『福島の歴史物語」

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2024.11.20
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カテゴリ: 地震雷火事おやじ
 昔から世の中で恐ろしいものとされるものに、『地震、雷、火事、親父』という言葉があります。これは世の中の恐ろしいもの、敵わないものを順に並べた表現ですが、1種の比喩的な表現であると捉えておく方が良いのかもしれません。地震は古語では『なゐ(ない)』と言い、地震によって大地が揺れることを『なゐふる(ないふる)』と言ったそうです。『恐れのなかに恐るべかりけるは、ただ『なゐ』なりけり』、意味は、『恐ろしいものの中でも、特に恐れなければならないものは、地震である』と、鴨長明が『方丈記』で述べているように、前触れもなく、突如として襲ってくる地震は、昔から災害の筆頭に挙げられてきました。そして地震といえば、関東大地震や阪神・淡路大地震、東日本大地震など、近年にも地震によって大きな被害が出ています。地震は、世界のどの地域でも発生するわけではなく、プレートが衝突し、沈み込みを起こす地域に発生します。日本は、この海のプレートである太平洋プレートとフィリピン海プレートの二つのプレートが、二つの陸のプレートである北米プレートとユーラシアプレートの方へ、1年あたり数センチの速度で動いており、陸のプレー トの下に沈み込んでいます。このため、日本周辺では、複数のプレートによって複雑な力がかかっており、世界でも有数の地震多発地帯となっている上に、環太平洋地震帯に属しており、そのため有史以来の日本には、度々大地震が発生していました。地震は、地下の岩盤が周囲から押される、もしくは引っ張られることによって、ある面を境として岩盤が急激にずれる現象のことをいいます。この岩盤の急激なずれによる揺れ、つまり地震波が周囲に伝わり、それが地表に達することで地面が揺れるのです。そのような大地震の例のひとつに、嘉永六年/安政元年(1854年)十一月四日、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とするM8・4という江戸直下型の巨大地震がありました。この時には、全壊と焼失した家屋は1万4千戸余りに上り、死者は7千人以上と推定されています。しかもこの地震の32時間後に、南海に大地震が連続して発生して大被害を与えたため、元号を嘉永から安政に改めているのです。朝廷にも、『安らかなれ』、との祈りがあったのかもしれません。

 地震については、世界各地で、『世界を支えている動物』がおり、その動物が動くと大地震が起こるという信仰があったそうです。アジアでは、地底にすむ巨大な蛇が身動きをするのが地震であるという『世界蛇』、またそれが魚であるという『世界魚』といった信仰が共通して存在していたそうです。日本でも『世界蛇』がいると考えられていました。江戸時代初期までは、『竜の形をした蛇』が日本列島を取り巻いており、その頭と尾の位置する所が茨城県にある鹿島神宮であり、千葉県にある香取神宮だと言われるようになり、この二つの神宮が頭と尾のそれぞれを、『巨大な岩』で押さえて地震を鎮めているとされました。しかし江戸時代後期になると、民間信仰からこの竜蛇がナマズとなり、巨大なナマズが地中深くにいて、そのナマズが暴れると地震が起きるという考えが主流になったようです。では、ナマズ本来の姿はどうでしょうか。

 ナマズの外観は、大きく扁平な頭と幅広い口、および長い口ヒゲによって特徴付けられます。体は黒っぽい色で鱗がなく、体の表面は、ぬるぬるとした粘液で覆われています。上あごと下あごにある長いヒゲには、『味蕾(みらい)』という味を感じる器官があります。味蕾は、他の生き物が発する微細な電気を感じ取ることができるそうです。地震は、発生する直前に地殻がずれ、地電流というものが発生することがわかっています。そこでナマズに電気の通った魚の切り身のエサと、電気の通ってない普通のものとを与えると、なんとナマズは電気の通ったエサに近づいていくというのです。そしてこのことが、ナマズが地震を予知するといわれる事に深く関わっているらしいのです。そして小さな背ビレが、ナマズの大きな特徴です。ナマズは、川の中流域から下流域に住む夜行性の魚です。昼の間は流れの緩やかな場所にいて、水の底の岩や水草の陰などに身を潜めていますが、夜になると発達した口ヒゲでエサを探します。エサになるのは主にドジョウやタナゴなどの小魚、甲殻類、カエルなどの小動物です。そして、5月から6月にかけての雨上がりの夜、普段は川や沼に棲むナマズが、続々と田んぼの用水路にやってきます。卵が小さいため、魚に食べられないように、わざわざ田んぼなどの浅い場所にやってきて産卵するという習性がついたようです。そして高い段差もなんのその、まるでコイの滝登りといった具合で土手を這い登って田んぼに入っていきます。ナマズは一回の産卵で、実に10万個以上の卵が産み落とすそうです。ナマズの平均寿命は15年ほどと言われていますが、なかには20年以上生きる個体もいるらしいのです。実はナマズは、世界に2千種類もいるそうです。また、海外に生息する世界最大のナマズ、『メコンオオナマズ』は、寿命がなんと60年と言われています。

