デフレの正体 0
原発 0
体罰 0
糖質制限食 0
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私:近所のマンションに住む孫2人が小さい時、「きかんしゃトーマス」のおもちゃを買ってやりよく遊んだものだ。 今はもう用済みになった多くの「きかんしゃトーマス」とその仲間の機関車が押入れの奥にしまいこんである。 「きかんしゃトーマス」は、英国の絵本が原作で、主人公は男の子機関車のトーマスで、架空の島「ソドー島」を舞台に、トーマスと仲間たちの友情や、困難を乗り越える様子が描かれ、英国では1984年にアニメ化され、日本でも90年から放映され、映画化もされており、世界的に人気のキャラクター。 その「きかんしゃトーマス」が、国連の持続可能な開発目標(SDGs)を取り入れ、ジェンダー平等の観点から女の子機関車が準主役で新登場し、男の子機関車が多かった主要キャラの男女比も、半々に近づくという。 このニュースを知って、トーマスを含めた主要機関車7台が使う「ティドマス機関庫」のメンバーは、これまで女の子機関車はエミリーだけで、男女比が6対1だったことに気がついた。 孫が2人とも男の子だったので、今まで機関車の男女比が6対1だったことが気にならなかったね。 A氏:日本でのマスターライセンスを持つ「ソニー・クリエイティブプロダクツ」(SCP、東京)によると、来年4月公開予定の映画「Go!Go! 地球まるごとアドベンチャー」や、その後続くテレビアニメの新シリーズで、ケニア出身の女の子機関車「ニア」が準主役で登場し、映画では、トーマスと一緒に世界中を回り、各地の多様な機関車と交流を深める。 トーマスを含めた主要機関車7台が使う「ティドマス機関庫」のメンバーも変わり、男の子機関車のエドワードとヘンリーが「スタメン落ち」し、代わりにニアと新しい女の子機関車代わりにニアと新しい女の子機関車レベッカが入る。 こうした変化は、「きかんしゃトーマス」の商標権などを保有する米マテル社と国連がSDGsを子どもたちに伝えるため、共同で新シリーズを企画したことによる。 SDGs17項目のうち「ジェンダー平等を実現しよう」など5項目を盛り込んだという。 国連は発表資料の中で「差別を助長する固定観念は幼児期に形成される。『きかんしゃトーマス』とニアのような登場人物によって、外見や話す言葉が違っても大切な存在であり、果たすべき役割があるという考え方を子どもに伝えられる」としている。 私:愛知淑徳大の若松孝司教授(ジェンダー論)は、男女比を調整する試みは評価できる、として、「子ども向けアニメは、女の子の登場人物に可愛らしさやサポート役を求めていることが多い。子どもはそれを受け入れ、『手本』にしていってしまう。作り手の大人は、固定的な男女役割を子どもに押しつける描き方になっていないか、と問い直す作業が必要だ」という。 新しい「きかんしゃトーマス」はどういう物語になるか、孫と遊んだ過去を思い出して興味があるね。
2018.11.08
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私:喜田尚氏は、南部ソチで開かれた毎年内外の研究者や文化人、政治家が集まり、最終日にはプーチン大統領も登場する有識者フォーラムの「バルダイ・クラブ」討論会を取材。 最初の討論のテーマは「変わる世界と、国のアイデンティティー」で、パネリストの一人、演出家コンスタンチン・ボゴモロフ氏の発言が刺激的だったという。 同氏はドストエフスキーの「白痴」の主人公を小児性愛者として描くなど、挑発的な舞台で知られ、「私の演出はロシアでは全て認められるが、西側のプロデューサーには『君がその演出をやったら私はクビになる』と止められる」と欧州の自己規制を批判し、続けた。 また、同氏は「ナチスを経験した欧州は人間に憎むことを禁じた。愛することしか許さず、『寛容』は全体主義に姿を変えた。だが、人間には憎む権利があるはずだ」という。 矛先が向けられたのは、進歩的な価値を重んじ、差別表現を排する欧州エリートの「ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ)」で、壇上の他のパネリストからも似た批判が続いた。 A氏:喜田氏は昨年末から15年ぶりにロシアに住んでいるが、人々が「ロシアとは」を論じるとき必ず欧州が引き合いに出されるのは昔と同じだが、その距離感はずいぶん広がったという。 国際政治の場でくり返されるロシア批判に反発し、返す刀で語られる欧州批判には強い攻撃性がにじむという。 喜田氏に、問い合わせがあった記事は人権保護、法の支配を掲げ、47カ国が加盟する「欧州評議会」をめぐるもので、「ロシア」では、ソ連崩壊後何年もかけてやっと加盟を果たしたこの機関をめぐって、脱退論が頭をもたげている。 「ロシア」は、ウクライナへの介入で投票権を奪われ、反体制派や性的少数者への抑圧をめぐっても激しい批判を受けるからだ。 「バルダイ討論会」のコーディネーターで政治学者のフョードル・ルキャノフ氏は「ロシアが加盟したのは欧州の一部であろうとしたから。だが当時、同性愛を認めることは条件になかった」と話す。 私:「ロシア」が「欧州評議会」から脱退すれば、国内の人権侵害被害者への打撃は大きい。 「欧州評議会」のもとには「欧州人権裁判所」があり、その決定は加盟国に拘束力を持つ。 昨年の違反決定908件のうち「ロシア」からの訴えは293件で、99件で2番目のトルコを引き離す。 「ロシア」では、裁判所が最後の砦だった人々は行き場を失う。 「ポリティカル・コレクトネス」は今、欧米でも右翼勢力などの批判の的。 「バルダイ討論会」では会場の米国人女性が「批判が少数者の声を締め出すために利用されている」と訴えたが、壇上からの反応はなかったという。 ブログ「伝統的規範が支える民主主義 寛容さ失えば独裁者生む」で、とりあげたが、少数派への「寛容」や多様性の尊重は世界的に失われてきているようだね。 民主主義の危機か。
2018.11.05
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私:マイケル・ムーア監督の新作「華氏(かし)119」が、ムーアは米中間選挙に影響を与えるべく、投票の直前にの2日から公開されている。 評者は、マイケル・ムーア監督は世界を「善」「悪」に二分し、そして「悪」を攻撃する材料を並べる。この手の作品をドキュメンタリーというより、私たちはプロパガンダと呼ぶと石飛氏はいう。 ムーアの思想には大いに共鳴する者ではあるが、彼の手法にはこれまで全く共感できなかったが、トランプ大統領を批判した最新作「華氏119」には脱帽させられたと石飛氏はいう。 ムーアは扇情的な映像と音楽を駆使して「いま必要なのは行動だ」とあおり、ここまでプロパガンダを徹底すれば、あっぱれというべきだろうという。 A氏:「華氏119」には過去のムーア作品と異なる点があり、彼はトランプを斬った刀で、民主党や大手メディアなどリベラルエリートにも鋭く斬り込んでいき、これがめっぽう面白い。そして、全体の印象をいつもより複雑にしているという。 タイトルが出るまでの冒頭7分が圧巻で、2016年の大統領選挙の投票日前には、誰もが米国初の女性大統領誕生を信じて疑っていなかった。 リベラル側の浮かれ具合が、痛烈な皮肉とともに容赦なく描かれ、この映画を見て悶絶するのは、トランプよりもヒラリー・クリントンやオバマ前大統領の方だとさえ思えるという。 私:ムーアは、トランプを生んだ土壌とヒトラーのそれが似ていると指摘し、「独裁者が頭角を現すのは民衆があきらめた時だ」という。 今の米国が必要としているのは冷静なドキュメンタリーなどではなく、どこまでも過激なプロパガンダ。 トランプはヒトラーに似ているが、もっと似ているのはムーア自身で、民衆の感情に訴えて行動に駆り立てる手法は2人に共通すると石飛氏はいう。 同じ日の新聞の「日曜に想う」欄でも編集委員・福島申二氏がムーア監督の「華氏(かし)119」をとりあげている。 トランプ氏の異形ぶりを映しつつ、その大統領を生んだ米国のエスタブリッシュメント(支配者層)の根腐れにも迫るドキュメンタリー映画だと福島氏はいう。 既成権威、既得権益、既存秩序、既視感……「既」という指紋でべとべとに汚れた政、財、メディアに向ける監督の目は容赦ない。 A氏:福島氏が、ムーア氏に取材で会ったのは14年前で、イラク戦争に突っ走ったブッシュ政権を痛烈批判した「華氏911」について「映画で描こうとした本当の悪漢はブッシュじゃない。戦争をあおったアメリカの主流メディアだよ。怒りの矛先はむしろそっちだ」と語ったという。 今回もそれはあり、大統領選挙でトランプ氏が勢いづくと、視聴率を取れると見たテレビ各局は競って過激な言動を流し、主要局CBSの当時の会長が語った「米国にとっては悪いことかもしれないが、CBSにとってはすばらしい。どんどん儲かって、いい年になりそうだ」という本音を、ムーア氏は逃さなかった。 私:さて火曜日は中間選挙。 トランプ氏の共和党が勝ったら、ご本人は調子づき、各国で台頭する危ういポピュリズムも勢いを増しかねない。 世界が注視する所以であると、福島氏は指摘する。
2018.11.04
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私:今月の「異論のススメ」の課題は10月の同欄の「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」でとりあげた、議論の結論だけで、敵か味方かに単純化されてしまい、SNSがそれを増長する傾向が著しく、社会から「寛容さ」が急激に失われていることを佐伯氏は指摘していた。 今月も、同じ課題の延長で、米国の例をとりあげている。 佐伯氏は、トランプによって米国が二つに分断されたという見方があるが、そうではなく、すでに分断されていた結果がトランプを大統領に持ち上げたのであり、また、トランプは民主主義の敵であり、民主政治を破壊するという見解があるが、これもそうではなく、まさに今日の民主主義がトランプを大統領の地位に押し上げたと指摘する。 特に、レビツキーとジブラットというハーバード大学の2人の政治学者の著書「民主主義の死に方」という本の引用を中心に論じている。 A氏:彼らは、今日の米国の民主政治がまさにトランプという「独裁型」の指導者を生み出したと述べ、その背景を分析し、その経過を次のように書いている。 1960年代の公民権運動以来、米国は多様な移民を受け入れてきて、非白人の人口比率は50年代には10%だったのが2014年には38%になり、44年までには人口の半分以上が非白人になるとみなされる。 そしてこの移民のほとんどは民主党を支持し、一方、共和党の投票者は、90%ほどが白人であり、つまり巨大な移民の流入という米国社会の大きな変化が、自らを「本来のアメリカ人」だと考える白人プロテスタント層に大きな危機感を生み出し、その結果、共和党と民主党の激しい対立が生み出された。 当然ながら、「アメリカが消えてゆく」という危機感を濃厚にもつ共和党の方が、いっそう過激なアメリカ中心主義(白人中心主義)へと傾いてゆくことになった。 しばしば、トランプ現象の背景には、グローバル競争のなかで、経済的な苦境を強いられる「ラストベルト」の白人労働者層があり、トランプの反移民政策は、彼らの歓心を買うためのポピュリズム(大衆迎合)だといわれるが、それは、間違いではないものの、問題の根ははるかに深い。 共和党からすれば、民主党は「アメリカの解体」をはかっているように映り、今日、両者の対立は、もはやリベラルと保守といったイデオロギー的なものではなく、人種、信仰、そして生活様式という生の根本が分断された結果である。 私:この2人の著者たちによると、リベラルと保守という思想的な対立の時代には、共和党にもリベラルな政治家がおり、民主党にも保守的な考えがあったが、その結果、両者の間にはまだしも共通の了解が成立しえたし、ともに、国の全体的な利益のために、過度な自己主張を自制し、相手をあまりに断罪しないという「自己抑制」の不文律があった。 その上に、両派の「均衡」が成立していて、「礼節」や「寛容」を含む「自己抑制」という目に見えない規範だけが、アメリカン・デモクラシーを支えていた、というのである。 しかし、さらに2人の著者たちは、この目に見えない規範が共有されていたのは、実は米国は白人中心の国だという人種の論理が暗黙裡に共有されていたからだ、という。 だから、60年代以降、人種差別撤廃運動が生じ、明らかに民主主義は進展したが、ところが、その民主主義の進展こそが、共有された暗黙の規範を失墜させ、アメリカ社会の分断を導き、民主政治を破壊してしまっている、という。 たいへんに深刻で逆説的な結論であるが、確かに事実というほかあるまいと佐伯氏はいう。 この2人の著者たちが述べるように、民主主義なら政治はうまくゆく、という理由もなければ、米国の憲法や文化のなかに民主主義の崩壊から国民を守ってくれるものがある、などという理由もない。 これはもちろん、米国だけではなく、日本も含めてどこでも同じこと。 A氏:さらに、今日、何事においても事態を単純化しようとするメディアやSNSの影響力を前にして、民主主義は、すべてを敵か味方かに色分けし、対立者を過剰なまでに非難するという闘争的なものへと急激に変化している。 対立する両派とも、わが方こそが「国民の意思を代表している」として「国民」を人質にすることによって自己正当化をはかり、言い換えれば、対立者は「国民の敵」だという。 日本では、近年になって、人口減少化のなか、事実上の移民労働者数は急激に増加しているが、それが引き起こす社会の「分断」は米国や欧州ほど深刻ではなく、しかも宗教的対立は存在しないが、米国や欧州の事例から学ぶべきことは、民主主義の進展こそが様々な問題を解決してくれるなどと期待してはならない、と佐伯氏は指摘する。 ましてや、二つの陣営の激しい対決や批判の応酬こそが民主主義だなどと考えるわけにはいかず、民主主義を支える価値は、民主主義からでてくるのではなく、むしろ、非民主的なものなのであり、社会の伝統的秩序のなかにある「自己抑制」「寛容」「思慮」「エリートのもつ責任感」といった価値観は、それは伝統的な見えない社会規範とでもいうべきものであり、それが失われたとき、民主主義こそが独裁者を生み出すという古代からの「法則」は、今日でもまた現実のものとなりうるのであるという。 私:ところで、トランプ批判の米国のドキュメンタリー映画の監督マイケール・ムーア氏は日本のテレビインタビューで米国の民主主義の危機を警告していたが、それは、米国の投票率の低さという視点からだね。 日本同様、特に若者の低投票率が問題。 来週に迫った米中間選挙でどうなるかね。
2018.11.03
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私:経営危機に揺れた「東芝」から独立して約5カ月、半導体専業メーカーとして再出発した「東芝メモリ」。 調査会社IHSマークイットによると、「東芝メモリ」はNAND型メモリーで世界2位の18%のシェアを持つが、39%で首位の韓国サムスン電子は巨額の増産投資をしてきて、対抗して増産を急がないと一気に引き離されるとの危機感は強い。 「東芝メモリ」の主力の半導体「NAND(ナンド)型フラッシュメモリー」は、スマートフォンやメモリーカードからデータセンターへと用途が広がり、需要が急拡大していて、市場規模が年に4割ほどのペースで伸びるとの見方もあり、「東芝メモリ」は7月から北上市近くに新工場を建設中で、四日市工場(三重県四日市市)に続く第2の生産拠点にする計画。 2019年に完成し、20年にフラッシュメモリーの量産を始める予定で、新工場での働き手を集める採用活動が続き、成毛康雄社長は北上市の工場について「2、3棟目もあると思う」と述べ、早くも増設に意欲を示す。 A氏:ところが、北上地区では9月末時点で高卒者の求人が1010人分あったが、就職希望者は340人で、この地区では、約3社で高校生1人を奪い合う著しい「人手不足」の構図。 四日市工場から社員を転籍させるなどし、新工場の稼働に影響が生じないようにする考えだという。 私:だが、新製造棟で9月に容量の大きい最新鋭のNAND型メモリーの生産を始めた四日市工場にも、「人手不足」の影響は及んでいる。 需要拡大に応える新製造棟の建設工事を昨年2月から急ピッチで進めたが、半導体製造装置を納入した会社の40代の男性社員は「現場は経験の浅い作業員が多かった。よく事故が起きないものだと思った」と振り返る。 この男性によると、装置の搬入作業の際、作業員用に設けた通路に装置やその付属品が置かれて通路が塞がれることがあり、安全な作業にとって通路の確保は重要で、「東芝」時代の従来は数時間で通れるようになったのに、今回は1~2日通れず、遠回りすることもあったという。 安全の基本は現場の「整理・整頓」にはじまるが、それが「東芝」時代と比較すると現場は経験の浅い作業員の増加でおろそかになってきたんだね。 それを半導体製造装置を納入業者の男性が通路を通って気がついたんだね。 そこで、「東芝メモリ」は、「東芝」時代からの安全ルールを緩和し、搬入作業では最大8人のグループごとに専任の管理責任者を置くよう定めていたのを、東芝メモリは4月にルールを改め、最大8人のグループを複数束ねて管理する責任者を置けばよいと変えた。 四日市地区では、求職者1人あたりの求人件数を示す有効求人倍率が、今年に入って2倍近くに上がり、「東芝メモリ」はルールの見直しについて「『人手不足』の中で効率性を考えた、従来の基準が厳しすぎた」(広報)と説明し、安全面の問題はないとしているが、主力工場にも「人手不足」の影が忍び寄っているようだ。 A氏:「東芝メモリ」は技術流出を懸念する経産省の意向もくんで「日の丸半導体」にこだわり、国内生産を堅持する構えだが、「人手不足」が深刻化する日本で、成長を支える労働力を確保するのは容易ではない。 「日の丸半導体」メーカーの「東芝メモリ」が直面する課題を乗り越えられるかどうかは、日本経済を支えてきた製造業が国内でものづくりを続けていけるかを占う試金石の一つとなる。 私:高度経済成長時代の「人手不足」は、経済の成長期によるものだったが、現代の「人手不足」は少子化によるものだけに深刻だね。
2018.10.31
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私:メルケル氏のキリスト教民主同盟(CDU)の党首辞任の決定打は、同28日にあった中部ヘッセン州の州議会選挙。 CDUの得票率は27%と前回から11ポイント以上下落し、1966年以来の低さ。 選挙結果を受け、CDUの副党首ブフィエ・ヘッセン州首相は28日夜、「選挙戦ではベルリンの大連立政権の様相が重くのしかかった」と語った。 メルケル党首の辞任は、すでに夏休みが始まった7月下旬の段階で検討していたという。 7月始め、CDUの姉妹政党のキリスト教社会同盟(CSU)が難民政策で右派的な方向にかじを切り、メルケル氏や連立相手の社会民主党(SPD)と対立。 一時は政権崩壊の危機にまで陥り、右翼よりの発言をした情報機関トップの人事をめぐっても対立し、決定が二転三転。 一連の争いは有権者からの批判を招き、多くの票が緑の党や難民排斥を訴える新興右翼政党「ドイツのための選択肢(AfD)」に流れた結果、今月14日の南部バイエルン州の州議会選挙で歴史的な敗北を喫した。 そして、同28日にあった中部ヘッセン州の州議会選挙での敗北が決定打となる。 A氏:ドイツで党首と首相が「分離」することは、シュレーダー前首相はSPDの支持率低下を受けて党首を辞任後も1年以上、首相を続けたことがあった。 しかし、メルケル氏は最近まで「党首と首相の座は対になっているものだ」との原則を繰り返してきたが、党首を辞任せざるを得なくなるほど、昨秋の総選挙以来続く選挙での敗北は痛手で、会見では「(分離することは)大きな賭けであることは疑問の余地がない」と語った。 メルケル氏は、党首の後任に、価値観が似るCDUのクランプカレンバウアー幹事長を望んでいるとされるが、ほかにもシュパーン保健相や、かつてCDU・CSUの院内総務を務め、今は議員を辞めているフリードリヒ・メルツ氏も立候補に意欲を示しているとされ、メルケル氏の思惑通りに事が運ぶ保証はない。 シュパーン氏やメルツ氏は保守的な人物として知られ、主要政策でメルケル氏と食い違えば、政権運営が行き詰まりかねない。 政権の不安定化は、連立を組むSPDからもたらされる可能性もあり、SPDも総選挙やその後の二つの州議会選挙で歴史的な大敗を喫し、党内からは、早期の連立離脱を求める声が上がる。 私:クランプカレンバウアー氏はヘッセン州議会選挙前、SPDが政権から離脱した場合、連立の組みかえではなく総選挙を実施する考えを明らかにしているという。 EUの中核的存在の独政権の不安定は、EU全体に大きな影響を与えるだろう。
2018.10.30
