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釣りもそろそろ目標の魚をゲットして、少しマンネリ化して来たかな~と思っていた矢先に大きなアタリ(魚が餌を突っ突く状態)が何度もあり、すごい引きがあるのに、いつも糸を切られて、一体何が食いついてくるのか?くすぶりかけていた意欲が、かきたてられて、「よしワイヤーテグスを使おう」と、チャレンジしたら、当々、糸切りの正体を突き止めました。何と3キロを優に越える大きなフグではありませんか。私自身、見たこともないフグだったので、海にリリースしましたが、後で調べてみたら、どうも、サザナミフグではないかと言う結論でした。あまりに立派だったので調理したかったのですが、毒性が不明らしく、さわらぬ神に崇りなしで、逃がして良かったと思っています。
2009.03.27
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二月中旬、久しぶりに岐阜の実家へ帰ってきました。実家では、新しい家族が一匹増えていました。写真のチーちゃんです。手の平に乗る位の小さな子猫、でも、もう生後二ヶ月を越しているそうです。右目も曇って見えません。話を訊いてみると、冬の真っ只中、出産するのもおかしいですし、やはり、未熟児で産まれて来たそうです。産まれた子猫は、二匹で、もう片方は、完全に両眼開いていなかったそうです。片方は、すぐに死んでしまい、チーちゃんは、儀妹がこの二ヶ月間本当に毎日世話をして育ててきたそうです。猫小屋の側で家族の声を聞くと、すぐに小屋から、這い出てきます。私は初対面なはずなのに、弟の声に似ているのでしょうか、すぐに懐いてくれました。でも、私が里帰りをするのを待っていてくれたのでしょうか、里帰りをして、四日目の朝に亡くなっていました。儀妹の話ですが、早朝もしっかりご飯を食べていたそうです。私は、猫も犬も動物大好き人間ですが、こうして小さな命が亡くなって行くのを見るたびに、決して飼うのをやめようと思います。職場に帰り、この事を皆に話し、「動物は、自分よりも早く死んでしまうから、飼いたくない」と言ったら、「犬だったら、20年近く生きるのもいるから、料理長の方が、早いかもしれないですよ!」と言われてしまいました。う~ん、どちらを考えても、悲しいですね!!
2009.03.04
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懐かしいアルザスから、写真と便りが届きました。私がもう28年も前にお世話になっていたフランスのレストランオーナーの両親が金婚式を迎えられたとの事でした。フランスで、金婚式と言う言葉があるのかどうか、分りませんが、結婚50周年を祝ったと書かれていました。時の流れは本当に早いもので、私が初めてオーナーのご両親にお会いしたのは、30年ほど前で、お二人とも、まだ40代前半でした。丁度、私の両親と同年代で、こちらにお世話になった2年間は、本当の家族の様に接していただきました。現在の私は、当時のご両親の年齢をとっくに追い越してしまっているのですが、こうしていつまでも忘れず気をとめていただいている事に本当に感謝しています。数年ほど前までは、このご両親のお母さんも、私がアルザスを訪れるのを心待ちにしていてくだしました。何年かに一度しかこちらの家族にも会えないのですが、一週間ほどの滞在が私にとってどれほど大切な一時か、年齢を重ねるごとに、つうせつに感じられる様になりました。
2009.02.26
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私が始めて、この魚を見たのは、同僚と近くの運河の橋に釣りに行った時でした。最初は、橋の上から見ていると、サンマか、サヨリの様な魚が泳いでいて、同僚に訊いてみると、「スズだ」と教えられました。彼は、すぐにそれを釣り上げ、私に見せてくれました。形は確かにサヨリそっくりで、大きさは、サンマより一回りほど、大きかったように思いますが、明らかに違うのは、口一杯にある獰猛な歯でした。そして、数ヶ月後のある日、一人で釣りに出かけると、突然、おもいっきり強いアタリがあり、とてつもなく、大きな魚が、飛び跳ねたのです。結局、その一発で、針を切られてしまい、職場に帰り、事情を話すと、磯マグロかカツオではないか、と言うことでした。自分としても、どうしても諦めがつかず、あくる日、同じ時間同じ場所で、もう一度チャレンジしました。そして、約一時間後、まるっきり同じてごたえ、同じ引き、昨日よりは丈夫な仕掛けにしていたので、何とか釣り上げる事が出来ました。ところが、釣り上げてみて初めて分ったのですが、これがなんと、同僚が数ヶ月前に釣り上げたスズと言う魚の成魚だったのです。もちろん、口には、あの獰猛な歯がびっしり、地元では、サメより怖い魚だそうです。正式には、ダツと言うそうですが、私が釣り上げたものは、1m6cm 相当大きいサイズだそうです。人が立てるほどの浅瀬にもいるらしく、素潜り漁師さんたちも、これを見かけると、一時避難するそうです。
2009.02.21
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自分自身どれだけお休みしていたのか、憶えていないほど、さぼってしまいました。言い訳ではないですが、私の勤務している地は、夏から秋までに、本当に一年のほとんどを稼ぎまくる様な所なので、ついつい、怠け放題になってしまい。申し訳ありませんでした。現在は、シーズンオフと言う訳で、時間があれば、旧来の趣味、釣りに没頭しています。とは言っても、船をチャーターしてとか、本格的な物ではなく、勤務先のすぐ近くの浜辺で釣り糸を垂らしている程度のものですので、マグロやカジキが釣れてくる訳もないですが、それでも、さすが沖縄、十分期待に応えてくれる贈り物があるものです。写真は、水深が、1.5mとない浅瀬で、ハマフエフキタイを狙っている時にヒットしたガーラ(島アジ)です。70cm強、磯では、滅多に掛からないサイズだそうです。私もまさかこんな大物が来るとは思ってはいず、小物釣り用の仕掛けに掛かってしまい、取り込むまで、20分もかかり、大汗をかいてしまいました。でも、釣り上げた時の感動は一入、実力よりも運だとは、思いつつ、数日間は周りの人たちに自慢し続けました(汗)
2009.02.20
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宮古島や石垣島に生息したいるマダラサソリと言う品種だそうです。サソリと言うと何だか黒ビカリがして、いかにも毒々しい様な感じをイメージしますが、私が始めてみた時は、地グモか何かと勘違いをしていまうところでした。私自身、宮古島へ来て7ヶ月ほどになりますが、2度ほどしかお目にかかったことがありません。私が見た物は、胴体が1cmほどで、尾を伸ばしても、3cmほどしかなく、まだ成長段階にあると思います。殆んど毒がなく、刺されてもムカデヤやハチほど痛くはないそうです。いじめなければ、手に乗せても刺されないそうですが、虫嫌いな私には、ちょっと勇気がありませんでした。でも、ムカデよりよっぽど好感がもてました。因みにこちらのムカデは、黒と黄の縞々です。気持ち悪~~!!
