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ドイツ国際平和村の子供達については、過去にいろいろ報告して来た。なので、今回ちょっと驚いた事を少しだけ。アンゴラ人の「ジョアオ」と呼ばれる5、6歳の男の子が居た。あの施設内で「ジョアオ」とドイツ人にも呼びやすい様に呼ばれているだけで、本当の名前はJo?o(ジョアオンと最後は鼻にかかる様な音)と言うのだろうと想像した。ポルトガルに多い名前だ。私「君はジョアオンでしょ?ジョアオじゃなくて、本当はジョアオンって言うんだよね?」男の子「僕はジョアオだよ。ジョアオ・S(エス)!!」私はちょっとビックリした。ドイツの中で、何ヶ月かそう呼ばれているので信じ込んでしまっているのだ。ドイツでは鼻にかかるこの音がないので、皆がジョアオと呼んでいるのだ。私「エスって何?」男の子「・・・?」エスは、名字の頭文字なのだ。他にもジョアオが居るので、区別しているらしい。でもこの男の子は、自分の名字を知らないようだ。平和村の子供達は、年齢が低ければ低い程、母国語を忘れる可能性もあるみたい。現にこの男の子は、私の話すポル語は理解出来るようだけど、返事はドイツ語だった。アンゴラの小さい男の子集団のやり取りを見ていたら、全部ドイツ語だった~!ドイツ語で言い争い、喧嘩してるし。。。たった数ヶ月しかドイツに滞在していないのに。大学入学後、ドイツ語を勉強したにもかかわらずお粗末な私。汗子供の脳って柔軟なんだよねー。小さいお子さんを持つお母様方、語学は小さい時から習わせた方が良いですね~。何も考えず放り込んだらどうにかなるのかもしれませんなあ。だって彼らは文法も勉強している訳じゃないし、辞書があるわけでもない。実生活で学んで行くんですね~。すごいわ。。。さて、アフガニスタンの11歳の男の子と話すチャンスがあった。学生のマイちゃんが彼の母国語で「マイ」と書いてもらった。それもすごーく時間がかかった。マイちゃんは「わー、左から右に書いてる~」と大喜びで、自分の名札に貼付けた。次に私の名前を書く様に頼んだ所、しばらく悩んだあげく「書けない!」と言った。「そうかそうか、私の名前は難しいのねー」とフォローしたけど、もしかして満足に学校に行ってい無かったのでは、、、と思い始めた。実家の周りが学校に通える状況なのか、それとも怪我や病気の為に学校に行けていなかったのか。。。「早く治療が終わって母国に帰って、学校に行けるといいねー」と思った。今回、一番ビックリした事は、平和村では12月31日生まれの子供が多いと言う事。ええーーーっ!どうして?スタッフによると、「出生届などちゃんとしていない国が多いので、きちんとした生年月日を把握していない場合が多い。出国の為にパスポートが必要だから、生まれた年位はわかっているので皆12月31日生まれということにしている。」らしい。ほほ~。アバウトなんですねー。平和村では12月31日は、多くの子が誕生日を迎えるのだ。大晦日に誕生日を迎えて、新年が始まるんだね。いやー、目出たい!
2012年03月25日
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ドイツ国際平和村では、私達はグループの活動を記録すると言う目的で、一台だけカメラの使用が許可された。写真を撮る際にも、子供の顔等はなるべく写さない様にするなど配慮が必要だ。子供にもプライバシーがあるからね。顔面の火傷が酷い子もいるし。と言う訳で、今回、私はカメラを持って行ったにもかかわらず、ほとんど写真を撮っていない。唯一、施設内で撮った写真がこれ↓。トナカイの絵柄の付いたトイレットペーパー。可愛い~。私の宿泊した部屋にあったの。施設内で使用するもの、食べ物など寄付が多いようだ。(勿論購入するものも多いけど)このトイレットペーパーは、クリスマス期間が過ぎちゃったので売れなくなって、寄付されたものなのかしら?「可愛いな~」としばらく眺めたその後は、残酷にもおしりを拭いたのだった。
2012年03月21日
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今年もドイツ国際平和村へ行って来た。これで5回目かな。日本から来た仲間達に元気と風邪をもらって帰って来たー。普段日本のウイルスに接触していないから免疫がなかったんだろう。この冬、寒い日にプールに行っても風邪なんか引かなかったのに。。。よっぽど慣れていないウイルスだったんだね。くそー。今は家で大人しくしているしかない。学生達は毎年新人が入って若くなり、私は歳を取る一方。あはは。今年初めて来た子は20歳、父親がアンソニーと同じ歳だって。私のこの活動も、もうそろそろ卒業ですなあ。。。最初の数年は道筋を作るので試行錯誤で大変だったけど、もうマニュアルも出来たし若い皆さんに任せても大丈夫だから。さて、平和村なんだけど相変わらず世界から傷ついた子供達が大勢送られて来る。施設に居る子供達の約半分はアンゴラからの子供達。見てすぐ分かるのは脚の悪い子供達、一見元気そうな子供は内臓疾患を持っていると考えて良いだろう。大きくても紙おむつをしている子供がいて、一緒に遊んでいるともれるのか排泄物のニオイがする場合もあるので分かる。で、ここ最近知った事なんだけど、アンゴラの首都ルアンダは世界一物価の高い都市らしい。東京よりも物価が高いんだって!高級スーパーやホテル、リッチなレストランもあるみたいよ。アンゴラにも裕福な人達はたくさんいるんだね。石油やダイヤモンドなども採れるし。。。でもそういうリッチな生活が出来るのはやはり一握りの人達でしかないのね。国全体としてはインフラ整備がまだまだのようだし、地方では地雷がまだ埋まっているんじゃない?ポルはご存知の様に経済危機なんだけど、「アンゴラ政府はポルトガルを助ける心づもりがある」と言う位、ポルとは反対の立場みたい。太っ腹!アンゴラの企業が、とあるポルトガルの企業を買ったみたいだしね。ポルトガルからアンゴラへ出稼ぎに行っている人も多いみたい。今のアンゴラはかなり景気がいいんじゃないのかな?原油、天然ガス、ダイヤモンドの他にも地下資源の宝庫みたいだし、これからもリッチになる可能性はある。そのお金があるのなら自分の国の子供達をなんとか出来ませんか?って思っちゃう。ドイツ国際平和村のスタッフが、アンゴラでは治療出来ないとの判断で子供達をドイツに送る訳なんだけど、それならアンゴラ政府が外国から医師団を雇ってアンゴラ国内で治療する様にすればいいのに。子供達は家族から離れて、半年、1年と一人で外国で暮らさなければいけないから可哀想だ。ルアンダの物価高の話、平和村へ送られて来るアンゴラの子供達(多くはルアンダ出身)、そのギャップにいつまでたっても理解に苦しむのだ。今回の訪問では、アフガニスタンの少し歳が上の女の子とお話がしたい!という目的があった。彼女達とはドイツ語だけでしか会話出来ないので、少し練習したんだけど、彼女達は時間の都合で現れず、話すチャンスが無かった。残念。。。あの施設では、アンゴラの子供達に次いで、アフガニスタンの子供達が多いんじゃないかしら?アンゴラの子供達は、陽気で音楽がなれば悪い足を引きずってでも踊ったりする。かまってチャンも多いな。アフガニスタンの女の子達は、恥ずかしがり屋で控え目な感じの子が多い。お絵描きや折り紙など器用な子が多い。なんだか守ってあげたくなっちゃう様な女の子が多いんだよね。ネットで見る情報では、アフガンではタリバンによって女子の学校が壊されている女子は家畜以下に扱われる女性が男性に硫酸をかけられる事件が頻発している(結婚を承諾しなかった時など)親によって女子が14、15歳で強制的に結婚させられるケースが多くある女性がレイプ被害者なのに投獄される男児を生まなかったばかりに、殺された10代の新妻の事件女性ニュースキャスター、顔を公共に出すのは恥として父親に殺害されたなど、恐ろしい事が書いてあるよね。そう言えば、夫によって耳と鼻を削がれたアフガン女性がタイム誌の表紙になったね。勿論、子供達にはそんな事は話さないけどさ。彼女達の普通の生活が知りたかったの。学校でどんな勉強をしているのか、家で料理の手伝いをするのかとか。。。平和村は、治療が終わって子供達が国へ戻った時にちゃんと引き受ける家族が居る場合にのみ、ドイツへ来る事を許可するようだから、彼女達の親や家庭はしっかりしていると思う。イスラムの女の子を単身外国に送り出すのだからね、かなりの理解があると思う。彼女達は、これからもそんな酷いニュースとは無関係な世界に生きていくと信じたい。ドイツでしっかり治療を終えて、早く家族の元に戻れます様に。子供達の幸せを祈るのみだ。
2012年03月19日
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2012年、明けましておめでとうございます~。日本はまだ三が日だからお正月気分でしょうけど、こちらはお正月を重要視していないので、元日がお休みだっただけで2日からいつも通りの生活。仕事もお店も普段とかわらず。学校も始まったみたいね。近所の子供の声がしないわ。すでにプールも始まったし、お正月気分は全く味わえないのよねえ。。。新年早々、消費税アップでいろいろな物の値段が上がるというニュースがトップに。地下鉄も上がるし、レストランでの飲食税も13%から23%に上がる。公共病院での診察代もアップとなると、ちょくちょく病院にも行けないね。まあ、病気をしないのが一番なんだけど。ミネラルウォーターの値段も上がると記事にあったけど、今日スーパーに行ったら本当にその通りだった。ああ、少し買いだめしておけば良かったなあ。。。物の値段がアップと言う話なんだけど、ついでに自分の体重もアップしていた。ガックリ。。。この年末年始の暴飲暴食がたたってるなー。今日水着を着たら、おしりと腹回りがぱつんぱつんだった。くううーーーっ!涙無駄な出費は削るという課題の他に、自分の腰回りの無駄な肉を削ると言う課題も増えてしまってドロ~ンとしているところ。。。がんばろ~。(声のトーン低し)今年も宜しくお願い致します。
