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私 : 「格差」 と 「不平等」との違い についての 大野博人氏の 指摘 にはなるほどと思ったね。
それは、 成立した改正公職選挙法 で 、議員1人あたりの人口の「格差」が1対3・08から2・985に縮小した ということだが、 背景にこれを「格差」と呼ぶレトリックがあるという わけだ。
問題のより本質的でより正確な名前は1票の「不平等」 であって 「格差」 ではないと 大野 氏はいう。
取り組まなければならないのは、「格差」の縮小というより一票の「不平等」の解消のはず。
確かに、 「不平等」には、本来実現しなければならない「平等」が損なわれている、という含意 があり、 「格差」ではそれが置き去りにされがち。
A 氏 : そういう視点 からみると、 「不平等」から「格差」への言い換えは、1票の重みについてだけ見られるわけではなく 、 経済、世代、男女、教育、情報など、ほかの多くの問題の語り方にも入り込んでいる というわけだ。
京都女子大学客員教授の橘木俊詔 氏の 1998年に出版した著書「日本の経済格差 」 は、 日本に「不平等」が広がっているといち早く指摘、分析して反響を呼んだ本 だが、 「最初は書名に『不平等』という言葉を使おうとしたのだけれど、編集者と相談して『格差』になった」 という。
橘木 氏は、 「『不平等』というと過激な思想を連想されそう。だから当時、書名をオブラートに包もうとしたのだと思う」 という。
その後2006年に著した「格差社会 」も前作以上に話題となった が、 橘木 氏は、 「でも、たしかに英語や仏語の世界では同じ問題を『不平等』として論じている。私も英語で書くときは『不平等』を使う。悩ましいところです」 という。
私 : 公的機関やメディアでも日本語での記述には「格差」の方が目立つ。
たとえば経 済協力開発機構(OECD)のリポートで英語の原文が「所得の不平等」 でも、 邦訳では「所得格差 」 になる。
新聞などで「経済的不平等」という言い方が使われるのはグローバル世界や外国のニュースのときが多く 、 日本についてはたいてい「格差」。
「格差」の言葉によってさまざまな「不平等」がイデオロギーの次元から解放され、議論しやすくなったという面はあるのかもしれない が、 同時に肝心な部分を見えにくくしたのではないか と 大野 氏は 指摘 する。
まさに「格差」ではポイントがぼける ね。
A 氏 : この本質的な問題を見えやすくするために、大野氏はこれからは各選挙区の投票用紙に正確な「票数」を記しておいたらどうか と 提案 。
一番人口が少ない選挙区と比べて「あなたが行使できる投票権 は3分の1人前」とか「2分の1人前」というように。
あるいは、 自分の票の重みがどう変わったかわかるようにしてもいいように、「前回までは3分の1人前以下でしたが、法律の改正で2分の1人前に少し近づきました」
とか。
しかし、 これでは、有権者が議員を選ぶのでなく、議員が有権者を選んでいるようだ。
これで「前より平等になった」と喜ぶ有権者がいるとは思えない と 大野 氏はいう。
私 : 「格差」が縮小したと言ってごまかし、有権者を「3分の1人前」扱いする「不平等」を放置 したまま、 どうやって議員の信頼を回復できるだろうかと大野氏はいう。
まさに、国民は「格差」と「不平等」のレトリックから脱すべきだ
ね。