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私:安倍氏は26日の李首相との会談で、尖閣諸島周辺で高まる安全保障上の緊張に警鐘を鳴らし、習主席との会談でも現場の状況の改善を求めたという。 これに対し習氏は「建設的な安全保障関係を築き、地域を安定させることは重要だ」と応じたが、中国外交筋は「習氏の発言は、釣魚島(尖閣諸島の中国名)から中国が引くことを意味しない」と断言。 A氏:尖閣諸島周辺の環境は、2012年の国有化を境に激変し、中国海警局の公船が定期的に接続水域や領海に入るようになり、13年には尖閣諸島を含む東シナ海上空に防空識別圏(ADIZ)を一方的に設定し、空軍機が訓練やパトロールを常態化させている。 日本の防衛省が12日に公表した外国軍機に対する今年度上半期(4~9月)の緊急発進(スクランブル)報告では、そこに示された地図では、中国機の飛行経路を示す赤色の線が尖閣諸島周辺で激しく交錯し、沖縄本島と宮古島間の海域にも集中し、ハイレベル往来が進んでも、その頻度に大きな変化はない。 5月に李氏が来日し安倍氏と会談した2日後には、中国軍の爆撃機など8機が沖縄・宮古間を通過。 6月には自衛隊と中国軍の偶発的な衝突を避けるための「海空連絡メカニズム」の運用が始まったが、自衛隊幹部は「現場の活動と負担は変わらない」と言い切る。 私:今回の日中合意事項には、自衛隊・中国軍艦艇の相互訪問の検討など交流メニューが並ぶ。 「半歩前進」(日本政府関係者)との見方もあるが、現場で対応する人々にはそうした改善ムードは現実との遊離と映る。 今回、海洋・安全保障分野では数少ない成果だったのは、海難事故での捜索や救助ルールを定めた「海上捜索・救助(SAR)協定」。 現場を知る海上保安庁幹部は、その効果について「連絡が30分ほど早くなる程度」と苦笑し、「政治案件だから」と口をつぐんだ。 防衛省幹部は「このままでは我々と国民の危機意識がどんどん離れていく」と不安を隠さない。 A氏:海洋や安保をめぐる対立と同様に残されたのが、「歴史認識」を巡る問題。 安倍氏との会談で、習氏は過去の戦争や国交正常化の経緯を説明し「歴史を振り返ることで平和、友好、協力などの決意を持つことができる」と続けた。 一方、安倍氏は「日中関係を新しい時代に押し上げる」と過去には触れず、未来志向を繰り返し、15年の戦後70年談話で「我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明してきた」と述べ、安倍氏は戦争総括について一定の区切りをつけたとの思いが強い。 私:だが、こうした姿勢が「歴史をあいまいにしている」と感じる中国人は少なくない。 南京大虐殺記念館の張建軍館長は「我々は過去の罪を償えと言っているのではない。ただし、現在の日本人が当時の軍国主義をどう評価しているのかは気になる。悲惨な歴史があって、平和への要求があるのだから」と語る。 習氏は会談で「近年の訪日観光客の増加が、中国人民の対日観の多様化に役立っている」と述べた。 活発な往来が理解を深め、国民間の不信を消せるのか。 日本政府関係者は「『新時代』はまだ看板に過ぎない。真の和解へは、粒々辛苦の努力が必要になる」と言う。 「新時代」が、言葉遊びでなく、中味のあるものにあるようになるには時間がかかりそうだね。
2018.10.29
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私:100年前の日本は、寺内正毅内閣を退陣させた米騒動の熱気は残り、第1次世界大戦はドイツの降伏による終戦が近づくという、そんな時代だった。 そんな中、、政友会総裁原敬はついに宿願の「平民宰相」として、政党内閣の組閣に着手。 原は、軍部、官界、貴族院に強固な閥を成す元老山県有朋とぎりぎりの神経戦を続けていて、無理な条件を付けるなら一本釣りで決着させるまでで、米騒動の後で山県には自分以外に後継首相のあてなどないと、原は見切っていた。 そこへ山県の陸軍長州閥の寵児で、後に政友会総裁、首相に就く田中義一が現れ、陸相受諾に条件はなかった。 原の勝利だった。 1918(大正7)年9月29日、陸相、海相、外相を除く閣僚に政党員を配した内閣が発足。 たとえ原は3年後テロに倒れ、政党デモクラシーもファシズムとポピュリズムに挟撃されてつかの間の光芒に終わる運命にあったとしても、藩閥、元老、軍部、官僚のいずれでもなく政党が明治憲法体制統合の主役となった記念すべき日だ。 A氏:原は大学など高等教育機関や鉄道網を整え、対米協調と軍縮により大戦後の世界の潮流に沿い、朝鮮・台湾総督の武官専任制を撤廃、省庁次官や衆院、貴族院の書記官長なども自由任用にした。 政友会の基盤を固める側面はあったが政党主導型の立憲民主制を慣行と法令改正によって定着させる意思はあり、原が暗殺されず元老として昭和天皇を支えていれば太平洋戦争への道は変え得たと評価されるゆえん。 他方、功績と共に限界を指摘する辛口の論評もあり、原は民衆の側に立たず山県閥など既存勢力との妥協を優先、普通選挙や社会立法、治安警察法撤廃に不熱心だった。 衆院選で空前の大勝を果たす一方、露骨な党勢拡張や疑獄事件の続発に世論の反発は募り、政党不信の遠因になったとの指摘がある。 筆者は、むろん、全面肯定も全面否定も無用のことだとして、功も罪も共に安倍首相ら今日の政治家が教訓にすべきだろうという。 日本の民主主義の歴史にはじめての「平民宰相」の登場という100年を祝う式典は行われないのかね。 私:一方、24日の新聞報道では、明治維新150年を祝う政府の記念式典が23日、東京都内で開かれたと報じているが、50年前の100年式典には昭和天皇と香淳皇后が出席したが、政府は今回、天皇、皇后両陛下の出席を求めなかった。 官邸側が今回、慎重な対応を心がけた背景には、過去の苦い経験がある。 安倍政権はサンフランシスコ講和条約発効から61年の2013年4月28日、政府主催で「主権回復の日」の式典を行い、両陛下の出席を求めたが、この日は、条約発効後も米国の施政下に取り残された沖縄にとって「屈辱の日」で、識者らから「天皇陛下の政治利用だ」との声が上がった。 今回の150年式典にも世論の批判があり、戊辰戦争で新政府軍と戦った会津藩があった福島県会津若松市は、あえて「戊辰150年」と位置づけ、また日本は明治以降、富国強兵策を進め、その後の日中戦争や太平洋戦争につながったという歴史的経緯もある。 A氏:共産党の小池晃書記局長も22日の会見で「負の歴史」を指摘し、「150年を丸ごと祝い、肯定するような行事には参加できない」として欠席を表明し、社民、自由両党も欠席。 新政府軍側の長州藩(山口県)を選挙区に持つ安倍首相は、こうした批判に配慮したのか、式辞では「若い世代の方々には、我が国の近代化に向けて生じた出来事に触れ、光と影、様々な側面を貴重な経験として学びとってほしい」と言及し、菅官房長官も23日の会見で「(式典は)明治期の取り組みをすべて素晴らしかったという一方的な見方を押しつけるものではなかったと思う」と述べた。 私:この150年の歴史で、国内でも評価に異論があるのだから、中韓も歴史問題にこだわるのは無理がないね。
2018.10.28
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私:今週の「書評」欄の8冊の内、下記の3冊に興味を持った。 1.F・アルヴァレド、T・ピケティほか〈編〉『世界不平等レポート 2018』評者・石川尚文(本社論説委員) 日本でも4年前にベストセラーになった『21世紀の資本』の著者ピケティ氏らによる最新版の報告集。 欧米に加え中国やロシア、インド、中東、アフリカの「不平等」も分析し、この数十年、所得の「不平等」の度合いは、世界のほぼ全地域で高まっていると指摘。 同時に、民営化や財政赤字によって各国で公共財産の割合が減り、政府が「不平等」を抑える力が低下し、個人の富の「不平等」も、拡大に拍車がかかっているという。 A氏:この傾向を止めるには(1)累進課税(2)金融資産の所有者の把握(3)教育と仕事の機会の平等化(4)政府の未来への投資等が必要だというのが本書の提案。 残念ながら日本への言及は少ないし、文章も決して読みやすくはないが、こうした研究の蓄積が、社会に広く伝わることは大切で、継続して翻訳・出版されることを期待したいと評者はいう。 私:このブログ「1票の『格差』か、1票の『不平等』か」にあるように「格差」語でなく、「不平等」語としたのはよかったね。 2.ジェイミー・バートレット〈著〉『操られる民主主義』・評者・間宮陽介(青山学院大学特任教授・社会経済学) 私:本書の著者は、イギリスのあるシンクタンクに籍を置く、ソーシャルメディア専門のディレクター兼ジャーナリストで、その彼が描く現代民主主義の変貌ぶりは迫真性に富むと評者は言う。 主義主張を異にした人々、党派が、言論の力で相手を説得しようと努め、議論が平行線をたどれば、妥協の途を探る。それも不調に終われば、最後の手段として多数決の数の力に持ち込む。 本書を読むとこのような民主主義観がすでに過去のものになりつつあることを痛感し、言葉のやりとりによる「アナログ」的民主主義が、デジタル・テクノロジーによって操作される疑似民主主義へと様変わりしつつあるのだという。 A氏:例えば、2016年のアメリカ大統領選挙。 トランプ陣営はデジタル・テクノロジーを最大限に駆使して、有権者の取り込みをはかり、千万単位の有権者を、ネット・ショッピングで得られた個人情報やフェイスブックの「いいね!」クリックなどをもとにタイプ分けし、なびく可能性のある有権者には、メールやネット広告をピンポイントで大量に流すことにより、トランプ側への誘導をはかる。 インターネットは人と人、国と国を瞬時に結びつけ、仮想の公共空間をつくる、といわれてきたが、確かに、インターネットが討論の公開性をもつ限りではそうであろうが、大統領選挙で見られるようなデジタル情報のやりとりは裏世界の出来事、人々の気づかぬところで進行する。 私:操作される民主主義は社会の「部族」化と裏腹だというのが著者の見解。 似たもの同士が「いいね!」によって党派化し、その純度を高めていく。 政治における独裁化、情報経済における独占化はこのような変化の帰結だという示唆は一考に値するだろうと評者はいう。 アメリカで起こっていることは対岸の出来事ではなく、規模こそ違え、日本でも民主主義の操作は進んでいるはずであると評者は指摘する。 A氏:自民党の憲法改正でもデジタルはからんでいないがブログ「自民総務会、石破派ゼロ『イエスマンしかいなくなった』」や、「更迭されても、『憲法族』の意地」でふれたように首相一極集中の「部族」化がはじまっているね。 3・姉歯曉〈著〉『農家女性の戦後史 日本農業新聞「女の階段」の五十年』・評者・寺尾紗穂(音楽家・エッセイスト) 私:1960年代は農家の主婦の万引きが多かったという。 母乳が出ないがミルクを買えない、学芸会や運動会でそろえるべき物を買えない、その結果の万引き。 これは中流農家にも多く見られたといい、そこそこ余裕のある家でも万引きが起きた背景には嫁姑問題があり、自由になるお金がほとんどないという嫁の地位、姑に出費を言い出せず、言ってももらえないという状況が発生していた。 さんざん働かされる一方で「血筋」からは外れ、土地の分与も稀な不安定な存在で、嫁姑問題と単純に矮小化できない事態の根深さに本書で気づかされるという。 A氏:高度経済成長を支えた労働力は、農村からの出稼ぎに大きく依存し、田畑を任された嫁たちは、家事に加えて農業の主体とならざるを得ず、耕運機使用による流産や農薬の影響をもろに受けた。 「日本農業新聞」の投稿欄「女の階段」への投稿者たちへの著者のインタビューからは、農村史を眺めるだけでは浮かび上がらない女たちの切実な声が溢れていると評者は言う。 アメリカと日本の財界の意を汲んだ国の農政にいかに農村が翻弄されてきたか、そのための手段がいかに姑息だったかということも本書では描かれていて、「米よりパンを」と普及させたパン食は学校現場では「米ばかりをたべていると頭が悪くなる」と伝えられ、米輸入自由化の際は、都合よくデータを調整して公表した「物価レポート」で物価高が強調されて「消費者を守る」という建前が作られた。 私:しわよせは都市よりは農村、男よりは女に行き、北欧型福祉国家では高齢者の自殺率が高いという「誤情報」と共に、「独自の家族関係を強調する日本型福祉社会」が叫ばれたが、1972年当時、実際に高齢女性の自殺率が最も高いのは日本だったという。 ひどい話だがそれ以上に憂鬱になるのは、半世紀近く時がたっても、この国の行く末を握る政治家たちが同じような家族観を持っていることだと評者は指摘する。 そういう家族観を憲法に盛り込もうという「部族」もいるようだね。
2018.10.27
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私:EUは今年、加盟国の市民を対象に夏時間の是非についてパブリックコメントを実施。 約460万人が参加し、84%が反対を表明。 最も多かった理由は「健康への影響」で約4割を占め、これを受け欧州委員会は、来年を最後に廃止する方針を打ち出した。 反対意見の主力がドイツ人で、約310万人が回答し、約8割が反対。 夏時間に詳しいハンブルク在住の作家ペーター・シュポルク氏は「ドイツは日本と同様に時間厳守の文化。その分、時間が変わることへのストレスが大きかった」と説明。 廃止論は早くから議論されていて、リードしてきたのは「小さな政府」を目指す野党の自由民主党(FDP)で議員の政策スタッフを務めるローラント・フィンク氏も廃止論者。 「そもそも国家が個人の生活リズムにまで関与していいのか、という問題意識が根底にある」とフィンク氏は話す。 FDPは今年3月、EUに夏時間廃止を求める動議を連邦議会に提出。 A氏:夏時間は、日照時間を有効に使い、エネルギーを節約することが目的だったが、電灯の省エネ化が進み、むしろ健康被害が注目されるようになった。 ミュンヘン大学のティル・レネベルク教授(医療心理学)は「夏時間の影響は人によって異なるが、一般的にうつ病や成人病などリスクを3倍高めることが分かっている」と話す。 私:ただ、世界で初めて夏時間を本格導入した国もドイツ。 第1次大戦中の1916年、省エネルギーを目的に採用され、その後曲折を経て、石油危機で80年に再開し、欧州のほか米国や豪州の一部、ニュージーランドなどでも採用されている。 シュポルク氏は「夏時間やその前提となる職場の定時制は、経済が画一的だったころの遺物。働き方が多様化した現代にあっては、あまり意味をなさないのではないか」という。 夏時間を廃止し、職場もフレックスタイム制を広げるべきだと主張する。 A氏:サマータイムは乳牛や野生動物にも悪影響を与えている。 牛に合わせて人間が働き方を変えるにはストレスが大きすぎるという。 牧場を創業したデブリース氏の父親は現在、与党キリスト教民主同盟(CDU)の国会議員で、やはり夏時間廃止に旗を振る。 自動車の事故処理などにあたるドイツ自動車連盟は年2回、「動物は時間が変わることを知りません」と、運転速度を落とすよう注意を呼びかける。 シカやイノシシなどの野生動物と自動車が衝突する事故は年間26万件。 夏・冬時間の切り替え時期は事故が2割増え、人の通勤時間帯が動くことで、夜明けや日没前後にエサを探し回る動物が事故に巻き込まれやすいという。 私:サマータイムについては23日の朝日新聞・「耕論」欄で東京五輪・パラリンピック組織委員会会長代行・遠藤利明氏、作家・経済評論家・堺屋太一氏、北海道大学名誉教授本間研一氏の3氏にそれぞれ意見を聞いているが、堺屋氏、本間氏はサマータイム実施に反対。 しかし、遠藤氏だけは、安倍首相から話があったのは、自民党として勉強してくれということなので、研究会として始めていて、検討の結果、進めるべきだということになれば、そこで初めて党政務調査会に上げ、同時に、自民党だけではなく、各党に話をして、超党派で進める必要があり、今後の日本全体の暑さへの対策も考えなくてはいけない。 その一つとしてサマータイム導入を検討する価値はあり、2020年の東京大会が、そのきっかけになればいいと思っているという。 ドイツの例があるのに、まだ、懲りないで、執着している。 何故だろう。
2018.10.25
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私:自民総務会は常設の最高意思決定機関で、メンバーである総務は加藤総務会長を含め計25人。 11の地区ブロックごとに協議のうえ選出される衆院議員と、参院議員枠(8人)と総裁枠(6人)から成り、党内7派閥中6派閥からそれぞれ選ばれた。 一方、「石破派」からはゼロ。 党内からは「イエスマンしかいなくなった」(ベテラン議員)との声が上がった。 加藤会長は総務会後の記者会見で「派閥だけで選択をしているわけではない」と説明したが。 A氏;新総務らは、首相が意欲を示す憲法改正に向けた改憲案を最終審査する可能性があり、総裁選を通じ、首相案に反対の論陣を張った「石破派」が議論に加わらない一方、衆院憲法審査会の幹事から江渡氏が会長代行に、平沢氏が会長代理にそれぞれ選ばれ、総裁枠で首相側近の古屋氏も選出。 加藤氏は会見で「大所高所から議論が展開し、政策に過ちのないように進めていきたい」と述べたが、新総務の一人は「政権に露骨に従うメンバーを集めた感じだ」と指摘。 石破派幹部は「総務会で何か言っても変わらない。今の党に異論を唱えて議論できるのは、この前の総裁選が限界だ」と漏らし、あきらめムードが漂うと報じている。 私:一昨日のブログ「更迭されても、『憲法族』の意地」で、衆院憲法審査会で長らく幹事として与野党折衝にあたってきた船田元氏、中谷元氏の両氏らの「憲法族」と呼ばれる自民党のベテランが党内人事で幹事から更迭されたのとつながる一連の動きだね。 最近の多様性を嫌う自民党の体質が、憲法改正を巡って見事に現れてきたね。
2018.10.24
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私:昭和の時代、世界を席巻した日本の電機メーカーが、その後、韓国や台湾、中国との競争に敗れた敗因は、堀篭俊材氏は「人材を通じ技術流出が進み、その流れに歯止めをかけられなかった」ことだと電機大手のトップ経験者から、そんな話を聞いたことがあるという。 1990年代、韓国企業は年収3千万円、ソウル郊外の豪華マンション、車の送迎つきという破格の条件で日本の技術者を引き抜いた。 半導体やテレビなどで韓国勢がリードするようになった背景には、日本の技術者の大量流出があったといわれる。 A氏:文科省科学技術・学術政策研究所の藤原綾乃氏によると、80年代前半~2015年春までの間、日本の電機や精密機器メーカーから韓国や中国、台湾などの企業に約1千人にのぼる日本技術者が転職したという。 藤原氏は、米国で申請された特許約100万件を対象に、日本企業が申請した特許に出てくる技術者の名前を追跡調査し、アジア企業の特許と一致する名前を探し、その移動を特定。 藤原氏は「長引く不況で電機各社がリストラに乗りだし、技術者の大量流出を許した可能性がある。優秀な人材から流出することを前提に、人の育て方や評価のあり方を見直しては」という。 定年退職して海を渡った日本人技術者もいて、定年後、ある中国の部品メーカーで働く日本男性は「日本も高度成長期に欧米のまねをして成長した。いまの中国には当時の日本と同じ活力がある。日本は『発想力』で勝負するしかない」と話す。 私:平成最後の「シーテック・ジャパン」が先週、千葉・幕張メッセであったが、出展企業には、日本の技術者を受け入れてきた韓国サムスン電子、中国のファーウェイ技術の姿はなく、世界からの日本への注目度を映しているとしたら、寂しい限りであると堀篭氏はいう。 日本勢の中で注目されたのは若い企業で、日本発の人工知能(AI)ベンチャー、プリファード・ネットワークス(東京)は、自ら学習して部屋を掃除する家庭向けロボットを初公開した。 ロボットを動かすAI開発に力を入れる同社は、社員約180人のうち外国人が約20人を占め、国際的なロボット技術コンテストで1位を取った技術者もいる。 国籍は米国やインドのほか、英独仏やメキシコ、モロッコなど様々で、まるで今年のサッカーW杯の出場国をみるようだと堀篭氏はいう。 堀篭氏は「平成の終わり、国境を越えて、技術者は自由に行き来する時代になった。その力をどう引きつけられるのか。それが日本の未来を動かす」という。 しかし、「ハゲタカ」の著者真山仁氏は3ヶ月ほど前、テレ朝のインタビューで「失われた20年」は30年、40年となっており、原因は日本の産業力の停滞だ」と言っていた。 一方で、ブログ「研究費、『選択と集中』のいま」でふれたように、新しい「発想」や産業のもとになる「日本の科学力」が低下しており、日本の経済力の根底に問題はないのだろうか。
2018.10.23