2012年01月03日
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サボり気味だけど、とりあえず今年最後の日記を書かなくちゃ。最近の徒然。。。クリスマスにアンソニーの実家に泊まりに行ったけど、皆相変わらずだった。朝早くから、窓とドアが開けっ放しで義母&義姉ダブルマリアが出入りしているので、家の中は外気と一緒。暖炉は午後からしか付けないし、いかにして自分の身を守るかが課題。暖房を付けるまでは、「ここは外に居るのと同じ」と言う事を念頭に置かなくちゃ、風邪をひいてしまう。義母&義姉は「どの家畜が食べるエサ?」って言うぐらいに、すごい量の料理を作る。人数を数えられないのか、適量が分からないのか。。。義母は料理が余ったらニーナに、、、と言うけど、病気のニーナにニンゲンの食べ物はあげちゃダメと何年も言っても分からない。もう嫌になるわ~。義姉の相変わらずのビッグプリン。30センチ程の皿一杯にプルプルしているデカプリンの移動を頼まれたけど、カラメルがふるふる皿から落ちて来る。彼女達は、料理は見た目なんか気にしないし、美味しく、何よりも量が多く無くちゃダメなの。ニーナが一番の被害者だったかも。前回の日記に書いた通り、彼女の気分転換になればいいなーと思ってけど、全然違った。日中うるさくて全然眠れなかったみたいで、ヘロヘロになって元気が無くなっちゃったの。今の隅の寝床から起き上がらなくなってしまったの。どんだけうるさいかって?私も避難して、寝室でネットをつないでスカイプで日本の実家に電話をかけたんだけど、母が「小町ちゃん、誰か喧嘩しているの?すごい大騒動が聞こえて来るんだけど。。。」と心配してたの。「喧嘩なんかしてないよ。義母と義姉が普通に会話しているの。しかもここから遠いキッチンで!」と説明したら、母はすごくビックリしていた。こんな調子だから、ニーナも眠れる訳が無い。病気のニーナにあげてはいけない物を勝手にあげるから、私が厳しく禁止したら「小町はケチだねー、ニーナや。可哀想に。。。」と義母。下痢したらますますやせ細るから、禁止しているのに。。。こんな時は、私に子供が居なくて良かったわー、と思う。子供が居たら、勝手な事をやっているに違いない。毎食大騒ぎだし、一人の世界に行きたい!と思ってワインを飲んで気持ち良くソファーで寝てたら、「小町、寝てるのかい?そんな所じゃなくて、こっちの座り心地の良いソファーで寝なさい。」と義母は大声で起こす。義姉は、カフェにコーヒーを飲みに行こう!と起こす。いえいえ、私寝てますから~。。。寝てるの分かっているんなら、起こさないでくれっ!まあ、そんなこんな。あっちではゆっくり出来ないなあ。ニーナも帰宅してからゆっくり回復しつつある。今回の実家訪問はニーナにとって、かなりバイオレンスだったみたい。辛いのう、ニーナや。これもお勤めだね。昨日、フラフラと立ち寄ったスポーツ用品店でプール用の水着を買ったんだけど、クリスマス訪問時に義母がアンソニーの誕生日お祝い(11月)としてくれたお金の一部を使っちゃったー!爆義母は手渡しでアンソニーに渡して、その後私に預けておいたんだけどね。その後、二人とも忘れていた。まあ、これぐらいよかろう。クリスマスのお勤め、お疲れさまでしたーってことで。。。アンソニーに水着を買った報告をしたら、「あのお金を使ったんだろ?」ってすぐにバレた。鋭いなあ。その後、残り物の中からださいカレンダーを見付けて新年の準備完了。大掃除はパス。今朝は6時に起きて、朝焼け&日の出を海岸に見に行ったよ。(アンソニーは写真を撮りに)何故、明日の元旦じゃないのかって?アンソニー、私とニーナの最近のブームなので日にちは関係無いの。(ニーナにとっては迷惑か)天気が大事。今日も奇麗だったなあ。。。この一年を締めくくる良い日になったよ。これから年越しディナーの下準備をする予定。皆様、来年も良い年になりますように。
2011年12月31日
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私「あーぶく(泡)たった、煮え立った。煮えたかどうだか食べてみよ~。」アンソニー「ムシャムシャムシャ!」 私「まだ煮えない!」 繰り返し。。。 本当はアンソニーが最後の「まだ煮えない」を言うべきなんだろうけど。。。 とりあえず、最近覚えたての合唱でございました~。 いや、これって合唱じゃないよね。爆 合いの手?
2011年02月13日
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前日からの続き。 私達が頼んだストーブは、カタログで選んだもの。ポル北部のお店には、良く売れるタイプのペレットストーブがいつもストックされているようなのだが、うちが選んだのはそれよりも容量の大きいタイプ。居間の天井が高いので、よりパワフルな方が良いだろうと判断したからだ。お店に無いものなので、イタリアの会社に注文を出す事になった。注文を出す前に、ストーブ本体価格の何十パーセントか前払金を要求された。(約500ユーロ)売れるタイプのストーブではないから、もし私達がキャンセルしたらお店でも困るので、逃げないための対策だろう。(返金しません、って!) 11月中旬に一人で日本へ一時帰国する事が決まっていたので、工事を早く終わらせたかった。アンソニー一人では、後片付けも大変だし。家の中の工事は、アンソニーが平日の仕事の後にも頑張ってやっと終わったのだけど、その後、屋根の上に登って、煙突周辺の工事もする事にした(→屋根に登っての修理風景)ので、帰国前に終わるかどうか焦っていた。アンソニーが一人の時に、屋根に登って間違って落ちても、家にはニーナしか居ないから助けを呼べないもんね。アンソニーの努力が実を結び、私の一時帰国前には、すべての工事が終わってやれやれ、と思ったのも束の間。「イタリアの会社から連絡がありません」「ストーブは届きません」 「頼んだストーブは存在しないようです」 に対応が変わって来た。 存在しないだと~?「パンフレットにはあるけど、生産が間にあっていないようだ」 とお店の返事。何で、注文を出した9月終わりの時点で、この事実を確認していないのか?私達が払った前払金は、存在しないストーブの価格をもとにしている訳?何じゃそりゃ~? 「同時に注文した黒い室内煙突だけは、届きました。」ストーブが無いのに、室内煙突なんかいるかーっ!! ここで私はタイムアウト。日本に行くことになった。帰国するまでに、解決してくれているといいなーと夢のような事を思ったけど、ただの夢だった。 アンソニーは、「工事を始めた事を、スゴくスゴく後悔している。暖炉を外さなければ良かった。この冬は、暖房が無い。」と本当に悲しい顔で言うので、こちらも悲しくなった。帰国中も毎日電話で、このような会話が繰り返され、ひろこさんの家のストーブの自慢話をした私がいけないような気分になって来た。すでにお店にあるストーブを頼めば良かったのだけど、そうじゃなかったからこんなトラブルになったんだ。それにしても、ポルって。。。いやいや、今回の件はイタリアの会社の方にも問題がある。 話の内容を知っている両親は、アンソニーとの電話が終わる度に「小町ちゃん、ストーブは?」と、毎回聞いて来た。う、うるさーいっ!来ない、来ない、来ないのよーっ!「まあ、小町ちゃん。日本なら考えられないわ。日本じゃ、考えられない。」と母。分かるけど、あそこは日本じゃないし~。。。←かなり諦め。 毎日同じ会話が繰り返されたが、ある日、話が急展開した。アンソニーがお店に強く出たらしい。内容は以下の通り。「お店が注文を引き受けたので、我々は暖炉を外して壁に穴を開けたり工事をして、今はストーブを待っているだけの状態である。今回の件は、そちらのミスなので、なんとか解決して欲しい。そうじゃないと、この冬は暖房無しである。解決する対策を考えて欲しい。」 お店側は、しばらく経ってから「それでは、店に陳列されている大型ストーブを、ディスカウントしますから、それで如何でしょう?」と返事が来た。私達が頼んだものより、容量が大きいものらしい。アンソニーは最初に注文したものより、本当はもっとパワフルなものが欲しかったのだけど、値段が高くて諦めたの。だから今回の店側の提示は、アンソニーにとって願ったりかなったりだったみたい。 でも、当初の予算よりやっぱり高くなっちゃったけど、しょうがない。 無いよりマシだよね。 でも一つ問題が。。。注文したストーブに合わせて、壁に排気口を開けてしまっていた。ストーブのタイプによって、穴の高さが違ったり、左右逆だったりするの。えええーーーーっ、また壁に穴を開け直すの? しかし、幸いにも排気口は同じ右側で、アンソニーがもしもの為にと、フレキシブルなプラスティックのチューブ(掃除機のホースみたいなもの)を使っていたので、若干の高さの違いには対応出来るとの事。じゃあ、そのままで大丈夫なのね?また工事しなくて良かったー。 解決しないストーブ事件で、すごくストレスが溜まっていたので、ホッとしたわ。 と言う訳で、注文の品とは別物が来る事になった。私が日本から帰って来たら、ストーブが来ていて、すべてが解決されているのでは、、、とまたしても甘い期待をしたのだが、やっぱり夢のままだった。やっぱりポルトガルは、ポルトガルのままなのだ。 12月初めに帰国した時は、すごく寒かった。霜が降りたの。アンソニーが一人の時も、スゴく寒い日が数日続いたんだって。 その時に、ストーブがあったら、どんなに助かったか。。。寒い時に一人で居たなんて可哀想だなー、と思った。 まだ、寒さとの戦いは続く。。。違った、ストーブとの戦いだった!