2008.04.02
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先日は、同僚に誘われてワタリガニを捕りに行きました。この海岸は、佐和田の浜と言って、日本100景にも入っているそうですが、大変な遠浅で、無数の岩が点在しています。この岩々は、以前に大津波で打ち寄せられてきた物だそうです。岩と言っても、殆んどが、サンゴの化石で出来ていて、小さいものをひっくり返すと、その下にワタリガニやシャコなどがいます。また、岩場などをよく見ると、シャコ貝や宝貝なども見つける事が出来、こちらでの潮干狩りと言うのは、潮が引いた岩場での貝採りを言います。本土では、見た事もない貝ばかりで、「本当に食べれるの?」って、疑いたくなる様な物もありましたが、シャコ貝はお刺身に抜群でしたし、宝貝は、茹でるとアワビそっくりの形、食感で、すばらしく美味しいものでした。今度は、夜に小エビ捕りに連れていってくれるそうです。伊勢海老も夜、釣る事が出来るそうで、まだまだ、私の知らない漁が経験出来そうで大変楽しみです。
2008.03.25
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沖縄で言えばゆんたくの様な物ですが、食事の前のアペリティフの風景です。フランスでも特にアルザス地方は庶民的な地方で、この様に、各家庭の食事の前には、近所のお宅へ寄って食前酒をご馳走になりに行きます。この時も、友人のご両親に誘われて、隣のご夫人の家へお邪魔しました。それも、前ぶれも無くです。こんな事はあたり前で、先方からも前ぶれも無く、訪ねて来ますから、お互い様、ごく自然な振る舞いなのです。私がアルザスに訪れると、もうご近所に連絡が行っているのか、毎日の様に、違うお宅へお邪魔し、アペリティフをご馳走になりました。田舎な所為か?アルザスでは、特に、友達の友達は皆友達みたいな意識が強く、親しい友がその友を同伴して訪れても、本当にあたり前な事なのです。お蔭で、知り合いが増えすぎて、アルザスを訪れる時は、土産物の数は半端ではありません。こう言う風習はここ宮古島でも、よく似ていて、数人にだけ声を掛け食事会をしようと思っていると、とんでもない事で、最初思っていた人数よりも、何倍もの人数が集まってしまう事も度々でした。友達が沢山出来る事はうれしいのですが・・・・
2008.03.09
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先週、アルザスの料理人仲間から、以前働いていたコルマー市のメゾン・デ・テートの写真が送られてきて、懐かしくなり、その話をしたくなりました。送られて来た写真は中庭ですので、分かりませんが、この建物は、外壁に幾つもの顔が彫刻されていて、メゾン・デ・テート(頭{顔}の家)と呼ばれています。建てられたのは、確か1608年で、市の文化財に指定されています。現在は、ホテルに改築されていますが、私が勤務していた28年前は、レストランだけで営業されていました。何百年も経っている建物ですから、何度も改装はされて来ているとは思いますが、それでも、お客さんが使用する場所以外は、夜、電気を点けなければ、廊下など(腐っていて)とても歩く事も出来ない様な有様でした。現在は、経営者も代わり、昔の雰囲気はそのままに、手入れもされ、可愛いホテルに変わっているようです。ここでの、私のエピソードは、ずっと以前のブログ(ある日のエデル氏)でご紹介してきましたので、書きませんが、つい懐かしくなり、今回は少し触れてみました。
2008.03.06
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前浜ビーチから見た、栗間大橋宮古島と栗間島を結ぶ、大橋です。宮古島市は、この大橋で結ばれた栗間島と、池間大橋で結ばれた、池間島、あとは伊良部島の四つの島から出来ている訳ですが、現在は、伊良部島に結ぶ、大橋も建設中です。完成まで、あと5~6年は掛かりそうですが、この橋が出来れば、伊良部島から、船を使わず自動車でじかに宮古島に渡れるのですから、大変便利になります。私は高所恐怖症でこう言う橋を渡るのが苦手なのですが、波の荒い日に船に乗るのも苦手で、どちらにしても、伊良部島からは、あまり出ない生活が続くような気がします。でも、ここには、本土にはない、透明な海、青い空、満天の星空があります。ぜひ、皆さんも伊良部島に訪れてみて下さい。
2008.02.24
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写真では、少々解りづらいかもしれませんが、夕方、私がこの光景を見た時は、以前に沖縄の人たちから聞いた、ニライカナイ(楽園)の事を思い出し、一瞬、目を奪われてしまいました。水平線の彼方に一直線に光りの筋が走り、その出前にスポットライトを当てた様に、日差しが下りてきています。周囲を海で囲まれた沖縄は、海から様々な恩恵を授かってきて、浜には、数々の美しい貝や魚、時には木の実なども打ち寄せられます。それら海からの授かりものは異郷からくる「授かりもの」と考え、沖縄の人々は海のかなたに神々の住む島があると考えました。それを、ニライカナイと言うそうですが、この光景を見ると、正しくそんな気持ちになってきます。
2008.01.16
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可愛い奴 3スズメは本土と同じく、こちらにもいるとは思っていましたが、メジロが沖縄にいるとは思ってもいませんでした。こちらの動物たちは、あまりいじめられていない所為か、警戒心がなく、1メートルと離れていない所に平気でやってきます。昔、家でメジロを飼っていた事があり、かれらの好物を知っていたので、みかんをあげたら、すぐに飛び付いてきました。こちらでの彼らの好物は、ハイビスカスの花の蜜なんですが、みかんはそれよりも好きなようです。この頃は、みかんをやり忘れると、しきりに催促をして、鳴きやみません。追伸 先日みかんを切らして、グレープフルーツをあげたら、一口食べて、私の顔をジーとみるのです。「いつもと違う」って顔をして、いかにも不満そうです。その仕草が面白くで皆で笑ってしまいました。
2008.01.08
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初めての沖縄での正月。何とか初日の出を見たいと思っていたのですが、大晦日から天気が悪く断念することになってしまいました。本土でも、寒波で大雪になっている所が多いようですが、こちらも今期で一番寒い日になっていました。気温14度!内地の人たちには「なぁ~んだ!!」と言われそうな気温ですが、こちらは風が大変強く、体感温度は相当冷たいものを感じます。とは言っても、身を切るような冷たさではないですが・・・夏にやって来た私は冬物の衣類を用意してきていなかったで、朝晩の冷えは中々堪えます。写真は、暮れに晴れ間が続き、海の色が二色に分かれているのを、見付けて撮った物です。この時は、暖かい正月を迎えれるものだと思っていたのですが・・・
2008.01.02
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久々の更新となってしまいました。自然の豊富なこの島では、目を凝らせば、こんなに可愛いヤドカリにもお目にかかれます。米粒よりも小さい物もいれば、なんと、握りこぶしよりも、大きい物までいます。大きい物は、ヤシガニみたいで、少々グロテスクですが、これ位小さいと、見ていてなんとも可愛らしくユーモラスです。沖縄の海は、大変綺麗で、どうしてもそちらに目を奪われてしまいますが、足元を良く見てみると、こんな可愛い生物たちがいるのですね。この頃は、ホタルが沢山生殖していて、夜もまた、可愛い生物たちにお目にかかれます。