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私:衆院憲法審査会で長らく幹事として与野党折衝にあたってきた船田元氏、中谷元氏の両氏らの「憲法族」と呼ばれる自民党のベテランが党内人事で幹事から外され、臨時国会からは新藤義孝氏や下村博文氏ら首相に近い議員がその任にあたる。 自民党「憲法族」は国会に憲法審査会ができた2000年以来、与野党の協調と合意による憲法改正をめざしてきた。 07年にはこの路線から国民投票法を成立へと導き、改憲への法的手続きをととのえた。 船田氏らの交代には改憲の議論を加速する狙いがあるが、数の力による採決強行が目につく一般の法案審議と同様に、自民が憲法でも強硬路線をとる懸念が出てきた。 A氏:幹事交代には首相官邸の意向が働き、安倍首相の周辺からとりわけ不興を買っていたのは船田氏。 船田氏は、先月の党総裁選で、憲法に縛られる立場でありながら自ら改憲の旗を振る安倍首相の姿勢に「同調できない」と批判し、白票を投じた。 さらに、改憲の是非を問う国民投票でのテレビCM規制を求める野党中心の議員連盟の会長に就いたことが、かねて首相周辺が抱いていた「野党に譲りすぎ」との不満を決定的にした。 私:船田氏はもともと「憲法のほころびを正したり、汚れをとったりすべきだ」という「憲法古着論」を唱え、9条改正も必要だという立場。 また、改正するならば少なくとも野党第1党の賛成を得て発議し、過半数にとどまらず大多数の国民が賛同する内容であるべきだというのが「憲法族」としての考え。 与党とその補完勢力で発議し、国民投票で過半数さえとればいいという安倍首相の方法論とは大きな違いがある。 A氏:安倍政権で船田氏が更迭されるのはこれで2回目。 初回は、15年6月4日のことがきっかけ。 その日、衆院憲法審に参考人として呼ばれた3人の憲法学者が、審議中の安全保障関連法案をそろって「違憲」と断じ、野党の攻勢や反対世論を強めるきっかけとなった。 与党筆頭幹事だった船田氏は自民党から「戦犯」とされ、筆頭幹事と党憲法改正推進本部長の職から降ろされた。 私:それ以来、船田氏は、首相周辺からはにらまれる存在だが、それでも再び更迭されるのをいとわず首相の姿勢への批判を続けた理由を船田氏は、「外されるのをおそれ、唯々諾々と首相の路線に乗って憲法審の現場で対応をするのは自分をだますことになる。それで改憲が実現しても、達成感はない。ならば自分の気持ちをきちんと話した方がいいと思った」と言い、「首相の路線では改憲はたぶんできないだろう。その後のステージで、何かがまた巡ってくるかも知れない」という。 安倍首相が掲げたように臨時国会で党の改憲案を示すには、まずは憲法審で継続審議となっている国民投票法改正案を採決することになるが、性急な採決には立憲民主党などの抵抗は必至。 会期が限られる中、自民の新体制が強硬策への誘惑に駆られるのを自制できるのかが、 憲法論議の先行きを占う試金石。 自民党内には石破氏のように、安倍首相がいう9条2項を残すというのに反対論もある。 確かに、自衛隊の存在を憲法に明記しても2項の「戦力」否定条項があれば、「自衛隊は戦力でない」というまた、あまいさが残り中途半端で、軍備力世界第5位と言われる自衛隊は「戦力」を持っていないではないとはね。 2項を残すのは、まだ、違憲の無意味な議論を残すようだ。
2018.10.22
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私:今週の「土曜書評」で、7冊の本をとりあげていたが、以下、2冊の本に知的興味が湧いた。 1.ユヴァル・ノア・ハラリ氏〈著〉『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』(上・下)・評者・長谷川眞理子氏(総合研究大学院大学学長・人類学) 私:著者はイスラエルの歴史学者。 人類全体として見れば、私たちは大雑把に言って、「戦争」と「飢饉」と「疫病」を克服し、これまでの長い歴史において、この三つがどれほど普通の人々の日常を不幸にしてきたことか。 21世紀の現在、数万年にわたる人類の懸案の問題が、一応解決された。 さて、それでは、これから私たちはどこに向かうのか?というのが、本書の論点。 これまでの人類史の総まとめと、これからどうするかの未来予測をするための材料の提供で、上下2冊に詰まった情報と考察のまばゆく華麗な提示、それを消化するには、いささかの体力と知力を要すると、評者は言う。 A氏:「戦争」と「飢饉」と「疫病」をなくすことに成功したのは、科学と技術のおかげだが、この科学と技術で人類は次に何をめざすか? おそらく、死という運命を克服することをめざすのではないか、それは、人間自らが神になることで、本書の題名の「ホモ・デウス(デウスはラテン語で神)」である。 本書は、同じ著者による有名な前作『サピエンス全史』の続編で、人間が何を信じ、何に価値を求めてきたか、人類の精神史を描いてみせる技はさすがだと評者は言う。 宗教は、神の存在を想定し、神が教えてくれる世界の秩序に従っていることを善としたが、近代科学はそれをくつがえし、人間自身こそが世界を知る力を持っているとした。 そうして人間は、人間自身の尊重と個人の自由を至高のものとするヒューマニズムを打ち立て、それが、今の私たちの価値観。 私:ところが、AI(人工知能)や生命工学などの現代の科学技術がこのまま進展していくと、ヒューマニズムの価値観そのものが壊されていく。 意識とは何か、「私」とは何かという問題は、生きていく上で非常に重要なはずだが、それらは、まだまだ明らかになっていないが、どんな生命も社会システムも、「意思決定のための情報処理アルゴリズム」だと考えると、意識や「私」の問題は無視して、ヒトのやり方を上回る「アルゴリズム」を作ることができる。 いや、もうすでに、そんなものが人々を魅了しつつあり、不完全な人間が考えるより、「アルゴリズム」にまかせた方がよいのではないか。 「アルゴリズム」を評価するのは誰?、意思決定を機械にまかせたら、人間の意識や「私」の感覚はどうなる?、結局、人間は人間をやめることになるのだろう。 そんな世界で人々は、永遠に生きたいと願うのだろうか? しかし、欲望自体も操作でき、現在はそんな時代の入り口。 私たちは本当に何をしたいのか、立ち止まって議論する材料がいっぱいであると評者は言う。 2.ジェイムズ・Q・ウィットマン氏〈著〉『ヒトラーのモデルはアメリカだった』・評者・・西崎文子氏(東大教授・アメリカ政治外交史) 私:本書は、ナチス・ドイツが1935年に悪名高いニュルンベルク法を制定した際、モデルとしたのが米国だという。 ナチス・ドイツは、ユダヤ人から公民権を奪い、ユダヤ人とドイツ人との婚姻を禁止し、やがて絶滅政策へと突き進んでいくという、このおぞましい政権が米国を模範としたという。 1790年の米国初の帰化法は、対象を「自由な白人」に限定し、その後、非白人も市民と認められるようになるが、19世紀後半にはアジア系移民の排斥法が制定され、黒人、先住民、フィリピン人やプエルトリコ人も二級市民に貶められていく。 A氏:人種間混交の排除でも米国は際立ち、優生学が流行した20世紀初頭には各州で異人種混交禁止法が導入され、人種主義的社会秩序の構築も進み「血の一滴の掟(ワンドロップルール)」により黒人を分類する慣行が広まった。 このような人種法の数々を、ドイツ法曹は意欲的に吸収したが、反対がなかった訳ではなく、法理を重視する守旧派は、人種の定義すら曖昧なまま米国法を真似ることに反発したが、急進派は、米国では法律が「人種の政治的構築」を達成したとして、社会の変化に柔軟に対応する法文化を称賛。 私:気の滅入る話だが、救いは人種主義を国家事業としたナチスとは異なり、米国ではこれ以後、公民権が拡大したこと。 その理由は、米国に人種法と対立する立憲主義や平等主義の伝統が併存したからだと著者はいう。 ただし、これも両刃の剣かもしれず、多くの米国人は、自国が自由や民主主義のモデルだと信じるあまり、同時に人種主義政策のモデルだった可能性に気づかない。 「自由の国」というイデオロギーが、人種差別の現実を隠してしまう。 今日の世界にも潜む危険を冷徹にえぐり出す読み応えのある書物であると評者は言う。 著者の問題意識はすでにトランプ現象に現れているかもしれないね。
2018.10.20
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私:両氏とも「体罰」否定論。 西澤哲氏は虐待を受けた子どもや虐待傾向のある親の心理的ケアが専門。 「しつけ」と「体罰」について、興味ある知識を提供している。 まず、「しつけ」の語源のひとつは、仏教用語「習気(じっけ)」と言われていて、「習慣化する」という意味。 本来「しつけ」とは、子どもが自らの行動や感情を調整する力を養うためのもので、たとえば、赤ちゃんは不快な状態で泣いているときに自力では快の状態に戻れないが、養育者があやすなどの刺激を与えて、安定状態に戻り、それを繰り返すことで習慣化し、自分の力で回復する力がつく。 このように「しつけ」の目的は、自己を整える自律性(セルフコントロール)の形成。 日本ではしつけの一環としての体罰が広く容認され、「言っても聞かない子にはたたいてでも教えるのが親の務め」と思っている人が多いが、実際にはそれは「しつけ」ではなく、子どもの行動をコントロールできたという親の達成感・有能感を得るための行為と言えると、西澤哲氏はいう。 A氏:「体罰」には即時的効果があるとされてきたが、ある行動をしてほしくないとき、罰を与えれば、その行動は止まるが、維持するには、その行動が出たら、その都度罰を与えなければならない。 何度も繰り返していると、痛みに慣れ、同じような効果を得るためには、より重い罰や量を増やす必要が出てきて、子どもは他律的になり、自律性を養う「しつけ」の本質とは逆になり、つまり「体罰」は「しつけ」を壊していると言える。 しかも、「体罰」に悪影響があることは、近年科学的にもはっきりしてきて、自分の痛みへの感覚がまひすることで、共感性が阻害され、罪悪感が形成されなくなり、「体罰」の結果、感情調節がうまくできなくなったり、衝動性が強くなったり、対人関係がうまくとれなくなったりする。 私:日本ではいつから「体罰」をするようになったのかというと、16世紀に30年以上日本で暮らした宣教師のルイス・フロイスは「日本では子どもを育てるのに懲罰ではなく、言葉で戒めている」と書いているし、思想史家の渡辺京二さんの著書「逝きし世の面影」にも出ているが、明治期以前は日本では「体罰」はなかったようだという。 しかし、明治になって、「脱亜入欧」の名のもと、日本社会では急速な西欧化が進められ、西欧的な育児観が取り入れられたと思われる。 当時、西欧では子育ての中で子どもをたたくことが必須。 戦後、イギリス映画を見たとき、家庭内で子供のお尻を叩くシーンが多いのにはびっくりした。 西洋では、人間は悪魔を宿して生まれてくるというキリスト教の性悪説がベースにあり、騒ぐなど親の思い通りに行動しないときは、体の中からその悪魔をたたき出さないと子どもは育たないという考え方で、仏教文化圏の日本の性善説とは相対するものなのに、精神文化や生活様式が急速に西洋化され、無批判的に日本は「体罰」を導入した。 そして、それに「軍国主義」が加わり、学校で「軍事教練」が始まり、「体罰」容認の考えが強化されていったと、西澤氏は推測する。「共感性」豊かな兵隊は使いものにならず、「共感性」をそぐために己の痛みに鈍感になる教育が行われた。 スポーツの「体罰」も同じよう経過を経て、日本のスポーツの「体罰」は現在でも問題になっている。 A氏:殴られたことがある人は「体罰」を肯定するが、それは、自分の人生を肯定したいという意識が働くからで、また、「体罰」を肯定する人は、虐待をする傾向もある。 西澤氏は「今の日本は少子化が進み、社会の子どもへの許容度、寛容度が低くなっています。『汚い』『うるさい』『騒がしい』という反応を気にして、騒ぐ子どもを何とか静かにさせようとたたく親もいるでしょう。子どもが泣いたり騒いだりするのは当たり前という社会でなければ、親が子どもを押さえつけようとする力はさらに強くなるでしょう」という。 私:保育園や幼稚園が近所にできそうになると、「うるさい」と反対する社会ではダメだということだね。 瀬角南氏によると、世界で「体罰」を法律で禁止している国は、ヨーロッパ諸国のほかモンゴル、ネパールなど54カ国にのぼり、最も早い制定は1979年のスウェーデン。 60年代には6割近くが「体罰」を容認、9割以上が実際に「体罰」をしていたが、法律で禁止し、啓発活動を進めた結果、2000年代にはそれぞれ約1割まで低下。 「体罰」が伝統的に当たり前だったイギリスも禁止する法律ができている。 A氏:日本でもあらゆる場面での「体罰」を禁止する法律が必要で、罰するためではなく、規範のための法律で、そこで問題にされるのが、民法で定められている親の「懲戒権」。 たとえば、「懲戒権」のなかに「体罰」が含まれるため、「体罰」禁止となるとしつけができなくなるといった考え方。 しかし、「懲戒権」と「体罰」は別の話であり、子どもに何かを教える方法として罰は必要なく、学校教育法では教師に「懲戒権」を認める一方で、「体罰」は禁止している。 瀬角氏は、「将来的には民法の「懲戒権」規定は削除するべきと考えますが、まずは「体罰」禁止を明確に法律で定めることが早急に必要です」という。 明治には西洋の模倣で「体罰」を取り入れたのに、150年たって、また西洋の模倣で「体罰」を法律で罰することを模倣するとはね。 。
2018.10.19
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私:「日本の科学力の低下」について、下記のように知的街道ができている。 「日本の科学、未来は」、「イノベーション政策 政府は『主導』より『対処』を」、「イノベーション政策 政府は『主導』より『対処』を」「研究支援者、止まらぬ雇い止め 『日本の科学力低下の一因』と指摘も」、「雑務に追われ、論文減少」、「研究費増えたイノベーション、現状は?」 科学力の低下の一因として、研究費の研究者や組織同士を競わせる「競争政策」の「選択と集中」が進む現状を、どうみるべきか、という問題があるが、これについて、国立大学協会会長・山極寿一氏と財務省主計局次長・神田真人氏の両氏の意見は対立している。 まず、山極寿一氏は、「競争政策」は失敗という立場。 国立大の法人化は失敗で、大学経営のあり方を変えようという狙いはわかるが、財源である「運営費交付金」を削減したのは矛盾しているという。 韓国や中国など、「運営費交付金」を増やしている国は、研究力も上がっているが、日本は「運営費交付金」を減らす代わりに「競争的資金」を増やした。 この「選択と集中」政策で、研究力が低下したという。 博士課程への進学者数も、先進国で日本だけ減り、博士号を取っても企業に就職できない、ポストがなくて大学に残れないという絶望感が、背景にある。 「運営費交付金」は、研究者としての普通の生活を担保するもので、それが減れば、研究を通して若い人たちに知識を伝えられない。 欧州などのように、国は財源を保障して大学を大事に育てるべきで、それがかなわないなら、「運営費交付金」と「競争的資金」の比率を法人化開始の時点に戻してほしいと、山極寿一氏はいう。 A氏:国は大学を競わせるため大型の補助金を集中投下したが、小口に配った科学研究費助成事業と比べて成果が少ないことは統計上明白。 山極寿一氏自身も大型の補助金による教育研究事業を担当したことがあるが、雑務が大変で、国際シンポジウムの回数や外国人研究者の招請数といった年間目標が定められ、達成度によって補助金が増減するから、必死にクリアしようとして、雑務が増える。 「毒まんじゅう」とわかっていても、大学は補助金を取らなければ格付けが下にみられるし、将来計画も立てられないし、産学連携にも影響し、死活問題。 国による「競争政策」は事態を改善しなかったのだから、失敗だったということで、これ以上競争を強いたら大学はつぶれると厳しい。 財務省は「お金は出せない、あとは現場の努力」と言って放り出し、文科省は有効な対策を打てず大学に丸投げしており、大学は、その場しのぎの補助金に飛びつくという、負のスパイラルを作ったのは、過度な「競争環境」と「運営費交付金」の削減。 カネ、カネというと批判されるが、カネは燃料で、燃料がないと動きが止まるだけ。 お金は産業界から取ってこいと財務省は言うが、税額控除のしくみを作るなどして背中を押すのは官で、財務省や内閣府が積極的に動かないと産は動けないと、山極寿一氏はいう。 私:これに対して、研究費を出す側の財務省の主計局次長・神田真人氏は、「生産性」低いまま、後退ありえぬとしている。 国立大の法人化で、運営面の自由度を高め、少なからず改革が実施されたが、既得権を当然視し、自分の城壁に閉じこもる方も少なくなく、新陳代謝、開放化、国際化が進まない。 その結果、「トップ10%の論文」を1本出すのに、研究費がドイツの2倍かかり、つまり「生産性」が低く、硬直的でタコツボ化した封建構造だと、国際的、学際的な研究が生まれにくいと神田真人氏は指摘する。 「研究費が減った」という話があるが、事実ではなく、たとえば「科学研究費助成事業(科研費)」は、法人化した時は1830億円だったが、今は2284億円で、2割強増えた。 国立大学の財務諸表に計上される「研究経費」と「受託研究等」の総額だけをみても、1千億円以上増えている。 「運営費交付金」が「法人化以降で1400億円減っている」と言われるが、付属病院の赤字解消や退職手当の減少といった特殊要因を除けば、408億円しか減っていない。 問題は金額の多寡ではなく配分にあると神田真人氏はいう。 A氏:神田真人氏の母校である英国立のオックスフォード大や米国の私立大を含めて、世界トップクラスの大学では、「運営費交付金」に大きく依存するところはなく、つまり、「競争的資金」が研究力低下を招くという事実はないという。 現場の教員が疲弊しているのは、手間ばかりかかってメリハリにつながらない、形式的で無意味な「評価」をやらされていることも一因で、国際的な大学ランキングで「トップ100を目指す」としたある大学は、実際は500位以下だったのに、自己評価は「達成状況がおおむね良好」だった。 「選択と集中」についても、だれも東大や京大といった特定の大学を選んで資源を集中させることは考えていないが、「科研費」のうち旧7帝大が受け入れた割合は04年度は60%だったが、16年度は56%に減った。 競争することが研究テーマや視座、方法論などの多様化にもつながり、頑張っている研究者には強力に支援し、そうでない人は、研究分野の主流にいても支援せず、「競争的資金」の導入によって、初めてそれが実現した面があると神田真人氏はいう。 改革がなければ、世界の動きに目を閉じて塹壕に閉じこもり、旧態依然のままに死に至る可能性が高く、改革前に戻すことなどあり得ないという。 私:財務省は、研究の「生産性」が低いことを追求し、大学側は財務省の「選択と集中」の研究費の配分を批判する。 言い合いしている間でも「トップ10%の論文」の減少という現実にかわりない。 そこには、研究現場の具体的問題解決が論じられておらず、抽象的な言い合いになっていて、「トップ10%の論文」の減少の具体的対策は放置され、論じられず不毛。 このへんに、「トップ10%の論文」の減少の真因がありそうだ。 それにノーベル賞を受賞するような基礎研究の成果は「競争原理」で生まれるものだろうか。
2018.10.18
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私:ブログ「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」でとりあげた例の「新潮45」の休刊問題に関連して、英国でもいま、過激化した言説により、メディアに深刻な分断が起こっていると、実状を現地在住ジャーナリスト小林恭子氏に聞いている。 英国には、人種や宗教はもちろん、性別や性的指向による差別を禁じる法律が多数あり、また、新聞もBBCのような放送メディアも、市民の側に立った権力監視を期待されている。 一方、英国では伝統的に、高級紙から大衆紙まで多くの新聞が旗幟を鮮明にしてきて、16年の「EU離脱」を問う国民投票を巡っても、激しい対立があったのは周知の通り。 英国では移民政策への不安やエリート層への長年の不満がマグマのようにくすぶっており、それを草の根の分離運動や英国独立党のキャンペーンがくみ上げ、強烈な個性をもつ政治家が拡散。 一部の大衆紙やネット上のソーシャルメディアがそうした拡散の舞台になり、最終的に声が大きい方が勝り、国民投票で「EU離脱」が決まるという極端な結論につながった。 A氏:反移民を唱える「離脱派」の過激な発言はまず保守派の大衆紙、デイリー・メールやサンに出て、それを他の大衆紙やソーシャルメディアが追いかけ、保守派高級紙のデイリー・テレグラフなどへと広がっていき、「離脱派」と「残留派」双方の意見をとりあげる形でBBCも過激な発言を扱うようになり、ついには実際の政治に影響を与えるに至った。 扇情的なメディアとネットが共鳴し、過激な意見が幅広く流通するという点で、英国は米国に似ているところがある。 異なるのは、世論をあおる政治家が英国独立党のファラージ元党首やボリス・ジョンソン前外相にとどまり、キャメロン前首相やメイ首相がトランプ大統領のように攻撃的な言動を見せていないことで、野党労働党のコービン党首も同じ状況を利用し、党内外の支持者を組織する運動を浸透させている。 小林恭子氏は、「日本のメディアはまだ、こうした英国ほどの致命的な分断には陥っていないように見える。主要メディアの力を借りて極端な意見が政治運動にまで発展し、それが政治を動かすようなところまではいっていない。 『新潮45』の休刊を他人事にせず、状況を冷静に分析し、問題を可視化する水際の努力がいま、日本のすべてのメディアに求められているのではないだろうか」という。 ところで、同じ「文芸・批評」欄の「時事小言」欄で、「民主主義の後退 正統性の礎を失う世界」と題して国際政治学者・藤原帰一氏が世界的に起きている「民主主義の後退」を指摘している。 英米など世界の国の「メディアの分断」の背景にそれがあるようだ。 藤原氏は、スタンフォード大学のラリー・ダイアモンド教授がその著書「民主主義の精神」において「民主主義が世界的に後退している」と指摘したのは2008年のことだという。 この指摘を受けて英「エコノミスト」誌は民主化指標を毎年発表してきたが、2017年のデータも含めた最新版でも「民主主義の後退」を指摘している(2018年1月31日付)。 藤原氏は、「権威主義体制が優位となった世界では、そのような正統性(民主主義の)も国際体制の安定も期待することはできない。権力闘争と力の均衡の支配する古風な国際政治の復活が、つい目の前に迫っている」と憂慮している。 何か、世界は緩やかに一つの方向に動いているような気がするね。
