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Ryu-chan6708

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2007.06.02
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カテゴリ: TV


A氏 :俺も見たが、 十兵衛 由比正雪 の事件が片付いてから、 松平伊豆守 論功行賞 として 十万石 を言われるが、その前に、 十兵衛が死んだことになっているのを修正 しようという話が出るね。
 しかし、 十兵衛は死んだままにしてくれ と言うね。
 これは、父がやっていた政治的な活動、いわば、 隠密的な活動をやめ静かな生活をしたい ということからだね。
剣を捨て、人としての人生を選ぶ。

:このドラマの原作は 津本陽 氏の「 柳生十番勝負:最後の闘い 」だね。

 実は、 十兵衛 慶安3年(1650) に死んでいるね。
 そして、 由比正雪 が起こした 慶安の変は慶安4年(1651 )だね。
 戦乱が終わり、 徳川幕府の強権政治で浪人が増加して、社会不安となった頃 だね。
 それに 3代将軍 家光が慶安4年4月になくなり、跡目の問題も出ていた頃 だ。
由比正雪 慶安4年7月25日 家康の霊地久能山と駿府城を奪うために駿府入りしている。

A氏 :なるほど、史実では、 1年差のタイミングで二人の対決はありえない のか。
 だから、津本氏はこの時代小説の上で、 十兵衛を誤って死亡扱いとさせ、翌年、表舞台に出させて由比正雪と直接対面することになる設定にする んだね。

:由比正雪には内通者がいて陰謀は発覚して、 駿府の宿屋で包囲され自害する。
46才
だという。
 十兵衛は41才でなくなっているから 、由比正雪のほうが2つ年上 かね。

A氏 十兵衛は父宗矩の後を継がない 、のだが 宗矩 はいつ死んでいるのかね。

:正保3年(1646)になくなる。
 75才だね。
将軍家光 は見舞っている。
 だから、 十兵衛がなくなったのはその4年後 だね。

A氏 :十兵衛は若死にだが、何かあったのかね。

:詳細は不明だが 鷹狩り中の事故死 らしいね。
 死んだところは 京都府 弓が淵 というところだという。
 今は 景勝地 になっているという。
火坂雅志氏の小説「柳生烈堂」 はこの十兵衛の死因追求のミスティリーだね。

A氏 :テレビのように 徳川頼宣 紀伊大納言 は、本当に 由比正雪 と通じていたのかね。

:史実としては、 由比正雪が頼宣の印章文書を偽造した際、幕府に謀反の疑いをかけられ、10年間紀州へ帰国できなかった そうだね。
西郷輝彦 演ずる 松平伊豆守 頼宣 はお灸をすえられる。
 テレビでは、 頼宣は由比正雪にだまされてかつがれた ということになっているね。
頼宣の孫が8代将軍吉宗 だ。

A氏 頼宣 奇声を発して西村雅彦が演じていた が、そういう人物だったのかね。

南龍公 と呼ばれるほどの 気の荒い大名 だったというね。
 三代将軍家光のやり方には不満を持っていたという。
頼宣 家康の子供 だが、 家光 家康の子で2代将軍秀忠の子だ からね。

A氏 家康の孫 か。
頼宣にとっては甥 だね。

:けれど、家康の晩年の子のせいか、 家光より2つだけ年上 だね。
家光が47才の若さで死んだ とき、 長男家綱はまだ10才
頼宣は49才
次の将軍を狙って家光の死には強い関心を持つのは当然 だね。
 しかし、由比正雪のためについに押し込められる。
慶安の変の後、20年後に69才でなくなる。

柳生十兵衛と由比正雪を扱った時代小説 には 山田風太郎 の「 魔界転生 」がある。



 これは史実に忠実で 柳生十兵衛と由比正雪の直接対決 はないが、 頼宣と十兵衛の対決 は出てくるね。
山田風太郎 の「 柳生十兵衛死す 」で 十兵衛は弓が淵で死ぬ


 これも 史実とタイミングを合わせているね
 山田風太郎はそういう点はうるさいね。






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Last updated  2007.06.02 07:09:35
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