2011年01月13日
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前々回の日記では、日本酒一升瓶やら煎餅やらを持ち帰ったと、可愛くない事を書いたけど、可愛いものも持ち帰ったの。 これ~↓。ポルトガルつながりで知り合った、アクセサリー作家Rinaさんのピアス。(写真はお借りしました)ブログは、こちら。 すれ違いだったけど、日本帰国が同じ位で、「注文したものは、実家に送りますよ~」と言ってくれたので、お願いしちゃった。その時、彼女のショップが日本国内送料無料キャンペーン中だったので、ちゃっかり頼んでしまった訳だ。 実は、私は喘息、アトピーのアレルギー持ちで、金以外のアクセサリーは使えない忌まわしい体の持ち主。ピアスの穴はあいているけど、使えるピアスが金素材のみなので、小さいピアスしか持っていなかった。金単体の大きいピアスって、普通の店で見た事ないし、スゴく高いはず。 だからすべて小さいピアスのみ。 他の人が、おおぶりのピアスをしていたりするのを見ると、スゴく羨ましかったんだよねー。いろいろオシャレ出来ていいなー、って。そう言う事が出来ない私は、アクセサリーにはあまり興味が無くなっていた。 Rinaさんのブログや作品集を見て、いいなーとは思っていたけど、自分には無縁の世界だと思っていたんだ。 でもある日、彼女のブログで「14金ゴールドフィルド(14KGF)」の素材紹介記事があって、そのアレルギーを起こしにくい素材に、フープ部分を取り替える事が可能であると言う事がわかったの。よし!それでは、挑戦してみよう、と言うことになった。 14KGFに取り替えるついでに、全体の長さを短くして欲しいなど、わがままな注文を聞いてもらいましたー。 実家に着いたら、可愛い包装で素敵なピアスが待っていたー!今まで大きなピアスは持っていなかったので、かなりゴージャス感アップ。嬉しい~。心配していたアレルギーだけど、今のところ問題なく使用出来ている。 Rinaさんの作品集を見ると、どれもセンスが良く可愛くて、みんな欲しくなってしまう。 またいつか、注文のウルサイ私のワガママ聞いて下さいねー。 Rinaさんのますますの活躍をお祈りしています~。
2010年12月21日
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Yahoo!ニュースを見ていたら、以下のような記事が目に止まった。ローソン、ユニクロ、ヤマト運輸・・・増える外国人留学生採用 なんでも、ユニクロも24年度の新卒者の3分の2を外国人で採用する方針だとか。 「ディスカッションでの発言力に日本の学生は物足りなさが残る。外国人留学生は積極的な姿勢が目立ち、入社後も日本人に足りない部分を開拓できる可能性がある」(記事より抜粋) なるほど~。それで思い出した事がある。 ユニクロに行った時に、ジャケットを買おうと思ったのだけど、色が3色あってなかなか決まらなかった。一緒に行った父は「黒が似合うんじゃない?」とアドバイスをしてくれたのだけど、う~む、悩む。最後、2色までは絞ったのだけど。。。 側に、浅黒い東南アジア系の、背の高いハンサムな男性店員が居たので、「ガイジンさんだったら、どれが似合うかハッキリ言ってくれるのではないか?」と思ってこれをかけてみた。「二つの色の間で迷っているのですけど、どちらが似合うと思いますか?」 すると、「そうですねー、どちらも似合うと思います。今は値段が下がっている時なので、二つ買っても安いです。一番いいのは、二つ買うことです!」と、流暢な日本語できっぱり答えが返って来た。 えええっ!! エラい!スゴい答えだ!企業的には100点満点の答えだよねー。ビックリしちゃった。こう言う事も、習うのだろうか?日本人の店員さんでも、言うのかしら? 結局、ジャケットは2つは買わなかったけど、とにかく「おぬし、やるな~」と、感心した事件。この新聞記事を見て思い出したの。 日本の企業に採用された外国人留学生の皆さん、頑張って下さいねー。
2010年12月19日
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我が家のニーナちゃんは、外飼い。でも寂しくなると、キッチンのドアを開けて勝手に入って来ちゃう。しばらくその辺りで寝転がっているのだが、やはり居心地が悪いようで、自分のお城に戻って行く。スポンジのマットが心地良いものね。彼女は枕が好き。マイ枕が無いと、眠れ無いらしい。アンソニーの実家に行くときも、ちゃんと持って行くの。笑2個の枕と4枚の枕カバーを所有しているニーナちゃん。枕の使い心地を知っているので、いつもベストポジションに枕を持って来る。前脚でガリガリ、そして鼻っつらで押して行き、枕を希望の場所に移動させる。そして、パフッと寝るのだ。今日もばっちりの場所↓に、枕がありますなあ~。。。とっても人間臭いニーナなのだ。
2010年09月02日
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ショッピングセンターに入っているような大型スーパーは、昼飯時には買い物客が少ない様な気がするので、私はポル人の昼食の時間に合わせて買い物をするようにしている。でも、近所にある小さめのスーパーは、昼飯時に行ってはいけない。近くに学校があり、中学生ぐらいの子供達が昼ご飯を買いに来るからだ。彼らは、3、4人のグループで来て、コーラやお菓子などを買って行く。そういうグループがいくつもやって来て、個々にお会計をするので長い列が出来る。多くの子はジュースとお菓子しか買わないで、「栄養面は大丈夫か?」と余計な心配をすることもある。でも、中には、グラム売りのハムやチーズを少量買って、パンも一袋買って行く子供達もいる。グループで代表で会計をしていたので、皆で分けて食べるのだろう。先日は、学校近くの激安スーパーで、瓶詰めのソーセージ、パン、マヨネーズを買っている3人の少年がいたよ。ま、マヨネーズも買う?家で作って来なさいよ~。「家で、簡単なサンドイッチを作って、持ってくればいいのにね」とアンソニーに言ったら「家庭では、『学校の食堂で昼食を食べる』と言って、親からちゃんとお金を貰っているのだろう。そのお金を節約したいから、皆で安い物を買って分けているんじゃない?」とのこと。なるほろ~。感心感心。。。でもさ、スーパーの駐車場に座り込み、買ってすぐの品物を広げてサンドイッチを作って食べるのは感心出来ませんぞ。
2009年11月10日
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大事にし過ぎて、賞味期限が切れた日本食品や、滅多に行かない中華食材店で買った商品が詰まっている、私の食料庫。「最近棚卸し?をしていないなー」ふと思い出して、がさごそ食品を取り出してみた所。。。ぎゃーっ!!こんな虫が、中華食材店で買ったもち米の袋の中に大量発生!!そこから繁殖したのか、他の食品の袋の中にも入っている~。戸棚を歩いていた輩も数匹。ぞぞーーーっ。。。疑わしいものはすべて捨てた。ああ、ショック。いろいろあったのに。。。いろいろ買い溜めておいて、忘れちゃったのがいけないのね。かなりズボラだなー。アンソニーは「中華食材店の商品だから気を付けないと。」って言ってた。そう言えば、店で売っていた乾燥麺の中に、既にこの虫が発生していたもの。でもさ、ポルのスーパーの自社製品の米も、買ってすぐにこの虫が沸いたよ。それは単独で別の場所に保管してあったのに。。。どの米にも、この虫が発生する可能性があるってことね。この虫、「コクゾウムシ」って言うんだね。唐辛子やニンニクで予防するとか。。。でも、買い溜めないことが一番の予防かも。今回の件で、肝に銘じました~。ああ、怖かった。
2009年11月06日
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シャワーを浴びた後、耳の中の水分を取る為に、綿棒を使っている。先日、とあるスーパーで買った綿棒の箱の注意書きには「耳の穴、鼻の穴には入れないように。」と言った内容が書かれてあって、びっくりした。えーーーっ!じゃあ、何に使うの?アイメイクがはみ出た時のお直し?←滅多に凝った化粧はしないので、使わない。機械の細かい部分の掃除?←そんな面倒くさい掃除はしない。見ぬふり。前に耳鼻科に行った時に、女医さんからも「綿棒なんか使っちゃダメよ。耳あかは自然に排出される様な仕組みになっているんだから。」と言われた。綿棒を使うと、耳あかが奥へ押し込まれたりすることもあるのかもしれない。うーん。外耳道の水分を取るのに、便利なグッズなんだけどなあ。あのような不思議な注意書きがしてあるのは、あの商品だけのような気もするけど。。。他にどんな用途があるのか、あの発売元に聞いてみたい。
2009年10月20日
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週末にアンソニーの同僚の家で、夕食をごちそうになった。彼は独身男性、38歳。レストラン経営者の両親を持ち、料理は得意だと聞いていたけど。。。家に到着したら、すごい料理がたくさん作ってあった。前菜2品。人参のコリアンダー風味サラダ。大きなパンをくり抜き、チーズとチョリソーを細かく刻んで詰め込み、オーブンに入れたもの。メインも2品。エビのスパイシー炒め。イカに、米、野菜、チョリソーや生ハムを細かく刻んで詰めたものを、トマト、パプリカ、玉ねぎのソースで煮詰めたもの。付け合わせは、ガーリックライスとさつまいもチップス。デザートは、チョコレートムース。フルーツ、コーヒー。これはすべて彼一人の手作り。そしてどれもこれも美味しかったー。我が家に人を呼ぶ時には、料理が好きじゃない私は大皿一品料理+デザートですます。これで精一杯でございます。はあ~。。。彼のディナーを見ると、自分が情け無くなる。しかも、テーブルセッティングも完璧で、高級レストランのように、一人分ずつ使用するお皿が重ねられて、個人の席に置かれていた。重ねられたお皿の間には、一枚ずつ紙ナプキンがはさんであった。それに比べて、我が家は。。。こんなに料理が出来るからか、彼は独身で、長い間彼女が居ない。家も購入したので、そろそろ誰かと。。。と思う私は日本人なのかな。日本だったら、親や親戚、周りの友達なんかが世話を焼いてくれそうなのに。。。アンソニーに聞くと、こっちではそういう事はしないみたい。婚活みたいなことは無いのかしら?残念~。どうにかしてあげたくなっちゃう私は、おせっかいなんだろう。←日本人だわ。ディナーが終わり帰る時に、「パートナーが居たら、後片付けもお喋りしている間に終わるのになあ。」と思った。我が家に客が来た時に、いつもそう言う状況なので。。。彼も「家も買ったし、誰かと住みたい」と言っていたから、頑張って欲しいなあ~。彼のディナーを食べた翌日の、我が家の夕食はとても貧相に見えた。
2009年10月13日
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何年か前に、韓国で始めて見たのだった。糸で顔の産毛などを取るもの。何て言うの?糸脱毛?始めて見たときは、そのワザに、へええーーーって驚いたんだった。でもその時はやらなかった。近年、糸で顔の毛を処理するお店が、リスボンの大型ショッピングセンターで見かけるようになった。それが我が家に近いショッピングセンターにも出現したのだから、更に驚いちゃった訳だ。お店のページはこちら。どれどれ、、、とお値段をチェックしてみた。鼻の下、口ひげ部分は6ユーロ(792円)。眉毛は、9ユーロ(1187円)。口ひげ+眉毛は13ユーロ(1715円)。顔全体は、25ユーロ(3299円)。毛深いポル人女性の毛を処理する事を考えたら、このお値段は安いのかもしれない。お店といっても、閉鎖された空間ではなく、ショッピングセンターの通路とか開いたスペースで店を設置しているので、そこを通る人から丸見えの状態なの。それでも、お客さんは二人もいたよ。いくら知らない人とは言え、通行中に鼻の下とか処理されているのを見られたら恥ずかしいなあ。。。糸でむだ毛を処理すると、つるつるすると聞いた事がある。興味津々。でもオープンスペースで処理されるのは、ちょっと困る。アンソニーにその店の話をしたら、「小町の眉毛は薄いから、そこでお金を払って処理する必要はないんじゃない?」と言われた。ごもっともでございます。でもね、「鼻の下のむだ毛を処理してもらいたい」という希望があることは内緒にしておいた。
2009年10月09日