2018.10.17
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私:トランプ米大統領がケンカ腰で行う、中国との高関税の応酬、北米自由貿易協定を結んでいた隣国カナダ、メキシコとの一方的で強圧的な再交渉。 日本も来年、新たな日米通商交渉が始まれば、同じように厳しい要求を突きつけられるだろう。 米国の言い分は身勝手だし国際常識を逸脱している、とはいえ衝動的でハチャメチャな措置とばかりも言えなく、米国の行動の背後には、「二つの構造変化」があるからだと、原氏は指摘する。 「第一の構造変化」は、米国内の労働者の「我々は恩恵を受けていない」という不満の高まりで、米国は自由貿易の勝ち組筆頭だったが、製造業の労働者に限れば実質時給はこの40年間まったく上がっていない。 その負け組の支持で誕生したトランプ政権は、不満の声にこたえ続けなければ次の選挙に勝てないから国内雇用のため、と保護貿易に走る。 それは必ずしも効果的な政策とはいえず、本来なら国内の再分配政策のあり方を根本的に見直すべきなのだろうが、それが一朝一夕にいかないから、輸入品に責任を転嫁するポピュリズムに走る。 A氏:「第二の構造変化」は中国の経済的台頭。 数年前まで米国など先進国の経済専門家たちは「知的所有権も守られないモノマネ経済の中国では技術革新は進まない。結局、先進国並みの所得水準にはたどりつかず、いずれ中所得国のワナにはまる」とみていた。 しかし、国家資本主義のもとで資本、技術、情報を集中させた中国経済は予想以上に強く、アリババやファーウェイなど強大な企業も誕生していおり、プライバシーそっちのけで14億人のビッグデータを簡単に集め、簡単に自動運転の実験都市まで造ってしまう。 これは、ブログ「中国の夢と足元」で、中国はベンチャー企業の企業価値や投資額で米国に次ぐ、世界第2位とあり、ある領域では中国企業が世界でも先駆的な取り組みをする時代になったと言えるという。 ブログ「中国、AI育成に注力 ベンチャー支援・変わる生活」では、ある領域では中国企業が世界でも先駆的な取り組みをする時代になったとある。 ブログ「中国FCV、地方先行 環境問題考え、バス・貨物運行」では、中国政府が国家を挙げて電気自動車(EV)やその関連産業を育てようとしているなか、地方ではその先を見越して、水素燃料電池車(FCV)の普及に向けた態勢づくりが着々と進んでいるとある。 今のままだと2020年代末にも国内総生産(GDP)の米中逆転がありうる。 もし、最大市場が米国から中国に移ると、多くの国が中国との経済関係を優先し、企業は対中取引に力を注ぐようになり、「人民元が決済通貨」として広がれば、ドルは「基軸通貨の地位」さえ脅かされかねない。 手遅れになる前に中国の技術進歩の歩みを遅らせたく、覇権喪失の危機感を抱いた米政府が、必死になって中国への技術輸出の制限措置を導入しはじめたのも無理はないと原氏はいう。 自由貿易は走っている自転車のようなもので、こぎ続けないと転んでしまうと、かつて日米貿易摩擦を取材していたころ、自由化交渉が必要な理由のたとえとして、交渉官たちがよく口にしていたが、当時はなるほどと思ったものだという。 私:原氏は、貿易戦争の現代について「今は自転車のようなもので、こぎ続けないと転んでしまうと単純に言えなくなった。スピードを落とし、安全を確かめ、時には立ち止まる。そんな時代になったのかもしれない。ポピュリズムの広がりも、安全保障を背景にした米中対立も、どちらも近い将来の解消は望めない。息長く解決策を探る覚悟をしたほうがよさそうである」という。 たしかに米中の貿易戦争は規模が大きいだけに長期化しそうだね。 日本も来年、新たな日米通商交渉が始まれば,自動車で厳しい要求を突きつけられるだろう。
2018.10.16
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私:「戊辰戦争」は150年前、東北地方などで起きた大規模な内戦。 江戸城の開城後も奥羽・北越などの諸藩は新政府を相手に団結し、戦ったが、敗戦で厳しい処分を受けた地域は、「賊軍」とされた無念を引きずってきた。 奥羽と北越の諸藩は「奥羽越列藩同盟」を結び、新政府軍を相手に現在の東北地方や新潟県の各地で戦い、敗れた。 福島県立博物館の阿部綾子・主任学芸員は、「そもそも戦争をしたくて列藩同盟に加盟した藩は一つもないと思います。むしろ、巻き込まれたという認識でしょう」という。 本来は「非戦」の同盟であったという。 A氏:戦争のきっかけは1868年1月の鳥羽・伏見の戦い。 旧幕府軍などは薩摩、長州藩中心の「新政府軍」に大敗し、新政府は会津藩を「朝敵」とし、仙台藩に「征討」を命じた。 仙台藩主の伊達慶邦は戦争回避に向けて動き、「征討」は、まだ幼かった明治天皇が判断したのかなどの疑問点を建白書にまとめたが、京に届けられた時、すでに「征討軍」は出発していた。 新政府の「奥羽鎮撫総督府」が東北に入ると、会津藩謝罪の条件として要求したのは、藩主だった松平容保の首で、会津藩にとって受け入れがたい内容。 仙台藩と米沢藩は奥羽諸藩に会津救済を呼びかけ、賛同した藩の代表者が署名したが、この時は、東北で戦火を交えないことをめざした盟約だった。 私:提出された嘆願書を、新政府の奥羽鎮撫総督が却下したことで転機を迎える。 仙台市博物館の水野沙織・学芸員は「嘆願書の署名の前に仙台、米沢、会津の3藩の会合で、もし謝罪が認められず、鎮撫軍が暴挙に出たときは一緒に戦うことを約束していた」という。 仙台藩士らが総督府下参謀を殺害したことも加わり、対決は不可避になり、水野氏は「情勢の変化によって目的が変わり、同盟を結成し、新政府軍と敵対することになった」という。 5月、同盟は奥羽・北越の31藩に達したが、軍事同盟に変わり、各地の戦いで劣勢となる中、離脱する藩が相次ぎ、8月には会津・鶴ケ城下に新政府軍の侵攻を許す。 9月に入ると、米沢、仙台両藩、そして会津藩などが降伏し、戦場は箱館へと移っていく。 A氏:ところで、新潟、福島両県と仙台市は今年、「戊辰戦争150年」展を企画。 会場には、一人の会津藩士が戦争から約40年後に書き記した書物「雪冤一弁」が展示されているが、「雪冤」は「無実の罪をそそぐ」という意味で、序文で、明治政府に媚びて真実を伝えない書物が流布していると執筆の動機を説明。 阿部氏は「会津藩が『朝敵』とされたことに対し、割り切れない思いが随所に表れている」 という。 この藩士が憤るのは「会津藩こそ天皇に誠を尽くした」という思いがあるからで、会津藩主松平容保は京都守護職として、幕末の混乱した京で治安の維持に努め、孝明天皇からは、忠誠を喜ぶ手紙が届けられたほど。 だが、孝明天皇の死後、薩摩藩などは鳥羽・伏見の戦いで錦の御旗を掲げ、「官軍」と名乗ることに成功し、逆に会津藩が「賊軍」の汚名を着せられることになった。 敗れた藩は戦後、処分を受けるが、新政府側に回った秋田藩も領地が戦場となり、家に火を付けられるなどの被害に遭った。 私:水野氏は「150年前に起きた戊辰戦争の歴史はそれぞれの地域で大きく違っていることを知って欲しい」という。 明治維新は、ある意味、薩長の皇室を巻き込んだクーデターで、新政府は統一「国家」創設を急ぐ意識があったのだろう。
2018.10.15
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私:AIと兵器についてはこのブログ「AIと兵器、どこまで」で取り上げていて、ここでは、すでに、韓国やロシア、イスラエルなどは、AIを部分的に組み込んだ兵器を実戦配備し、特定の攻撃に対する防御兵器などを実用化していて、日本が米国から購入している「ファランクス」も、対艦ミサイルなどを探知し、自動的に撃ち落とすことができるとある。 この「日曜に想う」の記事では、人工知能(AI)を搭載し、機械独自の認識と判断によって敵を殺傷する兵器のことを 「自律型致死兵器システム」というとしている。 平たく言えば「殺人(キラー)ロボット」。 A氏:兵器・武器の人類史をひもとくと、古来よくもこれほどの情熱を、殺戮と破壊に捧げてきたものだと驚かされると福島氏はいう。 そうした歴史の中で、AI兵器は、火薬、核兵器に続く「第3の革命」となるおそれが指摘されている。 従来の兵器はいかに高性能で強力でも「道具」にすぎなかったが、AIは、道具でありながら戦闘行為の「主体」として人間に取って代わる可能性をはらんでいる。 独自の「意思」で敵を認定、攻撃して殺すところまでやってしまうという、AI兵器の極めつきの「殺人ロボット」はまだ開発途上だとされるが、米英やロシア、イスラエルなどがしのぎを削っていて、実用化はいずれやってくるだろう。 私:自国兵士や一般市民の死傷を減らせるといった主張もあるが、逆に戦争への抵抗感が薄れ、武力行使のハードルを下げてしまう心配もあり、8月には規制を話し合う国連の会合が開かれたが、米ロなどは歯止めに消極的な姿勢だという。 ひとたび戦場に投入されれば、原爆に続くパンドラの箱を開けることになりかねない。 一度開いた箱を封じることの至難は、核兵器が実証済み。 人間は、戦場にあっても容易には人を殺せないらしく、第2次大戦中に米軍は大がかりな調査をした。 すると戦闘中に敵に発砲した米兵は15~20%にすぎなかったが、その後、特殊な訓練を兵士に施して、発砲率を90%まで高めたのがベトナ戦争。 (グロスマン著「戦争における『人殺し』の心理学」から)。 ほとんどの人間には同類である人間を殺すことに強烈な抵抗がある、と著者は言う。 となれば、そうした人間的要素をそぎ落としたのが「殺人ロボット」ということになる。 人間(の命)へのまなざしを欠くAIに、生殺与奪の権を握らせることの意味を考えずにはいられないと、福島氏はいう。 A氏:原爆の開発と使用を悔やみ抜いたアインシュタインが、投下数カ月後に「弾丸にたいしては戦車が防御手段になりますが、文明を破壊しうる兵器にたいする防御手段などありません。私たちの防御手段は法と秩序です」と言っている。 およそ科学技術の発展には恩恵と呪いの両面があり、呪いには規制が要る。 AI兵器をめぐるきわどい議論を、専門家だけのものにしておく時ではないと福島氏はいう。 私:これはブログ「AIと兵器、どこまで」で、登場した3氏も同一意見だね。 しかし、同時に、核削減同様、国家間の交渉結果がどうなるかだね。
2018.10.14
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私:6日夜にフジテレビ系で放送された「タイキョの瞬間!密着24時」は、ナレーションによると「法を無視するやつらを追跡する緊迫のリアルドキュメント」。 強制退去をテーマに、「出て行ってもらいます!」との副題で外国人の不法滞在などを取り上げた。 これが、差別や偏見を助長しかねない内容だと批判された。 A氏:外国人の権利問題に取り組む浦城知子弁護士は「在留資格の問題を重大な犯罪であるかのように伝えるのは、外国人への差別、偏見の助長につながる」と指摘。 フジ企業広報室は取材に「取材に基づいた事実を放送しており、決して外国人を差別する意図はございません」としている。 東京入管に密着した番組は他にも放送されている。 10日にテレビ東京系で放送された「密着 ガサ入れ!」もその一つで、茨城県のスナックに入管職員が客のふりをして入店し、そこで聞き出した情報をもとに摘発されたタイ人女性のアパートで荷物をまとめる場面には、「夜の世界で不法に働く外国人女たちのすみか」とのナレーションがついた。 テレビ朝日系で9月に放送された「全国犯罪捜査網2018秋 スーパーGメン」では、不法滞在の中国人を摘発する場面で「不法残留者の多くは犯罪組織とつながっている」とのナレーションが流れたが、この中国人が犯罪組織と関係があるのか説明はなかった。 私:政府が外国人の受けいれ拡大にかじを切るなか、「ことさらに摘発場面を取り上げる番組が続くと、外国人を不審視し、排除する空気を作りかねない」と鈴木江理子・国士舘大教授(移民政策)は危惧。 ジャーナリストの安田浩一氏は「入管に頼れば安易に摘発現場の映像が手に入るので、一方的で無批判な番組になっている」とみて「外国人一般への偏見をあおるナレーションやテロップをみると、一部にある外国人排斥運動に、メディアが間接的に加担しているのを感じる」という。 水島久光氏・東海大教授(メディア論)は、警察への密着番組との類似点を指摘し、「疑わしきは罰せずという推定無罪の原則を無視し、最初から犯罪者の印象を与えている」とし、外国人への差別を助長する要素が加わっている分、より問題が大きいとみて、「入管の現場で何が起きているのかを本当に伝えたいなら、外国人の受け入れ制度や法律の問題点に触れるなど多角的な視点が必要で、法を盾に誰かを罰して留飲を下げるような作りにはならないはずだ」という。 テレビメディアの情報だけに事実よりも印象として与える影響も大きいだろうね。
2018.10.13
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私:生誕150年余、漱石は読むたびに発見があり、今なお、新しい。 「漱石山房記念館」開館1年を記念して、奥泉氏が8日、「一日館長」に就任し、「漱石と『孤独』」をテーマに講演を行い、漱石作品を貫く「孤独」を語った。 「漱石の作品に繰り返し出てくるテーマは孤独です」と話し始め、『こころ』の先生は残酷なまでに追い込まれ、『道草』では幼少期に孤独の源をさかのぼるという。 奥泉氏は「作家にとってテーマは体質のようなもの。書くつもりがないのについ自然と出てきてしまう」という。 A氏:一見明るい『坊っちゃん』だが、奥泉氏は「暗い」という。 相手にけしかけられて2階から飛び降り、ナイフで指を切るが、「こういう人は困りますよね。他人とコミュニケーションが全く取れない」と奥泉氏はいう。 生徒にからかわれて激怒するだけ、彼らと仲良くならない。 奥泉氏は「もし20年後に同窓会があったなら、当時対立していても同じ土俵でやりあった赤シャツと山嵐が仲良くしゃべっているかもしれない。生卵を投げていた坊っちゃんは、その同窓会に呼ばれてすらいないのではないか」という。 『吾輩は猫である』も奥泉氏が読めば「あの猫ほど孤独なものはいない」という 車屋の黒や三毛子は3章以降に消え、その後は人間しか出てこない。 「猫は人間の言葉を理解している。しかし人間は猫が言葉を理解していることに気づかない。このコミュニケーション不全はつらい」という。 私:漱石が書いていたのは、「コミュニケーションに失敗する人の孤独」。 現代人にそのまま重なり、「孤独になりたいわけではない。人と交わりたいのにそれができないがゆえに孤独に陥る。深刻な孤独の位相が繰り返し出てくる」という。 すでに、このブログでも「『新潮45』問題と休刊 せめて論議の場は寛容に」や、「交わるすべなき『高い壁』」で扱っているテーマで、社会のコミュニケーションの「分断」「壁」「不寛容」は、世界的に拡大している課題だね。
2018.10.12
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私:「eスポーツ」は「エレクトロニック・スポーツ」の略で、野球や格闘、パズルといったジャンルのゲームで競う競技。 身体を使わないが、今年8月にインドネシアであったアジア大会では、正式な競技ではないけど、公開競技として採用された。 国際オリンピック委員会も五輪での採用を議論していて、スポーツとして認めようという動きが広がっている。 プロのゲーマーが腕前を披露する大会が各地で開かれていて、華麗な技を大画面で見ようと多くの観衆が集まり、インターネット配信も人気。 米国では賞金総額が30億円以上の大会もあり、トップ選手の年収は数億円とも言われる。 A氏:日本では、米国や中国、韓国を追いかける形で、ゲーム業界が普及を進めていて、2月には、複数あった国内の競技団体をまとめて「日本eスポーツ連合」(JeSU)が発足し、今は八つのゲームでプロ選手を認定し、「東京ゲームショウ」など各地でイベントなどを開いている。 ゲーム業界だけの取り組みなだけでなく、人気がある大会は、多額の放映権や広告料が動く一大ビジネス。 昨年の市場規模は世界で700億円以上とされ、様々な会社が参入していて、日本でもKDDIやサントリーがJeSUのスポンサーになり、吉本興業や日本テレビはプロチームもつくっている。 選手を養成する学校も増えているが、ゲームのやり過ぎには注意しなければいけないという問題がある。 日常生活に支障をきたすほどゲームをするのは、WHOも認める病気。 身体を使うスポーツと違い、適切に取り組む必要があるね。
2018.10.11
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私:國分功一郎氏は、この欄で哲学者ハンナ・アレントの思想を紹介することを決めていて、それは今、我々はアレントの思想に学ばねばならないという強い確信があったからであるという。 20世紀初頭にドイツに生まれた彼女は保守派の思想家であり、もちろんその保守主義は今日日本で耳にする「保守」とは何の関係もなく、それは政治の成立に必要とされてきた諸条件、すなわち様々な政治制度や価値の共有を重視する立場を意味する。 かつて國分氏はアレントの保守主義に反発を覚えていたが、それが単なる伝統主義と結びつく可能性が気になっていたからだが、アレントが論じた政治の諸条件が今まさに崩れつつあるというのがこの5年間の國分氏の感覚だったという。 少なからぬ人が同じことを感じているように思われるが、それ故であろうか、現代日本を批評してしばしば「民主主義の危機」が語られる。 A氏:國分氏は、この言い方に違和感があり、そこでは民主主義というすばらしい政治体制が何か別のものに脅かされていると考えられているという。 しかし、そもそもデモクラシー(民主主義)という言葉は、古代ギリシアで、「あんなものは民衆(デーモス)の支配(クラチア)にすぎない」という罵倒語として作り出されたものだ。 この政治体制には見逃せない内在的欠陥が確かに存在する。 民主主義の最も重要な原則の一つが「平等」であり、これは人類が勝ち取った誇るべき原則であり、誰もが「平等」に尊重されねばならないという価値観もここから導き出される。 私:だが、民主主義における「平等」にはもう一つ別の側面があり、「平等」に与えられた権利にふさわしくあるよう、自らの言葉や考えを鍛え上げることが期待されるという側面である。 アレントは古代ギリシアの民主政を参照しながら「平等」と「同等」を区別し、後者の重要性を強調。 民主主義は民衆に、政治参加の権利を行使するにふさわしい水準の者どもと「同等」の存在になろうとすることを求めるから、民主主義社会では、教育による人物の涵養や報道による情報提供などの必要性を誰も否定しない。 民主主義は「同等」の観念によって、「平等」の原則が単に形式的に実現されるのを退けようとし、言い換えれば、「同等」の観念が失われたとき、民主主義は自らに内在する欠陥を露呈する。 「同等」の観念の完全な実現は考えられなく、現実には、能力や環境の違いによって民衆の間には様々な差が存在するだろう。 したがって、それを強制することがあってはならない。 A氏:だが國分氏は、「同等」の観念が無条件に課されねばならない一群が存在すると考え、それは政治家であるという。 全員が「同等」の実現に邁進はできないからこそ、自らの言葉と考えを鍛え上げることができた者の一部が代表として政治に直接参画することになっている。 ところが現実は全くそうなっていないどころか、言葉も考えも全く鍛え上げられていない人物が政治家になっているという。 國分氏は、最近、ある国会議員が性的指向における少数者について「生産性がない」と述べて問題になったが、内容については論じないが、この人物が同等の観念から最も遠いところにいることは誰の目にも明らかであるという。 確かにそのような人物にも政治家になる権利が「平等」に与えられているが、これこそ、「同等」の観念が理解されずに「平等」の原則が形式的に実現されていることの帰結でなくてなんであろうかという。 どうすれば「同等」の観念を実現できるだろうかと問う時、國分氏は、アレントのそれと似た保守主義の中でものを考えざるを得ないのであるという。 私:政治家が失言して、後で、謝罪したり、訂正したり、追加の説明をしたりするのは、「同等」に反する政治家だということになるね。 最近、「教育勅語」でもあったね。