2007.12.27
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またまた、伊良部島渡口の浜(トグチノハマ)です。今日の空はあまり晴れているとは言えませんが、海の色は二色に分かれ中々、神秘的でした。さすがに、今日は風が強く、海水浴をする人たちはいませんでしたが、2~3日前までは、気温が30℃ほどもあり、シュノーケリングを楽しむ人たちが少なくありませんでした。こちらの冬の本番は、2月頃らしく、天気が良ければお正月でも泳げるそうです。
2007.12.17
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愉快な仲間たちこちらへ来て、3ヶ月が過ぎ、名古屋の友人が遥々訪ねて来てくれました。前もって同僚たちには、「僕の友人はカラオケが好きだから盛り上げてね」と頼んでいたのですが、あまりの盛り上がりぶりにビックリです。朝2時半までカラオケで騒ぎ、その後は我が社宅で2次会です。友人と同僚たちには、敵いません。
2007.12.09
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皆さんは沖縄の宴会で「お通り」と言うのがあるのをご存知でしょうか?沖縄の宴会も最初は、乾杯から始まり、世間話をしながら楽しく飲むのは本土と変わりませんが、宴会も中盤になってくると、お通りと言って、一人づつ挨拶の言葉を述べ、その人から杯を一杯づつ、受けるのです。10人いれば、一通り廻すと簡単な計算で、10っパイは飲むわけですが、それを泡盛でやるのですから、お酒の弱い人ではたまったものではありません。それも、宴会が終わるまで、何回も廻すのですから、一晩に泡盛の一升瓶が、何本も空になって行きます。私は、内地にいた頃から、お酒は強いほうだと思っていましたが、こちらに来てから本当は弱いんじゃないかと、錯覚するほどこちらの人たちの酒量の多さには度肝を抜かれました。それと、その宴会が明け方まで続き、今日は何にもないだろうと思っていると、夜中1時、2時でも「何処何処にいるから」とお誘いの電話が入るのです。この頃は私も敬遠ぎみで、12時過ぎの電話は取らないようにしているのですが・・・寝ぼけ頭でつい電話を取ってしまった時には、覚悟を決めて挑まなければなりません。
2007.11.25
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渡口の浜で、朝日を見ました。この頃は日が昇る時間が随分遅くなって来ています。こちらは、本土よりも日が沈む時間が遅い分、日が昇る時間も遅いのですね。朝夕は、もう半袖シャツでは肌寒く感じてきましたが、日中は海水浴をしている人たちも随分います。私のお世話になっているホテルのお客様には、いつも良い天気であってほしいのですが、この数日間は、一日に一度は雨が降ってきて、残念でなりませんが、来週位からまた良い天気が続きそうです。私がこちらへ来て、思ったのは海水浴を別にすれば、秋から春にかけての沖縄は、海も綺麗で静かで、暖かく一番良い季節だと思っています。皆さんには、ぜひ一度、これからのシーズンに沖縄へ訪れてもらいたいと思います。
2007.11.10
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伊良部島、さわだの浜の風景です。沖縄の海は天気、時間、季節によって、青、緑、白と様々な色に変化します。今日は大変素晴らしい色の海を見る事ができました。私は早朝の海が一番綺麗で好きですが、今日はその中でも、「うわ~!!」と声を上げてしまうほどでした。本土ほど早くはないですが、ここ沖縄も少しづつ、秋へ冬へ、季節が移り代わっていきます。もっともっと、美しい海が眺められるのを楽しみにしています。
2007.11.05
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伊良部島の佐良浜で行われている、伝統行事「ミャークヅツ」へ行ってきました。大漁・豊作に感謝し、五穀豊穣と大漁を祈願する伝統行事だそうです。私が同僚に誘われ、この祭りを見に行くまでは、てっきり厄年の厄払いだとばかり思っていました。なぜなら、年齢は微妙に違いますが、ある年齢の男たちが、4日間、「ヒヤササ」の掛け声と共にクイチャーを踊るのです。なんとなく、本土の厄払いに似ているような気がしました。この祭りは宮古島と伊良部島の池間島・西原・佐良浜の3箇所で、行われる様で、他の地域からも沢山の人たちが訪れ、皆して踊ります。私の小さかった頃のお祭りを彷彿させる物があり、何だか、とても暖かく、懐かしい気分になってしまいました。ところがあくる日!レストランで使うため前日から注文していた魚を漁港に取りに行くと、魚の水揚げがないと言うのです。天気もいいし、そんなはずもないと思っていると・・・、同僚が「昨日の祭りで漁師さんが酒を飲みすぎて漁に出てないからだわ~!」と言うのです。「え~、そんな事ってあり~」と、ビックリしましたが、今までの島の人たちの行動を見ていると、この頃、そんな事もあり~って気になって来た自分を少し怖いような気がしてきました。
2007.11.01
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昨日は、同僚の案内で島内観光に連れて行ってもらいました。私の住んでいる島は、直径6キロ程の島ですので、車でサラっと観て廻るなら、2時間ほどで一通り廻れてしまえますが、時間が許すなら、自転車で、ゆっくり一日かけて廻ってみたくなりました。写真は島の北部遠浅の海岸を、JALの飛行練習用空港から撮った物です。昨日は満潮であまり綺麗ではないと、同僚は言っていましたが、私には正しくエメラルドグリーンにしか見えない、すばらしい眺めでした。海の色は、満潮干潮、朝昼晩、お天気、方向、四季によって変わるそうで、「今度は~~の時に来ましょう」と言ってくれました。確かに、少し先に進んで、反対から観た海の色はグリーンから、ブルーに変わっていました。今度は朝日と夕日を眺めに来ようと思っています。良い景色が撮れたら、どんどん紹介して行きたいと思っています。
2007.10.29
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可愛い友達 1皆さんは、沖縄のヤモリが鳴くのをご存知でしょうか?夜、家の外に出てみると「チチチー」と鳥の鳴き声の様な声が聞こえてきます。電灯の明かりに寄ってくる小虫たちを捕食する為か、いつも3~4匹は集まっています。私の住んでいる住宅には、家の中で産卵をしているのか、本当に産まれたばかりのような、2~3cmほどの子ヤモリが遊びにきます。何故か、シッポをピンと立て、歩くときは、手足が見えない程の速さで、一生懸命動かしているのがとても、ユーモラスです。産まれたては、警戒心がないのか手の平に載せても、あまり逃げようとしないのが、またかわいいのですが、こちらの人たちは、大変嫌う人が多く、ヤシガニを手づかみに出来ても、ヤモリは触れないと言う人が殆んどです。私がこちらに来た当初、何気なく掴んだヤモリを見て、悲鳴をあげて逃げて行く人を見て、呆気に取られてしまいました。私にしてみれば、ヤシガニの方がよほど不気味なんですが!!
