野鳥も多く飛んで来て、自然保護地区指定されている所。昔は川でウナギが取れたし、カワウソもいたようだ。医者の『カワウソが居た場所ですね。』という発言に対し、彼女は『ああ、カワウソなら家にいます。私の亭主です。今も家でテレビを見ています。』と言い返したそうなのだ。100キロの巨体にもかかわらず、畑仕事から薪運びまで、一人でやってのけるお義母さんに対し、お義父さんは非常に怠け者。力仕事の時も、お義母さんを助けない。テレビの前に座って食事が来るのを待つだけ。電話がなっていても、立ち上がって電話を取るのが面倒くさい程の怠け者なのだ。水にぷかぷか浮かびながらのんびりしているカワウソ。。。お義父さんを思い出す。『亭主はカワウソ発言』は、なんか的を得ていて可笑しかったなあ。さすが漫才師のお義母さん!久しぶりに、カワウソに会いたくなった。
2007年10月19日
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アンソニーの弟一家がやって来てから、毎晩2時、3時と遅くまで喋っているので寝不足だ。もちろん私は聞き役。弟の嫁も同じ村出身なので、アンソニーと弟夫婦と昔話で盛り上がっている。昔の田舎の生活は本当に貧乏だったらしい。皆が貧乏だったし、物が無い時代だったようだ。3人とも40代なのだが、幼い頃の話を聞くとちょっとびっくりする。甘いおやつはほとんどなく、月に一回、給料日に、お母さんがビスケット5枚一包みになった物を3人の子供達に買ってくれた。とか、、、親が街まで出掛けた時(月に一回か二回)、あめ玉を買って来てくれてるので、その帰りを首を長くして待っていた。うううー、なんて泣ける話なのだ。アンソニーが、20歳過ぎて初めてドイツを訪ねた時に、ボストンバックにいっぱいチョコレートを買い込んで帰って来たそうだ。今は、スーパーにチョコやビスケットなどお菓子がたくさん並んでいるポルトガルだけど、、、昔は、本当に物が無かったのねえ。。。幼い頃は、おやつに野山を歩き回って、木の実を食べ歩いたって。『野性のバラのつぼみは甘いのよね~』って、弟の嫁が語り始めた。アンソニーも弟も、うんうんと頷いた。ええっ!!バラのつぼみを食べたの?何でもつぼみの外側(グリーンの部分)を剥いて食べると中は甘いらしい。本当なの?でも、試してみる気は起きないなあ。。。それにしても、バラを食べるなんて。よっぽど、甘い物に飢えていたのだなあ。それにしても、誰が発見したんだろう?ひもじくって、何でも口に入れた田舎の子供が発見したに違いない。こうして、田舎の子は逞しくなっていったのねえ。今は、それなりの収入も得るようになったし、スーパーではいろいろな物が買えるいい時代になったということだ。3人とも、もうバラは食べなくて済むね。
2007年07月26日
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冬は、航空券が安いので両親に会いに、一時帰国しようとしたところ、母から『帰ってこないで!』と言われた。帰ってこないでって、どういうことよっ!よくよく話を聞いてみると、母がこちらを訪ねたいとのことだった。しかし、私が帰国すると、母がこちらに来る理由が無くなってしまうのだ。母は、私に『救援物資を届ける』という名目でここに来たかったのだ。最初は、母一人でも行くつもりだったらしいが、父を残して長期間家をあけられない。それならば一緒に来た方が、いいのではないかと言う話になった。しかし、父は高齢の上、かつて心筋梗塞をおこしオペをしている。高血圧の薬も飲んでいるので、長期間のフライトはリスクが高い。私が無理に勧めて、具合が悪くなってもいけないので、本人の判断に任せることにした。いく気満々の母に反して、父は長いこと悩んでいたようだ。だがある日『俺もこの先何回、お前に会えるか分からないから、頑張って行くことにするよ。』と電話があった。『この先、何回会えるか分からない』と言う言葉を聞いた時は、しんみりしてしまった。こんな遠いところに住むことになってしまったのは、親不孝だったかもしれない。アンソニーは、ポルの様々な地方のワインをたくさん用意した。普段は我々の食卓にのぼらない様な高級ワイン。お酒の好きな父に飲んでもらう為だ。乗り換えが不安なので、高齢者の『乗り換えアテンドサービス』を頼んだ。気の小さい父は、『もし乗り換え地で係員が来ていなかったらリスボンに着けないぞ。どうするんだ。。。』と不安そう。母は『大丈夫よ~。どうにかなるから心配しないでねー。』と逞しい。そう言えば、彼女はドイツに一人で来たもんね。いろいろな日本人をつかまえて、質問しながら出口まで辿り着いた彼女。。。父を引き連れて、明日リスボンに現れるだろう。1年ぶりの再会だ。。。
2007年05月17日