2018.10.10
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私:第6回のアフリカ開発会議(TICAD)で安倍首相は2016~18年の3年間で官民で総額300億ドル(約3・4兆円)規模を投じる方針を表明していたが、一方、中国は2000年から、当時すでにあったTICADに似た国際会議「中国アフリカ協力フォーラム」を3年ごとに開催。 今年9月の会議では、習近平国家主席が600億ドル(約6兆8千億円)の支援を表明。 一方、TICADの閣僚会合が7日、閉幕したが、河野太郎外相は会合で、総額300億ドルに対し、今年9月時点で約160億ドルにとどまっていることを明らかにした。 円借款は途上国が返済することを前提にした国際協力の方法だが、それが難しくなっている背景の一つに中国の存在がある。 アフリカ諸国に対して中国は巨額のインフラ投資を行っており、アフリカ諸国は対中債務を抱えていて、日本政府としては円借款が難しくなっているという。 こうしたことからTICADの閣僚会合は、援助を受ける国の財政の健全性確保の重要性を確認し、閉幕し、来年8月に横浜で開かれる第7回TICADに向け、関係する国や機関の連携を加速させることでも一致。 A氏:日本の外務省が昨年3月にケニア、コートジボワール、南アフリカで行った調査で、今後の重要なパートナー国を尋ねたところ、中国をあげた人が48%で最多。 最も信頼できる国を問う質問でも、中国が33%でトップとなり、日本は4位の7%にとどまった。 これに対し、日本は「質の高いインフラ整備」などを掲げて関係強化を図り、アフリカ南部に駐在する日本の外交官は中国を意識しつつ、「アフリカ各国と長期的な関係を築くことを重視している」と強調。 アフリカ諸国は日本に対し、経済面だけでなく、農業の技術支援や人材交流といったソフト面の支援も期待しており、すでに中国からの融資返済に苦労する国々もあり、近年は「1カ国のみに頼るのはリスクもある」(エチオピアの政府関係者)と支援元の分散を願願う声もある。 私:ただ、アフリカ諸国の在留日本人数は治安の悪さや慣習の違いなどから伸び悩み、約100万人いる中国人の100分の1以下。 現地の企業関係者からは、「日本人はどこに行ったんだ?」と聞かれることも少なくないという。 多額の支援をしても、人的交流が少なければ強固な関係構築は難しく、日本の本気度が試されている状況。 カンボジア支援の二の舞にならなければいいが。
2018.10.08
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私:大阪大は、教員数や自然科学系の論文数が東大などに次ぐレベルだが、一方、静岡大はいずれも30位台。 ただ、1本の論文を生み出すのに必要な研究費でみると、大阪大が958万円なのに対し、静岡大は3分の2の約651万円。 お金を多くかけても、それに応じて論文が増えるわけではなく、「論文の生産性」という観点では、静岡大が上回る。 研究開発に投じる資金を大幅に増やすのが難しい中、国立大学の運営の効率化を要請してきた財務省が求めるのが、この「論文の生産性」の向上。 A氏:財務省の資料によると、日本の大学など「高等教育部門」は、研究開発に年間約200億ドル(約2兆3千億円)を投資し、影響力が大きく他の論文に引用される回数が「トップ10%」に入る論文を約3千本生むが、一方、ドイツではほぼ同額の投資で約6千本。 日本の「論文の生産性」はドイツの半分で、米国と比べると3分の1に過ぎず、トップ10%に入らない論文全体で見ても、日本の「論文の生産性」の低さは主要国の中で際立つ。 私:政府は国全体の研究力向上のためとして、公募などを通じて選ばれた一部の大学に資金を集める「選択と集中」を進めている。 日本の大学では、04年以降の10年間で研究開発費は13%増えたが、応用研究が重視される傾向があるとの指摘があり、主に基礎研究の実力の指標となる論文数は4%減少。 運営費交付金の削減に伴い、競争によって研究資金の偏在化がさらに進めば、研究力は全体として今後も下がり続ける可能性がある。 ノーベル医学生理学賞の受賞が決まった本庶佑氏は1日の会見で、「1億円を1人にあげるのでなく、10人にあげて10の可能性を追求した方が、生命科学は(成果が)期待できる」と、研究費を広く薄く分配する大切さを訴え、「若い人にチャンスを与えるべきだ」という。 A氏:国立大学協会長を務める山極寿一・京都大総長は、「選択と集中」を目指す政策が研究力低下を招いたとして、「明らかに間違いだ」と批判。 「国立大学法人化以来、国は競争政策を続けてきたが事態は改善していない。ならば失敗だったということだ。これ以上競争を強いたら大学はつぶれる」という。 そして山極氏は、運営費交付金と競争的資金の比率を、以前と同じにすべきだと主張。 私:これに対し、財務省は否定的。 財務省は、競争で研究者が疲弊しているのは、「手間ばかりかかってメリハリにつながらない、形式的で無意味な『評価』をやらされているからだ」と批判。 海外で激しい競争が続いている以上、日本も変化を受け入れる必要があると指摘し、「(改革がなければ)もっとひどくなっていた」という。 日本の大学は、ドイツの「論文の生産性」が高いのを分析し、無駄を省いた研究活動をすべきだね。
2018.10.07
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私:今週の「書評」では、短い書評記事だが「ビジネス」欄を含め、興味があったのは2冊あった。 1.(書評)イワン・クラステフ〈著〉『アフター・ヨーロッパ ポピュリズムという妖怪にどう向きあうか』・評者・西崎文子氏・東大教授 冷戦直後の欧米では、イデオロギーの争いは終焉し、リベラル・デモクラシーが普遍化するとの楽観論が広まり、呼応するように、EU加盟国は12から28に増大し、統合も深化した。 それから約30年。欧米ではポピュリズムが台頭し、リベラル・デモクラシーは守勢に立たされていて、EUの未来にも暗雲が漂う。 ブルガリア出身の著者は欧州危機の原因を「人口動態」に見る。 冷戦後の楽観論が見落としたのは「人の移動」。 特に中東欧から西欧へと流出する人々の存在で、その一部は成功して世界主義者(コスモポリタン)に加わるが、現地に留まる人々との間には深い溝が生じた。 A氏:「人口喪失」を恐れる中東欧諸国にとって、EUの難民政策は脅威で、一方で民族・宗教の異なる難民や、彼らを庇護する世界主義者はわれわれの生活様式を脅かすと、そう感じる人々は、移民を好まず、民族や国民への忠誠を叫ぶポピュリストを歓迎する。 私:短い中に、思考の糧が多く含まれた好著であると評者は評価する。 2.(ビジネス)パティ・マッコード〈著〉『NETFLIXの最強人事戦略 自由と責任の文化を築く』・評者・勝見明氏(ジャーナリスト) 私:世界最大級の動画配信サービスを提供するネットフリックス(NETFLIX)。 その最高人事責任者を務めた著者が試行錯誤の末、到達した先進的人事戦略の全容が 綴られる。 その特質は、「新しい働き方」として「自由と責任の文化」を貫き、「顧客」と「未来」を起点する発想に徹していること。 将来のビジョンを出発点として理想のチームをつくる」ためには、過去に「多大な貢献」をした人でも、「もっているスキルが会社に必要でなくなれば」、解雇する。 「無情」と思われても、理想のチームは「顧客に喜びを与える」ためにあると位置づける。 A氏:高給を用意するが、「自分のキャリアを自分でコントロール」することを求め、「会社として従業員のためにキャリア開発をすることはない」と断じ、社員には「定期的に他社の面接を受けることを奨励」し、人事考課も経費規定もなく、休暇も自由裁量。 要は、「一人前の大人」扱いし、過度の介入は行わない。 私:米国企業でさえ「実行することが難しい」と語るが、NETFLIXが人事の概念を破ったことは、飛躍的成長と無縁ではない。 評者は「翻って日本の『働き方改革』。社員をもう少し大人扱いする試みもあってもいいかもしれない」という。 成長戦略としての「働き方改革」では、高度プロフェッショナルの拡大だね。
2018.10.06
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私:今月の「異論のススメ」は、例の「新潮45」の休刊問題、事実上の廃刊問題をとりあげているね。 朝日新聞も、9月26日朝刊で、1面と社会面の両面を使って「新潮45」の休刊を報じているが、この雑誌の休刊がそれほどの重大ニュースなのかと思うが、発端となった杉田水脈氏の文章が「日本を不幸にする『朝日新聞』」と題する特集のひとつであり、何やら「朝日新聞」対「新潮45」という構図。 佐伯啓思氏は、この数年、「新潮45」に連載していたので、少し書きにくいのだが、個人的な立場を離れて若干の感想を記しておきたいという。 佐伯氏は、まず、この数年、いわゆる論壇がいささか異常な状態になっているように思うという。 その目立つ部分が、論点を単純化し、多くの場合、左右の批判の応酬、それも、たぶんに情緒的な攻撃にも似た状態になり、そこにSNSが加わって、ともかくも世論に働きかけるという状態になっていて、そうしないと目立たないのであり、目立たなければ話題にならず、もっと端的にいえば「売れない」のだという。 評論家であれ著述家であれ、表現者とは、常に自らの表現の内容と形式について細心の注意を払うべきものであり、とりわけ、誰かを傷つける可能性のある文章を書く場合には、必要以上に神経を使うのが当然で、「表現の自由」をたてに何を書いてもよいというものではないという。 佐伯氏は、その意味で、杉田氏の例の「生産性」という原稿は配慮が欠け、杉田擁護の論考の一部に問題があったのは事実だと思うが、その後の、「新潮45」バッシングもまた異常であって、杉田氏を擁護する者は、それだけで差別主義者であるかのようにみなされるとすれば、これもまた問題であろうという。 A氏:佐伯氏は、杉田氏の論考が評論としての周到さを欠いたものだったと思うが、ここには少なくとも、三つの重要な論点が含まれていた。 第一に、問題となった「生産性」で、日本では、構造改革以降、この20年以上、あらゆる物事を「生産性」や成果主義のタームで論じてきたが、佐伯氏は、このこと自体が問題だと思うから杉田氏の論旨には賛同しないが、政策判断の基準として「生産性」が適切なのか、どこまでこの概念を拡張できるのか、という論点はあるという。 第二に、そもそも結婚や家族(家)とは何か、ということがあり、法的な問題以前に、はたして結婚制度は必要なのか、結婚によって家族(家)を作る意味はどこにあるのか。という論点。 第三に、LGBTは「個人の嗜好」の問題なのか、それとも「社会的な制度や価値」の問題なのか、またそれをつなぐ論理はどうなるのか、ということ。 しかし、杉田氏への賛同も批判も、この種の基本的な問題へ向き合うことはなく、差別か否かが独り歩きした。これでは、不毛な批判の応酬になるほかない。 私:俺は、第一の問題については、この「生産性」という用語をLGBTに関して、使うのは、全く不適切で誤用と思うね。 「新潮45」休刊の背景には、SNSにおける激しい批判と、文芸関係者による「新潮社」への抗議があったようだが、もともと作家や文芸評論家を主力執筆者にもっていた同社が、この圧力に屈したということになるが、これも両者ともに過剰反応ではなかろうかと佐伯氏は指摘する。 白と黒の間には無数の灰色があり、その濃淡を仕分け、それを描くのが表現者の仕事であり、そして、「新潮社」の雑誌の特質は、きれいごとではない、この人間の複雑な様相をいささかシニカルに描きだすところにあったが、それがすべて崩れてしまったという。 A氏:佐伯氏は、人間社会の深いところに「正義」の観念はあると思うが、それを振りかざすことは嫌悪するという。 それはたちまち「不寛容」になり、それでは議論も何も成り立たなくなるから、人間の行為や人物を白黒に分けて、「白」でないものはすべて「黒」と断定して糾弾する、などということもやりたくはないので、近年の風潮であるいわゆるPC(ポリティカル・コレクトネス)も、基本的には疑いの目をもってみたくなり、自分たちの主張を「正義」として、反対の立場を封印することは「コレクトネス」でも何でもないという。 そして、リベラル派が唱えるPCに対するいらだちが、いわゆる保守派には根強くあった(それがアメリカでトランプ大統領を生み出した一因でもある)が、また、その自称保守派も、このところ急激に不寛容になりつつあり、議論の結論だけで、敵か味方かに単純化されてしまい、SNSがそれを増長する。 本当に大事なのは、議論の結論というより、その論じ方であろう。 私:もともとリベラルも保守も、その基底には「寛容」があったはずで、異なった立場を認め、多様性を容認することは、どちらにも共通する原則であり、この原則だけが、健全な論争を可能にした。 だが今日、社会から「寛容さ」が急激に失われていて、それは論壇だけのことではないのだが、せめて紙媒体の論議の場だけでも「寛容さ」を保つ矜持がなければ、わが国の知的文化は本当に崩壊するだろうと佐伯氏は指摘する。 すでにブログ「交わるすべなき『高い壁』」で、米国にも「寛容さ」が失われており対立した意見の間に「高い壁」があるという。 「壁」が米国の「寛容」を窒息させている気配もし、「政治信条は違っても議場を一歩出れば、与野党一緒に夕食を囲む仲だったが、今は互いに口もきかない」と、ある元州議会議員は昔を懐かしむという。 日本だけの問題でないようだ。
2018.10.05
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私:警察庁は、全国の警察が今年上半期(1~6月)、虐待を受けているとして児童相談所(児相)に通告した18歳未満の子どもは3万7113人で過去最多と、4日発表した。 年間過去最多の約6万5千人となった昨年の上半期より2割以上多く、年間7万人を上回るペースだ。 虐待を防ぐため横須賀市は、児童相談所の設置権限拡大を2002年から国に働きかけてきて、児童福祉法改正が実現し、横須賀市と金沢市は06年、中核市で初めて独自に児相を設置し、虐待への一貫した取り組みを進めてきた。 上地克明氏は、そうした経験の中で感じたことは、虐待をする親の多くが「子どもは親の所有物であり、子どもに対して親は何をしてもよい」といった誤った考えを持っていることだという。 親たちがこうした間違った考えを持つ原因は、戦前、あるいはもっと以前から日本人の根底にある、無意識のような意識があるようにも思えると上地氏はいう。 A氏:上地氏は、これは、明治以降の家父長制度の名残とも言え、そうした「家制度」に関する意識を、国家が容認しているとしか思えない事実が存在するという。 民法など関係法令の中で、いまだに「尊属」に対する「卑属」という表現が使われていることがそうだという。 「尊属」とは血族中、自己の父祖及び父祖と同じ世代にある者を指し、「卑属」とは子孫及び子孫と同じ世代にある者を言う。 上地氏は、世代の上下関係を「尊」と「卑」という名称で呼ぶこと自体、封建的で現代にそぐわないだけでなく、子や孫は「卑しい」者で身分や地位が低く、自分が上であるという意識を助長してはいるのではないかという。 私:逆に、俺は、日本人は伝統的に幼児を「天からの授かりもの」「世間の泥に汚れていな神のような無垢の存在」として、社会的に扱ってきたように思う。 戦後に聞いた話だが、イギリスの幼児教育は日本と逆で、幼児は社会的訓練を受けていないから、動物と同じに扱い、しつけに「体罰」を辞さないという。 たしかにネットで調べたら、「体罰」容認の文化を持ってきたのがイギリスで、イギリス映画をみていると、子どもたちがお尻をたたかれたり、鞭でお尻や手を打たれたりする場面が出てきて、イギリスの教育文化の中では、「体罰」は有用と位置づけられ、お尻を打つのも、けがになりにくく、限定した「体罰」といえるが、ただこのイギリスにおいても、体罰禁止の流れは着実に進んでいて、1989年に公立学校で学生に体罰を加えることを禁止する法律が通過し、2年後、私立学校まで拡大。 「体罰」をしたら、すぐ警察沙汰になる。 1998年には校外まで拡大して、親も学生に「体罰」を加えることができなくなったという。 児童虐待の増加は、上地氏がいう、明治以降の家父長制度の名残というより、戦後の核家族化による大家族の崩壊にあるのかもしれない。 高度成長のときは核家族での生活は楽だったのが、「失われた20年」以降、格差が拡大し、特に若者にギスギスした社会になってきているのではないかね。 とにかく、当座は、上地氏が、「児童相談所を有している市長として横須賀市から県や国に発信して、まずは法律改正の機運を高めていきたいとの強い決意を持っています」というようにその方向に進めていくしかないだろうね。
2018.10.04
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私:安倍首相は2日、内閣改造後の記者会見で、「最大の課題は国難とも呼ぶべき少子高齢化問題」とそう訴え、「全世代型社会保障改革」が『安倍内閣の最大のチャレンジだ」と続けた。 「女性活躍」(2014年)、「1億総活躍社会」(15年)、「働き方改革」(16年)、「人づくり革命」(17年)に次ぐ、選挙にらみの新たなスローガン。 しかし、肝心の改革の中身について詳しい説明はなく、議論は厚労省ではなく、経産省主導の未来投資会議で進める一方、新設した担当大臣を茂木経済再生相に兼務させ、雇用制度改革を検討する、としただけ。 成長戦略を担う茂木氏を改革のしきり役に据えて経済政策の一環に位置づけることで、給付の見直しのような負担増の議論が前面に出ないようにするねらい。 A氏:すでに、自民党総裁選の翌日の9月21日、経産省の審議会で社会保障の議論を開始。会議は「2050年に向けた『明るい社会保障改革』」。 まずは65歳以上も雇用が継続される制度改革について検討し、首相が議長を務め、未来投資会議の議論の土台にする予定。 首相は総裁選で、年金の受給開始年齢の選択範囲を70歳超へ拡大することや、予防医療の充実も表明し、いずれも高齢者に医療や介護にかからず、就労を続け、保険料や税を納め続けてもらおうとのねらいがある。 政策が実現しても、社会保障給付費の膨張は止められそうになく、政府推計では高齢者人口がピークを迎える40年度には今年度の1・6倍にあたる約190兆円となる。 高齢者への支給減も避けられないだろう。 負担と給付の抜本的な見直しは避けられないが、負担増の問題がからむだけに、来夏に参院選を控え、「本格的な議論はだいぶ先になる」。 私:首相は会見で、社会保障の財源となる来年10月の「消費増税」に触れなかった。 首相はこれまで2度にわたって「消費増税」を延期してきたが、さきの総裁選では「リーマン・ショッ級の出来事がなければ引き上げる」と強調。 経団連の中西会長は記者団に対し安倍改造内閣に「『消費増税』は確実にやってほしい」と言っている。 だが、2014年4月の前回の「消費増税」では個人消費が大きく落ち込み、増税前の水準に戻るのに3年以上かかったが、麻生財務相は2日の閣議後会見で、「今は上げられるような状況が維持されている」との見通しを示したが米国との貿易交渉など、今後の景気の先行きを懸念する声も多い。 統一地方選と参院選を控え、政権内には「消費増税」の再々延期を求める声もくすぶる。 財務省幹部は「今年相次いだ『自然災害』などにかこつけて『リーマン・ショック級だ』と言い出さない保証はない」と心配する。 首相がいう「すべての世代が安心できる社会保障」の実現には高齢化で膨らむ社会保障費を賄う消費増税は欠かせない。 景気の腰折れを防ぎながら増税を実施できるのか首相は難しい判断を迫られる。 100歳時代を迎えるという高齢者の長寿年齢増、その社会保障費を支える現役世代の減少、次世代が負担する莫大な国の借金など、先進国で前例のない難問だね。 憲法改正どころではないようだ。
2018.10.03