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4日満月だった。中秋の名月は、3日だったのよね。中秋の名月が満月の日付と違うってはじめて知った。。。→こちら。ま、それは良いとして、奇麗な月夜になると、浪人時代の古文の先生の話を思い出す。勉強以外での雑談が非常に面白かった。「昔の日本では、凹凸のないのっぺりした顔の女性が美人だったのですが、何故だか分かりますか~?」と質問。答えは以下の通り。「御簾越しで恋を語る事を想像して下さい。月明かりや炎の灯りで、凹凸のある顔はすごくグロテスクに見えるのです。だからのっぺりした顔の女性が美人だったのです。」きっと平安時代などの貴族の女性の話だったと思う。その時は、へええ~っ、なるほどって思ったんだ。だから日本画に描かれる美人は、ああいう顔なのかーって。で、先日、隣りの夫婦と夜、ワインを飲み明かしたんだけど、その日も月明かりが奇麗で、電気は最小限にして、ロウソクを灯して歓談したの。お隣の奥さんは、可愛い顔をしているの。でもやっぱりしっかり凹凸があって、月明かりでは顔に影が出来て、とってもグロテスクに見えた。←ごめんなさい。先生の言った通り。ま、外国だって昔は、月明かりや炎の灯りのもとで、恋を語って居た訳なのだから、やっぱり美意識の違いだけなのかな~と思ったりもするけど。。。外国でも美人の基準って、変わって来たりするのかな?古文の先生の言った話を、なるほど~って思ってしまう私は、日本の美意識を持っているのかなあ。。。月夜に思う。
2009年10月05日
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昨夜は酷い目に遭った。全く眠れなかったの。夜、テレビを観ながらソファの上で少し寝て、それからベッドに潜り込むのがいつものパターン。でもベッドに入ってから眠れなかった。隣りのアンソニーも眠れないようで、何度も寝返りを打ったりしていた。相手が眠れないと、気になって眠れなくなっちゃう。寝息ではない呼吸を聞いていると、こっちまで息苦しくなるー。と言う訳で、アンソニーが去り、別々の場所で眠る努力をしたのだけど、一睡も出来なかった。アンソニーも同じだったらしい。満月の夜は眠れないと言うけど、昨夜は満月ではなかった。日本茶を飲んだから?でもね、二人ともいつも同じメーカーのものを、いつも同じ量飲むのよね。お茶だけが原因じゃないみたい。だって、お茶の後でもいつも良く眠れるもの。夕飯だって、スパイスなど興奮する様なものは入っておらず、至って普通。不思議~。だから今日は朝からぐったり。。。夕方、近所に住むアンソニーの同僚と話したら、その彼も全く眠れなかったんだって。偶然の一致?その人は、早寝早起きの達人。その彼が、全く眠れないとは。。。この地域一帯に何か舞い降りたんじゃない?魔女か?塩でも撒いておこう。今日はぐっすり眠れますように。。。
2009年10月01日
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玄関先に小さなバラを植えていたのだけど、弱っちくて全然大きくならず諦めた。ずっと別の植物を探していたのだけど、なかなか決められなかった。他の家の庭先で見た花が気に入って、今回植えてみる事にした。それは、こんな花。ソラナム・ラントネッティって言うんだって。小さな紫色の花を咲かせる。ポルの庭先ではよく見かける植物だ。だからここの気候にはよくあっていて大丈夫だと思うんだけど、冬が心配。家の玄関は北側で、冬は寒ーいのだ。毎年、2、3回ばかり霜が降りるので、その時はどうにか保護してあげないといけない。我が家で大丈夫かな~。不安。。。今のところ、順調で「暑さに強く、成長が早い」と言われる通り、ぐんぐん延びて来ている。まだ30センチにも満たないけど、すでにいくつかの花を咲かせている。可愛い~。でもね、花達は夜になると花を閉じるの。「これは夜に花を閉じる習性のある植物なのねー」って思っていたのだけど、どうやらそれは家の花だけみたい。ご近所さんの花は、夜でも閉じないっ!わざわざ夜に確認しに行っちゃった。アンソニーは「主に似て、怠け者なんだよ。」と言った。主って私のことか?しかも、家の花は、夕方まだ陽がある早い時間に花を閉じ始める。おいっ!もう今日の活動はお終いかっ?アンソニーには「家の花は、まだ小さいからよ。大きくなったら宵っ張りになって、花は閉じなくなると思う」と断言したけど。人間じゃあるまいし。。。家の花は、本当に怠け者の種類なのかな?私に似ていると言うのも頷ける。夜は、ぱたっと早い時間に寝ちゃうしなあ。。。お願い!私に似ないでおくれ。夜でも花を見せて頂戴。
2009年09月24日
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週末は、薪を買った。冬の準備はまだ早いと思うかもしれないけど、出遅れると質の悪い薪しか残っていないので、雨の降り出す前の乾燥した時期、つまり今、買った方が良いのだ。今年の薪↓。山盛りの薪を裏の小屋に収納しないといけないのだけど、ニーナは当然知らんぷり。この写真の2倍の量をアンソニーと二人で運び込む。腰がくだけますわ~。私達が買ったのは、コルクの木で、1キロ0.1ユーロ。スーパーで買うともっと高いのだろうけど、田舎で買えばもっと安いのだろうな。暖炉は雰囲気も出るし好きだけど、年を取ったら暖炉を使わないだろう。だって薪の持ち運びが大変だもの。すごく重いし。。。そんなことを考えながら、薪を小屋に収納した。今年も無事終了。勿論、火種の松ぼっくりも拾い集めに行った。ご近所さんとの争奪戦をせずに、無事収穫。これで冬の準備は整った。あとね、イチジクの苗を植えた。イチジクの中でも、おしりから蜜が出るPingo de melと言われる甘くて美味しい種類のもの。私はプラムを植えたかったのだけど、アンソニーの好きなイチジクを植える事にした。いつか私のプラムの木を植えてやる~。どう転んでも、実のなる植物しか考えられない。笑イチジクは果たして大きくなるのだろうか?翌朝、アンソニーが「もうイチジクは実がなったかな?」と冗談で聞いて来るので、「あなたのニーナちゃんが、イチジクの周りの土を掘り返していたわよ」と本当の事を伝えたら、血相を変えて庭に飛び出して行った。あはは。ニーナちゃん、おしりをぺちぺちぶたれていたよ。さて、イチジクはニーナ攻撃を逃れて無事成長するのか?ダメになったら、その後には勿論プラムを植えることにする。
2009年09月21日
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8月に健康診断があり、軽度の高血圧と指摘されたアンソニー。投薬の治療はまだ必要無い程だけど、すごくショックだったみたい。「運動不足よー。」とあまり本気にしていいない私。その時に、医者が血圧を下げる舌下錠をくれてすぐ使用したんだけど、クリニックを出てからホッとして血圧が下がったのと同時に、薬が効き過ぎてふらふらになってしまった。恐ろしい。。。それから家で血圧を測り始めたアンソニーなんだけど、家ではずっと低いのよね。勿論、クリニックの血圧計(腕に巻くタイプ)と家庭用血圧計(手首で計るタイプ)の誤差はあると思う。だからそれを持って、クリニックに行き計り比べをしたのだけど、その誤差を見込んでも、家では正常範囲内の血圧なの。でもクリニックで計ると、正常範囲を超えてしまう。ねえ、もしかして「白衣恐怖症」じゃない?いい歳のおっさんなので、そんなことはないとは思うんだけど。で、アンソニーの同僚も全く同じことで悩んでいる事が分かった。30代後半でやせ形なのに、クリニックで血圧を計って高血圧って言われたそう。でも家庭では正常範囲内なんだって。思いついて「ねえ、あなた達、病院でトラウマをもっているんじゃない?」と聞いてみた。アンソニーは20代後半で、虫垂炎の術後感染になったみたいで、原因菌の特定が出来ず抗生剤が効かなくて、一ヶ月も高熱で生死の境を彷徨いながら入院したそう。同僚は、6歳の時に髄膜炎にかかり、南部の病院では手に負えず、リスボンの病院に搬送され、何週間も入院したんだって。しかも両親はレストラン経営で息子について行けず、リスボン在住の叔父が面倒をみながら、一人で入院していたんだそうだ。6歳の男の子が遠い土地で、一人で入院か。。。可哀想。なるほどねえ、そういうトラウマがあったんだ。。。調べてみると「白衣高血圧」というものがあるらしい。これよ、これ!あなた達の症状は!ちょっと安心したけど、「高血圧」と診断されたのを機会に、運動不足の二人でエクササイズに励んで欲しい。
2009年09月03日
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前回帰国時に、以前からずーっと欲しかった18センチのケーキ型を手に入れた。日本のケーキのレシピを見ると、だいたい18センチの型を使った分量で書かれている。我が家には、すごく大きなケーキ型しかなくて、あるのはパウンドケーキ型。こちらで18センチの型を探したけど見つからなかった。日本では簡単に手に入るものが、外国ではそうはいかない。甘いもの大好きポル人には、大家族用ケーキ型しかないのか?キッチン専門店に行けばあるのかなあ?しょうがなく、パウンドケーキ型を使っていたんだけど、やっぱり違う。これじゃなーい!!可愛い丸いケーキを作る事はずーっと諦めていたんだ。で、この前やっと18センチのケーキ型を手に入れ、それからケーキを(といっても簡単なもの)作る回数が増えた。と、同時に、私の腰回り、アンソニーの腹回りともどんどん増えて行った訳なのだけど。それにしても。。。ああ~、よかった。これで可愛いケーキが作れるようになった。先日、パンのレシピで、18センチのケーキ型を使うものが紹介されていたので、早速作ってみる事にした。手でちぎって食べるミルクパン↑。テーブルの上にどかーんと置いても可愛い。ケーキだけじゃなく、パンにも使えるこの型は、これからも酷使が予想される。
2009年01月12日
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週末、悪天候にもかかわらず、リスボン南部アレンテージョ地方のワイン農家に、今年出来たばかりのワインの買い付けに行った。毎年この時期の恒例行事。アンソニーの友達の家によって、一緒にワインを買いに行く。買い付け後は、アンソニーは友達との久しぶりの再会で、楽しくワインを飲んで語らうので、運転手は私と決まっている。天気の良い日に車をぶっ飛ばし、ドライブするのは好きだけど。。。朝は大雨で、轍にハマって車がふらふらするし、夜は深い霧で前方がよく見えず、非常に怖い思いをした。スピードを出せず、ゆっくり運転したので、時間のかかった事。。。あ~疲れた。帰宅後すぐワインを空けたのは言うまでもない。今まで我慢していたから当然でしょ。さて、私達が毎年行くのは、歳をとったおじいさんのワイン農家。前日に連絡が取れなくて、「もしかして亡くなってしまい、今年はワインを作っていないのかも。。。」と不安になったけど、いつものように陽に焼けた顔を見せてくれた。今年もお元気でしたか。。。こんなカメ↓の中にワインが入っている。これはローマ時代からの名残だとか。ほんとかな。下の蛇口から、ちょろちょろとワインが出て来る。大量に買う時は、事前に連絡しておかないと、かなりの時間を待つことになる。5リットルで10ユーロ。今年も美味しい出来だった。クリスマスに実家に持って行ったり、友達にあげたりするので、我々は45リットル買った。ちょうどこの日は村のワイン祭りだった。村の親父達が、がやがややって来て、小さなコップでタライのワインをすくって勝手に飲んでいた。そして批評し合う。テーブルには、オリーブがツマミに置いてあった。いい感じ!村の中にこんなワイン農家がいくつかあって、はしごしながら親父達はいろいろなワインを味見し酔っぱらって行くみたい。アンソニー達も、赤ワイン2種類、白ワイン2種類を、コップを使って蛇口から出るワインを試飲している。くう~、美味しそう!私は運転手なので飲めない!悔しい!村の酒場はどこも親父達で賑わっていた。来年は酒場にも行ってみたいな。いつもワインを買って帰るだけだからね。前にアンソニーの友達が来た時は、犬が一匹ふらーっと入って来て、タライに受けてあるワインを飲んで、また去って行ったのを目撃したんだって。えっ!犬もワインを飲んで行くの?村の親父と一緒じゃん!びっくり。来年は是非とも親父のワイン祭りに参加したい。ワインの味見ではしごするんだー。誰を運転手にするか、、、今から作戦をねらないと。。。
2008年12月10日