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イースターで彼の実家に滞在した帰り、お義母さんが育てた鶏や畑で取れたものをたくさん持たせてくれた。今回は、鶏、卵、キャベツ、オレンジ、レモン、そしてそら豆↓。これらそら豆のさやは、長さが30センチ程ある。中には、8個のそら豆が入っているものもあった。これって、異常に大きくない?子供のころ、母の手伝いをして、そら豆をさやから出したけど、豆は3つ、多くて4つだったような気がする。倍ぐらい大きいってことか。お義母さんが育てたものは、すべてジャンボサイズなのだ。例えば、卵。黄身が二つ入っているかと思う程大きい。そして、鶏!スーパーで買う鶏は、大きくて丸ごと1.3キロぐらいなんだけど、お義母さんの鶏は、半分で1.3キロあるのだ。これは、今、ちゃんと量ったので事実だ。いつも、大きいな~とは思っていたけど、2倍もあったのか!びっくり!家族曰く、彼女は何でも大きくないと嫌なんだそうだ。小さいと怒るらしい。うーむ、なるほど。身長の低いお義父さんのDNAに反して、3人の子供達は見事に背が高く育ったものだ。これはお義母さんの仕事かな。お義母さんの体重は、100キロははるかに超えているものと思われる。しかし、誰も本当の体重は知らない。結婚前は『小町と同じぐらい痩せていたのよ~。』とのたまうので、昔の写真を見せてもらったのだが、それは本当だった。ひえ~、こんなに育ってしまったのか~。。。2倍以上に育ったのかしら?彼女の大きく育てる得意技は、最初は自分のボディーを実験台にしたものと思われる。
2007年04月11日
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日本にいる姉から、グリーティングカードをもらった。カードの他には、姉の娘二人からの手紙も入っていた。上の娘は、もう中学生なので、しっかりした文章で、季節の挨拶、学校が楽しくてしょうがない事、また会いたい事等を書いて来た。下の娘は、まだ幼稚園に行っていない。年の離れた姉妹なのだ。彼女の姉のやることをすべて真似したがる。小さな妹にとって、お姉ちゃんが『すべて』らしい。そんな彼女も、皆の真似をして、別の便せんと封筒で、手紙を書いてくれた。アンソニーに、『ほら~、姉と姪達から手紙が来たよ。』と、差し出すと、『僕は読めないからいいよー』と後ずさりした。『私も読めないから大丈夫。だって、これ↓なんだもん。』お姉ちゃんに教えてもらって、自分の名前だけは書けるようになったらしい。それ以外は、意味不明。封筒には住所と宛名が書かれているのだろうか?かわいいなあ。。。お姉ちゃんの真似をしたんだ。後日、姉に電話で、手紙の内容を聞いてみたところ、、、『私にも分からないのよ。何を書いたか聞いたら、本人が、ひ・み・つって言うのよねえ。』とのこと。そうかー、秘密の手紙を書いてくれたんだ。今度会った時に、ちゃんと聞いてみなくちゃ。『お手紙どうもありがとう、はるちゃん!』
2007年01月07日
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23日からアンソニーの実家に行って、26日に帰って来る予定だったのだが、ぬくぬくし過ぎて、27日に帰って来た。たらふく食べて、たらふく飲んで、幸せな日々。料理の鉄人、お義母さんとお義姉さんがいるので、御飯の用意はしなくていいので、ラッキー。実家は本当にすごい田舎なので、何をする訳でもなく、一日中アルコール血中濃度が高かった私。うふ。きらきらした記事は全く書けないが、田舎ならではニュースはたくさんあった。これは、追々書いて行こうと思う。以前、お義母さんはCIAという記事を書いた。今回は、またもやお義母さんの話。体重100キロ以上はあるかと思われる肝っ玉母さん。ミニスカートにハイソックスといういでたち。ミニスカートは、田舎の年配の女性に多い。お義母さんは、ズボンをはいた事が無い。彼女はやる事が大胆。ミニスカートをはいているのに、体を二つ折りにして、暖炉に巻きをくべたりする。長いガードルが見えてますけど、、、料理中、キッチンも床も大胆に汚すのだが、後で奇麗にするので気にしない。汚さないようにしながら使う事も出来そうなものだが、、、大きなエビの塩ゆでを食べながら、皆で会話していた時の事。お義母さんの正面に座っていたアンソニーの弟が悲鳴をあげた。『誰だー、汁をとばしたのは!!』見ると、顔から肩にかけて、エビの汁が大胆に飛んでいる。すごい遠くまで飛んだものだ。セーターにはシミもついている。。。すると、『あはは、あたしだよ~。』と、お義母さん。やっぱり。。。初めて実家で過ごしたクリスマスを思い出した。まだ緊張していたあの頃。日本の母が送ってくれた奇麗な色のセーターを着ていた私。お義母さんは、家のかまどで焼き上がった子豚の丸焼きを、私に見せようとした。