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私:この記事では、2日の内閣改造を前に安倍内閣のこの1年を振り返っている。 安倍政権の今までの評価については、総裁選にからめてすでに下記ブログで取り上げている。 「安倍首相の自民総裁3選 政治部長はどう見た?」、「安倍政権の総括 幸運の歩み、問われる冬へ」 記事では、安倍内閣の1年の「支持率」を中心にまとめている。 昨年7月の「東京都議選」で自民党が惨敗した直後の内閣支持率は、「加計学園問題」などの影響で政権交代後最低の33%に急落。 安倍首相は局面打開のため、8月に内閣を改造し、9月に衆院解散と手を打った。 A氏:衆院選では、小池都知事が率いる希望の党の失速を横目に、自公で「3分の2」の議席を確保する大勝。 トランプ米大統領との蜜月関係を深め、北朝鮮の脅威も背景に支持率は40%台に持ち直した。 私:だが、今年3月に「財務省の決裁文書改ざん」が発覚し再び政権は揺らぎ、支持率は31%にまで急落。 「日報隠蔽問題」が発覚し、「財務事務次官のセクハラ問題」が起きた4月には、不支持率が初めて5割を超え、麻生財務相による問題発言も相次ぎ飛び出した。 通常国会では「働き方改革関連法」など野党の反対が強い重要法案を次々と採決し、「数の力」に頼る強気の国会運営が目立ったが、支持率は30%台後半を維持した。 ただ、9月の「自民党総裁選」では石破・元幹事長に善戦を許した。 「沖縄県知事選」では全面支援した候補が敗れ、統一地方選と参院選を控え、「選挙の顔」としての首相に不安を抱く声も出始めているとしている。 世論調査の支持率が、統一地方選と参院選にどのような影響を与えるだろうか。
2018.10.02
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私:ウラジオストクはかって、中国では「屈辱」の地であった。 帝政ロシアは1860年に清朝と北京条約を結び、沿海地方をもぎ取り、その南端に軍港を築き、ロシア語で「東方を征服せよ」という意味のウラジオストクと名付けた。 2008年に国境が最終画定し、領土問題が再燃することはないにせよ、中国にとっては本来受け入れがたい地名。 だから、中国の地図には、ウラジオストクの音訳の表記「符拉迪沃斯托克(フーラーティーウォースートゥオコー)」の後にカッコ書きで「海参ワイ(ハイシェンワイ)」がつく。 中国当局の規定で「海参ワイ」を明記しなければならないが、清朝時代の地名で「ナマコの入り江」という意味だで、ナマコがたくさん採れたらしい。 吉林省のすぐ隣なのに欧州風の街並みが広がるウラジオストクには今、大勢の中国人観光客が訪れるが、当たり前のように「海参ワイ」と呼び、ロシア語の地名を知らない人も目立ち、人気の「ナマコ博物館」を訪ねると、ガイドが「ここは中国に属していたのに、不平等条約でロシアに割譲された」と力説していた。 近くの展望台で街並みを眺めた黒竜江省の男性観光客は「屈辱的だ」と唇をかんだ。 A氏:そのウラジオストクは、中ロの和解のきっかけの場でもある。 1949年の新中国成立後しばらく、社会主義国の兄弟としてソ連と中国は緊密だったが、50年代末から政治路線をめぐって争い、武力衝突まで起き、その後、新思考外交を掲げたソ連のゴルバチョフ書記長が86年に同地を訪れ、「我々を分ける国境が平和と友好の国境となることを望む」と述べて30年近い対立に終止符を打つ意思を示した。 その3年後に北京を訪れたゴルバチョフ氏に、中国の最高実力者だったトウ小平氏は「訂正依頼は150万平方キロの中国領土を侵略し、中国人は屈辱を味わった」と述べながら「過去を終わらせ、未来を切り開く」と関係改善にかじを切った。 私:そのウラジオストクで、9月に「東方経済フォーラム」が開かれ、習近平国家主席は、「中ロ関係は歴史上、最良の時期にある」と述べ、プーチン大統領と固い握手を交わし、「屈辱」の地は、「団結」の地となった。 米中通商紛争が激しくなるなか、両氏の親密さをトランプ政権に見せつけた。 前夜には海岸沿いを散策し、両氏はエプロン姿で自ら焼き上げたロシア風クレープ「ブリヌイ」にキャビアを載せ、にこやかにウォッカで乾杯した。 トランプ政権が仕掛けた米中通商紛争は、中ロの関係をより密接なものにしているようだ。
2018.10.01
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私:ここでは、リーマン危機から10年たったが、今も国民生活に痛みを強いている英国、アイルランド、イタリアの例をあげている。 A氏:「英国」では、2008年2月に中堅銀行「ノーザン・ロック」が国有化され、他行も経営悪化で貸し出しを絞った。 住宅価格の下落などで景気は悪化した。 政府の税収は大幅に減り、財政赤字幅は急拡大し、10年発足のキャメロン連立政権は財政再建を優先政策の一つに掲げて緊縮策を始めた。 最もカットされた予算の一つが地方自治体向けの支出で、17~18年度予算の政府から地方向けの支出は、10~11年度予算と比べて半減。 ロンドンでは緊縮策を批判するデモが今も相次ぎ、今年5月には公務員らが1万人規模でデモを繰り広げた。 財政カットで地方は疲弊し、EU加盟国からの移民への予算支出への不満もたまり、EU離脱が支持されたとの見方は根強く、離脱が支持された地域には政府補助に頼ってきた都市も多く、公的雇用が減り、それに代わる安定した仕事をつくるのも難しく、緊縮策への不満が離脱の一因になったのではないかという。 この英国の緊縮財政の国民生活への具体的な影響例は、すでに、保育士・ライターで、96年から英国在住のブレイディみかこ氏の「欧州季評」で、3月は、「緊縮病『失われた10年』 待ちわびる、冬の終焉」で英国の緊縮財政をホームレス増加問題を通じて現場の姿を報じ、6月には、「治安悪化するロンドン 若者への投資、削減の末」として、ロンドンで2月と3月に起きた殺人件数が、現代史上初めてニューヨークを上回ったことが4月に明らかになり、 世界中を驚かせたと報じている。 9月には、「英国の女性参政権100年 緊縮財政が招く権利後退」で、緊縮財政政策のために多くの女性たちが貧困と生活苦に追い込まれ続けていると報じている。 私:次に「アイルランド」だが、アングロ・アイリッシュ銀行は経営危機に陥って放置されていた。 経営危機の原因は不動産バブルの崩壊で、1999年の共通通貨ユーロ誕生後、海外から資金が流入。銀行はその資金を元手に住宅ローンの貸し出し競争に走り、ダブリンの住宅価格は10年で4倍以上に高騰。 しかし、リーマン危機で、国内の住宅価格は半分になり、銀行は巨額の不良債権を抱えた。 政府は、銀行の資本増強のために約630億ユーロ(8・3兆円)の公的資金を注入し、銀行の債務も保証し、国内総生産(GDP)に対する政府債務の割合は07年から10年に4倍近くに高まった。 10年にはEUなどへの金融支援の要請に追い込まれた。 銀行は銀行融資を規制し、住宅を買えない人が賃貸物件に向かい、ダブリンの家賃平均は危機前の07年より2割も高い。 緊縮策で障害者手当なども減ったまま。不動産バブルと緊縮策のつけが今も国民の生活を苦しめている。 A氏:「イタリア」では、2011年に財政不安から国債が売られ、国債を保有する銀行の株価が急落し、景気低迷による不良債権問題も追い打ちをかけた。 イタリアの銀行融資に占める不良債権比率は、15年末の18・1%から、今年6月には12・2%に下落。 改善されたようだが、まだユーロ圏全体の水準の2倍以上。 銀行が融資基準を以前より厳格化したため、今も地元企業はお金を借りるのに困っているところが多いという。 私:6月発足のイタリア新政権は、今月27日発表の来年度予算の基本方針「経済財政文書」に、最低所得保障などの政策を盛り込んだ。 しかし、財政悪化の懸念から、28日の金融市場ではイタリア国債が売られ、国債価格が急落。 国債を多く持つ銀行株も売られ、最大手銀行ウニクレディトの株価が前日終値より一時9・5%も下落。 財政不安が再びイタリア銀行の先行きに暗い影を投げかけている。 各国とも10年前のリーマン危機が原因の財政不安が、国民生活にいまだに悪影響をあたえているね。
2018.09.30
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私:経済学者・脇村義太郎と政治学者・岡義武との二つの対談は著者が聞き手になったものであり、本書の中心をなすのは、日本近代を論じた歴史学者・松尾尊よし(たかよし)との直球対談であり、さらにその核にあるのは、日本の民主主義はすべて戦後民主主義として現れるという年来の主張。 「大正デモクラシー」の解体は第1次大戦の戦後体制の解体、軍部の台頭・独裁よりは立憲主義を内包した「明治憲法体制」の解体として捉えられる。 A氏:過去の問題は現在の問題だという観点から、本書は戦後デモクラシーの可能性を論じた憲法学者・樋口陽一との対談で締め括られる。 脱戦後を唱える安倍政権に対し、著者は「コンスティチューション(憲法)」を否定する保守政党なるものは形容矛盾だと断じる。 戦後70年をもうワンサイクル続ければ日本は立派な国家になる。 ただし、そのためにはデモス(人民)がアクティブ・デモス、公共観念をもった人民にならなければならない。 著者の言葉は以(も)って銘すべきであろうと評者はいう。 改憲を急いでいる安倍政権とは逆発想だね。
2018.09.29
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私:ブログ「雑務に追われ、論文減少」で、日本の「科学力」の低下の原因として、1.「1.研究者の数」、「2.研究時間」、そして「3.研究費」の三つの要素を挙げていることをふれたが、今日は、「3.研究費」に関連して、国の科学技術予算全体は増えていて、予算が増えた分野の代表格が、「イノベーション」関連の研究費だということに言及している。 「イノベーション」とは、経済成長や社会の課題解決に役立つ技術や新たな知識、しくみを意味し、政権は「アベノミクスの成長戦略の柱」として力を入れる。 個々の研究者が自由にテーマを設定するのが基礎研究なら、政権のイノベーション研究は、国が政策課題を設定し、解決に貢献しそうなテーマを募集・選抜して研究を委託する。 近い将来に役立つ研究という色彩が強い。 A氏:国がお手本にするのは、米国防総省の国防高等研究計画局(DARPA)。 責任者にお金と人事の全権を任せ、トップダウンで研究を展開し、DARPAはインターネットやGPSなどの技術開発を主導した実績で知られ、軍事応用をテコに開発した技術を民生に応用し、米国社会に富をもたらしてきた。 DARPAによる研究推進のしくみに倣おうと、内閣府は2013年度、革新的研究開発推進プログラム(ImPACT)という事業を始め、「脳内の情報の見える化」「スパコンをも上回る量子コンピュータの開発」など16課題に、5年で550億円という破格の予算をつけた。 私:今春、最終年度に入ったが、成否は見えない。 5年分の予算を一括計上し、各課題の評価も最終年度に行われるためで、そうした手法に批判もある。 国の財政制度等審議会が今春まとめた建議では、「初年度に多額を交付してしまい、評価が芳しくない課題を中途で減額できない」「予算の投入量を目標とせず研究の中身や質を目標とすべきだ」などの指摘が盛り込まれた。 具体的な社会課題の解決や経済活性化への貢献度も不透明で、企業と大学の共同研究の金額や大学発ベンチャーの数は増えているが、大学などの特許出願数は横ばい。 収益に結びつかない未利用の特許が大半を占める構図も変わらない。 内閣府では早くも、来年度に始めるImPACTの後継事業の準備が始まっていて、 「社会の関心を集める野心的なプロジェクト」(内閣府ImPACT室)といい、重症者を人工冬眠させる技術、台風の進路を変える技術、死者をサイバー空間によみがえらせて会話する技術など「夢」ともみえる目標を例示。 人類を月に送ったアポロ計画にちなんで「ムーンショット」と命名し、DARPA方式を強化して複数の研究チームを競わせるという。 研究費制度に詳しい近畿大学の榎木英介講師は「近年の国の政策は、学問への貢献を重視する先進国型から、経済成長を重視する途上国型へシフトしたといえる。お金がない以上、選択肢としては理解できるが、ノーベル賞はもう望めない」と話す。 ノーベル賞をもらえるような研究は、トップダウンでなく、個々の研究者が自由にテーマを設定するボトムアップからだがね。
2018.09.29
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私:今月の「池上彰の新聞ななめ読み」は、自民党の総裁選挙で安倍首相が連続3選を果たしたことに関連して、1面には各紙の政治部長が論評している記事を池上氏は比較して論じている。 日経は、 〈自民党総裁選に勝利した安倍晋三首相は、2021年9月まで向こう3年間の任期を手にした。任期いっぱい務めれば憲政史上最長の桂太郎をも超える。これより長い為政者は、黒船が来襲した徳川12代将軍にまで遡らなければならない〉 池上氏は、「黒船来航」ではなく、「黒船来襲」という、なんでこんなすごい表現になるかと言えば、次の文章の伏線だからという。 〈いま日本を取り巻く環境は黒船以来といってもよい状況にある。貿易戦争の言葉が飛び交い、世界では力による政治、ポピュリズムが横行する。この3年間は日本の針路が決まる期間となる〉 池上氏は、ずいぶんと力が入っているといい、でも、「この3年間は日本の針路が決まる期間」と言われても、どの首相のときも「日本の針路」を決めてきたのではないでしょうかという。 毎日は、 〈安倍晋三首相にとって苦い勝利に違いない。総裁3選を決めた顔に笑みはなかった〉 〈昨年の衆院選で安倍自民が圧勝した時にくすぶっていた「信頼できない」「地方を向いていない」という「安倍1強」への地方の不満はさらに大きな声になり、党員票での石破茂元幹事長の善戦につながったのだろう〉 朝日は、 〈問われたのは、「1強」がもたらした政権のゆるみとおごりだった。しかし、歴代最長の通算在任期間をうかがうのにふさわしい信頼を、安倍晋三首相が勝ち得たようには見えない〉 池上氏は、朝日は毎日と同じように厳しい論調だという。 A氏:問題は安倍よりの読売の記事だ。 ところが、池上氏は、意外だったのが読売で、こちらも安倍首相に厳しい注文。 安倍首相の「敵」として、「長期政権の惰性、おごり、飽き」を指摘。 〈政策より政治手法が焦点となり、国会議員票ほどには党員票で差がつかず、読売新聞の調査で「安倍1強は好ましくない」と答えた党員は59%にのぼった〉 安倍首相への注文として、やはり長期政権のドイツのメルケル首相と比較している点が読ませると池上氏は指摘する。 〈昨年の衆院選で自民党は政権基盤を強めたものの、比例選での得票率は33%だった。同時期の比例選主体のドイツ総選挙では、安倍氏以上に政権の長いメルケル首相の与党が得票率33%で「求心力低下」と言われた。同じ「3割政党」の評価を分けたのは、得票率以上に多数の議席を得やすい衆院の小選挙区制と、日本の野党の「多弱」ぶりだ。圧倒的な議席は「国民の支持」の実態よりも大きいと自覚せずに「選挙に勝ったからいいじゃないか」となってしまうと、独善的な政治に陥る〉 この読売の記事に池上氏は「愛すればこその諫言でしょうか。説得力があります」と高く評価している。 私:確かに、日経、毎日、朝日に比較すると、本来、安倍首相よりの読売の記事が具体的で、一番厳しい記事だね。 まさに「愛すればこその諫言」だね。
2018.09.28
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私:今月の論壇では続投が決まった安倍政権を総括した論考が多いという。 小熊氏の意見では、安倍政権の特徴は、幸運に恵まれた政権だったことで、その前の民主党政権は政権運営が不慣れで、震災や原発事故の対応も不十分で、さらにその前には、首相が1年おきに交代する混乱状態が続いていた。 この状況ならば、その後に登場する政権は「よりまし」に見えやすく、世論調査では、安倍政権を支持する理由の1位は「ほかの内閣よりよさそうだから」。 さらに安倍政権の登場が、世界経済の回復期と重なったのも幸運。 また1990年代末からの統治機構改革で、首相の権限が強められ、小選挙区制や政党交付金も、党総裁の力を強め、こうした制度が整っていた点でも、安倍政権は幸運。 さらに自民党が衰退し、09年に政権を失ったことも幸運として作用した。 こうした一連の外部条件が、安倍政権に幸運として働き、「運」を味方にするのも政治家の実力の一つかもしれないと小熊氏はいう。 A氏:小泉政権同様、安倍政権も「改革」は掲げた。 例えばアベノミクスで、これは金融緩和・財政出動・成長戦略の「三本の矢」から成っていたが、日銀参事だった岩村充氏は、「以前からの政策の延長線上にあるもので、特筆すべきことはありません」と述べている。 「三本の矢」は、形は違うが60年代から自民党政権がずっと行ってきた政策で、岩村氏は、金融緩和が「異次元」であることは大きな違いだと認めているが、その効果は疑わしく、政策を新奇なものとして打ち出した「メッセージ効果」にとどまったのではないかという。 外国人政策も同様で、いろいろ政策を打ち出しているが、この問題を研究してきた丹野清人氏は、定住を認めずに「単一民族国家の幻想」を維持しようとする基本姿勢は変わっていないという。 竹中平蔵氏は、今回の技能実習生のような外国人材活用は「自民党の農林部会や建設部会が押し上げた」と指摘。 私:議論をよんだ安全保障政策については、佐伯啓思氏は、「集団的自衛権を一応認めたのは従来の延長線上で法制化しただけの話」であり、「大事なことは全て保留状態で、表面上だけでつじつまを合わせている」と手厳しいという。 とはいえ、これらは、安倍政権が「自民党のコアな支持者が安心感を得られるような政策」をとってきた結果とも言える。 自民党支持者には変化を望まない中高年が多く、「コアな支持者」が有権者の3割前後にすぎないとしても、野党が分裂して棄権が5割近い状態ならば、選挙に勝つことはできる。 そのうえで「メッセージ効果」とメディア対策で支持率を保つのは、政権維持には賢い戦略。 しかし、「現状を変えないこと」と「安心」は同じではなく、大飯原発の運転差し止め判決を出した樋口英明氏は、各地の原発設計の基準地震動が、日本で記録された最大震度の4分の1から6分の1にすぎず、一般住宅の耐震強度にさえ「遠く及ばない」と指摘。 これは変えたほうが安心だろう。 またこれでは、新時代には対応できず、現在の70代の青春を描いた「三丁目の夕日」の時代には、沖縄は米軍統治下で、大卒女性に求人はなかったという、そんな日本を「取り戻す」のは時代錯誤だと小熊氏はいう。 人生には「青春・朱夏・白秋・玄冬」の四つの時期があるというが、これまでの安倍政権は、夏の熱波の後に訪れた「白秋政権」だったが、白秋の次は玄冬がくる。 政権の真価が試されるのは、幸運の有効期限がすぎた後であると小熊氏はいう。 日本の先進国のトップを行く少子高齢化の進行、「科学力の低下」という基本的な問題には歯止めがかかっていないね。 この後がなにか怖いね。
2018.09.27
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私:10月が近づいたが、このところ日本の科学者によるノーベル賞受賞が相次いでいて、期待が高まるが、このノーベル賞を受賞した業績の多くは若手時代のもの。 では、今の日本の若手の「科学力」はどうか。 現在の日本の「科学力」は「著しく低下している」という認識が、国内外に広がっているのも事実で、国は6月、「科学技術白書」で正面から危機感を表明。 ノーベル物理学賞を2015年に受賞した梶田隆章・東京大宇宙研究所長は、日本の「科学力」の現状について「影響力の大きい重要な論文の数が減っているのは、深刻な問題だ」という。 他の論文に引用された回数が各分野で上位10%に入る、影響力のある日本の論文数は、03~05年の平均でみると、自然科学や人文科学を含めてその数が約4600本にのぼり、世界4位。 ところが、10年後の13~15年は平均で約4200本へと減少し、中国、豪州、カナダにも抜かれ、9位に後退。 論文数の全体も、日本は03~05年の平均約6万8千本から15年の約6万2千本へと減少。 一方、同じ期間に中国の論文数は5倍増、米国も2割増えており、主要国で減少したのは日本だけ。 A氏:何が日本の研究力の低下を招いたのかというと、梶田氏はその原因として、1.「1.研究者の数」、「2.研究時間」、そして「3.研究費」の三つの要素を挙げる。 まず、「1.研究者の数」。 特に研究の主力を担う若手研究者は、助教などの正規ポストが減り、非正規のポストで働く人が増え、若手を競わせる国の政策の結果だが、任期に縛られ、自分の判断で自由に研究できる人が減ったことを意味する。 博士課程に入学する学生は03年度の約1万8千人から、17年度は約1万5千人に減少し、若手研究者の不安定な生活を見て、学生らが研究者としての将来に不安を抱いた結果とみられる。 「2.研究時間」については、大学の研究者が研究に割ける時間は02年は年に1300時間だったが、13年には900時間に減少。 職務時間に占める研究時間の割合は47%から35%に低下し、代わりに、授業や実験指導などの教育や、学外での講演などの社会貢献活動が大幅に増加。 文科省の意識調査でも「人が減り、大学運営に関する1人当たりの業務の負担が増えた」といった回答が寄せられ、雑務に追われ、研究のための時間を捻出できないという、そんな研究者像が浮かぶ。 私:「3.研究費」については、1995年に「科学技術基本法」が施行されて以来、国は日本の将来を科学技術に託す「科学技術創造立国」を掲げていて、5年ごとに「科学技術基本計画」を作り、「5年で26兆円」といった数値目標も立てて手厚く予算をつけてきた。 しかし、他国の科学技術への投資額の伸びは、日本を上回り、中国の予算は16年間で13倍以上に急増し、米国や韓国の上昇ペースも日本を上回る。 国の主な予算の配分先である大学部門の科学技術予算でみると、日本はかつて米国に次ぐ2位だったが、近年は中国とドイツに抜かれて4位に後退。 日本の研究力の今後を大きく左右するのは、論文数の4分の3を生み出している大学部門で、中でも、国は国立大学の改革を本丸ととらえている。 大学の規模に応じて分配され、人件費や自由な研究に使われる「運営交付金」を、国は減らし続けてきて、この数年、削減は止まったが、大学改革の進み具合に応じて配分額を増減させる方式を導入し、来年度以降、大学間の競争をさらに強める。 英科学誌ネイチャーは昨年、日本の科学研究の実力について特集を組み、日本の「科学力」低迷の原因について、「運営交付金」が削減されて人件費が減り、若手研究者は任期なしの安定した職を得る機会が少ないことなどを挙げた。 ノーベル賞を受賞した業績の多くは若手時代のものだけに、受賞の先細りを予想させる。 梶田氏は、「『運営交付金』の削減はもともと、大学の『贅肉』をそぎ落とす目的だったが、いまは筋肉をそぎ落とす段階に来ている」という。 安倍首相のいう「新しい日本」は、筋肉の少ない「科学力」の日本なのか。