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朝起きて庭に出ると、ニーナが自慢げに私の前を横切った。彼女の口には、真新しい黄色のテニスボールがっ!アンソニーが、私の知らないうちに新しいテニスボールをあげたのかと思ったけど、よく見ると有名メーカーのテニスボールで、私達がニーナに与える安いテニスボールとは違う。しばらく考えて、隣りの旦那さんからのプレゼントだと言う事に気が付いた。隣りの旦那さんはテニスを趣味としており、新しいけど弾みが悪いボールなどをニーナにくれたことがあった。今回は私達の知らないうちに、庭に投げ入れてくれたようだ。ありがとう。ニーナは今までの古いボールには見向きもせず、新しいボールを口にくわえて、自慢げ。ほら、馬術で馬がぴんと背を伸ばし、優雅にぱっかぱっかと観客の前を歩くでしょう。あんな感じ。おかしかったなあ。今までの古いボールは、もうどうでもいいと思ったらしく、むちゃくちゃ噛んだようで、すでに穴が開いていた。今まで大事に使っていたのに、新しいのが来た途端これだ。子供に新しいおもちゃを与えると、古いのに興味が無くなるのと同じなのかな。新しいボールに穴を開けたら、今度は次はないからね!大事に使うように。これは↑以前、新しいボールを与えたときの写真。
2008年11月11日
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ドイツ国際平和村のあるデュッセルドルフ近郊は、すでに寒かった。前日30度近くあったリスボンから、一気に秋深まるドイツへの気温変化はすごかったなあ。平和村のスタッフから「建物の外に出る時は、上着を着るようにお願いします」と言われた。なぜかというと、子供が風邪を引かないように上着を着させるのだが、大人が上着を着て手本にならないといけないからだとか。なるほろ~。寒かったので、皆黙って上着を着て移動したのだけど。。。学生達は、ドイツ語でクイズやダンスの出し物を企画していた。クイズは、分かりやすくて非常に楽しかった。子供達が、積極的にクイズに答えており参加型だったので、去年の紙芝居よりよかったと私は思っている。ダンスも、学生達が考えたもの。日本の歌を使い、ドイツ語で替え歌を作り、皆でカラオケに行って録音して来たんだって。すごい楽しい音楽で、踊りも可愛い。のりのり。ずいぶん後で、子供達が歌を口ずさんでいたんだって!それぐらい、インパクトがあったようだ。毎年、出し物を考える学生達には頭が下がる。学生達が踊った後、子供達も前にやって来て、皆でダンスタイム!男の子も踊るんだよね~。可愛いったらありゃしない。誘って、渋々前に出て来てダンスをするけど、一番楽しんでいるように見える子もいた。「一緒に踊ろう!」って誘うと、松葉杖を見せて「僕は踊れないんだ」と言われ、「しまった~。。。元気そうに見えるけど、健常者じゃないんだった。。。」と反省する事もしばしば。あ~、あ。。。でも、松葉杖でも踊る子もいるんだよね~。一緒に生活している訳ではないので、子供それぞれの状況の把握が難しい。。。毎日、子供達の世話をしているスタッフはすごいなあ。自分の担当する子供達の状況を把握しているんだから。。。日本から救援物資として、歯ブラシ、コップ、歯磨き粉、ガーゼ、使い捨てゴム手袋の箱などの大量の衛生用品が持ち込まれた。ガーゼは、オペ後に施設内で消毒する時に使われるらしい。日本から来た仲間達のスーツケースの半分が、救援物資で埋まっていたらしい。お疲れさまでーす。今回接触した子供達は、男の子が多かった。歯ブラシを使って、歯磨き指導をする時に、子供に一本ずつ歯ブラシを選ばせた。私はアンゴラ出身(ポル語を話す)の子供担当だったので、他の国の子供がどんな色を選んだのか知らないけど、アンゴラの男の子達は、「青、黄緑、オレンジ、赤」の柄の歯ブラシから、ほとんどの男の子達が鮮やかな「赤」を選んだ。へええ~。日本の男の子だったら、青か黄緑の寒色系を選ぶだろうな~と思いながら見ていた。帰国後アンソニーに話すと、「アンゴラで一番人気のサッカーチームは、ポルトガルのベンフィカというチームで、そこのチームカラーは赤だから、アンゴラの少年達は、赤の歯ブラシを選んだのではないか」とのこと。ははあ~、そういう事だったのか。。。皆の歯磨き指導が終わるまで、時間の開いた子供達は2階の部屋に戻って、学生達と折り紙をしたり、ダンスをしたり。1階にいると、ドタバタ楽しそうな音が聞こえて来た。アンゴラの男の子に、「皆と2階に行く?」と聞いたら「脚が悪いので行かない。ここに居る。」と言うので、しばらくお喋りをすることにした。アンゴラの男の子一人に、大人6人。私と少年以外には、お互い言葉がわからないので、数字を紙に書いて年齢当てクイズが始まった。日本人は、外国では実年齢より若く見え、年齢を当てるのが難しい。黒人にとっては、更に難しそうだった。実際の年齢を言うと「え~!嘘でしょう!」って大きな目を丸くして驚いていたっけ。慣れて来ると、日本人女性の靴下からのぞく足首を「ピン」って指ではじいて、感触を確かめて、年齢を吟味しだした。おもしろ~い、この子!大人6人相手に、楽しませるセンスのある子。皆大笑い。ふと、少年の状況に気が付いて、悲しくなった。皆、家族の元を離れ、怪我や病気を治す為に一人で頑張っているんだ。寂しいときもあるだろうに。。。楽しい時に見せる笑顔は、どの子も素敵だった。「ドイツでの治療が終わって、早く家族の元に帰れますように。」と願わずにはいられなかった。
2008年09月29日
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9月10日から大学の後輩が二人、我が家に居候していた。毎日早起きして、観光案内、おさんどんと大忙し。数日後、お世話になった教授とそのお伴が二人リスボンを訪問していたので、再び観光に付き合い、皆で我が家で晩餐。すでにへとへと。その後、全員でデュッセルドルフへ行き他の仲間と合流、ドイツ国際平和村へ行き活動。ホテルの手配、レストランの手配、公共交通機関の手配などを私がやったので、皆を引き連れてガイドさんの役割を果たした私。さらに疲れが。。。その後、皆と別れて一人でブリュッセルの友達を訪問し、何故だかそこでもポル料理を作った。まだ終わらないのか、私の仕事。この2週間、本当に忙しかったなあ。日記を書く暇もなかったし。。。面白い出来事が一杯あったけど、忙しさで忘れちゃったなあ。「ゆっくり思い出して、また日記を書いて行こう!」とふらふらする頭で思っているところなのだ。
2008年09月22日
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先週、突然知らない日本人女性から、家に電話がかかって来た。フルネームを言うけど、聞いた事もない。「はて?」。。。その若い女性は「小町さんのお母様の知り合いで、、、」と母の事を引き合いに出した時に、気が付いた!母の友達のお孫さんが、語学留学でポルトガルに来ると聞いていた。緊急連絡先で我が家の電話番号をおしえていいよ、と言ってあったのだった。まさか、電話をかけて来てくれるとは!不思議な縁で、母とそのお友達は、娘達の幼稚園の母の会で、今でもつながっているのだ。その子のお母さんと私は同じ幼稚園らしいけど、数年先輩のようで、私は会った事がないので知らない。しかし、一体何年前のことよ。娘達はみんな40過ぎてるっていうのに、母の会はまだ不滅のようだ。。でも、数年先輩の女性のお子さんが、大学生になって異国で語学を勉強しに来ているのだから、素晴しいことだと、子供の居ない私は感心する訳なのだ。よその方は、この年齢でりっぱな親として子育てを完成しつつあるのだから。私はなんて呑気なんだろう。。。電話をもらった翌日、早速リスボンに会いに行って来た。一緒に留学するお友達も一緒で、新生活に対する期待、うきうき感が伝わって来た。いいなあ~、楽しい未来が待っているって感じ。おばさんもエネルギーをもらっちゃった。その夜、アンソニーが可愛がっている大学院生の男の子が、彼女を連れて我が家に遊びに来た。同じ学部だけど、科は違う彼と、共通の趣味の写真をとおして意気投合したみたい。頭が良く、働き者でたくさんのいい仕事をしているよう。奨学金財団の一番優秀な賞をもらったとか。自分の意見をしっかり持っていて、アンソニーと対等に話せる所も気に入っているみたい。でも学位を取っても大学には残らずに、企業に就職をきめたとか。彼なりのしっかりした意見を聞いた。惜しい人材を無くすと、アンソニーは言っていたなあ。でも、企業のお金儲けの研究が嫌になったらまた戻って来るだろう。今までいろいろなアイデアが湧いて、自分の好きなように研究をして来た彼には合わないかもしれないし。その場合には、国内に留まらず海外でポスドク生活を送るそう。そうよねー、海外ポスドクも引く手あまたでしょう。輝ける未来だわ。そうやって、先週は普段接触しない若者達から元気をもらったおばさん。またまた若者と接触する機会が訪れた。今日は、私の出身大学から、二人の女子学生がやって来る。ドイツ国際平和村に行くまで、我が家で過ごすのだ。さて、今回はどんな風になることか。若いエネルギー充電か、はたまた消耗か。乞うご期待。
2008年09月10日
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実家から一番近い繁華街は浅草だ。小さな頃から、週末と言うと浅草へ、外食というと浅草へという感じで、家族でよく出掛けた。花屋敷だって、昔は入場料が無料だったから、乗り物にひとつふたつだけ乗って、大満足していた子供時代。浅草は私のちょっとした庭みたいなもんだった。大学時代は東京を離れていたので、実家に帰るとまず浅草寺に行かないと落ち着かない。今回の帰国でも、もちろん浅草に行って来た。変わった所もあるし、全然変わっていない所も多い。芝居小屋もまだあるし、役者の衣装を売っている店もある。いや~、懐かしいな~。なんて思いながらぶらぶら歩いていると、こんな看板を発見して固まってしまった↓。レストラン『リスボン』。し、知らない。。。どうやらずいぶん前からあるみたい。あった様な気がする。知らないと言う事に、ちょっとショック。灯台下暗し。。。どれどれと、ショーウインドーを覗いてみると、ヒレカツ、ハヤシライスなんてメニューが見える。普通の洋食屋さんだった。浅草じゃあ、ポルトガル料理なんて流行る訳ないもんね。でもどうして『リスボン』なんて名前が付いているんだろう?オーナーがリスボンに行った事あるとか、ファドのファンだったとか。。。想像はつきないが、確認するには至らなかった。残念。次回帰国時に、一緒にレストランに入ってくれる勇気ある仲間募集中。
2008年07月19日
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最近、冷蔵庫と冷凍庫の整理整頓に励んでいる。と言うのは、明日から私一人で一時帰国するからだ。アンソニーは私より料理は上手なのだが、『一人では作る気はしないので簡単なものを食べるから、腐る様な食材は残して行かないで欲しい』とのこと。冷凍庫には忘れていたものが結構あって、買い物に行かないでもしばらく食いつなぐ事が出来た。あはは。。。これを機会に冷蔵庫の掃除を決行。いいチャンスだった。ここ数日、毎日パンを焼いて、空になった冷凍庫に保存している。アンソニーの備蓄食である。あとは、自分の好きなものを買ったり、冷凍ピザを買って生き延びてくれるだろう。日本への帰国は、2年ぶり。本当は毎年帰国したい所なのだが、去年は両親がこの時期一ヶ月滞在していて、昼は毎日両親と3人で食事をして、お茶を啜って世間話をしていると、まるで日本にいるような感じになって、私の帰国の機会を失ってしまった。秋にアンソニーに紅葉を見せたいと思っていたのだが、休みが取れなくてお流れ。。。彼を待っていたらいつ一時帰国出来るか分からないので、結局、私一人で帰国することになった(夏の暑さにアンソニーは耐えられないので、夏の帰国は考えていない)。一人で帰国するのなら、食べ物の美味しい冬と思っていたのだけど、アンソニーが『一人になるのなら、季節のいい時の方がいい。冬は早く暗くなって寂しいから』と言うので、今ということになった。そうね、冬は物悲しくなっちゃうもんね。ぷぷっ。。。アンソニーとニーナを置いて行くと思うと、ちょっと可哀想。ニーナは、しばらくハンガーストライキを起こすだろうな。心配だ。後ろ髪が引かれるけど、飛行機に乗ったらあっさり気分は変わるだろう。留守を頼みま~す。今回はアンソニーが居ないので、前回のような日本縦断旅行は無しで、家族と温泉旅行だけのはずだったんだけど、楽しい計画がいろいろ入って来た。懐かしい友達との再会、そしてオフ会も!楽しみ~。と言う訳で、しばらくブログはお休み。また楽しい報告が出来るといいな。皆様、お元気で!