2007.10.27
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皆さんは、ヤシガニを直にご覧になった事があるでしょうか?私が勤務しているホテルの料理場のすぐ近くには、夜頻繁に現れます。これはヤシガニが雑食性で料理場から出る生ゴミを目当てにやってくるのですが、「今夜は月が明るいから、ヤシガニでも捕る?」と同僚に誘われました。アダンの森を随分入って行くのかと思っていたら、料理場からほんの5メートル程の所なのです。 「え、こんなに近いところ!」と思っていたら、すぐ足元に人の顔よりも大きなヤシガニがいるではありませんか! ハサミは人の手の平程もあるのです。同僚に「気をつけて、靴ごと足の指、切り取られるから!」と言われた時には、震え上がってしまいました。確かにグロテスクなホルムでこんなハサミで切られたら堪ったものではありません。「あの大きさなら、料理屋さんに持って行けば一万円位にはなる」と言っていましたが、私自身はとても食べる気がしませんでした。因みに宮古島の人々は、ヤシガニを食べません。それは昔、埋葬を土葬でしていた時期、ヤシガニが死体を食べていたと言う話から来ているようです。私も数年前、宮古島に訪れた時、車に轢かれた動物の死骸にヤシガニが集ると聞かされていたので、ずっと食べようなどとは思ってもみませんでした。いずれにしても、あんな大きなヤシガニを見てしまってからは、夜道を電灯なしでは歩けなくなってしまいました。今回はグロテスクな話になってしまいましたが、次回は可愛いヤモリの話をします。
2007.10.26
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さて、台風も過ぎ、その後が大変で私の職場の周りには、ありとあらゆる物が風で飛んできたり、また波で打ち寄せられたりしていて、その片付けで大わらわです。ホールの面々、料理場の面々、皆でメンテナンスの仕事に借り出されます。今年は台風の数も少ないらしく、「今年はまだ良い方だよ!」と言っていましたが、こんな事が度々では堪ったものではありません。話は変わりまして、沖縄には、本島で使われる言葉とそれぞれの離島で使われる言葉がまったくと言っていいほど違うのを、皆さんはご存知でしたでしょうか?私などは、職場で同僚たちがしている会話がほとんど解らず、何か外国で働いている様な気分になる事がしばしばありますが、彼ら自身も本島から来た者、または他の島から来た者で言葉が解らない事があるようです。私にとっては、どちらも差がなく解りませんが、特にお年寄りの言葉は、まったくと言っていい程わかりません。単語自体も解らない所に持って来てアクセントが強烈で、本土で使われている同じ単語がまったくちがう言葉と勘違いしてしまう事があります。私が昔フランスのアルザス地方で働き出した頃と何だかそっくりな気がしてきて、まだこちらへ来て一ヵ月半ほどだと言うのに、私自身の言葉のアクセントも随分変わって来てしまい、その内、本土のアクセントでは話せなくなるのでは・・・と少しびびっています。今の私がアルザス語訛りのフランス語しか、話せない様に・・・・!
2007.10.25
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こちらは日中は、まだ泳げるほど暑い日々が続いていますが、本土ではもうすっかり秋になってしまっているようですね。ところで、沖縄での生活ですが、まず一番に驚いた事は、やはり台風の物凄さでしょうか・・。本土と違い台風も出来立てホヤホヤと言うか、近づくにつれて成長していくのです。そして、赤ちゃんと同じでヨチヨチ歩きで、スピードが遅く、したがって暴風雨圏に入っている時間が本土と比べ物にならないほど長く、酷い時は、一旦通り越した台風が戻って来る事もあります。ここの様に離島になると、数日間の食料確保の為、スーパーマーケットなどは、台風が来るとなると、殆んどの商品が売り切れ状態になり、物資を運ぶ船が渡れるようになるまで閉店状態です。港の漁師さんたちも、当然仕事がなく、台風が過ぎるまで待つしかなくありません。 本土でしたら、台風情報を見ながら、家でじっとしているものですが・・・・。ここは、違うのです。 明日は仕事がないと決まると、朝まで酒が飲めると言うので、大宴会がそこら中で始まります。 ですから、島の居酒屋さんは大流行で、一変に稼ぎ時になってしまいます。私自身、初めての大型台風が近づいてきた時は怖くてしかたなかったのですが、同僚たちに、「今晩あたり、台風が来るから、あなたの所で宴会だよ」と言われた時は、「は~?」と、目が点になってしまいました。その晩は、台風の物凄さよりも、同僚たちの宴会の物凄さに度肝を抜かれました。
2007.10.22
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皆さんは、プロヴァンスの12ヶ月と言う小説をご存知でしょうか?イギルス人が南フランスへ、移住してあまりの文化の違いに翻ろうされる物語ですが、現在、まさに私が経験させてもらっている生活は、その小説そのままの様に思っています。決して沖縄の文化を否定する物ではなく、ただただ、以前の私の生活環境とあまりにも違う、文化を垣間見ながらの生活になっただけで、楽しくもあり、苦しくもありで、どの程度を自分自身の基準に置くかを、まだ摸索している現状です。これから、数回に渡り、本土では、中々味わえなかった経験をつづって行きたいと思っています。
2007.10.20
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クロ・デゥ・ヴージョのシャトー前の門です。ワインがお好きな方なら、あまりにも有名なシャトーです。クロというのは、囲まれたと意味ですが。そう言えばブドウ畑を囲む様に石垣が積まれ、この地方独特の地形から考えられた物と思われます。こちらで作られるワインは、香りが強く、その中にも気品と穏やかさがあると言われています。この門には、クロ・ブラン・デゥ・ヴージョと書かれていますので、この門内は、白ワインの畑でしょうか・・・・
2007.10.15
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名も知らぬシャトーご存知の方からは叱られそうですが、私の勉強不足で、このシャトーの名は分かりません。しかし、あまりの背景の美しさに写真を撮ってしまいました。重厚な鉄の門から、奥まったシャトーまでの両脇を、ブドウ畑が生い茂っています。ブルゴーニュのワイン街道を、車で走っていると、この様な背景が、あちらこちらで、目に入り、まさしく、ワインの故郷だと実感させられます。
2007.10.12
