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Ryu-chan6708

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2008.03.22
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カテゴリ: 社会問題



チベットの騒乱 には驚いたね。
中国政府 は、 チベット自治区 を完全に支配していたと思っていたからね。
  今の 胡錦濤 国家主席は、この自治区を安定支配した功績を認められて上にあがってきたというからね。
チベット自治区の最高責任者 であった 1989年頃からの4年間 、「1.分離主義の弾圧、2.経済建設を推進」する政策を実行し成果 をあげたと ウィキペディア にある。
  早速、「 地図で読む世界情勢第1部 」を開いた。
チベットの首都ラサ の変化が 4つの地図 で示されている。

A氏 中国人民解放軍 チベットに侵攻したのは1950年 だね。
  この頃は 冷戦時代 だから、アメリカはニクソンによる日中国交樹立まで、CIAは陰でチベットを支援する。
ダライ・ラマ は中国政府に拉致されそうになり、 1959年にチベット脱出し、亡命生活 に入るね。

1950年頃の地図 では 約3万人の人口 古い寺院のまわりに住宅がきちんとまとまっていた。
中国政府は、まず、この住宅地帯を 環状道路 で囲む。

A氏 1984年 、中国政府は「 チベット発展計画」を導入 するね。

:これからガラッと ラサ は変わる。
コンクリートの建物 ができ、 直線的な道路 ができ、 古い建物はとりこわされる。
  1990年
になると、 人口15万人の新都市 が生まれる。
毎年、30軒ずつ伝統的な家は壊されていった という。

A氏 :この頃、今の 胡錦濤国家主席がチベット自治区の最高責任者 だったわけだ。

古都ラサ から チベットの象徴 をとりあげた。

A氏 1994年 に、中国政府は ダライ・ラマの住居だったボタラ宮をユネスコの世界遺産に登録し、単なる博物館 にしてしまう。

1994年の地図 では、 ラサは新設の都市が拡大して、人工的な大都市 になっているね。
2000年の地図 を見ると、その拡大のすごさがわかる。
1950年代には、3万人 住んでいて、 3平方キロメーターのラサの町 は、 2000年には60平方キロメートル になった。

A氏 1990年代の10年くらいの間に、20倍の拡大 だね。

旧市街にあった家は3分の1 になり、続々と新しい近代的な家が作られていく。
  そして、政府は 移住者を誘致 する。
  すでに、 ラサには30万人の中国人 が住んでいるという。
  これは チベット人の3倍 だという。

A氏 十数年 くらいの間に、 10倍の人口増加 だね。
  それも、 移住した中国人が殆どを占める というわけだね。
  「 1.分離主義の弾圧、2.経済建設を推進」の成果 が地図でも明らかだね。

:いかに 中国政府 根こそぎにチベット文化を破壊 しようとしたか、その 強烈な意図 が分かるね。
  何が、そこまで 中国共産党政府の憎しみ をかりたたせるのだろうかね。
国境 を固めたいのかね。

A氏 :今度の 騒乱 では、 中国大陸内部 でもあったそうだね。

:これもこの本の中 国の民族分布図 を見ると、 中国の内陸部の揚子江周辺とタイ国境辺とに チベット族 が住んでいるね。
甘粛省 四川省 だね。
  今回の騒乱で、まだまだ、 チベット文化の抵抗 は根強く残っているようだね。
  しかし、これは単なる チベット民族弾圧 だけでなく、 貧困の格差拡大などの不満 が背景にあるのではないのかね。

 ちょっと目が離せないね。






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Last updated  2008.03.22 22:05:16
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