2008年05月29日
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ニーナは、私達がお菓子の袋を開けたりすると、そのビニールの『ガサガサ』と言う音に敏感に反応する。外で飼っているのだが、音に反応したニーナは、キッチンの扉を覗き込む。そうして、私達が菓子を頬張っているのがばれてしまう訳だ。目と目が合い、彼女に何もあげないのも心苦しくなってしまう。しかし、彼女は消化酵素が出ない病気で、病人食+薬で厳重に食べ物を管理しなくてはいけない状態なので、人間の食べるものを簡単にあげる事は出来ない。今までも、ついつい可哀想だからと人間と同じものをあげて、下痢をさせてしまった経験がある。だから心を鬼にしなくてはいけない。でも、つぶらな瞳で見つめられると、非常に辛いのだ。ある日、『素材がシンプルなマリービスケットだったら大丈夫かも!』と思い立ち、早速試してみた。結果、大失敗。下痢しちゃった。どうしてこんなシンプルなものが駄目なのかな~?ドイツ時代から、私がこよなく愛するビスケットがある。ポルトガルの普通のスーパーでも買える代物で、全粒小麦やオート麦などを使ったヘルシー志向のもの。いつでも我が家に常備されている。これ↓。それを試しにあげてみたところ、、、下痢はしなかった。不思議。。。シンプルな素材のマリービスケットが駄目なのに、材料が複雑なこれは大丈夫な訳?まあ、彼女にあげても大丈夫なビスケットが見つかったという訳で、目出たし目出たし。。。じゃあないんだな、これが。ニーナに買ったマリービスケットは、安スーパーで買ったお徳用4パック入り。私のビスケットはニーナに差し出し、私達は終わるまでマリービスケットを食べ続けなくてはならない。まずくないんだけど、味がシンプル過ぎて、なかなか進まない。はあ~、まだまだ完食の道は遠い。さらに、ちょっとお値段を比べてみると、、、私のビスケットは普通の値段なんだけど、マリービスケットはお徳用だったので、7倍の値段の違いがある事が分かった。女王様と召使いのおやつの違いか。とほ。。。もさもさしたマリービスケットを紅茶で流し込む日々は続く。『そんなこと言われたって、知らないわ!』と、迷惑顔のニーナ↑。
2008年03月10日
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我が家には、クリスマスツリーがずっと無かった。アンソニーがそう言うものは嫌いなので、ずっと買わないでいたのだ。小さなクリスマスグッズは、ちょこちょこ買っていたのだけど、ツリーは買っていなかった。今年は、ipodを買って、すべてのCDをそこに入れて、CDとCDラックを取り払ってしまったので、何も無い応接間が、さらにがらんとしている。なんか寂しい。。。と言う訳で、勝手にクリスマスツリーを買う事に決定!!なんだか、ウキウキして来た。帰宅したアンソニーが、クリスマスツリーの箱を目敏く見付けて、いや~な顔をしていた。『おほほ、もう買っちゃったもーん。返さないよ!』私の夢のクリスマスツリーは、6年前に見たドイツのとある教会のクリスマスツリー。当時の教授夫人に、クリスマスのミサに連れて行ってもらった時に見たものだ。石造りの教会の中には、すごく大きな本物のもみの木があり、飾り付けは質素だった。わらで作った十字架の飾りと、赤いリボンのみ。すごくシンプルなんだけど、今まで見たクリスマスツリーの中で、一番素敵なものだった。荘厳という言葉がぴったりで、写真なんか撮ったらいけない威厳があった。寒い教会内で祈りを捧げる人達、ろうそくの灯りに浮かび上がるシンプルだけど威厳のあるクリスマスツリー。。。夢の中の出来事のようだった。ああ、あのツリーがまた見てみたい。家では真似は出来ないとは分かっているのだけど、、、ドイツで買った、雪の結晶の様なわらの飾りを飾ってみた。やっと日の目が見れた、この飾り。今までは、ツリーが無かったので窓ガラスに貼付けるだけだったけど、、、よかったよかった。リボンは自分で作ってみた。ま、これで我が家もクリスマスっぽくなった。アンソニーは嫌がっていたようだけど、気にしない。寂しかった応接間も賑やかになった事だし、楽しい気分でクリスマスを迎えられそうだ。
2007年12月10日
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ドイツ国際平和村に行ってすごいなーって思ったのは、ボランティアスタッフの存在。彼らの存在無しに、あの施設は成り立たない。早番、遅番で、一人で何十人の子供達の世話をするのだから。。。ドイツ人ボランティアが一番多いのだが、その次に多いのは日本人ボランティアだろう。20名弱いるらしい。その多くは女性で、年齢は20代後半に差し掛かった位かな(年齢は聞きはしなかったけど)。ドイツ人ボランティアでは、高校を卒業したばかりの若者も多かった。ドイツ人男性は、兵役の義務があるのだが、代わりに社会奉仕をして、その義務を全う出来る。平和村には、そんな若い男性もいた。その多くの若者が『大学に進みたいが、何を勉強したいのが分からない。ここで働いている間に、進む道を見付けたい』と言うのだ。さすが、合理的なドイツ人。何をやりたいのか決めるまでは、無駄な事はしないってことね。入れる大学に入って、卒業後に何をやりたいか迷う事が多い日本人とはちょっと違うかな。でも、将来を悩む若者は、万国共通。子供達の笑顔を見ながら、将来のヒントが見つかる事を願って止まない。通いのボランティア達には、州から交通費等の援助があるらしい。あの施設内に泊まり込みのボランティアには、宿泊施設、食事、シャンプーや生理用品等の最低限度の生活用品が保証されているんだって。300人弱の子供達の生活費、ボランティアの生活費等、すべて寄付でまかなわれているんだからすごいな。でも、近年、ドイツ政府からの援助が年々減っているのが心配だ。今回、日本の仲間が寄付で集めた、文房具用品、ボール等の遊び道具、歯ブラシ、歯磨き粉などを持って行った。文房具用品などは、もう十分あるみたい。じゃあ、『今、何があったら便利か?』と言う話になった。答えは『ガーゼ』だった。なるほどね。オペ後の子供達の消毒で、ガーゼの付け替えが行われるのだが、今、ガーゼが足りないみたい。後は、勿論『お金』。必要な物は、その時々で変わって来る。お金があれば、その時必要な物を買う事が出来るもんね。ドイツ国際平和村は、国外の紛争地域に現地プロジェクト活動を行っている。基礎健康センター、診療センター、義足作業所などを建設し、資金面の援助を行っている。コンテナやトラックで、定期的に援助物資、医療品、日用品を送っているのだ。現地から『こんな薬が必要』と要請を受けた時に、お金があれば、それを買ってすぐに送る事が出来る。やっぱりお金は便利だ。何にでも、化ける事が出来る。私達の反省会でも、『将来的な資金援助について』というテーマが議題に上がった。今後の懸案事項だ。『私達が行って、何か役に立つ事があったのだろうか?』という問いに、スタッフは『いつものお決まりの日常が、少し変わっただけでも、子供達は嬉しいんですよ』と言ってくれた。そうなのか。。。皆で遊んだだけでも良かったのかもしれない。あの田舎に多くの人は訪ねないだろうから。。。あの施設ではたらく日本人スタッフに、『将来の夢は?』と聞くと、『平和村が無くなる事』と答えた。世界中から紛争が無くなり、傷つく子供達がいなくなるということだ。そうだよね。ドイツ国際平和村がある間は、少しでもお手伝い出来たらいいな、と思っている。終わり。。。
2007年09月17日
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今回のドイツ国際平和村での活動で、我々はとある個人データを取らなければいけなかった。そのデータの他に、性別、年齢、出身地などを記録しなければならない。彼らの年齢が非常に怪しい。。。我々は、即席でドイツ語で『歳はいくつ?』というフレーズを習って、子供達一人ずつに質問した。ほとんどの子供は、ドイツ語で答える。ドイツに来て間もない子供は、ドイツ語が分からないので、同じ出身地の友達が通訳をする。ところが、通訳しても全く答えられない子供達が居る。自分の年齢を知らない子供達が居るのだ。出生届け、戸籍などちゃんとしているのか疑問である。スタッフに聞いたら、訪独する時はパスポートは必要なので、推定年齢で作るらしい。そんなものなのか?とある子供が言った年齢とその小さな体つきがあまりにも不釣り合いだったので、私達はちょっと信じられなかったのだが、栄養状態が悪く、成長障害があったのだ。口の中を見ても、歯がぼろぼろで、母体に居る時から、既に栄養が取れていなかった事がよく分かる。彼女が言った年齢は正しかったのだ。アンゴラの少女に年齢を聞くと『アンゴラでは13歳、でもここでは11歳よ!』と、訳の分からないことを言っていた。あそこでの子供達の年齢って、本当に正しいのだろうか?皆、頭に?マークが一杯のままだった。子供達は、みんな奇麗な洋服を着ている。ドイツ国内で、声をかけて、いらなくなった子供服をもらっているらしい。洋服は個人の所有ではなく、洗濯し終わったら、どれでも着ていいみたい。でも、その子ごとのお気に入りがあるらしく、洗濯し上がったら、また同じのを選ぶようだ。ふふふ、、、可愛い。。。結構オシャレにしている子供もいる。アンゴラの小さな女の子は、黄緑色のAラインのコートに、赤いパンツを合わせていた。黒い肌によく似合っていたなあ。松葉杖をついていたアンゴラの少年(推定16歳)はすごかった。頭にはバンダナを巻き、その上にキャップをかぶっていた。アメリカ映画で見る黒人ラッパーみたいなものかな?さらに、男性用の柄のハデなネクタイをGぱんのベルト通しに付けて、垂らしていた。彼なりのオシャレ表現なのだろう。ほほ~っと感心してしまった。その少年は、多分一番年齢が上のようで、他のアンゴラ出身の小さな少年達をまとめるボス的存在のようだった。私達がデータを取る為に、一人ずつ面談しないといけないのだが、いやがる他の少年達に『次はお前が行け!その次はお前だ!』なんて命令して、私達の仕事を助けてくれた。でも、最後に残ったそのボスは、『面談なんてしたくないー。どうしてしなくちゃいけないんだー。』と駄々をこね始めた。スタッフになだめすかされ、渋々私達の目の椅子に座った。ボスも、子供だったのね~。