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ルディグ氏の弟ジャッキー夫妻の車で、ブルゴーニュのワイン街道を南下している時に見付けたニュイ・サンジョルジュの標識です。よく見ていただくと、下の方にICHINOMYA(Japan)とあります。ニュイ・サンジョルジュ市と愛知県の一宮市が姉妹都市になっているのでしょうか?思わぬ所で郷里に近い懐かしい地名を見付けて感動しました。私が以前住んでいた岐阜の田舎は、イタリアのファエンツァと姉妹都市提携をしていて、ファエンツァの市長が来日された時は、私のレストランで、ファエンツァ側主催の晩餐会を開いていただいた事があります。いつかイタリアへ行く機会があったら、ファエンツァへも行ってみたいと、この標識を見付けた時、思いました。
2007.10.11
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今回は、またフランスの話に戻りたいと思います。短いブルゴーニュの旅で、まず行ってみたかった所は、ここオスピス・ド・ボーヌです。ボーヌと言う町は、ワインでも有名ですが、大変小さな町で、この町を世界的に有名にしているのは、やはりここオスピス・ド・ボーヌのお蔭です。修道院であって、また、名前の如く(オスピス)病院として多くの病に苦しむ人たちを助けてきたのです。ワインの銘柄としても有名なオスピス・ド・ボーヌは、そのワインで得た収益をも病気の人たちの為に使われたのでしょう。現在は、博物館の様になっていて、当時の有様が見学出来るようになっています。当時の医療では、とても救えなかった病人も多かったのでしょう。イエスキリストを祭った教会の中の両サイドにベッドが、並べてあり、病に苦しむ人たちは、神に救いを求めながら療養をしていた事がよく分かります。
2007.10.09
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こちらに来て、まともに台風の直撃を受けるのは初めてでした。沖縄の台風は、以前私が住んでいた岐阜と違い、出来立てホヤホヤで、接近して来ると同時に段々規模が大きくなってくるのです。私が住んでいる宮古島に達する頃には925HPまで成長していました。気象情報を見てみると、なんと瞬間最大風速が70mと出ています。前日から私の周りの人たちも段々慌ただしくなって来て、室内へ運べる物は片付け、運べない物はロープで縛り付けて固定します。私自身あまり役にもたちませんが、お手伝いしている内に段々怖くなってきました。ところが、こちらの人たちは台風慣れしているのか、皆淡々と作業を進め、私が「怖くないの?」と訊くと、「4年前の台風14号は風速が100mを越したから、こんなのまだ大した事がない。」と返ってきました。そして台風が段々接近してくると、上空では、風の音がゴーと唸りをたて始め、普通に立っている事も出来ません。(昼には気が付かなかったのですが)夜になると、見渡す限りの電柱から火花が出ているのです。4年前の台風では何十本もの電柱が倒れ、何週間も停電した、と訊いていたので私の不安は益々大きくなってきました。強風の中、何とか作業を済ませ、「何事もなく、早く台風が去ってくれるといいね」と私が言うと、「今晩からがピークで、台風の速度がかなりゆっくりだから、二日間は荒れまくるよ」と返ってきました。そして若い同僚たちが「今晩は料理長の家で宴会だから、よろしくお願いしま~す」と「はぁ~?」なんで台風の夜に宴会なんだ! こちらではあたり前の事のようです。どちらにしても、こんな大きな台風の夜を一人でいるよりは、皆がいてくれた方が心強いか、と了解してしまったのですが、結局、彼らは朝まで飲みまくっていました。ある意味、何だか大変な所に来てしまったような気がしてきました。
2007.10.08
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沖縄へ引っ越して来て、もう1ヵ月になってしまいました。慣れない環境と職場での悪戦苦闘の毎日で、まだ本格的にはブログを始める事は出来ませんが、時間を見ては少しずつ、やって行こうと思っています。どうぞ皆さんよろしくお願いします。ここ宮古島も朝夕の風は日増しに涼しくなってきました。今晩からは、今年最後と思われる大型台風が接近するようです。私にとっては、沖縄では初めての大型台風体験です。無事台風が去ってくれる事を祈り、その体験を次回には、お知らせします。
2007.10.04
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長い間、ご愛読いただきまして、ありがとうございました。 諸事情により、しばらくお休みさせていただきます。 また、「思い出のフランス」の名で、皆さんとお会いできます事を誓って・・・・ 本当にありがとうございました。
2007.08.25
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本場で食べたエスカルゴ ブルギニオンです。 アルザスのエスカルゴより一回り程小粒でした。ただ残念な事に、入ったレストランは中々の規模で、綺麗なところでしたが、お料理の方はもう一つでした。 このエスカルゴも処理の仕方が良くなかったか? 生臭く仕上がっていました。 今度は当たりの店で食べてみたいです。きっと、こんな筈はないと思います。
2007.08.05
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こんな事を言うと怒られるかもしれませんが、ブルゴーニュへは、私一人で2泊3日程をかけ、電車を使いのんびり旅をするつもりでした。 しかし、マダムが「こんな短いバカンスに3日も使ったら勿体ない」と言い出し、結局ルディグ氏の弟夫婦が車を飛ばし、1日の観光になってしまいました。 この7日間の休みの間、ずっとルディグ氏のお宅で宿泊する事になり、念願の知らない町での一人旅は実現出来ませんでした。 写真はマスタードで有名なディジョンで!! ルディグ氏の弟夫妻です。
2007.08.03
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今回からはディジョンからボーヌにかけて、ブルゴーニュの旅のお話をして行きたいと思います。写真はボーヌ最大級のカーブ内にあるパトリアッシュ氏の石像前です。こちらでは、入場料を払えば、カーブ見学をさせてくれ、タースデゥヴァンと言う、味見用の器をいただいて10数種類のワインをテースティングさせてくれます。カーブ内は大変広く、迷路の様になっていて、矢印に従って見学をして行きます。そして帰りにはそのタースデゥヴァンをお土産として頂いてこれます。
2007.08.01