2018.09.26
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私:インド洋の島国モルディブは中国の「一帯一路」構想のインド洋の唯一の需要拠点。 そのモルディブの大統領選は23日投開票され、24日未明、中国寄りでないインド寄りの野党統一候補のイブラヒム・ソリ野党連合議員団長が勝利宣言。 この選挙は、現職のアブドラ・ヤミーン氏は中国を後ろ盾に盛んな開発を進める一方、反対勢力を弾圧するなど強権的な政治手法が問われたが敗北を認めた。 開票の結果、ソリ氏が58・34%、ヤミーン氏が41・66%を獲得。 野党幹部や最高裁判事を逮捕するなど強権的な政治を推し進めてきたヤミーン氏は、今回選挙でも選管トップに与党幹部を据えたり、投票日の未明まで野党側事務所を家宅捜索したりし、選挙の公平性も問われた。 インド寄りのソリ新政権にとって、今後はヤミーン政権下で続いた政治弾圧の解明や、国内総生産の4分の1を超すといわれる対中国債務の扱いが焦点になる。 ヤミーン政権に批判的だったインドや米国の政府当局は、選管の確定結果を待たず、ソリ氏の勝利を祝福する声明を出した。 A氏:アジアで中国寄りの政権が選挙で相次ぎ敗れている。 スリランカ(2015年)やマレーシア(今年5月)に続き、モルディブでも親中派の大統領が敗北。 いずれも中国が提唱する巨大経済圏構想「一帯一路」の沿線国で、大規模開発が続くさなかの動きだ。 モルディブの場合、首都がある島から空港や住宅地がある島々に通じる橋を、中国が総工費2億ドル余りの大半を贈与と融資でまかない大統領選の直前に完成させた。 船でしか移動できなかった市民にとって画期的だが、「実際の値段は3分の1。大金が誰かの懐に入った」と疑う市民が多い。 橋には1キロ以上にわたって中国国旗がはためき、空港の拡張や8千戸のアパートも中国が手掛け、観光客のトップは8年連続で中国人で、人口40万人余りの国に年間30万人が訪れる。 存在の大きさは脅威にもなり、「地元で中国人気は意外と高くない」(外交関係者)との見方がある。 私:「一帯一路」の沿線で歓迎ムードの潮目が変わったのは15年、スリランカの政権交代。 親中派の前政権が中国の融資で大規模港を造ったものの利益を生めず、新政権は追加の開発計画の凍結を決めたが、すると中国側は損害賠償を要求。 返済免除と引き換えに、港の管理を99年間差し出すことになり、債務と汚職の問題は、マレーシアやモルディブで野党側が親中政権を批判する材料になった。 人権問題に口出ししない中国の支援を背に、親中派政権は反対派を弾圧し独裁化した点で共通。 ただ、選挙前に最大野党を解党し事実上の一党支配になったカンボジアを除き、民主的な体裁を気にしない極端な独裁には至っていない。 . カンボジアの独裁化はブログ「中国手本『民主化なき発展』 カンボジア、『安定』優先」 で「チャイナスタンダード」に関連してふれた。 モルディブでは今回を含め過去3回の大統領選の投票率が9割近く、民主制度への信頼が社会の底流にあることをうかがわせる。 「チャイナスタンダード」は思う通りに進んでいないようだ。
2018.09.25
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私:新卒一括採用をふりだしに、終身雇用や年功型賃金という決められたコースにコマをすすめ、定年退職であがり、老後は年金暮らしという「昭和すごろく」。。 就活論争の歴史は古く、採用競争が過熱していた戦前の1928年、大卒選考を「卒業後」にする現在とは違うルールが結ばれた。 当時も「協定やぶり」が続出し、まもなく破棄されてしまい、戦後、大学4年時に採用を決める就職協定として復活したが、抜けがけとルールの形骸化はいつも繰り返されてきた。 ルールをやめるだけなら、1世紀近くに及ぶ「100年論争」に終止符は打てず、そもそも「学業の成果」を問わずに採用することが、いつの世も就活の前倒しを可能にしてきた。 採用だけでなく、大学教育のあり方まで見直す必要があるが、まずは考えなければいけないことがあると、堀篭俊材氏は指摘する。 それは、大学出の新卒社員の3割が3年で辞めてしまういったん非正社員になると、正社員の道にすすむのはむずかしいともいわれる。 「『就社』社会の誕生」の著書がある東北学院大の菅山真次教授は「大学を出て3年間ぐらいを新卒扱いにして、スキルや知識を磨いた既卒の学生も、新卒と同じように就活できるようにしたらどうか」と提案する。 平成の次の「すごろく」に専門の技能で、就職する「シェアワーカー」も加わるのだろうか。 一度外れても、ふりだしからやり直せばいいだけの社会であってほしいと、堀篭氏はいう。 これは、大学教育もからんでいることはブログ「大学改革 ブランド主義・偏差値教育、破る議論を」でふれているね。 このブログで、日本電産の創業者で会長の永守重信氏は、一流と言われる大学を出た学生でも英語は話せないし、専門分野もほとんどできず、多くの学生が即戦力にならないから、企業で働けるように教育し直すのに、企業が時間もお金もかけているが、こんな国は日本くらいしか見当たらないという。 就活問題は、大学教育からの改革が問われるね。 「シェアワーカーすごろく」になれば「同一労働・同一賃金」も容易だろう。
2018.09.25
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私:米国が、多様な人種や価値観が溶け合う「るつぼ」ではなく、共存する「サラダボウル」と形容されて久しいというが、近ごろは、共存空間を隔てる「高い壁」の気配をそこかしこに感じると、沢村亙氏はいう。 向こう側は価値観が全く異なる世界で、「壁」を越えて交わるすべはない。 それでも沢村氏が、米国政治を取材していると、ふとした拍子で「壁」の両側を行き来することがある。 たとえば、バージニア州で選挙集会をのぞいたとき、11月の上院議員選に共和党公認で出馬する男性(50)は威勢が良く、「この国の大学はあなた方の子供を社会主義に洗脳しているんですよ」という。 社会主義? 洗脳? いつ、どこの国の話かと、沢村氏は耳を疑う。 この男性は、イスラム排斥や白人優越を唱える勢力と接触した過去で知られ、保守層の間ですら極端とみられてきた人物が、「トランプ支持」を御旗に政治の表舞台に出てくる例がこのところ、目立つという。 「白人至上主義者と言われることをどう思うか」という質問も飛んだら、「リベラル連中は決まってそんなレッテルを貼るんだ」と男性はいい、司会者が「メディアを信じてはいけません」と声を張り上げると会場は大きな歓声に包まれた。 A氏:沢村氏は、政治の中枢にも「壁」の存在を感じるという。 たとえば、政権幹部が匿名で米紙に寄稿して大統領批判したが、それについて「トランプ氏は痛みを感じていない」と事情通から聞いた。 官僚や司法機関を「自分の追い落としを謀るエリート」と攻撃して支持を引き寄せるのがトランプ氏の流儀で、「格好の攻撃材料を大統領は手にした」という。 「壁」が米国の「寛容」を窒息させている気配もし、たとえば、プライベートで友人とレストランを訪れた大統領報道官に、店主が意に沿わない政権の幹部だからと退店を求めたニュースに接したとき、トランプ氏は「外見が汚い店は中身も汚い」とツイートでののしり、大統領支持者が抗議に押しかけて長期閉店を余儀なくされた後日談を耳にした。 私:それぞれに通底するのは、異なる意見や価値観を問答無用ではねつけ、時には「敵」とみなして排除しようとする態度や言動。 人種差別や妊娠中絶問題など価値観をめぐる対立は以前からあったが、違いはひとまず置き、共通基盤を見いだそうとする良識と知恵もかって、米国にはあった。 「政治信条は違っても議場を一歩出れば、与野党一緒に夕食を囲む仲だったが、今は互いに口もきかない」と、ある元州議会議員は昔を懐かしむ。 すでに4年前の世論調査で保守層の50%、リベラル層の35%が「政治的な価値観を同じくする地域に住むことが重要」と答えている。 わが子には政治信条が同じ人と結婚してほしいと望む親も増えているという。 異なる考えと切り結ぶ営みに疲れ、「壁」の内側にひきこもるアメリカ。 「トランプ」はその帰結か。 それとも「壁」に穴をうがつ復元力を見せるのか。 しかし、最近はEU諸国も移民制限の動きが強く、やはり、人間の本質は、理念のように動けないのだろうか。 ところで、最近、米メキシコ国境を越え米国に密入国する人々に、トランプ政権は越境した親子を引き離して収容し、移民の意欲をそごうとしたが、国内の強い反発を招き、逆に移民支援の動きが広がっていると報じられている。 「壁」の穴をうがった一つの行動か。
2018.09.24
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私:米国が、多様な人種や価値観が溶け合う「るつぼ」ではなく、共存する「サラダボウル」と形容されて久しいというが、近ごろは、共存空間を隔てる「高い壁」の気配をそこかしこに感じると、沢村亙氏はいう。 向こう側は価値観が全く異なる世界で、「壁」を越えて交わるすべはない。 それでも沢村氏が、米国政治を取材していると、ふとした拍子で「壁」の両側を行き来することがある。 たとえば、バージニア州で選挙集会をのぞいたとき、11月の上院議員選に共和党公認で出馬する男性(50)は威勢が良く、「この国の大学はあなた方の子供を社会主義に洗脳しているんですよ」という。 社会主義? 洗脳? いつ、どこの国の話かと、沢村氏は耳を疑う。 この男性は、イスラム排斥や白人優越を唱える勢力と接触した過去で知られ、保守層の間ですら極端とみられてきた人物が、「トランプ支持」を御旗に政治の表舞台に出てくる例がこのところ、目立つという。 「白人至上主義者と言われることをどう思うか」という質問も飛んだら、「リベラル連中は決まってそんなレッテルを貼るんだ」と男性はいい、司会者が「メディアを信じてはいけません」と声を張り上げると会場は大きな歓声に包まれた。 A氏:沢村氏は、政治の中枢にも「壁」の存在を感じるという。 たとえば、政権幹部が匿名で米紙に寄稿して大統領批判したが、それについて「トランプ氏は痛みを感じていない」と事情通から聞いた。 官僚や司法機関を「自分の追い落としを謀るエリート」と攻撃して支持を引き寄せるのがトランプ氏の流儀で、「格好の攻撃材料を大統領は手にした」という。 「壁」が米国の「寛容」を窒息させている気配もし、たとえば、プライベートで友人とレストランを訪れた大統領報道官に、店主が意に沿わない政権の幹部だからと退店を求めたニュースに接したとき、トランプ氏は「外見が汚い店は中身も汚い」とツイートでののしり、大統領支持者が抗議に押しかけて長期閉店を余儀なくされた後日談を耳にした。 私:それぞれに通底するのは、異なる意見や価値観を問答無用ではねつけ、時には「敵」とみなして排除しようとする態度や言動。 人種差別や妊娠中絶問題など価値観をめぐる対立は以前からあったが、違いはひとまず置き、共通基盤を見いだそうとする良識と知恵もかって、米国にはあった。 「政治信条は違っても議場を一歩出れば、与野党一緒に夕食を囲む仲だったが、今は互いに口もきかない」と、ある元州議会議員は昔を懐かしむ。 すでに4年前の世論調査で保守層の50%、リベラル層の35%が「政治的な価値観を同じくする地域に住むことが重要」と答えている。 わが子には政治信条が同じ人と結婚してほしいと望む親も増えているという。 異なる考えと切り結ぶ営みに疲れ、「壁」の内側にひきこもるアメリカ。 「トランプ」はその帰結か。 それとも「壁」に穴をうがつ復元力を見せるのか。 しかし、EU諸国でも移民を制限する動きが増えており、やはり人間というのは理念だけではダメで、本音は人種差別はさけられないのだろうか。 よころで、最近、米メキシコ国境を越え米国に密入国する人々に、トランプ政権は越境した親子を引き離して収容し、移民の意欲をそごうとしたが、国内の強い反発を招き、逆に移民支援の動きが広がっていると報じられている。 「壁」の穴をうがった一つの行動か。 11月の中間選挙で「壁」はどうなるだろうか。
2018.09.24
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私:大手電力会社に対する買収劇と原発事故を描いた作者の真山仁氏が、朝日新聞の取材に応じた。 人気小説「ハゲタカ」シリーズ5作目となる新作「シンドローム」が刊行され、原発事故や電力の問題について「(著書が)改めて真剣に考えるきっかけになれば」などと語った。 今回、買収の標的にしたのは、国の特別待遇で「絶対に損をしない」収益構造を持った「首都電力」。 その東北地方の原発が2011年3月、巨大地震と津波に見舞われ、メルトダウン(炉心溶融)を起こし、責任回避に躍起になる首都電に対し、主人公・鷲津政彦が果敢に買収を仕掛けていく、というストーリーだ。 東京電力福島第一原発事故故後、真山氏は関係者に集中して取材し、小説はフィクションだが、数々の証言や調査に基づいた場面描写は生々しい。 A氏:「ハゲタカ」シリーズで真山氏は、バブル崩壊やリーマン・ショックなど日本経済や世界経済の転換点を描いてきて、このシリーズが「『歴史小説』なんだと気付いた」といい、11年の東日本大震災と原発事故を描くことは「必然だった」と語る。 主人公は、これまでダメな企業を買いたたいては再生してきたが、今回の標的は地域の電力供給を独占し、かかった費用をすべて電気料金に上乗せできた電力会社。 真山氏は「ライバルがいない。コストが上がれば(電気代に)のせる。やりたい放題。だからハゲタカにとっておいしい企業ですよ」という。 作中で、国の原発政策の責任も問い、「国内に原発を50基以上も抱えるのに、なぜ事故に対応する手法・組織がなかったのか。大きなショックだった」からだという。 私:ブログで「ベイジン」上巻と「ベイジン」下巻で、すでに、原発事故以前に真山氏はフィクションで描いている。 この小説は福島第一原発事故の3年前の2008年7月に単行本で発刊され、原子炉のトラブルを扱っているが、最初、日本の原子炉を舞台にしようとしたが、日本の専門家に 「日本の原子炉は絶対安全だ」と言われ、中国に舞台を移したという経緯がある。 もし、そのとき、著者がこの小説の舞台を日本にしたら、政(地方自治体も含む)・官・民・学・マスコミの「原子力村」を描いただろうね。 真山仁氏は「全電源喪失」をすでに「想定」してこの小説を書いていて、原子炉の冷却に消防車の水を使うが、これもなくなると、海水を使うことを考えるというように、「全電源喪失」をすでに「想定」してこの小説を書いていて、福島第一原発事故を予言したようなストーリー展開。 この作家の「想像力」は、3年後の福島第1原発を予告したものになっていた。 しかし、「原子力村」の「原発安全神話」がそれを阻んだようだ。 福島第1原発事故は「想定外」で逃げているが、それは「想定外」でなく、当事者の「想像力」の欠乏からくる「想定外」。 「原子力村」の人びとにせめて真山氏くらいの謙虚な「想像力」があったら、今度の事故対応は大きく変わり、逆に日本の原子力技術を世界に宣伝できただろうに。 「想像力」欠如の「傲慢」というのは怖いね。 真山氏は、2ヶ月ほど前、テレ朝のインタビューで「失われた20年」は30年、40年となっており、原因は日本の産業力の停滞だと言っていた。 真山氏の今後の日本経済の行方についての「想像力」に期待している。
2018.09.23
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私:気象の極端化を筆頭に、地域社会は様々な変化の波の真っただ中にいて、人口減少社会は地域を取り巻く環境が大きく変化する社会でもあるが、その一方で、依然として東京一極集中が進み、千代田区、中央区、港区の都心3区への過度の集中はとどまるところを知らない状況にあり、特に昼間の千代田区の人口は夜間人口の15倍近く、昼間に80万ほどの人が流入している計算になる。 同じ市であっても、静岡県の人口に匹敵する横浜市もあれば、わずか3400弱の北海道歌志内市もあり、その差は千倍以上。 同じ町村であっても、福岡県新宮町のように2010年からの5年間で人口が23%も増加したところもあれば、高知県大川村のように、過疎地域で人口もわずか400ほどで、議員の成り手不足から町村総会の導入を検討したところもある。 A氏:1人当たりの平均所得も港区のように1100万円超のところもあれば、熊本県球磨村のように200万円を切るところもあり、産業構造の違いも考慮する必要はあるが、地域経済の状況も極端化が目につく。 自治体の財政状況も同様で、財政状況に関しては、大都市と発電所や大きな工場が立地している市町村はおおむね良好だが、地方都市の多くは青息吐息。 自治体の貯金にあたる積立金と借金にあたる地方債現在高の比率をみると、特別区全体では約3・4倍なのに対して市全体では約0・2倍だけで、その差は17倍に及び、いかに大都市にお金が集まっているか、このデータだけ見ても明らか。 経済のグローバル化は、地域経済そのものにも様々な影響をもたらし、日本市場が人口減少で縮み志向となる中で、地方の企業も海外に活路を見いだす動きが増えていて、自治体も地元企業のこのような取り組みを支援することが求められているが、工場の操業縮小などのダメージも小さくない。 私:景気が好調な中で、人手不足は地方経済にも深刻な影響を及ぼしかねない。 国は事実上「移民」を大幅に受け入れるような政策の転換を検討している。 大都市に若者が流出し続ければ、外国人に依存せざるを得なくなる地域も増えていく。 製造業や農業だけでなく、観光関連の産業でも外国人の力が必要となっている。 地域が極端化する中で住民に最も近い存在である市町村は様々な対応を迫られていて、気象の極端化に対しては、地域の防災力の強化が急務。 A氏:人口減少が不可避な中で、自治体は人口増に代わる目標を設定することが必要となってくる。 外国人住民の増加に関して、以前は多文化共生という言葉で語られ、近年ではダイバーシティーが頻繁に使われているが、ヨーロッパの状況を見れば、住民の反発も予想される。 地域を巡る環境が激変する中で、もはや、あれもこれも、といったサービスの提供は不可能となっていて、重点的に行うべきことを選択して、そのことに集中するという、住民にとってつらい選択をすることが自治体に求められている。 私:中央と地方の格差というが、地方自治体の間でも格差があるようだ。 しかし、多くの地方自治体は、災害対策や人口減に対して、知恵を出して対応しないと破滅が待っているようだ。
2018.09.22