2007年09月16日
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ドイツ国際平和村で生活している子供達は、常時300人ぐらい。治療が長引く子もいれば、一度帰国し、再手術の為に訪独する子もいる。チャーター機を飛ばして、治療が終わった子供を帰国させ、新たに治療が必要な子供を引き受けるのである。どんな国から子供達がやって来ているかと言うと、、、アンゴラ、アフガニスタンが一番多かったかな。その他、カザフスタン、タジキスタン、グルジア等々。アフガニスタンの子供達を初めて間近で見たけど、男女ともすごく美しく整っている顔の子供が多い。瞳が青に近いアフガニスタンの少年もいた。アジアの血も混ざっているようで、どの子もヨーロッパとアジアの良い所をミックスした様な感じ。こんな美しい顔をしている女の子達も、大きくなったらベールで顔を隠すのだろうか。残念。アンゴラの子供達は、ポルトガル語を喋るのだが、彼らの独特の訛りがあって上手く聞き取れない。私の言うことは分かってもらえたけど、、、情けない。。。それ以上に、彼らの言語習得能力はすごい!あそこでの共通言語はドイツ語だ。どの子も、スタッフの喋るドイツ語が分かっているし、達者にドイツ語でお喋りする子がほとんどだ。滞在日数の長短はあるので、子供のドイツ語能力に性あるのは確かだが、皆すぐ喋るようになるらしい。やはり、子供のうちから他の言語に触れさせているといいのねえ。。。子供達は、遊びそして喧嘩しながら覚えていく。そう言えば、アンゴラの子と東ヨーロッパの子が、砂場のおもちゃを巡って、ドイツ語で喧嘩していたなあ。我々が大人になってから、新しく言語を習うには限界があるのも納得だ。お遊びの時間になって、少年達は、男性陣とバスケ、サッカー、野球などで遊んでいた。後は、砂場遊び、滑り台、ブランコなど。女子学生が折り紙の本と折り紙を持って来ていたので、女の子達には大人気だった。アンゴラの子供達は、同じ国の子供達で固まっている場合が多かった。他の子達も、それぞれにグループがあるみたい。どこでも同じなのね。そんなグループから、ポッツリ外れている子供達もいる。端っこのベンチで座っていたっけ。普段は接触しない小さい子供達と遊び疲れて、おばさんな私はふらりと皆の輪から外れ、広場の隅っこの方に行ってみた。そこには、私のように休憩しに来た仲間が二人いた。しばらく3人で雑談していると、外れていた小さな女の子(5歳ぐらいかな)が近づいて来て、手のひらに乗せたお菓子をくれた。それは、日本のおせんべい『歌舞伎揚げ』だった。手のひらに、小さなおせんべいが3つ乗っている。どうしてこんなところに歌舞伎揚げがあるの~!!よくよくみると、他の子供達も、おせんべいの袋を手にしている。おやつの時間で配られたようだ。どこからかの寄付なんだろうか?1年以上そんなものは口にしていない私は、ドイツの田舎に住んでいる彼らがそんな物を食べている事に驚いた。『ひや~、なつかしい。』異常に喜ぶ私。『ダンケ!』と言って、我々はありがたくいただいた。そのおせんべいは、ちょっと湿っていて、とても温かかった。彼女は、私達3人を見付けて、3つのおせんべいを握りしめて、ずっと渡す機会をうかがっていたのだと思う。彼女は、皆のグループに入らず、一人で広場の隅に座っている内気な子だった。いつおせんべいを差し出そうか、ずーっと考えていてくれたんだね。久しぶりの歌舞伎揚げはおいしかった。でも、湿った温かいおせんべいは格別の味がして嬉しかった。
2007年09月14日
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ドイツ国際平和村の施設内案内があって、子供達の使う体育館、プール、球技場、食堂、治療室などを見学させてもらった。途中、廊下で展示されているものに目が止まった。今は使わなくなった、かつての義足や義手の数々。。。これらを使っていた子供達は、新しい義足や義手を手にし、自分の国に帰って生活をしているのだろうか?更に、私の目を釘付けにしたのは、これ↓。顔面に火傷を負った子供の為のマスクだ。施設内には、松葉杖をついている子供の他に、顔面に火傷を負っている子供も多い。顔面から頸部にかけてのひどい火傷の後の瘢痕収縮で、いつでも目が『あっかんべー』をしているように見える子供もいた。別の子供は、顔面に負った火傷で、鼻の突起部分がすべて無くなっていた。鼻腔部分が丸出し状態なのだ。将来的には、皮膚を移植し、鼻部分にインプラントでも施すのだろうか?火傷の原因をスタッフに聞いた所、国の内政が不安定で、家庭用のガスの安全対策などが怠り、結果として火事になり、小さい子供が被害者になってしまうそうだ。手や足に障害がある子供、火傷を負った子供は、外から見てすぐ分かるのだが、どんな障害があるのか分からない子供達がいる。その子供達は、小腸や大腸に問題を抱えていることが多く、将来的には手術をして人工肛門が施されることになるケースが多いそうだ。疑問がふつふつと湧いて、スタッフに聞いて、疑問が解決していくうちに、重い気分になってしまった。日本の仲間が持って来た子供達へのプレゼントがあった。寄付で集まった、筆記用具、ノート、歯ブラシ、歯磨き粉、ボール等。皆に配る時に、『はい、どうぞー。』と差し出した所、その少年には、手首から先が無かったので、上手に受け取る事が出来なかった。あちゃ~、見えなかったので分からなかった。。。大失敗。それでも、少年は器用に腕に抱えて受け取ったのだけど。。。落ち込む私。。。別の場面で、、、片手を入れて操作する指人形(20~30センチ程の大きさ)があったので、小さな女の子達と遊んでいた時の事。人形の手が動くので、面白がって、子供の指をつまんだり、頭をつまんだりして、皆でキャーキャー言いながら遊んでいた。私が隣に居た女の子の肩を、人形の手で触れようとしたところ、『ちょっと待ってね。』と言って、彼女の服をはだけて、肩の大きな縫合の後を見せた。腕を切り落とされたのかと思う位の傷跡だった。息を呑んで見つめてしまった。外から見ただけでは分からない彼女の問題を見せてくれたのだ。私が触って、彼女が痛がる前に、忠告してくれたのだと思う。はあ~。再び落ち込む私。。。あそこで働くスタッフの人達はすごい。一人で何十人もの子供達を受け持ち、一人ずつの障害が頭に入っているのだから。。。外では、少年達は、男性陣とサッカーや野球をして駆け回っている。松葉杖なのに、私なんかよりも速く走る少年もいる。あそこで本格的に活動するには、一人一人の障害を知らないといけない。子供と遊ぶのも難しい。。。
2007年09月13日
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日本から来た仲間達と合流し、総勢20名で、デュッセルドルフ郊外にある、ドイツ国際平和村まで乗り込んだ。到着後、施設内で、平和村の詳しい説明を受けた。紛争等で傷つき、母国で治療する事が困難な子供達や病気を背負った子供達に、ヨーロッパで進んだ医療を受けさせる為に、現在、3歳から16歳までの子供達が300人弱生活しているのだそうだ。この年齢以上になると、ドイツで難民法が適応されてしまうらしく、母国に帰らなくなる子供が出て来るので、それ以下の子供を預かることになっているようだ。平和村で受け入れる子供にはかなり厳しい条件がある。1)母国では必要な治療が出来ないこと。2)ヨーロッパでの治療で治る見込みがあること。3)治療後、子供達の帰国が、家族や政府によって保証されている事。4)家族が困窮していること。このような条件をつけても、家族が内戦等で亡くなってしまう事もあるんだとか。。。平和村で受け入れる子供を決定する為に、スタッフが現地で家族とともに面接するのだ。その為に、親は何十キロも離れた村から、子供を連れて面接会場にやってくる。体に問題がある事は不幸な事だけど、こうして選ばれた子供達は、ヨーロッパでの医療を受けられてラッキーなのだろう。他にも、治療を受けられない子供が、まだまだたくさんいるのだろうから。。。施設内の注意として、『子供達の写真は撮らないで下さい』と言われた。理由は、子供達の人権問題、そして写真を撮る事に異常に興奮する子供達がいるから、とのことだった。説明が終わり、外に出て、子供達の遊ぶ広場に行ってみた。遠くからでも、松葉杖をついている子が元気に遊んでいるのがよく分かった。でも、もっと近づいてみると、顔面にひどい火傷を負った子供が多いのに気が付いた。瘢痕収縮で引きつっている。子供達を写真には撮れない理由がよく分かった。なんだか胸が痛くなった。その後も、厳しい現実を思い知ることに、、、つづく。。。
2007年09月12日
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庭の工事をして、小さな花壇が3つ出来たので、バラを買って来て植えたのだが、そのうちの一つが育たなかった。アンソニーは、その苗木に見切りをつけて、新たにバラの木を見付けるべく出掛けて行った。店先から電話をかけて来て、奇麗なバラを咲かせているのがあるんだけど、、、と相談をして来た。彼は、その色に一目惚れしたらしい。気に入ったのなら買ってくれば~、と返事をし待っていた所、こんな色の花がやって来た↓。中は黄色で、周りは淡いピンク色。なんとも優しい色で、私も気に入ってしまった。この木は背が高く、1メートル以上。まだまだ、つぼみがたくさん付いていた。これで、10ユーロ(1600円位)だって!かなり安い。近所の温室では、15センチにみたない苗木が、8ユーロだもん。こんなに大きくて安いのにも感動したけど、何と言っても、この色合いがいい。購入時に咲いていた花が落ちて、次のつぼみが開くのをわくわくしながら待っていると、この花の不思議な特徴が分かってさらに感動してしまった。それは、、、つぼみが開くと、実は、花びらはまっきいろなのだ。縁取りは若干ピンク色がみえるのだが、ほとんど黄色だ。(下の写真、上の花。)そして、時間が経つと、最初の写真のように、ピンクと黄色のミックスになる。が、更に時間が経つと、ピンクの色が濃くなり、黄色は薄れて白っぽくなる。つまり、最後には、濃いピンクと白のミックスになるのだ。(下の写真、下の花。)この二つの花が、同じバラとはちょっと思えない。その色の時間的な変化を発見したとき、二人で感心してしまった。ほおおーーーっ!!知らずして、買ったので、さらに感動。毎日の色の変化を見るのが楽しみな私達なのだ。(年寄り臭いなー)