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再びアルザスへ33私の休みは以前にも書いた様に、午前中からルディグ氏の実家で過すことが多く、今日も来て、ルディグ氏の弟たちの遊び相手をしています。そうすれば、マダムも一時は家事に没頭出来ます。ルディグ氏はあまりスポーツは得意ではないので、サッカーや卓球など弟たちの好きなスポーツの相手は対外私になります。今日はサッカーの相手をさせられました。手の空いたマダムも見に来て、犬のボビーまで一緒になって駆け回っています。そこに一匹の珍客が登場しました。隣の犬のニグラです。ボビーとニグラは大変仲が悪く、凄まじいケンカが始まりました。もうサッカーどころではありません。下手に止めようとすれば、私たちが噛まれてしまいます。そんな時マダムが足元の小石をつかんで「コンチクショー!」とニグラに投げつけたのです。ところが、その小石はてんで見当違いに飛んで行き、隣のカレージの窓に直撃してしまいました。 ガチャーン!! 私たち皆、目が点になっていました。すると、マダムが「それ~逃げろ~!」と一番に駆け去るのです。私たちは蜘蛛の子を散らす様に逃げていきました。後はどうなったか知りませんが、マダムの「それ~逃げろ~!」には度肝を抜かれました。それにしても、あのまるっきり違う方向に投げた、運動神経の無さは、ルディグ氏に受け継がれているのだ、とその時初めて気が付きました。 ここで一言、ルディグ氏は球技は苦手ですが、駆け足は早いです。
2007.07.31
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ミュールと言います。日本ではあまりお目にかからないフーツです。ラズベリーと同じ仲間だと思いますが、真っ黒にならないと、酸っぱすぎて食べれません。今が丁度収穫時期です。私の店の庭で栽培していますが、この木の苗は、私の家の玄関前に置いてあった物で、どなたが置いていかれたものか、未だに分かりません。ただ枯らすといけないと思い、鉢植えから庭先に植え替えたところ、どんどん大きくなり、今では、毎年沢山の実を提供してくれます。
2007.07.30
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再びアルザスへ32 ある日の夜、お客さんの料理を出し終わり、皆で食事をしていると、一人の老婦人がやって来ました。私は知らない人でしたが、ルディグ家の面々とは親しげに話をしています。マダムに「だれです?」と訊いたら、ルスティックの経理士さんの奥さんだそうです。その経理士さんは私も知っている方ですが、奥さんは初対面でした。彼女の話では、彼女が外出中、ご主人が家の鍵を持ったまま、旅行に出掛けてしまい、家に入れないと言うのです。今晩だけでいいから泊めて欲しいそうです。2階のアパートには、ホールの女の子が使っていた部屋がそのまま空いていたので、泊めてあげる事になりました。彼女はここへ来るタクシー代位しかお金を持っておらず、夕飯も食べてないので、お勘定は後にと言う事で食事をしました。でも何となくおかしな雰囲気が漂うのです。そしてお腹がふくれたら、もう寝たいと言うのでマダムが部屋に案内をし、私たちはまだ暫らくカフェの仕事が終わらないので、先に休んでもらいました。今晩もカフェの方は大盛況で、終わったのが深夜1時位だったと思います。今日はお客さんが泊まっているので、静かに部屋に入り、いつもの様に爆睡です。それから、どの位たったでしょうか、私の部屋のドアが開く音に目覚めました。すると其処にあの老婦人が立っているのです。まだ真っ暗でしたから、午前3時~4時位だったと思います。そして彼女が「お前は誰だ~」と、「私の家で何をしている~?」と叫ぶのです。私はビックリを通り越して怖くなってしまいました。私も思いっきり大声でルディグ氏を呼びました。まさか幽霊だとは思いませんでしたが、どう考えても、彼女は普通ではありません。翌日解ったことですが、彼女はご主人の女性問題で、ノイローゼになっていたらしく、又、ご主人も旅行など行っておらず、昨夜はずっと彼女を探し回っていたそうです。それにしてもお騒がせもいいところで、本当にビビリました。マダムはそのご主人に随分怒ったそうです。彼女なら言いそうです。 http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.30
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再びアルザスへ31ジビエのシーズンが過ぎると、私自身の仕事も随分楽になります。と言うのも前記したように、イノシシも鹿も一頭から捌いていたので、まずその作業がなくなる訳です。これで暫らくは私もゆっくり眠る事が出来ます。季節が四月になるとめっきり日が長くなり、お客さんの入りも遅い時間になってきます。休憩時間が取れるようになり、久々に中国人の友達に誘われて町に出る事になりました。彼は私などより、よっほどフランス語が堪能ですので、いつも彼任せで付いて行くだけですが、連れて行ってくれる所が中々面白く、フランス人の友人ではきっと知らないだろうと思うような所も数多くあります。(当然私一人ではとても行けない様な所も!) そしてそう言う所にはこんなにいるの?と思うほど中国人でごった返しています。そこへ行くとちょっとしたプティチャイナタウンにいるみたいで、中国や台湾に行った事のない私には、(横浜や神戸のチャイナタウンにも行った事がない)これはこれで、ちょっとした外国にいるみたいな気分で、中々楽しいものでした。普段はコーヒーばかりのんでいる私もこう言うところへ来ると、ジャスミンティーなど頂いて、見た目が変わらないので、その中に溶け込んでしまいます。チラホラいるフランス人のお客さんも私の事を完璧に中国人だと思っているようでした。日本にいたら、こんなに親しく中国の人たちと、接する事もなかったでしょうし、私は大変良い経験をさせていただきました。この次はコルマーで親しくなったベトナム人の話をします。
2007.07.29
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再びアルザスへ30アルザスも少しずつ、春めいた季節になって来ました。と言って日本の様にポカポカしている訳ではないのですが、人の動きが何だか活発になって来た様な気がするのです。長い冬眠から覚めたようだと言った方が良いのでしょうか!少しづつ日も長くなって来ますし、目覚めた時、明るいだけでも嬉しいのです。もうすぐ春だ~、それだけで人々の気持ちが変わって来るのです。私などはまだ防寒着を着ているのに、街では半袖シャツを着て歩く人もいるほどです。今日は久々に(定休日)大人だけで会食に行く事になりました。ご主人、マダム、ルディグ氏に私です。この冬最後のジビエ料理(野生の鳥獣)を堪能しようと言う事です。フランスでは、ご馳走と言えば、旬の野生動物であって牛肉や豚肉ではありません。イノシシ、鹿、ツグミに野ウサギ、あらゆる物を食します。その季節でしか食せない物が一番のご馳走なのです。私は正直言って、ジビエは癖が強く、それを消す為に使う香辛料があまり好きではないのですが、日本ではあまり味わえない料理ですので、勉強の為にご一緒させていただくのですが、大抵、夜眠むる時にゲップが止まらなくなる事が多いです。香辛料は漢方薬に通じ、また、食材の保存及び風味を良くする働きがあるのですが、決して消化の良い物ばかりではありません。私の様に、あまり胃腸の丈夫でない者には取り過ぎは禁物ですhttp://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.28