 日本では中世以降、ナマズ地震と関連付けられ、地震を予知する魚と言われてきました。特に、地震を起こすという大ナマズの話が広まったのは、安政元年の大地震によって、江戸を中心に甚大な被害が広がった時からです。この安政の大地震の前にもナマズが騒いでいたという記録も残されており、昔からナマズは地震と関係の深いものと考えられていたようです。江戸時代は人口が急激に増えた時期でしたので、地震が起こると被害も大きくなりました。そのため、地震に対する関心も高かったと考えられ、地震に関する記録が、各地に多数残されています。『安政見聞誌』などにも、地震に先行してナマズが暴れたことが記述されているそうです。大きな被害が広がったのにも関わらず実態が捉えられないでいる地震を、ナマズの所為にしていたのです。安政の大地震は、人々の生活に打撃を与え苦しめた一方で、地震が起きて間もない時期から、江戸の町の復興などによって経済的な潤いをもたらすことになりした。この地震があった後に刷られた多くの瓦版には、地震を意味するナマズが印刷され、その他にも、ナマズを題材にした絵は人気を博したそうです。売りに出されたナマズの絵は、『地震よけのお守り』として欲しがる人もいましたが、災害復興の景気を見て、『ナマズは世直しをしてくれるありがたい存在』という肯定的な側面を持つことにより、大流行したのです。江戸の人々は、地震とナマズとの拘わりあいをこのように考えており、地震を起こす原因はナマズにあると素朴に信じていたことが分かります。またナマズは、地域によっては神の使い、弁財天様の使いともされ、厄害を避けてくれる無病息災の縁起物とも言われました。『安定、癒し、安眠、責任感、くじけない心』が石言葉でした。

 ナマズは、古代から食用魚として、漁の対象とされました。身は柔らかく、きれいな白身で、小骨などもなく、すんなりと食べられるそうです。地方によっては、ナマズを『川フグ』と呼び、生のまま刺身で食べることもあるといいます。江戸時代の料理書にあるナマズの料理は、蒲焼のほか、汁・蒲鉾・なべ焼・杉板焼などがあります。 室町時代の『宗吾大草紙』には、『蒲鉾はナマズ也。 蒲(がま)の穂に似せたる物なり』とあり、蒲鉾の原料の最初は、ナマズだったようです。姿が異様であったので、摺り身にしたとも思われています。

 ナマズは神経質でデリケートな性格なので、暴れたり飛び跳ねることも多いそうです。地球の仕組みが解明されていなかった頃、地震などの災害は、動物や神様などの仕業と考えられてきたのですが、そのナマズと地震を関連づけた民間信仰が、茨城県鹿嶋市の鹿島神宮にあります。それは、地震は地下に住む大ナマズのせいであるから、ナマズを『要となる石・要石(かなめいし)』で押さえ付けておこうという信仰です。鹿島神宮は、延喜式の神名帳に記載されている式内社(しきないしゃ)、常陸国一宮、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社となっており、宮中の四方拝で遥拝される神社です。鹿島神宮は、日本建国、そして武道の神様である『武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)』をご祭神とし、神武天皇元年創祀という由緒ある神社です。全国にある鹿島神社の総本社であり、千葉県香取市の香取神宮、茨城県神栖市息栖(いきす)の息栖神社とともに東国三社の一社で、古くから信仰を集めてきました。関東以北の人は、伊勢に参宮したのちに禊ぎの『下三宮巡り』と称してこの三社を参拝ます。この鹿島神宮奥宮の裏手には、武甕槌大神(たけみかずちのおおかみ)が巨大なナマズの頭を剣で抑えている石碑があります。これは、鹿島神宮にしたといい伝わる神話によるものですが、武甕槌大神と経津主神(ふつぬしのかみ)が、『要石』を大地に打ち立てることにより、大ナマズを鎮めたというものです。これは大ナマズ、つまり動くものと『要石』、つまり不動のものを統合することで、秩序をもたらしたことを意味するのだそうです。このことを現実の世界に置き換えてみれば、混沌とした世の中が統一された、という見方ができるそうです。また『地震太平記』には、各地の地震ナマズが鹿島大明神にわびを入れている様子が描かれ、その右では、民衆が要石に手を合わせて拝んでいます。文字の部分には、『年寄』『大工』『新造』『瀬戸物屋』『芸人』『医師』などそれぞれの立場の人々の願い事が面白おかしく書かれているそうです。この他にも、沢山の漫画チックなナマズ絵が発行され、ブームとなりました。なお、地中深くまで埋まる『要石』が、地震を起こすナマズの頭を抑えていると古くから伝えられていることに対して、水戸藩第二代藩主の徳川光圀は、要石がどこまで深く埋まっているか確かめようと7日7晩にわたって掘らせたものの、いつまで経っても辿り着くことができなかったばかりか、怪我人が続出したために掘ることを諦めたという話が、『黄門仁徳録』に記されているそうです。









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最終更新日  2024.11.20 06:00:14
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