がつん!子豚の鼻先が、私の肩にあたった。繊細さに欠けるのだ。おニューのセーターには、シミが!肩から豚のニオイを、いつまでもぷんぷんさせながら、食事が終わるのを待っていたっけ。あれから、あの家での服装は、かなりラフになった。ラクチンでいいんだけど、、、お義母さんは、家のかまどでパンを焼くのが好きだ。今回も、トウモロコシの粉をたくさん使ったパンを焼いてくれた。『小町~、見てごらん。今焼きあがったんだよ。』と、パンを差し出した。いいにおいがしたので、鼻を近づけてみた。すると、わざと、そのパンを、私の鼻につけたのだ!表面の小麦粉で、私の鼻先は真っ白。そう、彼女はこんな人なのだ。彼女といると、何が起こるか分からないので、要注意なのだ。
2006年12月28日
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アンソニーの実家は、コインブラという大学の街から、車で10分程の小さな村にある。本当に何も無い村なので、家族は、コインブラまで働きに出ている。その村は、丘に集落があり、実家は、メインストリートに面した一等地にある。とはいっても、お金持ちではなく、大昔に家族で建てた古い家に住んでいる。場所的に、多くの村人が実家の前を通るので、皆が立ち寄り、いつでも井戸端会議をしている。そんなこんなで、お義母さんの情報はすごいのだ。村人すべてのことを把握しているかと思う位。。。村人すべての家系図を把握している。そして、今は孫の代の誰が、誰と付き合っているという話まで知っているのだ。多分、彼女の耳に入らない噂はない位。恐ろしい。。。私は、彼女のことをCIA(中央情報局)だと思っている。お義母さんは、話し好きの上に、上手なストーリーテラー。一つの話を面白可笑しく語る。たいした事のない話に、尾びれ背びれを付けて、上手に泳がすのだ。体重100キロ以上はあろうかと思われる体で、大きく身振り手振りを付けて話すのだ。そして、登場人物の口まねや表情まで真似をする。彼女は、大女優でもある。だから、人気者なんだ。いつぞや、我が家に一週間滞在して、実家に送り届けたら、既に居間で5人のおばちゃん達が、女優の到着を待っていた。勝手に居間に上がり込んでいるところなんて、田舎の家らしいな。不用心とは思うけど、貧乏なので何も取られるものがないということか。おばちゃん達5人は、CIAに一週間の村の情報を報告したかったのだ。いや~、びっくりした。お義母さんは、異常に早口。機関銃のように話す。年に2、3回しか接しない私は、彼女の言っている事が理解出来ないことが多い。年配の女性が使用する独特の言い回しも分からない。そして、何よりも、村人のうわさ話が多いので、村人をほとんど知らない私にはちっとも面白くないのだ。私は、そう言う話には参加しないので、非常に大人しいアジアの嫁だと思われている。私は、あそこでは、よく食べよく飲み(手酌で)、そして昼寝まで出来る特権が与えられている。おき楽天国なのだ。このCIA、入手した情報を、秘密に出来なくて、つるっと他の人に喋ってしまう。あとで、実の娘にこっぴどく怒られてしまうのだ。情報を入手するかわりに、自分も情報を提供する彼女。我が家のことも、村人にふれ回っているんだろうな。先日も、全く知らない村人から、私の健康状態を気遣ってもらい、びっくりしたところだ。去年、入院した事を知っているのだ。私は、その人の事を知らないのに、、、困ったなー。大きく伸ばした和装結婚写真のコピーを、実家に置いて来た。お義母さんは『ありがとう、早速ガールフレンド達に見せなくっちゃ♪』と言い、早速家の前を通りかかった人々を呼び止めて、見せびらかしていた。分かっていた。村人全員の目に触れるのは、時間の問題であるということを、、、
2006年08月19日
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アンソニーのお父さんは、今週75歳の誕生日を迎えた。彼は、非常に涙もろい。我々が、久しぶりに訪ねると『うううーーっ、、、』って泣くのだ。まいったなあ。。。年々ひどくなって来ているようだ。家族が昔の思い出話をすると、一人さめざめ泣いている。お誕生日に、皆でお祝いの歌を歌うと、また泣く。家族で会話中、ふと気が付くと泣いている。家族が目配せをする。『ああ、またかあ。。。』関係のない会話で泣いている事も多いので、困ったものである。お義母さんは、正反対の肝っ玉母さんなので、お義父さんが『うううーーっ、、、』とやり始めると、『なんで泣くのよっ!』バシッと頭を叩いたりする。すると、お義父さんの表情が『てへっ』と変わる。素晴しいコンビネーションだ。今回、日本で撮影した和装結婚写真をみせてあげた。案の定、『うううーーっ、、、』と始まった。やっぱりね、、、想像はしてたけど。。。自分の息子の着物姿に感動したか?するとお義父さんが、泣きながら口を開いた。『きれいだねえ。こういう衣装を着ていると、本物の中国人カップルのようだよ。。。うううーーっ』その後、お義父さんが家族全員にこっぴどく怒られた事は言うまでもない。