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再びアルザスへ29結局、余裕を持って帰って来るつもりがぎりぎりになってしまい、すぐに仕事の再開です。と言っても忙しいのはカフェばかりで、料理場の方はそれほど追われる事もありません。前記したようにアルザスの冬は大変厳しく、カフェをオープンすると、まず郵便配達のおじさんがやって来て、コーヒーとカルバドス(リンゴのブランディー)を飲んでいきます。今では考えられませんが、当時この寒さの中、強いお酒を飲まないと外廻りは暖が取れないと言うのです。(言い訳半分かな?) ここルスティックは村では唯一朝から営業している店だったので、近くのお年寄りたちの溜まり場のようになっていました。朝一に入店してランチを食べて帰る(5~6時間滞在)お客さんが少なくなく、メインディッシュはもちろん、スープも毎日替えなければなりません。寒いアルザスの一番のご馳走はやはり暖かいスープなのです。こんな事が一度ありました。それは、夏の出来事で、その年は例年になく暑い日が続き、その日のメニューのスープを冷製にしたのです。ところがマダムがそんな物はスープじゃないと、突っ撥ねたのでケンカになってしまい、頭にきた私は流しに全部捨ててしまった事があります。当時のアルザスはスープは温かい物だ、と言う先入観が大変強かったように思います。現在のアルザスは地球温暖化の所為か、30℃を裕に越える猛暑の日が頻繁になって来て食生活もさっぱりした物を好むようになって来ているそうです。そう言えば、一昨年五月に訪れた時、私はてっきり寒いものと思い厚着でアルザスに向かった所、到着時あまりの暑さに驚いて、気温を訊いたら、31℃もありました。寒くて辛かったアルザスも今では懐かしく思われます。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.27
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写真は私の送別会のものです。今日は(7/25)大変うれしいことがありました。ルディグ家にスカイプが着いたのです。私はこれでもスカイプ暦5ヶ月で色々なフランスの友人たちとお喋りなどを楽しんでいたのですが、ルディグ氏はあまりパソコンには詳しくなく、アフリカに住んでいる弟がバカンス休暇でアルザスに帰って来るまで、スカイプは御預けになっていました。それが今日やっと使える様になり、ルディグ家全員ウエブカメラの前に並んで、大喜びです。マダムはウエブカメラを覗き込む様にして(全面アップ)話をします。映らなくなった人がカメラの位置を変えるとマダムが映らなくなり、またそれを戻して、なんだかカメラの取り合いの様な事をして大はしゃぎです。中々フランスには行けない私には、リアルタイムで相手を見ながら話しが出来る事に本当に感動していますし、マダムも本当に嬉しそうです。また明日も連絡する事を約して、今日はもう寝ますzzzzz。
2007.07.26
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久しぶりの日本へ5日本を発つのもまた東京からになるので、前日に実家を出なければなりません。母が名古屋駅の新幹線のホームまで送ると言うのです。子供じゃあるまいし、いいと言っても聞きません。私が新幹線に乗車し、去って行く母を新幹線が追い抜いて行く時、泣いている母の横顔が目に入りました。やっぱり私は自分が思っているよりも両親に心配をかけているんだ、と改めて実感しました。でもしばらくは、修業を続けなければなりません。東京に着いて、前もって予約してあったホテルに入りました。そのホテルは都イン東京、志摩観光ホテルと同系列のホテルで、先輩や後輩たちが何人か働いています。帰国時に予想外な思いをしたので、今回は無難に帰る事にしました。ホテル内で軽く食事をし、後輩たちと近状報告などをして、その日はゆっくり休みました。そして翌日、両親がルディグ家にと持たせてくれたお土産が大量だった為、早めに空港に向かいました。渡航手続きを済ませ、出国審査も済ませて待合所でのんびりしていると、私の乗る飛行機が整備の為、出発が遅れると言う放送が入りました。それも5時間です。「ひぇ~、こんなところでそんなに待つの~」と私だけでなく他の人たちもうんざり顔です。そして5時間後、また放送が入り、またもや5時間待たされる事になり、最後はいつ飛べるか解らない様な連絡です。多くの人がカウンターに詰め寄り「説明をしろ」と言っています。結局、その日は飛び立てず、飛行機会社の配慮で、ホテルニッコー成田で一泊する事になりました。そしてまた翌日、出発時間をまたも、5時間遅れて飛び立つ事になったのです。私は職場に帰るだけでしたので、「ま!しかたがないか」と思っていたのですが、ツアーの方たちの怒りはそんな物ではありませんでした。(当然です、向こうでの滞在が大幅に短くなるのですから!) そんなこんなで飛び立てたのは良かったのですが、給油でモスクワ空港に着いたら、また放送があり、「第○エンジンが作動しない為、次の旅客機をお待ち下さい」と言うのです。壊れた飛行機でここまで飛んできたの~、とビックリしました。結局、モスクワでまた5時間待たされ、パリの空港に着いたのは午前1時を過ぎていました。もうパリ市内へも行けませんし、行ったところでホテルを予約している訳でもなく、結局、バスの始発まで空港のベンチで夜を明かす事になってしまいました。これでは行きも帰りも思惑が外れっ放しの旅行です。やっとの思いでアルザスに着いた私は一辺にぐったりとしてしまいました。
2007.07.26
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東京では思惑外ればかりで、やっとの思いで実家に辿り着きました。東京から電話をしていた所為か、両親から友人まで、駅に迎えに来てくれました。二年やそこらで大袈裟ですが、本当に帰って来たなぁ~、と思いました。その日はそのまま実家の店を貸切で、宴会になってしまいました。現在では海外に行く事など、本当に簡単お気軽ですが、当時は田舎から海外に働きに行くなどと言うと大変な事の様なイメージがありました。宴会はその後、二次会三次会と続き、私は泥酔していつ眠ったのかも憶えていません。あくる日、二日酔いでガンガンする頭を抱えながら、店の方を覗いてみると、両親は、もう仕事を始めていました。「まだ寝てればいいのに~」と母が言ってくれます。父は「おい、軍資金だ!」と言って10万円もくれたのです。それからの数日は色々な友人から誘いを受け、一日と空けず、飲み歩く日々が続きました。弟も自分のバイト先の飲み屋に招待してくれました。(ここで驚いたのは昔、踊って歌う様な曲ばかり選んでいた弟が、私に合わせて演歌を歌い出したのです、それがまたうまい!) 何はともあれ、賑わしい日々でした。そして数日が過ぎた頃、アルザスと比べ日本は暑い暑いと薄着をしていたのと実家に帰ってきた安心感か、風邪をひいてしまったのです。フランスでも風邪ごときで寝込んだ事など一度もなかったのが、この時ばかりは立っている事も出来ないような有様でした。またそう言う時には運悪く、調理師学校時代の友人が九州から訪ねて来てくれたのです。彼は二日間、私の枕元で過していく羽目になってしまいました。やっと立てる様になった時には、彼の帰る日で父の運転で小牧空港まで見送りに行きました。本当に慌ただしく忙しい2週間でした。私も、もうアルザスに帰る日が迫ってきました。短いながらも一服の静養になりました。本当に楽しかった。またアルザスで頑張らないと・・・・。