2007年07月01日
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我が家で買っている飲料水は、5リットルサイズ。これは、普通のスーパーで売っている最大サイズ。もちろん、普通の1.5リットルボトルもあるのだが、すぐ飲みきってしまうし、何よりもボトルのゴミが出る。そして、ちょっと割高なので、家では5リットルサイズを購入している。しかし、5リットルのボトルから、コップに水を移そうとすると、私の細腕がぷるぷる震えてしまう。そこで、役に立っているのが、このポンプ↓。どんなメーカーのボトルにも適応するようだ。キッチンにデーンと置いてあるので、家族や友達も、勝手に水を飲んでいってくれるので便利。最初は、すぐ壊れちゃうのではないかと思っていたが、そうでもなさそう。一年以上使っているが、具合はいい。さすがドイツ製。しかも、2年間の保証付き。買ってよかったなあと思える優れもの。ドイツでは売っていなかった5リットルのボトルを見て、最初は非常にびっくりしたものだ。『こんなの重すぎていくつも買えないわー』とぼやいていたっけ。それが今では、5リットルボトル3個パック(ビニールで3つが一つにまとまっている)を、ひよいと持ち上げ、カートに積んで、そのパック4つ(5リットルボトル計12個)を一人で積んで帰って来れるようになってしまった。車での移動とは言え、積み降ろしは結構重労働。慣れとは怖いものだ。もしかして、ポンプが無くても、ぷるぷる震えずコップに水をうつせる逞しい腕になっているかもしれない。
2006年10月16日
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ドイツの冬がいいとか、クリスマスマーケットが良かったとか、いい事ばっかり言っているが、ドイツで、忘れられないクリスマスの嫌な思い出がある。私は、ドイツに留学した時に、すぐ車を購入した。メルセデスベンツC180。すごい予算オーバーだったが、それが、なかなかお目にかかれないオートマチック車だった事、状態がよかったこと等を考慮して、購入することにした。→詳しくはこちら留学期間が終わって、売る事を考えていたので、大事に乗っていた。4年前のクリスマス前、ちょうど今頃。夜、いつものように、アパートの駐車場に車を止めようとしたのだが、いつもと感じが違うのに気が付いた。スポーツタイプ以外の、多くのメルセデスでは、あのベンツマークがボンネット前方に立っている。私の車もそうだった。あれは、前方と距離を知るのに、役立っていた。それが無かったので、前方を壁にぶつけそうになった。切られていたのだ。しかも、糸ノコギリの用なものを使ったらしく、ボンネットにはえぐられた様な、傷跡が残っていた。あと半年したら売らなくてはいけない私は、パニックになった。警察にも被害届を出した。保険会社にも来てもらって、状況説明。結局、ボンネットを塗装し直しすることになって、大出費だった。この話を、知人にしたら、『それはきっと学生の仕業ね。大学の寮で、おおきなクリスマスツリーにメルセデスマークの飾りがたくさん付いていたわ。』『なんですとーーーーーーーー、どうして警察に届けないの!!それって犯罪じゃん!』そうなのだ、私の住んでいた大学の街では、あのマークをへし折られたようなメルセデスがいっぱい走っているのだ。直しても同じ事が繰り返されるから、そのままらしい。納得。私だって、きれいにへし折られただけだったら、そのままにしておいて、最後にマークだけ買って、取り替えただろう。しかし、塗装が剥げたまま、冬を越したら、錆びの原因になるので、すぐに修理しなくてはならなかった。後で分かったのだが、あのマークは、そんなに高価なものではないのだ。はっきり覚えていないけど、当時2千円かそのぐらい。言ってくれたら、買ってあげたのに。ボンネット再塗装にいくらかかったことか。。。何ヶ月か後、警察から一通の手紙が届いた。『捜査の結果、残念ながら犯人は見つかりませんでした。これにて、捜査を打ち切らせていただきます。』ふざけるなーーーーーーーーーー!!先日、ドイツに行った時に、大学の後輩夫婦に会って、この話をした。彼らも、小さな大学街に住んでいるが、彼らの知人も同じ様な被害にあったそうだ。メルセデスに、マークを買いに行ったら『今日は、あなたが初めての客です。今日は、まだいい方。この時期は、1日平均4人ほど、あのマークを買いに来ます。』と、言われたらしい。ああ、どこでも、この時期、同じ様な被害にあっているのね。私のマークは、今はどこにあるのだろう。悔しいが、取られてしまった以上、今年もツリーの飾りとして役に立っていて欲しい。今も、同じ車に乗っているのだが、あのベンツマークは、ボンネットの上に立っていない。また取られたら嫌なので、あの時、専用の金属カバーでふたをしたままだ。BMWのようなので、自分の車を『BMベンツ』と呼ぶことにした。バカねー。あのマークのないメルセデスは、ちょっと情けなく見える。でも、それもご愛嬌。取り替えるつもりは無い。見る度、あの時の事を思い出す、特に今の季節は、、、フランクフルト中央駅のクリスマスツリー
2005年12月20日
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日本語には擬音語、擬態語が多い。雨が降るにしても『ザーザー』『しとしと』『ポツポツ』などいろいろな表現がある。その音を聞いただけでどのように雨が降っているのかわかる。日本語の表現力ってすごい。日本文化の漫画の影響もあるのだろう。漫画の中では新しい音の表現を見つけることもある。私は擬態語を使うことが好きなので、彼との会話の中に擬態語を入れる。彼は聞いたことの無い音に敏感に反応して質問してくる。犬の鳴き声、鶏の鳴き声なども外人によって表現の仕方が違うのはよく知られていること。感覚的なものなので、彼への説明は非常に難しい。それでも彼が私の説明に納得した彼のお気に入りの擬態語がある。それは『ころりん』と『チョッキン』。ニーナを横に寝かせるときに、彼女に『ころりん』と言っている。もちろん彼女には分かる訳が無い。大きな枝を切るハサミを買ったときに『チョッキン』を教えてあげたら、その音が気に入ったのか、よく切れるハサミが気に入ったのか、枝を切るごとに『チョッキン、チョッキン』と言っていた。いやーあのときは庭仕事がはかどった。『チョッキン』を教えてよかった。いまではあのハサミが『チョッキン』という名前になってしまった。ポルトガル語にもいくつかの音の表現があるそうだ。例えば、『ピンバ』(ぶつかったり、たたいたりする時の音)彼のお母さんが会話の中でよく使っていたっけ。笑ったのが『ズンバ、ズンバ』(これは性交時の音、又は『トゥルック、トゥルック』ともいうらしい)『ズ、ズンバーーー??』嫌だなあ、そんな音。蒸気機関車の音は『ポカテラ、ポカテラ』綴りを書くと『pouca terra, pouca terra』(直訳すると、少しの土地)勝手な解釈をしてみた。蒸気機関車の車輪がレール(土地)とほんの少しの接触時間しか無いぐらい速く走っている。『ポカテラ、ポカテラ、ポカテラ、ポカテラ、ポッポー』うむ、少しは蒸気機関車の音に思えてきたかも、、、、
2005年06月29日
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うちの庭にはコルクの木がある。かなり大きな木だ。高さはそんなにないが枝が広がっている。隣の家の庭にも枝が伸び出ている。両方の庭に適度に日差しを遮り、心地よい環境を作ってくれている。昨年、隣の家がプールを作った。誰も使わないプール。というのは、若夫婦はモザンビークに駐在しているからだ。この6月に一ヶ月ほど夏休みで帰国しているのだが、旦那さんが枝を切ってくれと言って来た。葉が落ちてプールの掃除が大変だとのこと。(プールには落ち葉よけのカバーがあるのだが、、)ポルトガルはコルクの産地で重要かつ数少ない輸出品の一つである。コルクの木は法律で保護されていて、枝ですら勝手に切ってはいけないことになっている。こちらも枝を切りたくないと法律の件を持ち出すことも出来たが、やはり隣人とのトラブルは避けたいもの。切ることに同意した。昨年プールを作るときに大きな根を傷つけたらしく、コルクの木はしばらく元気がなかった。彼はよく木を見上げて『可哀想に』と呟いていた。切られた枝は思いのほか大量だった。もうこの写真のような風景はない。元通り復活するのに何十年もかかるのだろう。隣人は滞在一ヶ月近くになるが、まだ一度もプールを使用していない。またモザンビークへ戻るらしい。コルクの木は使わないプールのために、根を傷つけられ、枝を切られたようだ。
2005年06月26日
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ついに始める事にしました。ポルでの生活、思った事、こちらのニュースなど書き留めておきたいと思うのです。
2005年05月10日
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