ガードマンのつづる日常

ガードマンのつづる日常

2005.12.03
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カテゴリ: 文学(小説)


 証言者1.彼女は当時26歳。金沢生まれ。外資系航空会社の広報課に勤務していた。大学卒業後JRに総合職で入社。3年後転職、その直後にサリン事件に遭遇。JRで研修時に受けた緊急事態訓練が役立つ。

 私は19歳から24歳までの6年間、金沢に住んで居たことがある。金沢の女性は<明るくて気丈夫な>人が多い。あのジメジメした北陸の風土の中からどうしてこういう意外なキャラクターが形成されたのか、長年、不思議に思っていた。

 何年か前、NHK大河ドラマで「利家とまつ」が放映されたが、あの<まつ殿>のキャラクターそのままの女性が多数現在も<生息>しているのである。

「一目見たとき、冷静にことを処理している人が一人もいないことに気がつきました」と彼女は言う。 

 彼女はその日朝から気分が悪かった。電車の中で何かに直撃されたように息苦しくなった。霞ヶ関に着いた頃には息が出来るようになっていた。
 乗客たちは異変を駅にいた駅員に知らせた。その駅員がサリンの袋を運び出したのだが死んでしまった人だった。

 彼女はJRで受けた緊急事態の対処法を知っていた。テレビ東京のクルーたちがカメラをまわしている。彼等に「今、こんなことをしている場合か」と彼等の車で病人を運ばせた。その中に死んだ車掌の高橋さんもいた。
 救急車が来ない。普通の車のサイド・ミラーの<赤いスカーフ>を巻きつけて、警笛を鳴らしながら病院に向かう・・・これがJRのマニュアルである。このことをテレビ東京の運転手に教えて被害者を病院に送り出した。

 この様子を彼女の会社の人たちはテレビのニュースで見ていた。

 彼女が気分が悪くなって病院に行くのは会社に着いてしばらくたってからであった。

 JRの人は皆、こういう緊急事態への対処法を教育されていたのだ。そうするとあのJR西日本の事故のときに、そのまま出社したJR職員とこの証言者の元JR職員の<違い>はどこから来たのだろうか?

 私には戦国の時代を生き抜いた<まつ殿>のDNAを持つ証言者故ではないかと思う。






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最終更新日  2006.06.16 01:30:51
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