2007.07.24
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夏にピッタリ、冷たいグリンピースのポタージュです。のど越しが良く、栄養満天です。一般にはジャガイモで作ったビシソワーズが有名ですが、グリンピースで作ったこのクレームサンジェルマンもぜひお試し下さい。http://www.ob3.aitai.ne.jp/~le-vert/
2007.07.24
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私の購入したチケットは、アエロフロート(ソ連航空)で、パリから、まず東京へ行かなければなりません。当時横浜の大学に行っている友人がいて、久しぶりに逢いたいから彼の学生マンションに泊まってくれとの事でした。私自身は一刻も早く両親に顔を見せたかったのですが、懐かしい友人にも逢いたかったですし、宿泊代も掛からなければ、横浜に一泊するのも良いナ、なんて思っていました。ところが、東京へ着いても待ち合わせ時間に中々彼は現れません。新幹線に乗っていれば、もうとっくに名古屋に着けている時間です。こんな事なら、約束しなければ良かったかなぁ~と思っていると、やっと彼が現れました。私は待ちくたびれて、早くマンションに連れて行って欲しかったのですが、その彼の一言「もう最終電車出ちゃったから、どこかでホテルでも取らんと!」「イぃ!」、これだけ待たされて結局ホテルかよ~。そして彼がそこら中のホテルに電話するのですが・・・、その頃丁度大学受験のシーズンで中々空いているところがありません。やっとの思いで捜しあてたホテルが、品川プリンスホテル、それも安い部屋はすべて詰まっていて、3万円以上の部屋しかないと言うのです。(今から27年も前の金額ですから相当な物です。)もう12時を回っていたのでしかたなくそこに決めました。最初の思惑と随分違ってしまって、(同年と言えど学生の彼に払わす事は出来ませんし・・・) 尚更、すぐ実家に向かえば良かったと心の中で思っていました。そしてあくる日、昼ご飯は東京で食べて行く事になり、日本に帰ってきたら、(まず汁物が恋しかったので)うどんが食べたいと言うと、彼が有名な店があるので其処へ連れて行くと言うのです。銀座だったと思いますが、有名店だけあってすごい込み様です。どれだけか待ってやっと席に着き、注文をする時、堅い目か柔らか目かと訊かれました。さすが有名店、麺の茹で加減まで訊いてくれるんだ、と感心していました。ところが、料理が運ばれてきて私は唖然としました。なんと其処は皿うどんの店だったのです。私の言い様が悪かったかもしれませんが、うどんと言えば、普通はだし汁の中に入っている物じゃないのかぁ~と!! 彼のトンチンカンぶりにほとほと呆れてしまい、そう言えば、中学の頃から気の利かない子だったナ~と、改めて想い出しました。これは早く実家に帰ったほうが良さそうです。
2007.07.24
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フランスを発つ日が迫り、急いでチケット代を振り込まなければなりません。ルディグ氏が午前中に振込みに行ってくれました。所が昼近くになっても戻ってきません。ランチのお客さんがどんどん入って来ます。昼のサービスがピークに差し掛かった頃、やっと帰ってきました。何だか大変不機嫌そうです。事情を聞きたくても中々手が離せません。やっと一段落して、彼の話を訊いて見ると、振込むお金の中の一枚に、偽札ではないかと疑いが掛かり、別室に連れて行かれ、随分待たされそうです。結果、偽札をもっていくわけもありませんし、ただ、そのお札は、彼ががポケットに入れ忘れて、洗濯をしてしまい、色褪せていた物だそうです。今では考えられませんが、当時のヨーロッパのお札は、日本と比べ物に成らないほど、紙質や印刷技術が悪くて、熱や薬品ですぐ変色したようです。ルディグ氏には気の毒でしたが、何はともあれ、お金も振り込んだし、数日後の出発を待つだけになりました。そして出発の前日、飛行機がパリ発の為、夜行列車でアルザスを発ちました。マダムには私の両親にと沢山のお土産を用意していただき、ルディグ氏はまた、列車の中でと弁当を用意してくれました。日本へ一時帰国出来る事の喜びもさることながら、改めてルディグ家には良くしてもらっている事を痛感しました。また戻って来てからは、しっかり働かないと・・・。そして沢山の土産話を携えて・・・!
2007.07.22
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ルディグ氏お得意の鴨のガランティーヌとフォアグラのテリーヌの盛り合わせです。 フォアグラをスプーンで盛り付けるのは、オーベルジュ・デゥ・リールと同じです。 私の大好物を知っている彼からの誕生日プレゼントです。美味しかった~
2007.07.22
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アルザスで最も辛い冬本番です。街に行き交う人々もうつむき加減で、足早に通り過ぎていきます。ここルスティックも冬期休暇に近かづき、私はどうしようか、まだ決めかねていました。カンヌのレストランも当然、冬期休暇です。ルディグ家は休暇中、どうしているかと言うと、何処にも行かず、自宅でのんびり過すそうですし、私にもそうしろと勧めてくれるのですが、何週間もボ~としているなんて私には考えられません。よし、思い切って日本に帰ろう!と決断しました。思えば日本を発って2年以上経っていました。ルディグ氏に預けてある給料も殆んど手付かずで、大分貯まっているようです。思い立ったら、すぐチケットの手配をしなければなりません。なんせもう間近です。色々な友人にあたって値打ちなチケットを売っている旅行社を捜して貰いました。パリのカレフーデゥジャポン、当時日本へのチケットを最も値打ちに販売している会社だそうです。そして急いで連絡を取り、思いがけず丁度良い日にちが取れるとの事でした。そのまま予約申し込みをし、後はお金を振り込むだけです。ルディグ氏が振り込みに行ってくれると言うので一安心、と、うまく事は運んでいたのですが・・・。
2007.07.22
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