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私:ブレイディみかこ氏は、保育士・ライターで、96年から英国在住。 英国の現地の生々しい状況を伝えているが、3月は、「緊縮病『失われた10年』 待ちわびる、冬の終焉」で英国の緊縮財政をホームレス増加問題を通じて現場の姿を報じていたね。 6月には、「治安悪化するロンドン 若者への投資、削減の末」として、ロンドンで2月と3月に起きた殺人件数が、現代史上初めてニューヨークを上回ったことが4月に明らかになり、 世界中を驚かせたと報じている。 いずれも、背景に保守党政権の緊縮財政政策があるようだ。 今年は英国で女性に参政権が認められて100周年だというのに、政府が推進している緊縮財政政策のために多くの女性たちが貧困と生活苦に追い込まれ続けていると、ここでも、緊縮財政政策の影響にふれている。 A氏:昨年、英国中部リーズで10歳以上の「貧困層」の少女たちが生理になると学校を休んでいることがメディアで大きく報道されて話題になった。 家庭に生理用品を買う余裕がなく、ソックスにティッシュを詰めたり、新聞紙を重ねたりして生理の時期を過ごしているので、制服が汚れることを恐れて登校できない。 こうした極端な英国内での貧困を調査するため、今年11月には国連特別報告者のフィリップ・アルストン氏が英国入りし、英国内における貧困の深刻化と緊縮財政政策の関係性に特に関心を持っているという。 昨年、野党第1党の労働党は、保守党が政権に返り咲いた2010年から政府が行ってきた政策がさらに男女格差を広げており、緊縮によるしわ寄せの86%が女性に及んでいるとして、税制と支出政策のジェンダー監査を行うように政府に求めた。 この分析は、緊縮による税制改革、福祉制度改革によって受ける損失を男女別に割り出したもので、10年から20年までの財政支出削減による損失の推計は、女性で総額約790億ポンド、男性で約130億ポンドになるという試算を行っていた。 私:緊縮財政政策は貧しい層ほど痛めつけられる政策と言われ、女性の平均所得は男性のそれよりも低く、シングルペアレントも男性より女性のほうが多い。 よって女性は財政支出削減の影響を受けやすく、緊縮による福祉削減の一環として打ち出された、所得補助、求職者手当、雇用・生活補助手当、住宅給付などを一本化する新福祉制度、ユニバーサル・クレジットの導入によって、多くの女性が貧困に陥っている。 臨時雇用やパートの仕事をしているのも女性が多く、女性就労者の42%がパートで働いている(男性は13%)ため、低所得者への補助金削減や、公共セクターの賃金凍結(国民保健サービス、NHSの職員の77%が女性)で最も影響を受けるのは女性。 加えて、緊縮で政府が育児支援、介護などの分野でのサービスを縮小すれば、家庭で女性たちがケアを担うことになり、働けなくなったり、勤務時間を短縮しなければならなくなったり、と所得はさらに減少する。 A氏:女性参政権100周年を祝う方法は、華やかなイベントやマーチに参加するだけではなく、現代ならサフラジェットたちは何をしただろうと考えることだとブレイディみかこ氏は指摘する。 すなわち、彼女たちが闘ったのは、単に男性と同じ参政権が欲しかったわけではなく、参政権を手に入れて、女性の利害を反映した政治を実現させたかったのである。 ブレイディみかこ氏は「フェミニズムは単なるアイデンティティー政治の問題ではなく、経済の問題でもある。男女格差を広げる財政政策はジェンダー平等の理念に逆行する。緊縮はジェンダーの問題なのである」と指摘する。 私:かっては、「ゆりかごから墓場まで」と言われた英国の社会保障制度は、どこに行ったのだろうか。 EUからの離脱(ブレグジット)で、さらに英国経済は悪化するという。
2018.09.21
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私:人間は二つの方法で体温を調節している。 一つは皮膚の血流を増やして外気温との温度差を利用して空気中に放熱する方法で、もう一つが発汗で、汗が気化する時に熱が奪われて体温が下がり、大人は、この二つをうまく使って、体温調節をしている。 ところが子どもは汗を十分にかけず、体温調節を皮膚からの放熱に頼っているので、顔が赤くなるのは、顔の皮膚の血流が増えるためで、気温35度を超えると、逆に皮膚から熱を体内へ取り込んでしまうので熱中症に特に注意。 子どもは汗っかきだと思いがちだが、実は違うらしい。 このテーマでよく引用される本が1963年に発行された久野寧・名古屋大学名誉教授(故人)の著書「汗の話」。 汗をかく汗腺について子どもから大人まで調べ、その数が2歳半ごろまでに決まると導き出し、寒い国に生まれた人は少なく、熱帯では多い傾向にあるという。 「幼いころはエアコンを控えて」という説の根拠はこれらしい。 A氏:だが、汗で体温調節するために大事なのは、汗腺の数よりも、汗腺から出る汗の量と、反応のすばやさで、中京大学の松本孝朗教授によると、子どもはひとつの汗腺から出る汗の量が少なく、特に運動時などに、大人のようにうまく発汗できなく、こうした発汗機能は汗腺や自律神経の成長にともない思春期ごろに発達するので、「汗をかく力は幼い頃に育つ」わけではなさそうだという。 子供がエアコン漬けになると発汗機能が育たず、夏を乗り切れない子どもになるのだろうかというと、松本氏は、「通学時や体育の授業、遊びの時間に汗をかくことで『暑熱順化』は起きる」と話す。 「暑熱順化」とは、暑い中で運動することなどで、たくさんの汗をすぐにかけるようになることで、体温上昇や心拍数の増加が抑えられ、子どもなりに暑さに耐えられるようになる。 私:「暑熱順化」は1日に1~2時間、暑い環境にいれば、数日~2週間程度で起きる。 教室や自宅でエアコンを使っても、そのほかの生活で汗をかく準備はできる。 松本氏は「『暑熱順化』が必要だからエアコンを使うべきでない」というのは間違っていて、特に今年のような災害級の酷暑では、命を守るために必ず使うべきだと指摘する。 東京理科大の倉渕隆教授も、教室では特に子どもの「体感」を意識しながらエアコンを使うことが大切と話している。 A氏:ところで、20日の朝日新聞・「私の視点」欄で上智大学教授木村護郎クリスト氏が「学校のエアコン 身体・環境、功罪見極めて」と題して寄稿している。 学校へのエアコン設置が急速に進められつつあるのに対し、氏はまず、身体的な面について、空調に頼りすぎると、身体は、気温変化に対応して順応する機会を奪われ、子どもは体も小さくて水分を十分に蓄えることができないため、熱中症になりやすいことが指摘されていて、成長と共に体温調節機能を発達させることは、四季が明確で気温変化の大きい日本で健康に生きていくうえで欠かせないという。 エアコンがあるからといって早い時期から冷房をつけると、どうしても暑さに慣れずに夏の盛りを迎えてしまう。 また夏は、外が暑いとつい冷房の温度設定を低くしたくなるが、外気温との差が大きいと自律神経系の調節がうまく行えずに体調不良を来しやすくなるという。 「暑熱順化」の問題だね。 次に、木村氏は、エアコンの増加は電気使用量の増加や屋外への熱気の排出増を招き、環境によくないという。 したがって、木村氏は、エアコンをなるべく使わないで済むように、また使う場合も電力の浪費にならないよう、断熱や日よけのとりつけ、校舎南側に落葉樹を植えるといった工夫が望ましく、エアコンが一番必要な時間帯は太陽が照っている時間でもあるので、エアコン設置は太陽光発電とセットで考えるのが、基本になるべきだろうという。 私:学校の屋根に太陽光パネルと、曇天でも気温が上昇することがあるかもしれないので蓄電池も設置することになる。 そうなると自治体の設置費用増大となるので、その点の配慮も必要だろう。 また、来年以降、「異常気象」で夏の熱暑が続くなら、早期にエアコンが必要で設置のタイミングの配慮も必要だね。
2018.09.20
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私:永守重信氏は、日本電産の創業者で会長で、京都学園大学を運営する京都学園の理事長も務める。 永守氏は、今の大学教育には大変失望していて、日本電産を創業して以来、国内だけで新卒の学生を約6600人採用してきたが、一流と言われる大学を出た学生でも英語は話せないし、専門分野もほとんどできず、多くの学生が即戦力にならないから、企業で働けるように教育し直すのに、企業が時間もお金もかけているが、こんな国は日本くらいしか見当たらないという。 日本電産の社内には、どの大学を出た社員がどんな仕事をし、どう昇進しているかを追跡したデータベースがある。 それによると、一流大学の卒業生がいい仕事しているかと言えばそうでもないし、同期入社の中で二流、三流大学の卒業生が先に昇進することもよくあるし、同期のトップを走っていることもある。 日本電産はモーターの総合メーカーだが、新製品開発部門にも二流、三流大学の卒業生が多く、彼らの方が仕事ができるから。 結論は、出た大学と偏差値は仕事のできとは全く何の関係もなく、仮に一流大学の卒業生は仕事ができて、三流大学の卒業生はだめだったら、大学にこれほど興味を持たなかっただろうと永守氏はいう。 A氏:こういうことになる原因は、ブランド主義と偏差値教育。 多くの大学受験生は将来何がやりたいということをあまり考えずに、名前が通ったいい大学、ブランド力のある大学に入ろうとし、ろくに遊びもせずに塾に行き、家庭教師をつけてもらって入試に受かるための勉強ばかりしている。 進路指導では、「君の成績ではもっと下のランクに」と大学だけではなく、学部や学科まで偏差値で区切られる。 「人生100年」になろうとするときに、前途ある若者をたった18年生きた段階で区別してしまい、一番夢を持たないといけない時期に、夢を持たせないようなことをしている。 私:だから、永守氏は、若者の夢の芽を摘むブランド主義と偏差値教育を打破したいのだという。 その考えで京都学園大を運営する。 だから、永守氏の考えに共鳴してくれるガッツのある先生方に来てもらい、学生に質の高い教育をして世の中で求められている人材に育てるのだという 英会話を教えるだけでなく、英語で授業もし、英語の成績はTOEICで650点以下は卒業させない。 これから新たに工学部を設け、モーターの技術者も育て、今年の志願者が去年から7割増えた学部もあり、来年はさらに2倍にすることをねらっているという。 目標は、メディアでもよく取り上げられるイギリスの教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」の世界大学ランキングで199位までに入ること。 日本の大学で100位以内は46位の東大と74位の京大で、その他は200位以下だから、199位になれば日本の大学では3番目になるので、永守氏は、できれば10年で達成したいが、20年かかるかも知れないので、簡単ではないと思うが、達成をめざして永守氏は、私財を1千億円でも投じる覚悟だという。 A氏:教育は、人間の行動を変える。 永守氏は、職業訓練大学校(現職業能力開発大学校)で学んだが、その大学の校長は元東北大学教授で歯車の研究で有名な成瀬政男先生で、毎月学生たちに「人間の能力は学校の勉強で決まるのではない」「その場その場で全力で事にあたる」といったことや、将来世の中がどう変わるか、何を学び、どんなものを作ればいいかなどを語り、ものすごく影響を受けたという。 永守氏は、オイルショックで省エネが叫ばれたとき、省電力のモーターを開発して世に問うべく会社を起こしたのは、まさに先生の言った通りに歩んできたように思うという。 そして、永守氏は、成瀬先生のように京都学園大で学生たちの意欲を引き出したいと思っているという。 グローバル化が進み、世界を股にかけて事業をしなければいけない時代になり、日本を訪れる外国人も増え続けている。 時代が変わったのだから、大学も英語を話せるようにするだけでなく、教育内容を抜本的に変えるべきで、朝日新聞など多くのメディアは「偏差値偏重」の是正を求めてきたはずで、少子化が進み、若者が人材としてますます大事になる今こそ、職業教育も含めて教育改革を多面的に報じ、議論を巻き起こしてほしいと、永守氏はいう。 ブランド主義・偏差値教育を止め、それによる大学改革は大きな課題だが、確かに少子化が進む日本にとって、重要な解決課題だね。
2018.09.19
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私:スポーツ庁と文科省は、7月26日、国公私立大や高等専門学校あてに、東京五輪への学生のボランティア参加について「将来の社会の担い手となる学生の社会への円滑な移行促進の観点から意義がある」などと強調し、大学のスケジュールである学事暦を変えて期間中の授業や試験を避けることは、文科省に届け出なくてもできると「通知」した。 大会組織委員会や都が求めるボランティアは計11万人で、18歳以上で原則10日(都募集分は5日)以上参加できることなどが条件で、夏休み中の学生は主なターゲット。 ところが多くの大学は7月下旬から8月上旬まで授業や試験があり、五輪期間と重なる。 「通知」は従来の運用を変えたわけではないが参加の意義を説くことで事実上、大会成功の鍵を握る「働き手」確保への協力を求めるものになっている。 「通知」の背景には、東京都の要望があり、都は6月の政府との会議で、「期間中は授業や試験をしない」と決めた首都大学東京の例を紹介し、ボランティアに参加しやすい環境づくりを課題に挙げ、ほかの大学からも関連する問い合わせがあり、混乱を避けるために「通知」を出したという。 A氏:「通知」に歩調を合わせるように授業日程を変える大学も出てきている。 明大は、例年だと五輪開幕の7月24日に学期末試験が始まるのを、20年度は授業や試験の日程を前倒しすると決定し、4~5月の大型連休中にも4日間の補講をするという。。 国士舘大学は、20年7~8月の五輪開会中を「特別課題研究期間」と呼び、授業も試験もしないと宣言し、ボランティアに参加する場合、説明会や研修も含めて公欠にすることを決めた。 私:一方で違和感を口にする人も相次ぐ。 東大大学院の佐倉統教授は、ツイッターで「大学はオリンピックのためにあるわけではない」とつぶやき、取材に対し「ボランティアの意義は認めるが、やりたい人が自発的にやること。学事暦の変更に言及するのは行き過ぎで、まるで動員のよう。東日本大震災の時でもこんなことはなかった」と批判。 大阪大の菊池誠教授もツイッターで「講義回数の厳格化を進めて休講しづらくしたのは文科省」と投稿し、取材に「災害支援のような公共的な理由でもないのに、手のひらを返すような通知で腹立たしい。大学は学費を払っている学生のため、粛々と講義を続けないといけないのではないか」と話す。 現場に批判の声が上がっていることについて、文科省の担当者は「偏った形でメッセージが伝わってしまった」と釈明し、林文科相は8月3日の会見で「学事暦を変更するよう求めるものではない。あくまで各大学の判断だ」と説明。 A氏:学生時代に長野五輪(1998年)のボランティアに参加したある会社員は、今回の騒動について「学生時代に五輪の魅力を味わえたのは自発的に参加して、動き回ったからこそ。できれば募集方法は押しつけがましくならない形がいいと思う」と指摘し、「本当に行きたい学生が都合をつければいい話で、授業全体を変えるような発想は違うんじゃないか」と話した。 私:なんだか学生の東京五輪へのボランティアに参加要請「通知」は、東京五輪のためにサマータイム導入の発想と似ているね。
2018.09.18
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私:「少林寺」の公式ホームページ(HP)によると国旗掲揚式は8月27日に開催し、当日は地元の共産党幹部や市当局者も参加した。 「少林寺」1500年の歴史の中で国旗を掲揚したのは初めてといい、ネット上では「仏門にふさわしくない」「党支部ができるのか?」といった戸惑いの声も上がった。 国旗掲揚の背景には、今年2月に施行された「改正宗教事務条例」があるとみられていて、中国の習近平指導部は、宗教活動が共産党の統治の正統性を脅かし、国家の安全に脅威を与えかねないとして、規制を強化。 条例では新たに、宗教団体や信徒に「社会主義核心価値観の実践」と法律の順守を求める内容が盛り込まれた。 A氏:条例を受け、政府公認の宗教団体の連合組織は「国旗法」に基づき、宗教活動の場に国旗を掲げることを決定。 政府の公認を受けている「少林寺」は今回の国旗掲揚について、HPで「宗教界の国家意識と公民意識を強め、中国の特色ある社会主義社会の実現に向けての積極的な行動だ」と意義をアピール。 また、中国には政府非公認のキリスト教の教会が各地に多くあり、家で礼拝をすることが多いため「家庭教会」と呼ばれるが、条例では法律で認められた宗教団体以外の活動を認めないと明記され、閉鎖が相次いでいる。 私:米政府系放送局ラジオ・フリー・アジア(RFA)によると、2月以降、河南省では当局による十字架の強制撤去や教会の破壊が相次ぎ、9月初めには北京最大の「家庭教会」も当局の取り締まりを受けた。 政府の宗教政策に対し、キリスト教の牧師ら29人が1日、実名で政府を批判する声明をネット上で発表する異例の行動をとり、声明文では、2月以降、信仰の自由が侵されていると批判し、「こんな乱暴な行為は(1966~76年の)文化大革命の終結以降、なかったことだ」と指摘。 マルクスのいう「宗教は民衆のアヘン」という考えと違うようだね。
2018.09.17
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私:介護業界を襲う人手不足は深刻さを増している。 厚労省によると、介護に携わる職員数は16年度で約190万人で、職業別の有効求人倍率では、今年7月の全職種平均が1・42に対して介護サービスは4・03。 東京都心部では20倍前後の地域もある。 この先の状況は、さらに厳しく、厚労省は、団塊世代が75歳以上の「後期高齢者」になる25年度には245万人、65歳以上の高齢者がピークに迫る40年度には305万人の介護職員が必要になる、と計算する。 一方、この間、少子化で国内の就業者は全体で900万人以上縮み、そんな中、介護人材を100万人以上増やせるのか、という問題もある。 少子高齢化による典型的な社会問題だね 有料老人ホームなど300施設以上を展開するベネッセスタイルケアの国政貴美子顧問は「たとえば外国人を10万人単位で受け入れる。IT活用や業務変革によって、入居者と職員の比率を4対1、5対1で可能な体制にする。あらゆる手を尽くさないと、この国は必ず行き詰まる」と危機感をあらわにする。 A氏:この記事では、8月下旬、ある老人ホームの施設の「ロボット導入フロア」で夜勤帯の働き方を見せてもらった内容を報じている。 入居者の定期巡回など、勤務中に移動する距離は15キロに及ぶが、電動二輪車の導入で、歩く距離は半分に減った。 待機スペースにも、近未来の雰囲気があり、モニター画面に「睡眠」「覚醒」「起き上がり」「離床」と、担当する入居者全員の状態が表示されており、呼吸や心拍、寝返りなどの体動を覚知するセンサーを組み込んだベッドからデータが送られてくる。 膀胱の大きさの変化を超音波で測定して、排尿のタイミングを予測する装着型の機器も効果を発揮する。 この装置と電動二輪車の二つの機器を組み合わせれば、尿がたまってきて、かつ覚醒状態のタイミングでトイレに誘導でき、入居者の睡眠の質の改善に加え、失禁回数やオムツ、尿パッド費用の抑制にもつなげられる。 これら業務の「カイゼン」と最新機器の積極活用で、「介護・看護職員1人当たりの入居者数」は2015年の1・86人が今や2・68人で、2人程度とされる全国平均を大きく上回るまでに効率化できたという。 一方で、テクノロジーに頼って介護を変える動きを懸念する声もある。 例えば、入居者の呼吸の深さ、歯ぎしりの強弱、おしっこのにおいから、その入居者に何が必要かを職員が予測するが、機械を導入すれば、この「感覚を総動員してお年寄りに関心を寄せ、ケアするという営み」が失われてしまうかもしれない。 一方、人にはどんなに関心を寄せていても他人にはわからない世界があり、その領域辺りに尊厳らしきものがあるかもしれないのに、機械がすべてをデータ化し、それに基づく介護を始めた時、もう相手を「モノ」のように支配することになるのではないかという。 私:「MIMOTE(ミモテ)」という、介護職の「気づき」をデータ化し、ケアの改善につなげようというスマホのアプリがある。 「食事」や「睡眠」、「他者との交流」など21の「気づき項目」を用意し、職員が入居者ごとに、各項目について「とても良い」から「とても悪い」まで5段階で評価し、仕事の合間にスマホやタブレットで入力を重ねる。 介護する相手に関心を寄せるという感覚の養成にこのテクノロジーを活用し、新人を早期に一人前に育成しようという。 「MIMOTE」を開発し、内閣官房情報通信技術(IT)総合戦略室長代理も務める慶大教授の神成淳司氏は「新人には早期に一人前になってもらい、経験者には熟練度や経験値を評価するツールとして育てたい」といい、外国人の人材にも「データをもとに説明すればより納得してもらいやすいのでは」と期待する。 記事を書いた記者は「テクノロジーが『介護する人』と『される人』の双方を救うには、どう活用されるべきなのか。課題は「平成後」に引き継がれた」という。 「カイゼン」といっても相手はものでなく、人格を持った人間だからね。
2018.09.16
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