2006年08月18日
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アンソニーは、3人兄弟の真ん中。彼は長男。上にお姉さん、下に弟がいる。兄弟の中で、彼だけが実家から離れて住んでいる。3人兄弟の真ん中って、親離れしているケースが多いと思う。私の姉も、そんな感じ。彼のお姉さんは実家の隣に、弟は近くに家を建てて住んでいるので、毎日、家族で顔を合わせているのだ。ここから、車でわずか2時間半の場所なのだが、実家を訪ねる事は、滅多に無い。別に、家族の関係が悪い訳でもなく、電話は毎週している。ただなんとなく、そう言う事になるのだ。家には、犬もいるし、泊まりがけの移動も面倒くさいのだ。だから、年に、2、3回しか実家を訪ねない。イースター、夏休み、クリスマスのみ。しかし、今年のイースターは、日本に滞在中だったので、去年のクリスマス以来、帰っていない事になる。先日、お母さんから電話があった時に、その事を指摘されたらしい。『お前達は、まるで外国に住んでいるようだよ!』はははっ、ごもっともです。そんなに遠い距離じゃないのに、クリスマス以来顔を見せていないもんねー。アンソニーは仕事で忙しく、壊れかけ寸前だけど、今週末実家にいくことにした。家族と話したら、少しでもリラックス出来るかもしれない。仕事を残していくのは嫌かもしれないけど、このままでは、アンソニーが心配だから。それに、お父さんが誕生日を迎える。いい機会なので、ちょっと息抜きに帰る事にした。私も、息抜きが出来る~。料理を作らなくていいから、非常にうれしい。なにしろ、料理の達人が二人(お母さんとお姉さん)もいるので、私はお皿を並べるだけ。普段は食べないポル家庭料理を満腹になるまで食べてやる~。子豚の丸焼きも作ってくれるって!家の窯でやくので、この暑い時期には食卓に上がらないと思っていたけど、ラッキー。一度食べたら、3、4ヶ月はうっぷりして食べたくないのだけど、時々食べたくなる。焼きたては、皮がぱりぱりしていて、非常においしいのだ。『我々は帰ります。』お母さんは、実家で息子の帰りを待っている。私は、子豚の丸焼きをわくわくしながら待っているのだ(これは去年のクリスマスの子豚)
2006年08月11日
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昨日のポル対イングランド戦は面白かった。延長戦に入り、興奮して応援している時に、電話がなった。『こんな大事な時に、電話をかけて来るなんて、どこのバカちんだ?』と、アンソニー。本当に面白い最中だったので、2人で電話を無視する事に決めた。すると、一度切れて、再び電話がなった。あまりにしつこいので、私が『どこのバカちんか見てみるね』と、電話のディスプレイ表示を見に行った。すると、バカちんは、アンソニーの実家だった。あわてて受話器をとると、お義母さん『元気かい?』私『げ、元気ですけど、今、お義母さんテレビ見ていないんですか?』お義母さん『見てるけど、今はインターバルだろ。突然、あんた達のこと思い出して電話しているんだよ。元気でやっているかどうか知りたくてー。』私『ううーっ!ありがとうございますー。こんな大事な時に』今は、試合の真っ最中。彼女は、インターバルと言った。彼女の住んでいる田舎とここで、テレビ受信に時差があるのか???頭の中は『???』だらけだったが、アンソニーに受話器を投げ渡して、急いでテレビに戻った。アンソニーから聞いた話は以下の通り。お義父さんとお義母さんは2人でサッカーを見ていた。延長戦に入る前に、コマーシャルが始まったので、お義母さんは、トイレに行った。お義父さんは、チャンネルを変えて、他の番組を見始め、サッカーの事を忘れて、別の番組を見続けた。何も知らないお義母さんは、トイレから戻って来て、いつ試合が始まるのかなーと思いつつ、2人で別の番組を見続けた。はああ~。。。延長戦前の休憩が30分とでも思っていたのだろうか?でも、お義母さんが、うちに電話をかけたから、急いでチャンネルを変えて、試合の最後だけを見る事が出来た。よかったですね~、お義母さん。もし、彼女が電話をかけなかったら、すべて終了していただろう。老夫婦で醜い言い争いになっていたことは、間違いない。お義父さんも、いい感じでボケてるし、、、お義母さんも、それを知りながら、旦那のことを信じちゃう。老夫婦とはこんなものだろうか?
2006年07月02日
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