PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
A氏
:俺も見たが、 十兵衛
は 由比正雪
の事件が片付いてから、 松平伊豆守
に 論功行賞
として 十万石
を言われるが、その前に、 十兵衛が死んだことになっているのを修正
しようという話が出るね。
しかし、 十兵衛は死んだままにしてくれ
と言うね。
これは、父がやっていた政治的な活動、いわば、 隠密的な活動をやめ静かな生活をしたい
ということからだね。
剣を捨て、人としての人生を選ぶ。
私 :このドラマの原作は 津本陽 氏の「 柳生十番勝負:最後の闘い 」だね。
実は、 十兵衛
は 慶安3年(1650)
に死んでいるね。
そして、 由比正雪
が起こした 慶安の変は慶安4年(1651
)だね。
戦乱が終わり、 徳川幕府の強権政治で浪人が増加して、社会不安となった頃
だね。
それに 3代将軍
家光が慶安4年4月になくなり、跡目の問題も出ていた頃
だ。
由比正雪
は 慶安4年7月25日
に 家康の霊地久能山と駿府城を奪うために駿府入りしている。
A氏
:なるほど、史実では、 1年差のタイミングで二人の対決はありえない
のか。
だから、津本氏はこの時代小説の上で、 十兵衛を誤って死亡扱いとさせ、翌年、表舞台に出させて由比正雪と直接対面することになる設定にする
んだね。
私
:由比正雪には内通者がいて陰謀は発覚して、 駿府の宿屋で包囲され自害する。
46才
だという。
十兵衛は41才でなくなっているから 、由比正雪のほうが2つ年上
かね。
A氏 : 十兵衛は父宗矩の後を継がない 、のだが 宗矩 はいつ死んでいるのかね。
私
:正保3年(1646)になくなる。
75才だね。
将軍家光
は見舞っている。
だから、 十兵衛がなくなったのはその4年後
だね。
A氏 :十兵衛は若死にだが、何かあったのかね。
私
:詳細は不明だが 鷹狩り中の事故死
らしいね。
死んだところは 京都府
の 弓が淵
というところだという。
今は 景勝地
になっているという。
火坂雅志氏の小説「柳生烈堂」
はこの十兵衛の死因追求のミスティリーだね。
A氏 :テレビのように 徳川頼宣 紀伊大納言 は、本当に 由比正雪 と通じていたのかね。
私
:史実としては、 由比正雪が頼宣の印章文書を偽造した際、幕府に謀反の疑いをかけられ、10年間紀州へ帰国できなかった
そうだね。
西郷輝彦
演ずる 松平伊豆守
に 頼宣
はお灸をすえられる。
テレビでは、 頼宣は由比正雪にだまされてかつがれた
ということになっているね。
頼宣の孫が8代将軍吉宗
だ。
A氏 : 頼宣 は 奇声を発して西村雅彦が演じていた が、そういう人物だったのかね。
私
: 南龍公
と呼ばれるほどの 気の荒い大名
だったというね。
三代将軍家光のやり方には不満を持っていたという。
頼宣
は 家康の子供
だが、 家光
は 家康の子で2代将軍秀忠の子だ
からね。
A氏
: 家康の孫
か。
頼宣にとっては甥
だね。
私
:けれど、家康の晩年の子のせいか、 家光より2つだけ年上
だね。
家光が47才の若さで死んだ
とき、 長男家綱はまだ10才
。
頼宣は49才
。
次の将軍を狙って家光の死には強い関心を持つのは当然
だね。
しかし、由比正雪のためについに押し込められる。
慶安の変の後、20年後に69才でなくなる。
柳生十兵衛と由比正雪を扱った時代小説 には 山田風太郎 の「 魔界転生 」がある。
これは史実に忠実で 柳生十兵衛と由比正雪の直接対決
はないが、 頼宣と十兵衛の対決
は出てくるね。
山田風太郎
の「 柳生十兵衛死す
」で 十兵衛は弓が淵で死ぬ
。
これも 史実とタイミングを合わせているね
。
山田風太郎はそういう点はうるさいね。
12面体スピーカー 2009.07.17
「プーチンは"皇帝"になるか」NHKクロ… 2007.11.30 コメント(2)